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Morris.日乘2004年3月 
ここは、Morris.の日記です。読書記録、夢のメモ、宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語 

三月は裁かれる

Morris. personal calender

【2004年】 2月 1月
2004/03/31(水)●日本サッカーのつまらなさ●

今日は一日倉庫で、奥井さんとヴァン詰やら通関やらの作業。Morris.はどうもこの倉庫作業が一番苦手である。変に待ち時間ができると手持ち無沙汰になってしまう。
昼は久しぶりに日の出屋食堂のマグロすき身定食で満足。
定時に帰りさっそくhigashi2号にソフトをいろいろインストールする。DVDは問題なく見ることができるのだが、カノープスのアナログデジタル変換アダプタが認識されない。つまり、PCでTVやビデオ見ることができない。これは後ほどの課題としよう。
今夜はサッカー日本-シンガポール戦があったので、麻婆豆腐作って、いっぱいやりながら観戦したのだが、これがまたなんともつまらない試合だった。
結果は2-1で日本が辛勝したのだが、内容はお粗末の一言に尽きる。
あまりつまらなくてついつい酒のピッチが上がりそのまま寝入ってしまったらしい。
目がさめたのは1時で、TVつけっぱなしだったので、タイマー録画が機能せず、443さんから教えてもらった韓国映画「カル」の録画失敗してしまった。明日は名古屋行きで5時起きなのに、大丈夫だろうか。

2004/03/30(火)●嬉しい到来物●

奥井さんの現場で、高槻のローカル。朝から雨模様だし、搬出は階段5階というのでちょっとビビったが、高平さんや、若いバイト3名が入ってたので、Morris.はあまり担がずに済んだ。搬入先は高層マンションの23Fだったからまあ、楽勝。
ノレバン2号(右)よりかなりコンパクトない新着PC帰ったらYahoo BBから封書が来ていた。例の情報漏洩事件のお詫びと、銀行で\500引き出すことの出来る振替支払通知書が入っていた。噂では聞いてたが、面倒くさいというのが本音である。どうせなら、月々の契約料から\500値引きしてくれたらいいようなものだが、それなりの思惑があるのだろう。
それにしても\500でも、加入者全員ということになると巨額になることはまちがいない。あのADSLモデムの無料配布(今でもまだやってる)でかなりの赤字出してるらしいところに、今回の事件。大丈夫かあ?Yahoo BB。
昨日、今日と迷惑メールが9通ずつ来ている。そのうちの数通は発信アドレスがMorris.名義になっている。これは先の漏洩とは無関係なのだろうか?8時過ぎに宅急便で、長野のhigashiさんから、自作のPCが送られてきた(@_@)
Morris.のノレバン2号の危篤状態を見るに見かねて、自発的にモリス亭の電力事情を考慮した構成で、とりあえず、しばらく使ってみて実用になりそうなら格安で頒布してもらえるらしい。うーーーん、これはありがたい。
いくらなんでも、そろそろ買い換えを考えながらも、もし原因が電気環境だとしたら、無駄金つぎ込む結果に終わりそうだったから、これならしばらく様子を見てから使い続けるかどうか決められるし、使えるとしたら、市販のものより安価で購入できるということで、どちらにしてもありがたすぎることである。今日はともかく、接続してインターネット繋がっただけで喜んでいる。
詳しくは明日からぼちぼち同時進行で日記に書いて行くことにしよう。
ともかく、higashiさん、ありがとうございますm(__)m

【変貌する現代韓国社会】小林孝行編 ★★★☆ 7人の筆者による9編の論考が集められている。各地の大学関係者の論文の中から、テーマに沿い、一般的な内容のものを選んだもののようだ。Morris.は韓国に興味はあっても、こういった比較的硬めのものはあまり読まないのだが、読んでみたらそれなりに面白いものが含まれていた。
ただし編者である小林氏の「コリアの近代化と国際関係」で、過去、現在にわたって朝鮮半島全体を「コリア」と表記するスタイルには強い違和感を覚えた。「コリア半島」という熟語もそうだし、李朝の時代の事柄を論じるときにコリアと呼称されると、もう違和感を通り越して、寒疣ができそうになった。
歴史に応じた呼称を使うべきだと思う。
興味深かったのは「儒教規範のなかの女性」(山本かほり)、「日常の生活実践誌」(伊地知紀子)、「社会を映し出す大衆文化」(かせ[糸+忍]谷智雄)の3編だった。
「儒教規範の中の女性」では、一般的に男尊女卑といわれる韓国での女性の社会的地位に関する論考だが、苦労を重ねる辛い境涯と、オモニ(母)としてしたたかに生きる立場の二重性を、実際の韓国女性からの聞き取りを交えながら明確に論証し、「韓国女性のたくましさは、「母」としての権威に性格付けられたものであり、そして、それは同時に儒教的な規範に強く規定された権威だと結論づけることができよう。女性が自律的に獲得してきた「パワー」では決してないのである。」とはっきり書いている。
「日常の生活実践誌」は済州島にフィールドワークのため滞在したときの体験と聴き取りをもとに、日本、特に大阪に住み着いたり稼ぎに出た人々の物語が興味深かった。李朝時代から、日本植民地時代、さらに解放後の4・3事件と朝鮮戦争とずっと虐げられたり踏みにじられたりし続けた辛い島の歴史、60年代から観光地として脚光を浴びるまでの済州島の歴史もおさらいすることができたし、女性ならではの視点も面白かった。
しかし本書でMorris.が一番熱心に読んだのは「社会を映し出す大衆文化」であることはタイトル見ただけで自明だろう。
韓国の現代文化をいわゆる大衆文化から考察していくという方針で、映画、小説、漫画、音楽などを素材に論じられている。Morris.が一番関心のある音楽では、アメリカナイゼーションが著しいと思われている韓国ロックの中でも、韓国文化の根が強残っているアーティストして、シンジュンヒョンが例に挙げられている。

韓国ロックの先駆者ともいうべきシンジュンヒョンの音楽活動からうかがうことができる。50年代に米軍クラブのギタリストとして音楽活動を開始したシンジュンヒョンは、のちに自らのバンドを率いて、また作曲家としても数々の名曲を残している。彼は常に独自のメロディラインとアレンジを追求し続けており、98年に発表された集大成ともいえる新作では、李朝末期の放浪詩人金サッカの詩と自身の音楽を融合させている。このようなシンジュンヒョンの姿勢には、米国音楽のコピーではない独自の"韓国ロック"をつくり出そうという明確な"意志"がうかがえるのである。

これはMorris.も共感するところ大である。先日初めて生演奏を聞いたチャンサイクの演奏にも同じようなことを感じさせられた。
映画ではMorris.の好きなアンソンギの作品を多く取り上げて熱っぽく論じられているし、新聞漫画の変貌や、日本大衆文化の影響など、それぞれに面白そうなテーマが目白押しである。惜しむらくは、30頁足らずのスペースのため、物足りないことこの上ないということだろう。Morris.としては、このテーマだけで一冊に仕立てあげて欲しかったところである。

2004/03/29(月)●like a dog(^_^;)●

清水、常見君と吹田の香港行き荷物のピックアップ。この現場は前に船便出して、今日は航空便と船便の残りで、航空便は今日中に出さないと間に合わないので常見君が午後倉庫に持ち帰る段取り。ところが荷物が思ったより目茶苦茶多くて、ぶっ飛ばして梱包したのに航空便の梱包だけで午前中いっぱいかかってしまった。午後には別口の仕事があったので、結局清水君と二人で昼食抜きで2時半まで(+_+)かかって作業終えて、食事はトラックの中でお客さんにもらったちらし寿司。高槻の次の現場に着いたのが3時半。ここでもぶっ飛ばしたのだけど、作業終えたら6時半で、実家にいくらか荷物配達して、倉庫に着いたのは8時だった。ああ、今日は本当に犬のようにこき使われて疲れてしまった(^_^;)

2004/03/28(日)●盲導犬チャリティコンサート●

今日も朝風呂つかって、11時に西宮勤労会館へ。
午後2時から盲導犬チャリティの春待ちファミリーBANDコンサート。
西宮市立勤労会館盲導犬チャリティコンサートガールスカウトの団体が来てくれたので、ほぼ満席状態(^。^)
二部構成で、子供が多いので、お祭り、ぶらんこ、ピクニック、親馬鹿時代、ホーキーママなどで盛り上げる。お約束のアンコールではフィッシングで、観客動員ラインダンス。花束も贈呈されて、盛況裡に終了した。
Morris.はそのまま三ノ宮まで出てジュンク堂で、社長に頼まれた「旅の指さし会話帳 タイ語編」を買う。社長は明後日からタイに行って、チェンマイでタイ人の子供たち相手に演奏することになってるらしい。しかしタイの子供が社長のギャグや音楽にどんな反応をするのだろう。
今日は四月半ばの暖かさということで、あちこちで桜が咲いてたが、満開にはまだまだという感じ。やはりこちらの花見ピークは4月3日(土)、4日(日)あたりになりそうだ。

2004/03/27(土)●ちゃんこ宴会●

[虹の夢]帰宅途中空を見上げたら中天に円形の虹がくっきり出ていた、これは撮影しておかなくてはと、あわててデジカメ取りに部屋に戻ろうとする。途中で虹は二つになり∞模様になった。これは急がなくてはと焦って部屋に戻るがデジカメは見当たらない。散々探しまくるが見つからなくて、あきらめた頃に、なんとジーンズの腰にぶらさげたままだったことに気付く。とっくに虹は消えていた。未練がましく空を見上げていたら昔懐かしい女性が訪ねてくる。せっかくだからデートでもしようと、出かけた先は30年くらい前の神戸高架下商店街、彼女が疲れたようなので、饅頭にして風呂敷に包んで下げて歩く。どんどん時代は逆行していくらしく戦後の闇市状態の中、洒落たカフェを見つけビールを注文、香水瓶みたいな小さな容器に入ったビールで千二百円も取られる。風呂敷を開けると饅頭はピザに変身していた。彼女は黙ってそれを食べている。これからどうしたものだろうと相談するも彼女は微笑しているだけ。心中話を持ち掛けたら、一緒に死ぬのは嫌だが、Morris.が死ぬ手伝いならしてやるとのことで花隈公園に登る。石の中心の穴から水が流れてるところに横たわるが全く濡れない。身体からだんだん熱が無くなっていくのがわかる。意識だけはそのままだ。これが死ぬということかなどと思う。
おごちそうさまm(__)m8時起床。洗濯して朝湯を使い、灘図書館に行く。
今夜は伊藤夫妻の招待で、近所の「ちんや」で、結婚式スタッフ慰労会。司会の聖子ちゃんと娘のさきちゃんと満園君、造花つくっためぐちゃん、ピアノのいやま君、受付の堀姉妹にビデオのMorris.。チャンコ鍋にトリ刺しやら何やらかにやら食べて飲みたおす。途中で例の芦屋美術博物館の「幻のロシア絵本展」の話になり、部屋までカタログ取りに帰って、またひとしきり、宣伝にあい努める。4時間近く粘って、すっかり酔いながらもしっかりレーヴに。
さりーちゃんがいて、また飲んで1時前帰宅。ふーっ、ちょっと飲み過ぎだ。

【日本語あそび「俳句の一撃」】かいぶつ句会編 ★★☆☆ 榎本了壱、八木忠栄、萩原朔美などが集まって同人誌を発行してるかいぶつ句会のメンバーがよってたかって作り上げた自己流俳句講座みたいな本だが、インターネットで引いてみたら、何と通信教育講座まで設けている(@_@)
内容は、それぞれが好き勝手に自分なりの俳句感やら、作句方やら、好きな作品解説やらを書いていて、当然それなりに面白いのやらそうでもないのやら、読むに耐えないのやらが混じっている。
冒頭の現代の俳壇状況などへのうがった見方などは面白く読めて、これはきよみさんに紹介しなくてはなどと思ったのだが、ページを追うごとにトーンダウンして、おしまいへんは飛ばし読みになってしまった。
俳句を言葉遊びと見て、それも真剣に遊ぶというのは悪いことではないが、それを盾に、何でもありと開き直ることには、全面的には賛同できない。
まあ勝手にやることに文句を付けるつもりはないが----。

