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この噂を聞きつけて、放送各社はもちろん、音楽関連メディアからも、同行取材の申込が殺到した。
おかげで、私は結果的に、ロハで世界一周ができることになったよ。 スケジュールが混み混みだったから、主な大都市ばかりをあわただしく駆け抜ける日程になったが、行ったところそれぞれに、違いがあって面白かった。
「ここじゃ、誰が金持ちで誰が貧乏人か、みわけがつかないよ」
だって、明るい砂浜でだれもが同じかっこうしてるんだものね。 「どうしてそう思うんだい? ここにもホームレスの野宿者がいるんだぜ」 「野宿者? 地下鉄なんてあるのかい?」 「いや、海岸で夜を明かす奴らのことさ」 ハワイにも乞食がいるなんて、これは一度自分の目で確かめてみたくなった。
なるほど、浜辺に横たわっている野宿者たちの群れが目に止まった。
と、なると、乞食業にとって、ハワイってところは、結構暮らしやすいんじゃないだろうか。 島のどこもかしもが絵のなかみたいな場所柄、ミュージックビデオ撮影もやりやすいところだった。 山には、他の木は一本もなくて、すべて椰子の木ばかり。 夕方、空が夕焼けに染まり、椰子の木のシルエットを背景に、ライブショーを開いた。 私のファンを自称する水着の美女たちと白砂の上でのビデオ撮影。うーーん、ロマンチック。
島全体が保養地で観光地だから、ハワイはどこでも私の公演会場みたいに思えて、とてもいい雰囲気だった。
そんな気分のなかで、こんなことを考えた。 「今、私の前で、楽しげに拍手して、踊りまくってる人々の中にも、夜になると浜辺で野宿する人もいるのかもしれない。
ハワイじゃ、金持ちも乞食もおんなじに楽しめるのにちがいない」
事件は、見渡す限り何もない砂漠に、突然、ほっそりした美女が出現した事に始まる。
ちょうど、そのとき、マネージャーもスタッフも、仕事でその場を離れて、私は一人きりだった。
「この女性も、イパクサのファンなのかなあ?」 それはいくらなんでも、考えられそうにない。 「ひょっとして、私のいかした容姿に一目ぼれしたのかな?」 どうやら、そうでもなさそうだ。 これは夢の中のできごとで、冷えたコーラ瓶の感触があまりに生々しいのが、ちょっと気がかりだが、そんなところだろうと思いかけるところだった。 私は、ピラミッドの前で、ひとしきり愉快そうにポンチャクライブを終えたところだった。
ウソ偽りなしに、ミス・ワールドクラスの美貌とスタイルの謎の美女に、私の胸はちょっと、ドギマギ興奮気味。
「顔がビューチフルなだけでなく、心ねまですっごくビューチフルな女神さまだ」 仙女なのかどうかはおくとして、ともかくもこの恩恵に報いるためどうやって韓国語でお礼を伝えようか、と腐心してるところに、今度は、なぜか、山賊みたいな男がやって来たのだった。 砂漠に砂嵐を巻き起こしながら、すごい勢いで近づいてくる、男の姿は、一言で言えば筋肉の塊だった。
そしたら、その山賊みたいな奴が、私に手を突き出して「モニ!!」っと叫ぶではないか。 「モニってなんだよ? そうか、金(money)を出せってことかあ」 どうして、私のような善良な人間から金を毟り取ろうっていうんだ、と、ちょっぴり負けん気が生じてきた。 「金はないよ」 なるようになれ、って、感じもしたよ。実際、所持金は無かったんだけど、たとえ持ってたとしても、こんな理不尽な野郎から金を強奪されるいわれは無いはずだ。 私の態度が、従順でないとみたのか、その男は険悪な表情で私をにらんだ。
どうしたことか? あの美しい金髪美人が、山賊野郎の腕をとって、くすくす笑いながら話し合ってるではないか。 何が何だかわからなくなってしまった。
さいわい、そのとき、マネージャーが戻ってきた。
「この人に、コーラ代、払わなくちゃ」 「え?あれは、厚意でくれたんじゃなかったのか?」 「二人は夫婦で、子供もいるのさ」 マネージャーの説明を聞いてますます、混乱してしまったが、わかってみれば、この二人は、夫婦で子供まで連れて、砂漠でコーラ売りをやってるんだと。
「それで、コーラ代は、いくらだと言ってる?」 「1万8千ウォンだってさ」 まさか、コーラ一本1万8千ウォンなんて!!
