ソウルの熱い夜
●ソウル音樂社社長との夜●光化荘の夜●Ken Mizuno vs 西便制作者

●ユンユミ-あしやん-Morris.●163cm 172cm 181cm●番外篇・飛田で李博士
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オフ後ノレバン前で記念撮影
光化荘vs千里眼日韓合同オフ(96/05/04)

日本の最大手パソコン通信NIFT YのHP(ホームパーティ)「光化荘」(正式名称韓国ポピュラー音楽研究会)と、韓国の大手パソ通「千里眼−−チョリアン)の日本語同好会とは、通信を通じて交流を深めているが、昨年ソウルで、双方の会員が集まってのオフが開催され成功を収めた。Morris.(僕のことね)も参加したかったのだが、何しろ地震の後の仮住居状態で涙を呑んだ。
それだけに今年こそは、と渡韓前から期待が高まっていた。 2日の夜に合同オフの打ち合せも兼ねての懇親会があり、Morris .はこれにも参加。この日は会場の下見の後、ソウルガーデン(一昨年の結婚式オフ会場)で焼肉を食べてから、お決まりのノレバンで軽く喉ならし。
4日は午後5時半鍾路のウェンディーズの2F集合。定刻に行ったらすでに数人が来ていて、顔見知りも入れば初対面もいて、だんだん人数が増えるにしたがって席を占領して、2Fの半分くらいは日韓入り混じりの異様な雰囲気を醸し出していた。YUKI会長は新入会員のちっこぉさんといつもツーショットで精力的に会員とのコミュニケーションに努めておられるし(実はこの時すでに二人は「出来て」いて、帰国後すぐに結婚宣言をされた。祝賀ハプシダ!!)、百濟大王はお母さんといっしょに参加してるわ、山崎さんは大邱からわざわざ来たペンパルとその友$v達(もちろん二人とも女の子)との応対におおわらわ。Morris .も通訳に狩り出されたが、あまり役にたたなかったようだ。
Morris .は強引に誘ったユンユミさん(後述)が遅いのでやきもきしていたが、ぎりぎりに彼女も間に合って、全員で会場の「新羅」へ。「新羅」は時々利用する韓食堂で、会場の3Fに行ったら、びっくりするほど多くの参加者でごったがえしていた。結局この日の参加者は70人以上。日本語、韓国語半々で話題は盛り上がっていた。Morris .は折角この日のために作ってきた名刺を旅館に置き忘れてしまったこともあって、あまり挨拶にもまわらず、ひたすらビールと焼肉をたいらげるのに忙しかった。異常ににまめな、寺島さんがこの一部始終をビデオに収めたものを後日見ることが出来て、やっとこの日の大略を知ることができた次第。しかし、日本人と韓国人を顔で見分けるのはむずかしい、と改めて思った。典型的な韓国人だと思ったら日本人だったり、その逆もあったり。まあ、Morris .は韓国人に間違えられることはほとんどない(たまに東南アジアとかいわれるが)けど。
会場には中央日報のイェヨンジュン記者も参加していて、取材を兼ねて色々話し掛けられた。翌日、YUKI会長初め数人で新聞社に出向きインタビューを受けたがこの時の記事は後日同紙に掲載されたらしい。
しかし、こんなに人数が多いと全部とのコンタクトなんてまるで無理で、数人の知合いと雑談した他は、外国語大学でスワヒリ語を専攻して、今は日本語の翻訳や雑誌のライターなどやってるチョンユソンさんと漫画や映画の話をしたのが印象深かった。(彼女とは、数日後に一度デート!!した。)
二次会は当然ノレバンへ。でも何しろ大人数なので、探すのにも手間取ったが結局 5人ずつくらいに分散して数室を貸切り、リミットの午前 0時まで唄い続けたことは言うまでもない。掲載の記念写真はノレバン終了後のものだ。

ソウル音楽社社長との夜(96/05/06)

