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Morris.日乘2014年10月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今 月の標語
           
死 者 誤 入

【2014年】  9月 8月  7月    6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月
【2013年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/10/31(土)●久々歌本作り。●
6時起床。
今朝の血圧は207/111/67。
朝の3点セット。
何となく曇り空。
午前中、読書と、楽譜整理。
午後から自転車で六甲生年学生センターへ。久しぶりに韓国歌謡の歌本作ることにしたのだ。センターの印刷機使うのも久しぶりなので、また一から飛田さんの指導を仰ぐ。次は一人でできるように、使い方のメモ取っておく。
これで歌本も10冊目くらいになるが、さすがに最近はそうそうレパートリーも増えないし、前回の歌本のセレクトと追加曲で、36曲(48p)。4冊作る。事務所に導入されたアンバサダーでいれたコーヒーご馳走になりながら世間話。昨日自転車で武庫川に行って撮影した白鷺の画像を見せびらかしてくれた。超望遠のデジカメで撮ったとのこと。倍率を聞いたら「千倍」というので、いくらなんでもそれはないだろうと現物見せてもらう。コンデジなのに望遠は手動である。光学42倍ズームだった。これにデジタル2倍ズームかけたら84倍だから、かなりのものである。飛田さんが「千倍」といったのは、1000mm望遠レンズにあたるというのを勘違いしたらしい。たしかにすごいけど、ほとんど一眼レフ並みの大きさなので、Morris.向きではない。
今日は金曜日で稲田さんとも会えて、話もできたので良かった。稲田さんは部屋で水出しコーヒーを楽しんでいるらしい。韓国でスティックタイプの安っぽいクリームコーヒーに馴染んでしまい、帰国してからもドトールのスティックコーヒー飲み続けてるMorris.とは偉い違いである。
灘図書館に寄り、ダイソーでクリアファイル(歌本の表紙用)買って、マルハチで買い物して6時前帰宅。
水道筋商店街は、ハロウィンの扮装した母子連れで大賑わいだった。
今夜は12年ぶりに「ナースのお仕事」特別編がある。Morris.はこのシリーズが大好きで、というか、このドラマで観月ファンになったとも言える。。始まったのが1996年で、観月はちょうど二十歳だった。97年、200年、2002年のパート4まであって、映画化もあった。彼女ももう38歳か。確かにそれなりに年を重ねてるけど、看護婦の白衣姿は二十歳のときそのまま(^_^;)である。嬉しかった。今回は明日の夜の二話連続とのこと。
今日の歩数は5712歩。

新歌本 

ひさびさ飛田さん 

口笛文庫ウィンドゥ 


2014/10/30(木)●ソフトバンク日本一●
4時半起床。
今朝の血圧は202/94/92。
3人で昨日と同じ名古屋の現場。
宿酔ではないが、睡眠不足で、助手席で半分くらい寝てた。
今日はスロバキア向け荷物ピックアップ。昼飯抜きで1時半作業終了。
遅めの昼食は、大山田SAでカツ丼(690円)。これは意外と美味しかった(^_^)
4時半倉庫着。5時半帰宅。しかし、カラオケ明けの名古屋はちょっと応えた。
日本シリーズ第5戦。メッセンジャーが好投したものの、阪神得点できず、8回裏に1点取られ、9回一死満塁から西岡内野ゴロで本塁封殺、一塁送球が乱れた間に、二塁ランナーホームインで同点(^_^)、と思ったら、西岡守備妨害で試合終了(@_@)
何となくすっきりしない終わり方だったけど、秋山監督はこれでユニフォーム脱ぐそうで、有終の美を飾ったことになる。おめでとう\(^o^)/
今日の歩数は3910歩。

【福島原発の真実】佐藤栄佐久 ★★★☆2011/06/22平凡社新書。
吉岡斉の本の中で触れられていたので、あわてて、読むことにした。先にも書いたが、「サトウエイサク」という名前のひびきから、あの「佐藤栄作」元総理を連想してしまい、謂れのないマイナスイメージを持ってしまってたのだ(>_<) 東北への無関心というのがその前提にあったのだろうが、誠に失礼なことであった。
3・11直後の原発関連本出版ブーム(^_^;) の一環として出されたものだが、本書はそれらとは一線を画す貴重な記録である。原子力ムラ(国、東電、企業、御用学者)に、県知事として真摯に向き合い、ぶつかり合い、実質的な折衝をした政治家(吉岡はこれを「知事の反乱」と形容している)を、あらためて見直すことになった。

原発立地自治体には、電源三法交付金も得られる。しかし、落とし穴があった。交付金の用途は公共事業に限定されており、いわゆる「ハコモノ」を作るしかなかった。そこで原発立地自治体は次々に役場の建物を新しくし、市民ホールや図書館を作っていったが、交付金は維持管理経費に使えないことから、これらの維持費が自治体の首を絞めるようになったのである。そして固定資産税は、償却で金額が減っていく。
私はかつて「麻薬中毒患者のようだ」と表現したことがあるが、補助金頼みの自治体は、金がじゃぶじゃぶ入っているうちに目的と手段が完全に逆転してしまっており、「金がないから原発をまた誘致したい」という発想になるのである。その周期はきっかり30年だ。(目的と手段が逆転した原発誘致)


原子力ムラの「飴と鞭」手法を「麻薬中毒患者」に例えざるを得なかったという深刻さを見過ごしてはいけない。ハコモノ支援の弊害はこれまでにもとりあげられているが、一向になくなりそうにない。

官僚は異動してしまえば、それまでの責任を逃れることができるのだ。
法律用語で「無答責」という言葉がある。戦前の大日本帝国憲法体制において、官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使で国民に損害を与えても、国家は責任を負わないとする法理であり、現在の日本国憲法の下では否定されている。しかし、原発政策では、この「無答責の法理」が堂々と生きていた。
政治家と官僚の関係は、一般には癒着や利権と悪いイメージで受け取られるが、国民から選ばれた政治家が官僚をコントロールするという民主主義的側面もあることを見過ごしてはいけない。しかし、原子力政策においては、完全に官僚の独擅場となっていた。政策を実際につくるのは経産省の官僚であり、総理府(内閣府)=経産省=電力会社という事業者が密接に結びつく、「鉄のトライアングル」--すなわち”原子力ムラ”ができていた。特に日本のリーディングカンパニーを自負していた東京電力と官僚の結びつきは強かった。(「鉄のトライアングル」)


政治家も官僚には、自分の任期中に問題が起こらなければそれでいい、という考え方(保身 責任逃れ)があるようだ。福島原発事故の収束には10年(あるいは数十年、収束不可?)以上かかりそうだから、現在の担当者は心置きなく(>_<)責任先送りするんじゃないかと思ってしまう。

福島が経験してきた原発事故では、そもそも事故に至る経過と、事故が起こってからの隠蔽工作で、福島県民の「安心と安全」が失われている。
さらに問題だと思ったのは、「水平展開」がされていないということである。事故の情報が他の原発に共有され、改良が行われている気配がまったくないのだ。
たとえば、航空機事故やトラブルが起これば、同型機を運航している世界中の航空会社にすぐさま情報が伝わり、点検に入ることになっている。事故に至らずとも、不具合情報はメーカーやアメリカ連邦航空保安局などから書く航空会社に伝えらえる。そこに、JALもANAも縦割りは関係ない。しかし、原発では縦割りの中から情報が外に出てこない。「よらしむべし、知らしむべからず」を地で行っている。(三県知事に絞って政府に申し入れ)


原子力そのものが秘密体質を孕んでいる。その眷属である原発が秘密主義なのは当然なのかもしれない。それがますます原発をブラックボックス化している。

(2002年9月の検討会発言の中で)ことに私の印象に残ったのは、米本正平氏の、中央と地方に関するこんなとらえ方だった。
「日本社会の権力理解は『構造化されたパターナリズム』だと思います」
政策立案は、霞が関の中央省庁、すなわち「お上」の専権事項であり、父に従う子どものような関係が作り付けになっているというのだ。たしかに、「国にまかせておけば大丈夫だろう」「大きな会社だからきっと大丈夫だろう」「最新施設だから安心だろう」と考えていると、実は核物資をバケツでかき混ぜていた、というしっぺ返しを食うことになる。日本社会に深く食い込んでいる「構造化されたパターナリズム」の中に、原発政策もまた含まれていると考えると、それを考えていくのは容易なことではないと改めて考えさせられる。(国民の声は反映されているか)

