産婦大量出血死亡訴訟判決文(東京地裁判決昭和50年2月13日)

主文

 一 被告らは各自、原告Aに対し金212万1418円、同B、同C、同Dに対しそれぞれ金161万4279円、及び右各金員に対する、被告東京都は昭和44年2月13日から、同Xは同年2月12日から、いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
 三 訴訟費用は被告らの負担とする。
 四 この判決は、各被告に対しそれぞれ、原告Aにおいて金40万円宛、原告B、同C、同Dにおいて共同で金30万円宛の各担保を供するときは、第一項に限り、その被告に対し、仮に執行することができる。

事実

第一 当事者の求めた裁判
 一、 請求の趣旨
  1 被告らは各自、原告Aに対し金265万4206円、同B、同C、同Dに対しそれぞれ金176万3145円、及び右各金員に対する、被告東京都は昭和44年2月13日から、同Xは同年2月12日から、いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  2 訴訟費用は被告らの負担とする。
  3 仮執行宣言。
 二、 請求の趣旨に対する答弁
  1 原告らの請求をいずれも棄却する。
  2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第2 当事者の主張
 一、請求原因
  1(一) 原告Aは訴外亡Eの夫であった者であり、原告B、同C、同Dは、それぞれ右亡Eと右原告Aの長女、長男、二女である。
   (二) 東京都立築地産院は被告東京都の経営にかかるものであり、被告Xは被告東京都の被用者として右産院に勤務する医師である。
  2 E(当時満33才4ケ月)は出産に備えて、昭和42年1月12日より東京都立築地産院に通院を開始し、被告Xほか同院医師らの診察及び諸検査を受けていたが、同年8月10日分娩のため同院に入院し、同日午後5時35分右原告Dを出産した。しかし分娩後も出血、続いて子宮膣上部切断手術を受けるに至り、手術中の同午後10時50分所謂弛緩性出血による出血多量並びに手術的侵襲によるショックのため死亡した。
  3 分娩に伴なう死亡例の中では出血を原因とするものが大半を占めているのであるから、産院及び担当医師はこれに対する予防並びに対応処置につき充分意を尽すことを義務づけられているものであるところ、Eの死亡は次のとおり、被告Xの医師としての右注意義務懈怠により生じたものである。
   (一) 貧血に対する措置について
 Eは前記初診時における採血検査では、血色素がザーリ法で65%であったが、分娩には出血が伴い、また出血による死亡の危険性もあり得るから、このような貧血症状を呈している妊婦の場合には、医師は積極的に加療をなし貧血状態を改善すべきであるが、被告Xは遅くとも2回目の診察である同年1月31日にはEの右状態を知悉していたにも拘らず、貧血に対する適切な処置と指導を怠り、やがてこれはEの大量の出血による死を招いた。
   (二) 輸血の開始時期について
 Eに対しては、分娩直後の同年8月10日午後6時10分、あるいは遅くとも同7時25分の時点において輸血を開始すべきであったが、被告Xは以下の事情により、右輸血の開始時期を失した。
    (1) Eは同日午後6時10分には既に多量の出血があり、同6時25分には、正常範囲の出血量である500ccを越えて、650cc以上の出血を見、同7時25分には約1100ccの出血で、血圧も最高70最低50mmHg(以下血圧は数値のみで示す)という状態であって、Eは右6時10分か同6時25分頃、または同7時25分頃、循環血液量の不足によるショック状態に陥っていた。
    (2)イ 被告Xは右6時10分及び同6時25分の両時点において、助産婦Wより、Eの分娩後の状態につきなお出血が異常に続くことを知らされていたのであるから、患者の基本的な症状を知るために、右時刻から少なくとも5分ないし10分おきに血圧、脈搏等の測定、並びに循環血液量や失血量推定のための検査や診察を行うべきであったが、同7時25分までの聞これを怠ったために、前記ショック症状の発見が遅れた。
     ロ 産婦が(1)記載のようにショック症状に陥っていた場合には、医師としてはその原因としてまず出血を考えるのが通常であり、またEのように貧血の者は出血によってショック状態に陥る危険性が大きいのであるが、右産後出血によるショックからの回復には輸血が有効であるから、同6時10分又は同7時25分の段階で輸血に着手すべきであったのに、同被告はこれに思い至らず、輸血の準備を怠り、同8時30分に漸く富士臓器製薬株式会社に対して保存血の緊急手配を依頼したのであり、輸血の開始は同8時50分でその時期を失した。
   (三) 血液の凝固障害に対する措置について
 所謂弛緩出血には、子宮の収縮不全によるものの他に血液の凝固障害によるものが含まれているが、Eの血液にはこの凝固性がなかったのであるから、線溶阻止剤や線維素原の投与及び新鮮血の大豊輸血を施す必要があったのに、同被告は右出血原因について注意を怠り、これに関する適切な措置に至らなかった。
   (四) 子宮膣上部切断手術の実施について
    (1) Eは、手術が開始された同10時10分頃には深刻なショック状態に陥っていたのであるから、手術は成功の見込がなく、強力な蘇生術と出血に対する処置として線維素原の投与及び新鮮血の大量輸血をすべきであったのに、同被告は敢えて手術を強行して、Eの死を現実にした。