とんでもないやつらだ。
しかし、われらがマネージャーも、したたかだった。
「なんで、こんなやつらと写真撮らなくちゃならないんだ?」 私が、気を悪くしたまま、ぶつくさ言うと、マネージャーが、「しっ」と、唇の前に指を立てて、私に耳打ちした。 「彼らに、イパクサが世界的に有名な歌手で記念写真を撮影するのは光栄な事だと信じさせたんだ。その代わりコーラ代をタダにしろっていうことで、商談成立ってわけさ(^。^)」
80日間世界一周ミュージックビデオ撮影に同行している、私の古くからの相棒で、尊敬する先輩でもあるキム・スイル兄が香港に得着するや否やこう切り出した。 スイル兄も私も、香港旅行は初めてなのに、どこからこんな台詞が出てきたのかというと、古い歌の歌詞にこんなのがあったからだ。 「君知るや 星のさんざめく香港の夜の街」 「私は夢見る花売り娘」 「オルシグ!!」 私 「星がさんざめいて」いたかどうかよくわからなかったが、歌詞にある通り香港は不夜城だった。 燦爛たるネオンの光と喧騒の中、人々はうようよしていて、昼日中に見た風景とは全く別の街のように思えた。 昼にはあんなに静かだった街が、夜には足の踏み場がないほどの人ごみと、商品の氾濫は、奇妙なほどだ。 わが国の南大門市場や東大門市場みたいに衣料品店が軒を並べている路地を通り過ぎながら、ふと妻のことを思い出した。 「この機会に、女房に服でも一着買ってやるか」 「よし、これこそ メイドインホンコンだよな」 「そうともさ」 私たちはある店の前に立ち止った。
「布地の光沢もきれいだし」
大枚8万ウォンをはたいて、その服を買ったまではとっても良かったんだ。後で妻にお土産として渡した時、彼女がどれほど喜んでくれたことかしれない。 ところが、問題はその服を洗濯した後に発生した。
「なんて服なのよ。一度も外に着て出たこともなかったのに???」 せっかくの厚意だったのにこんな始末になって、妻はかなり悲しんでしまった。
そんなこんなで、亭主の面目丸つぶれだったが、これには続きがあるんだ。
てっきり香港製だと信じ込んでいたその服なんだけど、実は南大門市場の商品だったってことさ。
タイでもこれと似たようなことがあった。 裏通りの市場に行けば、電気製品をえらく安く売っているというので、出かけてみたら、綺羅星のように珍しい商品が山のようにあった。 まだタイでは携帯電話が大衆化する前で、煉瓦大の携帯を見かけたし、殆どの商品がわが国より低水準のように思ってたのだが、この裏市はかくも好況を呈しているのだった。 「時計を一つ買ってやろう」 あれこれ物色したものの、特にこれといって買いたいものが見つからない。そのまま踵を返そうとしたところに、ふと、ある腕時計が目に飛び込んできた。 時計くらい持っているけど、現地時刻と韓国時刻が同時に表示できる時計が必要だったのだ。
ホテルに戻り、時刻を確認したら、韓国時刻も正確に表示されていた。 海外に出て、韓国の時刻がわからず、自宅に電話するのにためらうことがよくあった。
今度こそは、値打ちのある買い物をしたようだと、気分も良くなった。 ところが安物買いの銭失いというのか、この時計がまた、たった一日で、動かなくなってしまった。 高いと思ったらぼられてたわけだし、安いと思ったら不良品だし、どうしてこんなとんでもないことばかりにまきこまれるんだろう。 そんなわけで、私はもう外国に出ても、買い物なんかしたくなくなってしまったよ。 かなりの物は韓国に揃ってるし、国産品を愛用しなくちゃね。
それに、韓国でなら、ぼられたり不良品をつかまされたりした時にでも、気が治まらなければ、その店や売り手を探し出して、とっちめることだってできるじゃないか。 「ぼられっぱなし」で終りたくなかったらね。
