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Morris.2013年読書控
Morris.は2012年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点

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セル色の意味 イチ押し(^o^) おすすめ(^。^) 普 通 とほほ(+_+)

    122
【反原発の思想史】すが(糸圭)秀実 
121
【はじめてわかる国語】清水義範 え・西原理恵子 
120
【エ/ン/ジ/ン】中島京子 
119
【朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯】高崎宗司 
118
【別海から来た女】佐野眞一 
117
【紙上のモダニズム】構成・文 川畑直道 
116
【道・白磁の人】小澤龍一
 
115
【白磁の人】江宮隆之 
114
【昭和の女優】伊良湖序 
113
【物の怪】鳥飼否宇 
112
【のろのろ歩け】中島京子 
111
【小さいもの、大きいこと 目白雑録5】金井美恵子  
110
【遠きにありて作るもの】細川周平 
109
【複製技術時代の芸術作品】ヴァルター・ベンヤミン 
108
【ドルチェ】誉田哲也 
107
【うちゅうの目】まど・みちお詩集 
106
【J-POP進化論】佐藤良明 
105
【八月からの手紙】堂場瞬一 
104
【レコードの美学】細川周平 
103
【写真の時代】富岡多恵子 
102
【写真論】スーザン・ソンタグ 
101
【外来語】 楳垣実 
100
【僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記録】佐野眞一
099
【ことばから誤解が生れる】飯間浩明 
098
【メフィストフェレスの定理】奥泉光 
097
【昆虫の集まる花ハンドブック】 田中肇 
096
【八月のフルート奏者】笹井宏之歌集 
095
【評伝 ナンシー関】横田増生 
094
【楽園への道】バルガス=リョサ 
093
【雲のかたち 立体的観察図鑑】村井昭夫 
092
【エルニーニョ】中島京子 
091
【南米富源大観】難波勝治 
090
【天の方舟】服部真澄 
089
【小さいおうち】中島京子 
088
【サンバの国に演歌は流れる】細川周平 
087
【「出稼ぎ」から「デカセギ」へ】三田千代子 
086
【トイレのポツポツ】原宏一 
085
【新百人一首】岡井隆他選 
084
【森の夢 ブラジル日本人移民の記録】醍醐麻沙夫 
083
【ブラジル 跳躍の軌跡】堀坂浩太郎 
082
【ブラジルの流儀】和田昌親編著 
081
【騙し絵日本国憲法】清水義範 
080
【県庁おもてなし課】有川浩 
079
【「東京電力」研究 排除の系譜】斎藤貴男 
078
【外交官の一生】石射猪太郎 
077
【約束の大地】角田房子 
076
【日系ブラジル移民史】高橋幸春 
075
【明治海外ニッポン人】伊藤一男 
074
【ほろにが菜時記】塚本邦雄 
073
【俺 木割大雄句集】 
072
【箸づかいに自信がつく本】小倉朋子 
071
【輝ける碧き空の下で】北杜夫 
070
【響きと怒り】佐野眞一 
069
【海難記】久生十蘭 
068
【蒼氓】石川達三 
067
【南無ロックンロール二十一部経】古川日出男 
066
【オジいサン】京極夏彦 
065

【夏の闇】開高健 
064
【輝ける闇】 開高健 
063
【花終る闇】開高健 
062
【ワイルド・ソウル】垣根涼介 
061
【希望の地図】重松清 
060
【世界でいちばん長い写真】誉田哲也 
059
【天才までの距離】門井慶喜 
058
【どんことい、貧困!】湯浅誠 
057
【ユーラシアホワイト】大沢在昌 
056
【ぼくらの近代建築デラックス!】万城目学・門井慶喜 
055
【プリンセス・トヨトミ】万城目学 
054
【烈風のレクイエム】熊谷達也 
053
【LOVE】古川日出男 
052
【ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック】 
051
【雷の波濤】船戸与一 
050
【楽隊先生】久保田友博 
049
【ハーメルンの笛吹き男】阿部謹也 
048
【阿部謹也自伝】 
047
【光降る丘】熊谷達也
046
【外務省が消した日本人】若槻泰雄 
045
【目で見るブラジル日本移民の百年】ブラジル日本移民資料館 
044
【韓のくに紀行】司馬遼太郎 
043
【ウィンディ・ガール】田中啓文 
042
【もう私のことはわからないのだけれど】姫野カオルコ 
041
【お見合いバンザイ…!?】阿川佐和子 
040
【虫樹音楽集】奥泉光 
039
【呪いの時代】内田樹
038
【第五番】久坂部羊 
037
【日本の文字】石川九楊 
036
【昭和の洋食平成のカフェ飯】阿古真里 
035
【虚実亭日記】森達也 
034
【大野麥風と大日本魚類画集】姫路市立美術館 
033
【昭和のまぼろし】小林信彦 
032
【桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活1.2.】奥泉光 
031
【音楽を迎えにゆく】湯浅学 
030
【ラジオのこちら側で】ピーター・バラカン 
029
【音楽が降りてくる】湯浅学 
028
【アラビアの夜の種族】古川日出男 
027
【海野和男の昆虫撮影テクニック】 
026
【リアル・シンデレラ】姫野カオルコ 
025
【幸いは降る星のごとく】橋本治 
024
【ドッグマザー】古川日出男 
023
【「解説」する文学】関川夏央 
022
【素材の旅】藤森照信
 
021
【東京スタンピード】森達也 
020
【ナマコ】椎名誠 
019
【山口禮子句集『半島』】 
018
【ボディ・アンド・ソウル BODY AND SOUL】古川日出男 
017
【詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」】中野敏男 
016
【ラクダに乗って】庚申林(シンギョンニム)詩選集 
015
【ニッポン・スウィングタイム】毛利眞人 
014
【チェ・ミンシク写真集】 
013
【韓国表現文型】李倫珍 
012
【半眼訥訥】高村薫
 
011
【うさぎ幻化行】北森鴻 

010
【地雷を踏む勇気】小田嶋隆 

009
【その「正義」があぶない。】小田嶋隆 
008
【ホルモン奉行】角岡伸彦 
007
【だから、君に、贈る】佐野眞一 
006
【暁英 贋説・鹿鳴館】北森鴻 
005
【銀河帝国の弘法も筆の誤り】田中啓文 
004
【死と滅亡のパンセ】辺見庸 
003
【笑う子規】天野祐吉編 南伸坊絵 
002
【絵のある自伝】安野光雅
001
【沈黙】遠藤周作 

122

【反原発の思想史】すが(糸圭)秀実 ★★★☆☆ 2012/02/25 筑摩書房。
金井美恵子のエッセイに繰り返し出てきたので、読まねばと思い、借りてきたのだが、これまた読み終えるのに手こずってしまった。すが秀実はMorris.と同じ年生まれであるが、頭の出来は相当にちがってるようだ。
本書は、Morris.にとって裨益する所も多かったが、「痛い」本でもあった(>_<)

日本の反原発運動は、毛沢東理論の「誤読」による近代科学批判が大きな転機となった。それが「1968年」 を媒介にニューエイジ・サイエンスやエコロジーと結びつき、工作舎や「宝島文化」を背景にしたサブカルチャーの浸透によって次第に大衆的な基盤をもつよう になったのである。複雑に交差する反核運動や「原子力の平和利用」などの論点から戦後の思想と運動を俯瞰し、「後退りしながら未来へ進む」道筋を考える。 (カバー袖裏の惹句)

この「要約」は間違いじゃないのだが、これだけ読んで判る人はどのくらいいるのだろうか?

ロシア革命の指導者レーニンは、「共産主義はソヴェト権力+全国の電化である」という高名な言葉を残した。悪名高い「生産力理論」である。もちろん、レーニンは核兵器も原発も知らなかったのだが――。
生産力理論は、「福島」以降も――中国やヴェトナムなど旧社会主義国を含めた――資本主義のなかに健在である。なおも原発を推進しようとする勢力は、原発がなければエネルギーが不足する、GDPが落ちると、繰り返し資本主義の危機を煽ることで、それを正当化しているからである。それは、安価な労働力を保有 する旧第三世界諸国への原発輸出として実現されていくだろう。もちろん、旧第三世界諸国も、原発の建設を積極的に推進しようとしている。


本書が書かれた時点ではまだ民主党政権だったのだが、安倍政権はまさにこの通りのことを推進しているな。

ソ連は、アメリカを徹底的に模倣することで、アメリカ=資本主義をのりこえ、解体しようとする。そのことの 担保が原子力なのだ。その意味で、原子力は資本主義の内部に埋め込まれてはいても、その体制を解体する「外部」と捉えられていると言ってよい。「原子力の 平和利用」は1954年のソ連邦オブニンスク原発運転開始に始まる。「平和利用」においては、ソ連が先んじていたのである。

「米ソ冷戦状況」ということばが、何か懐かしさを感じさせる。Morris.が西暦年号を意識したのが1957年で、この年にソ連がスプートニク打ち上げに成功したのだった。

三島由紀夫が、原爆投下による「終末」によって、それを「私の文学の唯一の母体」(「私の中のヒロシマ-- 原爆の日によせて」1967年)としたことは、その『美しい星』や『豊饒の海』に徴しても明らかである。三島由紀夫は、1960年代のサブカルチャーに親 和的な作家でもあった。

三島とサブカルチャーとの相性の良さは、Morris.にも感じられていた。

「核」や「原発」がもたらす終末意識の間隙には毛沢東(あるいは、ゲバラ)という存在が、亡霊のように徘徊している。そして、そのことが今にいたる大衆的な反原発運動を、基底でゆるやかに規定しつづけていると言ったら、穿ちすぎなのだろうか。

穿ち過ぎ以前に、わかりにくすぎる(>_<)

中ソ対立とは、第三世界に対する中ソのヘゲモニー闘争でもあった。しかし、ソ連の平和共存路線は、ソ連が資 本主義の最先進国アメリカと生産力で覇を競うことが主要なベクトルであるのだから、古典的なマルクス主義の「先進国革命論」の一ヴァリエーションであり、 まず自国の生産力の増強をめざすという意味で、一国革命論的であった。第三世界の問題は、戦略上では二次的三次的な位置にとどまる。これに対して、そもそ も中国革命が中後進国の革命であったことにも規定されて、中国の革命路線では、第三世界革命が重要な位置を占めるのである。

もちろん、毛沢東中国や第三世界が原発を否定したわけではない。それは、「福島」以降の先進資本主義諸国に おいて、「脱原発」、「減原発」が世論を形づくりつつある今日、中国やヴェトナムをはじめとする旧第三世界諸国が原発推進を鮮明に打ち出しているところか らも、明らかであろう。その意味で、毛沢東中国に、反原発の論理を読むことは、美しい「誤解」である。しかし、この誤解がなければ、先進資本主義諸国にお いて、反原発の思想的潮流は形成しえなかったはずなのである。もちろん、日本においてもそうであった。

何ともややこしい論理であるが、なるほどと思えるところもある。大島弓子のバナナブレッドのプディングに出てくる「数珠つなぎ理論」のようでもある。

日本共産党が脱原発へと舵を切ったのは、「福島」以後、それも浜岡原発の停止も決まった後である。戦後の共 産党は自然科学者の党員、シンパサイザーを数多く抱えていた。科学の進歩が平和と民主主義に寄与すると見なされたからである。共産党は原子力の平和利用自 体については一貫して賛成しており、その立場は、原子力開発が軍事目的に流用されることに反対するという、中曽根らに札束で頬を叩かれて続けてきた、 1954年以来の科学者のものを出なかったのである。原子力の平和利用へのノスタルジーは、共産党や、その傘下の運動団体においては、いまだにくすぶって いる様子である。

反核と反原発は共存してなかったのか。共産党シンパだった手塚治虫の産みだしたヒーローの名前が「アトム」だったもんな。

日本は「戦後」の平和と民主主義を一国的に享受していたといえる。そのことは平和と民主主義を擁護する社共 においても、世界革命という戦略を掲げながら、日本こそが革命の突破口であり「主体」であると僭称する新左翼においても変わらない。それは自民族中心主義 に過ぎず、深層において一国主義なのである。しかし、いまだ「戦後」ではないことが、華青闘告発と入管闘争で明らかにされてしまったのだ。

確かにこういった物言いは、全共闘的である。ノンポリだったMorris.に偉そうなことは言えないことだけど。

チェルノブイリ以降、この度の「福島」まで、日本の反原発運動で忘れられているのが、この「戦後」批判とい う契機にほかならない。原発は危険だから反対するという論理は、容易に自民族中心的な一国平和主義におちいる。その時、それは、安全性に配慮すれば、原発 もやむをえないとか、旧第三世界には輸出しようという、もう一つの一国平和主義の無自覚な介入を許すばかりなのである。

これは理解できる。そして今も状況は同じであるということだな。

「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げた大阪万博の開会式では、関西電力の「万博に原子の灯を」のキャッ チフレーズのもと、敦賀1号機から送られた電気によって、灯がともされた。岡本太郎の「太陽の塔」は、これに呼応するモニュメントだったことは火を見るよ り明らかである。岡本太郎は、原子力エネルギーを美学的に称揚する美術家であった。……岡本は、1970年当時の「左翼系」文学者・芸術家の常識と同じ く、反核=原子力平和利用推進派だったに過ぎない。

この部分を、金井美恵子のエッセイで知って、衝撃と深い共感を覚えた。それが本書を読む契機になったわけだ。

輪島裕介は、美空ひばりに代表される「艶歌」に込められている「日本人の心」なるものが、いわゆる「捏造さ れた伝統」(ホブズボウム)であり、その捏造に与って力のあった者として、『美空ひばり』の竹中労や『海峡物語』の五木寛之など、1960年代から70年 代のサブカルチャーを規定したイデオローグの名前をあげている。
彼らは、それまで俗悪とされていた艶歌が、実は「民衆的『下層』」の表現だとして、それを積極的に称揚した。しかし、竹中や五木の名前とともに「日本人の 心」を捏造した者としては、彼らの発言と時期的にも相即する、「日本のナショナリズム」の吉本隆明をあげなければならない。……日本近代における軍歌や俗 謡のなかに「大衆の原像」を見出すことで、その価値転倒をはかったものである。


わしらの世代としては、吉本の名は良くも悪くも大きな存在だったような気がする。そうか、吉本が「捏造」したのか(^_^;)

おそらく、「阻害」は克服されない。「阻害」は、人間の「手」が歩行の手段という「自然」から開放=阻害さ れ、技術が手の代補であり、原発もその技術の連鎖の果てに出現したものである限り、まぬがれることができないものなのだ。原発だけが特権的に危険なわけで はなく、プロメテウスが神から盗んで人間に与えたという火が、すでに「危険」なのである。
それゆえ、農業が危険であれば、自動車も飛行機も危険だろう。それらは、結局、リスクの多寡に還元されてしまう。反原発の思想は、そのことを踏まえて出発しなければならない。

そうだ、文化も文明も技術も道具も機械も、思想も哲学も芸術も宗教も「危険」な玩具ぢゃ。

現在、「原子力ムラ」に住む学者への場当たり的な批判は聞かれても、彼らを存在せしめた産学協同への批判は 皆無である。世論は、相変わらず大学・研究所や資本に産学協同の拡大を求めるばかりである。広重徹らの科学批判が提起した問題など、今や一顧だにされな い。もとより産学協同と無縁な、「純粋な」学問など存在しえない。それは自然科学系に限らない、全ての「学問」について言える。しかし、それは不断に問い なおされなければならないのである。

現在、新たな「核拡散」問題が生じていることは周知のとおりであり、反原発運動のなかで、逆に、核兵器が不問に付されている。

これはMorris.もおかしいと思っていた。シリアの化学兵器が問題にされた時、普通の兵器は問題じゃないのかと思ったことにも通じる。

日本の原発政策を推進したのは、正力松太郎や中曽根康弘にも増して、電源三法を成立させ、「日本列島改造」 を展開した田中角栄であった。原発が地方の過疎地域に建設されていったことは周知の事実である。その地域は原発を受け入れ、それに骨がらみになることに よって、「日本列島改造」の余得に予ることができた。そうしなければ、「過疎」の加速度的進行は避けられないというのが「民意」であったからである。しか し、ロッキード事件における田中逮捕は、「アメリカの資源の傘から脱して、新たな利権網とともに、独自の資源政策を追求した」田中に、「多国籍企業の側か ら打撃が加えられた」ことを意味する。

正力、中曽根より田中角栄の列島改造こそが原発推進に大きな力となった、というのは、言われてみればそのとおりである。

野坂昭如には原発を扱った小説を集めた短篇集『乱離骨灰鬼胎草(らんりこっぱいおにばらみ)」(1984) がある。1983年に田中角栄の当時の選挙区である新潟三区から衆院選に立候補(次点落選)している。野坂は野坂なりに田中的「戦後」政治への批判を展開 したと言える。

野坂の小説は長いこと読まなくなってしまってた。この短篇集は読んでみたくなった。

今日の反(脱)原発の主流が、ウルリッヒ・ベックの言うリスク社会=危険社会以上のものではないことは言う までもない。原発はリスクが計算不可能なほどに高いから廃止に向かうべきだ、という議論である。しかしリスク論は、原発のリスクは計算可能であり、推進す べきだという論理へと容易に反転する。それは同時に、第三世界には安全な原発を輸出しようという議論にも向かう。

資本主義批判としての反原発。この視点こそ、今日もっとも必要なものにほかならない。そうでないとすれば、 反原発の論調は、せいぜい「安全な」クリーン・エネルギーというベンチャー・ビジネスに回収されていくだけだろう。そして、ベンチャーこそ、本質的に新自 由主義的なものである……津村喬の反原発論のアクチュアルな政治的核心は、「安全」という統治テクノロジーの批判にいたったところにあるのだ。先進資本主 義国の「安全」は、第三世界の「犠牲」によって担保されているというのが、津村の前提である。

確かに、Morris.の「反原発」のスタンスも「安全なエネルギー」でしかなかった。

「本当の自分」を探して「自由な活動」をおこなう主体とは、新自由主義的な起業家=起業家的主体以外ではな い。80年代に「フリーター」なる存在がリクルート社によって命名された時、それは「自分探し」のために就職を控える個人企業的な「自由な主体」として称 揚されたのである。……アメリカ帰りの江藤淳の『成熟と喪失』(1967)が導入してポピュラーな成功を収め、今なお社会学者主義を陰に陽に規定している それは、アメリカ的「自由主義」と親和的なのだ。

ここらあたりが、Morris.にとって「痛い」と感じる部分である。Morris.はフリーターの走りだったようでもあるし、江藤の著作には強い影響を受けたものである。

マルクスが、すでに言っていたように、資本主義を批判しうる「主体」が醸成されるのは、資本主義の内部にお いてでしかない。マルクスは、資本主義の高度化の延長上に共産主義社会を展望したわけだが、そのような「生産力理論」の限界が見えたのも、「68年」だっ た。反原発運動を含むエコロジー主義の登場は、その指標である。しかし、そのエコロジー的「主体」が、また、資本主義に依存しているというパラドックスが 生じているのだ。ここに、冷戦体制崩壊以降の対抗運動が、もはや資本主義や権力の問題を不問に付すという傾向が生じるゆえんもある。

ニューエイジは宗教学者の島薗進が言うミドル・クラスの穏健な個人主義ばかりではなく、(あるいはオウムも そうであったように)過激なコミューン主義も浸透しているのである。それはアナキズムが個人主義的な自由主義を標榜したりする融通無碍な思想であることと 同様だろう。アナキズムは、穏健でもあれば過激でもありうる。ニューエイジはアナキズムときわめて親近的である。

アナーキズムへの微妙な思いがMorris.にはある。もしかしたら、その融通無碍なところに侵食されたのだろうか。

笠井潔がニューエイジ的な作家・評論家であることは、それほど認識されていなかった。しかし彼の活動において、ニューエイジは本質的なものであったと推定される。笠井のニューエイジは、そのロマン主義的性格から、終末論や千年王国への親近感としても表現される。
笠井のニューエイジ的思考は、セカイ系と呼ばれるライトノベルやアニメを称揚する近年の評論活動にまで及んでいるだろう。笠井自身は、「西海岸」のニュー エイジの一部がそうであったように、『国会民営化論』(1995)を書いて新自由主義(アナルコ・キャピタリズム)へと展開していくのである。これも巨大 な資本の運動に連動することにほかならない。


笠井潔もMorris.は結構愛読していた。こういう風に分析されると、ちょっとあれれ??と思ってしまう。

1944年に谷川徹三が「今日の心がまへ」と題した講演で、宮澤賢治を求道者詩人と位置づけ、賞賛した。こ れは、その後の宮沢賢治の「国民的」名声に決定的な意味を持っている。谷川は「雨ニモマケズ」を「明治以降の日本人が作った凡ゆる詩の中で、最高の詩だと 思ってゐます」と述べた。国策的にその自己犠牲の精神を賞賛された詩が、戦後は、その文脈が忘れられた。宮澤賢治が、日蓮宗系の愛国主義的な宗教団体であ る、田中智学の国柱会の熱心な会員であったことも、それほど問われなかった。

金井美恵子エッセイで、岡本太郎ともう一人、この宮澤賢治のことが気になってた。

宮澤賢治が確定的なテクストを残したリアリズム文学者であったら、その「国民化」はなされなかっただろう。 それは、モダニズムを通過した特異な童話作家・詩人であり、ニューエイジ的なエコロジストであり、そのユートピア的コミューン主義も、夭折によって美しく 「挫折」したからこそ、「国民的」に受容されえたのである。それらは、すべて一種の「挫折」であったという意味でもファンタジーなのだから、「国民」は、 安んじて宮澤賢治のイメージを愛惜するだけである。宮澤賢治の「国民」化がミドルクラスのロハス的気分以上のものでないゆえんである。

ブームと言えそうな宮澤賢治人気のなかで、Morris.はどうしても違和感を覚えていた。だからこういったネガティブな論調にはついつい同調したくなってしまう。

ヌーヴェル・クリティック内の一流派である主題論的批評(テマティスム)は、科学哲学者でもあったガスト ン・バシュラールの物質的想像力論を先達として、ジャン=ピエール・リシャールや初期のバルトらによって導入された。バルトの『ラシーヌ論』、バシュラー ル『水と夢』、リシャール『マラルメの創造的宇宙』などが、その代表的なものとして知られる。
1990年代の日本では、テマティスムは批評の手法としては誰もが手軽に使えるほどに世俗化しており、文学批評の領域では忌避される傾向にさえあった。


バシュラールの「水と夢」には、懐かさを禁じ得なかった。難しかったけど何か美しかった(^_^;)という記憶がある。再読してみたくなった。ああいう方法を「テマティスム」というのははじめて知った。今では時代遅れらしいけどね(^_^;)

「大正期」の文学・芸術・思想は、一般に「大正デモクラシー」、「大正教養主義」、「大正モダニズム」、 「大正アナキズム」などとして論じられているが、それらを含みつつ、それを「大正生命主義(命名 鈴木貞美)」と呼んでみることは、本書にとっても示唆的 である。鈴木によれば、それは「日露戦争後から関東大震災に至る時代の思想・文化状況において、『生命』の語が氾濫し、『生命』という言葉がその時代の スーパーコンセプトとなった」ことと定義される。

今、Morris.が注目している、浅川巧や、柳宗悦などがこの大正精神の顕現者である。「生命主義」? うーーむ。

宮澤賢治が羅須地人協会設立に先立って書いた「農民芸術概論綱要」が、ウィリアム・モリスに深く示唆を受け ていることはしられている。「農民芸術概論綱要」には、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」という言葉が読ま れるように、それはまた、見田宗介や高木仁三郎が分析した意味で、きわめてニューエイジ的に解しうる生命主義である。

アナキズムは--とりわけ、クロポトキン主義は--「右翼」において継承されていたのである。右翼によって 継承されたクロポトキン主義は、いわゆる「昭和維新」運動(丸山真男学派の用語では「超国家主義運動」)の中で開花し、実際に、青年将校たちのクーデター 未遂事件として知られる、5・15事件(1933)や2・26事件(1936)の有力な背景となっていた。
昭和維新運動においては、「社稷」は謎語・呪文のように唱えられた。「青年日本の歌(昭和維新の歌)」の一節に、「財閥富を誇れども/社稷を思ふ心なし」とある。作詞・作曲は、5・15事件に参加した海軍青年将校で、戦後も右翼の大物としてあった三上卓である。
ニューエイジとは、言ってみれば、「社稷」のマルチカルチュラリズムであり、それを一つの社稷に特化すれば、「超国家主義」ともなる。それは大東亜戦争を 遂行する「国民的」心性の中に浸透していった。戦後、中国文学者の竹内好が「大東亜戦争の二重性」と言って、侵略戦争とは異なったその肯定面を掬い上げよ うとしたことがある。それは、このクロポトキン主義的な「社稷」主義の側面だったと、明確に言うべきだろう。


「社稷 しゃしょく」は「社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)」ひいては「国家」を表す語で、著者はこれに「コミューン」とルビを振って 使っている。「マルチカルチュラリズム」は「多文化主義」のことらしい。アナーキズムは左翼、右翼とはまた違った範疇の思想のようだ。

「昭和維新運動」とは、何とニューエイジ的な運動だろう。宮澤賢治の文学と思想が、正確にこのサイクルの中 にあることは言うまでもないだろう。それは、農村コミューンを構想し、日蓮宗国柱会に入信し、宇宙と個人の無媒介な合一を夢見た。いや、そのことゆえに、 1970年代から1980年代のニューエイジ的思考に称揚された。

「大逆」事件で天皇暗殺を本気で企てていた管野スガは、日本のペロフスカヤと見なされた。……「大逆」事件 の後、夏目漱石が主宰する「東京朝日新聞」文芸欄に、ペロフスカヤをモデルにしたオスカー・ワイルドの戯曲「革命婦人」が連載された……菅野とペロフスカ ヤの、テロリズムの意図は異なっていたと言うべきだろう。菅野は、天皇が神ではなく人間であることを証明しようとして、テロによって血を流させようとした と、遺書「死出の道艸」で記している。いわば、超越性を否定するテロリズムである。これに対してペロフスカヤは、スラブ的超越性を回復するためのテロリズ ムであった。
菅野スガをペロフスカヤに、ひそかにすり替えるこの行為において、天皇制への批判は封印された。それを目論んだ者が夏目漱石であったことは、確認しておかなければならない。


こういった形での漱石批判ははじめてだが、かなりにアクロバチックなやり方だと思う。

テロリズムと親和的たらざるをえないアナキズムは、現在では、クロポトキンの『相互扶助論』に依拠したレ ベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』において明確に表現されている。……もはや、能動的なテロリズムが不可能に思える今日、震災等の「自然災害」とい うテロのみが、人民の基底に今なお存在している「社稷(コミューン)」的なものを露呈させ、一瞬ではあってもユートピアを可能にしてくれる、というわけで ある(江戸家猫八百)。ソルニットにおいても、そのユートピアを阻害するのは、官僚エリートであり政治家である。

神戸震災の現場でも、たしかにこういった「擬似コミューン」が生成されたことは忘れられない。しかし、ユートピアを消滅させたのは「時間」だったような気がする。

問題は、「万世一系」によって、明治憲法がヘーゲル的=ヨーロッパ近代的な国家理性の無時間性を表現してい るということなのである。それゆえ、社稷=市民社会が国家と対で捉えられる時、国家に対する抵抗や反逆としてあらわれる終末論的ユートピア主義は、国家の 無時間性のなかに吸収されるほかない。つまり「ガス抜き」であり、国家は、社稷=市民社会による終末論的反逆、革命存在の可能性を前提とした反革命存在の 可能性を前提とした反革命のフィードバック装置なのである。そのような事情は、戦後憲法においても変わっていない。

大事なことを言ってるようにも思えるのだが(^_^;) 理解には至らない(>_<) 

管理社会とは「人間から『誤り』を奪ってしまう」社会なのである。このような視点も、反核声明的な終末論に 対する批判として有益であり、「安全」イデオロギーに対向するものである。終末は「誤り」によってもたらされ、安全とは最終的に「誤り」を認めないことに よって可能になるものだからだ。

これは解りやすい(^_^;)

「宝島文化」を日本化されたアメリカ文化と見なすべきである。「宝島」本誌の若い読者は、そこで清志郎やブ ルーハーツの反原発メッセージに触れ、別冊宝島やフォアビギナーズに依拠して「理論武装」をはかった。それらが相互に齟齬をきたしていようとも、である。 「宝島」というブランド名はそのようなものの総体であり、「何でもアリ」のアメリカ的日本文化という意味を担うべく転変していったと言える。

これもMorris.には身につまされる発言である。

そのような経済的余裕こそ、女性たちを全国各地の運動におもむかせることを可能にする。決して否定的にのみ言うわけではないが、暇と金がなければ「市民」運動などやっていられないのだ。

身も蓋もないのだが、反論できない。

従来の反原発運動が、基本的に冷戦体制と「平和共存」の枠内のものであったことは、繰り返し指摘してきた。 社会党の反原発の論理が「ソ連を利する」ものであったことも、共産党の論理が「原子力の平和利用」でしかなかったことも、そのためである。新左翼の反原発 運動が、地域住民闘争として、社会党の左ウイングでしかありえなかったことも、同様である。親左翼のなかで、もっとも可能性を秘め、政治的にもリアリティ を持っていた毛沢東主義も、70年代以降の中国におけるその失墜によって、「政治的な」有効性を次第に喪失していった。
同様に、ベ平連運動は、それにコミットした、「市民」たちの主観的な思惑をこえて、「ソ連を利する」ものであった。


簡にして要を得た結論である。しかし、こういう論法は嫌われるだろうなあ。

「ゴーマニズム宣言」は、当初は薬害エイズ問題や部落問題にコミットしていたが、幾つかの契機を経てへて(主要にはオウム事件である)、1990年代半ばには完全に新保守主義化していった。「宝島文化」と同じ軌跡をたどっているわけである。

そういえば、Morris.がすが秀実の名前を知ったのも、「ゴー宣」でだった。

旧第三世界というマーケットへの原発輸出は、欧米や日本の巨大資本にとって、十分過ぎるメリットを、いまだ 有している。TPP等、アメリカや中国を中心とする経済ブロックのなかで、原発を推進する国と「脱原発依存」の国の分業が達成されるかもしれない。それ は、日本国内での「脱原発依存」を主張する政治家が、同時に、旧第三世界への原発輸出に積極的な理由と相互補完的である。国家資本主義的なブロック経済と 新自由主義は相互補完的に混淆する。これは、たとえば日本における米軍基地を沖縄に押し付ける構造と同じだろう。

反原発輸出問題から、沖縄の基地問題にまで敷衍するあたりは、なかなかのものである。

福島第一原発から撒き散らされた放射性降下物への対応の問題と、原発問題は、峻別して考えられるべきであ る。前者が必須喫緊の課題であることはもちろんだが、同時に後者の問題が今や問われなければならないのである。原発とは日本の問題でさえなく、世界資本主 義の問題であり、とりわけ旧第三世界において鋭く問われているということなのだ。福島第一原発事故被災者には酷な言い方かもしれないが、それを福島の、東 北の、日本の問題だと集約することは、「広島」や「長崎」をもって反核を日本の特権と見なした「戦後」の反戦平和運動の轍を踏むことなのである。

この、いちおうの「結論」には、重みを感じる。
とにかく、本書をひと通り読んで(読み返して)、共感したり、印象に残ったり、わからないながら気になった部分を引用しながら、理解には程遠いMorris.である。時々読み返して考えてみよう(^_^;)


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【はじめてわかる国語】清水義範 え・西原理恵子 ★★★☆☆ 2002/12/16 講談社。
このシリーズは、リアルタイムで数冊読んだ覚えがある。この国語篇は見落としてたようだ。10年遅れて読んでみると、一味違った面白さ(旬が過ぎた話題 や、見当外れ)もあった。「補習」と題して、高島俊男、斎藤美奈子との対談二本が掲載されてるのも、思わぬ喜びだった。(対談自体はちょっと期待はずれ だったけどね(^_^;))

国語の試験というのは、ひどく特殊なルールのもとで作られており、そのルールを見抜いている子には答えられ るが、そうでない子には手も足も出ないものである。あてずっぽうに答えて、あっていたり、間違っていたりするばかりだ。私が『国語入試問題必勝法』という 短編小説でからかいたかったのはそういう点である。まともに考えてもいい点はとれない。出題者の作戦を見抜き、罠にはまらないように、トリックの裏をかけ ばいい点がとれる、という冗談というか、皮肉を書いたものだ。

「国語入試問題必勝法」は「そばときしめん」とともに、清水の初期の「傑作」だと思う。Morris.もいちおう国語教師の免状は持っていたはずだが、万 一国語教師になってたら、かなりひねった(ひねくれた)国語問題を作成して多くの子供たちを苦しめた可能性が高い。ならなくてよかったと思う。

一番いいのはルビを振って漢字で出してあげることだ。ルビがあれば中学生、高校生にも教育になる。正解すなわちルビが横にあれば知識になっていく。みんなが読めるようにやさしく書く、ではなく、みんなが読めるように教育していく考え方があっていい

「ルビの復活」これはMorris.の心底からの願いである。戦前の新聞雑誌、小説の類はほとんどが総ルビだった。読みを知ってる漢字はルビを無視して読 めばいいし、読めない漢字もルビがあれば知らず知らずに身についていく。新聞社がルビ付活字を廃止したことは慙愧に堪えない。

私は、漢語は漢字で書いて、むずかしければルビを振ればいいと、原則的には思っているのだ。つまり、音で読む言葉だ。

当然、賛成である。

私には、話すことの教育で、まずきっちりとやってもらいたいと思うことがある。それは、口をしっかりと開け て、はっきりと、明瞭に声を出すことの教育だ。口のなかでもごもご言わない。小さな声でずるずるしゃべらない。意味を理解して、適切に区切る。てにをはを 省略せず、意味が伝わるようにしゃべる。近頃の子供には、まずそこからの指導が必要だと思うのだ。

これは、Morris.への教育的指導と受け止めたい。韓国語学習にも通じるものだと思う。間違ってなくても小さな声では伝わらない。

挨拶の意味ですが、挨というのは(おす)という意味で、拶は(せまる)こと。つまり挨拶というのは(押し合う)という意味なんですな、もともとは。それでもってこれは、禅宗の僧が、問答によって門下の僧の悟りの深さをためすことをいう言葉だったんです。

これは前に何度も聞いた覚えがあるのだけど、すぐ忘れるので、メモしておく。

今年(2002年)の2月に、斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』というメガトン級の爆弾本が出てしまった。 これはおそるべき名著で、この本が出てしまった後には、もう、『文章読本』はタメになりますなあ、なんていうのん気なことは言ってられない、言ってるとバ カに見えるぐらいの破壊力を持った本なのだ。

Morris.もこの「文章読本さん江」で、美奈子さんフリークになってしまった。

サイバラのマンガの底力は、彼女が世の男どものやることに、なーにを言ってんだかこのオヤジは、という角度 からの蹴りを入れるところにある。男的知恵誇り文化の中で、私がえらそうにウンチクをたれると、わかんねえよシミズ、と突っ込みを入れてくるのがサイバラ の値打ちなのだ。

この学習シリーズも、西原理恵子の名前に惹かれて読んだという覚えがある。

これ(谷崎『文章読本』)を読んで以来、私は文章に興味を持ち、この作家はこういう文章か、この人はこう か、学術論文ってこういう文章であることが多いな、素人の新聞への投書は必ずこんなふうだな、などということを気にかけるようになった。それを面白がると ころから、私のパスティーシュ(文体模倣)という作風が生まれている。
結局私は、谷崎の『文章読本』を読んで、書かれている主張に感動したのではなく、そこにある文章のうまさに感動したのだ。うまさと言っては語弊があるかも しれないが、わかりやすさに脱帽したのである。そして、他人に自分の思考を伝えようと思うのなら、このように意味がよくわかり、濁りなく伝わる文章をかき たいものだ、と感じたのである。文章の目的は、ひとに正確に伝達することである。その意味で、気取った文章や、もってまわった文章や、説明不足の文章はよ くないんだ、と私は思った。


清水の作風が谷崎「文章読本」から多くを得ているというのは、思いがけなかった。「意味がよくわかり、濁りなく伝わる文章」「正確に伝達する」「気取った文章や、もってまわった文章や、説明不足の文章はよくない」これは、Morris.も信奉すべき教えである。

清水 要するに明治から今まで振り返ってきても、作文教育はあっち行ったりこっち行ったりしてよれよれであると。この国の人は、文章をどう書いたらほめられるのか、よくわかっておらんわけですよ。
斎藤 そう思います。
清水 だから、そういう本が求められる。みんなほめられたくってしょうがない。文章でほめられるということは、大変名誉なことという錯覚があるんです。本当は違うんだよね。内容でほめられたいわけでね。なのにこの国は、文章をほめられればおりこうなんですよ。
斎藤 名文家というのが、非常に地位が高い。たくさん本を読んでいる人がほめられたら、教養人が増えるのにそうじゃなくて、上手に書ける人がほめられるということで、読まずに書きたい人ばかりが増えていくというおかしな感じがありますね。


「内容より文章を褒めたがられる」傾向は、もしかしたら、Morris.にもあるかもしれない。もともと「内容は無いよう」な文章が多いけどね(^_^;)

英語を日本の第二公用語にしようという意見には反対だ。日本中で日本語が通じて、何不自由なくやっているの に、何を血迷ってそんなことを言い出したものやら、と思う。ある国が、いくつもの公用語を持っているというのは、とても大変であり、どちらかと言えばそ れは不幸なことなのだ。その国の中に違う言語がいっぱいあって話が通じないので、英語も公用語になっていたりする。もしくは、イギリスの植民地になってい た時代が長いので、英語も公用語のひとつになっているとか。
そいういう事実のない日本で、どうして英語を公用語にしなきゃいけないのか。日本はアメリカの植民地みたいなものだから、なんて言ってはいけませんぞ。断じてそんなことはないのだから。
小学生に英語を教えることばかりに熱心になり、国語の授業がおろそかになったら、元も子もなくなりますよ。

安倍政権の「英語力の強化」などは、ほとんどこの「第二公用語論」に」即したもののように思われる。10年前に書かれた反対論であるが、Morris.も諸手を握りしめて反対したい。

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【エ/ン/ジ/ン】中島京子 ★★★☆☆☆ 2009/02/28 角川書 店。70年代に行方不明になった父を探そうとするミライ。手がかりは「エンジン」「ゴリ」という綽名だけ。ミライの母が経営していた幼稚園に通っていた隆 一が捜索を手伝うことになるが、次々に出てくる意外な事実。ベトナム戦争、学生運動といった時代の波にミライの父が翻弄されていたことを感じさせるところ で終わる。

「ロシアの文豪の小説に、そんな話が出てくる。人は理想を追い求めると、実際の人間の愚かしさに堪えられなくなってくるんだろう」

トルストイ? ドストエフスキー? 調べたけどわからなかった。調べ方が悪いのかも。

「そういうことのすべてって、誰かを傷つけたり、傷つけられたりすること?」
彼はわたしの質問をしょっちゅうはぐらかし、そのかわりに別の話を語り始めるのだ。
「きみの友だちの営業マンは、<厭人ゴリ>の家で『ブロードウェイのダニー・ローズ』を見たんだったよね?」
「ダニー・ローズは芸人のマネージャーなんだろう? 抱えてるのは、アルコールに溺れてるとか、目が不自由とか、何かトラブルを抱えてる人達で、みんなろくな仕事がない」


この映画も見てみたくなった。

【FUTON】中島京子 ★★★☆☆ 2003/05/30 講談社。これが 彼女の出世作らしい。田山花袋の「蒲団」を研究するアメリカ人デイブの「蒲団の打ち直し」というパロディじみた小説を挟み込んで、日本娘エミとの付き合 い、東京下町のエミの父や祖父との絡み合いなどを通して、日本文学のおかしさを軽妙に浮き上がらせてくれる。Morris.も「蒲団」は読んでないが、本 作を読んで、もう読む必要がないと思ってしまった(^_^;)

後楽園まではそう遠くはないのだった。いつ訪れても東京の街の、スペースの使い方には驚かされる。道路との 接点ぎりぎりまで使って建てようとするものだから、この街の建物はおしなべて独特の歪みを持たされている。小さなブロックに詰め込むように建てられた家々 が、それぞれちゃんと玄関を所有するために、個々の道はいやが上にも細くなり、くねる。そんな路地裏に迷いこむのが、デイブは昔から好きだった。

こういった下町の描写も、ちょっと日本人離れしている。海外生活の経験がモノを言うのだろう

「『蒲団』という小説は、明治四十年に発表されてから今日に至るまで、一度も、モデル問題と切り離して論じられることのなかった、不幸な小説であると私は考えております。
この小説は、世に生まれ出てからおよそ百年の間ずっと、作家の身辺を包み隠さず書いた小説であるか否か、という一点においてばかり評価されてきました。平野謙による、日本文学史上燦然と輝く「日本自然主義文学の祖」という指摘も、すべてこの流れに沿ったものであります。
(中村光夫の『風俗小説論』で)中村は、『蒲団』を、この主人公が滑稽であり、作者がその滑稽さを認識していない稚拙な小説であると指摘した上で、暴露趣味的な日本の自然主義小説、私小説への流れを作った作品と位置づけています。
『蒲団』というテクストに遭遇する読者が持つ「滑稽」という感覚、この無様な主人公を笑いたくなり、自分はここまでみっともなくはないよといい放ちたくな る感覚は、そのテクストが「読者の視点」を許容する懐の深さを持たない限り、起こらない現象なのです。むしろ、読者が主人公の心的世界に入り込んで行くこ となど潔く撥ね付けて、読者をその世界で完全に自由にする力を持っている、それこそがこの小説が他の明治文学と決定的に違うことを評価されるべき点であ り、花袋が若き日に耽読した近世文学の江戸
諧謔の伝統と、ドン・キホーテを祖に持つ小説を融合させて日本に近代文学をもたらした小説として、新しく日本文 学史上に銘記される作品であることを決定的にするものなのであります」


これはもちろんデイブの口を借りて、作者の意見の披瀝だろうが、こちらは彼女が文芸関係出版社の編集畑出身ということにも関係あるのだろう。意表をついて面白く、かつ、納得させられる意見である。

「僕は芸術家じゃないけど、信じてることがある。すべての芸術作品は、それ自体が意思を持っている。アー ティストが題材を選ぶんじゃなくて、作品が意思を持ってそれを形にするアーティストを選ぶんです。同じ時代に似たような作品が出ることがあるのは、時代の 意思を複数のアーティストが読み取るからでしょう。時代や街や歴史、自然や災害。物言わぬ意思が、それを言葉や絵や音楽や建築物やそんな、目に見える形に 表現してくれる人間を探すんです。あなたはトウキョウに選ばれた」

これとほとんど同じような意見をどこかで読んだ覚えがある。「選ばれし者の恍惚と不安」、といえば太宰治(ネタ元はヴェルレーヌ)だけど、これは一種の芸術至上主義なのかもしれない。

【イトウの恋】中島京子 ★★★☆☆2005/03 /05 講談社。明治初期に日本を訪れた英国人女性イザベラ・L ・バード「日本奥地紀行」をタネ本にしたフィクション。通訳として雇われた伊藤鶴吉の手記を祖父の遺品の中から発見した中学教師が、その謎(終結部の不 在)追求するなかで、伊藤の孫娘と思われる漫画原作者と関わりを持つ。伊藤のイザベラへの仄かな愛と劣等感を、「奥地紀行」に沿って細密に描写しながら、 おもいがけない「真実」に筆を運ぶ、その手際には感服のほかなかった。「小さいおうち」「FUTON」など、過去の作品をネタに新たなものがたりを 創作 するというのもこの作家の得意技のようだ。

【ハブテトルハブテトラン】中島京子 ★★★☆☆ 2008/12/22 ポプラ社。「asta*」(ポプラ社PR誌)2007-08年連載。
広島県松永市(今は福山市)を舞台にした良質の少年小説。いやあこの人は素晴らしい\(^o^)/ 児童小説としては前に読んだ「エルニーニョ」もそんな 感じだったが、ファンタジックな色合いが濃かった。本作はもっと現実的で、それでいて、ロマンがある。この人にはどんどんこんなタイプの作品を書いて欲し い。これまでになかったタイプの児童文学作家としても期待できそうだ。
「ハブテトル」とは備後弁で「すねる、ふてくされる」の意味。

【花桃実桃】中島京子 ★★★☆ 2012/02/25 中央公論社。古いアパートを相続した女性が、自分も大家として居住しながら、アパートのユニークな住人たちとのさまざまな事件?を通して、新しい生活観を持つようになる。

「うちのアパート、花桃館ていうんだけど、桃にもいろいろあってねえ。花桃はきれいだけど実がつかないの ね。つかないわけじゃないけど、小さくて、美味しくないの。美味しい桃が成るのは別の花なの。人間もおんなじで、いろんな人がいて、実が小さい人もいる じゃない? でもねえ。どっちがどうって話じゃないと思うのよ。花や実だけじゃなくてね、ジャガイモみたいに、重要なのは地下茎って人も、きっと人間の中 にもいるわよ」
「花も実も地下茎もってわけいにはいかないとしたら、自分たちにとって大事なものが花か実か地下茎か、それともそれ以外の何かなのか、見極めて」


これがタイトルの説明だが、ちょっと造り過ぎのきらいもあるなあ。

「花村さんが毎日楽しそうなのは、大家さんの仕事が気に入ってるからだってことは、店で話を聞いてもわかるからね。東京に残りたい気持ちもわかったんだ」
「よくわかったね、そんなこと。私だって最近気がついたのに」
「うん。バーテンダーは本来、人生最後の相談人だからね」
「人生最後の相談人?」
「バーテンダーの名前の由来は、バーのテンダーなんだ。テンダーは優しいって意味でね、人の涙を自分の涙と感じる能力から来る言葉だそうだ。自殺を考える人が人生最後に立ち寄るのがバーで、そういう人に旨い酒を出すのがバーテンダー」
「うまくすれば自殺を思いとどまる人もいるってこと?」
「本来はね」
「知らなかった」
「まあ、あんまりぺらぺらしゃべることでもないから」
そう言うと尾木くんは冷凍庫から白い霜のついたジンの瓶を取り出した。


こういった小洒落た薀蓄も、そういえば、この作者の得意技のひとつだった。

【平成大家族】中島京子 ★★★☆☆ 2008/02/10 集英社。これは もう、文句なく楽しめる「ホームドラマ」である。いろんな事情で、四世代が同居する緋田家、痴呆症あり、引きこもりあり、子供には子供の悩みありで、大変 なのだが、それを作者一流のエスプリで味付けして読者を存分に楽しませてくれる。

「戦後の日本人が敷設してきたレールが、ここ十年ほどで一気にがたがたになってしまった。お子さんたちはみ な、明日の定かではない日々を生きざるを得なくなりました。そのくせレールにしがみついた者が勝ちで、外れた者が負けだと、負けるのは負ける者の責任だ と、身も蓋もない論理がまかり通る。ふざけた話ではありませんか。奥さんまでもがそんなものの犠牲になって、自分の生き方や子育てを責める必要はないので す。理念なき資本主義を垂れ流すように推奨し、ケインズも知らない若造が国会議員だという。どう考えても間違っていますよ。奥さんの悩みはひとりで抱え込 むべきことではないのです。日本人すべてが分かち合うべき課題です」
ケインズ……? 口ごもりつつ仰ぎ見ると白髪紳士は、目を閉じてうんむとうなずいてみせた。こういう立派なことは、大学で教えてらした方じゃないとなかなか言えることではないわ、と、春子はすっかり敬服の念に打たれた。


こういった調子で、世の中のことをざっくり分からせてくれる? ような気にさせてくれる。

「我が家のすったもんだがお笑い喜劇というのは、なんだか納得できませんわ」
横から春子が口を挟んだ。
「いやいや、喜劇はお笑いでくだらないもの、悲劇は深刻で重々しいもの、と考えるのがそもそも間違っていますよ、奥さん。物語が結婚で終わったからといっ て、その先がめでたしめでたしであると信じている人は今日、どこの世界に行ってもいないでしょう。人の死は悼むべきものですが、個人にとっては安らぎをも たらすこともあります。結局のところ、人生を喜劇と見るか悲劇と見るかは、エンディングをどう語るかの差でしかないということです」
煙に巻くような言葉を残して、川島先生は帰っていき、あの男も口から生まれたようだね、と揶揄して龍太郎は友人を見送った。


漱石の「猫」に通じる、融通無碍なところがこの作品にはある。

【女中譚】中島京子
 ★★★☆
2009/08/30 朝日新聞出版。初出「小説トリッパー」2007-08。「小さいおうち」の姉妹編みたいなものらしい。それなりに面白かった。

【均ちゃんの失踪】中島京子 ★★★ 2006/11/10 講談社。初出「小説現代」2005-06。掴みどころのない均ちゃんが行方不明になり、元妻、恋人、愛人の3人がなぜか寄り合って、ああだこうだと、言い合う。不思議な味わいの小説だった。

何が腹立つといって、東京生まれ東京育ちの薫には、関西弁が気に入らないのだっった。関西弁はすべてを、演 歌の世界にしてしまう。自分と均ちゃんは、いきのいいティーンの読むポップな雑誌を通じて知り合ったのだし、いまは二十一世紀なのだし連れそう、だの、ヨ メ、だの、やわやわやわやわした言語そのものが、均ちゃんをとてつもなく古臭い男に見せてしまうではないか。しかし、この元妻にとって、均ちゃんとは、平 気で演歌ワールドを生きられるような男なのか。

【東京観光】中島京子★★☆☆ 2011/08/10 集英社。

【さようなら、コタツ】中島京子 ★★☆☆ 2005/05/19 マガジンハウス

【桐畑家の縁談】中島京子
 ★★☆☆
 2007/03/22 マガジンハウス

【TOUR1989】中島京子 ★★☆☆ 2006/05/30 集英社。「迷子つきツアー」「リフレッシュ休暇」「テディ・リーを探して」「吉田超人」

【眺望絶佳】中島京子
 ★★☆☆
 2012/01/31 角川書店。初出「デジタル野性時代」2011。


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【朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯】高崎宗司 ★★★☆☆ 2002/08/01 草風館。
1982年に発行されたものを98年に増補版、2002年にこの増補三版が出されている。著者は浅川巧の研究家というより顕彰者というべきかもしれない。
先に読んだ岩波文庫の「朝鮮民芸論集」も高崎編だった。それでも、先に浅川巧本人の文章のいくらかを読んで置いてよかった。

朝鮮総督府は、山林保護の名のもとに、朝鮮民衆の山林利用を厳しく制限した。朝鮮人は、生活に必要な材木をこれまで自由に無主空山で得ていたが、それらが国有地とされてからは、立ち入れば逮捕されるようになったのである。
巧は、幼苗が仕事であったから、植物の種を採集するために、朝鮮各地を旅行した。彼はいやおうなく朝鮮民衆の暮らしぶりを見聞きした。そして、ときには朝鮮総督府や日本人に対する怨嗟の声を聞いた。


1922~23年の浅川巧の日記を兄浅川伯教から譲られ愛蔵していたソウルの金成鎮が、96年「浅川巧全集」刊行を期に日記を高根町に寄贈することとなっ た。その時の覚書に「過酷な日本帝国主義の植民政策の下、しいたげられた被圧迫民族に対して、温情を注ぐことさえも日本の官憲ににらまれる事であった時代 に、韓国人を心から愛して下さった巧先生は、泥池に咲き出た一輪の白蓮と申すべきである。」と書かれている。
本書には、その日記からの引用がいくらかあって、これが一番興味深かった。

山上から眺めると景福宮内の新築庁舎(朝鮮総督府庁舎)など実に馬鹿らしくて腹が立つ。白岳や勤政殿や慶会 楼や光化門の間に無理強情に割り込んで座り混んでゐる処はいかにもづうづうしい。然もそれ等の建物の調和を破つていかにも意地悪く見える。白岳の山のある 間永久に日本人の恥をさらしてゐる様にも見える。朝鮮神社も永久に日鮮両民族の融和を計る根本の力を有してゐないばかりか、これから又問題の的にもなるこ とであらう。

Morris.には「韓国中央博物館」として馴染みの深い、あの西洋建築への罵倒である(^_^;) しかし1922年(大正11)頃に、こんなこと書け るのも日記ならではだろうな。この日記から80年後に、結果としてあの建物は[永久に日本人の恥をさら」すことは無くなったけどね。

朝鮮の工芸品にも改良の余地は沢山あると思ふ。然し朝鮮在来の手法を廃めて直ちに日本式の手法を採用することは改良ではなく破壊である。木工でも焼物でも日本式のものとの味をよく考へて見るがいゝ。霄壌の差である。

「霄壌(しょうじょう)の差」というのは「天と地の差」らしい。考えてみれば、日本の焼物も元をたどれば、秀吉の軍によって日本に拉致された朝鮮陶工が中 心になって発展させたものであるし、日本の木工品にも見るべきところはあるわけで、「天と地の差」というのは、ちょっと贔屓の引き倒しではないかいと思 う。それくらい朝鮮に肩入れしてたということか。

日本は大東京を誇り軍備を花(鼻?)にかけ万世一系を自慢することは少し謹しむべきだと思ふ。
「君が金鵄勲章を貰つて凱旋する時、僕は非戦論者の故を以て監獄に居るであらう。これだけは僕の本音だ。


浅川巧の非戦論とか、博愛の精神は、キリスト教の影響も大きいだろうが、大正時代精神の発露のような気もする。

美術館の計画が具体的になつてから満一年だが、その間にぼつぼつ持ち込んだものが実に二十「チゲ」と荷車一 台あつた。僕の部屋も荷を出したらすきすきして淋しくなつた。僕の四五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋 しさを自ら慰めるあめには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かつて身近に置く様にした。

高崎も書いているが、自分の蒐集物のほとんど全てを美術館(柳宗悦、兄伯教らと協力して設立した「朝鮮民族美術館」)に提供した上で、お気に入りのいくつかだけを「預か」るという姿勢には、言葉を無くす。

道へ出ると美しく着飾つた子供達が嬉々として往来してゐる。朝鮮人の子供の美しさは又格別だ。何となく神秘 の美しさがある。今日は何となく朝鮮の天下の様の気がする。この美しい天使の様の人達の幸福を自分達の行為が何処かで何時か妨げてゐたら神様どうか赦して 下さい。俺の心には朝鮮民族が明瞭に示された。彼等は恵まれてゐる民族であることも感じられた。

こういった文章を読むと、どんどん、浅川巧を好きにならずにはいられなくなる。
巧の勤務した林業研究院方面にも一度足を運びたいという気持ちが強まってたのだが、本書に掲載された略地図を見たら、巧が住んでた旧官舎は清涼里の北方、 洪陵と世宗大王記念館のすぐ裏側に位置している。今年の韓国旅行中にMorris.は世宗大王記念館を訪れ、その後慶熙大学に廻ったのだが、その途中見か けた「科学研究院」というのが、どうも「林業研究院」だったらしい(@_@)

途中、中央に池を配した円形公園があった。科学研究院の付属施設らしいが守衛のアジョシに頼んでしばらくここで休憩兼ねてミニギター。守衛アジョシと、掃除のアジュマが喜んでくれた。(2013/05/15Morris.日乘)

ひょっとしたらMorris.は、浅川巧ゆかりの場所で韓国歌謡歌ったのかもしれない(^_^;)

著者の巧まざる筆が、浅川巧を遠まきにして、「浅川巧さんという人は朝鮮人から神様のように慕われていたよ うですね」とか、浅川巧は「朝鮮人以上に朝鮮の心が分かっていた」とか、気楽に賛美している日本人たち(その中にはある意味で柳もふくまれる)のある種の いやらしさを浮かびあがらせていることを、指摘せざるをえない。これらの言辞は、期せずして朝鮮人をおとしめていることによって、浅川巧の本意にも反して いるのである。苦渋の末に創造された浅川巧の魅力的な生き方にぶらさがって、安直に免罪符や日本人としての「救い」を手に入れるわけにはいかないのであ る。この意味で、いっそう思いを致すべきは、浅川巧がそこに至るまでの苦悩のプロセスであろう。(梶村秀樹 朝日ジャーナル 1982年9月10日号)

本書の初版発行時の、書評の一部である。こういった、やや批判的な文章を増補版に引用するあたりにも、高崎の公明正大さが表れている。もちろんいちおう反論も掲載している。

そのとおりである。しかし大事なことは、巧を日本帝国主義の手先であったとして切り捨てることではない。な ぜなら、あの時代の朝鮮支配について、日本政府の共犯者であるという責任から免れられる日本人は、ただの一人として存在しえなかったからである。そして、 その矛盾の中にキラリと光るものの正体を見極めることこそが大切なことだからである。

Morris.のようなにわか浅川巧ファンも、これらの批判や分析は常に心に留めおきながら浅川巧の足跡を辿って行きたい。


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【別海から来た女】佐野眞一 ★★★☆ 2012/05/25 講談社
「木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判」」という副題がある。裁判前のルポと、裁判の傍聴記の二部に分かれている。

第一部は、木嶋の故郷の別海町の関係者を訪ね回ってロードムービー風に書いた。
第二部の傍聴記は、徹底的に散文精神にこだわって、裁判で明らかになった事実だけを冷静に伝えるようにした。


読後感でいうと、あまり「冷静」ではいられなかった佐野の姿が垣間見られて、興味深かった。
こういった、殺人事件のルポなどはめったに読もうと思わないのだが、佐野眞一の名前につられてしまった。例の「橋下 ハシシタ」ルポ問題で、その後の彼の動向が気になってたこともあるしね。

木嶋佳苗事件は、ネット犯罪の典型と言われる。たしかにこの事件は、デジタルセカイの到来と密接にからんでいる。
デジタル世界とはひと言で言ってしまえば、」すべての価値を等価にするフラットな社会のことである。いささか文学的な表現をするなら、これまで世界をよくも悪くも階層化し、秩序づけてきた「等高線」を消失させた社会だと言える。
木嶋佳苗と交際することになったのは、地縁、血縁といったアナログ世界から外れ、佳苗が紡ぎだしたデジタル圏内に引き寄せられた男たちばかりである。
木嶋佳苗事件について世間があれほど沸騰したのはなぜか。
これまでのアナログ世界にとってかわるデジタル社会の急速な到来が、というよりデジタル化の恐ろしいほどの蔓延が、人びとに強い不安感をもたらし、その集団的無意識が、木嶋佳苗に対するバッシング報道となって昇華したのではないか。私にはそう思えてならない。


木嶋はまるで“仕事”のようにメールやブログを書いている。だが、いざ、婚活サイトで知り合った相手と対面すると、ほとんど会話らしい会話をしていない。
技術の急速な進歩によって恩恵を受けていた者が、手痛いしっぺ返しを食らうのは、何も原発事故ばかりではない。情報伝達技術の進歩も時として、こうした犯罪を生む。
インターネットが木嶋佳苗のような犯罪者を生んだなどと短絡的なことは言わない。だが、私たちは、万人を発信者に変えたインターネット社会の到来をもう少し懐疑の目で見た方がいい。


考えてみればMorris.も“仕事”のようにメールやブログを書いていると、言えなくもなさそうだ(>_<)
インターネットへの際限の無い依存の危険性は、常に危険意識を忘れずにいなくては。いや、すでにして、手遅れなのかも。

首都圏連続不審死事件はもっぱら木嶋佳苗という超弩級の女犯罪者の事件として扱われている。だが私はむし ろ、木嶋に殺され、金をだまし取られ、冒瀆され、手玉に取られた情けない男たちの群像劇としてこの事件を描きたかった。それはこの事件を悲劇でなく、喜劇 として描くということと同じである。悲劇より喜劇の方がずっと真実に近く、お涙頂戴の悲劇より格段に恐ろしい。

ここらあたりの「佐野眞一節」は健在だね。ちょっと安心。である。


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【紙上のモダニズム】構成・文 川畑直道 ★★★☆☆ 2003/12/25 六曜社。
「1920-30年代 日本のグラフィックデザイン」と副題にある。その20年間に日本で制作されたポスター、装幀、カットなどをオールカラーで紹介した
A5版のビジュアル本である。
目次と、注目される作家、作品を引いておく。

下村秀次郎作1.プロローグ 1900-10年代の印刷図案--橋口五葉・竹久夢二・杉浦非水
2,美人画から商業美術へ 近代デザイン運動の黎明--ポスター(酒ビール・資生堂・スモカ・演劇)
3.視覚の革命 前衛美術・プロレタリア運動--映画ポスター、「戦旗」「ナップ」表紙
4.乱立する個性 モダンデザインの諸相--広告マッチラベル、多田北烏・河野鷹思・水島良成・奥山儀八郎・原弘・恩地孝四郎・
5.伝統と近代の融合 対外宣伝に見る"日本的なるもの"--「TRAVEL in Japan」(原弘)・「NIPPON」(山名文夫)

付録:日本グラフィック・デザイン年表 1920-30年代


付録の年表は50P超える詳細なものである。本書の資料はすべて特殊製紙株式会社所蔵のコレクションで、その中核をなすのが当事者でもあった原弘のコレクションということらしい。
杉浦非水、山名文夫などはおなじみだったが、2.に掲載されてた下村秀治郎のポスター用の創作図案が特に印象に残った。


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【道・白磁の人】小澤龍一 ★★★☆☆ 2012/06/15 合同出版。
著者は「白磁の人」映画製作委員会事務局長となっている。浅川兄弟の故郷山梨県北杜市の教育者で、兄弟の後輩に当たるらしい。
本書前半は兄弟の生涯のアウトライン、後半は映画製作の経緯ということで、ありがちな、映画製作の宣伝めいた代物かと思ったのだが、誠実な人柄の著者が、製作に向けての努力と、度重なる障害を乗り越えて完成にこぎつけるまでの感動的な記録だった。著者の歴史認識、社会運動意識等々には、教えられるところ多かった。

当時(日露戦争に勝利した1905年)の欧米列強の視点で振り返れば、日露戦争でロシアを支持したのは仏独であり、日本を支持したのが英米であった。日露戦争といっても戦地のほとんどが半島とその領海で行われ、日本は欧米列強の植民地支配の代理戦争を演じていたとも言える。そのいずれもが朝鮮の地を狙っており、迷惑なのは戦火に逃げまどい、他民族に支配される朝鮮民衆である。

日露戦争が、代理戦争というのは前にも聴いた覚えがある。その戦場の大部分が朝鮮半島とその領海という視点が抜け落ちていた。

朝鮮では、古くから山林は「無主公山」とされ、誰もが自由にオンドルで燃やす薪を山から切り出していた。また、山に火を放ち、焼畑農業を行うことが常態化していた。「火田民」と呼ばれる農民たちは、田畑を切り開くために次々と山に火を放っていた。当時はまあ「治山治水」「植林行政」という概念が発達していなかったのだ。
1911年に公布された、朝鮮総督府による土地調査事業だった。朝鮮臣民の自主申告によって土地所有権を明確化することが大義名分として掲げられたが、住民には複雑な申告手続きはハードルが高く、結果として、多くの山林や農地が「所有者なし」とされ、ほとんどの無主公山が「国有化」された。近代的土地所有観念が浸透していない朝鮮で、一方的にしかも日本語で布告するという暴政だった。朝鮮総督府が国有地として没収した土地は、朝鮮全土の40%を占めたという。
取り上げた山林・農地は、売りに出され、日本の資本家によって買い占められた。山林の立木は伐採され、各地に日本人経営の製材所が乱立して、その材木は日本に運び出された.。
土地を失った膨大な数の民衆が都会に出て、流浪の民となり、満州や沿海州を北上し、北樺太にまで移り住んだ。また一部の人たちが日本に渡る。在日朝鮮人の第一世代の源流である。


土地調査事業という名称とは裏腹に、「日帝」による土地分捕り作戦だったわけだ。これが在日朝鮮人の第一世代となったという事実は忘れてはなるまい。

「何かのためにしやうと思って結束した集団は個性をはづかしめる」(1922/08/27の浅川巧の日記)

浅川巧が信仰していたキリスト教機関への疑念である。これは宗教とは関係なしに同様なことになりがちであろう。

「無政府主義」はアナーキズムとも呼ばれ、国家権力などいっさいの権威を否定し、個人の自由な合意のみを基板とする社会をめざすものだ。マルクス主義のような階級史観や組織論は希薄で、ユートピアを求める文人好みの思想といえる。

アナーキズムが文人好み(^_^;) という視点には、ちょっと共感してしまった。

直木賞作家の井出孫六氏は、「国を越えた日本人」で浅川巧を取り上げている。

この本も神戸市図書館には無いようだ。

アメリカの市場原理を安易に取り入れた日本政府は、暴走する金融経済にブレーキを用意するどころか切り捨てた。その波が、この映画製作にも押し寄せていたとは……そこまで洞察する力がなければ、市民と地方行政が手を組む映画、その実現さえ困難なのだろうか?
「市場原理は経済の万能薬」「聖域なき構造改革」、そんな言葉が叫ばれていたのは記憶に新しい。あの時代、郵政民有化法案が、まるで特急列車が通過するようなスピードで国会を通過した。その事態に反対の狼煙も上がらないほど、国民の危機感はマヒしていたのだ。
それ以来、日本は金融政策だけでなく、福祉・教育・文化の領域にまで、アメリカが主導する市場原理主義を安易に導入してきた。教育や文化に「費用対効果」を組み込むのは、人心を荒ませるだけである。人心が荒めば無縁社会が無限化する。


「白磁の人」の映画化に、小泉政権の「新自由主義」もどき政策が影を落としてたとのこと。単にコマーシャル、町おこしみたいな気分でこの映画を作ろうとしたわけではなかったことの表明でもある。

浅川巧が黄泉に旅立つ最期のひと言が、「私には責任がある」であった。
この責任とは、人間として生まれてきた責任である。民衆を超え、性別を超え、目の前にある差別を! 目の前にある暴力を! 目の前にある破壊を! 憎しみあう人間のおぞましさを! 人間として、どの地においても正さねばならない責任であり、憎しみの連鎖を断ち切る責任である。国境という人為的断絶を生み出した人類の仕業を贖罪し、他民族が他民族を侵した過ちを反省し、歴史を真摯に見直すことこそが浅川巧が自覚した「責任」である。
さらに浅川巧にとっては、朝鮮民衆の生活用具に込められた民衆の情味を記録し、保存する責任があった。


筆者自身に、文人的アナーキズム好みが垣間見られる。

思い返せば、浅川伯教・巧の人生は、大洪水や関東大震災と重なり、その災害からの復興が彼等を鍛え、さらなる実践行動へと駆り立てていった。
浅川兄弟は韓半島のポジションから世界を広く眺め、朝鮮民衆が生み出した「用の美」をもって植民地支配と対峙し、国家間の争いには勝利者はないことを理論と実践で示した。武器による一時的な勝利は、自らを滅ぼす道程に過ぎない本質を改めて理解しなければならない。


浅川兄弟に自己の理想主義を仮託したような文章である。しかし、理想主義は得てしてユートピア思想になってしまいがちである。

小説「白磁の人」映画化実現への道のりは、私に貴重な学びの場を用意してくれた。人生の集大成にあたり貴重な体験を用意してくれたjことに感謝している。

この映画も機会があればみてみたい。
今年5月の韓国旅行では忘憂里の浅川巧の墓にお詣りに行ったことを思い出す。

115

【白磁の人】江宮隆之 ★★★ 1994/05/20 河出書房新社。浅川巧を主人公にした伝記的フィクションである。それまで日本での知名度は低かった浅川兄弟を知らしめるに貢献したらしい。
あまりにも、綺麗事で作られた物語という感想を否みえない。

あとがきに、朝鮮と日本陶磁器の関わりをまとめた文章があったので、適宜省略して引いておく

1.古墳時代から平安時代の須恵器が、日本化して瀬戸、常滑、備前など地方に展開して中世窯業の元となる。轆轤、登り窯。
2.中世、室町期の茶の湯の流行。李朝の雑器を珍重。井戸、粉引、三島。
3.豊臣秀吉の朝鮮侵攻で、半島から陶工を大量に連れ帰り、結果的に半島の陶磁器を衰退させ、日本の焼き物業振興。
4.李朝白磁の美への再認識。浅川伯教、巧兄弟、柳宗悦。民芸運動。


(浅川巧の)生き方は地味で本当は小説の素材にはなりにくいのではないか、と危惧したこともあったが、巧があの時代に朝鮮で生きたことを描くだけで意味があるのではないか、思いつつ書いた。(あとがき)

114

【昭和の女優】伊良湖序 ★★★ 2012/03/29 PHP研究所。「今も愛され続ける美神たち」という副題で、昭和の女優9人(原節子、田中絹代、京マチ子、淡島千景、岸恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、倍賞千恵子、岩下志麻)を採り上げ、末尾に香川京子のインタビューが掲載されている。
著者は1949鳥取県生れ、神戸新聞学芸部でコラムを担当。神戸震災後「神戸100年映画祭」のプロデューサー。
矢谷くんがこの本もってたので、ちょこっと拾い読み(浅丘ルリ子)したら面白そうだったので、読むことにした。矢谷くんは著者と個人的に親交があるらしい。
本書とは直接関係ないがと、昭和が64年だったことを改めて確認し、Morris.がちょうど「昭和」と同じ時間を生きてしまったことに気付いた。
新聞記者時代に直接取材したり、目にしたりした女優も多く、評価も客観的で、Morris.にも納得できるものが多かったが、ちょっと上品というか、気配 りが多すぎる気もしたし、各論のおしまいの総括的取りまとめ方が、ワンパターンで、これは記者時代のコラムの癖なのだろう。
結果、最初に読んだ浅丘ルリ子の部分が一番面白かったということになる。デビュー時オーディションでの中原淳一とのエピソードに触れてなかったのがちょっと物足りなかった。


113

【物の怪】鳥飼否宇 ★★★ 2011/09/06 講談社。「眼の池」「天の狗」「洞(うつお)の鬼」3篇収録

「桃太郎の家来って、猿と犬と雉のこと?」
「うん、なぜ鬼退治に行くのにそんな連中を連れて行ったのだろう。サルやイヌはまだしも、キジなんて到底戦力になりそうにないだろう? どうせならクマやネコでも連れて行ったほうがいい」
「そりゃそうだけど、おとぎ話に深い意味なんてあるの?」
「十二支を方位に当てはめた時、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)が鬼門である艮(うしとら)とは逆の方角にいる動物だったからだよ」(洞の鬼)


これが作者の私見なら、なかなかのものだと思ったのだけど、Wikipediaで見たら、江戸時代からあった説らしい。

【痙攣的】鳥飼否宇 ★★☆☆ 2005/04/25 光文社

【このどしゃぶりに日向小町は】★★★ 2010/01/25 早川書房

【本格的】鳥飼否宇 ★★★ 2003/09/18 原書房

【中空】鳥飼否宇 ★★★ 2001/05/30 角川書店

【異界】鳥飼否宇 ★★★ 2007/06/30 角川書店


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【のろのろ歩け】中島京子 ★★★☆ 2012/09/30 文藝春秋社。「北京の春の白い服」「時間の向こうの一週間」「天燈幸福」という三編が収められている。いずれも中国(北京・上海・台湾)を、若い女性が訪れるという舞台設定である。

「ザイチェンと、どう違うの?」
「ザイチェンはシー・ユー・アゲイン。マンマン・ゾウは、そうだな、テイク・ケアかな。直訳するとのろのろ歩け、だからね。のんびり行けや、くらいの感じかな」(北京の春の白い服」)


これがそのタイトルの「のろのろ歩け」中国語「慢慢走 マンマン・ゾウ」の説明である。韓国語の「천천히 チョンチョンニ」みたいなものか。

1030年代の上海は漫画天国で。
上海の漫画ではないけれど、タンタンシリーズに当時の上海を描いたものがあると、イーミンが言い出した。少年記者タンタンはベルギーの作家エルジェが生ん だ人気キャラクターで、世界中の都市や月までを舞台にしているのだが、タンタンが上海を駆け回る『青い蓮』はとくに名作と言われている。上海の風景や、作 品中に頻繁に登場する漢字の標識やポスターは、エルジェの友人だったチャン・チョンチェンという中国人が協力しているので、当時の空気を完璧に伝えてい る。たしか、そんな話だった。
「描かれたのは1934年で、その三年前の柳条湖事件が背景になっていて、日本人はもちろん悪役です」


つい、これに釣られて三宮図書館の子供部屋で探して読んでみた。このシリーズは前から知ってたが、この巻は初めてだった。結構台詞が長くて、1時間位かかってしまった。中国風景の場面はたしかにそれらしい雰囲気を醸し出してはいるが、Morris.はそれほど、好きになれなかった。

「雲南は天国のような場所ですか?」
「そうですね、たぶん、ルーザーズ・ヘブンかもしれません」
「ルーザーズ・ヘブン?」
ルー・ビンはまたメモ用紙を取り出して、こんどはこう書いてみせた。
<失敗者的天堂>
失敗者的天堂? ルーザーズ・ヘブン? 負け犬の楽園?
「悪い意味ではありません。私はルーザーです、とか、私はルーザーになりたい、とか、私のまわりではよく使う言葉です。流行語とまでは言いませんが、何年 か前に<失敗者>という流行歌がありました。台湾の歌手のワン・チェが歌いました。ワン・チェの歌はラブソングですが、私たちはルーザーを、 もっと一般的な意味で使います。いまは上海でもどこでも、みんな成功を目指さなくてはならない。とても疲れます。都会では誰もが成功者か失敗者か、どちら かになる。もうそれは疲れるから嫌です。そういうときに、私はルーザーになりたい、と言うのです。ルーザーになって、ルーザーズ・ヘブンで暮らしたい。雲 南は中国の中では、リラックスできるところだと思われています。だから、もしかしたら、ルーザーズ・ヘブンかもしれません」


ビートルズに「I'm a loser」という曲があったな。ブリューゲルの「怠け者の楽園」というのも思い出した。Morris.も、ルーザズヘブンで暮らしたい、かな?

「上海っていう動詞があるらしいんですよ」
唐突にイーミンが言った。
「1920年代に書かれた探偵小説に出てくるんです。上海するっていう動詞。英語で受身形で使うらしいんです。ビー・シャンハイド、みたいにして」
「上海される?」
「そう、上海される。そう使ってましたね、小説の中では。<上海された男>ていうタイトルなんです。書いたのは牧逸馬っていう作家で、この人 は筆名をたくさん持ってて、有名なのが<丹下左膳>の林不忘、谷譲次って名前では<めりけんじゃっぷ>というアメリカ滞在記を書 いた人です。上海する、の意味は、誘拐した人間を海洋船の船底で労役に酷使する、みたいなことで、一度上海された人間は二度と船から下りることはなく、一 生を船底で送るんだって。世界の不定期船に共通の公然の秘密だったとか。作家が書いてるんだから創作かもしれないけど、もしかしたらそのころはほんとう に、人が上海したり、上海されたりしてたのかもしれない」
「上海された男?」
「僕はときどき、自分はどっかの時点で自分を上海しちゃったんじゃないかと思うことがあるんです。船底で人生を送るっていう意味じゃなくてね、名前やなん かを失くして、帰る所もなくしてるって意味です。もうずっとこっちにいて、日本に帰る気がないんです。自分は浦東生まれの上海人であっても、べつにかまわ ない気がして」 (「時間の向こうの一週間」)


上海には何となく特別なところという感情を持っていた。神戸にいた母の家族が、戦時中に上海に移り住み、結構豊かな暮らしを楽しんでいたのが、敗戦で、朝 鮮半島から逃げ帰り、たぶん釜山から船で下関に着き、そのまま九州は佐賀県の片田舎に居着いてしまうことになったらしい。母方の祖母から、戦前の神戸(新 開地)と、上海の楽しかった思い出を聞かされて、神戸と上海には憧れに似たものを感じていたようだ。 結局上海には一度も行かずじまいだが、神戸での暮し は40年近くになってしまった。Morris.は「神戸されて」しまったのだろうか?

趙先生はガジュマルの葉を二枚取り、美雨に渡した。
「水に漬けて、その水でお祓いをしてください」
「お祓いって、失恋をですか」
「そんな深い意味はありません。一般的な意味です。悪いことがないように。人間は面白いです。大昔から同じことを繰り返して生きている。誰か一人が特別な 経験をしたと思っても、それはちっとも特別なことじゃない。誰もが経験することなのです。そんなに繰り返すのなら、なにも新しい人、新しい時間じゃなくて もいいのではないかとすら思うのに、性懲りもなく新たなものを産み、繰り返す。百年前からあるこの街並みも、そこかしこで改装工事が行われて、やがてはコ ンクリートの建物に変わっていくでしょう。これも台北だけの話ではありません。世界中の都市で行われる。大きな変化ですが、実際のところ、それでなにも変 わりはしないのです」(「天燈幸福」)


実はこの本は10月に。読んだ。中島京子作品はこの他にも結構いろいろ読んでいる。追々、紹介していこう。


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【小さいもの、大きいこと 目白雑録5】金井美恵子 ★★★☆☆ 2013/09/30 朝日新聞出版。「一冊の本」2011年6月号~2013年5月号。
金井美恵子の雑録は目につくたびに読んでたはずだが、4と5は未読だった。この5は、時期的に東日本震災直後から2年間ということで、大部分が震災絡み、 殊に原発問題が中心に置かれている。彼女ならではの視点はぶれないものの、震災そのものの衝撃の大きさから、いささか八つ当たり気味(やり場のない苛立た しさ)の気配あり。

昭和6年に病床で書かれた「雨ニモマケズ」は、詩というよりは病床の詩人の書いた日蓮信仰についての信仰告 白のようなものだろう。……4月5日の紙面には囲みで「雨ニモマケズ」の全文が大きく載っていて、改めて読めば、この宗教的禁欲がファシズムと同根の戦前 の日蓮主義的内容を、被災者に向けて朗読するというのは、気が狂っているとしか私には思えない。ジョン・ダワーのように、まるで設立された当時のフラン チェスコ修道会の規則でもあるかのようないわばファナティックな信仰告白の「雨ニモマケズ」をボランティアの若者の献身的精神に結びつけるのも、常軌を逸 していかにも非現実的だし、戦後の日本史はともかく、戦前の宗教とファシズムの歴史に無知なのだろうとしか思えないではないか。(2011年10月)

宮沢賢治にはMorris.は、どうしても付いて行けないものを感じていた。「雨ニモマケズ」は詩ではない。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の 幸福はあり得ない」などと同様に、あまりにも空想的理想主義でしかなく、これらを震災の被害者へのメッセージとして掲げる脳天気さには、疑問を覚える。

今日でも「1960年代に青春を送った者は、たとえどんなに意見が対立していてもウッドストックのことを思 い出せば心がひとつになれる」(川本三郎)といったロマンチックで心地よい言説(うそ)が平然と書かれたりもする史上最大規模と称された音楽祭であり、 「全部族のインディアン」によるアルカトラズ島占拠という事件は当時も今も日本で知る者は多くはないだろう。(2012年1月)

ここらの毒舌は健在であるな(^_^) マンハッタンの「アルカトラズ島占拠事件」というのは初耳だった。

3月11日の東日本大地震の破壊された町を見て、9・11のニューヨークのビルの瓦礫を思いおこすジャーナ リストはいても、不思議なことに‘10年のハイチの大地震で31万人以上の人たちが死に、’04年の大津波の被害をもたらしたスマトラ島沖地震では22万 人以上の死者がいたことを思い出さない者たちにとって、白人に抵抗した一介のインディアンの戦士の名が、9・11のテロの首謀者だとされるウサマ・ビンラ ディン殺害計画の暗号名として、ようするにビンラディンと同一視されていたことなどに、そう心を動かされることもないだろう。それ以前に、ジェロニモとい う名に何らかの反応を示すほどの記憶を持ってはいない年齢の者たちが現在のジャーナリズムの現場で記事を書いているということでもあるだろう。 (2012年2月)

3・11と9・11を安易に比較するのは、やはり多くの日本人の目線が好悪は別としてアメリカ偏重であることの証明だろう。

単純で読みやすい「文学的」メロドラマ文体で書かれた円地の小説を読了するため息の出るような困難さは、私にとって、村上春樹のポルノまがいの幼稚な青春小説を読む困難と疲労感に似ていたと言えるだろう。(2012年3月)

円地文子と村上春樹を並べてのこの毒舌には笑わせてもらった。Morris.はどっちもほとんど読んでないけどね。

岡井隆「わが告白—コンフェシオン」
大歌人八十三歳の時の歌である。正直なところ、この歌は、たとえば朝日歌壇の選に漏れるのではないかと不安になる。
・昼はまたソーセージかなって思ってたら人形時計が踊りはじめた

・原子力は魔女ではないが彼女とは疲れる(運命とたたかふみたいに)(2012年5月)


岡井隆といえば、塚本邦雄、寺山修司とともに前衛歌人三羽烏の一人して名をなし、Morris.も畏敬の念をもっていた歌人だったが、今や宮廷歌人(宮内省の歌会始めの選者?)になり、文学的にも精神的にも老残を晒しているとは知らずにいた。
「原子力と魔女」といえば、即座に次の歌を思い出す。

・原子炉の火ともしごろに魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは 『鵞卵亭』

『鵞卵亭』は好きな歌集でもあったのだが、この歌はMorris.のミニコミ「サンボ通信」11号(1988/11/25)に掲載したコラム「機嫌堂歌児誉美4」で採り上げられたことでよく覚えていた。機嫌堂とは小倉の学生時代同級だった福田博である。同じ原子炉と魔女を使って、同一人物が40年後にあんな腰折れの焼き直しの歌を詠むとはねえ(@_@)

‘11年4月27日、朝日新聞文芸時評の、小気味良いガサツさが「文学」にカジュアルな印象を与えて好評 だった批評(?)の書き手である斎藤美奈子は、「文学者の戦争責任が取りざたされた時期」があったのだから、「ならば、「文学者の原発責任」だって発生し よう。安全神話に加担した責任。スルーした責任」と書くのだったが、もちろん、だからといって、むろん本気で責任を追求するわけではない。そう書いてみる だけだ。

Morris.好みの美奈子さんも、金井にかかるとこの調子である(^_^;) まあ、Morris.はふたりとも好きだから…… 仲良く喧嘩してもらいたいものである。

焼け跡の商店で和気あいあいと身を寄せあうように焚火を囲んで住民やボランティアの助けあいについて語る 人々を映し出すテレビの中継画面の中で、取材に現地を訪れていた映画監督大島渚は、焚火の反映を顔に受けて、というより、怒りで顔を紅潮させて、一歩この 道の裏に入れば強姦された女性たちが何人もいるんですよ、盗みだっていくらだってありますよ、私は神戸の人たちから話をききました、なんでそういうことを 隠すんだ、と叫んでいたのだったが、そうした発言は「御法度」とばかり東京からやって来て震災にショックを受けて頭が一時的におかしくなった、性交場面が 売りのポルノ映画監督の言動とでもいったように無視されたのだった。

神戸震災時にこんなやりとりがあったとは知らずにいた。当時はMorris.も渦中の人だったから、そんな余裕はなかったけどね。

反核の壁画の作者である岡本太郎については、「人類の進歩と調和」のスローガンと関西電力による「万博に原 子の灯を」のキャッチフレーズのもとで開催された‘70年の大阪万博のシンボル的存在、巨大で幼稚な(そして図々しい自己愛の)「太陽の塔」を、万博会場 全体コンセプトを作った丹下健三への反骨的芸術家の抵抗的反論と見る無邪気きわまりない視点もあるらしいが、「太陽の塔は原発翼賛・推進のモニュメントな のである」大阪万博以降は、政府・電力会社・学会による、原子力の平和利用がいかに正しいかのプロパガンダの歴史だった。」(すが秀実)

この「すが(糸篇に圭)秀実」に金井はかなり共感をおぼえているようだ。何度も紹介されてる「反原発の思想史」は読まねば。

福島在住の詩人和合亮一の震災直後からツイッターで発表されつづけた詩について、川上未映子は「たとえば相 田みつを的」なのだという。むろん、普通の言語的センスを持った読者にとって、「相田みつを的なことば」は、文句なしに最低レベルの「ジャンクワード」と 言うべきものである。(2012年12月)

相田みつを的なことば=最低レベルのジャンクワード\(^o^)/ぎゃはははは(^_^)(^_^;) 

「9・11は日本からは遠く、2003年3月20日のイラク開戦はもっと遠かった。だが2011年3月11 日は日本で起こった。3・11は我々の日付になった。何かが完全に終わり、まったく違う日々が始まる。正直に言えば、ぼくは今の事態に対して言うべき言葉 を持たない。……自分の中にいろいろな言葉がきょらいするけれど、その大半は敢えて発語するに及ばないものだ。それは最初の段階でわかった。ぼくは「なじ らない」と「あおらない」を当面の方針とした。……今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってき た。反原発と行っても自家発電だけで暮らすことを実行した者はいなかった」(池澤夏樹‘11/04/05「終わりと始まり」)
「なじらない」と「あおらない」という二つの言葉は、あえて漢字で表記されずに使用されることで、和語の持つ柔らか(そう)な響きを帯びて、4月5日の紙面にある種の穏やかで強靭な抒情性による知的な力を保証しているようにも見える。

終わりと始まり (抄) ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野充義訳

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

(池澤は)「十年がかりの復興の日々が始まる」に続けて前記の詩を引用し、「そういう春だ」という短く簡潔で印象的な一行で連載コラムをしめくくる。シンボルスカの詩のつづきのように――。(2013年2月)

金井としては、最大限の褒め言葉だね。

2011年が岡本太郎の生誕百年だったことと原発の「バクハツ」が結びついてしまったことを一回目に書いて 二年がたち、安部首相は憲法改正と原発を外国に売る商売にやっきとなっていて、24回目の連載を終えていた6月6日の「天声人語」には、成長戦略第3弾ス ピーチの中で、首相が岡本太郎のテレビCMでのコピー「芸術は爆発だ!」を引用したという記述が載っていたのでした。
スティーヴン・キング原作の「ランゴリアーズ」というTVドラマ。尊大で支配的な権力者である父と祖父から子供のころおどしとしてきかされていた貪欲な怪 物。安部首相の「ランゴリアーズ」は、祖父と大伯父の時代から追従してきたアメリカの意向との矛盾をそのまま受けつぎながらの日本主義なのですから、「改 憲」ということになります。


本書の始まりが赤瀬川原平の「原発はバクハツだ」という、シニカルなパロディだったことを思い合わすと、安倍発言が、いかにも浅墓なパロディもどきに見えてしまう。言うまでもなく、安倍の祖父は岸信介、大伯父は佐藤栄作である。

「毛を謹(つつし)んで貌(かたち)を失う」という言葉があります。解説には「絵を描くときに、一本一本の 毛をていねいに描きすぎて、かえって全体の形が似ていないものになる意」とあり、この成語の意味は「小さなもの(末)にかかわって、大きなもの(根本)を 忘れるたとえ。」とあるのでした。このたまたま発見した言葉は、まさしく私の文章の本質を衝く言葉ではないかと思えたのでした。(あとがきにかえて)

「どんどんカタチを失って下さいまし」と、謹んで金井美恵子さんにお願いしたい。


110

【遠きにありて作るもの】細川周平 ★★★☆☆ 2008/07/23 みすず書房。ブラジル移民百周年に合わせて発行されたものではあるが、キワものではなく、多くの資料にあたり、考証、分析した労作である。これも同じ著者の「レコードの美学」といっしょに、朴燦鎬さんに紹介してもらったものである。
500p近い大作で「思い」「ことば」「芸能」の三部に分かたれているが、Morris.は、一部の「郷愁論」ともいえる論考に心打たれた。
在日ブラジル人のおびただしい短詩(俳句、川柳、短歌)を材料として、論を進めている。著者には申し訳ないが、Morris.は、本書は一部だけで独立させた方がインパクトも強く、一般にも読まれたのではないかと思う。

定説にしたがえば、海外在留民から日系人へ、出稼ぎから永住へという自己認識、人生設計の大変更には祖国の 敗戦を認識する必要があった。民族集団内のテロリズム、その結果としての排日運動という心の傷を克服して、敗戦はしぶしぶ共通の了解となった。「ブラジル に骨を埋める」ことが、日本のためにもブラジルのためにも、家族や子孫のためにも望ましいという設計図が受け入れられた。1954年のサンパウロ市創立4 百周年記念祭と1958年の移民50周年記念式典が、ブラジル国民の正式なメンバーであるという自覚を日本人に植えつけた。同じ時期には永住決意の戦後移 民が多く到着し、戦前移民の意識に感化した。

戦前の移民が戦争で、日本に見捨てられ、永住の決意を余儀なくされたというくだりである。

1958年、移民50周年に出版された『コロニア五十年の歩み』の「序に代えて」より
戦前、役人は好んで「在留民」という語を用い、この国に居着いた移民自らも「在留民」だと称した。官尊民卑の風潮に加えて、移民もまだ本当にブラジルに定 着する覚悟ができていなかったからであろう。。「在留日本人」、「在留同胞」という言葉も、語感こそ在留民とは幾らか違いこそすれ、これと似たような意味 で用いられてきたことは勿論である。……戦時中、戦争直後の約十年間ほどブラジルの日系人が、自分たちのおかれている立場を痛切に意識したことはあるま い。「在留民」の中核的存在だと誇示していた公使員や大商社の幹部は、そそくさと母国に引揚げてしまった。戦争直前までは「在留民」の血の純血を唱え、民 族精神の昂揚を強要していながら、一たん戦争となると、彼らは同胞を「敵国」におきざりにして引揚げたのである。


実にひでえ話である。

・棄民史が移民史となる戦後版
「在留民」ではなくなった。敗戦をしぶしぶ認め、帰国の不可能性を納得し、永住せざるを得ない状況を受け入れた。そこまでは納得してもなお、日本でうまれたからには「日本人」以外に生まれ変わるはずがなかった。
勝ち負けの心情的なしこりは長く残ったし、敗戦の認識がそのまま同化の承認に結びついたわけではない。敗戦祖国と永住について納得のゆく解答を得るまでにはそれぞれ、紆余曲折を経験した。


故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力 をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。(12世紀のスコラ哲学者ヴィクトル・フーゴーの言葉。エドワード・サイード が『オリエンタリズム』で引用して有名になった)

「もし二つの母国語を持っている、という人がいるならば、私は、その人は一つの母国語さえ持っていない人といいたいのだ。その母国語こそが、人と人を結びつける文化圏なのだ。」(古谷綱利「愛国心と母国語」)
口先で二つの言語を話すことはできても、二つの文化に所属することはできない。古谷は国籍よりも母国語への忠誠を重く見た。


バイリンガルだのトリリンガルだのと自称する者は、二重人格、三重人格ということだな(^_^;)

母国語が外国語になりうるということは知識としては誰でも知っている。逆に日本人にとっての外国語を母国語 としている国があることも。それを体験することで、村上(春樹)はバベルの塔崩壊以降の世界の哀しみを実感した。村上ほど十分な英語の力をもってしても哀 しいのだから、ポルトガル語の準備のない移民の苦しみ、足元の不安、疎外感ははかり知れない。外国語環境が押しつける深い哀しみに共鳴できなければ、移民 の情に入っていくことはできない。彼らには日本(語)が自明でないことが自明になっている。(Ⅰ-1情けと涙)

生きている限り、移民はこの「生きもの(郷愁)」に翻弄される。それは移民の心に寄生していて、悪くすれば 正気を失うことになる。だから移民は郷愁をなだめつつ、共生せざるを得ない。理屈では殺すべき郷愁をそっと生かし続けてこそ、移民もまた生きられる。この 奇妙な生きもの解剖がこの章の目的である。

ここからが本書の白眉である「郷愁論」である。ここで著者は「郷愁百態」「郷愁の条件」「郷愁の触媒」と題して、以下の要素別に例句例歌を引きながら論じている。

・郷愁百態--懐かしさ、恋しさ、想い、未練、負け惜しみ、悔い、自嘲、不決断、諦め、納得
・郷愁の条件--貧困、隔たり、錦の敷居、老い、死
・郷愁の触媒--日本のモノ、手紙、日本語、日本映画、日本食、パスポート

恨みが消えた後に残る失った事柄に対する執着が未練の本質である。未練は二度と取り戻せないモノやコトに「心を残す」心情で、理性的には思い切るべき事柄についていまだ諦めがつかない。諦観に至らぬ未熟ぶりが「練れていない」と見下される所以である。(未練)

負け惜しみは他人に対して現れる。一人で負け惜しむ場面は想像がつかない。個々の憂鬱をひた隠しにしながら、他人から見えるはずの自分の像に敏感なものが負け惜しむ。見栄が根本にある。(負け惜しみ)

未練と後悔はどちらも「残す」点で似ている。だが微妙に違う。未練の対象が失ったモノやコト全般であるのに 対して、後悔の対象は何かを失わせることになった自分の誤った判断や行動に向かう。後悔は現在の苦痛の原因が過去の誤った判断から起こっていると認識し、 別の判断を下したら苦痛は軽くなっていただろうと反実仮想することである。(悔い)

以上「未練」「負け惜しみ」「悔い」の説明は、移民だけでなく、一般日本人も、納得できる分析である。Morris.もいささか身につまされるところ多かった。

錦の敷居を高くすることが万歳で送り出す陰の効用だったかもしれない。いわば盛大に結婚式を挙げれば離婚し にくくなるというようなもので、誇大宣伝は移民の期待を高めるだけでなく、郷里からの心理的圧力として、帰国を思いとどまらせる、つまり定着に向かわせる 役割を暗に担っていたかもしれない。実際にはほとんど到達不可能な目標を見せびらかし、それに満たない場合を失敗と線引きするような心理的な規範をつくり 出した。移民を送り出す官庁では、郷愁は祖国愛の端的な表れであると同時に、定住を妨げる心情的要因であると考えられ、日本を愛す
ならブラジルに居残れという当人には矛盾したメッセージを発することになった。「錦の敷居」は人口政策もあって送り出された移民をなるべく帰さないよう、当局が準備した心的障壁だった。


今も昔も当局のやり方は慇懃無礼である。

ふるさとを想像の中で絶対視し、純化してこそ、郷愁は成立する。憧憬はいくらでも気まぐれに矛先を広げるこ とができるが、所属の変更はたやすくない。服や皿を替えるように替えられるなら、それはここでいう所属とはいえない。そこに生まれたばかりに抜き差しなら ぬ結束を強いられるのが故郷だ。親を選べないように故郷も選べない。国内ならば生まれ故郷を拒絶することも可能だが、移民にはそのような選択肢はない。せ いぜい「第二の故郷」を擁立する程度だ。二つの意味の故郷は一致し、代替不可能な存在の拠り所になる。郷愁の本性は民族主義で、保守的、排他的である。 郷愁に訴えて表立った運動に展開させることもあるが、概して個人の、ないし集団の愁いに留まり、排他性が社会的な問題に広がることはない。

郷愁は内向しやすいというわけである。そこで俳句、短歌などの短詩に自分の思いを籠めるということになる。

短詩をしたためるには、頭のなかで(さらに口に出して9日本語を反芻する必要がある。日常的な繰り返し事の なかで埋没している感情を作者の力の及ぶ限りで研ぎ澄ます必要がある。短詩作りは日本語との付き合いを深め、それ自体既に郷愁に巻き込まれている。そこか ら散文やインタビューからは描けない思いの一面が引き出せたかもしれない。

本書に引用してある短詩から、Morris.の心に残ったものを引いておく。

・ブラジル語もて思考する子と日本語にて思いを述ぶる吾とのうつつ
・故郷の思い出異国の土に埋め
・祖父母・父母異土に果てたる口惜しさの魂鎮めむと来し故郷の墓
・いつよりか日本の言葉老いし父陽なたのなかのパントマイム
・永住ときめて葡和をヤッと買い
・日本語をしゃべって文盲意識せず
・和語に飢え猫につぶやく夕寒し

・映ゆるなく五十五年を外国(とつくに)にありてなお故国の殻負うわれか
・細っそりと湾曲の島まぶたを閉ずれど声あるごとくわれ呼ぶ
・縋りいし故国は今や異国めき心に遠きものとなりゆく
・逝くと言い送ると言うも束の間の彼岸此岸の住み別れとや
・辛うじて継がれいる血を思うとき銀線のごと細し系譜は(以上五首は陣内しのぶ作)

