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Morris.日乘2014年9月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今 月の標語
           
物言へば首筋寂し

【2014年】 8月  7月    6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月
【2013年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/09/30(火)●飾磨あたり●
6時起床。
今朝の血圧は227/109/66。
今日は別業者の仕事で、姫路市飾磨区のアメリカ人宅ピックアップ現場。
近所に恵美酒天満宮があり、昼休みに覗いてみた。10月8日、9日の秋祭りを間近に控えて、町中に提灯や幟がはためいていた。飾磨区は戦前は飾磨市で、1946年に姫路市飾磨区として編入された。この宮前に市役所があったらしく、旧跡の石碑があった。
3時半作業終了。4時半帰宅。
今日の歩数は3286歩。

木槿 

飾磨恵美酒天満宮 

変った注連縄 

本殿内に神輿が 

鬼瓦 

もうすぐ秋祭り 

飾磨市役所跡 

オリーブの実 

ランタナの実 

【光の王国 秀衡と西行】梓澤要 ★★★☆  2013/11/10 文藝春秋。2011年11月12年7月まで「福島民報」に連載、その後岩手日報、陸奥新報などに順次掲載。
梓澤要といえば「百枚の定家」である。Morris.は一時期、図書館に行くたびに「あ」の棚を見るのが習慣になってたものだ(^_^;) それが、読むごとにその気持がしぼんでいくばかりで、最近はその習慣も無くなってしまってた。
本書は「西行」の名に惹かれて読むことにした。
やっぱり「百枚の定家」の輝きは感じられなかったが、本作は、東北大震災への鎮魂歌的作品だった。発表紙と時期を見ればそれは明らかだろう。

「いま現に、苦しみ喘いでおる者たちを救わねで、なにが仏ぞ。仏法ぞ」
迸り出るような声音で言い放った。
「わしは決めた。毛越寺をこの現実の世で苦しみ喘ぐ奥州の民を護り、災厄からのがれさせる寺にする」
「来世より現世のための寺になさると?」
秀衡がまた目を瞠った。
「そうじゃ。死者のためではない、生きている者たちのために寺をつくる。それがわしの役目だと、やっとわかった。ようやっと心が定まった」
基衡は、秀衡と西行の顔を交互に見て、力強く断言した。
「毛越寺は、薬師如来を本尊とする」
薬師如来は薬師瑠璃光如来ともいい、東宝浄瑠璃浄土の教主である。またの名は大医王、医王善逝ともいう。人々の病を癒し、苦悩を取り除いてくださる仏である。
薬師如来はまだ菩薩として修行していたとき、十二の大願を発した。
--光明がこの地上をあまねく照らし、実り豊かで、人々は食べもの、着るものに不自由せず、身体満足で、争い諍いをせぬように。清い心を保ち、仏法に帰依して、平和で安楽に生きられるように--。
「至福消災」徹底した現世利益である。
その十二の大願に応じて、薬師如来の化身である十二人の憤怒の形相の神、十二神将が現実世界を守護し、日光菩薩と月光菩薩が脇侍としてつき従う。


薬師如来が現世利益の仏だというのは、ちょっと強引なようだし、十二神将の謂れもこじつけっぽいと思ったが、梓澤は2007年から某大学院で仏教学を学んでると書いてあったので、それなりに根拠があるのかもしれない。

馬具は種類が多い。武家の鞍は黒漆が決まりだが、蒔絵や螺鈿で贅をこらしたものもある。それ以外にも、足をかける鐙(あぶみ)、鞍の上に敷く鹿や牛や熊の毛皮の鞍褥(くらしね)、鞍が前後しないように馬の胸につける胸懸(むながい)、尻につける韆(しりがい)、手綱をつける轡、それを頭に固定する面繋(おもがい)、鎧を吊る力革、鞍を固定する腹帯(はるび)、鞍の下に敷く障泥(あおり)、色も形も、素材も実にさまざまで、使う人の好みもさまざまだ。さらに、剣、槍の武具や鎧兜との調和、つり合いを考慮して、部者は生死を賭ける戦場の晴れ姿をととのえるのである。

こういった専門用語もいろいろ勉強してるんだなと思ったが、「武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具」という早口言葉を連想した。これは歌舞伎十八番「外郎売り」の一部だった。

人の記憶は風化する。忘れられるのは死者にとって無念なことか、それとも、ようやく静かに眠れることなのか。どちらなのかと思うことがある。

待賢門院璋子への没後の西行の感傷的独白である。これを東北大震災の津波での犠牲者への思いをかさねているのだろう。

壇ノ浦に沈んだ平清盛の三男知盛は、最期に「見るべきものは見つ」と言ったという。まばゆすぎる栄耀栄華、落魄、陰謀、裏切り、滅亡。この世のさまざまなことはもうすべて見つくした。この世のすべては明け方の夢のようにはかない。
その気持がわかる。わたしも、この世でみるべきものはもうすべて見たという思いがある。
わたしは秀衡とあの世で会えるだろうか。


末尾の一節である。「見るべきものは見つ」という言葉はずいぶん以前から好きな言葉だったが、これが知盛のものだったというのは知らずにいた。

2014/09/29(月)●栗東方面●
6時半起床。
今朝の血圧は184/80/85。
矢谷くんら5人で、栗東のローカル配達現場。時間指定が午後1時だったので、道の駅「あぐりの里」で休憩と昼食。
ローカル搬入済ましてから、矢谷くんと二人神戸北野のアメリカ人宅の現場。6時に倉庫に戻り、7時前帰宅。
今夜のKBS1387回歌謡舞台はお約束の"9월 신청곡9月のリクエスト“
結構Morris.好みの女性歌手が登場。イウンハは先週の「コンサート7080」にも出演してた。チェジニの「愛の迷路」は定番だし、「愛のバッテリー」のホンジニョンも歌謡舞台への出演回数増えてる。ウィンクはこれまで登場した双子歌手の中では一番上手いかもしれない。そして、何と言っても、今Morris.いちおしのユジナ。「コチュ」は目下特訓中のナンバーである。
  
1) 아직도 그대는 내 사랑今でも貴方は我が愛/이은하イウンハ
2) 사랑의 미로愛の迷路/최진희チェジニ
3) 향수郷愁/전미경チョンミギョン
4) 당신あなた/김정수キムジョンス
5) 노란 셔츠의 사나이黄色いシャツの男/홍진영ホンジニョン
6) 월남의 달밤ベトナムの月夜/진송남チンスンナム
7) 월남에서 돌아온 김 상사ベトナム帰りの金上士/이은하イウンハ
8) 향기 품은 군사우편芳しき軍事郵便/윙크ウィンク
9) 청포도 고향青葡萄の故郷/ 박건パクコン
10) 아내에게 바치는 노래妻に捧げる歌/홍민ホンミン
11) 고추唐辛子/유지나ユジナ
12) 여자의 일생女の一生/최유나チェユナ
13) 일편단심 민들레야一片丹心蒲公英/최병서チェビョンソ
14) 화개장터華開市場/김국환キムクッカン
15) 이별이 주고 간 슬픔別れがもたらす悲しみ/이현イヒョン
16) 잘 있어요元気だよ/이현イヒョン