私は純韓国風食べ物や、キムチ、チゲなんかの付いてない食事は口にできないたちなもんだから。 そんな私が、タイという国で、何を血迷ったのか、この国を旅立つときに、わざわざ持参してたキムチ一瓶を、冷蔵庫に入れたまま、うっかり置き忘れてしまった事件のことを話そう。 タイの首都バンコクでミュージックビデオ撮影を終えて、旅立つ前の日の夜のことだった。 私たちが向かったところは、バンコクでも有名なナイトクラブで、外国人が多く出入りしていて、内装もそれにふさわしい名所だった。 中に入って、まず目に付いたのが、照明に浮かび上がる豪華絢爛な装飾で、それが正真正銘立派なものだという事だった。 テーブルごとに客人がぎっしり座ってて、正装したウエイターが忙しそうに動き回っている姿は、前に見た映画の中の一場面を連想させた。 小奇麗に着飾った紳士淑女が、優雅にワイングラスを傾けている姿が見られると思えば、一方では、男性ばかりの集まりがビールやウイスキーを飲んでいたり--- 率直に言って、私は酒を嗜む方では無いのだが、夜の舞台出演で、こういう場には結構慣れているので、気おくれすることはなかった。 ここでも私がまず雰囲気を把握してしまった。どんな酒の席においてでも、私が酒を飲まないで場に溶け込んでいる事実に気づく人は、ほとんどいないくらいだ。 この日も、始まりはしごく好調だった。 私たちの一行の大部分は男性で、私以外は、みな酒杯を重ねて、ほろ酔い加減だった。 「わあ、悩殺されるーっ!!」 誰かの口からそんな嘆声が漏れた。
客席の前にしつらえられている、回転式の円形舞台に、女性の踊り子が登場したからだった。 10人あまりの踊り子たちはぞくぞくするような水着姿で、踊り始めた。嘆声が出るのもむべなるかなである。 もちろん私は声こそあげなかったが、みんなとんでもない美人ばかりだなと感心したよ。私みたいなものにさえそう思わせるのだから、酔っ払った連中の立場からすれば、マドンナみたいに見えたんだろうな。 音楽がアップテンポからスローなバラードに変り、順番にソロダンスで客におめみえしながら舞台を一回りする。
一種の駄々っ子ぶりバラエティショーみたいな雰囲気が、ここの特色みたいだった。
しばらくしてから、ウエイターが、近づいてきて私たち一行の中のひとりに、こっそり秘密めかして囁いた。 「どれがよろしいか?」 「なんだって?」 他の一行が、関心を覚えたと見るや、そのウエイターと対話した男は 「つまり、気に入った子がいれば、話をつけるってことらしい」と言った。 「ふーん、そうか、誰だって? どこでだ?」 「ついて来い、相席しようぜ」 すっかりほろ酔い気分になり、男たち特有の心悸発動の瞬間ということになる。 こんな場所まで来て、話をつけるとか、相席するとなると、つまるところは男女関係ではないだろうかと思うのは、「ポンチャク」の合いの手みたいなもんだな。 つまり、一方で「ポン」と囃せば、片方で「チャク」と受ける、この間合いのよさが、いわば、ポンチャクの妙味じゃないか。 ともかく、男がいて、そこに女がいる。女がいて、そこに男がいる。 いわば、花と蝶の関係のように、実に自然な状況じゃないか。 「ひとりずつ指名してよ、そしたら連れてくるからさ」 「指名って、何を?」 「女たちの胸に、番号標が付いてるじゃないか」 「番号表?どこ、どこ?」 みんなが、まごつきながら、ひとしきりざわめき、ウエイターの説明どおり、視線を舞台の上に移していった。 たしかに踊っている娘たちの水着の上には、それぞれ番号標がくっついてた。 この期に及んで、私たち一行は舞台の上の麗しいダンサーたちが、実はこのクラブのホステスということが分かってしまった。 そして、さらに驚いたことには、何と、彼女らはすべて、女装した男性だったってことだよ。 「それで、なんだって、水着なんだよ」 全く、どう目を凝らしてみても、男には見えない、完璧なボディスタイルに、魂消ながら眺めて、私たち男性陣の視線は、自然にある一個所に集中した。 で、やっと得た情報によると、あの人たちは、そこを絆創膏で貼り付けているんだということだった。 その言葉を聞いて、ホテルに帰ったものの、考えるほど尾を引いてしまった。 「ほいでもって、絆創膏でくっつけたとしても、全く完全に痕跡を無くすことができるもんだろうか?----
結局、夜が明けるまで、あれやこれや考えて悩んだあげく、ほとんど寝られず、昼寝してるところをたたき起こされてあわてて出発するはずみに、あたら、貴重なキムチ一瓶を省みる余裕もないまま、ホテルをでてしまったという、笑えるような、笑えないような話だったのさ。
