Morris.日乘2001年10月
Morris.日乘(i-mode版)

ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。



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2001/10/31(水)●朝は早よから夜は遅くまで
朝5時に溝渕君に迎えにきてもらい名古屋の現場に向かう。6人で27M3というかなりハードな現場。途中尾張一宮SAできしめん食べる。えらく幅広の麺でびっくりしたが、これがまた美味い。いやあ、SAでこんなうまいのが食べられるとはと二度びっくりだった。作業は小さな子供が二人いる上に、途中二人が別口の配達に抜けたりして、結局6時過ぎても終了せず、明後日のローカル引取りに回すことになった。帰宅は10時半。疲れた.
ニュースステーションのあと、よく出てる、オセロの中島が最近Morris.のお気に入りである。

2001/10/30(木)●無用の乳鉢
8時起床。昼前に自転車で学生センターに行き、昨日の現場で貰った乳鉢を稲田さんに届けたのだが、余り大きくて使い物にならないとの事だった.
午後は伊藤君が来て、11/11のライブのチラシ作り。写真がなくて、手間取った。その流れで、飲み始め、伊藤君が帰ってからも飲みつづけた。明日は早出だというのに。

2001/10/29(月)●夕焼け
高槻の現場最終日。今日も昼食は弁当だった。目まぐるしく天気の変わる一日だったが、幸い雨はほとんど降らなかった.倉庫にもどったら美しい夕焼けだった。空一面が赤くなるのではなくて、NIKEのマークみたいな形の大き目の雲の塊が幾つか群れをなしてその雲が、緋色に輝いていたのだった.つい、見とれてしまった。後で矢谷君も同じようなことを言ってた。

【お笑い創価学会 信じる者は救われない】佐高信、テリー伊藤 ★★★ 二人の対談(放談)と6編の記事から構成されている。テリーの「お笑い」シリーズは、最初の「お笑い北朝鮮」が面白すぎて、次の「金日成」までは良かったのだが、大蔵省、外務省、共産党などになると、ちょっとトーンダウンの観は否めなかった。それでも、他の同系統の本の中ではそこそこ面白い方だったし、内容も見るべきところが多かった.
本書はその点「お笑い」とは名ばかりで、あまり面白くはなかった。多分相方の佐高が真面目すぎるせいだろう。しかし、マスコミ世界でのタブーに近い創価学会と公明党についての批判の書を刊行するというだけでも充分意味があるし、書いてあることも肯けるところが多かった.何しろ、今や、公明党は与党だし、政教分離の正反対を地で行ってるわけだし、池田大作の独裁者ぶりもみんな知ってて知らぬふりをしてる。おりしも、国会ではわけのわからない中小選挙区制なんてのをごり押ししてる最中で、いいかげん、歯止めをかける必要があることも、多くの人が感じながら、「触らぬ何とかに祟りなし」で頬かむりをしている。数の論理で攻めまくる創価学会=公明党の議員が増えるほど、日本の政治は畸形化していく。本書の目的は、創価学会会員ではなく選挙で頼まれて公明党に投票してしまう(させられてしまう)いわゆるF票を減らそうというのが目的らしい。外堀から攻める作戦ということか、確かに正攻法では話にならないのだろう。藤原弘達の「創価学会を斬る」の言論弾圧から30余年になるが、マスコミの状況は改善されてるとは思えない。一方的に非難するためではなく、自らが判断するために情報は必要なのだ。本書が、マスコミの閉塞状況に風穴を空ける一助となることを願う。

2001/10/28(日)●St. Prismist
8時起床。今日は昼からnaddismの催しで杣谷ダッジオーブンの集いがあることになってて、楽しみにしてたのだが、朝から空模様が思わしくなくて、やきもきしていたが、結局中止になってしまった.残念だが、又の機会を期待しよう.
昨夜はラーメンのせいで、肉団子は作るだけで食べなかった.。昼食に、残りのミンチを使って、麻婆豆腐作る.ちょっと食べ過ぎてしまった。
何となく肩透かしということで、先日から整理していた、川原泉試論「聖 プリズミスト」を完成させてアップする。どこに置こうかと迷ったが、とりあえず、愛蔵本コーナーに仮おきしておこう。これはサンボ通信33号に掲載して、Morris.の記事にしては珍しく、回りから好評を博したものだ。そもそもが遅れて来た川原泉ファンだったし、今となっては「あの人は今」みたいな感じもするのだが、これを機会にまた数冊を読み返して結構楽しめたのだから、それはそれで意義があると思う..じつは、これは、サンボ通信に連載してた「My Favourite Things」の一篇で、いつかこのシリーズを独立させて、アップしようと思ってはいるのだが、なかなか実行に移せずにいる.。
今夜はヒアカム六甲ユニットのライブ。8時からJUKE-BOXと言う店であるのだが、ここは行ったことないし、ちょっと不案内でもある.雨が降ったり止んだりなので、ちょっと迷っているところ.
午後は、昔のCDや、STARdigio聞きつづける。久々に聞くイウナ、パンミ、イジヨンなど韓国の一昔前の女性歌手の歌は、懐かしくて、シンプルで、優しくて、美しくて、悲しい。
雨も小康状態だったので、7時過ぎに部屋を出て、成徳小学校で市長選挙の投票を済まし、JUKE-BOXへ。店の場所は思ったより分かりやすかった、15坪ほどの店内にはちゃんとステージも備え付けてあり、見やすいハコだったが、高架下という立地なので、列車が通るたびに轟音が聞こえる.。客は飯島、奈緒ちゃんなどをいれて13,4人とちょっと少なめだったが、ヒアカムの近所の「天草」の客など女性がほとんどだった.2部構成で、矢谷、神田がほぼ交代で歌ったが全体の構成を考えるべきだろう。伊藤君のベースはタイトになってて良かった、矢谷君のギターも安定感を増したし、神田君も以前に比べると聞きやすくなったと思う。ただ、ハーモニカ吹くのはいいが、あまりのべつまくなしに吹きまくるのは耳障りだ、めりはりをつけてもらいたい。島田さんに関しては言うことはない.10時に店を出る。雨はすっかりあがり、澄んだ空に月がおそろしいほど美しい。明日は十三夜だ。

2001/10/27(土)●武蔵は醤油味
5人で昨日と同じ現場。昼食はなんとブンブン(セブンイレブン)の弁当。帰り道がえらく渋滞してて、事務所到着は6時、さらにトラック積み替え作業してすっかり遅くなった。宮本武蔵 らあめん\580.
Morris.の部屋から歩いてすぐの2号線沿いに新しく「宮本武蔵」というラーメン屋が開店した。最近流行りの大看板を掲げた店で、いつか行こうとは思っていたが、矢谷、西根君がどんな味だった?とうるさく言うので、今夜行ってみた。古めかしく見せたインテリアの店内は、中央に厨房を囲む12人掛けのL字型カウンターがあり、両横にデカいテーブルが並んでいる.メニューを見たら「あっさり醤油味」とあり、あじゃじゃ、と思ってしまった.出てきたのは、白菜が入ってて、一見芦屋の楓林風、麺はやや細めで、意外とこれはいける。スープはそれほどあっさりではなく、醤油の割にはこくもある。しかしやっぱりラーメンは豚骨スープでないと物足りない。チャーシューは割と美味しい、付録?に入ってる切れ端みたいなのの方がより美味しかった.なぜか柚子の皮(レモンかも)のかけらが入っている。これはなくもがなである。Morris.は一番シンプルなの(\580)を頼んだが、武蔵ラーメン、ピリ辛ラーメンなど数種類があり、トッピングも葱、煮玉子のほか、しいたけまであった。とりたててお勧めの店でもないのだが、近いから利用することもあるだろう.近頃の若者の志向に合わせているのだろうか、全体に甘味の勝ったラーメン屋が増えている気がする。.貼り紙に「11月には武蔵もう一刀のラーメンが登場します」と書いてあった。「二刀流」に掛けてるのだろうが、これが豚骨スープであることを期待したい.
偶然NHKのドラマに、ユンソナが出てたので、ついそのまま最後まで見てしまった.身ごもったところで恋人に捨てられ、日本に逃避してきた娘が、バツ一の男に惹かれるが、事故で死んでしまうという、てきとーなストーリーだった。「サラングンアルムダプタ/この世は美しい」という韓国語がキーワードになるのだが、ファイティング・ガールの時と同じく、違和感を覚えた.
今夜はこれから久しぶりに張り切って肉団子作りだ。いっぱい作って冷凍するもんね(^o^)

【Z】簗石日 ★★☆☆☆ 例によって著者自身をモデルにしているが、ストーリーはフィクション色の強い作品。1945年日本の敗戦による朝鮮解放からの混乱期に権力闘争の裏で陰惨な殺し合いが行われた。当時の伝説的な殺戮者、カミソリ男「Z」を追う秘密組織と秘密警察の争いに、自身の戸籍の改竄の究明から巻き込まれてしまった主人公は、深みにはまっていく。
冒頭が死を暗示する夢に始まり,中間140ページくらいが、延々解放後の朝鮮紛争史の解説みたいになっていて、後半では突然、朝鮮戦争時の日本人部隊による朝鮮人虐殺の資料を手に入れ、これが危険の火種となり、終盤ではばたばたと殺し合いが起こるなど、小説としては整合性に欠ける.はっきり言えば失敗作だろう。
それでもとにかく読まされてしまうのは、著者の生の声が聞こえるからだろうか.本筋とは無縁だが、主人公が大阪の大学で講演した中で、「朝鮮」ということばが差別語として定着した軌跡と、わかっていても生理的に喚起される複雑な局面を反芻してしまうというジレンマからの超克のマニフェスト.