吉岡斉氏は、再処理技術進歩の予想と現実が大きく食い違っており、そこを正しく評価できないことに原子力政策の最大の問題点があるという。
「アセスメントがなされていないのが日本の原子力政策の最大の問題で、再処理に躍起になるのは、それが最初からの前提だったから。1950年代においては、再処理は簡単にできると思われており、将来は高速増殖炉時代になるから再処理は必ずやるのだ、という前提の下で出発した。いったん出発すれば、そこに既得権益というものが生じるから、簡単にはやめられないということで続いてきた」(原子力政策の最大の問題点)

「わが国では、原子力推進と電力自由化という両立しない政策を同時にやっている。自由化は、ある意味で原子力の首を絞めることになり、原子力推進とは相容れない。原子力先進国であるフランスでは、現在、原子力で供給している75%の電力は不可侵の領域とし、残りの25%について自由化を推進している。わが国でも原子力推進と電力自由化を両立させようというのであれば、たとえば原子力の構成比率の上限を45%にし、残りの55%について自由化するといったようにしないと両立は不可能だ」(佐和隆光発言)

本文中で何度もご紹介した福島県エネルギー政策検討会「中間とりまとめ」(2002年9月)については、福島県ホームページからダウンロードできるので、ぜひご覧いただきたい。「中間とりまとめ」の基礎となった検討会の議事録も掲載されているので、当時の福島県の問題意識と議論を追っていただくこともできる。


この2002年の検討会は吉岡斉の本でも触れられていた。こうやって、ネットで公開されているのか。うーーん、議事録は長すぎるので、とりまとめのパンフレットだけでもめをとおしておこう。って、やっぱりこれも、後手に回るということだろうな。
たしかに福島県のホームページは福島原発並びに、震災復興状況を知るには、貴重な情報源であるに違いなく。震災後3年以上も、覗こうともしなかったことに反省させられた。

日本の原子力政策には、原子力基本法で定められた「民主・自由・公開」の三原則がある。しかし現実はどうか。本来、独立して原子力政策を策定するはずの内閣府の原子力委員会は、藤家原子力委員長(当時)が「とにかく、プルサーマルはどこかでやらなければならないんだ」というように、経産省の官僚が書いたプランを追認するところであり、原子力安全委員会は、国民のパブリック・コメントや地震学者の警告を無視した安全基準を作るところだった。原子力安全・保安院もまた、独立した監視機関ではなく、設立後に双葉郡全体に配布したチラシで自ら、「原発を推進する役所だ」と白状してしまっている。まさに原子力ムラは、"よらしむべき、知らしむべからず"の「構造化されたパターナリズム」であり、「経路依存症」の世界そのものだ。
原子力政策もそうだが、日本の統治機構の最大の問題点は、官に都合のいい組織ばかりが作られた結果、チェック機能が働かなくなっていることだ。組織内部だけではない。外部からのチェックすべきメディアも機能していないに等しい。(エピローグ)


こういった状況下に置かれた福島県で、原子力ムラに戦いを挑み、限りなく冤罪に近い引責で辞任を余儀なくされた元知事の「恨み節」。
先般の福島知事選では、5人の候補者すべてが、脱原発を表明、与野党相乗りで元副知事の内堀雅雄が圧勝したが、投票率は5割を切り、なまじ自民党の応援を受けてるだけに、福島の復興、脱原発の先行きの見通しは明るいとは言えまい。

2014/10/29(水)●名古屋-新長田●
4時半起床。
今朝の血圧は210/88/87。
浅海くんら5人、トラック2台で名古屋名東区極楽の欧州人(^_^;)宅のピックアップ。仕向地がベルギーとスロバキアの2ヶ所なので、今日はベルギー向けをメインに梱包。Morris.は外回り。小さい石灯籠やら、パラソルやらガーデンベンチやら、いつもとちょっと違ったパタンで面白かった。
今夜は長田の「歌居屋」のカラオケ会。先月は山口現場で欠席したが、今夜はどうかな、と思ったが、6時前に倉庫に戻り、荷降ろし済まして、6時半に帰宅、シャワー浴びて、着替えて、新長田へ。
歌居屋に着いたのが7時半過ぎで、30分の遅刻。いつもと違って狭い部屋で、すでに満員状態。主宰者の朴昌利さんのむくげの会の三人衆(山根、堀内、深田さん)、大和くんにムックさんの6人。通信カラオケジョイサウンドで、詳細採点モードだったので、ちょっと引いてしまった。Morris.はどうもカラオケの採点モードには馴染めない。というか嫌いである。とりあえず一回り目だけということで、外してもらう。
大和くんは久しぶりだったが、相変わらず上手いしレパートリーも広い。ムックさんは得意のソルンドナンバーを披露してみんなをびっくりさせてた。かなり練習してるようだ(^_^;) 山根さんもラップナンバーまで覚えてた(@_@) 遅れておなじみの在日アジュマ二人と、初参加の門永さんと結局今日の参加者は10人。
8人部屋に10人というのはちょっと窮屈だったが、これはこれなりに一体感があって、良かったかな。
明日も名古屋なので10時半に退出。
日本シリーズ第4戦は延長線にもつれ込んだらしいが、オスンファンが中村に3ラン打たれてサヨナラ敗け(>_<) これで、明日敗けたらTHE ENDである。何とか甲子園に戻ってきてもらいたいものである。
今日の歩数は3922歩。

カラマツの実? 

杉の実 

夜の鉄人 

歌の鉄人たち(^_^;) 

神戸のソルンド(ムックさん) 

ぎっしりカラオケ 

【プーと私】石井桃子 ★★★ 2014/01/30 河出書房新社。
2008年101歳で亡くなった石井桃子の、単行本未収録の随筆をまとめた本が数冊出されていて、本書は、プーさん、ピーターラビットやドリトル先生の翻 訳出版事情、児童図書館を中心に1年がかりでの欧米修旅行のエピソードなどを主題にしたものが40篇ほど集めてある。発表時期は1955年から2004年 までと半生記にわたっているが、
石井桃子といえば、「くまのプーさん」などの翻訳家、「ノンちゃん雲に乗る」などの児童文学作家として有名だが、Morris.とはあまり縁のない作家である。
それでも本書を読もうと思ったのは、沼部真一さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」に連載された彼女関係の記事に心惹かれたからだった。

あるとき、井伏さんが、次のようなことをおっしゃったときのことは、はっきりおぼえている。
「太宰はね、こう思うことが書けなくなったら、思う存分のことを書いて、壺に入れて、地面に埋めとくっていってるんですがね。」(井伏さんとドリトル先生 1998)

井伏鱒二と太宰治といえば、太宰の遺書の「井伏さんは悪人です」を思い出さずにいられないが、あれはやはり、太宰の屈折した物言いだったのだろう。

そのにぎやかなこと。私は、図書館では、足音もしのんで歩くようにお行儀をしつけているように聞いていましたが、それは、むかしのことで、たのしみに本を よみにくるんだから、わざとさわがしくする子どもなら、ともかく、けっしてコチコチのお行儀はしこまないということでした。(アメリカの子ども図書館 1956)

56年という時期にこの発言(発見)は、時代を先取りしていると思う。Morris.は「図書館=静粛に」を金科玉条のように思い込んでたが、市民の図書館という観点からすると、また別の規範があることも理解しなくてはならないのだろう。

2014/10/28(火)●パンミを聴きながら●
6時起床。
今朝の血圧は181/90/69。
今日も秋晴れの良い天気である。でも、午前中は部屋でごろごろ(^_^;)
昼過ぎ、自転車で三宮方面に。途中生田川の公園で休憩。ミニギター不携帯だったので、iPhoneに最近入れたパンミのアルバムをワイヤレスイヤホンで聴きながら、日向の草っ原に座って読書。パンミはキムヘヨンの先輩歌手で、独特な声と歌唱法で、中毒性がある。なかなか気持ちよくて、結局一冊読み終えてしまい、気がついたらもう4時前だったので、大安亭に引き返して、買い物して4時半帰宅。後は部屋で、久しぶりにノレバン98号で遊ぶ。
6時半から日本シリーズ第三戦。藤浪、大隣の投げ合い。藤浪、初回1点先制され、4回には、二死二塁から三振振り逃げで1点追加されるという、苦しい展開。6回リリーフの安藤が二死満塁で、フィルダースチョイスとポテンヒットで0-5。これで勝負あった(>_<) 阪神打線良いところ無し。9回二死から何とか鳥谷タイムリーで1点返したもののそこまで(>_<) 1-5の完敗。
今日の歩数は2154歩。

