「週刊朝日」2012年10月26日
緊急連載
ハシシタ 奴の本性
佐野眞一+本社取材班=今西憲之、村岡正浩

第1回「パーティーにいた謎の人物と博徒だった父」

大阪府知事になって5年弱。橋下徹は一気に政界のスターダムの座をもぎ取った。だが、彼への評価は賛否に分かれ、絶賛と嫌悪の感情は決して混じり合わない。彼の本性をあぶり出すため、ノンフィクション作家・佐野眞一氏と本誌は、彼の血脈をたどる取材を始めた。すると、驚愕の事実が目の前に現れた。第1回は彼の実父の話からはじめる。

2012年9月12日夕刻、大阪の中心部は水曜の平日だというのに、時ならぬ交通渋滞に巻き込まれた。ほとんどの車列は中之島のリーガロイヤルホテルに向かって流れた。

同ホテル三階の「光淋の間」で開かれた「日本維新の会」の旗揚げパーティー会場に上がるエスカレーター前は、午後六時の開場一時間も前から長蛇の列ができた。

老若男女の参加者でごったがえした会場は、人いきれで息苦しささえ感じた。主催者の「大阪維新の会」の関係者によると、一枚ニ万円のパーティー券を六千枚配り、当日は約四千人来場したという。

壇上に立った大阪市長の橋下徹の姿は、このホテルで最も広い会場では豆粒ほどにしか見えなかった。多くの参加者は会場の何ヵ所かにしつらえられた大型スクリーンで、橋下の挨拶を固唾をのむように見守った。

いつも通りのノーネクタイ姿で現れた橋下は、立錐の余地もない会場を満足そうに眺めて、こう口火を切った。

「どの新聞もテレビも、有識者もコメンテーターもバカばっかり。僕が2年前に言った大阪都構想が予測できなかった連中に、三十年、四十年後の日本を語る資格はありません」

橋下は会場の雰囲気が熱を帯びてきた頃合いを見計らって、新党のロゴマークを発表した。大型スクリーンに映し出されたマークは、グリーン地に日本列島の地図が白抜きされ、そこに黒と赤で「維新」と書かれただけのシンプルというより、凡庸なデザインだった。

橋下はそれを眺めニンマリと笑って言った。

「いいですか、良く見て下さい。この地図にはちゃんと尖閣も竹島も北方領土も入っていますからね」

会場から大きな拍手が起きた。橋下はその余韻をしばし楽しむような表情を見せたあと、慣れた手つきでそれを制し、こう宣言した。
「さあこれから、日本国中で大戦が始まりますよ」

新党の結成宣言というより、テキヤの口上だった。その口ぶりを聞いて、昭和末期のバブル時代に一大ブームを巻き起こした細木数子という女占師が、都内の高級ホテルで開いた会費一万円の講演会を思い出した。

田舎芝居じみた登場の仕方といい、聴衆の関心を引き付ける香貝師まがいの身振りといい、橋下と細木の雰囲気はよく似ている。

だが、翌日の読売新聞(大阪)は一面トップでこの日のパーティーを取り上げた。それを見ながら、やれやれと思った。橋下が新党を結成したからと言って、それほど紙面を割くことなのか。

呆れたのは、この日の橋下を「すごいすごい」と報じたテレビがあったことである。このレポーターはいったいこの男のどこを見ているのか。

薄茶色のサングラスをかけ、髪を茶髪に染めたタレント弁護士時代、あるテレビ番組に出演してコメンテーターの橋下を見かけたことがある。大変な人気者らしいが恐ろしく暗い目をした男だな。それが第一印象だった。

橋下はテレビカメラが回るとわざとらしいつくり笑いを浮かべる。だがテレビカメラが回っていないとわかると、たちまち素に戻って暗い顔になる。この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない。

その時の予感は不幸にも当たった。光市母子殺人事件の容疑者弁護団への懲戒請求をテレビで煽り、大阪市職員の刺青調査を断行する。

テレビ講演会などでの言いたい放題の妄言をあげていったらきりがない。能や狂言が好きな人間は変質者、今の日本の政治で一番必要なのは独裁…。

橋下の言葉はすべからくテレビ視聴者を相手にしたポピュリズムでできている。ポピュリズムといっても、それを最初に政治の世界に取り入れた小泉純一郎とは天と地ほどの違いがある。

好き嫌いは別にして小泉の言動が「千人と雖も吾行かん」という信念というか狂気をはらんでいたのに対し、橋下の言動を突き動かしているのは、その場の人気取りだけが目的の動物的衝動である。

ヤクザとの交友関係が発覚して島田紳介が芸能界を引退した時、大阪府知事時代の橋下は「紳介さんはバラエティー番組の宝。僕が府知事になれたのも紳介さんの番組(「行列ができる法律相談所」)に出させてもらったおかげ」と言ってのけた。

