小猫 村井弦齋
●愛蔵本トップページに戻る
●Morris.ホームページに戻る
 
昭和10年(1935)2月5日、中央公論社発行、村井弦齋著。 

A5版臙脂色布張り。527p。定価壱円。大悲劇名作全集第四巻。 

1987年ごろ春日野道勉強堂で\200で購入。 
 

買ってすぐ通読して、後は押し入れに仕舞い込んでいたくらいだから、この本を愛蔵本と呼ぶのはいささか無理があるかもしれない。 
しかし、なんとなく変な本だという印象だけがいつまでたっても抜けずにいる。 
唯一貼付されている彩色挿絵が、いかにも時代色を持っていて、忘れられないのかもしれない 
.画家は千種という署名があるが、詳らかにしない. 

著者村井弦齋は「食道楽」で有名だから、名前だけは知っていたが、この小説には食事や料理のことはほとんど出てこない。 
感動したとか、名作だったということではない。 
奇妙な味の小説というのではさらにない。悲劇の名を冠しているのに反して、内容は荒唐無稽としか言いようがない。 

波瀾万丈のストーリー展開、御都合主義だらけのあらすじを要領よく紹介するのは至難の業だが、がんばってみよう。唯一の彩色挿絵 

主人公坂田金太郎!!少年は、房州鏡が浦の海岸で、タコに襲われた小猫を助けて、飼い主である富豪の娘雪子と知り合う。 
少年は貧しい漁師の身の上だが、実は父は高名な画家で、世事に嫌気がさして隠棲していた。 
父の名前を知っていた雪子の父は、少年に絵を所望する。しかし絵の手ほどきを受けていなかった少年は、困惑して、障子に映った雪子と猫の影法師を写して、その場をしのごうとした。しかし、これは認められなくて、発奮した少年は、ひとかどの人物になろうと、船で東京を目指す。 
この船に勝手に乗り込んでしまった小猫は、嵐の海で憐れ鮫の餌食になってしまう。 
これが68p目だから、タイトルの小猫の出番は実にはかないものだ。 

その後坂田金太郎は書生や魚屋をしながら学問を修める中で、上京してきた雪子と偶然再会し、彼女の財産を狙って結婚しようとする浅山某の策謀を覆す。 
金太郎は雪子にほのかな恋慕を抱いていたのだが、雪子には秋岡代議士と、春野博士の二人から婚約を申し込み、金太郎は二人から恩義を受けていた。 
これを機に金太郎は、日本より海外で一旗あげようと、米国に向かう。 
ここまでで、508p、全体の9割5分を費やしているわけだが、この後残り20p足らずの展開がすごい。 

金太郎はアメリカでの努力の甲斐あって、カリホルニヤ州で漁業会社を興し、ついには数千人の日本人従業員を抱えるまでになる。 
おりしも英米が戦争状態に入り??金太郎は従業員全員を義勇兵に仕立て、自ら先頭に立って、華々しい戦果を挙げる。 

ちょうどニューヨークに滞在していた雪子も、この義挙を知り、日本婦人による赤十字社を創り、救護活動に専念する。 
武勲を挙げた金太郎はその手腕を買われて、米軍の大佐になり、一万五千の兵を擁して英軍を打ち破る。 
ついには大将にまで出世した金太郎と、雪子はニューヨークで劇的な再会を果たし、手を携えて日本に帰国し、盛大なる華燭の典を挙げる。 

かなりひどいダイジェストで、たぶん、筋がよく見えなかったかもしれないが、必ずしも僕の責任ではない、と思う。 
もともと構成はあって無きが如しだし、時代を感じさせる(発表は明治29年らしい)擬古文なので、すんなり筋を掴むのも一苦労なのだった。 
以上にまとめるために、拾い読みしただけで結構疲れてしまった。 
文体見本として、冒頭の小猫がタコに襲われるシーンを引用しておく。 
 

水は澄めり、風は涼し、秋の日の温かき光、ホカホカと背中を暖め、猫も人も上無き心地、 
此の小春日の心地好きは水中の生類も亦た同じと見え、波間に跳る小魚細鱗、鰭を振り尾を動かして、いと楽し気に遊泳す、 
やがて一尾の大なる章魚、徐かに穴を出て磯の周囲を飄然と泳ぎ行く、 
遊びにや出けん、餌を求めけん、円き頭をフハリフハリと水に浮べて岩の上に足の先を出したるが、 
先程より珍し顔に此有様を眺めたる小猫、俄かに駆け来つて章魚の頭をチヨと引っ掻けり、 
章魚は怒つて足を上げて小猫と絡む、ぎやつと叫びて跳び退く小猫、章魚は口を尖らして再び長き足を伸す、 
面白の足やと猫は懲りずまに、恐る恐る爪立つれば、章魚は紅くなりて次の足を出す、猫はさも不審顔なり、 
章魚も定めて心得ぬ敵やと思ひけむが、其足に爪立てられし腹立たしさに、此奴一番曳込で呉れんと、八本の足総掛かりにて一心に小猫を狙ひ始めぬ、 
小猫も亦た一生懸命、身体を縮め息を吹き眼を円くして身構へたり、 
互に睨み合ふこと良暫時、如何なる隙や有たりけん、やつと云て飛込む小猫、章魚の頭に爪掛けて力限りに噛付ぬ、 
噛まれて章魚は身を悶き、足を集めて小猫の身体を搦めたり、 
此方は陸に曳上げんとし、彼方は水に曳入れんとす、章魚の力や勝りけん、 
小猫は遂に水中に曳入れられたり--- 

こんな調子で連綿と綴られていくのだから、読む側もかなり体力を要求される。引用するのも大変だった(^。^) 

巻末の広告ページによると、この大悲劇名作全集八巻のラインアップは、以下の通り。 
巻数 題名 著者 惹句
第一巻  金色夜叉 尾崎紅葉 金と恋ゆゑ、金色の夜叉となつた貫一の涙に十七日の月も曇る。
第二巻 魔風戀風  小杉天外 友愛か恋愛か? 茲には弱くして強き日本女性の永遠の道がある
第三巻  己が罪  菊池幽芳 悲しきを堪へ耐へ難きを偲ぶ、環の純情には慶三も悔い隆弘も泣く.
第四巻 小猫  村井弦齋 明治中期の小説にも斯かる傑作があつたかと今更偲ばるゝ名小説!
第五巻 生さぬ仲  柳川春葉 一人の子を巡る生みの親と育ての親の葛藤。愛の凱歌は何れに挙るか?
第六巻 青春  小栗風葉 青春涙多し。情熱色褪せ恋破れて、若き二人は如何に果敢なく散つたか?
第七巻 婦系図  泉鏡花 柳橋の名妓蔦吉と早瀬主税の悲恋哀詩--特に名作「日本橋」を加ふ。
第八巻 渦巻  渡邊霞亭 貞潔純情白梅の如き凛乎たる数江の姿、神にも通ふ母性を描いた大傑作
鏡花の「婦系図」、紅葉の「金色夜叉」のように、現在でもそれなりに高名な作品から、作者の名前すら知らないものまで有るが、発行時期からして、いわゆる「円本」ブームの一環として企画されたものだろう。 

「小猫」に付せられた惹句「明治中期の小説にも斯かる傑作があつたかと今更偲ばるゝ名小説!」というのは、はっきり言って誇大広告だ。