東大門市場の東南部にある清溪川7街から8街にわたる市場は通称「ピョルクシジャン=蚤の市」と呼ばれている。僕はもっと直截に「泥棒市」と呼んでいるのだが、いわゆる観光コースに飽きた僕のような者にとって、ここほど面白いところはない。Morris .は一昨年ここを発見していらい病みつきになり、ソウルに行く度にこの付近を徘徊しまくっている。ここは古い高層アパートの前の細い通りで、アパートの1階が店舗になっていて、その商店街もそれぞれ面白いのだが、日中はその前に無数の屋台が店を開く。内容は、衣料、骨董品、CD、ビデオテープ、カセットテープ、レコード、薬、健康機械、電器製品、美軍(アメリカ軍)の放出品、輸入食料等々多伎にわたっているというより、何でもありの世界で、その品揃えもさることながら、全体に漂う「怪しい」雰囲気と、異常な活気がもう、たまらん状態にさせてくれる。特にケースさえない裸のカセットテープの山盛りバラ売りやCDの均一セールなんかそれだけでほとんど一日潰れてしまう。
これが土、日ともなると、完全に車道の一車線を完全に占拠して屋台の複線化が実現するのだから、もう、言うことなしだ。と、言うわけで今回の韓国旅行でもソウル滞在12日の間になんと10回以上も通い詰めた(日に2回行ったことも)Morris.だった。
そのピョルクシジャンの東端の方のアパート1Fに「ソウル音楽社」はある。ここは筋金入りのポンチャク専門店だ。入口前のワゴンにはポンチャクのテープやCDが積み重ねてあるし、内部はもう、ポンチャクの洪水状態。もちろんスピーカーからはガンガンポンチャクディスコが流れている。今回はこれでかかっていた「ヤングダンスミュージック」が最高だった。最新のラップ曲までをしっかりポンチャクディスコに換骨奪胎した名(迷)作テープで、これは数人に強制的に買わせてしまったくらいだ。ここのパクミョンウ社長も当然ポンチャク大好きで、何度か通ううちに顔なじみになった。普段社長はあまり店にいなくて、たいてい奥さんと親戚(たぶん)のアガシが店番している。
京都ポンチャク学派の百濟大王は、今回母親同行であまり時間が取れなかったため、彼の帰国前日の 6日の昼間に、山村荘主ニムとともに紹介方々音楽社へ案内した。案の定、大王はもう、その品揃えに狂乱状態となり、午後の予定を済ませてまた夜に訪れるとの熱狂ぶり、ちょうど$g店にいた社長とポンチャク談議がはずみ、その勢いで、夜9時に閉店後ノレバンに繰り出そうとの話がまとまってしまった。Morris .は調子にのって泥棒市の古着屋で光もののステージ衣装と派手なブレスレットまで買込む始末。夜8時に3人待合わせて「音楽社」に集まり、またテープやCDを物色してるところに社長も現われて、9時に出発。
さあ、ノレバンに繰り出そうと思ったら、社長が自分の知ってる店に行こうと言う。両手には売り物のレーザーディスクまで携えてる。予想外の展開にどきまぎしながら、タクシーで乗りつけたのは「デミョン−−大明」と言う、カラオケバー。地下にあって、中には小さなステージまである。すでに数組の客が来ていて、中の一組なんかかなり酔っ払ってた。社長は親戚のイウンヨンさんというアガシまで呼んでて、奥の一番広い席に陣取った。実はMorris.はノレバン(カラオケボックス)なら、勝手知ったるなんだけど、こんな店は初めてで、知らない客の前で唄うなんてのも今までにないことなのでちょっと気後れしていた。しかし、社長の好意に報わなくてはと、大王と二人で唄った1曲目がキムヘヨンの「ソウル・テジョン・テグ・プサン・チッコォ!!」。これでちょっと緊張もほぐれたので、大王がソロで唄ったりウンヨンさんとデュエットしたり、Morris .も十八番の「サランヘッソヨ」唄ったりしたら、別のテーブルの連中に大受けで、ビール振舞ってもらったり、名刺交換などしたが、実は彼らこそは目茶苦茶歌のうまい連中だった。
しかし、だんだん酔いの回ってきたMorris .は調子に乗ってどんどん歌うわ、マイクの取合いはするわ、最初の酔っ払った客が帰った後では大王と件の「トクトヌンウリタン−−独島はわが領土」まで歌うという暴挙に出た。この時は他の韓国人客数人もステージに乱入、時ならぬ日韓ノレバトルとなったのだが、大変な結果にはならずに済んだ。それにしても今思うと冷や汗ものではある。和んでしまったわしらは他人の歌に合わせて踊るわ、トゥルルルルルルルルルッリッヒ〜〜を連発するわ、盛り上がるだけ盛り上がってしまったのだ。大王はもちろん、冷静なふりを装っていた山村荘主ニムまでが袖の方で踊りまくっていたのを、Morris.の酔眼は見逃さなかった。散々楽しんで、再会を約して別れてタクシーで光化荘に戻ったらとっくに 0時を越えていた。
翌日の夕方、音楽社の店先で、さらにポンチャクテープを物色するMorris .の姿が見られたと言う、噂もあるが、定かではない。

