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Morris.2019年読書控
Morris.は2019年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点
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2014年 2015年 2016年 2017年 2018 2018











2019081
【保守と大東亜戦争】中島岳志
2019080
【そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります】川上未映子
2019079
【カード・ウォッチャー】石持浅海
2019078
【AX (アックス)】伊坂幸太郎
2019077
【水曜日の凱歌】乃南アサ
2019076
【新昭和史論 --どうして戦争をしたのか】筒井清忠編
2019075
【花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前後篇】橋本治
2019074
【鉄条網の歴史】石弘之、石紀美子
2019073
【もやしもん 9】石川雅之
2019072
【ヘイト・悪趣味・サブカルチャー--根本敬論】香山リカ
2019071
【「アベ友」トンデモ列伝】 別冊宝島編集部
2019070
【世界の果てのこどもたち】中脇初枝
2019069
【ツリーハウス】角田光代
2019068
【満州国演義 1-9】船戸与一
2019067
【日本の戦争1 歴史認識と戦争責任】山田朗
2019066
【看板建築 : 昭和の商店と暮らし】萩野正和監修
2019065
【転生の魔  私立探偵飛鳥井の事件簿】笠井潔
2019064
【まめこの料理のきほん丸わかり】 まめこ
2019063
【神戸・大阪・京都 レトロ建築さんぽ】倉方俊輔
2019062
【樹木の名前】高橋勝雄
2019061
【星をつける女】原宏一
2019060
【学校が教えないほんとうの政治の話】斎藤美奈子
2019059
【日本の戦争Ⅲ 天皇と戦争責任】山田朗
2019058
【虹のふもと」】堂場瞬
2019057
【ヒート】堂場瞬一
2019056
【デジタルカメラで昆虫観察】海野和男
2019055
【今野寿美歌集】
2019054
【ヒットソングを創った男たち : 歌謡曲黄金時代の仕掛人】濱口英樹
2019053
【ヒーローインタビュー】坂井希久子
2019052
【学ぶということ 続・中学生からの大学講義1】桐光学園+編集部
2019051
【純粋な幸福】辺見庸
2019050
【 歌ことば100】今野寿美
2019049
【ヒーローを待っていても世界は変わらない】湯浅誠著
2019048
【反貧困-「すべり台社会」からの脱出】湯浅誠
2019047
【ザ・原発所長 上下】黒木亮
2019046
【東京の子 TOKYO NIPPER】藤井太洋
2019045
【それまでの明日】原尞
2019044
【韓国呪術と反日】 但馬オサム
2019043
【燃える家】田中慎弥
2019042
【B面 昭和史 1926-1945】半藤一利
2019041
【料理の消えた台所】江原恵
2019040
【自分を動かす名言】佐藤優
2019039
【沖縄報道 : 日本のジャーナリズムの現在】山田健太
2019038
【もやしもん 10、12】石川雅之
2019037
【魔】笠井潔
2019036
【オモニ太平記】小田実
2019035
【愛国奴】 古谷経衡
2019034
【たのしい編集】和田文雄、大西美穂
2019033
【マル暴総監】今野敏
2019032
【火車】宮部みゆき
2019031
【魔術はささやく】宮部みゆき
2019030
【夢にも思わない】宮部みゆき
2019029
【ペテロの葬列】宮部みゆき
2019028
【名も無き毒】宮部みゆき
2019027
【圏外編集者】都築響一
2019026
【マル暴甘糟】今野敏
2019025
【誰か Somebody】宮部みゆき
2019024
【蒲生邸事件】宮部みゆき
2019023
【日本の戦争 Ⅱ 暴走の本質】山田朗
2019022
【『坊っちゃん』の時代】関川夏央・谷口ジロー
2019021
【日本人は何を捨ててきたのか】鶴見俊輔, 関川夏央
2019020
【室町小歌】小野恭靖
2019019
【樽とタタン Tarte Tatin】中島京子
2019018
【決定版 日中戦争】波多野澄雄ほか
2019017
【オーデュボンの祈り】伊坂幸太郎
2019016
【転換期の日本へ  「パックス ・ アメリカーナ」か「パックス ・ アジア」か】ジョン・W.ダワー, ガバン・マコーマック
2019015
【サブマリン】伊坂幸太郎
2019014
【上を向いてアルコール】小田嶋隆
2019013
【料理研究家がうちでやっているラクして楽しむ台所術】林幸子
2019012
【大学4年間の経営学が10時間でざっと学べる】高橋伸夫
2019011
【散歩が楽しくなる樹の手帳】岩谷美苗
2019010
【独居老人スタイル】都築響一
【祝葬】久坂部羊
【小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代】阿古真理 2019007
【美空ひばり 歌は海峡を越えて】平岡正明
【ああ、懐かしの少女漫画】 姫野カオルコ 2019005
【院長選挙】久坂部羊
【バビロンの秘文字 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ】堂場瞬一
2019003
 【法服の王国 小説裁判官上下】 黒木亮
2019002
【憲法の創造力】木村草太
2019001
【アメリカ暴力の世紀 : 第二次大戦以降の戦争とテロ】ジョン・W.ダワー
 



2019081
【保守と大東亜戦争】中島岳志 ★★★☆☆☆ 2018/07/18  集英社新書:0941

中島岳志 1975年、大阪府生れ。京都大学大学院、専攻は近代日本政治思想史、南アジア地域研究。「中村屋のボース」「血盟団事件」「「リベラル保守」宣言」「親鸞と日本主義」「憂国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか」

私が疑問に思ってきたのは、保守思想の論理に依拠すると、戦争に至るプロセスには、どうしても受け入れることのできない論理が含まれていることです。1930年代の昭和維新を掲げたテロ・クーデターには極めて革新的な思想が反映されており、保守思想と矛盾します。「大東亜戦争」や「八紘一宇」という超国家主義的構想も、保守の立場から見れば、そう簡単に容認することはできません。
保守=大東亜戦争肯定論という等式は、疑ってみる必要があるのではないか? これが本書の大きなテーマです。(まえがき)


「保守を革新し、革新を保守する」という言葉遊びみたいなテーゼを本気で信奉してたことがある。本書は戦前・戦中の保守思想家家が必ずしも、戦争容認派ではなかったことを、彼らの言説から証明しようとの思いから書かれたらしいが、もともと「保守」という言葉にはそれほど政治的意味は含まれてなかった気がする。

ほしゅ[保守] 1.古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること。↔革新。2.正常な状態を保ち守ること。「--点検」(「大辞林」)

西部邁は保守思想のエッセンスを提示するとともに、「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」と説いていました。保守派人間に対する懐疑的な見方を共有し、理性の万能性や無謬性を疑います。そしてその懐疑的な人間観は自己にも向けられます。自分の理性や知性もパーフェクトなものではなく、自分の主張の中にも間違いや誤謬が含まれていると考えます。そのような自己認識は、異なる他者の意見を聞こうとする姿勢につながり、対話や議論を促進します。そして、他者の見解の中に理があると判断した場合には、協議による合意形成を進めていきます。これが保守のリベラル(寛容)な態度にほかならない、というのが西部の「リベラルマインド」でした。

西部邁のことをずっと「せいぶまい」と読んでたMorris.(ただしくは「にしべすすむ」)だから、彼の著作とも縁遠い存在だった。自己認識をも疑うというリベラル(寛容)さ、というのは、聞くに値する考え方かもしれない。

人間にとって普遍的なのは「罪」や「悪」から完全に解放されることはなく、「理性の誤謬」です。人間社会が完成されることはなく、常に不完全なまま推移していくことを余儀なくされます。それが人間であり、人間によって構成される社会のあり方です。
保守は、個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出します。それは伝統、慣習、良識などであり、歴史の風雪に耐えてきた社会的経験知です。この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度です。
保守は革命のような急進的変化を嫌います。なぜならば、ラディカルで極端なものの中には、必ず理性への過信が含まれているからです。
保守は理性への驕りを戒め、歴史の存在的叡智に依拠しながら、グラジュアル(漸進的)な変化を進めようとします。抜本的改革を推奨するのではなく、あくまでも「保守するための改革」を推進するのです。
保守が目指すのは、戦争による絶対的世界の実現などではなく、秩序を維持するための「永遠の微調整」です。
保守思想を重視する立場からは、どうしても超国家主義や昭和維新に対して懐疑的なまなざしを向けざるをえません。復古による理想社会の実現というヴィジョンには、保守の人間観からは到底容認できない要素が含まれているのです。(序章 保守こそ大東亜戦争に反対だった)


グラジュアル、漸進的改革というのは、妥当な考え方のように思える。

青年将校による暗殺は「イデオロギーによる直接行動」であり、「そのイデオロギーとは、ブルジョアジー体制を仆して国家社会主義をたてようという、1920年30年代世界の共通の現代的なもの」でした。
「事実あの日華事変のあいだ、侵略をしていた日本人は、主観的には侵略をしているとは感ぜずに、防禦をしていると感じていた。もし勝たなかったら亡国だ、という恐怖と焦燥をもっていた。この聖戦を完遂しなければこれまでの成果は全部空しくなる。今までたくさんの人々が英霊になり国帑を費やしたのに、いまさらどうしてその犠牲をむなしくすることが出来よう…!それは致命的な悪循環だった」(「昭和の精神史」竹山道雄)」
竹山が強調するのは、日本はナチスのような国家ではなかったという点です。東條英機はヒトラーやムッソリーニと同様のファシストとみなすことはできず、「日本のファシズムとよばれているものは、その大きな部分が戦時体制との混同である」と言います。日本の国家体制は「整然たる一元的ファシズムからは遠いものであり」、「戦争遂行の主体すらな」いものでした。もし日本が本格的な全体主義国家であれば、日中戦争のような「食いちらかし」など起きるはずもなく、統御のきかない拡大も防ぐことができたはずでした。当時の日本は「あらゆる部分が自己主張をして、全体が有機性のない焦点のない雑然たるものいなってしまっていた」というのが実態でした。


竹山道雄といえば「ビルマの竪琴」のイメージで、中途半端な嫌戦小説家くらいに思ってきたが、それだけの人ではなかったようだ。

昭和維新運動の人材供給源となったのが猶存社という団体でした。1919年に結成されたこの団体には、三人の中核的人物がいました。北一輝、大川周明、満川亀太郎です。彼らに特徴的なのは、ラディカルな国家改造を希求する革新主義者であったという点です。しかも、彼らは社会主義に影響を受け、設計主義的な維新を志向しました。
復古的革新主義者たちは「超国家主義」という立場をとりました。これは熱烈なナショナリストとなることで、国家を超えた普遍主義へと到達することを目指す立場です。
戦前の日本は保守的だったから権威主義体制を拡大させ、全体主義的なヴィジョンにのめり込んでいったのではありません。逆です。近代日本における保守の空洞化こそが、大東亜戦争に至るプロセスを制止できなかった要因なのです。(第一章 戦争に導いたのは革新勢力である)


戦前の「右翼」には社会主義の影響があったという指摘は、他の本でも散見するが、これって結構重要なところだろう。

「近代人は過大な欲望と過小な人格とを持った人間である。距離と時間は短縮されたが、このために人間の生活内容は拡充されず、短縮されゆく距離と時間とは人間に取り憑いて、いやましてこれを短縮すべく狂奔せしめる。およそ近代のスピードというものには実質がない。近代人の常に追いかけられるような多忙の生活は一種の幻影の上に立っているのではなかろうか?(竹山)」
中世における真理は神です。しかし、ナチスは既存の宗教を否定的に扱います。では、ナチスにとっての「確定せられたる真理」とは何なのか。
それは「国家」であり「民族」です。権威は「党政治」に集約化され、権力は絶対化されます。重要なのは組織化であり、すべては功利的抽象化へと帰結します。自由なる知性は否定され、権威に対する絶対的服従が浪漫化されます。これは共産主義的独裁を続けるソ連と同様の形態です。「新しき中世」は狂気以外の何ものでもありません。


近代のスピード化が近代人を多忙にし空疎にしたという竹山の指摘は、たしかに一面の真理を突いている。全体主義=狂気。主義には濃淡の差はあっても狂信の要素が含まれている。

「国が敗けて亡びることは、もとより願うことではない。しかし、いまわれらを支配しているものが勝つことは、願う気にはなれない」
「軍人は小児にひとしい。勲章を好む」
「戦争は冷血なる国家の利己主義である(竹山)」


あの戦争の最中に、これだけのメモを残したというだけで、竹山道雄の正気をうかがい知ることができる。

敗戦後の日本は、あっという間に戦中のファナティックな国体論を放棄しました。そして多くの人が手のひらを返し、戦争指導者たちを罵りました。
人々は「時流のファナチズム」から開放されたように見えましたが、それは左翼思想という別のファナチズムに乗り換えただけでした。「狐」が落ちて、また別の「狐」に憑かれたのです。竹山にとって、戦前と戦後は同根の代物でした。
「全体主義を復活させてはならない。姿を変えた「ファッショ的革新」を拡大させてはならない(竹山)」その強い思いが、彼の粘り強い共産主義批判を後押ししました。竹山にとって、戦前の超国家主義への熱狂と戦後の共産主義への熱狂は、同根の存在に他ならなかったのです。


戦前の超国家主義と戦後の共産主義が同根のものと言われるとちょっと引きそうになるが、反共には反共の理由があったのだ。

「わたしたちが昭和の軍閥をにくむのは、かれらがその知識的限界あるひは自己の利己的動機について、いささかも反省することなく、みだりに皇道だの大義だの国体だのと、当時の美名を偽善的に濫用し、政治に従ふべきかれらが逆に政治を支配し、その結果は大失敗となり、全国民にあらゆる苦難を舐めさせたからであらう。(田中美知太郎「時代と私」)
田中は、軍人の濫用する「国体」論を「かれら自身のことにほかならない」と看破しました。軍人たちは「天皇陛下の命」を掲げ、様々な行動を行いました。これは天皇の権威を流用した自己正当化に他ならず、「絶対的な言動」を手に入れるための方法に過ぎません。田中にとって、軍人の「国体」論は、現実世界における自らのヘゲモニーを担保する装置以外の何ものでもありませんでした。
田中はこの軍人の姿と同様の虚妄を、戦後の平和主義者に見出しました。戦後左派が「反戦」や「平和」を神聖な観念に祭り上げ、これと自己同一化することで「絶対性を主張しようとする言動」を、軍人の「国体」論と同根の存在とみなしたのです。田中にとって、両者は同じ穴の狢に過ぎませんでした。
田中は東條内閣をはじめとする軍閥政治を「カキストクラシー(劣悪者の支配)のうつてつけの見本」と断じています。民主政治は「劣悪者」を指導者に選ぶと、途端に「最悪の独裁政治に転化」してしまいます。そして、独裁政治は「組織の末端において愚劣さは倍加」されるため、国民はさらに劣悪な状況に置かれることになります。しかし、戦時中の国民は軍部に対してさしたる反感も示さず、戦争の行く末に楽観ばかりが支配していました。(第二章 戦争への抵抗)


「カキストクラシー」初めて知った用語だが、これは安倍政権にあつらえ向きの用語のように思える。

池島信平にとって、超国家主義も戦後民主主義も、長い年月をかけて蓄積されてきた良識を蔑ろにする急進主義に他なりませんでした。彼は、日本人が極端なものにとびつきやすい傾向にあることを深く認識し、そこから距離をとることで「正統なるもの」を表現しようとしました。これが彼にとっての「保守派」という立ち位置でした。

文藝春秋社三代目社長で、全共闘運動への反発から「諸君」を創刊した池島信平。「日本人が極端なものにとびつきやすい傾向」というのは、いささか耳の痛い言葉である。

「陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」ことである。日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根源であったと私は思う。(「一下級将校の見た帝国陸軍」山本七平)」
「戦艦大和の出撃などは"空気"決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて"空気"決定なのである。(「「空気」の研究」山本)
山本は「空気の支配」を日本特有のアニミズム的世界の論理とみなし、これにキリスト教的な超越的「神」の存在を対置させました。
抗うことのできない「空気」は、不安に基づく誇大表現によって強度を護持していきます。山本は、リアリティを欠如させた「空気」の支配を、戦中の軍隊とともに、戦後の左翼運動の中にも見出していました。そこには客観的根拠や論理性は存在せず、精神主義の鼓吹ばかりが横行することになりました。「空気」はイデオロギーを超えた現代日本の絶対権威であり、あらやる論理を超えて人々を拘束する魔物なのです。


山本七平の「「空気」の研究」は日本社会における空気の「魔力」を剔抉したものといっていい。

「階級史観は便利なことがある。日本はたしかに戦争を起こしたりして悪かった。だが、それは軍部と独占資本がやったことで、被支配階級のせいではない。自分のせいではない。そういって責任をのがれることができる。自分はそういう体制側に抵抗したが一般的にもり上がるにいたらなかった。なとどいって自己弁解もできる。要するにおれは別だという証明を日本人の悪口をいうことで代行する手で、戦前と同じことである。戦争指導の直接責任者は、一億総懺悔とうまいことをいう。これも日本人全体を悪者にすることで自己の責任を最高度に稀薄にしようとする卑劣な立場であった。(「日本の風土と文化」会田雄次)」
階級史観を手に入れることで巧みに責任逃れした戦後の日本人は、「進歩派」として戦後民主主義やヒューマニズムを礼賛していきます。戦前の翼賛体制下で国粋主義を鼓舞していた人たちが、戦後になって絶対平和主義を唱え、世界連邦主義や憲法九条礼賛論を唱えていました。(第三章 軍隊での経験)


戦前の共産主義者の「転向」も、戦後の進歩人の「変節」も同根ということ。会田雄次はビルマで英軍の捕虜となり、帰国後「アーロン収容所」を発表。これはずっと以前読んだ記憶はあるが、西洋人の女性が、日本人捕虜の前で全裸で平然としているというくだりしか覚えていない(^_^;)

当時の日本政府は「アジア解放」を標榜して大東亜戦争を戦いました。しかし、そこには「一種の自民族優越論と近隣多民族への支配思想が存在」しており、いかに日本側が「解放」を謳っても、「実質的に外国軍隊に占領され生活を収奪される民衆はそれを解放とは考えず、それ故多くのものがそれに反抗した」のです。
そもそもアジア解放と言うならば、なぜ満州事変や日中戦争が行なわれたのか。それは「日本人体白人種の戦いではなく、日本が他のアジア人に対して行った戦い」でした。日本は「解放ではなく支配をしようとした(林健太郎)」のです。(第四章 戦中派保守 最後の戦い)


林健太郎は戦後になってマルキシズムから転向した。東大紛争時の文学部長として学生との断交で強腰姿勢だったことで知られている。

竹山道雄は1937年に「将軍達と「理性の詭計」」を書き、大物軍人の非合理的思考を批判しました。彼は「ファッショ的革新勢力」が天皇制を乗っ取ったことを問題視し、昭和維新運動が持った革新的論理を批判しました。
田中美知太郎は、軍人たちが国体を流用することで「絶対的な言動」を手にし、独占的なヘゲモニーを握っていったことを批判しました。田中にとって、統制派の軍閥や皇道派の青年将校は、絶対的正義を掲げることで権限と地位を獲得しようとする「粗雑な心理」の持ち主でした。
猪木正道は、河合栄治郎の自由主義を継承し、軍国主義を批判しました。大東亜戦争中は「狂信的な軍国主義者」が自分たちの特権と面目のために国民を犠牲にしているとみなし、日本全体が「発狂」していると絶望しました。
福田恆存は、戦争協力を行った文化人を知的な装いを身にまとう「俗物」とみなし、彼らの処世や出世というエゴイズムを批判しました。また、都合のいい戦況ばかりを語り、現実離れした美辞麗句を並べる軍人たちにも懐疑的でした。
池島信平は、軍国主義に対する「便乗者」や「神がかり」を嫌悪し、言論の自由を擁護しようとしました。また海軍内部での私的リンチの醜悪さに辟易し、「こんな軍隊なら早く消えてなくなれ」と反発しました。
山本七平は、合理性を欠いた「軍人的断言法」を断罪し、言葉を奪うことで絶対的服従を強いる手法を憎みました。フィリピンの戦場では、戦略なき戦いに翻弄され、肉体的にも精神的にも極度の疲弊を体験しました。
会田雄次も山本同様、派兵された戦場での凄惨な経験によって疲弊し、「絶望と自棄の気分が支配」する中、日本軍の非合理的な「狂気」を批判しました。
彼らは、全員が自らの立場を「保守」と名乗っていたわけではありません。しかし、保守的な人間観を共有していたことは事実です。(終章 保守の世代交代の果てに)


「保守」という立ち位置を考え直さねばならないのかな(^_^;)



2019080
【そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります】川上未映子 ★★★ 2006/12/01 ヒヨコ舎
先日のNHKあさイチのトーク番組がきっかけで、前からタイトルが気になってた本書を読むことにした。
2003年8月29日(誕生日)から3年間のブログが元になっている、ネット日記だが、かなりエキセントリックで無頼派風文章は、面白いところもあったが、勘弁してよの部分も多かった。

倉橋由美子氏が亡くなったのを、私は今朝知って、なんとも云えんなんとな気持ちが。
倉橋氏の死の印象を喩えるならば、ひとつのひっそりとした植物のある体系の消滅というか、精巧な空中庭園の崩壊とか、精緻で無意味なまでに巨大な無人宮殿 の設計図の消失、そうんなような、異動。生きていようがいなくなろうが、空中庭園や設計図は完成されしきっていると思い込んでいたけれど、倉橋氏の死に よって、いよいよにそれらは盤石の極み、左脳にひびきわたる地なりをもって地を発ち、もはやこの世のものではない存在
の我々を見下ろし始めたというか、そんなとりとめない印象が午前中ずっと、頭の中をぐるぐるしてました。(2005/06/14)

倉橋由美子が亡くなったのは2005年6月10日で川上は4日後に知ったことになる。Morris.は学生時代から結構倉橋由美子フリークだったのに、彼女の死を長いこと知らずにいた。

昼間に数人の友達とばったり会って、「噛ませ犬」、「あて馬」などの語源やちゃんとした意味は何かとはなしてて、んで「井の中の蛙」のことわざの話になって、驚くべきことにこの続きを誰も知らなかったので、教えてあげたら、すごく盛り上がった。
井の中の蛙、大海を知らず、されど。
されど?
空の青さを知る。
やねんて、すごい励まし。
でも空の青さは井の中から出ても変わらず見えるわけで。青さだけを知っていることと、大海の広さと空の青さを知ってること、どっちがいいかなんてそら場合によるよな。(2005/07/08)


本書中、このエピソード?が一番印象に残った。このことわざ、たしかにことわざらしからぬ、一種の詩情がある。

随分と時間が経って、「バナナブレッドのプディング」を読んだ。
夢中で読んで、ホットミルク、小さな救い、そして沙良の最後の手紙のところで、じぶんがふちだけになるような感覚に襲われて思わず床に突っ伏した。私は正 しいとか間違いとか、人間関係とか表現とか、そういうことを知らなかったときのただの子どもに戻って、ただただ鼻水と涙でぐちゃぐちゃになって、お母さ ん、と叫んだ。生まれてきてよかったよか、生んでくれてありがとうとか、それは絶対に云えない言葉だったけど、そういう言葉ではなくて、今まで生きてきた 言葉じゃないほうの全部が混ざった、お母さんだった。
中高生の頃の私ではなくて、「生まれてきた自分」と「生む自分」の療法がある二十九歳の今の私に、大島弓子の物語が会いに来てくれたのではないか。「生き てもいいし、生んでもいいんやよ」とそれは多分大島弓子のものでもない声が胸の中で響いた。それは読んだ人をひとり残らず抱きしめる。安堵は続いていくも のではないけれど、こうして一回の完全な安堵にめぐり会えたこと、このことは、私は二十八歳になって、二十七歳になって、十歳になって、五歳になって、0 歳になっておぎゃあと生まれて、お母さんの体に戻って、うれしいやかなしいやさようならがなくなるまで、私は忘れないと思う。(2006/03/07)


そして、あさイチで気にかかっていた、「バナナブレッドのプディング」。これで疑問は氷解した。なかなか正統的大島弓子受容のしかたである。
実は、ついでに2008年芥川賞受賞作「乳(ちち)と卵(らん)」も借りてきて、一応通読したのだが、こちらは、全くMorris向きではなかった。ただ、番組で紹介された新作「夏物語」の原型らしいことだけはわかった。



2019079
【カード・ウォッチャー】石持浅海 ★★★ 2013/03/18 角川春樹事務所
石持浅海 1966年愛媛県生れ。九州大学卒。2002年、「アイルランドの薔薇」でデビュー。特殊な状況下や斬新な設定での論理的推理に定評がある。「月の扉」「扉は閉ざされたま ま」など。

「間違っても、都合の悪い書類をシュレッダーにかけたりするな。労務関係 の書類は、ほとんどが3年 間保存を義務づけられている。あるはずのものが存在しないという時点で、すでに勧告の対象になる。下手をすれば送検だ。労働基準監督官は、特別司法警察職員な んだ。つまり、犯罪者を検挙する権限がある」

すでに忘れられかけている(>_<) 防衛省、財務省、文科省などの文書破棄(隠蔽)事件の数々……を思い出した。

どのような職場にも、仕事そのものより周辺の作業を好んでやる人間が存在 する。横田がその一人だ。 彼は業務自体よりも、業務に使う機械のメンテナンスや倉庫の管理、業務に使う文書のフォームなどを作成するのが大好きなのだ。もちろんそれらも必要なぎょうむ ではあるけれど、本質でなく周辺であることは間違いない。

「タクラダ猫の節気働き」ということわざを思い出した。
本書は作家の名前が目にとまって(^_^;)読んでみたのだが、最近お気に入りの作家黒木亮をライトノヴェルにしたもののように感じられた。



2019078
【AX (アックス)】伊坂幸太郎 ★★★ 2017/07/28  ADOKAWA

殺し屋稼業の兜とその家族の物語。伊坂ものにしてはいまいち切れ味がよくなかった。「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」という5 篇の連作短編だが、頭文字がアルファベット順に並んでいるようで頭文字「D」の作品を欠いているのも、なにか意味があるのだろうか。

「親父は、思い込みが激しいんだ。あ、これはこうなんだ! と思ったら、それが真実だと信じるだろ。すぐに情報を組み合わせて、結論に飛びつくんだ。何でも結びつけたくなる。親父の、『なるほど』は要注意だ」(AX)

Morris.も「思い込み」が強いほうなので、引っかかったのだが、伊坂作品は登場人物の思い込みでストーリーが動いていく物が多い。

「友人と知人との違いについて述べよ」とはじまる作品をちょうど読んでいた。<親し い知人を友人という。親しくない友人を知人という。>作者はそれでは答えにならない。と頭を悩ませ、辞書を引く。そのけっか、「友人という言葉ほど 曖昧なものはない」と考える。「親しさ」というもの自体が曖昧なのだ、と。

たしかに人間関係は移ろいやすいものでもあるし、感情がからむし、時の経過で変化するだろうし、ちょっとしたことで仲違いもあるだろうし、難しい。「昨日の敵は今日の友」だったりもするしね(^_^;)

「レストランに行くのが嫌なら富士急ね。どっちか選んで」
克己が、「それって、詐欺師のやり口なんだよ」と苦笑した。「選択肢を絞るんだ」(EXIT)

妻の二者択一に対して、息子が「詐欺師のやり口」と夫(兜)に言う場面。選択肢は二つとは限らない。大抵の場合複数、あるいは無限にあると思うべきか。



2019077
【水曜日の凱歌】乃南アサ
★★★  2015/07/20 新潮社 初出「小説新潮」2013-14
昭和20年8月15日水曜日。敗戦の日14歳だった鈴子。進駐軍相手のRAA(特殊慰安施設協会)で通訳として働く母と、施設を転々とする。語られなかった戦後を少女の目で描いた作品。

昭和15年は、今上天皇のずっとずっとご先祖にあたる神武天皇が、日本で最初の天皇さまになられて、つまり日本という国が出来てから二千六百年目にあたると教わった。そんなにも長い間、現人神であられる天皇さまに守られてきたからこそ、日本は無敗を誇る世界一の国なのだそうだ。それでも、ご飯はまずますまずくなったし、砂糖やマッチまでが手に入りにくくなって、お母様が嘆くようになった。
神さまがいる国なのに、毎日少しずつ、楽しいことが減っていく。何となく息苦しくなっていく。大体、鈴子たちには「みんな仲良く」と言うくせに、どうして日本はよその国と戦争などしているのだろうか。戦争というのは、要するに喧嘩のことではないのか。神さまが喧嘩なんかするものだろうか。


9歳の鈴子の独白。昭和15年に9歳の女の子がこのように考えるというのはかなり難しいとも思うが……

「特殊慰安施設協会設立宣誓式」
<宣誓 ……新日本再建の発足と、全日本女性の純血を護るための礎石事業たることを自覚し、滅私奉公の決意を固めるため……>
<声明書……我ら既にして此の覚悟をなす。時あり、命下りて、予め我等が職域を通じ、戦後処理の国家緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せられる……我等固より深く決する処あり。褒貶固より問ふ処に非ず。成敗自ら命あり。只同志結盟して信念の命ずる処に直往し、『昭和のお吉』幾千人の人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純血を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす……我等は断じて進駐軍に媚びるものに非ず、節を枉げ、心を売るものに非ず、止むべからざる儀礼を払ひ、条約の一端の履行にも貢献し、社会の安寧に寄与し以て大にしてこれを言へば国体護持に挺身せんとするにほかならざることを重ねて直言し、以て声明となす>

おためごかしとご都合主義。学徒出陣や特攻につながるものだろう。

けれど、鈴子はもう気がついてしまった。そんなのは嘘っぱちだ。
アメリカ人は本当は怖い人たちだ。自分たちとは関係のない相手になら、原子爆弾だって平気で落とす。たった一発の爆弾が、一体どれだけの人たちを殺すことになるか、日本よりもよほど科学の進んだ国だというなら分からないはずがないのに。何一つ悪いことなどしていないのに、放射能を浴びてしまった人たちは、ただの怪我や火傷を負っただけでは済まされず、これから先もずっと苦しむのだそうだ。そして広島や長崎には、あと何十年たっても草木の一本も育たないと、学校の先生は言っていた。


「アメリカ人」を「人間」に置き換えてもそのまま通じる。

「日本はね、戦争に負けたらすぐに占領軍が押し寄せてくるから、そうしたらアメリカ軍の男たちが日本の女を全部、手当り次第に乱暴するだろうからって、それを防ぐために、新しい女子挺身隊を作ったんだから」
勝子ちゃんは、話の意味を測りかねているようにケロイドの見える首を傾げている。鈴子は「本当なのよ」と、すっと背筋を伸ばして、去年の夏からこれまで自分が見てきたことを、ひと息に喋った。大森海岸に行った日のこと、ごく普通のお姉さんたちが大勢、集められたこと。RAAという組織が生まれて、宮城の前で宣誓式まで執り行ったこと。天皇さまの放送があってから、さほどたたない八月のうちに、もう大急ぎで開店した慰安所は大きな料亭を改造したもので、大勢の女の人が送り込まれ、店の前には来る日も来る日も、進駐軍の兵隊たちが長い行列を作って、大騒ぎしながら、その女の人たちを買いに来ていたこと。そして、派手な浴衣を着せられて、押し入れに隠れて泣いていたお姉さんのこと。
「要するに、うちのお母さまはね、日本の、普通の仕事も行く場所もなくて、お腹を空かせていた女の人たちを、とにかく大勢かき集めて、白人や黒人に身体を売らせる、その手助けをしてきたっていうわけ」


空襲で片腕を失った、幼馴染の勝子と再開した鈴子が自分の戦後の経緯を話すみごとな要約である。

警察官の一人が警棒の先でミドリさんのみぞおちを突くようにした。ミドリさんの身体が一瞬、前のめりになった。それでも彼女は身体を奮い起こすようにして「何しやがるっ」と声を上げた。
「あたしらをイヌ畜生だとでも思っていやがるのかっ! パンパンだろうが何だろうが、あたしたちは人間なんだっ、この日本で生まれた、日本の女なんだよっ! おまえら男たちがだらしないばっかりに、こうしてあたしらが、後始末をしなけりゃあ、ならないことになったんじゃないかっ」
悲鳴のようなミドリさんの声が、小さな駅前に響き渡る。
「覚えておきなっ、日本の男ども! 誰もかれも、女のまたの間から生まれたくせに、その恩も忘れやがって、利用するときだけしやがって! 戦争中は『産めよふやせよ』で、戦争に負けた途端に、今度は同じまたを白人どもに差し出せとは、何ていう節操のなさなんだっ! それで平気なのかっ! 見ていやがれ、この国を駄目にした男ども! 女の一人も守れないで、何が日本男児だ、大和男子だ、馬鹿野郎っ! いいか、あんたたちは、いつか必ず復讐される。いつか必ず、報いを受ける。アメリカからなんじゃなく、日本の女たちからねっ!」


昭和21年4月3日。水曜日。この日、第22回衆議院選挙の立候補届出が締め切られた。何が驚いたと言って、その選挙に、あのミドリさんが立候補したと聞いたことだ。

敗戦の8月15日翌年4月3日衆院選挙立候補届出日が水曜日だったからこのタイトルにしたのだろうか? ちょっとものたりない。


2019076
【新昭和史論 --どうして戦争をしたのか】筒井清忠編 ★★★☆☆ 2011/05/31 ウェッジ選書:41

第一章 昭和超国家主義運動と陸軍--昭和史の「原動力」 筒井清忠
第二章 満州事変から日中戦争へ--日中関係の実像とは 戸部良一
第三章 真珠湾への道--日米関係の破綻は避けられたか 五百籏頭眞(いおきべまこと)
第四章 天皇・政党・軍部--昭和前期の内政と外交 北岡伸一
第五章 「インテリ」と知的社会の変貌--アカデミズム・ジャーナリズム・ポピュリズム 山崎正和 *『日米の昭和』(1990)所載の『「インテリ」の盛衰--昭和の知的」を編者が大幅に改稿したもの。)
第六章 「大震災以降」の大衆心理の転換--映画(小津・成瀬)と文学(谷崎・荷風)に見る 川本三郎-筒井清忠
第七章東京裁判--その実体を検証する

本書は、昭和史のそれぞれの分野の第一人者に最も詳しい問題についてできるだけ正確にそしてわかりやすく語ってもらったものである。したがって正確な叙述でありながら(すべて「です・ます」調の)読みやすい内容となっている。
新しく生まれたインテリ・中間層を機軸に昭和の知的社会の変貌を跡づけた第五章は、この方面の変化を知るための出色の論考であり、特に著者に依頼して収録することができたことは、本書に比類のない精彩を加えることとなった。(はじめに 筒井)


たしかに第五章だけでも読んだ甲斐があった。☆2つはこの章によるボーナス点である(^_^;)

1919年(大正8)大川周明と満川亀太郎が中心となって作った「猶存社」はアナキズム・共産主義と袂を分かって、はっきりと平等主義的な国家主義的運動を展開しようと考えた団体。その思想的リーダーとして上海にいた北一輝を思想的リーダーとして迎える。
北一輝の「日本改造法案大綱」は後の歴史に重要な影響を与えた。「天皇の大権発動により日本を非情に平等な社会にして行く」というのがその骨子。まず天皇の名のもとにクーデターを起こし、3年間憲法を停止し両院を解散して全国に戒厳令を敷く。その間に貴族院や家族制度など、すべての特権的な制度の廃止、治安警察法や新聞紙条例、出版法といった言論を弾圧する法律も全部廃止、私有財産制度は、一定限度以上は認めない。土地は徹底的に公有にする。地主・小作関係の不平等を解消するために自作農を創設し、労働省を新設して労働者の待遇を改善し、児童の教育権を保全する、というもの。
北と社会主義との違いは、北には独自のアジア開放論があった。国内的に平等主義的な社会主義的改革を実施した上で、国際的にも平等主義を実現するために、極端に不平等な植民地支配を受けているインドなどのアジア諸国を日本民族が解放して、イギリス・アメリカの世界支配を覆していくということを主張。
「五・一五事件」(1932)の意義はむしろその後の裁判のほうにあった。翌年から開始された裁判では公判の様子が大々的に報道され、青年将校たちは英雄視されるような風潮を現出。公判は「昭和維新運動」の宣伝の場のようになっていった。
永田鉄山を中心にした中堅幕僚による日本を高度国防国家に向けて作り変えていこうとする「統制派」と、荒木貞夫、真崎甚三郎という老将軍を押し立てて、日本国内の平等主義的変革を進めようとする青年将校グループの「皇道派」が対立していく。
昭和の超国家主義運動はいわば政治運動としては「二・二六事件」によって失敗・挫折したと言えるが、この運動が持っていたアジア主義的・平等主義的発想は、「二・二六事件」の失敗後も様々な形で受け継がれていく。(第一章)


戦前と戦後では「右翼」というものはまるで違ってたようだ。

アジアの戦争とヨーロッパの戦争は本来、別物でした。ということは、これを別物として、結びつけない選択肢もありえたはずです。ところが、日本はこの選択を採らなかった。三国同盟は、アメリカ抑止が狙いでしたが、戦争を戦っているヨーロッパの陣営の一方に日本が加担したことは間違いない。北部仏印進駐も、重慶を圧迫することを目的の一部としていましたが、武力南進の第一歩であったことは否定できませんでした。
こうなると、アメリカは日本の動きを放っておくことはできない。日本が中国で戦っている間は、アメリカの権益を侵害したり、不快で厄介な存在でしたから、執拗に抗議を繰り返しましたが、その死活的利益が脅かされたわけではありませんでした。しかし、日本がドイツと結び、武力を用いて南方に進出してくるとなると、いやでも日本を現実の脅威と見なさざるをえなくなります。こうして、アメリカは日本の前に立ちはだかってくる。日米戦争、大東亜戦争への道は、このようにして用意されることになったのです。(第二章)


三国同盟というのは、日本にとっては火中の栗を拾う行為だったらしい。

戦前の日本に軍部独裁は達成されたかというと、実は軍部独裁には程遠いものだった。文武諸機関の多元的連合体である明治政府はそのままに、その中で軍部が圧倒的な力を持ったにすぎず、憲法改正も授権法もなかった。
石原莞爾は東西文明間で行なわれる世界最終戦争として、日米戦争が不可避であるとし、それに備えるために満州事変を強行したが、あの瞬間の対米戦争には反対した。理由は必ず負けるから。
近衛文麿首相は重大な政治的決定を繰り返し誤る人で、盧溝橋での偶発事(1937)を長期にわたる日中戦争に拡大する上で決定的な役割を果たした。
日本軍は快進撃を続け、12月には南京に迫る。このとき多田駿参謀次長が停戦を提案。どの国にとっても首都は失いたくない。だから今なら日本は有利な条件で終戦できるというわけです。日中戦争の全面化と泥沼化の恐ろしさを、近衛首相はまだわかっていなかったようで「この期に及んで、軍がなぜ弱気になるのかわからない」といって停戦の機会を失う。首都を落とせば屈服するとでも思っていたようだ。
国内受けのイメージレベルでしか外交安全保障を理解せず、国に不幸をもたらす首相は、昔も今も本当に困ったものである。
1940年春のドイツ軍による西部戦線電撃攻撃の成功に、陸軍をはじめ戦争完遂派はたちまち現気づき「バスに乗り遅れるな」と、ドイツの戦争への熱い共感をもって起ち上がる。マスコミ論調もイケイケどんどん。この熱気に乗ったのが、再び近衛首相。同年7月に第二次内閣を組織し、松岡洋右を外相、東條英機を陸相に任命し、9月に日独伊三国同盟を結ぶ。直前の8月にはドイツは英本土上空の戰いで挫折したところだった。(第三章)


近衛文麿は公卿の悪癖を体現した政治家というのが、大方の見方のようだ。「国に不幸をもたらす首相」。昔話ではない。

満州事変は国際協調体制というレジームを破壊したという意味で非常に重要な事件だった。
1932年8月に西園寺が「国際協調派だ」と思って外相に起用した内田康哉が暴走して「国を焦土としてでもこの事変の成果は守る」と発言、しかも満州国を承認してしまう。
第一次大戦後のベルサイユ条約では、民族自決が唱えられたが、これはヨーロッパには適用されても、ヨーロッパ人はアジアに適用するとは思っていなかった。
蒋介石は「南京は守れない」と知りながら、世界にひどさをアピールするために守るための戦争をしたともいえる。そこで南京事件が起きる。ちなみに「南京では虐殺はなかった」と言う人がいるが無かったはずはない。理由は、その時の「戦闘詳報」の中に「それぞれの部隊で捕虜を何百人処分した」という記述があり、中央から出た命令には「捕虜を取るな」とある。処分のかなりの部分は処刑で、つまり普通の概念で言えば虐殺である。
南京に残された組織されないばらばらの兵隊の集団と、「補給がない。これで勝てば戦争は終わる」と思って突撃した日本兵集団。そうしたらそこに何が起こるかわかりそうなものなんで、何割かは中国側にも責任はあるのではないかと思う。
「ハル・ノート」を最後通牒だと思った人が多かったが、吉田茂はそうは思わなかった。これには締め切り期限もなく、最後通牒とも書いていない。これをただの提案だと思って反対提案をしてぐずぐずやっていればよろしい。ときの外相東郷茂徳に「辞めなさい」と直言。辞めると内閣は混乱する。混乱していると開戦の決定ができない、そのうちに時間が過ぎるとアドバイスしている。
これは「たら・れば」の話だが、もしこの12月の頭に開戦していなければ、12月下旬になると、北太平洋は悪天候になり、真珠湾攻撃はできなくなる。春まで待ったら、そのときはすでにスターリングラードでドイツが負け始めているから、ここで出来なかったら日本はアメリカと戦争しなかったかも知れない。」


ここでも三国同盟なかりせばの話になる(^_^;)

(原爆投下に関して)たぶんアメリカは、一つは新兵器を使いたかったんだと思う。巨額を投じて作ったもので使わずに終わるのは惜しい。天皇の地位保障をあんまり早く言わなかったのはこれを使いたかったからではないか。

原爆に限らず、新兵器を手に入れたら、使わずにいられなくなる。

マッカーサーにとっての一番の目標は、日本改造を安いコストでさっさと済ませること、さらには自身が「大統領になりたい」というのが彼の野心だった。少ない予算と少ない兵力で日本を根本的に変える、ただ一つの方法、それが天皇の協力を得るということ。そして根本的に日本を変えたように見せる。それが憲法九条であり「天皇の協力を得て象徴天皇制を残し九条で軍隊を廃止する。したがって、天皇は東京裁判には出さない」というのが、マッカーサーのベストソリューション(問題の解決策解決策)だった。(第四章)


このシンプルな説は実にわかりやすく、納得せざるをえない。

明治・大正時代までの高校生や大学生は庶民の素朴な敬意を集め、自由と自治を信奉する知識人の反体制的言動や逸脱にも庶民は温かい受け止め方をすることが多かった。知識人は政治的な権力はないまでも、権力によって保証された権威であって、彼らの反権力主義はそれ自体が権力によって権威づけられるという、皮肉な状況におかれていた。
社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側にまず鋭く意識される。
インテリゲンチャは、進取の気性と行動力に富む。逆に言えば彼らの生活態度は安定性を欠き、内面には存在証明をめぐる深い不安を秘めていた。大半が農村の大家族を捨てた新しい都会人であり、伝統的な共同体を捨てた「根なし草」感をもっていた。
彼らは社会の現状変革に憧れながら、それが困難であったために、ますますエリック・ホファーの言う「情熱的」人間になるしかなかった。総合的知識の体系を求めるあまり教条的なイデオロギーに傾きがちになる。昭和の知的社会が左右両翼の対立を生んだのは、この「根なし草」の心理によるところが大きい
この不安なインテリが学界と結びついたとき、そこに台頭したものが新しい啓蒙主義であり、具体的には岩波文庫や「中央公論」に代表される高踏的ジャーナリズムだった。
昭和の知識人にとってマルクス主義は貧困解決の方法論ではなく、より多く、彼らの心理的な不安の解決の手段であった。マルクス主義の戦闘的な用語はエリートへの反抗的な気分に快い刺激を与え「知識と美とを特権階級の独占より奪い返す」といった、景気のよい高揚感を生むのに役立った。また、マルクス主義は一つの形而上学の体系であり、存在論から自然科学論から芸術論までを含む、巨大な総合的知識の見取り図を提供し、同時代の他の哲学に比べてわかりやすく、現実問題に一刀両断の回答をくだすのだから専門的で非現実的な象牙の塔の知識に対してこれほど有効な武器はない。さらにマルクス主義は階級の理論であり社会運動の理論であって、伝統的な貴族集団を失った都市住民に一つの連帯の間隔を与えてくれる。インテリは根なし草の罪悪感から救われ、ときには積極的な行動の規範すら提供されたのではと想像される。
一方、同じインテリが草の根大衆と結びついたとき、世界のどの国でも生まれるのがポピュリズムである。昭和初期のそれは一般的に右翼的で、典型的な姿は、貧しい農村を背後にした軍の学校で育てられた職業軍人に見られた。これにジャーナリズムに容れられぬ民間の知識人が加わったとき、二・二六事件の例に見られたように、このグループは、ナショナリズムと「天皇親政」を叫んで立ち上がることになる。
忘れてならないのは、軍の独走を外から助け、ときには先に立って軍事的冒険を扇動した新聞の役割である。昭和の新聞は、急激に成長しながら他紙と競争を続ける大衆紙で、支持基盤はとかく煽情主義の影響を受けやすく、ナショナリズムに傾きがちな階層である。この層に訴えやすい主題は、政府攻撃と愛国心という矛盾するものの混合物で、そのための最善の手段は対外強硬姿勢をとること。満州事変が起こると、朝日、毎日の両紙は空前の大取材競争を展開した。その動機は純粋に商業的な競争であり、軍国主義というより単なる煽情主義だったが、これが結果的に国民の戦意高揚に寄与したのは否定できない。
こうしてジャーナリズムは日ごとに大衆迎合の度合いを強め、アカデミーは仲間言葉と業界隠語で語り合う閉鎖社会へと傾いていく中、戦争と破局の道を日本は歩んでいくことになった。(第五章)


うーっむ、山崎正和。名前はよく聞きながらも、まだ一冊も読んでなかった。ぜひ一読せねば。


2019075
【花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前後篇】橋本治 ★★★★ 2015/08/20 河出文庫新装版 北宋社(1979年4月) 河出文庫(1984年1月)

もちろん再読である。80年頃に読んだと思う。まだこの当時はMorris.部屋演ってなかったので読書控えはないが、これによって橋本治はMorris.にとって重要な論客となった(^_^;)
なんてったって、おしまいの大島弓子論が白眉で、これ以来、Morris.は、大島弓子について、あれこれ言うのはおこがましいと思うようになってしまった。

第一章 失われた水分を求めて--倉多江美論
第二章 眠りの中へ--萩尾望都論
第三章 世界を変えた唇-- 大矢ちき論 付、猫十字社論
第四章 妖精王國女皇紀--山岸凉子論
第五章 九十九里坂の海賊の家--江口寿史論+鴨川つばめ論
第六章 優しいポルノグラフィー--陸奥A子論
第七章 それでも地球は、廻っているのだ!--土田よしこ論
第八章 全面肯定としての笑い--吾妻ひでお論
第九章 ハッピィエンドの女王--大島弓子論

かつて"世界"は存在していた。そして"世界"とは、家庭である。
"かつて"とはいつか? それは第二次世界大戦の終わった1945年から10年余の間、「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長の始まる1950年代。
人は現実に足をとられ、明日に希望を託し、現在欠けている物が満たされる日がその明日の日であると信じ、そしてその忙しさに浸って、十分に幸福だった。
それでは問おう、SFの本質とは何かと--そう、それは"漂流"なのである。
人はSFに於て、異次元空間を、未来社会を、辺境の惑星を、大宇宙を、時空間を、破滅に瀕する地球を、超能力者と宇宙人と怪物(ベム)の世界を流され漂う。
何故人の"漂流"が可能かといえば、彼には生まれ育った、帰るべき土地があるからである。そして人は生まれ育った土地の思考様式によってのみ、漂流地に於ける漂流生活が可能となる。だから何故に1945年から1950年代前半までにアメリカがSFの傑作群を生み出しえたのかは容易に想像がつくだろう。
かつての黄金時代を支えたハッピィエンドの思想は息の根を絶たれ、アメリカの夢は滅び去り、そして滅亡を目の辺りにした人々は、かつての黄金の夢をその中に宿すSF作品群を抱いたまま、遥か遠くの世界へと漂って行くようになったのである。
彼らは漂着の地の孤独の中で、過去を、現在を、未来を、そしてすべてを、夢に見る。漂流者の上を覆う暗い夜空に広がる銀河は、星ではなく無数に撒き散らされ鏤められた銀の砂粒なのだ。それは、夢の宇宙でしかない。だから、萩尾望都はその銀の砂粒を身に纏い新しい妖精たちの物語を紡ぎ出すのである。
その物語は微細にして巧緻な描線に導き出された、どこまでも流れ、漂い、そして最後は微細にして巧緻な点描の一点一点となって瞬き、消え去るのである。それはあたかも煌めく銀の砂粒の如く。


萩尾望都を語って、SFの本質をあっけらかんと種明かしするあたり、橋本治の独擅場である。

"ポーの一族"は、子供をこどもたらしめる黄金時代の滅亡を直視直感した萩尾望都が目を瞑り、夢の中に入っていったことに始まる。夢の中で時間は流れず、主人公エドガーは永遠に十四歳のままである。そして何故にエドガーが夢の中で永遠に十四歳でありえるかといえば、それは「現実の十四歳の少年を」"永遠の少年"として照らし出した、黄金の、輝ける現実の残光によっているのである。
破滅を直感した身に未来はない。そして同時に、直感されてしまった側の世界も、その未来は破滅の内にしかない。
"ポーの一族"は、滅亡を決定づけられた戦後社会と、その為に葬り去られた子供たちにあてて贈られた、萩尾望都の壮大な鎮魂歌(レクイエム)に他ならない。(第二章)


「ポーの一族」。やっぱりあれは奇跡的な傑作だと思う。ただ、今となっては読み返すのが恐い(^_^;)

山岸凉子は「天人唐草」によって、性を持つ少女を描き出し、同時に少女マンガを選びとることの正当性をも獲得した。
一度獲得された正当性は、その人間の内部で揺ぎないものとなり、二度と再び侵されることはない。(第四章)


山岸凉子はちょっと苦手だった。最近図書館でバレー漫画「テレプシコーラ」を、順不同に拾い読みしてるくらい。「日出処の天子」もほんの一部しか読んでいない。

初めに珍奇な見世物として登場させられた一人の少女つる姫は、回を重ねる度に確実にその存在を主張し、見事に、ゲテ物ギャグマンガの主人公から、ギャグというジャンルに於ける、立派な一人の"少女マンガの主人公"に成長を遂げたのであります。
如何なる星の下に生まれたか? 突如として人に笑われる為にのみ登場した一人のドブス娘は、斯くして、愛すべき一人の可愛い少女へと花開いたのです--鼻の穴を拡げたまんま。
チョウチン・ブルマーをブカブカさせ、一張羅のカスリの着物にハダシ足袋、ウンコをタレ流す一方で、自分の絵日記に人知れず、"恋ってルリ色ね"とトンチンカンにもナイーブに書き綴るつる姫は、一般大衆の笑い声をものともせず、今日も一人突き進むのです。あたしはあたしよベッカンコと。ドギツイ笑いを振り撒きながら、愛すべき一人の少女・つる姫は、もう何をやっても許されるのです。(第七章)


土田よしこは、トンデモ少女漫画家元としてすごかった。「つる姫ぢゃーっ!!」は全巻揃えで何度も読んだ。

大島さんの作品は、すべてハッピィエンドでなければなりません。何故ならば、大島さんの作品はあらかじめハッピィエンドであることを確認されて、その後に大島さんの中で構想されるからです。
"分からない"ことに苦しめられていた人間が一つの答を見出し、"分かった"状態がハッピィエンドでなくて何でしょう?

「綿の国星」は、猫にしかなれない自分を抱えてあきらめて生きて行くようなマンガではありません。何か、自分を持っている"最高に素晴らしいなにか"に向って突き進んで行くのが「綿の国星」なのです。
"鳥は鳥に 人間は人間に 星は星に 風は風に"でも、"猫は猫に"ではありません。それが猫であろうと、人間であろうと、あるいは鬼であったとしても、私は私なのです。
"私は私に"を封じ込めた作品「バナナブレッドのプディング」は、その"私"の中に奥深く潜む得体の知れない恐ろしいもの--"性"を真っ向から見据えた作品です。
衣良の髪型は、頭の両脇に2つのお団子を作ってクルクルと丸めた髪型です--"これはね 猫の耳が発想のもとなのよ"。
「綿の国星」のチビ猫は、生まれ変わった衣良なのです。だからチビ猫は、生まれながらにしてすべてを知っている無垢の少女なのです。

死ぬとは、"魂と肉体が分離して 魂は空へ 肉体は朽ちること"。
その猫は感じました。肉体が朽ち果てる時、その肉体を縛りつけていた"時間"が彼を解き放つ時、彼の意識をさえぎるものが何もなくなった時、彼は感じたのです--"とてもすてきだ"と。
一生きままに暮した彼は、もう思い残すことなく、肉体が朽ちて行くままに朽ちて行かせました。彼の魂は空へ上って生きます。"とてもすてきだ"と彼は思いました。彼の意識が、自分の作り上げた綿の国の中へ、彼を導いたのです。
猫は誰でも、自分自身の綿の国を持っているのです。

「七月七日に」は、時間の中にしっかと根を据え、光り輝く物語です。封じ込められた"過去"、封じ込められた"物語"と"母"が、"夏の光と水の反射を、正視できずに見るような 印象で存在する"物語なのです。
微塵も搖ぐことはないこの枠組の中で、大島さんはキラキラと光り輝く"愛"だけを使って、物語を組み立てたのです。だから、現実にかつて存在した"過去"--この作品を存在させる"過去"には、何一つ"現実"はないのです。
幻の時間の中へ足を進める大島さんは、その先にある幻を"現実"に変える為、その幻だけを使って一つの"現実"、一つの物語を作り上げたのです。

"お母さんの涙は、不思議な味がした"--そう言うチビ猫は、何も見ず、何も考えず、なぜか悲しそうな顔をします。チビ猫の胸に、今初めて遣る瀬なさがこみ上げるのです。何故、誰が? 何を感謝するというのでしょうか? 何故に。
それは、作者の大島弓子が、この世界のすべてのものを愛していたからでした。

長い時間がかかりました。
「ジョカへ…」を描いた大島弓子にとって、女の子の"時間"は、ただ後戻りするだけの"時間#でした。
「ほうせんか・ぱん」を描いた大島弓子にとって、"無垢の少女"と"知っている少女"は決して一つにならないものでした。
「いちご物語」が大島弓子に、女の子の"時間"がその先溶けてなくなっていることを教えました。
「ヨハネが好き」を描いた大島弓子は、本当の女の子が成長する"時間"などまだどこにもないことを無いことを知りました。
だから大島弓子は、「すべて緑になる日まで」で、"泣かないで トリステス"と言わなければならなかったのです。
だから「七月七日に」で、"さようなら"を言わねばならなかったのです。
一人になった大島弓子は、「きゃべつちょうちょ」で言いました、「受け入れて」、と。
そして、それがどんなことかを「ハイネよんで」で問いかけました。
そして、「いたい棘いたくない棘」で、なにかを一つ分りました。
「シンジラレネーション」で、だから、"ありがと"といいました。
「バナナブレッドのプディング」の中、すべての思いをぶち込みました。
そしてすべてを捨てたのです。最も自由になる為に。待っている筈の"最高に素晴らしいこと"をつかまえる為に。

"間違い"を"間違い"と感じられない自分の正しさは間違いなのだろうか? その"間違い"を"間違い"と指摘する"正しさ"に間違いはないのだろうか? 自分に"正しさ"を教えてくれたその"正しさ"は、本当に正しいのだろうか? その"正しさ"を"正しさ"と感じられない自分の"正しさ"とは言えないのだろうか?
首を絞められながら頭を撫でられるような矛盾。
一つの正しさ、一つの根拠、一つの肯定、一つの否認、そして一つの大きな愛。
長い時間がかかりました。

私は私になりました。
私を私として受け入れ、世界を世界として受け入れ、今、"私"は"私"になったのです。
私は世界を捨て去ったのではありません。私は、世界を受け入れたのです、あるがままに。

すべての人は、すべての人になります。すべての自分は、すべての自分になるのです。だからこそ人は、すべての他人がすべての他人になることも分り、すべての他人を愛することが出来るのです。
愛することは受け入れることです。愛することは分かることです。
もしあなたが分らなければ、まず受け入れなさい。そして分ればよいのです。
もしあなたに受け入れることができないのなら、まず分りなさい。そして受け入れればよのです。
愛することは愛されることです。人に身を委ねることが出来ることです。なぜならなばすべての他人は人間だからです。(第9章)


そして、大島弓子論。これについて今、どうこう述べる気持ちも、気力も、器量もない(>_<)

しかし、これほどの貴重な著作なのに、神戸市立図書館で所蔵してるのは東灘図書館のみ(それも2015年の文庫版)というのは、中央図書館に無いというのは、どこかおかしい、と思う。


2019074
【鉄条網の歴史】石弘之、石紀美子 ★★★☆☆ 2013/03/11洋泉社
石弘之 1940年東京都生れ。東大卒業後、朝日新聞入社、ニューヨーク特派員、編集委員などを経て退社。国連環境計画上級顧問。「地球環境報告」「キリマンジャロの雪が消えていく」「名作の中の環境史」「火山噴火・動物虐殺・人口爆発」「地球クライシス」

「自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明」という副題。
小手鞠るい「アップルソング」でこの本のことを知り、読まなくてはと思った。期待は裏切られなかった。

鉄条網はフランスと米国でほぼ同時期に発明され、米国では1867年に最初の特許が認められた。米国発明会がまとめた年代別の大発明の1860年代の項には、「リチャード・ガトリングの機関銃」「ウェスタン・ユニオン社の大陸横断電信網」「パスツールの殺菌法」「ノーベルのダイナマイト」「現行キーボードのタイプライター」とならんで、この鉄条網が挙げられている。
他の発明と比べてみても、鉄条網はきわだったローテク製品である。鉄線にトゲになる短い鉄線を巻きつけただけだ。こんな単純な構造にもかかわらず、「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」という機能は、今もって鉄条網に代わるものはない。
このローテクは、兵器として思いもかけないほどの潜在力を秘めていた。敵の進撃を阻むバリケードになり、基地や陣地を守る防衛戦になった。
牛の群れを囲う機能が、人間に向けられるのは時間の問題だった。人間を拘束する刑務所、強制収容所、捕虜収容所、難民収容所などは、鉄条網抜きには存在しえないまでになった。
鉄条網は国地国を隔てる国境だけでなく、国内でも敵味方、人種、民族、宗教、貧富……などを分け隔てる壁でもある。(まえがき)


このまえがきで、鉄条網の「負」の部分がよくわかる。

イリノイ州の農夫、ジョセフ・グリッデンは、長さ5cmほどのワイヤーの両側を斜めに切って鋭くしたトゲ(これをbarb(バーブ)という)をワイヤーに固定する技術を確立した。この製品名のbarbed wire(バーブドワイヤー)が英語の鉄条網を意味するまでになった。
日本では、厳密にはトゲを巻きつけた鉄線を「有刺鉄線」、網状にしたのが「鉄条網」と区別するが、実際には業界団体も含めて両者をいっしょにして「鉄条網」としている。(第一章 西部開拓の主役)


「有刺鉄線」と「鉄条網」。同じものを刺す、いや、指す言葉だが、受ける印象はかなり違う。

1916年に第一号戦車「マークⅠ」が完成した。キャタピラー式の農業用トラクターに分厚い鉄板を張っただけの簡単なものだった。この新兵器の名前は、秘密にするために「タンク(水運搬車)」と名づけられた。

戦車を「タンク」と呼ぶ理由を初めて知った(^_^;)

第一次世界大戦は、国民と生産力を総動員した空前の総力戦となった。裏を返せばどちらが先に疲弊するかの消耗戦であり、どれだけ国民が犠牲に耐えられるかの我慢比べでもあった。

Total Warである。

塹壕・鉄条網・機関銃の防衛戦術の三点セットが確立した。
長引く塹壕戦ではさまざまな装備が生まれた。たとえば腕時計がはじめて将校の標準装備に加わった。塹壕にこもった兵士たちが、後方からの砲撃で敵を叩いてから、長く延びる塹壕を飛び出して一斉に突撃するには正確な自国が必要になったからだ。
寒い冬の戦いには暖かくて防水の効いた軍用コートが必要になり、このためにイギリスで発明されたのがトレンチ(塹壕)こーとだった。肩のボタン留めのショルダーストラップが軍服だったときの名残だ。ここに、双眼鏡、水筒、拳銃の吊りひもを通した。負傷したときには、このストラップを持って引きずることにも役立った。
銃の使えない塹壕内での格闘のために開発されたのが、刃渡りが短く殺傷力の高いトレンチナイフだ。なぐり倒すことができる頑丈なグリップは、滑らないように指を守るフィンガーガードが備えられ、刃の断面は三角形で殺傷力を高めた。
敵の目を欺いて相手の塹壕に接近する方法も考えられた。カモフラージュ部隊の登場である。(第三章 塹壕戦の主役)


トレンチコート、トレンチナイフの雑学ネタ。

第二次南アフリカ戦争で英国は疲弊し、アジアでの軍事力が手薄になったため1902年に日本と同盟を結んだ。この日英同盟が、日露戦争のときにロシアへの圧力になって、日本の勝利に貢献した。第二次南アフリカ戦争に日本は観戦武官を送り込み、本格的に戦争で使われた機関銃や無煙火薬の効果を認識して日露戦争の準備を進めていった。

日英同盟なくして日露戦争(の勝利?)はなかった。

ナチスの強制収容所(Konzentrationslager 略してKZ)である。人類が犯したこの20世紀最大の残虐行為は、この鉄条網の存在がなければ、あれだけ短期間に大量の人間を収容し殺戮できたかは疑わしい。

安い、早い、酷い(>_<)

現在、人類学者や遺伝学者で「人種」という概念を使う人はまずいない。皮膚や目の色、体型、頭骨など形態学的、遺伝学的な違いが、能力や特性の違いに関係するということは、科学的な根拠がまったくないからだ。
人種の差というのは、劣等人種と優越人種という近代西洋の価値観に基づく部分が大きく、植民地支配や奴隷貿易などの口実にされてきた。人種とIQの違いなどが論じられるが、それは教育や生活の水準、栄養条件などの環境の違いでしかない。アマゾンや東アフリカで狩猟で暮らす先住民と生活を共にしたことがあるが、彼らの基準では、私は狩りも採集もできずひとりでいきていけない無能な「劣等人種」であった。(第四章 人間を拘束するフェンス)


「人種差別」以前に「人種」という言葉が差別を内包しているということか。

鉄条網の最大の機能は、空間の「遮断」である。それは政治的な分断にも威力を発揮してきた。鉄条網は紛争あるところには必ず顔をだし、今も昔もさまざまな政治的な境界の主役である。
100年近くほとんど変わらなかっった鉄条網は、トゲの部分が尖らせた針金からカミソリ(レザー)の刃のような鋭利なものに進化した。「レザー鉄条網 Razor Wire」「対人鉄条網」と呼ばれ1970年代に米国の刑務所の塀に設置されはじめたが、やがて紛争の激化とともに中東に普及していった。(第六章 世界を分断する境界線)


このレザー鉄条網は、韓国で初めて見た。棘でなく刃の付いた鉄条網は武器のイメージが強い。

いたるところで、定住農耕と狩猟採集という生業の違いによる宿命的な利害の対立が先鋭化した。開拓民は容赦なく先住民の土地を奪っていった。「入植」というのは、多くの場合、先住民の土地へ侵入して力ずくで土地を奪うことだった。農地や牧場が拡大するのに反比例して先住民の生活圏は狭められていった。ついいは土地から引き離されて居留地という名の収容所に押し込められた。
そのせめぎ合いが「フロンティア」であり、白人側にとって「野蛮な」先住民を追い払う「文明化」の最先端であり、先住民側にとっては理不尽な「迫害」がおよんできた最前線である。


アメリカの「西部劇」は、この一方的な「迫害」の美化、英雄化ということになる。

19世紀半ば、マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)という奇怪な論が全米ではやった。米国の膨張を「天命」とみなして、先住民虐殺や西武侵略を正当化する口実にされた。19世紀末にフロンティアが事実上消滅すると、今度は米国スペイン戦争やハワイ併合など米国の領土拡大や覇権主義のために使われた。

「膨張主義」は諸悪の元。アメリカの膨張主義は今も形を変えながら健在(>_<)のようだ。

制度的な迫害に加えて、白人の持ち込んだ疫病は「細菌兵器」となり、天然痘やハシカに免疫のない先住民族は大量に命を奪われた。北米の先住民人口は白人の入植以前には1000万人以上あったと推定されるが、20世紀初頭までに95%が失われた。(第七章 追いつめられる先住民)

天然痘やハシカが「細菌兵器」になった(>_<)。恐竜伝染病絶滅説を連想させる。細菌や毒ガスや放射能など目に見えない兵器。天災や地球温暖化なんてのも、ある意味地球規模の兵器なのではなかろうか。


2019073
【もやしもん 9】石川雅之 ★★★☆☆ 2010/07/06 講談社 初出「イブニング」2009-10
ときどき、図書館でこの漫画を順不同で閲覧することがある。全巻そろってるのかどうかもはっきりしないが、この9巻(初めて読む)の「食料自給率」などの論議だけは、ちゃんとメモしなくてはと、借り出してきた。日本茶と紅茶の種類の一覧や、漬物の話など、他にも裨益するところ多かった。

[日本茶(蒸して緑茶にする)]
煎茶 最もポピュラーなお茶
深蒸し煎茶 倍の時間葉を蒸した煎茶
玉露 渋み少なく甘い。高級品
てん茶(抹茶) 臼で挽いたお茶
かぶせ茶 玉露に近い製法、旨味あり
玉緑茶 丸い葉、まろやか
番茶 古葉を使う、さっぱり

[紅茶]
・インド茶
アッサム 深い味わい、香りが強い
ニルギリ 軽い香り、さっぱり
ダージリン マスカットぽい香り、さわやか
・セイロン茶
ディンブラ 爽やかで優しい味
ヌワラエリア 緑茶ぽい、渋みの花の香り
キャンディ 他より渋み少ない

長谷川遥 そのうち紅茶の人気がヨーロッパで爆発してイギリスの「午後の紅茶」の習慣とか生まれるんだけど。紅茶をヨーロッパに輸入していたのは主にポルトガル、その下にオランダがいたの。
樹慶蔵教授 そのうちインドのアッサムに自生する紅茶の樹が発見され、紅茶好きのイギリスが進出してくる。イギリスは東インド会社を設立し大々的に紅茶の栽培と中国とのケンカをおっ始めるんだ。
長谷川 東インド会社は企業という民間の形をした国営組織で、要はアジアの植民地化を進める大英帝国の橋頭堡よ。裏の顔としては政府公認のアヘン密売シンジケートってトコ。ヨーロッパの物産に興味を示さなかった中国もアヘンとなら茶を交易したのよ。でも、さすが麻薬だからヤバいってんで清朝の当局は取引を禁止したの。清王朝はギリスの持ってきたアヘンを港ですてたのよ。それに対して英国は「たとえ麻薬でも賞品を捨てるとは何事だ」って宣戦布告。それhがアヘン戦争。敗北した中国へのその後の欧米列強のむしり取りっぷりは歴史の通りよ。


アヘン戦争の経緯がこれでやっとわかった(^_^;)。

長谷川遥 日本は米の自給率はほぼ100%だし野菜も水産物も70%超えてるわ。日本のカロリーベース食料自給率40%ってのはその数字だけ見て危機盛り上げても何の意味もないのよねー。そもそも「食料自給率40%は低いから上げないと駄目」って、どうして? 要は食料自給率問題なんて問題は存在しないとあたしは思うのよね。本当に問題だ、危険だってんなら、ざっとした数字であおるだけで対処がのんびりなのはおかしくない?
小坂さん それは長谷川先輩の持論ですよね。具体的な例をいただかないと納得できませんよ。
長谷川 食料自給率ってのは人間が食べる物のみの計算じゃないのは分かってるわよね? 穀物飼料や牧草等家畜なんかのために生産されている農産物も含まれてるでしょ。特に問題視されている穀物自給率の低さ。米の自給率はほぼ100%なのに、何故こんなに低くなるのか。大量に輸入される家畜専用飼料、トウモロコシや小麦のお陰で「割合」として国産穀物が低くなるのよ。
武藤葵 自給率がヤバいって言われても何かピンと来ないじゃん。意味ないとはあたしごときがいえないけどさ。ひとくくりに40%ってい盛り上がるのは無理があるとはおもうのよ。実際自給率低価の理由は単純に食の欧米化で油を筆頭にした洋食の部分を輸入に頼るからでしょ? 世界も見据えろとか、グローバルなんたらとかゆっときながら食は国産国産ってねェ」
川浜拓馬 というかそもそも和食は世界から見て最もバランスの良い食物と言われたんだぞ。で、世界中で和食が注目されてブームになってる最中に等の日本はバンバン食の欧米化が進んで至る現在になってんだ。食料を工業みてェに輸出入の商品にしてた奴らの今更な懐古主義だよ国産至上主義なんて。
樹教授 うーん、それはどうかなー?
長谷川 ええ、理由はもっと単純です。「中国の野菜が危ないって巷で言われているのを聞いた」「アメリカの食物がよく分かんないトコがあるって何かで聞いた」「国産は安全安心な気がする」「国内の食品ギソウ等の問題はその会社や個人の問題で基本は大丈夫」
小坂さん ちょっと待ってください。結論に論理の飛躍を感じます! 実際自給率が上昇する事が悪ではないじゃないですかっ。
長谷川 だってそもそもみんなさァ そんなに農に関心あったっけ? ちょっと違う話に聞こえるかもしれないけど食品廃棄の話していい? 食品製造業、外食産業、コンビニなんかがまだ食べれる物を捨ててるって問題にされるじゃない? でも実際調査をすると、一般家庭からの食品廃棄の方が外食産業より多かったのよ。「食べ残し」が4割近く含まれているの。まだ食べられるものを捨ててるのよ。平成17年度の調査では国内に供給された食料の内7割しか摂取されてないって結果も出てる。 みんながみんな心当たりが無いとは言えないでしょ。それらを一人ひとりがなるべく減らせないかしら? 意識するのちゃんと。エコロジーに「ブーム」なんて付けた奴は何にも分かってないのよ。そしてこれはブームではなく常識への回帰よ、意識の問題。「必要なだけ食べる」「残さないで食べる」「捨てないよう食べる」たったそれだけで、無駄が確実になくなるの。でもこれで食料自給率が上昇することは1%もないわ。消費の問題だから。でもこっちの方がより具体的で身近じゃない

樹教授 いやーー 若い子の議論はいいねー

これは特に重要。食料自給率のナンセンスさをこれだけ明確に宣言する長谷川遥はすごい!!と思ってしまった。そして食べられるものを捨てている罪悪についても。

樹教授 現在日本で最も人気で売れてる漬物は糠漬けでも梅干しでもなく圧倒的にこのキムチだ。一方、日本では食の欧米化に併せて「減塩ブーム」がおこり強い塩と菌の発酵による「保存食」としての漬物の役割を忘れ、調味液と着色料に漬けこんだだけの発酵でない日持ちのしないものが漬物として市場に多く出回っている。

スーパーで売ってるアレは、漬物とは言えないものらしい。

樹教授 安心安全な食いモノを誰かがどこかで作って自分に常に供給して欲しい。政府が悪い、農協が悪い、農家が悪いと誰かに悪をなすりつけ、知る努力をもせず、求めるばかりの消費者という名の虚像を放つエゴが真の悪だ。消費者とは何だいそもそも。すべての人が生活していれば消費者でもあるじゃないか。売る立場は本気で「客は神様」と思っているよ。しかし買う側に回るとそれを真に受けて神なら何を要求してもよいと思うものもいる。自分が神でなくモンスターになっている事に気づかずに、それを指摘し倒せる最大の力を持つマスコミは先頭切って震え上がって、今やそれらの言いなりだ。「消費者」という錦の御旗に逆らう方が悪という図式ができてしまっている。実はそんなタブーなど存在しないのに。
少なくとも君ら農大生は農薬は悪でない事を知っているね。農薬は使う人間の方に問題がある事がほとんどだ。農協だって全てが悪ではない。新規就業者にはかゆいトコまで手が届くありがたい存在だ。しかし同時に食品偽装など不祥事の百貨店でもある。農の一面を見てもこのように清濁あわさってこその社会なんだから、消費者と売り手は互いに学び、知り、チェックし合い支え合うのが正しい関係なんだと思うよ。


樹先生もなかなかの論客である。10年前にこれだけのことをマンガで指摘されながら、今現在、事情は好転どころか、その正反対だろう。


2019072
【ヘイト・悪趣味・サブカルチャー--根本敬論】香山リカ ★★★ 2019/03/22 太田出版
香山リカ 1960年、北海道生まれ。東京医科大学卒業、精神科医。「テクノスタルジア」「しがみつかない生き方」「ポケットは80年代がいっぱい」
根本敬 1958年、東京都目黒区生まれ。ガロ1981年9月号掲載「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。以降「特殊漫画」の道を突き進み、漫画界の極北に位置する。「生きる」「天然」「タケオの世界」「豚小家発犬小屋行き」「ミクロの精子圏」「未来精子ブラジル」「因果鉄道の旅」

