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Morris.日乘2014年8月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

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014/08/31(日)●京都五条あたり●
6時起床。
今朝の血圧は151/54/102。
この低血圧は昨夜ちょっと飲み過ぎたためだろう。
浅海くんら4人で、京都下京区、上海向け船便と保管荷物ピックアップ現場。
昼食抜きで1時過ぎ作業終了。
その後浅海くんと二人で北区の実家に、冷蔵庫と電子レンジ配達。
遅めの昼食は横綱ラーメン。
3時半倉庫着。
5時帰宅。
阪神はヤクルトに連敗でこのカード負け越し(>_<)
今日の歩数は4022歩。

【東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと】菅直人 ★★★☆ 2012/10/25 幻冬舎新書。
福島原発事故時の総理大臣だった菅直人の当時の記録である。どうせ自己弁護や、正当化、言い訳などがメインかと思ったのだが、意外なくらい率直に事故後の経過を、日録風にまとめてあり、なかなかの一冊だった。
菅が東京工大の物理学科卒業というのも知らずにいたが、理科系の総理大臣というのは、かなり珍しく、原発についても、一通りの知識があったことが、事故対応にもプラス効果があったことが見て取れる。

原発の重大事故は起きない。その前提に立って日本の社会はできていた。原発を54基も作ったのもその前提があったからだ。法律も制度も、政治も経済も、あるいは文化すら、原発事故は起きないという前提で動いていた。何も備えがなかったと言っていい。だから、現実に事故が起きた際に対応できなかった。
政治家も電力会社も監督官庁も「想定していなかった」と言うのは、ある意味では事実なのだ。自戒を込めて、そう断言する。(序章 覚悟)


こういった感じで、実に直截である。あまり断言して欲しくはないが、311以前の日本はたしかに「原発事故は起きない」という前提で成り立って(そう思わせられて?)いた。

私が政治家になるきっかけの一つは核兵器というものの存在だった。1957年、世界中の科学者や哲学者が集まったパグウォッシュ会議が創設された。その会議で、核開発を反省したアインシュタイン、ラッセル、湯川秀樹らが結束して、核廃絶に動いた。この会議のことを学生時代に知り、科学技術は人間の幸せを予定調和的にもたらすものではないことを改めて認識した。
科学技術の進歩は蓄積されるが、人間一人ひとりの能力はそんなに進化しない。そこに生じたギャップゆえに、科学技術は制御不能になることがある。核兵器の開発などは、ネズミがネズミ獲りを作ってしまったような事故矛盾だ。科学技術を取捨選択する英知を人間が発揮できるか--これが、私にとって若い時からの課題だった。(序章 覚悟)


ここらあたりは、何となく眉唾モノだし、「ネズミがネズミ獲りを作ってしまったような事故矛盾」という喩えは、笑うしかないけどね。

原災法が制定されたのは、1999年9月の東海村JCO臨界事故が起きたからである。
原災法では、原子力緊急事態宣言が出されると、総理を本部長とする原子力災害本部を設置し、その事務局は経済産業省原子力安全・保安院が担うことになっている。そして、実際の情報収集や対応判断を主導するのは、原発の近くに設置された現地の「緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)である。事故発生時にはこのオフサイトセンターに関係者を集め、現地対策本部を作り、方針を決定し、原災本部長である総理大臣の了解を得て実施するという仕組みになっている。
つまり、現在の法体系では、基本的には、原発事故の収束を担うのは民間の電力会社であり、政府の仕事は、住民をどう避難させるかということになっているのである。(第一章 回想 03/11)


JCO臨界事故が無かったら、この原災法すらできてなかったということになる。そして、出来たのが事故の現場は東電で、政府は避難指導。これもかなりひどい。

原子力安全・保安院はあくまで原発やその他のエネルギー施設の保安検査のための機関であり、事故が発生した場合の処理の専門機関として十分な体制になっていなかった。
原子力事故を収束させるための組織がないのは、事故は起きないことになっていたからだ。そういう組織を作れば、政府は事故が起こると想定していることになり、原発建設にあたって障害になるという理由なのだろう。(第一章 回想 03/11)


たしかに原子力安全・保安院の方々のお粗末さは、テレビ画面に登場するたびに呆れるばかりだったな。事故を想定した組織自体が、反原発勢力に攻撃の口実を与えるからという理由で作られなかったというのは、たまらんものがあるなあ。

テレビ画面には1号機が爆発している様子が映っていた。
私は言葉が出なかった。たしか、下村審議官が斑目委員長に「今のは何ですか。爆発が起きているじゃないですか」と訊いていた。委員長は両手で顔を覆っていた。(第一章 回想 03/12)

この斑目さんというのは、際立ってひどかったことを思い出した。

私はすぐに秘書官を呼び、東芝の車両が通れるようにしてくれと指示した。
私の仕事は現場で作業にあたることではない。最終的な決断をすることだ。しかし、報告は来ない、提案も来ない。状況が見えないのである。このように何かのきっかけで、外部からの情報が入ることで、初めて分かるのだ。(第一章 回想 03/13)


原子炉製作メーカー東芝が、修復機材を事故現場に運ぼうとして、立入禁止で入れなくなってることを知った菅が、指示したという話の流れで、「報告は来ない、提案も来ない。状況が見えない」と忿懣やるかたなしだが、東電の秘密主義が、菅を直接事故現場に赴かせたのだろう。後で総理が事故直後に官邸を離れて現場を訪れたことが非難されたが、本書を見るかぎり、それなりに納得がいく。

1号機は完全にアメリカ製で、私も後で知ったのだが、その際の契約は「ターンキー契約」と呼ばれるものだった。これは自動車と同じように、カギ(キー)を回す(ターン)だけで稼働できる方式、つまり、原発の完成品を買うやり方だった。
1号機の場合、GEが作ったものをそのままもらって稼働しているので、東電の自前の技術に完全にはなっていなかったのではないか。
ターンキー契約であったことは、事故対応の際も障害となったと思うが、さらに事故後の調査委員会の調査の際、東電が手順書を開示しない理由の一つにもなっていた。GEの知的財産権との関係を理由にして、黒塗りにして開示したのだ。(第一章 回想 03/14)

ターンキー契約というのは初めて知ったが、福第一原発1号機は、東電にとってレディメイド原子炉で、技術者というより、単なる運転者、あるいは使用人に過ぎなかったということだろうか。