今日の歩数は5299歩。

朝顔 

枯向日葵 

野仏 

褸紅草(るこうそう) 

コスモス 

青蛙 

大豆畑 

木通(あけび) 

木の実(^_^;) 

【カタロニア讃歌】ジョージ・オーウエル 鈴木隆・山内明訳 ★★★☆☆ 1966/4/30 現代思潮社。Homage to Catalonia(London,1938)
オーウエルの「1984」「動物農場」につづいて、やっとこの「カタロニア讃歌」読み終えた。先の二つは創作、こちらはルポである。発表と逆順に読んだことになるが、これは良かったと思う。
1936年12月から37年6月まで内戦中のスペインカタロニア地方で、POUM(マルクス主義統一労働者党」の部隊に身を投じて、負傷し、裏切られ、失意のまま英国に戻り、その直後に書かれたものである。英国ではPOUMはトロツキストとして糾弾され、本書も全く売れなかったらしい。
実は、「動物農場」読んだ後、世界ノンフィクション全集17を借りてすぐ読もうとしたのだが、これに収載された「カタロニア讃歌」は全訳でなく抄訳だということがわかって、肩透かしくわされてしまった。
で、結局、一番古い邦訳(と思う)1966年版で読むことになった。

アナーキストは、その原則はむしろ曖昧であったが、特権と不正に対する憎しみは全く純粋であり、この点で大多数のいわゆる革命家とは正反対であった。理論的には、コミュニズムとアナーキズムは両極に離れている。実践面、すなわち目標とする社会形態においては両者の相違は主として力点のおきどころにあるが、それは全く和解出来ないものである。コミュニストの力点はいつも中央集権主義と能率に置かれているのに対して、アナーキストの力点は自由と平等に置かれている。アナーキズムは深くスペインに根ざしており、ロシアの影響がなくなれば、コミュニズムより長く生き続けそうである。(戦争か革命か)

オーウエルはアナーキズムに親近感を覚えたらしい。しかし、そのアナキズムはスペイン独自のものだった。

(私が1月から4月まで前線にいたアラゴン地方では)革命的雰囲気は、将兵と一兵卒も、農民と民兵も、まだ対等に話し合っていた。だれもが同じ給与をもらい、同じ服を着、同じものを食べ、だれも相手を「お前」とか「同志」とかで呼び合った。つまり上に立つ階級もなければ、下に仕える階級もなく、乞食も、娼婦も、弁護士も、僕しも、おべっかつかい、いばりくさる奴もいなかった。私は平等の空気を吸い、しかも単純にスペインじゅうがこうなのだと想像した。私だけがむしろ偶然に、スペインの労働者階級のなかでも最も革命的な集団に隔離されているのだということを、悟らなかったのである。(戦争か革命か)

たぶんに、オーウエルは「革命的雰囲気」を理想化してたきらいがある。

普通の人々を社会主義にひきつけたり、彼らをそのために喜んで身体を張る気にさせるもの、つまり社会主義の「神秘」は平等の理念である。圧倒的多数の人々にとっては、社会主義とは階級のない社会を意味し、そうでない限り何ものも意味しない。市民軍にいたこの数ヶ月、私にとって価値があったのはまさにこの点においてであった。スペイン市民軍こそ、それが存続していた間は一種の階級無き社会の小宇宙であったのだから。そこには金儲けや昇進に熱中するものは一人もなく、あらゆるものが欠乏していたのに、特権もなく追従者も一人もいなかった。そのような社会にいて、人はおそらく社会主義の幕あきがどのようなものであるのかを、あらかじめまざまざと見ることができたろう。(戦争か革命か)

これも先と同質の理想主義であり、それが一時の夢の世界だったとしても、それは美しい記憶として、刻み込まれたことに意義がある、というべきか。

告白すれば、Morris.は、オーウエルの本文より、二人の訳者による解説に、大きな感銘を覚えた。「プレ1968年」という時期の若い世代の革命意識が色濃く現れている。

五月事件に関するくだりは本書のクライマックスとでも称すべきもので、この重要な歴史的事件に関する証言を提供している。POUM弾圧の無慈悲なやり方と反革命の荒れ狂う悪夢のごときバルセロナの状況は、異常な現実感をもって読者に迫る。
こうした彼の体験は、彼をして単なる反ファシズム人民戦線万歳といったような皮相な見解にとどまらしめず、スペイン市民戦争には革命が存在し、そして人民戦線の内部で革命と反革命が闘われたこと、そして公式主義、権威主義、官僚主義がいかに恐るべきものであるかについて鋭い洞察と指摘を行なわしめるにいたった。(解説 山内明)


「異常な現実感」(^_^;) シュールレアリズムかも。

「プロレタリアの偉大な首府であるバルセロナの陥落は1937年5月におけるプロレタリア虐殺の直接の代償である」(「スペインの悲劇」1939年2月)トロツキーは弾劾する。バルセロナの陥落は革命の終焉を象徴するものではあったが、すでにそこでは革命が破産し、死滅していたのである。その過程を理解する上で、バルセロナ市街戦は歴史的意味を持ってくる。オウエルが指摘するように、この事件に対するスターリニスト共産党の政治的評価は、プロレタリア革命を否定する立場から行なわれた革命戦線に対する欺瞞に満ちた中傷と誹謗であり、ひきつづく反動的粛清の合法化であった。その結果ひき起こされた事態は、人民の革命に対する失望とブルジョア共和制の復活であり、まさに反革命が勝利する転換点となったのである。(解説 鈴木隆)

トロツキーによるスペイン内戦への批判と、革命の死。これは日本赤軍派のたどった道筋に酷似しているような気がする。

スペイン市民戦争は第二次世界大戦の前哨戦たる意味を持っており、反ファシズム戦争という意味でも後者の方が比較にならぬ程大規模なものであるが、前者のような感動をほとんど呼び起こさない。その理由の一つには後者の場合はもはや国家間の軍隊による戦いであり、たとえ一方がファシズム、一方が社会主義の軍隊であろうとも、そのそれぞれの内部でとられた姿勢は、われわれの眼にはありふれた国家への忠誠、上官への服従、組織への帰依といったものに過ぎないからではなかろうか。これに対して、スペイン市民戦争にはまず民衆なり個人なりの一人一人の自発性や抵抗があった。
スペインだけにファシズムに対する民衆のかくも広範で根強い抵抗があったことを理解するために、スペインの歴史における民衆にまず注目しなければならない。スペインこそ上流階級と区別される意味での、民衆が存在しつづけた国なのである。
そしてこのスペインの民衆の気質を、19世紀末以降政治的に表現したのがアナーキズムであった。
それは総体として事故を近代の人間疎外から開放し、未来には自由の王国を創ることを自覚したスペインの民衆運動そのものであった。
そして人間の疎外からの開放、権力や権威からの開放を目的としたこの民衆運動が、徹底した反権威主義、自由または自発性と連帯に彩られ、小手先の妥協、実利を排して原則に固執したことも当然であった。民衆の自発的直接的政治への参加を革命と呼び得るならば、そこには最も根源的に革命的な根があったということができよう。30年代のヨーロッパでただひとりファシズムに対して起ち上がった民衆はこのような民衆にほかならなかった。(解説 鈴木隆)