春日野道スキヤ雉 

大安亭八百屋猫#1これは飼い猫

#2 後は野良 

#4 

#5 

草っ原で読書 

【あ・い・た・く・て】工藤直子 詩・佐野洋子 絵 ★★★ 1991/09/14 大日本図書。
Morris.の愛蔵本というコーナーで「おんなのこ」という小さな詩集をとりあげたことがある。
先日、三宮図書館の本棚で、同じコンビの本書を見かけて、つい手にとった。四半世紀前のホンダが、先の「おんなのこ」は1975年刊だから、それから16年後にだされたものらしい。35篇の詩が収められている。

この本のなかの詩は、私家版の詩集、絶版になった本、雑誌にのせたもの…などのなかから書きなおしたものが少し。あと、ほとんどは「あいたくてという気持ちで、書きおろしました。(あなたに)

と、あとがきにあるが、絶版になった詩集というのが、先の「おんなのこ」ということになるのだろう。ぱらぱらとチェックしてみたら10篇ほどが、「おんなのこ」と重複しているようだった。でも「書きなおし」に違和感をおぼえてしまった。
「おんなのこ」の中でも、一番、二番くらいに好きだった「好きなもの」という詩は、タイトルも「すきなこと」と改題されて、中身もすっかり変身させられていた。

「おんなのこ」(1975) 「あ・い・た・く・て」(1991) 
好きなもの

好きなもの というのは
たいせつ です
わたしの たいせつなものは
「生きている」ことです

そのせいでしょうか わたしは
ふしあわせ も 愛します

 
すきなこと

ここに こうしてすわって
こーんな あくびをしたり
あーんな ためいきをついたり
泣くかとおもえば 笑ったり

なにやってんだ ばっかなやつ と
じぶんのあたまを こづいたり…
とどのつまりは これも
すきで やっているのか と

そのせいでしょうか わたしは
ふしあわせも 愛します

 
痛い

好きに なるのは
心を ちぎって
あげてしまう のだから

痛くて しかたないのです

 
痛い

すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか

だから こんなに痛いのか


 
こころ

「心が砕ける」というのは
たとえばなしだと 思っていた 昨日まで
今朝 心は砕けていた ほんとうに

ひとつひとつ かけらをひろう
涙が出るのは
かけらに日が射して眩しいから

砕けても心はわたしのもの
ていねいに ひろう

 
 こころ

「こころが くだける」というのは
たとえばなしだと思っていた ゆうべまで
今朝 こころはくだけていた ほんとうに

ひとつひとつ かけらをひろう
涙がでるのは
かけらに日が射して まぶしいから

くだけても これはわたしの こころ
ていねいに ひろう

 

詩人が自分の作品に手を入れることは、よくあることではあるのだが、とりあえず、一度発表された作品は、作者の手を離れて、読者の心のなかに住みつくことだってあるのだから、あまり大掛かりな改作は控えて欲しい。って、それだけMorris.が「おんなのこ」に固執しているということだろう。
「おんなのこ」と重ならない詩の中から、好きになった1篇を引用して終わりにする。

ばら

花びらが散ると そこに
花びらのかたちの なにか やさしいものが
あつまるように思われる


2014/10/27(月)●チャンユンジョン復活(@_@)??●
6時起床。
昨夜は10時頃から、ものすごい雷雨に襲われた。
朝になったら晴れ上がってた。
今朝の血圧は202/105/86。
昨日と同じ現場二日目。
昼に一時にわか雨が振り、その後はかなりの強風が吹いた。後で知ったのだが、これが「こがらし1号」だったらしい。
赤瀬川原平の訃報。尾辻克彦名義の著作も含めると10冊くらいは読んでいる。(自サイト検索の結果)。「千円札裁判」「老人力」「超芸術トマソン」などがよく知られているが、Morris.は彼の写真(面白くて楽しくて発見がある)が好きだった。享年七十七。合掌。
今夜のKBS歌謡舞台1391回は"10월 신청곡10月リクエスト“
   
1) 원점原点/설운도ソルンド
2) 여자의 일생女の一生/문희옥ムンヒオク
3) 울고 넘는 박달재泣いて越える朴達峠/박일준パクイルチュン
4) 아빠의 청춘パパの青春/오로라オロラ
5) 둥지/이용식イヨンシク
6) 남원의 애수南原の哀愁/김용만キムヨンマン
7) 초혼招魂/장윤정チャンユンジョン
8) 천리먼길千里の道/박우철パクウチョル
9) 꿈꾸는 백마강夢見る白馬江/신유シニュ
10) 산장의 여인山荘の女/임수イムスジョン
11) 돌아가는 삼각지三角地ロータリ/주영국チュヨングク
12) 흑산도 아가씨黒山島娘/문연주ムンヨンジュ
13) 물레방아 도는데水車回るのに/진성チンソン
14) 사랑은 무죄愛は無罪/염수연ヨムスヨン
15) 내 사랑 지금 어디私の愛は今何処に/이현イヒョン, 신유シニュ
16) 잊지 마忘れないで/이현イヒョン
17) 노들강변ノドゥル江辺/이호연イホヨン


毎月恒例のリクエスト、大して期待もしてなかったのだが、7曲目に何と、チャンユンジョンが登場。これはびっくりである。6月に出産で、5ヶ月足らずでのテレビ出演というのは早すぎる気がしないでもない。歌った曲は「チョホン 招魂」。この番組は歌手は歌うだけで、司会者とのやりとりはほとんどないので、出演に関する情報はまったくなかった。PCのストリーミングの画像だけに細部はわからないが↓以前と変わりない雰囲気である。
これからも出演する機会がつづくのかどうかもはっきりしないが、ともかく、これで「引退」はなさそう、ということで、吉報といえる。
今日の歩数は5003歩。

山芋の零余子(むかご) 

チャンユンジョン\(^o^)/ 

今宵の三日月 


2014/10/26(日)●惜敗(>_<)●
6時起床。
今朝の血圧は183/95/82。
久しぶりの仕事(^_^;) 荻野くんら5人で、須磨妙法寺マンション13階のスイス向け荷物ピックアップ現場初日。仕分けができてなくて、なかなかはかどらない。
4時過ぎ倉庫に戻り、5時前倉庫出て、マルハチで買い物して、6時前帰宅。
日本シリーズ2戦目。能見、武田の投げ合い。能見が2点先制されたのに対して阪神は音無し。何とか1点差に迫ったものの、結局1-2で阪神惜敗。これで1勝1敗。うーーん。
今日の歩数は4051歩。

今朝の高橋白トラ 

船寺通の八割雉 

灘南町のシミ付三毛 

【沸騰!図書館】樋渡啓祐 ★★☆☆ 2014/05/10 角川新書。
2013年4月TSUTAYAとの提携で開館した武雄市立図書館の話題は、全国的ニュースとしてとりあげられ、Morris.もネットでホームページ覗いたり、ドキュメントのビジュアル本も斜め読みした。結果、それほど感心はしなかった記憶がある。それでも、この図書館を作った樋渡啓祐武雄市長が開館一年後に出した本書を手にとったのは、なんとなく気にかかったからだろう。
武雄市はMorris.の生誕の地ということがある。ここで生れて高校卒業するまで暮した。それ以後はどんどん縁遠くなり、今やほとんど無縁のよそ者に成り果てている(^_^;)
Morris.が出奔(^_^;)してから半世紀経って、その武雄がどんなになってるのかなという、一種の怖いもの見たさもあった。
やっぱり、図書館そのものは、Morris.の好みとは程遠いもののようだが、地方の観光地(武雄は温泉町でもある)の話題作りとしては悪くない。図書館でなく、文化交流センターみたいなものということかもしれない。
本書でMorris.の目を引いたのは、本筋とはちがって、たとえば

17万冊あった本を段ボールに詰め、図書館から6キロほど離れている武雄市北方町の体育館に運び……

おお、北方町(きたがたちょう)は、Morris.が住んでた頃は、武雄市でなく、杵島郡だった。いつの間にか、がっぺいしてたのか、とか、町内に一校しかなかった小学校が増えてたり、武雄駅に特急がとまるようになってたり、そんなところに、時の変化を感じた。
また、本書に出てくる市議会議員や市民のローカルな姓が懐かしかった。樋渡というのもそうだし、納富、下平、牟田、宮原、光武……等など。特別珍しい姓ではないのだが、その地に住んだ者にはわかるという微妙なところだろう。
何か、ちょっと変な文脈になりつつある。
ここは「故郷は遠きにありて思うもの」ということで、後は白波。