・郷愁を断ち切る--曝し首
・十七字あって郷愁倍加する
・夢に咲く故郷の花の片想い
・ふるさとの信濃の国の山川は心にしみて永久に思はむ
・追われたる故郷なれど捨てきれず
・永住の心へチクチク帰国心
・ふるさとは引き揚げた国よその国
・日本へ行きたくないは嘘であり
・郷愁に腰かけたまま五十年
・荷物にもならぬ郷愁重く抱き
・望郷も幸のうち秋の月
・郷愁を皆ブチまける秋の月
・決心はかぞえられない程したが
・あきらめてあきらめきれぬ帰国
・異郷ではなく子の国孫の国
・ふる里も異郷も織りなす夢のあと
・月一つ故郷二つとなりにけり
・郷しゅうよ貧乏すればなおつのる
・帰国した夢に見るこそ路銀もいらず暇もかからず
・故郷をふたたび見ずに果てゆくを運命と思い地球儀回す
・浦島の夢は地球を半周し
・懐郷譜海がなければ歩くのに
・日本へ一メートル近く葬られ
・錦着る夢お伽噺のように消え
・帰りたい帰りたいに白髪増えて行き
・郷愁は銀河に流し農に老ぬ
・老移民末期に故郷の風をきく
・この国に慌しくすぎし年月は遂に空しきものとこそ思へ
・斧振りて原始の森にいどみたる過ぎし日憶う法要の席
・堪え難き郷愁ありて瞳にいたし海こえて来し青き切手が
・独り者淋しくなると書きはじめ
・故郷へ書きやうのない不遇
・本当の事を書かれぬ生活(くらしむき)
・外つ国にかくは永らう日本の文字とことばの美しきに生き
・ああこれが母国の新聞か肉眼では読み難きほどの小さな活字
・ひさびさに日本のシネマ見に行けば雪のましろき富士あらわれぬ
・餅搗けばついたでくに恋し
・柿食えば郷愁甘く舌に滲み
・籾殻(ぬか)の上の雪かきわけて掘りたりし独活の香りさへも忘れ果てしか
・宣誓の胸に置く手に伝いつつ裡なる挽歌祖国喪失
・郷愁の鬼幼な児に似た心


数ヶ月にわたって、ブラジル移民関連書籍を読み続けてきたが、とりあえず、本書で、一区切りということにしておく。


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【複製技術時代の芸術作品】ヴァルター・ベンヤミン ★★★★ ひょんなことから、ベンヤミンに、いやこの「複製技術時代の芸術作品」に興味を覚えて、是非本文を読んでみようと思い立った。
中央図書館で以下の三冊を借りだしてきた。

1.「複製技術時代の芸術」1965/11/20 紀伊國屋書店 「歴史哲学テーゼ」「パリ--十九世紀の 首都」「複製技術時代における芸術作品」「破壊的性格」「経験と貧困」「叙事的演劇とはなにか」「ブレヒトの詩への注釈」「マルセル・プルーストのイメー ジについて」「フランツ・カフカ--死後十周年を迎えて」
2.「複製技術時代の芸術」1999/01/05(1970/08/21の再刊)晶文社「複製技術時代における芸術作品」「ロシア映画芸術の現状」「写真小史」「エードゥアルト・フックス--収集家と歴史家」
3.「ベンヤミン.「複製技術時代の芸術作品」精読」多木浩二 2000/06/16 岩波現代文庫 


件の「複製技術時代の芸術」は、フランスに亡命したベンヤミンが1933年にパリで記し、最初に日の目をみたのは、1936年、クロソフスキーによって フランス語に翻訳されたテキストだった。Morris.はそんなことはもちろん知らなくて、同題の単行本があるのかと思ってたくらいだが、それほど長くは ない学術論文だった。借りてきた上記3冊ともに、全文が掲載されている。1と.2.は同じ訳者(高木久雄・高原宏平)の同じもので、3.は野村修訳であ る。文庫版で50ページくらいのものだが、読み終えるのに結構時間がかかってしまった。
実はMorris.は最初に、2.に収録されている「写真小史」(1931)を読んだ。もともとのMorris.のベンヤミンへの関心が、写真論だったからだ。こちらはわりとすんなりと読めた。

創作的に写真を撮ることは、写真を流行に引き渡すことだ。[世界は美しい]--これが、そのさいの標語にほ かならない。この標語から透けてみえるのはの手あたりしだいのカンヅメを森羅万象のなかへモンタージュするが、そのカンヅメが現われてくる人間的脈絡の一 端をも把握できずにいるような、そしてそれに加えて、夢想的な限りの題材を扱っても、その題材の認識のさきがけであるよりは市場性の提灯もちであるよう な、そのような写真の姿勢である。……これと正当に対立するものは曝露であり、また構成なのだ。……写真によるこういう構成を開拓したひとびとを育てたこ とは、シュルレアリストたちの功績である。

アジェによる撮影が、犯行現場に比せられたのは、理由のないことではなかった。だが、われわれの都市のすべ ての地点は、犯行現場ではないのか? そこを通行するすべてのものは、加害者ではないのか? 写真家--預言者や卜占者の後裔--は、その映像で犯罪をあ ばきだし、犯罪者を指摘すべきではないか?「文字ではなく、写真に通じない者が」と、かつていわれたことがある、「未来の文盲だろう。」しかしかれに劣ら ず、自身の撮った映像を読めずにいる写真家も、文盲とみなされてとうぜんではないか? 説明文が、撮影のもっとも本質的な一構成部分に、なるのではない か? これらの問いのなかには、現代人をダゲレオタイプから隔てている九十年の時間の、歴史的な緊張が放電されている。この放電の火花に照らされればこ そ、初期の写真は祖父の時代の暗がりから、あれほど美しく、近寄りがたく立ち現われてくるのである。

本文の方は、最初に3.の野村修訳を、付箋付けながら読み、そのあと1,と2.の高木・高原訳で読んだ。後者の方がうんと読みやすかった。
それで、野村訳で付箋付けた部分を、高木・高原訳で引用することにする。(しかし、両者はかなり構成や記事本文の有無が違ってた(@_@))

歴史の場にもちこまれたアウラの概念を、ここで自然界におけるアウラの概念によって補足説明してみよう。ア ウラの定義は、どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象、ということである。ある夏の日の午後、ねそべったまま、地平線をかぎる山な みや、影を投げかける樹の枝を眼で追う--これが山なみの、あるいは樹の枝のアウラを呼吸することである。以上述べたところから、現代におけるアウラ消滅 の社会的条件を考察することは、きわめて容易なことであろう。アウラの消滅は、現今の社会生活において大衆の役割が増大しつつあることと切りはなしえない ふたつの事情に基づいている。すなわち一方では、事物を空間的にも人間的にも近くへひきよせようとする現代の大衆の切実な要望があり、他方また、大衆がす べて既存の複製をうけいれることによってその一回かぎりの性格を克服する傾向が存在する。……事物をおおっているヴェールを剥ぎとり、アウラを崩壊させる ことこそ、現代の知覚の特徴であり、現代の世界では、「平等にたいする感覚」が非常に発達していて、ひとびとは一回かぎりのものからでさえ、複製によって 同質のものを引きだそうとする。

「アウラ」というのがベンヤミンの重要な用語で、いわゆる「オーラ」に近い、というか、元々が同じ言葉なんだと思う。複製技術によって、芸術作品から「アウラ」が失われた、というのが、ベンヤミンの持論だというのは、ベンヤミンに触れたたいていの文章に書いてあった。

「ほんもの」の芸術作品が比類の無い価値をもつ根拠は、ほかならぬ儀式性にあり、芸術作品の本源的な第一の 利用価値もそこにあった。……最初の真に革命的な複製手段である写真技術の登場によって(同時に社会主義の抬頭によって)芸術の危機が迫り、さらに百年後 にそれがだれの眼にもはっきり映るような事態に立ちいたったとき、芸術は「芸術のための芸術(ラール・プール・ラール)」という芸術の神学の教義の中に逃 げこんだのである。そこから、やがて、あらゆる社会的機能を拒否するだけでなく、なんらかの具体的な主題によるあらゆる規定を拒否するいわゆる「純粋」芸 術という理念のもとに、ひとつの裏返しの神学が生じてきた(文学でこのような立場を代表することになった最初の詩人はマラルメであった)。
以上のような諸関連をただしく見きわめることは、複製技術の時代の芸術作品にかんする考察にさいして不可欠であろう、というのは、それによってのみわれわれは、芸術作品を世界史上はじめて儀式への寄生から開放する、という決定的な認識を用意することになるからである。


Morris.のベンヤミンへの関心は、「写真論」に始まったわけで、マラルメ、となると、なかなかついていけない(^_^;) 

第二の(現代の)技術の偉業は、乗員なしで遠隔操作で飛ぶ飛行機で代表されよう。第一(古代の)技術にとっ ては一回性が肝要であるが、これに反して第二の技術にとっては、一回性は少しも肝要ではない。第二の技術の根源は、人間が初めて、そして無意識の智慧を働 かせて、自然から距離をとりはじめたところに、もとめられよう。いいかえれば、その根源は遊戯(シュピール)にある。……第一の技術は、自然を制御するこ とをめざしていた。しかし第二の技術はむしろ、自然と人間との遊戯をめざすものであって、こんにちの芸術の決定的な社会的機能は、まさにこの共同の遊戯を 練習することなのだ。

この部分は1.2.の訳には無かった(@_@)ので、野村訳で引いておいた。
現代(ったって1930年代だけど)の技術がラジコン飛行機に例えられるというのは、さすがにちょっと違和感を覚えるしかない。

写真の世界では、展示的価値が礼拝的価値を全面的におしのけはじめている。もちろん礼拝的価値がまったく無 抵抗に消えてなくなるわけではない。それは、最後の堡塁のなかに逃げ込む。すなわち人間の顔である。初期の写真術の中心に肖像写真がおかれていたのは、 けっして偶然ではない。……古い写真にとらえられている人間の顔のつかのまの表情のなかには、アウラの最後のはたらきがある。……しかし、人間が写真から 姿を消したとき、そのときはじめて展示的価値が礼拝的価値を凌駕することになった。このプロセスを完成したのは、1900年ごろのパリのひとかげのない街 路の風景をとらえたアジェの比類のない功績である。

礼拝的価値から展示的価値への転換、ここでアジェの写真が大きな位置を占めるというのも、前に散々引用で教えられたことだが、Morris.は結構アジェの人物の写ってる写真も好きだった。

芸術作品を技術的に複製する方法のうちで、古代ギリシア人の知っていた方法は二つだけだった。鋳造と刻印で ある。ブロンズ像とテラコッタが、また硬貨が、かれらが大量に生産しえた芸術作品であって、そのほかにはなかった。ほかのものはすべて一回限りの作品であ り、技術的には複製できなかった。……ぼくらの立脚点が、ギリシア人のそれとは対極にあることは、疑いない。芸術作品が質的にも量的にもこんにちほどに技 術的に複製可能だったことは、かつてなかった。

これも1.2には無くて野村訳。

写真が芸術であるか否かという問題を解決するために、すでに数多くのひとによってするどい考察がなされてき たが、いずれもほとんど無益におわった。--そのさい、写真技術の発明によって芸術全体の性格が変わったかどうか、という基本的な問題がなおざりにされて いたのである。

これがベンヤミンの写真論のキモだな。

俳優の演技は、一連の光学テストを受けたことになるのだ。ここに、映画俳優の演技が機械装置をとおして提出 されるという事態から生じる第一の結果がある。つぎに映画俳優は、自己の演技をじかに観客に提示することがないので、舞台俳優のように演技をしながらそれ を観客に適応させるわけにはいかない。ここから、観客は、俳優との個人的なコンタクトによってさまたげられることなく、おのずから審査官の態度をとらざる をえなくなる。観客は、機械装置度と同化することによってのみ、俳優の中に感情移入することができるのだ。したがって映画の観客がとる姿勢は、テストの姿 勢である。これは、そのまえで礼拝的価値をひろげることのできない姿勢である。

映画の観客は試験官、それも、かなり恣意的な試験官ということになる。

芸術作品の複製技術は、芸術にたいする大衆の関係を変化させる。たとえばピカソにたいしてきわめて保守的な 態度を示す大衆が、たとえばチャプリンにたいしては、きわめて進歩的な態度をとる。……ひとびとは因習的なものを無批判に享受し、逆にほんとうにあた らしいものを手きびしく批判して寄せつけようとしない。……グロテスク映画のまえで進歩的な反応を示すそのおなじ観客が、シュルレアリスムの絵画のまえで 保守的な反応を示すのは、このような事情によるのである。

ピカソとチャプリン、シュールレアリスムとグロテスク映画、の対比も、今のMorris.にはちょっときついかも。

映画は、その財産目録ともいうべき全機能の中から、クローズ・アップの手法をつかって日常われわれが慣れ親 しんでいる小道具の隠れたディテールを強調し、対物レンズを自在に駆使して陳腐な環境を探求し、一方では、われわれの生活を支配している必然性への連鎖へ の洞察をふかめるとともに、他方では予想もできない巨大な活動分野をわれわれに約束する。安酒場・都市の街路・オフィス・家具つきのアパート・鉄道の駅と 皇女、そうしたもののなかに、われわれは救いがたく封じこまれてしまいそうだった。そこへ映画が出現して、この牢獄の世界を十分の一秒のダイナマイトで爆 破してしまった。そしていま、われわれは、その遠くまでとび散った瓦礫のあいだを悠々と冒険旅行するのである。クローズ・アップによって空間はひろがり、 高速度撮影によって運動が幅をひろげた。……われわれは、心理分析によってはじめて無意識的な衝動の世界を知ることができるように、映画によってはじめて 無意識的な視覚の世界を知ることになるのである。

映画が「複製技術時代の芸術」における究極の芸術として、多くの部分を占めているが、やはり、これも、時代だろう。

映画において、サディストの幻想やマゾヒストの妄想をことさらに強調して展開してみせることは、大衆のなか でそのような幻想や妄想が自然に危険なまでに成熟してゆくことを防止することができるのだ。集団的な哄笑が、そのような大衆の異常心理を予防的に爆発させ て治癒することになる。映画において大量のグロテスクな情景が消費されている現状は、人類が文明の随伴する心理的抑圧におびやかされている危険な状況の、 ドラスティックな一徴候にほかならない。

これも野村訳。
いわゆる「ガス抜き」ということかな? ドラスティックとは「過激な」みたいな意味だろうけど。

ダダイストの詩は「ことばのごちゃまぜサラダ」ともいうべきもので、数々の猥雑なないいまわし、およそ想像 しかできないようなことばの飛躍をふくんでいる。ボタンや切符を貼りつけたかれらの絵画も例外ではない。かれらがこのような材料でねらっているのは、作品 の生みだすアウラを容赦なく破壊することであり、制作の材料そのものによって複製としての烙印をはじめから作品に押しつけることであった。

ベンヤミンのダダイスト評価は、彼らが意識的に(無意識的に?)「アウラ」を作品から取り除き、あるいは、はじめから「アウラ」なき作品をめざしたためろうか。前に述べられた、現代の芸術の「遊戯性」に繋がるものだろう。

建築は、古来、つねに人間の集団が散漫に接して来た芸術の典型であった。……建築物にたいする接しかたに は、二重の姿勢がある。すなわち実用と観察、より正確にいえば、実際型と視覚型である。……芸術作品にたいする散漫な姿勢は、知覚の深刻な変化の徴候とし て、芸術のあらゆる分野においていよいよ顕著に認められるようになったが、ほかならぬえいがこそ、その本来の実験機関なのである。……観客はいわば試験官 である。だが、きわめて散漫な試験官である。

建築はまず実用のものだ、ということを、Morris.は時々忘れてしまう。ついつい観察、鑑賞、玩味、驚愕、賛嘆してしまいがちだった。「散漫な試験官」はMorris.が「恣意的」と思ったことと同じだろう。

政治の耽美主義のためのあらゆる努力は、必然的にひとつの頂点をめざしている。この頂点とは戦争にほかならない。戦争、ただ戦争のみが、現在の所有関係に触れることなく、大規模な大衆運動に目標をあたえうるのである。
生産力の自然な利用が抑制されると、生産力は不自然な利用を求めるようになる。不自然な利用とは戦争にほかならないが、戦争のすさまじい破壊力を考えるな らば、これでは、現代の社会が技術をつかいこなすにはまだ未熟であり、技術のほうも社会の基本的な諸力を十分操縦できないことを裏書きしているようなもの である。強大な生産手段と生産過程におけるその利用法の不完全さ、この矛盾(換言すれば失業と、販路の不足)が、帝国主義戦争の残虐な正確を規定する。
「芸術に栄えあれ、よし世界のほろぶとも」とファシズムはいう。……これはあきらかに「芸術のための芸術の完成」である。かつてホメロスにおいてオリンポ スの神々のみせものであった人間は、いま人間自身のためのみせものとなった。人間の自己疎外はその極点に達し、人間自身の破滅を最高級の美的享楽として味 わうまでになったのである。これが、ファシズムのひろめる政治の耽美主義の実体である。共産主義は、これにたいして、芸術の政治主義をもってこたえるであ ろう。


突然、戦争論みたいになったのに驚いたし、共産主義の賞揚も意外に思った。Morris.はベンヤミンがマルキストということも知らずにいたんだもんね (^_^;) しかしベンヤミンの戦争の本質論は、今のMorris.にも十分共感できる。当時のファシズムの抬頭、とりわけベンヤミン自身が、ファシズ ムに追われるような状況だったことを思い合わせると、この結びも納得がいく。

ベンヤミンは教条的なマルクス主義は受け付けなかったが、紛れもなく史的唯物論の影響を受けていた。」と多木浩二の「精読」にもあった。

ここから後は3.の多木浩二の「精読」からの引用になる。

イタロ・カルヴィーノがいったように、「古典とは、最初に読んだときと同じく、読み返すごとにそれを読むこ とが発見である書物である」。そのようにして読まないかぎり、ベンヤミンの方法、あるいは企ての顕在的かつ潜在的な弁証法は見えてこない。『複製技術時代 の芸術作品』は完全に古典である。不足を論じるより、その積極的な意義を見いだすべきである。古典とは権威をもって存在するのではない。ベンヤミンは同時 代的な関心から『複製技術時代の芸術作品』を書きながら、綱渡りするようにしてあたらしい根源的な問題にたどりつく。われわれもまたあたらしい発見に幾度 も出くわすことだろう。

多木は「複製技術時代の芸術」を、古典として読むことを最初に宣言している。「不足を論じるより、その積極的な意義を見いだすべき」--そのとおり、この姿勢がMorris.には欠けていたのに違いない。
ここで外山滋比古の「古典論」を思い出さずにはいられなかった。

現代はどうか?……技術はさらにあたらしい段階に入ったし、社会は危機の度合いを増しているのに、あたかも 「芸術」を自明のこととし、「美術館」を作家の活動の場とすることに疑問を抱かないでいようと大衆に合意を求めているかに見える。現代の状況では、「芸 術」とは、大衆社会の共同幻想にしかすぎないと思えるくらいである。ここではわれわれの時代を論じるのではない。『複製技術時代の芸術作品』でベンヤミン の理論を、よりよく理解することである。

現代芸術への多木の危機感である。「大衆社会の共同幻想」になりはてた「芸術」(>_<) 

ベンヤミンは複製技術によって消滅する心的な現象を、包括的に[アウラ」と呼ぶことになる。ここで私は「心 的な現象」といったが、ベンヤミンは「アウラ」という言葉で、事物の権威、事物に伝えられている重みを総括したのである。従来の芸術作品にそなわる、ある 雰囲気である。……ここではむしろわれわれが芸術文化にたいして抱く一種の共同幻想として考えておこう。それが壊れていくことは、われわれが生きて、包み こまれている社会になにかが起こり、この幻想、芸術や伝統についての信念が崩壊したことである。

「アウラ」も「共同幻想」だった、と思えば、理解しやすくなる。複製技術が消滅させたものが「共同幻想」で、そこからまた別の「共同幻想」が生れるのか。

「写真小史」は、1931年に書かれた写真論としては驚くべき洞察の水準に達している。写真は芸術であるか ないかという愚かな問題意識で書かれているのではない。「写真小史」は、当時としては資料にもほとんど遺漏がなく、今日、写真論がいうべきことがほとんど 出尽くしている。ベンヤミンはその当時の写真についての意外なほどの豊富な知識をもとにして、さまざまな現象に、彼独自の的確な判断をくだしつつ、写真が 世界にもたらしたいくつもの段階での影響を分析している。

先に「写真小史」から読んでて良かった(^_^) 写真が「芸術であるかないか」という「愚かな問題意識」。こうはっきり言われると、今でも時々そんな愚かな問題意識を持ってしまうMorris.としては耳が痛かった。

写真はますますニュアンスをまし、ますますモダーンになる。その結果、それを美化することなしには、もはや どんなドヤ街も、どんなゴミ溜めも写真化しえない。ましてや、ダムやケーブル工場ともなれば、「世界は美しい」ということ以外に何かを表現することなどで きるわけではない。『世界は美しい』--それはレンガー=パッチェの有名な写真集だが、そこに頂点に達した新即物主義の写真をみることができる。つまり、 対象を完成した流行の様式でとらえることによって、貧困をも享楽の対象にしてしまうことに成功したのである。
われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明(となる言葉)を付与する能力である。(『生産者としての作家』)


これはベンヤミンの別の論文の一部である。似たような文章が「複製技術時代の芸術作品」にもあるが、こちらのほうが明確である。Morris.がスーザ ン・ソンタグの「写真論」に何度も出てくる「写真に撮ると何でも美しくなる」というのが、ソンタグではなく、ベンヤミンの言葉だと知ってびっくりして、そ れが、ベンヤミン読むきっかけになったのだが、この文章を読めば、ベンヤミンは「写真に撮ると何でも美しくなる」のではなく「何でも美しく撮る」ことが新 即物主義的で、貧困をも享楽の対象にしてしまうとして、批判している。つまりMorris.は、完全に取り違えていたわけだ(>_<) 何か ベンヤミン絡みだと、こういったとんちんかん(>_<)が多い。でもまあ、これも面白さの一つなのだと思うことにしよう。
それに、Morris.は革命的な使用価値のある写真なんか撮れそうにもない(撮りたくもない)からいいか。←負け惜しみでもある(^_^;)

ベンヤミンは、脱アウラ化した写真がショックをあたえる、まさにその瞬間に、その写真に言葉をあたえて世界 を根元に向けての文書に変えると語っていた。われわれはそのとき歴史の転換点に遭遇しているのである。『複製技術時代の芸術作品』は、芸術作品にたいする 知覚によって、危険にみちた歴史の転換点を語ろうとする論考だった。

これこそは本質を突いてるところらしい、ということは、わかるのだけど、何度読んでも理解できない(>_<) 「知覚」というのが重要なんだろうか。

(ベンヤミンの使う)「触覚」という知覚は、注意を用する。それは手で触ることを意味していない。それは視 覚のように瞬間的なものではなく、また視覚のように明晰でもありえない。われわれが考えるに値する「触覚」とは、何度も経験し、固定した決定的な像を認識 しないのだ。平面とか三次元とかに表すことができない。「触覚]とは時間を含み、多次元であり、何よりも経験であり、かつ再現のできないものなのである。

「知覚」のなかの「触覚」が、時間を含み、多次元で、再現不能ということは、「アウラ」は触覚に近いものだということか。

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」というと、アウラ、礼拝的価値、展示的価値の三題噺のように思われ がちだったが、さにあらず、むしろミメーシスを分解し、それを歴史化し、その結果、アウラを喪失したときに、芸術は史上初めて巨大な遊戯空間に生きる場を 見いだす過程を展開してみせたのである。

これが「精読」の結論なのだろうか。アウラの喪失→巨大な遊戯空間。うーーん、ちょっと困った。
結局、Morris.はベンヤミンには歯が立たなかったようだ。でも歯がたたないことがわかっただけでも、読んだ甲斐はあったと、負け惜しみでも思っとくことにする。


108

【ドルチェ】誉田哲也 ★★★ 2011/10/20 新潮社。
42歳の独身女性刑事魚久江シリーズ? 「袋の金魚」「ドルチェ」「パスストップ」「誰かのために」「ブルードパラサイト」「愛したのが百年目」の6篇が 収められている。女性刑事ものでは姫川玲子シリーズが人気らしい。それに比べると本作品のヒロインはちょっと地味めである。
彼女が捜査一課に戻らず練馬署の強行犯係りにこだわるのは、殺人事件の捜査より、誰かが死ぬ前に事件に係わって、できれば生命を救いたいため。という、あまりにも、作りものめいた設定であることに、無理があるのかもしれない。
まあ、それなりに面白かったし、喫煙にこだわったり、読者サービスも配慮されてはいる。
自分は誰からも必要とサれないと愚痴る、引きこもりの男には、クサい説教もする。

「最初から必要とされる人なんて、私はいないと思う。みんな、誰かに必要とされるように、一所懸命努力し て、それで必要とされる人間になっていくんだと思う。……やっぱりあなたは甘えてると思う。……綺麗事に、聞こえるかもしれない。でも社会って、人とひと との共存って、集団が大きくても小さくても、同じなんだと思うよ。働くってことは、誰かの役に立とうとすることなんだと思う。この机だって、今あなたが着 てる服だって、誰かが一所懸命作ったものなんだよ。相手が見えないってだけで、でも、やっぱり、これって共存なんだよ。……だったら、あなただって何かし て、社会に返さなくちゃ。何かやって、みんなに、必要とされる人間にならなくちゃ。……もう三十一でしょう。そろそろ、分かってもいい頃じゃない」(「誰 かのために)

わはは(^_^) 42歳と31歳の会話だったか。
しかし、Morris.は誉田哲也といえば、最初に読んだ「国境事変」の衝撃を忘れられない。
これは「ジウシリーズ」の派生作品ということになっているようだが、ほとんどの著者紹介には本作のタイトルが挙げられることもない。著者自身の事情もあるのかもしれないが、Morris.としては、是非この手の作品をもう一度書いてもらいたいと願う。


107

【うちゅうの目】まど・みちお詩集 ★★★☆☆ 2010/08/21 (有)フォイル。18cm角、50Pほどの写真詩集ということになる。
これまで発表された中から24篇のまど・みちおの詩をセレクトし、これに奈良美智、川内倫子、長野陽一、梶井照陰の20数点の写真が添えられている。
ところで、Morris.は、先日読んだ富岡多恵子「写真の時代」にあった

・わたしは、詩画集や、詩と写真の組合せのごときものは、詩にも絵にも写真にも、少しの得ももたらさないと かねてから思っている。もし詩がきわめていい場合、いっしょにそこにある絵や写真は吹き飛んでしまう。また、つまらぬ場合は、ただ視覚的に邪魔なだけで、 説明文の役もはたさぬ。また、いい写真や絵は説明をこばむはずだ。いい場合も、悪い場合も、どちらも損するだけなのだ。詩と絵、詩と写真が、適度の闘争と 適度のバランスを保って共存し、しかもおたがいを闘争によって高めあうなどという幸運な「出会いの瞬間」なんて、そうザラにあるものではない。とにかく、 写真が安易に詩と結婚するのはハンターイと叫びたい。

という、意見に、満腔の賛成を表したものである。しかし、本書は、まさにその例外として、まれにしかありえない幸運な出会いといえるかもしれない。まず は、まど・みちおの詩のほとんどが素晴らしく、それを厳選(この選択眼こそが勝因だろう)してある。そして、写真の方では、一番多く掲載されている梶井照 陰の作品の完成度が高く、それぞれ単品として鑑賞できるものだが、それぞれに対応された詩の邪魔をせず、コラボレーションしている。しかしMorris. が一番気に入ったのは、ふくれっ面の女の子のイラストレータとして有名な奈良美智の写真だった。表紙の浮草の池や、大地と空と雲と光の不思議な光景にも感 心したが、裸電球がぶら下がった流し場の窓(まど・みちおへのオマージュ?)の写真にしびれてしまった。この写真は次の詩に対応させられていた。

まど・みちお詩集どうして いつも まど・みちお

太陽



そして



やまびこ

ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばんあたらしいのだろう (「宇宙の歌」1975)


本書に収録された詩のタイトルのみを挙げておく。
チョウチョウ・けしゴム・ことり・アリ・根・どうしてだろうと・ぞうさん・ノミ・おならはえらい・どうぶつたち・人ではない!・カ・いちばんぼし・ねむり・れんしゅう・臨終・いわずに おれなくなる・リンゴ・深い夜・ぼくがここに・冬至・どうしていつも・さかな・するめ
日本人に生まれたありがたみをいちばん思い知らされるのは、まど・みちおの作品を読むときかもしれない。


106

【J-POP進化論】佐藤良明 ★★★★ 1999/05/20。平凡社新書。「ヨサホイ節」から「Automatic」へ。
最初に白状しておくと、本書は松岡正剛「千夜千冊」に取り上げてあったのを見て、読むことにしたのだ。
ネットで調べたら、神戸市立図書館では、須磨図書館にのみ所蔵されてた。というわけで、先日須磨離宮公園に行く前に寄って借りてきた。
著者は1950年生まれだからMorris.と同世代で、親しんだ歌謡曲や洋楽が同じでわかりやすかった。
部分楽譜も多く掲載されてるし、文章の中にもカタカナの「ドレミ」でメロディひょうきしてあるので、ミニギター抱えながら読んだ部分も多い。また、数多くの曲名がでてくるので、これはYou Tubeを駆使して楽しみながら理解を深めることが出来た。

小泉文夫氏は70年代歌謡における「ラドレミソラ」の音階の出現を「日本のうたの古層の復活」という図式で 語ることを好みました。「ラ・ド・レ・ミ・ソという音階です。ド・レ・ミ・ソラと同じですけど、ラが主音というところが違うんですね。……有名な日本の民 謡の大部分がその音階でできています。わらべ歌もほとんどがその音階でできている」
日本古来の民謡にはビートの訊いた「八木節」のようなのと、ロー・テンポで長い揺り(メリスマ)を特徴とする「追分」のようなのとがありますが、そのどちらも、音階はラドミレソです。
この(ラドミレソの)5音の音階は「ペンタトニック・スケール」と呼ばれ、世界の民族音楽にも今世紀のポピュラー音楽にも、ごくごく普通に見られるものです。


このペンタトニックは、Morris.も前から気になってたのだが、こうやってカタカナ音階で書いてあると、わかりやすい(^_^;)

(「紀元節」という曲は)雅楽のもつ、テンポを微妙にスローにしながらすり上がっていくような荘重感がない とうのは、子供に歌わせる歌だから仕方がないとして、問題は愛国の歌であるのに、子供たちのわらべうたに備わった民族の調べを減菌"してしまっているとこ ろにあります。「紀元節」は、その後半世紀以上にわたって日本のうたの主流の一本となる"擬似長調風無国籍単純音階"による一作です。

"擬似長調風無国籍単純音階"こういった造語はなかなかのものだと思う。
以下は「第2章」の、著者によるまとめだが、よく出来ているので、ほとんどそのまま引用しておく。実に明解なまとめである。

1.日本の庶民のうたは、伝統的に「ラドレ」と記譜できる[短3度+長2度]のテトラコルドを基本としてい る。四つ以上の楽音を使う民謡は、その上に同じ音程関係をもつテトラコルド(「ミソラ」と記譜できる)が積み上がった音階によっている。ラドレミソラ(レ ミソラドレと記しても同じというこの音階を、民謡音階と呼ぶ。
2.江戸時代に、「都節」とよばれる、単調の響きをもつ別の音階がポピュラーになった。こちらの音階は、レミソラシレと記譜できる律音階(中国から来た、より高尚とされた音階)のミとシの音を半音下げた造りをしている。
3.アメリカの黒人は、アフリカ起源の音階とヨーロッパの和音中心の音楽との衝突のなかで、ブルーノートと呼ばれる音を特徴とするうたを形成した。
白人音楽の側から見ると、ブルーノートはドレミファソラシドのミの音とシの音(ときにソの音)を半音下げたものである。
4.日本では明治期に、和洋折衷の「ヨナ抜き音階」(長調[ドレミソラド]・短調[ラシドミファラ])が考案され、唱歌や軍歌に積極的に採り入れられた。大正時代になると流行歌にもヨナ抜きのうたが登場する。
5.1960年代、白人の若者市場の獲得をめざした黒人のポピュラー音楽工房から、音階的にみて日本の民謡やヨナ抜きソングとよく似た全米ヒット曲が生ま れた。うたの欧化を図った[近代]突入期の日本と、歌の[黒化]が起こった。脱近代期のアメリカで、同じようなメロディラインが浮上した。(第2章「和洋 黒三つどもえ音階論」)


ついでに「第三章」の初めに置かれた昭和初期から40年代までのまとめをかなり省略して引いておく。しかし、省略し過ぎでかえってわかりにくくなったかもしれない(>_<)

1.昭和初期~10年くらい[和洋折衷の時代] 「波浮の港」「当世銀座節」「東京音頭」「ダイナ」
2.昭和10年代[ヨナ抜き安定時代] 寮歌・応援歌・軍歌、(タンゴを通して入ってきた欧風の和声短音階の日本版)ブルース。「すみだ川」「一杯のコーヒーから」「鈴懸の径」
3.昭和20年代 [和の抑制時代] 「リンゴの唄」「買い物ブギ」「リンゴ追分」「お富さん」
4.昭和30年代 [都会のムードと田舎のわび] 半音の進行(#ソラ、#レミ)等を特徴とする都会風な短調4拍子の曲と、田舎への郷愁をヨナ抜き音階に託す民謡風
5.昭和40年代 "黒化"した洋風のうたと日本のうたとの反応(第3章「歌謡曲の土着と近代」)


後はランダムに印象深かったエピソードを引いておく。

・(サム&デイブの「ホールドオン」)のイントロとサビのところに、「ラソミ」と「ミソラ」のテトラコルドが繰り返されます。

このテトラコード(ミソラ、ラドレ、シレミ、レファソ)の連続はスケール練習にもってこいだということがわかっただけでも、本書を読んだ意義がある。

・ストーンズの「レディ。ジェーン」のメロディは「ドレ♭ミファソラ♭シド」という音階になっている。最初の2小節は「ドド♭シラファソ」と進み、次の2小節はそれを長2度低くして「♭シ♭シラソ♭ミファ」。どちらも最後が長2度の上りになります。

Morris.がこの曲を偏愛した理由がいくらかわかったような気がした。

・「太陽の彼方へ」の構成音は「あんたがたどこさ」と同じで、ラドレミの四つ。アメリカで「うた」になるにはまだ"進みすぎていた"のかもしれない「むきだし」の旋律が、日本ではスッと腑に落ちて、エレキのテケテケが調子いい「ノッテケ節」とでもいうものになった。
日本の流行歌から久しく消えていた民謡音階が、エレキとともに帰ってきた、記念すべきヒット曲です。


こういう荒っぽくも、わかりやすい論だてが好きである(^_^)

・都々逸というのは、そもそも「ドドイツ・ドイドイ」という囃子のリズムに合わせて即興の(しばしば時代風 刺の)うたを語ったところからその名がきたもので、「ドドイツ」ということば自体が、「チュチュンが・チュン」(「電線音頭」)の「チュチュンが」と同じ リズムを、身をもって表しています。

これは純粋に、へえそうだったのか(@_@)である。

・ちなみに日本の小唄では2拍目に合いの手を入れると、ドドンパのリズムになります。ドドンパというのは2拍目にドンと床を足で打ち鳴らす、マンボ・チャチャチャ時代の和製ステップで、「お座敷小唄」のバックはドドンパでやっています。

「東京ドドンパ娘」のウィキペディア解説には「洋楽のリズムマンボと日本のリズム都々逸が融合したモノで、渡辺のパンチのある歌声がマッチしてヒットした。」という、瞠目すべき指摘があった。ヘウニが歌った韓国のヒット歌謡「カムスガン」はキロギュン(吉屋潤)作曲だが楽譜にはリズムは「ドドンパ」と書いてある。


105

【八月からの手紙】堂場瞬一 ★★★☆ 2011/06/29 講談社。
アメリカ人二世の八尾は戦前、日本に留学して、職業野球の投手として才能を見せたが、肩を壊して帰米。戦後戦争成金で新球団を作ろうとする藤倉に東京に呼 び寄せられ、監督を勧められる。矢尾は戦争中収容所でのつらい経験があったが、ニグロリーグの強打者ジョン・ギブソンとの文通によって支えられた。新球団 にギブソンを招聘しようとアメリカにスカウトに行くが……という、スポーツものながら、社会背景や移民、二世、黒人差別などにも具体的に言及し、なかなか 感動的な快作だった。
ニグロリーグのことは以前読んだ覚えがあるし、アメリカの日系人強制収容所のことは84年のNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」(原作「二つの祖国」山崎豊子1983)でなんとなく知ってた。
このところ南米移民への関心が高まって読みあさっていたが、アメリカ移民はその前段階、というより、アメリカの移民制限政策が南米移民を産みだしたとも言 える。Morris.が南米移民への関心を持ったのも、日本の朝鮮政策、満州建国などと関係があるのだろう。日系人、黒人差別も、在日朝鮮/韓国人差別問 題に繋がるのかと思う。

【衆】堂場瞬一 ★★★☆ 2012/05/30 文藝春秋。
68年大学闘争の時代、地方大学で機動隊との攻防の中、ひとりの高校生が死亡。半世紀過ぎた運動家たちと死亡した高校生の家族との絡み。

【灰の旋律】堂場瞬一 ★★★
私立探偵真崎薫シリーズ。失踪したギタリスト捜索。

【沈黙の檻】堂場瞬一 ★★★☆
氷室刑事シリーズ。時効の過ぎた殺人事件の犯人と名指しされ、マスコミには沈黙を守る運送会社社長。

【青の懺悔】堂場瞬一 ★★★
私立探偵真崎薫シリーズ。アメリカ大リーグ入して、日本球界に戻ろうとする選手の子供の誘拐事件。

【異境】堂場瞬一 ★★★


104

【レコードの美学】細川周平 ★★★☆☆☆ 1990/07/30 勁草書房。
細川周平の名はブラジル移民関係の本を集中的に読んでて「サンバの国に演歌は流れる」を見つけて興味深く読ませてもらったのだが、朴燦鎬さんからメールで 本書の紹介があり、読もうとしたのだが、神戸市立図書館には蔵書がなく、先のソンタグ「写真論」と同時に県立図書館から取り寄せてもらった。
本書は細川が1988年東京芸術大学の博士論文として提出した「音楽における複製技術の諸問題」が元になっている。この論文タイトルは当然ヴァルター・ベ ンヤミンの「複製技術時代の芸術」を意識したものである。先の「写真論」にもベンヤミンの影が色濃かったが、偶然同時に借りた二冊に出てくるというのも、 何か暗合めいたものを感じる。

0. 序 「美的機能、技術の本質、複製の概念」
1. レコードの考古学 「レコード前史から複製技術の本質」
2. 聴取と複製技術 「複製技術の複製性自体の考察、コンサートホールとレコード、差異と反復」
3. 美的経験としてのレコード聴取 「音楽の美的経験の根拠、サウンドと効果、全音楽の「ポピュラー化」」
附論1. 技術/テクノロジーの記号論
附論2. 弱い聴取
附論3. レコードの濫用--ケージとマークレイ
結論


以上でほぼ400p、これに注釈30p、参考文献(ほとんど横文字)60p、索引30p、さらに英文要旨10pまで付いている(@_@) 先に白状してお くと、本書は、ちょっとMorris.には歯がたたないところが多かった。本書が書かれた時期にブームとなった、ニューアカディズム、ポストモダン主義の 中の産物でもあるらしい。当時Morris.はなんとなくあの傾向には背を向けてたもんなあ(^_^;)
しかしレコードが「音楽的時間を書き込む機械」ということを基盤とした細川の考察には色々教えられたし、共感覚える部分も多かった。って、これまた、先の「写真論」とそっくりな感想であるなあ。

・19世紀以来、芸術作品によって独占されていた美の領域を我々の生活の中で見かける技術的対象に広げ…… モノが量産される事態に至ってようやく、そうした日用品の美が「発見」された。イギリスの田園の伝統に属するウィリアム・モリスのように、人工物の中に自 然への回帰を目指す者もいたが、逆に技術的な対象を自然美とは別のカテゴリーにあってそれを凌駕するものととらえる動きが前衛の中から生まれた。……技術 美を理論的に徹底したのはむしろ、バウハウスであり、彼らは芸術と生活の一致を強く押し出し、ビュルガーのいう意味での前衛にシュールレアリズム以上にふ さわしいと思われる。(0-3 技術の「本質」)

ウィリアム・モリスの名前や、バウハウスも出て来たので、思わず引用してしまったが、柳宗悦の「民芸」とは一味違う生活用品の美の発見ね。

・エジソンが音楽に無理解であり、フォノグラフの音楽的な可能性を見落としたことはよく知られているが、そ れは決して彼が音を五感の外に置きざりにしたことを意味するのではない。確かに彼は耳でほとんど何も聞かなかったかもしれない。しかし指で、歯でそこに音 の「痕跡」のあることを感覚したのだった。晩年のヴェートーヴェンが外からでは検証できない純粋に内的な音を楽譜によって構築していったのに対し、エジソ ンは音を純粋に感覚的な所与(データ)として自立させる技術を完成した。(1-2 エジソン:歯で聞く)

エジソンが難聴者(かなり重度の)だったということも知らなかったし、蓄音機の発明時には音楽のことはほとんど無視されてたというのも意外だった。

・自動ピアノとフォノグラフの関係は鏡像と写真の関係に近い。エーコが説くように、鏡は記号過程ではなくた だその前に現れた人物を写しだすにすぎず、記号の経路になるかもしれないが、その生産には関与しない。……鏡像は空虚であり現実との対応関係だけが、それ を成立させているのだから。だから写真の批評はありえても鏡像の批評はありえない。
・楽譜が音の前にあるエクリチュールならば、音溝はその後にあるエクリチュールであり、どちらも「生の」音に対する差異の体系として捉えなくてはならな い。溝に「描かれた」のはその聴覚よりも触覚に近い痕跡であり、その限りにおいて「鳴り響かない」。しかし楽譜もまたこの点では何ら変わるところはない。 エクリチュールはそれ自体音なのではない。それは潜在的な音(声)を孕み、その限りにおいて音声的なのである。(1-3 エクリチュールと録音)


よくわからないながら、何かありがたそうな気がする文章だ。鏡像と写真、楽譜とレコードの二項対立や比較はわかりやすい。「エクリチュール」という言葉が よく出てくるが、哲学的には「パロール(話し言葉)に対して、書き言葉」、音楽的には、「作曲に用いられる和声や対位法、管弦楽法、楽式などの書法上の技 術をまとめて呼ぶ用語」らしい。

・現在、多くのアマチュア・バンドはレコードを「コピー」するのに時間を費やしている。レパートリーは楽譜としてだけではなく、録音として渡されることも多く……ことにドラムスは採譜してもあまり意味はなく、レコードによる学習は不可欠である。
・レコードから生まれた「第二次聴覚的な伝統」の最もドラマチックな例をブルースに見出す事ができるだろう。……60年代のイギリスのロックを録音された ブルースの影響なしで考えることはむずかしい。それはローリング・ストーンズを挙げるだけでも納得がゆく。(1-4 第二次聴覚性)


急に身近な話題になったので嬉しくなった。ストーンズの影響なしに、Morris.がブルーズに親しむこともなかったしね。

・ポピュラー音楽は世紀の変わり目には、印税の単位である歌、曲をベースにその産業化を進行する。大体 1890年代から活発になったニューヨークの音楽産業、通称ティンパンアレイの音楽は、アメリカ全土で同じ曲が聽かれるというそれまでにない事態を引き起 こした。いうまでもなく交通網、情報網の充実が、大きく影響しているのだが、レコードはその人気に便乗したし、加速もした。楽譜出版とレコード出版はタイ アップして印税を集め、大資本の組織に成長していった。現在の耳からすればそれがどんなにひどい音質であったとしても、有名人や家族の話し声よりは音楽の 方に人々は魅かれたのである。
・ベルリナーがアメリカで本格的に業界に乗り出すのは1893年……95年になって投資家を巻き込んで、ベルリナー・グラモフォンを設立した。……重要な 事は、エジソンが音溝のエクリチュール即ち「差異」という概念に到達したならば、ベルリナーは盤自体の複製即ち「反復」という概念をレコードに持ち込んだ ことである。ある音楽が何回でも聴けるというだけではなく、そうしたことを可能にする製品が何枚でも製造できる、ということがベルリナーから始まった。差 異と反復という複製技術の二つの概念がここに確立した。次の30年間は音質の向上と録音時間の延長と操作性の改善に費やされ、レコードはほぼ音楽専用の機 械として普及した。産業史的には興味深い変化も見られるが、技術史の観点からは、1925年の電気録音まで特筆すべきことはない。(1-5 ペルリナー: 保存から反復へ)

レコード産業黎明期を、明快にまとめてある。20世紀はレコードの時代ということになるわけか。

・ビング・クロスビーはマイクロフォンの前に立ったのではない。彼はその傍らに立ち、マイクロフォンとともに歌う。ハイデガー的にいえばカルーソーにとってホーンは[前に存在するもの]であり、クロスビーにとってマイクロフォンは[手もとに存在するもの]である。
・デビュー録音は機械式であったが、すぐに電気録音に変わったクロスビーは同時代のジーン・オスチンやニック・ルーカスらと共に「クルーナー」 (croonは小声でささやくという意味)唱法によって売りだした。これはその名の通りマイクロフォンの増幅性に依存した甘く弱々しい発声法のことで、マ イクロフォン以前にはホールに響かせることが不可能だった声である。
・マイクは声の質を変える。あるホールや教会が独自の音響特性をもち、もはやどんな演奏もその反響や残響特性から逃れられないように、演奏者はマイクの特 性を越えることはできない。……クルーナーの声から感じ取られるのは単なる甘さではない。それは機械と接合した甘さであり、コンデンサーや真空管が作動し て生まれた声-機械の運動なのである。マイクをよく鳴らすということはこうした歌手にとってはオペラ歌手の発声練習と同じくらい基本的な事柄となった。 (1-6 電気録音:マイクロフォン)


SP向きの声(声量と発声法)があり、LP時代になって声量の無い者でも歌手になれる(^_^;)ようになったということか。めでたい(^_^)/

・1932年彼(ストコフスキー)は高音域・低音域フィルターの実験を行なった。これは後にコンソールによる音響調整、ひいてはマルチ・トラック録音の伏線となる。しかし、もっと重要なのはステレオへの道を開くことになるバイノーラル・テストである。
・ステレオ録音が市販されるのは1957年のことだが、ストコフスキーがやはりその先鞭をつけていた。
・ストコフスキーの情熱やそれを支える哲学がなければ、30年代の録音技術はもっとゆっくり変わっていったに違いない。
・30年代は音楽と電気テクノロジーがぬきさしならぬ関係に入ったディケードである。電気録音が完璧なハイファイを可能にしたと思われた矢先、次の革命が起きた。磁気テープである。(1-7 ストコフスキー:PAとステレオへ)


指揮者ストコフスキーといえば、映画「オーケストラの少女」、ディズニー映画「ファンタジア」への出演(演奏)での知名度が高いが、それほどに音楽録音への貢献度の高い人とは知らなかった。

・50年代にポピュラー音楽が一新するのは、社会的には「ティーンエイジ」が独自の文化を持てるほどの人口 層と経済力を持つようになったこと、テレビが登場したことが重要だが、音楽の分野に限れば1949年、いわゆる「スピード戦争」で33 1/3回転のLP に対してRCAヴィクターが45回転の「シングル」を登場させ、クラシック用のLP(10インチ盤)と区別して片面3分のフォーマットをポピュラー用とし て強調したことを忘れるわけにはいかない。LPとシングルは単に違うサイズと速度を持っていただけではなく、「大人」の文化と「ティーンエイジ」の文化を 区別するためのメルクマールでもあった。
・シングルの盤と曲の一対一対応はヒットパレードという制度を確立し権威づけるのに適した。……シングルは流行のピークを上げ、その回転を加速した。
・(テープ録音の技術が)演奏後に自由に切ってはりあわせたり、重ね取りできる点に「本質」があることは、レス・ポールとメリー・フォードが1951年に自宅のガレージで「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を録音したときにはっきりした。
・重ね取り、テープ接合、効果音、エコー・チェンバーなどの隣合った技術は、60年代にはビーチ・ボーイズの1966年の「グッドヴァイブレーション」、 それになんといってもビートルズのLP『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)によってポピュラー音楽とは切り離せな いことが明らかになった。
・『サージェント・ペパーズ』はこれまでシングル志向だったポピュラー音楽をアルバム志向に変え、それまでの3分単位では収まりきらない表現を躊躇しなく なった点でポピュラー音楽の転換点を印すばかりでなく、90周年を迎えていたレコードの歴史を顧みても、これに匹敵する革命はなかったと思われる。 (1-8 素晴らしきテープ編集)


いよいよMorris.と同時代時代の話になる。しかし、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」って、そんなに凄いものだったのか? Morris.は いまいちと思ってたけどなあ。そして、レス・ポールとメリー・フォードの曲が重ね録りの嚆矢だったのか、つい聴き返したくなってしまったよ。
「メルクマール」という語もよく目にするけど、あまりわからずにいた。「物事を判断する基準や、その指標のことをいう。一般的には、最終目的を達成するた めの一連の過程等における中間指標や目印のことを意味することが多く、進捗を確認するための中間達成基準や中間地点のゴールの意味で用いられる。 」(kotobank)らしい。

・音楽はコンサートのある社会においては宗教音楽と世俗音楽、あるいは娯楽音楽と精神的な音楽といった分類 ではなく、コンサートに適しているか否か、という基準ではかられることになり、真正なるホールからはじきだされた音楽がまとめて俗音楽と仮に呼ばれ合理 化の外におかれることになった。
・それ(コンサート・ホール)は音楽愛好家にとっての「神殿」となり、いわば理想的な聴衆は演奏者を「見て見ぬふり」をした。「見えないオーケストラ」は 音楽を純粋な音響性に還元するレコードによって実現されることになる。この機械的で現実的な自律性は、もちろん観念論的な自律性とは相容れない。(2-2  コンサートと自律性)


コンサート(ホール)が、音楽のフィルター的役割を果たしていたのか。なるほど。そして理想的な神殿がレコードの中に構築されたというわけか。

・複製技術を考えるのに30年代のアドルノとベンヤミンの論争を避けて通ることはできない。複製技術に対し て否定的だった前者と肯定的だった後者、という図式では片づけられない協調と反発を含む二人の応酬を見直してみると、複製技術が生活の便宜をはかる実用レ ベルから、文化的な創造と「消費」のメカニズムに否応なく組入れられるようになった時代の新たな美学の芽がふくらみつつあったことがわかる。(2-3 ア ウラとフェティシズム)

・ベンヤミンが提起した「アウラ(オーラ)」とその喪失という概念がその後の全ての複製技術論の礎であることは誰も疑わない。(2-3-1 ベンヤミンのアウラの概念)

またまた、ベンヤミンである(^_^;) 本書ではアドルノとベンヤミンの対比と、アドルノへの批判めいた言説が目につく。これも宿題にしておこう。

・「永遠回帰は幸福のアンビバレントな二つの原理、つまり永遠の原理と[もう一度]という原理を結びつけよ うとする試みである。--永遠回帰の概念は時代の悲惨のなかから幸福の思弁的観念を喚起する。ニーチェのヒロイズムは俗物の悲惨のなかから近代のファンタ スマゴリー(幸福の思弁的観念)を喚起するボードレールのヒロイズムの対蹠点である。」--ベンヤミン
・近代的な破局はボードレールにおいては憂鬱として、ワグナーにおいては神話として表現される。どちらも遥かな太古を現在において反復し、二つの時間を事 実によってではなくアレゴリーによって照応させるという本質的に非弁証法的な理念である。ベンヤミンはそれをアレゴリーとして表現すべきであると考え、ア ドルノは止揚すべきであると考える。前者は時間の人工的な回収(ないし反復)を肯定し、後者は否定する。
・ボードレールが描いたという「同一なものにおける新奇なもの、新奇なものにおける同一なもの」はこの差異と反復の絶えざる運動のことであり、流行を基盤 においた商品経済の法則であるが同時に、それを享受する人々がものを「使用」する立場から「消費」する立場へ移行し、商品の仮象によって編成された集団と しての大衆を形成したことを意味する。使用とは有用性において物と持続的に交渉することであり、消費とは仮象において物を即時的に解読していくことであ る。(2-4 永遠回帰と複製技術)


ここでも、先のベンヤミン-アドルノ対比である。ベンヤミンは「消費者」でアドルノは「使用者」ということかな?

・コンサートはホール用に特に作られた音楽だけではなく、感性的な出来事としてのあらゆる音楽をホールへ もってくることを可能にした。レコードはそれをさらに押し進める。録音可能な周波数帯域にある全ての音を家庭にもってくることができ、それを聴く時刻や音 量やある程度の音質や聴く姿勢や態度が全て個人の裁量に任されていてる。途中でやめることも適当に選んでとびとびに聴くことも、沈潜することも他の活動と 平行してバックで流すことも可能である。
・コンサート聴取者の操作が、既に決められたプログラム、時間と場所、会場の音響、座席、演奏の音量や質を所与の条件として、自己を適応させることにある のならば、レコード聴取者の操作は手持ちの装置とソフトの種類、部屋の音響を所与の条件として、既に挙げたような裁量の範囲内で自己を適応させることにあ る。
・反復は記憶の力を借りない。それはむしろ忘却に根ざした直接的な能動性であり、可能態ではなく現実的である。時間は不可逆的であり続ける限り二度目はな く、どの回も唯一でありしかもそれは無限回の反復、つまり永遠回帰の中の特異性(個別性)でなくてはならない。複製技術に唯一無二の[今・ここ]がないと いうことは、それが常に差異的な個別点として配分されることを意味される。
・ハイフィデリティ思想はみかけこそ技術至上主義だが、レコードにおける自然主義と呼ぶほうがふさわしい。
・我々が肯定するのは差異-たとえ微細であっても-をもちながら反復する模像としてのレコードである。模像という言葉には既に視覚的な意味がこめられてい る。次にそれを聴覚の方へ移動させなくてはならない。聴覚的な模像について語らなくてはならない。(2-5 レコードにおける差異と反復)


ここらあたりが、本書の山場かもしれない。

・レコードの良き聴取者とはそうした偶然を肯定し、偶然のあらゆる断片を結びつけ、宿命的で必然的な聞こえ てくる音の全てを肯定する人間のことである。反復可能性とは、単に何度も同じ音しかレコードから聞き取らないことではなく、レコードをかけるたびに、レ コードをかけていいる場をたまたま通りすぎるときに、宿命的な世界の本性として音を聴き直すことである。……良き聴取者にとってレコードをかけ直すことは まさに遊び直す re-play であるが、それは録音の作業に対して「再び」というわけではなく、盤自体がすでに「再び」なのである。はじめから遅れて いるということは、レコードをかける人間=遊戯者 player にとって本質的である。遊びは生を重苦しくするのではなく軽くすることでなくてはならな い。遊びは今ここにあるもので満たされることではなく、苦悩という否定を引き受けたうえでその報奨として歓喜という肯定をえることでもなく、生を直接的に 軽くすることである。(3-1 機会性と経験)

リプレイが「遊び直す」で、レコードのプレイヤーが「遊技者」という喩えは面白い。しかし、最後の文章はいまいちわかりにくかった。「生を直接的に軽くする」というのは、魅力的な言葉ではあるんだけどね。

・「フィーリング」という英語の、しかしその他のかなりの言語でそのまま使われている用語は、ポピュラー文 化の世界的なアメリカ支配を指すと同時に、そうした直感的な感覚性に対して多くの国語では従来の単語では表せない事態が生まれていることも暗示するといえ ないだろうか。
・ショックは予期されない。それはまさに意味論的なエッジの上を走る。エッジはいうまでもなく鋭利な暴力的な表層であり、意味はその危険な「走り」の真っ 只中でしか定着することができない。そうした表層をニーチェならば「遠近法的」な光学で捉えたことだろう。彼のプラトン批判を次のようにパラフレーズした い。洞窟の中で影しか見ない人間に、それは虚偽だとさとす「外」の立場がないこと、見えているものが全てであり、それは誰にも見えない原形を反映している のではなく、岩壁の表面の微妙な凹凸こそが影の本性を決める、そして岩が凹凸しているのに即して影が凹凸している、影を観察することで見えてくるのは影の 「本体」ではなくむしろ壁の本性である、という考え方である。効果とはとりあえずこの影である。それは何かを表象するのではなく、それ自体現実であり、直 接作用を及ぼす。ただし岩壁は影の白紙状態の受け皿ではなく、影によって、その他の偶発的な出来事によって侵食を受け風化されることもあると考えなくては ならない。(3-2 効果の美学)


とうとう、ニーチェまで出てきたか(@_@)。しかしこれは、ソンタグ「写真論」の冒頭の「プラトンの洞窟で」の解釈と受け取られなくもない。でも、よく理解できない(>_<)

・ヨーロッパのある時期の芸術音楽では理論的な要になっているハーモニーやメロディは必ずしもサウンドの知 覚にとって決定的ではなく、その聴き手はそれと同等にあるいはそれ以上に音色とリズムに耳を傾ける。……サウンド聴取は意味内容の理解を排除しないが、 それを前提ともしない。むしろ声自体、音素自体が持っている「肌触り」が重要で、声がどのような効果をもつかに関心が絞られる。
・白人ロックンローラー、エディ・コクランの1958年のインタビューを引用する。「ロックンロールではビートは人の声のほんの付け足しなんだ。声が気持 ちの昂りと結びついて、他のタイプの音楽じゃ感じられないような特徴をロックンロールに与える」。歌詞の内容ではなく、声の質がロックンロールの攻撃的で しかも感情的な魅力である。
・歌は楽器のように、楽器は歌のように、というアフロ・アフリカの音楽的伝統(20-30年代でいうとエリントン楽団のトリッキー・サム・ナントンのトロ ンボーン、ルイ・アームストロングのスキャット唱法、レスター・ヤングとビリー・ホリデイの共演、ロバート・ジョンソンのギター、スラム・スチュアートの ベースなど)は形を変えてその後のポピュラー音楽全体にも影響を与えている。フィーリング、サウンドという言葉の意味を固定化しようとする試みが遠からず 暗礁にのりあげるのは、それが意味の、したがって感覚のエッジで危ういバランスを保っているからである。
・プレスリー以降、レコードはライブの代理体験ではなく、全く別の身体性を聞き取るための道具となった。
・サウンドは決して「認識」の対象ではない。それはむしろ「遭遇」の対象である。遭遇は能動でも受動でもない。それは環境が準備する予期せぬ出来事、宿命である。
・コンサート・ホールの椅子で聴く以外に何もしていない状態が必ずしも能動的で集中的というわけではないように、他のことをしながら、あるいはぼんやりし ながら「聞こえてくる」音に「身を任せる」ことが受動的で散漫というわけではない。思考はもともと無際限でとりとめがなく、音楽は思考に正しい句読点を打 ち、それが自ら展開していくのを助ける。
・音楽は音楽以外のものまで含めた思考全体の随伴者であり、基本的には思考を停止しないように前へ促す。内話が個人の思考の発展の大きなメルクマールであ るならば(ヴィゴツキー)、「内話」もまた音楽の聴取を学ぶうえでの必要不可欠なメカニズムといえる。音が経験されるとはこのような音の無定型な身体化、 襞となって内側にはいりこみ、身体の運動や思考の速度とチューニングされ共振する過程を指す。下聴音は意識の表層をひっかき振動させる触知される音のこと であり、内触覚性の存在を暗示する。それは言語と非言語のエッジに立つ。(3-3 「サウンド」)


ここらあたりは、Morris.にもおなじみの歌手や演奏家の名前が出てきて興味深かった。もっとも、後半はやっぱり難解ぢゃ。

・演奏家が私的に部分練習を積み重ねて作品という全体を完成させたのと逆に、レコードの聴き手は完成したは ずの全体を思いのままに分解し、自らの経験に応じて「編集」する。レコードの聴き手は音楽を自分の都合のよいサイズに切って揃える。……レコードやコン サートで最初の一音でその演奏全てを判定できると「感じる」ことがある。ショックがその瞬間に全身を走ることもある。あるいはそれを競うクイズ番組があち こちにある。そのときには決して作品の構造を聴いているのではなく、サウンドだけが耳に作用している。そしてそれを非難するならば、直観の力能を否定する ことになるだろう。
・「ながら聴取」は退化の象徴のように言われる。しかし別の実践に付随する音楽ではなく、音楽が聴取行為とその他の行為の間に挿入され、生に新たな地層を もたらすとはいえないだろうか。二つの行為の中間を補充するというよりも、隙間を作り出すことと考えられはしないだろうか。集中は音楽にたいする態度の一 つである。しかし散漫が別の態度として認められるとき、芸術と生は隙間をもって重ね合わされる。その隙間こそ臨界的=批判的な契機として、芸術ばかりでな く生をも変えうるのである。
・感覚的なるものの力は、ちょうど感覚的な存在と感覚的なるものの存在を区別したように、感覚的な力とは異なる。後者は認識される力であり、前者は遭遇さ れる力である。我々がサウンド=効果と呼んだのは実はこの力なのである。美的経験とは、あらゆる場・音に潜在する感覚的なるものの力を顕在化することであ る。そしてこの力とは、反復されるたびに露わになる差異の強度のことである。
・我々は逆に多元主義に活路を見出す。そしてそれを音楽的に実践し、およそ考えうる限りの混淆をやってきたポピュラー音楽によってそれを支持しようと思 う。作品ではなく経験を選択したときに予感されたことだが、もはや芸術という制度を必要としない美的経験が我々のまわりにはいくらもある。日常生活との止 揚という弁証法的な解決ではなく、その中にいつのまにか紛れ込んでしまったのである。(3-4 作品から経験へ)

「ながら聴取」の是認、肯定はMorris.にはすごく嬉しく感じられた。もちろん、Morris.の「ながら」とはレベルの違う意味があるみたいだけど、耳に心地よい部分だけ聴いておこう。

・ポピュラー音楽の特徴としてここでは商品性、メディア性、テクノロジー順応性、サウンド指向性という五点を挙げておくがこれは暫定的なものにすぎない。
・ポピュラー音楽にとって美的判断と商業的判断は背反するもにではに。売れるものが全員一致でポジティブに判断されているわけではないし、売れるというこ とが美的な価値を下げるものでもない。また商業性はポピュラー音楽の経験がサウンドと個別的なものに属していながら、それが集団的な記憶となり、例えばあ る時代のシンボルとなったり、ある世代の共通の思い出となったりすることと無縁ではない。
・ポピュラー音楽のサウンドの政治性を正面から扱ったものにジョン・ストリートの『ロックの反逆』(1986)がある。彼によれば、ロックは制度的な公私 の分離を無効にし、私的な時空間に「みんな」を、公的な時空間に「わたし」を持ち込む。それはただちに世界を変えるものではないし、聴き手を運動に誘い、 音楽家を政治家にするわけでもないが、日常的な快楽を通して、我々が何なのか、何を欲しているのかを教える方法の一つである。
・レコードは音楽を社会経済的には商品としてパッケージし、美学的には音響そのものに還元し、美的な経験の質を根本からくつがえすことに成功した。音楽は反復されるたびに差異が生れるという新たな運動を開始するようになった。(3-5 ポピュラー音楽の方へ)


何でもあり、ということか\(^o^)/


103

【写真の時代】富岡多恵子 ★★★☆ 1991/08/30 筑摩叢書。初出「カメラ毎日」(1976-78)連載 毎日新聞社刊(1979/01)。ソンタグの「写真論」読んで、反射的に思い出したのがこの本である。これは筑摩叢書が出てすぐくらいに読んだ記憶がある。

・数年前、外山滋比古の『近代読者論』という著書によって、小説や詩がいかに読者と密接して発達してきたか を改めて知って驚いた体験がある。……写真も、もっぱら写真を写す側の立場からの写真論で、写される側の表現や論理はいまだないように思えるがどうであろ う。(モデルは聖者である)

外山の「古典論」を読んで、Morris.も何かこれと近似の感想をおぼえたことがある。

・素人は才能によって突然、玄人を超えられるが、ニセの玄人は永遠に玄人にはなれないのだ。月例コンテスト 流の流儀は、だからとどのつまり、その流儀の中での、ニセ玄人をつくっていくので、年々歳々ひとが変わっても、その流儀のつまらなさは変わらないのであ る。(月例コンテスト写真)

確かに写真コンテストの写真は見るのがつらいものがある。

・慰安所規定
一、本慰安所ニハ陸軍々人軍属(軍夫ヲ除ク)ノ外入場ヲ許サス
入場者ハ慰安所外出証ヲ所持スルコト
一、入場者ハ必ス受付ニオイテ料金ヲ支払ヒ之ト引替ニ入場券及「サツク」一個ヲ受取ルコト
一、入場券・料金左ノ如シ
下士官兵、軍属金貳圓
一、入場券ノ効力ハ當日限リトシ若シ入室セサルトキハ現金ト引替ヲナスモノトス
但シ一旦酌婦ニ渡シタルモノハ返戻セス
一、入場券ヲ買ヒ求メタル者ハ指定セラレタル番號ノ室ニ入ルコト但シ時間ハ三十分トス
一、入室ト同時ニ入場券ヲ酌婦ニ渡スコト
一、室内ニ於テハ飲酒ヲ禁ス
一、用済ミノ上ハ直ニ退室スルコト
一、規定ヲ守ラサル者及軍紀風紀ヲ紊ス者ハ退場セシム
一、「サツク」ヲ使用セサル者ハ接婦ヲ禁ス
*以下判読困難(時間帯などと思われる)
東兵站司令部(不許可写真)

従軍慰安婦に関してはいろいろ思うこともあるのだが、この「慰安所規定」の画像を見るだけで、その思いがぶっ飛んでしまう気がする。

・日本の写真家が外国の見知らぬ土地へゆき、そこの土地を写した写真にはたいてい失望した。……手軽な海外 取材小説のようなものだった。……だいたい日本のユーメイ写真家の写真は、小説でいえば、安物の大衆小説すぎる。大衆小説はいいのだけれども、安物すぎ る。(絵のような写真)

Morris.の韓国写真はこの範疇から逃れているのだろうか? それ以前という疑問もあるけどね(^_^;)

・E.J.ベロックという不思議な人物の『ストーリーヴィル・ポートレイツ』という写真集を見て、溝口健二 の、女が「カラダを得る」世界を扱った映画をしきりに思い出した。すべて娼婦のポートレイトであった。全裸と着衣と半々ぐらいである。ハダカの写真にも服 を着ている写真(教会へでもいくようにきちんとした服を着ているのもある)にも、わたしはおなじくらいに感動した。

ダイアン・アーバスの写真との連環を感じてしまった。

・わたしは、詩画集や、詩と写真の組合せのごときものは、詩にも絵にも写真にも、少しの得ももたらさないと かねてから思っている。もし詩がきわめていい場合、いっしょにそこにある絵や写真は吹き飛んでしまう。また、つまらぬ場合は、ただ視覚的に邪魔なだけで、 説明文の役もはたさぬ。また、いい写真や絵は説明をこばむはずだ。いい場合も、悪い場合も、どちらも損するだけなのだ。詩と絵、詩と写真が、適度の闘争と 適度のバランスを保って共存し、しかもおたがいを闘争によって高めあうなどという幸運な「出会いの瞬間」なんて、そうザラにあるものではない。とにか く、、写真が安易に詩と結婚するのはハンターイと叫びたい。(写真の日本画)

この部分が本書を最初に読んだときの強烈な印象として残っている。今でもその通りだと思う。

・建物を写す写真は、写真として「作品」らしく上手すぎては困るのである。……建物に惹かれているのか、写真に惹かれているのかわからぬうちに、建物の内部にいる、一種の恍惚に酔い、建物の外観を眺める楽しさを味わえるのがのぞましい。
・こういう建築写真にあっては、写真家の表現はひかえめにならざるをえない。そしてひかえたところから、逆に、写真家の建築物への「愛と教養」がでてしまう。
・プロならば技術があるのは当然で、わたしはひとりの観客としてあくまでライトの建築物のすばらしさにかんどうしたのだ。これは建築写真家の光栄にほかならないと、他人事ながら羨望する。(ひかえめの美学 増田彰久『フランク・ロイド・ライトの世界』)


増田彰の建築物写真を富岡がこれだけ見事に賞賛していたということを見落としていた。二人に申し訳ないと思う。それにしても増田の建築写真は素晴らしい。本書の小さな二葉の画像だけでも震えがきた。

・玄人というのは、写真に限らず、芸をすり切れるまで酷使して、なお売り続ける芸を支度する宿命があり、しかもその酷使で初心がすりきれてしまっては、じつは廃物なのである。
・素人と玄人、芸と芸術の話になると思い出す土方巽から聞いたタトエ話。
昔貧乏人の子がサーカスに売られて、両脚を水平に開いて頭を地べたにつけろといわれても頭はつかない。しかし、それをやらないとその日の晩飯がもらえない とわかると股が裂けても頭は地べたにつく。一方、バレエを習っている金持の娘は、一日一日と合理的に開脚の練習をしてきているから頭は地べたにつく。ただ し、その日はじめて綱を渡れといわれたらこわくてすぐに綱から落ちる。股を裂いた子ははじめから綱を渡るというハナシである。(青春と時代の憂鬱)


富岡の芸人意識だな。嫌いじゃないけどちょっと「クサイ」(^_^;)。

・このカメラ好き、写真好きは、なにやら、昔の庶民が日常の中で好み親しんだ、遊びの代わりのように思えて ならない。下手な俳句をひねり、歌を詠む。盆栽をいじり、朝顔を育てる。義太夫節の素人稽古。小唄端唄の稽古。また、日常の中に、茶や花がある。こんな に、だれもかれもがカメラをもち、写真を撮るのを好むのは、日本人の遊びが、自分でなにかをする、なにかをつくり出す、そういう種類の遊びだったからではな いか。(庶民の遊び)

これはMorris.のデジカメ好きの理由をあっさり剔抉したみたいな言説であるな(>_<)。

・あらゆるモノ、あらゆる人間、あらゆる文化、あらゆる生活、などなどは、写真を撮られるために存在してい るのではない。これは写真だけのことでなく、あらゆるモノ、あらゆる生活、あらゆる文化は、研究されるためにも、記録されるためにも、小説に書かれるため にも存在していない。(写真のためにはなにも存在しない)

これが富岡の「結論」なのかもしれない。まあこれはある一方へバイアスのかかった物言いだろう。Morris.は「何でもかんでも写真のために存在してる」のだと。いちおう反論しておきたい(^_^;)

ソンタグの「写真論」と富岡の「写真の時代」。ほとんど同時期に日米で書かれたこの二つの写真論を、30年を閲して、どちらも現時点で読むに耐える内容を 持ち続けていることに一種の感動を覚えた。先に引いた外山の「古典論」に準じると、このニ書は古典になりつつあると言えるのかもしれない。
富岡の写真やモノの見方は、南伸坊に通じるものがあるような気がした。


102

【写真論】スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 ★★★★ 1979/04/10 昭文社。原著は1977年アメリカ刊。初出は『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』誌。
Morris.は結構写真関係の本はたくさん読んでる方だと思う。カメラは安物のコンパクトデジカメ一本やりだから、あまりテクニックとかには興味ないのだが、写真には関心が高く、写真のことを書いた本そのものも好きなんだろう。
それらの本で、しばしば言及されたり引用されたりしてたのがこのソンタグの「写真論」で、読まねばと思いながらも、神戸市立図書館は所蔵してなくて、ほったらかしになってたのだが、やっと先日、県立図書館の蔵書を取り寄せてもらった。
写真論「プ ラトンの洞窟で」「写真でみるくらいアメリカ」「メランコリーな対象」「資格のヒロイズム」「写真の四福音書」「映像世界」「引用の小冊子」の7章から なっているが、最終章はタイトル通り引用集だから、雑誌に発表された6篇の記事をまとめたものということになるのだろう。実に読み応えがあった。なかなか に手強い文章で、Morris.には珍しく読み通すのにかなりの日数を要したし、付箋だらけにもなった→
ということで、いつもに増して、引用の大洪水になっている。

・写真を収集するということは世界を収集することである。

・写真を撮るということは、写真に撮られるものを自分のものにすることである。

・写真は証拠になる。話には聞いても疑っているものでも、その写真を見せられると証明されたように思うのである。

・写真は絵画やデッサンと同じように世界についてのひとつの解釈なのである。写真の撮影が比較的対象を選ばぬ無差別的なものだったり、自分が表に出ない場 合でも、計画全体の教訓的傾向が減るというわけではない。写真の記録がもつこの受動性--それと偏在性--こそが、写真の「メッセージ」であり、攻撃性で ある。

・観光客は自分と、自分が出会う珍しいものの間にカメラを置かざるをえないような気持ちになるものだ。どう反応してよいかわからず、彼らは写真を撮る。お かげで経験に格好がつく。立ち止り、写真を撮り、先へ進む。この方法はがむしゃらな労働の美徳に冒された国民であるドイツ人と日本人とアメリカ人にはとり わけ具合が良い。ふだんあくせく働いている人たちが休日で遊んでいるはずなのに、働いていないとどうも不安であるというのも、カメラを使えば落ち着くので ある。彼らにはいまや労働を優しく模倣したような手仕事が出来た--彼らは写真を撮ればよい。

・いまはまさに郷愁の時代であり、写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。
醜悪な被写体もグロテスクなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがため に、哀愁の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるもの(メメント・モリ)である。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや 無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。

・写真は偽りの現在でもあり、不在の徴しでもある。

・写真は時間の明解な薄片であって流れではないから、動く映像よりは記憶に留められるといえよう。

・厳密にいえば、ひとは写真から理解するものはなにもない。……カメラによる現実描写はつねに明かすことよりも隠すものの方が多いにちがいない。(プラトンの洞窟で)


「プラトンの洞窟で」というタイトルそのものがよく理解できなかったが、上記の引用句の群は、それぞれMorris.に強い共感と疑問をもたらした。写真の多様性と、撮影する側とされる側の微妙な関係、二面性の多様さ(^_^;)が面白い。

・撮影することは重要性を授けることである。おそらく美化しえないような被写体はないであろうし、さらにすべての写真に本来備わっている、被写体に価値を付与しようとする傾向を抑える方法はない。

ソンタグの「写真論」といえば「写真に撮られたものはすべて美しくなる」というテーゼがその中心だと何となく思っていた。この「美化しえないような被写体はない」というのも、その一環だと思った。

・アーバスの写真では、だれもがのけ者で、どうしようもなく孤立しており、機械的で片輪であることの実体と 結びつきのなかに不動化しているような世界を暗示することによって、同じくきっぱりと政治の値打ちを下げている。……アーバスの作品でもっとも心を打つ面 は、彼女が芸術写真の一番迫力のある計画のひとつ--犠牲者や不運なものに眼を向けること、しかしこういう計画につきものの同情を惹く目的はなくて--に さんにゅうしたらしいということである。(写真でみる暗いアメリカ)

ソンタグはダイアン・アーバスへの思い入れが強かったようだ。一冊だけ彼女の写真集(例の双子の)を見たことがあるが、Morris.にはあまりぴんとこなかったのだけど……また見なおしてみよう。

・引用文(および相矛盾する引用文の並列)の趣味はシュルレアリストの趣味である。したがって、ヴァルター・ベンヤミンのシュルレアリストの感受性は記録上だれよりも深刻なものだが、彼は引用文の熱心な収集家だった。

・引用によって散文小説や絵画、映画を組み立てること--たとえば、ボルヘス、キタイ、ゴダール--がシュルレアリスト趣味の専門例であるように、以前は 複製絵画がかかっていた居間や寝室の壁に、いまは写真を貼ることがますますふつうの習慣になっているということが、シュルレアリスト趣味が広く普及してい ることの印なのである。(メランコリーな対象)


「引用」好きなMorris.、というか、最近のMorris.の読書控えはほとんど、引用中心になってしまっているが、これがシュルレアリストの趣味というのは、何か嬉しかった(^_^;) 今やこの趣味が(写真によって)広く普及しているという文脈だとしてもね。

・だれもかつて写真を通して「醜」を発見したものはなく、多くは写真を通して「美」を発見してきた。

これも先に書いた「写真に撮ると美しくなる」の一例だと思った。

・写真はなによりもまず美しくなくてはならないというスティーグリッツとストランドとウェストンの考えはい までは内容に乏しく、無秩序の真実に対して鈍すぎるように思える。それはバウハウスの写真観の背後にある科学と技術に関する楽天主義が、ほとんど有害と思 えるのにも似ている。ウェストンの映像はいかに見事な、いかに美しいものであろうとも、多くの人びとにとっては興味が薄れてきた一方で、たとえば19世紀 半ばのイギリスとフランスの素朴な写真家やアツジェが撮ったものはますます心をとらえるようになる。

バウハウスへのこの批判(毒舌)にはちょっとびっくりしてしまった。「科学と技術への楽天主義」!! うーーーむ、言われてみれば、なるほどでもある。

・無思慮で、気取らない、また無慈悲なことも多い写真の目的が、美ではなく真実を明かすことであると宣言し ても、写真はやはり美化してしまうのだ。実際、写真の収めた勝利で一番長持ちするものは、つまらないもの、ばかげたもの、老朽化したものに美を発見するそ の適性であった。

「写真の美化作用」連発ぢゃ。ところが…………

・ヴァルタ・ベンヤミンが1934年、パリのファシズム研究所でおこなった講演の中で述べたように、カメラ は「今やアパートでもごみの山でも、写真に撮れば必ず美化してしまうようになった。河川ダムや電線工場はいうまでもない。これらの前に立てば、写真術は 「なんて美しい」としか言いようがない……其れは赤貧そのものをも当世風の、技術的に完璧な方法で扱うことによって、楽しみの対象に変えてしまうことに成 功したのである。」

おいおい、Morris.がずっとソンタグの専売特許と思ってたことは、本書より30年以上前にベンヤミンが言ってたのかあ(@_@) ベンヤミン……名前と「複製技術時代の芸術」という書名はよく耳にするのだけど、まともに読んだことはないな。これは、要チェックかも。

・カメラは経験を小型化し、歴史を光景に変えてしまう。写真は同情を生み出しもするが、同じく同情を切りつめ、情緒を引き離しもする。写真のリアリズムは、感覚的に刺激的であるだけでなく、道徳的には痛まない現実的(リアル)なものについての混乱を生み出している。

・写真による世界の獲得は、その現実についての覚書きの無限の生産と相まって、あらゆるものを同族化する働きがある。写真術は美しい形態を明らかにすると きに劣らず、事実を報告するときでもやはり縮小する。人間の物性を暴き、物の人間性を明かしながら、写真は現実を同語反復に変えてしまう。カルチエ=ブ レッソンが中国に行けば、中国には人民がいて、彼らは中国人であることを示すのだ。

・写真についてなされたヒューマニストの主張が示唆するものとはちがって、カメラが現実をなにか美しいものに変えてしまう能力は、真実を伝達する手段としてはカメラは相対的に弱いことからきているのである。(視覚のヒロイズム)


この最後のフレーズはなかなかに深い。ベンヤミンの「写真の美化」を「カメラが真実の伝達には相対的に弱いことに起因する」というのは、逆転の発想であり、納得させるところがある。

・プルーストのような芸術家の、自己犠牲の上での想像の苦しみと較べれれば、写真撮影の手軽さほどかけ離れ たものはないといえるだろう。それは公認された芸術作品の制作活動の中では、指で触れるというたった一回の動作で完全な作品を生み出すという唯一のもので あるにちがいない。プルースト的労苦が現実ははるか彼方にあることを前提としているのに対し、写真には現実的なものへは即座に接近できるという含みがあ る。しかしこうして即座に接近する結果はまた距離を生み出すことになる。世界を映像の形で所有することは、まさに現実の非現実性と疎外とを再体験すること になるからだ。

・写真をただ利用できる範囲で記憶の道具と考えることによって、プルーストはどうやら写真というものの意味を取り違えているようである。それは記憶の道具というよりもむしろ記憶の発明であり、その置き換えなのである。


「記憶の発明」すごい、すごい発明的フレーズぢゃ(^_^;)

・写真には自己陶酔的な利用法も多々あるが、それは世界に対する私たちの関係から人間味を失わせる強力な道 具でもある。そしてこの二つの利用法は相互に補足しあうものである。どちらから見るのが正しいということもない双眼鏡のように、カメラはエキゾチックな事 物を身近なものにし、見慣れた事物を小さく、抽象的で不思議な、ずっと縁遠いものにする。

双眼鏡をひっくり返して見るという比喩はいささか強引な気がしないでもないけど、ズームとマクロのことかいな。

・アントニオーニの映画(『中国』)は中国人が自分たちについて発表するどんな映像よりも多くをありのまま に語っている。中国人は写真が非常に多くを語ったり、非常におもしろいものであることを望まない。彼らは世界を奇異なアングルから眺めたり、新しい被写体 を発見することを望まない。写真はすでに述べられたことのあるものを展示するものとされている。私たちにとって写真は定り文句(クリシエ 陳腐な表現と写 真のネガの両方を意味するフランス語)を作るのと「新鮮な」見方を給仕するための両刃の道具である。中国当局にとっては定り文句(クリシエ)だけがあっ て、彼らはそれらを定り文句(クリシエ)ではなく、「正しい」見方と考える。

・写真はたんに現実のものを複製するだけではなく、それを再循環もさせる。……定り文句(クリシエ)は再循環させられて後続定り文句(メタクリシエ)となる。……私たちは写真をまさにどんなことでもいえ、どんな目的にも役立てられる手段にする。


「クリシエ」がフランス語では写真のネガという意味も持つというのははじめて知ったが、「定り文句」という訳語にはちょっと違和感を覚えた。まして「後続 定り文句(メタクリシエ)」となるとあんまりだと思う。「「新鮮な」見方を給仕する」てのも、なんか変だし。本書の訳文に関しては、あちこちで、同様な違 和感を覚える事が多かった。
そもそも本書のいたるところに出てくる「映像」という語が、「写真」「プリントされた写真」「スチール写真」の意味で使われているのが気になって仕方な かった。Morris.は「映像」というと、映画やビデオなどの作品そのものや、動画というイメージが強かったからだ。さっき「大辞林」見たら 1.映画・テレビ・写真などの画面に映った、ものの形・姿。とあったから、誤用というわけではないのだろうが、何かしっくりしない。これは本書の出版時から現在までの間の変化によるものかもしれない

・世界中のものがなんでもカメラにとって材料になるというこの仮定の底には二つの態度がある。一方は鋭い眼 で見ればどんなものにも美が、あるいは少なくとも興味があることがわかる。他方はあらゆるものを現在か未来のなにかの利用の対象として、評価、決定、予言 の材料として扱う。前者によれば、見てはならないものはなにもない。後者によれば、記録してならないものはなにもない。

・資本主義社会は映像に基づいた文化を要求する。それは購買欲を刺戟し、階級と人種と性の傷口を麻痺させるために大量の娯楽を供給する必要がある。またそ れは無際限の量の情報を集める必要があり、天然資源を開発し、生産性を高め、秩序を維持し、戦争をし、官僚に仕事を与えるためにはますます好都合である。 現実を主観化することと客観化することの、カメラの対の能力はこれらの必要に理想的に役立ち、それらを強固にする。カメラは先進工業社会の運営に不可欠な 二つの方法で現実を定義する。つまり(大衆には)景観として、また(支配者には)監視の対象としてである。


写真論から社会論に至るあたりが、ソンタグの独擅場なのかもしれない。

・写真の力は事実上私たちの現実の理解を非プラトン化し、映像と事物、複製とオリジナルの区別によって私 たちの経験を反省することがだんだんもっともらしさを失ってきている。映像を影になぞらえることは、プラトンの映像に対する軽蔑的な態度にかなってい た。……映像はいまやだれも想像しなかったほど現実的なものになった。そして映像が消費者中心主義者の浪費によっても枯渇することのないような、無尽蔵の 資源であるからこそ、いっそう自然保護論者の救済策を適用する理由があるのである。現実の世界が映像の世界を包含するもっとよい方法がありうるのなら、そ れは現実の事物についてだけでなく、映像についての生態学をも要求するであろう。(映像世界)

ここで最初の「プラトンの洞窟で」が説明されてるみたいなのだが、いかんせん、Morris.には理解できなかった(>_<) 「自然保護論者の救済策」??? いわゆる反語なのか? 勉強不足か(^_^;)

この後は、「引用の小冊子」からの孫引きである。

・あるものを体験して美しいと思うのは、体験のしかたを必然的に誤るということである。--ニーチェ

・アツジェは[パリのさびれた街を]犯罪現場のように写したという評判であるが、あたっている。犯罪現場にも人通りはないし、それを写真にするのは証拠と するためである。アツジェによって写真は歴史的な出来事の標準的な証拠物件となり、また隠れた政治的意識をもつにいたるのである。--ヴァルター・ベンヤ ミン

・マルセイユに行った。生活費がかからなかったし、仕事をするのが楽しかった。ライカを発見したばかりの頃である。それは私の眼の延長となった。だからめ ぐりあって以来ライカを手離したことはない。絶対に生を捉えてやる、生が生きて動いているままに封じ込めてやる、意を決して、大いに緊張し、今にも跳びか からんばかりの勢いで一日中街をうろつきまわった。とりわけ私の眼の前で姿を顕しかけている或る状況のエッセンスの全体を捉えて、一枚の写真の中に閉じ込 めてしまいたいとう思いが強かった。--アンリ・カルチエ=ブレッソン

・ダゲレオタイプはたんに自然の描写に役立つ道具ではない。……それは自然に対して自分を複製する力を与える。--ルイ・ダゲール(1938 投資家を募る回覧状)

・写真は視覚的編集の一方法である。根本は、ここという時にここという場所に立ち、自分の視界の一部をフレームで囲む、ということである。チェスやものを 書くのと同じように、与えられた可能性の中からの選択の問題であるが、写真の場合、可能性は有限ではなく、無限である。 --ジョン・シャーコフスキー

・プロジェクトを進めるにつれて、撮影する場所の選択はどうでもよいことが明らかになった。特定の場所は作品を作り出す口実になっているだけだった。……人は自分が見る用意のあるもの--特定の時に自分の心を映し出すものだけを見るのである。--ジョージ・タイス  


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【外来語】 楳垣実 ★★★☆ 1975/07/15 講談社文庫。一階の古本屋「ワールドエンズ・ガーデン」で買った一冊。極力読書は図書館に依存してるMorris.だが、この本は神戸市立図書館には無かったのだ。

この書物は昭和37年(1962)に『古典語典シリーズ』の一冊として、東峰出版株式会社から出版した『舶 来語・古典語典』の再録である。再録に当っては、原稿のまま眠っていた明治以後の部分を増補した部分は昭和42年に書いた。だから、記事の中には現在から ズレている点もあるが、訂正はしなかった。(あとがき)

1.蝦夷の巻 アイヌ語 
2.天竺の巻 古代インド語
3.唐・朝鮮の巻 中華・韓国
4.南蛮の巻 ポルトガル語・スペイン語
5.ジャガタラの巻 東南アジア諸語
6.紅毛の巻 オランダ語
7.黒船の巻 仏・英・米語
8.文明開化の巻 明治期の外来語
9.新人新風期の巻 大正期の外来語
10.雑語氾濫期の巻 昭和前期の外来語
11.空白虚脱期の巻 終戦期の外来語
12.国際交流期の巻 現在の外来語


つまり8章から12章までのほぼ半分がこの文庫ではじめて公刊されたことになる。経時的に分けられているが、昭和37年と昭和42年に書かれた文章だけ に、すでにレトロっぽい表現も多い。最後の「現在の外来語」が45年前の「現在」だけに、すでに死語と化した外来語も多い。「デシン」「ネグリジェ」 「シュミーズ」「スリップ」「ズロース」など衣類関係の用語が目立つ。

・湯タンポという暖房具、これは少々念が入っている。中華では湯婆子と書いてタンポツと発音する。「子」は ほとんど無意味に名詞や小さいものにつける接尾詞で、東北地方で「茶碗コ」「箸コ」なとど使うコに当たる。だから「タンポコ」だった。そのコは落ちてもさ しつかえはないが、タンポのタンは湯の意なのに、それを忘れてあの道具の名だと勘違いした。湯を入れるのだから「湯タンポ」だと使いだした。「御輿」に 「御」がついているのを忘れて「お御輿」といったのと似ている。(3章)

・ビロードはポルトガル語でヴェルードだが、英語のヴェルヴェットという語形が入ってきても、その位置はゆるぎもせず今日に及んでいる。ただ注意すべきこ とは、天鵞絨の天がビロードの意に使われていることだ。絹と綿とで作ったビロードの、英語でプラシュ(plush)と呼ぶものは、ブラシ天またはフラシ天 と呼ばれているし、綿ビロードのうねり織りは、一説にコーデッド・ヴェルヴェティーン(corded verveten)が言語だというが、コール天と呼 ばれている。このコール天のほうは、アメリカあたりではコードロイ(corduroy)と呼んでいるもので、おそらく、これに「天」をつけて、コール天と なったものだろうと、わたしは考えている。普通の綿ビロードは、英語ではヴェルヴェティーン(velveteen)呼ぶのだが、このほうも、音を日本化し て、別珍などと、だいぶん宣伝味を加えている。はじめはおそらく別珍ビロードだったのが、やがて別珍になったのだろう。(4章)


「コール天」や「別珍」もすでに死語になってるが、Morris.はよく使ってた。今や「ビロード」というのもあまり聞かない気がする。ファッション用語というのは、移り変わりが激しいということなんだろう。

・だいたい欧州の言語は、もともとインドあたりにあったアリヤン語から、分かれ分かれてできたもので、それ がインド・ヨーロッパ語族と呼ばれるものだが、その幹からまた幾つかの大枝が出ていて、ラテン語の流れを継ぐロマンス語族という中に、イタリア・ポルトガ ル・スペイン、それからフランスなどの言語が属し、スラヴ語族にロシア語その他共産圏の言語が属し、ゲルマン語族というのには、直系のドイツ語からオラ ンダ語・英語などが属している。そんなわけで、欧州の言語はみな親類なのだが、中に分家があって、ドイツ語・オランダ語などは分家の兄弟のような関係なの だから、まったく同じ単語もかなりある。ビールなどもそのひとつで、この場合は通商関係だけが決定の根拠にならざるをえない。ただし、それから先の語源と なると、欧州の学者達もお手上げで、不明ということになっている。
近年流行のビル屋上のビアガーデンとか、明治時代から使っていたビヤホールとかは英語だとわかる。ビール用のジョッキは、どうやら英語ジャッグ(jug) の訛りらしい。考えてみるとわれわれはまさに国際人なみで、飲料のビールはオランダ語、容器のコップはポルトガル語、ジョッキは英語と、欧州の各国語を使 いわけている。(5章)


ビールジョッキがジャグが語源というのは気づかなかった。「ジャグバンド」が「ジョッキバンド」になってた可能性無きにしもあらずだったわけか(^_^;)

・紳士用の二重マントというものもあり、これは英語でインバネス(Inverness)とも呼ばれた。本来 はInverness cloak,Inverness coatと使った語の下略で、インヴァネスというスコットランドの町の名から起こったといわれ る。その町から流行しだしたのだろう。袖のない外套と短いマントとを組み合わせたようなものだったから「二重マント」と呼んだのだろうが、そのマントの部 分を両手で横にひろげると、空を舞う鳶に似ているというので、「とんび」とも呼んだ。これなども和風の外套としてあつらえ向きだったので、あんなに流行し たのだろうが、大正末期から姿を消してしまった。(9章)

・英語でmodern girlsを使うとすれば、封建的でない民主主義社会に住み、物質文明の発達に恵まれ、人権の自由を十分に享受している近世の少女 たち全体を示す表現と受け取られるだろう。日本語でモダーン・ガールと使ったのは、ずいぶん意味がちがっていて、強いていえば、そういう英語での意味が背 景になっているのだろうが、思想や行動の面でもきわめて先端的な流行を追い、当然それが服装の面や言語動作に現われた、行き過ぎのおてんば娘、いわば英語 のflapperに近いような意味になる。しかもそれが極めて日本語的に、単数とか複数とかいう観念と無関係に、どちらの意味にでも使われた。
モダーン・ガールという語が生まれると、たちまち、こういう複合語の構成形式が一種の流行となる。
*イット・ガール('it' girl)「性的魅力のある女」(「イット」は米国の作家Elinor Glynの作品名。Clara Bowの主演の映画で流行語となった。
*ウーピー・ガール(whoopee girl)「わいわい(お祭り騒ぎする)女」
*ウルトラ・ガール(ultra girl)「超(先端的な)女」
*エヤー・ガール(air girl)「航空機の女乗客係」(のち、「スチュアーデス」となり、「エア・ホステス」と変わった)
*エレベーター・ガール(elevator girl)「女昇降機係」(外国では男性の仕事で婦人はやらない)
*エンゲルス・ガール(Engels girl)「マルクス主義にかぶれた女」(「マルクス・ボーイ」の対語)
*オーケー・ガール(OK girl)「(男性の要求に)すぐ応ずる女」
*オフィス・ガール(office girl)「女事務員」
*ガソリン・ガール(gasoline girl)「ガソリン・スタンドの婦人販売員」
*キャンプ・ガール(camp girl)「キャンプ場(に現われる)女」
*コーラス・ガール(chorus girl)「(歌劇などでの)コーラス出演者」
*サービス・ガール(service gilr)「客の接待をする女?」(英語では「下女」の意味)
*ショップ・ガール(shop girl)「女店員」
*ステッキ・ガール(stick girl)「ステッキ代用(に連れて歩く)女」(「ハンドバッグ・ボーイ」の対語)
*ストリート・ガール(street girl)「街娼」
*タッチ・ガール(touch girl)「愛撫用女性?」
*テケツ・ガール(ticket girl)「切符売り・もぎりの女」
*ドア・ガール(door girl)「扉(の前に立っていて、客のためにそれを開いたり、送迎の挨拶をする)女」
*バス・ガール(bus girl)「バスの女車掌」
*マネキン・ガール(mannequin girl)「(生きた)マネキンの女」(その後「ファッション・モデル」と変わった。
*ワンサ・ガール(ワンサgirl)「(映画などの)大部屋女優」(女優募集にわんさと押しかけて、いつまでもスターになれない連中)
きりがないから、これくらいでやめておこう。(10章)


ぎゃはは(^_^)(^_^) 並べるだけ並べておいて最後の言い訳がおかしい。

資源の豊富な広々とした国土に、少数の人間がゆったりと生活できるのならば、人間の生活は、物質的にはもち ろん精神的にも、きわめて健康であるだろう。その反対の場合には、当然不健康になる。人間の文明は大都会を作ったが、その人間の文明の作った大都会が、 作った人間に幸福をもたらしたかどうか。これはすべての人間が真剣に考えてみなければならない問題だと思う。というのは、東京都に日本の全人口の一割近く が密集しているという事実にしても、結局は地方にいたのでは食えないという、生きるための条件のきびしさを示しているように思われ、人間は、いわば好ん で、苦しみともがきの渦中に身を投げこんでいるように思われるからだ。
都会には人間を幸福にする設備が、いかにもととのっているように見える。暑い夏には冷房装置が完備している。けれども、その冷房が人間の身体にいろいろの 故障を起させていることも、医学者や心理学者が力説している通りである。医学の方では近年やかましくいわれるストレス(緊張)なども、都会生活の複雑で異 常な刺戟が、しらずしらずに人間の精神的健康をむしばみつつあることを、明らかに示している。人間が社会機構の歯車のひとつとして、自分の意志と欲望とを 働かせることなく、まるで機械のように他から働かされていると、欲求不満がだんだん昂じてきて、何かに代償を求めようとする。それが享楽を追い、スリルを もとめ、危険を冒そうとする。異常でしかも強烈な刺戟の追求になるのではないか。レジャーだ、バカンスだと、休むことより疲れることのほうに努力している のも、考えてみれば、まことにやむにやまれぬ精神的保養に対する渇望やあこがれのためのもがきで、はたしてそれでその目的が達せられるかどうかを考える と、気の毒だというより言いようがない。(10章)


「ストレス」という外来語のことから、こういった社会論をとうとうと披瀝するあたりが本書の特徴かもしれない(^_^;) 
語源の本に通じるものがあるが、まあ、気楽に読み飛ばす外来語をネタにした漫筆みたいなもので、時間つぶしにはなった。


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【僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記録】佐野眞一 ★★★☆  2013/05/20 集英社。週刊朝日の橋下関連記事(週刊誌スタッフ等との共同執筆)が、橋下側のいちゃもんから連載中止となり、何となくすっきりし ない立場になってた佐野眞一の最新作ということになると思う。初出は集英社の季刊誌「kotoba」に2012年と2013年に掲載されたものらしい。
沖縄といえば同じ著者の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を4年前に読んだ記憶がある。600pを超える大作だったが、Morris.にはいまいちの感が強かった。
本書は、沖縄戦を中心に、戦争孤児、集団自決の生き残りなどへのインタビューを中心にしたもので、前作とはかなり雰囲気が違う。
Morris.が余りに沖縄事情に無知なこともあって、本書でも目からうろこのさまざまのことを教えてもらった。
たとえば、沖縄戦で生き残った遺族住民への補償である「援護法」の遺族給与金の受給資格が、死んだ家族が「軍への協力者」という形歪められているという事実。

