紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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五平vs梅子・捨松、デュシャンと連続写真、渡辺暁の棋譜。

03/12/31 
 年末に神田の古本屋街に行っても、多くの店は閉まっているのだが、他に行ける日が無い。アカシヤ書店はこの時期でも営業してくれてるから、まあ良いのである。さっそくチェスの棚を見ると、ラスカーのDover版"Manual"が五千円級の高値。回れ右をして、小野五平や大矢東吉の棋譜集を見ると七千円。ダブルパンチを食らって、よろよろっと詰将棋の棚に移ると、あれ?、たしか六万円していた『将棋浪漫集』が売れたようだ。「遅かったか、俺が買うつもりだったのに」という気持ちになる。これで心が少し豊かになったので、落ち着いて見直すと、中国の簡体字が目に付いた。1993年に上海で刊行された『象棋名局賞析辞典(第二輯)』。悪手のことを「劣着」とか書いてあって、なんか自分が叱られた気分になった。棋譜は読めそうだから、これを購入。
 最後にもう一回チェスの棚を漁り、Cozensの"The King-Hunt"を買った。千四百円。1970年初版で1996年にNunnが増補しBatsfordから出たもの。白王がa7まで行って討ち取られたり、黒王がg1まで追われてメイトされたり、そんな猛攻撃ばかり55局を集めた本。160ページというあっさりした編集も良い。選局も、有名局をたくさん押さえてあって気に入った。気分良く棋譜を並べたい人におすすめ。
 では良いお年を。ちょっとした事件があったら書きますが、正月三が日は休筆します。
03/12/30 
 26日に述べた第3条、金を賭けたハンデ戦の盛んな時代だったら重要なルールかも、と思った。他にも、駒落ちに関する"並べ損ない"の、妙にこだわった規定があるのだ。何の根拠も無い、ただの勘であるが。
 畏友と遊ぶ。池袋サンシャインの古代オリエント博物館で待ち合わせ。しぶい。ゲームに関する展示をやっていて、古代エジプトのこの絵に我々は、サイコロを使った原始チェスを感じたわけだ(前1300年頃)。が、盤の復元を見ると3x10の升目、駒は絵のとおり二種だけで色は同じのが五つづつ計10個。展示の説明にもあったが、これはバックギャモンの祖形と見るべきだろう(セネト)。駒の形はチェスっぽかったんだけどね。畏友「あの駒は何の形をもとにしたんだろう」、私「塩とかコショウを振るやつでしょう」。新宿へ移動して新南口の紀伊国屋を視察。洋書の棚へ。結構、チェスの本が売れてる感じだ。二人であーだこーだ言ってるうちにも、横から一冊、無言でひっ掴んでいった人がいた。万引きではないと思う。
 畏友「近くになかなかうまいスリランカ・カレーがある」ということで夕食。たしかに美味い。さらに喫茶店で一局。これはポカでケリがついた。
03/12/28 
 今年の仕事も一段落ついた(ということにした)。今月はChessTodyをほとんど読んでないのだが、ようやくその余裕もできた(同僚が本欄を読んでないことを願う)。ろくな大会が無かったぶん、面白い紙面づくりに力を注いで、高いレベルを維持している。27日は通信チェスの未来について。無論、論点はコンピュータの影響である。私たちのレベルで言えば、レーティングをかけた通信戦がFritz対Fritzの対局になるのは、もう避けられないだろう。問題は世界選手権レベルだが、第五代王座のBerlinerみたいな人でさえ、郵便チェスの終焉を感じてるようだ。個人的な意見としては、今後の通信戦は、フィッシャランダムや、変形盤、フェアリー駒なんかを使用して、コンピュータの関与が少しでも減るような方向に発展したら、それはそれで面白いのに、と思う。保守派の楽園が昔ながらの権威で存続できないのは確実なんだから。
 26日の記事がさらに面白かった。タルの最初の奥さんのインタヴューである。「私がいたからあの人はチャンピオンになったの。私なしではだめ。事実そうだったでしょ」。別の奥さんだったらもっと防衛できたかもよ、と思わせる発言だが、ちゃんと読んで後日ご紹介したい。タルの人柄とか、意外なエピソードがあった。
03/12/27 
 今日から二週ほど、更新や問い合わせへの返信が滞るかもしれません。
