top 歌 集 読書録 植 物 愛 蔵本 韓 国 リンク集 掲示板


          Morris.日乘2015年8月


Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。

 

今 月の標語

猿天下


【2015年】 7月  6月 5 月 4 月 3 月  2 月  1 月
【2014年】 12月  11 月 10月  9 月 8月  7 月  6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月

2015/08/31(月)●歌謡舞台30年
8時起床。
今朝の血圧は186/71/70。
朝から雨。
昨日の国会デモもほとんどテレビでは報道しない。岡崎のコンビニ立て籠り事件の中継を延々とやってる。まあ、テレビはこの手の中継お得意というか、視聴率稼げるから分からないでもない。
雨は弱くなったり強くなったりで、外にでる気を削がれてしまう。
You Tubeで韓国歌謡適当に自動連続で流してたら、偶然歌謡舞台25周年特番が始まった。確か今夜は30周年特番だったはず。最初に見たのは、「国民の歌」というテーマだった。この時は何と特番5週連続でやってたらしい。「伝統歌謡」「コリアンポップ」「昨日と今日」「映画ドラマ主題歌」「国民の歌」と5週にわたっての大特集。しかもすべてYou Tubeで視聴可能。さらに20周年特番の映像もあり、こちらは1時間20分の特番の映像もあった。さすがに15周年、10周年というのは見当たらなかったが、それでも、こういった過去の番組が自由に見られるというのはありがたい。
今日は夕方、すぐ近所のレマンというパン屋でフランスパン(^_^;)買いに出た以外は部屋ゴロ。
女子バレー日本-韓国戦。どんなスポーツでも日韓戦となると見過ごせないのはMorris.だけだろうか。
韓国はバレーボールはあまり得意技ではなく、今回も2勝4敗と、5勝1敗の日本とはかなり差をつけられているが、相手が日本となると目の色が変わる、はずだったが、1セットを落とし、2セットこそ24-24のデュースまでもつれたが、これを落として、3セットは途中で脱力気味でストレート敗け。ロシアがセルビアに番狂わせで敗けてしまったので、全勝が無くなり、これで日本にもリオ五輪出場権の可能性が見えてきた。明日のセルビア戦次第だな。
今夜のKBS歌謡舞台1432回は- 가요무대 30년 특집 -불멸의 가수, 영원의 노래歌謡舞台30年特集不滅の歌手永遠の歌 1부 남인수, 백년설 第一部ナムインス、ペンニョンソル。ということは、来週は第二部で女性歌手がとりあげられるのだろうか。それとも25周年みたいに3回以上の特番になるだろうか、ちょっと期待してしまう。

 1) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/설운도ソルンド
 2) 청춘 고백青春告白/인순이インスニ
 3) 낙화유수落花流水/홍민ホンミン
 4) 울며 헤진 부산항泣いて別れた釜山港/김용임キムヨンイム
 5) 달도 하나 해도 하나月も一つ日も一つ/김광남キムクヮンナム
 6) 가거라 삼팔선去去れ38線/문희옥ムンヒオク
 7) 이별의 부산 정거장別れの釜山停車場/류기진リュギジン
 8) 추억의 소야곡追憶の小夜曲/진성チンソン
 9) 무너진 사랑 탑崩れた愛の塔/배일호ペイロ
10) 번지 없는 주막番地の無い酒幕/명국환ミョングッカン
11) 고향 설故郷の雪/윤항기ユンハンギ
12) 나그네 설움旅人の悲しみ/현당ヒョンダン
13) 유랑극단流浪楽団/신유シニュ
14) 산 팔자 물 팔자山のさだめ海のさだめ/강민주カンミンジュ
15) 일자 일루一字一涙/김상배キムサンベ
16) 고향 길 부모 길故郷の道親の道/문연주ムンヨンジュ
17) 대지의 항구大地の港/현철ヒョンチョル


実はMorris.はナムインスもペンニョンソルも、それほど入れ込んでる歌手ではない。代表作の数曲は名曲だと思うのだが、同時代の男性歌手なら、ヒョンインの方がずっと好きだしね。ひょっとしたら今回の30周年特番も二部ではなくて四部、5部と長丁場になるのかもしれない。ちょっと期待してしまう(^_^;)。
とりあえず今回はそういう事情もあって評価はあまり高くない。★★★
今日の歩数632歩。

【かあちゃん】重松清 ★★★ 2009/05/28 講談社
中学生のいじめ問題を中心に、両親離婚、認知症介護、女性問題等々を扱った重松節満載小説。一章ごとに語り手を替えて、問題の多層性を表現してそれなりに成功してると思うし、筆者の真摯さも納得できるし、ストーリーテーラーとしても上手いと思うのだが、その分、何か作り物めいたものになってしまってるきらいもあると思う。

わたしはときどき思う。「正しい」の「正」という字はなんて窮屈なんだろう。縦横のまっすぐな線だけ。垂直と平行だけ。しかも、蓋のようにてっぺんに載った横棒をはずしてしまうと「止」になる。ということは、「正しい」とは、ほんとうは「止まっている」ものに無理やり蓋をしてごまかしているだけなんじゃないか……なんて。

登場人物の一人中学女子学生の独白だが、「正」という字は白川静の「字統」によると、「正字は一と止に従う。一は囗、城郭でかこまれている邑(まち)。止はそれに向かって進撃する意で、その邑を征服することをいう」とある。もとももとは武力で奪った土地から、年貢や義務負担を徴収することに由来するという、かなり強引な文字だったらしい。窮屈とはまた別な意味の負の要因を持ってたのかも。
本書のテーマの一つは、「忘れない」ことの大切さにあるようだが、年をとるごとに記憶力の低下著しいMorris.には至難な技かもしれない。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ


2015/08/30(日)●東公園あたり

7時起床。
今朝の血圧は171/84/75。
別業者のヘルプで昨日集会とパレードやった三宮、東公園脇の高層マンションのシンガポール向け荷物のピックアップ現場。
本当は今日は4時から大阪扇町で安保法案反対デモがあったので、それに参加したかったのだが、このところの農閑期だけに、今日の仕事は出ざるを得なかった。東京では国会前の大規模デモが予定されて、大阪のデモもそれに連動するもの。高山くんは参加したらしく4時半頃電話があった。
5時作業終了。三宮図書館に寄って6時半帰宅。阪神はヤクルトに連敗。ゲーム差1(>_<) ちょっとヤバい。
東京のデモは12万人ほどが集ったらしいが、例によってマスコミの報道はほとんどなし。
大阪の中学生二人殺害事件でも、中野区のタレント死亡女性殺害事件でも、TVニュースの映像素材のほとんどが、監視カメラ画像である。ちょっと前までは監視カメラ画像の利用はかなり制限されていたが、今回の事件wきっかけに、制限が解除されたのか、爆発的な露出ぶりである。テレビはヴィジュアルメディアだから、安易に映像を得られる監視カメラ画像がこれからは、ニュースのメインになるのだろう。Facebookやツイッターの引用がどんどんテレビを侵食していくのだろう。
今日の歩数は3299歩。