佐野 「援護法」で最も重要なポイントは、その適用者が"戦闘参加者"として靖国に合祀されるという"栄誉"だけでなく、遺族給与金という実質的な"利益"も得ていることです。沖縄戦で"英霊"になった人の遺族はいくらくらいもらっているんですか。4万円くらいですか?
石原(昌家) いえいえ、これがすごいんです。年度によって違いますが、ここ何十年前からは、年間一律でおよそ196万円
佐野 一人頭ですか?
石原 ええ、だから慶良間諸島で家族のうち4人が自決した場合は、196万円かける4人で、800万円近くになります。
佐野 それはバカになりませんね。
石原 ええ、バカになりません。だから僕は、産業らしい産業がない沖縄で大きな収入になったのは、軍用地料と遺族年金だと言ってきたんです。
佐野 つまり、金でがんじがらめにされている。これじゃ靖国合祀を取り消せという声が大きくならないわけです。石原さんが旧厚生省の役人は物凄く頭がいいと言った理由が、やっとわかりました。
石原 頭がいいというより、ずる賢い。国というのは、本当に赤子の手をひねるように国民を手玉にとるんです。

このマニュアルは、厚生省が1957年7月に作成したもので、そこには以下の"作業"に参加した者が「戦闘参加者」と認定されると規定している。
1.義勇隊(各町村ごとに調整) 2.直接戦闘 3.弾薬・食料・患者等の輸送 4.陣地構築 5.炊事・救護等雑役 6.食料供出 7.四散部隊への協 力 8.壕の提供 9.職域関係(県庁職員報道) 10.区(村)長としての協力 11.海上脱出者の刳船輸送 12.特殊技術者(鍛冶工) 13.馬糧 蒐集 14.飛行場破壊 15.集団自決 16.道案内 17.遊撃戦協力 18.スパイ嫌疑による斬殺 19.漁労勤務 20.勤労奉仕作業
沖縄戦でこれらの"作業"に従事した民間人まで、「戦闘参加者」と認定されることになった。
軍の命令で「集団自決」した民間人まで、「戦闘参加者」として靖国に合祀される"栄誉"ばかりか、「援護法」によって経済的利益を補償される。このアメとムチを使い分けたグロテスクさにこそ、沖縄戦の本質がある。


前作の資料収集に役立てた沖縄の古本屋の紹介をしながら、沖縄が日本とは別の宇宙であると断言するところは興味深かった。

こんな魅力的な古本屋は、東京・神田の古書店や、東北や関西じゅうの古本屋を探しても、絶対に見つからな い。それは「BOOKSじのん」の棚に並んでいる本が、お互いに呼応し合って、沖縄という宇宙を構成しているからである。いくら日本じゅうの古本が集まっ ている神田でも、日本という宇宙を構成しているわけではない。
これは別に茨城県の古本屋に入って宇宙を感じることはまずない。それは茨城が日本の一パーツにすぎないからである。
これに対して沖縄は、日本の一パーツなどではなく、れっきとしたかつての琉球王国である。王国とはすなわち宇宙である。どんな瑣末な事象にも琉球の宇宙世界が宿っている。
ここで白状すれば『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』は「BOOKSじのん」の棚に刺激されて書いた。


沖縄戦体験者は今に至るまで生々しい記憶と痛みを持っているのに、島全体として沖縄戦の記憶が風化していることへの警鐘。原因は戦争を語りにくくしている 土壌にあるとのことだが、これは、やはり基地料と遺族補償を憎みながらも、それらに経済的ににがんじがらめにされている沖縄の構造によるものだろう。体験 者はすでに一番若い者が70歳を超えている。確かに時間は残されていない。

蟻塚(亮二)氏は会うなり、「砕かれた心 沖縄戦と精神障害」という『沖縄タイムス』に寄稿した記事と、表紙に「沖縄戦と精神保健」と書かれた12ページのレジュメをくれた。
『沖縄タイムス』の記事には、沖縄戦を体験した人たちは高齢化しているが、彼らの記憶はいまだ生々しい、にもかかわらず戦争の記憶が風化しているのは、戦争を語る土壌と世論が保守化しているからだという主旨が述べられている。
その主張は、沖縄を長年取材してきた私に非常に強い説得力をもって迫ってきた。


琉球新報で2004年7月から2005年9月まで14回にわたって断続的に連載された『沖縄戦新聞』という特集記事に沿って経時的に論じられた第三章から、Morris.なりにピックアップして、沖縄戦の略年表を作ってみた。

1944/07/07 サイパン没落。
1944/08/22 学童疎開船の対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。学童775人が犠牲に。
1944/10/10 10・10空襲。米軍1369機の艦載機を投入。那覇市の9割が焼失、668人死亡、768人負傷。
1944/12/04 軍が北部疎開要求。
1945/02/10 北部へ10万人疎開。
1945/03/26 慶良間に米軍上陸、沖縄戦始まる。座間味島(234人)、慶留間島(53人)の集団自決。
1945/03/27 米軍の一部渡嘉敷島に上陸
1945/03/28 渡嘉敷島で集団自決。人口1500人のうち329人が犠牲に。
1945/04/01 沖縄本島上陸作戦の第一歩。上陸部隊だけで18万3千人。
1945/04/06 戦艦大和山口県徳山から出港。翌7日午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈。第二艦隊戦死者は3721人。
1945/04/16 飛行場占領目的に米軍、伊江島上陸。住民集団自決。日本側の死者は軍関係2千人、民間千5百人。
1945/05/05 日本軍の総攻撃失敗。日本兵約5千人が戦死。
1945/05/27 日本軍第32軍、首里司令部を放棄
1945/05/31 米軍、首里総攻撃。首里城に星条旗ひるがえる。
1945/06/23 午前4時30分、第32軍司令官・牛島満自決。沖縄戦終結。
1945/07/03 福岡に沖縄県臨時県庁。


実戦は45年3月末からほぼ三ヶ月である。この短い期間で日本側の死者18万8136人、これに対してアメリカ軍の死者・行方不明者は1万2520人である。数字がすべてはないが、この差を見るだけで、どのような戦いであったかおおよその見当はつくだろう。
日本人の死者の内訳は
・県外出身日本兵戦死者6万5908人
・沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
・戦闘参加者(戦傷病者戦没者遺族等援護法との関係で日本軍に協力して死亡した準軍属と認定された人数)5万5246人
・一般住民3万8754人(推定)
*(cf.Wikipedia)


基地の島沖縄で、米軍関係の犯罪が起きる度に、問題となる「日米地位協定」。日本政府もマスコミも及び腰、いや隠蔽に汲々としているかのようだ。

(『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛)を読んで、沖縄を訪ねる度に募ってくる根本的疑問が氷解したような気がした。私が沖縄に抱く疑問とは、沖縄は本当に日本なのかという根源的な思いである。
疑問はそれだけにとどまらない。沖縄のオスプレイ配備問題に指一本触れられない日本は、本当に独立した主権国家なのか。
この本を読むと、沖縄は日本の「植民地」であり、日本は「宗主国」アメリカの「属国」だということがはっきりとわかる。

「合衆国軍隊[米軍]の構成員は、旅券[パスポート]および査証[ビザ]に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員および軍属ならびにそれらの家族は、外国人の登録および管理に関する日本国の法令の適用から除外される」(日米地位協定第九条第二項)

米軍関係者は何のチェックも受けずに日本の米軍基地に到着し、そのままフェンスの外に出て行くことがでいる。そしてフェンス外でどんな不行跡を働こうと、基地内に逃げ込めば、もう罪は問われない。
これでは明治時代の不平等条約となんら変わらないではないか。

そして、集団自決の生き残りへのインタビューとその自決の中身への言及。これは読むのが辛い部分だった。

『渡嘉敷村史 資料編』には、集団自決の地獄絵図を目撃して『ニューヨーク・タイムズ』の記者に語った米軍第7師団の兵士の生々しい証言が紹介されている。

<「人間とは思えない声と手りゅう弾の爆発が続いた。ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると、『オーマイガットド』何というこ とだろう、そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供たちの泣き声だけだっ た。そこには200人ほどの人がいた。そのうち、およそ150人が死亡、死亡者の中に6人の日本兵がいた。……われわれは死体を踏んで歩かざるを得ないほ どだった。およそ40人は手りゅう弾で死んだのであろう。周囲には、不発弾が散乱していたし、胸に手りゅう弾をかかえて死んでいる者もいた。木の根元に は、首を絞められ死んでいる一家族が毛布に包まれ転がっていた。母親と思われる35歳ぐらいの女性は、紐の端を自分の首に巻き、両手を背中でぎゅっと握り しめ、前かがみになって死んでいた。」>

『渡嘉敷村史』は、この『ニューヨーク・タイムズ』の記事を引用したあと、次のように続けている。

<一般に「集団自決」と言われているが、実態は親が子を殺し、子が年老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺すといった親族殺しあいの集団虐殺 の場面であった。誰が命令したかということも重要なことであるが、いくら狂気の時代とはいえ、「なぜ、肉親同士の殺しあいができたのか」という、自らへの 問いかけが必要であろう。乳幼児が自決をすることはできないはずである。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪過ノ汚名ヲ残スコトナカレ」という『戦陣訓』 できたえられれた皇軍の「玉砕」と、老幼婦女子の「虐殺」とを同列に考えることはできないであろう>

本書には、集団自決で、自分の母を石で殺したという生き残った息子へのインタビューもあるが、これはもう引用できない。
佐野眞一に望みたいことは、なるだけ近いうちに、ぜひ「橋下本」を出してもらいたいということである。


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【ことばから誤解が生れる】飯間浩明 ★★ 2011/05/10 中公新書。
間違えやすい日本語みたいな本は、たまに手を出すのだが、本書は、はっきり言ってつまらなかった。
三省堂国語辞典の編集やってる人らしいが、面白みに欠ける。唯一Morris.の目を引いたのは、以下の部分。

手をこまねく 1.何もせずに傍観している……40.1%
         2.準備して待ち構える……45.6%(「国語に関する世論調査 2008)

たとえば、「理想の結婚相手が現れるのを、手をこまねいて(本来は「手をこまぬいて」)待っていてはいけない」と言われた人が、「準備して待ち構えていてはいけない」と、まったく逆の意味に受け取るおそれが大きい、ということです。


毎年同じようなことを取り上げてる世論調査の「手をこまねく」の誤用だが、後の文章を見ると、いちおう「本来は手をこまぬいて」と書いてあるから、こまぬくの方が正しいことは知らないではないようだが、何となく面白く無い。


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【メフィストフェレスの定理】奥泉光 ★★☆☆ 2013/07/13 幻戯書房。地獄シェイクスピア三部作との副題で、「リヤの三人娘 1995」「マクベス裁判 1996」「無限遠点 2012」の三作の戯曲集である。
江戸薫主宰の東京シェイクスピアカンパニーのために書き下ろされたものらしい。
Morris.は奥泉の名前見ただけで中身も見ずに借りてきたのだが、これは期待はずれだった。リヤ王、マクベス、ロミオとジュリエットという有名悲劇を、パロディ喜劇に仕立てたものだが、どこか滑りまくってる気がした。


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【昆虫の集まる花ハンドブック】 田中肇★★★☆ 2009/04/16 文一総合出版刊 趣味の図鑑も、いろいろ手を変え品を変えて多様化しているが、この出版社のハンドブックシリーズはヴァラエティに富んだラインアップである。

「サクラハンドブック」「イモムシハンドブック」「樹皮ハンドブック」「紅葉ハンドブック」「カエデ識別ハ ンドブック」「昆虫の食草・食樹ハンドブック」「イネ科ハンドブック」「雑草の芽生えハンドブック」「繭ハンドブック」「照葉樹ハンドブック」「足型足跡 ハンドブック」「シダハンドブック」「冬芽ハンドブック」「虫こぶハンドブック」「野鳥と木の実ハンドブック」「カエルハンドブック」「冬虫夏草ハンド ブック」「野草のロゼットハンドブック」「どんぐりハンドブック」「野鳥の羽ハンドブック」「サンゴ礁のエビハンドブック」「海辺で拾える貝ハンドブッ ク」「美味しい木の実ハンドブック」「酒米ハンドブック」「虫の卵ハンドブック」スミレハンドブック」「朽ち木にあつまる虫ハンドブック」「海辺の漂着物 ハンドブック」「海鳥識別ハンドブック」「シギチドリ類ハンドブック」「カモハンドブック」「身近な妖怪ハンドブック」「コウモリ識別ハンドブック」「カ モメ識別ハンドブック」「土の中の小さな生き物ハンドブック」「淡水産エビ・カニハンドブック」「アリハンドブック」「クワガタムシハンドブック」 「…………

ストレートなものから、ちょっとひねったものまで、いろいろだが、どれも100p足らずの小型本で、たしかに形態に便利で、観察時に持ち歩くに適している。
本書も140種くらいの花が紹介されているが、花の形態を、昆虫の給蜜法で以下の7つのアイコンに分類している。これはなかなかユニークだと思った。もちろん2つ以上が混交したり、どちらとも言えないものも多いけどね。

[花型のアイコン]
・独立-放射相称形で餌(蜜や花粉)は露出しているか浅く隠し、まばらに咲き、花間の移動には羽を使う必要がある。
・集合-餌は露出しているか浅く隠し、小さい花が密集して花間を歩行で移動できる。
・ブラシ-蜜は浅く、花が密集して雄しべ雌しべを長く突き出す。
・長管-蜜は細長い筒の底にあり、吸うには細長い口が必要。
・下向き-放射相称形で、下向きに咲く。
・はい込み-左右相称形で筒型、花の奥に蜜があり、頭や身体を入れて吸う。
・操作-左右相称形で、蜜や花粉は花びらを動かさないと採れない。


096

【八月のフルート奏者】笹井宏之歌集 ★★★☆ 2013/08/01 書肆侃侃房。
1982年8月1日、佐賀県有田に生まれ、2005年ネット歌壇の新人賞を受賞、2008年第一歌集「ひとさらい」を出し、これから、という2009年1 月24日に25歳で夭折した歌人の第三歌集。没後2011年に第二歌集「てんとろり」と、セレクト歌集「えーえんとくちから」が発行されているから、独立 した歌集としては4冊目ともいえるし、第一歌集は第二歌集と同じ装幀で再発行されているから5冊目となるのかもしれないが、Morris.はこの5冊すべ てを所持している。すべて学生時代から家族ぐるみで親交深い彼の母からの厚意で贈られてきたものだ。
収められた395首中251首は佐賀新聞読者文芸欄に掲載されたもので、残りも投稿歌や草稿である。第一第二歌集とは傾向を異にする作品であり、内容も家族やふるさとをテーマにしたものが多い。
ついついMorris.はそれらの歌に目が行ってしまう。

八月のフルート奏者夢に出てきんさるとは珍しか三回忌やったねタケ子ばあちゃん
三回忌独りに慣れたという祖父の遠くを見やる話の切れ間 -2004
床にあれど母は母なり咳き込みつつ子の幸せを語りて眠る
今は亡き祖母の歌いし南天の実は啄まれようやくの春
父親は酔いつつ星を二つ三つ下げて帰りき風冷たき日 -2005
割り箸は母の口紅あかあかと付けしままサーモンを挟めリ
木の間より漏れくる光 祖父はそう、このやうに笑ふ人であった
冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちゃんいつもうたひよつたろ -2006
ひろゆき、と平仮名めきて呼ぶときの祖母の瞳のいつくしき黒
目病みせし日々の窓辺を昇る陽をうつくしとだけ祖母は言ひけり
吾を産みし人のとなりに吾を生せし人は座りぬ コスモスに風
我が家といふ大き生きもの起きいでてまづ父親を吐き出しにけり -2007
わが父の眉毛のやうな雲浮かび郷里はゑまふ素振りを見せぬ
親子丼親子でたのむゆふぐれはただ訳もなく笑ひあふなり
菊の束かかへてあゆむときのまを小道に祖母の影立ちたまふ
葉桜を愛でてゆく母がほんとりと少女を生きるひとときがある
天山に未だ大熊の歩みゐるころの小さき祖父を思ひぬ -2008


最初の歌に出てくる「タケ子ばあちゃん」は武雄に住んでいた母方の祖母、2002年11月24日に亡くなっている。この葬儀にはMorris.も神戸から駆けつけ参列した。
葬儀の後、精進落としの宴会で、当時二十歳だった宏之くんに声をかけたら「さっきまでご愁傷さまとか言いよったばってん、もうみんな忘れたごと浮かれよっ とばいね」と、怒りではなく、呆れたというか、諦めを含んだ口ぶりでそうつぶやいたことを思い出した。それれから2年後に彼は歌を詠みはじめたということ になる。祖母の死が直接のきっかけとなったかどうかは知らないが、かなりショックを受けていたのだろう、と、今になって思う。
二番目の歌に出てくる祖父とMorris.はえらく仲が良かった。もちろん同い歳の息子(小中高から大学まで同じ(^_^;))と親友だったのが始まりだ が、何かと気が合って、関西に出てからも、帰省するたびに一緒に出かけたり、浜松の息子宅訪問の帰りに神戸に寄って泊まったりしてた。名前の省略形で「熊 さん」と呼んでたから、最後の歌の「小さき祖父=小熊」が、前の大熊と対になっているという楽屋落ちが見えてきたりもする。
夭折の後ネットで話題になったり、NHKや新聞、雑誌などで取り上げられたりして、彼の歌の人気が高まっていった。
ライトヴァースに近い新感覚の作品群はMorris.の好みとは微妙に違っていたが、面白い発想、鋭い観察、言葉遊びなどの要素を持つ歌も多くあって、普遍的な共感を呼ぶ作品だと思っていた。
この第三歌集の作品は、途中から文語、旧仮名遣(厳密ではないが)になっていて、これはMorris.には逆に読みやすかった。

八月のフルート奏者きらきらと独り真昼の野を歩みをり -2006

表題にも使われているこの歌は、佐賀新聞には選ばれなかった歌らしい。この歌集が出て、佐賀新聞文芸欄の選者は臍を噬む思いをしているかもしれない。まあセレクトに落ちこぼれはつきものだけどね。あるいは、だからこそ、この歌集が出た意義があるということにもなるだろう。

あはれあはれ安倍晋三のほほ肉のごとき夕雲水面に消ゆ -2007 

これは作品の質とか何かではなく、安倍晋三の名が出てきたことに驚いたのだ。この歌は2007年10月の作らしい。2007年9月26日に安倍は90代総 理を辞職している。だから、このうたは一種の社会風刺ネタと言えなくもない。この安倍が5年後にリバイバルして96代総理に就任するとは、誰も想像もしな かっただろう。「あはれあはれ」なのは、今の国民の側であるが(^_^;)

---* と蜘蛛たれてきて寒がりな振り子時計を演じはじめぬ -2007

このうたは横書きでは体をなさない(>_<) 「---(原文は破線でなく実線)」が蜘蛛の糸、「*」が蜘蛛自身の象形となっている。これは なかなか面白いが、朗読するときは困っていしまいそうでもある。彼は携帯電話やネット中心の生活だったらしいから、いわゆるフェースマークなども身近なも のとして使ってただろう。そんなところからこれを思いついたのかもしれない。後半にもう少し工夫があれば良かったのだけど、残念。

母の死もおとうとの死もなき五月、修司の手より渡さるる蝶 -2008

彼が寺山修司を読んでた、というのは、不思議ではないが、作品にまで名を出すということにちょっと意外な気もした。「われに五月を」は修司の最初の作品集 のタイトルでもあり、修司自身も五月に没しているが、その修司の手ずからわたされる「蝶」とは、何なのだろう? 「夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆ けどわが影を出ず」の屍の蝶か、「わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の」の「言葉」に仮託された蝶なのか、それとも……。こればかりはわ からないな(^_^;) 修司には「眼帯に死蝶かくして山河越ゆ」という句もあった。
もっとも、笹井宏之のうたに寺山修司の影響はあまり感じられない。「意外」といったのには、そのへんの経緯がある。

ふるさとは唄そのものであるゆゑに今宵も我はうたはれてをり -2007

本歌集ではこのうたが一番好きかな。説明もいらない平易な歌いぶりで乾いた感傷が、いかにも彼らしいと思った。

笹井宏之が生前開いたブログ「些細」は、現在も名義そのままに 存続している。物故者のホームページを、親族、友人などが記念として消さずに残しておくということは結構あるようだが、「些細」は実父が積極的に更新を続 けている。日々の写真や記録に過去の作品を配し、ファンとの交友、出版案内、マスコミに取り上げられた記事の紹介……これは先に逝った息子と遺された家族 との繋がりが現在進行形で持続記録されているという稀有なケースである。
裏返しにみれば、「親に先立つ不孝」をはたらいた息子が、亡くなってから親孝行を続けているという不思議な形態と言えるのかもしれない。


095

【評伝 ナンシー関】横田増生 ★★★☆ 2012/06/30 朝日新聞出版社。
ナンシー没後10年を記念して上梓された彼女の評伝。「心に一人のナンシーを」というサブタイトルは、大月隆寛の言葉らしい。筆者は、生前のナンシーと面 識は無かったらしいし、感覚的にもナンシーとは畑違いのタイプのようだが、かなりきちんと、調査、取材、整理が行き届いてて、Morris.の知らなかっ たいろんなことが書かれてあり興味深かった。
文中でインタビューした著名人は、宮部みゆき、土屋敏男、小田嶋隆、山藤章二、えのきどいちろう、イタバシマサヒロ、いとうせいこう、萩原健太、押切伸 一、白木理恵、山下マヌー、敷島、鈴木慶一、大月隆寛、松尾貴史、川勝正幸、高橋洋二、みうらじゅん……と多岐にわたっている。
巻末にあったナンシーの年譜をはしょって引いておく。

消しゴム版画1962 7月7日、青森市で「関ガラス店」を営む父・英一、母・節の長女として誕生。本名、関直美
1979 17歳のときはじめて消しゴムで作品を彫る
1981 高校卒業後上京
1982 法政大学第二文学部日本文学科入学
1985 「ホットドッグプレス」で仕事、ナンシー関(いとうせいこう命名)の名でデビュー
1986 消しゴム版画家を名乗る
1988 「ミュージック・マガジン」表紙イラスト担当(3年間)
1989 友人を訪ねニューヨーク一人旅
1991 初単行本「ナンシー関の顔面手帖」
1992 「何様のつもり」
1993 「小耳にはさもう」(週刊朝日連載開始) 「テレビ消灯時間」(週刊文春連載開始)
1994 デーブ・スペクターとの論争
1995 個人事務所設立
1996 パルコ、ロフトで個展
1997 六本木クラブで個展
1998 自動車免許個人教習開始
2000 「小さなスナック」(リリー・フランキーと対談)
2001 自動車免許取得
2002 6月12日永眠 享年三十九


四十歳を待たずに亡くなったというのは夭折にちがいないし、彼女が存分に活躍したのは10年ちょっとだったのかあ。ある意味ぎゅぎゅっと凝縮された10年間だったんだろうな。彼女が死んでからのテレビ番組の低落傾向は相当なものである。
94年のデーブ・スペクターとの論争というのは、知らずにいたが、以下のようなものだったらしい。

「こんな最悪の罵倒を受けたんだから、僕も彼女のことを『とんでもない〇〇のくせに!』と罵ってやろうと 思ったら周囲から止められてしまった。善悪という目に見えないことは断定してもいいのに『〇〇』というような写真を見れば誰にでもわかる事実はなぜか口に しちゃいけないらしいね。
彼女はタレントが嫌いだし、文化人が嫌いだ。コメディアンが嫌いで、司会者が嫌いで、新人が嫌いで、ベテランが嫌い。他人はみんな嫌いで、自分自身のこと も嫌いに違いない。愛しているのは、自分より太った女性だけなんだ。こうして彼女は手当たり次第に罵ることで何かの復讐を続けている」(「週刊文春 1994/03/31)

「私がタレントを見る価値基準は『おもしろい』か『おもしろくないか』かの一点のみだ。私はあなた(デーブを指す)を『おもしろくない』と非難したのだ。
それにしても、なんで『みんなでセラピー代を要求しようか』とか『今度の件で芸能界の何人かの人に、ナンシー関についてどう思うか聞いたら、みんな困った ように笑ってた』とか、主語を『我々』にしたがるのか。一人で怒ればいいじゃん。テレビに出てるときもいつもそうだけど、何をオドオドしているのだ。 『TVに出てくる人を片っぱしから罵っている醜い深海魚のような人生』『彼女は手当たり次第に罵ることで何かの復讐を続けている』か。
結局、『(こうゆう原稿を書くことを)ヤメロ』と言いたいらしいが、これは私の生業(なりわい)である。聞く耳持たん。それと、あなたには『片っぱしから 罵ってる』ようにしか読めないかもしれないけど、それじゃあお金はもらえないのである。自分で言いたくは無いが、『芸』なのである、コレも。あとさ、落と し込みみたいなとこに『太ってる』ばっかり持ってこられてもねえ。私も昨日や今日急に太ったワケでもないし、ま、ちゃんと読んでから怒ることだ」(「週刊 朝日」1994/04/08)

いまさらながら、デーブ・スペクターますます嫌いになってしまったよ。
それにしても、早死にの原因に肥満と過労が大きな要因を占めていたのは間違いないだろうから、ちゃんとしたマネージャーをつけるべきだったんだろうな。3年かけて自動車免許取得なんてやめておくべきだったろう。と、これも、言わずもがなのことである。
ナンシーの単行本は、図書館で目につくかぎり即借りて楽しませてもらった。本当は雑誌の連載などで、リアルタイムに楽しむ性質のもののはずなのに、後で読 んでも面白いというのがすごいところだろう。それから10ね以上たって読みなおしても古びないというのは、とんでもないことである。彼女の没後に古本屋で 最初の単行本「顔面手帖」を見つけてこれだけは購入、時々読み返してはナンシーの才能を愛惜した。
本書では、ナンシーの評価として、TVコラムに重点をおいている。たしかに、あの、読みの深さとストレートで辛辣な批判(愛情の裏返しと思う)とけれん満 載なのに可読性の高い文体は、かけがえのないものであった。それでもMorris.はやっぱり消しゴム版画の魅力に引っ張られてた部分が大きい。本書に はナンシーの消しゴム版画作品が見開きの左片隅に100点以上再録(これはナンシーの妹の協力によるもの)されてて、やっぱりこれ見るだけで Morris.は嬉しくなってしまう。本書の評点の半分はこれに依るところ大である(^_^;)


094

【楽園への道】バルガス=リョサ 田村さと子訳 ★★★☆☆2008/11/10 河出書房新社。原作2003年。めったに翻訳物は読まないMorris.なのだが、画家ポール・ゴーギャンとその祖母で女性解放家フローラ/トリスタンをとりあげてるということで、つい手にとってしまった。
このところ、広告界やらフリーライター出身のライトノヴェルを読み飛ばしてたMorris.には、重厚で内容の濃いヘビーノヴェルがずっしり応えた。日本の作品で言うと森鴎外の史伝ものの読後感に似たものがあった。
22章のこの作品は章ごとに交代でフローラとゴーギャンの晩年の行動が通時的に記されている。訳者の解説が簡にして要を得てるので引いておく。

『楽園の道』では構成として対位法が用いられている。奇数章では1844年4月以降のフローラの仏蘭西巡 礼の旅と、その行き先で彼女が回想する過去が重なって語られ、偶数章ではゴーギャンがタヒチに渡ってからの生活と絵画が描かれる様子、タヒチに渡る前の回 想や友人たちとの会話から過去が浮かび上がる形式が取られているが、互いに譲り合うことはない。主従のない物語を並置し、交差して重ね合わせる構成レベル での対位法は、フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法であり、ニが一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法である。
本作品では、意識や会話レベルでの連続性は保たれており、バルガス=リョサとおぼしき全知の語り手が話を展開させながら、フローラやゴーギャンに二人称で 語りかけるところに特徴がある。また物語の展開をスムーズに運ぶために直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられているが、これはすでに多くの研 究家から指摘されているように、彼が傾倒している騎士道小説の語りの手法を取り入れたものである。


バルガス=リョサ自身が歴史小説について述べている部分を孫引きしておく。

歴史的事実と歴史的人物という原材料を持ちながら小説を書くことはとても面白い。そのまま書くのではなくて、まったく自在に書くのだ。私はこの原材料を探すことに熱中してしまう。その過程で思想や人物や状況がトランポリンのように浮かんでくる。
作家が詳細な調査をするのは真実を見つけるためではなくて、なぜそうしなければならないかを認識しながら嘘を着くためである。作家とはウサギを猫に変えて 見せる手品師であり、この魔法の結果、もっともらしく感動させるものとなる。そして創作したものが、最終的に歴史をしのいで、集団の想像力の世界を支配す ることができるのだ。

これは日本でも時々蒸し返される「歴史そのままと歴史離れ」論議を軽く超越した次元での小説観だね。「真実をみつける」ぢゃなくて「嘘を書く」ぎゃはは\(^o^)/

二十五日目にメキシカン号はカーボ・ヴェルデ諸島のブライア港に錨を下ろした。
ブライアの白人と混血の住民はみな、黒人を捕まえ、売買することで生計を立てていた。このポルトガルの植民地では人身売買が唯一の産業だった。メキシカン 号の船底を補修するのにかかった十日間に、この土地でフローラが見聞きしたことすべてが、そして知り合った人間すべてが、彼女の胸に同情や驚愕、怒り、恐 怖の感情をかきたてた。背が高く中年太りのどっしりとしたミルクコーヒー色の産婆、ワットリン未亡人のことをおまえはけっして忘れることはないだろう。そ の家は彼女が崇拝するナポレオンと帝国の将軍たちを描いた銅版画で埋めつくされていたが、彼女はおまえにチョコレートとケーキをご馳走してくれたあとで、 居間においてある、他所では絶対に見られないというすごい置物、ホルマリンを満たした水槽の中で漂っている、二体の黒人の胎児を見せてくれた。(9 航 海)


人身売買が唯一の産業というのもものすごい。ポルトガル人が植民に入ったブラジルでも初期の頃は、このような状況だったのだろうか。


本の作者はトルコ人の芸術家であり哲学者で神学者でもあるマーニ・ヴェリビー=ズンブル=ザーディで、その 随筆の中には彼の三分野の天分が編み込まれていた。彼によると、色彩とは自然界の色というよりも、もっと奥に秘められているもの、かつ主観的なものを表現 するものである。それは人間の感受性や信念や想像性の表れである。色彩に対する評価とその使い方で、ひとつの時代の精神性を転覆することができる。人間の 中に住む天使と悪魔を。ゆえに、本物の画家は自然界を前にして目にしたものの再現--緑の森、青い空、灰色の海、白い雲といったような--にとらわれては いけない。画家の義務は色彩を自分の内部の必要性、あるいは単に個人的な気まぐれに従って使うことだ。黒い太陽、太陽のような月、青い馬、エメラルド色の 波、緑の雲。(20 ヒヴァ・オアの呪術師)

印象派のテーゼがトルコ人によって語られているというのが、寓意的である。

乗り越えられない相違によって明確に区別され、分けられたもの--男と女、雄と雌、ペニスとヴァギナ。愛と 欲望の分野における不明瞭さは信仰の分野と同じく、野蛮人悪徳のしるしであり、文明にとっては食人習慣と同じように下劣なものなのだ。男-女、女-男は、 父なる神がソドムとゴモラに対して行なったように、根絶しなければならない異常性だった。残り少なくなったこの島のかわいそうなマフーたち! 偽善的な植 民者や植民地行政府の行政官たちは、家庭での料理人や洗濯係、子守や万人としての評判に目を付けて、彼らを探し出して家事手伝いとして雇った。だが、宗教 と対立しないように、女のように身を飾ることや装うことを禁止した。マフーたちは見つけられるのをとても恐れながらも、頭に花を絡ませ、手首にはブレス レット、踝にはアンクレットをはめて、女の子のように身を飾って、しばしそのような装いを大胆に見せびらかしていたが、そのとき彼らは自分たちがひとつの 文明の最期の喘ぎであるとは思ってもいなかっただろう。自分のうちに持っているすべてのもの--願望と夢--を受け止める原始人たちの、健康で天真爛漫で 自由な生き方はもう絶えてしまうのだ。『ヒヴァ・オアの呪術師』はひとつの墓碑だよ、コケ。(20 ヒヴァ・オアの呪術師)

「第三の性」。この問題は、Morris.の手には負えないのだが、百年後の現在、世界ではこのジェンダーの人権が認められつつあるようだ。

「鬼」の子供がスキップしながら、輪の中の仲間たちに何を訊ねているか、そのたびごとに、何と繰り返しながら追い返されているかをコケは察知した。
「ここは楽園ですか」
「いいえ、お嬢さん、ここではありません。次の角へ行って訊いてください」
「楽園遊びをしているのですね、シスター」と背が高くほっそりとした、大きな襞のある修道女服に半ば埋まったような修道女に訊ねてみた。
「あなたが決して辿りつけない場所ですよ」小さな手で握りこぶしを作ると、ポールに向かってちょうど悪魔祓いのようにかざしながら修道女は答えた。「向こうへ行ってください。この子たちに近づかないで」(22 薔薇色の馬)

この遊びが、タイトルになってるわけで、つまり「楽園」という名のユートピア(無何有郷)物語ということの象徴なのだろう。
ラテンアメリカ文学は一時ブームみたいになったが、Morris.はボルヘス(アルゼンチン)、マルケス(コロンビア)くらいしか思いつかない(^_^;)
リョサはペルーで、フジモリと大統領を争ったくらいの政治的意識の高い作家のようだ。代表作には「緑の家」が挙げられるが、これもかなり入り組んだ構造の作品らしいので、しばらく様子見ることにする(^_^;)


093

【雲のかたち 立体的観察図鑑】村井昭夫 ★★★★ 2013/07/25  草思社。Morris.がかなり雲好きなことは、Morris.日乘の読者なら周知のことと思う。なんたって毎週のように、雲のショットが載ってるもん ね。石川啄木は「雲は天才である」という作品(読んでないけど(^_^;)を出したということだけで大きく評価している。
その割に十種雲形すらきちんと把握してるとは言いがたい(>_<) これまでに、何冊か雲の図鑑めいた本も読み、写真集で溜息ついたりしてき たが、本書は、「立体的観察」とうたってるとおり、地上から眺める雲ではなく、空中からの観察を主とした本である。つまり、飛行機の窓からコンパクトデジ カメで撮影した画像が中心になっている。
このところ、Morris.は韓国行きはパンスタフェリーばっかりになって、飛行機にはながいこと乗ってないが、以前ソウルまでの短い飛行時間は、ほとんど空(雲)の観察、鑑賞にあてていた。だからかなり早めに空港に行って景色の良い窓際の席を頼んでたものだ。
雲の3D画像
本書の特長のひとつに26組の3D写真が掲載されていることだ。Morris.得意の平行法なので、思う存分その立体感を楽しむことが出来た。またまたステレオカメラが欲しくなってしまったぞ。右の画像クリックしてお試しあれ→
たしかに雲の理解には3次元で捉える視点は有効だと思う。
まずは基本的に雲のできる高さの復習から。

1.下層雲(高度数十m~2000m) 層雲・積雲・層積雲
2.中層雲(高度2000m~7000m) 高層雲・高積雲・乱層雲
3.上層雲(高度500m~12000m) 巻雲・巻積雲・巻層雲
*積乱雲=上下広範囲に広がる

通常飛行機(旅客機)の運行高度は10000~12000mだから、ほぼ上層雲の上付近をとぶことになり、おおまかな雲の群を見下ろすことができる。さらに離陸、着陸時には途中の高さを体験することもできるから、まさに雲の観覧に最適といえよう。
大気圏は地表からほぼ800kmだが、雲や雨・雷・虹など身近な気象現象はすべて地表から15000mまでの対流圏で起きている。

「K-H(ケルヴィン・ヘルムホルツ)不安定波」という名前が出てきて、たしか寺田寅彦の雲の随筆にあったことを懐かしく思い出した。

おしまいに「飛行機から雲を楽しむために」というコラムがある。ここからランダムに引いておこう。

・翼より前の窓際の席の確保。
・飛行ルート、季節、時刻を考えて左右どちらの窓にするか作戦を立てる。
・黒っぽい服装--窓への映り込みを軽減
・窓を拭くタオル持参
・サングラスを準備
・雲は白く輝度が高いので基本的に露出は+補正、もちろん臨機応変に
・一眼レフカメラは使用を控える、


しかしなんと言っても、外側の窓の汚れが一番の難物であるらしい(^_^;) バスなら外側から自分の座席の窓を拭くことも不可能ではないが、飛行機だと完全におてあげだものね。
たまには、飛行機に乗りたくなってしまった。


092

【エルニーニョ】中島京子 ★★★☆☆☆ 2010/122/09 講談社。「小さいおうち」で直木賞受賞後第一作ということになるらしい。
女子大生だった小森瑛(てる)は暴力をふるう恋人から逃げ出して南の町で灰色の男に追われる混血少年ニノと出会い、二人で不思議な逃避行に出る。童話のよ うな寓話のような幻想小説のような、それでいてリアリティのある素敵な作品だった。これはもう、彼女の作品、どんどん読み続けるしかないね。
逃避行の途中に出会う人々と彼らが語るエピソードがそれぞれに含蓄あって面白く、それが本筋と程よくからみ合っていい味を出してる。
たとえばアコーディオン弾き語りのおばちゃんの語る「森のくまさん」の新解釈。

『森のくまさん』ねえ、全部、あたしに起こったことなのよ。あら、もちろん、歌が出来たほうが先よ。だけどある日あたし森の中でくまさんに会ってねえ。それで全部わかっちゃったの。この歌の正体が。
あたしは15年間ある男と暮らしていて、つまりそれはあたしの夫だったんだけれど、その男のために何度も妊娠して何度も中絶と流産を繰り返さなきゃならな かった。……あたしの場合、森は新宿の雑居ビルで、くまさんは警備員のおじさん。くまさんが言ったのよ。『お逃げなさい』って。あれはそういう歌なのよ。
くまさんは「俺がおまえを食べちゃう前に逃げろ」って言ってるんじゃないのよ。お嬢さんにはすでに、逃げる理由があるの。人には、どうしたって逃げなく ちゃならないときがある。けれどそれは自分ではわからないものなの。永遠にそこに留まるか、生きるのを諦めるかどちらかしか選択肢がないと思い込んでいる 人には、くまさんが必要なのよ。
『ところが、後から、くまさんがついてくる』
そしてくまさんがついてきたの。
あたしたちはいっしょに暮らした。
ええそうよ。結婚したのよ、あたしたち。イヤリングじゃないわね。指輪よ、結婚指輪。ハッピーエンドでしょう?
もうずいぶん前の話しよ。
あたしのくまさん、去年の夏に死んじゃったの。だって、みんな昔々のお話だもの。
でもね、あたしはあれからずっと歌ってるの。くまさんに会ってから、ずうっと歌ってるの。
『あら、くまさん。ありがとう。お礼に、歌いましょう』
そう。お礼に歌っているの。


瑛が子守商店街の昔ながらの砂糖屋の手伝いすることになった時、砂糖卸営業栗畑さんの砂糖談義。

「粗目はつくだ煮、上白糖と混ぜて餡子を作る。グラニュー糖は赤ん坊の栄養に、中白は煮物、三温糖も煮物にコクが出る。黒砂糖は羊羹に使う。上白糖に混ぜるんだが、風味があるんでね。風味はアクから出るんだが、これがミネラルを含むから食べると美人になるんだ」
「ニューギニアからインドに伝わったサトウキビは、紀元前327年にアレキサンダー大王の遠征によって初めてヨーロッパ人の知るところとなった。『甘い 葦』がインドにあると、お伽話のように伝えられた。けれどもヨーロッパ人によく砂糖が知られるようになるには、イスラム教の時代を待たなければならない。 サトウキビはコーランとともに西へ西へともたらされ、北アフリカを越えてスペインにまで栽培法が伝わったという。そのころになると、砂糖はインドからヨー ロッパに輸入され、薬として珍重された。遠い、遠い異国の不思議な食べ物だと思われていたはずの砂糖が、大きく変わるのが大航海時代だ。暖かい南米の地ブ ラジルを手に入れたポルトガルは、熱帯ジャングルを開拓するサトウキビ農場経営に乗り出した。過酷な労働に従事したのは、アフリカ大陸から連れて来られた 奴隷たちだった。」

ノジュカー(野宿専門家)鯨谷くんの七夕伝説の変容。

「あの七夕伝説は中国から伝わってきた話なんだけど、奄美大島ではそれが日本の各地で語られてる羽衣伝説と いっしょになっちゃってるんだって。天女の羽衣を隠したおかげでその天女と結婚した男がいて、ある日羽衣を発見した妻が天に昇ってしまい、夫はおいかけた んだけれども、結局いっしょにはなれずに、天帝が一年に一度の逢瀬を決めてしまうんだ。七夕伝説と羽衣伝説がまぜこぜになってるのは、日本では奄美と沖縄 くらいだけど、中国の一部とか、他の東南アジアの国なんかでは、見られる現象らしい。世界中の人が、空を見上げては物語を作っていて、それが海を渡った り、陸を走ったりしているうちに、交じり合うんだ。おもしろいと思わない? みんな、『星と伝説』っていう子供用の本に書いてあることなんだけどさ」

[エルニーニョ・南方振動]概説

昔から、クリスマスが近づくと、ペルー沖の漁師たちはカタクチイワシ漁をお休みして農作業補助に出かけたも のだった。ふだんなら、洋上を吹く貿易風が、赤道上で温められた海水を太平洋西部に吹き寄せる代わりに、太平洋東部に湧き上がる冷たい水が、プランクトン をよく育て、カタクチイワカタクチイワシを呼び寄せる。ところがイエス・キリストの誕生日ごろだけ、頼りの貿易風が弱まって、暖かい海水が東部にも留まっ て海の温度を上げてしまうものだから、漁には不向きになるのだった。
季節になぞらえて、漁師たちはその奇妙な海水温の上昇を、幼子イエス=男の子=エルニーニョ、と呼んだ。エルニーニョは一方で、乾燥地帯に恵みの雨を降らせるので、漁師たちは海に出る代わりに畑に出て、漁の不足を補ったという。
エルニーニョがもたらす海水温の変化は、その海域の大気の温度も変化させる。すると気圧が変化して大気の流れを変えてしまい、天候をも変えてしまう。エル ニーニョは、こうして世界中に波及する。この大気と気圧の変動は、もともとはエルニーニョとは別物として観測されていて、「南方振動」と呼ばれている。
研究が進むと、エルニーニョと南方振動には密接な関係があることがわかって、「エルニーニョ・南方振動(ENSO)」という言葉も生まれた。
エルニーニョに対して、ラニーニャ(女の子)と呼ばれるのは、太平洋東部赤道近くの海水温が、エルニーニョとは逆に低くなる現象のことを言い、エルニー ニョとラニーニャは交互にやってくる。一般に、エルニーニョが来る夏は、極東の日本は冷夏、ラニーニャが来れば猛暑と言われている。


これらの小ネタ風の点描は、微妙に文体を違えてあるし、それぞれ独立して楽しめる。また物語の展開にふくらみをもたらす役割を持っている。
瑛とニノが出あった町の子守商店街というのも、ありそうでなさそうな、一種のユートピアみたいなもので、瑛がこの商店街に戻り、成長したニノを待つという、明るさを感じさせるエンディングも、読者をほっとさせるし、実に上手いと思う。。

あの夏、瑛は大学に退学届を出して、石松砂糖販売に居を移した。
栗畑さんは砂糖をかついで店にやってきて、あれこれ瑛に教えてくれる。大学の講義よりよほどおもしろいと言ったら、栗畑さんはものすごく嬉しそうに笑った。
観光バスが到着し、手に手に買い物袋を下げた客が狭い商店街いっぱいに広がるようにして歩いてくる。瑛は短い髪の毛をあちこちピンで留めて、営業用のスマイルを作る。さあ、みなさん、ここが"昔ながらのお砂糖屋さんですよ"と、中年女性が声を上げる。
「あらまあ、こんなに若いお嬢さんが」
客の一人が言う。
瑛はにっこり笑う。
「私が"昔ながらのお砂糖屋さんですよ"の看板娘です」


この終結部にかぎらず、全体に彼女の文体は品があって、気持ち良い。もうしばらく読み続けることにしよう。


091

【南米富源大観】難波勝治 ★★★☆ 大正12年(1923) 大連大阪屋號書店刊 
著者は「遼東新報主筆」という肩書になっている。大正10年から11年にかけての世界漫遊中、5ヶ月余り滞在したブラジルの旅の記録であるが、日本植民地の調査、探訪、移民、政財界人士との交流録、開発状況、問題点、個人的展望などを記したものである。
「南米富源大観」「伯剌西爾行脚」「南阿巡覧日記」の三部に分かたれているが、最後の「南阿巡覧日記」は帰りの航路を南阿弗利加周りにして、ケープタウンに12日ほど寄港した時の記録で、50pほどの付録みたいなものである。
特別稀覯本というわけでもないが、一般的に目に触れること少ない一冊であり、当時の日本ブラジル移民の実情を、ジャーナリスト視線で観察、分析、考察した ものとしては類書が少なく興味を惹く所多いので、ついつい過剰なくらいの引用になってしまった。本書は旧仮名遣、漢字は総ルビだが、引用に際して はルビは普通に読めないものだけ( )に付し、他は省略した。旧漢字も適宜現行のものに代えている。

熱帯地の常態として伯剌西爾には黄熱もあるマラリヤもある、しかし前者はアマゾン流域並びに北部海岸の湿地 に限られ、中南部には全く跡を絶つた、マラリヤの如きも中部の未開地にはあるが決して懼れるに足らぬ、首都リオ・デ・ジャネイロの如き最初は瘴癘の巣窟と 称せられて居たが、今は一人の患者もなく百万の大衆が楽園として生に安んじて居る、私は足一たび南米の地を踏んで以来、日本の人口調節は伯剌西爾を除いて、世界の何処にも適当の場所を発見し得られぬといふ確信を得た、而して此確信を同胞に伝へるのは国民としての義務だと思ふて居る。(Ⅰ南米は楽天地)

これが筆者の基本姿勢であり、現在から見ると、あまりに楽観主義に傾いている気もするが、「遼東新報」も満州への植民に棹さす性格のものだったろうから、ブラジルへの言及も国策に即したものとならざるを得なかったのだろう。

ブラジルに移住せんとする外国人は六十歳以下の者は総て許可せらる、但し伝染病に罹れる者、不正品の取扱 者、犯罪者、白痴瘋癲、乞食、浮浪者、狂人及び疾病者は此限りではない、尤も六十歳以上の者若くは労働に適せざる者といへども、家族に伴はれ若くは先住の 家族と同居せんとする者は、その家族中に少くとも一病人毎に一人、六十歳以上の老人なれば二人まで、一人宛の保護者ある場合のみ入国を許可する。(Ⅰ簡単 な入国法)

ほとんど誰でもが移民になれるという感じを受ける。しかし本書が出されたと同じ年にブラジルでは「黒人移民禁止、黄色人種移民制限」目的のレース法案が提出される。

日本人の通有性として兎角成功を急ぎ過ぎ、他の南欧移民の如く辛抱強く耕地に居づかぬ、此原因の中には移民 会社の罪もあつて、ブラジル事情を知らぬ内地の募集員が、樹に餅のなるやうな話をして廻つた結果が、移民を失望させたこと夥しい、俟た従来奴隷を使用し馴 れたる耕主等が、日本人を理解せずして専制的に使役した欠点もある。(Ⅰ移民と独立農)

当時の日本人移民は「出稼ぎ」のつもりで、短期間に多額の収入を見込んでいたのに、まるで期待はずれの現地の状況に置かれた移民たちを生み出した原因が、移民会社側にあることは、理解されていたようだ。

ブラジルには黄白の色に基く人種的反感こそ薄けれ、天主教の信条から出立した一夫一婦の観念が非常に強烈で ある、且つチュウトン民族の冷静な打算的なのに比すれば拉丁(ラテン)人種は感情的で、一たび嫌だとなると極端に馳せ易い、此辺は敏感な日本人との共通点 であるが、其れだけ謙抑して其国の良風美俗に適応せねばならぬと思ふ、家族移民を奨励しなかつた為の悪い殷鑑は北米加州にある、後で写真結婚などを鼓吹し て見たが却て藪蛇に了つた、ブラジル政府は家族移民を希望して居り私も之を主張したい、殊に珈琲園労働や半独立農といふやうな、勤倹を以って最初の基礎を 作らねばならぬ活動には、夫婦眷族の共稼ぎが千金万金にも換難い資本であり慰藉である。(Ⅰ移民の注意点)

家族ぐるみの移住は、ブラジル移住の基本条件みたいなものだったはずだ。筆者の本意は、独身者の移住者が、収入を売春に浪費し、現地の顰蹙を買うことを避けたいというところだろう。

ブラジルが如何に未墾の大域を包容して居ればとて、苟くも運輸交通の便利な場所は、大抵民有地となつて相応 の価格を有する、無償で払下げられるやうな官有地は、よし夫が肥沃の処女地であつても、其処には何等かの欠陥あることを思はねばならぬ、当時は一町歩五十 ミルも支払へば、便利な民有地を買入れる事が出来たのを、無償といふ目前の美名に釣り込まれて、不便な地域に経営を始め、植民地内の測量費、道路、精米 所等に多額の費用を支出した為め、代価を支払ふて買取つた民有地よりも、失費の多い経営に手を染めて、徒に入植者の非難をますやうな破目に陥つた事は、眼 識ある会社当局者も既に承認して居る、私は後章に於て私が親しく各方面から聴取した事柄を叙説するが、前以て此点だけは会社の失敗であつた事を明言して置 く、(Ⅰ 失敗点と功績)

ただより高いものはないということである。これはブラジル移民にとっては正しすぎるくらい正しいことわざだと思う。昭和初年からの渡航費無料に釣られた移民たちの多くも、現地でこのことを嫌というほど思い知らされたに違いない。

日本農民は多くの美点と長所を有して居る、併し堅忍不抜の意志は伊太利人トルコ人に劣り、不断の研究心は独 仏人の遥か後(しりへ)にあると評せられて居る、此等は畢竟国民に世界的気分の教養がなかつたこと、移民を指導開発すべき人物の少ない為めであると思はれ る、又語学研究は今一層盛んに奨励されねばなるまい、ブラジル語に精通した日本人が多く居ないのは、語原の相違が甚だしい為でもあるが、語学といふ者に対 してペダンチツクな見方許りして、其が自己の意志力量を表明する実際的知識である事を考へて居ない、之は私が屡逢着した多数邦人の謬想で、一面言葉さへ出 来れば遊んで暮せるといつたやうな、半可通の青年をも二三見受けた。(Ⅰ興味ある造林)

苟くも、外国で仕事をしようとするならば、その国の言葉を使えることは必要最低条件だと、思うのだが、それをほとんど無視したのが日本人移民の特徴だったと思う。

日伯両国の貿易は其距離の遠隔なる点より、単に日本の商品を輸入し、若しくは同国の原料を取寄せるには不利 益である、現に戦時中五百萬圓を超過した急激な貿易額は、今や一転して百二三十萬圓に低減して居る、これは決して一時の現象でなく、地理的関係に起因する 自然の帰結である、此意味から私は農業経営が、ブラジルに於ける日本人の最も有利とする所であり、且つ若商工業の利益を占めんと欲せば専門家或ひは技術労 働者を移植して、ブラジルの原料を加工し、之を同国内の市場に売捌くか、若しくは他国に輸出するに在ると信ずる。現にリオ市及び聖保羅(サンパウロ)市の 日本品輸入商は甚だ不況なるに反し、家具製造者や工場従事員は、独立的にも労働的にも漸次成功の域に向かひつゝある、ブラジルの富源は未開拓の他国人の来 り取るに任せて居る、日本が自ら生活をせんがために、自国の製産物を海外に搬出し、他国の財貨を吸収することのみ考ふる時代は過ぎ去つた、進んで資本と労 力とを富源の廣且大なる地域に扶植し、其處に新なる天地を開拓して、自他共に余計に均霑(きんてん)すべき世界的政策を国是とせねばならぬ、(Ⅰ 新国是 の樹立)

こういった、視点はいかにも新聞主筆らしいといえるかもしれないし、大局的には正しいと思う。

世界に散在する多数の日本人も、今後追々国語の分らぬのが増加する事であらう、之は海外発展上止むなき帰結 ではあるが、母国で訓育された民族の長所だけは失はせたくないと、坂元君に囁いた、バオルウに着いたのは午後九時、其處には副領事多良間鐵輔氏、外務省書 記生古蹟冨彌君、聖州時報社主香山六郎君等が態々出迎へてくれた。(Ⅱ 別れを告げて)

これまで読んできた、ブラジル移民関連小説や、解説本にしばしば登場する人名が出てくると、おお、と思ってしまう。香山六郎などは、北杜夫の作品ではかなり大きく取り上げられていたが、本書では名前だけという感じで物足りない。

上塚周平氏は大の日本主義者で、常にブラジルの一角に日本的文化を根づよく植付けねばならぬと主張し、自ら 奉ずる極めて簡素、専心植民の発展を図って居る、過去四年間物質的には何等得る所なかつたが、氏統率の下に約三百家族の邦人が数千町歩の土地を所有し、約 百五十万本の珈琲を栽培して居る……日本移民の将来に関する氏の理想を聞いた、「人間には物質欲がある、名誉欲もある、併し此等の欲念を超脱した或る信念 の上に立たねば、真に植民の前途に貢献することは六かしい、私は財産もない学識もない一個の木強漢である、近来健康を害して居るから長命することも覚束な からう、併し私は日本人として、純日本人の平和郷を建設せねばならぬと切望してゐる、日本で水田が国民の愛郷心を繋いで居るやうに、ブラジルの此の方面で は珈琲園が強い安定力を植民に與へる、併し珈琲の一作にのみ依頼してゐることは必ずしも得策ではない、他に各種の農作を試みて、行く行く之を工業化せしめ ねばならぬ、私は此見地から一芸ある者の親友となつて、其の長所を助成する事に努め、かつ自から出来得るだけの研究をして居る」と語つて、繊維植物の試培 や養蚕の奨励や青年会の組織やに就き、氏の経験と薀蓄とを詳しく物語つて、(Ⅱ上塚君の功業)

「移民の父」とまで言われた上塚周平とも親しく話し、かなり好意的な取り上げ方をしている。

翌年(大正5年 1916)5月パラナ方面から群を成して、此方面に襲来した飛蝗は、僅か一両日間に平野耕 地の総ゆる農作物を喰尽した、南米の蝗虫が如何に猛烈無残な暴虐者であるかは他国人の到底想像だに及ばざる所である……既にマラリヤの猖獗に苦しめられ、 更に飛蝗の暴威に襲はれた平野氏と其耕地とは、幾んど策の出づる所を知らなかつた、若し此間に当時の聖保羅仲裁総領事松村貞夫氏の侠骨がなたつたら多血多 感の平野氏は悶死したかも知れぬ、総領事は能く前後の事情を了解し、平野氏の人物に信頼して居た、二百七十九哩の鉄路を駆け付けて男泣きに哀訴した氏の手 に総領事の私財十コントス(当時の換算約六千五百圓)は渡された……目前幾十家族の生に関する責任感は、犇々と平野氏の胸を襲ひ、時に失望して自暴的にあ ほつた火酒(ピンガ)は其肉と血とを減した、大正八年丗四歳で耕地の陋屋に夭死した平野氏は、聞く者をして暗然涙を禁ずる能はざらしめた(Ⅱ 疫病後の蝗 害)

高名な平野運平は筆者がブラジルを訪れる3年前に没していたが、マラリヤ、蝗害のことは強く印象に残っていたようだ。松村総領事の私費の提供のことも、小説でも大きなエピソードとして出てきた。

奥地深く分け入つて奮闘してゐる農民の有様を見ると、母国の政治家や宗教家が、切実に考へて遣らねばならぬ 社会問題が随分ある、それは巨萬の資本を要する問題でなく又多数者の手を煩はす事件でもない、上来私は屡々各植民地に指導者の少い事を説いた、農民の智識 を啓発すべき専門家や、孤独な生活を慰撫すべき精神家の必要は勿論、家族の不幸に際して一時の助力を與へ得る社会的機関がない、若し家族の或者を失ふた場 合、子供の世話や、同胞間に起つた悶着の仲裁やを、高所に立つて局外から援助し得る献身的人物があつて、其人物の事業を補足し得る手段を講じたならば、其 植民の発達と安定とに及ぼす利益は如何程であらう、単に収穫時だけ子女を預け得る、育児ホーム様の場所があつただけでも、前のニ実例の場合に非常な貢献を なし得るであらう、海外発展の奨励は独り金銭上の事のみでなく、学者も宗教家も教育家も挙つて発奮考慮すべき問題である。(Ⅱ移民保護の要)

指導者不足(^_^;) それを「高所に立つて局外から援助し得る献身的人物」に頼ろうとするのは虫が良すぎる気がする。農繁期に育児ホームというのは間違ってはいないが、精神主義至上主義、そんな時代だったのかもしれない。

(ヴァイヴェン植民地の)梅瓣小学校に隈元勇熊君を訪ふて、実学に重きを置いた其の教育振を面白く感じた、 隈元君の意見によれば、風土慣習言語を異にする海外に於て、母国の伝説や国文学の注入に努力するのは労多く益が少い、寧ろ数の観念手工業等の如き、キャテ ゴリカルな智識を培養するに如かぬといふて居る(Ⅱ 綻び初し梅瓣)

隈元先生の実学志向は、当時では少数派だったんだろうな。キャテゴリカルというのがよくわからない。「範疇に属する」(研究者英和辞典)?? いわゆる「部門別の」とか「科目の」とかいった意味かなあ?

青年で思ひ出すのは聖保羅市のヴアガブンドである、ヴアガブンドは英語のヴアガボンドで、何処にも多い浪人 の集団が、コンデを中心として裏棚生活を営んで居る、併し満鮮地方と異つて殺伐の気風はなく、妻帯者が多いだけに放縦無頼の徒も少いやうである、ブラジル 名物の富籤を買込んで一攫千金の夢を追ひ、食へなくなれば日傭稼ぎに出て行く、北米のスクール・ボーイと酷似して居る、斯うし生活は動(やや)もすれば家 庭に風波を起し易いが、結局妻子も漸次化せられて、其日暮しの呑気者となるのが多い(Ⅱヴアガブンド)

満鮮地方のヴアガブンドというのは「大陸浪人」を指しているのだろう。それがブラジルだと「其日暮しの呑気者」になるというのが、面白かった。

ニ回堀口公使の招筵を受けて、公使夫人の形骸に接したが、仏語の素養のない身は何時も挨拶を交す位で意見を 述べる機会が無かつた、その代り話好きの公使から夫人の分も、令嬢の分も乃至在留邦人全体の分も謹んで拝聴した、一寸見には仏蘭西贔屓の欧化主義者と 思はれる公使の隠し芸は、漢詩と狂歌であつて、書信の多くも毛筆の走り書きを頂戴した、之が学生時代柔道二段の猛者であつたとは何うしても思はれぬが、衣 服の着やうは洒々落々たる風格を存して居る(Ⅱ 異郷のつどひ)

この堀口公使とは、堀口大學の父堀口九萬一のことだろう。最初の夫人と死別した後ベルギーで白人女性と結婚したから、筆者が公使夫人とは会話できなかったということだろう。
堀口九萬一の名を覚えていたのは、矢作俊彦の「悲劇週間」、そして松岡正剛が千夜千冊の「月下の一群」の項で以下のように触れていたからだ。

大學については越後長岡生まれであること、外交官だった父親の九萬一のこと、日本のダダ・シュルレアリスム 運動に与えた偉大な影響などにもふれる必要があるが、ぼくは外交官及領事官試験の第1回合格者で、まだ補官時代の閔妃暗殺事件では、朝鮮の大院君に日本側 からの決起を促した張本人でもある堀口九萬一の動向に関心をもってきた。

十五六世紀の西班牙人と葡萄牙人が、如何に世界に雄飛したかは青史に明かである、併し南米を見て始めて彼等 の蒔いた文化の深広なことが判つた、其後彼らの本国は一等国の沽券を失つて、世界の競争場裡に力を角する資格はないが、彼らの祖先が上陸した草昧の広域に は、其子孫に由つて新しい文化が栄江て居る、縦ひ今後各国の移民が四集して、英独仏伊と其系統を複雑ならしめても、曾て偉大なりし民族の努力と其痕跡と は、美なる川に山に自然と共に不朽であらう、そして其處には何時か大和撫子の、立交り匂ひ出づべき運命の閃きがある。(Ⅱ さらば伯國よ)

第Ⅱ部結びの一節である。別離の念で、いささか感傷的になりながら、南米の宗主国であった西葡の過去の栄光を偲び、その文化の痕跡は不朽だと賞揚してい る。第二次大戦前もそうだが、21世紀の現在も、ポルトガルはいささかマイナーな地位に甘んじている感無きにしもあらずだが、ブラジルでポルトガル語が使 われているだけで、ポルトガルの過去の威光を感じてしまう。
とは言うものの、「新世界」の虚名のもとに、西欧諸国の餌食となった南米大陸の歴史は、とんでもない理不尽なものだったということだけは、忘れてはならない事実である。


090

【天の方舟】服部真澄 ★★★ 2011.07/07 講談社刊 「小説現 代」2009-11連載。京大農学部卒業の女性七波が、開発コンサルタントに入社して、世界各地の地域開発プロジェクトプラグラムを立ち上げるなかで、 ODA、JAICA、ゼネコンとの間での濡れ手で粟の利権にどっぷり浸かっていく姿を1988年から2010年までの22年の編年体(飛び飛びだけど)で 描いた作品。

海外に軸を置いた自分の仕事が、国内の"営業活動"のタマを生み出すためのテコになっている。国内を仕切る営業本部長にさえ、出来ない技であった。
国内の仕事を首尾よく受注するためには、軍資金がいる。
それをどこから捻り出すかは、各社の腕の見せ所であるが、ことに『名栗建設』の場合は、ほぼ海外事業から抜いている。
戦前から開発コンサルタントの『日本五本木コンサルタンツ』と組み、海外のプロジェクトを手がけてきた。それを下敷きに、戦後賠償としてのインフラ造りに関わり、いまの途上国家支援に至るまで、連綿と、海外諸国での施工を受注してきた。
長年のあいだに、相手国政府を巻き込み、コンサルと点を取り合って、ODA事業を受注するシステムもできている。
諸国で捻り出せる金の巨きさと、あまりの容易さに、当初は驚いたが、いまは麻痺している。なかでも、ODAという名の支援金は、もっともいい食い物なのだ。


発展途上国支援という名目での援助や借款といったものに、漠然とした疑惑を感じていた。戦前からの癒着構造が、現在までしぶとく継続しているというのは事 実なのだろう。満州国設立の立役者でA級戦犯になりながら、その後総理となり日米同盟の裏で暗躍して、今はその孫が総理として、日本の右傾化に邁進してる ことを思うと、政財界の利権の温床が戦前から太いラインで生き延びているのも、この国では何の不思議もないことかもしれない。

枯葉剤に含まれるダイオキシンには発ガン性があり、奇形を誘発する種類であったという。ベトちゃんドクちゃんのみならず、ベトナムではその頃、奇形の子らが死産を含め数多く生まれた。
「化学兵器の規制が強まったのも、あれ以来よね」
「そこなんですけど、枯葉剤は化学兵器として使われたんじゃないんですよ」
「どういうこと?」
ちょっと戸惑った。
「あれはゲリラたちに生物的なダメージを与えるために使われたんじゃないです。マングローブをただ枯らすために撒かれたんです」
すぐには意味がとれなかった。
「マングローブを枯らすって……、何のために?」
「わかりきってるじゃないですか。鬱蒼とした森が、ゲリラ勢力の隠れ蓑になってたからです」
「……あ」
自分の愚かさに気づいて、七波は唸った。
ゲリラたちは、密林に潜んで闘った。軍サイドは彼らを見つけ出すために、何とマングローブを一掃しようとしたのだ。


ベトナム戦争でアメリカの撒いた「枯葉剤」が、そもそもマングローブを枯らすためのものだった、というのは、確かにちょっとした驚きでもあり、言われてみればそうだったのか(@_@)と思うしかない。Morris.も、このレベルの事実さえ認識できずにいたわけだ。

「政治とカネ」と皆がよく口にする。だが、そのカネの流れをいま、身を以て知っているものは少ない。
国際支援のために費やされる金は、グッド・マネーである。人の命を救い、健全な生活環境を整えるために社会を流れてゆく。金は輝く。人は皆、そう思うからこそ、徴収されている税の一部を善き流れに託されても嫌とはいわない。
しかし、現実にはどうだろう?
支援を目的とした金が、めぐりめぐってゆくあいだに薄汚れ、醜悪になり、ついには阿鼻叫喚の惨劇を生み、血を吸い寄せた。金は変成してゆく。
バッド・マネーと呼ぶほかない金の濁流を七波は泳ぎ、いまは自分でも思いがけない潮に攫われ、高みに押し上げられている。


それなりに面白かったけど、何か食い足りない気もした。ヒロインを始め、登場人物が精彩を欠くし、おしまいで、ヒロインが世間を騒がせるために、狂言殺人 の告白したり、ベトナムでの手抜き工事事故の死体の一部を日本に持ち帰るなど、非現実的な展開になるあたりも、それはないだろうと思ってしまった。
この人はデビュー作「龍の契り」と次作「鷲の驕り」があまりに面白すぎたためか、後の作品はどれも期待外れに見えてしまう。


089

【小さいおうち】中島京子 ★★★☆☆☆ 2010/05/30 文藝春秋刊 沼部さんのブログで岩波子どもの本シリーズの記事の中に触れられていたことがきっかけで、本作品を読んだのだが大当たりの好作品だった。
明治生まれの東北出身女性が東京郊外の「小さな家」の女中となり、女主人との深い交流と、その後の変遷を、80過ぎてから綴った回顧録風な形式をとっている。
大正、昭和初期の小金持ちの暮らしと、女主人の密かな不倫? 戦時、戦後の混乱。そして語り部女性の女主人への秘められた愛。
語り部女性の没後、回顧録を読んだ甥の次男が、最後の章で、「小さな家」の謎解きをするくだりは、ちょっとした手品を見せられるような気がした。
もちろん、本書のタイトルも「小さな家」もあの名作絵本に触発されたものだが、以下の年代的事実を踏まえて、この素敵な虚構を思いついたのだろう。表紙のイラストも色濃くその影響(パロディ?)を受けている。

バージニア・リー・バートンが、絵本『The Little House』を出版したのは、1942年のことで、ちょうど太平洋戦争の始まった翌年にあたる。
日本で石井桃子訳の『ちいさいおうち』の初版が出たのは、それから20年も経った、1954年のことだ。イタクラ・ショージの書斎に残っていたのは、英語の原書で、見つかった当時はかなり読み込まれていた上に、おそらくは彼自身による、背表紙の修復がなされていたという。

このイタクラ・ショージというカルト漫画家こそ、女主人の不倫?の相手であり、彼自身が紙芝居スタイルの「小さいおうち」という作品を描いて秘匿してい た。16枚の紙芝居そのものが、バートン作『The Little House』のヴァリエーションであり、その背景の社会変動が日本のそれに入れ替えら れているところや、イタクラの漫画作品のストーリー紹介など、それだけでもひとつの物語になりそうである。
かなり贅沢かつ、品の良い、娯楽作品と言える。こんなのを読むのもひさしぶりである。姫野カオルコの「はるかエイティ」に通じるものがある。

(板倉さんは、奥様のことが、お好きなんですわ)
それだけ言うと、どうしたことだろう。急に頭のほうに血が上ってきて、ふわっと立ちくらみのようなものを覚えて、気がついたらわたしは応接間のテーブルに突っ伏して泣いていて、睦子さんのごつごつした手に、背中を撫でられているのだった。
「要するに、こういうことだわ」
睦子さんは、おっしゃった。
「好きになっちゃ、いけない人を好きになってるのよ」
「ええ、そうなんですわ」
と、わたしは答えた。
もちろん、奥様と板倉さんのことを考えていたのだ。
ところが睦子さんは、とても奇妙な話をした。何かひどく、ずれているようなずれていないような、変な感覚がいまでも残って忘れられない。
いったい何故、あの午後に睦子さんがあんなことを話したのか、わたしは今でもわからない。
「女学生のころ、とてもきれいだったのよ。時子さん、そりゃ、あんなきれいなお嬢さん、いなかったわ。みんな好きになっちゃうのよ。そういう時代だったん だもの。中でも一人、毎日手紙を書いて、登下校のときもつきまとって、ひどく本気になったのがいたの。学業も手につかず、翌年転校して、ようやっと卒業し て女子大学へ行ったのはいいけれど、時子さんの最初の結婚が決まったときも、酔っ払って自暴自棄になって、騒ぎを起こしたわ。罪ねえ、きれいな女って」


この後に吉屋信子「黒薔薇」の一節が引用され、女性同士の愛への言及がなされるのだが、そのあたりの話の持って行き方も、実に雰囲気を感じさせるものがある。この作家はとんでもない逸物かもしれない。物語の〆のフレーズも見事である。

僕はけっして正しい答えを見つけられない。
僕はいつも、聞かなかった問いの答えばかりを探している。


この人の本をもう少し読んでみよう。


088

【サンバの国に演歌は流れる】細川周平 ★★★☆☆ 1995/09/25 中公新書 早速借りてきた、ったって、18年前の発行である。著者は1955大阪生。東大理学部卒で、東京芸大で博士号取得。音楽学専攻。なかなかアカデミックな人物らしい。
ブラジル日系移民の音楽の歴史を、演芸会の時代(1908~1845年)、のど自慢の時代(1945~1980年)、カラオケの時代(1980年~現在) の三つの時期に大別して、それぞれの時代の特徴やシステム、「歌の場」の変遷を通して、ブラジル日系社会の特殊性を浮彫りにしたものだが、Morris. にとっては、歌、いや、音楽そのものへの興味深い考察で、実に面白くてためになる一冊だった。

移民は徴兵延期願という日本男子にとっては屈辱的な書類を提出し、十分に後ろめたさを感じていた。祖国の危 機に際して何もできなかったという後ろめたさは、日本に対して何かの形で忠誠のしるしを見せたい、というあせりを発火し、戦後の勝ち組の極端な日本崇拝に 転じた。モノであれ、歌であれ、日本とは想像力によってしか一体感を感じられなかったということが、移民のメンタリティにとって重要だ。この想像力による 故郷との一体感のことをふつう望郷と呼ぶ。国家主義的な望郷は日系社会の心情的な絆となった。(演芸会の時代)

日本から一番離れた地で帰るに帰られなくなった日本移民が国家を恨むのではなく、極端な日本崇拝に転じたというのは、皮肉を通り越して悲惨でもある。「故郷は遠くに在りて思うもの(®室生犀星)」にしても、ブラジルは遠すぎる(^_^;)

なぜ浪花節は根強かったのかについて1958年、『サンパウロ新聞』が分析している。それによると日系人の 精神構造は故郷を追われた浮草ぐらしという「出稼ぎ移民根性」と、明日は明日の風が吹くという楽観的な「大陸的気質」とが合わさってできている。浪花節 (や流行歌)が本国以上に残るのは、「棄民」であるという共通の運命の絆が親分子分、一宿一飯の恩義というような相互扶助の連帯意識を生み、「オイ兄弟、 元気を出せ」と肩をたたきあうメンタリティが濃いからだという(9月6日付)。日系社会の保守的な意識をよくついた自己分析だ。浪花節はこのような慰め合 いに最もふさわしいテーマを用意してくれる。辛苦や犠牲や敗残が涙によって美化されるからだ。(演芸会の時代)

ある意味、日本では、Morris.の年代くらいまでが、最後に浪花節を聴いた世代ということになるだろう。確かにあの世界は保守的というより形式主義の権化みたいなものだった。涙によって美化されるというのは、浪花節に限ったものではないけどね。

音楽コンテストには二種類あり、ひとつは結果が非常に重要であるもの(強い競争原理)、もうひとつは大勢の 歌手が一堂に会する口実としてむしろ重要であるもの(弱い競争原理)である。のど自慢やレコード大賞は前者の代表であり、紅白歌合戦は後者である。ブラジ ルでいえば、リオのカルナバルは前者であり、バイーアやレイフェのカルナバルは後者である。
のど自慢は強い競争原理がはたらく娯楽であり、審査という政治性を帯びた場だった。(のど自慢の時代)


韓国で言えば「「挑戦主婦歌謡」は前者であり、「挑戦千曲」は後者である(^_^;) 韓国ののど自慢(ノレチャラン)は、両者の混交である。

(日系人の)のど自慢は歌唱欲求を満たすと同時に歌に対する苛立ちを生むことにもなった。のど自慢文化に とって演芸会をわかせる飛び入りは例外に属し、パフォーマンス形態からすれば価値の低いものだった。審査員のいないところで歌ってもしかたがないと考える ようになった。歌は遊びではなく勝負になって初めて本気でやってみる価値が生まれた。(のど自慢の時代)

プロの歌謡界が存在しないブラジル日系社会では、のど自慢が、その代替物となっていたらしい。

祭りを日々喚起させるような陽気なリズムは世界の大衆音楽ではしょっちゅう使われている。近代日本は祭りの リズムを祭りから外には出さない方向に進んだ。せいぜい演歌の中で御神火太鼓や博多まつりの乱れ打ちが引用されるだけで、阿波踊りや神田囃子に新しい歌詞 がついたり、電気楽器でバンドがやるような工夫はなかった。上々颱風のようなグループがそれに挑んでいるが、国民的な認知を得るにはいたっていない。伝統 は伝統、現代は現代というわけで、音階についてはヨナ抜き音階のような和洋折衷が発案されたのに、リズムについてはだいたい西洋の拍節リズムを受け入れた だけだった。
カラオケは伴奏つきの歌に大きな価値をおき、しかもその伴奏が生伴奏では実現しにくい文化のなかでとくに有利に機能する。ブラジル人の間でカラオケ人気が続かなかった理由のひとつは、国民の大半にはギターや打楽器伴奏で十分だからだ。(カラオケの時代)


たしかにこれは重要な指摘である。

合唱という文化は個人と集団についての考えかたと深く係わっている。西洋語から「個人」という訳語を作るの に福沢諭吉はさんざん苦労したが、西洋と接触して一世紀半近くたっても、やはりこの言葉が日本の社会に馴染んでいるとは思えない。「個人主義」といえば 「利己主義」という悪い意味によく取られる。建前として「個人の自由」を尊重するようになって半世紀たったが、現実には集団の安全が優先される。
日本は集団主義といわれるのになぜ合唱が伝統にならなかったのか。これは宿題にしておく。(カラオケの時代)


個人より集団が優先される、というくだりは、日本国憲法前文の問題点を想起させる。本音と建前と言い換えられるのかもしれない。宿題への答えとしては、日本の集団主義が典型的ヒエラルキーの上意下達構造だったから、というのではどうだろう。

のど自慢離れはそのまま日本離れを意味した。日本の流行歌を聴いたり歌ったりして育った概して日本的な価値 観を持たされた若者が、のど自慢文化から離脱するのにはかなりの動機づけが必要だった。このようにのど自慢は、そして現在ではカラオケは民族性を強く担っ ている。レパートリーが保守的なのは、歌の場が文化の防衛装置として機能しているからだ。(カラオケの時代)

明快でわかりやすい結論である(^_^;) 

1.あばれ太鼓 2.さよなら 3.それは恋 4.海の祈り 5.望郷じょんがら 6.群青 7.花の時愛 の時 8.恋人よ 9.魂(こころ) 10.母恋鴉 11.千年の古都 11.乾杯 13.無法松の一生 14.乱れ髪 15.暖簾 15.俺の出番は きっと来る 17.川 17.兄弟船 17.日本海 20.男船 20.祭 20.昴 (ABRAC歌謡大会1986~94)の歌われた曲総合順位)

ほぼ20年前の時代のリストだが、それでもおおまかな傾向は見てとれる。Morris.の知ってる曲は半分くらいしかないけど。

カラオケというテクノロジーは、歌の場の伝承に限りない貢献をはたしてきた。今やカラオケを離れて日本の歌 の文化を伝えることはできない。ブラジルではこの強力無比な装置によって日本の歌は救われた。だが同時にその先に行くこと、ほかの道を行くことは阻まれ た。民族の徴はカラオケの歌や大会組織によって表現されたが、それから外れて生きていく道は塞がれた。この意味で人を歌わせる機械は歌わせない機械ともな りうる。カラオケは日系人にとっても、そしてたぶん日本人にとって両刃の剣なのだ。(カラオケの時代)

この結論もまた、Morris.にもかなり納得できるし、耳の痛い言説でもある。

日本人になろうとするブラジル生まれのマルシアとブラジル人になろうとする日本生まれブラジル育ちのボサノ ヴァ歌手小野リサと比べても良い。奇しくも同じ年にデビューした二人、どちらも演歌やボサノヴァの正統を極めようとして、自分の生い立ちに由来する混ぜ物 をしりぞける。演歌がブラジルがかったり、ボサノヴァが日本臭かったりすれば、彼女らの賭は負けなのだ。二人に共通の枠組みがないこと、それもまたジャン ルや流派の制約のきびしい日本の音楽文化をよくあらわしている。ボサノヴァはブラジルの音楽だが、それをブラジル人の通りにやらないと気がすまないのは日 本の価値観だ。手本はあくまで「よそ=本場」にあり、それと区別がつかなくなるまで努力を重ねる。日本人のいわゆる「本物志向」は文化的上昇志向に裏打ち されている。明治以来の「追いつけ追いこせ」気質とは、このようなカメレオン的倫理、「本国」からみた正統性を獲得する努力のことで、単に経済や技術だけ でなく、外国音楽の受容をも強く条件付けている。日本人はそれを「器用」といって礼賛したり、「小器用」といって批判したりする。どちらでもよいが、日 本の近代文化を模倣だと悪くいう西洋の人々は、この正統性、純粋性に対する希求を理解していない。しかし彼らに創造(というよりもモデルの再生産)の過程 で、自分の出自を隠すことがどんなに高く評価されるのかを納得させることはむずかしい。これは生きること、音楽をやることの根本的な価値に関わることだか らだ。
日本の価値観からすると、何でも自分流に作り直してしまうブラジル文化は理解できない。(あとがき)


実は本書の中で一番おもしろかったのが「あとがき」のこの部分だった(^_^;) 

小林旭の商業的な失敗作「アキラでボッサ・ノヴァ」は「日本」を意識せずに日本化していて、日本人-60年代の-でなければ思いつかないような奇想に満ちている。
創作者は当時アメリカで流行ったブラジル風リズムの名前をラテンっぽい曲につけてみただけで、本場に対抗させようというような野心はなかった。「アキラで サンバ」でもよかったのだ。歌謡曲はある時期まで土着の強烈なエネルギーをもち、どんな素材でも気楽に混ぜて笑っていられる包容力とユーモアのあるジャン ルだったのだ。小野リサの音楽はブラジルに「追いついた」ところで終わってしまう。しかし小林旭の意図なきユーモアははるかに日本の大衆音楽の根元に近 く、またそのぶん先を見つめていた。ただ本物志向のベクトルからあまりに外れていたため、際物扱いされてしまっただけだ。「追いつけ」気質が日本の近代の 特徴であるならば、この曲は好事家向けの珍品というよりは近代を突き抜け、別の「反時代的な」大衆音楽の方向を暗示していた。(あとがき)


「アキラでボッサ・ノヴァ」(@_@) これはタイトルすら知らずにいた。(こちらで聴 ける-三曲目)。ぎゃははは(^_^)(^_^)やっぱりこれは「アキラでサンバ」ぢゃ(^_^;) たしかに小林旭の60年代の一連の楽曲には、国籍不 明というか、何でもありというか、面白くて何ぼというか、破茶目茶というか、豪快に突き抜けたものがあった。彼の映画に頻出する「ギター抱えた一人旅」の マイトガイの姿は、もしかしたらMorris.にとっての究極の夢の姿なのかもしれない(^_^;)


087

【「出稼ぎ」から「デカセギ」へ】三田千代子 ★★★ 2009/03/25  不二出版刊。副題に「ブラジル移民100年にみる人と文化のダイナミズム」とある。著者は「ブラジル社会文化を非本質主義視点から捉えることに関心。ヒ トの移動に伴う社会・文化の変化を、ブラジル社会を事例として、研究を展開している」人らしい。「非本質主義」というのからして、よくわからない。「本質 主義」がア・プリオリ(先天的)、非本質主義がア・ポステリオリ(後天的)ということなのだろうか?
「ブラジル移民100年(2008)を期に、30年にわたって発表してきた論文を点綴して一冊にまとめたもの」とある、いちおう研究論文や調査記録の集成みたいなもので、割りと硬めの文章が多い。煩瑣だけど、目次を写しておく。

序章 移動するヒト・変容する文化 1.ヒトの移動と文化のダイナミズム 2.近代のヒトの移動 3.グローバル化時代のヒトの移動と日本
第一部 ブラジルの日本人--去りし者
第1章 近代日本の海外移民政策 1.明治維新政府と「元年者」の失敗 2.官約移民と日本社会 3.移民業務の民営化による私的移民の送出 4.メキシコにおける日本人植民地建設の試み 5.近代日本における海外移民の役割
第2章 ブラジルの移民政策と日本移民 1.ヨーロッパ移民の代替としての日本移民 2.国づくりの理念「白人化」と日本移民の導入 3.日本移民の制限の始まり 4.ナショナリズムと移民政策 5.レイス「排日法案」の提出 6.ポテーリョ報告書
第3章 サン・パウロ日本人共同体と経済活動--1920年代-1950年代 1.日本人移住地の集団形態と農業携帯 2.コチアの日本人共同体 3.バストス移住地 
第4章 「国民国家」から「多人種民族国家」へ 1.「国民国家」の形成と外国移民 2.第二次世界大戦と日本移民 3.「多人種民族国家」へ
第二部 日本のブラジル人--来たりし者
第5章 デカセギ現象をめぐる日本とブラジルの新たな関係  1.「ブラジルの奇蹟」の後 2.日本の高度経済成長 3.「デカセギ」元年の日系人就労者
第6章 在日日系ブラジル人の社会・文化生活--神奈川県綾瀬市を中心に 1.神奈川県の外国籍住民 2.綾瀬市とブラジル人 3.アンケートにみる日系ブラジル人の姿 4.デカセギ・ブラジル人と日本社会
第7章 彷徨うデカセギ・ブラジル人 1.ポルトガル語となった「デカセギ」 2.ブラジル人の分布 3.彷徨うブラジル人 4.多様な生活戦略 5.グローバル化時代の教育とは
第8章 ナショナリズムとエスニシティ・グローバリゼーションとエスニシティ--「デカセギ」送出地バストス市の事例 1.「日本人村」としてのバストス 市の概略 2.「日本人村」の経済活動と社会組織 3.ナショナリズム下の「日本人村」 4.第二次世界大戦と養蚕業 5.「日本人村」の再出発 6. 「ジャポス」・エスニシティ 7.デカセギとバストス
終章 ブラジルの日本人、日本のブラジル人--移動と定住の社会史的考察 1.ブラジルの日本人 2.日本のブラジル人


かなりの部分が、退屈(>_<)だったけど、第4章はいろいろ教えられるとこころ多かった。

1923年の関東大震災の罹災者を救済するために、日本政府は補助金を交付してブラジル移民(110人)を 送出した。25年には、全ブラジル移民に船賃と移民会社の取扱費用が全額交付されることとなり、国策移民の体制が整えられた。さらに、27年には神戸に、 300人収容の移民収容所が建設された。ついに、28年には一万人を超える移民が送出され、ブラジル向け移民の最盛期を迎えた。他方、ブラジルで日本移民 は、最多のポルトガル移民に次ぐ入国者数となった。そして1932年、日本政府は、12歳以上の者に渡航準備金(50円)を交付するようになり、日本移民 は自己資金を全く準備せずにブラジルに渡航することが可能となった。さらに、日本政府は移民の送出だけでなく、独立自営農として移民を送出するために、日 本人移住地の建設を1929年にサンパウロ州およびパラナ州で着手した。こうした日本政府の積極的な対策の結果、1928-34年の7年間に戦前期のブラ ジル向け日本移民の57%余にあたる108万8258人をブラジルに送出した。(第2章6.)

日本は人減らしという国策として海外移住を推進して、7年間に100万人をブラジルに運んだのか。石川達三「蒼氓」の時代だね。

外国人入国を基盤として移植民審議会の展開したアブラジリアメントのキャンペーンは、ブラジル社会への同化 を促進して人種的には「ブラジル人」という新しい人種のタイプを、文化的には「ブラジル人意識」をつくりだし、ブラジル社会の構造を一つに統合して、外国 移民とその集団地をブラジル国家に再統合しようとするものであったといえよう。したがってヴァルガスのナショナリザン政策は多人種多民族からなるブラジル の住民を一つの「ブラジル人」としようとするものであった。この意味でそれは国民国家(nation-state)の一民族一国家の理念により創出された 政策であったといえよう。そしてこの政策を通じてブラジルに入って来た異質の者に対する期待、あるいは態度がブラジル社会に形成された。つまり、今日、異 質の者は、明日には形容詞のない「ブラジル人」になることが期待されたのである。人種的には異種混淆(ハイブリッド)が、文化的には同化が、社会構造上は 統合が期待された。この結果、外国人移住者が地理的文化的に孤立して民族的同質性の高い集団を形成していることはブラジル社会では非難の対象となった。 (第4章1.)

これがいわゆる、戦時中のブラジル政府の方針であり、日本からのブラジル移民は心身両面から圧迫されてしまった。これがまた戦後の「勝ち負け抗争」にも繋がったわけだ。

ブラジルで日本人が「ニッポンジン」として生きることにますます追い詰められ、ブラジルの生活に希望を托す ことができなくなった日本移民は日本に帰国することを希望するようになる。しかし、現実には終戦を迎えるまで帰国することは不可能であった。多くの日本人 は、移民ではなく「棄民」となったことに気づくのである。(第4章1.)

「棄民」とは、酷すぎる言葉であるが、それが実情でもあった。

(第二次世界大戦終結時)サンパウロ州とパラナ州に広がっていた日本移民とその子弟の数はおよそ20万人と 推定されている。これら20万人を巻き込む一大事件となったのが、「勝ち負け抗争」と呼ばれる日本人社会のテロ事件で、それは当時の日本人社会を混乱に陥 れた事件であった。
日本人社会の混乱は、三つの現象からなっている。
1.日本語による印刷物の発行が禁じられていたため、情報が歪めて伝達されやすい状態にあり、デマが横行した。領事館などは閉鎖されており、ブラジルの日 本人社会には日本の敗戦の公報を伝達する機関が無かった。流言蜚語が飛び交うなかで、日本人の多くは、祖国日本の敗戦を心情的に信じることができず、祖国 の敗戦を信じた人々を「裏切り者」として葬ろうとした。
2.「戦勝国」日本への帰国(または、日本の「南方占領地域への再移住」)を希望する日本人を相手にした帰国詐欺の横行。
3.価値のなくなった旧日本円の闇売買。
2,3,の被害者はほとんどが日本の戦勝を信じた人々である。(第4章2.)

戦前の日本移民の大部分は、日本で農業に従事していた。元来、土地を離れて生活が成り立たない農民が、なぜ母国の土地を離れて新大陸へ渡ったのだろうか。 日本からの出移民が盛んになった時期をみると、その背景には、常に日本の経済の疲弊という状況があった。彼ら自身が自らを「棄民」と呼んだごとく、日本政 府からみれば、移民政策は「口減らし政策」であった。移住者の大部分は、短期間である程度の蓄財を果たして帰国するつもりであった。日本人だけの開拓地を つくり、日本人植民地では、ブラジル社会との接触はほとんど限られていた。いずれは日本に帰るのであるから、進んでブラジル社会に入る必要もなかったので ある。(第4章2.)

1945年にヴァルガス大統領が下野し、ヅッツラ大統領(1946-51)のもとで、新憲法発布の準備がなされた。日本移民の入国禁止条項を憲法の一文に 挿入するかどうかが議論となった。議会で賛否を問うたところ、99対99の可否同数となり、議長の決定権票によって日本移民入国禁止条項は否決された。議 長は日本移民の入国に賛成したのではなく、憲法に特定の民族や人種に関する禁止事項を盛り込むことは国家の恥であるとして反対票を投じたのである。(第4 章3.)

1988年10月、民主体制のもとで制定されたブラジルの新憲法には教育課程における多文化主義の実践が盛り込まれた。「ブラジルの歴史の教育は、ブラジル人の形成における、異なる文化及び民族の貢献を考慮に入れるものとする」と謳われている。
ブラジルは国内の「異質のもの」の「消化」や「同化」ではなく、互いに「異なるもの」が共存し共栄する国づくりを目指すようになったのである。こうしたブ ラジル社会の変化は「ブラジルの日本人」となった日本移民のアイデンティティと矛盾なく調和することになり、「ブラジルの日本人」としてブラジル社会に再 統合された。(第4章3.)


この新憲法の発布は、日系ブラジル人誕生の契機となった。この憲法に関してはもう少し詳しく知りたくなった。

ブラジル社会にとっては、デカセギはブラジルからの「出移民」の一現象である。本来の日本語の「出稼ぎ」と は異なる。日系ブラジル人の日本における就労という固有の現象を表すものとして「デカセギ」の表記が用いられている。この表記は、日本語の「出稼ぎ」がポ ルトガル語に転用されてdekasseguiとなり、このポルトガル語の日本語表記が「デカセギ」である。(第7章1.)

本書のタイトルは、このことをきちんと理解しないとわからない、という仕組みになっているようだ。

ブラジルの日系人の間で、年齢を問わず日本のカラオケが楽しまれているのは、よく知られている。地区大会、地方大会、州大会、全国大会と競い、優勝すると、日本旅行の権利を獲得する。
カラオケの個人レッスンが、文化協会を借りて行われている。
カラオケは日系ブラジル人にとり、その身体的特徴と並ぶエスニシティの拠り所であるから(細川周平『サンバの国に演歌は流れる』)(第8章6.)