2014/10/25(土)●棚ぼた日本シリーズ開始●
6時起床。
今朝の血圧は197/108/67。
午前中部屋でごろごろ。
昼から、ふらりと王子動物園。最近の定位置、一番上のカンガルー広場裏のベンチで、ミニギター&読書。土曜日でそこそこ来園者多い。金網の裏道通る小学生数人から声をかけられた(^_^;)
4時帰宅。
某所から、先月のKBS歌謡舞台秋夕特集のDVD届く。
夜は甲子園日本シリーズ第一戦。「君が代」をティーナ・カリーナという聞いたことのない女性歌手が歌ってる。ラジオ解説で
アルバム「棚からぼた餅」発表、といってた(@_@) あまりにもお似合いなタイトルである。名前からして外人歌手(中国系?)かとおもったのだが、日本人(本名田中里奈(^_^;))で、歌手名も本名のもじり、アルバムも「田中らボタモチ」とのこと。
メッセンジャー、スタンリッジの投げ合いで、4回ゴメスタイムリーで1点先制、5回にはゴメス、マートン連続2点タイムリーなどで6-0。結局9回オスンファンきっちり3人で〆て、6-2で阪神快勝\(^o^)/
まさかまさかの日本シリーズ出場で、緒戦楽勝、あまりうまく行きすぎていまいち実感がわかない。29年ぶりの日本一が、冗談のように転がり込んでくるかも(@_@)
今日の歩数は2770歩。

花と蜜蜂 

今日のまぬう 雄 

今日のまぬう 雌 

ボブキャット 

空に向かってポンチャック 

エミュウ 

【新版 原子力の社会史】吉岡斉 ★★★★ 2011/10/25 朝日新聞出版。元版 1999年 朝日選書624。
本書は必読だと思いながら、ついつい読みあぐねて、やっとこさ読了。(少しずつ読み進めて、二ヶ月近くかかってしまった)
とにかく日本の原子力の通史として、これ以上のものはないと断言出来る。

この本は、日本における原子力開発利用の、草創期から2011年7月までの大きな流れについて、歴史的な鳥瞰図を与えることを目指す著作である。著者はそうした鳥瞰図を、批判的な歴史家の視点から描こうと思う。

第Ⅰ期 戦時研究から禁止・休眠の時代(1939~53)
第Ⅱ期 制度化と試行錯誤の時代(1954~65)
第Ⅲ期 テイクオフと諸問題噴出の時代(1966~79)
第Ⅳ期 安定成長と民営化の時代(1980~94)
第Ⅴ期 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(1995~2010)
第Ⅵ期 原子力開発利用斜陽化の時代(2011~)

原子力というのは通俗的用語であり、正しくは核エネルギーと表記すべきだということは、科学者の間では常識に属する。(まえがき)


まえがきからして、しっかりしている。明晰で明確で明解である。6期の時代区分とその特徴見ただけで、何もかもわかったような気になる(^_^;)

GE社が始めた売り込み戦略というのは、メーカーが建設に全責任を負う「ターンキー(turnkey)方式」と、化石燃料に匹敵する価格による「固定化価格制度」を、組合わせたものだった。
日本では、ほとんどすべての政策分野で、この共同体システムが支配してきた。つまり「官産複合体」(goverment-industrial complex)があらゆる政策分野で形成され、意思決定過程を事実上専有してきたのである。
原子力政策においても2000年まで、電力・通算連合と科学技術庁グループの二つの勢力の連合体として、国策共同体が運営されてきた。
このような仕組みは、国家総動員時代から敗戦後の統制経済時代の流れであり、先進国では日本だけが、こうした「社会主義的」体制を現在もなお引きずっている。一電力会社の一発電所の建設計画でさえ、それが国策によってオーソライズされている限り、国家計画の一部であり、官民一体となって推進すべき事業とされてきた。そして国民や地元住民に対しては、国策への「理解」(賛成をあらわす日本独自の行政用語)や「合意」(受諾をあらわす日本独自の行政用語)が一方的に要請されてきたのである。(第一章 日本の原子力開発利用の社会史をどうみるか)

「理解」「合意」のカッコ入れ説明は著者のギャグだろうか。

原子炉とは、制御された核反応を持続することができるよう、核燃料その他を配置した装置のことである。原子炉(核分裂炉)の物理的機能は、大量の熱エネルギーと、中性子ビームを発生することである。大量の熱エネルギーは、電力等の動力に転換することができる。また中性子ビームは、核燃料生産等に用いることができる。(第三章  制度化と試行錯誤の時代)

無駄のない明解な説明。

日本のウラン濃縮研究のパイオニアは理化学研究所(理研)であった。理研は敗戦前から「ニ号研究」の一環として、熱拡散法を用いた研究を進めていたのである。戦後にウラン濃縮研究を再開したのは、なぜか同じ理研であった。

理研、って、あの理研だよな。

核燃料サイクルとは、核燃料の採鉱から廃棄までの全工程を包括的に表現する言葉である。
「核燃料サイクル」はさまざまのタイプがあるが、大きくワンススルー方式(一回限りで核燃料を使い捨てにする方式)と、リサイクル方式に分けられる。後者の方式を実施するためには、使用済核燃料の再処理が不可欠である。さらにリサイクル方式は、軽水炉などの非増殖炉を用いるタイプと、高速増殖炉を用いるタイプとに分けられる。


このリサイクル反対というのが吉岡の基本姿勢のようだ。

通産省が1930年代から40年代にかけて商工省のちに軍需省として、産業活動の強力な国家統制をおこなったことはよく知られているが、こうした軍国主義時代に確立された国家統制的な産業活動の秩序は、敗戦後も維持された。むしろ軍部が解体されたことにより、通産省(49年5月までは軍需省)は敗戦前よりもさらに独占的な統制権を掌握することとなった。60年代以降の海外からの自由化圧力の高まりにより、国家統制的なメカニズムは徐々に緩和されることとなったが、原子力発電は国家統制事業的性格を濃厚に残したまま今日にいたっている。

戦前統制体制の温存。

ただし地権者・漁業権者の合意さえ得られれば、それ以外の人々--立地地域住民、批判的立場の学識経験者等--がいかに精力的に反対運動を進めても、電力会社の計画とその政府による許認可(原発立地に関する許認可権は中央官庁がほぼ独占している)を見直させることが非常に困難であるというのも、日本の立地過程の特長である。財産権処分問題の解決後における反対運動は、日本では成算がとぼしいのである。

原発建設計画の許認可権は、原子力発電推進の立場をとる中央官庁(つまり通産省や科学技術庁)がほぼ全面的に掌握しており、国会・内閣・裁判所による官僚機構に対するチェック機能が働かず、地方自治体の法的権限も皆無に等しく、国民や住民の意見を政策決定に反映するメカニズムが不在なので、原子力共同体は財産権処分問題がすでに解決済の既設地点において、円滑に増設計画を進めることができたのである。そのため原発立地県のパイオニアである福井県および福島県と、後発組の一つである新潟県に原発が集中し、三県で合計30基もの商業用原発が、集中立地される結果となったのである。(2000年末現在)(第四章 テイクオフと諸問題噴出の時代)

原発フロンティア時代ね。

1986年4月26日にソ連(現在ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた核暴走・メルトダウン事故は、史上最悪の原発事故となった。
巨大な爆発によって炉心は粉々に破壊され、原子炉建屋には大穴があいた。追加の爆発が、さらに1,2回起こった。原子炉の内部では火災が起き、炉心のメルトダウンが進んだ。そして建屋の大穴から「放射性火山」のように、放射能が大量に漏洩し続ける最悪の事態となったのである。
チェルノブイリ事故は日本にも大きな影響をおよぼし、一般市民を幅広く巻き込んだ脱原発世論を高揚させたが、日本政府の原子力政策への影響は小さかった。
スリーマイル島原発事故のときと同じように、日本の原子力開発の関係者たちは、「このような事故は日本では起こりえない」という趣旨の議論をおこなった。

「対岸の火事」とみたわけだ。

脱原発世論の高揚の火に油を注いだのが、ノンフィクション作家の広瀬隆の活躍であった。広瀬は『東京に原発を! 新宿一号炉建設計画』(JICC出版局、1981年)を皮切りに、1980年代より精力的な原子力批判を展開するようになり、チェルノブイリ事故一周年の87年4月26日に『危険な話--チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)を発表し、たちまち数十万人の読者を獲得した。--それから20年あまりがすぎた現時点から評価すると、広瀬隆の『危険な話』は先見の明にあふれた作品だったことが分かる。広瀬の最も基本的な主張は、チェルノブイリ事故とその影響に関するソ連政府の報告が基本的にフィクションであり、できるだけ事故の被害を小さくみせるための情報操作が加えられており、それは世界の原子力発電の拡大をめざす国際原子力機関IAEAとの合作であるというものであった。この主張は前述のベルベオーグの主張と同趣旨のものであるが、現在までに基本的に反証されていないと考えられる。(第五章 安定成長と民営化の時代)

