top 歌集 読書録 植物 愛蔵本 韓国 日記 calender mail 掲示板

Morris.2015年読書控
Morris.は2014年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点

読書録top 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年

2007年 2008年 2009年  2010年 2011年 2012年 2013年 2013年












2014134
【下山事件 最後の真相】柴田哲孝
2014133
【湖の南】富岡多恵子
2014132
【国境の雪】柴田哲孝 
2014131
【明治波濤歌】山田風太郎
2014130
【原発広告】本間龍
2014129
【THE WAR 異聞 太平洋戦記】柴田哲孝
2014128
【絆回廊 新宿鮫10】大沢在昌
 2014127
【戦力外通告】藤田宜永
2014126
【夢で逢いましょう】藤田宜永
2014125
【原発の倫理学】古賀茂明
2014124
【吸血鬼と精神分析】 笠井潔
2014123
【賑やかな天地 上下】宮本輝
2014122
【メディア・リテラシーの現在】 池田理知子 編著
2014121
【繚乱】黒川博行
2014120
【イチエフ・クライシス】「世界」臨時増刊号
2014119
【戦争はなぜ起こるか】A・J・P・テイラー 古藤晃訳
2014118
【レイジ】誉田哲也
2014117
【夜の国のクーパー】伊坂幸太郎
2014116
【バイバイ、ブラックバード】伊坂幸太郎
2014115
【双頭の船】 池澤夏樹
2014114
【森を見る力】橘川幸夫
2014113
【水のかたち 上下】宮本輝
2014112
【脱原子力国家への道】吉岡斉
2014111
【PK】伊坂幸太郎
2014110
【バイバイ、エンジェル】笠井潔
2014109
【うたのしくみ】細馬宏通著
2014108
【福島原発の真実】佐藤栄佐久
2014107
【プーと私】石井桃子
2014106
【あ・い・た・く・て】工藤直子 詩・佐野洋子 絵
2014105
【沸騰!図書館】樋渡啓祐
2014104
【新版 原子力の社会史】吉岡斉
2014103
【災後論】天野恵一
2014102
【ベルカ、吠えないのか?】古川日出男
2014101
【クイズ化するテレビ】黄菊英(ファンクギョン)
2014100
 【骸骨ビルの庭 上下】宮本輝
2014099
【原発事故と被曝労働】被ばく労働を考えるネットワーク編
2014098
【話してみよう!釜山語(プサンマル)】 キムセイル、ペクサンヒ
2014097
【種子(タネ)たちの知恵】 多田多恵子
2014096
【日本の原発危険地帯】鎌田慧
2014095
【ヤクザと原発 : 福島第一潜入記】鈴木智彦
2014094
【福島原発の闇】 文・堀江邦夫  絵・水木しげる
2014093
【文学は、たとえばこう読む】関川夏央
2014092
【女たちの<銃後> 増補新板】加納実紀代
 2014091
【原発ジプシー】堀江邦
2014090
【光の王国 秀衡と西行】梓澤要
2014089
【カタロニア讃歌】ジョージ・オーウエル 鈴木隆・山内明訳
2014088
【ヒロシマとフクシマのあいだ】加納実紀代
2014087
【市民科学者として生きる】高木仁三郎
2014086
【舟を編む】三浦しをん
2014085
【身のまわりの木の図鑑】 葛西愛
2014084
【日本破滅列島】樋口健二
2014083
【「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか】開沼博
2014082
【文人たちの俳句】 坂口昌弘
2014081
【これが原発だ カメラがとらえた被爆者】樋口健二
2014080
【日本の原発技術が世界を変える】豊田有恒
2014079
【動物農場】ジョージ・オーウェル 高畠文夫訳
2014078
【福島原発でいま起きている本当のこと】 浅川凌
2014077
【原発事故はなぜくりかえすのか】高木仁三郎
2014076
【オーデュボンの祈り】伊坂幸太郎
2014075
【韓国語の数と数え方】梁永美
 2014074
【「愛国」の技法】早川タダノリ
2014073
【妻が椎茸だったころ】中島京子
2014072
【原発崩壊】樋口健二
2014071
【1984年】 ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳
2014070
【死の淵を見た男】門田隆
2014069
【レベル7 福島原発事故、隠された真実】東京新聞原発事故取材班
2014068
【検証 福島原発事故 官邸の100時間】木村英昭
2014067
【神国日本のトンデモ決戦生活】早川タダノリ
2014066
【調べて楽しむ 葉っぱ博物館】写真 亀田龍吉 文 多田多恵子
2014065
【東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと】菅直人
2014064
【新版 原発のどこが危険か】桜井淳 
2014063
【大阪「鶴橋」物語】藤田綾子
2014062
【原発ユートピア日本】早川タダノリ
2014061
【日本「原子力ムラ」行状記】 桜井淳
2014060
【変身 メルトダウン後の世界】堀潤
2014059
【原子力ムラの陰謀】今西憲之+週刊朝日取材班
2014058
【ほんとうはどうなの?】 上坂冬子
2014057
【原発の闇 その源流と野望を暴く】赤旗編集局
 2014056
【文章力 かくチカラ】外山滋比
2014055
【韓国 反日感情の正体】黒田勝弘
2014054
【絞り出し ものぐさ精神分析】岸田秀
2014053
【身近な実とタネハンドブック】多田多恵子
2014052
【憲法九条を世界遺産に】太田光・中沢新一
2014051
【とりあたま帝国】 西原理恵子 佐藤優
 2014050
【福島原発メルトダウン】広瀬隆
2014049
【世界一やさしい韓国語初級脱出】八田靖史
2014048
【騙されたあなたにも責任がある】小出裕章
2014047
【福島第一原発--真相と展望】アーニー・ガンダーセン 岡崎玲子訳
2014046
【ニッポン猪飼野ものがたり】猪飼野の歴史と文化を考える会
2014045
【憲法なんて知らないよ】池澤夏
2014044
【改憲問題Q&A】自由人権協会編
2014043
【秘密保護法は何をねらうか】清水雅彦、臺宏士、半田滋
2014042
【週刊とりあたまニュース・とりあたまJAPAN】西原理恵子 佐藤優
2014041
【ケルベロスの肖像】海堂尊
2014040
【輝天炎上】海堂尊
2014039
【冷血】高村薫
2014038
【子規、最後の八年】関川夏央
2014037
【南冥の雫 満州国演義8】船戸与一
2014036
【さらばスペインの日々】逢坂剛
2014035
【国家の謀略】佐藤優
2014034
【8・15と3・11 戦後史の死角】笠井潔
2014033
【青銅の悲劇】笠井潔
2014032
【オイディプス症候群】笠井潔
2014031
【小熊秀雄詩.集】
2014030
【カシオペアの丘で】重松清
 2014029
【アナーキズム】浅羽通明
2014028
【日本社会で生きるということ】阿部謹也
2014027
【場末の文体論】小田嶋隆
2014026
【青春の柳宗悦】丸山茂樹
2014025
【歴史とは何か】岩村忍
2014024
【飛びすぎる教室】清水義範 絵・西原理恵子
2014023
【ぼくの歌・みんなの歌】森達也
2014022
【台所のおと】幸田文
2014021
【神の領域】堂場瞬一
2014020
【安倍改憲の野望】樋口陽一、奥平康弘、小森陽一
2014019
【ヴルスト!ヴルスト!ヴルスト!】原宏一
2014018
【悪の教典】貴志祐介
2014017
【原発文化人50人斬り】佐高信
2014016
【満州と自民党】小林英夫
2014015
【安倍政権のネット戦略】津田大介、香山リカ、安田浩一他
2014014
【かつどん協議会】原宏一
2014013
【日本語から考える 韓国語の表現】前田真彦/山田敏弘
2014012
【韓国現代史】木村幹
2014011
【マイ・スタンダード】横山剣 
2014010
【浅川巧全集】高崎宗次編
2014009
【我、拗ね者として生涯を閉ず】本田靖春
 2014008
【父-その死】幸田文
 2014007
【言葉の常備薬】呉智英 
2014006
【昭和三十年代 演習】関川夏央 
2014005
【闘】幸田文
2014004
【廃墟建築士】三00崎亜記 
2014003
【となり町戦争】三崎亜記
2014002
【童謡噺】立川談志 
2014001
【流れる】幸田文 

















【明暗】夏目漱石
★★★☆☆ 1917(大正6)01/26 岩波書店。初出「朝日新聞」1916(大正5)5月~12月
【續 明暗】水村美苗 ★★★☆ 1990(平成2)09/01 筑摩書房。
この2冊が並んでる理由は、Morris.が、一つの物語として読んだからだ。言うまでもなく「明暗」は漱石の遺作であり、未完の長編だった。水村の作品 は、それから73年後に完結させるという形で発表された。そのころMorris.は興味を覚えたものの、まだ漱石の「明暗」読んでなかった。漱石の小説の 半分くらいは読んでたが、どちらかと言うと初期の作品が好きで、就中「猫」にぞっこんだったから、後期作品で、しかも未完の「明暗」は読む気にならなかっ たのだろう。
結局Morris.がこの2冊を読了したのが2015年、漱石作からほぼ1世紀、水村作から四半世紀後ということになってしまった(>_<)
漱石作は中央図書館書庫から、復刻版を借りて読んだ。水村作の単行本はとうに絶版になり、2005年に新潮文庫上下2冊として出され、2009年にちくま文庫1冊本として再発行されたらしい。しかも、文庫版は現代仮名遣いになってた模様。
まあ、Morris.は、図書館で単行本借りて読んだから、どちらも旧仮名遣いで読むことが出来た。
読後の感想は、そこそこ面白かった(^_^;) で、これでは両者から不興を買いそうだが、仕方がない。
とりあえず、例によって、印象に残った部分を引用してみる。

「何うして彼の女は彼所へ嫁に行ったのだらう。それは自分で行かうと思つたから行 つたに違ひない。然し何うしても彼所へ嫁に行く筈ではなかつたのに。さうして此己は又何うして彼の女と結婚したのだらう。それも己が貰はうとは思つてゐな かつたのに。偶然? ポアンカレーの所詮複雑の極致? 何だか解らない」(ニ)

2回めにしてポアンカレーの名前が出てきたので、つい引いてしまった。この前に友人から聞かされた、ポアンカレーの偶然とは複雑な条件が絡み合って起こる 必然だ、みたいな説からの考えだが、漱石も久しぶりに「猫」の筆法を思い出して挟み込んだのだろう。なに、Morris.にはまるで見当もつかないのだ が、学生時代からの愛読句集「牧歌メロン」(加藤郁乎)次の句があったためだ。

●南柯がぽあんかれーらいすで恵比寿る


冷たさうに燦(ぎら)つく肌合の七宝製の花瓶、其花瓶の滑らかな表面に流れる華麗 (はなやか)な模様の色、卓上に運ばれた銀きせの丸盆、同じ色の角砂糖入と牛乳入、蒼黒い地の中に茶の唐草模様を浮かした重さうな窓掛、三隅に金箔を置い た装飾用のアルバム、--斯ういふものの強い刺激が、既に明るい電燈の下を去つて、暗い戸外へ出た彼の眼の中を不秩序に往来した。(十二)

これは密度の高い描写の文体見本として。漱石がいわゆる美文調の作家ではないのだが、このくらいはお茶の子で書ける蓄えがあった。

彼女の夫は道楽者であつた。
人生観といふ厳めしい名を附けて然るべきものを、もし彼が有つてゐるとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であつた。微笑して過ぎる事 であつた。何にも執着しない事であつた。呑気に、づぼらに、淡白に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行く事であつた。それが彼の所謂通であつた。金に不自 由のない彼は、今迄それ丈で押し通して来た。又何処へ行つても不足を感じなかつた。此好成績が益彼を楽天的にした。(九十一)


彼女というのは、津田の妹秀子である。その夫のいささか、軽蔑を含んだ人物評なのだが、何か、Morris.は、この作品の登場人物の中で一番あらまほしき存在のように思えた。

所がお秀は教育からしてが第一違つてゐた。読書は彼女を彼女らしくする殆ど凡てで あつた。少くとも、凡てでなければならないやうに考へさせられて来た。書物に縁の深い叔父の藤井に教育された結果は、善悪両様の意味で、彼女の上に妙な結 果を生じた。彼女は自分より書物に重きを置くやうになつた。然しいくら自分を書物より軽く見るにした所で、自分は自分なりに、書物を独立したまんまで、活 きて働いて行かなければならなかつた。だから勢ひ折折柄にもない議論を主張するやうな弊に陥つた。然し自分が議論のために議論をしてゐるのだから詰らない と気が附く迄には、彼女の反省力から見て、まだ大分の道程があつた。意地の方から行くと、余りに我が強過ぎた。平たく云へば、其我がつまり自分の本体であ るのに、其本体に副(そ)ぐはないやうな理屈を、わざわざ自分の尊敬する書物の中(うち)から引張り出して来て、其所に書いてある言葉の力で、それを守護 するのと同じ事に帰着した。自然弾丸(たま)を込めて打ち出すべき大砲を、九寸五分の代りに、振り廻して見るやうな滑稽も時時は出て来なければならなかつ た。(百二十六)

こちらはその妹への、兄貴ならではのこき下ろしに近い表現だ。なかなかに漱石の男尊女卑傾向が表れてるところだな。でも、Morris.もこんな妹はあまり欲しくない。

津田は腕を拱(こまぬ)いて下を向いた。(百八十六)

これは、漱石が、ちゃんと「こまぬ」くとルビをふってることの確認(^_^;)

…………これまで漱石・ここから水村…………

肚に一物あるらしい夫人の前に涼しい顔を見せ附けたかつた。そもそも吉川夫人の不 可解な来訪も、其魂胆は、好いやうにお延を焦らした揚句、不必要な疑を起こさせて若夫婦の間に水を差すことにあつたのかも知れない。お延の頭には玄関に立 つた冬支度の夫人の姿が底気味悪くちらちらした。他人の人生を弄(いぢ)らうとする夫人の動機を初めとして、夫人の目的も、其目的の意味する所も明らかで はなかつたが、其やうな魂胆をあの夫人から嗅ぎ出す事ほど今のお延にとつて自然な衝動はなかつた。思へば夫人との会見を過去に順次に遡つてみて、いづれの 断面にも大なり小なりさういふ棘のある欲望を夫人に見出さない事はなかつた。(二百十二)

お延は津田の妻で、水村は続編を書くにあたって、この妻と津田が以前、友達に譲った? 元彼女清子との、相剋を物語の大きな柱にしている。それを使嗾するのが、津田の上司の吉川夫人である。これは水村の文体見本という意味で。

昨日彼の肝を冷やしたお延から電話があつたといふ事実すら、何だか此自分の人生に起こつたやうな気がしなかつた。それでゐてつい今しがた迄清子と共に居た 事も、同じやうに遠い世界の出来事に思へてならなかつた。意識が深い底へ潜つて仕舞つた所為か、世の中から忘れられたやうな、世の中を見捨てたやうな、自 分の実世界に於ける立場と境遇とを離れたい鈍い感覚がなかなか脳を去らなかつた。(二百四十六)


ここらあたりに、ポアンカレーの複雑の極致とそれを払いのけたいという気分が出てるのかも。

「貴方は最後の所で信用出来ないんですもの」
「夫が理由で僕が厭になつたんですか」
「ええ」
「何が信用出来ないんですか」
「何がつて、そんな風に訊かれたつてお答しやうがないわ」
「だつて只信用出来ないつて云はれたつて、餘まり曖昧で能く解らないぢやないですか。人間として信用出来ないといふことですか。男として信用出来ないといふことですか。一体どういふ意味で左う仰るんです」
津田の聲の調子には焦立ちが益露れた。それを聞いた清子は、つと柵から身を離し、津田とすれすれに向き合つて立つた。さうして男の顔凝(ぢつ)と打ち守ると、低いながらも力の籠る聲で云ひ放つた。
「例へば、--現に斯んな所にゐらつしやるぢやないの」(二百五十九)


ここで清子の強烈な一言。

「だつて、一体貴方に、何かを訊く気なんて実際におありなの?此間からもう少し後 にしよう、後にしようつて、訊く事を先送りしてらつしやる丈ぢやない。貴方は正直に云つて本当のことなんか何もお訊きになりなくない、--といふより、お 訊きになる事が出来ないの。貴方つて方は斯んな所迄いらしても……他人を……延子さんを裏切つて斯んな所迄いらしても、まだ真面目になれないんです」
「左ういふ所が嫌なんですとしか申し上げやうもありませんわ」
「そりや、貴方は私に会ひにいらしたんでせうけど、貴方つて方は……」
「貴方つて方はそんな御自分のお気持ちにも充分に真面目になれないんだもの。昔から左うだつたし--」
「今だつて左うなんです。自分を捨てるつていふことがおありぢやないから些とも本物ぢやないんです。他人には解るんです。--今回だつて真実、何がなんで も……私に会いにいらしたんだつたら、左うしたら私だつて、此胸にちやんと感じると思ひますわ。左うしたら……」(二百六十)


さらに、止めの一撃ぢゃ。弱き者、爾の名は男(>_<)

遅過ぎるかも知れない、間に合はないかも知れないといふ思ひは、もう間に合はない だらう、間に合ふ筈がないといふ思ふにぢきに変はつて行つた。凡ての機会を逃して今の今迄遣つて来て、最後になつて丈間に合ふ筈はなかつた。其間に合ふ筈 がないといふ思ひが確信に変はつた時、今朝から一度も憶ひ出す事もなかつたのに、不意に清子の顔が眼の前に閃いた。例の梯子段の上で蒼くなつた清子の顔で あつた。全身を剛張らせて津田を凝と見下ろしてゐる。今となつては、あの時の清子の顔が単に驚愕を示してゐる丈とは思へなかつた。其所には凡てが見えてし まつた人間の、何とも云へない表情が彫り附けられてゐたやうな気がしてならなかつた。丸で斯うなる事をあの時既に清子が知つてゐたやうだつた。津田は半信 半疑であの時の絵を今一度心の眼で凝視した。其途端、津田自身の過去、現在、未来とが一瞬のうちに隈なく照らし出されて仕舞つたやうな恐ろしい感覚があつ た。彼は身体中の血がすうつと引くのを感じた。今津田の居る場所から振り返る過去は明るいものではなかつた。現在は果して斯んな状態だつた。未来は、-- 未来はもし此儘行つたら、津田の知つているどんな闇よりも暗いものとなるのは必然であつた。(二百八十六)

どんどん津田は主人公の役割から遠ざかっていく。

「奥さん、人間は人から笑はれても、生きてゐる方が可いものなんですよ」
ぼんやりと前を見詰めるお延の耳の底に、何時の間にか小林の台詞が鳴つてゐた。瞼には小林の顔も閃いた。然し其顔は以前、実際に其台詞を口にした時の小林 の顔ではなかつた。夫は先日お延を驚かせた、一瞬真面目な表情をした小林の顔であつた。今、お延の耳は其小林の台詞に、自分に対する冷嘲(あざわらひ)も 当て擦りも聞かなかつた。かと云つて、これこそ人間一般の究極の真理だといつた風な騒騒しい主張も聞かなかつた。其言葉は其言葉以上のものでも、其言葉以 下のものでもない。其言葉の持つ当り前の意味が、妙に露出された形をとつてお延の耳に響いた。
是から何うするべきか解らなかつた。何をするにも、此宙釣りの状態から一歩でも抜け出すには、果して途方もない勇気が要るやうに思へた。けれども恰も人に 捜し出されるのを待つやうに、此所を此儘動かずに居るのは屑(いさぎ)よしとしなかつた。お延は、一体是から何処へ行くべきだらうかと、自分の行先を問ふ やうに、細い眼を上げた。--お延の上には、地を離れ、人を離れ、古今の世を離れた萬里の天があるだけだつた。(完)(二百八十八)


貧乏書生小林によって、俗っぽくも真理を含んだ言葉を浴びせられたお延が、一種の目覚めと決意をするという結末である。しっかり主人公が男から女に転換したみたいで、やっぱり漱石だったら、こうはならないだろうと思った。
とはいえ、正編、続編を続けて読んで、文体にしろ、ストーリーにしろ、それほど違和感を感じずに読了できたということは、水村の力量は大した物だということだろう。拍手を贈りたい。
漱石作品読む時の、Morris.の楽しみの一つが、その独特の造語や宛字、宛読みである。両作品からのそれを引いておしまいにしておく。

「明暗」宛字

調戯ふ からかふ
乾燥ぎ廻る はしやぎまはる
混雑した ごたごたした
不体裁 ふしだら
応答つて あしらつて
笑談 じやうだん
圖迂圖迂しい づうづうしい
熟しつける こなしつける
空疎もの うつかりもの
冷評した ひやかした
判切 はつきり
庇護ふ かばふ
左右いふ人 さういふひと
浮誇の心 ふこのこころ
蟠りが蟠蜓つてゐる わだかまりがうねくつてゐる
牘鼻褌 ふんどし
模細工 モザイック
焦燥す ぢらす
無能 やくざ
微温い なまぬるい
忽卒しく そそつかしく
拘泥る こだはる


「續 明暗」宛字

絶壁 きりぎし
手欄 てすり
退避ろいだ たぢろいだ
悄然と しよんぼりと
盆槍と ぼんやりと
強ち あながち
偏見 プレジユジス
明海 あかるみ
無残 みじめ
成行 いきさつ
空虚 がらんど
薩張 さつぱり
經過 いきさつ
困絡かつた こんがらかつた
頑愚 かたくな
機會 はずみ
夢中歩行者 ソムナンビユリスト
露骨に あからさまに
符號 シムボル
引つ手繰る ひつたくる
烏鷺烏鷺 うろうろ
辟易む ひるむ
失策つた しくじつた
耳語く ささやく
擦れつ枯らし すれつからし


いくつかは、漱石の写しかもしれないけど、宛読みでも水村、がんばってるぢゃん(^_^)/





【戦争の谺 軍国・皇国・神国のゆくえ】川村湊 ★★★☆ 2015/08/30 白水社

「本市がこうむりたるこの犠牲こそ、全世界にあまねく平和をもたらした一大動機を 作りたることを想起すれば、わが民族永遠の保持のため、はたまた世界平和恒久平和の人柱と化した十万市民諸君の霊に向かって熱き涙をそそぐとともに、ただ 感謝感激をもってこの日を迎えるはおおないと存じます。」(1946/08/06原爆投下一周年追悼式典 木原七郎市長の挨拶)
ヒロシマの原爆被害者が「わが民族永遠の保持のため、はたまた世界平和恒久平和の人柱」となったというこの広島市長の言葉は、原爆投下は「世界平和恒久平 和」の樹立のための「やむをえない」「避けられない」選択であったというアメリカ側の言い分と、「わが民族保持」のための「尊い犠牲」という二つの戦後的 言説の原型となったと考えられる。
「ピカッち光った原子のたま」はまるで手品のようにそのなかから「平和の鳩」を飛び立たせてみせ、それは「いくさ忘れてひめばなし」をしている人々によっ て担われていたのである。それは魔術であり、詐術であった。原子爆弾という「人類最終兵器」が、「世界平和恒久平和」を作り出すというマジック。しかし、 あろうことか、広島の生き残った市民たち(日本人たち)は、そうしたアメリカと日本の支配層が共同制作した大マジックに拍手喝采を送ったのである。
原爆投下という、まさに人類的な戦争犯罪によって「殺された」のであり、それらの人々の死を「人柱」とsちえとらえること自体、アメリカの原爆投下という 戦争犯罪と、それを結果的にもたらした日本の戦争犯罪を隠蔽しようとするものにほかならないのだろう。(「トカトントン」と「ピカドン」)

原爆投下が、どれほど非人道的な行為か、それを、被害者の側が、進んで忘れようとしているかのような行動を取ったことへの疑問と、分析。
「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の碑文の、曖昧さとあいまって、「怒り」が全く含まれていない。

永井隆は聖者化され、その著作は聖典化されることによって、長崎における原爆投下 責任や、その復讐心の発動は、これを永遠に放棄することが密かに決定されてしまった。すべてが"神の摂理"だったのだ。キリスト教国のアメリカの大統領 が、広島・長崎に原爆を落とすことを決意したのも、現人神が、開戦と終戦の詔勅によって、戦争を開始し、そしてそれに敗れて、死者の山を築いたあげくに集 結(敗戦)を決意したことも。
永井隆が、原爆を"神の摂理"としたのは、人間の原罪を戒めるための大いなる懺悔、反省へと至らしめるための覚醒の意味をもっているのと同時に、石油資源 のn獲得のために戦争を引き起こさざるをえなかった無資源国・日本のエネルギー問題を一挙に、直ちに解決するために、神が与え賜うた光明と考えたからにほ かならなかった。
しかし、もちろん、この発想は転倒している。石炭、石油に代わりうる新しいエネルギーが原子力であったとしても、それが原子爆弾という形で実現されなけれ ばならなかった必然性はな。ましてや、それが広島、長崎の人間を犠牲にして実現されなければならなかったことへの何の理由も言い分もなかったはずだ。
永井隆の存在によってある意味では聖域化された、長崎大学医学部の原爆研究、放射線医療の分野は、2011年の3・11以降、福島第一原発の原子炉事故に よって漏れ出た(溢れ出た!)放射性物質による放射線量は、人体にまったく害のない程度のものであり、安全であるという放射能"安全神話"を振りまいた張 本人として、広瀬隆などの反原発派の運動家から刑事告発された、長崎大学医学部教授の山下俊一のような御用学者を輩出させた。
原爆被爆の犠牲者は"特別の犠牲"といいながら、国による賠償や保障の責任を一切認めようとしあんかった学者たちの考えが、福島第一原発事故による放射能 汚染を"すべての国民がひとしく受忍しなければならない""一般の犠牲"tpそて。「国家責任」をあくまでも避妊しようとする原発擁護派、推進派(の学 者、官僚、政治家、電力会社)の考え方に継承されていると思わずにはいられない。(ああ、長崎の鐘が鳴る)

長崎にも平和公園があり、馬鹿でかい平和祈念像があるが、長崎の町にはほとんど原爆の被害を思いこさせる建物の残骸などは見られない。
自らも被爆者で、キリスト教者の永井隆が、責任を「神の摂理」としたことを、アメリカと日本政府は巧妙に利用し尽くした。
山下俊一のトンデモ発言は、あまりにひどいものだったな。

紀ノ上一族が、ある意味では究極的なマゾヒズムを発揮することによって弾劾した 「アメリカ」の帝国主義、植民地主義的な恥部は、原罪も、社会帝国主義としてのソビエト連邦と競り勝った「アメリカ帝国主義」の内部にほとんどそのまま 残っている。エネルギー、食糧、知的財産に関する囲い込み的な独占(これをグローバリズムと称する)への欲望は、冷戦以降、一層強まっているといえる。こ うした飽食したマンモスのさらなる欲望は、地球を壊すところまでゆかなければ、止まることを知らないものかもしれない。そしてそれは、戦前の日本、戦中の 日本、戦後の日本が、追いつき、追い越そうとした「帝国主義」にほかならなかった。紀ノ上一族は、日本社会においても、アメリカ社会においても、絶対的な 少数者(マイノリティー)として、そうした帝国主義的グローバリズムに最後の抵抗を試みたのである。(「鬼畜米英」論)

「紀ノ上一族」は久生十蘭の小説である。アメリカ移民の一族が三大にわたって迫害され、ついには最後の一人まで殺されるまでを描いた、得意な作品だ。久生 十蘭は何度か小さなブームになるが、日本文学のなかできちんと批評されていないが、Morris.は偏愛する作家の一人である。

宮澤賢治の「農民藝術」の精神、「羅須地人協会」の理念は、「八紘一宇」から「民 族協和」という満州開拓の思想のなかに流れ込んでいることは確かだ。それはむろん賢治の責任でもなければ、賢治の文学や思想を排斥する要素となるものでも ない。ただそれが田中智学や石原莞爾が呼号した「八紘一宇」「民族協和」の精神と、まったく無関係であるとは言い切れないのである。
それは、「世界を一つにする」という「地球主義(全球]主義 グローバリズム」と呼べるものに関わっている。それはともすれば「世界」を一つの思想、文化、理念で蔽ってしまおうという「全体主義」や「グローバリズ ム」の考え方に近接してゆく。統一されたユニバースとしての地球。全体主義は、ファシズムとも天皇制の皇国主義とも、マルキシズムとも、レーニズム、ス ターリニズムともなって、地球全体を蔽おうとする。もちろん自由主義や民主主義、資本主義もその弊を免れているわけではない。「八紘一宇」の精神は、こう した「世界は一つ(ワンワールド)」という、という、統一したイデオロギーによって全世界を蔽い尽くそうとする思想の魁ともいえるものなのである。
しれはちょうど日蓮の法華信仰が、すべての人間を折伏し、異なった信仰や新人を撃破して、"正しい教え"に帰一してゆくことを目指しているのと、本質的には同じことなのではないか。
それは別な言葉で言い換えれば「全体主義」ということになる。「世界は一家 人類は皆兄弟姉妹」--これは空想的な「世界平和主義」「世界親善平和」のお題目だが、実は、こうしたお題目こそ、「世界は一つ」を目指さない、異端的思 想やイデオロギーを排除し、抹殺しようとする、寛容さを失った狂信に転化してゆくのではないか。私たちは、それをナチズムやファシズム、スターリニズムや イスラム原理主義として、これまで幾度も繰り返されてきた悲劇、喜劇として見続けてきた。
「世界は一つ」ではなく、多様であり、多彩であり、それぞれが"違うこと"に意味がある。「人類はみな兄弟」ではなく、他人であり、そして他人だからこそ、相手を尊重し、個人として認め合うことができる。
マッチ一本が、火事の元である。「世界は一つ(でならなければならぬ)」という全体主義的な狂信的な一言が、悲惨な戦争をもたらすということを、人類はこれからも繰り返すのだろうか。(「八紘一宇」論)

宮沢賢治が熱烈な日蓮宗徒であり、「八紘一宇」を国体の精髄として使用した田中智學の国柱会にも入会して、日本的全体主義の薫陶を受けていたことは、3・11直後のネット論争?で知った。
戦時中の「一億一心!」「進め一億火の玉だ」、敗戦後の「一億総懺悔」なども「八紘一宇」に通ずるものがある。それでいうと、安倍首相の「一億層活躍」もこの系譜にあることは疑う余地はない。
「八紘一宇」って平たく言えば、たしかに「世界は一家」である。
Morris.の日乗1988年12月の今月の標語
●世界は一家、人類は皆兄弟は 他人の始まり





【死神の浮力】伊坂幸太郎
★★★☆☆☆ 2013/07/30 文藝春秋
2005年の作品「死神の精度」の続編である。前作はオムニバス短編だったが、本書は長編。
一人娘を殺された夫婦と、殺した男どちらにも死神が取り憑いている。殺した男はサイコパス(良心が異常に欠如、極端に冷酷、無慈悲、つまり本質的悪人)。 死神が取り付いて生死の判断を調査する一週間の物語。伊坂らしく、意表をつく展開、トリッキーなやりとり、有象無象の雑学、ユーモアまぶしながらも鋭い会 話、スリルに満ちたカーチェイス(片方は自転車だけど(^_^;))等々、いつもにまして、面白く考えさせられるところの多い作品だった。

「その男がうちの先生に向かって、言ったの。『歯医者の先生がいるから、虫歯ができるんじゃないの?』って。歯科医があるから、虫歯があるんだ、という理論ね」
「戦争が起きるのは、武器商人のせいだ、という理屈と同じか」私はあまり深く考えずに言った。以前、地対空ミサイルを中東に売り込もうとしたアメリカ人を 調査したことがある。彼は結局、取引の直後に爆発により死亡したのだが、生前はよく、「武器を売らなければ戦争がなくなるかもしれない」と自嘲気味に言っ た。


コンピュータ・ウイルスのことを連想した。つまりアンチウイルスソフトの企業があるから、ウイルスがあるんだという理論ね(^_^;)

「『われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである』パスカルの言葉ですよ。人間は死のことを真面目に考えたら、耐えられません。彼のメモをまとめた『パンセ』に乗っています。

『我々は生きています。そして、刻々と死へ近づいてゆきます。まず、この不幸を凡人は凡人ながら忘れぬようにしたいと思います』「その後で<渡辺先 生>はローマの詩人ホラティウスの言葉を引用している」父は、本から顔を上げた僕を見た。「日々を楽しめ、とな」
「日々を?」
「そう。もともとは、『その日を摘め』と訳すらしい」
「どういう意味」
「どうせ死ぬのだから、今この瞬間を楽しめ」


この言葉が「Crpe Diem」ということを、Morris.は知っていた。以前年賀状の下に、ラテン語やギリシア語の格言を引用してる時期があって、一番気に入ってたのがこ の言葉だった。しかし「その日を摘め」「どうせ死ぬのだから、今この瞬間を楽しめ」という意味があるとは知らなかった。ますますこの言葉が好きになった さ。

システムの故障を調べる仕事をし、合唱が趣味だという男で、私は比較的よく覚えて いるのだが、彼の話は興味深く、中でも「うっかりミスは防げない」と言っていたことが新鮮だった。「注意深くしろ」と命じられて、注意不足が直ることは少 ない、と。「ちゃんと注意を払っていれば、絶対にやるはずがない」と呆れるような失敗を、たくさんの人間がやる。それは私も知っている。「注意深く!」と 訴えるための標識の置き場所自体が、「うっかり」間違えていることもあるのだ。うっかりミスは防ぎようがない。

これはMorris.にとって「開き直り」のための評語になりそうぢゃ。

「人間と動物の大きな違いって、なんだか分かりますか」
「違い?」
「協力する、ってことらしいですよ」
「人間は放っておくと自然と争いを起こす」山野辺が口を開く。
「パスカル?」と美樹が試すように訊き返す。
「これはカント」
「誰っすか」
「いたんだよ、そういう哲学者が。人間は争いを起こして、進化してきた、って。だから、争いは比較的、楽(らく)なんだ。放っておいても起きるから。それに比べて、平和は大変だ。楽な争いに流れるのを、我慢しなくてはいけない。『平和は苦しくて、戦乱は楽』」
「それはパスカル?」
「渡辺先生」と山野辺が笑う。
どれもこれもが誰かの言葉であり、そのことが奇妙にも感じられた。
「戦乱がいつ起きるか分からないのを、みんなで必死に抑えてる。その、頑張りが勝利している状態を平和とよぶだけだからね。平和ぼけ、とは言うけれど、そ れを保っているのは多くの人間が頑張っているからあ、そう<渡辺先生>は言っていた。決して、ぼけていては平和を守れない、とも」


「渡辺先生」はフランス文学者の渡辺一夫(巻末の参考文献にあった)である。Morris.は「ガルガンチュワ物語や」「痴愚神礼賛」の訳者として親しんでいた。「平和は苦しく、戦乱は楽」なんて言ってたことなど知らずにいた。

「人間が集団を作れば、確実に、自分たちの強さを確かめたくなる。そうじゃなくても、だ。集団が落ち着いてくれば、必然的に、あれがはじまる」
「あれが?」「退屈だ」「退屈?」
「そういうものですか」と僕は答えながら、同じようなことを<渡辺先生>が書いていた、と思いだした。人間は平和や安静、正気と呼ぶ状態を一 応好ましいものとしているにもかかわらず、それが長く続くと、飽きて憂鬱になったり、倦怠を催す、と。平和がいいね、と分かっているのに、平和に飽きる」

またまた「渡辺先生」だ。というわけで、参考図書として挙げられていたこの本中央図書館で借りてきた借りてきた。↓

【狂気について--渡辺一夫評論選】渡辺一夫 1993/10/18 岩波文庫
本書は多くの分野でのエッセイや小論文の見本帳みたいなもので、結局半分も読めなかったのだが、伊坂幸太郎「死神の浮力」に引用されたおおまかにここらへんという部分と、それ以外に、印象深かったものを引用しておく。

私は、マンの思想も、私の考え方も、「甘い」という表現を蒙ることは承知しており ます。しかし、思想は本来「甘い」ものなのであります。そう考えてもよろしいのでしょうか? 近代現代のユマニスムの思想の一端を、マンを通じて補足しても誤謬はないものでありましょうか? また、ユマニスムなるものは、たとえそれがいかに「甘く」且つ「無力」でありましょうとも、いやしくも学問や思想に生きようと志した人間は飽くまでこれを 護らねばならぬものと考えますが、それでよろしいのでしょうか?(トーマス・マン『五つの証言』に寄せて 1946)

T先生とあるのは、故辰野隆先生のことであり、「個人的な自己処置」とは、東大を辞任したいという願いであった。「ユマニスト」だった「渡辺先生」の本音 だろう。「甘くかつ無力な」思想とは、昨今のにわか右翼らが「お花畑」と呼ぶものに重なるが、Morris.は「被害意識の茨の道」より「お花畑」を択び たい。

寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙を振るって「最低の暴力」 を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ 以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それは あたかもジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ、違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛 容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。そこに若干の光明もある。
人間を対峙せしめる様々な口実・信念・思想があるわけであるが、それのいずれでも、寛容精神によって克服されないわけはない。そして、不寛容に報いるに不 寛容を以てすることは、寛容の自殺であり、不寛容を肥大させるにすぎないのであるし、たとえ不寛容的暴力に圧倒されるかもしれない寛容も、個人の生命を乗 り越えて、必ず人間とともに歩み続けるであろう、と僕は思っている。
ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える「不寛容」のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思 われる「寛容」よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐を感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であ ると同じように。

「寛容=平和」「不寛容=戦争」と短絡させても構わないだろう。これは、今の日本への警鐘である。

ミシェル・ド・ロビタルは、人間を救うはずの宗教が原因で人間同士が殺し合いをす る愚劣を知っており、キリスト教の人間化を体得した最初の一人である。そ して自分も含めて「あらゆる人間」が、うまく、世を渡れるようにと念願をしただけなのである。あらゆる人間がうまく世渡りができることを願うのがなぜいけ ないであろうか? その上、「世渡り」などという変な匂いのする言葉を、僕は、わざとここで使っていることも判ってほしい。ド・ロピタルのような態度に対して、狡猾とか卑怯 とか曖昧とかいう罵声が加えられたが、それは見当違いである。彼は、周囲の人々よりも、一段と高いところにおり、別な次元を獲得していたにすぎないのであ る。

見かけの「軽さ」の中の考えられないほどの「重さ」。それと対照的な、見掛け倒しの「軽い」言葉もある(ポエム現象など)。

現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々は、それを激化せしめぬように 努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教 訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、甫(はじ)めて、 人間の進展も幸福も、より少ない犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。歴史は繰り返す、と言われる。だからこそ、我々は 用心せねばならぬのである。(寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アノトレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか 1951)

パリの同時テロへの対応に関しても、この文章が一つの処方箋になるのではなかろうか。もちろん、「渡辺先生」の本意は「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきではない」である。

学生時代から今日にいたるまで忘れられない辰野先生の言葉を二つ記すに止める。
「好きなことを楽しく一所懸命にやるのだな。」
「判りやすい日本語に訳せないようなフランス文は、結局よく判っていないんだよ。」
この何気ない言葉に秘められているむつかしさは、歳をとるにつれて判るようになった。


一つ目は「Carpe Diem」に通ずる考え方だろう。
二つ目は、翻訳本で、わかりにくかったりするとつい訳者のせいにしがちだが、原文に問題があることもあるということか。

私は、日本が明治時代にひき始めた「びっこ」をまだひき続け、方向は異っても、何 かの方向に雪崩落ちないとどうにもならぬような気がしてならぬ。平和になったからと言ってだらけ切り、自由になったら責任は忘れられ、民主主義とやらに なったら、数と衆だけが羽振りをきかせ、権利が重んぜられると義務が棚上げにされ、自制を伴わぬ消費や、懐疑を知らぬ信念や、歴史を恐れない行動や、人間 が自分の作った制度・組織・思想・智識・機械・薬品を使いこなせず逆にそれらに使われている例が、日毎に見られるように思う。(老耄回顧 1972)

40年以上前に書かれた文章だが、「責任を忘れ」「数と衆が羽振りをきかせ」「懐疑を知らぬ信念」「歴史を恐れない行動」……すべて当てはまる色んなことが、まさに目の前に繰り広げられているではないか。
-------------------------------------------------------------------------
ここでまた伊坂作品に戻る。
物語の中で、サイコパスの男が、意図的に被害者少女とのやり取りの映像を、第三者に撮影させて、それを犯罪隠蔽の証拠として利用するというくだりがあっ て、その巧妙な手口はともかく、最近の監視カメラの急増と、その映像が証拠となり解決した(ということになっている)事件のパーセンテージの高さを思い合 わせると、今後、この監視カメラ映像の改竄、作為的な設置など、民間、公的を問わず、新たな犯罪につながる可能性がるのではないか、と、心配になった。




【タブーの正体!】川端幹人 ★★★☆☆ 2012/01/10 ちくま新書939
「--マスコミが「あのこと」に触れない理由」という副題がある。
筆者は、あの「噂の真相」の元副編集長。天皇関連記事で、右翼の抗議を受け、編集室で、岡留編集長らとともに負傷した際の、自分の弱さを反省・総括しながら、それでも、時をおいて、再びこういったテーマの本を書いて言挙げした勇気には拍手を送りたい。
今や自己規制だらけの報道、マスコミのなかで、タブーを取り上げるのは、困難を極める行動で、そういった本を出版すること自体、著者・発行者奏法にリスク が大きいことは想像にかたくない。本書では、匿名やぼかしめいた手心が加えられているところもありそうだが、それでも、これだけ書いてあれば、読者には大 筋理解できる。

最近の報道では、あらゆるメディアがひとつの話題を集中的に取り上げる、「報道のスペクタクル化」と呼ばれる現象が起きているが、実はこれもタブーの増殖 と無関係ではない。タブーが極端に増えたことによって、報道できる領域・対象が狭くなり、メディアは視聴者や読者の関心を喚起できるニュースを見つけるこ とが難しくなった。だからひとたび、リスクがなくて、話題を呼ぶことのできるネタを見つけると、すべてのメディアがそこに飛びついてしまうのだ。


直近のパリ同時テロ報道でも、その傾向が顕著である。報復の空爆報道は無いか、あっても瞬間的だ。辺野古基地報道も、その重要性に比してあまりに少ない。 某チャンネルでは、反対者の座り込みの映像でも、機動隊は出さない。「報道しない」という、ジャーナリズムの自殺行為とも思われる、自主規制が蔓延してい る。

本書では、メディア・タブーの要因を暴力、権力、経済という三つに分類してアプ ローチする。この三つの恐怖を軸にタブーを観測すれば、なぜ、メディアはこうも簡単にタブーに屈するのかという本質的な問題を解く鍵が見えてくる気がする のだ。(序章 メディアにおけるタブーとは何か)

暴力には、筆者が被った肉体的暴力だけでなく精神的暴力、嫌がらせ、ゴシップ、誹謗中傷、権力による暴力、経済的攻撃も含まれるだろう。

右翼から抗議を受けた人がとる態度は二種類しかない。一つは、「俺は右翼から抗議を受けたが屈しなかった」と武勇譚にする態度。もう一つは、これが圧倒的 に多いのだが、抗議を受けたこと自体を隠し、人知れず転向してしまう態度だ。結局、タブーに直面した人間はほとんどの場合、その経験をタブーとして封印し てしまう。そして、そのことでタブーの実態はますます見えにくくなり、タブーは肥大化していく。


タブーというものの存在をタブー化する。タブー(禁忌)の原義からは、どんどん遠ざかっていく。

<本当の意味における自粛ならば、何もいうことはない。陛下の御平癒を祈念申し上 げ、シュクシュクと過ごすのは天晴れなことであろう。しかし、今の自粛は、かなりの面で「他粛」の気味合いが強い、はっきりいえば、右翼が怖いのだ。(野 坂昭如 1988『週刊朝日』1988年11月22日号)>

野坂の30年近く前(昭和の終わり)の発言だが、再評価したい。

1961年の風流夢譚事件以降、右翼への恐怖はあらゆるメディアに伝播し、ジャーナリストも作家も編集者も、天皇タブーという楔を打ち込まれて、身動きがとれなくなってしまった。

発表誌「中央公論」の社長宅を右翼が襲い、社長夫人らが殺傷された。これで作者深沢七郎は、生存中は作品の復刻を許さなかった。これは暴力に屈したという より、責任と悔みのためだろう。しかし、この事件の影響は甚大で、右翼にとっては結果的に大成功だったということになるのだろう。

メディアが宗教批判に踏み込めない最大の要因は、暴力への恐れなのである。「信教の自由」は、この恐怖を糊塗するためのお題目にすぎない。

オーム真理教が極端な例だが、創価学会も、初期の頃はかなり大胆な行動をとっていた。宗教は阿片であるばかりでなく、宗教団体は軍事組織的一面がある。現在のテロも宗教戦争だもんな。

部落差別をめぐる問題はいま、救いがたい状況にある。長い間、メディアの過剰な自 主規制によって、差別構造は解消されるどころか、より一層陰湿なかたちで温存されていた。それが、ここ数年で一転して不正の追求が始まった結果、差別の構 造が一気にむき出しになっているのだ。恐怖の転倒、正義と不正義の転倒が起き、差別感情が「お前らだけがおいしい思いをしやがって」というルサンチマンと 合体して噴き出している。
同和団体の顔色をうかがうだけのタブー化と、権力の尻馬に乗った差別構造の増幅。メディアがやったことは結局、どこまでも差別解消とは逆の方向にしか作用しなかったのである。(第1章 暴力の恐怖)

「悲喜劇」という一言で片付けるわけには行かないのだろうが、差別の根は恐っそろしく深い。

支持率は政権がタブーになるための必要条件ではあるが、十分条件ではないのだ。権力がタブーになるためには他にもいくつかの条件を満たす必要がある。
そのひとつが、情報操作、メディア工作に長けていることだろう。新聞・テレビ局の幹部からスポーツ紙記者まで、さまざまなメディア関係者に接近して取り込 みをはかり、メディアが飛びつきそうなネタをリークして報道を誘導していく。内閣情報調査室、公安などを使ってメディアに謀略情報を書かせる。あるいは、 逆に恫喝と圧力で自分たちに都合の悪い報道を封殺する……。


まさに、今、安倍政権がやっていることそのままではないか。

鳩山政府が短期間で崩壊に追い込まれたのは、鳩山首相や小沢幹事長が政治と金の問 題で追求を受けたことが発端だったが、これは霞が関が主導したものだった。これは陰謀論などではなく、明らかな事実である。検察はこれまでも、自らが持つ 公訴権や捜査権を政治的に利用してきた。自分たちの作り上げた秩序を脅かそうとする相手は、無理やり容疑をでっちあげてつぶし、その権益を維持してきたの だ。
いや、検察だけではない。警察も、自分たちの意にそわない閣僚候補のスキャンダルを調べ上げて官邸に進言し就任を阻止する、自分たちの不正を暴こうとした野党議員に嫌がらせ捜査をしかける、といった謀略行為を頻繁にやってきた。


検察、公安、警察、自衛隊、財界、芸能プロ、スポーツ団体、ゼネコン、銀行、研究所、労働組合……「力」を持つものは、その力を使って権益を守る。目的のためには手段を選ばずだ。

最近のメディアは自分たちが孤立することを極度におそれるようになり、政治報道の 姿勢をますます極端なものにしている。政権が死に体に近い状態になれば、かさにかかって責め立てるが、政権の支持が少しでも回復し、相手に強気に出てこら れると、とたんに一切の批判やスキャンダル追求をやめてしまう。

安倍の支持を落とすためなら、何でもやりたい。

実は検察という組織は正義をふりかざして政治家や企業を摘発する一方、自分たちは 平気で大手企業やブラックな人脈、政治家と癒着し、組織的にタカリ行為や利権漁りに手を染めてきた。検察幹部や特捜部出身の弁護士が問題企業や政治家の顧 問弁護士になり、現役の検事と水面下で交渉をして事件の幕引きをはるヤメ検という問題……

天下り(韓国語では落下傘という)は、出来レースなわけだ。

ムネオ事件では、鈴木宗男やともに逮捕された外務省分析官の佐藤優が保釈後、週刊 誌や月刊誌、著書などで、検察の捜査がいかに恣意的だったかを暴露し、佐藤が検察を批判する際に用いた「国策捜査」という言葉は一種の流行語になった。だ が、その言い分を紹介した新聞・テレビはほとんど皆無だった。

佐藤優を野に放したことを、外務省関係者が後悔してると思うのだが、佐藤本人はテレビには極力出演しないと書いていた。「国策捜査」は、秘密保護法や共謀罪でますます流行するだろう。

欧米では、報道の自由を侵されるような問題が起きると、メディアは立場のちがいを超え、連帯して抗議の声をあげ、徹底的に戦うが、日本のメディアはそれができない。むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。(第2章 権力恐怖)

「黄犬契約」という言葉は知らなかった。大辞林には

黄犬契約[黄犬契約] yellow dog contract 労働組合への不加入または労働組合からの脱退を条件とする雇用契約。不当労働行為として禁止される。

と、ある。イエロー・ペーパーとかイエロー・ジャーナリズムというのは知ってたが、権力の犬になるというくらいの意味かな。イエローは黄色人種差別の接頭語でもある。

米国では企業が反ユダヤ主義という烙印を押されると、商品ボイコットの動きが起きたり、ユダヤ系の強い金融機関や半導体企業から取引停止を言い渡されるなど、事実上、ビジネスができない状況に追い込まれれる。

陰謀説では主役に擬されることが多いユダヤ人閥。千年以上迫害、追放された民族だものな。しかしMorris.には、いまだに、ユダヤ人やユダヤ主義のはっきりしたイメージが浮かばない。

メディアと電力業界の関係は"癒着"といった生易しいレベルではなく、完全に一体 なのだ。新聞・テレビは"原子力ムラ"の一員として、電力会社や政府、御用学者とともに、ひたすら既得権益を守ることに血道をあげてきた。これでは、電力 会社が他の企業とは比べものにならない強大なタブーになってしまったのも当然といえるだろう。
しかも、このたブー企業には、権力機関のバックアップもある。どんなに大量の広告をばらまいている企業も捜査当局が動いて事件になれば、メディアの報道に さらされてしまうが、電力会社は政界、財界、経済産業省、さらに検察、警察にも太いパイプをもっているため、不祥事や不正が事件にならないのだ。


福島原発事故以来、このタブーは消滅して当たり前だったのに、無くなるどころか、事故以前より、タブー色が濃くなったのではないかと思われる。秘密主義を強化して、より狡猾に立ちまわっているのだろう。

200年頃、福井県の高浜原発で、プルサーマル導入に反対する高浜市長と関電の間 で激しい対立が起きていたのだが、その少し後、高浜原発の警備を担当していた警備会社社長が『週刊現代』で、同発電所幹部から反対派町長の殺人依頼を受け ていたと告発したのである。だが、警察は関電側をまったく調べようとせず、逆に告発した警備会社社長らを大阪府警が恐喝で逮捕したのだ。この背景にはおそ らく、電力業界に毎年、大量の警察官が天下りしているという問題がある。

ここでも落下傘(>_<)

この構造は福島原発事故後もまったく変わらず、温存されたままになっている。一時 は、一部のメディアが原発批判や東京電力批判を開始したかに見えたが、それも今では完全にトーンダウンしている。原発の再稼働はいつのまにか既定路線とな り、東電国有化や発送電分離といった意見もどこかにかき消されてしまった。
おそらくこのままいけば、電力会社タブーはほどなく完全復活をとげるだろう。そして事故の損害賠償も再生エネルギー買い取りもすべて電気料金に上乗せされ、電力会社はむしろ焼け太りしていくのではないだろうか。

焼け太り(@_@)(>_<)ヽ(`Д´)ノ

民営化後のJR韜晦を独裁的に支配してきた葛西敬之会長は、自民党タカ派勢力とき わめて近い財界人として知られている。葛西会長は国鉄時代に政界との交友を広げ、自らも中国問題や軍事、歴史問題でナショナリスティックな政治的言動を繰 り返してきた。中でも親しいのが安倍晋三元首相で、安倍政権時代は教育再生会議の委員や集団的自衛権を検討する有識者懇談会委員を務めている。

要チェック人物ぢゃ。

自民党は1998年の参院選直後から、選挙大敗の原因がメディアの報道にあると考 えて、さまざまな対策を講じてきた。全国の党員にメディアをチェックさせる報道モニター制度を導入し、当政調会に「報道と人権等のあり方に対する検討会」 を設置。メディア規制を本格的に検討し始めた。

安倍のマスコミ、メディアへの関心の高さはこの辺りから培養されてきたらしい。

ネットもこの名誉毀損高額賠償判決の圧力からは自由でいられない。今はまだ、政治 家や企業、芸能人など、訴える側がネット上のニュースや掲示板の書き込みまでをマークしきれていないため、訴訟沙汰になるケースは少ないが、この先、その 影響力がさらに増せば必ず彼らのターゲットになる。匿名の掲示板に書き込んだ者の氏名などの公開を義務づけ、ネットにはさらに高い賠償金を課すといった法 改正も十分ありるうだろう。
そう考えると、今から10年後、この国にスキャンダルを報道することのできるメディアは残っているのだろうか。メディアはタブーでおおわれ、プライバシー 保護という美名のもと、刑事事件にならないかぎり、権力や富、名声をもつ者の不正を知る機会はない。そんな社会が出現している可能性が非常に高いといわざ るをえない。(第3章 経済の恐怖)

ゾッとしない予測。

グローバル化とは無縁に思えたこの国のメディアも、2000年前後を境に、世界を 席巻した新自由主義や市場原理主義の波に飲みこまれていったのである。そしてほとんどの新聞社、テレビ局、出版社は、10年前朝日新聞で当時の箱島社長が 宣言したとおり、「普通の会社」になってしまった。
かつては少なくとも建前としては存在していた「報道の自由」や「知る権利」を守るといったジャーナリズムの使命が、利潤追求という目的によってどこかに吹き飛ばされてしまったのだ。(第4章メディアはなぜ、恐怖に屈するのか)


金が仇の世の中であるな。
「噂の真相」は、生きながらタブーに葬られたのだろうか。沖縄在住の岡留安則は、まだまだ意気盛んだが「WEB 噂の真相」最近更新が遅れがちである。健闘を祈る。




【朦朧戦記】清水義範 ★★☆ 2015/02/20 新潮社
登場人物がダブる、9篇の短編が収められている。
前半は老人ホームのクイズ合戦や海外旅行や合コンなどの、これも結構ハメ外しのストーリーだが、後半は、擬似戦争や、団塊アゲイン党、団塊全共闘、防衛義勇団の争いで、えらくキナ臭い展開になっている。

「ええ、私なんかでも、企画を進めていてちょっとワクワクしますもんね。確かに戦 争には少なからず楽しいところがあるんです。考えてみれば、多くの人がゲームを楽しんでいるじゃないですか。スマホのゲームとかゲーム機のゲームです。あ のゲームが、半分はパズルだったり、カーレースだったりだけど、あとの半分は喧嘩と戦争のシミュレーションですよ。すごく多くの人が、三国志や、専属武将 のゲームをしたり、巨大モンスター仲間と協力して倒すゲームをしているんです。それは戦争が娯楽だからですよ」
「そうだな。だから70年もやらないでいると物足りなくなってきて、集団的自衛権なんてことを言いだし、やれるようにしたくなるのかもしれん」


こうなると、かなり安易な発想だし、集団的自衛権に繋げるあたりも、見当違いである。清水作品は当たり外れが多い。これは外れだと思う。
Morris.は前の「やっとかめ探偵団」シリーズみたいなものと思って読みだしたのだが、どうも様子が違う。清水悪ノリし過ぎではないかと思った。




【関東大震災の想像力】ジェニファー・ワイゼンフェルド 篠儀直子訳 ★★★★ 2014/08/20 青土社
Gennifer Weisenfeld,Imaging Tokyo and the Visual Culture of Japan's Great Earthquake of 1923
(Univesity of Callifornia Press,2012)
「災害と復興の視覚文化論」という副題がある。中央図書館の三階で本書を見つけ、まず150点以上ある図版に惹かれてしまった。今日のヴィジュアル読書と いうことで、ソファでぱらぱらと見ているうちに、内容も興味深そうだったので借りてきた。著者は米国プリンストン大学で日本美術史で博士号とった人物で、 MAVOに関する著書もあるとか。

1923年の震災の震度と被害の甚大さは、日本の近代史において抜きん出ている。 それどころか、20世紀前半における世界最大の自然災害の一つである。それどころか、20世紀前半における世界最大の自然災害のひとつである。死者数と物 理的被害の面では、いまなお日本国家最悪の自然災害だ。だが2011年3月11日、マグニチュード9.0という前例のない大地震が日本の東北地方を襲い、 その後も強い余震が何百回となく続いたのを見て、自然を前にした人間の無力さを、世界はあらためて思い知らされたのだった。
わたしの研究によれば、1923年の震災への視覚的反応からは、以下のことが読み取れる--災害は都市改革、社会改革、政治改革、道徳改革におけるさまざ まな思惑と論点を明確にする機会を、個人や社会、国家に提供するのだと。災害のあとは誰もが評論家になる。その評論が、国家回復の集団的レトリックによっ てつづられているとしてもだ。1923年における評論と2011年におけるそれとの驚くべき類似性--政治面での不適切さと不正の告発、現代社会の道徳的 堕落への言及、科学技術の傲慢さがもたらす陥穽の指摘--は、過去と現在との強力な類似性を明らかにしている。(まえがき)


原書の発行が2012年だから、まさに執筆中に東日本地震津波原発事故が起こったということになる。グッドタイミングというのは不謹慎だが、タイムリーな ことは間違いない。Morris.は本書を読みながら、先の東日本大震災と、Morris.自身も罹災した神戸震災のことを常に頭に置きながら読み進める ことになった。

震災を単なるローカルな悲劇ではなく、国民的出来事へと構築するには、全日本人の 連帯が必要であったが、この構築においてイメージはまさに中心的役割を果たした。マスメディアと新たな科学テクノロジーは日本の悲劇をグローバル化し、世 界中の共感と同情を集めた。災害イメージは視覚的権威(ヴィジュアル・オーソリティ)の枠組みを打ち立て、この国民的カタストロフィへの政府の対応を正当 化した。だが、災害は政府だけの領分ではない。皇室から左翼アヴァンギャルドに至るまで、公的・私的なさまざまな存在が、この震災を用いてみずからの持つ 未来像を唱道したのであった。

災害写真は記録し、伝達し、表現し、くすぐり、動員し、保存し、記憶する。生成の 瞬間においても、提示と消費のさまざまな文脈においても、多様なあり方で機能する。写真は過去の、現在の、未来の痕跡を持っている。見る者 (viewer)は未来の行動可能性を具現化した存在であるが、写真は見る者の今という時間的位置を強調し、そうすることで、切迫感を伝えると同時に距離 の感覚を補強する。このパラドクスは、歴史的指標(インデクス)としての写真に関するヴァルター・ベンヤミンの思索を想起させる。その思索において、ベン ヤミンは次のように述べていた--「「正当な」歴史理解の状況にわれわれが関わることができるのは、まさにこの歴史提示の中断と爆発」の瞬間においてであ り、「この理解は時間の真実をわれわれに提示し、歴史とはわれわれが決して立ち会うこのとできない何かなのだと語ってくれる」

ベンヤミンが出て来たので、ちょっと嬉しくなった(^_^;) Morris.も「複製技術時代の芸術作品」にはしびれたもんね。

地図とは、社会的・政治的利害に形態を与えるための視覚的提案である。中立的に見 えるけれども、客観的でもまったくない。数多くの研究によれば、地図はある境界を持った統一体を示しているといいながら、実際にはそれを生産していること で、知を、さらには権力をも自然なものに見せかけている。
マッピングは別々の存在を結び合わせる。1923年には、ばらばらだった町や県を統合して関東地方という合成体を作り上げ、他のいかなる自治体をもしのぎ うる国家的重要性を持った地方を誕生させた。--歴史家の成田龍一もまた、この地震が「関東大震災」と再命名されたことのなかに、同じ戦略的動きを見てい る。


巨大災害の命名は、イメージ的にも政治的にも歴史的にも大きな意味を持つ。東北ではなく「東日本」大震災と呼ばわせるように仕向けたのは政府とマスコミ が、東京も被害地だと認定させるがためではなかったろうか。1923年の地震が「関東地方」という合成体を作り出したという指摘には意表を突かれた。

災害それ自体はパラドクスだ。破壊であると同時に建設であり、性質上、恐ろしいと 同時に崇高でもある。物理的荒廃と心理的トラウマを引き起こすと同時に、内省と刷新のための空間を創りだす。災害後の社会的大変動は、疑いなく、創造の肥 沃な土壌である。そして、土地や都市、人間の身体へと残酷に刻みつけられたカタストロフィの物理的な傷跡は、嫌気をもよおさせるようなものであると同時に 魅惑的なものでもある。
日本史上のさまざまなカタストロフィ的出来事に対する文化的反応を見ていくと、自然災害と人為的災害との区別が曖昧であったことが明らかになる。最近全世 界で頻発している自然災害が、社会および国家の落ち度と責任の問題を前面化している現在、これはとりわけタイムリーな論点だ。人間の介在があるときのみ、 自然現象は人類にとっての「災害」となるのであり、だからその意味において、純粋な自然災害というものは存在しないのである。(序)


「創造的破壊」という言葉を思い出した。純粋な自然災害は無いという論旨は、納得できるが、福島原発事故は100%人災である。災害の両面性(パラドクス)は、確かに存在する。問題はバランス感覚かも。

北原糸子は安政大地震の鯰絵に存在する別々の、しかし互いに連関し合っている二つ のメッセージを特定した。それらはすなわち、幸と不幸である。天からの使者としての「大きな」ナマズを人々が敬ったのは、それが有害な社会悪を暴き、最終 的によりよい社会をもたらすからだった--一般的に上層の階級、とりわけ武士階級が持っていた見方である。これに対し、災害の無数の不幸の象徴である「小 さな」ナマズを人々からののしられ、攻撃された--こちらは一般的に労働者階級の見方であった。しかし多くの鯰絵は労働者階級の苦境に同情的であり、富の 再分配を促進するポジティヴな出来事として地震を見ていたのだ。(第一章 日本における地震)

地震と鯰の絵にも二面性があるということか。

これはポール・ヴィリオが「世界を悲しみで包む大異変(カタクリズム)と大惨事 (カスタトロフィ)のメディア・スケール」と呼ぶもののすぐれた実例である。これらの視覚イメージは、のちに長きにわたって持続することになる、災害を表 す際の視覚的言い回しと視覚的モチーフの総体を成文化し、まそれによって、関東大震災と呼ばれる出来事が集合的に形成されることになったというのがわたし の主張だ。カメラとテクノロジー的視覚化技術によってもたらされたさまざまな見方が、視覚的権威を行使し、人々の震災に大きな影響力を持った。

そうそう、ヴィジュアルの力はとんでもなく大きい。歴史記憶を決定づけるものであり、一度定着すると、それを変更することはほとんど不可能に近い。それだ けに、自分の都合の良いように、誤解させる、あるいは、不都合な部分を隠蔽するための、イメージ操作が常に起きる可能性があるということだ。

スーザン・ソンタグによれば、「われわれはノンストップのイメージ(テレビ、ストリーミングビデオ、映画)に取り囲まれているが、こと記憶という点になる と、深く食い入ってくるのは写真である。記憶はコマ止めを行なう。その基本単位は一枚のイメージなのだ。情報過剰の時代にあって、写真は物事を素早くとら え、それを記憶しやすくコンパクト化することができる。写真は引用のようなもの、あるいは警句、あるいは諺のようなものだ」


おお、ソンタグも懐かしい。ベンヤミン読もうと思ったのも、彼女の「写真論」に出てきたので読まねばと思ったのだ。写真が「引用」「警句」「諺」という比喩だけでも素晴らしい。

第一次世界大戦中に発展した「軍事的知覚の兵站術」は、適切な弾薬補給と同じくらい戦略的に重要なものだった。「監視機械」としての航空機搭載カメラは、写真の眼を兵器へと変える。

現在は静止衛星が、宇宙兵器ということになるのだろう。

9月1日の地震発生直後、ニュースの流れを管理すべく、日本政府は「協力依頼通 牒」を発布し、すべてのメディアを実質上政府の公式組織のようなものへと変換した。平静を保ち、混乱を防ぐため、特定の種類の情報や、遺体の扇情的イメー ジの公開が禁じられた。国家によるメディアの管理と厳しい検閲は、11月のおわりまで、地震の二か月以上続く。国民家族国家の家長たる天皇を有する、賢明 かつ威厳ある皇室の統治下で社会が団結するよう、政府の支援を得たマスメディアはただちに道徳キャンペーンを開始した。このキャンペーンは実質的に、国家 全体の利益と折り合わない活動を消去ないし非難する、一種の社会コントロールであった。

現在のマスコミの、遺体報道の大元はここらにあったのだろう。情報操作は太古の昔からあったのだろうが、民主主義の世界においては、さらに複雑なものとなっている。「陰謀論」などというのも、その派生物かもしれない。

情け深い「政府による保護」を装って公布されたメディア規制のせいで、震災後二か月のあいだ、朝鮮人虐殺の直接的報道はまったくなかった。植民地臣民は同化政策を強いた帝国の内部構造にすでに位置づけられており、彼らの労働は搾取され、自立性は抑圧されていた。
視覚文化は彼らの日本への従属を消去というかたちで要約表現したのだ。それでもなお、回想録の類のなかで繰り返し語られている朝鮮人虐殺のヴィジュアリ ティは、この虐殺を伝える最も強力な側面のひとつだった。火災による焼死体とは明らかに異なるその遺体が、意図的な拷問や暴力を克明に証言している。-- その手は縛られ、鼻は切り落とされ、目はえぐられ、腹は切り裂かれ、四肢は切断され、皮膚には無数の傷がついていた。人々は--そのなかにはこれがトラウ マとなった子どもたちも多くいたのだが--この残忍な殺戮を目撃しただけでなく、道端に捨てられた遺体も見たのだった。

関東大震災時の朝鮮人(一部中国人や間違えられて殺された日本人も含む)の虐殺は、上記のような、報道規制で、その実態は非常につかみにくくなっている。

罪なき者の犠牲という言説は、1906年のサンフランシスコ大地震から9・11の テロ攻撃に至るまで、歴史的悲劇を語る国家的物語にも見ることができる。メディアの視覚的権威は、復活と団結、罪のなさという概念を--実際にはその反対 を表わす証拠が圧倒的に存在していたにもかかわらず--不朽のものとした。

福島原発事故のように、責任者ははっきりしているのに、誰も責任をとらない。どころか、被害者面して、開き直っている。「語る」は「騙る」ことでもある。

アメリカ赤十字社のような、道徳的に高い価値観を持つ慈善的で人道的な組織であっても、その募金活動の大成功は、センセーショナルな大衆文化を積極的に使 い、人々の感情を操作することで達成されたのだった--その形式はしばしば、大衆向けエンタテインメントと区別のつかないものだった。
イメージの生産と消費は、たとえそれが強力なダーク・ツーリズム的傾向を生み出したとしても、災害後の対処プロセスの重要な一部分だった。
この出来事のイメージ化においては、目に見えることができるすべてのものと引き換えに、多くのものが隠されたのであり、そうした消去が同時に何事かを露呈してもいると言える。(第二章 カタストロフィのメディア・スケール)


「ダーク・ツーリズム」。野次馬根性だけではすまされないだろうが、惨事のエンタテインメント化、それが、多くの人の同情心(うわべだけのものとしても)を誘うというのも事実だろう。

スペクタクルが生み出すのは見物人(スペクテイター)であり、それは参加者とは異なる。
スペクタクルは言うまでもなくエンタテインメントの問題だ。そしてまた、センセーションがパッケージ化され消費されるのだから、商品化の問題でもある。緊 急事態において重要な公共的役割を果たすニュースメディアもまたまさに大災害の情動的、扇情的側面を利用し、利益につなげてきたのだった。
危機と恐怖をスペクタクルを通じて生産することで、利益を得ようとするのはマスメディアだけではない。たとえば、セイフティ・ネット商品を関東大震災のあ とに提供した日本の保険会社や、大衆のパニックを、政府権力と治安国家の拡大へとつなげようとした帝国政府当局がそれだ。元東京市長である内務大臣後藤新 平は、都市刷新と防災の名の下に、東京の都市計画を根本から徹底的に見直そうとさえした。

