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Morris.日乘2013年9月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語
Surréalisme 
秋流現實主義

【2013年】 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月
【2012年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月 1月

2013/09/30(月)●こねこのぴっち異聞●

6時半起床。
今朝の血圧は194/94/73。
矢谷くんと住吉のマンションへ、ベルギーからの荷物配達現場。
開梱が多くて正午に作業終了。
昼は深江の東市場のオリーブキッチンのサービスランチ(今日はソースチキンカツ(^_^))
三井倉庫に積み込みに行き、今日の仕事終了。5時半帰宅。
沼部真一さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」で、岩波子供の本シリーズの記事が連載されていて、そこにMorris.の大好きだった絵本「こねこのぴっち」に関する興味津々の物語が展開されていた。いやもう、これは詳細を読んでもらうしかない。
できれば9月21日最初の記事から続けて読んで欲しい。
第一回配本が1953年12月(6冊同時配本でトップバッターは「ちびくろさんぼ」\(^o^)/」)で、「こねこのぴっち」は54年12月の第四回配本に入っている。Morris.は4,5歳だから、もしかしたらそのどれかは初版で手に入れたかもしれないし、少しあとで入手したのかもしれないが。「さんぼ」、「ぴっち」ともう一冊「はなのすきなうし」(これも第四回配本)、この三冊が幼少時Morris.の愛読書ベストスリーだった。いやあ、あの頃の岩波はたいしたものだったなあ(^_^;)と今さらながら思う。
夜はBS朝日で、美空ひばり特番に見入ってしまった。昭和63年伝説の不死鳥コンサートのドキュメント。ステージ映像もたっぷりの2時間番組で、これは見甲斐があった。正真正銘の歌の女帝だね。ああ、一度でも生ステージを見ておきたかった。
今日の歩数は4036歩。


今日の空(深江) 

今日の空と海(神戸港) 

白無窮花 

【サンバの国に演歌は流れる】細川周平 ★★★☆☆ 1995/09/25 中公新書 早速借りてきた、ったって、18年前の発行である。著者は1955大阪生。東大理学部卒で、東京芸大で博士号取得。音楽学専攻。なかなかアカデミックな人物らしい。
ブラジル日系移民の音楽の歴史を、演芸会の時代(1908~1845年)、のど自慢の時代(1945~1980年)、カラオケの時代(1980年~現在)の三つの時期に大別して、それぞれの時代の特徴やシステム、「歌の場」の変遷を通して、ブラジル日系社会の特殊性を浮彫りにしたものだが、Morris.にとっては、歌、いや、音楽そのものへの興味深い考察で、実に面白くてためになる一冊だった。

移民は徴兵延期願という日本男子にとっては屈辱的な書類を提出し、十分に後ろめたさを感じていた。祖国の危機に際して何もできなかったという後ろめたさは、日本に対して何かの形で忠誠のしるしを見せたい、というあせりを発火し、戦後の勝ち組の極端な日本崇拝に転じた。モノであれ、歌であれ、日本とは想像力によってしか一体感を感じられなかったということが、移民のメンタリティにとって重要だ。この想像力による故郷との一体感のことをふつう望郷と呼ぶ。国家主義的な望郷は日系社会の心情的な絆となった。(演芸会の時代)

日本から一番離れた地で帰るに帰られなくなった日本移民が国家を恨むのではなく、極端な日本崇拝に転じたというのは、皮肉を通り越して悲惨でもある。「故郷は遠くに在りて思うもの(®室生犀星)」にしても、ブラジルは遠すぎる(^_^;)

なぜ浪花節は根強かったのかについて1958年、『サンパウロ新聞』が分析している。それによると日系人の精神構造は故郷を追われた浮草ぐらしという「出稼ぎ移民根性」と、明日は明日の風が吹くという楽観的な「大陸的気質」とが合わさってできている。浪花節(や流行歌)が本国以上に残るのは、「棄民」であるという共通の運命の絆が親分子分、一宿一飯の恩義というような相互扶助の連帯意識を生み、「オイ兄弟、元気を出せ」と肩をたたきあうメンタリティが濃いからだという(9月6日付)。日系社会の保守的な意識をよくついた自己分析だ。浪花節はこのような慰め合いに最もふさわしいテーマを用意してくれる。辛苦や犠牲や敗残が涙によって美化されるからだ。(演芸会の時代)

ある意味、日本では、Morris.の年代くらいまでが、最後に浪花節を聴いた世代ということになるだろう。確かにあの世界は保守的というより形式主義の権化みたいなものだった。涙によって美化されるというのは、浪花節に限ったものではないけどね。

音楽コンテストには二種類あり、ひとつは結果が非常に重要であるもの(強い競争原理)、もうひとつは大勢の歌手が一堂に会する口実としてむしろ重要であるもの(弱い競争原理)である。のど自慢やレコード大賞は前者の代表であり、紅白歌合戦は後者である。ブラジルでいえば、リオのカルナバルは前者であり、バイーアやレイフェのカルナバルは後者である。
のど自慢は強い競争原理がはたらく娯楽であり、審査という政治性を帯びた場だった。(のど自慢の時代)


韓国で言えば「「挑戦主婦歌謡」は前者であり、「挑戦千曲」は後者である(^_^;) 韓国ののど自慢(ノレチャラン)は、両者の混交である。

(日系人の)のど自慢は歌唱欲求を満たすと同時に歌に対する苛立ちを生むことにもなった。のど自慢文化にとって演芸会をわかせる飛び入りは例外に属し、パフォーマンス形態からすれば価値の低いものだった。審査員のいないところで歌ってもしかたがないと考えるようになった。歌は遊びではなく勝負になって初めて本気でやってみる価値が生まれた。(のど自慢の時代)

プロの歌謡界が存在しないブラジル日系社会では、のど自慢が、その代替物となっていたらしい。

祭りを日々喚起させるような陽気なリズムは世界の大衆音楽ではしょっちゅう使われている。近代日本は祭りのリズムを祭りから外には出さない方向に進んだ。せいぜい演歌の中で御神火太鼓や博多まつりの乱れ打ちが引用されるだけで、阿波踊りや神田囃子に新しい歌詞がついたり、電気楽器でバンドがやるような工夫はなかった。上々颱風のようなグループがそれに挑んでいるが、国民的な認知を得るにはいたっていない。伝統は伝統、現代は現代というわけで、音階についてはヨナ抜き音階のような和洋折衷が発案されたのに、リズムについてはだいたい西洋の拍節リズムを受け入れただけだった。
カラオケは伴奏つきの歌に大きな価値をおき、しかもその伴奏が生伴奏では実現しにくい文化のなかでとくに有利に機能する。ブラジル人の間でカラオケ人気が続かなかった理由のひとつは、国民の大半にはギターや打楽器伴奏で十分だからだ。(カラオケの時代)


たしかにこれは重要な指摘である。

合唱という文化は個人と集団についての考えかたと深く係わっている。西洋語から「個人」という訳語を作るのに福沢諭吉はさんざん苦労したが、西洋と接触して一世紀半近くたっても、やはりこの言葉が日本の社会に馴染んでいるとは思えない。「個人主義」といえば「利己主義」という悪い意味によく取られる。建前として「個人の自由」を尊重するようになって半世紀たったが、現実には集団の安全が優先される。
日本は集団主義といわれるのになぜ合唱が伝統にならなかったのか。これは宿題にしておく。(カラオケの時代)


個人より集団が優先される、というくだりは、日本国憲法前文の問題点を想起させる。本音と建前と言い換えられるのかもしれない。宿題への答えとしては、日本の集団主義が典型的ヒエラルキーの上意下達構造だったから、というのではどうだろう。

のど自慢離れはそのまま日本離れを意味した。日本の流行歌を聴いたり歌ったりして育った概して日本的な価値観を持たされた若者が、のど自慢文化から離脱するのにはかなりの動機づけが必要だった。このようにのど自慢は、そして現在ではカラオケは民族性を強く担っている。レパートリーが保守的なのは、歌の場が文化の防衛装置として機能しているからだ。(カラオケの時代)

明快でわかりやすい結論である(^_^;) 

1.あばれ太鼓 2.さよなら 3.それは恋 4.海の祈り 5.望郷じょんがら 6.群青 7.花の時愛の時 8.恋人よ 9.魂(こころ) 10.母恋鴉 11.千年の古都 11.乾杯 13.無法松の一生 14.乱れ髪 15.暖簾 15.俺の出番はきっと来る 17.川 17.兄弟船 17.日本海 20.男船 20.祭 20.昴 (ABRAC歌謡大会1986~94)の歌われた曲総合順位)

ほぼ20年前の時代のリストだが、それでもおおまかな傾向は見てとれる。Morris.の知ってる曲は半分くらいしかないけど。

カラオケというテクノロジーは、歌の場の伝承に限りない貢献をはたしてきた。今やカラオケを離れて日本の歌の文化を伝えることはできない。ブラジルではこの強力無比な装置によって日本の歌は救われた。だが同時にその先に行くこと、ほかの道を行くことは阻まれた。民族の徴はカラオケの歌や大会組織によって表現されたが、それから外れて生きていく道は塞がれた。この意味で人を歌わせる機械は歌わせない機械ともなりうる。カラオケは日系人にとっても、そしてたぶん日本人にとって両刃の剣なのだ。(カラオケの時代)

この結論もまた、Morris.にもかなり納得できるし、耳の痛い言説でもある。

日本人になろうとするブラジル生まれのマルシアとブラジル人になろうとする日本生まれブラジル育ちのボサノヴァ歌手小野リサと比べても良い。奇しくも同じ年にデビューした二人、どちらも演歌やボサノヴァの正統を極めようとして、自分の生い立ちに由来する混ぜ物をしりぞける。演歌がブラジルがかったり、ボサノヴァが日本臭かったりすれば、彼女らの賭は負けなのだ。二人に共通の枠組みがないこと、おれもまたジャンルや流派の制約のきびしい日本の音楽文化をよくあらわしている。ボサノヴァはブラジルの音楽だが、それをブラジル人の通りにやらないと気がすまないのは日本の価値観だ。手本はあくまで「よそ=本場」にあり、それと区別がつかなくなるまで努力を重ねる。日本人のいわゆる「本物志向」は文化的上昇志向に裏打ちされている。明治以来の「追いつけ追いこせ」気質とは、このようなカメレオン的倫理、「本国」からみた正統性を獲得する努力のことで、単に経済や技術だけでなく、外国音楽の受容をも強く条件付けていいる。日本人はそれを「器用」といって礼賛したり、「小器用」といって批判したりする。どちらでもよいが、日本の近代文化を模倣だと悪くいう西洋の人々は、この正統性、純粋性に対する希求を理解していない。しかし彼らに創造(というよりもモデルの再生産)の過程で、自分の出自を隠すことがどんなに高く評価されるのかを納得させることはむずかしい。これは生きること、音楽をやることの根本的な価値に関わることだからだ。
日本の価値観からすると、何でも自分流に作り直してしまうブラジル文化は理解できない。(あとがき)


実は本書の中で一番おもしろかったのが「あとがき」のこの部分だった(^_^;) 

小林旭の商業的な失敗作「アキラでボッサ・ノヴァ」は「日本」を意識せずに日本化していて、日本人-60年代の-でなければ思いつかないような奇想に満ちている。
創作者は当時アメリカで流行ったブラジル風リズムの名前をラテンっぽい曲につけてみただけで、本場に対抗させようというような野心はなかった。「アキラでサンバ」でもよかったのだ。歌謡曲はある時期まで土着の強烈なエネルギーをもち、どんな素材でも気楽に混ぜて笑っていられる包容力とユーモアのあるジャンルだったのだ。小野リサの音楽はブラジルに「追いついた」ところで終わってしまう。しかし小林旭の意図なきユーモアははるかに日本の大衆音楽の根元に近く、またそのぶん先を見つめていた。ただ本物志向のベクトルからあまりに外れていたため、際物扱いされてしまっただけだ。「追いつけ」気質が日本の近代の特徴であるならば、この曲は好事家向けの珍品というよりは近代を突き抜け、別の「反時代的な」大衆音楽の方向を暗示していた。(あとがき)


「アキラでボッサ・ノヴァ」(@_@) これはタイトルすら知らずにいた。(こちらで聴ける-三曲目)。ぎゃははは(^_^)(^_^)やっぱりこれは「アキラでサンバ」ぢゃ(^_^;) たしかに小林旭の60年代の一連の楽曲には、国籍不明というか、何でもありというか、面白くて何ぼというか、破茶目茶というか、豪快に突き抜けたものがあった。彼の映画に頻出する「ギター抱えた一人旅」のマイトガイの姿は、もしかしたらMorris.にとっての究極の夢の姿なのかもしれない(^_^;)

2013/09/29(日)●嫌な画家(^_^;)●

7時半起床。
今朝の血圧は175/83/84。
SBS「挑戦千曲」、今日のチャンユンジョンは黒のゆったりしたワンピースで頭にお団子載せたようなヘアスタイル。今日は何となく知らない曲が多くていまいちだった。90年代特集で、当時のグループのメンバーなどが多くゲストに出て、トロット系が少なかったためだろう。知ってるゲストはウォンミヨンくらいだった。
「日曜美術館」は夭折の画家石田徹也特集。現代社会の歪みや矛盾、非人間的な労働者、弱者の虚しさをシュールに描いた作品ということになるのだろうが、ある意味、Morris.の一番苦手な画風である。卒業後六畳一間のアパートでアルバイトしながら、部屋ではひたすら絵に打ち込み、2005年踏切事故(自殺?)で32歳の生涯を閉じた。代表作「飛べなくなった人」は、遊園地のポンコツ飛行機と一体になった男の絵だが、その顔(画家自画像?)が不気味すぎるのだ。しかし、彼の作品が多くの人の共感を呼んだり、社会風刺になっていることは、事実で、本人が言ってるとおり「このような暗い作風が受けることは素直に喜べない」と思う。
昼過ぎ、自転車で三宮図書館へ。
5時半帰宅。風呂入ってから、一階の古本屋ワールズ・エンド・ガーデンに。7時から神戸在住詩人高階杞一を囲む会が催されるので、それに参加(見物)することにしたのだ。詩集「キリンの洗濯」で1990年H氏賞を受賞した詩人とのこと。今回の催しは95年に出した息子の死をテーマにした詩集が、今年別出版社から復刻版として出されたので、そのキャンペーンみたいなものだったようだ。20人ほどが参加で、プリントされた10篇ほどの詩を、順次朗読しながら、その来歴などを語るというもので、半分朗読会みたいな感じだった。めったに書かない反戦詩「戦争」という詩も紹介されていたが、これは先日中央図書館二階で閲覧した彼の詩集の中でも一番印象に残った作品だった

戦争            高階杞一

黒板に
私は愛と書く
先生がおしえてくださったとおりに

黒板に
私は夢と書く
先生がおしえてくださったとおりに

黒板に
私は友達と書く
先生がおしえてくださったとおりに

黒板消しはいらない

爆弾が落ちてきて
それらを一瞬のうちに
消す


今日の歩数は3163歩。


「挑戦千曲90年代特集 

今日の雲 

今日のぶんちゃん 

大安亭の白黒 

ワールドエンズガーデンで詩人を囲む会 

高階杞一氏 
2013/09/28(土)●倉敷あたり●

5時起床。
今朝の血圧は218/97/79。
昨日とほぼ同じメンバーで倉敷の、アメリカ向け、保管、実家ローカル現場。
飯抜きで1時半作業終了。
昼飯は近くの「さざなみ」でジャンボゲソ天(170円)+かけうどん中(200円)。ここは何度目かだけど、あまりの安さとゲソ天のおおきさには驚かされる。
三木市の実家(旅館)に冷蔵庫など配達。ややこしい台所から古い冷蔵庫のん移動など頼まれて、ちょっと大変だった。6時倉庫到着。ちょこっと作業してマルハチで買い物して6時半帰宅。
文化庁が15年ほど前から毎年やってる「国語に関する世論調査」の間違えやすい慣用句というのを朝日TV報道ステーションで紹介してた中で「噴飯もの」は「おかしくてたまらないこと」が20%、「腹立たしくて仕方ないこと」が49%という結果で、正答は前者とのこと。これはMorris.も間違えたし、古舘一郎も意外そうだった。何となく違和感の残る内容だったが、小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」に「噴飯中の皆様に告ぐ」という記事を読んで、胸のつかえがおりた。

調査の中で説明されていないニュアンスもある。
それは、「噴飯もの」がもっぱら攻撃的な場面で使われることの多い物言いである点だ。
単に「おかしくてたまらない」 だと、お笑い番組を見て噴飯したり、出来の良い落語を噴飯ものと表現する使い方がアリという話になる。
が、実際には、「噴飯もの」の用例は、対象を揶揄嘲笑するケースに限られる。


そう、そう、Morris.が感じた違和感はこれだったんだ。文化庁の二者択一の解釈はどちらも舌足らずだったのだ。小田嶋は、こういった、読者に誤解を招くような表現はなるべく避けるようにしてると言ってた。これは卓見だと思う。文章が意思の疎通のためのツールだと考えれば、疎通を妨げる表現は使わないにこしたことはない。でも、Morris.は、伝われば良いというだけでなく、そのニュアンスも大事にしたいと思う気持ちも強い。誤用が5割を超えれば、正しい用法が多数の人には間違って伝わるということは分かるのだが、その本質における間違いは誤用が多数派になる前に糺して置くべきだと思うのだ。仮りに日本人の9割が「ヘコリプター」を使うようになったとしても(^_^;)Morris.は「ヘリコプター」と表記したいからだ。「手をこまねく」表現をしつこく糾弾するのも、「拱く、組み抜く」の由来からしても「こまぬく」の正統性を重んじたいがためだ、などと、えらそうに言うほどのことはない。要するに「「こまねく」は気持ちが悪い」という、幼稚な反応に過ぎないのかもしれない(^_^;)
今日の歩数は4769歩。


吉備SAの犬猿雉 

花と虻

赤い実(^_^;) 

倉敷現場の空 

同じく 

カメムシは特定が難しい(^_^;) 

「さざなみ」特大ゲソ天 

摩耶埠頭の夕空 

同じく
2013/09/27(金)●東広島あたり●

3時半起床。(>_<)
今朝の血圧は191/83/88。
遅まきながら、楽天初のリーグ優勝おめでとう\(^o^)/ 昨日、ABCラジオで、阪神が敗けた後、楽天-西武戦中継に切り替わったので、リアルタイム出優勝決定瞬間を聴くことが出来た。。ロッテが先に敗け、楽天が勝てば優勝が決まる試合。1点リードで迎えた9回裏、リリーフは田中マー君という絵に描いたみたいな見せ場。一死二三塁から三番、四番連続三振でゲームセット。星の監督はこれで中日、阪神、楽天と3チームでの優勝監督になった。
倉庫4時半出発で東広島のオランダ向け航空便と保管便のピックアップ現場。神戸からの4人と、地元作業員2人6人で、3時過ぎ作業終了。
7時倉庫着。
明日も4時半起きで倉敷現場なので、帰って料理すると時間が無くなるのでなか卯の牛丼で夕食済ます。
今日の歩数は2911歩。


12階の現場から 

可愛い瓜の仲間 

アメリカザリガニ 
2013/09/26(木)●動く今日のまぬう●

6時半起床。
今朝の血圧は151/71/84。
朝の3点セット。
ターちゃんの韓国歌日記に「韓国歌碑紀行」という記事が。韓国歌謡研究のための2週間の旅の間に多くの歌碑や記念碑を巡ったらしい。歌碑の場所はMorris.部屋の韓国日記も参考にしたものもあるとのこと。

1.40階段方面(釜山中央区)
2.玄仁銅像、「がんばれクムスナ」歌碑(釜山松島海岸)
3.「海雲台エレジー」「釜山港へ帰れ]歌碑(釜山海雲台)
4.朴是春銅像、「哀愁の小夜曲」歌碑(密陽嶺南楼の隣)
5.金グァンソク通り(大邱慶北大学病院付近)
6.「大田ブルース」歌碑(大田駅前)
7.「光化門恋歌」歌碑(ソウル徳寿宮横石畳径)
8.「断腸のミアリ峠」歌碑(ソウルミアリ峠)
9アリラン峠映画広場(ソウルミアリ峠付近)
10.金グァンソク記念壁(ソウル大学路ハクチョンブルー小劇場)
11.「三角地ロータリー」歌碑(ソウル三角地)
12.「ソウル讃歌」歌碑(ソウル世宗路公園)


このなかでMorris.が知ってるのは1.2.4.8.9.だけ。その代わり木浦ユダル山の「木浦の涙」の歌碑には2回行ってる。たしかに韓国中には歌碑だけでも100位上あると思う。ヒットしたご当地ソングなんかほとんどあるにちがいない。
昼から自転車で王子動物園に。
今日のまぬうは、いつもと逆で雌が岩場の上を動きまわり、雄は地面の右隅でじっとしていた。ふと思いついて、デジカメので動画撮影。帰ってからYou Tubeにアップしたので興味ある方は覗いて見るように。マヌルネコといえば、ロシア人が撮ったらしい、野生のマヌルネコの動画もYou Tubeにあがってた。他に調査のためか、マヌルネコを捕獲してマーキングして放す画像なんてのもあった。
しばらく資料館図書室で、荒俣宏の「大博物図鑑」鳥の巻の図像だけ見る。やっぱりすごいもんである。
その後、自転車で大安亭に買い物に出る。
買い物して帰ろうとしたら自転車の前のタイヤががパンクしてる(>_<) すぐ前に高架下の修理屋あったので、修理頼む、千円也。
4時帰宅。
明日は3時半起きで、広島行きぢゃ。
今日の歩数は3230歩。


王子の野良アメショー 

きょうのまぬう 雌 

今日のまヌウ 雄 

動くまぬう 

幼稚園児記念写真 

今日の空 

久々大安亭薄茶 

枯れ彼岸花 

パンク修理(>_<) 
2013/09/25(水)●半ドン●

6時半起床。
今朝の血圧は198/104/82
昨日事務所から電話で、急遽、大阪南船場の現場直行。最寄り駅は地下鉄長浜駅だけど、心斎橋からでも10分くらいで行けそうだから、JR、御堂筋線の2本で済ますことにした。8時45分に現場到着。ちょうど矢谷くんらが養生始めてるところだった。フランス人女性の帰国荷物ピックアップ現場。見積もりより荷物減っていたらしく、昼前作業終了(^_^;) 半ドンである。
午後1時前帰宅。
シャワー浴びて、原田の森ギャラリーへ。今日から自日朝鮮学生美術展が始まるというので、とりあえず覗いておこうと思ったのだ。
東館二階では海星女学園OB展やってたのでこちらも冷やかす。パッチワークや油絵や、ほとんどカルチャーセンター発表会みたいなものだったが、女性らしい秋草の刺繍が季節柄心に沁みた。
朝鮮学生展は入り口には、入り口に大きな貼絵(朝鮮高校前での組立体操)がなかなかの力作で、ちょっと期待したのだけど、展示物はまるでスカだった(>_<)
2010年度の同展(2013/09/24)素敵な絵本に出会い、他の作品にも見るべきものが多かったので、毎年見に行くようにしてたのだが、どんんレベルが落ちてるような気がする。
ギャラリー前庭で、ミニギターレッスン。今日は4カポで何曲か歌う。何か気持ち良い(^_^)
5時半帰宅。
今日の歩数は2013歩。


王子公園通り街路樹伐採作業

刺繍の秋草 

山下清風? 