これは最大限の褒め言葉なんだろうな。広瀬の「東京に原発を」はタイトルからして秀逸だったもんなあ。でも、「危険な話」は読まなかった。

1995年12月8日夜、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖炉原型炉もんじゅで、二次冷却系からのナトリウム漏洩が起きた。漏洩したナトリウムは空気中の水分や酸素と反応して激しく燃焼し、空気ダクトや鉄製の足場を溶かし、床面に張られた鋼鉄製ライナー上に落下してナトリウム酸化物からなる堆積物を作った。
もんじゅ事故とその事故情報秘匿・捏造事件は、高速増殖炉開発計画にさらなる打撃を与えた。この事故は高速増殖炉そのものの危険性をあらためて立証するとともに、日本の高速増殖炉技術の粗末さを、印象的な形で立証したのである。
こうした安全性に対する信頼感の喪失により、高速増殖炉開発計画はさらに厳しい立場におかれることとなった。しかも前述のように、高速増殖炉は核燃料サイクル全体の大黒柱であり、それを欠いたのでは、核燃料サイクル事業の大部分について、それを推進する意味がなくなる。その意味でもんじゅ事故は、単に高速増殖炉開発のみならず、核燃料サイクル事業全体に対する打撃となったのである。それは科学技術庁グループ、とくにその研究開発業務の中核に君臨してきた動燃の将来に、暗雲を投げかけた。

こんなものに菩薩の名前つけるのは「罰当たり」である。

96年8月4日に行なわれた新潟県巻町の住民投票は全国的な関心を集め、その是非をめぐり全国的な議論がおこなわれた。そこで中心的な争点となったのは、代議制と直接民主制の間の関係をどう調整するかという点と、「国策」と住民の意思の対立をどう調整するかという点の二つであった。原子力発電の推進論者は概して、代議制と「国策」の優位を力説し、批判論者は概して、住民の意思にもどつく直接民主制の権利の行使の正当性を説いた。
また論者のなかには(筆者自身を含め)、「国策」とは何かという基本的な疑問を呈する者もいた。一電力会社の一原子力発電所の建設計画を、政府が国策として指定し、電力会社と一体となってその推進に固執するのが、はたして正当な行為なのかどうかというのが、彼らの呈した疑問であった。より具体的にいえば、科学技術庁や通産省資源エネルギー庁が、多額の予算と多くのマンパワーを注ぎ込んで宣伝活動を展開したことが、はたして正当な行為なのか、また投票結果が判明してから通産大臣、通産省資源エネルギー庁長官、科学技術庁長官(原子力委員会委員長)ら政府首脳が一斉に、巻原発計画への住民の「理解」を求める談話を発表したことが、はたして正当な行為なのか、ということが疑問に付されたのである。

「理解」(賛成をあらわす日本独自の行政用語)(^_^;) 日本での原発反対運動の難しさと、それでもやり続けるパワーそして運動の中で正論吐いてた筆者。そういう人ならではの本書の筆致だね。

日本政府は、石炭火力発電の高精度成長を黙認しつつ、原子力発電を地球温暖化対策として奨励するという、ちぐはぐな姿勢をとった。また日本政府は炭素税やキャップ・アンド・トレード方式の排出量取引制度の導入もせず、さらに再生可能エネルギーの普及促進にも不熱心であった。(第六章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代 (一)世紀末の曲がり角)


「ちぐはぐ」という言葉にも吉岡の思いがこめられているようだ。

(プルサーマルの抱えるさまざまな難点)にもかかわらず日本政府はプルサーマル実施を急いだ。その目的は、核燃料再処理によって抽出されるプルトニウムの消費にあった。とくに1990年代以降は、余剰プルトニウムを出さないという国際公約のもとで、日本はプルトニウム利用計画を国際社会へ向けて公表することとなり、具体的な利用計画なくして再処理事業を進めることは不可能となっている。つまり六ヶ所再処理工場を稼働させる口実をつくり出すことがプルサーマルの目的なのである。

プルサーマル=口実。

東京電力に自主点検を委託されていたゼネラル・エレクトリック・インターナショナルGEII社の元社員が、自主点検記録に虚偽記載が含まれている件について、原子力安全・保安院に対して内部申告をおこなったのは、2000年7月であるが、それに関する原子力安全・保安院の調査は遅れ、発表は2年あまり後にずれ込んだのであるしかも調査の過程で内部申告者の氏名を東京電力に通報するという決定的なあやまちを犯した。

これも「氷山の一核」だったのではなかろうか。それにしてもひどい話である。

福島県の原子力問題に対する取り組み、そのリーダーとして活躍したのは福島県知事を1988年から2006年まで5期18年にわたり務めた佐藤栄佐久である。
内閣府原子力委員会は2004年6月に新計画策定会議を設置して長期計画の改定に乗り出した。その答申は2005年10月に「原子力政策大綱」として閣議決定されることとなる。佐藤知事は新計画策定会議の委員とはならなかったが、招聘人として原子力政策に批判的な意見を述べた。さらに2005年9月4日に国際シンポジウム「核燃料サイクルを考える」を東京大手町で主催した。国内外10名の専門家が集まり活発な論争を展開した。このような国際シンポジウムは本来は政府が主催し、賛否の議論をつくすべきなのに何もしないことに業をにやして、佐藤知事が核燃料サイクル国際評価パネル(吉岡斉座長、飯田哲也事務局長)の進言を受けて主催したのである。
しかし政府の原子力政策に対する福島県の反乱は、東京検察局特捜部による汚職事件捜査により2006年に終息することとなった。2006年9月25日に実弟の佐藤祐二が逮捕され、この事件に対する実兄としての責任をとって二日後の9月27日に知事は辞職を決断し、それが28日に県議会で承認された。こうして五期18年にわたる佐藤の知事活動は終わった。それから一ヶ月もたたない10月23日、佐藤栄佐久自身も収賄罪の疑いで逮捕され、のちに起訴された。その後のさいばんについては佐藤栄佐久『知事抹殺--つくられた福島汚職事件』(平凡社2009年)、佐藤栄佐久『福島原発の真実』(平凡社新書、2011年)などを参照されたい。


佐藤栄佐久知事のことはいろいろ聞き及んでいたのだが、その名前のせい(すまんm(__)m)で避けていたのだが、これは読まずばなるまい。

電力自由化反対論者の巻き返しの一つの主要な動機として、六ヶ所再処理工場問題があったと考えられる。もともと電力自由化推進と原子力発電推進とは、両立させることが困難である。原子力発電が本質的に、経済合理性を満たす事業ではないことが、その理由である。しかし原子力事業の中でもとりわけ核燃料サイクル事業、わけても核燃料再処理は、真っ先にリストラの対象とすべき事業である。

無理が通れば道理が引っ込む、ってか(^_^;)

1995年の高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩火災事故、1997年の動燃東海再処理工場火災爆発事故、1999年のJCOウラン加工工場臨界事故、2002年の東京電力等原子炉損傷隠蔽事件、2004年の関西電力美浜3号機配管破断事故、2007年の北陸電力・東京電力臨界事故隠蔽事件…………

ふうーーっ。

もんじゅ改造工事は2007年5月に終了した。その後、機器の故障・トラブル、MOX燃料の劣化などにより運転再開は4回も延期された。しかしついにもんじゅは2010年5月6日、停止後から14年ぶり運転再開し、5月8日に臨界に達した。だが運転中には種々のトラブルが続出した。
ついに8月26日、核燃料交換時に用いる重さ3.3tの炉内中継装置をクレーンで吊り上げたときに事故が起こった。炉内中継装置が原子炉容器の底部めがけて落下したのである。--炉内中継装置は2011年6月24日に無事回収されたが、回収後も原子炉容器底部の損傷の検査が必要である。(第七章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代 (二)原子力立国への苦闘)