これはオーウエルが惹かれたスペインのアナキズムの見事な分析である。そしてスペイン内戦が何故にこれほど、魅力的に語られるかの種明かしでもある。

第二次大戦で国際的ファシズムが打倒された後、勝ち残ったアメリカ資本主義とスタイーリン主義的共産主義。
スターリニズムは、社会主義を恐るべき退廃、不毛に陥れた。それはスペインの民衆が闘った人間の疎外からの解放の問題を何ら解決していない。
一方、生き残り、ますます高度化した資本主義はどうか。そのためには日本の現状を少しでも見れば十分である。いま表面的な経済繁栄のもとに、恐るべき人間の疎外と精神の喪失がある。人はただ自己を一企業の従業員、一官僚、つまり国家や利潤追求組織に組みこまれたもの以上には意識することも表現することも許されない。自発性と連帯性の失われた真空には、無関心とエゴイズム以外には埋め合わせるものもない。そして他方、経営者、官僚、権威者、専門家、名士、スター等々が、民衆の自発性と連帯と参加を、かくも見事に巧妙に奪っている。人々がこれほどばらばらで希望を失い、無力感と挫折感に捉えられたことがかつてあったろうか。これらのことはスペインの民衆が生命を賭してこだわれい問題としたことが何ら解決されず、彼らを圧殺して今日生き残っている体制が著しい不毛と破綻の兆候を示していることを物語っている。30年前のスペイン市民戦争が今なお、激しい感動と現実感をもってわれわれに迫る一つの理由はここにある。(解説 鈴木隆)

時代を感じさせる解説だね。今やスペイン内戦は80年前の歴史的事件になってしまった。それでも、この解説のテンションの高さはMorris.に迫ってくるものがある。

2014/09/28(日)●ぷらぷら日曜日●
6時起床。
今朝の血圧は198/99/64。
御岳の噴火はいくらか収まったようだし、マグマ噴火でなく、水蒸気噴火で、それは良かったのだが、山頂付近にまだ30人ほど取り残されたままというのが心配である。
日曜美術館、アメリカのイラストレーター、バーニー・フュークスの特集。名前は知らなかったが、スポーツ&イラストレーテッドのスポーツイラストや、ケネディ、モハメド・アリなどの肖像画でなんとなく見覚えのあるタッチだった。ケネディの肖像は5点も描いたらしいが、没後に描かれた5点目の作品は見事だった。ノーマン・ロックウェルの再来と言われたというだけで、おおよそのスタイルは想像がつくと思う。いかにもアメリカらしい作風である。
昼前、自転車でぷらっと三宮方面へ。結局、中央図書館まで行ってしまい(^_^;) しばらく中庭で、川原泉の「コメットさんにも華がある」読む。「MELODY」に掲載された「~がある」進学高キャンパスシリーズで、どうもいまいちMorris.の好みとは外れてしまっている。というかMorris.にとっては、83年から94年までの15冊が彼女の全てといっていいからしかたがないところかも。
そのまま自転車で4時半帰宅。
大相撲は逸ノ城も白鵬も共に勝って、白鵬31回めの優勝。
アジア大会サッカー、日本-韓国戦。ついつい日韓戦になると見てしまう。ずっと0-0で推移したが、後半40分過ぎに韓国がPKで得点。これでおしまい。まあ、インチョンでやってるから、これでよかったということにしておこう。
今日の歩数は2073歩。

久々川原泉 

神戸NHKタワー

隙間野菊 

【ヒロシマとフクシマのあいだ】加納実紀代 ★★★
2013/03/21インパクト出版会。
「ジェンダーの視点から」という副題。
先日ナニワの巨人(^_^;)パギやんがトークライブで、本書を3回も読みました」と、激賞してたので読む気になった。1940年ソウル生れで5歳のときヒロシマで被爆したフェミニストらしい。
本書は福島第一原発事故を契機に出されたもので、あちこちに発表したものをまとめたもので、発表時期は半分くらいが事故以前のもの。

原子物理学者の武谷三男は被爆体験ゆえの「平和利用」を主張した。
被爆国にもかかわらず、ではなく、被爆だからこその原子力利用だというのだ。この文章は彼の持論「平和・公開・民主」につながるものだが、広島ではこの部分だけが一人歩きする。武谷の言うように、もっとも原子力の被害を受けた国がもっとも恩恵を受けるべきだとすれば、直接被害を受けた広島こそいちばんに権利がある。55年1月27日、アメリカのイェーツ下院議員は、広島に原子力発電所を建設するための予算2250万ドルを下院に提案した。前年9月、アメリカを表敬訪問した浜井信三広島市長が働きかけた結果である。浜井はその理由として、「原子力の最初の犠牲都市に原子力の平和利用が行われることは、亡き犠牲者の慰霊にもなる。死のための原子力が生のために利用されることに市民は賛成すると思う」と述べている。(ヒロシマとフクシマのあいだ)


下手すると、本当に広島に原発ができてたのか(@_@) これはとりあえず、ポシャってよかったと思う。

戦前の広島は「軍都廣島」でした。陸軍の第5師団が置かれ、日清戦争の時には大本営が設置されました。明治天皇が広島に来て、ここで政治を行った時期が半年くらい会ったわけです。しかも隣接する呉は海軍の拠点でした。また、広島の宇品港はアジア侵略に向かう兵士の送り出し港でした。出征する兵隊さんや見送りの家族を泊める宿がたくさんあって、ものすごく賑わったそうです。(原爆・原発・天皇制)

確かにこの事実は、押さえておかねばならない。しかし、だからといって、原爆投下は没義道なものだった事実に変わりはない。「繰り返してならないあやまち」とは、原爆投下という行為であることは、はっきりさせておかなければ。

マッカーサーは天皇制の存続を絶対必要としていた。そのために憲法第一章の天皇制と日本の非武装という第9条を抱き合わせにしたわけですが、その天皇制は戦前そのままではまずい。象徴天皇制でなければならない。atomic sunshineの話は、原子力にバックアップされることで、天皇制は戦後、新たな形で生き延びたということです。だから戦後の天皇制と原子力は対立矛盾するものではなく、まさに抱擁関係、共犯関係にあるのではないか。それは戦後日本の出発点における欺瞞性です。(原爆・原発・天皇制)

玉音放送で天皇は「敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」つまり、原爆という新しい爆弾がとんでもない力を発揮して、これでは日本は滅亡するので降伏すると言ってたもんな。