    (2) また手術に踏切る場合には、専門医の応援を得て麻酔を実施し、気管内挿管により呼吸管理を行い、血圧や脈搏の状態を把握しつつなすべきであるのにこれを怠り、手術時の患者管理そのものも疎かであったために、この点も死亡の一因となった。
  4 仮に3の事実が認められないとしても、
 前記産院の経営者である被告東京都とEとの開に、被告Xを履行補助者として善良な管理者の注意をもって診療すべき旨の契約が締結されていたものであるところ、被告Xの過失並びに被告東京都が都立病院における保存血の確保に意を用いなかったことにより、被告東京都は右契約に違反し、Eに対し適時に輸血できず、死亡という結果を生ぜしめた。
  5 本件医療事故による損害は左記のとおりである。
  (一) 逸失利益
   (1) Eは死亡当時満33才4ケ月であったから、昭和35年厚生省発表の第一1回生命表によるとその余命は40.4年であり、本件医療事故に遇わなければ、その間満70才に達するまでの36年間は家事労働者として労働可能であって、右期間中は少なくとも、昭和42年労働者の毎月勤労統計調査報告による女子労働者の平均給与月額金2万7417円に相当する収入を得べかりしところ、右収入を得るために控除すべき生活費を右期間中を通じて収入額の5割と見て金1万3709円とすると、月間純益は金1万3708円となり、中間利息の控除につきホフマン式計算法により死亡時における逸失利益を算定すると、金343万4156円となる。
   (2) Eの死亡により、原告らはその法定相続分に従い、原告Aは金114万4718円、同B、同C、同Dは各金76万3145円の損害賠償請求権を相続した。
  (二) 医療費
 原告Aは、Eの医療処置に要した費用として合計金2万6828円を支出した。
   (1) 産院に対する支払
          金2万2568円
   (2) 献血者に対する支払
            金4260円
  (三) 葬儀費等
 原告Aは、葬儀等一切の費用として合計金48万2660円を支出した。
   (1) 葬儀社に対する支払
          金8万7000円
   (2) 寺に対する支払(読経料、戒名料を含む)
          金4万5000円
   (3) 通夜の費用
          金4万8350円
   (4) 香典返し費用
          金9万5600円
   (5) 墓石代
          金18万円
   (6) 納骨費用
          金2万580円
   (7) 初七日の費用
          金6130円
  (四) 慰謝料
 原告Aは2名の幼児と生れたばかりの赤子を抱えて妻を失い、原告B、同C、同Dの3名は幼くしてその母を失ったものであり、原告らの蒙った精神的打撃は甚大であって、これを慰藉するためには各金100万円を相当とする。
 よって被告東京都に対しては民法715条又は同法415条に基づき、被告Xに対しては同法709条に基づき、前記損害賠償額として、原告Aは金265万4206円、同B、同C、同Dはそれぞれ金176万3145円、及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまでの遅延損害金として、被告東京都には昭和44年2月13日から被告Xには同年2月12日から、いずれも年5分の割合による金員の支払を求める。

 二、請求原因に対する認否並びに主張
  1 請求原因1の事実中、(一)の事実は、原告DがEの子であることは認め、その余は不知、(二)の事実は認める。
  2 同2の事実は、Eの死の一因が手術的侵襲によるショックであるとする点を除き認める。
  3(一) 同3(一)の事実は、初診時の採血検査の結果は認め、その余は否認する。Eの場合は大体軽症貧血(60ないし70%ザーリ)に該当するが、右程度のものは妊娠に伴って通常予想されるところであって、分娩のために格別支障を来すものではなく、また貧血と分娩時出血との相関関係も統計的に認められる程のものではない。従ってEに対しては食餌療法を第一に考え、これを指導していた。
   (二)(1) 同(二)(1)の事実は、同7時25分における血圧の数値は認め、その余は否認する。同6時10分頃、Eの出血量は出産時の150ccに300ccが加わった程度であり、同6時25分頃以降後記ガーゼタンポンを挿入した同7時10分過ぎまでの出血生もさ程のものではなく、少なくとも右時点までEの全身状態は正常範囲を逸脱していなかった。
    (2) 同(二)(2)イの事実は、同被告が同6時10分及び同6時25分の各時点に、WからEの出血が続く旨の連絡を受けていたことは認め、その余は否認する。同6時10分以降同7時25分までの間血圧は測定されたが、一般状態に異常がなく、測った血圧も正常範囲を越えていなかったので記録に留めなかったのである。出血量については、内出血のないことを確認した上で直接測定している。