そのとき、やはりこのの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、と妙に得心がいった。それだけに橋下徹はテレビがひり出した汚物である、と辺見庸が講演で痛烈に批判したとき、我が意を得た思いだった。

視聴率が稼げるからといって、この男をここまでつけ上がらせ、挙げ句の果てには、将来の総理候補とまで持ち上げてしまったテレビの罪はきわめて重い。

ことごとく橋下翼賛体制化したメディアの中で、この日の旗揚げパーティーの問題点をチクリとさしたのは、本誌「週刊朝日」(2012年9月28日号)の「橋下新党を丸裸にする!」という記事だけだった。

記事には「大阪維新の会」に所属する議員が語った、耳が勃起してきそうなこんな裏話が紹介されている。

「今回のパーティー券(1枚2万円)は、全議員に20枚以上のノルマが課せられていました。しかし、後援者に売ると、議員に販売手数料が入る仕組みになっとるんですわ(笑い)。20枚売ると1枚につき5千円で、10万円。
21枚以上なら1枚1万円と高額になり、かなりの稼ぎになる。100枚以上さばき、儲けたベテラン議員も大勢おりました」

なるほどそういうことだったのか。超満員の大盛況だった割には、会場に熱気のようなものが感じられなかった理由が、このコメントを読んでやっとわかった。

この会は「日本維新の会」の門出を祝ってなけなしのカネをはたく有志の集まりではなく、旗揚げパーティーで一儲けをたくらむダフ屋もどきの連中の集まりだった。

うっかり伸びをすると、指が周りの人の目に刺さるように混雑した会場を回っていると、ひとり黙々と料理を口に運んでいる老人が目についた。大阪・下町の町工場の社長だろうか。阪神タイガースの野球帽をかぶり、背中にはリュックを背負っている。

ニ万円分の会費の元をとろうとでもしてしているのか、いかにもありきたりのパーティー料理をガツガツと食べているのが、むしろほほえましかった。

今年九十歳になるというこの老人に、なぜこの会に参加したのかと尋ねてみた。

すると、老人はそれには直接答えず、まず二つ折りの奇妙な名刺を差し出した。

表には「なんでもかんでも相談所 所長」と書かれ、裏を返すと、「家訓 男は珍棒 女は子宮で勝負する」と書かれていた。

頭の中に「?」がブンブンと飛び交い、思わず相手の顔をまじまじとのぞきこんでしまった。こちらの不信な顔にも眉ひとつ動かさないところが、また大阪人らしかった。

この老人に話しかけて得た唯一の収穫は、橋下のパーティーにはこの種の輩たちが参集したのがはっきりとわかったことだった。

阪神ターガースの帽子をかぶった関西弁丸出しのおっさんは、こんな話から始めた。

「橋下さんの父親は水平社あがり(被差別部落出身)で、それに比べて母親の方は純粋な人やと思う。これは私の持論やねんけど、一般的に子どもは親父の精子が80%、母親の卵子が20%の割合で結合するわけや。けど、橋下さんの場合はこれが逆で、母親の卵子の割合が80%やったと思うんや。だから橋下さんは母親が立派な人やったと思うんですわ。お母さんは女手一つで七人の子どもを立派に育てているわけやろ」

これは七人の子どもを産んだ徹の妻と母親を混同している。徹の母親は実際には徹と四歳年下の妹の二人しか産んでいない。

精子80%、卵子20%の珍説を披露した「なんでもかんでも相談所所長」が橋下と初めて会ったのは、去年の九月だったという。

「北区の区役所で橋下さんの講演会のようなものがあってな。そこで私は、「いまの政治家にはロクなのがいないから、あなたは総理大臣になりなさい」って一席ぶったわけや。そしたら会場はもう万雷の拍手でしたわ」

大阪出身の総理は敗戦を跨いだ鈴木貫太郎と敗戦直後の幣原喜重郎しかいない。京都出身でも戦後は東久邇宮稔彦と芦田均だけである。奈良、兵庫からは宰相は出ていない。平成以降の関西出身総理は"三本指"愛人問題で総辞職した滋賀出身の宇野宗佑がいるが、宇野を関西人と思う大阪人はまずいない。橋下への万雷の拍手は、久々の大阪出身総理に期待する拍手でもあったに違いない。

パーティー券についても聞いてみた。

「パーティー券はうちの会社(自動車部品会社を経営していたが現在は休眠状態だという)の顧問弁護士で大阪市議会議員をやっている人から五口買ったんや。一口ニ万円で十万円。本当は二十五口買おうと思うとったんや。大阪には二十二の区(実際は二十四区)があるやろ。二十五口買えば大阪中がカバーできるやろ」