朝鮮初級三年生作品(^_^) 

今日の夕雲 

秋の蒲公英と紋白蝶 
2013/09/24(火)●ゴロゴロ虫●

10時起床。
今朝の血圧は195/85/79。
ひさびさの宿酔いぢゃあ(>_<)
実は昨日灘図書館に寄った時ついでにやまやでカティ・サーク買って帰ったのだった(^_^;)。
というわけで、一日部屋でゴロゴロしてた。
某所から手に入れたKBS歌謡舞台のDVD見たり、読書、ミニギター……
ホンジニョン応援ブログ19日付記事に、珍しく韓国演歌アイドルグループ?オーロラのことが書いてあった。2011年7月ペンニョンドののど自慢のゲストに出てて、Morris.はメンバーと6ショット(5人組だから)撮った縁もあって、親近感を感じてた。で、ときどき出演するときには注視してたのだけど、どうもメンバーが特定できない。特にMorris.が気に入ってた長身の娘が見当たらないので気になってたのだが、記事によるとメンバー全員、それも二度に亘って入れ替えして、最近は4人組になってたとか。そういえば、今日見た歌謡舞台秋夕特集でも4人だった。総替えって(@_@) これって全くの別グループぢゃないか。持ち歌だけは引き継いでるとか(^_^;)。同じようなスタンスのLPGは、最近9人組になったとか、とにかくこのブログ主の情報収集力には改めて驚かさせられる。
今日の歩数は0歩。

【「出稼ぎ」から「デカセギ」へ】三田千代子 ★★★ 2009/03/25 不二出版刊。副題に「ブラジル移民100年にみる人と文化のダイナミズム」とある。著者は「ブラジル社会文化を非本質主義視点から捉えることに関心。ヒトの移動に伴う社会・文化の変化を、ブラジル社会を事例として、研究を展開している」人らしい。「非本質主義」というのからして、よくわからない。「本質主義」がア・プリオリ(先天的)、非本質主義がア・ポステリオリ(後天的)ということなのだろうか?
「ブラジル移民100年(2008)を期に、30年にわたって発表してきた論文を点綴して一冊にまとめたもの」とある、いちおう研究論文や調査記録の集成みたいなもので、割りと硬めの文章が多い。煩瑣だけど、目次を写しておく。

序章 移動するヒト・変容する文化 1.ヒトの移動と文化のダイナミズム 2.近代のヒトの移動 3.グローバル化時代のヒトの移動と日本
第一部 ブラジルの日本人--去りし者
第1章 近代日本の海外移民政策 1.明治維新政府と「元年者」の失敗 2.官約移民と日本社会 3.移民業務の民営化による私的移民の送出 4.メキシコにおける日本人植民地建設の試み 5.近代日本における海外移民の役割
第2章 ブラジルの移民政策と日本移民 1.ヨーロッパ移民の代替としての日本移民 2.国づくりの理念「白人化」と日本移民の導入 3.日本移民の制限の始まり 4.ナショナリズムと移民政策 5.レイス「排日法案」の提出 6.ポテーリョ報告書
第3章 サン・パウロ日本人共同体と経済活動--1920年代-1950年代 1.日本人移住地の集団形態と農業携帯 2.コチアの日本人共同体 3.バストス移住地 
第4章 「国民国家」から「多人種民族国家」へ 1.「国民国家」の形成と外国移民 2.第二次世界大戦と日本移民 3.「多人種民族国家」へ
第二部 日本のブラジル人--来たりし者
第5章 デカセギ現象をめぐる日本とブラジルの新たな関係  1.「ブラジルの奇蹟」の後 2.日本の高度経済成長 3.「デカセギ」元年の日系人就労者
第6章 在日日系ブラジル人の社会・文化生活--神奈川県綾瀬市を中心に 1.神奈川県の外国籍住民 2.綾瀬市とブラジル人 3.アンケートにみる日系ブラジル人の姿 4.デカセギ・ブラジル人と日本社会
第7章 彷徨うデカセギ・ブラジル人 1.ポルトガル語となった「デカセギ」 2.ブラジル人の分布 3.彷徨うブラジル人 4.多様な生活戦略 5.グローバル化時代の教育とは
第8章 ナショナリズムとエスニシティ・グローバリゼーションとエスニシティ--「デカセギ」送出地バストス市の事例 1.「日本人村」としてのバストス市の概略 2.「日本人村」の経済活動と社会組織 3.ナショナリズム下の「日本人村」 4.第二次世界大戦と養蚕業 5.「日本人村」の再出発 6.「ジャポス」・エスニシティ 7.デカセギとバストス
終章 ブラジルの日本人、日本のブラジル人--移動と定住の社会史的考察 1.ブラジルの日本人 2.日本のブラジル人


かなりの部分が、退屈(>_<)だったけど、第4章はいろいろ教えられるとこころ多かった。

1923年の関東大震災の罹災者を救済するために、日本政府は補助金を交付してブラジル移民(110人)を送出した。25年には、全ブラジル移民に船賃と移民会社の取扱費用が全額交付されることとなり、国策移民の体制が整えられた。さらに、27年位は神戸に、300人収容の移民収容所が建設された。ついに、28年には一万人を超える移民が送出され、ブラジル無形移民の最盛期を迎えた。他方、ブラジルで日本移民は、最多のポルトガル移民に次ぐ入国者数となった。そして1932年、日本政府は、12歳以上の者に渡航準備金(50円)を交付するようになり、日本移民は自己資金を全く準備せずにブラジルに渡航することが可能となった。さらに、日本政府は移民の送出だけでなく、独立自営農として移民を送出するために、日本人移住地の建設を1929年にサンパウロ州およびパラナ州で着手した。こうした日本政府の積極的な対策の結果、1928-34年の7年間に戦前期のブラジル向け日本移民の57%余にあたる108万8258人をブラジルに送出した。(第2章6.)

日本は人減らしという国策として海外移住を推進して、7年間に100万人をブラジルに運んだのか。石川達三「蒼氓」の時代だね。

外国人入国を基盤として移植民審議会の展開したアブラジリアメントのキャンペーンは、ブラジル社会への同化を促進して人種的には「ブラジル人」という新しい人種のタイプを、文化的には「ブラジル人意識」をつくりだし、ブラジル社会の構造を一つに統合して、外国移民とその集団地をブラジル国家に再統合しようとするものであったといえよう。したがってヴァルガスのナショナリザン政策は多人種多民族からなるブラジルの住民を一つの「ブラジル人」としようとするものであった。この意味でそれは国民国家(nation-state)の一民族一国家の理念により創出された政策であったといえよう。そしてこの政策を通じてブラジルに入って来た異質の者に対する期待、あるいは態度がブラジル社会に形成された。つまり、今日、異質の者は、明日には形容詞のない「ブラジル人」になることが期待されたのである。人種的には異種混淆(ハイブリッド)が、文化的には同化が、社会構造上は統合が期待された。この結果、外国人移住者が地理的文化的に孤立して民族的同質性の高い集団を形成していることはブラジル社会では非難の対象となった。(第4章1.)

これがいわゆる、戦時中のブラジル政府の方針であり、日本からのブラジル移民は心身両面から圧迫されてしまった。これがまた戦後の「勝ち負け抗争」にも繋がったわけだ。

ブラジルで日本人が「ニッポンジン」として生きることにますます追い詰められ、ブラジルの生活に希望を托すことができなくなった日本移民は日本に帰国することを希望するようになる。しかし、現実には終戦を迎えるまで帰国することは不可能であった。多くの日本人は、移民ではなく「棄民」となったことに気づくのである。(第4章1.)

「棄民」とは、酷すぎる言葉であるが、それが実情でもあった。

(第二次世界大戦終結時)サンパウロ州とパラナ州に広がっていた日本移民とその子弟の数はおよそ20万人と推定されている。これら20万人を巻き込む一大事件となったのが、「勝ち負け抗争」と呼ばれる日本人社会のテロ事件で、それは当時の日本人社会を混乱に陥れた事件であった。
日本人社会の混乱は、三つの現象からなっている。
1.日本語による印刷物の発行が禁じられていたため、情報が歪めて伝達されやすい状態にあり、デマが横行した。領事館などは閉鎖されており、ブラジルの日本人社会には日本の敗戦の公報を伝達する機関が無かった。流言蜚語が飛び交うなかで、日本人の多くは、祖国日本の敗戦を心情的に信じることができず、祖国の敗戦を信じた人々を「裏切り者」として葬ろうとした。
2.「戦勝国」日本への帰国(または、日本の「南方占領地域への再移住」)を希望する日本人を相手にした帰国詐欺の横行。
3.価値のなくなった旧日本円の闇売買。
2,3,の被害者はほとんどが日本の戦勝を信じた人々である。(第4章2.)

戦前の日本移民の大部分は、日本で農業に従事していた。元来、土地を離れて生活が成り立たない農民が、なぜ母国の土地を離れて新大陸へ渡ったのだろうか。日本からの出移民が盛んになった時期をみると、その背景には、常に日本の経済の疲弊という状況があった。彼ら自身が自らを「棄民」と呼んだごとく、日本政府からみれば、移民政策は「口減らし政策」であった。移住者の大部分は、短期間である程度の蓄財を果たして帰国するつもりであった。日本人だけの開拓地をつくり、日本人植民地では、ブラジル社会との接触はほとんど限られていた。いずれは日本に帰るのであるから、進んでブラジル社会に入る必要もなかったのである。(第4章2.)

1945年にヴァルガス大統領が下野し、ヅッツラ大統領(1946-51)のもとで、新憲法発布の準備がなされた。日本移民の入国禁止条項を憲法の一文に挿入するかどうかが議論となった。議会で賛否を問うたところ、99対99の可否同数となり、議長の決定権票によって日本移民入国禁止条項は否決された。議長は日本移民の入国に賛成したのではなく、憲法に特定の民族や人種に関する禁止事項を盛り込むことは国家の恥であるとして反対票を投じたのである。(第4章3.)

1988年10月、民主体制のもとで制定されたブラジルの新憲法には教育課程における多文化主義の実践が盛り込まれた。「ブラジルの歴史の教育は、ブラジル人の形成における、異なる文化及び民族の貢献を考慮に入れるものとする」と謳われている。
ブラジルは国内の「異質のもの」の「消化」や「同化」ではなく、互いに「異なるもの」が共存し共栄する国づくりを目指すようになったのである。こうしたブラジル社会の変化は「ブラジルの日本人」となった日本移民のアイデンティティと矛盾なく調和することになり、「ブラジルの日本人」としてブラジル社会に再統合された。(第4章3.)


この新憲法の発布は、日系ブラジル人誕生の契機となった。この憲法に関してはもう少し詳しく知りたくなった。

ブラジル社会にとっては、デカセギはブラジルからの「出移民」の一現象である。本来の日本語の「出稼ぎ」とは異なる。日系ブラジル人の日本における就労という固有の現象を表すものとして「デカセギ」の表記が用いられている。この表記は、日本語の「出稼ぎ」がポルトガル語に転用されてdekasseguiとなり、このポルトガル語の日本語表記が「デカセギ」である。(第7章1.)

本書のタイトルは、このことをきちんと理解しないとわからない、という仕組みになっているようだ。

ブラジルの日系人の間で、年齢を問わず日本のカラオケが楽しまれているのは、よく知られている。地区大会、地方大会、州大会、全国大会と競い、優勝すると、日本旅行の権利を獲得する。
カラオケの個人レッスンが、文化協会を借りて行われている。
カラオケは日系ブラジル人にとり、その身体的特徴と並ぶエスニシティの拠り所であるから(細川周平『サンバの国に演歌は流れる』)(第8章6.)


おお、この本は読まねば。

2013/09/23(月)●新東灘図書館Open●

6時半起床。
今朝の血圧は170/89/84。
今日は秋分の日。彼岸の中日である。しかし、まあ、Morris.にはまるで関係なし。
午前中ころころしてたが、今日正午に東灘図書館が新しくオープンすることを思い出して、出かけることにした。
天気も良いし、自転車で行くことにしよう。神戸は南北は坂だらけだが東西はわりと平らかである。
東灘図書館は阪急岡本とJR摂津本山の間にあって、一回は保育園、二階が児童図書、三階が一般図書だった。もともと仮住居的雰囲気の濃い図書館だった。
Morris.は35年ほど前神戸に来て、最初は中央図書館近くのアパートに居を定めた。。もちろん意識的だったのだが、春待ち疲れBANDにはまって(^_^;)六甲道に移り、現在の王子動物園に移るまでほぼ四半世紀を六甲道で暮らした(4回転居)。Morris.が六甲道に移った当時灘区の図書館は、旧関西学院大学チャペル(今の神戸文学館)で、館名も王子図書館だった。この図書館は建物はいい感じだったけど、蔵書はかなり貧弱だった。で、結局メインは中央図書館中心だったが、東灘図書館にも結構足を運んだものである。神戸地震の後JR六甲駅前ビルに灘図書館が開館したこともあって、東灘図書館に行くことは滅多になくなった。
現住所に移ってからは、灘図書館と三宮図書館はほとんど同じくらいの距離で、自転車で気軽に行けるようになって、ますます東灘図書館とは縁遠くなってしまった。
今回の新設図書館は、住吉駅南の東灘区役所の南側の独立建物で、午前中に記念式典などが行われていたらしい。Morris.は12時直前に到着したのだが、すでに一般人も入場していた。
カウンタは行列が出来てた。新規登録する人が多かったらしい。返却の列は10人ちょっとで、Morris.も5冊ほど他館の本を返却。
地下一階地上二階だが、地下は事務関連施設? 二階は閲覧席と催事場みたいで、本はすべて一階にある。真新しいスチール本棚で、キレイといえばキレイだが、あまり親しめない。本も特に新刊書が揃ってるわけでもなく、借りたい本は見つからなかった。灘五橋の本場だけに、日本酒関係の本が棚一つ分くらいそろっている。
一階入り口横にはだんじり資料館も併設されてるが、これは一度見たらもう充分(^_^;)。
いずれにしろ、Morris.ははここにあしげく通うことはないだろう。
帰りも山手幹線から北上して、六甲学生青年センターによって、「ソウルの穴場本」を鹿嶋さんに渡すよう頼み、そのまま帰宅するつもりだったが、護国神社辺りまで行ったところで、カバン置き忘れたことの気づいて(>_<) センターにもどり、今度は南下して灘図書館に寄って、6冊借りて4時半帰宅。
今日の歩数は7197歩。(しかし、自転車で走る時の歩数計の数値というのは、どう考えればいいのだろう?)


中華料理店の本宅らしい 

同じく 

同じく 

同じく 

新東灘図書館Open 

予想通りというか(^_^;) 

だんじり記念館も併設 

山手幹線のお洒落な骨董品店 

フランス人形 
2013/09/22(日)●あきざくら(@_@)?●

5時半起床。
今朝の血圧は194/84/75。
ひさびさの仕事。自転車で高橋に向かう途中、今は砂場で無くなった公園横に久しぶりの猫がいた。
高橋の東側のマンションの工事が進み、もう、高橋からtwin煙突見ることはできなくなった(>_<)
摩耶埠頭手前の公園の早咲き桜(2月頃開花)が、今年はこの時期にポツポツと咲いている(@_@)いくらなんでもこれは季節外れである。
浅海くんら4人で豊中のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。
昼飯抜きで1時頃作業終了。
昼食は吹田SAで唐揚げ定食。
倉庫作業も3時半に終わり、4時過ぎ帰宅(^_^)。
阪神はヤクルトに4点リードされて、一点差まで詰め寄ったが結局鳥谷の三振でゲームセット。これで巨人のリーグ優勝決定。でも、阪神の敗戦が6時5分で、巨人-広島戦始まってたから、試合の途中に優勝決定を知ることが出来て、少しは巨人ファンも嬉しかったのではなかろうか。巨人は広島に1点差で勝って、胴上げもやってたようだ。どうでもいいけどね(^_^;)
今日の歩数は3022歩。


ひさびさ砂場猫 

何でこの時期に(@_@) 

吹田SAの空 

このところ、ブラジル移民関連書を読み続けてて、結構硬いものも多いので、その息抜きとして、原宏一の作品を利用させて(^_^;)もらっている。
原宏一は「床下仙人」が文庫化されて数年後に、本屋店員が「再発見」して、ちょっとした復刊ブームになった作家らしい。
Morris.は「床下仙人」は単行本で読んで2000年の読書録に感想書いてた。

全く未知の著者だったが、カバーの耳にイッセー尾形が推薦文書いてたのに釣られて借りてきた。仕事社会を皮肉った短編小説集で、表題作を含めて5篇が収められている。一見ありそうで、なさそうな、事件や状況を作り出して、一応の現実感を出しながら、ほわんとした感じで読者をけむに巻くことを、作者自身が楽しんでるような感想をもった。着想は奇抜な割に、展開はとろとろで、企業論理や、コンピュータ社会の問題点なども取り上げたりしながら、どこか現実離れしている。結構Morris.は楽しめたのだが、特に最後の「シューシャイン・ギャング」は、なんか身につまされてしまったよ。リストラされて、女房子供から追い立て食らった50男が、家出少女と、疑似家庭を作りあげる物語だが、無機質なラブストーリー(Morris.は好き)が、好ましかった。これに限らず、この人の作品は、諧謔も含めて大人のメルヘンだ。

おお、ブームになる前にきっちり彼の特長は把握してたようだ。しかし、イッセー尾形には遅れをとってた(^_^;)
最近読んだ原宏一作品を、面白かった順に挙げておく。

【トイレのポツポツ】原宏一 ★★★☆2009/02/28集英社刊。集英社WEB文芸「レンザブロー」に2008年に掲載されたものに加筆・修正。
中堅製麺会社の勢力争いに巻き込まれた社員や派遣、バイトらによる会社再生の物語。連作短編ともいえるが、読み終えたら、きっちり一つの長編になってるあたりも、作者の手練れぶりがうかがえる。

「実はこれ、食品検査室に異動してわかったことなんだけど、無化調(化学調味料無添加)であればすべてよし、みたいな考え方ってけっこう危険なんだよね。一見、わかりやすいからあたなみたいな真面目な人ほどハマっちゃうんだけど、そんな一面的な捉え方をしちゃいけないと思う」
「さおもそも化学調味料とは何なのか。主なものとしてはアミノ酸系と核酸系があるが、アミノ酸系はサトウキビからとった糖蜜からグルタミン酸を生成して、それに水酸化ナトリウムを作用させてつkったグルタミン酸ナトリウム。核酸系は、トウモロコシの澱粉に酵母を加えて生成したイノシン酸ナトリウムなど。生産国やメーカーによって原料やつくり方が多少異なるものの、日本の場合はげんざい、これが化学調味料の主流になっている。
「つまり化学調味料と呼ばれるものも原料は天然素材で、WHOも健康には影響がないと判断してるんだよね。それがなぜ悪者にされるようになったかというと、昭和四十年代の一時期、石油が原料に使われていたことがあって、それで人工的な悪いものってことになっちゃった。で、業界としても反省して再び天然素材に戻して『うま味調味料』って呼ぶようにしたんだけど、いまはもう無化調派の人が言うほど悪いものじゃないんだよね」
食品の調味料には、グルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムといった化学調味料のほかに、タンパク加水分解物や酵母エキスなども使用されている。ところがタンパク加水分解物や酵母エキスを使っている商品は「化学調味料無添加」と表示してもいいことになっている。グルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムは法的には「食品添加物」に分類されているが、タンパク加水分解物や酵母エキスは「食品」に分類されているからだ。
これが消費者に大きな誤解を与えている。


食品添加物に関して、なかなかに突っ込んだ解説である。いわゆる薀蓄より、ワンステップ深いところもまで調べてるという感じがする。まあ、今や、インターネットで、部屋にいながらにしてこのくらいの知識は入手することができる

これでもあたしはまだまだ若く見えるほうだと思う。むかしバイトをしたときに知ったのだが、セブン-イレブンのレジでは買い物したお客の性別と推定年齢を打ってデータをとっている。だからセブン-イレブンに行くといつも何歳のキーを打たれるのか見ているのだけれど、あたしの場合、まず百バーセント二十代のキーが打たれている。

こういった、小ネタがまた楽しませてくれる。

「でも中国人と家族のような人間関係と言われても、どうやって結べばいいものか」
わたしが眉根を寄せると、
「それはもうチェンイーしかない」
「チェンイー?」
田布施さんは上着のポケットから手帳をとりだして「诚意」と中国文字を書きつけた。
「チェンイー、すなわち誠意。この国でも、最後の決め手はこれしかない。ただし誠意の示し方にもお国柄があるからそれは研究しないといけないがね」
初めて訪問するときには、ささやかなものでもいいから手土産を持参する。商談した相手とはきちんと記念写真を撮っておいて、後日引き伸ばして額に入れて贈る。先方が日本に遊びに行きたいというときには段取りをつけてあげる。同時に日本の友人知人も紹介してあげる。


海外での商売のコツまで教授してくれるあたり(^_^;)

【姥捨てバス】原宏一 ★★★☆ 1998/10ベネッセコーポレーション刊 白バスの運転手と営業マンコンビが、老婆に「姥捨てツアー」を企画し、戦時の避難壕で老人のユートピアを建設しようとする。という、原宏一にありがちな作品だが、老人問題をひっくり返した形で問題提起してるところが面白かったのかもしれない。

姥捨てのことを知ってるババァ、いるかい?
え? 楢山節考? なんだい、意外と文化人がいるじゃねえか。そう、昭和の時代に映画にもなったよな、今村昌平が監督やって、緒形拳が主演して。え? 監督は木下恵介? 主演は田中絹代? なんだそれ、ババァは古い映画知ってやがんなあ。そんなこったから、いまだにポットを魔法瓶、カップルをアベックとか呼んじまうんだよ。あとテレビを電気紙芝居とか、そんなこたいわない? なんだよ、見栄張ってんじゃねえか?
けど、おれなんざ、もっと古いこと知ってんだよ。なんたって姥捨て伝説の源流はインドだってんだから、インド人もびっくりだ。こんなギャグ知ってんだから、おれも古いけど、とにかく『雑宝蔵経』とかいう仏典に載ってるってんだな。
それが中国に伝わったらしくて、『孝子伝』ってのにも乗ってて、あま日本に伝わったのも、そこらへんの影響があったのかもしらねえな。
で、平安時代の『大和物語』だ。ここに日本の代表的な姥捨て伝説が残されてる。
夜中に姨捨山に母親代わりの伯母を捨てて帰ってきた男が、山の端にかかっている美しい月を見て、歌を詠むわけよ。
「我が心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」
ああ、なんてことしちまったんだと、男は悔やんだわけだ。で、さすがに耐えきれなくなったもんだから迎えにいきましたとさ。
とまあ、こういう話があるわけよ。
昭和になって書かれた深沢七郎の『楢山節考』も、まあこれを下敷きにしてるんだろうな。


ツアーのバスの中での営業マンのトークである。やっぱり上手いと思う。

【ヤッさん】原宏一 ★★★2009/10/28双葉社刊。
築地市場や高級料理店で不思議な評判を持つ、ホームレス親父ヤッさんと、それを師匠と仰ぐ新米ホームレスの、グルメ生活?
市場やレストランの仕組みなどの薀蓄満載で、そこそこ面白かった。

【ファイヤーボール】原宏一 ★★☆☆2012/02/23PHP研究所刊。「WEB文蔵」2010-20連載に加筆・修正。

リストラされた猛烈サラリーマンが、生み出そうとする「祭り」とは!? 奮闘する彼のもとで、バラバラだった家族が再生していく。とびっきり熱くて元気が湧いてくる感動の長編小説。