おお、この本は読まねば。


086

【トイレのポツポツ】原宏一 ★★★☆2009/02/28集英社刊。集英社WEB文芸「レンザブロー」に2008年に掲載されたものに加筆・修正。
このところ、ブラジル移民関連書を読み続けてて、結構硬いものも多いので、その息抜きとして、原宏一の作品を利用させて(^_^;)もらっている。
原宏一は「床下仙人」が文庫化されて数年後に、本屋店員が「再発見」して、ちょっとした復刊ブームになった作家らしい。
Morris.は「床下仙人」は単行本で読んで2000年の読書録に感想書いてた。

全く未知の著者だったが、カバーの耳にイッセー尾形が推薦文書いてたのに釣られて借りてきた。仕事社会を皮 肉った短編小説集で、表題作を含めて5篇が収められている。一見ありそうで、なさそうな、事件や状況を作り出して、一応の現実感を出しながら、ほわんとし た感じで読者をけむに巻くことを、作者自身が楽しんでるような感想をもった。着想は奇抜な割に、展開はとろとろで、企業論理や、コンピュータ社会の問題点 なども取り上げたりしながら、どこか現実離れしている。結構Morris.は楽しめたのだが、特に最後の「シューシャイン・ギャング」は、なんか身につま されてしまったよ。リストラされて、女房子供から追い立て食らった50男が、家出少女と、疑似家庭を作りあげる物語だが、無機質なラブストーリー (Morris.は好き)が、好ましかった。これに限らず、この人の作品は、諧謔も含めて大人のメルヘンだ。

おお、ブームになる前にきっちり彼の特長は把握してたようだ。しかし、イッセー尾形には遅れをとってた(^_^;)
最近読んだ原宏一作品を、面白かった順に挙げておく。
中堅製麺会社の勢力争いに巻き込まれた社員や派遣、バイトらによる会社再生の物語。連作短編ともいえるが、読み終えたら、きっちり一つの長編になってるあたりも、作者の手練れぶりがうかがえる。

「実はこれ、食品検査室に異動してわかったことなんだけど、無化調(化学調味料無添加)であればすべてよ し、みたいな考え方ってけっこう危険なんだよね。一見、わかりやすいからあなたみたいな真面目な人ほどハマっちゃうんだけど、そんな一面的な捉え方をし ちゃいけないと思う」
「そもそも化学調味料とは何なのか。主なものとしてはアミノ酸系と核酸系があるが、アミノ酸系はサトウキビからとった糖蜜からグルタミン酸を生成して、 それに水酸化ナトリウムを作用させて作ったグルタミン酸ナトリウム。核酸系は、トウモロコシの澱粉に酵母を加えて生成したイノシン酸ナトリウムなど。生 産国やメーカーによって原料やつくり方が多少異なるものの、日本の場合は現在、これが化学調味料の主流になっている。
「つまり化学調味料と呼ばれるものも原料は天然素材で、WHOも健康には影響がないと判断してるんだよね。それがなぜ悪者にされるようになったかという と、昭和四十年代の一時期、石油が原料に使われていたことがあって、それで人工的な悪いものってことになっちゃった。で、業界としても反省して再び天然素 材に戻して『うま味調味料』って呼ぶようにしたんだけど、いまはもう無化調派の人が言うほど悪いものじゃないんだよね」
食品の調味料には、グルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムといった化学調味料のほかに、タンパク加水分解物や酵母エキスなども使用されている。と ころがタンパク加水分解物や酵母エキスを使っている商品は「化学調味料無添加」と表示してもいいことになっている。グルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナ トリウムは法的には「食品添加物」に分類されているが、タンパク加水分解物や酵母エキスは「食品」に分類されているからだ。
これが消費者に大きな誤解を与えている。


食品添加物に関して、なかなかに突っ込んだ解説である。いわゆる薀蓄より、ワンステップ深いところもまで調べてるという感じがする。まあ、今や、インターネットで、部屋にいながらにしてこのくらいの知識は入手することができる

これでもあたしはまだまだ若く見えるほうだと思う。むかしバイトをしたときに知ったのだが、セブン-イレブ ンのレジでは買い物したお客の性別と推定年齢を打ってデータをとっている。だからセブン-イレブンに行くといつも何歳のキーを打たれるのか見ているのだけ れど、あたしの場合、まず百バーセント二十代のキーが打たれている。

こういった、小ネタがまた楽しませてくれる。

「でも中国人と家族のような人間関係と言われても、どうやって結べばいいものか」
わたしが眉根を寄せると、
「それはもうチェンイーしかない」
「チェンイー?」
田布施さんは上着のポケットから手帳をとりだして「诚意」と中国文字を書きつけた。
「チェンイー、すなわち誠意。この国でも、最後の決め手はこれしかない。ただし誠意の示し方にもお国柄があるからそれは研究しないといけないがね」
初めて訪問するときには、ささやかなものでもいいから手土産を持参する。商談した相手とはきちんと記念写真を撮っておいて、後日引き伸ばして額に入れて贈る。先方が日本に遊びに行きたいというときには段取りをつけてあげる。同時に日本の友人知人も紹介してあげる。


海外での商売のコツまで教授してくれるあたり(^_^;)
【東京ポロロッカ】原宏一 ★★★ 2011年光文社刊。
ポロロッカとはアマゾン河に海の水が逆流する現象のこと。めんどくさいのでWikipediaから引いておく。

ポロロッカ(Pororoca)は、アマゾン川を逆流する潮流、いわゆる海嘯のこと。ポロロッカの名称は、トゥピー語で「大騒音」を意味するpororó-káからきている。
満月と新月の時は干満の差が大きく(大潮)、およそ5m程の高さの波としてアマゾン川の河口に押し寄せてくる。この大波は川の流れを飲み込んで、時速65kmの速度で逆流し、800kmの内地にまで至るものもある。
大潮に由来するため月に2回起こる現象であるが、3月の頃には干満差の大きさや、雨季の影響によるアマゾン川の水量の多さにより規模が大きくなる(大海 嘯)。雨季に当たる春には、アマゾン川の大量の水が満潮になって押し寄せる海水と衝突する。この時、川の水は逆流する海水に押され、海に流出することがで きず海水と共に逆流する。この時、600kmの内陸にも洪水や海水の氾濫による甚大な被害がもたらされる場合がある。
パラ州のサン・ドミンゴス・ド・カピンでは1999年以降、毎年ポロロッカを利用した波乗りの大会が開催され、各国のサーファーが訪れている。2003年 には、アディルトン・マリアーノが、この波に乗って34分間に亘り川を上っている。しかしながら、水中には川岸から流された大量の障害物が漂っているので 危険も伴う。
オリノコ川でもポロロッカに似た現象が知られており、マカレオ(macareo)と呼ばれている。(Wikipedia)


このポロロッカが東京の多摩川でもおこるんじゃないか、という与太話が、小さな噂から、だんだんひろまってしまい、これを利用しようとする不動産屋、官庁なの予算獲得画策にまでおよび、その噂に翻弄される7組の人々のエピソードをオムニバス短編に仕立てたもの。
例によってこの作者お得意の薀蓄、そしていかにも造り物めいたプロットだが、それなりに読ませるものに仕上げる手際はなかなかのものと思う。
しかし、この連作が「小説宝石」に2010年から2011年4月にかけて連載され、まさに2011年3月11日の東北大津波の前触れみたいになってるのが、不気味でもある。冒頭に震災復興への願いが付されている。

「ぼくがイベントを企画するときは、いつも四つのポイントを意識してるんだよね」
そういうと柴口は『時節』『世相』『衝撃』『限定』と紙に書き出し、新人研修会をやっている気分で説明しはじめた。
まず『時節』とは季節や年中行事、記念日などのこと。いまなぜこのイベントか、という理由づけなしには人は注目しない。『世相』は、円高時代とか韓流ブー ムとかエコ志向とか、景気の動向や巷の流行といった世の中の状況。これがズレていては、だれも振り向かない。『衝撃』はサプライズと言い換えてもいい。な んでもいいからドキッとさせる仕掛け。そして、『限定』とは、十個だけ、とか、いまだけ、とか、ここでしか買えない、といった脅しで、最終的にはこれが人 を行動に駆り立てる。
こららすべてを満たしていれば、まず一定以上の成果は得られる。そこに『神風』が加われば、さらなる大ヒットにつながる。ただし『神風』は企画者の手が及ばないものだから、柴口としては最低限、四つのポイントだけは満たすように心がけている。


ちょっと鬱病気味のイベントプランナーが妻に教えるイベントのコツだが、これなどは、昔とった杵柄というか、コピーライター時代の「遺産」なのだろう。
柴口が鬱病から回復しかけたときに定期診察で医者がすすめる「ハッピーノート」は、世間によくある「幸せになる方法」みたいなものだが、効果ある人には効果あるかもしれない。

「柴口さん、明日から"ハッピーノート"をつけてはどうでしょう」
ペンシルバニア大学のセリグマン博士が提唱しているプログラムで、毎日の就寝前に、その日にあった良いことを三つ書き出す習慣をつけるといいのだという。
「三つですか?」
「ええ、必ず三つです。どんな些細な良いことでもいいから毎日三つ書き出すようにしているだけで、気持ちが元気になっていく効果があると言われています。まあ騙されたと思ってやってみてください」

【東京箱庭鉄道】原宏一 ★★★☆ 2009年祥伝社。元皇族の肝いりで、東京に遊び心ある鉄道を作る企画を依頼された若者たち。突飛な話を結構リアリティスティックに展開する、この作者の得意分野で、楽しませてもらった。
途中に出てくる「自動車会社陰謀説」というのが興味深かった。

1950年代以前のロサンゼルスには、パシフィック・エレクトリック社という電鉄会社野路面電車が網の目のように敷きめぐらされていた。総延長は市街路線だけで八百余キロもあったと言われている。
そこに登場したのが、大衆車の爆発的な普及とともに急速な発展を遂げた大手自動車メーカーだった。爆発的な売上げを達成した反動で一挙に売上げが低迷した ことから、さらなる売り上げアップを目指してある秘策を思いついた。自社が出資している子会社のバス会社にパシフィック・エレクトリック社を買収させて経 営権を乗っ取ったのだ。
それを境に実行に移したことは露骨だった。路面電車の路線をどんどんバス路線に転換して路面電車を廃止に追い込んでいったのだ。路面電車よりもバスのほう が便利じゃないか、という論法の転換だったが、しかし人びとは路面電車に比べて速度が遅いバスに見切りをつけて自家用車を買いに走り、その結果、大衆車の 売り上げは再浮上。ロサンゼルスの街は排気ガスにまみれた車一辺倒の街になってしまった。
これは1974年にアメリカ議会に提出されたブラッドフォード・スネルの議会報告書によって明らかにされた話です。もちろん、事の真偽に異論を唱える人も いないではありませんが、大手自動車メーカー系列のバス会社が電鉄会社を買収したことは事実ですから、私としてはスネル説をとりたい」
「ということは、東京の場合もロサンゼルスに近いことがあったってことですか?」
おれは聞いた。
「都電の場合は都営ですから、アメリカとは図式が違うかもしれません。でも昭和40年代に入って突然、ロサンゼルスなみの勢いで都電が廃止されていったこ とは事実ですから、うかつなことは言えないにしても、私個人としては何らかの資本の力が働いた結果だとしてもおかしくないと思いますね。


そんなことがあったのか(@_@)とネットで検索したら「アメリカ路面電車スキャンダル」というタイトルでWikipediaで説明してあった。東京都電(チンチン電車)廃止での陰謀説は見当たらなかったが、こういったネタの紹介は、Morris.みたいな好奇心旺盛な読者には喜ばれるだろう。
本書には鉄道マニア関連のそこそこディープなネタも満載で、その気(け)のある人びともターゲットにしてるのかもしれない。
この作家はコピーライターあがりらしいが、最近は広告会社出身の作家が多い。さすがに読み手を惹きつける着想や文章の読みやすさはお手のものなのだろう。先の陰謀説の説明なども、実に手際よく要約してあり、理解しやすく読みやすい説明(会話)になっている。


【姥捨てバス】原宏一 ★★★☆ 1998/10ベネッセコーポレーション刊  白バスの運転手と営業マンコンビが、老婆に「姥捨てツアー」を企画し、戦時の避難壕で老人のユートピアを建設しようとする。という、原宏一にありがちな 作品だが、老人問題をひっくり返した形で問題提起してるところが面白かったのかもしれない。

姥捨てのことを知ってるババァ、いるかい?
え? 楢山節考? なんだい、意外と文化人がいるじゃねえか。そう、昭和の時代に映画にもなったよな、今村昌平が監督やって、緒形拳が主演して。え? 監 督は木下恵介? 主演は田中絹代? なんだそれ、ババァは古い映画知ってやがんなあ。そんなこったから、いまだにポットを魔法瓶、カップルをアベックとか 呼んじまうんだよ。あとテレビを電気紙芝居とか、そんなこたいわない? なんだよ、見栄張ってんじゃねえか?
けど、おれなんざ、もっと古いこと知ってんだよ。なんたって姥捨て伝説の源流はインドだってんだから、インド人もびっくりだ。こんなギャグ知ってんだから、おれも古いけど、とにかく『雑宝蔵経』とかいう仏典に載ってるってんだな。
それが中国に伝わったらしくて、『孝子伝』ってのにも乗ってて、あま日本に伝わったのも、そこらへんの影響があったのかもしらねえな。
で、平安時代の『大和物語』だ。ここに日本の代表的な姥捨て伝説が残されてる。
夜中に姨捨山に母親代わりの伯母を捨てて帰ってきた男が、山の端にかかっている美しい月を見て、歌を詠むわけよ。
「我が心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」
ああ、なんてことしちまったんだと、男は悔やんだわけだ。で、さすがに耐えきれなくなったもんだから迎えにいきましたとさ。
とまあ、こういう話があるわけよ。
昭和になって書かれた深沢七郎の『楢山節考』も、まあこれを下敷きにしてるんだろうな。


ツアーのバスの中での営業マンのトークである。やっぱり上手いと思う。

【ヤッさん】原宏一 ★★★2009/10/28双葉社刊。
築地市場や高級料理店で不思議な評判を持つ、ホームレス親父ヤッさんと、それを師匠と仰ぐ新米ホームレスの、グルメ生活?
市場やレストランの仕組みなどの薀蓄満載で、そこそこ面白かった。

【大仏男】原宏一 ★★★ 初出「月刊ジェイ・ノベル」2009~10

「おれは三十過ぎまでミュージシャンを諦めなかった。夢を叶えるコツは、夢が叶うまで諦めないことだ、なんて誰かが語った言葉を真に受けて三十過ぎになる まで歯を食いしばってバンドを続けていた。だが、いまにして思えば、夢を諦めるコツを語ってくれる人がいてくれたら、と悔やまれてな」

【ファイヤーボール】原宏一 ★★☆☆2012/02/23PHP研究所刊。「WEB文蔵」2010-20連載に加筆・修正。

リストラされた猛烈サラリーマンが、生み出そうとする「祭り」とは!? 奮闘する彼のもとで、バラバラだった家族が再生していく。とびっきり熱くて元気が湧いてくる感動の長編小説。

これは腰巻きのキャッチコピーだけど、あまりおもしろくなかった。

【爆破屋】原宏一 ★★☆2002/01小学館刊。
ビルの爆発撤去に魅せられた若い夫婦が、アメリカのプロの老人を師匠として、研鑽を積んで、帰国して実家の過疎化商店街を爆破するという、破茶 目茶な紹介であるが、作品としてはあまりおもしろくなかったのだが、あとがきに彼の作風(作法?)を自分で解説してる部分があったので引いておく。

コピーライターの仕事を長くやってきた。広告の文案を考えるこの仕事は、基本的に受給産業だから、ポテト チップのコピーを書けとちゅうもんんされればポテトチップ業界の競合状態を勉強しなければならないし、生命保険のコピーを書けと迫られればややこしい特約 契約書も隅々まで読み込んで研究しなければならない。
もともと勉強とか研究とかいったものは苦手だ。いや、大嫌いだ。しかし、やらないことには一行たりともコピーは書けないし、書けなかったら飯も食えなきゃ酒も飲めないから、いやだろうが付け焼き刃だろうが受注したら頑張らざるをえない。
オリーブオイルの搾り方、人気ゲーム機のスペック比較、補正下着のモニター分析、木造建築の歴史、電話会社別の料金体系からアイラインの上手な引き方まで。請け負った仕事に応じて、それはもうありとあらゆる分野に首を突っ込んできたものだ。(「あとがきではない」)


この文の主旨は、こういった知識を、ひとつの作品が出来上がった途端に、すべて完全に一つ残らず忘れてしまうということなのだが、その真偽はおくとしても、そういったことができるのも一つの才能だと思う。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ 歌集『銀幕』

【佳代のキッチン】原宏一 ★★★☆☆ 2010年光文社刊 中学卒業時に出 て行った両親を探すため、15年後に移動ミニバン調理屋しながら、日本全国を追いかけまわるという、いかにも造りものストーリーだが、横須賀、京都、松 江、仙台、花巻、函館など各地の景色や人情、オリジナルのレシピなどが織り込まれて、それぞれ楽しめる仕掛けになっている。

いま改めて京都の街で暮らしはじめてみると、ここは神社仏閣だけの街ではない。細かい路地の組み合わせで成 り立っている街なんだと気づいた。もちろん、ほかの街にも路地はたくさんあるのだけれど、京都の路地は碁盤の目になった市街地の合間をびっしりとうめつく す毛細血管のごとき存在で、細かい一本一本のそれぞれに表情がある。

京都の町並みをこんなふうに表現するあたりは、なかなかだと思う。

この佳代流ミートボール、ふつうのミートボールとほぼ変わらないのだが、二つだけ違いがある。一つは挽き 肉。これは佳代の賄いカレーもそうなのだけれど、豚バラ肉のブロックを切り刻んでから包丁で叩いてミンチ状にしている。そしてもう一つは、ミンチ肉のつな ぎ。ふつうはパン粉でつなぐところを佳代はクスクス(粒上パスタ)とお麸を砕いたものを入れている。クスクスをさっと湯通ししてから、お麸とともnミンチ 肉に二割ほど混ぜる。するとお麸のもちっとした食感と相まって、トマトソースで煮込んでもやわらかくてあっさりした口当たりのミートボールに仕上がる。

料理レシピも、平凡な中にちょっとした意外性を含ませるあたりも、同上である。


【穴】原宏一 ★★☆ 2003/02実業之日本社刊。富士の樹海に自殺しようと入り込んだ若者が、ここで暮らす謎の老人に拾われ、新しい国家を作ろうというユートピア物語。これはハズレ。


085

【新百人一首】岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘選 ★★☆  2013/03/20 文春新書。「近現代短歌ベスト100」という副題に釣られて(騙されて?)手に取ったのだが、これは看板に偽りありだと思う。こう いった選集を4人で選ぶというのがそもそも間違えてるだろうし、選ばれた歌人の1/3くらいは、Morris.としては、他の歌人に換えて欲しい気がし た。それよりも、選ばれた一首に異議ありが多すぎる。Morris.好みの歌人も20名を越えると思うのだが、彼らの作品中ベストという歌が選ばれている ケースは半分に満たなかった。納得出来ない結果をいくつか引いておく(イヤな作業だが)

・君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋
・髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころは秘めて放たじ 與謝野晶子
・ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも 斎藤茂吉
・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 齋藤史
・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも 塚本邦雄
・飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井隆
・一隊をみおろす 夜の構内に三○○○の髪戦ぎてやまぬ 福島泰樹


もちろん駄作が選ばれているということではないし、評価の観点の違いにもよると思うのだが、少なくともMorris.には上記の歌より、優れた歌がそれぞれの歌人にはあると思えるのだ。
まあ、こういったものは一種のお遊び、ということで目くじらを立てる必要もないのだろう。一首以外にそれぞれ三首ずつ付け加えてあった計400首の中に は、Morris.がこれまで知らなかったり、記憶になかったもののうち、印象に残る作もいくらかあって、それを引いておく。

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな 若山牧水

曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきひ)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち) 木下利玄

曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき 坪野哲久

大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ 岡部桂一郎

死に際を思ひてありし一日のたとへば天体のごとき量感もてり 浜田到

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ 上田三四二

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 山中智恵子

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子


084

【森の夢 ブラジル日本人移民の記録】醍醐麻沙夫 ★★★  198105/25 冬樹社刊。「森の夢」(「サンパウロ新聞」1977年4~10月連載)、「聖人たちの湾(「サンパウロ新聞」1970年1月) 北杜 夫作品で平野農園のくだりは、全面的にこの作品を下敷きにしたと書かれていた。著者についてはWikipediaの紹介を借りる。

神奈川県横浜市生まれ。本名・広瀬富保。学習院大学文学部卒。ブラジルに移住し、職を転々としながら、日系 人文学愛好者の集い「コロニア文学会」で小説を書き始める。1974年「「銀座」と南十字星」でオール読物新人賞受賞、1975年「夜の標的」で直木賞候 補。1991年「ヴィナスの濡れ衣」でサントリーミステリー大賞佳作。アマゾンの釣りに関する小説や、伝奇推理小説を書く。(Wikipedia)

1908年の第一回ブラジル日本人移民船笠戸丸の移民の通訳として、別ルートイギリス船でサルバドール港にやって来た5人の東京外大スペイン語専修の若 者。その中の一人平野運平は、日本人初めての入植地「平野植民地」を拓いて成功目前で34歳で亡くなった。本書は彼を主人公として、あたう限り忠実にその 足跡を追ったものである。

やがて朝日が差した。急に気温が上昇した。紺青の澄み切った空が輝いていた。コーヒー栽培地帯の冬の乾燥し て晴れ渡った空の美しさは独特だった。赤っぽい土とコーヒーの濃い緑と紺青の空と……この三つだけで風景が成り立っていて、視線に当ってカンカンと音がし そうなほど澄み切って、どんな遠くのものまでも手にとるようにクッキリ見えた。

北杜夫の作品のタイトルの蒼き空は、醍醐のこんな表現からも触発されたのだろう。風景描写としても見事である。

彼は大工上りだった。"日露戦争で大国ロシヤに勝った国民"という一般ブラジル人の対日認識以上に、日本人 の手先の器用さにひどく関心を惹かれていたのだった。他民族の移民たち、例えば採取用の梯子も二日係りで危なっかしいものしか作れないのに、日本人たちは 現物を一目見ただけでアッという間に本職はだしのものを作った。職人としてのサルトリオは、不器用な人間はイヤだった。彼自身も大工だけでなく機械の修理 もこなすようになり、だんだんとこの農場で重要な地位に上がったのである。自分の部下に無器用な飲み込みの悪い人間を三人置くより、飲み込みの早い奴を一 人使うほうがずっと能率が上がる、と思っていた。
自分が器用な人間は、無器用な人間が営々と積み重ねる仕事の価値を認めてはいても、一緒に仕事をするのはまどろこしくて我慢できない。サルトリオが日本人に寄せている人並み以上の関心と好意は、多分に、そんな彼の気質から来ていた。


平野が最初に移民とともに入ったグァタパラコーヒー農園のイタリア人総支配人サルトリオの所見で、ある意味正論だとは思うのだが、生来無器用なことにかけては人後に落ちないMorris.にはちと、耳の痛い言葉だった(>_<)

「私は移民は可哀想な存在だと思っています」
と運平は言った。
「国家や会社に騙されてやって来た訳ですからね」
「ほう、これは手厳しい」
松村は苦笑した。
「閣下に申すのは失礼ですが、本当のことです。はじめの頃は借金が増えぬようにするのが精一杯でした。今は随分よくなりました。グァタパラなら一年頑張れ ば渡航費は何とか払えます。帰りの分はもう一年、つまり二年働けば往復の渡航費は出ます。しかし、儲けようとしたら十年はかかるでしょう。一人も病気をせ ず、子供も産まず好条件の農場で頑張ったとしての話です」
「なるほど」
「現実には不可能に近いです。だれでも病気をする。コーヒーの値が下がることもある。つまり、移民は何年働いたって儲からないのです。故郷に錦など飾れん のです。日本で移民を募集するに当ってそんなことはこれっぽちも言わないでしょう。移民たちはこの国に着いてから騙されたことに気づく。しかし、もう遅い のです。来るだけで無理に無理を重ねて渡航費を算段した連中が、おいそれと帰れる訳はない。いくら地団太踏んでも、移民の声はどこにも届きません。不貞腐 れて働かないと宣言したところでだれも助けてはくれない。飢え死しないいために泣く泣く働くより仕様がないのです。人間生きてるかぎり希望が生れる。何と か日本へ帰りたい一心で食うものも食わず働く。1ミル2ミルと金を貯めよう思って……必死に働きます。それが外務省の報告や新聞の記事では『日本移民ハ評 判ガ良ク、農場主達モ口ヲ極メテソノ勤勉ヲ激勝セリ」となるのです」


サンパウロの日本総領事館開設は大正四年(1915)7月、初代総領事が松村貞夫。上は松村赴任一ヶ月後の会話である。
このとき、平野はグァタパラ農園をやめ、てサルトリオが独立して経営する農園について行くつもりだったのに、松村が日本人による植民地を作るようにたのみこむ。これが平野植民地の始まりとなった。

窓外の風景は一変していた。コーヒー園や牧場やトウモロコシ畑や、およそ人間の営為を示すものは何もなかっ た。森だけがどこまでもつづいていた。そして、冬のノロエステ地方特有の、どこまでも澄み切った青い空が拡がっていた。その色があまりに青いので、例え ば、空に浮んだ一片の雲の白さが、痛いほど目にしみてしまうのだ。しかし、その雲さえめったに浮いてはいなかった。
この奥深い青さは、乾燥期の森から蒸発する空中の水蒸気の量が、豊富な太陽光線のスペクトルから青だけを抽出するのに最も適した量であるからのようだっ た。森も、空に拮抗して濃い緑をまとっていた。木々の一つ一つは、種や樹齢を示して微妙にちがっていたが、全体は濃い緑だった。
森には花が咲いていた。冬から春にかけて、種々の木が花をつける時期だった。花は赤か白か黄色だった。風景の中に中間色は存在しなかった。アイマイな色や形はなかった。何も混り合わず、花を含んだ森と真っ青な空だった。


ここでも、ブラジルの青い空の描写が繰り返されている。

これは史実である。史実を作品化する場合、「歴史そのまま」か「歴史離れ」をしてフィクションを加えるべきか、という二者択一を筆者はする訳だが、ここでは事実だけを書いた。登場人物も総て実名である。
移民の歴史はしられているようで、細部になるとほんど知られていないと言うのが私の実感である。それを正確に知って貰うために、作品が窮屈になるのを承知で知り得た事実のみを記した。
入植当時のマラリヤの犠牲者は六十余名とも七十余名とも伝えられているが、詳しい記録は何一つ残っていないので、今回は正確な数を確認できなかった。ここには、私が調査して脂肪日時までを確認出来た四十三名の名を哀悼と鎮魂の心を込めて誌した。
平野植民地に入植した人々の苦難は、今日から見ると異状なほどであるが、決して特殊な例ではなくすべて開拓者が味わった苦難であった。
私は特異な例としてではなく、典型として平野植民地を選んだのだ。(補(あとがき)より)


平野植民地の苦難、マラリアでの大量死、イナゴの大群に拠る壊滅的被害などは、北杜夫作品で嫌というほど堪能(^_^;)したので、本書の描写部分はいく らか斜め読みしてしまったが、確認できた犠牲者43名の名をすべて記したのは、鎮魂と追悼のためだったということか。うーむ。
北杜夫作品は、ブラジル移民史を描き切ろうとしたため、平野運平も一つのエピソードとして取り上げられているのに対して、本書は平野植民地に限定して、し かもフィクションを排除して描かれたという、構成の違いはもちろん、作家としての資質
の違いもあるだろうし、同じ場面でも両者から受ける印象は相当に違っ ている。どちらの作品も優れた作品で、もっと多くの人に読んでもらいたいと思いながら、日本ではあまり受けないタイプ作品なのかもしれない気もする。どち らも、もう40年前の作品で、一般的には埋もれた作品の範疇に入るのかも。
併載の短編「聖人たちの湾」は移民史の異色の存在鈴木貞次郎の晩年と死の場面を描いたもので、醍醐が直接晩年の鈴木と会ったことから生まれた作品である。これはいまいち、人間が描かれてない気がした。


083

【ブラジル 跳躍の軌跡】堀坂浩太郎 ★★★ 2012/08/21 岩波新 書 先に読んだ「ブラジルの流儀」と一緒に借りてきた。20世紀末から今世紀への転換期におけるブラジルの四半世紀の変化を政治、経済、社会、対外関係、 スポーツなどの側面から紹介分析して、この国の跳躍と、展望予測までまとめた一冊。著者は1994東京生、1956公務員の父のリオデジャネイロ赴任に同 行、帰国後も調査員、日系サンパウロ記者として訪伯、その後は上智大学で研究者として活動中。らしい(^_^;)
こちらは先の中公新書に比べると岩波だけに、ちょっと硬めな感じがする。先に「流儀」を読んでおいてよかった。

BRASILルセフ大統領発足40日後に発表された政府のロゴマーク。
ロゴの上段には「連邦政府」の文字が、そして下段には「豊かな国とは貧困のない国」のキャッチコピーが付されている。国名の表示だが、英語ではBrazilと書くが、ポルトガル語ではzがsになりBrasilと書く。

88年憲法(新憲法)民政化最初の総選挙(1986)で選出された上下両院議員559人で構成する制憲議会が原案作成から携わった。
草案はつごう5回書き改められ、議員提出の条項修正案は5万3910件に上った。本会議は、草案の第一読書会だけで119回開かれ、採決は476時間32分かけて合計732回行われたという気の遠くなる作業であった。
こうして出来上がった憲法は245条および、憲法改変に伴い生じる移行措置を盛り込んだ憲法暫定規定70条に、それらの詳細な細則からなる膨大なものと なった。民主化とともに社会各層・各方面から吹き出した要求を盛り込んだきらいも強いが、四半世紀を経てみると、今日のブラジル社会の変化を精神的に支え る法典となっている。なかでも第八篇の「社会秩序について」は、当時としては世界のなかでも先進的であった環境権のほか、社会通信手段、科学・技術から家 族、自動、老人、先住民、さらには社会保険についても規定しており、市民社会を醸成する基礎となっている。
微に入り細をうがったこともあって、その後も憲法で規定した内容の修正作業が現在進行形でつづいている。


日本国憲法と対比すると、色んな意味でため息が出る。「修正作業が現在進行形」というのも、ある意味すごい。憲法そのものの捉え方が、日本とは別次元なの かもしれない。ニ世紀にまたがり果てしがないということから、つい、バルセロナのサクラダファミリアを連想してしまった。

女性の地位向上や、ドメスティック・バイオレンス、子どもや老人の虐待といった問題に厳しい目が向き始めた のもその現れであろう。2011年には、最高裁判断で同性婚が合法となり、ブラジルでは家庭を、男女の婚姻による伝統的な形態に加え、事実婚家庭、母子・ 父子家庭、そして同性婚家庭に四分割するようになった。

これは、ちょっとびっくりネタ。

ブラジルのボルサ・ファミリア(貧困家庭向け現金給付制度)は規模の大きさで群を抜いている。初年度(2003)の650万世帯から始まり、2009年には1200万世帯を突破し、ルセフ政権は予算規模を1300万世帯に引き上げた。
対象世帯には黄色の磁気カードがわたされ、ATMから直接引き出すという方式である。こうすることで、業務の簡素化、コストの軽減、制度の透明性に役だっ ている。連邦から州へ、州からムニシピオ(市・郡に相当)へと何段階にもわたる業務がなくなり、私情が入る余地も少なくなった。ローカル・コミュニティで はびこっている、有力者が顔を効かせるクレンテリズモ(恩顧主義)を排除する仕組みでもある。


クレンテリズモという言葉は初耳だが、福祉や慈善好意に付随する恩着せがましさというものが、Morris.は前から鼻についていた。これを、極力排除していくという姿勢が素晴らしい。単純化、コスト軽減がそのまま予算の無駄遣いを無くすことにもつながるもんね。

海外在住のブラジル人に対する政府の関心は、ルーラ政権で大きく変化した。放置される存在から、人的資産としてブラジル政府の視野に組み込まれる存在に変わったのである。
きっかけは、ルーラ大統領が政権就任前の2002年に発した「家族から遠く離れて住むブラジル人への書簡」であった。これを受けて、2008年には、世界 各地から代表をブラジルに集めた「世界ブラジル人会議」が開催され、「在外ブラジル人代表者評議会」が発足した。在外コミュニティは国際化するブラジルの 架け橋として「戦略的重要性をもつ」との認識からである。


「流儀」ではルラ、こちらではルーラと表記されてる。どちらが原音に近いかはともかく、その国の大統領の名前表記が統一されてないことにも、日本におけ る、ブラジルへの関心度の低さが現れているようだ。日系移民が多く、出稼ぎとしての在日日系ブラジル人も多い、日本としても「戦略的重要性との認識」が必 要だろう。

日本とブラジルの関係(五段階)
第一段階 移住と通商の時代(1908~1960年代初め) 戦前の移住のピークは1933-34で年間二万人超。戦後は50年代後半から年間数千人規模。戦前・戦後合わせて約24万人が移住し、現在では150万人を超える世界最大の日系コミュニティが形成されている。
第ニ段階 投資の時代(1950年代後半~70年代前半) 第一次-石川島造船、トヨタ自工。第二次-家電・オートバイなど民間投資、アルミ地金、紙パルプなどのナショナル・プロジェクト
第三段階 金融の時代(1970年代後半~1982) 開発を急ぐブラジルの旺盛な資金受容に応じ、日本の金融機関が個々の銀行と手を組みシンジケート・ローンを貸与。
第四段階 デカセギの時代(1980年第~90年代) 不況のため雇用機会を求めて発生したブラジル日系人を中心とする出稼ぎの時代。日系二世および三世 の就労を合法化した日本の「出入国管理及び難民認定法」改正(1990年施行)をきっかけに急増。ピークは2007年の在留数31万6967人。
第五段階 ブラジル投資復活の時代(1994~ ) レアル計画(1994)後の経済安定化で日本企業がふたたびブラジル投資に関心を向けた時代。


Morris.が関心を持った移民の時代は、5段階の最初の1段階でしかないのか。それ以降の時代に関しては全く知らずにいた。まあ、移民時代のことだって、ここ数ヶ月のにわか勉強だもんね。
Morris.があまりにも韓国ばかりに目を向けてたことが、グローバルな視野(ケッ!!とも思うけど)を狭める1因だったことは間違いないだろう。

戦後日本も民主主義のもとで発展した。「(国政の)権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とうたった日本国憲法のもとで紡いできた「民主主義」の歩みはブラジルにもっと積極的に掲示されてもよいであろう。
かたや、人権や市民の社会参加について、世界的にみて最新の考え方を積極的に取り入れながら進行中のブラジルにおける「民主主義」の歩みから、われわれが学び直すことも少なくないはずである。


学び直そう。(^_^;)


082

【ブラジルの流儀】和田昌親編著 ★★★☆ 2011年2月 中公新書。ブラ ジル移民に関心を持って、それ関係の本を読んでいるうちに、現在のブラジルのことも少しは知っておいても悪くなかろう(^_^;)ということで、こんな本 をを読んでみた。専門家やブラジル通でも、「なぜ?」と疑問を抱くテーマを67項目選び、それを解いていくことでブラジルの「流儀」をあぶり出す。ほとん どコラムの寄せ集めみたいなもので、気軽に読めて、その割に内容はしっかりしてるようだし、Morris.好みのネタも満載だった。特に面白かったサッ カー・スポーツ関連部分は武智幸徳という日経新聞運動部のライターが担当している。

・国土が広くて、資源も豊富なブラジル。フェイラと呼ばれる町の「青空市」に行ってみればいい。温暖な気候 なので多くの種類の果物や野菜がとれる。牛肉は安いし、水産物もたっぷりある。これだけ豊富に生きていくための糧があれば、多少貧しくても、楽天的でアバ ウトになってもおかしくないだろう。
人口10万人に占める日本の自殺者数は24.4人と世界トップクラスだが、ブラジルはわずか4.6人に過ぎない。
大半のブラジル人は人間が生まれ変わるなどとは思っていないし、人生は一度限りと
信じているようだ。「一度しか生きられない」が彼らのモットーだ。お金は もちろんあった方がいい。でも彼らはお金がなくても人生を楽しもうとする。楽天的なのだから、自殺者が少ないのは当然だろう。


人生観そのものが違うということか。これは見習うべき(難しいかも(^_^;))だろう。

・リオのカーニバルの主役は貧民だ。多くの出場者はこの日のために毎年こつこつとお金をためて、一気に吐き 出す。お金とともに積年のうらみつらみ、行政への不満なども発散する。こんな便利な不満のはけ口があるから、ブラジルは政治的に破綻しないですんでいると の説もある。20世紀の半ば頃、カーニバルのパレードをコンテスト形式にしたことから、リオの各地区にサンバチーム(エスコーラ・デ・サンバ)が組織化さ れ、歌と踊りを競い合うようになった。

先の「お金がなくても人生を楽しもう」の精神の具象化なわけだ。何となくリオのカーニバルといえば、金持ちの祭りと誤解していたが、言われてみれば、金持ちはこんなことには金使わないよな。

・世界には異様、異質、異端、異色の四種類の国があると思う。
「異様」の筆頭は社会主義市場経済の中国、金融危機があっても成長する超大国の米国、共産主義制度の後、主義主張が見えないロシア。
「異質」な国の代表はいつまでたっても国際化が進まないガラパゴス日本。それを反省したのか菅政権は「開国」などと言い始めた。
「異端」は言うまでもなく北朝鮮、イランのような理解不能で危険な国。
「異色」はちょっと変わっているが、無限の可能性のある国。その代表格が「世界一」という切り札をこれでもか、というほど抱えるブラジルだ。


この四分類はなかなか面白い。ちょっといい加減な気もするけど(^_^;) しかし、どの国の人間も自分の国は「異質」と思ってるのかもしれない。

・「ジンガ」と呼ばれる上半身の揺らぎを利用したブラジル独特のフェイントも人種差別時代の産物だという説 がある。白人と黒人がいっしょにプレーする場合、反則があるたびに白人は黒人を一発殴ってもいいというルールがあった。それで黒人は白人との接触プレーを さけるためにトリッキーなフェイントを発達させたというのである。

ダンスと格闘技の混淆した「カポエイラ」のステップが「ジンガ」である。ブラジルサッカーにこのカポエイラの影響があるのは間違いないところだろう。しかしその起源が、こんなところにあったというのは面白かった。もちろん、サンバに通じるところも大だろうけど。

・ブラジルの監督や選手と話していると「馬鹿な監督や選手ほどサッカーをややこしくする」と言うのだ。本当 にサッカーがわかっている者同士なら、使う戦術はそれこそインサイドキックだけで、ドリブルを多用することもなく、シンプルにパスをつないで勝てると信じ ている。守備もボールを奪いにいく選手とカバーに回る選手の連携がしっかりとれていれば大過はないと考える。アタマでっかちの戦術論より体に染み込んだ原 則を大事にしている。

サッカーの戦術はインサイドキックだけというのは、究極のサッカーというのはそんなものかもしれない。

・IOCにとってオリンピックは放映権料やスポンサー料を中心に年間1000億円の収入をもたらす打ち出の 小槌である。テレビや映像の力が源泉になるわけだから、オリンピックは300近い種目が寸分の狂いもなく、タイムスケジュール通りに完璧に運営されること が至上命令になる。高速道路や通信回線、ホテル、選手村などのインフラ整備に目を向けた時「そういう運営がリオにできるわけがない」とずっと思われてき た。

今般の2020開催地決定でも結局は利権享受者(IOC、スポーツ関係、政治家)駆け引きでしかなかったわけだが、来年のサッカーW杯、3年後のリオオリンピックがどのようになるか興味津々である。

・ルラ(任期の終わりまで支持率80%を維持した前大統領)は左翼思想を違った形で実現させようとした。就任後すかさず掲げたのは「フォミ・ゼロ」(飢餓撲滅)と「ボルサ・ファミリア」(家族手当)。
「カネで票を買っている」との野党の批判もあったが、そもそも働き口もない僻地で「自分で働いて稼げ」と叫ぶむなしさと、極貧にあえぐ人々の悲惨さを彼は 身をもって知っていたのである。しかもボルサ・ファミリアのコストは国内総生産(GDP)のわずか0.7%にすぎない。この家族手当によって2000万人 が貧困から脱出できたのである。最低賃金も大幅に引き上げたことで、結果的に中間層が広がった。彼ら中間層が内需の牽引者になり、ブラジルの成長を支える 原動力となる、という流れが生まれたのである。


このルラ大統領というのは、凄い大統領だったみたいだな。それにしても、Morris.は本書読むまで、彼の名前すら知らずにいた。Morris.の視野の狭さのせいではあるのだけど、日本でのマスコミのブラジル報道の少なさが1因であることも確かだろう。

・20世紀のブラジル政治は、堀坂幸太郎上智大学名誉教授によると、
①1930年代までの大土地所有者層に よる寡頭政治が続いた旧共和制時代、
②若手軍人に後押しされて政権につき、1930年から45年まで独裁体制を敷いたバルガス大統領時代、
③戦後のポピュ リズム(大衆迎合主義)時代。形式的には民主主義体制、
④64年から85年までの長期軍政時代、
⑤85年以降の再民主化時代--の5つの時代に分けられる という。


これは実にシンプルでわかりやすい時代区分だったので、つい、孫引きしてしまった(^_^;)

・ブラジルとアルゼンチンは核兵器を「もたないこと」による抑止力を提唱したと言える。もったら脅威になるから、もたない。これこそが本当の抑止力だということを核保有国は知るべきだろう。

「持たない」ことが大事である。人間は、何か道具を持ったら、絶対使ってしまう(使わずにいられない)動物である。

・周辺都市を含めたブラジリアの人口は、遷都前は一万人にも満たなかったが、60年には15万人、80年には120万人に急増、2008年には250万人の大都市に成長。
遷都にはおカネがかかった。国家的大事業だったから政府予算をどんどんつぎ込んだ。政府債務は膨らみ、財政赤字が増え、紙幣を増刷した。これが超インフレの引き金を引いたとの批判もある。しかしブラジリア遷都の狙いそのものは間違っていなかった。


そういえば、ブラジルの首都はブラジリアと、中学か高校の地理でならっていらい、ほとんどこの都市のことは意識の外にあった。今でもブラジルといえば、リ オデジャネイロかサンパウロくらいだった。日本でも一時遷都論が話題を呼んだことがあったが、このところとんとそのような話は聞かない。

・日本にとって最悪のシナリオは、堺屋太一が言う「油断」ではなく、「食断」、つまり食糧危機の到来であ る。少子化時代だから大丈夫、などと冗談を言ってる場合ではない。最新の調査で、日本は食料自給率がわずか40%の国だから、世界で食料が奪い合いになれ ば輸入食料が入らなくなって、大混乱に陥るだろう。
ブラジル人が日本人を尊敬してくれている間に、より緊密な関係を築いておく必要がある。困った時に食料を売ってもらえるように、である。
ブラジルは他国と違って、政治的、宗教的、民族的不安定さの小さい国である。日本の"救世主"になってくれる可能性は大である。国家安全保障は米国に頼るしかないのが現状だが、食料安保の同盟国はブラジルをおいてほかにない。


最後はちょっと功利主義的結論になってしまったが、政治・外交ってのはもともとそういうものだろう。なべて、この世は変動相場制だもんね(^_^;)


081

【騙し絵日本国憲法】清水義範 ★★★☆☆☆1996年集英社刊。自民党政権が復活して、またまた改憲論喧しくなった。
本書は刊行年を見れば想像がつくように、新憲法発布50周年を記念して(というか、あやかって?)出されたものだろう。
Morris.は読んだような気もするのだが、Morris.部屋の読書控えは1999年からなので、確認できない。要するにこの記憶力のなさを補うために、読書控えをつけるようになったのである(^_^;)
というわけで、再読?した感想は、清水の真面目さと不真面目さが程よくミックスされたなかなかの力作だと思った。これを書き始めて本書を見なおしたら、腰巻き風の裏表紙に[真面目に考えて不真面目に作品にする」と書いてあった(>_<)
最初に日本国憲法前文を21種もの異なるバージョンで羅列している。これが一番リキが入ってると思う。

1.カナノ印象-単に前文をカタカナにしたもの
2.わたくしたちの憲法です-先のかな交じりでわかりやすい文書にしたもの
3.いわゆるひとつのジャパニーズ憲法ですかー長嶋監督風
4.憲法ノート-大江健三郎風
5.憲法だがや-名古屋弁バージョン
6.実演販売
7.憲法五人男(くろなみごにんおとこ)-歌舞伎
8.マニュアル・ブック
9.ニューモード
10.憲法読本-文章読本風
11.憲法ほめ-落語子ほめ風
12.憲ボーズ・ウェイク-誤植大行進
13.憲法の丸かじり-東海林さだお風
14.憲法記念日-俵万智風
15.遺書-松本人志風
16.広告
17.折々のうた-大岡信風
18.裏見酒乱-西原理恵子風(もろ)
19.ソクラテスの証明-
20.憲法の歌-歌謡曲風
21ケンポーV.-薬効風


これだけでも読む価値があると思うぞ。(玉石混交だけど(^_^;))

「憲法」というと、必ずここかのアホがしょうもないことを言い出す。「あれはアメリカからの押しつけだから変えよう」とか、その反対に「あれだけは変えてはならない」などという意見である。
そんなやつらにオレから一言、言っといてやろう。
「いまの憲法守ったら、そん中に変えてもええと書いたるやないか、ボケ!」
オレがここで問題にしたいのは、「憲法前文」だけである。そして、その内容があんなんでええのか、わかりやすいのか、尊いのかということは、オレにとってはどうでもいい。ただオレが言いたいことは、あの「憲法前文」というのは男ットコ前だということである。
ハッキリいって、「憲法前文」は笑える。もちろん、オレのやっているお笑いのほうがそれよりさらにレベルが上だが、「前文」も相方(あいかた)もないわりにはかなりなところまで行っている。(15.遺書)


ここらあたりが清水の本音に近いような気がする。

続いて第一章シンボル、つまり天皇、第二章九条、つまり戦争放棄、第三章基本的人権の3件に関してはそれぞれ独立して取り上げ、第四章から第八章まで (4.国会5.内閣6.司法7.財政8.地方自治)は「寄席中継」という形で一括りにして、第九章改正と第十章最高法規は、「憲法改正」の命題に鑑みてか なり感情移入のフィクションになっている。

とにかく日本はよその国と戦争しない。
「わかるかな。こうやって憲法の中にきっぱりと決めてしまったことの値打ちが。どんなことがあっても日本はもう二度と戦争をしないと宣言してしまったのだ よ。世界中に、こんなこをと宣言した国は日本以外ひとつもないんだ。みんな、やむを得ない時は戦争だってする、と思っている。なのに日本だけは、永久に戦 争をしないと決めてしまったんだ。それは、とても勇気のいる、力強いことだと先生は思う。」(第二章九条)

これはMorris.もそのまま自分の意見としたい。

この憲法の、なんとまあ高度に大人で、いけしゃあしゃあとよくそういうことが言えるものだと思う点は、そう いう原則にもかかわらず、表面的には基本的人権や、自由や、平等や、幸福の追求を、最も尊重するかのように力強く宣言した格好になっているというところ さ。この臆面のなさと、嘘っぱちと、無責任さには、つくづく頭が下がってしまうよ。だって、そのせいでこの憲法は、いったい何を約束していて何を約束して いないのか、さっぱりわからないようにできているんだからねえ」
ハロランさんはそう言って疲れたようにため息をついた。(ハロランさんと基本的人権)


基本的人権が一番大事と言いながら公共の福祉(みんなの都合)が優先されるということに、異星人のハロランさんの疑義。人権が制限付きであるということだが、まあ、無制限の権利というのは言葉の上にしか存在しないというのは致し方ない気もする。

裁判所っていうのはね、被告人をたらいまわしにして、どこに責任があるのかよくわからないようになってるのね。
最高裁判所ってのは、最高に国のいいなりになる裁判所ってことだからね。最高裁判所っていうのは、国を守るためにあるんだからね。だから、国を訴えた裁判 は、途中で国が負けることあったとしても、最高裁判所まで行くと絶対にひっくり返るでしょう。最高裁判所まで行くとなったところで、ああ、国側の勝訴だ な、と思っていいのよね。だって、そのためにあるところなんだから。どんな理屈をつけてでも国は間違っていないというのがお仕事なのよね。」(ブラック司 法)


「三権分立」というのはお題目でしかないね。

おしまいの改正に関する部分は暴走族のお「掟」に仮託して、変える変えないの侃々諤々が繰り広げられるが、結局は「掟」の中にある不整合のため変えるに変えられないという結論になってしまう。この不整合は憲法96条①と99条との間の大矛盾のパロディである。

日本国憲法 代96条①
この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し(中略)なければならない(後略)。
日本国憲法 第99条
(前略)国会議員(中略)は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

そう。掟は変えられっこねえんだ。
団はおそらく、この掟を変えねえで、ずーっとそのまんまにしとく。時々、かえようかどうしようかって論争だけはやらかして。
そして、団は掟をきっちりと守っていくってのを表向きのたてまえにしといて、事あるごとにいろんな解釈をあみ出して、要するにその場主義で好きなようにやってく。
この掟を守ったまんま、よそに大喧嘩をしかけることだって、その気になりゃいくらだってできるのだ。
掟よりも、問題なのはそれを解釈していく団員なんだから。


つまり、清水はこの矛盾を盾にとって、憲法は変えずに使いまわしていこうという考えなのだろう。本書が出てから20年近くたった今日、Morris.の考え方もこれに近いものがある。
現行憲法に矛盾が有り、不備な点なきにしもあらずだが、それを補って余りある美点あることも疑いを得ない。
最近の憲法論議、特に安倍政権の改変が、あまりにキナ臭い方向にある気がする。それならいっそ、変えないほうが良いと思うのだ。
本書には付録として、日本国憲法全文が掲載されている。Morris.も久しぶりにひと通り読みなおしてみた。たしかに「悪文」である(^_^;) でもやはり、これを遵守さえすれば、それなりの成果はえられそうでもある。
せっかくだから、前文の全文を引いておく。

日本国憲法(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを 享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するものであつて、平和を愛する諸国民の攻勢と信義に信頼して、われらの 安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある 地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国とは対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


悪文の見本のようでもあるが、真摯な気持ちは感じられる。清水がパロディで評した「男前」というより、当時の日本人の一所懸命な気持ち(たとえ作成したのが米人であっても)の発露ではなかろうか。
何はともあれ、憲法改変論議をする前に、憲法全文(それほどの分量ではない)を、読み返してみる必要があるだろう。せめて、この前文だけでも。


080

【県庁おもてなし課】有川浩 ★★★2009~2011「高知新聞」他連載。2011年3月角川書店刊。
高知出身の作者が県の観光大使に指名されたのを、きっかけに、高知県観光部おもてなし課の広報活動に拘るとともに、それを小説に仕立てるというストー リー。その小説というのが本作であるが、ゆるキャラや、うどん県(香川)、おんせん県(大分)などで、ユニークな観光キャンペーンの一環ということにもな るのだろう。
そういえば、有川を有名にした「阪急電車」もある意味電鉄会社のPR色が濃かったような気がする。最近TVドラマ化された「空飛ぶ広報室」は航空自衛隊の広報めいてたし、本作はもちろん言うを俟たない。
この作家は機を見るに敏、あるいは商売上手ということになるのだろう。彼女も確か広告やコピーライターあがりのようだから、昔とった杵柄ということか。
たしかに器用で、おちゃらけあり、少女漫画チックなラブストーリーあり、眼目の観光穴場案内ありと、サービス満点だが、どこか胡散臭さを感じてしまうのは、器用さとは縁遠く、商才のかけらもないMorris.のひがみだろうか?

「トイレの偏差値って何ですか」
「観光地の偏差値とも言えるかな。俺も取材であちこち回るけど観光地として成熟してるところはトイレに困らない。公衆便所の底値が高いところは観光に対す る意識が高いね。水洗で清潔、和式洋式バリアフリーと取り揃えて紙も切らさないのが標準仕様。女性のほうが採点厳しいのは確かだけど、男だって汚いトイレ で嬉しいわけじゃないだろ」
「それはまあ、キレイならキレイなほうが」
「佐和の言ったとおり、客商売で一番の肝は水回りだよ。宿なんかもそうだけどさ、部屋がボロでも『うらぶれた風情』とかで押し通せる。でもこれでトイレや風呂が汚かったらアウト。逆に水回りさえ清潔だったら人間大抵のことは許せるもんだよ」
多紀が大きく頷いた。
「居酒屋さんとかでもトイレを男性用と女性用で分けちゅうところは好印象です」


こういった、いかにも訳知り顔の薀蓄というのが頻出するあたり。「お客様目線」などと多用しながら、どこか「上から目線」を感じてしまうぞ。って、ケチつけながらも、きっちり楽しませられてしまうのだから、困ったもんである(^_^;)


079

【「東京電力」研究 排除の系譜】斎藤貴男 ★★★☆☆ 平成24年5 月(2012)講談社刊。「人災」である福島第一原発事故の明白な「犯人」である東電のことは、きちんとしたことを知っておきたいと思ってたところだった ので、タイトルを見て読み始めたのだが、とっかかりは、えらく読みにくかった。「研究」と銘打ってるためか(^_^;)やたら引用と注釈が多くて、各章の 終わりにある注釈と本文を対照させて読むのがまだるっこしかったということもある。
しかし、Morris.の知らなかった事実もあったし、共感するところも多かった。後半に行くにつれ、重要な言説が頻出して、ついついメモしておかねばと いう気になって、やや過剰なほどの引用になってしまった。著者の意見と、著者が引用した他者発言の孫引きの区別がややややこしくなってしまったが、容赦願 いたい。著者の文章スタイルにも一因があると思う。

3・11を境に、従来はヴェールの向こう側にあった原発関連の重大な事実が大量に溢れ出している。安全神話 を守るために安全を度外視し、あろうことか危険などあり得ないことにしてしまう倒錯ばかりを繰り返してきたのが日本の原子力政策であり、その運営主体であ る東京電力だったと断じて差し支えないのではあるまいか。(安全神話のパラドックス)

これがまあ、ひとつの結論ではあるけどね。

レッドパージは「日本の経営者が仕掛けた戦後初めてにして最強の労働争議」であった。彼らはこれに完勝し、「労使関係をそれまでの労働者優位から経営者優位に逆転させた。
早稲田大学人間科学学術院教授の河西宏祐によれば、とりわけ重大な意味を担ったのが、九電力体制以前の日本発送電および各地の配電会社の労働者で組織された「日本電気産業労働組合」(電産)の組合員2137人のパージであった。


レッドパージに関してはほとんど理解してなかったことを教えられた。上記の河西発言には、目から鱗が落ちる思いだった。

3・11を経て、この国の政治は再び小泉時代に戻った。菅直人前首相は死者たちの四十九日も済まぬうちに 「大きな夢を持った復興計画を」と謳い上げ、野田佳彦首相はTPP協議推進、消費税増税へと突っ走る。目指すところは経済成長のみ、いや、巨大資本の利益 だけと断じた方が正確か。あれほどの大惨事を、むしろ奇貨として舌なめずりできる人々に、あろうことか指導者然と振る舞われている屈辱と国際的な潮流との 関係が本書(「ショック・ドクトリン」)を読めば嫌でも理解できてしまう。
著者ナオミ・クラインはグローバリズムを論じさせれば世界最高峰のジャーナリストである。政変でも自然災害でも、とにかく破滅的な出来事の直後、人日が ショック状態に陥っている隙に公共領域を収奪していく手口-惨事使用型資本主義(ディザスター・キャピタリズム)-の本質を、かくも鮮やかに抉り出した成 果を、評者は寡聞にして知らない。


本書は一年以上前の刊行だから、民主党政権下での文章ということに成る。まさか一年後に自民党が選挙で圧勝して、安倍政権が積極的に原発再開路線に向かってるとは思ってなかっただろうな。「惨事使用型資本主義」(@_@) こんな用語があったのか。これは覚えておかねば。

おそらく新自由主義というのは単に学術的に、あるいは論理として「正しい」ということで支持を集めたという よりも、一部の人々、はつきり言つてしまえばアメリカやヨーロッパのエリートたちにとつて都合のいい思想であつたから、これだけ力を持つたのではないか。 新自由主義思想の「個人の自由な活動を公共の利益よりも優先する」ことが経済活性化には有効だという理屈自体は間違っていないとしても、一方では、それは 格差拡大を正当化する絶好の「ツール」になりうるからである。(「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌)

「エリート思想」なんて、こんなもんなんだな。しかしこの中谷という学者は、小渕内閣の「経済戦略会議」で構造改革推進の立場から政策に大きな影響を与え、上記引用の著書で自己批判したことで知られる。

電力の政治力や巨額の調達、購買を通じた経済界のパワーときたらものすごい。通産省の先輩たちも接待漬け で、発電所の立地している地域への補助金の額にまで口を挟まれている始末。そんなわけで、誰も本気で電力の規制改革に踏み込むことができるなどとは思って いなかったものだから、実際には項目にのぼっていたという程度の話ですが。それでも私はやっぱり、制度として独占が認められている異常には納得がいかな かった。(古賀茂明)

TVのコメンテーターとしてときどき見かけるが、古賀発言には共感覚えるところが多い。東電の政治力というものを直に目の当たりにした人の意見には聴くべきところ多いと思う。

国鉄の分割民営化は、1982年から87年まで続いた中曽根政権が、借金漬け経営者さらには公共企業体とい う経営形態からの脱却を掲げて断行された。当時の新聞やテレビはこれを礼賛し、国民の多数派もマスコミの論理を丸ごと受容したが、大胆な政策の真の目的 は、まさしく労働組合の解体に他ならなかった。当の中曽根自身が、後にこんな発言をしている。
「総評を崩壊させようと思ったからね。国労(国鉄労働組合)が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(「AERA」1996・12、1997/6合併号)


国鉄民営分割化には当時から反対だったし、今でも戦後政策の大失敗の一つだと思っているが、国労解体が一番の目的だったとは、言われてみれば自明のことなのに、理解してなかった。Morris.の政治音痴まるわかりぢゃ。

「原発は儲かる。堅いシノギだな。動き出したらずっと金になる。これ一本で食える。シャブなんて恨んでもいい。原発はあんたたちふうに(マスコミ的に)言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」
「ヤクザもんは社会のヨゴレ、原発は放射性廃棄物というヨゴレを永遠に吐き続ける。似たもの同士なんだよ。俺たちは」(「ヤクザと原発 福島第一潜入記」鈴木智彦 2011文藝春秋)
1970年代から被曝労働者のテーマを追い続けてきた樋口健二は、原発とは差別の上にしか成立し得ないシステムだと指摘した。労働者の人権が当然の様に無 視されている現実は、元請け(財閥系)→下請け→孫請け→ひ孫請け→親方(暴力団を含む)→日雇い労働者(農漁民、被差別部落民、元炭鉱マン、大都市寄せ 場、都市底辺労働者)……という重層構造から成る前近代的労働形態が露骨に示しているという。


ここにも差別構造か。絶対差別主義者(^_^;)Morris.を標榜してきたが、げんなりしてくる。

東京電力はあらゆる意味で日本のシンボルだった。正真正銘のアメリカの属国。経済成長以外に目指すもののない空疎。米日両政府による重層的な支配構造を脅かさせない国民管理・相互監視を自己目的化させた社会……。
この国の本質に関わる酷評のことごとくを、東電という企業体と、同社が運営する原発という存在は見事なほどに体現し、私たちに突きつけている。


この後、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の結果が、事故の三日後、誰よりも先に米軍に提供され、米軍だけは早くから放射能の行方を見極めながら行動できたという挿話を挟んで以下に続く。

津波の危険も原発テロの可能性も、いわゆる原子力ムラとその周辺の人々は、すべて熟知していた。だが、ムラ の住民であるか否かにかかわらず、何事かを最終的に決定する立場にある人々の浅はかさが尋常ではなかった。いつか必ずこうなるとわかりきっていて、それで も一切の手立てを打たない道を積極的に選択し、当然の結果として現状を招いたのである。最先端のテクノロジーおよび知見と、原始的かつ超人的とさえ言える 不誠実とを練り固めた最悪の組み合わせ(ワースト・ミックス)こそが、この国の原発だったのだ。

原発=ワースト・ミックス。異議なし。

中曽根康弘らが1954年3月、初めて原子力関連予算案2億3500万円を国会に提出して以来、連綿と続い てきた思考パターンだ。どうせ敵(かな)いっこない圧倒的強者には間違っても逆らわず、媚を売りまくって保身を図り、ただし相手方は思いついてもいないで あろう独自のメリットを無理やり発見しようとする。特に見当たらなければでっち上げでもいい、単なる服従であることを自覚してしまい、自らの行動を自分自 身で正当化できなくなるよりはマシだから---。
国策なるものを成立させる能力も、意志さえも備えていない国に生きる人間の、悲しい習性。だからこの国の社会には、いつだって理想というものが存在しない。超一流の植民地根性だけが貫かれる。
原発を担う東京電力の戦後史もまた、つまるところ労務管理を通じた排除と独善の反復運動以外の何物でもなかったのではないか。「産業の血液」の源における営みは、そのまま日本国民の生き方を規定せずにはおかない。揚げ句の果てに3・11と福島第一原発事故を迎えた。
私たちはいったい何だ。支配され利用されるためだけの生きものか。しかもアメリカの主人にはひたすら従順な、指導者層という名のより本質的な奴隷のそのまた下に位置づけられた--。


「原発は潜在的な核抑止力として機能している」という読売新聞の社説(2011/09/07)へのコメントである。共感するところ大だが、あまりにも辛い現実であるなあ。

「核エネルギーは、桁違いに大きなエネルギーです。現在の大型ジェット旅客機は160トンぐらいの燃料を積みますが、同じエネルギーを原子力で賄うとすれば10グラムで済みます。そこには7けたの違いがある。そんな大きな力を人間が制御できるでしょうか。
人間は、倫理観を高める方向には進歩していません。間違いを犯すし、欲に駆られてとんでもないことをする。集団の力を借りて他をいじめることもある。今も昔も同じです。そういう人間たちの手に、7けたも大きな力が備わってしまった。だから怖いんです。
1万年以上も保管する必要がある放射性廃棄物のことも考えないといけません。コンクリートができてから150年しかたっていません。1万年持つなんて保証はどこにもない。非常に危なっかしい話です。」(池澤夏樹2011札幌での講演より)


わかりやすい、ということは、発言者がよくわかっているということでもあるのだろう。むつかしく考えるより、こうやって、わかりやすく説明するということも大事なことかもしれない。

ガラス個体の貯蔵期限は、刻一刻と迫っている。そこに福島第1原発事故が発生した。一日も早く候補地を確保したい政府の都合と、「どうせ帰れない故郷なら」という一部の住人の思いが図らずも一致しつつある。安易な判断は許されない命題だが、筆者はあえて書く。
原発事故の被災地に最終処分地を持っていく拙速だけは避けるべきだ。実行されれば、積極的に謳われることはないにしても。政府や東京電力にとっては「渡り に船」であり「禍いを転じて福と為す」、「怪我の功名」といった形容で表現され得る結果になる。原発事故にはメリットもあった、ということにされてしま う。3・11を体験してなお、この国が今後も「犠牲のシステム」を原動力にしていくことに対する国民の受容の表象になりかねない。


「犠牲のシステム」これも差別のシステムである。それにしても、原発のキモは廃棄物だろうな。現存するモノの廃棄だけでも考えたら気が遠くなりそうである。福島第1原発事故現場をを最終処分地にというのは、これからも繰り返し出てくるだろうな。

「原発は超ハイリスクな装置です。火力も水力もある中で、電気を製造するだけのことに、安全神話とか、大嘘 の低コスト論を振りかざして、何万年も先まで管理しなければならない状況が作られれてしまった。原発は文明論的にも許されるのかという問題をすべての日本 国民に投げかけてきたのが、この福島原発の事故だと思う。
身をもって原発のリスクを検証させられた福島県民。とりわけ原発立地町村の住民に対する責任を、原賠法(原子力損害の賠償に関する法律9は、東電だけに求 めている。もう一方の加害者の国は、東電を国有化して救済する。原発関係者の誰一人として刑事責任どころか経営責任も問われない。それに比べて被害者は無 権利状態、見舞金契約的なゼニカネだけで泣き寝入りを強いられる。こんな実例を残したら、将来に酷い禍根が残ります。」(小野寺利孝 福島原発被害弁護団 代表)


これまたまっとうな意見である。明白な犯人である、東電も国も罪を問われないのはおかしい、と、Morris.も前から思ってた。

戦争の被害がまるで平等であったかのような虚構を前提に、「これに対する補償を憲法は予想していない」とする論法は、三権分立を無効化する卑劣に他ならない。判決を不服とした原告側は直ちに控訴したが、その理由書の冒頭に、ことの本質を鋭く突いた指摘があった。
「戦後、日本政府は、一方で、アメリカに対して、賠償請求権を放棄しただけではなく、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章を与えることまでしつつ、他方で、虐殺され、傷ついた非戦闘員の被害を「耐え忍ぶべき犠牲」としてその補償を拒否してきた。
加えて、国が民間人被害者を切り捨て放置する一方で、戦争を遂行した軍人・軍属との差別を肯定していることにより、その不条理がさらに被害者の苦しみを拡大させてさえいる。それは、日本国憲法の精神からみて明らかに異常である。」
「東京大空襲では、約10万人も及ぶ人々が殺された。まさに人道に反する犯罪行為であった。
日本政府は、自国内の大虐殺の被害を戦争における[やむを得ない犠牲」として切り捨て続けてきた。」
またしてもルメイの亡霊だ。彼への叙勲と民間の戦争被害者の扱いとのコントラストに、この国の歪んだ価値体系の真髄がある。


空襲は国家的犯罪だ、とはMorris.も言い続けていることだ。カーチス・ルメイの名を目にするたびに怒りを禁じ得ない。

日本は地震国だ。国土が狭い上に山がちで、平野が少なく、地下資源に乏しい。かつてアジア諸国への侵略に勤 しんだ、それらこそが動機だった。植民地を失った戦後はアメリカの支配下で、彼らが殺しまくった朝鮮半島やベトナムの民衆の屍を糧とし、あるいは水俣病を はじめとする公害禍を次々に生みながら、空前の高度経済成長を果たした。「くたばれGNP」の批判的言説が高まったのも束の間、政財官マスコミが挙げて農 業を叩いて食料の輸入を促し、自給率を引き下げて工業製品による貿易黒字の埋め合わせに回した。
無理に無理を重ねて金儲けに邁進した日本。原発の乱立も規模の経済ばかりを重んじた結果だった。日本国憲法九条の存在ゆえに、エリート層の思うようには肥 大化できなかった軍産複合体の代替利権、という側面も大きかった。もっと言えば、原発に象徴されるこの国の経済社会は、あらかじめ国民の人権を排除した 「受忍論」を前提として成立してきたのではなかったか。


078

【外交官の一生】石射猪太郎 ★★★☆☆ 昭和25(1950)読売新聞社刊。これも北杜夫の「輝ける碧き空の下で」の参考文献の中にあったので、神戸中央図書館の書庫から借りだした。
たぶん原本の表紙神戸中央図書館本戦 後まもなくの発行だけに、紙質はざら紙でかなり傷んでいる。ハードカバーも図書館で製本しなおしたみたい→で、原本のイメージがつかめない。ネットで調べ たら右側の画像が見つかった(説明なし)。神戸中央図書館版には題字が切り貼りされていて、この画像と同じ題字のようだから、原本の装幀はこんなものだっ たと思われる。
本書は1972年に太平出版から原稿、写真、解説など増補して再版されているし、1986年には中公文庫、2007年にも中公文庫で新装再販されている。
国立国会図書館のサイトから著者の略歴を引いておく

石射猪太郎 (いしいいたろう) 1887(明治20)−1954(昭和29)
1887.2.6生まれ。1908.6東亜同文書院商務科卒、1908.9満鉄入社、1911.5依願退社、1913.11文官高等試験合格、 1915.10外交官及領事官試験合格、1915.11領事館補(上海・広東・天津・サンフランシスコ在勤)、1920.1大使館3等書記官(アメリカ・ メキシコ在勤)、1922.2 2等書記官、1925.6通商局第3課長、1927.12大使館1等書記官(英国在勤)、1929.9総領事(吉林・上海 在勤)、1936.7特命全権公使・タイ駐剳、1937.5帰朝、外務省東亜局長、1938.11特命全権公使・オランダ駐剳、1940.9特命全権大 使・ブラジル駐剳、1942.8帰国、1943.8戦時調査室委員長、1944.9特命全権大使・ビルマ駐剳、1946.7帰国、1946.9〜 50.10公職追放、1954.2.8死去。


東亜同文書院といえば、上海にあって、"阿片王"里見甫の母校というイメージが強いが、石射は5期生、里見は13期生と、かなり時間的差がある。
本書を読む契機になったブラジル関連については、石射がブラジル大使赴任後すぐに真珠湾攻撃があり、途中で強制送還されているが、いまいち、Morris.の注目を惹く記事はなかった。
公職追放が解除になった直後に本書を出して、その4年後に亡くなってる。戦後5年目の発表ということで、かなり時局を意識した部分、自己保身的表現も感じ られるが、全体的には、率直なものいいと、簡潔でわかりやすい達意の文章で、読みやすかった。ほとんど、日中戦争、太平洋戦争の外交裏面史といった感じで ある。

総領事としての私は、材木業者のために満鉄に口を利いたり、民会の問題を裁いたり、全くのお庄屋総領事であ つた。始終、吉林省内の朝鮮人問題に煩わされた。一は独立運動や赤化運動に暗躍するいわゆる不逞鮮人の取締り、ニは朝鮮人の学校問題、三は万宝山事件であ つた。吉林省内在住の幾十万人の朝鮮人が、開放地以外で自分の学校を設けて、指定を教育するのを省政府が弾圧する、というのが学校問題であつた。朝鮮人は 中国人から高麗(カオリ)と呼ばれて賤民視されて嫌われていた。朝鮮人問題で苦労するとは、外交官も落ちぶれたものだとの自嘲を禁じ得なかつた。が、田舎 領事とは云え、大公使の下の書記官とは違つて、いわば一城の主であつて、その責任は国家に対し直接的である。私は外交官としての職責の重大さを、吉林にお いて初めて体験したのであつた。(吉林総領事時代)

朝鮮人蔑視としか思えない物言いであるが、戦後でも、元外交官がこのような意識を持ち、それを公言するというのは、とんでもないことのように思えるが、そういった風潮だったのだろうか。太平出版の再版では、この部分どうなってるか、興味があるところ。

陰惨な二・二六事件とは違つて上海居留民の朗らかな興味をそゝつたのは、続いて起つたお定エロ事件であつ た。その当座、クラブでも料亭でも数人集まればこの話題で持切つた。中国紙もいつもとりすましているノースチャイナ・デーリー・ニュースさえも、この事件 を細かく報道して紙面を賑わした。
日本の出来事で国際的爆笑を買つた朗報は、後にも先にもお定事件にとどめをさすのではなかつたか。(上海総領事時代)


阿部定事件を「国際的爆笑を買った朗報」という、捉え方も外交官以前に、常識人として如何なものか?と思ってしまうのだが、やはり、これも正直な感想なのだろうな。

七月八日払暁、私は外務省からの電話でたたき起された。盧溝橋での中日衝突の情報であつた。しまつたと思つ た。差しまわしの自動車で、外務省に着いたのが六時頃、構内には人影なく、すがすがしい早晨であつた。情報部に行くと河相部長が出勤していた。「とうとう 始まつたね」「大きくならなければ好いが」顔を合わせるなりの挨拶であつた。主管課の東亜第一課には大田(一)主席事務官が詰めていた。
やがて登庁した広田大臣を囲んで、堀内次官、東郷東亜局長、私の三人が鳩首した。事件不拡大局地解決、誰にも依存ある筈がなかつた。続報が次々と北平大使 館から入電した。事端は中国軍の不法射撃によつて開かれたとあるが、柳條溝の手並みを知つている我々には「またやりあがつた」であつた。が、何れが手出し をしたかはさておいて、当面の急務は、事件の急速解決にあつた。(東亜局長時代)


外務省が関東軍の行動を把握して苦々しく思いながら、結局押し切られていったことが、本書を読むとよく分かる。

南京は暮れの十三日に陥落した。わが軍のあとを追つて、南京に復帰した福井領事からの電信報告、続いてL上 海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をな さない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。昭和十三年一月六日の日記にいう。
○上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の退廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立つた暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であつた。部下を使つて宿営所に女を拉し来つては暴行を加え、悪鬼の如く振る舞つた。何かいえばすぐ銃剣をがちやつかせるので、危険で近寄れないらしかつた。
私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍規の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかつたが、あまりに大 量な暴行なので、手のつけようもなかつたのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかつた。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員会 なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六 十余歳の老婆が犯され、、臨月の女も容赦されなかつという記述は、殆ど読むに耐えないものであつた。その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍規粛正のため に現地に派遣されたと伝えられ、それが功を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になつて行つた。
これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であつた。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからであつた。(南京アトロシティーズ)

「南京事件」の、外交官の率直な感想と報告という意味で、この部分は大きな意味を持つ。すでにあちこちで引用されているとは思うのだが、巷間で争論になっ ている、被害者の数などはおくとして、かなりの(異常といえるほどの)残虐行為が行われたことは、間違いのないところだろう。アトロシティーズ (Atorocities 虐殺)という言葉は初めて知ったが、家永三郎や洞富雄らが、この言葉を著書や発言で使用しているらしい。

わが鎖国時代を通じて、日本と交渉を持ち続けた唯一の国だけに、この国の人々の今なお持つ日本への興味は、伝統的に深いものがあり、それが色々な形にあらわれていた。
和蘭は英、仏、独、伊に通ずる欧州の大道から、やゝ外れているので、こゝに来遊する日本人は多くはなかつた。それでも近衛秀麿氏、野上豊一郎博士夫妻、大 毎の楠山義太郎氏、外務省人では、矢野西班牙公使、本省から特派の伊藤(述)公使、ベルギーからの来栖、栗山両大使などを数え得る。舞踏家崔承喜も巡業に 来て、可なりの当りを取つた。(和蘭公使時代)


ここは崔承喜の名前が出てきたから、つい引いてしまった(^_^;)

ソ連通過の手続が出来て、一同ベルリンを立つたのが八月一日、どこをどう通ったのか、汽車の走るまゝに数日してモスコーに着き、東郷大使、七田参事官の歓待を受けた。
両氏の口から、ノモンハン敗戦の真相が語られた。去年私がヘーグに着任して間もない頃、本省から磯谷関東軍参謀長の意向として「ソ連軍が頻りにノモンハン 方面に進出して来て小うるさいので、関東軍は一気に片づける」由との情報電があつた。その後、戦争は勝つておると伝えられ、その九月に停戦協定がモスコー において結ばれたのであつたが、真相はソ連軍の科学兵器の前に、手も足も出ぬわが軍の全滅だつたのだ。(さらば和蘭)


ノモンハンのことは、現代でもほとんど知られていないようだが、国民には完全に隠蔽されてしまってたようだ。大本営発表の始まりみたいなものだろう。ま あ、戦後68年経っても、本質的にはさほど変わってないように思えるけどね。官吏の好きな言葉は今だに論語の「民は由らしむべし知らしむべからず」のよう だ。

日、華、泰、満、比、緬、印度仮政府の代表者の寄合う大東亜会議が、昭和十八年十一月五日から帝国議会議事 堂内で開催された。会議の採択する大東亜共同宣言の立案には、戦調室からも、案を携えて、私と石沢委員が参加したが、戦調室は大体この会議に気乗り薄であ つた。戦局は日増しに不利で、現にその十月初めには関釜連絡船崑崙丸さえ敵潜水艦の餌食となつたほど、共栄圏内の交通が不自由になり、わが勢力は逐日縮む のみで、我々戦調委員の頭にはもう共栄圏の実現は、不可能と映つていたのである。(特命大使時代)

敗戦の2年半前に、関釜連絡船が撃沈されていたということも、こういった日記で読むと、改めて思い知らされてしまう。

外交に哲学めいた理念などがあるものか。凡そ国際生活上、外交ほど実利主義なものがあるであろうか。国際間 に処して、少しでも多くのプラスを取込み、出来るだけマイナスを背負い込まないようにする。理念も何もない。外交の意義はそこに盡きる。問題は、どうすれ ばプラスを取り、マイナスから逃れ得るかにある。外務省の正統外交も、これを集大成した幣原外交も、本質的にはこの損得勘定から一歩も離れたものではない のである。
この意味において、外交は商取引と同じである。一銭でも多く、利益を挙げたいのが、商取引だが、そこには商機というものがある。市場の動き、顧客の購買 力、流行のはやりすたり。それ等の客観情勢によつて、売価に弾力を持たせなければならない。売価を高くつけ得ないために、時によつては、見込んだ利益を挙 げ得ないのも、やむを得ない。或いは流行おくれのストックに見切を付け、捨て売りにして、マイナスを少くするのも、商売道であり、薄利多売も商売の行き方 である。
外交もこれと同じなのだ。国際問題を処理するに当つて、少しでも わが方に有利に解決したくとも自国の国力、相手国の情勢、国際政治の大局を無視して、無理押しは出来ない。彼我五分五分、或は彼七分我三分の解決に満足 し、マイナスをそれ以上背負込まない工夫も必要であり、そこに妥協が要請される。そしてこうした操作に当るのが外交機関なのだ。
商取引に、商業道徳が重んぜられるように、外交には、国際信義がある。商人が不渡り手形を出したり、契約を実行しなかつたりすれば、その店は遂には立ちゆ かなかくなる。国家が、国際条約を無視したり、謀略をほしいままにするえば、その国際信用は地に落ち、自ら破綻の基を開く。この国際信用を維持し、発揚す るのが外交の大道であり、特に幣原外交は、力強くこの大道を歩み、一歩だも横道にそれなかつた。(霞ヶ関正統外交の没落)

本書のおしまいに付録みたいに収められている三つの短文の最後のものからの引用だが、Morris.のような政治外交音痴にも、何となくわかったような気にさせられる見解である。まあ、石射がほとんど幣原に私淑していたからの、幣原擁護論にも繋がりそう。

一時、国民外交が叫ばれた。国民の輿論が支柱となり、推進力とならなければ、力強い外交は行われないという のだ。それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、わが国民の輿論ほ危険なものはなかつた。政党は外交問題を、政争の具とした。言論の自由が、 暴力で押し潰されるところに、正論は育成しない。国民大衆は、国際情勢に盲目であり、しかも思い上つており、常に暴論に迎合する。正しい輿論の湧きよう筈 がないのだ。こうした輿論に抗しつつ、自己の正しいと信ずる政策に、忠実ならんとするところに、信念と勇気の外交が要請されるのだ。悲しい哉、幣原外交以 外、近年のわが外務省の外交には、信念と勇気がない。私の説明は、いつもここに落ちるのだつた。(霞ヶ関正統外交の没落)

同じ文章からの引用。この「国民大衆」への思いあがりは、先に引いた朝鮮人蔑視にもつながる、石射の欠点(選良主義)の発露だろう。正直にこういった失言 を書き散らかすあたりも、ある意味、彼の魅力なのかもしれないが、やはり、これはどこか間違っていると思う。思いたい(^_^;)
本書は結局ブラジル移民に関しては、あまり得るところなかったが、日本史(太平洋戦争の時代)を、側面から垣間見ることが出来て、裨益するところ大きかったと思う。


077

【約束の大地】角田房子 ★★★☆☆1977新潮社刊。このところブラジル移 民への関心が高まり、関連書籍を読みあさっているが、もともとが小説(「ワイルド・ソウル」垣根涼介)がきっかけになったもので、石川達三の「蒼氓」、北 杜夫の「輝ける碧き空の下で」と読んで、本書は小説としては4冊目である。しかしこれを主題にした小説というのは比較的少ないようだ。

昭和40年(1965年)、アマゾン流域の日本人を取材に行った私に、汎アマゾニア日伯協会長であったTは、あらゆる便宜を与えてくれた。そして彼が中心であったというジュート(黄麻)栽培の歴史を、異常なほどの熱意で語った。
アマゾンの滞在が長びくにつれ、私はTの余りの評判の悪さに驚き呆れた。この徹底した嫌われ方が、私のTに対する関心を深め、やがてこの男を書きたいという気持ちを起させた。
昭和50年7月から一ヶ月間のアマゾン取材で、私は多くの高拓生やかつての指導者たちから、ジュート開発の経緯を含む戦前、戦後の移住事業の裏面をさぐろうと努めた。「ジュートは俺一人でやった」といい張るTの資料だけに頼っては書けないからだ。
作品の構成としては、小説という型にも、ドキュメンタリーの型にもこだわらず、正確を期したアマゾン移住史の中で、人物には私の想像のままの感情と動きを許す--という書き方を試みてみたいと思った。
一人の"語り手"と実在のTと、アマゾンの日本人移住史という背景とを、三層に重ね合わせて書こうという私の計画に基いて、作中の小沼信次は生まれた。(あとがき)


本書の生まれた事情は以上のあとがきのとおりだが、文中に出てくる「T」すなわち辻小太郎は、北杜夫の作中でも実名で登場していた。角田は実名を避けて仮名にしているが、他の登場人物とともどもまるわかりである(^_^;)。これならいっそ実名で書いてもらいたかった。

アンジラに向かう信次は、指導員の「下りは一時間半ぐらいでヴィラに着く」などという説明を聞きながら、船 の進行にしたがって移ってゆく陸地を眺めていた。地底から湧き出るような勢いで重なり合った樹木は地肌を覆いつくし、濃緑の厚い層のまま水にのめりこんで いる。その中の何本かの巨木は水をくぐりぬけて立ち上がったように、岸から離れた水中にそびえ、天に向かって張り伸した枝から幾条もの太い蔓を垂れてい る。空は濃淡もなく鮮やかな紺碧一色に染め上げられ、河面は強い太陽の光をはね返して白い炎を噴き上げるほどに輝きわたっている。何もかも想像を絶して大 きく、すべてが底知れぬ圧力に満ちていた。信次には、この拒否的な大自然に人間が立ち向かおうとする企てが無謀と思われた。

アマゾンの描写などは、きちんと取材してるという感じで、リアリティがある。空の青さは北杜夫のタイトルにもあるように、よほど印象深いんだろうな。「大自然」ということばがぴったりである。

「二十世紀初めアマゾンに一時の繁栄をもたらしたゴムだって、栽培じゃありません。あれも自然に生えている樹の液を集めただけです。
そのアマゾンに日本人が移住して、初めて農業らしい農業を創り出したんですから、まさに大成功です。しかしね、ジュートも、トメアスー植民地の胡椒も、そ の成功にたどりつくまでに、余りにも多くの落伍者、犠牲者を出しています。"血と汗の結晶"というような言葉を人は気軽に使いますが、偽りないところその 実情は惨憺たるものですよ。移住者の何パーセントが定着し、発展の道を歩けたか--という物差しで計ると、落第です。二つとも、移民事業としては失敗とい うほかありませんよ。しかし、ジュートと胡椒という新産業を生み出したから、誰も失敗などとは言いませんが……。
高拓生だって日本から移住した総数は260人だというのに、いよいよジュートが成功と決まって、いっせいに栽培を始めた時は僅か70人ぐらいだというから……ひどいものです」
「しろうとの私の感想ですが」と英文学者の内藤教授がいった。「移住事業は戦争とは違いますね。だから、どんな犠牲を払っても勝てばいい、占領すればいい というものではないでしょうね。そこのところが、日本人の考え方は、ややともすれば目的意識だけに絞った悲壮感で片づけて、中を見ないという傾向は、何ご とにもありますね。あるいは悲壮美という美意識で、日本人流に捉えているかもしれませんね」


これは1970年、アマゾン視察に来た有吉農学士と内藤英文学者の会話だが、この二人の所見が、角田の総括を代弁したもののような気がする。
小説としては語り手の信次のキャラが変てこというか、あまりにも作者の都合で造りものめいて薄っぺらに思えた。自らが創り出した登場人物への愛情が感じられなく、本作品の魅力を失くしているようだ。


076

【日系ブラジル移民史】高橋幸春 ★★★☆☆ 1993三一書房刊。
著者は1950埼玉生。1975早稲田卒業後ブラジルへ移住し、パウリスタ新聞社3年勤務、帰国後フリーライター。ブラジル移民の歴史をトータルにまとめてあり、理解しやすかった。

1.笠戸丸移民-金のなる木-航海-移民収容所-欺かれた移民
2.移民の生活-第二回旅順丸移民-コーヒー農場
3.一筋の希望-平野植民地と上塚植民地-黄金の三角ミナス-サンパウロ日本人街
4.ナショナリズムの谷間-移民の群-海外の同胞-二つのナショナリザソン-三浦鑿追放事件-海南島移住論
5.相克-大本営発表-幻の戦勝国-テロ-ニセ宮様-疑惑の"新聞王"
6.日系社会-永住-戦後移民-エリザベスサンダスホーム移民-移民祭
7.還流現象

「私がブラジルに来たのはミル・ノービ・セントス・オイト(1908)年だった」彼は会話の中に多くのポルトガル語をまじえた。ともすれば日本語が姿を消 してポルトガル語だけになることもあった。それは18年を日本で生き、70年をブラジルで生きてきたことを端的に物語っていた。
「ブラジルに来て良かったということは一日もなかった。一日も一遍もなかった」--園田楢衛 明治23鹿児島生


多くの移民や、関係者へのインタビューが収められているが、この老人の言葉が一番印象的だった。

1897年に、東洋移民会社が代表者をブラジルに送り、サンパウロ州のブラドー・ジョルダン商会と単独農業 労働者移民二千人の輸送契約に成功した。この契約は順調に進み、移民輸送には日本郵船会社所属の土佐丸が当たることになった。土佐丸は一千五百人の移民を 乗せて1897年8月15日に神戸港を出港することに決定した。しかし、この契約も出港の4日前に中止という運命を辿る。サンパウロのプラドー・ジョルダ ン商会から「コーヒー暴落のため約束の移民引き受け難し、出船中止せよ」という電報が入り、第一回ブラジル移民になるべきはずだった一千五百人の移民の輸 送は幻に終わる。

笠戸丸の9年も前に千五百人もの移民が募集され、出港4日前に中止になったというのはちゃんと認識していなかったが、もしも、この渡航が成されていたら、その 後のブラジル移民の歴史は大きく違っていただろう。少なくとも笠戸丸の悲劇は避けられたかもしれない。歴史にこういった「タラレバ」は無意味だろうという ことは、わかっていても、そう思ってしまう。

アルベルト・トーレスは移民を二つに分類している。一つは出稼ぎ移民(IMIGRACAO)であり、もう一 つは移住移民(COLONIZACAO)だ。ブラジルは後者を歓迎するとしている。出稼ぎ移民も産業開発には効果があるが、国家を発展させる強力な要素に はならないからだ。
移民の人種、宗教はまったく問題にしていない。しかし、同じ国からの移民が、同一箇所に集団で生活し、その国の言葉を使用し、母国の生活習慣が支配するような地域をつくることは認めないとしている。


日本からの移民は、典型的な出稼ぎ移民だった。結果的に大部分が移住移民にならざるを得なかったということが皮肉な実情だったのだろう。

日本側の労働力不足、そしてブラジルの不況、こうした要因が重なって日系人の還流が始まった。日系人にとっては、日本で生活しながら日本語を獲得したり、あるいは直接に日本文化に触れるいい機会になっているのかもしれない。
しかし、問題がないわけではない。なぜ、日系人は三K産業だけにしか働く場が開かれていないのか。受け入れに積極的な姿勢を示す人の中にも、このことに疑問を投げかける人は少ない。
戦前の日本は、強制連行した朝鮮人、中国人を炭鉱やダム工事などの危険な建設現場に送り込んでいった。その状況と現在が違うと果たして言い切れるのだろうか。
入管法の「改正」によって「不法」残留の外国人は国外へ「退去」し、その代役として日系人が逆流してきた。なぜ、日系人だけなのか、疑問を感じないわけにはいかない。
日本は多くの移民を各国に送り出してきた。移民はいやおうなしに他民族、異文化の中で暮らさなければならなかった。彼らは多民族国家の中で受け入れられつ つ、受け入れ調和していった。日本は常にそんな日系社会の「同化」を絶賛してやまなかった。その日本がどうして、日本で働き、共に生きようとする人々を拒 否することができるのか。


現代の日本に還流した日系人たちは「出稼ぎ」なのか「移住移民」なのか? 両者混在とは思うが、いずれにしろ悲劇的に推移しないことを願いたい。などと、他人事のように思う事自体が、在日日本人の認識不足なのに違いない。


075

【明治海外ニッポン人】伊藤一男 ★★★ 1984PMC出版。著者は1924北海道生、季刊「海外日系人」編集長。本書ではその季刊誌に連載した5つの記事を合わせたもの。

・排日の大河--伝馬(デンバー)
・瘴癘の砂漠--秘露国(ペルー)
・流れ移民--墓利比亜(ボリビア)
・笠戸丸異聞--伯剌西爾(ブラジル)
・差別の底流--沖縄

Morris.は、最初ブラジル移民関連の「笠戸丸異聞」のみを読もうと思ってたのだが、結局全編読み通してしまった。

明治、大正時代から昭和のつい最近まで、この国は外貨を稼ぐ自動車も電気製品もなかった。人口政策を持たな いまま、男も女も海外へ出稼ぎに送り出されてきた。「物」の輸出でなく「者」の輸出であった。国家的、社会的要請に基づく出移民だった。時には取締当局が 気にいらない"主義者"に「刑務所にいくか海外へ移民に出るか」と迫って叩き出したこともあった。形を変えて兵役拒否で海外へ脱出した組もある。自動車な どの「物」ならば海外へ売ってしまえばそれまでである。しかし「者」である移民はそうはいかない。日本の政治・外交・軍事・経済・社会のあらゆる諸要素が 人間である移民とその子孫に対する排斥の問題があげられている。一方、海外へ棄民として出しておきながら、体面と国際関係を重んじる日本政府は、海外の" 異民"にかなりの干渉を続けてきた。行政命令で居場所を動かしたこともあったし、巧みな行政指導で生活権を規制したこともあった。時には、移民を不法逮捕 して日本へ強制送還したりした。
このように、棄民政策とは裏腹の行政干渉は、海外の日系人社会の上に大きな影を落しているもののひとつであるが、ともあれ、明治以来のあわただしくかつ壮 大な日本の政治・社会ドラマの延長線上に移民ないし日系人たちは厳然と座っている。移民ニッポン人とは何であったのか、あるいは何であり続けるのか--。 この設問の行くつく先は、とりも直さず明治から始まるたぶんに官製的な日本の近代化政策を、海外に渡った多くの移民の目でとらえ直すことであり、それを もって、われわれの歴史をもう一度自己検証することであると考える。
ラテン・アメリカ各国の初期ニッポン人移民の場合、その日一日だけを生きることに汲々とせざるを得ない日常生活の中で、自らの歴史記録を残そうという努力 がほとんど払われていないと言っていい。仮りにあるとしても、その多くはせいぜい"勲章の歴史"である。栄光の歴史はたしかに一つの価値があるかもしれな いが、名もなく産もなく生きた移民大衆の声は聞かれない。(序)

流れ千里のアマゾン河の
岸の大樹を伐り払ひ
筏造りて日の丸立てゝ
隅田川まで流したい
トコトットットトットトット

ブラジルよいとこ誰いふた
移民会社にだまされて
地球の裏側来て見れば
聞いた極楽見た地獄


初期ブラジル移民たちの間で歌われた俗謡(替え歌)である。先のラッパ節の威勢の良さ(虚勢)と後の現實吐露のギャップに胸が締め付けられる。

本土対沖縄という問題から、本土対本土、沖縄対沖縄という「内なる差別」構造を分析すると、二元的な対立 というより、三元的にも五元的にも対立図式が広がって果てしない。これでは、日本列島は、さながら「さげすみ列島」である。一面からいえば、さげすんだ り、さげすまれたりして、日本列島は空前の発展をとげたのかもしれない。
こうした差別に対して、世のヒューマニストや学者、文化人、あるいは政治家立ちは、差別は人間として生きる基本的権利をふみにじるとして、しきりに人間愛を強調する。
例えば、幕藩体制維持のために作られた「士農工商」制度やそのさらに下に作られた賤民の存在である。これは、経済基盤をも含めて官制の"階級差別"である といえるだろう。これは、明治憲法が撤廃を宣したものの、その後の近代国家へと発展していく家庭で、権力の民衆支配の礎に利用されてきたことも事実であ る。さらに、現在に至ってもなお権力側は隠然と支配構造の中で、それを利用し続けている。このような上から強制された差別は浸透すると"人種差別"にも似 た憎しみと偏見になり、民衆を分断させてしまう。かつて日本が朝鮮や中国の人々になした差別の根源もそこにあった。そして、もちろん、ヤマトンチュがウチ ナンチュになしている差別感の中には、"官制の差別意識"が常に存在しているといえるだろう。(差別の底流)

差別されている沖縄という視点から、沖縄自体が内包する差別を論じる。つまるところ日本列島が「さげすみ列島」だという痛烈な批判。しかし、Morris.は「人間とは差別する動物」ではないかという猜疑心に捉えられてしまった。


074

【ほろにが菜時記】塚本邦雄 ★★★「味覚春秋」1985~2000連載中55回分を抄出したもの。20010年株ウェッジ。
塚本は2005年6月9日に亡くなってるから、没後5年も経ってからの刊行である。
発表誌に合わせてか、かなり、塚本らしくない、軽いエッセイである。俳句の歳時記に倣って、新年、春夏秋冬、雑という部立てで、取り上げられた菜目の一覧をあげておく。

・新年 屠蘇/小豆/餅/ななくさ
・春 つくし/百合根/慈姑/独活/若布/蜆/鮒鮨/芹とその仲間/山椒/水菜/菠薐草/蕗
・夏 茗荷/蓼/茄子/ローズマリー/蓮/菖蒲/辣韮/薄荷/そらまめ/鮎/筍/杏
・秋 目箒/菊/茘枝/石榴/梔子/鰯/無花果/茴香/落花生/柿/郁子/梨
・冬 沢庵/蒟蒻/蕪菁/鱈/葱/豆腐/大根/仏手柑/牡蠣/味噌
・雑 麸/チェリモヤ/エスプレッソ/むかしなつ菓子


塚本の目の黒いうちは、本書は出なかったということだろう。息子で作家の塚本靑史があとがきで、こんなことを書いてるが、これまた、親父の生存中なら書けなかったにちがいない(^_^;)

ある一定期間、憑かれたように買い漁った食品(食材)というのもあった。即席饂飩の「どん兵衛」、濃い葡萄 ジュース、某ホテルのミートパイ、松茸御飯の素など十指に余ったが、いずれも食べ尽くして堪能すると、もう見向きもせぬようになった。ただひとつ飽きもせ ず賞味しつづけたのは、エスプレッソ珈琲だけだった。(塚本靑史によるあとがき)

思わず笑ってしまった(^_^;)。こんな歌↓を書いた歌人が「どん兵衛」ね\(^o^)/

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ「水葬物語」
飼猫をユダと名づけてその昧き平和の性をすこし愛すも「装飾楽句」
どこかちがひどこかが同じ愛を欲りやまぬ若者の舌、犬の舌「日本人霊歌」
くちなしの実煮る妹よ鏖殺ののちに来む世のはつなつのため「水銀伝説」
蕗煮つめたましひの贄つくる妻、婚姻ののち千一夜経つ「緑色研究」
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころ「感幻楽」
すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがえぞわがこころをわたる「青き菊の主題」
詩は心の泡なりけるを八月の天より降りて歩めり烏「されど遊星」
針魚(さより)の腸(わた)ほのかににがしつひにしてわれに窈窕たる少女(をとめ)無き「歌人」


いや、作品は作品として、普段に「どん兵衛」を食いまくってた塚本、というのも、また一興である。


073

【俺 木割大雄句集】 ★★★☆ 平成25年角川書店刊。作者は昭和13年西 宮生まれで、二十代に結核療養所で俳句に出会い、赤尾兜子に師事。鳴尾中学校出身の阪神ファンで「虎酔俳句集」を出したこともあり、「下町のプロデュー サー」という異名があるくらい、地元のイベント企画や、文化講座、講演なども精力的にこなしてるとか。
先日読んだ佐野眞一の「響きと怒りの神戸地震の取材時に、尼崎で本屋を営んでいる彼の世話になったという記述があり、その人となりが魅力的に紹介されてい た。ちょっと変わった苗字が記憶に残っていて、中央図書館の新着コーナーでこれを見つけて、何かの縁と思い、借りてきた。俳句とは疎遠になって久しい Morris.であるが、なかなかおもしろかった。

・透明なガラスよ水よ金魚の死
・寒卵つつむ両掌の合掌よ
・春雷や恋は復活せざるべし

・春嵐人は指より老いゆくか
・風鈴の音に混じりし諸悪かな
・絵日傘を妻もろともに盗まれる
・緋のままに朽ちゆく城の曼珠沙華
・地図抱いて帰る少年星月夜
・つまみ食う海鼠の雌雄など知らず
・踏切の向こうの枯野にて歌わん

・鬱王忌花はなくとも桜の木(兜子忌)

・母に母あること妖し宝船
・七日粥ぺんぺん草はどれかいな
・菜の花を挟んで伊丹尼崎
・蛍とは闇を求めていく川か
・捩花の野に寝て重き地球かな
・ところてん道草日々に新しく

・春の夜のいのちを語る糸電話(同級生 青木理に)

・後悔のうねりに似たり秋の海
・明日はまた誰かの忌日隠岐すすき


日刊スポーツに虎酔名義で阪神タイガーズファンとしての句を連載した「虎酔俳句集」から。

・投げる打つ守る走れる風光る
・敗戦の数ほど咲きし彼岸花
・祝杯の酒は選ばず寝待月
・星祭り捕手に願いを伝えつつ(虎酔俳句集)

エッセイでは、師事した赤尾兜子に多く触れている。引用された中から印象にのこったものを孫引きしておく。

・初がすみうしろは灘の縹色 赤尾兜子
・音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
・すこしずつ死ぬそらまめ色の誇り吸い
・帰り花鶴折るうちに折り殺す。
・空鬱々さくらは白く走るかな
・大雷雨鬱王と会ふあさの夢
・俳句思へば泪わき出づ朝の李花
・狼のごとく消えにし昔かな


いわゆる前衛俳句で、Morris.にはまるで歯がたたないのだが、判らないながら魅力を感じる。永田耕衣に通じるところもあるかな。


072

【箸づかいに自信がつく本】小倉朋子 ★★★ 何で今頃こんな本を(^_^;)と思われるかもしれない。Morris.は箸使いは上手とはいえないまでも、とりあえず、普通の握り方は出来ると思う。これまでに、類書は何冊か読んだことがある。読んで身についたことはあまりなかった。
本書には箸づかいのタブー(きらい箸)が24も挙げられていたので、これをチェックするために借りたのだった。

箸づかいの練習1.移り箸-ある料理を取ろうとして他の料理に替えること
2.迷い箸-どの料理にしようか、料理の上で箸をあちこち動かすこと
3.揃え箸-箸先を膳や食器の中でトントンと揃えること
4.押し込み箸-料理を箸で口の中に押しこむこと
5.ほじり箸-盛り付けを無視して、器の底のほうにあるものを穿り出すこと
6.かき箸-器の縁に口をあてて料理を書き込むように食べること
7.もぎ箸-箸についたご飯粒などを口でもぎ取ること
8.涙箸-箸先から汁をたらすこと
9.重ね箸-同じ料理にばかり手を付けること
10.刺し箸-料理に箸を串のように突き刺すこと
11.せせり箸-箸を爪楊枝代わりにつかうこと
12.掻き箸-頭や体のかゆいところを箸で掻くこと
13.渡し箸-食事の途中、箸を食器の上に渡して置くこと
14.寄せ箸-箸で器を引き寄せること
15.振り上げ箸-食事中、箸を振り上げながら話すこと
16.指差し箸-箸先で、または箸を持ったまま人を指差すこと
17.くわえ箸-箸を下に置かず、口にくわえたまま食器などを手に持つこと
18.噛み箸-箸先を噛むこと
19.受け箸-箸を持ったまま、おかわり、をすること
20.すかし箸-骨付きの魚を食べる時、中骨を通して下の身をつつくこと
21.つき立て箸-箸をご飯の上に立てること
22.横箸-箸を二本並べて、スプーンのようにすくって食べること
23.拾い箸-箸と箸で、食べ物を隣の人と受け渡しすること
24.叩き箸-箸で器を叩くこと


ほとんど、周知のことではあるが、それぞれにきちんと名前をつけるあたりが、Morris.好みかも(^_^;)
箸づかいのよくある練習として豆を皿から皿に移し替えるというのが紹介してあったので、Morris.もやってみることにした。↑
豆袋作るときに使う小豆が残ってた。最初やったら3分(砂時計)で10個くらいしかつまめなかった(>_<) しばらく練習したら、だいたい 3分で50個近くは出来るようになった。とりあえず60個を常時準備しておいて、ときどき練習つづけることにした。これまでに3回だけ時間内に移し替える ことができた。


071

【輝ける碧き空の下で】北杜夫 ★★★★ 雑誌「新潮」に連載(第一部 昭和54~56 第二部 昭和58~60)され、単行本は昭和57年(第一部)と昭和60年(第二部)出されている。
今回Morris.が読んだのは、昭和63年の新潮文庫版(全4冊)であるが、単行本はもちろん、この文庫も絶版である。文庫版でざっと1500p近い長 編である。本当は第三部も予定されていたのだが、著者の体調や、あまりに膨大なものになりそうなことから断念したらしい。

この長編は三部作になる予定である。第二部は第一部の続編をなすと共に、昭和になってから日本人が多く入植 するようになったアマゾン方面のことを記し、第二次世界大戦に至るまで。また第三部は戦後の勝組負組の時代から、日本人移民に多くの成功者を出している現 代までを書く心算(つもり)である。(第一部あとがき)

サンパウロで発行されている日本語新聞「ニッケイ新聞」2007年6月7日付に、北杜夫のインタビューが掲載されている。その中に本書の簡略な紹介文があったので孫引きしておく(^_^;)

構想十余年、ブラジル日本移民の歴史を描いた長編小説。ブラジル日本移民のはじまりである笠戸丸の入港か ら、日本人植民地の建設、第二次世界大戦後の日系社会で巻き起こった「勝ち負け」問題など様々なドラマを、個性あふれる登場人物たちによって描いている。 移民の父・上塚周平、日本人植民地の建設に夢をかけた通訳五人組の一人・平野運平、戦前の邦字紙『聖州新報』の創業者・香山六郎、笠戸丸移民で生涯の博打 打ちイッパチ、移民の草分けの一人・鈴木貞次郎など移民史上の著名人も多数登場する。新潮社から一九八二年に第一部、八六年に第二部が出版され、二千六百 枚にのぼる長編だ。移民百周年を来年に控えた今、ブラジル日本移民の苦労と足跡を改めて振り返ることができる貴重な一冊。なお北氏のご好意により、近く本 紙で長期連載していく予定。