福島第一原発の作業員、そして自衛隊、消防、警察といった人たちの命懸けの働きを過小評価するものではないので、誤解しないで欲しいのだが、私は、この事故で日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運が重なった結果だと考えている。
もし、幸運にも助かったから原発は今後も大丈夫だと考える人がいたら、元寇の時に神風が吹いて助かったから太平洋戦争も負けないと考えていた軍部の一部と同じだ。(第一章 回想 03/15)


「最悪のシナリオ」まで描いてた菅にしてみれば、とんでもない幸運だと感じられたことがよく分かる。結果的には「不幸中の幸い」では済まないくらいの深刻な被害、汚染だが、炉心爆発なんてことになってたら、冗談抜きで「5千万人避難」が現実になってた怖れもあったわけで、それこそ日本沈没である。
これで、菅は「脱原発」に大きく舵を切ることになる。

火力発電よりも安いとされている「原発のコスト」とはあくまで「電力会社にとってのコスト」であり、使用済み核燃料の処理のための費用は、電力会社のコストにはごく一部しか含まれていない。それどころか、核燃料サイクルが前提となっているので、使用済み核燃料はそのための「資源」と考えられ、資産として計上されている。
原子力ムラは、原発維持のために再処理が必要とし、そこから生まれたプルトニウムをしょうひするために高速増殖炉の開発が必要だとし、高速増殖炉が進まないためにプルサーマルが必要だとし、より危険で加工費の高いMOX燃料を原発に導入してきた。
原発維持を大義名分として巨額の資金を投入し続けようとしている。すでに、経済の原理からも大きく逸脱している。(第三章 脱原発での政治と市民)


絵に描いたような反原発論者ぶりであるな。でも、これは、正論だと思う。

戦前、軍部が政治の実験を掌握していったプロセスと、電事連を中心とする、いわゆる原子力ムラと呼ばれるものの動きとが、私には重なって思える。つまり、この40年間、東電と電事連を中心にした勢力は、原子力行政の実験を次第に掌握していった。その方針に批判的な専門家や政治家、官僚は、村の掟によって村八分にされ、主流から外されてきたと思う。
現在、原子力ムラは、今回の事故に対する深刻な反省もしないままに、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た原子力ムラの組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが、原子力行政の抜本改革の第一歩だと考えている。(第三章 脱原発での政治と市民)


自然エネルギーへのいささか楽観的すぎる観測には同感できなかったが、原子力ムラの政財企業ぐるみの権力掌握と排他主義は、欲と保身で強固な地盤を固めているようだ。「社会心理的な構造」というのが、よくわからないが、このままだと、愚行の輪は途切れそうにない。
本書のほぼ半分が、3月11日からの一週間ほどの総理・政府から見た事故の推移で、福島第一原発事故の経過を通覧するのに、役に立った。
老後の回顧録でなく、事件後1年半という早い時期に書かれた元総理の手記という意味でも、貴重な証言資料と評価できる。


014/08/30(土)●屋上生活(^_^;)●
6時半起床。
今朝の血圧は179/100/68。
久しぶりにピーター・バラカンのウイークエンドサンシャイン聴くも、いまいち好みの曲は流れなかった。
シャワー浴びて、屋上に。今日は缶ビールでなく、缶酎ハイ持参。風もなく太陽は雲に隠れての好条件で、ついつい2時間ほど過ごしてしまった。ユジナの「コチュ」を集中練習したが、これは日本のカラオケにはまだ入ってないようなのが残念である。それにしても、屋上でのんびりできるのは、ありがたいことだと思う。今後とも、できる限り、この屋上環境を有効利用したいと思う。
午後から外に出ようとしたら、突然の雨。
結局、3時過ぎの雨が上がりを待って、自転車で三宮に。三宮図書館にも自動貸出機が設置されていた。原発関連本3冊借りて、子どもコーナーにあった海野和男の「蝶蛾記」(福音館)をテーブル席で熟読。いやあ、やっぱり日本の昆虫写真は彼の出現で様変わりしたと思う。特に蝶・蛾の鱗翅目は子供の頃から愛着が深かっただけに、渾身の一冊になっている。紋白蝶を始めとする蝶・蛾の羽化連続写真はどれも素晴らしすぎる。
ダイエーで食料買い出しして6時半帰宅。
阪神-ヤクルト2戦目。昨日の後味の悪さを引きずったみたいな試合展開で、1-4でヤクルトにあっさり負けてしまった(>_<)。広島が勝ったので、阪神は3位転落(>_<)。
今日の歩数は2387歩。

【新板 原発のどこが危険か】桜井淳  ★★★☆ 2011/04/25 朝日新聞出版。元版1995刊行。
「世界の事故と福島原発」という副題は、当然福島第一原発事故直後の緊急再刊のために付けられたものである。
最近集中的に読み漁っている原発事故関連本の中で、一番インパクトのあったのが「日本「原理力ムラ」行状記」で、同じ著者が、事故の15年以上前に出していた本書の新版があったので、読むことにしたのだった。
あとがきにかえた福島第一原発事故への小論の日付が事故後半月足らずの3月24日になっているから、まさに事故発生直後の混乱期での再刊ということになる。
内容的には、米ソの原発の実情と過去の事故を検証しながら、原発の危険性と安全対策への提言がメインであり、多くの数値や図解で説明されてることの大部分は、機械音痴のMorris.には理解不能であった(>_<)が、原発そのものの危険性と脆弱さだけは理解できた。
元版のまえがきに「あまり議論好きでなく消極的な性格の筆者は、多くのマスコミ関係者からむりやり議論に引っぱり出され、自信の技術論を展開しなければならなかった」と、ちょっと韜晦気味の弁明をしてたのにはちょっと驚いたけどね(^_^;)
原版まえがきで、原発システムは余りに複雑で、一般人にその技術評価を正しく伝えることが難しいとした上で、原発推進派と反対派を以下のように相対化している。

原発推進派は、まずい部分を意識的に棚上げし、無味乾燥な似て非なる技術論を展開しており、筆者から見ればそれらは、通産省や科学技術庁、電力会社の広報レベルでの内容でしかない。原発推進派が安全と判断したことが、後に容赦なく深刻な事故として表面化している。
それに対して原発反対派は、充分な情報が入手できないためであろうが、必ずしも技術の現状を正確に把握していないような技術論を展開している。


また「これまであまり議論されてこなかったステーション・ブラックアウト(全交流電源喪失)にポイントをおいてる」と書いてあり、これは福島第一原発事故と大きく関連していて、本書の緊急再販もこれに依っているのだろう。