武谷三男はずっと原発の問題性を指摘し、「原子力情報資料室」の初代代表でした。「原子力情報資料室」は高木仁三郎さん中心でしたが、1975年に立ち上 げた時の代表は武谷でした。その武谷が、1952年11月に「被爆国だからこそ原子力の平和利用」ということを言っているのです。(原爆・原発・天皇制)

高木も、最初は原発推進側だったわけだし、そこらへんはあまりつっこまなくていいのではないかとも思う。

戦後電機業界が家電開発に取り組んだのは、もちろん女性解放のためではなく、日本資本主義の復興の方向性と合っていたからです。憲法九条の武装放棄により軍備から民需への転換を迫られる中で、生き残りをかけて開発したのが家庭電気製品だったのです。
しかし50年、朝鮮戦争が起こりました。そうなると企業は、朝鮮特需ということで再び軍需に転換します。
そうした中で51年、本格的な経済復興のためのエネルギーの確保のために、いま問題になっている全国九電力体制が確立し、電源開発5ヶ年計画が開始されます。
1953年は電化元年と言われています。なぜ53年が電化元年なのかといえば、朝鮮戦争の休戦により特需が終わったからです。ふたたび民需で商売しなければならないということで、家庭電化製品の開発が盛んになったわけです。(「原子力の平和利用」と女性解放)

いささか図式的に過ぎるが、日本の産業の高度成長は、軍備と民需が入れ替わり立ち代りで成長してきたというのはわかりやすい。ひょっとして、現在が、民需から軍備への入れ替わり時期にさしかかってるのでは?という、嫌な予感がする。

日本の一般大衆が原爆の惨状を目にしたのは52年4月28日の独立後だった。独立後初の原爆記念日を期して発売された『アサヒグラフ』では無惨に焼けただれた被害者を真正面からとらえ、衝撃を与えた。同じ日付で『岩波写真文庫 広島』も刊行され、人びとは初めて見る原爆の惨状に息をのんだ。
しかし原爆の威力には、熱線、爆風、放射能の三つがあり、さらに放射能被害には急性のものと晩発生のケロイドや白血病、ガンといった後障害がある。『アサヒグラフ』や『岩波写真文庫』に捉えられた人々の多くはこの時期までに死亡していると思われるが、生き延びた人びとはケロイドや後障害に苦しんでいた。広島では7年目の白血病、10年目のガンといわれるが、50年代はじめから原爆症(白血病)が多発した。当時は原因がわからないまま、ブラブラ病、怠け病などとよばれることもあった。
1950年代、原爆表象は「原爆一号」から「原爆乙女」へ、さらに「サダコ」(折り鶴少女)へと女性性をつよめることで、無垢なる被害者性を構築してきたといえるだろう。そのことはかつての戦争における日本の侵略性・加害性への無自覚さ、忘却・隠蔽と無関係ではあるまい。(原爆表象とジェンダー)


しかし、惨状の事実は、マスコミでは自粛状態である。事故や、事件でも、まず死体映像は流されないし、傷口や、血糊もほぼカットされる。ちょっとタイプは違うが、9・11のツインタワー崩壊の場面も、日本では放送局同士の内輪の話し合いで、なるべく再放映しない取り決めになっているらしい。

中曽根はビキニ事件の直後、まだ日本では被曝の事実が知られていない1954年3月4日、2億3500万円の実権原子炉製造予算案を国家に提出した。そして『読売新聞』3月21日夕刊は一面全紙を使って「急性放射能患者第一号」などとして、漁船員の横顔や手足の写真を載せているが、その見出しは「原子力を平和に」である。記事ではモルモットにされたくないという被害者の声を伝えたあと、次のようにいう。
「しかし、いかに欲しくなくとも、原子力時代は来ている。近所合財みながこれをやるとすれば恐ろしいからと背を向けているわけには行くまい。克服する道は唯一つ。これと対決することである。恐ろしいものは用いようで、すばらしいものと同義語になる。その方への道を開いて、われわれも原子力時代に踏み出すときが来たのだ。」(原爆表象とジェンダー)


中曽根-正力ラインのこの話は、しつこく引用してきたが、そのたびに腹立たしくなる。

女には母性本能がある、母は自分を犠牲にしても子を守るもの、愛するもの、というのは、女から無限の自己犠牲を引き出すために男が作った神話にすぎません。ヒロシマを語るにあたって母の悲しみが強調されるというのはこの神話にのっかっているからです。困ったことに女自身もこの神話を内面化して、それによかかかって運動を展開してきたということがあります。とりわけ原爆とか核の問題については、そうだったと思います。
これまで核に関して「母として」とうことがとりたてて言われてきたというのは、そのことと関係があると思います。長いスタンスでいのちというもの、いのちの連なりというものを実感するのが、男よりも女であった。ただ、それは、女の母性本能とかによるのではなくて、<産む>という機能を持った存在として事実としてそうだったということです。しかし、にもかかわらずそこで母性神話と癒着してしまう。母性神話はマザコン男の作ったもので、マザコンと家父長制は共存する。広島に原爆を投下した米軍機の愛称はエノラ・ゲイですが、それはティボー機長の母親の名前です。母性と核兵器は共存しているわけですね(女がヒロシマを語るということ)

ここが、本書のキモかもしれない。

73年3月、住民の反対運動に手を焼いた小林柏崎市長は、原子力産業会議の席上、エネルギー政策は「あくまで国策として国の責任において遂行」すべきだとして、「国の現地に対する啓蒙活動の強化」、「立地市町村に対する財源付与」など9項目の提案をした。
ちょうど「おらが大臣」田中角栄が総理大臣の時代である。小林市長の提言は、74年6月公布のいわゆる電源三法(電源開発促進税法・電源開発促進対策特別会計法・発電用施設周辺地域整備法)に結実した。地元に特別交付金を支給して公共施設の整備にあてるという、要するに迷惑料としてのアメである。しかし、過疎化に悩み、「地域振興」を願う住民にはさしあたり非常にオイシイ話だった。電源三法がその後の原発建設推進に果たした役割を思えば、小林柏崎市長-田中総理大臣の連携プレーはまことに犯罪的だった。(反原発運動と女性)


電源三法は東電と角栄と柏崎市長の三位一体のトリプルプレーだったわけか。たしかに、これは効果抜群の「電化の法灯」だった。

たしかに原発は、都市と農村の差別に乗っかって建設される。そして農村は、都市の生活を支えるために危険を押しつけられ、自然とともにあった暮らしを奪われ、さらに都市への従属を深める。(反原発運動と女性)

開発はなべて差別の具現化であるな。

1957年8月27日、原子力研究所の研究炉が日本で初めて臨界に達し、「原子の火ともる」と大々的に報じられた。その日の『朝日新聞』「天声人語」にはこんなことが書かれている。
「原子力は二つの道に通ずる。人間滅亡への道と、繁栄と幸福への道である。現代の人類はその十字路に立っている。原子兵器のドレイとなれば滅び、人間が原子力を平和的にコントロールする主人公となり了せれば、無限の繁栄がつづく。」(女はなぜ反原発か)