「拙速」という言葉があるが、もんじゅの場合は「遅拙」という言葉が相応しい。

放射能汚染水問題はその後も長く尾を引くことになった。東京電力は4月4日から、その収容先の確保のために低レベル汚染水1万1500tを事前通知なしに海に放出し、国際的非難を浴びた。建屋底部に貯まった汚染水を吸着物質を入れたタンクを通過させて浄化し、再び炉心に注入する汚染水循環システムを構築する作業が4月から始まり、6月から稼働を開始した。しかしそれは放射能汚染水の増加を抑え放射線レベルを下げるための応急措置にすぎない。
福島原発事故の収束・復旧と損害賠償に要する費用は数十兆円に達するとみられ、復旧までに要する歳月としては数十年が見込まれる。--東京電力を会社精算し試算を売却しても10兆円程度しか回収できない。株式、社債、融資については金融会社に債権放棄してもらうのは当然だが、正味の資産をすべて一般公開入札で売却しても、損害賠償および事故処理・復旧のための費用のごく一部しか返済できない。残りの大半は政府が数十年にわたり返済していくしかないので、巨額の国民負担が発生するのは避けられない。単に原子炉施設の解体・撤去をおこなうだけでなく、周辺地域の汚染した表土の回収・処分を徹底的におこなうならば、数百兆円をひつようとするかもしれない。その重荷が日本の財政破綻をもたらすおそれもある。それが回避されても大幅増税による国民負担増とそれによる一層の景気低迷はさけがたい。

これが2011年10月、事故から半年時点での吉岡の観点だが、それから3年たった今、事態は変にぶれていないか??

日本の原子力発電はさまざまの安全上の弱点を抱えていた。日本の原発は世界一安全だという安全神話は根拠がなかったことは今や明らかであり、むしろその逆であった。

危機発生予防対策の不備については、以下の五項目が 重要と考えられる。
1.地震・津波大国に原子力発電所を建設したこと
2.1カ所に多数の原子炉を建設したこと
3.地震動・津波の想定が甘かったこと
4.圧力容器・格納容器破壊を想定しなかったこと
5.全電源喪失を想定しなかったこと

危機管理措置の失敗
1.政府主義の指揮系統の機能障害
2.東京電力の実力の範囲内での事故対応
3.圧力容器・格納容器破壊のあとの対策を考えなかったこと
4.住民被曝対策の機能障害
5.有効な防災計画がなかったこと

それらの背景にあるのが「原子力安全神話」に他ならない。この神話はもともと立地地域住民の同意を獲得すると同時に、政府による立地審査をパスするために作り出された方便にすぎなかった。しかしひとたび立地審査をパスすれば、電力会社はそれ以上の安全対策を余分のコストを費やして講ずる必要はない。こうして「原子力安全神話」が制度的に、原子力安全対策の上限を定めるものとして機能するようになった。いわば電力会社が自縄自縛状態におちいったようなものである。もし立地審査をパスした原子炉施設の安全性に不備があるというメッセージを社会に対して発信するため、それはタブーとなるのである。福島第1原発では負のイメージ形成を避けるという本末転倒の理由で、安全対策強化が見送られた可能性がある。
もちろん電力会社のみならずすべての原子力関係者にとって、「原子力安全神話」を否定するような想定を公表することはタブーとなる。こうしてすべての原子力関係者が「原子力安全神話」による自縄自縛状態におちいったのである。それが今回の福島原発事故により露呈したと考えられる。そしてそれが原子力災害時の機能障害と相まって、福島原発事故をここまで深刻なものにしてしまったと考えられる。(第八章 福島原発事故の衝撃)

(本書の原型は)1999年4月25日に朝日選書として出版された『原子力の社会史--その日本的展開』である。この本はありがたいことに1999年度のエネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞した。原子力に対する賛否の立場の違いをこえて、大枠的に賛成の立場をとる方々が選考委員となっておられる賞をいただけたことは、原子力に大枠的に反対の立場をとる筆者の議論の普遍性をみとめられたことを意味するので、かくべつの喜びであった。しかし、この作品の売れ行きはふるわず、重判が出ないまま10年あまりが経過した。
しかし、2011年3月11日の福島原発事故によって状況は一気に変わった。--前著で書けなかった1999年から2011年までの10年あまりの原子力開発利用の「現在史」について大幅に加筆した新版を急遽出版することになった。(あとがき)

20世紀末に日本の原発の社会史、その問題点をこれだけきっちり摘出した著作が出ていたことは、高く評価すべきである。新版の急遽出版を「「慶ぶべきこと」とは、とても言えない(^_^;)が、3・11を踏まえた本書は、Morris.にはとても貴重な読書体験となった。

2014/10/24(金)●セロリとモズク●
7時起床。
今朝の血圧は191/103/66。
今日も良い天気だが、昨日の登山(^_^;)で、ちょっと足が痛む(>_<)
午前中は部屋でごろごろして、昼から自転車で三宮方面に。
富士商会で、インク買おうとしたのだが、使ってる色(ライト・ブルー)品切れだった。
三宮図書館で、しばらく時間つぶして、帰りは大安亭で買い物して5時帰宅。
以前はあまり食べなかったセロリとモズクをこの頃良く食べるようになった。セロリはサラダに入れたり、スティックに切って、ドレッシング付けて齧る。モズクはカップに入った三杯酢で味付けしたものをそのまま食べる。
夜は、You Tubeで過去の歌謡舞台を何本も見る。以前と比べて番組全部を一本にした動画のアップが増加しているようだ。
今日の歩数は2323歩。

日暮通りの猫場 

アメショー風 

全雉 

【災後論】天野恵一★★★☆☆ 2014/03/11 インパクト出版会。
「核(原爆・原発)責任論へ」の副題がある。3・11直後から3年にわたりあちこちに発表した、直截的発言をまとめたもので、当然重複も多いし、まえがきにあるように「殴り書き」(^_^;)みたいなもの(ほとんどアジビラ(^_^;)も多いが、それがかえって新鮮に思えたりもした。著者は1978年生れで、「反天連(反天皇制運動連絡会)」書記長を勤めているとのこと。
共感覚える意見の引用がやたら多いし、その引用と本文が入り組んでたりするので、再引用するのがややこしかったりもした。

<災後>の時間は、自民党政権よりマシの期待を大いなる幻滅に転じた民主党政権の終焉をすぐもたらし、スッキリとした天皇主義者安倍晋三自民党政権のカムバックをも、もたらした。この<壊憲>政権はアメリカ帝国の政治的軍事的コントロールに自発的に従属しながら、本格的戦争国家日本づくりへ向けて暴走しだした。支離滅裂なウルトラ・ナショナリスト(アメリカのポチである<純粋日本主義>)は、アメリカじかけの戦後象徴天皇国家の奇妙な姿を白日の下にさらしだしている。今、私は<災後>の体験を通して、<もう一つの戦後史>をやっと手にしだしているようだ。
本書は、その進行中のパラダイム・チェンジのプロセスの、運動の渦中での殴り書きのレポートである。(まえがき)


この部分は、表紙に小さな文字で印刷されてあり、Morris.が本書を読んでみようという気になったのだから、ナイスな惹句だったわけだ(^_^;) 少なくとも上記引用部分には全面的に賛成である。

「東日本大震災でも、マス・メディアは、がれきの撤去作業や、行方不明者の捜索、遺体の収容などを行なう自衛隊員の姿、被災者が自衛隊に感謝する声を繰り返し伝える。『危機管理』には自衛隊を活用すべきである、という声がメディアでも当たり前のようになっている。私にも武器を携えて海外に行くくらいなら、災害支援をしていた方がましだ、という気持ちがある。こうした流れに対して、もういちど『軍隊は人道支援や災害支援をする組織ではなく、軍事組織である』という原則を打ち出す必要がある。いま私たちが直面する『危機』に対応する組織は自衛隊ではない。そのことをはっきりさせた上で、被災者が抱える多様な困難にきめこまかく対応できる専門性を持った新しい災害救助隊について、今こそまじめに論議する必要がある。民主主義という原則がない軍隊に『人道支援』『災害救援』をまかせ続けてはいけないんだ」(越田清和2011/06)

災害救助(人命救助)は大切であり、そのための組織を拡大・強化することは重要な課題である。しかし、それはほんとうのところ、軍隊が担えるものではなく、軍隊に担わせてはいけないものなのである。軍隊が市民社会の内側に浸透してくることは、軍隊の『民主化』などを意味しない。社会の軍事化という怖ろしい事態の進展を、そんなふうに取りちがえることは、派兵国家・社会を本格的につくりだそうとしている支配者の野望にまきこまれてしまうことにしかならない。