日本では、事故・故障評価を通産省の技術顧問が行っている。それは「通産省の、通産省による、電力会社のための、事故・故障評価」であり、国民の安全を守るという視点が完全に欠落している。
筆者はこれまでに原発推進者から約1500回、原発反対派から約500回の脅迫や妨害を受けたが、それらについては実名を記し、すべての記録を一冊の著書にまとめる準備を進めている。(Ⅰ原子力施設の事象の国際評価尺度)

やはり元々桜井は、実名批判も辞さずで、反対意見に対向する立場を明らかにしていたらしい。

原発の定期点検は、代表的な3K(危険、汚い、きつい)なのである。なお厄介なことに、被曝を覚悟しなければ作業ができないようになっている。
電力会社の技術系社員は、ひとりで50~100人の下請け労働者を現場監督しているが、あまりにも数が多いため、すべての作業プロセスを正確に把握できずにいる。定期点検の現場は、作業環境が悪く、人為ミスを誘発しやすいような要因が数多くある。(ⅴ米国製原発の深刻な事故)


日本原発の点検・補修作業での下請けまかせへの警鐘だが、福島原発事故以後もこの体質は変わらない、いや、それまで以上に悪質(7次~8次)化していることを思うと、こういった指摘をしてきたことは評価しなくてはなるまい。¥

日本の非常用ジーゼル発電機は、起動から全出力運転までにわずか10秒しかかからないが、アメリカのものはもっと時間がかかり、ロシアのものはさらに悪い(3分)。炉心の熱流動現象を考える時、この時間の遅れは侵攻な安全問題を引き起こすことになる。(ⅵ旧ソ連製原発の深刻な事故)

福島原発事故では、起動時間云々以前に発電機を動かす電源が全面喪失という状況に陥ってしまったというわけだ。

原発にはポンプなど大電力を消費する大型機器がたくさんある。そのため原発を運転するには、送電線で原発まで交流電源(外部電源)を引かねばならない。落雷や台風などの自然現象により外部電源が喪失すれば、原発は制御不能に陥り、崩壊熱除去運転が損なわれるため即炉心溶融に陥ってしまう。そのために外部電源喪失事故を想定し、原発内にも非常用交流ジーゼル発電機(内部電源)や直流バッテリー電源(限界寿命10時間)が設置されている。内分電源が必要とされた時に、それらが正常に機能すれば安全は保てるが、そうでなければ確実に炉心溶融に陥る。。(ⅵ旧ソ連製原発の深刻な事故)

落雷、台風。その後に地震に対する耐震性に関しては、その時点でも、心もとないという状況がのべられているが、津波の影響には思いいたらなかったようだ。

この事故(福島第一原発)の決定的な問題点が、非常用電源系の不作動であった。原子炉が災害などで緊急停止した際は、炉心の冷却を続けるために冷却ポンプを作動させなければならない。この時に不可欠なのが、冷却ポンプを動かすための非常用ディーゼル発電機である。原子力発電所とは、それ自体が、大きな電力消費設備なのだ。ところが福島第一原発では、この非常用電源系が寸断された。(あとがきにかえて)

日本が採用している軽水炉(6割がPWR(加圧型)とBWR(沸騰型))は、コンパクトで高性能であるが、熱出力密度が高いため、危険性も高く、その中で一番の危険が冷却水喪失事故だという。それを避けるための三本柱が
①制御棒
②緊急炉心冷却装置(ECCS)
③非常用ディーゼル発電機
であるとしたうえで、

特に非常用ディーゼル発電機には注意が必要だ。原子力発電所とは、電力を生み出しているだけでなく、それ自体が電力を消費している設備であり、外部電源は不可欠である。運転を開始するときには、外部から大電力の供給を受けているし、アメリカではハリケーン、日本では雷や台風というように自然災害による危険性にさらされているから、外部電源の健全性は重要だ。(あとがきにかえて)

と、③の重要性を強調している。

私の予想では、地震によって相当な加速度が福島第一原子力発電所に加わって、システム全体に歪みが生じ、非常用ディーゼル発電機も作動しなくなり、ECCSが機能しなくなったものと見ている。(あとがきにかえて)

少なくとも福島原発事故直後にこれだけの分析と提言を成し得たという意味で、桜井の存在は大きかったと思う。でも、結局、福島原発事故が発生するまでは、ほとんど実効を活かせなかったというのも事実である。


014/08/29(金)●倉敷あたり●
4時半起床。
今朝の血圧は200/85/75。
朝海くんら3人で倉敷市のフランス人船便ピックアップ現場。
昼食抜きで1時過ぎ作業終了。
4時に倉庫着。荷降ろし、積み込み終えて、5時半帰宅。
ロードが終わって甲子園に戻ってきた阪神。最初の相手はヤクルトで、前半は壊滅状態のヤクルト投手陣打ち込んで、6回で10-0のワンサイドゲーム。と思ったところが後半10-5まで攻め上げられ、9回表無死満塁で、オスンファン投入したところで、雨脚が強くなり、結局雨天コールド(@_@) という、なんぢゃこれは、の試合となった。先行きが心配な試合展開である。まあ、何はともあれ、ホーム初戦に勝ったという意味では良かった、ということにしておこう。
明日も仕事休みになった。
今日の歩数は3942歩。

楷の木(瀬戸PA) 

倉敷 

?? 

【大阪「鶴橋」物語】藤田綾子 ★★★★ 2005/12/05 現代書館。
先日読んだ「ニッポン猪飼野ものがたり」に収められた「鶴橋--闇市から商店街へ」の記事が素晴らしかったのが、本書を読むきっっかけになった。いやあ、素晴らしかった(^_^;)
彼女は1962年京都生のフリーライターで、1991年から鶴橋に仕事場を構えて2002年から鶴橋ウォッチャーとして鶴橋商店街の歴史を記録していく作業にとりかかり、その結実が本書ということになるらしい。

戦後の闇市をきっかけに発展した商業地ならば、全国にも数多く存在しており、たとえば大阪駅前(梅田)をはじめ、神戸・三宮、東京・アメ横など、今も繁華街を形成しているところが多い。
しかしそれらのなかで、鶴橋だけが特異な存在だといえるのは、昭和二十年代の建物や区画の大部分がほぞそのままに残され、今なお平面の商店街として生き続けている点にある。
そして鶴橋は、大阪の主要な商業地のなかで唯一「再開発がされなかったまち」でもある。そういう点では、戦後の商店街史をまるごと伝える貴重な商業空間だといってもいいだろう。(はじめに)