光化荘の夜(96/05/02-06)

光化荘と言うのは先にも書いたようにパソ通のHPの通称なのだが、ソウルの世宗文化会館近くにある旅館の名前でもある。と、言うよりこの旅館の名前をHPの通称に借用したのだ。
YUKI会長や会員がこの旅館を常宿にしていたので、そう言うことになったのだが、1室1泊 20000ウォンで、何か催しがあったりすると会員の巣窟に早変わりして、一部屋に数人が雑魚寝することも珍しくない(これだと、一人頭千円以下で泊まれる)と言う。今回の日韓合同オフ前後にはやはり相当数の会員がここを根城にした。わだのり、ちっこー、荘主、Morris.、DEKO、ビートル(敬称略)
Morris.は5月1日からここに泊まり、初めは一人部屋だったが、翌日からは山村荘主ニムと同室になった。びーとるさんや、DEKOさんは部屋の電話回線をいじりまくっては、ノートパソコンで日本に接続したり、やり放題。会員が増えてくると当然夜は宴会となる。今回は両隣が会員部屋で苦情が少ないだろうと言う理由でワダノリさんの部屋を会場に数回の宴会が行われた。もとより、韓国歌謡オタクだらけの会員の集まりなので、話題はもっぱらそっち方面。BGMは買ったばかりのCDの品定め。メクチュ(ビール)にソジュ(焼酎)ウィスキーと酒には不自由なしで、結構夜遅くまで飲んで騒いでしまった。
だいたい、昼間はみんな勝手に見物や買い物に回り夜はカラオケやって、その後の宴会だから、結構なパワーだ。韓国でこんなに日本人と一緒に行動したことのないMorris.は、これじゃ日本にいるのと大差ないと思ってしまったくらい。お開きになって部屋に戻っても、荘主ニムの携帯スピーカーをウォークマンに接続してポンチャックテープエンドレスで朝までかけっぱなしの日々だったので、荘主ニムには迷惑かけたものと思う。

Ken Mizuno vs. 西便制作者(96/05/08)

