HOME

埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』注解 by Maro

01
−賓辞の魔力について苦しみ悩んだあげく、私は、或る不思議へ近づいてゆく自身を仄かに感じた。

 祝祭だ−秘かな魂の奥に囁かれたと思った。影のようなものの祝杯が私へあげられたような気がした。
  すべて主張は偽りである。或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない。
 ゴルギアスもまた忌まわしく思惟する網の裡に棲みながら彼自身の悪徳を味わっていた−そんな想念が、生き生きした姿をとった。属性の魔力について知りぬいていたばかりでなく、そこに眩暈せしめるもののひそやかな悪徳の裡に、私も耽っていたのである。

 あるものをある属性に関連させること、すなわち「−は−だ」と述べること、これは本来不可能なわざだ、と本節のゴルギアスは言いたいのだろう。「もの」と「属性」は種が違うのだから。それを無理矢理むすびつけてしまえるのが「賓辞の魔力」や「属性の魔力」だ。これについて思い悩んでいるうちに、「私」は「ある不思議」に、ほかならぬ「自身」が近づいていることに気づく。
 ゴルギアスが「すべて主張は偽りである」と言うならば、ゴルギアスは自分のこの主張も偽りであることを認めなければならない。「忌まわしく思惟する網の裡に棲む」とは、こうした論理の自縄自縛の中に棲むことだ。これをゴルギアスは「知り抜いていた」。遠い昔、彼だけが知り抜いていたのである。ゴルギアスが実は自縄自縛に陥っていることを、他の誰も気づかなかった。だから、皆、ゴルギアスの論法を恐れるだけだった。ゴルギアスはそんな彼らを見るのが楽しく、また、彼らの面前にありながらひそかに自らを縛るという倒錯した悦びに浸っていた。「彼自身の悪徳を味わっていた」のである。そしていま、「私も」ゴルギアスの快楽に溺れようとしている。悪魔が私のために祝杯を挙げてくれた。


 ゴルギアスが実際に行った証明はもっと手が込んでいて、延々と背理法が連なる否定の論理である。そうしたゴルギアスも、本節に描かれたゴルギアスも、『死霊』の結尾に登場するはずだった大雄の趣がある。大雄はすべてを否定しつくす者であるから、いかなる思想家も絶対に彼との議論で論破されてしまう。が、すべてを否定しつくすゆえに、大雄は自己さえ否定する。結局、大雄は自分の重みで自分を崩してゆく砂の塊にすぎないわけだ。本節のゴルギアスにはそこまで徹底した自己否定は無い。悪い遊びにふける、淫靡なソフィストである。
 菅谷規矩雄は「賓辞の魔力」について、「ぼくらが用いる比喩という語にほぼ等しい」と本気で言っている。「賓辞」は「述語」、それも論理学で使われるような意味の「述語」で考えるべきだろう。
 
03
02
−そこにわたしの魂が揺すられる場所、そんな純粋な場所はすでに私から喪われてしまった。

 例えば弾性を喪った弾条(ぜんまい)が侘しく自身に戯れてみる−懶く自身を捻ってみることにも、やがてはしずまりきってしまう空虚を味わっている羸弱さがあった。風と樹! 目に見えぬ風が細い梢の樹末を揺すっている風景を、茫漠と眺めている瞬間が私にあった。そうだ。私には茫漠たる時間がある。それは名状しがたい空虚な時間でもあった。何もしない裡に既に疲れてしまった躯、私の魂はそんな羸弱さを持っていた。

 「魂が揺すられる場所」は揺りかごのように安らげる場所ということだろう。どんな大人にも子供時代があったように、「私」にもかつてそんな場所があった。そう信じるのは自由だが、本当にそんな場所があるとは限らない。むしろ今の「空虚な時間」がそんな過去を創作してる、と考えるのが妥当ではないか。映画「ブレードランナー」の人造人間は、ありもしない子供時代の思い出を組み込まれ、偽装された幼児期の写真を大切にする。しかし、「私」はそんな原初的なふるさとを懐かしんでるわけではない。彼が気にしているのは過去よりも今の「茫漠たる時間」なのだ。それは疲れてしまうほど何もしないことによって見出された時間である。
 パスカルが水銀柱に真空を作ったとき、彼はそれを「真空」でなく「空間」と呼んだ。『パンセ』に言う「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」と同じ「空間」だろう。それを時間に置き直したのが本節の「茫漠たる時間」であるに違いない。この時間には何も起こらないのだから、「私」が眺めている風景から価値が失われる。「風と樹」はそうした存在なのである。たぶん、この「私」も。思索はここから始まる。