2004/03/26(金)●ニュース・ステーション最終回●

矢谷君ら5人で橿原市にシンガポールからの荷物配達。現場は耳成山の付近で、なかなか風情のあるいいところだった。
搬入、開梱作業も順調に進み、昼前に作業完了。
帰り道田原本町の天理スタミナラーメンで昼食。Morris.は野菜どっさりのこのラーメンはあまり好みではないが、今日は野菜抜きの夜鳴きラーメンセットたのんだら、まあ、不味くはなかった。
その後矢谷君と、すぐ近くの唐古遺跡で休憩。弥生時代の環濠集落の遺跡で、戦時中(1936頃)国道24号線工事で発見されたものらしい。出土品の中の土器に楼閣の線画があり、これを復元して、観光地にしようとしているらしいが、どうも空振りに終わってるようだ。それでもいい天気で、ふらふらと四角い唐古池の回りを散策するのは気持ちよかった。
19年続いた米宏のニュース・ステーションは今夜が最終回だった。TVのニュース番組を、大衆向け娯楽番組に変えたという意味でやはり画期的な番組だったと思う。黒柳徹子とのコンビで歌謡ベスト10の司会やってた久米宏が、突然ニュースキャスターなんてことを始めて、とりあえず成功を収め、他局もそれに追随したが、結局20年近く独走態勢だった。久米宏個人の力に負うところが大きい。
Morris.は始めのころはあまり見なかったが、後半は、ほぼ半分以上見ていたと思う。特に熱心に視聴したというわけではないが、新聞取ってないので、いちおう日常ニュースの仕入れのつもりもあったし、小宮悦子がそれなりに気になってたりもしてた(^_^;)からだ。
久米宏の政府批判や、社会正義ポーズが計算されたもの、ということを解って見れば、それなりに面白いパフォーマンスも多かった。
ただ、今日の番組構成は、40歳、50歳の自分の映像に、60歳の本人が混じって回顧する部分が多すぎていまいちだった。最後こそ、いつもと同じ構成で押し通すべきだったと思う。それでも、これまでいろいろ面白がらせてくれたのだから、ありがとうの言葉を贈るべきなのだろうな。お疲れっ!!

【抗う勇気】ノーム・チョムスキー+浅野健一 ★★★☆ 2002年11月8日にMITチョムスキー研究室で行なわれた対談と、注釈、資料などを合わせた130p余りの薄い本なのに、読むのにえらく時間がかかった。
9/11の自爆攻撃事件から1年ちょっと、米国がイラクに攻め込む半年前というタイミングの対談である。
チョムスキーといえば変形文法理論で有名な言語学者で、ベトナム戦争以降、自国批判の急先鋒として注目を集めているくらいしかしらない。
浅野氏に関しては名前さえ知らなかった(^_^;)Morris.とほぼ同世代で、共同通信社のジャカルタ支局長のときにスハルトから国外追放処分になり、今は同志社大学院の教授(新聞学)というなかなか骨のある人物らしい。
ベトナム戦争、東ティモール問題、イラク戦争に混じって朝鮮半島問題も出てくる。在日に関する浅野の注は非常に明確でわかりやすく、Morris.も深い共感をおぼえた。

在日朝鮮・韓国人とか、在日コリアンという呼称もあるが、歴史的経緯を考えれば在日朝鮮人と呼ぶのが適切。
日本の1910年の武力併合で当時の朝鮮半島の人々は朝鮮人とされ、敗戦後、外国人登録制度が導入された47年に「朝鮮」とされた。その後、朝鮮半島が南北に分断され、50年に在日韓国代表部(当時は国交関係がなかった)が外国人登録の国籍欄の表示を「朝鮮」から「韓国」に変更してもよいと決定した。その一方で朝鮮民主主義人民共和国とすることの申請に応じないこととした。65年の日韓基本条約の締結により、韓国と国交が結ばれて、韓国籍に変更する人たちが増えた。しかし、日本という国家の都合で国籍を変えられたくないという一世、二世のほか、三、四世の人たちも、「朝鮮」としている人も多い。
朝鮮籍の90%は現在の韓国の出身者で、現在の朝鮮民主主義人民共和国と在日朝鮮人はまったく違う存在。

アメリカの中東への接し方に関しては、成瀬宗男の論文をもとに以下のように簡潔にまとめている。

1979年、イランでシーア派による「イスラム革命」が起こり、米国寄りの王政がたおれた。「革命の輸出」を恐れたイラクはイランと88年まで戦争した。イラン人に米大使館の人質事件を起こされるなど、イラン革命を警戒し、中東におけるイランの勢力拡大を恐れていた米国は徹底的にイラクを支援した。現在、米国が問題にしている「大量破壊兵器」を供与したのは米国自身である。ラムズフェルド現国防長官(当時は製薬会社重役)は83年12月、バクダッドでフセイン大統領と会見し、当時のレーガン大統領の親書を渡した。イラクとの国交正常化と軍事協力に向けた会談だった。米英日の指導者やメディアは「毒ガスを自国民に使った」とサダム・フセイン大統領を非難するが、88年に自国内のクルド人にガス兵器を投入したとき、イラクが使用したヘリは米国製で、ガス兵器も米国の協力によって実用化したものだった。米国が忌み嫌うオサマ・ビンラディン氏も、もともとは米国の工作員だったことは有名。

これまでの一連のアメリカの中東政策が実にわかりやすく要約されている。これだけでも本書を読んだ甲斐があるというものだ(^_^;)
浅野が最大関心事としていた東ティモール問題に関しても、日本のマスメディアではほとんど報道されていない、日本の理不尽なインドネシア、スハルト政権支持や、アメリカの意識的放置などについて、鋭く突っ込んで対話されているし、日本と韓国にしか存在しない「記者クラブ」の弊害への論及など、聞くべきところが多い。
また、先日読んだばかりの丸谷才一エッセイ中にあった「米国人の半数が進化論を否定している」という、驚くべき話題の傍証ともいうべきやり取りがあって、改めてびっくりした。

浅野 あなたは、米国が「ファシスト前夜の状況にある」と長らく警告していらっしゃいましたが。
チョムスキー 国自体がそうだといったのではありません。そういった要素がこの国にあるというのです。ぎりぎりまで傾いている人々もいますが、全員がそうであるわけではありません。非常に複雑な国なのです。たとえば、この社会の文化です。世界中で最も原理主義的な社会の一つですよ。イラン以上です。本当ですよ。世界は6,000年前に創られたのだと、全人口の半分近くが信じている国なんて、他にありません。


うーーーむ、やっぱりそうなのかあ(@_@)

【幻のマドリード通信】逢坂剛 ★★★ スペイン内乱を背景にした5編の短編を集めたもので、昭和62年(1987)刊行したものに加筆修正したものだ。Morris.は、はじめ長編だと思って借りてきたのだが、これは短編ながらなかなか粒揃いで面白かった。著者は相当なスペインマニアで、スペイン語も学んでいるらしく、語学的蘊蓄というか、細部へのこだわりが見えたりして、臭くもあるが、そこがMorris.には面白かったりする。
冒頭の表題作は、ソ連のスパイである日本人が、フランコ軍事独裁直前のスペイン日本大使館に入り込み諜報活動をしたあと残した手記が大部分を占めるが、二転三転どんでん返しで、後に余韻を残す終り方などはうまいものであるが、当時と現在の文体の違いみたいなところで、違和感を覚える箇所もあった。また著者がかなり肩入れしてると思われる、アナキスト労働組合CNTの活動家ドゥルティの死を巡るさまざまな臆説と著者自身の仮説を盛り込んだ「ドウルティの死」は、小説としてより、当時の状況を教えてくれるものとして興味深かった。たとえば、フランコに関する以下の部分など。

フランシスコ・フランコは、悪運の強い男だ。1936年7月の内戦勃発以来、40年近い年月を悪名高い独裁者としてスペインに君臨し、しかもベッドの上で大往生をとげた。その間政権の座を脅かす者は一人として現れず、反体制運動も極左テロもついに彼を倒すことはできなかった。
しかしフランコの悪運の強さの芽は、すでに内戦当初から出ていたのだ。まず軍部の反乱を指導すべく、亡命先のポルトガルから空路スペインへ向かったサンフルホ将軍が、飛行機の墜落によって死亡し、総統の座がフランコに転がり込む結果になったこと。もう一つは、強大な勢力をふるい始めていたファシストの秘密結社、ファランヘ党の独裁者ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラが、共和国政府によって逮捕され、処刑されたこと。ホセ・アントニオは保守反動の理想主義者で、ファシストであることにもかかわらず一部の自由主義者の間にさえ、人望のあった特異な人物だ。ある意味では、フランコより人気が高かった、とすらいえる。彼が若くして死んだことは、フランコにとって最大のライバルが、スタートラインで姿を消したことを意味する。しかもフランコは、戦後彼の人気を実にうまく自分の統治に取り込んだ。スペイン各都市の、主だった通りや広場に冠せられたホセ・アントニオの名前は、その一つの表れだ。
そしてさらにフランコの悪運を強めたのは、ブエナベントゥラ・ドゥルティの死であらう。ドゥルティはカタロニア地方、とくにバルセロナを拠点とする無政府主義者の労働組合CNTの、最大の活動家だった。当時の共和国側では、共和主義者、社会主義者、共産主義者、無政府主義者などあらゆる左翼陣営が入り乱れ、主導権を争っていた。その中でドゥルティは、アナルキスタを代表するカタロニア民兵の、頭目だった。

小説を歴史の解説書みたいに読んでしまうことには問題があるかもしれないが、貧乏性のMorris.はついつい、そういった読み方をすることがある。逢坂剛の作品などは、Morris.が無知なスペイン内乱時代を舞台にしたものが多いだけにその傾向が強まる傾向にあるようだ(^_^;)

2004/03/25(木)●先生の息子●

としろう、オウガスタ(浅海君)ら4人で西宮甲子園口、シンガポール行き荷物のピックアップ現場。昨日とまるで打って変わって、仕分けばっちり、てきぱき夫婦だったので、順調に仕事進む、進む。ただ午後は雨になったので積み込みにやや難渋した。でも久久に定時終了で6時半には帰宅。
見知らぬ名前のメールが来ていたが、これが、何と以前センターで教えてもらった高秀賢先生の息子で、前に春待ちファミリーBANDのセカンドアルバム聞いてファンになって、どうしても一枚目欲しいということで、注文のメールだった。いやあ、こういうのも嬉しいな。しかし、2枚目聴いたのが中学2年生とあるから、もう二十歳は超えてるよなあ。
またひとつ、時の流れを感じさせられてしまった。

2004/03/24(水)●ヒアカム FOREVER!!●

西根君と二人で箕面の保管荷物と残りの船便引き取り現場。以前船便出したことがある現場で、マンションの前に円形の浅い池みたいなのがあって、やたら横持ちの長いロケーションである。それはいいのだが荷物の仕分けが出来てない上に、子供二人がうるさくて一向に仕事がはかどらない現場だった。5時までみっちり梱包したが、明日は午前中に上げて欲しいといわれてしまった(+_+)
今夜で、六甲のヒアカムが閉店する。
とりあえず顔を出さねばと思う。その前に腹ごしらえ。久しぶりに学生相手の「よ志だ」でサービスの焼き肉定食頼んだら多いこと。しかも店内一杯に焼肉、焼魚、フライの脂切った匂いが充満して、服や身体全体に染み付く感じだった。ドレスアップした連中は行くべきでない店だな。でも、Morris.は大丈夫(^。^)
その後、センターの古本市を覗く。金時鐘の「在日のはざまで」があった。こんなの\300で出していいのかい、とも思ったが、センターの古本市は均一セール(一般書\300、マンガ、絵本、文庫、新書各\100)だからこういう価格破壊もありなのだ。さらに岸田衿子詩集「あかるい日の歌」まで見つけてしまった。これは日本のライトヴァース詩集の中でも5本の指に入るのではないかと思うくらい好きな詩集だ。
9時ごろヒアカムに行ったら、ほぼ満員だったがカウンタの端の席が空いてたのでそこに陣取る。花束もいっぱい届けられていた。矢谷、福井、山口さんはもちろん、秋本君や伊藤夫妻なども来ていた。ヒアカム最後の夜、一番Morris.らしいスタイル、となるとやっぱりカウンタで読書ということになる。さっき手に入れたばかりの「あかるい日の歌」をおもむろに読み始める。いやあ、やっぱりこれはいい。つい、熱中してしまってたよ(^_^;)
なかでも、四行詩がすばらしい。

