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フィッシャー問題急展開、映画「王将」、リナレス優勝のカスパロフが引退。

05/03/15
 今後のカスパロフは、気楽にできる対局は続けてくれるそうだ。執筆活動に意欲的で、『Predecessors』とはまた別の本を今年中に出す、しかも、それは15ヶ国語で出版され、その中には日本語も含まれるとのこと。書名は『How Life Imitates Chess』、これ自体は昨年から知られていた。畏友によれば、50万ドルで版権をペンギンブックスが落札してる。
 最後に、カスパロフは自分の後継者が誰かを質問され、やや考えてから、カリャーキンとカールセンの名を挙げた。今年に入って失速気味のアナンドでも、スタミナに不安のあるクラムニクでもなかった。
05/03/14
 フィッシャーの会見を伝えてくれた畏友には悪いが、カスパロフの引退を続けたい。
 2002年初秋から昨年晩秋まで、この二年間のカスパロフのふがいなさは本欄でもしばしばお伝えした。彼自身、それを気にしていたことは言うまでも無い。このままでは終れない、今年のリナレスにかけた思いを会見でも述べていた、「見苦しくないチェスを見せたかったんだ、私が他の誰よりも立派に指せるってことを何より私自身に証明したかったんだ。そして、やったさ」。1924年のラスカーもこんな気持だったんだろう、と思った。
 ユダヤ人ラスカーの場合はナチスの迫害もあって、再び競技に帰って生計を立てねばならなかった。実はカスパロフも楽ではないはずである。2002年の暮れに彼のネット事業が崩壊して、かなりの損失を出したのだが、引退しても大丈夫なのか。また、カスパロフは「すべてやり遂げた、チェスでの目標はもう無い」と言ってるが、本当なのか。彼はまだ機械へのリベンジを果たしていないのである。このあたりの事情はもう少し落ち着いてから聞けると思う。
 ロシア大統領に立候補するという話も前からある。途方も無い捨駒が得意だった棋士が王様になることについて、国民は我が身の危険を感じないだろうか。
05/03/13
 リナレスの最終ラウンド、図がカスパロフの警戒した場面で7.Nh4まで。黒は7...Nxe4と取れば8.Nxe4. Bxh4で駒得できる。しかし、9.Qh5があり、ちょっと難しいが、もし9...0-0なんて指したら10.Bg5で白の優勢になる。それでも、7...Nxe4と取る手は可能だったと思うが、カスパロフは7...Nd4を選んだ。以下、確実に引き分けようと一気に駒を清算し、ポーンだけの終盤に入る。しかし、それで形勢を損ねたようだ。トパロフが勝ってしまったのである。ただし、タイブレーク判定で優勝はカスパロフに決まった。大会規定で、同点の二人が勝局数も同じだった場合、黒番で多く勝ってる方が優先されるのだ。
 負けても自分が単独優勝だ、とカスパロフは対局前から知っていた。なら、生涯最後の一戦をもっと華々しく戦っても良かろうに。が、引退表明の記事を読むと、「これで最後なんだ」という思いで一杯になり、とても平常心で対局できる状態ではなかったそうだ。畏友は、「ほんと"人間"だったんだなあ」。カスパロフや大山康晴に対し、ついつい私はそれを忘れて超人伝説を期待してしまう。
05/03/12
 リナレスが終了。でも結果は後回しだ。フィッシャーもその後に。記者会見があり、カスパロフが引退を表明した。引退に関する彼の発言の揺れはすでに本欄でも紹介したが、最終的に決断する気になったのは、カシムジャノフとのマッチが流れた時だったようだ。「あれで自分はもうチェス界の一員じゃないってわかったんだ」。この孤絶感はもっと前からのもので、例として、ポノマリョフとのマッチが流れたヤルタ騒動を挙げた。「FIDEがポノマリョフに対してひどいことをしたという記事は読んだよ、でもね、私に対するFIDEのやり方に真剣に抗議してくれた人の話しはぜんぜん聞いたことが無い」。私自身これは認める。「タイトルを賭けて戦う機会を私が絶たれるたびに、みんながとても喜んでるように見えたんだ」。ちゃちなタイトルなんか無くてもカスパロフは大カスパロフである。だから、彼だって声援を待ってる"人間"なんだとは想像できなかった。
