飛ぶ教室
飛ぶ教室
 
1950年(昭和25年)4月17日、実業之日本社発行エーリッヒ・ケストナー著、高橋健二訳。A5版、ハードカバー、217頁。定価180円(地方買價190円)。
ケストナーは小学校時代以来の大のお気に入りで、今に至るまで、彼以上に僕を喜ばせてくれる作家はそうはいない。

最初の出会いは、毎月配本を楽しみにしていた講談社の「少年少女文学全集」ドイツ篇に収録の「エミールとかるわざ師」「点子ちゃんとアントン」だったと思う。その直後に岩波がA5版変形の「ケストナー文学全集」全8巻を発売、これは買えなかったが、同じ頃やはり岩波のドリトル先生シリーズと共に学校の図書館で借りて、何度も何度も繰り返し読んだ。この全集の4巻目が「飛ぶ教室」で、もう、無茶苦茶感動してしまった。この原稿を書くために、ぱらぱらと見ているうちに、とうとうまた、最後まで読みとおしてしまった。もし、これをまだ読んでない方がいたら、いまからでも遅くない。本屋で買うなり、図書館で借りるなりして、御一読をお勧めする。

だから、内容に関しては、ご存知のこと、あるいは読んでのお楽しみということにして、省略する。
いちおうこの稿は「余が愛読書」でなく「愛蔵本」なわけで、ちょっとはそのいわれみたいなことを書いておかなければ−−−

先に書いたように、僕が親しんだのは、岩波の全集本で、これは1962年(昭和37年)の発行で、僕も以前1冊購入した。ところが数年前、お馴染みの元町の「つの笛」の階段百円均一コーナーで、煤けた表紙の「飛ぶ教室」を見つけた。それが、この実業之日本社本で、訳者は岩波とおなじく高橋健二、表紙も同じワルター・トリヤーの雪の上の喧嘩の場面のイラストを使っている。ところが、これが感動的なくらいに、雰囲気が違う。印刷技術や紙質の違いだろうが、両者の時間差12年の日本の経済復興ぶりを目のあたりに見せつけられた気がした。本文の用紙もかたや上質、かたやザラ紙と、天地の差で、こころみに重さを量ったら、岩波版480g、実業版280gだった。本文内容は、岩波版がルビを振ったり、送り仮名を正したりしているほかは大きな変更はない。ただ、実業之日本社版の訳者の後書きには、訳し終えたばかりの感動の余韻が生なましく綴られていて、なかなかよい。

「−−−私がこれまで四十年あまりの間に読んだ本のなかで、『飛ぶ教室』は一番おもしろい本です。みなさんは、ひとりでこれを読んでいても、おかしくなってくすくす笑ったり、声を出して笑ったりするでしょう。また、しんみりとした気もちになって、天井のすみをじっと見つめたり、窓のそばに行ってぼんやり外をながめたりするでしょう。−−−こんど『飛ぶ教室』と『点子ちゃんとアントン』と『エミールとかるわざ師』の三つの翻訳を許可されたので私はうれしくてたまりません。みなさんもこれらの本を読んだらきっと一しょに喜んでくれると思います。1950年2月 高橋健二」

日本でケストナーの作品が紹介された初めがいつなのか知らないが、少なくとも高橋健二訳の「飛ぶ教室」の、最初の版であることは間違いないだろう。だから、これが稀覯本だなどと言ってるわけじゃない。いつものことながら、本との出会いも人とのそれに似て、面白いものだとそれだけを言いたかったにすぎない。ケストナーの著作ではもう一つ 「人生処方詩集」 という、とっておきのものがあるのだが、これは機会を改めて書くことにしよう。

「飛ぶ教室」の原作が書かれたのが1933年(昭和18年)。この年ヒトラーがドイツ国家元首に就任し、言論統制は苛酷を極め、ケストナーの著書も多くが発禁の憂き目にあった。トーマス・マンをはじめ、多くの芸術家が亡命する中、ケストナーは祖国にとどまり、唯一許された少年向けの作品を発表し続けた。作品中にナチスへの批判など、かけらも書くことは許されるはずもなかったが、そのような圧迫のなかで、かくも上質の少年小説を書き上げたことそれじたいが、凄まじい抵抗だったにちがいない。私生活では女性とのスキャンダルも多かったケストナーだが、彼の強靭な精神と、闊達で奔放な想像力に独逸魂の美点を思わずにいられない。

日耳曼の青春 而加正義感の下 花も嵐も教室も飛ぶ   歌集『偏想曲』