越境捜査(仮題)

 読みました。笹本稜平著の『越境捜査』(双葉社)。
 前回の『鹿鳴館』で「原作を『後の楽しみ』に取っておいた方が」云々と言いつつ、またやってしまいました(汗)。1月中旬から撮影に入り、既にクランク・アップされたとのことですが、いやはや今から待ち遠しいです。何が楽しみって、あの村川透監督がメガホンを取り、尚かつ舞台が「横浜」だってことですよ。イヒヒヒヒ。恭兵さんのアドリブに期待大です。

鹿鳴館 2008.01.05.放送

 今回は珍しく、僕個人のモヤモヤを洗いざらいぶちまけているので、この先――『鹿鳴館』の感想――を読まれる方はご注意下さい。特に、《この先を読んだらモヤモヤしそう》《モヤモヤするかも》という方はご遠慮下さい。一切の責任を負いかねます(苦情も受付できません)。
 それでも、読んでみようかな? と思われる奇特な方は相当覚悟の上、以下の文面をお読み下さい。
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 三島由紀夫の『鹿鳴館』を知っているだけに「勿体ないなぁ」と思いました。
 いっそ、原作を知らない方が楽しめたかも。
 正直なところ、恭兵さんが清原永之輔役をされると知った時から期待していただけに残念でした。
 やっぱり、商業主義だからか?
 う゛ーーーーーん。
 どうして、あんなに変えちゃったんだろう?
 僕としては、原作の世界観をより豊かにするテレビ版の良さに期待をかけていたわけですよ。「原作プラスα」っていうのかな。例えば、シーンやカットを使って、舞台では不可能な多角的な描写をするという。
 それを、ああも微妙に変えられるとなぁ。
 それなら、いっそ、
「何も変えずにそのまんまの方がよかったんじゃないか」
 とか、
「やるならやるで『ハゲタカ』ぐらいガラッと、それも徹底的に変えちゃった方が面白かったんじゃないか」
 と思うわけですよ。理由は色々ありますが、やはり原作で仕掛けられた小技の一つひとつが効いていないのがイタイ。
 鹿鳴館を飾った黄色の花(=黄菊)や花火の効果もほとんどなくなっていたし、飛田が飛田である理由もサッパリだったしなぁ…。
 もちろん、メインとなる日時が天長節(天皇誕生日)だったので、黄菊は出てくるだけで意味はあったのだろうと思いはするのですが…。これなら、いっそ原作を知った上でドラマを観るよりも、余計な知識を仕入れず、まっさらな状態でドラマを楽しみ、その後で原作を読んだ方が良かったかも…とがっかり。
 どうして、あんな大事な場面をカットしちゃったのかなぁ。
 著者である三島由紀夫氏も、「『鹿鳴館』は、筋立は全くのメロドラマ、セリフは全くの知的な様式化、という点に狙いがあるので、特にセリフにすべてがかかっている以上、セリフの緊張がゆるめば、通俗的なメロドラマしか残らない」とし、ノー・カット上演を強固主張してきたと仰っているわけです。無駄なセリフ(「なあなあ」的なグルーミング会話)は一つとしてないわけでして。僕としては、まことに残念至極。
 もし、これからドラマをご覧になる方は、是非とも原作を「後の楽しみ」に取っておくことをお勧め致します。既にご存知の方は(原作とドラマを「別物」として楽しむ、という意味で)、ドラマをご覧になる間だけでも記憶をリセットされるのがよいと思います(あくまで、個人的な意見ですが)。
 とはいえ、僕も『鹿鳴館』に関しては初心者中の初心者。三島文学そのものに触れるのも、大学時代に読んだ『金閣寺』や『葉隠入門』以来。つまり、そうそう偉そうに言える立場ではないわけです(とほほ)。それでも、原作を一目見ただけで、影山や朝子、清原、久雄という4人の男女(それ以外の人物も見事に立っていましたが)の胸の内が錯綜としている様に驚き、作者である三島氏の鋭さに感嘆し、また、清原永之輔という男の潔さ、人物像に魅せられたのです。ところが、今回のドラマではその人物像が見事に歪められた感があり、それが僕には残念だったのです。
 例えば、恭兵さん扮する清原永之輔という男。
 原作では、ポッと出てきてオイシイ所だけガッと――それも格好良く――かっさらっていくいいとこ取りの人物。
 このドラマのキーマンであり、それこそ影山伯爵なんか骨の髄までがっつりいっちゃうくらいいい役所なんです。それが、ドラマでほとんど生かされなかったのがとにもかくにも1番残念でした。原作を読んで頂ければ分かるかとは思いますが、第2幕(ドラマでは中盤にあるはずだった)朝子とのやりとりをはじめ、清原が言うべき重要な台詞の大部分をカットしたせいだと思います。それでも、恭兵さんが持つ力一杯の演技、精一杯の真心で、清原が持つ温かさや厳しさ、痛みといった情感はストレートに伝わってきました。中でも、馬車の中で久雄の亡骸を抱くシーンは、ぐっと胸に迫るものがありました。
 しかし!
 本当の清原はもっともっと小気味よく、頭も良く、ユーモラスで愛情深〜い人間なんです。朝子とのやりとり(鹿鳴館には行かないと約束するシーン)は、言うに及ばず。ラスト付近で清原が朝子や影山に対する台詞は、僕がドラマ化にあたって最も期待していたものです。
 次に挙げるのは、朝子に対する台詞。
「……久雄は私の胸に抱かれて息を引き取った。その表情を見たときに、朝子さん、私は直感したんだ。すべてを了解したんだ、わかりますか。久雄は私を殺そうとしたのじゃない。久雄は私に殺されたかったんだ。それがあいつの復讐だったんだ。(中略)あんなに近い距離で、私を狙った弾丸(たま)が、あんな風に外(そ)れるものではない。わかりますか。あいつは私を狙う弾丸をそらして、私に殺されたかったんだ。あいつの憎んでいた父親に。あいつの愛にとうとう報いなかった不甲斐ない父親に。……私にはわかったのだ。あいつはこの私から何一つ父親らしいものを得られなかったから、最後に父親のピストルの弾丸を望んだのだ。そして私に生涯つづく後悔を与えようと企んだのだ。私があいつのことを朝も夕べも忘れられなくなるように仕組んだのだ。」
 この台詞を口にする時の、恭兵さんの演技が見たかった!
 更に、「勿体ないなぁ」「残念だなぁ」と思ったのは、清原と朝子の「信頼感」がドラマでほとんどクローズアップされなかったこと。
 ドラマでは、やたら妻・朝子の心中に清原が住み続けていることに嫉妬している影山の姿が強調されていましたが(僕の目にはそう映りました)、実はそうじゃないんです。
 確かに、影山は清原に嫉妬していました。しかしそれは朝子が抱く清原に対する愛に嫉妬したのではなく、2人の間にある信頼(長い間、離れていても揺らぐことのなかったもの)に対してだったのです。何故なら、その「信頼」は自分と朝子の間には決して生まれることになかったものだからです。そして、影山は(したたかな男ですから)、政治的に「わが子の手で殺されたという取り返しのつかない汚辱」を清原に与えたいと企んだのです。ドラマでは、朝子・清原の関係は見事に瓦解した感じに受け取れましたが、原作では2人の信頼を壊すことは叶いませんでした(それが、またラストの面白さに繋がっていくわけです)。
 ラストといえば、清原が影山に向かって言う台詞で僕が楽しみにしていたものがあります。
「影山君、君は政敵を見事に殺した。想像以上に見事に殺したね。もう私はおしまいだ。私の理想も、私の夢見ていた政治もおしまいだよ。誰か親切な人がいて、私を殺してくれない限り、私はべんべんと生きるだろうが、事実は生きているとは云えないだろう。私はもうピストルの弾丸(たま)以上のもので殺された人間だからね。もう決して君の邪魔はすまい。(中略)私は約束だけは守る人間だ。さようなら。もうお目にかかることはないだろう。」
 うーーーーーん、是非とも言って欲しかったですね。
 恭兵さんなら、清原の潔さを損なわず、尚かつ恭兵さんの演技でちょっぴりユーモラスで小気味よい温かな清原像を拝見できたのではないかと思います。
 清原永之輔。本ッ当に「いい男」ですよ(笑)。
 そういうわけで、今回のドラマで満足! という方も、これを機に恭兵さんをイメージしながら原作を読んでみて下さい。今回は、僕にとって、そして色んな意味で三島文学の偉大さを感じた作品でもあったので、新たな感動が生まれること請け合いです。