「今回の阪神大震災であきらかになったのは、兵庫県も神戸市もその他の都市も、自前の救助の間が制度』をほとんどつくりだしていなかったことだ。」(小田実『被災の思想 難死の思想』(朝日新聞社 1996)

小田は日本の戦後憲法の「平和主義」の理念を実現していくためには「殺すな」の原理にたった「非軍事的救助体制の形成」こそが必要だったはずだと、ここで力説している。小田は、ここで平和憲法の原点をふまえ、自衛隊に頼らない、「市民の火軍事の防災体制」をつくりだすことをよびかけている。それこそが彼の「被災の思想」であったのだ。


神戸地震の時、Morris.も全壊被災者だったから、自衛隊の救助活動には感謝すること大きかった。特に隣の小学校に移動式風呂を開いてくれた時には、思わず手を合わせそうになった(^_^;)くらいである。しかし、それはそれとして、やはり上記の視点を忘れてはならない。
最近の、広島土砂災害と御嶽山噴火事故での自衛隊活動はしつこくマスコミに取り上げられ、一種の情宣活動に見えてしまった。特に後者では、報道での写真も自衛隊提供という形で、完全に操作されたものとなっていた。
小田実は「何でもみてやろう」くらいしか読まずにいたが、この「被災の思想」は読むべきかもしれない。

「『無責任の体系』は1945年で終わることはなかったとだけはいえる。『無責任の体系』の議論そのものが、もう一つの『無責任の体系』の始まりを告げる序曲となってしまったのである。戦後の日本国民共同体は、戦争や植民地支配の責任について、一人として戦犯を摘出し、審議し、処刑することができなかったのである。戦後の国民共同体が、その『仲よし』の和を重視するあまり、植民地暴力や戦争中の残虐行為の責任者を摘出し、処罰する能力をついに獲得できなかったし、責任者を誤魔化すことから戦後社会は始まってしまったのである。
いま知識人が直面している課題は、挙国一致ないかカウの組閣に協賛したり国民の団結を奨励するために死者の霊を弔うことなどではない。このような惨事を生み出した制度的な条件を洗い出し、誰がどの段階でどのような発言をし、どのような決定を行なったか、その発言はどのような論拠があり、その論拠は妥当であったかを、一歩一歩調べ上げることであろう。」(酒井直樹「『無責任の体系』三たび」2011)

「事故のプロセスもよく分かっていないのに再稼働を急ぐことは、敗戦国が敗戦の原因を明らかにできないまま、戦争ができる国づくりを急ぐことと同じである。」(千本秀樹)
象徴天皇制国家の戦後責任(侵略・植民地支配の歴史的責任を問わなかったことの<責任>としてのそれ)を問い続けてきた私たちは、さらに連続されていくであろう再稼働反対の<脱(反)原発>運動の中で、戦争責任をふまえて<原発責任>を具体的に問い続ける作業をこそ持続していかなければなるまい。


3・11の、地震・津波被害は天災だが、原発震災は明らかに人災であり、この責任を誰も取ってないということは、絶対許されることではない。
何はともあれ「東電」「保安院」「経産省」の三悪の洗い出しからはじめなければならないのに、3年足らずのうちに、再稼働だの、安全宣言だの、原発輸出だのと、責任取るどころか、正反対方向へ向かっている。

敗戦・占領の時間ヒロヒト天皇の権威の上にのったマッカーサーは、天皇制の延命を願った日本の支配者たちの希望をくみこみ、象徴天皇制というスタイルの変換によってそれを延命させた。(戦争責任はいっさい問わず)。天皇制は、沖縄売り渡しの「天皇メッセージ」(これこそが現在の米軍基地にあえぐ沖縄をつくりだす起源にあるものだ)で、これに答えた。かくのごとく、戦後の象徴天皇制国家は、アメリカじかけでつくりだされてきた。日米安保体制という軍事同盟を戦後国家の「国体」としてつくりだすために、吉田政権下でヒロヒト天皇自身が「裏」で暗躍したことは、この間、多くの人びとが根拠をもって指摘している、公然たる事実である。

これは先日読んだ「女たちの<銃後> 増補新板」(加納実紀代)で、しっかり勉強させてもらった。みごとに「してやられた」んだよな(>_<)
戦後の失策を、災後にも繰り返しているのではないかというのが筆者の焦りにつながってるのかも知れない。

「放射能対策といえば『除染』しか無いかのごとく千億、百億円単位のお金がどぶに水を捨てるように注ぎこまれている。その効果は最初から疑問視されており、一時的、部分的効果はあっても元の木阿弥になるのが普通である。その時の汚水は河川や工場に流され、汚泥などは集積場が未定なので、その家の敷地の片隅のブルーシートで覆われて放置されている。この作業の手抜きぶりが年明け早々、
発覚し、その多くはゼネコンビジネスであることも判明した。」(佐々木慶子「あれからもう2年、福島の今」)


「除染」にはMorris.も疑問のぬぐいきれずにいる。除染が被曝を生むという、本末転倒の噂もあちこちで聞くし、行政の「アリバイ作り」でしかないのかな。

「昭和の妖怪」と呼ばれた「革新官僚」(ファシスト)政治家岸信介の孫の右翼天皇(国家)主義政治家安倍晋三は、一度、平和憲法破壊を公言して首相となり、あえなく挫折したが、一度首相として死んだ後、文字通り「平成の妖怪」としてカムバックしてきてしまったのである。
かつての侵略戦争と植民地支配の政治的リーダーの象徴的人物(満州帝国のエリート官僚であり東条内閣の大臣であった)岸信介は「A級戦犯」容疑で巣鴨プリズンにほうりこまれながら、なんと戦後に首相に返り咲いた。この事実は、最高の責任者天皇ヒロヒトの天皇としての延命の結果である象徴天皇制の継続とともに、日本が<最高の無責任国家>である事実を、それこそ象徴している。

著者の立場からすれば、「象徴している」で済ましてはいかんだろう(^_^;)

第二次安倍内閣官房参与飯島勲の名前を眼にして、私は「やっぱりな」の思いを強くした。この男は、小泉首相の「劇場政治」ポピュリズム政治の演出家として、名をはせた人物である。マス・メディアをフル活用した人気とりのための、ことこまかい演出。
小さなパーティに突然参加して、持歌を一曲歌ってみせる安倍、農業の現地視察で耕耘機に乗って、農民スタイルで、機械を動かしながら、親指だけを突き立ててにぎりこぶしを前に付きだして、にこやかにポーズを取ってみせる安倍。小泉「劇場」でおめにかかった風景が、連日、テレビを中心のマスメディアに、にぎやかにまたつくり出されているのだ。


この男の名前は覚えておかねば。ナチスの宣伝相ゲッペルスみたいな役割なのだろうか。
しかし耕耘機上での安倍のポーズって、Morris.の「身土不二」のポーズそのままぢゃ(>_<)
これはやめて欲しいぞ。

それにしても「主権を売り渡す」ことで成立した安倍らの天皇主義ナショナリズムは、あまりにハチャメチャである。だいたい、サンフランシスコ「講和」は大東亜戦争肯定論者である安倍らが否定してやまない「東京裁判」の判決を前提にして、安倍らが「決別」すべきとする「戦後レジーム」をつくりだしたものであるはずだ。日米安保を「国体」とする、米軍絶対の「売国」ナショナリズムという、自己矛盾が、こういう分裂的な論理を生み出しているのだ。公然たる論理の自己矛盾など、いっさい気にかけずに「天皇陛下万歳」と叫び「強い日本」などというムード的スローガンに自己陶酔しているだけなのだから、あきれる。

ちょっとヤケクソ気味な文章だね(^_^;) もうちょっと文章としても、論としても整理が必要だと思う。いいたいことはよくわかるんだけどね。

野田政権も、交代した自民党安倍晋三政権もふれずにきたが、メルトダウン事故の本当の「収束」は、何十年(あるいは百年)はかかるとされている。まだ実現したことのない「廃炉」を実現するまではありえないことなのだ。だとすれば「収束」のために必要なのは再稼働のための「規制委」などではなく、「廃炉」のための委員会だったはずである。

廃棄物、廃炉問題を棚送り(目隠し)したことこそ、原発行政のごまかしと没義道のキモであることははっきりしてる。3・11以降、このことは大多数が周知の事実のはずなのに…………