「差別は差別を生みます。いわば自己増殖を続ける癌腫瘍のように、いつか自分自身をも差別の対象としてしまうのです。差別は言葉によって指弾され、あるいは沈黙の領域で増幅されていきます。
良識ある日本人は朝鮮あるいは朝鮮人という言葉のもつ響きに神経を使い、極力朝鮮人という言葉の使用を避けようとしますが、しかし避けること自体が差別につながるのをまた気にするのです.といって日本人が朝鮮人というときの響きに、わたしは差別的なものを感じてしまいます.そのことを良識ある日本人は知っていてある種のジレンマに陥るのです。それだけではありません。今度はわたし自身が朝鮮あるいは朝鮮人という言葉の響きに嫌悪感をいだくようになるのです。つまりわたしは差別者の意識を反映するようになっていたのです。
たとえば「コリアン」というような別の言葉に言い替えても差別的な感情が消えるわけではありません。いったん作り出された差別は彼我の関係を果てしなく転倒させて自己増殖を続けるのです.この果てしない自己増殖をたち切る方法は、わたし自身がわたし自身の身体を晒されることで相手の身体をも晒せさせるしかないのです。」

特に著者独自の意見でもないが、やはり当事者の率直な意見として見過ごすことはできない.しかし、先に書いたように、小説としての完成度は高くない.
彼の小説の中ではやはり「夜を賭けて」に勝るものはないだろう。

2001/10/26(金)●Refrige' coming
矢谷君ら4人で、高槻からアメリカに移転する5人家族の三日取りの現場。日本人にしては大掛かりな現場だ。近所に食堂がなくて、ファミレス(ボンズ?)で昼食。コンビニ弁当やほか弁もあまり嬉しくないが、このファミレスというのも何となく味気ない.帰りは近所で降ろしてもらう。6時過ぎに冷蔵庫配達頼んでたのだ。冷蔵庫無しの生活を一ヶ月我慢しながら、出物を待ってたが、こういうときにはなかなか縁がなくて、とうとうコジマで注文したのが4日前。予算とスペースに鑑みて、小さ目の2ドア(140L)にしたのだが、やっぱり小さ過ぎるようだ。それでも、とにかく今日から氷はできるし、何と言っても自炊ができる。さっそく野菜たっぷりの焼きソバつくる.ここ一ヶ月の野菜不足はかなり深刻だったと思う.

2001/10/25(木)●ヤクルト優勝(あーーあ)
8時起床。昼までベッドで読書。午後灘図書館に行き、iモード用ホームページ作成の本を借りてきた。掲示板やアンケートフォームなども作れるらしい。しかし、作るのはともかく、携帯電話でこれを使いこなすのは難しそうだ。
夜は日本シリーズ5戦を見る。最後まで近鉄は本領発揮出来ず終いで、ヤクルトが日本一を決めた。近鉄が逆転勝ちした第二戦以外は、一流と二流の戦いみたいになってしまった。古田のMVPは妥当なところだろう。

【歌集 椿夜】江戸 雪 ★★★ タイトルより名前に惹かれて手にとってみて、適当に開いたページの

・身体はただいれものにされてゆく蛾がふれてゆく脹脛かな

という歌が琴線に触れたので借りてきた。作者紹介が無いので、後書きなどから知ることができたのは、大阪在住であること、本書が第二歌集であること、河野裕子に縁の歌人らしい(帯に推薦文を貰ったとある)こと、冬に子供を産んだばかりということくらいである。もちろん、歌を読むのにそんなことを知る必要も無いと思うのだが、ひさびさに、響きと、発想の面白さを併せ持つ恋歌に出会ったので、ついつい気になってしまった。

いま君をへだてていたる川の数、木の数、昼にみる星の数

思い出す旅人算のたびびとは足まっすぐな男の子たち

雨の夜に耳もてあましとりとめのない明るさのメイルを送る

雨ふふむあじさいゆらり浮かぶ道走れどもまだ海は見えない

サンダルにつまさきのせて坐る椅子行きたいところは行けないところ

君の掌が思いがけなく君の顔覆ってわれは虹をみている

復讐をおえたる後のような眼を浮かばせる水、秋のいろなり

逢いたいとおもう脳(なずき)に出口なくあかねさしたる椅子をみている

堤防の先は砂浜、海、溺愛 傷つけたくて逢った日がある

春きざす川におとしたイアリング睦月きさらぎ人を愛さず

かんたんに理解されてもこまるのよ朝は祈るし夜には憎む

本書全体が2部に分かれていて、以上までの引用は冒頭の歌以外はすべて一部からのものである。2部は著者が臨月になってから、出産し、嬰児を慈しむ期間に当たるようだ。
ということで、最初の歌の「入れ物にされる身体」とは、妊婦のことだったわけである。Morris.は完全に勘違いしていたようだ。そして2部の歌は、ほとんど採るものが無くなってしまった。特に後半の、母子一体の歌は、味わうよりは、読み通すだけに終わってしまった。女にしか歌えない主題を存分に歌い果せているというべきなのかもしれないが、Morris.には一生わからない世界なのだろう。
蛾の歌の次に置かれている
 

・さびしくて渡りにゆくよ真夜中にふくらみながら橋は待ちたり

という、歌も、同様の文脈のなかにあると、素直に受け取れなくなる。

2001/10/24(水)●過ぎたるは
矢谷、溝渕君と尼崎の社宅にシンガポールからの荷物を配達。昼休み返上で1時頃作業終了。昼食は阪神大石駅南の「豚角」でラーメン。ここは最近流行りの豚骨醤油スープで、麺は細くはないが、麺、スープともまずまず。売りはじっくり煮込んだチャーシューの厚切りらしい。たしかに豪華ではあるが、Morris.はやっぱりラーメンのチャーシューはある程度薄切りの方がいい。
午後は倉庫でヴァン詰め作業。
6時半帰宅して日本シリーズ4戦を見る。接戦だったがやはり投手力の差と古田にしてやられた。近鉄後がない。
昨日書き忘れたが、一昨日の深夜TV「一押し?」に雀三郎とまんぷくブラザーズが取り上げられていた。約15分ほどミニコンサートと、リピート山中メインのインタビューという構成だった。「ヨーデル食べ放題」は10万枚売れたそうだ.これはすごい。

【岡本綺堂】★★☆☆☆ タイトルが作者の名前になっているのは、これが文庫版のちくま日本文学全集の一冊だからだ。Morris.はあまり時代小説は読まない方で、特に捕物帳は苦手な部類にはいる。例外は「顎十郎捕物帳」で、これは贔屓の久生十蘭だから無条件に読んで、その文体に蠱惑された。
最近読んだエッセイや雑誌の記事などで、連続して半七捕物帖を誉めてある文に出会い、ちょっと興味を覚えてたので、手ごろな本書を借りてきた。半七捕物帳から5編、三浦老人昔話から5編、青蛙堂鬼談から2編、戯曲2編の、計14編が収められている。
戯曲は余りに古臭く感じられた。よく言えば形式美に過ぎるということか。名作の誉れ高い「修善寺物語」の将軍の顔を写した面に死相が表れて、それを面作師の娘が身に付けて将軍の身代わりとなり致命傷を負い、父は娘の死に顔を次の面のために写そうとするという筋立ては、ストーリーとしてはひどいと思うが、たしかに芝居の見せ場らしくはある。
肝心の捕物帳は、推理小説としては余りにもシンプルに過ぎる。驚くほどのトリックもないし、事件の動機や方法も単純、被害者加害者の心理描写も淡白に過ぎる。と、まあ、これはMorris.の偏見なのだろう。綺堂は決して、推理小説、探偵小説の江戸時代版を書こうとしたわけではなくて、本当に近過去の昔話をふんわりと語ってあげようとい趣向なのかもしれない。つまり時代の息吹というか雰囲気を定着させるということなら、確かに成功しているといえるだろう。老人になった半七が日清戦争の頃に若い友人(綺堂)に語る回顧談という形式がもともとその証と言えなくもない。
それを加味しても、やはりこういった作風はMorris.ののめり込む分野ではなさそうだ。

【ウィスキーボンボン】山本昌代 ★★★ 「き人伝」があまりに良かったので、つられて数冊借りてきた中の一冊。2000年10月発行とあるから比較的最近の作といえる。「ウィスキーボンボン」「ワイングラス」「月の雫」という連作短編なのだろうが、まとめてひとつの作品として読んだ。まだ続きがあってもおかしくない終わり方になっている。
お稚児さんという呼ばれ方をする主人公が、自由な生き方の姉に、複雑な感情を抱きながら、結婚後、姉の前の彼氏とゆくりなくも肉体関係を持ち、妻との間に軋轢を生じたり、妻の不倫の影を感じたり、過剰な非難を受けたり、実はもっと深いところで姉への愛憎があったことを思い知ったりと、けっこうどろどろした話になりそうなところを、乾燥した文体と、語り口と、登場人物の冷静さが、全体のイメージを不思議な透明なものに変成している。
ストーリーはとりたてて面白い筋立てではないが、一息に読み通させる筆力は流石である。

2001/10/23(火)●野球漬け
朝のうち残っていた雨はすぐ上がり昼からは秋晴れになった。
今日も4chでメジャーリーグ中継やってたのでマリナーズ応援しながら見てたのだが、ほとんどワンサイドでヤンキーズがニューヨークでリーグ優勝を決めた。イチローもほとんどいいところなし、佐々木も出番なしでほろ苦い幕切れとなった。日本人の大半にとって今年の大リーグは終わったことになるだろう。しかし今年ほど日本人が米大リーグが浸透したことはかつて無かった。数年前、野茂がブームをまきおこしたが、投手だから出場回数が少ない、その点今年はイチローと新庄という野手二人が大活躍したから、連日のように日本のマスコミがメジャーリーグのニュースを伝える。日本のプロ野球関連の全ニュースより、この二人に費やした時間の方が多かったのではないだろうか。
昼から中央図書館に出かけ、帰りは高架下通り、つの笛冷やかして帰宅。今度は神宮の日本シリーズ第3戦を見る。投手力の差が露骨に出たうえに、ヤクルトの打線爆発で近鉄は惨敗。これで近鉄の1勝2敗となった。

2001/10/22(月)●Access40,000
昨夜遅くから雨になったらしい。今日は一日雨が降ったり止んだりしていた。
4chで通常番組返上して、大リーグ中継やっていたのでずっと見てしまった。前半はずっと0-0の重苦しいゲーム展開だったが、8回に両チームそれぞれソロホームラン、9回裏に佐々木が逆転2ラン打たれてマリナーズは負けてしまった、これでいよいよ後が無くなった。
Morris.部屋のアクセスカウンターが、40000台になっている。50000アクセスの時は何かお祝いをしようかな。
今週のSTARdigioはあまりプッシュするものはない。426chで「セクシー歌謡特集」というのがあったのでチェックしたら、

辺見マリ(経験、私生活)、平山三紀(真夏の出来事)、中村晃子(虹色の湖)、大信田礼子(同棲時代)、小川ローザ(風が落とした涙)、由美かおる(誘惑)、黛ジュン(天使の誘惑、恋のハレルヤ)、欧陽菲菲(雨の御堂筋、恋の追跡)、奥村チヨ(恋の奴隷、終着駅)、金井克子(他人の関係)、夏木マリ(絹の靴下、媚薬)、山本リンダ(どうにもとまらない、狙いうち、じんじんさせて)

