2000年05月02日(月)

 今日の読売新聞に「そごう副社長自殺について」書いて
 あったので紹介しよう。
 なんかかわいそうです。

 <そごう副社長の自殺>

 「申し訳ない。勝手を許して下さい」
 真っ白な紙に書かれた遺書はわずか14文字だった。
 先月27日に自殺した大手百貨店「そごう」の阿部泰治副社長(63)。
 同社再建の使命を帯びて日本長期信用銀行から乗りこんだ副社長を
 死に駆り立てたものは何だったのだろうか・・・

 5月1日午後、東京・護国寺で営まれた告別式。
 祭壇の遺影は、柔らかなまなざしで笑っていた。
 死の前日、決算発表の席で見せた、頬のこけた顔とは
 別人のようだった。
 「2年前、私が向けたカメラに写った顔です。阿部の家庭での顔です」。
 あいさつに立った夫人は、そう言って声を詰まらせた。
  阿部さんが長銀に入った1961年は、池田内閣が所得倍増政策を
 ぶちあげた翌年だった。
 「日本産業の復興を支えようと、みんな志を持っていた」と同期の一人。
 阿部さんは、主に金融債の発行・販売に携わり、資金調達部門を支え続けた。
 ゴルフ好き、面倒見がよく、部下からも「アベタイさん」の愛称で親しまれた。
 ・・・が高度成長時代が終わり重厚長大産業の資金需要が一段落した70年代
 から、長銀は逆に、融資先探しに頭を悩ますようになる。
 そんな中、有力な融資先となったのが、水島広雄前会長(当時社長)の下で
 拡大路線を走るそごうだった。
 つぎ込んだ資金は最終的に2000億円以上にも上る。
  ところがバブル崩壊を境に、そごうの経営が悪化。
 長銀常務だった阿部さんは94年、再建役の財務担当副社長として
 そごうに送りこまれた。
 「それからは週末にゴルフに誘っても常に出社していた」(友人の一人)。
 しかも社長を退いたはずの前会長は、依然実権を握って抜本的なリストラに
 難色を示し続けた。
  そして98年、今度は長銀が破たん。
 国有化された長銀はもはや、阿部さんを温かく支えてくれる出身母体ではなかった。
 「銀行の納得できる再建計画を出してもらいたい」
 先月阿部さんは、約6390億円の債権放棄を金融機関に要請するという”最後”の
 再建策をまとめた。
 その途端、全国の銀行から抗議電話が殺到、阿部さんは各地で頭を下げて回った。
 「今の仕事を早く終えたい。二人でゆっくりしよう」。
 夫人にそう漏らしたこともあったという。
  告別式に前会長の姿はなかった。
 「静養中につき、失礼の段、おわび申し上げます」と弔電が披露されただけだった。
 友人代表として弔辞を読んだ平尾光司・元長銀副頭取(61)は、遺影に涙声で
 こう問いかけた。
 「滅私奉公という言葉があるが、今の時代、私をボロボロにしてまでささげる公とは
  なんなのでしょうか」


 この「そごう副社長の自殺」記事を読んで・・・

 うちのT社長のことが心配になった。
 うちの会社の再建・再生の為に他社から引き抜かれて来られたようだけど
 業績も悪化一方の我社を立て直そうと、思いきったリストラ・再建策を
 とられている。そこにはオーナーN会長とか、生え抜きの現役員等の
 強い反対もあったのだろうなあ・・・と・・・
 そして我々も給・賞与減額、休日削減の状態だから、当然T社長も
 同様に貰うものも、貰えない状態だと思う。
 そうすると、ただ頭を悩ますだけ、苦労しに来ただけのような気がして
 とっても気の毒だ。
 本当は、もっと抜本的な部分で改革したいこともあるんだろうけど
 強い反対もあって、中々できないものもあるのではないだろうか・・・

 T社長も、N会長もトップダウンではなくボトムアップを求められているようだけど
 先日も折角の機会を、その中間層に検閲され、我々の下からの意見・考えが上層部に
 伝わらないということがおこった。
 T社長も、N会長もコミュニケーションの重要性、ボトムアップの重要性を盛んに
 述べられているが、口先だけだろうか?・・・
 中間層が理解してなく、T社長、N会長の意思を捻じ曲げているように思えてならない。
 このままでいいのか本当に考えさせられる・・・