明治41年の第一回移民船から、昭和20年敗戦直後のゴタゴタまでざっと40年余りのブラジル移民の群像が描かれているわけで、実在の歴史的人物と、作家 の創作した人物がまぜこぜになりながら、それぞれのエピソードが、時間的に前後したり、空間的にもあちこち移動するのが、ちょっとMorris.には苦手 なパターンなのだが、その内容の濃さと、極限状況の中で更なる災厄に襲われる開拓民たちの奮闘努力、諦めと立ち直り、病気、死、裏切り、歴史の残酷な仕打 ち……そして、たまさか訪れる喜び、これらが、ブラジルの桁外れの自然界の描写とともに書かれていて、一気に(と、いっても4日ほどかかったけど)読み終 えた。

あれほど一身を投げ出して日本人のためにの植民地に精魂を打ちこみ、生命を落として行った平野運平に対して も、やはり誹謗する人間はいたのである。運平ばかりではない、上塚周平にしろ鈴木貞次郎にしろ香山六郎にしろ、この初期の日本人移民の恩人たちに対して、 或いは揶揄し、或いは蔑視し、或いは嫉妬する者はあちこちにいた。
要するに日本人社会はまだまだ安定しておらず、少し頭角を現わす者がいると陰でこそこそとその足を引っぱりたがったのも事実である。そのくせ、彼らは異国 人になかなかなじめず、どうしても日本人同士が一緒になりたがった。それも同等の成功を収めた者が、貧乏な移民たちをぬきにして会合を持つ習慣ができてい た。(Ⅰ-15)


海外における日本人の群れる性格と、差別主義の現われやすさを端的に指摘している。

香山六郎、つまり聖報としては金を横浜正金銀行より電送すればよいと主張した。しかし日伯新聞など他の新聞は金よりも、何かブラジルで罹災民用の必需品を買って送ろうと提案した。
いかに日本人が祖国を心配し愛していたか、その年の末までの募金は総計四百コントスを越えていた。
しかし、香山の新聞を通じての意見に反して、その救援金は現金電送ではなく、ブラジル製の毛布を購入して送ることに決定した。
その毛布はサントスからオランダ船に積みこまれ、あちこち寄港しながら日本へ向った。
そして、その母国罹災民への慰問毛布一万五千枚余は七十日の航海ののち、横浜港へと着いた。しかし、横浜はほとんど全焼していて、波止場の倉庫もすべて焼 けていた。遥々地球の裏側から送られてきた毛布の荷物は、そのまま埠頭の隅に積みあげられ、罹災民に配られる様子もなかった。
その大きな梱包は、ずっと埠頭に詰みあげられ、雨風にさらされたまま、むなしく月日が過ぎて行った。その間に、大災害を受けた東京、横浜も復興して行った。
放置されて七ヶ月もの日数が過ぎた翌年の6月にもなって、当局から、ようやくその荷を始末せよという司令が下った。
人夫たちは梱包を解いた。ぼろぼろに腐り、役にも立たぬ異臭を発する毛布の群がそこから現われてきた。
人夫の一人は言った。
「え、これはなんでえ。こんな代物はもう使いようがねえ。どえらく古びたもんじゃあねか。いってえ、どっから来た荷物なんだ」
「おらもよく知らねえが、なんでも、な。ブラジルの日本移民たちが金を出しあって送ってくれたものという話だぞ。何で今になるまでほっといたのだろう。ブラジルにいる人々の好意もこれじゃ台無しだ」
「ブラジル? ブラジルって国は、一体、どこにあるんだ?」
「それはな、おまえは頭が良くねええからよくわかんないかもしらんが、なんでも地球でちょうどこの日本の裏側にあるって話だぜ。」
人夫たちはなお梱包を解きつづけた。
「これもおんぼろだ。これじゃあ、どうしようもねえ」
「確かにどうしようもねえ。捨てるしか手がねえやな」
せっかくのブラジル移民たちの血涙も含んだ、山をなす毛布の束も、どれもこれも腐れただれていた。ようやくに横浜の倉庫も建て直されてきたのに、彼らの善 意は埠頭にながらく詰みあげられ、その意図もわからぬまま、こうして一部の人夫たちにのみ慨嘆されて消え果てたのである。(Ⅰ-17)


関東大震災時に、貧しい移民が愛国心から差し出した義援金で、購入した毛布が、横浜でボロ屑として処分される、一部の最終場面が、印象深かった。善意とい うものは、往々にしてこのような理不尽の結果に終ることも多い。神戸や東日本の震災においても、これに類似したことがあったような気もする。

木の葉の散りしいた地面から、何かがさっと飛び立ったようだった。それは蝶、腐った果実の実に集まる、白、 黄、褐色の蝶の群であった。それはよく見慣れた光景だったが、これほど多くの蝶の群に出あったことはかつてなかった。それはめくるめく色彩の群舞であっ た。のみならず、蝶の群は佐吉を取りかこみ、その体にたかろうとした。
蝶は花に集まるものもある。だが、南米の蝶は獣糞、腐った果実、水辺などに集まるものも多かった。人間のかく汗に集まる種類もある。このとき、山口佐吉は まったく無数といってもよい蝶にまつわりつかれ、とり囲まれていた。彼の腕にも首にもとまろうとする。身動きすると、パッと乱れ飛ぶ。そのいずれもが、華 やかな鱗粉を有する美麗な蝶なのである。
その中にまじって、金属様のブルーの光沢を有するモルフォ蝶が広場一面を飛びめぐった。この蝶は体のそばにはやってこない。その代わり、そのきらきらとした眩ゆい光沢は電光のようにすばやく、佐吉の目を射た。(Ⅱ-3)


取材でブラジルに訪れた時、農園の子供たちから「蝶のおじさん」と呼ばれたくらい、北はブラジルの蝶に夢中になったらしい。この場面には、北の願望も混 じってるのだろう。農業に大きな被害をもたらす葉切り蟻、やバッタの大群の描写も細かい。その他の動植物への言及も詳しくて本書にリアリティをもたらして いるようだ。

ふりむくと、ほとんど満月に近い月がウヮイクラッパ河の彼方にあがりかけていた。そしてまもなく、一筋の長 い冷光を広い水面に流した。ここに来て以来、ずっと木内が親しんできた光景である。月が上空にあがるまで彼の名づけた金の橋を眺めることができた。なかん ずく日没と共に月があがる時期が木内は好きだった。大きな火の円盤が沈んでゆき、あくまで群青だった空にぎらついていた光輝が薄らぎ、西の空にのみしばら く薄桃色の余光が漂う。それも見る間に昏れてゆき、辛うじて空の水色がかすかに残っている頃あい、すでに月が昇ってきて、冷い細い幻想的な金の橋を河の上 にかけるのだ。(Ⅱ-10)

高等拓植学校(高拓)一回入植者の木内はやや感傷的でもあるが、彼に仮託してブラジルの自然の美を表現しているのだろう。この木内はその後、土人(原住民)の娘と結婚するのだが、その経緯の部分だけが、ちょっと作り物過ぎて見えた。

戦後何年も経って、いや十余もの歳月が過ぎて、ブラジルに未だに「勝組」がいると、日本内地では報道され た。それはちょっとした揶揄、たわいもない笑話として伝えられた。勝組の心理を分析するのは容易である。しかし、そのもっと底にある真実は、貧しいがため に地球の裏側の異国に渡り。食うために長いあいだ苦労をし、なかんずく戦争中は屈辱の生活を強いられた移民で無ければ本当に理解できないと、のちになって 「負組」であった半田も思った。
9月も末になると、サンパウロ市の邦人間でも「勝組」「負組」という言葉があからさまに使われだしていた。歳月が経つと「信念派」「認識派」というふうに も言われだした。この頃、戦争中から地方で結成された極右団体の一つでもある「臣道連盟」の本部が、正式にサンパウロ市に設けられた。


本当はこの「勝組」「負組」は第三部で取り上げる予定だったらしいが、どうしても書かずにいられなかったらしく第二部の最終章に出てくる。
戦争の勝敗すらわからないのか、と、トンデモ話として、話題にされることが多いが、何事にもそれなりの事情があるのだった。
これに乗じての帰国詐欺というのが横行したらしい。この物語のラストも、第一回移民船でやってきた家族が、これに引っかかってしまうという、悲劇的な終わりかたになっている。

垣根涼介の「ワイルド・ソウル」がきっかけになった、南米移民の歴史とそれを主題とした作品をぼちぼち読み始めたのだが、石川達三の「蒼氓」が、神戸の収 容所と移民船でブラジルに着くまでをメインとしたルポルタージュ的なものだったと比べると、北杜夫の「輝ける碧き空の人」は半世紀近くの南米移民の歴史そ のものを主題にした、スケールの大きな意欲作だったと思うし、彼の作品の中でも特殊な作品といえるかもしれない。代表作となると「楡家の人びと」(これも 割りと最近再読した)ということになるだろうし、異論はないし、知名度から言うと百対一くらいの差がありそうだ。小説としての完成度、面白さということで は、いささか低い評価もやむをえないと思うのだが、日本人が忘れるべきでないこの移民たちの歴史を、これだけの作品として仕上げたことに敬意を払いたい。 個人全集発行以降の作品ということもあって、現在この作品は書店では入手できないし、図書館でも所蔵してる館は少ないと思う。
文庫が消耗品となり、数ヶ月で次々に絶版になる時代ではあるが、この作品などは、ぜひ復刊してもらいたいものであるが、売れないんだろうなあ(>_<)
北が紹介していた参考文献を引いておく(Morris.自身の探書メモとして)が、神戸市立図書館の蔵書検索では★印の7冊(*印は外大蔵書)しか該当しなかった。◎は読みたい本。

◎「移民の生活の歴史」半田知雄
★「森の夢」醍醐麻沙夫
◎「香山六郎回想録」サンパウロ人文科学研究所編
「上塚周平」竹崎八十夫
「在ペルー邦人75年の歩み」ペルー新報社
「日本人ボリビア移住史」同書編纂委員会
★「明治海外ニッポン人」伊藤一男
★「南米の核心に奮闘せる同胞を訪ねて」野田良治
「世界の大宝庫新南米」野田良治
「崎山比佐衛伝」吉村繁義
「世界の果てに黎明を創る」岸本丘陽
「南米ぶらぶら記」御荘金吾
「ブラジル日本移民史年表」半田知雄編
「日本移民70周年」日伯毎日新聞
「移民70年」サンパウロ新聞社
「ブラジル移民70年史」ブラジル日本文化協会
★「新秘境大アマゾンを探る」古谷敏恵
◎「アマゾンは流れる」御荘金吾
「密林に生きるセリンゲーロの一年妻」御荘金吾
「トメアスー開拓廿五周年記念」パウリスタ新聞社
★「南米富源大観」難波勝治
「年をねじふせた女たち」辺見じゅん
「南米への旅」湯浅克衛
「拓けゆくアマゾン」長尾武雄
「サンパウロからアマゾンへ」本田靖春
★「約束の大地」角田房子
*「アマゾンの歌」角田房子
「大アマゾニア」野田良治
「ユバ農場」野添憲治
「南米の戦野に孤立して」岸本昴一
★「外交官の一生」石射猪太郎
◎「狂信」高木俊朗

今日の日記で紹介した国立国会図書館電子掲示板「ブラジル移民の100年」は、総括的で、非常に興味深かった。


070

【響きと怒り 事件の風景・事故の死角】佐野眞一 ★★★☆☆ 2005年NHK出版。事件や事故の直後に現場に駆け付け取材した、6件のリアルタイムの記事をまとめたもの。

暴走 JR西日本脱線転覆事故 2005/04/25
噴出 十七歳連鎖殺人事件 2000/05/01(豊川老女殺人事件)、05/03(佐賀バスジャック事件)、06/21(岡山金属バット事件)
欺瞞 雪印乳業食中毒事件 2000/06~07
閃光 JCO臨界事故 1999/09/30
瓦礫 阪神淡路大震災 1995/01/17
残響 ニューヨーク同時多発テロ 2001/09/11

本書で取り上げた事故と事件は、いわば"負のプロトタイプ"として、われわれの前に幾度となくさらされ、その都度、体験の共有を迫ることになった。
これらの事件と自己の現場から一体何が見えてくるのか。企業や学校や家族が、すなわちわれわれが生活する社会が、どれだけ病んでいるかが見えてくる。それ 以上に、そうした病理に何ら抜本的解決策を講ぜぬまま、対症療法だけでやってきた世界の無責任体制と制度疲労が見えてくる。さらに言うなら、その原因をい つもわが身とは無縁の場所に置き、すべて他人に責任転嫁する、ないしは次代につけを回す怯懦と先送り体質の病巣が見えてくる。

もしサリン事件の直後に第二の関東大震災が襲ったら、サリン散布の流言蜚語が首都圏に飛びかい、オウム真理教だけではなく、ある種の新興宗教は一般市民からいかがわしい存在とみなされ、攻撃の対象となったかもしれない。(はじめに)


このような連想が即座に出てくるところが、佐野の特徴だろう。これは十二分にあり得る話だと思う。

「加工乳」の実態を消費者はもちろん、生産者すら知らなかったという事実は、衝撃だった。高品質の牛乳が、生産者を「目隠し」状態にしたまま脱脂粉乳の原料になり、それを加工した「牛乳」もどきの飲み物が、今度は消費者を「目隠し」状態にしたまま大量販売される。
「牛乳」という商品の生産と消費の間には、最終責任は誰もとらず、補助金をバラまくその場しのぎの弥縫策で、規模拡大のみにやっきとなってきたわが国酪農 行政の欠陥が、亀裂となって普段見せない顔をのぞかせている。雪印食中毒事件は、責任感のかけらもない同社の組織病理や、危機管理能力の欠如だけではな く、こうした悪循環ともいうべき構造によって下支えされてきた日本の乳業界の実態を、はしなくも露呈させる結果ともなった。(雪印乳業食中毒事件)


日本改造論、いやそれ以前からの日本の農政のお粗末さ(票田としての農業)、減反政策、食料自給率の低下、それと同じようなことが酪農でも行われていたということだろう。雪印製品にはそれなりに愛着があったのだが……

笹山幸俊神戸市長は、地震の直後、「倒れた家屋はほとんどが戦前の建物。これからの街づくりは防災対策を考 えてきちっとやる」と地元記者に語ったが、停滞していた都市計画が、これで促進できる、と言っているように私には聞こえた。防災対策に手を拱(こまね) き、結果として多くの犠牲者を出したとすれば、これは権力による一種の殺人ではないか。

神戸市株式会社の面目躍如(^_^;)である。長田地区の「復興政策」は最悪の結果になってしまった。「こまねき」のルビにはちょっとがっかり。

阪神大震災の"シンボル"として、テレビ映像や報道写真で有名になった倒壊建造物は、高速道路や新幹線の高 梁をはじめ、それを受注した大林組や竹中工務店など大手ゼネコンの手によって、地震直後から、スピーディな撤去作業が、すでに始まっていた。復旧再優先と いうかんがえかたからすれば、それも当然の措置といえた。
だが私は、その迅速すぎる撤去作業に、復旧優先という大義名分とは、別の思惑を感じた。彼らゼネコンは、倒壊建造物の手抜き工事や、安全性無視の欠陥設計 を隠蔽するため、不良社員が背任行為を必死で隠すように、昼夜をついだ撤去作業に邁進しているような気がしてならなかった。(阪神淡路大震災)


震災時のMorris.にとって一番大きな被災であるJR六甲道駅(高架の落下)の緊急復興は、施工者である錢高組がジャッキでそのまま持ち上げるという 工法で、NHKのプロジェクトXでも採り上げられ「快挙」として報道されたが、これも手抜き工事の隠蔽ではないかと、Morris.には見えた。

『響きと怒り』というタイトルは、言うまでもなくウィリアムス/フォークナーの代表作からの借用である。 --南北戦争を境にして休息に没落する南部貴族のありのままの姿が、錯綜した構成と文体を駆使しながら、殺人、姦通、暴行など、時代の病巣を映す社会的頽 廃を通して、みごとに描かれている。(あとがき)

フォークナーの名前くらいは聞いたことがあるが、作品名は初めて知った。原題は「Sound and Fury」で、シェイクスピアのマクベスの台詞に由来するものらしい。

Tomorrow and tomorrow and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing 

あすが来、あすが去り、
そうして一日一日と小きざみに、時の階(きざはし)を滑り落ちて行く、
この世の終わりに辿り着くまで、
いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて
死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火!
人の生涯は動きまわる影に過ぎぬ。あわれな役者だ、
ほんの自分の出番のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、
そしてとどのつまりは消えてなくなる。
白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、
何のとりとめもありはせぬ。 - 福田恆存訳 

うーーむ、さすがであるな。シェイクスピア。


069

【海難記】久生十蘭 ★★★★ 1992年国書刊行会刊の日本幻想文学全集12、である。
「新残酷物語」「母子像」「新西遊記」「うすゆき抄」「奥の海」「海難記」の5篇収録。解説は橋本治。

見せかけのむごたらしさに眩まされるやうなこともなく、客観的な残酷さに酔ひ痴れるやうなこともない。あく まで実際的で、受刑者の感受性を土台にして周到に計算され、相手の苦痛を想像力で補ったり割引したりするやうな幼稚な誤りををかさないのみならず、単純な いくつかのマニエールに独創的な組合せをあたへることによつて、誰も想像し得なかつた測り知れぬ残酷の効果をひきだすのである。--『新西遊記』

この"受刑者"という単語を"読者"に置き換えれば、これ即ち、久生十蘭の小説作法ということになるであろう。
久生十蘭の"残酷"は、ほとんど優雅な美であり、洗練された笑いであり、温かい人間賛歌の裏返しであり、そのまま温かい人間賛歌でもある。
残酷は、時として優雅で、時として朗らかで、時として懐かしく優しく微笑ましく穏やかで、しかし結局そう思い込もうとする者の思惑とは一線を画して、終始 一貫、残酷であることの姿勢を崩さない。つまり残酷とは、久生十蘭の小説の本質であり、どうあろうとしても結局は虚構でしかない。小説と小説家、あるいは 小説と小説読者の中にある、ジレムマそのものなのである。そのことを、引用した久生十蘭の文章はストレイトに語っていると思う。
久生十蘭の文体の素っ気ないほどの簡素と、それとは相反する濃厚の矛盾は、この関係によっているものと思われる。事実として語られる時、久生十蘭の文体は簡潔で、残酷として響く時、久生十蘭の同じ文体は、とんでもなく濃厚濃密で艶麗である。(「凪の海」橋本治)


久生十蘭の魅力を見事に集約した橋本の「分析」もまた見事で、Morris.にはこれに付け加えることは何もなさそうだ。もっとも、久生の引き締まった文体とは対蹠的な粘着質の文章だどね(^_^;)

「中央太平洋鉄道は枕木(スリッパー)の数ほど眠る人(スリーパー)を出し」「桑港(サンフランシスコ)の 市中に額にC・P・R(Central Pacific Raildoad)といふ烙印を捺された支那人労働者がうろうろしてゐる。これは施設工事の現場 から逃亡しそくなつて捕つたモノだそうで」「オークランド、オマハ間千二百粁の鉄道は3670人の死屍の植えに建設された。そしてその中の三分の二以上は 不慮の災害によるものではなく虐待拷問の結果であった」(「新残酷物語」)

米国の鉄道開発時における、中国人労働者への過酷(という限度を越えてる)な仕打ちの引用文のパッチワークだが、植民地時代の日本における朝鮮労働者の鉄道や炭鉱での強制労働のことが思い起こさずにはいられない。


068

【蒼氓】石川達三 ★★★ 本作は三部作で1935年(昭和10)同人誌「星座」に発表された「蒼氓」(第一部)がその年、第一回芥川賞を受賞した。第一部では、昭和5年に神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行き移民の船に乗るまで8日間を描いたものである。
ブラジル行きの移民船に乗ってサンパウロに到着するまでの45日間を描いた第二部「南方航路」、ブラジル到着して入植するまでの第三部「聲なき民」を合わせて1939年に単行本として発刊された。
何で今頃これを読むことにしたかというと、垣根涼介の「ワイルド・ソウル」に刺激されて、日本のブラジル移民への感心が高まり、題名だけ知ってたこの作品が、ブラジル移民をテーマにしていることを、としろうから教えてもらったからだ。
石川達三は社会派作家として有名なことしか知らず、ほとんど縁がなかった。戦後作家と思い込んでたくらいなので、本作が戦前(戦中?)の作ということさえ知らずにいた。
今回読んだのは「講談社豪華版日本文学全集35「石坂洋次郎・石川達三集」昭和44年発行)である。高名な作品の割に意外なくらい単行本や文庫を所蔵して る図書館は少なかった。中央図書館でも、文学全集や個人全集、芥川賞全集などに収録されてるものが殆どで、文庫版は二階の郷土資料室にあるが、ここの資料 は貸出禁止である。と、いうわけで、先の講談社全集で読むことになったのだが、作品解説や年譜があって、便利だった。
二十四歳の石川は「「若気の至り」から、家族移民ならぬ単独移民として、九百五十人の移民団にまじってブラジルに渡った。目にしたその人たちの生活は厳し くも悲しい。「私はこれまでにこんなに巨大な日本の現実を目にしたことはなかった。そしてこの衝撃を、私は書かねばならぬと思った」。石川は後日『出世作 のころ』で述懐しているらしいが、年譜によると

昭和5年(1930)26歳 3月、移民船に乗ってブラジル渡航。國民時論社は、退職ということにしてもら い、退職金六百円ほどを得て渡航費とすることができた。奥地のサントアントニオの日本人農場に入り、一ヶ月ほど滞在して、結婚のためという口実で帰国。紀 行文は「國民時論」に連載。8月末、國民時論社に復帰。

とある。先の発言と違って、初めから國民持論社と了解の上、一種の潜入ルポとしてブラジル移民船に乗り込んで取材したというのが事実に近かったようだ。

「佐藤勝治の母門馬くら。弟門馬義三。……妻の弟佐藤孫市」
孫市は名を呼んでゐる所員の前を通る時叱られはせぬかとびくびくしてゐた。姉のお夏と勝治は本当の夫婦ではないのだ。友人の門馬勝治を婿にして形式だけ佐 藤の籍に入れたのだ。さうして(満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以上ノ者)を以て家族を構成しなければ渡航費補助移民の条件に合はないから だ。門馬さんは婆さんと二人の息子、孫市は姉弟。この二組が一緒になつて一家族といふ形式を臨時に作つたのだ。然しこれは孫さんの智慧ではなき。移民取扱 海外興業会社の地方業務代理人山田さんが教へてくれた術(て)だ。--叱られるどころではなかつた。係りのお役人にとつては平凡過ぎる事である。むしろ奨 励してもいゝ位だ。さうすれば海外発展の成績は上り国内の人口問題も多少は助かる。海外興業会社にして見れば移民が一人でも多ければそれだけ事業殷盛だ し、地方代理人山田さんにしても自分の扱つた移民については歩合が貰へる訳だ。


秋田からやって来たこの佐藤夏と孫市が、この物語の主人公といえなくもないが、950人の移住者と監督らの大集団、あるいは移民事業そのものを描こうとい うのが本書のテーマなのかもしれない。引用部分からも分かる通り、移住希望者も食い詰めて無料で乗船するためにこすからいやり方を取るし、事業団はそれに 棹さす。日本国政府が人口問題の解決のためにそれを後押しするという構図が垣間見える。
この作品のタイトル「蒼氓」は「そうぼう(さうばう)蒼氓 人民。国民。蒼生。(大辞林)」とそっけないが、「氓」という漢字には「他国から逃げて来て帰化した帰化した民(新字源)」という意味がある。
今読むと、かなり文章も荒削りだし、内容的にも芥川賞向きぢゃなさそうに思える。同じ年の候補に太宰治や高見順がいたと聞くと、現在の目からすると、石川 よりよほど二人のほうが似つかわしい気もするのだが、賞の創設時期にはまだ該当作の基準もはっきりしていなかったろう。そういえば、この芥川賞に関して、 太宰と選考委員川端とのどたばたがあったことを思い出した。

この船の全部の移民たちにとつて、航海の45日はほとんど生涯のブランクな頁であつた。彼等の目的はブラジ ルの耕地であり、そこへ着くまでの船中生活は無意味なものにすぎなかつた。ただ丈夫で向ふへつきさへすればいゝ、退屈な期間であつた。波の音と船暈ひとのあ ひだにいくらかでも目的地に近づくと思へば、希望をもつこともできた。

これは出航翌日の描写だが、なかなかそんなものではなかった。ブラジルに着くまで、寝床、船酔、食事、寄港地、上陸、虱、トラホーム、赤痢、死産、不安、 不満、騒動、後悔、諦め、熱暑、無聊、酒、貞操、抑圧、懐柔、慰安、衝突、病死、駆引き、疑念…………様々なことが渦巻きぶつかり、とんでもない時間に なったようだ。
そして、やっとのことで辿り着いた入植地で、先住者のことばは「昔ならいざ知らず、これからは食つて行くだけのつもりでなくては駄目ですよ。だから移民はほんとの裸一貫がいゝね。」だった。
終結部では、ある種の「「明るさ」で締めくくられているのだが、これは作者石川の詭弁というか、免罪符のような気がした。


067

【南無ロックンロール二十一部経】古川日出男 ★★★ ものすごく分厚い本(576p)だった。前に読んだ「ロックンロール七部作」のリメイクみたいなもののようだ。当人は前作からの使い回しは一字たりともおこなっていない、というが、エピソードや事件が繰り返されるという意味では、焼直しというしか無い。
「輪廻転生」に「ロックンロール」とルビをふったり、江戸時代を「穢土」に通じさせたり、Rising Sun-日の出-日出男、ベトナム-ナム-南無といった、言葉遊びめいたところには古川らしい面白さも感じたが、全体としてはMorris.には冗長に感じられた。
前作ではほとんど隠し味になっていたオーム真理教への言及、さらに古川自身が教団の広告塔になってしまうという部分は虚実がはっきりしないが、どちらにしても肯定しにくい。


066

【オジいサン】京極夏彦 ★★☆ 益子徳一(72歳)の一週間の身辺雑記とでもいうことになろうか。Morris.はこの人の作品は初めてかもしれない。怪談めいた作品が多いというイメージが強く、本作は異色作なのだろう。
じんわり老人小説。定年後の人生を慎ましく過ごす独居老人の大真面目で可笑しくて少しだけ切ない日常。
という腰帯の惹句に惹かれて読むことにしたのだが、一言で言えば、スカだった(^_^;)
主人公は、老人性の健忘症、億劫がり、うっかりなどの割りには、思考力は衰えておらず、さまざまなことに一家言を持ち、時間や人生への考察もなかなかに鋭いものがあるのだが、それらがすべて、老化という厚いフィルター越しにぼんやりとした混乱に収束してしまう。

戦争をしてしまうような愚かしくも厳しい時代があって、その反動のように開放的で生産的な時代が訪れて、 それでいいのかと自戒するような風潮になって、それもどうかというような世の中がやって来て、そして浮かれて、膨れ上がった経済が弾けて--いつだって軸 はブレていた。

ちょうど地デジ切り替えの時期で、近所の電器屋の二代目が主人公にテレビ買い替えを勧めるというのが全編を通じるストーリーみたいになっていて、終盤で、 二代目が主人公に結婚式の親代わり(祖父代わり)を依頼して、お涙頂戴になるというのも、なんとも言えずイヤな感じになった。
この作家には「厭な小説」というのがあった。本作もそれに連なるひとつなのだろう。もう読まない。


065

【夏の闇】開高健 ★★★☆☆ベトナム戦争取材を主題にした「闇の三部作」は「輝ける闇」1968「夏の闇」1972「花終る闇」1990。Morris.は最初の二冊はほぼリアルタイムに読んだと思う。最後の「花終る闇」は未完ということもあって、読まずにいた。
このたび改めて三冊を通して読むことにした。発表順ではなく「夏の闇」「輝ける闇」「花終る闇」の順で読んだが、なかなか読み進めることができなかった。 すらすらと読むことを拒否するような文体のせいもある。それよりも、ベトナム戦争の時期(おおまかに1960-75)に、青春時代、青年時代を送りなが ら、見事なまでに関わりを持たずにしまったことに忸怩たる思いを禁じ得ない。そんな、悔いというか、情けない思いがこういった作品を読みにくくさせてるのかもしれない。

深さは純粋よりも混濁にてだすけしてもらわないとでてこないのじゃないか。小説もそうじゃないか。小説は字 で書くけれど、この字というやつが混濁の極だ。事物であると同時に影でもあるし、意味に定量がない。経験によってどうにでも変貌する。たえまなく生きてう ごいていてとまるということがない。とめるということもできない。たちどまってじっと凝視していたらたちまち崩壊してしまう。ときたま何かハッとする一瞬 があるので、そのとき一言半句をつかむ。つかんだらすかさず眼をそらさなければいけない。じろじろ眺めていたらたちまち指紋でくもってしまうか、粉末に なって散ってしまうかだ。

文体見本としての引用でもあるが、こういったやり方でモノを書くというのは、疲れるだろうな。

「……日本人は眼鏡をかけてカメラをぶらさげてる黄いろいのがむこうかきたらそうだと一目でわかるというけ れど、私にいわせたら、歩きかたね歩きかたで一目で分かる。ヤマトはどういうものか歩きかたが下手なのよ。ひどく下手なの。下手だけならまだしも、きたな いのよ。どこがどうってうまくいえないけど、手のつけようがないほどきたない歩きかたをする。やりきれないわ。眼をそむけたくなる。あ、ヤマトがきたなっ て、一町手前でわかるわ。横丁へ逃げたくなるわね。私もヤマトだからあんな歩きかたをしてるのかしら。そう思うとゾッとするわね。ベッドのセックス体操を 近頃の女性週刊誌では写真入りで教えてるらしいけれど、そこまでやるならどうして歩きかたを教えないのかしら。歩きかたがきたないうえにやりきれないのは あの眼つきよ。イヤな眼つきをしてる。とてもイヤな眼つきだわ。妙におどおどしてるくせに傲慢なの。自信のある人はかえって謙虚になるものだと思うんだけ ど、その裏返しね。そうなのよ。おびえたような眼つきのくせにふんぞり返ってるところがあるの。インテリにかぎってそうだわね。レストランへいってもす みっこに壁へぴったりくっつくようにしてすわるか、日本人同士いっしょになってすわるかしないことには安心できないらしいし、どうもヤマトは一人だと不安 でしょうがないらしいんだナ。それがお上りさんだけじゃなくて、そういうことをあざ笑ってる新聞記者や学者も同じなのよ。新聞記者も日本人同士でかたまっ て毎日おなじ顔ぶれでおなじレストランで御飯食べてるじゃない。日本語で記事を書くんだから日本語でしゃべりつけていないことには根なし草になっちゃうん だなんて気のきいたことをいいうのがいるけれどウソよ。独立独歩できないのよ。だからごらんなさい。日本の新聞にでてる外国報道の記事が各社とも似たり よったりでしょう。それも為替交換所みたいに仲間同士だけでやりとりした情報がネタだし、たいていはこちらの新聞にでた記事の焼直しよ。ひどいもんです よ。新聞記者というのは新聞にでた記事を書くから新聞記者というのよ。」

パリでの女性研究者の、感情的日本人批判であるが、批判内容自体は割りとステレオタイプである。引っかかったのは、歩きかたのみっともなさというところ で、実はMorris.の数多い欠点のひとつにこの歩き方というのがあるのだった(>_<)。彼女のものいいだと日本人の大部分がそうらしい ので、かえってほっとするところもあったが(^_^;) 確かに、立ち居振る舞い、姿勢、箸使い、などは幼い頃にきちんと躾られておくべきだった。


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【輝ける闇】 開高健 ★★★★ 「夏の闇」もこの「輝ける闇」も発表当時に 読んだはずなのだが、どちらも、全く初めて読むような感じだった。この本にかぎるわけでもあるまいが、読んだ端から忘れていくのがMorris.の読書ス タイルなのだろうから仕方がない。ホームページで、読書控えを公開してきたから、最近14年間に読んだ本は、とりあえず、チェックできることになってる。
一般的には「夏の闇」が高い評価を受けているようだが、Morris.はこちらの方が面白かった。

生きているものはうごく、かならずうごく。生者の眼と顔は一瞬に組まれては崩れ、崩れては組まれる陽炎であ る。眼は陽炎のなかの透明な部分にすぎない。それすら陽炎とともに一瞬ごとに輝いては翳る。生者に私は眼を見ることがない。眼は二つの皮の裂けめにできた うつろいやすく、ゆれやすい空である。私が凝視すればきっとそれはうごく。私も凝視されればうごく。倦むか選ぶかで私はうごく。ときたま私はお面の穴のな かの瞳を見て凄惨さにたじろぐことがあるが、それすら輝いては翳り、射しててはしりぞく。笑い、また、閉じる。たった一枚の紙をかぶせるかかぶせないかで 一緒に全貌が変ってしまうとしても、やっぱり面はうごきやまない生の流れのなかの一魁の石にすぎない。
かつて魯迅が書いたはずである。
『革命、反革命、不革命。
革命者は反革命者に殺される。反革命者は革命者に殺される。不革命者は、あるいは革命者だと思われて反革命者に殺され、あるいは反革命者だと思われて革命者に殺され、あるいは何ものでもないというので革命者に殺される。
革命、革革命、革革革命、革革……』
30年後のいま、ここでは事態はいよいよ混沌、かつ精妙の一途をたどっている。誰かの味方をするには誰かを殺す覚悟をしなければならない。何と後方の人び とは警戒に痛憤して教義や同情の言葉をいじることか。残忍の光景ばかりが私の眼に入る。それを残忍と感ずるのは私が当事者でないからだ。当事者なら死体が 乗りこえられよう。私は殺しもせず、殺されもしない。レストランや酒場で爆死することはあるかもしれない。しかし、私はやっぱり、革命者でもなく、反革命 者でもなく、不革命者ですらないのだ。私は狭い狭い薄命の地帯に佇む視姦者だ。


突然魯迅の言葉を引いての自己卑下的独白、これが開高の本心だとは思えないが、日本人としての「限界」を感じさせられる一文でもある。しかし、ぎりぎりまで戦争に向かい合ったことは間違いないだろう。

「不幸な国だな、チャン」
「不幸な国、不幸な国」
毛布のなかで彼は辛辣にせせら笑った。鞭をならすのを待ちあぐねていたかのようであった。鋭い声のなかには愉しげな調子さえあった。
「でもね。記者には天国ですよ」
「……」
「西じゃ不幸だといって涙を流すし、東じゃ勇敢だといって拍手する。こちらでほんとのことはあちらじゃ嘘で、あちらでほんとのことはこちらじゃ嘘だ。モンテーニュのいうとおりだな。でも、どちらの記者にとってもここは天国なんだ。あんたも楽しそうだ」
「そのとおりだよ」
「そうですよ」
「君のいうとおりさ。おれは楽しんでる。一言もないな。東京やパリの人間もそうだろう。戦争を非難しないやつはいないだろうが、新聞に残酷な写真がでてい ないと物足りなくてしようがないのじゃないか。この戦争が早く片付いたらみんなガッカリするだろうな。そう思うときがあるよ」


マスコミの本音。しかし、その本音は読者側の本音に支えられているということか。報道の危うさは常時意識している必要がある。

南ではディエムが眼も口もあけていられない独裁の暴政と虐殺をつづけていた。南では勤労(カンラオ)党、北 では労働(ラオドン)党と、ただ呼び名が変わるだけのこととなってしまった。南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人 びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教さ れ、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。取引きや売買、物価変動のたびに、書取られ、登録され、調査され、料金をきめられ、捺印され、 測定され、税の査定をされ、賦課され、免許され、認可され、但書を付けられ、説諭され、邪魔され、改善させられ、矯正させられ、訂正された。公共の福祉と いう口実、全体の利益の名において、利用され、訓練され、強奪され、搾取され、独占され、着服され、税を絞られ、だまされ、盗まれ、そして反抗の兆しでも 見せたり、少しでも嘆こうものなら、抑圧され、改心させられ、蔑視され、怒られ、追いつめられ、こづかれ、殴り倒され、武器をとりあげられ、縛られ、投獄 され、銃殺され、機関銃で掃射され、裁かれ、罪を宣告され、生贄とされ、売られ、裏切られ、なおそのうえにもてあそばされ、冷笑され、名誉を汚されたの だった。

言葉の羅列は「或る哲学者の悲痛な饒舌」とあるが、ダニエルゲランの「現代のアナーキズム」からの引用らしい。そんなことが分かるのも、ネットで検索した からだ(^_^;) うーーん、便利であることは言うまでもないが、何か釈然としないものがある。73年に三一書房から訳書で出たこの本も、 Morris.は確かに読んだはずだ。それなのに全く上記の文章は記憶の彼方である。Morris.はマルキシズムには縁遠かったけど、アナーキズムには 何となく親近感を持ってた。ような気がする(^_^;) 金子光晴を通して知ったスティルネルの「唯一者とその所有」(辻潤訳)の影響が大きいと思う。

或るものは、これは非力な小男が大男のちからを利用して大男を投げるのだから、ゲリラ戦とはジュードーであ るという。或るものは、これは種族の違う怪物と怪物の争闘なのだという。或るものは持てるものと持たざるものの争闘だといい、或るものは人間と機械の争闘 だといった。或るものは黄と白の戦争を黄と黒が助けている戦争だといった。或るものは夜と昼の争闘だといい、或るものは象と鼠の争闘だといった。或るもの は原始と原子の争闘だといい、或るものは変化を求めるものと変化を求めざるものとの争闘だといった。或るものは町と農村の争闘だといい、或るものは美徳と 悪徳の争闘だといい、或るものは戦闘と戦争の戦争であり戦闘であるといい、或るものは腹から下を殴っては行けないというクィーンズベリ侯爵式ボクシング と、どこを殴ろうが、蹴ろうがいっさいおかまいなしのタイ式ボクシングの戦争だといい、それをよこで聞いた或るものは冷嘲して、ただ肩をすくめ、お袋とや りな、といった。

私は泥水のなかを手で這ってすすみ、カービン銃に足をとられてもがいている一人の兵の体をのりこえようとし たとき髪を波にかすめられ、全身の力を失った。私と兵は腰まで水に浸り、手や足をぐにゃぐにゃからみあわせてあらそいあった。兵の眼は若く、いらだって小 さく光り、疲れきっていた。私は子供を水のなかへ沈めようとしているかのようであった。その小さな、やせた体がまるで巨大な壁のように感じられた。よじのぼっては落ち、とめどない苦役であった。口いっぱいにつまった甘い泥の匂いにむせ、卑劣の感触に半ばしびれ、ふいに空が昏れて額におちかっかってきて、いやだと 思った。つくづく戦争はいやだと思った。凶暴なまでの孤独が胸へつきあげてきた。何もかもやめて泥のなかにうずくまり、声をあげたくなった。ふとこのまま 眠ってしまえたらと思った。おびただしい疲労がこみあげ、死の蠱惑が髪をかすめた。この柔らかい藺草のしとねに体をのびのびとよこたえ、穴という穴から温 かい泥がしみこんできた、とろりとした水をミルクのように体いっぱいたたえて寝ていたらどんなにいいだろう。とけたい。とけてしまいたい。この藺草の沼 にとけこんで、ひろがって、薄い波となって漂っていた。


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【花終る闇】開高健 ★★★ 開高が亡くなったのが89年。本書はその翌年に 未完の形で出版されている。遺作という事にもなるのかもしれない。書くことがないのではなく、書きたいことがありすぎて書けない作家(開高自身)の日記と いう形をとっている。タイトルだけ決めたのに、書けない。そこから逃避するかのように複数の女性との情事を重ねる。パリで知り合った女性の帰国から、ベト ナム戦争取材のことが蘇ってくる。しかし、先の二作からそのまま再構成したようなところが多くて、ちょっと違和感を感じた。

部屋に戻ってから寝ころんで『言海』のあちらこちらを拾い読みする。これもここしばらくのうちにおぼえた習 慣である。体内にゼロ時間しかなかくて渚にうちあげられた水母のようになっているときに辞書の頁から頁へ気まぐれに散歩する。語と語のあいだに光を感じた り、淵をかいま見たりすることがあり、一語でみごとな短編になっている語や、劇の頂点となっている語や、長編の終末を感じさせられる語など、道ばたの花を 見るようにして歩いていく。
これは芥川龍之介が読んで遊んでいたのとおなじ辞書である。仮綴本で四分冊になっている。第一冊は明治二十二年に出版され、最終巻の第四冊は明治二十四年 に出た。奥附を見ると、著作権発行者の名は大槻文彦だが、肩書がついていて、《東京府士族》とあるので微笑がでる。この辞書は大槻博士が単独で全巻を書い たもので、チームを組んでカードを並列するだけの、自動車の組立作業のような現在の辞書とはちがって、一貫した文体のあちらこちらに著者そ の人が明滅し、出没していて、それが、"かくし味"のようになっているように感じられる。ちょうどいい時間がたってその味が深い光沢となって滲んでいる。 『大言海』は博士の死後に出版された増訂版で、収録語数は増しているけれど、ときどきほんのいたずらに覗いて原本と比較してみたところ、"味"はかなり減 殺されているように感じられる。正確で緻密な辞書はいくらでもその後、出版されたけれど、"味"のあるのはこのあと見られなくなる。私は渇えているから辞 書に水を求めているのである。それが水素と酸素で構成されていることを教えられたところでしようがない。

これは無聊を慰めるために古い辞書を読むところだが、この「言海」は、Morris.の愛読書でもあったので、つい嬉しくなってしまった。

私は日本人としてはじめてアジアの戦争を交戦国の人間としてではない立場から報道するのだという名目に心を 托すことができた。それは事実である。作家は生涯に少なくとも一度は現場に立ちあわさなければならないと考えたのも事実であった。生活を変えたくなったの も事実であった。このままだと立ったまま腐ってしまう。自身の内面をカタツムリのようにのろのろ這いまわっているのに飽いたといのも事実である。すべて動 機としてあげられる事実であった。しかし、いきたくなったからいったのだといってしまっても誤ちではなかった。それもまた強力な事実だったのだ。旅の動機 をレストランの勘定書を読むように明確な口ぶりで語る人がいるが、すんだことについては何とでも語れる。しかし、私は東南アジアからもアフリカからも何一 つとして変えられることのないままでもとへ投げかえされた。酷烈と痛切の記憶はおびただしく私の内部にひそみ、香炉のようにたちのぼってくる。誰にもそれ を肌に染ませることはできないけれど話すことも書くこともできる。話しもし、書きもした。けれどそれらはいつも死んだ昆虫だった。いつまでも静止させたま まで眺めることのできるものだった。考える用具にはなったけれど感ずる用具にはなれなかった。

虚無主義というべきか。
開高健にして、このような形で三部作を締めくくる(いや、未完だからしめくくれなかったのか)しかなかったことを思うと、戦争というものの怪物性を改めて思い知らされる。


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【ワイルド・ソウル】垣根涼介 ★★★★ このところ、すっかりはまってし まっているのがこの垣根涼介で、偶然読んだ「人生教習所」というちょっと変てこな作品で初めてこの作家を知り、たてつづけに4冊ほど読んでから、この作に 出会い、ぶっ飛んでしまった。他の作品を読む前の性急な結論だが、この作家の最高傑作だろうと思う。
2000年「午前三時のルースター」でデビュー、2004年発表の本作は大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠に輝いたらしい。Morris.はこういった事情にはうとく、これまで名前すら知らずにいた。
著者は旅行会社に7年ほど勤めたとのことで、この間に世界各国をめぐり、それが作品の中に活かされているようだ。
いわゆる推理小説ではなく、「犯罪小説」である。その犯罪も、動機といい、実行方法といいい、アイデアといい、飛び抜けている。
本書の核ともなる、戦後の日本の海外移住政策のお粗末さというより「犯罪性」にも、目を啓かされた。

ブラジルに来てからのこの2年間で、衛藤は気づいていた。理屈ではない。だが、身に滲みて実感していた。
おれたちは捨てられた民だ。そもそもこのアマゾンへの移民事業自体が、戦後の食糧難時代に端を発した口減らし政策だったのだ。国と外務省が推し進めた棄民プロジェクトだったのだと。


松尾たちの起こしたこの一連の事件そのものは、時とともにやがて風化してゆく。だが、いったん根づいた国への不信感や軽蔑は、人々の心の中に巣食ったまま永久に消えない。
知らないということは、それ自体で罪なのだ。
移民者たちの地獄の過去もつゆ知らず、お気楽にこの国で生きてきた馬鹿国民に、思い切り冷水を浴びせかけることができる。国家なんぞ、所詮はこんなモンだと思い知らせてやることができる。

だが、それが今回の事件の本質だと知る。
そのどこにでもいそうな一市民たちが組織の歯車となって働き、多数の意見に流され、自己保身に走った。その結果、多くの移民たちが命をなくした。そんな男たちが、今回の事件の遠因を作った。
巨悪の芽は、常に大きな社会のうねりの中にある。否応なく無自覚な人々を巻き込んでゆく。加害者と被害者の立場に仕立て上げてゆく。
それが現実だ……。


一般的に言われる頭の良し悪しを測るには、その相手に何事かのルールや物事の道理などを説明させてみれば判る、というのが貴子の持論だ。
事象の再認ではなく、再現をさせるのだ。頭の中で物事の整理がきちんとできている人間ほど--つまり意識的に考え方をまとめている人間ほど--その説明があっさりとしていて無駄がない。


引用のみで、作品への感想や称賛もしないままだが、これだけ面白くてためになる(戒めという意味で)本はめったにないと思う。

真夏の島に咲く花は】垣根涼介 ★★★☆☆ 2006年10月講談社刊。 フィジーの観光地ナンディーを舞台に、人口の半分を占めるインド人と現地フィジー人との対立、フィジー籍を取得している日本料理店の息子、ワーキングピザ で観光会社のアテンダントの日本娘、インド人土産店の娘、フィジーの若者たちの交友と、恋愛関係、貧富の問題を描いている。
200年5月に起きた集団国会議事堂占拠事件をからめながら、リアルなストーリー展開である。フィジーの国勢や歴史なども手際よく説明されて、Morris.は初めて知ることが多かった。
イギリスの支配、西洋からもたらされた伝染病でフィジー人絶滅の危機、砂糖黍農作に来たインドからの移民の数的、経済的台頭、クーデター、軍政、中国の進出…………

良昭もサティーも日本人、インド人という人種の違いはあれ、広い意味では文明圏共通の価値観を持つ人間として一括りにされる。勤勉であること、約束を守ること、お互いに助け合うこと、などなどを美徳として捉える価値観だ。
アメリカ人、ロシア人、日本人、ドイツ人、イギリス人、韓国人、フランス人、アラブ人、中国人、ブラジル人、インド人……数多くの民俗が、それらの約束事が人類共通の美徳だと無意識に信じ、疑っていない。
然し最近になって、ようやく分かってきた。
それらの約束事は文明圏共通の美徳ではあっても、人類共通の美徳ではない。
勤勉であること、約束を守ること。お互いに助け合うこと。
それらの根底にある思想は、飢えへの恐怖だ。飢えを知るからこそ、勤勉さと相互扶助の精神が尊ばれ、さらにその関心が効率的な生産活動や食料備蓄という側面にまで高まってきたとき、重要な約束事や貨幣経済が生まれる。
つまり、これらの美徳は、飢えへの回避という要因から発した後天的なものに過ぎない。
だが、働かなくても道を歩けば食べ物はいくらでも転がっている社会では、勤勉さや約束遵守の精神はそれほど求められない。
自分たちが物心ついたときから人類共通の美徳として信じきってきた価値観など、それだけのものに過ぎないのだと感じた。


見えもしない想像に振り回され、今を犠牲にしてまで躍起になって動きまわる人生って、いったいなんなのだろう。
今を犠牲にして将来を取るのか。それとも今を楽しんで、将来は貧乏でもいいと覚悟を決めるのか。そもそも、そんな後か先かでの人生の損得を考えること自体、おかしなことなんじゃないんだろうか。
生きることは、損得勘定ではないんじゃないかな。
その時々の素直な気持ちに従うこと。それが大事だと思う。たぶん、損な人生、得な人生という考え方自体が変なのだ。それこそ貧乏臭い。それに、この国ではどんなに貧乏くじを引いても餓え死にすることはない。なら、それでいいじゃないか。


サモアの酋長の談話という形で、西洋文明を批判した、あの寓話的傑作「パパラギ」を思い出さずにはいられなかった。あの本は文明人必読の書だと思う。
フィジーでは本書発行の年の年末に軍部のクーデターが起こり、現在も流動的な社会状況には変わりはないらしい。
著者の旅行会社勤務の経験がこのような作品を書くときには大きな力になっていると思う。

【君たちに明日はない】垣根涼介 ★★★☆☆ 2005/05/30新潮社
リストラ専門の小さな会社の若い社員を主人公に、仕事で知り合った相手とのディープな関係で物語が進んでいく。連作短編風の長編である。

【借金取りの王子】垣根涼介 ★★★☆

【張り込み姫】垣根涼介 ★★★☆

(何でもいいから、仕事をください--)
そんなことを言って、職を求める人間もいる。
一見、健気な弱者の意見にも聞こえる。しかし(何でもいいから~)などという人間に、果たして雇い主は、責任のある、そして能力の要求される仕事をやらせたがるだろうか?
飢えに苦しむ第三世界での話ではない。この日本での話だ。
答えは、「ノー」だ。
何でもいいから、と口に出すこと自体、その人間は仕事という概念を舐めている。そしておそらくは、過去にそういう仕事のやり方をずっとやって来た。所詮は、身過ぎ世過ぎの手段。仕事とはそんなものだと思っている。(「みんなの力))


【勝ち逃げの女王】垣根涼介 ★★★

以上4冊は「君たちに明日はない」シリーズ。

【ヒートアイランド】垣根涼介 ★★★☆ 2001/07 文藝春秋

結局はシステムを信じ切っていたことがすべての原因なのだ、と思った。潰れたメーカーの社長も、破綻寸前の 銀行の頭取も、年金や公共事業に国際を乱発する政治家も、そして住宅ローンを組んだアキの両親も、ほとんどの人間が、戦後何十年も続いてきた右肩上がりの 社会を信じていた。バブル前夜にはとっくに破綻寸前だったそのシステムに、何の疑問も持たずに乗っかってきた。
そのこと自体が、罪なのだと感じた。知らなかったから仕方がないだろうと言う人もいる。しかし気づいていなかったことが、罪なのだ。そういう意味では、自 分たちも含め、国民のほとんどがまるっきりの能無しだったのだ。無能な人間が揃いもそろって、この国を動かしている。そう感じた。


「おまえが悪口言うのも分かるがよ、じゃあ、いったいこいつら、どうすりゃいいんだ?」
「簡単なことさ」カオルは答えた。「考えることに、責任を負うことだよ。利害を抜きにしてじっくり考えれば、ある程度物事の先行きなんて見えてくる。イマジネーションの問題さ。ちゃんと先を読んで、物事を決める。そして実行する。それだけだ」
思わぬ真面目な答えに黙っていると、カオルはさらに言葉を継ぐ。
「そんなマトモな大人がほとんどいないのが、今の世の中さ。自分の行動に責任を追わない。他人のことなんてどうでもいい。今日び満員電車にでも乗って りゃ、誰にでも分かることだ」そう言って、すり鉢状の画面の中を指さした。「こいつらも同類だよ。すし詰めの車両で、股をおっ広げたまま新聞を読んでいる オヤジとなんにも違わない。だから、こんなクソみたいな国になる」


やがて、自分なりに結論を得た。世間の言う優秀という定義は、単に作業が早い、要領がいいというだけだ。そ こに、自分の頭で考え、自分なりの考えを持つという要素は入り込む余地がなかった。何の疑問も抱かずに決められた社会の制度に乗っかり、技量を磨いてゆ く。そういう人間が、優秀だと言われているに過ぎない。だが、そんな人生はこちらから願い下げだった。

【ギャングスター・レッスン】垣根涼介 ★★★ 2010/04/25

【サウダージ】垣根涼介 ★★☆☆ 

育ちとは、なにも生家が金持ちだとか、血筋がいいとか教育水準の高い家庭などということではない。職業も関係ない。ではなく、それまでの家庭や仕事、友人を含めた人間関係の中で養われてきた、生き方、考え方の質の良さだ。まっとうさであるとも言える。

【ボーダー】垣根涼介 ★★★☆

以上4冊は「ヒートアイランド」シリーズ。

【ゆりかごで眠れ】垣根涼介 ★★★☆

アメリカ合衆国は、"世界の警察"を自認している誇大妄想国家だ。頼まれもしないのに世界の紛争地域にちょっかいを出し、かえってその地域の紛争をいっそう複雑化させる。イライラ(イラン・イラク)戦争しかり、ソマリアしかり、エルサルバドルしかりだ。
もちろん国家というものが個人の欲望の集合体である以上、自国利益を優先させるための強硬外交政策という側面も否定できないが、その錦の御旗の元には、常 に「アメリカのやることが正義だ」という単純極まりないモノの見方がある。国家機構そのものが宗教たりえる国民を相手に勝ち目はない。何の恥じらいも疑問 もなく、相手を殺しにくるからだ。しかもその宗教国家が超大国としての実力と驕りを持っていれば、なおさらだ。


相変わらず手をこまねいたままの状態なのかもしれない。(441p)

【午前3時のルースター】垣根涼介 ★★★☆これが実質的なデビュー作になるようだ。

【人生教習所】垣根涼介 ★★★☆

「自分が何気なく志向していることや、拘っていることのおおくが、実を言うと個人個人の自意識を通してみた世界の産物だということです。逆に言えば、その自意識さえ変われば志向も拘りも、意外にあっさりと覆ってしまうということです。
もうみなさんにはお分かりですよね。今、あなたに見えている世界は、あなた自身なのです。あなたの映し鏡です。ある意味、それは釈尊の仏教本来の教えでもあり、そこからやがて派生してきた禅の精神でもある--。自意識とは、認知とはそういうものです」


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【希望の地図】重松清 ★★★☆日刊ゲンダイ2011年9月~12年2月連 載。東日本大震災の半年後に現地(いわき、石巻、気仙沼、南三陸、釜石、大船渡、福島、飯舘)を、ルポライター田村章(重松のフリーライターとしてのペン ネーム)が、友人の息子で不登校の中学生光司と一緒に取材にあたるという小説仕立てになっている。

田村章が振り向いて、「さっきの津田さんの話で一番印象に残ったのはどこだった?」と訊いてきた。
少し考えてから、光司は「がんばれる人だけがんばればいい、無理のできない人は無理をしなくていい……っていうところ」と言った。
学校に通えなくなってから、何度も何度も「がんばれ」と言われてきた。いや、その前に中学受験に失敗したときも、さらにさかのぼれば受験勉強をしているときも……。
「『がんばれ』っていう言葉、気持ちはわかるんだけど、けっこう残酷だよね」
それは励ましの言葉であると同時に、期待を押し付けている言葉でもある。
「だから、津田さんみたいに言ってくれる人が僕のまわりにもいたらよかったのになあ、って思います」
光司の言葉に田村はうなずきながら、「『がんばれ』って言われたとき、なんて答えた?」と訊いた。
「……『がんばります』って言いました」
他に言いようがなかった、がんばる元気などなくても、「がんばりません」とは、やはり言えない。
だよな、と田村は苦笑して、「被災した人が言う『がんばります』も同じなんだろうな」と言った。「だから、それを鵜呑みにしちゃうとダメだってことだよな」


ずっと前から「頑張る」という言葉に違和感を覚えていたMorris.には、このやりとりには共感を覚えた。


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【世界でいちばん長い写真】誉田哲也 ★★★ あまり冴えない中学生男子が、偶然手に触れた旧式のパノラマ連続撮影カメラを使って、ヒマワリ畑の360°写真を撮ったことから、そのカメラの開発者である松本さんの力で、創業記念に「世界でいちばん長い写真」を撮影するイベントの委員を務めることに。
いわゆるジュブナイルというか、若者向けの作品なのだろうが、あまりに筋が見え透いてるし……(>_<)


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【天才までの距離】門井慶喜 ★★★☆ 2009/12/10 文藝春秋 「天才までの距離」「文庫本今昔」「マリーさんの時計」「どちらが属国」「レンブラント光線」収録の短篇集。これも先日読んだ万城目との建築お気楽ルポの関連で手を出すことにした。美術探偵神永美有シリーズの2冊めらしい。
美術、骨董をテーマにする小説はけっこうあって、Morris.好みでもあるのだが、予想以上に楽しめた。このシリーズは主人公を畏怖敬愛する大学の美術 史准教授佐々木、破天荒なギャルタレント(前衛アーチストの玉子)イヴォンヌの3人のアンバランスがエンターテインメントの味付けとなっているが、本筋の 絵画や美術品の意外性やびっくり箱的解説? が、これまで読んだものとは一味違って、面白い。先般亡くなった北森鴻と通ずるところもあるのだが、より 「クール」なのである。
作品としては表題作が一番で、後はこじつけや、無理が鼻につくのだが、語彙や美術観?に見るところ、学ぶところがありそうで、もう少し読んでみようと思う。

【天才たちの値段】門井慶喜 ★★★☆
【竹島】門井慶喜 ★★★☆☆
【この世にひとつの本】門井慶喜 ★★★
【若桜鉄道うぐいす駅】門井慶喜★★☆


058

【どんことい、貧困!】湯浅誠 ★★★★ 2009/06/25 理論社 よりみちパン!セ46。
ジュニア向けの啓蒙書シリーズの一冊だが、「中学生以上のすべて」を対象にしてるらしいから、Morris.でも大丈夫? だろう。ということで手に取った。
現代社会を「椅子取りゲーム」にたとえ、椅子を取ることより、椅子を増やすことは出来ないか、また椅子を取ることの重要性への疑義など、わかりやすく話を始めている。それぞれの「条件」を"溜め"という言葉に置き換えての解説はなるほどと思った。

"溜め"というのは、人を包むバリアーのようなもの。人は誰でも"溜め"に包まれて生きている。お金がある のは、金銭の"溜め"があるということ。頼れる人がまわりにたくさんいるのは、人間関係の"溜め"があるということ。そして、「やればできるさ」「自分は がんばれる」と思えるのは、精神的な"溜め"があるということだ。

「貧困」は"溜め"がないこと、つまり単にお金がないだけじゃなく、頼れる人間関係や、「やれるさ」という 前向きな気持をもちにくい状態を指す。逆に言うと、たとえお金がなくて[貧乏」でも、周囲に励ましてくれる人たちがいて、自分でも「がんばろう」と思える なら、それは「貧困」じゃない。それが「貧乏」と「貧困」のちがいだ。
多くの人たちが貧乏なら、自分が貧乏でもすごい引け目を感じることはない。
貧乏とちがって、「貧困だけど幸せ」ということは、貧困という言葉の定義からしてありえない。


人は誰でも、その人なりの"溜め"に包まれて生きている、と言った。その"溜め"の大きさは人によってちがう、とも。でもその"溜め"は残念ながら目に見えない。
自分がたいへんであれば大変なほど、他人のことは楽してる、甘えているように見えるものだ。でも、純粋に「サボっている」「甘えている」人は、じつはそん なに多くはなくて、ほとんどの人たちは「そうでもしないとやってられない」だけかもしれない。少なくともその可能性があるという感じ方・考え方がないと、 結局、たくさんある自分の"溜め"についてはまったく自覚しないまま、"溜め"のない人の不幸を楽しむような、最悪の人間になってしまうんじゃないかと思 うんだが、どうだろうか?


また、日本人の古くからの悪しき傾向である「負のスパイラル」への異議申立てにも共感を覚えた。

「人の不幸は蜜の味」という言葉がある。気持のいい言葉ではないが、人間の心持ちのある側面・ある部分の心 理を言いあてた言葉だとされている。こういう気持の特徴は、自分が良くなることをめざしているんじゃなくて、他人が悪くなることを望んでしまう、というこ と。いやらしい話だが、よくあることとされている。

ルールを変える必要があるんじゃないだろうか。みんなが苦しんで、耐え忍んで従っているルール。そのルール にしぶしぶ従うことで、自分の不満がおのずとたまっていってしまうようなルール。本当はそれを変えるひつようがあるはずだ。でもそれは、あまりにもがっち りとできあがっているようで、とても変えられる気がしないかもしれない。
あきらめようとすればするほど、ストレスはたまっていく。耐えられなくなる。もうどこでもいいから吐き出してしまいたくなる。その悪循環、この苦しさ。ここにこそ私たちが考えるべきものがある、と私は思う。


「自己責任論」は上から目線であり、強者の論理であり、傲慢であるという意見も正論だと思う。

説教からはなにも生まれない。説教は効果的・効率的じゃない。説教はムダだ。だから、説教はしない。相手に向かって「やるんです」とは言わずに、黙々と自分のできることを、できるかたちでサポートする。そしてあとは、本人に任せる。
テレビをつければ、「コメンテーター」と称するタレントや大学の先生が、自分の"溜め"をまったく自覚しないまま「運も実力のうち」「自分の力でつかみと らなきゃいけない」「甘えなければ仕事はあるはず」と説教している。本人の生活再建にはなんの役にも立たない説教を、ただ「自分だって苦労してきたんだ」 ということを、言っている自分が気持ちよくなるためだけに、たれ流していたりする。その人たちは自己責任論的な考え方を他人にだけ向けている。
自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのが、「上から目線」だ。というか、自己責任論はかならず「上から目線」になる。「上から目線」のないところ に、自己責任論は生じない。なぜなら、自己責任論とは、そもそも仕事がうまくいかなくなったり、生活が立ちゆかなくなったいりした人たちに対して、うまく いっている人たちが投げつけるものだから。
自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることだ。
弱っている相手をだまらせること。これは弱いものイジメだ。


大事なことは、他人は呑気に「いきてりゃそのうちいいことあるさ」ということではなく、本人が本気で「いきてりゃそのうちいいことある」と思えるような状況をつくることだ、と。

小泉政権のときは「この人は、なにかすごいことをやっている」というところで彼を応援する人が多く、なにがどう「すごいこと」なのかは、あまり問われなかったような気がする。
2006年その小泉政権が終わって、人々が「みんな、すごいすごいっていってたけど、あれはいったいなんだったんだろうね」と、小泉政権の点検をはじめた。そしたら、日本社会がどえらいことになってきていることがわかってきた。


そして、本書の中で、Morris.が一番印象に残ったのが、以下の「交際費」への言及だった。これって、何かMorris.自身のことを言われてるような気分になってしまった(>_<) 

相対的貧困で一番大きな影響が出るのは、交際費だと言われている。交際費とはいろんな人達との「おつき合 い」のお金だ。そんなおつき合いなんてしなくたって、食べることさえできれば生きていけるだろう、と思うだろうか。それはそうだ。おつき合いしなくても、 死にはしない。でも死ななければいいのか、という問題がある。
たとえば、親戚やご近所の人に不幸があったのに、香典を包むお金がないとなれば、やはりお通夜や葬儀に出席しづらい。結婚式も同じだ。お祝いする気持ちを「形」で示せない。
周囲もいずれは「あの人、お金ないんだ」ということがわかるから、悪意がなくても遠慮して、そのうち声もかけなくなっていく。
そうやって、だんだんと社会生活から退場して、ひとりぼっちになっていく……。
絶対的貧困がないから貧困じゃない、と考えてしまうと、だんだんと社会の隅っこにおいやられてしまう人たちのことが見えなくなってしまう。その人たちが実際に抱えている苦しさやつらさは、社会にとって関係のないもの、本人が自分でどうにかすればいいもの、になってしまう。


このことに関しては、やっぱりMorris.が自分でどうにかしなくてはなるまい(^_^;)。Morris.はもともと「ひとり上手」というか「セル フィッシュ」というか「協調性に欠ける」ところがあることは重々承知している。そんな人間でも一人では生きられるはずもなく、結局は社会の片隅で不器用に じたばたしてるわけだが、結局このまま「長い」生涯を終えそうな気がする(^_^;)
おしまいに重松清との対談があり、重松が自分の小説の目的のひとつが読者へ「グラデーション」を提供することにあると発言してたのが興味深かった。

重松 小説でも映画でも、「物語」というのは、極端なところへ一足飛びに飛んでいかないための「グラデーション」を豊富にすることが役割だと思うんです。
湯浅 「仕事をクビになる」こと、「自殺してしまう」というあいだのグラデーションを、それぞれの場所からつくっていくこと。それは私たちが目指している「活動」でもあります。そういう場をつくることこそが活動なんです。
重松 同じだと思いますよ。まさに「過程」にかかわっているわけですからぼくらの場合、悲しみに寄って描くのか、喜びに寄って描くのかはそ のときどきでちがいますが、絶望があっても、そこから再生する過程を描きたいと思います。なにより、絶望に一足飛びにいたらないための過程を描きたいと 願っています。


このシリーズは前に西原理恵子の「この世で一番大事な「カネ」の話」を読んだことがある。しかし発行元の理論社は、児童文学以外のこういった社会啓蒙分野の本など出したことでほとんど倒産に追い込まれたらしい。最近は、また元の土俵に戻ってなんとか生き延びてるらしいけどね。


057

【欧亜純白 ユーラシアホワイト Ⅰ、Ⅱ】大沢在昌 ★★★☆ 2009/10/20集英社。初出「週刊プレイボーイ」197-99。
日本、アメリカ、ロシア、中国、東南アジアを股にかける、超国家的麻薬(ヘロイン)流通径路を牛耳る組織、とそれを阻止しようとする、日米中の麻薬捜査官 の壮大な攻防の物語。ということになるのだろうけど、大沢の「麻薬嫌い」(^_^;)は「新宿鮫」でも、明らかだが、本書では、麻薬そのものの魔物的考察 があちこちで開陳されている。
その典型である麻薬捜査官三崎と、中国客家(ハッカ)の大物徐との会話。

「原料を生産しているのは貧しい農家だが、それを買いとり加工しているのは、麻薬の製造組織だ。製造組織 は、流通組織に製品を卸して大儲けする。多くの場合、製造組織と流通組織では存在する国がちがう。流通組織の支払いは、製造組織が属する国にとっては巨額 の外貨獲得手段になる。そのため、国内で麻薬の消費を禁じておきながら、国外に売りつける麻薬には見て見ぬフリをする。という状況が生まれる。これは武器 の輸出とよく似ている。国内では武器の使用や売買を厳しく規制している国が、紛争当事国に対して武器輸出をして儲けているのと同じだ」
「まさしくその通り。形の上でいえば阿片戦争も同じ理由で起こった。すると、おのずと次の問題点も導き出されてくる」
まるで授業をおこなっている教師のように徐はいった。三崎は徐を見つめた。
「それはつまり、大国のエゴだ。人類にとっての大きな課題であるとか、敵である、といいながら、大国は麻薬の存在をカードのひとつとしてさまざまな外交手 段に用いている。単純な例でいえば、麻薬を禁じているはずの国が、他国の反政府活動支援のために、協力資金として麻薬を提供する。麻薬は少量で換金率の高 い商品であり、現金のようには出どころをつかまれずにすむ。現金と違い麻薬は、ほとんどの先進国にとって存在自体が非合法だ。だから流通経路は常に闇の中 にある。誰がどこからその資金を通達したのかはわからない。いわば、目印のない、白い金だ。
一方でそうした大国は、麻薬撲滅をうたい、貧困な原料生産者の多い途上国に巨額の撲滅支援金を払う。たとえばアメリカはミャンマーに対して、年間に12 億ドルの麻薬撲滅資金をだしている。ミャンマーはこれを国家予算の歳入の一部として、当然のごとく受けとっている。ではミャンマー政府が実際どの程度の麻 薬の撲滅活動をおこなっているのかというと……」
しかしアメリカ政府はそれでいいのだ。巨額の支援金を他国の政府に払いつづけることは、それも中国という、巨大な、"敵"となりえるかもしれない国のすぐ隣りの国の政府に払いつづけることは、何か大きな事態が起こったときの、いわば"保険"となりうるからだ。
麻薬がなくならない理由。麻薬の本質的な性格。生産者の貧困と輸出国のエゴ。そして外交カードとしての存在値。だがあなたがた麻薬取締官は、そういう問題を 知りつつも、終わりのない戦いに挑んでいる。麻薬の流通組織を当面の敵として。しかし流通組織など、いくらでもとりかえがきくちっぽけな存在なのだ。」


Morris.はどうもこの「麻薬」というのが、理解できない。栄養ドリンクすら飲もうと思ったことないくらいだもんね。阿片、ヘロイン、コカイン、モル ヒネの区別もできない。日本で一番ポピュラーな覚醒剤が、昔は「ヒロポン」と呼ばれたものの同類らしいというくらいの認識。

「人間存在そのものを、犯罪として裁くことは法にはできない。そして人間には、よりよい暮らしをしたい。お のれの欲望を充足させたいという本能がある。その本能がなければ、文明の発展などありえなかった。そうした本能の飢えを満たしたいがため、かつての冒険家 たちは海へと乗りだしていった。十五世紀、十六世紀、十七世紀の話です。彼らは国家の支援をうけ、富と権力を求めて、次々と植民地を増やしていった。それ は犯罪ではなかったのか。侵略された側にすれば、立派な犯罪だ。同じことなのだ。権力はともかく、人は等しく富を求める。その富が、生まれ育った土地では なく、海の向こう側にあると信じれば、そしてその海を渡ることがさほど困難ではないということになれば、人々は必ず出かけていく。罪悪感が入り込む余地な ど、ほんのわずかもない。かつての侵略者たちは、愛国心によって自己の行為を正当化した。彼らには人類は皆平等である、などという意識はカケラもなかっ た。そこに人が住み、生活を営んでいようと、"発見"すれば、我がもの、祖国の所有物なのだ。現代の侵略者はそれに比べれば、よほど罪が軽い。人類は平等 である、だから自分も富を求める、ただそれだけだ。この土地を、あなたを、明日からは我が国のものだ、とは決していわない。現実的には、国境が曖昧になっ た、ただそれだけのことでしかない。台湾や中国で今、起こっているのは、金儲けを焦った連中が踊らされているだけにすぎない」

「新世界」「新大陸」へのヨーロッパの侵略は、たしかに非道であり犯罪であり没義道な行為だったことは間違いない。
それらは現代社会では「時効」あるいは「無かったもの」とされている観を呈している。しかし、その歴史的事実は決して消去できないだろう。
本書は1997年、1998年、1999年という三部構成で、初出時のリアルタイムだったことが分かる。99年の香港返還を契機にした物語のようだ。
しかし単行本化がこれだけ遅れたのは、何か思惑があったのだろうか?


056

【ぼくらの近代建築デラックス!】万城目学・門井慶喜 ★★☆☆ 2012/11/30文藝春秋。初出「オール読物」2010-12。
若い二人の小説家が、大阪、京都、神戸、横浜、東京の五都市の近代建築を巡回して、好き勝手な感想や御託を並べる。お気楽企画だが、Morris.もどちらかというと、気分的レトロ建築好きだから、とりあえず、ネタ探しということで、流し読み。
どちらかというと門井の方がこのての建築に詳しく、万城目は辰野金吾の煉瓦建築好みらしい。関西の三都市で取り上げられているものの大半はお馴染みだったが、大阪の綿業会館内部(番外編)は、Morris.には敷居が高いので羨ましかった。
門井が神戸の御影公会堂(1933 清水栄ニ)と食堂を絶賛してたのが良かった(^_^;)

御影公会堂門井  前衛的でありながらストーリー性が高い。建物に向かって東側(右側)からいきますと、まず普通の三階建てビルディングのような装いで、穏やかに物語が始ま ります。次に横のラインが入り、その横のラインをいきなり縦の五本戦でズバンと断ち切ってしまう。で、見ている人を驚かせておいて、直後、直線に対して今 度は曲線で攻めてくる。建物のコーナーを曲線で丸めてくるんです。その真上には正体不明の円盤を載せ、謎の円盤によって曲線性をさらに強調する。ストー リーとしてはこのへんがクライマックスです。で、コーナーを回ると、曲線の余韻を奏でるべく丸窓が三つ縦に置いてあって……。
万城目 丸窓三つおもしろい。
門井 この丸窓は、あと10センチ上でも下でもダメというくらい絶妙の位置にあると思います。この曲線性の余韻を嗅いだあとに、ふたたび直線に戻りまして、今度は階段状にダンダンダンと上から落としていって、終末に向かってデクレシェンドしていくわけです。
万城目 すごい。
門井 デクレッシェンドしたものが最後にもとの高さに戻って、おしまい。起承転結がきれいにできていて、ストーリー性が高く、それでいて全体を見るとどこからどう見ても前衛的な建物である。
万城目 前衛です。でも、前衛なのに落ち着きもあって、まわりの景色に溶け込んでますよね。ほどよくボロくて、汚れてるという言い方もできるかもしれませんが(笑)。
門井 さらにもうひとつアピールするとすれば、この地下の食堂です。
万城目 これはすばらしい。古き良き洋食グリルという雰囲気ですね。

その他先日Morris.も見てきたばかりの東京駅について(本書の取材時はまだ工事中)門井が「あまりに横にながすぎやしないでしょうか」という疑問を呈していたが、Morris.も一目見たときそう思った。


055

【プリンセス・トヨトミ】万城目学 ★★★ 2009/03/01 文藝春秋 初出「別冊文藝春秋]2008-09。
大阪城の地下に密かに存在する大阪国国会議事堂。東京からやってきた会計監査院の三人組と、秀吉直系の王女茶子、その幼馴染の小学生少年大輔とその父(粉もん屋で大阪国総理)とのどたばたファンタジー。
漫画みたいなもので、三人組の役割分担もいかにもステレオタイプ。
先に読んだ、門井慶喜との建築対談で、この作品のことが出てきたので、読む気になったのだが、それもいまいちだった。


054

【烈風のレクイエム】熊谷達也 ★★☆☆ 2013/02/20新潮社。初出「小説新潮」2011-12「海峡の絆」改題。
函館で潜水作業を営む敬介が、昭和7年の大火事で、家族を亡くし、同じ境遇の女性と再婚し、太平洋戦争末期の機銃掃射で左足が不自由になり、昭和27年の 洞爺丸座礁に巻き込まれ、何とか生き延びるという、苦難の連続を通して、それでも生き続ける人間の力みたいなものを描いているものだが、何か、明治時代の 小説(それほど多く読んでるわけではないが)読んでるような気になった。ストーリー展開があまりにも、作り物めいて、人間関係のあまりのご都合主義も、こ こまで行けばご愛嬌なのかもしれない。
それぞれの災害の死者の克明な描写はそれなりにリアルだし、潜水作業の詳細など、著者のこだわりみたいなものはわかるのだが、何となく楽しめなかった。


053

【LOVE】古川日出男 ★★★ 2005/09/10祥伝社。初出「小説NON」2004-05連載。
ちょっと実験的な(古川作品はたいていそうだけど)作品で、Morris.は、あまり考えずに活字を追っていったのだが、よくわからないながらどこか惹かれる、という、いつものパタンで読み終えてしまった。

これは巨大な短編だ。470枚の。でも全体で一つのショート・ストーリー。「そんなカテゴリーは存在しな い」というお叱りの声が聞こえそうな気がする。僕だって、この定義がなにやら根本から謬っているんだろうなと感じていることは認める。でも、他に適切な言 い回しは、どうしても浮かばないというか。ない。
ここには秋から、冬、春、夏までの10ヶ月の東京をスケッチした。いわずもがな小説だけれども、ある部分は、地図とかガイドとして利用することも可能じゃ ないかと思う。取材中に踏みつけたあらゆる地面に感謝する。人間も含めたあらゆる動物、なかでも猫に感謝する。(後記より)


と、いうことらしい。本書には猫の観察者(キャッター)が複数登場するが、Morris.@Catographerモードとはよほどかけ離れているし、猫そのものの描写もMorris.の好みとはかけ離れている。古川は猫より犬の方が好きなのかもしれない。

きみの職務は"人員を調整する"ことだった。目的はコスト削減、合理化、その他。すなわち日本経済かの風 潮。ここからは具体的にいこう。オリエンタの会社では2000年代に入ってから定期昇給制度の見直しがはじまり、現在は廃止されている。つまり終身雇用も 年功序列も、死語だ。生きている言葉は成果主義だ。できる社員が高給をとり、できない社員は減給にすらなる。まっとうな制度に思われる。が、できる/でき ないを何者が判断するのか? 単純に直接の上役? そこに依怙ひいきは孕まれないか? こうして人間関係に対する不満が噴出する事態を回避するために、必 定、可能な限りの客観的な評価システムの構築が急がれる。

登場人物の一人錦織円太の仕事の描写。リストラのデータベース作りだが、これを援用して猫のデータベースに仕立て上げるというのは、何かヒントになるかも。


052

【ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック】 構成/文 若月眞人 ★★★☆☆ 2009/05/01ミュージック・マガジン。「レコード・コレクターズ」2004~08連載バラカンの日本語はMorris.より上手い(しゃべることに関しては)と思うのだが、さすがに執筆は難しいらしく、取材形式で若月眞人が執筆したものとある。
十代から二十代の来日前ロンドンでのラジオ、TV、ライブ・コンサート、購入したり友人宅で聴いたレコードCDなどの思い出話を中心に構成されている。 1951年ロンドン生まれで74年に来日だから、Morris.の高校大学時代に重なる時期で、取り上げられているミュージシャンの半分くらいは耳馴染み だった。

THE SHADOWS/THE BEATLES/BOB DYLAN/THE KINKS/THE WHO/THE ROLLING STONES/YARDBIRDS/CHUCK BERRY/THE PAUL BUTTERFIELD BLUES BAND/CREAM/THE DOORS/JIMI HENDRIX/BERT JANSCH/FAIRPORT CONVENTION/TRAFFIC/FREE/JETHRO TULL/FLEETWOOD MAC/JO-ANN KELLY/THE BAND/LED ZEPPELIN/MILES DAVIS/COLOSSEUM/CIRCUS/FRANK ZAPPA/GRATEFUL DEAD/CROSBY,STILLS & NASH/STEELY DAN/ROD STEWART/FACES/THE J. GEILS BAND/VAN MORRISON/JANIS JOPLIN/J.J.CALE/TONY WILLIAMS LIFETIME/MARVIN GAYE/YES/BOB MARLEY

以上は表紙に名前の出てるバンド(個人やDJ含む)で、それ以外にも多数のミュージシャンが登場する。太字は当時Morris.が好きだったバンドで、まあ、基本的にはストーンズが好きだった。
しかし、学生時代に多くのライブステージを見ていることには、感心した。地の利もあったのだろうが、Morris.は外タレ(^_^;)の公演なんて、観る事自体考えもしなかったと思う。
上記中、JO-ANN KELLYという英白人女性ブルース歌手のことが気になってYou Tubeで調べたら20曲くらいがすぐ見つかった。本当に便利な時代になったものである。この女性歌手はMorris.好みではなかったけどね(^_^;)。


051

【雷の波濤】船戸与一 ★★☆☆ 2012/06/20 新潮社。「満州国演 義7」である。1940年(昭和15年)。いよいよ太平洋戦争突入。いささか宿酔気味で起きだすのが億劫な日にベッドで半日かけて読了。500p近いか ら、これまでにざっと3000p以上読んだことになる。巻を追うごとに、かったるくなってくる。それなら読まなければよいようなものであるが、船戸与一に はこれまで散々楽しませてもらったという借りがあるし、テーマが「満州」だけに、読まずには済まされないという、義務感(^_^;)みたいなものもあっ て、結局は読んでしまったのだが、このまま1945年の敗戦、満州国消滅まで後何巻あるのだろう。
主人公は一応敷島四兄弟だが、もちろん彼らはこの時代、歴史、満州と日本を描くための材料でしかない。
それにしても、せっかく物語に登場させるからには、もう少ししゃっきりさせてもらいたい。長男は奴婢を囲って、保身に抑々してるし、一番魅力的だった馬賊 にもなった次郎も、憲兵や特殊機関に操られてるし、花形憲兵の三郎はシンガポール侵攻の監視役という役回り、軟弱な末っ子の四郎は満映に拾われて無聊を 託っている。
前にも書いたが、この4人の話が細切れにとっかえひっかえ展開するので、その都度Morris.はこんがらがってしまうということもある。現在と過去の交代するストーリーもあまり好きではないが、この四ツ巴はいつまでたっても馴染めない。
一日も早い完結を望みたい(^_^;)


050

【楽隊先生】久保田友博 ★★☆☆ 2012年10月風媒社。何か変てこな小説だった(^_^;) 著者紹介には、1948年青森県生まれ。1971年横浜翠嵐高校夜間定時制卒業。1974年NHK青年の主張青森県代表。1975年青年の船でオセアニアに……とある。
ほぼ、Morris.と同年輩であるが、「青年の主張」ねえ(^_^;) 
戦後まもなく、津軽の田舎町下前小学校教師として赴任した音楽教育に理想を掲げる丸井青年と、地元住民や子供とのふれあいを描くヒューマン感動ドラマ(^_^;)のはずなのだが、

一人では生きていくことが出来ない。一人では沖で飛沫を上げている魚の大群を見つけても、何も出来ない。この思いは、親から子へ、子から孫へと、幾世代にも亘って受け継がれて、下前人の精神を培っている。
貧しさの中にあっても、屈託する暗さが感じられないのは、いざとなれば、力を合わせて立ち上がる、下前に暮らす人々の生き様そのものなのである。


あまりにも、イージーな田舎の理想化紹介のような気がする。
中桐雅夫の詩集『会社の人事』に「なんといういやな言葉だ「生き様」とは」というフレーズがあって、深い共感を覚えたが、やっぱり「生き様」という言葉は 見て気持ちのよいものではないな。「ざまあない」とか「ざまあみろ」の「ざま」に通ずるものがあるし、「無様(ぶざま)」というのもあるな。

立笛の音階演奏の練習時間は、初めの頃の音階練習と同じように、短いものだった。が、とにかく集中していた。
成果は現れた。丸井先生が振る指揮棒の早さで、四分の四拍子が必要であったのは、ほんの二、三日だったのである。立笛で吹く音階の音は、下前小学校三年生 五十五人全員の一糸乱れぬ演奏となり、その後、四分の三拍子、四分の二拍子、四分の一拍子へと速度を増して、階段を駆け昇って行った。その上達する様子を 目の当たりにして、丸井先生は、無垢の力を感じた。無垢が抱合する力の凄さというものを実感した。


ここで使われている「拍子」というのが理解できない(>_<) 「指揮棒の早さ」とか「速度をまして」とかあるから、テンポのことを言ってる ようなのだが、拍子とテンポを混同しているのではなかろうか。理解できないといえば「無垢が抱合する力の凄さ」という表現もなかなかに凄い(^_^;)と 思う。


049

【ハーメルンの笛吹き男】阿部謹也 ★★★☆☆☆1974/10/28平凡社。「伝説とその世界」という副題。
この本は、たぶん初版が出た頃(Morris.が小倉で学生生活送ってた頃)に読んだ覚えがある。しかし、今回、全く初めてという感じで再読して、非常に読み応えがあった。
ハーメルン(Morris.はずっと「ハメルーン」と思い込んでた)の笛吹き男は、ドイツの古い伝説で、グリム童話にも収められているが、日本ではロバー ト・ブラウニングの英語版が一般に流布してるようだし、Morris.はケート・グリーナウェイの挿絵本でおなじみである。
しかし1284年6月24日にハーメルンの130人の子供が笛吹きに着いて行ったまま行方不明になった事件が実際に起こったらしい。これについては、いろんな説が出されている。

「笛吹き男」W ・ヴァンによる25の解釈分類(後の二つは著者による追加 *印は著者が検討に値するとしたもの)
*1.舞踏病 1590/1604(ヨハンネス・レッツナー
*2.ジーベンビュルゲンへの移住 1622(論者不詳。これは事実の解釈というよりは伝説の域に入るもの、と注記されている)
*3.子供の十字軍 1654(サミュエル・エーリッヒ)
4.1475年または1462年のノルマンジーへの聖ミカエル巡礼 1654(同前)
5.野獣に食い殺された 1654(同前)
6.純然たる作り話である 1654(S・シュピルカー)
7.ユダヤ教の儀式の犠牲として殺された 1659/62(マルチン・ショック)
8.地下にある監獄に閉じ込められた 1659/62(同前)
*9.1285年に偽皇帝フリードリッヒ二世(例えばティレ・コルップ)のあとをついていった 1659/62(同前)
10.東門の前の試合で命を落した 1659/62(同前)
*11.崖の上から水中に落ち溺れ死んだ 1659/62(同前)
*12.地震による山崩れで死亡 1659/62(同前)
13.修道士によって修道院内に誘拐された 1690(フランシスクス・ヴェルガー)
14.狂信的な鞭打苦行者の群とともに消えた1690(同前)
15.群盗に誘拐された 1690(同前)
16.何か解らない目的のために招集された1705(著者不詳)
*17.1260年のゼデミューンデの戦で戦死した 1741(J・C・レーガー)
18.新兵として召集された 1788(F・J・モラー)
19.砕石見習工としてベーメンまたはジーベンビュルゲンへ送られた 1834(著者不詳)
20.基礎となっているのは妖精伝説である 1845(ゲッチンゲン大学教授 W・メラー)
21.古キリスト教の儀式のための殺人 1847(G・F・ダウマー)
22.純然たる神話的モチーフ 1875(M・ブッシュ)
23.遍歴伝説がハーメルンにもたらされた 1880(L・デリース)
*24.死の舞踏の叙述から派生したもの 1905(R・サリンジャー)
25.ペストに似た疫病 多くの人の死亡 1905(同前)

*26.東ドイツ植民説(W・ヴァン、ドバーティン)
27.遭難説(ヴォエラー女史)


著者はハーメルンから80km近隣のゲッチンゲン文書館で別のテーマで古文書を調査していたが、この伝説に引きこまれ、ハーメルンを訪れて、当時の人々の暮らしや社会情勢からこの伝説を見直すことにする。

中世社会は周知の通り身分制社会であり、そこでは一般的にいって貴族に生まれた者は貴族として死に、乞食に 生まれた者はまずたいていは乞食として死んだ。いうならば生得の身分・地位は金銭や財力ではうごかせないものであった。もっと正確にいえば、金銭は中世社 会においてはまだ現在のように大きな社会的な魔力を発揮するまでにいたっていなかった。しかるに12,3世紀にヨーロッパ各地に誕生した都市は、このような 中世社会のなかに異なった生活様式をもち込んだ。中世都市の建設を進め、その中心的存在となったのはまさに商業によって富をなした商人層だったからであ る。いうならば、中世都市は中世社会の中ではじめて富と財産がものをいった社会なのであった。そうはいっても中世都市を貫いていた法的原理も中世社会のそ れと全面的に異質なものにはなりえず、身分制やそれに基づく道徳といった秩序は本質的には大差なかったから、中世都市のなかでは身分制原理と金銭・財力の 原理との確執が絶えず、はためにはなかなか面白いみものであった。しかしこの二つの原理が確執しあうとき、そのいずれの原理からもはみ出してしまう人々が いた。それが中世都市の下層民である。彼らは身分制原理が徐々に衰退していくなかで、少しずつ開放されてゆくが、その数倍の力で彼らを脅かし、虐げた金銭 と財力の原理のもとで、圧殺されんばかりになってゆく。こうした彼らの状態は実に19世紀までつづくのである。
ところで、都市の下層民とは具体的にどのような人々のことをいうのだろうか。一般的にいえば、経済的に自立できず、都市内部でも最も貧困な層を指す。だか らその圧倒的部分を占めたのは市民権を持たない人々であったが、なかには市民権をもつ手工業者や没落した市民も含まれている。これらを分類すると、商業や 手工業で働く職人(ゲゼレ)、徒弟(レーアリング)、僕婢、日雇い労働者、婦人、貧民、乞食、賤民等となる。これらの下層民が都市人口のどれほどの部分を 占めていたかを推定することは大変難しい。「貧民が死ぬと[その人間についての]すべては一緒に消えてしまう。生涯が暗かったように、死後も忘却のゆえに 暗い」といわれるほどであった。死後に財産や伝記をのこすのはいつの時代にも権力ある者であり、身ひとつをようやく支えて短い人生を、しかしかけがえのな いはずの人生を送った貧民は、ある日倒れて貧民院へ送られ、名も知れぬまま葬られてしまう。(「経済繁栄の陰で」)


笛吹き男のことから下層民と差別の問題に目を向け、いわゆる歴史の表舞台には登場しない人々に思いを馳せる。金時鐘の『猪飼野詩集』冒頭にある「見えない町」を思い出した。

職人だけでなく乞食も組合を結成していた。乞食とは中世キリスト教社会ではポジティヴな身分であって、現代 のように遠慮がちなネガティヴな地位には立っていなかった。マシュケ教授によると、乞食は貧民と違ってひとつの職業として認められた人々であって、専門的 職業知識を必要とし、あらゆるトリックを使って同情をひくことを仕事としていた。
それに対して貧民とは生計の資が不足しているため、不本意ながら貧困に耐えている者のことであり、それは一時的な状態とみなされていた。(「経済繁栄の陰で」)


乞食が専門的職業というのは、ちょっと意表を突かれたが、賤民と貧民と下層民とは微妙に違っているようだ。
貧困には「絶対貧困」と「相対貧困」があると聞いたことがあるが、この時代の貧困は「絶対貧困」だろうな。

現代の子供は、両親や社会組織から子供としての領分を与えられ、その枠のなかで外界から指示され規定された 子供らしさを演じてみせることによって、可愛いとか大人しいといった評価を得て、その存在を保障され、確保してゆくのだが、中世やブリューゲルの時代には 現代のように外界や社会組織の側から子供の領分は与えられていなかったのである。子供たちはその遊びも楽しみも、大人が構成する社会の全体のなかに、何の 斟酌もなく投げ込まれていたのである。(「経済繁栄の陰で」)

ブリューゲルの子供の絵を示しながら、当時の子供たちの置かれた状態をさらっと呈示してるが、必ずしも悲観的ではない。もっとも、こういった子供たちの130人もが、町を出て行くという事件が起きたのだとしたら、町への打撃は相当に大きかったろう。

飢えた人々は常に食物を求めて移動する。農民ですら家と耕地を捨てて、あてのない放浪の旅に出る。飢饉の時 にはこうして極めて多数の貧民が、全ヨーロッパを食物を求めてうろつきまわっていたのである。われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築 に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群衆を常にみすえていなけ ればならいのである。(「笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ」)

著者は、笛吹き男と子供たちの謎を、無理に解き明かそうとはせず、この時代の無言の群衆への視点の大事さを強調しているようだ。
研究者としての真摯な姿勢には深い感動を覚えた。文章もいかにもきちんとした学級肌のスタイルである。


048

【阿部謹也自伝】 ★★★☆☆ 2005/05/25新潮社。季刊「考える人」2002~04連載。
実は、偶然この自伝をぱらぱらと立ち読みして、出世作?である「ハーメルンの笛吹き男」を読みなおすことにしたのだ。
阿部謹也は2006年に亡くなってるので、本書は晩年の作のようだが、図書館で見かけた子供向きの「自分の中に歴史を読む」(1988)と内容がかなり重複してるようだったので、本書の大部分が書かれたのは88年前後だったようでもある。
東京生まれで鎌倉に別宅があり、一橋大学で学び、ドイツに渡り、後には一橋の学長になり、紫綬褒章まで受章と、エリートコースまっしぐらみたいに見える が、父を早く亡くし、カトリックの修道院の寮に預けられ、学生時代はアルバイトで学費を稼ぎながら登山に熱中と、なかなか活動的でもあったらしい。

この頃朝鮮戦争が始まり、1950年6月にはアメリカが陸海空軍をもって参戦し、休戦協定成立までほぼ3年 間激しい戦闘が続いた。この戦争で韓国軍の死者は30万人、米軍は14万人、国連軍は1万4千人、北の人民軍と中国義勇軍の死者は20万人北と南の民間人 の死者は400万人に及んだといわれている。離散家族はあわせて一千万人に登った。朝鮮半島の疲弊ははなはだしかった。特に北朝鮮は生産設備も建物も破壊 され、その傷跡は今日にまで影響を残している。しかし私の周囲では特需景気に乗った人々も現れ、日本は戦後の混乱から回復し始めたように見えた。朝鮮戦争 は日本の景気が回復するきっかけとして位置づけられることが多いが、この戦争で亡くなった人々の一人一人に思いを馳せることがないまま、景気の回復が話題 になる我が国の現状は悲しむべき状態である。(第一章)

朝鮮戦争についてもこうやって、犠牲者への目配りを忘れず、日本人の認識の低さへ警鐘を鳴らすという立場が、彼のスタンスを明らかにしている。

上原先生のゼミナールではヘルマン・ハインペルの「人間とその現在」を読むことになった。
ハインペルは現在を四つに分けて考えている。
1.現在はそのときそのときの現在、昨日と明日の間で、今日、ひとつの段落として、ときの流れの中の一つの波
2.現在は持続するものとして昨日から明日へ時を越えるもの
3.一回限りの現在、昨日と明日を度外視するもの
4.これらの現在は決断の領域に流れ込む「われわれの現在」
そのときそのときの現在は、生まれそして死ぬ人間の運命であり、それはあらゆる制度などの運命でもある。一人一人の人間にとっても青年時代、壮年時代、労 働と休息、孤独と団欒などのさまざまな現在がある。さらに第一次大戦が始まった914年の8月には見知らぬ人々が街頭で抱き合い共通の運命としての開戦を ともに体験した。しかし戦況が悪化してくると一人一人の現在は異なってくる。こうして一つの時代の中にさまざまな現在があることになる。さらに現在を規定 するものは未来への意思でもある。幸せな新婚の夫婦にとっては結婚の日が現在の始まりであり、フランスが急進的であろうとする限り、フランスの現在は 1792年に始まる。もっと広く観察するものにとってはキリストの死が現在の始まりでもあり、神学者歩く院にとってはすべての歴史は現在的な生活  vita praesens であった。現在とはまた翻訳によらずに理解される世界を意味する。最近起こった破局、大革命、強制力のある理念、これらは皆 現在を創りだすものである。さらに生活するものの経験の領域も現在を創りあげている。地域によって時間が異なっているのである。現在とは幸福そのものであ るとハインペルはいう。
しかし人はそのときそのときの現在で満足することはできない。人は現在の中での安らぎを求めているからである。私たちの存在そのものの下層に過去が入りこ んでいる。言語と慣習、食物などである。その意味でここでは持続する現在が問題になる。それらは創出、再生、死者、秘蹟として捉えられている。
第三に一回限りの現在が問題になる。それは一度生まれ一度死ぬ人間の現在をいう。生活の中の苦しみがその表現であり、一回限りの現在とは歴史に対するため の切り札なのである。それはいわば歴史との和解の表現である。孤独なのものには援助の手が現在であり、飢えたものにはパンが現在である。
こうして最後に、「われわれの現在」に到達する。それは決断の領域であり、われわれは勇気と覚醒した頭脳と感謝をもって決断しようという。哲学部からも政 治家が生まれなければならないという。個人が一人で立ち、学部や大学の仲間団体の苦しみを自分のものとして苦しむことによって共同体を己の中に打ち立て、 部分が全体に対して不遜な行為をするのを強く警戒しなければならないという。こうしてわれわれの現在の最後の言葉は感謝ということになる。
以上簡単にハインペルの文章を要約してみた。おそらく分かりにくいであろう。(第二章)
現在の分析こそは歴史家が依って立つ原点である。私はこの論文を理解しようとして10年の年月をかけて読んだ。ドイツへ行ったときにもまだ理解できたとは いえなかった。しかしハインペルに会い、彼が主催する「中世史の夕べ」に出席するようになってから、ある程度わかるような気がし始めていた。ハインペルは 歴史家であり、中世史家であるが、その本質には詩人がいた。(第九章)


このハインペルの「現在」論は、たしかにわかりにくかった(^_^;)が、どこか強く惹かれるものを感じる。
「現在」を、幸福と感謝に収斂させるあたりは、やはり西洋キリスト教の精神がおっかぶさってるのだろうな。

わが国の明治維新は欧米の諸制度を取り入れようとした近代化の一環として行われたものであるが、わが国独自 の慣習や風俗、人情などは影の部分に押しやられ、現実には大きな機能を果たしていたにもかかわらず、それ以後現在にいたるまで識者の意識の中に位置を占め てはいあんかった。わが国の近代化は諸制度のハードの部分の改革ではあっても、意識などのソフトの改革ではなかった。つまり人間関係は近代化されなかった のである。近代的な制度機構の中で働く古い意識を持った人々の群れが生じたのである。その古い人間関係としての「世間」の中で生きている人々こそが私たち 自身であり、その生活が何によって動いているのかを知ることが安保条約の改定を巡る闘争の中で私が密かに自らの課題としたものであった。この課題を漱石自 身は『文学論』の中でも解決していない。もとより私に出来ることではないが、やってみるしかほかに道はなかった。(第五章)