 カスパロフの新刊、"My Great Predecessors"の第二巻、届きました。エイヴェ、ボトビニク、スミスロフ、タルまでを論じてます。エイヴェには悪いけど、ボトビニクから読むことに。ざっと眺めると、ケレスやブロンシュタインが詳しく扱われてる。二人とも私は好きなのでうれしい。特に、ボトビニクとケレスの対局が七局も解説されてる。ボトビニク擁護の立場で書かれてることが予想されるけど、御存知のとおり、なかなかヤバイ話題に踏み込んでくれてるのでは。無論、ボトビニク本人に関する記述も充実していて、カパブランカ戦、フィッシャー戦等の代表局はもちろん、彼のフレンチ、ダッチ、スラブ、カロカン等、諸定跡や新戦術への貢献も取り上げている。あらためて言うまでも無いですが、間違いなく大変な名著でしょう。
03/12/26 
 『HAL伝説』は、2001年現在でコンピュータがどこまであの映画のHALに近づいたかを論じた大部の本である。私は立ち読みだったが、hudaさんは買ったようだ。内容をよく覚えておいでで、私も思い出した、そう、あの局面、HALは解説を誤っている。すでに"彼の狂気"は始まっていたのである。
 いまごろ私はスタントンの"Handbook"を買った。初版は1847年、ルールの説明が妙に念入りで、いかにも国際統一ルールの確立期という感じだ。たとえば全26ヶ条ある第3条は、「駒を並べ忘れてゲームを始めた場合、4手目を指す前なら直してもいいが、その後はいけない」。この条文が適応される場面の想像がつかない。
 「あれ、おまえ、キングが足りないじゃん」
 「いっけねえ。ごめん、いま付け足すわ」
 「ん、いま何手まで指した?」
 「知るかよ」
 これだけ綿密なわりに、棋譜を採る規定がまだ無いのである。ほか、駒の評価もこまかくて、ポーンは1.00、ナイトは3.05、ビショップは3.50、ルックは5.48、クィーンは9.94である。当時は国家機密に相当する数値だったかもしれない。終盤になるにつれ、Qの価値はR+R+PからR+R弱程度へと下がる、とも書いている。この古典、いろいろ紹介したいが、それどころでは無さそうだ。明日ようやく「あれ」が届きそうなのである。追記 駒の並べ方のトラブルに関しては06/12/25を参照。
03/12/25 
 朝霞チェスクラブのページに「GalleryAsaka」というコーナーがあって、映画小説CM等にチェスが扱われたらとにかく紹介してくれる。さすが、名門クラブの面々がネタをかき集めただけのことはある。「2001年宇宙の旅」が無いのは有名すぎるからだろうか(『HAL伝説』という面白い本があったが、あれによると、あの局面は無名プレーヤーがほんとに指したものらしい)。それでも、「ショーシャンクの空に」まで無いのはあまりに残念なので投稿してみた。採用してくださるらしい、嬉しい。
 なんでこんな話をするかというと、このコーナーに『Xの悲劇』を見つけたからだ。私自身こないだ『Yの悲劇』に触れてるだけに「しまったあ」と思った。『X』も『Y』も、20年近い昔の読書である。チェスが出てたなんて記憶に無い。
 畏友はTelegraphChessのページでクリスマス恒例になってるクイズに取り組んでる。難しすぎて私はハナっからあきらめてるが、自信のある方はどうぞ。畏友によれば今年はやや簡単らしい。「戎棋夷説」を読み直せば答えが見つかる問題も複数ありますよ。
03/12/24 
 畏友領内のデュシャン地区を侵犯したら、やっぱり私は彼の対空砲火を浴びた。松浦寿輝がマレーの連続写真を論じていてデュシャンにも触れている、と教わった。さすがの松浦寿輝もマイブリッジには言及してないようだが、畏友は、着衣の女性が階段を降りる連続写真を見つけてくれた。マイブリッジもゴヤみたいなことをする。松浦寿輝にはポール・モーフィーを扱ったエッセイもあり、いつかお話したい。
 もうひとつ畏友の面白い話。彼はギネスを好む酒飲みなのだが(耳から吹き出るまで呑む)、ロンドンに行って「Murphy's」という黒ビールを知り、これが気に入ったらしい。問題はビンのラベルである。モーフィー家の紋章と同じなんだそうだ。畏友「どうりで美味かったわけだ」。ウィンターの本によれば、1753年、モーフィーの曾祖父がアイルランドからマドリードに移ったときに、"マーフィー"を"モーフィー"へとカスティリャ語風に改めた、とのことである。
03/12/23 
 スペインのパンプローナで小さいけど悪くないメンバーの大会が開かれている。ナカムラが居るのも注目だが、どうも強豪の中で苦労しているようだ。敗局をChessTodayが紹介したが、彼のことを「very agressive chess player」と評価してくれてる。
