top 歌 集 読 書録 植 物 愛 蔵本 韓 国 リンク集 掲示板


  Morris.日乘2018年12月
Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多で す。新着/更新ページの告知もここでやります。
 
今月の標語
一身腐乱

【2018年】 11月   10月  9月  8月 7月  6月  5月  4月 3月 2月 1月
【2017年
12月  11月  10月 9月 8月  7月  6月  5月 4 月  3月 2月 1 月

2018/12/14(金)●住吉川方面
7時起床。
今朝の血圧は167/69/74。36.0℃
阪急御影に出て、今日の現場まで歩く。住吉川右岸をさかのぼって白鶴美術館のちょっと南のマンション5階中国人のアメリカ向け荷物3日取りの初日。
このあたりはコンビニもなくて、車でかなり下までおりて昼食。
今日の作業は4時終了。5時前帰宅。
政府は沖縄辺野古埋め立ての土砂投入を本日から強行した。沖縄県民の民意を無視しての国家による犯罪行為である。土砂投入で、環境の修復を不可能にして、既成事実化して、反対を抑えようというほとんど地上げ屋と同じやり方である。
鳩山由紀夫が「最低でも県外」を、身体を張って死守してくれていたら、と今更ながら思う。例外措置だが、現在読みかけの本から一部引用しておく。

国の自主的主権を回復する、東アジア共同体を構想する、米国の市場中心の経済政策から距離を置く、官僚主義から政治を取り戻す、米軍海兵隊の普天間基地を最低でも「県外」へ移設するという鳩山の姿勢は沖縄県民を興奮させた。
しかし鳩山当選をきっかけに、米国から前例のない非難と恫喝が政権に雨霰となって降り注いだのである。また取り巻きの政府高官たちのあいだには、対米従属主義があまりに深くまで食い込んでいたので、上層部になればなるほど、彼らの忠誠心は鳩山首相ではなく、基本的に米億政府に向けられた。彼らは、米国高官と陰謀的ともいえる秘密のつながりを持ち、米国に対し、鳩山に「柔軟な態度を示さないよう」警告した。特に沖縄と普天間代替基地をめぐる米国の集中砲火のような非難に対し、日本のメディアや政治関係者の反応は、米国に譲歩しろと鳩山に圧力をかけることだった。鳩山は、裏切り者とも言える信頼できない完了たちと、浅はかで無責任なメディアに追いつめられ、彼らに立ち向かう勇気と明快な目標を欠いたまま、一年としないうちに辞任したのである。
鳩山自身の手記によれば、外務省と防衛省の関係閣僚や官僚が「最後は辺野古しかない」というメッセージを米国に送りつづけ、「最低でも県外」をサボタージュし、それに対し効果的な手を打てなかったという。(『転換期の日本へ』 第二章-2「沖縄 ないがしろにされつづける民意」カバン・マコーミック)


あの安倍総理と、あの菅官房長官は「話し合う」つもりは全く無い。こうなると「革命」を希求せざるを得ない。
今日の歩数は5935歩。


釈迦如来石仏 

白鶴美術館 

現場から海岸方面を 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 갈피를 못 잡다(カルピルルモッチャプタ 見当が付かない、思い悩む、あれこれ迷う、思い戸惑う、要領がつかめない)
갈피(カルピ)は「筋、要領、見当、てがかり 」잡다(チャプタ)は「つかむ、捕まえる、決める」
어떤 것을 택[擇]해야 할지 갈피를 못 잡다(オットンゴスルテクヘヤハルジカルピルルモッチャプタ どれを選ぶべきか迷う)

2018/12/13(木)●南京虐殺を忘れるな
6時起床。
今朝の血圧は162/69/86。35.2℃
JR甲南山手で秋本くんに拾ってもらって、昨日と同じ西宮現場。
昨日から作業はかどって、午前中に作業終了。
六甲アイランド倉庫で荷降ろし、明日の材料用意して、住吉駅まで送ってもらい、3時前帰宅(^_^)/
さっさと風呂浴びてパジャマに着替えてくつろぐ(^_^;)
昨日、中国人が靖国神社で「南京虐殺を忘れない」の横断幕広げて、東条英機の名前を書いた紙灯籠を燃やした事件があった。1937年12月日本軍が南京に攻め込み12月13日の朝、南京は陥落した。日本国民も軍部も、当時の首都南京が攻め落とせば戦争も終わるだろうと考えていたが、そうではなかったことは歴史が教えてくれる。なんきんでの軍部の殺害、強姦、強奪、略奪などの行為は、「南京アトロシティ(虐殺)」として、世界各地で報道された。虐殺の犠牲者数は研究者によって20万から40万までさまざまだが、「南京虐殺は無かった」などというのは妄言以外の何ものでもないだろう。「戦争は人殺し」というあたり前のことをいつも忘れないようにしよう。
今日の歩数は2934歩。


Twin煙突 

不思議な枝 

? 