これは腰巻きのキャッチコピーだけど、あまりおもしろくなかった。

【爆破屋】原宏一 ★★☆2002/01小学館刊。ビルの爆発撤去に魅せられた若い夫婦が、アメリカのプロの老人を師匠として、研鑽を積んで、帰国して実家の過疎化商店街を爆破するという、破茶目茶な紹介であるが、作品としてはあまりおもしろくなかったのだが、あとがきに彼の作風(作法?)を自分で解説してる部分があったので引いておく。

コピーライターの仕事を長くやってきた。広告の文案を考えるこの仕事は、基本的に塾う産業だから、ポテトチップのコピーを書けとちゅうもんんされればポテトチップ業界の競合状態を勉強しなければならないし、生命保険のコピーを書けと迫られればややこしい特約契約書も隅々まで読み込んで研究しなければならない。
もともと勉強とか研究とかいったものは苦手だ。いや、大嫌いだ。しかし、やらないことには一行たりともコピーは書けないし、書けなかったら飯も食えなきゃ酒も飲めないから、いやだろうが付け焼き刃だろうが受注したら頑張らざるをえない。
オリーブオイルの搾り方、人気ゲーム機のスペック比較、補正下着のモニター分析、木造建築の歴史、電話会社別の料金体系からアイラインの上手な引き方まで。請け負った仕事に応じて、それはもうありとあらゆる分野に首を突っ込んできたものだ。(「あとがきではない」)


この文の主旨は、こういった知識を、ひとつの作品が出来上がった途端に、すべて完全に一つ残らず忘れてしまうということなのだが、その真偽はおくとしても、そういったことができるのも一つの才能だと思う。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ 歌集『銀幕』

【穴】原宏一 ★★☆ 2003/02実業之日本社刊。富士の樹海に自殺しようと入り込んだ若者が、ここで暮らす謎の老人に拾われ、新しい国家を作ろうというユートピア物語。これはハズレ。

2013/09/21(土)●ひさびさブログ更新●

7時起床。
今朝の血圧は188・91・78。
ついつい、昨日も満たKBS歌謡舞台1000回のYou Tube動画を見直す。うーーん、これは他の人にも見てもらいたいな、久しぶりにMorris.の開店休業状態の韓国歌謡ブログ「ノレ番Morris.8090」の記事としてアップすることにした。
とりあえず、プログラムをメモして、ワープロ打ち、これに結構時間取られた。ついでに、ネットで当時のニュース検索したら、中央新聞の紹介記事があったので、これを大まかにダイジェストして、記事をでっち上げた。前回の更新は去年の9月26日だった(>_<) ほぼ一年ぶりぢゃ。
これからは歌謡舞台の特集で面白い回があったら、こうやって紹介するとうおのはお手軽で良いかもしれないな。現時点での案組なら、KBSのサイトで、曲目表はコピーできるから、それをベースにしたら楽だもんね。
晴天が続いてるので、どっか出かけようとしたのだが、愚図愚図してるうちに3時になってしまった。
阪神-ヤクルトはデイゲームで、2点先制したものの、藤浪が4回で6失点(>_<) 阪神が敗けたら、その時点で巨人の優勝決定になる。そうなりそうな気配だったが、8
回裏に阪神7-7の同点に追いつき、延長12回まで行って結局引き分け。試合終わったのが7時前という、えらい長い試合だった。6時からは巨人-広島戦も始まってて、巨人が勝つか引き分けならで優勝決定ということになったのだが、7回で広島7-0。今日の優勝決定は無さそうだな。どーでもいいけど(^_^;)
今日の歩数は0歩。

【新百人一首】岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘選 ★★☆ 2013/03/20 文春新書。「近現代短歌ベスト100」という副題に釣られて(騙されて?)手に取ったのだが、これは看板に偽りありだと思う。こういった選集を4人で選ぶというのがそもそも間違えてるだろうし、選ばれた歌人の1/3くらいは、Morris.としては、他の歌人に換えて欲しい気がした。それよりも、選ばれた一首に異議ありが多すぎる。Morris.好みの歌人も20名を越えると思うのだが、彼らの作品中ベストという歌が選ばれているケースは半分に満たなかった。納得出来ない結果をいくつか引いておく(イヤな作業だが)

・君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋
・髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころは秘めて放たじ 與謝野晶子
・ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも 斎藤茂吉
・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 齋藤史
・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも 塚本邦雄
・飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井隆
・一隊をみおろす 夜の構内に三○○○の髪戦ぎてやまぬ 福島泰樹


もちろん駄作が選ばれているということではないし、評価の観点の違いにもよると思うのだが、少なくともMorris.には上記の歌より、優れた歌がそれぞれの歌人にはあると思えるのだ。
まあ、こういったものは一種のお遊び、ということで目くじらを立てる必要もないのだろう。一首以外にそれぞれ三首ずつ付け加えてあった計400首の中には、Morris.がこれまで知らなかったり、記憶になかったもののうち、印象に残る作もいくらかあって、それを引いておく。

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな 若山牧水

曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきひ)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち) 木下利玄

曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき 坪野哲久

大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ 岡部桂一郎

死に際を思ひてありし一日のたとへば天体のごとき量感もてり 浜田到

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ 上田三四二

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 山中智恵子

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子

2013/09/20(金)●安物買いの(^_^;)●

6時半起床。
今朝の血圧は188/88/87。
昨日の日記編集してアップしたら11時(^_^;)
これは、最近You Tubeで長時間のトロット関連映像をBGVとして小さな画面で流しながら作業するので、興味深い映像や好きな歌手が出てくると、つい手が止まってしまう(^_^;) 。今日は「歌謡舞台1000回特集メドレー」という強力なのに当たったものだから、ほとんどそちらに気をとられっぱなし。先週が1340回だったから、6,7年前の放送だと思う。とにかく豪華メンバー。男性は四天王を始めペイロ、チョハンジョ、キムサンベ等、そして女性はチャンユンジョンとキムヘヨンが並んで登場。チュヒョンミ、キムスヒ、ヒョンスク、イジャヨン、ハチュナ、ムンヒオク…………韓国歌謡の名曲を次々ととっかえひっかえ歌いづ付ける。しかも、司会のMC部分はカット編集してあるという親切さ(^_^;)。
今日のニュース番組は軒並み、iPhone新機種発売で大騒ぎ。Docomo参入というのが目玉のようで、確かにMorris.も2年前DocomoにiPhoneあったら、ソフトバンク乗り換えはしなかったと思う。それはともかく、今回の新機種に関してはMorris.は「無視」する方針。
昼過ぎ自転車で海岸通り方面へ。電器屋で安いスピーカー見るためだ。
寝ながら音楽聴くためHPノートを枕Topにしたことは前に書いたが、本体のスピーカーは余りに小さいのでDEL坊のオマケのスピーカー(USB接続)を使ってた。これは擬似デスクトップのちびくろ2号でも使ってたが、こちらは去年木製のAC接続スピーカーに買い換えた。で、オマケスピーカーの片方が鳴らなくなってしまった。接触不良か何かだろうが、もう寿命だろう。同じくらいの安いスピーカーあれば、買うことにしようと思ったわけ。予算は1500円までということにしておく。
最初にケーズ電気行ったら、USB接続のものは1500円以上する上にあまりにも小さい。AC接続だと880円というのがある。これでもいいか、と思ったが、せっかくだから近くのヤマダ電機も冷やかしてみることにした。
何とこちらにはUSB接続のBUFFALO製品があってコレが何と580円(@_@) 特売で1個しか残ってなかったので迷わず買う。今どきオーディオケーブルだって、この値段では無い(百均ならあるかな?)ぞ。
帰りにマンダイで買い物して3時帰宅。
早速繋いでみる。音はDEL坊オマケといい勝負というかかなり貧弱ではある。とりあえずステレオで聴けるだけましだろう。
You Tubeの音楽映像をしばらく流す。とちゅうで、うっかりノートを閉じてしまった。蓋を開いたらそのままYou Tube再生中の表示になってるのに音が出ない(>_<)
外部スピーカーのジャック脱いたら、本体からは音が出る。おいおい、いくら安物と言っても、2時間足らずでアウトというのはなかろう。で、前のオマケのスピーカー繋いでみたらこちらも鳴らない。ヘッドフォン繋いでみても駄目(>_<) 再起動しても駄目。これはノートのサウンド設定に問題が生じたのかと、色々触ったが駄目。ちびくろ2号でネットで、いろいろ調べたが、どうもうまくいかない。結局数時間後に電源オフにして、立ち上げたら回復した模様(^_^;) えらい時間を食ってしまった。
今日の歩数は2556歩。


虫瘤みたいな実 

逆しまの赤立羽(あかたては) 

枕Topスピーカー580円(@_@) 

【森の夢 ブラジル日本人移民の記録】醍醐麻沙夫 ★★★ 198105/25 冬樹社刊。「森の夢」(「サンパウロ新聞」1977年4~10月連載)、「聖人たちの湾(「サンパウロ新聞」1970年1月) 北杜夫作品で平野農園のくだりは、全面的にこの作品を下敷きにしたと書かれていた。著者についてはWikipediaの紹介を借りる。

神奈川県横浜市生まれ。本名・広瀬富保。学習院大学文学部卒。ブラジルに移住し、職を転々としながら、日系人文学愛好者の集い「コロニア文学会」で小説を書き始める。1974年「「銀座」と南十字星」でオール読物新人賞受賞、1975年「夜の標的」で直木賞候補。1991年「ヴィナスの濡れ衣」でサントリーミステリー大賞佳作。アマゾンの釣りに関する小説や、伝奇推理小説を書く。(Wikipedia)

1908年の第一回ブラジル日本人移民船笠戸丸の移民の通訳として、別ルートイギリス船でサルバドール港にやって来た5人の東京外大スペイン語専修の若者。その中の一人平野運平は、日本人初めての入植地「平野植民地」を拓いて成功目前で34歳で亡くなった。本書は彼を主人公として、あたう限り忠実にその足跡を追ったもんのである。

やがて朝日が差した。急に気温が上昇した。紺青の澄み切った空が輝いていた。コーヒー栽培地帯の冬の乾燥して晴れ渡った空の美しさは独特だった。赤っぽい土とコーヒーの濃い緑と紺青の空と……この三つだけで風景が成り立っていて、視線に当ってカンカンと音がしそうなほど澄み切って、どんな遠くのものまでも手にとるようにクッキリ見えた。

北杜夫の作品のタイトルの蒼き空は、醍醐のこんな表現からも触発されたのだろう。風景描写としても見事である。

彼は大工上りだった。"日露戦争で大国ロシヤに勝った国民"という一般ブラジル人の対日認識以上に、日本人の手先の器用さにひどく関心を惹かれていたのだった。他民族の移民たち、例えば採取用の梯子も二日係りで危なっかしいものしか作れないのに、日本人たちは現物を一目見ただけでアッという間に本職はだしのものを作った。職人としてのサルトリオは、武器ユナ人間はイヤだった。彼自身も大工だけでなく機械の修理もこなすようになり、だんだんとこの農場で重要な地位に上がったのである。自分の部下に無器用な飲み込みの悪い人間を三人置くより、飲み込みの早い奴を一人使うほうがずっと能率が上がる、と思っていた。
自分が器用な人間は、無器用な人間が営々と積み重ねる仕事の価値を認めてはいても、一緒に仕事をするのはまどろこしくて我慢できない。サルトリオが日本人に寄せている人並み以上の関心と好意は、多分に、そんな彼の気質から来ていた。


平野が最初に移民とともに入ったグァタパラコーヒー農園のイタリア人総支配人サルトリオの所見で、ある意味正論だとは思うのだが、生来無器用なことにかけては人後に落ちないMorris.にはちと、耳の痛い言葉だった(>_<)

「私は移民は可哀想な存在だと思っています」
と運平は言った。
「国家や会社に騙されてやって来た訳ですからね」
「ほう、これは手厳しい」
松村は苦笑した。
「閣下に申すのは失礼ですが、本当のことです。はじめの頃は借金が増えぬようにするのが精一杯でした。今は随分よくなりました。グァタパラなら一年頑張れば渡航費は何とか払えます。帰りの分はもう一年、つまり二年働けば往復の渡航費は出ます。しかし、儲けようとしたら十年はかかるでしょう。一人も病気をせず、子供も産まず好条件の農場で頑張ったとしての話です」
「なるほど」
「現実には不可能に近いです。だれでも病気をする。コーヒーの値が下がることもある。つまり、移民は何年働いたって儲からないのです。故郷に錦など飾れんのです。日本で移民を募集するに当ってそんなことはこれっぽちも言わないでしょう。移民たちはこの国に着いてから騙されたことに気づく。しかし、もう遅いのです。来るだけで無理に無理を重ねて渡航費を算段した連中が、おいそれと帰れる訳はない。いくら地団太踏んでも、移民の声はどこにも届きません。不貞腐れて働かないと宣言したところでだれも助けてはくれない。飢え死しないいために泣く泣く働くより仕様がないのです。人間生きてるかぎり希望が生れる。何とか日本へ帰りたい一心で食うものも食わず働く。1ミル2ミルと金を貯めよう思って……必死に働きます。それが外務省の報告や新聞の記事では『日本移民ハ評判ガ良ク、農場主達モ口ヲ極メテソノ勤勉ヲ激勝セリ」となるのです」


サンパウロの日本総領事館開設は大正四年(1915)7月、初代総領事が松村貞夫。上は松村赴任一ヶ月後の会話である。
このとき、平野はグァタパラ農園をやめ、てサルトリオが独立して経営する農園について行くつもりだったのに、松村が日本人による植民地を作るようにたのみこむ。これが平野植民地の始まりとなった。

窓外の風景は一変していた。コーヒー園や牧場やトウモロコシ畑や、およそ人間の営為を示すものは何もなかった。森だけがどこまでもつづいていた。そして、冬のノロエステ地方特有の、どこまでも澄み切った青い空が拡がっていた。その色があまりに青いので、例えば、空に浮んだ一片の雲の白さが、痛いほど目にしみてしまうのだ。しかし、その雲さえめったに浮いてはいなかった。
この奥深い青さは、乾燥期の森から蒸発する空中の水蒸気の量が、豊富な太陽光線のスペクトルから青だけを抽出するのに最も適した量であるからのようだった。森も、空に拮抗して濃い緑をまとっていた。木々の一つ一つは、種や樹齢を示して微妙にちがっていたが、全体は濃い緑だった。
森には端が咲いていた。冬から春にかけて、種々の木が花をつける時期だった。花は赤か白か黄色だった。風景の中に中間色は存在しなかった。アイマイな色や形はなかった。何も混り合わず、花を含んだ森と真っ青な空だった。


ここでも、ブラジルの青い空の描写が繰り返されている。

これは史実である。史実を作品化する場合、「歴史そのまま」か「歴史離れ」をしてフィクションを加えるべきか、という二者択一を筆者はする訳だが、ここでは事実だけを書いた。登場人物も総て実名である。
移民の歴史はしられているようで、細部になるとほんど知られていないと言うのが私の実感である。それを正確に知って貰うために、作品が窮屈になるのを承知で知り得た事実のみを記した。
入植当時のマラリヤの犠牲者は六十余名とも七十余名とも伝えられているが、詳しい記録は何一つ残っていないので、今回は正確な数を確認できなかった。ここには、私が調査して脂肪日時までを確認出来た四十三名の名を哀悼と鎮魂の心を込めて誌した。
平野植民地に入植した人々の苦難は、今日から見ると異状なほどであるが、決して特殊な例ではなくすべて開拓者が味わった苦難であった。
私は特異な例としてではなく、典型として平野植民地を選んだのだ。(補(あとがき)より)


平野植民地の苦難、マラリアでの大量死、イナゴの大群に拠る壊滅的被害などは、北杜夫作品で嫌というほど堪能(^_^;)したので、本書の描写部分はいくらか斜め読みしてしまったが、確認できた犠牲者43名の名をすべて記したのは、鎮魂と追悼のためだったということか。うーむ。
北杜夫作品は、ブラジル移民史を描き切ろうとしたため、平野運平も一つのエピソードとして取り上げられているのに対して、本書は平野植民地に限定して、しかもフィクションを排除して描かれたという、構成の違いはもちろん、作家としての紙質の違いもあるだろうし、同じ場面でも両者から受ける印象は相当に違っている。どちらの作品も優れた作品で、もっと多くの人に読んでもらいたいと思いながら、日本ではあまり受けないタイプ作品なのかもしれない気もする。どちらも、もう40年前の作品で、一般的には埋もれた作品の範疇に入るのかも。
併載の短編「聖人たちの湾」は移民史の異色の存在鈴木貞次郎の晩年と死の場面を描いたもので、醍醐が直接晩年の鈴木と会ったことから生まれた作品である。これはいまいち、人間が描かれてない気がした。

2013/09/19(木)●心斎橋から鶴橋方面●

6時半起床。
今朝の血圧は201/94/76。
昨夜郵便受けに入ってた二人からのプレゼントは、

1.歌集『八月のフルート奏者』笹井宏之 有田の鶴姫から。25歳で夭折した長男の第4歌集である。生前に出た第1歌集「ひとさらい」はネット短歌新人賞の特典で出版されたもの。それ以後は総て没後の出版である。鶴姫の厚意でMorris.は彼の歌集をすべて持っている。今回の歌集は、地元の佐賀新聞に掲載された作品の集成で、一般には未公開の作品が多数収められているとのこと。また読み終えてから感想を書こう。こういった形の歌集出版は、ある意味、遅ればせの親孝行ということになるかもしれない。

2.ペコちゃん手帳2014年版。吹田のますみちゃんから。手帳紛失事件(結局出てきたみたいだけど)に、タイムリーなプレゼント。これはもう文句なしにMorris.のストライクゾーンど真ん中である。メールには「Morris.日記の購読料として」贈ると書いてあった(@_@)けど、送られた日付みると、どうも、敬老の日プレゼントではないかという気もする(^_^;) どっちゃにしろ嬉しいプレゼントだった。ありがとおーーーっ!!!!!

昼に部屋を出てJRで大阪、地下鉄心斎橋に出る。大丸北館で開催されている岩合光昭の「ねこ歩き」写真展を見に行ったのだ。今や猫を撮らせたら、この人をおいてない、というくらいの彼の猫写真180点が展示されるとあって、平日の昼間というのに結構な人混みだった。タイトルの通り、日本、世界各国の猫たちの大行進。まあ、さすがというか、猫好きにはこたえられない展示会だった。場内には5分間のビデオもあって猫への愛を熱く語っていた。岩合の猫写真は、猫だけでなく周りの風景を写しこむことで、広がりを見せている。キューバの猫写真もあったし、モロッコの猫の中には、月と猫と夜の庭さんさんとこのミューにそっくりなのがいた。技術も、センスも、卓越したものがあるが、移動にも機材にも金がかかってるな(^_^;)
今日の大阪の一番の目的は、うっかり置き忘れてた手帳の引き取りに鶴橋のジュンに寄るためで、店が開くのは6時過ぎだから、せっかくだから、写真展見て、洪ママの見舞いしてから行こうと思ってたのだ。それにしても早すぎる。難波方面に歩く。
道頓堀の川べりの遊歩道のベンチで、時間つぶしを兼ねてミニギター(^_^;)。 ちゃんとコンビニでビールのロング缶も。隣のおっちゃんは喜んでたようだ。途中観光旅行中の韓国人数人から話しかけられる。ソウルから来たチャジンウくんとは「「クテクサラム」一緒に歌って記念撮影も。その後男女の韓国人(キリスト教の布教活動で来日中)からは「オモニ」のリクエスト。中国人に席巻されてるとはいいながら、韓国人観光客もそこそこ来ているようだ。で、気がついたら5時前ぢゃ。あわてて、難波から地下鉄で鶴橋に出て、洪ママの介護付きマンションに辿り着いたら、もう5時半近い。一応部屋の前まで行ったが、ヘルパーが来て食事の支度とかしてる気配だったので会うのはやめにしてコリアタウンに戻り、山田商店でキムチ買って、ジュンで無事手帳を回収して8時帰宅。
今夜は中秋の名月。ちなみに82年前満州事件が勃発した日でもある。
今日の歩数は7563歩。


二人から同時にプレゼント(^_^) 

JR大阪駅構内 

心斎橋大丸北館屋上から 

岩合光昭「ねこ歩き」写真展 

大丸旧館 

道頓堀 

ここでロング缶(^_^;) 

ソウルから来たチャジンウくんと 

中秋の名月(左上デハナイ) 
2013/09/18(水)●祥福寺あたり●

6時半起床。
今朝の血圧は199/91/86。
今日も秋晴れ。
朝の3点セット。
ふと思いついて、マドロスたかさんからもらったHPノートパソコンをベッドの枕元にセット。「枕TOP」の復活であるが、どうせ寒くなったら「コタツTOP」になるのは目に見えてるから2ヶ月ほどの期間限定である(^_^;)
これは、寝ながら、韓国のテレビやラジオやYou Tubeを楽しもうと思ったからだ。
それで、本当に久しぶりにKBS2ラジオセットしたら、いきなりイ・パクサの「ピンデトックシンサ(チヂミ紳士)」が流れてきたのでびっくりした。しかも曲の後アナウンサーが「最近またイ・パクサ人気が出てるんですかね、リクエスト多いですよ」なんて言ってたぞ。これは嬉しい。
せっかくだから、これまた久しぶりに「テジナ、ショッショッショー」聴こうと、そのままにしてたら、なんと始まった番組が「「チュヒョンミのラブレター」だった(@_@) ネットで調べたら、今年4月の放送改編で、「ラブレター」は昼11時からに移動したとのこと。前の時間帯にはイソラの番組が新しく入ってるようだ。半年も気づかずにいたというのは、チュヒョンミファンとしては情けない。
チュヒョンミといえば、最近日韓歌謡架橋の掲示板をあまり見なくなってる。飽きたからとか、ではなく、実はちびくろ2号で、掲示板見ようとすると、表示にえらく時間がかかり、時々ブラウザがフリーズシてしまう。2回ほどは、Firefoxが起動できなくなって、2回ほど再インストールすることになってしまった。IEはさすがに起動できないことにはなってないが、フリーズはしょっちゅうである。他の人は普通に書込してるから、ちびくろ2号に問題があるとは思うのだけど、難儀なことである。
昼過ぎに部屋を出てJR神戸から中央図書館へ。今日も二階の郷土資料室で、詩集や図録などを閲覧。
2時前に図書館を出て、大倉山公園に上り、北側の山の中腹に見える三重塔(前から気になってた)に向かうことにした。
途中東福寺という浄土宗の寺があり、境内の石仏(聖観音?)が良い顔をされていたので撮影。
そのまま坂を上がっていったら三重塔(ではなくて二重の宝塔)のあるお寺にたどり着く。意外なくらい大きなお寺だった。「祥福寺」と書いてある。禅宗臨済宗の道場になっているようで、修行僧の姿も散見される。唐破風の立派な本殿、大きな道場、インドの柱頭獅子像や東南アジア風の異形石仏、十三塔、狸像などいろいろあって楽しめる。離れの圓通殿というお堂には金色の観音像が安置されていた。
ここ兵庫区五宮町あたりは懐かしい佇まいが残っていてこれまで知らずにいたのが不思議なくらいである。
隣の五宮神社から、東に向かう。そのまま山麓線に降りて、山本通のブラジル移民収容所に回ろうと思ってたのだが、途中雉猫を見つけて撮影しようと追っかけていって、、結局逃げられて、そのまま山道に迷い込み(^_^;)、宇治川支流の岩場で、一服兼ミニギターレッスン。誰もいないので思い切り大声出せるのは良かったのだが、まだまだ蚊が多くて途中撤退。浄水場の赤白タワー目印に歩いて「水の科学博物館」前にたどり着く。
1kmほど坂を登って旧移民収容所に着いたら4時過ぎてた。このところブラジル移民関連の本を読み続けてるから、少しは前とは違った視点で建物や資料を見ることができるかと思ったのだが、全くそんなことはなかった(^_^;)
山本通異人館街をふらふら歩いて、三宮図書館方面へ。ダイエー地下で500ml125円の缶酎ハイ買って、図書館前の広場で一杯飲りながらミニギターレッスン(^_^;) ポンチャックメドレー(こればっかり)が楽しい。
ダイエーで買い物して7時過ぎ帰宅。
郵便受けに二人の友人からプレゼントが届いてた\(^o^)/  これについては明日書こう(今日は写真多すぎ(^_^;))
阪神-広島。9-1で阪神ボロ勝ち(^_^;) このところ阪神はずーっと音無し、思い出したように大量得点というペースが続いてる。これではあかんな。でもまあ能見がやっと10勝ということでよしとしておこう。
今日の歩数は15025歩。



カラフルカラー 

期間限定枕TOP 

図書館前の安徳寺 

V字路 

東福寺の気になる石仏 

東福寺の槇柏 

祥福寺山門 

唐破風の本殿と宝塔 

本殿から中庭を望む 

けっこう大規模 

修行場 

この屋根も面白い 

宝塔から神戸市街を 

宝塔 

同じく 

柱頭獅子像 

同じく 

圓通殿 

同じく 

圓通殿内陣 

石灯籠にも仏様が 

これは東南アジア系? 