 スキャナーを買ったばかりの畏友は使ってみたくて仕方ない。で、エドワード・ウィンターの本からカパブランカの奥さんと、ハバナにあるカパのの写真を送ってくれた。こんな綺麗な女性に愛されて、そのうえ目移りできるんだから、恐るべしカパの眼力。お墓については、畏友「写真全体が、まるでチェスのようには見えませんか?」、たしかに、小津が撮ったらこんな感じだろう。
03/12/22 紹介棋譜参照
 トーレ記念大会。スイス式部門は9Rで終了。一位はミロフで7.5点。順当な結果。渡辺暁は3勝1敗5分の5.5点で、棄権等を除く53人のうち14位。5.5点は七人いたのでタイブレーク計算による順位ですが、12位だったら来年の上のグループへの出場資格も取れたみたい。でもこれは健闘です。8Rの勝局を紹介棋譜に。
03/12/21 紹介棋譜参照
 こっそり期待していたのが、いまメキシコで進行中のトーレ記念大会。ゲルファンドとドレーエフがずば抜けた優勝候補。二人の直接対決ぐらいしか年末は楽しみが無いだろう、と思ってました。が、もう二人とも消えてるんです。ドレーエフにいたっては一回戦で敗退。あららー。
 ところが、昨夜、皇帝陛下の掲示板でKeres65さんが「我らが渡辺FMを応援しようじゃありませんか!」、渡辺暁が参加してたんです。そっかー、気付くべきでした。教えていただいたサイトの棋譜集ではスイス式の方で、6Rまで2勝1敗3分。勝局を紹介棋譜に。
03/12/20 
 マルセル・デュシャンはチェスが強かったということはあまりに有名。で、今日は彼の話。実はデュシャンも畏友の十八番なのだが、ここはあえて領空侵犯をしてみる。無事、還れるか?
 リュミエール兄弟はもちろん映画史をエジソンよりさらにさかのぼってたどろう、という興味深い編集をした、私のお気に入りディスクが"Landmarks of Early Film"。輸入盤です。その冒頭が19世紀の連続写真なのですが、中にデュシャンの「階段を降りる裸体、No.1」と構図が酷似しているのがある。縦長の構図で、急な階段を裸婦が降りてゆくんです。曲がる方向も一緒。美しいです。デュシャン自身は「マレーの連続写真に影響を受けた」と言ってるようですが、私の見たのはマレーのでは無さそうです。マイブリッジではないでしょうか。疾走中の馬の足で有名ですね。
 無論、私が第一発見者である、なんて言うつもりはありません。これを指摘してる邦語文献があったら教えてください。追記具体例は挙げてないながら、マイブリッジの影響をデュシャン本人が認めています。
03/12/19 
 よく私のページの不具合やコメントに関して問い合わせてくださる読者Mさんに、面白そうな本を教わった。Anatoly Matsukevitchという人が2002年に出した、"Encyclopedia of Errors in Chess Openings"。「13手以下で終わったゲームをA0からE9の順に4000局ならべた本です」とのこと。「いろいろなplayerのカリカチュアがのっていて楽しめます」というのも興味を引く。アマゾンでは見つからなかった。Mさんはconvektaなる所から買われたようだ。畏友にせよ彼にせよ、アンテナを多く持ってる人は買う本も違う。送料か手数料か、余分に掛かったものの、今ならクリスマスなのでそこはサービスしてくれるかも、とも付け加えてくれた。
03/12/18 
 長らく私は本欄でスクリプチェンコを採り上げたい、と思ってました。棋風が好きというわけではないんですが、ガバッと胸の開いた服をよく着てくれるもので、、、。ChessBaseのページで彼女の活躍が報告されてました。ドイツ・チェス・ブンデスリーガ男子チームの一員に加わっているのです!ちょうど、イタリア・サッカー・セリエAに女子選手が入団、というニュースと並んでしまったので、華々しさがやや薄れたのが残念。でも、おそらく話題先行のサッカーと異なり、スクリプチェンコの場合は戦力として評価されてる、と考えて良いのでしょう。今年が初参加と思えるような記事でしたが、念のため調べると、昨年にアダムズなんかと二局だけ指していて2分の成績を残してますね。
03/12/16 
 若島正のページを見る。彼もカスパロフのあの本、第一巻を買ったようだ。「噂に違わず凄い本だ。これが興奮せずにいられようか」。思うことは彼も畏友も私も同じで、"将棋でもこんな本があったらなあ"。書いてほしいのはあの人、という思いまで一致していた。私は大橋宗英とか好きなのだが、羽生なら彼をどう見るか、知りたいではないか。