 磯田光一や池田晶子は、東洋的な無や諦観を関連させてこの節を論じる。しかし、「羸弱(るいじゃく)」とは疲れ果てた弱さのことであり、本節の弾条(ぜんまい)の脱力感もそこに由来する。いかにも、生活や放蕩や時代閉塞の現状に倦んだ近代文学特有の虚無思想が連想されはしまいか。すくなくとも、東洋的な観照の悟りによって得られた諦念とはまったく異なるものだ。
 『死霊』第二章で、初めて自同律の不快が三輪与志の「気配」とともに語られる場面で、「ざわめきたった葉末がゆすられて見える」という一節がある。すると、本節の風景の樹末も、本当は自同律の不快に苦しんで揺れているのかもしれない。だが本節の詩人はそこまで感づいていない。また、力ない弾条は性的な不能を暗示させる点は、誰でも気づくところだろう。

03
−《あんたみたいなとりとめのないひとはいないわ。それがどちらにせよ、それぞれ理由があるんだもの。》

 その女の風貌を想い出すたびに私は刻印のような重苦しさを覚えた。そうだ。その女の印象ばかりではない。意識を窃かに観察していると、微かに目に見えず遁れられない魔力がからんでくる。
 −われわれがなんであれ、いずれにせよ、とにかくそれとは別のものなのだ。
 私は或る隠者の話を想い出そう。その隠者は自身を索めようとして先ず足を切った。更に索め得られる、そう呟きながら、次に手を切った。そして、次第に自身を切り刻んでいって、影も形もみとめられなくなったと云われる。《だが聞いてみろ。そこにはまだ呟きが聞こえるのだ。ほれ、聞こえる。非常にさだかならぬひそやかなところに−》まことそこに偽りなくしてなんらの論理もあり得ない。

 「自己とは何か」「私とは何か」、そんな哲学に耽る「私」に「女」はあっさり答えてくれた、「あんたみたいなとりとめのないひとはいないわ」。思いもかけぬ方向からぶん殴られたようなショックを「私」は受けたに違いない。「私」は自分の性格判断を問うてるわけではなかったのだ。「女」には形而上学に使う脳細胞が欠けていた。『死霊』では津田夫人の若い頃がこんな感じだったかもしれない。しかし、どんなに見事な解答であろうと、どうとでも言える。「どちらにせよ、それぞれ理由がある」。何より、「われわれがなんであれ、いずれにせよ、とにかくそれとは別のものなのだ」。それは、
01のゴルギアスを思うだけでわかる。「私は−だ」といくら言っても偽りなのだ。しかし、「私とは何か」という問題に関しては、いつまでも答えを探していたい、という欲望を抑えることができない。「隠者」は「自身を切り刻む」ことをやめられない。01で触れた大雄とはまた異なる自己消滅である。

 本節の「隠者」について、誰もが萩原朔太郎「死なない蛸」を連想するだろう。ただし、この蛸は自己の謎を切り刻み分析するのではなく、孤独や執念などすべての情動を食欲に変え自身に向けて食い尽くすのである。とはいえ、両者の同質性は認めておくべきかもしれない。埴谷のアフォリズムは、文学史の系列でいえば、芥川の洒落たものより朔太郎の『虚妄の正義』や『絶望の逃走』などに近いだろう。埴谷もそれは気づいていたはずで、簡単なエッセイも残している。また、朔太郎の詩でも「自然の背後に隠れて居る」などは、『死霊』の三輪与志の「気配」と比較してみたい類似性を感じる。
04
 −私はソフィスト達を愛した。彼等が見放しまた見放されたものに対して、幽霊のごとく憑きまといまた憑きまとわれるいわば執拗な魂によるのであった。つねに正しさを自覚しているソクラテスのごとき輩に対しては、私はつねに憎悪を覚えた。