05/03/11
 リナレスは13Rが終わって残り一戦。アナンドを抜いてトパロフが単独二位に上がってきた。しかも最終戦でカスパロフに勝てば首位に並ぶ。現在観戦中だが、03/04で書いた3...e5の"リナレス定跡"。白トパロフが7手目で早くも新手を出したところ。ポーンを損する手である。しかし、カスパロフは警戒して乗らなかったので、ゆっくりした戦いになっている。
 記者会見に行った畏友の話をお伝えしたい。場所は有楽町の外国人特派員記者クラブで、集まったのは40名ちょっと。12月17日のよりも熱気を感じたとのこと。救う会からは渡井美代子、鈴木雅子、ボスニッチが登場。また、アイスランドからパスポートを届けに来た人たちが来日している。特に、1972年のマッチでフィッシャーのボディガードをつとめたPalssonという人が印象的だったようだ。あの"Goes To War"で活躍するSaemi Rockその人である。
05/03/10 紹介棋譜参照
 リナレス、12Rもカスパロフが独走。アダムズを黒番で破った。白がK翼から、黒がQ翼から、というシシリアンらしい攻め合いだ。速度計算の駆け引きが面白いのはもちろん、危険を承知でカスパロフが入城した大胆さや、豪快な決め手も素晴らしく、こないだのカシムジャノフ戦に劣らぬ傑作です。紹介棋譜に。
 こんな時の数日だけ私が忙しくなって不本意ですが、フィッシャーを救う会が記者会見で配布した申入書を畏友が送ってくれたので、ざっと紹介しておきます。3月8日の日付で法務大臣と入国管理局に送られたもので、これまでの大橋毅、鈴木雅子に加え、渡部典子がフィッシャー代理人の弁護士に加わっている。
 申入書の趣旨はフィッシャーに対し「即時自費出国の許可を出されたい」。その理由として、まずこれまでの経緯を説明している。すなわち、昨年の8月24日に退去強制令書が発行されたこと、12月15日にアイスランドが受け入れを表明したこと、この表明にフィッシャーは応じる意志があり、すでに旅券も航空券も入手し、自費出国の準備が整っていること。無論、訴訟の取り下げも示唆している。
 そして最後に、「我が国で行われている退去強制の圧倒的多数は自費出国によるものであり、また、これまで、本国への送還か本国以外の第三国送還であるか否かにかかわらず、自費出国の条件を満たしながらそれが拒否された例を知らない」、それは法的にも正当なことであり、フィッシャーも同等に扱われるべきだ、と述べて結ばれている。
05/03/08
 ボロガンの逃げ切り濃厚だったカルポフ杯はラス前の直接対決でバクローが勝ち、同点に並んだ。五分に組み合うクィーンズギャンビットから力負けせず、強敵を組み伏せている。この二人がそのまま優勝した。
 リナレスは11Rまで終了。アナンドが黒番でカシムジャノフを倒したが、まだ2勝も差がある。
 フィッシャー問題は急な展開になっていて、救う会が4日、7日、そして本日と立て続けに記者会見を開いた模様。とても気になる。畏友は忙しいところを本日の会見に行ってくれた。「僕はとうていクールになれません」。
05/03/07
 日曜なのに仕事があって将棋NHK杯が見られない。山崎隆之が出るというのに。念入りに録画して結果を気にしつつ帰宅し、着替えながらすぐ再生した。相手は郷田真隆だ、うーん。山アは後手番なのに一手損の角交換から向飛車。解説の有吉道夫は「後手で角換えて飛車振ってますから三手損ですね」。郷田はうまいもんで五筋を突かず、しかも穴熊。山ア陣の方に隙が多く、やばいなあと思いながら局面は▲7七金と寄ったところ。そこで△6五歩がうまい仕掛けで、どうにか虚々実々の戦いが始まった。けれど、やはり穴熊にはかなわない、▲5五歩打が詰めろで、これを△同飛成とするしかないのでは大差である。金銀を7枚も取られるひどい状況になったが、山アは投げなかった。普通は無駄な粘りは辟易とさせられる。それでも有吉の解説にほのぼのした温かみがあって救われたし、何よりちょっぴり私は期待していて見続けた。しかし、本当に逆転するとは。△2五玉で入玉確定、さらに有吉は郷田の駒数が足りないだろうと言い始めた。その口調がほんのわずか楽しそうで、私も笑った。最後は大駒を仕留めて山アの決勝進出が決まった。この勝利を記念して戎棋夷説は大日本モロゼビッチ賞を創設し、山ア隆之に第一回受賞の栄誉を与えよう。たまたまこの日に聞き手だった中倉彰子も落ち着きがあって良い放送だった。録画できて幸運である。