卵子は「卵子を育てる袋(卵胞)」で作らられるが、そのもととなる原始卵胞は女性が生まれるときにすでに卵巣に蓄えられており、それ以降、新たに作られることはない。生まれた時点で卵巣に蓄えられている卵母細胞は約200万個なのだが、思春期までに約170万個から189万個が自然に消滅するといわれる。その後も減少は続き、1日に30~40個が減り続ける。しかも、そのうち実際に卵母細胞から放出され(排卵)受精のチャンスを迎える卵子は、毎月1個から数個に過ぎない。さらにその期間はその女性が思春期から更年期を迎えるまでの30年間程に限られ、おおよそ400個程度と言われている。女性の場合、一度妊娠すると子どもが誕生するまでの約10ヶ月は少なくとも排卵が止まり、新たな妊娠はできない。だから、どんなに子だくさんの女性でも、一生で産める子どもはせいぜい十数人ということになるのだ。
それに比べて男性の場合、10歳くらいから精巣で精子が作られ始め、それは一生、産生可能と言われている。作られる精子の数も1日約5千万から数億個ずつで、人生70年だとしても、一生のうちに作る数はなんと1~2兆個と言われている。また1回の射精で放出される精子の数も1~2億個と、「ひと月に1個から2個」の卵子に比べてその希少性がいかに低いかがよくわかるだろう。


これは、Morris.の卵子の知識の無さを思い知らされたので、メモしておいた。戦前「産めよ増やせよ」政策に迎合して10人以上の子を産んだ日本の母親はほとんど限界近い多産ぶりだったわけだ。

野間易通氏は、この社会構造の非対称性に対する"美しいまでの無関心"が、その後のヘイトスピーチにつながっていったのだという。この「表現の自由」を盾として「左翼、テロリズム、ナチス、軍事、カルト、エログロ、ロリコン、ドラッグ、皇室、被差別社といったあらゆるものを並列に並べて等価なものとして語り、消費しようという制度」が、90年代後半にインターネットという「強力な武器」を得て、誰もが匿名の発信者となっていく。そして、「誰もがコントロールを失うなかで、実験はいつのまにか本番とな」ったのが、リアルな世界でも姿を表すようになった歴史修正主義や排外主義である。これが野間氏の主張だ。もっとわかりやすく言えば、被害者不在のまま「なんでも言っちゃえ」という雰囲気が醸成されていったことが、後の偏狭な愛国心や差別扇動主義を隠そうとしない「ネトウヨ」と呼ばれる人たちを生み出したのではないかということだ。

Morris.にとって根本敬といえば、やはり「ディープ・コリア」に尽きる。

「お人好しか? 欺瞞か? 韓国だったら腐ったキムチにでも舌鼓を打ってしまう武者小路実篤バリの韓国本が氾濫するさなか、『韓国人はフリチンだ!』と3人の子供(本当はもちろん大人)がワイルドでダイレクトな目で描き、撮り綴った韓国旅行ガイド版『裸の王様』。数ある韓国本のなかでも、タルタリ(自涜)からサヌリム(韓国No.1ロックバンド)まで出てくるのは本書だけ」(「ディープ・コリア」1987年ナユタ出版会の帯)

「くだらない事、バカバカしい事、マヌケな事には事欠かぬ国。ズサン美の宝庫。それが大韓民国である。マヌケさから目をそらしては真の韓国/朝鮮の理解は不可能である」(「定本・ディープ・コリア」1994年青林堂版の帯)


Morris.が韓国に初めて行ったのが1988年。行く前にナユタ出版会版を読んだはずだ。
かなりの衝撃だった。

「時代の産物」として生まれた『ディープ・コリア』がウケていたのではなくて、当時『ディープ・コリア』を受け入れる土壌のほうが「時代の産物」だったのではないか、ということだ。もちろん中には高橋健太郎氏のように当時から鋭い人権感覚を持ち、「これは人権侵害だろう」と気づいていた人もいた。ただ、そういう人たちよりも「おもしろい」と思ったり、さらにはそこから励ましや勇気ににも似たものを得る人たちも、たしかにいたということだ。

当然Morris.は、面白がり、勇気(蛮勇?)を得た記憶がある。


2019071
【「アベ友」トンデモ列伝】 別冊宝島編集部ほか ★★★ 2018/12/31
安倍晋三に群がるトンデモない面々を面白おかしく? 紹介した一冊。
記憶力減退著しいMorris.は、すぐ人名忘れるので、彼らの忘名録代わりに書き留めておく。

杉田水脈 「LGBT は非生産的」発言
小川榮太郎
小川が生きている世界はネトウヨの思考停止空間である。「民主党時代よりマシ」「中国・韓国はけしからん」「朝日新聞はけしからん」といった思考停止のテンプレートを拡大再生産することによ、安倍政権の売国政策を隠蔽しているのがあの手の集団だ。もちろん彼らは保守でも右翼でもなく、あえて言えば、安倍ビジネスである。(適菜収)
百田尚樹
見城徹幻冬舎社長
幻冬舎は、安倍首相に近い言論人の書籍を多数刊行していることで知られる。百田氏を筆頭に『日本国紀』編集の有本香氏、『新調45』休館の元凶となった小川榮太郎氏、レイプ疑惑で表舞台から去ったTBSワシントン支局長の山口敬之などがそうだ。(編集部)
櫻井よしこ
西岡力
櫻井氏は外国特派員協会の記者会見冒頭で司会者に「元ジャーナリスト」「リビジョニスト(歴史修正主義者)」と紹介され、本人がそれを訂正するという一幕もあった。(山田厚史)
籠池泰典・籠池諄子夫妻
稲田朋美
青山繁晴 ネトウヨ議員
和田政宗 ネトウヨ議員
山口敬之 元TBSワシントン支局長
伊藤さんは事件直後の2015年4月9日、警視庁に相談し同月内に告訴状を提出。同年6月に逮捕状が発行され、山口氏が帰国する羽田空港で逮捕すると聞かされていたが、まさに逮捕直前になって、当時警視庁刑事部長だった中村格氏によって「執行停止」が決済された。中村氏は警察庁のキャリア官僚で、2012年12月より約2年ほど、菅官房長官の秘書官をつとめていた。
山口氏が逮捕を回避したいのはもちろんだが、安倍政権にもそれを回避したい動機は十分にあった。
北村滋内閣情報官
山口氏が『週刊新潮』の取材申し入れに対し、次のようなメールを同誌に「返信」してしまったのだ。
<北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。××("詩織")の件です。取り急ぎ転送します。>
北村氏は警察官僚で、2006年の第一次安倍政権では総理大臣秘書官をつとめ、2012年以降は内閣情報官として、危機管理を担当する「裏の仕事人」だ。新聞の「首相動静」にもっとも頻繁に登場する官邸の黒子でもある。
「山口の『総理』、小川榮太郎の『約束の日』、そして産経新聞の阿比留比記者の『総理の誕生』は、"3大ヨイショ本"として記者たちの間でしばしばネタとなっています」(週刊誌記者)
片山さつき
佐川宣寿元国税庁長官
加計孝太郎
森友学園が小学校の建設用地購入時に国から8億円も値引きしてもらったのに対し、加計学園は愛媛県今治市から36億7000万円相当の土地を無償譲渡されていた。建設された獣医学部の事業費は192億円その半分を県と市の血税で賄う計画が進んだ。
下村博文元文部科学大臣
下村は、安倍政権を支える安倍グループの四天王と目される一方、加計ともごく親しい。政治献金も受けていた。(森功)
沖縄の歴史は教科書によって大きく内容が異なるケースがあり、時の教育委員会の意向によって採択される教科書が変わってくる。だが、下村氏はそこで政治介入し、尖閣列島など、日本の立場を明記した領土問題の記述を含む教科書を採択させようとした。
こうした「実績」が安倍首相に評価され、下村氏はその後も政権のキーマンとして重用されることになる。
2015年4月2日、当時首相秘書官だった経済産業種出身の柳瀬唯夫氏と、加計学園幹部、愛媛県及び今治市職員が官邸で面談し、柳瀬氏が「本件(獣医学部新設)は首相案件」と説明した。このとき愛媛県の職員が作成した「文書」がそれを証明したが、柳瀬氏は最後までのらりくらりと「記憶がない」とシラを切り通し、同日に面会した事実を最後まで認めなかった。
実はこのとき、加計学園にいちばん獣医学部を作らせようと動き回っていたのは文科相だった下村氏である。加計学園煮立ちする不適切な補助金支出を実質的に主導していたのは、家族ぐるみでつきあいがあり、学園から献金も受けていた下村氏であることは明白だ。(伊田文彦)
加藤康子内閣官房参与
加藤康子氏は1959年生れ。故・加藤六月農水相の長女で、父六月氏は安倍晋太郎氏の腹心だった。現在安倍政権で総務会長をつとめる加藤勝信氏の妻は、康子氏の妹。康子氏は、安倍首相の幼馴染み、加藤総務会長の義理の姉、ということになる。(千葉哲也)
籾井勝人 元NHK会長
安倍政権の「NHK支配」はトップ人事だけではなかった。2012年に第二次安倍政権がスタートして以降、国会同意人事であるNHK解説委員に作家の百田尚樹氏や、小川榮太郎氏の師として知られる長谷川三千子埼玉大学名誉教授など、ろこつに「アベ友」を多数押し込んでいる。
岩田明子 NHK解説委員 安倍首相の"お気に入り記者"
昭恵夫人の実家「森永製菓」も安倍系企業だ。
安倍家の「経済人脈」の原点は、質・晋太郎氏と平岩外四元日本経済団連名誉会長の親交だ。平岩氏は首相の祖父・岸信介とも親交が深く、当時の東京電力社長を仲介。以来、代々東京電力社長は安倍家とのつきあいを続けてきた。安倍首相の「原発再稼働」の方針はこうした背景とも無関係ではない。(編集部)
菅義偉 内閣官房長官
菅氏は不動の官房長官として、政権運営の安定化に大きな役割を寄与してきた。政権中枢の麻生太郎財務省とは距離を置いていると言われるが、そのバランス関係が政権運営状はうまく機能してきたという指摘も多い。菅氏は霞が関の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を実質的に仕切っており、そのため安倍政権で官僚たちからもっとも警戒される政治家であり続けている。1948年秋田県生れ。地元の高校卒業後、上京して肉体労働から飲食店の皿洗いまでをこなし、法政大学法学部に。大学卒業後、大学のOBを通じて小此木彦三郎衆議院議員の秘書となる。(編集部)



2019070
【世界の果てのこどもたち】中脇初枝 ★★★☆☆ 2015/06/17 講談社 初出「小説現代」2014-15
中脇初枝 1974年徳島生れ、高知県育ち。高校在学中に「魚のように」で坊っちゃん賞を受賞し、17歳でデビュー。「きみはいい子」(2012)「わたしをみつけて」(2014)

戦時中、高知県から親に連れられて満州にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子(ミジャ/よしこ)と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。何人(なにじん)なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、運命は三人を引きはなす。戦後の日本t中郷で、三人は別々の人生を歩むことになった。--たくさんの死を見た。空襲で家を失った。自分の故郷ではない国で生きて行かなければならなかった。でも、そこにはいつだって、国境を超えた友情があった。(帯書き)

近い将来であるはずのいつか、帰国するときにこどもたちがこまらないよう、朝鮮語を教える国語講習所が日本に残った朝鮮人によって作られた。「知恵のあるものは知恵を、力のあるものは力を、金のあるものは金を」という合い言葉のもと各地に設立され、その数は五百を超えた。
しばらくすると朝鮮学校と名前がかわった。たしかに学校ではあったが、これまでの国民学校とはずいぶんな違いで、校舎は倉庫にテを加えて机と椅子を並べただけのものだった。窓にはガラスも嵌まっていなかった。生徒数も少なかったが、こどもたちはすぐに打ち解け、兄弟のように仲良くなった。なにしろここではキムチを堂々と弁当に詰めてこられた。


「知恵のあるものは知恵を、力のあるものは力を、金のあるものは金を」という合言葉は以前、在日関連の本で知ったときも感動したが、改めて、いい言葉だと思った。

新しく担任になった小玉先生はやはり若い女性で、オルガンがうまかった。最初の授業で自己紹介をすると、詩を読んでくれた。
「心に太陽を持て、
あらしが吹こうが雪が降ろうが」
先生がじぶんのために言っていると、その瞬間に、茉莉は思った。
「くちびるに歌を持て、
ほがらかな調子で。
日々の苦労に
よしや心配が絶えなくとも
くちびるに歌を持て」
茉莉はいっぺんでこの詩をおぼえた。


この詩は、小学生の頃からMorris.の愛唱詩だった。昭和37年(1962)発行の世界少年少女文学全集50巻「世界少年少女詩集」(講談社)で初めて読んだ。この全集は毎月配本されて小学時代のMorris.の読書の中核となったもので、この最終巻一冊だけは現在も愛蔵している。ドイツの詩人の作で、山本有三訳だった。この作品で小玉先生が紹介したものと、微妙に違っている。せっかくだから全編引用しておく。

『心に太陽を持て』
ツエザール・フライシュレン(1804-1920)
(訳 山本 有三)
 
心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。
 
くちびるには歌を持て、
軽く、ほがらかに。
じぶんのつとめ、
じぶんのくらしに、
よしや苦労がたえなかろうと
いつも、くちびるに歌を持て。
 
くるしんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」


その選挙で初めて、女性代議士が日本に誕生した。
このとき選ばれた議員たちによる第九十回帝国議会において、帝国憲法改正案は圧倒的多数で可決され、日本港憲法が生まれた。
「もう二度と、戦争はしないことになったのよ」
その朝も、小玉先生は教壇に立つと、頬を紅潮させて言った。
「もう二度と」
ひとりつぶやくようにくりかえすと、くるりと黒板のほうに体を回し、こどもたちに背をむけた。その背中がぷるぷると震えていた。
茉莉も胸が熱くなった。茉莉にとって、もう二度と戦争をしないということは、もう二度と、母や父たちが焼き殺されたりしないということだった。もう二度と。


1946年8月24日の衆議院本会議で賛成421票、反対8票で可決された改憲法案への期待と感動のさまである。
安倍総理の改憲がこのような感動をもたらすとはとても考えられない。

アメリカとソ連の冷戦のもと、南北に分断されたままの朝鮮半島では南と北の対立が深まっていた。同じ半島に暮らす朝鮮人同士でありながら政治的に相容れないとされたが、大多数の朝鮮人にはその違いすらもよくわかってはいなかった。
南部の各地で共産主義者への弾圧が始まり、多くの人が捕らえられた。読み書きができるとか北部出身だとかいうだけの理由で北のスパイだとされた。済州島で起きた四・三事件では、なんの根拠もなく、無差別に島民が殺された。
せっかく日本から帰った朝鮮人たちも、かつて日本にいたというだけで命を狙われかねない状況に、密航してでも日本に逃げて戻ってくるようになった。
美子の両親は密航してきた同胞を家にかくまった。中には、開放前に日本の工場で女子挺身隊として働いていた女性もいた。せっかく朝鮮に戻って嫁いだのに、戦時中に日本で働いていたために婚家で従軍慰安婦だったのだろうと疑われ、離縁されて行くあてを失った人だった。


朝鮮戦争直前の在日事情が、的確に紹介されている。やりきれない。

折しも、中国全土では、毛沢東の大躍進政策の失敗による大飢饉が始まっていた。邢台の道ばたで餓死者を見ることさえあった。本来であれば農村で餓死は考えられなかったが、大躍進政策により鉄の増産が叫ばれ、だれもが農作業を放りだして畑におそまつな溶鉱炉を作り、夜となく昼となく、鍋釜など身の回りの鉄を根こそぎ集めて投げ込んでは製鉄に従事していたために、農業は大打撃を受けていた。燃料にするために木は切られ、山は丸裸になった。

毛沢東の明らかな失政である。

美子の心に残ったのが、朋寿が朝鮮学校の修学旅行で北朝鮮に行ったときのことだった。
「在日同胞は同胞(ドンポ)の過去を保存しているんだよ」
同胞とは、現在の北朝鮮と韓国、二つの国に分かれてしまった朝鮮民族をまとめて呼ぶことのできる便利な言葉だった。
「日本の植民地だった時代の記憶をそのまま保存して、更新しない。日本にいることで純粋培養されて、言葉も文化も、もう朝鮮半島に暮らす同胞たちが捨ててしまったものまで、そのまま使っている。共和国へ行ってそれがよくわかった。だいたいね、朝鮮半島の同胞は、在日同胞のことなんて知らないんだよ。在日同法は故郷をなつかしみ、故郷と同じようにしようと必死だけど、肝心の故郷の人たちは、在日同胞のことも知らないし、昔のことにも興味がない」
朋寿はさみしそうにわらった。
「共和国も韓国もどんどんかわっていく。でも在日同胞はかわらない。だから、同胞は同胞でも同じじゃないんだ。在日同胞は朝鮮人でも韓国人でもない。在日同胞なんだよ。日本に住んで、日本の文化を吸収して、かつ同胞の古い文化を残している。ぼくたちはもう、日本人でも朝鮮人でも韓国人でもないんだ。そしてもう、後には戻れない」
美子はおどろいたが、理解できるような気がした。日本で焼肉屋をしている自分がまさに在日同胞の存在を具現化している。


ここでも実に的確に在日同胞の立場と事実を描き出している。

茉莉にはわかっていた。
日本人。それは、わたしも。
日の丸の旗を振って、進一お兄ちゃまをフィリピンに送りこんだ。鉄を集めて、弾丸切手を買って、鉄砲の弾を送った。シンガポール攻略のときも提灯行列をして祝った。「陥落されたシンガポールの人たちがどうなったのか、考えもせずに。
そして、なにもかも忘れた。日本人が何人殺されたのか、日本人が何人殺したのか。
玉砕しても撃滅せよ、ひとり一殺と言って、学校で竹槍を藁人形に突き刺した。
その鬼畜米英を迎え入れ、クリスマスを祝い、ジングルベルの歌を歌う。ハローのおじさんと遊ぶ。チョコレートをもらう。
ハローのおじさんたちは、わたしたちの頭の上に焼夷弾をばらまき、機銃掃射をし、原子爆弾まで落としたのに。
何もかも忘れ、なかったことにする。


日本人だけが忘れっぽいわけではないのだろうが……

日本は、朝鮮戦争から始まった特需景気に沸いていたが、軍隊を持たないようになったはずの日本に警察予備隊が作られ、米軍は日本から朝鮮半島へ進軍していった。家族の写真をわたしに見せて涙ぐんでいたハローのおじさんたちは、今度は朝鮮に爆弾を落とした。
もしかしたら、朝鮮人だと言っていた、よっちゃんの頭の上に。わたしにおむすびをくれた、よっちゃんの。


そしてきっと、弱い人間はくりかえす。きっと、みんなはくりかえす。私は繰り返す。くりかえしてはいけなかった。
「ごめんなさい」
茉莉はその胸の中から逃れた。
「やっぱり、わたしは幸せになれない」
幸せになるつもりだった。みんな。
戦争をして、幸せになるつもりでいた。
自分のためだけじゃない。だれかを幸せにするために戦地へ行って、ほかのだれかを殺した。
だれかを幸せにするために、みんなで工場で武器を作り、みんなで食べ物をがまんした。
だれも、決してだれかに不幸せいなってほしくはなかったのに。
それなのに、だれかの幸せのために、たくさんの人が不幸せになった。
茉莉は、戸惑う勝志の顔を見上げた。
いつか、わたしの幸せのために、この人はだれかを不幸せにするかもしれない。
「わたしは幸せにならなくていいの」
約束を守ってくれた。わたしのことを忘れないでいてくれた。
この優しい人にだけは、わたしの幸せのために、だれかを不幸せにしてほしくはなかった。


フィクションであるとわかりながらも、この茉莉の心情には胸が詰まってしまった。
誰かの幸せのために、誰かが不幸になる。確かにそういった事実があることは否定できない。だからといって、幸せになろうとすることを自ら放棄することもなかろうとも思う。
物語は、中国残留孤児となり日本語も全く忘れてしまった珠子が帰国して、母と二人の友人と再会し、その後もそれぞれの人生を切り開きながら支え合うことになる。
戦争に翻弄された子どもたちの戦後を描いた貴重な作品である。


2019069
【ツリーハウス】角田光代 ★★★ 2010/10/15 文芸春秋 初出「産経新聞 夕刊」2008-09

新宿の「翡翠飯店」に住む家族の物語。祖父の死に始まり、祖母の「故郷」中国への旅に同行する孫良嗣の視点から、家族の過去、戦争の記憶が少しずつ理解されてくる。

「シンちゃんの漫画には未来が描いてあるだろ。その未来にはさ、戦争もあるし悪者も出てくるけど、でも昔みたいっていうか、どっかのんきそうなところが、いいなと思うんだよ」
「褒めてないぞ」慎之輔は笑った。
「ううん、本当にそうおもうんだよ。未来って、昔みたいだったらいいなって思うことあるんだ。前に前に、知らないところに住むんじゃなくて、知っているほうに進むんだったらいいなって」


弟基三郎との会話。

けれど今良嗣は、自分や兄や、仕事をさぼってばかりいる父やのんきなおじと、祖父母もそう変わらなかったのではないかと想像する。今いる場所よりもっといい場所があると信じ、深く考えずそこを目指し、けれど思い描いたようなものが手に入らず落胆をくり返しながら、でも、今日を生きるしかない。歴史に加担しているようで、そのじつ、歴史に関わっている意識もなくただ時代が与えるものを受け入れていく。もし祖父母と自分たちと違うところがあるとするなら、彼らは帰れなかった、ということだろうと良嗣は考える。背を押されて出ていって、そして彼らは帰れなかった。必死になって帰ってきた場所ではかつて彼らがやったことは悪いことだと見なされて、しかも、生きて帰ってきたことは名誉だとは見なされない。彼らが出ていった場所は異国だったが、戻ってきた場所もまた異国だったのではないか

日本の「棄民政策」のとどのつまり(>_<)

良嗣は背を丸めて写真を整理している祖母に問う。「満州にいったこと、後悔したこと、ある?」あまりに直接的な問いだと思いながら、しかしそれは旅のあいだずっと訊きたいことではあった。その問いに対するイエスノーが聞きたいのではなく、戦後から今に続く長い日々を、この無口な祖母がどのように過ごしてきたのかを良嗣は知りたいのだった。失ったものと得たものについてどのように考えているのか、知りたいのだった。
「いや、ないよ」祖母は即答した。「だってあんた、もし、なんてないんだよ。後悔したってそれ以外にはないんだよ、何も。私がやってきたことがどんなに馬鹿げたことでも、それ以外はなんにもない、無、だよ。だったら損だよ、後悔するだけ損。それしかなかったんだから」


満州=無論。



2019068
【満州国演義 1-9】船戸与一 ★★★☆

船戸与一による歴史小説である。新潮社から2007年に刊行開始、2015年に9巻を発刊して完結した。当初は『週刊新潮』に連載されていたが、第4巻以降書き下ろしへ移行した。2015年から2016年にかけて新潮文庫版も全9巻が刊行された。
舞台は満州事変から第二次世界大戦終結までで、架空の人物、敷島四兄弟がそれぞれの視点から満州国の興亡を描いていき、最後は通化事件で悲劇的なクライマックスを迎える。
刊行開始時には全10巻の予定となっていたが、結果的に9巻で完結した。それでも船戸の作品としては例外的な長さである。船戸の他の作品は、文庫本換算で1冊もしくは2冊から3冊程度のものがほとんどを占めている。
執筆途中の2012年頃には船戸が肺がんを患っていることが公表されており、一時は完結も危ぶまれた。最終巻の9巻の刊行から2か月後の2015年4月22日、船戸は肺がんによりに死去した。(Wikipedia)


Morris.は船戸の作品はほとんど目を通していると思う。本作も発表された順に、8年にわたって読みつづけたことになる。ただ、一年近く間が開くと、すでに記憶が薄れてしまったり、思い違いしたりということもあった。いつか読み直さねばと思っていて、やっと一月くらいかかって読み通した。満州事変や15年戦争への関心が深まり、少しはまた違った観点から理解できるのではと思ったのだ。たしかに事変の推移や個々の事件などは大部分わかってはきたようだ。
前に読んだときの読書控え(数巻分は控えが残って無い(^_^;))にはリンクしておく。全体的に、評価が低く、次巻に期待するなんてのが多かったような気がする。
主人公で狂言回しでもある敷島四兄弟があまりにも時代に流され過ぎ、一番自由で魅力的だった次郎までもが、憲兵や軍部に利用されることになったのが、なんとも読者としては歯がゆかったこともある。

1.風の払暁


2.事変の夜


四郎はその名刺を受け取って眼をやった。シャンハイ・ウィークリー・ニュース記者・ジョセフ・フリーマン。
「わたしは日本軍の首脳は実に頭がいいと思う」
「何でです?」
「アメリカは大恐慌からまだ抜けだせていない。フーバー大統領への国民の怨嗟は煮え滾ってる。イギリスも金本位制の停止に伴う混乱で揺れつづけて来た。ソ連はまだ五カ年計画の最中で他国に干渉できる余裕はない。この国の国民党は共産党の紅軍潰しに追われてるだけじゃなく、党内がふたつにも三つにも割れてる。それに、三千万の罹災者をだした揚子江の大水害からほとんど立ち直ってない。そういう時期に満州をぶん捕りに掛かった。ちょうど、どこかの国が関東大震災の直後に日本に攻め入るようなもんです。卑怯と言えば卑怯だが、蒋介石や張学良がどうあがこうと、満州は結局は日本の手に落ちる」
「あなたは満州での日本軍の行動を評価してるんですか?」
「評価します。わたしはユダヤ系イギリス人だ、この摩天楼のサッスーンのようにね。興味あるのは政治力学や地政学だけです。公理だの正義だのという言葉の玩具遊びに興味はない。現実の力学だけが基準になる。そういう意味で日本軍首脳の満州での行動を評価しています」


このフリーマンと、同盟通信の記者香月信彦の事変への言説は、かなり作者の視点に近いもののようである。言葉を変えれば、歴史的事実を学んだ未来からの視点でもある。

在ベルギーのアメリカ領事が事変についてふたつの見解があると漏らしたという。
ひとつは満州での関東軍の行動は日本政府自体の熟慮した計画だとする分析だった。もうひとつは外務省と対立する軍部の独断的行動だという見解だった。
国民政府は事変を日本全体の領土的野心の結果だとして国際世論に対日強行措置を期待したのだ。だが、アメリカはいま日本に強い圧力を加えると軍部の勢力を増大させるとの見解を採った。そして、連盟理事会はアメリカの分析に同調して、幣原喜重郎外相の軍部抑制を支援するためにしばらく静観する方針を採用したのだ。
しかし、関東軍はこういう国際情勢を一顧だにしようとしなかった。


これもね。

小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことな避けて来たつもりである。(あとがきの一部)

これは最初読んだ時にも引用したのだが、歴史小説を書く時に必ず問題となる「歴史そのまま」と「歴史離れ」への船戸の立場表明である。

3.群狼の舞


「陸相に荒木貞夫中将が座ってから帝国陸軍も海軍もなべて皇軍と言いはじめたでしょう、国家の軍隊ではなく天皇の軍隊だということを強調するように、これは私見ですが、荒木陸相には何となく昭和維新を唱える連中と同じような臭いを漂わせているように感じられてなりません」
荒木貞夫が陸相に就任してから帝国陸海軍をなべて皇軍と称するようになっただけじゃない、日本も大日本帝国ではなく皇国と呼びはじめた。新聞各紙やラジオもこれに従いつつある。正輝はもともと自由主義者だった。それなのに荒木陸相の指導を抵抗なく受け入れている。知らず知らずのうちに人間は変質していくのだ。じぶんにもその傾向は否めない。満州建国という眩しさがそうさせるのだろう。


猪口正輝という建築家のことば。

満州の建国宣言が出されてからじぶんは明らかに変質したと思う。むかしは阿片なんかにはすさまじい嫌悪感を覚えていた。しかし、いまはちがう。阿片によって満州国の経営が成り立つなら、それはそれでいいだろう。婬になる人間なんかどうせ役立たずだ、満州国に奉仕して鼠のように死んでいくがいい。本気でそう考えるのだ。国家の創造は男の最高の浪漫。耳もとで囁きかけて来るこの言葉がみずからの変質をすべて合理化してくれる。

これは長男太郎の独白。

「それにしても、わたしには理解できない。なぜ頭山満がこれだけ軍人や政治家に強力な影響を与えるかが」
「大アジア主義だよ」
「え?」
「維新での攘夷論は明治にはいって大アジア主義へと変貌していった。しかし、この大アジア主義というのは具体的な内実を伴っていない。漠たるスローガンとして拡散していった。つまり、大アジア主義は人によってその内容が異なるんだよ。西洋文明に抗するというだけが共通の概念だからな。つまり、大アジア主義は先鋭化するほどの結束力を持ってない。それが政府公認のイデオロギーとなった理由だよ。大川周明ほどの明晰な頭脳をもってしても論理化できず、幕僚将校たちに国家改造を焚きつけるだけだ。大アジア主義と国家改造論を結びつけるものは具体的には何も見つからん。それでも、軍人たちは感心して聞き入ってるんだがね。この大アジア主義の象徴が遠山満だと言っていいだろう。軍人も政治家もそのことを知り抜いている。象徴を傷つけたら何が飛びだしてくるか知れたもんじゃないと漠然と思ってるだろう。そのことに気づいてるのかどうか判断できんが、遠山満は大アジア主義の内実についてただの一度も論じたことがない。信奉者に求められて、ただ敬天愛人という西郷隆盛の言葉を揮毫するだけだ。まさに明治維新以降の歴史の停留を代表する存在としか言いようがない」


太郎と同盟通信の記者香月信彦の会話で、これも前に読んだときに引用した部分。

国通つまり満州国通信社を設立させた一国一通信社論は信彦の所属する新聞連合の専務理事・岩永祐吉によって関東軍参謀部第四課に提案された。この提案を受け入れて参謀部第四課は国通を設立させた。それには国内の荷台通信者たる新聞連合と電通つまり日本電報通信の合体が不可欠だった。東亜同文書院卒で第四課嘱託となった里見甫がこれに奔走した。
「関東軍は満州事変のときにわたしたち記者に餌をばら撒いた。戦場を取材させるという餌をね。新聞各紙はその餌に食いついて多少のことには目をつぶり提灯記事を書いた。関東軍はそれでも満足できんらしい。今度は国通だけに生情報を与え、他の記者連中が関東軍に拝跪するように仕向けて来たんだ。腹が立つ。本当に腹が立つ! しかし、こんなことは満州だからできたことだ。一国一通信社制なんて国内じゃ絶対に許されん」
「ずいぶん興奮してますね、香月さん」
「おそらく里見甫と甘粕正彦が第四課に入れ知恵したんんだろう。里見は得体の知れんところがあるし、甘粕正彦は渡満以来人間が変わった。完全な陰謀家に変質してる」
「面識があるんですか? 里見さんと?」
「あいつは『北京新報』や『順天時報』で記事を書きまくってた。そのころからの知り合いだよ。済南事件のときに天津の支那駐屯軍の依頼で国民革命軍との停戦協定調印の秘密工作にあたった。それが縁で満鉄に勤務することになり、満州事変の時に第四課の嘱託辞令を受けた。何せあいつは満語がぺらぺらなんでね」

4.炎の回廊

「祖国のためなんですよ」
「おれの知ったことじゃない」
「自由ですか?」
「何だと?」
「そんなに自由が大事なんですか」
「おれは刹那刹那で生きてるだけだ。自由がどうだこうだとは考えたこともない」
「そのうち持て余しますよ」
「何を?」
「自由をですよ。自由というのはある意味じゃ厄介なものだ。実に扱いにくく、そのうえ重い。わたしはその重さに潰された連中を何人も知ってる。持て余して捨てたくなったら、わたしに報らせてください。自由よりずっと心地いい境地を用意します」
「何なんだね、それは?」
「国家への隷属ですよ。孤独でしょう、自由は? しかも、だれからも赦されることがない。みずからすらからも。国家に隷属しさえすればすべてが赦されるんです、どんな残酷な犯罪も。一度、天皇陛下万歳と叫んでごらんなさい。あらゆることが一瞬にして救済されます」

次郎と憲兵綿貫昭之との会話

「フリーマンはセファルディかアシュケナージかと訊いているんだよ」
「何なんです、それ?」
「知らないのか、ユダヤ人は二種類いるってことを?」
四郎は黙って首を左右に振った。
章介が低い声でつづけた。
「セファルディとはユダヤ王国滅亡後、流浪の民となってイベリア半島に向かったユダヤ人だ。主に貴族階級でな、保身のためにキリスト教に表向き改宗したが、家庭内じゃ頑なにユダヤ教の戒律を守ってた。それが13世紀の宗教裁判でスペインやポルトガルから追放され、イタリアやアムステルダム、ロンドンに散らばっていった。新大陸が発見されると、アメリカや中南米にも向かった。スエズ運河の株を買い取って植民地政策を確立したイギリスの首相ディスレリーや大富豪ロスチャイルドなどユダヤの名家はほとんどセファルディだ」
「アシュケナージというのは?」
「流浪の民としてドナウ川とライン河の流域を北上した庶民階級のユダヤ人だ。ドイツや北フランス、ポーランド、ロシアへと流れていった。アメリカにも多い。帝政ロシア時代に圧迫された大量のアシュケナージが流入したからな」
「ユダヤ人のなかでその二つは対立してるんですか?」
「何とも言えん。ただ、ちがいははっきりしてる。アシュケナージは数のうえでは圧倒的だ、九割を占めてるからな。ただ資力はセファルディが持ってる。言葉もちがう。セファルディは古来のヘブライ語を使うが、アシュケナージはドイツ語とヘブライ語の療法を取り込んだイーディッシュ語という言語で暮らしてる。


四郎とハルビン特務機関の少佐、落合章介の会話

「わたしに言わせれば、国体明徴運動というのは実に馬鹿げてる。明治維新以降の歴史を知らな過ぎるとしか言いようがない」
「どういう意味ですか?」
「曲がりなりにもヨーロッパの論理学で格好をつけた天皇機関説を排撃して何になる? その理屈は絶対に蒸し返しちゃならんのだよ、それは奥の院にそっと仕舞い込んでおかなきゃならん!」
「何を興奮してるんです?」
「天皇というのは虚構なんだ」
「え?」
「天皇は日本人が生み出した最高の虚構なんだよ!」
「穏やかじゃありませんね、香月さん」
「考えてみろよ、太郎くん、天皇は三つの性格を持ってる。まず立憲君主制のなかの君主。次に、兵馬の大権を独裁する大元帥。三番目に神事を司る最高の祭司官。つまり、法律的最高権威であり軍事的最高権威であり宗教的最高権威なんだ。そのことは現人神という虚構でしか纏められん」
太郎は銜えている煙草に火が点けられなかった。こんなことは考えたこともない。それをいきなり突きつけられたのだ。緊張感に背すじが強ばって来る。太郎は黙って信彦の眼を見つめた。
「現人神・天皇という虚構は立憲君主国家を目指す伊藤博文と兵営国家を作り上げようとした山県有朋の妥協の産物として生まれた。そして、それは最高の虚構として機能した。明治維新からたった68年間で日本がこれだけの強国となったのはこの虚構のおかげだ。江戸時代に天皇はどんな役割を持ってた? 室町時代や鎌倉時代は? 天皇にできたのは元号を決めることぐらいだった。それが現人神という虚構となって日本人を纏めあげ、日本は欧米列強に対峙できるまでになったんだ。国体明徴を唱え天皇機関説を排撃すれば、論理的には天皇とは何かという問題に行き着かなきゃならなくなる。せっかく日本人が創り出した最高の虚構をあらためて白日のもとに曝すことになるんだよ! 馬鹿げてるとは思わないか? 虚構は虚構としてそっとしておかなきゃならない。最高の虚構はなおさらだ。それなのに、天皇機関説排撃を言い立てて政府を追い詰めようとする政友会には腹が立つ。機関説排撃によって青年将校を煽り、その動きに阿り、陸軍内の抗争に利用しようとする真崎教育総監らにはもっと腹が立つ。やっていいことと悪いことがある。奴らは明治維新以降の日本の成功の秘密にまったく気づいてない! わたしはそのことに危惧してる」



「甘糟さんがいまや協和会を牛耳ってることはだれもが知ってる。けど、わたしには甘粕正彦という人間がいまひとつ理解できん、逢ったこともないしね。どういう人なんだい、甘糟さんは一言で言えば?」
「虚無的な現実主義者」
「困るね、そんな文学的な表現をされたんじゃ」太郎は笑いながらそう言ってふたたび煙草を銜えた。「もっとわかりやすいように説明して欲しい」
「しかし、そうとしか説明できないんだよ。石原さんが浪漫的理想主義者だったとすれば、甘糟さんはそう捉えざるをえない。協和会は満州青年連盟系と大雄峯会系を糾合することから発足した。会と言っても、現実には政党だからね。満州をめぐってさまざまな意見が出る。政治的な主張が交錯して収拾がつかなくなることが多々生じて来る。そんなときに甘糟さんがずばりと決定する。それで行こう、これで行こう、とたった一言でね、まるで理想とか主張とかがまったく無意味であるかのように。そうやって協和会の意思統一が行なわれるんだよ。いまや協和会は甘糟さん抜きには一歩も前に進めないような仕組みになって来てる」
「満足なのかね、きみはそれで?」
「しかたないんだよ」

太郎と東拓の的場雄介の会話。満州での甘糟の活躍?は誰もが取り上げるが、船戸の評価が今ひとつわからない。

「そうだ、人間は変わる。純朴だった歩兵将校はいまや民間人には任務内容もわからない憲兵大尉だ。末弟はむかし無政府主義に傾倒してた。それが国策の走狗となって満州武装移民とともに北満で行動し、これを阻もうとする満人の群れに銃で左脚を射たれた。このわたしはどうだ? 張作霖爆殺や柳条溝事件のときはあれほど関東軍の傲慢さに憤りを感じたくせに、いざ満州国が建国されるとなると狂おしいほどの男の浪漫を感じ、それに協力することに何とも言えない悦びを覚えた。いまも満州国が整備されるたびに充足感に侵される。おかしいかね? おかしきゃ笑えよ!」


これも太郎の台詞。このあたりまでは次郎はまだ馬賊やっててかっこよかったのに、彼への言及はない。

「いまはだれもが歴史の激動期に生きている。その荒波のなかで漂ってる。価値観に整合性を持たせようとしても何の意味もない。時代はあらかじめそんなことを拒否しているんだ。歴史の荒波を自力で泳ぎ抜こうとすれば、価値観の溺死が待っている」

「歴史」と「溺死」。語呂合わせかな?(^_^;)

「わたしの想像じゃあ、この二・二六事件の首魁は真崎大将じゃない」
「だれです?」
「士官学校事件で除籍となった磯部浅一元一等主計と村中孝次元大尉」
「しかし、もう民間人でしょう」
「叛乱には軍服を着て参加した」徳蔵がそう言って頬に薄い笑みを滲ませた。「とくに、磯部浅一の存在が大きい。襲撃目標の選定とその方法に大きく関わってるしな」手酌で猪口に酒が注がれた。
「奉勅命令が下達され、皇軍相撃の危機に叛乱軍にすさまじい動揺が走ったとき、磯部浅一は何と言ったと思うかね?」
「まったく想像できません」
「皇軍相撃が何だ! そう叫んだんだよ、磯部浅一はな」
徳蔵の声が冷え冷えとして来た。
「特設法会議の検察官に磯部浅一が何をどこまで喋るか見当もつかん。しかし、もしかしたら、磯部浅一は殺された永田鉄山軍務局長以上に強烈な国家社会主義体制を望んでいたのかも知れん。それに磯部浅一ら皇道派は天皇機関説排撃と国体明徴を基軸に急成長して来た。だが、磯部浅一こそもっとも徹底した天皇機関説の信奉者だった可能性が強い。みずからが夢想する社会体制を発足させるためには真崎大将はおろか天皇までも使いまわすつもりだったのかも知れん」


関東軍特務の間垣徳蔵は全編を通じて敷島兄弟にまとわりつく、背後霊のような存在(実は暗い因縁の血縁関係があった)だが、この二・二六事件の見方も、同時代の人間がこれだけの洞察ができるかどうか疑問である。

5.灰燼の暦

岸信介の名まえは外務省にも響き渡っている。東京帝大時代は国粋主義を主張する木曜会に属し、北一輝や大川周明の思想に共鳴する一方、マルクス主義の文献も読み込んでいたらしい。

安倍首相の祖父はマルクス主義にも精通してたのか。

「二・二六事件からまだ三ヶ月も経ってない。だから、現役武官制復活を単なる皇道派追放のための法的措置としか捉えてなかった」
「それ以上の意味があるとでも?」
「大正初年に西園寺内閣や桂内閣が瓦解したときを考えてください。統制派はそれと同じことを狙ってるんです。じぶんたちの気に入らない人物に総理大臣が任命されたら、陸海相を出さない。つまり組閣させないんです。現役武官制の法的復活は陸軍中枢が好みの内閣を勝手に作れるという法的な保障です。わたしが思うに、皇道派には論理もへったくれもなかった。やたら皇国とか国体とかを吼えるだけの激した感情しか持ち合わせなかった。そこへ行くと、統制派は狡猾です。陰湿です。法的根拠を固めてからじわじわと締め上げていくつもりなんだ! 日本型ファシズムはこうやって完成していくんです」


太郎の部下古賀哲春の私見

新京赴任まえに手渡された『日本人官吏服務心得』には朝鮮人についてこう書かれていた。窃盗の癖があり、放逸を好み、苦労を嫌い、しばしばおおげさなことを話し、政治上のことを語るのを好む。あの愚劣な文章はまさに五族協和の建国精神を蔑ろにするものだ。しかし、いったんそれを読んでしまった以上、その指摘から逃れられないじぶんがいることに気づく。太郎はいまさらながら思うのだ。差別とは、差別される側だけでなく差別する側にも妙な萎縮を与えてしまうものなのだ。

これって、まさにヘイト文書ではないか。差別は、する側にも萎縮を与えるという指摘にはちょっと頭が痛くなった。

6.大地の牙

「軍中央にはいい加減なところで矛を収めようという声もある。だが、結局は押し切られるだろう」
「だれにです?」
「世論にだよ。南京が陥落したとき、国民はそれを祝って提灯行列までしたが、蒋介石はまだ生きてる。国民革命も健在だ。すべてを叩き潰せという声はますます大きくなる。新聞もそれを煽って部数を伸ばす。軍部はそういう世論にあるときは阿り、あるときは利用して強硬路線を一瀉千里に突き進もうとする。それがファシズムというものだよ。ファシズムは大正14年の普通選挙によって計らずも産み落とされた魔性のシステムだといってもいい」
「普通選挙が支那事変を泥沼化させると?」
「明治38年の日露戦争終結のときのことを考えてみるがいい。当時はごく一部の高額納税者にしか選挙権は与えられていなかったが、国民のほとんどがよほどの好条件でないかぎりロシアと講話すべきでないと叫んでた。完膚なきまでロシアを叩けと狂ったように拳を突きあげてた。だから首席全権の小村寿太郎はポーツマスに出発するまえに遺書を残したし、交渉中に家が焼かれたり家族に危害が加えられる畏れもあった。絶対にロシアに譲歩するなというそういう世論をぴたりと封じ込めたのが山県有朋や桂太郎といった軍人政治家だったろ? 消耗しきった帝国陸軍や帝国海軍にちゃんとした戦闘能力はのこってなかったし、戦費も底をついていた。講和の時期を逸したら、ロシアの反撃は必至だった。だから、山県有朋や桂太郎は強権を振りまわして世論を抑え込んだんだよ。しかし、もしあの当時、普通選挙が行なわれていたら、政治家は表が欲しくて世論に阿り、戦争継続を叫んだかも知れない。つまりね、ファシズムとは普通選挙から生まれ、選挙民の感情を満足させるために他国との戦争を必要とすると言ってもいいんだよ」


太郎と香月信彦の会話。日本の戦争が日本の世論に後押しされたというのは、よく言われるが、普通選挙法がファシズムを生んだというのは、かなりにうがった意見である。

「吉本興業は関西の芸人を月給制で囲い込んだ、芸人にしてみりゃ収入が安定するんでそれに飛びついた。そうやって吉本興業は肥大化していったんだよ」信彦がそう言って硝子コップを弄んだ。
「しかしでかくなりゃなったで、厖大な仕事量を必要とする。必然的に、国家と結びつかざるをえん。 軍部もそこを利用した。たがいに相身互いで戦地慰問団『笑わし隊』が結成された。そういう事情だから笑いに毒がない。毒のない笑いがおもしろいはずがない」

次郎と香月信彦の会話。吉本の本質を軽く(^_^;) えぐってる。たしかに毒のない笑いは面白くないが、今どきのお笑いの「毒」は作用する対象を間違えてしまっている。

「今度の作戦は大本営の意向を無視しておこなわれています。ハルハ河渡河も奉勅命令なしに行なわれた。陸軍警報第三十五条擅権の罪ですよ。しかも、関東軍のこの暴走はたったひとりの作戦参謀によって行なわれた。辻政信という少佐の提案によってね」
三郎は何も言わずにその眼を見つめつづけた。
敬司が皮肉な笑みを頬に滲ませて言葉を継いだ。
「陸軍中央の意思を無視して関東軍が突っ走る。これは明らかに満州事変の成功体験の成せるわざですよ。辻政信少佐は士官学校事件のときは片倉衷中佐の意をうけて動き、渡満後は石原莞爾少将に気に入られるように満州建国大学設立趣意書を書いた。そして、今度は満州事変を真似るようにノモンハン事件を起こした。そして、今度は満州事変を真似るようにノモンハン事件を起こした。辻政信少佐はたぶん石原莞爾にでもなったようなつもりでいる」
「穏やかじゃないね、その言いかたは」
「腹が立つんですよ、辻政信少佐にはね。石原莞爾少将とは人間としての格がちがう。それなのに、その気になってこんなことをやらかした。服部卓四郎作戦主任参謀もある意味では同罪だ。辻政信少佐の虚偽情報の垂れ流しを止めようともしなかったんですからね。板垣征四郎陸相にも大いに責任があると思います。満州事変実行者という過去のために関東軍の動きをまったく押さえようとしない」


三郎と特務中尉床波敬司の会話。辻政信はたしかに評判悪い。

「とにかく、ノモンハンに関しては帝国陸軍が内包してた矛盾が一気に噴きだした。統帥の乱れ。将官の品性。根拠のない精神主義。うんざりするよ。先月の三十日にノモンハン方面の作戦の速やかなる終結を策すべしという大本営陸軍部命令が出たろ、ハイラルの本田豊吉特務大尉からの情報なんだがね、その命令を将軍廟の第六軍司令部に伝えに行ったのは辻政信参謀で、それを受けた荻洲立兵司令官がウィスキーを飲みながらこう言ったらしい、小松原道太郎中将が死んでくれることを望んでる、と。第二十三師団の残兵を集めてホルステン河南方の極東ソ連軍を殲滅せよと小松原師団長に命じたのは荻洲中将なんだぜ。それをそう言い棄てた。さすがの辻参謀も烈火のごとく怒った。こんな将官の指揮下で死んでいった兵士たちの霊が浮かばれんよ、そうだろう?」

三郎とハルビン特務機関中佐落合章介の会話。ノモンハンの戦いを正しく認識していたら、あの戦争もかなり変わったはずだ。

「シャンハイ支局が掴んでるもうひとつの情報じゃ日独防共協定が三国同盟に格上げされて枢軸化したら、蒋介石は英米支の三国の合作によって二億ドルの借款ができると踏んでるらしい。それだけじゃなく、アメリカから五百機以上の戦闘機を貸与されると計算してると聞く。わたしには何もかもが不気味な方向に動いてると思えてならん」
太郎はその眼を見つめたままゆっくりと桜茶を啜った。
数字を見るかぎり、いったん大恐慌から立ち直りかけたかに見えたアメリカ経済がふたたび落ち込みはじめている。大恐慌前の水準に戻すためには莫大な需要がなくてはならない。国民が戦争に巻き込まれることに反対して来たアメリカ労働総同盟や産業別組織会議あ何と言おうと、そのもっとも手っ取り早い需要の創出は破壊だ、戦争なのだ。ルーズペルトはおそらくそれを待っている。
ヨーロッパではムッソリーニがそろそろドイツ側について連合国側に宣戦するはずだ。内地では天津のイギリス租界封鎖を機にした反英感情がますます燃えさかり、防共協定の三国同盟化を求める声を天皇すらが押さえられそうもない。
太郎には聴こえて来るような気がする。
熄みそうもない砲撃音や編隊飛行をつづける爆撃機の爆音が。


そして、決定的だったのが、三国同盟(>_<)

7.雷の波濤

「近衛元首相は政治そのものに疲労困憊したのじゃなかったのかね?」
「わたしもそう思ってたがちがう。あの人はよくも悪くも公卿なんだよ。明治維新のときの岩倉具視と同様に、小心翼々とした保身術と変革を伴なう権力欲がない混ぜになってる。周囲の人間はそれに振りまわされる。汪兆銘が重慶を脱出して対日和平声明を発した直後に近衛内閣が総辞職したのは政治に疲れたわけでも何でもない、政治力を温存するためだったんだよ。そういうところは妙に狡猾なんだ。近衛元首相は10日前に枢密院議長を辞任し、強力な挙国政治新体制確立の必要性を説いたろ、あれは米内内閣の後継たらんことの表明に他ならない」
「具体的にはどんなものなんだね、挙国政治新体制とは?」
「第一次近衛内閣では政府は陸軍内の統制派の際限ない介入によって結局は支那事変を泥沼化させた。近衛元首相はそれが慚愧に堪えない。そこで軍部に対抗する強力な政治体制なしに正常な政治は行えないと考えたんだろう、麻生久や浅沼稲次郎ら社会大衆党の唱える挙国政治議員連盟論に乗っかかるふりをして政治の一元化を目指した」
「具体的には」
「政治の翼賛化。各政党がばらばらに政治的な主張を繰返していれば、政治はどんな力も持ちえない。だから、政党をすべて解散させて、大政翼賛会なるものに一元化する。政友会も民政党も社会大衆党もそれを受けて近々解散するらしい。政党だけじゃなく、ほとんどの労働組合もそれに倣うだろう。
この大政翼賛会に向かう研究は近衛元首相が信頼する昭和研究会によって進められて来た。賀屋興宣、風見章、蠟山政道、笠信太郎、三木清、尾崎秀実。大なり小なり、マルクス主義の影響を受けた革新官僚や知識人たちによって構成される昭和研究会が政治の一元化を主張してる。目指すところは東亜新秩序のための新体制だよ。この昭和研究会に矢次一夫の国産研究会が同伴してる」
「どんな人間なんだね、その矢次一夫って?」
「佐賀の生れでね、北一輝の猶存社を経て、十五年前に労働事情調査書を創って『労働週報』を発刊した。そして、野田醤油争議、共同印刷争議、日本楽器争議などのでっかい労働争議を調停して来た。とにかく、得体の知れない男でね、国家社会主義者だってことはまちがいないんだが、マルクス主義にも相当精通してる。その矢次一夫が国策研究会を造り、近衛新体制に昭和研究会とともに協力していく。大政翼賛会はかならず軍部に簒奪され、絶好の戦時体制として機能していくことになると思う」


太郎と河辺慎一の会話。近衛首相のドジは公卿の体質からきたものか。佐賀県出身の矢次一夫、というのは知らずにいたが、戦後も1983年まで生き延びて、公職追放された後、国策研究会を再建し、岸信介の個人特使として、日韓国交回復の根回しやったり、児玉誉士夫や小佐野賢治以上に陰のフィクサーみたいな役目をしたらしい。

支那の夜、支那の夜よ
港の灯り むらさきの夜に
のぼるジャンクの夢の船
ああ 忘られぬ 胡弓の音
支那の夜 夢の夜

「あの唄はああじゃなかった。内務省警保局図書課が検閲して強引に歌詞を変更させた。品位に欠けるという理由で、すでに名を成した作詞家・西條八十に書き換えを命じたんだ。わたしは最初の歌詞のほうがずっと気に入ってるがね」

支那の夜 支那の夜よ
阿片のけむり むらさきの夜に
踊るあの娘の絹の靴
ああ 悩ましい酔いごころ
支那の夜 夢の夜


香月章介の述懐。「支那の夜」のこのエピソードは印象的だった。

「そろそと始めるんですよ、731部隊が」
「何を?」
「人体実験」
三郎は一瞬、何のことだかわからなかった。
政之が低い声でつづけた。
「ペスト菌を人体に注射してその経過を観察する。これは細菌戦の基礎です。何としても実験に実験を重ねなきゃならない。その実験用人体は隠語で丸太とよばれてます。ハルビン憲兵隊経由で731部隊から丸太を平房に送れという要請が来た」
「それを捜しにこの豊満ダム建設現場に?」
「そうです、ここで働くのは大東公司から送り込まれた通州事件の捕虜連中や吉林監獄の囚人たちだ。突然消えたとしてもだれも心配しないい。丸太として平房に送り込まれれば、栄養たっぷりの食事を与えられ、完全滅菌した冷暖房つきの部屋でしばらく暮らします。そして、文句のつけようのないほど健康になったところでペスト菌を移植される。ある意味じゃこの豊満ダムで牛馬のように働かされるよりよっぽど幸福かもしれない」


三郎と特設憲兵隊少尉御厨政之少尉の会話。七三一部隊所属の大部分も、戦後アメリカとの裏取引で生き延びている。

八紘一宇とは国柱会の田中智学が日本書紀のなかから取りだして組合わせた造語で、東亜新秩序の理念として使われることになったのだ。大東亜という言葉は外相となった松岡洋右が何かの折りに口にしたもので、従来の日満支という概念を飛び越えてぐんと大きな広がりを持つ。そして、それは明治以来の陸軍の北進論に拘わらず、南進論も視野に入れるものだ。

「陸海ともに航空部隊の役割を過小評価してるんだ、おそらくね。その理由は日露戦争の成功体験から抜け出せないことにある。奉天会戦と日本海海戦。それによって陸軍はあいも変わらず歩兵第一主義だし、海軍は大鑑巨砲主義へと傾いた。ノモンハン事件で航空機の役割が見直されはじめたがそれでもまだまだ低い。だから、航空隊はいまだに陸海軍の付属物なんだよ」


「満州重工業の鮎川義介が国務院の要請を受けて満州産大豆とドイツの工作機械の交換を持ちかけにドイツに出向いたろ、鮎川義介はヒットラーと逢ってどんな話をしたか耳にしてるかね?」
「提案は断られたと聞いてますが」
「短い会見だったが、ヒットラーはこう言ったそうだ。国民のこころをひとつに纏め上げるのは政治家としてはもっとも苦労するところだ・その点日本は羨ましい。天皇という存在のもとに国民は一丸となれる。ヨーロッパにはそういう歴史がない。天皇は日本の至宝だ。そんなことを言われたと鮎川義介は周囲に漏らしている」


太郎と香月信彦の会話。

新京軍官学校は二年生国軍幹部訓練所として運営されて来た奉天軍官学校が四年生に改組されて移って来たものだ。
「どうなんです、学生たちは? 教え甲斐はありますか?」
「ひとりだけすごいのがいる」
「どんな学生ですそれは?」
「高木正雄という朝鮮人だ。朝鮮名は朴正煕。二十三歳と他の学生より歳を取ってるが、とにかくできがちがう。
朴正煕は480名の学生のうち5番目の成績で入学して来たんだが、頭がいいだけじゃなく、小柄ながら剣道が滅法強い。それに強烈な民族精神の持主でな、能力的に日本人や満人に劣ることを赦しがたい恥と感じてるんだよ。そこに菅野弘が眼をつけた」
「誰です、それ?」
「菅野弘は二・二六事件に連座した皇道派将校でね、事件後退役させられて新京軍官学校の教官となった。いまだにあの蹶起は正しかったと信じてるらしく、軍上層部が腐敗した場合、クーデタしか採るべき途はないと教壇で熱弁を振るってる。朴正煕は周囲の学生たちに菅野教官の授業ほどおもしろいものはないと漏らしてるらしい」

太郎と熊谷誠六の会話。朴正煕の通名が高木正雄だったというのは、どこかで読んだ記憶がある。

「いまは国家存亡の危機だと断じてもいいくらいなのに、陸軍と海軍はまだそんなちゃちな勢力争いを?」
「明治の建軍時代からの伝統だよ、陸軍と海軍の啀み合いは」徳蔵がそう言って短くなった煙草を灰皿の中に押し潰した。「陸主海従で、陸軍は勝手に優越感を持ち、海軍は冷や飯を食わされて来たと思い続けてる。情況がおかしくなりゃなるほど、陸軍と海軍の反目は深まり、たがいの猜疑心は強まる一方だろう。支那方面艦隊参謀長の井上茂美中将は陸軍との協力は強盗と手を握るがごとしと及川海相に言い放ったし、石原莞爾中将は陸軍が強盗なら海軍は巾着切りだと評した。支那事変とちがってアメリカを相手にするとなりゃ陸軍と海軍の共同歩調が必須となる。なのに、反目が緩和される見込みはいまのところまったくない。しかも、わたしに言わせりゃ陸軍も海軍も松岡洋右の根拠の薄い思い込みに騙されてる」
「といういう意味です、それは?」
「松岡洋右は白鳥敏夫と同じで三国同盟の締結はアメリカにたいする抑止力になると考えてる。ルーズベルトは三国同盟の軍事力を警戒して慎重にならざるをえないと踏んでるんだ。陸軍も海軍もそれを信じた。三国同盟締結というアメリカへの対決姿勢の表明は逆に対決回避に繋がると決め込み、より多くの石油備蓄の獲得のために強硬意見を吐く。つまり、舐めきってるんだよ、国際情勢を」
「間垣さんはそんなことはありえないと考えてる?」
「ルーズベルトは戦争を欲してるんだ。ニューディール政策とやらは看板どおり機能してない。アメリカ経済を大恐慌まえの段階に戻すには圧倒的な需要を生じさせなきゃならない。日本が世界恐慌から抜け出せたのは満州事変による需要の創出によってだ。ルーズベルトもそいういうことを欲してる。もちろん、アメリカの国内世論はそうじゃない。労働総同盟は非戦主義だし、モンロー以来の孤立主義も強い。しかし、何らかのきっかけがありゃ大恐慌からの完全脱出の絶好の機会として、欣喜雀躍、戦争を選ぶ」


太郎と間垣徳蔵の会話。

敷島四郎は次々にはいって来る南方軍戦勝の報にこころが浮き浮きして来るのを禁じえなかった。戦場がどんなものか知らないわけじゃない。通州事件の現場も見たし、第二次上海事変も目撃している。南京攻略のときの残虐さは憶いだしたくもない。戦争とはそういうものなのだ。しかし、いったん活字となって新聞に掲載されると、戦場で飛び散る肉片や夥しい量の血液の臭いが掻き消え、一切が何らかの競技のように思えてしまう。そのことが妙に日本人の血を意識させ、名状しがたい高揚感へ繋がっていく。四郎は自分は国粋主義とは無縁な存在だと思い込んでいたし、新聞記事に刺戟されて民族的な高揚感を抱くとは想像もしていなかった。

8.南冥の雫

ノモンハン事件に火を点け、第23師団をほぼ全滅に追い込んだあの辻政信はシンガポール占領直後に華僑粛清の担当者となった。実際には何人が殺されたかはっきりしない。しかし、国民党系の新聞は少く見積もって六千、上限は二万を越える華僑が銃剣によって虐殺されたと発表しているのだ。真珠湾攻撃を日本人の卑劣さの証しに仕立てあげたルーズベルトはシンガポールの華僑粛清を南京事件に並ぶ日本人の残虐さの証明として喧伝しようとしている。辻政信中佐はそんなことは百も承知だろうが、七万人の米比軍捕虜の殺害を私的に命じた。バターン行軍では3名の米兵がオーストラリアに逃走しているのだ、私的殺害命令のことも当然マッカーサーに報告されているだろう。問題はあれほどノモンハンで重大な失敗をしながら、責任らしいせきにんはほとんど取らされずに辻政信のような人物が南方作戦で酢酸参謀というきわめて重要な椅子に座りつづけていることだ。陸軍省人事はいったいどうなっているのだ?

太郎の感慨。

徳蔵が静かな声で言葉を継いだ。
「わたしは東京で軍令部第一課所属の中佐と一晩飲んだ。そのとき、実際にミッドウェーで何が起きたかを聞いた。確かに大本営が発表したように南雲忠一中将の指揮する第一機動部隊はアメリカのエンタープライズとホーネットという二隻の航空母艦を撃沈した。だが、連合艦隊の被害はその比じゃない。赤城。加賀。飛龍。蒼龍。この四隻が撃沈され、重巡洋艦・三隈もあえなく太平洋の藻屑となった。それだけじゃない。大本営は航空隊の35機が未帰還だと発表したが、現実には320機を撃墜されてる。要するに、連合艦隊は全滅に近いかたちでミッドウェー海戦を終えたんだ。それをあたかも勝利したかのごとく発表したつけは今後かならずまわって来る」


「何です、重大な疑惑とは?」
「暗号が解読されているかも知れん」
「え?」
「連合艦隊の動きはアメリカの太平洋艦隊司令長官ニミッツに読まれてたかのようだと東京で飲んだ軍令部第一課所属の中佐は漏らした。あれだけぴたりと照準の合った迎撃戦は単なる勘や推測で行えるもんじゃない。連合艦隊の発する暗号が完全に解読されてるからこそできた迎撃作戦としかか考えられんと言うんだよ。日米開戦直前の外交交渉のときもそうだった。暗号が解読されてる可能性はどうしても否定できん」


9.残夢の骸

「東条内閣が総辞職したが」
「ああ」
「突然だったな、サイパンが玉砕してもあれほど強気だった東条首相が」
「一番驚いてるのは東条首相だろう、総辞職せざるをえなくなったことに。裏切られるとは思ってもなかったろうし」
「何なんだ、裏切りって?」
「東条首相は陸相と参謀総長兼務、嶋田海相の軍令部総長兼務の批判を躱すために、参謀総長を辞し、軍令部長も辞させ、内閣改造で事態を乗り切ろうとした」
「で?」
「一部の閣僚に辞表を出させようとした。しかし、軍需省として統合された商工省の大臣だった岸信介国務大臣が辞表提出を拒否した。岸国務相は勘がよく変わり身の早いことで有名だ。軍部の言いなりの大政翼賛会下の翼賛政治会から推薦を受けて当選した大量の代議士のなかからも東条批判が噴き出してることにちゅうもくしたんだよ。東條内閣はいずれ帝国議会とぎくしゃくするとね。そこで見切りをつけたんだろうよ。満州が縁で岸信介を知り、商工相に引きあげてやった。その恩を感じ岸信介は言うがままに辞表を提出するものと考えてたらしい。それが拒否されたんだ、裏切られたと感じても当然だよ」
勝久が抑揚のない声でつづけた。
「帝国憲法の規定じゃ首相に閣僚の更迭権はない。閣僚が個別に辞表を提出スル以外に内閣改造はできないことになってるだろ、だから総辞職するしかなくなったんだ。ちょうど第二次近衛内閣が松岡洋右を外すために総辞職して第三次近衛内閣を成立させたようにね」


太郎と上海総領事代理瀬古勝久との会話。

ヒットラー暗殺を試みたワルキューレ作戦に参加した将校四名が即座に銃殺され、国家元首に予定されていたベック上級大将が自決しただけでは事態は収まらなかった。国防軍防諜部カナリス提督、武装親衛隊ネーベ中将、神学者ボンヘッファー神父ら七百名以上が処刑されるらしい。そのうちの数名はピアノ線で絞首されるという。その悶死する情景が撮影されてヒットラーはそれを総統官邸で上映させるだろう。ストックホルムからの情報はそう予感させるように伝えている。

石原吉郎の詩「ピアノ線の夢」を思い出す。

「このぶんだと大西瀧治郎第一航空艦隊司令官は特攻の創始者ということになっていくでしょう。新聞各紙は実に単純な誤認をしてる。まず特攻は太西中将が発明した戦術なんかじゃない。最初の体当たり攻撃は今年の4月、陸軍輸送船・松川丸を護衛中の飛行第二十六戦隊の一式戦闘機・隼が米潜水艦から発射された魚雷めがけて界面に突入し、爆破に成功してる。次は八月に北九州八幡に空襲に来たB29爆撃機にたいし迎撃に出た飛行第四戦隊の二式複座戦闘機・屠龍が体当たり攻撃をして空中爆発させてるんです。どれも自発的な特攻です。太西中将はそれを組織化し、戦術のなかに取り込んだだけだ。しかし、恐いのは陸軍航空隊が海軍を真似て特攻という戦術を採用することです。その可能性は大いにある」
「太西中将は純粋軍人というよりも政治的納涼に秀いでた人間と考えたほうがいいかも知れない。一年半まえ、航空本部総務長時代、航空機生産能力を上げるために蒋介石と取引をしている」
「何ですって?」
「当面の成果を求めるためには手段を選ばない。帝国陸軍の嘱託となってる政商・児玉誉士夫を使って交戦相手の国民革命軍に中古兵器を渡し、その見返りとしてタングステンを手に入れた。要するに、目的のためには手段を選ばない。取引で手渡した中古兵器で支那派遣軍の兵士が何人殺されようと、精神的な呵責を感じない性格なんだ。神風特攻隊を新聞各紙が英雄化することで、陸軍航空隊にも太西中将のやりかたを踏襲しようとする司令官がかならず出て来る。それを考えると、わたしはほんとうにぞっとする」


太郎と松添忠之支那派遣軍大尉の会話。

「マニラで陸軍四百機の特攻命令を下しながら戦況悪化に敵前逃亡を図った第四航空軍司令官・富永恭次中将は軍法会議にも掛けられず今月5日に予備役編入となった。しかし、陸軍内部から轟然たる非難の声が挙がった。軍人のくせに死の恐怖に敵前逃亡した人間を予備役にして戦争から解放するのはおかしい! そういう声がね。そこで陸軍省人事局は7月中旬に満州で編成される第百三十九師団の師団長ににんめいすることにした。こうなると、もはや戯画ですね。戦力として計算すらできない師団と、臆病で卑怯者の代名詞のように扱われた将軍の師団長赴任。かつて泣く子も黙ると評された関東軍はいまや戦力とはいまや戦力とは呼べない集団と化しつつある」

三郎と床波敬司特務大尉。

「松代の施設建設は端緒についたばかりだ、大本営移転はもはや悪い冗談としか言えん。大本営は参謀本部第一部長の宮崎周一中将に命じて本土決戦態勢を4月7日に構築させた。日本を滋賀県および岐阜県を境にして二分し、東を杉山元元帥を司令官とする第一総軍、二死を畑俊六元帥を司令官とする第二総軍、陸軍航空軍はインパール作戦時にビルマ方面軍司令官だった川辺正三大将指揮下の航空総軍とする。これが決号作戦と帝国陸軍内で呼ばれている本土決戦態勢でね、それが一撃講話論として準備された」
「何です、一撃講話論とは?」
「本土に上陸して来る米軍にすさまじい損害を与え、無条件降伏ではなく条件付きの講話に持ち込むということだよ。これには時間が掛かる。沖縄戦にちゃんとした増援部隊を送らなかったのはそのためだ。沖縄にはただ戦闘を長びかせることだけが求められた。戦死者9万、民間人死者死者10万、鉄血勤皇隊などの義勇兵死者2万、合計21万の死者を出した沖縄戦は本土決戦のための捨て石となったと言ってもいい」
「一撃講話論で獲得しようとしている条件とは何です?」
「国体の護持」


太郎と間垣徳蔵。

7月26日、無条件降伏を要求する対日ポツダム宣言が発表されたのだ。受け入れ前提として六つの条項を挙げている。
軍国主義の駆逐。連合国による日本領土の占領。日本の主権は本州、北海道、九州、四国および小島嶼に限定。日本兵力の完全武装解除。戦争犯罪人の厳重裁判。最軍味を可能なら締める産業の不許可。
この六つの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に基づく平和的傾向を有せる責任政府が樹立された場合は連合国の占領兵力は日本領土から撤退する。日本政府は即刻全日本兵力の無条件降伏にし、かつ適切なる保障をなすこと。然らざるに於いてはただちに徹底的破壊を齎すことになる

「明治政府は生起する矛盾を溶解する手段として黒船来航まえは暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇をにほんのすべてを統べる中心に据えつけ、欧米列強による植民地化を回避するためにやっきとなった。その方法をめぐっては大雑把に言ってふたつに分かれる。ひとつは伊藤博文に代表される近代化論。もうひとつは山県有朋が領導した兵営国家論。このふたつがあるときは対立しながら、あるときは補完しながら非植民地化を回避し、吉田松陰が提示した打開策に向かって突き進んでいった」
「どういう意味です、それは?」
「植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない。それが『幽囚録』で示されたとおり朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の形成をめざして走りだしていった。民族主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾みがつくと休息に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。これは植民地主義を白人の占有物だと考えていた欧米列強にすさまじい衝撃を与えた」
太郎はこの声を聞きながら乾いてきた唇を静かに舐めた。
信彦が腕を組み替えて言葉を継いだ。
「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松蔭の提示した方法によって怒涛の進撃を開始し、あめりかの透過した二発の原子爆弾によって木端微塵にされた。日本の民族主義の興隆と破摧。たった90年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない。この濁流のあとかたづけに日本は相当の歳月を要することになるだろう」

「いろんな憶測が流れてる」
「たとえば、どんな憶測です?」
「二ヶ月ばかりまえに興凱湖のそばのジャリコーワ戦闘指令所で秦彦三郎関東軍総裁参謀長と瀬島龍三参謀がワシレフスキー極東軍事総司令官と会談したろ? そのとき瀬島参謀が戦闘を中止すれば、60万の関東軍をシベリア開発の労働力として提供すると申し出たと言うんだよ」
「しかし、瀬島参謀にはいろんな噂ががつき纏ってますね」
「そうだ、台湾沖航空戦勝利が誤報だったと報らせる電文やドイツ降伏後ソ連が対日参戦するというストックホルムからの電報を握り潰したとかね。しかし、それは個人的にやれることだ。60万の関東軍をシベリア開発の労働力として提供するとなると、国家的な決定ということになる。瀬島参謀の階級は中佐だ。一中佐にそんな権限が与えられてるとは考えにくい。これまでの経過から噂が噂を呼んでるに過ぎんと思うが、混乱のさなかだ、何があっても不思議じゃない」

四郎と間垣徳蔵。結局敷島四兄弟のうち、戦後生き延びたのは、この四郎だけだった。

「東京や大阪じゃあちこちに闇市が立ち、べらぼうな値段で物が売られてるし、腹を空かせた子供たちは掻っ払いに走る。女たちは占領軍の米兵に競って春を売ってるそうだ。パンパンという言葉を聞いたことがあるかね?」
「何です、それは?」
「5年半まえ本間雅晴将軍第十四軍がマニラを攻略するまでフィリピンの売春婦が米兵を誘うときに使ってたタガログ語で、性行為を意味するらしい。それが日本じゃ売春婦を指す言葉になり、そのパンパンが増加の一途にある。この増加は政府方針に基づいててね、良家の子女の貞操を守るために内務省警保局が作った進駐軍特殊慰安施設司令に沿ってるんだよ」


四郎と東北電影公司の灘尾浩巳。

文献を読むかぎり、昭和前期の時代の濃さは後期とは比較にもならない。戦争。革命。叛逆。狂気。弾圧。謀略。抗命。破壊。哄笑。落胆。敗残。抑留。幕末維新時に巣立ちした日本の民族主義が明治期に飛翔しつづけ、第一次大戦後の国内外の乱気流に揉まれて方向感覚を失い、ついにはいったんの墜死を遂げるのだ。
10年がかりのこの作品を仕上げるには厖大な量の文献との格闘が不可避だった。資料渉猟はわたしのもっとも苦手とするところである。文献に当たっては執筆し、執筆しては資料を再確認するという作業の繰り返しは苦行僧の営為のごとく感じられた。
書きながら痛感させられたのは小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅していくことだった。戦争の形態が変わっていったのだ。航空機による無差別爆撃が常態となったとき、牧歌性が存する余地はもはやどこにもない。それは近代戦の宿命であり、浪漫主義のつけ入る隙のないものだった。
小説家は歴史家のように何が事実化を突き止める能力を有していないし、そういう場にいるわけでもない。こんなとき、190年ばかりまえにナポレオン・ポナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ--歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である。(あとがき)


巻末資料の欄には300を超える参考文献の一覧があった。


2019067
【日本の戦争1 歴史認識と戦争責任】山田朗 ★★★☆☆ 2017/12/08 新日本出版社
このシリーズは、2,3,1の順序で読むことになった。いちおう三部作すべて読了ということになる。

イギリスは1902年、日英同盟を結んだ年に、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させている。電話ではなく、モールス信号による有線電信であるが、情報がほぼ瞬時に世界どこでも届くようになった。情報と戦争遂行が密接に結びつき始めたのは、この日露戦争からだと言える。10年前の日清戦争のときは、ヨーロッパの新聞では、一週間や10日遅れで、ニュースが流れるのみだったが、日露戦争でほぼリアルタイムで情報が流れるようになった。
イギリスによる日本への支援も、あくまでロシアを「満州」に進出させないためのものであった。イギリスにとっては、日本が大勝して「満州」を独占してしまうことになるのも困る。
アメリカが日露の講話の斡旋をしたが、日本が決定的でない形で戦争に勝ち、ロシアもある程度北部「満州」に勢力をもっているという「満州」を巡る勢力均衡状態の間に入って、「満州」進出をすすめる戦略だったのである。