 月に一度のアマゾン・チェック。お、私のEmms本が4位に上がってきた。
 一位。John Watson、Secrets of Modern Chess Strategy(Gambit、1999)。渡辺暁の推薦付き。例によって詳細なkohiyamaさんの評もお見事。この本、理屈に合わせて棋譜を読む、いかにも中堅専門家という感じで、私は楽しくない。でも著者の考え方が、読めばそのまま私の大局観の材料になってゆくのも確かだ。現代チェスに興味のある人なら、好き嫌いを超えて読んでおくべき一冊である。
 二位。M.Botvinnik、One Hundred Selected Games (Dover、1981)。彼の自戦記が二位に入るとは嬉しいではないか。原著は1949年。引退後に書かれた"Half a Century of Chess "の方が私は好きだが、こっちは在庫が無いようである。しかし、歴史に果たした役割が大きい名著はこの「100 Games」だろう。読んで損は無い。
 三位。Jacob Aagaard、Starting Out: The Grunfeld Defence (Globe Pequot、2004)。この著者は知らない。ちなみに私が最近買ったGrunfeld本はコダルコフスキーの新刊である。中盤の解説に力を入れた実戦集という感じだ。
03/12/15 
 『笑う警官』、あっというまに読了。これは傑作だ。ただ、チェスは冒頭だけで後はまったく出てこない。やっぱ、チェスならチャンドラーですね。
 ミステリーついでに、チェスとは縁の無い話を。エラリー・クイーン『Yの悲劇』の結末について。あれって、こういうことですよね。ネタバレになるので、以下はここをクリック。
03/12/14 
 『オーシャン・パークの帝王』読了。五段階評価の「2」というところ。悪くない着想もあるのだが、小説としては欠陥が多すぎる。映画化も難しいと思うが、かなりの脚色が必要なのは確かだ。
 ちょうど、シューヴァル=ヴァールー夫妻の『笑う警官』も読み始めたところで、まだ70ページくらいだが、さすがこちらは面白い。人物は個性豊かに書き分けられ、本筋と脇道の整理も良く、作家は複数の文章構成を身につけている、等々、まあ、「2」の後だけに当然のマナーが有難い。冒頭にチェスがチラッと出てきた。主人公の対局相手が犯人かな、というのが私の文学的直観である。疑いすぎだろうか?
03/12/13 
 チェスと関係の無い、月に一度の無駄話、一年の締めくくりは、この一年で読んだ一番面白かった本ということにしよう。エドモンズとエーディナウの共著で『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 』(筑摩書房、二木麻里訳)。生涯にたった一度の出会い、そこに至るまでのそれぞれの人生を追い、二人の軌跡が交錯した際の事件の意味を論じている。 珍しく私から畏友に教えてあげられた本だ。一月の刊行、これ以後あんまり本を読んでない気もする。チェスの本ばかり漁るような生活になってしまったわけで、これは良くないと思う。
03/12/12 
 文学に現れる変形チェスで私が思い浮かぶのは村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』である。第8章「世界の終り(大佐)」などに主人公と大佐の対局が描かれている。「そのチェスは僕の知っているチェスとは駒の種類と動き方が少しずつ違っていた」。王、僧正、騎士、は存在するが、騎士の動きについては「斜行」という言葉が使われている。また、壁、猿、角(つの)という駒がある。好きな小説なのだが、ルールに関してはこれ以上のことはあまりわからない。
03/12/10 
 寺山修司が監督した映画「草迷宮」を初めて見た。泉鏡花の原作とはほぼ関係ない。彼の映画はコンセプトだけで実際の作りが雑なのを随分みたから期待してなかったのだけど、これは良かった。オーディションで選ばれた三上博史がまだ10代のデビュー作。幼く、そして、美しい。寺山は畏友がちょっとこだわっていて、「密通チェス」というのを教わった。これについてはOH!PALPALというページがくわしい。
03/12/09 