今日の現場 

31階から北を望む 

日本真珠会館 


2015/08/29(土)●講演会&パレード
7時半起床。
今朝の血圧は170/69/76。
ちょこっと宿酔気味で、午前中は部屋ゴロ。
昼過ぎ部屋を出てJR元町上がって兵庫県民会館へ。11階のホールで開かれる「子供たちの未来が不安!! ヤメテ!! 戦争法案集会」のためである。今日は4時から東公園を起点に弁護士会主催の抗議集会と示威パレードもあるので、ちょっと今日は長丁場になりそう。
講師は、元外務省国際情報局長孫崎享、反原発かごしまネット事務局長向原祥隆、那覇市会議員上原カイザの三人。集団的自衛権と安保法案、原発再開、辺野古基地問題とわかりやすいメンバーである。つい先日読んだばかりの「戦後史の正体」の著者でもある孫崎さんの話は特に聞きたかった。マスコミ(特にNHK)の偏向報道に始まり、尖閣問題の問題点、基地問題も原発も、根っ子にあるのがアメリカであるという彼の持論を披瀝。彼の他の著書も読まねばと思った。後の二人も、反対運動の実践の体験をリアルに話してくれた。
孫崎さんの話の中で印象に残ってるのは
・「集団的自衛権」ではなく「集団的「他」衛権」である。
・伊丹万作が昭和2年に雑誌に発表したエッセイ「戦争責任者の問題」の引用
・オリンピック招致で安倍首相の大嘘「福島は完全にコントロール発言」を忘れるな
・尖閣列島に石原元知事が係わったのは米国ロビーの裏工作
・天皇の新年挨拶中の「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切」という文言をNHKはニュースで故意に報道しなかった。
・オスプレイには、自衛の機能は無く、「集団的自衛権」での輸送に使われるためのもの。日本が買わされた17機の価格は3600億円。
等々

300名近い聴衆が集まり、信長正義さんも顔を見せてた。閉会の後孫崎さんに挨拶して、2ショット撮影も。
その後、歩いて東公園へ。こちらは弁護士会主催の抗議行動で、噴水広場は参加者で埋め尽くされて、主催者たちのアピールの後、二手に分かれてパレード開始。Morris.はいつものメンバーといっしょにフラワーロード北上して三宮駅に向かうコース。
小一時間かけてゆっくり行進。途中雨が降りだしたが、なんとか最期まで歩き通せた。信長たか子さんもパレードに参加してて、帰りは阪急電車で途中まで同席して、久しぶりにちょこっとだけ話ができた。
本当は今夜は六甲アイランドで地域のイベントがあってムックさんが9時頃から出るので見に行こうかと思ってのだが、ちょっと疲れてたし、明日は仕事だし、雨も降ってたのでパス。
7時半帰宅。
阪神はヤクルトに負けて2ゲーム差と詰め寄られてしまった。
今日の歩数は6249歩。

ミニギターぢゃ 

3人の講演者 

孫崎享さんと 

県民会館11Fから栄光教会 

兵庫県公館 

生田中学校 

紫陽花のステンドグラス 

ハイビスカス 

ハイビスカスの蕾 

東公園噴水広場 

猫も反戦 

フラワーロード真ん中をデモ行進 


2015/08/28(金)●屋上ダフルヘッダー
7時起床。
今朝の血圧は162/76/76。
良い天気である。朝の3点セット。
昼過ぎ、ミニギター&缶チューハイ持って屋上へ。西隣の螺旋階段は好きなので何度も撮影してるが、あらためて四方を見回すと結構階段がいろいろ見えることに気づいた。遅まきながらその一覧を下に並べておく。
今夜は7時から元町駅前でSEALS関西の集まりがあるので応援に行こうかと思っていたのだが、6時前にムックさんから電話で、今夜遊びに来たいとのこと。長いこと会ってなかったので、SEALSはパス。急いでマルハチで酒や肴買ってくる。
6時半にムックさん到着。ミニギターと缶ビール持って屋上へ。久しぶりに二人で屋上を楽しもうと思ったのだ。しかし、日の暮れるのが早くなって、演奏しようとしたらすでに、楽譜が見えないくらい暗くなってしまった。仕方なく部屋に戻って、ワインで乾杯。野球は阪神が4-0とリードしたので、ラジオ音量低くして、チャンユンジョン10周年記念DVD見ながら、一緒に歌ったり、飲んだりで楽しんだ。
10時過ぎにムックさん帰った後も一人で飲んでた模様(^_^;)
今日の歩数は1023歩。

屋上から見える階段 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

夜の屋上でtwin mini guitar 


2015/08/27(木)●手持ち無沙汰
6時起床。
今朝の血圧は158/71/68。
午前中は西宮の上海向け船便ピックアップ、午後は西元町のマンションへの配達現場。ピックアップは見積よりうんと少なかったし、配達は開梱なしということで、あっけなくおわってしまい、2時に倉庫に戻っても、特にやるべき仕事もなく、手持ち無沙汰。
4時半に倉庫出て5時帰宅。
シャワー浴びて、三宮マルイ前で、安保法案反対!市民の集いの抗議活動。例によって30日の国会周辺抗議活動へ学生を送るためのカンパの呼びかけビラまき。いまいち気分がのらないMorris.は「戦争法案反対」のパネルを掲げて、通行人に連帯アピールの意思表示のみ。途中、小太りの大学で政治学を学んでいる学生から話しかけられ、20分ほど話す。彼は集団的自衛権そのものには理解を覚えるとしながらも、今回の憲法解釈での進め方には反対とのこと。あまり議論にもならなかったが、とりあえずお互いの言いたいことは伝わったかと思う。
AEONとして再オープンした旧三宮ダイエーで買い物して7時半帰宅。
阪神は広島マエケンにやられて連敗。女子バレー日本はドミニカにフルセットで競り勝ったらしい。
今日の歩数は4491歩。

【漢字からみた日本語の歴史】今野真二 ★★☆ 2013/07/10 ちくまプリマー新書

漢字を素材に日本語の豊かさを探るという惹句に誘われて読むことにしたのだが、期待はずれだった。

漢字も文字であるので、平仮名や片仮名、アルファベットと同じことで、漢字という文字は「意味」をもっていない。漢字の「意味」のようにわたしたちが感じるのは、「漢字が表わしている中国語の意味」なのだ。中国語は原則として一つの語を一つの文字(漢字)で表わす。だから、語と、それを表わしている漢字とが一体化してみえてしまい、語と文字を分離して意識しにくい。それで漢字は「意味」をもっているように感じやすい。しかし漢字も文字であるので漢字そのものが「意味」をもっているわけではない。(はじめに)

ここらあたりは、面白そうだと思ったのだけど。そのあとは、万葉仮名、類聚名義抄、土佐日記、日葡辞書などの漢字使用の特徴や変遷を、ランダムに紹介しながら、自説をくりひろげるのだが、これがひとつも面白くない。明治時代の漢字問題を混乱気味に紹介して、戦後の常用漢字表への感想に移り、人名、地名を常用漢字表に反映させろという、思いつきみたいなことで締めくくる。
先日読んだ校正の本の中にあった「最近の新書はほとんど語り下ろしで、数回のインタビューを、編集者が後でまとめ上げる」そういったたぐいの典型ではないかと思わされた。

「美しい日本語」があるのなら、「美しくないX語=醜いX語」という言語Xがあるのだろうか。自らが使用している言語を大切にし、尊重することは自然なことであり、それはいい。しかし、特別な言語というものはない。言語はすべて当価値である。日本語を美しいというのだったら、あらゆる言語が美しい。言語がすべて等価値だと認めるところから、冷静な言語の観察、考察が始まるはずである。(おわりに)