 リナレスはカスパロフがヴァレーホにまた勝った。優勝確実と言っていい。
05/03/06 紹介棋譜参照
 フィッシャーの扱いを日本に指示するだけだったアメリカ政府が、脱税容疑で彼を起訴するようだ。犯罪人引き渡し条約によって、アメリカ送りになる可能性が高そう。とっくに彼は経済制裁問題で起訴されてるわけだが、これは大統領令についての違反で、引き渡し条約の対象外だった。
 リナレスはカシムジャノフ対カスパロフが最高だった。図は17...0-0まで。わかるだろうか、白は18.Bxc5. Bxc5から19.Ne6で駒得である。が、カスパロフにはこれが研究手順だったらしい、時間も使わずに進めて、このあとさらに我々を驚かせる一手を放つ。紹介棋譜で御覧ください。全盛期の勝利です。一昨年の不調ぶりを見て、ポノマリョフにさえ負けるだろう、と私は述べたものだけど、今はアナンドさえ倒せるかもしれない。
 古典棋譜の解説って棋力回復に役立つんだなあ。
05/03/05
 今日の観戦はリナレスが何様だろうとA級順位戦最終局である。この放送は将棋ファンの紅白歌合戦のような行事になってきた。羽生善治が挑戦権を得た。ここのところ20勝2敗だったそうだ。十八世名人の誕生は堅い。リナレス観戦に戻ると、9Rは三局とも面白いことになっていた。
 昨日の突き捨てを紹介しておく。図から12.f5が新手で12...Ng4に13.f6、これで全世界のネット中継が熱狂した。どこの解説者も白優勢と判定したが、レコの守備もたいしたもので、最後は引き分けに終わった。
 カルポフ杯は5Rの中日だ。ボロガンが一点差の単独首位。勝った三局の手数が69手、52手、74手というのも彼らしい。二位はバクロー、オニシュク、ドレーエフ、グリシュク。出遅れたのはスヴィドレルとルブレフスキー。
05/03/04
 最近はICCのギャラリーがつまんない。畏友によれば、ショートなんかはフリッツ・サーバーに移って、そこでチャットを仕切ってるらしい。リナレスは前半戦を終えて2勝のカスパロフが首位。半点差でアナンドとトパロフが続く。レコは6局すべてドロー。いま第8ラウンドのカスパロフ対レコを観戦中です。序盤は04/03/07で紹介した手堅い3...e5。7Rがすべて味気ないドローだったこともあり、だんだんリナレスらしくなってきたなと思ってると、カスパロフがポーンを突き捨てた。様相が一変です。
05/03/02 紹介棋譜参照
 ちょっと難しい話を。スベシニコフ定跡は、先に9.Bxf6としてから10.Nd5とするか、先に9.Nd5として10.Bxf6とするかで大きく分かれます。主流は前者なのですが、後者が微妙に増えてきた気がしませんか。いろいろ調べたので仮説をひとつ。04/03/04でラジャボフの15...d5をご紹介しました。これは前者型の変化で、彼は試行錯誤のすえ昨年の六月、トリポリで完成版の勝利を得ました。まず、h7ポーンを敵ビショップに王手で取らせてしまう! そのビショップを狙って、a8から大転換させたルークをh6に運び、白のK翼に襲いかかるんです! この構想が発見される過程を実戦例で追うのも面白いですが、この一局だけ紹介棋譜にしておきましょう。以来、採用する棋士が増えた感じです。で、思うに、白がそれを避ける分だけ前者型が減ったのではないか、と。
 リナレスでいまのところ二局のスベシニコフも後者型なので気になったわけです。その二局目が第6R、アナンド対カスパロフの激突でした。図は中盤の見どころで、20.Bb5まで。どうやって黒ナイトを防ぐのかな、と思うと、20...Rxb5、そして21.Qxb5. Nb4、かっこいい。それでも形勢はアナンド有利で進みましたが、もたついてしまい、最後はカスパロフが見事な手筋で連続王手に持ち込んで引き分けました。アナンドは長い持ち時間では十年前のマッチの第9局以来カスパロフに勝ったことがありません。他、トパレフが乱戦を制してヴァレーホに勝ち。
05/03/01