「スペクタクル」は映画やドラマの惹句くらいにしか思っていなかったし、「大辞林」にも「映画や演劇などの豪華・壮大な見せ場。また、そういう見せ場のある映画や演劇」とだけ記されている。古い研究社の英和辞典では

spectacle
1.光景、美観、壮観、奇観、見もの
2.(大仕掛けの)見せ物
3.見るもかわいそうなもの、みっともないもの、不快な光景
4.眼鏡(複数形で)
5.色めがね、独特の考え方(複数形で)


と、なっている。そういうものを見物する人がスペクテーター、つまり観客なわけか。

モダニティはそれ自体、新テクノロジーの現在進行形のスペクタクルである。新テクノロジーには、戦争においける兵器から、急発展するメトロポリスまでもが含まれ、資本主義という動力と手を取り合って、独自の「創造的破壊」を創りだしてきた。
群衆、兵器、列車、摩天楼、写真、映画--これら近代の視覚的スペクタクルは、進歩の名の下に近代が行使する破壊能力を絶えず思い起こさせる。関東大震災による物理的断絶は、これを再度思い知らせ、拡大して見せた。(第三章 スペクタクルとしての災害)

本書では1.2.3.に天変地異、戦争、群衆、列車などが加えられているわけで、つまり一種の制御不能なエネルギーみたいなものをスペクタクルに負わせているようだ。

震災からおよそ10年のあいだに、一連の治安維持法が制定、改正されていくが、と りわけそのなかでも、ロシア革命後日本で盛んとなり、国体をおびやかすものと考えられていた左翼運動の取り締まりを目的としたものを、「軽佻詭激」から国 を守れというこの要求は正当化することになる。

東日本震災の後に、秘密保護法、戦争法案などが矢継ぎ早に採決されていることとの、相似を思わずにいられない。

政府は明らかにこの災害を、道徳的・社会的改革の機会として利用することを望んで おり、とりわけ国民教育システムに着目していた。震災からちょうど3か月後、文部省は国民教育カリキュラムへの使用を目的とした三巻本『震災に関する教育 資料』を刊行する。教育者たちはこの震災を、道徳教育強化の好機と考え、天皇への忠誠、犠牲、勇敢さを、尊ぶべき価値の三本柱として強調した。

安倍政権の3本の矢(けっ!)のひとつが教育であること、道徳教育強化の好機と考えてることなど、恐ろしいほど似てるぞ。

バラックは1923年の震災後に生まれた新しい言葉であり、以後日本で広く用いられるようになる。
バラックは、震災で最も被害を受けた地域である、東京の下町に集中していた。最大のバラック村の一つができたのは皇居周辺だった。


バラックが関東大震災語の新語というのは知らなかった。
本書の小見出しに 「バラック・ユーモア」「バラック装飾」とあったのには、大笑い(「ブラック・ユーモア」「パロック装飾」の連想)が、当時、今和次郎を主導者として「バ ラック装飾社」という、建築家のグループが誕生し、いくつかの画期的デザインの建物が造られたとのこと。

今和次郎はバラックの簡素さに刺激を受け、「素朴な生活」の美を熱狂的に謳った。今は、丸裸にされたバラックの状態に深遠な精神的意味を見出して、貧困が 持つ素朴さを理想化し、最低限のレヴェルで生きることの崇高さを肯定した。彼はバラックのむき出しの環境に偉大な美を見ていて、これを農村の貧困生活が持 つ尊厳と結びつけていた。
今の考え方は、ヨーロッパの重要なデザイン理論家、ウィリアム・モリスとアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデにとりわけ多くを負っているように思われる。

清貧の思想だな(^_^;) ウィリアム・モリスが出てくるのも嬉しかった。

震災後の共同体は利他的だったのだろうか、それとも腐敗的だったのだろうか? 英雄的な生存者、忠誠心ある帝国臣民、いたわり合う家族、寛大な博愛主義者、共感する藝術家、社会的団結の唱道社者、労働者階級の擁護者といった者たちの 表象は、利他的な日本というポジティヴなイメージを無数に作り出す。だがそれと同時に、無法な自警団、偏見を持つ植民地主義者、ミソジニスト(女性嫌悪 者)、暴利をむさぼる者、政治ゴロ、人々をおびやかす存在としてのモダニストといった表象は、共同体に根深い腐敗的性質を暴き立てている。(第五章 災害は誰に利するのか)

まあ、性善説と性悪説みたいなものか。

東京が大カタストロフィ後のお決まりの段階--救援、復旧、再建、追悼/記念-- を経るにつれて明らかになったのは、復興において何よりも優先された生産至上主義的エートスは、都市の発展と刷新を正当化することを目的としており、権威 付けされた災害からの「前進的物語」(progressive narrative)--創造的破壊という近代のロジックの強制的反復--を生み出していたということだった。最終的に、これはこの出来事のメタ物語とな り、個人の利害と犠牲とを震災それ自体の記憶で包みこんでいったのだが、そうなったのは激しい論争プロセスを経てからのことだった。そしてそのプロセスに おいて東京の住民は、視覚文化の領域における観客でもあり、パトロンでもあった。

権力の思惑と、東京住民との綱の引き合いで、それなりに住民も善戦したということだろう。

カタストロフィのトラウマは甚大だったけれど、政府官僚の多くはこれを、首都を合理化し近代化するための、思いがけなく幸運な都市計画の機会だと考えた。
首都改良に向けての楽観的感覚は、復興プロジェクトを回顧的に語った多くの文献に表われているが、首都の歴史性や江戸時代にさかのぼるそのルーツへの愛着は、それらの文献にほとんど見られない。


神戸震災後の区画整理でもそうだったし、東日本震災後の現況を見るに、権力の考え方の本質は変わってないことがわかる。

1924年の「震災居復興展覧会」は、地震の瓦礫や、震災を耐え抜いた日用品を展示するというセンセーショナルな展示方法の先駆けであり、震災がもたらした身体的トラウマの視覚的証拠を提供していた。
会場には、恐ろしい死のスペクタクルに惹きつけられた人々が群れをなして押し寄せ、震災のダーク・ツーリズムの新たな局面を呈した。一時間あたり3000 人の入場があり、初日だけで入場者はおよそ3万人にのぼった。混雑のあまり陳列ケースのガラスが割れ、混乱のなかで貴重な物品が行方不明になった。展示物 が伝えるトラウマの本能的美学は、入場者から強烈な感情的反応を引き出していた。入場者たちの多くは自身も被災者であり、この恐ろしい経験の共有と、喪失 に対する心理的埋め合わせとを求めていた。展示物が放つアウラ的性質が感情的暴動に火をつけ、喪失感を抱える群衆を扇動的な暴徒へと変えたのだった。(第 六章 復興の視覚的レトリック)

災害の痕跡を髣髴とさせる遺物を展示して、それが大衆の記憶の代替物となる。「聖遺物」の大衆化。実はMorris.も、こういったものへの嗜好癖がありそうだ。

記憶の忘却的側面をいたずらっぽく想起させるのが、みずからの編集する雑誌『変態知識』の震災一周年記念ん号表紙に掲載された、宮武外骨の実験詩「大地震 記念としての作り事」である。「転覆の活字を拾ひ寄せた」箱」という五七五調の言葉が付されたこの詩は、MAVOなどの集団による、視覚的な前衛文学実験 を真似て(というよりも、おそらくパロディにして)いる。文字を並べ替えるパズルを解くときのように、ごちゃまぜの文字のなかからフレーズが浮かび上がっ て意味のある物語を作り出し、この一年間に起こった不調和な出来事が記念される。


宮武外骨、すごい!! 活字や新聞記事をデフォルメしたり、モンタージュするなどのデザインは、彼の得意技だが、この震災一年後のこの作品、それも表紙に堂々と披露する勇気は天晴れ、というしかない。これは下に図版引用しているのでじっくり見て欲しい。

1930年3月の、東京の完全復興を祝う式典と、本所被服廠跡に公的な震災記念建 造物が落成したことを頂点とするこのプロセスには、内在する二つの文化的緊張が明らかになる。ひとつは宗教的追悼/記念と歴史的追悼/記念との緊張関係で あり、もうひとつは過去の記憶化と未来への祝福とのそれである。(第七章 追悼/記念)

戦後日本の太平洋戦争の処し方もこれに倣っている。しかも東京空襲の戦死者は、関東大震災の震災記念堂に合祀された。これは、震災被害者と、戦災被害者を等質のものにしようという意図が見え隠れする。

山本唯人の研究を土台としつつ、カラカスは、死者たちのために記念館を造ろうとす る遺族たちの草の根運動の発生を丁寧にたどっていく。その運動を彼は、東京を「忘れない都市」にしようとする試みだと記述するが、同時にまた、日本人に幅 広く見られる、根深く厄介な記憶喪失的衝動--それは広島の原爆との関連で米山リサが見事に解読した衝動に近い--をも見出している。激怒する遺族たち は、筋道のとおらない主張をせざるをえなかった。亡くなった者たちは、彼らを戦争への動員へと駆り立てた、虚偽に満ちた軍事政権の忠実な臣民であり、かつ 罪のない犠牲者だったという主張である。日本の軍事エリートを非難しながら、帝国主義的拡張と戦時の侵略に対し民間人が共犯関係にあっった数十年間につい ては積極的に忘却するという、都合の悪い部分は削除したかたちでの慰霊を遺族たちは求めた。山本によれば、彼らはまた、平和を記念するモニュメントのなか で英霊を讃えることで、戦争の展示と追悼との緊張関係を減じ、戦争の意味を犠牲者の悲劇と未来の平和へと転化したのである。

「日本人の記憶喪失的衝動」。嫌なことは忘れて、都合の良いことだけ覚えておく。あるいは変質させる。もっと端的にいうならば「忘れっぽさ」ということになる。

最近の教科書は、震災時の朝鮮人虐殺について本文中で短く言及したり、本文脇の短 いコラムのかたちで掲載したりしているものの、そのほとんどは、極度のカオス状態のなかで「ならず者」から成る自警団員が行った不幸な行為として取り上げ ているか、または主体の特定を避けるために殺害を受動態で語っているかである。たいていの場合、残虐行為における政府役人の共犯性は掘り下げられず、ま た、植民地臣民を標的とすることを可能にした排外主義的イデオロギー構造を、日本帝国主義がどのように生み出したのかというより大きな文脈も検討されては いない。

少なくとも、Morris.の高校時代の歴史教科書には全く記述がなかったと思う。

戦後、震災記念はまたしても、国家危機管理と結びつけられた。1960年6月、日本政府は、国民の意識を高め、防災教育を進めることを目的に、9月1日を防災の日と定めたのである。
関東大震災という出来事が表面化させた深い社会的・文化的・歴史的意識から教訓を学ぶ機会を国民が得ることのないまま、妥協的に出来上がった本所の記念館 のなかに、簡略化され削除された教科書のなかに、お決まりのこととして繰り返される防災行事の文化の中に、関東大震災の記憶は、物言わずとどまりつづけて いる。(第八章 エピローグ)


これが本書の結語である。日本人が忘れていることを、アメリカ人が、これほど、広く深い考察と、貴重な資料を集成して、刊行してくれたことに感謝したい。

関東大震災90周年にわずかに先んじて原書は出版されたわけだが、「まえがき」に あるとおり、原著者がこれを執筆しているまさにそのとき、日本は東日本大震災に見舞われた。かくしてこの本は、元元有していた啓蒙的・学問的価値に加え、 偶然にも刺激的な同時代性をもまとうことになった。この翻訳書が出版された時点で、日本に住むわれわれは震災後の時期を生きている。本書であぶり出される 震災と復興のヴィジュアリティは、われわれが経験した、そしていま経験しているそれとどのように類似し、どのように異なるのか。われわれの生きている時代 がどのような時代であるかさえも本書は考えさせるものだと思うが、これらの論点についての考察は、読者のみなさんんひとりひとりにゆだねたい。(訳者あと がき)

本書が提示してくれた数々の問題や事実を、いま現在の復興に活かすのは、ひとりひとりに(Morris.にも)委ねられてるわけだ。
本書の価値は、以上の考察の深度にもあるが、やはりヴィジュアルな図版の圧倒的喚起力に負うものが多い。現物を見てもらうしかないが、雰囲気のかけらでも感じてもらうため、サムネイルサイズで以下に6点ほど引用しておく。


横浜駅 1923 

丸の内 1923 

「帝都大震災画報」1923 

「大正大震災画報」1923 

バラック装飾的デザイン 

「変態知識」1924 



【脳力のレッスン156 特別篇 江戸期の琉球国と東アジア、そして沖縄の今】寺島実郎 ★★★★ 岩波書店「世界」2015年4月号。
日記に書いたように、この記事を図書館で立ち読みして、その内容の濃さに圧倒されて借りてきた。7pなのに、沖縄の歴史と、立場と、これからの方針など、正確な知識と見識にはは恐れいった。
15世紀、1429年尚巴志(しょうはし)が沖縄本島を統一して、琉球王国を建て、それ以後明治政府による「琉球処分」(1879)までの450年間は、東シナ海の独立国として存立していた。ということから論が始められている。
徳川幕府初期1609年、薩摩の琉球出兵に敗れ、時の尚寧王は本土に連行され、駿河で家康、秀忠に面談を強いられ、その後薩摩に2年間拘留され、盟約書(奄美大島他五島割譲と薩摩への貢租を定める)によって、実効支配することになった。
琉球を薩摩の領地として日本に併合しなかったのは、幕府の明国への配慮と、薩摩の思惑がからみ合っていた。

薩摩侵攻以降の江戸期の琉球王朝は、日本の幕藩体制の中で藩籍が与えられたわけではなく、あくまで独立国なのだが、「附庸」として薩摩に制御され、一方で中国に朝貢を続け、明から清への変化を受けながらも中国の冊封体制に組み入れられていたという「両属国家」だった。
この270年間にわたる「日中両属性」という時間が、ファジーな中を生き抜くという沖縄の性格を熟成し、歌舞音曲に象徴されるたくましい文化を生んだ。

沖縄、ではなく、琉球。たしかに琉球は外つ国だった。

1853年浦賀に向かうペリー艦隊は、5月26日上海から那覇に入港し、7月に浦賀で開国を迫る交渉の後、回答を一年待つということで、一旦那覇から香港 に戻り、翌1854年3月浦賀で日米修好条約締結し、函館まで周回して7月に那覇に帰還し、琉球との米琉修好条約を締結している。

これも初めて知った。ペリーの航跡もほとんど知らずにいた。

明治維新で、琉球は「琉球藩」として日本の領土に組み入れられ、さらに1879年「琉球処分」で「沖縄県」になった。このとき王家一族は東京に退去させられた。
曲がりなりにも独立国であったものが、明治になって唐突に琉球藩とされ、さらに琉球藩から沖縄県にされる経緯を考えれば、「琉球処分」が幕藩体制下の藩や士族制度を失うだけではなく、「国を失う」衝撃だったことに気付かされる。


「故国喪失」。朝鮮も、台湾も一時期、国を失って(奪われて)いたわけだ。その加害者である日本人として、両国に対するとき、これを忘れてはならない。

こうやって日本近代史に巻き込まれた沖縄の行き着いた悲劇がアジア太平洋戦争における沖縄戦だった。

敗戦後の沖縄は、1972年の沖縄返還まで米国による占領・統治の時代を迎える。実体的には今もその中にあると言えるかもしれない。


沖縄問題を考えるとき、米国において「沖縄は海兵隊の島」という認識が潜在していることを知る必要がある。
海兵隊は戦後、一度解散された後、1953年に朝鮮戦争を背景に第三海兵団として再結成されて日本本土に配置され、1957年に沖縄に移転した。


沖縄とアメリカの尋常ならざる因縁、「捨て石」と形容される沖縄だが、日本人は、やはり、沖縄を、どこか異国として見ているようだ。

2009年の日本における民主党への政権交代が失敗に終わったのも普天間移設を巡 る迷走が主因であった。鳩山政権の挫折の本質は、この問題を「沖縄の負担軽減」としか捉えきれなかったことである。「最低でも県外移設」という鳩山の真情 が本気だったとしても、米国の既得権益確保へのこだわりと「現状維持こそが国益」との固定観念に凝り固まった日本側の外務・防衛官僚の羽交い締めによって 政権内の結果が崩れ、「米軍は東アジア安定の抑止力」という建前論での「辺野古移転容認」という腰砕けに終わったことの責任は重い。真に踏み込むべきは、 在日米軍基地の在り方を再点検し基地の段階的縮小と地位協定の改定を進める日米戦略対話の実現であった。
どこかに普天間の移転先を求めて迷走する次元の話ではなく、冷戦終結後のドイツがすべての在独米軍基地の使用目的と必要性を俎上に乗せて、基地の縮小とド イツの主権回復に踏み込んだごときアプローチが必要であった。世界の多くの政権交代を経験してきた米国は、日本側からのそうした問題提起に一定の覚悟をし ていた。ところが鳩山政権は「基地問題の歴史的転換を図る」という政権公約を見失い、続く管・野田政権は「米国の虎の尾を踏んではならない」という怯えと 萎縮の中で「政治的現実主義」の名の下に、「既に決まっていることは今まで通りで良い」という裏切りに堕してしまった。


民主党の政権獲得から転落までの泥仕合を振り返る気にもならないが、Morris.は鳩山がずっとトップにいたら、と思わずにいられない。
「辺野古移転」を最後まで反対の立場を貫いて欲しかった。民主党内部での足の引っ張り合いも、見苦しかった。政権復帰してからの自民党や保守系評論家、 ネット右翼などからのバッシング(罵詈雑言)は、目に余る。前の話ではなく、つい最近も鳩山をゲストに迎えた会合でも街宣車などが繰り出したと聞いた。

私は「反米・反安保・反基地」というかつての「革新」勢力の三大話を蒸し返してい るのではない。新たな局面が見えているのに、戦後70年も経って外国の軍隊が占領軍のステータスのままに存続していることに問題意識を抱かない国は独立国 とは言えない、と語っているのだ。もちろん、東アジアの安定のために日米同盟を賢く「抑止力」に利することも大切である。そのために、日本における全米軍 基地を再点検し、21世紀の東アジアの安全保障を睨んで基地の段階的縮小と地位協定の改定を粘り強く提起し、その中で辺野古の位置づけを議論すべきであ る。

Morris.は「反安保、反基地、反原発」の三題噺にこだわってるが(^_^;) 日本は独立国ではないんだろうな。日米同盟を利用するのではなく、利用され放題になりそうな気配でもある。

「日米同盟のためには沖縄が犠牲になっても仕方がない」などと安易に考えてはなら ない。今、なすべきは筋道の通った情熱で米国と向き合うことだ。確かに短期的利害として、7割の駐留経費を受け入れ国たる日本が負担し、占領軍のステータ スに近い地位協定を享受する基地を失うことはペンタゴンの官僚からすれば容易に譲れないであろう。海兵隊は沖縄に集中しており、その基地縮小となれば米軍 内の陸・海・空・海兵の力学の調整問題も生じる。だが、大切なのは日本側の意思と構想力である。日本の自立自尊とアジアの安定を見据え、21世紀の日米同 盟を再構築する視界が問われる。課題は日本自身が冷戦型の思考回路からいかに脱却できるかなのだ。

安倍政権の日米同盟のとらえ方は冷戦時代そのままである。しかも、自分の都合のいい「親方星条旗」思考であり、現実が見えていない。
沖縄を「捨て石」とする方策は戦前の思考そのままなのかもしれない。

同情や贖罪意識で沖縄を論ずることは、別次元での「日本中心の中華思想」であろう。

同情より贖罪より、現実を知ることから始めなくては。

72年の「沖縄復帰」から40年余、本質的な意味で祖国とはいえない日本への「復帰」に期待した沖縄人の心情が、敗戦後苦しみながらヤマトンチュ(日本人)たる我々も襟を正さねばならない。

日本と共に歩むことが沖縄の希望となるように努力する、それが沖縄を翻弄してきた日本が沖縄の問いかけに答えることではないのか。基地問題の解決なくして戦後はおわっていない。


心の底のどこかで「沖縄独立」を支援したい気持ちを抑えきれずにいるMorris.である。




【激昂のスティグマ】中山七里 ★★★ 2014/12/20 新潮社
「さよならドビュッシー」が結構面白かったので続編?の「おやすみラフマニノフ」というのを続けて読んだが、これはいまいちだった。
本書は、神戸地震が舞台になってるようなので読むことにしたのだが、東日本大震災も出てくる(^_^;)

めぐみの言説は世間知らずで半可通の域を出ない。日本人が戦争に不感症になってい るのは事実だとしても、それは先人たちがこの国に戦禍が及ばないように絶え間なく奮闘した結果であり、それを若い世代が訳知り顔で寸評する傲慢さに全く気 付かない。淳平もめぐみに近い世代なので、近視眼的な観点が尚更鼻につく。
戦争こそないものの、年間では戦死者に劣らぬ数の自殺者を出している国の何が安寧か。実際は目に見えない形での崩壊が着々と進んでおり、銃撃で即死するか緩慢に自然死するかくらいの違いでしかない。


どこかで聞いたような御説の受け売りっぽいが、こうやっていちおう社会問題を解説するのがこの人の癖のようだ。

「あれは住民の意向を無視した再開発やったんよ。神戸市がトンチンカンな計画立てて仰山のの予算使ってあんなもの建てたけど、まともにテナントが埋まら ず、それでも体裁整えようとしてタダ同然の賃貸料で他府県の企業に貸してんねん。もちろんその費用は税金なんよ。お陰であの辺の地価は下がるわ、要らん税 金使われるわで市民はえらい迷惑。結局潤ったのは一部の役人と建築業者だけ。あんな……あんな悲惨な目に遭った人たちが、また食い物にされてんのよ。」


神戸震災の復興についての言説で、登場人物は須磨区に住んでたことになってるが、どうしても長田区の再開発のことに見えてくる。これも、Morris.が最近読んだ本の受け売りみたいだ。

「悲劇にも賞味期限がある。育英会がこの国を選んだのは慧眼と言えるかな」
勝呂は皮肉を交えて言う。あの東日本大震災すら、日を追うごとに義援金の額は目減りしていく。被災地報道も扱いが小さくなっていく。
人間は感情の動物だが、感情の中で一番持続するものは怨嗟と嫉妬だ。同情や義憤はさほど長持ちしない。その意味で、新しい不幸、新鮮な悲劇に注目した育英会--是枝孝政の着眼点は秀逸と言えた。

「悲劇にも賞味期限がある」は、なかなか含蓄のある言葉だと思う。
でも、この人の作品は3冊読んで、もういいか、という気になった。




【なんといふ空】最相葉月 ★★★ 2014/08/05 PHP 2001年中央公論新社刊に追加したもの。
Morris.は彼女の「絶対音感」は興味深く読んだものの、その後はご無沙汰だったが、ちょっと前に今年出た岩波新書の「ナ グネ 中国朝鮮族の友と日本」を読んで、彼女自身への興味を覚えて、本書を読むことにしたのだ。「絶対音感」発売前後に出した最初のエッセイ集に、新しく数篇を 追加して再発行したもの。つまり15年前と数年前のものが混じっているわけだが、すでに15年前には「ナグネ」の主人公女性との出会いもあったようで彼女 に関するエッセイも数篇あった。、当時は結婚して、その後離婚したなど、いろいろ個人的なこともわかるようになっている。

たくあんと豚のバラ肉の炒め物は、テレビを見た母がまず作り、私が気に入って覚 え、二代にわたって我が家にとけ込んだ献立だ。サラダ油をうすくフライパンにひいたらにんにくのみじん切りを入れ、肉を炒めて火が通ってからたくあんを加 える。最後は醤油で風味付け。ご飯が何杯も食べられて、冷めてもいける。一週間はもつ。酒の肴にも最高。何より簡単。(旨いけど)

簡単料理レシピみたいなもので、ついメモしてしまった(^_^;) いまやこういったのはインターネットやアプリで星の数ほどあふれてるけど、15年前は結構、エッセーや小説でもこういった小ネタが使われてたな。


掛布雅之が第39号ホームランを決め、岡田彰布が二塁打で同点になった瞬間、輪転 機が回りはじめた。逆転すればもちろん、同点でも優勝が決まる。負ければ数百万円の損失になる恐れはあったが、日刊ゲンダイ大阪本社は三分の二と可能性に 賭けていた。刷りたてのタブロイド紙数万部は四台の車に積み込まれ、キタとミナミに向かった。
十回裏優勝が決まると同時に本社から「配れ」の号令が飛んだ。車で待機していた販売部員たちは各駅の売店に「阪神優勝」のタイトルが踊る新聞を配布した。
ほろ酔い気分のサラリーマンたちは歓声をあげ「六甲おろし」を合唱し、ネオン街に繰り出した。1985年10月16日、21年ぶりの阪神ペナントレース優勝を伝えた新聞第一号は「日刊ゲンダイ」だった。(まだ、虎は見える)


これが書かれたのが、優勝から15年目くらい、そして今年が30年目。当時の熱狂ぶりを思い出さずにはいられない。それにしても、今年もいいとこまで行きながら三位止まりだった。来年の金本阪神に期待したい。

昭和45,6年ごろ、神戸市灘区の団地に住んでいた。楽しみといえば、近所の王子公園へ行き、遊園地と動物園を結ぶ象の鼻を模した長いすべり台を上り下りすることだった。動物に飽きたら、その裏にある野外ホールで隠れんぼをした。(ジュリー、ジュリー、ジュリー)

半世紀ほど前に、今Morris.が住んでるところのすぐ近くで暮らしてたのか。王子動物園の象のすべり台は今でも健在だが、裏の野外ホールというのは、 今は見当たらない。キリン棟からカンガルー園に上がる広い石段になってる部分が、ホールの観覧席だったのかもしれない。Morris.がカンガルー園の上 でときどきミニギター練習やってるのがそのあたりというのも何かの縁のように思えてくる。

たとえば、蛇口から水が一滴落ちるとき。聴者は水滴が洗面器に落ちたときに初めてポトンと音が聞こえるが、ろう者の場合は蛇口から水が顔を出したときに一度目の音が鳴り始め、洗面器に落ちた時二度目の音が鳴って止むように感ずるという。
また、車のエンジン音。聴者はキーを差した瞬間から音が聞こえるが、ろう者には車が発進して動き出した瞬間から音が鳴り始めるように思える。
太陽も同様。日が昇る瞬間に音が鳴り出す。音は日が立つと書くが、日が立つ、すなわち、昇るときに音が始まり、日が沈んで暗くなると音が消えるように感ずる。
いずれも動きに音を感じ、視覚と音が密接な関係を持っているというのである。(目で聞く人)


これは確かに聴者には気づきにくい現象である。こういったネタも彼女のノンフィクションのテーマ取材から得られた情報だろう。

郵便制度が始まったのは明治4年(1871)。第一便は東海道、すなわち東京・大阪間で、所要時間は78時間だったという。それまでの飛脚便では東海道を6日間で運行したというから、この第一便がいかに画期的な早さだったかと思う。
第一便を走らせる前年の明治3年、駅逓権正(えきていごんのかみ)に命じられた前島密は、郵便制度の具体案がほぼまとまりかけたころ、まずためしに東海道に通信便を開きたいと太政官に稟議書を提出していた。
祖父に、おじいちゃんのおじいちゃんは郵便制度をつくった前島密だよと教えられたのは、小学六年生のときだった。飛脚精度を廃止したことで生命を狙われ、一時岡山の総社に身を隠した前島の世話をした地元の令嬢が、祖父の祖母だった。(赤いポストに)


前島密の玄孫(やしゃご)ということか。ちょっとびっくりである。
実家に鴨居玲の絵があるとか、鬱病傾向にあったとか、弟が不登校だったとか、いろいろプライベートなことまで書いてあった。
しかし、本書を読んで、また彼女の別の本を読もうという気にはならなかった。




【吾輩ハ猫ニナル】横山悠太 ★★★★☆ 2014/07/15 講談社。
日本語と中国語を混交した斬新な文体で、日本人の父を持つ中国の青年の成長を描く、ユーモラスな話題作。--ユニークなルビで読む者を圧倒する文章表現。クリティカルな日中文化論、そして見事な漱石論(パロディ)。

というのが、腰巻に書かれた惹句だが、まさにその通りの佳作だった。あちこちに閑話休題的エピソードの飛び石配置、浮世離れした視点、「猫」や「こころ」 のパロディなど、実に面白かったが、Morrisは、何といってもその「ユニークなルビ」にすっかり興奮させられてしまった。
とりあえず、印象に残ったものをピックアップして、「一般」「副詞的」「外来語」「固有名詞」の四つに振り分けてみた。分類は厳密ではないけど、これでずいぶん見やすくなったのではないかと思う。これまで一冊の本での、ルビ漢字ピックアップ最多記録に違いない。

[一般]
動静(けはい)、口音(なまり)、招財猫(まねきねこ)、不自由(きゅうくつ)、 下巴(あご)、手病(くせ)、接龍(しりとり)、敷衍(まにあ)わせる、弛張(めりはり)、歧視(さべつ)、伐(さが)す、壊(わる)い、蛙牙(むし ば)、有趣(おもしろ)い、外号(あだな)、顛倒(あべこべ)、胡話(うわごと)、得意面(したりがお)、玉潮虫(だんごむし)、生肖(えと)、移(ず れ)る、麻煩(やっかい)、拐角(まがりかど)、瞞(ごまか)す、山塞(いかもの)、衣柜(たんす)、土豆(ジャガイモ)、帯魚(タチウオ)、任意横行 (かってきまま)、鶏婆(おせっかい)、手表(とけい)、翻筋斗(もんどりう)つ、不対面(みっともな)い、無聊(たいくつ)、提倡(おしうり)、規尺 (ものさし)、九連環(ちえのわ)、老様子(あいかわらず)、辮子(おさげ)、黄鼠狼(いたち)、馬桶(べんき)、下流(きわど)い、五顔六色(いろとり どり)、毛硝子(すりガラス)、鍋貼(ギョーザ)、波浪(ちぢれ)る、筋道(こし)、魔芋(こんにゃく)、方法(ぐあい)、留恋(みれん)、一起(いっ しょ)、困境(はめ)、穏定(おちつき)、事情(はなし)、暴利(ぼったくり)、地板(ゆか)、脳海(あたま)

生肖(えと)、手表(とけい)、土豆(ジャガイモ)、帯魚(タチウオ)などのように、日本語の漢字とまるで違ってるものが目を引くが、こんにゃくが、「魔」の「芋」というのが興味深かった。このコーナーで一番好きなのは恋が留まるで「みれん」という奴。

[副詞的]
点々(ぽつぽつ)、各種各様(さまざま)、簌簌(ざわざわ)、翻雲覆雨(ころこ ろ)、猶豫(ぐずぐず)、五顔六色(いろとりどり)、発麻(じんじん)、乱七八糟(いいかげん)、軟軟扭扭(なよなよくねくね)、清楚(はっきり)、自然 (しっくり)、倶(つぶさ)に、相当(よほど)、一動(びく)とも、果然(やっぱり)、忽然(ふい)に、徐々(おもむろ)に、飄々(ゆらゆら)、迷迷糊糊 (うとうと)、冷笑(にたにた)、膨膨(ぱんぱん)、自行(ひとりで)に、実羞(はずか)しい、心神不定(そわそわ)、五花八門(さまざま)、湾湾曲曲 (くねくね)、揺揺晃晃(ゆらゆら)、漸漸(だんだん)、陰沈(どんより)、発呆(ぼんやり)

四字熟語が多いが、これが中国語なのか、著者の創作なのか不明である。漱石らしさのあるものが多い。迷迷糊糊(うとうと)というのが好きかな。清楚(はっきり)はちょっと意外な気がした。

[外来語]
摩尓斯密碼(モールスコード)、水平(レベル)、出祖車(タクシー)、領帯(ネク タイ)、公寓(アパート)、手機(ケータイ)、口袋(ポケット)、陽台(ベランダ)、賓館(ホテル)、奥林匹克(オリンピック)、吉祥物(マスコット)、 背包(リュック)、安装(インストール)、知識分子(インテリ)、節奏(リズム)、同歩(シンクロ)、霊感(センス)、粉絲(ファン)、銀狐犬(スピッ ツ)、跟踪狂(ストーカー)、輪郭(シルエット)、方便店(コンビニ)、口袋紙巾(ポケットティッシュ)、超市(スーパーマーケット)、信息(メッセー ジ)、平滑(スムーズ)、示意(モーション)、啤酒(ビール)、旅行箱(トランク)、青椒(ピーマン)、托盤(トレー)、薯条(ポテト)、襟辺(フリ ル)、雪紡(シフォン)、目録(カタログ)、熱身運動(ウォームアップ)、曲体(ワープ)、抗衰老(アンチエイジング)、某東西(サムシング)、空姐(ス チュワーデス)、手推車(カート)、鋁箔(アルミホイル)、汽水(サイダー)、果凍(ゼリー)、甜品(デザート)、塑料紙(ビニール)、相機(カメラ)、 名牌(メーカー)、順利(スムーズ)、算法(アルゴリズム)、站台(プラットホーム)、連衣裾(ワンピース)、老幼病残孕専座(シルバーシート)、音箱 (スピーカー)、電梯(エレベーター)、護照(パスポート)、衛洗麗(ウォシュレット)、接合器(アダプター)、猫(モデム)、演示(プレゼン)、柜台 (カウンター)、按鈕(ボタン)、語調(イントネーション)、接地(アース)、遥控器(リモコン)、頻道(チャンネル)、方便麵(インスタントめん)、手 持麦克(ハンドマイク)、動画片(アニメ)、黄色録像(アダルトビデオ)、天線(アンテナ)、目標(ターゲット)、系列(シリーズ)、迷你裾(ミニスカー ト)、手機鏈(ストラップ)、橱囱(ショーウインドー)、香腸(ソーセージ)、複写(トレース)、培訓中心(トレーニングセンター)、自卑感(コンプレッ クス)、標籤(タグ)、刹車(ブレーキ)、髪箍(カチューシャ)、沙発(ソファ)、番茄醤鶏肉炒飯(チキンライス)、芝士(チーズ)、小房(ブース)、扮 演(コスプレ)

一番多かったのがこのカタカナ語だけど、猫(モデム)というのがよくわからない。マウスからの連想なのかな?発音を写したものと、意味を表わすもののニ系列がありそう。汽水(サイダー)が好き。

[固有名詞]
馬耳達(マツダ)、沃尓沃(ボルボ)、奥廸(アウディ)、奔馳(ベンツ)、宝馬 (BMW)、捷豹(ジャガー)、雷帝嘎嘎(レディーガガ)、邁克尓傑克遜(マイケルジャクソン)、魯濱遜(ロビンソン)、苹果(アップル)、俄羅斯方塊 (テトリス)、機器猫(ドラえもん)、七龍珠(ドラゴンボール)、乱馬二分之一(らんまにぶんのいち)、全職猟人(ハンターハンター)、数碼宝貝(デジタ ルモンスター)、奥特曼(ウルトラマン)、魔人Z(マジンガーZ)、船長哈洛克(キャプテンハーロック)、肯徳基(ケンタッキー)、馬克思(マルクス)、 馬可波羅(マルコポーロ)、馬丁路徳小金(マーティンルーサーキングジュニア)、奥巴馬(オバマ)、瑪格麗特撒切尓(マーガレットサッチャー)、優衣庫 (ユニクロ)、尼康(ニコン)、佳能(キャノン)、奥林巴斯(オリンパス)、沙特阿拉伯(サウジアラビア)、阿凡達(アバター)、伊斯蘭(イスラム)、榴 蓮果(ドリアン)、獼猴桃(キウイ)、一串紅(サルビア)、鬣蜥(イグアナ)

こちらも、音と意味の二種類がありそうで、雷帝嘎嘎(レディーガガ)はもちろん音を写したのだろうけど、漢字の字面が彼女を的確に描写してるように思える。優衣庫(ユニクロ)は中国で優遇されてるのかなあ?

このピックアップ引用では、久しぶりにMicrosoft IMEの手描きIMEパッドのお世話になった。これなしではやる気にならなかったかもしれない。普通の日本語では出てこない漢字が多かったためだ。実は会 話の部分にも、多くのルビ付き漢字熟語があったのだが、こちらは、簡体字が使われていたので、パスしたのだった。

作中「先生」と呼ばれる三毛猫が登場するのだが、しばらく後に

自分は先生が郎猫(オス)なのか女猫(メス)なのかでさえ了解していないのである。

という主人公の独白がある。もちろん三毛ならメスだと思うのだが、特別の猫ということでオスということも考えられないわけではないか。
ルビ付き漢字の引用だけでは、あんまりなので、ちょこっとだけ、文体見本を兼ねて引用しておく。

国籍は日本になっていて、名前を認ればすぐ日本人だと思われる。男と女が協力して 製造(こしら)えたる宝貝(あかご)は往々にしてその中間ではなく男か女の何れかであるのだから、中国人と日本人が製造えたる宝貝もその中間ではなく中国 人か日本人の何れかであらねばならんのだろう。しかし、自分の心液はこれからも理科学習の浸透圧のごとく半透膜を穿りぬけ、往来伝去を反復(くりか)えす であろう。日本と中国が何かの競技で国際試合をすれば輪(ま)けているほうを応援するだろう。だってそれが人情というものじゃないか。自分は自分を防衛す るために敢えて国境上に胡坐を組み、其処で一人釣り糸を垂らし微睡みの裡で獲物を待つ。そうやって鈎に掛かってきた奇特な魚だけを吃ってい活きていく。そ んな人生があったとすれば、或いは自分にとってそれが理想的な人生なのかもしれない。だがこの悍馬(あばれうま)は、そんな活き方をどう思うだろう……。 本来(そもそも)そんな活き方が可能なのか……。

日本人と中国人の混血(ダブル→ハーフという言葉は差別的表現になるため)である主人公のアイデンティティ考察部分である。漱石の文体模写というほどでも ないが、本書はこれまでに何百と書かれてきた「吾輩は猫である」のパロディ作品の中で、ベスト10に入るくらいの佳作だと思う。

終盤で、秋葉原のメイドカフェのメイド相手の会話から自分も猫になって大混乱する場面は、タイトルに合わせてしつらえたものだろうが、それまでのいい雰囲 気をかき乱すに終わったきらいなきにしもあらずで、ちょっともったいないとも思ったが、ここの場面転換に使われてる、絵文字がいたく気に入った。

ΦΦ

ギリシア文字アルファベットのファイの大文字「Φ」を二つ並べたものだが、いかにも猫の目そのものである。これからMorrisも使わせてもらうことにしよう。すでに辞書登録してしまった(^^;)




【屋上のあるアパート】阿川佐和子 ★★★ 2003/01/20 講談社
何となく好感度の高い阿川佐和子だが、これを読もうと思ったのはタイトルに惹かれたからだ(^_^;)
本書に登場するアパートは3階建てで、住民の物干し場としても利用されているようだ。

「ねえねえ、こっちですよ、こっち。ほら、いいでしょう」
男がとうとう麻子を迎えにきて、肩を軽く叩いた。
「あ、はいはい」
麻子は猫を諦めて、しぶしぶ男の示す方角へと歩き出した。
「こっちはね、物干し場になってるんですよ。ここは風通しも日当たりもいい。洗濯物だってお布団だって、すぐ乾きますよ。で、こっち半分のスペースは居住 者が自由に使えることになってますからね。日向ぼっこもできるし、夜、星空を仰ぎながらビールを飲むなんて、どう? ロマンチックでいいじゃないですかあ」

Morris.の住んでるアパートはエレベーター無しの5階建てだが、屋上には木製の階段で自由に出入りできる。これを奇貨として、Morris.はここ をベランダ代わりに使いまくっている。Morris.の屋上(^_^;)は、実は、自由に利用できると明記されているわけではない。ドアの鍵がかかってな いのに乗じて、Morris.が勝手に上がって、くつろいでるわけで、スツールや折りたたみのサマーベッドなど置いてる。季節的には3月頃から10月くら いまでが賞味期間(^_^;)ということになる。
肝心の本書のストーリーは著者をモデルにした30代女性が初めてひとり暮らししながら、男女友人知人との交友(恋愛感情も含む)を、綴った、軽い読み物 で、文章も下手ではないし、エピソードもいかにも彼女らしいもので、退屈はしなかったが、これならエッセー読む方がましかもしれないと思ってしまった。




【日本語とハングル】野間秀樹 ★★★ 2014/04/20 文春新書
Morris.はこの人の「新 私服の朝鮮語」というテキストを買って一通り通読した。
本書は語学学習とはあまり関係なく、言語学の立場から日本語という言語をハングルという文字と対照させながら追求しようと試みた本のようだ。

仮名、漢字。万葉仮名に変体仮名、アラビア数字にローマ数字に漢数字。ラテン文 字、ローマ字、ギリシャ文字、振り仮名、読み仮名、送り仮名。音読み、訓読み、重箱読みに優等読み。呉音、漢音、唐宋音。縦書き、横書き、散らし書き。明 朝、ゴシック、勘亭流。王羲之、仮名書に、ペン習字。
漢字の読みも幾通りもあり、さらに「書」という藝術まであります。
このように日本語の世界は、およそ文字に関しては、絢爛たる文字の群雄割拠大聖堂(カテドラル)ともいうべき様相を呈しています。


言われてみるまでもなく、日本語くらい「読み書き」の難しさはかなりのものだと思う。その代わり?「話す聞く」ことに関しては、かなり容易なのではなかろうか。

甲骨文字から現われた漢字は、様々な書体としての「かたち」の変遷を経ています。楷書、行書、草書などいくつかの書体のうち、現在は楷書を基礎に活字など が作られています。楷行草とか、崩し文字などと言われますが、草書は楷書を崩してできたわけではなく、草書の方が先に現れたあたりは、書体の変遷からはと ても面白いことです。

これは石川九楊あたりからの流用ではないかと思われる。

Who contlors the present controls the past.--George Orwell
現在を制する者が、過去を制する。 ジョージ・オーウェル

When the rich make war it's the poor that die.--Jean-Paul Sartre
富者が戦争を起こすとき、貧者が死ぬ。ジャン-ポール・サルトル


以上は、日本語と英語と韓国語の語順を説明するための引用文だが、いい言葉なので孫引きしておく。

日本語論などでは主語のことが喧しく言われる一方で、述語のことはあまり論じられません。これも日本語論が西欧の大言語とばかり比べているからです。主語 はもちろんですが、実は述語の方こそ、アジアの大言語である韓国語や中国語と比べたり、日本のアイヌ語などと比べてみても、またいろいろ面白いことがざく ざく出てきます。


たしかに西洋言語の研究から生まれた言語学で日本語を分析するのは無理がある。東洋言語、特に漢字圏の言語独特の言語学もあり、かと思う。述語というのは日本語と韓国語は、多様性という意味で際立っていると思う。

マルチ・トラックの「話された言葉」を文字化し、データ化するのは、容易ではあり ません。音声データを文字化入力する専門的なプログラムはあるのですが、コンピュータ上でマルチ・トラックをそのまま手軽に扱える、マルチ・トラックのエ ディタやワープロソフト、表計算ソフトといったものが必要なのです。
変体仮名が使えないと、少なくとも明治以前の平仮名を含む文献について、活版印刷の活字はともかく、今日の電子的な処理では、古典を十全にテキスト化でき ていないのです。貴重な古典を現在、そして将来に生かし切るためにも、IT関連企業へのこうした点への尽力や、公的な支援が望まれます。
デジタル画像はさらに自由に、さらに高速に扱えるようになる。三次元の立体、三次元のものや空間さえも扱えるようになる。紙以前の竹簡、木簡、巻物の形の 巻子本、紐で綴じた線装本、そしてかばんのように大きなグーテンベルグ聖書のようなものまで、およそ古今東西の「書物」を三次元でデジタル化することが可 能になるでしょう。それら全てにオプションで「音」を付けることができます。

本書で、著者が一番言いたかったのは、ハイテク文化を利用して、過去の文字をそのまま再現できる環境つくりを実現しようということだったのかもしれない。 変体仮名にはMorris.も関心を持ちながら、なかなか読めずにいる。koinというフォントメーカーが、変体仮名フォントを発売しているという情報に は驚いてしまった。
これの見本はpdfファイルで一覧できる。
Koin 変体仮名外字明朝一覧表
ある程度変体仮名読めないと、明治の小説だって原文は読めないものね。




【この国。】石持浅海 ★★☆☆ 2010/06/18 原書房
一党独裁の管理国家であるこの国の治安警察官番匠が活躍する短編連作。もちろん「この国」は日本のパロディである。

19世紀半ばまで、我が国は二百年あまり鎖国していた。それが欧米列強からの圧力 によって開国し、封建制を敷いていた旧政府が崩壊したのが、1867年。新政府のスタッフたちは、いきなり国際社会の荒波に放り出された国を護るために、 各国を敵情視察して回った。そして思い知らされたのだ。自分たちが殻に閉じこもっている間に、いかに世界が進歩したのかを。
それでは我が国を発展させるためには、どうすればいいのか。敵を作らなければよい。幸い我が国は島国だ。紛争が起こりやすい国境を持たない。他国に対して はのらりくらりと対応して、侵略しない代わりに侵略されもしない。そんな方向に進めばよい。人畜無害を表明しながら、持てる力を殖産興業に注ぐ。それが新 政府の選択だった。
新政府はそのまま一党独裁政権となり、21世紀の今日まで続いている。戦争に対する考え方も同様だった。第1次、第2次世界大戦共に中立、不参戦を貫き、 ロシア革命に端を発した介入戦争にも朝鮮戦争にも兵を送らなかった。むしろ戦争をしている国相手に物質を売りつけて、せっせと外貨を稼いできた。広い国土 も資源も持たない我が国が、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国にまでのし上がった理由は戦争を捨てたことにあるのだ。


国家を発展させる。それが一党独裁政権が自らに課した、ただひとつの使命だ。そし て彼らは、国民を徹底的に管理する道を選んだ。選択は誤りではなかった。現在、発展しているのだから、そんな政府が表現の自由を護ろうとしたとき、すべて の情報を管理することによって実現させようと考えたのは、自然な成り行きだった。
政府の力が弱く、一見国民が自由を謳歌しているように見える国は、実は大衆に迎合した文化しか生まれない。そして危険な情報は地下に潜る。我が国は違う。 国がしっかりと基準を定め、潜れる地下を徹底して根絶している。だから国民は、検閲におびえることなく、妙な大衆受けを気にすることもなく、自由に表現す ることが可能なのだ。


これらが、「この国」の大雑把な歴史と管理方法で、たしかに、現代日本のパロディとしてはわかりやすい気がする。しかし、本書が出たのが東日本災害直前で あることを思えば、震災後にこんな脳天気なシチュエーション設定は出来なかったのではなかろうか。いかにも安普請である。
公開処刑やら、小学校卒業時の進路決定、東南アジア等の女性を使った国営売春機構、表現省主催の「カワイイ博覧会」等など、それなりに面白そうなアイディ アを揃えているのだが、事件が起り、その解決となると、C級アクションドラマか、対決ゲームみたいになってしまい、どっちらけである。
番匠をはじめ、登場人物も、いかにもゲームのキャラみたいで、まるでつまらない。もう読まない。



【さよならドビュッシー】中山七里 ★★★☆ 2010/01/22 宝島社 第8回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。資産家の祖父と、インドネシア地震で家族をなくした従姉妹と火事にあい、二人は焼死、自身も全身大やけど を負った、女子高生遥が、包帯だらけで私立の芸大特待生となり、新進気鋭のピアニスト岬の指導でコンクール優勝を目指す。遥を襲う不審な事件、母の事故死 などを乗り越えてコンクールに雪崩れ込む。まあ、音楽ミステリーということになり、結構Morris.はこのての筋立ては好きなので、読むことにしたのだ が、なかなかおもしろかった。

「いつまでも不幸を引き摺るな。その二本の足で立って前を見ろ。悲しい時には泣い てもええ。悔しい時には歯噛みしても構わん。しかし自分の不幸や周りの環境を失敗の言い訳にしたらあかん。前に進むのをやめたらあかん。目の前に立ち塞が るものを恐れて逃げたらあかん。逃げることを覚えると、今度は余計に怖くなる。
ええことを教えてやろう。世界中の誰にでも、世の中のあらゆる困難にも打ち勝つ唯一無二の方法があるのを知っとるか?
それはな、勝つまでやめない、ちゅうことさ。大抵のことはな、闘い続けていれば勝機が訪れるもんだ。倒されても、倒されても、その度に立ち上がっていれ ば、いつか必ず勝てる。いや、勝てないまでも負けることは絶対にない。負けるのはな、闘いをやめた時や。闘いをやめたいと思う自分に負けた時や。いや全て の闘いは詰まるところ弱い自分との闘いと言っていい」

生前の祖父の台詞。ここらはちょっと、苦手だけど、重度のハンディキャップを負うことになる主人公への伏線でもある。

「鍵盤をしっかり打つというのは日本のピアノ教育者にしてみれば強迫観念に近いも のなんだよ。曲げた指先を高く持ち上げて垂直に鍵盤を打つ。ハイフィンガー奏法というのだけど、そもそもは19世紀後半にヨーロッパでホール用ピアノが開 発された際、その重い鍵盤に対して考案された奏法だったんだ。確かに利点もある。手首を固定させて指を上下させるだけだから、音色に頓着しなければ短期間 のうちにノーミスで早く弾けるようになる。しかし、硬く突き刺すような鋭い音はばらばらになり易く、レガートの流れるような連結ができない。ところが丁度 その頃に日本がピアノを輸入したものだから、以来この国では強い打鍵がピアノ教育の常識になってしまった。そして奇妙なことに、それが今でも公然と罷り 通っている」

音楽、小ネタとして面白かった。

「形成外科は新しい医学で伝統がないから軽く見られても仕方ない。鑿や金槌、時には鋸なんて物まで使うものだから他科からは大工さんなんて陰口叩かれる始末だ。覚えておくとい。権威ある世界には必ずヒエラルキーが存在する」
「美容整形なんてテレビであれだけCM流してるし、凄く認知されてるじゃないですか」
「認知されているのは大量に広告流しているから。大量に広告流すのは、そうしないと認知されないから。サラ金と一緒だよ」


形成外科(整形外科)とサラ金を、同列に論じるあたりは、小気味良い。

「刑事さんはお幾つですか」
「私ですか? 今年でもう42になりますが」
「42。厄年だけど、見かけよりは若いんですなあ。そんなら、刑事さんのお父さんくらいの年代に当たるんかしら。その時分の人間は今と違って一徹な人が多 かったんですよ。一徹な人は、そりゃあ嫌われますよ。周囲に合わそうとせんのですから。でも軽蔑はされません。最近は言うこともすることもころころ変わる 人が多うて。古いモンからすると嫌われはしませんが尊敬はできませんねえ」


一徹者なんていう言葉、久しぶりに聞いた。大辞林には「思い込んだことは、是が非でも押し通す性質の人。頑固者。いっこくもの。」とある。そういえば、土 佐のいごっそう、肥後もっこす、津軽じょっぱりが「日本三大頑固」と呼ばれていることを思い出した(^_^)/。

本書の魅力の一つが、ピアノ名曲の演奏の叙述というか、実況中継めいた名調子で、その白眉は、岬の演奏するベートーヴェンピアノ協奏曲「皇帝」のライブ中 継描写だった。何と8ページにも及ぶということからも、作者のリキの入れ方がわかると思う。流石にこれを引用するのは無理なので、ショパンのエチュード 10の12、ハ短調「革命」の中継を引くことにする。

いきなり叩き付けるような荒々しい和音が心を貫く。激情のまま上下に動き回るパッセージが、右手の壮烈なオクターブの旋律に乗って絶望と憤怒を謳い上げる。聴き手の魂を揺さぶり、ぎりぎりと締め付ける。
1831年、ショパンはパリに向かう途中で故国ワルシャワがロシア軍によって陥落したことを知らされる。蹂躙される故郷と残してきた家族。この曲はその時の失望と怒りを即興的に表したものだ。だから全編に亘ってショパンの怒りが漲っている。
曲は左手から始まり、低い音域から音階的に進行し変ロ長調に変わる。冒頭の荒々しい和音は何度も形を変えて現れ、その度に興奮の度合いが増していく。怒り は鎮静することを知らず激昂し続ける。旋律を背景に戦禍に斃れていく民衆と崩落していく建物が見える。銃声、破裂音、そして阿鼻叫喚--観客は皆、固唾を 呑んでいる。あたしも両手を握り締めていた。
第二部に入ると曲調は大胆に転調し、猛り狂うような強奏和音が高らかに鳴り響く。パッセージの上下向が続く中、第一部が再現され、ショパンの怒りは最高潮 に達する。ハ短調に始まり、転調しながら盛り上がりそして静まっていく。瓦礫の山に累々と重なる死体。この静けさは破壊と殺戮の後に訪れる死の静寂だ。そ して、最後に叩きつけるような和音を残して、この短くも悲壮感に満ちた叙事詩は終わりを告げた。
圧巻だった。


この描写そのものも圧巻である。先のピアノ奏法への言及などからして、著者は子供の頃からピアノを学んだ人ではないかと思ったが、実は奥さんがエレクトーン奏者で、官女からいろいろ知識を得たようだ。

「君の言う通り、世界は悪意に満ち溢れている」
「…………」
「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺 せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつ頃からか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走 らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が時分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようと する。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱い者を虐めたり差別するのも多分にそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問 答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めた者の転落を悦ぶ……全部、同じ構図だ。無抵抗な人間には際限なく悪意が降りかかる」

これもまた、なかなかに鋭い現代社会批判であり、賛同する部分や教えられるところも多い。Morris.は特に「不寛容」という言葉に、目を引かれた。他 の複数の書物で「寛容」と「不寛容」に関する問題提起を読んで、いろいろ考えてたところだったからだ。身体的ハンディキャップに関しての取り上げ方も迷い がない。著者は介護探偵シリーズも書いてるらしいから、常日頃関心が強いのだろう。

「本来、人は障害者とか病人怪我人をじろじろ見ようとしない。いや、見たくないと思っている。だから視界に入ってきても、さっと視線を逸らせるか遠ざかろうとする。とにかく関わり合うのが嫌なんだね。君も、そいういうのは経験済みだろう」

こういった台詞もなかなか、書けないことだろう。たしかにMorris.にもそういった傾向がありそうだ。
日本ではニュース報道でも、死体や怪我人の映像や画像は公開されない(自主規制だと思う)ということなどにも通底するのではないかと思う。臭いものには蓋 というと語弊がありそうだが、本当の悲惨さ、酷さ、残酷さから、目をそらそうというのが条件反射なのだろう。一種の強迫観念かも。



【バカだけど社会のことを考えてみた】雨宮処凛 ★★★ 2013/09/26 青土社
阻害された青春時代、リストカットやったり、キャバクラやったりもした筆者が、ワーキングプア問題や反原発運動を通して、社会の矛盾に気づき、生活保護、 生きづらさ、自殺、女性問題、脱原発、国政選挙などを、活動の報告を兼ねて下から目線で書き綴ったもの。「バカ」を標榜してるが、もちろんこれは、低レベ ルからの発言ということだろう。

3・11以前、私たちは、そしてこの社会は、「原発反対」という声を上げる人たち に、冷たい視線を送っていなかっただろうか。「なんとなく話の通じない怖い人」というイメージは、私の中にも確実に植え付けられていた。そしてそのこと自 体が、原発推進側が仕掛けたネガティブキャンペーンが成功していたことの証拠ではないだろうか。

こういったトーンである。こういった物言いは、いわゆる有識者からは出てこない。

劣化ウラン弾がバラまかれて8年後のイラクで目にした悲劇。
日本の原発に使うウランの多くは、アメリカで濃縮しているのだという。その残りかすはそのままアメリカに置いてくるので、それが劣化ウラン弾に転用されている可能性はある。
イラクで見たあの小児病院の光景と、日本の原発、そして私たちが消費してきた電力の問題が一本の線で繋がった。


イラクまで出かける行動力も持ち合わせている。劣化ウラン弾のことは、他の本で読んだ記憶があるが、日本の原発との関連には思い至らなかった。

あの震災と原発事故は、この国の「矛盾」をあますところなく露呈させた。
被災地の高齢化、過疎化、シャッター通り化は日本の地方すべてが抱える問題だろう。そして原発事故は「都市と地方」という問題を白日のもとに晒した。これ といった産業もなく、財政の厳しい地域にしか建設できない原発。地元の「安定した雇用」としての被曝労働。まったく民主的な手続きはなく、一部の者のみが 莫大な利権にあずかり、ひとたび事故が起きれば多くの人が見捨てられる犠牲のシステム。
「原発」は、この国の矛盾すべてを孕んでいる。戦後の自民党政治的なもののすべてが凝縮されている。そんな大矛盾を突きつけられ、多くの人が立ち上がったのだ。


本書が出たのがちょうど2年前。あの頃はまだ反原発デモや集会が定期的に行なわれていた。そして、2年後の今、川内原発2機が再稼働になってしまったし、玄海原発のある、佐賀県では、再稼働賛成が反対を上回ってるらしい。喉元すぎれば怖さを忘れる人が多すぎる。

2009年の政権交代は、明らかに「自民党への懲らしめ」が大きな原動力となって いた。その3年後2012年12月の衆院選はあまりに大きな意味を持っていた。憲法改正や原発再稼動に前のめりで、弱者を切り捨て、「国防軍の創設」など を掲げる自民党が圧勝。そして政権交代。安倍内閣が発足。
運動の盛り上がりと、選挙結果の乖離という現実。このことは、私に大きな「宿題」を与えるものだった。


いささか図式的にすぎる、とはいうものの、おおむねその通りである。筆者は決してバカではない。Morris.も倣うべきところ大有りである。




【安保と原発】 石田雄 ★★★☆ 2012/03/11 唯学書房
1923青森生れ。父は戦前警視総監で、本人は学徒出陣で東京湾銃砲兵連隊で兵隊生活を経験。戦後東大法学部で丸山真男ゼミに参加。東大名誉教授の肩書を持つというエリートらしい。
「命を脅かす二つの聖域を問う」という副題があり、もともとは安保だけを扱うつもりだったのが、3・11が起きたので急遽、原発問題も合わせて論じることにしたらしい。発行日を見てもその気配濃厚である。

安保と原発の共通点
1.共に「国益」や「国策」にかかわる重大問題であり、素人には近づきにくいものとして「聖域」化され、外からの問いかけが妨げられてきた
2.公開の場で検討されることなく既成事実が積み重ねられた結果、基地周辺の事故・犯罪や、原発からの放射性物質の放出など人間の生命を脅かす結果を招くことに至った
3.生命の脅威にさらされる人たちは「周辺」に位置する人たちだということ。その象徴が沖縄とフクシマであり、「周辺」に位置づけられた人たちの犠牲は、政策決定をする「中央」の人たちからは遠くの問題として、軽視されがち


聖域化=安保ムラ、原子力村だろう。既成事実=目隠し、周辺化=地域差別。これらのことは、去年散々読んだ関連本の中でも挙げられていたが、繰り返し意識しておかねばならない。

推進する力としては、アメリカのアイゼンハワー大統領に「軍産複合体」と名づけら れたもの、すなわち日本では軍需生産で利益をあげる産業やそれと関連した政官学領域の人たちがこれにあたる。彼らは、世論に対しては「国家の安全保障」と いう主題を「聖域」化して、軍事機密の保護等の名目で公開を拒否し、批判を回避する方法を採用する。また、在野の民族主義運動は、外からの脅威を強調し、 排外主義をあおることによって、「軍事化」を推進する役割を果たす。

今回の集団的自衛権の戦争法案成立の目的の一つが武器輸出であり、背後には軍産複合体があることは自明で、着々とその方向に邁進している。

「軍事化」の傾向が、最初は目立たなくても、気がつかないうちに加速し、ある惰性がつくと止めることができなくなる。
昭和恐慌の経済的困難を経て、「非常時」という呼び声で対外強硬論が強くなると、驚くほどの速さで軍事化が進められていった。私がはっきりと記憶している のは、「国防国家」の建設が叫ばれ「昭和維新」の名の下に1936年に軍部によるクーデターである2・26事件が起こってからである。


戦争は始めるのは簡単だが、止めるのは至難であることも、いくら強調してもし過ぎることはない。自衛隊を国防軍と改名させようとする安倍政権の危険さ。

日本の軍隊が外国で人を殺さなくなって、半世紀以上になる。だから日本は軍事化とは無縁な社会だと考えたら、それはたいへん危ういことだ。多くの日本人が軍事化に無関心であるのは、武力行使が米軍によって、海外の遠いところでなされているからである。
加えて、無関心な人が多いのは、権力とメディアの結託により作られた世論が安保を「聖域」として守ってきた結果でもある。
原発事故がただちに安保との関連を私に思い起こさせたのは、原発問題が安保と同じような、中央と周辺の関係に支えられているからである。簡潔な表現をすれ ば、フクシマが沖縄を思いこさせたといってもよい。差別された周辺として、過疎や財政難に悩む地域に特別な補助金をだすことによって、基地や原発立地とし ての犠牲を押しつけるという構造の共通性である。


無関心にさせられていることにすら気づかずにいる者は多い。それに加担しているのがマスコミでもある。「権力とメディアの結託」はジャーナリズムの自殺行為ぢゃ。

日本の近代的発展を特徴づけるのはどのような型であるのか。簡単にいえば、夏目漱 石が「外発的開化」と名づけたものである。「西欧に追いつけ、追い越せ」という外発的契機によって、中央の厳しい管理の下に、周辺を犠牲にして無理をしな がら、急いで強行された発展である。(序章 生命を脅かす二つの聖域)

最近、漱石を読まねばと思ってる時に、この文章を読んで、さらにその気持が強まった。
「外発的開化」=西欧植民地主義の真似。

戦前において聖域とされたものに「国体」という言葉がある。「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が万古不易の国体である」神話を信じて疑わないようにしなければ「国体」という聖域は存続しえない。
聖域を作り出すには「その言葉をきいたら、それ以上は詮索しない」という「お守り言葉」が用いられる。たとえば、現在では「同盟」や「抑止」、あるいは「国益」という言葉がそれに当たる。最終的には聖域のお守り言葉は、常に権力を持つ強い者に利用される。


戦前の「国体」と戦後の「同盟」「抑止」「国益」が聖域のお守り言葉というのは、説得力がある。

占領軍は日本政府を通じた間接統治を行い、国体に支えられていた統治機構がそのま ま温存された。そうすると、聖域という考え方もある程度、温存され、徐々にその対象が天皇から占領軍に移っていくことになる。その際に「聖域」に関する戦 前からの連続する面と変化の面という両面が顕在化する。変化はいうまでもなく、神話的要素が失われたことであり、連続面は「無責任の体系」にみられる。
いつの間にか、戦前の天皇制のような神話としての時間的な無限軸ではなく空間的に限りなく遠く思われるアメリカが聖域になった。
1951年にサンフランシスコ講和条約を結び、日本が形式上独立国家になると、今度は、建前としては日本は主権国家になったが、しかし現実にはアメリカに従属しているという二重構造を持つようになった。そして、それに付随して聖域の意味も変化した。

「無責任の体系」は丸山真男の言葉らしいが、日本の体制をもののみごとに剔抉している。

アメリカは、自分たちの方針に沿って作った憲法の理念に反する再軍備を命じるとい う、矛盾に満ちた政策を日本に押しつけた。このことによって、「憲法」という価値的な建前と、「再軍備」という政策との齟齬が顕在化してきたわけだ。そし て、それが矛盾しているにもかかわらず、講和による形式的独立後も日本側はそれを追求できない。そういう意味で、消極的聖域への変化が起こっていたという ことを見ておく必要がある。

冷戦と代理戦争のために、アメリカに再軍備させられたという事実。

1960年5月19日から20日にかけて、岸首相が国会で警官隊を院内に入れて強 行採決したことによって、大規模な反対運動が勢いづいてきた。それはもちろん、「安保反対」の運動であったが、より多くは非民主主義的な岸のやり方に対す る抗議、つまり「民主か独裁か」という問題として大衆運動が昂揚してきたという側面がある。だから皮肉なことに、民衆の運動が昂揚することによって、安保 に対する関心が弱まったという逆説的な面もあった。
そして、安保改定は衆議院で強行採決され、1ヶ月後には自動的に参議院で承認、6月19日をもって自然成立という形で改定安保が成立した。そうなると、大 衆運動も沈静化していくこととなった。結局、岸が強行採決の責任をとって首相を辞任すると、「岸を倒せ」といっていた運動は一応目標を実現したことにな り、そこで運動は沈静化する。沈静化すると活動家はたいへんな挫折感に陥り、「やはり我々の運動は失敗だった」という悪循環に陥ることになる。このことが 大きな原因となり、それ以後もう一度安保の消極的聖域化が支配的となる。
岸の後を継いで首相になった池田は、低姿勢で安保のような面倒な問題は避けて、所得倍増というスローガンを中心にして、国民の関心を経済に集中させてい く。その結果、安保は消極的聖域として、見事に隠されてしまうことになった、それから1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博が続く中で、日本社 会は、経済成長を謳歌する時代に突入していいく。(第一章 安保はなぜ議論されないのか)


60年安保の時に、安保と三池闘争を「スローガンの抱き合わせ」として結びつけようとしたのは明らかに間違いであった。安保の後に「体制が一挙に変われば社会はすべて良くなるんだ」という考え方も非常に危険である。

60年安保に触れる時、筆者は熱が入る。ある種の象徴なのだろう。挫折感も強く味わった世代にちがいない。

安保条約は、本来冷戦体制を前提としたものであるから、冷戦が終わるとともにその任務を終えたはずであった。
ところが1996年、クリントン・橋本の「日米安全保障共同宣言」以後、強められていた日米の軍事的一体化の方向は、2001年の9・11事件からアフガ ニスタン、イラク侵攻を経て、05年の「日米同盟:未来のための変革と再編」によって、より決定的となる。その場合の鍵となる言葉は「自衛隊と在日米軍と の間の連続性、調整及び相互運用性の不断の確保」という点にある。

戦争法案の強化はずっと進められてきたわけだ。以下もその種々相。

日本は、湾岸戦争後に、「湾岸戦争で金だけ出して、人を出さなかった」という国際協力の強迫観念を利用して、PKO協力法を成立させた。そして次々と、自衛隊の海外派遣を推し進める結果を導いた。
1954年に自衛隊が誕生した際、自衛隊の成立と同時に「自衛隊の海外派遣をなさざることに関する決議」を参議院において全会一致で議決したが、こうした考え方は、いつの間にか「時代遅れの一国平和主義」として、批判の対象になってしまった。

一方海上自衛隊では、アメリカが自国を守るためのミサイル防衛システムに日本が巻き込まれて、このシステムを担うためのイージス艦を6隻まで作らされることになった。

97年の「新ガイドライン」では、「周辺事態」という新しい概念も出てくる。そして、それが99年5月に「周辺事態法」として法律で裏づけされた。これはたいへんおかしな話である。すなわち、「実務レベrの気誠実が政策を決定する」という倒錯現象が起こっている。

偕行社(1877(明治10)に創立された、陸軍将校の親睦団体。戦後解散した が、のち親睦団体として復活)の会長は、イラク派遣部隊の隊長であった佐藤正久が2007年の参議院選挙に立候補した時に、その後援会長にもなっている。 佐藤正久は自民党全国区で25万票を獲得し、当選した。陸上自衛隊の全面的な支援のもとに佐藤正久は当選を果たしている。

あの佐藤正久はイラク派遣の部隊長だったのか。それで「ヒゲの隊長」か。うっかり忘れていた。

三菱重工の幹部の話によれば、「戦車の生産に携わっている企業は1000社以上に も及び、自分たちはその産業に貢献しているのだ」という。しかし兵器産業はおよそ破壊以外の何物にも役立たない。その意味で、持続的生産に役立たない産業 だという点に注目する必要がある。(第二章 軍事的抑止力の危うさ)

兵器産業は非生産的産業!!