六甲アイランド大橋 

けなげ 

アイランド海岸公園 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 통금시간[通禁時間](トンgグムシガン 門限)
韓国で1945年から約36年間にわたって続いた、야간외출금지령[夜間通行禁止令]((ヤガントンgグムクムジリョンg 夜間通行禁止令)、この江略語が통금[通禁](トンgグム)である。当時の名残でこの言葉が「門限」の意味で使われている。
우리 집은 9시가 통금시간이다.(ウリチブンアホプシガトンgグムシガニダ 私の家は9時が門限です。)

2018/12/12(水)●西宮方面
4時版起床(ジャンカラで(^_^;)
まだ暗い雨の中ふらふらしながら大阪駅5:25の電車で6時過ぎ帰宅。
今朝の血圧は180/85/78。35.6℃。
朝風呂浴びてJR住吉駅で秋本くんに拾ってもらい、西宮の中国向け荷物ピックアップ現場。
今日から数日仕事続くので、実質的社会復帰ということになるのだろう。
今日の現場は2日取りだが、思ったよりはかどったので4時作業終了。5時帰宅。
清水寺貫主が揮毫する今年の漢字は「災」だと(^_^;) まあこんなの流行語大賞と同列の、どうでもいい話題作りだろう。有名人へのインタビューも、この時期になると「あなたの今年の漢字は?」というのがお決まりになってる。安倍総理の答えは「転」だった。来年こそ転んでもらいたいものである。
今日の歩数は2485歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 용병[傭兵](ヨンgビョンg 助っ人)
軍事用語で용병(ヨンgビョンg、傭兵)とはお金で雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵をいうが、韓国のスポーツ界では、外国人選手をよく용병(ヨンgビョンg)と表現する。普通の生活では助ける人の意味の도우미(トウミ)を使う。その他、협력자[協力者」](キョムニョクチャ、協力者)や조력자[助力者](チョリョクジャ、助力者)などがある。

2018/12/11(火)●サランバン会

7時起床。
今朝の血圧は190/101/83。35.2℃
昼過ぎJRで鶴橋に出る。
今日は夕方から雨になるというので、早めに東上町公園でミニギター。ここは小さな公園だがなんとなく気に入って、最近よく利用している。この公園界隈をなわばりにしている三毛猫に会えるかもしれないという楽しみもある。今日は始めから金網裏の低い塀に向こう向きに座っていた。しばらくMorris.@Catographerモード。
いい気持ちでミニギターやってたら熟年女性が話しかけてきた。ラテン音楽が好きで歌とギターをやってるとのこと。ラテン名曲集の歌本持参してたので、これで伴奏して歌ってもらう。ベサメムーチョ、コンドルは飛んで行く、コーヒールンバ、キサス・キサス・キサス、ラクカラーチャ、Morris.にとってはじめての曲もあったし、iPhoneのリズムアプリはラテン系に弱いということもわかった。途中二弦が切れたりもしたが、30分以上一緒に楽しんだ。二人でやってるところに、金網の後ろから「Morris.さん」と声をかけられた。振り向いたらポストマンだった(@_@) 数年前までサランバン会の常連で、一番の仲良しだったのに、なぜか突然、サランバン会に来なくなってた。「今年は韓国に行けなくて残念だったな」などと、ときどきはMorris.の日記もみてくれているようだ。今銭湯に行く途中とのこと、デジカメで二人自撮りする。
3時半店じまいして、洪ママの見舞い。歌麿会長と三宅さんが先に来ていた。この前よりは顔色はよくなって、ちょっと安心したが、今日もほとんど寝たままだった。大通り「気まぐれ」で食事会。丸本夫婦とギョンヒさんも参加。プデチゲ(部隊チゲ)とテジカルビチムなど。ここでもMorris.はミニギターで大騒ぎ(^_^;)
7時にジュンへ。
榎本さんは目の調子が悪くてしんどそうだった。Morris.は食事会ですっかり出来上がって、後から来た気まぐれママとデュエットしたり、踊ったり、馬鹿をやってふらふら。
結局今夜も環状線を乗り過ごし、大阪駅に着いたら終電出たあとだった(>_<) またまたジャンカラに沈没。
今日の歩数は5339歩。