というラインアップ。ふーん、なるほどそういったセレクションなのか、とは思うものの、ちょっと疑問と不満がある。
セクシーの受け取り方も人それぞれなのだとは思うが、黛ジュンと平山三紀はセクシーとはちょっと違うような気がする、特に「恋のハレルヤ」は論外だ。奥村チヨなら「終着駅」は外して「ごめんね---ジロー」か「恋泥棒」に差し替えるべきだろう。山本リンダで3曲も使うくらいなら、園まりの「逢いたくて逢いたくて」を入れてくれーっ。
サンボ部屋の愛蔵本コーナーに『家庭園藝寶典』をアップ。

【き人伝】山本昌代 ★★★★ 彼女の出世作「応為坦坦録」を読んで若いのに上手い書き手だと感心した覚えがあるが、それがもう18年も前のことだということを知ってびっくりした。江戸の戯作者や浮世絵師などの世界を舞台にしていたので、その素材がMorris.の好みにあったということもあるのだろう。その後数冊読んで、しばらく遠ざかっていた。ひさびさに本書を読んで、進境の著しさに目を瞠った。と、いっても94年の発行となってるから、もう新作とは言えない。タイトルを見て、江戸時代の奇人を扱ったものかと思ったのだが、ちょっと違っていた。

昭和の挿絵版画家谷中安規の「風船画伯」
エリアーデ「金枝篇」の象徴ともいうべき神話的植物「マンドラゴラス」
「露にだに厭ふやまとの女郎花 ふるあめりかに袖は濡らさじ」の遊女「喜遊」
スペイン人によるアステカ帝国の滅亡を主題にした「メシカ」
マン・レイ、デスノス、藤田嗣治などに愛された、モンパルナスの女王「キキ」
空間の鳥などの代表作で知られる、抽象彫刻家「ブランクーシ」
アメリカ女性クリスの中に新しい人格として出現した「サリー」

と、いう史伝的色合いの濃い7編の短編集である。それぞれの長さにはばらつきがあるが、すべてに共通しているのは、主題や主人公につかずはなれずの距離をとっている作者の視点と、贅肉を削ぎ落とすだけ落しながら、言うべき事は言い果せているという至芸の手腕である。
辛うじて江戸時代ものといえるのは、幕末の横浜の遊郭の娼妓「喜遊」だけだが、Morris.には、本書が小説というより、江戸の考証随筆が現代に蘇った奇貨のように感じられた。
たとえば、強烈な個性の持主キキと、マン・レイの、パリでのエキセントリックな暮らしぶりを、冷静に観察しながら、見事なスナップショットとして切り取っている部分を文体見本として引いておく。

キキはマンよりも頭ひとつ分、背が高かった。そして聳え立つような立派な鼻を持ち、こちらもマンのそれより大きいくらいだった。
彼女は部屋に二人きりでいるときはおとなしい仔猫のようだったが、他人の目のあるところ、つまり観客の存在を意識すると、騒ぎを起こす癖があった。「浮気をした」と叫んで、カフェに坐ったマンに平手打ちを喰らわせる。路上での彼らの喧嘩の威勢のよさは、当時のモンパルナスの風物詩のひとつだった。写真用の玩具のピストルなどを手に、マンは応戦した。
冷静なマンの気持ちを引くために、キキはしばしばブルゴーニュの祖母の家へ帰ったり、ニューヨークまで映画のオーディションを受けに出かけていくが、すぐにマンが恋しくなって戻った。
ニューヨーク行きは、アメリカ人の芸人さがしの誘いにのったのである。マンの反対を押し切ってキキは船に乗った。帰る旅費がなくてマンに助けを求めた。彼は援助はしたが、キキが戻った時、平手打ちもプレゼントした。

淡々と書かれているように見えながら、実際にはなかなかこうは書けない。これだけの成り行きを書こうとすれば、たいがいの作家なら5頁や10頁は(ことによれば100頁でも)費やすだろう。ここには高次の抽象があると思う。
「マンドラゴラス」は物語詩のような調べで歌い上げられているし、「ブランクーシ」では、彫刻家自身の言葉を点綴しながら、いつのまにか明晰な作品論に仕上げていたり、小説を超えた何かを目指しているのではないかと勘ぐってしまいたくなる。裏返せば、小説という表現形式の器の大きさと可能性に挑戦していると見ることもできるだろう。
異文化のぶつかり合いが、歴史の悲劇を生む瞬間を透徹した悲しみで哀悼している「メシカ」の掉尾におかれたアステカの詩を孫引きしたい。

われら転生して春の草となる日に
心臓も緑になろう
やがて花びらも咲き匂うだろう
命は薔薇の樹のように
花を咲かせ、やがて枯れ朽ちよう

ただやって来て眠り
やって来て夢見た
真実ではない
われらがこの世に
生きるためにやって来たというのは

2001/10/21(日)●いてまえ!!近鉄
今日も6時に高平さんに迎えにきてもらい、荻野君と3人で、鈴鹿のアメリカ向け荷物のピックアップ。人形ケースなど手間のかかるものが多かったせいもあって、出発は5時、今日は1号線で栗東まで上がり名神を使ったのだが、やっぱり混んでて8時半帰宅。現場付近は田舎で食堂が少なく日曜で休みも多かったので、しかたなくほかほか弁当というのを買って、トラックの荷台で食ったのだが、無茶苦茶不味い。焼き魚(さわら)はパサパサだし、ご飯もいまいち、これで600円と言うのはいかんぜよ。
日本シリーズ第二戦も、前半ラジオ、後半TV感染と言うことになったのだが、前半不甲斐ない投手陣のためボロボロだった近鉄が、6回から猛攻で逆転勝ち。8回ローズの完璧なホームランもものすごかった。いやあ、ひさびさのいてまえ打線爆発で、気持ちよかった.マリナーズも大勝して1勝2敗。Morris.は3勝で優勝と思ってたのだが、このシリーズは4勝で決着だとのこと、ちょっとは期待できそうな気配だ.

【完四郎広目手控え】高橋克彦 ★★☆☆☆ 瓦版屋に居候してる旗本御曹司完四郎が、仮名書魯文などと図って、人寄せの企画を企んだり、怪談話を絵解きしたり、事件に巻き込まれたりする12編の連作短編。最初のうちの梅の名所で懸賞句会をやったり、花見客の粋さを選んでこっそり金品を与えて称揚するなどのエピソードは面白かったのに、途中で、未来を予測する娘が出てきて、荒唐無稽な筋になってしまい、おしまいには、江戸の大地震の中で、市民を救済するための瓦版を出すことに価値を見出すというオチは、どういうものか、と思われる。
著者は浮世絵に造詣深いことでも知られるが、各章に広重の「名所百景」から1枚ずつを挿入してるのだが、いまどき白黒というのは冴えないことおびただしい.内表紙のタイトルバックに12枚をカラーでコラージュしてあるのだが、余りに小さくて悲しくなってしまう.

2001/10/20(土)●味噌煮込●
朝6時に高平さんに迎えに来てもらい、マレーシアからの荷物、名古屋千種区への配達。搬入時は名古屋から二人ヘルプが来たので、楽勝。ところが、全開梱だったのと、クライアントの知人が次々にやってきて、結構手間取ってしまった。結局作業終えて出発したのが3時過ぎ。おまけに帰りは混んでるのが分かってるのに名阪の天理回り、さらに渋滞の奈良から第二阪奈という最悪コースをとったため、帰宅は8時過ぎてしまった。
昼食はパレ名古屋3f(現場がここの10階だった)で、味噌煮込うどん食べた。不味くはなかったがこういうショッピングセンターの店は何か味気ない。
日本シリーズ第一戦は途中までトラックのラジオで聞き、帰ってからTVで観戦したが、石井の好投の前に近鉄打線は沈黙、ヤクルトの伏兵ラミレスの3ランホームランなどで、終わってみれば0-7の完敗。明日があるさ、と思いたい。

【草を褥(しとね)に 小説牧野富太郎】大原富枝 ★★☆ 牧野富太郎には愛着を感じているMorris.だから、迷わず借りてきたのだが、彼の妻寿衛子を主軸にしたもので、おまけにわざわざ「小説」と銘打っている割に、ちっとも小説にはなってない。それでも富太郎の違う一面を知ることができたという意味では無駄ではなかった。挿入されている富太郎の写真と彼の植物図だけでも見る価値はあった.本書は著者の遺作(享年87)だそうだが、あまりにひどい。Morris.の苦手な作風ではある。伝記なら伝記らしい書き方があるのではないか。おまけに津本洋の解説というのが、本書に輪をかけたひどいものでがっくし。そういえば、津本はあの魅力あふれる南方熊楠を扱った「巨人伝」とかいうのを書いたが、これがまた噴飯物としかいいようのないものだった。

2001/10/19(金)●秋晴
今朝は冷え込んだ。秋の深まりというより、冬遠からじを感じさせる.これは放射冷却現象で、日中は見事な秋晴れだった.
マリナーズは連敗で、ワールドシリーズの進むにはあと3連勝しなくてはならないところに追い込まれてしまった。明日からは日本シリーズが始まるが、こちらはやっぱり近鉄に勝たせてやりたい。

【社長物語】薄井ゆうじ ★★★ 30代のデザイナーである主人公が、友人のカメラマンやライターなどと共同事務所での活動に限界を感じ、会社を設立して社長になり、さまざまな問題に取り組みながら、考え方も変わっていくが、社員の造反でほとんどが退社して、いっそさばさばした気持ちで出直しをはかるというストーリーだ。
前半などは、会社の作り方マニュアルみたいに、詳細にノウハウが書かれているし、えらくリアルなのでモデルか、経験があるのかと思い作者履歴を見たら、広告プロダクション経営とあったので、やはりこれは自己モデル小説のようだった。大手の広告代理店からの発注や、きれい事に過ぎる面もあるが、小説としてはなかなか読ませてくれる.
面接に来るとんでもない人種たちの誇張された描写もうがっているし、自閉症傾向の妻と陶芸教室を通じて心が開かれる部分や、会社設立前に入院した仲間を見捨てないところなど、ヒューマニズムあふれるエピソードもありで、この作者の本は2冊目だが、もう少し読んでみようと思った。
 

2001/10/18(木)古色騒然
今朝も雨が残っていたが、昼過ぎには上がった.
アリーグ決勝シリーズの緒戦、マリナーズはヤンキーズに負けてしまったらしい。
サンボ部屋に歌集『古色騒然』をアップ.タイトルは古色蒼然のギャグだが、IMEで、このくらいのギャグは自然発生しそうだ。
タイトルでもわかるように、色をテーマにした歌集で、Morris.にとって最後から二番目の歌集と言うことになるから比較的新しい、とはいえちょうど4年経ったことになる。
サンボ通信に掲載した時は、白黒であっさりしたものだったが、今回は25色を駆使して、えらく賑やかなページにしてみた。
しかしHTMLで、中途半端な色を使うと、ブラウザや、PC環境によっては、色が変わってしまったり、最悪の場合は読めなくなったりする危険性もある。
なにか不都合のあった方はお知らせください.集中の難解歌の補足を。

・栗梅てふ響き舌端転がせば海峡越ゆる夢見るは何故

「栗梅」は栗色がかった濃い赤茶色の色名だが、韓国語で「あこがれ」「愛慕」「懐かしむ」を表す「クリウム」と言う語(動詞クリプタの名詞形)があり、これに副詞の「エ(--に,--の)」がつくと「クリウメ」になる。
それにしても、かなり強引な歌作りだと、今さらながら呆れてしまった(^o^)反則必至の謎かけ歌だね.

