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宗看紹尊三十番指第五局、寛永14年(1637)年3月13日於加賀爪甲斐守宅
先手、松本紹尊、後手、伊藤宗看。
(引用文は越智信義『江戸の名人』より)

 この伊藤宗看は三世名人の宗看である。「二世名人大橋宗古の娘をめとって伊藤家を興し」た。「伊藤家が創設された頃はまだ家元の権威がそれほどあったわけではないため、在野派棋士からの挑戦が相次いだ」とのこと。松本紹尊はそのひとり。生没年不詳である。宗看は二十歳だった。「高齢の宗古に代わって」の対局だ。ところが初戦からいきなり彼は四連敗してしまう。そして、第五局の下記の局面がやってきた。

 ここから△4七金▲7五角△3七金▲同玉△2五桂▲3八玉△8八飛成▲同飛△同角成である。「△6七金なら手堅いが、果敢に△4七金と打ち込んだのが宗看の鮮烈な一着。▲4七同歩は△同歩成とと金を作られて寄りが速いと見た紹尊は▲7五角と出たが、△3七金〜△2五桂が素晴らしい手順。以下△8八飛成から大駒がきれいに捌けて勝ちがはっきりした。4連敗後の初勝利は会心譜となり、宗看はここから本来の力を取り戻していく」。最後は宗看が二〇勝一〇敗の大差で勝った。
 なお、関西将棋会館のホームページには松本紹尊について、「宗看との番勝負を争い将棋とする伝があって、今日でもあたかも事実のように紹介されているが、証拠はなくあくまで俗説である」と記載されている。 越智も「争い将棋」とまでは書いていない。