「言語がすべて等価値」というのは、言語の序列をキーワードにした水村美苗の意見を聴いてみたいものである。ただ「美しい日本語」という「表現」にはMorris.も疑義を覚える。
本書は内容はMorris.とは無縁のものだったが、「はじめに」と「おわりに」の一部にだけ、ちょこっとだけ反応したということになる。

2015/08/26(水)●彦根方面
5時半起床。
今朝の血圧は168/72/65。
台風15号は深夜に中国地方を抜けて日本海に行ったらしい。
自転車で摩耶倉庫に。
荻野くんと彦根のアメリカ向け航空便、船便ピックアップ現場。昼前作業終了。
昼食は「肉のはせ川」という店でハンバーグランチ。久しぶりにまともなハンバーグ食べたような気がする。
阪神高速が渋滞で4時過ぎ倉庫着。
マルハチで買い物して6時過ぎ帰宅。
阪神は広島相手に苦戦中、ジョンソンから一点もとれず8回まで0-4。9回表梅田の2ランのあと二死満塁でゴメス登場。でもそれまでだった。
今日の歩数は5442歩。

朝顔は秋の季語 

尼崎アサヒビール工場跡地 

近江富士三上山 

平松のウツクシマツ 

美味しいハンバーグの店 

多賀付近 

蒲生付近 

竜王体育館 

箱入猫 

【日本語が亡びるとき】水村美苗 ★★★★ 2008/11/31 筑摩書房。
「英語の世紀の中で」という副題がある。10代で海外生活を過ごした著者が、戦前の日本文学全集を読み込んで、自分でも日本語で小説を書いて話題を呼んだが、英語が世界語(普遍語)として、ますますその勢力を伸ばし、英語以外で書かれた文学作品は、マイノリティでしかなくなるということを、自分の体験を元に開陳している。

人はなんと色んなところで書いているのだろう……。
地球のありとあらゆるところで人がいる。
地球のありとあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな条件のもとで、それぞれの人生を生きながら、熱心に、小説や詩を書いている。もちろん、65億の人類の九割九分九厘は、そんな作家が存在したことも、そんな小説や詩が書かれたことも知らずに死んでいく。それでも作家たちは、地球のありとあらゆるところで、働いたり、子供を育てたり、親の面倒を見たりしながら、時間を見つけては背を丸めてコンピュータに向かい、何やら懸命に書いているのである。与えられた寿命をたぶん少しばかり縮めながら、何やら懸命に書いているのである。


水村にとってコンピュータで書く(打つ?)ことは前提条件なんだろうな。

地球のあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな言葉で書いている--というよりも、さまざまな作家が、それぞれ<自分たちの言葉>で書いている。潜在的読者が数億人いる言葉でも、数十万人しかいない言葉でも、数千年前から書き言葉をもっていた言葉でも、数十年ぐらい前からしか書き言葉をもたなかった言葉でも、作家たちにとっては同じである。作家たちは、同じように情熱的に、真剣に、そして、あたかもそれがもっとも自然な行為でもあるかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。もちろん、人は何時の時代でも<自分たちの言葉>で書いていたわけではない。書くといえば<自分たちの言葉>で書くのを意味するようになったのは、近代に入ってからのことで、言葉によってまちまちだが、長くて数百年、短ければ数十年のことでしかない。それなのに、今、作家たちは、あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いている。英語やスペイン語や中国語で書くだけでなく、モンゴル語、リトアニア語、ウクライナ語、ルーマニア語、ヴェトナム語、ビルマ語、クロアチア語などで書いている。
しかも、その<自分たちの言葉>で書くという行為--それが、<自分たちの国>を思う心と、いかに深くつながっていたか。

言葉には力の序列がある。
一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族のなかで通じる言葉、さらにその上には、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。

今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの八割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。歴史の中で、あまたの言葉が生まれては消えていったが、今、言葉は、生まれるよりも勢いよく消えつつある。

今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全般で流通する言葉(<普遍語>)が生まれたということである。
それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。

百年後の地球の運命も定かではなく、いつまで私たちの知る文明が続くかもわからない。だが、英語は、少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの<普遍語>となる可能性が限りなく強いのである。

英語が<普遍語>となるとは、どういうことか。
それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、<母語>と英語という二つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。
ある民族は、<自分たちの言葉>をより大切にしようとするかもしれない。だが、ある民族は、悲しくも<自分たちの言葉>が「亡びる」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。(第一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々)


Morris.はついついこの「手をこまねいて」表現は見過ごせないのだが、英語を普遍語と断じる水村からすれば、「こまねく」だろうと「こまぬく」だろうと瑣末主義(トリビアリズム)にすぎないと思われるだろう。この「拱く」を、古い和英辞典(研究社 新和英辞典)で見ると

komanuku 拱く,v. fold(one's arms) 手を拱いて傍観する look on with folded arms(=with one's hands in one's pockets);stand by with one's arms folded;stabd idle.  This is no time for us to remain idle.

うーーん、普遍語の実力は貧弱なMorrisだけに、これではちんぷんかんぷんぢゃ(>_<)

世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。時はすでに、英国の軍事的、政治的、経済的な優位はもちろんのこと、英語圏の文化的な影響力の優位さえあきらかになりつつあった時代である。それにもかかわらず、日本では実学のための言葉、フランス語こそ西洋文明の真髄を象徴する言葉だとみなす風潮が広がっていったのであった。ことに、作家たちのあいだではそうであった。

戦後、志賀直哉が日本の国語をフランス語にしようと発言したことを思い出した。

書くという行為は自慰行為であはりません。書くという行為は、私たちのまえにある世界、私たちを取り巻く世界、今、個々にある世界の外へと、私たちの言葉を届かせることです。それは、見知らぬ未来、見知らぬ空間へと、私たちの言葉を届かせ、そうすることによって、遇ったこともなければ、遇うこともないであろう、私たちのほんとうの読者、すなわち、私たちの魂の同胞に、私たちの言葉を共有してもらうようにすることです。唯一、書かれた言葉のみがこの世の諸々の壁--時間、空間、性、人種、年齢、文化、階級などの壁を、やすやすと、しかも完璧に乗り越えることができます。そして、英語で書かれた文学は、すでにもっとも数多く、もっとも頻繁に、この世の壁を乗り越えていっているのです。

この考え方そのものが、一見アナクロではないかと思ってしまったのだが、嫌いではない(^_^;)

私は今三番目の小説を書いています。恋愛の物語ですが、実は<母語>への執着のようにも読める小説です。
何が女主人公に英語を拒否させ続けたかというと、それは、ほかならぬ「読む」という行為にあったのです。彼女が日本語で書かれたものを読めば読むほど、彼女は英語に背を向けることになった。読むという行為を通じて、彼女は、常に、かつ、まぬがれがたく、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉の、どうしようもないちがいに向き合わざるをえなかったのです。彼女を二つの世界、二つの主体のなかで生きるのを強制した、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉の、物質的ともいえるちがいです。

