紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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戎棋夷説

 14...fxe6 まで

15/07/05 12.Nbd2 まで
 いまゆっくりInformant で調べ直すと、Nc3型とNbd2型のどちらが良いか、はかなり難しい。2000年にシロフがオニシュク戦で12.Nbd2 に好手記号を付けている、とだけ述べておく。その頃から黒の方針は決まっていた。ビショップをc8 に引き、e6 に出すのである。交換が目的であるのは言うまでも無い。TI もそれを踏襲してきた。
 問題は、すぐ12...Bc8 に引くか、12...Nc6 の後に引くかだ。後者が昔からよく指されてきた。が、例によってTI は勝率の高い12...Bc8 を選ぶ。アナンドが流行らせた手だろうか。白が13.c3 Nc6 から14.d4 を狙うのに対して、14...c4 で白ビショップを封鎖するのが、当初の狙いだったようだ。良い作戦のように見えるが、実際はあまりうまくいかなかった。結局は従来の黒Be6 からのビショップ交換が最善のように思える。それなら2...Bc8 も12...Nc6 も大差無い。
 白はどう指すか。私は、交換が黒の最善だとしても、それは白が良い、と思っていた。その場合、黒Be6 白Bxe6 黒fxe6 だから、白Nf5 はもう無い。したがって、13.Nf1 からNg3 -f5 の構想は捨てた。だから、13.c3 に投票した。
 他のTJ メンバーはそうは考えなかった。理由はなんとなくわかる。後で述べることもあろう。なんと、実戦例の無い13.b4 が支持を集めた。とりあえずナイトにちょっかいを出したものの、先の見通しが無い。弱い中級者のにおいがする。
 vote chess で許してならないのは、こういう手ではない。むしろ、こういう手をつぶしにかかる上級者の正しい演説の方が迷惑だ。ある程度説得して、それでも悪手が多数派を占めるなら仕方ない。それがvote chess である。幸い本局は最後は13.c3 が選ばれた。TI は相変わらず、実戦例が多く勝率も高い手を選び、13...Be6 を指した。以下、もちろん、14.Bxe6 fxe6 である。

15/07/03 9...d6 まで
 黒Na5 に対し、ビショップの逃げ道を作っておかねばならない。一九六五年のModern Chess Openings 第十版は10.c3 を載せていた。10...Na5 には11.Bc2 だ。これは11...c5 で白黒互角。現在でもその評価は変わってないと思う。変化が現れるのは一九九〇年代である。10.a3 を指す人が現れたのだ。10...Na5 に11.Ba2 へ退く。一九九六年にシロフとカスパロフが指してからはInformant にも載り、重要定跡としての扱いが始まる。
 10.c3 と10.a3 以外で考えられるのは、実戦例の少ない10.a4 と10.Bd2 だ。10.a4 は悪手ではなさそうだが、私には8.h3 との関連がよくわからなかった。10.Bd2 には興味があった。黒Na5 を阻止する手だ。そろそろ定跡手順から離れたくなっていたこともあり、この手に投票した。しかし、当然ながら賛同者は無かった。いま見返すと、たしかに、あまり今後の展望の見えないビショップである。
 選ばれたのは主流の10.a3 だった。相手も淡々と主流手順を採用し、10...Na5 11.Ba2 c5 だ。その次の白の手は、前回に述べたカスパロフの意見に従って12.Nbd2 を選び、上図になった。
 こうやって採用手順だけ並べていると、平穏な進行だが、実は、10.Nc3 のような疑問手が票を集めており、あやうく採用される寸前だった。つまり、10.Nc3 Na5 から黒馬と白僧の交換になるところだった。議論を読まずに投票する者や、読んだとしても理解できていない者がいたのだろう。それがvote chess である。また、局後には相手の議論を見られるようになっており、TI は、たんに実戦例が多い高勝率の手を機械的に選んでいるだけだったことがわかる。本当は10...Qd7 なども検討すべきだったと思う。TJ はこの手も検討していた。