天声人語の脳天気さは、これに始まったものではないけどね(^_^;)

「母親として」原発に反対するということは、母親でない女たちや母親になる以前の自分自身の二十数年だかの人生を、切り捨ててしまうことにならないか。
なぜ「子どものため」なのか。「……のために」と自分以外のもののために生きる姿勢は、容易に「御国のために」「天皇陛下のために」に転化するおそれがある。(「母性」が陥る危険性について)
女には生まれながらに子どもを慈しみ育てる母性が備わっている。母性は女の本質であり、自然である--。母性神話の誕生である。日本では19世紀末から 「良妻賢母」dくりが女史教育の柱となり、「母」は規範となったが、母性神話の成立は1920年代、都市中産階級の成立による。(当事者性と一代主義)


ここらあたりがフェミニストらしい思考方式かもしれない。

エリザベト・バダンテールによれば、18世紀のフランスでは貧富をとわず都市の子どもが農村に里子に出される現象が流行した。1780年、首都パリでは一年間に生まれた2万1000人の子どものうち、母親に育てられたのは1000人以下、1000人は住込みの乳母に育てられ、残り1万9000人は里子に出されたという。(母性主義とナショナリズム)

これは単に雑学情報として、印象に残ったもの。

リブの先駆とされる森崎和江は、すでにその10年前(60年代初め)、個人通信において「「母」は「水」などと同じ言葉の質を持っているはずです。ところが、それが何か意味ありげなものとして通用しています。まるで道徳のオバケみたいに、献身的平和像、世界を産む母などという標語をくっつけて」と「母」を批判していた。
かつて「母」を否定した森崎和江は、「一代主義」を批判して生命の連続性を語っている。「いま、一番気になっているのは、近年、急速に現実化してきた「一代主義」の文化です。生命の連続性に対する思想性の欠如です。「生命がこの世に連続的に存在することを、どのように思想化すればいいのか。産む産まない産めないなど個々の条件や、選択を越えて、そして何よりも物質文明に流されることなく、生命界の一員として」と考え続けています。」(1999)
原発はまさに森崎のいう一代主義文化の産物である。その重大な事故により、本来の生命が危機にさらされている現在、母親たちは「子どものために」と脱原発に立ち上がっている。フェミニズムはこれをどう考えればいいだろうか。
<母>を、産む産まないにかかわらず子どもの世話をするひと、ケアの担い手と考えれば、子どもの安全は<母>としての当事者性の範疇にある。ケアがなければ生きていけない依存する存在を守ること、それはケアするものの当事者としての責任である。
いずれにしても放射能汚染による子どもの被害は、私たちおとなが、この地震列島の海岸に54基もの原発を建て、便利な生活を享受した結果といえる。母に限らず大人はみな、そうした状況を生み出した、とまでは言えなくても、少なくともやめさせなかった当事者として、脱原発社会をめざす責任があるのではなかろうか。(当事者性と一代主義)


森崎和江が「リブの先駆」というところはちょっとひっかかったが、「一代主義」という言葉には、ずしりとくるものがあった。刹那主義、享楽主義にも通じるような、今が良ければそれでいいという意味でなら、Morris.の生き方にかさなってしまう(>_<)。「後は野となれ山となれ」ってことだよね(^_^;)
そして、原発が一代主義の申し子だとしたら、Morris.がシャカリキになって、反原発を唱える事自体が自己撞着ではないかという不安がよぎった。
本書は類似したテーマの文章が多く、同じことを何回も読まされるようで、ちょっと辟易するところもあったが、本来の専門分野である、「銃後」の女性史関連の著書も読まねばという気になった。

2014/09/27(土)●木曽御嶽山噴火●
5時半起床。
今朝の血圧は208/100/67。
浅海くんら3人で、大阪天満橋のフィリピン人宅のピックアップ。2日取り現場の二日目で、昨日かなり作業済ましてくれてたので、昼過ぎ作業終了。昼飯抜きで、倉庫作業済まして、2時帰宅(^_^)
仕事やってこんなに早く帰るのはめったにないことで、どこか出かけようかと思ったが、テレビつけたら、木曽の御嶽山が噴火したというニュースで、ついつい見入ってしまった。山頂から南に下がった地点三箇所くらいから噴煙があがっている。すごい火山灰で、登山客に被害が広まっているようだ。
逸ノ城は白鵬には力及ばず2敗になった、いちおう明日の千秋楽まで優勝の可能性残っている。
夜は、BSジャパンの寅さんシリーズ最終回。先週の48作が最終作品だったが、今日は、渥美清没後の1997年に、特殊撮影など駆使して作られた「寅次郎ハイビスカス特別編」。こんなのがあるのは知ってたけど、見るのは初めて。75年の海洋博時の沖縄が舞台で、米軍ジェット機や、米兵の歓楽街など、基地沖縄への批判的視点無くも無しという一面もあったが、全体的に寅さんへの鎮魂歌的イメージ大だった。究極のマドンナリリーに絞ったのが良かった。主題化を八代亜紀が歌ってるのが、意外で、すごく良かった。
この番組来週からは加山雄三の若大将シリーズ。ということで、これはいらんか(^_^;)
今日の歩数は4993歩。

背筋天蛾(せすじすずめ) 

金木犀 

御嶽山噴火 

【日本の原発危険地帯】鎌田慧 ★★★ 2011/04/17 青志社。

【市民科学者として生きる】高木仁三郎 1999/09/20 岩波新書。
日本の反原発運動の先端にいた高木の自伝的活動史で、先日読んだ「原発事故はなぜくりかえすのか」と同じく、癌に冒されて病院のベッドで書き綴られたものである。

1938年のハーンとシュトラスマンによる核分裂現象の発見が大事件である。
私は丁度その1938年に生まれ、1945年には小学校一年で敗戦を体験した。その後原子核化学を先行し、約40年間「核」と付き合ってきた。その初めの3分の1は、原子力利用を進める体制内の研究者として、残りの3分の2は、大きな研究・開発体制からとび出した、独立の批判者、市民活動家として。(序章)

右の道を選ぶか左の道を選ぶかはさして重要ではなく、その道をどう歩むかが枢要の問題だろう。(第3章)

日本の原子力産業は、政治的意図や金融資本の思惑が先行して始められた産業であり、技術的進歩を基盤として自ら成長していった産業とはかなり性格を異にしていた。(第3章)


原子力産業黎明期に研究員として参画した高木の持論(多分正解)だが、この持論に達するまでにはかなりの時間がかかったようだ。

体内にとりこまれたプルトニウムは大きな発がん性をもつことが、当初から知られていた。これは後に明らかになったことであるが、アメリカ政府はマンハッタン計画の当初から、囚人などを使って人体実験を繰り返していたのである。シーボーグの本にも、「人間に知られている最も危険な毒物のひとつ」と書かれている。当然シーボーグは人体実験に直接に関係していたか、少なくともその結果をすべて知り得る位置にはいたであろう。(第6章)