東上町公園 

Morris.好みの三毛 

同じく 

あたしも弾いてみる 

ひさびさポストマン 

佐藤製作所 

洪ママ 

「気まぐれ」で食事会 

部隊チゲ 

忘年会モード 

12月サランバン会 #1 

#2 

#3 

#4 

#4 

#5 

#6 

#7 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 타조[駝鳥] 세대[世代](タチョセデ 駝鳥世代)
ダチョウ世代(타조세대/タチョセデ)とは、現実から目をそむけ老後に向けて何も対策をしない世代のこと。ダチョウは猛獣などの敵から襲われたとき、砂の中に頭を隠して音を聞き敵の動きを知るという。しかし、頭を隠していてもそれ以外の部分は外から見えている状態である。老後の備えをしなければならない、というのはわかっているのにもかかわらず、結局は子どもの教育費や目先の費用にとらわれて何も対策ができない世代のことをいう。

2018/12/10(月)●午後はベンチで
8時起床。
今朝の血圧は172/65/77。35.6℃
ニュースはフィギュア女子で優勝した紀平梨花のことばかり。確かにジャンプもステップも美しく水準高かった(よくわからないけど(^_^;))これだけしつこく報道されるとちょっと辟易してしまった。
午前中は部屋ゴロ。
今日も寒そうだが、思い切り重ね着して、外に出る。駅前郵便局で年賀状買う。
そのあと王子動物園に行くつもりだったが、薄日がさしてきたので、駐車場樹の下ベンチを日の当たる場所に移動してミニギター。日が当たるとそれほど寒くない。結局4時まで粘る(^_^;)
4時10分帰宅。
「釣瓶に乾杯」ゲスト加山雄三と東秩父村篇。びっくりしたのは、音楽評論家湯浅学が引っ越し荷物の整理しているところに巡り合うという場面。CDやテープや雑誌など、トラック12台の引っ越しだったというのにまたびっくり。すごいものである。
今日の歩数は2198歩。


今日の屋上 東方面 

冬の柿 

駐車場照明塔 

ベンチから 

逆方向 

この時間まで 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 맞장구를 치다(マッチャングルル チダ)相槌を打つ
맞장구(マッチャンgグ 相槌)(ルル を) 치다(チダ 打つ)。
昨日紹介した그렇구나(クロックナ なるほど そうなんだ)のような、相槌は、会話の時とても便利だと書いたが、使えそうな相槌をネットでいろいろ探してみた。前にも似たようなことやったけど、ほとんど忘れてるから、覚えなおそう(^_^;)
相槌の代表格「そう」関連相槌は流石にいろいろある。그렇구나もその一つだった。
그래(クレ そう)
그래,그래 (クレ、グレ そうそう)
그래?(クレ? そうなの?)
그래요 (クレヨ そうなんですね)
그래요? (クレヨ?そうなんですか?)
그렇지?(クロッチ?そう?)
그렇죠?(クロッチョ?そうですよね?)
맞아(マジャ そのとおり、ピンポーン (正解))
맞아맞아(マジャマジャ そうそう)
맞아요!マジャヨ! そうです)
後はランダムに
알았어(アラッソ わかった)
모르겠다(モルゲッタ わからない)
그게 아니고(クゲアニゴ そうじゃなくて)
어머(オモ あら、まぁ~)、어머나(オモナ あらまあ)これは女性語
와우(ウヮウ わぉ)
(ウンg ウン)。(ウム ううん)
정말요? (チョンマルヨ? ホンマ?)
아, 진짜?(ア、チンッチャ? え、マジで?)
신기[新奇]해요!(シンギヘヨ!すごいっ! 不思議!)
다행[多幸]이다(タヘンgイダ ラッキー)
잘됐다(チャルデッタ  うまくいった、よくやった)
혹시(ホクシ もしや もしかして)
글쎄요(クルッセヨ さあ)
대단하네요(テダナネヨ すごいですね)
설마(ソルマ まさか うっそぉー)
어떡해(オットケ どうしよう)
(ウェ 何で)
뭐야(ムォヤ 何よ 何だい)
좋아 좋아(チョアヂョア いいぞ、いいぞ)
おしまいのチョアヂョアはイパクサの口癖である(^_^)

2018/12/09(日)●寒波到来
7時半起床。
今朝の血圧は163/71/69。36.2℃
久しぶりに日曜美術館「写真家林忠彦特集」見る。林と言えば、銀座のバーカウンタースツールで胡座かいてる太宰治や、原稿の散らばった中の坂口安吾などの人物写真で名高いが、晩年の風景写真というのは初めて知った。
昼過ぎJRで三宮に出て、三宮図書館寄ってから、元町阪神理容で散髪。今日はこの冬最初の寒波で、散髪した頭が寒い(^_^;)
それでも帰りは歩いて、大安亭経由で5時過ぎ帰宅。
今日の歩数は4937歩。


日曜美術館  

屋上から冬空 

三宮駅前 

三宮図書館前マロニエ(栃の木) 