15/07/02 8...Bb7 まで
 8.h3 を最初に指した強豪は一九四七年のラヴィンスキー(パーノフ戦)、一九四八年のタイマーノフ(リリエンタール戦)あたりだ。リリエンタールの指した8...Bb7 は最善手として現在まで伝わっており、本局でも採用された。
 白の九手目で考えられるのは、9.c3, 9.Nc3, 9.d3 だろう。このうち、悪いのは9.c3 だ。マーシャル風の反撃9...d5 を食らう。実際にマーシャル・アタックと同じ手順に進めるとわかる。10.exd5 Nxd5 11.Ne5 Nxe5 12.Rxe5 のとき、12...Nf4 でg2 地点を狙われるのだ。これが8...Bb7 の狙いだろう。
 では、9.Nc3 か9.d3 だ。カスパロフのアドバイスがある。アンチ・マーシャルのコツは、「Nc3 ではなくNbd2 からNf1 を目指すこと」だ。同感である。本局の場合、d5 地点はすでに黒ビショップが利いていて、9.Nc3 でそこを狙うのはつまらないように映る。それより、このナイトはNbd2 -f1 -g3 に動かして、f5 地点を狙わせたい。シュタイニッツ以来の手堅い手順だ。
 そんなわけで、TJ 9.d3 を選んだ。TI は自然な9...d6 で応える。これで上図になった。狙いはもちろん、チゴリン変化を思わせる黒Na5 だ。黒馬と白僧の交換を迫るのが、この型の黒の常道である。白はどう対応すべきか。難しい。
 形勢判断をしてみた。現局面は、8.d3 Bb7 9.h3 を指したのと同じなのである。だが、8.d3 Bb7 なら9.a4 を私は指したい。もう黒Bg4 が無いのに9.h3 を指すのは場違いだからだ。すると、現局面はすでに黒に不満が無いのか。ただ、8.d3 の場合、黒が8...Bb7 を指したかどうかはわからない。だから、白は黒Bb7 が悪手になるような構想をたてれば良い、という理屈になる。いやあ、どう見ても黒Bb7 は好手だ。けれど、実は本局は黒Bb7 が手損にはなった。

15/07/01 7...0-0 まで
 私が定跡を勉強し始めた一九八〇年代の本では、8.c3 d5 は、白が勝ちやすい雰囲気だった。だから、一九九三年のカスパロフ対ショートの王座戦で、いかにも8.c3 を指しそうなカスパロフが8.a4 を選んだ時はとても驚いた。あの当時ですでにカスパロフは、マーシャル・アタックが黒の有効手段であることを知っていたのだろう。今では8.c3 d5 を避ける方が常識的である。特に本局はvote chess だ。8.c3 は定跡と実戦例をなぞる進行になりやすい。参加者の個性的な意見を出してほしいのに、それではつまらないと思った。だから、マーシャル・アタックを避けるアンチ・マーシャルを考えたい。
 一九九三年のカスパロフに対し、ゲレルが推奨したのは8.a4 と8.h3 だった。カスパロフは前者を使った。そのせいか、しばらくは8.a4 が流行し、二〇〇三年あたりから8.h3 の方が多くなる。私は8.a4 が好きだ。ただ、せっかくの機会だから、いつもとは違うのを試したい。8.h3 に投票し、そして採用された。ほか、珍しい8.d3 も試してみたかった。
 一九八九年のナンの本によれば、8.h3 は8...d5 を封じるのではなく、誘う手であるとのこと。実際、少数ながら8...d5 の実戦例もある。その場合、8.c3 d5 とどう違うのかというと、8.h3 は白Nc3 が可能になっている。白の駒組みがいくらか楽だ。あと、黒Bg4 が不可能になっていて、黒駒の展開が不自由な気がする。
 相手"TI"も当然8...d5 は選ばない。いちばん普通の8...Bb7 を指した。ならば、われわれの手も自然に決まる。

15/06/30
 chess.com では会員が集まってチームを組むことができるので、団体戦も盛んである。そのひとつにvote chess がある。参加者の多数決によって指し手が決まる。昨日まで九ヶ月をかけて戦ったTeam Japan とTeam Israel の一戦を紹介しよう。World League ではどちらもDivision D に属する同格チームである。Team Japan の参加者は二四人、Team Israel は三五人だった。ただし、実際の投票数は多くても十票くらいである。また、Team Japan の議論は三人が中心で、それは相手も同様だった。
 濃密な議論がTeam Japan の特徴である。今回は私のほか、鋭い攻め筋を見つけるSさん、一局面でいろんな手を読むTさんが意見を出し合った。SさんとTさんは、私より中盤が強いと思う。反面、終盤は弱かった。なお、Sさんはアメリカ人である。自動翻訳の奇妙な日本語を使う。
 序盤はスペイン定跡の1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 だった。票は割れたが、結果としていちばんよくある局面が現れた。ただ、黒7手目は7...0-0 で上図になった。狙いはもちろん8.c3 のとき、8...d5 だ。マーシャル・アタックである。さて、われわれ"TJ" はそれを受けて立つか、避けるべきか。