【夢の裂け目】井上ひさし ★★★ たぶん最新の井上戯曲だろう。昭和25年の東京を舞台に、紙芝居屋の主人公が、戦時中内外で、戦争協力の紙芝居を上演していたことから、東京裁判の証人として呼ばれ、戦前の自作紙芝居と東京裁判の構図の酷似に驚いて行くというストーリーである。「東京セブンローズ」に通じるテイストがあるものの、こちらは比較的面白く読めた.長さが1/10くらいというのが良かったのかもしれない.
東京裁判で、東条英機一人を諸悪の根源として罪を集中させるために、東条の懐刀とされていた田中少将に異例の長期にわたる弾劾の証言をさせた。これは、東条、田中、暗黙の合意の上で、米国もそれを承知(或いは筋書きも書いた?)で裁判を進行させたもので、目的は天皇への責任追求を回避するためだったというオチだ。
紙芝居は、四国屋島の狸の殿さまが、阿波の狸姫に岡惚れして、許婚者の讃岐の殿様の怒りを買い、讃岐阿波連合軍に攻められて敗れ、打ち首になるところを、家臣の次郎狸が、筆頭家臣太郎狸にすべての非があると進言する。これは両者合意の上の猿(狸?)芝居で、太郎狸だけが極刑を受け、屋島の殿さまは助かる。絵解きすれば、太郎狸が東条、次郎狸が田中、屋島の殿さまが天皇ということになる。
先日、TVで「東京裁判」の記録映画を見たのと、最近さとなおさんの日記で、アメリカ、アフガニスタンのテロと報復を、ドラえもんの登場人物に例えた寓話を読んだばかりだったので、何か暗合めいたものを感じた.

2001/10/17(水)●ひさびさにヤン・スギョン
朝から雨。沖縄付近の台風21号の影響もあって、明日は一層雨が強まるという予報が出ている.
このところ、あまりぱっとしないSTARdigio今週はも目玉商品?はあまり見当たらないが、歌謡演歌425chでヤン・スギョン特集がある。
彼女が日本のTVドラマの主題歌で日本でビューしてから10年以上になるが、とりあえず現在も歌謡界に存在しているらしい。
知ってる曲は先の主題化「愛されてセレナーデ」と、韓国歌謡のスタンダード「イビョル/離別」「ジェイエゲ/Jに」、それに彼女のあちらでのヒット曲「クデヌン/あなたは」の4曲だけだったが「クデヌン」を日本語で歌ってるのが面白かった
.タイトルも、「不思議な国へ」となってる。
彼女は数年前結婚したという記事を見た覚えがあるが、現在はどういった活動をしてるのか、良く分からない.
他は、サム・クック、マンハッタン・トランスファーくらいだが、どちらも以前に特集された時エアチェックしてるし、しかたなく、今日はクラシックのギターソロなどBGMにしている。
夕方雨が小降りになったので、灘図書館に行き、コープを回って戻る.

【古典論】外山滋比古 ★★★★☆ 外山は日本語やものの考え方に関する、分かりやすく刺激的なエッセイを多く著わしていて、Morris.も数冊読んで啓蒙されるところ多かったが、本書は比較的堅めの作品本質論文のようだが、相変わらず分かりやすい表現で、高度の内容を論じていることにまず感心した.全編を通じての論旨も明晰である.
・初めから古典として生まれる作品はない。
・第三者の理解を経て異本が生まれる。
・異本を産まないような作品は古典になりえない。
・異本とは後世による二次的創造である。
・異本の中から古典としての作品が生まれる
以上である。
これまでの古典研究が、オリジナル尊重のあまり、文献学ではより古い写本の発見できることなら著者の肉筆原稿を最高位におくという考え方から、後世の創造的はたらきを無視してきたことに意義を申し立てている。作品の古典化の極端な例として、風刺小説から、児童文学の古典になった「ガリバー旅行記」、おとぎ話のつもりから幻想文学の古典となった「アリスの不思議な国」などのを挙げるなど親しみやすいところもあり、興味深いエッセイとして充分楽しめた.

引用というのは、りっぱにひとつの改変である。引用された部分が、ものとコンテクストでもっていたのと同じ意味をもつことは決してない。引用されたものは、かならず新しい意味をおびて異本になっている。さくしゃがそのことを問題にしないのは、行元の意味についての認識が浅いからである.

Morris.の読書控えにも頻繁に引用がなされているが、それらは、共感を覚えた部分、面白いと思った部分、重要だと思った部分などを引用してきたわけで、これはこれで低次元の批評にもなるだろうし、全体の中で読む場合とは違った受け取られ方をするかもしれないというくらいの認識はあったが、「改変」と言われると、確かにそうかもしれないなあ。

作品の伝承と言うのは物品を後世に伝えるのとはちがった有機的変化である。ものならば保存さえよければ、何百年もそのまま保存される。超社会的であり、超歴史的生命をもつと考えることができる。それにひきかえ、文学作品はきわめてつよく社会的・歴史的性格をおびている.新しい時代、新しい社会に、物品が伝えられるようには、適合しない。変化の必要がある.それは典型という脱社会性、脱歴史性を獲得するのに不可欠の過程である.

子規は、俳句を文学にし、連句の文学性を否定したように書いているが、その実は、連句の解体、改造であった.歌仙の発句のみを独立させて作品にするという、連句の大きな異本をこしらえたに過ぎなかった、と解することができる。俳句は連句の変奏、異本として、すくなくとも出発した文芸様式である.

これも目からうろこであった。

シンボリックな短詩である俳句が、エピソディックでより情緒的な文芸へと移行しつつあり、口語性のつよまるところと相俟って、川柳にも通じるような俳句があらわれた。それはまた川柳を俳句とあまり差のないものにしつつある。
いずれにしても、現代の俳句は、『第二芸術論』をきっかけにして生じた新異本的文芸であると考えて差し支えない。異本をつくる原理は、内部からではなく、外からの異質な思潮をきっかけにしている点がとくに注目されなくてはならない.

自作を川柳と呼ぶ、大西泰世を、Morris.の知る限りの現代女流俳人の作品よりも俳句として魅力があると思っていただけに、上記の意見に、大いに意を強くした.しかし、これから、俳句をやるなら、更なる異本化を目ざすべきなのかもしれない。

推敲は、わが子に手術をするようなものである。ためらいがある。思い切ったことがしにくい。そこへ行くと、添削は他者による推敲である.表現を改良するということからすれば、推敲は添削に及ばないのは考えるまでもなくはっきりしている。

作者作品を景仰するのではなく、解釈して、おもしろさを発見する読者が自立したところで、文学の歴史は新しい段階を迎えることになる。古典文学をつくり出すのも、そういう読者であったのである。これまではそういう古典的読者が自覚もされず、公認をされなかったために、歴史的時間の闇の下で古典化はおこなわれてきた。作者によって古典がつくられるのではない。読者が古典をつくり、そうでない作品を忘却、煙滅させるのであるということをようやくにして認めることのできる歴史的成熟の状態に文学も達しつつあると言ってよいであろう。

異本はヴァージョンである。ヴァージョンの考察と方法とが異本論である。
文献学においては古典成立の原理を解明することはできない。異本論においてのみ、古典の存在が説明できる.

2001/10/16(火)●かいすいラーメン
早出して、矢谷、西根君と3人で、神戸から名古屋へ転勤になった小林君の荷物の配達。
新居は中川区で倉庫から近い.昼食は近くの「さんすい」という店で九州ラーメン大盛り食べる。
この店は国道の向かい合わせに店があり、親子でやってるらしい。
今日入ったたのは息子の店だとか.
ここはいろんな種類のラーメンを扱っていて、矢谷君はトンコツ、西根君は塩を頼んだ.
九州ラーメンは、チャーシュー、煮玉子、葱、木耳、カリカリニンニク、胡麻入りで、スープはやや甘口だが美味しい.麺は割と太目のちょっと縮れ系で、Morris.好みではなかったが、食えないほどではない
.総合的に美味いものの少ない名古屋にしては上出来だと思う.
ただし、ここの大盛りは普通の店の3倍くらいはある、とにかくちょっと食べきれないくらいの量で、それを無理して平らげたものだから、午後の作業はかなり苦しいものになった.
しかし屋号の「かいすい」とはなんなんだろう。かん水の代わりに海の水使っているのか??
4時前には作業終えたのだが、夕方から雨が降り出し、朝も結構込んでた名阪が13kmの渋滞だったので、天理で降りて第二阪奈廻りのコースを取ったのだが裏目に出て、奈良市内ですごい渋滞に巻き込まれて、結局事務所到着は8時ごろになってしまった.

【魂の流れゆく果て】簗石日(ヤン・ソギル) ★★★☆☆ 彼の小説は大概が自伝的な要素が強く、先般話題になった「血と骨」に代表される父との葛藤が表に出がちだが、本書は、それ以外の個人的なエピソードや、思い出を断片的な連ねた14編のコラムと、「大阪曼荼羅」と題された9編の地名に絡んだこらむ、それぞれに?昭(ペ・ソ)のモノクロ写真を配してある。
彼の作品は以前のものは、ほとんど読んでいるので、2/3くらいは既知のできごとだったが、写真と併せて読むとイメージがくっきりしてくるし、知らなかったエピソードの中には興味深いものもあった。彼が住んでいた猪飼野の長屋の前の斎場などは、今度是非見ておきたい。
それにしても凄まじい人生であると思う.
ある意味では鬼のような父を持ち、闘争し、事業を起こし、放蕩し、借金し、倒産し、逐電し、無一文になり、タクシー運転手しながら詩や小説を書き始める。父との確執からして命がけで、借金に絡んで数回、タクシーでは事故で2回は死に損なったり、と、表面をなぞっただけでもこんな風だから、Morris.には別世界の人間のようにさえ思える.また彼と家族親戚との関係は言うにおよばず、友人知人との付き合いの激しさ、濃厚さにも、とてもこんなことはできないと引いてしまう.Morris.は20年来家族親戚とは無縁だし、友達付き合いも、一定の間をおいてでなくては間がもてない体質になってしまっている。卑怯なのかもしれないし、薄情なのかもしれない。ぶつかって、傷ついたりする以前に、傷つくかもしれないと言うことを恐がっていてそれを避けるため、つまりは保身のためそうしているのではないのか--などなどと益体も無いことを、あまりに対照的な彼の生き方を読むたびに思わされてしまう.嫌な作家だが、読まずにはいられない、そんな作家なのかも知れない.
本書には60点余りの写真が掲載されていて、そのうちの幾つか(特に街の風景)は悪くないのだが、簗石日の映像がモンタージュ(合成写真)されているように見えるものが数点あるのが、気になった.作品の技法として用いるのならかまわないのだが、いかにも間に合わせのように見えるのが気持ち悪い.