冬の蔦の実 

? 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 그렇구나(クロックナ なるほど、そうなんだ)    
こういった相槌は、会話のとき便利である。丸暗記して反射的に出るようになるまで使い続ける
ちょっとだけ丁寧に言いたいときは、
그렇군요(クロックニョ なるほど)
を使う。
과연[果然](クァヨン さすが、果たして、なるほど)    
과연 맛있다(クァヨンマシッタ なるほどうまい)

【終末の思想】野坂昭如 ★★★ 2013/03/10 NHK出版新書398
野坂晩年の、繰り言(^_^;)と以前の言説を切り貼りした一冊。

「平和」をいえるのは、沖縄で米軍の戦車だか火炎放射器の前に身をさらした方たちだけだ、どうして沖縄出身の方が、政府の中枢にいて、意見を述べることができないのか、奇妙に思う。今も昔も、戦争を知らない、人間をご存じない手合いが、昔天皇、今は憲法の袖にかくれて、市民のことなどいっさい考えず、なわ張り争いをやっている。(1992)

占領軍司令官に今後半永久的に沖縄を基地として使っていただきたいと曰わったのは昭和天皇だった。72年の沖縄返還がいかに矛盾に充ちたものだったか考え直さねばならない。

死を知ることはできない。故に矛盾そのものだが、死の地点から生を、時々見直してみる。すこし語弊があるかもしれないが、死をもてあそんでみるといいように思う。死こそは、個人に所属する。自分だけの死なのだ。国家とか企業とか、個人を常に管理しようとかかる手合いは、どうも、このもっとも個人的なことを、遠ざけておくことで、人間の生を、思うままにあやつろうとしているようにみえる、一方で大量死は用意して起きながら。
自律とは、死を、自分のものにすることだ。(2010)


個人的なはずの死を死守しよう。

今のような世の中をつくってしまった、その責任の一端はぼくにもある。世代の責任、自分の責任、どこで分かれるのか判らないが、とにかくある。高度成長の立役者は、ぼくらより十歳から二十歳上の世代、ぼくら昭和ヒトケタは、バブルの好景気を支えたといわれ、その後に続く団塊の世代は景気のいいのがあたり前だと思った。そしてそれぞれが無責任。

みんながみんな無責任(>_<)

例えば北朝鮮、漏れ伝わるところによれば、勇ましい軍部、一人の統治者を崇め奉り、ミサイルだか、ロケットだかの打ち上げを国家の栄光と喜んでいる。どうやら国民は、食うや食わずをさだめと受け止めているらしい。不気味で奇妙な国と、日本人は眉をひそめる。だが70年近い前、我が国も国民こぞって一億玉砕を唱えていた。

確かに戦争末期の日本と北朝鮮の共通点は多い。

近い将来、軽薄無知な権力者が登場。中途半端な暴走を繰り返すうち、日本を道連れにあっという間に自滅するだろう。

近未来予想として当っているところ多い。日本を道連れにしないで自滅してもらいたい。

今の若者を不幸だと決めつけるのはよくない。年寄りの悪い癖だろう。無意識のうちに将来への漠然とした不安を感じているからこそ、今が良ければそれで良し、それぞれに人生を楽しんでいるのかもしれない。
滅びゆくことに気がつかないのなら、それも幸せ。


これはMorris.もついつい、今どきの若いものは不幸せなどと思ってしまうことがあったが、ほっとくべきかも。

結局、何が豊かなのか判らぬまま、日本は滅びようとしている。
戦後、その都度決着を付けてこなかったこの国、当然の報い。(2013)