 チェスボクシングは日本のニュース番組でも紹介されたようだ。また、掲示板を使った対戦システムの開発を進めているhudaさんが、御自身のページで私の記事に寄せて日本チェッキーリーグの公式ホームページを教えてくださった。チェッキーとはチェスとホッケーを融合させた競技である。
03/12/08 
 畏友が近刊のミステリーでチェスが重要な鍵になる『オーシャン・パークの帝王』を教えてくれた(角川書店)。面白いかどうか、私を使って人体実験させる魂胆らしい。作者カーターはこれが初めての小説になるが、アメリカではいきなり50万部も出たという。映画化まで決まってしまった。期待も信用もされた新人なのだ。二巻もあって字も小さい。気楽な読書ではなかったが上巻を読み終えた。ひと月ほど掛かったろうか。
03/12/07 
 カスパロフのインタヴューをChessTodayが伝えている。「コンピューターとの戦いは始まったばかりなんだよ」。
 それよりもっと本当の始まりとも言うべきイベントがアムステルダムで有った。ChessBaseが五日付で伝えるところによれば、チェスボクシングの世界選手権が行われたのである。全11回戦、奇数ラウンドをチェス、偶数をボクシングで戦うのだ。Luis the Lawyer(30、オランダ)が得意のチェスで大きな駒得、一方、体力に勝るIepe the Joker (29、ドイツ)がボクシングでしのぐ、という展開。決着は最終ラウンドまでもつれ込む熱戦だった。あと少しでメイトできるところまできていたLuis the Lawyerだが、ダウンを二つも喫しており消耗が激しかったらしく、時間切れで負けてしまった。
 新しいチェスの時代の幕開けを目にして熱狂する800の大観衆は、これこそ人間対人間の真の勝負であることを確信したであろう。FIDEも次回の世界選手権にボクシングを取り入れるかどうか検討を迫られるはずだ。私見だが、ドローになった場合の有効な決着方法だと思う。イワンチュクの熱狂的な支持を期待できる反面、レコが涙の抗議に出るのも必至だ。棋士組合の対応が注目されるが、要は、ショートがどこまで英国人としての悪趣味を堅持できるかであろう。
03/12/06 
 初めて「まよぶり」を観戦。こんな時に限って見に来るような奴が混じると不快かもしれないが、やっぱり見ておきたい。盛況だった。決勝は三人の巴戦となり、優勝は"けいきんぐ"、二位が"カカシロフ"、三位が"皇帝陛下"。三人とも、名のある方ばかり、華のある閉幕だった。
03/12/05 
 月一回、Yahoo!Chessの中級者ラウンジを使って真夜中のブリッツ大会を開いていた「まよぶり」が、本日24時からの第28大会をもってしばらく休会するとのこと。私は一回も参加したことがないが、日本のチェスの歴史を語るうえで欠かせぬ興味深い企画であることは誰もが認めるところだろう。再々開を願いつつ、開設者atsushi_the_peaseさん、七回大会以降の再開者fishpieさん、backy_d6さんの名を、本欄に記録させていただく。
03/12/04 
 本欄もとうとう二ヶ月まったく休み無しに続きました。10/12の記事を補足します。ポノマリョフがアグレストに負けた一局。観戦当時は、早めに終わってしまったので「ポノは元気無いな」と思っていました。が、真相は彼の携帯が鳴ってしまって、それで反則負けになったのだとか。この反則規定が適応された初めての例だそうです。もともと敗勢だったのが救い。しかし、メールで指し手を助言することも出来るのですから、鳴ろうが鳴るまいが、携帯の持込自体を禁止すべきなんでしょうね。
03/12/03 
 日本橋の丸善で"Sleeping Beauty"という写真集を見たことがあります。着飾った子供が眠ってる、古い写真ばかり延々と続くのですが、妙に薄気味悪い。解説を読んで愕然としました。全部死体写真だったんです。せめて綺麗にしてあげて最後の記念写真を残す、西洋にはこんな風習があったらしい。親の悲しみにどっと襲われて、私はしばらく動けませんでした。
 以下、畏友に聞いた話。1946年、アリョーヒンがホテルで死んだとき、やはり写真を撮られてます。チェスに人生を磨り減らした感じが出てる一枚ですが、これも上記の子供たちのように演出されていて、ホテルの人が死体を部屋に運んでいろいろ配置してからシャッターを切ったのだとか。
03/12/02 
 Amazonに寄ってみると、Emmsの"Easy Guide to the Nimzo-Indian"が六位に上がってる。これはうれしい、応援するつもりで評を初めて投稿した。自分の言葉を頼りに金を払う人が居るかも、と思うと真剣になってしまう。パッとしない文章に一時間以上かけてしまった。しかし、採用されても公開されるまでに一週間もかかってしまうのだとか。