逃げられた(>_<) 

五宮神社の石鳥居 

ここで一服 

立羽蝶 

番猫 

物おじしない白 

彼岸花 

白彼岸花 

水の博物館のタワー 

旧神戸移民収容所 

ブラジル移民発祥の地碑 

日伯友好の油絵 

ミシン 

移民家族像 

階段 

窓 

山本通異人館 

同じく 

同じく 

おしゃれなショウーウィンドゥ 

六甲昆虫館 

トリバネアゲハ 

三宮駅前のレトロビル 

【ブラジル 跳躍の軌跡】堀坂浩太郎 ★★★ 2012/08/21 岩波新書 先に読んだ「ブラジルの流儀」と一緒に借りてきた。20世紀末から今世紀への転換期におけるブラジルの四半世紀の変化を政治、経済、社会、対外関係、スポーツなどの側面から紹介分析して、この国の跳躍と、展望予測までまとめた一冊。著者は1994東京生、1956公務員の父のリオデジャネイロ赴任に同行、帰国後も調査員、日系サンパウロ記者として訪伯、その後は上智大学で研究者として活動中。らしい(^_^;)
こちらは先の中公新書に比べると岩波だけに、ちょっと硬めな感じがする。先に「流儀」を読んでおいてよかった。

BRASILルセフ大統領発足40日後に発表された政府のロゴマーク。
ロゴの上段には「連邦政府」の文字が、そして下段には「豊かな国とは貧困のない国」のキャッチコピーが付されている。国名の表示だが、英語ではBrazilと書くが、ポルトガル語ではzがsになりBrasilと書く。

88年憲法(新憲法)民政化最初の総選挙(1986)で選出された上下両院議員559人で構成する制憲議会が原案作成から携わった。
草案はつごう5回書き改められ、議員提出の条項修正案は5万3910件に上った。本会議は、草案の第一読書会だけで119回開かれ、採決は476時間32分かけて合計732回行われたという気の遠くなる作業であった。
こうして出来上がった憲法は245条および、憲法改変に伴い生じる移行措置を盛り込んだ憲法暫定規定70条に、それらの詳細な細則からなる膨大なものとなった。民主化とともに社会各層・各方面から吹き出した要求を盛り込んだきらいも強いが、四半世紀を経てみると、今日のブラジル社会の変化を精神的に支える法典となっている。なかでも第八篇の「社会秩序について」は、当時としては世界のなかでも先進的であった環境権のほか、社会通信手段、科学・技術から家族、自動、老人、先住民、さらには社会保険についても規定しており、市民社会を醸成する基礎となっている。
微に入り細をうがったこともあって、その後も憲法で規定した内容の修正作業が現在進行形でつづいている。


日本国憲法と対比すると、色んな意味でため息が出る。「修正作業が現在進行形」というのも、ある意味すごい。憲法そのものの捉え方が、日本とは別次元なのかもしれない。ニ世紀にまたがり果てしがないということから、つい、バルセロナのサクラダファミリアを連想してしまった。

女性の地位向上や、ドメスティック・バイオレンス、子どもや老人の虐待といった問題に厳しい目が向き始めたのもその現れであろう。2011年には、最高裁判断で同性婚が合法となり、ブラジルでは家庭を、男女の婚姻による伝統的な形態に加え、事実婚家庭、母子・父子家庭、そして同性婚家庭に四分割するようになった。

これは、ちょっとびっくりネタ。

ブラジルのボルサ・ファミリア(貧困家庭向け現金給付制度)は規模の大きさで群を抜いている。初年度(2003)の650万世帯から始まり、2009年には1200万世帯を突破し、ルセフ政権は予算規模を1300万世帯に引き上げた。
対象世帯には帰路の磁気カードがわたされ、ATMから直接引き出すという方式である。こうすることで、業務の簡素化、コストの軽減、制度の透明性に役だっている。連邦から州へ、州からムニシピオ(市・郡に相当)へと何段階にもわたる業務がなくなり、私情が入る余地も少なくなった。ローカル・コミュニティではびこっている、有力者が顔を効かせるクレンテリズモ(恩顧主義)を排除する仕組みでもある。


クレンテリズモという言葉は初耳だが、福祉や慈善好意に付随する恩着せがましさというものが、Morris.は前から鼻についていた。これを、極力排除していくという姿勢が素晴らしい。単純化、コスト軽減がそのまま予算の無駄遣いを無くすことにもつながるもんね。

海外在住のブラジル人に対する政府の関心は、ルーラ政権で大きく変化した。放置される存在から、人的資産としてブラジル政府の視野に組み込まれる存在に変わったのである。
きっかけは、ルーラ大統領が政権就任前の2002年に発した「家族から遠く離れて住むブラジル人への書簡」であった。これを受けて、2008年には、世界各地から代表をブラジルに集めた「世界ブラジル人会議」が開催され、「在外ブラジル人代表者評議会」が発足した。在外コミュニティは国際化するブラジルの架け橋として「戦略的重要性をもつ」との認識からである。


「流儀」ではルラ、こちらではルーラと表記されてる。どちらが原音に近いかはともかく、その国の大統領の名前表記が統一されてないことにも、日本における、ブラジルへの関心度の低さが現れているようだ。日系移民が多く、出稼ぎとしての在日日系ブラジル人も多い、日本としても「戦略低重要性との認識」が必要だろう。

日本とブラジルの関係(五段階)
第一段階 移住と通称の時代(1908~1960年代初め) 戦前の移住のピークは1933-34で年間二万人超。戦後は50年代後半から年間数千人規模。戦前・戦後泡sて約24万人が移住し、現在では150万人を超える世界最大の日系コミュニティが形成されている。
第ニ段階 投資の時代(1950年代後半~70年代前半) 第一次-石川島造船、トヨタ自工。第二次-家電・オートバイなど民間投資、アルミ地金、紙パルプなどのナショナル・プロジェクト
第三段階 金融の時代(1970年代後半~1982) 開発を急ぐブラジルの旺盛な資金受容に応じ、日本の金融機関が小戸の銀行と手を組みシンジケート・ローンを貸与。
第四段階 デカセギの時代(1980年第~90年代) 不況のため雇用機会を求めて発生したブラジル日系人を中心とする出稼ぎの時代。日系二世および三世sの就労を合法化した日本の「出入国管理及び難民認定法」改正(1990年施行)をきっかけに急増。ピークは2007年の在留数31万6967人。
第五段階 ブラジル投資復活の時代(1994~ ) レアル計画(1994)後の経済安定化で日本企業がふたたびブラジル投資に関心を向けた時代。


Morris.が関心を持った移民の時代は、5段階の最初の1段階でしかないのか。それ以降の時代に関しては全く知らずにいた。まあ、移民時代のことだって、ここ数ヶ月のにわか勉強だもんね。
Morris.があまりにも韓国ばかりに目を向けてたことが、グローバルな視野(ケッ!!とも思うけど)を狭める1因だったことは間違いないだろう。

戦後日本も民主主義のもとで発展した。「(国政の)権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とうたった日本国憲法のもとで紡いできた「民主主義」の歩みはブラジルにもっと積極的に掲示されてもよいであろう。
かたや、人権や市民の社会参加について、世界的にみて最新の考え方を積極的に取り入れながら進行中のブラジルにおける「民主主義」の歩みから、われわれが学び直すことも少なくないはずである。


学び直そう。(^_^;)

2013/09/17(火)●手帳紛失(>_<)●

7時起床。
今朝の血圧は195/94/79。
昨夜のKBS歌謡舞台1340回は"한가위ハンガウィ=秋夕特集“ だった。

1) 달 타령タルタリョン 月打令/김연자キムヨンジャ
2) 삼오야 밝은 달サモヤパルグンタル 十五夜名月/김상희キムサンヒ
3) 부모プモ 父母/신유シニュ
4) 고향이 남쪽이랬지コヒャンイナムチョギレッチ故郷は南国だったよね/송대관ソンデグヮン
5) 꿈에 본 내 고향クメボンコヒャン 夢見る故郷/김연자キムヨンジャ
6) 향수ヒャンス 郷愁/김광남キムグヮンナム
7) 한 많은 대동강ハンマヌンテドンガン恨み多い大同エ/배일호ペイロ
8) 풍년가プンニョンガ 豊年歌 + 태평가テピョンガ 太平歌/송소희ソンソヒ
9) 꽃타령コッタリョン 花打令/유지나ユジナ
10) 강원도 아리랑カンウォンドアリラン 江原道アリラン/김혜연キムヘヨン
11) 고향 역コヒャンヨク故郷駅/강진カンジン
12) ティティパンパン/윙크ウィンク
13) 남행열차ナメンヨルチャ 南行列車/오로라オロラ
14) 머나먼 고향モナモンコヒャン遠い故郷 /배일호ペイロ.송대관ソンデグヮン.강진カンジン


秋夕(チュソク)は日本の「お盆」だが、韓国では今でも旧暦で行うし、日本より大掛かりな祝日(名節)である。旧暦8月15日前後3日間は休みになる。今年は19日が旧暦15日なので、土曜日休みなら5連休になる。
毎年歌謡舞台は秋夕特集やってて、曲目もおおむね似たようなものである。
昨夜も中国サイトの状態は最悪で、KBSableの汚い画面で見るしか無かったが、それなりに見るもの((聴くもの)が多かった。5月ソウルで見た映画「全国ノレチャラン」の中で、老人と孫娘が歌ってすっかり気に入り、Morris.のレパートリーにもなっている「プモ」が聴けたし、キムヨンジャはこういった特番にはうってつけで必要以上に(^_^;)張り切る。天才少女民謡歌手ソンソヒが女性っぽくなってたし、ユジナのコッタリョンは、絶品だったし、キムヘヨンの韓服衣裳は一番派手だった(^_^;)12の「ティティパンパン」はヘウニの曲で、汽車の走る時の擬音「シュシュッポッポ」みたいなものだと思う。秋夕で故郷に向かう帰省列車がテーマである。同趣向では11の故郷駅が定番といえるだろう。たまにはオリジナルのナフナに出演してもらいたいものである。
今日は朝から台風後の青空が広がっている。
朝の3点セット。
今日は昼前に区役所で保険証の切り替え手続きやってから、どこか出かけようと思う。
それで、期限切れの保険証入れといた手帳をチェックしとこうと思って、バッグを探ったが見つからない(>_<) 何度掻き回しても無いものは無い(>_<)。保険証の他には原付免許証、診察券、Coop組合員証、チャンユンジョンとキムヘヨンとの2ショット写真、韓国の住所録、等が入ってる。いつ無くしたのか全く見当がつかないというのも情けない。
とりあえず、自転車で六甲道に出て、区役所寄って、コーナンに回って小物買って1時帰宅。
何となく気防ぎで、外出取りやめ。
屋上でゴロゴロ(^_^;)しようかとも思ったが、部屋でミニギター練習兼録音してみる。ICレコーダの調子がいまいち(Line録音が出来ない、イヤフォンも不調)だったので長いこと録音しないでいた。今日は本体マイクで録音。譜面台にレコーダ吊リ下げる形にしたのでギターの音ばかりになるかと思ったがそうでもなかった。エコーも何もないまさに「素」の音で、下手さ加減(ギターも歌も)が際立つのだけど、これはこれで面白かった。iPhoneのリズムのおかげで、テンポだけは正確なのが救いである。今度はiPhoneをマイクに近づけてリズム音をもう少し大きく入れてみよう。
夜はラジオで阪神-広島戦。メッセンジャー7回までの1失点の好投も援護なし。6回に西岡の2ゴロの間に26イニングぶりの得点で1-1に追いついたもののそれまでで、9回裏久保が先頭石原に一球目サヨナラホームラン浴びて4連敗。(これはタイガーズHPの試合経過を見て書いた(^_^;))
ふと、思いついて先週のサランバン会の会場カラオケ喫茶ジュンに電話入れる。もしかして手帳落としてないかと思ったのだ。ママが出て、ああ、手帳忘れてったでしょう? と言われた(@_@) まるまる一週間気付かずにいたことになる。
今週中に引き取りに出かけよう。朝からの気防ぎは、とりあえずこれで解消である(^_^)/
今日の歩数は3299歩。

【ブラジルの流儀】和田昌親編著 ★★★☆ 2011年2月 中公新書。ブラジル移民に関心を持って、それ関係の本を読んでいるうちに、現在のブラジルのことも少しは知っておいても悪くなかろう(^_^;)ということで、こんな本をを読んでみた。専門家やブラジル通でも、「なぜ?」と疑問を抱くテーマを67項目選び、それを解いていくことでブラジルの「流儀」をあぶり出す。ほとんどコラムの寄せ集めみたいなもので、気軽に読めて、その割に内容はしっかりしてるようだし、Morris.好みのネタも満載だった。特に面白かったサッカー・スポーツ関連部分は武智幸徳という日経新聞運動部のライターが担当している。

・国土が広くて、資源も豊富なブラジル。フェイラと呼ばれる町の「青空市」に行ってみればいい。温暖な気候なので多くの種類の果物や野菜がとれる。牛肉は安いし、水産物もたっぷりある。これだけ豊富に生きていくための糧があれば、多少貧しくても、楽天的でアバウトになってもおかしくないだろう。
人口10万人に占める日本の自殺者数は24.4人と世界トップクラスだが、ブラジルはわずか4.6人に過ぎない。
大半のブラジル人は人間が生まれ変わるなどとは思っていないし、人生は一度限りど信じているようだ。「一度しか生きられない」が彼らのモットーだ。お金はもちろんあった方がいい。でも彼らはお金がなくても人生を楽しもうとする。楽天的なのだから、自殺者が少ないのは当然だろう。


人生観そのものが違うということか。これは見習うべき(難しいかも(^_^;))だろう。

・リオのカーニバルの主役は貧民だ。多くの出場者はこの日のために毎年こつこつとお金をたmて、一気に吐き出す。お金とともに積年のうらみつらみ、行政への不満なども発散する。こんな便利な不満のはけ口があるから、ブラジルは政治的に破綻しないですんでいるとの説もある。20世紀の半ば頃、カーニバルのパレードをコンテスト形式にしたことから、リオの各地区にサンバチーム(エスコーラ・デ・サンバ)が組織化され、歌と踊りを競い合うようになった。

先の「お金がなくても人生を楽しもう」の精神の具象化なわけだ。何となくリオのカーニバルといえば、金持ちの祭りと誤解していたが、言われてみれば、金持ちはこんなことには金使わないよな。

・世界には異様、異質、異端、異色の四種類の国があると思う。
「異様」の筆頭は社会主義市場経済の中国、金融危機があっても成長する超大国の米国、共産主義制度の後、主義主張が見えないロシア。
「異質」な国の代表はいつまでたっても国際化が進まないガラパゴス日本。それを反省したのか菅政権は「開国」などと言い始めた。
「異端」は言うまでもなく北朝鮮、イランのような理解不能で危険な国。
「異色」はちょっと変わっているが、無限の可能性のある国。その代表格が「世界一」という切り札をこれでもか、というほど抱えるブラジルだ。


この四分類はなかなか面白い。ちょっといい加減な気もするけど(^_^;) しかし、どの国の人間も自分の国は「異質」と思ってるのかもしれない。

・「ジンガ」と呼ばれる上半身の揺らぎを利用したブラジル独特のフェイントも人種差別時代の産物だという説がある。白人と黒人がいっしょにプレーする場合、反則があるたびに白人は黒人を一発殴ってもいいというルールがあった。それで黒人は白人との接触プレーをさけるためにトリッキーなフェイントを発達させたというのである。

ダンスと格闘技の混淆した「カポエイラ」のステップが「ジンガ」である。ブラジルサッカーにこのカポエイラの影響があるのは間違いないところだろう。しかしその起源が、こんなところいあったというのは面白かった。もちろん、サンバに通じるところも大だろうけど。

・ブラジルの監督や選手と話していると「馬鹿な監督や選手ほどサッカーをややこしくする」と言うのだ。本当にサッカーがわかっている者同士なら、使う戦術はそれこそインサイドキックだけで、ドリブルを多用することもなく、シンプルにパスをつないで勝てると信じている。守備もボールを奪いにいく選手とカバーに回る選手の連携がしっかりとれていれば大過はないと考える。アタマでっかちの戦術論より体に染み込んだ原則を大事にしている。

サッカーの戦術はインサイドキックだけというのは、究極のサッカーというのはそんなものかもしれない。

・IOCにとってオリンピックは放映権料やスポンサー料を中心に年間1000億円の収入をもたらす打ち出の小槌である。テレビや映像の力が源泉になるわけだから、オリンピックは300近い種目が寸分の狂いもなく、タイムスケジュール通りに完璧に運営されることが至上命令になる。高速道路や通信回線、ホテル、選手村などのインフラ整備に目を向けた時「そういう運営がリオにできるわけがない」とずっと思われてきた。

今般の2020開催地決定でも結局は利権享受者(IOC、スポーツ関係、政治家)駆け引きでしかなかったわけだが、来年のサッカーW杯、3年後のリオオリンピックがどのようになるか興味津々である。

・ルラ(任期の終わりまで支持率80%を維持した前大統領)は左翼思想を違った形で実現させようとした。就任後すかさず掲げたのは「フォミ・ゼロ」(飢餓撲滅)と「ボルサ・ファミリア」(家族手当)。
「カネで票を買っている」との野党の批判もあったが、そもそも働き口もない僻地で「自分で働いて稼げ」と叫ぶむなしさと、極貧にあえぐ人々の悲惨さを彼は身をもって知っていたのである。しかもボルサ・ファミリアのコストは国内総生産(GDP)のわずか0.7%にすぎない。この家族手当によって2000万人が貧困から脱出できたのである。最低賃金も大幅に引き上げたことで、結果的に中間層が広がった。彼ら中間層が内需の牽引者になり、ブラジルの成長を支える原動力となる、という流れが生まれたのである。


このルラ大統領というのは、凄い大統領だったみたいだな。それにしても、Morris.は本書読むまで、彼の名前すら知らずにいた。Morris.の視野の狭さのせいではあるのだけど、日本でのマスコミのブラジル報道の少なさが1因であることも確かだろう。

・20世紀のブラジル政治は、堀坂幸太郎上智大学名誉教授によると、①1930年代までの大土地所有者層による寡頭政治が続いた旧共和制時代、②若手軍人に後押しされて政権につき、1930年から45年まで独裁体制を敷いたバルガス大統領時代、③戦後のポピュリズム(大衆迎合主義)時代。形式的には民主主義体制、④64年から85年までの長期軍政時代、⑤85年以降の再民主化時代--の5つの時代に分けられるという。

これは実にシンプルでわかりやすい時代区分だったので、つい、孫引きしてしまった(^_^;)

・ブラジルとアルゼンチンは核兵器を「もたないこと」による抑止力を提唱したと言える。もったら脅威になるから、もたない。これこそが本当の抑止力だということを核保有国は知るべきだろう。

「持たない」ことが大事である。人間は、何か道具を持ったら、絶対使ってしまう(使わずにいられない)動物である。

・周辺都市を含めたブラジリアの人口は、遷都前は一万人にも満たなかったが、60年には15万人、80年には120万人に急増、2008年には250万人の大都市に成長。
遷都にはおカネがかかった。国家的大事業だったから政府予算をどんどんつぎ込んだ。政府債務は膨らみ、財政赤字が増え、紙幣を増刷した。これが超インフレの引き金を引いたとの批判もある。しかしブラジリア遷都の狙いそのものは間違っていなかった。


そういえば、ブラジルの首都はブラジリアと、中学か高校の地理でならっていらい、ほとんどこの都市のことは意識の外にあった。今でもブラジルといえば、リオデジャネイロかサンパウロくらいだった。日本でも一時遷都論が話題を呼んだことがあったが、このところとんとそのような話は聞かない。

・日本にとって最悪のシナリオは、堺屋太一が言う「油断」ではなく、「食断」、つまり食糧危機の到来である。少子化時代だから大丈夫、などと冗談を言ってる場合ではない。最新の調査で、日本は食料自給率がわずか40%の国だから、世界で食料が奪い合いになれば輸入食料が入らなくなって、ぢ混乱に陥るだろう。
ブラジル人が日本人を尊敬してくれている間に、より緊密な関係を築いておく必要がある。困った時に食料を売ってもらえるように、である。
ブラジルは他国と違って、政治的、宗教的、民族的不安定さの小さい国である。日本の"救世主"になってくれる可能性は大である。国家安全保障は米国に頼るしかないのが現状だが、食料安保の同盟国はブラジルをおいてほかにない。


最後はちょっと功利主義的結論になってしまったが、政治・外交ってのはもともとそういうものだろう。なべて、この世は変動相場制だもんね(^_^;)

2013/09/16(月)●STORMY MONDAY●

夜中2時頃、、風の音で目を覚ます。TV付けたら台風18号は紀伊半島の手前辺りに中心があり、足踏み状態のようだ。神戸はコースからは外れているが、風速30M以上の強風圏に入っている。京都、滋賀方面で物凄い雨風になってるらしい。
結局ベッドでそのまま起きてた。
今朝の血圧は186/93/69。
明け方には桂川が氾濫して渡月橋の上を流れが越えている映像が流されたのには驚かされた。
台風は豊橋辺りから本土上陸して、東日本縦断して北海道東の海に抜けたようだ。
各地で崖崩れや突風による被害も出ているらしい。
本当にここ数年の雨の降り方や風の吹き方が、以前とはすっかり様変わりしてしまったような気がする。
神戸は午前中に雨も上がり青空も見えてきた。
午後は久しぶりに王子動物園へ。珍しくまぬうの雌が起きてた(^_^;)。雄も岩の途中まで登って、これまでには見られなかったくらい近づいてる。といっても、上から雌は牽制して、雄は中段より上には行けない。それでも、2匹一緒に撮影することが出来た。2ショットと言えなくもない。
5時前に動物園出て、そのまま水道筋で買い物して5時半帰宅。
今日の歩数は6162歩。


今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

2ショット 

ハンター邸前の睡蓮 

孤独の王様ペンギン 

マゼランペンギンの群 

雪豹 

ライオン夫婦 

別の雌 

虎の肉球 

王子の野良アメショー 

かっこいいポスター 

2013/09/15(日)●新記録被弾は榎田(^_^;)●

6時起床。
今朝の血圧は178/90/87。
台風18号の影響か、朝から断続的に風と雨。端から今日は一日部屋でゴロゴロ決定(^_^;)
SBSの「挑戦千曲」、ユンジョンちゃんはバラ色のおしゃれなワンピース。ゲストにヒョンスクとパクサンミンがチームとして登場。
昼のKBSノレチャランは、珍しく中国サイトで何とか見ることが出来た(^_^) 慶尚道陜川郡篇。分解写真みたいな映像だったけど、けっこう楽しかった。
ノレチャランにあじを占めて、5時45分からの開かれた音楽会も見てみようと思ったが、けっこう頻繁にフリーズ、そのまま放ってたら司会が「次はパクヒョンジンとチャンユンジョン」というので、慌てて注目。最初のパクヒョンジンはずっと見られたのに、ユンジョンちゃんが出てきた途端にフリーズ(>_<) 途切れ途切れに満、見たのだけど、一曲目は「ワックナワッソ」後「オモナ」と「チャンチャラ」だった。
6時5分くらいにサンTVにチャンネル回したら阪神-ヤクルト戦始まってた(@_@) 今日は当然中止だろうと思ってたのに。一回裏で、阪神のピッチャーは榎田。1点取られた後、出てきたバレンティンにあっさりホームラン打たれる。56号日本新記録。あぢゃぢゃー、である。しかもご丁寧に、3回にもバレンティンに57号打たれてしまう。これで、榎田は、日本プロ野球史に名前を残すピッチャーということになるのだろう。
ゲームは阪神不甲斐なく0-9の完敗(^_^;) もう怒る気もしない。
バレンティン新記録には、潔く拍手しよう。この日本新記録に関しては、小田嶋隆が、日経ビジネスのコーナー「ア・ピース・オブ・ケイク」で穿った意見を披露していた。共感出来るところ、活目させられるところが多かった。
今日の歩数は0歩。


挑戦千曲のチャン・ユンジョン 

全国ノレチャランのソンヘさん 

ノレチャランのムンヒオク 

開かれた音楽会のユンジョンちゃんだけど(;;) 

バレンティン56号! 