野坂は1930年(昭和5)生れで、2003年に脳梗塞で倒れ、リハビリやりながら執筆活動を続けた。2015年12月9日没、享年85。今日は彼の三回忌にあたる。

2018/12/08(土)●ラグビーTV観戦
7時起床。
今朝の血圧は173/64/82。36.2℃
「移民法」は今朝未明(4時頃?)強行採決された模様。久しぶりの徹夜国会で、野党は必死の抵抗を試みたなんて言ってるが、結果はとっくに決まってたわけで、虚しさばかりがつのる。安倍の答弁からの逃避ぶりも目に余ったが、今回の法案に関する限り、悪役ヒロインは、まともな質疑を徹底的に"「邪魔した」法務大臣"である(>_<)
今日は昨夜のビールの酔いが残ってたので、午前中は部屋ブラで、午後から外出しようと思ってたのだが、ラグビー日本選手権の準決勝戦中継が始まり、第一試合が神鋼-トヨタ戦。神鋼が今シーズンは強いと噂にきいてたので、久しぶりにラグビー観戦。神鋼順調にトヨタを降して決勝進出。そろそろ外に出ようとおもったのだが4時からこのところ優勝を続けているサントリーとヤマハの試合が始まりついついこれも見てしまう。判官贔屓でヤマハ応援して、途中ヤマハがリードしてたのだが、サントリーが逆転して、最後の最後に五郎丸のキックで同点。サドンデスの延長線にもつれ込み、結局サントリーがキックで勝利した。決勝神鋼-サントリーは15日だが、この日は仕事入ってて見られない。
ラグビー終わったら6時で、今日はそのままずっと部屋籠もりになってしまった
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 유엔(ユエン 国連)
유엔は英語「UN(United Nations)」のハングル表記。
日本と同じ漢字語の국제연합[國際連合](クッチェヨンハプ)も普通に使われるが、一般には유엔(ユエン)がポピュラー。
유엔 안보리[安保理](ユエンアンボリ コクレンアンポリ), 유엔 사무총장[事務総長](ユエンサムチョンgジャンg 国連事務総長), 유엔 총회[總會](総会)
유엔으로 불리는 국제연합[國際連合]은 1945년에 설립[設立]되었다.(ユエヌロプルリヌンクッチェヨンハブンチョンクベクサシボニョネソルリプデオッタ 国連こと国際連合は1945年に設立された。)

対話のために:「帝国の慰安婦」という問いをひらく浅野豊美, 小倉紀蔵, 西成彦編著 ★★★☆ 2017/05/15 クレイン

朴裕河『帝国の慰安婦』は2013年8月韓国で刊行され、翌201年8月日本語版(書き下ろし)が刊行されている。Morris.は2017年になって初めて読んで衝撃を受けた。

今にして思えば嘘のようだが、『帝国の慰安婦』は、その韓国語版の刊行(2013年8月)から約10ヶ月、韓国においても比較的好意的に受け入れられていた。ところが2014年6月の民事・刑事告訴、および仮処分申請があって以降……白か黒かの論争の具とされるにいたった。そうしたなか同書の日本語版(書き下ろし 2014年11月)が刊行されるや否や、同書を高く評価する論者やマスコミと、それを日本の「頽廃」の証左とみなす陣営とが真っ向から対立して、同書は、韓国においても、日本においても、「踏み絵」的なシンボルとされるに至った。朴さんの提起しておられる「協議体」の場にあっては、識者の一意見として他の意見と対等にぶつかりあうにすぎなかったはずの主張が、単体で「審判」の場へとひきずりだされることになったのである。
しかも、勧告での裁判と、日本を中心とする同書の評価をめぐる論争は、連動するかの様相を呈するところとなり、同書に対する「批判」は、そのまま「名誉毀損」を主張する原告側を援護するというシフトが出来上がってしまった。(まえがき)


『帝国の慰安婦』が「踏み絵」とされることは同書に対してある種の「危機感」を持つ人々が存在するということだろう。Morris.が読んだ限りでは学術的な啓蒙書であり、このような労作を偏見によって批判するのはともかく、裁判によって裁こうということこそ差別的人権侵害だと思う。

「帝国の時代の不正義」を国民史と結びつけ、国民史を起動させるために普遍的な価値を利用するのではなしに、「普遍的な価値」自体が時に国民的価値に組み込まれて利用されることを自覚しながら、国民史の死角となっていたジェンダーと階級に光を当てることで、女性、ひいては人間の尊厳を追求したものこそ、『帝国の慰安婦』の言説であると私は思う。(朝野豊美 普遍的価値の国民的価値からの独立と再融合への道)

「国民の死角となっていたジェンダーと階級」という考え方で『帝国の慰安婦』を読む視点はMorris.には欠けていたかもしれない。

朴裕河こそ挺身隊問題対策協議会が収録した慰安婦の声をコツコツと静かに聞き集め、いままで誰ひとりできなかった、帝国の組織の最末端の戦場というギリギリの場に集められた女性たちの人間としての声を拾い集めた人ではないか。
その朴裕河に「慰安婦の声」を聴く謙虚さがないと批判する人こそ、最も非情な場所から発せられた慰安婦の声を「政治的ステレオタイプ」で打ち消そうとしているのではないか。だからこそ、例え過去の歴史像からはみ出しても自らの鏡に見えてくるものに誠実でありたいと考える人たちを窒息させようとする人たちにとって、朴裕河は、刑事罰をもっても罰さなくてはいけない怪物に見えるのかもしれない。(東郷和彦 外交官の目で読む『帝国の慰安婦』)


「挺身隊問題対策協議会」という韓国の団体には、胡散臭さを禁じ得ないのだが、彼らが自分の主張を証拠立てるための当事者の聴き取り調査を、資料として記述した『帝国の慰安婦』を、非難する裏には、彼らが自分の主張に都合の良い部分しか取り上げなかったということだ。「慰安婦少女像」も生存している当事者のためというより、自分らの行動の「成果」の象徴だと思われる。