 映画雑誌「PREMIERE(プレミア)日本版」が休刊ですと。困るよ。
 昨年のカスパロフは好局を勝ちきれないことが続いたり、中座して自分の部屋にこもってしまい、ソフト指しの疑惑が問題になったり、さんざんのリナレスでしたが、今年は良い感じです。第5Rは黒アダムズが用意したやや珍しいニムゾに自分から新手を出し、長い変化に読み勝ってか、自然にポーン得。ねちねちした終盤になり、ドローの目もあったと思うんですが、アダムズが根負けして動いたのが悪かった。しぶとい彼にこんな勝ち方をするんだから好調でしょう。
05/02/28
 昨年はうっかり無視してしまったPoikovskyのカルポフ杯が始まった。バクロー、グリシュク、ドレーエフ等10人。
 リナレス名物のドローを減らすため、今年から順位重視で賞金を分配することになった話は以前にもした。そのおかげか、まだ三局すべてドローという日が無い。四日目はアダムズがヴァレーホを破った。ただ、好局だったのはトパロフ対レコのドローだ。前者が勝てるところ、時間もたくさんあったのに油断からか緩手が出て、そこからレコがきわどく残した。定跡はスベシニコフで、ヴェイカンゼーで紹介棋譜にしたポノマリョフ対クラムニクと同じ筋が出た。白がhポーンを突き捨てて、そこにルークをa4から回して二本たてようとする。流行るかもしれない。
05/02/27 紹介棋譜参照
 我々には『チェス(ものと人間の文化史)』の著者である将棋史研究者、増川宏一が『将軍家「将棋指南役」』という新書を出した。江戸から明治の大橋本家の姿を大橋文書から語った本だ。現代について考えさせられることが多く、リナレスが終わったら詳しくご紹介したい。追記。実際は06/04/28に。
 リナレスは黒番でカスパロフがVallejo(ヴァレーホ?ヴァジェッホ?)を撃破。序盤は1996年にアナンドがカルポフを倒したのと同じ。私のページでも90年代のコーナーで扱った名局です。あれ以来、黒の評判が芳しくなかったんですが、ChessTodayによると、最近は見直されてきたとのこと。それでも珍しい形でしょう、これをカスパロフが選んで図は25.Rxa6、白の駒得が大きくなったところ。興味深いのはICCで解説してくれたクリスチャンセンが、この時点で、「黒が良い。すごいゲームだ」と言ってたこと。みなさん、わかります? たぶん白ナイトが悪形なんだ。
05/02/26
 フィッシャーの裁判は三月七日に予定されてるけど、再び例の弁論準備手続というやつで非公開だ。最後の勝負所かなと思ってると、また新しい動きがあって、アイスランド政府が外国人用のパスポートをフィッシャーのために発行してくれた。
 リナレス第2ラウンド。アナンド対トパロフが難解な戦いになり、終盤でしくじった後者が負け、初日の一勝を早くもチャラにした。トパロフが採った作戦はヴェイカンゼーでクラムニクを破ったもので、本欄でも05/01/17に触れた。その図と比べるとわかるけど、クラムニクの12.Qxb4でなく、12.b3としたのがアナンドの工夫。
 カシムジャノフが参加しているので、カスパロフとの対戦も今大会の見所の一つだ。作戦勝ちした白カスパロフがRとB+Pの交換で駒得、しかし、カシムジャノフも終盤で残ったナイトを使って、カスパロフのルークに対抗し、ドローに持ち込んだ。ChessTodayの記事によると、もともとカシムジャノフはナイト使いが並外れて巧みなのだとか。
05/02/24 紹介棋譜参照
 まず、答え合わせから。ブロンシュタインが指したのは30...Kh8! ミソは白のNe7がチェックにならないこと。実戦は31.Re1と進んで白もミスを認めた手損の進行になりましたが、もし31.Nxd5とdポーンを取りにきたらどうなるか。そのあたりを紹介棋譜にしました。妙手の狙いを味わってください。
 次に、アエロフロートが終了。最終日に大変動があって、5人が同点首位に並び、タイブレーク判定でサトフスキーが優勝しました。良い棋譜を残してたんで、ひそかに応援してました。最終日の激戦も面白いですが、4Rの名局を紹介棋譜に。ちなみに、コステニクは91位。