日露戦争(1904-05)で日本は、英国の海底ケーブルの恩恵に預かるところが大きかったようだ。
日本の戦争を顧みるとき、こういった国際的視点から見ることが大事。

日本軍の前半の成功として特徴づけられるのが、部隊間の相互連携である。これこそ、司馬遼太郎『坂の上の雲』に出てこない話である。この小説を読むと、日本軍は巧みに連係がとれていて、どうやって連絡していたのだろうと疑問をもつのであるが、肝心なことがカットされている。実際には、当時イギリスなどから派遣された新聞記者が、日本側の電信線の設営や野戦電話を盛んに写真に撮り、記録に残しているのである。ところが、日露戦争後に日本で出版されたものには、この点は秘密にされ、ほとんど出てこない。日本側にしてみると、秘密にして記録に残さないうちに、日本人自身が忘れてしまう、あるいは軽視してしまうということが起きてしまったのである。
『坂の上の雲』では、旅順攻略が上手くいかなかったのは、乃木希典第三軍司令官が無能だったためと読めるのであるが、実際には、誰がやっても同じだったというのが実情であろう。
司馬遼太郎の歴史認識には、明治は成功の時代でその頂点は日露戦争、昭和は失敗の時代でその頂点がアジア太平洋戦争というものがる。しかし、昭和の戦争、日中戦争以降の戦争の無謀さや侵略性のへの発言と、対になっている明治の戦争については、かなり実像に近いところまでは描かれて入るが、明治時代の人間の目で再現しようとしたがために、逆に同時代人には見えなかった国際的な政治力学--日本の後ろにイギリスがあったこと、イギリスやアメリカの思惑の中で戦っていたことなど--が希薄になっている。その時代の人になり切って歴史を描こうとした司馬の作品は、その部分がどうしても希薄である。


たしかに司馬遼太郎の作品では、明治の日本人の視点で書くことに力点が置かれたため、秘密にされたことは、知らないまま表現されてしまったということか。「司馬史観」とも呼ばれる、明治=成功、昭和=失敗とみなすことは、戦後日本人のかなりの部分に、歴史の誤読をうながしたとも言える。

日露戦争は国際的な政治力学のなかでつまり世界的な英露対立という基本的な対立構造のなかに日本が組み込まれた結果起きた戦争である。
そのこと以上に問題なのは、この日露戦争が、その後の日本人にどう受け止められたのか、ということである。日露戦争は、前述したように失敗の連続であったが、その失敗面はほとんど例外なく隠され、「失敗ではなかった」と言いかえられた。
逆に成功した真の原因は秘密にしておこうとされる。しかも秘密にしておくうちに、自分たちのなかでも伝わらなくなる。
最も失敗した事例では、亡くなった人を軍神にしてしまった。広瀬中佐を失った旅順閉塞戦などは、本来、この作戦を命令した幹部は批判されてしかるべきでもあるにかかわらず、軍神にすることで批判を封じ込めてしまう。その後も、アジア太平洋戦争に至るまで、軍神が生まれた事例というのは、ほぼ失敗事例である。
日露戦争は、日本軍の<伝統>を作ってしまった。
司馬遼太郎の作品では、明治の軍人と昭和の軍人を対比し、明治の成功と昭和の失敗を対比・強調するが、昭和の失敗の種は、ほとんどが日露戦争と日露戦争直後に蒔かれたのだという事実は、現代の私たちが理解しておかなければならないポイントだと思う。(第一章 日露戦争とはどいういう戦争だったのか)


「軍神」とは、作戦失敗を糊塗するために作られた偶像神みたいなものという指摘にはなるほどと思った。

孫文のスローガンであった漢・満・蒙・回・蔵の「五族共和」は、民族の融和による共和政体の確立という明確な意味づけがあったが、日・朝・漢・満・蒙の「五族協和」とはどのような意味が付与されていたのであろうか。「五族協和」「協和」とは、五族が融和スべきであるという理想を示すものではあるが、必ずしも五族が国民として「平等」であるということではない。そもそも、「満州国」には国家でありながら、「満州国国民」にあたるものが存在しなかったのである。何をもって「満州国」の「国民」とするかという法的な基準が存在していなかったのである。
「満州国」に国籍法が施行されなかったのは、日本では国籍法によって二重国籍を認めていなかったので、「満州国」に国籍法ができると、「満州国」に居住する日本人は「満州国民」となってしまい、日本国籍を喪失してしまうことになり、日本側とりわけ軍部の反対が強かったからなのである。(第二章 満州事変と「満州国」の実態)


「満州国」のスローガン「王道楽土」「五族協和」というのがいかに、眉唾ものだったかが、だんだんわかってきた。ちょっと遅きに失するけど(>_<)

私たちは、歴史を後(結果)から見がちなので、アジア太平洋戦争・対英米戦争に行き着いたプロセスとして日中戦争を位置づけてしまうが、今日、日本人が記憶として継承しなければならない(記憶の希薄化が顕著)のは、日中戦争の方である。なぜなら、日本の戦争は他国に攻撃されたり、強いられたりして引き起こされたのでなく、自らが勢力の膨張をめざした、侵略戦争だったからである。
満州事変こそ、第一次世界大戦以後の世界秩序を破壊する先駆けとなり、戦争とファシズムへと世界の歴史を大きく傾斜させた重大な事件である。
日本の戦争は、結局、中国での戦争の拡大とその収集を図るための三国同盟、日中戦争の成果を守るために対米開戦へと突き進んだともいえるものである。多くの日本人の戦争意識・歴史認識は、戦争といえばアメリカとの戦争ということに収斂するが、あらためて日中戦争を中心にすえた戦争認識・歴史認識へと再構築することが、私たちに求められている。


あの戦争を「太平洋戦争」と呼ぶことが、日中戦争を見えにくくしている一因かもしれない。日本の敗戦が、アメリカを中心とする連合軍への降伏だったこともあるだろう。しかしやはり、あの戦争は、領土拡張を目指した侵略戦争だったことを忘れてはなるまい。

南京没落後、中国の戦地には非常に多くの慰安所が置かれるようになる。日本側としては、激増する性暴力対策として慰安所が置かれた。慰安所を作っても、中に誰もいないというわけにはいかないので、当然、「慰安婦」をどこからか供給するということになり、主として朝鮮から連れてくる、ということになる。南京事件というのは、その後の「慰安婦」問題の、ある意味では原点でもあるわけだ。(第三章 日中戦争と南京事件の真実)

言われてみればそのとおりである。

12月8日、日本陸軍による英領マレー半島コタバル上陸に始まり、陸軍はタイ領内に侵攻、香港(英領)への攻撃も開始した。海軍は、真珠湾攻撃に続いて上海・シンガポール(英領)、ダバオ(フィリピンミンダナオ島)・ウエーク島(米領)・グアム島・ミッドウェー島を空襲あるいは艦砲射撃し、そしてフィリピンルソン島の米軍基地に大規模な空襲をかけた。発進基地である台湾での濃霧によって海軍の空襲部隊の発進が7時間以上も遅れたことが、ここではかえって米軍に大きく災いした。一瞬のすきをつかれた米軍の航空兵力(約200機)はその大部分を開戦初日に地上で失ってしまった。これは米軍にとっては真珠湾での被害につぐ、大損害だった。
日本軍にとってハワイ作戦は主作戦ではなかったということである。緒戦における日本軍の第一の戦略目標は南方資源地帯の確保という点にあり、その時間をつくるために米海軍主力に打撃を与える必要があったのである。(第四章 真珠湾攻撃とは何であったのか)


12月8日は真珠湾攻撃が大きくとりあげられる傾向にあり、アメリカへの通告が遅れたことから「だましうち」と呼ばれたことが取りざたされるが、上記にある通り真珠湾より先に攻撃が始まったのはマレー半島コタバル上陸で、こちらは英国への通告すらなかったという事実。またフィリピンルソン島の米軍航空兵力の大部分を失ったというのも、Morris.は知らずにいた。

歴史修正主義的言説が、ネット上にとどまらず、ナショナリズムを導火線として、政界に蔓延し、さらにそれが権威化された言説として還流するという構造が出来上がったことである。

安倍首相とネトウヨの癒着パターン。

スマラン事件とは、1944年日本軍占領のインドネシア・ジャワ島において、南方軍管轄の第16軍事幹部候補生隊に属する軍人たちが、抑留所にいたオランダ人女性36人をスマランにあった慰安所4ヶ所に<強制連行>し慰安婦としたもので、、関係者は、戦後オランダ臨時軍事法廷でBC級戦犯として裁かれ、軍人・業者らに有罪が宣告されている。

これこそ慰安婦強制連行の典型例である。

しかしながら、歴史的事実とは無関係に、この70年政府答弁の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という一節は、歴史修正主義者の中で「慰安婦の強制連行はなかった」という政府見解が示されたと「解釈」され、さらに「慰安婦は強制されたものではなく自由意志だ」、要するに「公娼と同じだ」、「合法的なものだった」、さらには「売春一般と同じだ」と連鎖的に曲解されていった。そしてさらにこの慰安婦の<強制連行>否定の連鎖は、朝鮮人労働者の<強制連行>の否定へと燃え広がっていくのである。政界に蔓延した歴史集成主義的な言説は、政府答弁書や首相の発言という形で発出されたことで、それhが権威化された言説として、ネット上の言論空間に還流し、猛威を増幅させたのである。(第五章 戦争責任論の現在と今後の課題)

どこまでも自分の都合の良いように解釈する連鎖の行き着く先が、これ。

日本は過去において、欧米の「白人帝国主義」を批判しながら結局自らも異民族支配、帝国主義の道を歩んだ。欧米帝国主義の徹底した差別・選民主義の支配とは異なり、日本は「皇民化」、同化主義という形で異民族支配をやっていく。欧米の差別主義と日本の同化主義は、支配されている側にとっては、どちらが良くてどちらが悪いという問題ではない。日本は本国人と植民地人を建前の上では「日本人」あるいは「皇民」と同等であるとしながらも、実際には朝鮮人のことを「半島人」などと呼んだように、決して同等の者として扱わなかった。日本政府は、台湾や朝鮮を同じ「日本」であるとしながらも、台湾や朝鮮には「大日本帝国憲法」を施行せず、あくまでも日本本国とは別物として支配したのである。このことを日本が明治以来、「脱亜」の道から「大アジア主義」への道をたどっていったという前提条件として確認しておく必要がある。そうした傾向は、昭和になって初めて出てきたわけではなく、日本の近代化・大国化の中に早い時期から組み込まれていたものなのである。

ここはポイント。欧米の横暴、日本の陰険。

「良いこと」とは何だったのか、ということをあらためて考えてみる必要がある。学校を建てたとか、道路や橋を造ったなどとい「良いこと」は、あくまでも植民地支配のために必要だったことなのだ。植民地支配のために必要ということは、基本的には本国の利益のため、統治を円滑におこなうためということである。(第六章 「植民地支配と侵略」の計画性と国家の責任)

「良いこともした」発言は、なかなかしぶとい。加害者からすると「盗人にも三分の理」みたいな考え方なのかもしれないが、本質を掴んでおかねば。

戦前男の子は将来立派な軍人になって忠誠を尽くし、戦場で戦って死に、靖国神社に祀られるのが最高の栄誉である。このように教え込まれた。ほとんどの人は死にたくないと思っているが、建前として戦死することが立派な事だ、と教え込まれた。実際にこれが公の価値観として流布し、軍人たちも死に直面すると「靖国神社で会おう」などと言いながら死んでいった場合もある。こういう話を次の世代が聞き、英霊が英霊を呼ぶというサイクルができあがっていく。これを「英霊サイクル」と呼ぶ。(第七章 日本は過去とどう向き合ってきたか)

「英霊サイクル」(>_<)。北朝鮮にもこれに似たサイクルがありそうだ。

安倍氏をはじめとして安倍内閣の閣僚たちの多くが、「自虐的」なるもの、「誇りを傷つける」ものを排除するために、まず、政府の足かせとなっている談話の類いを実質的に取り除こうと躍起になっている。具体的には、「河野談話」(慰安婦問題)、「村山談話」(侵略・植民地支配)、「宮沢談話」(近隣諸国条項)の三談話である。そして、これらの談話を排除した上で、靖国問題でより強硬な見解を確立しようとしている。13年5月の橋下発言とそれへの批判が国際的な広がりを見せるなかで

三談話排除の動きはやや後退したように見えるが、政局次第でこれらが再び浮上してくることは必至である。

安倍首相のやり方は、排除から、「無視」へと移行しているような気がする。

日本国憲法の理念である平和主義は、ある意味で「日本が政治的な小国であってもいい」とい考えを前提としている。これも大国になることのデメリットリスクを、戦前の日本が嫌というほど味わったからであろう。しかし、その経験が今や揺らいでいる。

大国志向の危うさをもう一度考え直そう。

安倍晋三首相は2015年8月の安倍談話で、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とこの戦争を持ち上げているが、それはとんでもないことだ。日露両国が戦争後、1905年に結んだポーツマス条約の第二条には、ロシアは「(日本が)韓国に於いて政事上、軍事上経済上の卓絶なる利益を有することを承認し」云々とあり、これによって韓国併合が可能になったのである。「勇気を与えた」どころの話ではない。


そら、韓国人/朝鮮人は怒るわな。

日本会議は、「先人が培い伝えてきた伝統文化」と重要視しているが、多くの場合、明治時代を理想化するあまり当時作られたものを「伝統」と見なしているにすぎない。
日本会議綱領には、なぜか「対米従属」についてはまったく触れていないが、歴史的に日本の近代は「自主独立」どころか、超大国追随の歴史であった。明治時代は日英同盟を結び、次に自分でやろうとしてうまくできなくて、結局ドイツ・イタリアと三国同盟を締結して失敗する。戦後は日米同盟であるが、虎の威を借りるように、超大国を後ろ盾にしながら、自国の存在感を強めていく--という点で、戦前も戦後も一貫しているといえる。


「伝統」メイドイン明治。
親方日の丸ならぬ、親方超大国。終始一貫というブラックユーモア。

戦犯容疑者にはなったけれど、起訴されなかった人々が多くいた。典型的なのが、安倍首相の祖父である岸信介であり、児玉誉士夫や笹川良一といった右翼であった。彼らは戦後も米国と一緒にやれると見なされ、米国に命を救われた人々である。
米国に助けてもらった存在だという事実がわかったら身もふたもないので、「占領憲法打破」とか、「東京裁判史観の蔓延は、諸外国への卑屈な謝罪外交を招き」(日本会議設立主意書)などといったように、ことさら米国の占領時代を否定的に描く。これは戦後の右派の恥部を隠す、一つのレトリックにすぎない。(第八章 政界における歴史修正主義)


戦前-戦中-戦後を貫く人脈と金脈。
このシリーズは、様々なところで発表されたものを編纂したもので、重複するところも多々あるが、飲み込みの悪いMorris.には、忘れかけては思い出す(^_^;)ということもあって、いくらか理解が深まった気もする。


2019066
【看板建築 : 昭和の商店と暮らし】萩野正和監修 ★★★ 2019/06/03 トゥーヴァージンズ
藤森照信の著書で、看板建築には関心持つようになった。本書は東京中心なので、Morris.にはあまり利用価値はなさそうだった。東京の看板建築なんて、どんどん取り壊されていく運命にあるだろう。いや、関西でもどこでも同じよな傾向にある。看板建築という名前からして、恒久的建物とは相反するもんね。
それでも巻末にあった用語集は、これからの建物観察に役に立ちそうである、一部引用する。


アプス--聖堂などでみられる祭壇の裏側に聖像などを安置するための壁の窪んだ部分。壁龕(へきがん)
一文字書き--金属板などの平面を水平方向に一直線上に書く手法
オーニング--建物の日よけ・雨よけテント
型板--表面に型模様を彫り込む加工をしたガラス
唐破風--そり曲がった破風
カルトゥーシュ--バロック建築様式に用いられた文字や紋章の壁面装飾額
コーニス--建物の軒や壁面にまわした水平材。蛇腹
ドロップアーチ--ゴシック建築に見られる先端の尖ったアーチの一種
辰野式/クイーン・アン様式--建築家辰野金吾が好んで多用した様式。レンガと石を交互にまわして外壁を構成する賑やかな壁面と、瓦やスレートによる勾配屋根が特徴
出桁造--江戸から大正時代に多く見られた一般的な商店建築様式。梁(腕木)を柱の外に突出して出桁を乗せ、その上に垂木架けて瓦屋根を支える構造
妻入り--入口が棟と直角方向(八の字になる側)にある建築様式。出雲大社
デンティル--西洋建築の軒下に見られる垂木を模した歯状装飾。歯飾り
ドーマー窓--屋根から突き出した小さな空間を持つ窓
塗屋造--外壁に土や漆喰を塗り込んで防火的にした建築様式
斜碁目(はすごもく)--下地に対して斜めに碁目編みした模様
破風--三角形の屋根と水平材に囲まれた壁面
バラック装飾社--関東大震災発生直後に今和次郎が仲間と「バラックを美しくする仕事一切を引き受ける」べく結成した活動体
パラペット--建物の屋上やバルコニーの外周部などに設けられた低い立ち上がりの壁
パルメット模様--シュロの葉を扇状に開いた形状の装飾
平入り--入口が棟と平行した軒先側にある建築様式
ファサード--建物の正面部分
ペディント--西洋建築における切妻屋根の庇の斜材と水平材に囲まれた三角形の部分
ベネチアンゴシック--イタリアのベネチアで見られる半野外の列柱空間を持つ建築様式
マンサード屋根--二方傾斜をもつ腰折れ屋根の形式の通称。正しくは「ギャンブレル屋根」
メダイヨン--肖像画やシンボルなどを描いた楕円形の装飾。メダリオンとも
モールディング--凹凸のある部分に施される帯状の縁取り。繰形(くりかた)
持ち送り--梁や庇など張り出した部分を支える補強材
雷紋--連続した方形の渦巻状の文様
卵鏃(らんぞく)--ルネサンス期に流行した、卵と鏃を交互に並べた文様
ロンバルディア帯--コーニスの下に設けるアーチが連続した帯状の飾り



2019065
【転生の魔  私立探偵飛鳥井の事件簿】笠井潔  ★★★☆☆  2017/10/10 講談社 初出「メフィスト」2016VOL1-3
以前に読んだ『魔』には「追跡の魔」「痩身の魔」の二つが収められて、第三作「壷中の魔」は雑誌発表されたものの未完で、本書は「魔」シリーズの第四作になるのかな。主人公飛鳥井も年を取っている。

古い建物が取り壊されようが新しいビルが建とうが、どうでもいいと若いころは思っていた。むしろ街が綺麗で便利になるなら結構なことではないか、と。いつごろからだろう、昔ながらの景観を目にして、ほっとするようになったのは。意識されていない心の凝りが、少しだけほぐれるような気分になる。ようするに老いたのだろう。

Morris.は昔から古い建物への愛着があったのだが(^_^;)

1970年前後の学生運動が展望もなく過激化して自滅して、戦後の平和運動や政治運動の遺産は喰い潰され、デモをするのは偏った変人や極端な人間ばかりだという常識が、それ以降は支配的になった。日本を脱政治的な「デモのない国」に変えた責任は、昔の過激な運動にある。

こういった物言いがよくなされるが、いささか表面的過ぎる見方である。

浅間山荘事件では警官の側に犠牲者が出ても、立てこもり側には一人の死者もいない。山荘の占拠者を殺害することなく事件を鎮圧するように、警察の上層部が現場に厳命したからだ。日本の警察が人名を尊重しているからではない。殺された学生が英雄化されることを怖れたからにすぎないとしても。

これはおおむねそのとおりだろう。

この国の反逆者は問答無用で抹殺される代わりに、自由を奪われ意志を挫かれて、権力に抗った者の末路が誰の目にもわかるように晒される。魔女や異端が大量虐殺されたヨーロッパと、権力に屈服して名誉も尊厳も失った姿を晒しものにする日本と、どちらが残酷なのだろう。
宗教対立は極限まで絶対化される場合が多い。ヨーロッパの宗教戦争ではカトリックがプロテスタントを、プロテスタントはカトリックを殲滅しようとした。しかし日本ではご禁制のキリシタンでも、踏み絵を分で棄教を表明すれば許された。
戦前日本に共産党は禁止され党員は残らず逮捕されたが、キリシタンの場合と同じで天候を表明すれば赦された。対立者を殲滅するヨーロッパ型の権力と、這いつくばることを強要して晒しものにする日本型の権力。いったい、どちらが抑圧的なのか。


比較する対象ではないのではなかろうか。

21世紀に入ると、ロスとの比較で東京の物価は徐々に下がりはじめ、いまでは3分の2以下、場合によっては半分に近い感じだ。
このところの円安傾向も円の購買力低下に関係しているが、基本的な原因は経済規模の差が急拡大している点にある。日本の経済成長が足踏みしているあいだに、アメリカのGDPは二倍に増えた。
日本の失速の著しさに気づかないではいられない。しかし外から日本を見ないでいれば、とくに問題は感じないだろう。
20年前の生活水準が維持されていると実感できるのは、大企業の正社員や公務員など日本人の半分程度ではないか。年齢的には、普通に暮らせる程度の年金を受給している高齢者から中年の正社員まで。
九割までが中流だと感じていた日本社会は、すでに失われてひさしい。いまや日本は、富裕層と貧困層のあいだに深淵が口を開いた階級社会なのだ。


日本と欧米のお金の価値の差がそこまで大きくなっってるとは、言われるまでは気づかずにいた。外国観光者の訪日の増加の一因はここにあるのだろう。

いまや私立探偵の業務の三分の一、いや半分はパソコンの前で行われる、といっても過言ではない。インターネットで必要な情報を的確に探し出す能力がないと、調査業で飯を喰っていくのは難しい。
インターネットの発達によって、さまざまな情報が誰にでも容易に、ほとんど無料で入手できるようになった。新聞などのマスコミや出版産業、教育産業など、ネットに顧客を奪われて衰退しはじめた業種は少なくない。
同じことが探偵業にもいえる。依頼人が必要とする情報を手に入れて、それを提供するのが私立探偵の仕事だから、ネットは手ごわいライヴァルなのだ。


Facebookなどは、こちらから求めていないのに、「知り合いではありませんか?」なんておせっかいを焼いてくれる。

航空写真では登り口から旧保護施設まで直線距離で1kmほどだったが、なにしろ九十九折りの山道だ。実際に歩かなければならない距離は三倍異常だろう。しかも上り坂だから、車なら10分以内でも、歩くとなると一時間以上かかりそうだ。

そうそう平面の地図だと、山道は直線距離の3倍くらい見ておくべきだろう。先日の山歩きでこのことを実感した。

「思想のために人を殺すというような極端な行動は、意志や決意だけでは不可能です。具体的な状況に置かれ、行動を具体的に方向づけられるのでなければ、そんなことは誰にもできませんよ。同じことで、条件さえあれば人の考えるようなことはすぐに変わります、もちろん行動も。花房さんが悪徳コンサルタントと非難される行為に手を染めたのも、さほど不思議とは思いません。大切なのは悪を否定する意志ではなく、望んでも悪がなしえないような状況に身を置くことです」
修行を積んだ宗教家らしい深みのある言葉だと、皮肉でなく思った。三橋恭子に天啓教のテロ事件のことを訊いてみたいところだが、悪をめぐる思想的対話は私立探偵の仕事に含まれない。


天啓教はオウム真理教をモデルとするもの。おしまいのフレーズは笠井なりのユーモア。

いまでも朝鮮籍を北朝鮮籍、ようするに朝鮮民主主義人民共和国籍と誤解している日本人は少なくない。いうまでもないが朝鮮籍とは、韓国成立後も韓国籍への書き換えを行っていない日本在住の朝鮮半島出身者を便宜的に分類した名称にすぎない。

この当然の事実は押さえておいてほしい。

「黒澤氏の連合赤軍総括とは」
「日本人が第二次大戦末期、命惜しさに本土決戦に日和見を決めこんでアメリカの属国になることを選んだことが、連合赤軍の自滅の歴史的背景にあるというのが黒澤さんの主張だった」
戦後世代の不幸は属国の運命に甘んじ、空疎な繁栄に呑みこまれているところにある。1969年に「革命戦争」というスローガンが多くの青年を掴んだのは、未遂の本土決戦を自分たちが完遂しなければならないと意識的、無意識的に渇望していたからだ。
本土決戦から自己保身的に逃亡した親たちの子は、奪われた尊厳と本来性を回復するために戦争を再開するしかない。しかし自堕落で卑劣な親たちの子である限り、戦争をはじめることなどできない。このディレンマの前で連合赤軍は立ち竦み、<総括>による革命兵士の育成という愚劣な道に踏みこんで自滅した。


黒澤というのはネチャーエフ的陰謀活動家。左翼が極北まで行ってしまうと右翼みたいになるという見本。

しばしば指摘されてきたように、コミュニズムはキリスト教と同型的な絶対観念だ。それが誤解だったとしても、疑似宗教としてコミュニズムを信仰した人々が無数に存在した事実は否定できない。

少なくとも戦前のマルクス主義信奉者の過半数は、そうだったにちがいない。いや戦後、そして現在もそれに似たことはありそうだ。

昭和10年前後を小春日和に喩えることがあるという。昭和初年代の共産党弾圧が一段落し、天皇機関説事件や国体明徴運動でリベラル派までが追放されはじめるまでの短い期間だ。そのあとに来たのが全面戦争の時代で、何百万人という日本人が前線と後方とを問わず大量死を遂げ日本列島は焦土と化した。


小春日和の後には厳しい冬が待っているということか。冬来たりなば春遠からじである。

引きこもりの子を抱えた団塊世代の親たちも、すでに高齢者の域に達した。あと十年以内に後期高齢者になり、それから少したてば平均寿命を迎える。何十年も自宅に引きこもってきた子は、親が死んだからといって翌日から自活できるわけがない。屍体遺棄の罪になることを承知の上で、たまたま自宅で死亡した親を庭に埋めてしまうことになる。
病院で息を引きとると親の死が公になってしまう。急病で倒れても救急車は呼ばない、病院にも連れていかないまま、自宅で死ぬのを待っていた例もある。
行政側が年金の詐取を警戒して手を打っても、イタチごっこになrのが落ちだ。摘発しても摘発しても、庭や家の床下に埋められる親の屍体は増え続ける。この国ではすでに、この種の老親の屍体が何百何千と埋められているのではないか。


時々ニュースで報道されることがある。同じようなケースいくらでもありそう。引きこもりとっては死活(生き残り)問題ということになるわけだから。

戦争法は非戦闘員の殺傷を禁じていた。戦闘員と非戦闘員の区別がつくように、戦闘員は一目で判別できる制服を着用することが定められていた。ところが20世紀の植民地独立戦争では、軍服を着ていないゲリラ兵が主役になる。ゲリラが紛れこんでいるかもしれない一般民衆を、宗主国や侵略国の軍隊は無差別に攻撃しはじめた。こうして非人道的な大量虐殺の時代がはじまる。
それだけではない。20世紀の戦争は総力戦だから、軍事力を支える敵国の市民社会それ自体が攻撃対象になる。典型が第二次大戦での戦略爆撃だ。当初は軍需工場などの民間施設を標的にしていたが、たちまち一般市民の居住地までを無差別に爆撃するようになる。ゲルニカ、重慶、ロンドン、ドレスデン、東京。戦略爆撃は広島、長崎への原爆投下で極限に達する。


米軍による空襲は無差別テロだった。原爆投下に至っては……

巻末に杉田俊介の「解説にかえて--笠井潔入門、一歩前」 というタイトルの13pの解説(^_^;)があって、これが実に笠井潔の全貌を要領よく紹介していた。

笠井の理論によれば、二つの対戦間に発達した英米の本格探偵小説は、第一次大戦という世界戦争(絶対戦争)のインパクトから生まれた「戦後」の小説であり、20世紀的な大量死の時代の精神性を逆説的に示す文学形式である。世界大戦後の人間は、近代人としての自己実現や夢や理想を容赦なくローラーで押し潰され、匿名的で無意味な屍体の山とまったく等価になった。人の命をゲームのコマのように弄ぶ本格探偵小説の中には、無意味な屍体の山から、名前のある、固有の、尊厳のある死を何とかして奪い返したい、という逆説的な情熱があるのだ。

第一次大戦が本格ミステリを産み、第二次大戦がSFを生んだのだろうと、Morris.もぼんやりと思ってた。笠井説そのまま受け入れるわけにはいかないけど。

飛鳥井は私立探偵であり、市場経済の中で身銭を稼がねばならない。超然とした名探偵とは異なり、生活の泥臭さの中で生きるしかない。しかしだからこそ、飛鳥井は、世俗社会を生きながらそれを冷静に見つめる、とい社会批評家的な側面を持つ。

そういった社会批評めいたところがMorris.には興味深かった。

飛鳥井の歩みとともに、その背景として、SEALDs、国会前抗議行動、秋葉原事件の加藤智大を連想させる派遣社員によるダガーナイフでの殺傷事件、不登校、社会的引きこもり、イスラム過激派の問題など、現代の日本社会を様々な形で象徴するような社会現象や事件が浮かび上がってくる。
そしてそれらの現代的事象は、さらに、三島由紀夫のクーデター未遂と自決、連合赤軍事件、東アジア反日武装戦線による三菱重工爆破事件、オウム真理教を連想させるカルト団体による無差別テロ事件など、この国の戦後史に刻み目を入れた様々な社会事件--それらは複雑な意味での「反日武装闘争」とい共通点を持っていた--とも網の目状にリンクし、さらには海外のネチャーエフ事件やイスラム過激派のテロリズムなどとも星座のようにひびきあっていくだろう。
本書における飛鳥井の執拗な歩みと調査を通して、読者はこの国の戦後史--ただしそれはいわば笠井潔史観とでも呼ぶべきユニークなものだが--総体とも自ずと向き合うことになるはずだ。


本作の時代背景は、安倍内閣による戦争法制強行採決の時期である。笠井潔史観(^_^;) 司馬史観よりは新しいだけ、共感覚える所多い。


2019064
【まめこの料理のきほん丸わかり】 まめこ ★★★☆ 2015/09/15
まめこ イラストレータ・マンガ家・絵本作家。大学ではインドネシア語を専攻。2年間のインドネシア留学後現在の活動を始める。料理は自己流、今回の取材で基礎をきちんと学ぶことができ、よろこんでいる。エスニック料理好き。

煮る・ゆでる・焼くなどのきほんの調理法から、食材の切り方、調味料の使い方、段取りや献立のコツ、おもてなし料理まで、知りたいこと全部、専門の先生に聞いてきました!
今まで誰に聞いていいかわからなかった素朴な質問に丁寧に答えて頂きました。しかも絶品!レシピつきです♪ (はじめに)


つまり料理研究家でもない著者が各分野の専門家に取材してまとめた基礎料理本。Morris.にも役立ちそうな知識満載だった。

・いりこだしのとり方 煮干しは頭を除き、背中から左右に裂き、内臓を除く。鍋に煮干しを入れて中火で炒り、よい香りがでたきたら火を止め、水を加て分ほどおく。中火で煮立ててアクを除きながら弱火で5分ほど煮出し、ぬらして固くしぼったさらしでこす。

Morris.は味噌汁の出汁は絶対いりこ派(+昆布)なのだが、先に鍋でいりこを乾煎りというのはやってなかった。これを見て昨日試してみたら、たしかに美味しくなった。(ような気がした(^_^;)

・けんちん汁の作り方
1.豆腐は一口大にちぎり下茹でし水気を切る
2.大根は3mm厚さのいちょう切り、にんじんんは2mm厚さの半月切り、干し椎茸は戻して千切り薄切り(戻し汁はとっておく)、油揚げは油抜きして短冊切り
3.青ネギは根元をのぞき小口切り
4.鍋に胡麻油を熱し、2.の大根、にんじん、干し椎茸、油揚げを加え中火で2分ほど炒める
5.大根のふちが透明になってきたら、しいたけの戻し汁と昆布だしをあわせたものを加え、中火で6分ほど煮る。1.を加えて温め、しょうゆ、酒、塩で味をととのえる。
6.器に盛り3.をちらす


いがいとけんちん汁って作ったことがなかった。今度やってみよう。

・調味料理の入れる順番「さしすせそ」
砂糖--一番味がしみこみにくいので最初に入れる
塩--塩は味が浸透しやすいので砂糖のあとに
酢--早く入れると味が飛んでしまう
醤油(せうゆ)&味噌--風味を楽しむものなので仕上げに入れる
*酒は最初に、味醂はおしまいに


この「さしすせそ」もちゃんと理由がわかると何となく安心感が生まれる。

・ふわとろオムレツ
1.玉子に牛乳を加える
2.焼くときは油&バターの2種使い
3.フライパン強火にして油を引く
4.フライパンが温まったらバターを入れる
5.バターが3/4ほど溶けたら卵を入れる(卵溶くのは焼く直前に) 中火
6.フライパンは前後に動かしつつ、おはしは先を開いて大きくうずまきを描く
7.卵の液が「流れなくなりそう--いやゆるいかな?」くらいのところで火から離しつつおくへ寄せていく
8.フライパンの箸を使って形をととのえる
9.ひっくり返し(おはしをひらいて返すと破れにくい)て、更に移して(ラップやキッチンペーパーで)形をととのえる


これもやってみなくては。

・ワタナベ先生献立のルール
1.夕食は基本的に一汁三菜
2.メインメニューには肉と魚を交互に
3.副菜のひとつは簡単なものにしt、がんばりすぎない
4.一日のどこかで海藻ときのことるように
5.野菜は各メニューに取り入れて自然に食べられるように


なかなか理にかなった献立だが、毎日海藻ときのこというのは結構難しそう。

・ストックおかず
<キャベツの塩もみ>キャベツの太めのせん切りに塩を加えてしんなりするまでもみ、酢を加えて揉むだけ。保存期間冷蔵庫で1週間
*キャベツ塩もみのキャベツの水気をしぼり、みょうが、大葉、調味料を加えてあえればキャベツの香味あえの出来上がり。
<にんじんのオイル漬>にんじんはせん切りにして耐熱皿にいれ、塩、白ワインを加えてあえる。レンジで2分ほどチンして、熱いうちにオリーブオイルであえるだけ。保存5日ほど
*にんじんのオイル漬にツナ缶(油を切る)と干しぶどうを加えてあえ、塩コショウで味を整えると、にんじんとツナのラペサラダの出来上がり。
<ひじきのしょうゆ漬>ひじきはたっぷりの水で10分ほど戻す。これを熱湯に入れて中火でひと煮立ちさせ、ザルで水切りして保存容器に入れる。つけ汁(醤油80cc、酒 大さじ1、味醂 大さじ1、水100cc)を中火でひと煮立ちさせ、ひじきにかける。冷蔵庫で10日ほど保存可能
*玉ねぎ薄切りにして水に5分ほどさらし水気を切る。ひじきのしょうゆ漬の汁気を切り、大葉、ショウガみじん切りとあわせ、レモン汁、ナンプラーを加えてあえ、あらく砕いたアーモンドを加えてオリーブ油をまわしかける。玉ねぎ載せて、エスニックマリネのできあがり

これらのストック(下ごしらえ)はたしかに便利そうだが、習慣づけが必要。

・八方だしの作り方--醤油500cc、酒100cc、みりん50cc、昆布5✕8cm描く一枚、花かつお50g、干ししいたけ3,4枚をあわせ一晩おく。
鍋に移して弱火にかけ、ひと煮立ちさせたら火を止めて冷ます。ザルで濾し、保存容器に入れる。冷暗所で1~2ヶ月ほど保存できる。
*たとえば、冷や奴にしょうがすりおろしと青ネギ小口切りを載せ、八方だしを少々かけるだけでワンランクアップに。


Morris.の冷蔵庫は小さいので、だしのストックなどはこんなんだが、これなら冬の間だけでも流しの下の空間で保存できるかもしれない。

・味噌汁の味噌に練ごま(チューブでOK)を加えると一味ちがったものに。

チューブ練ごまというのも一度使ってみよう。


2019063
【神戸・大阪・京都 レトロ建築さんぽ】倉方俊輔著 下村しのぶ写真 ★★★ 2019/05/20 エクスナレッジ
関西三都の洋風建築の写真集みたいなもので、とりあえずMorris.が訪れたことのある建物(外から見ただけのものも含む)を太字にしておく。

1・神戸
ジェームス邸/神戸税関旧乾邸/神戸女学院/甲子園会館白鶴美術館風見鶏の館旧小寺家厩舎神港ビルヂングデザイン・クリエイティブセンター神戸神戸商船三井ビル関西学院大学
2・大阪
大阪市立公会堂原田産業株式会社 大阪本社ビル綿業会館日本銀行大阪支店生駒ビルヂング三井住友銀行 大阪本店ビル大阪府立中之島図書館/船場ビルディング/新井ビル/太閤園淀川邸/芝川ビル/堺筋倶楽部/大阪府本庁泉布観、旧桜宮公会堂
3・京都
京都府町本庁東華菜館/長楽館/平安女学院/同志社大学祇園閣京都ハリストス正教会福音大聖堂/聴竹居/同志社女子大学/京都大学京都文化博物館別館
京都芸術センター

ほぼ3/4は周知の建物だし、それ以外も実は見かけたものもあるだろう。機会があれば見に行きたいのは、ジェームス邸、神戸女学院、船場ビルディングくらいかな。

2019062
【樹木の名前】高橋勝雄、長野伸江解説 ★★★ 2018/03/05 山と渓谷社
日本に自生、または栽培される約670種類の樹木について、名前の由来と見分け方を紹介。

オガタマノキ 招霊の木、小賀玉の木 モクレン科 神前に備え、神霊を招く"招霊(おぎたま)の木"がオガタマに変化
カルミア Kalmia アメリカシャクナゲ カルミアは植物学者の名前を記念した名
キブシ 木五倍子 キブシ科 お歯黒に使う黒いせんりょう"五倍子(ふし)"の代用品としてキブシの実の粉を使ったことから
クサギ 臭木 クマツヅラ科 花は良い香りだが、葉が独特の匂いを放つ"臭い木"
コンロンカ 崑崙花 アカネ科 白花のような大きく白い萼片を中国の伝説上の山"崑崙山"に見立てた
ツキヌキニンドウ 突抜忍冬 スイカズラ科 葉を"突き抜く"ように花序が出て来る忍冬
テイカカズラ 定家葛 キョウチクトウ科 式子内親王の墓に、彼女を愛した"藤原定家"の執念が"葛"になって巻き付いたという、能「定家」に由来
ナワシログミ 苗代茱萸 グミ科 "苗代"で稲の苗を育てる時期に実が赤く熟す茱萸
ナンキンハゼ 南京黄櫨 トウダイグサ科 "中国"から渡来した"黄櫨の木"の意
ハクチョウゲ 白丁花 アカネ科 "丁子"に似た形の"白い花"が咲くことから。


本書見ながら、ネット検索やってたら「庭木図鑑 植木ペディア」というサイトを見つけた。これは身近な樹木の検索にはすごく役立ちそう。


2019061
【星をつける女】原宏一 ★★★☆ 2017/01/28 KADOKAWA 初出「小説野生時代」2016年
ミシュラン(明記はないが)の調査員をやめて、個人で調査業をする女性を主人公に連作で
第一話 メゾン・ド・カミキ
第二話 麺屋勝秀
第三話 白浜温泉 紀州の庵
の三作が収められている。

欧米人には"仕事は人生の大切な一部ではあるものの、すべてではない"という意識が根底にある。ところが日本では、長時間労働を嫌う人間は"やる気がない"とか"プロ意識がない"とか言われてしまう。"仕事のためなら多少の無理や自己犠牲は当たり前"という得意な意識が根付いてしまっている。
「そうした日本人ならではの意識を巧みに利用するのがブラック企業と言われる会社だっていうんだな」
その手口は狡猾かつ陰湿だという。たとえば「自己成長のためにも業務外の時間を利用して勉強しろ」と社員に告げ、業務命令ではなく自発的学習だとしてサービス残業をさせる。「自発的な休日出勤には、とやかく言わんぞ」と暗に休日出勤を促し、会社は指示していないからとサービス休日出勤にしてしまう。「やり方は自由だが、きみならできる、期待してるぞ」といった言い回しで無理な仕事を無報酬でやらせる。
さらにこうした状況が進むと、いよいよ脅し文句が登場する。「これでできないようだと評価にかかわるぞ」と査定をチラつかせたり、「みんなが遅くまで頑張ってるのに、どういうつもりだ」とチーム意識を煽ったりして過重労働を押しつける。
「結局、ブラックの手法には二種類あるってことだよな。職を失いたくない弱みを利用してこき使う方法と、"やる気"と"自己犠牲の精神"を利用してこき使う方法。七海さんの場合は、後者の手法にしてやられているわけで、おれとしては前者よりも悪質だと思うんだよな。休みを返上して自腹を切ってまで会社に奉仕する自分に酔ってる姿ってのは、傍から見ると哀しいもんだよ」
真山は長い息をついて腕を組んだ。悪意の経営者ほど法に抵触しないやり口を知り尽くしてる。

この部分は、ブラック企業のわかりやすい説明と思ったので引用しておいた。

基本的に鬱病になると何もしたくなくなり、とりわけ朝は意識がどんよりしてつらくなる。そのつらさを他人に伝えられれば楽になるのだが、伝えられないからますますつらくなる。
「そんな鬱を発症したひとには、四つの禁句があるんだよな。第一は、もう常識になっってるけど、頑張れ、といった励ましはダメ。第二は、あなた自身にも問題があるんじゃない? といった責め句もダメ。第三は逆にあなたの気持ちはよくわかる、といった共感づらをしてもダメ。そして第四は、じゃあこうしようか、といった提案もダメ」
大まかに言えば、何かを強制的に促したり、プレッシャーを与えたりしないようにしないと、救うつもりが逆効果になるという。(第二話)


これも、何かからの受け売りなのだろうが、わかりやすいので孫引き。

南紀白浜、正確には和歌山県西牟婁郡白浜町にある白浜温泉は、道後温泉、有馬温泉とともに日本書紀や風土記にも登場する"日本三大古湯"のひとつに数えられている。

「日本三大古湯」というのは初めて聴いたが、有馬温泉は馴染み深いので他の二つも覚えておくことにする。

いまどきの旅館の料理は、とにかく品数で圧倒してやれとばかりに、小鍋やら陶板焼きやらをはじめ小皿や小鉢を食べきれないほど並び立てる。そのくせ箸をつけてみると作り置きされた中身のない料理ばかりで、食べ進む意欲する失せてしまうが、紀州の庵は違った。


韓国料理は、こういった視点で評価されるとかなり厳しいことになりそうだ。

一般にはあまり知られていないが、炊飯添加剤とは、アミラーゼ、プロテアーゼ、酵素、第二リン酸カルシウムなどを組み合わせた食味改良添加剤で、パサパサ感のある古米や外国産米を炊くときに入れると米に粘りとツヤが生まれる。古米や外国産米に特有の嫌な臭いも消してくれる上、冷めても硬くならない。
早い話が、安い米を旨く感じさせる効果があるわけで、原価を下げたい弁当店やスーパー、ファミレスなどではよく使われているという。もちろん厚生省が認めた食品添加剤だから安全性には問題ないはずだ。ただ、表示義務はないため、普通の人は知らずに食べているのだが、紗英たちにはその有無がすぐわかる。


コンビニやスーパーのおにぎりや弁当のご飯が時間たっても固くなったりパサパサにならないのを不思議に思ってたが、やっぱり添加剤だったのか。

認知症の兆候は、同じことを繰り返し言ったり尋ねたりする。物を置き忘れたり仕舞い忘れたりすることが目立つ。物や人の名前が出てこなくなる。かつての趣味や好きだったことに無関心になる。以前より怒りっぽくなる。
「ただし初期症状には個人差があります。また、いわゆる老化による物忘れと認症はまったくの別ものですので、そこは勘違いしないいようにしなければなりません」(第三話)

これはMorris.にとって、かなり心配な指摘である。同語反復、置き忘れ、物忘れはすでに顕著な兆候がある。趣味や好きなものにはまだ執着あるようだから、これにすがってみることにしよう。


2019060
【学校が教えないほんとうの政治の話】斎藤美奈子 ★★★☆ 2016/07/10 筑摩書房 ちくまプリマー新書257
2002年に「文章読本さん江」に出会って以来、Morris.は彼女のフリークである(^_^;)
ついつい、美奈子さんと呼んでしまう。とにかく、現在最強の「本読み」だと思う。その美奈子さんがこんな本を出してたことには気づかずにいた。中高生向けの政治の本かあ。

自民党の支持母体は、大企業の経営者たちで結成された経団連(経済団体連合会)、同じく企業の経営者たちが集まった経済同友会、中小企業の集まりである日本商工会議所など一般に「財界」と呼ばれているのは、以上三つの経営者団体と、そのメンバーのことです。農家を統合する農協(農業協同組合。現在のJA)、医師でつくる日本医師会なども自民党の強力な支持基盤でした。
一方、社会党の最大の支持母体は、労働組合(労組)の全国組織、五十年に結成された総評(日本労働組合総合評議会)です。総評には、公務員の組合である自治労(全日本自治団体労働組合)、学校の教職員でつくる日教組(日本教職員組合)、国鉄の職員でつくる国労(国鉄労働組合)などの組合が所属し、社会党の活動をバックアップしました。


こういうことすら、中高生時代のMorris.は知らずにいた。

ソ連という社会主義の消滅は、西側諸国(自由主義経済圏)を堕落させたのではないかと私は思います。革命が起きては困ると思えばこそ、西側の政府は「平等」を重んじる政策をとり、福祉を充実させ、労働者の暮らしを安定させようとしてきました。しかし、社会主義はもう敵ではないと思えば、あとはやりたい放題です。金持ちを優遇しようが、ビンボ人が困窮しようが、格差が広がろうが、おかまいなし。

これは実によくわかる。

民営化政策の結果、八十五年に電電公社が民営化されてNTTになり、八十六年には国鉄が分割民営化されてJR各社に変わりました。道路公団、専売公社なども、現在では民営化され、一企業と同じように活動しています。(第二章 二つの階級 資本家と労働者)

国鉄民営化はMorris.にとって大きなトラウマになっている。

戦前の日本はなぜカルト宗教国家みたいになってしまったのだろう。その理由を考えるとき、私は左翼を徹底弾圧したことが関係していたと思います。そりゃあ、海の向こうでロシア革命なんかが起こっているのを見れば、政府が焦ったのもわかります。わかりますけど、もし右翼思想に対抗しうる別の思想にも言論の場が与えられていたら、時代はここまで悪化しなかったかもしれません。思想弾圧、言論弾圧は人びとの目を曇らせる。いろんな意見が交換できない社会は、やっぱりダメなんです。

アメリカの「反共」より、さらに強烈な共産主義アレルギー。

「かくあらねばならぬ」という政治的な理念のことを「イデオロギー」といいます。「天皇を中心とした神の国をつくらねば」という右翼思想はイデオロギーです。「革命を起こして労働者の国をつくらねば」という左翼思想もイデオロギーです。イデオロギーというのは、一度ハマるとなかなか抜け出せないんです。

イデオロギーとアレルギーは似てるような気がする。

思うに60年代は、政治的なポーズをとること自体が流行だったのです。60年代後半には、ベトナム反戦運動が世界じゅうで起き、左翼チームの「反米」意識をますます強めましたが、左翼に対する市民の気持ちはもう覚めていた。
現在のウヨク、サヨクは、冷戦時代の右翼、左翼とは別物です。(第三章 二つの思想 右翼と左翼)


60年代のMorris.は典型的ノンポリで、あまり流行には乗り切れずにいた。今現在、ウヨクではないのははっきりしてるが、サヨクかと問われるとそうでもなさそうだ。センターというのも芸がないし、動きの鈍いショートストップあたりかな(^_^;)

安倍政権は2014年7月1日に、憲法の条文を変えずに考え方だけを変えて(これを「解釈改憲」といいます)、「集団的自衛権の行使容認」を閣議で決定したのでした。で、翌15年9月29日には、この決定を受けた安保関連法案を、国会で十分な話し合いもせず通してしまった。つけ加えると、安倍政権は13年12月1日に「特定秘密保護法」を、やはり強引に通しています。この法律は安全保障上の重要な情報を「特定秘密」に指定し、これをもらしたひとや、スパイに似た行為をしたひとを厳重に罰するという法律で、国民の「知る権利」を制限とすると大問題になりました。(第五章 二つの陣営 保守とリベラル)

これらの一連の法案には、さすがのMorris.も頭にきて、反対運動の真似事やったけど、本書の出た2016年頃には、ほとんど刀折れ矢尽きる状態だった(;;) 美奈子さんは、それでもこの時期こういった本を出して善戦してたんだ。そういうところも好きなんだけど……ちょっと政治に関する物言いはナイーブに過ぎるかな(^_^;)


2019059
【日本の戦争Ⅲ 天皇と戦争責任】山田朗 ★★★☆☆ 2019/07/07 新日本出版社

◆第一部「大元帥としての昭和天皇」
第一章 天皇と軍隊・戦争、靖国神社、植民地支配のアウトライン
第二章 昭和天皇の満州・朝鮮観と膨張主義思想について
◆第二部「昭和天皇の戦争指導」
第三章 天皇が得ていた軍事情報について:大本営による宣教把握と戦況奏上
第四章 天皇が実際におこなった戦争指導・作戦指導の実例
◆第三部「 昭和天皇の戦争責任」
第五章 「昭和天皇独白録」の弁明の論理
第六章 「昭和天皇実録」(宮内庁編)における平和主義者イメージを批判的に分析
第七章 天皇の戦争責任を現代において問うことの意味

靖国神社と地方の護国神社という二重の戦没者慰霊機関が設けられたのは、東京招魂社と地方招魂社という設立経緯もさることながら、日本軍が<天皇の軍隊>であり、なおかつ当初より郷土部隊として編成されたという軍の成り立ち方にも深い関係があった。
中央の靖国神社が<天皇の軍隊>としての統一性・一体性・上下の秩序を強調し、天皇との関係性を第一義とする国家神道の中核的な顕彰・慰霊機関であったのに対して、地方の護国神社は国家神道の重要な伝導機関として靖国神社との連続性を有しつつも、多くの場合、郷土部隊として編成されていた日本軍の地域単位の結果性・横の結びつきを再生産する機関であったと言える。靖国神社は、新たな英霊を生み出す<英霊サイクル>の中核に位置づけられた機関であった。


靖国神社も、現在の「護国神社」も元は「招魂社」だったのか。「英霊サイクル」(@_@)

靖国神社には遊就館という軍事博物館が併設されている。1882年に開館した施設で、元来は戦争における鹵獲兵器の陳列館であったが、現在では靖国神社に祀られている祭神の遺品や戦争に関連した遺物(兵器・武具類)・資料を保存・展示している。だが、戦争の諸外国・諸民族に対する侵略性や民間人犠牲者に対してはまったく配慮を欠いた展示・解説がなされており、軍事博物館としては公共的な性格を欠いていると言わざるを得ない。(第一章-2)
遊就館ホームページ

Morris.は靖国神社に行ったことはない(そもそも行こうと考えもしなかった)が、この遊就館というのは、一度見ておきたい気がする。批判的にね。

近代日本の植民地支配の特徴は<同化主義>というキーワードで説明することができる。そして、天皇制との関係で言えば<同化主義>は皇民化と言い換えることが可能である。皇民化の「皇民」とは、「皇国の民」あるいは「皇国臣民」の意味であるが、日本本国の「帝国臣民」とは微妙に異なるものであった。
一般的に「皇民化政策」は主に十五年戦争期に朝鮮・台湾・沖縄および中国・東南アジアの占領地で、住民を忠良な「皇民」にするためにとられた施策をさすことが多い。皇民化政策とは、あくまでも他民族が、日本語を使い、「忠君愛国」の天皇制国家の秩序意識と価値観を身につけ、天皇のために命を投げ出す理想化された「皇民」になることを強要する政策であった。


日本の植民地支配の「型」でもある「同化政策」。これは姑息で陰険なやり方だった。
朝鮮半島の人々のやりきれない反日の根っこにはこの同化政策への恨があるに違いない。

1937年10月、朝鮮総督府は、次のような「皇国臣民ノ誓詞」を制定し、学校で児童生徒に毎朝斉唱させた。
私共ハ大日本帝国臣民デアリマス
私共ハ心ヲ合セテ]天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
私共ハ忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ国民トナリマス
また1938年3月には、第三次朝鮮教育令が公布され、「内鮮共学」と称して日本と同じ国定教科書を使い、朝鮮語を正課からなくして日本語の常用を強制するようになった。(第一章-3)


言葉を奪うというのは究極の酷い仕打ちである。

すべてのシステムの頂点には天皇が位置しており、「帝国臣民」あるいは「皇民」は生まれてから死ぬまで、いや死んでからもそのシステムから逃れる事はできなかったのである。(第一章-おわりに)

「英霊システム」もその一環だった。

天皇は一方で関東軍のやり方が乱暴で、英米・国際連盟を刺激しないかと憂慮しつつも、他方で日本陸海軍の大元帥として、中央・出先の将兵の士気を鼓舞するためにも軍事的な勝利・成功は賞賛するという分裂した行動をとったのである。これは、天皇自身の中における国務大権と統帥大権の分裂でもあり、天皇がどちらかの大権を優先することを決心しない以上、統一がとれない問題であった。(第二章-2)

天皇の自家撞着、いや優柔不断である。

天皇の「平和主義」「平和愛好」とは、帝国主義国家の君主として、なるべくなら露骨な手段を使わずに「平和」的に領土と勢力圏を拡張していこうという一種の穏健主義問ことであり、植民地の自治といったことは配慮の外にある、19世紀的な膨張主義・植民地主義であったと言えるであろう。(第二章-おわりに)


綿々と継承されてきた公卿的処世術なのだろう。

一般に、「特攻第一号」は1944年10月25日に、ルソン島マバカラット基地から飛び立ち、アメリカ護衛空母セント・ローに突入し撃沈した関行男大尉を指揮官とする第一神風特攻隊敷島隊の爆装零戦五機であるとされている。が、天皇への奏上では、明らかにその前(10月21日)に他の部隊(久納好孚中尉の特攻隊大和隊)が特攻を実施したことが報告されている。(第三章-4)

特攻と言う、質実ともにあってはならない作戦を実行する時点で敗戦は決まっていたわけだ。

ガダルカナル攻防戦からソロモン・ニューギニアをめぐる諸作戦が展開されたアジア太平洋戦争中盤期において、昭和天皇はきわめて精力的に戦争指導・作戦指導にあたっていた。天皇の戦略眼や作戦に対する構想は、秀でた独創的なものであったわけではないが、統帥部首脳よりも大局的に戦争をとらえていた場合も確認できた。昭和天皇は、軍事大国の君主として、日本軍の総司令官である大元帥としてきわめて能動的に戦争に向かい合っていたのである。(第四章-おわりに)

これが筆者の結論でもある。

「私が若し開戦の決定に対して「ベトー」(veto=拒絶)をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ」
これが「独白録」の「結論」であるということからしても、やはりすべての論理はここに収斂するように組み立てられているように思われる。(第五章-1)


戦後発表された「独白録」の、開戦せざるを得なかったことの弁明だが、ここには反省のかけらもない。、

沖縄戦について、「全く馬鹿馬鹿しい戦闘」と言っている。とくに大和の特攻のことをさしていると思われるが、大和の特攻は明らかに天皇の言葉がきっかけとなっていたのである。「航空部隊だけの総攻撃か」と天皇が下問したことから、それを聯合艦隊の参謀たちが利用して無理やり大和を出撃させたという経緯がある。たしかにその種の作戦には賛成ではなかったようだが、あくまでもそのきっかけの一つは天皇がつくってしまったということを自覚していなかったようだ。(第五章-2)

大和の特攻は人柱、いや舟柱とでも言うべき、生贄だった。

実際には、天皇は非常に戦争を指導したが、それを具体的に明らかにすることは、戦後の天皇にとってはまずいことであったので、巧みに語られなかったのである。(第五章-3)

だからこそ、語られなかった部分に問題があるというわけか。

「実録」における歴史叙述は、従来からの「昭和天皇=平和主義者」のイメージを再編・強化するためのものであり、そのストーリー性を強く打ち出したものでえある。しかし、ここであえて記述されなかった部分を補ってみると、むしろ非常にはっきりと何をのこしたくなかったかが浮き彫りになってくる。「実録」は、私たちが掘り起こし、継承し、歴史化していかなければならない<記憶>を逆説的に教えてくれるテキストであるといえよう。(第六章-おわりに)

「実録」は「独白録」以上に自己弁明、粉飾の色濃いものになったようだ。

戦争責任は、国家責任と個人責任とい二重の構造を持っている。また、個人責任にはその個人の権限に応じたレベルの差があるので、「一億総懺悔」的な責任追及は、むしろ真に重い責任のある人物の責任を希釈してしまうことになる。
今日における戦争責任の追求とは、どのような国家の判断・行動が、どのような結果をもたらしたのかを実証的に検証し、その因果関係や責任の所在を明らかにし、国民の共通認識(歴史認識)として定着させることである。
戦後生まれの戦争非体験世代にも一定の戦争責任はある。それは、先人が精算していない<負の遺産>があるのならば、私たちがその精算に参加する必要があるという意味での責任である。(第七章-1)


理屈としてはわかるのだが、実践は難しい提言ではなかろうか。

戦後処理の不可欠の一環であるはずの戦争責任の追求が、やり残しとなってきた最大の原因は何か。追求されるべき国家責任があいまいなままで放置されてきた原因は、どこにあるのか。戦後、戦争責任追求全体を不十分に終わらせたのは、何と言っても、天皇の戦争責任が問われなかったことにその最大の原因があると言ってよいであろう。

このことは全面的に正しいと思う。

そもそも戦争責任を敗戦責任と置き換えることで、天皇とそれに連なる権力機構の相当の部分を温存することに成功した日本の「終戦」のあり方そのものが、天皇の戦争責任回避のための政治過程であった。----天皇の「聖断」という形で「終戦」を迎え、連合国による東京裁判が始まるまでの間に、日本の国家権力内において戦争責任の配分(責任逃れと責任の押し付け)がおこなわれた。天皇と宮中グループ、旧重臣の一部(米内光政ら)が、GHQ関係者と連絡をとりつつ、天皇の「潔白」を主張し、戦争責任を陸軍の東条英機を中心とする三国同盟推進派に押しつけていくのである。GHQ側にも、当時の日本に共和主義の保守政治を推進する政治勢力がないことから、天皇の戦争責任を棚上げにし、天皇を占領政策の同盟者に引き込んだ。(第七章-2)

戦前・戦中の政治家、経済人が戦後も生き延び、のさばっているのも、天皇とマッカーサーの「ウィンウィン」の取引によってなされたものと思しい。
植民地であった朝鮮でも同様のことがなされてしまった。

昭和天皇は政治に大きな影響を与えた。とりわけ、二・二六事件と「終戦の聖断」は、通常の国家意思決定システムが不完全にしか機能しないときに、天皇という機関が国会意思の最終決定システムとしての役割を果たした。これは、大日本帝国憲法体制のもとで、天皇という機関こそが、究極の危機管理システムであったことも示している。(第七章-2)

天皇機関説は明治以降の天皇のあり方を的確に捉えていたということでもある。

昭和天皇とその側近たちが、占領政策に協力的で、アメリカによる日本軍国主義の破壊を邪魔しない、ということを、いち早く見抜いたのはマッカーサーであり、マッカーサーに天皇利用を熱心に進言したのは知日派の軍事秘書ボナ・フェラーズ准将(マッカーサー側近で戦前から日本研究をおこなっていた唯一の軍人)であった。
マッカーサーが利用したいのは、昭和天皇のカリスマ性であって、必ずしもシステムとしての天皇制ではなかったと思われる。(第七章-1)


フェラーズ准将。名前だけは聞き覚えがある。『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』(岡本嗣郎 2002)というノンフィクション作品があり、これを原作とした米映画「終戦のエンペラー」(2013)もあるらしい。原作だけでも読んでみよう。

フェラーズからの示唆をうけて、GHQの天皇利用論を、積極的に利用しようと、天皇と天皇側近も1946年3月より「昭和天皇独白録」を作成して、東京裁判にそなえるとともに、天皇が「立憲君主」であり戦争を阻止できなかったのだという「意思統一」をおこなった。御用掛で元外交官の寺崎英成の手によって、日本語版「独白録」が完成する前に、「英語版独白録」が作成され、GHQに送られたのである。英語版では厄介な部分はすべてカットされ、戦争に反対しつつも何もできなかった非力な立憲君主像が強調されている。
昭和天皇を助けるためのこのような工作は、天皇ただ一人のためにおこなわれたのではなく、戦前・戦中期において天皇と似通ったスタンスをとっていた英米協調論者を中心とするグループ全体を救うためにおこなわれたものであるといえる。東条英機ら陸軍の対米強硬論者(三国同盟推進論者)に戦争の責任を押しつけることによって、海軍主流・外務省主流・内務省人脈を含めてこれらの政治勢力は戦後に生き残ることができたのである。(第七章-2)


これもまた典型的な公卿の処世術である。

戦後○○年は、同時に植民地支配終結○○年であるにもかかわらず、八・一五が多くの日本人にとって「終戦の日」と意識されるにとどまり、植民地支配が終了した日、あるいは「光復節」という形では認識されていないことは、日本と近隣諸国との歴史認識のギャップを端的に示している。

韓国の「光復節」に限って言えば、Morris.はこの日をそれなりに意識してるつもりだが、植民地支配の終了が、あのような形(日本の敗戦)でやってきたことが、トラウマになっているのではないかと思ってしまう。

現代における天皇制を考える場合、システムとしての「支配」の機能を忘れてはならない。憲法の上では、「国政に関する機能を有しない」天皇と天皇制ではあってもシステムとしての支配機能がないわけではない。その基盤にあるのは明治礼賛論である。
マスコミ・出版業界を中心として厳然として存在する「菊タブー」による威圧機能を考えると、天皇・天皇制に対する自由な報道、自由な議論はどれだけ存在するのか、社会の民主化・言論の自由化の重要な試金石となっている。
天皇制による「心の支配」は、「異端者」洗い出しの「踏み絵」として機能している。天皇の代替わりとともに天皇制の機能も変化し、見えにくくなっているが、それでも天皇制による「心の支配」の問題は私たちが忘れてはならないものである。(あとがき)


「心の支配」、それを助長するかのようなマスメディアの報道ぶり、天皇を利用しようとする政府の思惑。国家的プロパガンダ(意識誘導)ではないかと思う。

本書の刊行日7月7日というのは、日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年7月7日)を意識したものだろう。


2019058
【虹のふもと」】堂場瞬一 ★★★☆ 2016/05/17 講談社 初出「小説現代」2015-06

川井はアメリカにいた9年間に、マイナーに落ちたこともある。バス移動の辛さは、経験した者にしか分からない。背骨がきしむような凝りが全身に居座ってしまうのだ。もちろん、ハワイでそんな長距離移動がないことは分かっていたが、川井はアメリカで交渉術を身につけていた。とにかく何でも要求してみること。百の希望を通すためには、まず百二十を出すのが大事だ。そこからディスカウントしていけば、相手は何となく得したような気分になり、こちらも本当の要求を受け入れられれば、お互いに万々歳である。ウィン=ウィンというやつだ。別名、騙し合い。

前々からこの「ウィン=ウィン」という言葉に胡散臭さを感じていた。この部分を読んで、ちょっと喉のつかえがとれたような気がする。


2019057
【ヒート】堂場瞬一 ★★★ 2011/11/25 実業之日本社
神奈川県でマラソンの世界記録を目的とした「東海道マラソン」を企画、これを担当した職員と、参加選手たちのあれこれを描いた作品。

ストロボが激しく明滅し、カメラのライトが目を焼く。今はカメラの性能がいいから、こんな風にしなくても十分さつえいできるはずなのに……

大会に不参加表明していた選手の記者会見の場面。たしかに今のカメラならストロボなしで十二分にちゃんとした写真撮れるはずだ。それが無くならないのは、多分に「演出的」効果を意識してるからだろう。


2019056
【デジタルカメラで昆虫観察】海野和男 ★★★ 2019/07/12 誠文堂新光社
2012年同社から出版された「海野和男の昆虫撮影テクニック」には感心したものだが、本書は初心者向けを心がけたためなのか、もう一つ物足りない気がした。それでも彼の昆虫写真(特に蝶類)は他の追随を許さないもので、その写真を見るだけで圧倒される。雑学や、撮影のヒントなどもあった。

・最近のスマートフォンに搭載されたカメラは、とても綺麗に撮れてびっくりします。人物の写真ならデジタルカメラよりも優秀なくらいです。ぼくの撮影スタイルは、被写体にぎりぎりまで近づいて広角で撮る方法です。ネコならばぎりぎりまで近寄ってもスマートフォンは小さいので逃げないことが多いのです。

・1cmぐらいの昆虫を画面いっぱいにシャープに撮るには、大きなデジタル一眼レフカメラより、近接能力の高いコンパクトデジタルカメラの方がずっと有利です。写真を撮る喜びとなると、ミラーレス一眼や一眼レフカメラにはかないませんが、記録的に写真を撮るには大変優れています。

・目の前でぶんぶんするからちょっと恐いけれど、捕まえても刺すようなことはありません。実は丘の上でホバリングしているクマバチはすべてオスなのです。ハチの毒針は産卵管が変化したものですから、オスは刺さないのです。クマバチはとてもおとなしいハチで、メスも手でつかめばさすがに刺しますが、向こうから人を襲ってくるようなことはありません。

・小さいものの撮影では、シャッタースピードが1/125秒以上になっているか常にチェックします。昆虫撮影では1/125秒以下になったらぶれると考えた方がいいかもしれません。望遠ズームを使うときは1/250秒以上がよいと思います。



2019055
【今野寿美歌集】★★★ 2002/01/20 砂子屋書房 現代短歌文庫40
先日読んだ「歌ことば100」でちょっと感心したので、歌集もよんでみる気になった。

・舞へ舞へと蝸牛こそ歌はれる角も出ぬ身に遊ぶ言葉は
・血より濃く水に塩とく日暮れなりあさり一皿いかしおくため
・姫女苑と呼ぶは愛(は)しけれどここにでもどうでもよいやうに咲いてゐる花(世紀末の桃)
・木染月・燕去月・雁来月 ことばなく人をゆかしめし秋(花絆)
・だまし絵に騙されてゐるいつときが思ひのほかの今日のしあはせ(星刈り)
・人の世にとほく生まれてはかなきを一木一草名をもつあはれ(若夏記)
・忘られてすすきかるかや佇つごとき閑吟集の真名序と仮名序
・頬すけるごときをとめの一葉に三千五百首こゆる歌あり
・山茶花が散るときを得て散るやうにうき名ながすもひと生ぎりなる(鳥彦)
・古傷の傷みを都市はいはざれど万骨枯れてのちの虹かな
・図書館にゆく道筋のゼームス坂その後知りたる智恵子の切り絵(め・じ・か)

梁塵秘抄、閑吟集などMorris.好みの古典や、植物への関心、先達文学者への追慕などもこきまぜて、なかなか達者な詠みぶりである。
おしまいの歌の図書館は、神戸大倉山中央図書館のことかと思ってしまった。図書館の南にある文化ホールの壁には智恵子の切り絵(紫陽花)をモチーフにした壁画があったからだ。でもあのあたりにゼームス坂なんてあったかな?と、ネットで調べたら、これは東京品川区にある坂の名前で、戦前この坂には「ゼームス坂病院」があり、精神を病んだ智恵子が入院し、彼女の終焉の地となったそうな。智恵子はこの病院生活の中で切り絵に没頭して一千点の作品を残したとのこと。近くには「レモン哀歌」の詩碑もあるらしい。


2019054
【ヒットソングを創った男たち : 歌謡曲黄金時代の仕掛人】濱口英樹 ★★★☆☆ 2018/12/18 シンコーミュージック・エンタテイメント

皆さんは「歌謡曲」というものをどう捉えているだろうか。
演歌に近いイメージを持つ方もいれば、昭和のヒット曲全般と思っている方もいるかもしれない。もちろん明確な定義はないし、音楽をジャンルで括ることはあまり意味がないのだが、本書では「分業制によって制作された日本のポピュラー音楽全般」と位置付けている。
筆者が衝撃を受けた「ブルー・ライト・ヨコハマ」をプロデュースした泉明良氏(コロムビア)など、すでに鬼籍に入られているためにお話を伺うことができなかった方たちも少なからずいる。(序文)


歌謡曲の場合、歌手と作詞作曲家までは脚光を浴びるが、プロデューサーや裏方はあまり知られていない。編曲者は最近ある程度認知されているようだが。こういった聞き取りは貴重な資料である。Morris.としては好きな歌手、好きな歌のこぼれ話を知ることができて嬉しかった。

1.草野浩二 1937東京生れ 兄は草野昌一(漣健児)
2.酒井政利 1935和歌山県生れ
3.本城和治 1939東京生れ
4.東元晃   1935石川県
5.塩崎喬   1944大阪生れ
6.小栗俊雄 1943東京生れ
7.川瀬泰雄 1947神奈川県生れ
8.若松宗雄 1940福島県生れ
9.木崎賢治 1946東京生れ
10.高橋隆  1949東京生れ
11.島田雄三 1948東京生れ
12.田村充義 東京生れ
13.長岡和弘 1951長崎県生れ
14.吉田格   1953奈良県生れ


草野 若い音楽ファンにはぜひ過去の音源を聴いてもらいたいですね。優れたメロディと詞は、時代も世代も超える普遍性を備えているし、それは昨今の歌謡曲ブームが証明していると思います。そして制作に携わっている人たちはぜひ積極的にカバーをしてほしい。スタンダードに成り得る、素晴らしい曲がたくさんありますから。


韓国では「歌謡舞台」という番組を中心に、懐メロを今の歌手が歌うケースが多い。それに比べると日本では歌謡番組自体が少ない。

酒井政利 国鉄(現JR)のキャンペーンと連動した山口百恵の「いい日旅立ち「78年11月/作詞・作曲:谷村新司、編曲:川口真)です。この曲は私がコロムビアを受けたときに志望動機として挙げた「わが街」のコンセプトを具現化したものなんですが、谷村さんが素晴らしい作品に仕上げてくれました。これは余談になりますけど、当時の国鉄は赤字続きで予算がなかったので、日本旅行と日立がキャンペーンに協賛したんですね。そういう事情もあってたいとるに両社の社名(日旅、日立)が織り込まれているわけです。

「いい日旅立ち」のタイトルにそんな謂れがあったとは(@_@)

小栗俊雄 アレンジャーとして活躍されている方は、イントロの重要性をおさえていますよね。その先駆けが京平さんだと思います。初期のアレンジ作品では「また逢う日まで」が代表例ですが、あのイントロじゃなかったら、曲の印象が全く違っていたんじゃないでしょうか。
京平さんは「売れないとダメだ」と考える人で、自分に対する仕事のオファーは、売れると思われているからだという意識が非情に強い。日頃から資料を聴きまくって研究に余念がないのもそのためですし、シンガーソングライターの時代がくれば、彼らの音楽も採り入れていって、あわよくば一緒にやってもいいというスタンスなんです。


筒美京平の日本歌謡曲における存在はとてつもなく大きいと思う。

川瀬泰雄 ある日、会社に行ったら、僕のデスクに見知らぬ大男が座っていて、「アンドレ・カンドレです」と。それが陽水との出会いでした。早速彼が持参したオープンリールのデモテープを聴かせてもらったら、ビートルズっぽいメロディが多くて、しかも自分でハーモニーを重ねてダブルトラックにしたりしている。これはビートルズの影響だなと思って「ビートルズ、好きなの?」と訊いたら「別に」っていうんです(笑)。その日は特に予定がないと言うので、ホリプロの練習室の鍵を渡して「好きに使っていいよ」と僕はその間、自分の仕事をしていたんですけど、いつまで経っても出てこないので様子を見に行ったら、一人でギターを弾きながらビートルズを歌いまくってたんです。僕も直前までバンドをやっていた身だから、一緒にハモり始めたら、「これは知らないだろう」とばかりに、どんどんマニアックな曲を歌い出す。こっちだって百も承知だとばかりにハモりまくっていたら、ひとしきり歌い終わった後に陽水が「東京ってすごい」って呟いたんです。「どうして?」って訊いたら「サラリーマンがビートルズをハモっちゃうんだもんな」って(笑)。それですっかり打ち解けて、毎日一緒にいるような生活が始まりました。
それまでは、陽水も僕もサウンドを重視していたんですが、ポリドールのディレクターだった多賀英典さんは言葉に対する感覚が戦災で、詞に対する注文が厳しかったんです。陽水に対しても「曲はいいけど、詞が弱い」と指摘して、何度も書き直しを要求した。陽水自身もボブ・ディランやニール・ヤングの詞を研究して、どんどん磨きをかけていきましたね。


アンドレ・カンドレ名義の「コントレマンドレ」という曲は、まだ九州にいた時聴いた覚えがある。ビートルズにかかわる陽水のエビソードも微笑ましい。

高橋隆 かつては「この歌を世の中に響かせたい」という心意気のようなものが作り手側にあったと思うんですが、最近は「多様化」という言葉に逃げているようで、聴きたい人だけ聴いてくれればいいという作りの曲が多い。メロディもテクニックに走りすぎていて、こんなに詰め込む必要があるんだろうかと思うことがよくあります。

