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バック トゥ ザ パルパル(88)番外編
Morris.の 韓国初旅行記
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番外編 デーウォン旅館の人々
デーウォン旅館中庭 1989/03/04
上の写真は、パルパル旅行の時のものではなく、翌年早春の2回目の旅行時のもの。
89年3月4日のDateがある。左のカーテンの裏が僕の部屋。右がシャワー室。

ソウルには半月も留まってしまった。ソウルが広くて活気に溢れ、見所が多くて、毎日違った刺激があったため、なかなかソウルから抜け出せなかったのも事実だが、外国人(僕もそうだ)専用のこの旅館の居心地が良すぎたせいもある。

バックパッカーのガイドブックには必ず載ってる宿だけに、毎日のように新しい旅人が泊まりにくる。
旅慣れた世界旅行中の若者が多く、彼らはたいてい2,3泊して次の目的地に旅立っていく。

長期滞在者も10人ほどいて、常時20人以上の宿泊客がいたようだ。

中庭の長方形のテーブルは詰めても8人くらいしか座れないので、溢れた客は僕の部屋の前の廊下に座り込んで夜遅くまで、飲んだり無駄話していた。

客の内訳は、日本人と欧米人がそれぞれ3分の1強を占め、残りがアジア、アフリカ、オーストラリアなどだが、南米人には出食わさなかった。

トイレは洋式で二つあるが、片方はシャワーと兼用で、誰かがシャワーを使っていると使えない。
シャワーは順番待ちの状態で、油断をしていると使い損なうこともあった。

僕の泊まった部屋はいちおう個室で、布団を敷いたらほとんど隙間が無くなったから二畳くらいだろう。
夜になると僕もテーブルや廊下で話に加わることもあった。

そうやって知り合った人々のことを思い出すままにメモしてみる。


●やはり、宿のアジュマ(おばさん)のことから書きたい。

主人であるアジョシ(おじさん)もいるのだが、僕が最初にこの宿に入り、まず出会ったのがアジュマで、そのこぼれんばかりの笑顔に引かれて泊まることを即座に決定した。

徴兵中の息子二人と、日本に留学中の娘と三人の母親だそうだが、もっと若く見えた。

日本語も英語も片言だけど、わかりやすく話してくれたし、僕が韓国語の事で質問すると嬉しそうに教えてくれた。

ご主人のアジョシ(おじさん)は小柄で無口だったが、愛想は良かった。

●最初に話し掛けたムン君は在日二世で、ドクター・スポックに似た細面でなかなかハンサムだった。

あまり韓国語は出来ないと言ってたが、発音は流石にしっかりしてて、先生と呼んで色々教わったが、生徒の出来が悪くて、あまり進歩は見られなかった。

二十歳過ぎたばかりくらいだろう。

一緒にフェドパブ食べに行こうと約束しながら、果たせなかったのが残念だ。

デーウォンの外人向け名刺 ●デーウォン旅館に住み着いて一番デカい面をしている内田君 は、三十代半ばのイラストレーター(本人はファインアーチストだと言ってた)。

作品を見せてもらったが、顔からは想像もつかない可愛いキャラクタで、猫の顔が原田治の作品に似ていると思ったら、彼の弟子筋のような事を後で聞いた。

僕がan-an創刊当時の頃から原田治を好きだったといったら、ちょっと見直してくれたみたいだ。

自己顕示欲の塊のような性格で、毎朝聞きもしないのに今日の予定を声高に復唱して、この服でいいかな?とか、こういうことがあったらどうしようとか、とめどもなく喋り続ける。

鼻持ちならないタイプだと彼を嫌う客も多かったが、彼の場合どこか可愛い気があって、僕はそれほど嫌いではなかった。

●世界三十ヶ国を回ったという西野君は、理屈屋の話し好きで、愛敬のある顔で結構ずばずばと人を非難する。

タイがすごく気に入ってるらしく、僕にも行くように熱心に勧めてくれた。

夜更けに、ヒマラヤのエベレスト山はチョモランマと呼ぶべきだとか、写真は真実を写すから写真だけしか信じないなどと言うので、僕とちょっと議論になったりもしたが、今はそれも懐かしい。

●三重県から来た造園屋の次男坊の中野君は、真面目で、おとなしくて、礼儀正しいという、この宿とは場違いの感じのタイプだったが、板門店を見ることに対して、すごく熱意を持って語ってくれた。

僕より年上だと思ったのだが、実は5歳も年下だった。

●渡辺徹にそっくりの小島君は、僕と同様海外旅行は初めてで、素直で人懐こい性格が全体からにじみ出ていた。
キョンジュでチェン君から貰った素焼きのお面の一つをお裾分けした。