15/04/01
 ニコニコ動画で大好評だった「リアル車将棋」を受け、次回はさらにスケールを拡大し、富士の裾野を舞台にした防衛省主催「リアル軍人将棋」に決まった。戦車や地雷などすべて本物が提供される。大将は中谷防衛大臣と石破地方創生担当大臣。スパイは元キャンディーズの二人がハニートラップに選ばれた。

15/02/01
 昨日、河口俊彦が亡くなった。前回の更新で書いたことを繰り返すと、レティと河口俊彦が無ければ、私はこんなブログを始めなかった。twitter に追悼の言葉を残した。「A級だけが将棋を指しているわけではないことを、河口俊彦は三十年以上も昔に聞かしてくれた。最善手で人は勝つわけでもないことも教えてくれた。プロが仲間内の以心伝心でわかりあっていた将棋の深みや悲しみの一部を、彼は言葉にして我々に分け与えてくれた。それが今の「観る将」たちを育てたのだ。」。十二時間で六九回のretweet をいただいた。こんなこと私には滅多に無い。彼がいかに我々に愛されていたかを思った。

14/10/01
 こないだ書いたように、「史上最高のチェスの本は何ですか」の答としてボトビニクはChess Fundamentals を挙げた。私ならModern Ideas in Chess である。この本ともうひとつ河口俊彦『対局日誌』が無ければ、私はこんなブログを書いていない。棋譜は表現であり、論じることができる。レティと老師がこのことを教えてくれたのである。私は通勤や仕事の合間に喫茶店に入ると、キンドル版のModern Ideas を開くことがある。わからない単語を指で押すと意味が浮き上がるので便利だ。頭の体操をしたくて訳してみたりする。序文だけでも紹介しておこう。現代将棋を解説してるような内容だ。藤井猛に読ませてあげたい。自分が理解されている、と思うのではないか。ただし、私は高校を卒業した時点で英語の模擬試験の偏差値が三四点だったことを付け加えておく。
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 ここ数年のチェスと古いチェスとを比べてください。わかるはずです。古くから伝わるこのゲームについて、ちょっと調べるだけでいい。序盤はすっかり変わってしまったし、駒組の輪郭は異様に感じられます。いまや新しい考え方がこのゲームを支配しているのです。それは現代美術の考え方ととてもよく似ています。美術が自然主義から離れて、自然界とは似ても似つかぬ表現を目指すこととなったように、現代のチェス棋士の理想も変りました。かつて「妥当で適切な」と形容された指し回し、あるいは自然な感覚の流れに沿った駒の展開など、もはや現代の棋士たちは目指しておりません。文字通りの意味で「自然な感覚の流れに沿った」とは、つまり、駒の古風な展開とは、自然をそのまま引きうつしたものだからです。
 現代人の信ずるところによれば、自然が作りだしたものよりも、人間の発想を実現したものの方に、より深い可能性が秘められています。もっと正確に言えば、少なくとも人類にとって、自然が提供してくれたものの中でも、人間の精神は最も偉大なものです。それゆえ我々は自然を模倣しようとは思いませんし、現実でもって我々の精神を染め上げようとも願わないのです。美術における先覚者を理解するのは難しく、彼らはわづかの人にしか認めてもらえません。多くの人からあざけりを受けるのです。チェスは美術ほど批評の影響が大きな分野ではありません。チェスという分野においては、試合の結果が最後の最後にケリをつけるものだからです。そんなわけで、本書はチェス界の外の人のほうが関心をもってくださるかもしれません。芸術家は悪意やあざけりを受けようとも、自分の内なる思想を追求します。自然を模倣することもありません。何も創造的なところの無い人間には無縁の不安に何度もとらわれますが、彼にはわかっているのです。そこから希望が生まれることを信じているのです。チェスというこのせまい領域においても、新しい発想が古い発想と戦うことで勝利がもたらされつつあることを。
 私が本書で試みたのは、チェスの旅路を示すことです。アンデルセンの古典主義から、シュタイニッツ学派の自然主義を経て、最も現代的な名人たちの個々の思想までをたどることです。