この「平面の商店街として生き続けている」というのが、彼女の鶴橋商店街論の中核だと思う。
ここ20年ほど足繁く鶴橋通い続けているMorris.なのに、知らずにいたことを数多く教示してくれた。
巻末にある、関連年表はなかなかの労作で、戦後の鶴橋商店街の変遷の概略を知ることができる。一部アレンジして引用しておく。

大正3(1914)年4月 大阪電気軌道(現・近鉄)の上本町~奈良間が開通、鶴橋駅が開業。
*大正12年 尼崎汽船「君が代丸」就航
*大正15年 鶴橋公設市場開設。(御幸森商店街のはじまり)
昭和2(1927)年3月 大阪市電の下味原(天王寺区)~今里(東成区)間が開通。
*昭和6年9月 満州事変勃発
昭和7年9月国鉄城東線(現・JR大阪環状線)京橋・天王寺間の高架工事が完成、国鉄鶴橋駅開業。
昭和9年9月 室戸台風が来襲し、鶴橋大に尋常小学校(現・北鶴橋小)の校舎が倒壊、自動67名、職員・保護者4名の計71名が死亡。
*昭和16年12月 太平洋戦争勃発
昭和18年4月 大阪市の行政区画変更により、東成区から分区した生野区が誕生。
昭和19年2月 通称・疎開道路(豊里矢田線)の建物疎開告示。
昭和19年8月 近鉄鶴橋駅北側の建物疎開告示。
昭和20年3月 城東線沿線地帯の建物疎開告示。
昭和20年6月 近鉄線沿線地帯の建物疎開告示。
*昭和20年8月 第二次世界大戦集結
昭和20年9月頃 鶴橋駅周辺の疎開空地跡に闇市が生まれる。
昭和21年3月 大阪市が建物疎開地の一部の返還を告示。
昭和21年4月 丸小鶴橋市場商店街の鶴新会が設立(当時の名称は新興会)。
昭和21年6月 丸小鶴橋市場商店街の中央商店会と中央会が設立。
昭和21年8月 闇市が閉鎖される(八・一閉鎖令)。
昭和22年2月 丸小鶴橋市場商店街(鶴新会付近)で火災発生、百数十軒の店舗・民家が焼失。
昭和22年4月 鶴橋国際商店街連盟が設立。
*昭和22年5月 日本国憲法施行
昭和24年 大阪鶴橋卸売市場協同組合の母体である鶴栄会が設立。
昭和24年頃 鶴橋西商店街が設立。
昭和25年5月 株式会社鶴橋卸売市場が設立。
*昭和25年6月 朝鮮戦争勃発
昭和25年10月 鶴橋西商店街で火災発生。29戸が全焼。
昭和26年4月 大阪鶴橋鮮魚卸商組合が設立。
昭和28年4月 鶴橋西商店街で火災発生、20戸が全半焼。
昭和28年5月 丸小鶴橋市場焦点がの市場会が設立。
昭和29年3月 大阪鶴橋卸売市場協同組合が設立。
昭和29年5月 東小橋南商店会が設立。
昭和30年4月 丸小鶴橋市場商店(鶴新会・中央会・中央商店会)のアーケードが完成。
昭和31年12月 近鉄大阪線・奈良線上本町~布施間の複々線工事が完成。
昭和33年12月 鶴橋鮮魚卸商組合の鉄筋コンクリート造新店舗が完成。
昭和34年10月 東小橋南商店会のアーケードが完成。
昭和35年8月 鶴橋国際商店街のアーケードが完成。
昭和38年9月 近鉄の鮮魚専用列車が運行を開始。
昭和39年3月 国鉄大阪環状線が全線高架化され 環状運転を開始。
*昭和39年10月 東京オリンピック開催
*昭和39年11月 東住吉区に大阪市東部中央卸売市場開場
昭和39年 丸小鶴橋市場商店街の駐車場が完成。
昭和42年8月 鶴橋国際商店街が鶴橋商店街振興組合を設立。
昭和44年4月 大阪市電の下味原~今里車庫間が廃止。
昭和44年7月 大阪市営地下鉄千日前線が開通、地下鉄鶴橋駅が開業。
*昭和45年3月 大阪万国博覧会開幕
昭和46年7月 大阪市が鶴橋地区市街地再開発事業の基本計画を発表。
昭和46年11月 丸小鶴橋市場商店街振興組合が設立。
*昭和52年4月 大和郡山市に奈良県中央卸売市場の開場
*昭和63年9月 ソウルオリンピック開催
*平成2年月 バブル景気が崩壊
平成5年(1993)3月 鶴橋高麗市場が発足。
*平成7年1月 阪神・淡路大震災発生
*平成7年「ライフ今里店」開店
平成8年5月 生野区のフレッシュ鶴橋まちづくり研究会が発足。
平成10年4月 東成区の鶴橋地域まちづくり研究会が発足。
*平成13年 牛海綿状脳症(BSE)発生
*平成14年6月 日韓共催サッカーW杯開催
*平成14年 改正道路交通法による飲酒運転の罰則強化
平成14年8月 東小橋南商店会が東小橋南商店街振興組合を設立。
平成16年2月 生野区再開発協議会の鶴橋A築再開発準備組合が発足。
平成16年3月 東小橋南商店街振興組合の新アーケードが完成。

鶴橋の主要な6つの商店団体はそのまま、現在の鶴橋市場の区割りとして理解しやすいので引いておく。

1.鶴橋商店街振興組合(約180店、主に服飾・在日コリアン関連商品)東成区
2.丸小鶴橋市場商店街振興組合(約150店、主に食品・雑貨)東成区
3.東小橋南商店街振興組合(約30店、服飾・雑貨など)東成区
4.大阪鶴橋卸売市場協同組合(約190店、主に食品)生野区
5.鶴橋高麗市場(約40店、主に韓国・朝鮮料理食材)生野区
6.鶴橋西商店街(約70店、主に飲食店)天王寺区

値段がフレシキブルだったかつての鶴橋の様子を伝説的に伝えるのが、「朝8時の値札裏返しである。これは、ある商品の値札の裏に、たとえば卸値で「一貫370円」と表示し、その裏には小売値で「500匁200円」と表示する。早朝時は値札の表側を見せておき、買出人の波が引く朝8時ごろになると裏返して、一般客には小売値を見せるようにする。塩干店などの一部の食品店では、そのような裏表に金額を書いた値札を使う店があった。
昭和二十年代から三十年代にかけてのころは、自動車ではなく、自転車が配達の主要な足だった。鶴橋の商店街の商圏は広いだけに、どの店主も従業員も、遠くまで自転車で配達などに出かけていた。たとえば、とある日用雑貨店の先代店主は、大阪市内はもちろん、堺市や東大阪市などへも全て自転車で配達した。