 そして、リナレス! アナンド、カスパロフ、レコの三人が参加してくれ、初日から後者二人の顔合わせです。しかし、いいところで合意ドロー、がっかり。でも、ほぼ全局を頑張って疲れてしまった昨年のカスパロフよりは期待できるかもしれない。勝ったのはトパロフ。黒のアダムズが激しく玉頭に切り込んで勝負あったかに見えたんですが、そこでしくじったか、もともと無理攻めだったのか、私にはわかりません。一瞬で様相が変わりました。
05/02/23
 タイムトラブルに陥ってもブロンシュタインはしゃあしゃあと棋譜を採り続ける。チェスにおける"一分将棋の神様"だ。惜し気もなく序盤で長考してしまうところも加藤一二三と似ている。また、結局は人間であり、持ち時間が減ればやはりミスが増えるという点も似ている。ボトヴィニクのブロンシュタイン論は卓見に満ちているが、特にここを見逃さない。「ドローに見えてもとことん指し続けろ」という結論を導いた。
 ボトヴィニクの対局日誌も面白い。ほぼ毎局、準備してきたことを復唱するように書き付け、自分を励ましている。たとえば、開幕直前はこんな感じ、「よく読め、読むんだ、何もかもはっきりさせてから駒を動かせ。必要も無いのに急いで決めにいくな、戦いを長引かせろ。あのずる賢い奴を研究したことを忘れるな、あいつを見るな。時計から目を離さず、15分をとっておけ。主導権を渡しちゃいけない、最後まで押しまくれ、ゆるまずに。さあ、行くぞ!」。
 マッチが始まってすぐ、ボトヴィニクは相手が準備不足であることに気づく。しかし、周知のとおり、戦いをリードしたのはブロンシュタインだった。ボトヴィニクの日誌も、「がんばれ!望みを持って、、、。」という調子になり、最後は書かなくなってしまう。それでも防衛したのだから、たいしたものだ。大山康晴と同じで"不死鳥"と呼ばれる。
 全24局を読了して、一番の名場面を選ぶなら、ブロンシュタインが勝った第5局だ。図は30.Rc1-d1までで、これが敗着。d5ポーンを取らせてもOKという、黒の一手が素晴らしい。もうリナレスが始まるが、あまりの妙手なので説明は明日に。
05/02/22
 1951年のボトヴィニク対ブロンシュタインのマッチ本について、前に軽く触れた。編集がとても面白い本なので、詳しく書いておきたい。当時のボトヴィニクのノートが多く使われており、彼がどんな用意をしたかがよくわかるのだ。セコンド達との対策会議に使うためだろう、しっかり言語化しているのが興味深かった。まず、ブロンシュタインの棋譜を1948年からすべて並べ、ひとつひとつに丁寧な評を付けていく。そして、それを800語くらいのブロンシュタイン論にまとめるのだ。その上で、どんな定跡のどんな手を考慮すればいいのかを割り出していくのだが、たとえば、初手d4だけでも、スラブ、セミスラブ、キングスインディアン、ニムゾ、グリュエンフェルド、クィーンズギャンビットアクセプテッドが研究されている。こう書くと"片っ端から"のようだが、私でも、「あー、1950年のコトフ戦を気にしてるんだろうなあ」とか感じられるほど特化した変化を検討している。
05/02/21
 二月のムダ話はこの一年で見た展覧会からひとつ。二度見に行ったのは神戸市立博物館の「栄光のオランダ・フランドル絵画展」だった。フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」が来ていたのだ。外国を知らない私だが、フェルメールは7枚くらい見てるはずだ。チェス・ファンとして一言いうなら、床のタイルは大理石。
05/02/20 紹介棋譜参照
 モスクワのアエロフロート大会は、すさまじい数のグランドマスターが集まることでも知られてる。今年もバクロー、イワンチュク、ポノマリョフなどなど、最上級のA1だけでも102人が集まりました。このクラスで下から三番目のレイティングがコステニク、力みせたれや!開幕戦のチェスコフスキー対サシキランは双方タイムトラブルに陥り、チェスコフスキーが時間切れで負けた。ところが、日をあらためてサシキランは審判員に言いました、「互いに気づかなかったんですが、どうも、私の方が先に時間切れしたようです」。おかげでサシの成績はどーんと下方修正されてしまった。アジアの同胞のフェアプレーはうれしいです、彼の昨年の名局をひとつ紹介棋譜にしましょう。
05/02/18