花束抱えて店の前であれののはてに 夕日はしずみ
あれののわれめ 幽鬼這いずり
かれののわれに 幽鬼もしずむ
かれののわかれ ゆくひといずこ (あれののはてに)

くるあさごとに
くるくるしごと
くるまはぐるま
くるわばくるえ (くるあさごとに)

風をみた人はいなかった
風のとおったあとばかり見えた
風のやさしさも 怒りも
砂だけが教えてくれた (風をみた人はいなかった)

一生おなじ歌を 歌い続けるのは
だいじなことです むずかしいことです
あの季節がやってくるたびに
おなじ歌しかうたわない 鳥のように (一生おなじ歌を 歌い続けるのは)


いやいや、ヒアカム最後の夜にふさわしい詩集再読だった。
徐々に客も増えてきて、福井君の歌に始まり、美穂蘭さん、勇造さん、秋本君、みっちゃん、鴨川さん、矢谷君らが歌い出した。後半はいやまくんのアコーディオン、島田さんのドラムも加わり、演奏もノリノリ状態。ママのお礼の挨拶はただただ「ありがとう」の繰り返しに終始。
明日仕事が無ければそのまま最後まで居残って泥酔したに違いないが、1時過ぎに矢谷君と一緒に退出。
現実のヒアカムはなくなっても、多くの仲間の心の中にヒアカムは生き続けると思う。常連とは言いえないMorris.だったが、やはりこの店とママの存在は大きかった。
ヒアカム、そしてママ、本当にありがとう!!!!


The Last Night in ヒアカム

ママの挨拶は「ありがとう」のみ

ライブというか送辞というか
2004/03/23(火)●神戸モスリムモスク●

昨日と同じ現場。幸い天気は回復したので、吊り下ろしも順調に行ったが、重い家具もあったし、やっぱり量が見積より多い。
3時過ぎに現場を出て、倉庫に戻り、コンテナ詰め開始。Morris.は矢谷君と、北野のイスラム教寺院、神戸モスリムモスクに、冷蔵庫などを配達に行く。見かけるたびに、一度中に入ってみたいと思ってたのでいい機会である。
冷蔵庫は階段3階上げでちょっとえらかったが、その甲斐あってか、礼拝堂を見せてもらうことが出来た。ふかふか絨毯に豪華なシャンデリア、大理石階段のコーラン読み上げ場、そしてメッカに向かって祭壇がある。宗教心とは縁遠く、イスラム教に関してもほとんど無知のMorris.だが、祈りの場の雰囲気は厳かで、なかなかいいものがある。
ここは、1935年に建てられた、日本では最古のイスラム寺院とのことだった。
倉庫に戻ったら、まだコンテナ詰めは終わってなかった。自転車のペダル取ったり、ハンドル平たくしたり、みんなでさんざん苦労してやっと全部詰め終えた。

2004/03/22(月)●雨の日と月曜日●

朝から、本降りで、風も強く、そしてえらく寒い。関西の桜の開花はちょっと遅れるかもしれない
矢谷、秋本君と3人で箕面のマレーシア人宅のピックアップ。二日取りだが、えらく荷物が多い。おまけに窓から釣り降ろしの家具まである。<BR>
果たして終わるのだろうか?まあ、明日は西根君とバイトが入るからなんとかなるだろう。
この前センターの古本市で手に入れた大島弓子の文庫本の中の「なずなよなずな(1974)」と「秋日子かく語りき(1987)」を読む。
「なずなよなずな」はあの頃の大島弓子の作品中でほとんど唯一読んでなかった作品だと思う。すでに30年前の作品ということになる。あとがきマンガに、この原稿は押し入れの中にしまわれたままで、これまで単行本化されたことがなかったと書いてあった。とにかく作者がストーリーを全く覚えてなかったので、ページの順番をつなぐのに苦労したという裏話も書いてあった。ありていにいえば、いまいちという評価だったんだろうな。読後感を一言でいえば「なんでエキセントリックな登場人物たちであることよ!!」である。確かにストーリーは無茶苦茶だし、台詞回しはほとんどシュールだし、タッチも粗い。しかし腐っても大島弓子(^_^;)まして未見の旧作とあれば、Morris.にとっては、重要古文書に他ならない。
「秋日子かく語りき」は先般NHKが「ちょっと待って神様」とタイトルを変えてTVドラマ化したのが記憶に新しい。これはもちろん読んでいて、読み返そうと思ったら見つからなかったのだ。たぶん地震のときに手放したのだろう。
こちらは17年前の作品だから、Morris.の意識からすると、ほとんど後期の作品ということになる。
しかし久しぶりに読み返して、TVドラマとの違いに驚いた。換骨奪胎といえば誉めすぎだろうが、全く別の作品だなあ。しかしどちらもそれなりに見所があったわけだから、こういうケースは珍しいかもしれない。ドラマの方は、宮崎あおいがすっかりお気に入りになったのと、前半の展開がうまく出来てたからで、後半は全くの尻すぼみだったし、泉ピン子の女子高制服姿は今思い出してもおぞましいので、当然Morris.は原作のほうがずっと好ましい。

2004/03/21(日)●ゴージャスなノレバン+二次会●

9時起床。洗濯しながら朝風呂つかう。
午後は大阪に出る。午後2時に道頓堀「カラオケ館」で、とりさん主催の「K-POPを歌いまくる会」に参加。
とりさんとは、初対面と思っていたのだが、彼女の話によると、ずっと以前、センターの李政美コンサートの打ち上げで同席したことがあるらしい。もっとも、その時Morris.は泥酔状態だったとのことだから、覚えてなくても仕方が無い(^_^;)
しかし、とりさんは小柄だが、なかなかにグラマラスな姿態で「オオムネ良好(^。^)」のMorris.は端からちょっと悩殺されそうになった。
ノレバン参加者で顔見知りは巻田さんひとり、後は在日のジノ君と、ジノ君の同級生の横溝君,、安田さんの総勢6人。このカラオケ館は日曜でも午後は6時までフリータイムで一人\500という激安店だった。とりあえず3時間予約してあるらしい。
横溝君がオムジョンファのファンだというので、唯一Morris.が歌える彼女のナンバー「POISON」から歌い始める。途中とりさんが黒いカバン抱えてどこかに行ってしまう。どうしたんだろうと思ったら数分後戻ってきた彼女の衣装に、Morris.は目が点状態(゚o゚)
貝殻光沢スパンコールのスカートに、上半身は貝殻2枚のブラジャーのみ!!
まるで「渚のはいから人魚」といった趣。うーーーーむ、彼女はコスプレギャルだったのだあっ。コスプレといえば百済大王、芭雨ちゃん夫婦を思い出すが、芭雨ちゃんは、犬の着ぐるみを始めとして、どちらかというと「和み系」なのだが、とりさんはもろ「せくしー系」ではないか(^_^;)すっかりMorris.は取り乱してしまったよ。
今日の会のタイトルにあるように「K-POP」は、いわゆる「J-POP」の韓国語版だから、Morris.は実は苦手なジャンルであるが、そこはそれ、もう何でもありの世界に勝手にシフトさせる。1年間ソウルに留学して語学堂卒業したジノ君はもちろん、日本人の横溝君も、やたら最近のK-POPSに堪能である。やや押され気味のMorris.だったが、そうこうしてるうちに、とりさんは「お色直し」(@_@)今度は透け透けピッチリ赤の超ミニワンピースぢゃあっ(@_@)またまたMorris.は歌どころでは無くなりそう(+_+) とりさんのリクエストで「チャンチャンチャン」やら「トクトヌンウリタン」など歌ったのは覚えてるがあとは何か記憶が怪しい。そして、またまたのお色直し。今度は黒のパジャマみたいな衣装で何と背中に蝶々の羽根まで付いてる。うーーーーん、す・ご・す・ぎ・るーーーっ(*_*)参りましたm(__)m
いやあ、あっという間の3時間でごぢゃりました。世の中には凄い人がいらっしゃるんですなあ。ほんとにいいものを見せていただきました。素晴らしい冥土の土産になりそうですだ(^_^;)
そして2次会は、韓国からやってきたニューカマーが3年前に開店した「民俗村」、これがまた豪華というか、内装の素晴らしい韓国チックないい店だった。ここで443さんと、以前ヌタウナギ煙突の角オフでごいっしょした朴先生、在日の高昌美さんが合流して9人の宴となる。
プルコギ、テッチャン鍋、チジミ、チャプチェ、ナムル、キムチなどのセットで、飲んで食ってだべって楽しい3時間(^_^;)となった。
それにしても今日のオフは一言でいえば「ゴージャス」以外にはありえないな。
ああ、今日はほんとに楽しかったあっ。
解散が9時前だったので、ちょこっとだけ心斎橋付近をぷらぷらする。
風俗店の案内をするスポットが多数出来てるのは前から知ってたが、外装をまるまるコンビニショップとそっくりにしてるのがあったのには驚いた。
ひっかけ橋で、ほとんど仮装大会級のガングロ若者カップルがいたので、グリコ看板をバックに一枚撮影させてもらう。十年後にこの画像を見たらどう思うのだろう。彼らは何と兵庫から来てるとのことだった(^。^)


K-POPS歌いまくる会参加者

変身その1「渚のハイカラ人魚」

変身その2「真っ赤な太陽」

変身その3「黒い蝶のサンバ」

二次会会場「民俗村」

二次会参加者

民俗村の店内

キムチ壷やら農具やら

とにかく内装が凝ってる

お決まりの記念撮影

コンビニを模した風俗案内所

道頓堀にいたガングロカップル
2004/03/20(土)●Love ヒアカム Live●

矢谷君とバイト3人と5人で宝塚の高台にあるマンションに搬入。インドネシアからの荷物と、保管荷物、それに同じマンションの上の階にある実家からの荷物を1Fの新居に入れる作業だったが、横持ちが長くて結構時間がかかった。
バイトの一人金本君は、ずっと以前世話になった通称次郎長の息子で親父そっくりだった。体重も90kg超えてるようだ。昨日が卒業式で、4月からは三宮に勤務するとのこと。自分に家族が無いから、知り合いの子息が、卒業したり、就職したり、結婚したりするたびに、時の早さに驚かされる。
今夜はヒアカムでフクイーズ中心の「Love ヒアカム Live」。ヒアカムも閉店まで5日になってしまった。ほとんどラストライブがもしれない。
フクイーズにドラムの勇造さん、ベースに山口さん、いやま君のアコーディオンも入ってリキの入った演奏、他に美穂蘭さん、伊藤君やデュデュリディのえりちゃんなどもゲスト出演。おしまいはやっぱり「ヒアカム」のテーマ曲で打ち上げ。ずるずると別れを惜しんで、途中山田さんの飛び入りがあったり、矢谷、いやま、勇造、山口の「アフリカ」あったりで夜は更けていった。
結局帰宅は一時過ぎ。
1時半から沖縄戦の記念碑への韓国人の刻銘に関するドキュメントを見たが、いまいち、ぴんと来なかった。