漱石の「文学論」は別の部分が面白かったのだが、イギリスでの漱石はノイローゼ気味だったらしいが、それでもきちんと見るべきものは見ている。著者は「世間」というものをかなり大きく捉えているようだが、それを金子光晴に背負わせるあたりは、ちょっと異論がある。

欧米の個人は日本のそれまでの個人のあり方とは全くことなったものだったからである。ところが多くの人はそ の違いに気づくことなく、欧米の個人が日本にそのまま輸入出来ると思い込んでいた。今でもそのような人は多い。ところが中には欧米の個人と日本の個人が違 うということに、はやくから気がついていた人がいた。そのような人は個人が違うだけでなく、「世間」がそもそも欧米には無いものだということにも気がつい ていた。金子光晴の「寂しさの歌」がその代表である。
金子光晴は日本の「世間」を寂しさの元凶と見た最初の詩人である。(第九章)


「寂しさの歌」は結構長い作品だが、それを全文引用してあった。Morris.も久しぶりに読んで懐かしく感慨深かった。

(高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」を引いて)
私が見たキリンは動物園にいるキリンとは全く違った生物であった。世界中で人は動物園を作り、動物たちを狭い檻の中に囲い込んでいる。かつて上野の動物園 で日本に来てから45年がたったという札がかけられたガラスのケースに蛇が一匹囲われていたのを見たことがある。私は思わず「お前はこんな小さな檻の中で 45年も過ごしたのか」といってしまった。動物園などは廃止すべきである。(第七章)

これは、本書のテーマとは少しずれるが、Morris.亭の付属庭園(王子動物園)愛好者のMorris.にはちと耳の痛い発言だった(>_<)
本書の後半は一橋学長時代の、文部省との軋轢が中心になっているが、これは無くもがなだったかな。


047

【光降る丘】熊谷達也 ★★★ 「家の光」2009~12年連載。宮城県栗原 市耕栄地区がモデル。満州入植でロシアに抑留されて、帰国後、開拓村共栄地区に入植した青年の開発初期の苦労と、その三代目の時代2008年6月14日に 起きた岩手・宮城県内陸地震による罹災と復興活動を交互にからませて、ビビッドな農民奮闘記に仕上げたもので、もともと厳しい自然と人間の関わりあいや、 抗争は得意分野の著者だし、取材もきめ細かになされたらしく、なかなかリアルな感動ドラマに仕上がっている。
でも、先般、戦後ブラジル移民の残酷物語を読んだばかりなので、つい比べてしまうため、何となく甘く見えてしまった(^_^;) もちろん、水道も電気も なく車道も通じていない原始林の開拓ということで、Morris.などには手も足も出ない状態からの出発だということはわかりきっているのだけど、言葉は 通じる、国や県からの援助があるというだけでも、ブラジル移民から見ると天国みたいに思えるにちがいない。
掲載誌やモデル地区への慮りや遠慮があって、開拓民の中の争いや利害問題もかなり綺麗事でまとめられているような気もした。
地震、崖崩れの現場にマスコミ取材のヘリコプターが近づいて、その爆音が人命救助のさまたげになるという描写は、神戸地震のときにMorris.も肌で感じたことだけに共感を覚えた。
「手をこまねいて待っている」(34p)など、Morris.が嫌う表記が複数箇所に出てくるのも減点対象となったようだ(^_^;)


046

【外務省が消した日本人】若槻泰雄 ★★★☆☆ 「南米移民の半世紀」と副題にある。先に読んだ垣根涼介「ワイルド・ソウル」の参考図書に挙げられていた中から、これが一番移民問題をストレートに論じてあるもののようだったので、三宮図書館で見つけて即読むことにした。
とりあえず、目次を引いておく。

1.志をいだいて
2.汚濁の追求
3.移民の募集は詐欺--アマゾン
4.「神代の時代」に逆戻り
5.最貧国に次々と--パラグアイ
6.決心
7.支払った機密費を横取り--カリフォルニア
8.外郭団体は腐敗の塊
9.原始林に捨てられ--ボリビア
10.文化果つるところ
11.国家の犠牲者
12.「困窮は止むを得ない」外務省課長
13.無責任の数々
 道路建設/営農指導/市街地計画/夢・文化・娯楽/「札幌農学校」を目指して/経費の出所/サンファンの事業予算/「調査」無き入植
14.各省公然たる嘘言--ドミニカ移民集団帰国
15.謀略に囲まれて
16.「退職を命ずる」
17.その後
 サンファン移住地/各地の状況・移住機構--数字が示す腐敗構造/虚構・欺瞞・責任回避--ドミニカ移民裁判/移住地の現状
18.官僚の弁明
 予算のために/「移住は自由意志」--弁明その一/「貧窮は自己の責任か不運」--弁明そのニ/「移民は"移る民"」--弁明その三/「長期展望が必要」--弁明その四
19.批判と監視のないところ


著者(1924生)の自伝的部分と移民問題批判が混交しているため、目次のタイトルが公私にまたがって、わかりにくくなってるきらいもあるが、著者は戦後 の南米移民政策の最盛期の10年ほど海協連(現・国際協力事業団)に勤務して、現地の実情を身をもって体験した人物である。
本書は2001年の刊行だから、ほぼ40年以上前のことへの言及ということになる。

敗戦と戦災により一大打撃受けた日本においても、外国への移住の要望と必要性はヨーロッパ並みであった。だ が、明治以来の有色人種に対する差別、特に"排日"の伝統は根強く残っていた。まして、侵略国、残虐なる国民という烙印を押されている戦後の日本人への世 界の目は冷たく、日本移民に門戸を開いてくれるような国はほとんど皆無に近かったのである。
日本政府(外務省)は日本移民を受け入れてくれるところを見つけるのにいろいろ手を尽くした。当時、世界の最貧国の一つであり、治安も悪いカンボジアにさえ移民を送ろうと考えたくらいで、戦後の日本政府の移民政策は「どこへでも主義」とも批判されている。
「水は高きより低きに流れ、人は(所得の)低きより高きへ流れる」というのが移住の原則である。この原則に反する止むを得ない事情がある場合は、文明人が生活し、生産活動を為し得る方策をあらかじめ講じて置かなければならないのは当然であろう
しかしながら外務省はこういった知識は皆無とみえ、移民の生活水準が日本での10分の1に転落しようと、また現地の移民たちが声を限りに訴え続けようと、 そんなことはおかまいなく、ただ、ただ後続移民を送り続けたのである。この事実は、外務官僚が怠け者だということを意味しない。少なくとも移住開始当時 は、深夜まで働いていたのを私は目撃している。
しかし、「知性なき努力」「目的を認識しない勤勉」。そして「国民のことを考慮しない精励」は、国民にとって迷惑であり、その勤勉さは、国民を騙して南米の原始林の奥深く投棄した「詐欺師の勤勉」ともいうべきものに過ぎない。(まえがき)


だいたい日本の外交官のなかには、その任国にほれこむ人がよくいるようだが、それはそれでよいとしても、どこの国の国民の利益を守るために駐在しているのかを忘れてしまう者も少なくないようだ。
在ベレンの福岡総領事は、ボア・ビスタンというアマゾンの河口から2000キロの奥地の小都市の、さらにそこから90キロ離れた入植地に、わずか13家族 を入植させた責任者である。彼はこの入植に反対する人びとを抑えて、「州政府が提供してくれたところを断っては申し訳ない」と言ってこれを強行したと、そ の会議に列席していた人から私は直接聞いている。(13章)


外郭団体などというものは、もともと、政治家の秘書や、それに類した人たちに囲まれ、老朽役人が国費を迂回 支給されて、静かに老後を暮らしていくところだという常識を持ち合わせていなかったことである。彼らにしてみれば、奇妙な人間がはいりこんできて静穏を害 され、甚だ迷惑に感じたに違いない。(16章)

(1965年に出された海外移住審議会の)答申書は、移住現象の衰退という動かし難い現実を前にして、なん とか移住業務を維持拡大しようとする意図の現れというべきもので、一言で申せば、「移住者なき移住政策」、より率直に表現するなら、移住局の存続と、移住 事業団の役職員のための「"移住推進"という名の職場確保(雇用維持)方策」の宣明であって、この答申書の文意と、前述の予算内容とは完全に一致している わけである。(17章)

社会の片隅で生じた行政の誤りを修正させるには、大変なエネルギーを必要とする。例えば水俣病が初めて発生 してから政府がこれを公害と認定するまでには、実に22年間もかかっている。熊本大学がチッソ工場の排水に関係ありと発表してからも11年が経過して、裁 判所が原告側に有利な判決を下した時、やっと事態は解決に向かい始めたのである。
しかも、公害には「明日は我が身」という緊迫感、一体感があるが、海外の移民の困難な立場は日本の一般国民にとってはほとんど無縁の事件である。このよう に、移民たちは世論やマスコミの支援を受けることが難しいだけでなく、自己の権利と生存を守るために、近代市民社会に設けられている法的手段も事実上欠 き、移住業務を担当する官僚の善意と良心のほか頼るもののない状況におかれている。
しかし、移住に関し現地で何か問題がおこってそれが日本に伝えられると、外務省は必ずこれを全面的に移民のせいにするのが常であった。
どうして、こんな非常識なことがおこりうるのか。国民の生活や運命をかくも無視するようなことがあり得るのか。こういう疑問は当然誰にでも思い浮かぶであ ろうが、その回答は簡単であって、移住事業の振興--移民数を増やすことにより、移住関係予算を増大させ、または減少を食い止め、それに伴い自分たちの 機構を拡大させ、あるいは縮小することを阻止するためである。
この事実は、遥か地球の裏側の移住者の問題に限られるわけではないし、過ぎ去った昔の話でもない。これは、国会やマスコミ、それに国民の激しい批判と監視 が存在しないところでは、官僚というものが如何に国民に対して冷酷であり、自分たちのことしか考えないかという、彼らの行動原理を示したものであって、格 別珍しい事件でも異例でもない。ただそれが赤裸々に、典型的に現れただけのことである。人間や組織の本質というものは、極端な条件の下において最も明瞭に 現出するのが常である。(19章)


本書を読みながら、1050年から83年にかけて繰り広げられた在日朝鮮人の帰還事業のことを思い出した。
帰還者の悲惨な状況を把握しながら、見て見ぬふりをして事業を進めた朝鮮総連、これに追随した日本政府、故意か誤認か韓国を貶めるためか、この事業を積極的に支援した社会党、朝日新聞。今から思うと、これも明らかな「犯罪行為」だったように思われる。
翻って現在の、電力政策などを鑑みるに、政府というか権力というか官僚というか、そういった上層のやり方は、全く変わっていないということを痛感させられる。


045

【目で見るブラジル日本移民の百年】ブラジル日本移民資料館 ★★☆☆ 「ブラジル日本移民百年史」別巻 ブラジル移民百周年を記念して2008年に刊行された写真集である。日本語、ポルトガル語の二ヶ国語版というのが、いかにもである。
戦前、戦後半々くらいの割合だが、これを読むきっかけになった、「ワイルド/ソウル」「外務省が消した日本人」で取り上げられた、アマゾン奥地の、理不尽な移住民のことには、ほとんど触れられていなかった。
写真には見るべきものがあるのだろうが、あまりにも、上っ面をなぞっただけのものに見えてしまう。
つまりは、一握りの成功者、政府へのおもねり、現在日本に出稼ぎに来ているブラジル人労働者への配慮などがあるのだろう。


044

【韓のくに紀行】司馬遼太郎 ★★★ 紀行文集『街道をゆく』の第2巻。週刊朝日の1971年7月16日号から1972年2月4日号に連載された。旅の時期は、日韓が国交正常化して6年後の1971年5月15日から5月18日までの4日間。

径を左へ折れると、突如小学校のグラウンドほどの空間があり、空間は老松の林をもってくろぐろとふちどりされ、中方は芝生でもって青い。その芝生の奥に、巨大な「青山」が隆起していた。
掛陵である。
息をのむほどの美しさであった。こういう美しい王陵をもち、それを千年以上まもりつづけてきたということだけでも、朝鮮民族というもののおそろしいばかりの深味を底に湛えている。


百済は、新羅にほろぼされた。
その末期は仏教の来世思想にあこがれ、豊頬微笑(ほうきょうみしょう)の仏像をこのみ、やがては東隣する北方の野気満々たる高句麗国に対する国防的緊張をうしない、王民ともに嫋々とした気分を愛するようになって溶けるようにほろんだ。


043


【ウィンディ・ガール】田中啓文 ★★★ 「サキソフォンに棲む狐」シリーズの1である。高校の吹奏楽部でアルト・サックス担当の少女典子が、ジャズに惹かれていく中で、新宿で死んだ父の秘密を追いながら、種々の事件に巻き込まれるという、連作小説。
筆者がサックスを吹くようだし、自分の娘が高校の吹奏楽部でホルン吹いてるので、それをネタ元にしてるらしい(^_^;)


042


【もう私のことはわからないのだけれど】姫野カオルコ ★★★ 初出「日経ヘルスプルミエ」2008年5月~09年4月連載。


041


【お見合いバンザイ…!?】阿川佐和子 ★★★☆ 今や聞き方上手でベストセラー常連の彼女の初期のエッセイ集。なんでこれを読もうとしたのかよくわからないが。

いじわる虫のいない人は、あたたかくて、一緒にいるだけで心が和みます。
「これあげるわ」と、人から何かプレゼントされると、「わあ、ほんとに? ありがとう!」と、素直に受けとる清らかな心の持主です。
他人の好意の裏を読んだり、思惑を察したりしない、常に好意的に解釈する。しかし、えてしてこういう人は面白い発想をすることは少ないかもしれません。
かたや、意地悪虫のいる人は、他人の揚げ足を取って洒落たことを言うのがうまい。でもそのことがもとで傷つく人も出てくるでしょう。
「偉そうに言っちゃって」なんて人の出鼻をくじくような、きついことをずばっと言う。観察力が鋭く、ものの裏側を見透かすのが得意です。都会的でシャープでちょっと魅力的です。


なるほど。彼女が好まれる理由が何となくわかったような気がする。


040

【虫樹音楽集】奥泉光 ★★★☆ 2006年から2012年にかけて「すばる」に発表された9篇を不連続に配列した、同一テーマの短編群、あるいはオムニバス短編というべきなのだろうか。実はMorris.にはいまいち理解不能な部分の多い作品だった。
カフカの「変身」の原題「Verwandlung」が、厳密に言えば動物の「変態」という意味に近い、ということから、描かれるカフカ作品のさまざまな変奏といった風情がある。
イモナベと呼ばれた日本のジャズミュージシャンの「孵化」「変態」とタイトルされたライブの記憶と、殆ど知られていないアルバムを発掘して一つの物語を紡 ごうとする小説家、全身に様々な文字の刺青を施したザムザというミュージシャン。昆虫学と音楽研究を並行して進めようとしたゾロフという学者。アフリカの 毎日虹のかかる深い谷にある「宇宙樹」あるいは「虫樹」と呼ばれる、虫たちのアンテナの役割を果たす樹木。頭に虫を飼っている父を持つ、変に明るくデスペ レートした大学生。等など、不可思議な登場人物が、不可思議な行動を繰り広げる。

セルゲイ・ゾロフは1897年、ペテルブルク生まれの生物学者。1934年にカリフォルニアに移住し、38 年からベラミ大学の昆虫研究所教授職についた。同じく西海岸に移住していた作曲家のシェーンベルクと親交があり、自身もヴィオラを巧みに弾いたゾロフは、 独自の神秘的進化理論を展開した奇人学者である。
ゾロフの理論の特色は何より、生物進化を引き起こす動因を[言葉]だとする点にある。[言葉]が生物を進化させる。進化するのは生物だけではなく、宇宙そ のものも進化しつつあるのであり、宇宙の進化を司る究極の言葉--[宇宙語]--が存在する。あらゆる[言葉]は、[宇宙語]から流れ出たもの、ないし [宇宙語]の写しであり、地球の人間の[言葉]も同じである。地球人類は[言葉]にしたがって進化していかなければならない。ところが人間は、いわゆる玄 語を持つことで、かえって[言葉]を見失ってしまった。旧約聖書のバベルの塔の説話が、この間の事情を端的に示している。
つまり[言葉]とは、ギリシア語やヘブライ語やラテン語といった言語に限られるものではない。というより、各言語は[言葉]の頽落形態にすぎない。むしろ 音楽が、あるいは数学が、人間の[言葉]のなかでは、神の[言葉]、すなわち[宇宙語]に最も類似し、それと直接つながりうる可能性を有する、バベルの塔 以前の人類の[言葉]である。
音楽家でもあったゾロフは、古代インドのカルナタカ音楽、古代ギリシアのピタゴラス教団の数秘音楽、そして20世紀新ヴィーン派の、いわゆる音列(セリー)の技法に基づく音楽こそが、[宇宙語]に最も近づきえた人間の[言葉]だとしている。
しかし、地球上の生物で、誰より[言葉]に忠実なものは昆虫類である。
昆虫は地球上で最も進化した生物であり、全生物種の半数を占めるまでの支配力を獲得しているのは、けだし当然である。昆虫を含む節足動物は、人間には聴き 取ることのできない[宇宙語]を聴き、また、人間が知らない、[宇宙語]に直接つながりうる[言葉]を自ら放つ能力を持っている。それはいわば虫たちの音 楽である(虫王伝)


ゾロフは奥泉の創作人物だろうが、音楽と宇宙の結びつきは奥泉読者には親しいものである。

Indifference--無関心。冷淡。無差別。
とこう日本語にするとどこか違う。自分は無関心な人間でも冷淡な人間でもないと自分では思うから。あくまでIndifference。ただ Indifference。こいつには、硬い皮革製(レザー)なのに脚にぴったりくる長靴(ブーツ)みいたいな、ベストマッチ感が出会いのときからあった し、使い込めば使い込むほどイイ具合になっていく予感にも我が魂(マイソウル)はわくわくと沸騰した。身体中の細胞がふるふるっと震え出す感覚、とでも いったらいいか。「希望」の雰囲気がクールに漂う感じ。あくまで雰囲気だけだけど。高校時分は、音楽理論の本に出て来た[共時性(シンクロニシティー)] が自分的にはキテいたが、それからはIndifference一辺倒となって、今日に至る。
PIB法ってのは、最近話題になっているから、知ってる人も多いと思うけど、脳のなかに遺伝子改変した原虫を挿入するっていうとこだけ聞くと、やっぱ気持 ちはよくないよね。パラサイト療法とまとめて呼ばれるこの手のやつは昔から色々あるみたいだけれど、PIB原虫ってのは超絶(スーパー)な奴で、大脳皮質 内の細胞老廃物を食べてくれる。で、どうなるかっていうと、PIB法を受けた人はほとんど寝なくてすむようになるって話。個人差はあるみたいだけれど。日 本では先天性の難病治療以外ではパラサイト療法は認可されていないが、カネさえ出せばインドやシンガポールあたりで誰でも簡単に「虫を飼え」るようにな る。中国では成人の8人に一人が「飼って」いるそうだし、日本人でももう5万人くらいはいるっていうから、ちょっと愕然だ。(「虫樹譚」)


近未来のSF的描写だが、脳の中に虫を飼うというのも、カフカ作品の変奏だろう。
「西遊記」が時と場所を超越して「ドラゴンボール」として再生したように、東欧の作品がこのような作品に「変身」するのも、オリジナル作品の普遍的な力なのだろう、それが「古典」と呼ばれる作品の凄みなのかもしれない。


039

【呪いの時代】内田樹 ★★★☆ 2008年から「新潮45」に不定期連載されもの。
一時期、彼のネットサイト巡回して、著書も結構読んでたが、ベストセラー出したあたりから遠ざかったような気がする。ひさしぶりに手に取った本書でも内田節は健在で、やっぱり小賢しそうな(^_^;)ことどもが書き綴られていた。

誰でも「文学とは何か」というような抽象論をそれらしく語ることはできます。「こんなものは文学じゃない」と斬って捨てることもできます。でも、「これが私の作品です。この作品で私という人間を判断してくださって結構です」と言い切ることはなかなかできません。
だから、全能感を求める人はものを創ることを嫌います。創造すると、自分がどの程度の人間であるかがあからさまに暴露されてしまうからです。だから、全能 感を優先的に求めるものは、自分に「力がある」ことを誇示したがるものは、何も「作品」を示さず、他人の創り出したものに無慈悲な批評を下してゆく生き方 を選ぶようになります。自分の正味の実力に自信がない人間ほど攻撃的になり、その批評は残忍になるのはそのせいです。
たしかにそれで全能感に似たものは手に入り、自尊感情のようなもので一時的には満たされるでしょう。けれども、彼らがわずかな「出費」で、大きな「効果」を手に入れたことの代償は本人が思っているよりはるかに高くつきます。


批評家無用論に近いのかな。確かに、自分で創作するより、他人の作品を批評する(けなす、欠点をあげつらう)方が楽で、気分もいいかもしれない。 Morris.も自分の能力を自ら暴露することは避けたいという気持があって、この読書控え(感想文)にも「無慈悲な批評」的一面があると思う。多少辛辣 だったり言いたい放題なところもあるだろうけど、少なくとも残忍ではないはずだ(^_^;) と、思いたい。だから、その代償だってたかが知れてるにちが いない。ことを願いたい。

「引きこもり」というのは、自分に対して低い評価を与える外部を遮断して、「評価されない立場」に逃げ込む というソリューションです。転職や離職の繰り返しや、いっとき流行した(もう廃れたことを願いますが)「自分探しの旅」も、自己評価と釣り合うような格付 けをしてくれる「外部」がこの世界のどこかにあるはすだという(あまり根拠のない)信憑に導かれてのものです。

「ソリューション」という言葉、聞き覚えはあるが意味がわからない(>_<)。大辞林には「溶解。溶体。溶液」とえらくそっけない説明しかなかったのでWikipedia見る。

ソリューション (英: solution:ソルーション、英語発音: /səluːʃən/) ラテン語で「束縛から解放された」を意味する形容詞 solut(us) に名詞化語尾 -ion をつけた英語の名詞。具体的には以下のような用法で使われ、各分野の専門用語として日本語にも取り入れられている。
1.自然科学において、溶液、あるいは溶解のこと。分子やイオンが固体の束縛された状態から解放されて、溶媒の中で遊離している。
2.方程式などの解。物事の解決方法。未解決という束縛状態から解放されている。
3.システムソリューション。さまざまな物事、ビジネス、サービスにおける問題、課題を解決するためのコンピュータシステムおよびサービスの総称。
4.債務不履行。債務を負っている状態からの開放行為。(Wikipedia) 


引用文では2.の意味で使われてるのかな? 「逃避、避難、回避」みたいな感じか。
それはともかく「自分探しの旅」(^_^;) たしかに、こういうふうに取り上げられると馬鹿げたもののように見えるけど、流行ってるときはそれがかっこよく見えたりもしたものさ。「ぽえむ」みたいなものかも(^_^;)

責任を無限に先送り出来るのは一種の「無根拠な楽観」があるからです。「私の後から来る者」は、私よりもっ と公正で、もっと政治力があり、すべてを解決してくれるはずだという楽観的見通しがなければ、どれほど愚鈍な官僚でも、ここまで無責任になることはできま せん。システムを補正するのは私ではなく、「私ではない誰か」の仕事である。そんな「誰か」がどこかにいるに違いない。
これは責任の無限の先送りの幻想的消失点に「上御一人」を擬した大日本敵国戦争指導部の人びとに共通するものです。


日本の政治家、官僚、役人、指導者……のほとんどが、こういった「あなたまかせ」の体質であるというのは、その通りだろう。いや、日本人全体がそうであるに違いなく、もしかしたら人類そのものにある性質なのかもしれない(^_^;)

なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。
情報とは「なまもの」が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージされたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、「なまもの」 に触れる機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、皮を剥がれ、血を抜かれ、骨から切り離されて、細切れになってパッケージされるという工程に ついては誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。


言ってることは正論っぽいが、このようにすらすらと説明されると、これまた情報化の一例のように見えてくる。

ある外来語は別の外来語に置き換えられるだけで、自分たち本来の言語が駆逐されたり、改変させられたりする わけではない。日本語の統辞構造そのものは、コロキアルな基板としてあらゆる言語活動を下支えしている。いわば、スポンジケーキの土台は同じもののまま で、トッピングを変えるようなものです。だから、欧米の概念を取り入れるときに自民族中心主義的な心理的抵抗が働かない。中国韓国が近代化に後れを取り、 日本だけが急速に近代化を成し遂げ得た最大の理由は、日本に「翻訳文化」の伝統があったからだ。僕はそう思います。

うーーん「コロキアル」? これは大辞林で解決。

コロキュアル[colloquial] (文語に対し口語の。日常会話の。「--スタイル」(大辞林)

って、ここでわざわざカタカナ外来語使うこともなかろう。「口語、日常会話、話し言葉」くらいで充分でないのかい。
文明開化の明治の時代に、西洋文明の概念を「漢語」という別の外来語に仮託することが出来たのが、日本の成功の基となったというのは、卓見と言えるだろう。Morris.もそう思う。

危機には「リスク」と「デインジャー」の2種類がある。
「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない 危険のことである。喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、1点のビハインドというのは「リスク」である。このリスクは監督 の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性がかろうじてある。


先日読んだ森達也の著書に出てきた「ハザード」と「リスク」のことを思い出した。
久しぶりにペーパーバック版のロジェのシソーラスで、それぞれの単語の索引見たら

[risk] gambling、danger、endanger、speculate
[danger] destiny、dangerous、hostile、aangry
[hazard] chance、ganbling、danger、pitfall、obstacle


とある。ついでにdanger(名詞)の本編も 

661 Danger-N danger, peril; dangeousness, perliousness、shadows of death, jaws of death, lion's mouth, dragon's lair, dangerous situation, parlous state, dire straits, forlorn hope, 700 predicament;, emargency 137 crisis; jeopardy, risk, hazard, banana skin, precariousness, razor's edge 474 uncertainty; black spot, snag 663 pitfall; trap, death trap, 527 ambush; endangerment, imperilment, hazarding, dangerous course; daring, overdaring, 857 rushness, venture 672 undertaking; leap in the dark 618 gambling; slippery slope, road to ruin 655 deterioration; sword of Damocles, menace 900 threat; cause for alarm, rocks ahead, storm brewing, gathering clouds, gathering storm 665 danger signal; narrow escape, close shave, near thing 667 escape
vulnerability, danger of 180 liabillity; security risk; exposure, nakedness, defencelessness, naivety 161 helplessness; insecurity 152 changeableness; easy larget, sitting duck; chink in the armour, Achilles' heel 163weakness; soft underbelly 327softness; feel of clay, human error, tragic flaw, fatl flaw 647 imperfection; weaker brethren, weaker sex.

まあ「危険がいっぱい」ってところだな\(^o^)/


038

【第五番】久坂部羊 ★★★「廃用身」「破裂」「無痛」など、衝撃的医療小説を発表した著者の難病モノ。帯には

エボラ出血熱(1967年ドイツ)、エイズ(81年アメリカ)、狂牛病(93年イギリス)、SARS(2002年中国)に次ぐ、つくられた"悪魔の疫病"No.5が突如、日本を襲った! --その名は「新型カポジ肉腫」!

という文句が踊っている。

WHO(世界保健機構)の存在意義は、世界の人々の健康を守り、難病や疫病を撲滅することである。そこには 隠れた意味合いもある。つまり、恐ろしい病気が蔓延すればするほど、WHOの存在意義は高まるということだ。新しい病気が発生するたびに、WHOがその重 要性を増し、予算の増大を得る構図は、皮肉としかいいようがない。
似たような構図は、医学にもある。医師は病気を治すことが使命だが、病気が治ってしまえば出番がなくなる。逆に重大な病気が広がっていれば、医師は必要と され頼りにされる。医学の目標は、あらゆる病気の撲滅だが、それが達成されると、医学は自らの存在意義を減じるという自己矛盾を内包している。

こういった物言いは誤解を招きやすい。実際的にはそんなことは起こらないからだ。いわゆる「ための発言」だろう。
以下のウィーンの怪しい医師フェヘールと為頼の会話も同様である。

「ドクター為頼。わたしは日本人を批判しているのであはりません。ただ、病気の兆候が見えるあなたなら、そ ういう状況に疑問を抱いておられるのではないかと思うだけです。あなたは凡庸な医師ではない。医療の本質が見える方です。問題から目をそむけずに、現実を 見なおすべきではありませんか」
フェヘールの瞳の奥に、氷河のような青い光が瞬いていた。為頼はその真意が読み取れず、戸惑った。フェヘールはさらに続ける。
「たとえば、新しい薬や手術の開発には、臨床試験が必要ですが、それは取りも直さず、人体実験であるという事実。あるいは、新米の医師が一人前になるに は、失敗も含めて、患者を練習台にせざるを得ないという事実。さらには、高度先進医療をおこなう病院は、治る見込みのある患者を優先しなければならないの で、治らない患者は入院させたくないという事実。延命治療はときに患者を悲惨な状況にするとか、それを避けるためには敢えて死を受け入れるほうがよいという事 実もあるでしょう。いわば"医療の闇"です。そこから目を逸らしていては、望ましい医療は実現できない。世間には、医師は患者に尽くすべきだとか、医師と 患者は対等であるべきだとか言う人がいますが、そんな御託を並べても、決して医療はよくならない。もっと本質的な理解と、現実的な視点が必要でしょう。あ なたならわかるはずです」


最初に読んだ三作の印象が強かっただけ、本書にはいまいち食い足りなさを感じてしまった。

犬伏のマンションは、兵庫県西宮市のJR西宮駅寄りにあったが、彼が向かったのは阪急西宮北口駅のほうだっ た。阪神間に住むスノッブの見栄で、自分は阪急沿線の住人だと思いたい。大阪都神戸をつなぐ三本の鉄道で、阪神よりJR、JRより阪急と、住む路線で生活 のステータスを推し量る。虚栄心の強い犬伏は、距離の不便さよりステータスを重視していた。

これは本筋とは全く関係ないが、阪神、JR、阪急のステータスなどというローカルネタがおかしかった。そういえば、筆者はたしか神戸方面の開業医だったな。


037

【日本の文字】石川九楊 ★★☆☆ ちくま新書の一冊だが、この人の本は読むたびに同じ本読んでる感じがする。本書もその例に漏れず、これがはじめてという人にはそれなりに面白いところがあるだろう。

[和]とはひらがなの別名だと考えるといままで漠然としていたものがよく見えてくる。和食とはひらがなの食 べ物、和風建築とはひらがなの建築物、和文とはひらがなで書かれた文章、和歌とはひらがなの歌のことである。これらひらがな文体の特性に因む[和]の文化 は、ひらがなができた900年頃に生まれ、中国、ベトナムはもとより、韓国・朝鮮にも見られないユニークなひらがなの文化が花開いたのである。

ところで、韓国・朝鮮のハングルは非常に不思議な文字である。日本のひらがなやカタカナのような自然発生的とでもいえる経過で生まれた文字とは異なり、人 工的に設計作成されたハングルの本質は発音記号であり、アルファベットのように子音字と母音字からなる音素形文字である。しかし、構成法が特異であって英 語のように「rain」と横に並べるのでも、また日本語の和語のように「あめ」とタテにならべるのでもなく、母音と子音を漢字のように上下左右に集結させ る。
母音と子音の構成単位の結合法は漢字を真似、一ヶ所に集中している。ハングルの単位はアルファベットのような音素記号だが、構造的には漢字と同様に構成するという、漢字の植民地的な形をのこしている不思議な文字である。


これまた、かなり大まかな雑な発言だと思う。「漢字の植民地的な形」というのも不思議な観点である。

パソコンを書字機械と錯覚してしまう理由は、ここにワープロ機能が入りこんでいるからだ。たがこのワープロがとてもあやしい。このあやしさに気づかずに、これを便利だと錯覚している。
ワープロで言葉を打ち込むことと字をかくこととは本質的に異なる。ワープロは書字機械ではなく、あくまでも書字の代替をする機械である。
文章をつくる場合には、パソコンはマイナスにこそなってもプラスになることはひとつもない。おびただしい数の同音異義語に直面しながら文章を作るということは、「書く」ことにおいては百害あって一利なしである。ワープロを使って小説を書くことなどは、愚かしいことである。
日本人が文字を書く機械が欲しいのであれば、ひらがなタイプライターではなく、かつての和文タイプライターを効率的に改良する以外にない。なぜなら日本語は漢字仮名交じり文でできているからである。
少なくとも初等、中等教育段階では子どもたちにいっさいパソコンにさわらせない、そういう教育をしなければ、日本では言葉を育てられない。


今やパソコンで書いてる小説家のほうが圧倒的に多いだろうし、優れた作品が存在することは否定出来ないと思う。

書字とひらがな(和歌・和文体)教育を再建すれば、生活の周辺の他の言語では文(かきことば)とはなりえな いきめこまかな表現もひらがな文によって可能になり、政治とは関わりのない生活の豊かさについて世界に語りかけていくこともできるようになるだろう。文 (かきことば)の復権と再建、そしてそれには習字教育--読むだけではなく自ら書くことのできる漢字とひらなが教育の復権と再建が必要である。

どうも視点・論点がズレまくっている感じがする。

9・11事件での死者数は3000人だと言われている。しかし、アルカイダの飛行機の自爆テロによる直接的 な死者数は500人程度ではないだろうか。残りの2500人は他の理由で死んだ。なぜ死ななければならなかったのか? ビルが崩壊したから亡くなったので ある。2500人の死者の直接的な死因は、潰れるよう設計されたビルの建築を許可した現代文明にある。1945年、エンパイアステートビルにも飛行機が激 突したことがあったが、そのときビルは崩れなかったと聞く。世界貿易センタービルの設計者は日系アメリカ人建築家のミノル・ヤマサキで、ビルはチューブ構 造という方法によって建てられていた。チューブ構造は、フロア内には一本の柱もない大空間を可能とするため、ビルの有効面積を増やし賃貸面積を増やし賃貸 収入を上げたいと考える施主の要望に応えることができた。そして、これが重要な点であるが、この工法によって建てられたビルは「壊しやすい」という特徴を 持っていた。ビルが施設としての役割を終えたときにそれを破壊し、作り直しやすいようになっていた。もしも世界貿易センタービルが従来と同様の建築工法に よって建てられていたならば、潰れることはなかっただろうし、犠牲者の数は500人程度にとどまっていたはずである。

突然、こういった時事問題を突然論じる(それも噴飯物が多い)のもこの人の癖である。この癖は直したほうが良いと思う。
神戸地震後の著書でも、震災時の総理が村山だったから良かった、なんてかいてたもんな(^_^;)


036

【昭和の洋食平成のカフェ飯】阿古真里 ★★★☆☆ 「家庭料理の80年」というのがサブタイトル。日本の戦後から今日までの家庭料理の変遷を、メディアに表れた料理の変遷から解析した、画期的な一冊だと思う。大きく4章に分かたれ、前説で戦前、後説でこれからの展望にまで触れている。

前説 朝ドラ『おひさま』の理想の食卓――昭和初期
1. 主婦たちの生活革命――昭和中期
2.『本格外国料理を食べたい』――昭和後期
3.家庭料理バブルの崩壊――1990年代
4.食卓の崩壊と再生――2000年以降
後説 新世代の家族のドラマ


その時代時代の料理研究家(江上トミ、飯田深雪、小林カツ代、栗原はるみ、飯島奈美……)を始め、雑誌(「主婦の友」「オレンジページ」「ハナコ」「すて きな奥さん」……)、テレビ番組(「今日の料理」「料理の鉄人」……)、ドラマ(「おひさま」「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」「カーネーション」「金 曜日の妻たち」……)、映画(「お茶漬の味」「歩いても歩いても」「八日目の蝉」……)、漫画(「美味しんぼ」雁屋哲作 花咲アキラ画、「クッキングパ パ」うえやまとち、「イマジン」槇村さとる、「エイリアン通り」成田美名子 「天才柳沢教授の生活」山下和美、「花のズボラ飯」久住昌之作 水沢悦子画、 「きのう何食べた?」よしながふみ……)小説(向田邦子、田辺聖子、角田光代……)などを幅広く紹介しながら、そこに描かれた家庭料理の特徴を解説してい く。その紹介の手際の良さにも感心したが、専門の社会学的視点から論じられる生活史観、特に女性(主婦)の意識の変化捉え方が鋭く深い。

ふるさとを離れた夫と都会育ちの妻は、食べてきたものと違う。自分の家で受け継がれてきたものだけでなく、相手の好みも取り入れ、新しい家庭の味を築きあげていかなければならなかった。
この時代に、洋食・中華が受け入れられ浸透していったのは、異なる食文化を背景に持つ夫婦がたくさん生まれたからである。和食の味つけやだしのとり方につ いては、夫婦の好みが違っても、洋食・中華はあまり食べたことがない。新しい味は、出身の違う夫婦には好都合だった。急速な都市化は、新しい食文化を育て たのである。(「主婦たちの生活革命」昭和中期)


日本の家庭料理が和食でなく、洋食、中華中心に普及した理由が都市化の中で、出身の違う者同士の家庭で、馴染みのない味だったから、というのは、手品の種明かしみたいだね。彼女の発見なのかどうかはわからないが、卓見であることは間違いない。

豊かになった主婦たちは、その豊かさゆえに自分の役割を見失った。
人は、人の役に立っている、自分が成長していると思えたときに、生きる手ごたえを感じる。誰かに守られて安定した生活の中に手ごたえはない。経済的に恵ま れている、ということは助け合う必要がない、ということにもつながる。知恵を絞って家計をやりくりする必要も、誰かに相談したくなるような具体的な悩みも ない。しかし、彼女たちに悩みがないわけではなかった。
自分は誰からも必要とされていないのではないか……。言葉にできない寂しさが、心を蝕んでいく。孤独の海の中で溺れる主婦たちの存在は、しかし、まだほかの人びとの目には入っていなかった。主婦の孤独が何をもたらすかはまだ分からなかった。(昭和後期)


贅沢な悩みの登場というわけか(^_^;) 料理もファッションと同じく、ある周期をもって繰り返すみたいなところもありそうだ。後になって顧みると、なんであのときは気づかなかったかと思うことも多々だろう。

平成の主婦たちが料理を面倒がるのは、もしかするとメディアも周囲も主婦本人も、みんなして家庭料理のハー ドルを上げてしまったからかもしれない。簡単料理のレシピ、という紹介はくり返し料理メディアに登場する。それでいて、手の込んだ料理を何品も揃え、日替 わりの内容で家族を飽きさせるべからず、というメッセージも同時に発信する。
休日がない主婦の大変さに共感を寄せながら、きちんとした料理を毎日つくらなくても大丈夫、一番大事なのは、おいしいと思いながら食べること、と『花のズボラ飯』は語りかけている。


この漫画「花のズボラ飯」はぜひ読みたくなった(^_^;) そしてこの結論には、Morris.も共感するところ大である。

もしかすると、私たちは、血がつながった家族に甘え過ぎてきたのではないか。思うようにいかない生活の中で、仕事も家事も、やりたくない義務になってしまっていたのではないか。実は、そういう面倒だが日々をこなさなければならないことの中にこそ、生活の実質はある。
スローライフは、戦後ずっと、目標に向かって生きてきた私たちに、何かを達成することや夢を叶えることが人生ではない、ということを教えている。ずっと 続く幸せなどありえない。家電製品をそろえ、立派な家を建てたら豊かさが完成するわけではない。家も財産もあの世には持っていけない。個人の人生は通過点 でしかなく、子供がいるいないにかかわらず、私たちは次の世代へこの世界を引き継ぐ時期が来る。
もちろん、生きる過程で、何かを発見したリ達成したり夢を叶える機会はあるだろう。大切なものを失う日もあるだろう。うれしかった日も、悲しかった日も、 人生の途中である。それよりも大切なのは、くり返す日々そのものである。ご飯がおいしかったとか、誰かと笑い合ったとか、そういう一瞬の中に幸せはある。

ここらあたりの文脈は、ちとMorris.鼻白むところである。この「幸せ論」には異議ありだなあ。

スローフードという切り口から、食の風景を見てみると、21世紀の食卓は、さほど悪くない。昔ながらの食文化が完全に廃れたわけではない。
蒸した料理もお米のご飯も、日本人が昔から好んできた料理だ。私たちが取り戻したかったのは、当たり前の暮らしだ。そしてそれは、遠い外国や過去に求めなくても、すでに手にしている人はちゃんといる。当たり前すぎるから気づかなかっただけなのだ。(2000年以降)


引用には出てないけど、数年前に流行ったシリコンスチーマーという商品は、Morris.が仕事で外国人の台所用品の梱包する時よく見かけて、何だろう? と思ってた柔らかいゴムみたいな容器のことだった。電子レンジ調理には画期的な調理器のように書いてあったので、思わず買おうと思ってしまったが、調べた ら、Morris.が10年移譲前から使ってる三段重ねのセラミックスチーマーとほとんど同じ用途のものだった。
著者略歴によると、彼女は広告畑からフリーライターとして独立したらしい。
主婦や家庭生活関連雑誌の中で絶対見落とすことが出来ないとMorris.が思う「暮しの手帖」のことに全く触れられていないのを不思議に思ったのだが、著者が広告業界出身だとすれば、納得出来るような気になった(^_^;)


035

【虚実亭日記】森達也 ★★★☆ 「放送禁止歌」でMorris.の心を鷲掴みにした森達也のエッセイ集。紀伊国屋の雑誌「scripta」2007~2011に連載されたものらしい。

不安で仕方がないからこそ、目に見えるわかりやすい敵が欲しくなる。
これを言葉にすれば仮想敵。平和や安心を求めながら敵を探し、もしも見当たらなければ作りだす。とても倒錯しているけれど、戦後アメリカはその典型例だ。 敵が見当たらなければ不安になり、敵がいたほうが安心できるのだ。日本やドイツなど枢軸国と戦った第二次世界大戦終了後は、中国や旧ソ連を仮想的に設定し た冷戦状態が続き、朝鮮戦争やベトナム戦争、グレナダ侵攻などに強引に介入し、さらに冷戦終了後はパナマ侵攻や湾岸戦争を主導し、9・11後はアフガニス タンに侵攻してタリバンを攻撃し、存在しない大量破壊兵器を理由にイラクのフセイン政権を壊滅させた。
根底にある基本原理は不安と恐怖だ。勇敢なのではない。臆病なのだ。報復が怖い。不意打ちが怖い。だから先に攻撃する。危険を煽る。煽りながら怯える。その意味ではオウム後の日本は、アメリカ化しているといえるかもしれない。


やや図式的ながら、簡単にいえばそうなるのだろうな。アメリカの建国神話というのは、たしかに際立って特殊なものといえるだろう。オウム以後の日本がアメ リカ化しているというのは、いささか表層的過ぎる気もするが、たしかに、危険を煽って怯えを利用して平和憲法を骨抜きにしようとしている安倍政権のやりか たは、アメリカに倣っているようにも見える。

冷戦構造がピークを迎えかけた1949年に発表された『一九八四年』は、スターリニズムの恐怖を描いた作品 として評価された。でも南京の解釈は少し違う。なぜなら最高権力者であるビッグブラザーの描写を、オーウェルは実に巧妙に回避している。ビッグブラザーの 登場シーンは、テレビと監視カメラ双方の機能を併せ持つテレスクリーンの画面の中か、街に貼られたポスターの中だけだ。つまり「実在していない」ことのメ タファーなのだ。ならばこの作品が風刺するのはスターリニズムではもちろんないし、社会主義や共産主義国家でもない。共同幻想的な権威に統治される国民た ち。それは(ナチス・ドイツが合法的に選挙の手続きを経ながら政権を奪取したことも含めて)世界の権力構造の本質の写し絵であると同時に、擬似的な権力装 置(つまり山本七兵いうところの「空気」)に従属する日本国民の特性も、とても的確に表している。

そうかあの作品はMorris.がうまれた年に発表されたのか。引用中の「南京」というのは森達也の本書での偽名?である。ビッグブラザーが非在の隠喩と いうのは面白い。しかもこれが「空気」に引っ張られる日本人の特性と類似しているという指摘も、更に面白い。引用文中「山本七平」を「山本七兵」と表記し ているのは誤植なのか、それとも、何か含むところでもあるのだろうか?

益虫と害虫。この判断の基準は人間にとって役に立つかどうかだ。今にして思えば。ずいぶんと手前勝手な分類 だが、そのイメージの刷り込みは今もなんとなく残されている。人は自分たちが生きるこの世界を、善なるものと悪なるものに分類せずにはいられない生きもの なのかもしれない。

「人類にとって」良いものか悪いものか、このイメージの刷り込みは何となくではなく、しっかりと残っている。いや、以前より補強されているのではないだろうか。善悪をきめつけるというのも人間の「業」ということか。

夢の中でこれが夢だと気づくことを明晰夢という。前頭葉が半覚醒状態のときに起こる現象であるらしい。この 話を聞いたのは二週間ほど前。認知心理学を専門にしながら意識と夢の関係を研究しているというその大学教員は、「英語ではLucid Dreamといいま す。明白な夢。トレーニングさえすれば、自在に明晰夢を見ることができるようになります」と南京に言った。

明晰夢という言葉ははじめて知った。Morris.も一時夢をメモして、このMorris.日乘にも一部公開してたこともあるのだが、あれを続けていたら、明晰夢みることが出来るようになったかもしれない。しかし、やっぱり夢はそっとしておくべきかもしれないな。
「夢もチボーもない」は東京ぼん太の決めネタだったが、Morris.はこれを昇華(^_^;)させて「夢も希望もない、という幸せ」という標語を作ったこともある。彼のもう一つの決め文句「まあいろいろあらあな」も、Morris.の人生哲学に親しい。

人はみな優しい。
どこかで聞いたフレーズだ。どこだっけと考えながら南京はワゴンに乗り込み、NY市街を抜けてDCへ向かう州間高速道路(インターステート)に入る頃に思い出した。数年前に出版した自著タイトルの一部だ。
じぶんのそんな言動が「サヨ」だとか「頭のなかはお花畑」などとネットで揶揄されていることは知っている。知ってはいるけれど、撤回するつもりなどまったく ない。人はみな優しい。でもこの優しさや善意が、正義や大義へとすり替わりながら、大量の人を加害することがある。悪意は大量の人を加害できるほど強くは ない。せいぜいが数人だ。でも善意は何千何万もの人を殺す駆動力になる。なぜなら後ろめたさが働かないからだ。
人は優しい。そして残虐だ。この二つは矛盾しない。共存する。これほどに優しくて思いやりがあるからこそ、これほどに冷酷で残虐なのだ。


「一人から数人を殺せば殺人犯だが、数千数万数百万人を殺せば英雄」という言葉の裏返しだろうか? ちょっと違うな(^_^;) ともかく、優しさが人を傷つける、善意が悪意より度し難い、そういう一面はたしかにある。

イエスを殺した民であるユダヤ人に対しての蔑視と迫害は、ヨーロッパにおいて長くつづいてきた。金貸しシャ イロックのイメージが物語るように、ヨーロッパ全域で皮膚感覚のように刷り込まれてきたユダヤ人への嫌悪や差別感情に、自分たちの生命を脅かす(シラミの ように危険な)外敵であるとのプロパガンダを重ね、ナチスはホロコーストを正当化した。
自らの加害者性に萎縮した西洋社会は、イギリスの三枚舌外交が発端となったイスラエル建国と、国連決議を遵守しないイスラエルのプレゼンスを、結果的には 黙認する。ホロコーストによって刺激された被害者意識にシオニズムが相乗したユダヤ人たちは、激しい自衛意識を昂揚させながら圧倒的な武力で周辺諸国を挑 発し、パレスチナの民を迫害しつづけ、殺戮しつづける。


「三枚舌外交」というのは普遍的な外交政策ではないかと思った(^_^;)のだが、これは歴史用語としてはっきりしているということに驚いた。

三枚舌外交(さんまいじたがいこう)とはイギリスの第一次世界大戦後の中東問題をめぐる外交政策のこと。(Wikipedia)

被害者意識というのも怖いものだと改めて思う。

危険という言葉を僕たちは当たり前のように使うけれど、実のところ危険性は、ハザード(危険要因)とリスク (危害)で成り立っている。たとえばダイナマイトそれ自体はハザードで、爆発はリスクだ。爆発しないかぎり、ダイナマイトは危険ではないし、有用性も高 い。もしもダイナマイトそのもののリスクが高い(いきなり爆発する)のなら、工事現場などには使えない。製造することすら危険このうえない。
つまりハザードとリスクは、分けて考えねばならない。ところが危機意識が高まれば高まるほど、この二つを一緒にしてしまう傾向が強くなる。その結果として ダイナマイトの存在だけで「危険だ」とか「近づくな」などと大騒ぎになり、爆発させないための措置や配慮、警戒が疎かになったりする。


ハザードとリスク。これはちょっとわかりにくい。サラ金はハザードで、取り立てがリスクなのだろうか。それともギャンブルがハザードで破産がリスク………… うーーん、とりあえずは"Morris.危うきに近寄らづ"ぢゃ。


034

2010カタログ【大野麥風と大日本魚類画集】姫路市立美術館 ★★★☆☆ 2010年2月6日から3月7日まで開催された同展覧会のカタログである。
ひょんなことから、この大野麥風に魅せられて、神戸中央図書館収蔵の20点を拝観(^_^;)させてもらえた。
現在東京ステーションギャラリーで展示会やってるが、その展示品も姫路市立美術館蔵の画集らしい。
本カタログの冒頭の「ごあいさつ」にこうある。
 
当館では2001年に開催した「木版の美 版元西宮書院と画家展」の中で麥風が原画を手がけた『大日本魚類 画集』を初めて紹介し、美術ファンならず、多方面の方々に好評を得ました。しかし、その際にも全72点を展示することは叶わず、展覧会終了後に収集に努め た結果、一昨年ようやく最後の一点を収蔵することができました。以後、『大日本魚類図鑑』の全点展示を希望する声がたびたび寄せられ、今回の『大日本魚類 図鑑』とその作者である大野麥風に焦点を当てた展覧会の開催に至りました。

いかにも嬉しそうで自慢気である(^_^) こういうのっていいなあ。
このカタログには図鑑の72点全てが収められていてそれだけでも貴重である。
大野麥風は1888(明治21)東京生まれ、画家としての出発は洋画だったが、日本画に転じ、1923(大正12)の関東大震災を契機に淡路島に移住、1925年に西宮に転居して、以降は兵庫県在住の画家として活躍することになる。没年は1976(昭和51)享年88。
年譜に小さな大野麥風の写真が掲載されていた。この画集刊行時の頃の面影ではないかと思うのだが、どことなくサランバン会の常連榎本さんに似てる気がした。

大野麥風私 は生魚類に親しみを持つ、己の道をこの丹青の中に進めて空は一層その姿態色彩性向等に倦むことを知らぬ写生を続けて来た。その結果一部の人々から「魚の画 家」と云ふ光栄ある異名を頂いてしまった。併し自分のこの性格的な研究が今日この一大出版の動機を生むとは考へても居なかった。故に、この提案を他より受 けて、私の画嚢を開いて吾れながら多種の収穫を蓄積したことに驚いた位なのである。機は熟した。私は自分の畢生の事業としてこの日本魚類画集を刊行するこ とになった。この故に、真に芸術的であり、研究的であり、鑑賞的である一大画集は、日本伝統の手漉紙に、木版手刷り二百度と云ふ版画の粋を極めて出版せら れるのである。即ち魚類の生育状態を自由な雰囲気の中に発見し、新しき美を構成すると
共に、斯界の泰斗の解説を乞ふてその研究的一面をも完成せんとするものである。(大野麥風 「大日本魚類画集 刊行について」 神戸又新日報 1937/06/28)


戦時下にこのような画集が刊行されたというのは、奇蹟のようなことにも思えるし、浮世絵の伝統が消え去る直前の最後の輝き、あるいは一種の徒花だったのかもしれない。

「大日本魚類画集」という版画シリーズは、浮世絵版画や新版画の衰退を目の当たりにしながらも、採算がとれ る保証もなく仕事を始めた版元(西宮書院)の品川清臣をはじめ、絵師-大野麥風、彫師-藤川象斎、摺師-祢宜田や光村らの、単なる制作意欲をはるかに超え た「執念」がここまで続けさせたとしか考えられない。(図録解説から)


033

【昭和のまぼろし】小林信彦 ★★★ 「週刊文春」2004~2005年連載されたコラム集成である。この人のコラムはあまりおもしろくないのだが、これはタイトルに惹かれて読むことにした。8年ほど前のものだけに、かなり鮮度が落ちてる感じが否めなかった。

……明日の日本もまた、たとい小さく且つ貧しくとも、高き芸術と深き学問とをもって世界に誇る国たらしめね ばならぬ。「暮しは低く思いは高く」のワーヅワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ……(昭和23年3月創刊ア テネ文庫の「刊行のことば」から)

アテネ文庫はMorris.の生まれる前年に弘文堂から刊行されたもので20年代後半に300冊程で終刊になったから、ほとんどMorris.には縁遠い 存在である。しかし、このワーヅワースの詩句には聞き覚えがある。ネットで調べたら「ロンドン1802」という詩の1節らしい。

plain living and high thinking
暮らしは低く思いは高く〈Wordsworth〉.


さらに沼部信一さんんがブログで「アテネ文庫の高邁な理想」という一文をものしていたことも発見した。たしかに岩波文庫もこの言葉を創刊の基本にしてたという記憶がある。
いわゆる、「清貧」に通ずるのかもしれないが、「plain」というのは、「simple」というのとはちょっとニュアンスが違う。Morris.も基本的にこれを生活のテーゼとしておきたい。ほっとくと、どっちも低くなりがちだけどね(^_^;)

<一億総懺悔>--この言葉を掘り下げるだけで、歴史を立体的にできるのだが、今のマスコミはそれをしない。この言葉を知らないのかも知れない。
敗戦が昭和二十年八月十五日。
東久邇宮を首相とする<初の皇族内閣>のスタートが八月十七日。
八月二十八日の東久邇宮首相の記者会見で、次のような言葉が発せられた。
<……ことここに至ったのは、もちろん、政府の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのも、この原因の一つである。この際、 私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔をすることが、わが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ず る。(朝日新聞縮刷版20年8月30日号からの引用)

戦争に負けても、新聞はしばらく戦争中と同じ言葉を使っていた。だから、この社説は、<国体の護持>が我々の<血液の中に流れている信仰である>という首相の言葉を喜び、狂信的な文字をつらねている。そして、ラストの一行--。
<正に一億総ざんげの秋(とき)、しかして相依り相扶けて民族新生の途に前進すべき秋(とき)である。>
この中の<一億総ざんげ>が、なぜか、大流行語になった。翌年の四月、後藤田氏が「納得できない」と思ったほど、流行したのだ。
が、いったい、誰に向かってざんげするのかがわからない。この極度の無責任さ、言葉だけが浮遊するあり方は六十年後も少しも変っていない。


敗戦後のどたばたのなかでも、この「一億総懺悔」はかなりのトンデモ発言のようだな。先日知ったばかりの伊丹万作の発言を連想した。日本人の無責任さを批判する視点は驚くほど似ていると思う。


032

【桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活1.2.】奥泉光 ★★☆☆ このシリーズは、前に三宮図書館で2巻目を見つけて、当然奥泉作品なら無条件で借りようとしたのだが、ぱらぱらと数ページを読んだ所で借りるのをやめた。 何ヂャこれは?? だったのである。へたれなダメ准教授のクワコウが、文芸部に研究室を侵食され、低次元の事件に巻き込まれ、それを文芸部員の「ホームレ ス女子大生」ジンジンの推理で解決するというシリーズらしいが、登場人物たちの台詞のあまりのハチャメチャさに加えて文章のあちこちに太文字が使用されて いて、何となく安物っぽさを強調していた。
しかし、何かの拍子にこのシリーズが、過去の作品「モーダルな事象」の続編だと知って、読んでみようと思い直した。

あの作品も、最初は奥泉らしくない変てこな作品だと思いながらも、最終的にはそれなりに評価してたみたい(よく覚えてなかった(^_^;)ので読書控え参照)だし、結局中央図書館で2冊一緒に借りてきた。
結局読後感は上の評価星の数の通りで、いまいちだったわけだが、Morris.が奥泉の「モーダル」な手法が理解できなかったということも考えられる。モード・ジャズ(モーダル・ジャズとは、Wikipedia見たら

コード進行よりもモード (旋法)を用いて演奏されるジャズ。モダン・ジャズのサブ・ジャンルのひとつ。
1950年代後半に試され始め、1958年リリースの、マイルス・デイヴィスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」で完成された。
欠点は、コード進行によるバッキングやメロディーによる劇的な進行がない事である。


やっぱり、Morris.には理解不能だった(>_<) おしまいの「劇的な進行がない」というのが、いまいちの理由だったのかもしれない。

桑幸がレータン(敷島学園麗華女子短期大学)から、たらちね国際大学に赴任しての手取り給与が\110350しかなかったことから、極端な節約生活を余儀なくされた時の描写。

ある月曜日の桑幸の食生活を紹介すれば、朝の八時に起きた桑幸は、前日の夕食の残りの大根雑炊で朝飯にした。それから自転車で学校へ行き、昼食は、賞味期限ぎりぎりセールで買った一個十円のメロンパンとデニッシュパンを、学校の非常勤講師控え室に置いてあるティーバッグでいれた紅茶を飲みつつ食べ、家に戻っての夕食は、一瓶五円の賞味期限切れの海苔の佃煮と、一袋一〇円の賞味期限切れの小女子(こうなご)に、実家から持ってきた梅干しをたたいて和えた一品を肴に、一リットル六八〇円の焼酎「芋兵衛」をお湯割りで飲み、続いてその日のメインディッシュ、五本八九円の魚肉ソーセージ二本を、一袋一七円のもやしと一緒に油で炒めたうえに、一パック一〇個九〇円の溶き卵をかけまわした一皿をおかずに、送料無料の通販で買った、一〇kgニ六八〇円の不揃米を炊いて食べたのだった。
あるとき桑幸は(コイン野菜ボックスの横に捨ててあった)大量の人参を持ち帰り、みるとたしかにスが入ったり、割れたり、腐っていたりしたが、駄目な部分 を削れば十分食べられ、拾った瓶で酢漬け人参を作ったり、油で甘辛く炒めたり、油揚げとヒジキと一緒に炊き込みごはんを作ったりした。また別の日には、近 所の小学校のイベントに参加してタケノコを掘り、河原の土手から大量の野蒜を取ってきてインスタントラーメンに入れた。
節約生活をはじめてからの方が桑幸は活き活きして、生活に張りが出た感があるのは、天性の素質というか、もともと貧乏と相性がいいのだろう。
好天の日曜日、前日にスーパー夕焼け恒例「旬もの出血絶命セール」で買った、一さく九八円の鰹の切り身を薄く切り、微塵にしたニンニクを散らした皿に並べて、塩こしょうしたうえにサラダ油と胡麻をかけ、さらに米酢を垂らし、最後に田圃の畦から摘んできたハコベを散らした、和風カルパッチョを桑幸は作った。これこそ週に一度の贅沢、夢の大ごちそうである。
焼酎「芋兵衛」をロックにして、テレビで「笑点」を鑑賞しつつ鰹を口へ運べば、これが実に美味い! 桂歌丸から西窓へ眼を移せば、ブロッコリー畑の向こうの林陰には夕陽が沈みかけて、五月の清涼な風の吹き渡る空が茜色に染まっているのが美しい。
ああ、これが幸せというものなのかもしれないな、などと心で呟いた桑幸は、すっかり「低い」ところで安定しているのだった。

この部分だけは、Morris.の低空生活に抵触してるし、低所得なりの自炊を楽しむという点でもMorris.好みだった。引用文中の「太文字」もいち おう原文のままなのだが、主に安い食品の定価を太文字にしながら、「一袋一七円のもやし」は太文字になってないなど、あまり精密な強調ではなさそうだ。

ふと思えば、そもそも自分は何のために生まれてきたのだろうかと、いつものように哲学ふうな問いが浮かんできたが、思索をめぐらすまでもなく答えははじめから出ていた。自分は死ぬまで生き延びるために生まれてきたのである。それだけだ。それ以上でも以下でもない。

これまた、Morris.の生き方そのままではなかろうか(^_^;)

実をいうと桑幸も『ジョジョの奇妙な冒険』は昔から愛読している。一家言もある。

文芸部員が愛読している漫画のタイトルだが、文芸ジャンキー・パラダイスの主催者がえらく入れ込んで入魂の特集ページまで作っているし、中川翔子も大ファンらしいということは知ったが、Morris.は読んだことがないし、読む気もない。


031

【音楽を迎えにゆく】湯浅学 ★★★☆ 先日読んだばかりの「音楽が降りてくる」の姉妹編である。やはりライナーノーツ、レビューなど短い記事が多い。音楽そのものへの見識の高さはもちろんだが、Morris.は、雑学的な部分や、哲学的?な考察が面白かった。

初めて出会ったのに心地よく少し感傷的で回顧的な気分にさせられる音がある。スティール・ドラムの音、響きはまさにそういうものだった。キラめきとまろやかさが混在し軽やかなのに心の中の残響がとても長かった。(「空と海の溶ける音」1998)
トリニダード・トバゴのスティール・ドラムはそもそも皮や木でできた打楽器の演奏を為政者(奴隷主たち)から禁じられた奴隷たちが落ちている石油のドラム 缶を叩いて"発明"したものだ。西インド諸島のイギリスの支配は、ほかのヨーロッパ諸国の統治方針より厳しいもので、仕事の余暇にアフリカ伝来の踊りや演 奏、アフリカ神への礼拝も禁止していた。19世紀の中ごろに太鼓類が禁止され、その対抗手段として黒人たちは長さを変えた数種の竹を地面に並べて立てそれ をスティックで叩くバンブー・タンブーを考案、しばらくそれを楽しんでいたところ、1920年代にそれも禁じられてしまう。その対抗案がスティールドラム だった。ちなみに缶の上蓋にノミで刻みをつけハンマーで叩いて角度をつけ音程を変えていく方法を開発したのはウィンストン・"スプリー"・シモンという人 である。(「抵抗の音楽史」2011)


二つの記事にスティール・ドラムのことが取り上げられていた。Morris.は20年ほど前にテレビでこの楽器見たときには度肝を抜かれたが、実物を見たのはそ れから10年後くらいだったかな。アフリカの楽器と思い込んでいたくらい何も知らなかったが、西インド諸島のトリニダード・トバゴ産だったのか。落ちてた ドラム缶を流用するあたり、ジャグバンドに通じるものがあるな。世界的にはスティールパンと呼ばれているらしい。

慈善事業、チャリティの文字が添付されていれば対外的には良心的なイメージを得やすい。しかし参加するミュ ジシャン個々によって、参加のためにかかる"経費"は異なる。大幅に違う、ともいえる。チャリティ・コンサート自体は善行であっても、そこに参加すること が個人的税金対策であることはめずらしいことではないだろう。大掛かりなイヴェントならば、なおさらその看板を単に利用する輩が跋扈する機会は増す。参加 者のイメージ・アップだけを考えてプロモートする者も確実に存在する。だからこそ慎重を期するために寄付を秘密裏に行なう者も少なくないわけだ。
単なる呼びかけにホイホイ応じるほど人々はヒマではないし気前がいいわけでもない。ロックという音楽はロックという意志を意味する、という認識は幻想まじ りであるにせよ、実際にロックが社会的行動に作用し、それまでにない多大な経済効果をもたらすことを、バングラデシュ・コンサートはすんなりと証明してし まった。問題と疑義はつきまとい消えることはない。だがあえてロックで慈善の扉を大っぴらに開いたジョージを思うとき、まず自分の胸に手を当てずにはいら れないのだ。(「ロック・チャリティの光と影」2002)


慈善ということばにはどうも馴染めないものがある。「偽善」という言葉に似ているからかもしれない(^_^;) 東日本大震災でも多くのチャリティ・コン サートなどが繰り広げられているが、これを利用する輩がいることも間違いないだろう。岩手県山田町のNPO法人の使途不明金問題なども、同様な「災いを利 用して富を得る」輩のしわざだろう。
しかし、Morris.のように震災復興のために、何もせずてをこまぬいている輩は「まず自分の胸に手を当て」るべきだろう。

JBやオーティスの激唱に通じる部分はイギリスのハード・ロックでは少々洗練されて取り込まれている感は強 い。アメリカン・ハード・ロックのヴォーカリストは高声を伸びやかに歌い上げるようなタイプではなく、蛮声を叩きつけ無理矢理シャウトする者が多い。 (「感度の強化と豪快な娯楽性の探求」2006)

高音を伸びやかに出すことも出来ないMorris.は、アメリカン・ハード・ロックを目指すべきなのだろうか(^_^;) 日本でも韓国でも、ボーカル で、高音が出せることが評価の基準になることが多い。PAが普及する前なら、歌手の第一条件は「声量」だったりもしたものだ。高音が好まれることの一端に は、初期の蓄音機やラジオが高音中心だったこともあげられる。日本でもトランジスタラジオの音といえばほとんどベースカットだったな、と、懐かしく思い出 してしまった。って、今でもMorris.亭の音響装置はほぼあの頃の水準に近い(^_^;)

英語教育の強化なんかは各自勝手にやればいいわけで、曲のタイトルぐらい日本語にしたほうが親しみも湧くというものだ。
原題のイメージを拡大解釈する。曲のイメージに沿って翻案する。時事ネタをいじってウケを狙う。歌手の特性をねじ込む。
大別するとこの四つになる。いつの世にもチョイ不良はいる。それでも「I Can't Get Started/言い出しかねて」などという極上邦題もあるところがさすがわかってらっしゃる。ムードあるやも、クールは保持。
存在自体の衝撃が邦題に表われているエルヴィス・プレスリーはすごい。「Don't」が「ドントまずいぜ」になるのもエルヴィスなればこそ。「A Big  Hunk O'Love」を「恋の大穴」とした人は偉大。"大穴"って何? そうかと思えば「Stuck On You/本命はおまえだ」とくるわけで。「Such A Night」が「キッスにしびれた」、「Let Yourself Go」は「その気でいこう」、「I Feels So Right」が「いかすぜ、この恋」、「Shoppin' Around」で「いかす買物」だ。「Dorty,Dirty Feeling/すさんだ気 持」、「Wooden Heart/さらばふるさと」、「Return To Sender/心のとどかぬラヴ。レター」と勉強になる題多数。「It Ain't No  Thing」を「つのる恋の傷手」としたのも見事だが、「Doncha'Think It's Time」で「チャンス到来」といくのもさすが、ちなみに 「冷たい女」は"Cold Hearted Woman"かと思ったら「Hard Headed Woman」でした。石頭って冷たいのね。(「邦題とい う闘いの伝統美」2006)


カバーポップスに限らず、楽曲や映画タイトルの邦訳は面白い。最近は原題そのままというのが多いが、やっぱり「上手いっ!!」と思わせる邦題を期待した い。でももう手遅れなのかもしれない。「やりたい放題」の黄金時代は50年から70年代までだったんだろうな。ストーンズの「一人ぼっちの世界」「夜を ぶっとばせ」を思い出した。

悲しみは全人類に平等に沸き起こるわけではない。喜びもまた不平等なものである。そもそも悲しみや喜びに平等感を持ち出すこと自体が間違っている。
本当の自分を探そうとかいつまでもおともだちとか空々しいことで励まし合うのが常識になってしまったJのつく大衆音楽界では、小じゃれたおフランスだのお ブラジルだのおジャズだのをおやりになるお菓子に洋酒かけて食うことを歌にしているような人たちもふくめて、皆日常のささいなことをないがしろにしがちで ある。せせこましいことをあえて歌にしなければ気がすまないのは日常生活に関して愛情があふれているからである。そういうことを歌にしないやつできないや つらは自分の身のまわりを見る目が弱っているか、目をつぶっているかで、カッコだけつけたってそういうやつらにイイ歌は作れない。逆に日常的不満から即座 に政治批判へ至るような人たちは末端ヒダイの大義馬鹿の社会正義中毒であることが多く、こういう人は人と人とのアツレキを笑いに転換する力が弱いので疲れ る。(「ままならぬうき世をいじる無限大」 吾妻光良とスウィギン・バッパーズ 2006)

幸福があるから不幸というものが存在してしまうのか。不幸があるから幸福があるのか。それはどちらでもない。幸福に成りたいと願うと同時に不幸という定め が発生してしまうだけのことである。性でも法則でもない。単に因果の素がそうなっているにすぎない。善と悪も、不幸に似ている。善を定めようとすればアク は発生せずにはいられないのだ。善があるところに悪はあり悪のとぐろ巻くところに善は笑っていたりする。善もなく悪もなく、幸も不幸もない。そういう彼 岸があるとするならば、それが勝新太郎の念の中なのである。(生欲、あるいは善悪の彼岸」1966)


悲しみ&喜び、幸&不幸、善&悪を因果と捉えるあたり、それらの彼岸が勝新太郎の念の中にあるといった物言いが、湯浅イズムなのだろう。Jポップへの嫌悪感の正直な発露も、Morris.には親しい思いを抱かせる。

つまらないことならやらないほうがいい。と思いながら、仕方ない、と思ってやるようになったのは、何歳ぐらいのときだったか。清志郎の歌を聴くとそんなことをぼんやりかんがえたりすることがよくある。
文庫本の字が見えにくくなるとか、思いのほかすぐに酔いがまわってしまったとか、階段で息切れがするとか、そういう肉体のサインで気づく老いは虚しさより も危機感とか苦しさとか不安のほうをもたらしがちである。それよりももっとはるか彼方と身近な現実感との差について、突然考えさせられる言葉や音、色や臭 い、感触といったものに接したときのことを清志郎は何度も繰り返し重ね重ね音楽で伝えてきた。意識的なこともあるにはあるが、それは無意識の作用である。 考え考え、調査研究、落としどころを吟味して周囲の意見もあれこれ耳を傾けつつ、試作を繰り返して、結果ここまで来ました、というような作品はない。そん なことをすればするほどイモなものしかできない。そんなことは若いころにそれこそ繰り返し身に染みて知らされたことだからな。リサーチ&デストロ イなんてうまくいって虚しいもんだ。
世間知らずとか青いとか、でたらめとか、そういうことがロックの素だ。(「清志郎のあおさは聴き手の青さを裏切らない」2006)


清志郎のロック魂はMorris.も認めるところである。
上の引用中「思いのほかすぐに酔いがまわってしま」うとうところが、このところのMorris.に顕著な兆候なので、つい気になってしまった。


030

【ラジオのこちら側で】ピーター・バラカン ★★★☆ 土曜日朝の「ウィーク エンド・サンシャイン」は、仕事ない日はよく聴いている。ロックやブラックミュージックへの造詣の深さはもちろん、最近はワールドミュージック関連情報は ほとんどこの番組で教えられている。ピーター・バラカンは少なくともMorris.よりきちんとした日本語を話すイギリス人である。
1951年ロンドン生まれ、1974年に来日してシンコーミュージックに入り、YMOの事務所で英語関係の仕事したりしながら、DJや司会の仕事を中心に、現在はブロードキャスターを名乗っている。
岩波新書で彼の自伝みたいなものが出てることを、沼部信一さんのブログの中の「音楽を紹介する司書が必要だ」という記事で教えられた。それを灘図書館で見つけて早速借りて、一気に読み終えた。
Morris.のへたれな感想より、沼部さんの紹介を見てもらったほうが手っ取り早いと思う(^_^;)

やはりぼくはディスコが好きになれないようです。ソウル・ミュージックのファンキーな「黒いノリ」が大好きな人間ですから、一定の機械的なリズムがひたすら続くノリが苦手なのでしょう。

ワールドミュージックと言いながら、ほとんど韓国音楽を紹介は無かったような気がする。上記の引用からすると、少なくともMorris.の一番好きなポンチャックディスコメドレーとは、とことん相性悪そうだな(>_<)


029

【音楽が降りてくる】湯浅学 ★★★☆☆ 幻の名盤解放同盟、ディープコリアなどでお馴染み、とはいうものの、彼の単独著作を読むのは初めてかもしれない。本書は、近年のライナーノーツや、コラムなどを集めたもので、表紙の古い三味線を持った日本女性の写真に惹かれて手に取った。
「音楽が降りてくる」全体を「福は内(邦楽編)」「鬼は外(洋楽編)」で二分しているのも洒落ているし、なかなか鋭い指摘が多く、面白かった。文章にもリズムがあり、様々な文体を使い分けるあたり、かなりの達人だと思う。

ラテンがいくつもの複合リズムで、新しいビートを伝えていた。美空ひばりはそれに丁寧にひとつひとつ対応し ていた。ここまで多彩に消化している人はかつても今も、他にはいない。このコンピレーションを聴けば、作曲者編曲者の意図以上のものに仕上がったのではな いか、と思えるものばかりだ。美空ひばりは、自分流に誠実に対応していただけだったというのかもしれないが。作曲者が繰り出してくる各種リズムを、ひとつ も苦にしていない。驚くべきことだ。自分のスタイルに強引に引きずり込んだような解釈がひとつもないのだ。武術でいえば自分の間合いを変えて、相手の間合 いで闘っているようなものでも、ひとつもゴマかすことなく、新しい日本の歌の実験が繰り広げられている。
リズムにのる、ということはビートをつかまえる、ということである。リズムを取り入れる、ということはビートを解読する、ということである。
リズムとビートがわかっているからといって、のりがいいとは限らない。のりの良し悪しは身体反応が決定するからだ。
リズムにのって歌う、ということをスポーツにたとえるなら、小唄、長唄、追分節から馬子唄、ラテンを総なめし、カントリー、ジャズ、ロックを完璧にこなし、もちろんバラードならあらゆる叙情と一体化できる美空ひばりという人は、史上稀なるマルチ・アスリートである。
かつて、70年代初頭に、"日本語はロックにのるかのらないか"といった論争のようなものがあったが、こうして50~60年代の美空ひばりのリズム歌謡を 聴くと、重要なのはのるかのらぬかを吟味することではない、とわかる。美空ひばりは、日本語をリズムにのせているのではない。リズムを日本語にのせている のだ。自分自身のビート感で様々なリズムを"日本語化"してしまうのだ。日本語として不自然な発語がひとつもないのは、そういう高い、ほとんど名人芸とい える音楽的解読力による。種々のアイデアを活用した当時の名コンポーザーたちの技の数々もあらためてけんきゅうされねばなるまい。
おそるべき音楽人、美空ひばり。その凄さはまだまだ真に解明されてはいない。(2006「剣術とロックンロール」美空ひばり「ミソラヒバリ リズム歌謡を歌う」 1949-1967)


ああ、美空ひばり。同時代に生きていたのに、どうして一度も生のステージを見なかったのか。悔やんでも悔やみきれない。
ひばりの洋楽といえば「上海」(1953 ドリスデイのカバー)を思い出すのだが、「ロカビリー剣法」(1958)なんてのは、ハチャメチャながら、一部の隙もないって感じだものなあ。作詞作曲が米山正夫というのを知って、驚いた。
日本語とロック、あるいはラップとの相性云々の談義は、Morris.の周辺でも聞いた覚えがある。談義より実践であるにちがいない。ラップに関しては、日本語はかなり不利な気がする。韓国語とラップはすごく相性がよさそうだ。

情を交わすということのヴァリエーションが、男女のデュオ歌謡によって探求されてきたのだと思う。ひたすら な悦楽の追求、いちゃつく喜びのあからさまな提示、お互いの傷をなめ合う悲壮な確認作業、浮いた恋情の戯れの記録、いずれ越えるべき一線を死守せんと無理 に無理を重ねている擬似清純派のあがきなど、明朗なものから悲哀ベタベタなもの、単なる遊びと、様々な男女デュオが有名無名、数多く世に送り出されてき た。"「あなぁた」「なーんだい」あとはいえない二人は若い"という若夫婦のベタな営みをほのぼの暗示したディック・ミネと星玲子の「二人は若い」は昭和 10年(1935年)の作品だ。男女がデュエットする作品はそれ以前からポツポツあったが、この曲ほど"二人の姿が見える"、つまり情交の様子を勝手に想 像できるヒットはなかった。
二人の立ち位置や下心のありようの差によって各曲の様相に違いは生じるものの、歌謡曲としての構造が大きく変わっているものはそう多くない。橋幸夫と吉永 小百合の「いつでも夢を」(62年)が日の当たる場所での淡い交情の代表的ヒットだとすれば、さくらと一郎の「昭和枯れすゝき」(74年)は日陰の大代表 である。夜の世界のさばけた(酔いのまわった)交情ならば石原裕次郎と牧村旬子の「銀座の恋の物語」(61年)にとどめを刺すだろう。ヒロシ& キーボーの「三年目の浮気」(82年)は夜の世界で遊んだ結果のドメスティックな諍いをポップに処理したヒット作だった。無数に生み出された演歌系男女 デュオ作のほとんどが、これらの作品のヴァリエーションでしかなかった。カラオケが一般化してからはさらに、実のない、男女の軽いじゃれ合いの道具として の使い道のみが考慮されたものが氾濫した。(2003年 男女交わって歌は不滅なり)


デュエット曲というのは、気恥ずかしくてMorris.のレパートリーにはほとんどないのだが、チャンユンジョンとナムジンの「タンシニチョア あなたが好き」だけは、機会があれば歌ってみたい一曲である。
それにしてもディック・ミネという歌手は、色んな意味で日本人離れした歌手のようだ。朴燦鎬さんの「韓国歌謡史」によると、朝鮮のオーケーレコードから、朝鮮語の歌を数曲発売してるとのこと(@_@) これは機会があれば聴いてみたいものである。

俺はこんな商売をしていながら名付けられない。それまでの多くの分類のどれかにすんなり収められないもの を求めてばかりいるからなのだ。そうした感覚/希求を俺は、多くの人にロックと呼ばれている音楽によって教示された、としか思えない。見せかけの教条主義 に反抗あるいはそれを否定するためのエネルギーの塊。それが仮に"ロック"と呼ばれるもの(音楽であり志向)だと、二十数年前、当時のお兄さんやお姉さ ん、諸先輩方に教えていただいた。だからロックだろうとジャズだろうと、ひとつの大きな様式としてそこに優劣を決する価値体系を築くようになったら、それ をまたロック(と呼んでもさしつかえないようなエネルギー)によってぶちこわさねばならないのだ、と。だからこそロックは、かりそめで抽象的ではあるがか つて"自由の象徴"などと呼ばれたりしたのだ。(1998 新たなる"衝突と即興"を求めて)

Morris.はきっと「ロックを理解できない」人間なのだと思う。ソウルのHachiさんなどは「ロケンローラ」だから、この反抗を確信犯的に実践してるのではなかろうか。


028

【アラビアの夜の種族】古川日出男 ★★★★ 古川の出世作で、読まねば、と おもいながら、なかなか読むに至らず、やっと数日前に読み終えた。これまで読んだ古川作品の中でも最高の作品だと思う。なかなかすんなり読み進めることが できず、夜と朝ベッドで読むことにしたのだが、ほぼ1ヶ月近くかかってしまった(^_^;) 中断期間もないのにこんなに長引くのは、数頁読んで寝てし まったり、ということもあったからだろうが、めったにないことである。
舞台はナポレオンが侵略する前後のエジプト。エジプトの貴族の一人がその奴隷アイユーブを通じて、「災厄の書」の語り部を呼び寄せ、毎夜の物語を書記に口 述筆記させ、その物語と日々の現状を交互に織り交ぜて不可思議な幻想世界を繰り広げる。つまりは「アラビアンナイト」の新しいバージョンとも言えるのかも しれないが、古川の力量を存分に味わうことができた。
蛇族の魔女に支配された地下都での3人の勇者(魔術師)の千年以上にわたる争いの部分は、何となく、電子ゲームの世界を連想させるのだが、精緻な細部の描写、とんでもないスケールの大きさ、奇想天外な舞台設定と物語展開に、すっかり魅了されてしまった。
設定では古川がサウジアラビアにでかけて偶然手に入れた英語版の本書の邦訳ということになっているのだが、、ルビを多用した贅沢豪勢な語彙にあふれた文章も瞠目すべきだろう。
そもそも本書のテーマの一つが書物(小説)の力への信仰めいた価値の称揚だと思う。

その夜は短かっただろうか? その夜は長かっただろうか? いや、どちらかを択びとることはできない。どち らでもあったのだ。物語の記憶が--唯一の語り部を名告るズームルッドから--聴衆のそれぞれにむけて播種(はしゅ)されるとき--時間はゆがんでいた。 終夜(よもすがら)、その美しい女の口からアーダムという、もっとも醜い男の物語(おはなし)は譚られて、現在と千歳の往古はとり換えられたのだった。千 歳がひと晩に圧縮され、ひと晩は百年の十倍にもひき延ばされた。物語は一瞬のうちに無限を孕み、永遠をも予示する。
夜一夜(よつぴて)の無限。


女性語り部の最初の一日が終わったところだが、「千歳がひと晩に」とか、「ひと晩は百年の十倍にも」というのは、作者からの「千一夜物語」への挨拶なのだろう。このての数字表現は全編を通じて現れる。

このように、緒戦に参与せずに袖手傍観し、後方にて(気配を忍ばせて)待機するように指図したのはファラー そのひと、作戦上の肝要事でございました。ですから、サフィアーンは傍観者の立場をつらぬいて、なかば呆然と眼前におこなわれる秘術と奇蹟の数々を刮目し ていたのでございます。
もとは一頭の牡獅子だった魔蠍と犲(やまいぬ)の血戦は、瞬き十四回ほどの須臾にして拮抗やぶれ、アーダムが傀儡としている側がいよいよ優位に立ちまし た。ですが、とどめを刺される瞬間、犲はぱっと身を離して俊足の鬣狗(ハイエナ)に変じます! すると毒蠍と獅子のいやらしい雑種である妖獣はジャッカル に化けて、これを追います。足の捷(はしか)さよりも体躯の巨きさが要るようになった鬣狗は野牛となり、他方、ジャッカルは巨象になり、この闘いも互角と 見るや、ふたたび俊敏さの勝負にでた野牛は黒貂に、しかれども地上での生物のままでは雌雄を決するのは至難の業と判断した巨象は、いきなりポゥッと湧いた 火焔と化して黒貂をつつみ、と、焼かれる黒貂をあやつっていたファラーは、石室の虚空に墨つぼと一枚の紙片を幻出させて、なにごとかここにしたためて、す ると今際の絶叫をあげていた焼死なかばの黒貂の頭上に、たちまち豪雨が! 消される魔焔は、しかし一転、水を浴びてこそ意味をなす水車(サキア)に変じ て、さらに魔的な活力を蓄えます。! まことにはや、妖術の神秘を知らぬ者には想像を絶する一騎打ちです。水車を破壊するために顕れたのは黄金の鬼斧、こ の純金の斧の刃を溶かして殺すのは溶鉱炉、水車は一基の--鍛冶屋のしつらえている--炉に変化して、ですが純金製の斧は滅びると見せかけて鎔解されなが らも上記にその身をやつして炉外に逃げおおせ、得意の生物の姿にふたたび遷って家鼠となって石甃(いしだたみ)と自称「勇者」たちの骸骨のあいだを走り、 ならばとばかりに炉は猫に、それから両者が変じるのは瘤の三つあるワクワク諸島に産する駱駝、蹄鉄をうちつけられた海の牝馬、絶叫する魚、千に一つ足りな い数の卵から生まれた妖鳥の群れ、おびただしい数でそれに勝る毛髪をなびかせた拳大の蝗。


物語の主人公三人の闘いの描写見本として引用したのだが、実はこの後に「はたで手をこまねいているサフィアーンにも看取できて、坐視を強いられている立場 だからこそ危ぶんではらはらのしどおしですが……」という文が出てくる。Morris.が目のかたきにしている「こまねいて」の登場である。本書の評価が これで☆一つ減じただろうと思われる(^_^;) 引用の中に「袖手傍観」という「拱手傍観」の類語が出てくるし、こまねいての後には「坐視」というほぼ 同じ意味の語彙が出てくるだけに、目障りに思えた。

一瞬(ひとまたたき)、それが千の場面。人間のわたしが海についてなにを語れましょう? しかし、語りま しょう。貝類の憎悪、群棲する小魚たちの集団幻想、鰓の論理。鹹水に生息するあらゆるものたちが、大海をかたち作っています。海底(わたのそこ)には海藻 と海草が、根づいて、ただよって、潮になぶられて陽光を夢幻のなかに透視します。烏賊の性欲と食欲があり、あざやかに色彩を演じながらの変身が夢見られま す。海獣、大亀、巨魚、大蛸、八本の脚と十本の脚が幻視されて、吸盤はそれぞれの独立闘争をくり広げます。深海の怪物が水母に変じる夢想におぼれて、稚魚 の大群が鮫に怯えている夢に怯えています。いかにも、魚群は千の集団で夢路をたどりながら、千尾がただの一尾として--巨大な、あらゆる水妖を撃退できる ほどに巨きな--単一の夢を構成します。

これも「千一」の繰り返しだが、海の世界を夢幻的な描写で捉えているところが印象深かった。烏賊と蛸と水母……Morris.好みの海の生物登場だが、こうなると是非海鼠の怪物も登場させてもらいたかった。

すべての書物の表面に光沢がある。扉には嵌入された宝玉があり、金箔が、象牙細工があり、洗練をきわめてい る。芸術の範疇において美しい。では、なかみは? 内部には--たとえば--智慧がある。豊かな詩情があり、あふれんばかりの物語がある。宇宙誌学があ る。いってみれば封じこめられた世界(このよ)がある。

アイユーブが仕える貴族イスマーイール・ベイの図書館。これはボルヘスの図書館からヒントを得たのかもしれない。世界を封じ込めた象徴としての図書館というイメージは、bookishな人間にはたまらん魅力がある。

群棲する巨樹の奥津城、そそりたった棘(おどろ)の敵愾心、あるいは自惚れ、唯我独尊の態度。なびいている蝶(かわひらこ)どもの、蛾(ひるこ)どもの鱗粉が、砂塵となって夢の空間のこの世の涯てにふり、目と鼻の先に剽軽な地虫の笑いが浮かんでいます。

蝶や蛾の古語のルビがMorris.を喜ばせてくれた。ルビについては後述する。

書物とはふしぎです。一冊の書物はいずこより来るのか? その書物を紐解いている、読者の眼前にです。読者 は一人であり、書物は一冊。なぜその一冊を選んでいるのでしょう。ある種の経過(なりゆき)で? ある種の運命で? なぜ、その一冊と--同じ時間を共有 して--読むのでしょう? 読まれている瞬間、おなじ時間を生きているのは、その一冊と、そのひとりだけなのです。
一冊の書物にとって、読者とはつねに唯一の人間を指すのです。
だから、どのような経緯で?
強制?
偶然?
だから、運命?
わたしは惟うのですが、書物はそれと出遇うべき人物のところに顕われるのではないでしょうか。
書物じしんの意思で。

愕然として、アーダムである魔王サーフィンは咒(かしり)を発するための行為を停め、呪文を停め、あらゆる動作を停止させて、下顎をガクッと落とします。
茫然自失として、みずからの著書であるファラーを見て、つぶやきます。
「もうページはない。おれは終わった」
それが敗北の宣言でした。
その一瞬、ファラーは生きている一冊として、書物がついに作者の手を離れたことを識りました。
どのようにでも攻撃可能な高みに、ファラーはいました。
優位に立っているのは、書いた人間(もの)ではない、書かれた人間(もの)だったのです。


古川の自作解説とも思われる部分であるし、三人の勇者の争いの結末というネタバレ引用だが、本書の複雑な構造に鑑みて、大して問題ないと思う。

暴夜(アラビア)とルビをふるとき、すこし昂揚する。日本語がなんだかバイオレントな跳躍をはじめるよう な、攻撃的な印象をおぼえてしまう。暴れ馬のような、そして薄い青い月光にさらされているような。もちろん、砂漠だって見えてくる。はるばると駱駝に乗っ て、ゆられてゆられて進んでいきたい砂漠だ、僕だけだろうか? 個人的な感覚なんだろうか?
でも、そんなふうに、ルビをふってみたいと思った。


これは「あとがき」の冒頭である。本書の文体の特徴の一つにルビの多さがある。「暴夜(アラビア)」は掛詞めいたちょっと特異な例であるが、一部を抜き出してみた。

・密計(たばかり)・油断(すき)・秋(とき)・術計(はかりごと)・術策(わな)・徒歩(かち)・転(く る)めく・擒(とりこ)・仮構(つくりごと)・契約(ちぎり)・風聞(うわさ)・運命(めぐりあわせ)・拠点(あしば)・剣戟(けんげき)・赫(かがや) かす・鏖殺(おうさつ)・実(げ)に・挽輸(ばんゆ)・出自(みもと)・処理(こな)す・目標(あて)・鞏固(きょうこ)・凝乳(ヨーグルト)・喘鳴(ぜ んめい)・憶測(うわさ)・活躍(はたらき)・現象(じたい)・処理(こな)す・話術(かたり)・仆(たお)れる・瞬間(たちどころ)・無愧(むぎ)・都 邑(まち)・余類(いきのこり)・平素(いつも)・殉(したが)う・遇(あしら)う・自尊心(うぬぼれ)・歴然(ありあり)・一族(はらから)・号(さ け)ぶ・背後(しりえ)・拠点(あしば)・陣営(あしば)・中断(とぎ)れる・食蛇獣(マングース)・拿捕(とら)える・苔砌(たいせい)・殃咎(わざわ い)・最後尾(しんがり)・片鱗(きれっぱし)・侏儒(ひきうど)・露見(ばれ)る・疱瘡(いもがさ)・細工(しかけ)・手中(たなうち)・鳩(あつ)ま る・最後(いやはて)・緑野(オアシス)・虚偽(ガセ)・夢寐(むび)・瞋恚(しんに)・破摧(はさい)・房戻(ぼうれい)・示唆(たすけぶね)・氷面 (ひも)

圧倒的に漢語を和語に置き換えた物が多い。それも、かなりに捻ったものが目立つ。まさに「訓(よ)み仮名」とでもいうべきなのだろう。ある意味、本書が 「翻訳」されたものという体裁を整えるための技とも言える。この他、漢字語にカタカナでアラビア語のルビというのもかなり多用されているが、これは省略し ておく。

本書を読み進めながらいつも頭の隅に、Morris.愛蔵本の一冊「アラビアンナイト物語 井上勤訳」があった。
Morris.にとってアラビアンナイトといえば、バートン版でも、少年少女世界文学全集本でもなく、漢文読み下し調のこの一冊だった。大正時代の本(正本は明治だろう)だから、総ルビだが、今回改めて見なおしたら、古川作品の文体に通じるものがあると思った。
パソコン上でのルビ表記は面倒臭いものの一つで、Morris.は( )で代用してるが、さすがに総ルビというのは負担がかかりすぎるので、ルビなしでも読めるものは省略して、一部引用しておく。
シェラザードが、王のもとに罷り出て、話を引き伸ばす算段を妹に指示する場面である。

偖(さて)王の臥戸に入りて暁近くなりし時、おん身妾(わらは)を揺り動かし、喃(なう)姉君よ目醒したま へ、最早(もはや)東白(あく)るに間もなきに、お顔を拝むは今霎時(しばし)、只纔(せめ)て現世(このよ)のお名残に今迄多く読みたまひし書籍(ほ ん)の中なる話説(はなし)を語り聞(きか)したまへと、最(いと)悲惨(かな)し気(げ)に云ひたまへ、妾は其の時おん身に向ひて最(いと)おもしろき 物譚(ものがたり)を口に任して語るべし、左(さ)すれば、頓(やが)て夜の明て話説(はなし)は途中に跡継(とぎ)れなん。
人の情(じやう)とて聞かけたる話説の終結(をはり)を聞かざれば、物足(ものたら)はぬ心地すなるに王は必らず物語の終結(をはり)を聞んと思ひたまひ て其の日は妾を殺したまはず、次の宵まで置きたまはん、此の手段(てだて)にて次第々々荒(すさ)ふる王の御心(おこゝろ)を和(なだ)め柔らげ府中の人 の悲嘆(なげき)を済(すく)ふ妾が心底、嗟(あな)賢人(かしひと)にな語りたまひぞと、云へば妹は打点頭(うちうなづ)き仰せ畏(かしこ)み候ひぬ、 よく為(な)したまへと回答(いら)ふるにぞ、姉は喜こび暫(しば)らくして妹に別れの言葉を述べ、乳に従がひ健々(いそいそ)と王宮指して赴(おもむ) きぬ。


ああ、こちらも、再読したくなりそう(^_^;)。


027

【海野和男の昆虫撮影テクニック】★★★☆☆ 2012年新光社発行。1989年に出た同じ著者の「昆虫写真マニュアル」を10年ほど前に読んで感心した覚えがある。

「昆虫写真マニュアルは」フィールドフォトブックというシリーズの1冊で、89年の本だから当然デジタルカ メラではなく光学一眼レフのための昆虫写真のマニュアルである。光学カメラとは最近まったく無縁のMorris.なのだが、本書から教えられたことは多 かった。なんといっても昆虫写真の第一人者というか、空前絶後の人だけに、多数収録されている写真見るだけで、ほーっと溜息つくばかりだった。
最近は彼もデジカメを多用して、先般岩波ジュニア文庫でやさしいデジカメ自然撮影入門みたいな本も書いてるが、やはり本書のようにしっかりした機材と、技 術を駆使しての基礎があるからこそ、デジカメもちゃんと使いこなせているということがわかる。Morris.とは無限の隔たりがあるが、それなりに参考に なることがたくさん書いてあってありがたかった。(2003Morris.の読書控えより)


本書は「デジタルカメラによる」と銘打ってあるとおり、満を持してのマニュアル本である。デジタル一眼レフ、ミラーレス一眼、コンパクトデジカメそれぞれ に対応、とはいうものの、やはり主軸は一眼レフで、Morris.とはあまり縁がないようでもあるが、前作と同じく、いや、それ以上に参考になるところ 多々あった。

広角撮影で深い被写界深度がほしいときコンパクトデジカメを使います。このようにコンパクトデジカメを使う場合、まずマクロ機能が使いやすく、マクロにセットしたまま電源を切っても再び電源を入れたときにマクロモードが維持されるカメラが好都合です。

Morris.が現在使ってるコンパクトデジカメは、電源切ったらマクロモードは解除されて、標準モードになるが、Morris.は昆虫写真専門ではないので、これはかえってありがたい。明るさやISO、色彩などは電源切ってもモード維持されているからまったく文句なし。

昆虫写真では、目にピントを合わせると、他の部分にピントが合っていなくても綺麗な写真になります。特に絞りを開けて撮る場合には、目にピントを合わせることを第一に考えてください。
写真では絞りを開けた被写界深度の非常に浅い状態でも、カメラに平行な平面には必ずピントを合わせられます。このピントをあわせられる平面上に昆虫の目がくるようにすれば良いのです。


昆虫の目はトンボなどのように大きいものもあるが、たいていは小さいから、ピント合わせには苦労する。特に最近のコンパクトデジカメは裏の液晶画面のみで ファインダーがないので、細部が見づらい。ピントの合うのはレンズに対して同一平面、というのは、言われて見ればあたりまえのことなのだが、言われるまで は解ってなかった(^_^;) 前の本では、ピント合わせたいところを3点にしぼって、その三角形とレンズを平行にする、という実践的な書き方をしてあっ た。

ぼくはなるべく昆虫のいる高さからカメラを構えることにしています。そうすることで"虫の気持ち"になれるような写真を撮れると考えているからです。

Morris.@Catographerモードのときは、Morris.も極力猫と同じ高さ(ローアングル)で撮影するようにしている。昆虫の場合は小さいから、接写になる事が多いから、自ずと同じ位置になりそうだ。

ズームレンズの場合は、できるだけ背景が離れている方が汚いボケが目立ちません。魚眼レンズや広角レンズでは空間を感じさせる低い位置からのアングルを選びます。

このところ、旧いビデオカメラの魚眼レンズの使用が激減している。これは、現在使ってる機種との相性が良くないからだが、また使う機会があれば、仰角構図を心がけることにしよう。

ディフューザーはトレーシングペーパーなどで作ることもできます。クリアファイルを適当な大きさに切り取って、間にティッシュペーパーを挟むだけで、とてもよく光の回るディフューザーができます。