Alex Dunne, Great Chess Books of the Twentieth Century より
Réti. Modern Ideas in Chess. Bell, Harcourt Brace
 初版は一九二二年にドイツ語で出版されている。いま扱うのは一九二三年にイギリスとアメリカで出た英訳で、これは初版を訳したものではない。初版はウィーンの新聞に連載されたコラムを再編集したもので、舌鋒鋭い論争的な内容だった。それを改め、英米の読者にも受け容れ易くしたものだという。英語版は独自に編集された新版なのか、それともドイツ語の第二版があってそれを翻訳したのか、私にはよくわからない。私が持っているのは、一九六〇年のDover 版、それから、二〇一一年の電子書籍で、これは二〇〇九年のRussell Enterprises 版を元にしている。後者は棋譜が座標式になっており、局面図も増えて、読みやすい。Dover 版はゴロンベックが序文を書き、Russell 版はアルバートソンとソルティスが書いている。なお、翻訳者のJohn Hart についてはよくわからない。
 本書は近代チェスの戦略思想史だ。十九世紀中頃のアンデルセンに始まり、レティが本書を執筆中の現在までの約七十年間を一八〇頁ほどに手際良くまとめている。レティ史観を大雑把に紹介しておこう。まづ、アンデルセンが敵王への直接攻撃で名局を生んでいた時代がある。豪快な連続技を思いつく豊かな想像力と、それを実行する読みの力が、棋士の強さだった。これを徹底的に破壊したのがモーフィーである。効果的な駒の展開力が重要であることを、彼は圧倒的な勝率によって示した。次の時代には、この発想がより一般的な法則にまとめられ、駒配置の科学が完成する。十九世紀末のシュタイニッツとタラッシュの仕事だ。彼らが重視したのは盤中央の支配だった。ところが、二十世紀の若者たちは別の考えを持つようになった。あらかじめ相手に中央を与えてしまい、その中央に反撃を仕掛けていく方がより効果的ではないのか。これがハイパーモダニズムの誕生である。かくて、奇抜な駒組が編み出されてゆく。ハイパーモダニズム以前に活躍したラスカーやカパブランカは、駒配置の科学の教条主義を批判して、ハイパーモダニズムを準備したと言える。以上、つまり、いまなら誰もが知っている常識をレティは初めて解き明かしたというわけだ。
 レティには品の良い知性を感じる。棋風とは個人と文化と時代精神の関数であることを、大仰に構えず説明してくれる。勝ち方を上手に説明するだけのチェスコーチではないのだ。と言って、自然に語るだけでそれが名言になってしまう羽生善治のような天才でもない。レティの知性には論理的思考や批評眼を努力して身に付けた感じがある。たくさん考えてこの薄い本は書かれたのではなかろうか。