リズム隊入りのフクイーズ

店の前でママと勇造一家

こんな風景ももう見られない
2004/03/19(金)●スロースタート●

西根、清水君と吹田の香港向け荷物ピックアップ現場。かなりの物量で、それでも月末には第二便があるとのこと。左脇腹の痛みは大分おさまってるようだし、梱包作業には取り立てて支障はなさそうだ。
昼食は近所の「白龍」という中華屋で鶏唐揚げ定食を食べたのだが、これは質量ともに文句無しだった。
昼から営業の武下君も来て、2時間ほど手伝ってくれたが、それでも、作業終了は6時になった。倉庫に帰ってからコンテナ詰め。社会復帰初日から結構ハードメニューだったが、これなら何とかいけそうだ。

2004/03/18(木)●センター古本市に愛の手を●

センターロビーの古本市そろそろ社会復帰をはからねば(^_^;)ということで、部屋の掃除すまして、午後はセンターの古本市を冷やかす。信長正義さんが、ボランティアで整理やってた。杉浦日向子の「ニッポニア・ニッポン」、川原泉の「小人たちが騒ぐので」、長谷川町子の「さざえさんうちあけ話」、大島弓子の文庫判数冊と、漫画ばかり買ってしまった(^_^;) 漫画は百円均一、一般書は三百円均一で、結構掘り出し物が多そうだ。飛田さんの話によると、今回はちょっと古本の寄贈が少ないので、是非死蔵してる本をお持ちの方は、センターに直接持ち込むなり、宅配便などで送って欲しいとのこと。今夜9時半にサンTVニュースでも、寄贈を呼びかけるらしい。詳細は神戸学生青年センターの古本市ページを見てください。受付日も、4月まで延長するみたいです。留学生の奨学金のための企画なので協力よろしくm(__)m
事務所でお茶いただきながら、鹿嶋さんに芦屋美術博物館のロシア絵本展のカタログ見せて大いに宣伝に勉める。鹿嶋さんからは赤いぺコちゃんのトートバッグもらう。セブンイレブンの特製らしい。ありがとうm(__)m
稲田さんも、週1,2回のリハビリで、すでに日常生活には不自由しないまでに戻ってるとのことで、思ったよりうんと早い回復状況だ。
今夜は、サッカーアテネ予選最終戦。日本-UAE戦。今日こそ本当に「絶対負けられない試合」である。例によって、アナウンサーがうるさいので、今日は完全に音声消して観戦することにした。これはいい。前半早目に那須のヘディングで先制、そのあと、このシーンのリプレイの多さにちょっといらいらしたが、コーナーから大久保が追加点入れて、これで一安心。後半直後に、またまた大久保が押し込んで3-0。これでほぼ、アテネ行きの切符を手中にしたといえるだろう。
その後、追加点はなかったものの、一方的に押し気味で快勝。バーレーン-レバノンは引き分けで、見事出場権を獲得した。今日のゲームは大久保のゲームだったな。贅沢を言えば、平山のゴールも見たかったが、彼は彼なりに存在感を出してた。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【私の前にある鍋とお釜と燃える火と】石垣りん詩集 ★★★☆☆ 石垣りんの1959発行の第一詩集を童話屋が復刊してくれたもの。童話屋は、彼女と茨木のり子の全詩集を随時復刊している。ありがたいことである。
1949年から10年間の作品が収められていて、前半の詩は、やや生硬だったり、機関紙に発表されたこともあって、教条的な部分も目に付くし、Morris.の好みからは外れるものが多い。
しかし表題作あたりから、だんだん彼女の良さが出始める。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であつたのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あつて励むように。(「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」後半)


彼女の詩は、しっかり地面に足をつけて、人間としての、女性としての思いを、力強く歌い上げている。茨木のり子ほどに融通無碍な言葉はもたないにしても、それを補って余りある「精神-こころ」の強靭さこそ、戦後の日本女性詩人の中で、彼女を際立たせている特質といえるだろう。

この世の中にある

この世の中にある、たつた一つの結び目
あの地平線のはての
あの光の
たつたひとつのむすびめ
あれを解きに
私は生れてきました
私は地平線に向かつて急いでおります
誰が知つていましよう
百万人の人が気付かぬちよつとした暇に
私はきつとなしとげるのです
---まるで星が飛ぶように---
「さよなら人間」
私はそこから舞い出る一片の蝶
かろやかな雲、さてはあふれてやまぬ泉
ふく風
ああそこから海が、山が、空が
はてしなくひらけ
またしてもあの地平線
ゆけども、ゆけども、ゆけども---。


「さよなら人間」と呼びかけながら、限りない人間への愛情がほとばしっている、これほどに抒情性あふれるマニフェストを他に知らない。
そして、終盤におかれた、紛れもなく彼女の最高傑作というべき作品。これは素晴らしすぎる!!!

風景

待つものはこないだろう
こないものを誰が待とう
と言いながら
こないゆえに待つている、

あなたと呼ぶには遠すぎる
もう後姿も見せてはいない人が
水平線のむこうから
潮のようによせてくる

よせてきても
けつして私をぬらさない
はるか下の方の浪打際に
もどかしくたゆたうばかり

私は小高い山の中腹で
砂のように乾き
まぶたにかげる
海の景色に明け暮れる。

2004/03/17(水)●今日もごろごろ●

8時起床。やっぱり脇腹痛む。朝風呂入って、湿布変える。薬も飲む。昨日よりはましなような、そうでもないような。
今日もやっぱり部屋でごろごろして、本読んだり音楽聴いたりして過ごすことになりそう(^.^)だ。といっても、冷蔵庫はほぼ空っぽ状態なので、とりあえず午後は、灘図書館と食糧買い出しに出る。

【哀しい歌たち--戦争と歌の記憶】新井恵美子 ★★★☆ 明治12年の「海ゆかば」から、昭和42年の「さとうきび畑」まで、年代順に50曲余りを取り上げて東京新聞に連載したコラムをまとめたもので、すべて歌詞が下段に併載されている。
著者は雑誌「平凡」発行人の娘で、その関連で、当時の芸能人に会ったり、紹介されたりの機会も多かったようで、当時の貴重なエピソードも盛り込まれている。
取り上げられている曲は、歌謡曲、戦時歌謡、軍歌、外国曲など幅広いが、著者は昭和14年生まれだから、戦前や戦中の歌については、資料を通して調べたり音盤などで聴いたものであることは言うまでもない。その点昭和20年以降の曲はそのほとんどを、リアルタイムで聴いているから、その思い入れがストレートに伝わってくる。本書も(たぶん意図的にだろう)昭和20年を中心にほぼ同じ量に分かたれている。
筆者誕生の昭和14年発売の曲では「父よあなたは強かった」「何日君再来」「空の勇士」「いとしあの星」の4曲が選ばれている。ちなみにMorris.が生れたちょうど10年後の昭和24年は「青い山脈」「長崎の鐘」「悲しき口笛」の3曲だ。10年ひと昔というが、たしかにこの落差は大きい。美空ひばりの曲の中で一番、二番くらいに好きな「悲しき口笛」が自分の生れた年に出たというのは、何となく嬉しくなってしまった。

「悲しき口笛」は雑誌「平凡」で小説を掲載し、松竹で映画化され、主題歌を美空ひばりが歌い、コロムビアが売り出した。竹田敏彦の小説は生き別れになった兄と妹が一つのメロディを頼りに捜し求め巡り合うというもので、戦後という混乱期ならではのストーリーであった。
弱小雑誌の「平凡」にとっては初めての大がかりな企画物であった。そのころ父は「ひばりちゃんてのはすごい子だよ」と口を開けば感心していた。しかし田舎に住んでる私にはさっぱりわからない。学校でもひばりの存在を知ってる者は皆無だった。
ある日、それは昭和24年の10月のことだった。父が突然、東京に出て来るように母と私と姉妹に言った。その日、「平凡」の愛読者を招いて、「悲しき口笛」の映画の試写会が開かれることになっていた。ひばりちゃんのステージ挨拶と主題歌の発表があるので、父は私たちに本物のひばりちゃんを見せようと考えたのだった。
その夜、毎日ホールは熱気に満ちていた。あの黒いタキシードとシルクハットのスタイルで少女が現れた。小学校六年生のひばりだ。彼女はステッキを振り回しながら歌い始めた。「丘のホテルの赤い灯も 胸のあかりも消える頃」彼女が歌い始めるとシーンと会場は静まり返り、不気味な感動の海の中に吸い込まれて行った。やがて、この少女の歌の魅力は日本中を飲み込んでしまうのだが、その夜はそんな予感に溢れていた。
「この子と組もう」と父たちはその夜、決めたそうだ。ひばりの値打ちはまだ固定してはいなかった。NHKのような権威のあるところは価値の定まらないものとはなかなか組みたがらない。しかし、「平凡」も価値の定まらない雑誌だった。
「ひばりは平凡さんと一緒に大きくなった」と後にひばり母子は語ってくれた。「平凡」はひばりの情報誌のように、読者にひばり情報を提供して、部数を増やして行った。吹けば飛ぶような雑誌が百三十万部にまで成長したのはひばりちゃんのおかげだと父も良く言った。
「悲しき口笛」は作詞藤浦洸、作曲万城目正だったが、何と言ってもひばりの歌唱の魅力で大ヒットとなった。ひばりのデビュー曲は「河童ブギ」だったが、彼女を世に出した「悲しき口笛」は特別な歌となった。


ちょっと長い引用になったし、「不気味な感動の海の中」というのは誉め言葉として使われているのかどうか迷ってしまうが、ともかくも、不世出の美空ひばりというスーパースター誕生の現場に、関係者の娘として参加していたと言う事実だけでも、羨ましさを禁じ得ない。
つい、Morris.は手持ちの「平凡」廃刊記念号「元気に"さよなら!!"」を引っ張り出して、一通り通覧してしまったよ(^_^;)
他にも「ブンガワンソロ」の本当の作曲者の来日のエピソードや、「北帰行」の20年ぶりの復活話など、なかなか興味尽きない話題満載の一冊である。
内容に鑑みて中高年をターゲットにするための方策なのか、一般書籍より一回り大き目の印字で組まれているので、レイアウト的には不細工だがたしかに読み取りやすかった(^_^;)

2004/03/16(火)●ロッカン神経痛●

今朝になっても、左脇腹の痛みは一向に良くならない。このままではどうにもならないので、近所の渡辺外科に。
診断は「ロッカン神経痛」だった。ロッカンと聞いてロッキャン(Rock Candys)を連想した方は相当古いと思う。ロッカンは「肋間」で、要するに肋骨の間の神経が痛んでる(^_^;)ということらしい。原因は良くわからないが、たいしたことはないということだったので一安心。湿布と飲み薬もらって帰宅。
朝風呂に入って(患部暖めるのがいいらしい)湿布して、後はごろごろ。
昨日陸連が、アテネ五輪の女子マラソンに、前回金メダリストの高橋尚子を出場させないことにしたことへの憤懣をぐいぐい酒場に書き込むも、全く反応無し。
夜はアテネ予選サッカー、日本-レバノン戦TVで観戦。前半日本は1点リードで折り返し、後半追いつかれるも、即座に大久保のヘディングで勝ち越し、どうにか、勝ち点3を得た。これで明後日のUAE戦に勝てば、バーレーンの結果次第でアテネに行けそうだ。しかし、実況の姿勢は相変わらずで、予選、今日まで5戦すべて、「絶対負けられない試合」のコメントばかり、うるさいことこの上ない。
脇腹の痛みは湿布のせいか心持ち楽になったような気がする。