確かにあの時代の自転車は、ほとんど現在の軽トラ以上の威力があったと思う。自重25kgくらいあったのではないだろうか。頑丈だけど体力無しでは乗れなかった。

鶴橋のアーケードの多くは、設置当時(昭和三十年代前半)のものが今も使われている。そのなかでとくに目を引くのが、中公開の店舗区域に設置された二筋のアーケードである。両端には「鶴橋卸売市場」の文字が入り、薄緑色四角い柱が延びている。このアーケードは今では珍しい木造である。そして通常なら地面から上へ延びているはずの支柱がなく、両側の店舗壁面に渡した梁で支える構造になっている。(第4章 鶴橋へ行けばなんでも揃う)

これまでずっと見ていながら、見過ごしていた。今度はきっちり観察してみよう。

鶴橋はふたつの意味で異空間だといえよう。ひとつは韓国・朝鮮の衣食商品が醸し出す民族色。もうひとつは、小さな店々が密集する迷宮のような店舗風景。現在の都市部では殆ど見られなくなった、昭和中期の古い商業空間がここには広範囲に残っているのである。
しかしそのハード的な財産は、永久的に続くものではないといえる。店舗の老朽化は、多くの区域でかなり進行した状況にある。また、店舗が古いままで使われているということは、それだけ時代から取り残された商業地だという見方もできなくはない。そして実際に、商店街のあちこちにはシャッターや戸板が閉ざされたままの店舗が増えてきているのである。
買い物よりもむしろ街歩きを目的に鶴橋を訪れた客ならば、そのような状況も目に映っているだろうか。かつての時代と変わらぬかたちで繁盛を誇る店は、今はもう多くなく、大半の店は昨今の激しい商業環境の波にさらされ続けている。(第6章 コリアンフードタウン)


レトロな雰囲気を無責任に楽しんでるMorris.とはちがって、きちんと市場の現実と問題点を見据えている。

「取材ものは足で書け」とよく言われるが、この作業(本書)では足を棒にしてあちこち訪ね歩く必要はさほどなかった。なぜなら取材対象の商店街は、仕事場から徒歩数分の近さ。その点では大変らくな仕事だといえた。しかし時間は予想以上に要した。取材を開始したのは2002年のはじめで、足かけ4年の長期に及んでしまった。
私自身は、闇市を発端として戦後早々に生まれた店舗の残る現在の鶴橋は、戦後社会の状況を伝える一つの戦跡だと考えたい。闇市なくしては生きていけなかった、憎むべき時代があったことを今に伝えてくれる場所は、もうこの鶴橋くらいしか残っていないのではないだろうか。戦後の混乱期から高度成長期にかけて、この商店街がそれぞれの時代に果たしてきた役割は、もっと多くの人々に記憶されるべきではないかと思う。そして今なお現役で使われているこの古びた商店街の姿は、商都と呼ばれてきた大阪の戦後史を伝える、生きた記念碑だと私は思うのである。(あとがき)


取材協力者の第一に「あじろ書林」店主の足代健二郎の名前があがっていた(^_^)。

014/08/28(木)●隙間植物●
8時半起床。
今朝の血圧は199/85/81。
朝の3点セット。
昼前六甲道に出る。自転車で行くつもりが、小雨のためJR。
銀行に寄ってから灘図書館へ。返却、借り出した後、新着図書棚に「スキマの植物図鑑」(塚谷裕一 2014/03/25)という中公新書見つける。面白そうだったが、もう貸出冊数いっぱいだったので、そのまま図書館のスツールで読了。道路のアスファルトのスキマなどから顔をのぞかせる植物。かなり窮屈な思いをして大変だなと思うが、植物にとっては一種の楽園でもあるそうな(@_@) 著者は東大の教授らしいが、目の付け所がいいし、達意の文章、当人が撮影した写真もなかなかにいい感じだし、商売柄の専門的見地からの薀蓄もいい香辛料になっている。先日読んで感心した多田多恵子さんと、共通するテイストがある。
帰りは歩く。先の本に刺激されて、道端のスキマの植物を撮影。本当にいくらでもあるな(^_^) でも名前がわからないものが多い。
マルハチで買い物して3時前帰宅。
阪神-巨人3戦目。先発藤浪は先頭打者ホームラン打たれ、また投手沢村にタイムリー打たれたりして4失点。打線も湿り気味で、結局0-4で完封負け(>_<)。 まあ、昨日勝ったのがせめてもの慰め。
明日は4時半起きで倉敷現場なので、早く寝よう。
今日の歩数は5711歩。

凌霄花(のうぜんかずら) 

白蝶花 

朝顔の蕾 

ペチュニア 

酢漿(かたばみ) 

姫蔓蕎麦(ひめつるそば) 

?? 

?? 

酢漿 

神之木町の白雉 

石垣間の羊歯 

紫鷺苔 

母子草 

いろいろ 

たびらこ 

米屋のシャム 

同じく 

米屋駐車場車上の白 

いつもの奴 

車前草(おおばこ) 

枯向日葵 

【原発ユートピア日本】早川タダノリ ★★★☆☆ 
2014/01/25 合同出版。
1974ブラジル生れ?の著者は、太平洋戦争時のプロパガンダ資料蒐集をもとに、当時の精神を抉りだす作業を進めているらしいが、本書は、戦後日本の原発推進プロパガンダ広告や広報を通時的に紹介しながら、わさびの効いたコメントを付している。
馬鹿らしいくらいいに脳天気な広告も多く、潤沢な原発マネーをふんだんに使ったと想像されるわりには低レベルな作品?が多いようだ。

2011年3月12日、東京電力福島第一原発が爆発するまで、私たちの身の周りは<原発安全プロパガンダ>であふれていました。電力会社や電気事業連合会の広告や、政府・官公庁による原発広報が、くりかえし、くりかえし、くりかえし(大事なことなので3回言いました)原子力発電の必要性と安全性を謳いあげていたのです。
この本では、そんな芸術作品ともいえるような美しいウソの結晶を歴史のくず箱から拾いあげてみました。(はじめに)