「国民歌謡」というのをそのまま持ち上げるつもりはないが、たしかに前世紀には、国民の大部分が知ってる曲が毎年何曲かあった。

島田雄三 「少女A」の「A」は明菜の「A」じゃないかと。そんな意図は全くなかったんですが、僕が仮歌を歌ったカセットテープを事務所の会議室で聴かせたら「絶対イヤだ!」って叫ぶんですよ。僕としては自信作でしたから、「これが売れなかったら責任をとる。そのときはお前の担当を降りるから、とにかく歌え」と言いました。
実は井上陽水さんに作っていただいた「飾りじゃないのよ涙は」も当初はアルバムに収録するつもりでした。失礼ながら、デモテープの段階ではシングル向きではないような気がしたんですね。ところがオケ録りに陽水さんが現れて、「僕に仮歌を歌わせてくれないかな]とおっしゃった。「それは構いませんけど、キーが全然違いますよ」と言ったら「これくらいだったら僕は大丈夫だから」と。それでスタジオに入って、生演奏に合わせて歌ってくれたんですが、そうしたらミュージシャンたちも大ノリ。その歌声があまりにも素晴らしくて「これはシングルにするしかない」と考えを改めたわけです。

明菜と陽水の接点も興味深い。「飾りじゃないのよ涙は」はたしか陽水がセルフカバーしてた思う。

長岡和弘 「アイドル歌謡っていうのは、こういうとろが違うんだ。作り直したいけど、時間も予算もないなぁ」と悩みながらいろいろと聴いていたら、そのなかの一つに三木聖子さんが歌った「まちぶせ」(76年)があったんです。「さすがユーミン」と思って聴いているうちに「待てよ」と。三木さんはと石川ひとみさんは同じキーだし、2人とも渡辺プロの所属。ということは渡辺音楽出版にマルチテープが残っていれば、歌だけ録り直してカバーするという手法もありじゃないかと思いついたんです。
--でも石川さんのバージョンの「まちぶせ」はオケが違いますよね?
長岡 ええ、違います。渡辺プロに確認したら、有楽町から引っ越したとき、マルチを処分していたことが判明して(苦笑)。でも当時のマネージャーが持っていたカラオケのテープがあったので、まずひとみさんに歌ってもらったら、すごく嬉しそうなんですよ。それまでは与えられた歌に対して「好き」や「嫌い」を一度も言ったことがなかったのに、このときは「この歌、大好きなんです。シングルになりませんか」と私にだけこっそり言ってきた。それを聞いて私も彼女の初めての自己主張に応えたいと思ったわけです。結局、オケは録り直すことになったんですけど、松任谷正隆さんがアレンジを快諾してくれ、演奏もオリジナルと同じ、ドラムが林立夫さん、ベースが後藤次利さん、ギターが鈴木茂さん、パーカッションが浜口茂外也さん。ほぼティン・パン・アレーという、すごいメンバーでレコーディングすることができました。
京平先生から長岡くんと仕事をしたいと言われたときは嬉しかったですね。アレンジャーとして武部聡志さんの名前を出したときは、初仕事ということもあって最初はしんぱいされたようでしたけど、一緒にレコーディングしていくうちに判断が的確で、すごい分析力をお持ちの方ですから、私にとっては勉強になることばかりでした。
京平さんから「卒業」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:武部聡志、歌:斉藤由貴)のデモテープを渡されて、武部さんと一緒に聴いたとき、武部さんが「う~ん」と唸ったんです。彼に言わせると、イントロのピアノの運指が謎だったらしくて「これは普通弾けないですよ」と。イントロを聴いたとき、音が繋がっているように聴こえないといけないんですが、それがピアニスト泣かせのテクニックらしくて、誰でも弾けるものではなかったんです。人によっては右手と左手で弾く人もいるんですが、あの難しいイントロを右手一本で弾いた武部さんはすごかったですね。そういう課題を与えた筒美京平という人もすごいと思いましたが。


「まちぶせ」は好き(^_^)/ バッキングがティンパンアレイというのも初めて知った。デモテープの時代(^_^;)



2019053
【ヒーローインタビュー】坂井希久子 ★★★☆ 2013/11/08 角川春樹事務所
架空の阪神の野手を主人公に、彼を巡る人間模様を、まつわる数人へのインタビュー形式で浮かび上がせた作品。

阪神電車の武庫川駅、わかります? 駅が箸のど真ん中にあるんです。尼崎市と西宮市の境目に川が流れていますから、どっち側に駅を作るかでモメてああいうことになったんでしょうか。
そのころ私は出屋敷に店を持っていました。阪神戦の、尼崎の隣の駅です。二つの駅の間を中央商店街と三和本通商店街という長いアーケード街が貫いていて、どちらも今どきの商店街には珍しいくらい活気があります。でもそれにほど近い出屋敷中通り商店街は、ほとんど廃墟で。シャッター街なんて生やさしいもんやありません。裏路地みたいな細い通りに、白アリの寝床になっていそうな空き店舗がずらりと並んでいます。空は崩壊寸前のトタン屋根に覆われて昼間でも薄暗く、いたるところに「立ち小便禁止」の貼り紙がしてある。それでも三、四店舗は営業していて、そのうちの一つが私の店、「バーバー胡蝶」でした。(庄司仁恵)


阪神武庫川駅、一度乗降してみよう。
阪神尼崎駅のアーケード商店街は、それほど足を運ぶことはないが、何となく好感をいだいでいる。

人間生きてりゃそら、運の悪いときもある。けれども「運」と「不運」を秤にかけて、「運」のほうがちょっとかし重かったらそれはもう、運のいい人生やろう。ホンマに自信のある人間は、不運をいつまでも見つめてへん。次の運に向けての準備をはじめる。(宮澤秋人)

これと似たようなことをMorris.もどこかで書いたり、言ったりしたような気がする。

客席を埋めていたのはほとんどがタイガースファンですから、360度すべての方向から罵声が飛んできます。それにしてもあんな不甲斐ない試合を見せられてもなお、タイガースファンがタイガースファンたるゆえんってなんなんでしょうね。いえ、もちろん応援はありがたいんですが、タイガースがぶっちぎりの一位だとあの人たち、ノリ悪いんじゃないですか。ハラハラドキドキが楽しいから、理想は「ダメ虎っぷりを随所に見せつつかろうじての優勝」なんですかね。(佐竹一輝)

タイガースファンでなく「トラキチ」と表記して欲しい。

タクシーを降りるとそこは阪神甲子園球場やった。シーズンオフごとに行なわれとった改修工事のおかげで外壁の蔦が取り払われて、昔の面影はなくなっとる。俺らが目指しとったころの甲子園にはもっとこう、影があった。(鶴田平)

Morris.も過去の甲子園のたたずまいが好きだった。

周りを見回せば、個人解説員のオッチャンたちがそこここにおる。すでに呂律の回ってへん二人組の選手表に耳を傾けてみると、これが案外的を射たことを言うてるから面白い。(鶴田平)

甲子園球場はカクテル光線に照らされて、夜の中にぽっかり浮かぶ島みたいやった。グラウンドが人工的に明るすぎ、高校球児の聖地たる土臭さは微塵もない。汗も涙も友情も、こっちの世界では美しいもののカテゴリーに入ってへんかった。それがプロ野球モンやった(鶴田平)

【泣いたらあかん通天閣】坂井希久子 ★★★
2012/05/20 祥伝社
坂井希久子 1977年和歌山市生れ。ドシ社女子大日本文学科卒。2002年、作家を志し勤めていた京都の通販会社を退職し上京、小説講座の門を叩く。「虫のいどころ」「コイカツ-恋活」「羊くんと踊れば」

天王寺公園は動物園に美術館、庭園や植物公園を含む広大なエリアだ。ホームレス大作のため、主要部はフェンスで覆われ有料になっている。無料で入れる通路にはかつて青空カラオケが乱立していたが、うるさいという苦情が絶えず、千子が高校生のころにすべて撤去されてしまった。ホームレスも歌い踊る酔客もいない公園は平穏でかつての混沌が嘘のようだ。

青空カラオケ、懐かしいっ!!!!! ゆかりちゃん(大西ユカリ)はあそこで何回か歌ったことがあって、酔っ払ったおっちゃんから「姐ちゃん、うまいやんか」と褒められたことを嬉しそうに話してた。Morris.は何度か歌おうと思いながら、果たせなかったことが悔やまれる(^_^;)

大阪人がお笑いを好きなのは、どんなことでも笑いに変えてしまえば毎日楽しく生きていけると知っているからだ。ムカつくことも辛いことも、人間のやることはみんなオモロイやないかい。だから景気が悪くても、大阪の人間はくだらないことばかり言っている。

ちょっとステレオタイプかな。


2019052
【学ぶということ 続・中学生からの大学講義1】桐光学園+編集部・編 ★★★☆☆ 2018/08/08/10 ちくまプリマー新書305
ジュニア向けの「ちくまプリマー新書」は岩波のジュニア新書の焼き直しではあるが、Morris.クラスにはとっつきやすいので、ちょくちょく読ませて頂いてる。
実際に桐光学園で特別講義をやり、それを筑摩書房の編集者がまとめたものらしい。

「アメリカの国益に資する」という条件をクリアーしない限り、日本は重要な国策を自己決定 できない。日本はそういう国なのです。アメリカの衛星国・属国なのです。国防戦略もエネルギー戦略も食料戦略も、何一つ自己決定することができない。そし て最大の問題は日本政府も日本のメディアも、「日本はアメリカの属国である」という基本的事実をアナウンスしていないということです。
アメリカの属国であり、その制約ゆえに重大な国策を自己決定できないのであるが、その事実そのものを隠蔽して、あたかも主権国家であるかのようにふるまっている。だから政策の意味がわからない。
日本の国益を損なうような政策であっても、「アメリカの国益に資する」という説明をホワイトハウスが受け容れれば、簡単に実現される。その枠組さえ理解しておけば、理解不能と思えるような日本政府のさまざま行動も理解しやすくなる。


「日本属国論」はすでに数冊読んだのだが、みんな、わかっていながら知らんぷりしてるのではなかろうか。

日本では立法府の機能が空洞化し、行政府に権限が集中し、事実上の独裁体制が完成しつつあります。でも、この変化を多くの国民は「むしろ歓迎すべきこと」だと思っている用に見えます。なぜなら、トップへの権限と情報の集中は株式会社の仕組みそのものだからです。
人物の見識や器量はどうでもよい。金儲けがうまい人間こそが国家の統治者になるべきだという考えをブッシュはしており、そのような人物をアメリカの有権者 が大統領に選んだということが重要なのです。21世紀はまさに「あらゆる社会制度の株式会社化・すべての指導者のCEO化」という流れとともに始まったの です。


トランプはブッシュの考えをさらに突き進めたものということになる。

「志願者を集めるために大学はあり、卒業生を就職させるために大学はある。大学はビジネスだ」そう思っている人たちが現代日本では大学を経営している。
外の社会と同じ価値観が大学を支配し、外の社会と同じ速度で大学内部の時間も流れ、外の社会で高く格付けされている人間が大学内部でも高く格付けされる。 それが大学のあるべき姿だと政治家も官僚もメディアも、大学人自身も考えている。残念ながら、これは「ファクトリー」ではあっても、もう「アカデミア」で あはりません。


これを書いてる内田自身が20年以上大学教授やってたのだから、発言に実感がこもっている?

若い労働者をその根から切り離して、スタンドアロンの賃金労働者に仕上げることは資本主義企業からすれば絶対に必要なことです。
自己評価の低い人間は、採用する側からすれば、どれほど劣悪な雇用条件でも呑む労働者になる。規格化が進めば進むほど雇用条件は引き下げられる。
「同一労働最低賃金」というのはすでに日本の雇用ルールになって久しいものですけれど、要するに同じ仕事をしている人間たちの中では一番低い賃金が標準的 な賃金であり、あとは「もらいすぎ」だという考え方です。同一の仕事を正規、派遣、バイトなど複数の採用形態に委ねるのはそのせいです。
正規社員は非正規の何倍もの賃金をもらっている。それを見ていると職場の人たちは正規も非正規も自発的に「正規社員はもらいすぎだ」と思うようになる。そ していつのまにか最低賃金こそが標準的な賃金だと労働者自身が信じはじめるようになる。この悪魔的な仕組みを考えついた人もずいぶん悪知恵の働く人だと思 います。


これなら経済オンチのMorris.にもよくよくわかるぞヽ(`Д´)ノ

日本には資源がなく、急激な人口減の局面に入っていますから、今後経済成長することはありえません。経済成長をする条件がないにもかかわらずあくまで経済成長モデルにこだわるなら、最終的に人間を収奪するしかありません。すべての価値の源泉は労働価値ですから。

そこまで言うか(^_^;)

「運が良さそうに見える人間」であるというのがおそらくは生きる力の一つの特徴だろうと思 います。実際に運が良いかどうかは別にして、そういう風に見えれば良いんです。まわりから「君は運がいいね」と言われる人であること、それは生きる力が強 まっていることの指標とみなしてよいと思います。
先の見えない状況を生き延びて、幸福になれる人間とは、要するに「ラッキーな人間」です。世の中にはラッキーなことがあって、ラッキーな人がいる。そのことを信じることができれば、そういう人間になれます。(内田樹 生きる力を高める)


内田流処世術、で、Morris.の琴線に触れる(金銭には触れないところが)ものいいである。そんなところから一時、内田の本をかなり読んだものだが、ちょっと距離をおくようになった。それでもたまにこうやって読んでみると、ついつい共感を覚えてしまう。それで、ついつい引用が長くなってしまった。

日本でも戦時中に同じようなことがありました。コトバはモノを表現する手段でしかないの に、国民がコトバに興奮してしまう。ファシズムというのは、コトバによって生じるものなんです。その逆がポピュリズム。みんなが空疎な気持ちになって、コ トバを信じない。その結果コトバが意味を失うのがポピュリズムで、日本や世界は今そういう状態に陥りつつあります。(岩井克人 おカネとコトバと人間社会)

こういったファシズムとポピュリズムの定義もありかも。

コミュ力至上主義の下では空気に翻弄されやすい。日本でいうコミュ力は、空気を読む能力、 人をいじる能力、笑いをとる能力のことです。思春期・青年期のコミュ力のロールモデル(規範にする人物)はお笑い芸人だと思っています。芸人はキャラを立 てて、笑いを取りに行って、人をいじって、空気を読む。この作法をわれわれはテレビから学び、それを教室空間で再現しているのです。

「コミュ力」はコミュニケーション能力のことだろうが、今のテレビに氾濫する、お笑いコミュ力には、全く魅力を感じない、どころか嫌悪感がある。

はっきり言っておきましょう。いじりはいじめです。芸人はいじられることでお金になりますが、みなさんはいじられても嫌な思いをするだけです。


たしかにいじりといじめはよく似てる。

自己愛には二種類あって、ひとつはプライド、もう一つは自信です。自信とプライドとのギャップはできるだけ縮めておくに越したことはない。


夜郎自大的な自信と安っぽいプライドならあまりギャップはないのではなかろうか(^_^;)

個人主義は民主主義の礎でもあります。他者もまた尊重されるべき個人です。個人主義なき民主主義、つまりただの多数決は村人集団です。(斎藤環 つながることと認められること)

「自分のしたいことをしてはいけない。自分にしかできないことをして下さい」(坂口恭平)

「原子力発電はひとたび動かすと止めるのが難しい。止めたからといって、核燃料の保管や放 射性廃棄物の問題がなくなるわけではない。しかし一旦可動させたら、廃棄物の保管には数万年という時間にわたる手間がかかる。人間は、途中で止めることが できない技術と、それに伴う将来のリスクについて、その是非をうまく判断できない生き物である。したがって、原子力発電技術には手を出すべきではない。」 (ドイツのジャーナリスト、ロベルト・ユンク)の指摘は最新の脳科学の考え方とも一致しています。

原発をベーシック電力に位置づけるなんて世迷い言をいう政府は、死の商人の範疇にいる。

コンピュータと違って、矛盾してもフリーズしたり壊れたりしないのが人間の脳のよいところなのです。(美馬達也 リスクで物事を考える)

Morris.の脳はすでに半分壊れてるようだけど(^_^;)

戦後、アメリカニズムとともに日本の社会に入ってきた、英米型の「マネー資本主義」。この すごいところは、国境を軽く越えていくということです。世界通貨であるドル(マネー)を持っていれば、どんな辺境にいってもドルでものが買えます。これが 現在、グローバル資本主義と呼ばれるもので、世界中のモノを買い占めては市場を混乱させ、売り抜けては大儲けしているのです。最終的には、世界中がマネー 資本主義と最も相性のいい家族形態、つまり核家族形態に近づいてくることになるのです。
すべて自分の責任で、リスク(危険=もし失敗したらどれほど損するか)とベネフィット(便益=もし成功したらどれくらい得するか)をはかりにかけて、最小 リスクの最大ベネフィットを得る方法を考えるということです。これがまさに核家族類型の産んだ考え方、マネー資本主義もそこから生まれたのです。


核家族にもなれずにさびしいひとり暮らしの老人やってる輩はどうなる。

デカルトのいう"bon sens(ボンサンス)"は「良識」と訳されるが、「理性」と訳すべきでしょう。
考える方法を知っていれば、どんな状況が起ころうとも、その状況に応じて理性を働かせ、対処することができるはずです。だから、もし理性が誰にも平等に分 配されているのなら、そして、考える方法が全員に正しく教えられているなら、誰もがより正しい行動を取れるに違いない。これがデカルトが『方法序説』を書 いた目的なのです。
「理性」とは、あからさまに言ってしまえば、まさに「自分にとって一番何が得か」ということに他なりません。
民主主義だろうと資本主義だろうと、どんな社会システムであれ、すべては理性による損得勘定で動いていることは間違いようのない事実なのです。
実をいうと「法律」や「国家」の成り立ちもそこから来ています。全員が一番得をするにはどうしたらいいのか。それを考えてきたのが法律であり、国家なのです。(鹿島茂 考える方法)


「方法序説」は遅まきながら最近読んだけど、「良識」より「理性」さらにそれが「利(益)性」となると言われると、ちょっとついていけなくなる。

人間として最もつらく悲しいのは「自分はこの世の中で必要とされていない」と思うことです。しかし、けっしてそんなことはありません。この世で生きていることは、どこかでなんらかのかたちで役に立っているのです。

宗教家的物言いであるなあ。

気象庁を担当していて地震について取材すると、マグニチュードが7から8に上がるとエネル ギーが32倍になるというのです。目盛りが一つ上がるだけでなぜ32倍になるのでしょうか? これは対数なんだよね。「そうか、対数はこういうときに使うのか。なぜ数学の先生はこのことを教えてくれなかったのかな」と思ったりするんです。
因 数分解をなぜやるのかよくわからなかった。ところがあるとき、「物事を整理してわかりやすく伝えるのは、因数分解そのものなんだな」と気がついたんです ね。因数分解を習ったことによって、自然と頭のなかで物事を整理して、わかりやすく説明する力が備わったのだと思ったのです。(池上彰 学び続ける原動力)


いくらわかりやすく、と言われても、対数とか因数分解の聞いただけで気が遠くなる(>_<)



2019051
【純粋な幸福】辺見庸 ★★★☆ 2019/09/10 毎日新聞出版
「★1★9★3★7(イクミナ)」以来はじめて手に取る辺見の著作。二回の癌と脳出血のリハビリつづけているということも知らずにいたのだが、冒頭「グラスホッパー」のにそのリハビリのことが出てきたので、ノンフィクションと思った。しかし読み進めていくと、実にシュールレアリスム的言葉の過剰と氾濫と放逸と呪詛と憤怒と狂騒と喧騒の大盤振舞に驚かされてしまった。怪作である。

老いはきませり。意識は身体より過剰に若いか、その逆かなのであろうか。高齢者のあつまるリハビリ施設に通いはじめて7ヶ月、意識と身体の"ズレ"について前よりずいぶん気にするようになった。ひとりでいるときにははっきりとみえなかったじぶんの肉体の衰萎が、他の老人たちの形(なり)を熟視することで否応なく知らされる。
正直にいったほうがいいだろう。じつのところ、「ここ」には底なしの気鬱がある。ぶ厚いヘドロのような憂鬱。わたし(たち)バッタはどうふるまえばいのかわからないのだ。だから、自己をあまりにも朗らかに演じたり、過剰に暗いヘドロの闇に身を投じたりする。いたしかたがないのであります。「ここ」と書いたけれども、底なしの気鬱のないところがいま、どこにあるだろうか。世界の実相は気鬱にみちている。それなのに老いも若きも総理大臣も天皇も、そうではないふりをしている。まるで、たるんだ尻(ケツ)みたいな顔して。
気鬱をはらうには怒り狂うより他にはない。狂気といわれようが、怒気をあらわにしてなに悪かろう。所詮はバッタなのだから。なにごとも呪わない、あいまいな笑顔の仮面はもう外したほうがいい。いまは怒るべき時だ。ガランスの夕焼けの海を、飛んでいく。あ、あの、無尽のグラスホッパーたち。緑色の兵隊さんたち。満目の飛蝗だ。戦地へ。戦地へ。バッタさん、さようなら。さようなら。(グラスホッパー)


飛蝗(バッタ)という漢字に「皇軍」の「皇」を見つけたのがこの作品のとっかかりになったのだろう。

ひとの器量はどのみち声音にでる。ウソも声調にあらわれる。狡猾も欺瞞も純情も誠実も老若も、それらの「ふり」も、おおむね声ににじむ。声とは、人間がとりかえしのつかないかっこうで外界に露出していることのあかしである。声をうしなった人は息づかいが声を代行する。だが、楽観はできない。わたしたちの声は届けたい人にちゃんと届いているだろうか。自分の声はどこにも届いていないのに、他人の声ばかりが聞こえる、そんな時代に生きてはいないか。わたしたちは発語される声にみはなされていはしないか……。(声)

「始めに言葉ありき」。その言葉の始めはやはり「声(音)」だった。

松原のかなたより聞こえくるは、ありゃまあ、相撲甚句じゃありゃせんか。
ア~ア~ ア~ア~ ア~ ア~アアエー
世界第二のあの戰いもヨー ア~ア~ ア~ア~
つに昭和の二十年 月日も八月十五日
畏れ多くもかしこくも  大和島根の民草に
大御心(おおみこころ)をしのばされ
血涙しぼる(金)玉音に 停戰命令は下りたり
血をもて築きし我國も 無情の風に誘はれて
いまは昔の夢と消ゆ されど忘るな同胞(はらから)よ
あの有名な韓信が 股をくぐりし例(ためし)あり
花の司の牡丹でも 冬は薦(こも)着て寒しのぐ
あたへられたる民主主義(デモクラシー)
老いも若きも手をとりて やがておとずる春をまち
ぱっと咲かせよ ヨーホホイ
アー アアアアー 桜花ヨー……。
あー、どすこい、どすこい。(市内バス)


本書で一番印象に残ったのが、このバレ歌風相撲甚句だった(^_^;)


2019050
【 歌ことば100】今野寿美 ★★★☆☆ 2017/01/20 本阿弥書店 初出「歌壇」2013-15
今野寿美 1952年東京生れ。1972年「午後の章」50首により角川短歌賞受賞。「世紀末の桃」「龍笛」「さくらのゆゑ」まで10冊の歌集。「24のワードで読む与謝野晶子」「短歌のための文語文法入門」
夫の三枝昂之たちと歌誌「りとむ」編集人、宮中歌会始選者。

近現代の歌集から、短歌の表現に特有と思われる語や言い回しを集め、100語にしぼって、用例作品に沿いながら、焦点の語を中心に作品の読み取りを試みた。
今となっては死語のたぐいでも、短歌のなかでは健在で、歌人が好んで作品に使うことばがある。そんなことばに、わたしはそぞろに心惹かれてしまう。
特に現代の若い世代が作品に用いているかどうかについては丹念に探し、例歌にはできるだけ各時代の複数の作品が揃うようにつとめた。
各語について、必ず参照した辞典は次のとおりである。
「角川国語大辞典(全5巻)」「言泉(全6巻)」「言海」「日本国語大辞典(全20巻)」「広辞苑」「大辞林」(はじめに)


あうら(足裏、裏足)・あがなふ(贖う、購う)・あぎと(顎)・あくがる(憧る)・あこ(吾子、阿子)・あさなあさな(朝な朝な)・あした(朝)・あな・あはひ(間)・あはれ(哀れ)・あらくさ(雑草、荒草)・ある(生る)・いづ(出づ)・いづこ(何處)・いにしへ(去にし方、古)・います(坐す)・いよよ・うから(族、親族)・うしろで(後姿)・うたかた(泡沫)・うつしみ(現身、空蝉)・うつしゑ(写真)・おくか(奥處)・おとがひ(頤)・おほちち(祖父)・おほはは(祖母)・おもほゆ(思ほゆ)・おんじき(飲食)・かげ(光)・かたみに(互みに)・かひな(腕)・きこゆ(聞こゆ)・きざはし(階段)・きりぎし(断崖)・くが(陸)・くさふ(草生)・くち(唇)・くちなは(蛇、朽縄)・けはひ(化粧)・こぞ(去年)・ごと(如)・ことほぐ(壽ぐ)・こゆし(濃ゆし)・さかる(離る、放る)・さは(多)・しうせん(鞦韆)・しむ・すぎゆき(過ぎゆき)・すゑ(末、末裔)・そこひ(底)・そのかみ(其上)・そばへ(日照雨、戯へ)・そびら(背後)・そむ(初)・そよ(其よ)・たうぶ(食、給、賜)・たつき(生活、方便)・たまゆら(玉響)・づ(頭)・つくよみ(月読、月夜見)・つま(夫)・とし(鋭し)・とふ・ともし(羨し、乏し)・な……そ・なくに(無くに)・なだり(傾り、頽り、雪崩)・なづき(脳、脳髄)・なみす(無みす)・なれ(汝)・なゐ(地震)・にはたづみ(潦 庭水)・のみど(喉、咽喉)・はし(愛し、美し)・はつか・はつなつ(初夏)・はふる(葬る)・はむ(食む)・はも・はや・はり(玻璃)・ひとひ(一日)・ひとよ(一生)・ひら(片)・まにまに(随)・まほら・まもる(目守る)・みゆ(見ゆ)・めを(女男)・もだ(黙)・もて・やさし(羞、恥)・ゆかし・ゆくりなく・ゆまり(尿)・よは(夜半)・わくらば(病葉、老葉)・わらふ(咲ふ)・ゐや(礼)・をち(遠)・をみな(女)・おみな(媼)

・そのうへにわたしを乗せて歩いたり走つたりする足裏(あうら)いとしも 花鳥佰『しづかに逆立ちをスル』平成22
・鯉幟あぎとふ空のとのぐもりみどりごさきの世の水を戀ふ 塚本邦雄『されど遊星』昭和50
・はつなつと夏とのあはひ韻律のごとく檸檬の創現(あ)るるかな 塚本邦雄『水銀傳説』昭和36
・ありし日に覚えたる無と今日の無とさらに似ぬこそ哀れなりけれ 与謝野晶子『白桜集』昭和17
・梨の実の二十世紀といふあはれわが余生さへそのうちにあり 佐藤佐太郎『星宿』昭和58
・あらくさの最中に光る泉あり春のひかりの在處と思ふ 大谷雅彦『白き路』幣制
・ああ そらに雲の出でたるそのこととわれの生(あ)れたること異ならず 村木道彦『天唇』昭和49
・ちる花のゆくへいづことたづぬればただ春の風ただ春の水 落合直文『萩乃家歌集』明治39
・満月に彷徨える夢何處からフィドルの音は流れてくるか 笹井宏之『八月のフルート奏者』平成25
・しら珠の珠数屋町とはいづかたぞ中京(なかぎやう)こえて人に問はまし 『山川登美子歌集』
・春がすみいよよ濃くなる眞晝間ののなにも見えねば大和と思へ 前川佐美雄『大和』昭和15
・いさり火は身も世も無げに瞬きぬ陸は海より悲しきものを 与謝野晶子『草の夢』大正11
・単三の電池をつめて聴きゐたり海ほろぶとき陸(くが)も亡びぬ 岡井隆『五重奏のヴィオラ』昭和61
・鞦韆の四つさがれば待ちうけてゐるごとき地のくぼみも四つ 今野寿美『世紀末の桃』昭和63
・象徴の詩法の末裔(すゑ)として生きて砂金は孔雀過ぎゆく孔雀 藤原龍一郎『ジャダ』平成21
・いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月(さつき)はきたる 北原白秋
『桐の花』大正2
・あひびきの朝な夕なにちりそめし鬱金ざくらの花ならなくに 北原白秋『桐の花』大正2
・鋭(と)きものは傷つき易しまだ若き柚(ゆ)の木の刺は青く香に立つ 尾崎左永子『青孔雀』平成18
・平和ぼけと平和を蔑(なみ)するごとくいひづぐづに崩れゆかむ平和 蒔田さくら子『サイネリア考』平成18
・三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 山中智恵子『水かありなむ』昭和43
・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子『水惑星』昭和59
・ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱『新月』大正元
・ふたひらのわが〈土踏まず〉土を踏まず風のみ踏みてありたかりしを 斉藤史『ひたくれなゐ』昭和51
・海はいまノートひらきて黙しをりABC(アーベーセー)の波のかそけさ 水原紫苑『くわんおん』平成11



2019049
【ヒーローを待っていても世界は変わらない】湯浅誠著 ★★★ 2012/08/30 朝日新聞出版

先日読んで心に滲みた「反貧困」の著者が、4年後に出した本。

一億二千万の相異なる「民意」があり、その中には自分と異なる意見を持っている人のほうがはるかに多いということを前提に、「最善を求めつつ、同じくらいの熱心さで最悪を回避する努力をする」ことが必要です。
最善を求めつつ最悪を回避するというのは、近くから広げつつ、遠くと架橋する、ということです。
誰もが「自分自身の必死の生活と、そこからくるニーズ」は尊重されるべきだと思っているし、他の人の「生活とニーズ」も等しく尊重されるべきだと思っています。しかし、自分の必死の生活とニーズは、きちんと尊重されていないとも感じています。
尊重されるべきものが尊重されていないという不正義が自分の身にふりかかっていて、他にもそういう被害者がいるらしい。なぜそんな不正義がまかり通るのかといえば、自分のことしか考えず、自己利益のために正義を踏みにじる「既得権益」が世の中にあるからだ。だから、「切り込み隊長、頼むよ」ということで、パッサパッサとやってもらうことが正義にかなうと感じられるのですが、複雑な利害関係がある中でバッサバッサとやることで、気づいてみたら自分が切られていた、ということもありえるでしょう。
いまは生活保護受給者さえ、国会で「既得権益」と言われる時代です。「最低限度の生活」しか保証していないはずの生活保護が「既得権益」と呼ばれること自体、数年前までは考えられない話でした。(第一章 民主主義とヒーロー待望論)

自分の「既得権益」は守りたい、他人の「既得権益」は非難するというのが一般の傾向はなかろうか。あなたまかせでは埒が明かないことは解っていながら、なかなか自分から動けずにいる。

世の中には、物事をすぐに「決めつける」人も、何度言ってもこちらを理解しようとしない「わからず屋」も、たくさんいます。そしてお互いに、自分は柔軟で、異なる意見を受け入れる力を持っているが、相手こそが「決めつける人」で「わからず屋」だと思っています。すべての戦争は「正義」の名の下に行われています。
それでも、誰かに任せるのではなく、自分たちで引き受けて、それを調整して合意形成していこうというのが、民主主義というシステムです。
したがって民主主義というのは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があると思います。「民主主義がすばらしい」なんて、とてもじゃないが、軽々しくは言えません。


「すべての戦争は『正義』の名の下に行われ」る(^_^;) たしかにそのとおりである。それを回避、調整、解決する一つの方法が「民主主義」なのだが、それがうんざりするくらい面倒なことでもあるということ。

「貧乏」と「貧困」は違います。貧乏とはお金のないことですが、お金がなくても幸せな人はいます。しかし、貧困でも幸せというのは定義上ありえない。(第二章 「橋下現象」の読み方)

前にも書いたが、Morris.は間違いなく「貧乏」だけど、本人は「貧困」ではないと認識している。錯覚なのかもしれないが、ともかくも、そう思えている間はなんとかなってるのだろう(^_^;)

民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、「時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか」、というきわめて即物的なことに比例するのではないか。
本当の意味で「民が主(たみがあるじ)」の民主主義を深め、自分たちで意見調整し、合意形成し、誰かに「決めてもらう」ではなく、自分たちで「決める」のだということを実践していくためには、時間と空間というその二つの問題に向き合う必要がある、と思います。


この部分は何度か読み返したがいまいち理解できなかった。

「その気になれば、なんだってできるよ」という理屈。日本人は、この発想が大好きです。「だから、できないのは本人の責任」という、いわゆる自己責任論もここから出てきます。「あきらめなければ、夢はかなう」という言い方、考え方は、たとえば成功したプロスポーツ選手の口を通じて、テレビなどで連日伝えられています。

戦争中の精神論に通じるものだろう。

誰でも、支えられるよりは、支える側に回りたい。実際そのほうが、人はより大きな力を発揮します。では、その人が「自分は支え手だ」と実感できるような形でその人を支えることができないのでしょうか。それが私たちの力量です。
面倒くさい話です。その面倒くささは、民主主義の面倒くささに通じます。


中原中也の「春日狂想」を連想してしまった。

1990年代以降、会社は共同体的な性格を徐々に失い、もっとドライな存在になりました。業績とか生産性とか効率とか、より結果主義的なことで評価するようになっていきます。その象徴が「使えるやつ、使えないやつ」という言い方でしょう。

これまた新自由主義的な考え得方だろう。

ヒーローを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは、世界はよくならない。
ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。
私達にできることたくさんあります。それをやりましょう。
その積み重ねだけが、社会を豊かにします。(第三章 私たちができること やるべきこと)


ヒーロー待望論とは結局ムシのいい考え方(他力本願)である。

自分の意見を社会化すれば、必ず反対の意見に出会う。そうでなければ全体主義社会だ。そのとき反対意見の撲滅を狙えば、戦争になる。戦争になれば強いほうが勝つ。だから少数派は外交技術に長けていないといえkない。それを社会レベルで言えば異なる意見との調整となり、個人レベルで言えばコミュニケーション能力となる。抽象的なものではない。工夫と仕掛け、スキルとノウハウの蓄積だ。それが民主主義を活性化する。理想は、この社会が丸ごと民主主義の学校となることだ。創意工夫に溢れる社会でもある。(おわりに)

「反貧困」のインパクトが強かったたけに、本書の抽象的結論はちょっと期待はずれだった。


2019048
【反貧困-「すべり台社会」からの脱出】湯浅誠 ★★★★ 2008/04/22 岩波新書(新赤版1124)
湯浅誠 1969年生れ。東大大学院法学政治学研究科単位取得後退学。1995年より野宿者(ホームレス)支援活動を行う。反貧困ネットワーク事務局長。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長ほか。「本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」「貧困襲来」

うっかり足をすべらせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう。今の日本は、「すべり台社会」になっているのではないか。そんな社会にはノーを言おう。合言葉は「反貧困」だ。貧困問題の現場で活動する著者が、貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしくいきることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語る。(袖書き)

木村草太の憲法の本の中で本書の紹介があり、読むことにしたのだが、いやあ、10年前に読んどくんだった(>_<)

さまざまな税額控除も勘案すれば、大都市圏で年収300万円を切る一般標準世帯であれば、ワーキング・プアの状態にあると言っていい。……日本社会には今、このような状態で暮らす人々が増えている、と想像される。「想像される」としか言えないのは、政府が調査しないからだ。貧困の広がりを直視せず、ただ「日本人の貧困はまだたいしたことない」と薄弱な根拠に基づいて繰り返すだけなのが、2008年現在における日本政府の姿である。
その政府見解は、「日本の貧困は、世界の貧困に比べたら、まだまだ騒ぐに値しない」という世間一般の素朴な考え方に後押しされている。……世界の貧困への関心の強さを、国内の貧困を見えないままに止める隠れ蓑に使わせてはならない。(まえがき)


都合の悪いことは調査しない(^_^;) たしかにこれは現政権の顕著な特徴であるな。

企業が生き残り、日本経済が不況を脱するためには非正規化もやむなし、という風潮のもと、働く人たちの意思とは別のところで非正規化が進められていった。非正規労働者には、大企業の正社員のような安定した地位もなければ、賃金も安い。短期の雇用打ち切り(雇い止め)による失業のリスクも高く、働くことが生活を成り立たせるネットの役割を必ずしも果たしていない。
また、非正規労働が蔓延する中で、正規労働者の地位の切り崩しも進んでいる。「働きたい人は他にいくらでもいる」と言えば、多くの人は黙ってしまうからだ。


典型的新自由主義型労働システム。

国民年金保険料の実質的納付率は2006年度に五割を切り、無年金者は将来80万人に達すると言われている。

2018年6月末の日経の記事によると、実質4割となってるらしい。

生活保護というと、すぐに「必要のない人が受けている」「不正受給者がいる」と言われることがあるが、、生活保護の不正受給件数は2006年度で1万4669件である。必要のない人に支給されることを「濫給」と言い、本当に必要な人に行き渡らないことを「漏給」というが、1万4669件の濫給問題と600万~850万人の漏給問題と、どちらが問題の性質として深刻か、見極める必要があると思う。

給付側ははなから、こういった考えには与しないのだろう。

失業給付の受給資格を持つのは、現実には失業のおそれの低い大企業の正社員が中心であり、失業給付はその意味で、格差是正機能を持ち合わせていない。
さらにこの人たち(非正規労働者)は、たとえ生活困窮に立ち至ったとしても、事実上生活保護を受けることができない。そもそも生活保護という制度自体を知らない人がいる。制度の存在を知っていても、自分が受けられるとも、また受けたいとも思わない。さらには本当に生活に窮して自治体窓口を訪れたところで、「まだ若いんだから働けるはずだ」という「水際作戦」が待ち構えている。(第二章 すべり台社会・日本)


[貧困状態に至る五重の排除]
1.教育課程からの排除。背後に親世代の貧困。
2.企業福祉からの排除。非正規雇用が典型。
3.家族福祉からの排除。頼れる家族の不在。
4.公的福祉からの排除。追い返す技法優先の生活保護行政。
5.自分自身からの排除。自己責任論の内面化。諦念。厄介で、重要なポイント。

"溜め"の機能は、さまざまなものに備わっている。たとえばお金は当座の生活の保障となり求職活動にもなる金銭的な"溜め"。頼れる家族・親族・友人がいるという人間関係の"溜め"。自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切に出来るというのは精神的な"溜め"。
貧困とは、このようなもろもろの"溜め"が総合的に失われ、奪われている状態である。


この"溜め"のうちのどれか一つでもあれば、当面何とかなるのだろうか。

貧困は積極的に隠されてもいる。オリンピックやサミットなどの国際イベントは、必ずその地域の野宿者の排除を伴う。学校給食費・保育料・医療費を支払えない人が出ると、多くの場合、本人が払おうとしないことが強調され、背後にある貧困問題は隠される。
姿が見えない、実態が見えない、そして問題が見えない。そのことが、自己責任論を許し、それゆえにより一層社会から貧困をみえにくくし、それがまた自己責任論を誘発する、という悪循環を生んでいる。貧困問題解決への第一歩は、貧困の姿・実態・問題を見えるようにし(可視化し)、この悪循環を断ち切ることに他ならない。本書の執筆動機もまた、それ以外にはない。


巧妙なレトリックにひっかかるのが生活弱者の常である。

貧困の規模・程度・実態を明らかにすることを拒み続けた末に出してきた資料が、貧困問題の公認のための材料になるどころか、最低生活費の切下げ、国民生活の「底下げ」のための材料に使われた。この事実は、2007年段階における、日本政府のj貧困問題に対する姿勢を如実に物語るものとして、人々の記憶に刻まれていい。

イソップ寓話の狼のことを思い出した。

政府は貧困と向き合いたがらない。貧困の実態を知ってしまえば、放置することは許されない。なぜなら、貧困とは「あってはならない」ものだからだ。最低生活費以下で暮らす人が膨大に存在すること、それは一言でいえば憲法25条違反の状態である。国には当然にその違憲状態を解消する義務が生じる。貧困に対し、貧困問題を解消させるのが政治の重要な目的の一つだというのは、世界の常識でもある。しかしそれは、この間の政府の「小さな政府」路線に根本的な修正を迫らずにおかない。
本書を執筆している2008年3月時点において、少なくとも政府は、貧困問題を直視もしていなければ、公認もしていない。アメリカを含むいわゆる「先進諸国」が、無視できない貧困問題の存在を公式に認めた上で、その対処法に関して議論を重ねているのに比べて、この落差はあまりにも甚だしく、そして痛々しい。
その意味で、政府を始めとする日本社会総体は、貧困問題に関して、依然としてスタートラインにさえ立っていない。(第三章 貧困は自己責任なのか)


という状態は、本書が出た10年後もまったく変わらない。いや、後退してるのかも。

日本経団連を始めとする財界が、献金や寄付、各種提言を通じて政界に積極的に働きかけてきた結果、政治はこの間、貧困を拡大・深化させる方向で動いてきた。それに対して、私たちも選挙やその他のさまざまな回路を通じて政府に働きかけていく必要がある。
「反貧困」を担う活動が、一人でも多くの「市民」によって担われ、「社会」に働きかけ、政治を変え、日本社会総体において貧困問題がスタートラインに立つことを、私は願っている。(第四章 すべり台社会に歯止めを)


消費税の増税も、そういった政財界のやり方の一例といえるだろう。

労働者派遣の問題は、「労働者の商取引化」にある。人材派遣業者から派遣先企業に派遣された労働者は、派遣先企業に対しては基本的に労働者としての権利をもたない。労働者を「人」としてではなく「商品」として取り扱うことを肯定したシステムが労働者派遣であり、その究極の姿が登録型日雇い派遣である。

ていのいい人身売買。

「水際作戦」が横行する背景には、生活保護のマイナスイメージの社会的浸透があるからだ。生活保護と言えば不正受給・暴力団といったアンダーグラウンドのイメージ、生活保護受給者は税金を払っていないのに、最低賃金で働くワーキング・プア層や年金生活者よりも所得が高いのはおかしいという「不公平感」、生活保護を受けるような人間は「二等市民」であるという差別意識まで、幅広く多様な角度から展開されている。そして、このような「市民感情」を背景に、政府は生活保護費の圧縮を計画しており、それが現場の締め付けに反映して「水際作戦」をもたらす、という悪循環をなしている。
したがって、最後のセーフティネットを強化していくためには、個別対応と同時に、生活保護制度の社会的復帰を図る必要がある。生活保護制度の存在は、人々から感謝されるべきであり、「こういう制度のある国に生まれてよかった」とべきなのに、どうしてここまで貶められているのか。


ベーシック・インカムを切望する。

より低い人たちの消費実態を理由に生活保護基準を下げれば、今度はその影響でより低い人たちの消費実態がさらに下がる。つまり、どこまでいっても「下向きの標準化」さえ図られることがなく、お互いがお互いを下げあうという文字通りの「底辺に向かう競争」が展開される。私はこれを「貧困化スパイラル」と呼ぶ。
これが、最低生活費としての生活保護基準を切り下げることの意味である。わずか150万人の生活保護受給者だけの問題だと考えることは、事態をあまりにも過小に評価していると言わざるを得ない。


「貧困のスパイラル」心が寒くなる。悪循環、愚行の輪、蟻地獄……

日本ではほとんどの人がこの最低生活費(生活保護費)を知らない。具体的金額となると、副詞事務所の生活保護担当員以外で知っている人にはほとんど会ったことがない。
何よりも「知らされていない」ことが大きい。たとえば、自治体の広報誌やホームページに最低生活費の計算方法が載っているのを見たことがあるだろうか。「生活保護基準は、あなた自身の最低生活費をさだめているんですよ」と言われたことがあるだろうか。(第五章 つながり始めた「反貧困」)


兵庫県の生活保護費の計算式

これを試しに試算したら    119,790円/月 (* 試算結果は保護費の目安です。決定額ではありません。)になる。
内訳は生活扶助と住宅扶助をあわせたものらしい。

労働組合は、増え続ける非正規労働者を自分たちへの脅威と考えることはあったとしても、ともに手を組む相手とは捉えなかった。
先駆けて警告を発する者たち(公園青テントの野宿者)を自己責任論で切り捨てているうちに、日本社会には貧困が蔓延してしまった。最近になってようやく、切りつけていたのが、他人ではなく自分の手足だったことが明らかになってきた。

貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。
人間を再生産出来ない社会に「持続可能性」はない。私たちは、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである。

日本における新自由主義政策は、中曽根政権下の国鉄民営化によって本格化し、小泉政権下の郵政民営化によって、一つのクライマックスを迎えた。国営事業の民営化は、その核となる政策である。もう一つの核が、規制緩和である。


国鉄民営化が労働運動にとって決定的致命傷だったことには前から気づいていた。規制緩和は現政権の伝家の宝刀になった。

貧困は自己責任ではない。貧困は、社会と政治に対する問いかけである。その問いを、正面から受け止め、逃げずに立ち向かう強さをもった社会を作りたい。
過ちを正すのに、遅すぎるということはない。私たちは、「この社会」に生きている。「この社会」を変えていく以外に、「すべり台社会」から脱出する方途はない。(終章 強い社会をめざして)


貧困者のうち自己責任だと思い込んでる人のパーセンテージはかなり高いと思われる。
Morris.の場合「貧乏」なのは自明だが、「貧困」とは思ってないようだ。これがいいか悪いかはわからない。わかりたくないのかもしれない(^_^;)

誰かに自己責任を押し付け、それで何かの答えが出たような気分になるのは、もうやめよう。お金がない、財源がないなどという言い訳を真に受けるのは、もうやめよう。そんなことよりも、人間が人間らしく再生産される社会を目指すほうが、はるかに重要である。社会がそこにきちんとプリオリティ(優先順位)を設定すれば、自己責任だの財源論だのといったことは、すぐに誰も言い出せなくなる。そんな発言は、その人が人間らしい労働と生活を、賃金と社会保障を任せられるわけがない。そんな経営者や政治家には、まさにその人たちの自己責任において、退場願うべきである。主権は、私たちに在る。(あとがき)

「主権在民」も「三権分立」も空手形に成り果てている今日このごろ(^_^;) 「その人たち」が自己責任で退場するなんてのは、夢のまた夢である(>_<)


2019047
【ザ・原発所長 上下】黒木亮 ★★★☆☆ 2015/07/09 朝日新聞出版 初出「週刊朝日」2014
福島原発事故から3年後に書かれた作品である。
かなり以前に読んだのだが、メモ取りだけしてそのままになってた。
今、関電の金品授受疑惑が問題になっている中、改めて原発政策と、新しい原子力ムラ(原発マフィア)の実態を見直す必要があるのではないか、という気持ちで貼り付けておくことにした。忘れてはならない、ということだ。

「今回は七年前の轍を踏まないように早急に取り組みたいと思います。一つは、ソ連の原発と我が国の原発の違いをメディアに対して分かりやすく説明する。二つ目は、国民に特に影響の大きいテレビのニュースを監視する。三つ目は、原発の安全性についての地元説明会を早急に行う」
そういって部長は、手元の資料のページを繰る。
「テレビの監視については、すでにエネ庁から指示が来ています。当社が監視するのはNHKです。東北電力はTBS、中部地方はフジ、関西電力はテレ朝となっています」
集積者たちは、うなずいたり、メモをとったりする。
「それから、ソ連の原発と我が国の原発の違いについては、次の方々に、エネ庁と調整しながら、取りまとめをお願いしたいと思います。


チェルノブイリ事故直後の、原子力技術家の幹部の会話。7年前とはスリーマイル事故のこと。当時からマスコミ・メディアへの対応は原子力ムラの最重要課題だった。

市民エネルギー研究代表の松岡信夫は「日本で可動している原発は、アメリカで事故をやったことのある、いわば前科持ちの型ばかり。その日本でも、過去二十年間で計317件の事故・故障が報告されている」と指摘し、理論物理学者の武谷三男は「日本でも(大原発事故は)秒読み段階でしょう。確率論の問題じゃなく、巨大事故はいつ起こるか分からない。原発炉心所事故は起こってしまうと、どうにも手の打ちようがなく、被害が半永久的に残る」と述べ、『東京に原発を!』などの著書があるノンフィクション作家広瀬隆は「チェルノブイリ事故の犠牲者たちは殺人の被害者です。いずれ死ぬのは我々です」と警鐘を鳴らした。

3・11以前にこういった意見は出されていたのだ。

「わたしはこないだアメリカのNRCの訓練センターを見に行きましたけど、向こうの検査官は制御盤のシミュレーターで7週間の訓練を受けて、それから実際に現場で一年間働いて、その上で試験に合格して初めて検査官になれるそうですよ」
宮田がいった。「要は、原発を運転できるプロが監督してるわけですよ」
NRC(Nuclear Regulatory Commission=米原子力規制委員会)は、米国の原子力発電に関する監督機関で、約四千人のスタッフを擁している。
「すべての原発にNRCの検査官が二人から四人常駐して、運転日誌や作業記録を自由に閲覧して、会議も自由に傍聴して、原発内のどこでも自由に出入りして、いつでも検査をできる権限を持っています。実質をしっかり監督していますよ」
「日本は検査も審査も、ただペーパーができてれば、それでオーケーだからねえ」
赤羽はやれやれという表情。
「原子力安全委員会の審査も、学者の先生たちが、書類持ち回りで判子をついてるだけですしねえ。日本の原発は、審査も検査もない状態といっても過言じゃないですよね。まったく、これのどこが『世界一厳しい規制機銃』なのか……』なのか……」
日本の原発規制基準は世界一厳しいというのが政府の常套句である。
「だからこそ、我々電力会社がしっかりしなけりゃいけないんだろうけど……。このところ、原子力の低価格・安全神話を守ろうとするあまり、ますます無茶がまかりとおっているなあ」
赤羽は憂い顔になり、宮田と富士も忸怩たる表情でうなずいた。


東電(本作中では「首都電力」)の幹部の中にも、日本の原発事情のお粗末さは、この程度には認識されていた。

公開ヒアリングは、原子力安全委員会が主催し、通産省の担当官が説明するが、お膳立てするのは電力会社である。会場の確保、設営、警備、映像・音響設備の設置、備品の準備など、丸抱えで面倒を見る。
公開ヒアリングの出席希望は往復葉書で送られて来るが、一緒に質問を書いてくるのはすべて反対派だ。それに対抗するため、柏崎越後原発で渉外を担当している社員が、反対派の十倍の数を目途に賛成派の出席工作をやった。それには首都電力社員の家族たちも含まれていた。もちろんこれは原子力安全委員会も望んだことである。
公開ヒアリングは柏崎市の体育館で開かれ、数百人が出席した。
あくまで原子力安全委員会と通産省による会なので、首都電力一行は、別の場所の「隠れ家」に待機し、シナリオと違う質問が出たときに、会場から電話を受け、「それは想定問答集の何ページの何番です」と回答して運営をサポートした。


ほとんど官製プロパガンダ。

首都電力から支払われる工事費は一人一日5万円程度だが、下請け、孫請け、ひ孫請けなど、五重六重の下請け構造の中でピンハネされ、作業員の手取りは、6,7千円になる。『原発ジプシー』の著者でルポライターの堀江邦夫も、原発の現場で働いている労働者たちは、何の技術も知識も持たいない素人で、大事故が起きないのが不思議だと書いている。
「しかも作業員の人繰りに相当無理しているから、線量計外して作業してる連中が多いぜ」
被曝線量の制限を守っていると、作業がスケジュールとおりに終わらないため、首都電力の社員を含め、APDと呼ばれる胸ポケットに入れる線量計を別の場所に置いて作業する者が少なくない。


自己処理、廃炉作業でも同様のピンはねは当然続いている。

二神は今、奥羽第二原発の総務部に所属し、本店総務部の出先として地元対策に携わっている。富士は二神に、地元住民に関する極秘資料を見せてもらったことがあるが、住所・氏名・職業・年齢などのほか、各人の原発に対する考え方、原発推進(あるいは反原発)集会への出席状況、地権の有無、有力者とのコネクション、本人や関係者に対する首都電力の工作状況などがこと細かに記され、備考欄には「集落で本人を孤立させる」、「本家を通して圧力をかける」といった生々しい書き込みがされていた。

今回の高浜市元助役なんてのは、当然圧力をかけるための格好の人材であったのだろうし、甘い汁を餌に関電も利用して、いわゆる「うぃんうぃん」の関係だったにちがいない。

「あれは……サブコンの副社長だ」
二神は、一瞬躊躇ってから答えた。
サブコンはその名のとおりゼネコンのサブ(下)に入る中堅建設会社で、工事の「前捌き」が仕事である。建設工事には、下請け工事だけでなく、土木作業員の派遣、現場の食事の仕入れ、作業着・建設資材・重機などの調達、廃棄物や残土の処理、騒音対策など、様々な仕事、裏返していえば利権が付随し、地元の有力者、業者、暴力団、エセ同和などが群がってくる。近隣対策費をばら撒いて、それらを上手く捌き、ゼネコンや電力会社に還元される。
「富士、お前は知らんほうがいい連中だ。忘れろ」


これも関電の利益の還流と同じ構図である。

「報告したら、『どうして勝手に修理した?』とか『この修理方法でいいのか?』とか、根掘り葉掘り訊かれるに決まってるじゃないか。日本はアメリカと違って、NDTに立脚した維持規格が存在しないんだから」
NDT(non-destructive testing=非破壊検査)は、対象物を壊さずに傷や劣化を調べる検査方法のこと。富士が大学二年のとき、破壊力学の一ノ瀬京助講師が必要性を訴えていた原発の維持規格はいまだに策定されておらず、すべての機器は新品同様でなくてはならない。
「しかし実際に我々は、日々、色々な機器や部品を修理してプラントを動かしてるわけですよね? 機器も部品も全部が全部、新品同様じゃなきゃいけないなんて、役所だって思ってないと思うんですけど」
富士は、何をいわれるか分からないから隠さなくてもいいものまで隠す社内の隠ぺい体質をこのままにしておくと、いつか制御不能の大問題が起きると懸念していた。
「やかましい!」
古閑は色白の顔をうっすらと紅潮させ、苛立ちもあらわに怒鳴った。「一介の副長のお前の意見なんかいちいち聞いてる暇はない! いわれたとおりに、報告書を書けばいいんだ。だいたいこれは所長のご指示なんだから」
「所長の……?」
富士と石垣が所長に視線を向けると、ゴルフ焼けした所長はむっつりと押し黙っていた。


隠蔽体質。

「ところで石垣さん、僕、前から思ってたんですけど、DGが地下一階にあるって、おかしいと思いませんか? しかも海側にあるタービン建屋の」
「お前のいうとおりだよ。津波でも来たら、一発でアウトだぜ」
石垣は躊躇なくいった。
「だけどな、この話はタブーなんだ」
「えっ、タブー?」
「今さらこの話を蒸し返して、DGをどっか高い場所に移すなんて、本店では絶対にとおらない」
「……」
「実は俺も本店にいたとき、この話を何度かしたことがある。けれど、『来るか来ないか分からない津波のために、余計な金なんかかけられるか』って、もうまるで狼中年扱いだ」
「狼中年ですか……はあーっ」
富士は歩きながらため息をつく。
「しかし、よりによって、何でこんなレイアウト(設備の配慮)にしたんですかね?」
「うちの会社がGEの設計を丸呑みしたからだよ」
石垣は面白くなさそうにいった。
「GEはアメリカの会社だから、竜巻やハリケーンは頭にあるけど、地震のことは詳しくない」
「ですよね」
「ましてや津波なんか、考えたこともない。向こうの原発は内陸部の大型河川沿いにあるからな」
富士がうなずく。
「そこにもってきて、政治的要請や関電への対抗心で、うちも早く原発を造ろうとした。GEはGEで、東洋の黄色い猿が、自分たちの技術に嘴を挟むのを許さなかった」
当時、GEは「我が社の軽水炉は完全に実証された原子炉で、研究・開発の余地はない」と豪語し、ネジ一本代えることも禁じた。技術的な質問に対しては、「Because GE think so(なぜならGEがそう思うからだ)」という傲慢な答えで応じた。
しかしいざ運転を始めると、応力腐食割れや燃料破損などの深刻なトラブルが続出し、首都電力はGE神話が幻想にすぎなかったことを思い知らされた。


そんな事情がありながら、福島事故後にGEへの責任を質したなんて話はまるで聞かない。

原子力設備管理部長だった3年前、15.7メートルという津波の波高の試算を告げられ、堆積物調査をやったり、対策費の見積もりや技術面の検討はしたが、具体的な対策は実施しなかった。
「あのとき、すぐに防潮堤を造るのは無理としても、非常用DG(ディーゼル発電機)だけでも高いところに移しといたら、今回みたいな大惨事は防げたんだが……」


地元の町では、財政全体に占める交付金と固定資産税の割合が六~七割に達し、役場や図書館も真新しく立派な建物に建て替えられた。
「ところが、交付金は原発の着工から完成時ないしは五年後ぐらいまでだし、各原発の固定資産税も十五年間で終わる。平成になったあたりから、地元が息切れしてきて、別のおねだりを始めたってわけだ」
「そうか……麻薬みたいやな」
富士がため息をつく。
「まさにな。交付金の用途は公共事業に限定されてるから、図書館とか市民ホールとか、「ハコモノ」を造るしかない。ただし、その維持管理費には使えない。固定資産税も毎年減価償却で額が減る。交付金でハコモノを造った自治体は、「また新しい原発を造ってくれ」といってくる」
「よくできてるというか……恐ろしい仕組みだな」
「恐ろしいよ、俺たちにとっても。麻薬漬けになった自治体から、急に補助金を取り上げることはできん。金をやるか、新しい原発を造るか。一蓮托生だ」
二神は、悟りきったような口調でいい、水割りのグラスを傾けた。


関電高浜の場合は、福島事故後、安全基準の見直しを奇貨として、急増した安全工事受注を地元の業者に優先発注して、そこに、関電と有力者の利益還流があったということだろう。

佐藤栄佐久福島県知事は元々自民党議員で、前年9月でも自民党の推薦を受けた。しかし、「使用済み核燃料は県外の再処理施設に持ち出す」という約束を通産省に反故にされたり、奥一・6号機の再循環ポンプ軸受リング破損事故の際に、首都電力の原子本部長(常務)が「座金が見つからなくても、運転を再開することもあり得る」いったりしたために、原子力業界に対する不信感を強めていた。
佐藤知事のプルサーマル否定発言に対し、首都電力は、二日後に、公務部門担当の副社長が突然記者会見を開き、「現在計画している発電所の設備投資を抜本的に見直し、原則三年から五年、地方によってはそれ以上凍結する」と発表した。プルサーマルを認めないなら、福島県内での設備投資を止め、固定資産税や交付金も出ないようにしてやるという脅しだった。
佐藤知事はますます反発。「原発立地県の立場で、エネルギー政策について健闘していく」と、プルサーマルを当面受け入れない考えを改めて示し、核燃料税の引き上げも示唆した。
これに経産省と首都電力が慌て、平沼赳夫経産相が佐藤知事に電話をかけ、首都電力の社長が急遽記者会見を開いて、設備投資「凍結」を否定した。


佐藤元知事は、名前のせいで(^_^;) あまり好感をもてずにいたのだが、後で彼の立場や著作を読んで、考えを改めた。その彼も結果的には、権力の圧力に押しつぶされるかたちになってしまった。

二ヶ月後、佐藤栄佐久福島県知事の弟で、郡山三東スーツの社長を務める佐藤祐二が、県の元土木部長、東急建設東北支店元副支店長とともに逮捕された。県発 注の木戸ダム建設工事を岩水建設と親密なゼネコンに受注させ、その見返りに郡山三東スーツの土地を岩水建設に不当に高く買わせたという容疑だった。
その二日後、佐藤栄佐久知事は、道義的責任をとって、県議会議長に辞表を提出し、翌日、議会で辞職が認められた
10月23日、佐藤栄佐久前知事が逮捕され、翌月、実弟と共謀して、木戸ダムの工事の競争入札を妨害したとして、収賄罪で起訴された。

「佐藤栄佐久前知事は、ほんまに賄賂なんか受け取ったんか? そんなふうな感じの人には見えんけどな」
「国策捜査やろ。国の原発推進政策に楯つくとこうなるっちゅう、見せしめちゃうか」
富士は複雑な表情。
「二神を尋問した検事が『佐藤知事は日本にとってよろしくない。抹殺する』ゆうてたそうや」
「しかし、物的証拠なんかないやろ? どうやって有罪にするんやろね?」
「捜査の過程で賄賂を受け取ってたんが発覚した連中を、『起訴されたくなかったら、検察の筋書きどおりに証言せい』ゆうて、嘘の証言をさせるらしいわ。裁判所もよっぽど気骨のある裁判官やない限り、検察と同じ司法ファミリーやから、有罪確実やて」


千代田区平河町の砂防会館の事務所で、衆議院副議長を務める元自民党商工族のドン(渡部恒三)が、福島県の副知事を呼びつけていた。
「県と首都電力が対立して、一番困んのは発電所の地元ですよ。富岡町の町長も核燃料税の地元への還元が薄いっつってるし、楢葉町の町長も、いぎなりズドンと引き金を引ぐなんつう真似には反対しとるそうじゃないか」
「はあ……」
「プルサーマルはやらせね、税金は引き上げるでは、首都電も納得はできんですよ、感情的に」
「はい……」
「それに知事がなんぼ頑張ったって、県議会が承認しねがったら、条例が成立スないのは、自治省出身のあんたが一番よぐ分かっとるでしょ?」
副知事は大学を出て自治省に入省した官僚で、出向で福島県に来ている。
宇久島県議会(定数60)は、自民党が過半数を占める保守王国だ。
「福島に帰っだらね、佐藤くんに、このワタスが心配をしでだと、よぉーく伝えておいてくれ」
「はい」
「あんまり無茶なことをすっと、佐藤君のためにもなんねぇと、こういっでおったってな」
そういって、鷹のような視線を副知事の両目に注ぐ。
「原発は大ぎな利権だがらな。政官財だげでねぐって、裏の社会も関わってるしな。首都電力が下請け作業員一人あたりに払うのは十万円で、それが作業員のとごまでくると一万円ですよ。電力九社の設備投資は年間二兆円からある。これらみんなが利権ですよ。触れては駄目だな」


この渡部恒三は「東北の坂本龍馬」を自称する政治家。わざと東北弁を多様していたらしい。

5月26日、首都電力は、「奥羽第一原子力発電所一号機への海水注入に関する時系列について」というプレスリリースを行い、「当社の官邸派遣者から『官邸では海水注入について首相の了解が得られていない』との連絡があり、本店本部と発電所の協議の結果、いったん注水を停止することとしたが、発電所長の判断で注水を継続した」と発表した。
思いがけない好材料で民主党政府は窮地を脱し、自民党は切歯扼腕し、首都電力は釈明に追われ、評論家たちは富士の決断の功罪を論じた。
そうした中、富士に対する国民の注目が集まり、新聞や雑誌に「独断で注水継続の富士所長とは~大阪出身の親分肌、本店とも再三衝突」、「日本の命運を握る富士祥夫という男」といったタイトルの人物特集記事が多数組まれ、一躍有名人となった。
首都電力は広報部をつうじて、命令に背いたことに関して何らかの処分が社内で検討されていると述べた。しかし首相は、注入継続の判断は正しく、処分は不要との認識を示し、世論も「処分されるべきは、現場との意思疎通もなく、官邸の顔色ばかりを窺うばかりの社長以下、本店の幹部ではないか」と富士を擁護した。


富士のモデルとなった吉田所長に関しては、Morris.はある種の疑念を持っている。

「回想録?」
「ああ。『原発の裏街道を歩いた男の告白』とかタイトルを付けてな」
「うえっ、そりゃあ恐ろしい内容になりそうやな!」
苦笑して視線を向けると、二神は、残り少なくなった額の髪の毛を陸風になぶらせながら、タバコをふかしていた。
「この仕事をしてつくづく分かったのは、電力業は政治家とヤクザと建設会社のマネーマシンで、官僚の天下り先だということだ」
記事は二神の経歴と、「もう原発のことでは嘘はつきたくない」と告発に踏み切った経緯で始まり、自分が関与した様々な裏金作りや政界工作の実態が、関係者の実名入りで赤裸々に語られていた。
(こんなこと話して、大丈夫か、あいつ……?)
記事を一読して、富士は愕然とする思いだった。

「もんじゅ」の西村成生動燃元次長に限らず、原発がらみでは不審死や自殺が多い。原発反対派の運動家やジャーナリストが、ひき逃げされたり、何者かに刺されたり、猟銃が暴発したり、動機不明の自殺をしたりという事件は枚挙にいとまがない。電力会社から支払われる工事費が五重、六重の下請け構造の中でピンハネされ、作業員の手取りが七~十分の一になってしまうことに象徴されるように、原発は巨大な利権で、社会の裏表の様々な勢力が絡んでいる。原発推進に都合の悪い人々の不審死の少なからぬ部分が、裏社会が手を下したものだという説は根強い。

原発絡みの権益の巨大さは当然闇社会との繋がりを産む。

柳瀬唯夫--東大法学部を出て通産省に入り、エネルギー行政の中枢を歩んできた豪腕官僚。資源エネルギー庁の原子力政策課長だった7年間には、「原子力立国計画」をまとめ、世界中に原発を輸出する政策を提唱した。前年12月の衆議院選挙で自民党が大勝した直後に官邸入りし、原発輸出や再稼働の青写真を描いている。ただし、電力業界からの評判は悪く、「出世のために電力業界を利用する男」と陰口を叩かれている。


「スかス、海水注入を独断で55分間継続したっツうのも、あんまし効果はねがったんだよな?」
「はい、炉心溶融を防ぐという意味では。一号機はイソコンが動かなくて、前日の真夜中頃には原子炉の水が完全に空になって、燃料棒が全部高熱で剥き出し状態でしたので、水を入れた時点で、燃料被覆管のジルコニウムと水が化学反応を起こして、即、炉心溶融しました」
「要は溶けっツまったあどに水をかけだと」
「まあ溶けたあとでもデブリ(溶融物)が崩壊熱を発し続けて、ほっておくと格納容器の下のコンクリートや鉄筋を溶かして放射性物質を外界に撒き散らしますから、冷やして水没させることは必要です。それに彼らがサイトに踏みとどまってベントや電気の復旧をしていなければ、原子炉は六つとも爆発して、燃料プールも全部溶解していたと思います」
「なるほど……。ところでその食道がんっつうのは事故のせいなのかね?」
「放射線の影響は不明ですが、事故後のストレスが影響していたのは間違いがないかと存じます。むろん、そういったことを首都電力が認めたりするはずもございませんが」
議員はうなずく。
「まあ、国策推進のためには、犠牲もしょうねなぁ」
「おっしゃるとおりかと」
「原子力発電とプルトニウムの技術、そしでそれをミサイルに転用すっためのロケット開発は、我が国の外交・安全保障政策上、重要だもんなあ」
議員が100mほど先の奥二を愛でるように眺めていった。


上の東北弁部分は渡部恒三発言。
経済畑の著者が、これだけ、原発関係の知識を学んで、このような大作に仕上げたことに関しては感服した。

2019046
【東京の子 TOKYO NIPPER】藤井太洋 ★★★☆☆ KADOKAWA 初出「文芸カドカワ」2017
藤井太洋 1971年生れ。舞台美術、イラストレーター、PCソフト開発会社勤務。2013年から作家に転身。「オービタル・クラウド」で日本SF大賞、星雲賞受賞。
まったく未知の作家だが、図書館で最初の数ページ読んで、おもしろそうだな、と思って読むことにした。
東京オリンピック後を舞台とする近未来小説で、主人公舟津怜は小学校の頃You Tubeでパルクールのパフォーマンスを公開してそれなりの実益をあげた後、他人の戸籍を買い、過去を秘匿して生きる若者で、オリンピック跡地に作られた「理想の大学」が実は学生の人身売買のような組織だと知りその矛盾を追求するといった、移民や雇用問題を主題とする社会小説らしかった。スマホやSNSやネット技術を駆使する登場人物の行動にはついていけなかったがそれなりに面白かった。
「パルクール」というのもまったく未知の言葉だったが、「フランスの軍事訓練から発展して生まれた、走る・跳ぶ・登るといった移動所作に重点を置く、スポーツもしくは動作鍛錬」(cf.Wikipedia)らしい。

踏面を30センチ以上に、一段の高さ--蹴上を16センチ以下にしなければならないバリアフリー法のおかげで、東京都にある屋外施設の階段は、どこも似たような傾斜がつけられている。東京デュアルの階段はバリアフリー法のぎりぎりを狙った28度だ。
ワンフロア下で水谷に追いつくための動作は15通りほどあり、気がついたときには、仮部はその中の一つを選び取って、スピードを緩めずに最上段から飛び出していた。
床についた手を支点に身体が浮き上がる。仮部は曲げた両腕の中に頭を抱え込むようにして背中を丸め、床に前転した。右足の<飛躍>を、つま先から押し込むように地面につけて勢いだけで立ち上がる--ダイブロールはパルクールの教材ビデオにしたくなるほど見事に決まった。

「東京デュアル」というのが、件の理想の大学の名称だが、建築の細部へのこだわりに注目。これとパルクールを関連付けるなど、うまいもんである。他の作品も読んでみたい。

2019045
【それまでの明日】原尞 ★★★☆ 2018/03/15 早川書房
原尞(はらりょう)s 1946年 佐賀県鳥栖市生れ。九州大学美術史科s卒。上京してフリージャズピアニストとして活動。その後帰郷して1988年「そして夜は蘇る」でデビュー。「私が殺した少女」「さらば長き眠り」「愚か者死すべし」

本書は「愚か者死すべし」から14年ぶりの長編第5作である(^_^;)。この作家は秋本くんがはまっていて、Morris.もほとんどすべての作品を読んだと思う。今頃になって新作が読めるとは思いがけなかった。秋本くんにこの本のことを話したが、彼は原尞の名前すら忘れていて(>_<) 本書も読むつもりはないとのことだった。

木曜日の張り込みは何の成果もないまま、最近の映画のエンド・ロールのようにだらだらとつづいた。成果があったところで、誰のためになるのかわからないような張り込みだった。

ハードボイルド作家特有のひねりの効いた比喩の一例。

海津の口調が熱を帯びてきた。「就職氷河期などという言葉が出てくる所以でもありますが、若者はすべて上昇志向が強く、より有名で、より大きな会社、より給料の高い、狭き門の就職口を求めているという、この社会の間違った認識です。そんなことはないんです。若者だろうと誰だろうと、本当は好きな仕事ができる就職がしたいんです。いや、質問の仕方が乱暴だと、回答も粗雑になり、上昇志向があるような回答しか返ってきませんよ。でないと負け犬のようにみなされるからでしょう。しかし、本心は違うんですよ。ぼくらはそこに注目したんです。まず第一に、就職先の案内のリストには、決して会社のランク付けや給料の高低による順列を設けないようにしました。登録をした求職会員にこちらからする質問は、何よりもまず、"あなたはどんな仕事がしたいのか"ということなんです」

主人公沢崎の息子かも、という登場の仕方でちょっとやきもきさせる青年梅津が学生時代にはじめた人材紹介業の紹介だが、なかなかにうがったことを言ってる。

依頼人に会うことさえできない探偵が事務所に持ち帰ってきたのは、消費制限の切れた炭酸飲料の「あぶく」のような徒労感だけだった。腕に自信のない人間なら、失敗は他人のせいにするという調法な才能で切りぬけようとするだろうが、私の履歴のどこにもそんな才能があるとは書かれていなかった。

「調法」という漢字語が誤用ではないかと思ってしまったのだが、辞書見たら
調法[てうはふ]「重宝 2.に同じ--使って便利なこと、役に立つこと、そのさま) 本来「重宝」と書くべき語であるが、「ちょうほう(重宝)」と「てうはふ(調法)」の音韻上の区別がなくなって混同されたもの。--『大辞林』
なるほどね。

「あなたはテレビなど観ないでしょう。テレビ、スポーツ紙、スポーツ雑誌、どれを見てもひどいもんです」
「敗けて、言い訳でもするのか」
「それもあります。いや、敗けたときの言い訳はまだましなほうかもしれません。勝ったときのコメントのほうが、どうしてこんなにつまらないことをしゃべるのかと耳を疑うほどです。どれもこれも、画一的で、紋切り型で、相手が聞きたがっていることに合わせているのか、誰がしゃべったことの口真似ばかりで、はるかにひどいですよ。それ以上に聞き苦しいのが試合前のコメントです。判で押したような大口をたたくだけで、聞くに堪えないものがあります。オリンピックに出そうな選手はみんな金メダルを取ると言うし、プロ野球の選手はみんな優勝するとしか言いません」
「黙って試合に望むのは、競走馬ぐらいか」
「そうですよね。そもそもスポーツマンが--実力も実績もあるスポーツマンが、なぜそんなつまらないおしゃべりをする必要があるのか。そのへんに最近の日本のスポーツの問題点や本質がありはしないか。それは同時に、そんな取材と報道に膨大な時間を消費しているスポーツ・ジャーナリズムに問題点や本質がありはしないかという、まァ、そんなようなことです」

スポーツライター佐伯直の言葉。これって著者の考えの代弁ではなかろうか。
東京オリンピックまえで、大政翼賛的自国選手賞賛、ヨイショの報道を皮肉ってるようだ。

「いいえ、ぼくはあなたがあんな事件に関わりがないことをはっきりと確信しています」
「根拠のないことを断言したリ、確信していいのは、女学生だけの特権だ」


この言い切りは気持ちがいい(^_^;)