私の世代は日本の戦後民主主義教育で育った。戦後民主主義教育というのは、平和主義をのぞけば、いちにも、ニにも、三にも、平等主義であった。小学校の先生はイデオロギーを優先させるような先生では決してなかったのにもかかわらず、ラジオやテレビ、新聞や雑誌や本を通じ、一人で勝手に学んでいったのであろう。「職業に貴賎はない」などという表現は、「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが、真に受けるように教育されてしまえば、まさに「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる。平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた。日本文学について考えるときも、私は大人になっても長いあいだ平等主義的にしか考えられなかったのであった。
私は<国民文学>などという観念こそ知らなかった小さいころからずっと、どの国にも日本と同じようにその国の言葉で書かれた小説があるのを当然だと思っていたのであった。


これはMorris.も虚を突かれた。日本文学の存在というのはかなりに特権的な事態だったのだ。

そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てたアメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で要請する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて優秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、かれらがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンステッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マクレランも翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。(第二章 パリでの話
)

ノーベル文学賞とか世界文学とか、確かにへんてこりんなものである。

<普遍語>universal language
<現地語>local language
<国語>national language

今、人類の多くは、自分たちの<国語>を、おのが民族が、太古の昔から使ってきた言葉だと思いこむにいたっている。ところが、『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン 1983)によれば、<国語>とは、いくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。それでいて、いったん<国語>が生まれると、その歴史的な成立過程は忘れ去られ、忘れられれるうちに、人びとにとって、あたかもそれがもっとも深い自分たちの国民性=民族性の表れだと信じこまれるようになる。<国語>はナショナリズムの母体となり<国民文学>を創り、今度はその<国民文学>が母体となり〈国民国家〉を創っていく。物理的に存在するわけでもないのに、人がそのためになら命を投げ打っていいとまで思う、アンダーソンいわくの、「想像の共同体」を創っていくのである。

最近読んだ本のなかで、たびたびこの「想像の共同体」への言及がある。これは一度読まずばなるまい。

〈叡智を求める人〉というのは、ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち--のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たちである。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。
そしてかれらが、読むだけでなく、書きはじめることによって、人類にとっての〈読まれるべき言葉〉の連鎖が始まるのである。

知的エリート主義かもしれない。

日本語の〈国語〉という言葉は、近代日本の過ちと切っても切り離せない言葉として、悪名高い。
〈国語〉は少数民族の言葉であるアイヌ語、さらには日本のほとんどの方言を消してしまったとされるだけではない。日本人の血をしていること、日本の国籍をもっていること、日本語を〈国語〉とすること--本来はそれぞれ独立したこの三つの位相が、三位一体のように分かちがたく日本人の心に刻まれ、日本語でいう〈国語〉は、いつしか、即、「日本語」を指すようになったのは、日本の植民地となった朝鮮半島の人が「国語を常用しない者」と規定されていたことからもわかる。〈国語〉がそのような過去をもつ言葉であるがゆえに、日本では『想像の共同体』が、ベネディクト・アンダーソン自身の意図を離れて、〈国語〉批判の本として読まれたのも当然のことであった。


またまた「想像の共同体」か。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべき言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは〈読まれるべき言葉〉の連鎖にほかならず、その本質において〈普遍語〉でなされる必然がある。
このことは、何を意味するのか?
それは、〈自分たちの言葉〉で学問ができるという思いこみは、実は、長い人類の歴史を振り返れば、花火のようにはかない思いこみでしかなかったという事実である。


いや、これについては断固「反対」を表明しておく。

〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じように機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。
小説は〈母語〉のもつ長所を存分に利用しながら発展していった。かたや〈普遍語〉の翻訳として生まれた小説は、神の存在の有無、戦争と平和、人類の運命など雄々しく立派なことがらについて重々しく抽象的に語れる。だが、それだけではない。かたや〈母語〉を母体として生まれた小説は、人間の日常生活という、卑近な出来事の連続でしかないものを、どうでもいいような細部にわたってまで、生き生きと魅力的に描くこともできる。子供のころの鮮やかな記憶に遡ることも、その前の、記憶とよぶのもはばかられる、断片的な感触や、匂いや、ささやき声の混沌とした思い出さえ喚起することもできる。心のうちの奥底まで探り、どんなつまらぬ考えも恥ずべき思いも、思いのたけ打ち明けることができる。しかも、社会で〈国語〉が広く流通すればするほど、人々は自分が話す〈母語〉そのものを、〈書き言葉〉としての〈国語〉を規範にして変化させていく。
かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとばしり出る言葉のように思えてくるのである。〈国語〉とは、必然的に〈自己表出〉の言葉となる。小説は、社会に対する個人の内面の優位を謳うものとして発展していったが、内面の優位とは、実は〈国語〉で書くことの結果でしかない。(第三章 地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々)

日本で最初の近代小説だといわれる二葉亭四迷の『浮雲』が書かれたのは1889年。『浮雲』は未完でありながら、日本近代文学の最高傑作の一つである。のちの小説であの高みに達した作品は、数えられるほどしかない。明治維新からたった二十余年のことであった。しかも『浮雲』を筆頭に、『たけくらべ』『にごりゑ』『坊っちゃん』『三四郎』『道草』『銀の匙』『阿部一族』『渋江抽斎』『歌行燈』『或る女』『濹東綺譚』『春琴抄』『細雪』などを始めとして、枚挙にいとまないほどの優れた作品--それも、ひとつひとつが、驚くほど異なった世界を提示する作品があとからあとから書き継がれ、日本人の心を大きく豊かに形づくっていった。

海外でこれらの作品を読みふけったという、ある意味特異な状況下でのこの日本近代文学観は、一種の「結晶」作用なのではなかろうか。

江戸時代の末には、日本は、上は藩校から下は寺子屋まで、学校だらけの国ともいっていいほど広く教育が及び、世界一とされる識字率の高さを誇るまでに至っていた。もちろん統一された日本語は存在せず、さまざまな〈現地語〉の〈書き言葉〉が混在して流通し、その名称からして、漢文訓読体、和漢混淆文、和文、古文、擬古文、中古文、雅文、俗文、候文など、私のような素人は混乱するばかりである。しかも、どれも〈話し言葉〉とはかけ離れたものであったし、そもそも統一された〈話し言葉〉自体が存在しなかった。

(明治初期の)翻訳という行為に携わったのは、漢文訓読体になじんでいた二重言語者である。日本にはすでに千数百年にわたり、漢文訓読体で〈普遍語〉を翻訳してきた伝統があった。しかも、西洋語を翻訳するのに漢字という表意文字ほど便利なものはなかった。漢字は概念を表す抽象性、さらには無限の造語力をもつ。表音文字主義者を集め、いかに日本語から漢字を排除できるかを模索していた文部省でさえ、たとえば義務教育とは何かを理解するためには、漢字を使っての翻訳に頼らざるをえなかったのである。(第四章 日本語という〈国語〉の誕生)


日本の大学において、日本語で学問がなされるようになったとはどういうことか。何よりもまず、日本の大学が、大きな翻訳機関、そして翻訳者養成所として機能するようになったことを意味したのであった。近代日本を特徴づける知識人--西洋語で読み、しかしながら、西洋語では書かずに日本語という〈国語〉で書く知識人。

