1999年5月3日(月)発行 第4号 東京中華スポーツ 2

 ここからしばらく私事を語ることになり申し訳ないが,実は筆者もスージーカン(以下,カンスージーと表記する)のファンであった。1991年秋,筆者が韓国に3カ月の語学留学に旅立ち,右も左もわからない韓国で友人に勧められるままに韓国の中央大学の学園祭を見学したのだが,そのステージで見たのがカンスージーであり,それは演歌歌手でない韓国歌手とのはじめての出会いであった。そのか細い声と清楚な容姿に惹かれた筆者は翌日にはテープを買い込み,擦り切れるほどに繰り返しテープを聞いたものであった。カンスージーは筆者の韓国語学留学の大切な思い出である。

 筆者にとっては大事な思いでのカンスージーだが,しかしその実像は魔性の女なのである。以下は全て実話であるが,カンスージーはデビュー前,父親の事業の関係でアメリカに在住していた。その当時在米韓国人の恋人がいたのだが,韓国デビューのために関係を終わらせて帰国した。その在米韓国人恋人はカンスージーを追って韓国に移住し,私と同じ延世大学の韓国語学堂に通っていたのである。しかしそのときすでにカンスージーはある男性歌手と恋仲になっていたという。行き場を失ったその彼は語学堂の放課後,毎日のように校舎の前にたたずみけだるい表情を浮かべて座りタバコをしていたものであった。それはまるで誰かに生気を吸い取られたような姿であった。カンスージーはその後も,その清らかな表情とは裏腹に何人かの男性歌手との仲が取り沙汰され,その魔性ぶりを裏付けていた。

 鈴木監督がそんなカンスージーを好きなタイプだと言っているのである。この絶好のチャンスを利用しない手はないだろう。早速筆者所蔵のコレクションから選んでテープをプレゼントすることにした。そうすれば仙帝傀儡は生気を抜かれた鈴木監督とともに沈んでいく運命をたどることは間違いない。(写真は筆者のカンスージーコレクション。韓国でのカンスージー第2集〜第6集と,日本でのデビュー作)


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