相変わらず、よくわからない答えだった。

ところでこの会になぜ参加したんですか。本題の質問に移ると、また頓珍漢な答えが返ってきた。

「今の政治家は戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」

橋下も戦争を知りませんよ、そう言おうとしたが、「男は珍棒 女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのをやめた。

いかにも橋下フリークにふさわしい贅六流のファシズムだと思った。だが、品性の点では新党に参加表明した政治家連中より、このおっさんの方がまだ上等だった。

国会議員というより、場末のホストと言ったほうが似合いそうな男たちがもっともらしい顔でひな壇に並んだところは、橋下人気にあやかっているのが丸見えで、その醜悪さは正視できなかった。

新聞は、民主、自民、みんなの党に離党届を出した衆参の国会議員七人が新党に合流した、などと政治記事らしくきれいにまとめた。だが、打算ずくでパーティー券を売ってひと儲けした市議会、府議会議員たちを含めて、こういう下品な連中は、私から言わせれば”人間のクズ”という。

会場で顔見知りのTBS「報道特集」のキャスターの金平茂紀に会い、一言コメントを求められた。そこでこんな感想を述べた。

「日本の歴史が暗転する瞬間に立ち会ったというのが実感です。でも本当のことを言えぼ、こういう見たくもない歴史的瞬間には生きているうちには立ち会いたくなかった」

「日本維新の会」はまもなく行われる総選挙で第一党に躍り出て橋下は日本の救世主になるのか、それとも、いっとき騒がれるだけの関西の衆愚の王≠ナ終わるのか。

橋下のような男が注目を集めているのは、いうまでもなく、日本の議会政治が歴史開闢以来の最低状況というより、いまや完全に機能不全状態に陥っているからである。

橋下の新党旗揚げパーティーから間もなく、民主党の代表選と自民党の総裁選が行われた。だが、どちらの政党も顔ぶれは一向に代わりばえせず、まったく期待できそうにない。

では公明党、共産党はどうか。日本の難局,を突破できるとはとても思えない。「国民の生活が第一」は党名からして怪しくて信用できない。それならいっそ「日本維新の会」にでも投票する以外にないのではないか。

こういう気分が蔓延した日本は、本人が聞いたら「あんな下劣な男と一緒にするな」と墓場の下から怒鳴られそうだが、ワイマール憲法下、少数複数政党の連立内閣が乱立したため政策の安定性を著しく欠き、ヒットラー率いるナチ党が台頭する温床となった1930年代のドイツの政治状況とよく似ている。

出口がまったく見えない長期不況の中で、国民のフラストレーションはたまりにたまっている。その不満の捌け口を親方日の丸の公務員や、経済的に安泰の国会議員に向けて爆発させる橋下の手口は"ハシズム"と呼ばれるように、たしかにヒットラーに似ている。 

だが、初めに断っておけぱ、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。

橋下にはこれといって確固たる政治信条があるわけではない。

橋下にあるのは、古くさい弱肉強食思想と、恵まれない環境で育ったがゆえにそれを逆バネとした自負からくるエリート実力主義、テレビの視聴率至上主義そのままの大衆迎合思想、それに受験戦争を勝ち抜いてきた男らしく
一夜漬けのにわか勉強で身に着けた床屋政談なみの空虚な政治的戯言だけである。

思えば、維新の会の旗揚げパーティーは橋下のピークだった。橋下が竹島は日韓の共同管理以外ないと言ったとき、この男の大半の支持層の右翼ナショナリストを失った。

極論すれば、橋下の考えはすべて世情に阿ったテレビサイズの世界におさまってしまう。そこにこそ橋下人気の秘密がある。逆に言うなら、橋下人気の裏側には保守化する国民の集合的無意識がぺっとりと張りついている。

不気味なのは、橋下の支持者たちが自分の殻に閉じこもって顔を見せないことである。彼らの多くが自分を誇示するのはツイッターの匿名世界だけである。だが、本稿でそれを分析する気はない。

そんなものは、新しいものならうんこにでにでも飛びつきかねないテレビ局御用達のお手軽評論家連中にまかせておけぱいい。

この連載で私が解明しだいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。

もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。

そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。

オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。
いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。

だが、平成の坂本龍馬を気取って維新八策≠ネるマニフェストを掲げ、この国の将来を舵取りしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。

それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。もっとも、一度負け犬になった男をまた起用するほど、日本のテレビは心やさしい世界ではない。それは、橋下が誰よりもよく知っているはずである。

私はそんな事を考えながら、パーティーが始まる前、橋下徹の亡くなった父親をよく知る人物に会い長時間インタビューした。

この人物は、橋下徹の父親の橋下之峯(ユキミネ)の遠戚にあたる。

彼は之峯と同じ八尾の出身である。八尾は今東光原作、勝新太郎が八尾の朝吉を演じて大ヒットした映画「悪名」の舞台として知られた土地である。

「わし、子どものころ、やんちゃしとってな、少年院に入ってたんや。それで出てきたら、アレ(橋下徹)の親と、ワシの知っとる人が一緒になっとった。ワシが十八歳くらいのときやから、今からちょうど五十年前や。そのとき、あのオヤジは水道屋やってたんや」