【絵具屋の女房】丸谷才一 ★★★ 「オール読物」連載のコラムの集成である。丸谷の随筆も、とりあえず間違いなく面白い。本書では前半に、やや下ネタがかった話題が多いが、そういうのを扱っても、文章はうまいし、オチのつけかたもどうに入ってるからそれほどいやらしくはない。随筆と言うくらいだから、話題や素材は多岐にわたっていて、あっても無くてもいい知識がまんべんなく配置されているのも、いつもに変わらずである。
Morris.は数冊「江戸随筆撰集」みたいなのをもっているが、それらがまさに、あっても無くてもかまわないようなのばかりで、そこがまた、随筆の随筆らしいところのようだ。

本書から雑学の種になりそうなところをいくらか引いておく。

わたしはバーコードといふ不快な意匠がそもそも気に入らないが、これを裏ラパー上部につけさせるなんてのは無茶苦茶だと思ふ。横暴ですよ。話によると、はじめ書店に据ゑつけさせたバーコード読み取りの機械が、ギザギザが上にあるのでないと読めないから仕方がない、とのことであつた。しかし本屋で見てゐると、店員が手に持つた道具をグイと当てて読み取らせてゐる。あれだつたら、どこでもいいわけです。バーコードは裏の下のほうにつけると改めませう。

わたしは前まへから、どうして日本産の栗は甘栗には向かないのか不思議に思つてゐたのですが、日本の栗は渋皮が実のほうにくつつくのでダメなんですつて。
天津甘栗は殻のほうに皮がくつつく。それに、もともと甘さが決定的に違ふんですね。それで、たとへば丹波の栗は甘栗にならないのでせう。

ここで問題なのは「見得をする」と言ふ言ひまはしです。普通は「見得を切る」と言ふぢやないですか。先日、故人である劇評家の本を読んでゐたら「見得を切る」書いてゐた。でも、あれは間違ひなんですつて。
「見得をする」が本式ださうです。六代目菊五郎がさう教へたといふし、森鴎外晩年の史伝「渋江抽齋」のなかに森枳園なる医者が出て来て、その行状を叙するに当り、鴎外はこの語を用ゐてゐた。ご存じのやうに彼は言葉づかひにうるさいし、それに彼の弟、三木竹二(森篤次郎)は医者にして劇評家を兼ねてゐましたから、お兄さんは弟に教はつたのでせう。

ところが今のアメリカではじつに大勢が天地創造説を信じてゐる。従つてダーウィンの説を排斥してゐるのです。
1999年----といふからついこのあひだのことですが、その年のギャラップ社の世論調査によると、アメリカ人の47%は、人間は今から一万年以内前のある時点で、ほとんど今あるやうな形で神によつて創造されたと信じてゐる。
その前年、アメリカの全米科学アカデミー(N.S.A.)が発表した調査によると、アメリカの成人のうち進化論を信じてゐる者は半数以下で、50%以上の人が天地創造説を学校で教へるべきだと考へてゐる。別の調査によると、アメリカ人の45%が天地創造説は正しいと考へてゐる。


引用を読んでもらえば、わかるが、丸谷は旧仮名遣い信奉者で、たいていの著作はこんな風な表現方式をとっている。そしてそのことにMorris.は、共感する方なのだ。日本語への意識の高さから来ていることは自明だし、それだけ、自国の言葉を大切にしてる態度には、尊敬すらしている。
ところが本書115p(徳富蘇峰論)に次のような箇所があった。

しかし他の新聞社は桂内閣に対してそれを要求できず、国民新聞の躍進を手をこまねいて見てゐるしかなかつた。

「手をこまぬく」「腕をこまぬく」という表現を十数年前からしきりに「「手をこまねく」「腕をこまねく」と誤用する者が多い。新しい辞書の中には「こまねく」を慣用読みとして掲載するものまで出てきている。しかし、本来「こま(組み)+抜く」という動詞なのだから、言葉に意識的な丸谷先生がこんな表現をするなどということはあってはならないと思う。
すでに80歳近い先生のことだから、間違えたのは印刷所のほうで、校正時にも「ね」と「ぬ」が似てるから、老眼のためもあって、見落とされたのに違いない、ということにしておこう。

2004/03/15●豊岡ツアー日記アップと脇腹痛●

8時起床。何だか左の脇腹がえらく痛い。昨日からそんな気配はあったのだが、これはやっぱり、一昨日飲み潰れたときにそこらあたりを強く討ったのかもしれない。内臓の痛みではなく、これは完全に腱か筋肉の痛みである。あんだけぶっ飛んで楽しんだのだから、これくらいは仕方ないか(^_^;)
わだのりさんおめでとう!!!その豊岡ツアーの旅日記を仕上げようとしたのだが、ノレバン2号が、これまでにましてご機嫌斜めというか、スイッチ入れた途端にシャットダウン状態で、ほとんどお手上げ状態。でも午後にちょっと動いた隙に、デジカメから画像取り込んで、サーバーにアップロードして、後はちびくろでうざったい作業の末なんとか今日中に「豊岡ライブ+観光ツアー日記」アップできた。
しかし、画像の多いこと(^_^;)
打ち上げの漁珍の17歳の娘がぐいぐい酒場に書き込みしてくれて、嬉しくてついつい力んでしまったのだった(^.^)
それからもうひとつ、嬉しいお知らせがある。
PC通信以来仲良しのわだのりさん(ぐいぐい酒場ではぴえるさん)が、何とブラジル女性と結婚されたそうだ。
うーーっ、このところ、何かとブラジル話題が多かったのは、その関係だったのか。メールで結婚式の画像いただいたので、ちゃっかり引用しておく。
わだのりさん、おめでとう!!!

2004/03/13(土)14(日)●豊岡ライブ観光ツアー●

矢谷ドットコムが、豊岡のSTAR GATEでライブすることになり、ついでだから、ファン数名と泊りがけで、ライブ+観光ツアーに出かけた。
車3台に分乗して、ライブ、打ち上げ、観光を楽しんだ。
旅日記は例によって画像が多いので、別ページ立てで、近日中にアップするので、しばらくお待ちください。

2004/03/12(金)●幻のロシア絵本と金時鐘●

小瀧歯科の貼り紙8時起床。先日左上歯の詰め物が取れたので、甲子園の小滝歯科に行ったら、シャッターが下りてて「視力低下治療のため、歯科医を廃業する」という由の貼り紙があった。この先生には20年近くお世話になった。最初にお目にかかったときからすでに高齢で、それでも親切で、安価で、地震の直後など何も言わずに無料で治療していただいたりもした。Morris.の歯は結構惨澹たる状態だが、これだけ長くお付き合いしてると、何でもわかってしまってるので、通院するのも気兼ねなく行けて、とてもありがたかった。
今回の廃業は、Morris.にとっては残念でもあるが、お年のことを考えれば逆に、ここまで長期間にわたって診療を続けていただいたことに、感謝を捧げるほかない。目の治療がうまくいくこととともに、今後悠々自適の生活を楽しまれることを心よりお祈りしたい。本当に長いこと、ありがとうございましたm(__)m
阪神芦屋駅で下車して、芦屋美術博物館まで歩いていく。阪神芦屋から南東へ約2kmくらいのところに、芦屋図書館、谷崎潤一郎記念館と並んで建てられているが、Morris.は初めてである。
芦屋らしく瀟洒でモダンな建物である。ここで2/28(土)から4/11(日)まで「幻のロシア絵本1920-30年代展」が開かれているのだった。
このことはつよしゆうこさんの日記で知ったのだが、ロシアの20年代の絵本はMorris.はずっと前から一度見たい、見たいと思っていた。堀内誠一の「ぼくの絵本美術館」という、素敵な本のなかに

モダンデザインの火が消えたかに見えた1921年、それまでの造形の実験がいっせいに実を結んだような、みずみずしい絵本が国立出版所からあふれるように出版され始めたのです.
文学者ではマルシャーク、画家ではレーベデフが中心となって作られたこれらの絵本は、マキシム・ゴーリキーが提唱した、国の宝である子どもたちに文学と知識を「楽しい言い方で、主旨を説く」原則を実現するものでした。
物資不足の条件下、普及を旨としたたため、紙質の悪いペーパーバックで、外国から輸入した印刷用紙を包んであった灰色の紙などに刷られ、印刷の精度も低いものでしたが、それらを計算に入れ、直接、版に画家が描いた図柄は素朴で暖かい版画の味と、単純で直截なデザイン感覚にあふれています。
ソヴィエトのその後の社会主義リアリズムは革新的グラフィックデザインを発展させず、これらの絵本は1920年代に限られた幻の絵本群となりました。


という紹介とともにいくつかの作品が載っていて、Morris.はそれにぞっこん参ってしまってたのだ。
この機会を見逃すてはない。しかし何と言っても相手は「絵本」だから、ガラスを通して、表紙と見開きだけのほんの一部しか見ることはできないだろうし、ページをめくって味わう楽しみは諦めなくてはならないだろうと思っていた。ところが何と、この企画のために芦屋美術博物館は、10冊を選んで、完全復刻版を作り、館内で自由にそれらを見ることができるのはもちろん、一部\1,500で頒布することになっていた。更にすごいのは、200冊近い展示品のほとんどを、スキャナーで取り込みプリントアウトして、クリアファイルに綴じて、自由に閲覧できるコーナーを設けてあったのだ。いやあ、これはすんばらしいぞ!!!
当然Morris.はそこに座り込んで、しっかり全部に(@_@)目を通したのさっ(^。^) いやあ、素晴らしい。なんか、こう人間の喜びとか、闘志とか、好奇心とか、遊び心とか、驚きとかが、ストレートに、しかも見事に視覚化されてどかどかどかと開陳されてるではないか。
しかし、展示場で、現物の絵本を見たら、もう、ほとんど度肝を抜かれるくらいガツンとくらわされてしまったよ(^。^)
うーーん、本物(といっても印刷物ではあるのだけど)の、テクスチュアというか存在感って、とんでもないものがあるなあ。ウラジーミル・レーベジェフの「しましまのおひげちゃん」の少女と猫なんか、ほんとに食べちゃいたいくらい可愛いし、拓本みたいな動物たち、「アイスクリーム」のでぶ親父、「昔と今」のタイプライタ、ときたら!!!!!!!!!!!!!!とにかく、この人は天才の二乗である。
他にもトワルドフスキーの「台所用具たちの反乱」の「もの」たちの美しさと楽しさ、テオドール・ベヴズネルの鳥たちの生き生きしたさま、セルゲイ・チェホーニンの「大きなゴキブリ」のすさまじさ、アレクサンドル・デイネカの飛行機と子供たちの至福の出会いを描いた「雲のなかで」、ウラジミール・タンビのまるで熱帯魚のような自動車の群れ等々、とにかく、ありとあらゆるテーマで、綺羅星のような作家群が目白押しである。
ミハイル・ツェハノフスキーの「郵便」もすばらしいが、6p目の郵便配達夫の絵が、復刻版やカタログと、展示してある現物では全く違ってることに気が付いた。圧倒的に展示品の方が素晴らしいし細密なのだ。
また別室に今回の展示品の中核をなすコレクションを所有していた画家吉原治良(芦屋在住)の作品、特にロシア絵本に触発されて作られた絵本「スイゾクカン」の原画や、現物も展示してあって、これまたなかなか興味深く、見ごたえがあった。ほかに、デザイナーの原弘や、ソ連との関係が深い画家小西謙三などのコレクションなども展示されていて、実にきめこまかな配慮の行き届いた展示会だと感服した。
それにしても、Morris.はすっかり陶酔の時間を過ごさせてもらった。館員の女性たちも対応が親切で感じがいいし、展示物保存のため照明は落としてあったが、展示函のガラスは傾斜付けたりして照明が観覧の邪魔にならないよう配慮してあったし、好感度大である。未練たっぷりで、帰りたくないと、何度もぐずぐず会場を周遊して、結局ほぼ3時間半ほどで退去することにした。
絵本やデザインに関心ある方はもちろん、とにかくすべての方におすすめの展示会なので、是非足をお運びください。