 カールセンの名Magnusを「マグヌス」と読んでいたが「マグナス」かなあ。
 ACPツアーの問題点は明らかだ。昨日に並べた6人の顔ぶれが、どうも知性的で良くない。イワンチュク、シロフといった、機嫌を損ねたらチェス盤の"一徹返し"を見せてくれそうな野獣派がACPには欠けている。トパロフとポノマリョフのように脱会する者も現れた。「ACPとFIDEの政争にうんざりした」のが脱会理由らしいが、クラムニク派で固められたACP執行部への不満もあろう、と私は思う。追記真相はたぶん06/10/28みたいなことか。
05/02/17
 同僚さえ信じてくれないと思うが、明日くらいまで高級チョコが主食である。理由ははっきりしていて、職場の私は、目上の男にケンカを売るのはぜんぜん怖くないのに、女性にはつい尽くしてしまうのである。
 ACPの話ももっと早くにしておくべきだった。独自のツアー・システムを確立しようとしている。主要大会での会員の戦績を数値化し、その合計点の上位者を集めたACPマスターズという大会を開いて、年間の最優秀棋士を選ぼうというのである。この構想に最初は冷淡だったリナレス大会も参入してくれることになり、形は整いつつある。第一回のシーズンは昨年七月から今年の六月まで。現在の首位から六位までを順に言うと、アナンド、レコ、クラムニク、モロゼビッチ、ゲルファンド、ショートだ。FIDEの世界選手権よりはまともな優勝者が選ばれるシステムだと思う。
05/02/16
 将棋の話を続けながら実は、記事の訂正をしなければと思っていた。04/12/31に書いたコルチノイとカールセンの対局がNewInChessにも取り上げられていた。それによるとカールセンは時間切れで負けたのだ。御存知のとおり、40手指せば持ち時間は追加される。が、カールセンは棋譜を書き損じて、実際は39手しか指してないのに40手目を済ませたと思ってしまった。普通は時計を見て異変に気づくんじゃないかと思うが、白コルチノイの記録用紙が41手目まで埋まっていたこともあり、カールセンは対応できなかったそうだ。変な話である。終局図はコルチノイのポーン得ながら指し継げばおそらくドローに終わったろう、と両対局者ともに評価したとのこと。歴史的な顔合わせで、しかも見所のある棋譜だっただけに残念だ。
05/02/15
 私が「升田幸三全集」を買ったのは、升田大山戦をぜんぶ並べたいと前から願っていたからである。期待通りの素晴らしさだ。ただ、棋譜の解説や再現ソフトに不満が少々。棋譜再現を楽しんでもらう、という姿勢が作り手に無いのだ。たとえば、妙手が出てから「妙手だ」と解説される。思うに、「次に妙手が出るよ」って予告してからそれを見せてくれる方が、素人は感激できるはずだ。大山戦なのに木村戦の解説が出てしまうこともあった。また、変化手順を盤上に示せないのも物足りない。たとえば、高野山最終局の有名な投了図は、「大トン死。以下は▲5六玉△5七竜▲6玉△5五竜と追いまわして▲7四玉も▲7六玉も詰み」と文字で手順を言うだけである。しかし、この手順は並べて見せてこそドラマティックだろう。将棋自体は最高の棋譜が詰まってるので不満は無い商品だが、値段に見合った完成度とは思えない。
05/02/14
 将棋の話題を続けるのは恐縮だが、升田に触れた以上CD-ROM「升田幸三全集」についても書いておかねば。値段を見ずにレジに向かったのが無謀だった。レタスがやっと200円を切り、将棋年鑑のCD-ROMも劇的に安くなって、油断が生じたようだ。本とCDの合本で、畏友は羽生、谷川、森内、佐藤といった面々のエッセーを高く評価、「いやー、なかなか凄いぞ、これは。升田だからこその熱さか」。たとえば、佐藤と丸山の名人戦で、後手番の佐藤が6五歩から先攻した感動の一局があったが、佐藤は、「これなどはまさに、升田将棋を参考にしたものです」と書いている。畏友は土方芳枝の装幀も絶賛だった。ただし、彼は立ち読みである、「これで5000円なら、即買いなのになあ」。差は7800円もある。
05/02/13