 同(二)(2)ロの事実は、同8時50分輸血を開始したことは認め、その余は否認する。同被告は同6時25分の時点で、出血原因として弛緩出血を考えたが、これのみが疑いのすべてではなかったし、前述のように同7時25分までの出血量はそれ程多くはなく、また全身状態にも異常はなかったのであるから、同7時25分の血圧値については、同6時4、50分頃から同7時10分頃までになされた子宮膣充填強圧タンポン挿入による腹膜刺激によって生じた一過性の血圧低下と見られるし、更にその背後に非出血性ショックへの進行を考えなければならず、即座に出血性ショックであると決定的な判断を下すことはできなかった。そこで、同被告は子宮膣充填強圧タンポンから血液が滲み出るようならば輸血や手術の必要があるとして、アミノテキストラン輸液等を実施しつつ経過を見守つたところ、同7時55分頃右タンポンから血液が滲み出して来たので、同被告は右時刻と同8時過ぎの2回にわたり、富士臓器製薬株式会社に対し各5本の保存血の緊急輸送を依頼した。ところで、出血性ショックに対しては、ショック発生後2時間以内に輸血を行うことが必要であるが、Eの場合には、同8時頃の時点で少なくとも軽度ショックが発生しており、一方輪血は通常1000cc以上の出血の場合に行われているから、本件輸血の開始が時期を失していることは言えない。そして、当時は血清肝炎や売血の問題が騒がれた時代で、血液の供給体制も整っておらず、この面でも輸血適応の判断は慎重を期すべきであった。
   (三) 同(三)の事実は否認する。妊娠や分娩に直接関係がある血液凝固障害には、無線維素原血症ないし低線維素原血症があるが、これらの場合には胎盤早期剥離や羊水栓塞等の基礎疾患が表れ、また臨床的には全身的な出血傾向が見られる。本件において同被告は、普通の血液の状態も少し違うような印象を受けたことは確かだが、右の観点からすると臨床的に診断を下すだけの症状はなく、凝固因子の障害を認めることはできなかった。
   (四)(1) 同(四)(1)の事実は、極度の衰弱状態の下で手術が行われたことは認め、その余は否認する。同被告は同6時10分頃出血を見てから可能なあらゆる処置を施したが、止血できず輸血も効を奏しなかったので、出血原因を除去するため手術しなければ循環血液量を確保できる見込みのない状態に立至っていると考え、同10時頃の脈搏は92で比較的緊張も良かったから、生命を取留める可能性が相当程度は期待できる手術に踏切った。
     (2) 同(四)(2)の事実は、蘇生術及び麻酔の実施管理につき専門医を依頼しなかったことは認める。本件では現実に専門医の応援を得て手術管理ができる状況にはなかった。

(被告らの主張)
 Eの出産の経過並びに被告Xの採った措置は左記のとおり、同被告に何ら過失はない。
   (1) Eは初診時において妊娠3ケ月、分娩予定日同年8月1日と診断されたが、前述のようにいく分か貧血気味であったものの、妊娠時の所見としては特記すべき異常はなかった。その後同年7月27日頃から子宮口の開口が認められたが陣痛の発来なく予定日が経過したので、被告Xは同年8月10日午前中の診察の際誘発分娩を決意し、Eは同日午後2時15分同産院に入院した。
   (2) 入院後Eに対しては、ブスコパン、ヒデルギンの筋肉注射がなされ、更にアトニンO10単位と5%ブドー糖液の点滴が続けられて、同5時35分胎盤娩出を見て出産を終了したのであるが、この時点までの出血量は150ccであり、この後メテルギンの筋注をした。
   (3) 同6時10分頃の出血量は前記のとおりであり、同被告は子宮腔内の凝血排除を試みたがさしたることもなく、子宮及び軟産道に損傷がなくまた胎盤及び卵膜の残留のないことを確かめ、膣タンポンの挿入を行ったほかは、アトニンO10単位と5%プドー糖液の点滴を継続し、メテルギンの静脈注射をした。
   (4) 同6時25分頃、なお出血が続いていたので同被告は再び子宮及び軟産道に異常がないことを確認の上、前記子宮膣充填強圧タンポンを挿入した。
   (5) 同7時25分頃、血圧が70/50を記録した頃より、アトニンOとブドー糖の混合液の輪液をアミノデキストラン輸液に切換え、ビタミンCとカチーフの筋注をなし、同7時35分頃酸素吸入を開始し、メテルギンの筋注を行ない、同7時50分セジラニッドの筋注をした。
   (6) 同7時55分、前記のように右カーゼタンポンからの出血を見て、同被告は助産婦及び医師を緊急召集した上、輸血準備をしたが、血圧は同8時に50/30となったので、同8時10分デカドロン、セジラニッドの筋注をした。
   (7) 同8時50分、左手肘静脈、両側下肢静脈を切開し、輸血を開始した後、訴外Y、Z両医師を加えた3名でタンポンを除去し、産道の損傷のないことを確認してタンポンを再充填した。同9時15分呼吸が停止したが、人工呼吸加圧呼吸により10分後に自発呼吸に戻った。
   (8) 同10時10分、執刀者Y、助手被告X、監視気道の確保Zという分担で子宮膣上部切断手術が開始されたが、同10時30分一旦呼吸停止し、直ちに蘇生器を用いたが同10時50分心停止となった。死因は弛緩出血である。
  4 同4の事実は、医療契約の存在は認め、その余は否認する。
  5 同5(一)ないし(四)の事実は不知。

第三 証拠<略>

理由

 一 請求原因1(1)の事実中、原告DがEの子であることは当事者間に争いがなく、原告A本人尋問の結果(第一、二回)及び本件記録中の戸籍謄本によれば、Eと原告らの身分関係を認めることができ、同(二)の事実も争いがない。

 二 1 請求原因2の事実は、Eの死因として手術的侵襲によるショックが含まれるか否かの点を除いて当事者間に争いがなく、同3の事実のうち、初診時の採血検査の結果ザーリ65%であったこと、被告Xが同6時10分と同6時25分の2回、Wより出血が続く旨の連絡を受けたたこと同7時25分血圧が70/50になったこと、同8時50分輸血が開始されたこと、同10時10分極度の衰弱状態の下で子宮膣上部切断手術が開始されたことは当事者間に争いがない。