ベ平連の組織論上の具体的特徴としては、「規則なし、会員なし、その他一切の公式組織なし」という運動であったということ、加えて三原則として
1.言い出した人間がやる
2.人がやることをとやかく言わない
3.好きなことは何でもやれ
ということを決めていた。(第三章 市民運動の視点からみた歴史的展開)


今回Morris.が元ベ平連神戸の流れをくむ集団の抗議運動に参加したのも、この3つのスローガンに惹かれたからだった。

「琉球新聞」2010年5月31日号の報じるところでは、全国の安保条約支持率が75%であるのに対して、沖縄では7%という極端な違いを示している。(コラム16 「捨て石」と「要石」-二重苦の沖縄)

沖縄県民の93%が安保反対。よく言われることだが、日本国土の9.6%の沖縄に、75%の米軍基地が存在していることと直結している。

国家の安全保障という名目、つまり国家という抽象概念で国民を動員していく。そしてこの抽象性を補うために、「抑止力がないと外からの脅威に負けて侵略される」という形で恐怖感をあおり、これを支えていこうとする。しかしこれにはいくつもの問題がある。
1.抑止力を強化することが逆効果となり、緊張を激化させるという側面。そもそも敵を殺すことで安全を守る、という考え方自身にも問題あり。
2.国家を守るということが、はたしてその国に住む人間を守ることになるのか? 沖縄戦の教訓。
3.原発を日本の核武装の潜在力として維持しようという考え方いついては、安保の場合に見られた武力による抑止の問題と同じ危うさを考えなければならない。

「抑止力」という大ウソ。

安保にかかわる政策決定をする人は、兵器産業の既得権を維持しようとする人たちに取り囲まれているわけであるから、意識しなくても、政策決定者の視点は既得権益者の意向によってきていされがちとなる。
同じことは原発についてもいえる。つまり原発の政策決定に携わる人たちは、原発推進に既得権をもつ財界との不快つながりを持つ人が多い。電力会社の役員から政治献金を受け取り、パーティ券を電力会社に勝ってもらっている政治家がその典型的な例だ。
加えて、巨額の広告費を電力会社から受け取っている組織で働く世論の指導者についても同様であり、特に原子力関連の学会においては、原発に反対する研究者 は通常の社会的上昇を期待できないという形で規制されてきた。そのほか、中・下層の組織人にとっても、異説を唱えるということは自分の将来にとって非常に 危険なことであり、むしろ目をつぶって支配的な論調に順応するほうが有利であるとして沈黙を守るのが通例であった。

このこともわすれてはならない。

「永遠の課題としての他者感覚」「永久革命としての民主主義」は丸山真男の表現を 借りたもので、制度としての民主主義(今でいえば代議制民主主義)はそれ自体では動かないものであり、放っておくと権力者は、権力から遠い人の身になって 考えることを忘れがちである。それだからこそ、永遠の課題としての他者感覚を持って、絶えず権力からより遠い人からの問いかけを権力者に対して迫っていく 運動をしなければならない、ということである。

「永久革命としての民主主義」かっこいい言葉である(^_^;) 丸山真男は何となく食わず嫌いしてたが、何かひとつ読んでみよう。

自衛隊が災害救助に大きな役割を果たしたということは広く認められるところであるが、それならば自衛隊を災害救助隊としてその一部を改編し、災害救助に必要な訓練と装備をさせるということも当面必要な措置だと思われる。

最近の事故や災害ニュースで自衛隊救助活動をPR的に取り上げる傾向が顕著である。映像も自衛隊提供が大部分。もちろんあちらはおあつらえ向きの広報活動と考えているのだろう。

聖域にかかわってきた経済的強者の既得権者は、政治的支配とも深くかかわっている ため、一朝一夕にその政策転換を期待することはできない。それならば、普通の市民にできることは何なのだろうか。それは先ほどの永久革命論と同様に、忍耐 強くその聖域を問い続けていくということである。そして、その現実的危うさに気づく人の数を増やしていくことによって、政策の変更を求める圧力を強めてい くということである。

普通の市民にできること、ということで、注目したが、やはり特効薬みたいなのはないんだ(^_^;)。

大切なのは他者感覚という感受性、あるいは想像力であり、何よりも必要なのは行動 する意思である。この意思さえあれば、直接対話は無くても連帯という結びつきは可能となる。そしてこのつながりこそが新しい希望の源泉となる。希望はどこ かにあるものではなく、自分の意思と行動によりつながりを作ることで生み出されるものと私は信じていいる。(終章 2011年9月11日に思う)

「行動する意思」うーーん。

巻末に「フクシマ論」の著者、開沼博との対談があった。

開沼博 経産省や東電という中央で原発を推進してきた人たちが、福島をある種の実験場であり、植民地であるという他人意識でやってきたことと通底します。脱原発の 運動と推進する側が対極にあるようでいて、地方-中央というものさしを出してくれば、結局意識は同じ地平に乗っているのではないか。

石田 脱原発ということが、福島に対する差別を強めるよ うな方向に働く可能性があるわけですよね。私は「永遠の課題としての他者感覚」ということをいつも言っているのですが、この意味は、「一番困っている立場 の人の考え方をたえず問題にしていかないと、結果的には差別することになってしまう」ということなのです。
「沈黙の螺旋」というのが怖く、「しょうがないから静観していよう」となることが結局、今の既成事実の惰性を生かす結果を招くことになってしまいます。どうしたらその惰性を止められるかというのが一番の大きな課題といえるでしょう。

いまいち意見がかみ合わないきらいがあった。
本文全体が著者の体調もあって、語り下ろし的なもので、文章として冗長になってるところもあったが、安保の聖域問題のわかりやすい解説ではあった。




【64 ロクヨン】横山秀夫 ★★★  2012/10/25 文芸春秋
昭和64年、昭和天皇の死で一週間しか無かった昭和最後の年。その時起きた誘拐殺人事件を巡って、刑事部と警務部が完全衝突。元刑事から広報に移った三上 が、板挟みになりながら、真相に迫っていくという警察小説で、警察とマスコミのやり取りなどリアルでなかなかおもしろかった。

「匿名発表はスケジュールに乗っているんですよ」
スケジュール……?
「個人情報保護法案と人権擁護法案が中央で論議されているのは知っていますね」
「ええ」
記者の口からもよく飛び出す。メディアの規制に直結する悪法だ、許すまじ、と。
「マスコミは色々と難癖をつけていますが、自業自得、身から出た錆です。事件が大きいとメディアスクラムで被害者にさらなる被害を与える。その一方で身内 の事件は隠したり恣意的に小さく扱ったりする。そんな輩が、権力の万人ヅラをしてこちらを批判するなど厚顔無恥としか言いようがありません」
赤間は話をとめて唇にリップクリームを引いた。
「二つの法案はいずれ通ります。その次が匿名発表です。我が方が働きかけて政府内に犯罪被害者対策に関する検討会を造らせます。事件の被害者を発表するし かないか、その判断は警察が行うという文言を盛り込みます。被害者の名前に限ったこととはいえ、これを閣議決定させて御旗を得れば匿名発表はいくらでも拡 大解釈が可能になります。入り口から出口まで、つまりは記者発表のあらゆる場面において、我が方が主導権を握れるということです」


刑事という職は人生の隠れ蓑になりうる。尾坂部はそんなことを言ったのかもしれな かった。楽な仕事でないことはあまねく知られている。刑事の苦労や苦悩や悲哀はテレビドラマやドキュメンタリーの過剰供給によって刷り込まれ、誰もが知っ た気になっている。刑事と名乗れば勝手に相手のスイッチが入る。自分の口から何も語る必要がないことが楽なのだ。ましてや刑事は現実の苦労も苦悩も悲哀も たやすく棚上げできる。常に追うべき獲物がいるからだ。所轄時代、いみじくも松岡は部下をこう鼓舞した。愚痴らず楽しめ。俺たちは給料を貰って狩りをして いるんだからな---。
理性はともかく、犯罪を憎む本能は刑事に備わっていない。あるのはホシを狩る本能だけだ。三上もそうだった。ホシを割り、追い込み、落とす。延々と繰り返 される日々に個人のメンタリティは色を失い、鈍く光る刑事色に染め上げられていく。誰も抵抗しない。むしろ自ら進んでより濃く染まり、再興の娯楽でもある からだ。



【震度0(ゼロ)】横山秀夫 ★★ 2005/07/30 朝日新聞社
先の「64(ロクヨン)」がそこそこ面白かったので続けて読むことにしたのだが、これは、スカだった。
神戸地震を背景に使いながら、結局ほとんど意味のない扱いだった。

もはや痛みすら感じなかった。何千何万の人間が死のうが、自分にとって700km近く離れた彼の地の出来事は無関係なことなのだと、はっきり自覚した。N 県警の警務部長として冬木がやるべきは、不破失踪の真相を早急に突き止め、この異常事態を最小限のダメージで軟着陸させることに尽きる。


これが地震への感想であり、タイトルで、物語の結末まで見え見えである。




【詩のこころを読む】茨木のり子★★★☆☆ 1979/10/23 岩波ジュニア新書 9
この本は、ずっと以前に読んだはずだ。
あらためて読みなおしたのは、斎藤美奈子さんの「名作うしろ読み」にこう↓あったからだ(^_^;)

彼女の隠れた名著は『詩のこころを読む』である。詩の鑑賞法を説きながら、人生についても語っちゃうアクロバットみたいな本。(茨木のり子「詩のこころを読む」1979)

ジュニア文庫だから、中学、高校生くらいが対象であり、
「生まれて(26p)」「恋唄(49p)」「生きるじたばた(50p)」「峠(88p)」「別れ(37p」
という5つのテーマ別になっている。言葉を変えれば
誕生、愛、生活、老い、死ということにでもなるのだろうか。
全体でほぼ50篇の詩が紹介(外国詩人二人=プレヴェールとラングストン・ヒューズ)されている。谷川俊太郎、吉野弘、黒田三郎、川崎洋、岸田衿子など、 仲間内や、親しい詩人の作品が半分くらいを占めているし、半分以上はMorris.にもお馴染みの作品だったが、今回読んで、あらためて発見したり、教え られるところも多かった。

例えば吉野弘「I was born」を引いて

「頼んで生まれてきたんじゃないや」と憎まれ口をたたく子供も多く、それなのに、 ああしろ、こうしろうるさくて、割りの合わない話と、子供時代には誰もが漠然とそのように感じています。受身形で与えられた生を、今度は、はっきり自分の 生として引き受け、主体的に把握しなければならないのです。考えてみれば、つじつまのあわない、かなり難解なことを、ひとびとはやってのけているわけなの でした。
そういう認識に美しい形を与え、読む人の頭をすっきり統一してくれます。かげろうの話、母の死が陰影となり、一人の人間の生誕が持つ奥行きの深さ、生誕にまつわる神秘をも開示してくれています。

見事な手際の解説である。
こういった素敵なアンソロジーを読むと、好きな詩やなつかしい詩が目白押しで、どんどん引用したくなるが、ここは、ぴりっと決まった、キャッチフレーズみたいな評言(賛辞)をセレクトしておく。

・超大級のおおらかさ--プレヴェール「祭」
・若い時でなければ書けないような、まじりっけなしの純粋さ--谷川俊太郎「かなしみ」
・墨絵のように深沈とした格調--会田綱雄「伝説」
・読んでも照れくさくない恋唄--高橋睦郎「鳩」
・外国のいい詩を、名訳で読んだような--滝口雅子「男について」
・恋の果て、の感慨--滝口雅子「秋の接吻」
・ときどきとなえたくなる呪文の一つ--岸田衿子「くるあさごとに」
・社会現象のシュールレアリズム--大岡信「地名論」
・日本詩歌史上にそびえたつ富士山のような位置--金子光晴「寂しさの歌」
・ものの見事な離陸--濱口國雄「便所掃除」
・自分の恥の痛覚を隠していない--岩田宏「住所とギョウザ」
・詩に必要な想像力の伸びが抜群--谷川俊太郎「愛について」
・1時間のお経よりありがたい--石垣りん「くらし」
・「清福(せいふく)」をしみじみ悟らせてくれる詩--河上肇「味噌」
・完璧としか言いようがない--石垣りん「幻の花」


とても一行以内に収まらないものもあったので、いくらか追加しておこう。

1967年頃に書かれたので、今から十年以上も前なのですが、ここ十年ばかりの間に各地でむやみやたらの地名変更が行政的に進められました。アッと気づい た問には、紺屋(こうや)町、鍛冶町、青葉台、木挽町、長者町、角筈、雑賀(さいか)町、山寺道、狸穴(まみあな)、古くからの由緒ある地名が、本町、緑 町、中央通り、大通りなどという、おもしろくもない町名に変えられてしまっていたのです。
これではならじと、1978年に「地名を守る会」というのが出来、山形県の米沢市のように、さらに踏み込んで、この改悪をくつがえし、すべて旧町名を復活させたところもあります。(「地名論」)


大岡信といえば「折々の歌」の人というイメージかもしれない。Morris.が学生の頃は詩人としてかなり目立っていた気がする。「地名論」は彼の作品の 中では毛色の変わったものだが、今思い出せるのは「春のいそぎ」とこの「地名論」だけだ。それはともかく、地名変更への憤懣はMorris.も共通するも ので、米沢が旧町名を全て復活させたということは知らなかったので、嬉しく思った。

私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きてゆけない農村地帯があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地良く思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。(寂しさの歌)

金子光晴には特別の思いがあったことは知ってたが、この作品は結構長い。200pくらいの新書で作品だけで13p、解説を入れると20pくらになる破格の 扱いである。ここに茨木のこだわりを感じた。Morris.も相当の光晴フリークで、好きな詩は数えきれないほどあるのだが、

「便所掃除」を詩たらしめたのは終わりの四行「便所を美しくする娘は/美しい子供をうむ といった母を思い出します/僕は男です/美しい妻に会えるかも知れません」なのです。(「便所掃除」)

これは「トイレの神様」(2010年植村花菜)の元ネタ、というか、こういった話は昔からあったのかもしれない。

作者が迷子の頃、日本と朝鮮は対等ではなく、植民地化してしまっていました。姓名もすっかり日本名に変えさせたり、朝鮮語を使うことを禁じたり、ひどいこ とをやっています。たとえば日本がどこかの国の植民地になり、明日からはロシア語と英語しか使えないとしたら、老人、子供に至るまでそうするのを強制され て日本語を使えば、すぐさま刑務所にほうりこまれるとしたら、どんなに苦痛でしょう。日本は朝鮮に対し、そういう苦痛を36年間も強いてきました。
かつての非道の幾多の資料、統計、論文を読むよりも、この一篇の詩は、はるかに心にぐさりと突きささり、日本と朝鮮の過去の不幸を照らしだしているのを感じます。(「住所とギョウザ」)

人生体験といえるほどのものをもっていない若者でも、少し敏感な人なら、じぶんの喜びがしばしば他人の悲しみの上に立っていることに気づかずにはいられないでしょう。
しれを考えると身動きできずいじけてしまいますが、それもまたみっともないことで、自分もまたある時は誰かに食われる存在であると思って、せいいっぱい生きるしかありません。(「くらし」)

足りないものは一つもなく、余分なものも一つもなく、菊をみていた視線から転じて、おしまいの二行に飛躍する呼吸の自然さ。「そうして」という接続詞が、 こんなに利いている例もそう多くはなく、全体にふかぶかとした余韻と、詩にはどうしても欲しい<軽み>までそなわっていて。(「幻の花」)

そして、以前読んだ時は、素通りしていたこの詩だけは、全文引用させてもらう。



    石川逸子

遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

遠くのできごとに
人は美しく怒る
(おれはその訳を知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはその訳を知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)

近くのできごとに
人はおそろしく
私たちはちいさな舟のようにふるえた
(吹いていった風)

遠くのできごとに
立ち向うのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向うのは近くの私たち

(あたりまえの歌を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった)
---詩集『子どもと戦争』

アウシュビッツのことや、ユダヤの少女、アンネの悲惨な生涯には、この上ない正義感で怒ることができるのに、同じ頃、日本が中国、朝鮮、東南アジアで、ほ しいままふるまったことには報道のあおるがまま、大喜びでばんざいを叫んでいたし、今でも、かつてのアンネに寄せるような涙を、東洋のアンネたちにそそい ではいません。このアンバランス! よその国でもまったく同じようなことが起こっているのでしょう。

おいまいに、岸田衿子の「アランブラの宮の壁」を死を歌ったものであると見定めて

どうやっても、たった一つだけ、わからないこと(死)があるというのは、考えてみれば、素敵に素敵なことではないでしょうか。そんなことを感じさせ、考えさせてくれる詩です。

と、評したあと、

では
このへんで
この小さな本も
さようなら。

とさりげなく、別れを告げる。美奈子さんの本でもここは当然引用されてたし、あの本の中でも一番、二番に印象深かった。
あの本もこの本もいい本だった。




【ラスト・コード】堂場瞬一 ★★★☆2012/07/25 中央公論社
父親が惨殺され留学先のアメリカから帰国した美咲。渋谷中央署の筒井は彼女を羽田で迎えるが、その帰路、何者かに襲撃される。しかし、それは序章に過ぎなかった。犯人の標的は筒井?それとも美咲?熱血刑事と天才少女息詰まる逃避行。(ネットから流用(^_^;))
この人の作品はスポーツものと警察ものの二つがメインで、Morris.はどちらかというとスポーツもの、特に野球ものをまとめて読み、そのあと警察もの に移った。本書はもちろん警察もので、多国籍製薬会社の研究家(少女の父)の開発を巡り、中国人の暗躍に、警察、公安、政治家の袖の引き合いで、孤立無援 になった二人に、美人探偵やら、ボランティア警察官(^_^;)の応援、どんどん、トンデモ筋になるのだが、それなりに楽しめた。

ここは、誰も責任を取らずとも社会が動いていく、不思議な国なのだ。

警視庁キャリアが責任をとらずに、情報だけを得ようとする場面での、ト書き。

「私は……やっぱり、研究者タイプの人間なのかもしれない。分からないことがある と、そのままにしておけないんです。最後まで理解できないと、気持ちが悪くてしかたがないから」美咲が笑おうとした。その努力は無様に失敗し、奇妙に引き 攣った表情が現われただけだったが。「どんな小さな謎でも、最後の符号(コード)が見つからないと方程式は溶けないじゃないですか。それって、すごく気持 ち悪くないですか」

タイトルを含む天才少女の台詞。何となく、この作家の芸風がわかると思う。




【新版 テロルの現象学】笠井潔 ★★★☆ 2013/02/05 作品社。旧版1984年刊。
1984年に書かれた笠井の処女評論集を30年後に再刊、というのもなかなかのものである。Morris.は彼の小説は割りとよく読んでるが評論には手を出さずにいた。数年前に「例外社会」を手こずりながら読んで、いつかは伝説の処女評論も読まねばならないか、と思ってたところに、この新版が出たので、これまた手こずりながら、何とか読了した。

「観念の発生」から「欺瞞」へ、「背理」へという発生史的必然性によって、「暗殺の美学」は「憎悪の哲学」に必然的に転化する。この必然性を厳密に解きほぐし了解しきる作業が達成されない限り、時代はふたたび、殺戮に帰結する理想主義的熱狂の痙攣を呼ぶことだろう。
革命という觀念はステパン的な怖れることなき断定、「理想主義の敵は理想である、革命の敵は人民である」という倒錯のまるごとの自明化に沿って、私たちの 眼前でシベリアからインドシナへと広がっている、今日の惨状にまで歴史的に否定性の自己展開を遂げてきたのだから。とはいえ、「革命を全人類に強制」する ことを誓ったステパンさえ、その僅か十数年後に、ボリシェヴィキ革命の最高指導者であるレーニンとトロツキーによって演じられることになる、血も凍るほど に無残な「觀念の倒錯」のドラマを前にして、なお同じ主張を敢然と叫びえたかどうかは疑問である。(1自己觀念-3觀念の背理)

文体見本という意味もあっての引用だが、これは、疲れる(^_^;) 赤軍派闘争直後、フランスに渡り、そこで、この評論と「バイバイエンジェル」を、同時に書き進めていたことになる。

天皇は2・26将校にとって、また三島由紀夫にとって、近代における自己觀念の典型形態である「革命という觀念」の象徴となっていた。
三島の革命理論は「過程的、中間的なものをすべて無視し、いわば天皇陛下の直接民主主義をを過激に追ひ求めること」といった表現に示されているように、い わば「天皇制アナーキズム」論とでもいえるものだ。近代日本において三島の「天皇制アナーキズム」論に帰結した右翼的・天皇主義的革命思想は、左翼的・マ ルクス主義的革命思想よりもはるかに重要な思想課題を提起している。それは一方で「宗教-法-国家」という共同觀念の累積史に内在する謎めいたものに触れ ているばかりでなく、他方で党派觀念を媒介しない自己観念と共同観念の「直結方式」という、観念の発生史における固有の水準をも体現しているからだ。(2 共同観念-5観念の逆説)


「天皇制アナーキズム」というのは面白い。極右と極左が酷似することは、ほとんど常識に近い(^_^;)が、極左活動が崩壊した後の笠井の心情は、何となくわかる。

いまや世界の民衆叛乱を領導しているのは、宗教と叛乱の融合形態としてのユートピ ア的社会主義であって、科学的社会主義=マルクス主義はただそれへの敵対者あるいは簒奪者としてのみ存在している。マルクス主義がいったん勝者となった初 期社会主義運動にもまた、まったく同じことがいいうる。この点で近代世界の形成期であったブランキの時代と、近代世界の没落期であるこの時代とは、まるで 循環する歴史のように重なりあっている。(3集合観念-9観念の遍歴)

ユートピア=Nowhere、ということを忘れるな。

プロレタリアートという集合態を労働者階級という共同態に矮小化し、革命を「社会 主義」実現のために利用すべき物理力として簒奪し、呪術師、修道士、秘教家、そして蜂起する農民と労働者、ブランキの後継者である革命の技術者(アルティ スト)を全面殺戮したマルクス主義収容所国家の足元から、しかし、ユートピア的叛乱はまたしても甦るだろう。これこそが革命であり、革命が不滅であること の真の意味だ。繰り返すが、革命は[いま、ここ]に、そして、蜂起する[われ/われ]の集合的投企においてのみ真に生きられるのであり、それ以外のどこに も存在しない。(3集合観念-9観念の遍歴)

ソ連式共産党独裁国家への身体的嫌悪感が溢れている。

ウインストンが置かれている世界、それは[二重思考(ダブルシンク)]によって支 配される世界である。モスクワ裁判に象徴されるマルクス主義的収容所国家の普遍的・相対的抑圧という謎を、オーウェルが何よりも二重思考という原理によっ て究明しようと努めた点にこそ、『1984年』という作品に込められた真の独創性がある。
オーウェルがこの作品で、二重思考にまつわるディテールを執拗に描き出すことによって主題化したのは、他ならぬ弁証法的意識の心理学、党派観念の心理学な のだ。それが難解であり誤解されがちであるのは、「主観-客観」という近代的二項対立の世界に読者が疑いを抱かない、あるいは抱きえない限りにおいてであ る。
二重思考は主観的世界と客観的世界を、つまり自己観念の世界を最終的に統合する。統合の場所は、いうまでもなく「党」である。「人間が完全に徹底的な自己 放棄を行ない、自己だけの存在から脱却して党に合体し、自己即ち党ということになれば、彼は全能となり、不滅の存在になる」。ここにおいても、あの「主体 の二律背反」を[止揚]するのは他ならぬ弁証法的権力としての党派観念なのだ。(4党派観念-12観念の自壊)


オーウエルをつい最近読んだばかりのMorris.だけど、旧版の発行年度が1984年。笠井の意識の中に大きく刻印されてたのは間違いないだろう。

テロリズム批判はマルクス主義批判へと徹底化されなければならない。連合赤軍事件 とカンボジア虐殺事件。無惨で異様な、この内外二つの事件によって挟み込まれた1970年代の、暗澹たる時代経験の意味を渾身の力で読み解こうとするモ チーフが、本書の出発点にあった。テロリズム現象の底部に巣喰う観念的なるものの発生史的記述という作業によって、世界を覆うテロリズムの混沌を、基礎的 な三範疇--制度的テロリズム、反抗的テロリズム、相対的テロリズム--へと分節化し、さらにその観念的構成をも必要な限りで可知的なものとなしえた今、 テロリズムをめぐって深められてきた思考は、ここで新たな主題への直面を避けえないことになる。それは、マルクス主義的党派観念と[弁証法=権力知]への 根底にわたる批判であり、集合観念の近代的諸次元--美的、エロス的、革命的諸次元--への根拠にわたる問いかけである。(終章 観念の浄化)

以上までの引用が、旧版の内容からである。正直言って、読むのに消耗してしまった。評論家の評論でなく、実践者による総括、しかも若さ故の生硬さ+観念的文言には、ちょっとついて行けないところもあった。
これから後は「補論 68年ラディカリズムの運命--『テロルの現象学』以後三十年」からの引用になる。ずいぶん文体も変わり、わかりやすくなった(^_^;)

68年に由来するラディカルな思想と運動の前には、、5つの陥穽が待ちかまえてい た.1970年代には「社会主義の夢」、80年代には「消尽の夢」、90年代には「霊的・身体的解放の夢」と「マイノリティ解放の夢」、2000年代には 「自由の夢」がそれぞれ異様な悪夢へと鋭角的に反転し、68年世代の多くが思想的な罠に足を取られていく。
1973年から75年にかけてフランスで刊行されたアレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所群島』によって、68年ラディカリズムの「社会主義の 夢」は「絶滅収容所の悪夢」に反転した。中国文化大革命の暗部とカンボジア虐殺共産主義の暴露、あるいは社会主義国家間戦争など70年代後半の一連の事件 は、『収容所群島』で詳細に描かれた20世紀マルクス主義=ボリシェヴィズムによる相対的テロリズムのグロテスクな反復だった。ソ連や中国などボリシェ ヴィズムとその亜種による「現存する社会主義」が、人類にとって20世紀最大の災厄だった事実は疑問の余地ないものとなる。


笠井らしい、68以降の希望と総括。「20世紀最大の災厄」\(^o^)/
社会主義→消尽→開放→自由という夢と希望が無残に変貌させられてしまったことへの、恨み節。

日本には、ドイツやイタリアとも異なる「克服されざる過去」が存在した。本国の全 土を戦場とし、首都ベルリンが陥落して戦争の最高責任者ヒトラーが自殺するまでドイツは戦争を継続する。イタリアでは蜂起したパルチザンがムソリーニを絞 首刑にした。沖縄を犠牲にしながら本土決戦に日和見を決めこみ、徹底した敗戦さえ回避して曖昧な「終戦」迎えた日本人の第二次大戦体験は、ドイツやイタリ アと明らかに異なっている。日本の親世代の自己欺瞞は二重底をなしていた。アジアへの加害責任や侵略責任に加えて、後に続く者を信じて先に逝った同胞をも 裏切った事実を隠蔽し忘却したのだから。

戦争責任の棚上げ。無責任社会日本を、これだけ根源的に剔抉した文言は珍しい。しかも、概ね的を射ている。二重、三重、いや無限に重なっていく裏切りの上に、今の日本が乗っかっている。

1945年の「終戦」は日本的な無構築思考の典型例である。昭和天皇が「終戦」を主導した事実に示されるように、天皇制こそ日本的無構築性を体現してきた。
第二次大戦の「戦後」は朝鮮戦争の勃発で終わっている。米ソ冷戦の40年間にも「戦後」が続いていると思いこんでいた柄谷は、冷戦とは核戦闘なき第3次世界大戦だった事実に無自覚だったにすぎない。
柄谷が主導し島田雅彦、高橋源一郎、いとうせいこう、田中康夫などポストモダン派の作家が参加した「文学者」の反戦署名の「声明2」には、「世界史の大き な転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる」とある。高度消費社会を華麗に遊泳していた日本型ポスト モダニズムは、こうして日本的「終戦」の産物である戦後民主主義の地平に後退して雲散霧消した。

冷戦=第三次世界大戦。これは半分当たって半分外れてると思う。Morris.はポストモダンにはまるで馴染めなかった。わかりにくかったということもあるが、それ以上に胡散臭かったのだ。

のちに中曽根康弘が当時の本音を語っているように、国鉄分割民営化の隠された目的 は総評の中心としての官公労、官公労の基軸としての国労を解体することにあった。護憲非武装の立場から自民党右派の改憲再軍備路線を阻んできた、社共総評 による戦後革新勢力の弱体化こそ中曽根の真の狙いだった。日本がバブル景気に浮かれていた1978年に国鉄の分割民営化は完了する。また同年には右翼的労 働戦線統一によって、戦後革新勢力の組織的基盤だった総評も解散した。

突然、国鉄、総評解体という、社会問題が出てきたが、たしかに78年も一つの大きな転機だった。国鉄民営化は悔やんでも悔やみきれないが、その奥にさらに大きな悪意があったということだ。

不況は景気循環の一局面にすぎないと政治家も官僚もエコノミストも信じ込んでいた し、1990年代の小渕政権や宮沢政権の時代には景気回復の刺激として巨額の公共投資が行われ財政赤字の山を築いた。日本経済のアキレス腱となった国家財 政の膨大な累積赤字は、この時期の大盤ぶるまいに直接の原因がある。時代は変わった、もうバブル時代には戻れないという社会意識が芽ばえたのは、1995 年の阪神大震災と地下鉄サリン事件の衝撃によってだろう。
日本でもレーガノミックスと同時代の中曽根時代に端緒がある新自由主義改革を、20年後の小泉政権は完成したにすぎない。
「与えられた20年」とソ連崩壊による新旧左翼の無原則な大量転向は思想的根拠のあるリベラリズムではなく、もはや左翼ではないが保守や右翼でもないとい う「なんとなくリベラル」層を増殖させた。それを2000年代に体現したのが民主党というヌエ的政党だった。


見事な要約。こういうことをやらせたら笠井は上手い。民主党への悪態も堂に入ったものである。

1999年の改正男女雇用機会均等法と同年に労働者派遣事業法が成立する。派遣法 は改悪を重ね、今日ではあらゆる業種に派遣労働者が溢れている。また派遣労働者など非正規・不安定労働者は就業人口の1/3を占めるに至った。使い捨て労 働力の確保を目的とした「雇用の柔軟化」は、いうまでもなく新自由主義に特徴的な労働政策である。とすれば、均等法とは女性労働者を標的とした新自由主義 的改革だったのではないか。

ここらあたりから、笠井の論調は急に凡庸なものとなり始める。というか、投げてるのかも。

2010年代の日本の新自由主義国家は排除/包摂のメカニズムを二重化し、それでも包摂しきれない社会的不満は新排外主義で吸収するという路線に向かうだろう。[反差別]大連合は社会的包摂の機能と希望を託した「新しい社会運動」の末路といわざるをえない。
対米従属による「平和と繁栄」を謳歌した戦後日本はすでに「戦争と衰退」の21世紀に足を踏み入れた。衰退が戦争を、戦争が衰退を加速する21世紀日本 は、肥大化した公安権力=パブリックなセキュリティ権力によって押し潰されかねない新自由主義的な例外社会の抑圧に対向する思想的基軸を立て直すために も、68年ラディカリズムの核心だった「自由」の要求が意味するところを再考する作業は不可欠だろう。

かなりの悲観史観である。

十年以上の歳月を置いて改めて眺めてみると、あの1960年代後半の数年間とは、 ブランキ主義者とフーリエ主義者が活動した、1848年の世界革命に呼応する、もうひとつの世界革命だったことがよく判る。この60年代後半の世界革命の 理念こそ、ル=グィンが『世界の合言葉は森』で描き出したものに他ならない。それは管理社会的侵略に抗議するだけでなく、その構造的根拠である近代世界と その支配精神である科学主義や人間主義そのものに対してのラディカルな批判であった。(『機械じかけの夢』)
68年の思想的核心が自由の要求だったことは疑いない。学生に占拠されたアメリカの大学キャンパスではフリースピーチからフリーセックスにいたるまで、も ろもろの自由(フリー)が乱舞していた。日本語ではフリーダムもリバティも「自由」と訳されるが、あの68年世代が要求したのは自由(フリーダム)であ り、だからこそ自由主義(リベラリズム)の自由(リバティ)を拒否したのである。


FreedomとLibertyの相剋、そもそも日本語の「自由」からして、どこかとりとめないものだった。Morris.にはいまだに理解不能な不自由な思考に囚われているようだ。

あらためて強調しておきたい。1970年代のチリにはじまり80年代に英米で確立 され、「現存する社会主義」が崩壊した90年代以降にグローバル化して日本でも全面化する新自由主義とは、68年の自由要求に触発され、あるいはそれに強 制された資本と国家による受動的革命にほかならない。1848年革命の平等要求は、ナポレオン三世やビスマルクによる社会政策や福祉政策という受動的革命 をもたらした。歴史をなぞるように68年革命の自由要求は新自由主義という受動的革命に帰結し、「自由の夢」は「新自由主義の悪夢」に裏返されていく。

聞くごとにアレルギー症状を引き起こしそうな「新自由主義」の定義として、なかなか説得力がある。ここにもfreeとlibertyの相剋が感じられる。わしらは悪夢の世界に生きている。

68年のラディカリズムは「自業自得の潔さ」という格率を掲げて規律権力のパター ナリズム(父権主義)に対抗した。しかし切断線も曖昧なまま「自業自得の潔さ」は新自由主義的な「自己責任」に転化していく。68年の行動的ニヒリズムを 貫いて新自由主義の賞賛者になった村上龍は、この罠に足を取られたと言わざるをえない。

村上龍が新自由主義の賞賛者という指摘にはちょっとびっくりしたが、言われてみればそうかもしれない。

社会主義の崩壊によって到来した21世紀社会こそ「汝、斯くなり」の権力を完成す るのではないか。自生する生権力のネットワークは、露骨な「支配」や「管理」とは縁遠いように見える。しかし「自由」になればなるほど、われわれは無自覚 のうちに秩序化されていく。コントロール権力の精緻きわまりない支配と比較すれば、かつての弁証法的権力は「汝、斯くなり」の初期的で粗雑な形態だったと 考えざるをえない。

いやいや、今や支配の管理傾向はどんどん露骨になっている。

近代の革命の前身は中世末期の千年王国主義運動だった。清教徒革命は勝利した千年 王国主義運動だし、既成社会の全面破壊と一挙的な更新を求めた点で、フランス大革命にも千年王国主義的な指向性は明瞭に認められる。1848年革命やパ リ・コミューンにも同じことはいえるだろう。社会変革運動が社会の合理的で漸進的な改良として構想されるようになったのは、19世紀後半にマルクス派が勝 利を収めてからだ。社会民主主義的な改良運動とその成果である福祉国家に異を唱えた68年ラディカリズムには、千年王国主義の反時代的な復活という面があ る。

68年ラディカリズムこそ笠井がその中核になってたわけで、その当人が千年王国の反時代的復活というのは見過ごせないところ。

オウム教団は職業革命家ならぬ出家信者を中核とした厳格なピラミッド状の組織、疑 似的解放区の形成、国家権力への野心、無差別テロと武装蜂起の秘密計画などの諸点で、ほとんどボリシェヴィキ党派の戯画である。しかし逆説的にも戯画のほ うが、内ゲバ戦争に明け暮れていた新左翼党派を凌駕する強大な組織を建設し本格的な武装化を達成した。
オウム教団の「武装蜂起」は68年の敗北の帰結にほかならない。しかもオウム真理教の地下鉄サリン事件は、ニューヨーク貿易センタービルを倒壊させた9・11攻撃の先取りだった。観念的倒錯の必然性は世界的な規模で左翼的観念から宗教的観念に転移していく。


オウムをボリシェヴィキの戯画と見、68年ラディカリズムの帰結とするあたりは、68当事者である笠井ならではの感想である。しかし、左翼的観念から宗教的観念に移るというのには、疑問を感じる。

新自由主義革命の旗手だったマーガレット・サッチャーに、「社会は存在しない」と いう"名言"がある。小さな政府を標榜して社会的国家=福祉国家を攻撃する新自由主義は、規律権力の重層的な体系としての市民社会を解体していく。市民的 主体はそれぞれが孤立した微細な経営者=資本主義に変貌し、自己責任の名において露骨な市場競争に駆り立てられる。規律化する装置としての学校や企業をは じめとする社会組織は、これまで資本のアナーキーや暴力的な競争から諸個人をパターナリズム的に「保護」してきたのだが、民営化と規制緩和によって縮減さ れた新自由主義国家と、敵対的に競争しあう諸個人のあいだにいまや「社会は存在しない」。

民主党政権の迷走が誰の目にも明らかとなっていた2011年3月11日、未曾有の 大地震と大津波が東日本を襲う。続いて史上最悪レヴェルという福島第一原発事故が、国民に第二次大戦後最大ともいえる衝撃をもたらした。ドイツやイタリア の明確な「敗戦」とは異なる欺瞞的な「終戦」によって、戦後日本は対米従属を前提とする「平和と繁栄」を享受しえた。それをエネルギー供給面で支えたのが アメリカに管理された原子力発電である。「失われた20年」を通じても曖昧に生き延びてきた日本経済復活の期待は、福島原発事故によって最終的に息の根を 絶たれ、戦後の「繁栄」路線の失効は国民意識の上でも疑いないものとなる。

神戸地震と東日本震災、ともに自民党の総理でないタイミングを見計らったみたいに天災が襲うというのは、何かの陰謀ではないかと思いたくもなるのだが、福島原発事故が「敗戦」という意味を持つと考えるべきかもしれない。

68年の自由(フリーダム)を裏返した新自由主義の「革命」に対抗し、コントロー ル権力とポストフォーディズム(工場や事務所などで雇用されている賃労働者だけでなく、社会全体を剰余価値生産に総動員させる体制)の例外社会を突き破る 大衆蜂起の時代はようやく開幕したばかりだ。2010年代の叛乱は68年世界革命の限界を声、[生存のためのサンディカ]の重畳するネットワークと[世界 国家なき世界社会]の方向に一歩でも歴史の歯車を廻しうるだろうか。
開始された叛乱を極点まで導くには、かつての敗北の根拠を自覚的に教訓化しなければならない。敗北の自己批判として観念的倒錯の完成形態である党派観念の 病理を徹底的に検証した『テロルの現象学』が、いま大衆蜂起の時代に足を踏み入れようとしている若い世代の参考になることを願う。


大衆放棄の時代、いや大衆蜂起の時代の若者なんているのだろうか、と思いながら、先般のシールズなどを考えても何か違うと思ってしまう。

本書の原型となった未発表の私稿「観念論」は、『バイバイ、エンジェル』と同じ1975年にかけての、最初のフランス滞在時代に書かれた。私稿「観念論」は、本書の前半部である「自己観念」および「共同観念」の部分をほぼ覆っている。
この程度の本を書くのに十年もかかってしまったという自身の無能と怠慢を責める気持はもちろんある。しかし本書の完成のためには、個人的な努力だけではど うにもならない、なにか時代的な成熟といったものが必要だったのだという気もしないではない。イラン革命と光州蜂起の経験がなければ「集合観念」の部分は 書かれえなかったであろうし、同様にカンボジア虐殺事件とヴェトナムのボート・ピープル問題を経験しなければ「党派観念」の部分もまた、やはり書かれえな かったに違いない。(旧版あとがき)

韜晦と自負と自責が綯い交ぜになった一文である。

『テロルの現象学』の著者として心から喜びたいのだが、人類の災厄でしかないマルクス=レーニン主義の革命は、もう二度と起こらないだろう。(文庫版あとがき)

ソ連崩壊は彼にとっても予想外のことだったろう。人類の災厄というのは過去にも言挙げしてるが、これも一時期自分の血肉であったはずの思想への自己嫌悪が含まれているようだ。

ドストエフスキー『悪霊』の登場人物であるキリーロフは、人間が神になる人神論を 唱え、「地球と人類の物理的変化」を予感し、そのための哲学的自殺を企てる。『悪霊』の読書は中学生のときだが、続いて読んだA・C・クラーク『幼年期の 終わり』には、「地球と人類の物理的変化」の具体的なイメージが鮮やかに描かれていた。わたしのユートピア構想は、この二冊の小説で基本的に決定された し、それは半世紀後の今日にいたるまで変わることがない。
願望を現実と取り違える類の万年危機論者は若いころから軽蔑していたし、1968年の世界革命が敗北して以降、危機という言葉を口にしたことは一度もない。しかし40年という歳月を経過し、またしても危機は到来したのである。
危機といっても、マルクス主義者が期待する恐慌や戦争のような一過性の世界危機ではない。社会がモル状の固定化から分子的な散乱状態に雪崩れこむ局面のこ とで、人々がこれまでと同じようには生きられない、暮らしていけないと実感する時代を意味する。(新版あとがき)

クラークの「地球幼年期の終わり」はなつかしい。幼年期の後には少年期、青年期、壮年期、老年期と続くのだろうか、そしていまは少年期なのか?それとも一 切飛び越えて一挙に老衰期になっているのではという終末論につい傾きがちなMorris.の今日このごろである(^_^;)



【警官の血】佐々木譲 ★★★☆☆ 2007/09/25 新潮社。
警察官三代記を、戦後の時代背景を描きながら、全体を貫謎解きのストーリーがある。上下あわせて800p近くを一気に読んでしまった。
戦後民主主義警察の誕生から、反動化、官僚化、労働組合、学生運動、裏社会とのかかわりなども、しっかり書き込んである。この人の作品は「エトロフ発緊急 電」「ベルリン飛行指令」の第二次大戦のスパイ小説連作を読んで、エンターテインメントとして楽しませてもらった記憶があるが、警察ものでもスパイ小説の 要素がある。

狭山事件 石川一雄、41年目の真実】鎌田慧 ★★★☆  2004/06/01草思社。
差別による冤罪事件として有名だが、本書が出たのが41年ということは、すでに半世紀超えてることになるのか(@_@)

非識字は石川一雄一人だけの問題ではない。石川家および菅原4丁目、さらには被差 別部落全体にかかわる問題だった。もっている者が、もっていない者の痛みを理解できないように、文字を読める者は、文字を読めない者の痛みを共有できな い。相手を理解しようともしないのが差別意識であり、刑事も検事も判事も、当時の一雄には脅迫状さえ書くことができないとは考えられなかった。その常識が ストレートに犯人視にむすびついたのだ。

この図式は重い。重すぎる。

自供させた取調官は、自供だけでは証拠として弱いので、本人の自発的な意志による供述である、と証明する「物的証拠」をつくりたがる。裁判官がそれに惑わされがちなのは、活字人間のつねとして、なによりも書かれたものを信じやすいからである。

この権力の思考様式は、現在までも連綿と続いているような気がする。



【トンネル工法の“なぜ”を科学する】大成建設 ★★ 2014/01/30 アーク出版。
前から高速道路などのトンネルを通るたびに、どうやって掘ってるのかなと疑問に思ってたので、借りてみたのだが、ハズレだった(>_<)。
何だか大成建設のトンネル工事の報告書みたいな感じがするのと、文章が拙いのと、Morris.の頭の造りがこのての本に向いてないのかもしれない。
いちおうトンネル工法は、

1.山岳工法
2.シールド工法
3.開削工法
4.沈埋(ちんまい)工法

に分けられる。ことくらいは理解できた。しかしこれくらいのことなら、ネットで調べればわかることだ。



【共鳴】堂場瞬一 ★★★ 2011/07/25 中央公論社。
元刑事の祖父と、引きこもりの孫が近所の事件を二人で探ることになり、という、いかにも作り物めいたプロットの作品。

「80年代--当時は、まだ、パソコン通信の時代だった。俺の間隔では、あれはハムだな。
掲示板サービスの始まった90年代初頭のネット人口はどれぐらいだったろう……あの頃は、実名を晒す人も珍しくなかった。最先端の娯楽を楽しんでいる孤高の少数派、という自負もあっただろう。」


パソコン通信という言葉に懐かしさを感じた。ただそれだけ(^_^;)



【世界地図の読み方】池上彰 ★★★ 2010/10/04。小学館。

ドバイの経済体制を支えているのは、石油ではないのです。ドバイの石油産出量はたいしたことがなく、まもなく石油がなくなってしまうともいわれています。
現ドバイ首長のムハンマドとその父ラシード目首長が、石油に頼らずにすむ経済体制の構築を目標に国づくりをしてきたことが今につながっているのです。目指 したのは、金融独立国、観光立国、貿易立国です。海外から資金を調達して、ペルシャ湾を望む世界最大級の人工貿易港ジェベル・アリ港を開港しました。しか もドバイ全体を免税地区にし、行き来する貨物に税金がかからないようにしました。その結果、今や世界120カ国以上、6400社の貨物が集散する世界物流 のハブ港となっています。

ドバイは地域的にオイルマネー立国と思い込んでただけに、ちょっとびっくりした。



【チャイナ・インベイジョン 中国日本侵蝕】柴田哲孝★★★
2012/11/29 講談社。
中国人が、北海道など日本各地で国防上重要な土地を買い漁ってる事実を追う自衛官、公安、ライターが真相を追う、という、国策?小説。かなり右傾化小説でもある。

無尽講は、正確には"頼母子講"と呼ばれる。その発祥は定かではないが、鎌倉時代 (13世紀)頃に始まった庶民の相互扶助を目的とした一種の給金組合で、日本各地によって名称も異なる。沖縄のモアイ(模合)、石川県の預金講、会津のム ンジン(無尽)もそのひとつだ。基本的には一口当たりの金額を定め、参加者の全員が掛け金を支払ってこの口数を埋める(相互掛け金制度)。満額になったと ころで参加者の全員に平等に分けられ、お陰参り(一生に一度の伊勢神宮参り)などの費用に充てることを主旨とした。だが一方ではクジなどを用い、一人もし くは一部の者が掛け金の全額を独占する投機的な方式もあった。
江戸時代になると無尽講はさらに日本各地に広く浸透し、次第に一種の金融組合としての組織形態を確立していった。町や村といった地域だけでなく、農業や工 業、漁業などの職業別の無尽講も各地に発生し、一部は諸藩の地域経済などに影響を与えるほど大規模化する講も現れた。明治時代にはさらにこの傾向が強くな り、無尽講の営業を目的とした会社組織までが多数出現した。
規制法が制定されてから、全国の無尽講は急速にその形態を変えていった。ネズミ講や詐欺的なものは次々と姿を消し、合法的かつ大規模な組織や会社は金融機 関と鳴って生き残った。近年まで日本各地に存在した"○○相互銀行"と名の付く金融機関は、ほとんどが大規模無尽講の末裔である。他にも会社内や商店会の 旅行や飲み会の積み立て、冠婚葬祭の互助会として相互掛け金の形態は存続するが、"無尽講"という言葉自体はいつの間にか忘れられていった。


ストーリーとはほとんど関係ないのだが、この無尽講の解説は興味深かった。「相互銀行」が無尽講由来というのもね。


【名作うしろ読み】斎藤美奈子★★★☆☆  2013/01/25 中央公論新社
これはかなり以前に読み終えてた。それよりさらに前に本書には出会いながら、手にするのをためらってた。
世間に、名作の書き出しの一文を集めた本は結構多い。しかしおしまいの一文を集めた本は見たことがなかった。これは新機軸である、とは思うものの、読んだ 本ならともかく、未読の本のおしまいを先に読んでしまうというのは、何だかなあ、という気分があったことは否めない。何度か逡巡して本書を手にとったきっ かけが、おしまいのあとがきにこうあったからである。(^_^;)

お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。
結論から言えば「着地がみごと決まって拍手喝采」な作品はむしろすくない。「こ、ここで終わるの?」な作品あり、「この一言は蛇足ちゃう?」な作品あり。 書き出しで読者の心をぐっとつかみ、フィニッシュをピタッと決めて美しく舞台をさりたい。そう願っても、人生と同じで本てのも、そう上手くはいかないので ある。(あとがき)


犯人探しだけが目玉という、ミステリーならともかく、「名作」と銘打たれるくらいの本なら、そのとおりに違いない。ということで、読み始めたら、これが、 なかなかに面白かった。おまけというか殆どの作品の、書き出しの文も併載されてたし、美奈子さんの「本読み巧者」ぶりが遺憾なく発揮されていて、笑わされ たり、驚かされたり、煙に巻かれたりだった。
読後、これだけは読んでおかねばという本が数冊あったりして、ついこちらの紹介が遅くなったというところもある。やっぱり美奈子さんは凄い。
以下の引用では、特におしまいのフレーズを引いてるわけではない。為念。

思えば『雁』には天然キャラの岡田に対する軽い嫉妬が流れている。お玉の恋路を「僕」は最初から邪魔したかったのではないか。女に選ばれなかった男が、読者に八つ当たりしているような終わり方だ。(森鴎外「雁」1915)

「雁」はちょっと前に再読しただけに、この指摘がすんなり理会できた。Morris.も鴎外の初期作品の登場人物って、結構こういった、尻の穴の小さい輩が多いような気がしてた。

主人公の死を、人生の終わりではなく、歴史のはじまりと考える。この瞬間「歴史を変えた男」としての龍馬像がたぶん固まったのである。
『竜馬がゆく』の欠点はおもしろすぎることだろう。龍馬ならぬ竜馬が読者の共感を呼ぶのは、彼の行動原理が、近代人だからである。が、それは司馬史観によ る龍馬ならぬ竜馬像。虚像だとまではいわないが、冒頭で源爺ちゃんが桜の木に咲かせた「紙の花」みたいなものかな。(司馬遼太郎「竜馬がゆく」1966)


上手いもんである(拍手) 実際の龍馬と司馬版竜馬の差異をあっさり「紙の花」よばわりするあたり。作者が生きてたらこんな物言いはできんだろうけど。でもたしかに面白すぎるくらいオモシロかったなあ。

表題の異邦人(エトランジェ=L'Etranger)とは共同体から排除された 者、くらいの意味。英語式にいえばストレンジャー(The Stranger)だ。もし書き出しが、「きょう、オカンが死んだ」で、一人称が「おいら」だったら、印象はちがったかもしれない。ムルソーは少し変わっ たところはあるが、プレゼンテーションが下手な普通の若者なのだ。(アルベール・カミュ「異邦人」1942)

「ママン」と「オカン」が字数と響きまで一緒というあたりが、笑いを倍加させる。たしかに、漱石の「吾輩は猫である」の翻訳で、各国の訳者がどのように訳したか並べくらべてみたいものだ。ムルソーをプレゼンテーション下手と言うあたり美奈子節炸裂ぢゃ。

みんな生きていたら、さぞや修羅場になっただろうからな。日本文学にも多大な影響を与えたツルゲーネフ。この人のせいで明治大正の恋愛小説がああなったかと思うと複雑だ。(ツルゲーネフ「初恋」1860)

日本の恋愛小説が「--のせいで」ああなったという、責任追及みたいな口ぶりがおかしい。彼女には「複雑」ぢゃなく、「単純」すぎと思ったにちがいない。

終盤を飾るのは「オシアンの歌」なる、英雄と愛と死を描いた古い叙事詩である。死 の前々日、これを読んでテンションを上げるウェルテルとロッテは、まるでカラオケで盛り上がる現代の若者と人妻のようだ。詩に感化されて死を選んだ青年。 それにまた感化された後世のおびただしい読者たち。青春の書の感染力はおそろしい。
悲劇は戯曲の専売特許だった時代に、小説でも悲劇が書けると証明した作品。(ゲーテ「若きウェルテルの悩み」1774)


今度はウェルテルとロッテをカラオケで盛り上がる二人に例える(^_^)/ 決めの一言も見事。

『細雪』は、雪子の見合いを軸に進行する物語、いまどきの言葉でいえばアラサー女性の婚活小説だ。(谷崎潤一郎「細雪」1948)

言いたい放題である。正解でもあるだけにね。

『パルタイ』に欠けているのは破壊力である。《学生》《労働者》《革命》といった単語を《》で囲ってちりばめた、若気の気負いが目立つ短編。行動は一見破滅的だが、最後の一文に語り手が躾のよいお嬢さんであることが透けて見える。(倉橋由美子「パルタイ」1960)

倉橋が生きてたらこんなこと書けなかったにちがいない。「パルタイ」はそれほでもなかったが、他の作品で結構倉橋フリークだったMorris.はいささか複雑な思いである。

これこそがシンデレラ物語にふさわしい幕切れなのだろうとは思う。原題の「ダディ・ロングレッグス」とはザトウムシのこと。元祖「伊達直人」は意外な色男だった。最初から下心込みだったのかも。あやしいっ!(ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」1912)

Morris.はdaddy long legsは幽霊蜘蛛というクモの仲間と思ってた。ザトウムシは調べてみたらダニの仲間で、たしかに足は長いし、原書に出てくるジョディのイラストに見えな くもない。まあ、これはどっちでもいいか。「伊達直人」がダディ・ロングレッグからの借用とは知らなかった。
美奈子さんはローリーに下心があったかのように、思ってるが、Morris.は、逆のことを考えていた。

親 愛 な る J.A. 君と脚長伯父様の何れが戀の手練れだつたか今だに解らず 歌集『偏奏曲』

彼女の隠れた名著は『詩のこころを読む』である。詩の鑑賞法を説きながら、人生についても語っちゃうアクロバットみたいな本。(茨木のり子「詩のこころを読む」1979)

たとえば、この一文を読んで、以前読んだことのある「詩のこころを読む」を再読しなくてはと思ってしまった。

階級や家格や財産がいちいち恋愛に影を落とす。頼みもしないのに家族や親戚はしゃ しゃり出てくる。セレブの世界は、まことに面倒くさい。ジェントリーと呼ばれる下級地主階級では、玉の輿にのる以外、女性が生きる道はなかった。富豪で人 格者(そのうえ表面上はチョイワル)のダーシーは理想の王子に見えるけど、そのへんは少女マンガのノリってことで。
いわばイギリス版の『細雪』である。(ジェーン・オースティン「自負と偏見」1813)

少女マンガのノリ&イギリス版『細雪』\(^o^)/ 実はMorris.はこの本読まねばと思いながら、結局未だに未読である。読まねば(^_^;)

2008年、まさかのベストセラーになった、プロレタリア文学の代表的な作品であ る。長く文学史の中で眠っていた作品が再び時代の脚光を浴びたのは、原題の派遣労働者らの実態が『蟹工船』と重なるからだったといわれる。昭和のプロレタ リア文学式にいえば「階級的な目覚め」だが、平成の格差社会風にいえば「ワーキングプアの逆襲」だろう。(小林多喜二「蟹工船」1929)

Morris.も読んでないプロレタリア作品が今の若い世代の共感を呼ぶというのは、奇跡に近いが、それを「階級的な目覚め」と持ち上げて、すとんと落っことすところなんか、惚れ惚れしてしまう。

「本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに 高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる」これが最後の一文。園芸家の目で見れば、年月がたつことこそが至上の喜 びだ、というのである。現在という土の中にも、見えないだけで、たくさんの芽が育っている。現在を悲観するなかれという作家、いや園芸家からのささやかな メッセージ。
当時のチェコはナチスの侵攻前夜。作者は抵抗を続けていた。と考えると、この結末にももうひとつの意味が加わる。兄のヨゼフ(後に強制収容所で死亡)の挿絵も楽しい本。(カレル・チャペック「園芸家12ヵ月」1922)


この本は小松太郎の訳で文庫本だけど愛読してた。たしか誰か(高山くん?)にプレゼントしたと思う。引用はしなかったが「本書は園芸家の必読書」というのも、一種のギャグだった。でも、いい本だと思う。

明治以降のエリートは諭吉の教えを曲解し、争って学歴の取得を目指したが、これからはラストの一文を広めたい。人間関係で悩む若者にはぜひ一言。諸君、「人にして人を毛嫌いするなかれ」だよ。福沢諭吉もそういってるよ。(福沢諭吉「学問のすゝめ」1876)

書き出しは有名な「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」だが、おしまいの、「人ニシテ人ヲ毛嫌イスルナカレ」と、整合性はありそうだ。これはいわゆる「福沢心訓七条」(「福沢諭吉は謎だらけ。」清水義範参照)に通じる感じがする。

血なまぐさい出来事をすべて無に返す桜。
これは「色は匂へど散りぬるを」ではじまり「浅き夢見じ酔ひもせず」で終わる「いろは歌」の世界に近い。つまりすべては諸行無常だと。(坂口安吾「桜の森の満開の下」1947)


これは学生時代に読んだはずだが、内容は記憶にない、そして再読しようとも思わないが、いろは歌はほんとうによく出来ている。

わが身を不本意と感じながらも、どうすることもできない主人公。変わってしまった 息子を持てあまし、おろおろする母、りんごを投げつける父、食事だけは運びながらも徐々に世話をしなくなる妹。彼の姿は引きこもりの少年や、うつ病のサラ リーマンや、要介護になった寝たきりの高齢者を思わせる。描かれているのは、介護者と被介護者の現場なのだ。
グレーゴルが死んで「厄介払い」をした後に訪れた新しい希望。なんとブラックな結末か。でも、この開放感も身に覚えが……。昨日のザムザ一家は今日の私たち。とても他人事と思えない。(カフカ「変身」1915)


昨今の日本の実情と比較したくなる気持ちは痛いほどわかるし、最後のブラックユーモアも後効きしそうだが、美奈子さんにしては直截過ぎではなかろうか。

親友(恋人?)のクイークェグを失い「孤児」となった悲しみが、語り手イシュメールを鯨学に向かわせたのではなかったか。なぜって鯨は親友(恋人?)の思い出に直結するからだ。そう思うと、いっけん退屈な鯨学の部分まで切なく感じる。ゲイ文学の傑作に認定したい。
船の名のピークオッドは白人に虐殺された先住民の部族の名前。白い巨鯨(レヴァイヤサン)は巨大な白人国家アメリカを連想させる。(メルヴィル「白鯨」1851)


これはMorris.は中学生のときに、河出書房の世界文学全集で読了した。特に冒頭の長いクジラの博物誌みたいな部分に圧倒されたことは今でも覚えている。女の出てこない小説とはいえ「ゲイ文学」のギャグはちょっとお下劣かも。

「どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていた」。新大統領の誕生に熱狂した大国も、政権交代に湧いた極東の島国も、この通りだった。
今日の国家や政治を考えるうえで、これほど適したテキストはちょっとない。「逆ユートピア小説」とも呼ばれる作品。作中の風車は、ほとんど現代の原発のごとしである。(ジョージ・オーウェル「動物農場」1945)


昨年ちょっとオーウエルを読み漁ったところだったから、解説も分かりやすかった。しかしあの風車を原発と見るか? 再再読が必要かも。「動物農場」再読は、原発関連本を片っ端から読んでた時期に重なるだけに、返って風車と原発を同一視できなかったのかもしれない。

司馬遼太郎『街道をゆく』を指して<行政当局が敷いてくれた取材ルートに乗〉り、<その土地のサワリの部分を、文人気質でサワッてみ〉るだけの旅だと批判する中上。『紀州』の方法論は全く逆だ。
作家の関心は一貫して「差別・非差別」に向けられる。熊野三社のひとつがある本宮では、古い神社跡のの石碑に刻まれた「禁殺生穢悪」の文字に見入る。牛肉で有名な松坂では、有名牛肉料理店の前に屠場を訪れる。
みなが参拝する伊勢神宮の森ではなく、その裏にある墓地に心を寄せる。バイオリンの弦などに使う、塩漬けされた馬の尻尾の毛を抜く青年の話など、一度読んだら忘れないだろう。
そんな旅の最後に作家は書くのだ。<紀伊半島で私が視たのは、差別、被差別の豊かさだった。言ってみれば「美しい日本」の奥に入り込み、その日本の 意味を考え、美しいという意味を考える事でもあった〉。そして最後に<ここは輝くほど明るい闇の国家である〉。(中上健次「紀州--木の国・根の国物語」1978)


中上健次には、強力な磁場を感じながら一冊も読めずにいた。でも、今は一冊だけ読んでることになる。それがこの「紀州」で、きっかけは、本書だったが、そ れは上記引用の「バイオリンの弦などに使う、塩漬けされた馬の尻尾の毛」だった。馬の毛なら「弦」ではなく「弓」じゃないかと思ったからだ。原文を確かめ ようと、中央図書館の書庫から出してもらい、確認したら、

とある村では、バイオリンに使う弦(ゆんづる)の最初の作業過程を身、切り取った肉のまだついた馬の尻尾から毛を抜き取る青年にあった。腐肉のにおいのたつ工場で、塩洗いしてあるという尻尾の、塩の味をしりたくて、毛をなめた。(序章)

これは序文で本文にも類似の描写はあるのだが、中上は「弦(ゆんづる)」と表現している。「ゆんづる」は「弓と弦」という意味なのかな。それならぎりぎりセーフである。バイオリンの弦はガット(羊の腸)で作るし、今は合成素材だろう。
弘法も筆の誤りということもあるし、重箱の隅を突くみたいな物言いになってるのは重々承知なのだが、この「うしろ読み」でも取り上げてあった「あ・うん」 (向田邦子)に、これが出てきたことを思い出したからだ。これも図書館でチェックしたら「蝶々」という短編に以下の部分があった。

ほかのことではかなり器用な門倉も、ヴァイオリンは別らしく、なかなか音らしい音が出なかった。
「羊の腸を縒ったものに、馬の尻尾をこすりつけて音を出そうというほうが手品なんだ」(「蝶々)


当然、美奈子さんもこの部分は読んでるはずで、それで、ちょっと、しつこくからんでみたのだった。

戦前は「大和魂」、戦後は「民主主義」が空気であった。そして新しい空気の中では、過去は「私は当時ああせざるを得なかった」」という形で必ずうやむやにされるのだ。
国家の意思さえ左右する空気。同調圧力。場の雰囲気。ムード、いかようにも言い換え可能だが、いまも「空気」で説明できそうなことは多い。学校も会社も官庁も。
問題はしかし、空気から脱して自由な発言を確保するにはどうするか、であろう。本書はそれには答えない。答えず<本書の主題は、"空気"を研究して まずその実体をつかむことだからである〉と逃げてしまうのである。空気だから「実体をつかむ」だけでも容易じゃないってか。なんとなくこう、騙された気 分。「空気」さえ批判してればすむのだって「空気」だし。(山本七平「「空気」の研究」1977)


空気の研究」は、Morris.は2012年になってやっと読んだ。Morris.も何となく騙されたみたいな気分だった。美奈子さんのおしまいの決め言葉に一票。

聖徳太子は「倭人」であって「日本人」ではない。「百姓」とは「農民」と同義ではなく、漁民、山民、商人、廻船人、職人など、たくさんの「非農業民」を含む概念だった。
歴史の転換点は14世紀ごろにあり、その前後で社会のあり方は大きく変わった。そして現代はこの14,5世紀に匹敵する大きな歴史の転換期にある。
戦後歴史学の常識に逆らった、じつは過激な書。(網野善彦「日本の歴史をよみなおす(全)」1991)


美奈子さんにしては、えらくストレートに褒めてる?ようなので、これも読まねば、と思いながら、果たせずにいる。

<現在、日本人は、軍国主義を失敗に終わった光明と考えている〉と彼女はいう。今後は世界の動向にかかっている。日本は他国の動静を注視し、軍国主義が失敗でなかったと知れば、再び戦争に情熱を燃やすだろう。
他を見て自身の態度を決める日本。外圧に弱い国への皮肉に近い。これが「恥の文化」の実態なのだ。ちなみに「菊」にも天皇の含意はない。(ルース・ベネディクト「菊と刀」1946)

これは一時比較文化論の代表として喧伝されたので、Morris.も読んだのだが、ほとんどなんも覚えてなかった。菊が菊花展や菊人形など、日本の手の込 んだ園芸の技のことで、天皇の菊の紋とは無関係というのも初めて見たような気がした。でも、これは再読する気にはならない。

復讐劇にもいろいろあるが、最強の一冊は、やはりエミリー・ブロンテ『嵐が丘』だろう。
ヒースクリーフ(ヒースの崖)という名の由来にもなったヒースは、このへんの荒れ地に茂る植物の総称だそう。(エミリー・ブロンテ「嵐が丘」1847)


「最強」という形容詞がいいね。西田佐知子「エリカの花散る時」のエリカという花は、見たこともないまま、何となく憧れていた。これがヒースの仲間だと 知ったのは随分後のことだった。「嵐が丘」は「文学と悪」(バタイユ)で、蠱惑的な批評に出会い、これに釣られて読んだ記憶がある。異常な作品だという思 い込みがある。

この小説は一族の誰に対しても特別な思い入れを示さない。語り手はあくまで批評的な地位にあり、どんなに悲惨な逸話にも滑稽みがただよう。ラストの龍子も少し滑稽だ。家族の没落を描いた古今東西の作品の中でもまちがいなく一級品。台所目線の勝利である。(北杜夫「楡家の人びと」1964)

「楡家の人びと」はリアルタイムで読んだ。あの頃は北杜夫のマンボウシリーズに夢中だった。なかでも「マンボウ昆虫記」はもう一度読みたい。そして2012年にも再読したな。滑稽みがあるのはたしかだが、良い作品だと思う。この作品の元ネタ(^_^;)でもある、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」も訳本で読んだはずだ。

田山花袋『蒲団』からはじまった私小説の系譜は、質量ともに厚みのある『死の棘』で終わったといってもいいように思われる。なんにせよ、読者を(文壇も)震撼させた夫婦間バトル。彼や彼女のケータイ履歴が気になるあなた、こうなる覚悟はできてます?(島尾敏雄「死の棘」1977)

これは読んでないし、読もうとも思わないが、私小説にとどめをさしたという表現に驚かされた。




【闊歩する漱石】丸谷才一★★★ 2000/07/28 講談社
「坊っちゃん」「三四郎」「吾輩は猫である」をネタに、博覧強記ぶりを披露したエッセイ3篇。一種のトンデモ本といえるかもしれないが、ちょっと食い足りなかった。

「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モゝンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」(坊っちゃん)
すつきりした罵り言葉といふのは、自分に言はれるのでない限り実に楽しいもので……


悪口は自分に言われなければ確かに楽しい(^_^;) 坊っちゃんのこの台詞は漱石の創作というより、当時の普通の言い回しのような気がする。

日本が西洋と本式に出会つたのは19世紀。そして19世紀西洋の合言葉は「進歩」 で、自分たちは人類文明の頂点に立つてゐると自負してゐた。この傲慢さのせいで、過去を軽んじる一種の反伝統的な気風が生じたのは必然の結果でした。もち ろん、昔ごころが残つてゐるヨーロッパですから、いろいろ歯止めはかかつてゐたにしても。ところが西洋文学の日本移入は、それ以前の文学を断ち切り、無視 しての19世紀文学だけの摂取でしたし、その新聞学の底にひそんでゐるギリシア、ローマ以来の古典主義の骨格は目にはいらなかつた。かういふ浅はかな仕事 の結果、日本の文学者は概して、西洋とはすなはち西洋19世紀のことと思ひ込んでゐたのです。東・対・西とはすなはち、悠久の東洋・対・俗悪な進歩の時代 といふことだつた。漱石が左国史漢と英文学とを対立させたのは、この図式を典型的に示してゐます。
谷崎や萩原の「日本への回帰」が実はモダニズムの一形態であつたと同じやうに、漱石の初期の小説もまたモダニズム文学の最も新しいものであつたと言へるは ずです。事実彼は1900年から02年までイギリスに留学して、世紀末文学からモダニズムが成立するころのロンドンに居合せた。
モダニズム文学がいはば前史の段階を脱して本格的にはじまるところのロンドンで生き、そしてそのイギリス小説の大転回あるいはその萌芽の時期に立会つて、 その体験を東京に持ち帰つたのが三十代後半の漱石でした。この、プルーストより四歳上、ジョイスより十五歳上の男は、東京に帰って数年後、プルーストや ジョイスに先んじてモダニズム小説を書いたとわたしには見えます。


丸谷の本領発揮の大風呂敷である。Morris.はこれが結構好きだけどね。なんといっても面白いもの。
で、モダニズムが谷崎潤一郎や萩原朔太郎(これだってモダニズムと言われ出したのは戦後)よりうんと前にあの漱石が、それも同時代的に、プルーストやジョイスに先んじて実現されたなんていうのは、考えるだけでも嬉しくなる。

残念なことに、後期の漱石にはモダニズム文学の色調が薄れます。むしろ自然主義への接近が見られて、初期の漱石にみなぎってゐた祝祭的文学館は失はれて、じつに不景気なことになつてしまつた。(わすれられない小説のために)

そういえば、韓国では漱石は初期の作品に評価が集中しているときいた覚えがる。

中村光夫の『風俗小説論』以後、風俗は日本文学ではどうも評判が悪く、憎まれたり 軽蔑されたりしてゐるやうだが、これは大きな間違ひなので、古来、小説家たちはみなこの要素と共に生きる人物たちを描く形で世界と人間をとらへてきた。空 漠たる観念だけでは小説は成立たないことを彼らはよく知つてゐた。そして重要なのは、風俗のなかには服装、髪型、化粧、料理や酒の好み、建築、室内装飾、 挨拶の仕方、会話の礼儀などからはじまつて精神風俗まで含まれるといいふ事情である。この要素は社会を大きく動かすものだし、従つて小説の方法において見 のがすことができない。信仰にも哲学にも風俗といふ一面は確実にあるし、さういふ浮薄ないし俗悪な局面を見ようとしない思想論や人間観は硬直してゐるので ある。