何でも知っている広田先生は、よくいえば、優れて〈叡智を求める人〉である。だが、悪く言えば、雑学のかたまりである。
実は『三四郎』という淡い恋愛がらみの教養小説には隠れた一つの主題がある。それは、なぜ、広田先生のような〈叡智を求める人〉が、雑学のかたまりでしかないかを問うことにある。
果たして、翻訳語としての日本語で学問をするとは、どういう意味をもつのか。日本語で学問をするのは、本当に可能なのか?
広田先生が、「偉大なる暗闇」である--あるいは雑学のかたまりでしかないというのは、日本語で学問=洋学をすることの、世界のなかでの「無意味」によって、構造的に強いられたものなのである。


事実、〈国語〉が高みに達したときは、単一言語者であっても、〈世界性〉をもった文学を書けるようになる。しかも、時を得た人間の能力には底知れぬものがあり、すべては目を瞠るような勢いでおこる。二重言語者が育つやいなや一挙に翻訳本が増える。すると〈世界性〉をもった〈国語〉で書かれた言葉が一挙に増える。〈世界〉で何が起こっているかをおおよそ知るために、西洋語をじかに読む必要がなくなるのである。
そして、言葉というものは、そうなってこそ、〈国語〉だと言えるのである。(第五章 日本近代文学の奇跡)

インターネットによる英語の支配と、インターネットで流通する言葉が多様化しているという事実とは、まったく、矛盾しない。英語と英語以外の言葉とでは、異なったレベルで流通しているからである。
すでに英語は--数学という人工言語を別にすれば--インターネット技術そのものに関しての〈普遍語〉である。インターネットは世界で英語が〈普遍語〉として流通するのを強化する技術だが、そのインターネットという技術に関してのメタ言語も、英語という言葉なのである。世界中の人々はインターネットについて語るとき英語を使う。
実際、西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない。日本語を読める人のあいだでの漱石の評価は高い。よく日本語を読める人のあいだでほど高い。だが日本語を読めない外国人のあいだで漱石はまったく評価されていない。日本文学の善し悪しがほんとうにわかるのは、日本語の〈読まれるべき言葉〉を読んできた人間だけに許された特権である。(第六章--インターネット時代の英語と〈国語〉)

「翻訳不能」な漱石。特権としての読者。これはもう言語芸術の翻訳不能の議論である。

「英語公用語論」には反対するが、政府の無策をまえにして「英語公用語論」を唱えずにはいられなかった人たちの思いには、手を取り合って泣きたいほど共感する。

何だかなあと思ってしまう。

非・英語圏の〈国語〉にとっての、さらなる悲劇は、英語ができなくてはならないという強迫観念が社会のなかに無限大に拡大していくことにある。ことに大衆消費社会においてほど、その強迫観念は、無目的に人々を捉える。なぜこのk自分に英語が必要なのかなどという問いはさておき、周りがみな英語ができなくてはと焦っているのを見るうちに、我も我もと、自然に焦らざるをえなくなるからである。
教育とは最終的には時間とエネルギーの配分でしかない。
何はともあれ、学校教育で、英語を読む能力のとっかかりを与える。その先は英語は選択科目にする。もちろん他の言語の学習も奨励する。
人間をある人間たらしめるのは、日本の国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。
遡れば、千五百年にわたって、日本の言葉は漢文という〈普遍語〉の下にくるものでしかなかった。漢字という文字こそ「真名」であり、大和言葉を表す文字は「仮名」でしかなかった。だが、そのころのことは今やほとんどの日本人はすでに忘れている。
問題は、近代に入り、日本語が〈国語〉になってからも、日本人は日本語に真に誇りをもつことはなかったことにある。
〈書き言葉〉が〈話し言葉〉の音を書き表したものにすぎないという「表音主義」。それは、西洋のように音声文字を使う文化が、歴史を通じて、性懲りもなく、くり返し、くり返し、到達せざるをえない誤った言語観だといえよう。
〈読まれるべき言葉〉を読みつぐのを教えないことが、究極的には、文化の否定というイデオロギーにつながるのである。文化の否定というイデオロギーのそもそもの種は近代西洋のユートピア主義にあり、それは、原子共産制礼賛、文化的資産を持つ者と持たざる者との差をなくそうとするポピュリズム、社会の規範からまったく自由な〈主体〉の物象化など、さまざまな形をとって、西洋でも文化の破壊を招いてきた。
表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわるというのは、それとは別のレベルの話で、日本語独特のことである。
同じ音をした同じ言葉--それを異なった文字で表すところから生まれる、意味のちがいである。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の二行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。だが、このような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だが、この詩を口語体にして

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
きままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。


おしまいの朔太郎の詩の改変?は、いくらなんでも、だが、とにかく、朔太郎の詩を普遍語にするのはやっぱり不可能だろう。特殊語ならではの価値。

日本人がみな安吾のように、いくら文化財など壊しても「我々は……日本を見失うはずはない」と思っているうちに、日本の都市の風景はどうなっていったか。建築に関しての法律といえば安全基準以外にないまま、建坪率と容積率の最大化を求める市場の力の前に、古い建物はことごとく壊され、その代わりに、てんでばらばらな高さと色と形をしたビルディングと安普請のワンルーム・マンションと、不揃いのミニ開発の建売住宅と、曲がりくねったコンクリートの道と、理不尽に交差する高架線と、人が通らない侘しい歩道橋と、蜘蛛の巣のように空を覆う電線だらけの、何とも申し上げようのない醜い空間になってしまった。散歩するたびの怒りと悲しみと不快。

突然日本の建築事情への罵倒めいた文言には吃驚したが、否定出来ないのが辛い。

私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史を辿った言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。(第七章--英語教育と日本語教育)

結論がこれでは、あまりにも空しい気がする。他の道があると思いたい。
実は、本書を読み終えたのは半年以上前になる。

2015/08/25(火)●雨籠り
7時半起床。
今朝の血圧は169/69/75。
台風15合が九州上陸に影響されて朝から雨。
仕事キャンセルになったので、今日は部屋ゴロ決定。
朝からずっと国会中継流しながら、読書とミニギター(^_^;)
午後には先日私学会館でスピーチ聴いた民主党の水岡俊一の質問。約束通り自衛隊の安全に関する質問だったが落ち着いたやりとりだったが、いかんせん、自民党の回答がピント外れで(意識的に)だらだらモードで、時間の無駄遣いである。
朝鮮半島南北会談は、どうにかまとまった模様。北が形だけでも謝罪し、韓国側が拡声器放送を停止するということで手打ちになったようだ。

今日の歩数は0歩。

【日本語で書くということ】水村美苗 ★★★2009/04/25 筑摩書房。

漱石の遺著で未完の「明暗」の続編(^_^;)「續 明暗」でデビューした水村美苗の「日本語が滅びる時」の後で出された双生児的評論の片方である。

人は誰も若いころは自分が若いことを知らない。そのような無知は個人的な無知ではなく、つかのまの生を生きる人類に、恩寵のようにも原罪のようにも与えられた普遍的な無知である。私が死んでも次の世代がまたくり返さざるをえない無知である。
人間の歴史を振り返れば文明はいくつも消え、文字もいくつも命を失っていった。古くはシュメール文字が命を失ったし、新しくは、黄さんとも話したように、ヴェトナムのチュノム文字が命を失った。1993年にホーチミン大学での最後の講座が閉ざされたという。数千年来漢字の中に脈打ってきた命が失われ、漢字文化圏の言葉が電子翻訳機で英語に翻訳されても、何も失うものがなくなる日が来ても不思議はなかった。
だがそれを手をこまねいて見ているのは悲しすぎた。(もう遅すぎますか? --初めての韓国旅行)