―― 之峯は「ピキ」とか、「ピッキャン」とか呼ばれていたと聞きました。そう呼ばれたいわれはごぞんじですか。

「ああ、それならワシ、聞いたことあるわ。いつだったか『アニキ、なんでピッキャンなんてしょうもない名前、言うてるの?』って聞いたら、『キューピーに似てるから』って言うてた。あの、人形あるやん? キューピー人形。どっかの週刊誌に『役者みたいな顔してた』なんて書いてあったたけど、あんなんウソや。あんなん役者の顔やないわ。背も低いし、ドラム缶みたいにずんぐりむっくりやし」

―― ケンカも強かった?

「強かった。相撲も強かった。何でそんなに相撲強いのって聞いたら、『奈良の少年刑務所で相撲しとった』って言ってた。いまはどうかしらんけど、奈良の少年刑務所にはその頃、相撲道場があったらしい。ピッキャンは八尾の安中の生まれやけど、子ども時代から悪くて有名やったらしいねん」

橋下之峯の出身地八尾市安中地区には被差別部落がある。

―― ヤクザ組織には入ってたんですか。

「柏原に土井組系の津田組という組があった。そこの若い衆をやっとった」

柏原は之峯の出身地の八尾に隣接した同じ旧中河内郡内の町である。之峯が若い衆だった津田組の上部団体の土井組には、97年に山口組内部の抗争事件で射殺された山口組若頭の宅見勝も若い頃に出入りしていた。

―― ピッキャンは博打はしましたか。

「ワシ一回、河内の志紀にあった博打場の手配師から、来てくれって呼ばれたことがあるんや。そのとき、ピッキャンが博打場でケンカしとったの覚えとる。ケンカの相手は無期懲役で仮釈放されよった男やったけどな。その男が女に手を出そうとしたとき、ピッキャンが血相変えて相手をどつき倒したんや。橋下がテレビで相手をメチャクチャ言うて負かしてしまうのは、ピッキャンの血や」

―― ピッキャンは博打は強かったんですか?

「あんまり強うない。頭かしこくないから」

―― 主にどんな博打だったんですか。

「賽本引きとか、手本引きとか、賽の場合はツキやけど、手本引きは相手の手をある程度読まなあかんでしょ。あんまり賢くなかったピッキャンは、それほど勝てんかったんとちゃうかなあ」

―― 入れ墨は入れてましたか。

「若い頃はちょろちょろっとミッキーマウスの漫画のようなものしとった。でも、自殺する十日前に安中の銭湯で会ったときはすごい入れ墨やった。そんときワシ『なんなんその体?』って聞いたんや。そしたら、おっさんが『ちゃうがな。これはお前、彫師にカネ貸しとって、取りに行ったらカネない言うから、これ(入れ墨)で返しよってん』って言うんや。全身に入っとったな」

―― どんな入れ墨でしたか。

「たぶん龍やった。背中にバーンと、ジンベエ彫り言うてね。背中から膝あたりまで入れとったわ。あれ入れようと思ったら、十万や二十万で入れられへん。何百万もかかる入墨なんちゃうか」

―― 自殺する五時間前にも会ったそうですね。

「会った、電話がかかってきたんや。『来い』言うて。はっきり言って、頭半分狂うとった。もう。脳みそ入れ替えなあかんような、そんな感じやった。ワシ、昔やんちゃしとったし、いろんなヤクザの知り合いおるから、シャブやっとる人間は見たらすぐにわかるねん。もう、目は飛んでるしな。あくる日、知り合いから電話がかかってきて、『ピッキャンがガス管くわえて死んだ』って言うから。誰でも『えー!?』ってなりますやん」

―― ところで、ピッキャンには博S(ヒロトシ)という弟がいますね。

「ああ、おる。丸万土木という土建屋をやってた。その博Sと愛人の間に生まれた子が、金属バット殺人事件をやった。その子が加古川刑務所から出たとき、博Sが面倒見てくれって言うたけど、ワシ面倒見きれんと断った」

橋下徹の父親が自殺しているばかりか、従兄弟が金属バットで人を殺しているという。橋下徹の周りには修羅が渦巻いている。

私は死んだ之峯の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく中上健児の世界だな、と思った。

被差別部落出身という境遇や、自殺、殺人という物語の重要な要素が共通しているだけではない。中上の小説に決まって登場する「秋幸」という主人公の名前が、ピッキャンこと「之峯」という名前とがどこか響き渡っているような感じがしたからである。 (文中敬称略・以下次号)