日韓合同オフで初体面のtekotekoさんは、日本人で、光化荘の仲間だが現在ソウル在住である。オフではゆっくり話せなかったので、しばらくソウルに居るのなら後で会おうと携帯電話の番号を教えてもらった。
ゴールデンウィークも終わり、光化荘の仲間も皆帰国した 8日の夕方、高級ブティックの立ち並ぶアクジョンドンを見物してたMorris.は、確かtekotekoさんがこの付近に住まれてることを思い出して、携帯に電話したところ、今、ミョンドンでKen Mizunoさんと西便制の原作者イチョンジュンさんといっしょに会食中だと言われてびっくりしてしまった。高名な作家がいっしょだから驚いたのではない。Morris.にとって、Ken Mizunoさんという名は、非常に大きな存在だったからだ。
3年ほど前パソ通を始めたばかりの頃、FLMと言う外国語専門のフォーラムがあって、そこには、Morris.の想像を絶するばかりの韓国通、あるいは韓国語の専門家が蝟集していた。その中でも一頭地を抜いた存在がKen Mizunoさんだった。韓国語、韓国文学の知識の深さはもちろん、質量共にすごい書込みの文章も、明晰で端正、徒らにレトリックを弄せずして機知に富んだ文体、難しい言葉を使わずに難しいことを噛み砕いて示唆する啓蒙的内容、まあ、ようするにMorris.と正反対の文章だ。世の中にはこんなすごい人がいるものか、と感心というより呆れかえっていたのだが、それに加えて、専門のコンピュータソフトソフトプログラムで、日本語のコンピュータにローマ字表記からハングルを生成するHR体系(この説明は長くなるし、自信もないので割愛)を完成させたことだけでもMorris.に取っては魔法使いみたいな存在の人だった。
そのFL Mもシスオペの無茶苦茶が原因で、心ある会員は全て脱退し流浪の民化してしまったのだが、その話も始めると、目茶苦茶長くなるので割愛して、と、現在Ken MizunoさんはAGORAと言うプライベートフォーラム内で「アタゴオルのハングル工房」と言う場を中心に活躍されてるが、ここは余りにもレベルが高くてMorris.は正式入会するのをびびっている状態。
しっかし、この、もってまわった長ったらしくも、収拾のつかない文章はどうにかならないものか、だから、Ken Mizunoさんの文章はこれの対極にあるわけだ、と言う見本を呈示しているわけだな、う〜〜ん、いかん、一向に話が前に進まない。
すべて、はしょって、そのKen Mizunoさんと、初めて直に会えるかもしれないと言う、期待と不安(そりゃそうでしょ)を抱きつつ、同席が叶うかどうかお伺を立てたら、快く承諾されて、ミョンドンへ飛んで行ったMorris.だった。
Ken Mizunoさんが宿泊してる世宗ホテル前で、tekotekoさんに拾ってもらい、すぐ近くの韓食堂で紹介もそこそこに、白熱していたイチョンジュン氏とKen Mizunoさんの会話を拝聴することになる。Ken MizunoさんがAGORAで「西便制」のテキスト購読をするのに、著作権問題をクリアするために、直接原作者の承諾を受けようと言うのが、今回の会食の目的だったらしい。お二人があまりに親しく熱の入った話されてるので、お互いに旧知の仲と思ったが、実はその日が初対面だったと後で聞いてまたびっくり。話の内容はMorris.の実力ではほとんど聞き取れなかったが、Ken Mizunoさんの作家への敬愛と理解の深さ、イチョンジュン氏がそれに真摯に対応されてることは見てとれた。
ほとんど食事は終わった頃だったのに、わざわざMorris.のために一皿追加してもらい、恐れ多くも二方からとぎれなくメクチュを注いでもらい、例によって酔いがまわると、図々しくも二人の会話に割り込んで、映画「西便制」の感想やら、封切り直前の「チュクチェ−−祝祭」(監督、原作者は西便制と同じ)の話題、日本での反応など、今思えば恥ずかしいが、臆面も無くブロークンハングンマルを披露してしまった。
しばらく席を外していたtekotekoさんが知合いの韓国女性を連れて戻られてからも5人で、次から次に話の種は尽きることが無かったが、考えるとMorris.一人がほとんど内容わからないまま話に加わってたことになる。辛うじて覚えてるのはノーチョンガク(独身老人)のMorris.のことを、イチョンジュン氏が四字熟語で「チョンハコア−−天涯孤児」だと言われたことと、Ken MizunoさんからMorris.の韓国語は母音がなってないから「ボディコンシャスならぬ母音コンシャス」であれと、注意され、Morris.が「ボインコンって言うと、まるで巨乳コンプレックスみたいだ」などと、つまらぬ茶々入れたことくらい。(何という彼我のギャップよ)
10時前にお開きとなり、イチョンジュン氏は知人宅に、tekotekoさんと韓国女性は夜の街に消えて行かれたが、まだ話したりないMorris.は世宗ホテルのバーで、メクチュかたむけながら、また一頻り話に花を咲かせ、さらには階上のKen Mizunoさんの部屋にまでお邪魔して、備品のケンメクチュ(缶ビールね)を呑んで、うだをあげてしまった。やっぱり飲むと、つい話題はFLMのことになり、お門違いとはわかりつつも「FKOREA」を作ってくれ、と駄々をこねる始末。
途中日本の愛妻にラブコールするKen Mizunoさんのなかなかの愛妻家ぶりならびに親馬鹿ぶりを垣間見させてもらった。 Ken Mizunoさんは想像していたより童顔であらせられました。少年がそのまま大人になったような感じで、精神的にも若々しいのだろうな。Morris .の場合単に「子供っぽい」わけで、この辺が似て非なるところ。翌朝仕事があると聞いていたので、深夜1時頃に失礼してタクシーで光化荘に戻ったのだが、そうでなければ朝まで話し続けていただろう、と思うくらい話したいことが多過ぎて困るくらい。めったにこんな経験はできない。
Ken Mizunoさんとの奇遇は今回の韓国旅行での一番貴重な(カンスージーと握手したことよりも)出会いだったと思う。