   2 そこで、右1の争いのない事実及び右記各証拠に照らし、更にEの本件出産前後の経過と同産院における措置につき検討する。
   (一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
 Eは昭和35年6月同産院で原告Bを出産した後、同35年12月に人工妊娠中絶を受け、同36年から同39年までの間に4回自然流産をし、同40年1月、切迫早産の虞れのため1ケ月入院して原告Cを出産したという既往歴があった。
 Eは本件妊娠に際しては、前記初診時において被告Xの診療を受け、妊娠3ケ月、分娩予定日同年8月1日と診断されたが、妊娠時の所見としては格別異常がなく、同被告には知人から結介されたこともあって、以後同年1月31日と同年6月20日から同年8月10日まで継続して8回、合計10回の診察を受けた。その間妊娠の初期に2回にわたり性器外出血があったので、流産予防のためEPデホー50mg及びEPホルモンをそれぞれ筋注したほかは、経過は順調であった。なお初診のとき行われた採血検査の結果に対しては、特別の指導はなされなかった。
 被告Xの同年7月27日の診察では、子宮口二指関大で分娩に適する状態となっていたが、そのまま予定日が経過し、同年8月10日午前中の診察でも右と同じ状態であった。そこで同被告は胎児が過熱状態になることを懸念して誘発分娩を勧告し、Eは同日午後2時15分同産院に入院した。
 <証拠判断省略>
   (二) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
 右入院時の診察ではEの一般状態は良好(血圧は110/60)であり、分娩室に入室した同3時50分の直後子宮頸管部の緊張を取除くためヒデルギン、ブスコバンの筋注が試みられた後、陳痛誘発、分娩促進を目的としてアトニンO10単位と5%プドー糖液500ccの点滴が行われたところ、同4時5分初覚陣痛があり、同4時51分の自然破水に続き、同5時25分女児3330g(原告D)を分娩し、同5時35分胎盤娩出を見て出産を終了した。
 右児娩出直後子宮収縮作用のあるメテルギンの静注がなされたほか、同じ目的で前記点滴も続けられたが、右胎盤娩出に至るまでの出血量を膿盆に受けて測定したところ約150ccであり、またこの時点ではEの一般状態に異常はなかった。
  (三) <証拠>によれば、分娩終了後のEの状態は助産婦Wが見ていたのであるが、同人は同6時10分頃悪露交換に際し、出血量が通常の場合よりやや多く、血液が少しずつ出ており、腹部を触診すると血液がたまっているのではないかと思われる状態であることに気づき、その旨主治医のXに連絡したこと、同被告は子宮膣内に手を入れて触診し、子宮破裂や子宮頸管裂傷及び胎盤の遺残はないものと認め、暗黒色の流動血を排除した上、30センチメートル四方のガーゼで綿花を包んだ膣タンポンを挿入してメテルギンの静注をし、前記点滴を続けたこと、こうして同被告はWに経過を見るように指示して、同産院の地下食堂に食事を取りに赴いたことが認められ、更に右6時10分の時点までの出血量は、乙第1号証の2及び第2号証の各記載に照らし、少なくとも450ccを越えていたものと認めることができる。
 <証拠>によれば、同6時25分頃、出血がなおも続いていたのでWは再び被告Xに連絡したこと、同被告は助産婦Vを応援に頼み、膣鏡診により子宮及び軟産道の裂傷や、胎盤、卵膜の遺残がないことを再確認したが、このとき子宮口から暗黒色の流動血が少量ずつ持続的に流出しており、また血液の性状は黒ずんで凝固しにくいものであることが見られたこと、同被告は右出血の主たる原因として子宮の収縮不全による狭義の弛緩出血を考え、同6時4,50分から同7時10分頃までかかって約5メートルのガーゼにより子宮膣充填強圧タンポンを挿入したことが認められる。
 ところで、出血量については、前述のとおり、同5時35分の分娩終了時までが150cc、これから同6時10分までの約35分間が少なくとも300cc位であって、血液の流出状態が右のごとくであることに加えて乙第2号証及び甲第8号証の各記載を総合すると、右ガーゼタンポンの操作に取掛る時点までの出血総量は、少なくとも650ccに達していたものと推察されるほか、前掲各証拠により、血圧については同6時10分頃及びVが応援に加わった直後頃には変化はなかったこと、これより同7時25分に至るまでの間、血圧の測定はなされていなかったことが認められ、右各認定を左右すべき資料はない。
   (三) 同7時25分頃血圧を測定したところ70/50であったのであるが、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
    (1) 被告Xは右血圧低下の原因を前記ガーゼタンポン挿入による腹膜刺激によって生じた一過性のものと判断したが、循環血液量確保のため、前記アトニンOとプドー糖の混合液の輸液をアミノデキストラン500ccの輸液に切換え、また止血を目的として同7時30分ビタシンC200mg、同7時35分カチーフ、同7時45分メテルギンの筋注をし、一方右血圧低下というショック状態に対して、同7時30分頃からEの症状に応じて随時酸素吸入をなし、同7時50分頃強心剤のセジラニッドの筋注をし、この前後にカルニゲンを相当量投与した。