そうそう、俗は小説にとって大事な要素だと思う。俗気のない小説は面白くない。その点漱石は俗を避けることなく、それでいて、すっきりと表現しえていると思う。

日本では「モダン」といふ外来語は「当世風」などと嫌悪感をこめて訳されてゐるや うで、現代は下降史観によつて単純に蔑視されてゐるらしい。ボードレール的な「モデルニテ」への関心は薄い。そしてモダニズムは、私小説、プロレタリア文 学と並べて「三派鼎立」などと言はれてゐて、そのせいかどうか、他の二つが重厚だつたり真摯だつたりとかく強持てするのにくらべて、何となく浮薄なものの やうに受取られてゐるふしがある。
漱石がモダニズムだといふ説は、容易に受入れられないはずだ。

Morris.は受け入れる(^_^;)

1861年から90年にかけて文学マーケットが勃興し、商品としての本が確立した。読者が本を買ふための基本的条件は、閑暇と識字力とポケット・マネーださうだがこの三つが揃つたのだ。

Morris.にはポケット・マネーが足りないので、図書館に全面的によりかかっているということになる。

漱石は出来あひのものとしてのモダニズム小説を学んだのではなかつたといふことで ある。1880年から1900年まではモダニズム小説のいはば待花(まつはな)の時期で、それから1920年までが初花のころだから、彼はイギリスの新小 説が形成される過程に伴走者のやうにつきあひ、といふよりもむしろ自分の内部でそれを形成して行つた。それゆゑ彼の道筋は、横光利一、川端康成、伊藤整な どのモダニズム受容と違ひ、もつと朦朧と、あるいは混沌としてゐて、内発的で、活力に富んでゐたし、いはば個体発生が系統発生をくりかへすやうな趣があつ た。彼はヴィクトリア朝小説からモダニズム小説への移り変はりの、弟子でも傍観者でもなく当事者だつた。といふのは、漱石のモダニズムはイギリス小説史の 展開を復習するところから生れたもので、それは18世紀小説の流れを汲む『吾輩は猫である』と『坊つちやん」からはじまり、ジェイン・オースティンの新版 と見立ててもよい『三四郎』へと至つたものだからである。

三四郎がオースティンの新版。オースティンはまだ一冊も読んでないが、気になりながら手が出ないでいる。「個体発生が系統発生を繰り返す」というのがよくわからない。

イギリスの社会は
上流 upper class(王室、貴族など)
中流上層 upper middle class(政治家、医者、大学教授、会社社長、高級官吏などを含む)
中流 middle class(ビジネス・マンや知的職業などを含む)
中流下層 lower middle class(小売商人、下層官吏など)
下層 lower class(労働階級と同じ)
といふ区分で出来てゐる階級社会である。
『三四郎』には「日本の状態」小説とも呼ぶべき局面ないし性格があることに気がつくだらう。
彼がこんなふうに社会全体を展望しようといふ気持を見せたことは、これ以前にも以後にもなかつたのだ。その点で『三四郎』は例外的な作品であつた。

「一億総中流」と言われた70年代。格差社会となった現在でも、日本人の大部分はこの中流意識に囚われ続けているらしい。
漱石が日本の状態をどう捉えたのか、当時新聞を購読する層が中流だったと言えるかもしれない。

漱石はイギリス留学によつて自国への批評意識を強めたし、もともとイギリス小説の 伝統に詳しかつたし、さらにオースティンを敬愛してゐたことは、後年、「則天去私」の作家は誰か問はれて彼女の名をあげたことでもわかる。そのオースティ ンゆづりのアイロニーが最もよく発揮されてゐるのは『三四郎』であつた。(三四郎と東京と富士山)

オースティンは徹底して中流社会の私生活と結婚について書き続けたようだが、そのアイロニー(皮肉、韜晦)というのは、作品を読まねば分からない。うーん、これも課題だなあ。

戦後の日本の知識人全体が、イギリス名誉革命以後、都市に生きる中流階級の人々の 余暇の増大のせいで小説の勃興がもたらされたというイアン・ワットの小説史論に接しても、18世紀ヨーロッパの国民国家が、新聞と小説によつて想像の共同 体として統合されたといふベネディクト・アンダーソンの政治学的仮説を耳にしても、さほどの感銘を受けなかつたのは当然だらう。日本人にとつて小説は、相 変らず、社会と隔絶した藝術家による孤独で反社会的な作品なのである。(あの有名な名前のない猫)

Morris.がこのところ、少しずつ読んでた「想像の共同体」が「政治学的仮説」と軽くやりすごされてることに、ちょっと引っかかってしまった。東大英 文科を出て、翻訳も多くこなした丸谷だから、これも原文で読んだのではないかと思うのだが、どうも、Morris.が途中まで読んだ内容とはかなり食い 違っている、というか、あまりに瑣末的部分のみをとりあげての総括のように思える。まあ、感銘を受けなかった対象を「戦後の日本知識人全体」としているか ら目くじらを立てるほどのことではないかもしれないけどね。




【在日朝鮮人:歴史と現在】水野直樹、文京洙 ★★★ 2015/01/30 岩波新書1528

本書は、大きくは韓国併合前後から、植民地期の在日朝鮮人世界の形成を経て、戦時 期の試練へと至る時期を扱った第一章、第二章(執筆担当、水野直樹)と、朝鮮開放から、高度成長期以後の在日朝鮮人の世代交代や多様化を経て、、「グロー バリゼエーションの時代」へと至る時期を扱った第三章、第四章、終章(執筆担当、文京洙)の二つの部分から成り立っている。(まえがき)

1923(大正12)9月1日の関東大震災で、殺された朝鮮人の数は司法省の発表 では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造の調査では2711名とされるが、朝鮮人留学生らが「罹災同胞慰問団」の名目で行なった調 査では6415名という数字が揚げられている。日本政府が朝鮮人虐殺の事実を隠すために調査を妨害したので、正確な死者数は不明だが、千名単位の死者が あったことは否定できない。(第一章 定着化と二世の誕生)

関東大震災時の朝鮮人虐殺は、日本人としては実にやりきれない不祥事である。デマや風聞にのせられたとしても、日本人の側に、朝鮮人から仕返しされるといった気持ちがあったからだろうし、その元は朝鮮人への差別意識と侮蔑があったろう。

1938年に下関の学校が作成した資料は、全校児童の約20%を占める朝鮮人児童 の性格を「無気力、不熱心、勉学心乏し、積極的気風を欠く」「強情強い所があるかと思うと軽率、雷動的」「不道徳行為を平気でやる」「虚言を何とも思わ ず、羞恥心に乏しい」など、あらゆる否定的言辞で貶めた上で、それを矯正するには「日本人意識日本精神」を持たせ、「日本人の真の力を敬仰景慕せしめ日本 児童たることを至高とし感謝する情念を養う」ことが必要であるとしている。

恥ずかしい(>_<)

1939年以降の強制連行・強制労働の時期には、樺太の炭鉱に多くの朝鮮人が送り 込まれた。その数は2万人近くに上ると見られるが、戦争末期になると九州や北海道の炭鉱に移動させられた者も多く、正確な数字をつかむことができない。日 本敗戦時に樺太にいた朝鮮人の数は4万人以上といわれるが、これも正確には不明である。
戦後、ソ連領となった樺太からは、引き揚げ協定にもとづいて日本人が引き揚げたが、朝鮮人は引き揚げの対象とされず、サハリンに取り残されることになっ た。戦時期に動員された際、故郷に残してきた家族と連絡もとれない状態が長く続いた(ソ連崩壊後、ようやく韓国に帰ることができるようになった)。日本の 植民地支配と戦争動員が生み出した大きな悲劇である。


樺太に取り残された朝鮮人たちは、祖国へ帰るすべもなかった。理不尽の極みである。
むくげの会では数年前からサハリンを定期的に訪れて、返還団体と連携して当地の朝鮮人の調査や報告を行なっている。

敗戦後の特高警察の解体とともに興生会も解散することになったが、協和会・興生会 体制の下で進められた朝鮮人の皇民化、一部朝鮮人の親日化、さらには警察を軸とする朝鮮人の管理・統制などの問題は、戦後の日本社会、在日朝鮮人のコミュ ニティにも「負の遺産」として引き継がれることになる。(第二章 協和会体制と戦争動員)

戦前戦中の悪しき体制が戦後に持ち越されているというケースは、仔細に見ればかなり多岐多様にわたっている。死んだと思ったのが生き返ってくるということもある。

朝鮮戦争中の過激な反戦運動は、共産党と在日朝鮮人を日本社会のなかで絶望的なま でに孤立させた。共産党は52年10月に実施された総選挙では49年選挙で獲得していた30の議席をすべて失い、翌年4月の総選挙でも辛うじて一議席を獲 得したにすぎなかった。孤立感や徒労感が漂うなかで共産党や民戦内部でそれまでの闘争方式を「一揆主義」や「冒険主義」と批判する声が高まっていった。3 月のスターリンの死、7月の朝鮮戦争停戦、さらに10月の徳田球一の北京での各死などもあって、合法的な大衆路線への共産党の政策転換が在日朝鮮人運動の 「路線転換」を伴いながらすすむことによる。

Morris.は共産党のシンパではないが、日本共産党の政策転換は実にヘマだったと思う。

在日朝鮮人の国籍問題は講和条約の発効を控えて開かれた日韓予備会談(1951) でも議論されたが、韓国側は、国籍の選択権よりも在日朝鮮人を一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った。当時の在日朝鮮人の登録者56万人余 りのうち韓国籍保持者は17%にすぎず、韓国政府にとっては在日朝鮮人の韓国籍への囲い込みが重要であった。
一片の通達によって外国人となった在日朝鮮人は法律126号によって当面の在留は許されたものの、国外への退去強制規定を盛り込んだ出入国管理令の対象と なり、外国人登録証の常時携帯や指紋押捺を義務づけられることになる。一方で、日本政府は「帰化」をめぐる裁量権を名目にして好ましい者、つまり日本に完 全に同化した者のみを日本国民とする政策をその後も押し通した。




民戦時代の文化活動を代表する『ヂンダレ』の編集・発行に携わった金時鐘は、「思 想悪のサンプル」として組織の思想的引き締めや鈍化のための、いわばスケープゴートとなった。『ヂンダレ』は、53年2月、大阪朝鮮詩人集団の機関誌とし て創刊され、金時鐘のほかに鄭仁(チョンイン)、権哲沢(クォンゲテク)、梁石日などが日本語による創作を発表した。だが、これに対して総連は「民族虚無 主義」などの批判を浴びせた。朝鮮語による「愛国詩」の創作を求める総連に対して金時鐘は、「詩を書くことと愛国詩を書くこと」は無関係であり、「在日」 という特殊性は、祖国とはおのずから違った創作上の方法論が必要だと反論した。「批判は58年から65年まで延々と続き、丸10年表現活動ができなかっ た」と、金時鐘はふりかえっている。巨大化した組織と、「在日を生きる」表現者の自己意識との齟齬が明らかとなりつつあった。

以前学生センターでの金時鐘さんの講演のあと、打ち上げで、現物の「ヂンダレ」を手にして当時の話を伺ったことを思い出した。

1958年の中留集会以降、にわかに帰国運動が大規模化した背景について最近の研 究は当時の東アジアの冷戦構造のなかでの北朝鮮の状況判断や政策変化をいちように指摘している。要するに北朝鮮は、金日成単独支配の確立や社会主義建設で の達成をふまえて、日韓の離間や日朝関係の推進、対南戦略、さらに経済建設の人的資源の確保など複合的な利益を求めて大量帰国政策に踏みきり、総連もそれ までの方針を変えて、組織を挙げてそのためのプロパガンダを展開したのである。(『日朝冷戦構造の誕生』朴正鎮)
だが、もちろん、在日朝鮮人の歴史の中でも最大規模の運動といえる帰国運動が、北朝鮮の指令や総連のプロパガンダだけで実現しうるものではない。言うまで もなく、多くの在日朝鮮人が日本での生活に見切りをつけ祖国に夢を託した背景には、なんといっても救いがたいほどの貧困や差別があった。(第三章 戦後在日朝鮮人社会の形成)


それにしても、あの当時、北朝鮮に「帰国」した在日朝鮮人(ほとんどが半島南部出身)たちのその後を思うと、暗澹たる思いに襲われる。

「法的地位協定」(1965)にみられる日本政府の本音は、東アジアの冷戦政策の 遂行上、韓国籍保持者に限って「永住権」を付与するが、その中身はできるだけ限定したい、というものにほかならなかった。当時の首相、佐藤栄作は、国会答 弁で「永久に永住権、居住権」を認めて、「外国人として特殊な生活様式を持つこと」は「将来に禍根を残す」と述べたが、マスコミの論調もこれと似たり寄っ たりであった。
「朝日新聞」も、「子孫の代まで永住を保障するとすれば、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題を抱え込むことに」 (1965/03/31付社説)なると書いた。日本側のこうした同化主義は、韓国側の在日に対する「棄民政策」と表裏の関係にあった。65年、李東元外務 部長官は、「在日韓国人は日本人に同化される運命にあり、在日韓国人に対して、そのような方向での日本国民の配慮を期待する」と語り、当時の韓国政府の認 識を露わにした。


「地位協定」というと反射的に日米安保条約の下の日米地位協定を思い出してしまう。日韓の地位協定もやはり不平等に満ち満ちているようだ。韓国の在日朝鮮人「棄民政策」というのも、日本の南米移民「棄民政策」に通じるものがある。

在日企業の揺籃期に総連が商工会や朝銀を介して果たした役割は実に大きい。しか し、70年代には、在日企業の稼ぎだした富が総連を介して北朝鮮に吸い上げられるという仕組みがつくり出される。85年、金日成は、総連結成30周年の記 念式典に祝電をおくり、在日商工人を「総連の基本群衆」「愛国の主人」ともちあげた。だが、すでに代替わりを経つつあった同胞の商工人たちにとって北朝鮮 への献金は、愛国心よりも、帰国した親族の生活や地位向上を願っての上納金といった意味合いを少なからず帯びていた。(第四章 二世たちの模索)

帰国運動で北朝鮮に行った在日朝鮮人たちは、残った在日朝鮮人に対する「人質」になってしまい、総連は人質のために「上納金」を送り続け、いつのまにか自分で自分の首を締めてたということか(>_<)

80年代は日本人の他者認識に變化が兆し始める時期であり、日本人の韓国への関心 も、それまでの政治・経済などハードな分野に限られていたものが、料理、音楽、映画といいたソフトな大衆文化を中心としたそれに傾きはじめる。80年代初 めには趙容弼の「釜山港へ帰れ」が大ヒットし、84年には、NHKで「ハングル講座」が開設される。関川夏央の『ソウルの練習問題』(1984)や四方田 犬彦の『あんにょん・ソウル』(1986)など韓国を普通の外国として眺める戦後世代の言説も注目を集めるようになり、88年ソウル五輪を前後する時期に は、韓国の大衆文化が「韓国ブーム」という形で日本社会に受容された。

まさにMorris.はこの時期に韓国デビュー(^_^;)した。特に関川夏央の「ソウルの練習問題」は刺激になった。

2000年代以降には韓流ブームに乗って、コリアタウンは関西の観光名所としてにぎわうようになった。
1989年の韓国での海外旅行の自由化がいわば「ニューカマー元年」だとすれば、それからすでに20年余りの歳月が流れ、その多くは「ニューカマー」とい う言葉がもはや不自然なほど日本の地域社会に定着した。猪飼野では、そうしたニューカマーがオールドカマーの生活世界と摩擦や融合を繰り返しながら歳月を 重ねて固有の慣習や文化をもつ生活圏が形づくられてきたといえる。だが、大久保では、オールドカマーの影はいたって薄い。グローバル化の下で意味が改めて 問われようとしているのである。

その韓流ブームもそろそろ頭打ち、在日外国人の中で朝鮮/韓国人の割合は1/3くらいになっている。帰化する人の数が増加しているようだ。Morris.は鶴橋、猪飼野付近がフランチャイズ?だが、たまには大久保付近にも出張ってみたいものだ。

【嘘だらけの日韓近現代史】倉山満 ★☆  2013/12/01 扶桑社新書
まあ、タイトルと出版社見ただけで、どんな本かは想像がつこうと言うもの(^_^;)
著者の名前も知らないが73年生まれで、憲政史研究者を名乗っている。本書の前に「嘘だらけの日米近現代史」「嘘だらけの日中近現代史」を出しているらし い。2チャンネルなどのネット右翼レベルの内容だろうが、トンデモ本を読むつもりで冷やかしてみることにしたのだ。予想通りかなり偏向した内容だが、とこ ろどころまともそうな意見も散見した。
一応時間軸で七章に分かたれてるが、その小見出しのいくつかをあげておく。

・「高麗」他国の英光は自分の歴史
・「世宗大王」愚民に文字を与えた名君
・朝鮮半島は秀吉の「通り道」だった
・無礼な朝鮮--征韓論の真相
・「日清戦争」は朝鮮の約束違反が招いた
・「日露戦争」はロシアに媚びた朝鮮が招いた
・朝鮮など併合したくなかった
・朝鮮人を守るために満洲事変が起きた
・帝国陸軍の申し子、朴正煕
・北朝鮮に核武装を許した金大中
・泥舟中国にすり寄る朴槿恵


(^_^;)(^_^;)(^_^;)

古代史本はミステリアスで面白いストーリーが作れるので根強い人気がありますが、私は史学科出身で、隣の席でコツコツと研究している古代史研究者の姿を知っているので断言します。日本古代史で面白く突飛な主張をする人はすべて偽物だと思って下さい。

たしかに、古代史トンデモ本は多いけど、それが「面白く」読めればそれでいいとも思う。

韓国では常に真人間が非業の最期を遂げます。その真人間の定義とは、「愛国者」で「親日派」です。


「チニルパ(新日派)」は、韓国では最大級の罵倒語で、これは何とかならないものかと思ってしまう。基本的には植民地時代に日本におもねった人々を呼ぶ言 葉だったらしいが、戦後、日本のことをよく知って、仲良くしたいと思う韓国人がこの罵倒語のために、その気持を素直に出せないこともあるのではないだろう か。

東学党とは、西洋の経済や文化的な侵略に対し、東洋本来の精神で対抗しようとしたと理解されていますが、より正確には朝鮮ナショナリズムの追求です。
西洋の文物を取り入れようとする開化思想も、儒教精神に則った衛正斥邪思想も両方排して、民衆の救いを目指そうと1860年に崔済愚がはじめました。儒教 のような難解な学問ではなく、「天に感謝すれば救われる」という単純極まりない教えを信じればいいだけという教義なので、ほとんど文字がよめなかった朝鮮 の民衆にも急速に普及します。
第二代崔時享のときに、日清戦争の原因となると日本の教科書でも必ず紹介される東学党の乱が起ります。とにかく、思想性はあまりないけれども、民衆の気持ちをつかんで勢力を張ったのが東学党です。


この東学党に関しては、むくげの会の信長正義さんが地道に研究を続けている。

明成皇后こと閔妃こそ、日韓人民共通の敵です。「人を殺すのは良くない!」というような当時の李氏朝鮮には全く存在しない価値観でも持ち出さなければ、閔妃殺害を指弾することは不可能でしょう。韓国人の立場に立てば、閔妃はドイツ人におけるヒトラーのようなものです。

閔妃が暗殺された現場である景福宮で、その石碑などを探したが見つからなかった。以前には石碑と祠みたいなのがあったと思うのだが。どんどん復元して新しい建物が増設されている中で、どこかに移されたのだろう。

そもそも論ですが、日本は朝鮮を「侵略」したと言いますが、なぜ悪いのでしょうか。確かに現在「侵略」は悪いこととされていますが、いつから悪いことになったのでしょうか。むしろ、日本が韓国を併合した1910年の価値観では、「侵略」はいいことでした。
ちなみに、国際法として「侵略」が悪だという価値観が定着するのは、1945年に51カ国によって署名された国連憲章です。1917年のアメリカ大統領 ウッドロー・ウィルソンの「勝利なき平和」や1928年の不戦条約にもそういう傾向が見いだせますが、確立するのは1945年であって、それ以前に「侵略 は悪だ」などということ自体がナンセンスなのです。


おお、ものすごい開き直り論ぢゃ(^_^;) 著者の本領発揮といったところ。こんなの読んで、2チャンネルなどに孫引きするものが多いのだろう。

根本的なことを指摘すると、当時の日本人が「韓国を植民地にした」などとはしゃいでいながら、「植民地に投資する」というよくわからない行動をとったことが問題なのです。
結論から言えば、日本人には真の意味での植民地経営は無理でした。少なくとも善意の塊のような日本人には、朝鮮支配は無理です。


「善意の塊のような日本人」(>_<) うーん、よくまあ、こんなこと言えるなあ。

従軍慰安婦--戦地売春婦のことですね。彼女らはお金をもらっていましたが、あなたはこの世のすべての売春を廃絶しようという立場なのでしょうか。
強制連行といいますが、要するに女衒です。親に騙されて売られた少女がいたことを日本国の責任にしたいのであれば、買春したことのあるすべての男性を裁いてから言うべきです。


橋下発言を思い出した。

最終的に、朝鮮戦争は米中の戦いになっています。金日成も李承晩も敗走を重ねるご とに、それぞれの陣営で発言権をなくしていくのですが、反対派の粛清だけは忘れません。韓国検定教科書の言う、「戦争の結果、南北双方で独裁が強化され た」という結果につながっていきます。二人とも戦争責任を問われたくないから、それぞれの国で反対派を粛清して独裁を強めたのです。

李承晩は独立運動などほとんどやらず、戦時には米国の保護下にあり、解放後帰国してアメリカの後ろ盾で大統領にしてもらったのだが、朝鮮戦争でもほとんど無策だったようだ。

北朝鮮は朴正煕政権のことを「ファッショ独裁殺人鬼一味」と呼んでいたものですが、鏡に映った自分のことを指していたのでしょう。
日本では、朝日新聞を代表するメディアが朴正煕を「悪の軍事独裁政権」と蛇蝎の如く嫌う反面、北朝鮮のことは「地上の楽園」と礼賛していました。


たしかに当時の日本のマスコミの朝鮮半島への論調は、そのとおりだったと思う。

デフレで広告収入が減り、「制作費を赤字にしないプロデュ-サーこそ仕事ができる 人」という文化に変わります。ドラマでも報道でも、かつての一本分の制作費で三~四本の番組を作る、そもそもお金のかかるドラマよりも安易なバラエティ番 組を作るという風潮になってしまえば、良い番組など作れません。面白くないから、視聴者が離れ広告収入が減る、お金がないので益々面白い番組を作れなくな る。まさにデフレスパイラルそのものになってしまうのです。さらに、テレビ業界全体の自主規制が輪をかけます。
そんなところに、韓国政府の補助金によってダンピングに等しい価格で販売された韓流ドラマが流れてくると、飛びつくのはとうぜんではないでしょうか。


これは日本のテレビの現状を、正しく捉えていると、大いに共感するところだった。著者の言いたいのは、それゆえに韓国ドラマブームになったってことだけどね。

かつて、ソ連は自民党に工作を仕掛けるときに、あえて反共のタカ派に目をつけたそうです。そして、「反ソ」で構わないから「反米」であればスパイに仕立てあげられるというリアリズムに徹したのです。
日本が見習うべきはこれではないでしょうか。「反日」でも構わないから、「反北」であれば共闘できる。朴正煕のときの「昼は反日、夜は親日」などはその理 想型とも言えたのです。日韓現代史で悲劇なのは、二つです。韓国が「反北」ではないこと。もうひとつは、日本が弱すぎることです。

佐藤優の「インテリジェンス論」の模倣だろうか。

安部首相がやろうとしている「戦後レジームからの脱却」、すなわち「敗戦国からの脱却」には多くの抵抗勢力が存在します。敗戦国である日本から利権を得ている勢力にとって、間違いなく安倍政権は邪魔な存在です。
日米同盟を強化しつつ、中韓以外のアジア太平洋諸国との友好関係を強化し、英仏をも招き入れるダイヤモンド構想は、久しぶりの自主外交の姿でした。
長年の懸案であった集団的自衛権の解釈変更に関しても道筋をつけ、戦後最強の官庁と言われていかなる政権も介入できなかった内閣法制局長官人事で意中の人物を送り込みました。


やっぱり著者は安倍派の一員だった。この「意中の内閣法制局長官」というのは、先般の国会答弁で、ブーイングの的だった横畠裕介のことかと思ったが、出版 時期からすると、小松一郎のことらしい。こちらも国会答弁で共産党議員から「安倍総理の番犬」呼ばわりされたらしい。




【日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土】孫崎享 ★★★ 2011/05/10 ちくま新書
2012年刊行の「戦後史の正体」を最近読んで大いに共感を覚えた直後に、本人の講演聴く機会があって、他の著書も読まねばと思ってたが、日本の国境問題を取り上げた本2冊を立て続けに読むことが出来た。
本書は新書だけに、分かりやすかった。

尖閣・竹島・北方領土。領土は魔物である。それが目を覚ますと、ナショナリズムが燃え上がる。経済的不利益に、自国の歴史を冒瀆されたという思いも重なり、一触即発の事態に発展しやすい。突き詰めれば、戦争はほぼすべて領土問題に端を発する。(カバー袖書)

なかなかうがったキャッチコピー(^_^;)である。

領土問題は領土問題単独では問題にならない。一番多いケースは国の内外情勢が悪い時、ナショナリズムを煽り、世論の支持を得ようとすることである。
政治家が対外的に強硬姿勢を取ることは、どの国でも最も安価に支持率をあげうる手段である。


李明博の竹島(独島)上陸が思い出される。

「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国并ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(1945/08/02-ポツダム宣言)
日本の範囲に含まれる地域として「四主要島と対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島を含む約一千の島」とし、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」としている。(1946年1月 連合軍最高司令部訓令)


ポツダム宣言に関する野党の質問に、安倍総理が知らんぷりを決め込んだのは、ポツダム宣言を無いものにしたいというのが、彼の本音なのだろう。もう一つの訓令をそのまま受け入れれば、竹島(独島)と北方領土問題は、初めから問題にならないことになる。

今日、米国にとって安全保障上の最大の課題は中国になった。米国国内では中国との 関係で、中国を自分たちの方に引き込み宥和政策をとるグループと、あくまでも中国と対決することを望むグループに分かれている。前者は金融・産業界であ る。後者は産軍複合体である。いずれも米国内で強力な基盤を有する。一方が完全に優位に立つことはない。米国の対中国政策は、今後絶えず協調路線と対決路 線の間で揺れ動く。

ちょうど現時点で習近平がアメリカ訪問中だが、アメリカは「米中」2G体制でほぼ決まってるように思う。

リチャード・アーミテージ元米国務省副長官は著書の中では「日米合同で合同上陸作戦訓練を行うべきだ。パラオでもマーシャル群島でもどこでも。日本はもう少し軍備にお金をかけることができるでしょう。たとえば憲法九条を破棄したらどうでしょう」と言っている。

「たとえば憲法九条を破棄したらどうでしょう」なんてことをアメリカの政治家が著書に書くということ(^_^;)

尖閣諸島では中国が攻めてきた時には自衛隊が守る。この際には米軍は出ない。ここで自衛隊が守れば問題ない。しかし守りきれなければ、管轄地は中国に渡る。その時にはもう安保条約の対象でなくなる。
こう見ると、「日本は北方領土、竹島、尖閣列島を守るためにも、強固な日米関係が必要である」と一般に思われていることが、実はどれもこれも自明ではない。

ここがキモかもしれない。

紛争が発生した時、異なる見解を持つ相手を力まかせで従わせようとしても、簡単にいかない。しかし、相手が紛争解決に利益を見いだすなら、事態は簡単に解決する。平和的手段は一見頼りない。しかし有効に機能させれば、最も効果のある手段となる。

「利益」至上主義(>_<) これは人類発生以来大きな主導原理である。

平和的手段の類型
1.相手国と直接交渉し、合意点を見いだすこと。
2.国連等の政治的取り決めに依存すること。
3.国際司法裁判所など国際的な司法に解決を委ねること。
4.紛争の生じうる可能性のある相手国と地域機構を構成し、紛争の対象よりもはるかに利益の大きい協力関係を築くこと。


ここでもやっぱり「利益」ぢゃ。

尖閣諸島への中国の武力行使が国連憲章の「領土保全に違反する」ことを、中国政府や国際社会に訴えていくことは、十分抑止力となる。
将来、日・中・ASEAN諸国との間での協力を安全保障に広げ、ここでASEAN・中国で合意している「領有権」紛争は武力行使に訴えることなく、平和的手段で解決する」を日・中・ASEANに拡大できれば、日本外交の大成功となる。

これは今の日本政府外交では、まず無理だろう。

権利留保条項(without prejudice clauses)は二国間交渉と同様、多国間交渉においても有効である。
武力紛争に持ち込まないとう意識を持ちつつ、各々の分野で協力を推進することが、平和維持の担保になる。
領土問題の重要なポイントは、領土問題をできるだけナショナリズムと結び付けないことである。
しかし、政治家の中には、自己の勢力を強め、自己が推進したいと思う政策を推進するために意識的に領土問題を煽る人々がいる。
私たちは、政治家が領土問題で強硬発言をする時、彼はこれで何を達成しようとしているかを見極める必要がある。


Morris.は領土問題は、話し合いでは解決しないとずっと思い込んでいた。といって、すぐさま武力行使というわけにはいかない。つまり永遠のディレン マだろう。ナショナリズムを表に出すと、たしかに引っ込みがつかなくなる。島国である日本の場合、国境問題は概ね海洋に点在する島が舞台となるだけに、問 題が見えにくい。それがいいのか悪いのかわからないが、尖閣に関しては「寝た子を起こす」ような愚を犯した石原都知事(当時)の罪は大きい。そして、背後 にあるアメリカの思惑を瞬時も忘れてはならない、というのが著者の持論である。




【検証 尖閣問題】孫崎享 ★★★ 2012/12/21 岩波書店
孫崎と数人の識者による対話が中心となっている。

尖閣諸島問題が浮上するとともに、安倍自民党総裁等自民党議員等から集団的自衛権の行使を実施すべきだという声が強まってきた。ここでいう集団的自衛権は日本の防衛とは直接関係がなく、自衛隊を海外に派遣するためのものだ。

「集団的自衛権」ではなく「集団的他衛権」であり、専守防衛とは全く相反する考え方である。

集団的自衛権の推進者たちは「国連で認められた権利であり、これを行使できないの はおかしい」という論を展開している。しかし、これは間違いだ。彼らが行おうとしていることはむしろ、武力行使を相手国が軍事的攻撃をした時に限定しよう とする国連憲章の精神に反するものである。自民党等の主張する集団的自衛権は先制攻撃の一部分である。そして米国が「国際的安全保障環境の改善のため」と 称して行う軍事行動はイラク戦争やアフガニスタン戦争、リビア攻撃を見てもわかるように、不当に戦争に入っていることが多い。
集団的自衛権の問題が浮上しているのは、尖閣諸島をめぐる動きを日米軍事協力の強化に利用しようとする動きの一環である。


こういった物言いを「陰謀論」と非難する輩も多いが、Morris.はこれこそまっとうな「正論」だと思う。

天児慧 石原さんがああいう揺さぶりをかけて、日本政府がそれに対する対応に追われていく。私は、極端な言い方をすれば、日本の国有化というのは、まさに現状維持 を内部的に保証する手続きであったと思います。しかし、それはいくら説明しても中国側は、「国有化」の意味としてそれは受け止められない。
やはり日本の外交が少し中国の動向の読み方を誤っていたのではないかと思います。
日本はもっと冷静になって、少なくとも中国側の面子を立てることをしなくてはならない。国有化に踏み切ったというのは、中国にとって実質的な問題もありますが、それ以上に面子の問題でもあるわけです。

石原元都知事のスタンドプレイにあたふたして、国有化した民主党野田総理(当時)の対応は外交のいろはを知らない素人丸出しのやり方だったな。

小寺彰 日 中関係と言うのは非常に難しいものだと思っています。日本と中国の経済関係は、日米関係を越えていまや日本にとって最大のものになっているのですが、他方 で、中国共産党の正統性の一つは反日戦争を戦い抜いたことにあるということで、どうしても反日的なエレメントが伏在しているわけですね。そういう微妙な関 係の中で、都が尖閣諸島を取得するという方針を出した。このように難しい関係にある国に対して一歩踏み込む時は相当慎重でなければいけないのに、尖閣諸島 は日本の領土だからやりますというようなきわめて単純な理屈で行なわれたことに、私は大きな憤りを覚えます。

日中戦争で日本軍と戦ったのは、毛沢東の共産党ではなく、蒋介石の国民党だったのではなかったか。それはともかく、反日は国民感情というより、中国政府の 恣意的「道具」として利用されている気がする。だからといって、日本が「嫌中」で対抗しても始まらない。ここは慎重のうえにも慎重にやるべきだった。

石川好 2年前の漁船衝突の時に民主党がやったことは、ほとんど世間知らずで、所轄官庁の前原国土交通大臣に海上保安庁から情報を上げたら、「船長を逮捕」と言っ てしまうわけです。赤塚不二夫の漫画と同じで、「逮捕」と(笑)。岡田外務大臣もすぐに「逮捕」、仙石官房長官も弁護士だから「逮捕」と言ってしまった。
今中国の内部で起きている一番恐ろしいことは何かと言うと、第二次大戦の否定までにおhンはしようとしている、と見ていることです。いま安倍さんが、宮沢 談話、村山談話、これは侵略戦争であったことを認めたものですが、それから河野談話、この三つを否定する、と言っている。これは別に国会で決めたわけでは なく、内閣が踏襲しているだけですが、これを安倍さんは、自分が政権をとったら全部やらないと言っているわけです。これをやらないと言った瞬間、中国は国 交正常化を全部廃棄に出ます。次に何をするかというと、倍賞を請求します。これはもう内部で議論が始まっている。

民主党は世間知らず、安倍内閣は怖いもの知らずということか(>_<)

宋文洲 (自著『やっぱり変だよ日本の営業』の)最大のポイントは精神論を否定したことです。根性さえあれば売れるというのは嘘に決まっている。お客さんはニーズ があって買ってくれるのであって、根性を見せられても買わない。外交問題もそうでしょう。外交というのは、お互いの合意や解決のことであって、相手を全く 無視して自分だけの、つまり国内だけの根性で頑張ると言ったって、それは外交ではない。だから僕は、外交の問題を解決するのに、まず相手がどういう状況か を知ることが大事だと思うわけです。それは妥協するという意味ではないんですよ。

確かに外交は営業である(^_^;)

羽場久美子 日本の思い違いということですが、日米同盟を堅持していればアメリカは日本の側についているという状態は、もう終ったのではないかと思うのです。冷戦が終 焉してから、そして特に2010年、日本が中国にGDPで追いぬかれ、日本がアメリカに忠誠を誓えば誓うほど、日本に対するアメリカの過小評価はすすむの ではないか、日本のことは考えなくなるのでは、と考えます。
アメリカの言うことを聞いていれば日本はうまくいったという60年があったために、この後うまくいくという保証は何もないにもかかわらず、アメリカと結ん でいることが日本の国益であると考えるようになってしまった。これが21世紀のアメリカにとって、日本は考慮しなくてもよい存在になった原因ではないか。


時代が変わっていることを、見て見ぬふりをしている日本。いや見えないだけなのか?

孫崎 羽場さんが、日本はアメリカと結ぶことで経済的に繁栄したと言われましたが、確かに、85年まではそうだったと思います。しかしそれ以降は、アメリカは日 本の経済の脅威に対してどう対抗するかを考えたわけです。それで、プラザ合意で円高に持っていった。それからバーゼル合意で日本の銀行に足かせをはめた。 1990年代初めに比べると、アメリカのGDPは二倍以上になっていますが、日本の対米輸出は全く伸びていない。

日本側の、いわゆる「営業的」敗北。

岩下明裕 私の考えるアプローチは二つです。一つは、歴史問題からこの問題を切り離すこと、もう一つは、島を空間利用の問題として、お互いの利益になるように考える ことです。その場合、地元の人達がどういうことを望んでいるかをきちんと踏まえて、枠組みを作っていく。そういう現場の目線を大事にした境界地域の利用と いう形が、境界紛争をナショナリスティックにせずに平穏な場へと戻していく重要なアプローチだと思います。

これはいささか安易な考え方と思える。




【いい階段の写真集】 BMC(ビルマニアカフェ) 写真 西岡潔 ★★★☆ 2014/01/12 パイ・インターナショナル
BMCは大阪の建築愛好家グループらしいが、「月刊ビル」という不定期雑誌も発行しているとか。本書より前に「いいビルの写真集」がある。
「いい階段40選」「いい階段の見どころ」の二部構成だが、Morris.としてはガイドブックとして読んだ。
印象的だったものを列挙しておく。太字は訪れてみたい物件と旧知のもの。外付け階段なら問題ないが、内部の階段となると、建物に入られなければ見られないわけで、結構敷居が高いものが多い。

関西大学(千里山キャンパス)村野藤吾 簡文館の螺旋階段
大阪府立中之島図書館 中央ホール階段
USEN 大阪ビル旧館 朱色の螺旋階段 大阪市中央区高津
北浜レトロビルヂング 空色の木製階段 中央区北浜1-1-26
大丸心斎橋本店 ヴォーリズ作品
山本仁商店 エントラス螺旋階段 京都市中央区室町通鯉山町529
綿業会館 渡辺節 中央区備後町2-5-8
芝川ビル マヤ・インカ風デザイン 中央区伏見町3-3-3
生駒ビルヂング レッドカーペット大理石階段 中央区平野町2-2-12
新阪急ビル 屋外避難階段(普段は吊り上げられている)
大阪駅前第2ビル 噴水吹き抜け双方向階段
青山ビル 野田源次郎旧邸 スパ二ッシュスタイル ステンドグラス 中央区伏見町2-2-6
妙像寺 箱庭付螺旋階段 中央区谷町8-2-14
大阪神ビル 百貨店X階段
大阪倶楽部 階段室色硝子 中央区今橋4-4-11
志の志め苑 賃貸アパート 中央区玉造2-28-23


同じグループで「いいビルの写真集」も出しているらしいので、これもチェックしたい。




【紀州 木の国・根の国物語】中上健次 ★★★☆☆ 1978/07/29 朝日新聞社 初出「朝日ジャーナル」
中上健次(1946和歌山市新宮生れ、1992没)は気になりながら何故か読めずにいる。1946年和歌山県新宮市の生まれである。被差別部落出身で部落のことを「路地」と呼び、血族と共同体を土俗的に泥臭く作品を書き続けた。
その中上健次のこの本は、かなり異色のルポルタージュである。何故これを読もうと思ったかというと、斉藤美奈子さんがこの本を取り上げていたからである。 実はちょっと疑問を感じる部分があって、それを確かめようと思って、中央図書館の書庫から出してもらったのだが、ついつい読み通すことになった。

(新宮の花柳界)大王地の「養老館」とは、幸徳秋水や大石誠之助が、酒を飲んだと ころである。大逆事件は、大逆という汚名を着せ、キリスト教徒や新思想者を拘引処刑することによってイメージとしての隠国を熊野に引き落とし、地方分権、 地方文化を一挙に中央集権化したものと私は取る。(序章)

初めから挑戦的である。大石誠之助は新宮の医師で、大逆事件で処刑された12人の一人である。

穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しいと思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった。(新宮)

差別と美の関係にはただならないものがある。

この子大事じゃ おもしのたね
この子おといたら ままあがり

ままにならぬと おひつを投げる
そこらあたりは ままだらけ

もりはらくなもんじゃ らくなもんじゃいうけど
おうみやんせ なにゃらくじゃ

こんな泣く子を 一日おうたら
手足ゃ棒になる 杖になる

こんな泣く子を てんまにのせて
沖のまん中 おいてこい(和深)

本書には土地土地のわらべうたや伝承歌謡が引用されている。この子守唄は海辺の者ならではである。マザーグースにも隠されたおどろおどろしさが魅力の一つとなっているが、この子守唄は直截で、美しい。

私は小説家である。事物をみてもほとんど小説に直結する装置をそなえた人間であるが、一瞬にして、語られる物語、演じられる劇的な激そのものを見、そして物語や、激からふきこぼれてしまう物があるのを見た。
若い青年が腐肉のにおいを相手にして仕事をしなくても、他に色々仕事はある、と思いましたし、物の実体、ここでは自動車洗いに使うハケや歯ぶらしという商 品であるが、その物、商品の実体はみにくいとも思った。人が、そのみにくい実体に顔をむけ、手を加え、商品という装いにしてやる。いや、そこで抜いた馬の 尻尾の毛が、白いものであるなら、バイオリンの弦(ゆんづる)になる。バイオリンの弦は商品・物であると同時に、音楽をつくる。音の本質、音の実体、それ がこの臭気である。塩洗いしてつやのないその手ざわりである。音はみにくい。音楽は臭気を体に吸い、ついた脂や塩のためにべたべたする毛に触る手の苦痛を ふまえてある。弦は、だが快楽を味わう女のように震え、快楽そのもののような音をたてる。実際、洗い、脂を抜き、漂白した馬の尻尾の毛を張って耳元ではじ くと、ヒュンヒュンと音をたてる。(朝来 あっそ)


実はこの部分が、確かめたいところだった。馬の尻尾で作るのはバイオリンの弦ではなく弓ではないかと思ったからだ。ここでは「ゆんづる」と振り仮名があるから。「弓と弦」という意味かもしれない。

雑賀孫市、確かに魅力的な人物である。私がその人物を魅力的だと思うのは、闘って 敗れた者への判官びいきに負うところが多い。つまり貴種流離譚である。そこでふと私は、敗れた貴種の系譜というものを考えてみた。雑賀孫市-大塩平八郎- 「大逆事件」というふうにである。大逆事件は大石誠之介、高木顕明でもよい。それはとっぴな小説家特有の発想かもしれない。いや、私がもし伝奇小説、伝記 的空想小説の作家であるなら、そのとっぴな発想をもとに、一種神話的なくまどりの濃い謎を持つ三人が、実のところ同一人であった、とする小説でも書きたい ものだと思う。

これは是非書いてもらいたかったな。いや、石川淳の伝奇的作品がこの趣向に近かったか。

切って血の出る物語とは、ここでは被差別者であるとの烙印をわれとわが腹の子から ぬぐいとろうとする努力である。差別、それは人をまで殺す。差別、被差別、口ではたやすい言葉である。簡単に差別は生み出され、差別するが、烙印を押され た以上、簡単には被差別から抜け出すことは出来ないのが、この日本社会の構造である。
所謂差別語なるものが、穢多、非人から新平民、水平社、と次々、その時代に合わせて"差別語"として使われてきたことからも明らかである。(有馬)

簡単に生み出され、抜けるのは至難の業。差別と戦争に通底するもの。

私は、このどこにでもあるなつかしい稲の煙のにおい、女性ではなく母親のような女 の立ち働く姿を見て、この光景を、回路にかけて分光することがむごい事だと思った。いや、この旅は、そのむごい事をする覚悟で出た旅だった。紀伊半島とい う日本の日本たる特性のはっきりした場所を、回路にかける。風景、事物、それらは一変して見える。ここでは稲という日本的自然の粋を集めて植えられ刈られ る植物であり、米というヌエ的商品を作り終えたのちの、光景である。確かに米というものは、日本的自然の粋だった。寒暖が露骨であれば稔りが悪く、すべて ほどほどがよいとされる。そして「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」という不快な植物である。(紀伊長島)

コメ=ヌエといいい、不快な植物と言い放つ。これが中上節だろう。沙翁マクベス冒頭の魔女たちのコーラスの変奏ともいえるかもしれない。

日本的自然において古代の天皇とは、日と影、光と闇を同時に視る神人だったように 思う。賤民であり同時に天皇であるとは、謡曲「蝉丸」を待たずとも、光と闇を同時に視る人間の眼でない眼を持つ神人のドラマツルギーであるが、「これはあ きまへん、とこちらからサジを投げてかかる」という(部落の存在しない地方に育った)治者が、差別者であり同時に被差別者である神人でない故に、治者のや る事はことごとく玩物喪志であり、改良主義であり、せいぜい善意でしかない。ということは、被差別は差別するということである。被差別こそが差別しなけれ ばならぬ宿命と言い直そうか。この日本では文化、芸能、信仰等において、被差別は差別するというのが一種テーゼとしてあったはずである。

対立概念を強引に同一視するというのは、ありがちな方法だが、賤民と天皇を両極におくやり方を「賤民」を出自とする中上としては、一種の「選民主義」といえるかもしれない。

豚はここではまぎれもなく食肉という商品になる豚である、とそのおびえる事も忘 れ、ただうずくまった二頭の生きた豚にカメラを向けながら思う。私はその屠場の中で写真を撮ったのは、従って、物ばかりである。屠殺している現場の写真を 撮らせない、と男が言った言葉を思い出し、生き物を屠殺する者の痛みを考えた。獣の皮をはぐ者が生皮をはがれるその痛みについてである。ここでは牛は単に 物としての牛であり、同時に生命をもった生き物である。屠場のそこで血がおびただしく流れる牛の生暖かい体を想像し、物であって生き物である牛を屠殺する 事こそ、見ることが不可能な闇と光を同時に視る事とつながろうと思った。男の眼は深い。
屠殺とは神人の業である、と思う。(松阪)

先の「選民主義」の可視化だろう。

この日本の小説家のすべての根は、右翼の感情にもとづいていると思ったのだった。
私が言う右翼の完成は、日本的自然の粋である天皇こそが差別者であり同時に被差別者だということを知った者の言葉の働きである。いやここでは、私は自分を右翼的感性の持ち主である、と思ったと言えば済む事かもしれない。(伊勢)


右翼と左翼も一見両極のようだが、これは対照的な対応に過ぎない。中上が右翼的感性というのも、実は個人的な感情だろう。

物語を求めて、吉野・五条に来て、私は、物語の毒に犯されている私自身を視る想いがする。物語とは何だろうか、と思う。もちろん、私の直感は、セイタカアワダチソウのそれである。根に差別の毒を持ち、夜にあわあわと、昼に黄色に光る花を持つ。
ここでは人々が生きているのではなく、物語のみが生きて、人の血を吸い、人の声を伝って語り継がれているのである。
その物語を、私は信じるしかない。その物語を信じなければ、物語に取り殺される。いや事実、事物に囚われ、物フェティシズムに陥り、眼が視力を喪う。物語を信じるとは、事実、否応なしに諸関係の総体である事を知ることでもある。(吉野)


セイタカアワダチソウ(背高泡立草)はアレロパシー効果(根から毒素を出して周囲の植物を抑制する)を有し、モグラやネズミの糞尿や死体を肥料として成長し、昭和40年代には爆発的に繁殖した。中上はこのことを知って、比喩として用いている。

部落「問題」とは、絶えず生なましい。その自浄作業とは、まず皮革工場の経営者に 対する皮革労働者の闘争であると私は見た。50名の青年労働者が、それぞれ零細工場の中から集まった労働組合のような形を見せている。そして、それが部落 産業の一つにも数えられている皮革であるゆえ、経営者即ち部落ボス、労働者即ち部落大衆という形になっている訳である。いままでの部落解放運動なるものが 部落の一人二人を成り上がらせ、一等解放運動の手が差しのべられるのを待っている部落大衆をいつまでも置き去りにする、と片山悦蔵氏と上迫誠朗氏は言う。 (和歌山)

部落問題の生々しさ。その底に、屠殺、皮革製造過程での異臭がある。昨今の消臭剤、防菌商品の押し付けがましさが、日本の差別意識の無意識的表れのようでもある。

差別、被差別の回路を持って私は、紀伊半島を旅し、その始めに紀州とは鬼州であり、喜州でもあると言ったが、いまも私にはこの紀伊半島そのものが輝くほど明るい闇に在るという認識が在る。ここは闇の国家である。日本国の裏に名づけられていない闇の国として紀伊半島がある。
差異と差別とはよく似ているが違う。差別とはあくまで四の機構であり、差異とは「三」奇数の事であろう。文学で言えば序、破、急という短編小説であり、批評文の書き方にもなろうか。
紀伊半島で私が視たのは、差別、被差別の豊かさだった。言ってみれば「美しい日本」の奥に入り込み、その日本の意味を考え、美しいという意味を考える事でもあった。
ここにたとえば「美しい朝鮮」という命題を入れてみよう。差異とは、朝鮮と日本の間にある。
ここが何故、日本なのか、日本の紀伊半島なのかを知ろうかと思ったのだった。つまり言葉を変えてみれば、紀伊半島を汎アジアの眼でとらえてみるということ である。土地土地を経巡る私に、紀伊半島がまぎれなく日本の紀伊半島>であるのは、<熊野の荒らぶる神>のような被差別部落があるから だ、と映った。ここは輝くほど明るい闇の国家である。(終章 闇の国家)


差異と差別の差(^_^;)

差異 ちがい、へだたり difference
差別  ある基準により、差をつけて区別すること distinction


「美しい日本」というのはとりたてて新しい表現ではないが、川端康成ノーベル賞受賞スピーチ(「美しい日本の私」)を思い出す人が多いだろう。中上はここに被差別部落を起点として美しさを逆証明した。
引用は、本書の末尾だが、最後の決めフレーズは、破格のかっこよさである。
遅ればせながら、彼の作品の一つくらいは読まずばなるまい。




【新しい国へ-美しい国へ 完全版】安倍晋三  ★☆」 2013/01/20 文春新書
2006年刊行の「美しい国へ」に『文藝春秋』2013年1月号に掲載した「新しい国へ」という記事30p足らずを加えたもので、二度目の自民党総裁に再選され、第二次安倍内閣成立直前の発行である。
こんなの読む気にはならないし、どうせ官僚なり、身内ブレーン(あるいは広告会社?)の作文だろうから、時間の無駄としか思えないのだが、「トンデモ本」読みということで(^_^;)

初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォオー・ジャパン」という国民の声に耳をすますことなのである。(はじめに)

国民の声に耳を済ます(^_^;)

祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えて いた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うように なっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。

爺コン。

わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本及び日本人について考える姿勢のことだとおもうからだ。
現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きたひとたちに対しても責任をもつ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれて きた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。


プルーデント?? 大辞林(初版)には載ってなかった。英和辞典にはあった。
prudent 1.用心深い、慎重な 2.分別のある、賢明な 3.抜け目の無い
安倍晋三の場合は、3.だろうな。日本語使えよ。

自民党の政権への復帰は、意外に早かった。だがそれは、安全保障条約では基本的に考えの違う社会党と連立を組むという、オーソドックスではない政権奪取の方法であった。
新生自民党のスタートは、わたしにとっても、精神のリセットを意味した。その第一が、自民党は、もはや政権の地位にあること自体を目的にした政党ではない、という認識をあらたにすることだった。


あの村山政権というのは社会党にとっては致命的失策だった。何であんな馬鹿なことしたのか理解に苦しむ。

わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。
「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」--わたしの郷土である長州が生んだ俊才、吉田松陰先生が好んで使った孟子の言葉であ る。自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし、という意味である。(第一章 わたしの原点)

これが安倍晋三の本音か。「わたしがこうありたいと願う国をつくる」(>_<)。完全に国の私物化である。
引用された「自反而縮雖千萬人吾往矣」は、孟子公孫丑編にある言葉だが、孟子が孔子の言葉を引用したものではなかったかな。
これについては澤藤統一郎さんのブログに興味深い記事があった。

先にあげた独裁国家では、自由と民主主義が否定され、報道の自由が認められていない。存在するのは、一部の権力者が支配する閉された政府だ。問題なのはその統治のかたちであって、国家というシステムではないのである。

どうみても安倍政権は独裁国家を目指してまっしぐらとしか思えない。

日本の国は、戦後半世紀以上にわたって、自由と民主主義、そして基本的人権を守 り、国際平和に貢献してきた。当たり前のようだが、世界は、日本人のそうした行動をしっかりみているのである。日本人自身がつくりあげたこの国のかたち に、わたしたちは堂々と胸を張るべきであろう。わたしたちは、こういう国のありかたを、今後もけっして変えるつもりはないのだから。(第二章 自立する国家)

前半はともかく、後半は真っ赤な大嘘。

「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴と しての天皇である。日本では天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。 素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。

元(古今集)の初五は「我が君は」で、特に天皇家のことではなかったように思うのだけど。それを天皇の歌に仕立てたのが明治政府で、それを「象徴としての天皇」だと強弁するのは戦後になってからのこじつけでしかない。

今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。(第三章ナショナリズムとはなにか)


命をささげたり、進んで身を投じずに済むような国家造りを目指すように。ということだ。

自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概がひつ ようなのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事 力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。

時代は常に動いている。冷戦時代とは様変わりしている。それに合わせて臨機応変の外交が必須ではないのか。

ではわたしたちが守るべきものとは何かそれは、いうまでもなく国家の独立、つまり 国家の主権であり、わたしたちが享受している平和である。具体的には、わたしたちの生命と財産、そして自由と人権だ。もちろん、守るべきもののなかには、 わたしたち日本人が紡いできた歴史や伝統や文化がはいる。それを誇りといいかえてもよいが、それは、ほかのどこの国も同じで、国と国との関係においては、 違う歴史を歩んできた国同士、おたがいに認めあい、尊重しあって信頼を醸成させていくことが大切なのである。

この人が言うと、何とも空疎にきこえる。

軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとす る知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことは、それによって、合理的な日本の防衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそ れは結果として、日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。(第四章 日米同盟の構図)

これも大嘘。

教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興 は国家の任である。日本の高校生たちの回答(国に対して誇りを持っている 50.9%)は、わたしたちの国の教育、とりわけ義務教育に、大胆な構造改革が必要であることを示している。(第七章 教育の再生)

恐ろしい臣民育成教育国家。

私は今後の成長戦略のカギとなるのは、イノベーションだと思います。日本が誇る人材と技術力を文化力を結集し、国家と人類が抱える「新しい課題」にブレイクスルーをもたらすような新しい技術やアイデア、創造的な取り組みが必要になってくる。

カタカナ語使いすぎ。

日米安保条約第五条には、日本の施政下にある地域が攻撃を受けた際は、共同対処する旨が記されています。つまり米国の兵士は、日本のために命を懸けることになっています。
自分の国を守るために戦わない国民のために、替わりに戦ってくれる国は世界中どこにもありません。
集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自 衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる。これが日本の安全保障の根幹を為すことは、言うまでもありません。(増補 最終章 新しい国へ)


よくもまあぬけぬけと、こんな無責任なことを言えるなあ。



【命こそ宝(ぬちどぅたから) 沖縄反戦の心】阿波根昌鴻 ★★★☆☆ 1992/10/20 岩波新書。
沖縄の平和運動家阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)のことは、先日読んだ「戦後日本史の考え方・学び方」に紹介してあって読む気になった。
タイトルは次の琉歌から取られている。

戦さ世(ゆ)んしまち (「戦世」は終わった)
みるく世ややがて  (平和な「弥勒世」がやがて来る)
嘆くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝  (嘆くなよ、おまえたち、命こそ宝) 琉歌

阿波根昌鴻は1903年沖縄生まれ、1925年移民としてキューバ、ペルーに渡り1934年帰国。伊江島い移る。1945年沖縄戦で一人息子を失い、戦禍 をまのあたりにして反戦平和の闘いを決意、米軍占領下の伊江島土地闘争で先頭煮立つ。72年の復帰後も反戦地主として闘いを続け、84年建設反戦平和資料 館「ヌチドゥタカラの家」を主催。本書の発刊時89歳だったことになる。2002年没。
73年発行の「米軍と農民」(岩波新書)と同じく、沖縄問題評論家で『沖縄事情』を30年にわたって発行した牧瀬恒二が、阿波根が語ったことをまとめたもので、一種の語り下ろしである。

わしのたった一人の息子も、わしが殺したようなものです。沖縄戦がはじまろうとい うとき息子は東京にいて、わしの弟が沖縄は危険だから東京においておった方がいいというのに、もう今度は死ぬんだから、一度顔を見て、一回だけでもご馳走 を一緒に食べて、それから死んだ方がいいといって、伊江島まで呼び寄せた。息子はわしに会ったあと、まだ兵役年齢にもならないのに現地招集で兵隊にとら れ、沖縄本島で戦死しました。那覇の北、浦添のあたりだというのですが、はっきりしたことはわかりません。遺骨もありません。

たしかに悔やんでも悔やまれない悲惨な事情である。沖縄戦が「捨て石」だったことを思うとなおのことである。

1959年に世界人権連盟議長のロジャー・ボールドウィンが沖縄の土地闘争で人権 侵害の調査に那覇に来て、講演会をスルということを知って、陳情書に「日本政府はわしらの家を焼き、農民を縛り上げ、土地を取り上げて、核戦争の準備をし ておりますが、これを止める方法がありましたら教えてください」と書いて、諮問したのです。
どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの答えは簡単でした。「みんなが反対すればやめさせられる」、こういわれたのです。わ しらは考えましたみんなが反対すれば戦争はもうできないんだ。「ああ、これはそのとおりだ」」とわしは納得しました。わしが自分の土地を基地に使わせない ための闘いを続け、そして、反戦平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったのであります。
「みんなが反対すれば戦争をやめさせられる」、そのためには一人になっても訴えつづけなければいかない。平和を創る闘い、実践がいまこそ必要である。(序章 語り伝えたいこと)


この「みんなが反対すればやめさせられる」という言葉は、今回の戦争法案反対においても有効な言葉だと思った。元がアメリカ人の言葉でも共感できる言葉は自分の言葉になる。

1972年5月15日に本土復帰した沖縄。復帰して沖縄が沖縄県になったことで、自動的に適用されたのは、平和憲法ではなく安保条約でありました。そして日本政府が、アメリカに対して沖縄の基地を守る義務と責任を負ったのです。
安保条約は実は「危険条約」であることがわかってきました。復帰しても基地はなくならない、それどころかますます軍事的に強化され、自衛隊もくる。そういうことがわかってきたのであります。(Ⅰ 復帰後のの沖縄、そして伊江島)


沖縄の戦後は内地より27年も遅れて始まり、しかもその戦後も占領時代と大差はない、いや自衛隊がやってきて余計悪くなったとも言える。

「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。」
「軍人は上からの命令があれば、今でも原爆をおとさねばならない。だから戦争をしてはならない。」


いや、やはりMorris.は原爆投下したアメリカの罪は重い(しかも認めようとしない)と思うぞ。少なくとも広島、長崎の市民に直接的な罪は無かった。

気の毒であると思っていることと、天皇に責任があるかどうかは、まったく別のことであります。宣戦布告したのは、天皇の名前において行なったのである。戦争をやめさすときは、天皇の考えでできたのに、戦争をやったときには責任はないというのは何事か。
わしは天皇制などというのは、必要ないし、なくなった方がいいと思っておる。戦前の天皇は、人なのに神の真似なんかさせてね、人間として可哀そうである。 天皇にとっても、天皇制などはなくなった方が幸せだと思いますよ。だが周囲が許さない。これは天皇が利用価値があるから、天皇というと従う人が多いからだ と思う。戦後になっても、まだ自民党なんかが、天皇制を利用しようとしているのは、実にけしからんことである。


戦前に生まれた日本人として天皇への複雑な思いが現れている。天皇には責任があるのは間違いないし、結果として責任を取っていない。天皇の利用価値は、維新の薩長閥からそのまま軍閥に引き継がれ、それが戦後も政府にも根強く残っている。

わしが、戦争をしてはいかない、どんな小さな戦争でもしてはいかないと話したから でしょう、ある小学生の女の子が、「いじめ」も小さな戦争だとわかった、二度とそんな小さな戦争でもしてはいけないと思った、と手紙を書いて寄こしました よ。わしはすぐ返事を書いて、その通りだ、がんばって下さいといいました。(Ⅲ 戦争の証拠が訴えるもの)

いじめは犯罪だというのがMorris.の持論だが、戦争だというのには虚を突かれた。そうかも。

平和をのぞむ運動家は、生活の場でも平和でなければ本当の平和は実現しない、そう いうふうにわしは考えております。何か特別なことをするのが平和運動ではない。悪いことだけはしない、生活の場から平和をつくりだしていく、これが基本だ とわしは考えておる。(終章 心の勉強と心理の闘い)

平和原理主義だな(^_^;)

この世で最大の悪は、国と国との戦争であります。何の罪もない多くの子供たちやお年寄り、婦女子にいたるまで無差別に殺し、ありとあらゆる宝物を焼きはら い破壊しつくすからです。さる日米戦争で、沖縄だけでも米軍2万人ちかく、日本人が20万人余が死んでおります。勝っても負けても戦争は多くの人命を奪い ます。


そう、戦争とは「人殺し」だということを常に念頭においておかねばならない。

つい最近、日本政府はわしらが夢想もしていなかったPKO法を成立させました。ま ことに悲しいことであり、これを阻止できなかったことを反省し、残念に思っています。しかし、だからこそいっそう、基地撤去の闘いは何としてもつづけなけ ればならないと考えております。基地はアメリカ国民のためにもならない、もちろん私たちのためにもならない。このことを確信しているからであります。(あ とがき)

PKO を大幅に逸脱した今回の集団的自衛権を含む戦争法案。こいつを阻止できねえとなりゃ、反省だけではすまされめえ。

ふたたび日本は加害者となろうとしている。そのことの重大性、危険性を自覚してい る人びとがどれだけいるでしょうか。よくいわれることに、米軍の危険な軍事行動に基地は直結している。連動しているという言い方があります。そのようなと らえ方では、あまりにも客観的すぎて、こんにちでは不正確になってきたといえます。軍拡をつづける自衛隊についても同じことが指摘できます。そうしないで いると、日本の加害者としての行動を被害者のつもりで支持したりしてしまうし、下手をすれば、それに気がついたときには、もはや手おくれという事態にもな りかねないのです。(林茂夫『沖縄事情』91年2月号)

解説のなかで引用された文章であるが、どうしても四半世紀前に書かれたものとは思えない。今現在の状況への警鐘ではないか。リアルタイムへの真摯な訴えとしてMorris.の胸を撃つものがあった。





【火花】又吉直樹 ★★★ 2015/03/11 文藝春秋 初出『文藝』2015年3月号
お笑い芸人が芥川賞ということで、話題騒然、百万部をあっという間に売りさばき、二百万部にも達しようかという、最近では稀有のベストセラーである。
基本的にベストセラーは読まないMorris.だが、これにはちょっと気を惹かれた。大倉山の中央図書館の雑誌の棚の「文藝春秋」9月号にこれが全文掲載されてたので、中庭で読むことにした。
又吉自身をモデルにしたと思われる内省的お笑い芸人が、少し年上の破滅的お笑い芸人神谷を師匠と仰ぎ、二人の10年ほどの交流のなかで、漫才の本質論を繰 り広げる。ストーリーはあるようなないようなもの。主人公のコンビはちょい売れしたあと、相棒の結婚で解散、師匠は借金で首が回らなくなり所在不明にな り、自己破産したあと、主人公と再開。熱海の花火大会に一緒に出かける場面で終っている。

観客達は夜空から白い煙が垂れてくるのを、ぼんやりと眺めていた。すると、スポンサー名を読み上げる時よりも、少しだけ明るい声の場内アナウンスが、「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。誰もが息を飲んだ。
次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火は御世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。その余りにも露骨な企業と個人の資金力の差を目の当たりにし て、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にした訳ではない。支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし、 次の瞬間僕達の耳に聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。それは花火の音を凌駕する程のものだった。群衆が二人を祝 福するため、恥をかかせないために力を結集させたのだ。神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手をした。
「これが、人間やで」と神谷さんはつぶやいた。


ほとんど上方人情喜劇である(^_^;)
破滅型芸人神谷のセリフがこれだから、ちょっと肩透かしでもある。
高い評価を受けてただけに、文章は下手でないし、風景描写もしっかりできてるが、Morris.の好みではなさそうだ。




【北朝鮮ポップスの世界】高英起、カルロス矢吹 ★★☆ 2015/03/17 花伝社
北朝鮮の音楽が好きな人といえば、平田さつきさんくらいしか知らなかった。彼女は数十年にわたって、北朝鮮音楽のミニコミ誌を作り続け、Morris.のところにも送られてたのだが、なかなか理解出来ずにいた(^_^;)
数年前むくげの会に加入した大和くんが、幅広い音楽研究(活動?)の中で、日本の演歌、韓国トロット、中国・台湾歌謡と並んで北朝鮮音楽に入れ込んでいて、会の機関誌「むくげ通信」で次々に関連記事を発表。
カラオケを通じて大和くんと親しくなったMorris.も、これをきっかけに北朝鮮音楽に関心を覚えた、わけぢゃなかった(^_^;) 韓国トロット(ポンチャック)命のMorris.には、どうしても馴染めなかったのだった。
本書は著者二人の対話で、しばしば雑談や横道に逸れる部分も多いが、いちおう北朝鮮音楽の通史がひと通りわかるようにはなっている。
メインはMorris.でも名前くらいは知ってた1985年結成の「ポチョンボ(普天堡)電子楽団」だが、これは一つのバンドというより楽団と歌手の音楽 共同体みたいな感じで、さまざまな編成で演奏を繰り広げているようだ。金正日の音楽的好みが濃厚に反映されているとのこと。
2011年金正日没後、跡を継いだ金正恩の肝いりで2012年結成されたモランボン楽団は、ほとんどアイドル路線らしい。You Tubeで2,3曲視聴 したが、やっぱりMorris.との相性はいまいちである。クラシックの素養がある容姿端麗な女性たちが揃ってることは認めるけどね。
楽曲の日本語訳が40曲ほど収められ、全体の1/3くらいを占めている。「偉大なる首領様」みたいな極端なのは避けられてるようだが、それでもやはり内容は基本体制賛美である。
本文下段には注釈が付されて(たぶん編集部による)、北朝鮮音楽とは無関係などうでもいいようなものが多かったが、

アリラン:キキョウを掘る娘のことを歌った、朝鮮半島で最も有名な民謡の一つ。

という注釈は「トラジ打令」と取り違えてるのではなかろうか。
You Tubeでモランボン楽団を探してる途中、本書のタイトルと同じ映像を見つけた。北尾トロ、えのきどいちろう司会のネットテレビ番組で、本書の著者二人をゲストにした対談。つい見てしまったが、これからも、北朝鮮音楽をわざわざ聴くことにはならないと思う。




【日本の島々、昔と今。】有吉佐和子 ★★★☆ 1981/04/30 集英社 初出「すばる」1980-81

有吉佐和子晩年(と言っても50歳)の連載ルポである。単行本には解説めいたものは何も掲載されていないが、「恍惚の人」で老人問題、「複合汚染」で環境 汚染問題を取り上げた著者が、島国日本の国境問題と漁業問題を軸に辺境の島々を訪れ、闊達自由に自説を開陳している。番外編として、北方領土、竹島、尖閣 を取り上げていて、Morris.は何かの本でこの事を知り、読む気になった。
訪れた島(番外編を除く)は以下のとおり。

1焼尻島・天売島(北海道)--海は国境になった
2.種子島(鹿児島)--鉄砲とロケットの間に
3.屋久島(鹿児島)--二十日は山に五日は海に
4.福江島--遣唐使から養殖産業まで
5.対馬(長崎)--元寇から韓国船まで
6.波照間島(沖縄)--南の果て
7.与那国島(沖縄)--西の果て、台湾が見える
8.隠岐(島根)--潮目の中で
9.竹島(島根)--日韓の波浪
10.父島(東京)--遥か太平洋上に
11.択捉・国後・色丹・歯舞(北海道)--北方の激浪に揺れる島々
12.尖閣列島(沖縄)--そこに石油があるからだ!