リキの入ったキムチ焼飯 

2013/09/14(土)●門戸厄神あたり●

6時半起床。
今朝の血圧は215/99/40。
溝渕、浅海くんと3人で門戸厄神タイ向け荷物と保管荷物のピックアップ現場。
昼飯抜きで1時前に作業終了。
昼は深江東市場の「オリーブキッチン」で日替わりサービスランチ(今日はチキンカツカレー 650円)(^_^)
倉庫作業も2時半で終わり、今日はこれで開放(^_^)
また、明日からしばらく農閑期である(^_^;)
広島のふくはらさんから手紙が来てた。彼女とはけっこう古い知り合いだけど、今はペンフレンド状態である。いつも面白かったりセンスの良い便箋に、たぶん知ってる人の中では一番好きな手書(描)くきの文字を見るだけで、嬉しくなってしまう。
シャワー浴びて、簡単に掃除して、ミニギターと缶ビール持って屋上へ。最近あまり歌ってなかったの(「女の一生」「ダンサーの純情」「褐色の追憶」「ホルロアリラン」……)を演ってたら、いい気分になって気がついたら6時過ぎてた。
サンTVで阪神ーヤクルト戦。藤浪vs.バレンティンは見逃せない。今夜は王子公園駅近のライブハウスでムックさんたちのライブがあるので、久しぶりに出かけようかと思ってた。野球は録画モードにセットして、見れなかった部分は後から見ることにする。で、野球見ながら、ついつい二階堂のロック飲んでて、途中で潰れてしまい、目が覚めたら日付が変わってた(>_<) ムックさんには行くと約束してたわけではないが、何となく申し訳なかった。
しかたないので(^_^;)野球の続き見る。結局この試合でバレンティン56号は出なかった。藤浪はよく投げたと思う。阪神2点リードされた後の8回裏、二死1,3塁でバレンティンの打席。交代したピッチャー渡辺はいちおう勝負の構えだったがワイルドピッチで2、3塁となったところで、敬遠の四球。すごいブーイングだったけど、まあ、これは仕方がない。考えようによれば、これは高度な阪神の戦略(^_^;)だったのかもしれない。明日はたぶん台風の影響で試合中止になるだろうから、これで阪神の投手が56号本塁打の提供者になることからは逃れられたようだ。
今日の歩数は3994歩。


前からお洒落だと思ってた 

今夕の屋上から 

ふくはらさんからの手紙 

【騙し絵日本国憲法】清水義範 ★★★☆☆☆1996年集英社刊。自民党政権が復活して、またまた改憲論喧しくなった。
本書は刊行年を見れば想像がつくように、新憲法発布50周年を記念して(というか、あやかって?)出されたものだろう。
Morris.は読んだような気もするのだが、Morris.部屋の読書控えは1999年からなので、確認できない。要するにこの記憶力のなさを補うために、読書控えをつけるようになったのである(^_^;)
というわけで、再読?した感想は、清水の真面目さと不真面目さが程よくミックスされたなかなかの力作だと思った。これを書き始めて本書を見なおしたら、腰巻き風の裏表紙に[真面目に考えて不真面目に作品にする」と書いてあった(>_<)
最初に日本国憲法前文を21種もの異なるバージョンで羅列している。これが一番リキが入ってると思う。

1.カナノ印象-単に前文をカタカナにしたもの
2.わたくしたちの憲法です-先のかな交じりでわかりやすい文書にしたもの
3.いわゆるひとつのジャパニーズ憲法ですかー長嶋監督風
4.憲法ノート-大江健三郎風
5.憲法だがや-名古屋弁バージョン
6.実演販売
7.憲法五人男(くろなみごにんおとこ)-歌舞伎
8.マニュアル・ブック
9.ニューモード
10.憲法読本-文章読本風
11.憲法ほめ-落語子ほめ風
12.憲ボーズ・ウェイク-誤植大行進
13.憲法の丸かじり-東海林さだお風
14.憲法記念日-俵万智風
15.遺書-松本人志風
16.広告
17.折々のうた-大岡信風
18.裏見酒乱-西原理恵子風(もろ)
19.ソクラテスの証明-
20.憲法の歌-歌謡曲風
21ケンポーV.-薬効風


これだけでも読む価値があると思うぞ。(玉石混交だけど(^_^;))

「憲法」というと、必ずここかのアホがしょうもないことを言い出す。「あれはアメリカからの押しつけだから変えよう」とか、その反対に「あれだけは変えてはならない」などという意見である。
そんなやつらにオレから一言、言っといてやろう。
「いまの憲法守ったら、そん中に変えてもええと書いたるやないか、ボケ!」
オレがここで問題にしたいのは、「憲法前文」だけである。そして、その内容があんなんでええのか、わかりやすいのか、尊いのかということは、オレにとってはどうでもいい。ただオレが言いたいことは、あの「憲法前文」というのは男ットコ前だということである。
ハッキリいって、「憲法前文」は笑える。もちろん、オレのやっているお笑いのほうがそれよりさらにレベルが上だが、「前文」も相方(あいかた)もないわりにはかなりなところまで行っている。(15.遺書)


ここらあたりが清水の本音に近いような気がする。

続いて第一章シンボル、つまり天皇、第二章九条、つまり戦争放棄、第三章基本的人権の3件に関してはそれぞれ独立して取り上げ、第四章から第八章まで(4.国会5.内閣6.司法7.財政8.地方自治)は「寄席中継」という形で一括りにして、第九章改正と第十章最高法規は、「憲法改正」の命題に鑑みてかなり感情移入のフィクションになっている。

とにかく日本はよその国と戦争しない。
「わかるかな。こうやって憲法の中にきっぱりと決めてしまったことの値打ちが。どんなことがあっても日本はもう二度と戦争をしないと宣言してしまったのだよ。世界中に、こんなこをと宣言した国は日本以外ひとつもないんだ。みんな、やむを得ない時は戦争だってする、と思っている。なのに日本だけは、永久に戦争をしないと決めてしまったんだ。それは、とても勇気のいる、力強いことだと先生は思う。」(第二章九条)

これはMorris.もそのまま自分の意見としたい。

この憲法の、なんとまあ高度に大人で、いけしゃあしゃあとよくそういうことが言えるものだと思う点は、そういう原則にもかかわらず、表面的には基本的人権や、自由や、平等や、幸福の追求を、最も尊重するかのように力強く宣言した格好になっているというところさ。この臆面のなさと、嘘っぱちと、無責任さには、つくづく頭が下がってしまうよ。だって、そのせいでこの憲法は、いったい何を約束していて何を約束していないのか、さっぱりわからないようにできているんだからねえ」
ハロランさんはそう言って疲れたようにため息をついた。(ハロランさんと基本的人権)


基本的人権が一番大事と言いながら公共の福祉(みんなの都合)が優先されるということに、異星人のハロランさんの疑義。人権が制限付きであるということだが、まあ、無制限の権利というのは言葉の上にしか存在しないというのは致し方ない気もする。

裁判所っていうのはね、被告人をたらいましにして、どこに責任があるのかよくわからないようになってるのね。
最高裁判所ってのは、最高に国のいいなりになる裁判所ってことだからね。最高裁判所っていうのは、国を守るためにあるんだからね。だから、国を訴えた裁判は、途中で国が負けることあったとしても、最高裁判所まで行くと絶対にひっくり返るでしょう。最高裁判所まで行くとなったところで、ああ、国側の勝訴だな、と思っていいのよね。だって、そのためにあるところなんだから。どんな理屈をつけてでも国は間違っていないというのがお仕事なのよね。」(ブラック司法)


「三権分立」というのはお題目でしかないね。

おしまいの改正に関する部分は暴走族のお「掟」に仮託して、変える変えないの侃々諤々が繰り広げられるが、結局は「掟」の中にある不整合のため変えるに変えられないという結論になってしまう。この不整合は憲法96条①と99条との間の大矛盾のパロディである。

日本国憲法 代96条①
この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し(中略)なければならない(後略)。
日本国憲法 第99条
(前略)国会議員(中略)は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

そう。掟は変えられっこねえんだ。
団はおそらく、この掟を変えねえで、ずーっとそのまんまにしとく。時々、かえようかどうしようかって論争だけはやらかして。
そして、団は掟をきっちりと守っていくってのを表向きのたてまえにしといて、事あるごとにいろんな解釈をあみ出して、要するにその場主義で好きなようにやってく。
この掟を守ったまんま、よそに大喧嘩をしかけることだって、その気になりゃいくらだってできるのだ。
掟よりも、問題なのはそれを解釈していく団員なんだから。


つまり、清水はこの矛盾を盾にとって、憲法は変えずに使いまわしていこうという考えなのだろう。本書が出てから20年近くたった今日、Morris.の考え方もこれに近いものがある。
現行憲法に矛盾が有り、不備な点なきにしもあらずだが、それを補って余りある美点あることも疑いを得ない。
最近の憲法論議、特に安倍政権の改変が、あまりにキナ臭い方向にある気がする。それならいっそ、変えないほうが良いと思うのだ。
本書には付録として、日本国憲法前文が掲載されている。Morris.も久しぶりにひと通り読みなおしてみた。たしかに「悪文」である(^_^;) でもやはり、これを遵守さえすれば、それなりの成果はえられそうでもある。
せっかくだから、前文の全文を引いておく。

日本国憲法(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するものであつて、平和を愛する諸国民の攻勢と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国とは対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


悪文の見本のようでもあるが、真摯な気持ちは感じられる。清水がパロディで評した「男前」というより、当時の日本人の一所懸命な気持ち(たとえ作成したのが米人であっても)の発露ではなかろうか。
何はともあれ、憲法改変論議をする前に、憲法全文(それほどの分量ではない)を、読み返してみる必要があるだろう。せめて、この前文だけでも。

2013/09/13(金)●御影公会堂食堂●

6時半起床。
今朝の血圧は186/95/79。
ひっさしぶりの仕事(^_^;)
高橋線路沿いの住宅工事は進んで、とうとう、高橋の上からTwin煙突見えなくなってしまってた(;;)
摩耶埠頭、まだあの大型コンテナ船MOL CRIATIONはまだ停泊してた。西側に黒いバラ積み船が見えたので回ってみる。「Ocean Angel」と書いてある。例によってネットで調べたら、

船舶種別: Bulk carrier
建造年: 2008
全長 x 巾: 185 m X 41 m
総トン数: 32379, 載貨重量トン: 58679 t
船籍国: Singapore [SG]


3万トンクラスのバラ積船だから小さい方ではないが、やっぱり隣のMOLと比べるとかなり小さい気がする。
荻野くん、奥井さんと石屋川のジャカルタ向け荷物ピックアップ現場。
昼は奥井さんと、御影公会堂地下の食堂へ。いやあ、ここも久しぶりである。団体客が入っていて、少し待たされた。定番のオムライスセット(\850)。壁や柱の漆喰も剥げかかり、それがまたいい感じを醸し出している。
神戸大地震でも大丈夫だった、この公会堂。いつまでも残っていてもらいたいものである。
5時半帰宅。
神宮の阪神-ヤクルト戦。Morris.の関心も、ほとんど、バレンティンの56号が出るかどうかに集約されてしまう。結果は何とかスタンリッジ他阪神の投手陣が踏ん張り、バレンティンノーヒット、結果も3-2で阪神の勝利。明日は藤浪先発である。
今日の歩数は476歩。


OceanAngel  

MOL CREATION 

食堂は地下にある 

出迎えはキングペンギン? 

入り口ドア 

照明 

このコーンポタージュがもう(^_^) 

そして定番のオムライス\(^o^)/ 

調理場カウンタ方面 

団体客がはいってた 

歴史ある柱 

吹き抜け 

一階ホール 

階段 

御影公会堂 

2013/09/12(木)●最後の詩集は「希望」●

6時起床。
今朝の血圧は186/95/79。
昼までごろごろ。
神戸図書館検索ページで期限の迫ってる本の貸出延長しようとしたら、2冊が延滞になってた(>_<) 勘違いしてたようだ。
ということで、中央図書館へ。ホールには9月23日新築移転する東灘図書館の紹介コーナーが有った。独立した立派な建物である。神戸の地域図書館では最大規模のようだ。
それとガラス張り陳列台では、博覧会関連書の展示やってた。昭和6年(1931)の神戸海港博の広告と案内書などが目を引いた。
三階で書庫からブラジル関連本を出してもらい、珍しく二階の郷土資料を覗いてみる。ここには兵庫県関連書籍、新聞などが置いてあるのだが、総て貸出禁止のため、ついついMorris.はパスしていたのだった。
かなりのシスペースに震災関連資料も揃ってるし、兵庫県出身作家の作品、舞台が神戸の作品なども数多く並べられている。詩人のコーナーに杉山平一の詩集も並んでいて、見たことのない「希望」という小さな詩集があった。2011年11月刊とある。あとがきによると、97歳になって、今更と思いながら、編輯者にの勧めで編集作業している時、東北の震災が起きた。そのことを意識して「希望」というタイトルにしたと、書いてある。
貸出禁止なので、テーブル席で読む。すべてが1pか2pくらいの短い詩である。表題作「希望」は間違いなく、東北大震災への応援詩だろう。

夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は

列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇の中に放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ

負けるな

これ以外にも、震災へのエールと思われる作品は散見された。一番印象に残ったのは「反射」という作品。

毛布はあたゝかい
そんなことはない
あたゝかいのは
あなたです

ダイヤモンドは
光るのではない
光を反射するだけだ

あたゝかいのは
あなたのいのち
あなたのこゝろ

冷たい石も
冷たい人も
あなたが
あたゝかくするのだ。


帰宅してからネットで見たら、杉山平一は今年(2013)の5月19日、結核で亡くなっていた(@_@) 享年97。矢谷くんから教えてもらい、すっかり好きになった詩人だった。合掌。

待つ

待って
待っても
待つものは来ず
禍福はあざなえる縄というのに
不幸のつぎは
また不幸の一撃
ふたたび一発
わざわいは重なるものとのも知らず
もう疲れきって
どうでもいゝと
ぼんやりしていた
それが幸せだったと気づかず。

いま

もうおそい ということは
人生にはないのだ

おくれて
行列のうしろに立ったのに
ふと 気がつくと
うしろにもう行列が続いている

終わりはいつも はじまりである
人生にあるのは
いつも 今である
今だ


5時に図書館を出て、久しぶりに「山神山人」でラーメン食べる。大谷くんの息子は不在だった(>_<)
6時半帰宅。
今日の歩数は5915歩。


花壇に黄蝶 

安養寺本堂瓦葺き 

東灘図書館紹介 

神戸海港博案内 

杉山平一最後の詩集「希望」 

何となく雄大な雲 

【県庁おもてなし課】有川浩 ★★★2009~2011「高知新聞」他連載。2011年3月角川書店刊。
高知出身の作者が県の観光大使に指名されたのを、きっかけに、高知県観光部おもてなし課の広報活動に拘るとともに、それを小説に仕立てるというストーリー。その小説というのが本作であるが、ゆるキャラや、うどん県(香川)、おんせん県(大分)などで、ユニークな観光キャンペーンの一環ということにもなるのだろう。
そういえば、有川を有名にした「阪急電車」もある意味電鉄会社のPR色が濃かったような気がする。最近TVドラマ化された「空飛ぶ広報室」は航空自衛隊の広報めいてたし、本作はもちろん言うを俟たない。
この作家は機を見るに敏、あるいは商売上手ということになるのだろう。彼女も確か広告やコピーライターあがりのようだから、昔とった杵柄ということか。
たしかに器用で、おちゃらけあり、少女漫画チックなラブストーリーあり、眼目の観光穴場案内ありと、サービス満点だが、どこか胡散臭さを感じてしまうのは、器用さとは縁遠く、商才のかけらもないMorris.のひがみだろうか?

「トイレの偏差値って何ですか」
「観光地の偏差値とも言えるかな。俺も取材であちこち回るけど観光地として成熟してるところはトイレに困らない。公衆便所の底値が高いところは観光に対する意識が高いね。水洗で清潔、和式洋式バリアフリーと取り揃えて紙も切らさないのが標準仕様。女性のほうが採点厳しいのは確かだけど、男だって汚いトイレで嬉しいわけじゃないだろ」
「それはまあ、キレイならキレイなほうが」
「佐和の言ったとおり、客商売で一番の肝は水回りだよ。宿なんかもそうだけどさ、部屋がボロでも『うらぶれた風情』とかで押し通せる。でもこれでトイレや風呂が汚かったらアウト。逆に水回りさえ清潔だったら人間大抵のことは許せるもんだよ」
多紀が大きく頷いた。
「居酒屋さんとかでもトイレを男性用と女性用で分けちゅうところは好印象です」


こういった、いかにも訳知り顔の薀蓄というのが頻出するあたり。「お客様目線」などと多用しながら、どこか「上から目線」を感じてしまうぞ。って、ケチつけながらも、きっちり楽しませられてしまうのだから、困ったもんである(^_^;)

2013/09/11(水)●おんせん県CM●

8時起床。
今朝の血圧は178/78/78。
ちょっと宿酔いかな?
録画しておいた昨夜のサッカー、日本-ガーナ戦見る。本当は昨日帰ってから見始めたらしい(^_^;)のだが、すぐにそのまま寝てしまったらしい。
前半はいい試合だった。ガーナが1ゴール先制して後半に。前半頑張り過ぎたのか、どうも後半は動きが鈍い。香川のゴールで同点、遠藤のゴールで逆転、ホンダのヘディングで突き放して日本の勝利。
先日ちらっと見た大分県の観光キャンペーン「おんせん県」CMをYou Tubeでチェックしたら、総集編特集番組のビデオが見つかった。バカバカしくて面白い。
いわゆる全国各地で広がった町おこし運動の一環なのだろう。熊本県のクマモン、香川県の「うどん県」をヒントにしたものだろう。大分県CMは総て県民出演、ベタギャグ(自虐的)というのが売りらしい。群馬県などからのクレームも、話題作りとして利用していくつもりらしい。
地方のアリバイ作りみたいなお役所仕事から、実効あるキャンペーンというのは良いだと思う。
午後はずっと東京電力関連の本↓読んでたら夜になってしまった(^_^;)
今日の歩数は0歩。

【「東京電力」研究 排除の系譜】斎藤貴男 ★★★☆☆ 平成24年5月(2012)講談社刊。「人災」である福島第一原発事故の明白な「犯人」である東電のことは、きちんとしたことを知っておきたいと思ってたところだったので、タイトルを見て読み始めたのだが、とっかかりは、えらく読みにくかった。「研究」と銘打ってるためか(^_^;)やたら引用と注釈が多くて、各章の終わりにある注釈と本文を対照させて読むのがまだるっこしかったということもある。
しかし、Morris.の知らなかった事実もあったし、共感するところも多かった。後半に行くにつれ、重要な言説が頻出して、ついついメモしておかねばという気になって、やや過剰なほどの引用になってしまった。著者の意見と、著者が引用した他者発言の孫引きの区別がややややこしくなってしまったが、容赦願いたい。著者の文章スタイルにも一因があると思う。

3・11を境に、従来はヴェールの向こう側にあった原発関連の重大な事実が大量に溢れ出している。安全神話を守るために安全を度外視し、あろうことか危険などあり得ないことにしてしまう倒錯ばかりを繰り返してきたのが日本の原子力政策であり、その運営主体である東京電力だったと断じて差し支えないのではあるまいか。(安全神話のパラドックス)

これがまあ、ひとつの結論ではあるけどね。

レッドパージは「日本の経営者が仕掛けた戦後初めてにして最強の労働争議」であった。彼らはこれに完勝し、「労使関係をそれまでの労働者優位から経営者優位に逆転させた。
早稲田大学人間科学学術院教授の河西宏祐によれば、とりわけ重大な意味を担ったのが、九電力体制以前の日本発送電および各地の配電会社の労働者で組織された「日本電気産業労働組合」(電産)の組合員2137人のパージであった。


レッドパージに関してはほとんど理解してなかったことを教えられた。上記の河西発言には、目から鱗が落ちる思いだった。

3・11を経て、この国の政治は再び小泉時代に戻った。菅直人前首相は死者たちの四十九日も済まぬうちに「大きな夢を持った復興計画を」と謳い上げ、野田佳彦首相はTPP協議推進、消費税増税へと突っ走る。目指すところは経済成長のみ、いや、巨大資本の利益だけと断じた方が正確か。あれほどの大惨事を、むしろ奇貨として舌なめずりできる人々に、あろうことか指導者然と振る舞われている屈辱と国際的な潮流との関係が本書(「ショック・ドクトリン」)を読めば嫌でも理解できてしまう。
著者ナオミ・クラインはグローバリズムを論じさせれば世界最高峰のジャーナリストである。政変でも自然災害でも、とにかく破滅的な出来事の直後、人日がショック状態に陥っている隙に公共領域を収奪していく手口-惨事使用型資本主義(ディザスター・キャピタリズム)-の本質を、かくも鮮やかに抉り出した成果を、評者は寡聞にして知らない。


本書は一年以上前の刊行だから、民主党政権下での文章ということに成る。まさか一年後に自民党が選挙で圧勝して、安倍政権が積極的に原発再開路線に向かってるとは思ってなかっただろうな。「惨事使用型資本主義」(@_@) こんな用語があったのか。これは覚えておかねば。