芦屋美術博物館

2Fの垂れ幕と閲覧コーナー
会場のたたずまい

そのまま元町まで出て、阪神理容で散髪して、4時前に帰宅。
そして今夜は、学生青年センター朝鮮セミナー「金時鐘・私の文芸活動-『ヂンダレ』の頃-」があるのだった。
Morris.は金時鐘の『猪飼野詩集』を偏愛していて、彼については、何度か書き散らかしているので、Morris.部屋トップの検索窓から「金時鐘」で検索すればいくつか記事が出てくるだろうし、2002年読書録には彼の全詩集「荒野の詩」ほか、彼に関する本の感想があるので、よければそちらを見といてください(^_^;)
開演6時半ぎりぎりに到着したのだが、何と最前列真ん中の席が空いてたので、当然そこに陣取る(^。^)
最初に神戸大学の宇野田先生が概要の説明と紹介、簡単なレジュメと詳細年譜を資料として配布された。うーーむ、この年譜だけでも価値がありそうだ。さらに先生が学校の図書室で偶然見つけた『ヂンダレ』第16号〜19号の合本も閲覧させてもらった。
この『ヂンダレ』とその後発行された『カリオン』は、金時鐘、梁石日らが中心となって発行した在日朝鮮人の詩誌だが、特に『ヂンダレ』はほとんど残存するものがなく、幻の詩誌となっている。その経過や当時の朝鮮総連組織との複雑な事情などについて、当事者である金時鐘さんにぶっちゃけた話をしていただこうと言う、結構過激なセミナーなのだった。
Morris.はそれよりも、憧れの金時鐘さんの謦咳に初めて接することができると言うだけで、わくわくぞくぞくしていたことは言うまでもない。
金時鐘さんは済州島43事件で、Morris.が生れた1949年に21歳で須磨に船で密入国し、あとは鶴橋に隠棲しながら、共産党の細胞として、民族学校の教師、ブント活動、文化活動などに携わるなかで、詩人同盟などを結成して盛んに活動していたのだが、途中で組織から糾弾される側に回り、第三詩集『新潟』を70年に発行するまで長い雌伏の時期を余儀なくされた、そのあたりのことを主に話された。内容も多岐にわたり、語り口も、詩人らしく、含蓄ある言葉が多かったし、当時の大変な状況もうかがいしることができたのだが、おしまいに、『カリオン』創刊号の巻頭にあるマニフェストを、切々と読み上げられたのは実に感動的だった。
このまえの木村幹先生の3回連続講義といい、今回の金時鐘さんといい、最近のセンター朝鮮セミナーは実に充実してる。
打ち上げはKFCの3Fにある「磯」20人以上の盛会だった。Morris.も飲むほどにあつかましくなって、金時鐘さんの前まで行って、今韓国で流行ってるマヤの「チンダルレッコッ」の話や、猪飼野詩集礼賛、果ては先月ソウルでの武勇伝??まで陳開してしまったが、終始笑顔で親しく接していただいた。
映画『夜を賭けて』で金時鐘夫婦をモデルにした詩人夫婦の段になると、大いに照れてらしたのが、なんか嬉しかった。詩人としてはもちろん、人間として計り知れない魅力の持ち主であるな。機会があれば是非またお会いしたい方である。
しかし、一日に、二つもMorris.にとって超ビッグなイベントに参加したみたいで、充実とともに心地良い疲れと酔いに心身ともとろけてしまいそうになった。
帰宅はやはり午前零時。それでも、意地汚く飲み続けるMorris.だった(^。^)ああ、素晴らしい一日だったあ。


幻の詩誌『ヂンダレ』

神戸大の宇野田先生

金時鐘さん

カリオンのマニフェストを朗読

カリオンと金時鐘さん

打ち上げで記念写真
2004/03/11(木)●ニューソウルオフ会?●

朝から雨が降っている。そのためではないが、今日あるはずだった仕事はキャンセルになったので、歯医者に行こうかと思っていたがつい愚図愚図して行きそびれた。4時ごろ大阪に出て、久しぶりにかっぱ横丁古本屋街を冷やかす。全体的に何か小奇麗になったような気がする。ショーウインドに奄美の画家田中一村展が心斎橋大丸で3月17日から29日まで開かれるというポスターが貼ってあった。これは見に行かなくては。
地下鉄今里に出て、今日のオフ会の会場、カラオケニューソウルへ。ここは1Fが「ソウルチプ」という韓国食堂で、4Fのカラオケもここの経営だから、結構まともな韓国料理を食べながら歌も歌えるという、お得なスポットである。
参加者全員で記念写真あしやん、あんちゃん夫婦に息子の龍太、ファピョンさん、東京に住んでる韓国女性チェウンソンさん、最年長の高田さんとそこにホームステイしてる、韓国女性イサンさん、11年間日本に留学して博士号をとろうかというエジプト人イハーブさんと女友達の平瀬かおりさん、地域誌の編集をやってる北出さん、清水さん、Morris.も入れて12人。
イハーブさんとは、やはりあしやんの紹介で4,5年前に一度会ったことがる。彼はイスラム教徒なので、豚は駄目、酒も駄目。しかし日本語(大阪弁)はほとんど日本人そのままである。
今日のオフ?は、来月エジプトに帰国するイハーブさんと、韓国に帰国するチェウンソンさんの送別会、日本の大学に合格したイサンさんの合格祝いを兼ねたものだったらしい。らしい、というのはMorris.はほとんどそんなこと知らずに単なるオフ会兼カラオケ大会と思ってたからだった。
自己紹介した後しばらくは食うのと話すので忙しく、1時間くらいカラオケ無しで、とうとうしびれを切らしたMorris.が「ナンマンエテハヨ 浪漫のために」から歌い始める。でも後はあまり盛り上らない、いつも元気なアンちゃんもちょっと疲れ気味みたいだったし、エジプト人のイハーブがなごり雪や彼女とデュエットで秋桜歌ったり、ウンソンさんがBoAのVALENTI歌ったり、といちおうみんな歌うには歌うのだが、どうもいまいちノリが悪い。というか、あまり歌う気がないようなのだった。Morris.ひとりで歌って踊って叫んでも、これでは空振りだな。結局10時半でお開きに。
韓国ノレバンのノリや、先日のモンニジョのハイテンションからすると、今夜はMorris.としては不完全燃焼だったなあ。
もともとカラオケと会話は両立しない。以前はオフ会といえば先に飲み食いをすましてから、カラオケボックスに繰り出し、後は歌い放題だったが、今日みたいな店だと、両方を一緒に楽しもうとするから、どこかに無理が行くのかもしれない。今回は参加者の半分くらいが特に韓国とは縁の無い人がいたので、歌を知らないということもあった。
ちょうど午前零時帰宅。

2004/03/10(水)●溢れる石鹸水●

昨日と同じメンバーで同じ現場。
今日は主にトランクルーム保管の荷物の梱包。
Morris.は洗濯機を梱包したのだが、上部に洗剤を自動注入する箱がついててかなり洗剤が残ってて、どうするか聞いたら、捨てるようにとのことだったので、洗面所のシンクで流すことにした。水あふれ防ぎの穴もあるので、水流したまま、洗濯機は外で梱包することにした。ところが数分後に西根君の叫び声で室内にもどったら、廊下に白濁した水が流れている。あじゃじゃあっ!!とあわてて洗面所の水道の栓閉めたが、その後が結構大変だった。とにかく濃厚な石鹸水だからタオル絞っても絞っても泡だらけ。これは大失敗だった。まあ、荷物や家具など置いてなかっので、実害は無くて済んだようだ。
このせいもあって、作業終了は1時半過ぎ。二手に分かれて、Morris.と西根君は富田林の実家に荷物を搬入することになった。
遅い目の昼食は171号線今宮交差点の「大名」で九州ラーメン大盛り。考えてみると、日本のラーメンもほぼ一ヶ月ぶりぢゃ。こんなに長いことラーメン食べなかったのはここ数十年間では無かったことかもしれない。味は中の上くらいかな。スープとチャーシューはまずまずだったが麺がいまいちである。
富田林の現場ではマイクロコンポを食器棚の中央に設置することになったのだが、コンセントが棚の裏側にあって、西根君がMorris.の小刀で、電源ケーブルを切断したらしいが、ショーとして小刀の刃の中央部分に穴が開いてしまった(+_+)そんなこんなで時間食って倉庫着は6時半過ぎていた。

2004/03/09(火)●モンニジョで弾ける(^_^;)●

西根君ら4人で箕面のシンガポール向け荷物のピックアップ。いやあ、考えてみると仕事なんて一ヶ月ぶりぢゃ。こんなことでいいのだろうか?まあ、生きてるのだからこれでいいのだ。ということにしておこう(^_^;)
仕事もたまにやると楽しいものである。
夜は今里でかせたにさんと待ち合わせ。かせたにさんは太宰府の大学に勤務されていて、今回はひさびさの里帰り(生駒)だった。
Morris.部屋の数少ないファンのおひとりということで、親しくお付き合いさせてもらってるが、実はMorris.もかせたにさんのファンなのだった。韓国、中国(吉林省)に長期滞在されて、その体験を踏まえて「韓国人、チョーセン人、朝鮮族」という本を韓国で上梓された(もちろん韓国語)。Morris.はまだ1/3しか読んでないが、実に興味深い本である。
それはともかく、1年ぶりくらいの再会だった。帰去来の辞ではないが、遠来の友人との出会いは嬉しいものである。
せっかくだから、今日はちょっとMorris.にしてはゴージャスに決めようと、韓国レストランモンニジョに行くことにする。モンニジョのママと去年猪飼野で偶然に会ったら、えらく喜んでくれて、ぜったい店に来るようにと言われてたので、いい機会だと思ったのだ。この店は超高級というわけではないが、そこそこの店で、いちおうドアには「会員制」なんて札がかかっている(^_^;)4年前の大阪ノレチャランの予選会場がここだった。とにかくママはすごいキャラクタで、当然ノレチャランにも出場、そんなこんなで仲良くなってたのだ。だから、きっと料金もいくらかサービスしてくれるはずだと思う。
ファピョンさんと一緒に2回ほど来たことはあるのだが、久しぶりのモンニジョは、やっぱり豪華絢爛に見えたぞ。
モンニジョママとMorris.(^_^;)ママは大歓迎してくれて、これなら何とかなりそうだ。
隣席に6人くらいの団体が来ていたが、そのなかに本田さんが混じっていた。彼は以前新聞社に勤め、退職した後、韓国関連の団体の世話役やってて、ノレチャランのときも日本側の調整役みたいなことやってて、久しぶりの再会だった。在日の美人姉妹もいっしょで、彼女らがまた、めちゃくちゃ歌がうまかった。
頼みもしないのに、チジミ、チャプチェから始まって、テーブルにはどんどん料理が出てきて、トガニや鯛の刺身なんか絶品だった。とりあえず腹ごしらえしてからと思ってたのにママが勝手にリクエスト入れて「ソウルテジョンテグプサン」歌わされる。その後も、どんどんリクエスト入れて、結構歌ったなあ(^_^;)。また他の客もそれぞれ得意のレパートリーがあって、ついついMorris.は一緒に踊りの輪に入ってしまう。結局2時間半のうち2時間くらいはステージで歌うか踊るかしてたようだ。ママの民謡メドレーなんかすごかったよな(^_^;)
かせたにさんは風邪が治ったばかりで喉の調子が良くないということで歌は辞退してたが、強引にMorris.が「アルムダウンカンサン」リクエストしたら、これは長すぎるというのでキャンセルして、結局ソンデグヮンの「ウリスニ」を一曲だけ歌ってくれた。ともかく、ひさしぶりにカラオケボックスでなく、ステージで歌いまくることができてMorris.は御満悦(^。^)
10時半に店を出る。勘定はママがかなりサービスしてくれたようだが、かせたにさんが支払ってくれた。今日はMorris.がご招待するはずだったのに、申し訳ないm(__)m
二次会??は鶴橋ガード下の串焼き「ぽっぽ」ここは、家族でやってる店でのんびり、ゆったりでいい感じだった。モンニジョでは話しなんてほとんどできなかったから、ここでやっと、いろいろ話もできた。博多土産の明太子やら趙博withモノノケサミットのシングルCDやら、新しい著書などいただく。いやあ至れり尽くせりである。
今度はソウルで会おうと約束してお開き。
12時過ぎのJRで部屋に戻ったのが1時前。意地汚いMorris.は、明太子をあてにまたまたビール飲んでしまった。2時ごろ就寝。ああ楽しかった。


