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戎棋夷説

17/02/12
 永井均のtwitter で、一月五日にこんなことが書かれた。「古典とは古い書物という意味ではない。その問題を初めて(したがって独力で)考えた書物という意味だ。その初めて性と独力性こそが哲学を哲学たらしめるからだ。我々はそこからいわばその初めて性を学ぶわけだ」。古典には「古くから変わらないことを確かめる」という価値もあろうし、「常に新しい読みを産出してくれる」という価値もあろうし、それ以外の読み方もあろう。そのすべてをかなえてくれるから、いつまでも読まれるのだ。とは言え、永井の指摘する初めて性と独力性に気づいたときに、私の歓びはひとしおである。なぜMorphy を並べるか。その答えが永井の定義にある。ただ、Morphy の初めて性と独力性に、私が気づくのは難しい。


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