わかるようなわからないような文脈だが、Morris.が反応したのはもちろん「手をこまねいて」表現(^_^;)

おしまいに置かれた二つのポール・ド・マン論「読むことのアレゴリー」「リナンシエイション<拒絶>」は、面白いくらいに、全く歯が立たなかった(>_<)
そのためだけではないが、同時発売の「日本語で読むということ」に比べるとMorris.にはかなりつまらなかった。まあ、Morris.のレベルの問題かもしれないけどね。


【日本語で読むということ】水村美苗 ★★★☆☆
2009/04/25 筑摩書房。
もう片方の「日本語で書くということ」に比べるとうんと興味深かった。

「優れた小説」と「つまらぬ小説」との差は、読み手に資質がなければわからない、芸術の問題である。「純文学」と「大衆小説」の差は、それとはまた別の、小説のジャンルにかかわる問題である。存在すべきかどうかを問う以前に、現に存在している区分けについて考察するのが、ジャンル論である。(半歩遅れの読書術)


Morris.のように「面白いか面白くないか」で分けることしかできない資質の読者には、どうでもいいことか。

1.ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
2.エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
3.シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』
4.スタンダール『パルムの僧院』
5.オルコット『若草物語』
6.ディケンズ『デイヴィッド・カッパーフィールド』
7.ド・ラクロ『危険な関係』
8.フローベール『ボヴァリー夫人』
9.プルースト『失われた時を求めて』
10.マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

こうして書いてみると、わかりやすい小説が好きで、その上、極めて平凡で保守的な趣味をしているのが、よくわかる。どれも、少なくとも、三度は読んだ小説である。最初の3冊に至っては何度読んだか分からない。しかも、みな、初めて読んだのが、若いころである。若いころに読むと、こうも深く見に染みこむのかと、恐ろしい。それと同時に、もう今から新しいものを読んでも仕方がない、再読しかない、とつくづくと思う。そういえば、自分自身、再読してもらえるのを願いながら常に書いているのを思い起こした。(私の「海外長編小説ベスト10」)


ベスト10というだけでつい身を乗り出してしまうのは、Morris.の野次馬根性なのだろう。10冊の内Morris.が読んでるのは「嵐が丘」「若草物語」「ハックルベリー・フィン」の3冊だけだが、「高慢と偏見」はいつか読まずになるまい。倉橋由美子が執拗に言及してたし漱石も愛読したらしいし、斎藤美奈子さんもイギリス版「細雪」と言ってたしね(^_^;)

なぜ日本語が変わってしまったのかはよくわからない。戦後民主主義教育の中で、戦前の日本を否定すること、それが歴史を否定することに繋がり、そのうちに、その否定がたんなる忘却と化したのであろうか。忘却の中で、新しさということのみに意味を求めるようになったのであろうか。
引用とは「死んだ人」たち自身の言葉である。そして『豪雨の前兆』で著者は「死んだ人」たちの言葉をあちこちから自在にひっぱり出してくる。場合によっては、「死んだ人」が自分の前に「死んだ人」の言葉について、書いた言葉もある。そこでは「死んだ人」たちの引用は重層的に響きあう。(「死んだ人」への思いの深さ--関川夏央『豪雨の前兆』)


水村が関川夏央をえらく評価してるのは、意外でもあり、嬉しくもあった。引用好きのMorris.だけど、生きてる人の引用も多いけどね。

「ただあこがれを知る人のみぞ、我が悩みをわかる」
若き日の森鴎外の、異国での恋を描いた本の中で、出会った言葉である。本の名も作家の名も忘れ、この一節だけが記憶に残った。のちにゲーテの詩だと知った。
「あこがれ」は元は「あくがれ」、古語辞典によれば、「心身が何かにひかれて、もともと居るべき所を離れてさまよう意」とある。つまりそれは何かにひかれて、自分が自分の現実を離れることである。ということは、「あこがれ」を知ることは、自分そのものがどうでもよくなる、大いなる精神の運動を知ることにほかならない。
いうまでもなく、「あこがれ」はすべての芸術の根源にある。音や言葉にひかれて人が自分の現実を離れることがなければ、芸術は可能でないからである。(あこがれを知る人)


文学について水村が結構ナイーブな思いを持ってることに、ちょっと驚かされた。

ワープロという文明の利器ができ、今の人は漢字を書けなくなったという声をよく聞く。だが私は、日本語で書く小説家として、ワープロの登場はたいへん幸運なことであったと思う。文部省の役人の誤った認識のせいで、今やすっかり貧しくなってしまった日本語を、まだ救えるかもしれないとさえ思うのである。ただそのためには、「使える漢字」がどういうものであるべきかを、新しく考えなおす必要がある。
読めるということは、字を識別できるということである。ワープロさえあれば、ポンとキイを押して適切な漢字を選べるということである。碩学漱石と私との越えがたい距離が大いに縮まったのは、ワープロのおかげであった。
そもそも誰にとっても「書ける漢字」と「読める漢字」というものは、数が何倍もちがってあたりまえなのである。ワープロが革命的なのは、「使える漢字」というものを、「書ける漢字」から「読める漢字」に変えたことにある。ここで重要なのは、その革命的な変化を積極的に評価することである。そこに表意文字の本質を見ることである。そして日本全体で「使える漢字」をもっと豊かに増やし、ルビをも厭わないことである。新聞などが常用漢字に固執するのは、数千年の人類の叡智を無にして、出来の悪い中学生の頭に合わせて日本語を使うのと同じことでしかない--と、そこまで考えることなのである。(使える漢字)


ワープロの登場はMorris.にとってまさに画期的だった。「書ける漢字」と「読める漢字」の見解には諸手を挙げて賛成である。「出来の悪い中学生の頭」(^_^;)というのはちょっと乱暴かも。

ラクソの真価がわかったのは、大人になり、お金と時間はともかく、心の余裕ができ、代わりになるランプを探し始めてからである。私はそのとき初めて知った。巷に幾千の照明器具が溢れていようと、ラクソほど便利でかつ完璧に美しい形をしたものはない。
ラクソが誕生したのは1937年。ノルウェーのエンジニアが商品化するつもりもなく作ったものが、人の目にとまり商品化され、やがて照明器具史上重要なものとなった。今や私にとっては、必需品の範疇を越えて、忠実な友である。(ラクソ・ランプ)


LUXO(ラクソ)というのは初耳で、どんな照明器具かネットで調べたら、いわゆるZランプみたいな角度調節可能なものだった。

あの3年間、いかに小説を書く時間を大切に生きたことか。授業のスケジュールを睨みながら、この日は夜に書ける、この日は一日中書ける、この週は3日連続して書ける、とカレンダーに赤く印しておく。連続して書ける日々は寝ても覚めても書き続けた。
その『續明暗』も絶版になってしまった。それを知ったとき、悲しみよりも衝撃の方が多かったのは、漱石と共に永らえることができると信じていたからである。(自作再訪--『續明暗』)