1980年、81年の時事問題を枕に振りながら、暇をみてはランニングにいそしみ、彼女らしいわがままぶりも随所にかいま見える。我田引水というか、にわ か仕立ての知識(方言学や古代史や漁業条約等々)を振りかざして、取材者側の顰蹙を買ったりもしながら、それでもぐいぐい突っ込んでいくさまは、ルポの内 容とは別として面白かった。
初回のタイトル「海は国境になった」というのが、本書全体のテーマのようだが、ルポというより、紀行エッセイみたいに思える部分も多かった。とりあえず、前半は流し読みして、番外編を重点的に読んだ。

(モスクワオリンピックボイコットから)まあオリムピックは、この機会にやめてし まうのも手だろうと私は思っている。20年前、私はローマ・オリムピックに朝日新聞特派で出かけて行ったが、そのときオリムピック憲章にあるアマチュア規 定というものを疑問に思った。全体主義国家が総力を挙げて要請し、国威宣揚を目的としてオリムピックに送り出す選手と、個人が親や先輩や友人の協力で練習 に励み、アマチュア規定に従ってスポーツでお金を取らず、だからごく限られた幸運な人だけが出場できる西側諸国の選手たちと同列に論じられるだろうか。 (与那国島)

2020東京オリンピック関連の不祥事続出ということもあって、どちらかというとアンチオリンピックモードのMorris.だけに、お、これはいいぞ、と思ったのだが、有吉の力点は共産国家と西側諸国の選手育成環境の不公平に置かれていた。ちょっと残念。

昭和37年、池田首相は「竹島は日本固有の領土であり、韓国が理不尽に占領してい るものであるから、漁業権などの日韓交渉とは別に解決したい」と議会で答弁、小坂外相は「竹島は韓国の直接交渉より、第三者の国際司法裁判所の判定に委ね るべきだ」と、前々からの主張を重ねて表明。
「竹島問題の解決なしには韓国との国交正常化はない」というタテマエ論と「竹島問題で国交正常化を遅らせたくない」というホンネが、当時の国会議事録で池田首相の答弁にチラチラする。(竹島)


これは孫崎さんの持論である「棚上げ大いに結構」論に関わるところ。
竹島(独島)の過去の帰属の経緯に関しても大いに勉強して詳細に紹介してあった。でもお互いに自国の不利になることには認めないことは明らかぢゃ。

台湾のサンゴ漁船による被害は甚大で、漁礁は荒らされるし、海底が滅茶苦茶にな る。第一、二百カイリどころか領海内にも平気で入って来て、こちらが追いかけると逃げてしまう。昭和54年10月10日から今年(53年)の1月26日ま でに確認された台湾のサンゴ漁船の数は延べで1326隻にもなる。すべて小笠原村周辺海域でそうぎょうしていた。支庁が確認していない数を入れると気が遠 くなるほどの台湾船が来ていたことになる。さすがに最近はマスコミも書きたてるし、日本政府の申入れもあって少なくなったようだが、ここにも海が国境に なった現代の姿があるのだった。(父島)

小笠原近海の大規模なサンゴ密漁が大きな話題になったのは昨年(2014年)のことだったが、80年頃にもこういった事件が起こってたんだな。もっとも80年当時は「台湾漁船」、昨年は「中国(中華人民共和国)船」の違いがある。

私は飛行機の中で旧クリル諸島、明治8年以降は千島列島と呼ばれていた島々の地図 をひろげ、その島名の難しいのに再び辟易した。カムチャッカ半島から北海道東北部を繋ぐ点々たる島々は、北から阿頼度(アライト)、占守(シュムシュ)、 幌筵(パラムシル)、志林規(シリンキ)、磨勘留(マカンル)、温禰古丹(オンネコタン)、春牟古丹(ハルムコタン)、越渇磨(エカルマ)、知林古丹(チ リコタン)、捨子古丹(シャスコタン)、雷公計(ライコケ)、磐城(イワキ)、松輪(マツワ)、羅処和(ラショワ)、宇志知(ウシシル)、計吐夷(ケト イ)、新知(シムシル)、武魯頓(ブロウトナ)、北知里保以(キタチリポイ)、南知里保以(ミナミチリポイ)、得撫(ウルップ)、択捉(エトロフ)、国後 (クナシリ)、色丹(シコタン)、歯舞(ハボマイ)。これが全部日本領土だった時代は、島名を覚えるだけでも大変だっただろう。列島の長さは、仙台から鹿 児島までの距離と同じ。総面積は岐阜県と同じだった。(択捉・国後・色丹・歯舞)

千島列島の個々の島の名前なんか覚えようとは思わないが、唯名論のMorris.としては、辟易するよりは興味津々だった。戦後の領土争いの経緯などにもかなりのページ数が費やされてたが、パス。

中東が火を噴く発端になったのは、突然イスラエルという国家が出現したことであっ た。二千年間も、その地を留守にしていたユダヤ人たちが「この地域は古来ユダヤ人が住んでいたところだった」と言い、金と力によってパレスチナ人を追い出 して、イスラエル国家を作ったのだが、尖閣が古来中国のものだという95人の日本人は、イスラエルを是認し、追い出されたパレスチナ難民についてはどうい うご意見なのだろう。

これは、1971年中国政府が尖閣が領土であるとの声明を出した翌年、羽仁五郎ら95人の進歩的文化人が「尖閣は歴史的に中国固有の領土だ」との声明を出したことへの批判である。
20世紀に突然出現したイスラエル国は、たしかにパレスチナ人にとったら青天の霹靂みたいなことだったろうと思う。

私は中国に6回行っているが、万寿山頤和園に行く度に、その壮麗な建築と、満々た る水を湛えた人工湖の大きさに感嘆しながら、西太后は李鴻章の諫言をしりぞけて、この離宮を建て、そして日清戦争に敗けたのか--と感慨しきりであった。 傾城とか傾国という文字通りのことを西太后は本当にやったのだ。女と生まれて権力を握ったら、このくらいの贅沢はやってみたい。さぞ気分はいいだろうとい うのが私の率直な感想である。

本筋とは全く関係ない感想だが、いかにも有吉らしいのでつい引用してしまった。

国連は大国に拒否権を与えた。だから大国は国連で平和的に話し合う必要がない。そ してすべての小国は、大国が対立するとき、局地戦争にまきこまれる。つまり代理戦争である。泥沼のようなベトナム戦争がそうだった。イランとイラクを見て いても、背後にはっきり大国の支援がある。憲法第九条で戦争放棄をしている日本は、絶対にこういう揉めごとにまきこまれてはならないのだ。日本が平和国家 として生きのびていくためにも、尖閣地域からは決して石油が出ない方がいい。
改憲論者や軍備強化を主張する日本人は、どこと戦争して、誰が死ぬと思っているのだろう。(尖閣諸島)


これはそのまま、現在問題となってる「戦争法案」への反対表明として使えそうだ。国連安保理事会で五カ国だけに「拒否権」を与えられているのは不平等の最たるものだと思う。




【文字の食卓】正木香子 ★★★ 2013/10/25 本の雑誌社。

「活字」の時代は終ったとよく言われる。現在の印刷物の9割くらいはコンピュータDTPによるものだろう。しかし、活字の後に「写植」の時代があったこと は、あまり話題にならない。実はMorris.は30年ほど前の数年間、業界紙などの零細出版社で編集の仕事やってたことがあり、その時がまさに写植の時 代だった。
本書は、その写植の書体への愛着を食べ物に例えながらエッセイ風に綴ったものだ。
Morris.もそれなりに書体への関心はあったが、彼女のように敏感には捉えられなかったし、どちらかというと「活字」の方に強く惹かれていたこともある。

「活字」をつかう活版印刷と、「フォント」を使うDTPとのあいだに、「写植」と いう印刷技術が出版業界を支えていた時代があったことはあまり知られていない。私もそのような背景について理解していたわけではないが、同じ書体にも違い があることを初めて認識したのが、多くの書籍でつかわれている<岩田細明朝体(ILMA)>という写植文字だった。書体デザインに定評のある 写植会社の「写研」によるもので、活字のそれよりもさらに精錬された読み心地を感じられる。
その違いは「見た目」でも、おそらく「味」ですらない。舌触りが滑らかで、余計な気泡がまったくはいっていない、という感じ。
現在<岩田明朝体>は<イワタ明朝体オールド>としてパソコンでつかえるデジタルフォントがリリースされているため、新刊の書物でも見かける機会が多い。
しかし、逆に、そのために活版や写植の<岩田明朝体>が急速に消えてゆくことには納得出来ないさびしさもある。(缶ドロップスの文字-岩田明朝体)

活字-写植-デジタルフォントと土俵を変えて生き残る書体も多いのだろうが、その差を読み取る読者はそうそういないだろう。

実はずいぶん前に、ほんとうにまねして紙にかいてみたことがあるのだけれど(書道 の経験なんかないので鉛筆で書いた)、石井茂吉が写植機とともに残した<石井明朝体>は、どれもすごく優雅な文字なのに、ゆっくりのんびりか こうとしても絶対にかけない。ほとんど一本の線みたいに、ひと息でかいてしまうしかない。(ゼリーの文字-石井中明朝オールドスタイル)

活字を真似するというのはやったことがなかったな。もともとひどい悪筆のMorris.だが、ずっと以前に、暮しの手帖に花森安治のひらがな五十音図があって、これをエアメール便箋で写した覚えがある。

<凸版明朝体>。その名があらわしているように、印刷会社のトッパン が使用権利を持つ独自の明朝体である。書籍ではよくみかけるわりに、市販の書体見本帳にはほとんど載っていないから、一般には意外と知られていない書体で はないだろうか。(機内食の文字-凸版明朝体)

印刷会社御用達の書体もあるのか。いろいろ勉強になる。

私は、この書体で書かれた、句読点を含む文章が好きだ。句読点の愉楽というものを、私はたぶんこの書体から教わったと思う。(バターの文字-アンチック中見出し)

詩ではあまり句読点使わないのだが、ときどきこれを効果的に使った作品に出会うこともある。先日読んだ長田弘も、作品によって、句読点を使ったり使わなかったりしてた。

私は植草甚一の愛読者じゃないけれど、<新聞特太ゴシック>で帯にかかれたコピーの一文(ぼくたちには植草さんが必要なんだ。)はとりわけすばらしいと思う。深く意味を考えているわけでもないのになぜか凝視してしまう。
そんなふうに、文字を「情報」じゃなく「物質」としてみつめているときの自覚は、まさに「腹ごしらえ」という気分がしっくりくる。眺めてうっとりするのではない。エネルギーを欲するのだ。
この書体をみると、自分が空腹だったことを思いだす。
そんな文字を、日々、食べて暮らせたらいいなと思う。(おべんとうの文字-新聞特太ゴシック)


骨太の文字はなんといっても目立つ。それだけにこれを多用されると、ちょっと勘弁という気にもなるが、決まるときは決まる。

書体が消えていくのは、時代に必要とされなくなったからなのかな。
どうしてその文字がいいのかを、誰にも証明できなかったからじゃないだろうか。
どれだけ言葉を重ねても、いつか見失ってしまうのなら、せめて、その儚い泡だちに名前をつけたい。
過去と未来をつなぐ文字。ときどき、とりだして眺めると、記憶のなかの自分と目があう。
そんな、世界にひとつだけの書体見本帳がほしい。(微炭酸の文字-石井太明朝オールドスタイル)

本書をつくった理由の意思表示みたいでもあるが、これはそのまま詩として読める。

写研の<石井明朝>が東京の築地明朝活字の流れを汲んでいるのに対 し、今もオオサカに本社を置くモリサワの<リュウミン>は、オオサカで創業された森川龍文堂の明朝体活字を復刻したものだ。勿論何の根拠もな い話だけれど、もしそのことが無縁ではないとしたらおもしろいなと思う。(花の文字-リュウミン)

そうそう写植では写研とモリサワが二大巨頭的存在だった。Morris.は主に写研を使ったと思うが、なんとなくモリサワが贔屓である。モリサワのPR誌「たて組ヨコ組」が素敵だったのと、8年ほど前東京のモリサワで、素敵なマッチラベルの本をもらったからだ。

「教科書体」と呼ばれているのは何も<光村教科書体>だけではない。
写研やモリサワ、イワタなど、様々な書体メーカーが教科書体を出している。共通しているのは、「小学校の児童が筆者の手本にできるように」文部省の学習指 導要領で定めた「学年別漢字配当表」の字体にしたがってつくられており、私たちがふだん、雑誌や書籍で目にする明朝体よりも自然な手書き文字に近いという 点。基本的なコンセプトが同じだから見分けが難しいけれど、各社の教科書体を見比べるとそれぞれに特徴があっておもしろい。(給食の文字-光村教科書体)


たしかに小中学校の教科書の文字は、普段書籍や新聞とはまったくちがったタイプだったな。個人的にはあまり好きになれなかったような気がする。出版社によって微妙に違うなんてことは考えもしなかったけど。

いったいどこまでが製作者の意図なのか、私にはまったく理解できないことなのだけれど、ちゃんと、子供らしい文字にみえる。
フェルトペンで一気に描いたような、スピード感のある線。やや乱暴にも感じられる大胆なまっすぐさと、みえない真四角にきっちりと収める繊細さ。その相反 する性質を、ひと筆に閉じこめてしまえるのはやはり、職人の技量としかいいようがない。(貝の文字-ファニー)

漫画の強調吹き出しに使われる書体で、子供っぽいというより、ギャル系みたいな感じがする。これもあまり好みではないな。

<ナカフリー>は、手紙文でよくつかわれる写植書体である。
手紙形式の文章には教科書体も好まれるけれど、<ナカフリー>は、教科書体よりかしこまっていなくて、人目につくことを想定していない感じというか、プライベートをのぞきみるような気配が漂う。(ヨーグルトの文字-ナカフリー)


小説で2つ以上の書体を使うのはMorris.はあまり好きでない。本文の書体と似過ぎてるのは論外としても、あまり違うのも目を剥きそうだ。確かに手書きの手紙に似つかわしい書体ではあるが、頭下げくらいでいいかと思う。

このあやしくておもしろいかな書体は<良寛>という名前で、ほんとうにあの良寛の筆跡からつくられたものだという。
写植書体の<良寛>が世に出たのは1984年。印刷業界で写研とモリサワがながいあいだ二大シェアを分けあっていた当時、「リョービイマジク ス」(現、リョービ)という新規参入の写植メーカーから発表されたこの書体は、新しもの好きのデザイナーたちに意外な新鮮さをもって受け入れられた。(蠟 燭の文字-良寛)


この良寛という書体には思い入れがある。30年ほど前にMorris.が初めて買ったカシオのワープロHW100にこの良寛が搭載されていたのだ。と言っ てもこれは平仮名と片仮名だけで、漢字は明朝かゴシックを使うしか無かった、というか、明朝を使うしか無かった。このワープロの文字は24ドットくらいで よく見るとかなりギザギザ感があるが、すごく気に入って、これを機会に作ったミニコミ「サンボ通信」ではこのフォント使いまくってた。ついさっき古いサン ボ通信を見なおして、ノスタル爺さんになってた。

私は書体を「モノ」として所有したいというわけではないということ。
この文字でかかれた言葉に感じる、神秘性や、敬意や、畏れの背後にある物語を大切にしたい。
美しい文字を生かすには、それに見合う強い心が求められるのだ。(魚の文字-秀英初号明朝)


一種の信仰告白(^_^;)だな。このくらい好きになれるというのも才能かも。

本書は、いわゆる「おもしろい本」や「めずらしい本」を紹介するブックガイドではありません。文字の成り立ちに関する研究所や、デザインの入門書でも勿論ありません。
書体の「用と美」から生まれる、滋味豊かな味わいを伝えたい。作り手と読み手とのあいだにある、言葉にできない至福を、文字にうつしとりたい。そんな思いから書かれた本です。(あとがき)

いや、なかなか好感を抱かせる文章である。こういった本はなかなか出会えないだろう。筆者のホームページで、上記引用したフォントや、それ以外のフォントを見ることができる。




【おしょうしな韓国 ほのぼの韓流100話】木口政樹 ★★☆☆2013/07/15 かんよう出版 初出「米沢日報」連載

「おしょうしな」は米沢方言で「ありがとうございます」という意味である。米沢に生まれ、今年2013年には韓国在住25年になる筆者が、韓国の地でなんとか生き延びてこられたことに対する感謝の念をこめてこの本を編むことになった。(まえがき)

韓国人女性と結婚し88年に妻の故郷慶州に移住、そのあと、ソウル、天安と移り住み、故郷の岩手の地方紙に連載したもので、何か、地元に阿るところがあっ て、ちょっと気になった。25年韓国で暮らしてるだけにMorris.の知らない韓国人の機微に触れることも多かったようだが、あまり関心を惹くものは多 くなかった。
聞いたことがある「ポムセン・ポムサ」と「エクテム」が出てきたので、メモとして引いておく。

「ポムセン・ポムサ」という言葉がいつ韓国でつかわれるようになったのか知らない。「格好に行き、格好に死ぬ」という意味で、カッコのよさ、見てくれ至上 主義、外面を大切にする生き方を示した言葉だ。カッコつけることである。エエかっこすることである。たしかに韓国の人は外見を重要視するようだ。
「폼생 폼사」「폼」は英語のformのことで생は生、사は死。

A(C)=えーかっこしーぢゃ(^_^;)

エクテム 액땜(액때움) 大きな厄を小さい厄で肩代わりしてもらうこと。

この「エクテム」は、去年、ソウルでMorris.が酔っ払ってジーンズにiPhone入れたまま洗濯して(>_<)落ち込んだ時、ソウル在 住のHACHIさんから教えてもらった。「厄祓い」という意味だけど、けっこういろんな場面で使えそう。




【京の路地裏植物園】田中徹 ★★★☆☆ 2015/04/04 淡交社。「京都新聞」連載
下町の路地の園芸植物を、植物分類学や有用資源植物学の研究者で、植物同好会の代表でもある著者が、気楽に紹介したもの。季節別に90種ほどをカラー写真 と解説1pずつの見開きで、文章はコラムみたいなものだが、素人向けに、ツボを押さえた簡にして要を得た説明に感心した。写真もほとんど自分で撮影したも ののようだが、素人離れしている。印象深かったものと、見覚えがあって名前覚えたいものをピックアップしておく。

[春]
カゲツ(花月) ベンケイソウ科 「980年浜松の草花生産者が五円玉の穴に葉柄部分をくぐらせて、あたかも硬貨が実ったように仕立て「金のなる木」と命名して出荷。これが大ヒット。日本でもっとも多く栽培されている多肉植物。
ツキヌキニンドウ(突抜忍冬)スイカズラ科 トランペットハニーサックル。花に近い葉が合着し茎が葉を貫いているように見えるので"突抜"の名がついた。北半球に約二千種を数えるロニケラ属のうち、蔓性の種類を欧米ではハニーサックルと総称する。
バラモンジン(婆羅門参) キク科 この植物の種子(痩果)は、キク科の中でも特に立派なパラシュートのような冠毛を持つ。名称はインド(婆羅門)からきた人参という意味で、元来は別の植物の中国名だった。
ペラペラヨメナ キク科 中央アメリカ原産、明治末期観賞用として導入。当時は「朝鮮嫁菜」と称した。花は咲き始めが白く、徐々に赤に変わることから「源平小菊」と呼ばれ、属名のエリゲロンの名でも流通。生け花界や茶花関係の本では「御簾の内」という大変優雅な名で呼ばれている。
[]
シラサギガヤツリ(白鷺蚊帳吊) カヤツリグサ科 ディクロメナ。北米南部原産「シューティング・スター」。ほとんどが風媒花のカヤツリグサのなかで例外的な虫媒花。
デュランタ クマツヅラ科 最近になって青紫色の花に白覆輪の入った品種「デュランタ・タカラヅカ」が登場。一世を風靡。
ハゼラン(爆ぜ蘭) スベリヒユ科 午後三時に花が開くことから「三時草」とも。丸い小粒の蕾から一気に爆ぜるように開くことからの命名。
ヒオウギ(緋扇) アヤメ科 祇園祭の期間中にこの花を生ける伝統が、室町界隈などに残っている。特に秘蔵の屏風の前には必ず飾られる。
[]
キブネギク(貴船菊) キンポウゲ科 キブネギクという名称は、秋明菊の別名として使われるが、本来は古く渡来した半八重咲きのものを指し、これに対して秋明菊は原種、園芸種を含めた総称として使われる。
タガヤサン(鉄刀木) シソ科 クラリンドウは学名Clerodendrumの訛りか。光沢のある細長い葉の間から30cmもあるゴージャスな花房にクサギの花にそっくりの花が。
・ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦) タデ科 ヒマラヤ原産。観賞用として明治中期に導入、1960年頃から逸出野生化を始めた。
ホウライシダ(蓬莱羊歯) 「アジアンタム」と呼ばれる属の羊歯には多くの種類があるが、園芸種でそう呼ばれる大半は蓬莱羊歯である。
[]
オボロヅキ(朧月) ベンケイソウ科 路地裏多肉植物御三家の一つに挙げられるほど関西ではごく身近な植物だが、意外なほどその名は知られていない。おまけに園芸店ではほとんど扱われることはない。路地から路地へと人の手を伝って広まった植物といえるだろう。
オリヅルラン(折鶴蘭) ギジカクシ科 南アフリカナタール原産。明治初期、室内植物として導入、株元から長い茎を出して花を咲かせ、気根を持つ子株(不定芽)を節々に生ずる。欧米ではスパイダープラントと呼ばれる。
コエビソウ(子海老草) キツネノマゴ科 メキシコ原産の常緑低木で1931年に「ベロペロン」の名で導入。見れば見るほど海老のようで、英名も「シュリンプ・プラント」。
フユサンゴ(冬珊瑚) ナス科 南米ブラジル原産。1895(明治28)に渡来の記録。玉珊瑚、姫橙、玉柳など多くの別名を持つ。


出版社が淡交社ということもあって、茶花のことも書いてあったり、京都らしく行事の話題も出したり、いろいろ気遣いが感じられる。
オボロヅキの記事にある"路地裏多肉植物御三家"って、後の2つは何と何かな?




【戦後日本史の考え方・学び方】成田龍一 ★★★☆ 2013/08/30 河出書房新社
「歴史って何だろう?」の副題があり、「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊である。先般読んだ創元社の「戦後再発見シリーズ」が、高校生から理解で きる水準という謳い文句だったが、こちらは中学生向けの一冊である(^_^;) Morris.の水準がどのあたりなのか知りたかった、というわけでもないのだが、これはこれでなかなかに有用な一冊であった。

・アメリカが主体となって占領したので、日本の人々はアメリカに敗れたように思うことが少なくありませんでした。しかし、戦争のあいだ日本が一番多くの兵隊を送りこんだのは中国でしたし、一番たくさんの兵隊が死んだのも中国でした。

こういった当たり前のことが当たり前に認識されていないことから歴史を見なおさなければならない。

・歴史は「語られる」ものだということを述べてきました。よく考えてみると、さら に、歴史は「あとから」語られるものだ、ということができます。つまり、どうしても、「いま」の視点で、「いま」の考え方によって過去がとらえられてしま うということなんです。「あと出しじゃんけん」みたいなものなんですね、歴史というのは。

歴史が「あと出しじゃんけん」というのはわかりやすい。歴史書もそうだが、歴史小説なんか読んでると、まさにあと出しじゃんけんみたいな、作者や登場人物の「明察」に鼻白むことが多かった。

・過去を過去のまま、冷凍保存して眺めるのが歴史であり、それが理想であると思うかもしれませんが、歴史とはそういうものではありません。第一そんなことは、そもそも不可能です。

タイムマシン問題に通じる?

・これから未来を生きる私たちが、歴史を考えることには大きな意味があるのです。未来の時間が長いみなさんにはとくに、歴史について考えてもらいたいのです。


対象が中学生だもんね。
「沖縄から見た戦後史」に出てくる、ジュニア向け沖縄史の本に出てくる年表には刮目させられた。

沖縄戦の特徴
1.勝目のない「捨石作戦」で本土防衛の時間かせぎのたたかいであった
2.米英軍による無差別攻撃で多くの住民(非戦闘員)が犠牲となった
3.住民をまきこんだ激しい「地上戦」が行なわれた
4.現地総動員作戦で住民が根こそぎ戦闘に動員された
5.軍人よりも住民の犠牲者が多かった→四分の一死亡(約15万人)
6.日本兵による「住民殺害事件」が多発した(『ジュニア版 琉球・沖縄史』所載の年表より)

・瀬長亀次郎(1907-2001) 1956年、那覇市長になったときに、アメリカ軍政府は市への補助金を打ち切る妨害をおこなったが、市民たちは自主的に納税。危機をのりきった。また何度 も不信任案を決議しようとしたが成功せず、とうとうアメリカ軍政府は瀬長を追放する暴挙をおこなった。市長としての在任は1年に満たなかったが、多くの人 の支持を受けていた。
・阿波根昌鴻(あはごんしょうこう 1901-2002) 156年に起きた「島ぐるみ闘争」運動の代表者の一人、「命こそ宝(ぬちどぅたから)」と訴え続けた。


こういった沖縄の戦後史では欠かせない人物も、一般の教科書には出てこないという指摘も身にしみた。

・ポイントになるのは、「いま」当たり前のことが移り変わっていくということです。そうした視点をもつことが歴史を考えることの中心にありますが、困ったことに、一度当たり前になったことに対して、それが当たり前になる以前のことを想像することは、意外に難しいんです。
たとえば、携帯電話、ケータイのことを考えると、その難しさがよくわかると思います。
「当たり前」以前をよく知れば知るほど、「当たり前」や「当たり前」以後がよく理解できることにもなります。


本書は当たり前のことを知ることを強調している。ケータイが当たり前になった今、たしかにケータイの無い生活を思い出すことは難しい。ほんの15年ほど前のことなのに。

・歴史は過去を語るのですけれども、同時に未来を語っています。未来をどのように考えているかによって、いまがどのようにとらえられ、過去がどのようにとらえられるかが変わります。
未来に向けて、いまを確かめ、そして、どのような過去の条件があるのかということを知る営みが、歴史です。

この結論は、ちょっと、優等生的ではなかろうか。もう一捻り欲しかったところ。って、中学生向けにそれを望むのは年寄りの冷や水かもしれない。




【本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」】前泊博盛 ★★★☆ 2013/03/01 創元社。
先日読んだ「戦後史の正体」(孫崎享)と同じ「戦後再発見双書」の2冊めである。
パート1で17問の日米地位協定Q&A、パート2で外務省の裏マニュアル「日米地位協定の考え方」を解説、資料として地位協定全文と解説で構成されている。

1951年1月26日に行なわれたアメリカ側のスタッフ会議でダレスは、日米安保条約における最大の目的が、
「われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」を明言。
(get the right to station as many troops in Japan as we want wahere we wantand for as on as we want)

講和条約や安保条約には書きこめない、もっとも属国的な条項を押しこむための「秘密の了解」、それこそが日米行政協定だったのです。なぜ協定に押しこむ必 要があったかというと、ダレスの言うとおり、条約とちがって協定には「国会の承認や国連への登録が必要ない」からです。もともと「行政協定 (administrative agreement)」とは、アメリカ政府が上院の承認を得ずに他国の政府と結べる協定をさす一般名詞なのです。

何か憲法には触らずに解釈変更で事を進めようとする安倍晋三のやりかたに通じるものを感じる。

国全体が「安保村」ともいうべき日本の言論空間では、
「アメリカは日本の友人であり、日本に不利なことは絶対にしない」
「アメリカが日本に不利なことをするなどという可能性をカタルのは、すべて陰謀論だ」
ということになっています。
東京都にある横田基地を始め、厚木も座間も横須賀も東京のすぐそばにあります。首都圏がこれほど外国軍によって占拠されているのは、おそらく世界で日本だ けでしょう。首都圏に外国軍がいれば、なにかあったときにはすぐに首都が制圧されてしまう。いくら外交でがんばろうとしても、ギリギリ最後のところでは、 絶対に刃向かうことができないわけです。
*福島の原発事故以来、「原子力村」という言葉をよく耳にするようになりました。電力会社や東大教授、官僚、マスコミなどが一体となってつくる「原発推進 派」の利益共同体のことです。同時にこの共同体は、豊富な資金に物をいわせて、推進派に都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルと して機能します。
「安保村」というのはそのスケールを大きくしたような存在で、「安保推進派」が集ってつくる利益共同体=言論カルテルのことをさします。といっても「戦後 日本」とはそもそも安保推進派がつくった国なので、「安保村」とは日本そのものであり、その言論統制は大手マスコミを中心に、ほぼ全体におよんでいます。


このシリーズ第三弾は、一冊目巻末予告では「安保村」の誕生」(豊下楢彦)というタイトルで予告され、二冊目の本書では「「安保国家」の誕生」と変更して 予告されているが、現在、この本はまだ出版されていない。もしかしたら「安保村」の圧力で出版不可になったのかもしれない。

戦後、米軍統治下に入った沖縄は、「銃剣とブルドーザー」で米軍に土地を強制接収 され、広大な基地を建設されました。そのうえで産業という産業を破壊され、大人たちは基地建設に駆りだされ、基地建設後は基地労働者としての労働を余儀な くされるという環境におかれました。財産権のみならず基本的人権を侵害され、住民自治の権利などは「神話」とさえ思えた暗黒の時代です。多発する米軍犯罪 は千件を超えました。莫大な国費を投じた基地建設、「世界の警察」を自認する米国軍隊による重大な人権侵害。それらの実態を、米国国民はいっさいしらな かったのです。

アメリカ人の9割は沖縄がどこにあるかもしらないんだろうな。

1957年7月、米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の 敷地内に数メートル入ったことを理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕されました。この事件の一審裁判で東京地裁・伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法第九条 2項で持たないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは違憲である。したがって刑事特別法の適用は不合理として、被告全員を無罪とし ました。在日米軍を真正面から「憲法違反」であるとしたこの判決が有名な、その後の60年安保や70年安保の原点にもなったとされる「伊達判決」です。と ころがその後、アメリカ側の工作によってこの判決は最高裁でくつがえされてしまいます。
最高検察庁の陳述も、最高裁判所の判決も、非常にダイレクトな形でアメリカの国務省から支持されていたのです。

判決要旨
六 安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命と する司法裁判所の審査の原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外 にあると解するを相当とする。
七 安保条約(およびこれにもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法九条、第九八条2項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない。
砂川裁判のもつ最大のポイントは、この判決によってGHQ=アメリが上位>日本政府(下位)
という、占領期に生まれ、その後もおそらくウラ側で温存されていた権力構造が
安保を中心としたアメリカとの条約群(上位)>日本の国内法(下位)
という形で法的にかくていしてしまったことにあります。
2012年に改正された「原子力基本法」に、こっそり「わが国の安全保障に資することを目的として」という言葉が入ったのもそのせいでしょう。これによっ て今後、原子力に関する国家の行動はすべて法的コントロールの枠外へ移行する可能性があります。どんなにメチャクチャなことをやっても憲法判断ができず、 罰することができないからです。
こうしてアメリカが米軍基地問題に関してあみだした「日本の憲法を機能停止に追い込むための法的トリック」が、次は原子力の分野でも適用されるようになっ てしまった。その行きついた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝しつづけるなかでの原発再稼働という狂気の政策なのです。


現在争われている安保法案の違憲を合憲と言いくるめるために安倍政権が持ちだした「砂川判決」の実態がこれである。
本書のハイライトが「Q&A16 米軍基地問題と原発問題の共通点」である。

①根拠の乏しい「安全神話」の流布
(米軍基地と安保、原発)のどちらも、「安全」情報の発信源は「政府」。なのに、その必要性や安全性の論理的説明は不十分。
安全性の「論議」封じ込めるため、高額な交付金や補償金、手厚い雇用政策や失業対策、地域振興政策が実施される。
一度受け入れてしまうと財政も経済も雇用もすべて「基地・原発依存」体制が構築され、二度と依存体制からだっきゃくできない「依存経済」の呪縛にはまってしまう。

②恩恵を受ける人間と負担をする人間が別であるという「受益と被害の分離」
福島原発の発電の受益者は遠く離れた東京など大都市が中心。放射能漏れなど重大な汚染被害は発電所周辺に集中して、受益者である大都市圏の住民は被害の外側に。
米軍基地の広い意味での「安全保障」の恩恵は全国が享受し、基地周辺の住民は爆音被害や演習被害、環境汚染、米兵犯罪の被害だけを押し付けられる。
被害と受益の分離は、同じ国民の間で格差や差別を生む。


③管理・運営・危険管理の「他人任せ」
どちらにも職責をきちんとはたせる「責任者」の不在。
担当者の「当事者意識の欠落」。「自治体任せ」。基地被害、原発被災の「僻地への押し付け」。
原発の装置や安全管理、事故対策・対応などすべて民間の「電力会社任せ」という政府の無責任ぶり。
基地問題では安全保障政策の立案、作成、実施などはすべて「アメリカ任せ」。米軍駐留・基地負担はその74%を沖縄県に押し付ける「沖縄任せ」。

④抜本的解決・対処策を担うべき政策担当者や専門からの「思考停止」
背景には、政府だけでなく、専門家、担当者、そして国民の「思考停止」。
脱原発政策について、議論そのものを封印してきた思考停止。
米軍普天間問題における辺野古移設への固執、根拠や論拠が希薄な「米軍駐留の抑止力」えの盲信、アジア共同体論議や多国間安保論議、脱日米安保や総合安全保障政策論議の封印。

⑤事故や事件を防ぎチェックする側と施設を運営する側の「なれ合い」
原発事故当事者(電力会社)と監督官庁(経産省、原子力保安院)間の天下り人事、交流人事、利権分配。
米軍と自衛隊の合同・行動訓練の実施、米国と日本官僚のなれ合いと盲従ぶり。

⑥国民全体の生命・財産にかかる重要情報なのになぜか開示されないという情報の「隠蔽体質」
基地問題でも原発問題でも、事件や事故は隠蔽され、その結果、対策は遅れ、安全対策や再発防止などに必要な正確な情報が開示されない。
提供される情報の遅れや不正確さ、必要な情報の不開示による「安全情報」の神話化、膨大な補助金や交付金による「論議の封殺」、事故の発生事実の隠蔽、不誠実で実効性の乏しい再発防止策。

⑦重大な問題にも関わらず、共通する「国民の無知と無関心」
原発地域のかかえる悩みや苦しみに対する国民全体の関心の無さ、原発の危険性、安全神話に対する無知と無関心。
日米同盟、日米安保、日本の安全保障政策、米軍基地をかかえる地域の基地依存化による弊害への国民の思考停止や無知と無関心。


安易に比較するのは軽率と言われるかもしれないが、最近世間を騒がせている。2020東京オリンピックの新国立競技場と大会エンブレム白紙撤回後の、問題の共通点に通じるというか、そっくりではないかと思ってしまった。

駐留米軍の就留経費の75%を負担させられるうえ、根拠のない(協定上とり決めのない)費用までも「思いやり」予算として超法規的に負担を強いられ、米軍の基地使用で生じた住民の被害に対する保証費用もそのほとんどを負担させられています。
日米開戦70年を総括するならば、戦勝国・敗戦国という米日の「主従関係」から日本がいかに抜けだし、国民の意見を基に国家政策を決定できる真の主権国家政策、独立国家、民主主義国家としての「日本」をどう構築するかが最大の課題といえるでしょう。

日本という国家が、主権国家でも、独立国家でも、民主主義国家でも無いのではないかという疑いは前からあったが、それが、だんだん確信に変わっていく……




【最後の詩集】長田弘 ★★★☆☆ 2015/97/01 みすず書房
今年5月に75歳で亡くなった詩人の、タイトル通り最後の詩集である。
死の前日まで創作活動続けていたとのことだから、さらに拾遺があるかもしれないが。
15篇の詩と、「日々の楽しみ」と題して地方紙に連載した短文6篇が収められている。
詩は南欧を旅した思い出を主題としたものが多く、短文は詩人の暮らしの一齣といった感じで、いずれも長田らしさに満ちあふれている。

素のものがいい。無味に近いもの。松の実。焼き銀杏。焙りにんにく。新たまねぎのスライス。曲がった小さなきゅうり。
小なすの漬物。山盛りのキャベツの千切り。レタスはじめ朝採れの生野菜はすべて。よく乾いたアーモンドの実。湿ったレーズン。夕日色した干し柿。
噛みしめて飽きないするめ。やりいかの刺し身。蛸のぶつ切り。あなごの箱すし。まれに泉州の水なすの浅漬け。太った椎茸。塩茹でのだだちゃ豆。納豆、神田 明神の大きな粒の。京都錦のちりめん山椒。キムチ。オイキムチ。満願寺唐辛子。自分で煮た、砂糖なしの十勝大豆一皿。
チーズ、パルミジャーノ。山羊のチーズ。モッツァレラ。青カビチーズのゴルゴンゾーラも。オリーブの実の塩漬け。桃太郎トマトまるまる一個、スライスで。 ボンレスハム。粗挽きのソーセージ。アルコールなし。たまにバゲット一片とかベーグルも。ザルツブルグの岩塩を一舐めのときも。
とりとめもない、ささやかな、お気に入りのリスト。しかし、よき人生なんて、もともととりとめもない、ささやかな、お気に入りの人生にすぎないのではないだろうか。(お気に入りの人生--日々の楽しみ)


長田版「マイフェバリットシングス」。Morris.の好みとはかなりちがってるが、だからいいのだろう。「キムチ、オイキムチ」というのがちょっと笑いを誘う。最初のキムチが白菜キムチ、後のが胡瓜キムチだろう。おしまいの岩塩は浄めの塩にちがいない。

平和は詩だったのだ、
どんな季節にも田畑が詩だったように。
全うする。それが詩の本質だから、
死も詩だった。無くなった、
そのような詩が、何処にも。
いつのことだ、つい昨日のことだ、
昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。(詩のカノン)


大槻文彦「言海」にある「平和 タヒラカニ、ヤハラグコト。穏ニシテ、變ナキコト。」を、詩として引用しながら、追いかけ続ける想念。平和を!!

円柱たちの、
その粛然とした感じは、うつくしい建築が、
遺跡に残した、プライドだった。
人のつくった、建築だけだ、
廃墟となるのは。
自然に、廃墟はない。(円柱のある風景)


建築だけが廃墟になる、か。詩人は目の付け所が良い。

Forever and a day
一日のおまけ付きの永遠
永遠のおまけである
一日のための本
人生がよい一日でありますように(One day)

Morris.も50歳以降の生はおまけ(ふろく?)と思っているが、おまけが多すぎるのも考えものである。
集中、一番気に入った、ちょっとマザーグース風の一編を引いて終わりにする。
感謝!!安らかにm(__)m

ハッシャバイ

昔ずっと昔ずっとずっと昔
お月さまがまだ果物だった頃
神さまは熟したお月さまを摘んで
世界の外れにある大きな戸棚に
仕舞ってからぐっすり眠った
世界はみんな眠ったみんな眠った
おやすみなさいと闇が言った
おやすみなさいとしじまが言った
ハッシャバイ(静かに眠れ)
人生は何でできている?
二十四節気八十回と
おおよそ一千個の満月と
三万回のおやすみなさい
そうして僅かな真実で





【残夢の骸】船戸与一 ★★★☆ 2015/05/020 新潮社
2015/04/22に亡くなった船戸与一の遺作ということになる。「満州国演義」の最終巻でもある。ほぼ10年をかけて綴られた大河小説。しかもテーマ が満州ということで、Morris.は期待を持って読み続けたのだが、巻が進むにつれて、読むのが辛くなってきた。

小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅してくことだった。理由は はっきりしている。戦争の形態が変わっていったのだ。まず、兵器がちがう。次に交通手段がちがって来る。それは戦術そのものを変化させた。点対点は線対線 に、線対線は面対面に。最後は空間対空間が戦況を決定するのだ。航空機による無差別爆撃が常態となったとき、牧歌性が存する余地はもはやどこにもない。そ れは近代戦の宿命であり、浪漫主義のつけ入る隙のないものだった。(あとがき)

うーーん、著者もだんだん書くのが辛くなったらしいが、その理由を戦争の形態が変わったためと理由付けられてもなあ。

小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。
歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになっ てはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリーのために事実関係を強引に捻じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的 事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。
--歴史とは暗黙の了解のうえにできあがった嘘の集積である。--ナポレオン・ボナパルト(あとがき)


いわゆる歴史小説において、よく論議になる「歴史離れと歴史そのまま」の葛藤だが、ナポレオンのがこんなかっこいい言葉残してたなんて知らなかった。彼の有名な言葉といえば「余が辞書には不可能の文字はない」を思い出すくらいだものな。
ネットで調べたら「歴史とは合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない」という形で一般に流布してるようだ。こちらのほうがわかりやすいが、船戸の引用の方が格調高い。

「東条首相は陸相と参謀総長兼務、嶋田海相の軍令部総長兼務の批判を躱すために、参謀総長を辞し、軍令部総長辞させ、内閣改造で事態を乗り切ろうとした」
「で?」
「一部の閣僚に辞表を出させようとした。しかし、軍需省として統合された商工省の大臣だった岸信介国務大臣が辞表提出を拒否した。岸国務相は勘がよく変わ り身の早いことで有名だ。軍部の言いなりの大政翼賛会傘下の翼賛政治会から推薦を受けて当選した大量の代議士のなかからも東条批判が噴き出してることに注 目したんだよ。知ってのとおり、東条首相の父親・東條英教中将は山県有朋によって形成された陸軍の長州閥を心底怨んでた、天才的軍事家たる自分が軽んじら れたのは長州閥の陰謀だとしてね。しかし、満州が縁で岸信介を知り、商工相に引きあげてやった。その恩を感じ岸信介は言うがままに辞表を提出するものと考 えてたらしい。それが拒否されたんだ、裏切られたと感じても当然だよ」

敷 島太郎と同盟通信社の記者香月信彦の会話で、東條内閣辞職に岸信介が大きく係わったという部分で、安倍首相の祖父の変わり身の早さというのが出てきたので つい引用してしまった。ここで岸が東条から離れたことが戦後A級先般として巣鴨に収監されながら、冷戦と朝鮮戦争を契機に開放され総理にまでなったことの 伏線ともなったのだと思うと、その勘の良さは、大したものである。
以下の引用はすべて香月発言である。

「盧溝橋事件が起きたとき、次郎くんが駆け抜けようとした満州の夢は終わった。そして、次郎くんが死んだとき、多くの日本人が夢みた満州は理想の国家の欠片さえ失なって重い重い鉄鎖でしかなくなった」

敷島4兄弟のうちMorris.は次郎が一番好きだったが、船戸自身もそうだったのではないだろうか。このシリーズ初めの頃の次郎は実に魅力的だった。それがだんだん精彩を欠くようになり、最終巻をまたずに死なせてしまったことへの口惜しさが感じられる。

「本土に上陸して来る米軍にすさまじい損害を与え、無条件降伏ではなく条件つきの講話に持ち込むということだよ。これには時間が掛かる。沖縄戦にちゃんと した増援部隊を送らなかったのはそのためだ。沖縄にはただ戦闘を長びかせることだけが求められた。戦死者九万、民間人死者十万、鉄血勤皇隊などの義勇兵死 者二万、合計二十一万の死者を出した沖縄戦は本土決戦のための捨て石となったと言ってもいい」

沖縄が本土決戦の捨石だったことは事実だろう。そして、おびただしい本土空襲、広島・長崎原爆投下は、無差別殺人以外の何物でもない。戦争はどんな理屈をつけても人殺しという行為だということを忘れてはならない。

「長州出身の松蔭が下田からアメリカへの密航を企てて失敗し、伝馬町の獄に繋がれたときに認めた『幽囚録』がある。それが佐久間象山に手渡されたが、そのなかに欧米への対抗策が書き記されてる」
「いま急に武備を修め、艦ほぼ備わり砲ほぼ足らば、すなわちよろしく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、隙に乗じて、カムチャッカ・オロッコを奪い、琉球を諭 し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古えの盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島 を収め、漸に進取の勢いを示すべし」
「これまで地下水脈として流れていた日本の民族主義は黒船の来航で一挙に顕在化した。このままでは欧米によって植民地化されるという危機感に包まれた。そ の打開策を論じたのが吉田松陰だよ。それに平田篤胤の国学に心酔した連中がつづき、尊皇攘夷となって現われた」
「明治維新という内戦を終えたあとも吉田松陰のこの打開策は生きつづけた。ただひとつ、廃藩置県による中央集権化は松蔭の想像になかったことだがね。とり あえず明治政府は生起する矛盾を溶解する手段として黒船来航まえは暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇を日本のすべてを統べる中心に据えつけ、 欧米列強による植民地化を回避するために躍起となった。その方法をめぐっては大雑把に言ってふたつに分かれる。ひとつは伊藤博文に代表される近代化論。も うひとつは山県有朋が領導した兵営国家論。このふたつがあるときは対立しながら、あるときは補完しながら非植民地化を回避し、吉田松陰が提示した打開策に 向かって突き進んでいった」
「植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない。それが『幽囚録』で示されたとおり、朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本 民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の形成をめざして走りだしていった。民主主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾 みがつくと急速に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。これは植民地主義を白人の専有物だと考えていた欧米列強にすさまじい衝撃を与えた」
「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松蔭の提示した方法によって怒涛の進撃を開始し、アメリカの投下した二発の原子爆弾によって木端微 塵にされた。日本の民族主義の興隆と破綻。たった90年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない」

玉音放送直後の香月の発言だけをックアップしての引用だが、これが本シリーズ9巻の総括のような気がする。

巻末13pに及ぶ参考文献に500冊近くの資料が列記されている。その量に圧倒されるが、もちろんこれ以外の資料も膨大なものだったろう。これらの資料に 船戸が押しつぶされていったところもあるのではないかと思うのはMorris.の僻目だろうか。もう少し自由に描いてもらえれば良かった。
船戸作品の少なくとも3/4以上は読んだと思う。特に「砂のクロニクル」「蝦夷地別件」は日本文学史上に残る傑作だと断定したい。他の作品でも随分楽しま せてもらった。そして彼の畢生の大作「満州国演義」9巻も、たしかに力の入った労作だとは思うのだけど、成功作とは言い切れない。それでも「明暗」執筆の 途中で亡くなった夏目漱石と比べると、大作を校了した後に没した船戸は作家としては幸せな最期を全うしたと言えるかもしれない。以て瞑すべしである。改め て感謝と冥福を祈りたい。




【かあちゃん】重松清 ★★★ 2009/05/28 講談社
中学生のいじめ問題を中心に、両親離婚、認知症介護、女性問題等々を扱った重松節満載小説。一章ごとに語り手を替えて、問題の多層性を表現してそれなりに 成功してると思うし、筆者の真摯さも納得できるし、ストーリーテーラーとしても上手いと思うのだが、その分、何か作り物めいたものになってしまってるきら いもあると思う。

わたしはときどき思う。「正しい」の「正」という字はなんて窮屈なんだろう。縦横 のまっすぐな線だけ。垂直と平行だけ。しかも、蓋のようにてっぺんに載った横棒をはずしてしまうと「止」になる。ということは、「正しい」とは、ほんとう は「止まっている」ものに無理やり蓋をしてごまかしているだけなんじゃないか……なんて。

登場人物の一人中学女子学生の独白だが、「正」という字は白川静の「字統」によると、「正字は一と止に従う。一は囗、城郭でかこまれている邑(まち)。止 はそれに向かって進撃する意で、その邑を征服することをいう」とある。もとももとは武力で奪った土地から、年貢や義務負担を徴収することに由来するとい う、かなり強引な文字だったらしい。窮屈とはまた別な意味の負の要因を持ってたのかも。
本書のテーマの一つは、「忘れない」ことの大切さにあるようだが、年をとるごとに記憶力の低下著しいMorris.には至難な技かもしれない。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ




【漢字からみた日本語の歴史】今野真二 ★★☆ 2013/07/10 ちくまプリマー新書

漢字を素材に日本語の豊かさを探るという惹句に誘われて読むことにしたのだが、期待はずれだった。

漢字も文字であるので、平仮名や片仮名、アルファベットと同じことで、漢字という 文字は「意味」をもっていない。漢字の「意味」のようにわたしたちが感じるのは、「漢字が表わしている中国語の意味」なのだ。中国語は原則として一つの語 を一つの文字(漢字)で表わす。だから、語と、それを表わしている漢字とが一体化してみえてしまい、語と文字を分離して意識しにくい。それで漢字は「意 味」をもっているように感じやすい。しかし漢字も文字であるので漢字そのものが「意味」をもっているわけではない。(はじめに)

ここらあたりは、面白そうだと思ったのだけど。そのあとは、万葉仮名、類聚名義抄、土佐日記、日葡辞書などの漢字使用の特徴や変遷を、ランダムに紹介しな がら、自説をくりひろげるのだが、これがひとつも面白くない。明治時代の漢字問題を混乱気味に紹介して、戦後の常用漢字表への感想に移り、人名、地名を常 用漢字表に反映させろという、思いつきみたいなことで締めくくる。
先日読んだ校正の本の中にあった「最近の新書はほとんど語り下ろしで、数回のインタビューを、編集者が後でまとめ上げる」そういったたぐいの典型ではないかと思わされた。

「美しい日本語」があるのなら、「美しくないX語=醜いX語」という言語Xがある のだろうか。自らが使用している言語を大切にし、尊重することは自然なことであり、それはいい。しかし、特別な言語というものはない。言語はすべて当価値 である。日本語を美しいというのだったら、あらゆる言語が美しい。言語がすべて等価値だと認めるところから、冷静な言語の観察、考察が始まるはずである。 (おわりに)

「言語がすべて等価値」というのは、言語の序列をキーワードにした水村美苗の意見を聴いてみたいものである。ただ「美しい日本語」という「表現」にはMorris.も疑義を覚える。
本書は内容はMorris.とは無縁のものだったが、「はじめに」と「おわりに」の一部にだけ、ちょこっとだけ反応したということになる。



【日本語が亡びるとき】水村美苗 ★★★★ 2008/11/31 筑摩書房。
「英語の世紀の中で」という副題がある。10代で海外生活を過ごした著者が、戦前の日本文学全集を読み込んで、自分でも日本語で小説を書いて話題を呼んだ が、英語が世界語(普遍語)として、ますますその勢力を伸ばし、英語以外で書かれた文学作品は、マイノリティでしかなくなるということを、自分の体験を元 に開陳している。

人はなんと色んなところで書いているのだろう……。
地球のありとあらゆるところで人がいる。
地球のありとあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな条件のもとで、それぞれの人生を生きながら、熱心に、小説や詩を書いている。もちろん、65 億の人類の九割九分九厘は、そんな作家が存在したことも、そんな小説や詩が書かれたことも知らずに死んでいく。それでも作家たちは、地球のありとあらゆる ところで、働いたり、子供を育てたり、親の面倒を見たりしながら、時間を見つけては背を丸めてコンピュータに向かい、何やら懸命に書いているのである。与 えられた寿命をたぶん少しばかり縮めながら、何やら懸命に書いているのである。


水村にとってコンピュータで書く(打つ?)ことは前提条件なんだろうな。

地球のあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな言葉で書いている--とい うよりも、さまざまな作家が、それぞれ<自分たちの言葉>で書いている。潜在的読者が数億人いる言葉でも、数十万人しかいない言葉でも、数千 年前から書き言葉をもっていた言葉でも、数十年ぐらい前からしか書き言葉をもたなかった言葉でも、作家たちにとっては同じである。作家たちは、同じように 情熱的に、真剣に、そして、あたかもそれがもっとも自然な行為でもあるかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。あたかも、人類 がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。もちろん、人は何時の時代でも< 自分たちの言葉>で書いていたわけではない。書くといえば<自分たちの言葉>で書くのを意味するようになったのは、近代に入ってからの ことで、言葉によってまちまちだが、長くて数百年、短ければ数十年のことでしかない。それなのに、今、作家たちは、あたかも、人類がこの世に存在した限 り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いている。英語やスペイン語や中国語で書くだけでなく、モンゴル語、リトアニア 語、ウクライナ語、ルーマニア語、ヴェトナム語、ビルマ語、クロアチア語などで書いている。
しかも、その<自分たちの言葉>で書くという行為--それが、<自分たちの国>を思う心と、いかに深くつながっていたか。

言葉には力の序列がある。
一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族のなかで通じる言葉、さらにその上に は、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。

今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの八割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。歴史の中で、あまたの言葉が生まれては消えていったが、今、言葉は、生まれるよりも勢いよく消えつつある。

今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全般で流通する言葉(<普遍語>)が生まれたということである。
それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。

百年後の地球の運命も定かではなく、いつまで私たちの知る文明が続くかもわからない。だが、英語は、少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの<普遍語>となる可能性が限りなく強いのである。

英語が<普遍語>となるとは、どういうことか。
それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、<母語>と英語という二つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。
ある民族は、<自分たちの言葉>をより大切にしようとするかもしれない。だが、ある民族は、悲しくも<自分たちの言葉>が「亡び る」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。(第一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々)


Morris.はついついこの「手をこまねいて」表現は見過ごせないのだが、英語を普遍語と断じる水村からすれば、「こまねく」だろうと「こまぬく」だろ うと瑣末主義(トリビアリズム)にすぎないと思われるだろう。この「拱く」を、古い和英辞典(研究社 新和英辞典)で見ると

komanuku 拱く,v. fold(one's arms) 手を拱いて傍観する look on with folded arms(=with one's hands in one's pockets);stand by with one's arms folded;stabd idle.  This is no time for us to remain idle.

うーーん、普遍語の実力は貧弱なMorrisだけに、これではちんぷんかんぷんぢゃ(>_<)

世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。時 はすでに、英国の軍事的、政治的、経済的な優位はもちろんのこと、英語圏の文化的な影響力の優位さえあきらかになりつつあった時代である。それにもかかわ らず、日本では実学のための言葉、フランス語こそ西洋文明の真髄を象徴する言葉だとみなす風潮が広がっていったのであった。ことに、作家たちのあいだでは そうであった。

戦後、志賀直哉が日本の国語をフランス語にしようと発言したことを思い出した。

書くという行為は自慰行為であはりません。書くという行為は、私たちのまえにある 世界、私たちを取り巻く世界、今、個々にある世界の外へと、私たちの言葉を届かせることです。それは、見知らぬ未来、見知らぬ空間へと、私たちの言葉を届 かせ、そうすることによって、遇ったこともなければ、遇うこともないであろう、私たちのほんとうの読者、すなわち、私たちの魂の同胞に、私たちの言葉を共 有してもらうようにすることです。唯一、書かれた言葉のみがこの世の諸々の壁--時間、空間、性、人種、年齢、文化、階級などの壁を、やすやすと、しかも 完璧に乗り越えることができます。そして、英語で書かれた文学は、すでにもっとも数多く、もっとも頻繁に、この世の壁を乗り越えていっているのです。

この考え方そのものが、一見アナクロではないかと思ってしまったのだが、嫌いではない(^_^;)

私は今三番目の小説を書いています。恋愛の物語ですが、実は<母語>への執着のようにも読める小説です。
何が女主人公に英語を拒否させ続けたかというと、それは、ほかならぬ「読む」という行為にあったのです。彼女が日本語で書かれたものを読めば読むほど、彼 女は英語に背を向けることになった。読むという行為を通じて、彼女は、常に、かつ、まぬがれがたく、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉 の、どうしようもないちがいに向き合わざるをえなかったのです。彼女を二つの世界、二つの主体のなかで生きるのを強制した、ほかの何物にも還元することの できない、二つの言葉の、物質的ともいえるちがいです。

私の世代は日本の戦後民主主義教育で育った。戦後民主主義教育というのは、平和主義をのぞけば、いちにも、ニにも、三にも、平等主義であった。小学校の先 生はイデオロギーを優先させるような先生では決してなかったのにもかかわらず、ラジオやテレビ、新聞や雑誌や本を通じ、一人で勝手に学んでいったのであろ う。「職業に貴賎はない」などという表現は、「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが、真に受けるように教育されてしまえば、まさ に「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる。平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた。日本文学について考えるときも、私は大人 になっても長いあいだ平等主義的にしか考えられなかったのであった。
私は<国民文学>などという観念こそ知らなかった小さいころからずっと、どの国にも日本と同じようにその国の言葉で書かれた小説があるのを当然だと思っていたのであった。


これはMorris.も虚を突かれた。日本文学の存在というのはかなりに特権的な事態だったのだ。

そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てた アメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で要請する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて優 秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、かれらがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンステッカー、ド ナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マクレラン も翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。(第二章 パリでの話
)

ノーベル文学賞とか世界文学とか、確かにへんてこりんなものである。

<普遍語>universal language
<現地語>local language
<国語>national language

今、人類の多くは、自分たちの<国語>を、おのが民族が、太古の昔から使ってきた言葉だと思いこむにいたっている。ところが、『想像の共同 体』(ベネディクト・アンダーソン 1983)によれば、<国語>とは、いくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。それでいて、いったん<国語>が生 まれると、その歴史的な成立過程は忘れ去られ、忘れられれるうちに、人びとにとって、あたかもそれがもっとも深い自分たちの国民性=民族性の表れだと信じ こまれるようになる。<国語>はナショナリズムの母体となり<国民文学>を創り、今度はその<国民文学>が母体とな り〈国民国家〉を創っていく。物理的に存在するわけでもないのに、人がそのためになら命を投げ打っていいとまで思う、アンダーソンいわくの、「想像の共同 体」を創っていくのである。

最近読んだ本のなかで、たびたびこの「想像の共同体」への言及がある。これは一度読まずばなるまい。

〈叡智を求める人〉というのは、ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っ ている以上のことを知りたいと思う人たち--のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち である。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。
そしてかれらが、読むだけでなく、書きはじめることによって、人類にとっての〈読まれるべき言葉〉の連鎖が始まるのである。

知的エリート主義かもしれない。

日本語の〈国語〉という言葉は、近代日本の過ちと切っても切り離せない言葉として、悪名高い。
〈国語〉は少数民族の言葉であるアイヌ語、さらには日本のほとんどの方言を消してしまったとされるだけではない。日本人の血をしていること、日本の国籍を もっていること、日本語を〈国語〉とすること--本来はそれぞれ独立したこの三つの位相が、三位一体のように分かちがたく日本人の心に刻まれ、日本語でい う〈国語〉は、いつしか、即、「日本語」を指すようになったのは、日本の植民地となった朝鮮半島の人が「国語を常用しない者」と規定されていたことからも わかる。〈国語〉がそのような過去をもつ言葉であるがゆえに、日本では『想像の共同体』が、ベネディクト・アンダーソン自身の意図を離れて、〈国語〉批判 の本として読まれたのも当然のことであった。


またまた「想像の共同体」か。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべ き言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは〈読まれるべき言葉〉の連鎖にほかならず、その本質 において〈普遍語〉でなされる必然がある。
このことは、何を意味するのか?
それは、〈自分たちの言葉〉で学問ができるという思いこみは、実は、長い人類の歴史を振り返れば、花火のようにはかない思いこみでしかなかったという事実である。


いや、これについては断固「反対」を表明しておく。

〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的に も、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じよ うに機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。
小説は〈母語〉のもつ長所を存分に利用しながら発展していった。かたや〈普遍語〉の翻訳として生まれた小説は、神の存在の有無、戦争と平和、人類の運命な ど雄々しく立派なことがらについて重々しく抽象的に語れる。だが、それだけではない。かたや〈母語〉を母体として生まれた小説は、人間の日常生活という、 卑近な出来事の連続でしかないものを、どうでもいいような細部にわたってまで、生き生きと魅力的に描くこともできる。子供のころの鮮やかな記憶に遡ること も、その前の、記憶とよぶのもはばかられる、断片的な感触や、匂いや、ささやき声の混沌とした思い出さえ喚起することもできる。心のうちの奥底まで探り、 どんなつまらぬ考えも恥ずべき思いも、思いのたけ打ち明けることができる。しかも、社会で〈国語〉が広く流通すればするほど、人々は自分が話す〈母語〉そ のものを、〈書き言葉〉としての〈国語〉を規範にして変化させていく。
かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとばしり出る言葉のように思えてくるのである。〈国語〉とは、必然的に〈自己表出〉の言葉とな る。小説は、社会に対する個人の内面の優位を謳うものとして発展していったが、内面の優位とは、実は〈国語〉で書くことの結果でしかない。(第三章 地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々)

日本で最初の近代小説だといわれる二葉亭四迷の『浮雲』が書かれたのは1889年。『浮雲』は未完でありながら、日本近代文学の最高傑作の一つである。の ちの小説であの高みに達した作品は、数えられるほどしかない。明治維新からたった二十余年のことであった。しかも『浮雲』を筆頭に、『たけくらべ』『にご りゑ』『坊っちゃん』『三四郎』『道草』『銀の匙』『阿部一族』『渋江抽斎』『歌行燈』『或る女』『濹東綺譚』『春琴抄』『細雪』などを始めとして、枚挙 にいとまないほどの優れた作品--それも、ひとつひとつが、驚くほど異なった世界を提示する作品があとからあとから書き継がれ、日本人の心を大きく豊かに 形づくっていった。

海外でこれらの作品を読みふけったという、ある意味特異な状況下でのこの日本近代文学観は、一種の「結晶」作用なのではなかろうか。

江戸時代の末には、日本は、上は藩校から下は寺子屋まで、学校だらけの国ともいっていいほど広く教育が及び、世界一とされる識字率の高さを誇るまでに至っ ていた。もちろん統一された日本語は存在せず、さまざまな〈現地語〉の〈書き言葉〉が混在して流通し、その名称からして、漢文訓読体、和漢混淆文、和文、 古文、擬古文、中古文、雅文、俗文、候文など、私のような素人は混乱するばかりである。しかも、どれも〈話し言葉〉とはかけ離れたものであったし、そもそ も統一された〈話し言葉〉自体が存在しなかった。

(明治初期の)翻訳という行為に携わったのは、漢文訓読体になじんでいた二重言語者である。日本にはすでに千数百年にわたり、漢文訓読体で〈普遍語〉を翻 訳してきた伝統があった。しかも、西洋語を翻訳するのに漢字という表意文字ほど便利なものはなかった。漢字は概念を表す抽象性、さらには無限の造語力をも つ。表音文字主義者を集め、いかに日本語から漢字を排除できるかを模索していた文部省でさえ、たとえば義務教育とは何かを理解するためには、漢字を使って の翻訳に頼らざるをえなかったのである。(第四章 日本語という〈国語〉の誕生)


日本の大学において、日本語で学問がなされるようになったとはどういうことか。何 よりもまず、日本の大学が、大きな翻訳機関、そして翻訳者養成所として機能するようになったことを意味したのであった。近代日本を特徴づける知識人--西 洋語で読み、しかしながら、西洋語では書かずに日本語という〈国語〉で書く知識人。

何でも知っている広田先生は、よくいえば、優れて〈叡智を求める人〉である。だが、悪く言えば、雑学のかたまりである。
実は『三四郎』という淡い恋愛がらみの教養小説には隠れた一つの主題がある。それは、なぜ、広田先生のような〈叡智を求める人〉が、雑学のかたまりでしかないかを問うことにある。
果たして、翻訳語としての日本語で学問をするとは、どういう意味をもつのか。日本語で学問をするのは、本当に可能なのか?
広田先生が、「偉大なる暗闇」である--あるいは雑学のかたまりでしかないというのは、日本語で学問=洋学をすることの、世界のなかでの「無意味」によって、構造的に強いられたものなのである。


事実、〈国語〉が高みに達したときは、単一言語者であっても、〈世界性〉をもった 文学を書けるようになる。しかも、時を得た人間の能力には底知れぬものがあり、すべては目を瞠るような勢いでおこる。二重言語者が育つやいなや一挙に翻訳 本が増える。すると〈世界性〉をもった〈国語〉で書かれた言葉が一挙に増える。〈世界〉で何が起こっているかをおおよそ知るために、西洋語をじかに読む必 要がなくなるのである。
そして、言葉というものは、そうなってこそ、〈国語〉だと言えるのである。(第五章 日本近代文学の奇跡)

インターネットによる英語の支配と、インターネットで流通する言葉が多様化しているという事実とは、まったく、矛盾しない。英語と英語以外の言葉とでは、異なったレベルで流通しているからである。
すでに英語は--数学という人工言語を別にすれば--インターネット技術そのものに関しての〈普遍語〉である。インターネットは世界で英語が〈普遍語〉と して流通するのを強化する技術だが、そのインターネットという技術に関してのメタ言語も、英語という言葉なのである。世界中の人々はインターネットについ て語るとき英語を使う。
実際、西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない。日本語を読める人のあいだでの漱石の評価は高い。よく日本語を読める人のあいだでほど高 い。だが日本語を読めない外国人のあいだで漱石はまったく評価されていない。日本文学の善し悪しがほんとうにわかるのは、日本語の〈読まれるべき言葉〉を 読んできた人間だけに許された特権である。(第六章--インターネット時代の英語と〈国語〉)

「翻訳不能」な漱石。特権としての読者。これはもう言語芸術の翻訳不能の議論である。

「英語公用語論」には反対するが、政府の無策をまえにして「英語公用語論」を唱えずにはいられなかった人たちの思いには、手を取り合って泣きたいほど共感する。

何だかなあと思ってしまう。

非・英語圏の〈国語〉にとっての、さらなる悲劇は、英語ができなくてはならないと いう強迫観念が社会のなかに無限大に拡大していくことにある。ことに大衆消費社会においてほど、その強迫観念は、無目的に人々を捉える。なぜこのk自分に 英語が必要なのかなどという問いはさておき、周りがみな英語ができなくてはと焦っているのを見るうちに、我も我もと、自然に焦らざるをえなくなるからであ る。
教育とは最終的には時間とエネルギーの配分でしかない。
何はともあれ、学校教育で、英語を読む能力のとっかかりを与える。その先は英語は選択科目にする。もちろん他の言語の学習も奨励する。
人間をある人間たらしめるのは、日本の国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。
遡れば、千五百年にわたって、日本の言葉は漢文という〈普遍語〉の下にくるものでしかなかった。漢字という文字こそ「真名」であり、大和言葉を表す文字は「仮名」でしかなかった。だが、そのころのことは今やほとんどの日本人はすでに忘れている。
問題は、近代に入り、日本語が〈国語〉になってからも、日本人は日本語に真に誇りをもつことはなかったことにある。
〈書き言葉〉が〈話し言葉〉の音を書き表したものにすぎないという「表音主義」。それは、西洋のように音声文字を使う文化が、歴史を通じて、性懲りもなく、くり返し、くり返し、到達せざるをえない誤った言語観だといえよう。
〈読まれるべき言葉〉を読みつぐのを教えないことが、究極的には、文化の否定というイデオロギーにつながるのである。文化の否定というイデオロギーのそも そもの種は近代西洋のユートピア主義にあり、それは、原子共産制礼賛、文化的資産を持つ者と持たざる者との差をなくそうとするポピュリズム、社会の規範か らまったく自由な〈主体〉の物象化など、さまざまな形をとって、西洋でも文化の破壊を招いてきた。
表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわるというのは、それとは別のレベルの話で、日本語独特のことである。
同じ音をした同じ言葉--それを異なった文字で表すところから生まれる、意味のちがいである。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の二行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。だが、このような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だが、この詩を口語体にして

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
きままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。


おしまいの朔太郎の詩の改変?は、いくらなんでも、だが、とにかく、朔太郎の詩を普遍語にするのはやっぱり不可能だろう。特殊語ならではの価値。

日本人がみな安吾のように、いくら文化財など壊しても「我々は……日本を見失うは ずはない」と思っているうちに、日本の都市の風景はどうなっていったか。建築に関しての法律といえば安全基準以外にないまま、建坪率と容積率の最大化を求 める市場の力の前に、古い建物はことごとく壊され、その代わりに、てんでばらばらな高さと色と形をしたビルディングと安普請のワンルーム・マンションと、 不揃いのミニ開発の建売住宅と、曲がりくねったコンクリートの道と、理不尽に交差する高架線と、人が通らない侘しい歩道橋と、蜘蛛の巣のように空を覆う電 線だらけの、何とも申し上げようのない醜い空間になってしまった。散歩するたびの怒りと悲しみと不快。

突然日本の建築事情への罵倒めいた文言には吃驚したが、否定出来ないのが辛い。

私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日 本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史を 辿った言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。(第七章--英語教育と日本語教育)