 もう一回だけ映画「王将」を。石本秀雄の撮影も入魂だったが、最も印象に残るのは舞台セットだ。画面を左右に分けて長屋の路地が延び、その先の遠くに通天閣が点滅してる。路地の先は崖になってるらしく、下を機関車が通る。大量の音と煙だけでそれが表現され、さあっと画面の上半分、通天閣までかき消して流れるのだ。畏友に伝えるとわかってくれて、「いいなあ。映画って感じですよねえ」。この煙が西岡善信の最初の仕事で、助監督だった加藤泰も発煙に協力したとのこと。この後、私は加藤監督の「緋牡丹博徒/花札勝負」を見て、うれしくなった。機関車の蒸気が鉄橋から、今度は下向きに吹き出して、画面をかき消す場面が何度か現れたのである。
05/02/12
 大正二年というのは坂田(畏友は阪田と書く)にとって大事な年で、関根との対局があり、初めて平手で勝てた年でもある。「泣き銀」の一局もこの年に生まれ、8五から始まる銀の壮絶な彷徨は、香落の最高傑作かもしれない。坂田自身はこの銀を2五に打ったと回想しており、「王将」の作者もそれを引き継いだのだろう、「南禅寺の決戦」で2五銀打を勝着として描いている。升田もそんな局面を頼まれたに違いない。ゆえにそれが正解。
05/02/10
 こないだの"あの歌"は無論「王将」だが、さすが西条八十(やそ)の作詞だけあって、「吹けば飛ぶよーな将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え」とはうまい。畏友によれば、八十は「将棋の駒は紙で出来ている」と思っていたからああ書いた、という説もある。1962年の映画「王将」の主題歌だが、私が見たのは1948年、阪東妻三郎の「王将」だ。原作との違いがいくつかあるのだが、大正二年の南禅寺の決戦で坂田三吉が関根金次郎を破る、というすごい設定はそのままである。62年のも48年のも将棋指導は升田幸三で、局面を作ったりしたのだろう。たとえば、南禅寺で勝負を決めた銀打ちが出る図はこれだ。阪妻になった気分で次の一手を考えてみてください。
05/02/09
 「芸術新潮」がデュシャンの特集を組んでいて、そこそこチェスの話題を盛り込んでくれている。04/05/24に触れた「幕間」の場面も見開きで大きく写っている。ただし、私が復原を試みた局面ではない。しかし、デュシャンなら今はそれより、05/01/16に触れた、いとうせいこう「55ノート」だ。難航し始めていて、「すいません。手におえません」とか「もうまったくわからない」なんて書いてある。たしかに、読んでいて「?」と思う箇所が出てきた。けど、私も04/12/02で述べたように、チェス盤に光と闇を見るのはまっとうな考え方である。わからんながら応援したい。かなり長考して私の解釈をカキコんでみた。棋力と想像力が必要で、自信が無いのだけど、興味のある方は御覧ください。
05/02/08
 ロシンスキーについて畏友がChess Problem Database Serverの検索法を教えてくれた。「A='Loschinskij'」と入力してから「search」をクリック。全部で100題も見ることができる。読者W様からもメールをいただき、ロシンスキーの作品集には1980年のがある、とのこと、ただしロシア語。残念。
 内藤国雄が「攻方実戦初型」を発表したときに寄せたエッセイは、『図式百番』にも収録されている。彼のおぼろげな記憶による夏目漱石の引用で始まるのだが、正確な本文をここで紹介しておこう、『虞美人草』3章からで、「ところが哲学者なんてものは意味がないものを謎だと思って、一生懸命に考えてるぜ。気狂(きちがい)の発明した詰将棋の手を、青筋立てて研究して居る様なものだ」。漱石には将棋が何回か出てくる。『坊ちゃん』の主人公が兄の眉間に駒を投げつける場面はほとんどの日本人が読んでるはずで、似たような記述が『行人』にもある。『こころ』では死期の近い父と主人公が指す。『それから』にもちらっとあり、そこを活かしたのだろう、映画では松田優作と羽賀健二が対局する場面さえある。また、『道草』69章には、「比田は盤に向うと、これでも所沢の藤吉さんの御弟子だからなと云うのが癖であった」とある。1837年没の福泉"藤吉"ではなく、私のひそかに愛する1902年没の大矢"東吉"だろうか。イギリス留学中の漱石はチェスに興味を示したに違いないと思うんだが、それにしても、内藤と『虞美人草』というのは不思議な取り合わせだ。
05/02/07