 一位はなんとDvoretskyらの"Opening Preparation"。彼らの本が欲しいから私も持ってるが、これは「最低でも日本チャンピオンにはなっておきたい」という人のための本である。「序盤を勉強してYahoo!のレイティングを1700に上げよう」と目論む日本人らしさはわかるが、この本が役にたつことは絶対に無い。Dvoretskyにはもっと面白い本がある。
03/12/01 
 「チェスワールド」の記事が正確だったら棋譜の再現ができたようにも思うが残念である。
 そんな無駄話をしている間、スペインのベニドルムで早指し大会があった。アナンドやポルガー、ラジャボフも参加。優勝はトパロフ。早指しというのが物足りないこともあるが、疲れがたまってきて、私に棋譜を調べる余裕が無かった。それでも本欄の連続更新が続くのが我ながら不思議である。
03/11/30 
 五平の対局。手の善悪は措いて、とにかく「5,6ムーヴス進んだところでルックをサクリファイス」という手順を考えてみよう。1.e4 c5は確定、2.b4 cxb4も正しいとする。以下、たとえば3.a3 bxa3, 4.Rxa3 b5, 5.c4 Ba6, 6.d4 e5 これで6手進んだ図の局面になる。さて、ここから五平がルックを捨てるなら7.cxb5だと思う。そこで梅子はルックを取って7...Bxa3、が、捨松は「ルックは取らずに、ポーンを取った」のだから、7...exd4だろう。対して五平は「ルックで捨松のビショップを取り、それを取ったナイトをポーンで取りました」、つまり8.Rxa6 Nxa6 9.bxa6だ。かくて捨松は少なくとも「ポーンをひとつ」得ることは出来た。この手順、捨松戦には符合するが、梅子戦の「ナイトとビショップを一つずつ取られてしまいました」を説明するのが難しい。何より5...Ba6が不自然だ。別の手順を見つけた人はご一報を。
03/11/29 
 棋士組合の名簿を見たらアナンドの名が加わっていた。現在126名。
 一昨日述べた他にも椎貝の記述には首をひねるところがあり、要するに信頼できない。それでも、書かれた対局進行は気になる。五平はシシリアンを見たのはこれが初めてだったようだが、かなり早い段階でルークを捨てている。そうなる手順を推理すると、私は彼がウィングギャンビットを敢行した気がしてならないのだ。当っているなら画期的。シシリアンに対する2.b4は17世紀のグレコに始まるが、19世紀にバードがたまに試した程度で、この手がマーシャルによって定跡として鍛えられるのは20世紀に入ってからなのである。
03/11/28 
 捨松はアメリカ留学中に東部カレッジ選手権で二位になったとか。梅子に勝った五平も捨松とは苦戦のドローだったように書かれている。いずれの対局も五平が白。梅子戦はシシリアンに始まり、「5,6ムーヴス(手数が)進んだところで(略)五平さんは、ルークをサクリファイスしてきました。私はチャンスと思いましたがそれは浅はかで、ナイトとビショップを一つずつ取られてしまいました」。捨松戦でも「まったく同じ局面から、五平さんはルークを捨てにきました」。が、捨松は「ルークは取らずに、ポーンを取ったのです」。これにハッとした五平は「ルークで捨松のビショップを取り、それを取ったナイトをポーンで取りました」。この結果、梅子戦よりも黒は「ポーンをひとつ余分に取った」と書かれている。
03/11/27 
 「近代将棋」で東公平がチェスの連載「チェスワールド」を長く続けている。畏友はこれをチェックしていて、面白い記事があると教えてくれる。古めの記事になってしまうが、9月号と10月号は小野五平の話だった。将棋第十二世名人は明治期のチェスを語る上で欠くことのできぬ人物なのである。文章は椎貝博美という人のだが、津田梅子が16歳頃の思い出を語るという形をとっている。舞台は伊藤博文の家。大山捨松も登場する。梅子は津田塾の創始者、捨松は元帥大山巌の賢夫人である。1880年、16歳の梅子はまだ留学中だから、記事に「帰国してすぐの話である」とあるあたり、また、捨松の結婚は1883年なのに、もう「大山夫人」として出てくるあたり、つじつまが合わない。でもとにかく、五平が梅子そして大山捨松と対局した、という興味深い話だ。追記後に椎貝博美さんから訂正のメールを頂きました。04/03/15参照。

戎棋夷説