(参考:三島由紀夫『鹿鳴館』新潮文庫)









 追記(さらにモヤッとな文面/反転してお読み下さい)

 実を言うと、引っかかったのは清原だけじゃないんですよ。
 例えば、あの飛田天骨って男。
 冒頭付近でも「飛田が飛田である理由もサッパリだった」と書きましたが、この飛田は単に血が見るのが好きなだけではなく、
「決して、怨みつらみで人を殺さない(つまり、主人の命令に従って殺す)」
 という隠れ設定(全然、隠しちゃいませんが・苦笑)があるわけです。もちろん、三島文学ですからその設定にもちゃーんと理由があり(興味のある方は原作を是非)、加えてテレビ版ということもあって素晴らしい相乗効果が出ることを期待していたんです。
 加えて、その場面で見せる恭兵さんの演技に!
 なのに、何故そこに飛田が出ない!? 何故、清原が言わねばならない台詞を、どうして朝子が代弁するんだ!?
 どうして、朝子が持つべき情緒を影山が口にするんだ!!
 何故!?
 役者はベテランの田村氏なのだから、自分の気持ちをくどくどと影山に説明させなくても万事OKだったはず。
 う゛ーーーーーん。
 という具合に、今回は痛々しげなツッコミ満載。
 やっぱり、商業主義だからか?
 因みに、僕がドラマ中で1番「それはないやろー!」と思ったのは、清原の口から「久雄は朝子の子だ」と影山にバラした時。
 しかも、あんなにアッサリ!
 そして、躊躇いもなくスッパリと!!
《え? いいんか、それで?》
《いや、あかんのちゃうん?》
《いや、あかんやろ!》
 と心の中で激しいツッコミ。
 僕が朝子だったら怒りますよ。十中八九、ハリセンですよ。
 原作では、久雄の中に朝子の面影を見つけた影山が草乃に問いつめ真相を聞き出すという設定。僕だったら、おそらく「久雄の中に、朝子だけでなく微かに清原の面影をも見た気がして草乃に問いつめる」とするところ。でも、それだと若干女々しくなる感がありますから。さすがに潔いというか、サッパリして男らしいなぁと思いましたが。
 う゛ーーーーーん。それにしてもなぁ…。



 以上、ヤナカのボヤキでした。