1999年4月11日,西が丘サッカー場にて対モンテディオ山形戦を観戦。試合開始直後こそ果敢に攻めたものの,その後は両チームともシュートを打てるまで持って行くことができない貧弱サッカーに。延長突入しても点の入る雰囲気がなく,延長12分,山形ムタイルのセンタリングに,マークを奇麗に外して合わせた真下のVゴールにやられる。
4月11日の試合での青赤軍団の一員の思考(0.2秒) |
ナビスコカップの神戸戦後に起こったゴール裏の危機論を受けて,多くの人に決死の覚悟の様相が垣間見られたし,そういう自分も気合十分。たまたまゴール裏の濃いメンツが密集するところに位置することになったが,今日はどこに居ようが関係なく戦おうと決めていたから場所は関係なかった。 集団は序盤から飛ばした。自分も快調に飛ばす。しかし前半は,自分の前で柵に立っているドングリの足に視線を阻まれ,試合内容はあまり分からなかったという事実。PKをはずしたのも後から知った。こういうときもあるさ。 後半ドングリがサイドに展開して視界は開けたのだが,得点機会は開けなかったように思う。徐々に焦りがつのると共に,自分がはじめて声を出して応援した日を思い出した。去年の9月の徳島でのヴォルティス徳島戦。苦しいチーム状態の中,1点ビハインドの後半終了直前に王者アマラオが得点し,いつものお笑いな彼からは想像もつかないような真剣そのものの顔つきとこぶしでゴール裏にアピールした。そして苛烈な延長後半,小林がVゴールを押し込み勝利したのだった。今日の後半そして延長は,その徳島での歓喜を味わえると信じて応援したのだった。 しかし今日はその徳島とは違う結果に終わった。今,チーム状態はかなりよろしくないだろう。しかしあの歓喜が必ずまたやってくる時が来ると信じて,次回も気合で応援するだろう。そうすればその歓喜は本当に我々のものになるに違いない。 |
お経応援なんて気にならん |