14/09/27
 持ち時間十分とか五分で、それを使いきると時間切れ負けになってしまうような早指しをBlitz という。Chess.com で私はよくやる。ちなみに二分くらいのはBullet である。これはもうチェスとは違う別のゲームの感覚が必要だ。五〇歳を過ぎて熱中するものではない。
 私のBlitz の成績は二年前の1559 が最高のレイティングで、それ以降は下がり続けた話を書いてきたけれど、こないだ、とうとう1571 を記録することができた。中級者の上達の話として、ちょっと書いておきたい。勝率が上がった理由はふたつある。
 ひとつは、二六〇〇局ほど指してやっと自分に合った黒番の定跡が見つかったことである。他人の棋風に比して、自分の棋風を知るのは難しいのだ。とても意外な定跡であった。たとえば、ニムゾインディアンである。自分が白番なら負ける気のしない定跡だったから、自分が黒番で選ぶ気が無かったのだけれど、そういうのがむしろ良いらしい。
 もうひとつは、チェックメイトで勝つことが増えた。昨年の同時期は勝利の三割だったけれど、いまは四割が相手を詰めて勝っている。一例を自戦記第三四局としておく。変った新手を試した一局でもある。こないだまでは詰みをよく逃しており、自分がサッカーの日本代表になったみたいで、とても嫌だった。それがなぜ?と自分でも思う。
 考えられる理由はふたつしか無くて、ひとつはChernev のThe 1000 Best Short Games of Chess を読み始めたことだろう。これは楽しい本だ。十手以内で終わる悲劇は棋譜だけで何局も笑えた。確認すれば、解説抜きの棋譜だけで笑えるのだ。私の目には「さあこれからだ」とか、「まだまだ長いぞ」という局面で、いきなり勝負がついてしまうと、笑うしかないのである。そして、チェスってのは簡単に王様が詰んでしまうのだなあ、と呆気にとられる。この感は手数が増えても深まるばかりだ。羽生善治がチェスを始めてしばらくして驚いたのは、「みんな、メイトを狙ってない」ということだった。いやあ、羽生が正しい。この本のおかげで、私はメイトを狙うようになった。狙っていれば見落とすことも少なくなる。
 もうひとつはNunn の1001 Deadly Checkmates のキンドル版を通勤の電車内でこつこつ読んでることだろう。この手の練習問題集はたくさん出版されている。私も何冊か持っていた。その中でも、この本は、いま四五〇問ほど進めた段階で思うに、難易度の並べかた、実戦的な問題の集めかた、応用の利くテーマの選びかた、一頁に大きな図が一問だけで余計なヒントも無いというエレガントな出題方法、解答を見た時に不満を残さない明快さ、すべてにおいて満足している。
 つい先日に私が間違ったのを御紹介しておこう。難易度は高いほうだ。黒番である。よく読んで自信をもってクィーンを捨てたつもりだったのだけど、それはむしろ黒王が詰まされてしまう手であった。

14/09/20
 自分の対局に熱中してるばかりで更新をおろそかにしておりました。おかげで、chess.com の持ち時間一手三日で指すonline 部門のレイティングは2206まで上がった。全会員四十三万人の上位0.1%に入った。四十九歳から実戦を本格的に始めたことを考えれば快挙でしょう。二〇〇三年から〇九年までのブログ書きで、トップレベルのあらゆる棋譜を休まず並べ続けたのが、基礎体力をつけてくれていたらしい。一日三十局として約六万六千局ですもん。渡辺明の修業と同じことをやっていたわけですね。
 もし強くなったら、と楽しみにしていたのが、「棋譜並べをしたら、盤面の景色がぜんぜん違って見えるかもしれない」。けど、これは何も変化が無かった。むしろ、最新定跡や棋界情報にうとくなったぶん、観賞力は落ちた。いわゆる「観る将」にとって、棋力は必須条件ではなさそう。逆に言えば、私のようなタイプの「観る将」は、棋力が必要になるレベルの深い棋譜並べができていない、ということでしょう。
 対して、一局を持ち時間十分以内で指す早指しは、高齢者には上達が望めないようである。レイティングが初期設定の1200近くまで落ちた話は13/11/10 に書いた。それでも、二六〇〇局ほど指したあたりで、変化があった。私は大学受験のとき、見込みの無い勉強を我慢して続けていたら、急に成績が上がったことがある。あれと似ている。努力して成果が出ない場合でも、目に見えない成長は続いていることがある。そこであきらめずに練習を続ければ、成長が目に見えるラインに達したとき、数字上の成績は急に上がるのだ。おかげで、いまは1500を越えたり下ったりできるまで復調してきた。
 意外にも、伸び悩んでる早指しにおいて、盤面の景色が違って見える体験ができた。指しながら、「いまのおれ、むかしとちがう」と思う。弱いなりにこれが楽しい。自戦記三三局として記念に残しておく。