もう一点、忘れてはいけないことがある。この人為大事故の「犯罪現場」を管理しているのは犯人であることはまちがいない、「東電」なのである。そして調査はその犯人が提出するデータに基づいていろいろなされているだけなのだ。だから、国会事故調メンバーに「真っ暗闇」で視えないとの嘘をついて、地震で炉自体が破壊されていたであろう事実を隠蔽するような事が絶えないのだ(そうだとすれば、「基準」の前提<津波で壊れた>が崩壊し、ペテンの論理そのものが、なりたたなくなってしまうからだ)。

この茶番をひっくり返す、特効薬はないものか。

「東京オリンピック」誘致のため安部首相は国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京電力福島第一原発の放射能汚染について「状況はコントロールされている」0.3平方キロメートル範囲で完全にブロックされている」と断言してみせたのである。これは口をすべらせた政治的デマという、よくある水準のデマとはちがう。確信を持って大嘘を吹く、といった、文字通りのデマゴーグの言葉であった。
安倍の野望は実現し、「東京オリンピック」決定とともに、マスコミ報道は大歓迎一色に染あげらた。
マスコミは、放射能汚染水ではなく安倍政権によって完全にコントロールされてしまっていると考えるしかない事態が一瞬にして現出したのである。(許されないデマを首相が国際社会の舞台で、公然と発した事を、どのマス・メディアも正面から批判してみせることは、まったくできなかったのである)、オリンピック報道は戦争(大本営)報道と同じなのだ。このことに安倍のねらいはあったのだ。批判する奴は「非国民」というムードが、暴力(妨害)右葉たちが、私たちに向ける言葉(ムード)が、オリンピックを活用すれば日本社会全体を支配する。ここまで読んだ安倍のオリンピック政治。だから、この東京オリンピック生jは原発再稼働のための政治であり明文「壊憲」をとにかく実現するための政治なのである。

「2020年のオリンピックの東京での開催決定は『東京安全宣言』の先取りである。いまの段階で東京が放射能被害を免れていることを世界が認めるということは、どれほどの原発事故が起きてもたいしたことではないという世界的な原発推進清六のイデオロギーの肯定である。しかしなによりもこの決定は、日本社会の今後のあり方にとてつもない混乱状態を引き起こす可能性がある。まずひとつは、これからオリンピック開催年までの7年間に、現在政府とマスコミを中心にした情報操作で押さえ込んでいる放射能汚染による"健康被害"(とくに内部被曝)がどれくらい拡大・浸透し、騙したり隠しきれなくなるかという問題がある。」(杉村昌昭 2013/11)

9月20日の『東京新聞』には池内了の、2020年の東京五輪は「ナチスが演出して世界大戦の前夜となった1936年のベルリン・オリンピックと二重写しになる」と論じている。オリンピックの歴史を学ぶ学者なら、池内くらいの感性を持ち合わせていなければおかしいであろう。平和憲法の全面破壊にフル・スピードに暴走している安倍政権の政治的招致のこの現実を前にしたらそれが「文化」の最低限の水準ではないのか。


2020東京オリンピックはその招致の安倍トンデモ発言から、「国策」のレールに乗せられてしまった。
オリンピックに反対、あるいは批判的意見をいうと非国民扱いされるということになるのだろう。
マスコミも建設業者も観光業者もスポーツ団体も誰も彼もが、オリンピックという甘い蜜に群がって、政府は「オールジャパン」という大政翼賛国家作りのスプリングボードにしようとしている。

「小松一郎内閣法制局長官が憲法解釈の変更事例を明示したのは、安倍晋三政権が目指す集団的自衛権の行使容認に向け、大きな意味合いを持つ。憲法解釈を変更してはならないという誤った風潮が根強くはびこる中、過去に変更した事例を示したことで、国内外の社会情勢に応じた解釈変更の妥当性を強調し、行使実現に布石を打ったからだ。
内閣法制次長が長官に昇格してきた従来の慣例を破り、小松氏を起用したのは首相で、腹合わせをした上での発言と見るのが妥当だ」(産経新聞 2013/11/02)
首相の個人的な見解(主張)で、勝手に憲法解釈の大変更が許されたとしたら、法治国家ではなくなってしまう。「許されない」のはあたりまえ。しかし安倍晋三首相は、独善的な「人事」(トップを自分の都合のいい人物にすげ替える)を実行し、その人物と「腹合わせ」して、解釈の大変更を正当化して見せようと動き出しているのである。


就任当時のトンデモ発言で世間を騒がした籾井勝人NHK会長の人事が、同じようなケースだったのだろう。最近あまり表には顔を出さなくなったが、その分、NHKが安倍自民の応援放送局色を強めているのは、自明である。
「憲法改変(著者によれば「壊憲」)」より解釈変更への路線変更も、安倍本人よりブレーンの考えなのだろうと思うが、これだと国会でなく内閣でどんどん進行していくのがかなわん。

『東京新聞』2013年11月1日の「こちら特報部」の記事である。それは、安倍たちは「安全保障にかかわる情報の秘匿」という点に力点を置いてこの法案(秘密保護法安)を押し出したが、この分野については、かなり法的な措置が施されていることを考えれば、と前置きし、以下のように主張している。
「立法の本当の狙いは、特定有害活動とテロリズムの防止という残る二分野にありそうだ。これを担当するのは警察だ。法案を作成したのは内閣官房内閣情報調査室(内調)だ」。この「内調」は、前身は戦前(中)の特別高等警察(特高)であった。「公安(警備)警察」である、と論じた後、「特定有害活動」も「テロリズム」も、まともに定義されていない、どんな相手にも便利に貼り付けられるレッテル以外のものではないという事実を踏まえ、すでに非合法な捜査を繰り返している、この「公安」の活動は、「秘密のベールにつつまれて、この法律によって正当化されていくことになるだろう」と語るこの記事の結びは、以下の元警察官の声である。
「この法案が通れば、公安警察は野放しになる。気が付けば『特高の復活』という事態になりはしないか」。
「治安維持法」の現存的復活。私たちの活動は、もっぱら軍事問題に引き寄せて、これを問題にし続けてきたため、治安弾圧立法というグロテスクな性格について鋭く問題にする作業が少なすぎた。


新聞記事の引用と、自分の意見のパッチワークで、読みにくいことこの上ないが、秘密保護法=治安維持法ということは、Morris.にも前からわかってた。しかし、昨年末に交付され、12月10日の施行まで秒読み段階である。
あれやこれやと、多くの問題提起がなされ、共感したり、教えられたりするところ多かったが、大勢としては、悲観的にならざるを得ない(>_<)
責任者「出てこない」のである。

2014/10/23(木)●観音山鷲林寺●
6時起床。
今朝の血圧は189/94/68。
11時に部屋を出て、阪神西宮へ。阪神バスで鷲林寺下車。先日、関学から甲山方面を散策した時、近くにこの鷲林寺があることを知り、一度訪ねてみたいと思ったのだ。
バス停から寺まで15分くらいかかった。寺自体はそれほどのことはなかったが、その裏山、観音山に登って行った。
実は、今日は先日登れなかった甲山に登るつもりだった。でもせっかく鷲林寺まで来たのだからそちらの裏山のほうが近いし、高い(標高526m)から、こちらにしようと思ったのだ。寺の裏から登山道路があって、途中結構険しかったりもする(Morris.にはね(^_^;))それでも小一時間で、小さな岩場の山頂に到達。東側にの目下に甲山と北山貯水池、その向こうには大阪平野が一望でき、生駒山の手前に、阿倍野ハルカスを霞みの中に認めることが出来た。バス停が標高200mくらいだから、実質登ったのは300mくらいだと思う。Morris.には手頃な高さである。これからも、このくらいの高さの山を物色して登ってみよう。
一服しようと岩に腰掛けたら、猫の声がする(@_@)。 岩陰から長毛種の茶色の猫が現れた。人懐こい、というかものおじしない。たぶん登山客から餌をもらってるのだろう。あいにくMorris.は全く食料品持ってなかった(>_<)
でも、まさか低山とは言え山頂でMorris.@Catographerモードになるとは思わなかった。
しばらく、ミニギター(^_^;)。3時過ぎに同じ道を下って鷲林寺から甲山方面に歩く。Morris.は「山登り」は得意ではないが、平坦な道や下り坂なら、問題なし。途中鉄柵に緑色の美しい蛾を見つけた。繧繝とでもいうのだろうか、尋常でない色模様ある。あとでネットで調べたが名前は分らなかった。
北山貯水池から森林公園、神呪寺を通りすぎて、先日と同じく、大師道から阪急甲陽園駅まで歩き、6時過ぎ王子公園着。
マルハチで買い物して6時半帰宅。
今日の歩数は17098歩。

鷲林寺村の紫苑 

魅惑的な種子