結論がこれでは、あまりにも空しい気がする。他の道があると思いたい。
実は、本書を読み終えたのは半年以上前になる。




【日本語で書くということ】水村美苗 ★★★2009/04/25 筑摩書房。

漱石の遺著で未完の「明暗」の続編(^_^;)「續 明暗」でデビューした水村美苗の「日本語が滅びる時」の後で出された双生児的評論の片方である。

人は誰も若いころは自分が若いことを知らない。そのような無知は個人的な無知ではなく、つかのまの生を生きる人類に、恩寵のようにも原罪のようにも与えられた普遍的な無知である。私が死んでも次の世代がまたくり返さざるをえない無知である。
人間の歴史を振り返れば文明はいくつも消え、文字もいくつも命を失っていった。古くはシュメール文字が命を失ったし、新しくは、黄さんとも話したように、 ヴェトナムのチュノム文字が命を失った。1993年にホーチミン大学での最後の講座が閉ざされたという。数千年来漢字の中に脈打ってきた命が失われ、漢字 文化圏の言葉が電子翻訳機で英語に翻訳されても、何も失うものがなくなる日が来ても不思議はなかった。
だがそれを手をこまねいて見ているのは悲しすぎた。(もう遅すぎますか? --初めての韓国旅行)


わかるようなわからないような文脈だが、Morris.が反応したのはもちろん「手をこまねいて」表現(^_^;)

おしまいに置かれた二つのポール・ド・マン論「読むことのアレゴリー」「リナンシエイション<拒絶>」は、面白いくらいに、全く歯が立たなかった(>_<)
そのためだけではないが、同時発売の「日本語で読むということ」に比べるとMorris.にはかなりつまらなかった。まあ、Morris.のレベルの問題かもしれないけどね。




【日本語で読むということ】水村美苗 ★★★☆☆
2009/04/25 筑摩書房。
もう片方の「日本語で書くということ」に比べるとうんと興味深かった。

「優れた小説」と「つまらぬ小説」との差は、読み手に資質がなければわからない、芸術の問題である。「純文学」と「大衆小説」の差は、それとはまた別の、 小説のジャンルにかかわる問題である。存在すべきかどうかを問う以前に、現に存在している区分けについて考察するのが、ジャンル論である。(半歩遅れの読 書術)


Morris.のように「面白いか面白くないか」で分けることしかできない資質の読者には、どうでもいいことか。

1.ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
2.エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
3.シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』
4.スタンダール『パルムの僧院』
5.オルコット『若草物語』
6.ディケンズ『デイヴィッド・カッパーフィールド』
7.ド・ラクロ『危険な関係』
8.フローベール『ボヴァリー夫人』
9.プルースト『失われた時を求めて』
10.マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

こうして書いてみると、わかりやすい小説が好きで、その上、極めて平凡で保守的な趣味をしているのが、よくわかる。どれも、少なくとも、三度は読んだ小説 である。最初の3冊に至っては何度読んだか分からない。しかも、みな、初めて読んだのが、若いころである。若いころに読むと、こうも深く見に染みこむのか と、恐ろしい。それと同時に、もう今から新しいものを読んでも仕方がない、再読しかない、とつくづくと思う。そういえば、自分自身、再読してもらえるのを 願いながら常に書いているのを思い起こした。(私の「海外長編小説ベスト10」)


ベスト10というだけでつい身を乗り出してしまうのは、Morris.の野次馬根性なのだろう。10冊の内Morris.が読んでるのは「嵐が丘」「若草 物語」「ハックルベリー・フィン」の3冊だけだが、「高慢と偏見」はいつか読まずになるまい。倉橋由美子が執拗に言及してたし漱石も愛読したらしいし、斎 藤美奈子さんもイギリス版「細雪」と言ってたしね(^_^;)

なぜ日本語が変わってしまったのかはよくわからない。戦後民主主義教育の中で、戦 前の日本を否定すること、それが歴史を否定することに繋がり、そのうちに、その否定がたんなる忘却と化したのであろうか。忘却の中で、新しさということの みに意味を求めるようになったのであろうか。
引用とは「死んだ人」たち自身の言葉である。そして『豪雨の前兆』で著者は「死んだ人」たちの言葉をあちこちから自在にひっぱり出してくる。場合によって は、「死んだ人」が自分の前に「死んだ人」の言葉について、書いた言葉もある。そこでは「死んだ人」たちの引用は重層的に響きあう。(「死んだ人」への思 いの深さ--関川夏央『豪雨の前兆』)


水村が関川夏央をえらく評価してるのは、意外でもあり、嬉しくもあった。引用好きのMorris.だけど、生きてる人の引用も多いけどね。

「ただあこがれを知る人のみぞ、我が悩みをわかる」
若き日の森鴎外の、異国での恋を描いた本の中で、出会った言葉である。本の名も作家の名も忘れ、この一節だけが記憶に残った。のちにゲーテの詩だと知った。
「あこがれ」は元は「あくがれ」、古語辞典によれば、「心身が何かにひかれて、もともと居るべき所を離れてさまよう意」とある。つまりそれは何かにひかれ て、自分が自分の現実を離れることである。ということは、「あこがれ」を知ることは、自分そのものがどうでもよくなる、大いなる精神の運動を知ることにほ かならない。
いうまでもなく、「あこがれ」はすべての芸術の根源にある。音や言葉にひかれて人が自分の現実を離れることがなければ、芸術は可能でないからである。(あこがれを知る人)


文学について水村が結構ナイーブな思いを持ってることに、ちょっと驚かされた。

ワープロという文明の利器ができ、今の人は漢字を書けなくなったという声をよく聞く。だが私は、日本語で書く小説家として、ワープロの登場はたいへん幸運 なことであったと思う。文部省の役人の誤った認識のせいで、今やすっかり貧しくなってしまった日本語を、まだ救えるかもしれないとさえ思うのである。ただ そのためには、「使える漢字」がどういうものであるべきかを、新しく考えなおす必要がある。
読めるということは、字を識別できるということである。ワープロさえあれば、ポンとキイを押して適切な漢字を選べるということである。碩学漱石と私との越えがたい距離が大いに縮まったのは、ワープロのおかげであった。
そもそも誰にとっても「書ける漢字」と「読める漢字」というものは、数が何倍もちがってあたりまえなのである。ワープロが革命的なのは、「使える漢字」と いうものを、「書ける漢字」から「読める漢字」に変えたことにある。ここで重要なのは、その革命的な変化を積極的に評価することである。そこに表意文字の 本質を見ることである。そして日本全体で「使える漢字」をもっと豊かに増やし、ルビをも厭わないことである。新聞などが常用漢字に固執するのは、数千年の 人類の叡智を無にして、出来の悪い中学生の頭に合わせて日本語を使うのと同じことでしかない--と、そこまで考えることなのである。(使える漢字)


ワープロの登場はMorris.にとってまさに画期的だった。「書ける漢字」と「読める漢字」の見解には諸手を挙げて賛成である。「出来の悪い中学生の頭」(^_^;)というのはちょっと乱暴かも。

ラクソの真価がわかったのは、大人になり、お金と時間はともかく、心の余裕ができ、代わりになるランプを探し始めてからである。私はそのとき初めて知った。巷に幾千の照明器具が溢れていようと、ラクソほど便利でかつ完璧に美しい形をしたものはない。
ラクソが誕生したのは1937年。ノルウェーのエンジニアが商品化するつもりもなく作ったものが、人の目にとまり商品化され、やがて照明器具史上重要なものとなった。今や私にとっては、必需品の範疇を越えて、忠実な友である。(ラクソ・ランプ)


LUXO(ラクソ)というのは初耳で、どんな照明器具かネットで調べたら、いわゆるZランプみたいな角度調節可能なものだった。

あの3年間、いかに小説を書く時間を大切に生きたことか。授業のスケジュールを睨みながら、この日は夜に書ける、この日は一日中書ける、この週は3日連続して書ける、とカレンダーに赤く印しておく。連続して書ける日々は寝ても覚めても書き続けた。
その『續明暗』も絶版になってしまった。それを知ったとき、悲しみよりも衝撃の方が多かったのは、漱石と共に永らえることができると信じていたからである。(自作再訪--『續明暗』)


そうか「續明暗」は絶版になったのか。ちくま文庫版は今でも買えるようだけど。

海に囲まれた島国に住み、<自分達の言葉>が亡びるかもしれないなどという危機感をもつ必要もなく連綿と生きてきた日本人。それが今、英語と いう<普遍語>がインターネットを通じ、山越え海越え、世界中を自在に飛び交う時代に突入した。21世紀、英語圏以外のすべての国民 は、<自分たちの言葉>が、<国語>から<現地語>へと転落してゆく危険にさらされている。それなのに日本人は、文 部科学省も含め、「もっと英語を」の大合唱のなかに生きているだけである。(恩着せがましい気持ち……)


1945年敗戦国日本を占領した米国は、当初日本の公用語を英語(米語)にするつもりだったらしい。あれから70年、インターネットを通して英語が世界語になるのではという、著者の心配は杞憂に終わると思う(思いたい)。





【フジモリ式建築入門】藤森照信 ★★★ 2011/09/10 ちくまプリマー新書166。
藤森建築論はこれまでに数冊読んだが、本書は新書ということで、一種の「語りおろし」みたいなもので、いわゆる「建築放談」みたいな感じがした。

建築はふつう、人の暮しと活動を風雨風雪や外敵から守る実用の器と考えられているが、浅い考えで、本当は、それ以上に
"人々の記憶の最大の器"
現在各地で、昔の駅舎や戦前からの小学校校舎を保存する市民運動が起り、建て替えようとする意見と対立し、トラブル化しているが、保存の目的は記憶の器を守り、人々が記憶喪失に陥らないためである。
バラバラの要素が、ひとつのルールのもとに合体しうまく溶け合った時に生れる建築を名作といい、うまく溶け合った時にのみ生れる視覚的な印象のことを"美"と呼ぶ。
建築は記憶と美のふたつを容れることのできる器というしかあるまい。ふたつがひとつに合体する建築は、残念ながらそう多くはない。(第一章 建築とは何か)

Morris.にかぎらず、近過去の建築への愛好の底には「懐かしさ」があるというのは、わかりやすい。

日本人が、ふつうの住宅と記念碑的な建築を分けてかんがえるようになったのは、明治に入ってからで、1894年(明治27)、最初の建築史家で理論家の伊東忠太が、アーキテクチャーを「建築」と訳し、ふつうの実用的建物(ビルディング)を分けた。

伊東忠太、なかなかに魅力的な建築家のようだ。

ギリシャ神殿は、列柱の上にペディメントが載る。ただそれだけで他の造形要素はない。石は、細長い柱状には適せず、厚い壁状が一番向いているにもかかわらず、外観の見所が石の列柱になったのは、木の記憶にちがいない。
柱が上に伸びるに従い、カーブを描いて細くなる有名な"エンタシス"。法隆寺の柱と似ているが、法隆寺は途中が太くなる"胴張り"で、エンタシスは、きれいな放物線を描いてひたすら細くなる。


奈良の古寺の柱を「エンタシス」と思い込んでいた(思い込まされてた)が、微妙なちがいがあることを教えてもらった。

形のルールを"オーダー"という。基壇から屋根の上までのルールだが、柱の形が中心となり、柱の中でも上部の"キャピタル"(柱頭飾)がポイント。"ドリス式""イオニア式""コリント式"の三式があり、三式の美的性格は、ドリスの簡潔、イオニアの優美、コリントの華麗。
寸法のルールは"モデュール"といい、柱の底の直径を一モデュールとし、その倍数(小さいところは分数)ですべての寸法を決める。
「シュムメトリア(造形美基準)または比例を除外してはいかなる神殿の構成もあり得ない。すなわち容姿の立派な人間に似せて各肢体を正確に割り付けるのでなければ」(ヴィトルヴィウス「建築十書」より)
美が左右対称性に宿ることは、美容師や美容整形外科医の常識だし、なぜ女性が鼻筋を通し、高くしようとするかというと、中心軸がくっきり引かれ、左右対称感が向上するからだ。
左右対称の平面の上に立ち上る左右対称を強調した正面。正面は、側面など無いかのようにそれだけでまとまり安定し、ギリシャの青空をバックとして立つ。こうした強い表現力を持った正面のことを"ファサード"といい、以後のヨーロッパ建築の外観の基本となる。


建築史家から見ると常識以前のことだろうが、Morris.は知らないことばかりである。

ローマ人が建築に本質的な新しさを加えたのは、ただひとつ"アーチ"。
開口部に用いられた半円のことをアーチという。そのアーチを横に平行移動して生れるカマボコ状の構造体は"ヴォールト"、アーチがその場で回転して生れる構造体は"ドーム"と呼ばれる。
円錐状石積みにくらべ、アーチ状石積みは目にはとても不自然にうつる。円錐状は石を平らにして順に積みあげてゆくのに、アーチは、平らにしてスタートするが、途中から傾き、最後は真下を向いてしまうからだ。
途中は自立できないので、"センターリング"と呼ばれる木製の仮枠で支え、てっぺんの石を垂直に差し入れてから仮枠をはずす。最後の一つが入ってはじめて 構造的に安定するので、てっぺんの石をキイ・ストーン(要石)という。センターリングをはずす時、アーチは音を立てて少し沈むから、こわい。(第三章 ヨーロッパ建築の始まり)


アーチという石積みの方法は魅力的である。また、Morris.の好きなドームはアーチの回転運動でできるというのも、言われて見ればそうだが、なるほどである。平行移動が「ヴォールド」と呼ばれるのも、初耳である。

人類はすべて、精霊信仰、自然信仰、地母信仰から信仰をスタートさせるが、なぜか途中でそうした信仰を野蛮なものとして捨て、太陽信仰を経て、結局、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教のような、言葉で書かれた聖典に基づく宗教へと収束してゆく。

ここらあたりが、放談っぽい(^_^;)

建物の表面に現われる継ぎ目のことを目地といい、設計者は目地をいかに美しく納めるかに腐心する。ところが泥の建物にはその目地がない。地面との接点にすら現われない。
植物も動物も目地はない。生物は一つ細胞が分裂を繰り返し、内から外に向かってふくれていった結果だから目地はない。ところが建築は、そうして育った木材 などを寄せ集めて作るから目地が生れる。目地は、人工物としての建築の宿命にしてしるし。目地のない泥の建築は、人工物と生物の中間的存在と、建築的には 言える。


目地(継ぎ目)が職人の腕の見せどころ、というのはよくわかる。

人や社会や国や思想の有為変転にもかかわらず、建築は平面も構造も表現も、前のも のを踏まえ、改良し、ひとつ方向を目ざして進み、ついに到達し、そして終っている。人や人の思いとは別に、建築は建築というものの宿命を生きているのでは ないか。そんなことはあるはずもないが、建築の歩みに身を寄せてたどってくると、そう思えてくる。

フジモリ節絶好調(^_^;)

彼ら(ルネサンスの建築家たち)は、幾何学こそ目に見える世界の背後にひそむ真理で、根本は円と正方形と人体にあり、その真理が表に現れたのが美であると確信していた。
彼らの確信は意外にも音楽とつながる。和音の一件で、なぜ一定の音階の組み合わせだけが心地よく耳に響くのか。音階(空気の振動)は科学的には絃の長さで 決まる、ということは、美しい長さの組合わせがあるにちがいない、と、耳の感覚を目の感覚に移し替え、各音に相当する基本図形を考え、その美しい図形の組 合せとプロポーションを求め、ある者は黄金比に行きついている。


建築と音楽の結びつきはヨーロッパ建築では、特に教会建築と教会音楽の関係が深いような気がする。

ゴシック・リヴァイヴァルは、世界へ広がり、ウィーンでは歴史研究の成果を注ぎ理想のゴシックとしてヴォティーフ教会(1879)が造られているが、見る者に好感も嫌悪感も湧かせない奇妙な建築として知らている。知力と学習能力だけの設計では、人の心に届かない。
墓場のフタが開けられたように、"ネオ・ルネッサンス"、"ネオ・バロック"、"ネオ・ロココ"などなど、19世紀以前に成立した過去と近過去の様式が 次々と蘇ってくる。同時に、クラシックとゴシックの融合をはじめさまざまな、"エクレティシズム"(折衷様式)も生れる。
"ネオ・クラシズム"(新古典主義)以後のネオやリヴァイヴァルの付くスタイルを一括りにし、"歴史主義"と呼ぶ。
日本の近代建築の最初のページを飾るアイルランド人鉱山技師トーマズ・ジェームズ・ウォートルスが運んできた建築スタイルは、イギリスのネオ・クラシズム の素人版だったし、次に登場するイギリス人建築家のシャルル・アルフレッド・シャステル・デ・ボアンヴィルとジョサイア・コンドルは、前者が北のネオ・ク ラシズムを、後者は南のゴシック・リヴァイヴァルをもたらしている。(第四章 ヨーロッパ建築の成熟と死)


明治文明化期の西洋建築が、世界建築史の見本市みたいになったのは、喜ぶべきことだろうか。少なくとも、Morris.のような野次馬的建築好きにはありがたいことのようにも思えるのだけど。

竪穴式住居は凍結深度より深く地面を掘り、防寒を心がけ、高床式住居は水位より高く床を張り、防暑を旨とする。
縄文と弥生、竪穴と高床、の関係は、複雑に重なり合いながら日本列島に共存していたのである。


日本の住居を主題にした後半は、どうもMorris.にはあまりおもしろくjなかった。

ヨーロッパの建築は時代に従い、日本の建築は用途に従う。
その結果、日本の建築様式は、時代とともに増え続けるしかなく、5000年前の竪穴式住居をはじめ各時代に成立した様式は探せばどこかで生きている。ガラパゴス島のような日本の建築。


奈良の都で貴族的なものとして確たる地歩を築いた高床式は、その後しだいに大型化し、複雑化し、794年都が教徒に移って平安時代を迎えると、"寝殿造"と呼ばれる定型に到達する。
私生活より行事と儀礼と対面を旨とする寝殿造。(寝殿造は貴族の住い)


日本建築の室内の特徴として知られる線と面による平明な構成は、畳がもたらした大きな成果だった。
畳、襖、障子、天井といった書院造ならではの作りを取りはずすと、元の寝殿造のガランドウに戻る。(書院造は武士の住い)


まず火があり、日の周りに人が集って一つの空間が生れ、空間をあり合わせの材料で包んだ時、人類の住いは出現した。その遠い記憶が、離宮の茶室にはある。
ダ・ヴィンチが原案を描き、ミケランジェロが工事を進めたローマのサン・ピエトロ寺院が人類の建築の一つの究極なら、利休の茶室はもうひとつの究極にちがいない。(茶室は建築の原点)


書院造を茶室の水で洗い、豪華や威厳を表わすための装飾や作りを流し去ってみると、意外な美しさが残っていた。書院造の線と面の構成に茶室の細く薄く軽い自由なデザインが加わり数寄屋独特の美しさが生れた。(数寄屋造に落ち着く)

平安貴族の寝殿造-武士の書院造-茶の侘び-数寄屋造という変遷は実にわかりやすいが、これはまあ常識だと思う。




【西洋館を楽しむ】増田彰久 ★★★★ 2007/10/10 ちくまプリマー新書

日本の西洋館の写真家とえいば、この人をおいてない、と思うのは「写真な建築」に掲載された白黒写真があまりにすばらしかったからだ。
写真はオールカラーで、新書だからかなり小さめだが、それでも「さすが」というしかない写真勢揃いである。
王子動物園内にあるお馴染みのハンター亭の写真は全景とベランダの二葉が収められ、表紙にも使われているが、Morris.の写真と比べるとまるで違う(^_^;)
西洋建築を「用途別」篇と「細部」篇に分けて以下の分類で4p(見開きカラー写真2p+文章2p)ずつ紹介している。

[用途別]灯台・税関・学校・役所・駅舎・工場・倉庫・レンガ窯・時計塔・教会・ホテル・邸宅・温室・刑務所
[細部]列柱・スレート・ベランダ・装飾金具・階段・食堂・暖炉・照明器具・ステンドグラス・タイル・漆喰装飾・植物装飾・動物装飾

18世紀中ごろ、イギリスの製鉄王アブラハム・ダービー一世は、地下に眠る鉄鉱石と石炭を利用して精錬する方法を世界で初めて考案し、今までにない安い鉄 (鋳鉄)の大量生産に成功した。鍋や釜、街灯、暖炉、ストーブ、ベンチ、マンホールの蓋、柱、階段、手摺、そして船。変わったところでは棺桶から墓標まで 鉄で製造された。日本でも新しい建築材料として近代の鉄・キャスト・アイアン(鋳物)は柱や梁にも使用されてきた。東京駅のホームにアカンサスの柱頭飾り が残っている。型に流し込んで造るので装飾金具にはよく使われた。いろいろなデザインができるので、建物のポイントに使われている場合が多い。(装飾金 具)


鋳鉄(鋳物)が18世紀まで存在してなかったのか(@_@)。いや、それまでの脆い鋳鉄から、粘り気のある実用的な鋳鉄の生産が18世紀に始まったということだろう。

西洋では、階段は上の階にあがるという機能だけではなく、その建物の見せ場であり舞台でもある。このため階段は非常に重要な場所として、建物の重要なアクターとしてとらえられている。
階段が立派なお宅は家も立派。階段が貧弱で立派な建物はない。玄関の階段が家の第一印象を決めるのである。客人は階段を上がっていくと、視点が変わっていく。天井を見上げたり、ホールを見下ろしたり、玄関室をくまなく見せるという効果がある。(階段)


Morris.も結構階段好きだけど、どちらかと言うと公共建築の階段が主で、なかなか邸宅訪れる機会はないものな。まあ、Morris.が一番好きなのは螺旋階段だし(^_^;)

貴族の館では食堂に掛かっている絵はポートレートと決まっている。イギリスでは由 緒ある邸宅は必ず、そのお宅にゆかりのある方のポートレート。有名な画家たちの手によって描かれた、ご先祖様をはじめ、親交のあるちゅうおうの貴族たちの 肖像画である。なんでそうなるのかというと、食事は一種の儀式に近いからだ。食事をするときにはご先祖様の前で一緒に食事をするという感覚なのである。 (食堂)

儀式としての食事と言うのは、Morris.はほぼ無縁だし、あっても一番苦手な部類に入る。

西洋館の煙突は富の象徴である。煙突のしたには暖炉があり、暖かな部屋がある。素晴らしい暖炉がある部屋は上級の部屋と見て間違いない。暖炉は部屋の格を決める。そういう役割も果たしていた。したがって、煙突の数が多いほど立派な邸宅なのである。(暖炉)


暖炉(マントルピース)も結構好きだけど、これまで見た中で一番好きなのは、旧ソウル駅舎2階にあるアールヌーボーデザインの白い大理石製のものだ。本書に掲載さいれている甲子園ホテル(ロイド設計)のアールデコ調の暖炉は良さそうだ。

コテ絵を製作するのには漆喰と顔料を混ぜて絵の具としたため、フラスコ画と似てい るようだが全く違う。日本の左官はコテが命で絶対に筆を使わない。何が何でもコテ一本で全てを表現した。立体だろうと、龍や鶴など複雑な造形の場合でも同 じ。例えば花を作るときには花びらをコテ台の上で、いきなり形にする。どんなものにも挑戦していて、不可能を可能にしてしまうのがコテ絵職人である。(漆 喰装飾)

明治維新の西洋建築の取り入れに日本の職人の技術の高さが一役も二役も買ったというのが、著者の持論で、特に左官の技術は装飾の面で大きかったと言う。
「西洋建築を撮る」と題して二本のコラムが掲載されている。これは全文引用したいくらい本質を抑えた教えだが、読んでも実行は難しそうだ。とりあえず参考にはなるだろう。

[建築撮影の3つのポイント]
空間表現 建築には外部と内部の空間があるが空間は実際には目では見えない。見えているのは、それを生み出している屋根や壁、床や天井などである。写るのはこれらの部材であるが、建築の空間をハッキリと意識して撮影しているかどうかで写真のもつ説得力が違ってくる。
テクスチャー(質感)表現 建築には構造材から仕上げ材まで、多くの変化に富んだ質感をもつ材料が随所に使われていて、これらが建築上の大きな表現効果になっている。西洋館では古く からの木、石、土、漆喰をはじめ明治の新建材であるレンガ、鉄、コンクリートなど多種多様である。このためテクスチャーをいかに表現するかが、建築自体を 正しく伝える一つの手段となるのである。
ボリューム表現 目で見た感じのボリュームを写真で伝達するのは大変に難しい。写真は生まれながらにしてプラス志向の強いメディアである。そのためか小さい物を大きく、狭 い部屋を広く見せたりするのはこのためである。それでは正しいスケール感を表現するにはどうすればいいかというと、何でもかんでも広角レンズを使用しない ことである。人間の目はよくできていて、目玉がグルリと動くのでかなり広角のように見えるが、どう見ても小型カメラの28ミリくらいではないか。よく、全 部が入るからと言って超広角で何でも撮影する人がいるがやめた方がいい。なるべく人間の目に近い写角のレンズで写す方が自然なカニが出ていい。(西洋館を 撮る①)

一時魚眼レンズ(ビデオ用のものを流用)を使いまくってたことがあるが、やっぱりこれで建築写真撮影は邪道だったみたいだな。

外観の撮影には西洋館では晴天の日が最もよい。自然な雰囲気で捉えるには順光線が 適している。立体感や質感を強調するには斜光線で、逆光線で建築そのものをシルエットにするのも場合によっては面白い。建築にもよるが、夜間に撮影した方 が効果的な場合もある。夜は見せたくない部分が闇に消えて魅力的な写真になることが多い。撮影は少し困難だが、雨の日は路面に光が写り一段と効果的な表現 になる。
特殊なカット以外は、壁や柱を垂直にするのが一般的である。水平を写真の上でどのように処理するかは撮影者の個性の問題だが、フラットな視点は対照的な構 図やパンターンや装飾などを強調するのに効果的である。建築写真の場合は垂直、水平は補正するかゆがめるかを画面の上でもハッキリさせることが重要であ る。(西洋館を撮る②)


そうか、やっぱり建築写真では垂直水平は補正もあり、だったんだ。今やPCの進歩で、かなりの補正は可能だろう。とはいえ、Morris.は補正する技術 もつもりもない。Morris.のコンパクトデジカメは30倍ズームだから、なるべく離れたところからカメラ固定して(豆袋で(^_^;))スローシャッ ターで写すのが無難だろう。





【冬の鷹】吉村昭 ★★★ 1974/07/10 毎日新聞社
ターヘル・アナトミアの翻訳「解体新書」は杉田玄白の「蘭学事始」で世間に知られ、、教科書に取り上げられることになったが、実は翻訳の要となった前野良澤は、「解体新書」の編著者としては名前が出ていない。その良澤を主人公として描いた作品。

かれらは、激しい情熱をもっていたが、結束が一瞬にして崩壊する危険にもさらされ ていた。盟主である良澤が手をこまねいていることは、翻訳が一歩も前進せぬことをしめしている。医家として多忙な身であるかれらが、全く成功のおぼつかな い翻訳事業のために時をすごすことは無駄なことにちがいなかった。

翻訳という作業では、Cクラスの能力者100人よりBクラスの能力者一人の方がはるかに役に立つ。そういう意味でこの翻訳作業の実情がよくわかる一文だが、もちろん、Morris.のチェックポイントは「手をこまねいて」表現である(^_^;)

「プラクテーキ」には、癲癇、卒中、麻痺、感冒、咽喉カタル、肋膜炎、喘息、肺結 核、楊枝結核、吐血、発熱、丹毒、食欲過度、嘔吐、水腫、赤痢、疝痛、下痢、腎臓病、月経閉止、月経過多、子宮病、恋病い、難産、黄疸、蕁麻疹、回虫、足 痛、壊血病、天然痘などの病気が項目別にわけられ、その発病原因と治療法が簡潔な文章でしるされていた。
「解体新書」刊行後三年目に著した「管蠡秘言」は、「管をもって天をうかがい蠡(ひさご=貝殻)にて海の量を測る」ようなせまい見識ではあるがと題しているが、それは蘭書を読んで得た知識をもとに旧来の節を排した宇宙論であった。

「解体新書」後にも、良澤は蘭書の翻訳を続けていったらしいが、ほとんど後世に知られるものではなかった。
「鼻はフルヘッヘンドしたもの也」という文章はエピソードとして教科書にも採用されたくらい有名だが、実はこれは緒方洪庵の記憶違いで、「ターヘル・アナ トミア」にはそのような記述はないとのこと。これは著者の発見でもないのだが、印象深いエピソーどだけに、ちょとしらけてしまう。




【戦後史の正体 1945-2012】孫崎享 ★★★☆☆☆ 2012/08/10 創元社
高校生にもわかる戦後史の本という触れ込みだが、著者は1943生まれの元外交官で、鳩山由紀夫のブレーンとしても活躍した人らしい。
徹底して日米関係を軸にした戦後史で、実にわかりやすく、「面白くて(おそろしくて)為になる」本だった。
いつもにまして、引用が多いが、講義メモのつもり、ということでよろしく(^_^;)

9月2日(ミズーリ号での降伏調印)を記念日にした場合、けっして「終戦」記念日とならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。そう、日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。

実は8月15日に合わせて、戦後史の本でもと思って読み始めたのだが、のっけから、戦争の終わりは8月15日でなく、9月2日だという記述(^_^;)

さまざまな経緯の結果、日本占領は米軍による間接統治となりました。連合国最高司令官マッカーサーが日本政府に命令し、日本政府は最高司令官の指示にしたがって政策を実行する。そこに日本の自主的な統治が存在すると思うと、大きな判断ミスを犯すことになります。
「日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。
そこで一般の人は、一方のボスから他方のボス、すなわち現在のわが占領軍のもとに生計がたもたてれていれば、別に大したことではないのである」(トルーマン回顧録)


情報統制下の一般人。実は故意に「知らないふりをしていた」のではないかという疑いを抑えきれない。

「天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に 主権を残したままでの長期租借--25年ないし50年、あるいはそれ以上--の擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」(マッカー サー元帥のための覚書1947/09/29)
進藤栄一がこの文書を発掘し1979年「世界」4月号に発表したのだが、日本の新聞や学会からは全く黙殺された。「不都合な事実には反論しないあたかもそ れがなんの意味もないように黙殺する」(進藤発言)それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです。(第一章 「終戦」から占領へ)


昭和天皇が、沖縄の長期米国支配を望んでいたということは、前にも読んだことがあるが、それが表に出ない、議論されない、ということが問題である。

「軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。誤ってあたえられた権力の出現がもたらすかもしれない悲劇の可能性は存在し、また存在しつづけるでしょう。
この世界は、おそるべき恐怖と憎悪の社会ではなく、相互の信用と尊敬にもとづく誇るべき同盟にならなければならないということです。そのような同盟はたが いに対等な国々の同盟でなければなりません。もっとも弱い立場の者が、道徳的、経済的、軍事的な力によって守られたわれわれと同等の自信をもって、話し合 いのテーブルにつかなければなりません」(1961/01/17 アイゼンハワー退任演説)
アイゼンハワーは軍人です。戦争の悲惨さを知っています。彼の演説を読むと、いかに戦争を避けるかを真剣に考えている事がわかります。
しかし2001年以降米国は「テロとの戦い」などといって「恐怖と憎悪」をあおり、不必要な戦争に突入してしまいました。現在の米国が、いかにアイゼンハワーのこの真摯な忠告から遠い場所にいるかを痛感させられます。


Morris.の記憶に残っている最初のアメリカの大統領といえばアイゼンハワーという名前だった。そのあとはケネディか?

マッカーサーは1951年4月11日、解任されました。それはマッカーサーが進めた「非軍事化」「戦争犯罪人の処分」「民主化の最優先」を軸とする日本占領政策の終わりを意味していました。
マッカーサーに代わって連合国最高司令官となったリッジウェイは、政治家や将校たちに出されていた公職追放をゆるめ、25万人以上の追放解除を行ないまし た。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介といった著名な政治家たちが、このとき政治的権利を回復しました。1952年10月に行なわれた占領終結後、最初の国会議 員選挙では、衆議院の42%を追放解除者が占めることになります。(第二章 冷戦の始まり)


占領時代の公職追放者の開放というのがいまいちよく分からなかったのだが、25万人以上という数に驚いた。戦中戦前の政治経済の勢力がそのまま戦後の日本をリードしていくことになった原点だったわけだ。

マッカーサーが解任されて5ヶ月後の1951年9月8日、日本はサンフランシスコで講和条約(平和条約)と日米安保条約に調印しました。
「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約(講和条約)-安保条約-行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の 意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかった」(寺崎太郎外交自伝)

*日米行政協定 日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定。1952年2月28日調印、同年4月28日に発効した。占領中に使用していた 基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)など、占領中の米軍の権利をほぼす べて認めるものだった。
新安保条約の締結(1960)と同時に「日米地位協定」と名称を変えたが、「米軍が治外法権をもち、日本国内で基地を自由使用する」という実態はほとんど変わっていない。

現在の日米地位協定=行政協定が典型的治外法権の不平等条約そのものなのに、条約より下位の「協定」という名のもとに人目を避けて(^_^;)日米関係の根底に居座り続けている。
沖縄基地問題もつまりはこの協定から見直さない限り根本的解決はできない。

「米軍駐留に関する規定を安保条約の本文のなかに書き入れ、日本の国会や国民にき ちんと判断してもらおう」という考えが(当時の)外務省にはあったのです。このあと当たり前になってしまう「協定や合意文書という形で米国と密約を結び、 国民の目の届かないところで運用してしまおう」という姑息な考えは、当時の外務官僚は持っていなかったのです。
しかし、米国はこの日本側の提案を受け入れませんでした。米軍駐留に関するもっとも重要な部分は、国会での審議や批准を必要としない、政府どうしの合意だけで結べる行政協定によって結ぶことを求めたのです。

「協定や合意文書という形で米国と密約を結び、国民の目の届かないところで運用してしまおう」という姑息な考え---これは、そのまま、今日の安倍内閣の安保法案のやり方そのままではないか。

「占領軍は日本に指令を出し、いっさいの外国との接触を禁止すると命じてきた。そ れからずいぶん長い時間が経過した。その結果、すべてのことが占領軍まかせになった。日本の政治家も官僚も、外交とは占領軍を相手とした渉外事務にすぎな いという程度の認識しか持てなくなったのである。
日米安全保障体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は、日本人のなかにしっかりと定着したのである」(1978 大野勝己「霞ヶ関外交」)

日本の外交がほとんど日米間の内交でしかない、という思いが……

江藤淳は「閉ざされた言語空間」のなかで、日本における言論空間が「奇妙に閉ざされ、統制されている」ことにいらだちを感じ、その根源を探っていくと、占領時代の言論統制に行きつくと書いています。
「占領軍の検閲は大作業でした。そのためには高度な教育のある日本人5千名を(破格の高給で)雇用しました。その経費はすべて終戦処理費だったのです」(岡崎久彦「百年の遺産」)
つまり日本人のお金で、日本人が日本人を検閲し、言論統制していたのです。
彼らは自分が「日本人検閲官」だったという前歴を「公表するぞ」といわれたら、非常に困ったと思います。つまり米国の諜報機関に利用されやすい条件をもつインテリ層が、戦後の日本には五千名もいたのです。
このように米国の方針にさからえば追放される、逆にすり寄れば大きな経済的利益を手にすることができる、この構図は今日までつづいているのです。


5千人もいた「日本人検閲官」(@_@)このアメリカのやり方は オーウエルの「1985年」を彷彿させる。

財閥解体には別の目的もありました。それは旧財閥を基盤とする戦前の経済人の力を弱め、代わりに米国に協力することにまったく抵抗のない人びとを日本の経済界の中心にすえるということです。
1946年4月、米国の青年会議所をモデルとして経済同友会が設立されます。
その設立時のメンバーが、このあと20年、30年と、日本の経済界の中心となり、政界にも強い影響力をもつようになります。全然の経済人が数多く追放される一方、彼らの多くは親米路線を歩んでいきます。
・櫻田武・水野成夫・永野重雄・小林中・鹿内信隆/藤井丙午・堀田庄三・諸井貴一・正田英三郎・麻生太賀吉・中山素平・今里広記


経済界には疎いMorris.でも上記の半分くらいは知ってる名前だ。大物経済人勢揃いで、彼ら親米経済人が、親米内閣と手を組んで高度経済成長時代を推進させたことになる。

ガリオア資金で注目すべきなのは、日本社会の重要な人物がこの資金で留学している ことです。大学教授や公務員などが大量に米国に留学しています。さらにフルブライトの資金でも留学しています。多くの人は帰国後、日本社会のなかで指導的 立場につき、日米関係強化の方向で動いたことはいうまでもありません。

経済界、政界だけでなく、親米学者の養成まで、アメリカのやり方は徹底しているんだなあ。

(安保条約一条には)「この軍隊は、日本国の安全に寄与するために使用することが"できる"」と書かれています。一般の人はうっかり見すごしてしまうでしょうが、「使用することができる」というのは、法律上は義務ではないということを意味します。

法律の言葉遣いは難しい(>_<) 出来る=出来ないわけではない=出来なくてもかまわない=しなくてもよい(^_^;)

おそらくみなさんは、「アメリカは沖縄を返してくれたのに、ロシア(ソ連)は北方 領土を返してくれない。やっぱり嫌な国だ」と思っているかもしれません。でもここで驚くようなことを教えましょう。実は北方領土の北側のニ島、国後島、択 捉島というのは、第二次世界大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度 は国後、択捉の其れへの引渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしているのです。理由は日本とソ連のあいだに紛争のタネをのこし、友 好関係を作らせないためにです。驚きましたか?
これは国際政治の世界では常識なのです。英国などは植民地から撤退するときは、多くの場合、あとに紛争の火種をのこしていきます。かつての植民地が団結して反英国勢力になると困るからです。
日本と周辺国の関係を見ても、ロシアとは北方領土、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島と、みごとなくらいどの国とも解決困難な問題がのこされていますが、こ れは偶然ではないのです。--米国に意図的にしくまれている面があるからです。(第三章 講和条約と日米安保条約)


こんなところが「陰謀史観」と呼ばれる所以なのだろうが、充分にありそうなことである。鵜呑みにするのではなく、可能性として保留しておく態度が必要だろう。

たしかに岸信介とCIAのあいだに闇の関係はありました。しかし、だからといって 岸は自分の行おうとしたことをやめたわけではありません。逆に利用しています。このへんの芸当は、戦前の満州帝国の経営など、きれいごとの通じない世界で メキメキと頭角をあらわした時代の経験が大いに役だっていたのでしょう。その満州時代をふり返る形で、彼はこう話しています。
「政治というのは、いかに動機がよくとも結果が悪ければダメだと思うんだ。場合によっては動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。これが政治の本質じゃないかと思うんです」(岸信介証言録」)


著者はそれなりに岸を評価しているのだが、Morris.はやっぱり好きになれないな。日常生活的には結果オーライな(^_^;)Morris.だが、国 政という土俵では、悪い動機(根本)で動くべきではない。青臭いと言われようと、目的のためにこそ手段を選ばなくてはならないと思うのだ。

歴史で「もし」は禁句だそうですが、このケースだけは許していただきたいと思いま す。もし岸政権が1960年7月、安保騒動で崩壊しなかったら、岸首相は「駐留米軍の最大限の撤退」を「日米安保委員会」で検討させていたでしょうか。 「おそらく検討させただろう」という結論が出ると、岸政権のこれまでの評価はすっかり変わります。
岸は「二段階論」を考えていました。つまり安保条約を改定して、その後「行政協定を改定する」方針でした。
ところがこのとき、池田勇人、河野一郎、三木武夫がそろって「同時大幅改定」を主張したのです。


「総じていえば、60年安保闘争は安保反対の闘争などではなかった。闘争参加者のほとんどが国際政治および国際軍事に無知であり無関心ですらあった」(西部邁「60年安保--セチメンタルジャーニー」)

60年安保時、Morris.は十歳だったが、ニュースなどで「アンポハンタイ!!」の掛け声だけは覚えている。著者は当時の反対運動にもアメリカの影を 見て、否定的に捉えているようだ。西部邁の言うところの「参加者の無知、無関心」--これも、現在の安保法案反対運動参加者にも通じるのだろうか。やはり 「無知は罪」なのだ。

新安保条約のどこが旧安保条約に比べてすぐれているか、それは2005年以降、日米の安全保障関係が大きく変質していくなかであきらかになります。
第五条で「日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続にしたがって共通の危険に対処するように行動する」としていること。
ここでは、日本は米軍が攻撃されたときも共に行動することをやくそくしています。しかし、そこには制限がついています。「日本の施政下にあるところへの攻 撃」と「相手からの攻撃があるとき」に限られているのです(米国は最初、「日本の施政下」ではなく、もっと広い地域、「太平洋」をカバーしようとしていま した)。
そして米国は「自国の憲法にしたがって」という条件はつけているものの、日本を守る義務を明記しました。これは旧安保条約にはなかったものです。


これは今の、集団的自衛権の問題点に深く関わるところである。つまり60年安保時に、辛うじてアメリカの要求から身をかわした部分を、安倍内閣は搦め手から、なし崩し的に無効にしようとしている。

欧米が植民地支配をするときは、よくその国の少数派と手を組みます。これがセオ リーです。主流派は、別に外国と手を組まなくても支配者になれるからです。でも、少数派はちがいます。外国と手を組むことではじめて、国の中心に進出する ことができるのです。(第四章 保守合同と安保改定)

国際政治に関するこういった小ネタは、外交畑の現場で「情報屋」と言われた著者ならではのもので、興味深い。

米国は安保闘争で、「労働界や野党に工作をする必要性」を学びました。それが徐々 に実を結び、労働運動では米国に厳しい姿勢をとる総評に代わり、連合が力をもつようになります。2009年に自民党から民主党に政権交代が起こった際に も、当初米国にきびしい姿勢をとった鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏に代わって、いつのまにか、野田佳彦氏、前原誠司氏など、米国との関係を重視する松下政経塾 出身者が民主党で勢力をもつようになります。米国がいかに長期的戦略をもって日本に対応しているかについては、実に感心させられます。

これも鳩山由紀夫内閣のブレーンを勤めた著者だからこその悔しさがにじみ出ているな。

「ニクソンの訪中のあと、尖閣諸島について国務省は日本の主張に対する支持を修正し、あいまいな態度をとるようになった。佐藤の推測によれば、ニクソンと毛沢東のあいだでなにかが話しあわれたことを示すものだった」(永野信利「外務省研究」)

国境紛争は話し合いでは解決しないものだが、第三者である米国が当事者である両国の紛争を自国の利益のために利用しようとするのは面白く無い。

米国は歴史的に、国際的な約束より自国の決定が優位に立っていると考えてきた国で す。国際的な約束を守ることが自分の国に有利な時には、国際的な約束を守ります。他の国にも守るよう圧力をかけます。しかし、自分の国が不利になると、国 際的な約束を破って行動するところがあります。

これをご都合主義という。

日本経済の低迷は1985年のプラザ合意から始まります。日本の通貨をわざと円高 にして、米国への輸出に歯止めをかけたのです。円高で製品の輸出が困難になった日本企業は、海外に進出するようになりました。こうして日本経済の空洞化が 始まります。(第五章 自民党と経済成長の時代)

あれから30年が経ったのか。て、いうか、Morris.はプラザ合意という単語は聞き覚えあっても内容は知らずにいた(^_^;)。円高は韓国に旅行する時レートが高くてありがたいくらいに思ってた、という、無知ぶりだった。

1995年2月「東アジア戦略報告書」のなかでナイ国防次官補は、「日本の国際的平和維持活動が活発になるのを歓迎する」と書いていますが、ここに米国の深謀遠慮が隠されています。
国際的平和維持活動といったとき、頭に浮かぶのは「人道的支援」です。日本の国民はそれにはほとんどはんたいしません。ですから自衛隊も国際平和維持活動 にすんなり参加することができます。そうやって日本国民が自衛隊の海外派遣に疑問をもたなくなったころ、段階的に自衛隊を軍事面で使っていこうという計画 です。(第六章 冷戦終結と米国の変容)

安倍首相のいう「積極的平和主義」に通底するものではないかと思う。Morris.にはどうしても「攻撃的平和主義」と聞こえてしまう。

2003年12月から2009年2月まで日本はイラク戦争に参加しました。でもその理由はなんだったのでしょうか「米国に言われたから」それ以外の理由はないのです。

簡にして要を得た質問と答え。

私は2003年、「中央公論」5月号に「情報小国脱出の道筋」と題した論評を書き、間接的な形でイラク戦争を批判しました。
私は中公新書「日本外交 現場からの証言」で山本七平賞をいただいてから、中央公論社から毎年2~3本の論評を掲載しますといわれていたのです。しかしこのあと中央公論から論評の依頼はなくなりました。
たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっても群れのなかで論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしていても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です。


「寄らば大樹の陰」か、それとも「赤信号皆で渡れば恐くない」か(>_<) 「日本限論界」(@_@)

9・11同時多発テロ以降、「紛争の平和的解決」「国際法の順守」「人民の同権および自決の原則」を尊重する考えは、米国の世界戦略のなかにはありません。とくに民主化、市場化をめざす国と、めざさない国とは同じにはあつかえないとして、敵と味方をきびしく分けています。
「日米同盟 未来のための変革と再編」(2005年10月29日)のなかに書かれている「日米共通の戦略」という言葉の意味は、米国が決定し、日本が同意する戦略ということです。
さらにこの文書では、その共通の戦略の目的が「国際的安全保障環境を改善する」となっています。これは非常に危険な条項です。
「国際安全保障環境の改善」というと、なにかいいことをするようなイメージをもってしまいますが誤解です。これは米国が必要と判断したときには、主権をもつ他の国家に対して自由に軍事力を行使できるという意味なのです。


アメリカの決定に、同意するしかない日本(^_^;) 完全にパシリ役扱いか。安全を保障するというより、安全のために日本を盾にする戦略だ。

多くの犠牲者を出した17世紀の宗教戦争、その深刻な反省から、ヨーロッパには 「自分が正義だといって、その実現のために他国と戦争することは避けなければならない」という平和の知恵が生まれました。それが国際法における「国家主 権」の概念です。これは宗教戦争に終止符を打った1648年のウェストファリア条約(30年戦争の講和条約)によって確立されました。国連憲章も大きな流 れとしては、そうした平和を求める人びとの願いのなかから生れたものなのです。
現在の米国がかかげる「予防戦争」(何ヶ月あるいは何年も先に実現しそうな脅威をとりのぞくために、米国は軍事攻撃を行なっていいという考え方)という概 念は、「近代社会400年の知の伝統の否定」です。そうした歴史の中で、日本は米国との「共通戦略」にのりだそうとしているのです。


勉強になるなあ。ウェストファリア条約なんて初めて聞いたような気がする。「予防戦争」と「戦争予防」の間にはとんでもなく大きな溝がある。集団的自衛権はこの「予防戦争」の色合いが濃い。

小泉首相時代、日本は安全保障面だけでなく、経済面でも対米従属が大きく進みまし た。私には、外交・安全保障面では完全に米国に追随しながらも、海外への派兵だけはせず、内政面ではなんとか米国の介入を防いで比較的平等な社会を築いて きた自民党政権の意義が、ここで完全に失われたのだと思えます。

小泉にはMorris.も見事に騙されたというにがい記憶がある。戦後、北朝鮮を初めて訪問した首相ということで、過剰に評価してしまったのだった。その後の顛末は省略する。

「在日米軍基地の見直し」と「中国との関係改善」。結局、日本にとって踏んではいけない米国の「虎の尾」とは、このふたつの問題につきるのです(本格的に踏んだ首相がいないので証明はできませんが、これにおそらく「米国債の売却」が加わります)。

これが著者の持論である。そして鳩山由紀夫はこの両尾を踏んだのだから、お仕置きは当然の結果ということになる。

鳩山首相が(普天間基地を)「最低でも県外移転」といったことに対して、政府内の だれも鳩山首相のために動こうとしませんでした。首相が選挙前に行なった公約を実現しようとしているのに、外務省も防衛省も官邸も、だれも動こうとしな かったのです。異常な事態が起こっていました。日本の政府が首相ではなく、米国の意向にそって動くという状態が定着していたのです。残念ながら、日本のマ スコミはこの点をまったく報道しませんでした。
鳩山政権が米国に潰されたのはだれの目から見てもあきらかでした。


あの時の野党(自民党陣営)はもちろん、民主党内の対応もたしかに異常なものがあった。心情的にはMorris.は鳩山に同情的である。結果論を言っても しょうがないが、あの時点で民主党が一丸となってたらよかったのに。鳩山の失敗は、「最低でも県外移転」を貫かなかったことだろう。

TPP論議の最大の問題は、推進者が実態をゆがめて説明している点にあります。
「TPPに参加しないと日本は世界の孤児になる」というのも詭弁です。
一方、被害はかぎりなく想定されます。これまで日本の繁栄を支えてきた素晴らしいシステムが、次々と破壊されていくのは確実です。
米国はなぜ日本にTPPを執拗にせまるのか。理由がふたつあります。
一つは日本が中国と接近することへの恐れです。もう一つは米国経済の深刻な不振です。
TPP推進派の人びとは、TPPの実態を説明していません。詭弁を使っています。
本当に危険な状況だと思います。(第七章 9・11とイラク戦争後の世界)

本文のおしまいがTPP批判である。やや八つ当たり気味でもあるが、気持ちはわかる。

①米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにあります。日本の利益とつねに一致しているわけではありません。
②米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わります。
代表的なのは占領時代です。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策をとっていました。しかし冷戦が起こる と、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始めます。このとき対日政策は180度変化しました。そして多くの日本人は気づいていません が、米国の対日政策はいまから20年前、ふたたび180度変化したのです。
③米国は自分の利益にもとづいて日本にさまざまな要求をします。それに立ち向かうのは大変なことです。しかし冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞 いていれば大丈夫だという時代はすでに20年前に終っています。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要がありま す。


結構読み通すのに時間がかかり、引用も多い割にまとまりのないものになってしまったが、あとがきで、以上のようにあっさりまとめてあって、ちょっと脱力(^_^;)。

戦後の首相たちを「自主」と「対米追随」という観点から分類してみたいと思います。
(1)自主派(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)
○重光葵(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
○石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
○芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
○岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行なおうと試みる)
○鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
○佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
○田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)
○福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒ではない外交を展開)
○宮沢喜一(基本的に対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
○細川護煕(「樋口レポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
○鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)

(2)対米追随派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)
○吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
○池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
○三木武夫(英国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
○中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
○小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣。経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦

(3)一部抵抗派(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)
○鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否。べいこくとの軍事協力は行なわないと明言)
○竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界的規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
○橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)
○福田赳夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極的姿勢)


これまた、わかりやすい分類表。本書は戦後史、特に戦後の歴代総理の批評史みたいな性格も持っている。個々の批評には異論もあるが、教えられる所も多かった。

戦後70年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。
米国は、好ましくないと思う日本の首相を、いくつかのシステムを駆使して排除することができます。難しいことではありません。たとえば米国の大統領が日本 の首相となかなか会ってくれず、そのことを大手メディアが問題にすれば、それだけで政権はもちません。それが日本の現実なのです。
米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を繁栄した政権です。ですからその次の 政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、また頑張ればいいのです。自分を選んでくれた国民のた めに。
カナダのピアソン首相が米国内で北爆反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字どおりつるしあげられました。カナダは自国の10倍以上の国力をもつ米 国と隣りあっており、米国からつねに強い圧力をかけられています。しかしカナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然と物をいう伝 統」をもちつづけ、2003年には「国連安全保障理事会の承認がない」というまったくの正論によって、イラク戦争への参加を拒否しました。国民も七割がそ の決断を支持しました。(おわりに)

今の安倍内閣が、日本の民意を反映した政権、とはとても思えないのだけど、それでも絶対的多数を誇っているというのが、悲しい現実である。
本書は刊行後20万部近いベストセラーになったらしい。高校の教科書のつもりで読んだMorris.だが、実際に本書が高校の副読本になれば面白いのにと思った。





【植調 雑草大鑑】 浅井元朗 ★★★☆ 2015/02/12 全国農村教育協会。
B5版オールカラーの雑草図鑑である。タイトルにある「植調」は、本書を企画バックアップした公益財団法人 日本植物調節剤研究協会の略称らしい。本書はこの協会設立50周年の記念出版物でもある。
水田雑草28科129種、畑地雑草54科583種を掲載している。1ページに10点前後の写真(芽生え、全体像、花、種子、果実、細部等々)で、雑草のさまざまな姿を見ることが出来る。
和名・学名・英名、原産地、分布、出芽・花期、草丈、生活史、繁殖器官、種子散布などが併記されていて、特に草丈は「足首~膝」「膝~腰」「腰~胸」などのように身体部位で示してあるのは体感しやすい。
今日の日記で道ばたの雑草を撮影したのは、本書で同定して見ようと思ったためだ。

「雑草:撹乱の中に生きる植物」とタイトルされた序論は2pの短かさだったが、興味深いものだった。

雑草という名の植物はない。しかし雑草とみなされる植物はある。ある植物が雑草かどうかを決めるのは人間である。土手や道ばたに花を咲かせる草は、通りすがりの市民にとっては野草であるかもしれない。しかしその土地の所有者、管理主体者にとっては雑草だろう。

雑草は人間の管理の影響下に生きる植物群である。人間は土地を利用するために、さまざまな管理作業を加えている。土を耕したり、草刈りをするなど、その土 地の植生を壊すことを生態学の用語で撹乱という。農地や緑地では、耕起、草刈り、湛水と落水、火入れ、放牧、除草剤処理といったさまざまな撹乱が加わるこ とで、その土地の機能が保たれている。


「名もない草」という表現は俗的なもので、人目に付くくらいの植物で名前のないものはほとんど無いと思うが、雑草とみなされる植物はあるわけか。
「撹乱」という語は「乱れる、混乱する」みたいな意味だと思っていたが、生態学では雑草を除去する営みとして使われているというのは初めて知った。ちょっと意外な使い方である。
大辞林で「かくらん」を引いたら「[撹乱](コウランの慣用読み)かき乱すこと、混乱を引き起こすこと」とあった。正しくは「こうらん」と読むらしい。昭 和初期の「大言海」「大辞典」には見当たらないから、1930年代以降に使われ始めた語かもしれない。「撹拌」も、正しくは「こうはん」と読むらしいが、 今や「かくらん」「かくはん」と読むほうが一般的だろう。
またあとがきには

雑草も、社会を映すものです。
雑草を調べ、雑草との付き合いを考えることは、よりよい土地利用とそれがなされる社会のあり方を考えることでもある……雑草との関わりが続くほどに、そ う、私は考えてきました。望ましいあり方とは? そのためにどうするのか? これまでのように、当事者の手が届かないところで多くのことが決まっているしくみから、自分たちで学び、決め、自分たちで決められる範囲をひろげてゆくた めの取り組みを続けること。雑草をはじめとする、足元の生物の生き様や他の生物とのかかわり合いに目を配り、その適切な理解に裏打ちされた土地利用の営み を地域社会の中で引き継ぐこと。それもまた豊かな社会の姿の一つでしょう。
本書の編纂に与えられた3年という期間は、この水準の書籍を完成するには明らかに短いものですが、その間たいへん楽しく充実した日々でした。東日本大震災 後の、日本の社会がおかしな、荒んだ方向に進んでゆくことへのやるせなさからの逃避という面もあったかもしれませんが。


などという記述があり、著者の人間性がにじみ出ているようで好感を覚えた。
おしまいに、本書の中からこれまで知らずにいた、植物の漢字名を幾つか引いておく

カミツレ 加密列 chamomile 菊科 小鹿菊属 薬用植物として江戸時代に移入され、ハーブとして栽培される。リンゴに似た芳香があり、乾燥した頭花を利用する。逸出し、畑地、道ばた、空き地などに野生化している。
キランソウ 金瘡小草 紫蘇科 キランソウ属
ノヂシャ 野萵苣 忍冬科 ノヂシャ属
ギシギシ 羊蹄 蓼科 ギシギシ属
イノコヅチ 牛膝(猪子槌) ヒユ科 イノコヅチ属
メヒシバ 雌日芝 southern crabgrass 稲科 メヒシバ属






【夏目漱石「われ」の行方】柴田勝二 ★★★☆ 2015/03/20 世界思想社
研究者による著作で、ちょっと硬めな本だったが、後半の、朝鮮半島と漱石作品の関わりという部分が興味深かった。

これまでも『吾輩は猫である』に話題として盛り込まれ、『坊っちゃん』の構図に映 しだされている日露戦争や、『三四郎』に透かし見られた維新以来の対西洋の関係など、漱石の作品には未成熟な近代国家としての日本が西洋列強としての日本 が西洋列強とのせめぎ合いに晒される様相が、主人公の行動や彼をめぐる人物同士の関わりに託される形で表彰されてきた。それらはいずれも漱石が描き出そう とする「非我」の世界の「F」(観念的焦点ないし集合的関心)であり、『文学論』で詳述されるようにそれが時間的に変容していくのに応じて、新たなFが作 品の主題としての位置を占めることになる。
そして日露戦争の終結後、日本の外交の主要な問題となるとともに漱石の作品世界で中心的なFとして機能することになるのが、明治43年(1910)8月に 遂行されるに至る韓国併合であった。日露戦争後「保護国」化という方向で朝鮮半島への支配を強化していった流れが、併合に向かって加速していくのは、韓国 を「保護国」化する立場にあった伊藤博文が韓国統監府統監を辞任する明治42年(1909)中頃からであったが、『それから』、『門』、『彼岸過迄』、 『行人』といった、その間ないし併合後の状況が進行していく時期にもたらされた作品群には、その折折における日本と韓国・朝鮮との関係が織り込まれている ことが見て取られるのである


文中「F」というのは、「非我」で、「f」の「我」に対する概念らしい。漱石自身が使ってるようだが、学者というのはこういうのが好きである。

漱石の作品において女性が植民地的空間の暗喩として現われるのはもちろん『それか ら』『門』が初めてではない。『坊っちゃん』においても「おれ」つまり坊っちゃんの陰画的分身である「うらなり」の婚約者の「マドンナ」が、<西 洋>の記号性をはらむ教頭の「赤シャツ」に奪い取られることになる展開は、日清戦争後の三国干渉とその対象である遼東半島にロシアが侵出していくそ の後の経緯と符合していた。

坊っちゃんのマドンナが遼東半島というのは、びっくりだね。

韓国併合が成ったのはちょうどこの修善寺の大患(明治43=1910 年8月)の時期と重なっている。韓国併合条約が調印されたのは8月22日であり、その二日後に漱石は大吐血をお越し、危機的な状況に陥っているのである。 これは必ずしも偶然の照応ではなく、漱石の胃の状態を悪化させていた要因に、韓国併合への憂慮があったことも想定しうる

こうなるとトンデモ文学論みたいな気がしないでもないが、著者は大真面目である。

「おれ」(坊っちゃん)のうらなりに対する気に掛かり方は、『こゝろ』の「私」の 先生に対する意識のあり方と近似しており、土居健郎的な観点からすればこれを「同性愛的」といってもさしつかえないはずである。そしてこの感情的な親密さ も『こゝろ』の二人の関係と同様に、彼らが近代日本に与えられた二つの寓意的表彰であるところからもたらされていた。
漱石の作品世界において「同性愛的」に見える男性同士の関係が描かれる時は、必ず近代日本に与えられた二つの側面と照らし合う相互の分身性がそこに込められているのである


そういえば、橋本治が「こゝろ」は、ホモ小説だと言ってたな。

先生は『猫』の金田夫人のように、物質的欲望によって物事のあるべき姿に盲目に なった人間ではなく、欲望に動かされることの空疎さを認識しうる理性と良心を持っている。それが看取されたからこそ、「上」において「私」は先生に惹かれ たのだが、逆にいえば、そうした人間であっても一つの状況の流れに置かれることで、空しい欲望に抗しきれなくなるというのが、先生ひいては漱石の人間観に ほかならなかった。『文学論』や『文学論ノート』で考察されるように、人間は外界からの「暗示」に否応なく動かされる生き物であり、意識の埒外で受け取っ た外界からの信号に知らないうちに応じてしまうことも珍しくないのだった。

故意に複雑化してるようでもある。

第一次世界大戦への参戦とそれによるバブル的な景気の到来によって、大正という新 時代が明治日本を覆った功利主義、帝国主義を脱却するどころか、それらを強める方向に進んでいく様相を呈することで、漱石はあらためて<非我 -F>に比重をかけた創作に残り少なくなった生命力を傾注することになった。「則天去私」とは、彼岸へと至る命運に自己を任せるという含みをもちな がらも、本質的には「私」に当たる<我-f>を極力抑制して「天」すなわち<非我-F>の表象に重きを置くという姿勢にほかなら ない。

則天去私をそう読み取るというのもかなり無理してるのではなかろうか。
長いこと漱石から遠ざかっていたが、ちょっとしたきっかけで、また読みなおしてみようかという気になっている。本書は、そのウォーミングアップみたいなものかも(^_^;)





【原発ホワイトアウト】若杉列 ★★★☆☆ 2013/09/11 講談社。
現役官僚による、原発体制告発フィクションらしい。2013年度のベストセラーで13万部売り上げたとか。
福島原発事故関連ほんを昨年ある程度読みあさったが、こういったフィクションものは初めてかもしれない。著者は現役官僚らしいが、なかなか如才ないライターぶりである。政府や電力会社への批判も、フィクションならではの辛辣な表現がわかりやすかった。

世間の動きに表層的かつ感覚的に反応する評論家は、「官邸前のデモは新しい時代の到来を予見させる。インターネット称揚していたが、実体は定職のない若者や定年後の高齢者が、やり場のない怒りをぶつけるステージに近かった。
大衆は熱しやすく、冷めやすい--。

原発デモはたしかに、一時の盛り上がりが、今や見る影もない(>_<) 川内原発再稼働反対もいまいち盛り上がらない、というか、持続するのは難しいのかもしれない。安保法案反対運動もこのパタンを繰り返さないようにせねば。

スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦によれば、日本の社会は「仕切られた多元主義」だ。人材の流動性が低いなか、人口ボーナス下で逃げ切れる団塊の世代は、それでいいかもしれないが、人口減少の時代にあって、これから生きていく玉川たち若い世代は違う。
電力会社が、総括原価方式によってもたらされる超過利潤(レント)によって、政治家を献金やパーティ券で買収し、安全性に疑義のある原発が稼働し、再び事故が起こるということは何としてでも避けなければならない。

何としてでも避けなければならなかったのに……(;;)

--驚くべきことに、日本電力連盟自体も、法人格を取得していない任意団体であった。総額15兆円の売上げを誇る業界でありながら、その業界団体が法人格すら取得していない……これは極めて異例である。
理由は何か? それは、日本電力連盟が外部の介入を過度に警戒しているからである。
電力会社が決して国の補助金を受け取らないのも同じ理由だ。会計検査院の検査が入り、電力会社の秘部に外部の目が届くことを忌避している。国の補助金を受け取ると、政治資金規正法上、政治献金ができなくなることも、電力会社のそうした行動を正当化していた。
電力業界全体が外部に発注する金額の総計は、なんと5兆円もある。その上前の上前だけで、日本電力業界には400億円もの預託金が使途自由な工作資金として積まれることになる。
このプロセスに一つでも違法な部分があれば、内部告発などが表面化した際には、マスコミや司法当局も触手を伸ばすことが可能であろう。しかし、違法性がない以上、たまに暴露話として、その存在が外部に漏れることはあっても、決して広がることはなかった。
しかも関東電力の取引先は、東栄会からの指示にしたがって淡々とパーティ券の領収書を処理するだけで、相場より15%も高い取引額を安定的、継続的に享受 できる……安定して関東電力から仕事を受注する限り、倒産する心配はまずない。経営権争いや女性スキャンダルなどによる内輪もめが起きない限りは、取引先 から秘密がばれることはなかった。
そして関東電力自体が、取引先において内紛やスキャンダルが起きていないかどうか慎重にウォッチし、この集金・献金システムに綻びが出ないよう注意していた。
(この集金・献金システムが)誕生したあとは、日本の政治社会を支配するモンスターとして、独自の生命を得たように活動をし始めた……。
こうして、公共事業への国家予算の分配がゼネコンの集金集票との見合いであることや、診療報酬の改定が日本医師会の集金集票との見合いであることと同様に、このモンスター・システムは、日本の政治に必須の動脈となったのである。

原子力村=モンスター・システムというのは言い得て妙である。福島原発事故こそ、このモンスターを倒す絶好の機会だったはずなのに、あれから4年以上過ぎて、モンスターはほとんどそのままである。

それにしても、大衆は常に愚かで、そして暇だ。衆愚というのはこういう連中のことを言うのだろう。こいつらの言うことを聞いていたのでは、国の将来を誤ることになる。
もちろん、フクシマの原発事故は反省をしなければならない。これも、お決まりの枕詞にしか過ぎないが……。しかし、だからといって、原子力エネルギーから 一切背を向けるというのは、火傷や山火事を起こした原始人が火を使わなくなるのに等しい。太古の昔、原始人も火を使いつづけるかどうか議論したのだろう か? 原始人が火を放棄していれば、現代の文明には辿り着いていなかっただろう。
デモに参加している狂信的な連中は、世の中のごく一部だ。
脱原発俳優の山下次郎が獲得した66万票だが、その全部が狂信的な連中というわけではない。保守党の勝利を漠然と不安に思うインテリ層や現代の経済社会に 対する批判層の票が狂信的な連中に触発されて、相当混じり込んでいるはずだ。デモに参加している連中と一般大衆とを分断して、一般大衆をフクシマの事故前 の感覚に戻していけばいい。
「原発事故もいやだけれど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆はワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。
大衆は常に「自分よりもうまくやる奴」を妬み憎む。
・公務員でもないのに競争がないなんて許せない。
・競争がないなら電力会社の経営は合理化がなされていないはずだ。
・電力会社同士で競争させれば料金が下がるはずだ。
と、大衆は思っているのだから、とにもかくにも、電力業界での競争原理の導入を謳った電力システム改革の実施を政府で決めて、これからは競争が起きると大衆に信じさせればいい。
改革派官僚といわれる一部の役人までが、電力システム改革が至上命題であると信じているようだが、本当は、原発再稼働の手段に過ぎない。とりあえず、電力 システム改革をやるぞ、といって大衆に啖呵を切って、競争が起きると誤認させれば、大衆の溜飲が下がり、原発再稼働へのハードルをクリアすることになるだ ろう。(第五章官僚と大衆)

これだけ言いたい放題が書けるのもフィクションならではだろうが、事態はまさに、この思い上がった発言に沿って動いているようだ。

一般大衆にどのくらい知られれている事実かはわからないが、政治家から省庁への圧力というのは、法案が閣議決定される前に終了している。
国会での論戦は、台本が書かれた寸劇にすぎない。野党の議員にとっては、総理や大臣を追い詰める論戦は、いわば「見せ場」ではあるが、前日の夕方には、質 問内容の大筋は内閣総務官室や各省庁の国会連絡室に渡している。質問者から渡された質問を政府側が事前に咀嚼し、答弁を書いて大臣に「ご説明」していなけ れば、論戦にもならない。


これも現役ならではの突っ込みだろう。大衆はスタンドプレイに弱い。

政権と警察のねらいは、反原発のプロ活動家と一時の熱に浮かされた一般市民とを峻別し、後者を冷静に落ち着かせることにあった。
具体的には、私服警官を毎週末、数十人単位で動員し、反原発デモの活動の様子をビデオ撮りして、参加者の面を割る作業を進めるとともに、運動の先頭で目 立った動きをしている人間を尾行し、自宅の住所を特定した。デモ参加者が帰路に、自転車を無灯火で運転したり、立ち小便をしたりしている姿も、すべてこっ そり記録された。
自宅が特定された参加者の周辺では、それぞれ管轄の警察官による聞き込みが露骨に行われた。
こうした警察の行為を不適切と糾弾する声も上がったが、過激派や共産党が浸透しようとしている形跡があることにより、逆に、一般市民を監視することも含めて正当化された。
経済産業省前の反原発テントの参加者も同様の憂き目にあった。テントに泊まり込んだ者のみならず、テントに立ち寄った者の自宅周辺にも続々と警察官による 聞き込みが行われた。自然と参加者は減少し、それでもあえて参加するものは、もはや一般市民とはいえず、プロ活動家の卵として先鋭化していくことになっ た。


これはいかにもありそうなことだ。安倍政権は現実にこの方向で動いているようだ。

まれに覚えの悪い識者もいたが、二度警告を発しても改善しない者はブラックリストに載せ、マスコミ各社に番組や記事に起用しないよう執拗に働きかけた。近年、テレビや新聞で見かけなくなった反原発の著名人の多くは、そうした日本電力連盟広報部の所業の結果である。

事故以前と比べるとかなり隠蔽体質が強化されていると思われる。

テレビ、新聞、週刊誌では、もともと誰からも相手にされず、反原発を貫いてきた研究者などが、フクシマの事故後しばらく「正義の味方」として重用されたが、彼らの過度に恐怖心を煽る極端な言論から人心が離れるのも早かった。

電力会社には、もともと正社員として検針や集金をしていた余剰人員のおばちゃんや おっちゃんが、腐るほど存在する。各社の広報部では、正規の広報部の別働隊として、こうした余剰人員を収容した特別な部屋をつくっていた。これらは本社と は別の分館の目立たない場所に設けられており、問題報道のあとには、余剰人員が一斉に、電話やネットで視聴者の声に反論の声を届ける。
これに加え、各社の余剰人員は、ネット工作員としても活動していた。「2ちゃんねる」、政治家やチョお名人のツイッター、フェイスブック、SNS連動型テレビ番組などで、続々と電力会社の主張に沿ったコメントを書き続けるのである。


九電の玄海原子力発電所再稼働へのやらせメールを思い出した。

フクシマの事故以降一年ほどは、地震、被災者、原発事故に関する報道は高い視聴率 をとっていたが、その後、視聴率は長期低落傾向を示していた。震災後二年を経過したあとは、それが特に顕著になり、ニュースや特集番組で、こうしたトピッ クが取り上げられると、視聴率の数字がガクンと下がるようになっていた。
とにかくあの辛い経験や恐怖を早く忘れたい、過去のものとしたいのだ。もはや震災やフクシマの事故を日本国民の多くは現実のものとして直視できなくなった。


マスコミの報道番組減少、NHKの自滅、インターネットの普及もこれに歯止めをかけるものにはなっていない。

保守党は長年、租税特別措置法によって、古い産業界の既得権を税制の活用という手 段で擁護してきた。毎年、政府税調で、「優遇税制は原則廃止」といった厳しめの議論をさせて、産業化に対し「租税特別措置の恩典がなくなるかもしれない」 と脅す。その後に続く保守党税制で、ギャラリーを前に、族議員が既得権の優遇税制の堅持を訴えて、政治的にそれを勝ち取り、産業界に恩を売る。そういう一 種の政治ショーだった。
立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている、といえば聞こえがいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変視させることに他ならない。


「利権至上主義」だな。

国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

兎の逆立ちぢゃ(>_<)

テロ防止のために必要な、原発で働く下請け孫請け企業の社員の身元確認、その義務 化も見送られた。フクシマ事故前から、放射線量の高い場所での危険な作業は、電力会社や重電メーカーの社員ではなく、下請けや孫請けの協力会社が担ってい る。しかし、四次下請け、五次下請けのレベルになると、暴力団が日雇い労働者を手配、斡旋するのが日常の姿だった。
そうして集められる労働者は、アル中や家庭内暴力で妻子と別れて独り身になった者、元ヤクザ、勤務先が倒産したりリストラされたりした者、薬物中毒者、ク レジットカードの借金が返済できない者、などである。生きるためには、身元確認や線量管理などが導入されては困るのだ。
電力会社にとっても、線量の高い場所での危険な作業を担う人員が確保できなくなることは大問題だし、四次下請け、五次下請けを通じ、暴力団に人件費をピン ハネさせて、不法勢力と水面下でつながることに有形無形のメリットを感じているため、身元確認の義務化には反対姿勢を貫いた。

数年前の計画停電騒ぎはもう風化していた……「電力不足だから原発を動かします」という再稼働を目論む当初のロジックは破綻していたが、再稼働に対する国民のアレルギーも、同時に風化していた。

新崎原発で発電された電気は、北新崎幹線と南新崎幹線というニ系統の50万ボルトの高電圧線で、それぞれ訳200基の鉄塔を介して、関東電力のエリアに送られていた。
自然災害であれば、ニ系統のどちらも支障を来すという可能性は著しく低いと評価されていたが、自然災害以外の災害は起こらないという「性善説」に立った考え方であった……。


この部分が、この物語の核心となる、原発テロに関する部分である。ネタバレにならないよう、詳細は省くが、日本の原発の安全対策の脆弱さは、Morris.にも想像がつく。ドローンで爆弾落とすくらいのことは、個人でも簡単にできる時代である。




【校正という仕事 : 文字の森をゆき言葉の海をわたる】ヴェリタ編 ★★★☆☆ 2015/06/15 世界文化社

校正者の卵を対象にして、2013年9月から半年間にわたる連続講座を、一冊にまとめたもの。
6人の講師は、単行本・編集・新聞・商業印刷・出版・雑誌の専門家で、それぞれの切り口で校正という仕事を論じている。手書き原稿の時代、活版印刷の時 代、写植の時代、デジタル原稿+DTP時代と、「校正」の内容も様変わりしているようだ。ワープロの誤変換やOCRの読み取りミスなど、過去にはなかった 誤字も多くなっている。
誤字脱字勘違い満載のMorris.日乘ではあるが、校正作業らしいことはいちおうやってるわけで、色々参考になった。かな?