ユンユミ・あしやん・Morris.(96/05/11)

あしやん(芦屋在住なので)はパソ通仲間で、当然今回の日韓合同オフ参加予定だったのが航空券の予約が取れず参加できなかった。それでもMorris.がいる間にソウルに来るからその時会おうと約束して、彼が来る12日の午後は光化荘で待つことにした。 2時頃到着したあしやんは翌日には帰国するという。とてもMorris.には考えられない日程だが、オープン航空券の期限の関係でそうしたとのこと。
ともかくも、二人の共通の目的は、その夜に予定していたユンユミさん(後述)とのノレバンオフに尽きるのだったが、果たして彼女は来てくれるのだろうかと言う、一抹の不安をいだきながら、待合わせのウェンディーズで待つこと40分、半分諦めた頃に彼女が現われたときには、本当に嬉しかった。例の「新羅」で腹拵えしたあと、あしやんの発案でオラクシル(娯楽室−−ゲームセンター)で遊んだり、ミュージックランドでシール写真撮ったりしたあと、お目当てのノレバンへ。あしやん&ユミさんツーショット(プリクラ)
初めから 2時間予約と強気の 3人、Morris.はちゃんと衣装持参だし、あしやんは新曲攻めで頑張った(何故かあしやんが歌うと高得点続き)けど、やっぱり、ノリの良さとレパートリーでユミさんの圧勝。何たって、最初から最後までほとんど踊りづめ(座ったままだけど)で、合いの手もばっちり決まるし、こんないいノレバンチングはいない、と、この時Morris.とあしやんは大阪でのユミさん歓迎ノレバンオフの実現を固く心に誓ったのだ。
彼女はポンチャクからバラード、ラップまで、OKだが、今回歌った中ではDJ.DOC.の「ミニョワヤス−−美女と野獣」がすごく気にいってしまった。次回にはこの曲をデュエットしたいものだ。しかしめちゃくちゃむずかしそうだぞ。

16 3p、17 2p、18 1p(96/05/12)

