ノアをさがして−−矢代まさこ特集
昭和45年(1970)5月1日、虫プロ商事KK発行、B4版266頁、定価200円。
当時、漫画界に旋風を巻き起こした雑誌「COM」の増刊号である。矢代まさこは貸本屋向けの単行本のシリーズを描いていたが、この雑誌によって素晴らしい飛躍を遂げたのではないかと思う。僕が後に少女漫画にのめりこむきっかけとなったのが彼女の作品だった。

この本(雑誌?)は小倉、大阪、奈良、神戸と8回にわたる引越しにも散逸せず、僕の蔵書の中でもかなりの古株の一冊と言うことになるのだが、地震の前は段ボール箱に他の漫画といっしょに入れて、ずっとベッドの下に死蔵の状態だった。地震を機に、これらを思い切って処分することに決めて放って置いたのだが、部屋が取り壊しになる直前に、その禁を破り、結局数冊を未練がましく取り出して来たそのうちの一冊がこれだった。

と、言うわけで、ひょっとしたら、これは生涯手放せない本になるかもしれないな。収録作品は表題作「ノアをさがして」他全9篇で、ゲストとして樹村みのりの「おとうと」(これもなかなかいい)と、義姉新城さちこの「ノンフィクション矢代まさこ」も併録されている。

矢代まさこの絵は当時としては水準以上の技術だとしても、とりたてて巧い方ではない。少女漫画特有の「まつげバシバシ、星がきらめく瞳」に反発してまつげのない女の子を描き続けたくらいで、どちらかと言うと地味目なタイプだが、技巧を越えた純粋無垢さを感じさせる絵柄には好感を持った。

しかし何と言っても彼女の本領はその杼情性にある。彼女のネームに頻出する「地の文」(吹出し以外の説明的な文章)は、時に一人だちして独特の世界を作り出すことがある。本書に収録の「風のある日」という作品にいたっては、吹出しは一つもなく、すべて地の文で構成されている。それなら、絵物語じゃないかといわれそうだが、そうではなくて、しっかり漫画作品となっている。風船が風に流されるその回りの人事、風景を淡々と描いた異常に醒めたストーリーで、駒割も斬新(横長の駒の多用)なもので、不思議な印象を与える作品だ。その他オムニバス短編の「クモの糸」、人形と揚羽蝶の交歓を描いた「蝶々の泣いた夜」、矢代版「吾輩は猫である」の「わが名はボケ猫」など、お気に入りの作品が目白押しなのだが、一番好きな作品と言えば「セント・レニの街」を置いては無い。

「セント・レニの街」とは主人公けい子が、自分で作った人形リボンヌといつか行けると信じている、彼女の心象の国なのだが、この作品の地の文に、すっかり僕はイカれてしまっていた。当時一番好きな「詩」は、この作品だったと言い切ってしまえる程だ。

きっとどこかに まぎれもなく あるにちがいない 
セント・レニの街 やすらぎの街‥‥‥
その街が どこにあるかは 知らないけれど いつかいけるに ちがいないセント・レニの街‥‥‥
とおいとおい街 はるかな世界 
ぎんもくせいみたいな 花のかおりが ひそかにかすかに ただよう街‥‥‥
ぎんもくせいみたいな 花のかおりがただよう街 白い敷石とレンガの かべがつづくところ‥‥‥
少しくずれたへいの ところどころに 花の青さが見えて それがかわいた風にそよいでいる‥‥‥
セント・レニの街 たいくつでしあわせな街 セント・レニ‥‥‥
ああ しあわせな たいくつな 白い街セント・レニ! あたし以外はだれもいない 
セント・レニ リボンヌだけしか知らない はるかな世界!
<<白いへいのところどころに 見える花の青さをたどっていくと 舗道がとぎれて 
石づくりの階段が 見あげるかなたに のびていて 
階段をのぼっていけば ふかみどり色の空へとどく‥‥‥
あたし以外の人は あたしじゃないもの あたしじゃない人なんか つれてかれやしない‥‥‥
あたし以外の人は あたしじゃない!! あなたも あたし以外だから あたしじゃない‥‥!
セント・レニの街 ひとりでいきたい セント・レニの街‥‥‥!>>
そうよ リボンヌ! これですべてが なにからないまでが あたしとまるきりいっしょになった‥‥‥
リボンヌ!!いっしょになることが はなれることだったリボンヌ
その街へいくときは どんな人でも たったひとり 
セント・レニの街 白い街 ひとりっきりで めざす街
ほぼ、全文に近い引用をしてしまった。
最初に読んだ頃からするとすでに25年過ぎたことになる。そういう意味ではいくらかの気恥ずかしさを覚えずにはいられないが、懐かしさも一入である。

手元にもう一冊、矢代まさこ特集の雑誌があって、こちらには「ネロという猫」「トムピリピに会った?」「ジュンの奇妙なホリデイ」など10篇収録している。実はこれはあちこちの雑誌に載った彼女の作品を切り抜いて自分で合本に仕立てたものだ。これもいっしょに抜出してしまった。あの頃はこんな合本をかなり作ったものだが、ほとんど全て部屋と共に処分してしまったことになる。

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