ホテルに到着して夕食の直前まで、キムチの事は頭の端にも上らずにいた。 「ひゃーっ、こいつはなんて匂いだ」 荷解きしながら、キムスイル兄が鼻をくんくんさせて、異常な匂いがすると騒いでいる。 鞄を運んできた、ホテルのドアマンも、表情を変えている。ともかく問題が起きたに違いない。 「キムチがもう腐ったのかな?」 私の考えが的中したようだ。 われらがキムチのにおいが、外国ではとかく問題の種になる。 それも一週間以上も、鞄にしまったまま、酷熱の東南アジア諸国を回っているのだから、普通よりかなりひどい状態になってる事は想像がつこうというもの。 妻が心を込めて作ったものだけに、最大限に惜しみ惜しみして、食事ごと水洗いして食卓を楽しませてくれた、 カクトゥギが、瓶ごと、ブクブク泡を吹いている---- どうやら飛行機の中で、ちょっといかれてしまったものと思う。 惜しいけれど仕方が無い。私は酸っぱいキムチは食べられないから、未練を捨ててカクトゥギを、ごみ箱でなく、ホテルの浴室の洗面台にぶちまけてしまった。 なぜ、ごみ箱でなく、洗面台に捨てたかと言うとだね。 ここが大事なところだが、もしや以上を読んで、イパクサと言う人物が、良識の無い人間だと誤解されると行けないから、ちゃんと説明しておこう。 私と言う人間は、公衆道徳を徹底的に守るタイプである。 だからこそ、匂いがひどいカクトゥギを、そのままごみ箱に捨てす、まず、洗面台にいったん出して、水でゆすいで、それから、ビニール袋に入れて、ごみ箱に捨てようと、そういう深い思惑があったということなのだ。 ホテルの部屋には台所が無いので、流し台の代用ということだね。 ところで、白菜キムチの方は、大丈夫かと、はたと思い当たった。 それが、例の、バンコクのゲイバーでのすったもんだで、うっかり、バンコクホテルの冷蔵庫に入れたまま、忘れてきたことに、ここで気づいてしまったわけさ。 それにマネージャーが追い討ちをかけた。 「イパクサニム、これからしばらくは、テンジャンチゲも食べられなくなりましたよ。次の行き先からは、韓国食堂も無いんです」 なんてこったい、とんでもない災難だ。 マネージャーの言葉どおりだと、これから十日近く、何を食えって言うのかい。 うちから持ってきたキムチ、カクトゥギが無くなったことだけでも、相当な苦痛なのに、韓国料理が食べられない、それも十日も---- こう思ったとたん、瞬間的に、私はホテルの部屋に取って返した。 そして後先考えず、浴室に走り込み、さきほどの洗面台にぶちまけたカクトゥギを、もう一度、瓶に回収した。 まあ、洗面台は奇麗だったし、ちゃんと水で洗ったんだから、別状あるまい。 次の食事から、二切れずつでも、食べる事にしよう。 こいつまで無くなったら、ほんとに、どうやって食いつなげるか分からないものなあ。
本当に、このカクトゥギがなかったら、私の体重は、さらに軽くなってたかもしれない。 私の体重は、実に45kgしかないんだ。
なければ、悲劇映画が一本完成する。 タイトルは、 「臨終か危篤か2」といったところかな(+_+)
私の食癖を、えらくおかしいと感じたのか、取材に同行した記者たちは、私の記事を書くたびごとに、 「イパクサはテンジャンチゲ無くしては生きられない」
「80日間世界一周」のミュージックビデオで、テンジャンチゲのない国を回ったときの、渇望ぶりが、同行の記者や、ビデオを見たファンの印象に強く残ったためなのに違いない。
しかし、私だって、テンジャンチゲだけじゃなくて、サムギョプサルだって好きなんだと、記者からインタビューされるたびに言ってるのに、そのことはほとんど書いてもらえない。 それで、今回わざわざある記者に、サムギョプサルのことも書いてくれよと頼んでおいた。その記事が出るのを楽しみに待ってるよ。
ミュージックビデオ撮影には、取材記者だけでなく、日本のイパクサファンクラブの会員たちも同行することもあったんだよ。 そういう時、一緒に食事すると、食堂で、全員が同じメニュー、つまり「オールテンジャンチゲ」になってしまうことが、たびたびあった。 私が、テンジャンチゲの出てくる歌を歌ってるから、よほど好きだと思われてしまったみたいだね。