ストロボの光をやわらげて、被写体全体に光を回すためのディフューザーの存在は知ってたが、手造りは思いつかなかった。是非自作してみたい。

自然光の取り込みを防ぐには、まずマニュアルにセットします。シャッターは1/125秒か1/250くらい に設定して、ISO感度は200、絞りはF16くらいにして撮影すると、被写体はほぼストロボのひかりだけで露光されます。絞りを絞り込むと被写界深度も 深くなるので、画面の隅々までシャープな画面が撮れます。
しかしこのように撮影すると、ストロボの光が届かないところはほぼ真っ暗に写ってしまいます。まるで夜に撮った写真のようです。


ストロボ使うとき外光に影響されず動きを止めるための方法で、これだと昼間でも夜に撮ったみたいになるとのこと。これもMorris.にとっては面白い写真撮るヒントに思えた。

逆光条件で補助光としてストロボを使うときの基本は、自然光はマイナス補正、ストロボ光は背景の明るさによ り補正を加えることです。背景が暗めの場合は昆虫が露出オーバーになりやすいのでストロボをマイナス補正するのが基本です。逆に背景が明るい逆光の場合 は、ストロボは補正しないか、+1くらいの補正をするのが基本です。

ストロボは滅多なことでは使わないMorris.だったが、海野さんは積極的に使いまくっているらしい。たしかに動きを停めるのには一番簡単な方法であることは間違いない。これからは色々試してみたい。

セミが多く羽化するのは、通常、日暮れから21時頃までです。

これは、Morris.がずっとセミの羽化は夜明け前に多いと思い込んでいたのを是正してくれたという意味でチェックした。


026

【リアル・シンデレラ】姫野カオルコ ★★★★☆☆ 2006年から2008年にかけて「小説宝石」に掲載されたものを下地に、構想を練り直し、新たに書き下ろされたもの。
思い起こせば、Morris.にとって2008年は姫野カオルコイヤーだったといえる。突然はまって、10冊以上をたてつづけに読んで、その半分くらいが 黄色枠(イチオシ)ランクだった。しかしその後は、すっかりごぶさたしてた。単行本化が2010年3月だったため、この作品はちょうどエアポケットになっ てたようだ。
小さな編集プロダクションの社長と、女性ライター(姫野の分身と思われる)が、シンデラ物語を翻案する企画を立てたが、違和感を感じて、1950年生まれ の無名の女性「倉島泉(せん)」の長編ノンフィクションに企画変更することになり、その周辺のひとびとへの取材を通じて、彼女の一代記を構成する。

「いいじゃん。有名人の成功談や一代記なんか、もういっぱいあるじゃん。ごくふつうの人なりにものすごい幸 せだったら、そのほうがすごいじゃん。きみ、ぜひ泉ちゃんの取材したまえ。rich and happiness。 good and beautiful」富み善き美しきお姫様の物語。矢作は繰り返した。

おお、これはMorris.が姫野カオルコ作品中一番好きだった「ハルカエイティ」に通じるタイプの作品のようだ。大いに期待を持って読み始めたが、期待は裏切られなかった。いや、期待を大いに上回る好作品だった。
女性ライターがインタビュー取材する部分と、構成された部分と活字の種類を変えるという芸の細かさも大きな効果をあげている。表紙を飾るポール・デルヴォーの「Crysis」もはまっていて、装幀の「オフィスキントン」というのはなかなかの芸達者である。
1950年生まれといえば、ほぼMorris.と同世代である。舞台は長野の諏訪だが、同じ時代の空気を体感できるという余徳にも預かった。たとえば昭和31年(1956)の経済白書引用を含んだこんな場面。

当時の日本は経済復興に驀地(まっしぐら)であった。そして事実、頑張れば頑張っただけ国民の目に成果が見えた。がむしゃらに働くことがたのしかった。数字となって即、反映されるのだから。
《もはや戦後ではない》
まだ敗戦の影をひきずっていたからこそ経済白書はこの表現を使ったこの時代、多くの親は自分の子供に対して現代より神経質ではなかった。
子と親はもっと単純な関係だった、養われる者と養う者。庇護される者と敬われる者。太く強い「家」が在って、その中で子と親は現代より単純に暮らしていた。


Morris.のばやいは、かなりずれてたが、気分的にはたしかにあの時代はそんなだったなあ、と、共感を覚えた。

酒が入ると、おうおうにして人は感情的になり、おうおうにしてがさつになり、声が大きくなり、同じ冗談や同じ話題を馬鹿みたいに繰り返す。果ては愚痴ったり泣いたり、威張ったり喧嘩したり、暴力をふるったり好色になったりして、品性が卑しくなるのが常である。
だから酒を飲まない人間からは酒飲みは嫌われる。しかし、酒を飲む人間からすれば、酒を飲まずにいられる人間は、たとえそれが体質に因るものだとよくよく解っていても、冷血の、つまらぬ小役人に映るのである。
小さな小さな、取るに足らないほど小さな温かいことが、一日のうちに一つか二つ、よくできた日なら三つか四つほどおこり、夜が来てその日が終わり、次の日 になってまた、一つか二つおこり、次の次の日になって、一週間がたち、ひと月がたち、一年が過ぎ、人は暮らしていく。それが何にも勝る幸福であることを、 少量をきれいに飲みさえすれば、酒は思い出させてくれる。蕗の葉の下にいるコロボックルのような、雁の羽に乗ったニルス・ホルゲションのような小さな小さ なサイズの発見やよろこびや夢やうれしさや期待を。


これは、ストーリーとは関係なしに、酒の飲み過ぎへの提言として耳を傾けておきたい(^_^;) そうだよな。酒は適量なら魔法の水なのだ。
泉が育ち、暮らし、発展させていった料理旅館の名前が「たから」というのも、象徴的であるし、実の母親に愛されず、その愛情を一心に集めるのは、美しくて身体の弱い妹という設定も、従来のシンデレラ物語の裏返しだろう。

《その人、その人いなくなると、その人じゃない人困らせるため生きてない。生きてる人、生きてるから生きてる。
あなたこれから中学なる。中学なったら小学ほど一週間長く感じなくなる。高校なったら中学ほど一学期長く感じなくなる。
なにゆえか。生きてるの、本当はいと短きあいだだから。大人になるの、生きてるの、本当はいと短きあいだなこと理解することだから》
そして貂に似た人は室内に入って来た。走り高跳びの選手のように<はさみ跳び>でぴょんっと桟を越えた。
《死はすぐそこにあるゆえ、あわて死にするべからず》
死はすぐそこにある。小六の子供は、死の近さを初めて感じた。
《あなただけない。生きてる人、みなすぐそこにある死に向かってるから、こわがらなくてもよいざんす。生きてるあいだは生きているあいだを楽しく過ごすざんす。
あなた、あなたない人の靴を履いてはいけない。あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい。さらば、あさにけにかたときさらず、ハッピ過ごせるざんす。ハッピの人のそばいる人、いやな気分ならない》

泉は団子を頬張りながら、未来のナースに答えた。
《自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分も嬉しくなれるようにしてください》
他人の幸福がわがことのように感じられるよう、他人の幸せをわがことのように喜べるよう、泉は願ったのである。
《えへへ。我ながら名案だったずら。他の人のラッキーポイントも自分のポイントカードに加算されるずら》
頬に団子の餡がちょこんとついていた。ラッキースタンプのように。

幼い泉の前に現れた貂のような「異人」のことばと、お約束の「三つのお願い」に対する泉の対応。この三番目の泉の願いこそが、本書の眼目だろう。
「博愛」というお題目を超えてストレートに伝わってくる新鮮で強烈なメッセージである。シンプルなのにディフィカルトな(^_^;)この願いが叶えられた 暁には、アンビリーバブルな夢のような世界が現出するだろう。…………とはいいながら、これはやはり、なかなかに実現不能な、お伽話の世界にしかありえな いことだろう。本作品は姫野カオルコならではのシンデラ・ストーリーであり、夢を見させてくれるという意味ではありがたい贈り物だった。
しかし、この作品の底を流れる「優しさ」は、本書の主人公と同じ名を名乗る漫画家川原泉の世界を連想させる。Morris.には掴めそうで掴めない世界だが、ほんわかと憧れてしまう。これまた、一種のユートピア小説でもあるのだろう。

本書のあとがきは不思議なことに、ネットでのみ公開されている。
リアル・シンデレラができるまで
リアル・シンデレラあとがき
これらを読むと、姫野は雑誌掲載の時期にかなり体調を悪くしていたようだ。
本書は直木賞の候補になって、あえなく落選したらしいが、これは選者の鑑識眼の無さを証明するものだろう(^_^;) 
本書は今年のMorris.の読書のナンバーワンになる公算が大きい。
作者に心より感謝を捧げたい。ゆっくりでいいから、またこのての作品を書いてもらいたい。


025

【幸いは降る星のごとく】橋本治 ★★☆ 橋本治はMorrisにとって一番気にかかる同世代の論客である。いや、であった、というべきかな。それも、エッセイ、評論、時評などのみに関する評価 で、創作(小説)、古典(枕草子、源氏、平家、徒然草)の現代語訳などには、何か肌に合わないものを感じていた。肝腎の評論系統も、以前の精彩を欠いてる みたいで、このところほとんど読むことがなくなっていた。
本書を手に取ったのは表紙のジョルジュ・バルビエのイラストが目を引いたのと、金坪真名子(本名)という女芸人が主人公ということで、なんだか面白そうに思えたからだが、読後感としては、「やれやれ(>_<)」だった。
主人公と同級生で結成した漫才コンビ、その他、どことなく冴えない女芸人数人の芸歴? が横道、脇道にそれっぱなしで繰り広げられるのだが、盛り上がらないことおびただしい。
まあ、腐っても橋本(^_^;)で、部分的にはユニークな解釈、うがった意見もなくはないのだが、これって、わざわざ小説で開陳するたぐいのものでもないだろう。

たとえて言えば、金坪真名子は一本のさえない割り箸である。男というものは、スイッチを入れると「ウィー ン」と言って回り出して、甘い綿状のものを発生させる綿菓子製造機である。金坪真名子は割り箸になって綿菓子製造機の中に突っ込まれ、甘いふわふわの砂糖 製の雲に包まれてみたいのである。更に言うなら、その砂糖製の甘いフワフワの雲は、ピンクの色がついている方がいい。

金坪真名子は、自分のファッションセンスに自信がない。「着る人間は自分だ」と思うと、どうしても腰砕けになって、「ファッションセンスのない女が選びそうな無難なもの」ばかりを選んでしまう。
ブスとかなんとかいうのは、実は容貌外見の出来不出来で判断されるものではなくて、着ているもののセンスで判断されるようなものなのである。「どうせ私は --」と思ってる女が、その前提に乗っかって服を選ぶと、「どうせ私は--」を抜きにして、「えっと、どれにしようかな?」で着る物を選ぶと、「ブス」と は思われなくなるものなのである。

日本の、東京のお笑いは、ネタよりも芸人のキャラを重視することによって、日本特有の私小説化して行った。
「女芸人ブーム」というのは、それ以前にあった「おバカタレントブーム」を受けてのことで「可愛いけどあきれるほど物を知らないバカ」というのがテレビの 世界には一杯いて、それが認知されてしまったのである。TVを見る日本人の多くは、自分のことをあんまり頭がよくないと思っていて、世間の手前このことを 隠して生きて来た。--そのことに疲れて来たので、「あきれるほどものを知らない可愛い顔をした娘」をテレビで見て、あきれて驚き、そして赦したのであ る。バカを赦すと、我が身も楽になることを知ったのである。全国的に「赦し」ということが広がった。「あれはバカではない。キャラなのだ」という適用方式 が広がって、「あれはブスではない、キャラなのだ」という形で、女芸人も人として女として認知されるようになったのである。


おしまいの「おバカタレント」の存在理由は、わかりやすくて面白かったけどね。(最後の☆はこれへの加点)


024

【ドッグマザー】古川日出男 ★★★ 「冬」(「新潮」2010年7月号)、「疾風怒涛」(2011年2月号)、「二度目の夏に至る」(2012年2月号)の三部構成だが、二部都三部の間に起きた東日本大震災が大きく全体の構図を変えることになったようだ。
養父メージの遺骨と愛犬博文を連れて京都にたどり着いた主人公は、匿名の写真モデルをしながら、震災後謎の「教団」のブレインとして入り込み、女院主と師弟とのつながりの中で新しい「聖家族」を作ろうと試みる。
前作があるらしいが、先にこちらを読んでも特に不都合は無さそうだ。

家なしは保険証を持たない。全員ではないにしても九割九分が所有しない。そのために家なしは医療機関にはか かれない。しかし現実に入院してしまえば状況は変わる。病院が生活保護の手続きを取るからだ。すると患者が保険証なし、現金なしの家なしであっても確実に この「生活保護費」から医療費が支払われる。僕は生活保護制度を悪用する手口の類い、たとえば不通の不正受給についてなら一般教養として通じていた。しか し見通されたものは並大抵の事情ではなかった。救急車で搬入される人間に関しては、病院は、即座に現場の判断で生活保護を成り立たせ得る。それはキュウハ ク保護というのだ。
いずれにしても救急搬送された家なしは入院して、その時点でもう生活保護受給者となっていて、病院はいかなる治療も施せる。いかなる高額の手術も、いかな る危険な手術も、いかなる必要性のない手術も実施できる。そして診療報酬が出る、病院側に。もちろん患者が死亡しても病院は困らない、なにしろ苦情を訴え る家族もいない。家なし側には。検査そのものにも診療報酬が出るからその検査で延々と疾患を発見しつづけることもでき、結局は--殺される、というのが事 態の核心だった。そして全員の面だけをしたボランティアと病院側との癒着もあれば、複数の病院間の、情報交換と転院による「利潤」を追求した連携もあるの だとも。いちばん怖いのは大阪の連携(それ)で、しかし去年から京都も同じなのだと。(第一部)


生活保護という、ぎりぎりのセフティネットワークに群がるシロアリたちの話はここ数年話題になっているが、いわゆるウラ世界だけでなく、公共的病院組織で もこのようなことが行われているのか、と愕然とさせられる。小説とはいえ、これくらいリアルっぽく描かれると、とても絵空事とは思えなくなる。

追加の注文は多かった。せんぐりせんぐり来るし、待って、と言ったのは女だった。僕の方にしなだれかかった のも女だった。これイチボ言うのん? と訊いたのは僕で、それは牛の臀部の肉だった。リブ芯も霜降りだった。ギャラには九条葱が添えられていて、女は大仰 に両掌をひろげて歓び、お葱てんこ盛りや、と行った。そしてメインとして女が頼んだらしい丸腸は、大胆なほど太いし、噛む前からプリッとしたした。そして 溶解した。味付けは塩とレモンだった。他には肩の肉のザブトンと上腕肉のミスジをそれぞれ四片ずつ、合わせ盛りで頼み、それらの多彩な、かつ希少な牛の部 位がつぎつぎ焼かれて、匂いがした。

古川作品にはよく料理、食事の場面のマニアックな描写が出てくる(本作品ではセックス描写のほうがくどかったけど(^_^;))。その一部。他の作品でも 出てきた「ギャラ(ギアラ=赤センマイ=牛の第四胃)」はやっぱり馴染めない。それにしても焼肉、たまにはこんな食べ方してみたいな、いや、やっぱり Morris.はミノだけでかまわないか(^_^;)

知られざる動物たちの生態と言ったらNHKのドキュメンタリーが独壇場だが、だが……と言葉を濁してチリュ ウさんが答えた。きょう日(び)はあかん、民放とNHKの動物系の番組に対するスタンスに、差がない、ないのだよ。僕は、以前は違っていて立派だったんで すね、情報源として? と問い、するとチリュウさんの嘆きは一フレーズに落ちついた。
「テレビの時代はお終いなんですな」
毎日が過ぎていく。春。それは白や紫の木蓮でも爛漫の桜でも山吹でも、藤、緋色の躑躅や何種類かの色彩を誇るだろう牡丹でもない。大概はそうだろう、季節 の承認はそれらが与えるのだろう、けれども僕の春は異なる。僕の春はこれだ、ただ過ぎることであって一日一日が過ぎることが持続するし意識的にも持続させ ることなのだとわかる。そうだ、これだ。これが僕の春の内実(コンテンツ)だ。そうして日々が過ぎれば、その経過はゆるやかに規律というか秩序のパターン を炙りだす。(二部)


「テレビは死んだ」というこの発言が後半の、震災後のテレビ報道につながる。春の花として取り上げられている、桜、山吹、藤、躑躅、牡丹、これらはすべて 否定的な選択だが、山吹を連翹に変えれば、ほぼMorris.の好みの花と重なってしまう。つまり、古川とMorris.では、花への嗜好がまるで違うと いうことだろうか。

芸術分野の英才教育はいかに施すのか。特定の資質、ここでは「画才」はいかにして開発可能か。相談役である アートディレクターが、やすやすとこの難問に回答した。予備校講師を雇えばいいと言った。芸大受験のプロフェッショナルだ。芸大受験とか美大受験のな、そ の手の評価報酬の世界に生きているプロフェッショナルだよ、教える優秀さは、数でわかる、「合格者数」って数だ。峻厳なデータって言い切っていいんだろう な、こういう業界だと教える人間の質とかレベルは数値で測れるんだよ。曖昧さはない、そして人気講師を、マンツーマンの家庭教師に買えばいい。マンツーマ ンが肝腎だ、とディレクターは付言した。才能というのはカスタマイズだからな。

これを古山が本気で信じているとしたら「異議あり」である。まあMorris.に「芸術コンプレックス」があるためかもしれないけどね。

消費者の側には肉体の癒しと魂の癒しは別次元という先入観がいまだに根強い、だから魂の癒しだけがヒーリン グと言い換えられた、極めて日本人と日本語に特化したカタカナ使いだ、英語のネイティブには区別がつかない、そのニュアンスが腑分けできない、ここを利用 する、ヒーリングは肉体に対しても癒し(それ)なのだと、いつもの「日本人の間違い英語を正します!」の風潮をサラッと煽って、市場の認識を変える、する と、前世はドラッグストアでも購入可能なものになる、そうした流通に対しての低呼応が減る、大量生産の前世は安いし、カスタマイズされた前世は高い、この 認識もたちまち浸透する。ここからディレクターは、所得の高い人間を狙う戦術を語る。もう霊感商法で壺やら墓石を打ってはダメだ、だいたいIT企業の二十 代三十代の連中が、墓を、考えてるか? しかしこのことは考えたほうがいい、霊魂から色の部分だけをカタカナ語にして、オーラにしたら、誰だって「存在す る」と認識してしまった、まあ認識していないとしても守護霊とかハイこれ胃、それからキツタヌキの低級霊と言われるより信用された、そっちは馬鹿にしても オーラは茶飲み話のアイテムだった、けど、とアートディレクターはふいに意図的な澱みを作って僕に言う、いまは、どうだろうな、いまは二十代三十代の連 中、オーラとは不用意に言わんぜ? この大震災後のご時世に、口にはできない、口にしないって感じじゃないか? ほら、虚しいから。そこのところも、俺た ちは踏まえる。

新興宗教の戦略として、なかなかにうがった考察である。たしかに「ヒーリング」は精神的な癒しと思ってたし、「オーラ」なんて、ついつい考えなしに使う事 が多かった。こういった外来語の微妙な誤解(中途半端な理解)は、かなり広範囲に瀰漫してるようでもある。これは充分気をつける必要ありだね。

震災は起きている。その大震災は国難と断じられて、初めの二週間から三週間、大量の現地報道があり、これが やや収束するとメディアは議論の場となる。意見の正しさのみが競われる。するとテレビは、論客を映す。結局のところテレビは、震災が発生してしまう直前に は「テレビの時代はお終いなんですな」と言われていたのに、圧倒的に機能して、主流メディアとしての死を延期させた。それでもテレビは、境界にあった。僕 は、見た、画面にその野党最大派きっての若い論客を見て、政府機関を西日本に移すべきだとの主張を聞いた。むしろ首都をまるまる西日本に遷すべきではない かとも提議していた。

先に引用した「死んだはずのテレビ」が震災によってサバイバルしてしまった、というのには、共感を覚えた。しかし、野党の論客というのは、ひょっとして、橋下大阪知事をモデルにしてるのかな。よくわからない。
三部執筆の前に東日本震災が起こり、そのために本作品そのものが、無理やり変成させられてしまったような感じがする。端的に言えば成功作とは程遠い作品(彼の力量からすると)ではなかろうか。


023

【「解説」する文学】関川夏央 ★★★☆ 関川がこれまでに執筆した百冊以上の文庫解説の中から24編を選んで一冊にしたもの。文庫の解説で400p近いハードカバーに仕立てるというのも、なかなかに大胆な企画ではある。
おおまかに四部に分かたれているが二部の司馬遼太郎関係の部分だけで200p近くを占めていいて、その中核となる司馬遼太郎対話集(文庫で十冊分)解説部分が一番読み応えがあった。

「終末意識」を抱きつつ、しかしその一方で政治参加への積極的意志を捨てず、なお日本農村の仕組、農村が内包する政治的状況がわからない、といいつのる野坂昭如の言に深く頷きながら、司馬遼太郎はこう発言した。
「ほんとにわからない。わからんのだけれども、野坂さん、ぼくの考えていることを聞いてくれないか。結論を先にいってしまうようなことになるけれども、要するにね、日本は土地を公有にしなきゃどうしようもないと思う。農業問題もなにも解決が不能だと思うね」


「土地」の公有というのは、Morris.もずっと以前からそうすべきだと思っていた。バブル以降は特にその感を強くするのだが、余程のことがない限り実現は難しいだろうな。他力本願を承知で言えば、1940年の敗戦時が大きなチャンスだったのかもしれない。

高坂正堯は、司馬遼太郎にはストーリーテーリングの才能だけではなく、「エッセイストと言ってよいようなたしかな鑑定眼がある」と感じた。「エッセイスト」とは思索を試みつづける人の意である。

司馬遼太郎は73年4月はじめ、米軍撤退完了からわずか二週間のちのサイゴンへおもむき、ベトナムを見た。
「自分で作った兵器で戦っているかぎりはかならずその戦争に終末期がくる。しかしながらベトナム人のばかばかしさは、それをもつこともなく敵味方とも他国 から、それも無料で際限もなく送られてくる兵器で戦ってきたということなのである。この驚嘆すべき機械運動的状態を代理戦争などという簡単な表現ですませ るべきものではない。敗けることさえできないという機械的運動をやってしまっているこの人間の環境をどう理解すべきなのであろう」
「大国はたしかによくない。しかしそれ以上によくないのは、こういう環境に自分を追いこんでしまったベトナム人自身であるということを世界中の人類が、人 類の名においてかれらに鞭を打たなければどう仕様もない」「同じアジア人としての立場でいうなら、内乱もまた国家的商売であり、こういう国家的商売はかつ て世界史になかった」(司馬遼太郎『人間の集団について』)
それは当時の「ベトナム戦争ものの通念」、すなわち北ベトナムびいき、戦争の悲劇への慨嘆、平和主義的つぶやき、といったスタイルを裏切った果敢な論考 であった。むろん南ベトナムに肩入れするものではなかったが、思想の行動化への強い嫌悪がまずあり、「民族主義という思想」への危惧の念が忌憚なくしめさ れていた。70年代前半という時代状況を考慮すれば、この痛烈な一稿は並みの勇気で書き得るものではなかった。
この大胆な、しかして核心をあやまたず貫く本、温和な風貌の下に鋭い戦闘性を秘めた本は、だが話題にはならなかった。つとめて黙殺されたようである。


Morris.は司馬遼太郎の長編作品はほとんど読んでるし、短編も半分くらいは読んでるだろう。紀行文(街道を行く)、エッセイなどはあまり読んでない。この『人間の集団について』は読んでみよう。

司馬遼太郎は開高健の「ゆるがない読者」を自認していた。デビュー間もない開高健の、他の作家にはない「巨大な土木機械」を思わせる「文体の掘削力」に気づいていた。
司馬遼太郎は『夏の闇』を開高健の到達点と見た。それは開高健が四十歳で書き、四十一歳で刊行した作品である。司馬遼太郎は『夏の闇』の主題は「西欧的絶 対」に対する挑戦ではなく、「プラスもマイナスもなき東洋的ゼロというもの」または「空(くう)」であると見た。その『夏の闇』一作で、「天が開高健に与 えた才能への返礼は十分以上」という考えが司馬遼太郎をして「(書くのを)やめればいいのに」といわせたのである。


開高健は『日本三文オペラ』が印象に残ってるが、あまり良い読者とは言えなかった。「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇(未完)」のベトナム戦争三部作の初めの二作はいぜん読んだような気もするが、はっきりしない。

70年代までの日本では、韓国にはふたりの金と一人の朴しかいないと認識されていた。ふたりの金とは金芝河 と金大中であった。一人の朴とは朴正熙であった。北に、さらにもうひとりの金、金日成がいて、朝鮮半島は日本人にとってその四人以外登場しない閉ざされた 舞台だったのである。
金芝河と金大中は「抵抗の人」であり、金日成は「自主の人」であった。そして朴正熙は「圧政の人」であった。今日この評価がすべて逆転しているとは皮肉だ が、野遊会に普通の人々を発見し、「怒れるツングース」に辟易しつつも面白がる視線を送り得た司馬遼太郎でさえ、ことコリアに関する限り、日本中にあふれ ていた「連帯の人」「支援の人」が吹かせる時代の風からは自由では無かったのである。


たしかに大陸志向(モンゴル中心)の司馬の韓国への対応はなんとなく腰砕けのような感じを受ける。時代の制約というのもあったのだろう。

実は82年の教科書騒動は誤報であった。教科書はずっと以前から「侵略」ではなく「進出」という用語を使っ ていた。それを朝日新聞が誤報して、これに中国政府が政治的に反応し、中国の反応を見た韓国が大衆的かつ強硬に反応したのであった。だが当の教科書にあ たって調査したものはいなかった。そうして海外の波立ちが日本国内に再波及したのであるが、いずれも「実証」とはほど遠い「情緒」と「自己都合」の産物に すぎなかった。

武士階級が西南戦争によって完膚なきまでに敗北したとき、嘉永六年にはじまった長い革命は、24年におよんだその行程を終えたのである。
ひるがえっていうなら、この戦いに西郷軍が敗れなければ革命は完成しなかったということになる。とすると、たとえば安部公房がその戯曲と小説『榎本武揚』 で、戊辰戦争終末期に榎本らが行なった箱館戦争は徳川体制の終焉を決定づけるための「八百長戦争」であったという文学的仮説をかつて提出したが、西郷は一 身を滅することで、それよりはるかに巨大なスケールで革命の終了宣言を行なったのではないか、そう考えたい誘惑にかられないでもない。

西郷が「征韓論」でもくろんだのは「革命の輸出」であった。その当の韓国に西郷死後九十年にして出現した大統領、朱子家札の名分論が支配するコリア文化に あっては異端の合理主義者朴正熙は、折しも『翔ぶが如く』が連載中の1972年、「維新憲法」を制定し、自らの体制を「維新体制」と命名した。「近代化」 を自分の責務と考えた朴正熙が学ぼうとした相手は、旧体制の既得権益を顧慮せず、その描いた青写真の実現のために敢然と前進した大久保であり、西郷ではな かったのである。


西郷の晩年の鈍化に対する司馬の戸惑いは、終生変わらなかったようだ。西南戦争を明治維新革命の終わり(完成)と見るのは、今となっては妥当な意見かもし れない。賊軍の長の銅像が上野公園に当たり前のように立っているのも不思議といえば不思議である。大宰府に流された菅原道真への畏怖が天満宮として現在に まで残っているような、日本独特の捩れた国民性なのだろうか。

歴史上の人物が、虚構上の人物を含めて無数に西南戦争直前の東京を駆け、工作する。その手並みのあざやかさはもちろん、背後にうかがえる教養の深さ鋭さは、まさに端倪できない。
その戦中派の死生観を芯に据えて、教養の糸を惜しげもなく費やして織りあげられた物語、知識人と自称せざる知的な人々を読者とした「大衆小説」を前にした 私は、一葉の『たけくらべ』を読んだ子規のごとく「一行を読めば一行に驚き、一回を読めば一回に驚」いて、末は露伴のごとく「多くの批評家、多くの小説家 に、此あたりに文字五六字づつ技倆上達の霊符として呑ませたきものなり」とつぶやくに至り、その思いは二十年余を経て、四読五読した現在もなんらかわりは ない。『警視庁草紙』こそ、まさに文芸の名に値する作品、その最高峰につらなる小説である。(山田風太郎「警視庁草子」)


山田風太郎の明治開化物は、いくら褒めても褒めすぎることはないと思う。中でも「警視庁草子」は傑作だね。うーーん、これは再読しなくては、という気になった。

徳岡孝夫は自分を、劇場の「三階席の観客」、野球場の「外野席」のファンだ、と再三いっている。それは、自 分は「文壇の人」ではないという意思表示であった。また、文学論、文学的解釈と称して閑文字を連ねないという意思表示であった。彼は事実を軽んじるものを 嫌った。そしてそれは、安全保障を外国に頼り、円の固定相場制で手厚く保護されながら世界の現実につきあたることもせず、それでいて、これ以上安全なもの はない「平和な時の平和論」を叫びつつ「茶の間の正義」の作文をつづる文化人と戦後日本そのものへの軽視や嫌悪と同根であった。
徳岡孝夫はその後も永くベトナム報道に従事した。
68年1月末からのテト攻勢では、いまだ共産軍の手中にあった中部のユエまで北上したただひとりの日本人記者となった。ヘルメットを持たなかった彼は、それを戦死者の頭から拝借して現地に入ったのである。
ユエに近づくにつれ避難民の数はました。彼らはみな「解放」から逃げてひたすら南下してくるのである。そして、小学生くらいの男の子が「ぼくの姉さんを 買ってくれないか」と、ベトナムの学校の白い制服姿でうつむいてすわっている少女の方を指さすのである。それが「戦場の日常」であった。
帰国したのは1970年初夏である。ベトナム取材は75年4月のサイゴン最後の日までつづいたが、バンコク駐在はこのとき終った。ひさしぶりの日本は、信 じられないほどの過消費ブームに湧いていた。同時に、公害は東京をおおいつくし、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」という暗い歌が大流行していた。
いずれにしろ動乱の世界とはまったく別の、ぬるい平和がそこには満ちていた。当時『冠婚葬祭入門』という本がベストセラーになったのは、核家族化がほぼ極 限に達して、社会的監修や世智を教える者が身近にいなくなっていたからである。ニクソン・ショックはすでに翌年に迫って、高度成長も、「戦後」そのものも 終りに近づいていたが、日本はあいかわらず壺中にあって「平和な造反」をたのしんでいた。(徳岡孝夫「五衰の人--三島由紀夫私記」)

そして、この70年11月に三島由紀夫自決事件が起こったわけだ。関川はこの事件にかなりの衝撃を受けたらしく、本書でも数箇所にわたって触れている。Morris.は北九州の大学キャンパスでこのニュースを知ったが、ポカンとしてたことを思い出した(^_^;)

むかし、文庫本巻末の「解説」にはお世話になった。
総じて「解説」の本道を踏み外してはいなかったと思う。本道とは、それがいつどんなときに書かれたかの境遇を明らかにして、作家の来歴と社会相の変化のなかに作品を位置づけることだ。
私は1985年以来[解説」を書いていいる。
原稿の性質上、どれも頼まれ仕事ではあるにしろ、自分が読者として楽しんだ本、感心した本への敬意をこめた返礼として、本道を外さぬ「解説」を書くべくつとめた。(あとがき)


文庫という書物の形態はそのままでも、その本質というのはすっかり様変わりしてしまった。関川の言うように、今や文庫の解説など無用の存在なのかもしれな い。しかし、百冊に一冊くらいは、千金の重みのある文庫も生き延びているはずだ。「悪貨が良貨を駆逐する」ことが文庫の世界では起きないことを祈りたい。


022

【素材の旅】藤森照信 ★★★ 戸田建設の広報誌「TC」に1962年から年3回のペースで長期間連載中の「建築用自然素材を訪ねる旅」の中から以下の20回分を抜粋したものである。

・聚楽土(京都市上京区)・大理石(岐阜県大垣市)・スレート(宮城県石巻市)・土佐漆喰(高知県南国 市)・鉄平石(長野県諏訪市)・青森ヒバ(青森市沖館)・ナラ(北海道旭川市)・茅(京都府南丹市)・竹(京都市左京区)・漆(岩手県二戸市)・檜皮(奈 良県桜井市)・貝灰(福岡県柳川市)・クリ(岩手県遠野市)・出雲流柿板(島根県雲南市)・大谷石(栃木県宇都宮市)・千年釘(愛媛県松山市)・渋柿(岐 阜県揖斐郡池田町)・焼杉(岡山県瀬戸内市)・島瓦(沖縄県島尻郡与那原町)・台湾ヒノキ(台湾嘉義市)

古来、日本では、自然界全体のことを山と川に代表させて"山川"と呼び、自然界の中野大地系を土と石にたくして"土石"とまとめ、大地に生きる植物系を草と木に象徴して"草木"と称してきた。
山川、土石、草木。人類が建物を作るということは、山川の内に、土石と草木のカケラを積み上げ、組み合わせる営みだった。乾燥地帯では土と石を積み上げ、湿潤な気候に恵まれれば木を組み、草を葺いた。
山川の内の土石と草木。この安定した世界に揺らぎが生じたのは18世紀後半の産業革命期で、19・20世紀を通して揺れに揺れ、土石と草木に代わって、科学と技術が躍り出た。鉄とコンクリートとガラス。
20世紀の末には、土石・草木の世界は科学・:技術の世界にきれいサッパリ取って変わられたように見えた。建築史家としてのわたしの目にはそのように見た が、遅れて始めた建築家としてのわたしの目と手は逆だった。土石・草木でいこう。土石・草木こそがわたしの身心に深く浸みているのだから。
設計をするようになって、自然素材への関心が強まり、取材の旅を開始することになった。(序文)

Morris.には馴染みのない素材が多く、よくわからない(>_<)ものが半分くらいあったが、オールカラーの写真見てるだけでも楽しめた。先日倉敷の風致地区で「焼板」塀を多く見かけたこともあって、「焼杉」の回が一番面白かった。

スギの板の表面を焼いたもので、民家の外壁に張って使う。京、大阪の町家でも中国地方の民家でも、つい最近目にした例では大分県の民家の土蔵にも張られていた。日本列島を東西二つに分けて、滋賀県から西の方のみで用いられる伝統技法と言ってよい。

牛窓で取材した森材木店では、杉板(30cm☓200cm)三枚を組み合わせて筒状にしてベース盤上に立て、下から新聞紙一枚で焼くという、意想外の製法にはびっくりしてしまった。

新聞紙にマッチで火をつけると、すぐさまベース盤の上に立て、倒れないよう左手で支えている。要するに杉板で煙突を作って、内側を燃やすのである。
筒を立てるとすぐ、3枚の板の重ね目の下の方から煙が漂い出始め、漂い出始めるや否や、煙は漂い状態から噴出状態に転じ、煙を追うようにして炎がチロチロと顔を出し、煙と炎は重ね目を下から上へと滑るように上昇していく。
重ね目からもれる炎が中間あたりまで滑り上ると、突然、筒の先端から炎が猛然と吹き出したのだ。
思いもよらぬ1メートルもの炎が、まるでロケットを逆さに立てたように、噴射する。
それにしてもどうして新聞紙一枚でここまで燃えるんだろう。新聞の働きは初めだけで、いったん火がつくと、筒の中は、三面の燃焼の熱がお互いの燃焼をあおり、そこにエントツ効果が加わって爆発的に燃えるんだろう。


ここらあたりの観察力と描写力は確かなものがある。煙突好きのMorris.なので、特にこの場面は嬉しかったのかもしれない。
藤森もよほどこの焼杉体験が嬉しかったらしく、2005年の養老昆虫館に焼杉使うことにしたらしい。取材では厚さ15mm、長さ3mが上限というのを、馴 染みの製材所で厚さ20mm、長さ8mのものを作らせて使い、その後も「ラムネ温泉館」「焼杉ハウス」「コールハウス」などといった自作の建物に採用した とか、趣味と実践を兼ね備えている所はえらい。
他にも、スレートは健在としては明治以前には使われてなかったが、硯石用の石を薄く割ったらそれがそのままスレートになるとか、茅葺きの茅は Morris.はススキだとばかり思っていたが、ススキの他にチガヤ、カルカヤなどの総称だということを教えられたり、檜皮葺がおっそろしく高くつくまさ に国宝級の素材(京都御所、出雲神社)で、一般ではとても使えないとか、クリの木は日本で一番古い建築材で縄文時代の遺跡から出る丸太は例外なくクリだと か、ライトの帝国ホテルで有名な大谷石は「おおたにいし」でなく「おおやいし」と読むとか、沖縄土産のシーサーは、屋根の守護神で、重ねた島瓦を骨剤とし て使うものだとか、知らなくても全く困らない雑学盛りだくさんで、こういうのが好きなMorris.を喜ばせてくれた。
毎回、藤森自身が作業の一部に参加することになってるらしく、漆絞りで後でかぶれてしまったりしながら、なんでも楽しもうという精神が、彼の著作の面白さの源泉になってるのだろう。

知らない材料について知ることは、すばらしい友人が一人増えるような喜ばしさがある。建築界の多くの人が曖昧にしている謎を解く楽しさがある。(あとがき)


021

【東京スタンピード】森達也 ★★★★<森達也といえば「放送禁止歌」ですっかり敬服させられたが、その他の著作といえば、昨年「東京番外地」というルポを読んだくらいか。
本書は2008年発行、初出は2006年から07年「本の時間」に連載されたもので、[2014年、東京に大虐殺(ジェノサイド)が勃発する」という、近 未来小説である。書かれた時点からすれば6年後、7年後という設定だが、現時点ではもう来年ぢゃ。とかく近未来を舞台にした作品は、賞味期限が短い傾向が ある。それはそうだろう。数年もすれば、予測された時間になってしまうんだもんな(^_^;)
そういう意味ではこの作品は、賞味期限直前ということになるのだが、最近の無差別殺人の頻発や、メディアの現状を思うと、ちょっと恐ろいくらいリアルな内 容を含んでいる。小説というより、社会告発の問題作と言えるかもしれない。Morris.も小説ではなく、ドキュメントとして読んでしまった。
スタンピード(stampede)とは「大挙して逃げ出したり押し寄せたりする、群衆などの突発的な行動。パニック状態。」らしい。初めて聞く言葉だった。

まずは、主人公井沢(著者の分身)と同僚の岡林の会話から。

「今どきテレビを見ているのはほとんどが六十歳過ぎの連中だ。企業にとっては商品訴求するには難しい世代だ。だからスポンサーがつかない。予算が抑えられる。いつのまにかテレビは年寄り向けの番組ばかりだ」
そこまで言ってから岡林はまた吐息をついた。
「年寄り向けって意味がわかるか。盆栽とか囲碁とか、そんな枯れた趣味の番組ばかりという意味じゃないぞ。今の年寄りは昔とはちょっと違う。団塊世代だからな。かつては国家権力を相手にさんざん暴れた世代だ。年寄りなのに刺激を求める傾向は強い」


Morris.もいわゆる団塊世代の一員であるが、そのMorris.にとっても、最近のテレビ番組には見るものが少ないと思う。低予算番組が多いという のはそのとおりだと思うが、年寄り向け番組と決めつけられるとちょっとそれは違うような気がする。団塊世代=テレビ第一世代ということになるのだろうし、 エンターテインメントの中でテレビの果たした役割(罪?)は、半端ではなかった。
現在は家庭を持っているが、過去に井沢の恋人だった令子の疑問、人の知覚の個人差に関しては、Morris.もずっと以前から同じ事を考えていた。

「わかる?」と令子が言った。
「わからない」と僕は答えた。
「つまりね、私たちが知覚しているこの世界は、感覚器をとおして脳内世界で再現された世界なのよね。たとえば視覚。光を受容する細胞が知覚できるのは一定 の周波数の範囲だけ。紫外線や赤外線は見えない。もしも人が知覚できる光の周波数がちょっとずれれば、それだけでこの世界はぜんぜん違って見えるわけ。聴 覚もそう。人が知覚できるヘルツの幅はとても狭い。だから一定以上の高音や低音は聞こえない。つまりこの世界は、異なる知覚を持つ動物によって違うのよ。 ユクスキュルはこれを"環境世界"と名付けたの。……やっぱりわからない?」

「何を見ているって?」
「色だよ。でも正確には、このキャベツが反射した波長の光を見ているんだよな。ものを見るってことは、その対象物が反射する光を見ることだから」
そういうことかというように黒沢はうなずいた。
「実体はそこにないということを言いたいのか。つまり映画と一緒だ。そこには光と影しかない。しかも映画の場合は一秒を24に分割したパラパラマンガだ」
「テレビだって同じだ。コマ数は映画より6枚多いけれど」


知覚、感覚、好き嫌い、快不快、善悪、価値観……それらの個体差がいかほどのものか、すべては「共有幻想」ではないか、という疑問は、学生時代から漠然とあった。結局これは結論出ないんだろうな。
そして関東大震災時の朝鮮人虐殺事件。

「ほら、ここに載っている。震災による死者と行方不明者は10万人以上。そして暴徒化した民衆に殺された朝鮮人の数は、1説には6000人以上と言われているだって。ほとんど民族浄化ね」
「なぜ朝鮮人は殺されたんだっけ?
「だから恐怖よ。あなた同じ質問を二回しているわよ」
「……どっちがどっちを?」
「もちろん恐れていたのは日本人よ。怖れられていたのは在日朝鮮人」
言いながら令子は、パンフに掲載されている年表を指で示す。
「朝鮮併合は1910年。震災の13年前ね。公式には併合という言葉を使って対等な関係を強調していたけれど、でもこれが実質的な植民統治であることは、 朝鮮人も日本人もよく知っていた。だからこそ震災の直後に、日本人に恨みを持つ朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるとか、家々に放火しているなどの噂が飛び 交って、それを信じ込んだ人が大勢いた」
「マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』は観た?」
「DVDで観たよ」
「あれも同じね。アメリカ人が銃を手放せない理由を、先住民族を殺して支配した歴史と記憶があるからだと説明していた。いつかは報復されるかもしれないと いう恐怖よ。だからアメリカは敵に対して攻撃的になる。関東大震災のときの一般市民による朝鮮人狩りも、構造としては近いのかもしれない」

「他にもこんな事例は幾らでもある。ルワンダもそうだ。規模はもっと大きい。たった100日あまりで少なくとも100万人が虐殺されたと言われている。中 国の文革では数百万から3000万人が殺された。ナチスのホロコーストは600万人。カンボジアのポル・ポトだって知っているよな。ここでは170万人。 イラク18万人。ボスニアのスレブレニツァで7000人。ダルフールで200万人。不思議だよな。人はなぜこんなことができるのだろう」
「黒沢、少し落ち着こう」と僕は言った。
そう言ってから黒沢はもう一度両手で持ったグラスを口に近づける。
「告白するけれど、最近は眠れないんだ。だから精神科医に通って、薬をいろいろもらっている。だからかな。ちょっと不安定だ」
「大丈夫よ。あなたは殺されたりしない」
令子の言葉に黒沢はゆっくりと首を左右に振る。
「殺されることじゃない。もう一回言うよ。殺すことが怖いんだ」

関東大震災時の朝鮮人虐殺のことは、気にかかっていたが、神戸震災の死者とほぼ同じくらいの数の朝鮮人が殺されたという事実にはその規模を思い知らされた。
ナチスが600万人、中国が3000万人となると、Morris.の想像力の限界を超えてしまう(>_<)
先日読んだ「詩歌と戦争」でも取り上げられていたし、佐野眞一の「巨怪伝」で、正力松太郎の関与も知った。しかし、やはり朝鮮人虐殺事件の最大の原因は日 本の一般市民の恐怖だったのだろう。恐怖がパニックとスタンピードを生む。「殺すことが怖いんだ」という映画監督黒沢の言葉は実に「怖い」。

「ジェノサイドという言葉の歴史を井沢は知っているか」
レムキンは、別の文脈で使用されることのない言葉を必要とした(「残虐」や「野蛮」は、他で使用されるので不可
)。「新鮮で人目を惹く」と同時に「なるべく簡潔で、胸を刺すような」言葉を懸命に探した。
レムキンが決定した言葉は、ギリシャ語から派生し、「種」「部族」を意味する「ジェノ(geno)と、「殺害」を意味するラテン語「カエデレ (caedere)から派生した「サイド(cide)とを結びつけた造語「ジェノサイド(genocide)だった。「ジェノサイド」は、簡潔にして斬新 であり、そう簡単には間違って発音されることもない。ヒトラーの恐怖支配を連想させる響きがあるため、聞き手の背筋をぞっとさせるには十分である。

ジェノサイドという言葉が、1940年に一個人によって作られた造語だということも知らなかったが、これが直接的にナチスのホロコーストでなく、第一次大戦時、オスマントルコのアルメニア人に対して行った百万人規模の大虐殺だったということも初めて知った。

「まあこれは、俺たち報道畑のあいだでもよく議論になるんだ。こんな凶悪な事件が起きましたという報道するほうが人は注目する。つまり視聴率が上がる。その市場原理にマスメディアがどっぷりと漬かってしまっていることは確かだ」

「メディアと社会との相互作用。でももちろん、メディアは恣意的に治安を悪化させようとしていうわけじゃない。結果としてそうなった」
結果としてそうなった。すべてそうだ。たとえば関東大震災のあとの朝鮮人虐殺。たとえばルワンダ。たとえば文化大革命。すべてそうだ。結果としてそうなった。
「……相が転移しかけているということかな」


これはマスメディアの犯しやすい「未必の故意」なのだろう。視聴率絶対主義、長いものには巻かれろ、タブー、自主規制、そして「結果としてそうなった」という形でその結果を「報道」する。無意識のマッチポンプというべきかもしれない。

「相移転は私たちの日常においては、とてもありふれた現象です」
そこまで言ってから植木は、「凍る。融ける。こわばる。和らぐ」とつぶやいた。
「蒸発する、凝縮する、沸騰する、凝固する、縮こまる、冷める、閉ざす、硬化する。まだまだあります。これらの言葉は物理的な用語でありながら人の心理状 態を表す場合にも使われます。つまり生命現象のみならず人の心理状態の多くは、相移転で説明することが可能です。特に徒党を組んだり集団になったとき、こ の傾向は顕著に現れます」


ここで登場する「植木」が、あの「植木等」というのには驚かされた。植木等は本書の連載中2007年3月に亡くなっているから、これは作為的なのだろう。 「わかっちゃいるけどやめられない」という「スーダラ節」の一節(作詞青島幸男)の「恐ろしさ」を再確認させられてしまった。

「この共同体をル・ボンは群衆と名づけました。互いに名前も知らない人たちの群れ。現代の都市社会では当たり前のようにありますね。雑踏。ラッシュ時の電車。朝方のホテルのロビー。会社。学校」
「ネットの掲示板」
黒沢の言葉に植木は、「確かに。掲示板では名前どころか顔すら見えない。究極の群衆ですね」とうなずいた。
「この近代的な群衆は、ある種の外界からの刺激が反復されたときに、意識活動が急激に低下することが特徴です。互いに名前を知る者だけの共同体なら普通に 機能するはずの論理や規範、批判能力や情緒が衰え、無意識の領域が前面に現れます。いったんこれが始まると、あとは群衆の一人ひとりが相互に影響し合いな がら、無意識の領域が連鎖反応のように顕在化してゆきます。ネットを背景にした特定の人物や組織への誹謗や中傷、バッシングは典型ですね。感染します。連 鎖します」
「ル・ボンは"断言・反復・感染"の三つを群集が為政者に扇動される際のキーワードにあげています。
群衆は弱い権力に対しては攻撃的になり、強い権力に対してはあっさりと卑屈なほどに従属するとも指摘しています。一人ひとりにはその自覚はないのです。でも形成された集団は、あたかもそんな意志があるように振る舞います」


つい最近の韓国へのサイバーテロのようなインターネットへの直接的攻撃も、脅威ではあるが、それ以上に、攻撃とは知らされないままに、意識(+無意識?) を操作されることの危険性がより大きいのではないだろうか。国家、企業、組織による、サイバー支配、利用、はとっくに始まっていることは疑いをいれない。 ナチスの煽動、デマゴーグ、プロパガンダはその古典といえるかもしれないが、初めて群集心理という概念を提唱した19世紀フランスの社会心理学者ギュス ターヴ・ル・ボンがナチスを初めファシズムのテキストに利用されたと言われている。ということは、ナチスのプロパガンダを聖典とする現在の広告企業もル・ ボンの信者ということになるのだろう。

「彼の代表曲『イマジン』は、創発を見事に言い表しています。国境や宗教、戦争や憎悪がない世界。そんなイ メージを語りながらレノンは、一人ではなくみんなが本気で願うのなら、きっとそんな理想が実現すると訴えています。つまりこれがボーアの夢です。特に冷戦 の時代、自由主義陣営と社会主義陣営は、それぞれの存亡をかけて核兵器を開発しました。より多く。より壊滅的に破壊できるように。その結果として世界は、 地球を何十回でも破壊できるほどの核兵器を保持することになりました。誰が考えたってばかげています。だから人々は気づきます。首をかしげます。何かが変 だとつぶやきます。こうして創発が始まりました。自分たちの生命や財産を守る手段としての核兵器などありえない。攻撃すればすなわち自滅なのです。その思 いは伝播します。連鎖として広がりました。量が質を変えたのです。大国は核兵器開発や保持の正当性を声高には主張できなくなった。広島と長崎は、ビンラ ディンが同時多発テロ直後の声明でアメリカの暴虐さを訴える実例として名前を挙げるほどに、世界的に有名な都市となった。現実にこの二つの都市に落とされて 以降もう70年近くが過ぎるのに、核兵器は敵を殲滅する手段としては一度も使われていません。これはある意味で驚くべきことです。人は虫になる。しかし 虫であり続けることはできない。どこかの時点でストッパーが作動する。だからこそジェノサイドをくりかえしてきた歴史を、多くの人に知らしめねばならな い。ほとんどのジェノサイドは、正義や大義や愛するものを守るなどのセキュリティへの希求が駆動力として働いています。そしてほとんどの戦争も、やらねば やられるとの自衛意識が高揚して、正義や大義と結びつきながら始まります。つまり悪意ではなく善意。だからこそ誰もが加害の側に回る可能性を秘めている。 そんなことを人々に本気で実感させることができれば、ジェノサイドは必ず阻止できるはずだと植木は信じました。ボーアの夢を共有しました。多少の被害が出 るかもしれない。でもそれは言ってみれば臨海のガス抜きになるはずで、最終的には量は質を変えるはずだと植木は考えました」
そこまで言ってから、加藤は長々とため息をついた。


核開発のきっかけになった量子力学の祖、ニールス・ボーアは「核兵器はあまりに危険であるがゆえに、核兵器を人類はつかうべきではないし、これからは二度 と使わない」と言い続けて1962年に死ぬ。この「ボーアの夢」は、やはりあまりに楽観的ではないかと思われる。レノンの「イマジン」もつまりは、楽観主 義の賜物なのか。Morris.も悲観主義より楽観主義に与したいのだが…………

この世界にはあらやる仮説が溢れている。利益を得るために極論を唱える人がいるし、その逆の極論を唱える人もいる。あまりに悲観的な説もあれば、楽観的すぎる説もある。
人は愚かだ。この地球を破壊するかもしれない。地球から駆逐されるかもしれないし、その前に核兵器で自滅するかもしれない。その可能性はある。でもあきら めない。遅すぎると思わない。人の英知を信じる。この方向に歩き続ける。量は質を変えると信じる。人の優しさを信じる。まだ間に合うと信じる。
時おり僕は間違える。道に迷う。思い込む。反省しない。妥協する。場の雰囲気に飲まれる。でも信じる。大きくは間違っていないと自分を信じる。だってまだ生きている。ならばできることがある。やることもある。
顔がゆっくりと近づいた。耳もとでささやく声がする。
「でもそろそろ起きなくちゃ」
僕はうなずいた。わかっている。これから自分が何をすべきかを僕はわかっている。方向はわかっている。あとは真直ぐ歩くだけだ。頑張る。そろそろ起きる。


本書の末尾の井沢のつぶやきは、作者森達也の意思表示だろう。「頑張る」という言葉にはあまり共感を覚えないMorris.だが、森達也が「頑張る」というなら、是非本気で「頑張って欲しい」と思う。
で。Morris.はどうするんぢゃ? と問われると、返す言葉がない(>_<)


020

【ナマコ】椎名誠 ★★★ 基本的にMorris.はこの人の本は読まないのだが、タイトルだけで手にとってしまった。「しいなまこと」という名前のなかに「なまこ」が含まれているというのを誇示するような表紙デザインもお洒落だった。
椎名の行きつけの新宿居酒屋の店主小田さんが北海道の友人に会いに行くのに付き合ったら、友人はナマコ漁に従事していて、中国との取引が多くなっていると いうのが発端で、中国のナマコ業者から招待受けて3人で香港に赴き、ナマコ料理をご馳走になり……というストーリーは、あってもなくても(^_^;)いい ようなもの(この小説はたいしたことはおきないけれど実話をベースにしている。それがどうした--と言われると困るのだけれど……。 著者)で、薀蓄混じ りのおしゃべりのための饒舌が続く。

「今回のことで私も私なりにナマコのことをいろいろ調べたんだが、ナマコと言うのは本当に面白いねえ。ナマ コというのは第一に感覚器官がなにもないんだね。目もないし嗅覚もないし脳と呼べるような神経組織もないんだ。ただ海底にころがってじっとしているだけ。 口も肛門もはっきりしていないんだけど、口らしきところに小さな触手があってこれがゴニョゴニョうごいてひたすら砂を食べている。砂の中の有機物を選別し ているらしいんだ。夜になると珊瑚の下にもぐりこんでじっとしている。明るくなるとそこから出てきてまたころがっているんだ。感覚器官がないけれど、こ の夜と昼のちがいはわかるらしいんだねえ」

ナマコのことなら何を書かれても嬉しい。
●玄海の海月を案ず海鼠哉 Morris.


019

【山口禮子句集『半島』】★★★☆ 2012年末に上梓されたソウル俳句会を主宰する女流俳人の処女句集である。先日わざわざMorris.のもとに国際郵便で送られてきた(@_@) 
句集「半島」微ニ入ルソウルの杉山さんがこの句会の同人であることから、毎年発行されている合同句集をソウルに行くたびに頂戴している。その関連で句集もいただいたのだが、2010年のソウル俳句15集掲載の 

虫愛づる女ありけり五月闇

が、強く印象に残り、彼女の名前も忘れずにいた。いかにもMorris.好みの句である(^_^;)
実はMorris.は過去に一度だけソウル句会の吟行に交ぜてもらったことがあり、そのときに顔を合わせてるのではないかと思う。ネットの自サイト検索で 調べたら2005年5月28日(土)だった。8年前かあ。キョンヒグン(慶熙宮)という余り知られない王宮で取材したあと、プレスセンタービルで投稿・相 評した後、「つくし」とうい日本人経営の居酒屋での二次会までつきあった。     
彼女は1950年生で1991年渡韓だから、Morris.とほぼ同世代、韓国歴も時間的には重なるが、彼女はその後、現在までソウル在住であるから、その深度はまるで違う。
ハードカバー270pの豪華な句集で、五百句近くがほぼ年代順の6章に分けて収められている。

蓼そよぎ風紅に染まりけり
行く秋や心に鬼のゐるやうな(まろき秋 1995-2003)


「紅」に染まるということから、この「蓼」は食用に用いる「柳蓼」ではなく、「赤マンマ」と俗称される「犬蓼」のことだろう。犬蓼の紅は韓国語でピンクを表す「プノンセク(粉紅色)」に近い。夏の風がアガシのピンクのチマのように染まるというのを想像するだに楽しい。
冬を控えて思えらく、「鬼」も「仏」も人の心にのみ存在するのかもしれぬ。

夫奪ひし天の桜をかなしめる(白蓮燈 2003-2006)

2003年3月に夫君が急逝。ソウル俳句会には夫婦で入会。彼女の俳句もそこから始まったもの。8年後に伴侶を突然失った彼女の思いが込められた一句である。

葛飾は昭和のままに望の月
キムジャンのすすぎ水縷々坂の町(土器の舟 2003-2008)


葛飾は彼女の生まれ故郷。ミニエッセイ「私のふるさと」に、以下のようにある。

ソウルに暮らして二十二年。東京の町々はすっかり変わってしまったが、葛飾区堀切は東京のはずれに取り残さ れたように時間を止めている。映画館はスーパーになり、あの魚屋も二代目がおじいさんになったけれど、満月を振り返ったその景は五十年前からの、子供の頃 そのままのシルエットだった。(2012)

キムジャンは韓国の冬の季語の代表と言えるだろう。この句はソウル俳句十ニ集にあって印象に残っていた。ソウルは盆地だから東西南北坂に囲まれていると言える。神戸のように一方向だけの坂とは、よほど地勢が異なっている。

愛されも疎まれもせぬ夜寒かな
白牡丹李氏の館の女門
ほほづきの嚢に朱き朱き闇
猫車立てかけてある虫の闇
寒波寄す鼻の欠けたる石仏
半島の月大きくて悴めり(猫車 2008-2009)


この「猫車」にはMorris.の好きな句が多く含まれていた。
「白牡丹」と李氏家の韓屋の対比。そして「女門」が効いている。漢字の並びもそれだけで絵になる。
彼女の「闇」の句はどれも好みである。
韓国では仏像の鼻を煎じて飲むと薬効があると信じられていて、特に野の石仏は大半が鼻欠けである(^_^;)
「半島の……」本句集のタイトルにもなったと思しい句。Morris.も韓国で見る月は、何か日本で見る月とは違った風情を感じることが多い。「大きく」て「かじか」んでいるというのはなかなかの描写だと思う。

連翹は黄泉平坂目眩ませ
十六夜や会ふたびに母老いたまひ
ポンチャクに浮かれてしまふ十二月(赤烏帽子 2010-2012)


連翹は韓国語「ケナリ」と呼ぶほうがMorris.にはしっくりくる。日本人が桜に感じる思いを韓国人はこの花に持つのではないだろうか。日本神話では妻 を喪ったイザナギがこの黄泉平坂を通ってイザナミを追いかけたことになるが、この句では夫を追う作者がケナリの黄にその坂を幻視しているのだろう。
十六夜は「猶予ふ いざよふ­=ためらう、停滞する」に由来する言葉で、これを「老い」と比肩させるあたりが、年の功か(^_^;)
そして「ポンチャク」\(^o^)/ 12月だけでなく、韓国では十二ヶ月ポンチャックに浮かれていて欲しい。Morris.は確実にそれを実践している(^_^;)。

一升を薬缶に沸かす雪月夜
風花やソウルは山の近き街
老いらくの宵をざらりと雪の降る
月太る窓辺に小さき旅かばん
五句五合きこしめしたる良夜かな
花百句即花百片の花の屑
二十年住みしソウルや花は葉に(雪月花抄 2009-2011)


この章は、雪・月・花を季語とする句の集成である。ここにも秀句、笑句が目白押しだった。
薬缶で一升酒を沸かすという豪快さ、ソウルが盆地であることの反証、老残の雪は「ざらり」と降るし、月は太るわ、酒飲んで句作にはげみ、花も屑になり、葉に変わる。
「五句五合」は「虫愛づる女」と同じ号に載っていて、これもよく覚えていた。

本句集には付録として60pほどの「覚書 韓国歳時記」と、自己紹介に代えて合同句集掲載のミニエッセイ十篇が収められているのも嬉しかった。
「歳時記」の「黄砂 ファンサ」の項の

街騒を閉ぢこめ霾の居座りぬ

という句の「霾 つちふる、ばい=黄砂」これは知らない漢字だった。
「連翹 ケナリ」の項もあって、ケナリは「ケ 犬」+「ナリ 百合」とあった。これも初めて知った。

鉄条網越ゆるケナリや統一路

「月見 タルマジ」には、「湿度が低いせいか月がはっきり大きく見える。ソウルは煌々と輝く中秋の名月に出合う事ができる大都会だ。」とあった。

月の街猫はつないで飼はないで

10月9日「ハングルの日 ハングルラル」の項では、その起こりと、記念日制定と変遷を要領よく整理してあった。

1446年の陰暦9月に世宗が二十八の新しい文字(訓民正音 フンミンジョンウム)とその解説書である『訓民正音』を頒布したことを記念する日。
1926年に朝鮮語研究会が主体となり陰暦9月29日を記念日として祝い、その後「ハングルラル」と改称、また日を陽暦10月9日に変更して1970年に は「官公署の公休日に関する規定」により公休日に指定された。1990年から2012年までは公休日から除かれていたが、再び2013年からは公休日に復 活。


おお、今年からまたハングルの日が公休日になるのか、これはめでたい\(^o^)/
また「ハングル語というのは、日本語を「ひらがな語」と言っているようなものでよろしくない」との指摘もあり、これは以前Morris.も口を酸っぱくして主張していたのだが、最近のNHKTV講座では、講師がはっきり「ハングル語」と言ってるぞ(>_<)

以下、歳時記とミニエッセイに掲載された句の幾つかを引用して結びとしておく。

空に咲き地に散るけふの花むくげ
鳳仙花摘む老嬢の爪丸き
とろとろと小豆粥煮る外は風
オンドルや倦怠期という心地よさ
チンパンを湯気ごと鬻ぐ大蒸し器 
*チンパン=餡饅
テボルムのナムル日向の匂ひけり 
*テボルム=小正月(陰暦1月15日)
居酒屋へカチは塒へ大西日 
*カチ=カササギ
猫抱きて思春期に入る九月かな
父の年越えて父の忌五目ずし


018

【ボディ・アンド・ソウル BODY AND SOUL】古川日出男 ★★★☆☆ 「ロックンロール七部作」ですっかりシビレた古川作品だが、この人の本は結構読む側にも体力を要求するので、この繁忙期にはなかなか手が出ない。
BODY AND SOUL本 書は2004年発行(初出 「小説推理」2003年2月号~10月号)。だいぶ前に読了して、メモだけ取っておいたものだ。装丁がいい感じで紙質も軽めの ザラ紙というたたずまいに惹かれて手に取ったのだが、中身は相当に濃かったあ。ちなみに装幀・装画はあのクラフト・エヴィング商會。
古川本人が実名で登場する。もちろん私小説ではないのだが、、死んだ妻が二人称で登場したり、大手出版社(これもも実名)の古川担当編集者たちとのやりと り、新作のプロットやアイデアなどの濫発、先輩小池さんの薀蓄とオヤジギャグ、トリビアな無用の雑学(Morris.はこれが好き(^_^)……等々、作 家の椀飯振舞にふりまわされてしまう。一種のメタ小説ということにもなるのだろうが、Morris.はエンターテインメントとして読んだ。

たしか日本政府は「フリーターというのは定食に就かずにアルバイトで生計を立てている32歳までの成人」と定義している。

こんなゴミみたいなトリビアがあちこちに配されている。これは古川本人の心のつぶやきだが、ネットで調べたら厚生労働省は、
「フリーター」とは「15~34歳の男性又は未婚の女性(学生を除く)で、パート・アルバイトして働く者又はこれを希望する者」のことをいいます。
と、定義していた。古川、勘違いしてるじゃないか。いや、これも故意の韜晦なのだろう。

「ローリング・ストーンズの『チェリー・オー・ベイビー』という曲。これは1976年のアルバムに入ってい てレゲエのヒット・ナンバーが原曲なんだけれども演奏の中盤でまるで単純なミスのような音が入っているのね。オルガンの。どうしたって弾き間違いに聴こえ るし、なにゆえにそんな間違いがメンバーやスタッフに見落とされてレコードに収録されたのかがわからない。計算ずく? そんなはずはない。そうして、わか らないで四半世紀がすぎたわけですな。ところがこのオムニバスを聴いたら疑念が氷解した。つまり、ストーンズのリスペクトは、敬愛するレゲエ・ミュージ シャンたちの、演奏ミスだってショボい録音だって気にかけないで平然とレコードにして発売してしまう、そのアティテュードにむけられていた。もちろん レゲエのリズムや旋律も愛したが、それ以上にあのルーズさが、ミスをして真似をしたいほどに憧れだった。」小池さんの話はためになるなあ。

これは小池先輩の薀蓄で、面白いが眉唾としておきたい。

こだわりつづけた「動植物名は漢字で書き表わす」という原則を曲げた。たとえば山の羊と書いてヤギと読ませる類いに、つかれちゃったのである。だって、ヤ ギはヤギじゃん。いちいち"山の"なんて修飾語をつけたら、ヤギは生来ヒツジに劣る生物だと認めることになりはしないか? たとえばイルカ。海の豚と書い てイルカとは、あまりの所業。そもそもイルカは小型のクジラなんだから(生物学的にいったら違いはおおきさだけです)、ならばクジラは大海豚とでも表記し て当然ではないのか?
なぜにクジラは鯨か?
さらに、です。字典類を調べれば雄のクジラを鯨と書き、雌のクジラを鯢と書いた歴史まで起ちあがってきて、おまけに鯨鯢という熟語は弱い者いじめをする悪人のかしらを指すと解かれていて、こうなるとクジラに失礼千万だし、なんかゲイ差別。俺つかれちゃった。
こだわって意味があるのか?
だから「動植物名は漢字表記」の原則は捨てたの。


Morris.は今でもなるべく動植物名は漢字で書きたいと思っている。山羊や海豚の字面をあげつらって難治るのは些かピント外れだと思う。鯨鯢や麒麟な ど雄雌で漢字を変えるなんてのは、凄くお洒落だと思うのだけどなあ。中国人は虹のことを生き物だと観じて、これの雄雌を虹霓と.呼んでいた。
こだわることにこそ意味がある。と思いたい。何よりも、動植物名のカタカナ表記は漢字表記のイメージの豊穣さと、意味の理解度の合理性、かてて加えて「美学」的観点からすれば、月とスッポンのスッポンポンの方ではなかろうか。

「牛における反芻のシステムとは、どうなってるの? 四つの胃袋を順番に通過するだけなの? 毎度毎度、口に戻すの?」
「あのですね」と僕は脳味噌の灰色(グレイ)ゾーンをどうにか活性化させる。「微生物がね、一番めと二番めの胃にいるんです。まず、いったんダイイチ イ……いいづらいな、第一胃に蓄えられれるでしょ? それから第二胃を通過したのちに口に戻されましてね、噛み直しが行われます。反芻(ハンスー)っすね。それから三番めの胃袋に入ってファイナルの四番めの胃袋で、いよいよ胃液で消化されるんですね。牛が完全にそうなのかは、おれもわかんないけど。とり あえず一般の反芻動物は」
「その四番めが」
「[これ]と」
われわれはギャラをひと肉(きれ)、ひと肉、おのおの箸でつまむ。


反芻のメカニズムはよく知らずにいた。ありがとう。
牛の四番めの胃とはいわゆる「赤センマイ」である。「ギアラ」とも呼ぶことは、「焼肉物語」や「ホルモン奉行」で学習したが、「ギャラ」という表記は、何となくチガうような気がする。

僕は書きだす。僕はいっきに書きだす。躊躇がない。イメージよりも言葉が沸騰している。没め、小説に沈没し ろ、バカ。僕はトイレにも立たない。膀胱が破裂しそうになっても気づかない。4時間がすぎている。5時間がすぎている。僕はほとんど絶叫している。鼻唄を 歌うようにメロディを唸っているが、唄の種類はわからない。糞。書いている。ここは海底だ。お前が作家ならば魂を削れ。死ね。
生きろ。死ね。生きろ。死ね。
そして書きあがる。30枚ばかりの短編がしあがっている。その小説を脱稿したとき、物語から浮上したとき、僕は救済されている。
言葉よ。


これは創作家の格闘シーンだね。Morris.は肉体派ではないし、スポーツ零能者だから、ボクシングなど、絶対やることはないが、リアルな格闘シーン の描写には興奮させられることがある。同様にMorris.は作家の素質も欠落してるが、上のような記述には思わず「おお」と口をあけたりもする。

二日めと三日めは、『小林カツ代 料理の辞典 おいしい家庭料理のつくり方2448レシピ』を開いて、バリエーションに富んだお粥にする。葱醤油がすばらしいアクセントになる豆腐のスープ粥と、食感がすこしばかり感動的な百合根粥。

栗原はるみ著『ごちそうさまが、ききたくて』をひもときながらフキの胡麻煮を作ってみる。
季節感を大切にする。フッと現われて、フッと消えてしまうものを、意識して甘受する。僕もフッと消えてしまうかもしれない。だか、まだここにいる。

本書には古川自身が作る料理や、登場人物との食事場面も多い。それぞれ、なかなかに美味しい文章が並んでいるが、小林カツ代と栗原はるみなどが、ぽろぽろと出てくると嬉しくなってしまうな。

あらゆる神にID番号をつける。それから数式を用意する。なければ自ら編みだしてモデル化する。コンピュー タなんて、そのためにある。コンピュータなんて、そのために、現在の処理速度と、馬鹿みたいな容量がある。簡単だ。聖書ならば、あらゆる登場人物に、ID 番号をふること。旧約聖書の神と新約聖書の神に、AとAダッシュのちがいを付加すること。それから、聖霊/天使/イエスと神(あるいは神ダッシュ)が等号 で結ばれるか、計算すること。
仏典はこの作業にふさわしい。ヒンズー教も、かなりCPUをヒートアップさせそうだ。K、Kダッシュ、Kダッシュ・ダッシュ、Kダッシュ・ダッシュ・ダッ シュ……。あたしが目論むのは、結局、すべてが等号でむすばれるかもしれない地平。最初は、等号付き不等号で力関係が示されて、おそろしい「神の大家族 制」が明かされる。それを地球規模で、する。地球規模というのは、全文化を無視しない、とのマニフェスト。もちろん、こんなことは、日本人は本地垂迹説で 試みていた。あるいは反本地垂迹で。あたしはコンピュータがあるから、それができる。頭だけでできた人たちは、ほんとうにすごい。全然、すごい。
ただし、あたしは、そんな物語は創らない。
神なんて。
代わりにあたしは、家族が総勢で……そう、七百人はいる東方の一族(ファミリー)について、イメージする。ID番号をふらなければ成立しない「エゾの大家 族制」と、そこに嫁入りした(してしまった)23歳の女子の、ハードな一日。法事が執り行われるのだ。彼女は七百人強のあらゆる関係を理解して、一種、 Z、Zダッシュ、Zダッシュ・ダッシュ、Zダッシュ・ダッシュ・ダッシュ・、Zダッシュ・ダッシュ・ダッシュ・ダッシュ……を独自に整理して、まるで数人 しかつどっていない会であるかのように、かんぺきに処理(こな)す。そのプロセスと、想像力による発案のすごみを、あたしは描出する。本家の嫁として生き 残るために、彼女=ヒロインは、脳内に壮絶きわまりないソフトウェアをプログラミングする……。

そうそう、コンピュータなんて、こんなことに使うための道具だと、つい、相槌を打ってしまった。この部分が本書の眼目かもしれないな。

紀元百年ごろに『説文解字』は成立した。いちばん初めの字書。中国に現存している、最古の漢字の解説書。著者は許慎。後漢の学者だ。
許慎は漢字を配列することで、宇宙に存在するあらゆるモノを整理した。
ある秩序にしたがって。
漢字が宇宙なのか。
たぶん許慎の脳裡では、宇宙が漢字だった。
漢字・カンジ・かんじ。さあ、後漢という言葉に帰ろう。これは「漢の字」だ。カタカナ文字の氾濫が日本語を破壊していると唱える輩よ、だったら漢字なんて 使うな、馬鹿。なぜ日本人が漢字を採用したのか? 僕は呪術性を否定しない。僕は表意文字であり、"絵画"である漢字に、日本人がそうとうなポテンシャル を認めたことを否定しない。はるかな昔、中国→朝鮮半島→日本、と物品が入ってきて、そこには漢字が刻まれていた(はずだ、絶対に)。当時の日本人には意 味不明で、しかし力は認めた。文字を持たない/持つ必要がいまだない日本人が、そのパワーに魅入られた。僕たちがエジプト旅行してヒエログリフに魅惑され るように、神秘を感じる。霊的ななにごとかを甘受する。だから、だ。だから漢字(それ)は採用される。ただの表音文字--アルファベット--を排他的につ かみとらずに、漢字(それ)を。
システムだ。
宇宙だ。
はなから宇宙化されている。
さあ、どうする? 外来語廃止論にひた走るなら、この宇宙(ユニバース)を抛棄しよう。漢字から派生したアルファベット、すなわち平仮名も、片仮名も、投 げだそう。abcdefghijklmnopqrstuvwxyzだけで日本語を表記しようか? そうしたら万歳? でも、それが英語の音素を表わす文字 体系だからと、またもや拒絶が沸きあがるはず。
僕はなにも拒絶しない。
全部、投入する。


先の動植物カタカナ表記と、通底するようで、どこか混乱している。「全部、投入する」=「何でもあり」ということか? それを言っちゃこまどり姉妹ぢゃ(^_^;)

「思想以前に、存在が『アラビアン・ナイト』なんだなぁ。フルカワさんはやっぱり変わってるんだなぁ。まるでイジョー者ですよ、そのアイディアの湧きかたは」
存在が『アラビアン・ナイト』!うーむ、異常といわれても大変にうれしい。

古川の創作世界が「アラビアンナイト」に通じるというのは、言い得て妙、というか、なんたって「アラビアの夜の種族」が、センセーショナルな出世作だもんね。 いつかは読まなくては(^_^;)

ボディがいままでとは異なるソウルを宿すとき、ボディには意識が芽生える。たとえば、あたしは男性ではない し、あたしの肉体はそれまで小説を書き綴ったことがない。手書きの4倍の速度でマッキントッシュの鍵盤をばちばち叩きつづけた経験はない。そうした、もろ もろの事実。たぶん無視できない。するとあたしのボディは、かすかな自意識のもとに調整を行なう。その調整をここにいるソウルは感知できない。
あたしが降ろしている声は、気づけない。
つまり、あたしはあたしを騙す。
本当は、あたしはヒデオくんを騙す。
わかる?
肉体だけにも、意思があるかもしれないこと。かもしれない、のではない。実際には、ある。
あるの。
そうでなかったら、どうしてゾンビが生まれるの?
でしょう?
ほら、肉体は死んだときですら夢を見る。デッド・バット・ドゥリーミング。だから、生きているならば、もっと、もっと。
あたしのボディは騙しつづける。
それはただの調整。
ただの調整。


死んだ(はずだった)妻が(実は)死んでいた夫を入れ替わりに演じる入れ子構造と、本書のタイトルの風景だろう。
作品を創作するときに、書き出しと、〆をかなり重視してる作家かもしれない。
ということで、本書の冒頭は

たとえば僕はここで死んだふりをしてみる。すると、霊魂は脱けだす。それから?

末尾は

たとえば僕はここで生きているふりをしてみる。すると


017

【詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」】中野敏男 ★★★☆☆ NHK BOOKSというのは、ときどき面白いものを紹介することがある。本書もその一冊ということになるだろう。2012/05/30発行。

拡大の一途をたどりつつ国民に奉仕を求める国家、自らすすんで協力する人々、その心情を先取りする詩人、三 者は手を取り合うようにして戦時体制を築いてゆく。<抒情>から<翼賛>へと向かった心情の回路を明らかにし、戦前・戦時・戦後 そして現在の一貫性をえぐり出す瞠目の書。(見返しの惹句)

本書は、関東大震災とそれを前後する1920年代のことを、遠い過去と見てしまうのではなく、むしろ戦争に向かって進んだ民衆の同時代経験としてしっかり 考えなおしておく必要があるだろう、そんな問題意識が先にあって始めていた仕事を心情の文化史という軸でまとめたものです。それが現実に生起した大災害に より、当面する状況に文字通り直に関わるものとなってしまうとは。想像もつかなかったこの事態の成りゆきに、胸のつぶれる思いはなお消えることがありませ ん。「ボランティア」や「絆」が強調されているこの時に、しかもそれが実際に人々の物心両面での支えにもなっているはずの場面で、その基底にある危うさに 注意を向けるというのはやはり容易なことではないでしょう。しかし、そういう時だからこそこれは必要な問題提起となるに違いない、そのように心を奮わせ て、いまはそれを送り出すのみとなりました。(あとがき)

関東大震災と、この度の東北大震災がシンクロしてしまったということなんだろうなあ。
Morris.も、何となく「絆」の強調には違和感覚えていた。

震災後という状況下ではなおさらそうだと思いますが、人びとの傷ついた心情が抒情詩歌によって癒されるとい うとき、そこでいつもなにがしかは意識されているのが「郷愁」という心情であることは間違いないでしょう。学校唱歌の代表作である「故郷(ふるさと)」も 実はそうだったのですが、童謡の代表作である「赤とんぼ」や「夕焼小焼」などを考えてみても、最も典型的な「日本の抒情歌」と言われているそれらの歌が、 そろって遠い故郷や過ぎ去った日々を思う心情を歌っていることはよく知られています。そしてそう考えてみると、本書で考察対象とする北原白秋の作品にとっ ても、代表作の「砂山」「からたちの花」「この道」などを順次挙げてみれば、郷愁が特別に重要なモチーフであるのは明らかと思えます。すると、そこには いったいどんな問題が潜んでいるのでしょうか。

郷愁というのが、「新しい観念」であることを、わしらはつい忘れてしまいがちである。

「大正」という時代を迎え、日本民衆はここから「大正デモクラシー」と名づけられた政治状況の担い手にも なっていくのですが、それへの道がこのような移住熱と版図拡大要求をひとつの原動力にして開かれていたことは、その後の日本における民衆意識の性格を強く 規定したと考えなければなりません。またその裏面で、このような一大植民地帝国にむかう日本国家とそれを支える日本民衆との協力(共犯)関係が、植民者で ある日本人と被植民者となった朝鮮人や中国人という対抗関係を形作って、この両側にいる<民衆>という存在の間に[蔑視]と[敵意]を生み、 次第にそれが自他を思う感情に深く暗い影を落としていったというのもやはり間違いないことでした。

「国家と国民の共犯関係」これこそ、戦後の日本国民が知らぬふりしてすましてしまったことだろう。

北原白秋という詩人における童謡と新民謡の世界の生成について、そこに見えた郷愁の本質化という問題を取り 付き点にしてかなり立ち入った考察を続けてきました。そしてここにいたって、白秋のその本質主義の意識が、いまや帝国日本の神話的な地理の構想にまで進ん できていることを確認しています。しかもこれまでの考察で重要なことは、詩人白秋におけるそのような詩想の展開が、実はつねに同時代の植民地主義との関わ りを契機としながらステップアップしていると理解できることでしょう。そのことにより白秋の詩的世界は、一大植民地帝国の建設に進む同時代の日本の時代精 神と次第に深くその基調を合わせるようになっているのだと分かります。大正デモクラシーの「自由」という社会的雰囲気の中で日本民衆の心情をしっかりつか んだ白秋童謡と新民謡の詩的世界が、ここまで進んで、いよいよはっきりと植民地帝国の歩みにその詩想の足並みをそろえるようになっているわけです。

ハワイ、アメリカ、ブラジルへの移民と、朝鮮、台湾、満州への移民では、対照的にベクトルが違ってしまっている。つまり、日本人が植民地政策の「うま味」を味わうために動いたわけで、その心情を甘く包んでくれたのが白秋の童謡や新民謡だったということなのだろう。

今日の時点から考えると暗い戦争の時代の幕開けとみなされがちなこの1930年代の前半は、同時代の都会人 の短期的な体験として見る限りで、大不況からの脱却という光が見出されていた時期であり、満州事変も、遠い中国の地で勃発しながら自分たちには戦争景気を もたらしてくれる絶好の営利チャンスとして植民地主義的感覚で受け入れられていたということです。
1931年から33年にいたるプロセスには二つのとても大きな状況の落差があって、それが人々の意識を強く揺さぶっていたのです。二つの落差とは、ひとつ は不況から好況への反転という落差ですし、もうひとつは都市部と農村部との落差です。この顕著な事態は、一方に垣間見えた「好機」を逃すまいと前のめりに 突き進む切迫した投機的野心を生み、他方ではあまりにひどい貧富の落差が「憂国」の心情に火をつけもして、やはり誰にとっても重大な精神の危機につながる 可能性を秘めていました。
そんな状況を考えてみると、世界第二位になると喧伝された「大東京」の実現は、この時期の人々には決して単なる一都市の出来事なのではなく、むしろ「日本 人みんな」の気持ちを揺り動かし痺れさせる力を備えた麻薬のように魅惑的なシンボルにもなっていたことが理解出来ます。すなわちそれは、都会人にとっては 厳しい不況から脱して豊かな消費生活に向かい始めたその前途を保証してくれるはずのかけがえのない目標であり、農村の人々にとっては絶望的な貧困から脱し て安定した生活への可能性を開くなけなしの縁(よすが)のように見えただろうということです。


何か「大東京」と「大阪都構想」がダブって見えてくる。関東大震災と東北大震災、朝鮮人虐殺と無目的殺人、不況脱却、翼賛と「強い日本。まさに「この道はいつか来た道」ではないかい。
戦後最初に大ヒットした童謡「里の秋」が実は戦前に「星月夜」というタイトルで作られていたもので、その歌詞が以下の様なものだったというのは驚きだった。

里の秋(作詞 斎藤信夫 作曲 海沼實 1945/12/24放送)

1.しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の落ちる 夜は
ああ かあさんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

2.あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔
栗の実 食べては おもいだす

3.さよなら さよなら 椰子の島
お舟に ゆられて 帰られる
ああ とうさんよ 御無事でと
今夜も かあさんと いのります

星月夜(斎藤信夫作 1941年12月)

(1.2.は「里の秋」と同じ)

3.きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります

4.大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります

軍国主義について検閲がありそれが奇妙にも軍国主義の隠蔽として、戦時の暴力から目を逸らさせる忘却を生む(この時期に教室で使われた「墨塗り教科書」も それだった!)。このように作られた「忘却」であれば、その暴力を一時的に遮断はしても、根絶やしにすることは決してないでしょう。

そうそう、言い換えは、そのばしのぎでしかない。

思えば、1950年代の朝鮮戦争の時代とは、日本国内では「戦後復興」が声高に叫ばれていた頃のことでし た。また60年代のベトナム戦争の時代とは、日本では「高度経済成長」が謳歌されていたその時にほかなりません。そんな時節を通じて、日本ではこの時期全 体を「平和と民主主義と経済成長の戦後」と認識し、「奇跡的な復興」を「繁栄」につなげた日本の栄光と、戦災の焼け跡から立ち上がった「平和で勤勉な民 衆」という自己像をそこの投影してきていたのでした。しかしこのような戦後日本の民衆の自己像が、実際には戦争が続いたアジアの各地から日本を「基地国 家」として見ていた彼の地の人々から見れば、日本の内向けにのみ通用するひどく欺瞞的なものと映るのは明らかでしょう。この「基地国家」は、冷戦状況下で の他国の独裁政治や戦争を自国にとっては好都合な前提条件とし、そこで特別に生まれる営利チャンスを自国経済の成長のステップにしてきていて、その意味で この国家は、独裁と戦争に寄生する「経済成長」志向だったと見なければなりません。そうだとすれば、日本国内でのみ通用する「戦後平和主義」とは、そして それを肯定する「戦後」意識とはいったい何だったのでしょうか。

「基地国家=日本」という視点は注目である。「独裁と戦争に寄生する経済成長志向」こそ、日本の戦後を端的に集約する言葉だね。

21世紀に入った今日では、「戦後」と言われる時代もすでに六十年を超える歳月が過ぎ、世界の冷戦構造も確かに大きく変容しました。
それに加えて現在では、東日本大震災を前後して大きく問題化した二つのことが、あらためてその現状を厳しく照らしだすことになりました。
ひとつは、普天間基地移転が焦点化する中であらためて問われている沖縄の米軍基地の荷重負担という問題であり、もうひとつは、震災にともなう福島第一原子 力発電所の事故に端を発した深刻な原子力災害のことです。わたしたちはいま、戦後に植民地主義の継続を考える際に、この戦後世界に作られていた「犠牲やリ スクを不平等に配分する差別的な秩序」の存在に注目しました。
軍事基地の負担を沖縄に集中し、エネルギー供給に関わるリスクをフクシマその他に集中していればこそ、今日まで日本の他の地域の人々は、日常的にはそんな 負担やリスクを意識しないままに「平和で豊かで安全な社会」であるという中央中心の事故認識をずっと維持してこられたわけです。そうであれば、これもまた ひとつの植民地主義だと言わねばならなのではないでしょうか。
このように考えてくると、東日本大震災を経た今日、この日本は確かにひとつの大きな曲がり角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災で したが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、「犠牲やリスクの不平等」を生むこんな差別的秩序に依存して進められてきた戦後日本の「経済 成長」路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの拡張路線の、手酷い破綻であるに違いありません。深刻な放射能汚染と生活破壊を伴う大災害の現実を 目の当たりにして、もうこれまで通りやってはいけない、やってはならない。そんな声がまずは負担を強いられてきた人々からあがり、それが生活レベルから広 範な人々に共感されて、基地や原発を前提としないような将来構想がいまや切実に求められるようになっているということです。このような意識が確かに結びあ うなら、それは生活する民衆の精神からの事故変革につながり、やがてはそれがこの歴史と社会に新しい未来を開く力になっていくかもしれません。
そんな時だからこそ、かつては震災から戦争に向かってしまった痛切な歴史を見直し、そこに堆積した民衆の文化経験に学ぶ営みがやはり大切なことなのだとあ らためて思います。そのように歴史とその責任をしっかり見極めつつ、いまこのときに精算すべきことはきちんと精算して、そこから新しい生活と文化を創り出 していくことが、わたしたちにできるでしょうか。そこではいったいどんな詩や歌が求められ、生まれるでしょうか。

東北大震災2年目にあたる時点で、この結びの言葉には共感を覚えた。
しかし、この「ですます」調の文体は、写してて、ちょっと勘弁してもらいたくなった(^_^;) はっきり言えば「悪文」である。筆者が2006年に急性 心筋梗塞で倒れ、回復したものの活動に制約を受ける状態、というのが一因かもしれないが、発表する際にはもうすこし刈り込むべきだったろう。


016

【ラクダに乗って】申庚林(シンギョンニム)詩選集 吉川凪訳 ★★★ クオン社の「新しい韓国の文学」シリーズの一冊。申庚林は1935年忠清北道中原郡(現、忠州市)生まれで、韓国民衆詩の代表的詩人らしい。
韓国では日本に比べると「詩」が好まれている傾向がある。書店に行っても、小説、非小説と並んで詩集のベストセラーが並べられている。しかし、 Morris.は韓国の詩にはどうしても馴染めずにいた。Morris.にとって韓国の詩といえば、金素雲の訳詞集「朝鮮詩集」に尽きるかもしれない (^_^;) これは戦前のものである。しかも、あまりに金素雲の「意訳」の傾向が強く、ほとんど創作といえるかもしれない。茨木のり子訳編の「韓国現代 詩選」も、読んだはずだが、何か記憶の彼方である。
金時鐘の「猪飼野詩集」は偏愛しているし、崔華國の「猫談義」は好きだったが、これらはもともと日本語で書かれたものだった。
申庚林の代表作とされる「農舞(農楽)」を引用する。 

農舞(ノンム)

銅鑼(チン)が鳴る 幕は下りた
桐の木に電灯吊るした仮舞台
見物人の去った運動場
俺達は白粉が剥げたまま
学校前の飲み屋に押しかけ焼酎を飲む
息詰まる きつい暮らしが恨めしい
鉦(ケンガリ)を先頭に市場を行けば
ついて来て騒ぐのはガキばかり
娘たちは油屋の塀にもたれて
無邪気にくすくす笑ってら
月は満月 ひとりの野郎が
林巨正(イムコクチョン)のように泣き叫び 別の野郎は
徐霖(ソリム)みたいにへらへら笑うが
こんな山奥であがいたところで何がどうなる
肥料代も出ない畑仕事なんぞ
いっそ女たちに任せちまって
牛市場を過ぎ屠畜場の前を回るころ
俺たちはだんだん浮かれはじめる
片足上げてチャルメラ吹こうか
首を回して肩揺すろうか (詩集『農舞』1975)


チンやケンガリは農楽の打楽器であり、林巨正は、伝説的な英雄盗賊、徐霖はその手下である。ネットで探したら原詩はすぐ見つかった。

농무(農舞) - 신경림

징이 울린다 막이 내렸다.
오동나무에 전등이 매어달린 가설 무대
구경꾼이 돌아가고 난 텅빈 운동장
우리는 분이 얼룩진 얼굴로
학교 앞 소줏집에 몰려 술을 마신다.
답답하고 고달프게 사는 것이 원통하다.
꽹가리를 앞장세워 장거리로 나서면
따라붙어 악을 쓰는 건 쪼무래기들뿐
처녀애들은 기름집 담벽에 붙어 서서
철없이 킬킬대는구나.
보름달은 밝아 어떤 녀석은
꺽정이처럼 울부짖고 또 어떤 녀석은
서림이처럼 해해대지만 이까짓
산구석에 처박혀 발버둥친들 무엇하랴.
비료값도 안 나오는 농사 따위야
아예 여편네이게나 맡겨두고
쇠전을 거쳐 도수장 앞에 와 돌 때
우리는 점점 신명이 난다.
한 다리를 들고 날라리를 불꺼나.
고개짓을 하고 어깨를 흔들거나.