氏(朴裕河)は慰安婦の証言についてこれまで、「それを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦問題を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない」「慰安婦たちの[記憶]を取捨選択してきた」と批判し、それをそのまま聞くべきであると述べている。(外村大 慰安婦をめぐる歴史研究を深めるために)

先の「挺身隊問題対策協議会」への批判である。

朴裕河はなぜ誹謗中傷の対象とされたのか。簡単にいって、彼女がヴァナキュラーとされた支配的な声に逆らい、ありえたかもしれぬalternative今ひとつの声を、膨大な元慰安婦証言集から引き出すという行為を行ったからだ。慰安婦物語の絶対性に固執する者たちの逆鱗に触れたのは、彼女のそうした身振りであった。
ひとつは慰安婦たちがかならずしも民族意識をもった韓国人として、日本軍に対し抵抗する主体ではなかったという指摘であり、もうひとつは、彼女たちを幼げで無垢可憐な少女として表彰することが、その悲惨にしてより屈辱的であった現実が巧妙に隠蔽されてしまうという指摘である。(四方田犬彦 より大きな俯瞰図のもとに 朴裕河を弁護する)


ヴァナキュラーって何ぢゃ?? 大辞林(Morris.の持ってるのは88年版)には見出しすら立ってなかった(>_<) ネットでしらべたら
vernacular ① 土着のもの。その土地に関わりのあるもの。 ② (建築・工芸などの)民俗趣味。民芸調。お国柄。 ③ お国ことば。地方訛り。自国語。
四方田の論旨、特に少女像への反論には賛同するものの、なんでわざわざこういった横文字使うのかな(>_<)

『鼠坂』(森鴎外 1911)は、自身の日露戦争従軍体験を下敷きにした一種の「戦場小説」だが……私は、明治以降に日本が行った海外派兵が、どれだけの無法行為に手を染めたかをずばり告発した作品として、小品ではあるものの、この小説は後の『生きている兵隊』に並び称されてしかるべき、「戦時性暴力告発小説」の傑作だと考えている。
家父長制的なシステムは、男同士の共謀に基づいて女を搾取=利用し、悪用=虐待する。要するに『藪の中』は、たった一人で恥じ入るしかなかった女の悲劇である。
真に「恥じる」べきは誰なのか? にもかかわらず女に「恥」を背負わせることで、自分たちを免罪してきたのは誰か? アジア太平洋戦争の時期に、日本の軍人や軍属が行った恥ずべき「戦時性暴力」について考えるときに、まず立ち戻るべき原点はここであり、歴史認識は、「「加害国と被害国」という二項対立をこえて、「女と、女を苛み、かつ見殺しにする男」という民族国家的境界を横断する「男性中心主義」を問い直すことを通してこそ整序されるべきだろう。(西成彦 戦時性暴力とミソジニー 芥川龍之介『藪の中』を読む)


『帝国の慰安婦』と直接関係はないのだが、芥川の「藪の中」に潜む「男性中心主義」批判と、鴎外の「鼠坂」という作品には刮目させられた。「鼠坂」読んでみよう

朝鮮半島でも国民学校を通じて募集し、十二、三歳から、十四、五歳の少女を勤労挺身隊として富山や名古屋の工場で働かせた。これが韓国では「慰安婦」と混同され、少女の「強制連行神話」を生んだという。韓国の支援団体の名称が「挺身隊問題対策協議会」であるのはそのためだ。1990年代はじめには「慰安婦」と挺身隊」が別物であることは明らかになっていたが、神話はいまも生き続けているらしい。
朴裕河は「聖少女」としての少女像は「慰安婦」のリアリティを表さないという。そもそも朝鮮人「慰安婦」には二十歳過ぎの女性も結構いたし、「日本の服を着せられて日本人名を名乗らされて「日本人」を代替し」、「日本軍兵を愛し、……死に赴く日本軍を最後の民間人として見送」ったりもした。それが植民地挑戦の「慰安婦」というものだった。そこには「被害者で協力者という二重の構造」がある。それは「慰安婦」だけでなく植民地のすべての構成員が強いられた分裂状態だった。(加納実紀代 「帝国の慰安婦」と「帝国の母」と)


こうしたあたり前のことが、韓国人には理解できない、というか、知りたくないのだろうとしか思えない。

研究者の主体は政治的判断と無関係に別個に独立して存在する。世には意図的な名誉毀損があるし、低劣な文学作品がもたらす弱い者いじめに泣かされる場合もある。『帝国の慰安婦』がまったくそんな俗悪さから切れて、文学研究者の思いに発し、取り組まれ、ひいては韓国社会での学問と正義の在り方とを今後に占う、一箇の試金石になると私には考えられる。(藤井貞和 『からゆきさん』と『帝国の慰安婦』)