本書のようなヴィジュアル本は、やはり図版を見ないことには話しにならないのであるが、原発推進の、コピーを幾つか引いておく。

・原子力で停電解消 電力料二千分の一(1954)
・ついに来た!原子力時代(1956)
・世界一の技術が、日本の原子力発電を支えています(1982)
・エネルギー体質改善に欠かせない原子力発電(1983)
・いま、私たちの使っている電気の約4分の1は原子力発電が作っています(1986)
・昨年度、東京電力がお届けした電気の約44%は原子力発電です(2000)
・原子力発電はクリーンエネルギー 地球温暖化防止に役立つ原子力発電(1997)
・電気のゴミ 電気先進国の宿題(2004)
・日本のエネルギーの主食は「原子力発電」です(2008)
・首都圏の「でんきのふるさと」新潟・福島(2008)


「原発はクリーンエネルギー」とセットで、核燃料サイクルを「リサイクル」という言葉でPRした一連のプロパガンダに対しては、

「もんじゅ」が事故でおシャカになっても、六ケ所村の核燃料再処理工場がまともに稼働していなくても、「リサイクル」という耳あたりのよい言葉だけが、何度もくりかえされて、原発ユートピア日本のお茶の間に届けられたのです。

ということになる。いかにも、お手軽な牽強付会、だが、この程度になめられても仕方ないくらい「日本国民」は白河夜船だったわけか(>_<)

あまり頻繁に更新はされてないが早川のブログ「虚構の皇国」では、彼のスタンスが伺えるし、貴重な図版を見ることもできる。

またファッション雑誌「GQ JAPAN」インタビューでは、本書の製作意図や、彼のスタンスが開陳されていて、短いながら、読み甲斐のあるインタビューになっている。

原発PRは、事故や不祥事が起こった時にはおとなしく、人びとが惨事を忘れると大胆に展開される--この波をくりかえしてきたことが見えてきます。内容の愚劣さやウソの数々を糾弾する前に、「二度とダマされない」ための原発PR類型集として活用していただければ幸いです。(あとがきにかえて)

それにしても、なかなかの力作であり、センスも良いし、姿勢もはっきりしている。他の著作も読まねば、と思ってしまった。

2014/08/27(水)●疲労は隠せず(^_^;)●
7時起床。
今朝の血圧は187/79/78。
矢谷くんら3人で新在家のジャカルタ向け航空便と保管荷物ピックアップ現場。
昼飯抜きで1時過ぎ作業終了。
摩耶倉庫近くのCoCo壱番屋でメンチカツカレー(700円)。名古屋発祥のカレーチェーン店だが、Morris.はあまり好みではない。午後は倉庫作業。5時半帰宅。
昨日から来月2日まで休みなしのはずだったが、事務所がMorris.の疲労ぶりを勘案してくれたらしく、明日はハードな現場のため、Morris.は休ませてもらえることになった(^_^;) ホッ。
ターちゃんの韓国歌日記が久しぶりに更新されていた。1980年にRKB毎日放送制作の「鳳仙花-近く遥かな歌声」のビデオに関する記事で、実に興味深かった。
35年前の作だが、当時はちょうど李成愛が日本で「韓国演歌ブーム」が起きた時期に当たる。金素雲、李御寧、吉屋潤、朴椿石、黄文平、李美子などゲストもそうそうたるメンバーである。ポンチャック、演歌に関する率直な意見が披露されている。
うーーん、このビデオ機会があれば見てみたいものである。
阪神-巨人2戦目。1回に村田の3ラン(1500安打目)で、劣勢のスタート。1-3で8回表2点取って同点、延長戦にもつれ込んで10回表、鳥谷の今日4本目のヒットのあとゴメスの2ラン\(^o^)/ と、思ったらその裏、オスンファンが阿部にソロホームラン(>_<) その後は何とか抑えて、何とか振り切って1勝1敗。昨日の悔しすぎる敗戦の後のこの勝利は大きい。でもこの展開は「出来すぎ]という気がしないでもないな。
今日の歩数は4489歩。

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西郷川沿いの雉三毛 

今日は名前通りの箱入り猫 

【日本「原子力ムラ」行状記】 桜井淳 ★★★☆☆ 2013/12/15 論創社。

著者については何も知らずにいたが、日本原子力研究開発機構,原子力安全解析所、日本原子力産業会議などに所属していた、とあるから、元々は原発推進の側にいた人だろう。
Wikipediaによると、原発だけでなく、電車事故などへの批判を行っているらしい。
「制度的慣例・隠蔽・安全規制・福島第一原発事故をめぐって・人物、人生論」の5章に分けて、110篇ほどの短文が並べられている。短文のタイトルがなかなかに刺激的、挑発的である。そのほんの一部をあげておく。

・原発の許認可・安全規制における二重の八百長構造
・的外れなことばかりしてきた原子力関係者の精神構造
・制御室が原子炉建屋内にある不条理
・燃料破損を続出させた未熟な古河電工の技術力
・原子力界のめまいをかんじるほどの低次元なメカニズム
・日本の原子力発電の最大の無責任な犯罪者は誰なのか?
・皮肉にも安全規制を骨抜きにしている原発反対社のディレンマ
・吉岡斉さんの根拠なき不確実な知識
・福島第一原発の廃炉期間10年をでっち上げた東芝の根拠なき技術判断
・新聞やテレビで解説した「専門家」の大部分は軽水炉安全性の素人
・福島第一原発事故の責任は誰が負うべきか?
・原子力規制委員会はお猿の電車のお猿さんか?
・「政府事故調」「民間事故調」「国会事故調」の無能集団
・後出しジャンケンしかできない「田辺文也」という人生
・石川迪夫さんは右翼的国家主義者なのか?


企業や個人を名指しで批判、「八百長・不条理・無責任・低次元・お猿の電車・後出しジャンケン」といった侮蔑な形容。これは喧嘩売ってるとしかみえないし、そうとう嫌われてるだろうなと思ってしまった。
原発の安全解析や原発事故分析など、原子力開発携わっていたため自責の念にかられ、「原子力ムラ」のメカニズム解明を行うために本書を上梓したとまえがきにある。

動燃は、その最初から政治的に、技術開発実施組織ではなく、参謀本部と名付けられました。分かりやすく言えば、国家予算をいかに原子炉メーカーを中心とした原子力界に流すかの「トンネル機関」です。
原子力界から動燃に出向した企業エンジニアは、動燃職員(出向社員)となり、自社に通常の技術開発委託費の少なくとも2倍、多い場合には10倍の金を流しました。湯水のごとく国家予算を原子力界に注ぎました。(巨費科学の腐敗体質のいくつかの体験)


うーん、実に明解である(^_^)