おそらく新自由主義というのは単に学術的に、あるいは論理として「正しい」ということで支持を集めたというよりも、一部の人々、はつきり言つてしまえばアメリカやヨーロッパのエリートたちにとつて都合のいい思想であつたから、これだけ力を持つたのではないか。新自由主義思想の「個人の自由な活動を公共の利益よりも優先する」ことが経済活性化には有効だという理屈事態は間違っていないとしても、一方では、それは格差拡大を正当化する絶好の「ツール」になりうるからである。(「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌)

「エリート思想」なんて、こんなもんなんだな。しかしこの中谷という学者は、小渕内閣の「経済戦略会議」で構造改革推進の立場から政策に大きな影響を与え、上記引用の著書で自己批判したことで知られる。

電力の政治力や巨額の調達、購買を通じた経済界のパワーときたらものすごい。通産省の先輩たちも接待漬けで、発電所の立地している地域への補助金の額にまで口を挟まれている始末。そんなわけで、誰も本気で電力の規制改革に踏み込むことができるなどとは思っていなかったものだから、実際には項目にのぼっていたという程度の話ですが。それでも私はやっぱり、制度として独占が認められている異常には納得がいかなかった。(古賀茂明)

TVのコメンテーターとしてときどき見かけるが、古賀発言には共感覚えるところが多い。東電の政治力というものを直に目の当たりにした人の意見には聴くべきところ多いと思う。

国鉄の分割民営化は、1972年から87年まで続いた中曽根政権が、借金漬け経営者さらには公共企業体という経営形態からの脱却を掲げて断行された。当時の新聞やテレビはこれを礼賛し、国民の多数派もマスコミの論理を丸ごと受容したが、大胆な政策の真の目的は、まさしく労働組合の解体に他ならなかった。当の中曽根自身が、後にこんな発言をしている。
「総評を崩壊させようと思ったからね。国労(国鉄労働組合)が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(「AERA」1996・12、1997/6合併号)


国鉄民営分割化には当時から反対だったし、今でも戦後政策の大失敗の一つだと思っているが、国労解体が一番の目的だったとは、言われてみれば自明のことなのに、理解してなかった。Morris.の政治音痴まるわかりぢゃ。

「原発は儲かる。堅いシノギだな。動き出したらずっと金になる。これ一本で食える。シャブなんて恨んでもいい。原発はあんたたちふうに(マスコミ的に)言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」
「ヤクザもんは社会のヨゴレ、原発は放射性廃棄物というヨゴレを永遠に吐き続ける。似たもの同士なんだよ。俺たちは」(「ヤクザと原発 福島第一専有木」鈴木智彦 2011文藝春秋)
1970年代から被曝労働者のテーマを追い続けてきた樋口健二は、原発とは差別の上にしか成立し得ないシステムだと指摘した。労働者の人権が当然の用に無視されている現実は、元請け(財閥系)→下請け→孫請け→ひ孫請け→親方(暴力団を含む)→日雇い労働者(農漁民、被差別部落民、元炭鉱マン、大都市寄せ場、都市底辺労働者)……という重層構造から成る前近代的労働形態が露骨に示しているという。


ここにも差別構造か。絶対差別主義者(^_^;)Morris.を標榜してきたが、げんなりしてくる。

東京電力はあらゆる意味で日本のシンボルだった。正真正銘のアメリカの属国。経済成長以外に目指すもののない空疎。米日両政府による重層的な支配構造を脅かさせない国民管理・相互監視を自己目的化させた社会……。
この国の本質に関わる酷評のことごとくを、東電という企業体と、同社が運営する原発という存在は見事なほどに体現し、私たちに突きつけている。


この後、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の結果が、事故の三日後、誰よりも先に米軍に提供され、米軍だけは早くから放射能の行方を見極めながら行動できたという挿話を挟んで以下に続く。

津波の危険も原発テロの可能性も、いわゆる原子力ムラとその周辺の人々は、すべて熟知していた。だが、ムラの住民であるか否かにかかわらず、何事かを最終的に決定する立場にある人々の浅はかさが尋常ではなかった。いつか必ずこうなるとわかりきっていて、それでも一切の手立てを打たない道を積極的に選択し、当然の結果として現状を招いたのである。最先端のテクノロジーおよび知見と、原始的かつ超人的とさえ言える不誠実とを練り固めた最悪の組み合わせ(ワースト・ミックス)こそが、この国の原発だったのだ。

原発=ワースト・ミックス。異議なし。

中曽根康弘らが1954年3月、初めて原子力関連予算案2億3500万円を国会に提出して以来、連綿と続いてきた思考パターンだ。どうせ敵(かな)いっこない圧倒的強者には間違っても逆らわず、媚を売りまくって保身を図り、ただし相手方は思いついてもいないであろう独自のメリットを無理やり発見しようとする。特に見当たらなければでっち上げでもいい、単なる服従であることを自覚してしまい、自らの行動を自分自身で正当化できなくなるよりはマシだから---。
国策なるものを成立させる能力も、意志さえも備えていない国に生きる人間の、悲しい習性。だからこの国の社会には、いつだって理想というものが存在しない。超一流の植民地根性だけが貫かれる。
原発を担う東京電力の戦後史もまた、つまるところ労務管理を通じた排除と独善の反復運動以外の何物でもなかったのではないか。「産業の血液」の源における営みは、そのまま日本国民の生き方を規定せずにはおかない。揚げ句の果てに3・11と福島第一原発事故を迎えた。
私たちはいったい何だ。支配され利用されるためだけの生きものか。しかもアメリカの主人にはひたすら従順な、指導者層という名のより本質的な奴隷のそのまた下に位置づけられた--。


「原発は潜在的な核抑止力として機能している」という読売新聞の社説(2011/09/07)へのコメントである。共感するところ大だが、あまりにも辛い現実であるなあ。

「核エネルギーは、桁違いに大きなエネルギーです。現在の大型ジェット旅客機は160トンぐらいの燃料を積みますが、同じエネルギーを原子力で賄うとすれば10グラムで済みます。そこには7けたの違いがある。そんな大きな力を人間が制御できるでしょうか。
人間は、倫理観を高める方向には進歩していません。間違いを犯すし、欲に駆られてとんでもないことをする。集団の力を借りて他をいじめることもある。今も昔も同じです。そういう人間たちの手に、7けたも大きな力が備わってしまった。だから怖いんです。
1万年以上も保管する必要がある放射性廃棄物のことも考えないといけません。コンクリートができてから150年しかたっていません。1万年持つなんて保証はどこにもない。非常に危なっかしい話です。」(池澤夏樹2011札幌での講演より)


わかりやすい、ということは、発言者がよくわかっているということでもあるのだろう。むつかしく考えるより、こうやって、わかりやすく説明するということも大事なことかもしれない。

ガラス個体の貯蔵期限は、刻一刻と迫っている。そこに福島第1原発事故が発生した。一日も早く候補地を確保したい政府の都合と、「どうせ帰れない故郷なら」という一部の住人の思いが図らずも一致しつつある。安易な判断は許されない命題だが、筆者はあえて書く。
原発事故の被災地に最終処分地を持っていく拙速だけは避けるべきだ。実行されれば、積極的に謳われることはないにしても。政府や東京電力にとっては「渡りに船」であり「禍いを転じて福と為す」、「怪我の功名」といった形容で表現され得る結果になる。原発事故にはメリットもあった、ということにされてしまう。3・11を体験してなお、この国が今後も「犠牲のシステム」を原動力にしていくことに対する国民の受容の表象になりかねない。


「犠牲のシステム」これも差別のシステムである。それにしても、原発のキモは廃棄物だろうな。現存するモノの廃棄だけでも考えたら気が遠くなりそうである。福島第1原発事故現場をを最終処分地にというのは、これからも繰り返し出てくるだろうな。

「原発は超ハイリスクな装置です。火力も水力もある中で、電気を製造するだけのことに、安全神話とか、大嘘の低コスト論を振りかざして、何万年も先まで管理しなければならない状況が作られれてしまった。原発は文明論的にも許されるのかという問題をすべての日本国民に投げかけてきたのが、この福島原発の事故だと思う。
身をもって原発のリスクを検証させられた福島県民。とりわけ原発立地町村の住民に対する責任を、原賠法(原子力損害の賠償に関する法律9は、東電だけに求めている。もう一方の加害者の国は、東電を国有化して救済する。原発関係者の誰一人として刑事責任どころか経営責任も問われない。それに比べて被害者は無権利状態、見舞金契約的なゼニカネだけで泣き寝入りを強いられる。こんな実例を残したら、将来に酷い禍根が残ります。」(小野寺利孝 福島原発被害弁護団代表)


これまたまっとうな意見である。明白な犯人である、東電も国も罪を問われないのはおかしい、と、Morris.も前から思ってた。

戦争の被害がまるで平等であったかのような虚構を前提に、「これに対する補償を憲法は予想していない」とする論法は、三権分立を無効化する卑劣に他ならない。判決を不服とした原告側は直ちに控訴したが、その理由書の冒頭に、ことの本質を鋭く突いた指摘があった。
「戦後、日本政府は、一方で、アメリカに対して、賠償請求県を放棄しただけではなく、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章を与えることまでしつつ、他方で、虐殺され、傷ついた非戦闘員の被害を「耐え忍ぶべき犠牲」としてその補償を拒否してきた。
加えて、国が民間人被害者を切り捨て放置する一方で、戦争を遂行した軍人・軍属との差別を肯定していることにより、その不条理がさらに被害者の苦しみを拡大させてさえいる。それは、日本国憲法の精神からみて明らかに異常である。」
「東京大空襲では、約10万人も及ぶ人々が殺された。まさに人道に反する犯罪行為であった。
日本政府は、自国内の大虐殺の被害を戦争における[やむを得ない犠牲」として切り捨て続けてきた。」
またしてもルメイの亡霊だ。彼への叙勲と民間の戦争被害者の扱いとのコントラストに、この国の歪んだ価値体系の真髄がある。


空襲は国家的犯罪だ、とはMorris.も言い続けていることだ。カーチス・ルメイの名を目にするたびに怒りを禁じ得ない。

日本は地震国だ。国土が狭い上に山がちで、平野が少なく、地下資源に乏しい。かつてアジア諸国への侵略に勤しんだ、それらこそが動機だった。植民地を失った戦後はアメリカの支配下で、彼らが殺しまくった朝鮮半島やベトナムの民衆の屍を糧とし、あるいは水俣病をはじめとする公害禍を次々に生みながら、空前の高度経済成長を果たした。「くたばれGNP」の批判的言説が高まったのも束の間、政財官マスコミが挙げて農業を叩いて食料の輸入を促し、自給率を引き下げて工業製品による貿易黒字の埋め合わせに回した。
無理に無理を重ねて金儲けに邁進した日本。原発の乱立も規模の経済ばかりを重んじた結果だった。日本国憲法九条の存在ゆえに、エリート層の思うようには肥大化できなかった軍産複合体の代替利権、という側面も大きかった。もっと言えば、原発に象徴されるこの国の経済社会は、あらかじめ国民の人権を排除した「受忍論」を前提として成立してきたのではなかったか。

2013/09/10(火)●サランバン会新会場●

7時起床。
今朝の血圧は220/101/83。
朝の3点セット。
今日も良い天気である。今殺はサランバン会。今月から、会場が鶴橋本通りの「ジュン」という店に変更。これまでの店はちょっと狭くて暗かったから、Morris.としては嬉しい知らせ。
昼過ぎ、歌麿会長から電話で4時に鶴橋駅で待ち合わせ。一緒に洪ママの見舞いに行くことにしたのだが、その前に常連のソンジャさんの洋品店の前でちょこっとミニギター流しすることになった。本通りから外れててあまり人通りはないが、近所の店のアジュマら数人が集まって、会長差入れのビールと焼き肉(知り合いの店から配達してもらう)などつまみながら、しばらくポンチャックメドレー。20曲くらい歌ったと思う。歌ってるから料理はほとんど食べられなかったけど、ビールは合間合間に飲んで、ほろ酔い気分で結構楽しく演れたと思う。
その後二人で、桃谷の介護付き住宅に洪ママのお見舞い(表敬訪問?) こちらに移ってから2ヶ月ちょっとだが、会うたびに元気になってる感じである。
6時にサランバン会の新会場「ジュン」に到着。中山さんと高森さんが先に来ていた。店は以前の「恋人」くらいの広さで、角っこに三角形のステージもあり、、これなら20人までなら何とかなりそう。カラオケ機種はJoy-Soundで、やっぱり韓国トロット系はあまり揃ってなかった(>_<) 古い歌手はそれなりだが、トロットの新曲系は弱そうだ。ホンジニョンの「愛のバッテリー」があったので歌ってみた。ホンジニョンといえば、例の応援ブログに、福岡サンパレスでのT-ARAコンサートのレポートが掲載されていて、ブログ主(30代長崎県在住?)の実力にシャッポを脱いだ。コンサートレビューとして完璧だった。T-ARAなんて名前しか知らないMorris.なのについつい引きこまれてしっかり読ませてもらった。これはまさにプロの域だね。さらに今日覗いたら、翌日の日帰り由布院温泉の旅のレポートがあって、これまたすごかった。ブログ主はなかなかにリッチな方のようだ。
閑話休題。サランバン会は今日は参加は10人くらいでちょっと少なめだったが、榎本さんは相変わらずのビール攻勢で、結局Morris.はまたまた浴びるように飲んでしまった(>_<) おご馳走様。久しぶりに若木旦那も参加、嫁の方はちょっと体調不良で欠席というのが残念だった。
会とは別の客も結構いたが、顔なじみも多く、一緒に楽しめた。気がついたら11時半過ぎで、ヘロヘロでJRに乗って、目が覚めたら三宮だった。下りはまだ動いてるのに、上りは終電出た後で、しかたなくふらふらと歩いて1時半過ぎ帰宅。
鹿嶋さんから、キューバの絵葉書が届いてた。昨日、偶然会ったばかりで、今日の到着というのは何かの暗合めいてるな。7/19日付で、「このハガキは無事につくかどうかはわかりません。2ヶ月位かかるかも」と書いてあった。想定内だったらしい(@_@)
今日の歩数は10123歩。


鶴橋商店街で 

洪ママ住宅のベランダから 

今月から本通りの「ジュン」が会場。 

丸本旦那と中山さん 

若木旦那と丸本嫁 

記念写真 

全体はこんな感じ
 

嬉しそうな会長
 

キューバからの絵葉書
 
2013/09/09(月)●ひさびさ須磨離宮公園)●

7時起床。
今朝の血圧は165/79/98。
清々しい青空が広がっている。
今日こそはどこかに出かけなくては。
というわけで、ひさしぶりに須磨離宮公園に出かけることにした。1年間有効のチケットの期限が切れたままだったので、新たに購入。\900で、離宮公園、森林公園、相楽園に一年間いつでも行けるので、お買い得である。しかも、神戸市民で65歳以上は無料になるとのこと(@_@) 
離宮公園といえば薔薇が定番だが、今はちょうど端境期のようだった。平日ということもあって、ほとんど来訪者はいない。精々三十組くらいだったのではなかろうか。これだけの庭園を管理するには膨大な金がかかるにちがいない。それをほとんど独り占めできるというのはえらい贅沢のような気がする。植物園の一番奥にあるちいさな洋風庭園のパラソル付きのテーブルで、ミニギターレッスン。今日は譜面台忘れて来たので、パラソルの柄に楽譜立てかけての練習。風もないので不都合なかった。これから離宮公園は譜面台無しで良さそうだ。王子動物園がMorris.亭の庭としたら、こちらは離れ(離宮だもんね)ということにして、ちょこちょこ利用しよう。
結局3時間近くここで、ミニギターと読書で過ごした。その間通りかかった人は3人くらいだった。 
5時前に公園を出て、ふらふらと月見山方面に。このあたりは結構猫密度が高く、しばらくMorris.@Catographerモード。
JR須磨海浜公園駅まで辿り着いたので、そのまま帰ろうかと思ったが、ちょっと歩き足りないので(^_^;)線路沿いに鷹取駅方面に。
駅前の舗装された路地に猫が集まってたので、またまたMorris.@Catographerモード(^_^;)してたら、突然名前を呼ばれた。センター仲間の鹿嶋さんだった。彼女はこの近くの教会にときどき通ってるらしい。
せっかくなので駅前の喫茶店でちょっと話す。キューバから出した絵葉書はまだ届いてないのかと訊かれる。来てないというと、自分で出した葉書も未着とのこと。やはりあちらの郵便事情は日本や韓国とはかなりの径庭がありそう。11月に久しぶりに訪韓するとのことだったので、例の「ソウルの穴場100」を貸し出すことにする。(近日中にセンターに預けときます→鹿嶋さん)
7時前帰宅。自転車で水道筋マルハチまで買い物にでる。
福津市の深町さんからおしゃれな沖縄絵葉書が届く。
今日の歩数は12224歩。


パッションフラワー 

おしゃれな地下道 

防空壕? 

褄黒豹紋の交尾 

噴水 

神戸空襲供養塔 

野萱草 

定番風景 

飛行機ジム? 

珪化木 

芒果(マンゴー) 

今日のレッスン場 

蜥蜴(とかげ) 

噴水虹 

月見山の白 

死んでるわけじゃない 

白と黒 

八割れ白雉 

別の白
 

松風町の雉
 

夕顔?
 

須磨海浜公園駅 

鹿嶋さんと遭遇 

猫場ぢゃ 

八割れ三毛 

雉子猫 

沖縄絵葉書 
2013/09/08(日)●安倍発言に絶句(>_<)●

4時半起床(^_^;)
今朝の血圧は173/79/82。
2020オリンピックなんかどうでもいい、と言いながら、野次馬根性のMorris.は目覚ましかけて開催都市決定の場面をリアルタイムで見ることにしたのだ。最初の投票でマドリッドとイスタンブールが同票で再投票でイスタンブールが勝ち残り、東京とイスタンブールの決選投票になったらしい。結果は東京60-イスタンブール36で、2020年のオリンピックは東京での開催が決定。
昨夜の最終プレゼンで必ず福原汚染水の質問があるだろうから、これに安倍総理がどう答えるのかが気がかりだった。

「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている
「健康問題については、これまでも今も将来もまったく問題ないことを約束する」
「抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」


これは真っ赤なウソではないか(@_@) プレゼンテーションというのは自分側を有利に導くための発言だけど、だからといって事実に反することを言ってはならないだろう。汚染水は外海に漏れてる、という一事に限っても明らか。あちゃちゃ~である。
朝のニュースも、この東京決定で持ちきりだったが、安倍発言への言及は無かった。
SBSの「挑戦千曲」チャンユンジョンは紺色のちょっとアジュマっぽいワンピース。今日の注目ゲストはホンジニョンとキムスヒ。例のホンジニョン応援ブログに先週この番組に二人がゲストで出た記事があったから、2週連続というか、同時に二週分収録したのだろうと思う。ホンジニョンが一生懸命ご機嫌とろうとしてるのに、キムスヒは確かに愛想なしだった。今日は他にコヨーテの男女ペアと、Morris.好みのヘイニも出てたし、スピード歌当てクイズも復活して見甲斐があった。
午前中は雨。
阪神-巨人デイゲームは6-9で阪神連敗。
夜、台湾での高校野球W杯?? 日本ーアメリカの決勝戦。結果は2-3で日本は敗けてしまったけどこちらのほうが面白かった。
と、いうわけで、今日は1日部屋から一歩も出ず(^_^;)。
今日の歩数は0歩。


安倍総理のウソ発言 

今日のチャンユンジョン 

ホンジニョンとキムスヒ 
2013/09/07(土)●読書の日?●

7時起床。
今朝の血圧は202/97/75。
今日も朝から雨ぢゃ(>_<)
ベッドから出ないで、ピーター・バラカンのウイークエンドサンシャイン聞きながら読書。でも、今日の曲目はどれもいまいちだった。
結局今日も1日部屋でゴロゴロである。いくら農閑期だからといって、何か他にすることあるだろうと思いながら、ついつい戦後まもなく出された、外交官の戦争中の日記「外交官の一生」というのを読み続けた。感想などは下にあるけど、この本は、北杜夫のブラジル移民の長編小説の参考資料に挙げられていたので、神戸中央図書館から借りてきたものだが、ブラジルのことはあまり出てこなくて、ちょっと期待はずれかとおもいきや、何かすごく面白くてためになる(^_^;)一冊だった。
雨は降ったり止んだりで、今日の甲子園は中止かと思ったら、3時から定刻通りデイゲーム開始。甲子園では敗け知らず(高校から(^_^;))の藤浪先発で、マートンのホームランで先制、これはいいぞ、と思ったとたんに村田に2ラン打たれ、ずるずると1-4で敗けてしまった。阪神は、快勝した後ボロボロになる傾向がある。それにしても、藤浪はこのところ雨の日登板が続いた。ちょっと気の毒である。そして今日桧山の引退発表。何となく複雑な心境である。
睨みつける鱈夜は先日あまりうまく行かなかった鱈汁(冷凍のぶつ切り鱈を買ってたのだ)のリベンジで、今回はキムチと唐辛子ぶち込んでの鱈チゲ作ってみた。→前よりはましだったけど、やっぱり満足とは程遠い。スーパーで売ってある鱈もたいてい解凍ものだが、やっぱり業務スーパーの格安冷凍商品というのが敗因だろうか? それにしても今日の鱈の恨みがましい眼つきはなかなかのものだった(^_^;)→
テレビでは明日早朝に決定する2020五輪開催都市決定のニュースで持ちきりのようだった。NHKを始民放4社共深夜から明け方までの完全生中継(@_@)だと。NHKなんか、10時のスポーツニュースからほとんどぶっ通しだぞ(>_<)安倍総理は国際会議ほったらかして、最終プレゼンのため現地までまる一日かけて飛んで行くという熱の入れよう。どこか狂っているような気がするのは、Morris.だけだろうか?
福島原発汚染水漏れのニュースは、マスコミ全体で隠蔽工作がはかられているような気配だし、東京に決まったら、これを全面に押し出しての安倍政権パフォーマンスは確実だろう。駄目だった場合は、これだけ努力したのに駄目だったのは、福島原発汚染水漏れのせいだと(表向きには言わずに)責任転嫁するのだろうと思う。
女子バレー(男子もだけど(^_^;))のワール大会アジア予選というのがあってて、日本女子は今日オーストラリアに勝って本戦出場権を獲得したらしい。何だかんだ言っても、バレーチームにしたら、目標はオリンピックのメダルということに初めから決まってるわけで、これも、64年の東京オリンピックのあの「東洋の魔女」伝説に起因するわけで、Morris.がこうやってついつい女子バレーを気にかけるのもきっと同根なのだと思う。その東京オリンピックから来年で50年。どこのオリンピックだろうと始まるとついつい見てしまうMorris.だが、野球にしろ、サッカーにしろ、「スポーツ」という名の「阿片」の意味をもう一度考えなおすべきかもしれない。
今日の歩数は0歩。

【外交官の一生】石射猪太郎 ★★★☆☆ 昭和25(1950)読売新聞社刊。これも北杜夫の「輝ける碧き空の下で」の参考文献の中にあったので、神戸中央図書館の書庫から借りだした。
たぶん原本の表紙神戸中央図書館本戦後まもなくの発行だけに、紙質はざら紙でかなり傷んでいる。ハードカバーも図書館で製本しなおしたみたい→で、原本のイメージがつかめない。ネットで調べたら右側の画像が見つかった(説明なし)。神戸中央図書館版には題字が切り貼りされていて、この画像と同じ題字のようだから、原本の装幀はこんなものだったと思われる。
本書は1972年に太平出版から原稿、写真、解説など増補して再版されているし、1986年には中公文庫、2007年にも中公文庫で新装再販されている。
国立国会図書館のサイトから著者の略歴を引いておく