この藤井の受け止め方は、『帝国の慰安婦』の読後感と一致する。まあ、Morris.はこれほど整理された感想ではなかったけどね。

『帝国の慰安婦』で使用される「愛国」、「同士」、「売春」という用語は、「帝国」の支配抑圧の下、朝鮮人「慰安婦」が生き残るために、「抵抗」を諦め支配者の要求を受け入れ内面化する過程における心情と言動を表わすものである。これらの用語は朝鮮人「慰安婦」の被害性という前提を一見裏切るような印象を持つものであるからこそ、その抑圧の複雑さと人間心理への深い影響をかえって効果的に表現できるのではなかろうか。(熊谷奈緒子 朝鮮人「慰安婦」をめぐる支配権力構造)

朴裕河は当事者(慰安婦)を貶めようなどとは考えてもいない。植民地支配者におもねるような行為、態度が、必ずしも見せかけでなく「本心」になったとすれば、それこそ被害深さを、構造的に解明しようとしている。

『帝国の慰安婦』は、それと言挙げしていないが、ポストコロリアリズム--「脱植民地化」と訳される--の課題をつきつけた。
女性史にとっては、「歴史に女性のエイジェンシーを回復する」は必須の課題であった。
だが、エイジェンシーという概念は女性史に皮肉な効果をもたらした。それまでのように「構造」」に翻弄されるだけの受け身の「犠牲者史観」を覆すことになったからだ。たとえていうなら女性は家父長制の「植民地」のようなものだが、そのもとで個々の女性のエイジェンシーは、抵抗から反逆のみならず、協力から共犯までの多様性を見せたからだ。
沖縄の民間人死者たちは、日本によって「三度」殺された、と言ってもよい。一度目は実際の死によって、二度目は「自発性」を否定されることによって、そして三度目は「自発性」を捏造されることによって。そして忘れてはならないのは、いずれの「自発性」も、圧倒的な構造的暴力のもとで強制されたということだ。
わたしたちに問われるのは、犠牲者のエイジェンシーを無視することなく、だからといって加害者や加害の構造を免罪することのない、より複合的で複雑なアプローチなのである。
一冊の老僧的な書物が巻き起こした「事態」は、誰をも傍観者の位置に置かない。それ以前に「慰安婦」問題そのものが、日本人であれ韓国人であれ、誰をも「第三者」の位置に置くことを許さない。事態の硬直にも打破にも、わたしたちひとりひとり責任を負っている。その責任を他の誰よりも誠実に果たそうとした一冊の書物とその著者の置かれた立場そのものが、「脱植民地化」の困難さを語ってあまりある。(上野千鶴子 『帝国の慰安婦』のポストコロニアリズム)


「エイジェンシー」もMorris.の大辞林には載ってない(>_<) これもネットで調べたら
エージェンシー (agency) は、代理権・代理行為・代理業・代理機関などを意味し、エージェント (agent) は代理人の意である。
「代理行為」というのが、上野の言うところの「自発性」に重なるということで、「慰安婦」の「帝国」への自発的「帝国」への奉仕を論じているわけだし、沖縄の戦争被害者が複雑な構造的暴力に何度も晒されたことと、「慰安婦」の被害に通底するものが植民地としての被支配構造という分析も納得できるのだが、四方田と同じく、横文字症候群に鼻白んでしまう。

1922年に発掘された台湾軍の秘密文書には三人の(慰安婦)仲介業者の名前が記されている。そのうちの一人は屏東在住の日本女性、もうひとりは朝鮮人で日本名「豊川晃吉」朝鮮名任斗旭といい、「台湾慰安婦」によると任の戸籍には雇用・居留を含め43名の男女が登録されて女性38名のうち朝鮮出身者が21名、沖縄出身者が13名、日本本土出身者が4名である。これら全員が慰安婦であったという証拠はないが、この構成は異様といえよう。
本書を読み進めていくにあたって、民族やジェンダーがもたらす「原罪」が明らかになっていく。そして己の原罪に目をむけようとせず、特定の集団の過ちを責め立てる不誠実かつ傲慢な態度を裁く。『帝国の慰安婦』はあたかも日本が過去に犯した過ちに対して、「汝らのうち罪なき者、まず石を投げうて」と訴えているようである。(天江喜久 他山の石 台湾から『帝国の慰安婦』問題を考える)


被害者と加害者がはっきりしている場合より、両者の境界が曖昧だったり、絡み合ったりしている場合もある。また、加害者が加害を、被害者が被害をきちんと認識していないことも多い。