2001/10/15(月)●京都ウォーク
あまりに天気がいいので、今日こそは、どこか出かけようととにかく部屋を出る。六甲道駅近くの甲南チケットで、JR昼間割引切符(六甲道-京都)をさらにバーゲン(\660)で買う。普通は京都なら阪急(\600)で行くところだがこれならJRでも大差ない.考えてみれば改装なった京都駅ビルというのもまだ見たことが無かったのだ。で、初めてお目見えの駅ビルは、割とこけおどし的な造りだった。伊勢丹とテナントが入ってる店舗より鉄骨で囲った空間部分の方がうんと大きくて、まあその分広々としてて、4Fから8Fまでを貫く大階段(+エスカレーター)は確かに度肝を抜く規模だった.東西のビルの最上部分を結ぶ空中径路というのは、予想ほど展望が効かず期待はずれだった.
駅から東に向かい、加茂川沿いにぷらぷら北上する。水は多くないが、鴨や鷺が多い.河川敷を歩くと結構魚もいる。四条大橋を渡り、木屋町を上がって丸太町にぶつかるあたりの長浜ラーメンみよしで昼食.今日の目的は実はこれだったりして(^o^)平日ランチサービスタイムということで、100円引きの500円と言うのは嬉しかったが、この時間は替え玉無しというのはちょっと残念だった.ここに来るのもひさしぶりだが、やっぱり美味い。スープは匂いが結構きついがこくがあって、麺は極細、ただもうちょっと固めにしてもらうべきだったかな。
そのまま丸太町を西に戻り市役所より北にある、三月書房を冷やかす。外見は田舎町にありそうな小規模の本屋なのだが、ここの品揃えには、いつ行っても感心させられる。もちろん蔵書数は限られているわけだが、根性の入った注文してるのがすぐ分かる.文庫にしろ、これぞと言うものが厳選されている。漫画の棚もこじんまりしてるくせに異常に充実している。思えば25年以上前にここで谷川俊太郎の「ことばあそびうた」を買ったのが最初だったから、そもそも出会いからして大ヒットだったようだ。
 

JR京都駅ビルの5階分貫き通す大階段。
Morris.は上りはエスカレーター、
下りは階段を使った.ざっと180段以上ある。
長浜ラーメンみよしの博多ラーメン。
スープは濃厚、麺は極細、紅生姜、
胡麻、メンマ、チャーシュー、すべて合格。
知らなければ通り過ぎて
しまうにちがいない三月書房.
これだけの品揃えは大変だろう。
加茂川の五位鷺、これは親鳥。幼鳥は別の鳥
かと思うくらいに色が違う.
手前は石垣の傾斜してる部分
本能寺で一休みしてから街歩きしながらもう一度加茂川に戻り、しばらく川べりでぼんやりする。鴨や白鷺は多いのに、Morris.の好きな五位鷺が見当たらないなと思ってるところに、本当にお誂え向きに五位鷺の親子が現れたのにはびっくり.水際でずっと魚を狙っていたので、ひそかに応援していたのだが、結局戦果はあがらなかった。
5時ごろの阪急電車で六甲に戻る.帰り道鹿嶋さんに会った。

【刑務所の中】花輪和一 ★★★★ 異能漫画家花輪和一が1994年12月に改造銃試射などの容疑で逮捕されたニュースはMorris.も新聞で知った。彼のファンではないがそのおどろおどろワールドに不思議な魅力があることはよく知っていた.初犯でもあるし執行猶予がつくだろうと言う予想に反して懲役3年の実刑が下る。このことはいつのまにか忘れてしまったが、昨年本書が出版されたことを知り、読みたいとは思っていたのだが買うまでにはいたらず、灘図書館で見つけたので借りてきた。うーーむ、これはすごい.クソリアリズムといいたいほどの描画と、刑務所と言う特殊状況の中での生活が淡々と語られながら、濃密な空気まで感じさせる。とりわけ食事に関する記述は執念としか言いようがない。詳細な献立メモや、2ページに渡る献立の図は感動的でさえある。不便、不潔、拘束、規則だらけの毎日のはずなのに、花輪はこれに反発や不満を表に出さない.時には刑務所生活を楽しんでいるようにすら見える。すべてが本音とは言えないかもしれないが、花輪の今回の受刑によって本書が生まれたことは、無責任を承知で言えば「僥倖」だったのかもしれない.偶然の「適材適所」が、日本漫画界の歴史に残る稀有な作品を生み出してしまったのだから.

2001/10/14(日)●メリケン話
掲示板で、とどさんが、先般のツインビル自爆テロに関連ありそうな絵文字の噂話を投稿され、それを宮崎さんが自分の日記に引用された。この話はずっと以前に小谷君や他数人から口コミで聞いてたのだが、最近になって吉美ちゃんからのメールに触れてあったりで、また再燃してるのかもしれない。Windingsというキャラクタフォントの中から、飛行機やビルや髑髏や篭目(ユダヤの星?)などといった絵文字を適当に関連付けて、それらしいストーリーを作り上げたものらしい。お遊びと分かって面白がるのならいいが、犯人の意思表示だなどと本気で取り上げたりするのはナンセンスだろう。掲示板にも書いたが、ビルの絵と目されているのは文書ファイルを表す絵文字だし、飛行機やドクロ、篭目もよくあるマークのひとつに過ぎない.

テロとの関連が取りざたされている炭疽菌だが、TVや新聞では「炭そ菌」と表記されていて、これでは違和感ありすぎだ.前から思うのだが、漢字熟語の一部が常用漢字でないときに、一部だけをかな書き表記するのは断固止めてもらいたい.第一気持ちが悪い。今回の場合は、非常に意味が取りにくくなってしまうという例でもある。「炭疽菌」と書いてあれば「炭疽病」との連想も働きやすいが「炭そ菌」では全く分からない.

たんそきん[炭疽菌]バチルス科バチルス属の細菌.グラム陽性の大桿菌.炭疽病の病原菌.胞子は土壌中に存在する.
たんそびょう[炭疽病]ウシ・ウマ・ヒツジなど草食獣に発生する伝染病.炭疽菌に感染して発病し、内臓特に脾臓がはれ、血管内に著しい菌の増殖がみられる.まれにヒトに感染することがある.炭疽、炭疽熱.脾脱疽.(大辞林)

マリナーズはプレイオフ第三戦ボロ敗けで、後がなくなってしまった.せっかくだから何とか盛り返して、ワールドシリーズに進出してもらいたいものだ。

今日も一日ごろごろして「ドリトル先生航海記」など読み返していた。ストーリーはもちろん、ロフティング自身のイラストがまたいい味を出している。そして、特筆すべきは訳文の素晴らしさだ.井伏鱒二の、小説などにはあまり親しんでいないが、ドリトル先生の全作品を訳したことだけで、彼はMorris.にとって光り輝く存在となっている.

今日の話題は、期せずしてアメリカがらみのものばかりになってしまった。

【颱風娘】薄井ゆうじ ★★★ 民間の気象情報会社に勤める主人公が、不思議な老人に頼まれて南の島に古い天気図を埋めることを委託されたことから物語りは始まる。島の娘風子との出会い、帰国してから老人の推輓で気見の法を学ぶことになり、徐々に天気や気象を読み取る超能力を身につけていく.風子は実は台風で、父母とともに日本に上陸して色々な事件を巻き起こす言う、ラフなファンタジー小説なのだが、結構ディテールがしっかりしていて、軽妙な文体とあいまって楽しめた。言葉遊びの趣味もあるらしく、各章のタイトルに「ハロー、注意報」とか「台風一家」とか「香水確率」とか「起床情報」とか気象用語の駄洒落を使うなど(Morris.の標語に近い)いろいろサービスに努めてる様子が伺える。ユーモア小説と言えなくもないが、作者はそれなりに真面目な人間論を披露したりもしている。これだけ書けるのなら、思い切ってエンターテインメントに徹してもらいたいものだ。

「精神で,お天気がどうなるものでもないでしょうに」
「違う。すべてのものには心がある。心を読まなければ何ひとつわからない。台風にも心がある。地球がひとつの生命体だという発想を聞いたことがあるかね。たとえば単細胞の生物の中身を見ると、それは蛋白質とか水分とか、そういうものの集合体なんだ。人間のなかにも、カルシウムや水などといっしょにリンパ液や大腸菌や、様々なものが詰まっていて、それが人間と言うひとつの環境をつくりだしている。そう考えると,地球は無機質と有機質、つまり生命と物質がひとつになって、地球という一個の生命体を維持していると考えることができるわけだ。これは単なる理論ではなく,私は実際にそうだと思っている.地球には心がある。そうは思わないか」
「考えたこともありませんが。もしそういうものがあるとすれば、誰がそれを司っているんでしょうね」
「きみを司っているのは誰かね。きみを動かして、きみに思考させている張本人は、きみのなかの誰なのかね。わかるはずはない。そういうことはどうでもいい、心があるならそれを読みとれるはずだということが大切なんだ.大気の表情を読んで,その心を読むんだ」

2001/10/13(土)●乳鉢
西根君らと5人で、泉佐野のシンガポール向けと保管荷物のピックアップ。大阪市内の配達もあったのだが、午後としろうがヘルプに回ってくれたのでほぼ定時に倉庫に戻れた.
昼食は「一代元?」とかいう店でラーメンセット頼んだが、ここの麺というのが、太い,軟らかいで最低!だった。
稲田さんから乳鉢が必要とのメールが来て、Morris.のインド製のを提供しようと思ったが、今日はMorris.が、仕事で動けなかったこともあって、薬局で購入したと、後でまた連絡があった.Morris.も何となく、その薬局の乳鉢というのがどんな奴なのか気になってしまった.