 右の間血圧は、同7時30分、80/50、同7時35分、80/60、同7時50分、最高50、同8時、50/30という値を示し、更にこの8時頃には膣口内から一部出ていた右ガーゼタンポンの末端より血液が滴下する状態となった。被告Xとしては、右タンポンから血液が診み出すようなことがあれば子宮膣上部切断手術を行って止血する以外に方法はないと考えていたので、ここに至り右手術に備え、同産院の助産婦宿舎から全部の助産婦を緊急招集し、同院の他の医師にも緊急登院を依頼したほか、後記のとおり富士臓器製薬株式会社に対してAB型の保存血の緊急輪送を頼んだ。
 この他同8時以降の処置については、子宮双手マッサージと、同8時10分、ショック治療としてデカドロンとセジラニッドの筋注をしたが、血圧は同8時5分と同8時25分には測定不能の状態で、同8時50分に至り手術の用意として、既に確保されていた右肘静脈の血管の他に新たに左手肘静脈と両側下肢静脈の血管を確保すべくこの切開に取掛つた上、前記血液到着と同時に輸血を開始した。
 ところで、前記血液の緊急手配の時期について、被告Xは同7時55分頃と同8時一寸過ぎの2回にわたり各5本(1000cc)の輪送を依頼した旨供述するが、<証拠>に照らすと、右供述のみでは直ちにこれを措信し難く、かえってこれらの証拠によれば、前記富士臓器製薬株式会社では、緊急の注文を受けた場合には自社の緊急血液輪送車1台を使用したり、時には警察に誘導を頼む等して大抵急ぎの輸送に応じていたこと、甲第9号証の注文時間の欄に記入されているのは右緊急車の出発時間であり、これによると、前記会社から緊急車が出発したのが同8時30分で、20分後に同産院に到着していること、緊急の注文のときは同社では通常5分位で用意して出発する手順になっていたこと、同年8月10日午後8時の少し前頃には緊急車の出動はなかったこと、原告Aは同産院に同8時になる前頃到着し、暫くしてから分娩室に通されてEと面会し、被告Xに手術応諾書を示されてこれに捺印した後、同被告が電話で血液を注文している声を聞いたことが認められるほか、証人Vの証言によると、当時同産院が右会社に血液を注文してからそれが到着すするまでの時間は約20分であったことが認められ、これに前記認定の事実を総合すると、同被告がAB型の血液10本(2000cc)の輸送を依頼した時刻は、少なくとも同8時を過ぎており、同8時20分頃までの間であったものと推認すべきであって、これを左右するに足りる確たる証拠はない。
    (2) 右輸血開始後、被告X、Y、Zの3名の医師は前記ガーゼタンポンを除去し、産道の損傷のないことを確認してからタンポンを再充填したが、このとき流出する血液の豊は増加していた。
 この後同9時15分呼吸停止し、同9時20分脈搏不明の状態であったが、これに対して陽陰圧の蘇生器を用い、強心剤のビタカンファー、カルニゲンを投与したところ、同9時25分自然呼吸に戻った。しかしEの一般状態が悪く手術に着手することができなかったので、加圧して敏速に輸血することを図り、一般状態の回復を待った。同10時1分頃は心搏92回で血圧は測定されず、その頃無酸素症によると思われるけいれんがあり、一般状態は極めて悪くショック状態にあったので、同被告ら医師は手術を開始すべきか否かの点につき考慮したが、心臓が少しでも動いている限り、止血の最後の手段として手術に着手すべきであると決め、同10時10分執刀Y、助手被告X、呼吸系統の管理Zという役割で、無麻酔の下で子宮膣上部切断術が施された。こうして同10時15分子宮膣上部切断の後、同10時25分心搏70となり、同10時30分呼吸が停止し、人工呼吸が開始され、ビタカンファー、カルニゲン、テラプチク、セジラニッドが相当量投与されたが同10時50分心停止となり死亡した。
 ところで、右子宮は、開腹時の所見としては前屈超児頭大で収縮中等、浮腫状を呈し、軟らかいものであったが、摘出部分に裂傷は存在しなかった。また被告Xは本件事故直後に弛緩出血ならば多くの場合殆んど止血できるのに諸処置の効果がなかったことから、血液凝固機能のどこかに異常があることが想定されるとの判断を下し、その検査の施行を必要と認めたのであるが、<証拠>によると、Eの死亡後のフィブリノーゲンの検査では、正常値が200ないし300mg/dlのところ、64mg/dlであったことが認められる。
 なお、分娩時より死亡に至るまでの出血総量は推定で約2750cc、輸血は2800cc、その他の輸液はアミノデキストランとフィジオゾールで1500ccであり、使用された薬品としては、他にアリナミンF50mgが2度静注され、ストレブトマイシン1gが腹腔内に注入された。
  3 右の事実によれば、Eの死因は主として弛緩性出血による失血であり、前記手術が直接の死の転機となったものとみるべきところ、次に弛緩性出血の症状、診断、治療等につき、検討してゆくこととする。
 <証拠>を総合すると、左記の事実が認められ、これをゆるがすべき資料はない。
    (1) 妊産婦出血(出血性ショック)は、妊娠中毒症と並んで我国における妊産婦死亡の二大原因となっているが、このうち分娩時の出血でもとりわけ経膣分娩第3期(児娩出から胎盤娩出まで)、第4期(胎盤娩出後2時間)の所謂後産期の多量出血は頻度が高くて重大なものであり、更にこの分娩時及び後産期の出血量の限界については通常多数の場合に胎盤娩出後約1時間までの総量が500mlを越える場合を異常としているが、なお右第3期で330ml以上、第4期で220ml以上、第3、第4期の合計で550ml以上をもって出血多量とするもの、或いは分娩時出血の生理的限界として、臨床的に600mlをもって標準に採るものもないではなく、しかし、概ねこれらの目安により後産期出血への対応策が立てられている。