 こないだの「パッチギ!」の帰り道は夜のジャンジャン横丁を抜けた。あんなとこは初めてで、名にしおう「三桂」や「王将」の前を通った時には感激した。しかも繁盛してるのだ。ねずみ色のおじさんたちがぎっしり、そして、中に入れないおじさんが三人、寒いなか肩を寄せ合い、入り口でじっと観戦している。通天閣を見上げた私が思わず"あの歌"を捧げてしまったのは言うまでも無い。女の子ふたりは「そのうた何なん?」。ああ米長よ、「君が代」はいいから、それよりこっちだ。
05/02/06
 仕事が遅れ気味なので、日曜の誰も居ない職場へ。が、つい日本チェス・プロブレム協会のページをのぞいてしまい、3手詰の解説コーナーに熱中、結果は「あした働けばいいのさ」。図はそこで読んだロシンスキーの作品(Shakhmaty v SSSR, 1947, 1st Prize)。二本のルックがタンゴでも踊るように密着する正解手順に唖然とした。みなさんも協会のページへぜひ。ロシンスキーの作品集って買えないのだろうか。検索しても見つからない。
 詰将棋では、長らく待ち望まれた内藤国雄の『図式百番』が出た。パラパラっと見て74番が簡単そうだ。10分の砂時計を逆さにして挑戦、思った以上に簡単に解けた。作意がわかると嬉しいパズル的な一題である。ただ、一万題を超える創作家の作品集に載せる程の出来だろうか。もっとも、私は鑑賞力が無い。「ベン・ハー」が発表された時も、畏友とお互いに、「これって凄いの?」。
05/02/04
 60になる同僚が女の子ふたりを連れて映画「パッチギ!」を見に行こうとしてる。「あんたも行くか?」と言われたので、そりゃあ行きますとも。いま帰宅、23時33分。残り27分で何とか本日分を更新しよう。映画は1968年の京都が舞台で、当時の流行歌や学園紛争なんかの雰囲気を伝えている。実は上記の「同僚」は中核派の学生だったのだ。いわく、「こんな風に面白おかしく映画化された方が、あの頃のひりひりする感じを思い出すわ」。日本と朝鮮の高校生が、とにかくすれ違うたんびにケンカする、そのわきで小さな恋愛が芽生えてゆく、というだけの映画だが、理屈抜きの若さの勢いで二時間を突っ走る感じに好感を持った。沢尻エリカの、頬がふくらんだ幼い顔のかわいらしさが印象的で、朝鮮の校服姿の清潔感に完敗の私である。真木よう子も、ちょっと切ない感じの不良が素敵だった。男優も愛すべき連中で、映像というより、こんな若い役者たちの生命感を楽しむ一本である。
05/02/03
 昨年のこと、日本でラーメン屋さんをしてる中国の男性が、在留資格が切れてもそのまんまで、しかも無免許運転で捕まってしまった。しかし、東京地裁の決定は、「中国への強制送還はもちろん、収容もしてはならない」。理由はなんと、「収容を続けたら、残された妻子が困ってしまう」。この時の裁判長が鶴岡稔彦様で、何を隠そうフィッシャー裁判の担当もなさってる。他にも難民認定に関して甘い判決厳正な判断を下してくれており、わが希望の星である。
05/02/02
 フィッシャー側が入国管理局を批判する論点の一つが、「入管はフィッシャーをアメリカに強制送還する法的根拠を示そうとしない」。しかし、19日の公判でも入管は「議論はしないから裁判を進めろ」と言い張るだけだ。傍聴席から失笑がもれた、と畏友が教えてくれた。中立な人の失笑と考えてもいいと私は思う。そもそも事件当夜から入管は「アメリカの要請に従う」という方針でフィッシャーを拘束してるのだから、彼らの"根拠"は法よりもアメリカとの主従関係に由来している。それにしても何かの法解釈をこじつけるのが普通だろうに。確認すれば、04/09/09でも書いたとおり、この種の議論は裁判当初からのもので、「入国管理局は的確な反論、反証をしていない」という裁判長の判断さえ下ったこともある。
05/02/01
 先月19日に前回のフィッシャー裁判をご紹介したとき、次回は「裁判の枠組みが議論される」と述べたが、それが「弁論準備手続」にあたるようだ。畏友が民事訴訟法の第168条(弁論準備手続の開始)というのを見つけてくれた、「裁判所は、争点及び証拠の整理を行うため必要があると認めるときは、当事者の意見を聴いて、事件を弁論準備手続に付することができる」。妥当な流れと思う。

戎棋夷説