2001/10/12(金)●マルコギチャンチ
午後7時半から矢谷宅で「馬刺しパーティ」があった。馬肉の調達係は、言わずと知れた勇造さん。熊本は人吉から空輸の巨大な肉塊(2kg前後)が2個、それにタテガミも抜かりなく手配してあり、まな板に食材が置かれた時点で、全員から期せずして歓声が上がった.とにかくで、でかい。今回の参加者は、矢谷、勇造、伊藤、竹内、早田、山口夫妻、奈緒ちゃん、ぐっちゃん、飯島ちゃンにMorris.の11名。11人でこれだけの肉を食えるのだろうかと危惧する声もあったが、スライスされて、生姜、ニンニク薬味に食べ始めたら、あまりの美味さに、全員がほっぺた落としながら,食べる食べる。全部なくなるのに30分かからなかった.Morris.もこれまで馬肉は結構食べたが、これだけ豪快に食べたのは初めてだ.赤みの肉はジューシーで、霜降りもこくがあって、そのくせ,しつこくない.タテガミはトロみたいで、口の中でとろける感じが絶妙。いやあ、馬肉をこれほど心ゆくまで満喫できるとは、勇造さんに感謝感謝。酒も、ビール、芋焼酎(霧島)、麦焼酎(二階堂)、竹内君提供の岩国の吟醸「五橋」と潤沢に揃って、なかなかの宴会だった.馬刺 宴会巨大な馬の肉塊 上方はタテガミ

櫻肉馬の刺身の潔さ浮世の憂さを蹴飛ばせばこそ (歌集『嗜好朔語』)

という歌にあるように(^o^)、馬肉はその色から「桜肉」と呼ばれ,また俗に「蹴飛ばし」と称される。韓国人、は日本人が馬の肉を食うと言うと「え"ーーっ!!」と驚く。非難めいた目つきまでする。自分らは平気で犬の肉を食ってるくせに、と思うのだが、これはまあ文明,習慣の差であろう。イスラム教徒は豚を食う人間を許せないし,ヒンズー教徒は聖なる牛を食うなどもってのほかと思うだろう。
それは、ともかく、馬には馬の、豚には豚の、牛には牛の美味さがあり、それは厳然たる事実であるのだから、人間の業というか、美味いものには勝てないのである。幸か不幸かMorris.はまだ犬を食べたことはない(と思う)のだが、犬には犬の美味さがあってしかるべきだとは思う.タイトルの「マル」は「馬」、「コギ」は「肉」、「チャンチ」は「宴会」の韓国語である。
今夜は、名古屋に移動する小林君の壮行会があったのだが、こちらが先約だったし、馬肉の魅力もあって、不義理する結果となった.申し訳ない.
宴会は盛り上がって、夜を徹して飲み明かす勢いだったが、Morris.は明日仕事なので、泣く泣く11時過ぎに退場のやむなきに至った.

2001/10/11(木)●中島みゆきの古いテープ
昼間「山神山人」にラーメン食べに出た以外は、部屋で読書、BGMは10年程前のNHKFM番組でエアチェックした中島みゆきの特番テープ。彼女のコンサート「夜会」をパロった「もう一つの夜会」3回分「Another Time Goes Around(他の歌手が歌うみゆきナンバー特集)」「鳥尽くし(タイトルや歌詞に鳥が用いられている曲)」「禁間食(ダイエット美人歌手への道というテーマで、タイトルによるストーリー仕立て)」久しぶりに聞くと懐かしいものがある。
ハンナちゃんから日本語(ローマ字)で書かれたメール。大学院最後の学期に入ったとあるから、来年の2月には卒業なのだろう。去年10月に韓国に行って以来一年が過ぎた。そろそろ出かけたい気持ちはあるし、暇も有り余ってるのだが、先立つものが、ちと不足してるようだ。
深夜に1階の大家から電話で、何事かと思ったら、水道でてるかどうかと尋ねられた。隣家の水道が止まってしまったらしい.

【二十世紀】橋本治 ★★★★ 毎日新聞社のムック「シリーズ二十世紀の記憶」の年頭言として掲載された、1900年から2000年まで各年ごと101本のコラムと、総論(「広告批評」掲載)をあわせたもの。同世代の書き手の中では一番共感を覚える橋本の数あるコラム集の中でも本書は極め付きではないかと思う.Morris.は愛蔵本「情報の歴史」を傍らに置いて、これと対照しながら読み進めたこともあって、1冊読み上げるのに3日もかかったが、それだけの価値はあった。

・誰かがなにかを発明したとしても、その発明が"実用"の域に達するまでは、けっこうな時間がかかる。なにしろ、"最初の現代文"である「浮雲」の冒頭が、いきなり"千早振る"の枕詞つきなのだから、現代文が現代文になるまでにはまだまだ時間がかかるし、まだまだ改良の余地はあった。
1900年「オズの魔法使い」「ちびくろサンボ」、1902年「ピーター・ラビットの話」、1906年「赤毛のアン」 日本人がシチめんどくさいことをやっている間に、海の向こうでは、さっさとこういう"成熟"が生まれていた.日本人は、まず日本語を作り直さなければならなかった。しかし、日本に近代を教えた西洋諸国にはそれは必要なかった。だから彼等は、もう高度な童話を書けていたのだ。羨ましいというのは、こんなことでもあろうか。(1906)

・十九世紀の後半から二十世紀までがなんで激動のゴタゴタ続きの時代かといえば、その根本は"商売"にある。十九世紀の中頃にいち早く産業革命をなしとげたイギリスが、商品を多く作りすぎて、それを外国に売りつけるためにさまざまなムチャをした--その先例を、日本も含む他の国が真似したから、ムチャが世界に及んで,世界戦争になる。商売をするのに暴力をちらつかせるという風習は、さすがに二十世紀の半ばにはなくなって、しかしそれでも、「作りすぎた商品を売りつける」という風習は、まだあまねく残っている(今でも)。だから、世界に富の偏差はあって、それで世界は相変わらずガタついているのである。(1909)

・"無意識"の発見は、やっぱり二十世紀最大の発見である。"無意識"なるものを発見されて,人間はそれ以前とはまったく違うものの考え方をしなければならなくなったからだ。それまでは"呪術"や"超自然"といった領域に属すると思われていたものが、「人間に必須の構造」として説明されるようになってしまった。(1919)

・人間というものは,豊かさの中で破滅への準備をするものらしい。豊かさの中で、人はそれを失うまいとして,足をすべらせて破綻へと至る。第二次世界大戦前の世界を「暗い時代」と言う人は多い。しかし、その暗さは、豊かさの中に忍び寄るものなのである。(1939)

・「共産主義への恐怖」は、既に十九世紀からある。その恐怖は、「私有財産を否定する共産主義は、せっかく得た我々の財産を奪う」という恐怖である。しかし一方,共産主義は「他人への痛み」を前提とする思想でもある.世の中には貧困に苦しむ人間がいる--それはなぜだろうと考えて,共産主義は多くの共感を得た.
共産主義が思想として画期的だったのは、そこに「他者」を発見していたからである。
「他者」を発見して、共産主義はたやすく「敵」を作った。「他者の発見」は「愛の発見」であり、「不和の発見」であり、「敵の発見」でもあった。

・団塊の世代は大挙して大学へ行った.そして、大学に象徴される既成の価値観と衝突した。それが大学闘争である.大学闘争の結果がどうなったかは、誰も知らない。
意味のないところへ行って,社会の変革を叫んで,社会はその声に応えず、意味のないところで四年間を過ごした団塊の世代は、社会を変革する力を育てられなかった.(1977)

・インベーダー・ゲームとウォークマンは、やがてコンピューター・ゲームと携帯電話という、二十世紀末日本の最大産業へと発展する.社会の中で、人は公然と自分自身の孤立を表明して、しかし悩まない。悩む理由が無い.悩む必要が分からない.社会は、その基本構造を変えないままにあって,人の孤立は、もう"当たり前"になっていた。(1979)

・中東和平ということになると、「民族対立」とか、「宗教対立」と言われる。こういうことになると、「日本人には分からないもの」になる。しかし、それは本当なのか?
イギリスがパレスチナを「委任統治領」にしていたのは、十九世紀ヨーロッパの帝国主義が、アラブ人の澄む中東地域を支配化に置いていたからである。そして、その頃のヨーロッパ=キリスト教社会は、ユダヤ人を追い立てていた。つまり、その後のパレスチナに起こった「宗教対立」は、本来ヨーロッパで処理されるべきものではなかったのかということである。
1940年代の欧米キリスト教徒にとって、ユダヤ人とは「出てってくれりゃ嬉しい」というような存在だった。だからこそ、それを持ち越した中東問題は"難解"なのである。それをしたヨーロッパに、ユダヤへの差別は無いのか?アラブへの差別は?貧しい人への差別は?--中東和平とは、その問題を二十一世紀に問うようなものなのだと、私は思う。(1993)

2001/10/10(水)●パクサのMP3ファイル
昨夜から今朝にかけて、雨が降り続いていたが、昼前にはあがった.
また間違い電話、いや、今回は間違いではないのだが、若い男の声で「六甲道駅近くに、コーポ森崎と言うのがあるんですが、お宅の持ち物でしょうか?」と言う内容。もちろん、Morris.と同姓と言うだけで,全く関係ない物件(^o^)なのだが、問題はなぜMorris.に電話がかかるかということだ。Morris.は電話帳には名前載せてないのに。
昨日うまく行かなかった、音源ファイルを作ろうと、今日は、マイクロコンポのラインアウトから、パソコンのラインインに接続して、テープから録音したら今度はうまくいった。思い立って、イパクサのデビューアルバム(テープ)を使って試聴用のMP3ファイル作りに挑戦。ただし、雑誌の付録ではMP3に変換できないので、別のソフト使ったりしてああだこうだしながら、どうにか1分半くらいのファイル(フェイドイン、フェイドアウト付き)を作った.せっかくだから、パクサ部屋の中にテープ専用のシンパラム イパクサ」ページを作った.2本のテープに収録されている全タイトル(計57曲!!)の邦訳と、オリジナルの歌手名一覧表なども作る。えらく時間がかかり、その間ずっと件のテープかけてたので、久々に頭がポンチャッキーになってしまった。それにしても、韓国のパクサ公式HPはいつまでたってもアクセスできない。ちょっと心配である.
島田和夫部屋スケジュールを更新。

【サイキック戦争】笠井潔 ★★★ 暗い血の呪いから逃げるようにパリに留学し、革命の任務を帯びて日本に戻ったものの、先祖の山に篭っていた主人公竜王翔が、戦乱のベトナム、クメール・リュージュ侵攻のカンボジアを舞台に、かつての恋人と息子を救う闘いの中で、自己の超能力を見出して行き、最後は、闇の超能力者とのサイキックな戦いになると言う、伝奇SFである。もともと86年と87年に2冊に分けて刊行され、93年に文庫化されるにあたって、最終章を加えて一応の結末をつけたとある.
超能力を発揮するまでにえらく時間がかかるし、主人公が自分の力に懐疑的だったり、財閥の客家の娘や友人の助けを借りながら、周りの仲間はどんどん死んでいく中で、変に虚無的なくせに、自虐的だったりと、どうも素直に感情移入できないストーリーだったが、作者自身の青春期の思想的背景が影を落としているらしい.
ソ連の共産主義体制も、アメリカのベトナムへの暴挙(枯葉剤散布)も、カンボジアの内乱もすべて、数万年前からの正邪の闘いの一部だと言うのも、何だかなと思ってしまう.
それでも何とか読み通させるのは、筆者の力量というものだろう。
野阿梓という人の、18ページにわたる解説がえらくリキが入っていて、第二次大戦後の東南アジアの独立運動に絡まる情勢分析などは教えられることが多く、本編よりよほど印象深かった。これでは笠井の立つ瀬がないだろうなあ.