「これは--そうだ、うちとは違う"ある組織"の現状の話だと思って聞きな。とにかく、麻薬や覚醒剤はリスクばかりが大きくなって実績は下降線だし、暴力的な恐喝は時代遅れとときている。時代の波に合わせた電話詐欺や災害寄付金の横領などは若い連中の担当で、おれたち幹部が手を出すような「しのぎ」じゃねえ。おれの出番は--いや、その組織のおれくらいの幹部の出番は、もっぱら金融機関や公共機関の不正をネタに「喝アゲ」することなんだ。それがおれたちも驚くような成果をあげている。
こいつは言ってみれば、一種の"世直し"みたいなもんで、世間の奴らに感謝されてもいいんじゃないか。そういう不正のネタ探しのアミが、あの事件の金融会社にも張ってあったってことさ」


現代ヤクザにも三分の理。

水道の元栓を誰かが勝手に締めてしまった蛇口のように、私のまわりの動きがピタリと止まって、二日と半日が過ぎた。

夕闇と町の明かりが競い合っているので、あるものが見えにくく、ないものが見えてしまうような時間だった。


比喩の例二つ。

成田誠一郎の日本画の作品は三十数点あるそうで、その大きな特徴は、すべての絵が四人の女優--田中絹代、山田五十鈴、原節子、高峰秀子をモデルにして描かれていることだが…… 評判を伝え聞いて、四人の女優はすべて料亭の客として自分が描かれた作品を観るために訪れたそうだった。なかでも高峰秀子の感想がとても的確であり、秀逸であり、ユニークなので、ここに引用すると前置きがあった。
>>あたしの感想は失礼なことを言うかもしれないけどさ、この絵のあたしは確かに、首から上はあたしだけど、首から下はみな女将の静子さんだよね。あたしは日常の生活でも、映画に出演したときの演技でも、こんな優雅で、上品で、しかも颯爽とした立ち居振る舞いをしたことなんかないもの。でも悔しいからさ、将来然るべき役がきたときは、今日誠峯先生の絵と静子さんんおお手本でしっかり勉強させてもらったことを生かしてさ、決して負けないような立ち居振る舞いをしてみせるからね。日常生活では永久にダメだけどさ、ハハハ……>>

高峰秀子が書いたとされる、伝統割烹店の女将の描写がなかなかである。この五人の女優も原尞の好みなのかも。

「おまえの疑念は、つまるところ望月がおまえの十八番(おはこ)を逆用したのではないかということだな」
「十八番だなんて、あなたは本当にひとを不快にさせるのが--」
「おれの十八番のようだな」


おあとがよろしいようで……(^_^;)



2019044
【韓国呪術と反日】 但馬オサム ★★★☆ 2015/01/22 青林堂
但馬オサム  1962年東京生れ。10代のころより、自動販売機用成人雑誌界隈に出入りし、雑文を生業にするようになる。得意分野は、映画、犯罪、フェティシズム、猫と多様。「ゴジラと御真影/サブカルチャーから見た近現代史」

いわやる「嫌韓本」に分類される一冊である。偏見に充ちた文言も多いし、明らかに事実誤認もあるのだが、それなりに納得できる韓国人観や、知らなかった雑学ネタもあった。

韓国は歴史問題等でサディスティックに日本を非難することで同時にマゾヒスティックな感情も満足させている。両者は正比例の関係にあるといっていいと思います。日本に対してサディズムをむき出しにすればするほど、彼らのマゾヒズム的快感が蔵風されるのです。一方、日本は韓国の非難にマゾヒスティックに頭を垂れれば垂れるほど、サディストである自分を自覚していくというわけになります。
仮面マゾのサディストと仮面サドのマゾヒストのもたれ合いの関係が、すなわち今日の日韓関係です。このもたれ合いこそが歴史問題をこれほどややこしくさせてきた元凶といえます。


筆者がエロ雑誌のライターやってたということから、こういった見方になるのかもしれないが、たしかにこういうふうに考えると両国の関係がわかりやすい気もする。

韓国人の人間関係を構成する特徴として、よく取り上げられるのが「ウリ」と「ナム」という概念です。本来「われわれ」を意味する「ウリ」ですが、この場合は「内輪」というふうに訳すとわかりやすいかもしれません。自分を中心に家族、血縁、本貫、地縁、友人、学閥と、さまざまな「ウリ」が構成されます。その外側が「ナム」です。てっとりばやく翻訳すれば、ナム=「赤の他人」ですが、ニュアンス的にはもっと排外的な響きがあります。
韓国人と少し仲良くなって、相手から「ウリ」と認識されると、精神的に同化したものと見なされるようです。自分と相手の自我の境界がはなはだ曖昧になり、際限なく甘え、依存し合う関係になります。自我を共有スルのですから、下着や歯ブラシを共有することなどなんの不思議でもないのです。
韓国人は「情の民族」を自認し、「日本人は情が薄い」などといいますが、この場合の「情」は、同化の度合いを意味します。
「ナムなら死のうと生きようと」という言葉があるそうです。
韓国のはなはだしい「差別意識」も結局、この「ウリ」と「ナム」の意識に起因する。かの悪名高い地域差別も、「ウリ」ではない「ナム」に対する極端な不信と蔑視以外の何物でもない。


「ウリ」と「ナム」の関係もこういうふうに割り切ればわかりやすい。

韓国人はよく「日本人が(韓国に)無関心なのが一番腹が立つ」と言いますが、そもそも「ナム」の関係が前提なら、無視・無関心に腹を立てる必要がありません。その意味では日本を「ウリ」だと思いたいのです。というか、「日本がウリに入れてほしがっている」と思いたいという方がより正確かもしれません。(第一章 反日のエロス)

両国の関係性の一端を伺うことができる。

李朝時代の伝統的階級は上から王族、両班、中民、常民、奴婢で、この他、階級制度の外に置かれる白丁(被差別民)がいました。朝鮮の階級制度はどちらかといえばインドにおけるカーストに近いものがある。
驚くべきは朝鮮における賤業のカテゴリーの広さです。妓生や遊芸者はむろんのこと、医師や女官、調理人や僧侶までもが賤業とされていたのです。韓国における階級制度は近代化以降、建前上はなくなりましたが、さまざまな差別が露骨な形で存在しており、今でも製造業や飲食業は地位の低いものの職業とされ蔑視の対象にあります。


韓国人の差別意識については、この階級制度を理解する必要がある。

日本人の諦念は仏教の無常観と密接な関係にあります。「無常」と「無情」は似て非なる言葉であり、「無常」は「常ではない」、世の中に変化しないものなど存在しない、という意味の言葉です。
一方、「恨」は、儒教的な色彩の濃い概念です。

私は、韓国の反日が決して解消することがないのは、それが単なる「反・日」ではなく「恨・日」だからだと思うのです。日本に対する恨の感情--それは、韓国が日本を身内として意識している証拠ともいえます。韓国にとって日本は、時に不埒な弟であり、時に不貞な妻であり、時に妻(竹島)を狙っている隣家の男なのです。常に手の届く身内の存在でなくてはなりません。


「恨・日」というのは言い得て妙な表現だと思う。

韓国人は、被害者と加害者という関係に強い執着があり、この語には儒教的な上下関係の巧みなワーディング(言い回し)がある。加害者・日本は、被害者・韓国にとって道徳的下位にあるといのが彼らの暗黙の主張なのです。被害者は絶対的な善であり加害者は絶対的な悪ということになります。
日本に対して「被害者」であることは、圧倒的優位、強者の立場にあるということを意味します。ここでもCK(チキンコリア=弱い韓国」とSK(ストロングコリア=強い韓国)が微妙に盗作しているのです。つまり、被害者という弱者(CK)を強調することで、暗にドスを効かし(SK)、要求を正当化させるという彼らなりの戦略と見ていいと思います。(第二章 のたうち回る愛)

このCKとSKというのも、下世話な比喩だが、それだけにわかりやすい(^_^;)

ソウルのような大都市でも、一歩裏道に入ると坐堂の印である「卍」の看板を自然に目にする事が出います。「卍」の印は都市生活と冥界をつなぐ、"どこでもドア"といっていいでしょう。

これはMorris.は、ずっと仏教のお寺と勘違いしてた(>_<) そうか、坐堂だったのか。似たような例では「哲学(チョラク)」という看板が、占い所だということはだいぶ前に知ったけど。

少女慰安婦蔵ですが、あれをstature(彫像)と英訳するのは間違いで、土俗信仰的な崇拝物、一種のtotem(呪像)と認識するのがより本質に近いというのが私の意見です。

これもなかなかうがった見方だと思う。

英語のcrime(クライム)とsin(シン)。crimeは法律上の犯罪、sinは(主にキリスト教的な立場からの)宗教上、倫理上の罪。
日韓併合を「罪」と仮定するとしても、日本人の知識人なら、その罪を当然crimeと捉えます。ところが韓国にとって日本の罪はsinに他なりません。
韓国は祖霊を中心とした呪術社会なのです。日本の罪(sin)を裁く=民族の祖霊の「恨」を溶かすことでもありますが、おそらくそんな日は永遠にこないでしょう。未来永劫、「恨」の債権はついて回るのです。(第三章 愛と呪いの国)


「日韓併合」=宗教的罪「sin」=「恨(ハン)」という等式(^_^;) そしてこの「恨(ハン)」は「溶けることのない恨」であるという救いのない結論。
引用した部分は、比較的Morris.も共感を覚えたり、納得できる部分である。
嫌韓、反韓意識も、類書に比べるとそれほどのことはない。それでも根幹の部分では、どうしても同意できないところも多かった。


2019043
【燃える家】田中慎弥 ★★★ 2013/10/30  講談社 初出「群像」2010-2013

主人公瀧本徹の実父(地元(下関がモデル?)の有力政治家)の台詞。

「三島由紀夫は知ってるな? 腹を切って死んだ作家だ。書いたものはどれもやわだったが、死ぬ直前に言ったことはそれなりに意味があった。自衛隊員たちを前にして三島は演説した。自衛隊が立ち上がらなければ憲法改正は不可能だ、自分を否定する憲法を守るのか、永遠にアメリカの軍隊になってしまうぞ……自由国民党の政治家としてこれは耳の痛いところだ。ただ、三島はやり方を間違えた。むしろ、間違えなかった、間違えなさ過ぎた、と言うべきか。濁った水を嫌うあまりに餌のミミズさえ棲めない清流を求めた。正しいが急激だった。コースは合ってたがフライングだった、それも大幅にだ。だから当時の首相は、正気の沙汰とは思えないといい、自衛隊を預かる防衛庁長官は、迷惑な話だ、と切って捨てざるを得なかった。そうやって、冷戦の中でとりあえずアメリカの手先である極東の国として、ソ連と中国という共産主義の化け物の近所で生きてゆくしかなかった。情けないが我が党はその旗振り役だった。牙を抜かれて札束にしがみついていた。もう一度牙を生やすことは、赤どもは勿論、アメリカも望んでいなかった。恐れ多いことだが、恐らくは昭和天皇も……だが本当のところどう思われていたかは分からない。周りはいくらでも不躾な空想をする。A級戦犯が合祀されてから靖国神社へ参拝されなくなったことを取り上げて、それだけ当時の軍部に不快感を持っておられたのだ、と勝手に話を作り上げようとする。実際は違う。東京裁判で裁かれた死刑になった人物を神として祀る靖国へ天皇が参拝すると、他国を刺激して外交問題化する可能性があった。だから断念せさるを得なかったというのが真相だ。であればだ、公式にしろ非公式にしろ三島の自決についてのご発言はいっさい伝わっていないが、何事か深く思われたに違いない。少なくとも2・26事件の将校たちに対するのとはやや違った感覚をお持ちだったのではないかと思う。だがな、21世紀にもし三島が生きていれば、とは思わない。作家の突発的な行動など必要ない。現実を変えてゆかなければならない。日本は冷戦構造の中で経済発展という衣裳に身を包んできたが、もう芝居は終わりだ。我が党結成以来の最も大きな目標は、占領軍から下された、あの身の毛もよだつ日本語で書かれたおぞましい憲法を、自分たちの手で書き直すことだ。国を守るための軍隊を否定する、そんな憲法を、自分たちの手で書き直すことだ。国を守るための軍隊を否定する、そんな憲法を後生大事に抱え込んでいるバカな国などない。偽物の国から本物の国に生れ変る時だ。菅原にはそれが出来る。少なくともその要素はある。靖国参拝は党内の反菅原派とか日本遺族会を押え込むためのポーズに過ぎないがそれでも構わない。これだけ国民から支持されている首相の行動には全て意味がある。意味を持たせることが出来る。菅原が靖国へ行って中国や韓国が騒ぐ。決して悪いことじゃない。もっと騒げばいい。安定よりも混乱の方が物事の本質を焙り出せる」



2019042
【B面 昭和史 1926-1945】半藤一利 ★★★☆☆ 2016/02/12 平凡社

50年前に『日本のいちばん長い日』をかいたときも、また12年前に『昭和史』をだしたときも、かかれているのは表舞台だけの出来事だけで、裏側の庶民の生活がネグレクトされていると、それとなくお叱りをうけたりしました。(あとがき)

というわけで庶民の世相、トピックを中心に据えたB面昭和史ということになる。昭和元年から敗戦の20年までの20年間。例によって、松岡正剛の「情報の歴史」年表を参照しながら読み終えた。ちょっと疲れた(^_^;)

・大正15年(1926)12月25日午前1時25分大正天皇が葉山御用邸で亡くなり、ほぼ2時間後の午前3時15分に皇太子裕仁親王が百二十四代天皇となる。その直後枢密院会議で政府提案の「昭和」の元号が決まる。(昭和元年 一週間しかなかった年)


結果的に昭和元年は1926年12月25日から31日までの一週間しかなく、この間に生れた赤ちゃんの多くは、出生届を翌年生れにしたためもあって(当時は数え年のため生れた時点で一歳、年を越えると二歳になるため)、昭和元年生れは極端に少ないらしい。

・円本ブームが日本の出版界にマスプロ・マスアド・マスセールの道を開き、いわゆる本の買い取り制度を崩した。昭和になって、出版界は荒っぽい戦国時代に突入したことになる。(昭和2年)

円本ブームが書籍の再販制度を産んだとは知らなかった。

・「日本人は戦争が好きだから、事前にゴタゴタ理屈をならべるが、火蓋を切ってしまえば、アトについてくる」と予言した軍務局小磯国昭少将の豪語は的中した。戦争がはじまると、国民はいっぺんに集団催眠にかかったように熱烈に軍部を支持するようになった。
・9月19日午前6時半、ラジオ体操が中断されて「臨時ニュースを申しあげます」と元気よく江木アナウンサーが事変の勃発を伝えた。これがラジオの臨時ニュースの第一号。新聞はこのラジオのスピードにかなわなかった。負けてなるかと号外につぐ号外で対抗しようとするが、号外の紙面を埋めるために情報をすべて陸軍の報道班に頼みこむほかはない。勢い陸軍の豪語のままに威勢のいい記事をかくことになる。軍縮大いに賛成、対中国強硬論反対、さらには満蒙放棄論までぶって陸軍批判をつづけてきたこれまでの新聞の権威も主張もどもへやら、陸軍のいうままに報じる存在となる。ああ、こぞの雪いまいずこ。どの新聞も軍部支持で社論を統一し、多様性を失い、一つの論にまとまり、「新聞の力」を自分から放棄した。
おせrに戦争は新聞経営には追い風となるのである。
・「本来賑かなもの好きな民衆はこれまでメーデーの行進にさえただ何となく喝采をおくっていたが、この時クルリと背中をめぐらして、満州問題の成行に熱狂した。鷲破こそ帝国主義的侵略戦争というような紋切型の批難や、インテリゲンチャの冷静傍観などは、その民衆の熱狂の声に消されてその圧力を失って行った」(杉山平助「文芸五十年史) (昭和6年)


昭和6年は満州事変の年である。関東軍の暴走であり、小磯少将の発言の実践でもあるが、国民の中に、満蒙領有という欲望が渦巻いていたことが後押ししたとも言える。

・満州国建国宣言をはさんで、右翼「血盟団」による暗殺事件(前蔵相井上準之助、三井合名会社理事長団琢磨射殺)が相つぎ、5月には首相犬養毅が陸海軍青年将校の手で白昼に暗殺された(五一五事件)。これらは国家的貧窮にその因をもつといっていい事件である。史的には、これらの事件は政党政治の息の根を止めたばかりではなく、暴力が支配する恐怖時代の幕開けともなったといわれる。
・"改革"待望の眼からみると、軍部は頼もしく、そしてその強い力で連戦連勝して建設した新国家・満州国こそが、現状打破の突破口になるかもしれないと人びとの眼には映ったのである。赤い夕陽の曠野にこそ国家発展の夢がある。五族協和・王道楽土のスローガンが力強くこよなく美しい理想と思われる。(昭和7年)

B面と言いながら、A面的記事にばかり目が行ってしまう。

・平々凡々に生きる民草の春は、桜が咲けばおのずから浮かれでる。国家の歩みがどっちに向かって踏みだそうと、同時代に生きる国民の日々というものは、ほとんど関係なしに和やか穏やかにつづいていく。じつはそこに歴史というものの恐ろしさがあるのであるが、いつの時代であっても気づいたときは遅すぎる。こんなはずではなかった、とほとんどの人びとは後悔するのであるが、それはいつであっても結果が出てしまってからである。
・どうやら人間の脳の動きは未来を明るく想像したときにもっとも活潑化するようなのである。
そして同じように考える仲間に出会うと、たがいに胴調し合い、それが集団化する。するとその外側にいたものまでが、集団からの無言の圧力を受け、反撥するよりそれに合わせようとする。そのほうが生きるために楽であるからである。揚句は、無意識のうちにそれまでの自分のもつ価値観を変化させ、集団の意見と同調し一体化していってしまう。(これは池内了の説の敷衍)
たしかに昭和八、九年ごろの偏狭な国粋主義、軍国主義への静かではあるが、急速な国民感情の変容を考えると、こんな風な同調性と楽観性とが結びつき、集団的に、かつ主観的に日本のあり方を正しいものと夢みてしまう、といっていいような気になってくる。それはいまの日本についても同じことがいえる。
・この夏日比谷公園内のレストラン松本楼の主人が朝風呂のなかで、田舎で盛んの盆踊りが東京でもできないものか、とふと思いついた。それでさっそく西條八十に相談を持ちかけた。で、できあがったのが「丸の内音頭」。ところが、これに目をつけたビクターレコードが、もっと大々的な、東京中をまきこむ音頭へと発展的に改作はできないものかな、となって、ここに出来上がったのが有名な「東京音頭」なのである。
・10月1日陸軍が軍事啓蒙のためにつくったパンフレット「国防の本義と其の強化の提唱」一般に配付。第一次世界大戦の教訓から、これからの国防を考えるとき、あらゆる物的資源、人的資源、その全総力をあげて戦争に奉仕させねばならぬ、と恐れげもなく宣言したのである。
「戦いは創造の父、文化の母である」
という文句はいまでは有名であるが、当時はどうであったか。(昭和8年)


昭和8年は「東京音頭」の年。「気づくのはいつもあとになってから」である。

・3月18日、貴族院議員の菊池武夫が本会議場で東大教授美濃部達吉の憲法学説(天皇機関説)を「これは国体を破壊する思想である」と攻撃したのがはじまりである。
そしてこの問題は思想・学問の問題であり、歴史観への問いかけであり、言論の自由の問題であった。しかし、何ということか、美濃部学説を公の場で弁護し、学問・思想の尊厳を守ろうとする動きは、学界はもちろん、新聞をはじめ雑誌などの言論界にはそれほど強くなく、いや、ほとんどみられなかった。
思想的には、もはや宗教としかいいようのないような"天皇神聖説"が主流となり、現人神として天皇の神聖にあこがれることが日本の正義なのである。巷には政党政治の堕落がいわれ、国体明徴・挙国一致の神がかり旋風が吹きまくりはじめる。
・流行歌の数が、この年からぐんぐんふえだしてくる。なんとなれば、レコード会社がこの年にはなんと呆れるほど設立されていたからである。すでにあったものも含めれば、ビクター、コロムビア、キング、ニットウ、パーロホン、テイチク、タイヘイ、オーゴン、ツル、アサヒ、コロナ、ミリオン、ショーチク、ゼーオー、テレビ、国鉄、エジソン、日本グラモフォン、フタミ。
・七千万人の当時の平均寿命は、男44.8歳、女45.6歳と発表された。(昭和9年)


天皇機関説と天皇神聖説。どの時代にも御用学者が幅を利かす。

・事件(二・二六事件)が巻き起こした"テロ"という恐怖をテコにして、このあと政・財・官・言論の各界を陰に陽に脅迫しつつ、軍事国家への道を軍部は強引に押しひらいていった。
事件後に成立した広田弘毅内閣がとった政策がまことにまずかったと結論づけるほかはない。5月18日、軍部大臣現役武官制を復活させた。これは陸軍の思う壺にはまったことに気づかぬ愚かな決定、次に8月7日、陸海軍部と協議してこれからの日本のあり方を決定づける「国策の基準」(南北併進)を策定、11月25日、日独防衛協定の締結。
・皇道派という邪魔ものを排除した陸軍は、粛軍人事を免れた三人のうちの一人である凡庸な寺内寿一大将を陸軍大臣としてかつぎ、彼を補佐する統制派の幕僚グループが思うがままに動こえる組織をつくる。
・17名の死刑執行のあと、7月18日、戒厳令がやっと解除された。この夜、両国でさっそく川開き。花火見物に押しかけた群衆は「なんと、八十五万人」と時事新報が嬉しそうに報じている。
・ベルリンオリンピックをとおして国民的熱狂が燃え上がったことだけはたしかである。全国民が日の丸が揚がるかどうかで一喜一憂、それはラジオの実況放送を通して煽られ、国家ナショナリズムの高揚となっていった。あるは暗鬱な空気を吹き飛ばすため、という裏の意味もあったかもしれないが。(昭和11年)

二・二六事件はクーデター未遂事件である。結果としては完全に失敗だっが、その後の影響は大きかった。しかし世間はほとんどこの事件に関して知らされることはなく、ベルリンオリンピックの「前畑ガンバレ」と阿部定事件に興奮していた。

・「挙国一致」をスローガンに近衛文麿内閣、組閣後わずか33日目の、7月7日夜、日中両軍が北京郊外の盧溝橋付近で衝突した。日中戦争のはじまりである。政府ははじめは不拡大の政策方針を堅持しようとしたが、陸軍の戦略にたちまちにひきずられていく。このとき、この戦闘がその後8年にわたる大戦争となり、亡国に導くと予想した日本人は、ほとんどいなかった。
結果は、中国軍の執拗な抵抗があり、戦火は拡大の一途をたどり、互いに宣戦布告をしないままに「事変」という名の本格的な戦争となっていった。8月には「国民精神総動員実施要綱」の決定、11月には大本営令が公布され、日本の世情は一変、軍主導の戦時国家へと突入する。そして12月には中国の首都であった南京を攻略する。戦後問題となった虐殺事件は、このときの戦闘の過程で起こったものであるが、そんなむごたらしい事実のあっったことなど、民草はだれ一人知ることもなく、昼は旗行列、夜は提灯行列でその大勝利を祝っていたのである。
・1月21日、衆議院本会議場で壇上に立った政友会の浜田国松代議士が「五一五事件然り、二二六事件然り、軍部の一角より時々放送せられる独裁政治思想然り、(中略)
要するに独裁強化の政治的イデオロギーは、常に滔滔として陸軍の精神の底を流れている……この危険ある事は、国民のひとしく顰蹙するところである」
これにたいして陸相寺内寿一大将が反発した「われわれ軍人に対していささか侮辱するがごとき言説があったことはまことに遺憾であります」
ふたたび浜田は登壇して蛮声をはりあげた。「武士は古来、名誉を重んずる。どこが軍を侮辱したか、事実をあげよ。もしあったら割腹してキミに謝する。なかったら、キミ割腹せよ」
世にいう「ハラキリ問答」である。
・荷風の『濹東綺譚』の連載開始が4月15日で、終わったのが6月15日、その直後に盧溝橋の運命の一発があったのである。歴史にイフはないが、あと二、三ヶ月遅れていたら、玉の井の娼婦との何とも色っぽい交情を描いたこの小説の新聞掲載はとうてい無理なことであったろう。
・満州事変のあった昭和6年からの軍需景気もあって、12年までの経済成長率は平均7%、これは当時の世界最高で、"躍進日本"といわれていた。ウォール街の暴落による世界的不況からいち早く脱けだしていた。設備投資はまた景気を過熱させる。それでこの年の成長率は、なんと、23.7%というではないか。戦後のバブル最盛期でさえ14%であったことを思うと、ウヒャーと驚声をあげたくなってくる。
・戦前の日本人はたしかに戦争とは利得をもたらすものと考えていた、そういっていいと思う。日清戦争では賠償金二億両(テール)(いまに直せば約四億円?)を得た。日露戦争ハ賠償金ゼロであったが、満州にたいする厖大な権益を獲得した。第一次世界大戦では南方の島々を委任統治地にして、南方進出の拠点を得たし、戦争需要に乗じて製造業と海運業は莫大な利益を得た。と、そうした歴史的事実を追ってみると、よくいわれるような、娘を身売りさせなければならなかった、そうした貧困と窮乏とが戦争へと突き進んだ原因だ、という説に首を傾げたくなってくるのではないか。
・10月1日、朝鮮総督府は「皇国臣民の誓詞」を定めて日本本土に居住するものはもとより、朝鮮半島の日本人にさせられた朝鮮の民草残らずに配布する。ここでは、年少者用のものだけを弾いてみる。
一、私共は大日本帝国の臣民であります。
二、私共は心を合せて、天皇陛下に忠誠を尽します。
三、私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民となります。
・10月13日に日本放送協会の大阪中央放送局が流した美しい歌があった。それとなく"流行した"のは翌13年であるが……。「海行かば」である。
信時潔が作曲したこの歌は、対米英戦争中にしきりに歌われ、玉砕という悲惨の報とともにながされたために、悲しい思い出と結びつき、いつか"戦犯の歌"となったのか。わたくしには美しい名曲ではないかと思われる。
・11月20日、宮中に大本営が設置される。じつの話、近衛首相の要望によて大本営が成立したというのであるから驚きである。事変勃発いらい政戦略の指導権が自分の手にないことで不満たらたらであった近衛は、何とか軍をコントロールしたいと考えた。いわゆる文民統制(シビリアン・コントロール)ということ。しかし、敵はさる者の軍は首相の希望に応じる格好をして、もともとの大本営条例を戦時大本営令として天皇の許可を得てしまう。まさに得たりや応、渡りに舟とはこのことをいう。(昭和12年 (1937))


盧溝橋事件、南京虐殺の年。辺見庸の「1★9★3★7 イクミナ」の年である。

・近衛首相は1月16日「国民政府を対手(あいて)とせず」との声明を内外に発表するほどのぼせ上がった。この声明は、いま考えれば公式の日中間の国交断絶の宣言であり、「事変」は「戦争」になったことを意味する。
・無制限にひとしい「白紙委任」的な権限を、政府や軍部に与える国家総動員法が4月1日に成立、5月5日から施行となる。これは悪法としかいいようがないあが、その第四条だけどもしっかりと記しておく。
「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得 但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ」(昭和13年)


軍部も非道だったが、政治家の無能もまたひどかった。

・事実としては、第二次近衛内閣が成立した7月22日、太平洋戦争への道が決定的になった、といってもいいのである。外相松岡洋右、陸相東条英機など、対英米強硬派がぞくぞくと閣僚に信任された。
・9月11日、内務省は「部落会町内会整備要綱」と発表、つまり隣組を「国民の道徳的錬成と精神的団結を図る基礎組織」とすることを表明する。かくて、積極的に近所づき合いなんかしなくてもすんできた住民たちは、否応なしに互いに接触せざるを得なくなる。回覧板をまわしたり、配給物を配ったり、なかには隣組づき合いの好きな人もあり、やたらに人の家に出入りするようになる。隣組から出征兵士がでようものなら、総出でこれを見送り、隣組全員が署名した日の丸を贈るのが習わしとなった。(昭和15年)


前年(昭和14年)にノモンハン事件の大敗にも懲りず(秘密にして)、中国では持久戦状態になったところで、米英に宣戦布告するという暴挙。しかしこれも真珠湾攻撃の戦果と大げさな報道で日本国民は歓喜雀躍足の踏み場もないほど興奮した。

・大日本帝国は最大の危機のときにリアリズムを失い、ドイツの勝利をあてにして、蜃気楼のようなみずからの大勝利の夢想を前途に描いて、対米英戦争に突入していった。
・東京朝日新聞の見出しを拾ってみれば、12月3日一面トップ「ABCD陣営の妄動/今や対日攻勢化す」、6日一面には「対日包囲陣の狂態/わが平和意図蹂躙/四国一世に戦闘開始」とある。Aはアメリカ、Bはブリティッシュでイギリス、Cはチャイナで中国、Dはダッチでオランダである。8月1日の対日石油全面禁輸以後に新聞によって作られた流行語で、はたしてABCD包囲網などの事実はなかったというが、当時の日本人はみんなそれを信じていた。
こうして日本人は12月8日を迎えることとなる。そして真珠湾奇襲の勝利、マレー半島上陸作戦の成功の第一報に、気持ちをスカッとさせた。(昭和16年)

悪夢の三国同盟(>_<) 世界情勢の読み違え(>_<)

・6月のミッドウェイ海戦の敗北で日本軍は戦闘の主導権を失ってしまう。そのことは、攻勢作戦で勝利に次ぐ勝利をかちとり、とにかく短期決戦によって有利な講話へと導く、というその道がかたく閉ざされたことを意味する。これからのちは日本が(特に海軍が)恐れていた物量対物量の消耗戦かつ長期戦に否応なく引きこまれていくことになる。
そのあまりにもむごい戦闘の典型が、8月上旬から戦われたガダルカナル島攻防戦である。この島は日本軍にとってあまりにも遠かった。たとえば当時世界一の航続距離を誇った零式戦闘機でさえ、最前基地ラバウルから往復するのがやっとで、戦場上空にはせいぜい15分ほどしかいられなかった。こうした不利な条件をものともせずに奮戦したが、戦うこと五ヶ月、日本軍はたくわえてきた戦力(とくに航空機と駆逐艦)を使い果たして、一本の飛行場の争奪戦に敗れ去った。12月31日、大本営は御前会議の決定をまって、撤退をきめるのである。そしてこのあとの戦いは勝利のあてのない防戦につぐ防戦いっぽうとなった。
・さまざまな内政的苦難があり解決に給したとき、すべては外的の仕業にする。そうすることで、国内に現前する諸問題はたちまちに、国民の怒りが外的に向かうことによって解消される。およそ世界各国の指導者が歴史から学べる、それこそが教訓というもので、戦争はいつだって「自衛のためのやむにやまれぬ戦争」になるに決まっているのである。(昭和17年)


この年から大本営発表は完全な国民向けプロパガンダ機関になった。

・3月2日、兵役法が改正され、植民地である朝鮮や台湾の人たちにも徴兵制が布かれて赤紙が送達されることとなった。それまでは朝鮮と台湾の出身者には兵役の義務がなかったのである。もちろん特典ではなく、植民地の人間の忠誠心に疑いをもっていたからである。それと日本語理解力の問題があり、戸籍の不備もあった。しかし、いまやそんなことをいってはいられない。いよいよ国民根こそぎ動員のときがきた。
赤紙で徴兵された朝鮮人11万6294名、それに軍属12万6047名、台湾人の軍人8万433名、軍属12万6750名にのぼったという(cf.小熊英二)。
・最初に「疎開」という言葉が登場したのは9月21日のことという。東条内閣が年防衛のため官庁、工場、家屋、店舗などの整理を指示し、その別紙の最後に「疎開」の文字が配されていたという。
そもそもが軍隊用語で、戦況に応じて隊列の距離や間隔を疎らに開くという意なのである。(昭和18年)

徴兵された朝鮮人は10万人以上いたのか。疎開という言葉も誤解していた。

・陸軍は19年春からインド進攻のための「無謀なる」という形容詞をつけてよばれるインパール作戦を決行している。じつに十万余の大軍が、2週間ほどの食糧を携行し、しかも山岳地帯をゆうので野砲ではなく山砲を、という具合に軽装で攻撃をはじめる。それがのちにどういう結果をうんだか、もうかくまでもないことであろう。
・19年度の軍事費は国家予算の90.5%の735億円に及んだ。この数字が大日本帝国の断末魔の苦悩をそのままに物語っている。(昭和19年)


9割の予算が軍事費というのはこれはもう危篤状態である。ここで戦争を止められなかったことが、翌年の大空襲、原爆、沖縄の悲劇を産んだことも明らかである。

・昭和20年は日本の大・中の都市が焼野原となるなる年であった。
・3月の硫黄島激戦に隊の士気の日ましに落ちていくのに業を煮やしたカーチス・ルメイ少尉は、ついに決断を下した。それまで守られてきた"爆撃の騎士道"をかなぐり捨てたのである。作戦の根幹は焼夷弾による低空からの市街地への無差別爆撃である。
「日本の一般家屋は木と紙だ。超低空からの焼夷弾攻撃で十分効果があげられる」とルメイは自信たっぷりにいった。
この新戦術によるB29の大群の無差別絨毯爆撃が開始されたのが3月10日未明。それは東京の下町にたいする猛火と黒煙とによる方位焼尽作戦であった。
・戦争というものの恐ろしさの本質はそこにある。非人間的になっていることにぜんぜん気付かない。当然のことをいうが、戦争とは人が無残に虐殺されることである。焼鳥のように焼け死ぬこと。何の落ち度もない、無辜の人が無残に殺され転がるだけのことである。特に二十一世紀の戦争は、人間的なものなど微塵もないほどにいっそう非人間的な様相を呈するようになっている。
・沖縄抗戦がはじまってからは、もう志願にして志願にあらず、諾否を許さない状況下で非情の作戦命令として、軍部は一丸となって特攻の組織化を急いだのである。
・4月1日からはじまった沖縄攻防戦の実相は、当然のことながら民草のほとんど知るところではなかった。そして4月27日には情報局総裁下村宏が、ラジオを通して、とにかくいまこそ前線も銃後もなく、一億が火の玉とならなければならないときだ、といったあとで高結論した。
「一億総特攻あってこそ神州は不滅であり、大東亜戦争の完遂期して待つべきものがあるのである」
・大日本帝国にとって、沖縄防衛は本土決戦準備のための時間稼ぎであったのである。沖縄戦を立案した元陸軍大佐八原博通は戦後に「本土決戦を有利ならしむる如く行動」「戦略的には持久戦」と著書に記している。そのために軍は県民を「軍官民共生共死」のスローガンのもとに戦闘にまきこんだ。一言でいえば、沖縄は本土の盾にされ、県民は軍の盾にされて死ななければならなかったのである。
・「このポツダム宣言は重大な価値があるとは考えない。ただ黙殺するのみである」
この黙殺(ノー・コメント)が連合国には何としたことか、「日本はポツダム宣言をignore(無視)」、さらに「reject(拒絶)した」報ぜられてしまうのである。そしてこれがのちの原爆投下やソ連参戦を正当化するための口実に使われてしまったことはよく知られている。(昭和20年)


あの戦争の死者の大部分がこの年に集中してることを思うと、天皇の戦争責任の中最も大きな責任は降伏の時期を遅らせたことにあると思う。

・8月28日に東久邇宮成彦首相が記者会見で「ことここに至ったのはもちろん、政府の政策のよくなかったからでもあったが、また国民の道義のすたれたのも、この原因の一つである。このさい私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔することが、わが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」
首相から「懺悔せよ」と諭された民草が、これを読んだの30日の朝刊紙上においてである。
よく考えれば、戦時中のスローガン"一億一心"を裏返しにしたようなものである。線指導者の責任は、国民全体の責任へと拡散されて転嫁され、国民一人ひとりの責任は全体へともやもやとまぎれこんで、結局は雲散霧消した。そして国民総被害者という思考の図式が自然にでき上がっていくのである。しかもそれを戦争を煽ったメディアがさかんに報じるとは。とにかく日本人はみんなして心を一つにして責任逃れをしようとしていたのではないか。(エピローグ)


「一億総懺悔」はすごい(悪どい)キャッチコピーだと思う。「一億総活躍」なんてのはあまりにもおそまつだけど(^_^;)

過去の戦争は決して指導者だけでやったものではなく、わたくしたち民草がその気になったのです。総力戦の掛け声に率先して乗ったのです。それゆえに実際に何があったのか、誰が何をしたのか、それをくり返し考え知ることが大事だと思います。無念の死をとげた人びとのことを忘れないこと、それはふたたび同じことをくり返さないことに通じるからです。少々疲れる努力ですが。本書が少しでもその役に立てばありがたいと本気で願っています。(あとがき)

「無念の死をとげた人びと」。戦死者(餓死者が相当数を占める)や、原爆、空襲でなくなった民間人、「本土決戦の盾」とされた沖縄の民……もちろんこういった犠牲者への思いは大事だが、中国、朝鮮、臺灣、東南アジア等の犠牲者、つまり日本が加害行為を行った国々の被害者のことを見落としてはならない。


2019041
【料理の消えた台所】江原恵 ★★★ 1986/04/15 草思社
江原恵といえば「包丁文化論」(1974)である。無名の板前だった江原が73年にエッソ「エナジー」誌の懸賞論文に応募入選してエナジー叢書の一冊として出されたのを読み衝撃を受けた。江戸時代の料理品指南書や品書きをずらずらと並べて、一刀両断に切り捨てるやり方に、圧倒されたこともある。同じ年に講談社から出されそれなりの話題になった。今思うと、トンデモ本の一種だったのかも知れない(^_^;) Morris.はけっこうこの手の本好きだから。
本書はそれから10年ちょっと後の作で、Morris.はこの本の存在すら知らずにいた。大安亭前のコミスタ神戸図書室で手にとって、ついつい借りてしまった。
外食産業と学校給食の実態と批判の書で、すでに30年以上前の本ということになる。

筆者は味に敏感なほうではないが、口に入れて噛んで一、ニ分たってから徐々にすうっと美味しさが伝わってくる食物は、大体安心して食べることにしている。(伝承の味はなぜ衰弱したか)

「著者は味に敏感なほうではない」そんなわけはなかろうと思うのだが……(^_^;)

だし(湯 タン)を本来のやり方でそのつど本式にとっていたら、あんなふうに全国的なチェーン展開などとてもできる道理がないし、どこへ行っても同じ味ということもあり得ない。これは常識以前の常識だ。そしてこの常識前の常識こそ、表面的な流行に似た風潮にまどわされることのない、暮らしの知恵のもとになるものだ。だが外食産業時代の一見はなやかな食文化の洪水には、その肝心の「常識」が欠けている。というよりも「それ」を押し流してしまったのだ。マスコミは、外食産業の急成長ぶりや売上げの数字だけを、何か重大な情報であるかのように広める。それがまたさらに「食文化」の風潮を煽り立てる。(ファミリーレストランはなぜはやるのか)

当時の外食産業では、すかいらーく、ロイヤル、マクドナルドの三店を主に対象にしている。弁当はほっかほっか亭。

東京・神田市場の統計によると、流通量の特に多い野菜は、キャベツ、たまねぎ、じゃがいも、はくさい、だいこん、トマト、きゅうり、にんじん、なす、レタスの10種類である。これだけで60%以上を占めており、これ以外の野菜類全部合わせても40%に満たないのである。つまり日本人の野菜の摂取量は実質的には以上の10種に集中しており、他のさまざまな野菜は添え物程度にすぎないことをこの事実は意味している。


Morris.もこの10種類以外の野菜は余り使っていない。後はパクチー、ピーマン、牛蒡、韮、菠薐草、生姜、大蒜くらいかな。

伝統的食生活が崩壊したとよくいわれる。しかしすでにふれたように、わが国の庶民レベルの食生活には、崩壊するほどの伝統はなかった。よしんばあったとしても、それは白ごはんに味噌汁に漬物に、そのほか煮物とか、魚の煮付けとか、焼き魚の類が一品か二品加わる程度の素朴な組み合わせの型であって、テレビ料理やグラビア料理からイメージされるような伝統は、現実には影も形もなかった。現実の伝統は食卓の上にではなく、年に一度の味噌仕込みや、漬物桶の中にこそあった。


日本の庶民の食卓には崩壊するほどの伝統はなかったと言われるとうなずくしかない。

マイカーは確かに個人の行動の半径を広げてくれた。しかしその一方では交通事故の多発や、排気ガスの問題をわれわれに突きつけた。道路を渋滞させ、日本国有鉄道を破産させる要因ともなった。が、だからといって、車社会を白紙に戻すことはできない。自動車が一部有産階級の特権的な乗物であった時代に日本を引き戻すことは、今日の豊かな国民一般の「生活」を否定することにつながる。
そして何よりもクルマ社会は、外食産業の飛躍的な発展を支えた土台であり条件でもあった。高度成長以前までの日本国有鉄道と鐵道に附随するバスが国民の主な足であった時代そのままでは、ファミリーレストランもハンバーガーショップも起こり得なかった。学校給食が全国津々浦々まで普及することもあり得なかったし、スーパーマーケットがこれほどに発展することもなかったろう。クルマ社会も食品工業も、われわれにとってはもはや取り替えのきかない環境であり、現実でもある。そして自動車の大量生産がクルマ社会をもたらしたように、かまぼこや魚肉ソーセージやもろもろの冷凍食品などの大量生産が、外食産業時代をもたらした。

本書の中ではこの部分が一番わかりやすく、納得できた。

加工食品は本来われわれの食生活を豊かにするはずのものだ、という見方が常識的であるらしい。しかしそれは、従来の伝統的な食卓にさらに加工食品を一つ二つ添えて、もうひとつバラエティを加える、というような場合に限られるのではなかろうか。加工食品だけの食卓では、お義理にも豊かになったとはいえまい。

食べることは、生活することである。食べる技術を向上させることは、生活の幅を広げることであり、また個性の創造につながる営みでもある。そしてそのためには、生活の論理が、生産の側の論理に対して優位に立つ必要があるように思われる。(日本人の味覚は衰えつつあるのか)


本書の読後感は消化不良感(^_^;)


2019040
【自分を動かす名言】佐藤優 ★★★★ 2016/05/01 青春出版社
鉤括弧(「」)付きの引用が著名人の名言。「」の無い文章は佐藤優自前の文章である。★の数の多さは、佐藤だけではなく引用された発言者に依る。

情報が十分あり、それを判断する教育を受けているにもかかわらず、現代の社会には反知性主義的な傾向が蔓延している。反知性主義とは、無知蒙昧のことではない。私が暫定的に定義しているのは、客観性や実証性を軽視もしくは無視して、自らが望むように世界を理解することだ。この反知性主義が、実は信頼と結びついている。信頼とは、複雑な世の中を理解するエネルギーと時間を削減するメカニズムなのだ。
安倍政権の経済政策は富裕層の所得を増やしているが、圧倒的多数の国民の生活は控除していない。外交的政策は場当たり的で、日本の国際的地位は日に日に低下している。国民もそのことに薄々気づいてはいるが、認めると惨めになるので、とりあえず安倍政権を消極的に支持している。しかし、安倍政権の失政がある閾値を超えて国民の信頼を失うと、自民党は国民から忌避されるようになる。政治の世界で、いったん失った信頼を回復することは、民主党の例を見ても明らかなように、至難の業だ。


「反知性主義」という言葉をいまいち理解できずにいたが、これはわかりやすかった。安倍批判も正論のように見えるが、日本という国の没落をうすうす気づきながら「見ざる聞かざる言わざる」と、手をこまぬいている民草への皮肉かも(>_<)

「私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには、私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない」--寺田寅彦

「猫は、どんなに小さくても最高傑作である」--レオナルド・ダ・ヴィンチ


猫褒めの言葉は何でも肯定したくなる(^_^;)

「恋愛は戦争のようなものである。はじめるのは簡単だが、やめるのは困難である」--メンケン

恋愛を戦争と比較するのは、勘弁してもらいたいが(^_^;)、戦争が始めやすく終わらせにくいというのは日本の昭和の戦争がそのとおりだった。

疑似命題とは、前提に難があるので、そもそも意味がない命題のことである。
未知の問題が出てきたとき、それを分解して易しい部分と難しい部分に分ける習慣ができていればうろたえることはない。そして、最も難しい部分の解決にめどが立てば、それ以外の問題はきれいに片付いていく。疑似命題に足をすくわれなければ、どのような問題でも解決の糸口を見出すことができるわけだ。


命題が疑似命題なのかそうでないのかを判断出来るかどうかが難しいことも多いと思う。

「国家とは、ある一定の領域の内部で--この「領域」という点が特徴なのだが--正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」 --マックス・ヴェーバー

「正統な物理的暴力行為の独占」。権力という暴力をどのくらいコントロールできるかどうかが民主主義のキモだろう。

「愛国心とは、自分が生れたという理由で、その国が他よりも優れているという思い込みのことである」--バーナード・ショー

国家ではなく故郷(くに)への愛着を基本にすべきなのだろうが、Morris.は若き日からの「故郷喪失者(ハイマートロスト)」である。

「宗教の本質は、絶対依存の感情である」--フリードリヒ・シュライエルマッハー

シュライエルマッハーは、神はこころの中にいると考えた。人間は心を持つ。しかし、心がどこにあるかを示すことはできない。だから、宗教は絶対依存の感情によって神を信じることにある。
もっとも、そうなると神と人間の区別がつきにくくなってしまい、心の中にある神が徐々に民族に転換していった。それにより、近代人は自分が所属する民族のために命を捧げることができるようになったのだ。拝金教と並んで、ナショナリズムが近代人の宗教になった。ナショナリズムという宗教が人類に深刻な災厄をもたらしている。


Morris.は無神論者ではないのだが、宗教にはある種の嫌悪感を持っている。汎神論には惹かれるものがあって、何かわからないものへの信仰心はあるようでもある(^_^;)

2015年9月19日未明、参議院本会議で強行採決された安保法制の本質は、日米同盟が戦後の「國體」と確信している外務官僚が、頭の回転があまり速くない自民党の政治家たちをうまく操って想いを遂げたということにある。もっとも、法案自体には創価学会を支持母体とする公明党がさまざまな地雷を埋め込んでいるので、実際に有事になったときは、もう一度ゼロから議論のやり直しになることは確実だ。
一連の騒動で、外交安全保障政策において、公明党の影響力がかつてなく大きくなったことが外交のプロの目に明らかになった。


安保法案の本筋は、こういったところだったかも知れない。創価学会に過度の期待はしないほうが無難だろう。

「昔、羽振りのよかった者は復古を主張し、いま羽振りのよい者は現状維持を主張し、まだ羽振りのよくない者は革新を主張する」--魯迅

魯迅は読まねば、と思いつつ、いまだにちゃんと読めていない。

「ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている」--ジョージ・オーウェル

こんな素晴らしい才能を、実に多くの人が持っているようだ。「1984年」から35年が過ぎて、日本は確実にオーウェルのディストピアへの階段を上り続けているようだ。

日本と中国や韓国との間で歴史認識が問題になると、それぞれの国が「真実の歴史を知るべきだ」と主張する。実は、こういう発想自体が歴史に関する無知から生じている。歴史とは、出来事と出来事をつなぎあわせて紡ぐ物語だ。それは民族や国家によってそれぞれ異なる。
すべての国家が認める単一の歴史というものは成立しえない。歴史は本質において物語性を帯びているのだ。


「HISTORY」という語の中には「STORY」が含まれてるもんね(^_^;)

出世病というのも、誰もが取りつかれている思想だ。親が必死になって、幼稚園児、小学生に受験勉強を強いる。偏差値の高い学校に進めば官僚になったり大企業に就職したりすることができ、高い給与で安定した一生が保証されるというのは神話だ。企業に入ってからも、出世だけを人生の価値観にしている人は、出世が難しくなった途端にやる気をなくしてしまう。やる気がないと、能力も衰える。
人間の社会にはさまざまな矛盾がある。人間の能力や適正には差があり、要領のいい人もいれば、そうでない人もいる。世の中の問題を一挙に解決することなどできるはずがない。かつての共産主義者や現在もイスラム原理主義過激派は、革命によって、理想的な世の中ができると信じているが、それは幻想だ。現実をしっかり見据えて生きていくには、労働が社会の基本になるという思想を身につけることが重要だと思う。


高度経済成長期の「教育ママ」の願いがつまりは、出世病だったわけで、今やそれが破綻してるのも自明で、理想的社会主義も蜃気楼でしかなく、革命という印籠も無力になった。労働を基本に据えるという考え方には共感。

理性や合理性を重視しすぎた近代人は、その結果として、将来人間は悩みをすべて解決できるという誤った楽観主義を抱くようになってしまった。こういう楽観主義が二度の世界大戦という大量殺戮と大量破壊をもたらしたのだ。

「思い上がりも甚だし」かった、というわけか(>_<)

どの国家や社会にも、知識を尊重しない人々が一定数いる。問題はこういう人たちが政治権力を握り、経済政策や戦争と平和の問題など、国家の命運を握っている状態が日本で生じていることだ。国民が結集し、民主主義手続きを用いて一日も早く反知性主義者を政治権力から排除しなくてはならない。

先にも引用した「反知性主義」政権への批判。これにも同感。

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである」--スティーブンソン

Morris.には次の韓国旅行への、希望の言葉である。

「時間の翼に乗って悲しみは飛び去る」--ラ・フォンティーヌ

「時間薬」(^_^)

「往く者は追はず、来る者は拒まず」--孟子

これが孟子の言葉とは知らずにいた。

「賭博は貪慾の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である」--ジョージ・ワシントン

カジノ法案をIRなどと目くらましで、甘い汁を吸おうと思ってる、大阪や横浜の首長どもに捧げたい言葉である。

主観的に時間の流れは、加齢とともにどんどん速くなるのだ。
一歳児の場合、一年を生涯で割ると一分の一だ。十歳児になると十分の一になる。分母が増えてくるので、一歳児と比較した十歳児の一年は、人生の十分の一にしか相当しない。五十歳の人にとって、一年の比率は十歳児の五倍、一歳児の五十倍になる。加齢とともに時が速く流れていくように感じることには根拠があるわけだ。

これはMorris.が、自分で考案したと思ってた考え方で、もちろん、佐藤優の自論でもなく、とっくに誰かが考えてたことなんだろうな。

「昨日まで人のことかと思いしが おれが死ぬのか。それはたまらん」--大田南畝

「いつ死んでもいい。でも、今日はやめとこね」というMorris.の死生観?に通じるものがある。


2019039
【沖縄報道 : 日本のジャーナリズムの現在】山田健太  ★★★☆ 2018/10/10 ちくま新書:1362
山田健太 1959年京都市生れ。専修大学人文・」ジャーナリズム学科教授。「放送法と権力」「法とジャーナリズム」

序章 忖度
第一章 地図
1.沖縄のメディア地図
2.沖縄の新聞
3.沖縄の放送
第二章 歴史
1.戦争による断絶
2.在沖日軍基地の地位
3.基地を巡る運動体
第三章 分断
1.対立の構図
2.事実を歪めるメディアがもたらす沖縄の分断
3.民意の伝え方
第四章 偏見
1.ヘイトを許す社会
2.ヘイトのメディア加担
3.フェイク・ニュース
第五章 偏向
1.公平とは何か
2.在京紙と地元紙の報道格差
3.主張するメディア
終章 権力


放送は「みんなのもの」であるという意識を忘れないことが大切だ。いわば公共概念であり、みんなに開かれていて、みんなのためになることが重要であろう。一般企業でも社会貢献が求められている時代、放送はまさにパブリックな存在であって、だからこそ日本では商業放送といわずに「民間」放送と呼んでいるのではないか。経済一辺倒の議論は、放送が民主主義を支える社会機能であるという大前提を崩壊させることにつながる。
NHKのみならず、民法も含めた公共的な放送が、豊かで自由闊達な情報流通を実現する言論公共空間を作り出すことが求められてきた。こうした役割は、分断化が進む今日の社会において、より重要になってきているといえる。だが、残念ながら政府の姿勢からは、公共的なメディアの未来像はまったく見えてこない。(第一章 3.)


放送メディアの権力への「忖度(すりより)」はすでに体質化してるのではないか。報道番組自体が激減してるし、あってもお笑いタレント交えてのバラエティ番組に成り果てている。

JNN TBSテレビ 毎日放送MBS 4ch
NNN 日本テレビ放送網 NTV 読売テレビ放送YTV 10ch
FNN フジテレビジョン 関西テレビ放送KTV 8ch
ANN テレビ朝日 朝日放送 ABC 6ch
TXN テレビ東京 テレビ大阪 TVO 7ch


これは全国のテレビ局ネットの一覧表から、東京と大阪の系列のみを併記したもの。実はMorris.は半世紀近く関西に住んでいながら、この系列がよくわからずにいたのだった。とりあえず、(関西での)4chがTBS、8chがフジ、10chが日本テレビというのを把握すれば足りるようだ。6chの朝日とテレビ大阪とテレビ東京は何となく直感できる。

戦後の米軍による沖縄支配は、いわゆる明治政府による「琉球処分」に続く「第二の琉球処分」、沖縄の切り崩しと呼ばれているものである。そしてこの方針は、天皇によって是認されていた(あるいはより積極的に推進された)。

1947年9月に宮内庁から米国側に伝えられた報告電文で、昭和天皇が進んで沖縄を米国に差し出すという内容であった。そして翌48年2月には二度目の天皇メッセージを届けている。そこでは、南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含めて反共防衛線をつくるべきだと提言している。
こうした考え方がいまなお、日本政府の対米方針に強く影響していることが、「第三の琉球処分」ともいわれるような、米国側の要求に従い「辺野古が唯一」として辺野古新基地建設を進める日本政府の対米追随姿勢に現れているといえるだろう。まさに、沖縄が復帰した後も米軍基地が残り、逆に強化されている沖縄の過酷な現実を招いている原点であり、いまなお「沖縄は戦後ではなく戦中だ」とされるゆえんでもある。

沖縄県内の日常的な生活--人々の自由や権利の守られ方が、あまりに本土の日常とかけ離れているのは、この地位協定に由来する事が多い。(第二章 2.)


戦争責任はもちろん、沖縄の現状にも天皇の責任はあまりに大きい。地位協定は治外法権に通じるものである。

まさに銃剣とブルドーザーによって、強制的に接収された土地を、一方的に基地として利用され続けている状況があり、そうした実態を一番よく知っている日本政府自体が、それを見て見ぬ振りをして、さらなる「押しつけ」を沖縄に強いようとしている状況に、沖縄県あるいは県民が反発を示していると考えるのが妥当である。(第三章 1.)


見て見ぬ振りをしてきたのは、政府だけではなく、沖縄以外のほとんどの日本人がそうだったと言える。本土での基地反対運動がそのまま沖縄の異常な基地密度に直結している。「醜の御楯」という言葉が頭をよぎる。

県内ではあまりに米軍基地関連の事件・事故が日常化している。そして起きる事件・事故は頻発かつ似たような事案が多い。その結果として、基地関係の事件・事故を伝える記事・番組内容は、似たようなものにならざるを得ない。その結果、ますます沖縄地元紙と本土紙の誌面格差は広がることにつながるし、県民にとってもその紙面が本土との違いを指摘されればされるほど、いつのまにか「変わった新聞」というイメージを持つに至ることになっている。この問題は、東日本大震災の被災地の「変わらないこと」(復興が遅れているさま)が本来伝えるべきことであったのと同様、沖縄県内で基地問題が解消せず、事件・事故が頻発している「変わらない日常」そのものがニュースであるということを、認識する必要がある。
目新しいもの以外は報道しないことは、基地問題を「なかったこと」あるいは「仕方がないこと」としてしまうことにつながるからである。


「NEWS」という単語が「新しさ」を意味するように、ニュースは「代わり映えしない」ことを恐れる。しかし、それを理由に報道しないでいると、なかったことになってしまう、という指摘は重要である。

沖縄・辺野古では、座り込み等の抗議活動を行う市民が何度も、「拘束」や「逮捕」されているのである。もし同じことが東京で起きれば、大事件であるにもかかわらず、沖縄で起きることにはまったくといってよいほどむとんちゃくな本土メディアがある。(第四章 2.)

中央集権(首都圏中心)報道(^_^;)は、関西に住んでいるMorris.にも、相当ひどいと思うのだが、これが沖縄に住んでる人びとには、おっそろしく不公平に感じられるだろうことは想像に難くない。座り込みの「拘束」「逮捕」を報道しないということは、権力におもねっていることになる。

安倍晋三首相はとりわけ第二次政権以降、「異論は認めない」という姿勢を明確にし、一部のメディアを言葉激しく罵倒し、その存在を否定してきた経緯があるからだ。しかもそれは個人的キャラクターにとどまらず、同政権の特徴として政府そして政権党全体に共通する基本的な鼓動規範となりつつある。
こうした政府姿勢に支持が集まるのは、一方的なプロパガンダ政策の成果というより、むしろそれを積極的に受容する市民社会が存在するからである。それはジョージ・オーウェル「1984年」との相違点でもあるが、決して秘密警察が暗躍しているわけではなく、むしろ居心地のよい情報を求める多くの一般市民がインターネットを介して、嘘情報(フェイクニュース)を確認することもなく拡散させている現実があるということだ。人々が政府の大きな嘘を見抜けないのではなく、むしろ進んでオルタナティブ・ファクトを受け入れているということになる。(第四章3.)


安倍政権(のブレーン)は情報操作能力に長けている。安倍首相自身が、NHKや読売TVと強いパイプを持ってるようだし、それ以外の全国紙やテレビ局の要人と食事会なども頻繁にやってるし、芸能人や有識者(>_<)も自分に好意を持つ人脈を広げ、メディア露出にも影響力を行使しているようだ。

本土紙と沖縄紙の報道格差を本土の報道側から色分けするならば、米軍姿勢化の「無理解」の時代、その後2000年代半ばまでの「軽視(もしくは黙殺)」の時代、2000年代半ばから翁長知事誕生までの「政治」の時代、そして今日に至る「対立」の時代に分けることができるだろう。

無理解-軽視(黙殺)-政治-対立。次に来るのは、紛争(内戦)か抑圧か融和か?予断は許されないが民意を無視することも許されない。

ジャーナリズム倫理として、「公平さ」は大切な基準であるといえ、その公正さとは、真ん中をさすのでも中庸をさすのでもなく、むしろ社会に埋もれがちな小さな声を拾うことや、弱いものの側に立つことを指す概念だからだ。これからすると、沖縄ニ紙の紙面編集方針が、公正さを実践する報道であることが分かるのであって、「偏向」報道批判は誤った解釈に基づくものといえる。
同じことは「不偏不党」にも当てはまり、これは特定の党派に偏らないという意味であって、政治的主張を排するという意味ではない。しかも偏る先として、為政者に寄り添うことはジャーナリズムとしての存在を自ら否定することになりかねない。放送法に定める「不偏不党」の中身も同じである。
むしろ、党派性を排すがいつの間にか政治的中立となり、そのために中庸な意見を述べ、明確な主張はしないことを良しとする、日本独特の報道スタイルが確立したことになる。それは別の言い方をすると、政府批判はほどほどにという、予定調和の政府批判のみが許容され、それを超えると途端に「偏向報道」として拒絶されることになるということだ。(第五章 3.)


これでは、戦時中の御用新聞と変わりないことになる。

沖縄の現状に即していえば、政府は、政府の意に添わない報道を「誤報」として抗議し、政府に反対する活動を取材する記者を拘束し、自民党は沖縄紙を潰そうと煽り、報道は捏造だと言ってはばからない。こうした政府の姿勢を有名人が支持するのを、ネット住民が拍手喝采で迎えるという構図だ。
さらにマスメディアも、地上波テレビで沖縄ヘイトを堂々と報道し、新聞も沖縄地元紙を貶める記事を流している。
こうした番組や記事が、地上波テレビや全国紙で流れるということは、すでに相当程度、この主の内容の報道を許容する土壌が社会にあり、報道することのハードルが下がっていることの表れである。メディアの中ですら、そして社会全体にも、「沖縄の新聞は変更している」「ちょっと変わった新聞」といった認識がほぼ定着している。あえていうならば、2000年少し過ぎからの15年間になされた、「イメージ操作」が成功裏に完結しつつあるということだろう。ちょうどその時期に辺野古新基地建設があたったというわけだ。(終章)


これが結論だとしたら、あまりにも心寒い。と、いって、今、何ができるか。そこからスタートしなくては。


2019038
【もやしもん 10、12】石川雅之 ★★★☆ 講談社 イブニングKC
この漫画は全13巻(2005年-2014年)で、Morris.は飛ばし飛ばし読んでるのだが、本筋の他にいろいろ発酵菌やら酒やらの薀蓄が楽しめる。今回読んだ中のウイスキーと日本酒燗酒の早わかりを引用しておく。

ウィスキー
・スコッチ(スコットランド)--泥炭(ピート)で麦芽に香りをくわえる。スコットランド内で更に地域特徴
・アイリッシュ(アイルランド)--ピートより炭化した炭を使用。ポットスチルで3回蒸留する
・バーボン(米ケンタッキー)上記二つは大麦麦芽を主に使うが、ライ麦、トウモロコシを使う。樽にも特徴
・テネシー(米テネシー)--バーボンと大差ないが、濾過方法などに特徴
・カナディアン--ライ麦が原料、3年以上の熟成が決め事
・ジャパニーズ--スコッチの製法に準拠

日本酒 温度による呼び名
5℃ 雪冷え キンキン、味がわかりにくい面も
10℃ 花冷え 香りがひそみ、とろみが出てくる
15℃ 涼冷え ここまでの冷たさがいわゆる「ひや」
20℃ 常温 何だかんだで、これで飲むよね
30℃ 日向燗 これより温度が高いのが「かん」
35℃ 人肌燗 ぬるい、旨味は強く感じる
40℃ ぬる燗 香りもわかりやすくなる
45℃ 上燗 注ぐ時熱さに気をつけて
50℃ 熱燗 本醸造、普通酒などがグー
55℃とびきり燗 熱すぎて鼻にグワーときます



2019037
【魔】笠井潔 ★★★ 2003/09/30 文藝春秋 初出「別冊文藝春秋」1997-98
本格ミステリ・マスターズ。
私立探偵飛鳥井が登場する「追跡の魔」「痩身の魔」二篇の中編に、笠井のエッセイ、インタビュー、作品リスト、「天使の瘡」と題した笠井潔論(佳多山大地)が収められている。
「追跡の魔」ではストーカー、「痩身の魔」では拒食症という、連載当時に登場した社会問題を素材にしているが、笠井作品としてはあまりに図式的、作為的で、ちょっと物足りなかった。やっぱりMorris.は笠井作品は長編、それも長ければ長いほど面白く感じる。

追跡者(ストーカー)や追跡行動(ストーキング)という言葉が日本でも一般化し始めたのは、この一、二年のことだろう。三十年前に渡米した頃には、まだアメリカでもストークという言葉に、現在のような特殊で否定的なニュアンスは込められていなかった。
ストーキングの被害者が、孤立感や多大のストレスの結果、精神的に疲弊してしまうケースは珍しくない。そんな場合、被害者が精神療法を求めることもある。(追跡の魔)


英語力は中学生クラスのMorris.なので、ストーカー、ストーキングを辞書で引こうとして、「stork」の項には「コウノトリ」しかなくて、ついつい綴りをネットに頼ってしまった(^_^;)
元の単語は「stalk」で、1960年版の新英和辞典(研究社)によると、原義は「大手を振って堂々と歩く」で、これから「獲物にそっと忍び寄る」「忍び足で歩く」「こっそり(獲物・人)の後をつける」「疫病などが横行する」という意味が派生したらしい。
そおれはともかく、日本でこの言葉が普及したのが90年代半ばで、すでに30年を閲して、この行為は減少するどころか、加熱しているようだ。

「……思春期の少女や若い女性の摂食障害は、過激なダイエットからはじまるケースが多いんです。スリムな美しい体つきへの願望と、食事を節制する意思がバランスを崩し、痩せたいという願望が肥大化してコントロールできない状態になるとき、いわゆる拒食症が発症する。接触症状の患者は女性がほとんどですが、飛鳥井さん、どうしてだと思いますか」
「痩せている女性を美しいとする、社会的な通年の結果ですかね。男もまた、外見的に評価されないわけではない。しかし肥満体でも小男でも、外見的なマイナス評価を相殺するための選択肢が、同時にあたえられてもいる。地位と名誉と財力のうちひとつでも獲得した男は、さして自分の外見を気にすることはない。しかし痩せた女性が魅力的だというのは、ごく最近の美意識ではないかな。ポリネシアでは伝統的に、肥満していることが美人の条件のようだし、ルネッサンス絵画でもルノワール作品でも、わざわざ絵に描かれるような美人は肉付きがよい」
「そう、マリリン・モンローの時代までね。わたしが小さな子供のころ、ツイギーというモデルが一世を風靡したとか」
「ビートルズの時代、男の長髪と女のミニスカートの時代、ようするに1960年代ですね」
「その時代を境として、女性の肉体にたいする美意識が大きく変化しています。日本では、神代の昔から1950年代まで、飽食は特権階級の贅沢だった。豊かな社会が到来して、だれでも思う存分に食べられるようになると、あえて食べずに痩せていることが豊かさのあるいは選ばれた階層に属することのシンボルと見なされはじめた」(痩身の魔)


美女の基準の変化が拒食症を生み出したというのは、通説である。最近では肥満型人気タレントが横行しているのは、どう考えるべきだろうか? 痩身至上主義?のアンチテーゼ? それとも……

ハードボイルド小説とは、だれもがアメリカ人であることを自己証明しなければならない移民国家アメリカが逆説的に生み出した、独特の小説ジャンルである。わたしは長いことハードボイルドを読みながら、日本人であり日本人でないという不可能なポジションを夢想し続けてきたのかもしれない。

現代日本社会の病理には、たとえば教室のイジメや外国人労働者問題に見られるような、内側的に閉じられた日本人の共同性の、歯どめを失った暴力的な累積に由来するものが多い。そもそも社会悪の告発になど感心をもたない、私立探偵のハードでクールな外の視線のみが、それらを的確に刳りだしうるのではないだろうか。

S・S・ヴァン・ダインとエラリイ・クイーンの影響で矢吹駆連作を構想し、jン・ル・カレが好きで『復讐の白き荒野』というエスピオナージュを書いた人間だから、私立探偵小説に手を染めても不思議ではないだろう。
正統ハードボイルド御三家のなかでも、日本ではチャンドラーの人気が圧倒的だ。ミステリ読者に限らず、たとえば村上春樹のような同世代の作家までがチャンドラー愛読者を標榜している。しかし、私のチャンドラー評価は高いとはいえない。ダフでクールなハードボイルド探偵の衣の陰から、鼻持ちならない文学青年の自意識をちらちらさせている主人公も好きではない。
わたしのフィリップ・マーロウ嫌いには、自己嫌悪が混ざりこんでいるような気もする。気を緩めたら最後、マーロウのように姑息な自己保身と自己韜晦、甘ったるい自己憐憫の砂糖壺に嵌りかねないという過剰な警戒心が、マーロウ嫌いの心理的背景としてあるのかもしれない。(スペシャルエッセイ「私立探偵小説と本格探偵小説」)

笠井は社会評論家としてもミステリー評論家としても健筆をふるっているが、チャンドラーへの否定的言説とその理由付けは面白かった。

僕は二十世紀後半と自分の人生がほとんど重なってるわけで、二十世紀というのは第一次大戦(1914)から始まって1989年ないし91年で終わった一時代であろうという結論に到達した。
89年を通過した時点でわかってきたのは、テロリズムはやはり二十世紀の病であって、テロリズムを生み出すような観念というのは、二十世紀の思想問題のひとつの焦点だった。そして探偵小説は、その二十世紀の小説形式の有力なひとつである。(インタビュー 2003)

笠井は1948年生れで、Morris.の一つ年上である。テロリズムが二十世紀の病で、探偵小説(SFも)が有力な小説形式というのはなるほどと思う。


2019036
【オモニ太平記】小田実 ★★★☆ 1990/10/05 朝日新聞社
小田実は「何でも見てやろう」しか読んでなかった。
彼の妻(「人生の同行者」と表現)が在日韓国人だということも知らずにいた。知らなかったといえば、彼が2007年に亡くなってたことも(^_^;)
妻の両親、特に母親(オモニ)の言動を、面白おかしく、それも敬愛の念をもって書き散らかしたもので、彼独特の語り口調で、同じことの繰り返しも多かったが、けっこう楽しめた。

オモニの使うことばは面白い。わたしはひそかに「オモニ語」と呼んでいる。日本語でもないし、たぶん、朝鮮語でもないのかも知れない。いや、それでいて、日本語であり、朝鮮語だ。
どういううことばかと言うと、これは、日本語、朝鮮語二つをしゃべるわたしの「人生の同行者」の場合とくらべて考えてみるとはっきりする。「人生の同行者」の場合は、簡単に言ってしまうと、頭の中に字引が、日本語、朝鮮語それぞれ一冊ずつある。
オモニの場合はどうか。これも簡単に言ってしまえば、要するに字引は一冊しかないのだ。もとは朝鮮語の字引一冊しかなくて、それを頭のなかに持って大阪まで「クンデワン」あるいは「キミガヨ丸」に乗ってやってきたのだが、そのときから五十数年、日本語はいやおうなしに字引のなかに入りこんで来た。
オモニはたしかに最初、朝鮮語--と言うよりは済州島語という字引を一冊、頭のなかに持って日本にやって来たのだが、五十数年、日本人社会のなかにもまれて来たおかげで、字引は日本語と入りまじったものになってしまった。
つまり、頭のなかの字引が、ただ一冊、それも彼女の手づくりのものが頭のなかにでき上がっているのだ。
わたしは日本人なので、オモニはわたしとしゃべるときは、日本語を使う。すくなくとも、当人はそう思ってしゃべっている。しかし、しゃべることばのなかに朝鮮語、済州島語が入りまじり、オモニ流に言えば、チリパラチリパラとなって、あれはまさしく「オモニ語」である。


鶴橋やコリアタウンでの、在日コリアンの会話を聞く機会も多いのだが、たしかにこの「オモニ語」みたいな会話が多い。

彼(小田の「人生の同行者)の姉の夫)の子どものときの記憶の始まりのひとつが「済州島蜂起」だ。1948年5月9日にアメリカ合衆国政府が朝鮮半島の南半分で強行した「単独選挙」(はそのまま「南」の政権樹立に結びついた)に反対する動きがそのころ各地で起こった。そのなかでもっとも激しく、巨大だったのがまさに「人民蜂起」となった「済州島蜂起」だが、この4月3日未明に起こって二年余つづいた「人民蜂起」を鎮圧するのにアメリカ合衆国に支援された「南」の軍、警察は徹底した殲滅作戦を展開した。当時の島民25万人のうち7万3千人が殺され、5万戸あった家屋のうち2万8千戸が焼き払われたというのだから、その弾圧のすごさが判る。ひとりの「アカ」をつかまえるために村全体を焼き払うようなことまで平気でやったのだ。あまりのむごさに弾圧側の李承晩軍のなかにさえ反乱が起こっている。


済州島の四・三事件のざっくりした紹介。四・三事件に関しては金石範と金時鐘の対談「なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか」くらいしか読んでいないが、朝鮮戦争直前の、アメリカの反共政策の暴走というしかない。しかも実行したのは、日帝時代の残滓である警察と軍隊だった。


2019035
【愛国奴】 古谷経衡 ★★★ 2018/06/09 駒草出版
タイトルは「売国奴」のギャグだろう。現今のネット右翼とそのオピニオンリーダー?の低次元の足の引っ張り合いや、自己顕示欲をおちゃらけスタイルで描いた作品。著者自身の投影無きにしもがなだが、ところどころ笑ってしまう場面があったり、左翼に教えたいくらいの正論があったりして、それなりに面白かった。
たとえば、こんなくだり。

そもそも、彼らの敵愾心はアメリカに向かうものだとばかり思っていた。アメリカは先の日米戦争の末期、国際的人道主義を無視して、広島・長崎と二発の原子爆弾で無辜の市民を殺傷し、「日本は住宅地と興行生産地が混在しており、家の中で内職をはじめとして民間人が軍需品を作っている。つまりそれらは全体が軍備施設を形成するのである」と手前勝手な理屈をつけて無差別爆撃を正当化したカーチス・ルメイは、八大都市を焼き払い、原爆を含めると八十万人、都市空襲だけでご十万人の無辜の日本民間人を死に至らしめたではないか。
さらに本土唯一の地上戦が行われた沖縄では、日本軍側の傍若無人もあったとはいえ、米軍による民間人の虐殺、拷問、強姦など、言い尽くせぬ非道を働いているのである。戦後、屈辱的な日米安保条約により、先祖からの土地は米軍基地に接収された。
照一はその昔、一介の勉強のつもりで横須賀にある海上自衛隊本部を訪れたことがあった。崖に削られた狭い、猫の額ほどの土地に、この国の海上自衛隊基地司令部の全てが、まるで隠れるようにして点々と細長く立地している。
一方戦後、広大な旧海軍用地を接収して建設された在日米軍横須賀基地では、その基地開放日がちょうど8月6日の広島原爆の日と重なっているというのに、訪れる市民は何の反米感情も持たず、米兵の焼く巨大な鶏肉やらグリルに載せたソーセージやらビールやらを600円とか800円で買い求め、無思慮に迷彩服の米兵と「ピース」写真に納まっているという腑抜けた状況を目のあたりにし、照一は敗戦国日本のみじめさを痛感し、日本がアメリカの属国になっていることをまじまじと痛感して落涙の思いにさえ至るのである。
このような始点から出発したのが、マッカーサーの司令によって起草された日本国憲法(押しつけ憲法)の打破と、自主防衛・自主独立を高らかに謳いあげるものこそが「普通の」右翼・保守だと照一は認識していたが、この界隈にはそんな気運は全然なく、その憎悪の方向が皆、国内の在日コリアンとか韓国政府や韓国民族に向けられ、しかもそれが差別と憎悪と無根拠のトンデモにまみれていることに、照一は唖然とする思いなのである。