そうか「續明暗」は絶版になったのか。ちくま文庫版は今でも買えるようだけど。

海に囲まれた島国に住み、<自分達の言葉>が亡びるかもしれないなどという危機感をもつ必要もなく連綿と生きてきた日本人。それが今、英語という<普遍語>がインターネットを通じ、山越え海越え、世界中を自在に飛び交う時代に突入した。21世紀、英語圏以外のすべての国民は、<自分たちの言葉>が、<国語>から<現地語>へと転落してゆく危険にさらされている。それなのに日本人は、文部科学省も含め、「もっと英語を」の大合唱のなかに生きているだけである。(恩着せがましい気持ち……)


1945年敗戦国日本を占領した米国は、当初日本の公用語を英語(米語)にするつもりだったらしい。あれから70年、インターネットを通して英語が世界語になるのではという、著者の心配は杞憂に終わると思う(思いたい)。

2015/08/24(月)●北野坂あたり
7時起床。
今朝の血圧は132/51/70。
深夜に相模原の米軍基地で爆発火災が起きたらしい。けが人無しということだが、どうせまた報道は制限されるのだろう。それにしてもニュースの鳥瞰地図で駅前の広大な地域が補給基地になってることに改めて驚かされた。
JRで三宮に出て、としろうら4人で北野うろこの家の下のマンション6階ドイツ向けの船便ピックアップ現場。
作業は3時過ぎに終了したのだが、積み込みのトラックが遅れて、としろうと二人2時間近く待たされてしまった(>_<)
マンダイで買い物して6時半帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1432回は- 8월 신청곡8月のリクエスト -

 1) 나를 두고 아리랑私を置いてアリラン (김훈キムフン)/김수희キムスヒ
 2) 과거는 흘러갔다過去は流れた (여운)/여운ヨウン
 3) 기러기 아빠一人暮らしの父 (이미자イミジャ)/염수연ヨムスヨン
 4) 애정이 꽃피던 시절愛情花咲く時 (나훈아ナフナ)/박일준パクイルチュン
 5) 울산 아리랑 蔚山アリラン(오은정)/오은정オウンジョン
 6) 충청도 아줌마忠清道アジュマ (오기택オギテク)/배금성ペグムソン
 7) 정情 (박일남)/박일남パクイルナム
 8) 지나가는 비通り雨 (오은주)/오은주オウンジュ
 9) 황토 십 리 길黄土十里の道 (배호ペホ)/윤수일ユンスイル
10) 아빠랑 엄마같이 パパとママのように(윤승희)/윤승희ユンスンヒ
11) 한오백년恨五百年 (민요民謡)/국악인国楽人 강효주カンヒョジュ」
12) 어머니母 (이명주)/이명주イミョンジュ
13) 석양 길 나그네夕日の道の旅人 (김상진)/김상진キムサンジン
14) 비 내리는 영동교雨降る永東橋 (주현미チュヒョンミ)/연분홍ヨンブンホン
15) 애모愛慕 (김수희)/김수희キムスヒ
16) 터미널ターミナル (윤수일)/윤수일ユンスイル


のはずだったが、板門店の南北会談を受けての緊急ニュース特集に差し替えられてた(>_<)
今日の歩数は5295歩。

【フジモリ式建築入門】藤森照信 ★★★
2011/09/10 ちくまプリマー新書166。
藤森建築論はこれまでに数冊読んだが、本書は新書ということで、一種の「語りおろし」みたいなもので、いわゆる「建築放談」みたいな感じがした。

建築はふつう、人の暮しと活動を風雨風雪や外敵から守る実用の器と考えられているが、浅い考えで、本当は、それ以上に
"人々の記憶の最大の器"
現在各地で、昔の駅舎や戦前からの小学校校舎を保存する市民運動が起り、建て替えようとする意見と対立し、トラブル化しているが、保存の目的は記憶の器を守り、人々が記憶喪失に陥らないためである。
バラバラの要素が、ひとつのルールのもとに合体しうまく溶け合った時に生れる建築を名作といい、うまく溶け合った時にのみ生れる視覚的な印象のことを"美"と呼ぶ。
建築は記憶と美のふたつを容れることのできる器というしかあるまい。ふたつがひとつに合体する建築は、残念ながらそう多くはない。(第一章 建築とは何か)

Morris.にかぎらず、近過去の建築への愛好の底には「懐かしさ」があるというのは、わかりやすい。

日本人が、ふつうの住宅と記念碑的な建築を分けてかんがえるようになったのは、明治に入ってからで、1894年(明治27)、最初の建築史家で理論家の伊東忠太が、アーキテクチャーを「建築」と訳し、ふつうの実用的建物(ビルディング)を分けた。

伊東忠太、なかなかに魅力的な建築家のようだ。

ギリシャ神殿は、列柱の上にペディメントが載る。ただそれだけで他の造形要素はない。石は、細長い柱状には適せず、厚い壁状が一番向いているにもかかわらず、外観の見所が石の列柱になったのは、木の記憶にちがいない。
柱が上に伸びるに従い、カーブを描いて細くなる有名な"エンタシス"。法隆寺の柱と似ているが、法隆寺は途中が太くなる"胴張り"で、エンタシスは、きれいな放物線を描いてひたすら細くなる。


奈良の古寺の柱を「エンタシス」と思い込んでいた(思い込まされてた)が、微妙なちがいがあることを教えてもらった。

形のルールを"オーダー"という。基壇から屋根の上までのルールだが、柱の形が中心となり、柱の中でも上部の"キャピタル"(柱頭飾)がポイント。"ドリス式""イオニア式""コリント式"の三式があり、三式の美的性格は、ドリスの簡潔、イオニアの優美、コリントの華麗。
寸法のルールは"モデュール"といい、柱の底の直径を一モデュールとし、その倍数(小さいところは分数)ですべての寸法を決める。
「シュムメトリア(造形美基準)または比例を除外してはいかなる神殿の構成もあり得ない。すなわち容姿の立派な人間に似せて各肢体を正確に割り付けるのでなければ」(ヴィトルヴィウス「建築十書」より)
美が左右対称性に宿ることは、美容師や美容整形外科医の常識だし、なぜ女性が鼻筋を通し、高くしようとするかというと、中心軸がくっきり引かれ、左右対称感が向上するからだ。
左右対称の平面の上に立ち上る左右対称を強調した正面。正面は、側面など無いかのようにそれだけでまとまり安定し、ギリシャの青空をバックとして立つ。こうした強い表現力を持った正面のことを"ファサード"といい、以後のヨーロッパ建築の外観の基本となる。


建築史家から見ると常識以前のことだろうが、Morris.は知らないことばかりである。

ローマ人が建築に本質的な新しさを加えたのは、ただひとつ"アーチ"。
開口部に用いられた半円のことをアーチという。そのアーチを横に平行移動して生れるカマボコ状の構造体は"ヴォールト"、アーチがその場で回転して生れる構造体は"ドーム"と呼ばれる。
円錐状石積みにくらべ、アーチ状石積みは目にはとても不自然にうつる。円錐状は石を平らにして順に積みあげてゆくのに、アーチは、平らにしてスタートするが、途中から傾き、最後は真下を向いてしまうからだ。
途中は自立できないので、"センターリング"と呼ばれる木製の仮枠で支え、てっぺんの石を垂直に差し入れてから仮枠をはずす。最後の一つが入ってはじめて構造的に安定するので、てっぺんの石をキイ・ストーン(要石)という。センターリングをはずす時、アーチは音を立てて少し沈むから、こわい。(第三章 ヨーロッパ建築の始まり)