高木は研究のはじめからこのプルトニウムと縁が深かった。広島の原爆がウラン型だったのに対して、長崎の原爆はプルトニウムだった。自然界にはほとんど存在しないプルトニウムは、ウランの核分裂によって生ずる超ウラン元素であり、41年アメリカのグレン・シーボーグにより発見された。
高木は最初フィーボーグに啓発されてプルトニウムの研究を始めたが、その後、このプルトニウムを生み出す核燃料サイクルの廃止を終生の悲願としていた。

「国益のため」という大義(と称するもの)がある。電力の安定供給は国家経済の要である。これに反対するものは非国民だ、という居丈高な主張がある。非国民という言葉も実際に使われたが、頻繁に使われたのが、地域エゴという言葉だ。「迷惑施設」を引き受けるのを拒みながら、自分はその"恩恵を享受"し、日本の高度成長による繁栄にあずかろうとする。これはエゴだという。(第8章)

地域エゴではなく、都会のエゴではないかと思うが、大きな声を出したほうが勝ちということなのだろうか。高木も、反対運動のなかで、巨額のカネでの誘惑や、ヤクザの電話などさまざまな嫌がらせうけたようだが、そのことにもさらっと受け流してるところは、強い、と思う。

日本でも日米防衛協力のための指針、いわゆる新ガイドライン関連法案の成立によって、戦争参加の道が一挙に開かれた。さらに、「君が代」「日の丸」の法制化や「盗聴法」と、私たちの少年時代には考えてもみなかった方向に政治が転回している。しかも、ひとびとは概して静かすぎる程静かである。結局、私たちの世代も、それ以前の世代の誤ちを、何も教訓化し得なかったのか。そして「オマエハケッキョク、ナニヲヤッテキタノカ」。(終章)

今、現在のことが語られているような気がする。そしてMorris.も同じことを自問せずにはいられない。

私たちはあきらめからの脱出、すなわち希望を、単に個人個人に期待するだけでなく、人々の心のなかに積極的にその種を繙き、皆で協力し合って育てていくものとしてとらえ直す必要がある。それを私はオーストリアの友人ペーター・ヴァイスにならって「希望の組織化」と呼びたい。(終章)

高木の63年の一生を振り返ると、やはり一種の知的エリートだったという気がする。前橋高校時代から模試の上位者として知られ、東大出て、原子力事業に入り、東大研究所助手から、都立大助教授、ドイツで客員研究員したあと、都立大退職して、自主グループ「プルトニウム研究会」を組織、「原子力資料情報室」代表、反原発運動の事務局長などを努め、国内外の受賞など、いわゆる、在野の反原発主義者とは、一線を画している。それが悪いというわけではなく、なんとなく雲の上の人みたいな感じがする、という、それだけのことである。

2014/09/26(金)●往復800km●
2時半起床(^_^;)
今朝の血圧は180/75/83。
溝渕、荻野くんと3人で、山口県光市の、ベトナム向け引越し荷物ピックアップ現場。
熊本の実家へのローカル荷物は別業者がやることになってたので、思ったよりもらくだった。
昼飯抜きで1時過ぎ作業終了。
宮島SA昼食。(まずかった(>_<))
倉庫に戻ったのが7時過ぎ。積み下ろしやバン詰め作業済まして帰宅したのが8時過ぎ。
今夜は長田でカラオケ会があったのだが、時間的にも厳しいし、一日で往復800km(10時間)トラックに揺られるのは、さすがに応える、ということで、パス。
逸ノ城は、横綱鶴龍にも勝って一敗を守り、白鵬が豪栄道に破てしまい。明日、一敗同士で、白鳳ー逸ノ城が対戦する。
巨人が2014年セリーグのリーグ優勝決定したらしい(^_^;)  とりあえずおめでとさん(^_^)
今日の歩数は4200歩。

【舟を編む】三浦しをん★★★ 2011/09/20 光文社。初出「CLASSY」2009年11月号~2011年7月号。
発表翌年本屋大賞受賞、2013年には映画化されているから、それなりのベストセラーということになるだろう。
ベストセラーは読まない(^_^;)Morris.なのだが、本書は辞書作りを取り上げた作品ということで読んでもいいか、と思いながら、結局3年たってやっと読む事ができた。結論を言えば、期待はずれだった。
発表媒体が女性ファッション誌ということもあってか、登場人物の人間関係と行動があまりにも単純(>_<) 良いテーマが薄っぺらに鳴ってしまっている。
岩波と小学館の辞書編集部や王子製紙を取材したり、辞書関連本を参考にして、それなりに辞書編纂のノーハウや、苦労話をもりこんでいる。その分、提灯記事みたいになってる印象を受けたのは、Morris.の僻目だろうか?

「なぜ、新しい辞書の名を『大渡海』にしようとしているか、わかるか」
「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」
魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いを誰かに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」
「海を渡るにふさわしい舟を編む」
松本先生が静かに言った。「その思いをこめて、荒木くんとわたしとで名づけました」
きみに託す。声にはしなかった言葉を聞き取ったのか、馬締は円卓から両手を下ろし、姿勢を正した。


本書タイトルの拠って来るところだが、それにしても辞書の名前に「大渡海」はないと思うぞ。「言葉の海」という喩えからも、大槻文彦の「言海」「大言海」のパロディと思われる。
それはともかく、辞書を舟に例えるセンスもMorris.にはぴんとこなかった。それ以前に、この文体がMorris.の苦手とするものだった。

試作品の紙をためつすがめつしていた馬締が、突然叫んだ。
「ぬめり感がない!」
『広辞苑』のページを、馬締は指の腹で一枚一枚めくった。「これが、ぬめり感です」
「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう! にもかかわらず、『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!
馬締に『広辞苑』を渡され、岸辺と宮本もページをめくってみた。
「あ、ほんとだ」
「たしかに、絶妙にしっとりとした質感で、指の腹だけで難なくページがめくれますね」
ようやく悟りを得ましたか、と言いたげに、馬締は鷹揚にうなずいた。
「これこそが、辞書に使用される紙が目指すべき境地です。辞書は、ただでさえ分厚い書物です。ページをめくるひとに無用なストレスを与えるようではいけません」


この「ぬめり感」というのは、興味深かった。以前から辞書の紙質には、感心することが多かったが、「ぬめり感」という言葉には、なるほどと思った。もっとも、新人社員とはいえ、印刷会社の社員である宮本がこれを知らないという設定はおかしい。
Morris.は広辞苑持ってないので、試すことは出来なかったが、Morris.の脂っけの無い指の腹でめくれる紙はなかなかありそうにない。

しかし、今世紀に入ってからのネット普及で、紙製の辞書の存在は、いよいよ危うくなりそうだ。
Morris.もひところと比べると、本棚の辞書を引く頻度は激減している。
逆に以前、紙メディアの辞書を引く習慣の無かった人の間では、PCやスマートフォンなどで、検索という形での習慣が普及していることは、間違いないところだろう。これはネットの「功罪」の「功」だと思う。