2019034
【たのしい編集】和田文雄、大西美穂 ★★★☆☆ 2014/01/10 ガイア・オペレーションズ
和田文夫 1954年生れ。中央大学卒業。三修社入社「月刊アスキー」「月刊翻訳の世界」の校正・編集に協力2000年英治出版参画、2003年独立し、ガイア・オペレーションを設立。

ひらがな使用例
[不使用]           [使用]            [例外=使い分け]
今日               きょうは          今日(こんにち)では
一体                いったいなぜ  人馬一体となって
~した時          ~したとき       時を経て
~した方が       ~したほうが    考え方
~した後          ~したあと       その後
~し始める       食べはじめる    会議が始まる
~し続ける       話しつづける    彼に続いて
~限り             動くかぎり         限られた地域では
常に               つねに            ~するのが常だった
中に               なかには         部屋の中で
もっとも           最も長い(「それはもっともだ」とくべつするために)
上で               覚悟のうえで     机の上に
直す               やりなおす       故障を直す
気が付く          気がつく          付け加える
ほしい            売ってほしい     車が欲しい   
行く                うまくいく          海へ行く
出来る            できる              出来事
止める            やめてほしい    信号を止める


ワープロ使い始めて22年になる。そのおかげでどんどん漢字書けなくなったのは間違いない。ただ、ワープロの漢字変換機能は初期に比べると目覚ましい進歩?を見せているようだ。結果的にやたら漢字の多い文章になる傾向すらある。上記の「ひらがな使用例」は本書の著者ができれば漢字よりひらがなを使うほうが望ましいと思う気持ちのあらわれだろう。どちらを使うかは、筆者の自由だというのが、Morris.の基本方針だが、新聞、雑誌などではそれぞれの基準を設けて、記事などではそれに準拠しているはずだ。上記引用のうちMorris.がひらがな表記使うのは半分くらいかな? 参考にしたほうがいいと思うのだが……

誤用例
       <誤>                                <正>
それにも関わらず        それにもかかわらず/拘らず
七年に渡って             七年にわたって/亘って
豪雨の恐れ                豪雨のおそれ/虞
おあなりな返事           なおざりな返事
的を得た意見             的を射た意見(当を得た意見)
気まじめ                   生まじめ/生真面目   
大元の考えは            大本の考えは/おおもと
勅札が下る               勅令が下る
日影に入る               日陰に入る
自然界の脅威           自然界の驚異
異和感がある            違和感がある
胸踊る舞台              胸躍る舞台
着陸体制が整う        着陸態勢が整う
出席に配布する        叱責者に配付する
責任を追求する        責任を追及する(理想/真理を追求する)
濡れ手で泡              濡れ手で粟
不詳/不祥の息子      不肖の息子
独断場                    独擅場(どくせんじょう)
収集がつかない        収拾がつかない
去勢を張る              虚勢を張る
先立つ不幸             先立つ不孝
指を食わえる            指をくわえる/咥える
草場の影                草葉の陰
現場/現状回復        原状回復
口先三寸                舌先三寸
責任転化                責任転嫁
玉石混合                玉石混淆
シュミレーション        シミュレーション
プエル・トリコ           プエルト・リコ
ファーストフード        ファストフード
手をこまねいて        手をこまぬいて


これは、明らかに左の表記は「誤用」である。おしまいの「こまねいて」は、Morrisがしつこく指摘してる例(勝手に挿入(^_^;))だが、今や「こまねく」が掲載されてる辞書もあるくらいで、いささか鼻白むところである。

価値のある情報を要領よく切りとって右から左へばらまくのではなく、自分でよく噛みしめて、食べやすい工夫を凝らし、納得したうえで提供する。そういう本のつくり方ができれば、つくる人も読む人も、たのしいのではないか。
人は、たいてい傍観者だ。殺人事件、不治の病、不慮の事故、天災、差別、抑圧、戦争……この世界には数かぎりない不幸があるが、当事者にならないかぎり、人はその問題ののっぴきならない困難さをみをもって実感できない。当事者こそ、その問題の本質、むずかしさ、回避するための技術や経験を語ることができるのではないか。


編集の難しさを「不幸」ととらえ、当事者ならでこそその不幸を回避するためのノウハウを提供できる。かなりの自負である。

僕は天の邪鬼のせいか、むかしはベストセラーを避けていたが、あるときから話題の本はなるべく読むようにした。それは、その本の<おもしろさ>を突きとめたいというより、その時代にたくさんの人が感じている<おもしろさ>がどんなものか知りたいと思ったからだ。

Morris.もベストセラーは、意識して読まないようにしてきた。それは今も続いている。死ぬまでなおらないだろう。

京都の老舗料亭で腕をふるう料理長が「料理の真髄は<守破理>ですね」と言っていたのを思い出した。守破理--長い年月、経験から絞りだされ、培われ、定着してきた伝統を身につけたら、今度はそれを破棄し、新たな地平を切り拓いて洗練させてゆく。料理とは、その繰り返しだと言うのだ。どこまで行っても完成することはなく、正解など存在しない……さすがに一流の人は言うことも的を射ている。
編集と料理は似ているとよく言われる。新鮮な素材(著者)を探し求め(企画)、その素材を最も活かす調理方法をみつけだし(編集)、的確に調理し(DTP)、盛りつけにも創意工夫を凝らし(装幀)、多くのお客様に味わっていただく(流通・販売)。まことに手間暇かかる作業をこなしながら、渾身の一品をつくりあげる。


なかなかうまい比喩表現である。あまり上手い比喩は往々にして、本質の違いを忘れさせてしまうきらいがある(^_^;)

僕がベネット・サーフから学んだのは、編集の技法でも出版の経営手法でもなかった。ユーモア、ちょっぴり人を楽しませる工夫、つまり、人としてのささやかな信条だったということに、長い歳月を経て、いまようやく得心した。短い人生のなかで、大仰でも派手でも過剰でもなく、ほんのすこし人を楽しませる工夫をすること。
人生をたのしむのが、たのしい人生を送るコツなのではないか。

だから本書のタイトルは、『たのしい編集』以外にはありえないと思っている。

ベネット・サーフはランダムハウスの編集者で自身ユーモア作家でもあった人らしい。「人生をたのしむのが、たのしい人生を送るコツ」というのは同語反復のきらいもあるが、Morris.もこれに同調したい。


2019033
【マル暴総監】今野敏 ★★★ 2016/05/30 実業之日本社 初出「週刊実話」2015-16
「マル暴甘糟」の続編。本作では警視総監のトンデモ行動に捜査本部が翻弄されるという、前作以上に「あり得ない」話で、こうなると警察小説というより、コメディといったほうが近い。本作でも軟弱ヒーロー甘糟刑事の面目躍如である。

目立たないことをモットーとしていたので、級友たちに相手にされないことなど、まったく気にならなかった。むしろ、それが当然で、注目されたりすると、実に居心地が悪かった。
世の中は、シカトだのハブだのと騒ぐが、甘糟にとっては、無視されている状態が普通だった。
警察学校でもそうで、同期の連中は、術科の腕を競い合ったり、班ごとに成績を争ったりしていたが、甘糟はできるだけひっそりと過ごした。
おかげで、教官にほめられたことなど一度もないが、代わりに叱られたこともなかった。
子供連れのママたちを見て思う。仲間に入ることがそんなに大切なことだろうか。友達なんて、必要ないんじゃないだろうか


かなり筋金入りのことなかれ主義である。

なるほど、郡原なりに理由はあるというわけだ。たしかに、ぼうっと手をこまねいているより、電話でもかけていたほうがずっとましだ。

「手をこまねいて」表現。でもまあこんな作品で、誤用だ誤用だ、と騒ぐこともなかろう。

だいたい、甘糟は嘘が嫌いだ。……というより、嘘をついているときの緊張感が嫌いだ。嘘をついてどきどきするくらいなら、本当のことを言ってしまったほうがいいと、いつも思う。
あるとき、先輩にそう言ったら、じゃあ、結婚しないほうがいいな、と言われた。


つい、甘糟の考えに肩入れしたくなる(^_^;)


2019032
【火車】宮部みゆき ★★★ 1992/07/15 双葉社

鶴見俊輔と関川夏央の対談で、宮部みゆきの「蒲生邸事件」をほめていたのをきっかけに、これを読んで、そこそこ面白かったので、他の作品にも手を出してしまった。いまいち肌が合わないと思いながらもそれなりの書き手だと言うのは間違い無さそう。
本書は、作家紹介などで、代表作みたいな取り上げ方シてあったので、ちょっと期待したのだが、作品としてはあまり感心しなかった。
タイトルの「火車」は亡者を乗せて地獄に走る車の謂だが、いわゆる「火の車」逼迫した経済状態とかけてあることはいうまでもない。

「本間さん、あなたは何年のお生まれです?」
「1950年、昭和25年ですよ」
「すると今、42歳ですか。ほう、もうちょっとお若いかと思ったが」
と、笑って、
「そうすると--あなたが十歳のときですよ。わが国に、初めて『クレジット』という言葉が登場したのは。赤いカードの丸井ですな、あの店が、『割賦』に代わって『クレジット』という言葉を使い始めたんです。昭和35年、1960年、安保の年ですな。これは、わが国の高度成長元年でもありますな。それだけ国が豊かになろうとしている時代だった。クレジット産業が誕生するのは、時代の必然であったわけです」
「『消費者信用』はまず大きくふたつに分かれます。ひとつが『販売信用』。カードを使った買い物などですな。もうひとつが『消費者金融』。これは定期預金や郵便貯金を担保にした貸し付け--銀行口座の貸し越しなどですな--それと、消費者ローン、つまりサラ金やクレジットカードによるキャッシングが含まれます」


主人公で休職中の警察官本間が、Morris.とほぼ同世代の設定(Morris.は1949年生れ)になってた。九州の片田舎で十一歳のときに丸井のクレジットカードなんてのは、まったく縁もゆかりもないものだった。ともかくも、カード社会が始まったのがその頃だったらしい。

「金融市場なんてものは、もともと幻なんです。元来、実態のないものなんですよ。そもそも、貨幣にしてからが、そうでしょうが。ただの紙切れ、ただの平たく丸い金属の塊だ。しかし、現実には、一万円札にはそれだけの価値がある。これは約束事があるからですよ。金融市場は、もともとが幻です。だが、それは言わば、現実社会の『影』としての幻なんですよ。だから、そこにはおのずと限界がある。社会の許容する限界が。それを考えると、この消費者信用の異常な膨らみ方は、やはりおかしい。この幻は、本来あるべきサイズよりも、はるかに大きく膨張している」

今やマネーゲームと化した金融市場は実体経済とは桁外れの規模で世界を牛耳る存在になっているようだが、経済オンチのMorris.にはちんぷんかんぷんである。

「金利というのはおんぶお化けみたいなものでね。先へゆくほど重くなる。それと、キャッシングという、この言葉の魔術です。サラ金にいくのはカッコ悪い。特に若者はね。だが、クレジットカードでキャッシングするのはスマートな感じがする。それにサラ金に比べて金利もやすいような「気がする」。ところが、これがとんでもない錯覚でしてね。クレジットカードでのキャッシングの金利は、年利に換算すると25%から35%。大手のサラ金とどっこいどっこいなんです。ところが、それを知らないと、なんとなく、漠然と、クレジットカードのキャッシングなら安全だ、と思い込んでしまう。これが間違いの一歩です」

銀行にしろサラ金にしろカード会社にしろとにかく金利生活企業なんてのは同類だろう。

現在の東京は、人間が根をおろして生きることのできる土地ではなくなってしまっている。地味も消え、雨も降らず、耕す鍬もない荒れた畑だ。
ここにあるのは、大都会としての機能ばかりである。
だから、今の東京にいる人間はみな一様に根無し草で、大部分は、親やそのまた親が持っていた根っこの記憶をたよりに生きているのである。
だが、その根の多くはとっくに弱り果て、その呼ぶ声は、とうの昔に嗄れてしまった。だから、根無し草の人間が増える。本間は、俺もその一人だ、と思う。


神戸だって似たようなものである。そして、Morris.も根無し草にちがいない。別にかまわないけど(^_^;)
ストーリーとは関係ない引用ばかりで、感想も投げやりになってしまった。
とりあえず、この作品で宮部読書はひとまずおしまということにしたい。


2019031
【魔術はささやく】宮部みゆき ★★★ 1989/12/10 新潮社
1989年、第二回日本推理サスペンス大賞受賞作である。このときの候補作には高村薫の「リヴィエラを撃て」(幸田精名義)があったとのこと。あの高村を押さえての受賞なんて(@_@) でも読み終えたら、なんでこれが受賞したのか疑問に思えた。「リヴィエラを撃て」が規定オーバー(600枚のところを70枚以上オーバー)したのが、減点対象になったのかもしれないが、審査員(佐野洋、高見浩、逢坂剛、椎名誠)の眼識を疑いたくもなった。


2019030
【夢にも思わない】宮部みゆき ★★★ 1995/05/07 中央公論社 初出「小説中公」1993-95
小説としてではなく、執筆当時の生活、特に電話関連の事象に着目して読んだ(^_^;)
当時誰かが「携帯電話が普及する前と後では小説、特にミステリーは全く違ったものになる」というのを聞いて、なるほどと思ったが、四半世紀過ぎて省みると本当に通信機器の変化と普及ぶりは目覚ましいものがある。

「現在の警察の体制内では、警部さんが警部以上になるのは難しい。実績や能力には関係なく、ね」
「君はなんでそんなことを知っとるの?」
「緒方君の事件のとき、週刊誌に出てました。警察組織のことは、最近は、良質な警察小説がありますのでね。中学生にもわかりますよ」


この時期に「良質?」な警察小説が登場したらしい。

僕はぎゅっと受話器を握りしめた。「ただ」という接続詞はコワい。あとについてくる言葉で、それまでの話が全部ひっくりかえってしまうからだ。たとえば作文。ていしゅつしたものが戻されてくる。赤ペンで先生の講評が書きこんである。最初のほうの二行ばかりで褒めてある。僕は喜ぶ。ところが、三行目の頭の「ただ--」以降の文章で、コテンパンに叱られている。僕は落ちこむ、という具合だ。まことに、ただより怖いものはない。

これは電話機かんれんというより、「ただより怖いものはない」というオチが上手いと思っただけ。

僕らは今、こぞって「匿名の時代」に生きているのだ。匿名でなら、何をやってもいい。また匿名の人々がやっていることなら、どんなことでも「そんなもんか」と認めてしまう。僕が感じたのと同じように、「なんか小説のなかの話みたいだ」と呟いて、忘れてしまうこともできる。そうやって、僕らはみんな、あまりにも早すぎるスピードで進んでゆく世の中の一部と、かろうじてバランスをとりあいながら暮らしているのだ--

これは時代を先取りした言説ではないか

「いや、実際、『会社』をつくりあげたスタッフは5人の男性だったんだが、それぞれなかなか優秀な青年で、年齢もそろって二十代の半ばぐらいだった。みんな真面目な会社に勤めていて、学歴も高い。相互の連絡にはパソコン通信を使っていたっていうんだから、恐れ入るよ」
カナグリさんが声をひそめた。「警部はいまだにワープロも打てないし、外線電話をhかの部署に回そうとすると、いっつも切れちゃうの。操作が覚えられなくて」

「パソコン通信」という言葉が懐かしかったあ(^_^;)

人が表情をつくることができるのは、真正面から見せる顔だけだ。横顔は正直だ。そしてその、やや落ちくぼみ気味の目を間近に見たときに、僕はこの人が誰だかわかったと思った。


これはなかなかうがった観察眼である。プロフィール(profile)は日本では「横顔」と訳されるが、プロフィールが正直だとはあまり思えない(^_^;)

電話を切ったときには、新品のテレホン・カードの度数を、あらかた使い尽くしていた。僕が工藤家を振り返り振り返り去ってゆくとき、入れ違いにバイクでやってきたGジャンの高校生が、ポケットからカードを取り出しながら電話機に近づいていった。受話器を持ちあげ、のっけから長電話の姿勢でコンビニの壁にもたれかかる。夜、こんなふうに外で長電話している若者を見かけると--とりわけ真冬や真夏には--物好きなヤツらもいるもんだと思ってきたけれど、今後は考えを改めなければならない。今やビジネスマンの手には携帯電話があり、若者の心には--もとい、直接電話を引くだけのお金のない若者の心には、公衆電話がある時代だ。

そうそう、公衆電話は当時の小説では重要な脇役(小道具)だった。

僕もクドウさんも、むろん、専用電話なんか持っていない。でも、それぞれの部屋にファミリー・テレホンの子機をつけてもらっている。だから、数分間の会話なら、そしてかける時間を決めておけば、安心してお互いの声を聞くことができた。

このファミリーテレフォンの子機なんてのも、使ったこと無いし、これからも知ることはないだろう。


2019029
【ペテロの葬列】宮部みゆき ★★★☆ 2013/12/25 集英社 初出2010-14各地方紙連載
杉村三郎シリーズ第三作。不思議な老人によるバスジャックに乗り合わせた主人公と他の客たちとの後日談を中心に主人公の転身が語られる。

大ざっぱなようでいて繊細な園田瑛子は、繊細なようでいて意外な死角を持つ人物である。

なかなか上手い文章である。

10月に入ると、残暑は未練を断ち切った恋人のように姿を消した。

この直喩もね。

「以来、私のなかにはひとつの確信が生まれた。人間は基本的に善良で建設的だ。だが、特定の状況に置かれると、それでもなお善良で建設的であり続けることができるタイプと、状況に呑まれて良心を失ってしまうタイプに分かれる。その<特定の状況〉の典型的な事例が軍隊であり、戦争だ」
閉鎖的な極限状況だ。


主人公の義父が軍隊生活で得た心情。

「さすがに昨今はあの業界も世代交代が進んで、豊田商事の残党は見かけなくなったそうだが、スキルは継承されているはずだ。ソフトというものは、一度開発されると、そう簡単には滅びない」
負の地下水脈だ--と義父は言った。


豊田商事の詐欺商法への批評が本書の背骨になっているようだ。

<一つの指輪>は、冥王サウロンの力の源泉であると同時に分身だ。指輪はサウロンのもとへ還ろうとする道筋で出会う中つ国の人びとを汚染してゆく。その心をむしばんで、人格どころか容姿までも変えてしまうのだ。
悪は伝染する。いや、すべての人間が心のうちに深く隠し持っている悪、いわば潜伏している悪を表面化させ、悪事として発症させる。<負の力>は伝染すると言おうか。
現実を生きる我々は、<一つの指輪>を持ってはいない。だが、その代替物なら得ることができる。それは誤った信念であり、欲望であり、それを他者に伝える言葉だ。
--影横たわるモルドールの国に。
我々もまた、生きている。


「悪」「負の力」の伝染、これがこのシリーズの大きなテーマだろう。
「ホビットの冒険」は読んだけど「指輪物語」は未読である。読む気もいまのところ無い。


2019028
【名も無き毒】宮部みゆき ★★★☆  2006/08/25 幻冬舎 初出 各地方紙 2005年
先日読んだ「誰か Somebody」の続編というか、三部作の第二作ということになるのだろうか。

「究極の権力は、人を殺すことだ」
義父は続けた。口調は淡々としているが、目が光っている。
「他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから昨今、多いじゃないか」
私は黙ってうなずいた。
「たとえばあれが青酸カリだったなら、君らはみんな死んでいた」
「だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には、誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。ふん、何が今多グループの総帥だ。無力なことでは、そのへんの小学生と一緒だろう」

「殺意」が究極の権力の行使、うーーん、ちょっと違うんじゃないかな。

「その娘に、正義なんてものはこの世にないと思わせてはいけない。それが大人の役目だ。なのに果たせん。我々がこしらえたはずの社会は、いつからこんな無様な代物に堕ちてしまったんだろう」
ひとつ私の意見を言うならと、義父は声を強めた。
「古谷明俊さんを殺した犯人も、原田いずみも、同じ種類の人間だ。極北の権力を求めて、どうしてもこらえきれずに行使してしまった人間だからな」
「なぜそうなるのか、わかるか」
「私にはわかりません」
義父は一瞬、怖いような目で私を睨んだ。
「飢えているんだ。それほど深く、ひどく飢えているのだよ。その飢えが本人の魂を食い破ってしまわないように、餌を与えねばならない。だから他人を餌にするのだ」


先の引用の演繹した物言いで、「殺意」の原因を「飢え」と仮定するのもいささか短絡的に思える。

子供のころ、私は正月よりも年末が好きだった。これからお正月が来るという期待感に満ちて、見慣れた町並みさえもきれいに見える。輝きを放つ。それが新鮮で、心が踊った。
あれは子供に限らず、誰でも持ち合わせている心情なのではないか。人は皆、幸せの最中にあるよりも、これから幸せがやってくるという確信と期待に満ちたひと時をこそ望むものではあるまいか。


これには全く同感である。

私のこの家に、汚染はなかった。家のなかは清浄だった。清浄であり続けると、私は勝手に思い込んでいた。信じ込んでいた。
だが、そんなことは不可能なのだ。人が住まう限り、そこには毒が入り込む。なぜなら、我々人間が毒なのだから。


これがタイトルのよって来たるところだろう。性悪説ならぬ、性毒説。

事件は、それが煮えたぎっているさなかには、さまざまな感情や思惑から生じる磁力で、関係者を互いに引き寄せる。共闘感が、そこにはある。が、どういう経緯であれ決着を見ると、その磁力は消える。そして今度は斥力が生まれるのだ。
何よりも強い感情は、もうこんなことは忘れてしまいたいという願いだ。どんな親しい人とでも、一緒に事を乗り切った相手とであっても、事件を口にのぼせることさえ厭わしい。顔を合わせれば、それしか話題がないのが悲しい。自分の人生にはほかにもたくさんの良いことがあるはずなのに、このことばかりに囚われていなければならないのが腹立たしく、その腹立ちが後ろめたい。


すでに四半世紀前のことになってしまったが、ついつい、神戸大地震のことを思い出してしまった。


2019027
【圏外編集者】都築響一(語り) ★★★ 2015/12/10 朝日出版社
学生時代からバイトで「POPEYE」や「BRUTUS」の編集にかかわり、そのままフリーの編集者になったという都築響一の名前を知ったのは、「TOKYO STYLE」という中版厚手の写真集だった。東京の一人住まいの部屋を即物的に撮影したカラー写真集で、これには相当な衝撃を受けた。その後、珍風景の写真や、暴走族の落書き詩集、最近では元気老人たちの追っかけ本など、結構目についたら読むのだが、やはり最初の「TOKYO STYLE」にとどめを刺す。
本書は著者還暦時点での語りおろし編集論で、それなりに肉声が聞こえる気にさせられた。

最初から最後までなにも見ずに、だれもが言える詩ってあるのかな。少なくとも僕にはない。「雨ニモマケズ」だって、冒頭はともかく最後まで完全にはなかなか暗唱できないだろう。詩の専門家によると、現代では詩は声に出すものではなく、黙って読むものになったというけれど、もともとは「詠う」ものだったはず。
でも角度を変えてみれば、僕らが暗唱している詩が実はいくらでもある。それが歌の詞だ。美空ひばりでもいいし、ユーミンでもいいけれど、歌詞カードやカラオケの画面なんて見なくても、最初から最後まで歌える、そういう好きな歌はいくらでもある。それが、詩人が作詞家に負けた瞬間と言ったら、言い過ぎだろうか。


「歌詞」=「うたのことば」で、詩とは別物ということになっているが、本質的な違いは無いはずだろう。俳句や川柳、和歌/短歌なども詩の一族で、これらは短いから暗唱できるものも多い。ことわざだって「言葉の技」だから詩の眷属だろう。

「一流の評論家より、二流の実作者のほうが偉い」
評論家の役割というのは、たくさんあるなかから、自分の名前を賭けて「これがいい」っていうひとつを選ぶことだと、僕は思っている。そのチョイスと説得力が勝負だ。
でもジャーナリストはその逆で、みんなが「これがいい」と言ってるところで、「いや、こういうのもアリじゃないのか」という、選択肢をなるべくたくさん示すのが役割じゃないかと信じてる。
評論家とジャーナリスト、どちらが上か下かではなくて、役割が違うだけ。実際の仕事は、その両極端のあいだをふらふらせざるを得なかったりもするけれど。そしてもちろん、さっきの評論家の話に戻れば「一流の取材者より二流の実作者のほうが偉い」ことはいうまでもない。


実作者=創造者・芸術家至上主義。Morris.もどちらかというと同じような考えだが、一流、二流という決めつけにはちょっと引っかかるものがある。

写真業界の大きな雑誌って「アサヒカメラ」と「日本カメラ」の2誌だろうけれど、どちらも中心読者層は60~70歳後半のはず。定期購読歴50年とかの強者がいっぱいいるから、新しい企画は当然やりにくい。そうなると編集部だって、春は桜、秋は紅葉、あと富士山みたいな特集とかいまどきのデジタル時代に「銀盤フィルム、もういちど!」とか「夢のライカ」みたいな記事を、何度でもやらざるを得なくなる。

写真雑誌はあまり見ないのだが、読者層が高齢化してるのは、その通りだろう。撮影の数で言えばスマホのカメラが世界を席巻しているはずで、写真専門誌そのものの存在意義が希薄になっているのではと思う。

インターネットがすべてを変えてしまった。アーティストとリスナーがSNSで直接つながれて、世界のどこでも同時に画像や動画や音源が共有でき、参加もできて、ワンクリックで日本中どこにでもAmazonの箱は届いて。そこにはもはや「東京」と「地方」のタイムラグも、「専門家」と「一般人」のタイムラグも存在しない。
そういう時代に僕らはもう、メディアにトレンドを教えてもらう必要はない。メディアが特権的に情報を収集して、「流行」として発信できる時代がとっくに終わってしまっていることを、既存のメディアの人間がいちばんわかっていないのかもしれない。
いちばん大切なことに、いちばん目をつぶろうとするテレビ局。エコとか言いながら、いまだに何百万部という印刷部数を競う大新聞。意地悪の黒い塊のような週刊誌……トレンディだったはずのメディアが、いちばんトレンドから遅れてしまっている皮肉な現実。


マス・メディアへの決裂宣言とも受け止められるが、インターネット、デジタルメディアの致命的欠点というものも視野に入れておかねばならないんじゃないかなあ。


2019026
【マル暴甘糟】今野敏 ★★★ 2014/12/15 実業之日本社 初出「ジェイ・ノベル」2013-14
コミスタ神戸図書室で本探してたら、受付の女性が、「こんのびんが面白いですよ」と勧めてくれた。市立図書館ではまず、このようなおすすめはないと思う。つい一冊借りてきたのがこれ。Morris.は今野敏という作家の名前は、あちこちの開架棚で見覚えはあったが、「いまのさとし」だと思いこんでた(^_^;) 開架は五十音順だから、もっと早めに気づいても良さそうなものだが、Morris.にはそういった観察眼はゼロに近いということになる。
甘糟という主人公刑事は、マル暴担当らしからぬキャラで、相棒のもろマル暴刑事郡原に絶対依存してるように見えながら、それなりの推理と捜査をやるという、多くの警察小説を逆手に取った面白さを狙ってるようだ。

甘糟は、今の電話の内容を伝えた。
テレビドラマなんかでいつも不思議に思うのは、登場人物が何かの問題に直面したとき、たった一人で抱え込んで、かえって問題をおおきくすることだ。
そうでないと、ドラマが成立しないのかもしれないが、そんなドラマにリアリティーがあるはずがない。
甘糟は、絶対に単独行動などしないし、一人で勝手に判断などしない。
話を聞き終わった梶が言った。
「それで、どうするつもりだ?」
「どうしたらいいでしょう」
わからないときは、他人に振ることだ。
「うーん。私には現場の判断はつかないな。郡原に相談したらどうだ」
「そうですね」


確かに、ドラマにしろ小説にしろ、主人公(とは限らないが)、自分の得た情報を一人で活かそうとして、事件を複雑にするケースは多い。それにしても、この甘糟の依存体質の描写からもわかる通り、あなた任せのヒーローというのは、これまであまり見たことがない。梶というのは、現場には疎いが切れ者の警視庁捜査一課警部補である。郡原と梶の対抗意識に甘糟のボケという漫才トリオが本書のもう一つの眼目かもしれない。本書にもあまりリアリティ-は感じられなかった。エンターテインメントだもんね(^_^;) この人の本読み続けるつもりはないけど、疲れたときにはまた、手に取るかも(^_^;)


2019025
【誰か Somebody】宮部みゆき ★★★☆ 2005/0825 光文社 カッパノベルスセレクト *2003年実業之日本社から刊行
「蒲生邸殺人事件」のついでに(^_^;)借りてきた一冊。財界の大物を義父に持つ杉村は、自転車事故で死んだ義父の専属運転手の娘二人の依頼で、本を作るため奔走する羽目になり、意外な事実が……という、赤川次郎テイスト(それほど読んでないが)のライトノベル。時間つぶしにはもってこいで、なかなか上手い書き手だということはわかった。

歴史記念館は私の貸切だった。私は悠々と展示物を見学し、こういう施設を訪れるたびに、一度やってみたいと思っていたことを実行した。「順路」の表示を逆にたどるのだ。
やってみてわかった。こうした展示は、たいていの場合、時代の古い順から並べられてゆく。本当は逆にするべきなのだ。いちばん現代にちかいところを出発点にするべきなのだ。その方が、時をさかのぼってゆくようで面白い。小さな町の歴史に、実のところ、瞠目スルようなものは何もなかったけれど、時間巻き戻し興趣が、私を結構楽しませてくれた。

物語とはほとんど関係のない挿話だが、「蒲生邸殺人事件」の中の中学高校の歴史の授業のことを思い出したので引用してみた。
杉村が4歳の娘に読み聞かせる「小さなスプーンおばさん」 アルフ=ブリョイセン作 大塚勇三訳という絵本が何か印象的だった。



2019024
【蒲生邸事件】宮部みゆき ★★★☆ 1996/10/10 毎日新聞社 初出「サンデー毎日」1994-5
これも先に読んだ、鶴見俊輔と関川夏央の対談で紹介してあったのでついつい読む気になった。
SF(タイムトリップ)と、ミステリーの混合した作品で、どちらも不徹底な気がしたのだが、この作品、97年の日本SF大賞を受賞している(@_@)
1994年(平成6 本作の連載時)に受験生だった青年(尾崎孝史が、予備校受験のため宿泊したホテルで火事に遭い、平田と名のる時間旅行者に昭和11年(1936)2月26日に時間移動させられる。ホテルの場所は、皇道派の退役将校の邸で、二・二六事件発生直後に将校は自決。事件に巻き込まれた孝史はこの自決が殺人ではないかと疑い、推理を進める。まあ、荒唐無稽なプロットなのだが、宮部が二・二六事件に真剣に取り組もうとしていることはよくわかるし、それなりの知見と、歴史の捉え方にもいろいろ思いを巡らせていることには好感を覚えた。

歴史の知識が乏しい孝史の頭で考えても、昭和11年というこの時代が、人々が好んで住み着きたいと願う時代であるとは思えない。現に、ここからほんの数キロ、いやもしかしたら数百メートル離れただけの場所では、現在あの二・二六事件が勃発・進行中なのだ。
中学や高校の日本史の授業では、現代史についてはほとんど教えない。受験には必要ないからだ。それに教科書のページ順に縄文式土器のあたりから歴史を解きほぐしてゆくと、明治維新をひととおりやり終えて、明治の元勲の名前を覚えてゆくあたりまでたどりついたところで、三学期の期末試験が来てしまう。それだって、相当スピーディな授業をする先生にあたったらの話だ。孝史がかつて習った中学の社会科の教師は廃藩置県以降のページは授業では教えられないので、自分で教科書を読んでおけばよろしいと断言したほどだった。

孝史の歴史(特に近現代史)の知識が乏しいのは、歴史の授業に原因があるとしている。Morris.の中学高校時代(60年代)もそうだったし、たぶん現在も大して変わりはないだろう。歴史は今現在を起点として過去にさかのぼって学ぶべきだと思う。

「落ち着いて考えてくれ。私はさっき、個々の人間にとって互いの生き死にに意味がないなんて言ったわけじゃない。歴史にとっては、個々の人間の生き死にに意味はないと言ったんだ。主語が違うんだよ」
「それだって、あんた歴史を擬人化しすぎてるよ。歴史をつくるのは人間じゃないか」
平田はふたたび笑みを浮かべた。くたびれたような寂しい顔だった。
「歴史が先か人間が先か。永遠の命題だな。だけど私に言わせれば結論はもう出てるよ。歴史が先さ。歴史は自分の行きたいところを目指す。そしてそのために必要な人間を登場させ、要らなくなった人間を舞台から降ろす。だから、個々の人間や事実を変えてみたところでどうにもならない。歴史はそれを自分で補正して、代役を立てて、小さなぶれや修正などすっぽりと呑み込んでしまうことができる。ずっとそうやって流れてきたんだ」


高校時代はいっぱしの(自称)SFファンだったからタイムトリップものもそれなりに読んできた。パラレルワールドやら、予定調和やら、宮部(平田)の自説のような、歴史本流自然治癒などいろいろあるが、本作の場合は、物語に都合の良い考え方だという気がした。

違っているのは、スイッチひとつでできないことがまだまだたくさんあって、それをすべて人間の手でやっているということ、それだけだと言ってもいいんじゃないか蒲生邸内でのちえやふきの働きぶりを思い出してみたってそうじゃないか。掃除機がなく、洗濯機がなく、買い物に行くにも自家用車がないから、女中が必要なのだ。
仕事の多い時代だったろうなと、孝史は考えた。もちろん、選り好みはできないから大変だろうけれど、それでも、働くことの意味が、孝史のいる「現代」よりも、もっとずっとずっと素朴ではっきりしていただろう。煙草一個を売って釣り銭を受け取ることにも、それにふさわしいだけの重みがあったのだ。
もしもこの先に、戦争が、思想統制が、空襲が、食糧不足が、占領が待っているという歴史をしらなかったならば、この時代で暮らすことに、もっと強い魅力を感じるかもしれないと、孝史は思った。悪くない。先のことさえ考えなかったなら、悪くない。人の力が重んじられた時代だから、人同士のつながりも温かい。


戦前の時代がそれなりに魅力的な時代でもあったという物言いはある。そして、あの戦争や徴兵さえなければ、そのままその継続的に推移した日本で良かったのでは、という考え方も。だけど本当にそうなのかな?

孝史さんはご存じないと思いますが、このころ「竹槍事件」という事件が起こりました。新名さんという毎日新聞の記者の方が、戦局の解説記事を書いたなかに、大変失礼な文章があったということに東條首相が腹を立てられて、新名さんを招集して危険な南方の戦線に送ろうとしたのです。
これは懲罰招集というもので、本当はあってはならないことなのでございますが、当時の東條首相にはそれだけのお力があり、またそういう点で大変に意地悪な気性のお方でもあったようで、自分に対して暴言を吐いた記者を許してはおけぬと、こういう手段をとられたのだと言われて居ります。


これは退役将校邸の女中だったふきから現代に戻った孝史への手紙の一節だが、この「竹槍事件」は名前だけは聞き覚えがあるが詳細は知らずにいた。とりあえずWikipediaの解説を読んでおく。


2019023
【日本の戦争 Ⅱ 暴走の本質】山田朗 ★★★☆☆ 2018/12/08 新日本出版社
山田朗 1956年 大阪府生れ。明治大学文学部教授。歴史教育者協議会委員長。

「平和・反戦」を口にしながら、実際の戦争のことをあまりにも知らずにいるのでは、と、最近戦後論以外に、戦前戦中の本もよむようになった。本書は、日露戦争からアジア太平洋戦争にいたる日本の軍拡、戦略、軍備、陸海軍の乖離、日中戦争、特攻、沖縄戦などについて、資料を駆使して論述したもので、Morris.が知らずにいた、日本の戦争にたいする無謀な「暴走」を、実にわかりやすく分析・解析してあった。

[第一部] 軍備拡張はどのように進展したのか
第一章 軍備拡張競争の実態:建艦競争を中心に
第二章 近代日本における軍事力編成
[第二部] 軍備拡張の帰結としての戦争
第三章 近代日本の戦争を支えたソフト・システム・ハード
第四章 第二次世界大戦における日本の敗因
[第三部] 戦争の特徴が凝縮されたものとしての戦闘
第五章 兵士たちの日中戦争
第六章 日本軍の航空特攻作戦の特徴
第七章 沖縄戦の軍事史的位置


戦争は、決してある日突然に起こるものではなく、必ず国家の政策の延長、外交的対立の帰結として起こるものである。だが、軍備の拡張(軍拡)が、国家を武力による威嚇や武力の発動としての戦争へと傾斜させたり、無謀な政策を生み出す原因になることもまた確かなことである。「自衛」のために設けられたはずの軍事力が、その拡張とともに他国に脅威を与えたり、また、その軍事力を背景にした政策が、膨張政策や戦争へと暴走していくことがある。それは、近代日本の軍拡と戦争の歴史から学ぶ重要な教訓の一つである。
本書は、国家が膨張主義的な国家戦略をとった場合、あるいは軍事力に対して抑制的な監視の眼がはたらかない場合には、「自衛」のためであったはずの軍事力はたちどころに軍拡競争をへて「自己増殖」し、パワーポリティクスの道具になってしまうことを描いている。(まえがき)


ね、実にわかりやすい。

20世紀が生み出した国家総力戦(Total War)は、その準備段階から国家の総力をあげての軍備拡張と国民の精神動員を不可欠のファクターとし、戦争遂行段階においては必然的に大量・無差別破壊に帰結する。
1.世界規模での軍備拡張競争
2.国家総動員
3.大量・無差別破壊(第一章)


国家総力戦は「トータルウォー」(^_^;)

戦争遂行の三要素
1.戦争をするためのハードウェア(兵器体系・設備)
2.兵器と人員を動員・統制するためのシステム(法律・制度・組織)
3.戦争をするためのソフトウェア(人材・価値観・戦略)(第三章)


これも明晰である。

国力(ウォーポテンシャル)の指標(量的判定)
1.国土の広さ
2.人口
3.経済力
4.軍事力(第四章)


戦争直前から戦中の間の日米二国の国力の差異をデータで比較。あまりにも歴然たるその差には、いまさらながら唖然としてしまった。

中国戦線において長期間にわたる戦争を、のべ数百万人が経験したにもかかわらず、日中戦争は戦後日本人の<オモテ側の記憶>にはならず、真珠湾・ミッドウェー・特攻・原爆というイメージに象徴される対英米戦争の<ウラ側の記憶>として沈殿しつづけた。日中戦争が当事者たちにとっても勝っているのか負けているのかよく分からない錯雑したものであったこと、地域・部署によってあまりにも違いすぎて統一したイメージを結ばないこともあるが、決定的な理由は、日中戦争の残虐性と加害性にある。日中戦争は参加した当事者たちにとって、自分の家族やそのうち兵士になるであろう後輩たちにも決して語れない要素を持ちすぎていた。

「語られることがなかった(語ることが不可能なほどの実状)」のために、日本国内で、日中戦争のイメージが曖昧なものになってしまったことは、現在、そしてこれからの日中関係にも、大きな影を投げかけている。

兵士たちの脚力における行軍を最も難儀にしたのは、陸軍の完全軍装の重量である。被服の他に、弾薬120発、手榴弾二発を中心に、鉄帽(ヘルメット)、背嚢(のちに背負い袋)、外套、携帯天幕、飯盒、水筒・十字鍬(小つるはし)・小円匙(小シャベル)・雑嚢があり、背嚢または背負袋には、米・缶詰(牛缶など)・乾パン、乾燥みそなどの糧食を入れる。さらに予備の小銃弾薬や、分隊によっては軽機関銃の弾薬、擲弾筒などを持たされることもある。これらの総重量は30~40kgにも達した。(第五章)

今回の韓国の旅出発時のMorris.の荷物の重量が23kg(これでも結構重く感じた)の1,5倍以上の荷物で、大陸での行軍が続く、というだけで、めげてしまった。

特攻は、戦争継続の不可能を訴える前線からの悲痛なさけびであったにもかかわらず、それを軍の指導者・指揮官たちの多くが汲み取る事ができなかったのである。
このような「禁じ手」である特攻について、どのような形であれ美化することは、若者の戦死の実態を覆い隠し、作戦を強行した戦争・作戦指導者の責任を雲散霧消させるものである。特攻について語るとき、私たちは、この理不尽な作戦を強行した軍指導者をまず第一にひはんすべきであり、「慰霊」の名の下に、責任の所在をあいまいにしてしまってはいけないのである。特攻による戦死者を、戦争の性格と特攻という作戦の本質を考慮することなく、ひたすらに「殉国者」として美化することは、それは戦死者の死を無にする行為である。
戦争で死亡した人々の死を、意味あるものにするのも、無意味なものにしてしまうのも、私たちがどのような社会をつくるかにかかっている。もし、私たちが、憲法の「戦争放棄」と「戦力不保持」の理念につながった戦争への反省を忘れ、再び多くの戦死者を出すような事態を招いてしまえば、私たちは、再び、戦死者の死を意味ないものにしてしまうのである。
その点で、特攻というあってはならない行為を顕彰・美化することは、死者を使って戦争への批判的な言動を封じようとするものであり、かえって死者を冒涜する行為だと言わざるをえないのである。(第六章)


「特攻」は「禁じ手」であり、美化することは特攻の死者を冒涜することになる。これは特に重要なところ。

沖縄戦は、ここを最後の決戦と位置づけた海軍と、決戦に徹しきれず本土決戦に傾いた陸軍中央との間に調整がなされないままに、航空作戦を重視した陸海軍上級機関と地上戦第一主義をとった第三ニ軍とが戦闘開始後も対立し続け、第三ニ軍司令部内部の対立で最終段階を迎えるという、戦争末期の日本軍の内部崩壊を典型的に示した戦いであった。これは、沖縄戦の戦略的な目的を陸海軍・中央・出先がしっかりと意思統一できないままに作戦が強行されたからであり、戦略目的の意思統一の欠如は、そのまま戦力の集中の欠如につながった。

これに加えて、軍部(日本軍事政権)の沖縄住民軽視ということが、被害を倍加したことも忘れてはならない。

陸軍の「玉砕」戦術にせよ、海軍の特攻作戦にせよ、戦闘の敗北に直面して将兵に死を強要するあり方は、戦争末期の追いつめられた絶望的戦況のなかで、顕在化したが、これは単に一時の状況がなしたものではなく、捕虜になることを認めない「天皇の軍隊」の本質からでてきたものだといってよいだろう。

「天皇の軍隊」という言葉一つ取ってみても、天皇の戦争責任は明らかである。

沖縄戦における特攻作戦、戦艦「大和」を中心とする会場特攻隊の出撃に至っては「玉砕」が自己目的化したとしかいいようがない作戦であった。沖縄戦は、希望と現実を混同して主観的に戦って自爆した日本軍のあり方を象徴的に示す戦いであったと言える。(第七章)

「希望と現実を混同」(>_<)

世界の軍隊を見ても、核兵器を保有している国であっても、それは「自衛のため」と強弁するのが常である。世界のたいていの国は、自国の軍隊は「自衛のための必要最小限度をこえるもの」ではないと自国民には説明していると思われる。そうすると、自衛隊は、「自衛のための必要最小限度をこえるもの」ではないので、「軍」でも「戦力」でもないとする日本政府の説明は、実に奇妙なものと言わざるを得ない。

「撤退」を「転進」と言い換えた大本営発表に通じるものがある。

自民党の本音は、自衛隊を正真正銘の軍隊にすることにある。このような軍隊化の動きと、イラク派遣部隊の「日報」隠しや自衛官の国会議員への暴言などにみられるような立法府軽視の傾向が重なると、自衛隊は、ますます国民のチェックを逃れようとするようになる。国民のチェックと国会のコントロールに服さない「実力組織」はきわめて危険な存在である。
九条改憲による自衛隊の軍隊化は、歴史の教訓から学ぼうとしない潮流から生れたものであるし、自衛隊が軍隊となれば、アメリカが要求している防衛費のGDP2%への増額にも歯止めがかからず、近隣諸国を刺激してアジアの軍拡、ひいては世界の軍拡に拍車をかけることになる。私たちは、日本を世界的な軍拡と緊張増大の出発点にしてはならない。(あとがき)


Stop!! ABE!! Stop!! 憲法改悪!!


2019022
【『坊っちゃん』の時代】関川夏央・谷口ジロー  ★★★★ 1986~1997 双葉社
「凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」

第一部『坊っちゃん』の時代 1987/07/09
第二部 秋の舞姫 1989/10/28
第三部 かの蒼空に 啄木日録 1992/01/12
第四部 明治流星雨 1995/05/26
第五部不機嫌亭漱石 1997/0828


昨日紹介した、鶴見と関川の対談(インタビュー)で、この漫画のことが出てきたので、ついでに引用しておく。このシリーズはほぼ刊行時にリアルタイムで読んだのだが、先日(と言ってもだいぶ前)、コミスタ神戸図書室(旧吾妻小学校図書室)に全巻揃っているの見つけて、借り出して再読したのだ。そのときのメモである。文章は全て関川のもの。

漱石を小説家たらしめたもののひとつはイギリス体験である。そしてもうひとつは開放的な家屋のなかに隠れ住んだ日本の「家」のしがらみである。西欧との戦い、家長としての束縛、この新旧ふたつの圧力と桎梏が二正面から漱石を苦しめ、それらから自由でありたいという強い希求が漱石の小説創作の根源的動機であった。
いまわれわれは家屋そのものと精神から縁側というものを完全に失い、同時に西欧文化への反発心をも失い果てている。これからは、なにが日本人の創作衝動をつきうごかすのだろうか。あるいはすでに薄暮色のあいまいな自由のなかで、精神の解放の必要すらも見失いつつあるということなのだろうか。日本社会は老い、日本文化はその洒脱さ軽快さとは裏腹に、ひたひたと寄せる没落の時期をわれ知らず迎えているのだろうか。(「歴史読本スペシャル」1986年6月号より)


四半世紀前に関川は日本の老いを嘆いているが、その後の彼の健筆ぶりからすると、これは一時的鬱病だったのかもしれない。

わたしはつねづね「坊っちゃん」ほど哀しい小説はないと考えていた。この作品が映像化されるときなぜこっけい味を主張に演出されるのか理解に苦しんでいた。そしてそれらの作品はことごとくわたしの期待を裏切って娯楽とはいいがたかった。同時に、明治がおだやかで叙情的な時代であるという通俗的でとおりいっぺんな解釈にもうんざりしていた。
明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。
ナショナリズム、徳目、人品、「恥を知る」など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ機能していた時代を描き出したいという強い欲望にも駆られた。
この作品は元漫画アクション編集部の鈴木明夫氏とともに発想、構築され、彼が移動で立去ったあとは秋山龍太郎氏がうけついだ。(第一部 あとがき)

Morris.は「坊っちゃんの時代」は好きだが、漱石の「坊っちゃん」にはそれほど惹かれなかった。(一番好きなのはもちろん「猫」\(^o^)/) 「哀しさ」もそれほど感じなかった。

日本は歴史上の衝撃として、なにがあろうとかわらない。たとえあの巨大な戦争によるすさまじい破壊によっても。
なにがあっても、とは多少大げさである。その隈として、戦争よりも近代の出発のありかたのほうがはるかに劇的ではないか、という考えがわたしの内部で起ちあがった。それは、ひろくは明治という時代そのもののことであり、せまくは日露戦争後から明治終焉までの数年間である。わたしたちの現にいまある考えかたや反応の原型を塑像したのはその時期ではないか。
近代以降、現在に至るまでをはるかにつらぬいて日本に恩恵を与え、同時に悩み苦しませてきたのは西欧文明であり、西欧文明とのつきあいのきしみである。よりありていにいえば、白人が東アジア人より美しいと見えたときに、日本のあるいはアジアの苦悩ははじまった。そしてその悩み、あるいはたんに居心地の悪さは、「戦後」からこちらに生きるわたしのなかにもあって、いまだに未整理である。(第二部あとがき)


「日露戦争」とその後の数年間に着目したことに、関川の「眼」の鋭さを感じる。

俗に大逆事件と呼ばれる天皇暗殺計画、またはある程度具体的な準備をともなった暗殺計画の夢想は、正確には「宮下・菅野・新村事件」、または宮下太吉が手投げ爆裂弾の製作と実験を行った地名から「明科(あかしな)事件」と呼ばれて妥当であろう。
明治政府首脳はたんなる未遂事件、あるいはそれにも至らぬ粗雑な暗殺計画を奇貨として、意図的に事件を拡大したのである。
日清・日露の戦間期に産業革命は進み、各地に「労働者」という大衆が生まれつつあった。しかし、未熟な日本の資本制は、その初期段階におけるひずみを急速に増して各地で労働争議を呼び込み、同時にそのような不合理と不平等を指弾する人々「主義者」を生んだ。明治三十年代にはいまだ社会主義と無政府主義の違いさえ明らかに認識されていなかったから、彼らは要するに、西欧社会科学の影響下に資本制と帝国主義の問題点に気づき、体制に非を鳴らした「憂国者」だった。
伊藤博文が暗殺された明治42年以降は、ほとんどただひとり生き残った「元老」山県有朋がその恐怖心をことさら強く抱いた。そして、そのような過剰な危機意識を体して、やはり過剰な防衛意識で事態に臨み、前代未聞の大量処刑を実行したのは、明治国家が40年かけて育て上げた官僚機構だった。(いわゆる「大逆事件」とその背景)


Morris.が小学生時の60年安保反対の人々も、ほとんど本質の理解の外での反対運動だったのではなかろうか。昭和の戦争に敗けた後も、日本人と日本国家は無責任ということで何の変化もなかったような気がする。

明治43(1910)8月24日、漱石は修善寺菊屋本店で大吐血をして危篤になった。正確にはこのとき30分ほど漱石は死んだのである。
死はなんらおそろしいものではなかったが、不可解な味わいをともなった特異な体験でもなかった。すなわち死は、本人にとって存在しないも同然であった。
「妻(さい)の説明を聞いた時余は死とはそれほど果敢ないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃めいた生死二面の対照の、如何にも急激でかつ没交渉なのに深く感じた」
死は救いにはならないのである。また人間は幽霊にさえなれそうもないのである。ようやく帰京して入院した漱石は、そのように思い当たっって、心細さとつまらなさとをともに味わった。
11月3日、漱石は大塚楠緒子の死を知った。
楠緒子は、「菫のように小さ」く美しい人だった。漱石の大学院時代以来、やがて楠緒子が漱石の友小屋保治と結婚してからも、ふたりの間にはあまりあわいが微妙な交感があった。いっそ恋愛と呼んでしまいたい交感である。彼女の影は『それから』や『門』そして『こころ』に濃く投影されている。その楠緒子が満三十五で死んだ。
漱石はともすれば無力に傾きがちな気分をなんとか変えて、つぎのような手向けの句をつくり、明治43年11月15日の日記にしるした。
「あるほどの菊抛げ入れよ棺の中」(『家はあれども帰るを得ず』収録('92年文藝春秋刊)


この菊の句は、漱石の句中、一番二番だと思う。漱石って究極のロマンチストだったのかも。

私はこの五部作で、ひと口にいって近代史の転換点そのものを主題とした。
明治という時代には、まずやむを得ざる欧化への衝動があり、防衛的民権主義と国民国家形成があわただしく行われた。そんな濃密な空気のもと、旧時代の道徳と新時代の思想の不整合に悩む青年たちが生き、世界と連動した経済とそれがもたらす消費生活に大きく揺れる人々がいた。そして日露戦争を頂点として重なりあい、やがて遠く分離していく国家的自我と国民的自我の裂け目に呑みこまれた不運なものたちがいた。しかるに、あるいは当然のことに、人々の日常はそれぞれにとってかえがたい喜びと悲しみとをのせて、たゆまずまわりつづけるのである。
鴎外の物語を除き、明治39年から明治43年をことさらに時の舞台として選んだのは、その日露戦争語の数年間こそ近代日本の転換点であったと見とおしたからだ。そしてこれ以後日本は1945年へとつづく鉄路の上を、はなやかにまた重々しく進みはじめるのである。(第五部あとがき)


あの時期に、漫画家との合作でこのような作品を残したということで、関川に羨望の念を覚える。



2019021
【日本人は何を捨ててきたのか】鶴見俊輔, 関川夏央 ★★★☆ 2011/08/10 筑摩書房
「思想家・鶴見俊輔の肉声」副題
鶴見俊輔 1922年東京生れ。哲学者。15歳で渡米。ハーバード大学で哲学を学ぶ。アナキスト容疑で逮捕されるが、留置場で論文を書き上げ1942年卒業。同年日米交換線で帰国。1946年「思想の科学」を丸山眞男、都留重人らと創刊。1965年、「ベトナムに平和を市民連合」を小田実、高畠通敏らと発足、社会運動にも携わる。2015年没

初出 第一章--未来潮流「哲学者・鶴見俊輔が語る 日本人は何を捨ててきたのか」(NHK教育)1997年3月15日放送。
第二章--2002年12月3日、4日 京都、徳正寺にて収録

鶴見 ジョージ・オーウェルのいった「ペイトリオティズム(patorism)」。この「ペイトリオティズム」というのは、ナショナリズムに対抗することになるんです。
関川 日本語に訳すと愛国主義? 愛郷主義?
鶴見 そう。郷土主義なんだね。
関川 湾岸戦争では郷土愛好者というロケットが飛んで行ったんですか。ペイトリオットという。
鶴見 あれはナショナリズムなんです。ペイトリオティズムというのは、むしろコンビニだね。


ナショナリズム(国家主義)を「愛国主義」と訳されることがあり、PatorismとNationalismを同じようなものと捉えることもあるが、両者の差異は峻別しなくてはならない。パトリオットミサイルというのは名前に偽りあり、ということになる。

鶴見 ジークムント・ノイマン(政治学者 1904-62)の『現代史』という本でも、ヒトラーに国盗りの方法を教えたのは満州事変(1931)だといっている。満州事変、つまり、石原莞爾たちなんだけど、その満州事変は、世界にひどいことを教えた。その意味だけでも、日本史はもう世界史から不可分になっている。


「日本史と世界史は不可分」これを常識にしておかねばならない。

鶴見 ミリアム・シルババーグは、カリフォルニアに住んでいる女性の中野重治研究家なんですが、彼女が中野重治を扱ったときの題は『チェンジング・ソング』(邦訳『中野重治とモダン・マルクス主義』)なんですね。転向論じゃないんだ。「チェンジング・ソング」。つまり、中野重治は必死になって状況と取り組んで、そのとき、そのときに見事な歌を歌った。その次代に働きかけるように歌を歌った。そういう視点なんです。「転向と抵抗」。この二つの側面から見れば転向なんだけど、別な側面から見れば抵抗。そこから。励ましの歌を受け取る人間が常に、中野重治にはいた。そういうんだね。
関川 そうか。転向は抵抗でもあり得るという考え」(第一章)


「転向」つまり日本では共産党主義からの転向で、「絶対悪」(共産主義側から見ると)みたいな捉え方されてきたが、そんなたんじゅんなものではないだろうと、Morris.もかねがね思ってきた。さまざまな要素を含んでいるし、かんたんに善悪で判断できないものでもあるということ。中野重治は気になる存在である。

鶴見 日本が、大きく変わったのは、やっぱり日露戦争でしょう。多くの血税を払ったことと、世界の大国になったという嘘の情報とがからんでしまった。だが、あのとき、指導者は本当に脳漿を絞り尽くした。たいへんな努力だったと思う。
関川 戦争をやめるためにも、すごい努力を払いましたね。
鶴見 高橋是清にしろ、小村寿太郎にしろ、児玉源太郎にしろ、大山巌にしろ、たいへんだった。ところが、その人たちの気運が、全然、誰にも伝わっていない。
抜け道がなかったんだ。高橋是清たちは悲惨なんだ。一生懸命、この国を建て直そうとして殺されるまでやった。偉い人たちです。
関川 満つれば欠くる、ということでしょうか。日露戦争、とくに日本海海戦は高すぎるピークでした。
鶴見 詩人の長田弘のことわざで、「成功は失敗のもと」というのがある。1905年、明治38年は、世界史の中で驚異的な成功なんですね。たいへんなことです。だが、その後に、結局、型ができた。それ以降、その型に合わせてやっていこうとなった。それからずっとでしょう。
関川 戦後も同じではなないですか。


長田弘はMorris.の好きな詩人の一人だがこのことわざ? はしらなかった。確かに日露戦争の成功(勝利?)が、「失敗のもと」だったと見れば、日本近現代史早わかりである(@_@)

鶴見 関川さんの漱石は、この1905年が出発点なんだよね。
関川 当初の発想はそこですね。坂の頂点からの下り道。
鶴見 山田風太郎みたいな感じなんだ。漱石は実際には行っていないが、森鴎外が中心の山県有朋の椿山荘での歌会のシーンもいいね。漱石はここで、山県有朋を、「坊っちゃん」が赴任することになる松山の中学校の校長にするんだね。野だいこは桂太郎。マドンナは平塚らいてう。井上眼科も出てくる。いまもあるよね。そこみた目を病んだ女、そういう幻の女を見て、彼女を兄の嫁でもあり、樋口一葉でもあり……理想の女性なんだ。明治以前の美徳を全部自分のなかに持っている女性。そして、彼女を、「坊っちゃん」のあのおばあさん、清という女性にするんだ、関川さんは。
結局、明治初期の残像のなかで、いまの日本を強引に含めてしまおうという作品でしょう。そのためには、漫画の方法は、たいへんに難しい漫画のテクニックを使ってやっている。すごい作品だと思う。どうして、こういうところまで来たのですか……。
関川 はあ……(笑)


鶴見が以前「がきデカ」を論じたことは知っていたが、「『坊っちゃん』の時代」もちゃんと読んでるわけで、しかも、その本質を読み取ってることにも感心した。作品の概説を作者である関川に披瀝するあたり(^_^;) この対話(インタビュー)の面白いところ。

鶴見 石橋湛山というのは、総理大臣になった人物のなかで、この百四十年の最高の人ですよ。
関川 でも二ヶ月しかやらなかったですね。
鶴見 辞め方がプラグマティックなんだね。たいへんになったら、パッと辞めたでしょう。あれが、偉いんですよ(笑)。
関川 石橋湛山が病気を治して首相を続けていたら、岸内閣は成立(1957)しなかったわけでしょう。
鶴見 そうです。
関川 としたら、いわゆる安保反対運動というのは別の展開をしたでしょうね。でも現実は反岸運動になっちゃったわけですね。

鶴見 石橋湛山にはユーモアがありますよ。昭和20年の正月、彼は思い立って伊仙神宮へ行ったんだ。秘書の大原万平だけを連れてね。伊勢神宮から出てきたとき、大原万平が、「社長、何を祈られましたか」といったら、「一日も早く日本が負けることを祈った」とね。大原万平の手記にある。そういう人です。戦中日本の理想の人。


石橋湛山という名前だけは知りながらも、ほとんど無縁の人と思っていた。戦後史の節目を作った人ということで、彼にも注目。

関川 宮部みゆきの『蒲生邸事件』に書かれた昭和11年の東京の市井は、とても懐かしく思われます。
鶴見 あの作品はいいところにいっている。平田という男がいるでしょう。時間を超える能力を持っているんだね。こっち側で生き続ける権利を自分で放棄する。そして、昭和20年の戦火のなかに没していって死んでしまう。それは自分の選択なんだ。人と人との細やかな関係があって、それhが選択の根拠になるんだ。宮部みゆきの傑作です。(第二章)

宮部も気になりながら読まずにいた作家である。この作品から読んでみようか。


2019020
【室町小歌】小野恭靖 ★★★ 2019/03/25 笠間書院 「コレクション日本歌人選:064」
室町小唄最後期の「隆達節」から50句を選んで解説したもの。

Morris.は「閑吟集」(永正15 1518)への愛着が深かったため、この「隆達節」への関心は低かったが、それなりに見るものがあることがわかった(^_^;)

高三隆達(たかさぶりゅうたつ)は大永7年(1527)-慶長16年(1611)。堺の町衆として生まれた。
隆達節が流行のピークにあったのは文禄・慶長年間(1592-1615)、「閑吟集」とは一世紀の時間差がある。

・面白の春雨や 花の散らぬほど降れ

・色々の草の名は多けれど 何ぞ忘れ草はの

・恨み恋しや 恨みしほどは来しものを

・つれなかれかし なかなかに つれなかれかし

・あら何ともなの うき世やの

・あたたうき世にあればこそ 人に恨みも 人の恨みも

・いかにせん いかにせんとぞ言はれける もの思ふ時の独り言には

・いつもみたいは 君と盃と春の初花

・縁さへあらばまたも廻り逢はうが 命に定めないほどに

・思ひ切らうやれ 忘れうやれ 添はぬ昔もありつるに

・帰る姿をみんと思へば 霧がの 朝霧が

・恋をさせたや鐘撞く人に 人の思ひを知らせばや

・笑止や うき世や 恨めしや 思ふ人には添はで添はでと思ふほどに

・ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ 柳は緑 花は紅

・夏衣我は偏(ひとへ)に思へども 人の心の裏やあるらん

・花よ月よと暮らせただ ほどはないものうき世は

・世の中は霰(あられ)よの 笹の葉のさらさらさつと降るよの

中世近世の歌謡曲だと思えばわかりやすい。演歌(艶歌)の源流ともいえるだろう。



2019019
【樽とタタン Tarte Tatin】中島京子★★★☆☆ 2018/02/20 新潮社 初出 「小説新潮」2016-17、「yom yom 」2011年5月号

喫茶店の赤い樽の中を自分の場所にしている女の子の回想という形で、店の常連たちのエピソードを綴ったオムニバス短編集。

「ところで、11月20日が何の日だか、ご存知ですか」
「23日は勤労感謝の日」
わたしは思わず樽の中から声を上げた。
ユミカワタネコはびっくりして樽を凝視したが、やがてその場の主導権を握り返し、
「ええ、でも、20日は何の日でしょう」
と、重ねて小説家にたずねた。
「じつは、『いいかんぶつの日』なんです」
「乾物?」
「乾物を干しものと書いた場合、干物の『干』の字が『十』と『一』で成り立ち、乾物の『乾』の字は『十』『日』『十』『乞』でできているので、組み合わせると『十一月二十日にかんぶつを乞う』と読むことができるため、この日は『いいかんぶつの日』となったのです」


ネットで調べたら、たしかに11月20日は「いいかんぶつの日」となっている。しかし、これは日本かんぶつ協会が2010年に制定したものらしい。物語の時代背景は女の子の回想ということで2010年以前の可能性が高い。ここらあたりにもに、中島の時空を混乱させる「仕掛け」があるのだろう。

あちらでもこちらでも人は逝き、残された者は何も知らないままに生きている。
それがわたしたちの現実だというのなら、たしかにそのような現実を我々は生きている。結局、残されたものに手渡される真実など、何ほどのものだろうか。記憶の記憶を手繰り寄せ、合間合間を想像と妄想で繋ぎ合わせて、わたしたちはわたしたちの物語を作っていくしかないのだとしたら。(「「はくい。なお」さんの一日」)


うーーん、中島京子節というか、このあたりの表現はうまいなあ。

「年ってものをとりゃなあ」
夜寝て朝になればね、というような口調で、祖母は言った。
「みんな、どうしたって死ぬんだで」
牛だって人だっておんなじことだ。もうすぐ、ばあちゃんにもお迎えが来るんだで。
祖母は、まだ、この世に生を受けて4年とか5年とかいった、人間としてスタート地点に立ってまもない孫に、ひたすら死について話し続けたのである。
「長いことないんだから、好きにさせてもらうべえ」
祖母はそういって、悠然とぶらんこを漕いだ。
「おれはなあ、死んだらそれっきりだと思ってる」
なぜ、そうした死生観を祖母が持つに至ったかはわからない。
おそらく、彼女が生きてきた中で、自ら学んだ何かだったのだろう。
「死んだら、ぱっと、電気が消えるみてえに、生きてたときのことがみんな消えるんじゃねえかなと、おれは思ってんだ」
「そのかわりによ」
祖母は、笑っているような、細い目をして、皺だらけの顔をこちらに向けて言う。
「死んだら、ここんところへ、ぴっと入ってくんだ」
ぴっと、と言って祖母は、自分の胸を指さした。
ぱっと死んで、ぴっと入ってくる。

祖母自身は、電気が消えるように命の炎を消したのかもしれないが、たしかにわたしの心の中に入り込んだ。わたしは心の中の祖母と会話することを覚えた。
祖母は、わたしが生涯で初めて持った死者だった。死者の思い出が生者の生を豊かにすることを、私は祖母を亡くしたとき初めて知ったのだった。(「ぱっと消えてぴっと入る」)


タイトルそのまま、人の死が「ぱっと消えてぴっと入る」なんて表現もすごい。

「なんだかわからないが、あれは新しいタイプの耳栓だね」
老小説家は学生さんを見送って、両手で耳の横にヘッドフォンを思わせる形を作ってみせて言った。
「いまにあれをみんなやるようになるぜ。大人から子供まで。形はあのまんまかどうかわからんがね。みんな耳に栓をして、自分の聞きたい音だけ聞くようになるんだ。仲良くなるのはお断りしますってね。アタシはそうなる前に死んじゃうことにしてるんだけどね」
老小説家の言っていたことは、半分以上当たったのかもしれない。(「町内会の野球チーム」)


Sonyのウォークマンの登場をリアルタイムで体験したMorris.である。たしかにイヤフォン=耳栓というのは納得できる。

「誰かを思って泣く孤独はいいものだ。それがいかに辛かろうといいものだ。孤独には二種類あって、誰かを思う孤独と、まるでそこになにもない無のような孤独があり、誰かを思う孤独は思う人の心の中に誰かが存在する分、厳密には孤独ではないとも言える。誰にも思われず、誰にも知られず、誰にも理解されないばやい、人は自分の存在すら疑うほどの孤独に直面する。そんなときに人を救うのは誰かを思う孤独である」
そう、バヤイが言ったように思うのだが、なぜそんなことを小学生に向かって言わねばならないのか、その必然性がわからない。


Morris.も「場合」を「ばやい」と発音することがたまにある。「誰かを思う孤独」というのは自分が孤独でないという証なのだろうか。

「恋ほど孤独なものはない。恋ほど豊かな孤独はない。いつかおまえも恋をするだろう。恋だけが、人から境界を奪う。恋だけが、階級も年齢も性別も、そして種別の壁も超える」

バヤイがバヤイの使った意味において、「サケウシの第一人者」だったとするならば、サケウシはバヤイとともに「誰にも知られていない」ということになる。それは「存在しない」とほぼ同じといえども、逆説的には、「存在する」ことにならないだろうか。だって、わたしはバヤイを知っているし、バヤイはサケウシを知っていた。
子供のころは、サケウシとはウミウシの一種だと思っていた。ウミウシの属する後鰓類(こうさいるい)は生物学上、多系統に属し、分類しづらい生物として考えられているようだ。
孤独について考えるとき、時々パヤイのことを思い出す。
パヤイとツルリとしたイボを持つ白いもののことを考える。
そうするとなんだか涙が出てきて、なにかが存在しないなんてけっして思えなくなる。(「バヤイの孤独」)


サケウシが何物なのか結局はっきりしなかったが、それはどうでもいいことだろう。

「アタシは前から知ってたんだ。おまえさんが双子だっていうのはさ。こんなちっちゃいときからだよ。タタン姉妹は双子だったんだから」
老小説家が嬉しそうに自説を開陳すると、奥のほうでバヤイが静かに異議をとなえた。
「タルト・タタンは19世紀にフランスのタタン姉妹が経営していたホテル・タタンの厨房で誕生したが、アップルパイを作ろうとして失敗したステファニーと、その妹カロリーヌのばやい、顔はそんなに似ていない。姉妹であるという記録はあるが、双子だったという記述はない」


本書のタイトル「樽とタタン」はtarte tatinというフランスの菓子の地口らしいが、甘いもの天敵のMorris.には無縁の世界のようだ。

「ほんとは?」
「いまのは全部、ほんとの話? それとも嘘?」
「なぜ、そんなことを聞くんだね」
「だって、そんなこと、いままで聞いたこともなかったんだもん」
「だって。そんなことを聞くんだね」
「だって。なんか、ほんとのことっぽいんだもの」
わたしたちは口々に老小説家にせまった。小説家は、嬉しそうにも、困り果てたようにも見えた。そして、一本指を立ててそれを口に当てた。
「さてさて、お嬢さん」
と、老小説家は言った。
「小説家に聞いちゃいけない質問が一つだけある。『それはほんとう? それとも嘘?』ってやつだ。これだけは、絶対に、聞いてはいけない。ほんとだよ。答えはまず返ってこない。さて、お爺さんは疲れたから、外で一服してくるよ」

赤い噂のある喫茶店で過ごしたわたしの幼少時代の物語はここで終わりになる。
あの店はもうないし、あそこにいた人々がどうしているのかもわからない。
とはいえ、わたしがこれを知っているというのは、ありがたいことだと思っている。
小説家には一つだけ、聞かれても答えなくていい質問がある。(「さもなきゃ死ぬかどっちか」)


中島京子、スキッ(^_^)

2019018
【決定版 日中戦争】波多野澄雄ほか  ★★★☆☆ 2018/11/20 新潮新書:788

日中戦争は近代日本の対外戦争の中で最も長く、全体の犠牲者の数は日米戦争を凌駕する。なぜ、開戦当初は誰も長期化するとは予想せず、「なんとなく」始まった戦争が、結果的に「ずるずると」日本を泥沼に引き込んでしまったのか。輪郭のはっきりしない「あの戦争」の全体像に、政治、外交、軍事、財政などさまざまな面から多角的に迫る。現代最高の歴史家たちが最新の知見に基づいて記す、日中戦争研究の決定版。(カバー袖書き)

明日の「敗戦の日」に合わせて、本書を読了。「先の戦争」が、どうしても「日米戦争」に重きをおいてイメージされるが、そもそもの始まりでもある日中戦争こそが、あの戦争の骨子でもあることを再認識しつつ読んだ。
日中戦争のアウトラインがよく解った(ような気がする)し、教えられるところも多かったが、特に松本崇(元内閣府事務次官、現国家公務員共済組合連合会理事長)が記した第七章は興味深かった。

第一章 日中戦争への道程 戸部良一
第二章 日中戦争の発端 戸部良一
第三章 上海戦と南京事件 庄司潤一郎
第四章 南京/重慶国民政府の抗日戦争 川島真
第五章 第二次上海事変と国際メディア 庄司潤一郎
第六章 「傀儡」政権とは何か--汪精衛政権を中心に 川島真
第七章 経済財政面から見た日中戦争 松本崇
第八章 日中センスと日米交渉--事実の「解決」とは? 波多野澄雄
第九章 カイロ宣言と戦後構想 川島真
第十章 終戦と日中戦争の収拾 波多野澄雄

 
「明治百五十年」の歴史は、隣国中国と安定した関係を築けなかった歴史でもある。この状態は今も続いている。このことを念頭に本書を味読していただければ幸いである。(はじめに 波多野澄雄)

事態(満州事変)が大きく動き出すのは、犬飼が五・一五事件(1932)で暗殺されてからである。満州国承認については、政府よりも議会やマス・メディアのほうが積極的であった。6月、衆議院は満場一致で満州国承認可決案を可決した。そして9月15日、日本は日満議定書を調印して満州国を正式に承認した。リットン調査団が現地調査を終え北京で報告書を作成した直後であり、それが公表される前であった。つまり、日本は国際連盟がどのような解決案を提示しようともそれには左右されないとの態度を表明したのである。(第一章)

1937年7月7日夜、豊台に駐屯する支那駐屯軍の第三大隊第八中隊が盧溝橋近辺の河原で夜間演習中、実弾を打ち込まれ、兵士が一名行方不明となった。行方不明の兵士は発見されたが、散発的に射撃があり、翌朝第三大隊は中国人が駐屯している宛平県城を攻撃した。その後、小規模の戦闘はあったが、9日には事実上の停戦状態となった。これが盧溝橋事件のあらましである。これが以後8年も続く日中戦争のきっかけになると予想した者はほとんど誰もいなかっただろう。
日本政府は7月11日、事件が中国側の計画的な武力抗日であると非難し、この軍事紛争を「北支事変」と命名するとともに、内地および朝鮮・満州からの増援軍隊派遣を決定した。(第二章)

日中戦の始点については、盧溝橋事件をはじめとして、廊坊・広安門事件による日本軍の総攻撃など華北に焦点が当てられてきたが、華北のみならず中国全土を戦場とする全面戦争への転換する契機となったのは、第二次上海事変であることは否定できない。

南京への爆撃は、上海に戦場を限定していた参謀本部の作戦計画を大幅に超えるものであった。結果的には、海軍による計画的な航空作戦の実施が、陸軍の南京追撃を容易にし、陸軍の下剋上と相俟って南京攻略へと拡大する一因ともなったのである。
さらに、日中両国共に戦争指導に一貫性を欠いていた。特に、蒋介石の上海及び南京の防衛戦における戦争指導の迷走は、重大な戦略的過ちであり、多くの人的損失をもたらした。結果として、戦争の長期化をもたらし、南京事件といった悲劇を生んだのであった。(第三章)