●寡黙で仏像のような顔の黒田君とは、あまり話しも出来なかったが、根っからの旅人という感じがした。

アジアのほとんどの国と、アフリカにも回ってきたらしい。

●高校を卒業してすぐアフリカに行き、ちょっと身体を悪くして帰国する途中の川村君 は、童顔でまだ高校生で通りそうだった。

中学のときからの夢だったアフリカ行きを果たしたところだったのに、と、ちょっと淋しそうだった。

デーウォン地図 ●タイ、中近東など10ヶ月の旅を終えて、トランジットでソウルに立ち寄った毛利君 とは、一番波長が合って、飯食いに行ったり、博物館や町を一緒に回ったりした。

若いのに大人びてて、将来は商売やって金儲けて、北海道にオートバイのレース場を作りたいと夢を語り、今回の旅もそのための布石だと聞いて、圧倒されてしまう。

鹿野君は商売人で、世界各国を回り、英語が堪能で喋り慣れている感じがした。
アジア人とバックパッカー蔑視の傾向があって、ちょっと客と物議をかもしたりもした。日本では冴えない人間が、アジアで劣等感の補償行為をやっているという意見は、一面の真理をついているなとも思った。

●沖縄の写真館の若旦那、平良君は、西宮の三浦さんと顔がそっくりで、初めて会ったときはびっくりした。

飲んべでスケベでお人好し、と三拍子揃っていて、誰彼と連れ立って毎晩のように色町へ通っていた。

台湾に何年か住んでいたとかで、あちらの情報を聞けたのは嬉しかった。

●デーウォンで知り合ったほとんど唯一の日本人女性、西野さん は、漢方の薬剤師だそうで、結構色んなところを旅してるし、韓国でも僕のコースの先々を行ってるようだった。

僕のソウル滞在の間に、アンドンの民俗村も、ソラクサンもさっさと回って、僕のぐうたらぶりを行動で叱咤されているような気もした。

インドで男娼に売り込みをかけられた話しなどは面白かった。

渡辺君は本当にゆったりした感じの好漢で、扶余の白馬江で彼のことを思い出した。

今回会った中では一番韓国語の出来る日本人旅行者だったので、もう少し話しを聞きたかった一人。

●すっかりデーウォン旅館に馴染んでしまっているピエヌ は、タイ人で40歳くらい。

質素で規則正しい生活を実践していた。

無駄な肉は全くない、鍛えられた見事な肉体を毎日の訓練で維持しているようだ。

ピエヌも僕のことを気に入ってくれたらしくて、毎朝短い会話を交わした。

結婚はしていないが、タイには二人の娘がいるとか、僕もタイに行くよう強く勧められた。

●札幌大学のTシャツを着ていたミッキー(本名はデビッドなのにこう呼んでくれと言った)は、妻子連れのパッカーで、イスラエル人。

夫婦のパッカーは見たことはあるが、子連れには初めてお目にかかった。

奥さんは小柄でまだ学生のように見えたし、男の子は生後9ヶ月、育児をしながらの旅は大変だろうと思うのだが、彼らは、それを何の気負いもなくやってのけているようで、感服した。

ミセス・ギャンブラー、と言うのはもちろん仇名だが、本名は聞きそびれた。

中年のイギリス婦人で、夜遅くまでトランプや覚えたての花札に熱中していた。
僕も一度だけ花札のお相手をしたが、ルールが違うと叱られてしまった。

酒も好きらしかったが、溺れるほどではなかった。

イーファットは小柄なイスラエル女性で、ヨーヨーをやろうとしても背が低すぎて地面にぶつけて失敗してしまう。

仕種や口ぶりがとても可愛くて、うっかり僕が

「Why are you so pretty?」

と、質問したときのリアクションの表情は忘れられない。

デーウォン旅館中庭より出口を望むモニカは引込み思案で、宿に馴染めずにいたので、こちらから話し掛けてみたら、スイス人で、韓国料理が口に合わないのと、ドイツ語が通じないので弱っていたらしい。

二日ほど後にドイツ語の堪能な米人がやってきてから、見違えるように明るくなった。

チャックは陽気なイスラエル娘で、若い彼氏と婚前旅行といった風情だった。

黒柳徹子ほどではないが早口のお喋りで、ついていくのに骨が折れるが楽しかった。

ヘブライ語の挨拶などを教えてもらい、変わりにハングルを教えたりしたが、勉強にはならなかった。

シッツは漆黒のガーナ人で、まだ23歳の大学生。

経済学を専攻していて、将来は貿易関係の仕事をしたいと言ってた。

母国に荷物を送ろうと、ダンボールで箱を作っていたが、あまりの下手さを見かねて手伝ってやった。

それにしても黒人の年齢は見当がつかない、最初彼のことをてっきり30代のビジネスマンと思ってしまった。

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