    (2) 本件のような後産期出血の原因としては、(イ)子宮筋の弛緩ないしは収縮不全(狭義の弛緩出血)、(ロ)胎盤の剥離不全又は胎盤、卵膜等の遺残、(ハ)軟産道の損傷、(ニ)血液凝固障害性等、原発性(本態性)及び続発性(症候性)に分類される種々の要因があり、またそれぞれの要因についても個別的多様の性質、特徴、根源があるので、これに対する処置としてはまず第一に出血原因の的確な診断が必要不可欠視されている。
 そして、主たる原因が子宮の収縮不全にあると見た場合には、第2に迅速な止血の対症措置として、速効性の子宮収縮剤の投与、子宮体の双手圧迫、子宮内の凝血塊除去等の施術が行われるが、これに伴い第3の措置として、気道及び血管を早目に確保して、酸素補給、輸液及び輪血の実施が要求される場合が多いと指摘されている。
    (3) この場合の輸血の重要性は、特に出血が死につながる危険を持っていることから、ショックとの関連において次のように説明される。
 即ち一般にショックは心拍出不全、有効循環血液量の減少、末梢血行不全により特徴づけられ、その結果低血圧を伴なう症候群を言うと理解されているが、産科領域でショックを起し易い場合を大別して出血性ショックと、羊水栓塞症や仰臥位低血圧症候群等の非出血性ショックの二つに分けた場合、臨床上は明らかに出血性ショックの例が多い。このとき軽度の可逆性ショックの場合には、末梢血管系の収縮及び心拍出数の増加現象が起り、これに加えて止血及び輸血措置が採られると生体の機能はやがて正常に複するが、適当な時期に適当量の輸血が行われないと、血管系の総容積と循環血液量との間に不均衡を生じ、不可逆性のショック状態が惹起される。そして、およそショックの程度は有効循環血液量の減少度と比例していると言うことができるから、ショックからの回復にはこの有効循環血液量の不足を速やかに克服すべく、右のように適当な時間内に必要量の輸血が施されることが要請されることになる。また良好な結果を得るためには、ショックが発生してから2時間以内に輸血を行うことが必要で、これを経過すると不可逆性ショックに陥ることが多いと言われており、更に一度の大量出血がある場合でなく持続性の出血の場合には、対処法に留意しないと不可逆性のショックに陥る例が多いことが挙げられている。
 ところで、出血に対する治癒法としては、後記のようになるべく各種輸液によってこれを補うという考え方もあるが、輸液のみでは循環血量が増加するだけで、血色素濃度が薄められ、酸素交換や血液凝固性にとって不利な状況となり、また出血傾向が起き易い等の副作用があるので、医師としては輸血開始時期を適切に捉えなければならない。
 右輪血開始の判断としては、出血量と血圧数及び一般状態が目安となる。即ち、成人女子の血液量は平均60ないし70ml/kgであるが、出血量が血液量の15%まではショックは起らない。出血量が15ないし20%で1000ml程度に達すると軽度のショック状態を呈し、25ないし35%で1750ml程度に達した場合には、中等度(顕在性)のショック状態となり、最高血圧は90mmHgより70mmHgに低下する。出血量がこれを越えて40%で2000ml程度に達すると最高血圧は70mmHgを割り、重症ショックであり、更にこれを越えると、危篇ショックで、最高血圧は40mmHg以下になる。従って、出血量において1000ml以上になったとき、或いは最高血圧が70mmHgに低下するときは輸血適応として迅速に対応すべきであるが、出血状態が続く中で最高血圧が90mmHg以下を示した場合にも輸血を選ぶのが相当ないし必要である。
    (4) ところで、既に記したように、所謂弛緩出血とされている中には、低線維素原血症或いは無線維素原血症による血液凝固障害を原因とするものが含まれているが、これに対しては線溶阻止剤や線維素原の投与及び新鮮血の大量輸血が必要である。また血液凝固障害は多量の出血によっても生ずることがあり、この凝固障害の傾向が起きることにより更に出血傾向を増大させるから、この点でも右の処置が要請される。そして産科領域におけるこれらの血液凝固障害は特に注目を引いているから、線溶阻止剤、線維素原の用意もまた要請されると共に、本件事故当時薬剤の入手も可能な状況にあった。
    (5) 以上のように、産科出血では輸血は重要な意義を有するが、二、三の調査では出血死の場合、約半数が輸血を全く受けることなく、又は輸血量が少なきに過ぎる状態の下で死亡していることが指摘されているほか、このような場合の死亡の可避性については、或いは殆んど全部を又は過半数を救急できたとする報告もあり、特に血液輸送の遅延や手持血液量の不足を致死の有力な実際的原因として挙げている向きがある。
    (6) なお輸血には血清肝炎の問題があって、昭和40年、同41年はその発生のピーク時であり、また昭和42年当時血液の供給体制も不備な状況にあったことから、血液に代わるものでまず体液のバランスを維持するということが医師の通念であったが、前示のような理由から、産科医としては輸血に踏切るタイミングも念頭に置くべきであるとされ、また産科出血に際して行われる輪血は生命に関係し、緊急を要する場合が多いので、さしあたっての問題はその必要量を確保することであると唱えられていた。