ところどころ見知らぬ単語が出てくるが、文章的にはそれほど難しいものではなさそうだ。
ふと思いついて、ネット自動翻訳の、エキサイトとGoogleで翻訳させてみた。

 エキサイト翻訳    Google翻訳
農舞-シン・ギョンニム

チンが鳴る幕が降りた。
桐に電灯が摂りつかれた仮設(架設)舞台
野次馬が戻った空っぽである運動場
抜く方が汚された顔で
学校の前一杯飲み屋に集まって酒を飲む。
苦しくて大変疲れるように生きるということがうらめしい。
かあんと行くだろうを先頭に押し立てて長距離に出れば
追いついてわめくのはチョムレギドゥルプン
娘子供たちは油集壁について立って
幼稚にクスクス笑うんだな。
十五夜月は明るくてどんな野郎は
コクチョンイのように泣き叫んでまた、どんな野郎は
書林のように害しまくるがこのそれしきの
産具席に押し込まれて地団駄を踏んでも何をするだろうか。
肥料値も出てこない農作業などが
最初からヨピョンネイゲナまかせて
鉄全(前)を経て導水長の前にきて回るとき
私たちはますます興がわく。
ある足を上げて遊び人をプルコナ.
頭ことをして肩を揺さぶったり。 
  濃霧(农舞) - シンギョンリム

どらが鳴り響く膜した。
桐の電灯がつなぎ留め付きの仮説舞台
視聴者が帰って、私は空っぽの運動場
我々は、分染色顔で
学校前ソジュト家に集まってお酒を飲む。
苦しくてゴダルプゲ買うことが円筒である。
クェンガリを先頭に立てて長距離に乗り出せば、
追い付き悪を使うのは追わムレ5秒だけ
処女の子供たちは、油家壁について立って
鉄なしくすくす代だね。
満月は明るくいくつかの人は
コクジョンイのように泣き叫んでまたどのような人は、
書林このようヘヘ大地がイカジト
山の隅に閉じこもっもがい親たちは何だろうか。
肥料の値も出て農作業なんかよ
最初からヨピョンネこれが私任せておいて
スェジョンを経て、度数章の前にと回したときに
我々は、ますます興が出る。
した足を持って遊び人を火コナ。
頭をやって肩を揺らしたり。

 

機械翻訳だから、同じような誤訳も見られるが、かなりの違いもある。どちらかというとエキサイトのほうが点数高いような気もする。
7行目の「長距離」は「ジャン(市場)のコリ(町)」を漢字三文字熟語と解したのだろう。ケンガリを「があんと行くだろう」と訳したエキサイトには拍手をおくりたい(^_^;)/ 
無料提供のこれらの翻訳サイトで、これだけできるのだから、大したものである。
詩の内容についてはあまり語ることはない。とはいえ、これだけでは失礼に過ぎるので、印象に残ったもの数編を追加引用しておこう。

啓蟄

泥に汚れた下着姿で横たわり
妻は身を震わせながら咳きこんだ。
ひがな一日オンドルの煙道ががたがた鳴って
麹の匂いが鼻をつく精米所の裏部屋。
はだか電球のもと 鉱山の若い連中が
夜更けまで時季外れの花札を引くので
妻の代わりにムクを切って酒を運び
ふいごを回してオンドルを焚き。
米俵を積んできた馬方までが
一緒になって興じれば いつしか鶏が時をつくり
ボタ運びに出かける妻のため ぼくは
勝った奴から金をせびってヘジャンククを買いに行った。
啓蟄でもまだ寒い村の市場。
戦争の最中に殴り殺されたユクパリの妻は
誰かれ構わず色目を使いながら
ウゴジたっぷりのヘジャンククを飯にかけて。 (詩集『農舞』1975)



触れるものすべてをめらめらと焼きつくし
周囲を明るく照らす火だった
だから夢であり道であった 闇の中で彼は

日差しの中に出ると猫になった
塀の下や木陰でうずくまって眼を光らせ
鋭い鳴き声を上げる厄介者になった
触れれば真っ黒な炭になるのが怖くて皆が敬遠する
孤独で美しい声になった (詩集『母と祖母のシルエット』1998)



止まれと言われれば止まり 座れと言われれば座った。行けと言われれば行き 戻れと言われれば戻った。追えと言われれば追い 噛みつけと言われれば噛みついた。そうして、

年老いて元気がなくなると主人は彼を犬買いに売った。そして彼の肉は皮から剥がされ貪欲な人たちの食卓にのぼった。主人もこのうえなく愛していた犬の肉を食べ、たいへん満足した。

その犬は死んで安物の革しか残さなかった。革よりももっと貴い教訓を残したという嘘とともに。 (詩集『角』2002)

ラクダ

ラクダに乗って行こう あの世へは
星と月と太陽と
砂しか見たことのないラクダに乗って。
世間のことを聞かれたら何も見なかったみたいな顔で
手ぶりで答え、
悲しみも痛みもすっかり忘れたように。
もういちど世の中に出て行けと誰かに言われたら
ラクダになって行く、と答えよう。
星と月と太陽と
砂ばかり見て暮らし、
帰りにはこの世でいちばん
愚かな人をひとり 背中に乗せて来るよ、と。
何がおもしろくて生きていたのかわからないような
いちばん哀れな人を
道連れにして。 (詩集『ラクダ』2008)


015

【ニッポン・スウィングタイム】毛利眞人 ★★★★ 1972年生まれなの に、何でこんなに戦前、戦時中の日本のジャズシーンのことをよく知ってるのだろうと、びっくりさせられた。フルトヴェングラーファンで、オーディオマニア でもあったらしい父の影響から、レコード道楽にはまったとのことだが、その聴きこみは半端ではない。ひさびさに読み応えのある音楽史モノだった。

僕はいつからかレコード道楽にめざめ、音楽を構成する音を解剖したり、録音にふくまれるその場の空気を味 わったりすることに喜びを感じるようになりました。そんな曖昧模糊としたものは、科学の力でも解析しえない要素です。しかし、ある人物や時代を生々しく伝 えるには、膨大なデータやエピソードももちろん必要ですが、その人物や時代がまとう空気感こそがもっとも大切だと僕は考えています。日本に伝わった洋楽 は、1920年代は1920年代の様式と美意識で、1940年代には1940年代の潮流に乗って表現されました。その折々の感覚に共感することで、その時 代と人も見えてくるのではないでしょうか?(あとがき)

まずもって、この姿勢が良いね。戦前ジャズ研究の第一人者瀬川昌久に薫陶と恩恵を受けているようだが、とにかく音盤を聴き倒しての解析の緻密さは見事としか言いようがない。型見本として1929年1月新譜の「君恋し」(二村定一歌、井田一郎アレンジ)の解析を引いておく。

「君恋し」は元来、佐々紅華の作詞・作曲、高井ルビーの歌唱、ニッポノホン・オーケストラの伴奏で 1926(大正15)年11月新譜としてリリースされた新流行歌であった。新流行歌とは、欧米の手法で作曲した国産ポピュラーソングを売り出すに当たって 考案された名称である。
二村定一歌唱の、この2分54秒のフォックス・トロットはじつに手のこんだアレンジで飾られている。演奏するのは、サックス2、トランペット、トロンボーン、バンジョー、ドラムス、ヴァイオリン、テューバという編成の日本ビクター・ジャズバンド。
たとえばイントロである。高井ルビーの旧盤はたっぷりワンコーラス32小節を演奏したあと歌唱に入るが、二村盤はわずか10小節ですます。従来の書生節や 流行唄の多くは長い前奏を奏でてから歌唱に入るパターンが多かったから、この聴き手をいらいらと待たせない即物的な前奏は好評であった。32小節のコーラ スはAABAというティピカルな構成で、間奏を置かずに3回繰り返される。
一番コーラスは二村の歌唱とともにアルト・サックスがメロディをなぞり、ヴァイオリンが対旋律を弾く。トランペットとトロンボーンのブラスセクションが フィル・インする。♫君恋し~……の直前のあいだにはトライアングルが入り、Bのサビの部分では、ミュートをつけたトロンボーンがもの狂おしくリズムを刻 む。後半、2本のサックスがヴォーカルに和する。
二番では初め、バンジョーとドラムの刻むリズムセクションがリードする。ブラスのフィル・イン。ヴァイオリンが薄くメインコーラスの旋律を通奏するが、テ ナーサックスによる対旋律が強く存在を主張する。♫君恋し~……の直前にはアクセントのパーカッションが入らないので肩すかしを食う。サビでもテナーサッ クスが強く絡む。後半、ヴァイオリンが旋律を追う。
三番は夜の匂いの立ちこめるようなアルト・サックスとリズムセクションの強拍が特徴的である。ブラスのフィル・インも控えめだ。もう一本のアルトサックス がやさしく対旋律にあらわれる。その静寂を破るのがアクセントのシンバルである。この強打を境にサビはサックスセクションとドラムスで悲壮感を纏いつつ盛 り上がる。♫臙脂の紅帯緩むも寂しや……ではテナーサックスとアルトサックスの重奏が深沈とした夜の雰囲気をかもし出す。コーラスの直後、橘川正のトラン ペットがフューチャーされて哀愁たっぷりな「埴生の宿」"Home,Sweet Home"のアンコが入る。ブラスとサックス主導で強拍を打って進行する 後奏にちょっとだけあらわれる、ねっとりとしたアルトサックス(高見友祥)のソロは聴きものである。


ふーっ、SP音盤からこれだけの情報を吸い上げるというのは、耳の良さもさることながら、かなりの音質、音量で再生させる機器も必須だろうし、当時の音楽 事情、人間関係などの情報、かてて加えて音楽理論、技法の知識無しにはできまい。もともとクラシック畑(父がフルトヴェングラーファンだもんな)の素養が あるのだろう。
しかし、このあと「今日の耳で聴けば稚拙なジャズである。バンドとしてのボリュームも技量も、現代のコンボの比ではないだろう。しかし、彼らはもてる技術 を尽くしてフォックス・トロットのリズムに身をゆだね、ジャズに痺れている。」と続く(^_^;) 褒めてるのやらけなしてるのやら。ご贔屓の二村の歌唱 に関しては念の入ったフォローがある。

二村の畳みこむような焦燥感せまるヴォーカルは、豊かな官能を湛えたアレンジに包まれて、語る以上のはたら きをする。二村は一見、美声と芝居気のみで時代に受けたように見えるが、じつは性格歌手的な要素を多くもっている。声の陰影をマイクロフォンをとおして巧 みに駆使する術を知っていた歌手であり、邦楽の歌唱法を用いることによって多彩な感情表現を可能としていた。「君恋し」ではそれが最大限に活かされてい る。

戦前日本のジャズといえば、Morris.などは、「上海バンスキング」で、何となくそんな世界があったことを教えられたような気がするのだが、その影響で大好きになった川畑文子に触れた部分を引いておこう。

川畑文子は、1933(昭和7)年から1938年にかけて、コロムビアに四十面もの録音をした。ごく古いポ ピュラーソングからドイツのシュラガー(流行歌)、ブルース、和製ジャズソングまで多彩なレパートリーだが、彼女のけだるいもち味と自在にうねる草書体の ような歌唱センスには、技量を超えた良さがある。
1935(昭和10)年から翌36年にかけてはテイチクと契約し、二十六面の録音をした。テイチクでのレパートリーは、ハワイアンとホットナンバーにくっ きりはっきりわかれるのが特徴である。そのなかでもとりわけ素晴らしいのは「ティティナ」(三根徳一(ディック・ミネ)訳詞、編曲、36年11月新譜)で ある。
テイチクジャズバンドの編成はトランペット、クラリネット、アルトサックス、トロンボーン、ドラムス、ピアノ、ギターというコンボ編成。ディキシーランド ジャズスタイルの華美なアレンジが施されている。南里文雄のパワフルなペットとトロンボーン、トーマス・ミスマンのクラリネット、サックスのアドリブソロ でイントロにワンコーラス演ってヴォーカルが入る。歌詞、演奏の醸し出す靄のかかったようなアンニュイな雰囲気に川畑文子の歌唱も渾然一体となって、けだ し名唱である。このディスクにおける川畑は、初期のたどたどしい歌唱からずいぶん進歩しており、技巧的にも申し分ない。
ヴォーカルの背後では杉原泰蔵が弾く物憂い響きのピアノ、もやもやしたサックスが絡んでいる。フィル・インにトランペットが挟まる。
コーラス間の間奏はミュートをつけたトロンボーンとテディー・ウィルソンをおもわせるクールなピアノの絡み、二番コーラスも一番と同様、ピアノが活躍し、 こんどはクラリネットとトランペットがフィル・インする。後奏はクラリネットでワンコーラス演奏したあと、南里の音を割ったトランペットが圧倒的な名演を みせる。フェイクするペットにクラリネットが高音で絡んでクライマックスを迎える。このディスクの一方の主役は南里文雄である。
ミネがアレンジした「ティティナ」は、彼のほかの編曲作品「上海リル」や「あなたとならば」"I'm Following You!"などと共通するアン ニュイでロマンチックな香気に包まれている。ソロプレイをふんだんに織りこみ、ヴォーカルの効果的な盛り上がりを約束するミネは、アレンジャーとして、い まいちど再評価されるべきであろう。


ディック・ミネはやはり色んな意味で「大物」だったみたいだな。彼のカセットテープ持ってたはずだから、今度、mp3に変換してみよう。つい先日亡くなったプリンセスソースの爺っちゃんも好きだと言ってた。

1937(昭和12)年2月7日午後1時、JOAKはニューヨークのCBSブロードキャスティングからベ ニー・グッドマン・オーケストラのコンサートを国際中継放送した。これは1月31日(アメリカ時間で30日)にAKがフランクリン・デラノ・ルーズベルト 大統領の55歳の誕生日を祝ってアメリカに国際親善放送を贈った返礼としておこなわれた番組である。
折しも正月映画としてBG(ベニー・グッドマン)の出演する映画「1937年の大放送」が封切られ、日米でスゥイング・ジャズが全盛を迎えていたので、新聞のラジオ欄でも「これがスヰング・ジヤズ」と大きく紹介された。
事前にCBSが「曲目は総て最近流行のものばかりであるが、グッドマンがその時の気分で即興的に演奏するから何が飛び出すか判らない」という電文を寄越し たので、JOAKはプログラム解説のためにニューヨーク/タイムズ紙記者のバートン・クレインを手配して、日本語で解説を加えた。
バートン・クレイン(1901~63)は1925(大正14)年から36年にかけてジャパン・アドヴァタイザー紙の記者として滞日した。滞日中の 1931(昭和6)年、「酒が飲みたい」「家にかえりたい」を日本語で愛嬌たっぷりに歌って、ジャズソングとしてヒットさせた。続いて30曲ほどのジャズ ソングやコミックソングをレコード化したので、日本ではよく知られた外国人だったのである。


戦前に日本でもベニーグッドマンが聴かれて、国際放送までされたというのも驚きだが、バートン・クレインのことが出てきたので着目した。米人新聞記者で日 本で歌手としても活躍した彼のこと、もう少し詳しく知りたいものである。Morris.は題名の上がってる2曲はおなじみだが、他に30曲も録音したとい うのは知らなかった。

キングでスウィングらしいスウィングをマイクにのせたのは、37年に現われた「キング・スウヰングバンド」 である。日本で初めてスウィングの名を冠したこのバンドは、多紀英二のアレンジで「ダイナ」「青空」(36年6月新譜)をレコーディングした。林伊佐緒が ひらひらと歌う「ダイナ」はクラリネット、テナーサックス、トランペット、ギター、ベース、ドラムス、ピアノという編成で、各パートがチェーサーを重ねな がら楽しい雰囲気でジャイブする。「青空」"My Blue Heaven"は前記の編成からサックスが抜けて、かわりにストリングスが入っている。こち らも軽いノリでスウィングしながら、松島詩子の成熟したヴォーカルを引き立てている。
「キング管弦楽団」というネームになっているが、「シボネー」(松島詩子、40年2月新譜)も同じような編成のコンボである。これらをアレンジした多紀英 二=林伊佐緒(1912~15)は作曲・編曲・歌手を一手にこなした才人で、本職のジャズアレンジャーとはまったく異なるリズム感覚と楽器編成を独自のス ウィングを表現した。その定型に囚われないセンスが、戦後に「真室川ブギ」(54年)などのジャズ民謡シリーズを生むこととなる。


林伊佐緒といえば「イヨマンテの夜」だと、ずっと思い込んでたのだが、今、ネットで調べたらこれはMorris.の完全な勘違いで、作詞菊田一夫、作曲古関裕而、歌は伊藤久男だった(>_<)。
林伊佐緒のヒット曲は戦時中の「男なら」「もしも月給が上がったら」戦後は「ダンスパーティの夜」「麗人草の歌」「高原の宿」「思い出のブンガワンソロ」 などだが、大部分は自作で、日本のシンガーソングライター第一号と言われてるらしい。声量は超弩級だったとか。さらに作曲家として多くのヒット曲を提供し ている。
三橋美智也の「リンゴ村から」、春日八郎の「ロザリオの島」「長崎の女」、藤田まことの「てなもんんや三度笠」も林の作品だとか。いやあ林伊佐緒も日本歌謡界の巨人だったのか。彼の音楽的素因が、戦前のジャズの世界にあったということもよくわかった。

コロムビアから発売されていた(コロムビア・ジャズバンドの)ダンスレコード・軽音楽レコードの大半は流行 歌の平凡なアレンジで、楽団のアンサンブルこそ完璧なもののジャジーな雰囲気には乏しかった。しかし、朝鮮半島向けに「リーガル管弦楽団」の名で録音され た「싱・싱・싱」"Sing Sing Sing"(孫牧人=唄、39年5月新譜)を聴くと、かれらの秘めていた実力は一目瞭然である。この「シング・シ ング・シング」は宮川はるみのレコーティングのために服部良一がアレンジしたスコアをさらに進化させたバージョンだが、宮川はるみ盤の流麗なスタイルから 一変、アメリカのバンドと遜色ないほどのブラックなフィーリングで、型破りにワイルドなホットプレイを展開している。このような思いがけない一面は、他に は映画「舗道の囁き」(1936)などでジャズるシーンに見られる程度である。かれらのステージでの実演やラジオ放送が聴けないいま、私たちは想像力をは たらかせてこの最強バンドの実像を測らなければならない。

朝鮮半島へのジャズ流入の記事だったので、チェックを入れた。歌っている孫牧人(ソンモギン)は、韓国歌謡で一番有名かもしれない「木浦の涙」の作曲家だし、日本でも「カスバの女」の作者(久我山明名義)として知られているが、彼もやはりジャズ畑で活躍してたんだな。

大阪住吉に本社のあったニットー、西宮のタイヘイは、関西の二大メジャーレーベルだった。
ニットーは大正期から住吉大社そばのスタジオで録音をおこなっていたが、1928年から東京スタジオでも録音作業をおこなうようになり、1929(昭和4)からは企画を大阪本社で立てて、主なレコーディングを東京スタジオに移行した。
ニットーのメインバンドだった日東管弦団(N・O楽団)は東京で編成された楽団で、プレイヤーにメジャーレーベル並みの力量の持ち主が揃っている。この レーベルはもともとダンスレコードに力を入れていたので、ディキシーを基調にしつつアップテンポでもけっして崩れない堅実な演奏をした。1934年にレ コーディング・オーケストラの入れ替えで「神月春光とリズマニアンズ」がメインバンドとなり、服部良一の意欲作「道頓堀行進曲」(34年9月新譜、ニッ トー)「流線型ジャズ」(35年5月、クリスタル)などで、スウィング時代の先駆けを飾った。
タイヘイは、前身の「内外レコード」時代からダンスホールやカフェーのジャズバンドを使い、自前の楽団をもたなかった。深夜、カフェーやダンスホールが閉 店してからスタジオにバンドマンを集めて流行歌の伴奏やダンスレコードを録音する寄せ集めバンドで、「タイヘイジャズバンド」「タイヘイダンスオーケスト ラバンド」「タイヘイダンシングンバンド」などさまざまな名前がつけられていた。そのほか、「キング]「オリエンタル」などのダンスホールに出演している 実働バンドをスタジオに呼んだり、道頓堀のカフェー・赤玉にマイクロフォンを出張させて前野港造の率いる「赤玉ジャズバンド」を録音したりなどしている。
1931(昭和6)年からは同社で作曲・編曲を手がけていた服部良一が数人編成のR・Hセレナーダースを編成して、流行小唄の伴奏やダンスレコードに大活 躍した。このバンドには宝塚会館に出演していたアーネスト・カアイ(ギター)や平茂夫(ピアノ)、ディック・ミネも加わり、ごく少量だがホットな演奏をの こした(R・Hセレナーダースはコロムビア大阪スタジオでも盛んに録音した)。編曲者に平茂夫、プレイヤーに南里文雄が加わることもあった。平のアレン ジした「ダイナ」(宮下昌子、35年1月新譜)は、コロムビアの中野忠晴&コロムビア・ナカノ・リズムボーイス盤(奥山貞吉編曲)に似せたアレン ジをサックス3、ブラス2、リズム3という標準的なダンスバンド編成の「タイヘイボーイスジャズバンド」が演奏している。タイヘイのジャズは寄せ集め的な 雰囲気が否めないのだが、かなり金をかけて良いメンバーを集めたのだろう、各プレイヤーの技量とよく揃ったアンサンブル、押し出しのよいドライブ力でメ ジャーレーベル並みの水準に達している。


ニットー、タイヘイの名前は、朴燦鎬さんの著作などで、耳馴染みがあった。当時の関西のレコード業界の一端がうかがわれて興味深かった。

1941(昭和16)年12月8日、日本とアメリカのあいだに戦端が開かれた。
この日からラジオは電波管制下にはいり、都市放送(地方局)はすべて取りやめ。
12月30日、内閣情報局は「今後日本人は、純音楽、軽音楽を問はず、敵国人の作品演奏をさせない」という音楽統制の方針を発表した。
では、開戦と同時に敵国アメリカのジャズが国内から完全追放され、ジャズメンは地下に潜ってレジスタンス的にひそかなジャムセッションを繰り広げたかというと、じつはその逆だった。むしろ巷にジャズがあふれる珍現象を呈したのである。
レコード界も、売れるジャズを容易に引っ込めはしなかった。ハワイアンも敵国アメリカの支配下の地域の音楽でありながら、日系人が多かった関係か「南海音楽」としてふつうに売られていた。
1942年になると、コロムビア、ビクター、キングは日本人によるホットディスクを競ってリリースしはじめたのだ。
しかし日本のジャズレコードもこのあたりで命運が尽きた。
キングが4曲の民謡ジャズを発売した翌月、日本コロムビアは米ブランズウィック原盤を使用したジャズレーベル、「ラッキー」のリリースを停止した。政府か らの指導もあったが、そもそも慢性的な物資不足で不急不要の娯楽レコードにはレコード材料として必要不可欠なシェラックが回ってこない。シェラック(貝殻 虫の分泌する樹脂状の物質で、熱を加えると軟化し、冷ますと硬くなるという性質からレコード素材に使われていた)は軍事物質でもあったからである。やはり 戦時下であった。
敵性語の追放も激しさが増し、レコード会社は1942年から、
・コロムビア→ニッチク
・ポリドール→大東亜
・キング→富士音盤
とブランド名を改定した。
一方、ビクターは社名が日本ビクター蓄音機株式会社から「日本音響株式会社」になったものの、ビクターというブランド名は守り抜いた。またテイチクはそもそも社名が帝国蓄音機株式会社なので、会社統合で消滅する危機に見舞われつつもブランドを維持した。
楽器も基本的に和名を用いることになり、用語としても実際に機能したのかは疑問だが、サキソフォンには「金属製曲がり尺八」などという珍妙な名称が与えられたという。


それにしても1942年まで、日本国内でジャズがこれだけ演奏されたというのは、意外である。1945年が敗戦ということは、日本のジャズの空白期間?は 3,4年しかなかったということになるのか。沈潜しながら維持されただろうことを思うと、ミュージシャンにとって、ジャズは剣より強かったとでもいうべき か、それを気づかせてくれたという意味でも本書の意義は大きいと思う。
以下、本文、注の中から印象に残ったエピソードや事項をピックアップしておく。

明治期の「船の楽隊」からスタートした井田一郎は、「佐渡おけさ」や「磯節」「木曽節」などアップテンポで メロディラインのはっきりした民謡、いわゆる「八木節形式」を好んでフォックス・トロットに編曲した。反面、苦手としたのがゆったりしたメロディーの「追 分」である。「追分」は長野県、関東から北、北海道までの地域で広く歌われた馬子唄で、「八木節形式」に対して「追分形式」と呼ばれる。追分の特徴とし て、ひとつの母音を音程を上下させながら演奏・歌唱する音楽的な装飾、メリスマを多用している。メリスマは演歌のコブシに似ているが、拍節を超えて長いフ レーズに用いられることが多い。したがってリズム的に不分明な要素が強く、聞かせどころ(ソリ)が目立たせにくい。また扱う音域が広いのでジャズ風ヴォー カルも入れにくい。これを鍛えられた耳とセンスですぐれたスウィングにアレンジしたのが、服部良一を尖兵とした、杉本幸一、佐野鋤らジャズ第二世代であ る。

二村定一は全盛期からゲイとして知られていた。1933年にかほる夫人と結婚はするものの、半年あまりで離婚してしまうのである。慶応の学生、映画の子 役、茶道の宗匠などと浮名を流し、しかも自身の性癖を隠そうとしなかった点、二村は、現代的というか当時の規範からはずれたタレントであった。1949 年、四十九歳という若さで二村が死去したのち、葬儀を取り仕切ったのもかつて可愛がられた学生だったという。

ジャズソングの名称変遷
1928年 ジャズバンド(ニッポノホン)、ハーモニカジャヅ(ニッポノホン)、ジャヅ合唱(ニッポノホン)、ジャヅソング(ニッポノホン)、ジャズ流行 唄(ニットー)、フォックス・トロット(ビクター)、ジャズ合唱(オリエント)、ジャズ小唄(ニットー)、ジャヅソング(ニッポノホン)、ジャズソング (ニッポノホン)、ワルツ(ビクター)、ジャズ(ビクター)
1929年 ジャズソング(ニットー)、タンゴ(ビクター)、流行小唄(オリエント)、ジャズソング(内外)、ジャズソング(コロムビア)、ジャズソング(ビクター)、ジャズソング(ツルほか各社)

BIG APPLEはリンディ・ホップの一種で、複数のダンスカップルがトラッキン、チャールストン、スジーQなど数種類のステップをリーダーの合図一つ で踊り分ける。ジタバッグ(現在のジルバ)の進化形とも言われているグループダンスである。ちなみにこのダンスの名前は、ニューヨークの愛称、ビッグ・ アップルからきている。

平茂夫(1903~?)は浅草のバンド屋出身で、大正末期に大阪松竹座のオーケストラに入った。日本のジャズピアニストの先駆けである。昭和10年代に服 部良一から和声法や作曲法を学んでからは本格的にジャズアレンジャーの道を歩んだ。弟の平八郎(ギター)は「ザ・ドリフターズ」の加藤茶の父親。昭和10 年頃のミュージシャンで高級車を乗り回しているのは藤山一郎と平茂夫くらいだと言われ、「平八幡」があだ名だった。

(コール・ポーターの名曲"Begin the Beguine"が40年に「ボレロに寄せて」という邦題でリリースされたことの注として)
ビギンは西インド諸島のマルティニーク島やセントルシア島で踊られている急速な二拍子のダンス音楽。1920年代に欧米に伝えられた。ボレロに近いリズム なので、コロムビアは日本になじみのないビギンをボレロとして紹介したのだろう。日本ではやや不明確なリズムながら「サリタ」(井上起久子、日蓄ジャズバ ンド、29年8月新譜)がもっとも早い伝来例である。

コロムビアで旺盛にホットジャズと取り組んでいた同じ時期、1938(昭和13)年から41年にかけて、服部は「松竹楽劇団」の座付き作曲家・アレン ジャー・指揮者として、笠置シヅ子と強力なタッグをくんだ。瀬川昌久氏によれば、当初は紙恭輔が正指揮者、服部が副指揮者の格で、この二人が作曲・アレン ジのすべてを担当したが、実質上、楽劇団のジャジーなカラーは服部によって形成されたという。劇伴オーケストラは、放送やPCL管弦楽団で活躍した斉藤広 義がひきいるサックス4、ブラス5、リズム4という編成のSGDスヰング・バンドで、服部良一の指導下めきめきと技量をあげたという。
笠置シヅ子の伴奏はすべて「コロムビア。オーケストラ」名義となっているが、かなり広いスタジオで録音されたのか、劇場で聴いているような印象を与える。 またアンサンブルも、レコーディングオーケストラにしては粗さがある。しかし笠置シヅ子のヴォーカルと一心同体の躍動感、日本人離れしたブラックなフィー リングからは、並のオーケストラでないことが明瞭に感じとれる。その正体こそSGDスヰング・バンドなのかもしれない。

瑕瑾を言い立てるようなことになるが、本書に索引が無いのは、実にもったいないことだと思う。人名索引だけでもあれば、レファレンスブックとしての利用価 値が数段上がったことは間違いないと思う。コンピュータ編集の時代になってから、索引づくりはそれほど面倒なことではなくなったのではと、思うのだが、ど うなのだろう。
著者のブログ「音盤茶話」もなかなかに充実しているようだ。


014

チェ・ミンシク写真集】★★★ 
先日KBSニュースで、懐かしいモノクロ写真が流れた。釜山の写真家チェ・ミンシクの作品である。ちょっと嫌な予感がした。写真家のインタビュー映像もあって、テロップは「故チェ・ミンシク」となってる(>_<)
その後ネットで検索したら、京郷新聞の記事で、2月12日釜山の自宅で亡くなったとのこと。享年八十五。
Morris.はこの写真家にはかなり以前から関心があった。ミニコミ「サンボ通信18号」(1991)でも紹介記事を掲載したことがある。あれから22年も経ってしまったのか。懐かしさも込めて全文を引用しておく。


サンボ通信18号の記事4 月に韓国を旅行した時、ソウル大学路の文化会館2階の美術書販売コーナーに、フランスで発行された写真文庫の韓国版があったので、前から欲しかったユー ジェンヌ・アッジェを2500ウォンで手に入れた。その時同じシリーズにチェ・ミンシクという韓国写真家のものがあるのに気付いて(オリジナルのフランス 版にはもちろん無い)ぱらぱらと頁をめくって、すっかり気に入り、これも買って帰ってきた。
写真文庫はB6版で写真集としては小さく、ポストカードを集めた感じだが、チェ・ミンシクの写真はほとんど人物のスナップショットなので、実際にアルバムに貼られた写真を見ているようでなかなかいい。
チェ・ミンシクは1928年ファンヘド(黄海道)延安のうまれ、太平洋戦争中は三菱関係の工場で働き終戦を迎える。
軍隊勤務の後1957年東京の美術学院でデザインを学び、このころから写真に関心を持つ。帰国後、62年にカトリック系の慈善会の写真を担当、人間を素材 にした写真を発表し始める。以後は国内はもちろん、中国、日本、アメリカ、ヨーロッパの写真展に数多く入選、雑誌にも掲載され、世界的に高い評価を受け る。
写真文庫には57年から87年の30年間に渡る彼の写真の中から65点がピックアップされており、すべて、社会の底辺に生きている人々の生活の一駒であ る。疲れ果てた老人、戦争で傷ついた若者、浮浪者、貧しくても屈託のない子供たち、子守している小さな姉、祖母と孫、母と子、兄弟姉妹……おっぱいにむ しゃぶりつく幼児の写真も3点ある。写真活動を始めてからは釜山を本拠地にしていたせいで、僕の大好きなチャガルチのアジュマたちの生き生きした姿が10 点も収められていて、それだけでも、この写真集は僕にとって大きな価値がある。
友人の崔貞姫さんは、釜山人で、この写真家とも面識があると言っていた。韓国でも有名な写真家だが、国民の貧しい生活ばかり写しているため政府の心証を悪 くして、最近は実質的に活動停止の状態にあるとか。「臭いものに蓋」と言うのは、何も日本の専売特許では無いらしい。映画でも小説でも絵画でも、社会の暗 部を活写したものは保守陣営の取締対象になりがちで、とりわけ写真はストレートに現実を写すと言うことで、物議を醸しやすい。しかし、写真というものが言 葉通り真実を写すには、まず真実を見極めることの出来る写真家の眼力が必要であり、人間社会の脆弱な部分、悲惨な現実から視線をそらす事はできないのにち がいない。美しいもの、豊かな部分にも真実はあるのだろうが、それらは心地よさという気分の中に収斂されてしまいがちだ。……等と、図式的な言葉を連ねて いくことこそ無意味なことかも知れない。写真とは論じるものでなく、見て(観て、看て、診て)読み取るものなのだから。
てなわけで、今回は記事より、その写真を見てもらうことになるのだが、縮小コピーの上、部分的にしか掲載できなかったりして、結果的に歪曲した紹介になるのではないかという怖れもある。
興味・関心のある方は、是非、件の写真集を一見されんことをお勧めする。関心のある読者は森崎まで。(「サンボ通信」18号 1991年7月21日 KOREAN GRAFFITI 4 より 全文)


記事に出てきた貞姫さんから、数年後に写真家サイン入りの大型写真集「HUMAN」を2冊プレゼントされたし、数年前には別のオムニバス写真集も買ったの で彼の写真集は4冊持ってることになるが、やっぱり、最初に手に入れた小型写真文庫への愛着一入である。彼の被写体は9割以上が人物で、個人写真集のタイ トルはすべて「HUMAN」で、生涯に14冊を出したらしい。Morris.の記事の時期は仕事干されたように書いてるが、新聞記事によると、2008年 には自作写真10万点と3万点余りの資料を国家記録院に寄贈して民間寄贈国家記録物第一号と指定されたとあるから、公的にもそれなりに再評価されていたよ うだ。
チェ・ミンシクの作品はこちらあたりで見ることが出来る(無関係なのも混じってるけど)
しかし、こういった写真はMorris.みたいな素人写真愛好家には日常的に撮ることはほとんど不可能な時代になってしまったような気がする。スナップ ショットこそ、小型カメラの得意分野のはずなのに、プライバシー侵害だの、肖像権だのとうるさいし、貧しさ、醜さは撮らせないという意識が定着している。 特に見ず知らずの子供の撮影なんか、ほとんど犯罪行為扱いされてしまうものなあ(^_^;)


013

【韓国表現文型】李倫珍 ★★★ 韓国語ジャーナルも発行してるアルクの韓国語教則本の一冊である。
「初~中級必須の 70項目がスッキリわかる」というキャッチコピー?があって、パラパラとめくってみたら、「スッキリ」というより「スカスカ」なレイア ウトに意表を突かれた。これなら2週間くらいでひと通り、読み通せるのではないかと思ったのだが、結局一ヶ月近くかかってしまった。
貧乏性のMorris.は、参考書などは、少しでも隙間なく詰まったもののほうが、良いと思っていたが、このくらいゆとりのあるレイアウトのほうが、とっつきやすいということもあるのだろう。
ハングルタイピングの練習も兼ねて、目次を写しておく。

1.-아/어서 ~して、~したので 1.順序/前提条件 2.理由
2.-(으)니까 ~したので、~したから 1.理由 2.発見
3.-고 ~し、~して 1.羅列 2.順序
4.-(으)면서 ~しながら 同時動作
5.-(으)며 ~し、~しながら 1.羅列 2.同時動作
6.-(으)러 ~しに 移動の目的
7.-(으)려고 ~しようと 1.計画 2.意図
8.-(으)ㄴ데/는데  ~したけど、~したのに 1.状況の説明 2.比較 3.対照/期待外れ
9.-(으)ㄹ 까(요)? ~でしょうか、~しましょうか 1.推測 2.提案 3.意見を尋ねる
10.-(으)ㅂ시다 ~しましょう 勧誘・提案
11.-고 싶다 ~したい 希望
12.-(으)면 좋겠다 ~すればいい、~したらいい 1.希望 2.要請
13.-(으)ㄹ때 ~する時、~した時 時間
14.-았/었을 때 ~した時 時間
15.-아/어 보다 ~してみる 1.試み 2.経験
16.-(으)ㄴ 적이 있다(없다) ~したことがある(ない) 経験
17.(아무리) -아/어도 (どんなに)ても 対照
18.-아/어도 되다/괜촎다/좋다 ~してもいい 承諾
19.-(으)면 안되다 ~してはいけません 禁止/不許可
20.-아/어지다 ~になる、~くなる、~(ら)れる 1.状態の変化 2.受け身
21.-게 되다 ~になる、~くなる 1.状況の変化 2.受け身
22.-군(요) ~ですね 1.直接情報 2.間接情報
23.-네(요) ~ですね 1.直接情報 2.間接情報+同意
24.-(으)ㄹ 수 있다(없다) ~することができる(できない) 1.能力 2.可能性 3.一般的な真理
25.-(으)ㄹ 줄 알다(모르다) ~することができる(できない) 能力
26.-(으)ㄹ 거예요 ~だと思います、~します 1.確信のある推測 2.意志
27.-겠어(요) ~ですね、~します 1.推測 2.丁寧な意志
28.-(으)ㄹ걸(요) ~だと思いますけどね 推測
29.-(으)ㄹ게(요) ~します 1.約束、誓い 2.意志
30.-(으)ㄹ래(요) ~します 1,意志 2.軟らかい要請、命令 3.提案
31.-자 ~すると 結果
32.-자마자 ~するとすぐに 連結動作
33.-(으)ㄹ것 같다 ~そうだ、~だろう 1,推測 2.婉曲
34.-나 보다(-(으)ㄴ가 보다) ~みたい 推測
35.-느라(고) ~しているため 理由
36.-는 바람에 ~したため、~なので 理由
37.-다가는 ~したら 心配
38.-다 보면 ~すると 結果の推測
39.-다 보니까 ~していたら 現われた結果
40.-답다 ~らしい 資格
41.-스럽다 ~らしい 姿、性質
42.-잖아(요) ~じゃないですか 1,理由 2.認識、強調 3.提案
43.-거든(요) ~なんですよ、~なんだから 1,理由 2.話題提示
44.-다(가) ~しているうちに 1.転換 2.孵化
45.-았/었다(가) ~してから、~して 転換
46.-아/어다(가) ~して 目的語の場所移動
47.-다면서(요)? ~なんですって 1.情報確認 2.強調
48.-다지(요)? ~だそうですね 確認
49.-아/어 버리다 ~してしまう 1.強調 2.残念さ(名残惜しさ)
50.-고 말다 ~してやる、~してしまう 1.強調 2.寂しさ、残念さ(名残惜しさ)
51.-(으)ㅁ ~すること 名詞化
52.-기 ~すること 名詞化
53.-더라 ~だったよ、~だっけ 1,回想/感嘆 2.回想/独り言
54.-더라고(요)~でしたよ 回想/通知
55.-던 ~していた 1.進行中未完了 2.過去動作の完了
56-았/었던 ~した、~していた 1.完了 2.過去動作の日常性
57.-(으)ㄹ 뻔하다 ~するところだった 危機一髪
58.-(으)ㄹ 게 뻔하다 ~に決っている 未来推測
59.-더니 ~したのに、~していると 1.比較 2.結果
60.-았/었더니 ~したら 1.結果 2.理由
61.-(으)면 ~すれば、~したら 1.条件 2.仮定
62.-다면 ~すると、~するなら、~したら、~すれば 仮定
63.-에다가 ~に 1.添加 2.情報の要求
64.-(으)ㄴ/는 척하다 ~なふりをする 見せかけ
65.-(으)ㄴ/는 지 -이/가 되다 ~してから~になる 時間の経過
66.-(으)ㄹ까 봐(서) ~なるかと思って 結果の心配
67.-(으)ㄹ 걸 그랬어(요) ~すればよかった 後悔
68.-(으)ㄹ 리가 없다 ~するはずがない 不可能
69.-(으)ㄹ 만하다 ~(ら)れる、~するべきだ 1.価値 2.有効
70.-(으)ㄹ 줄 알았다(몰랐다) ~だと思った(思わなかった) 1.予想 2.期待


012

【半眼訥訥】高村薫 ★★★☆ 新聞雑誌、プログラムなどに掲載のコラム、雑文、講演記録などを合わせて一本にしたもので、2000年の発行だから、15年前後のものが大部分である。
初期の高村作品は熱心に読んだものだが、「春子情歌」あたりから、読まなくなっていた。熱心に読んでた頃から、好きな作家とは言いがたいところがあった。 その筆力というか描写力というか構成力というか(^_^;)には一目置いていたし、一気に読ませる力量はなみなみならぬものがあることは間違いない。本書 の末尾にある「地を這う虫」の釣り書きに「圧倒的な膂力で描く人間模様の怪」という文字を見つけて、なるほど、さすが編集者、うまいこと本質を表現する言 葉を見つけてくるものだと感心した。
発表媒体やテーマ別に大きく8つに分かたれている。Ⅵの小説関連、Ⅶの音楽や来歴関連が興味深かった。

《子供のために》勉強、勉強と尻を叩くのは、半分は親の欲望であるし、《自分の子供が可愛いから》あれやこ れやと買い与えるのも、《子供の個性を尊重して》自由にさせるのも、おおかたは親の欲望と身勝手の産物である。そしてそのことは常に、他所の子供への無関 心、社会全体への無関心と対になっている。
その結果、諸外国と比べても、親を尊重しない子供や、将来親の面倒を見ないと断言する子供の割合が格段に高いという奇怪な家族が生まれた。また、元はとい えば親の欲望が生み出した少子化社会は、同時に世界に類を見ない高齢化社会の大問題もつくり出した。そうして、子供たちの多くは家が楽しくないと言い、高 齢者は生活の不安と孤独に耐え、働き盛りの世代はおおむね子供と年寄りの両方のお金がかることで苛々している。(「みんなの子供」1999/10/07)

「毎日新聞」に掲載された家庭や子供を中心に書かれた雑文の中の一つだが、「親を尊重」せず「親の面倒を見」ずにしまったMorris.には、あまり嬉し くない文章ではあった。引用文にある「働き盛りの世代」も、今では+14というとそろそろ退職の世代になってるわけで、こういった文章は、賞味期限が短 い、というか、10年、15年前くらいのものが一番陳腐に見えがちである。50年もすれば、それなりにまた時代の空気を感じさせたりするのだろうけどね。

とくに都会では、今や家は家族だけの牙城であり、気に入った友人ならば招き入れるが、それも頻繁ではない。職場の上司や実家の親は仕方なく迎えるが、年始のご挨拶回りも、最近は遠慮するのが礼儀である。
それほどまでに個々の家が不可侵の領域になったのは、個人主義の成熟というより、己の快楽を何よりも優先させることをよしとした現代の風潮の、行き着いたところだという方が当たっている。(「閑静な住宅地」1998/02/24)


日経新聞に週ごとに連載したコラムの一つのようだ。これもまた、今ではもう一歩進んだ(退歩した?)状況となっているようだ。「家族の牙城」も、すでに過去の栄華みたいなものかもしれない。

日本人は、新年を迎えるたびに旧年を水にながすことを美学としてきた。そうした儀式が、長年のうちに日本人 の精神構造そのものになり、悪い記憶はいつも、新年が明けるたびに流れ去ってきたというのは、この国の今の諸相が物語っている。端的にもし、悪い記憶を ずっと残すような精神構造であったなら、たとえば軍隊を懐かしむような人が今も存在するはずがないし、政治腐敗はとうの昔に根絶やしにされていただろう し、四半世紀前に列島改造論や公害訴訟で明るみに出た産業経済の根本的な問題が、何の改革もされないままに今日、国の行く末を危うくしている事態もなかっ たことだろう。(「時代の記憶」1998・01)

わたくしは、歴史を眺める目がないのかも知れない。歴史を語る人は、時代を一望し、俯瞰する冷静な目とともに、そこにロマンを見いだす夢想家の目を併せ持 つ人である。ところが、戦争も陰謀も天変地異も、全ては歴史絵巻の一ページという感覚がわたくしにはない。(「歴史を書くか、同時代を書くか」1994・ 09)

流行や風俗に興味がないのと同じように、わたくしは実は、人間の生の営み全般にあまり興味をもてないただの夢想家だったのだろうか。物を食う、笑う、怒 る、欲情する、眠る、といった自然の営みだけでなく、原発にも拳銃にも、国際政治にも犯罪一般にも興味はない。それが証拠に、小説を書き上げた後は、どの 題材もポイ捨てになる。たしかに工場や機械や音楽は好きだが、興味があるとは言えない。わたくしは工場で働きたいと思ったことはないし、機械工作も自分で はやらないし、音楽マニアであったことはない。
しかしながら、何にも興味がないというその事実が、わたくしに小説を書かせていることもまた確かなのである。物心ついたときから、自分自身は何にも加担す ることなく、ひたすら眺めるだけだった人間にとって、何にも執着がない自分自身もまた観察の対象であるからだが、しかしさすがに阪神淡路大震災を経験した ときから、この平板そのものの世界とそれを眺めるわたくしの心に、ある種の欠落感を覚えるようになった。(「物書き八年目」1998・01)

物書きは自虐の悦びを知っている人種だと思うが、自分を認めて現状を肯定するよりは、分解し、叩き潰すことで新たな地平を開こうとあがくものである。(「改稿について」1995・05)


「北海道新聞」に掲載された個人的小説作法みたいなものだが、高村は本当に「歴史を眺める目」を欠いてるのかもしれない。自作に取り上げた「原発にも拳銃 にも、国際政治にも犯罪一般にも興味はない」という開き直りは、潔いというべきなのかもしれないが、Morris.がどうも馴染めずにいるのも原因はそこ らあたりにありそうだ。

ブラームスの音楽的直観とは、一つには、かように形式や曲想や旋律や和声のすみずみまでを一つ一つ選択し、 組み合わせ、練り上げる直感であったにに違いない。予断ではあるが、小説を書く立場から振り返ると、それはほとんど近代小説の手法と一致する。十九世紀の 近代小説は市民社会の発達と相まって、他者とわたくし、他者と他者などの《関係》を認識する手法を確立させたのであるが、同じように音楽もまた、美の啓示 の運命的な授受から、美を生む要素と要素の《関係》の積極的な構築へと進んだのかも知れない。(「ブラームス的造形」1995)

音と音の間にあるものの一つは、音のない物理的な空白である。しかし、リズムはその空白が作るのだし、ある音とある音との間にある空白は、2つの音をまさ に音楽的に結びつけるものでもある。わたくしはそうした数千数万の空白の渾然一体を聴くのだが、わたくしたちの耳が音楽を聴きとるのはむしろ、その渾然一 体から自ら生まれ出ていく第二の空間の中ではないか、という気がする。音と音の間にある、その第二の空間こそが、音楽という魔物の生まれる場所だ。
そして、シューマンの濃密さが宿っているのも、まさにその空間なのだが、曲によって楽器によって、濃密さにもさまざまな彩りがある。たとえばイ短調のピアノ協奏曲は、シューマンのすべての曲の中で、もっとも華やかな濃密さをもっている。
「晴れた5月に」を歌うテノールの声は、そのわずか一分少々の時間の中に、おののくような悦びに満ちた初夏の空気を詰め込み、その空気のすべての輝きと震 えを詰め込んで、もう針の穴ほどの隙間もない濃密な空間を作り上げていた。それは明らかに、この世のものではない震撼するような空間で、そこから生まれて くる歌一つに聴き惚れた子どもは、ほとんどサイレンの歌に囚われたようなものだった。「幻想曲ハ長調」も「交響的練習曲」もイ短調のピアノ協奏曲と同じ く、形もなく境目もなく変容する雲を眺めて我を忘れる異界であったし、そこに魔物がいるとは知らずに聴き入り続けて、私の背中の羽一枚は、さらにしっかり 根づいたのだ。
そうして、もともと飛躍や夢想が不可能な作りの頭しか持ち合わせていない人間が、背中に生えている夢想の羽一枚にそそのかされて、無謀にもこうした文章を 書いている。いや、シューマンを聴くたびにこの背中の羽一枚がうずくような気がし、この凡庸な頭に万一、音楽の魔物の爪の垢ほどの直観でもいいからやって 来はしまいか、と何かの熱に駆り立てられるような思いで買いている。(「シューマンという魔物」1997)


ウィーンフィルの日本公演プログラムに掲載された文からの引用である。音楽への造詣が深いということはこれまで知らずにいたが、高村は幼い頃からピアノを 習い大学頃に職業にすることを放擲したらしい。ヴァイオリンにも手を染めたようなことも書いてあった。ブラームスの交響曲に「歌」を聴き、シューマンの魔 物に囚われたというあたりは、その方面の素養の全くないMorris.にははかりしれない守備範囲であるが、先般奥泉光のシューマンをテーマにした作品を 読んで、それなりに凄いと思ったばかりだったので、それより10年以上前に書かれたこの文を遅ればせに読んで、二人に通底するものを感じた。どちらにして も、理解できないのは同じである(>_<)

花にも時代の流行がある。その当時、わたくしの路地に咲いていた花は、朝顔と芙蓉を覗いて、すべて赤系統の 花だった。ダリア、カンナ、金盞花、葉ゲイトウ、サルビ、ほおずき、ゼラニウム。夏の昼下がり、誰もいない炎天下の路地で、それらの花は板塀に貼りつくよ うにして咲いていた。
オニゲシ、鉄砲ユリ、スイトピー、グラジオラス、アネモネ、コスモス、マーガレット、マリーゴールド、サルビア、花菱草、ガーベラ、パンジー、チューリップ、フィリージア、アイリス、アザミ、かすみ草、矢車草、水仙。
花の咲く木では、バラ、山吹、サルスベリ、雪柳、ウメ、モモ、小手毬、ライラック、エニシダ、ツツジ、フジ、サクラ。
いま、それらの花と色と姿をひとまとめにして思い浮かべると、何となく時代の古さを感じる。(「折々の花」1993/09)


これらの花に関しては、Morris.も同じような感じを持っている。高村は1953年大阪生まれ、Morris.より4歳若いが、花の流あたりならほと んど同世代なんだろうな。しかし花の名の表記の不統一ぶりは気持ち悪かった。「鉄砲ユリ」という漢字カタカナ混じり、「ウメ、モモ、サクラ」のカタカナ表 記は勘弁して貰いたいものだ。

もともと優れた小説というのは、個別の事柄を書きながら、その言葉を絶えず普遍化していくという、大変矛盾した事実によるものなのです。小説は、必ず個別の風土、個別の社会、個別の人間を描き出そうとしますが、読み手は、逆にそこに普遍的なものを読み取っていきます。
そこでは、沖縄とか、東北とか、大阪といった個別の土地は実は問題にはなりません。小説において問題になるのは、言葉によってどんな空間を作るか、その空 間がどれほど緊密化、どれほど固有の匂いを放っているか、それだけです。(「小説の中の言葉--わたしの中の大阪」1998/01/14)


これは大阪文化サロンの講演からの引用だが、彼女の小説の本質(と限界)を端的に言い的てている。ような気もする(^_^;)


011

【うさぎ幻化行】北森鴻 ★★☆☆ これも北森の遺作と銘打ってある。2005年から2009年まで「ミステリーズ」という雑誌にとびとびに発表された9話を合わせて、著者の死の一ヶ月後(2010/02/25)に上梓されている。
音響技術者である義兄最上圭一の飛行機事故死の後に残された音風景メッセージ。録音に秘められた謎を追って、全国を旅する、義兄から「うさぎ」と呼ばれた妹リツ子。
呪われた女優とか、鉄道オタクのライター、もう一人「うさぎ」と呼ばれていた女性など複数話に出てくる脇役登場人物も作り物めいた感が強いし、トリックも 動機もあまりにも非現実的である。それでも、小説なんだから面白ければそれでいい、というのがMorris.の口癖(^_^;)なのだが、どうも面白さも あまり感じられなかった。
鉄道オタクの母親の言葉をめぐる部分にはちょっとだけ共感を覚えた。

母親がよく口にしていたらしい言葉が「生きているのは死ぬまでの暇つぶし」であったそうな。
いい言葉だな、と思う。どうせ誰にでも終末は訪れる。遅いか早いかの違いはあるにせよ。ならばそれまでの暇つぶし。どうせ暇つぶしならば楽しくあがきたい。遊びもあがきも、一生懸命であればあるほど楽しいはずだ。そんな諦観さえ感じられる言葉ではないか。


しかし、「遊び」と「あがき」を対比させて「諦観」にまで持っていくというのは、どこか違ってるんじゃないかい、と思ってしまった。
「あがく 足掻く」は

1.やたらに手足を動かしてもがく、じたばたする。
2.悪い状態から抜け出ようとして、あれこれ努力する。あくせくする。
3.馬などが脚で地面を掻く。
4.(子供などが)いたずらして騒ぎまわる。(「大辞林」)

もともと「3.馬などが脚で地面を掻く」ことに由来する言葉である。そのあがきが「一生懸命であればあるほど楽しいはず」はないだろう。


010

【地雷を踏む勇気】小田嶋隆 ★★★ 昨日紹介した「その「正義」があぶない」と同時期に出された一冊だが、何となく二番煎じという感じがして、ちょっと肩透かしだった。読んだ順番が逆だったら評点も違ったかもしれない(^_^;)
本書は技術評論社、「正義」は日経BPの発売で、元々が日経ビジネスオンラインに連載の「ア・ピース・オブ警句」だから、日経BPの方がいいとこ取りして、残りを技術評論社が使ったのではないか、勘ぐりたくもなった。まあ、そんなことはないのだろうけどね。

コラムニストにとって、時事ネタは時に地雷になる。時間軸に沿ってその意味を変える主題は原稿の賞味期限を短くするものだし、政治的な話題を扱うためには、文章上の技工を云々する以前に、結果を顧みない思慮の浅さみたいなものが必要だからだ。(まえがき)

これは「正義」の感想でもMorris.も同様のことを思ったが、とりあえずこうやって使い回しが効くくらいの水準の発言が多かったということにもなるだろう。

事件によっては、新聞なり雑誌なりが、「社の見解」や「編集部の意見」をストレートに表明できない場合があ る。そういう時、彼らは、「識者」のコメントにもたれた形で紙面を作る。そうした方が面倒が少ないし、万一行き違いが生じた場合は、「識者」が弾除け(っ て、この見方はあんまりひがみっぽいかもしれないけどさ)になるからだ。
つまり、要約すれば、「識者」というのは、「自分がはっきりわかっていない事象について」「さらにわかっていない無知な一般大衆を相手に」「わかった気に させるコメントを提供することのできる」「本当は専門家でもなんでもありゃしないそこいらへんのおっさん」なのである。(2011/07/01)


「識者」が隠れ蓑として用いられるというのは、よくわかる。しかし、どうせ隠れ蓑に使うのなら、もう少しまともそうな「識者」を選別して貰いたいものである。いや、本当に賢い人なら、「識者」扱いを拒絶するのかな。

小泉改革の問題は、格差を容認したところにはない。
思うに、小泉さんおよびその周辺の経済人の問題は、格差を「賛美」したところにある。
そう。容認でも黙認でもない。賛美、ないしは奨励だ。
あの人の論調にはいつも競争と勝ち負けが人間の意欲を後押しするという無邪気な思想があった。
同じ競争でも「もっと豊かになるために、もっと頑張ろう」と思うタイプの前向きの競争と「うかうかしてるとホームレスになっちまうぞ」という恐怖に駆られた形の、追い立てられる競争は、全く別のものだ。
気分の問題と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、私は、小泉改革以来、競争の基調低音が希望から、恐怖に切り替わったのだと思っている。セーフティネットの下の奈落に落ちる恐怖。これはキツい。特に若い者にとっては地獄だと思う。(2010/09/24)


思えば小泉内閣をMorris.は北朝鮮訪問&拉致被害者帰国に寄与したという一点で評価してきた。そのために彼の功罪の「罪」の大きさを過小評価してきたきらいがある。いまさらではあるが、大いに反省したい。

特定の信仰を持たない日本人は珍しくない。が、アイドルにカブれた経験を持っていない日本人は、そんなに多 くないと思う。われわれは、誰もが、多かれ少なかれ、アイドルやスターに憧れる一時期を通過して大人になる。人はバカな時期を潜り抜けないとマトモな大人 になれない。私はそう思っている。勘違いかもしれないが。
アイドルが「ちゃん」付けで呼ばれるのは、彼女たちが子供っぽいからではない。
むしろ、ファンが子供っぽいからだ。より性格に言えば、ファンである人々が、アイドルとの間に子供っぽい関係をとり結びたいと願っているがゆえに、彼女たちは子供らしい無邪気さを演出している。
アイドルは、子供ではない。子供っぽくすらない。アイドルは、大人がマネジメントしているアダルトなビジネスのフックだ。

ファンも必ずしも子供ではない。子供っぽいだけだ。
いずれにしても、人は好きで大人になるわけではない。
両親の庇護を離れた人間は、大人として振る舞わざるを得ない立場に追い込まれるわけで、結局、大人とは役割であり契約であり義務であり責任なのだ。
逆に考えれば、子供であることは、ひとつの特権だ。(2011/05/06)


Morris.の「特権意識」への鋭いツッコミである(>_<) 兎の逆立ちぢゃあ(←耳が痛い(^_^;))


009

【その「正義」があぶない。】小田嶋隆 ★★★☆☆ 日経ビジネスオンラインに連載の「ア・ピース・オブ・警句」からの記事の抜粋である。同じ連載から同時期もう一冊「地雷を踏む勇気」が出ている。三宮図書館で2冊いっぺんに借りてきた。
本書には2010年2月から2011年10月までの記事が抜粋されている。
7章に分かたれていて、ジョブスの死を悼む最終章以外は、「原発と正義」「サッカーと正義」「メディアと正義」「相撲と正義」「日本人と正義」「政治と正義」とすべて「正義」をタイトルにしている。
一般的に「正義」とされているものへの異議申立てである。
もともと小田嶋はPC関連のコラムでおなじみで、初期のエッセイ集「仏の顔もサンドバッグ」の印象が強烈だった。これは1993年(宝島社)の発行とのこと。もう20年前の本だったのか(@_@)
当時から、なかなかの駄洒落センスだったし、言ってることも共感覚えるところが多かった。
最近あまり読まなくなってしまってたのだが、立ち読みしたら、相変わらず、というか、確実に進化しながら、やっぱり歯に衣着せぬ物言いは健在だったし、時期的に東北大震災に関連する意見も多かったので、読んどかなくては、と思ってしまったのだった。

「山場CM」と呼ばれるCM挿入手法(「答えはCMの後で」式のタイミング)自体は、もう10年以上も前から導入されているもので、いまさら私が手柄顔で指摘するような事象ではない。
が、その「山場CM」の挿入タイミングについて言うなら、私がテレビ視聴から遠ざかっていたこの3ヶ月ほどの間に、より悪質化している気がする。
正統的な山場CM(というのも変だが)は、「クレジット」をともなっていた。
しかしながら、最新の山場CMは、見ているこちらが唖然とするタイミングで、突然、何の前触れもなく訪れる。まるで、死刑囚の目からギロチン台を隠している屏風絵を床下に落とすみたいな唐突さで、CMがはじまるのだ。(2011/07/22)


そうかあの手のCMは「山場CM」というのか、Morris.は知らなかった。でも、すごく嫌だったのはそのとおりだ。うざったいの二乗というべき、直前場面リフレインというのも腹が立つことこの上ない。
韓国のテレビでCMは番組の前後にしか流れない。これをワールド・スタンダードにしてもらいたい、ったって、日本じゃ、完全に無理だろうな。

サッカーは思うに任せない競技だ。
守りに徹すれば攻撃が機能しなくなるし、戦術を徹底すればプレーの柔軟性が損なわれる。テクニックを追求するとフィジカルの重要性を見失うことになる。つ まり、サッカーに関わる者が追う理想は、必ず落とし穴を含んでいるということだ。そういう絶妙に皮肉なゲームバランスが、人々を夢中にさせるのだと思う。 芝の上には、あらゆるタイプの二律背反が横たわっている。もしかしてそれは人生に似ているのかもしれない。(2011/02/04)


われわれは、自分たちがしなくなった相撲という仕事を、アウトソーシングしている。もう少し別の言い方をするなら、われわれは、自分たちの国技を外国人の派遣労働者に丸投げしているのだ。
そうして分業が進めば進むほど、自らの手を汚さなくなればなるほど、皮肉なことにわれわれは文化とか伝統とかに、統一感のよりどころを求めはじめる。
品格という言葉を使って朝青龍を責めていた人たちは、意地悪をしたくてあんなことを言っていたのではない。それはわかっている。
「品格」は、言葉の綾みたいなものだ。それが20代の若者に簡単に宿るものではないことぐらいは、彼らにだってわかっていたはずだ。ただ、横綱が相撲を舐めているということを、彼らはどうしても許すことが出来なかった。(2010/02/08)


原稿執筆の際「子供」表記が「子ども」に直されることが多かったらしい。

ある時、私は、説明を求めた。
「お差し支えなかったら、『供』をひらがなに開く理由をおしえていただけますか?」
と。この質問にタイsて先方の語ったところはおおむねこんな感じだった。
1.子供の「供」の字には、「お供」という意味合いがあって、結果「コドモ」を「子供」と表記すると、「大人に付き従う者」dえあるとういニュアンスが生じる。
2.その他、「供」を、神に捧げる「供え物」と見る見方もある。


これを聞いて、しばらく小田嶋は「子ども」表記をしてたが、その後、童話作家の先生から5ヶ条の反論が来たそうだ。

1.「子供」の「供」は、単位複数形の名残。たいした意味はない。
2.こういう文字を取り上げて問題にしたがるのは、子供を利用したおためごかしだ。
3.差別のないところに差別を言い立ててそれを問題視する連中は、差別をネタに何かをたくらんでいる。
4.表現者が表記について妥協するということは、武士が刀を捨てるのと一緒。ゆるしてはならない。しっかりしなさい。
5.何よりもまず漢字とかなを交ぜて書く「交ぜ書き」は絶対に醜い。書いてはならない。

以来、私は、特に制限がない限り、「子供」ないしは「こども」と、書くことにしている。
でも、媒体の側が「子ども」表記を推奨してくる時には、しぶしぶ従ってもいる。


いやあ、この童話作家の提言には全く同感。とりわけ5番目の「交ぜ書き」が「絶対に醜い」というのは、両手両足挙げて大賛成である。

「若者の野球離れ」「若者の活字離れ」「若者のビール離れ」「若者の結婚式離れ」「若者のクルマ離れ」……と、あまたある若い人たちの消極化傾向の一つに「子供離れ」(あるいは結婚および出産離れ)がある。と、そう考えなければならない。
人間離れではない。が、若者は、若者離れしている。まるで老後の子供みたいに。
原因は、おそらく、彼らの未来に希望が見えないからだ。
必ずしも、貧しさそれ自体が、彼らをシュリンクしているのではない。
40年前の若者は、いまの若者と比べて、より貧しかった。が、その彼らは、いまの若者よりもずっと消費的で、より活発で、より活発で、享楽的で、楽天的で、宵越しの金を持たなかった。
なぜか。それは、彼らが「右肩上がりのの未来」を信じていたからだ。現在は貧しくても、明日は今日より良い日になる、と、そういうふうに、時系列に沿って、あらゆる事態を楽観していたからだ。
が、現代の若者は、先行きにあまり期待していない。(2010/04/09)


まあ、Morris.も「40年前の若者」だったわけで、それほど積極的でも、消費的でも無かったけど、たしかに「楽天的」ではあったな、ということを、懐かしく思い出した。まあ、今だって充分に楽天的なようでもあるけどね(^_^;)

毎週金曜日に更新されるコラムで、時事的ネタも多いから、どうしても後で読むと、気が抜けたり、賞味期限切れだったり、事実誤認、ああ勘違いなんてのが続 出するのもあたりまえだろう。それでも本書にピックアップされたものは、なかなか面白かったし、裨益するところも多かった。
せっかくだから、リアルタイムで発信を読みたいと思った。該当ページに行ったら、会員登録(無料)する必要があるとのこと。登録したら毎日オンラインメールが送られて来るとも書いてあった。どうしようか、迷ってるところ。


008

【ホルモン奉行】角岡伸彦 ★★★★ いやあ、面白かった。Morris.は焼肉なら正肉よりホルモン系が好みである。しかし本書を読んで、ホルモン世界の奥深さと広さを思い知らされた。「日 本焼肉物語」(宮塚利雄)以来の感動本である。ホルモンへの愛の強さはもちろん、取材力が半端ではない。かてて加えて、関西風のお茶目な筆力もなかなかに 好感度大である。
本書は月刊「部落解放」2001年から2002年まで連載されたものを中心にまとめられたもので、筆者は1963年加古川の被差別部落の生まれで、新聞記者、博物館学芸員を経てライターになったとのこと。
以下の10章に分かたれている。

1.牛の巻 その1 郷土料理篇 ホルモンの歴史&ムラに伝わる郷土料理
2.牛の巻 その2 部位篇 こんなとこまで食べる!? ホルモニストと食べる珍しい部位の数々
3.豚・馬・・猪の巻 馬刺ししか知らないアナタに贈る、バラエティ・ホルモン
4.油かすの巻 牛の腸を脂ごと揚げてつくるこの食材、これがまた、ええ仕事しまんねんで~
5.サイボシの巻 美味なる馬肉の燻製。どこでつくられてるかって? それは読めばわかる!
6.世界の巻 伊、米、中、ブラジル、etc.…。各国でホルモンは大活躍!
7.韓国の巻 焼肉の本場に奉行が飛んだ。奉行と「ホルモンの友」の珍道中!
8.怒りの奉行の巻 「BSE」騒動を斬る! メディアも農水省もほんまアホでっせ…
9.沖縄の巻 豚王国のおばあがつくる、内蔵を使った中身汁。とくとご賞味あれ
10.牛タン(舌)の巻 ザ・キング・オブ・ホルモン タン(舌)タウン・仙台で、奉行がみちのく一人旅


8章はBSE(狂牛病)パニックに対する渾身の反論だった。たしかにあの当時は、日本の焼肉屋は消滅するのではないか、と思うくらいの大騒ぎだったな。 10年過ぎた今となっては、あれは一体何だったんだろう。日本人の熱しやすく冷めやすい体質とそれを煽りまくったマスコミ、政府の対応の拙さ(偽装・隠蔽 工作まであった(>_<))などが原因だろう?である。あの時点で著者がきっちり矛盾を明言していたことを評価したい。
7章韓国編は、期待して一番最後に読んだのだが、ちょっと物足りなかった。6日間の取材だから限界があったのだろう。それでも、ミノ(ヤン)と小腸(コプ チャン)はきっちり紹介してあった。Morris.は長いこと「ヤン」は羊肉だと誤解していたうつけ者である。犬肉も食べてるが、韓国では犬の内蔵は捨て ているとのことだった。

・ミノの湯引き 繊維に沿って千切りにして湯通しし、氷水にとる。とたんにミノは、くるくると縮み、薄桃色が白く変わる。大変身。あとは水分をふきとって器にとる。ポン酢でいただく。

これは目からウロコの調理法で、考えてみればあのシコシコ感は湯引きにしたら美味しいに決まってる。と、いうわけで、これを読んだ後、早速作ってみた。いやあ、美味かった(^_^;)。しかし、これは酒がいくらでも飲める。やや危険でもある(^_^;)

油かすは、小腸(コプチャン)を油で揚げたもの。なぜ「油かす」というのだろうか。調べてみると意外や意 外、せっけんの歴史と関係があった。牛、馬、豚を屠畜・解体する際に出た脂を鍋・釜で炒ると油が出てくる。脂が油に変わるわけである。その油でせっけんが つくられていた。油をとった後の塊も食べていた。つまり油を取ったあとのかすだから「油かす」。「そのまんまやがな!」とツッコミを入れたくなるような命 名である。

馬、牛の精肉を燻製にしたものをサイボシ、あるいはサエボシという。正肉(アバラ肉が代表的)を加工しているので、厳密にいうとホルモンではない。だが、その存在はあまりにもホルモン的である。
サイボシといえば今では燻製を指すが、もともとは干し肉だった。竿に干したから、あるいは細く切って干したからサイボシと呼ばれるようになったとか。火であぶって、木槌などで叩いて柔らかくした上で、生姜じょうゆをつけて食べた。


ついでに、牛と豚の部位と呼び名をいくらか整理しておく。


*唇 姫路では「モロ」と呼ぶ。
*耳カブ 耳の根っこ。
*タケノコ 心臓に付いている大動脈。東京では「コリコリ」
*脾臓 ミノの裏側にある部位。朝鮮料理の「チレ」姫路では「コシ」と呼ぶ。
*胸腺 「ノドシビレ」
*腎臓 「マメ」
*第一胃(ガツ、ミノ)
*第二胃(ハチノス)
*第三胃(ギアラ、アカセンマイ)
*第四胃(センマイ)
*肝臓(レバー、キモ)
*腎臓(マメ)
*横隔膜(ハラミ、サガリ)
*乳房(チチカブ)
*子宮(コブクロ)
*脊髄(セキズイ)
*尾(テール)
*アキレス腱(アキレス)
*胃腸周辺脂肪(ハラアブラ)
*肺(フク)
*心臓(ハツ)


*テッポウ 直腸
*ガツ 胃袋
*チレ 脾臓
*ハツ 心臓
*ヒモ 大腸
*軟骨 喉骨
*ホウデン 睾丸 タマ
*ハラミ 横隔膜 「サガリ」
*チーク 頬肉


オマーンのヤギの頭を丸ごと煮込んだカレーの話に続けて中国の例も挙げてあった。

ヤギの頭を煮込む料理は中国にもある。写真で見たことがあるが、皮を剥いた羊の頭がそっくりスープにつかっていた。角まで付いている。ちょっとグロテスクで、見ただけでびっくりするけど、美味しいんだろうなあ。

いや、別に食べたいわけではなくて、Rolling Stonesのアルバムを思い出したのだった(^_^;) ジャケット写真がそのまんまだった。「アンジー」の入ってるこのアルバムはあまり評判は良くないが、たぶんMorris.が最後に買ったLPだと思う。

フランスでは内蔵類はアバ(abats)と呼び、白色と赤色の二種類に分けられている。どの動物のどこの部位を食べるかを挙げてみよう。
*白いアバ 小腸(仔牛)、胃と腸(仔牛、豚)、足(仔牛、仔羊、羊、牛、豚)、頭肉(仔牛、牛、羊、豚)
*赤いアバ 脊髄(仔牛、羊)、睾丸(仔羊、羊、牛)、脳(仔羊、仔牛、豚)、心臓(仔羊、仔牛、牛、豚)、肝臓(仔羊、仔牛、豚)、頬肉(仔羊、仔牛、 羊、豚)、舌(仔羊、仔牛、羊、牛)、鼻面肉(牛、豚)、テール(仔羊、仔牛、牛、豚)、胸腺(仔羊、仔牛、羊、牛、豚)

日本とヨーロッパ料理の違いって、庭造りにも共通して言えるかもしれない、とホルモン奉行は考えた。ヨーロッパの庭は、自然を切り開いて芝生を植え、道を つける。幾何学的で人工的なデザインだ。一方、日本の庭は石や木を配し、自然に近い形だ。切り開くというより、自然を利用・模倣する感じ。料理も同じで、 素材の生かし方がそれぞれ違うのは自然に対する考え方が背景にあるのではないか……と、ホルモン奉行はにわかにナイフとフォークを持った哲学者になったの だった……

--それにしても中国人は内蔵を含めてよくたべますね。
「それは中国だけではないですよ。日本からみるとなんでもかんでも食べてるみたいに見えますが、ベトナム、韓国などの東アジアにしろ、ヨーロッパにしろ、 徹底的に食べます。日本は島国ですから牧畜という生業は未発達で、牛や豚などの家畜をよく食べるようになったのは明治以降ですからね。世界的に見ると日本 が特殊なだけで中国が特殊ではないんです」
--え、そうなんですか?
「中国は肉食といっても豚食が中心ですが、日本の場合は魚食になるわけです。日本ほど豊かな魚食の国はないんですよ。例えばアンコウの場合は肝はもちろん のこと、エラまえ食べるわけです。鯨は哺乳類ですけど、徹底的に食べる。腸は「百尋」、脂は絞った後、関西では「コロ」と称して食べます。佐賀県の呼子町 では「カブラボネ」といって顎の軟骨は切って粕漬けにします。腎臓も睾丸も食べます。だから中国だけが極めて特殊というわけではないですよ」(周達生談)

鯨の軟骨の粕漬けは「松浦漬」のことだろう。

焼肉についての資料や本はあるものの、ホルモンに関するそれはほとんどなかった。自分の足でいろんな現場に行き、聞いてまわるしかなかった。そして私はいつしかホルモンや、それに携わる人々に魅せられていた。
人は自分の出自や環境から容易に逃れることはできない。少なくとも私の場合は。ファクスをおくってきた編集者の小西利枝さんの実家は焼肉屋である。もし彼 女の家が焼肉屋でなかったら……。原稿を受け取り、何の感想もいわない凡庸な編集者だったら……。この本はできていなかっただろう。私は食肉産業と縁が深 い被差別部落に生まれた。そして料理が趣味で焼肉が好物である。「ホルモン奉行」は生まれるべくして生まれた。(あとがき)


巻末の取材協力者には120余名が紹介されているし、大津と畜場、辻調理師専門学校、金海畜産物共販場、加古川食肉センターなど8件の機関への取材がなさ れている。辻調理師専門学校のシェフの協力でホルモン素材のフランス料理を5種類も調理してもらうなど、実に積極的な取材ぶりであり、実に気合の入ったホ ルモン本である。


007

【だから、君に、贈る】佐野眞一 ★★★☆☆ 「佐野眞一の10代のためのノ ンフィクション講座」の第2巻。まあ、中学生から高校生向けの啓蒙書ということになるのだろう。この第二巻は、2003年に流山市民文化会館と池袋コミュ ニティ・カレッジでの講演を元にしたもので、その講演の内容が2002年NHK「課外授業 ようこそ先輩」の番組出演のときの話を中心にしている。もちろ ん大幅に加筆もされているし、図書新聞や東京新聞に連載された記事も付け加えられている。
内容的には、これまで読んだものと重複するところも多かったが、年少向けにわかりやすく話しているため、最近ボケの侵攻著しいMorris.の頭にはちょうどよかったかもしれない。第一巻も読んでみよう。
阪神大震災時、途中で折れた阪神高速道路から車体の一部が突き出してかろうじて助かったバスの運転手自身が撮影した写真や、9・11の崩れ落ちる貿易セン タービルを見ている群衆の写真など、印象に残る写真も掲載されていた。佐野の選択眼一つ取ってみても、彼の写真を「読む」能力の高さを思い知らされた。
佐野が生涯の師とも仰ぐ宮本常一の小学校も出ていない父が、宮本への餞に送った十ヶ条の人生訓。これも何度か目にしたが、本書でも全文紹介してあった。

1.汽車に乗ったら窓から外をよく身よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。
駅に着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
2.村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ上って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。
峠の上で、村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そこへは必ず言って見ることだ。高いところでよく見ておいたら道に迷うことはほとんどない。
3.金があったら、その土地の名物や料理を食べておくのがよい。その土地の暮しの高さがわかるものだ。
4.時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
5.金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
6.私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではお前を勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。
7.ただし病気になったり、自分で解決できないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。
8.これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
9.自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責はしない。
10.人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。


Morris.には耳の痛い部分もある(^_^;)し、いかにも泥臭いが確かに聞くべきところのある卓見でもある。


006

【暁英 贋説・鹿鳴館】北森鴻 ★★★ 北森作品は結構読んでる方だと思う。95年の」デビュー作「狂乱廿四孝」が結構Morris.好みだったからでもあるし、女性文化人類学者の蓮丈那智シ リーズにはかなり入れ込んでた。他に旗師宇佐美陶子シリーズも面白かったな。単発ものもいくらか読んでたのだが、時々これはどうかというのもあったりし て、ここ数年遠ざかっていた。
久しぶりに本書を読むことにしたのは「鹿鳴館」と建築家コンドルが主人公らしいということから、手にとったのだが、何と北森は2010年1月25日に亡くなっていて、本書は絶筆、それも未完の作品だった(@_@)
本書の導入部分はすごく面白そうだった。北森自身をモデルにした小説家が、鹿鳴館の謎とその設計者コンドルをテーマに作品を書くための取材を進める中で、不思議な人物と出会い、一気にその物語が動き出す。
ところが、いよいよコンドルが主人公として登場する本編に入ると、とたんに退屈になってしまう(>_<)
片山東熊、辰野金吾、曾禰達蔵という、明治の洋風建築の大立者3人が、コンドルの生徒として登場する場面は、感動モノだったのに、彼等は単に物語のために動かされてる人形にしか見えなかった。そもそもコンドルの行動そのものが、あまりに矛盾の塊である。
北森はこの作品を通じて、明治という時代の謎を解こうとしたらしいのだが、明治物といえば、山田風太郎の傑作群を愛読してきたMorris.だけに、その水準の格差ばかりが目についたのかもしれない。
いや、それなりによく調べているし、面白いエピソード、新しい仮説など見どころはあるのだが、登場人物があまりにぎこちない上に、ご都合主義と、作者の考えをそのまま登場人物に仮託することのオンパレードで、やや辟易もさせられた。
書評は、作品の長所、美点を紹介して、その作品を読んでもらうために書くべきだという、佐野眞一の言葉に共感して、淀川長治に倣おうと誓った舌の根もかわ かぬうちに、これでは、あんまりだと思うのだが、やっぱりMorris.は、好き嫌いでしか物を言えない癖があるようだ。
Morris.の嫌いな[手をこまねく」(375p)があったことも、悪影響を及ぼしてるかもしれない。
没後に蓮丈那智シリーズの長編「耶馬台」が出ているらしい。これは読みたい、と思ったのだが、これも未完で、婚約者が書き継いで完成させたと書いてあった。うーーん、どうしよう。


005

【銀河帝国の弘法も筆の誤り】田中啓文★★★ 表題作を含めて5篇の短編が収められている。夫々にSF仲間たちによる「田中宏文批判」という書評が付されている。タイトルも駄洒落と過去のSF傑作のパロディらしい。書評ももちろん田中が書たものだろう。とりあえずタイトルを並べておく。

1.「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」 SF作家・田中宏文批判/小林泰三
2.「銀河帝国の弘法も筆の誤り」駄洒落作家・田中宏文批判①/我孫子武丸
3.「火星のナンシー・ゴードン」駄洒落作家・田中宏文批判②/田中哲弥
4.「嘔吐した宇宙飛行士」悪趣味作家・田中宏文批判/森奈津子
5.「銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて」人間・田中宏文批判/牧野修


Morris.は中学・高校時代はそれなりのSFファンだった。しかしいつの間にか縁遠くなっている。まあ田中のこの作品はSF作品というよりか、SFの 衣装をまとった駄洒落の塊みたいなものである。筒井康隆の「関節話法」を思い出した。そういえば田中は筒井のファンで、筒井も田中のゲテモノ作品をベタ褒 めしたとか何かで読んだような気がする。
駄洒落だらけでもあるが、作品そのものが「しょーもない」駄洒落に向かって収束するために、相当なエネルギーをつぎ込んで細部を濃密にしていく手法は田中 の本領なのだろう。グロい悪趣味への偏執的傾向も彼の特質のようで、どちらかというとMorris.は御免被りたい方だが、それなくしては、この短編群は 成立しない。無茶苦茶無駄な努力とその結末で脱力させる力量は大したものであるということもできるだろう。
1.は「脳梗塞」のもじりで、サイモン・ライトというのは「キャプテン・フューチャー」に出てくる「生きている脳」のことらしい。
2.は「銀河帝国興亡史」と「弘法も筆の誤り」をくっつけたタイトル。Morris.も以前「世界は一家人類は皆兄弟」という笹川良一のスローガンと「兄弟は他人の始まり」をくっつけた標語をつくったことがあった。
3.は初期のパルプマガジン時代にありそうなタイトルだが、実はこれがラストのとんでもない自爆ギャグにつながるもので、泉昌之の漫画「かっこいいスキヤキ」に収められている「Arm Joe」という作品を思い出した。
4.は李・バイアという韓国系宇宙飛行士が、宇宙服を着たまま、嘔吐脱糞しながら宇宙空間をさまようという、究極のゲロゲロものだが、最後のオチが宇多田ヒカルというのはあんまり過ぎるぞ。
5.は「のろいど(呪い度)」という単位の発明が目を引くくらいかな。
とにかく、田中くんの饒舌と力量がよくわかるトンデモ作品集ではある。


004

【死と滅亡のパンセ】辺見庸 ★★★☆☆☆ 辺見は1944年宮城県石巻市生まれで。日本大震災で故郷の町をまるごと失い、震災そのものへの慙愧と悲しみと憤りと鎮魂を込めつつ、震災後の日本独自のファシズムの台頭に警鐘を鳴らす一冊である。
1948年発表の武田泰淳のエッセー「滅亡について」の中に出てくる「すべての倫理、すべての正義を手軽に吸収し、音もなく存在している巨大な海綿のようなもの」に言及して次のように言う。

問題は「巨大な海綿のようなもの」という滅亡の形がわたし(たち)から離れて外在するのか、それともわたし (たち)の奥に古くから内在するかである。武田泰淳はそれには言及していない。字面だけ読めばそれは架空のオブジェのように思われるし、いっそ外在化した ほうが諸般多分に都合がよくなるということもある。なにぶんにも、自分の不正義や惰弱、無責任を海綿的なるものに吸いとらせるというのか、ないことにして もらえるという利点があろう。事実、戦後のニッポン社会は、戦争責任も思想転向も大政翼賛も憲法九条の無視もオチャラカ文化も原発建設も、はたまた価値の 空洞化も、人びとそれぞれの個別主体から切り離して、なにか正体不明の「巨大な海綿のようなもの」のせいにしてきた。換言するなら、「巨大な海綿のような もの」をみんなで幻想し、なにか量りがたい巨大なものを想定することによって、個別主体の責任をまぬかれようと無意識に謀ってきたのである。政治家、役人、思想家、作家、ジャーナリスト、民草だけではなく、昭和天皇がそうではなかったのか。そのなれのはてが、いまである。(死と絶望のパンセ)

去年読んだ山本七平の「空気」に似ているが、こちらはそれよりは存在感がありそうだ。海綿はスポンジである。最近はスポンジと言えばすべて化学製品だが、 Morris.の子供の頃は、いかにも海産物の名残を感じさせるものに接した記憶がある。そういった思想のゴミ箱めいたものを幻想することが、日本人古来 の「知恵」だったのだろうか? 

全的滅亡の相貌。敗戦によっていったんは思い描かれたそれは、2011年3月11日の出来事によって、いま ふたたび想起されているであろうか。どうもそうとは思えない。この社会は大震災による数えきれない死の痕跡を必死で隠し、かつて垣間見た全的滅亡の相貌を きれいさっぱり忘れ去っているのではないか。これからこの国に展開するであろう悲劇が、先の敗戦時に散見された奈落よりもさらに甚大かつ無限の連続性をお びている公算が大であるにもかかわらず、全的滅亡にそなえる心の構えも言葉も、ほとんどもちあわせないのは、けだし、幸せであり、同時に絶望的に不幸なの である。(死と絶望のパンセ)

こういうのを読むと、日本人が「臭いものに蓋」「見て見ぬふり」「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「我関せず」などのことわざ、慣用句に溺れてしまってる感じ にさせられるのだが、あまりにペシミスティックではないか。などと、思うこと自体が、すでに絡め取られている証拠かもしれない。

イスラエル生まれの詩人フルーティストのQ・F・コーエンとの対話の中で、坪井秀人の『声の祝祭--日本近代詩と戦争』を援用しながら、戦争賛美詩を書い た詩人への戦争責任追求が等閑(なおざり)にされたまま、逆に愛国詩めいたものがうまれていることへの疑念を表明している。

屑みたいな戦争詩を書きまくった詩人たちは、坪井秀人によれが、「戦前/戦中/戦後に(「変節」こそあれ) 変質はなかったと見るべきなのである」という。先達たちは思想転向などという上等なものでなく、たんに昔から無知蒙昧で、節操がなかったという可能性がた しかにある。坪井氏はこうも言う。「佐藤春夫や三好達治、大木惇夫、野口米次郎、蔵原伸二郎等々の代表的な戦争詩人について、<彼は戦争詩を書いた がそれによって彼の詩業の価値は些かも損なわれるものではない>式の表現がいまだに繰り返されている。このような見苦しい弁明が戦争詩と同様あるい はそれ以上に罪深いことをまずは認識すべきなのである」。
ファシズムの出発点には主観的善意と妙な活気がある。象徴的に言えば、われわれは例外なく戦争協力詩人たち、戦争協力記者たちの末裔だ。かつては戦争協力 詩こそ国家・社会に異議のある言葉とされた。そう言っても甲斐はないけれども、"血筋"をもうみんな忘れてしまっているんだね。でも、忘れないほうがい い。散見するに、いまの言語状況には貧寒としたものを感じる。どうやら愛国救国詩みたいなもの、震災詩みたいなものが売れるらしいんだ。それで詩の世界で も「震災ビジネス」が生じたのではないのかな。
日本はやはり戦争協力詩、戦争賛美詩の影というか出自を断てていない。絶とうとはしなかったんだ。今度のことではっきりしたんじゃないか。「国難」などと いう戦前も用いられた怪しげな言葉を蹴飛ばすのでなく、お国といっしょになって絆だとか勇気だとか物書きが言ってどうする、とぼくは思うがね。肯定的思惟 を先行させて状況全般を受容するだけでなく、批判的発想を揉み消していく重圧みたいなものが、外側からくるのではなく表現者の内側にある。言語統制をじぶ んでやっちゃっている。いまの言葉にはそういうのが多い。じぶんで思想警察をやっているような、ね。
詩はもっぱら三月十一日を悼みつつ、おおむね時代と状況を肯定する側にまわっているみたいだ。戦争詩のころとどこかつながるものを感じるのだけれど、考え過ぎかな。(破滅の渚のナマコたち 対談中辺見発言)


斎藤美奈子「それってどうなの主義」に次の一節があったことを反射的に思い出した。

この際だからいっちゃうが、リサイクルだダイオキシンだ地球温暖化だと活発に活動している団体に、国防婦人 会に通じるノリがまったくないと断言できる? 識者がひとりひとりの意識改革をいい、市民は善意の奉仕活動に励み、何もしない怠け者でさえ後ろめたさを感じる。国じゅうが同じお題目を唱える構図が、ま さに総力戦。

これこそ、大震災以降の日本の状況そのままだし、辺見が感じている「ぼんやりした不安」に通じるものではなかろうか。

このたびの出来事以前から、言葉が縮小し萎縮していましたね。大正期に起きた関東大震災のときと比べても、 お粗末きわまりない言葉、文芸が出回っています。また、報道上も原発のメルトダウン隠しがありました。わかっていたのに報じなかった。被曝した人がたくさ んいたのに。これは戦後の報道史上、最大の汚点でしょう。そしてその責任を誰もとらない。この社会には痛みを感じ責任を負おうという「個」がいないので す。3・11後ますます「個」がかき消えている。(『眼の海』をめぐる思索と想念 インタビュー)

メディアでもリスク管理を常にしていて差別的な用語をつかわないようにするけれど、差別に対して根底から身 体を張って反対しているわけではない。言葉の表面は差別用語がなくても、社会はますます差別的になっている。P・C(ポリティカル/コレクトネス=政治的 に正しいとされる用語や表現)が今風ファシズムを支えています。『週刊金曜日』や市民運動を含む、そうしたP・Cという感覚の持つ思考の危うさ、オポチュ ニズム(ご都合主義)の大きな裾野が広がっています。(『眼の海』をめぐる思索と想念 インタビュー)

差別用語などと言挙げして、使わないようにしたり、別の言葉で言い換えしたりするのが本質的解決にはならないということで、Morris.もずーーーーっ とまえから大反対していたが、一向に直りそうにない。最近一部で話題になってた「ネガポ辞典」などというのも、これの通俗版なのかもしれない。
オポチュニズム(opportunism)は「日和見主義」と思い込んでたけど(間違いではない)、「ご都合主義」もオポチュニズムなのか。 Morris.は、あまりに作者の都合でつじつま合わせしたり、偶然の乱発する小説で[ご都合主義」を乱発してきたから、それとオポチュニズムとの結びつ きにちょっと意外な感じを覚えたのだ。Morris.亭で一番大きな英語辞書「研究者 新英和辞典」でみたら

opportunism(政治上などの)日より見[便宜]主義(timeserving);便宜主義的行動

と、そっけない。
ちなみに、英韓辞典電子辞書で引いたら「便宜主義」の他に「臨機応変主義」と書いてあった(^_^;)
差別語言い換えなんかたしかに「便宜的」「臨機応変」と言えなくもなさそうだ(>_<)

大震災と原発事故でかつてない心的外傷を負ったこの国は、だれもそうはっきりとは自覚しないにせよ、今風のファシズムのただなかにいるのではないか。
七十年以上まえに石川淳が小説『マルスの歌』に記したスケッチをふと思い出す。「だれひとりとくにこれといって風変わりな、怪奇な、不可思議な真似をして いるわけでもないのに、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるということはさらに異様であった」。日本的ファシズムの淡彩描写で、これほど虚を つく文はない。日本型ファシズムの特質は、人があえて争わない階調にあり、表面はとても異形には見えないところにある。石川はそれを戦争の実時間にあって 勇気を持って活写しえたじつに数少ない作家である。石川のいうなにげない異様を、わたしはいまに感じる。(幻燈のファシズム)


石川淳は数年前に集中的に読んだはずだが、「マルスの歌」は未読だった。機会を見て目を通しておこう。

先の戦争でもこのたびの大震災でもおびただしい数の人びとが死んだ。死ぬということは、思うことを消され、 悩むことを消され、語ることを完全に消されることである。それでは生きのこった(生きのこってしまった)生者とはなにか。それはたれもがひとしなみに、 喋々と弁ずるものではない。心はしきりに思い悩むのに声を絶たれた生者もいるのである。すっきりと「人間存在の根源的な無責任さ」という一足飛びの「内省」 は、その概括的でおおざっぱなもの言いゆえに、おそらく真の根源性をなくし、衒いに似たものになりかねないだろう。そのことと日本の戦後民主主義の軽さと 空しさと没主体性には、なにかかかわりがあるのではないだろうか。旧臘、故郷石巻に足をはこび惨状を目のあたりにして、わたしは朦朧としてそう疑った。 (「人間存在の根源的な無責任さ」について)

これは、東京空襲時、親しい女がいた深川方面が火に包まれた模様を望見しながらの回想(「方丈記私記」堀田善衛)「……大火焔のなかに女の顔を思い浮べてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ、それはもう身動きならぬほどに、人間 は他の人間、それが如何に愛している存在であろうとも、他の人間の不幸についてなんの責任も取れぬ存在物であると痛感したことであった」の中の「人間存在 というものの根源的な無責任さ」に異議申立てしている部分である。辺見はあくまで「個」として「おのれというものの無責任さ」でなくてはなるまいと言って るわけだ。
辺見の立場は理解できるのだが、いざ自分がその場におかれたとしたら、Morris.などはそもそも「他」に思いやることなどはできそうにない(>_<)
辺見は共同通信在職中、芥川賞受賞して小説家デビューし、ノンフィクション、評論など広範囲の著作を発表。最近は詩作品にも力を注いでいるようだ。詩集 『生首』で中原中也賞、震災をテーマにした『眼の海』で高見順賞を受賞している。中原賞の授賞式が震災直後(2011年4月)のため、授賞式に出席でき ず、その欠席のためのメッセージの文の中に執筆中の作品が引用されていた。これを孫引きしておく。

眼のおくの海--きたるべきことば 辺見庸

ひとしずくの涙に
莢蒾(ガマズミ)の赤い実を映したまま
ずっと網膜のうらにひそみ
このたびは
いきなりわたしの眼からふきでて
こんなにも海となった
あなた 眼のおくの海

わたしの眼からふきでて
世界にさしだされた
あなた 眼のおくの海

矯(た)めなおしにきたのではないだろう
試しにきたのでもないだろう
罰しにきたのでもないだろう
莢蒾の赤い実のほかは
一個の浮標(ブイ)もない
あなた 眼のおくの海

あなたはきたるべきことば
繋辞(コプラ)のない きたるべきことば
もう集束はしない
ばらけた莢蒾の赤い実のようなことばよ
わたしはずっと暮れていくだろう
繋辞のない
切れた数珠のような
きたるべきことばを
ぽろぽろともちい
わたしの死者たちが棲まう
あなた 眼のおくの海にむかって
とぎれなく
終わっていくだろう


これだって「震災詩」だと思うのだが、辺見からすれば「わたしという個が、よるべない他の個にとどける「ひとすじの声」」であり「狂気」をはらんでいる「震災詩とは別物」だと主張するのだろうか。
「繋辞 コプラ」というのは、知らなかったので調べたら「連結詞」とも呼び、英語のbe動詞みたいなもの、日本語だと「AはBである」の「である」の部分とか書いてあった。「きたるべきことば」には「繋辞がない」ということなのか、よくわからない。
言葉の選び方、イメージの喚起力など、強く感じさせる言葉たちだとは思うのだが、Morris.という「個」には伝わりにくい部分が多い。それはMorris.の理解力の欠如のせいなのだろうか。
大切なこと、考えさせることがいっぱい書いてある本なのだろうと思うのだけど、もうちょっと万人に分かる言葉で書いてあればな、と思ってしまった。


003

【笑う子規】天野祐吉編 南伸坊絵 ★★★ 松山に市立子規記念博物館というのがあり、天野はその名誉館長に任じられたとのこと。天野は東京出身だが中学高校時代を松山で過したという縁があるらしい。
その建物の前に子規の「面白みのある」句を、月替りで垂れ幕にしてきたそうで、文字は天野自身が書いたとか。それが9年ほど続いて、子規の百十回忌を記念して、垂れ幕の句を中心に140句ほどを選び直し、これに仲間の南伸坊が飄々としたカットを描いたもの。
Morris.は何となく子規の句より漱石の句に親しみを感じていたし、本書の句を読んでもその気持は変わらないが、子規にもこんなタイプの句があったことを知っただけでも良かったかな。

めでたさも一茶位や雑煮餅
雑煮くうてよき初夢を忘れけり
弘法は何と書きしぞ筆始め
盗人の暦見て出る恵方かな
春風や象引いて行く町の中
紅梅や秘蔵の娘猫の恋
散った桜散る桜散らぬ桜哉
人を見ん桜は酒の肴なり
のどかさや娘が眠る猫が鳴く
夕立や豆腐片手に走る人
葉桜はつまらぬものよ隅田川
金持は涼しき家に住みにけり
言巧ニ蚤取粉売ル夜店カナ
極楽は赤い蓮に女かな
生きておらんならんというもあつい事
一匙のアイスクリムや蘇る
一日は何をしたやら秋の暮
我宿の名月芋の露にあり
行く秋にしがみついたる木の葉哉
渋柿や古寺大き奈良の町
ツクツクボーシツクツクボーシバカリナリ
猫老て鼠もとらず置火燵
うとましや世にながらえて冬の蠅
いそがしく時計の動く師走哉
人間を笑うが如し年の暮


いちおう各句に2行から5行くらいの天野の付け合い文が付いてるのだが、これはなくもがなであるな。


002

【絵のある自伝】安野光雅 ★★★☆ 9月の日曜美術館で「画家 安野光雅 雲中一雁の旅」という特集があり、そのときこの本の紹介もあって、ちょっと読みたくなった。この番組が年末に再放送されて、ちょうどこの本借りてきてたので、もう一度見てから読み始めた。
[雲中一雁」印日経新聞の「私の履歴書」に、別所に掲載した「ダイアナ妃のこと」を加えたもの。
37篇の短いエッセイと、あとがき代わりの「篆刻のこと」が付け加えられている。TV番組のタイトルで、本書の扉にも使われている「雲中一雁」の遊印が殊 の外気に入り、たぶんこれは安野自身が彫ったものだろうと思ってたのだが、違ってた。30年ほど前の中国の旅の時、杭州「西冷印社」で見つけた明時代の 「雲中一雁」に惹かれながら、あまりに高価だったので買わずにしまったが、後々そのことがずっと悔やまれて、5年ほど前再び、移転していた「西冷印社」を 訪れたが、とっくにその印は存在してなかったらしい。

扉は穴吹文士(ふみお)の「雲中一雁」にした。「週刊朝日」の編集長だったこともある彼は、ある時期篆刻に夢中になった。多数の業績を残したが、若くして亡くなった。
雲の中の群れに遅れたのか、ただ一羽飛んでいく雁が見える。はぐれてしまったのか、でもまあ飛んでいこうという感じ、絵描きはみんなそうなのか、わたし一人がそうなのかよくわからないが、「雲中一雁」は気に入って『絵のある自伝』にはふさわしいかなとおもっている。


自伝と銘打ってあるだけに、家族のことや、学校のことや、結婚のことや、デビューのきっかけのことや、思い入れのある作品のことや、友人知人のことなどが、コラム風に綴られてある。
戦争中、十八歳で工業高校を繰り上げ卒業させられ、福岡飯塚の炭鉱に徴用され、発破係となり、そこで、徴用された朝鮮人労働者たちと知りあい、いくらか朝鮮語も覚え、アリランも習ったというエピソードは、全く知らないことだったので興味深かった。
また旅の絵本イギリス編でダイアナ妃の結婚馬車行進を絵本のはじめと終わりの扉に描いたことから、二人が来日した時英国大使館で開かれた記念パーティに招待されたという話も、良い話だった。
「ABCの本」に関する話は、以前他の本でも読んでたが、やっぱりこれはいちばん素晴らしい作品だと思う。「あいうえおの本」も大好きだが、ひらがなよ り、シンプルで完成されたアルファベットを、あのだまし絵めいた木片で造型したフォルムは何度くりかえし見ても感心することしきりである。
1970年の年賀状で、洒落のつもりで、刑務所から出したふうに作ったものが、あまりに真に迫ってたため、さまざまな誤解を生んだという話も面白かった。これは見本も掲載されてたが、たしかにこれは物議をかもしそうな代物だった(^_^;)


001

【沈黙】遠藤周作 ★★★☆☆ 以前にも書いたが、Morris.の学生時代印象に残っている日本の同時代小説というと、北杜夫の「楡家の人々」と、この遠藤周作の「沈黙」の二冊の名前が反射的に出てくる。
久しぶりに読みなおしてみようと、先日「楡家の人々」を再読したのだがほとんど初めて読むみたいな感じだった。
この「沈黙」は対照的に、ほとんど最初から最後までほぼ記憶通りの作品だった。まあ、「楡家--」は、明治、大正、昭和にわたる一族三代の変遷史で、時間的にも長く、登場人物も事件も多岐にわたっている。
その点、「沈黙」は主要な登場人物は少なく、ストーリーも単純明快、テーマも強烈でわかりやすい、ということもあるのだろう。
昭和41年(1966)遠藤43歳時の作品である。Morris.は17歳。かなり話題にもなったので、たぶんその年か翌年くらいに読んだのだろうと思う。
今回読んだのは、昭和44年発行の新潮日本文学56だから、「沈黙」発表2年後のもので、解説の村松剛はこの作品こそ遠藤文学の到達点という見方をしている。
少年時に洗礼を受け、ヨーロッパ留学、帰国後の大患、手術のあとに生まれたこの作品のテーマは、日本人がカトリックとして生きることが可能か?ということだろう。

   参ろうや、参ろうや
   パライソの寺に参ろうや
私はトモギの人たちから、多くの信徒たちが刑場にひかれる時、この唄を歌ったと聞いていました。物がなしい旋律にみちた節まわしの唄。この地上は日本人の 彼等にとってあまりに苦しい。苦しいゆえにただパライソの寺をたよりに生きてきた百姓たち。そんな悲しさがいっぱいにこの唄にこもっっているようです。
なにを言いたいのでしょう。自分でもよくわかりませぬ。ただ私にはモキチやイチゾウが主の栄光のために呻き、苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音を たてて浜辺を噛んでいることが耐えられぬのです。この海の不気味な静かさのうしろに私は神の沈黙を--神が人々の嘆きの声に腕をこまぬいたまま、黙ってい られるような気がして……。


天草の乱の後、日本に潜入したロドリゴが捕えられる前の書簡だが、神の「沈黙」への疑義が最初に出てくる場面である。このあとくりかえし出てくるが、元々 「ヨブ記」に顕れるテーマらしい。この部分の引用は、「腕をこまぬいた」という正しい用法が嬉しかったため(^_^;)でもある。

エルサレムの夜、一人の男の運命に全く関心もなく暗い炎に手をかざしていた幾人かの姿。この番人たちも人間 というものは、これだけ他人に無関心でいられるのだな、そう感じさせるような声で、笑ったり、しゃべったりしている。罪は、ふつうかんがえられるように、 盗んだり、嘘言(うそ)をついたりすることではなかった。罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだっ た。Nakisと彼は指を動かしながら呟くと、その時始めて祈りが、胸の中にしみていっった。

キリスト教に限らず宗教には疎いMorris.だが、キリスト教には「原罪」というものが基盤にあると聞いた覚えがある。上記引用の「罪」がそれと関係あ るのかどうかよくわからないが、罪が盗みや嘘ではなく、他人に関わりながら何もなさないことだという言葉が印象深く感じられたのだ。「Nakis」という のも意味不明だが、祈りの言葉だろうか?

「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を肥えた存在を考える力も持っていない」
「基督教と教会とはすべての国と 土地とをこえて 真実です。でなければ我々の布教に何の意味があったろう」
「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」
「あなたが二十年間、この国でつかんだものはそれだけですか」
「それだけだ」フェレイラは寂しそうにうなずいた。「私にはだから、布教の意味はなくなっていった。たずさえてきた苗はこの日本とよぶ沼地でいつの間にか根も腐っていった。私はながい間、それに気づきもせず知りもしなかった」
最後のフェレイラの言葉には司祭も疑うことのできぬ苦い諦めがこもっていた。黄昏の光はさきほどより力を失い、土間の隅には夕影が少しずつ忍びこみはじめた。

「切支丹が亡びたのはな、お前が考えるように禁制のせいでも、迫害のせいでもない。この国にはな、どうしても基督教を受けつけぬ何かがあったのだ」


ロドリゴとその師であったフェレイラとの問答であり、本書の、というか遠藤終生のテーマの反措定かもしれない。

司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中 で最も美しいと思ってきたもの、最も聖(きよ)らかと信じたもの、最も人間の理想と夢に満たされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版の あの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前 たちの痛さを分つため、十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。


そしてこの場面こそがクライマックスだろう。Morris.もしっかり覚えていた。おしまいの文がいかにも聖書風(^_^;)でもあるな。
結局、ロドリゴが踏絵を踏んで、棄教したあとでも信仰は捨ててないと自負するという結末は、内外から非難もあったようだが、Morris.は共感できたし、真摯な信仰心に裏打ちされた傑作だと思う。
今回はじめて知ったのだが遠藤はこの作品のタイトルを最初「日向の匂い」としたらしいが、編集者からの申し出で「沈黙」に替えたとか。その編集者に印税の2割くらい渡すべきだと思うぞ(^_^;) 「日向の匂い」だったら、きっとほとんど売れなかったと思う。
ただ、Morris.は、当時愛読していた山田風太郎の切支丹物が「沈黙」からヒントを得て書かれたものだた思い込んでたのだが、最初にフェレイラが出て 来る「外道忍法帖」が1963年刊ということを知ってびっくりした。それより前の「山屋敷秘図」はフェレイラが主人公らしいから、こうなると、逆に遠藤周 作が、風太郎の切支丹物にインスパイアされたのではと考えられそうだ。


【でーれーガールズ】原田マハ ★★★

【泣き虫弱虫諸葛孔明 3】酒見賢一 ★★★

【韓国を震撼させた十一日間】趙甲済 ★★★☆☆

【まほろ駅前番外地】三浦しをん ★★ 

【青年のための読書クラブ】桜庭一樹★★★

【カミカゼ】永瀬隼介 ★★★☆


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