14/06/15 紹介棋譜4参照
 カパブランカのChess Fundamentals には当時の序盤定跡を詳しく解説した章が無い。不勉強で名高い彼に、そんなものを書けと言っても書けなかったろう。そのおかげもあって、いまだに古さが目立たない不滅の古典だ。序盤定跡の他にも、この本には書いてないことがいろいろある。現在なら、そうしたことも網羅してよく整った教科書がたくさん手に入る。私も何冊か買った。けれど、それを読み切ることはできない。楽しくないからである。14/05/14 に書いたのと似た事情だ。現代の教師が手際良く教えたとしても、チェスの魅力が伝わらなければ、生徒は途中で席を立つ。Chess Fundamentals が不滅の古典である本当の理由はここにある。
 図は第五章の「難しい終盤。ルークがふたつ」の例に使われた局面である。著者は白番で、黒番はヤノウスキー、一九一三年の対局だ。私ならK翼f筋からh筋のポーン数が3対2で黒が多数派であることを気にする。けれど、カパはK翼でパスポーンができると踏んでいた。黒陣の欠陥はc筋のダブルポーンである。黒がこれを少しでも改善するには、Pb6 からPc5 が適当だろう。実はそれは不可能だ、とカパは見抜いていた。「この事実だ、これにもとづいて白は立案する。Q翼での黒ポーンを足止めさせる。そうしておいてから、キングをe3 へ運ぶ。ついで、しかるべき時にPd4 を指し、最後にPe5 かPg5 でポーンの交換を強いる。こんな風にすれば、e筋に鮮烈なパスポーンを得られるのだ」。こう解説されると、とても簡単に思える。実際にカパは簡単に勝ってみせる。
 実戦の進行を見よう。まづ、27.g4 から始める。もうPg5 を考えているわけだ。黒はやはり27...b6 だった。上述のPc5 を考えている。対して、カパが用意していたのは28.b4 だった。これでPc5 は不可能なのである。ヤノウスキーは援軍を送って28...Kb7 だった。この手は、彼の目にはQ翼が主戦場として映っていたことを示す。本当はキングはK翼に送るべきだった。もっとも、ヤノウスキーのように考えるのが普通だろう。「本当」を知っているカパの直観がすごいのだ。さて、続いてカパは29.Kf2 だ。上述のとおりKe3 が予定である。私はこれにも驚く。敵ルークの面前にキングを向かわせるのが予定とは。もちろん、ヤノウスキーにも予定があった。彼は29...b5 を指した。狙いは、Kb6 からPa5 によって白のbポーンを消して、懸案の黒Pc5 を実現させること。で、ここが見せ場だ。カパの30.a4 である。もし、30...bxa4 なら、このあたり一帯の黒ポーンはすべてバラバラになって、いづれ収拾がつかなくなる。だから黒は取れなかった。そして数手後に白Pa5 が押し込まれ、Q翼は固まってしまう。主戦場になるとは、もうとても思えない。以下、カパの予定が実現するのを見るばかりとなった。紹介棋譜にしておく。
 私は考えたことがある。Chess Fundamentals を読んで強くなっただろうか。たぶん、否だ。私にはカパの教えるようには指せない。私の経験では、自分を上達させた本は二冊しか無く、本書はそういう実用的な珍しい本ではない。けれど、私はChess Fundamentals のおかげでチェスが好きになった。いま昔を振り返って、ほかにそんな本を思いつかない。質量ともに相手をうわまわる遠大な計画を立て、一切の反撃を許さず、盤面全体を支配して時間の進行と同じ速度で速すぎも遅すぎもせず着実に手順を進め、勝ちきる。自分の実戦でそんなことを実現できる日は永遠に来ないのだけれど、こんな風に指してみたいという憧れが、私をチェスから離さないのである。