2001/10/09(火)●音声ファイルと相性
自転車の空気入れが壊れてたので大石のコーナンに買いに行く。
昼過ぎに間違い電話、どうやら先日の間違い留守電の女性らしい。「中村さんですか?」に始まり、電話番号確かめたり、聞きなおしたり、予想以上に飲み込みが悪い。とにかく、ちゃんと確認してからかけなおすようにと受話器を切る。
夕方買い物がてら、六甲道駅地下の本屋で立ち読みしてたら、矢谷君に会った。「PC相談室」という雑誌を買う。付録のCDROMに入っているwaveファイル編集ソフトが目的だったが、帰宅してCDから録音テストしたら、ノイズだらけになってしまった。いつまでたっても音声ファイルをまともに扱うことができない。

2001/10/08(月)●昼からビール
昨夜はTVで日本-ナイジェリアのサッカーを見た。えらい雨と風の中でのゲームだったが、結果は2-2のドロー。結果だけ見ると日本の善戦と言えるかもしれないが、何となく不満が残る試合だった。
昼過ぎに伊藤君が来て、ジャズストリートのビデオをVHSにダビング。昼からビール飲んだので、早めに酔いがまわり、9時過ぎに寝てしまう。

2001/10/07(日)●ミュンヘンでジャムセッション
今日も社長と一緒に出かけた。OPA広場、12時と3時からの二回だけで、時間に余裕があったのに、近くでやってたディッパーズと、春野ゆりさんのライブを見損なったのは失敗だった。昨日より客は多いくらいで、2回目の演奏はキャッツアイのベースなおみさんも交えて1時間も演奏した。その後、三宮駅前の凸凹広場でSTREET演奏するはずが、ロックバンドが3組も占拠して大音量で演奏してたので、急遽50mほど北側の街角での演奏に変更。神戸ジャズイベント名物の小野さんや、昨日ジャグストリートにも出演したオールドサザンジャグブローワーズも参加して、賑やかにストリート演奏を繰り広げた。
打ち上げは、近くの朝日ビアホールの予定だったのが、何と朝日は無くなっていて、これまた急遽、ミュンヘン8階に変更。適当に飲んで食ってたのだが、隣席に、以前のジャズストリートで旧知の、消防五人組というアメリカ西海岸の老舗のデキシーバンドのメンバーがいて、突然彼とのジャムセッションまで始まってしまった。
帰宅したら、間違い留守電らしいメッセージが入っていた。年配の女性の声で「Aでございます。おひさしぶりでございます。Bさんからお電話いただきまして、Cさんの件でご存知でしたらまた連絡いただけたらと思います。電話番号は06-××××です。よろしく」といったもの。しかし、留守電の応答メッセージにはとうぜん、最初にこちらの名前が入ってるわけだから、間違いだとしたら、よっぽどそそっかしい人なのだろうなあ。返信はしないでおこう。万一、Morris.のド忘れだとしたらそれはそれで恐いことではあるが。

【血と夢】船戸与一 ★★★☆ 「小説推理」81年6月号に掲載された「アフガン血風記」に加筆したものを翌年単行本化されたもので、20年前の作品である。ソ連によるアフガン侵攻を背景に、新式自動小銃とその発明者を拉致するためにCIAが派遣した日本人が、イスラムゲリラに紛れ込んで戦渦の中で、義兄弟の契りを結んだゲリラ主導者を裏切ることになる。アフガンに非合法的に潜入した経験に裏打ちされた描写と情勢の分析などは、今読んでも臨場感を失わない。えらく古いものを読んでるなと、自分でも呆れたが、先般の同時テロに対する、米のアフガン攻撃が現実に迫ってる今、タイムリーな読書と言えるかもしれない。筆者の心情は多分にアフガンの民に同情的で、大国の勢力争いの犠牲になる彼らの怒りに共感を覚えているようだ。アフガン・イスラム党の指導者ミジャル・グルヴァザが、捕虜の処刑に不満を表明する香港のジャーナリストに吐く台詞に端的に表わされている。

「聞かなくたってわかっている。あんたがた文明人とやらの夢は実にみすぼらしい。立身出世の夢、物質を所有する夢、そしてせいぜいが家族や個人的な関係を持続する夢だ。だが、アフガン人は違う! この小さな国は絶えず外国の侵略に晒されてきた。イギリスの次はソ連だ。アフガン人の夢はな、そういう外国勢力を撥ねのけ、アフガン人がアフガンの大地を自由に跳びはねる夢だ。いかなる外国の策謀も跳ねのけ、アフガン人がイスラムの戒律だけに生きる夢だ! もちろんその夢が簡単にかなえられるはずもない。そういう夢はいつだって血塗られた夢となるからだ!」
陳東明は黙りつづけていた。
「血と夢!」ミジャル・グルヴァザは張りのある声でそう言った。その声は陳東明ではなく、すでにじぶん自身に向けられているようだった。「アフガンではいつだってこのふたつは密接に結びついている! そのことを確認するためにこのような処刑が行われるのだと言ってもいい。アッラーもそれはお赦しになるだろう」

新発明の自動小銃の大きなメリットとして、コストダウンがあげられ、戦闘員一人の殺害値段に換算して云々といったくだりや、戦闘殺戮への血の滾りへの肯定などは、ちょっと辟易するところもあるが、船戸の初期の作品には、近作にない情熱みたいなものが感じられる。

2001/10/06(土)●今日からジャズストリート
ジャズストリート初日、社長と六甲道に11時待ち合わせで、北野坂の本部までワッペンと弁当取りに行き、12時過ぎにOPA到着、春待ちファミリーBANDは、1時と4時からOPA広場、3時からオリエンタルホテル11Fのクリスタルルームでの演奏。晴天に恵まれて、客も多く例によって、ジャズストリートとはあまり関係ないナンバーを中心に気楽に進行、夜は元町シャギーで、小谷君主催のジャグストリート、東京、中国、北陸からもジャグバンドがやってきて、予想以上に盛り上がった。もちろん、元祖春待ちと春待ちファミリーBANDも演奏した。

2001/10/05(金)●韓国点描完了
午後から中央図書館へ行く。帰りに高架下を通ったら、ペットショップに、蠍とタランチュラがそれぞれ\3,000で売っていた。どちらもあまり気持ちの良いものではない。特に蠍は禍禍しいにしろ、それなりの美をイメージしていただけにがっかりしてしまった。Morris.は蠍座の男なもんで、特にそう思ったのかもしれない。
「つの笛」の階段(百円均一コーナー)に、創藝社の漱石全集10巻が並んでいて、その8巻が「評論・初期の文章・詩歌・俳句」となっている。漱石の全集と言えば岩波の専売特許で、何度も改めて全集を出してたが、この創藝社というのは名前すら聞き覚えが無い。奥付に昭和29年とある。まだ紙質はあまりよくない。それはともかく、漱石の全俳句が、製作年代順と、季題順の両方で掲載されてるということで、買わずにいられなかった。実は全集10巻が揃っているのを1冊だけ抜いて買うということに逡巡したのだった。全部買っても千円だから安いものだが、これを置くスペースが無い。ぐだぐだ言いながら結局この1冊だけ買う。そのまま「ちんき堂」を覗いたら、新書館版の「ひとりぼっちのあなたに」(寺山修司)が\1,500で出ていた。ファイティング・ガールで、目の悪いふゆみちゃんが姉の深キョンに読んでもらってた奴だ。懐かしい一冊ではあるし、高いとは思わなかったが買わずにすます。
明日、明後日は、神戸JAZZ STREET。春待ちは、二日とも新神戸OPAでの演奏。移動しなくていいのは楽だが、ちょっと物足りない気もする。明日の夜は、元町シャギーで、ジャグバンドばかり集まっての「ジャグストリート」もあるので、長丁場になりそうだ。
韓国部屋に、「韓国点描」後半4篇をアップ。いちおうこれでこのページは完了ということになる。

【夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎】斎藤貴男 ★★★☆☆ 「巨人の星」「あしたのジョー」の原作者として、一世を風靡し、後、空手、格闘技の世界にはまり込み、映画製作、プロモートなどやりながら、スキャンダルにまみれて、さびしく消えていった男、梶原一騎だが、Morris.はどちらかと言うと苦手に属するタイプの人間で、「あしたのジョー」以外はほとんど認めていなかったのだが、やはりその軌跡を、丹念にたどり、丁寧に絵解きした本書を読み終えて、彼も一個の「巨人」であったのだと、改めて驚かされた。子供のまま大人になった、という形容がしばしば使われるが、そういう人間は、いくらでもいるわけで、梶原の場合、並外れた体力と、欲望の強さ、文才などを兼ね備えた上での子供っぽさということで、それが、隆盛期にあたる漫画文化の世界で、思いのままに振舞える舞台を与えられたことで、あのような破天荒な生き方をすることになったのだろう。ともかくも、筆者は本書を単なる編年体にせず、トピックごとに大きな部立てにして、それぞれを丁寧に分析しながら、主だった出来事を遺漏無く網羅しながら、インタビューや取材で知りえた意外な事実やエピソードを配して、全体が浮かび上がってくるような構成に仕立てている。梶原に肩入れしすぎることも無く、客観的に批判を加えながらも、底には、梶原の世界への愛着があるため、一方的非難にはなっていない。後期の荒乱ぶりも、梶原の自己責任とともに、他律的原因も挙げて、公平を期している。漫画の原作者という特殊なジャンルだけに、その相棒と言うべき、漫画家にもあたう限り直接取材して、彼らの生の声から梶原という個性を語らせるという方法も成功している。筆者のライターとしての力量が伺われるところでもある。しかし、本書を読み通して、Morris.は、梶原一騎という人は「かなわんなあ」という思いを新たにした。