後で、日本のあるTV番組を見たら、その中で、言葉はすべて日本語なのに、「テンジャンチゲ」だけは、ちゃんと「テンジャンチゲ」と韓国語で紹介されてたよ。 こういうことからすると、誰か、韓国のテンジャン会社からイパクサに表彰状をくれるよう推薦してくれても、バチは当たらないと思うんだけどね。 表彰はともかく、私は、韓国食堂の無い国に行って、キムチやご飯が無くて、飢えるようなことだけはもうごめんだね。
特に、エジプト行ったときはひどかったなあ。 とても、私の口には合わないというか、ともかく、えらくひどい目にあってしまったよ。 有名なカイロのレストランで、食事したのだが、料理の中に、亀やら何やら入ってるような気配で、とうとう、何にも食べられずに出たこともある。
食事も出来ない身体で、いったいどんな気力で、踊りまで踊れたのか---- その上、建てられて三千年も経つピラミッドの前で、駱駝に乗って行く場面を撮影したんだが、あれは冗談でなく、恐ろしくて死にそうだったよ。 駱駝の背中はなんだか気持ち悪くて、身体がゆらゆら揺れてめまいがした。 早くうちに帰って、妻の作った美味しい韓国料理を食べたい。と、いうのが偽らざる私の本心だったよ。 お腹は空いてるし、おまけに、スフィンクスなんていう恐ろしい怪物に睨まれてしまってたしね(;_;)
公園に行ったら象なんか、人間よりめかし込んで、のそりのそりと歩き回っている。
私、イパクサの、ちっこい身体なんか、あっという間に踏み潰されてしまいかねない、危ない状態だったもの。 あの鼻で、ひと吹きされただけでも、吹き飛ばされそうな、そのくらい太くて長い鼻だったよ。 そして、象の脚一本だけと比べても、豆粒みたいにしか見えない私に、撮影監督は、この象の背中に乗って、場内を一周しながら、公演やらないかともちかけた。 「こいつは、絵になるぜ。どうだい?」 男の体面として、断るわけにもいかず、涙をのんで芥子を噛むといった感じでやってみる事にしたよ。 馬とか、牛とかだったらともかく、よりによって、象の背中に乗るなんて、とんでもないことじゃないか。 それなのに、災難は、象ばかりじゃなかった。 公園にはワニもたくさん飼われていた。
最初は、気が動転して錯覚かと思ったが、実はこれが、れっきとしたワニのショーだということがわかった。 次なる災厄は、またしても撮影監督の舌打ちしながらの一言に始まった。
監督はいつも誰かを殺してやろうとばかり考えてるみたいだよ。 そこで日本にいるSONYの社長に電話で文句を言って、どうにかやめる方向に進んだのだが、意外や意外、ここに志願者が現れたのだ。 それこそが、まさにわれらが、とんでもないキーボード奏者、キムスイル兄だった。
ともかく、この兄貴がこの時 「ワニって、好きだな、乗ってみたいなあ」 と、ぼつんとつぶやいた。 「兄貴、怖くないのかい?」 私は、心配になって、問い掛けたのだが、兄貴はまったくそんなことはない、といった風情だった。 余人が兄貴の決定に反旗を掲げるなんて、絶対に出来ないことは、分かりきってるし、当人がこんなにやりたがってる以上、私には止める理由も無くなってしまったよ。
初めて日本進出をはかったときも、彼と二人でタッグを組んでいたからこそ成功したんだ。 韓国では、それほど知名度は高くないみたいだが、日本ではすごい人気者だよ。 「イパクサ公演にキムスイルさんが一緒に演奏するからこそ、コンサート見に行く価値があるんだ」 と広言する日本のファンだって結構いるくらいだ。 つまり、イパクサとキムスイルは「針と糸」のような、お互いに無くてはならない関係にあると言ってよい。 それほど、緊密な関係の歌手と伴奏者だということだよ。 悲しむべきことに、スイル兄は、重度の視覚障害があり、ほとんど目が見えないのだが、先天的音楽感覚だけは、天才的といっていい人物である。 さらに、心が広く、明朗闊達、楽天的な性格なものだから、誰からも愛される人柄でもあるんだよ。 ともかくも、そんな徳ある人物が、ワニに乗るどころか、ワニを抱きかかえて、寝転んだりするなんて、誰が想像できるだろう。 そんな情景を目の前にしながら、私はこれが現実のこととは、とうてい信じられなかった。 スイル兄は、そんなことはおかまいなしに、天真爛漫に、ワニと戯れていたんだから、本当にとんでもない兄貴だね。
