こすもす
こすもす
 
 
小学4年から中学2年までの5年間は、自他ともに許す昆虫少年だった。明確に期間を特定できるのは、始めと終りがともに印象深かったためだろう。

小学4年の夏休みの宿題としての昆虫採集で病み付きになり、それ以来季節を問わず採集を続け、中学2年の夏休みに標本(1,500種を超えていたと思う)すべてを提出し、何がしかの賞など頂いて、生物室に飾られていたのが、その冬の原因不明の火事で校舎もろとも灰になったところで、憑き物が落ちたように採集への情熱は冷めてしまった。 

田舎の子供のことだし、専門分野などなく、甲虫、蜂、蟻、蜻蛉、飛蝗、はてはごきぶりから蚤までの何でも屋だったが、標本製作が難しく、それだけにうまくいけばたまらなく美しい、蝶や蛾の鱗翅目には一目おいていた。

その当時買ってもらったばかりの顕微鏡で、この蝶の鱗粉を覗いた時「あれ、これはどこかで見たことあるぞ」と思い、しばらくたって気付いたのがコスモスの花弁だった。 

小倉で暮らしていた頃、紫川の河畔にコスモスの花が群れ咲いているのを見て、秋はやっぱりこの花に限ると感じ入り、部屋にあった白い陶器のリキュールの空き瓶に投げ入れて、これが最高だと悦にいってたこともある。

色は、白、ピンク、それ以外は認めぬ、などと勝手に決め付けたりもしてた。 

蝶!・・・茎もなく飛ぶ花 

と、ネルヴァルは形容したが、コスモスこそは細い糸のような茎で地面に繋ぎ止められた蝶を思わせる。

そのくらいにあの頃のコスモスといえば、頼り無げに風に揺れ揺られしていた。 

秋桜という和名はあまり好きになれない。

近隣種のハルシャギク(波耳西菊、波撕菊)の名から、コスモスはペルシア、あるいは地中海あたりの産と思い込んでいたため、実はメキシコ原産で明治中期に渡来したと聞いたときには肩すかしを食わされたような気がした。 

Cosmosの名についても同様に誤解があった。

英語のcosmos(宇宙、調和)の意味そのものと早とちりしていたのだが、これもギリシャ語のcosmos(飾り)の意味から命名されたことを知った時は愕然とした。

どうも僕にとって、この花には若年時のひとりよがりな恋情にも似たドジさばかりが付き纏う。

花言葉の「乙女の純情」といのも、今となっては恥ずかしさが先に立つし、心なしか昨今のコスモスの茎は、僕が偏愛していた頃よりふた回りほどもたくましくなり、少々の風にはびくともしなくなったような気がするのは、僕のひが目なのだろうか。 

コスモスの耳朶噛めば秋の涯  

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