新今里「モンニジョ」で。左からMorris.、本田さん、美人姉妹ほか(^_^;)
2004/03/08(月)●お葬式●

朝、ちょっとノレバン2号が動いてるうちに、春待ちファミリーBANDの連絡ボード見たら、なんと小谷君のお父さんが5日の早朝に亡くなったという書き込みがあった。Morris.はこの連絡ボード週に1,2回くらいしか覗かないし、ノレバン2号の不調もあってごぶさたしてたのだった。
昨夜夕方からお通夜で、今日の午後1時から葬儀と告別式、ほんとなら昨夜顔を出しとくべきだったんだろうが、今更しかたがない。ともかく今日の式になら間に合うのだから参列することにした。
会場は平安祭典西神会館。あのあたりは昨日までかなり雪だったらしい。今日のオリックスのゲームは積雪のため中止すると改札口に貼り紙が出ていた。
珍しいMorris.のネクタイ姿(帰宅して着替える前に記念撮影(^。^))小谷君のお父さん小谷壽男さんは仕事のほか陸上競技に深く関わって来た人らしく、そちら関係の弔問客も多かった。盛大な式で臨済宗の坊さんもなかなかいい声で、ところどころ俗語も交えての読経は聞き応えがあった。おしまいに、喪主のお母さんにかわって小谷君のお兄さん(長男)の挨拶があり、これが良かった。紋切り型でなく、故人の簡単な略歴と、病気の経過、そして家族との関わり合いを淡々と、それでいて親愛の情あふれる語り口で感動的だった。
享年七十八。安らかなご冥福をお祈りしたい。合掌。
しかしこういう時困るのは、服である。Morris.は喪服なんて持ってないし、結局唯一残っている数十年前の黒っぽいスーツを着用せざるを得ない。ワイシャツも一枚しかなくて、しかも半袖である(^_^;)。まあ、数十年前の衣装をそのまま着られるというのは、それはそれで、すごいと言えなくもないか(^_^;)

【良寛さんのうた】田中和男編 ★★★☆ 童話屋の一連のポケット詩歌集の一冊で、前にも読んだと思うのだが、時々手にとりたくなる。
たかだか160pたらずの文庫サイズの上に、わざと余白の多いレイアウトにしてあるから作品の数はあまりにささやかなものだ。それでもそのなかの、いくつかのことばの群れには無性に心惹かれるものがある。

うらを見せ
おもても見せて
散るもみじ


これは良寛の辞世の句とされている。できすぎてるような気がしないでもないが、なるほどというしかない。
良寛という人は一般に思われているほど、天真爛漫、純粋無垢な人ではないようだ。
「自戒のことば−−−こころよからぬものは」と題された、「物言い」への物言いには、シニカルなところも見て取れる。

ことばの多き、口のはやき、さして口
手がら話 へらず口
唐ことばを好みてつかふ
おのが意地をはりとほす
もの知り顔のはなし
この事すまぬうちにかの事いふ
くれてのち其の事人にかたる
返すといひて返さぬ
にくき心をもちて人を叱る
悟りくさき話 ふしぎばなし
神仏のことかろがろしくさたする
親切げにものいふ
人にものくれぬさきにその事いふ
おれがかうしたかうしたといふ
この人にいふべきをあの人にいふ
鼻であしらふ にげごとをいふ
はなしの腰をおる おどけのかうじたる
おのが得手にかけていふ
ぐちたはごと
あらかじめものの吉凶をいふ
つげごとの多き 口上のながき
ひとつひとつ数へたててものいふ
みだりに約束する
しもべを使ふに言葉のあらき
客の前に人を叱る いらぬ世話やく
口を耳につけてささやく
をろかなる人をあなどる
かたことを好みてつかふ


現代でもそのまま戒語として通用しそうだ。辛辣でもある。特にMorris.には応える物言いが多いようだ(^_^;)
文政11年の地震被害者への手紙に「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」などと書いてることからも、一筋縄の人でなかったことは知れる。

花無心招蝶 (花無心にして蝶を招く)
蝶無心尋花 (蝶無心にして花を尋ぬ)
花開時蝶来 (花開く時蝶来り)
蝶来時花開 (蝶来る時花開く)
吾亦不知人 (吾また人を知らず)
人亦不知吾 (人また吾を知らず)
不知従帝則 (おのずと天意にしたがふ)


この平明な漢詩や、「我生何處來 去而何處之」に始まる漢詩に漂う、明るい虚無思想は、Morris.を含む一部の日本人の精神的基盤にすらなっているようだ。

そして、Morris.の代わりに良寛さんが歌ったと思えるようなこの歌!!

世の中に
まじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ
我はまされる


これだけ誉めてる割に点数が辛いのは、本書の小スペースに貞信尼との相聞が過分だと思ったからだ。もてないMorris.のひがみではないかと、勘ぐられそうだが、そうではない。為念。

2004/03/07(日)●東山旅館部屋●

今日も朝から外は吹雪いてるではないか。と、いっても昨夜の深酒がたたって、起きたのは11時前だけどね(^_^;)
昼から琵琶湖マラソンやってる。オリンピック選考最終レースということで、勝負はそっちのけで、タイムと日本選手のトップは誰かとかそんなことばっかり解説していた。
物理的な(規約?)制限でマラソンの参加者は一国3人までと決められているのだろうが、クーベルタンの言葉を盾にとって、青梅マラソンやボストンマラソン(だったかな?)みたいに、オリンピックも参加したい者は誰でも参加させたらいいんじゃないかな。あまりに膨大な人数になるというのなら、一定のタイム水準を設けておけばいいと思うのだが、そう簡単には片付かないようだ。
どちらにしても、今日みたいな競技が面白いわけが無い。
今回ソウルで滞在したトンサン旅館だが、この部屋のサイトがあることを、りーちさんが知らせてくれて、覗いたら、Morris.も以前一度見た事があるサイトだった。それも、2002年Morris.韓国部屋が、韓国観光公社主催のHPコンテストで銀賞受賞したときに、金賞を受賞したサイトだった(^_^;)
せっかくだから、久しぶりに(ほとんどはじめてだが)サイトを散策したら、いやあ、すごく良くできてるし、管理人のぷりんすさんとMorris.とは、韓国への、接し方や好みの面で、結構共通点が多いようで、共感を覚える記事も多かった。あちらの掲示板に書き込みしたらすぐ反応があった。
比較するのもおこがましいが、Morris.部屋より垢抜けしてるし、構成がしっかりして見やすいし、韓国旅行者に本当に役立つ情報満載、それも彼の人柄が偲ばれる文章で実にわかりやすく紹介されている。ここは、お勧めである。
正式名称は「韓国ソウル・東山旅館ものがたり」 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6811/
しかし、Morris.もサイト立ち上げてから結構長いのに、あまり周辺の関連サイトを調べたりしない傾向があるな。Morris.部屋自体がどちらかというと、閉鎖的とまでは言わないものの、ひとりよがりの傾向が強い。
旅行ごとにアップしてる、韓国旅日記にしても、Morris.個人の絵日記という色が強くて(始めからそのつもりで作ってるのだから当たり前だが)、実用性とか、参考になるという点では、ほとんど役にたたないようだ。
資質といえばそれまでだが、せっかくなら、Morris.の好きな「面白くてためになる」サイトになれればいいのにな。などと、殊勝なことを考えさせられてしまった。でも、どうせ明日になれば忘れてしまうのだろう(^_^;)

【小林カツ代の レモンをひとしぼり】小林カツ代vs.町永俊雄 ★★★ 家庭料理研究家の一人者小林カツ代と、NHKアナウンサーでキャスター、リポータも務める町永俊雄の対談集である。
料理中心でなく、彼女の生き方や老後への思い、社会への意見などを、やわらかに話し合ったという感じの内容で、Morris.好みではなさそうな感じなのに、それなりに面白く読みとおした。
もちろん、料理関連のポイントでもいくつか役にたちそうな部分もある。

小林 あのね、コロッケがコロッケとして生命を放つのはね、中にピーッと熱が通ったときなんです。油の中にいれるでしょう。衣の色がついたときよりも、中にピーッと熱が入った瞬間に、そのコロッケは見事にポテトコロッケになるんですよ。
町永 じゃがいもとミンチの集合体ではなくて、コロッケに変わる。
小林そのとおり。料理ってみんなそうなんですよ。もう今本当にいいことをおっしゃった。材料の集合体じゃ駄目なんです。

小林 「水をさす」とはよく言ったものでね、お料理は水をさすといっぺんに味が悪くなるんですよ。例えばお味噌汁の味が濃いからといってお水を足すと、いっぺんに味が悪くなってしまいます。でも熱い湯ならば大丈夫なんです。つまり温度を下げて一からやると、また味噌が煮えるからなんですけれど。ハンバーグにお水だと、バーッとものすごく危ないんですよね、油がはじいちゃうから。だけでおお湯をさすと音だけで、ちっとも危なくないんです。はねないんですよ。で、つまり老人のために考えたことが、なかなか若い人にも評判がよくって、ハンバーグに熱い湯を注ぐんですね、ヒタヒタまで。そして蓋をしめて、強火にして、その汁がなくなるまで蒸しちゃうわけです。蒸し焼きに。

私は家庭料理のプロであり続けたいと思っております。そのためには時代と共に生き、家族の問題や政治、教育にも関わっていかなければ、時を生きる家庭料理は生み出せないと思っています。家庭料理というとすぐ、家族がいてこそと思われがちですが、ひとりぐらしでも自分のためにつくる、これが家庭料理です。社会の動きを敏感にキャッチしつつ、いつの時代も私はおいしい料理を生み出していきたい。(小林、あとがきより)


このあとがきの一節はひとりぐらし一筋で台所好きのMorris.には、ありがたかった。すごく力づけられたような気がするする(^。^)

2004/03/06(土)●六甲ユニットinヒアカム久馬●

なんなんだ、この寒さはと思うくらいの日々が続いている。
今日も一日部屋でごろごろを決め込む。
午後は、TVでジュビロ磐田-横浜マリノスの何かのマッチゲームやってたので見るとも無く見る。リードされた磐田が後半に同点に持ち込み、PK戦で勝ちをおさめた。点数の割に面白かった。
その後NHKで大相撲韓国公演特集番組やってたので、これも見るともなく見る。Morris.はこのところ相撲そのものに興味を失ってるから、これにも関心は薄く、韓国場所があった事さえ知らずにいた。ソウルで掲示板に書き込みがあって、そういえば、観光公社の壁にそれらしいポスターがあることに気付いたくらいだ。でも、この番組は良くできていた。韓国出身の力士に密着して母との絆を追ったり、シルム時代の仲間のいるスウォンの稽古場を訪問させたり、そして、ソウルで2回のトーナメント戦で4勝という大健闘(これはちょっと八百長っぽかったけど)に熱狂する韓国人観客の姿など、いやあNHKドキュメント班の底力を感じさせられた。
夜はヒアカムで六甲ユニットのライブ。この前秋本君のソロライブを泥酔で見逃したのでこれは行っとかなくては。ヒアカム閉店まで後20日を切ってるものなあ。
ちょっと遅れて行ったが客は身内ばかりで10人ちょいといったところか。今日は福井くんがゲストで半分くらい一緒に演奏したから、5人編成の六甲ユニットといった感じ。Morris.はこのユニット結成後しばらくは結構入れ込んでいた。もしかしたらそれなりに大成するんじゃないかと思ったのだが、最近は以前みたいに、わくわくしなくなってしまった。レベルが落ちたとかではなくて、Morris.の方が醒めてしまったのだろう。もともとMorris.は矢谷君フリークだから、彼の属するバンドを色々見るのも楽しみではあるのだが、本心をいえば、ソロか、彼の歌をメインにしたバンドが望ましくて、そういう意味では、現在一番彼らしいステージを見せてくれるのは、矢谷ドットコムではないかと思う。しかしドラマー勇造さんがこの夏宮崎に戻ってしまうから、これはちょっと困ったことになるなあ。そのドットコムが来週土曜日に豊岡のSTAR GATEという店でライブを行う。Morris.もこれにはビデオ撮影も兼ねて同行する積もりでいる。
それはともかく「ヒアカム六甲ユニット」はこの店「Here Comes The Sun」無くしてはうまれなかったバンドだし、今日の演奏も悪くなかった。福井くんがママに花束贈呈などしてたが、やっぱりこの店が無くなるというのは、六甲での溜まり場が消滅するみたいで悲しいな。
堀姉妹とさりーちゃんとも1ヶ月ぶりくらいに会ったので、話もしたいと、ライブの後レーヴに寄ったが、満員状態で、結局ほとんど話しできなかった。1時帰宅。帰ってから、意地汚くずるずると飲んでたような気がする(^_^;)