2014/09/25(木)●ひさびさ仕事(^_^;)●
6時起床。
今朝の血圧は205/92/74。
台風崩れの低気圧で午前中は雨の予想だったのに、雨降ってない(^_^) 自転車で、久しぶりに摩耶倉庫に。
溝渕くんら3人で、草津の上海向け引越し荷物ピックアップ現場。よく片付いてたのっで昼前に作業終了。
昼食はあ丸亀製麺でぶっかけうどん。3時に倉庫に戻り、5時帰宅。
大相撲はほとんど見なくなってたのだが、ひさしぶりに見たら、白鳳は全勝だが、一敗は鶴龍と新入幕の逸ノ城。昨日は大関稀勢の里を破り、今日は大関豪栄道と当たる。
昨日は変化しての勝ちだったらしいが、今日はがっぷり組んで、完全な勝ち相撲(@_@)。明日は異例の横綱鶴竜との対戦。ちょっと面白そう。
明日は倉庫3時半集合で山口県光市の現場。
今夜は早く寝よう。
今日の歩数は4994歩。

【身のまわりの木の図鑑】 葛西愛 ★★★☆☆ 2004/11 ポプラ社。
植物好きのMorris.。のはずなのだが、いまだに町歩きしていても、樹木の名前がわからないことが多い。。これまでに何度か樹木図鑑類を見たことがあるのだが、なかなか身につかない。
本書は初心者向け(中高生向け?)で、簡単な樹木知識からはじめて、全体を、わかりやすい十種の形態に分類してある。ざっと200種近い樹木が取り上げられているが、そのなかで、Morris.周知のものは除外して、覚えておきたい樹木の名前を、先の分類別に、写しておく。ついでに、google検索の画像一覧のリンクもいくつか張っておく。これもあくまでMorris.のための利用本位(つまりいいかげん)(^_^;)である

1.学校周辺の樹木
さすがにここで紹介されてるものは皆知ってた。(桜、藤、蘇鉄、犬槙等)
2.街なかで見られる樹木
ナンキンハゼ(南京黄櫨)
シャリンバイ(車輪梅)
モミジバフウ(紅葉葉楓)
アオギリ(梧桐)
エンジュ(槐)
3.落葉する樹木
トサミズキ(土佐水木)
アベマキ(「木」偏に「青」)
ラクウショウ(落羽松)
センダン(栴檀)
ムクノキ(椋の木)
アカシデ(赤四手)
フウ(楓)
イボタノキ(水蝋の木)
サイカチ(皀莢)
4.紅葉する樹木
ドウダンツツジ(満天星)
トウカエデ(唐楓)
イタヤカエデ(板屋楓)
マルバノキ(丸葉の木)
サンゴミズキ(珊瑚水木)
ミズキ(水木)
5.常緑の樹木
ヒヨクヒバ(比翼檜葉)
サワラ(椹)
コノテガシワ(児の手柏)
アスナロ(翌檜)
ウバメガシ(姥目樫)
カナメモチ(要黐)
ネズミモチ(鼠黐)
カクレミノ(隠れ蓑)
ユズリハ(楪)
ヒサカキ(姫榊)
マサキ(柾)
イヌツゲ(犬黄楊)
ツゲ(黄楊)
マテバシイ(馬刀葉椎)
スダジイ(
シラカシ(白樫)
キャラボク(伽羅木)
イチイ(一位)
エノキ(榎)
ナギイカダ(椰筏)
トキワマンサク(常磐満作)
6.花を楽しむ樹木
キミガヨラン(君が代蘭)
サンシュユ(山茱萸)
ギョリュウバイ(御柳梅)
ニワウメ(庭梅)
シジミバナ(蜆花)
カラタネオガタマ(唐種沼霊)
シデコブシ(四手辛夷)
ハクチョウゲ(白丁花)
ウツギ(空木)
ヒメウツギ(姫空木)
ニシキウツギ(二色空木)
ガマズミ(
カンボク(肝木)
ボタンクサギ(牡丹臭木)
エゴノキ(
ニオイバンマツリ(匂番茉莉)
スモークツリー(煙の木 )
ヤコウボク(夜香木)
ムラサキナツフジ(紫夏藤)
7.実を楽しむ樹木
カマツカ(鎌柄)
サネカズラ(実葛)
クロガネモチ(黒鉄黐)
ハクサンボク(白山木)
ウメモドキ(梅擬)
モッコク(木斛)
サンゴジュ(珊瑚樹)
8.食べられる樹木
ブシュカン(仏手柑)
ユスラウメ(桜桃)
アマチャ(甘茶)

9.役に立つ樹木
カジノキ(梶の木)
カツラ(桂)
アブラギリ(油桐)
シナノキ(科の木)
10.室内の樹木
カネノナルキ(クラッスラ)
カンノンチク(観音竹)
タイワンレンギョウ(臺灣連翹 デュランタ)
ゲッキツ(月橘 シルクジャスミン)

2014/09/24(水)●小糠雨猫●
6時半起床。
今朝の血圧は199/91/76。
台風16号は熱帯低気圧になったようだが、今日明日はその影響で雨っぽい天気になりそう。
午前中ベッドでオーウエルの「カタロニア讃歌」読む。
午後ちょっと雨上がったので歩いて六甲道方面へ。
都賀川の川沿い公園に小さな仔猫が二匹いた。デジカメ撮ろうとしたら、近所の母娘がやってきて、抱えて持ち帰って行った。飼うつもりでなく、避妊手術して耳に刻みいれて地域猫にするつもりかもしれない。
その後また小雨降りだしたが、そのまま灘図書館まで行って、山上たつひこの「中春 こまわり君」2冊読む。例のがきデカの社会人篇で、かなりシリアス&スラップスティック・コメディで、結構読むのに骨が折れた。でも、あまりおもしろくはなかった。昔夢中で読んだがきデカキャラクタの変貌を懐かしむといった感じか。
ふらふらと歩いて、5時半帰宅。
長田区の小学1年生女の子の死体が、自宅のすぐ近くの雑木林で見つかり、近くの47歳男が逮捕されたというニュース。2週間近くも、見つからなかったというのが大きな疑問。警察はどんな捜索やってるんぢゃ。
えらく長いこと農閑期続いてたが、明日からちょこっと仕事連続しそうだ。
今日の歩数は8812歩。

酒屋のメカ恐竜 

都賀川で仔猫が2匹 

白雉 

この母娘が連れてったけど 

寿司屋前の白 

米屋のペルシャ系 

白雉 

お馴染みの駐車場猫 

ゴーヤ 

【日本破滅列島】樋口健二 ★★★☆ 1992/10/15 三一書房。
1970年から1990年までのフォトドキュメンタリーである。250pの中に150葉ほどのモノクロ写真が掲載されている。「自然破壊」「公害」「労働災害」「巨大開発」の4章に分けて25件の環境破壊現場の写真と文章が掲載されている。まるまる高度経済成長期にあたるこの20年間に、どれだけの理不尽なことどもが行われてきたことか。