    (7) 後産期出血の措置としては、既述の方法によっても止血しない場合には一時的な処置として、子宮及び膣内にガーゼの強填タンポンが施されるが、最後の手段としては子宮摘出又は子宮膣上部切断の手術が考えられる。しかしこの場合、ショック状態の患者に手術の侵襲を加えると生命の危険が大きいので、一般にまず輸血してショック状態より回復させてから後になすべき必要があり患者がショック状態にある間は原則として手術的操作は行なうべきでなく、但し出血が継続し、手術以外には他に採るべき手段がない場合はこの限りでない、と言われる。
    (8) 貧血については、その判定の基準となる血色素量の限界が統一されていないが、大体軽症を60ないし70%ザーリ、中等度貧血を50ないし60%ザーリ、重症貧血を50%ザーリ以下としているものが多い。ところで、貧血妊婦の割合につき、62%ザーリ以下が妊娠初期で約5ないし6%、妊娠末期で約11ないし17%見られるという調査があるが、近年妊婦の貧血に対する関心が高まり、軽症例に対しても増血剤の投与及び食餌の指導が進められるようになった。一方、産科ショックの予防措置として、分娩や手術前に貧血を発見し予めこれを処置しておくことが挙げられており、妊娠貧血等の患者はショックに陥り易く、また耐えにくいとされる。
    (9) 以上の(1)ないし(8)の一般的認識は、本件死亡事故のあった昭和42年8月に近接した前後の時期における産科医学界の関係雑誌等の出版物によっても、注意深い医師にあってはたやすく検認できる知識であり、特に新知識にかゝわる事項とも認められず、むしろ同学界における公知性の強い事項であったと推認され、被告Xの本人尋問の結果により明らかな同被告の十分に高度な学歴、臨床歴並びに現勤務場所における責任ある地位に照らせば、同被告においてこの種の知識に欠け又は知識の入手に困難があったとは到底認められない性質のものである。
 三 よって前項1ないし3の各事実に鑑み、被告Xの過失の有無につき判断する。
 本件では胎盤娩出から同6時10分までの僅か35分位の間に少なくとも30Occの出血があり、前記ガーゼタンポンの操作に取掛る同6時4、50分頃には合計650ccに達し、その頃既に正常範囲を越える出血を見たほか、なおも子宮から少量の血液が持続的に流出している状態であった、というように、分娩時の出血の中でも特に重大視されている弛緩出血、しかも子宮の収縮不全がその原因として疑われる状態であったのであるから、医師としては、これに対して迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧数及び一般状態を確実に観察把握の上、輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべきであり、これに伴い、血液の性状につき凝固性が疑われるとき、又は多量の出血によって生ずる出血傾向を防止する必要があるときには、線溶阻止剤や線維素原の投与をなし、輸血にしても新鮮血の大量輸血を施するのが当を得た注意義務ということができるとすべきである。
 そこで、本件について検討すると、前示のとおり、同6時10分から同7時25分までの間、メテルギンの静注、子宮内凝血除去及び各種タンポンの実施等の止血措置がなされた後、同7時25分に血圧が70/50と下降しショック状態を呈したのであるが、このショックについては、出血量が前記のとおりであって、且つ他に非出血性ショックと見るべき何らの証明資料もないので、この時点までにEは出血性ショックに陥っていたものと判断することができるから、迅速な輸血措置が施されるべきであった。またその頃既に前認定のように、流出している血液は暗黒色で凝固しにくいようにも見られ、引続き多量の出血があったことからして、血液の凝固性を維持する措置が考慮されなければならなかった。そして、同7時25分以降アミノデキストラン輸液が開始された後、血圧は最高値が80mmHgより上昇せずに、同7時50分に最高50mmHgとなっていることから見ても、前記ガーゼタンポン挿入の操作と併合して、血圧、脈搏等の状態を把握しつつ、輸血の手配がなされていれば最善であったが、少なくとも同7時25分以降は速やかに、いかに遅くとも同8時頃までには輸血が実施されるべきであったことが明らかであって、同8時50分輸血が開始されるも、もはやショック状態の回復には奏効しなかったのであり、被告Xの輸血の手配時期は遅きに失したものであって、同被告には前示注意義務を怠った過失があると言うべきである。また右の点のほかに、線溶阻止剤や線維素原の投与並びに新鮮血輪血について配慮していないことも指摘できる。
 そしてEの主たる死因は弛緩性出血であるところ、前記のとおり、本件当時の医学界でも出血死の多くの例が迅速確実なる輸血によって期待される成果が十分確実視される比率で助命できるとされており、また本件では被告Xにおいて輸血手配に支障を来すべき事情の存在も認められないのであるから、右のごとく輸血が適時になされていたならば、Eの死は避けられたものと見ることができ、更に上記のような血液の凝固性維持のための措置が加えられたならばその可能性はより増大したであろうと言うことができて、結局被告Xの前記過失とEの死亡との間には相当因果関係があると解すべきである。