石射猪太郎 (いしいいたろう) 1887(明治20)−1954(昭和29)
1887.2.6生まれ。1908.6東亜同文書院商務科卒、1908.9満鉄入社、1911.5依願退社、1913.11文官高等試験合格、1915.10外交官及領事官試験合格、1915.11領事館補(上海・広東・天津・サンフランシスコ在勤)、1920.1大使館3等書記官(アメリカ・メキシコ在勤)、1922.2 2等書記官、1925.6通商局第3課長、1927.12大使館1等書記官(英国在勤)、1929.9総領事(吉林・上海在勤)、1936.7特命全権公使・タイ駐剳、1937.5帰朝、外務省東亜局長、1938.11特命全権公使・オランダ駐剳、1940.9特命全権大使・ブラジル駐剳、1942.8帰国、1943.8戦時調査室委員長、1944.9特命全権大使・ビルマ駐剳、1946.7帰国、1946.9〜50.10公職追放、1954.2.8死去。


東亜同文書院といえば、上海にあって、"阿片王"里見甫の母校というイメージが強いが、石射は5期生、里見は13期生と、かなり時間的差がある。
本書を読む契機になったブラジル関連については、石射がブラジル大使赴任後すぐに真珠湾攻撃があり、途中で強制送還されているが、いまいち、Morris.の注目を惹く記事はなかった。
公職追放が解除になった直後に本書を出して、その4年後に亡くなってる。戦後5年目の発表ということで、かなり時局を意識した部分、自己保身的表現も感じられるが、全体的には、率直なものいいと、簡潔でわかりやすい達意の文章で、読みやすかった。ほとんど、日中戦争、太平洋戦争の外交裏面史といった感じである。

総領事としての私は、材木業者のために満鉄に口を利いたり、民会の問題を裁いたり、全くのお庄屋総領事であつた。始終、吉林省内の朝鮮人問題に煩わされた。一は独立運動や赤化運動に暗躍するいわゆる不逞鮮人の取締り、ニは朝鮮人の学校問題、三は万宝山事件であつた。吉林省内在住の幾十万人の朝鮮人が、開放地意外で自分の学校を設けて、指定を教育するのを省政府が弾圧する、というのが学校問題であつた。朝鮮人は中国人から高麗(カオリ)と呼ばれて賤民視されて嫌われていた。朝鮮人問題で苦労するとは、外交官も落ちぶれたものだとの自嘲を禁じ得なかつた。が、田舎領事とは云え、大公使の下の書記官とは違つて、いわば一城の主であつて、その責任は国家に対し直接的である。私は外交官としての職責の重大さを、吉林において初めて体験したのであつた。(吉林総領事時代)

朝鮮人蔑視としか思えない物言いであるが、戦後でも、元外交官がこのような意識を持ち、それを公言するというのは、とんでもないことのように思えるが、そういった風潮だったのだろうか。太平出版の再版では、この部分どうなってるか、興味があるところ。

陰惨な二・二六事件とは違つて上海居留民の朗らかな興味をそゝつたのは、続いて起つたお定エロ事件であつた。その当座、クラブでも料亭でも数人集まればこの話題で持切つた。中国紙もいつもとりすましているノースチャイナ・デーリー・ニュースさえも、この事件を細かく報道して紙面を賑わした。
日本の出来事で国際的爆笑を買つた朗報は、後にも先にもお定事件にとどめをさすのではなかつたか。(上海総領事時代)


阿部定事件を「国際的爆笑を買った朗報」という、捉え方も外交官以前に、常識人として如何なものか?と思ってしまうのだが、やはり、これも正直な感想なのだろうな。

七月八日払暁、私は外務省からの電話でたたき起された。盧溝橋での中日衝突の情報であつた。しまつたと思つた。差しまわしの自動車で、外務省に着いたのが六時頃、構内には人影なく、すがすがしい早晨であつた。情報部に行くと河相部長が出勤していた。「とうとう始まつたね」「大きくならなければ好いが」顔を合わせるなりの挨拶であつた。主管課の東亜第一課には大田(一)主席事務官が詰めていた。
やがて登庁した広田大臣を囲んで、堀内次官、東郷東亜局長、私の三人が鳩首した。事件不拡大局地解決、誰にも依存ある筈がなかつた。続報が次々と北平大使館から入電した。事端は中国軍の不法射撃によつて開かれたとあるが、柳條溝の手並みを知つている我々には「またやりあがつた」であつた。が、何れが手出しをしたかはさておいて、当面の急務は、事件の急速解決にあつた。(東亜局長時代)


外務省が関東軍の行動を把握して苦々しく思いながら、結局押し切られていったことが、本書を読むとよく分かる。

南京は暮れの十三日に陥落した。わが軍のあとを追つて、南京に復帰した福井領事からの電信報告、続いてL上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。昭和十三年一月六日の日記にいう。
○上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の退廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立つた暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であつた。部下を使つて宿営所に女を拉し来つては暴行を加え、悪鬼の如く振る舞つた。何かいえばすぐ銃剣をがちやつかせるので、危険で近寄れないらしかつた。
私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍規の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかつたが、あまりに大量な暴行なので、手のつけようもなかつたのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にシなかつた。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員会なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、、臨月の女も容赦されなかつという記述は、殆ど読むに耐えないものであつた。その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍規粛正のために現地に派遣されたと伝えられ、それが功を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になつて行つた。
これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であつた。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからであつた。(南京アトロシティーズ)

「南京事件」の、外交官の率直な感想と報告という意味で、この部分は大きな意味を持つ。すでにあちこちで引用されているとは思うのだが、巷間で争論になっている、被害者の数などはおくとして、かなりの(異常といえるほどの)残虐行為が行われたことは、間違いのないところだろう。アトロシティーズ(Atorocities 虐殺)という言葉は初めて知ったが、家永三郎や洞富雄らが、この言葉を著書や発言で使用しているらしい。

わが鎖国時代を通じて、日本と交渉を持ち続けた唯一の国だけに、この国の人々の今なお持つ日本への興味は、伝統的に深いものがあり、それが色々な形にあらわれていた。
和蘭は英、仏、独、伊に通ずる欧州の大道から、やゝ外れているので、こゝに来遊する日本人は多くはなかつた。それでも近衛秀麿氏、野上豊一郎博士夫妻、大毎の楠山義太郎氏、外務省人では、矢野西班牙公使、本省から特派の伊藤(述)公使、ベルギーからの来栖、栗山両大使などを数え得る。舞踏家崔承喜も巡業に来て、可なりの当りを取つた。(和蘭公使時代)


ここは崔承喜の名前が出てきたから、つい引いてしまった(^_^;)

ソ連通過の手続が出来て、一同ベルリンを立つたのが八月一日、どこをどう通ったのか、汽車の走るまゝに数日してモスコーに着き、東郷大使、七田参事官の歓待を受けた。
両氏の口から、ノモンハン敗戦の真相が語られた。去年私がヘーグに着任して間もない頃、本省から磯谷関東軍参謀長の意向として「ソ連軍が頻りにノモンハン方面に進出して来て小うるさいので、関東軍は一気に片づける」由との情報電があつた。その後、戦争は勝つておると伝えられ、その九月に停戦協定がモスコーにおいて結ばれたのであつたが、真相はソ連軍の化学兵器の前に、手も足も出ぬわが軍の全滅だつたのだ。(さらば和蘭)


ノモンハンのことは、現代でもほとんど知られていないようだが、国民には完全に隠蔽されてしまってたようだ。大本営発表の始まりみたいなものだろう。まあ、戦後68年経っても、本質的にはさほど変わってないように思えるけどね。官吏の好きな言葉は今だに論語の「民は由らしむべし知らしむべからず」のようだ。

日、華、泰、満、比、緬、印度仮政府の代表者の寄合う大東亜会議が、昭和十八年十一月五日から帝国議会議事堂内で開催された。会議の採択する大東亜共同宣言の立案には、戦調室からも、案を携えて、私と石沢委員が参加したが、戦調室は大体この会議に気乗り薄であつた。戦局は日増しに不利で、現にその十月初めには関釜連絡船崑崙丸さえ敵潜水艦の餌食となつたほど、共栄圏内の交通が不自由になり、わが勢力は逐日縮むのみで、我々戦調委員の頭にはもう共栄圏の実現は、不可能と映つていたのである。(特命大使時代)

敗戦の2年半前に、関釜連絡船が撃沈されていたということも、こういった日記で読むと、改めて思い知らされてしまう。

外交に哲学めいた理念などがあるものか。凡そ国際生活上、外交ほど実利主義なものがあるであろうか。国際間に処して、少しでも多くのプラスを取込み、出来るだけマイナスを背負い込まないようにする。理念も何もない。外交の意義はそこに盡きる。問題は、どうすればプラスを取り、マイナスから逃れ得るかにある。外務省の正統外交も、これを集大成した幣原外交も、本質的にはこの損得勘定から一歩も離れたものではないのである。
この意味において、外交は商取引と同じである。一銭でも多く、利益を挙げたいのが、商取引だが、そこには商機というものがある。市場の動き、顧客の購買力、流行のはやりすたり。それ等の客観情勢によつて、売価に弾力を持たせなければならない。売価を高くつけ得ないために、時によつては、見込んだ利益を挙げ得ないのも、やむを得ない。或いは流行おくれのストックに見切を付け、捨て売りにして、マイナスを少くするのも、商売道であり、薄利多売も商売の行き方である。
外交もこれと同じなのだ。国際問題を処理するに当つて、少しでもわあ方に解決したくとも自国の国力、相手国の情勢、国際問題を処理するに当つて、少しでもわが方に有利に解決したくとも自国の国力、相手国の情勢、国際政治の大局を無視して、無理押しは出来ない。彼我五分五分、或は彼七分我三分の解決に満足し、マイナスをそれ以上背負込まない工夫も必要であり、そこに妥協が要請される。そしてこうした操作に当るのが外交機関なのだ。
商取引に、商業道徳が重んぜられるように、外交には、国際信義がある。商人が不渡り手形を出したり、契約を実行しなかつたりすれば、その店は遂には立ちゆかなかくなる。国家が、国際条約を無視したり、謀略をほしいままにするえば、その国際信用は地に落ち、自ら破綻の基を開く。この国際信用を維持し、発揚するのが外交の大道であり、特に幣原外交は、力強くこの大道を歩み、一歩だも横道にそれなかつた。(霞ヶ関正統外交の没落)

本書のおしまいに付録みたいに収められている三つの短文の最後のものからの引用だが、Morris.のような政治外交音痴にも、何となくわかったような気にさせられる見解である。まあ、石射がほとんど幣原に私淑していたからの、幣原擁護論にも繋がりそう。

一時、国民外交が叫ばれた。国民の輿論が支柱となり、推進力とならなければ、力強い外交は行われないというのだ。それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、わが国民の輿論ほd,危険なものはなかつた。政党は外交問題を、政争の具とした。言論の自由が、暴力で押し潰されるところに、正論は育成しない。国民大衆は、国際情勢に盲目であり、しかも思い上つており、常に暴論に迎合する。正しい輿論の湧きよう筈がないのだ。こうした輿論に抗しつつ、自己の正しいと信ずる政策に、忠実ならんとするところに、信念と勇気の外交が要請されるのだ。悲しい哉、幣原外交以外、近年のわが外務省の外交には、信念と勇気がない。私の説明は、いつもここに落ちるのだつた。(霞ヶ関正統外交の没落)

同じ文章からの引用。この「国民大衆」への思いあがりは、先に引いた朝鮮人蔑視にもつながる、石射の欠点(選良主義)の発露だろう。正直にこういった失言を書き散らかすあたりも、ある意味、彼の魅力なのかもしれないが、やはり、これはどこか間違っていると思う。思いたい(^_^;)
本書は結局ブラジル移民に関しては、あまり得るところなかったが、日本史(太平洋戦争の時代)を、側面から垣間見ることが出来て、裨益するところ大きかったと思う。

2013/09/06(金)●近場散策●

6時半起床。
今朝の血圧は150/70/73。
久々の晴天である。どっかへ出かけようと思いながら、また昼までゴロゴロしてしまった。
午後、屋上へ。今日はほとんど風も無く、それでも屋上の真中付近に座って、ミニギター+缶ビール。数曲ウォーミングアップのあと、ポンチャックディスコリズムで、10曲ほど連続で演ってみる。ついつい調子に乗って、気がついたら4時前である(>_<)
自転車で水道筋まで出て、マルハチ前に自転車置いて、そこから歩いて坂を登って行く。猫でもいないかと路地をのぞいて、ふらふらと五毛天神までのぼる。途中猫は白一匹だけ。SHOさんの店が神社前にあって、店の前にみきさんがいた。あまりにこのところしばしば会うの笑ってしまう。
近くにちゃんとした薬師堂があり、ガラス越しに覗いたら、なかなか立派な石造りの薬師菩薩像が鎮座していた。
平九郎稲荷神社の社屋の縁台に雉虎猫が気持ちよさそうに寝ていた。この猫は前にも鳥居の下に居たのを撮ったことがある。今日はちょっとしつこく、Morris.@Catographerモードで撮ったが、なかなか難しい。
5時半ごろ、マルハチに戻り、買い物して、6時過ぎ帰宅。
今日から甲子園阪神-巨人3連戦。まあ、優勝争いはほとんど論外だが、とりあえず応援。7時からはサッカー日本-グヮテマラ戦もときどきチャンネル変えて覗く。
能見の力投、四番鳥谷の活躍(4安打5打点)で巨人に8-4の快勝。
サッカーも、後半、本田、工藤のゴール、遠藤のフリーキックが相手の背中に当たってゴール直撃というラッキーもあって3-0とこちらも快勝。
明日こそはどこか遠出しようと思ったが、天気予報は雨(>_<)
今日の歩数は6025歩。


今日の屋上 

上野通の白 

同じく 

唐辛子 

茄子科? 

朝顔 

園芸種? 

薔薇 

鶏頭 

SHOさんの店 

五毛神社の唐獅子 

薬師堂 

 

褄黒豹紋

平九郎稲荷 

縁台に猫が 

同じく 

同じく 

【約束の大地】角田房子 ★★★☆☆1977新潮社刊。このところブラジル移民への関心が高まり、関連書籍を読みあさっているが、もともとが小説(「ワイルド・ソウル」垣根涼介)がきっかけになったもので、石川達三の「蒼氓」、北杜夫の「輝ける碧き空の下で」と読んで、本書は小説としては4冊目である。しかしこれを主題にした小説というのは比較的少ないようだ。

昭和40年(1965年)、アマゾン流域の日本人を取材に行った私に、汎アマゾニア日伯協会長であったTは、あらゆる便宜を与えてくれた。そして彼が中心であったというジュート(黄麻)栽培の歴史を、異常なほどの熱意で語った。
アマゾンの滞在が長びくにつれ、私はTの余りの評判の悪さに驚き呆れた。この徹底した嫌われ方が、私のTに対する関心を深め、やがてこの男を書きたいという気持ちを起させた。
昭和50年7月から一ヶ月間のアマゾン取材で、私は多くの高拓生やかつての指導者たちから、ジュート開発の経緯を含む戦前、戦後の移住事業の裏面をさぐろうと努めた。「ジュートは俺一人でやった」といい張るTの資料だけに頼っては書けないからだ。
作品の構成としては、小説という型にも、ドキュメンタリーの型にもこだわらず、正確を期したアマゾン移住史の中で、人物には私の想像のままの感情と動きを許す--という書き方を試みてみたいと思った。
一人の"語り手"と実在のTと、アマゾンの日本人移住史という背景とを、三層に重ね合わせて書こうという私の計画に基いて、作中の小沼信次は生まれた。(あとがき)


本書の生まれた事情は以上のあとがきのとおりだが、文中に出てくる「T」すなわち辻小太郎は、北杜夫の作中でも実名で登場していた。角田は実名を避けて仮名にしているが、他の登場人物とともどもまるわかりである(^_^;)。これならいっそ実名で書いてもらいたかった。

アンジラに向かう信次は、指導員の「下りは一時間半ぐらいでヴィラに着く」などという説明を聞きながら、船の進行にしたがって移ってゆく陸地を眺めていた。地底から湧き出るような勢いで重なり合った樹木は地肌を覆いつくし、濃緑の厚い層のまま水にのめりこんでいる。その中の何本かの巨木は水をくぐりぬけて立ち上がったように、岸から離れた水中にそびえ、天に向かって張り伸した枝から幾条もの太い蔓を垂れている。空は濃淡もなく鮮やかな紺碧一色に染め上げられ、河面は強い太陽の光をはね返して白い炎を噴き上げるほどに輝きわたっている。何もかも想像を絶して大きく、すべてが底知れぬ圧力に満ちていた。信次には、この拒否的な大自然に人間が立ち向かおうとする企てが無謀と思われた。

アマゾンの描写などは、きちんと取材してるという感じで、リアリティがある。空の青さは北杜夫のタイトルにもあるように、よほど印象深いんだろうな。「大自然」ということばがぴったりである。

「二十世紀初めアマゾンに一時の繁栄をもたらしたゴムだって、栽培じゃありません。あれも自然に生えている樹の液を集めただけです。
そのアマゾンに日本人が移住して、初めて農業らしい農業を創り出したんですから、まさに大成功です。しかしね、ジュートも、トメアスー植民地の胡椒も、その成功にたどりつくまでに、余りにも多くの落伍者、犠牲者を出しています。"血と汗の結晶"というような言葉を人は気軽に使いますが、偽りないところその実情は惨憺たるものですよ。移住者の何パーセントが定着し、発展の道を歩けたか--という物差しで計ると、落第です。二つとも、移民事業としては失敗というほかありませんよ。しかし、ジュートと胡椒という新産業を生み出したから、誰も失敗などとは言いませんが……。
高拓生だって日本から移住した総数は260人だというのに、いよいよジュートが成功と決まって、いっせいに栽培を始めた時は僅か70人ぐらいだというから……ひどいものです」
「しろうとの私の感想ですが」と英文学者の内藤教授がいった。「移住事業は戦争とは違いますね。だから、どんな犠牲を払っても勝てばいい、占領すればいいというものではないでしょうね。そこのところが、日本人の考え方は、ややともすれば目的意識だけに絞った悲壮感で片づけて、中を見ないという傾向は、何ごとにもありますね。あるいは悲壮美という美意識で、日本人流に捉えているかもしれませんね」


これは1970年、アマゾン視察に来た有吉農学士と内藤英文学者の会話だが、この二人の所見が、角田の総括を代弁したもののような気がする。
小説としては語り手の信次のキャラが変てこというか、あまりにも作者の都合で造りものめいて薄っぺらに思えた。自らが創り出した登場人物への愛情が感じられなく、本作品の魅力を失くしているようだ。

【日系ブラジル移民史】高橋幸春 ★★★☆☆ 1993三一書房刊。
著者は1950埼玉生。1975早稲田卒業後ブラジルへ移住し、パウリスタ新聞社3年勤務、帰国後フリーライター。ブラジル移民の歴史をトータルにまとめてあり、理解しやすかった。

1.笠戸丸移民-金のなる木-航海-移民収容所-欺かれた移民
2.移民の生活-第二回旅順丸移民-コーヒー農場
3.一筋の希望-平野植民地と上塚植民地-黄金の三角ミナス-サンパウロ日本人街
4.ナショナリズムの谷間-移民の群-海外の同胞-二つのナショナリザソン-三浦鑿追放事件-海南島移住論
5.相克-大本営発表-幻の戦勝国-テロ-ニセ宮様-疑惑の"新聞王"
6.日系社会-永住-戦後移民-エリザベスサンダスホーム移民-移民祭
7.還流現象

「私がブラジルに来たのはミル・ノービ・セントス・オイト(1908)年だった」彼は会話の中に多くのポルトガル語をまじえた。ともすれば日本語が姿を消してポルトガル語だけになることもあった。それは18年を日本で生き、70年をブラジルで生きてきたことを端的に物語っていた。
「ブラジルに来て良かったということは一日もなかった。一日も一遍もなかった」--園田楢衛 明治23鹿児島生


多くの移民や、関係者へのインタビューが収められているが、この老人の言葉が一番印象的だった。

1897年に、東洋移民会社が代表者をブラジルに送り、サンパウロ州のブラドー・ジョルダン商会と単独農業労働者移民二千人の輸送契約に成功した。この契約は順調に進み、移民輸送には日本郵船会社所属の土佐丸が当たることになった。土佐丸は一千五百人の移民を乗せて1897年8月15日に神戸港を出港することに決定した。しかし、この契約も出港の4日前に中止という運命を辿る。サンパウロのプラドー・ジョルダン商会から「コーヒー暴落のため約束の移民引き受け難し、出船中止せよ」という電報が入り、第一回ブラジル移民になるべきはずだった一千五百人の移民の輸送は幻に終わる。

笠戸丸の9年も前に千人もの移民が募集され、出港4日前に中止になったというのはちゃんと認識していなかったが、もしも、この渡航が成されていたら、その後のブラジル移民の歴史は大きく違っていただろう。少なくとも笠戸丸の悲劇は避けられたかもしれない。歴史にこういった「タラレバ」は無意味だろうということは、わかっていても、そう思ってしまう。

アルベルト・トーレスは移民を二つに分類している。一つは出稼ぎ移民(IMIGRACAO)であり、もう一つは移住移民(COLONIZACAO)だ。ブラジルは後者を歓迎するとしている。出稼ぎ移民も産業開発には効果があるが、国家を発展させる強力な要素にはならないからだ。
移民の人種、宗教はまったく問題にしていない。しかし、同じ国からの移民が、同一箇所に集団で生活し、その国の言葉を使用し、母国の生活習慣が支配するような地域をつくることは認めないとしている。


日本からの移民は、典型的な出稼ぎ移民だった。結果的に大部分が移住移民にならざるを得なかったということが皮肉な実情だったのだろう。

日本側の労働力不足、そしてブラジルの不況、こうした要因が重なって日系人の還流が始まった。日系人にとっては、日本で生活しながら日本語を獲得したり、あるいは直接に日本文化に触れるいい機会になっているのかもしれない。
しかし、問題がないわけではない。なぜ、日系人は三K産業だけにしか働く場が開かれていないのか。受け入れに積極的な姿勢を示す人の中にも、このことに疑問を投げかける人は少ない。
戦前の日本は、強制連行した朝鮮人、中国人を炭鉱やダム工事などの危険な建設現場に送り込んでいった。その状況と現在が違うと果たして言い切れるのだろうか。
入管法の「改正」によって「不法」残留の外国人は国外へ「退去」し、その代役として日系人が逆流してきた。なぜ、日系人だけなのか、疑問を感じないわけにはいかない。
日本は多くの移民を各国に送り出してきた。移民はいやおうなしに他民族、異文化の中で暮らさなければならなかった。彼らは多民族国家の中で受け入れられつつ、受け入れ調和していった。日本は常にそんな日系社会の「同化」を絶賛してやまなかった。その日本がどうして、日本で働き、共に生きようとする人々を拒否することができるのか。


現代の日本に還流した日系人たちは「出稼ぎ」なのか「移住移民」なのか? 両者混在とは思うが、いずれにしろ悲劇的に推移しないことを願いたい。などと、他人事のように思う事自体が、在日日本人の認識不足なのに違いない。

【明治海外ニッポン人】伊藤一男 ★★★ 1984PMC出版。著者は1924北海道生、季刊「海外日系人」編集長。本書ではその季刊誌に連載した5つの記事を合わせたもの。

・排日の大河--伝馬(デンバー)
・瘴癘の砂漠--秘露国(ペルー)
・流れ移民--墓利比亜(ボリビア)
・笠戸丸異聞--伯剌西爾(ブラジル)
・差別の底流--沖縄