「朴裕河のいっていることは新しくない。だが韓国人が決していってはいけないことだ。それをいってしまった朴裕河は韓国社会で絶対に許されてはならない」という(「パンドラの匣型」)というものだ。これこそ、『帝国の慰安婦』をめぐる論争がきわめて感情的になっている真の理由であると思われる。
『帝国の慰安婦』はもちろん歴史書ではない。そして慰安婦の生を整合的に整序しようという欲望はこの本の叙述にはない。たが、そのことによってかえって、歴史の「おしくらまんじゅう」の姿を比較的リアルに浮かび上がらせているのではないだろうか。
わたしは、日本の朝鮮支配は、植民地支配だったというよりは「併合植民地支配」であったと考えている。併合という側面と植民地という側面を両方兼ね備えた特異な支配形態であったと考えるのである。
「併合植民地主義」において、統治の方法は著しく複雑かつ巧妙である。同化と異化の矛盾関係における同一化を企図しなくてはならないからである。そして支配される側の心理も極度に複雑化する。強引にそれを民族的本質なるもの(虚構である)に自己同一化しようとしても、なかなかうまくいかない。そもそもなにが自己で何が他者であるかがわからない。(小倉紀蔵 慰安婦問題における人間と歴史)


「それを言っちゃおしまいだよ」という寅さんのセリフみたいなことを、韓国人が言ってるらしい(^_^;) Morris.が『帝国の慰安婦』を読んだ時に最初に思ったのは、「著者が韓国人で女性であるから、書けた一冊かも知れない」ということだった。もし日本人がこれを書いたとしたら、反発確実だし、韓国人でも男性なら問題になりそうだ」と。ところが本書が問題になり、裁判にまで持っていかれ、さらに有罪を課せられたというのは、もう、理屈ではおさまらない韓国人気質なのだろうか。

日帝植民地時代をめぐる諸問題、たとえば「親日派」清算の問題、十分慰安婦の問題、独島問題などに関する韓国社会の数え切れないほどの非生産的な論争が、数十年間全く同じ回路を堂々巡りして、いつも強固な国民主体の再確認に帰結してしまうのは、加害/被害の問題を発話する場所、そしてそれを発話する主体がつねに「民族」「国家」だけに固定されているかぎり、必然なことです。一つだけ例を挙げてみましょうか。1992年の韓国挺身隊問題対策協議会の発足宣言文は、日本軍従軍慰安婦を「民族の娘」と呼んでいます。……ある国民国家の暴力の被害者をもう一つの国民国家の主体として召喚することで、その被害者の生と名誉を回復するというトートロジーが孕む矛盾、そしてその矛盾が引き起こしかねない被害者への別の抑制は、加害/被害の問題をひたすら民族-国家の層位にのみ固定させようとするナショナリズムの思考のなかでは、決して自覚されえないでしょう。(金哲 抵抗と絶望)

非生産的な論争がやめられないという悪循環。親日派=絶対悪といった、固定観念にとらわれている限り解決は永遠に来ないと思う。
本書は、様々な立場から『帝国の慰安婦』を討議するために作られたと、あるが、結局はほとんどが『帝国の慰安婦』を評価、擁護、正当化しようという態度のように見える。Morris.もこちらに組みする一人なのだが、それでも韓国の強固な固定観念を覆すことはおそろしく難しいことのように思われる。

2018/12/07(金)●忘年会#1
7時起床。
今朝の血圧は
朝の三点セット。
異常な暑い冬もそろそろ終わりそう、というので、こたつセッティング。ったって、いつも使ってる座卓にこたつ布団かぶせるだけ(^_^;) でも発熱部分がホコリまみれだったので、金網外して掃除機でクリーンアップ。これってほっとくと火事の原因になったかも(@_@) これからはこたつ使い始めるたびに点検しよう。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は、山手線の「高輪ゲートウエイ」駅名というどうでもいい話題(>_<) 駅名を公募しながら、130位(36票)を採用したというのがネック、というか、ナンセンスというか(^_^;)
夕方、歩いて新在家の「鶏キング」という店へ。クラウンの忘年会。3ヶ月間一度も仕事出なかったので、ちょっと悪い気もしたのだが、今後のこともあるので参加させてもらうことにしたのだった。
鶏といえば皮串を期待してしまうMorris.だったが、今日は鶏鍋で、いちおう焼き鳥もあったのだが、結局皮は出ず(>_<)
まあ、飲み放題だから、Morris.はしっかり生ビール飲み続け。この店のアルミ合金製のジョッキ(キリン一番搾り謹製?)は、冷たさが2時間持続?というすぐれもので、これはあってもいいかな。
今日の参加者は13名。9時前お開きで、店の前で記念写真撮影。半数は二次会に向ったようだが、Morris.はパス。
かなり酔ってたようだあ酔い覚まし兼ねて、ふらふらと水道筋経由で歩いて10時前帰宅。
今日の歩数は5927歩。