満州事変当時の日本経済は、不況の真っ只中にあった。不況の原因は1930年に無理な円高によって金解禁を強行した浜口内閣の井上準之助大蔵大臣の失政に求められる。
金解禁不況が直撃したのは、まずは都市部だったが、最終的に深刻な影響を受けたのは農村部だった。 そのような中、日露戦争で一定の権益を確保していた満州を、完全に日本の経済圏にしていくことで我が国の安全保障を確実なものにしようとの石原莞爾関東軍作戦主任参謀らの考えによって、満州事変が引き起こされた。満州事変に対しては無産政党がいち早く支持を表明し、それまで軍の満蒙での動きに批判的だったマスコミも支持に雪崩をうち、軍の宣伝機関化したような様相を呈した。

満州を我が国の勢力圏にするのには無理があると考えた人もいた。学者やジャーナリストでは石橋湛山、吉野作造、安岡正篤、清沢洌など、政治家では高橋是清といった人たちである。
欧米との関係が緊張する中、金解禁不況から日本経済を立ち直らせると同時に、財政面から軍部の暴走を押さえようとしたのが、犬養内閣で大蔵大臣になった高橋是清であった。
高橋と軍部の対立は、1936年2月20日に行われた衆議院総選挙で問われることになった。結果は、軍事費抑制・公債漸減方針の高橋を支持する民政党が躍進して第一党になった。ところが、その流れは選挙直後に起こった二・二六事件で高橋らが暗殺されたことで断ち切られてしまったのである。

二・二六事件の起こった1936年の我が国経済は絶好調で、だからこそ満州になけなしの資金をつぎ込むことにも大きな反発が生じなかったといえる。
当時の日本は1929年10月の米国株式市場の大暴落に始まった世界大恐慌の中でのブロック経済化の影響は受けつつも、高橋蔵相の経済財政運営のよろしきを得て絶好調だったのである。高橋財政の時代の実質経済成長率は7.2%、インフレ率は2%という理想的なものだった。そのような経済の好調をもたらしたのは、高橋による井上デフレ財政からの脱却と適正な為替レートの下での低金利政策だった。しかしながら人々は満州事変が経済の回復をもたらしたのだと思い込んでしまった。それ以前に、「日本には国家改造が必要だ」と叫ばれていたこともあり、金融緩和と為替下落のような政策は経済力を力強く回復させるとは考えられなかったのである。そのように誤解されたことが、高橋が暗殺されたあと、経済を圧迫する軍事費の膨張に歯止めがかからなくなる背景になった。

予算の急膨張をもたらす軍部の行動を多くの国民が支持したのは、それが「すぐに片付く」と思われていたからだった。1937年12月に上海から敗退する蒋介石軍を追って、国民政府の首都だった南京を日本軍が攻略すると、それを祝う大規模な提灯行列が行われた。敵の首都を陥れた以上、事変の集結も近いと期待されたからである。ところが、その後、蒋介石が首都を中国大陸奥地の重慶に移し、英米ソによる蒋介石支援体制が確立すると、日中戦争は長期戦の様相を呈し、泥沼化していったのである。

盧溝橋事件後の1937年9月には国民精神総動員運動が開始されたが、経済は一時的な軍需景気となり、世相からはそれまでの暗さが一掃されている。南京が陥落した1937年末の東京の年末商戦は「年の瀬レコードを破る」と報じられ、正月映画興行もこれまでにない賑わいをみせた。しかしながら、戦勝を見込んだ好景気は長続きせず、国民生活は日中戦争が泥沼化するに従って軍事費の圧迫から困窮していった。

1938年4月には国家総動員法が制定される。その状況を「持てる国とと持てざる国」という構図で理解することによって、国民生活の窮乏化をもっぱら英米の対日敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を高め、実は国民生活の困窮をもたらす最大の原因を作っている軍部をより一層支持するようになっていった。

米国と戦って実際に勝てると思っていたものは、軍人の中にもほとんどいなかった。満鉄調査部も1939年末の報告で、経済的視点から日米開戦の不利を指摘していた。
それなのになぜ我が国は勝ち目がない対英米戦争に突っ込んでいってしまったのであろうか。それは、欧州でドイツが勝利目前だという誤った情勢判断、それと中国大陸に権益をもたない米国の本格的な参戦はあり得ないとの誤った観測の二つがあったからだともされている。

敗戦までの日本人戦没者は310万人に上った。その過半を占めた陸軍戦死者165万人の約70%は飢餓によるものだったとされている。そういったことも、経済・財政面から見た日中戦争の一つの帰結であった。(第七章)

カイロ会談は、1943年11月にエジプトのカイロで開催された。アメリカのローズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蒋介石総統が一堂に会して、主に対日戦争の進め方、そして戦後の大きな方針について協議した。12月11日カイロ宣言が公表される。

「右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ1941年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満州、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ日本国ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本国ノ略奪シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラレルヘシ前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意を有ス」(カイロ宣言全文 外務省が同時代に訳した日本語テキスト)

サンフランシスコ講和会議は朝鮮戦争の最中、まさに東アジアに冷戦が形成されていこうとする過程で開催された。そのために、一度で全ての交戦国と戦争を終わらせる機会を日本は得られなかった。だからこそ、戦後処理や和解への道程は複雑化していくことになった。特に主たる戦場となった中国、また植民地支配を受けた朝鮮半島や台湾に戦後できた国やそこを統治した国々は、サンフランシスコ講和会議に参加しなかった。中国や朝鮮半島が分断国家になったことはいっそう日本の戦争や和解への対応を難しくしていったのである。(第九章)

(ポツダム宣言の受諾を拒否し、戦争を継続していたら)
おそらく1945年8月下旬ころ、「決号」(本土決戦)作戦計画が実行に移され、日本本土は沖縄と同様の戦場と化す。九州南部と関東平野に上陸した連合国軍は、水際防御陣地を突破し、日本軍と激戦を繰り広げながら、やがて東京に迫る。第三発目の原爆が投下され、山間部でゲリラ戦が展開される。輸送路は分断され、食糧や弾薬が底をつきる。本土と分断された外地軍はさらに混乱を極める。内外地とも、おそらく古代カルタゴの崩壊にも似た、絶望的な戦いが続く。皇居の守りは固められるが、やがて連合国軍の集中攻撃を浴び、天皇は三種の神器とともに松代大本営に移動する--。

日中戦争と日米戦争とは、事実上切り離されて収拾されることになった。こうした事態を如実に示しているのが「終戦の詔書」である。「終戦の詔書」は「開戦の詔書」に対応して作成され、日米(英)戦争の集結を天皇の名で内外に宣言したものであるが、日中戦争には全く言及されていない。中国大陸を舞台とした日中戦争、満州yた樺太・千島を舞台とした日ソ戦争は、8月15日以降も続いたのである。

賠償問題についても、中国は、すでに戦中から詳細な被害調査を行い、その金額も算定していた。日華平和条約では賠償を求めるものの、サンフランシスコ講和条約において米映が賠償放棄の立場を明らかにしていたことから、自発的に賠償請求権の放棄を日華平和条約の議定書で宣言した。つまり、中国は、国連創設に力をつくすなど戦勝国としての立場の確立に努めたが、内戦のなかで著しくその国際的地位を低下させ、戦犯や賠償問題で責任追及の先鋒に立ち得なかったのである。
一方、日本にとっては、そのことは日中戦争の責任という問題を正面から受け止める機会が失われ、中国との戦争の記憶が国民から遠ざかることを意味したのである。(第十章)

コメントは無しである。虚心にメモを読んでいただきたい。


2019017
【オーデュボンの祈り】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 2000/12/20 新潮ミステリー倶楽部 新潮社

伊坂のデビュー作で2003年には文庫化されている。Morris.はこれを読みそびれて2014年に読んだから、再読ということになる。引用が重複する部分もあるが、再読して改めてこの作品の価値がわかったような気がする。

話のつづきにはたいてい嘘が混じりはじめるものだと、これは「エイリアン2」という映画を一緒に観た後で、祖母が言った言葉だ。「詐欺師のやり方だよ。はじめのうちは正しいことを行って安心させて、それから相手を騙してやろうって話を大袈裟にして、つづきをくっつけちまうんだ。そういうのに騙されるんじゃないぞ。眉に唾だ。眉に唾」と言った。あの時の言い方からすると、彼女は「エイリアン」の方は現実の話だと信じていたのかもしれない。

僕たちはあちらこちらの動物を殺して、そうして生きている。ただ、それを誰もが忘れている。忘れられるように作られている。そういうシステムだ。
「一人の人間が生きていくのに、いったい何匹の、何頭の動物が死ぬんだ」桜の声は僕に答えを聞きたがっているようには聞こえなかった。「動物を食らって生きている。樹の皮を削って生きている。それでだ、そうまでして生きる価値のある人間は何人だ?」
僕は黙っている。
「ジャングルを這う蟻よりも価値のある人間は何人だ」
「分からない」
「ゼロだ」

人が生きるのにどれだけの動物が死んでいけばいいのか、人が生きていくためにはどれくらいの花が踏まれていけばいいのか、桜はそれが言いたくて人を撃つだけなのかもしれない。陳腐で言い古されてはいるが、とてもシンプルなその問いかけをしたいだけなのかもしれない。

嘘が嫌いだ、と公言する人間を僕はさほど信用していない。自分の人生をすっかり飲み込んでしまうくらいの巨大な嘘に巻かれて生きている人間の方がよほど幸せに思えるからだ。

「小説の中で事件が起きるんだ。人が殺されたりして。で、その名探偵が最後に事件を解決する。犯人は誰それだと言うんだ」
「当たっているのか、それは」
「というよりも彼が決定した犯人が犯人になるんだ。ただ、彼は犯罪そのものが起きるるのを防ぐことはできない」
小山田は少し黙ってから、「優午と似ているな」
「僕もそう思ったんだ」
犯罪を止めることはできない。しかし真相は指摘できる。僕がその探偵本人であったら、こう叫ぶだろう。「何の茶番なのだ」と。自分はいったいだれを救うのだろう。
名探偵は神様に近い存在だ、と静香は言った。馬鹿みたいだ、と。
彼らは小説上の世界より一つ上のレベルにいる作者や読者を救うために存在している。決して同じ世界の人間たちを救済するわけではない。

凡百のミステリー作品に対する強烈なアンチテーゼでもある。



2019016
【転換期の日本へ  「パックス ・ アメリカーナ」か「パックス ・ アジア」か】ジョン・W.ダワー, ガバン・マコーマック 秋 田川融、吉永ふさ子訳 ★★★☆☆☆ NHK出版新書:423
ジョン・W・ダワー 1938生れ
ガバン・マコーマック Gavan McConack 1937生れ。オーストラリア国立大学名誉教授。専門は東アジア現代史『属国-米国の抱擁とアジアでの孤立』『空虚な楽園-戦後日本の再検討』 共著『沖縄<怒>-日米への抵抗』

第一章 サンフランシスコ体制-その過去、現在、未来 ジョン・W・ダワー
第二章 属国-問題は「辺境」にあり ガバン・マコーマック
第三章 [対談] 東アジアの現在を歴史から考える

第二次世界大戦後の米国による日本占領以来、日本の指導者たちにとっては、ワシントン政策に黙々と従うことが得策であった。米国の歯止めのない核政策を支持 し、1972年の沖縄に対する日本の主導権回復も、同年の米中和解も、それから約20年後の冷戦の終結も、日本と対米従属を弱めることにはつながらなかった。
アジアにおける恒久平和をどうしたら達成できるのかとあらためて考えるとき、大失敗に終わった、大東亜共栄圏で頂点に達した大日本帝国時代のアジア新秩序建設 の構想は、今日、日本が音頭を取って新アジア共同体構想を強く提唱することにブレーキをかける。(序言)


「大東亜共栄圏」が現在の新アジア共同体構築の足枷になっているという皮肉。

片面講和という視点で見ると、サンフランシスコ講和は、日本をもっとも身近な近隣諸国から引き離す 排除のシステムを作り上げる土台を築いたことになる。
ソ連と日本は、1956年10月19日の共同宣言で外交関係を樹立したものの、両国は正式な平和条約を結んでおらず、日本と韓国は1965年6月22日の日韓 基本条約締結まで関係正常化を行っていなかった。日本と中華人民共和国との外交関係は1972年9月29日の共同声明まで回復されず、両国が平和友好条約を締 結したのはようやく1978年8月12日になってのことだった。(1-1 サンフランシスコ体制の歪な起源)


サンフランシスコ講和条約が日本を東アジアから孤立させ、対米従属の鎖となったという構図。

サンフランシスコ体制の、問題を孕んだ八つの遺産
1.沖縄と「二つの日本」
日本の政策立案者にとって、沖縄とその住民は捨て石にしてもよい取引のカードにすぎなかった。サンフランシスコ講和は、「寛大な」講和から沖縄を排除する政策 を定式化したものだ。基地被害、日米両政府に寄って制度化された、不透明で二枚舌を弄した偽善的な基地運営。国土の特定の領域を外国による広範な軍事使用に供 しておきながら、同時にその住民を二等の市民であるかのように扱ってきた、日本政府の恥ずべき行いの数々である。


「琉球処分」以来沖縄が被ってきた理不尽な仕打ち。

2.未解決の領土問題
日ソの正式な平和条約の締結阻止に一役買ったのは米国(ダレス国務長官)の恫喝だった。
1952年1月18日「李承晩ライン」(竹島(独島)を包摂)発令。
尖閣諸島は沖縄の一部として扱われ、1972年日本に返還。
領土問題の曖昧さは、米国が「アジアにおいて共産主義を封じ込めるうえで都合よく働く」ことが期待できるような中国に対して潜在的な「楔」を打ち込むための施 策。


これがダワーの強力な持論だわー(>_<)

3.米軍基地
基地の目的は1.アジア大陸、ロシアに近接した沿岸地域の軍事拠点 2.日本の軍国主義化の管理 3.安全保障
基地がひきつづき存在することで、将来の日本から米国の軍事政策やその実践に加わる以外の選択肢は失われる


八つの遺産というか八重の手枷足枷首枷である。

4.再軍備
結果的に改憲にいたらなくとも、「解釈改憲」などで軍隊の創出を阻止できたわけではない。だが同時に憲法は「自衛隊」の活動を制限するうえで十分な影響力をも ちつづけた。
再軍備は基地と同様に米国の戦術計画および戦略政策に日本をがんじがらめにする。また、日本軍がさきのせんそうで実際に行った侵略行為そのものを軽視し、否定 することに手を貸すものだ。


ここは重要。

5.「歴史問題」
再軍備を進めることは、いやおうなしに日本の犯罪行為と中国の被害者性を軽視させることになった。
東京裁判は日中、日韓関係に悪影響をおよぼすであろう残虐行為の事実を隠蔽した。
サンフランシスコ講和は、中国と韓国という、もっとも謝罪と償いを受けるべき国々を排除したばかりでなく、無理やり歴史を前へ進め、忘却を促した。
サンフランシスコ講和は、軍国主義活動の理由で占領中に追放され、戦争犯罪で逮捕された政治家や官僚の復活に路を開いた。1957年時点での日本の首相は岸信 介というかつての戦争犯罪者であった。その岸の首相在任時、1960年に安保条約は改定を見るのであった。そして2012年12月尖閣諸島危機が高まりを見せ るただなかに、岸の孫で右派として知られる安倍晋三が二度目の首相の座に就くと、彼はすぐさま愛国心を盛りあげ、祖父の世代に着せられた戦犯容疑にあらためて 挑戦することを宣言した。


・去年今年貫く棒のようなもの 高浜虚子 を連想してしまった(^_^;)

6.「核の傘」
核の「傘」論の詭弁や矛盾を整理するのは難しい作業だ。
マッカーサーは朝鮮戦争で34発の原爆を使用する計画を統合参謀本部へ提出した。
1954年のビキニ事件は戦後の日米関係を最大の危機に陥れた。1955年の半ばまでの水爆禁止の署名運動は数千万筆におよぶ署名を集め、日本ではじめての反 核組織が作られた。「核の傘」の支持者たちは、「核アレルギー」というレッテル貼りで対抗。同時に米国は日本じゅうで「核の平和利用」推進運動で、各軍拡競争 から世の注意をそらすことに成功。
核の傘の下で生きるということは、日本が秘密性や、二枚舌、米国の核政策への一途な追従といった問題を抱えることにもつながった。
1957年5月、岸首相は国会の委員会で「自衛力のため」であれば憲法は核兵器の保持を禁止していない。と発言した。
「抑止力」と言うところのものが、この兵器の標的となっている人々から見れば脅威を与え挑発的なものであるという、明白なことへの関心も失われていった


ノークリア(no-clear)なニュークリア(nuclear)

7.中国と日本の脱亜
福澤諭吉が用いた「脱亜」の契機となるのが1895年日清戦争で帝国主義の陣営に加わり、最初の植民地として台湾を手に入れた。
1895年から1945年までのあいだに、日本によって侵略されたとうい恥辱が中国国内で消えることはないだろう。他方一時的な征服者の傲慢さが日本から消え ることはなかった。
冷戦という時代の考え方は日中間の対立が長引くことを歓迎し、それを助長したのである。
歴史修正主義の多くは、それが海外からいかに否定的に見られているかということにはほとんど頓着せずに、日本国内の聴衆と有権者に向けられている。
日本と中国が1970年代以降、アジアの平和と発展のために協働すると誓ってきても、そして、いかに両国間の相互座用と経済的依存が巨大になろうとも、結局、 日本の指導者たちにとってもっとも重要性を持ってくるのは、緊密な日米関係の継続なのである。


こういうのをトラウマというのだろう。

8.「従属的独立」
日本がいまだに真の自律を欠いたままという事実、これこそ、サンフランシスコ体制のもっとも厄介な遺産であろう。
日本にとって平和と反映は、アメリカの戦争マシーンの歯車の一部になるというコストを払ってもたらされたのであり、そのマシーンは様々な時間と場所で平和を 保ってきたことも事実だが、しかし資源を浪費し、軍拡競争を促進し、核兵器の「先制使用」をちらつかせ、残虐行為に手を染め、朝鮮半島・インドシナ・イラク・ アフガニスタンで途方もない破壊と苦痛をももたらしてきたのである。
「普通の国」になるという扇動的なフレーズは、改憲と再軍備に対する制約を取り払うことに焦点をあてている。しかし、再軍備の加速が、真の独立と自立へ向かう 途になるという考えは欺瞞的だ。
サンフランシスコ体制の下で払ってきた代価は、通常認められている以上に高くついている。(1-2 問題を孕む八つの遺産)


ウソで固めたこの国土(>_<)

サンフランシスコ体制の産物である戦後日本という国家は、60年以上をへて、いわば米国の「属国」 になってしまった。日本という国家自体が、サンフランシスコ体制を乗り越えるための重大な障害ともなっている。

安倍政権は乗り越える気など、はなからないのだろう。

1951年来日した、ダレスの対日要求「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか? これが根本的問題である」
吉田茂首相は講和条約発効後も米軍が日本に残ることに、もともとは反対であった。しかし、「基地問題をめぐる最近の誤った論争」と昭和天皇に非難され、次第に 方向を変えた。ダレスの要求は満たされ、米軍駐留はいまだに続いている。
皮肉なことに米軍駐留と沖縄分離支配は、総理大臣の意見ではなく、かつて皇軍の大元帥であった昭和天皇の意志に沿って進められたのである。天皇はマッカーサー に「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」のもとで、沖縄の米軍占領を要請した。


天皇の戦争責任はもちろん、天皇の戦後責任も問われねばならない。

サンフランシスコ条約発効3年後の1955年、日本の国内政治は米国指導下で米国に従属的な体制に 落ち着いた。いわゆる「一九五五年体制」が自由民主党のもとで発足したのである。自民党には結成時からCIAの政治資金が流れつづけており、米国とい庇護者の 性格や体質を受け継いでいると言われる。1959年12月の砂川事件の判決において、最高裁大法廷裁判長は、安保条約に関係する訴訟は「高度に政治的」であ り、日本国家存立の基盤に関わるものであるから、司法の対象にならない、という判断を示した。まさに安保条約を憲法の上に置き、法律上の訴追から免除したので あった。米軍基地はこうして確固とした地盤を築き、砂川事件判決から一ヶ月経った1960年1月、安保条約改定の道を開いたのである。
1960年5月20日の未明、衆議院で野党不在のあいだに、安保条約は強行採決された。騒乱状態の最中、アイゼンハワー大統領は、日本国民の反感をより一層煽 ることは必至であるため、来日を取りやめ、岸信介首相は直ちに辞任した。この1960年の「大政治危機」の記憶を日米政府は忘れられず、国会や公式の場で日米 関係を論議、検討することを極力避けてきた。


憲法そのものからの「治外法権」(>_<)

横須賀は第七艦隊の母港で、佐世保は米海軍の日本における第二の重要施設である、青森県三沢と沖縄県嘉手納は米空軍の主要基地であり、海兵隊は沖縄県に、キャ ンプ・キンザー、キャンプ・瑞慶覧(ずけらん)、普天間基地、キャンプ・シュワブを餅、そして山口県岩国にも基地がある。東京上空は横田基地の米空軍が支配す る。日本中に住宅、病院、ホテル、学校、ゴルフコース(東京周辺だけでも二つ)など様々な米軍用施設が日本政府の莫大な補助金でまかなわれている。
1989年、海部俊樹政権は、米国の要望に沿って向こう10年で430兆円を大規模公共事業に充てることを決定した。1994年の村山富市政権の時には、それ は630兆円に膨れ上がった。国家財政にとっても地方財政にとっても、破滅的政策であることが、次第に明確になっていった。


首都圏上空の制空権が米軍に握られているという事実だけでも、言葉を失う。

2012年の衆議院選挙の時、主要政党は同盟に基づく日米関係を強化、深化させることで一致してい た。しかし、沖縄だけははっきりと違った。沖縄では、安保体制支持は約10%で、90%は日米政府が合意した取り決めを沖縄に強制することに反対であった。

沖縄独立論に肩入れしたくなる。

日本は、中国海軍が近海、特に大隅海峡と宮古海峡を通過することを快く思わない。中国の目には日本 が支配する長く延びる列島は、まるで万里の長城の海洋版に見える。また、今まで何もなかった南西諸島に軍を配備する動きは、中国として気にならないはずはな い。(2-1 サンフランシスコ体制が生んだ「根本的問題」)

日本列島が中国からは「海の万里の長城」に見えると言われればそのような(^_^;)

政府は、沖縄「返還」が「核抜き、本土並み」だと言い続けたが、実際には、基地の強化と米軍の核保 有を再確認するものであった。佐藤政権は米国に対し、核兵器を持たない、作らない、持ち込ませないといういわゆる非核三原則の三番目は見て見ぬふりをすること を伝えた。「返還」は日本が米国に莫大な金額を払い、継続的で自由な基地の使用を約束する「買い戻し」であった。1969年から2009年まで歴代政権は、国 会にも、国民にも、密約の存在や日米関係について嘘を言い続けてきた。

「非核三原則」という言葉はどこかに行ってしまった?(>_<)

沖縄県は大田知事時代終わってから初めて、基地は「沖縄振興を進める上で大きな障害」であり、「克 服すべき課題」であると公に宣言したのである。

基地は「悪」!!

2009年に誕生した鳩山政権の、自主的主権の回復、東アジア共同体構想、米国の市場中心経済政策 から距離を置く、官僚主導から政治を取り戻す、普天間基地を最低でも「県外」へ移設するという姿勢は沖縄県民を興奮させた。
しかし米国から前例のない非難と恫喝が政権に雨霰となって降り注いだのである。また取り巻きの政府高官たちのあいだには、対米従属主義があまりに深くまで食い 込んでいたので、上層部になればなるほど、彼らの忠誠心は鳩山首相ではなく、基本的に米国政府に向けられた。特に沖縄と普天間代替基地をめぐる米国の集中砲火 のような非難に対し、日本のメディアや政治関係者の反応は、米国に譲歩しろと鳩山に圧力をかけることだけだった。鳩山は、裏切り者とも言える信頼できない官僚 たちと、浅はかで無責任なメディアに追いつめられ、彼らに立ち向かうう勇気と明快な目標を欠いたまま、一年としないうちに辞任したのである。


今さらではあるが、あの時鳩山が身捨つる覚悟で邁進してくれていたら、とは見果てぬ夢だったのだろうか?

2013年、ホワイトハウスでオバマ大統領に冷ややかに迎えられた後、安倍晋三首相は日本の行動マニュアルを書く人々(ジャパンハンドラー)の前で、「リッチ (リチャード・アーミテージ)、ジョン(ジョン・ハマー)、マイク(マイケル・グリーン)」と呼びかけ、先の2012年の報告書の課題を間違いなく現実のもの とすることを保証し、「強い日本を取り戻します」「今も、これからも、(米国にとっての)二級国家にはなりません」と宣言した。60年前のダレスの「根本的問 題」に吉田茂が応じたように、属国はカムバックしたのだ。(2-2 沖縄-ないがしろにされ続ける民意)


한심[寒心]스럽다(ハンgシムスロプタ)という韓国語がある。「情けない、嘆かわしい、不甲斐ない」という意味である。

馬毛島は、鹿児島から約110km南に下った種子島の西之表市から12kmの沖合にあり、世界遺産 指定の屋久島から約40km北にある。サンフランシスコ体制の片隅で、戦後の馬毛島は、遠く離れた日本政府の無責任によって見放され、癒着や腐敗に翻弄されて きた。最近は米国軍事訓練施設にする話が浮上し、何やらきな臭いにおいも漂い始めている。
日本政府は、馬毛島に次々と投機的開発計画の波が押し寄せるのを知りつつ、故意に、あるいは共謀的に見て見ぬ振りをしてきた。この島が昔の面影をとどめないほ ど平らにならされ、日米の軍事関係者に都合が良いように基地用に整地された事実が一般の人々に明らかになったのは、2007年以降のことだった。沖縄の経験か らすると、政府の強い決意の前には、工事差し止め訴訟など、司法制度への働きかけは有効ではないことが示されている。(2-3 馬毛島-秘密裏に進む軍事基地計画)


国家的犯罪。

日本最西端の地・与那国島を含む八重山諸島は16世紀初めに征服されるまで、琉球王国の一部ではな かったし、1879年に沖縄県に編入されるまで日本国の領土ではなかった。
小泉首相が採用した地方分権、規制緩和などネオリベラリズム的な「変革」は与那国島のような小さな村に深刻な影響を与えた。
八重山地区の教科書採択問題に対する文科省の態度は、辺野古への基地移設計画で日本政府が見せた態度と同じく、法や民主的手続きを軽視する、きわめて粗雑なも のであることを見せつけた。教科書問題は、国境の島々に段階的に強化されつつある日米の軍事力配備と切り離せない関係がある。(2-4 八重山諸島、与那国島-四つの課題)

これまた非道い。

1879年に明治政府が琉球を沖縄県とし(琉球処分)、長い歴史をもつ琉球王国の「冊封制度」を廃 絶した時、中国は抗議し、日本1871年の日清修好条規の全面的修正を迫ったのである。日本はその見返りに琉球を二分し、宮古、八重山諸島は中国に譲渡すると 申し出た。中国はそれに対し、琉球を三分し、奄美諸島は明治政府へ、沖縄本島を含む沖縄諸島は独立王国とし、宮古、八重島など先島諸島は中国へ割譲する案を出 した。この案は結局採用されなかったが、当時の卓越した指導者であった李鴻章は、「琉球は中国領ではなく、日本領でもない、琉球は独立国だ」と述べたという。 それから130年以上が経ったが、中国政府が沖縄(琉球)の帰属について日本政府と合意したことはなく(ましてや尖閣諸島の)帰属は「未解決」だと抗議したの は、単にその歴史的事実を述べたにすぎない。

領土問題はアンタッチャブル(^_^;)

19世紀まで日本本土ではほとんど知られていなかった尖閣諸島が、今では、言うまでもない日本「固 有」の領土であるという日本国民のコンセンサスがある。「固有」という言葉は、1970年ごろ、南千島のいわゆる「北方領土」と呼ばれる島々の帰属を主張する 日本が、修辞の上でも日本の立場を補強するために作り出したと伝えられる。それが東アジア文化地域に広まり、日本、韓国、中国の領有権主張は譲歩が排除された 「絶対」的な装いをまとったものになってしまった。国境には絶対とか、神聖不可侵というものはないという近現代史の教訓の一つがかすんでしまったのである。

「固有の領土」なんてもともと無かった。

https://blog.goo.ne.jp/kafuka1955/e/15c737ed73dc9dcfa2877b42f4ee7d7e
「固有の領土」
よく聞く言葉ですが、不思議な日本語です。どういう英訳になるのだろうと思って検索しても、なかなかヒットしません。
でやっと見つけたのがこの言葉。「外務省はこう英訳している」とのことです。
an integral part of Japan's sovereign territory
「主権国家である日本にとってなくてはらないパート」「日本の主権が及ぶテリトリーのうち、なくてはならない一部」

沖縄県民の尖閣諸島への思いは、本土とははっきりと違う。沖縄は武力的解決に断固として反対する。 中国との長い友好的交流に思いを馳せて、「固有」の領土という言葉の代わりに沖縄を中心とした「生活圏」を語る。
国民国家を相対的に捉え、国境を越えた協力関係を作るという展望は尖閣諸島問題を解決する最良の道に聞こえるし、それは「パックス・アジア」つまりアジア共生 圏の誕生の兆しでもあるのだ。(2-5 尖閣(釣魚)諸島問題-五つの論争点)

二度と「本土の捨て石」になることなく沖縄が生き残るためには、冷戦期の米国の戦略におけるアジアの「要石」としての役割から、日本と近隣諸国の「架け橋」と なる道を見いださなければならない。「パックス・アジア」構想は、沖縄を「周縁」から「中心」に押し出す。

ジョージ・オーウェルの『1984年』の中に、真理省が「戦争は平和である」と述べた有名な箇所があるが、安倍首相が「積極的平和主義」に続いて、次は自衛隊 を「平和隊」と改称する日は遠くないと思われる。
沖縄は古から「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」という格言を伝え続けてきた。命こそ宝であり自分の命も他人様の命も大切であるという意味だ。琉球王国は、軍隊を 持たなかったのである。(2-7 「辺境」は「中心」へ)


「積極的平和主義」という言葉の胡散臭さったら(>_<)

以下は二人の対話、かと思ったのだが、実際に二人は別の場所にいて、メールによる往復書簡みたいなものの一部引用である。ダワーよりマコーマック発言が多くなった が、それだけ新鮮さを覚えたのだと思う。

マコーマック 1951年から52年にかけて形づくられたサンフランシスコ条約成立当時、米国は世界のGDPの約半分を占め、軍事力の面でも、圧倒的な支配力を持っていました。朝鮮半島 は戦争の渦中にあり、中国は内戦直後の分裂状態で、日本は戦後の疲弊困窮にあり、アジアの多くの国々では植民地体制がいぜん継続、あるいは今まさに崩壊しつつ ある、といった状況でした。今日、「サンフランシスコ体制」は中国問題であり、日本問題であり、朝鮮半島問題であり、米国問題なのです。
ダワー 今日でも米国の軍事戦略立案者の多くは、中国の台頭に応じるためには新たにハイテク化された「パックス・アメリカーナ」を創りだすのが好ましく、またそれが可能であると考 えています。それが論争を呼ぶ「エア・シー・バトル」という概念の本質です。エア・シー・バトルは、日本や韓国をはじめとするアジア諸国を、米国による全く新 たな段階の軍事能力と作戦に組み込むことを求めるものです。この政策を支持する人々は当然のことながらエア・シー・バトルを「抑止力」と言いますが、中国人は 脅威を与える新たな「対中封じ込め」政策と見ています。

マコーマック 米国は自分の息がかかっていないもの、あるいは米国支配が明瞭でない一切の「共同体」を極端に嫌う傾向があります。2009年に鳩山由紀夫が首相になり、東アジア共同体構 想や対米関係、対中関係について対等な交渉を求める声を挙げると、たちまち非難の嵐が襲いかかり、提案も鳩山自身も吹き飛ばされてしまったのです。
沖縄は、サンフランシスコ体制の負荷がもっとも重くのしかかったところですが、サンフランシスコ体制は今や、沖縄からもっとも直接的な挑戦を受けています。日 本の国土の0.6%の沖縄に在日米軍私設の3/4が集中しており、1945年以来、72年に日本復帰まで米国占領下に置かれてきました。復帰しても米軍基地は そのままで、沖縄をめぐるあらゆる制作が米国優先を前提にしてきたという事実が、沖縄の日常生活では避けられない現実です。沖縄に関する交渉記録が明かす日米 関係は、秘密外交、ウソ、脅かし、ごまかしに満ちたものです。興隆する大経済地域のほぼ完全な中心に位置しているにもかかわらず、沖縄にはアジア太平洋の安全 保障体制全体を担う軍事戦略上の要石としての役割が押しつけられ、事実上「周縁化された」のでした。そして、日米関係で保証されているはずの安全すら与えられ ず、基地は経済発展の障害となっています。沖縄こそ同盟を危うくしかねないアキレス腱なのです。沖縄の人々は「東アジア安全保障」体制によって、守られている どころか、脅威を感じています。

マコーマック ダワーさんの用いた「従属的独立」や私の「属国」という概念を別とすれば、このような日米関係の分析は、欧米の研究や報道には全く欠けています。サンフランシスコ体制の本 質は不平等です。日本にとってもっと悲劇的なのは、日本が世界二位の経済力を獲得し、冷戦が終わり、米国が経済、政治、軍事面、また道義性の面では特に信頼性 を失いつつある時になっても、米国はさらなる日本の従属と一体化を要求し、日本のエリートたちは要求に応えるために全力を尽くすということなのです。
私の「属国」という概念は、日本は形式的には独立した主権国家だが、自らの利益よりも他国の利益を優先する隷属的な状態を選択してきたという意味で用いていま した。
属国という用語は1970年代の傑出した保守政治家である後藤田正晴から拝借したものです。
日本は米国に従属すべきだと主張する人々がナショナリストを名乗り、他方で、日本の利益を米国のそれよりも優先させる人が「反日」でないかと疑われるといった 倒錯です。日本政治の機能麻痺の根っこには、このアイデンティティの危機があります。
ダワー まさに、1951年から52年にかけて日本が主権を回復した際に組み込まれた冷戦期安全保障体制の根深い遺産の一つがこれなのです。

マコーマック 日米の相互理解と尊重という言葉の裏には、米国政府のいわゆる日本専門家たち(ジャパン・ハンドラー)の対日蔑視があることに眼を向けてほしいのです。おかしなことに、戦 後日本の国家官僚は、日本の隷属性を深化拡大させるために働いてきたという事実があります。一つひとつの交渉で、より自主的な選択があったかもしれない時で も、彼らは反対の方向に動いたのです。

マコーマック 中国、南北朝鮮、ソ連を除外したサンフランシスコ講和は、実際に日本を近隣諸国から切り離し、そのため何十年ものあいだ、日本の指導者たちは、それらの国々と和平をむすぶ ために努力する必要などないと思ってしまったのでしょう。

ダワー Googleで英語の"Jpanese textbooks contrversy"(日本の教科書論争)、"Japanese war crimes"(日本の戦争犯罪)、"Japanese comfort women"(日本の慰安婦)、"right-wing revisionism in Japan"(日本における右翼修正主義)、"rape of Nanking"(南京大虐殺)、"Unit 731"(七三一部隊)、"visists to Yasukuni shrine"(靖国神社参拝)といった言葉を検索すると、膨大な数の検索結果が出ます。私が見た限りでは、すべてのコメントが批判的と言ってよいものです。安倍晋三のよ うに際立って保守的な政治家と、自民党内で彼を支持する一団、志を同じくする新国家主義者たちが、謝罪を根底から蝕み、戦争の記憶を愛国主義的な歴史運動に利 用しようと絶えず画策していることが、このような批判につながる原因です。

マコーマック 朝鮮戦争は夥しい残虐行為の修羅場でした。朝鮮戦争でのもっとも凶悪な行為の多くはいわゆる「国連」軍が関与したものでした。空爆による死者は少なくとも300万人か 400万人で、そのうち少なくとも200万人は北朝鮮市民でした。

マコーマック 拉致が重大犯罪であるということは言うまでもありません。しかし、かつて日本や韓国の政府の手で実行された拉致と搾取が、北朝鮮の拉致とそれほど異なるものではないという 事実も考慮に入れて問題を見た方が良いと思います。
ダワー 拉致が人道に対する罪であることには私も同感です。しかし、この拉致と言う犯罪も、帝国日本の手によってもたらされた、朝鮮人労働者と「慰安婦」に対する計り知れない苦難 の前では影が薄くなります。

マコーマック 2002年の小泉首相訪朝の折には、日本は植民地支配を謝罪し、北朝鮮は拉致行為を謝罪したのです。その後、和解から国交正常化への道を歩むはずでした。しかし、その逆に 日朝関係は悪化してしまいました。北朝鮮の拉致対応は十分ではなく不誠実だという非難の声が日本を埋め尽くしたのです。拉致や核に対する日本の憤慨は当然のこ とでしたが、右派の政治目的のために非常に誇張されたものでもあったのです。

マコーマック 憲法第九条は、時代の先をゆく条項でした。それによって1945年以降、日本人が戦場で誰一人として殺さず、また誰ひとりとして殺されなかったことを誇るべきだと思いま す。
日本は、非軍事化と平和を目標とする一般的な目標と、歴史上最強の軍事大国との同盟に依存し、軍事大国の戦争と核兵器を支持する行動とのあいだで引き裂かれて います。核兵器の犠牲となった国であるのにもかかわらず、日本は米国の「拡大抑止」の「傘」にきわめて強く執着しているようです。

マコーマック 沖縄は市民による非暴力の政治抗議運動が行われている並外れた実例です。島ぐるみの運動は、中国と米国という二つの大国による東シナ海のさらなる軍事化が進むことを防いで います。
沖縄の人々が、憲法に定められた平和、民主主義、主権在民の原則に熱心であるのとは対照的に、東京の「属国」政府が憲法の原則に傲岸不遜で冷淡だというのは民 主主義の生きた教訓ではないでしょうか。この逆さまの世界では、東京やワシントンにいて大国の立場から「民主主義」や「価値の共有」を支持する人たちが、現実 の生き生きとした草の根の民主主義を忌避し、無力化し、抹殺する方法を見つけようと躍起になっています。

ダワー 「台湾」は、中国自身が解決しなければならない問題です。そして、北京と台湾双方は何十年もかけて建設的な方向へ歩んできました。中台衝突という最悪のシナリオを鼓吹する ことは、私がエア・シー・バトル構想について論じたように、この地域における米国の封じ込め政策の強化を正当化することに他なりません。そのような行為は、不 信と軍事的緊張を高めるばかりです。

ダワー アジアにおける権力のより公平な再編、そして、より民主的な社会としての中国の将来像に関するマコーマックさんの楽観主義は人を引きつけるものです。しかし、安定した 「パックス・アジア」を成し遂げ維持することは、とても難しいものとなるでしょう。マコーマックさん自身も承知しておられるように、「米国排除型」と呼ばれる 選択肢は現実的ではありません--そして、ここで「パックス・アジア」という用語について考えることが有用かもしれません。米国それ自体、「アジア」国家では ありません。しかし、「太平洋」国家であるということについては、その正当性は確かにありますし、なおアジア太平洋の巨人でもあります。将来の「パックス・ア ジア」における権力の中心は、中国、日本、米国を含めた三頭体制になるでしょう。しかし、アメリカの属国としての日本が、果たして創造的で新たな他国間秩序づ くりにあたり、実際問題として真に独立した国として、創造的な政治手腕を発揮する役割を担えるかどうかという問題が持ち上がります。
私たちは「東アジア共同体」へ向けて曖昧な構想を提起した鳩山内閣の身に降りかかった悲惨な有様を実例として見てしまいました。ワシントンも、そして東京の政 官界のエリートも、この東アジア共同体構想を一顧だにせず拒否しました。


本書を読んだのは数ヶ月前だ。メモ取ったまま、手付かずになっていた。ダワーの持論には共感できるところ多いが、これまで知らずにいたマコーマックの日本論には刺 激されるものがあった。


2019015
【サブマリン】伊坂幸太郎 ★★★☆  2016/03/30 講談社
04年刊行「チルドレン」に登場した家裁調査官・陣内と武藤が活躍する物語。

小山田俊の母は早口だった。小柄で、美人に分類される顔立ちだが、思いついたことをさばさばと口にする八面玲瓏な雰囲気で、どこかいいようにあしらわれている気分になる。

「八面玲瓏」なんて熟語は使ったことがない。「八面六臂」ならお馴染みだが、大辞林によると「どこから見ても美しく鮮明なこと」とあった。

「これ、チャールズ・ミンガスのライブなんだけれど。ミンガスはベースでこのバンドのリーダー。サックスが4人、トランペットが一人」永瀬さんが説明する。
「アドリブ合戦なんだ。ジャズはもともとそういう側面がある。これは特にすごい。一人ずつソロを取っていくけれど」
そして4人目だ。
出だしの音がそれまでとは違い、くっきりとし、張りがあり、綺麗な音だと思うがすぐに痙攣気味の音がはじまる。癇癪を起こした人が頭を掻き毟る姿を想像する。が、不快感はない。メロディアスな旋律がまざるからか、頭を掻き毟っていたのは、笑う少年であったように思えた。ほどなく機関車が汽笛を鳴らす家のような音が、地中から噴き出すのにも似た力強さで、聞こえ出した。
咆哮だ。巨人の嗚咽のようだ。それから鳥の鳴き声さながらの可愛らしいメロディが顔を出した後、びりびりと痙攣した音が続き、またしても生き物の鳴き声じみた叫びに変わる。
歌いながら、雄叫びを上げている。もはや、サックスの音だとは思えなかった。動物があらん限りの声で叫んでいる。息は永遠には続かないはずであるのに、永遠に鳴っているかのようだ。音がかすれはじめ、そらに滲んだ飛行機雲同様、薄くなっていく。が、消えない。掻き消えそうでいて、微かな、超音波じみた音は鳴っており、そこからいつ息を補充したのか分からぬが、また音が大きくなりはじめ、僕の胸をつかんでくる。
音は、雲の中にふわっと姿を消す。
その奏者の演奏が終わった。
瞬間、歓声が沸き上がるのが聞こえた。拍手と共に、その場にいた者たちの熱狂が響き渡る。僕もまさにその場にいた気分だ。手を叩くことも、立ち上がることもなかったが、内心では快哉を叫んでいた。
「ほかの人の演奏も最高だけれど、、今の、ラサーン・ローランド・カークのは、圧倒的だ」
「カークさん?」
「生れてすぐ、事故で盲目になって。生まれながらという話もあるみたいだけれど」永瀬さんは穏やかに微笑む。

「自分の演奏の評価は、ソロが終わった後に分かる。観客からの拍手と歓声で、だ。他の共演者に勝ったかどうか、そのジャッジは観客の反応でしか分からない。ローランド・カークは全力で演奏を終えた後、それを待つ。お世辞の拍手はすぐに分かる。正直な監修の評価がすぐに跳ね返ってくるわけだ」
「よし勝った! ローランド・カークは心で拳を強く握ったんじゃねえか。あのライブ、あの場にいたかったよな。ほかのミュージシャンもみんな、いい。ジョージ・ムーア、ジョン・ハンディ、チャールズ・マクファーソン、ただ、そんな中で、ローランド・カークは圧勝だった。あの瞬間、ローランド・カークは勝った」


デビュー作「オーデュボンの祈り」ではボブ・ディランが取り上げられていたが、このジャズ・ライブの描写もなかなかのものだった。ローランド・カークは名前しか知らなかったが、これだけ褒めてあると聴きたくなってしまう。たぶん「ミンガスアットカーネギーホール」というライブのことだろうと思う。You Tubeでチェックしてみた。たしかにすごい演奏だが、Morris.には歯が立たない(^_^;)


*巻末に挙げられた参考文献

「ぼくたちにはミンガスが必要なんだ」植草甚一スクラップブック14
「ローランド・カーク伝」ジョン・クルース 林建紀訳
「ミンガス 自伝・敗け犬の下で」チャールズ・ミンガス 稲葉紀雄・黒田晶子訳
「ミンガス/ミンガス2つの伝説」ジャネット・コールマン&アル・ヤング 川嶋文丸訳


凶悪事件として騒がれ、怪物出現の如くニュースで取り上げられ、今すぐ業火に焼かれるべきだと罵られる加害者も、対面してみると、ごく普通の少年だった、ということは、少なくない。ごく普通の、境遇に恵まれなかったり、規範意識を失っていたりはするものの、異常とは言い難い少年たちだ。器質的な問題なのか、明らかにこちらの常識や倫理観や、物事の優先順位が通じない相手もいるが、それは少数だ。

「事故ったら、でしょ。事故になるってきめつけないでよ」
「いや、事故らなくても罪になる」僕は言う。
「あのな。みんな、事故にならないと思って事故を起こしてんだよ。クリフォード・ブラウンもダイアナ妃もな。まさか事故るとは思っていなかった。エドワード・スミスもそうだっての」
「陣内さん、最後のは誰ですか」
「タイタニックの船長だよ」

「自動車ってのはすごいな」
「え」
「考えてみろよ、自動車を発明した奴もまさかこんなに人の命を奪うとは思ってもいなかっただろ。今まで世界で何人が車の事故に遭ってるんだよ」
ああ、と僕はぼんやりと答える。自動車に罪はない。ただ、交通事故が作り出した悲劇は数知れないだろう。加害者も被害者も人生の道筋が大きく狂ってしまう。同意する気持ちもある一方で、そのことで自動車の存在を否定する気持ちにもなれない。破壊を目的として作られた兵器とは異なるものだ。
「自動車のおかげで受ける恩恵も大きい。自動車がなかったら、今のような社会は成り立っていない。今のような社会になるような必要があるのか、と主張する人間もいるかもしれないが、自動車がなかったら、もっと大勢が命を落としている可能性もあるはずだ」


最近頻繁に取り上げられる交通死亡事故も、仔細に見ていけば一つ一つ事情が違うだろう。自動車社会の功罪は相半ばすると思うが、たしかに、現代社会で自動車の占める位置は大きい。その中で、自動車運転免許取らずに一生を終えるのは、一種の贅沢なのかもしれない。

おまえ、麻雀知ってるか?」陣内さんは組んでいた足を伸ばし、まっすぐ座り直す。「知らなくてもいいけどな、麻雀は4人でやる。でな、俺たちはな、見えない相手にずっと麻雀の勝負をしているよなもんだ。最初に13枚の牌を配られて、それがどんなに悪くても、そいつで上がりを目指すしかない。運がいい奴はどんどんい牌が来るだろうし、悪けりゃ、クズみたいなツモばっかりだ。ついてない、だとか、やってられるか、だとか言ってもな、途中でやめるわけにはいかねえんだ、どう考えても高得点にはならない場合もある。けどな、できるかぎり悪くない手を目指すほかないんだよ」

「敵は相当、強えからな。一人で戦うのは厳しいんだよ。
その敵たちには、「運命」や「社会」や「不公平」といった名前がついているのだろうか。僕たちは、それらと生れた時から戦っている。麻雀は、ベストを尽くしても勝てるとは限らない。将棋や囲碁とはまた異なり、実力以上の運が求められる。真面目に丁寧に手を進めても、「そんなでたらめな」という打ち方をする相手にやられることもある。

Morris.は麻雀とも無縁なので、トランプの大貧民(大富豪ともいう)ゲームに置き換えて読んだのだが、共感を覚えるとともに、Morris.は「戦っていない」という現実を再確認させられてしまった(;;)

「枝豆と大豆って同じだと知ってましたか?」と若者がチラシを配っていたのだ。「収穫時期が違うんだよね」といいながら永瀬さんが受け取ったため、ビラ配りの男も嬉しそうに、「その通りです!」とこえを弾ませた。

「枝豆と大豆」なるほど。名前が違ってて本体が同じもの、他にもいろいろありそうだ……

わざとやってる人は同情したくないんですよね。
わざとやる人、自覚的に罪を犯す人もいれば、偶然、自分でも思いもよらぬ理由で、若しくは止むを得ない事情で事件に関わる人もいる。すべてをいっしょくたにできず、さらに言えば、「わざとかどうか」の区別もまた難しい。
加害者は自業自得なんだから、生きにくくて当然だろう。
そういった声が聞こえてくる。
世間という曖昧模糊としたものから発せられる架空の声、過去に耳にした実際の言葉、もしくは僕自身の声だ。
自業自得という気分はあるはずだ。
ただ。
ただ、でも。
そう思う気持ちはあった。


「自己責任」を他人から押し付けられるときの、やり場のなさみたいな??


2019014
【上を向いてアルコール】小田嶋隆 ★★★ 2918/03/04 ミシマ社
「元アル中」コラムニストの告白と副題にある。
小田嶋が一時期アル中だったことは、コラムでもちょこちょこ書いてるので、知らないではなかったが、こういった本を書けるまでに回復したということだろう。
Morris.も一時的に、アル中寸前だったので、今更ながら身につまされてしまった。

・アル中という病名で直接に死ぬ例っていうのは、実はあんまりありません。だいたい肝硬変とか、大腿骨頭壊死とか、そういう言い方で新聞報道されますね。美空ひばりさんの大腿骨頭壊死は、事実上アル中の別名みたいなもんでしょう。私もあのまま飲んでいたら、50手前くらいで肝臓とかでどうにかなっていた可能性があると思います。

Morris.もあのまま飲み続けていたら(いや、今でも飲んではいるんだけど(^_^;))危なかったなあ。

・飲むときの気分は「どうせオレはもうじき死ぬんだから飲むんだ」みたいな、そういうフィクションの中で飲む。いろいろ上手くいかなかったり、こまったことがあるのも、「まあどうせ長い命じゃない」と先送りしちゃうみたいなものの考えかたですよね。
それは私がわりと若いころから持っていた考え方で、いろんなことが困ってくると、「別にそれは長生きするやつが悩む話であって」というふうに考える習慣が身についていました。


これもMorris.のパターンだった。何しろ「人世五十年」を本気で信じ込んでたので、ともかく残り少ない人生だということで、なにも考えずに飲んでた。

・先生の言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。「アル中さんっていうのは、旅行に行くのでも、テレビを観るのでも、あるいは音楽を聴くのでも、全部酒ありきなんだ」と。だから、音楽を楽しんでいるつもりなのかもしれないけど、酒の肴として音楽を愛している。そういうところを改めなくてはならないから、これは、飲まないで聴く音楽の楽しみ方を自分で考えないといけないよ、みたいなことを言われました。

酒に飲まれるというか、酒なしだと何をやっても物足りないみたいな……

・自分の暮し方だとか生き方についてその都度その場面に沿ったカタチで考えることがとにかく大嫌いだったから。要するに、ある種人工的だったり習慣的だったりする指針に従うほうが本人としては楽だったということです。酒を飲むという行為は、そういう立案を嫌う人間が依存しやすい生き方だと思います。いろんなときに「ま、とにかく飲んじゃおうよ」というのがいいプランに見えたんだと思うんですね。私にかぎらず人間は「人生を単純化したい」というかなり強烈な欲望を抱いています。たとえば念仏とかも、単純化の極みじゃないですか。「南無阿弥陀仏」と言っておけばいんんだ、往生するんだ。
素敵じゃないですか。


かなり、開き直った物言いだが、Morris.もこの手の考え方に引っ張られがちである。

・今二十代の連中は、ケータイの通話料だとかパソコン関連のプロバイダ料金やら各種の会員手数料みたいな、その他の電子的コミュニケーションに対して、月々でだいたい2万円ぐらいの固定費を支出している。それってわれわれが二十代だったころには一円もかかっていなかったお金です。これはもちろんおカネだけの問題じゃなくて、むしろそのたいして生産性のないコミュニケーションに費やしている時間と精神的な労力がとんでもないんではないかと私は思っています。
若い人たちにしてみれば、全員がやっているから抜けられないという状況があるんだと思います。

・コミュニケーションって不可逆的なものだから、これが増えていくってことはけっこうコワいことです。昔に戻るわけにもいかないし。
一度手に入れちゃったら戻れないでしょ?

・コミュニケーションのツールやプラットフォームを押さえた企業は、現実に21世紀の世界を支配しつつあります。ツールとしてのコンピュータそのものをつくっている企業ではなくて、コミュニケーションを仲介している管理売春の親玉みたいな企業が、すべての利益を独占しつつあるわけです。やばいですよね。
アルコール依存に代わる、新たな脅威としての、コミュニケーション依存ですよね


アル中よりこわいコミ中(>_<)


2019013
【料理研究家がうちでやっているラクして楽しむ台所術】林幸子 ★★★ 2018/05/15 サンマーク出版
手抜きを売り物にした料理本は、最近のトレンド(^_^;)らしいが、本書は、何となくMorris.向きな気がした。

・榧(かや)のまな板は最高。碁盤に使われる榧材は木目が詰んでいて、油分をたっぷり含んでいるので、刃のあとが残りにくく、ニオイ移りも少ない。榧以外でも、銀杏や楊もまな板に適している。
・まな板は基本的に水洗いで充分。魚の汚れは水、肉はお湯で洗う。洗い終わったら、水気を霧、すぐベランダなど屋外で天日干し。

Morris.は安物の木製まな板をずっと使っているが、榧のまな板は高そうなので、銀杏か楊のものを手に入れたくなった。

・ビニール袋の閉じ方
1.袋の空気を抜く。
2.袋の下部から回転させてねじり上半分を固い紐状にする。
3.人指し指をひもの部分にからめてひもを一回転させる。
4.一回転させた部分に紐状になった部分を入れて留める。

ビニール袋も前からよく使っている。この結び方も真似してみよう。

・冷凍ご飯。広げたラップに湯気を飛ばしたごはんをふわっとおいてそのままラップでふんわり包んで密封。ぺちゃんこにしたり空気を抜いて包むのはよくない。冷凍用の小分けは炊きあがりに。

冷凍ご飯もずっとやってたが、これまでずっとぺちゃんこにしてた。試してみたらたしかにふんわり包む方がよさそうだ。

・即席海苔巻き。海苔の上にごはんをのせ、生ハム、ツナマヨ、佃煮、漬け物でも塩気の強い食材なら何でもご飯に合う。

・スーパーでは、まずは肉・魚売り場に直行。メイン献立を決めてから野菜を合わせる。

・薄切り肉で茹でた人参やほうれん草、アスパラガスを巻いて焼き、輪切りにして断面を見せる。

・ちょこっと掃除
・お湯を沸かしている間に、レンジまわりや調理台の汚れをちょこっと拭く
・お米を洗ってセットした時に、炊飯器を締めたら、さっと拭く
・炒めものが終わったら、暖かいうちにレンジまわりをさっと拭く

いろいろ書いてあるが、一つ二つでも身につけばいいと思う。


2019012
【大学4年間の経営学が10時間でざっと学べる】高橋伸夫 ★★★ 2016/09/16 KADOKAWA
高橋伸夫 1967年北海道生まれ。東京大学大学院経済学部教授。「できる社員は「やり過ごす」」「組織力」「経営学で考える」

「経済音痴」のMorris.なのに、時々興味を覚えて、ノウハウ本みたいなのに手を出すことがる。結果は惨敗(>_<) だけど……
本書は「経済学」の中の「経営学」という、いよいよもってMorris.とは縁遠いジャンルだが、それなりに面白い部分(^_^;)もあった。

人間は合理性に限界があるから組織を作って生活しているのですね。楽器でも自転車でも、熟練の陰にルーチンあり。実は、経営の現場での意思決定も、組織やルーチンと言ったツールを駆使して行われているわけです。なにしろ人間の合理性には限界があるので……(2-01 限定された合理性)

「人間は合理性に限界があるから組織を作って生活している」というのはなかなか深い言葉であるな。

いろいろな会社の親会社になっていて、自らはあまり事業らしい事業をしていないような会社は特殊会社と呼ばれます。実は、日本は戦後1947年に独占禁止法ができてから1997年までの間、同法で、特殊会社は禁止されてきました。戦前の財閥本社は特殊会社でしたからね。特殊会社禁止で財閥解体を狙ったのでしょうが、先進国で禁止されていたのは、日本だけでした。
1997年に特殊会社が解禁され、今や日本でも特殊会社は大流行りです。○○ホールディングス(HD)と名乗る会社の多いこと。(3-02特殊会社)


やっと「ホールディングス」の正体がわかったような気がする(^_^;)

それまで誰もが、光の三原色で「赤+緑+青=白」だと思いこんでいました。それを「赤+緑=黄」なので、「黄+青=白」、つまり青色LEDと黄色に発光する蛍光体だけで白色にしたのです。LED3色ではなく青色LEDだけで済む低電力の白色LEDはカラー液晶携帯電話のバックライトとして爆発的に売れ始めます。(10-02 資源ベース理論)

経営とは関係なさそうな、この部分が、一番興味深かった。LED、すごい!!

[STP]
Segmentation(市場細分化) 年齢、性別、職業、婚姻、所得、家族数、教育水準といった人口統計的な細分化。住居地域や就業・就学地域といった地理的な細分化。
Taregeting(ターゲットの絞り込み) 一つのセグメント(たとえば「東京都区部に住む女子の大学生」)に対象を絞るなどが基本。大手自動車メーカーになると、各所得層に合わせた価格帯の車種を提供していて、複数のセグメントを対象にすることもある。
Positioning(ターゲットのニーズに適合するように位置づける) たとえば「東京都区部に住む女子の大学生」というセグメントにターゲッティングした場合でも、低価格帯か高価格帯か、機能性かファッション性か、商品の位置づけはまったく変わってくる。(12-01 STP)


[4つのPのマーケッティングミックス]
Product(製品) 多様性・品質・デザイン・特徴・ブランド・パッケージング・サイズ・サービス・保証・返品
Price(価格) 標準価格・割引・許容度・支払期限・信用取引条件
Promotion(プロモーション) 販売促進・広告・販売力・広報/宣伝・直接販売
Place(流通) チャネル・流通範囲・品揃え・立地・在庫・輸送(12-02 マーケティング・ミックス)


1950年にアメリカの統計学者デミングが来日し、統計的品質管理のセミナー、指導を行う。1952年には日本科学技術連盟が各工場に現場の品質管理活動を自主的に行うQCサークルの設置を呼びかけます。1980年代、この日本独特の品質管理は世界的に高く評価されるようになりました。(16-02 全社的品質管理)


デミングというのは、Morris.でも名前聞き覚えあるし、工場などの看板にQCという文字を眼にすることが多い。デミング理論が日本にフィットしたということか。

最新と称する学説を自信満々に語り、合わないデータが出てくると「現実が間違っている」などと開き直り、「理論的に正しい選択」をできるように愚かな大衆を指導するべきだなどと主張する偉そうな人間(本当にたくさんいます)の言うことを信じてはいけません。そもそもの段階で、その学説は間違っているわけですから。一歩引いて、落ち着いて考える心の余裕が必要です。(あとがき)


かなり自身に満ちた発言である。



2019011
【散歩が楽しくなる樹の手帳】岩谷美苗 ★★★☆ 2018/05/22 東京書籍
岩谷美苗 1967年島根県生れ。東京学芸大学探検部。森林インストラクター、MPO法人樹木整体研究会理事。「街の木のキモチ」「街の木ウォッチング~オモシロ樹木に会いに行こう」ブログ「街の木コレクション」

草花や園芸植物一般を好むMorris.だが、いまだに、樹木に関しては親しめずにいる。これまでにも、樹木事典や、参考書を見たのだが、なかなか埒が明かない。
本書は、初心者向けで、趣味的なところもありそうなので、ちょっと期待したのだが、あまりMorris.に裨益するものではなかったようだ。それでも、いくつか、覚えとけば良さそうな豆知識もあったので、ランダムに引用しておく。

コナラ[小楢] Oak 冬芽は上から見たら五角形。薪炭や椎茸のホダ木として利用。
イヌビワ[犬枇杷] クワ科、イチジクの仲間。嚢中に花を咲かせるのがイチジク属の特徴。犬枇杷小蜂がいないと受粉できない。
エゴノキ[野茉莉] Jpanese Snowbell 轆轤木。
オニグルミ[鬼胡桃] Japanese Walnut 殻は精密機器の研磨剤やスタッドレスタイヤに利用。
クサギ[臭木] シソ科、萼が赤く、実は青という派手さ。ジャスミンに似た優しい花。
ケンポナシ[玄圃梨] クロウメモドキ科、食べるのは果柄。Jpanese Raisin Tree
ハンノキ[榛の木] 稲架木(はさぎ)として利用。
ユーカリ[按樹] Eucalyptus ユーカリの仲間は600種。
コブシ[辛夷] 花にはおまけの葉が一枚付く。実が拳のような形をしているからコブシ。
ヒノキ[檜] 葉の裏の白い気孔、形がYなら檜、Hなら椹(サワラ)「ヒワイなヒノキ、サワラないでエッチ」と覚える(^_^;)
カヤ[榧] 緑の実の中からアーモンドのような種(カヤの実)。
スダジイ[すだ椎] 実はどんぐりの中では一番美味しい、いわゆる椎の実。
ユズリハ[譲葉] 春に新しい葉が出ると、後を追うように古い葉を落とすことから命名。
ヒサカキ[姫榊] 雄花は塩ラーメンの匂い。
イチイ[一位] 高官が持つ笏をこの木で作ったことから官位の「一位」と命名。実の赤い部分(仮種皮)は甘く食べられるが、中の黒い種はアルカロイドのタキシンを含み有毒。
イヌツゲ[犬柘植] ランダムに伸びる枝がトピアリーを作るのに利用される。
カイヅカイブキ[貝塚息吹] Dragon Juniper 柏槇(ビャクシン)の栽培品種。
ヒメシャラ[姫沙羅] ツバキ科 日本原産。特徴のある実。
ニシキギ[錦木] Spindle Tree 若い枝に一が十字に出ているような特異な形状。
モッコク[木斛] 庭木の王(女王)とも呼ばれる。江戸五木(赤松、糸檜葉、犬槇、榧、木斛)。「ア、イイカモ」と覚えるといいかも。
カナメモチ[要黐] バラ科 Red Robin 一面に同じ花を咲かせるのは不自然なことなので無理が生じ、管理には農薬などお金も手間もかかります。単一野菜の大量生産も同様のリスクがある。
アカメガシワ[赤芽柏] 新芽が赤く柏のように食べ物を葉の上に載せたことから命名。
シンジュ[神樹] 庭漆(ニワウルシ) Tree of Heaven 神樹蚕(シンジュサン)を飼育するため中国から移入。
シマトネリコ[島十練子] 沖縄の木。




2019010
【独居老人スタイル】都築響一 ★★★ 2013/12/10 筑摩書房

いま、世の中でいちばん情けない種族は「独居老人」ということになっている。いっしょに住んでくれる家族もなく、伴侶もなく、近所づきあいもなく、食事は3食コンビニ弁当、最後は孤独死したまま気づかれず、残った部屋はゴミ屋敷……みたいな。
「独居老人」を英語に訳すのは不可能だ。「single-living elderly people」とか直訳しても、ぜんぜんニュアンスは伝わらない。なぜなら「独居」が哀れなもの、という思想そのものが、欧米にはないのだから。
あえて独居老人でいること。そして、あえて空気を読まないこと。それは縮みゆく、老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効な生存のスタイルかもしれないのだ。(まえがき)

Morris.もいちばん情けない種族に属する(^_^;)
紹介されるのは以下の16人。Morris.が名前知ってたのは秋山祐徳太子と川崎ゆきおの二人だけだった。

秋山祐徳太子 アーティスト 片付けるってのは、消極的なことですよ。
首くくり拷象 アクショニスト 早く壁にぶち当たりたいんです。
鈴木惇子 スナック・ママ タバコと寿司屋と焼肉屋があれば、どこでもいいの!
美濃瓢吾 画家 絵描きになるには毎日、家に居ればいいんだ。
水原和美 輸入用品雑貨店経営 同年代の友達なんて、つまんないからひとりもいない!
田村修司 本宮映画劇場館主 手伝ってくれるひとなんて、だれもいないんだよ。
戸谷誠 画家 絵は病気なんですよ、つい飲んでしまうように、つい描いてしまう。
ダダカン アーティスト/ハプナー なんにもしないでいられたら、それでいいんです。
荻野ユキ子 早稲田松竹映画劇場お掃除担当 退屈しないよ、頭の中が休んでるヒマないからね。
新太郎 流し やめちゃうのは学があるからだよ、学問がないから続いているの、それだけ。
礒村遜比古 は蔵居酒屋いそむら主人 24時間ぜんぶ、自分のために使えるやん。
川崎ゆきお 漫画家 電子書籍は野菜を直販するようなもんや、きたないけど売ってるんやもん。
プッチャリン 道化師 歩くって、止まるのが少ないって書くんです。
板東三奈鶴 日本舞踊家 彼氏はいるわよ、飲み友達ね。
三代目長谷川栄八郎 津軽三味線奏者/民謡歌手 台本なんかいらねえ、ぶっつけ本番でやっちゃうもん。
川上四郎 日曜画家 ようするに好きなんだね、女性が。

1951年3月生れ、まだ61歳の川崎さんを「老人」と呼んでしまうのはあまりに失礼だろうが、市井の賢人ともいうべきその超俗的日常は、すでに独居老人としてのマイクロ・ニルヴァーナに到達してしまった解脱者の風格に満ちている。
川崎ゆきおさんの現在の活動の大半は、ネット上で展開されている。「川崎サイト」というポータルのなかに「日誌」「小説」「漫画」「エッセイ」「フォトログ」「猟奇王の風景」「電子書籍」など、いくつものセクションがあり、それぞれに膨大な量の漫画や写真、文章が収められている。……これだけ精力的に、しかもネット時代の最初期から発信し続けている漫画家が、ほかにいるだろうか。(川崎ゆきお 漫画家)


いかにも「ガロ」っぽい漫画家で、猟奇王シリーズはなんとなく記憶に残っていた。大阪在住(塚口付近?)らしい。

いかに生きるか、なんていちども考えたことないけれど、いかに死ぬか、はときどき考えてみる。
戦前が40歳代、戦後すぐが50歳代、昭和30年代でようやく60歳代だった平均寿命も、いまや女性が86.41歳、男性が79.94歳。世界有数の超高齢者国家となったいまの日本で、「どう老いるか」「どう死ぬか」は、「どうやって若さを保つか」よりも、はるかに切実な問題かもしれない。
けっきょく「老いと戦うこと」に意味なんかないのだろう。だれも「死」を出し抜くことはできないのだし。それよりも「世間の思う老いかたと戦うこと」のほうがずっと重要なのだと、僕が会ってきたじいさま・ばあさまたちはみんな、身をもって教えてくれている気がする。(あとがき)

本気で「人世五十年」と思い込んで生きてきたMorris.も、今年で七十。二十年も生き過ぎたことになる。いつまで生きるものやら(^_^;) 見当がつかないが、死ぬまで「独居老人」を全うしたい。



2019009
【祝葬】久坂部羊 ★★★☆ 2018/02/13 講談社 初出「メフィスト」2009-2017

癌治療方針、長寿の是非など、久坂部がこれまでもとりあげてきた問題を、信州の医師の家系、土岐一族四代を巡る、5つの挿話にまとめたもの。

--ミンナ死ヌノダ
騏一郎の書き込みが脳裏をかすめる。まぎれもない事実だけれど、だれもが深く向き合わない事実。
私が病院勤務をやめた理由は、開業医なら高度な医療はできない代わりに、害のある医療もしなくてすむからだ。病院を去るとき、私はひとり胸中で虚しくつぶやいた。
--医療さえしなければ、医療の弊害は免れる。(「ミンナ死ヌノダ」)


哲学も宗教も文学もつまるところ、「死」という避けられない事実を、人間が認識したことからはじまるのだろう。

人生における幸せとは何だろう。
ある人は、"微分"と言い、ある人は"積分"と言う。
微分とは、曲線における接線の動き。人生を曲線で表したなら、日々の接線の傾きが、その日の幸福度ということになる。
積分とは、曲線が座標軸との間に囲む面積。一生涯の幸福の量は、日々の幸福度の総和ということだ。どれほど幸福な日があっても、長続きしなければ、幸福の量は少ない。逆に大きな不幸があっても、早く立ち直ればまた幸福もやってくる。
しかし、得てして、幸福は長続きせず、不幸はいつまでも去らない。


「微分積分」というのは言葉だけはお馴染みだがその意味するところはまったく理解できずにいた。上記の引用でなんとなく分かったような気がするが、要するに結果重視と経過重視の違いみたいなものかな。

医療はやればやるほどよい。それが冬司の信念だ。
いや、どんな医療でもよいわけではない。正当な医学的根拠に基づく医療でなければならない。当たり前と思われるかもしれないが、世の中には根拠のないまやかしの医療もあるのだ。
冬司から岡谷市に新しくできた「十条クリニック」の話を聞かされたとき、信じられない思いだった。"がん免疫強化療法"と称して、とんでもないインチキ治療をやっていたのだ。
そのクリニックでは、まず患者の血液から免疫細胞のリンパ球を取り出し、二週間ほどかけて千倍に培養し、ふたたび患者にもどして、がんを攻撃させるという治療をやっていた。自分の免疫細胞だから、拒絶反応もなく、副作用もまったくないというのがウリらしい。
「机上の空論だ。効果などあるはずがない」
冬司は十条クリニックの宣伝チラシを見て、言下に否定した。


この療法は、最近のニュースでも取り上げられてた、再生キラーT細胞とうり二つである。

わたしは最後の最後まで、希望を捨てずに闘った冬司を誇りに思う。
彼の言葉を思い出す。
--手術が終わった直後は、患者はがんが取り除かれたと思える。それに勝る喜びはない。生きる希望が与えられるのだから。
そう。希望の御旗は、まちがいなく絶対正義なのだ。(「希望の御旗」)


ブラックユーモアである。「生命より健康が大事」というのに似ている。

ふたたび大口を開けて泣きじゃくる。感情失禁だ。脳の機能障害の一種で、感情のコントロールが失われるため、些細なことで通常ではあり得ない反応をしてしまうのだ。
今度は顔を皺だらけにして笑い出す。こちらもつられて頬が緩む。信介はそれを見て、さらに身をよじって「アハハハハ」と笑う。笑いの感情失禁だ。


「失禁」というと、いわゆる「お漏らし」を連想してしまうが、「感情失禁」という言葉には意表を突かれた。
「怒りは短い狂気である Ira  furor  brevis  est.(イーラフロウブレビスエスト)」というのは、ローマの詩人ホラティウスの言葉らしいが、怒りというのは、そのまま「感情失禁」ぢゃ(>_<)

私は記憶の中の若い彼に、言い訳がましく抗弁した。
窓の外は夕闇が迫り、木々が徐々に深いシルエットに包まれる。電車は走り、一日は終わり、一年もやがて過ぎる。そして、人生もいつか終わるだろう。私は憂鬱な気分で自問した。三十七歳は早すぎて、百十四歳が生きすぎであるのなら、いったい何歳で死ねばいいのか。
それは意味のない問いだ。
葬式を祝福しようと、長寿を忌避しようと、結局は同じことだ。患者はよりよい長生きを求め、医療者はよりよい医療でそれに応えようとする。その結果、皮肉にも忌まわしい長寿を作り出した。けれど、早すぎる死を免れた人もいるはずだ。両方に目を向けなければ、望ましい最期はむずかしい。
だが、果たしてそれで、思い通りの死に方ができるのか。
私は考えることに疲れ、放心した。
人は誰しも、ただ一度だけ、自分の死を死ぬ以外にはない。(「忌寿」)


最期に置かれた近未来メルヘン?の一節。前に引用した「ミンナ死ヌノダ」の変奏でもある。久坂部の生死観の乾いた虚無主義にはついつい共感を覚える。


2019008
【小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代】阿古真理 ★★★★ 2015/05/20 新潮新書617
阿古真理 1968年兵庫県生れ。作家・生活史研究科。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に「昭和の洋食 平成のカフェ飯」「昭和育ちのおいしい記憶」「「和食」って何?」など。

多くの人が故郷から都会へ集まった高度成長期には、九州なまりのおふくろさんキャラで人気を博した江上トミ、皆が憧れるセレブリティの女性を見た目でも体現し、西洋料理が得意の深田深雪がいた。
主婦層が分厚くなり、新米主婦たちの料理の腕が危ぶまれ始めた高度成長期の後半になると、伝統的な家庭料理を教える土井勝や辰巳浜子が人気を集める。1970~80年代になるとロシア貴族の妻だった入江麻木や、パリのコルドンブルー仕込みの城戸崎愛がレシピを提供した。
働く女性の時代に支持を集めたのは、それまでの料理の常識をくつがえすような時短料理を考え出した小林カツ代である。平成の時代になると、数千レシピを提供する栗原はるみがカリスマ的な支持を集める。
料理研究家を語ることは、時代を語ることである。家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。(まえがき)


Morris.は結構料理本読むのは好きな方だと思う。本書に登場する料理家も大部分がおなじみさん(おしまいあたりは知らない名前が多いが)だ。
それにしても、着眼点の良さ、料理への向き合い方、特徴の捉え方、時代との関連付け、文章の歯切れの良さ……ちょっと意表を突かれてしまった。