アーチという石積みの方法は魅力的である。また、Morris.の好きなドームはアーチの回転運動でできるというのも、言われて見ればそうだが、なるほどである。平行移動が「ヴォールド」と呼ばれるのも、初耳である。

人類はすべて、精霊信仰、自然信仰、地母信仰から信仰をスタートさせるが、なぜか途中でそうした信仰を野蛮なものとして捨て、太陽信仰を経て、結局、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教のような、言葉で書かれた聖典に基づく宗教へと収束してゆく。

ここらあたりが、放談っぽい(^_^;)

建物の表面に現われる継ぎ目のことを目地といい、設計者は目地をいかに美しく納めるかに腐心する。ところが泥の建物にはその目地がない。地面との接点にすら現われない。
植物も動物も目地はない。生物は一つ細胞が分裂を繰り返し、内から外に向かってふくれていった結果だから目地はない。ところが建築は、そうして育った木材などを寄せ集めて作るから目地が生れる。目地は、人工物としての建築の宿命にしてしるし。目地のない泥の建築は、人工物と生物の中間的存在と、建築的には言える。


目地(継ぎ目)が職人の腕の見せどころ、というのはよくわかる。

人や社会や国や思想の有為変転にもかかわらず、建築は平面も構造も表現も、前のものを踏まえ、改良し、ひとつ方向を目ざして進み、ついに到達し、そして終っている。人や人の思いとは別に、建築は建築というものの宿命を生きているのではないか。そんなことはあるはずもないが、建築の歩みに身を寄せてたどってくると、そう思えてくる。

フジモリ節絶好調(^_^;)

彼ら(ルネサンスの建築家たち)は、幾何学こそ目に見える世界の背後にひそむ真理で、根本は円と正方形と人体にあり、その真理が表に現れたのが美であると確信していた。
彼らの確信は意外にも音楽とつながる。和音の一件で、なぜ一定の音階の組み合わせだけが心地よく耳に響くのか。音階(空気の振動)は科学的には絃の長さで決まる、ということは、美しい長さの組合わせがあるにちがいない、と、耳の感覚を目の感覚に移し替え、各音に相当する基本図形を考え、その美しい図形の組合せとプロポーションを求め、ある者は黄金比に行きついている。


建築と音楽の結びつきはヨーロッパ建築では、特に教会建築と教会音楽の関係が深いような気がする。

ゴシック・リヴァイヴァルは、世界へ広がり、ウィーンでは歴史研究の成果を注ぎ理想のゴシックとしてヴォティーフ教会(1879)が造られているが、見る者に好感も嫌悪感も湧かせない奇妙な建築として知らている。知力と学習能力だけの設計では、人の心に届かない。
墓場のフタが開けられたように、"ネオ・ルネッサンス"、"ネオ・バロック"、"ネオ・ロココ"などなど、19世紀以前に成立した過去と近過去の様式が次々と蘇ってくる。同時に、クラシックとゴシックの融合をはじめさまざまな、"エクレティシズム"(折衷様式)も生れる。
"ネオ・クラシズム"(新古典主義)以後のネオやリヴァイヴァルの付くスタイルを一括りにし、"歴史主義"と呼ぶ。
日本の近代建築の最初のページを飾るアイルランド人鉱山技師トーマズ・ジェームズ・ウォートルスが運んできた建築スタイルは、イギリスのネオ・クラシズムの素人版だったし、次に登場するイギリス人建築家のシャルル・アルフレッド・シャステル・デ・ボアンヴィルとジョサイア・コンドルは、前者が北のネオ・クラシズムを、後者は南のゴシック・リヴァイヴァルをもたらしている。(第四章 ヨーロッパ建築の成熟と死)


明治文明化期の西洋建築が、世界建築史の見本市みたいになったのは、喜ぶべきことだろうか。少なくとも、Morris.のような野次馬的建築好きにはありがたいことのようにも思えるのだけど。

竪穴式住居は凍結深度より深く地面を掘り、防寒を心がけ、高床式住居は水位より高く床を張り、防暑を旨とする。
縄文と弥生、竪穴と高床、の関係は、複雑に重なり合いながら日本列島に共存していたのである。


日本の住居を主題にした後半は、どうもMorris.にはあまりおもしろくjなかった。

ヨーロッパの建築は時代に従い、日本の建築は用途に従う。
その結果、日本の建築様式は、時代とともに増え続けるしかなく、5000年前の竪穴式住居をはじめ各時代に成立した様式は探せばどこかで生きている。ガラパゴス島のような日本の建築。


奈良の都で貴族的なものとして確たる地歩を築いた高床式は、その後しだいに大型化し、複雑化し、794年都が教徒に移って平安時代を迎えると、"寝殿造"と呼ばれる定型に到達する。
私生活より行事と儀礼と対面を旨とする寝殿造。(寝殿造は貴族の住い)


日本建築の室内の特徴として知られる線と面による平明な構成は、畳がもたらした大きな成果だった。
畳、襖、障子、天井といった書院造ならではの作りを取りはずすと、元の寝殿造のガランドウに戻る。(書院造は武士の住い)


まず火があり、日の周りに人が集って一つの空間が生れ、空間をあり合わせの材料で包んだ時、人類の住いは出現した。その遠い記憶が、離宮の茶室にはある。
ダ・ヴィンチが原案を描き、ミケランジェロが工事を進めたローマのサン・ピエトロ寺院が人類の建築の一つの究極なら、利休の茶室はもうひとつの究極にちがいない。(茶室は建築の原点)


書院造を茶室の水で洗い、豪華や威厳を表わすための装飾や作りを流し去ってみると、意外な美しさが残っていた。書院造の線と面の構成に茶室の細く薄く軽い自由なデザインが加わり数寄屋独特の美しさが生れた。(数寄屋造に落ち着く)

平安貴族の寝殿造-武士の書院造-茶の侘び-数寄屋造という変遷は実にわかりやすいが、これはまあ常識だと思う。

2015/08/23(日)●昼は仕事夜はデモ
7時起床。
今朝の血圧は182/91/76。
としろうにJR灘駅南に迎えに来てもらい、東住吉のドーハ向け船便ピックアップ現場。
昼前に作業終了。近所に「うどん屋風一夜薬」という不思議な漢方薬屋があった。
六甲アイランド倉庫で荷降ろし、荷積みなど済まして、六甲ライナー、JRで3時帰宅。
4時に元町私学会館で「アベ政治を許さない市民デモKOBE」の集会に。
元自衛隊員の泥憲和さん、民主党参議院議員の水岡俊一さん、神戸大学反戦ネットの上瀬直哉さん、安保法案に反対するママの会の羽田直子さん、戦争体験者山本善偉さん(94歳)のスピーチがあり、それぞれの立場で、法案、安倍政権への批判、不満、欺瞞を発言して、なかなか聴き応えのある催しだった。300名以上の参加者で、6時半から、デモ行進。元町駅北側から元町アーケード街ー三宮アーケード街経由で、三宮駅前おっぱい広場で解散。
8時半帰宅。
今日の歩数は6035歩。

喇叭花