HOME

日本経済新聞夕刊2007年7月25日

元チェス王者、ロシア反体制の旗手 「もう一つ」の長い闘い

 十二月の議会選と来年三月のプーチン大統領の後継者を決める大統領戦に向け、ロシアが政治の季節に突入する。オイルマネーに沸く経済の成長と強権手法をテコに高い支持率を保持し、磐石に見える体制の打破に挑む反体制指導者がいる。元チェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフ氏(44)だ。
 にらみ付けるような鋭い眼光で質問に聞き入り、数秒の沈黙の後、一気に語り出す。無駄のない論理立った発言はノート取りが追いつかないほど。プーチン政権に対する痛烈な批判の合間に時折、冗談を交えて快活に笑う人なつこい表情も見せる。
 「ロシアは間違った方向に進んでいる。これからは戦略的思考を政治につぎ込む」。二〇〇五年三月、スペインでのチェス大会で勝利した直後に突如引退を宣言。地方を回り、異なる政治勢力を仲介し、反プーチン勢力の結集を掲げる野党連合「もう一つのロシア」を組織した。今年四月のモスクワのデモ行進は治安機関に「鎮圧」され、プーチン政権の強権ぶりとともに反体制指導者として西側の脚光を浴びた。
 メディアの支配、敵対した石油会社ユーコスつぶしなど「法の差別的な適用」、官僚主義と汚職のまん延……。二期目に入った〇四年から急速に強権度を増したプーチン大統領への反対活動に身を投じたのは「欺瞞(ぎまん)に満ちた政権のやり方はロシア人の知性に対する侮辱だ」と強く感じたからだという。
 家族の将来も考え、「国を離れるか、闘うか」迷った末の決断。「去るのはプーチンの方だ」と闘う決心をしたのは、ユダヤ人の父とアルメニア人の母の間に生まれ、旧ソ連時代の抑圧と差別的な環境の中で、二十年以上にわたり国を背負ってチェスボード上で戦ってきたというプライドからだ。
 来年三月の大統領戦に向けて描くシナリオは一つ。異なる勢力のバランスの上に立つ政権は、後継者争いで内紛が起きる可能性があると読み、政権内の勢力の取り込みをうかがう。「平和的なデモすら許容しないのは政権の不安の裏返し」。経済成長の恩恵を受けるのも一部だけで、不満を抱える層も広がっているという。選挙に向け「右派も左派も区別せず、すべての反対勢力の結集」を訴える。
 公式にはプーチン大統領の支持率は八割。六月に新たに開いたモスクワのデモは治安機関に取り囲まれ、集まったのは千人足らず。国内メディアは野党活動を報道せず、国民の大半はデモの存在すら知らない絶対的に不利な状況だ。大統領選への出馬を表明したカシヤノフ前首相は「もう一つのロシア」から離脱し、足並みの乱れも露呈した。
 果たして勝算はあるのか。「この闘いに計算はない。これは私の道徳的な責務だ」。「頭」ではなく「心」から出たチェスプレーヤーらしからぬ言葉に強さと弱さを同時にのぞかせた。

(モスクワ、古川英治)

2007.10.01
チェス元王者カスパロフ氏、ロシア大統領選に出馬へ

 ロシア出身のチェスの元世界王者ガルリ・カスパロフ氏が、来年3月のロシア大統領選に反体制組織「もう1つのロシア」から出馬することが、9月30日決まった。
 もう1つのロシアは全国大会で、過去数カ月間に地区予備選で選ばれた6人の候補者の中から、大統領選の候補者を選ぶ投票を行った。その結果、カスパロフ氏は498票中379票を獲得し、サンクトペテルブルクの元市議会議員や、カシヤノフ元大統領などに大差で勝利した。
 カスパロフ氏はまた、今年12月に行われる下院議員選挙の候補者3人のうちに入った。
 大統領選出馬には登録が必要とされており、カスパロフ氏の登録は阻止される可能性が高い。出馬許可が下りた場合も、プーチン大統領の支持を獲得した候補者をおびやかす存在にはならないと見られている。下院議員選挙についても、もう1つのロシアの構成政党は全て未登録のため、候補者擁立資格はない。

(モスクワ、CNN/AP)