釜山女子商業高校の文化祭で知合い、その後ずっと文通を続けてる高慶玉さんは、卒業して数年間実業団のバスケット選手生活を送ったあと、今は地元ウルサンの中学でバスケットのコーチをやっている。日曜日しか時間がないので、旅行の最後の日曜に釜山女子高前で待合わせることにしたのはいいのだが、前夜に例のあしやんとユンユミさんとの約束が入り、当日の朝金浦空港から釜山の金海空港まで初めて国内便を利用することにした。ところが、金海空港から釜山市内までの道が大渋滞で、途中でバスを下り、地下鉄に乗り換えて、なんとかぎりぎりに待合わせ場所に到着。これならセマウル使った方が早かったことになる。実はまだ僕はセマウルにも乗ったことがないのだ。
半年ぶりに会った慶玉さんは、相変わらず背が高くて(当たり前だ=172p)元気そうだった。何か今までに食べたことの無い韓国料理食べたいと、注文を付けて、ナンポドンを冷やかして「アグチム」専門と言う店に入った。魚と言うことはわかったが辞書を見てもこれは出てこない。白身の魚のブツ切りに野菜と大量のコチュ(唐辛子)で和えて炒めたような料理で、正直言ってやや閉口気味だった。結局これは「アグィ=鮟鱇」の釜山訛だったようだ。ノレバンで酷使した喉はこの辛い料理で更にひどい状態になった。
地下鉄でソミョンに出て、昨年末完成したロッテデパート冷やかして、夕食には彼女のバスケット部の先輩を誘おうと言うことになり、その先輩の住んでる釜山大学前まで移動した。きっと、また背が高いんだろうな、と思っていたら、案の定、待合わせ場所に現われたチャンジンスクさんは慶玉さんよりさらに長身だった。何と181pだと。僕が163pだから、3人で並ぶとちょうど 9pずつの段差で美しい斜線を描くことになる。でも、ちょっと中島みゆきに似てるジンスクさんは明るくて気さくで、初対面でもすぐ仲良くなれた。
夕食は「タッコギ=鶏の鉄板焼」と決めて、一番流行ってそうな店を選んで席についた。このタッコギはチュンチョンの名物料理で、以前仲良しのヤン君ファン君と車でチュンチョンまで食べに行ったことがあるが、安くてうまくてボリュームたっぷりのお勧め料理なのだが、旅行中は単独行動の多い僕には、なかなか食べる機会が少ないので、この時こそと、張切り、思い切り食べてまたメクチュ飲んだ。この料理も結構辛目で、僕の喉はほぼガラガラ状態だったが、それでも強引にノレバンに行くことにした。結果は散々だったが、意外にもジンスクさんがトロットファン(特にシムスボン)だったので、ポンチャク風合いの手を入れて、盛り上がることができた。
それにしても今回の韓国旅行では、よくノレバンに通ったなあ、と、締めくくりの釜山の夜で喉の痛みを我慢しながら感慨にふけったものだが、この喉の痛みとガラガラ声は、帰国後 2週間も治らなかった。

[番外篇]飛田で李博士(96/04/21)