原子力開発は、国策で進められているため、規制も過重にならないようにという配慮がありました。電力会社は保安院に対し、保安院は安全委員会に対し、最小限の情報だけを出してそれでもってOKと言わせようとしています。本気で規制しようとしても、なんだかんだと理由をつけて情報の開示を拒否するなどして抵抗します。日本の電力会社は米国とちがって規模が大きく、それなりの政治力もあり、役所でもおいそれと簡単に手出しできません。日本の安全審査は、申請者の顔色を見ながら、ただ、当たり障りなく追認作業をしているだけです。安全審査の空洞化であり、安全審査になっていません。そのような反国民的空洞化現象は、電力会社との利権をもつ政治家・官僚・原子炉メーカー・産業界・東大・原研などの人たちによって作り出され維持されてきました。官僚の悪知恵が、彼らの意に反し、日本の原子力発電の導火線になってしまいました。規制を緩くしたらすべてが崩壊することは、社会の経験則でした。(原発の許認可・安全規制における二重の八百長構造)

その通り\(^o^)/

日本の原子力発電のいちばんの犯罪者は、中曽根さんや正力さんの意向を受け、東大工学部教授で、原子力委員会安全審査部会会長、後に原子力安全委員会会長として、短期間に,数多くの原発の安全審査に携わった内田秀夫さんです。東大と原研の研究者が非常勤審査委員の六割も占めていました。大きな責任は彼らにあります。(日本の原子力発電の最大の無責任な犯罪者は誰なのか?)

内田秀夫、覚えておかねば、と思ったが、すでに亡くなってるらしい。
ネットで検索したら、以下の記事がヒットした。

1989/7/6 日本経済新聞 【ワシントン五日=滝記者】米原子力規制委員会は5日、米国内で運転中の「マーク1型」原子炉について格納容器に圧力緩和用の緊急通気弁を取り付けることを承認した。炉心溶融などの重大事故で容器内の圧力が高まった場合、放射性ガスを外に出すための装置。「マーク1型」は米ゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型原子炉で、日本にも同型の炉がある。同委員会によると対象となる原子炉は米国に24基ある。一律に設置を定めるのではなく個々の原発の事情を考慮して電力会社が設置するかどうか判断する。設置が認められた弁は事故により大量のガスが炉内で発生し圧力容器を破壊する恐れが出てきた場合、ガスを外に逃し容器を守るのが目的。 ガスを出せば環境汚染は免れないが、容器が壊れてチェルノブイリ原発のような惨事を起こすよりはよいとの判断から設置する。
「マーク1型」は比較的初期の沸騰水型原子炉で日本国内にも10基あるため米国の決定により日本の規制当局も何らかの判断を迫られそうだ。
内田秀雄原子力安全委員会委員長の話 
炉心溶融など重大事故に対する一つの対策として格納容器に圧力通気弁を付ける方法は1979年の米スリーマイル島での事故以来、日本でも検討している。しかし事故が起こる確率から考えた必要性と、まちがって弁を開いてしまう危険性などをよく比較検討する必要がある。対策には他の方法も考えられており、立地条件や管理体制からみて、日本の同型の原子炉ですぐに米国と同じ対策を講じる必要はないと思う。
* 内田秀雄(1919-2006年) 昭和32-54年東大教授。62年原子力安全委員会委員長。冷暖房や換気など空気調和衛生工学の研究で知られた。平成18年8月11日死去。87歳。東京出身。東京帝大卒。著作「湿り空気と冷却塔」など。


先の引用で、桜井が、内田秀夫を一番の責任者と名指しするのは、こういった発言によるのだろう。

日本の原子力界は、軽水炉の設計条件も分からず、「米原子炉メーカーが安全だと言っていたから安全」という程度の認識と技術力しかありませんでした。意味を理解して安全審査するだけの能力がありませんでした。審査する側がお猿の電車のお猿さん的役割しかはたしていませんでしたから、実際に、どのような事故が起こっても不思議ではありません。福島第一原発事故も例外ではありませんでした。
日本の国民が原子力開発や安全審査のメカニズムを知らずに、ただ、依存するだけであったため安全審査の不正を正せなかったのです。安全審査の実施者が、いちばん悪いのは分かりきったことですがそれに無関心で、結果的に容認してしまった国民の責任も大きいのです。国民が被害者面するのは止めてください。加害者であることに気づかないと脱原発社会は実現できません。(米技術の独創性・柔軟性と不確実性について)


原子力界をばっさり斬った後、返す刀で、被害者面する国民への告発。おっしゃる通り、としか言いようがない。兎の逆立ち(耳ガイタイ)ぢゃ。

原子力安全・保安院の頭の中のほとんどは、規制している原発が安全かどうかではなく、いかにして反原発訴訟と社民党・共産党議員らの追求を乗り切るか、ということで占められています。逆にいえば、裁判で敗訴しないことが保安院の安全規制の究極の目標となっています。したがって、現行以上の安全性の向上や安全規制の強化は必要ないどころか、むしろ自らを否定する行為となって反対派に攻撃材料を与えることになるため保安院内では禁忌とされています。保安院が原子力安全委員会からの介入に強い抵抗を示すのもそのためで、二段階規制の形骸化もその大元は野党議員対策や訴訟対策が原因といえます。
私は、原発推進はもちろんのこと、原発反対派とも異なる独自の技術論・安全哲学を自身の行動規範としてきたため、双方から中傷・妨害行為を受け続けてきました。共産党の支部組織となっている日本原子力研究所労働組合からは、私に対する卑劣な攻撃がなされました。
反原発運動とは、安全に名を借りた政治運動であり、技術論の世界ではありません。(皮肉にも安全規制を骨抜きにしている原発反対社のディレンマ)


現状より高度の安全基準に改正することは、反原発側の攻撃材料となるから、やらない(やれなかった)という図式は、不毛というか、どうにも救いようがない状況だな(>_<)

福島第一原発事故には勝者はひとりもいませんでした。誰もがすべて敗者でした。私も現代技術の安全性を論じる立場でありながら事故を防げなかった罪を背負った敗者でした。小出さんは、事故を起こさないような努力、さらに、実際に参考となるベストエスティメイトな結果を出せていないという、二つの不十分さと不確実性の十字架を背負った敗者でした。小出さんはそろそろ現実の世界に戻った方がよいでしょう。
いつまでも、誰ひとり現実的に想定していなかった「津波」という「偶然性の恩恵」に甘えるべきではありません。(原発災害時における避難の有無による急性障害発生数の不確実性)


「オール負け組」みたいな物言いには、ちょっと引っかかるところがある。確かに地震・津波という自然災害を「偶然の恩恵」として、責任逃れしようとする政府や企業が存在することは、20年前の阪神淡路震災で骨身に滲みて思い知らされたのだが…………