Morris.は、最初ブラジル移民関連の「笠戸丸異聞」のみを読もうと思ってたのだが、結局全編読み通してしまった。

明治、大正時代から昭和のつい最近まで、この国は外貨を稼ぐ自動車も電気製品もなかった。人口政策を持たないまま、男も女も海外へ出稼ぎに送り出されてきた。「物」の輸出でなく「者」の輸出であった。国家的、社会的要請に基づく出移民だった。時には取締当局が気にいらなら"主義者"に「刑務所にいくか海外へ移民に出るか」と迫って叩き出したこともあった。形を変えて兵役拒否で海外へ脱出した組もある。自動車などの「物」ならば海外へ売ってしまえばそれまでである。しかし「者」である移民はそうはいかない。日本の政治・外交・軍事・経済・社会のあらゆる諸要素が人間である移民とその子孫に対する排斥の問題があげられている。一方、海外へ棄民として出しておきながら、体面と国際関係を重んじる日本政府は、海外の"異民"にかなりの干渉を続けてきた。行政命令で居場所を動かしたこともあったし、巧みな行政指導で生活権を規制したこともあった。時には、移民を不法逮捕して日本へ強制送還したりした。
このように、棄民政策とは裏腹の行政干渉は、海外の日系人社会の上に大きな影を落しているもののひとつであるが、ともあれ、明治以来のあわただしくかつ壮大な日本の政治・社会ドラマの延長線上に移民ないし日系人たちは厳然と座っている。移民ニッポン人とは何であったのか、あるいは何であり続けるのか--。この設問の行くつく先は、とりも直さず明治から始まるたぶんに官製的な日本の近代化政策を、海外に渡った多くの移民の目でとらえ直すことであり、それをもって、われわれの歴史をもう一度自己検証することであると考える。
ラテン・アメリカ各国の初期ニッポン人移民の場合、その日一日だけを生きることに汲々とせざるを得ない日常生活の中で、自らの歴史記録を残そうという努力がほとんど払われていないと言っていい。仮りにあるとしても、その多くはせいぜい"勲章の歴史"である。栄光の歴史はたしかに一つの価値があるかもしれないが、名もなく産もなく生きた移民大衆の声は聞かれない。(序)

流れ千里のアマゾン河の
岸の大樹を伐り払ひ
筏造りて日の丸立てゝ
隅田川まで流したい
トコトットットトットトット

ブラジルよいとこ誰いふた
移民会社にだまされて
地球の裏側来て見れば
聞いた極楽見た地獄


初期ブラジル移民たちの間で歌われた俗謡(替え歌)である。先のラッパ節の威勢の良さ(虚勢)と後の現實吐露のギャップに胸が締め付けられる。

本土対沖縄という問題から、本土対本土、沖縄対沖縄といいう「内なる差別」構造を分析すると、二元的な対立というより、三元的にも五元的にも対立図式が広がって果てしない。これでは、日本列島は、さながら「さげすみ列島」である。一面からいえば、さげすんだり、さげすまれたりして、日本列島は空前の発展をとげたのかもしれない。
こうした差別に対して、世のヒューマニストや学者、文化人、あるいは政治家立ちは、差別は人間として生きる基本的権利をふみにじるとして、しきりに人間愛を強調する。
例えば、幕藩体制維持のために作られた「士農工商」制度やそのさらに下に作られた賤民の存在である。これは、経済基盤をも含めて官制の"階級差別"であるといえるだろう。これは、明治憲法が撤廃を宣したものの、その後の近代国家へと発展していく家庭で、権力の民衆支配の礎に利用されてきたことも事実である。さらに、現在に至ってもなお権力側は隠然と支配構造の中で、それを利用し続けている。このような上から強制された差別は浸透すると"人種差別"にも似た憎しみと偏見になり、民衆を分断させてしまう。かつて日本が朝鮮や中国の人々になした差別の根源もそこにあった。そして、もちろん、ヤマトンチュがウチナンチュになしている差別感の中には、"官制の差別意識"が常に存在しているといえるだろう。(差別の底流)

差別されている沖縄という視点から、沖縄自体が内包する差別を論じる。つまるところ日本列島が「さげすみ列島」だという痛烈な批判。しかし、Morris.は「人間とは差別する動物」ではないかという猜疑心に捉えられてしまった。

2013/09/05(木)●楽譜が飛んだ(^_^;)●

6時半起床。
今朝の血圧は211/92/72。
朝の3点セット。
台風17号名残の温帯低気圧も関東方面に去ったらしいが、いまいちすかっとしない曇天。
昼過ぎ、ミニギター、缶ビール持って屋上に。数曲歌ったところで、手すりに置いてた楽譜帳(クリアファイルノート)が突風に煽られて中に舞い上がり、落下してしまった(>_<) 一番下まで落ちてたから良かったが、隣の屋根などに落ちてたら、と思うとちょっとぞっとする。これからは注意しよう。
3時前部屋を出て自転車で三宮図書館方面へ。今日も途中でオートバイのみきさん(SHO妹)に声をかけられる(^_^;)
三宮図書館でちょっとゆっくりして、帰り大安亭で買い物して、6時過ぎ帰宅。
阪神はメッセンジャーの好投(8回無失点、自らのヒット、三塁タッチアップスライディング)に応えることなく、9回サヨナラ敗け(>_<)
今日の歩数は3944歩。


オレンジ色が楽譜帳 

大安亭の白 

同じく 

旭通りの白雉Twin 

三宮図書館前の空 

忠武キムパと鱈汁 

真夏の島に咲く花は】垣根涼介 ★★★☆☆ 2006年10月講談社刊。フィジーの観光地ナンディーを舞台に、人口の半分を占めるインド人と現地フィジー人との対立、フィジー籍を取得している日本料理店の息子、ワーキングピザで観光会社のアテンダントの日本娘、インド人土産店の娘、フィジーの若者たちの交友と、恋愛関係、貧富の問題を描いている。
200年5月に起きた集団国会議事堂占拠事件をからめながら、リアルなストーリー展開である。フィジーの国勢や歴史なども手際よく説明されて、Morris.は初めて知ることが多かった。
イギリスの支配、西洋からもたらされた伝染病でフィジー人絶滅の危機、砂糖黍農作に来たインドからの移民の数的、経済的台頭、クーデター、軍政、中国の進出…………

良昭もサティーも日本人、インド人という人種の違いはあれ、広い意味では文明圏共通の価値観を持つ人間として一括りにされる。勤勉であること、約束を守ること、お互いに助け合うこと、などなどを美徳として捉える価値観だ。
アメリカ人、ロシア人、日本人、ドイツ人、イギリス人、韓国人、フランス人、アラブ人、中国人、ブラジル人、インド人……数多くの民俗が、それらの約束事が人類共通の美徳だと無意識に信じ、疑っていない。
然し最近になって、ようやく分かってきた。
それらの約束事は文明圏共通の美徳ではあっても、人類共通の美徳ではない。
勤勉であること、約束を守ること。お互いに助け合うこと。
それらの根底にある思想は、飢えへの恐怖だ。飢えを知るからこそ、勤勉さと相互扶助の精神が尊ばれ、さらにその関心が効率的な生産活動や食料備蓄という側面にまで高まってきたとき、重要な約束事や貨幣経済が生まれる。
つまり、これらの美徳は、飢えへの回避という要因から発した後天的なものに過ぎない。
だが、働かなくても道を歩けば食べ物はいくらでも転がっている社会では、勤勉さや約束遵守の精神はそれほど求められない。
自分たちが物心ついたときから人類共通の美徳として信じきっってきた価値観など、それだけのものに過ぎないのだと感じた。


見えもしない想像に振り回され、今を犠牲にしてまで躍起になって動きまわる人生って、いったいなんなのだろう。
今を犠牲にして将来を取るのか。それとも今を楽しんで、将来は貧乏でもいいと覚悟を決めるのか。そもそも、そんな後か先かでの人生の損得を考えること自体、おかしなことなんじゃないんだろうか。
生きることは、損得勘定ではないんじゃないかな。
その時々の素直な気持ちに従うこと。それが大事だと思う。たぶん、そんな人生、得な人生という考え方自体が変なのだ。それこそ貧乏臭い。それに、この国ではどんなに貧乏くじを引いても餓え死にすることはない。なら、それでいいじゃないか。


サモアの酋長の談話という形で、西洋文明を批判した、あの寓話的傑作「パパラギ」を思い出さずにはいられなかった。あの本は文明人必読の書だと思う。
フィジーでは本書発行の年の年末に軍部のクーデターが起こり、現在も流動的な社会状況には変わりはないらしい。
著者の旅行会社勤務の経験がこのような作品を書くときには大きな力になっていると思う。

2013/09/04(水)●逼塞●

6時半起床。
今朝の血圧は182/81/68。
台風17号は昼過ぎに温帯低気圧になったが、全国に豪雨をもたらしたようだ。
神戸も朝は青空見えてたが昼間はずっと雨。夕方にはぼんやりとした夕焼け。
結局今日も、外出は放棄して、いちにち部屋でごろごろ、というか、ほとんどベッドで本読んでた。
農閑期に入って三日間雨続きで、これ幸い(^_^;)と、逼塞の日々を過ごしている。
今日の歩数は0歩。


明け方の東空 

昼間はほとんど雨(^_^;) 

夕方 (>_<)の東空 

【佳代のキッチン】原宏一 ★★★☆☆ 2010年光文社刊 中学卒業時に出て行った両親を探すため、15年後に移動ミニバン調理屋しながら、日本全国を追いかけまわるという、、いかにも造りものストーリーだが、横須賀、京都、松江、仙台、花巻、函館など各地の景色や人情、オリジナルのレシピなどが織り込まれて、それぞれ楽しめる仕掛けになっている。

いま改めて京都の街で暮らしはじめてみると、ここは神社仏閣だけの街ではない。細かい路地の組み合わせで成り立っている街なんだと気づいた。もちろん、ほかの街にも路地はたくさんあるのだけれど、京都の路地は碁盤の目になった市街地の合間をびっしりとうめつくす毛細血管のごとき存在で、細かい一本一本のそれぞれに表情がある。

京都の町並みをこんなふうに表現するあたりは、なかなかだと思う。

この佳代流ミートボール、ふつうのミートボールとほぼ変わらないのだが、二つだけ違いがある。一つは挽き肉。これは佳代の賄いカレーもそうなのだけれど、豚バラ肉のブロックを切り刻んでから包丁で叩いてミンチ状にしている。そしてもう一つは、ミンチ肉のつなぎ。ふつうはパン粉でつなぐところを佳代はクスクス(粒上パスタ)とお麸を砕いたものを入れている。クスクスをさっと湯通ししてから、お麸とともnミンチ肉に二割ほど混ぜる。するとお麸のもちっとした食感と相まって、トマトソースで煮込んでもやわらかくてあっさりした口当たりのミートボールに仕上がる。

料理レシピも、平凡な中にちょっとした意外性を含ませるあたりも、同上である。

【東京ポロロッカ】原宏一 ★★★ 2011年光文社刊。
ポロロッカとはアマゾン河に海の水が逆流する現象のこと。めんどくさいのでWikipediaから引いておく。

ポロロッカ(Pororoca)は、アマゾン川を逆流する潮流、いわゆる海嘯のこと。ポロロッカの名称は、トゥピー語で「大騒音」を意味するpororó-káからきている。
満月と新月の時は干満の差が大きく(大潮)、およそ5m程の高さの波としてアマゾン川の河口に押し寄せてくる。この大波は川の流れを飲み込んで、時速65kmの速度で逆流し、800kmの内地にまで至るものもある。
大潮に由来するため月に2回起こる現象であるが、3月の頃には干満差の大きさや、雨季の影響によるアマゾン川の水量の多さにより規模が大きくなる(大海嘯)。雨季に当たる春には、アマゾン川の大量の水が満潮になって押し寄せる海水と衝突する。この時、川の水は逆流する海水に押され、海に流出することができず海水と共に逆流する。この時、600kmの内陸にも洪水や海水の氾濫による甚大な被害がもたらされる場合がある。
パラ州のサン・ドミンゴス・ド・カピンでは1999年以降、毎年ポロロッカを利用した波乗りの大会が開催され、各国のサーファーが訪れている。2003年には、アディルトン・マリアーノが、この波に乗って34分間に亘り川を上っている。しかしながら、水中には川岸から流された大量の障害物が漂っているので危険も伴う。
オリノコ川でもポロロッカに似た現象が知られており、マカレオ(macareo)と呼ばれている。(Wikipedia)


このポロロッカが東京の多摩川でもおこるんじゃないか、という与太話が、小さな噂から、だんだんひろまってしまい、これを利用しようとする不動産屋、官庁なの予算獲得画策にまでおよび、その噂に翻弄される7組の人々のエピソードをオムニバス短編に仕立てたもの。
例によってこの作者お得意の薀蓄、そしていかにも造り物めいたプロットだが、それなりに読ませるものに仕上げる手際はなかなかのものと思う。
しかし、この連作が「小説宝石」に2010年から2011年4月にかけて連載され、まさに2011年3月11日の東北大津波の前触れみたいになってるのが、不気味でもある。冒頭に震災復興への願いが付されている。

「ぼくがイベントを企画するときは、いつも四つのポイントを意識してるんだよね」
そういうと柴口は『時節』『世相』『衝撃』『限定』と紙に書き出し、新人研修会をやっている気分で説明しはじめた。
まず『時節』とは季節や年中行事、記念日などのこと。いまなぜこのイベントか、という理由づけなしには人は注目しない。『世相』は、円高時代とか韓流ブームとかエコ志向とか、景気の動向や巷の流行といった世の中の状況。これがズレていては、だれも振り向かない。『衝撃』はサプライズと言い換えてもいい。なんでもいいからドキッとさせる仕掛け。そして、『限定』とは、十個だけ、とか、いまだけ、とか、ここでしか買えない、といった脅しで、最終的にはこれが人を行動に駆り立てる。
こららすべてを満たしていれば、まず一定以上の成果は得られる。そこに『神風』が加われば、さらなる大ヒットにつながる。ただし『神風』は企画者の手が及ばないものだから、、柴口としては最低限、四つのポイントだけは満たすように心がけている。


ちょっと鬱病気味のイベントプランナーが妻に教えるイベントのコツだが、これなどは、昔とった杵柄というか、コピーライター時代の「遺産」なのだろう。
柴口が鬱病から回復しかけたときに定期診察で医者がすすめる「ハッピーノート」は、世間によくある「幸せになる方法」みたいなものだが、効果ある人には効果あるかもしれない。

「柴口さん、明日から"ハッピーノート"をつけてはどうでしょう」
ペンシルバニア大学のセリグマン博士が提唱しているプログラムで、毎日の就寝前に、その日にあった良いことを三つ書き出す習慣をつけるといいのだという。
「三つですか?」
「ええ、必ず三つです。どんな些細な良いことでもいいから毎日三つ書き出すようにしているだけで、気持ちが元気になっていく効果があると言われています。まあ騙されたと思ってやってみてください」

2013/09/03(火)●デマと虐殺と隠蔽と●

6時半起床。
今朝の血圧は183/86/78。
明け方はわずかにでも青空が見えたのに、8時頃からまた雨。
台風17号は九州の南海上で迷走というか、鈍走しそうで、5日くらいまでは雨天が続きそう。
夕方JRで六甲道に出て、銀行と灘図書館に寄ってから、学生青年センターへ。
今日は、朝鮮セミナー「関東大震災時朝鮮人虐殺とその後90年」という題目で立教大学の山田昭次さんの講演。
先日の朴燦鎬さんの韓国歌謡講演とは違って、楽しいテーマではないのだが、やはり、あの事件は見過ごすことのできないもので、これまでにいくらか関係書籍にも目を通してきただけに、聞いておきたかった。
山田先生は80を超えて、ちょっと耳が遠くなってるらしいが、矍鑠たるもので、ちょっとべらんめえ調で、時にアクションを交えての熱演、
20pほどのぎっしり詰め込んだレジュメも用意されて、講演というより、講義のような2時間だった。
虐殺事件そのものより、それに至るまでの在日朝鮮人への、差別と偏見、事件後のもみ消し、さらに極右化する世相の中で、教科書から「虐殺」の語の削除、事件そのものを記述しないなどの傾向へ警鐘を鳴らす、といった主旨だった。Morris.は、関東大震災というと、反射的に当時警察権力の中枢にいた正力松太郎のことを思い出す。佐野眞一の「巨怪伝」で、正力と朝鮮人虐殺事件の関わりのことが大きく取り上げられていたからだ。質疑応答で、正力のことを質問したが、完全に空振りだった(>_<) 
講演後の飲み会はパスして阪急で9時過ぎ帰宅。
阪神-横浜戦は9回で阪神10-1のリード。先発予定のスタンリッジが突然の戦力離脱で、6年目で初先発の白仁田が6回まで1点で抑え、初先発初勝利でヒーローインタビュー。藤浪のように、入団そうそう華々しく活躍する選手とは対照的な、こんな選手が脚光を浴びるといのも、感慨ひとしおのものがあった。
今日の歩数は1036歩。


矍鑠たる山田昭次先生 

質疑応答 

プロ6年目で初勝利の白仁田投手 
2013/09/02(月)●雷雨に竜巻●

8時起床。
今朝の血圧は176/80/72。
朝から雨ということで、今日は1日部屋でごろごろすることにした。
台風17号も発生して、今日も日本全国各地で、大雨や雷雨の模様。
午後には埼玉県で竜巻が起こり、かなりの被害が出たようだ。
ニュースもずっとこれにかかりきりで、視聴者提供の映像(スマートフォン、デジカメ、ビデオカメラ)が、やたら利用されてた。You Tubeなどでの一般投稿映像の普及が、マスメディアのニュースにも浸透してきたことの証左なのかもしれない。
竜巻なんてのは、「オズの魔法使い」の舞台みたいに思ってたのが、日本でもこれだけの被害をもたらすことになったのは、やはり、ここ数年(十数年?)の世界的気象変動の一端なのだろう。地球温暖化減少とは又別の地球規模の変化が起こってる気がしてならない。
結局夕方自転車で水道筋マルハチに買物に行ったほかは、部屋でごろごろと所期の目的?を遂行した。
10時からKBSの歌謡舞台見る。相変わらず、中国サイトはフリーズするので、KBSableの小さな画面で見たのだが、今日の1338回は "제50회 방송의 날放送50周年記念“ 特集番組。
1963年9月3日に韓国でのTV放送が始まった記念日らしく、今年で50周年を迎えることになり、その祝賀番組らしい。

1) 사의 찬미サエチャンミ 死の賛美/ 최진희チェジニ
2) 학도가ハクトカ 学徒歌/ 명국환ミョングッカン
3) 희망가ヒマンガ 希望歌/ 유지나 ユジナ
4) 황성 옛터ファンソンエット 荒城の跡/ 김정호 キム・ジョンホ
5) 알뜰한 당신アルトゥルハンタンシン 大事な貴方/ 문희옥 ムンヒオク
6) 귀국선キグッソン 帰国船/ 김상배 キムサンベ
7) 울어라 은방울ウロラウンバングル 泣くな銀鈴/ 장윤정チャンユンジョン
8) 나 하나의 사랑ナハナエサラン私一つの愛/ 최유나 チェユナ
9) 경상도 아가씨キョンサンドアガシ 慶尚道娘/ 최석준 チェソクチュン
10) 아메리카 차이나타운アメリカチャイナタウン/ 김혜연 キムヘヨン
11) 전선야곡ジョンソンヤゴク 前線夜曲/ 진시몬 チンシモン
12) 홍콩 아가씨ホンコンアガシ 香港娘/ 윙크 ウィンク
13) 비 내리는 호남선ピネリヌンホナムソン 雨降る湖南線/ 함중아 ハムジュンア
14) 오동동 타령オドンドンタリョン/ 정수빈 チョンスビン
15) 꽃 중의 꽃コッチュンエコッ 花中の花/ 최진희 チェジニ
16) 서귀포를 아시나요ソクィポルルアシナヨ 西帰浦をご存知?/ 장윤정チャンユンジョン
17) 여자의 일생ヨジャエイルセン 女の一生/ 진시몬 チンシモン
18) 노란 셔츠의 사나이ノランショチュエサナイ 黄色いシャツ/ 김혜연 キムヘヨン
19) 사랑은 눈물의 씨앗サランウンヌンムレシアッ 愛は泪の種/ 김상배 キムサンベ
20) 돌아가는 삼각지トラガヌンサムガクチ 三角地ロータリ/ 문희옥 ムンヒオク
21) 월남에서 돌아온 김 상사ウォルナメソトラオヌンキムサンサ ベトナム帰りの金上士/ 윙크 ウィンク
22) 용두산 엘레지ヨンドゥサンエレジ 龍頭山エレジー/ 정수빈 チョンスビン
23) 갈대의 순정カルテエスンジョン 芒の純情/ 함중아 ハムジュンア
24) 가슴 아프게カスマプゲ 胸が傷んで/ 최유나 チェユナ
25) 한오백년ハノベニョン 恨五百年/ 유지나 ユジナ
26) 흙에 살리라フルゲサルリラ 大地に生きる/ 최석준 チェソクチュン
27) 애수의 소야곡エスエサヨゴッ 哀愁の小夜曲/ 하춘화 ハチュナ


いやあ、歴史的名曲揃い踏みと言った感じである。Morris.は9割くらい知ってた(^_^;) 通常と同じ1時間で27曲というのは、先日のメドレー企画に通じるものがある。キムヘヨン、チャンユンジョンの二人が出演というのが嬉しかった。ユンジョンちゃんは結婚後KBS初出演かもしれない。2曲とも割りと地味目な曲だったが、ポニーテイルがいい感じだった。圧倒的に女性陣優勢で、チェジニ、ユジナ、ウィンク、
ハチュナ、ムンヒオク、チェユナの豪華版。中でもユジナは歌唱力が凄いと再確認した。
今日の歩数は1003歩。


ユジナ 

キムヘヨン 

チャンユンジョン 
2013/09/01(日)●阿南あたり●

4時半起床。
今朝の血圧は183/78/66。
昨日と同じメンバー5人で、四国徳島阿南市のインドネシア向け引越し荷物と保管荷物ピックアップ現場。
倉庫から出発した途端に雨降リ出す。
阿南の現場に着いてしばらくしたら、猛烈な雷雨(>_<)
どうなることかと思ったが、雨も降ったり止んだりで、どうにか昼過ぎに作業終了。
昼は「りょう花」とう徳島ラーメン店で酢橘ジュレ(^_^;) の冷やし麺(\780)食べる。ゲテ物とまで言っては可哀想だが、努力は認めよう(^_^;)
2時半倉庫着。
帰り、マルハチに寄って、北海道産の新秋刀魚買って3時帰宅。
今日から一ヶ月間J-comの75CH,見放題キャンペーン。いちおうちゃっちゃっとちぇっくしたけど、特に見るものはなさそう。KBS WORLDも、過去のドラマをだらだら流すのがメインで、歌謡舞台やのど自慢も時間帯が悪い。
阪神は広島に1点差で負け、女子バレー日本は、アメリカにフルセットで負けてトータル4位で終了。結局女子バレーは、今後も、あまり期待できそうにない。
明日からしばらく農閑期に入りそうな気配である。
今日の歩数は3922歩。


雨の朝の明石大橋 

雨の朝の鳴門橋 

現場近くの阿南市科学センター

溝にいた蟹 

現場付近 

「りょう花」冷やし塩酢橘ジュレラーメン 

徳島あたり 

淡路あたり 

北海道産新秋刀魚 


 

 

 


 
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