 なお前記手術はEの直接の死因となっており、ショック状態の下では手術は行わないのが原則で、まず輸血によりショック状態を回復させる必要があるのは前示のとおりであるが、Eは輸血が時期を失したために、手術前に既に極度のショック状態に陥っていたのであるから、手術を実施すべきでなかったとしても、本件ではこの点を過失として捉えるのは適切でなく、また貧血の点にしても、ザーリ65%程度の軽症貧血の場合でも、近年の妊産婦貧血に対する処置から見て、各種の指導がなされた方が望ましかったと言えるが、これらの欠如をもって直ちに本件の出血死と結びつけることはできない。
 また被告Xは、Eが昭和40年に扁桃腺摘除術を受けたことに同人の胸腺リンパ体質を疑う若干の徴表的意味を付しているかのように、同本人の尋問結果から認められ、これに関連して昭和42年1月の初診時の問診の有無が原告らから逆に論議されているが、全証拠によるもEが特異の体質により主要な死因を得たのであるとの証明はなく、また右初診時の問診の有無は前段までの以上の認定を左右するまでのものではなく、更に追究検討するまでもないものである。
 ところで、被告都が被告Xの使用者であることは当事者間に争いがないところ、前認定によれば、被告XのEに対する診療は被告都経営の前記産院の事業としてなされたものと言うべきであるから、その余の点について見るまでもなく、被告Xは民法709条により、被告都は同法715条により、それぞれ連帯して、Eの死亡に基づく損害を賠償すべき責任がある。
 四 そこで請求原因4について判断する。
  1 逸失利益
 <証拠>によれば、Eは死亡当時満33才の健康な女子であったことが認められ、当裁判所に顕著な厚生省第11回生命表によると満33才の女子の平均余命は41.32年とされており、また<証拠>によれば、Eは税理士である夫の原告Aと、原告B、同Cの子供2人の家庭の主婦として、家事育児の一切を取仕切り、家庭生活を営むうえに重要な働きをしていたことが認められ、本件事故に遇わなければ、少なくとも満60才に達するまでの27年間は、主婦として必要な前記の労働が可能であったと見ることができる。
 ところで、Eは右家事労働に従事することにより少なくとも全産業の女子平均の労働はしていたものと解されるところ、逸失利益の算定に当つては、原告ら主張の資料は外のものに依るべき理由もないので、昭和43年版労働省の毎月勤労統計調査総合報告書第12表に従うと、昭和42年度の女子労働者の平均現金給与額は、原告ら主張の月額金2万7417円を下らないと認められ、またEの生活費は前記家族構成からして、右収入額相当の約5割である金1万3709円を越えないものと認めることができる。
 従って金16万4496円がEの年間純収入と言うべきであり、27年間の純利益から年5分の中間利息を、年毎のホフマン複式計算法によって控除すると(27年に対応する単利年金現価係数は16.8044)、死亡時における逸失利益は金276万4256円(円未満切捨)となる。
 そして前記1に認定の事実及び前出戸籍謄本によれば、原告ら以外に相続人はいないことが認められるので、原告Aに生存配偶者として3分の1に当る金92万1418円(円未満切捨)、その余の原告らはそれぞれ子として9分の2に当る金61万4279円(円未満切捨)宛の右逸失利益の賠償請求権を相続したものである。
  2 医療費
 本件全証拠によるも、原告Aがその主張する費用を出損し、かつそれが本件被告Xの過失と相当因果関係を有する旨の立証がないから、この部分に関する同原告の請求は認められない。
  3 葬儀費等
 <証拠>によれば、同原告はEの死亡に伴い、葬儀当日の諸費用のほか、通夜、初七日の法事費用、墓石購入費及び諸雑費として、約40万円の支出をしたことが認められるが、Eと原告Aの社会的地位と身分関係から見て、右のうち金20万円をもって本件事故による損害とするのを相当とし、これを越える部分は本件と相当因果関係を有するものとは認め難い。
  4 慰謝料
 <証拠>によれば、原告AはEと昭和34年10月に結婚してから本件に至るまでの間、原告美紀、同Cの2子を儲けて幸福な家庭を営んで来たものであるが、本件出産についても、これが無事終了するものと被告Xらの同産院における措置を信頼し、第3子の誕生を待っていた矢先、原告Dの出生の日に最愛の妻を失うという悲しみに直面したのであり、また原告Bらの3名は母親の愛情の下に重要な成育期を過す機会を奪われたのであって、各原告らの精神的苦痛は甚大であると言うべきであり、右に加えて前記認定の過失の態様並びに諸般の事情に鑑みると、これを慰謝するためには各金100万円が相当である。
 五 以上の事実によれば、被告らは各自、原告Aに対し前記逸失利益の相続分、葬儀費用及び慰謝料の合計金212万1418円、原告B、同C、同Dに対しそれぞれ、逸失利益の相続分及び慰謝料の合計金1611万4279円と、右各金員に対する訴状送達の翌日から支払済みまでの遅延損害金として、被告東京都は昭和44年2月13日から、被告Xは同年2月12日から、いずれも年5分の割合による金員の支払義務を負担していることが明らかである。
 よって原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法92条但書、93条1項を、仮執行の宣言につき同法196条1項を適用して、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 安井 章
裁判官 岡山 宏
裁判官 野崎薫子


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