 いりくんだ、網の目をひろげたような、云いきってしまえばそれで済むけれども、さてさしひかえてみると或る種の表白もなしがたくなるほどさまざまな、忌まわしいものにみちたもの−そのものに対しては、私達の不快がいかなる態度をもちうるかを示せばたりる。
 《この荒凉たる部屋−そこに凝っとしていると不快に呻く気配がそこに聞えてくる部屋。そのなかに凝っとしていること、それだけですでに、俺が或るものになっているのだ》−それは私の嘗ての歌であったが、さていまは、存在がいかなる刑罰をくうか予告しておかねばならない。

 ソフィスト達が「見放し見放されたもの」とは真理だ。彼らが論理を鍛えるのは、真理を求めるためではなく、真理を玩ぶためである。ゆえに、彼らが真理に出会うことは無い。そのような呪われた真理に私は「憑きまといまた憑きまとわれる」。私は決して、真理を愛する、真理の所有者として、得々と市民の前に立つソクラテスのように語るつもりはない。私は詭弁と逆説に満ちた、むしろソフィストの言葉に親しみを覚える。
 「この荒涼たる部屋」とは自意識のことだ。そこに閉じこもっていると、私は「或るもの」になる、いやもっとはっきり言えば、私はますます私になっていく。その事情を一言「私は私だ」と「云いきってしまえばそれで済む」のだが、そう言い切るのは不快だ。それは存在を安住させる言葉遣いだから。私はこの不快を手放さず、「私は私だ」のような自明の言葉に背き、ソフィストの言葉で考えよう。すると今の私に見えかけてきた。存在に与える懲らしめが。


 ハイデガーによれば、プラトン以後の、要するにソクラテス以後の哲学は「存在するものから出発し存在するものを目指しながら思索する」。換言すれば、存在そのものを志向してないのである。哲学には「存在の明るみ」が忘れられている。「存在の明るみ」とは光を連想すればわかりやすい。光のもとで石や紙の存在は明らかである。しかし、われわれは考えるとき、光をつい失念する。だから、石や紙といった存在するものと向き合ってしまう。これが哲学の始まりだ。存在そのものではなく、存在するものを正しく見ることが課題になってしまう。正しい言葉遣いで語られた真理が問題になるのもそのためだ。それはまた、見る者、語る者が人間である以上、人間が初めて人間の思考に登場するタイミングでもあった。
 埴谷雄高がソフィストの言葉に親近感を抱く事情も同様に説明できるのではないか。ソクラテスの言語は「存在の家」としての言葉と無縁である。ただし、埴谷に人間という主題が現れるには『死霊』第一章を待たねばならない。

05
 −ほれ、俺の内部はひろげ放しだ。俺は俺の内部に人の目に止まるような何物も持ってやしない。もの食い虫め!

 《俺が自らに徹すれば徹するほどいくらでもそこから出てくるもの。そんなものは御免だ。俺は思惟の罠にもかかりはしない。不快の裡にひきずり出したものを俺の身に彩りつけてみるほど俺にしゃれ気はありはしない。さて、俺は夢のなかでときどき赤い顔をする。俺は夢の中にさえ出てくる色々なものの形にまったく赤面してしまうのだ。俺はよく酒場でこんな奴をみかける。酒が俺からなにかを出させないなら酒なぞ飲むものかと喚いている奴を−。ところで俺のまわりにうろついているものどもときたら手ひどく俺を酔わしてかかるのだ。そいつは俺から何かをしめ出そうとかかってくる。俺がうっかり喜ぶか、悲鳴でもあげないかとやつらのからくりを総動員してかかってくる。ぷふい! どっこい俺は空手形でさえも払ってやるものか》

 私の意識、私の思想、私の性格、それらはどれも私の存在ではない。見たければ見るがよい。それら形を取る"もの"のどこにも私は居ない。"もの"を漁る者なぞに私が見えようか。
 私小説作家は自分の言葉で自らを飾る。すると、しまいにはその言葉たちが作家をがんじがらめにし、人生は言葉に乗っとられてしまうだろう。それが彼らの思惟にひそむ「罠」だ。世間は人にそんな言葉を吐かせることを好む。そうやって人を理解してきたから。けれど私は一言だってそんな手がかりを与えはしない。

参考文献
菅谷規矩雄『無言の現在−無言の現在あるいは埴谷雄高論』イザラ書房、一九七〇年。
磯田光一・北川透編『鑑賞日本現代文学第30巻埴谷雄高吉本隆明』角川書店、一九八二年。
池田晶子『オン!埴谷雄高との形而上対話』講談社、一九九五年

since 2004/03/01