Alex Dunne, Great Chess Books of the Twentieth Century より
Capablanca. Chess Fundamentals. G.Bell, 1921
 初版はロンドンである。同年にニューヨークのHarcourt and Brace からも出た。一九三四年に第二版が出て、著者の新しい序文が加わった。私が持っているのは一九四九年のDavid McKay 版だ。第二版と同じだろう。序文と全体のページ数で判断する限り、内容は初版と変わり無さそうである。
 前世紀の日本のチェスファンにはよく知られていたことがある。フィッシャーもカルポフも終盤が得意で、それはカパブランカの棋譜に学んだ結果である、という話だ。カパの明解で構成がしっかりした棋風は、書道でいえば最初に習うべき楷書に等しい印象もある。そんなわけで今世紀の初めまで、アマゾンでチェスの洋書を検索すると、カパブランカ関連の本が何冊か上位に現れたものだ。本書はその常連の一冊だった。私もチェスを本格的に勉強しようと思って最初に買ったのがこれだ。神保町のタトル商会だった。この洋書店も八年前に無くなっている。
 第一部の第一章は、白がキングとルーク一個だけ、黒はキングだけ、そんな初歩的な局面から始まる。だんだん条件を難しくしつつ、中盤や序盤の心得も語られてゆく。第二章も基本的な終盤技術だ。ただ、難易度が高くなってる。白がキングとクィーン、黒がキングとルークの場合の三角法なんかだ。第三章と第四章は中盤についてで、やはり難易度が高くなっている。特に第四章は高度だ。たとえば、主導権をテーマに選んだ場合、まづ、徹底的に攻め切る棋譜を紹介し、次に、敵陣の弱点を狙いつつ主導権を維持する棋譜を紹介し、最後に、いったんポイントを稼いだ後は相手に主導権を渡してしのぐ棋譜を紹介する。第五章は実戦例を使用した、手数が長くて構想力の問われる終盤について。カパブランカにしか書けない傑作だ。そして、第六章で駒組についてやや簡単に語って第一部を終える。第二部は実戦集だ。収録された十四局のうち六局が敗局である。十二歳の頃からプロと戦って当時まだ十二局しか負けたことのない天才の六局だ。世にも珍しい自選敗局集なのである。これは、My Chess Career の語り口があまりに偉そうで反感を買ってしまったから、それを和らげるため、謙虚に敗局を多く採り上げたのだ、と言われている。あの一九一四年のラスカー渾身の勝負術を敗者の側から読めるわけで、貴重だ。
 史上最高のチェスの本は何ですか、の答として、一九八四年のボトヴィニクは本書を挙げたそうだ、「いまだに現代的だし、どんな棋力の人にとっても価値がある」。もちろん二十一世紀の今日でも、さまざまな版がいろんな出版社から出て、売れ続けている。

14/05/31
 レイティング1401から1600の中級者を対象にしたchess.com の第一七期大会で優勝した。持ち時間は一手三日で、参加者が二〇九一人いたので、終了するまで二年半もかかった。成績は三八勝二敗二分である。六人が一斉に白番黒番五局づつ計十局を指すリーグ戦を四ラウンド勝ち上がり、最後に残った二人が決勝で同時に白番黒番の二局を指した。開始時の私のレイティングは1432で、終了時は2165まで成長していた。全会員四十二万人の上位0.2%にあたる。それより、いま四歳の息子が開始時は一歳だった、と気づいて感慨が深くなった。
 二敗した準決勝がきわどかった。自戦記第二七局と第三〇局を勝てたのが幸運だったのである。やや不利だった一局を粘らず思いきって投了し、この二局に精力を集中する方針を選んだ決断が、結果として成功したようだ。特に第二七局についてはメモを五百手くらい書きためた。将棋式の数え方では千手である。勝つためのこういう方針や執念が、ほかの参加者をうわまわっていたようだ。実際、参加者の棋譜を調べたところ、私より強いのが何人かいた。ただ、彼らは二年半の持続に耐えられず脱落してしまう。勝つ、ってそういうことなんだな、と思った。正直なところ、これについては誇らしさよりも自分の浅ましさがみっともない。こんな大会に勝ってもたいして意味無いのに。ただ、ここまで頑張って優勝できずに終わるのは堪え難い屈辱だったろう。専門棋士たちの負けず嫌いにちょっと共感できた。
 決勝の相手は私とは対照的だった。準決勝を説明するだけで充分だろう。彼は私よりも二局少ない八局で済んだ。そして、そのほとんどが相手の試合放棄による短手数局なのである。八局の総計で六五手しか指していない。一局平均八手で勝ち上がったわけだ。かたや私の苦労はすでに述べたとおりで、一局平均三二手で這い上がった。そうなると、私の気持ちとしては「こんなやつに負けるわけにはいかない」。この気負いは「激戦を経てきた自分の方が強いはずだ」という思い込みから生じていて、それが油断につながった。図は黒番局で、すいすいと16...Qxb2 で敵陣突破を果たしたところである。ところが、17.Nd5 を食らって目が覚めた。「強いやん」。なんとか頑張り、これは引き分けにおさめて白番局に集中し、そっちで勝負をつけることにした。結果的にこの方針が幸いしたと思う。どのくらい集中したかというと、メモを数えたら八一一手にのぼった。将棋換算で一六二二手である。形勢互角の陣形戦が延々と続く、難しいチェスだった。自戦記第三二局としてここに記念する。