Here Comes The Sun

ヒアカム六甲ユニッ
g

花束抱えたマ
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2004/03/05(金)●旅の終わり●

今日もほとんど一日合体ちびくろで韓国日記整理。午後に灘図書館に行き、食糧買い出し。
夕方に大まか出来上がったが、使わなかった画像の中からコルモッキル(路地)やポスターなど33点を並べた「おまけ」ページも作る事にした。
ノレバン2号が普通に動いてたら、2月中に出来上がっていたと思うが、考えてみると、これまででも、すんなりできあがるのは半分くらいかな。韓国でちびくろ(一世)が壊れてしまったり、韓国の友人からもらったフロッピからウイルス感染したり(^_^;)、やっぱり今回みたいにデスクトップが不調だったりである。
、いうわけで2004年2月Morris.韓国旅行日記歩きとノレバンの日をやっとアップ。例によってダイヤルアップ接続の方のためテキスト版も同時アップしたが、絵日記みたいなものなので、できればHDなどにダウンロードしてゆっくり画像とともに見ていただけると嬉しい。
Morris.部屋作ってから、韓国に旅行しても、この旅行日記をアップするまでは旅が終わってないような錯覚にとらわれている。ある意味ではアップの時期が遅れるほど、長期間旅を楽しめるという余得?があると言えるかもしれない。そういう意味では、今回の旅もついに終わってしまったということになるな。
夜は五輪予選サッカー、日本-UAE戦見る。追いつめらた日本がアウエイ戦というハンディに拘わらず、後半ぎりぎりに連続得点で2-0の快勝。これで勝ち点も匿失点も1位での折り返しという最良の結果になった。これでアテネへの出場もほぼ半分の確率で行ける目が出てきた。
昨日脳梗塞で入院した長嶋監督の話題でスポーツニュースはもちきり。全日本監督の重圧がかなり応えていたのではなかろうか。前にも書いたが、サッカーや、野球は五輪競技にはあまり向いてないような気がする。
島田和夫部屋スケジュール更新。

2004/03/04(木)●戻り冬??●

昨夜も夜更かししてしまったので10時半過ぎ起床。
今日もあの画像作業を続けるのかと思うとぞっとする。ノレバン2号のディスプレイ取り外して、ちびくろに接続、ついでにマウスとキーボードも繋いでしまった。スピードはともかく画面が大きくなるとかなり作業は楽になった。デジカメの電池の消耗を防ぐため、今度の旅行ではほとんどカメラの液晶画面切ってファインダで撮影したので、構図が甘いというか、ちょっと余計な部分が写り込んでるきらいがあるな。
とりあえず前半部分だけ完成。
夜中に大西ユカリと新世界の愛知県稲沢市のジャズコンサートゲスト出演の模様を追った番組を見る。やっぱりたまには生のステージを見たくなる。
それにしても今夜は冷え込むな。残暑という言葉はよく使うが、残寒という言葉もあるのだろうがあまり使わない。余寒というべきか。

2004/03/03(水)●ちびくろでは限界か(+_+)●

今日はひな祭りだが、Morris.には全く無縁である事いうまでもない。
ノレバン2号はあいかわらずだが、ときどき動く事もある(^_^;)
この際、買い換えるのが一番だと思うが、旅行続きで出費は嵩み、仕事もしてないので、先立つ不孝をおゆるしください、ぢゃなかった、先立つものが不足しているのでいかんともしがたい。
いくらなんでも韓国旅行記このままハンギングにしておくわけにもいかないぞ。ノレバン2号が動いている間に画像をサーバーに転送して、それをちびくろでダウンロードして、旅行記ちびくろで全面編集する事に決めた。そんな面倒なことしないで、ルータ使って家庭内LANでデータコピーするか、CDRに画像ファイル落としてそれを利用すればいいようなものと思われるかもしれないが、Morris.にはMorris.なりの家庭の事情という奴があるのだった。
ちびくろは旧型のサブノートで、フロッピもCDROMドライブも外付け。しかもMorris.はすでにどちらも持っていない(^_^;)LANの方はネットワークの設定変えるのがややこしいのと、途中でノレバン2号が勝手にシャットダウンするのが恐くて踏み切れ無かった。
結構時間かかったし、1回中断したけど、ともかくもノレバン2号の動いてる間に旅行写真の画像転送することには成功。これをちびくろにダウンロードするところまではまずまずうまくいったのだ。
問題はこれからで、まず使用する画像をHP用にサイズ縮小しなければならないし、明るさや色合い補正するものも結構多い。Morris.は原則的にトリミングはしないことにしているから、それだけは助かるとはいうもの、ちびくろのあの小さな画面とボタンで膨大な数の画像(300以上はありそう(@_@))を操作するとなると大変だろうな、考えただけでぞっとする。
とりあえずいくらかやってみたが、ひいーーっ、50枚ほどやっていいかげん投げ出してしまった。時間もかかりすぎ。
気が付いたら夜10時過ぎ、日本vs.ノレバン、ぢゃなかったレバノンの試合見る。今日は相手が主力選手3人欠いてることもあって4-0の快勝とはいうものの、UEAは連勝なので、明後日負けると自力勝ち抜けが無くなってしまうという厳しい状況には変わりない。

【非国民】森巣博 ★★★☆☆ 題名に惹かれて借りて来たのだが、予想以上に面白かった。作者は、Morris.と同世代で、30年近く世界を舞台にカジノ賭博のプロをやってるというそれなりの人物らしい。
私設の麻薬中毒厚生施設に集う老若男女5人と、腐り切った警察官ややくざなどとの関わり、そして最後の大勝負、と、ストーリーは大したことはないのだが、はしばしで、権威や権力構造の腐敗や歪みへの、憤り、嫌悪を吐露している部分の方が面白かった。
また小説で博打を描くことは難しい事ではないが、例え賭け金が一億であろうと、作者からすれば、どのようなカードを出す事も自由自在で、実際の博打とは全く別物でしかないだろう。
それよりも薬物異存からの回復を目指すハイウエイ・ハウスという主人公たちの施設の希望が[明日]というところは良かった。

[今日]は駄目なんだ。やってはならない
でも----、でもね[明日]ならそれが許される。どんなことをしたって、構わない
その[すべてが許される明日]を夢見て、[今日]を耐える
忍ぶ。我慢する。凌ぐ。辛抱する。そして打たれ越す
一日一日を、そのようにして、生き凌ぐ
一晩明ければ、また
[すべてが許される明日]を見て、つらい苛酷な[今日]を耐える。忍ぶ。
艱難辛苦。克苦奮闘。
そうやって、自力で更生する。
そうやって、毎日を凌ぐ。
そうやって、時間を殺していく。
そうやって、一日一日を打たれ越す


Morris.のアルコール依存症の克服もこの伝でやるべきなんだろうけどね(^_^;)

2004/03/02(火)●泥沼状態(+_+)●

ノレバン2号は今日は一時的に動いてたがやっぱりすぐ駄目になる。この日記もちびくろで更新しているが、大変ですぢゃあ(+_+)
旅行日記は本文だけは打ち終えたので、テキストだけアップしようかとも思ったが、なんか情けないので保留状態。
昨夜11時に、携帯にショートメールが入ったが、署名が無いので誰から来たのかわかない。文面からすると、いたずらではないようなので、返信メールで問い合わせたらわかるのだろうが、やっぱり何となくためらわれる。Yahooの個人情報漏洩事件なんてのがあったばっかりだもんな(^_^;) もし送信者がこれを読んだら、署名入りのメール送ってくれたらありがたいです。
前にも同様のことを書いたが、ちびくろでいちおうインターネット見る事ができるので、パニックにはならずに済んでいる。こうなったら、ノレバン98号で接続できてたら、とにかく作業は続けられるのに残念だ。
それと関係ないが、Morris.部屋の、すごいカウンタがまたすごいことになってるようだ。一時9万台に戻ってたのが、今日見た。百八十万台になってる(^_^;) こうなるとほとんどカウンタの役を果たしてないんではなかろうか。どうしたもんだろう?

【廃虚の歩き方 探索篇】監修 栗原亨 ★★★☆廃虚Explorer」http://www2.ttcn.ne.jp/~hexplorer/という廃虚紹介サイトを運営してる監修者と、その仲間による、全国の廃虚の探訪記事と写真集である
軍艦島、松尾鉱山、伊万里造船所、摩耶観光ホテルなど有名どころから、無名の廃屋まで約50箇所近くの廃虚が取り上げられている。
探索時の注意や準備、危機管理、探索方法なども記載されているが、冒頭にも書いてあるとおり、廃虚といえど所有者がいるので、基本的に無断で立ち入る事は違法行為であることは言うまでもない。
しかし、Morris.も、韓国や見知らぬ土地で、廃校や、廃屋、廃園など見ると中を見たくなる方で、これまでにも小学校などでは中に入ってしばらくたたずまいをたのしんだことがある。
摩耶観光ホテルは、たしか15年くらい前にホテルを廃業して学生の合宿所みたいになった頃訪れた事があり、その時すでに、やや廃虚みたいな雰囲気を感じさせてくれた。軍艦島は以前写真集見て憧れたことがある。精神病院の廃虚などは、心霊マニアのスポットになってる事が多いらしい。Morris.は先に書いたように、廃校や廃工場くらいで、あまり危険(身体上並びに刑法上)のなさそうなところなら、実地に行ってもいいが、危険を承知で入り込むことまではやろうと思わない。
こんな写真集や、サイトなどを覗くくらいで満足しておきたい。

廃虚とは「廃屋」「廃工場」「廃病院」「廃宿泊施設」「廃寮」などをふくむ建物や、「廃村」「廃鉱などの廃虚の複合体」「廃線」の総称である。
探索の目的についてだが、私の場合は「内部への潜入」である。当然廃虚好きにもいろいろな人が存在するので、各人によって目的は違うだろう。私が知るだけでも「外観だけに興味を持つ人」「物件そのものの歴史に興味を持つ人」など多種多様である

2004/03/01(月)●わやや(+_+)

ノレバン2号は、今朝になっても機嫌が悪い。それどころか、一時は起動時にキーボードが全く効かなくなってしまった(+_+)こうなると全くお手上げである。
韓国旅行日記はちびくろで打ってるとは言うものの、画像は扱えない。とりあえず、日記本文だけをちびくろで仕上げることにした
夜はサッカー、オリンピック予選日本-バーレーン戦見る。日本は若手もいまいち決定力に欠けるようで、0-0のドローだった。


【2004年】 2月 1月
【2003年】12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
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