2001/10/04(木)●稲田さんtoto高配当
朝6時に奥井さんに迎えにきてもらい、名古屋市千種区のアメリカ行き荷物ピックアップ。矢谷、西根君と4人作業だったので、3時前には出発することができた。
昼食は近くのうどん屋できしめん食べたが、だしは真っ黒で(これは、まあ仕方無い)麺もいまいちだった。
ソウル、弘益大学に留学していたきだちゃんが約5年ぶりに帰国して、京大大学院に復学したとのメール。5年前は韓国語の実力は同じくらいだったのに、今や、天と地の差になってるだろう。歓迎オフでもあればいいのだけど、会いたいような、会いたくないような、ちょっと複雑な気分だ。
稲田さんは先週のtotoは二つの引き分け以外は全的中で、3等賞金を獲得したらしい。配当も2万円近い高配当。来週は全問正解だ、と自信満々らしい、期待しよう。

【群蝶の空】三咲光郎 ★★☆☆ 全く未知の作家だが、タイトルと京大俳句事件がらみらしいので借りてきた。ストーリーは日米開戦直前の関西を舞台に、新進女流俳人である海運会社専務夫人と関連会社の社員との、愛のもつれと逃避行ということになるのだろう。京都の喫茶店で西東三鬼なども出席する新興俳句の親交会があり、彼女はそこで俳誌を主宰することを勧められ、その気になっていく。夫はそれを知り、前から嫌っている新興俳句を、治安維持法を縦に、官憲の力を借りて糾弾しようと目論み、京大俳句の同人を逮捕させる。彼女はそんな夫に愛想を尽かし、家を出るものの、理解を示してくれた関連会社社員と、北陸まで逃げ、嵐の中、彼女一人が行方不明になってしまうという結末で、これまた尻切れとんぼになってしまっている。お目当ての俳句関連部分も、期待はずれだった。

2001/10/03(水)●間違いファックス
お昼前に、ファックスが来た。FACSIMILE TEST CHARTのタイトルで、FAX交信テストのために下記までご返送下さいという文のあとに、機械の使用マニュアルとアンケートみたいなのが付いている。送り先は某コピー機メーカーのCSSセンターとあった。確認の電話入れたら、やっぱり間違いのようだった。間違い電話はちょくちょくあるが、間違いファックスは、2回目だ。重要書類だったらどうするつもりなんだろう。それでなくてもファックスは、誰でも読めることがあるから、もともと重要なもの、秘密を要するものは送らないのが無難だろう。インターネットメールの場合は、間違いというより、いたずらや宣伝のためのものが大部分だが、通信が便利になるほどに、情報が筒抜けになったり、とんでもない事件になったりすることも増えていくのだろう。
午後、矢谷君に頼み、トラックで壊れた冷蔵庫倉庫に引き取ってもらう。部屋に置いてるだけでうっとうしいし、臭いそうだったからだ。とりあえずこれで受け入れ態勢は整ったのだが、出物を待っていてもいつになるか分からないので、コジマで小さ目のものを買おうとしたが、配達まで下手したら10日くらいかかると言われたのでやめた。高架下の中古屋か、日本橋で探すことにしよう。
9月30日の春待ちファミリーBANDレポートを春待ちファミリーBAND日記ページに更新。

【新宿鮫 風化水脈】大沢在昌 ★★★☆ 99年7月から2000年8月まで毎日新聞夕刊に連載されたもの。Morris.は大沢の新宿鮫シリーズはほとんど読んでいるが、熱狂的なファンというわけではなく、図書館で見かければ借りると言った程度なので、本書も刊行後1年以上経っている。中国人と暴力団協同の高級車窃盗グループを追うなかで、40年前の殺人事件の屍蝋死体を発見、これが脇役と深い因縁のあるもので、事件が進むうちに過去の事件と現在の結びつきが顕になっていくと言う筋立て。例によって鮫島警部は、警察機構の矛盾と、職務遂行に悩みながらわが道をひたすら行くわけだが、若い恋人との間にちょっとした亀裂ができかけていたり、古いタイプの暴力団員への友情に似た感情、過去を持つ元警官への複雑な思いなど、エピソードの丁寧な描写は、読ませるものがある。ただ、本書では新宿の歴史や地勢についての描写がやや煩わしいくらいに書き込まれていて、ストーリーの進行を妨げているような感じも受ける。それでも、やっぱりこのシリーズは、Morris.にとって、得がたいエンターテインメントであるという定評を、本作も裏切らなかった。

2001/10/02(火)●猶予の月
昨日の阪神巨人戦は、阪神の完封勝利で、長嶋監督最終試合をほろ苦いものとしたが、この試合は和田の引退試合でもあって、試合後の和田のコメントはなかなか泣かせるものだった。入団の年に優勝を味あわせてもらい、その後、あの感激をもう一度と願いながら、今日まできたが、とうとう果たすことなく引退の日を迎えた。後輩に願いを託したいという趣旨だったが、人柄の現われた口調がその言葉に重みを加えているようだった。
ちょっと前の話だが、先の日曜日の朝のTVで、竹村健一がいいことを言ってた。石原慎太郎がゲストで、二人で言いたい放題の後、番組の終わる直前の発言で、「不況対策の特効薬として、日本の交通運賃を1/10にすればいい。そうすれば人は動くし、人が動けば金も動く。交通機関への補填にこそ国が公共投資すればいい。しょうも無い施設つくったり、公共工事に金をつぎ込むよりずっと、効果的だ」といった趣旨だった。どちらかというと、竹村は毛嫌いしてる方のMorris.だが、このご意見には、双手を上げて同意したい。Morris.も、日本の交通料金の高さにはかねがね業をにやしていて「国鉄の赤字こそ、税金でカバーして、料金を半額くらいにすべきだ」と言いつづけてたのだが、竹村の「1/10」というのには、ちょっと度肝を抜かれたが、たしかに、そのくらいになれば、効果も絶大だろう。もちろん、混雑や、車両の不足、設備の拡充などの問題が起きるだろうが、個々に対処すれば可能だと思う。
名古屋のきよみさんから、宅急便で陶器の爪楊枝入れが送られてきた。小さな河童3匹が取り付いている手の込ん意匠のものだ。地元の陶器市で買ったものらしい。
午後、コジマに行ってみた。さすがにがらがら状態だった。PC関係がかなりの売り場面積を占めていたが、価格も品揃えも日本橋には敵わない。何たって家電屋さんだもんね。冷蔵庫を物色したのだが、これも飛びつくほどのお買い得は見つからなかったし、壊れた冷蔵庫の引取りにも金がかかるので今日は見送り。偶然社長に会った。社長はここで、精米機?!を買ったらしい。
今夜の月はいわゆる、十六夜(いざよい)だが、見事な満月で、光も冴えている。

【みだら栄泉】皆川博子 ★★☆☆ 枕絵の異才として知られる浮世絵師、菊川(渓斎)栄泉を主人公にしたもので、なかなか目の出ない画家とその妹たち、三流の出版元、長二郎(後の為永春水)、北斎と娘のお栄、国貞、国直、国芳などが登場する、となると、Morris.の好きな江戸の大衆文化世界を垣間見るだけでも楽しめる作品だと期待したのだが、読後の感想はあまりかんばしいものではなかった。栄泉のキャラクターに馴染めなかったと言うことが大きい。皆川の江戸戯作の知識はなまなかではないし、時代色の描写も堂に入ってるのだが、物語を楽しもうとする側からすると、疲れてしまう。
栄泉といえば、Morris.は杉浦日向子の「百日紅」の善次郎を真っ先に思い出してしまう。ここでも若き日の栄泉(善次郎)は、売れない絵師として屈託のある生き方をさらしているのだが、杉浦の手によると、彼は悩みながらも陽性で、魅力的に描かれている。それに比して皆川は、栄泉を、女と絵のデーモンというか業に憑かれたおどろおどろしい性格に仕立て上げているわけで、実際がどちらに近かったか、全く別タイプかも分からないが、圧倒的に杉浦の方が感情移入できるし、読後感も爽やかだった。
「百日紅」が漫画アクションに連載されたのが83年11月から87年8月、本作の初出が小説新潮88年12月号だから、皆川が百日紅を読んだ後に本作を書いた可能性は充分にあると思うのだが、同一人物がこれだけ違うとなると作為すら感じられる、というのは深読みに過ぎるだろうか?

【龍神町龍神十三番地】船戸与一 ★★★ 無防備の強姦殺人犯を射殺したことで、5年の刑期を終えた元刑事が、長崎県五島列島の辺鄙な町の町長となった同級生に招聘され、そこで、因習にまみれた複雑な連続殺人事件に巻き込まれ、長崎のはぐれ刑事や、若い新聞記者、過疎地教育に燃える女教師などと絡まりながら、腐敗しきった警察署長や政治家の陰謀を暴いていくというミステリーなのだろうが、ほとんど推理などの入る余地はなく、ひたすら事件が連続して、それに流されるように登場人物たちが動き回るというストーリーだが、例によってのご都合主義、あまりの偶然の連続などが鼻につく。大橋建設の公共工事で一時的に潤った田舎町のその後の荒廃や、不毛を描いているあたりは、手馴れたもので、説得力があるが、主人公が何度も絶体絶命になり、そのたびに偶然に助かったり、鋭敏な地元の子供に懐かれ、情報を得たり、船を操縦してもらったりというのはやりすぎだと思う。しかしついこの前読んだ「虹の谷の五月」よりは、面白く読み通した。

2001/10/01(月))●暈かぶりの名月
土曜日と同じ加古川の現場。朝は雨模様だったが昼前に上がった。昼食は長浜ラーメン一番で、予定通り極細麺頼む。うん、これこれ、この麺こそ博多ラーメンらしい麺だ。最近の新興ラーメンブームで、結構スープの美味い店は増えてきたのだが、麺はいまいちと言う思いが強かっただけに、この麺は感激ものである。しかし、このチェーン店は神戸方面にはない、姫路中心の展開らしい。是非、灘?芦屋のラーメン銀座に出店してもらいたいものだ。
今夜は中秋の名月。夕方空を覆っていた鱗雲もほとんど無くなり、漆黒の空に名月が晧晧と輝いている。無粋なMorris.が双眼鏡で見たところ、左上のほうが少し欠けている。名月だから満月とは限らないようだ。それに今夜の月は小さ目の傘をかぶっている感じでちょっと風情を削ぐのは否めない。
韓国部屋に89年秋の韓国旅行で拾ったエピソードを綴った「韓国点描」前半の4篇をアップ。