ポンチャクの帝王李博士(イパクサ)が、4月1日に日本の歌謡曲をポンチャクディスコ化したCDを日本で発売した。これに伴うキャンペーンとして、大阪アメリカ村のタワーレコード1Fで本邦初公開のミニライブが開かれると言うので、昨年からすっかり彼のファンになってしまってた僕は、当日(4月21日)昼前、パソ通仲間数人と待合わせて現場へ急いだ。
タワーでは件のCD購入者に整理券を出すとのことだったが、結局ライブは勝手に見れることがわかり、当然のような顔して一番前で出番を待つ。知合いはきだちゃん、あしやん、うり丸さん、山崎さん、くらさん、それに山崎さんの知合いの中華関係の部屋の数人。京都ポンチャク学派のうり丸さんは柄のついた小太鼓(韓国製)まで持参でリキが入ってた。
大阪という土地柄は日本の中でも一番ポンチャクに染りやすい環境にありそうだと、関係者が踏んだのかどうか、とにかく、開演前には黒山の人だかりとなっていた。モダンチョキチョキズのボーカルのやぐらさんが司会で、ポンチャクの説明など適当にやったあと、まずキーボードのキムスイルさんが登場。彼は目が不自由なのだが、すごくかっこよくて、僕は音を聞く前にそのスタイルにしびれてしまった。ローランドのキーボードの上に特殊な機材(いわゆるポンチャクマシ〜ン)載っけて調整してるだけで、感激してしまう。とりあえず、わしらのテンションは異常にハイキーになってたので、当の李博士登場の際には思わず僕はトゥルルルルルルリッヒィ〜〜」と叫ぶわ、うり丸さんは太鼓たたくわ、あしやんはすでに踊ってるわ、きだちゃんは失神するわ(ウソ)、くらさんは失禁するわ(これもウソ)の大騒ぎ。
思ったより小柄な李博士はそれから40分めくるめくポンチャクパーフォーマンスを繰り広げて、わしらをトランス状態にさせてくれたのだった。特にうり丸さんはすっかり見込まれたらしく、何度も掛合いを強要されて、見事にそれに応えていた。惜しむらくは京都学派の百濟大王が上京中で不参加だったことだ。彼ならきっとコスプレ(韓国民族衣装)で花を添えていたに違いないと思われるのに。とりあえず仲間は演奏中は全く休みなしに踊りまくってたな。
マネージャーの女性と色々話したのだが実は彼女こそ李博士の奥さんだった。韓国では若者には蛇蠍のように嫌われている(それほどじゃないか)ポンチャクも、大阪の若者には結構ウケたようだ。李博士もすっかりリラックスして、大熱演だったのに、歌い終わると借りてきた猫のように殊勝な態度。
韓国ソニーの社員ユンユミさんが通訳にあたったが、長身で美人な彼女を、あしやんなんかこの時からすでに、目を付けていたみたいだ。飛田でイパクサと(左後ろにキムスイルさんも)
演奏後やぐらさんに頼んで、その夜、飛田の「百番」で予定されてる関係者の宴会(李博士の演奏付き)に、僕とあしやん、うり丸さんも参加させてもらえることになった。この日は 4時から近くのHMVでも李博士のライブがあったので、これも見て(この時は遠慮して後ろの方で見てた)しばらくノレバンで時間を潰したあと、3人で勇躍飛田へ出陣。
噂には聞いていたものの「百番」は建物そのものからして素晴らしい。こんなところで、生の李博士の営業を見れるなんて、現実とは思えないくらいの僥倖だ。宴会場ではソニーだけでなく、ポニーキャニオンの関係者が多く来ていて、彼らと話が弾む。とりあえず料理は李博士一行は別室と言うことで、うどんすきにビールをあおって、待つことしばし、ジーンズにジージャンの李博士が登場、先に収録されたばかりのコックローチのCMのビデオが公開されて、もう、これだけで会場は笑いと興奮の坩堝。その後今日 3回目の李博士のステージ、会場の都合で立って踊りまくるのは無しだったが、十二分にみなのりのりだった。それにしても彼のパワーは驚異的だ。
演奏後、参加者全員が李博士とツーショットのポラロイド撮影の特典もついて、僕等は感激の嵐だった。さらにはユンユミさんとは韓国で会おうと言う話もまとまったし、うり丸さんは太鼓にサインまでもらってたし、僕は、あこがれのキムスイルさんと話できて、サインまでもらってしまった。そんなこんなで、完全に頭の中までトゥルルルルルルルルリッヒィ〜〜状態のわしら 3人はそのまま飛田の街に沈没したのだった(ワケジャナイ)。
この日の模様は朝日新聞の記事になったり、テレビでも流れたりしたらしい。李博士は電気グルーブのゲストで武道館で演奏したり「HEY HEY HEY」に出演したりと日本のマスコミにも露出度が高くなってるが、8月7日には天保山ベサイドジェニーで「ぴあ」関連のライブが予定されている。葉書で招待券を応募してるのだが、これは何としてでも行くつもりだ。

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