広辞苑は百科事典的な要素が多いので、品詞が書いてありません。だから当然動詞の活用も書いてない。

実はMorris.は「広辞苑」は一度も所持したことがない。新潮国語辞典、大辞林、大言海、大辞典が現在よく使ってるものだが、広辞苑に品詞がないとい う説明には驚いた。あわてて手元の大辞林見なおしたら、名詞語は品詞省略されてるが、それ以外の品詞は明記してあるし、動詞の活用形も載ってたので一安 心。

差別表現に注意すること。いろいろの表現がありますが、これは自分が思う・思わない、で決めることではなく、それを言われた人、使われた側が傷つくかどうかを問題にしなければいけないのです。(飛山純子)

これにはちょっと異論があり、差別語の扱い方に関しても、別の考えを持っているが、煩雑になりそうなので省略。

失敗を封印して仕舞うのはよくないと思います。マルクス主義がだめなのは、自分たちの失敗を認めないからだ、と鶴見俊輔さんが、これもどこかで書いていま した。これはマルクス主義にかぎりません。日本の軍隊だって、完了だって、東京電力だって、ずいぶんいろんな失敗をやらかしてきました。でも、それを素直 に認めずに開きなおってしまうから、いっこうに進歩がないわけです。


先月亡くなった鶴見がそんなことを言ってたのか。正論だな。孫引きしておく。

製紙会社をつくって、おカネの流れを操作したという箇所があって、へんなことをするなと思ったものの、とくに訂正はしませんでした。ところが、あとで原文をよく見ると、ペーパーカンパニーが製紙会社と訳されていたのです

笑ってしまったが、ありそうな話である。似たことは今でもしばしばあるだろう。

ウンベルト・エーコは、長い目でみると、残るのは紙の本で電子書籍ではないといっ ています。これはよくわかります。なぜなら、電子媒体ほどすぐ消えてしまうものはないからです。フロッピーやMDはもう見かけなくなりましたが、CD、 DVDもいつまでのこるでしょうか。フロッピーなどは、もう使えなくなっていて、昔フロッピーに保存したデータを読もうと思っても、システムが変わって読 めないのが実情です。(木村剛久)

デジタルデータの恐いところである。ハード面での問題より、データそのものが完全に消滅する恐怖と、修正が見つけ難くなることの方が大きい。

「先祖帰り」は印刷会社が一番怖がっていることです。校正の現場では源流チェック という仕事があります。一番初めの原稿から始まり最後の校了紙に至るまでをさかのぼって、この過程で赤字の落としのミスがないかをチェックしていくことを いいます。源流チェックによって「先祖返り」をチェックできると考えているんですね。

「先祖返り」もデジタルデータ時代になって頻出することになった事象だろう。

あとは写真。写真が粗画のままだったとか、写真の切れもアウトです。それから何億 もかけて大スターを起用した広告には気をつけたほうがいいですね。ゴミが一個顔にのっていただけで刷り直し、アウトです。広告代理店のほうで止めてしまい ます。ちょっと色が赤くかぶっていたり、スミがかぶっていたりしても絶対アウト。(中村進)

交ぜ書きについては1998年、日本新聞協会新聞用語懇談会の春季総会で、京都新 聞の校閲部長の方から「見苦しい」「何とかして用語懇談会で新しい指針をつくれないか」という声があがり、そのあたりから交ぜ書きをやめようということが 業界全体のコンセンサスになっていったように記憶しています。

交ぜ書きは撤廃してもらいたい!!

安倍さんが「世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し」みたいなことをしょっ ちゅう言っているのを見たり聞いたりした方もいるでしょう。終戦記念日の式辞として新聞にも採録されていましたが、これは間違いですね。文語の下二段活用 と四段活用がごっちゃにされているのです。
「あたうる」というのは「与える」の文語形「与ふ」の連体形です。安倍さんがおっしゃりたいのは「あたう限り」、できる限りということです。これは「能 ふ」という四段活用の動詞ですので、終止形と連体形は同じです。それが「あたうる限り」と、口語体で言えば「与える限り」となってしまいます。正しくは 「あたう限り」です。でも安倍さんのスピーチライターはずっとこれで通して、安倍さんはそのまま読んでいる。もしかしたら自分で書いているのか、その辺は わかりませんが……


とつぜん「安倍さん」の登場に驚いたが、日本の首相の言語能力は一般人以下だと思う。

「草弄の志士」というのがありました。正しくは草「莽(もう)」ですが、誤変換で はなくて、書いた人に訊いたら、そもそも「ソウホン」だと思っていたと(笑)。莽の字と奔の字が似ているから間違えて覚えてしまった記者が、「ソウホン」 と入力したのでは、ワープロも面倒見てくれません。(原田泰雄)

「草莽」の「莽」と「出奔」の「奔」は確かに似ている。Morris.はうっかり「翻弄」の「弄」と勘違いしてた(^_^;)

ジュンク堂や丸善は、いまや大日本印刷の子会社です。印刷会社がそうした巨大書店を傘下に入れているということです。その点でも、10年前とは、業界はまるっきり違ってきています。
従来の書店とは反対に最近元気なのがアマゾン(amazon)などのネット書店です。ネット書店の上位10社の売上は2000億円です。そしてもっとすご いのはセブン-イレブン・ジャパンです。1万6800もの店舗には必ず雑誌や単行本が並んでいますが、その売上だけで全国に64店舗ある日本最大の書店 チェーン、紀伊國屋書店グループの売り上げを上回っているのです。


梅田にジュンクと丸善合体本屋ができてたのにびっくりしたがそういう事情があったのか(@_@)
amazonの台頭は理解してたが、コンビニが本屋を侵食してる度合いにはさらに驚かされる。

最近多いのは語り下ろしといわれるものです。語り下ろしというのは、著者に2~3 時間のインタビューを4,5回行い、それをゴーストライターがまとめて、著者がチェックして出来上がります。新書は今やほとんどがこれで、著者自身が実際 に書いているのは、ほんの一部でしょう。

最近の新書流行りには、そういった理由もあったのか。昔の新書とは別物らしい。文庫もそうだけど。

あの時(3・11東日本大震災)、私は海外にいました。海外で放映されている日本の映像をずっと見ながら、一体これはどんなことになっているんだという感 じでした。あちこちで火の手が上がりぼんぼん燃えているし、死体はごろごろ打ち上がっているし、みんな脱出しているようだし、あるいは日本では爆発した原 発の汚染物質がどう流れるかといったことはずっと公表していませんでしたけれども、海外のメディアは福島付近の風向きなどの天気予報を克明に報道していま した。ちなみに日本では死体の映像は放映しません。放射性物質拡散予測のSPEEDIが公開されなかったこともそうだし、海外放送のように天気予報図での 被曝予想を出してもいません。
私は状況をよく把握していなかったので、日本に着いてすぐ経済産業省の知り合いに電話をしました。「たいへんなことになっているから、家族を沖縄か海外に 逃がしなさい。後で笑い話になってもいいじゃないですか、私は家族を実家のある山陰に逃しました」ということでした。
実は震災当時、横浜~盛岡間の250km圏内住民全員避難が一度、首相官邸で決まったらしいのですが、しかしもしこれをしたらその後の収拾がどうなるか分 からないということで取りやめになるんです。一部の新聞社やテレビ局は知っていたらしいがそれを報道しなかった。ではその後どうなったかというと、まさに 大本営発表で、政府の発表の範囲内でしか報道しなくなってしまった。それが現在まで続いています。(宗像良保)


校正の講演でこんな話が出たら、主催者も戸惑ったかもしれない。しかしあの当時のマスコミ報道が大本営発表だったことはよく分かる。そして「現在まで続い ています」というのも、その通りとしか言いようのない状態がけいぞくしているようだ。「フクシマが見たチェルノブイリ26年目の真実」(寒灯社 宗像良保2013)も機会があれば読んでみたい。

ただひとつ確実にいえるのは、何度も繰り返しますが、一回注意されたことは二度と やらないということでしょうね。人に言われなくとも、失敗が自分でわかったときには「なんでこんなことになっちゃったんだろう? ちょっと集中力が欠けていたのかな、ナメていたのかな」と自分で反省して、気持ちだけは二度とやらないと思うことでしょうね。(滝田恵)

これは校正にかぎらず、仕事、行動の指針としたい。

本文下余白に2p一組で、誤字誤植例が挙げられていた。その中から印象に残ったものを列記しておく。
左 誤字誤植例 右 訂正例

宝石を散りばめた 宝石を鏤めた
潮の満ち欠け 潮の満ち干
心血を濯ぐ 心血を注ぐ(灌ぐ)
信仰の自由を保証 信仰の自由を保障
4日間に渡る 4日間に亘る(亙る)
年期奉公 年季奉公
花火鑑賞 花火観賞
今時の法改正 今次の法改正
トルコの首都イスタンブール トルコの都市イスタンブール(首都はアンカラ)
酒造メーカー、製造メーカー 酒造業者、製造業者
例え火の中水の中 たとい(仮令、縦令)火の中水の中 *漢文訓読用語
上野静養軒 上野精養軒
アジアナ航空 アシアナ航空
実力を如何なく発揮 実力を遺憾なく発揮(「遺憾なく」は成句)
コミュニュケーション コミュニケーション
シュミレーション シミュレーション
会場が笑顔に包まれる 会場が笑いに包まれる
時計の駆動装置を収める駆体 時計の駆動装置を収める躯体
成功を影で支える 成功を陰で支える
造形が深い 造詣が深い





【トライアウト】藤岡陽子 ★★★ 2012/01/20 光文社
新聞社勤務の久平可南子は、8年前に父のいない息子を出産した。その前に八百長疑惑で逮捕されたプロ野球選手と偶然一緒にいたところを写真週刊誌にスクープされ、世間は父親はその選手だと思っているが、実は違っていた。
8年後スポーツ担当に移動された可南子が、トライアウトで戦力外とされた往年の名投手と出会ったところから物語は動き始める。宮城の実家に預けた息子の問題、父の死を通じて、可南子は自分の過去に疑問を持ち、新しい生き方を模索し始める。

「やっぱりいい球場だな」
深澤が自身に問い掛けるような口調で言った。
「芝がきれい。球場ってどこも芝生があざやかですよね」
あまりに美しい芝の緑に、可南子は素直に感嘆の声を上げる。こんなに明るい場所に立つのは、久しぶりかもしれない。
「職人たちが真剣に維持してるからな。グラウンドを整備する人たちも真剣。選手も真剣。球団を運営してる人たちも真剣。野球記者も真剣。ファンもまずまず 真剣。そういう場所なんだな、プロ野球ってのは。たかが野球、されど野球。スポーツなんて要は娯楽かもしれないけど、それを命がけでやってる人間たちで守 られてる場所なんだ」

これは無人の甲子園球場に、こっそり(つてを通じて)入ったふたりのやりとり。いかにもの野球論だが、「ファンもまずまず真剣」というところが気に入った。



【煩悩の子】大道珠貴 ★★☆☆ 2015/05/24 双葉社 初出「小説推理」2014。
小学5年生の桐生極は、大人びた表情で周囲から浮いている。4つ下の対照的な妹兆には、愛憎交々な複雑な気持ちだし、父母に対しても醒めた見方に徹してい る。そのシニカルな思考が九州弁(博多弁)で展開されていくのだが、どうもいまいちMorris.にはぴんとこなかった。

動物図鑑を脇に抱え、気が向けば、読んだ。姿かたちや生態を、スケッチブックに描 き写したりもした。人間とほかの動物、どう違うんやろう、似ているところもいくつかあるが、知れば知るほど、動物のほうが賢いと思う。親は子に厳しく、耳 を噛んだり牙を剥いたりして、巣穴から追い出す。独り立ちを強いられる子は逞しい。自分でえさを探す。探せなければ、餓死だ。親は子を産んだらそろそろ死 ぬ。子はつがい相手を見つけ、自分も親になる。そして死ぬ。ぐるぐるぐるぐる、命はまわる。なんて潔いんだろう。すがすがしいなあ。寿命が短いって、うら やましいなあ。オオカミやワシや黒いピューマやコブラ。惚れちゃうなあ、カッコいいなあ。

11歳で、ここまで考えが及ぶのかどうか、ちょっと疑問だが、Morris.ならその頃は「昆虫図鑑」だったはずだ。人間より虫の方がえらい、とは思わなかったけどね。

この世に大人はいないんやないか。極は自分に訊いた。
おらん。自分で答える。
父も母も新海先生も他の先生も、やっぱし子どものままだ。子どもが子どもを産んだひとたち、子どもが子どもを教育しているひとたちなんやな。
極はもし自分に子どもができたら、覚悟しとかないかん、いや、そもそも子どもは要らんな、と、思う。子どもは大人に気を遣い、わかっていることも、わから ないふりをし、大人が惨めに見えても、知らんふりをする。そしてじわじわ離れていくのだ。気づいたときには、ココロから大人たちを軽蔑し、せせら笑ってい る。自分みたいな子どもができたら、親も不幸だ。


「大人はおらん」と規定しながら、大人に対しての不満や気遣いを表明してることの矛盾が、子どもらしいのかな。ややひねくれた性格のようでもあり、共感と、近親憎悪を感じる。最後のフレーズは、いささか「兎の逆立」である。→ミミガイタイ(>_<)





【ナグネ : 中国朝鮮族の友と日本】最相葉月 ★★★☆☆ 2015/03/20 岩波新書:新赤版 1539
最相葉月といえば、「絶対音感」というのが印象強すぎて、その後の星新一、心療内科関連の作品は読まずにすました。本書は偶然図書館の新刊コーナーに並ん でいて、タイトル(ナグネは韓国語で旅人、流浪の民)と新書という手軽さに惹かれて手に取り、一挙に読み終えた。
1999年春駅のホームで偶然出会った著者(当時36歳)と日本に来たばかりの恩恵(ウネ・当時19歳の中国朝鮮族女性)との交友を通じて、日中韓の精神 的差異、問題点を結果的に浮き彫りにしている。恩恵の頑張り方とバイタリティ、そして著者の誠実さとそれでも反省を忘れない謙虚さに、頭が下がった。

恩恵(ウネ)は週に4件のアルバイトを掛け持ちした。早朝に居酒屋の掃除を終える と、山手線の始発に乗って電車の中で3時間近く眠った。家に帰ってしまうとその分、睡眠時間が短くなるためだ。眠りが深すぎて何周したかはわからない。授 業に間に合うよう渋谷駅で電車を下りて学校へ向かった。上野の居酒屋で働いた時は、真夜中に日暮里まで徒歩で帰った。マクドナルドに勤めた時は、日本語の スピーディな受け答えがむずかしかったため、店内清掃を担当した。階段にしゃがみこんでタイルにこびりついた汚れをスポンジで拭き取る。自分と同年代の若 者たちの足元を見ながら働くことに悔しさがこみ上げた。今さえがんばれば、いつかきっと報われる時がくる。この試練を乗り越えられるかどうか、神様は必ず 見てくれている。恩恵はそう信じ、行き帰りにイヤホンで讃美歌を聴きながら歯をくいしばった。
ひと月に稼いだ金額は、ピーク時で手取り四十万円。サラリーマンの初任給をはるかに超える金額だ。だが、そのうちの八割を借金返済と実家への仕送りに当て た。半年ぐらい一生懸命働いたら、借金を返し終えて多少は楽になると思っていた。しかし、あっという間に一年が過ぎようとしていた。


中国人がすべてこうだとは思えないが、まさに超人的である。

そもそも恩恵自身、中国人とも韓国人とも付き合わないと心に決めているようだっ た。韓国からやって来た韓国人は中国朝鮮族を下に見る、と愚痴をこぼしたこともあった。在日コリアンの人々が韓国にいくと、祖国の言葉ができない「半 チョッパリ」だとバカにされるという話を聞いたことがあったが、中国朝鮮族に対する差別は初めて知ることだった。

韓国人の在日韓国人への差別は、Morris.もかねがね反発を感じていたが、中国朝鮮人への差別も相当なものらしい。

私が日本の若者たちの貧困に気づいたのは、恩恵の話を聞いている時だった。バイト 先にいる日本の若い子たちは自分より貧乏で、食事を抜いて働いている。精神的に不安定で手首に傷がある子もいる。日本は豊かな国のはずなのに、なぜあんな 子たちがいるのかと私に訊ねた。2002,3年頃だったろうか。
恩恵の抱く疑問は、小泉構造改革以降に顕在化した労働環境の悪化を先取りしていた。企業が正社員の採用を抑えたため非正規雇用が拡大し、年齢にかかわら ず、アルバイトや派遣雇用を転々とする人が急増した。親が職場をリストラされて実家に頼ることができない若者も増加した。日本の若者の貧困化は、同じく非 正規雇用で働く在日外国人によって敏感に察知されていたのである。


小泉にはMorris.もすっかり騙されてしまってた(>_<) 日本の若者の貧困化を在日外国人によって感知され、それを敏感に感得した著者のような日本人もいたということか。

私はこれ以降、恩恵のおかげで、日本のアパレル産業が何によって支えられているの かを垣間見るようになった。2011年、ジャーナリスト・横田増生の『ユニクロ帝国の光と影』によって、ユニクロの店舗や生産を委託する中国の工場の労働 環境の実態が明るみに出るが、ことはユニクロに限った話ではない。アパレルに限った話でもない。食品、インテリア、雑貨なども同様だ。価格破壊の背後で何 が犠牲にされているのか、これ以降、今日に至るまで日中のはざまに立って働くことになる恩恵は、その過酷な現実に日々苦悩することになった。

ユニクロ帝国(^_^;) Morris.はユニクロの服はほとんど買わない。例外は一昨年バーゲンで買った軽くて薄いダウンジャケットで、これは重宝したものだが、どこか好きにな れなかった。それとは無関係だが、「価格破壊」に隠された危険をもう一度考えなおさねばならないな。

1945年の終戦時には推定百五十万人の朝鮮人が満州国内に居住し、定説では全体 の3分の2が自らの意志で中国に残留したといわれる。これは中国政府が彼らの二重国籍を認めたためだが、1948年に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が 建国されると同時に方針転換し、政府は朝鮮人に国籍の選択を迫った。そこで中国に留まり、中国籍を選択したのが、中国人としての朝鮮族だった。

満州をテーマにした船戸与一の遺作「満州国演義」はまだ最後の九巻めを読めずにいるが、百五十万人もの朝鮮人が居住したという事実を見過ごしていた。戦争の被害者はここにもいた。

その頃(東日本大震災)だった。恩恵は私にこう語っている。
人間には期待しません。信じ切ることは怖いです。その場その場では心を尽くして対応しようとしますし、いいご縁が続けばいいなとは思うけど、自分が十分 やったのに相手が変わってしまえばどうしようもないですよね。いじめや差別もそうですけど、そんなことをしたら相手のほうが損をするのではありませんか。 だって、自分のことを信頼してくれている人との関係を自分が切ってしまうことになるわけですから--。
世の中が絆、絆と連呼している最中、私のすぐ目の前で、絆という文字がバラバラにほどけていく。私は、これほどの事態となっても日本に留まろうとした恩恵の日本人に対する信頼が失われる日が訪れるとしたら、その最終的な責任は私にあるのだと覚悟した。


Morris.にも、「絆」という言葉が、嫌いになった時期があった。

中韓国交樹立から十年経った2002年でも、合法入国者数5056人に対し、非合法入国者数は79737人だった。
3Kで低賃金の単純労働であっても中韓の賃金格差は大きく、やがてソウル特別市南西部にある九老(クロ)区の工業地帯に一大コミュニティを形成するまでになった。


「九老アリラン」という映画があった。原作は人気作家の李文烈。10年ほど前にこの辺りを徘徊したこともある。怪しげな雰囲気だけは感じ取ったけど、それだけだった。

恩恵は、自分が日本で頑張れたのは私がいたからだという。建前でなく本心だとい う。だが私は、その言葉を素直に受け止めることはできない。彼女には私に対する負い目があるからだ。日本で暮らすために力を借りたという恩義を感じている だろうからだ。だからこそ、私は彼女を書こうと思った。彼女を私の作品の題材にすることで、私もまた彼女に負い目を感じる。互いの負い目を帳消しにした かった。人と人との関係はフィフティフィフティだ。どちらかが一方的に与えることはない。与え、与えられる。それが本来、人と関わるということだ。恩恵が いなければ、私が恩恵の国や民族や宗教を知ることはなく、恩恵のルーツをたどることもなかった。恩恵が見た日本を通じて、私は自分の知らないもう一つの日 本を知った。恩恵が私から受け取った以上のものを、私は恩恵から受け取ったのだ。

負い目を感じるために「書く」というのは、Morris.にはいまいち理解できないが、外の人と交わることによって、内のことが見えてくるという体験は、Morris.にもある。まあMorris.の場合は、ほとんど韓国人に限られれてるけどね。

わかり合うとは、互いの違いを知ることである。相違は相違として受け止め、相手の 立場を尊重しながら手探りで歩み寄ることである。そんなわかったようなことをいいながら、では、私自身はどうなのか。目の前にいるたった一人の中国人のこ とすらよく知らない。いや、これまで知ろうとすらしなかったではないか。その無関心は、ふだん苦々しく思っている一部の人々の偏見や差別的言動とは実は紙 一重なのではないのか。もちろん彼女が中国や韓国という国や民族、キリスト教徒を代表するわけではない。しかし、こんな身近にいる中国人のことを何も知ら ないで日中友好も国際理解も何もない。

あとがきにある一文だが、これは聴くべき言葉である。何か彼女のことをこれまで、勘違いしてきたような気がする。他の作品にも目を通してみたくなった。




【二畳で豊かに住む】西和夫 ★★☆☆ 2011/03/22 集英社文庫
タイトルだけ見て、Morris.必読の書だと、読むことにしたのだが、肩透かしくったような気がする。
内田百閒、高村光太郎、永井隆、玉川渡船場の小屋、夏目漱石・中村是好の下宿、正岡子規、四国のお茶堂、建築家提案の最小限生活などを取り上げているが、Morris.の暮し方とはまるで関係ないものだった。
渡船場の項で、「ワイヤを使って船を渡す」というのが、韓国ソクチョで見た「ケッペ」に通じるのでは、と興味深かった。

渡し船は、水量の多い時は竿で漕ぎ、冬の渇水期は、竿でなく、両岸に鉄線(ワイ ヤ)を張り、これを頼りにして船を動かした。船の舳先に綱を付け、先端に滑車を付けてワイヤを通す。これで船はワイヤに沿って動くことになるが、それだけ では先へ進めない。そこで「シュモク」と呼ぶ木製の用具を使い、ワイヤにこれを引っかけて動かした。



【旅のうねうね】グレゴリ青 山 ★★★☆☆☆ 2012/08/14 TOKIMEKIパブリッシング。
旅の漫画家として結構Morris.好みのグレゴリ青山。本書は彼女の新旧取り混ぜ、海外国内まぜこぜの旅行漫画集で先日須磨離宮公園の菖蒲園見に行く途 中、須磨 図書館で借りて、公園で読んでしまった。彼女の視点のユニークさと旅への愛着の深さがじわっと感じられて、良い本だった。
台湾、東南アジア、伊勢神宮、猫の島(青島)、香港、上海、石切神社、インド、京都、東南アジア……。韓国がないのがちょっと残念だったけど、久しぶりの旅の直前 にこの本と出会えて、嬉しかった。

きれいな月だと思って写真に撮ると、いつも思っていたより小さく写る。
月を見るとき、人間の目は勝手に望遠レンズになっているのだと思う。
とはいえ、カメラの望遠レンズで月を撮っても、それはそれで、またなんか違う感じがする。
ホンモノの月は写真に写らない気がする。(ホンモノの月)


彼女が撮ったカラー写真コラム篇もめられている。上記引用はおしまいのコラム全文(ほとんどキャプションぢゃ(^_^;)) で、確かに月は普通に撮影したら、風景の中の小さな点にしかならないし、望遠で撮った月は、どこか違う、というのもよく分かる。月は、肉眼(といっても Morris.は眼 鏡越しだけど)で見るに限る。

80年代の終わり、上海から日本へ帰る船の中で会った女性はショーゲキ的だった。 彼女が旅行中着て いた服というのは、その当時の"地方から上海に出て来て せいいっぱいおめかししている中国の田舎娘"そのものだったからだ。彼女は旅行中、中国の田舎娘に変装した。しかも完璧に。
そして楽しげに「上海ではこの田舎モンが……っていう視線が面白かったですー」
「マルグ」(筆者)はこの時、ハッキリとこう思った。「負けた」……。あの、日本のオシャレとは文法が異なる服を着て中国人にまぎれこんでみるなんて思い もしなかった。彼女の旅の遊び心と比べたら人民服を着て悦に入ってる自分なんてただのいちびり……「マルグ」は敗北感に打ちのめされた。彼女は「マルグ」 が初めて意識した旅茶人であった。「マルグ」は今も旅茶人の彼女のことを尊敬し続けている。(旅茶人)


旅の「達人」「鉄人」ではなく、「茶人」というところがいかにも彼女の感性である。旅茶人、憧れるな。でも、これは巧まずしてなるものだろう。

「マルグ」の一番古い旅の思い出は徳島行きのフェリーの上だ、母の実家が徳島だっ たのだ。フェリー の上は、すべてが非日常だった。普段目にすることの ない海、二等船室の見知らぬ人たち、甲板の上の潮の香りとペンキのにおい、船が港を離れる時の、ドキドキしてもう引き返せない感じ。
船があげる波しぶき、そのうねうねした模様はいつまで見ていてもあきなかった。実は、今見ていてもあきない。何十年とたっても船は波しぶきをあげて進む。

船の上では時代がわからない。
特に誰もいない夜の甲板。今が現在なのか過去なのか未来なのかもわからない。
ちょっと、あの世めいた感じ。でも船の上には季節があって、風の冷たい夜はちょっと残念。

それから、甲板で海を見ている人を見るのも好き。
きれいな女性も、太ったおじさんも、老人も子供も、
善良な人も、きっと犯罪者でさえ、どんな人だって絵になってる。
みんな、海に向かって祈っているみたい。
船の上では、どんな人でも、うつくしい風景の一部になれるのだ。

わたしだって
あなただって

また船に乗って
どこかに
でかけよう「船旅礼賛」


おしまいに置かれた「船旅礼賛」はたった5pなのだが、すごく感動してしまった。船旅大好きのMorris.だけに、共感度大である。船上から見る波しぶ き。 Morris.も、これを見て見飽きることがない。本書の版画風の表紙も、フェリーの船尾から伸びる水脈の絵柄である。
船の上では時代感覚が無くなるというのもわかる気がする。水に浮いているという「浮遊感」のなせる技だろうか。
漫画作品だから、絵があってのことだろうが、このネームだけでも、充分作品になっている。おしまいあたりは行分けして引用してみた。


表紙は版画風 

台湾での写真もいい感じ 

「船旅礼賛」最終ページ 
ところどころに彼女が敬愛する旅名人7人の、旅の名文句の引用が挟み込まれている。これが、また、やはり彼女のセンスが光っているものが多かった。いくつか孫引き しておこう。

・町をあるく。どこまでも歩く。
ついそこの角に何かがあるような気がしてならないからだ。 谷譲次「踊る地平線」

・雲よ
むろんおれは貧乏だが
いいじゃないか つれていけよ 谷川雁「雲よ」

・「旅行者って、すぐわかるね。さびしそうに見えるね」
「当り前さ。生活がないんだから」 武田百合子「犬が見た ロシア旅行」

・ま、旅というのは、
なにかを得にいくよりも、
なにかをすてにいくようなものだろうが……。 田中小実昌「ふらふら記」

ではしばらく失礼をいたします
さようなら忙しいみなさん 高見順「旅」





【芭蕉入門】幸田露伴 ★★★☆☆ 2015/04/10 講談社 講談社文芸文庫底本新潮文庫(1958)
歌とも俳句とも縁遠くなってしまったが、たまにはこんなのを読むのもいいだろう。
以下の6篇で構成されている。

俳諧に於ける小説味戯曲味 「中央公論」(昭和2年9月号)
芭蕉翁七部概観 「潮音」(大正14年)
芭蕉と西行・杜子美・黄庭堅 「早稲田文学」(大正14年)
芭蕉俳句研究 「潮音」(大正9年~10年)
續芭蕉俳句研究「潮音」(大正11年)
續、續芭蕉俳句研究「潮音」(大正12年)


主軸をなす「芭蕉俳句研究」三篇は、歌人大田水穂発起の芭蕉俳句研究において発表されたものである。会に露伴自身は出席せず、太田が露伴の意見を聞いて前もって筆 記したものという。

冬の日は少し作為がありすぎる。虚栗の影響下にある。
春の日は少しやさしくなっている。虚栗の影響を脱しつつある。
あら野はすこしばさけた集である。イヤミな撰集の体裁である。
ひさごは弱い。写実で無い句になるとつまらぬ句が多い。
猿蓑は何といつても佳い集である。鍛錬が足りてシマッて居る。
炭俵は写実に傾いてゐる。連句の入門のやうになってゐる。
續猿蓑は色々議論のある集であるが随分砕けたのが多い。(芭蕉翁七部概観)


岩波文庫の「芭蕉七部集」は随分以前に手に入れたまま、結局読めずにいるのだが、露伴にしたがって、まずは「炭俵」、そして「猿蓑」を読むことにしよう。

以下は、芭蕉俳句研究からの引用。

・梅若菜鞠子の宿のとろゝ汁
名詞が五つも入れてある。のの助詞二字を除いて他は皆名詞である。斯う云ふ句は表面の解だけで済ますべきもので、讀む人の心々でよい。


おお、Morris.好みの解説ぢゃ(^_^)

・何の木の花とはしらず匂ひ哉
此の句などが解しやうに依つて芭蕉の全虚の句となります。全体が虚から成つてゐるものである。さう云ふ全虚の場合は又同時に全実になるので、即ち虚の裏の全実 です。しかし此の「匂ひ」は矢張りそこに杉の木の香か何か匂ふものであつたのであらう。


禅問答みたいだね(^_^;)

・散る花や鳥もおどろく琴の塵
言葉に幽玄なところがある。幽玄は明白の反対である。琴の音」に鳥が驚いたのであるが、それは鳥が花間に身じろいで花を散らして、その落花のために琴が音を立 てたのである。この散る花を琴の塵と見たのである。


「幽玄は明白の反対である」というのが、潔い、と思う。

・山路来て何やらゆかしすみれ草
たいして深い句ではない。「何やらゆかし」は菫を人格化(パーソニファイ)したものである。山吹とか牡丹とかはつきりした花ならば「ゆかし」くはないが、微か な花が山路の草の間に咲いてゐたので、「ゆかし」が適切になつてゐる。


Morris.偏愛の句だけに、ちょっと不満を覚えたが、深みがないだけ軽みがあるのさ、ということにしておこう。

・夏の夜や崩れて明し冷し物
「冷しもの」は、汁物、焼もの、ひたしもの、吸物、煮物、あへものなどと同じく料理の道の語、大根、栗、烏芋、梨、林檎、柘榴、九年母、柿、ぶだう、いち ご、 蓮根、防風などが其材料になる、水菓子とはちがふ。冷すはきることなり。食物を泉水に冷すなどといふのは飛んでもないことです。人を斬るをもひやしてくれ んな ど云ふ。今も「はやす」と云ふは冷すの転なり。聶の字にあたる。此の句「くづれて」にそのたましひを見出すべし。疑ふところなし。


博覧強記の露伴だが、中でも食物談義はお手の物。冷しものの説明だけで、ずらずらと出てくる、出てくる。「「はやす」と云ふは冷すの転なり」がよくわから なかっ た。大辞林見たら、「生やす」の③に「切るの忌み語」というそっけない説明しかなかったが、大言海にはちょっと詳しい説明明があった。

はやす[正月 ノ七種菜ニ「切る」ト云フヲ忌ミテ、音ニテ「囃す」ト云ヘルニ起レリト云フ]細カニ切リ刻ム。切ル。

・うたがふな潮の花も浦の春
此の句、アリテレーションである。それゆゑに調子がよい。神境ぢやわい。よいところぢやわい、春ぢやわいと云ふのです。


アリテレーションというのが分からなかったが「頭韻」のことだった。「うたがふ」「うしを」「うら」の「う」で調子を出してるということか。これはちょっと穿ち過 ぎではなかろうか。

・水無月や鯛はあれども鹽鯨
「鹽くぢら」は水無月の食ひ物である。くぢらの皮を強い鹽に漬けて木枕ほどの形にしてあるのを、うすく刺身のやうにきり、それへ熱湯をかける。するとそれ がは ぜたやうになりて、ちりちりと縮んで、玉の如く白くなる。それを冷水に冷やしたうへで酢味噌で食ふのです。冷たくきれいで全く暑月の嘉味とすべきものであ る。 鯛のなまぬるさよりも鹽くぢらといふのです。暑熱の時分の鯛はいけません、鯛よりは鱸、鱸よりは鹽鯨です。然しあつさりしたものと思はれては困ります。ほ とん ど全体が脂肪ですからね。何様か御上りなすつて下さい、芭蕉の夏の献立ですから。ハゝゝ。辛子酢味噌、蓼辛子酢味噌などが甚だ宜しい。


先にも引用した食物談義だが、これはすごい、というか、グルメ記事ライターのお札にしてもらいたいような文章だね。いまどきのネット記事にはそぐわないだろうけ ど。
鯨のベーコン食べたくなった(^_^;)

・青くてもあるべきものを唐辛子
青くても面白いものを、赤くなりてなほ一入であると、其唐辛子の色づいたのを賞美したのである。表面はこれだけ。それからさきは人々の感じ次第。一句は赤くな つたのを観してである。

この句もMorris.お気に入りの一句である。そして露伴の解説も、お気楽なものになっている。

・芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな
盥は雨漏りに宛てたのでは面白味が無い。手水の盥である。常に芭蕉に雨をきくのであるが、こゝではそれが野分に折れてしまつたので、盥にそれをきくのである。 序にいふが、「狂句木枯」の句は中に「狂句」が入るべきでは無い。


これは実にわかりやすい解釈である。初句の字余りで、よく比較される「狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな」で狂句は句外、芭蕉は句の内と断定している。 Morris.もこれに賛成。

・ゆく秋や身にひきまとふ三布ぶとん
こゝは三布ぶとんを身にひきまとふので、ゆく秋の感じが出る。ゆく秋の寒さである。芭蕉の例の侘びが出てゐて面白い。引まとふのである、引かぶるのでは無 い。 三布ぶとんは云ふまでもない三布のふとんで、一布は鯨尺九寸ばかりです。光子さんの言はるゝとほり即ち今日人々の敷いて寝る蒲団が大抵三布ふとんです。か けて 寝る蒲団は大抵五布蒲団、又は四布半、四布です。四布蒲団はもう狭くて困ります位です。そこを「三布ふとん」ですから、巧みにまとうても引まとひかねるの で す。それを「行く秋」である、「身に引まとふ」、そこに詩趣もあり侘もありをかしみも有るのです。「三布」といふところに徹して感じていただきたい。杜甫 李白 は夜被を共にして睡り、其角嵐雪もふとんを引張り合つて寝てゐるが、こゝは三布蒲団を独り身にまとひ行秋に寝るところ、面白い。実境です。


露伴の博識が食物だけにとどまらないことの例として引いておく。「三布ぶとん」が蒲団のサイズとはね。




【韓国歴史漫歩】神谷丹路 ★★★ 2003/07/20 明石書店 「月刊韓国文化」(1998-2001)連載
先日読んだ「韓国近い昔の旅」がなかなかおもしろかったので、これも読むことにした。
マイナーな田舎町中心の取材で、これまた今度の旅の参考になるかと思う。
訪問先の地名と、見出しの一部だけを引いておく。太字はMorris.が行ったことある所。

江原道(鉄原=38線の北、最前線の町
    江陵=開化の気風あふれる文卿 の都)
京畿道(楊州=楊州商人と仮面劇の里、
    羅州=明成皇后ゆかりの水運の町)
忠清北道(堤川=気高きソンビの里)
忠清南道(洪城=抗日義兵闘争の里
    江景=旧朝鮮三大市場の一つ)
慶尚北道(尚州=壬辰倭乱の末裔たち)
慶尚南道(密陽=密陽百ノリを生んだ沃野
    方魚津=林兼(まるは)の拠点
    統営市道南ニ洞弥勒島=岡山村という漁村)
釜山(機張=古の倭城)
全羅北道(南原=「血の岩」伝説と倭乱)
全羅南道(羅州/栄山浦=儒者の誇りと植民者の群れ
    羅老島=日本人漁夫の足跡)
済州島=島に刻まれた日本軍の遺物





【植民地朝鮮の残影を撮る】中野茂樹 ★★★☆ 199009/20 岩波書店岩 波ブックレット165
写真展「残影」は1987年ソウル、1989年大阪、1990年東京で開催。
随分以前に一度目を通した記憶がある。

1982年5月、私は釜山の街を歩きながら、いつのまにかそんな時代につくられた 旧日本人街に入り 込んでさ迷っていた。そこはいま思えば植民地時代、釜山府の日本人商店街だった西町を起点にして、住宅街の富平町、土城町、草場町を抜け、遊郭のあった緑 町ま での、道草をせずにさっさと歩けば20分ほどで通りぬけてしまえる、さして広くもないエリアだった。
観光案内所でくれた釜山直轄市地図を頼りに、朝鮮戦争の避難民たちの闇市から発展してできた国際市場を起点にして、富平洞から土城洞、草場洞、忠武洞とぬ け、 今も遊郭のある玩月洞へ入り込んでしまい、人待ち顔のおねえさんにとつぜん腕をつかまれて引きずられそうになるのを、振りほどいて逃げることで我にかえっ た。


30年以上前の記述だから、釜山の街並みもかなり変貌してるわけだし、Morris.も88年からは毎年のように釜山に足を運んでるわけだから、特に驚く ことでも ないが、日本植民地時代の町名がそのまま洞名で残ってるのか、当時の町名が元の地名を日本訓みしたのかがよくわからない。

植民地として朝鮮を開発しようとした日本人たちの建てたものは日本式住宅に限らな い。軍事施設、官 公庁庁舎、校舎、社屋、店舗、集合住宅、寺院、神社、火葬場、工場、倉庫、気象台、放送局、駅舎、鉄道、道路、飛行場、病院、遊郭、橋梁、防波堤、桟橋、 灯 台、発電所、ダム、映画館、博物館、美術館、動物園、植物園、図書館など考えうるあらゆる建造物に及ぶ。極端な話、木造の日本家屋はもちろんだが、韓国で 石や 煉瓦やコンクリートで造られた古い建物を見たら、日本人が建てたと思ってもそう間違うことはないといってよいぐらい、無数の建造物が日本人によって建てら れ た。
いや建造物だけではなく、街自体も日本人は造った。


これもおっしゃるとおりなのだが、韓国の建築家が、好むと好まざるとにかかわらず、日本の建築技術を学んで、戦後の韓国建築に反映していることも見逃すことはでき ないだろう。




【韓国 近い昔の旅】 神谷丹路 ★★★☆ 1994/03/18 凱風社。
「植民地時代をたどる」と副題にある。収められた取材地と年度は以下のとおり。(太字はMorris.がまだ行ったことないところ)

・ソウル1981-91)・扶余(1982)・水原(1982)・天安(1989)・釜山(1989、1991)・巨済島(1989)・全南 荷衣島(ハイド)玉島(1989)・全南 望雲(マンウン)(1989)・京畿道 幸州山城(ヘンジュサンソン)(1990)・全北 井州(ジョンジュ)・慶北 シノリ固城(1990)・済州島(1991)

著者は1958年生まれの女性(かみやにじ)で、81年に交換留学生として、延世語学堂で1年学んだとのこと。Morris.本書の背表紙見て、ずっと年上の男性だと思い込んでた。それで、読まずにいたのかも(^_^;) もっと早くに読んでおくべきだった。
ランダムに、ネタ元となりそうなところを、引用しておく。

広辞苑の「ととき」の項目に「ツルニンジンの別称」とある。「トドク」と「ととき」。偶然とは思われないこの類似。

トドクは韓国ではポピュラーだが、日本ではめったにお目にかかれない。トラジ(桔梗)の根にそっくりで、Morris.は見分けがつかない。どちらも根を 洗ってそぎ切りにしたものをそのまま食べたり、ヤンニョンに付けて食べるのだが、美味いと思ったことはない。値段はトドクがうんと高い。

・焼酎(ソジュ) 韓国のもっとも庶民的な酒。二合瓶が約500ウォン。これを薄めずに銘柄が異なりソウルは真露(チルロ)、釜山は大鮮(テソン)、全羅道は宝海(ポヘ)、 慶尚北道は金福酒(クムボクチュ)、慶尚南道舞鶴(ムハク)、江原道は鏡月(キョンウォル)である。それぞれに微妙に味が異なる。

20年以上前のデータである。今はソウルでも真露のライトバージョン「チャミスル」、そのそっくりさん「チョウムチョロム」なんてのをよく見かける。釜山 では「C1(シーウォン)」がメイン。鏡月は最近サントリーが果実味シリーズで売り込んでるが江原道産とは知らなかった。でも、韓国ソジュは、ほとんど味 なんてない(リカ-)みたいなものだと思う。

・幸州山城(ヘンジュサンソン)と金浦空港は漢江をはさんで、目と鼻の先である。バスは5分ほどで、幸州山城の入り口に到着した。幸州山城は、標高125mの小さな山にあった。

秀吉の朝鮮侵略時の古戦場で、ヘンジュチマ(エプロン)の由来になった、とある。ここは機会があれば足を伸ばしてみよう。

・1942年(昭和17)2月3日午前11時頃、山口県宇部郡西岐波にあった海底 炭鉱「長生炭坑」が水没した。坑口付近の岩盤が崩れ落ちたため、坑内にいた人々のほとんどが逆巻く海水に飲み込まれた。助かった者は少なかった。そして、 海底にいた183人のうち131人は朝鮮人犠牲者だった。(日本人の犠牲者はすべて「どうろう」と呼ばれる坑内監督で、採炭夫はひとりもいなかった)。
長生炭坑は、宇部炭田の一つだった。宇部炭田は海底炭田で、周防灘にずらりと並ぶ36の炭坑を擁していた。長生炭坑はその宇部炭田の東端に位置し、大正初 期に開かれた。そして、もっとも浅い炭坑だった。すでに1921年(大正10)に一度、水没事故を起こしていた。採掘はもうそれ以上困難とみなされ、いっ たんは打ち捨てられた炭坑だった。
日本人鉱夫たちに敬遠された長生炭坑は、朝鮮人を大量に連れてきた。そのため地元の日本人たちは、長生炭坑のことを「チョーセン」炭坑と呼んだという。朝鮮からの強制連行者は、延べ1200人あまりといわれている。


朝鮮人強制労働に関しては、六甲学生青年センター関連人脈でも研究が進められているようだが、Morris.はこの炭坑の名前すら知らずにいた。それにしても、酷い話である。

・マジキ 韓国の土地の単位の一つ。一マジキを一斗落と表記しているように、一マジキは、種子一斗を蒔く広さの耕地を指していうので、土地の肥沃さなどによって絶対 面積が異なる。およそ、150坪から200坪に相当する。李朝時代以降、普及した単位。土地によって、また畑か水田かによって一マジキの広さが異なる。ま ことに李朝人らしい合理性と大ざっぱさのないまぜになった数え方。ああ、これこそ朝鮮……と感嘆する。人々は、国土をこういう思考方式でとらえていた。

こういった融通無碍の単位というのは、興味深い。

・1907年、高宗が日本によって退位させられたあと、息子の純宗が即位した。といっても、彼の地位は名目的なものにすぎなかった。日本は、内外の政情や父親(高宗)の影響が本人に及ぶことを恐れて、若い皇帝純宗を父親の住む徳寿宮ではなく、昌慶宮に住まわせていた。
1909年、日本政府は昌徳宮に付属する昌慶宮に動物園と植物園をつくった。
純宗にめずらしい動物や植物を見せて、国が奪われていく現実から目をそらすように仕向けたのだ。


昌慶宮の動物園は話でしか知らなかったが、ガラス張りの大温室は好きで、何度も訪れたものだ。しかし、ここにも日帝の深謀遠慮があったとは(@_@)

・もともと龍頭山(ヨンドゥサン)と龍尾山(ヨンミサン)と二つの山があり、地脈のつながる縁起のよい双峰の山だった。龍頭山より小さな龍尾山は釜山の港湾埋立ての際にくずされてしまった。

これは、釜山ネタとしてチェック。

・沖縄本島に続く米軍の上陸先は、九州もしくは済州島と予測されていたのだった。 もし米軍が済州島に上陸したら、この第58軍は、「独力をもって同島を確保せしむ」任務をおびていた。つまり、補給なしで最後のひとりまで戦うことを命令 された、時間稼ぎのための決死部隊だった。済州島上陸は、「八月以降」と見られていた。

沖縄の戦闘は本土上陸を先延ばしするための時間稼ぎだった。そして、それが済州島でも繰り広げられた可能性があったとは。

・コトバとはコミュニケーションしようとする意志である。その意志に満ちあふれて いる人々の国を旅するとき、旅人のコトバがうまいとかヘタは問題にならない。文字どおり、コトバをからだから発散させながら歩くというのは、私が知らず知 らずに身につけた旅の秘訣であるらしい。

・韓国語を話すとき、私は日本語を話しているときよりも口数が多くなり、おせっかいになり、ずうずうしくなるような気がするのだ。

たしかに、韓国語を発する時のMorris.は、普段より積極的になってるような気がする。。

・忠清南道天安からバスで20分のところにある温陽(オニャン)民族博物館は、多岐にわたる民具の収集においては、韓国でいちばんだろう。

今度独立記念館に行くことがあればこちらも覗いてみよう。

・奨忠壇公園 閔妃が虐殺された時、共に殉職した大臣らを祀った奨忠壇があったところ。日帝時代に取り壊され、そこへ伊藤博文を祀った博文寺が建てられた。解放後、博文寺は撤去された。

ペホの歌「霧深い奨忠壇公園」は知ってるが、ここも行った記憶がない。行ってみようか。





【濁流】蔡萬植 三枝壽勝訳 ★★★ 1999/05/28 講談社。初出 1937(昭和12)-1938「朝鮮日報」連載。

先日読んだ新書「韓国の「昭和」を歩く」に群山を舞台にした小説という紹介のみで、読むことにした。二段組500p近い長編で、ストーリーも、いささか常 軌を逸しているし、文章も、えらくごつごつしてる。これは訳者が翻訳の仕方で実験的試みをやった結果かもしれない。

おちぶれたのにまじめに働く気もなく穀物投機にしか関心のない丁主事(チョンジュ サ)の長女初鳳(チョボン)の悲劇です。両親の欲の犠牲で不正使い込みの銀行員高泰洙(コテス)と結婚させられますが、夫は浮気者、それがもとで夫がころ されるわ、騒動のさなか夫の仲間(障害者)の亨甫(ヒョンボ)に犯されるわ、家出すると以前の雇い主の馬面男(朴済浩 パクチェホ)につかまって囲われ者とされて女の子を出産。馬面男がそろそろ別れようかと思いだした頃、折りしも亨甫が登場、おれの女を返せとつめよるや、 これ幸いと引渡し交渉が成立。初鳳は亨甫のものに、しかし意にそまぬ生活と忍耐もついに限界、爆発。亨甫を蹴り殺して囚われの身というのが粗筋。話がいさ さか荒唐無稽なうえ悪役の亨甫は身体障害者、叙述がおだやかでない。翻訳に二の足を踏みたくなるのは無理もないわけです。(まえがきにかえて)

たしかに、これだけ見たらもう読む気を失くすパターンだな(^_^;)

いま現在初鳳の新たなこの運命だけをとっても、そうなった伏線はむしろ彼女が母親としてあまりにも松姫(ソンヒ)を愛している罪……マニア(狂)に近いといえなくもないが……とにかく母親になってしまった罪、その現実からは蔓は延びているのである。
しかし、そいつを再び持ちあげてみると蔓は、愛情なしには愛することができないという、哀しい人間の性のなかに埋まっている伏線が繋がった脈であることが わかる。そうして再びその端は繋がった脈であることがわかる。そうして再びその端は、運命を一度つまずいてしまった若い女性にとっては、売春の泥沼に転が りこむのでなければ、若い妾、愛妾の名前のもとにいつ何時棄てられてもいう言葉をもたぬ危険地帯に身を横たえ、性的職業にまでも従事するしかないほどか弱 い立場であり、女としてよりまず人間であるという覚悟と、強靭に両足で大地を踏みしめ、立ちあがって踏みこたえる能力がないために苦しめられたという罪、 その場で伏線の端は延々と延びて入りこんでいるのである。
万一この伏線をなしている蔓を、地に根を下ろしている最先端まで持ち上げてぬきだしたならば、そこには太い地下茎の二つの塊がよく実ったさつま芋のように ブラリブラリとぶらさがってくるだろう。その一塊は世の中の風習しきたりであり、もう一つの一塊は人間の食欲である。
数奇な生理が端緒をつかんで延びていく運命の魔法の袋とはまさにこれなのである。


文体見本を兼ねて、初鳳が、亨甫に再び絡め取られる場面での心理解説みたいな部分を引用してみた。
実はMorris.は、この初鳳よりその妹桂鳳(ケボン)と、まずしい人々を助けようと努力する医学生南勝在(ナムスンジェ)の二人に魅力を感じた。
発表時の時代背景と、新聞小説という発表形態から、その場その場で盛り上げるため無理にでも話を展開していき、途中で矛盾や無理が生じたことがあるにしても、あまりに場当たりなところが多い。
むしろ、「濁流の翻訳をおえて」という、解説めいた訳者の文章の中にいろいろと考えさせるものがあった。

この作品には登場人物の心理の動きや社会的背景がかなりふんだんに織り込まれており、この点では典型的な1930年代の作品といえるだろう。しかしそうやって読むと、かなりあらっぽく中途半端であまり出来のよくない女性の悲劇だともいえるのである。

訳者のものいいとは思えない(^_^;)。

たしかにに現在の日本では、たとえばテレビではたとえ事実を伝えるはずのニュース であっても血なまぐさい場面が放映されることは皆無である。というより日本のテレビのニュースというのはあたりさわりのない希薄な解説を流す番組になって しまった。その理由というのがお茶の間で見るのにふさわしくないからであるということらしい。ニュースというのは何を伝えるかと同時に何を伝えないかがか なり重要な沃素になっているはずだが、日本で後者が問題にされ取り上げられることはほとんどない。
問題は別にお茶の間の思想なんて高級なものでなく、単なる習慣の問題なのかもしれない。


これすなわち自主規制ぢゃ。自縄自縛ともいう。

異質な文化を異質なままで受け入れることをせず、自分の方に合わせて解釈することでは、結局異質な文化のなかに自分と同質なものをさぐることにしかならぬ。

わかっちゃいるけど、できないことのひとつだろう。

身体的な特徴に対する表現をいくら考えても健常者という言葉が存在する限り、健常 者でないものにたいする表現はそれにたいする欠損を表現してしまう。言葉の言い換えで問題は解決せぬというのはその点では一理あるのである。健常者という 言葉を肯定的に使い、そうでない身体を欠陥があるという意味で否定的にとらえる思考態度は、病気の場合でも性格の場合でもさまざまな場面で同様に起こりう る。
要するに問題は人間の職業、身体、性格、健康状態、社会的態度などに対して、垂直的基準の序列体系を設けたときに始まる。そして本来は単なる事実としての 評価基準であったものを人間の存在価値としての肯定的、否定的な評価として比喩的に使うことから波紋が生じる。これには社会的な要素がかなり大きそうであ る。どうやら私たちの社会は、通常ではないとみなした事物を差別し排除する構造をもっているらしい。
たとえば、健常者のように利己的な人間とか、正直なので危険な人とか、明るく人付き合いがよいから悪辣な人物とかいった表現も自然に受け入れられる状態を 想像できるとしたならどうだろうか。かなり柔軟な発想が背景にあると思われないだろうか。しかしながら発想が柔軟ということは一人一人が自分の責任で自分 なりの価値判断をすることであり、これは社会を維持する立場からすると望ましいことではないのかもしれない。それどころかこんな主張は妄想どころか穏やか ならぬ誤解を招きかねない。


これは、優れた差別に関する言説だと思う。後半の一連のアクロバチックな反語的形容表現には、目からうろこの思いがした。確かに権力・保守・勢力にとっては危険思想としか受け取られないだろうな。
肝腎の群山の描写はいまいちぴんとこなかった(^_^;)が、日本人が集中した新興地と、貧しい朝鮮人が追い立てられて住んだ貧しい地域との対象が、印象 的だった。食うに困る生活というものが、どぎついくらいに描かれていて、こういった描写には、訳者の言う「ごつごつした」文体が必要だったのかもしれな い。今後Morris.が原文で読む可能性はゼロである。




【調律師】熊谷達也★★★ 2013/05/25 文芸春秋
音に「匂い」を感じる能力を持つ元ピアニストの調律師を主人公にした連作短編。ピアノにも、調律にも縁のないMorris.だが、そういった方面の薀蓄話はきらいではない。

ピアノの調律は、基準となるA音とその一オクターブ下のA音を正確に合わせたあと で、まずはオクターブ内の音程を合わせる作業から始まるのだが、その際に最も重要なのは、二つの音を同時に鳴らしたときに発生する周波数のずれによって発 生する「うなり」が、毎秒何回発生しているか、正確にカウントできる能力だ。少々乱暴な言い方をすれば、調律師に絶対音感は必要なく、優れた相対音感もあ ればあったにこしたことはない程度。ただし、正確なリズム感は必須である、といったところだろうか。

グランドピアノは、ハンマーと鍵盤の動きの比率が、5:1になるように設計されている。専門用語で「整調」と呼ばれる調節の許容範囲は、打弦距離でプラ ス・マイナス1ミリメートルほど。したがって、鍵盤の深さではプラス・マイナス0.2ミリメートルになる。ただし、そこまで大きく変更することはめったに ない。このピアノの場合、許容範囲の3分の1弱、つまり打弦距離を0.3ミリ程度短くしてやればちょうどよいのではないかと思えた。それによって鍵盤の深 さは0.06ミリだけ浅くなる。最も薄口の上質紙一枚分の厚さにすぎないが、人間の指先はこの違いを感じ取ることができる。これによって、アフタータッチ が始まる位置がわずかに上がって、タッチとしては軽い方向へと動くはずだ。おしなべてタッチが軽くなると、硬かったタッチが柔らかくなったように、人間は 感じるものだ。


こういった、薀蓄話とは別に、亡くなった妻の妹(どちらも調律師)との新たな恋の予感やら、依頼主との音楽的なやりとりも、それなりに面白そうだったのに、

東日本大震災が発生したのは、本作の第二話を書き終えてから3ヶ月あまりが経過して、そろそろ第三話目に取り掛かろうとしていた矢先だった。
この作品は、第六話目で大きく転調している。転調せざるを得なかった。このような転調は、通常、小説の作法としては暗黙のうちにタブーとされてきたもの だ。さらに、作品の底流に流れるテーマをも、当初のものから違うものへと変更した。大津波という自然の力が変更を余儀なくさせた。
人間が紡ぎだす言葉など、自然の力の前ではまったく無力だ。無力なことを承知した上で、私たちは言葉を探さなければならない。言葉に対して、過剰な期待や幻想を抱いてはならない。(あとがき)


というわけで、すっかり当初の予定とは違った作品になってしまったらしい。で、結果的には物足りないものになったように思える。





【女中譚】中島京子★★★ 2009/08/30 朝日新聞出版
3篇の短編で構成された一種の連作だが、それぞれ昭和初期の女中生活をテーマにした3作品をアレンジ(トリビュート)している。

「ヒモの手紙」林芙美子「女給の手紙」
「すみの話」吉屋信子「たまの話(小さな花々)」
「文士の話」永井荷風「女中の話」

Morris.が彼女にハマるきっかけになった「小さいおうち」も女中の物語だったが、本書はもっと下世話な設定で、トリビュートされた作品を読んでたらもっと興味深く読めたかもしれない。といって、いまさらそれらを読もうというほどの気にはなれなかった。

「なんで、ここ(メイド喫茶)にいるのかって?
どうだっていいじゃないか、そんなこと。
ばばあが来て悪いってこともないだろう。
それでもなんでって聞くのかい?
メイドつながりだよ。
そう、強いて言やあね。
女中つながりって、ことだよ。
あんたなんかそんなこと、これっぽっちも知らないと思うけど、昔、メイドといったら、女中のことじゃあなくて亀戸の私娼窟のことだったのさ」(ヒモの手紙)


「メイドつながり」を初め「冥土つながり」と思った(^_^;)Morris.だが、亀戸(かめいど)の「めいど」に持っていくあたり、中島京子のなみなみならぬところ。

あのバカ嬢さんは、なんにも知らなかった。
お嬢さんが<心惹かれる>ナチスが、レズだのホモだのの連中をユダヤ人と同じくらい酷い目に遭わせたことも、伯林で世話をしてくれたタナカミ チコさんが最後の結婚をするときに、独逸人の血統に黄色人種の血が混じることを嫌ったナチス・ドイツから、不妊手術を受けさせられたことも。


ナチスの優生学は、現在でも、形を変えて生き延びている

「竹久夢二そっくりね」
りほっちは、埃のかかった額に近づいて、その傾きを直した。
「あたし、おばあちゃんの持ってるこれ、ずっと竹久夢二だと思っていたけど」
「あたしが死んだら、あんたにあげるよlずいぶん、しんせつにしてくれたから」
ばあさんはそう言うと、疲れたのか目を瞑って下を向いた。
アナタニアゲマス。スミサンハ、ゴシンセツデシタカラ。
めーそん・ゆめ。ニホンノ、ナマエハ、タケヒサユメジト、イイマシタ。(すみの話)


夢二が独逸で身の危険を顧みずユダヤ人逃亡組織の手助けをしていたという設定には、ちょっと鼻白んでしまった。

「お前は見方によっては、今の世に謂う一種の強者かもしれないね」
「なんのお話ですの」
「悲しく沈む夕日も、一晩たてば又明るくなって昇るのだと思って、泣き寝入りに寝てしまう強者さ。舞踏場が閉された暁には、その時とその場合とに応じて、 さほど自分の思慮を費さず、仲間の者共のなすところを見て、これに倣って、容易にその日その日を送る他の道を見つけるんだろう」
「そうね。そうしたいと思ってますわ」
「お前、ここへ初めて来たのはいつだったね」
「ここ。さあ、五年前かしら。昭和七年ですわ」
「あの時分のほうが、少しまだよかった」(文士の話)


しかしこういったやりとりを、しゃあしゃあと綴る中島も、今の世の強者なのだろうな。





【昭和の犬】姫野カオルコ★★★ 2013/09/10 幻冬社
一時期はまってた姫野の150回直木賞受賞作である。滋賀県田舎町の娘の、犬との付き合いを中心にしたパースペクティブな年代記といった感じかな。

柏木鼎 父 シベリア抑留経験者 しばしば「割れる」
柏木優子 病的に娘に厳しい
柏木イク 娘 昭和33生れ


主人公の家族構成である。

香良(こうら)市は、紫口(むらぐち)市から馬車で54分のところにある。

冒頭にこうあるので、モデルになったのはどこだろうとネットで調べたら、本人の弁?が見つかった。要するにフィクションとしての地名だから、詮索してほしくないらしい(^_^;)

よそから来る(インベーダー)のは「悪もの」である……、この感覚は、人に生来そなわっているものだろうか。こたえはともかくも、見慣れぬ様式は新鮮とは捉えず低級と捉える感覚は、地位を獲得した人に確実に備わる。
よそから来て領地を広げようとするものは、必然的に、前からそこにいる者の領地をインベードすることになる。とくに、前からそこにいる者たちの上部層の領地を。


侵略の定石とでもいおうか、日韓併合後の彼の地のさまを想起せずにいられない。

犬の足というのは存外に長い。かれらがいつも地面につけている部分はつまさきである。四指の先をつけている。親指は後肢だと退化しているが、前肢にはちゃんと肉球とともにある。親指の上方に、ちょっと曲がったところがある。膝ではない。ここが踵である。
この膝に見えなくもない親指からつまさきまでが犬の足なのである。獲物を追って速く走るべく進化していったかれらは、つねにつまさきで立っている。


本書にはこうやって犬に関する雑ネタが散見するし、猫も少しは登場擦るのだが、やっぱり猫好き(犬嫌いではないのだが、関心は薄い)のMorris.には、いまいちである。

イクはこの漫画が嫌いなのではなく、この漫画に出てくる鼠が大嫌いである。盗み食 いや失敗やいたずらをぜんぶ猫のせいにする。怒った猫が捕まえようとしても、すばしっこく逃げおおせ、めずらしく捕まれば、そらぞらしい声音で誤り、そら ぞらしく下手に出る。卑しい豹変を、これっぽっちも躊躇わない。相手の慈悲心や親切心に裏切りで報いる。なんといまいましいねず公。なんと哀れな猫。見る たびにイクはいつも一人で地団太を踏んでいた。
「なんにも悪いことしとらへんのにな。しよったんは、あのちびやのにな」


ぎゃははは(笑)。もちろん「トムとジェリー」である。たしかにそういわれるとその通りである。「いまいましいねず公」\(^o^)/

自分はいい時代に生まれたと思う。昭和という時代には暗黒の時期があったのに、日 当たりよく溌剌とした時期を、子供として過ごした。ましてその昭和最良の時期にも翳りの部分はあったのに、その時期に子供でいることで翳りは知らず、最良 の時期の最良の部分だけを、たらふく食べた。田んぼや畦道や校庭や野山や、それに琵琶湖のほとりの浜は、空想の中で変化自在の空間だった。正義と平和を、 心から肌から信じられた。未来は希望と同意だった。

姫野は昭和33年生まれで、Morris.より9年後の生まれだから、上の感想とは少しずれるけど共通点も多い。しかし、これほど、明るくは振り返れないところもある。
Morris.としては前作の「リアル・シンデレラ」の方がうんと好きだったし、どうせならあちらで受賞して欲しかった。



【韓国の「昭和」を歩く】鄭銀淑 ★★★ 2005/07/05 祥伝社新書

実はこの本、前に読んで酷評してた(^_^;)
6月予定の韓国行きでは、鎮海や群山を訪れようと思ったので、下調べを兼ねて読みなおすことにした。資料として割り切って読めば、それなりに役立つことも書いてあった。
要チェックの建物などをメモしておく。

・群山税関
・朝鮮銀行群山支店

・鎮海郵便局(映画「クラシック」ロケ地)中園ロータリー
・警察署
・文化院
・国鉄鎮海駅舎

・旧朝鮮殖産銀行大邱支店(現 韓国産業銀行)1931

・旧第一銀行仁川支店(港洞 1899)
・旧 五十八銀行仁川支店 1939

・慶尚南道庁(東亜大学釜山富民洞キャンパス内)
・釜山気象庁(1934)
・釜山博物館 近代展示室


木浦に来るたびに欠かしたことのない私なりのイベントがある。木浦港の近海の島々 を巡る遊覧船に乗ることである。遊覧船といっても観光用の豪華な遊覧船を想像してはいけない。島の人々が利用する海上バスのような船である。船に乗って、 だんだん離れていく木浦港の姿、あるいは逆に、次第に近づいてくる木浦の姿を眺めるのが私のお気に入りだ。
港から最も近いのは高下島(コハド)。遊覧船の最初の停留場でもある。島は細長く、まるで木浦を守る屏風のような形をしている。壬申の乱の際、李舜臣将軍 の要衝となったことで知られている。また、1904年に初めて綿花栽培に成功したことでも有名だ。植民地時代、木浦が綿花の町として知られた所以である。
・木浦中央教会(旧本願寺木浦別院)