主婦たちの動揺は、江上の時代にくり広げられた三度の主婦論争に表れている。1955~59年の第一次は主婦は外で働くべきか否かが、1060~61年の第二次は家事労働の経済的価値について、1972年の第三次は主婦役割の正当化が主題である。
この時期、急速に失われていったのが、地域とともにあった暮らしである。
世の中は急速に資本主義経済に呑み込まれた。田舎から都会へ集まってきた人たちは、地域と切り離された国内移民だった。お金がなければ生活できない時代が始まっていた。


江上トミ、懐かしい名前である。
あの当時の集団就職を「国内移民」と規定するあたり、鋭いし、「金がなければ生活できない時代」の始まりというのも正鵠を射ている。

サラダは進駐軍によってもたらされ、流通環境が整備された高度成長期に広まった料理である。1970年に出た飯田深雪の「サラダ」では、サラダの役割から解説をおこなっているが、その10年後にはもう日常の料理となり、いかに斬新な切り口で提案するかが企画の勝負となっている。今も現役で活躍する料理研究家、城戸崎愛の時代になり、西洋からの直訳ではなく独自のアレンジを加えた西洋料理が定着し始めたのである。(第一章 憧れの西洋料理)

サラダというのは、戦後の日本の家庭料理に大きな位置を占める西洋料理の前座として登場しながら、しっかり脇役を務めることになったということだろうか。

1973年のオイルショックで不況が始まり、既婚女性も働く必要が出てきたことも背景にある。企業側には別の理由があった。
大多数の企業は人件費節約のために既婚女性の活用を進めた。パートである。
まず、人員削減が行われた。真っ先にその対象になったのは、女性である。1975年、既婚女性の専業主婦率は史上最大。既婚の正社員がリストラされて雇われたのが、パートタイマーである。それまで、主婦のパートは正社員とは異なる単純労働が中心だった。しかしこのとき以降、正社員と同じ責任を負わされるのに給料は安く、社会保険などの保障がないパートタイマーが増加していく。


安倍内閣による派遣労働拡大、海外労働者導入の先駆けぢゃ(>_<)

小林カツ代の代表作ともなった肉じゃがの作り方。
1.じゃがいもは大きめの一口大に切り、たまねぎは縦半分に切ってから1cm幅に切る。
2.牛薄切り肉を食べやすい大きさに切る。
3.鍋にサラダ油を熱して、牛肉と玉ねぎを炒め、肉の色が変わったら、肉をめがけて砂糖・みりん・醤油を次々に加えて強めの火で煮る。
4.肉にしっかり味がついたらじゃがいもを加え、水をひたひたになるまで注ぎ、ふたをして強めの中火で約10分間煮る。途中一度ふたを開け、大きく混ぜる。じゃがいもがやわらかくなっていたら完成。

この作り方が、どう常識を変えたのか。使っているのはこれまで煮ものに使われた深鍋でなく、浅鍋である。(番組では朝鍋よりさらに火の回りが速い鉄のフライパンを使っている)。強めの火で煮続けるところも違う。ふだんから時短料理を提案している小林だからこそ、火の回りをよくする調理法を選び、短時間に煮ものを完成できた。


Morris.にとっても小林カツ代は力強い味方だった。肉じゃがひとつで、彼女の特徴と特長をすっきり説明できるのも著者の実力である。

小林がこだわるのが、鉄のフライパンだ。理由は五つ。
「強火が得意」「料理をランクアップさせる」「体にいい」「長く使える」「手入れが簡単」。小林は可能な限り鉄のフライパンを使い続けた。数千円の出費で「一生モノと言ってもいいくらい」長く使える。(第二章 小林カツ代の革命)


Morris.の持ってる鉄のフライパンはちょっと小さめである。量が多いメニューは中華鍋中心で、それほど不便はないが、ここまで言われるとまともな鉄のフライパンも買いたくなってしまう(^_^;)

栗原レシピは、生活という裏づけのあるノンフィクションなのである。そのことは、同時に編集者などの求めに応じて、シチュエーションに合わせた料理を考え提案する従来の仕事への批判ともなっている。

小林は、西洋料理、中華料理、日本料理とジャンル分けされた料理を外で食べてきたベースがある。対して栗原は、実家で和食を、結婚相手の家で洋食をと、食べてきたものが家庭料理中心だったため、ジャンルにこだわりがなかったと思われる。

栗原のビーフシチュー(「ごちそうさま~」から)
1.牛肩ロース肉は塩・こしょうをふり、小麦粉をまぶしてサラダ油で焼く。
2.肉を取り出した鍋に、バターを溶かし、たまねぎの薄切りを入れて15分ほど中火で炒める。
3.たまねぎが色づいたら小麦粉をふり入れ、弱火で炒める
4.赤わいんを注ぎ、手早く混ぜて小麦粉を溶かす。
5.煮立ったら肉を戻して固形スープ、トマトピュレ、とんかつソース、はちみつ、ローリエ、水を加えてアクをとり、ふたをして1~2時間煮る。
6.一口大に切ったじゃがいも、たまねぎ、にんじんを加えて煮、柔らかくなったら塩・こしょうで調味する。

手づくりにこだわる料理研究家の常識に挑戦し、ハードルが高いビーフシチューを万人のものにしたい。レシピ本で異例のミリオンセラーとなった要因は、レシピの民主化にあった。小林が起こした家庭料理の革命を、栗原はるみは完成させたのである。


タイトルにもある小林カツ代と栗原はるみが、著者にとっても思い入れのある二人なのだろう。Morris.は小林派だったこともあって、栗原の料理本はあまり読んでない。ただ、本棚に一冊ある栗原本が「おいしいね・電子レンジ」である(^_^;)

簡単な料理をつくるのは、案外難しい。経験が浅い人ほど、手の込んだ料理をつくろうとする。素材一つ二つで、味つけ、切り方、調理法をアレンジし、ささっとおいしいものをつくる人は経験が長い。素材や料理法の特徴を把握しているからである。(第三章 カリスマの栗原はるみ)

うーーん、なるほど。

和食にある和えものは、野菜を味噌や酢、ごま、ナッツなどで合えるもので、油や塩などでつくったドレッシングで和える西洋のサラダに対応するものだと私は考えている。ただしその和え衣の種類がサラダより多く、発想の豊かさがある。
すっかり日本に定着し独自の進化を遂げつつあるサラダは、和えものと言っていた昔と姿を変えているかもしれないが、今も日本人が好きな料理の一つである。(第四章 和食指導の系譜)

先にとりあげたサラダが、日本の和え物文化のアレンジだった、という種明かし(@_@)

アマチュアの時代なのだ。誰でも気軽に情報を収集し、発信する。タダの情報、お手軽なノウハウがもてはやされ、体系化したり背景を掘り下げるプロの仕事は目立たなくなってしまった。そういう時代をもたらしたのは、インターネットである。料理の情報もインターネットでたくさん発信される。人気のレシピ投稿サイトの「クックパッド」は、レシピ本まで発行している。

クックパッドの普及は画期的だったが、大きな本屋に行けば料理本コーナーは拡充を続けているようだ。

個人的な実感だが、フライパンは鉄製を使うほうが、落としぶたは木のほうが、つくった料理はおいしくなる。もしかすると、マスメディアで紹介される当面の手軽さを優先させたつくり方は、かえって読者・視聴者に料理嫌いをふやしていないだろうか。(第五章 平成「男子」の料理研究家)

こういった辛口批評も適所に入れてるあたりも、憎い心配り。

料理とともに人生がある人たちは、食べることが好きな人である。料理から、人に教えられるほど多くを学び取ることができる人は、感受性が豊かである。教えることを通して、食べる喜び、つくる幸せをより多くの人と分かち合える人は、懐の深さを持つ。人生経験の幅がその人を料理研究家たらしめている。

Morris.の場合人生が料理ではないが、暮らしの中で料理はかなりの大きな部分を占めてるような気がする。スローフードなんて言葉しらないころから、結構時間かかってたもんな(^_^;)

昭和の時代は、ベテラン主婦が料理研究家になった。来客の多い家庭にいた人はより有利だった。より多くの現場を体験していることが、レシピの骨格を支えるからである。
平成になって家族の規模は小さくなり、頻繁に来客がある家庭は少なくなった。替わって最近目立つのは、プロとして料理を提供してきた経験を持つ人である。


考えてみればMorris.は高校卒業して今日までの半世紀、家族料理とは無縁だった。

「料理=高山なおみ」の中で、高山は時折ドキッとするような言葉を挟む。
「お手本とする料理をよそから持ってきて、高いところにおいていませんか? 心からおいしいと感じる味はみなちがうのだから、いろいろあっていいんです」
「レシピは料理家のものじゃなく、生活をしているみんなのもの。毎日食べるごはんがおいしすぎるのは、体にも気持ちにも、毒だという気がします」
料理は、体と心を養う毎日のもの。人と人を結びつけたり、ときには離れさせたりもするコミュニケーションの道具でもある。情報に振り回されていたら、季節や自分の体調、一緒に食べる人に合わせてつくる本来の目的から遠のいてしまいかねない。(エピローグ--プロが教える料理 高山なおみ)


高山なおみは未知の人である。でも、どうもMorris.とは合わない気がする。

実生活上での利点もあった。料理の起訴を再発見し、発想が広がった。何より、彼女・彼たちの真摯で膨大な仕事に頭が下がり、「もっとまじめに料理をしよう」と居住まいを正したことが大きい。結果的に腕前が少し上がり、料理が楽しくなった。(あとがき)

これも上手い着地の仕方である。彼女の本もう少し読んでみたくなった。



2019007
【美空ひばり 歌は海峡を越えて】平岡正明
★★★☆☆ 2010/02/10 毎日新聞社
「大歌謡論」「平民芸術」「横浜敵」「美空ひばりの芸術」「太陽」「アサヒグラフ」など、平岡の著書や雑誌掲載のひばり関連の文章と書下ろしを寄せ集め、平岡の死の翌年に出されたものである。

美空ひばりは戦後三十年間の歌謡曲の集成であり、源泉であり、頂点であった。しかるがゆえに女王である。美空ひばりによって三位一体化されている戦後日本歌謡曲の内容は、日本音曲の土台の上にクラシックとジャズと朝鮮のメロディが三層化されている艶歌であるということだ。三層化は日本近代の帰結である。すなわち明治の開国、東洋各国への侵略と植民地化、そして世界戦争と敗戦である。
古賀メロディの十全の実現のためには第二次大戦と日本の敗戦という民族規模での近代のいま一度の洗礼が必要だった。かくしてそれは戦後、「庶民の少女歌手」美空ひばりによって実現された。国民歌手の条件は、クラッシックなりジャズなりのできあいの音楽体系(メソッド)を身につけた職業歌手ではだめなのであり、国民的体験は色に染まっていない少年少女歌手とその成長過程に宿る。美空ひばりと山口百恵の本質的一致はそこにあり、そこだけであり、その他の点ではこの二人の偉大な歌手はきわだった個性の対照をみせる。(ひばりテーゼ)


平岡正明はいつも、自信満々だったな(^_^;) 今読み返すとかなり無理なところのある言説だが、彼がそのように信じてたのは事実だろうし、それはそれなりに興味深い。

二人は申し合わせたように、重要なものをひとつずつおとした。それがひばりにおけるロックンロールの欠如であり、百会におけるジャズ・スタンダードの欠如である。ジョーカーを捨てずにカードを揃えると、歌謡曲ではなくなってしまうからだ。そのジョーカーの捨て方が歌謡曲というナショナリズムなのである。

こういっったレトリカルな言説が平岡の得意技である(^_^;)

ブギの笠置シヅ子とデビュー間もない美空ひばりの間に戦後歌謡曲史上最初の決戦が行われるが、それは植民地音楽とまごうブギの咆哮をもって日本軍国主義の滅亡をよろこぶ服部良一・笠置シヅ子のリベラリズムと、戦い敗れた側の庶民の悲哀を正面からうたった古賀政男・美空ひばりの、戦後開放感の質的差異であり、日本文化にくいこんだ戦勝者アメリカの威力をどうはね返すかという方法の差異だった。(ひばりと百恵、その距離19キロ)

笠置ブギがリベラリズム?ひばりがセンチメンタリズムというのは、あまりにも図式的ではないかい?まあ、Morris.はどっちも好きだけどね。

江戸に自己疎外した美空ひばりは東京を歌えなくなってゆくのだ。「東京キッド」は別格として、タイトルに東京のつくひばりの歌は面白くない。
美空ひばりの歌えなくなった東京を歌った者は西田佐知子である。彼女はヒリヒリする「東京ブルース」型をA型とし、はずむような女心を歌う「銀座ブルース」型をB型とし、A型をのちの藤圭子につらなる方向、B型を山口百恵につらなる方向で表現した。
A型「アカシヤの雨がやむ時」「エリカの花散るとき」「女の意地」「知りたくないの」「欲望のブルース」「夜が切ない」……。
B型「赤坂の夜は更けて」「紅ホテル」「ウナ・セラ・ディ東京」「信じていたい」「コーヒー・ルンバ……。
1960年ことさら雨の多かった6月、樺美智子の死の月、ひばり「哀愁波止場」と佐知子「アカシヤの雨がやむ時」がすれちがったのは象徴的である。(浜ひばり)


西田佐知子が出てくるところで嬉しくなった。さらに、西田レパートリーを二つのタイプに分け、それぞれ山口百恵と藤圭子に繋げるあたり、うまいっ!!

元歌はドリス・デイなんですけど、どうです、ひばりのこのスウィンギーで、明るく弾んで、ドリス・デイよりうまいよ。1951(昭和26)年、ボブ・ヒリアードという人とミルトン・ディラッグという人の作った「上海」という曲です。♫懐かしい夢の町上海 すぐにも行きたい……。これが美空ひばりがデビューしてから4年後(昭和28年)にこのうまさなんですよね。

ひばりのジャズアルバム中の一曲「上海」。これはMorris.もひと目会ったその日から?すっかりハマってしまった。オリジナルのドリス・デイバージョンはまだ聴いたことがないが、ひばりの方が上手いだろうというのは、9割以上の確率で当たっていると思う(^_^;)

竹中労とおれは、美空ひばりを日本庶民「だけ」の英雄と思ったことはない。「港町十三番地」は海洋的であり、「悲しい酒」は大陸的である。それぞれの地の音楽家、音楽ファンにたずねると、美空ひばりを尊敬すると答える。スキと答えるのでも、「日本では」と限定がつくのでもない。
その国、その地の流行歌を聴いてしばらくすると納得する。美空ひばり型の歌手がいるのだ。国民歌手といった位置にある女性歌手が美空ひばり型である。伝統と近代の衝突から歌謡曲をとりだしてくる美空ひばりの闘いが、尊敬すべきものとうつるのだ。うまいから真似ようという底の浅い話ではない。(アジアの大地母)


確かにひばりは汎アジア的歌謡女王である。

だれもいない夜の波止場に女が一人立って、波間の浮標(ブイ)をみつめる、ただそれだけの「哀愁波止場」を美空ひばりの一曲に推すのをためらいません。
オーディオとは何か。明治人は蘇言器と言いました。ほどなく蓄音機と変えられますが、蘇言器とは言い得て妙。言霊の発生装置であります。したがって再生される音声は死者のものであるほうがいい。おわかりですか、レコード鑑賞とは不吉な行為にほかなりません。


Morris.の勝手に選ぶひばりナンバーベスト3(「悲しき口笛い」「港町十三番地」「私は街の子」)には「哀愁波止場」は入っていない。もちろんこれこそ個人の好みなんだろうけど、
「オーディオ=死者の声論」は歌手によって当たり外れがありそうだ。さしづめビリー・ホリデーなんかはそんな気にさせられる。

「港町十三番地」は昭和32年、みそらひばりが19歳から20歳にうつる年に出した曲で、これは明るい。陽性の美空ひばりが輝き渡っている歌だ。
俺がこの歌のよさを再認識したのも、民音公演で河春花(ハチュナ)が来日して横浜県民ホールで歌ったのを聴いたときだった。綺麗な声でね、まるで若い頃のひばりが戻ってきたのをみるようだった。
「哀愁波止場」はハマのどこそこに具体的に像を結ばないということは、異界を見る視線だからです。(幻想行)


とつぜんハチュナが出てきたのには驚かされた。横浜で韓国の女性歌手が「港町十三番地」歌うというのは出来すぎのような気もするが、Morris.だって聴きたかった。民団公演ではなく、民音公演というのも、いかにも「時代」であるなあ。


2019006
【ああ、懐かしの少女漫画】 姫野カオルコ ★★★☆ 2011/10/14 講談社文庫

この文庫は、少女漫画論でも少女マンガ史でもありません。少女漫画をとっかかりにした「むかしばなし」。出てくる漫画や漫画家を御存知ない場合は<たとえ>として読んでくだされば幸いです。(あとがき)

目次に出てくる漫画家のラインアップ。

楳図かずお・一条ゆかり・赤松セツ子・はまえりこ・石原豪人・浜慎二・牧美也子・松井由美子・長谷川一・西谷祥子・巴里夫・平田真紀子・今村洋子・今村ゆたか・忠津陽子・大和和紀・矢代まさこ・木原としえ・大島弓子・松尾美保子

名前と絵柄が結びつくのは3/4くらいか。

1967年(昭和42)。私は小3だった。あのころの私は、ぐびぐびぐびっと生ビールを飲むときのような心地&勢いで、少女漫画を読んでいた。音羽グループ(=講談社系)でも一ツ橋グループ(=小学館系)でも、どっちでもよかった。少女漫画が自分の目の前にあって、それが読めたら至福だった。(1.楳図かずお)

姫野が小3の頃といえば、Morris.が高校卒業して、小倉競馬場近くで下宿生活始めた頃かな。Morris.は小学校上る前から、ジャンルを問わず漫画雑誌は読み漁ってた。

何十年を経て、なんと! 女王と対談する幸運に恵まれた(集英社の雑誌で)。あまりの光栄で、ほとんど口がきけなかった私に女王はおっしゃった。
「一条さんは変わらないね、ってよく言われるの。でも、ちがうのよ。変わらなかったら、"あの人はもう終わったね"って言われるの。時代ごとに時代を取り入れて、デッサンの勉強もしなおしたりして、ちょっとずつ変わってるから、変わらないね、って言われるの」(2.一条ゆかり)


いや、たしかに一条ゆかりは大したもんである。

西暦で区切ると、流行・風俗・風潮など広く文化的にズレが出てくると思うのである。
昭和にするとよくわかる。
1945~54年=昭和20年代=戦後期
1955~64年=昭和30年代=経済復興期
1965~74年=昭和40年代=サイケ期
1975~84年=昭和50年代=西海岸指向期
1985~94年=昭和60年代=バブル期
1995~2005年=平成元年代=不景気期
元号区切りの感覚のほうが、日本人にはしっくりしていたように思うわけである。それが薄れて、西暦区切り感覚になったのは2000年ごろからではないか。(9.石原豪人)


たしかに昭和時代は西暦より元号の10年区切りがわかりやすい。

矢代まさこは少女漫画史上に特筆される傑作を多く残した。くりかえす。彼女の作品には恋愛が出てこない、学園が出てこない、宇宙や未来も出てこない、サムライもお姫様もお城も出てこない。彼女の作品には、ただ、「詩情」だけがあった。(24.矢代まさこ)


矢代作品の「詩情」の至上さは認めるが、「だけ」ってことはないだろう。

ふれれば壊れてしまいそうなくらい繊細で、森の樹木の葉と葉のあいだから漏れる光の模様のようにうつろいやすく精緻で瑞々しい感性が、読む者の心の襞に静かにしのびこんでくる。これが大島作品の魅力である。
私は、初期の、制約を受けていた時代の大島作品が、ことのほか好きだ。
少女漫画界のしきたりを守らなければならないという制約のもとでさえ、大島弓子の新感覚でリリカルな味はおさえようなく、露出していた。業界の制約の枠からろしゅつしてしまわずにはおれない瑞々しい感性が、いやおうもなく目立つのである。少なくとも私は、そう感じる。(26.大島弓子)


Morris.は一時期大島弓子を神格化していた。それでもMorris.が一番高く評価してたのは「バナナブレッドのプディング」前後で、初期作品はちょっと苦手だったかも。

「りぼんコミック」という漫画誌があった。それはもうすばらしい雑誌だった。誌名からわかるように「りぼん」の系列誌である。よって当然、一条ゆかり、もりたじゅん、汐見朝子、のがみけい、そして山岸凉子、といったリボンのスターが並ぶ。こうした豪華なスター作家に「日頃「りぼん」本誌ではなかなか取り扱うのが難しいテーマん意欲的に自由に取り組んでOK」な作品を描かせるのが「りぼんコミック」だった。
少女漫画マニアにとってどんなに垂涎ものの雑誌にできあがっていったか想像していただけるだろう。一つ二つ、おもしろいものが載っているのではないのだ。一冊まるごと、どのページもどのページもおもしろいという奇跡的な雑誌だった。
少女漫画史に残る名作の多くが次々とこの雑誌から生まれた。「りぼんコミック」はやがて集英社から独立し、「花とゆめ」「LaLa」へと進むのである。(26.山岸凉子)


「りぼんコミック」「花とゆめ」「LaLa」はMorris.も愛読してた(^_^)/ 神戸地震までこれらの雑誌の詰まったダンボール箱を敷き詰めて、その上にマットレス置いてベッドにしてた。地震後すべて処分してしまったけど。

1966年(昭和41)「なかよし」1月号から「ガラスのバレーシューズ」(松尾美保子)の連載は始まった。
(28.松尾美保子)


最後にとりあげられている、この松尾美保子に関しては全く記憶にない。しかしこの作品に対する姫野の思い入れはかなりのものがあり、ストーリーも詳細に紹介してあるが、それを見るだけで、読む気は失せる(^_^;)。松尾美保子だけで44pを使っている。矢代まさこと大島弓子は4pくらいなのに(>_<)

ネットでお気楽に連載したもので、本人も言う通り、マンガ論でも漫画家論でもない、思い出話(昔ばなし)として、読めばそれはそれなりに面白かった。

2019005
【院長選挙】久坂部羊 ★★★ 2017/08/25 幻冬舎 初出「ポンツーン」2015-16
総合病院の院長の謎の死を巡って、各科のトップが次期院長の座を狙って虎視眈々している中に、若い女性のライター吉沢アスカが特集記事のためそれぞれをインタビューするという構成。
久坂部が最近ちょくちょく書いてるコメディタッチの病院物で、それなりに笑わせるし、医療界の裏話や、各科のヒエラルキー争い、他科への罵倒、足の引っ張り合い等などちょっと辟易されるところもあった。

「内科は薬がないと治療できないから、製薬会社に依存するしかない。製薬会社は薬を売るためにドクターにすり寄らざるを得ない。でも腹の中では、自分たちの薬がなきゃ医者は手も足も出ないと思ってる。内科医は自分たちが処方しなきゃ製薬会社はびた一文儲からないとふんぞり返ってる。互いに依存しながら反目してるから、人間性が歪むのよ」
花田は鼻で嗤い、軽く咳ばらいをした。「その点、あたくしたち外科医には、手術という実際的な治療法があるからね。手術はアートなのよ。わかる? 特に脳外科の顕微鏡手術はファインアート。すなわち芸術ね。もう『ミクロの決死圏』の世界よ。吉沢さんは知らない? 1960年代のSF映画にあったのよ。医療チームをミクロ化して、患者の体内に送り込むって話」
現在三十歳のアスカが、そんな古い映画を知るわけがない。それに外科医だって医療機メーカーに依存しているのだから、内科医と製薬会社の関係と似たようなものではないか。そう思ったが、相手を怒らせるような反問はしないにかぎる。


「ミクロの決死圏」!!懐かしいというか、古き良き時代のSF映画である。Morris.は映画も見たし、小説も読んだ。そして、ずっとMorris.はアイザック・アシモフの小説が原作と思い込んでいたのだが、さっきWikipediaでチェックしたら先に映画があって、それをアシモフがノベライズしたんだと(@_@)

「臓器のヒエラルキーにはあらゆる側面があるのです。命に関わるかどうか、どれだけ骨格に守られているかなどです。食用になるかどうかもそのひとつで、よく食べられる臓器は上位にランクされます。内臓系では肝臓がトップです。レバー、フォアグラがありますからね。続いてホルモン焼きの胃腸、キドニーパイの腎臓、ハツと呼ばれる心臓もコリコリしておいしいです。魚の精巣は白子として珍重され、卵巣はキャビアやイクラ、子宮はコブクロとして独特の食感があります。脳も中華料理ではご馳走だし、フレンチやイタリアンでも使われます。でも、肺はスポンジみたいで、味もなければ歯ごたえもない。ホルモン焼きの店でも置いてるところは滅多にないですよ。あっても呼び名は「ふわ」ですよ。なんとも情けない」
そこまで肺を貶めなくてもいいと思うが、灰埜のマイナス思考はとどまるところをしらなかった。(第二章 手術部風呂)

確かに、焼肉、ホルモンの店でも肺を食べた記憶はないし、あまり食べたいとも思わない(^_^;)

「尿は血液からできてるんです。血液を腎臓でろ過したものが尿なんです。だから完全に無菌です。尿が手についたって洗う必要はないんです。何なら尿で顔を洗ってもいいくらいです」
いや、それはよくないだろうと、アスカは内心で首を振る。香澄はさらに熱弁する。
「尿管結石の手術などでは、腹腔内に尿がこぼれることがありますが、だれも気にしません。無菌ですから、感染も起こらないんです。しかし、便はちがいます。便の主成分は腸内細菌の死骸なんです。もちろん生きた菌もいっぱいいます。だから、便が手についたら、洗うだけではすまされません。厳重に消毒する必要があるんです。消化管の手術で腸内の便が一瞬でも腹腔内のどこかについたら、よほどの消毒をしないかぎり腹膜炎は必発です。そんな汚い便を入れた大腸や直腸を扱う消化器外科の教授に、どうしてわが泌尿器科が汚い料などと言われなければならないんです」
「腎臓は全身の血液をろ過して、老廃物を排泄する臓器なんですよ。それを扱う泌尿器科は、身体を内面からクリーンにする科なんです。消化器外科なんか、糞袋をいじくる糞ったれの科じゃないですか」
「そうだそうだ」
「大小路は許せない傲慢男だ」
両脇の二人が気炎を上げる。しかし、香澄はしょんぼりと肩を落とす。
「でも世間は理解しないのですよ。吉沢さん、あなただってそうでしょう。尿が無菌で、便が菌の塊だなんて知ってましたか。出るところが近いというだけで、世間は"糞尿"とか"大小便"とか、あたかも同類のごとくに扱っている。情けないです。あなたもノンフィクションライターなら、どうか正しい知識を世間に広めて下さい……」(第三章 犬猿の仲)


尿は無菌で、便は細菌の死骸というのは知らなかった(^_^;)

百目鬼ご満悦の顔にもどってうなずいた。来る院長選挙では、この三科の教授が百目鬼を支持しているのは予習ずみだ。
「耳鼻科は老人の難聴、耳鳴り、めまいなどの治らない病気で稼いでいる。突発性難聴とかメニエール病もあるが、ほとんど治らんからな。治らないから患者が来るんだ」
「ほかの科も同じですか」
「そうだ。皮膚科はアトピーだな。あの科は乾癬とか天疱瘡とか、むずかしい病気も多いが、専門性が高いから患者が来る。……精神科のトレンドは何といってもうつ病だ。うつ病は心の風邪とか言って、どんどん患者が増えておる。病気の種類も増える一方だ。適応障害、発達障害、社会不安障害なんていうのもある。辛抱の足りない性格弱者、何でも人のせいにする無責任男、いやなことからすぐ逃げる逃避女、甘やかされて育った過保護人間に、根拠のない自信で世の中を恨む傲慢人間など、患者には不自由しない。診断書を書いてやれば、患者は給料をもらいながら仕事を休めるから大喜びだ。医者も簡単に病気を治さない。治ると患者が来なくなるからな。生かさず殺さずというのが勘どころだ。あくどいなんて思うなよ。システムが悪いんだ。今の出来高払いでは、病気を治すとそこで収入が途絶えるんだ。だから、名医は儲からない。多くの医者が、戦略的にやぶ医者をやってるんだ。フハハハ」
百目鬼の笑いが虚しく響いた。長広舌を聞きながら、アスカは暗澹たる思いだった。身もふたもない話だが、日本の医療の一面を言い当てているからだ。(第四章 フェア・プレー)


百目鬼は眼科で、白内障の手術で病院での稼ぎ頭らしい。しかし医者が「生かさず殺さず」と本気で思ってるとしたらコワい話ぢゃ。



2019004
【バビロンの秘文字 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ】堂場瞬一 ★★★☆ 2016/03/01 中央公論社
中央公論新社の創業130周年記念描き下ろし作品。
北欧、ドイツ、アメリカなど世界を股にかけた取材地など、周年記念に合わせて、出版社から売れっ子著者へのボーナスサービスみたいなものだったのではないかと思われる。

カメラは……小さめのズームレンズを選んで装着する。18ミリから55ミリはスケッチ用という感じで、街中を歩き回る時の相棒にはちょうどいい。もっと軽いコンパクトデジカメでもいいのだが、基本的に俺はあまり信用していなかった。あれは、構図を決める時に使うだけだ。あるいはメモ代わり。

語り手でもある、カメラマン主人公鷹見の独白。Morris.は始めからカメラはコンパクト専門?、特にコンパクトデジカメは、CASIOが民生第一号発売した直後からの愛用ものである。「構図を決めるためとメモ代わり」それで、必要にして充分である。

「あなた、馬鹿でしょう」牧が遠慮なしに言って、溜息をついた。「鷹見さん……あなたは世界中で、悲惨な状況を見てきたはずだ。戦争も、何度も取材した。だから、その原因が意外に単純で馬鹿馬鹿しいものであることが多いのは、知ってるでしょう」
「実際には、ほとんどの戦争の原因が、そういうことなんじゃないですか」
「あなたも、戦争を起こした人たちに負けず劣らず馬鹿ですよ」あなたの個人的な事情を優先したら、イラクはまた激しい内戦状態に陥るかもしれない」
「今だって、実質的に内戦状態じゃないですか」


牧は元公安の外務省職員。戦争のきっかけ、というか、始まりは確かに些細な諍いということが多い。

「何もないというのは……」ウォンの困惑は、最高潮に高まった。
「ロシアも、これからはラガーンに関与しない。イラクの国内で何があっても、それはイラクの内政問題に過ぎない。そこに他国が口を出すのは、筋違いではないかね」
常識的には。しかしアメリカはこれまで--第二次大戦集結から何十年も、内政干渉を繰り返してきた。それを今更、原則論で否定されても……本当にこの件を放置しておくというなら、これまでの外交方針の大転換だ。


ウォンはCIAの中国系アメリカ人。アメリカは「第二次大戦集結から何十年も」ではなく、それよりずっと前からそういうことを繰り返してきたし、建国そのものが、平和に暮らしていたネイティブアメリカンの淘汰の上に成り立っている。

街行く人たちの迷惑そうな視線--ラガーン人が何をしようとしているかは、当然イラク人も知っているだろう--に出迎えられながら、バリたちは素早く飲み物と食べ物を仕入れた。こんな小さな街にまで、アメリカの清涼飲料水やスナックが入り込んでいる。連中は、ハードとソフト、両面で世界侵略を続けているのだ。食べ物や映画、音楽など、アメリカ流のものは、確実に人の心を掴む。たかだか数百年の歴史しか持たない国が、どうしてこれほど人の心を惹きつけるのか、バリには謎だった。

ラガーン人はメソポタミア文明初期の中心となったとされるシュメール人の末裔とも目されている、国を持たない人種で、彼らの出自を証明する楔形文字の粘土板(タブレット)の発見により、ラガーン人が彼らの神殿のある原バビロン(イラクの中にある)に自分たちの国をどくりつさせようというのが本作品の中心になっている。
イラクの寂れた街にまで、アメリカの商品が普及していることから、アメリカと自分の種族の歴史の差(数百年と4戦5百年(^_^;))に思いを馳せながら、アメリカの文物の持つ不思議な魅力を謎と思う場面。Morris.も共感を覚える。

「連中は、中米でクーデターに手を貸したこともある。そもそも我々がイラク戦争に引きずり込まれることになった原因も、CIAが大量破壊兵器の存在を主張したからだ。そんなものはなかったわけだが」
「要するに、CIAの情報収集能力も大したことはない、と?」俺は訊ねた。
「しかし、他国の内政-特に革命に関与しているという噂は絶えない。資金や武器の供与を通してだが。ラガーンの場合、少し状況が違うかもしれないが、もしかしたらロシアと裏で協力していたかもしれない。臨時政府側へロシアが武器を提供していたのは間違いないからな」
あまりにも複雑な……アメリカとロシアは、世界の各地で対立し合う関係である。CIAは--ウォンは、ある意味アメリカを裏切っていたのではないか。CIAの内部がどんな風になっっているかは想像もできないが、そっちで何とかできないのか?」
「無理だ。ルートがない」

ここらあたりになると、作者も収拾がつかなくなってるのではと疑いたくなってくる。

総計千ページを超える長篇である。これ、灘図書館で見つけて、年末年始の暇つぶしにと借りてきたのだが、十分その役割は果たしてくれた。
Morris.の嫌いな「手をこまねいて」表現が数箇所出てきたが、中には「手をこまねて」などというものまであった(>_<) 大御所出版社の記念作品としては、ちょっとおそまつな誤植である。



2019003
 【法服の王国 小説裁判官上下】 黒木亮
★★★☆☆ 2013/07/14 産経新聞出版 初出 産経新聞 2011/07/21~2012/09/30連載
経済小説の精鋭が、司法の世界に挑戦した力作。
Morris.は経済以上に法曹界には疎いと思う。本書を読みながら、意味不明なところ多かったが、教えられるところも多かった。
登場人物の多くはモデルが存在し、実名と仮名が混交している(らしい)。
そのあたりのことは全国書店ネットワークのwebサイトに、著者インタビューがあった。本書読む前にこれを読んでたら、理解が容易だったかもしれないが、やはりこれは後で読んで正解だったろう。

主な登場人物
村木健吾-司法浪人(中央大学法学部卒) 熊本地家裁天草支部長(修習22期) 井戸謙一--モデルは大阪地裁の竹中裁判長
津崎守-東大法学部4年生 法務省訴務局検事(22期)
妹尾猛史-能登出身の浪人生 弁護士(28期)
弓削光太郎-最高裁民事局長兼行政局長(修習高輪1期)--モデルは元最高裁判所長官矢口供一
山口治雄-大阪地裁特例判事補(15期)
緑川壮一最高裁事務総局刑事局局付(16期)
弓削直美-弓削光太郎の姪、チェリスト

「軍から見れば、『その男は、明日、特攻で飛んでいって、国のために命を捨てる人間なんだ。だから、悪いことをしたかもしれないけれども、ここで軍法会議に持っていかれるのは困る』というわけです。そういうとき、軍法会議がその隊員を捕まえて、裁判できるか? 実際は、そんなことできませんね。結局、司法というものは、本来、動いている社会の脇役であって、主役たり得ない。一定のことはできるけれども、法律や裁判で、何でもかんでも解決できるわけではないんです」
法律を越えた実質を見るに敏で、人を操る術にも長けている弓削は、直近で務めた東京地裁民事部の部総括(裁判長)時代、判決よりも和解で実績を上げた。
「それから、終戦直後にも鹿児島に行って、後始末をやりました。当時、鹿児島の特攻基地は乱れに乱れて滅茶苦茶でした。軍の物資がだいぶあったはずなんですが、そういうものが全部略奪されているんです。兵隊が持って帰って、残りを近所の人が略奪して、その略奪したものをまた近所の人が盗んでと、それはもう滅茶苦茶でした。そういうところへ乗り込んでいって、法律的な始末をつけるわけです」
修習生たちは弓削が生きてきた修羅場の話を、ただただ呆気にとられて拝聴した。


小説の本筋より、敗戦直後の「日本帝国軍人」の情けない行動の傍証として印象に残った。

裁判で無罪判決が出たりすると、「反省会」とか「検討会」と称する飲み会で担当検事を吊し上げたり、上から「こういう調書をとれ」と命じられたりと、組織の重圧が非常に大きい。
「彼らは、有罪をとれないと、国民の信頼を失うと思っているからねえ。……本当は、客観的で公正な仕事をしてこそ、信頼が得られるはずなんだが」
経巻は、津崎が検察に失望したのを見てとり、満足そうな口調でいった。


政治の世界以上に「忖度」に重きを置くのが法曹界ということか。

自民党は、リベラルな判決が出るのは裁判官が偏向しているからで、その元凶が、「憲法を守る」、「戦争反対」といったスローガンを掲げている青法協であると考えていた。この時点で、約二千五百人いた裁判官のうち、青法協に加入しているのは二百二十五人だった。
昭和43年12月、裁判所を内部から変えるべく、自民党の長老で反共の闘士、木村篤太郎が、佐藤栄作首相を訪問し、保守派の最高判事・石田和外を次期最高裁長官にするよう進言した。
最高裁長官は、内閣の指名に基づいて天皇によって任命される。佐藤首相は当初、学者出身(東大の行政法の教授)の田中二郎最高裁判事を昇格させるつもりでいた。しかし、木村の話を聞いて、石田のほうが自民党のためになると判断。翌年1月に石田が第五代最高裁長官に就任した。
国士的思想傾向をもつ石田は、リベラルな判決が続くと国家の将来を危うくすると考えており、自民党の求めに呼応して、裁判所内部で生協法に対する圧力(通称ブルー・パージ)を強めた。昭和45年1月に自民党が党の方針で青法協問題を取り上げたため、裁判所内部の粛清が遅れれば、自民党の介入を招きかねないという危機感もあった。(第二章 長沼ナイキ事件)


この石田和外という戦犯とさえ目される人物が、日本の戦後の法曹界の保守化に大きな力を奮った、なんてことも、初めて知った。

「司法研修所の教官からきいたんだけれど、こないだ、上席教官と一緒に、弓削人事局長に呼びつけられたそうだ」
「弓削局長に?」
上席教官は修習一期、教官は二期で、それぞれ弓削の二年次と三年次後輩である
「青法協会員の任官をふせぐために、青法協と思われる連中の成績を悪くしておいてほしいといわれたそうだ。……要は、人事局の責任で任官拒否をしたくないんで、研修所の責任で拒否させようって魂胆だ」
津崎は愕然とした。
「それで、教官たちは、何と答えたんですか?」
「そんなことはできませんと言下に拒否したそうだ」
「そうでしたか」
津崎はほっとする。わざと点数をわるくするなどというのは、常軌を逸している。


日本の複数の医大で、入学受験者の一部(女性、非現役受験者)の点数を抑えるという事実が複数(多数?)あったというニュースを思い出す。

「しかし、あの『マル政』というのは、非常にひっかかりますねえ」
マル政というのは、自民党が最重要と認めた予算要求項目にマル印を付けるもので、当該予算はほぼフリーパスで認められる。最高裁は、自分たちの予算項目の中で重要なものにマルを付けてもらうよう、自民党の治安関係や保守派の議員たちに働きかけていた。
「私もそう思います。結局、マル政と引き換えに、判決や司法行政で自民党に譲歩することになるわけですから」
それは、国の根幹的な制度である自衛隊や原発を否定する判決をださないことや、青法協会員裁判官を弾圧することにつながる。


つまり、三権分立は機能していないということになる。

長沼ナイキ訴訟の札幌地裁の判決は、「『統治行為論』は、法治主義に対する例外をなすものであるから制限的に解すべきである。本件は統治行為にはあたらない」として、自衛隊の合憲性の判断史上初めて下された自衛隊に対する違憲判決は、日本を揺るがす事件となった。
ソファで脚を組み、ある月刊総合誌に掲載された福島重雄裁判長のコメントを見て弓削がいった。
「確かに憲法の規定を字句通りに解釈すれば、学者連中がいうとおり、自衛隊は軍隊で違憲だろう。それは俺も認めるよ。 だが、自衛隊なしに国土が守れるか?」
二人の課長は首を横に振る。
「ソ連も中国も核兵器を持っている。あの貧しい韓国すら、日本の三倍の地上兵力を有している。北方領土はポツダム宣言受諾五のどさくさに紛れてソ連にまんまと占拠された。中国と台湾は二年前から尖閣諸島の領有権を主張している。韓国は李承晩(元大統領)が勝手に領海線を引いて、竹島は自国領だといっている。軍隊がなければ、他国から緊急不正の侵略を受けても、手をこまねいて見ているしかない。特に北海道周辺の防衛は、若干手薄だ。あのあたりに、常にソ連のほうを向いたナイキ・ミサイルを配備する必要があることは、我々素人の目から見ても明らかだ」
二人の課長は、弓削の考察の深さに感心する。
「何よりも、日本が自衛隊を持つことは、アメリカが臨んでいることだ。かといって、現実に即して憲法を改正しようとすれば、中国、韓国をはじめとするアジア諸国が猛反発するだろう。これが日本の置かれている現実だ。事実認定と条文解釈をして、判決を書いて、『ここまでが俺の仕事だ。あとは知らん』でいいはずがない」(第四章 獅子座の女」


長沼ナイキ事件は名前だけは記憶の片隅にある。ミサイル基地建設反対の訴訟の一審で原告側が勝訴したことが大きな話題となった。もっとも二審以降で敗訴になる。陰に陽に政権からの圧力があったことは間違いない。現在の沖縄辺野古基地や原発再稼働を巡る裁判に直接つながる構図である。

最高裁としては、国策に反する判決が出て、自民党から風圧を受けるようなことは避けたい。しかし、裁判干渉をするわけにもいかないので、次善の策として、保守的な傾向の裁判長を持ってくる。エリート街道を歩んでいる裁判官であれば、自分の経歴に傷を付けたくないので、判決は自ずと保守的になる。(第五章 原発訴訟)

これも現在まで粛々と続いている、権力のやり方である。

札幌高裁の判決は、自衛隊の憲法判断に統治行為論(高度の政治性を持った国家の行為である統治行為は、裁判所の審査券の範囲外にあるとする考え)を採用した史上初の高裁判決であった。
自民党政府は「現在望みうる最高の合憲判決」として歓迎し、原告弁護団は「(小川裁判長は)この裁判のためだけに派遣された『特命』裁判官で、計画された結審の仕方を見ても意図的。訴えの利益がないだけで判決には足りるのに、わざわざ自衛隊に触れたのは、原告側の手足を縛ってから、脛を蹴り上げたようなもの」と反発した。一審の裁判長で東京地裁民事七部(手形部)に勤務する福島重雄は、渋谷区神宮前1丁目の官舎のテレビで判決を知り、「このような結果になって、非常に残念に思う」と感想を述べた。
全国の裁判官たちは、判決に接して寒々とした気分を覚え、行政と対峙することに一層臆病になった。(第六章 天草支部)


こうした「空気」の醸成に巧みな政権は飴と鞭で裁判官を掌握する。

焼き鳥を齧り、津崎は苦笑した。「わたしは一度、こっぴどく叱られたことがありますよ。『憲法というのは政治的な法だ。この東西緊張の情勢下、軽々に日米安保条約や自衛隊の違憲判決を出せば、自民党だけでなく、アメリカも敵に回すことになる。彼らが本気で牙を剥けば、我々に到底勝ち目はない。戦後、三権分立になったといっても、裁判所にそこまでの力はない。福島重雄のような蛮勇をふるうのではなく、立法府や行政府に対抗できる分野、世論の追い風を受けている分野で、政策形成機能を果たし、徐々に力をつけるのが賢明なのだ。お前はそんなことも分からないで、調査官をやっているのか!?』と」
「僕も似たようなお叱りを受けたことがあるよ」
主席調査官も苦笑いした。「あの人の考えは、三権分立は、憲法の条文に書かれただけで実現するような生易しいものじゃなく、行政府、立法府との権力闘争で勝ち取っていかなくてはならないということだろう」(第九章 最高裁調査官)


福島重雄はナイキ事件一審で自衛隊違憲判決を出した裁判長、あの人は弓削光太郎(矢口供一)である。

陪審制度は、民間から無作為で選ばれた陪審員が裁判の審理に参加し、裁判官が加わらない評議によって事実認定と法の適用を行う制度である。
弓削は、日本に陪審制度を導入すべきと考え、事務総局に命じて調査をさせた。しかし、事務総局に指名されて米国で二ヶ月間視察をした緑川は、陪審制を徹底的に批判する報告書を書いてきた。素人に事実認定などをやらせるのは危険であり、米国のような特殊な国の制度は日本にとって参考にならないとしていた。
「陪審員ごときも説得できないような裁判官は、裁判官の資格はない。裁判官は、もっと大きく、もっと力強くあらねばならんのだ」
弓削の声には危機感が宿っていた。長官になって、自分が長年采配をふるってきた官僚統制が、裁判官たちを萎縮させ、上(最高裁)を見て判決を書き、横(同僚裁判官)を見てはみ出た行動をしないよう、汲々としている「ヒラメ裁判官」ばかりをつくり出していることに気付いた。事態を打開するため、裁判官の外部研修の機会を増やし、弁護士からの任官も復活させて外部の血の積極的導入を図り、陪審制も取り入れようと考えていた。また、頑として反対だった裁判官の増員さえも口にするようになっていた。
米国では、裁判官が一審でも単独でも違憲審査をし、判決を出せるが、具体的な事件の審理判断に付随してのみ、関係法規の合憲性の審査ができることになっている。そのため、原告の資格や訴えの利益などの訴訟要件が必要になる。
欧州大陸各国では、憲法判断は憲法裁判所が行う。具体的な事件と関係なく、法律自体の合憲性を審査する方式で、「抽象的違憲審査制」と呼ばれる。
樋口は、日本は米国に近いが、積極的に政治部門の憲法適用を正当化する役割を果たしているのが問題であると指摘した。(第十章 招かれざる被告人)


陪審員(裁判員)制度については、はっきりわからないのにどうしても賛成出来ない。どこかいいように、利用されてる気がするのだ。

「見てみろ。冤罪事件や死刑の再審事件があとを絶たんじゃないか。刑事(裁判官)の連中のずさんな審理のおかげで、裁判所の面目は丸つぶれだ。奴らは事件が溜まってくると、ろくな吟味もせずに検察のストーリーに乗る。そうすれば、無難な判決が書けて、一丁上がりにできるからな」
加藤慎一郎事件、財田川事件、弘前大教授夫人殺人事件、免田事件、松山事件、徳島ラジオ商殺人事件など最新で無罪になった一連の事件以降も、冤罪事件はあとを絶たない。
「裁判所のこれ以上の権威喪失を防ぐために、俺が陪審員制度の研究を始めたというのに、連中はいまだに裁判官の優越性という思想に凝り固まっている。自分たちだけで裁判をやりたがっている」
弓削は苦々しげにいった。
「国民を審理に入れておけば、仮に冤罪があったとしても裁判所への風圧はやわらぐ。しかも、昨今の管財被害に対する国民感情の高まりも量刑に反映できるから、量刑に関して世論やマスコミから叩かれることもない。……こういう簡単なことが、どうして連中には分からんのだ!?」


本書を書く動機になったのが、著者自身が関わった裁判での、裁判官のあまりの杜撰さ、高慢さ、事実誤認、無責任……だったとのこと。
公害裁判、原発裁判に関しても問題点を詳らかにしながら、歯がゆさを率直に吐露している。黒田は早大法学部卒で、法律に関しては玄人ではあるが、卒業後は銀行、証券会社で国際金融関連の仕事に就いてたから、本書の執筆に関しては多くの裁判官や関係者に徹底的に取材をしたようだ。
かなり、反政府的な部分のあるこの作品が、あの「産経新聞」に連載されたというのが、謎である。


2019002
【憲法の創造力】木村草太
★★★ 2013/04/10 NHK出版新書:405
気鋭の憲法学者の素人向け憲法読本。ということだったのだが、いまいちピンとこなかった。実際の判例を取り上げての解説というやりかたが、裏目にでたのかもしれない。

国家も団体の一種であり、それを成立させるルールと、そのルールに従う人々から成り立っている。このうち、国家の領域範囲や王位継承の方法、裁判手続の内容、軍隊の指揮権の所在など、国家を成立させる「ルール」の方を「憲法(constitution、Verfassung)」と呼ぶ。また、「憲法」の主要部分を明文化した文書は、「憲法典」と呼ぶ。他方、ルールに従う人々のことを「国民」という呼ぶ。
主権国家は、大きな利益をもたらす反面、大変危険な存在でもある。領域内の権力を独占しているから国民の生命や身体の自由を奪うこともできるし、財産を強制的に徴収する事もできる……ホッブス先生が主権国家を怪獣(リヴァイアサン)に例えたのも納得であろう。
そこで、主権国家を作る際には、その憲法に主権の濫用を防止するルールを盛り込もう、という構想が提唱された。この構想が立憲民主主義である。(序章 憲法とは何か?)


この序章の部分は、いかにも入門書らしくて良かったのだが……

労働関係における嫌がらせは「パワーハラスメント」と呼ばれ、人格権侵害として違法とされる。国歌斉唱命令や一連の懲戒処分がバランスを失しているように感じられるのも、文部科学省の大臣・官僚、教育委員会、校長先生といった人々が、あえて学習指導要領に式典での国歌斉唱を盛り込み、職務命令を出して、君が代に反発を感じる人々を追い込んでいるからではないか。(第一章 君が代不起立問題の視点)

君が代のピアノ伴奏を拒否したり、君が代斉唱時の起立を拒んだことで処分を受けたことを、自由権の侵害として争った裁判の例だが、自由権より「パワハラ」で争うのかあ、なんだかなあである。

今、社会のあちこちで、「ボランティアの強制」の必要が説かれている。共同で労働をすることには崇高さがあり、多くの人と交流できる喜びがある。それゆえ、「ボランティアの強制」は、あからさまな形容矛盾でありながら、魅力のある施策として受け止められる傾向がある。しかし、ボランディア活動は自発的に行われるからこそ、崇高で、あり、参加者同士の共感や連帯感が生まれるのだろう。
国民の司法参加(裁判員制度)も、実は自発的に行われるからこそ価値を持つのではないだろうか。
裁判員制度に関する議論に欠けているのは、やはり「意に反する苦役からの自由」えの配慮である。憲法18条への感覚の麻痺は、自発的であるべきことを強制してはならないことへの鈍感さを示している。善意のつもりで「ボランティアの強制」をしていないか、について、我々はもっと注意深くなければならない。多様な価値観の共存は、憲法の基本原理の一つである。(第三章 最高裁判所は国民をナメているのか?)


裁判員制度の例だが、ちょうど東京オリンピックの無償ボランディアに関する記事(本間龍)を読んだばかりだったので、「ボランティアの強制」というのに反応してしまった。本間は「ボランティアの強制」は形容矛盾だと言ってた。

現時点で論ずるべきは、生活保護法などの「最低限度」の生活保障の制度が、憲法25条1項の趣旨を十分に実現できているかどうか、という点だろう。

「最低限度」というのはかなり規定が難しい用語かもしれない。

近年の不況は、国民全体の生活水準を下げるものではなく、一部の者に富を集中させる一方、底辺部の困窮を拡大する性質の不況である。本来であれば、労働だけでは「最低限度」に到達できなくなった底辺部の労働者の生活をも保護する形で運用されねばならない。(第五章 生存権保証の三つのステップ)

「本来であれば」--この枕詞がつくと、先がみえてしまう(>_<)

憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求している、ということである。もちろん、現時点では、そんな世界は想像することすら困難である。
日本が非武装を選択できる世界の創造は、終わりがないと思えるほど途方もない仕事かもしれない。しかし、世代を越えて受け継がなければならない仕事である。(終章 憲法9条の創造力)


平和憲法を「目標」として掲げておくことだって意味があると思うぞ。ノーベル平和賞はいらないけど。

参考文献
「居住福祉論」早川和男 岩波新書
「反貧困-「すべり台社会」からの脱出」湯浅誠 岩波新書
「社会は絶えず夢を見ている」大澤真幸 朝日出版社


2019001

【アメリカ暴力の世紀 : 第二次大戦以降の戦争とテロ】ジョン・W.ダワー
田中利幸訳  ★★★☆☆ 2017/11/14 岩波書店
THE VIOLENT AMERICAN CENTRY by John W.Dower 2017
「敗北を抱きしめて」の著者の比較的新しい著述。

1960年代から70年代初期にアメリカが東南アジアで残虐な戦争を行っていたときの、日本政府のアメリカ政府へ盲目的従属は明白であった。アメリカの残酷な軍事力使用に対する中毒症状への日本の服従は、2001年9月11日の世界貿易センターと国防総省ビルへのアルカイダによるテロ攻撃に続いて、アメリカが全く誤った考えから始め、最終的に大失敗に終わった、アフガニスタンとイラクへの侵略戦争でも繰り返された。(日本語版への序文)

高度成長期の日本が、ベトナム戦争などアメリカの侵略戦争に協力したことは今となっては自明だが、当時の日本人はほとんど無知だった。イラク戦争に至っては、アメリカのイラク攻撃に最初に賛意を表明したのが日本だったことからも、あからさまだが、それでも見て見ぬふりしている日本人が多数を占めている。

戦後のアメリカのもっと微妙で狡猾な形での軍事化、つまり巨大で押し付けがましい国家安全保障国家をを常に拡大し続けるために資金を注ぎ込み、そのことで市民社会に対して暴力がもたらされたことについては、第二次世界大戦以降の数字上の暴力現象にのみ注目する議論ではほとんど言及されないのである。

「安全保障」と言う名の軍事化。もちろん日本こそその代表である。

死亡者数にのみ焦点を当てて暴力が減少したと主張することは、もっと広い意味での人道的大惨事からも目を逸らしてしまうことになる。
世界の3/4の国々にいたるまでアメリカの存在が拡大されたのは、主として21世紀の対テロ戦争の結果であった。
現在「スイレンの葉」という作戦名で呼ばれているこれらの活動の多くは、海外での小規模かつ一時的なもので、公表されていないものである。しかも、その多くがCIAの「暗黒活動」と呼ばれる秘密活動と一体になっている。テロと闘う方法には、テロ活動が含まれているのである。そうしたテロ活動の一つとして、2002年以来、無人爆撃機ドローンによる攻撃目標の暗殺がますます行われるようになった。現在、このドローンによる殺害方法は主としてCIAとアメリカ軍の独占的な手段となっている(かなりまだ遅れているが、イギリスとイスラエルがそれに続いている)。

ドローンの軍事利用は開発の初めから想定されていたものだろう。「無人飛行機」攻撃がこれである。

ルースの評論では、第二次大戦中と冷戦期にプロパガンダとして使われるようになった見せかけの理想の言葉のほとんどが全て使われていた。すなわち、「自由」、「民主主義」、「機会均等」、「自主」と「独立」、「強力」、「正義」、「慈悲」などであるが、これらの言葉は全て、「我らのすばらしい工業生産物と技術力」によってもたらされた経済的豊かさという理想像と一緒になっていた。現在の愛国的な決まり文句では、特別な優秀性を意味する「アメリカの例外主義」という言葉で表現できる。(第一章 暴力の測定 Measuring Violence)

「アメリカの例外主義」をがさつに表現したのがトランプの「America First」だろう。

*ジョージ・オーウェルは、1945年10月に発表した「あなたと原爆」と題した評論で「冷戦」という表現を使った。

1945年6月に創設された国際連合がその初期に成し遂げた最も理想主義的な仕事は、1948年12月に採択した世界人権宣言である。

国際連合が本当に主導権を持っていたら、第二次大戦後の悲惨な戦争、テロの大部分は起きなかったはずなのに(>_<)

戦争の遺産の一つは、集合的記憶と呼ばれるもの、つまり具体的に言えば、国家的で愛国主義的な戦争の記憶であり、こうした記憶は今の政治にも影響を及ぼし、政治を歪めることを止めないような記憶である。これらは神話創作、記憶操作、偏狭で愛国的な自己認識の政争あるいは「創作」といった、秘儀的な領域の問題である。

安倍晋三の行動原理。

第二次世界大戦が米ソの冷戦へと道を譲ったとき、アメリカで流行ったのは、その危険性に警鐘を鳴らす、強力な「軍産複合体制」という新しい造語であった。(第二章 第二次世界大戦の遺物 Legacies of World War Ⅱ)

「外敵」と言う言葉が国民を欺く。

1954年から72年までの間に、アメリカ軍は、沖縄に19種類の核兵器を貯蔵していた。1963年から70年までの間に持ち込まれた核兵器の数は1000発以上、
その大半が嘉手納基地に送り込まれている。(第三章 冷戦期における核の恐怖 Cold War Nuclear Terror)

これも日本政府は知ってて知らないふりをしていた。

冷戦の戦争における人的損害の正確な数を出すことは、どんな場合でも不可能である。朝鮮戦争での戦闘での兵員死亡者数は、おそらく80万人近くと思われるが、南北両方の市民の死亡者数はその倍あったと考えられる。ベトナム戦争での死亡者数は共産党政府による推定によると1955年から75年までの間に、市民の犠牲者数200万人、北ベトナムとベトコンの合計死亡者が110万人、これに南ベトナム軍兵士の推定死亡者数30万人を加えるならば、ベトナム人の死亡者総数は340万人にのぼると考えられる。アメリカ側は、2015年時点でベトナム戦争戦没者慰霊碑には2015年時点で5万8307名の死亡者の名前が並んでいる。

「複数の死」などというものはなく、死は「ひとりひとり」のものだと思うのだが、やはり死者の数というものを無視することは出来ない。

1945年からソ連が崩壊した1991年までの間に、アメリカが行った主要な「秘密工作活動」は81件ある。これらの資料から「アメリカの冷戦作戦」には美徳があることを心から信じていたような人間が、通常、ファシストや共産主義迫害者と交わり、目にあまるような非道な行動をとっていたことが判明するのである。これが戦後、これまで小説や映画で人気を博してきた、シニカルなスパイ活動のスリラー物を生み出す材料となってきた。しかし、冷戦期と冷戦後の長い間、こうした工作活動の攻撃目標とされてきた外国組織、集団、家族、個人にとっては、それはフィクションなどではなかった。

工作活動の疑心暗鬼、二重スパイ、裏切り、正当化、拷問、暗殺、扇動、脅迫、暴力……たしかに被害者にとってはたまったものではなかったろう。

CIAによる工作活動は、現実には単純なものでは決してなかった。秘密裏の工作活動としては、暗殺の実行または幇助、右翼独裁者と暗殺団の支援、イラン、グアテマラ、シリア、イラク、南ベトナム、チリ、インドネシアでのクーデターへの資金提供または支援、(カンボジア、コロンビア、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、イラン、イラク、ラオス、ペルー、フィリピン、韓国、南ベトナム、タイ、その他の国々などの)外国の警察が抑圧的で犯罪的な手段をとれるようにするための訓練や支援の提供。アンゴラやコンゴなどのアフリカ諸国で戦う白人のヨーロッパ人や南アフリカ人の勧誘、麻薬や武器の違法売買、秘密の刑務所の運営、殺人・虐待・テロ爆破・経済妨害への直接的間接的関与、偽の情報拡散、表向きは「自由主義的」な学術的・政治的組織の設置と資金提供、(日本やイタリアといった主要国家においてすら行われた)表面上は民主主義的な選挙を腐敗させるための、保守的で右翼的な候補者または政党への資金提供があげられる。(第四章 冷戦期の戦争 Cold War Wars)

アメリカのこういった活動は、まさにワールドワイドにわたって行われていた。

ラテンアメリカ経済史・国際関係史専攻の著名な研究者、ジョン・コウツワースは、1948年から1990年の間に、アメリカ政府は「ラテンアメリカの少なくとも24ヵ国の政府を確実に転覆させた」と述べており、「そのうちの4つはアメリカ軍を直接使って行い、3つはCIAが誘導した革命または暗殺で、17はアメリカの直接介入なしでその国の軍隊または警察を介入させて、通常は軍によるクーデターという形で行った」と説明している。
第二次世界大戦後に行った介入の中でも悪評高いケースは、民主主義的に選ばれたグアテマラ政府(1954年)、ブラジル政府(1964年)、チリ政府(1973年)の転覆である。しかし、1959年初めに独裁主義者フルヘンシオ・バティスタを政権の座から引き下ろしたキューバ革命は、アメリカ政府には如何ともしがたかった。

最近ゲバラ関係の本を読んで、アメリカの対外政策のあまりのひどさに憤りを覚えていた。

アメリカ陸軍の「アメリカ学校」での訓練は、ほとんどスペイン語で行われた。20世紀末までに22ないし23ヵ国から参加した5万5000人にのぼる軍士官と、約1000人の警察官ならびに民間人が、この学校で訓練を受けた。この学校の卒業生のうちかなりの数の者が、アルゼンチン、チリ、コロンビア、グアテマラ、ペルー、エルサルバドル、エクアドル、ホンジュラス、パナマ、ニカラグアで、「汚い戦争」を行う重要な指導者になった。時が経つにつれ、アメリカ学校は「暗殺学校」、「独裁者学校」、「クーデター学校」などという嘲笑的なアダ名で呼ばれるようになった。

ゲバラもこの「アメリカ学校」で訓練を受けたのだ。中東のテロ組織の中にもこの訓練とアメリカからの武器を提供されたものがおおい。

拷問手引書の暴露は、アメリカ政府が秘密工作活動でどれほどひどく民主主義、人権、法の支配を無視していたかについて、その一端を明らかにするのに役立ったが、他の面でも明らかになったことがある。いったい何が行われたのかについて、それをもっともらしく否定する対策が講じられていたという事実である。それは、歪曲表現と礼節尊重というごまかしを用いることで行われた。例えば、暗殺集団は「自由戦士部隊」と称され、「神、祖国と民主主義」のために戦うというようなスローガンが使われた。
拷問手引書の中で、攻撃目標を「無力化する」と書かれているとき、それは殺害を遠回しに表現しているものであると通常は理解されていた。(第五章 代理戦争と代行テロ Proxy War and Surrrogate Terror)

拷問という言葉を聞いただけで、震え上がるMorris.のような臆病者にとっては、その言葉をちらつかされるだけで、あっさり降参してしまうにちがいない(^_^;)

20世紀最後の10年間、アメリカ合衆国は、1945年以来経験しなかったような自信の高まりと祝福を享受した。その最大の理由は、ソ連の崩壊によってアメリカが世界の「唯一の超大国」になったということであった。その上、この勝利感が、お祝い気分をさらに盛り上げる相互に関連した二つの出来事と重なった。
一つは、1991年の短期間の湾岸戦争での見事な勝利であり、もう一つはコンピューター即時応答という「軍事革新」がこの戦争で見られたことである。
宇宙空間ならびにサイバースペースが、これまでの地・海・空という軍事活動領域と同じくらい決定的に重要な領域となった。日常会話の中で、湾岸戦争はしばしば「コンピューター戦争」とも呼ばれるようになった。

おごる米国久しからずぢゃ。

1980年8月に始まった湾岸危機・戦争に動員されたアメリカ軍ならびに多国籍軍の主たる集結場所となった、サウジアラビアの場合を考えてみよう。この期間中、多国籍軍側はサウジアラビアの約15の基地から航空機を発着させている。さらに1992年から2003年の間、アメリカが南イラク上空を「飛行禁止空域」に設定するに際し、アメリカ軍主導の監視飛行の発着地として、サウジアラビア王国は重要な役割を果たした。サウジアラビアに海外の軍隊が物理的に駐屯するということは、多くのイスラム教徒たちにとって、イスラム教の聖地(メッカとメディナ)を冒涜し、アメリカに対するサウジアラビアの隷属を象徴するものとして、とりわけ侮辱的なことであった。9・11攻撃の首謀者であったオサマ・ビン・ラディンは、早くも1996年時点から、アメリカの軍靴が彼の生地である土地の神聖さを汚していると、公然とかつ激しく非難していた。(第六章 世界の旧体制と新体制 1990年代 New and Old World Oreders: 1990s)

アメリカとサウジアラビアの関係は、先般のサウジアラビア人暗殺事件でも見え隠れしていた。

長い間、戦争の恐怖の実感を物理的にもたなかったという歴史のゆえに、2001年の9・11事件で、アメリカ人がどれほど異常とも言える精神的ショックにみまわれたかが理解できるであろう。
アルカイダの自爆攻撃は、日本軍による予告無しの真珠湾攻撃と、太平洋戦争の最終段階で現れた神風特攻パイロットになぞらえられた。政治学者たちは、アメリカが今や「第三次世界大戦」を戦っているのか、それとも「第四次世界大戦」に突入したのかという議論を始めた。
ジョージ・ブッシュ政権は、そのようなヒステリーを現実の戦争政策にまで具体化してしまったのである。
10月7日には、アメリカ軍は、特にイギリス軍からの強い支援を受けて、アフガニスタンのタリバンに戦争をしかけ、同時にイラク侵攻への準備にかかった。その17ヶ月後の2003年3月19日にはイラクに侵攻した。しかしアフガニスタンもイラクも、9・11攻撃には責任がなかった。

イラク戦争の大義名分となった「大量殺戮兵器」が存在しなかったことに関して、CIAの誤認(あるいは誘導)という説が最近になって盛んに取り沙汰されているが、戦争の愚かさは古今東西同じようなもので、それはこれからも続くのだろう(>_<)

イラクにおける作戦は2010年8月まで続き、アメリカ軍の最後の部隊が引き上げるには2011年末までかかった。しかもそれから三年後にアメリカ軍は再びイラクに戻っている。この時期までには、テロ活動と反乱行動は拡大、中東圏と北アフリカ一帯にまで広がった。2010年代半ばまでには、アメリカ合衆国は、シリア、パキスタン、リビア、ソマリア、イエメン、(いまだに)アフガニスタン、その上に再びイラクでも、民兵組織活動によって撹乱させられることになった。アルカイダは、その影響力という面で、アルカイダを模倣するテロ組織の軍勢によって取って代わられていた。IS(イスラム国家)と呼ばれる組織が、イラクとシリアの重要地域を取り囲む形で「カリフ制統治領」を樹立し、世界中のイスラム教徒に対して自分たちが権威を有することを宣言した。テロ攻撃の大部分が、イスラム教徒がイスラム教徒を殺害するという形ではあったが、ヨーロッパやアメリカ合衆国でもテロ攻撃は増加した。
対テロ戦争、とりわけイラクでの戦争にかかると考えられた戦費の見積もり計算は、大幅に縮小評価だった。例えば、ラムズフェルドは、サダム・フセインを滅ぼすためのの経費を500億ドルと考えた、
それから10年以上後に発表された公式細目表によると、直接経費は1兆6000億ドルを越える額となっている。高名な研究者たちによると「イラクとアフガニスタンでの合計の戦費は、アメリカ史の戦争の中で最も高額な、合計4兆ドルから6兆ドルの間であろう」と結論づけている。

6兆ドルというのはMorris.には想像できない額だが、2017年のアメリカの一年間の軍事費に相当するらしい。この軍事費を他のことに使えばどれほどのことが出来るのかと思うと、気が遠くなってしまう。

現在、PTSDとして認識されている症状が、精神障害として認められたのは最近のことである。かつての戦争で俗語(しばしば軽蔑語)として使われた「砲弾ショック」あるいは「戦闘疲労」が、このPTSDである。しかし、PTSDは、アメリカ軍がベトナムから引き上げてから7年後の1980年まで、正式には認められていなかった。

ストレスという言葉が普及するまでは、そういった症状はおおっぴらには言われなかった。ような気がする。

新しいタイプの戦争はそれ以前の戦争と共鳴するものがある。それは、敵と世界中のほとんどの問題を一言で表現するということである。巨悪としての「共産主義」に代って、様々な実利的な理由から「テロ」という言葉が使われるようになった。(第七章 9・11事件と「新しいタイプの戦争」 September 11 and "A New Kind of War")

昨日「共産主義」、今日「テロ」、明日は??

ドミノ現象という隠喩は、冷戦を超えて生き残ることはなかった。1990年代には、「沿岸地域の無秩序」といった類のキャッチフレーズがアメリカ軍内で注目されるようになったが、21世紀の開始期には、「不安定の連鎖拡大反応」により世界が危険になったというイメージが取って代わった。
アメリカの核政策そのものが、「原爆による不安定の連鎖拡大反応」の重要な挑発要因であったし、今もあり続けているということである。強迫観念的とも言える自己中心的「国防」への没頭の危険な落とし穴は、その結果として作られた政策が、通常は、ほかの国からは脅威と見なされ、しかもそうした見方が非合理的だとは言えないことである。軍事面での強大な「技術的非対称性」を維持することへの絶え間ないアメリカの探求は、軍備増強へのあらゆる分野での競争力を維持することで保証されるのである。

戦争あるいは軍備というものが、一部の層の金儲け手段(それも巨額の)ということが、平和への道を妨害している。

イギリスの週刊誌「エコノミスト」が2015年3月に掲載した特集記事「新しい核兵器時代」は、「冷戦の真っ只中の時よりも、核兵器の数は現在のほうが少ないが、核兵器が使われる危険はずっと高いし、強まっている」と結論づけている。
自爆テロリストが核兵器を購入または盗むか、あるいは小型のものを製造したり、(麻薬のように)攻撃目標の国に密かに持ち込んだりする可能性と、「核の恐怖の新しい均衡」を考えると、これはきわめて異様な状況であり、冷戦期と同じくらい脆くて恐ろしい状況となっていると言わざるを得ない。(第八章 不安定の連鎖拡大反応 Arcs of Instability)

核による自爆テロ(>_<) ありえる話である。

論考「アメリカの世紀」は、キリスト教宣教師の情熱を反映していた。ルースは異教徒に神の言葉を広めることに生涯をかける長老派教会の宣教師の息子であった。この宗教的情熱が愛国主義の形をとり、それが今日、我々が「アメリカの例外主義の信条」と呼ぶものにまでなったのである。その心情とは、アメリカ人は美徳とその実践において他のあらゆる人々に優る、しかし、この価値観は世界中の人々と共有できるし、また共有されなければならない、というものである。ところが、そのメッセージの内容は理想主義的で、寛容で、道徳的だが、同時に家父長主義的で、恩着せがましく、ご都合主義と偽善に満ちており、しかも明らかに自己反省と自己批判を欠いていたし、それは今も変わらない。

アメリカの我田引水、夜郎自大主義。

強大な国家安全保障国家を作り上げることで国家を永続的に準戦争状態に置き、それによって民主主義に与えた政治的な危害。たった一日のテロ事件に対して高慢で大げさな反応を示し、将来何十年にもわたる負債を負うことになった、巨額の戦費の浪費。
「アメリカの例外的な美徳」という神秘的観念には、無責任、挑発、残酷な軍事力への陶酔、偏執狂、傲慢、容赦のない犯罪行為に、そして犯罪的怠慢にさえ、真剣に考慮を払うという機能が欠落しているのである。(第九章 75年目の「アメリカの世紀」 The American Century at Seeventy-Five)

アメリカ人である著者の痛烈な自己批判。

吉田茂という人物を通して占領期の「民主化政策」そのものを問うことをテーマとしていた。その結果、「民主化政策」が、実は「帝国日本と新生日本の融和」として進められ、したがって戦前・戦中と戦後の日本政治には根本的に継続している要素が多々あったことを指摘。その上で、日本の保守権力が日米関係(=アメリカへの従属)の中でいかに戦後の政治を支配するようになっていったかを詳細にえぐり出した。
基本的には彼は、軍事大国のアメリカが、天皇制軍国主義の日本、敗戦した日本とどのように対峙し、どのように対応したのかという、常に「比較史」的アプローチを試みている。そうした比較史の彼の視点の基調には、「自国アメリカは一体、どのような歴史を歩んで現在のような暴力的な超軍事大国になってしまったのか」という、底深い批判的な疑問が常に横たわっていると考えられる。
アメリカという強烈な光が日本の歴史に当てられることによって、日本人には見えにくい自己自身の画像を見せられ、知らなかった自分の姿があったことに気がつき驚かされるのである。ここにこそダワー作品の「おもしろさ」の秘訣があるように思える。
ここで描かれているのは、戦後これまでの70年以上にわたる「パックス・アメリカーナ」の追求が、実は、「平和の破壊」をもたらす連続であったということである。すなわち、「暴力的支配」が産み出す「平和の破壊」を、「支配による平和」に変えようとさらなる「暴力」で対処することによって、皮肉にも、「暴力」の強化と拡大を「戦争文化国家」であるアメリカが、世界中で、繰り返し、悪循環的に産み続けてきたという事実である。現在の非常に不安定な世界状況が、いかなる過程を経て発生し、発展してきているのかが簡潔明瞭に理解できる分析となっている。
日本は、このようなアメリカに自国を軍事的にますます従属させるために、このわずか数年の間に、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使容認の閣議決定、明らかに憲法違反である新安保法制導入、沖縄におけるアメリカ軍辺野古基地の強権的な建設、原子力空母ロナルド・レーガンを中心とする第五空母航空団の岩国への移転、戦前・戦中の「治安維持法」なみの悪法である「共謀罪法」の制定などを、次々と推し進めてきた。さらには、北朝鮮攻撃を視野に入れた巡航ミサイル導入の計画や、最終的には憲法九条破棄を目指すスケジュールをも今や具体的に進めつつある。かくして、日本市民はアメリカの「グローバル・テロ戦争」へとますます深く引きずり込まれつつあり、日本社会もまた「戦争文化国家」への道を急速に進みつつある。このような危機的な時期であるからこそ、ダワーのこの著書を、我々自身を見つめる鏡として熟読すべきであろう。(訳者あとがき 田中利幸)

いやあ、この訳者あとがきには、本文以上に(^_^;)Morris.は共鳴してしまったよ。

田中利幸 歴史家、元広島市立大学広島平和研究所享受、著書に『空の戦争史』(講談社現代新書)、共著に『原発とヒロシマ』(岩波ブックレット)、翻訳書にハワード・ジン『テロリズムと戦争』(大月書店)など。



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