Alex Dunne, Great Chess Books of the Twentieth Century より
Capablanca. My Chess Career. Bell & Sons, 1920
  私が持っているのは、チェルネフが序文や後書を付けた一九六六年のDover 版で、これはこの会社のチェス書籍の売り上げ第九位だったという。二百頁弱というほどほどの厚さに三十五局が収録されている。パラパラっとめくって、余白が大きく、活字も大きい。そして、とても読みやすい英語だ。手に取った者をほっとさせる。何より、解説が素晴らしい。棋譜はカパブランカの神童時代から世界王者になる直前までのイキの良い名局ぞろいだ。売れて当たり前である。初めて読むチェスの洋書を探してる中級者が「楽しくって専門的にも名著で難しくない最高の一冊」を注文したら、私は黙ってこれを差し出したい。
 自戦記本の新しいスタイルを本書は確立したという。たとえば、カパ以前で私が持っているのは、一八九五年のタラッシュと一九一四年のマーシャルだ。どっちも高名な本で、特に前者は当時最高の理論的な水準を示している。後者から述べると、これは解説があっさりしすぎており、隅々まで一局を楽しみにくい。ラスカー的だ。前者は本書と似たところがある。筆者の生い立ちや対局当時の事情と心境がつづられている。ただ、タラッシュはとっつきにくい。まづ、三百局もあって読み切る自信を失わせる。解説も微細で難解な変化手順に分け入ってゆくことがしばしばだ。むしろ現代の主流に近い。それはそれでタラッシュのすごさなのではあるけど。
 対して、本書の素晴らしさは、要所で簡潔な解説がほどこされ、そして、圧倒的な才能の豊かさが全体をおおらかに包んでいることだ。そもそも棋譜自体がややこしい解説を要求しない天才独特の明快なものだし、また、たけのこが瞬時に空まで突き抜けるような生い立ちを持つ者のエピソードに陰のあろうはずが無い。一例を挙げよう。
 図はカパブランカの黒番で、一九一三年のリガで指されたニムゾビッチ戦である。本書では一九一四年と記されているが、諸書に従っておく。ここで26...c5 が局面の本質を射抜いた。いちいち白Bxc5 を解説する人がいないほどである。正直なところ、私の第一感はBxc5 なので考えてみると、黒は安心してBxg4 を取れる、ということだろう。fポーンが安全なパスポーンになっている。また、黒Rd2 の侵入も可能になっている。つまり、27.Bxc5. Bxg4, 28.Bxa7. Be2, 29.Rf2. Rd2 はきっと黒勝勢だ。ではニムゾビッチはどう指したか。
 カパはこう書いている。「もし、27.Rxf3. cxd4, 28.Rd3. Rc8 なら、実質的に黒がポーン得である。相手は別の筋を選び、色違いのビショップを残すことにした。それなら引き分けを得られるはずだ、と彼は考えていた」。本譜の進行はニムゾの読み筋どおり、27.Bxf6. Rd1, 28.Be5. Rxf1+, 29.Kxf1. Bxg4 だった。で、カパは書く、「もうどうしようもなく私の勝ちだ」。史上最強の大関の一人を相手に、その構想を受け容れた横綱相撲である。カパはみづからルークを消去し、色違いビショップの終盤で一息つき、あっさり「勝ちだ」と確認するのである。そんなまさか。色違いビショップは引き分けでしょ。信じられず、最新版のBasic Chess Endings を調べたところ、やっぱり黒の勝ちだった。ただ、すごく難しい。そこをごちゃごちゃ解説しないのが本書である。読者はスケールのでかい大局観に度肝を抜かすだけでいい。
 カパブランカは後日談を付け加えている。いかにもこの対戦者の二人らしいエピソードだ。ニムゾビッチは敗戦が納得いかなかった。研究しぬいて、数か月後、カパブランカに再会すると言った、「あれは本当は引き分けでしたね」。たぶん、カパブランカには局後の再検討なんてどうでもよかったけれど、粘着質の理論家に付き合ってやることにした。さっそくその場で「本当は引き分けだった局面」が再現され、対局が始まった。そして、数手でニムゾビッチは投了したという。

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