思いがけない出し物に、見物人が殺到した事はいうまでもない。
そんなこんな、撮影を無事終えた後、兄貴に問い掛けてみた。 「ほんとに、恐ろしくなかったのかい?」 「全然」 「ゾッとしないか?」 「ゾッとするって? ワニがどんなに可愛い奴か知らないんだな。肌だって手触りが気持ちいいしさ」 「えーい、嘘だろう」 「ほんとだよ。日光浴して乾燥したみたいな感触がすごくいいんだ」
兄貴がどんなに、強調しようと、ワニの皮膚が心地よいなんて、ほんとだろうか? 依然として、ワニに対する警戒心を解くことができずにいる私に、またも、撮影監督が出し抜けに私に新しい提案を申し込んだ。 「イパクサ先生、いっぺん、虎と握手しませんか?」 「な、なんだってえ、ト、トラーっ?!」 「そこの動物園に虎がいるんだよ。その虎はちゃんと訓練されていて、絶対に人間を噛んだりしないんだそうだ」 ワニも嫌だけど、虎と握手だと。 ったく、なんてこったい。 一難去ってまた一難、もう私ははらわたが煮え繰り返って、返事もしなかった。
しかし、撮影監督は、全く気にする風もなく、通訳を呼び寄せて、虎との共演を進めさせようとしている。 通訳「大丈夫だそうです。絶対に危険なことはないと言ってます」 イパクサ「------(無言)」 通訳「一回だけ、軽く握手すれば、いいんですよ」 イパクサ「------(無言)」 通訳「嫌だってことなんでしょうか?」 イパクサ「ガオーーーッ(虎の声帯模写)」 この日の会話はこうして終わりを告げた。 しかし、それにしても、あの撮影監督ときたら----
私はそのころ「アイラブワールドカップ」「2002年ワールドカップ」という2曲のワールドカップソングを作った。 大韓民国の男で、サッカーを嫌いな奴がいるかい? そう、全世界のサッカーの祭典、2002年ワールドカップが、わが韓国で開催されるかもしれないという、期待がその曲を作らせたのだ。 その後しばらくして、韓国と日本の共同開催ということが決定した。 どうやら、これも因縁というやつなのかな。 折も折り、日本で活動を始めた韓国歌手が直接ワールドカップの歌を作ったという事実が、ファンの間にいくらかの驚きをもたらしたみたいだった。 そんなわけで、ワールドカップのテーマソングをイパクサに歌わせたいと、ファンたちが動き始めた。 実のところ私にはその話を聞いて、ちょっと戸惑いの気持ちを隠し切れなかった。 私がワールドカップの歌を作った動機は、単に、韓国男性の共通の思いとして、わが国でのワールドカップ開催を願ってのものだったからだ。 大韓民国国民のサッカーへの純粋な愛情を代弁する曲だった。 それが、共同開催のテーマソングなどという大それたものになるかもしれないというのは、信じられないし、ちょっと負担にさえ感じられた。 しかし、この曲を含むマキシシングルCD「2002
e-pak-sa's spase odyssey」は「祝!!日韓共催」という帯まで付けて、麗々しく発売されてしまった。
歴史と伝統を誇るサッカー強国であるイタリアで、「アイラブワールドカップ」を歌いながら、我知らず、胸が熱くなり、こみあげるものを押さえきれなくなってしまった。 信じられないほど広く巨大な競技場の観覧席の上方まで登り、ローマ中に響き渡れと大声で歌いまくった。 いつの日か、わが大韓民国が世界サッカーの中心国になる日が来るようにとの期待を込めて歌ったのだ。
サッカーのユニフォームを着て、広い競技場で一人、サッカーボールを蹴って、思いのままにときの声を上げたりもしてみた。
私たちも何時の日にか、こんな素晴らしい競技場を持つことが出来るだろうか?
雨の中、そんなことを考えながら、何時間も歌いつづけたので、すっかりおなかが減ってしまった。 ちょうどそのときローマにある、韓国食堂を見つけたとマネージャーが伝えてくれた。 どんなにか嬉しかったことか。 その食堂には、テンジャンチゲとキムチのほかに、ピビンパまであって、韓国料理に飢えていた私を狂喜させてくれた。 久しぶりに味わう故国の味がどれほど懐かしいものかってことは、皆さんにも想像してもらえるだろうね。
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