うちのチビちゃん物語 Vol.1/鴇野ひな

「やあ、チビちゃんおはよう」
 平休日に関わらず、私の朝というのは、まず、このあいさつから始まる。
 チビというのは、今年7歳になる雑種犬のことだが、我が家でこの犬に逆らえる者はまずいない。なぜなら、この「チビちゃん」こそ、我が家の女王様だからである。
 ところで、冒頭の「おはよう」に対するチビちゃんの対応は、日によって明らかに違う。
 学校に行く日には、まず「ビュンビュン体操」と呼ばれる伸びをし、しっぽをぶんぶん振る。それから足下にやってきてちょこんと座り、あくびのように大きな口を開けたかと思うと、思いもよらない不思議な声で、
「アーヨウ」
 と応えてくれるのである。
 しかし、休日ともなると、その態度はコロリと一転する。「ビュンビュン体操」もなければ、「アーヨウ」もない。
 それどころか、自分のベッドに丸く横たわったまま、顔を上げようともしないのである。
「チビちゃん、あいさつぐらいしてくれたっていいじゃない」
「……(無視)」
「ちょっと、聞いてんの?」
 もちろん、聞いてはいない。相変わらず、しっぽを冷たい鼻にくっつけて、呑気に寝返りをうっている。こうなれば、なんとしてでも「アーヨウ」を言わせなければならない。
 あいさつは人と人(ここでは人と犬)とのコミュニケーションの基本である。神様だろうが女王様だろうが、あいさつぬきでは始まらない。
「こら、チビちゃん。無視するんじゃないの。『アーヨウ』は?」
 すると、今度は顔をこちらに向け、まるで当てつけのように、「フー」と大きなため息をついてみせるのである。
「あのね、チビちゃん。これ見よがしにため息なんかつくんじゃないの。こら、無視するなって!」
 しかし、彼女はやはり強者だった。なんといっても、我が家の「女王様」である。彼女は「うるさいわねぇ」という目で私に一瞥をくれると、プイ、とそっぽを向いてしまった。
「あーあ、チビに無視されたら終わりやね」
 その一部始終を見ていた母が、くすくす笑った。
「もう、お母さん。笑ってないで、なんとか言ってよ」
「じゃ、チビちゃん。お母さんに『アーヨウ』は?」
 すると、彼女はベッドから抜けだし、気持ちよさそうにひとつ伸びをすると、一言「アーヨウ」と応えたのである。
「ちょっと、チビちゃん。私には?」
 だが、チビは私にあいさつする気など、まったくないらしい。クルリと向きを変えるや、さっさとベッドに戻ってしまった。なんとも小生意気な犬である。いや、お高くとまっていると言った方がいいのかもしれない。
 今度は、父が起きてきた。父はだれにともなく「おはよう」とあいさつした。
 すると、どうだろう。チビは再びベッドから起き出して握手を求め、例の「アーヨウ」を元気いっぱいに発声したのである。
「なんか私に恨みでもあるんか? ん?」
 今までとは打って変わった冷たい目で、チロリとチビちゃんの顔を見やる。彼女は私が、かなり気分を害していると悟ったらしく、今度はつぶらな愛らしい瞳で、私を見つめ始めたのである。
「だめだめ」
 私は厳しく言い放った。
「今さらゴメンナサイしたって、許してやんないんだから」
 すると、チビは困ったように私を見つめ、できうる限りの方法で、ご機嫌取りを始めたのである。お手をしたり、臥せてみたり、膝の上に乗ってきたり。……
 チビちゃんは、やはり我が家の女王様だった。その愛らしさを見せつけられると、ついつい顔がほころんでしまう。そうして、私はいつものことながら、ある1つの結論に達するのであった。 

「しょうがない。これで許してやるか……」