福島第一原発事故の「政府事故調」(畑村洋太郎委員長)は「民間事故調」(北澤宏一委員長)や「国会事故調」(黒川清委員長)は、どれも、事故調査の方法を知らない素人無能集団でした。
彼らは、原子力開発の歴史や軽水炉の詳細技術を知らないため、「聞き取り調査」に依存してきました。「聞き取り調査」は、社会科学の基礎的な手法であって、その手法を使うことに問題はありませんが、使う場合には聞き取り調査対象と同等か、それ以上の知識と判断能力がなければ単なる勉強会に堕し本質に迫ることはできません。(「政府事故調」「民間事故調」「国会事故調」の無能集団)


自身が技術屋であり、安全審査のプロという自信過剰な面が目立つ。このくらい自信持っての発言なのだろうが、門外漢のMorris.は、勉強会レベルででも、本質を知りたいと思う。

世の中はすべてそうですが、結果を見て断片的に評価しています。ある人物が社会的によいことをすれば、その人物のよいところばかり採りあげ褒めつくします。逆に、犯罪を犯せば悪い所だけ採りあげ否定しつくします。世の中の原発に対する評価も同様です。
それにしても、電力を供給して作動する機械システムに対し、電気設備や機械が浸水したら機能喪失することくらい誰しも認識しているにもかかわらず、原発だけでなくあらゆる施設が浸水対策など立てていません。
福島第一原発だけの設計が悪いのではなく、すべての原発の設計が悪く、それだけではなく、都市設計でも企業施設設計でもすべて同様の欠陥を抱えているのです。福島第一原発事故は、すべての産業分野のエンジニアに対し、どこまで考え設計すべきか問いかけています。(友人の元エンジニアへのメール)

出自が原発推進側だっただけに、原発へのアンビバレントな気持が表れているところだろう。
電力作動機器に浸水対策が不在だったということは、危機管理が無かった(>_<)ということだ。


大前さんの再稼働の条件は古い時代の原発推進の論理そのものです。再稼働しなくてよいような条件が整えられれば、無理して再稼働しなくてもよいのではないでしょうか? 再稼働すれば、福島第原発並みかそれ以上の事故が起こる可能性が残りますが、再稼働しなければその可能性はゼロになります。(大前研一「原発再稼働の条件」への同意と微妙な違和感)

何となく歯切れの悪い口ぶりである。

原研は、1960年代半ば労使紛争が拡大し、なおかつ、電力会社が原子力発電導入期であったため、自民党は元三菱重工業社長の丹羽周夫さんを原研理事長に、元旭化成の宗像さんを理事に就かせました。自民党からすれば政治的大変革でしたが、原研からすれば大改悪でした。自民党のその意図は半ば成功し、進歩的な研究者による自由な研究所は監獄と化し、産業界に奉仕する研究所化されました。
福島第一原発事故は、すでに、1960年代後半から1970年代末に、確実に芽生えていました。原研の研究者はそのことに気づいているはずです。
福島第一原発事故は、歴史的吟味から明らかなように、自民党の原子力政策の失敗に起因しています。それを正せなかった原研研究者の無能さに起因しています。(元旭化成乗務で元原研理事・理事長の宗像英二さんについて)


このあたりのことは、もう少し詳しくチェックして知っておく必要がありそうだ。

本書に記したことの多くは私の原研(科学技術庁)や安解所(通産省)や原産(原子力産業界)での経験に基づくものであり、携わった経験のない電力会社や原子炉メーカーの詳しいメカニズムについては記していません。その意味では一般論ではなく、一般論の構築のための特別論の展開に留まっています。しかし、原子力界の不正の構造は、原研や安全規制のメカニズムを把握することにより読み解くことができます。

謙虚なところを見せながら、やっぱりなみなみならぬ自信をほのめかしてる(^_^;) いや、確かに、これまで読んだ原発本の中では、一番有益な記事が多かったと思う。

日本の原発推進の権力構造はつぎのようになっていました。形式的には、自民党政策による政府(具体的には、その中の一部である原子力委員会、原子力安全委員会、文部科学省、経済産業省資源エネルギー庁)があり、その下に、政府の政策を支える東大を頂点とする旧七帝大+東工大、原研、動燃、電力事業者、原子炉メーカーなどが機能していました。自民党の原発推進策は一部の議員による電力事業者や原子炉メーカーなどとの利権構造の中で進められていました。その中でも、特記すべきことは、田中角栄首相の時、電源三法が策定され、交付金やさまざまな便宜供与などにより、原発建設地や予定地の民意を買収したことです。そのような傾向は、地方自治体だけでなく、程度の差こそあれ国民全体に浸透しました。
原子力安全・保安院や原子力安全委員会が、なぜ、中途半端な日本特有の「あいまいさ」の「八百長体質」での「追認主義」の安全審査や規制に陥っているかといえば、電力会社(特に東京電力)の政治力が異常に強いためです。福島第一原発事故後、東京電力幹部は「原発の建設は国の許認可事項」と主張しました。建前からすれば確かにそのとおりですが、実際には、安全審査の「空洞化」を図ることにより、すべてを決めていたのは東京電力でした。これまでの安全審査は安全審査に値する内容ではありませんでした。これまでの安全規制は安全規制に値する内容ではありませんでした。(考察)


見事な要約である。このまま事典の項目記事として使えそう。

2014/08/26(火)●今日から農繁期●
6時半起床。
今朝の血圧は186/85/84。
午前中は矢谷くんと二人で、大阪桜ノ宮の中国人宅大連向け荷物ピックアップ現場。
昼は深江東市場のオリーブキッチンで鶏南蛮ランチ(^_^)
午後は倉庫作業と40フィートコンテナのデバン(荷降ろし) これはかなり応えた(^_^;)
6時帰宅。
広島安佐南・北区の土砂崩れ事故、今日現在で死者63人、行方不明25人。「想定外の」豪雨だったとしても、やはり山裾の宅地開発で安全対策が疎かだったのではと思わずにいられない。山裾の住宅過密といえば神戸市も広島以上である。土砂災害警戒区域は2千箇所を超えているらしい。
東京ドームの阪神-巨人3連戦の緒戦。メッセンジャー、杉内で6回終わって3-2。9回裏オスンファンが同点にされ、さらにロペスにタイムリー打たれてのサヨナラ負け(>_<) うーーん、これは最悪の結果である。
今日の歩数は4838歩。

朝顔 

灘南町の箱入り三毛