でいじー
daisy

日の目を見るという言葉がある。つまるところ「日の目」とは日光のことだ。
 

“日の目=day's eye”が訛ってdaisyになったというが、こちらはあの円い花冠を瞳に見立てたのだろう。

欧州原産で日本には明治になってから移植されたらしく、文明開化の落胤の一つだが、あまり西洋臭さを感じさせない。

地味でつつましい平凡さの故に、それほどもてはやされなかったかわりに、花壇の縁飾りや脇役として普及している。

和名「雛菊」は「可愛い菊」「小型の菊」の謂だが、平凡な命名であることは否めない。春先から次々と長期にわたって花を咲かせることから「延命菊」の別名もあるそうだが、意外と暑さに弱いため一般には秋蒔きの一年草として栽培されている。

僕は習慣でデイジーと書いているが、普通は「デージー」と綴られる。どうも日本語での外来語表記は難しい。

しつこく発音に近づこうとすれば、「デイズィー」とでもなるのかもしれないが、こうれではもう日本人の共通認識から遠ざかってしまう。 
 

西洋でももちろんこの花は、地味で平凡な花の代表みたいなもので、それでも結構親しまれ、可愛がられているようだ。

ワーズワースはこの花を主題にした詩を1年に3篇も書いたりしている。

野球で、地面すれすれに飛んでいくライナーをdaisy cutterと呼ぶそうだ。そのくらい、どこにでもある草花として認知されている証拠だろう。 
 

薔薇や蘭や百合のような華麗さは望むべくもないが、一応園芸品種だという点で、レンゲやタンポポよりは少しだけ高級ということになる。

庶民の家庭の器量よしの娘みたいなところがあって、そのためか、一時期、少女漫画の登場人物の名前によく使われていた。

オルコットの「若草物語」でも、一番上の姉メグが金持ちの友人の家のパーティに無理して出かけたとき、周りの人々が彼女に付けた愛称がやはりデイジーだった。

勘繰れば、メグの家の貧しさを皮肉ったとも受け取れる。 
 

小学校の花壇を始め、あちこちでみかけるたびに、子供心にもデイジーなんて貧乏臭い花だと思ってた。

もっとも当時は花より団子ならぬ、虫好きだったから、特に花への関心が強かったわけではない。

それが、突然この花もなかなか捨てがたいと思ったのは、図書館でウィリアム・モリスの壁紙のデザインに出会ってからだ。

彼の壁紙は現在でも愛好家が多く実際に使い続けられているくらいだから、衆知のことかもしれないが、大部分が装飾化された植物文様で、唐草模様を思わせる曲線の連続と緻密にして大胆な意匠は瞬時に僕の心を捉えてしまった。

瑠璃はこべ、チューリップ、石榴、葡萄などどれも素晴らしかったが、就中、デイジーを素材にした作品に脱帽した。

この花の形態の妙を見事に定着させ切った壁紙を知って以来、僕は実物の花を見るときにモリスのデザインを当てはめようとしている自分に気づき、苦笑することがままあった。

今、改めて見直すとモリスのデイジーは押し花標本のようにも見える。

ロゼット状の葉と花を真上から投影し、それに糸のような細い茎を真横から見たように配置している。

遠近法以前の絵画様式にも似たこの構図に、僕の中の原始人が懐かしさを感じた のかもしれない。

現し繪の色奪ひけり壁の花  

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