林道開発によるブナ原生林伐採、洗剤などによる湖汚染、諫早湾干拓で無くなる海、林野庁の屋久島伐採、石灰石採掘による山の消滅、工場による大気汚染、水俣病、イタイイタイ病、ダンプによる塵肺患者、炭鉱事故、マンガン中毒、別子銅山の振動病、燃料各サイクル施設、本四架橋、石垣島新空港、八郎潟干拓、東京ゴミの埋め立て、ゴルフ場農薬汚染…………

本書に取り上げられた破壊の一端である。明治、いや江戸時代から続く環境破壊もあるのだろうが、やはり戦後の日本列島改造論に代表される高度成長至上主義の歪みが目立つ。やったものがちの欲望至上主義、お定まりの無責任と責任転嫁、隠蔽、裏工作、詐欺まがいの開発等など、とどまるところをしらずである。
Morris.の住んでいる神戸市の巨大な人工島(ポートアイランド、六甲アイランド)、明石大橋のために、どれだけの自然が破壊されたか想像に難くない。そして95年の大地震災害の復興に便乗しての環境破壊も、半端ではない。

島民の生活を犠牲にしようが、みかん畑をズタズタにしようが、島の自然を削りとろうが、そんなのは国家的な事業を推進するためには小さな問題といわんばかりである。
日本は戦後、経済優先のみを大義名分として弱いもの、過疎地、農漁業を犠牲にしながら豊かさを求めてきた。しかし、豊かさとは……。
当時、ほとんどのマスコミもこうした現実に無批判だったのではないだろうか。いやむしろ、本土と四国が直結することによって、人々の制圧に潤いを与えると喧伝してきたのである。(夢の瀬戸内海架橋)


マスコミが意識的にしろ無意識的にしろ、こういった開発の提灯持ちになることは、多々ある。いや、そちらのほうが多いのかもしれない。大本営発表を持ち出すまでもなく、国策や世論に左右される危うい媒体であることは間違いない。

原発行政はもともと廃棄物をどうするのか、寿命になった原発はどうするのか、などの事後をどうするのか解決策をもたぬまま無責任にスタートしている。そのためいざ難題に直面すると過疎地を探し出してきて施設建設の計画案をぶち上げるということを繰り返し、反対運動の少ない地域に押しつけるという方法を用いてきた。六ヶ所村はまさに巨大開発計画の頓挫後の原発推進側の最後の砦といってもよかった。(巨大開発に翻弄された村)

原発に関しては、この六ヶ所村のことだけしか取り上げられていない。原発だけの本は別に複数出してるためだろう。原発はほとんど樋口のライフワークとなる対象だが本書が出された時期は、まだ、JCO事故の前だし、この六ヶ所村が一ホットな問題だったのかもしれない。

きれいに整備された緑の芝生にプレーヤーは目を奪われ、爽快感を味わうことだろう。しかしその芝生には年間35回以上、2トンをう回る農薬が散布されているのである。除草剤、殺虫剤、さらには化学物質と百種類以上に及んでいる。一ゴルフ場でこれだから、日本列島全体では想像を絶する量が撒かれているものと思われる。
ゴルフ場は90年現在で千ヶ所、造成中・計画中も含めると二千ヶ所を超え、日本列島を虫食い状態にしていっている。ゴルフ場は開発前に会員権を発売することによって資金を確保できるというウマミを利用しながら、森林をなぎたおして建設されていく。そこはまた土地の買収や認可などによる地方議員をも巻き込んだ利権の場でもある。農薬の散布禁止だけでは建設ブームを止められないというのは、この点にある。また、国土を守るという役割をもつ林業では整形を立てられなくなっている現実が、山林を手放すことに拍車をかけている。(ああコルフ列島)


ゴルフには縁のないMorris.なので、ゴルフにはあまり良い印象は持っていない。とりあえず、日本にこれだけ多くのゴルフ場があるのはナンセンスだと思う。テレビも、ゴルフ場公害を否定的に取り上げたりもしながら、ゴルフ中継やゴルフ教室番組を延々とやっている。
日本のゴルフ場の数、ネットで調べたら、2002年に2460ヶ所というのがピークでそれ以後はちょっとだけ減少傾向らしい。狭い日本には、あんな広い施設を要する競技は向いてないと思う。

このドキュメンタリーは私なりの民衆史として位置づけています。
しかし、これらの写真群をいくら積み重ねたところで、巨大な力に押しつぶされるでしょう。また、社会変革も簡単にできるはずもありません。
そんな思いにかられながらも、私は日本列島の北から南へ、また南から北へとカメラをかついで歩きまわってきたのです。夢中で歩き回っているうちに、あっという間に20数年が経過してしまいました。(あとがき)


このあとがきが書かれてから、また20数年が過ぎて、福島第一原発事故が起こり、これも力に押しつぶされようとしている(>_<) 社会変革どころかどんどん悪い方向に進んでいるように思うのはMorris.だけだろうか。
しかし、こうやって口先だけで悲憤慷慨して見せても、への突っ張りにもならないのだ。
フォトドキュメンタリーなのに、写真への言及が無いのは片手落ちと思うが、これはやはり「百聞は一見に如かず」である。ぜひ、直接手にとって見ていただきたい。と、いいながら、神戸市の図書館では灘図書館に一冊しかない(>_<)
2014/09/23(火)●秋分青天●
8時起床。
今朝の血圧は208/87/69。
朝の3点セット。
雲ひとつ無い青空が広がっている。今日は秋分の日だ。秋分の日に晴天が多いという統計はあるのだろうか?
晴れの特異日といえば、11月3日を思い出すのだが、10月10日もそうだったかな?秋分の日はたいてい9月23日だけど、時々ずれることもあるから特異日にはならないかも。手っ取り早くウィキペディアで調べたら、やっぱり秋分の日はとりあげてなかったし、10月10日は晴れの特異日ではなかった。晴れの特異日は11月3日以外に、1月16日、3月14日、6月1日の三日が挙げられている。他に雨の特異日や猛暑の特異日、台風襲来の特異日などいろいろあるらしい。
まあ、こういうのは日本独自のものかもしれない。雨期と乾期がはっきり分かれる国や、カリフォルニアみたいに、一年中晴れてるところでは、意味もないだろう(^_^;)
10時過ぎに王子動物園に。カンガルー広場の上のベンチで、ミニギターと読書(^_^;)
祝日だから結構見物客多かった。
1時半帰宅して、昼はまたまたタイカレー。一緒に入れておいた茹で卵が、すっかり沁みてこれまた美味しかった。
3時過ぎに自転車で都賀川方面散策。
マルハチで買い物して6時帰宅。
今日の歩数は4112歩。

蛍蛾 

秋分青天 

雛駝鳥