木浦は何度か行ったが、この島回りの船に乗ることは思いつかなかった。次の機会にはぜひ利用したい。

蔡萬植(チェマンシク 1902-1950)は植民地時代の代表的な小説家である。最も知られているのは、1930年代の群山を描いた長編小説「濁流」だ。ある女性の悲劇を通し て、植民地時代の朝鮮社会の不条理が皮肉混じりに描かれている。彼が群山を舞台にした作品を書いたのは、群山近くの沃溝(オック)が故郷だったことと無関 係ではないだろう。今も「濁流」に描かれた近代の群山の姿を求めて訪れる人が少なくないという。


これは出発前に読んでおこう。
後、小ネタをいくつか。

最近ではあまり見かけない質屋は、「典当舗(チョンダンボ)」という名で日本植民地時代に始まった。

日本と米国の独自ルールに翻弄され、自動車は右側通行、鉄道は左側通行、地下鉄は1号線だけ左側通行で、それ以外は右側通行という複雑なことになってしまった。

工事に十年を費やして完成された朝鮮総督府は、当時流行した和洋折衷のルネサンス様式であった。


あの総督府の建物が「和洋折衷のルネサンス様式」というのは理解できない。




【「踊り場」日本論】小田嶋隆 岡田憲治 ★★★☆☆ 2014/09/29 晶文社(犀の教室)。
小田嶋はお馴染みだが、岡田は1962生れの専修大学法学部教授で専攻は現代デモクラシー理論とのこと。
あまり期待もせずに読むことにしたのだが、いやあ、実に面白くてためになった。かな。

小田嶋 バンドワゴン効果(選挙予測で多くの支持を集めているとアナウンスされると人々がその候補に投票しがちになるということ)とアンダードッグ効果(選挙で票 が集まっていないとされる候補者に同情票が集まること)の二つがアナウンス効果としてあげられているじゃないですか。あれは学者から見ると、どういうふう に見えるものですか。
岡田 学問的にはまったく実証されていません。「アナウンス効果」というのは、ほとんど、そう言えば言えないこともないが、そうだとちゃんと言えるほどでもない という程度のことだと思います。「われわれの報道力にはそれぐらいの影響力があるのだ」と言いたい方々の使う言葉ではないかと


「アナウンス効果」は、なんとなくそんなこともあるのだろうと思ってたのだけど、これだけはっきり無意味さを教えてもらってありがたかった。

岡田 当選者がすべての選挙区で一名とされている小選挙区制はまとまって戦わないとガリバーに勝てないから、対抗する政党が多党化したらガリバーが圧勝してしまうのです。自民党は総有権者の20数%ぐらいの支持で議席は、60%を超えるわけです。

小選挙区は問題ありすぎだな。

小田嶋 ブレたということも、悪いことのように言うけれども、政治はある種、妥協みたいなものだから、ブレないと政治は実現に行かないところがありますね。
岡田 安倍さんが2012年の選挙中に「マニフェストという言葉は恥ずかしくて使えませんね」と、あたかもマニフェストというやり方そのものがダメなのだと、まずい誤解をあたえかねない言い方をしていましたけど、自民党の公約だって同じことですよ。

自民党のは「二股公約」ぢゃ。

岡田 みんな「日本の社会は階級社会だ」というものの言い方を嫌がるのです。だけど、経済学者、社会学者は、これまで一億総中流と言っていたけれども、1970 年代にはすでに「不動産を持つ層」と「持つ可能性が非常に低い層」というふうに、高度成長以降、はっきりと格差社会化は始まっているという議論をしていま す。今やまさにそれが顕在化してきているということです。

格差の根幹は土地持ちとそうでないか、か。

小田嶋 ジョン・レノンが「イマジン」で、「天国も地獄もない。財産もない。宗教もない。そして人々は今日だけのために生きている」という歌を書いたじゃないです か。1971(昭和46)の歌で、当時僕は高校生で「これ日本のことじゃん」と言って笑っていたのです。もっとずっと後になって振り返ってみると、あの話 の元ネタは、オノ・ヨーコが『グレープフルーツ』という詩集の中に書いていたもののインスパイアです。

「イマジン」のネタ話として引用。

岡田 今や労働組合の組織率は二割を切っていますからね。世間では労働組合は労働者全体の利益の擁護者ではなくて、部分利益を主張する圧力集団だと思われています。
小田嶋 正社員の利益だということですか。
岡田 電力労連とか、日教組とか、世の中の今や少数派でしかない「部分利益」を主張するわがままな連中だというイメージですね。


ワシもそう思う。

岡田 実はちゃんと組織されている政党は日本には二つしかなくて、それは公明党と共産党です。でも草刈り場が重複するから、ものすごく仲が悪い。(1.選挙の言葉)

こういった、はっきりした物言いはわかりやすくて、好ましい。

岡田 小林よしのりはね、「わしは勝手に漢字の左翼を共産党、カタカナのサヨクを社会党的成るものだというふうに考えて言葉を使っている」って、これもまあム チャクチャなんですけど、とりあえず小林は保守的な評論家からこれまでに教わったこととかを素材に、へんてこりんだけどいちおう定義をしている……。
小田嶋 小林よしのりは、めちゃめちゃだし穴だらけだけど、あいつなりに筋通ってんですよ。
岡田 実は『ゴーマニズム宣言~脱原発論』とかを読むと、彼の言う「公(おおやけ)」というものは切なくも「ネイション」に全部回収されていくんですけど、そこ を除けば「国を愛するってことは国土を愛するってことでもあるんよ! 福島の国土が失われとるのに何が尖閣諸島じゃ!」ってものすごくまともなことも言ってる……

Morris.もゴーマニズム宣言、結構読んでるし、感想としても同じような感じだ。

岡田 もはや本音のところで言えば、市場を通じた分配っていうシステムの中では、役割は二つに完全に分かれるんだということです。それをマルクスは階級社会って 言ったわけです。労働を通じて自分の肉体を切り売りするしかない人間と、生産のための手段を私的に所有する人間の二つ。だから階級ってひとグループでは無 意味で、二つあるから意味がある。つまり「諸」階級なんだっていう。敵対し合う、クラスってものがあるから関係的な意味があるわけです。
小田嶋 それって、曽野綾子の旦那、三浦朱門が言ってますよ。みんながみんなむずかしい方程式を覚える必要はない。実務だけを覚えてもらえばいい人たちがたくさんいるんだと。あとはエリートがやればいいんだからって。


「エリート」という言葉が問題だなな。大辞林によると
エリート [仏elite]ある社会や集団の中で、そのすぐれた素質・能力および社会的属性を生かして指導的地位についている少数の人。選良。精鋭。「--階級」「--意識」
とある。ついでにいろいろ調べたら、ギリシャ語「エリュシオン(死後の楽園)」が語源とも言われているが、ラテン語の「ligere(選択する)」で「神 に選ばれた人」の意らしい。神に選ばれるというのは、他人のために死ぬ用意ができている人という、かなり高潔な人士のことをさしたらしい。現在日本で使わ れてる「エリート」とはかなり違ってる気がするな。

岡田 ソウルに行って、韓国の大学生を相手に「韓国語で」日韓関係についての講義を一年したいという野心があります。歴史っていうのは、真実に到達するかのように正解を探すようなものじゃないんだと彼らに伝えたいからです。
歴史っていうのは、あれはこういうことだったんだと、過去の出来事を理解「したい」おのおのの人間の「欲望の物語」に過ぎないんだと、わかってもらいたい んですよ。どちらの歴史認識が偏っているとかという議論をする前に、歴史解釈が必然的に抱える宿命みたいなものをお互いに冷静に確認しようよと、呼びかけ たいんですよ。


岡田は韓国語も学んでいるらしい。それだけでちょっと好感度大。それぞれの歴史が、それぞれの欲望だというのも面白い。

小田嶋 グローバルな人間を教育システムで作れると思っている根本的な誤解がある。本当に人間をグローバルにしたければ、グローバルフィールドに放り出すほかに方法がないわけです。
岡田 日本のエリートたちが持ってるグローバル人材っていうものの素朴な原風景は何かっていったら、「外国語で交渉や会議ができる人たち」っていうだけです。
小田嶋 つまり、学校のような閉鎖空間でグローバル人材を育成できると思うような誤解をとにかく何とかしてほしいと。階級社会だったり多民族社会だったり、他宗教 社会だったり、複雑な歴史なんかが全部含まれた中ではじめて出てくるのがグローバル人材で、グローバルってのはいいこなのかっていうと、いい場合もあるし 不幸な場合もある。島国にグローバルが入ってきたときどんな悲劇がおこるのかってことを、あんたわかったうえで言ってんだろうね? って。
岡田 英語をどうするかって話は、日本語をどうするかっていうこととイコールですよ、ほぼ。
小田嶋 しかも、グローバル人材って文脈で外国語の話が出てくるときは、企業は自前で戦力を育てなきゃいけないはずなんですよ。それを教育現場に委ねようっていう 志の低さというか、自分たちがコストを負担すべき教育、いや職業訓練ですね、それを公的教育機関にタダで丸投げしたいっていうのが柳井さんの欲望ですよ (笑)。(2.取り戻したい日本はあるのか、あったのか)

グローバルは日本には向いてない?
おしまいの「柳井さん」てのは、ユニクロ社長のこと。

岡田 この十何年かで、僕たちの社会は何でも自己責任と、平然と言うようになりましたね。
小田嶋 自己責任というのは誰も責任を取らないっていう意味ですね。
岡田 本来、責任をとるっていうことは理不尽なものなんですよ。でも、基本的には僕たちの社会は、たとえば丸山真男が言ったような「無責任体制」だと言われます よね。とりわけエリートが責任をとらない。原発事故で福島の国土があれほど失われているのに、ただの一人も何の責任も取らない。


自己責任=無責任。同感。

小田嶋 とにかく何でもいいから一回ひっくり返さないとだめだぞって、小泉さんが言ってたとき、「自民党をぶっこわす」っていう言葉に、すごく説得力があった。あれでみんなひっかかったわけですよね。
岡田 そのときマス・メディアは、「無駄な既得権益はだはするべきだが、社会が支え合わなきゃいけない領域は守るべきだ」と、きちんと話を分けなきゃいけなかっ たんです。ところが二項対立をおもしろく突きつけてくる小泉劇場に乗せられて、これからは構造改革を通じた市場志向じゃないと日本は立ちゆかないってい う、単純なストーリーを作ってしまったんです。竹中某みたいなペテン師を祭り上げて。これは朝日から読売まで、もうみんないっしょですよ。失われた10年 とか20年とか言われますけれども、これは何度も言いますが、本当に失われたのはかつての自民党が持っていた擬似社会民主主義的なものなんです。

小泉にひっかけられた(^_^;) そのとおりだった(>_<)。そして今度は安倍にのっとられるのか。それだけは死守したい。

岡田 言うに事欠いて「世界で一番安全な原発です」と。世界で一番安全な原発を作ってる国が世界中に放射能をまき散らしているという、これはブラックジョークにすらならないですよね。
小田嶋 「これだけ設備投資をしてこれだけ積み上げてきた技術を、売り先がなくなったら三菱重工も東芝も日立も困るでしょう?」みたいなことを、政治家がやってるということは、物理的にあっちゃいかんということですよね。


「死の商人」という言葉を思い出す。

小田嶋 安倍さんは、TPP反対の人たちを左翼って呼んだでしょ。
岡田 そうなんですよ「美しい国」を守るならTPPに反対しなければいけないのに。
小田嶋 二重にねじれてますよね。だから「愛国左翼」になっちゃうわけでしょ。「愛国国家主義左翼」って何ですかって話ですけど。
岡田 愛国左翼は、一国社会主義的にアクセントを置くと、言わばスターリニズムですよ(笑)。つまり左翼だから本来ネイションを超えるはずなのに、同時にTPPから人を守ろうとなる。
小田嶋 インターナショナルな左翼とナショナルな左翼で、全然言ってることが違うよ、みたいにですね。


Morris.はアナーキーな左翼になりたい。

岡田 佐々木俊尚さんが、『「当事者」の時代』で、マスメディアはずっと、弱者に寄り添うというポジションを死守してきたと書いています。でもそれは、いわばイ デオロギーなんだと言うわけです。ことが起きると弱者に寄り添うっていうパターンがあって、朝日も毎日もみんなそういう報道をする。
小田嶋 『朝日ジャーナル』みたいなものの進歩的民主主義、筑紫哲也に代表されるような人たちの言いざまの気持ち悪さが、ある時代は共有されてたじゃないですか。 90年以降に、朝日って進歩的でいいメディアみたいなこと言ってるけど、結局あいつらっていいフリしたいだけだよねっていう指摘があると、ああなんと新鮮 な視点であろうかっていうのが見えてきて、そっちが主流になってきてしまった。
岡田 カウンターであれば意味はあったんでしょうけど、カウンターが知らぬ間に主流になっちゃった、みたいなところはありますよね。


マスコミの「いいフリ」は今にはじまったこっちゃないけどね。大本営発表にまで遡るまでもなく、たとえば、北朝鮮帰国事業時にマスコミ(特に朝日)が煽った罪は重い。

岡田 昔、共立講堂のライブで、フォークの神様の岡林信康が言ってました。「僕はベトナム反戦歌の中でも『おお! 悲惨なベトナムよ! 可哀想なベトナムよ!』みたいな歌は好きやないんです。僕が好きな歌は、『工場で働かなければならんけど、そこでは武器を作っていて、この武器で私のお兄 ちゃんが殺されるかもしれない。止めたいけどご飯が食べられへ。どうしたらえんや』みたいな歌は僕好きなんですわ」と。

同情するより金をくれ、のココロか。

小田嶋 ネットで出てくる批判のおよそ三割は、お前に何がわかる、ですよね。議論に至る前提をそもそも放棄している姿ですよ。お前に何がわかるって言われたら、おれにお前のことなんてわかってたまるか、っていうことはあるわけですよ(笑)。
岡田 世界の本来的な不可知性とは、世界を語る上のスタートラインですよね。世界はわからないんだということですよ。
小田嶋 お前に何がわかるんだって言葉の無責任さと、寄り添うってことばの無責任さって、ちょうど逆の対応関係だよね。
岡田 そうですよね。だからきっと「美しい日本」が大好きな人がね、おそらく「お前に何がわかる」っていう反転をすると思いますね。

小田嶋 ネットで行われている議論を一歩離れて見てて思うのは、ちょうとわれわれが大学に入った頃の論争ですね。原理研究会とか、革マルとか、創価学会とか、ニー チェをやる奴とか、そういう連中と議論するとひとたまりもないわけですよ。議論の相手をやり込めるにはどうすればいいのかっていうのを少しずつ学んで、論 破ってことがおもしろくなってきた時期にやる議論はもう、およそ不毛なもんなんだけど。
つまり、実際に相手を説得しようとしていやるんじゃなくて、罠にかけてやり込めるみたいなことなです。橋下徹さんがやってるのはそういうことですよ。
岡田 人は何のために議論するのかっていう話ですよ。しっかり説得して相手に自分を認めさせることなんですけど、それはプロセスであって、その向こうに何がある んだよって話じゃないですか。だから議論する理由は「僕たちはどこまで同じ道を歩んでいて、どこから分かれてしまったのか、その分かれたY字路を確認する ために議論するんじゃないか」と、うんとほぐして伝えるわけですよ。

岡田 (2ちゃんねるは)排泄行為ですよね。(3.どんな社会にしたいのか)


ネットそのものが排泄行為なのでは?

岡田 気がつくと、一生懸命東京の何かを変えようとしてる人たちって、みんな東京で生まれてない人たちなんですよね。
小田嶋 東京の経済活動を活性化させようってことですからね。で、活性化ってことは、夜中に電車が走ればみんな飲んだり食ったりするんじゃないのとか、夜中も働け るんじゃないのかってことだったりする。もうひとつは土地の売り買いが発生して、人の出入りがあったほうがいいと。ようするに、ダメなやつはどんどん出 てってもらって、優秀なやつがどんどん入ってきてもらった方が、都市としては活性化するでしょ、っていうことを、たぶん猪瀬みたいな人が考えてるんです よ。
で、それの最たるものが、オリンピックってやつ。実際、前回の1964年の東京オリンピックのときは、赤羽あたりは、まさにオリンピック景気の中で、あらゆる貧民窟を全部排除した。
岡田 いろいろな人々やライフ・スタイルが同居しているこの東京という街場なのに、相変わらずひたすらナショナルなものを高揚させて、「オリンピックを望む気持ちはみんな同じじゃないですかぁ」って、ちげぇよ(笑)。
小田嶋 彼らは「日本をチームに」ってい言ってるでしょ。国家意識ってほどおおげさにはいわなくても、とにかく個人主義ってのが諸悪の根源だって考え方が、自民党の憲法草案を見ても露骨にあります。
日本人が日本人であることももっと意識しようだとか。で、個人に還元されてしまったことがいちばんいけないんだという考えの中心にオリンピックを置いてい るんだと思うんですよ。これは時代錯誤だという騒ぎだけじゃなく、あらゆる点ですごく勘違いしていると思います。
岡田 基本的にはオリンピックだって何だって、ようするに財界の顔色をうかがってやってる様子が濃厚でしょう。原発の再稼働だってジワリジワリとその線でキてますよ。
どうしてそう足並みを揃えて一方向へ行くかというと、政治学では「対抗勢力」がなくなっていくからと考えるんです。政治権力に養分を送る社会的資源(金銭 だけでなく、政治的資源になりうるすべての財)を相対的に独占しているような社会集団ができてしまうと、簡単に言うと、巨万の富を抱えた財界や電事連のよ うな組織が、それと対抗するような集団がない中で肥大化していくと政治権力はその妾になるって話なんです。
結局オリンピックもまったく従来と変わらない発想です。ただの一度も問われたことがないのは、なぜスポーツの祭典としてのオリンピックが大切なのかということです。(4.あらかじめ失われた東京民)

オリンピックに関しては、Morris.も言いたいことは山ほどあるのだけど、開催都市が東京だから他所ごとだということで、自重してるわけで、それが 「チーム日本」とか「オールジャパン」とか「ヒノマル背負って」などと云われると、それはないだろうという気になってしまう。
オリンピックも、世界遺産も、何でもかんでも経済効果で考えてしまうのは、やめて欲しい。

このコラム(「無資本主義商品論」(『噂の真相』))の書き手は、「富の源泉は、 富にではなく、貧困にある」などと、さらりと喝破し、そしてバリ島にて円との関係においてタダ同然の貨幣ルピアを大盤振る舞いし、大量の貝殻を買って成田 に帰ってきた自分を、「貧乏人に戻っていた」と評価していました。この人は、マルクスの「マ」の字も書くことなく、こむずかしい現代思想用語も一切使わず に「この世の構造(からくり)」と、そこから立ち現れる日常をたった数百字のコラムで、表現していたわけです。小田嶋隆への憧憬は、ここから始まりまし た。(あとがき 岡田憲治)

前に読んだ「コラム道」の対談で内田樹がベタ褒めしてたが、岡田もこうやってヨイショしてる。小田嶋の株価上昇ぶりはなかなかのものだが、当人は自転車事故で入院中、愛読してるネットの「ア・ピース・オブ警句」も今週はお休みである。一日も早い回復を祈りたい。



【雁】森林太郎 ★★★ 大正4年5月15日 籾山書店。
ちょっと前に読んで、そのままになってた。たまにこういった、きちんとした日本語の文章を読むのは、精神衛生上有益ではなかろうか。

白木綿の兵児帯に、小倉袴を穿いた学生の買物は、大抵極まってゐる。所謂「羊羹」と「金平糖」とである。羊羹と云ふのは焼芋、金平糖と云ふのははじけ豆であつたと云ふことも、文明史上の参考に書き残して置く価値があるかも知れない。

漱石のユーモア(幽黙)が英国仕込み?なのに対して、鴎外の場合はドイツ仕込みだけに、ちょっと屁理屈っぽい形で表れているような気がする。

店は仲町の南側の「たしがらや」であつた。「たしがらや倒さに読めばやらかした」 と、何者かの言ひ出した、珍しい屋号の此店には、金字を印刷した、赤い紙袋に入れた、歯磨を売つてゐた。まだ練歯磨なんぞの舶来してゐなかつたその頃、上 等のざら附かない製品は、牡丹の香のする、岸田の花王散と、このたしがらやの歯磨とであつた。

これも同上。

一体支那小説はどれでもさうだが、中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思ふと、約束したやうに怪しからん事が書いてある。

「怪しからん事」というのがいいね。「ウィタ・セクスアリス」書いた人の言葉と思えばまた一興である。

一体女は何事におらず決心するまでには気の毒な程迷つて、とつおいつする癖に、既 に決心したとなると、男のやうに左顧右眄しないで、oeilleres(オヨイエエル)を装はれた馬のやうに、向うばかり見て猛進するものである。思慮の ある男には疑懼を懐かしむる程の障碍物が前途に横たはつてゐても、女はそれを屑(ものくづ)ともしない。それでどうかすると男の敢てせぬ事を敢てして、お もひの外に成功することもある。

鴎外の女性観として興味ふかいような、意外と皮相的な気もする。

一本の釘から大事件が生ずるやうに、青魚(さば)の煮肴が上條の夕食の饌に上つたために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまつた。そればかりでは無い。しかしそれより以上のことは雁と云ふ物語の範囲外にある。
僕は今此物語を書いてしまつて、指を折つて数へて見ると、もう其時から三十五年を経過してゐる。物語の一半は、親しく岡田に交つてゐて見たのだが、他の一 半は岡田が去つた後に、図らずもお玉と双識になつて聞いたのである。譬へば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一の映像として視るやうに、前に見た事と後に 聞いた事とを照らし合せて作つたのが此物語である。


この短編小説(中編というべきか)の結びというか、種明かしみたいな一文だが、鴎外の面白さが巧まずして表出している。




【ラーメンと愛国】速水健朗 ★★★☆☆ 2011/10/20 講談社現代新書。
松岡正剛千夜千冊で本書が取り上げられてたのを見たのがきっかけである。紹介や特長も松岡の文章を読んでもらえればそれでいいようなものだけど、やっぱりMorris.の印象に残ったところは、かなりの違いもあるので、多めに引用しておく。

大量生産や大量輸送、データを利用した運行管理は、元々ロジスティクス(兵站)と 呼ばれる、戦時の後方支援、物資尚達の分野において必要とされ、発展した技術である。第二次世界大戦の時代は、統計学がその先端技術として求められてい た。戦後、フォードに入社し、のちにベトナム戦争時に、米の国防長官を務めることになるロバート・マクマナラも、第二次世界大戦中に陸軍で統計や解析の要 員として活躍した一人であった。ちなみにB-29の量産を主張し、生産計画の立案に関わっていたのは、若き日のマクマランである。
デミングは、1947年、日本の統計学を正すべく派遣される。
デミングの講習会に参加した経営者、技術者たちは、情熱をもってデミングの講習を受け止めたという。デミングは、経営や生産のシステムやテクニックを伝え ているにすぎなかったが、日本人にとっては、そうではなかった。彼の講演、技術指導は「アメリカはどうやって戦争に勝ったのか、その内なる秘密を解き明か している」ように映った。
デミングの手法とは、生産された製品のばらつきを調べ、それが発生する過程を分析し、その原因を追求してシステム全体を改善するというものである。(いわ ゆるフィードバックの手法)しかし、デミングのアドバイスはそれだけに留まらず、従業員の行動意欲、顧客のニーズを把握することの重要性などにも及んでい た。
デミングの講習を機に盛り上がった日本の品質管理運動は、職人の匠こそが最上と理解されてきた日本のものづくり観に変化を与えた。生産技術という思想がな いことで戦争に敗れた日本は、戦後、生産技術を身につけ、ものづくりにおいて世界に名をとどろかせていくことになる。


ラーメンを論じるのにデミングを出すあたりが筆者のユニークさでもあり、気負いでもあるのだろうけど、面白ければそれでいい。

チキンラーメンは発売開始から50年以上の歳月を経た現在もなお、第一線で活躍す る商品である。その間には、細かなパッケージデザインの変化しかなかった。 百福は、この商品の発明以来、五十余年にわたって毎日の昼食にチキンラーメンを食べ続け、味のチェックと時代に合わせた改良をしていたという。
2007年1月5日、安藤百福は96歳で死亡した。多くの日本のメディアが褒め称えたのは、チキンラーメンを発明し、「インスタントラーメン」という巨大な市場を生み出した業績である。
アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、百福を「労働者階級のための安くて、きちんとした食べ物」を独力でつくった人物として評して、その功績を たたえたのである。これは彼を商品の"発明者"や新産業をゼロからつくった起業家として評価したのではなく、ラーメンを大量生産可能な"工業製品"として 発明し、安価な保存食品として世界に広めたという、百福が持っていたものづくりの思想への評価である。(第二章 T型フォードとチキンラーメン)

チキンラーメンの登場はMorris.も、はっきりと記憶にある。たしかに画期的だった。今でも年に一度か二度、無性に食べたくなることがある。本書を読んで、またしても食べたくなった。

1967年から放送が始まったTBSラジオの「パックインミュージック」は、それ までトラック運転手向けの放送が中心だった深夜の放送枠を、若者向けの内容に切り替えた音楽番組だった。同じ年には、ニッポン放送が同じように若者に向け た「オールナイトニッポン」の放送を開始している。ちょうど、団塊世代が受験勉強で夜更かしを始めた時期だ。この世代の青春の記憶の一つとして、夜食の ラーメンやラジオの深夜放送が結びついている。団塊世代とは、受験勉強のお供の夜食としてインスタントラーメンを食べた最初の世代なのである。

ラジオの深夜放送とチキンラーメン登場がしんくろしているということは、Morris.もまさにその最初の世代だったということになる。「パックインミュージック」は愛川欽也がメインだったらしい。ちょうど彼が亡くなったニュースと重なったので感慨深かった。

1972年2月のあさま山荘事件は、単に凶悪犯を警察が包囲したという性質のもの ではなかった。警察と連合赤軍は、互いにライフルを持って向かい合っていたが、それとは別の層で、メディアを通した空中戦が行われていた。当時、警察庁長 官だった後藤田正晴は、絶対に犯人を殺すなと命じる。それは人道的な配慮ではなかった。過激を極めた反体制運動は、この当時、すでに多くの支持を失い、孤 立していた。だが、ここでの銃撃戦で、連合赤軍の側に死者を出してしまえば、彼らを悲劇のヒーローにしてしまう。そこで、国民感情が逆に振れる可能性があ る。いつ善悪が入れ替わってもおかしくない状況が、テレビカメラの前で進行していたのだ。

あれもこれも、Morris.世代のメモリアルである。この事件で、カップヌードルが普及したことが触れてあったが、Morris.は、このカップヌードルとは相性が悪かった。

戦後復興期を支えた世代、高度経済成長時代を支えた時代、そして、インスタント ラーメンを最初に食べた団塊世代。これらの三つの世代の間には分断があるものの、自分がいつしか過去のものとして乗り越えていった"貧しかった時代"の刻 印としての1958年という年やラーメンをめぐる思い出は、それぞれの記憶に深く留められている。こうして地層のように積み重ねられたラーメンの記憶が、 やがてラーメン=国民食という、日本人全体が共有する共通意識に結実していったのだ。(第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー)

この辺りから、ちょっと論旨が我田引水になっていくような気がする。

中央の財源をいかに地元に利益還元するかが、国会議員の能力の指標となる日本の政 治構造は、角栄が中核となって築き上げた当時の中央集権システムが生み出したものである。土建屋や道路族などと呼ばれる政治家だけが潤い、無用な道路が全 国にできてしまう悪弊の発端がここにある。だが、当初の「道路整備特別法」は、政府が公共事業でインフラを整備し、それを活用して事業を行う民間企業が進 出し、経済が発展するという、本来あるべき公共事業を効率よく行うための仕組みとして生み出されたものだったのだ。

列島改造論で華々しく政治を引きずっていった田中角栄の時代。「いいこともした」という論じ方には賛同できない。

我々は、別々の場所に住みながらも同じニュースを見ている。本来であれば、自分の地域のことだけを知ればいいのに、ニュースはいちいち日本全国のお天気を 知らせてくれる。これは、北海道から沖縄までが日本であるという帰属の意識を確認する作業として捉えることができる。ニュース番組が視聴者に愛国心を押し つけようと意図しているわけではないが、標準化された全国のお天気は、図らずもそれを生み出しているのだ。


これは、ラーメンとはあまり関係なさそうだが、言われてみれば、全国の天気というのは、大半が不必要だけど、それが国民意識を根付かせるというのは、面白かった。

我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族であり、ラーメンを愛する同じ日本人であるという共通の意識を持っている。つまりチキンラーメンのCMに よって「ラーメン」という「共通語」「国語」が生まれて以降、日本人はラーメンを通して国民意識を形成しているのだ。この国には札幌ラーメンがあり、博多 ラーメンがあり、「東京ラーメン」も「熊本ラーメン」も「旭川ラーメン」もある。固有の土地に根ざしたご当地ラーメンが存在する。そんな、ラーメン列島の 地図すら見えてくる。これをアンダーソン風にネーミングするなら、「味覚の共同体」とでも言ったところだろうか。

ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」(1983)のもじりだが、この本に関しては別の本で紹介されて、興味をもったところだった。こうなるとそちらも読まねばという気になる。しかし、筆者の持って行き方には無理を感じる。

観光の産業化は、ときに地域に根ざさないものとして発展することがあるのだ。ご当地ラーメンの成り立ちもこれと同じである。ご当地ラーメンも、地元の歴史や固有の文脈に沿った郷土料理から切り離された観光資源として生み出されたものであろう。

「博多ラーメン」「喜多方ラーメン」「和歌山ラーメン」「札幌ラーメン」……といろいろあるだろうが、Morris.は「博多ラーメン」しか認めたくない部分がある。少なくとも観光資源として生み出されたラーメンなんてのは、問題外ぢゃ。

モータリゼーションとともに、街の中心部の商店街が廃れ、日本全国のロードサイドの光景が均一化していった様を「ファスト風土」という言葉で示した三浦展は、「ファスト風土化」の原点を田中角栄に見いだしている。
公共事業を通して地方にお金が流れるという、角栄が1950年代に手がけたシステムは、政治と地元産業の癒着を強くした。このシステムは戦後の復興期から 高度成長時代までは、国内産業育成の原動力として役に立った。しかし、ある時点からは公共事業そのものが目的化してしまった。
不必要な高速道路や新幹線網だけがつくられていき、地元ならではの産業の育成などはなおざりにされる。ファスト風土化はこうした状況から生まれていったのである。
ご当地ラーメンは、「地元に根ざした」食文化の結晶である本来の郷土料理に成り代わって、観光課のニーズに応える形で全国的に増殖した。全国のご当地ラー メンを見ると、食文化の多様性が見えてくるように思えるが、日本古来の食文化という観点で見れば、ご当地ラーメンは、多様性が失われ画一化した、戦後日本 の食文化の象徴でもあるのだ。

「ファスト風土化」というのは、言い得て妙な述語だね。今やたいていの地域に見られる、画一的なチェーン食品店の並んだ区画。ファーストフードそのものが苦手なタイプだと思うのだが、結果的に侵食されてるのだけど、出来る範囲ででも抵抗したい。

かつてであれば、観光地として地元に観光客を誘致するためには、それなりの名勝な り、歴史のある建造物なり、世界遺産候補なり、売り込むための観光資源が必要だった。しかし、状況は変わった。B級グルメにせよ、ゆるキャラにせよ、 NHKの大河ドラマの誘致にせよ、偶然性の高い観光資源が突如生まれてブームとなるというのが昨今の傾向である。(第四章 国土開発とご当地ラーメン)

いまでは当たり前になったが、前線で行われる軍事行動を下請けの民間軍事会社にア ウトソーシングするという方針は、湾岸戦争において検討・導入されたものだ。もはやすべての国民が負担を背負うような総動員、総力戦タイプの戦争は古いも のとなった。総力戦時代の戦争では、生産や資源採掘などに力点が置かれたが、情報集約型の新しい戦争においては、無形の情報やメディアに力点が置かれる。 そして、戦争は際限なく国費が投じられる公共性の高いイベントから、最前線から銃後に至るまで経済効率を優先したサプライチェーンマネジメントの利いた性 質のものとなり、利益の最大化が求められる戦争の時代となる。

戦争ビジネスの合理化。こんなところまで踏み込んでいくのが本書の特徴だろうし、どんどん戦争がバーチャル化していくという捉え方は間違っていないと思う。、

公共の電波を独占する免許事業である放送局の仕事とはあくまで公共性を帯びたものであり、夕方のニュース枠はまさに放送局の公共性を担うものだった。そのためこの枠は、下請けの制作会社には任せず、テレビ局の報道局が自ら制作してきた。
しかし、視聴率を少しでも稼ぐために17時、18時きっかりに番組が始まるのではなく、数分前倒しして始まったあたりから、その原則は崩壊した。テレビが 自らの公共的な役割を放棄し、利益の最大化を追求するようになったのがこの時代(80年代末から90年代初め)のことである。


ちかごろのテレビときたら、という物言いは、したくないのだけど、せずにいられない。その原因の一つがこういった「唯益論」なんだろう。

東京オリンピックの時代から、人気のテレビコンテンツの一角だったバレーボールは、日本チームが世界で勝てなくなっていった90年代を機に、大きくテレビコンテンツとしての最適化が図られていく。
まずは、ルールがテレビ的な理由で改正される。ラリーポイント制の導入により、試合時間が短縮されたのだ。会場では、日本チームを応援するDJが投入さ れ、マイクを使ったワンサイドだけを応援するかけ声が響く、そして、開催地は、毎回、日本開催となった。もはやバレーボールは日本のテレビ局が独占するス ポーツになっている。スポーツにおける公平性は価値を失い、商業的な価値が優先されるようになったのだ。


女子バレーが好きだったのだけど、どんどんつまらなくなっているのは、上記にあるいびつな放送にもあるに違いない。

日本の1990年代のテレビ業界は、他業種からの放送業への算入障壁は相変わらず高いまま、既存放送局が既得権益を保っている。こうした状態のまま、電波を自社の関連ビジネスの利益を最大化するために活用するという、都合のいい自由化を進めているのだ。

料理のモダニズム(近代主義)運動と言えるヌーベル・キュイジーヌの特徴は、確かに1990年代のラーメンと重なっている部分が多い。ラーメンは元々個人店舗が中心だが、90年代のラーメン屋は匿名的ではなく、ラーメン職人の存在が前面に出た属人的なものとなっていく。

日本においても、イタリア発のスローフード運動は人気が高い。そして日本にも、「身土不二」という言葉が存在する。これは地域の旬の食品が、最も健康にいいということを示す言葉である。
「身土不二」は、明治時代の食養運動のスローガンとしてつくられた言葉であるが、現代においてスローフード運動や「地産地消」を推奨する運動などと同調し、再び注目を集める言葉となっている。

「身土不二(シントブリ)」はMorris.には、韓国農協のスローガン、そしてペイロの歌う同名の歌謡曲でおなじみだが、スローフードと連携してるとい ウノにはちょっとびっくりだった。そして、韓国の「身土不二」が日本経由というのも。まあ、上記の引用もWikipediaにもっと詳しく解説してあっ た。どんんどん横着になっていく(^_^;)

世間で武士道や宮本武蔵がもてはやされるようになるのは、決まって外国との軋轢が 生じ、日本人としてのナショナル・アイデンティティが問われる時期なのだ。世界という他者と向かい合わざるを得ない状況で、日本人は初めて「日本という自 己」を意識させられ、自らの存在を問われる。あやふやな自己を肯定し、セラピー的な効果を持ち得る、「都合のいい過去」が持ち出されるのは、そんなときで ある。意地悪い言い方だが、これがセラピー的なナショナリズムのメカニズムである。

この「セラピー的なナショナリズム」というのは、昨今の日本の右傾化のメカニズムとしても有効ではなかろうか。

実感としてもラーメンの単価は高くなっている。いまどきのチェーン系を除いたラー メン屋のラーメン一杯の値段は700~800円が相場だろう。……1990年代初頭にはファストフードの客単価ほどしかなかったラーメンは、90年代を経 てファミレスの中級店クラスの客単価にまで上がったということができるだろう。(第五章 ラーメンとナショナリズム)

せめて最後くらいは、ラーメン絡みの引用で〆ておこう。そう、いまどきのラーメンは高すぎるぞ。
本書は、Morris.にとっては、ラーメンをネタにした、同時代史として興味深く読めた。




【新・廃墟の歩き方  探訪編】栗原亨 ★★★☆ 2013/06/30 二見書房。
この人の「廃墟の歩き方 探索編」「廃墟の歩き方2 潜入編」は興味深く読んだ記憶がある。本書は、これまでの廃墟訪問のカタログみたいなもののようだ。
Morris.が、一昨年摩耶観光ホテルを探訪したのも、彼の著作に刺激を受けてのことだった。
本書では、これについては白黒4pで簡単に触れているにすぎない。

約80年の歴史を持ち、当時贅を尽くした建造物が放つそのオーラは、美しく神々しい。
廃墟の神が存在するならば、まさにここにいるといっても過言ではない。
道路などのインフラが存在せず、移動手段は観光ケーブルカーのみであることも存続条件となっている。
取り壊す方法もなければ、必要性もないのだ。
今後、この類稀なる長寿物件は、自然と時間に侵食されるまで、これからも存在していくであろう。(摩耶観光ホテル 神戸市灘区)

それでも、これだけ褒めてあれば充分だろう。

「廃墟三原色」というものをご存知だろうか?
1.錆びた鉄の扉などの赤茶系。
2.廃墟の敷地内、室内に繁茂する植物の緑系。
3.コンクリートが変色した独特のグラデーションやコントラストの灰色系。
これらの色が絶妙に混じりあい、光の加減によっては、鳥肌が立つほど美しい光景を作り出すしかし、そんな美しさに巡り合えるのはまれなことである。(S清掃センター 長野県某所)

この三原色というのも、並みの廃墟好きが言うと、嫌味になるが、歴戦の勇士(^_^;)の言だけに説得力がある。しかし、この「S清掃センター」では、著者が、しっかりだまされてしまったというオチがつく。
潜入時の写真はほとんどコンパクトデジカメというのも、Morris.には親しく感じられる。
達意の文章だし、著者なりの廃墟哲学も存分に披瀝されている。




【ペンギン・ハイウェイ】森見登美彦 ★★★ 2010/05/30 角川書店。
小学4年生のぼくが、街なかに現れたペンギンと大好きなお姉さんの謎を追って、クラスメートと冒険する、一見少年小説みたいな作りだが、結構SF&幻想的な、奇妙な味の小説になっている。

「なにかおもしろいこと書いてある?」
「事象の地平面がカッコイイ」
「なんだそりゃ?」
「ものすごく大きな星が歳を取ると、自分の重量が支えられなくなって、こわれるんですこわれると、重力があるから、中心に向かってどんどんちぢむ。ちぢめ ばちぢむほど物質が圧縮されるから、重力がますます強くなります。ずっとそれが続くと、重力がとんでもなく強くなって、光だって外に出られなくなる。そう する外からは中の様子が観測できなくなる。その何も観測できなくなる境界のことを、『事象の地平面』っていうんです。
「ふうん」
お姉さんはそれだけ言った。彼女は宇宙のことにあまり興味がない。


こういった、科学的衒学趣味的言説も散りばめられて、それなりに雰囲気を出している。内容は理解できないが(^_^;)

父の三原則について。
父はぼくに問題の解き方を教えるときに、三つの役立つ考え方を教えてくれた。それらをぼくはノートの裏表紙に書いて、いつも見られるようにしていて、それは算数の問題などを考えるときに役立つ。以下のリスト。
□問題を分けて小さくする。
□問題を見る角度を変える。
□似ている問題を探す。

祖母は家の中を動きまわりながら、ぼくに部屋の掃除の仕方や整理の方法を教えてくれる。上手に分類するとたいへん気持ちがよいことを、ぼくは祖母に教わっった。祖母の分類三原則。
□よく使うものと、ときどき使うものをわけること。
□ぜったいになくしてはいけないものと、なくしてもかまわないものと分けること。
□分けにくいものは決して分けないこと。
祖母はいろいろなものをいろいろに分けて、たくさんの引き出しがついた大きな棚にしまっている。ぼくは祖母がその棚を整理しているのを見るのが好きである。


なかなか役に立ちそうな「三原則」もあって、特に、祖母の分類三原則は、そろそろ身辺整理を考えてるMorris.には参考になりそうだ。





【東京バンドワゴン】小路幸也 ★★★☆ 2006/04/30 集英社。
明治から続く古本屋「東京バンドワゴン」の大家族(かなり複雑な関係をめぐる、小事件を人情味豊かに描いた娯楽小説。おしまいに、

あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ。

という、献辞があり、つまり懐かしのテレビドラマへのトリビュート作品であるらしい。2013年に日テレ玉置浩二、亀梨和也などの出演でドラマ化されたらしい。
それなりに楽しめるエンターテインメントだった。著者は広告制作会社あがりらしい。最近はこの手の作家が目につく。商売柄、ツボを押さえて飽きさせない技術を持ってるのだろう。
老人ホームの本棚に並べる本を選ぶ、老店主のセレクトに、著者の嗜好が伺える。

「こんなもんでどうだ」
すずみさんと青と勘一が店で本を積み上げて話していますね。どうやら勇三さんに頼まれた本を見つくろっていたようです。
夏目漱石に森鴎外、芥川龍之介といった明治・大正の文豪はまぁお約束みたいなものでしょうね。小林信彦さんに、筒井康隆さん、星新一さんですか。それに浅 田哲也さん、五木寛之さん、宇野千代さんに、半村良さん、都筑道夫さん、海野十三さんですか。なかなかにバラエティに富んでいます。
「時代物や、海外ものはどうすんの?」
「まぁ柴田錬三郎や池波正太郎は外せねぇよな」
「マクベインとかディック・フランシスあたりならいいんじゃないでしょうか」





【あん】ドリアン助川 ★★★ 2013/02/06 ポプラ社。

借金のためにどら焼き屋をやらされている中年男の店に、製菓技術のある76歳の女性が、ただ同然でアルバイトに入ったことから、さまざまな問題が生じる。 彼女が元ハンセン病患者で14歳の時からずっと隔離された生活を続けてきたことが、店の持ち主である女主人に知られて、バイトやめさせられ、男はいろいろ 迷った末に店をやめる。世間の偏見によって隔離された弱者の立場から、「生きることの意味を捉え直し、いろんなことを考えさせる」といった類の小説で、 Morris.苦手なタイプなのだが、小豆から餡作りの描写部分を立ち読みして、つい読む気に鳴った。著者は通信講座で和菓子のことを学んだらしい。しか し、Morris.は甘いものも苦手で、中でもこの餡こというのは「天敵」に近い。まあ、食べるのと読むのでは違うから、嫌いな食べ物でも作り方を知るの はおもしろかったりもする。

はっきり覚えているのは、園の森を一人で歩きながら、煌煌と光る満月を見ている時でした。もう、木々のざわめきや虫や鳥に対して、「聞く」ことを始めていた頃です。
月の光であたりは薄青く輝いており、木々もまた自ら気を発するように揺れ動いていました。私はあの森の道で、本当にただ一人で月と向い合っていたのです。
なんと美しい月だろうと思いました。もう見蕩れてしまって、自分がやっかいな病気と闘っていることや、囲いのなかから出られないということもその時は忘れていたのです。
すると、私はたしかに聞いたような気がしたのです。月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。
お前に、見て欲しかったんだよ。
だから光っていたんだよ、って。
その時から、私にはあらゆるものが違って見えるようになりました。私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。ただそれだけの話です。
私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。
ハンセン病におかされた者だけではなく、きっと誰もが、自分には生きる意味があるのだろうかと考える時があるかと思います。
その答えですが……生きる意味はあるのだと、私には今、はっきりわかります。


女性が亡くなる直前、男に当てた最後の手紙の一部である。
樹木希林を女性役として、映画化されたらしい。



【コラム道】小田嶋隆 ★★★2012/06/03 ミシマ社。
webサイトで数年にわたってとびとびに連載したものらしい。
ご贔屓のコラムニスト小田嶋のコラムの書き方みたいなものかと期待した。小田嶋らしく捻りを効かせようとしたものの、どうも隔靴掻痒の感を免れなかった。

文章を「読む」ための「眼」は、公平で、常識的で、批評的で、理性的でないといけない。でないと正確な読書はできない。正しい評価もできない。
一方、文章を「書く」ために「アタマ」は、ときには独善に至るほどに独創的であらねばならない。「書く」ための「アタマ」は、常識的な語法や保守的な見解を超えたところで動いている。でないと個性的な文章を生み出すことはできない。
と、上にあげたふたつの資質は互いに反発し、否定し合う。文章を書いている過程では、その「反発」と「否定」が書き手にとって負担になる。具体的には、 「創造性」が紡ぎ出した言葉を、「批評性」が否定したり、「常識」の名においてなされた訂正に対して「感覚」がへそを曲げたりということが原稿を書いてい る間中ずっと続くわけで、これは、非常になんというのか、面倒くさい葛藤なのである。(推敲について)


「推敲」というと、Morris.はタイプライターとワープロのキータッチの違いを連想してしまう。Morris.は趣味で(^_^;)英文タイプライ ターをやって、一時は部屋に4台以上持ってたことがあるくらい、あのタイピングが好きだった。それが、ワープロ、PCのキーボードへの移行を余儀なくさ れ、今や、スマートフォンの触るだけのタイピングを強制されてる。
引用とは無関係なコメントになってるが、これが小田嶋のやり方のサル真似である(^_^;) 付け焼刃はうまくいかない(>_<)
巻末の内田樹との対談が結構面白かった。というか、内田が小田嶋フリークだったというのが意外だった。

内田樹 僕、小田嶋さんの単行本全部持ってます。
小田嶋 そんな人ほかにいませんよ(笑)

内田 小田嶋さんの文章の特徴は、何よりも説明がうまいことですね。ものすごくうまい。……説明がうまい作家というと、橋本治、村上春樹、三島由紀夫の三人が代表的ですけど、小田嶋さんは、彼らに名を連ねる「説明の名手」だと思う。
小田嶋 すごい三人ですね。
内田 橋本治さんはなんていうか、視点のずらし方がすごいの。いきなり未来に飛んで、そこから見るようなことができる。三島由紀夫も『暁の寺』で本田繁邦が唯識 論について語る箇所があるんだけど、5ベージか6ページぐらいで大乗仏教の根本思想である阿頼耶識について説明しちゃうのよ(笑) 村上春樹も『IQ84』の中で、60年代の審査よく運動が崩壊した後、その参加者たちが各地でコミューンをつくって有機農業をはじめたりヨガや新興宗教に 走っていった流れをエビスノ先生が説明するばめんがあるんだけど、これもわずかなページ数で73年から後の日本の新左翼運動後の全共闘世代のメンタリティ の推移についてこれほど鮮やかに説明した文章は見たことがない、というぐらい見事。
小田嶋 私もそこは印象に残っています。あの時代のごちゃごちゃした複雑な状況を、全部ひとまとめにして、すっきりと説明している。

説明上手というのは、小田嶋の特性を良く捉えていると思う。橋本治、三島由紀夫はともかく、村上春樹が説明上手というのは、未読のMorris.にはよく わからないが、「IQ84」の全共闘世代の運動後の動きのダイジェスト部分は、立ち読みしてみたいな。どの部分にあるのか分からない(数冊にわたる長いも のらしい)ので、読んだ方からの連絡を待ちたい。

小田嶋 白紙で印刷、ということ自体がパラドキシカルな表現ですよね。「なしの礫」にも通じるものがあります。
内田 ネット上でものを書く場合と、定期刊行物で字数指定の原稿を書く場合では、書く側もマインドセットが切り替わりますね。

ネット時代で、ものを書くこと自体が、変質したことは間違いのないところだろう。Morris.の場合は、英文タイプ→ワープロ→PC(ワープロとほぼ同じだけど)で、ほとんど手で文字を書くことは激減してしまったもんな。

小田嶋 漱石や鴎外の小説は、おもしろいかどうかは別の問題で、さーっと読めちゃいますよね。
内田 難しい漢字がいっぱい出てきても、つーっと読める。今の小説は簡単な言葉で書いてあっても、読んでいて爪先があちこちにぶつかって、先に読み進めないでしょ。


これは文章の問題というより、思考、頭脳の問題ではないかと思う。

内田 自然石にも木理があって、そこを叩くと硬い石がすぱっと割れる。絶好調のときの小田嶋隆がもたらす開放感、「してやられた感」というのは、彼以外の文章で はまず味わうことができない。それができるのは、「思考の肺活量」が大きいということだと思います。ダジャレみたいなもので、普通の人だったら一つか二つ でおわらすところを、小田嶋さんは六つ、七つ、八つと「ここまで引っ張るか」というぐらい続ける。

「絶好調の小田嶋」には、Morris.もしばしば感嘆させられてきた。毎週愛読してる「ア・ピース・オブ・警句」も、たまにこの絶好調があるのを、待ち 望んで、覗いてるところがある。自転車事故での長期入院が心配されるところだが、転んでもただでは起きない根性での絶好調を期待したい。




【本よみの虫干し : 日本の近代文学再読】関川夏央 ★★★☆☆ 2001/10/19 岩波新書。初出朝日新聞(1998-99)「図書」(2000-01)連載コラム。

70年代に山田風太郎作品に出会い、80年代に司馬遼太郎、藤沢周平などを読んで 考えを改めた。文学は「私」なしでも成立するのである。物語もまたぶんがくなのである。そうして、文学を「観賞」しなくてもいいという発見は新鮮であっ た。まさに救いであった。そんな視線で読み返すと、うっとうしいと思われた文学も以外におもしろいのである。
文学には日本近現代史そのときどきの最先端が表現されている。文学は個人的表現である。と同時に、時代精神の誠実な証言であり必死の記録である。つまり史料である。そう考えるとき、作家たちは私の目にはじめて先達と映じた。(まえがき)


伊豆の踊子」川端康成/「友情」武者小路実篤/「小僧の神様」志賀直哉/「美しき町」佐藤春夫/「舞踏会」芥川龍之介/「一房の葡萄」有島武郎/「からたちの花」北原白秋(1.「やさしさ」と「懐旧」の発見)
測量船」三好達治/「肉体の悪魔」ラディゲ/「点と線」松本清張(2.「愛」というイデオロギー)
にごりえ」樋口一葉/「不如帰」徳富蘆花/「仰臥漫録」正岡子規/「蒲団」田山花袋/「啄木 ローマ字日記」石川啄木/「智恵子抄」高村光太郎/「にんじん」ルナール/「風立ちぬ」堀辰雄/「立原道造詩集」立原道造/「抹香町」川崎長太郎(「病気」「貧乏」および「正直」ということ)
「宮本武蔵」吉川英治/「君たちはどう生きるか」吉野源三郎/「柳橋物語」山本周五郎(4.「人生」という課題)
阿部一族」森鴎外/「一本刀土俵入り」長谷川伸/「放浪記」林芙美子/「次郎長三国志」村上元三/「流れる」幸田文/「父の詫び状」向田邦子/「八犬伝」山田風太郎/「岸辺のアルバム」山田太一(5.「家族」と「家族に似たもの」をめぐる物語)
異邦人」カミュ/「麻雀放浪記」浅田哲也/「給料日」片岡義男(6.「病人」であることの不安)
「日本奥地紀行」イザベラ・バード/「ある明治人の記録」石光真人(編著)/「四日間」ガルシン/「城下の人」石光真清/「冬の鷹」吉村昭/「藤野先生」魯迅/「ビルマの竪琴」竹山道雄/「「アーロン収容所」会田雄次/「俘虜記」大岡昇平/「極光のかげに」高杉一郎/「戦艦大和ノ最期」吉田満(7.激烈な文化接触)
「麦と兵隊」火野葦平/「輝ける闇」開高健/「てんやわんや」獅子文六88.自分の戦争、他人の戦争)
三四郎」夏目漱石/「走れメロス」太宰治/「白象に似た山々」ヘミングウェイ/「潮騒」三島由紀夫/「悲しみよ こんにちは」サガン/「太陽の季節」石原慎太郎/「太平洋ひとりぼっち」堀江謙一/「愛と死をみつめて」大島みち子・河野実/「二十歳の原点」高野悦子/「リバーズ・エッジ」岡崎京子/「ヨーロッパ退屈日記」伊丹十三(9.「青年」というステイタス)

本書で取り上げられた作品一覧。太字はMorris.が読んだもの。

大正童謡は一般に回顧的だった。コドモと回顧は普通縁がないから、それらはオトナのための感傷歌だといえた。ゆえに、やがて昭和期に入ると童謡は衰え、ほとんどおなじセンスを維持したままに流行歌へと変容して行った。
もうひとつの特徴は母性への強い憧憬で、それはおそらく明治という男性的な時代の反動である。その意味で、童謡に親しんで育った私たちは明治の子ではなかった。実は戦後の子でさえもなく、その精神においてはたしかに大正の子であった。(『からたちの花』)


大正時代にブームとなった童謡が、大人のためのものであり、昭和に入って流行歌になったという、指摘は目からウロコだった。そして、戦後生まれの著者の世 代が実は大正の似非デモクラシズムに囚われていたというのも、著者と同年生まれのMorris.にも納得できた。

堀口訳のラディゲと『月下の一群』によって、フランスとパリは日本人に、いまあるように「発見」されたのだといえる。それは島崎藤村がひとり味わい『エト ランゼ』に書いたさびしいパリではなかった。武者小路実篤が『友情』で、ただそこへ行きさえすればすべての実生活上の問題は解決すると想定したブラック ボックスのごときパリではなかった。繊細で、先進的で、そうして「行ったこともないのになぜか懐かしいパリ」(宝塚歌劇の惹句)であった。フランスを洒落 た国、パリを誇り高き不健康の聖地と印象する、俗にいう「おフランス」はこのとき成立したのである。
ラディゲが日本で再擡頭した、そのきっかけはたしかに映画なのだが、より本質的には、戦後の青少年の精神の深層にいまだ、文学と天才と夭折は無垢で、世の 中と凡人と健康は不潔と断ずる大正以来の空気が底流していたからである。その意味で、戦前という時代は戦後にも絶えなかったのである。(『肉体の悪魔』)


先の引用の変奏みたいなものだな。

松本清張の小説は、彼の精神形成期である「戦前」と、彼自身の「戦前的内面」の忠 実な投影であった。松本清張は決して「社会派」ではなかった。松本清張が並はずれて膂力ある書き手であったことはたしかだ。その作品群の質量はともにそれ を実証するが、彼は高度成長時代の果実の分配の不平等にのみ執着して、その時代精神を「嫉妬」と「恨み」に因数分解した作家である。
松本清張は、三十年遅れて出現したプロレタリア文学作家ともいえるのだが、ただし彼は「連帯」をまったく信じない資質の人であった。(『点と線』)


今でも多くの図書館に彼の作品集は並んでいるが、あまり読まれているとは思えない。Morris.は彼の長編の半分くらいは読んだのではないかと思う。30年遅れのプロレタリア文学というのは、勇み足ではないかと思う。

東西冷戦下の平和と正義が失われたいま、私小説が栄えないのは不思議だ。
と思っていたら、「ワイドショー」で他人の醜聞をのぞく趣味、インターネットに見られるだらだらした自己表白がそれだ、と気づいた。近代小説が、大衆化の果てに極限まで退化した姿が、そこにある。(『抹香町』)


「インターネットに見られるだらだらした自己表白」(^_^;) うーん兎の逆立ちぢゃ。

饗庭篁村『馬琴日記抄』に触発された芥川龍之介『戯作三昧』、さらにそれに刺激を 受けた風太郎『八犬伝』は昭和58年(1983)、馬琴死後百三十五年目に書かれた。「物語は何か」を主題としたその雄大な物語は、実に、山田風太郎が自 分と自分の創作について告白した、半私小説的傑作であった。(『八犬伝』)

Morris.も風太郎の『八犬伝』は傑作だと思ってた。

明治33年、柴五郎は北京駐在武官として義和団事件に際会した。北京籠城中の柴中佐の指揮ぶりは列国の称賛の的となった。その映画化作品が『北京の五十五日』だが、これは愚作だった。(『ある明治人の記録』)

これは読まねば。

60年代の青年は『麦と兵隊』という戦前の流行かを知り、田坂具隆が監督した『土 と兵隊』という映画があると知るものもまれにはあったが、『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』を読んだことがあるものはなかった。ましてそれが"War and Soldier"のタイトルで20カ国語近くに翻訳され、現在に至るまで世界でもっとも読まれた日本文学となったことなど想像もしなかった。「戦後」とは そういう時代であった。(『麦と兵隊』)

火野葦平の兵隊三部作がそんなに多くの国語に翻訳されてたとは想像もしなかった。って、Morris.は一冊も読んでない。




【浮き世のことは笑うよりほかなし】山本夏彦 ★★★ 2009/03/26 講談社。自分の雑誌「室内」に掲載された対談17番。

山本 放送は一回こっきりでしょう。でも本当のことをいうと、小説だってそうなんですよ。作者が死ぬと、あんなに売れてた人がたちまち売れなくなる。小説家も役者と同じ芸人なんです。むかし三上於菟吉っていう小説家がいましたでしょう。
向田邦子 名前がとてもむずかしい字で。
山本 生きている間は売れに売れて、待合なんかで原稿書いていたんですが、編集者がそれこそ一枚ずつ持って行くんですよ。向田さんもそうだと思いますけど(笑)。
向田 そんなに偉くありません。私は5枚ずつですから(笑)
山本 贋札をつくっているんだって当人は自ら言っていたんですが、死んだら誰一人読んでくれないし、名前も覚えていてくれないでしょう。


ああ、向田邦子。彼女は死んでも読まれなくなることはないと信じたい。

天野祐吉 広告っていうのは、人間はもともといかがわしい存在だってことを前提にして成立しているところが素晴らしいものなんです。人間くらいいかがわしいものはな い。これは基本的なことです。別に居直って言っているわけではなくてね。ところがこの説ほど受けいられないものはない。
山本 僕は言うと毒があるように聞える(笑)。
天野 僕がいうと、冗談だと思われる。
山本 広告を憎んでいる人はいっぱいいるんです。あいつらを敵にまわすのはやりがいがある。天野さん「敵は幾万」ってタイトルで書いてはどうですか(笑)。
天野 それはいい、「広告批評」にぜひ書いて下さい(笑)。


山本はタイトル付けの名人だと思うが、この「敵は幾万」なんてのも、出してもらいたかった。

出久根達郎 本もまた主人を選ぶといいますか、このへんが古本のおもしろさでしょうね。人も本を選ぶけれども本もまた人を選ぶ、呼びかけるんですね。
山本 そうです、古本てえのは死んだふりしてなかなか死なないんですよ。お客が入ってくると、いっせいに振り向くんです。ひょっとしたら自分の友じゃないかとか、自分の知り合いになりうる人なんじゃないかって見るんですね。縁のない人と思うとまた長い眠りにはいるんです。

こんな古本屋もどんどん消滅していくのだろう。

山本 あの新聞一ページ広告は大きすぎます。広告料がコストを圧していあmす。それでいて何を広告しているか分らないのが次第にふえてきました。コピーライターという夥しい文盲の言いなりになっちゃいけません。電通の餌食になってます。
古河広純 僕たちは餌食ですか。
山本 そうです。けれども目算は必ず齟齬するものです。その時狼狽してはいけません。からからと笑うのです。浮世のことは笑うよりほかないと笑うのです。別世界の人と話しあうと得るところがあります。ほらすこしはあったでしょう。
古河 ありましたありました。おまけに笑いました。(両人笑って別れる)

「コピーライターという文盲」なんてのも山本ならではの物言いである。そして本書のタイトルの出処も。この「笑い」こそ山本の屋台骨だったのだろう。




【銀の匙】中勘助 ★★★1962/11/16 岩波文庫。
中勘助と言えば、この一作だけで記憶されている。明治末から大正初めに執筆され、夏目漱石の絶賛を受けて、朝日新聞で連載され、大正10年には岩波から単 行本化され、昭和10年に岩波文庫に収められ、110万部以上が発行されている。2003年の「私の好きな岩波文庫」キャンペーンでは3位に選ばれたと か。(Wikipediaから(^_^;)
小品といってもいい短いもので、Morris.も昔読んだはずだが、今回読みなおして、ふーん、こんなものだったのか、と思った。ほとんど覚えてなかった、というか、とりとめのなさだけを覚えてたということになる。

青臭いのも、からだのつめたいのも、はじめのうちこそ気味がわるかったが、お姫様だとおもえばなにもかも平気になり、背なかにある三日月がたの斑紋をかわ いらしい目だと思うようになった。お姫様は四たびめの禅定から出たのちにはからだもすきとおるほど清浄になり、桑の葉さえたべずにとみこうみして入寂の場 所をもとめる。それをそうっと繭棚にうつすとほどよいところに身をすえしずかに首をうごかして自分の姿をかくすために白い几帳を織りはじめる。最初はただ 首をふるようにみえるのがいつとはなしにほのかになり、神通力をもって梭(ひ)もなしに織りだした俵がたの几帳ばかりがころりころりと繭棚にかかる。私は おいてきぼりになった気もちでいつまでもとっておくといってきかないのを母と伯母とでさっさともぎとって鍋で煮る。そうしてうす黄色くぬれた糸をくるくる と枠にまくと、几帳が無残にほごされてしまいに西どっちの形した骸がでる。それを兄は餌箱にいれて釣り堀へとんでゆく。お姫様の夢はかようにしてさめ、糸 は機屋へおくられておかしげな田舎縞が織られた。
羊羹箱にできたいくつかの繭は種にするために残されたが、私の心がその几帳の奥にまでとどいたのか、それともお姫さまが光りかがやく夏の世をすてかねてか まもなく彼女はまっ黒な目のうえに美しい眉をたて、新しいよろこびにふるえる翅さえもって、昔のおもかげをしのばすようなかわいらしい姿をあらわした。そ うして右に左に輪をかくようにしてむつびあう伴侶をもとめてあるくのを、私は竹のなかから出た人よりも珍しくながめていた。蚕が老いて繭になり、繭がほど けて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の知識は完成した。それはまことに不可思議のなぞの環であった。私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲 をながめたいと思う。人びとは多くのことを見なれるにつけただそれが見なれたことであるというばかりにそのままに見すごしてしまうのであるけれども思えば 年ごとの春に萌えだす木の芽は年ごとにあらたに我れらを驚かすべきであったであろう、それはもし知らないというならば、我々はこの小さな繭につつまれたほ どのわずかのことすらも知らないのであるゆえに。(後編 8)


養蚕業華やかなりし時代には、こうやって、半ば趣味的に蚕を飼うこともよくあることだったらしい。
昆虫少年だったMorris.だが、標本ならともかく、4現物の蚕蛾は見たこともない。
ここでの中勘助少年の観察眼と表現は、たしかに見るものがあるのだが、何か違和感を覚えた。普通、漢字で書くところをひらがなにして、句点が極端に少ないため、読みにくい。

夏のはじめにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。春の暮れの霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて寒暖晴雨の常なく落ちつきのない季節がす ぎ、天地はまったくわかわかしくさえざえしい初夏の領となる。空は水のように澄み、日光はあふれ、すず風は吹きおち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な槇の木ま でが心からいつになくはれやかにみえる。蟻はあちこちに塔をきずき、羽虫は穴をでてわがものがおに飛びまわり、かわいい蜘蛛の子は木枝や軒のかげに夕暮れ の踊りをはじめる。私たちは灯心で地虫をつり、地蜂の穴を埋めてきんきんいう声に耳をすまし、蝉のぬけがらをさがし、毛虫をつっついてあるく、すべてのも のはみな若く楽しくいきいきとして、憎むべきものはひとつもない。そんなときに私は小暗い槇の木の蔭に立って、静かに静かにくれてゆく遠山の色に見とれる のが好きであった。青田がみえ、森がみえ、風のはこんでくる水車の音と蛙の声がきこえ、むこうの高台の木立ちのなかからは、鐘の音がこうこうと響いてく る。二人は空にのこる夕日の光をあびてたおたおと羽ばたいてゆく五位のむれを見おくりながら夕やけこやけをうたう。たまには白鷺も長い足をのばしてゆく。 (後編 13)


自然の森羅万象への関心がそのまま喜びだったことを、精細に表現している、宝石のような文章である。多くの人に愛読され、評価されただけのことはある。のだけど、やっぱりどうもMorris.の好みではない。

伯母さんは
「こんなとこだでなんにもできんにかねしとくれよ」
と申し訳なさそうにいって、大きなすし皿のそばにおき、こんろにかけた鍋のなかからぽっぽっと湯気のたつ鰈を煮えるにしたがってはさんできて、もういらない、というのを
「そんなことはいわずとたんとたべとくれ」
といいながらとうとうずらりと皿一面に並べてしまった。気も転倒した伯母さんはどうしてその歓迎の意を示そうかを考える余裕もなく、魚屋へいってそこに あった鰈を洗いざらい買ってきたのであった。私は心からうれしくもありがたくも二十幾匹の鰈をながめつつ腹いっぱいに食べた。
伯母さんはあとでさわりはしないかと思うくらいくるくると働いて用事をかたづけたのちひあのつきあうほど間ぢかにちょこんとすわって、その小さな目のなか に私の姿をしまってあの十万億土までも持ってゆこうとするかのようにじっと見つめながらよもやまの話をする。
話はいつになっても尽きそうになかったが私はほどよくきりあげて眠りについた。私たちは互いに邪魔をしまいとして寝たふりをしてたけれども二人ともよく眠 らなかった。翌朝まだうす暗いうちにたった私の姿を伯母さんは門のまえにしょんぼりと立っていつまでもいつまでも見おくっていた。(後編 17)


幼少時に面倒見てくれた伯母さんに青年になって会いに行ったときの場面だが、無学な伯母さんの無償の愛が胸を射つ。つい、漱石「坊っちゃん」の清のことを思い出した。漱石が激賞した理由の一つにこういった無償の愛への憧憬があったのかもしれない。
灘高の名物国語教師橋本武が、「銀の匙」一冊を中学3年間かけて読み込むユニークな授業を行ったというのが有名だった。究極の「スローリーディング」だが、とてもMorris.はついていけないだろう。
何か、奥歯にものの挟まったような感想になってしまうが、ふと、Morris.の読んだのは、現代仮名遣いになってるのが、違和感の一因ではないかと思い あたった。青空文庫で原文読めるかと思って検索したが、本書の著作権がまだ有効で来年(2016)に失効するらしい。



【すべて真夜中の恋人たち】川上未映子 ★★★☆☆ 2011/10/12 講談社。初出「群像」2011年9月号。
エッセー(というかブログ)「そら頭はでかいです……」読む前にこれを初めて読んだ。
主人公が校閲というしごとやってるという設定に気を惹かれたし、他の登場人物もそれぞれ個性的で結構面白かった。

「信用っていうのは信用貸しとかいう言葉もあるくらいでさ、この人とは利害が一致 するなと思ったら--つまり、人って一方的に信用したりしなかったりすることができるじゃない。だからそこには相手がいない感じがするのよね。つまりいっ たんい信用したとしても、何かのちょっとした加減で、そんなのいつでも信用できなくなることもできるっていうか」
「うん」
「その意味では信用なんてたいしたことじゃないのよ。ちょっとした都合や風向きで簡単になかったことにできるものなのよ。でもね、信頼っていうのはわたし にとってそうじゃないのよ。信用と信頼は、ちがうの。信頼したぶん、わたしも相手に、何かをちゃんと手渡しているって、そういうふうに感じるの」
聖はそう言いながら耳のうしろを掻いた。
「そして、ひとたびその相手を信頼したら、その信頼は消えることはないのよ」


主人公に仕事を世話してくれる、切れ者女性編集者のセリフ。うーーん、信用と信頼ね。信用というのは、商売とか、技術とか、能力とかに関連するのかな。信頼だって、それらに関わることも多いけど、やはり人間性というか精神的な意味が強いのか。

「ほら、『自然なわたしが大好き』志向のことよ。--がんばらないわたし、あるが ままに年をとってくわたし、なるようになってくわたし、自然に優しいものを愛するゆえに、自然に愛されているわたし。何か起きてもそれは必要なことなんだ から、すべてを前向きに受け