紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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戎棋夷説

10/09/03
 花田長太郎『将棋の急所(平手篇)』(一九三八)なんてのも読んだ。我ながらたくさん集めたもんだ。この書名を聞いても『現代将棋の急所』が浮かばぬ人は多くなったことだろう。『将棋の急所(平手篇)』は薄いながら、相掛りを中心に、横歩取り、振飛車や鬼殺しまで、当時の序盤定跡をけっこう詳しく解説した本である。児玉屋組という聞き慣れない戦法も解説されている。ひねり飛車の祖形だった。なお、花田は横歩を取らせる後手の可能性に賭けたパイオニアの一人だ。
 この本を買った理由は天竜寺の自戦記が載っていたからだった。南禅寺ほど記憶されてないので貴重だと思う。読んでみると、後世からは大差の勝負と言われているものの、花田は自分が数々の緩手や落手を指したことを責めている。対局中もそれらを悔やみながら指していたらしく、やはり大変な将棋であったようだ。
 十六年ぶりに指す対局相手については、「歳よりもずつと若々しい感じで以前の氏とそんなに変わってゐないやうに思へました。そしてとくに変わつた思へるのは、落ちついた物静かな態度になれたことでせう」。最後のは「なられた」の誤植かもしれない。
 問題の初手については、「▲七六歩に対し△一四歩は意外でした。全然予期せぬ手ではありませんでしたが、木村氏に△九四歩であつただけに不思議の感に打たれました。(略)私の興奮はくすぐつたいやうな、そして何か柔いものにでも触れたやうな甘い感じでした。実を云へば△一四歩を技術的に考へると策に凝らぬ恬淡な手法のやうに思へたからです」。平仮名の「くすぐつたい」は本では漢字を使っている。
10/09/01
 帰省してた。実家には大量の棋書を置いてあるので、滞在中はこれを読みふける。今年は倉島竹二郎『近代将棋の名匠たち』(一九七一)だった。戦後の名人戦を、やくざの親分が盤側で観戦する話があった。相撲界も将棋界も似たような面はあるはずである。また、「錯覚いけない、よく見るよろし」について、こんなことが書いてあった。「敗戦の様相がまだ深刻だったその当時、第三国人が街頭でおおっぴらに煙草の箱に印をつけたインチキ賭博をやり、ひっかかった連中から金を巻き上げる際に必ずいった言葉だそうだ」。これをそのまま受け取ると、この有名な自嘲の内には、「自分はだまされた」という被害者の気分もまじっている、ということになる。
 帰省する前にフリーセルは200連勝にしておいた。もっとも、「元に戻す」を使ってしまったので価値が無い。それでも使わない記録は更新して73連勝までいった。
10/07/25
 コンピューターを使うようになったのは1998年だったか。職場で否応無しだった。フリーセルばかりやっていたような。69連勝が最高だった。双葉山と同じだ。いま久しぶりに再会している。さっき54連勝して千代の富士を超えた。昔より簡単になった気がしている。15分以上かかった難問を紹介しようと思ってるのに、出会わない。さっき仕上げた#32224にやや手こずったくらいだ。難解フリーセルの解法によると、やはりこれは難問に挙げられていた。なお、素人とはいえ私には将棋指しの誇りがあるから「元に戻す」は使えない。
 たぶん、歳とって頭が変わったのだろう。以前は、画面をにらんで、ある程度読み切ってから初手に入ったものだ。同じことしたらいまは疲れる。ふと思う。チェスや将棋の棋士は若い頃はとことん読んで、ベテランになるにつれ大局観で指すようになる。数学者ってどうなんだろう。とことん計算するタイプの天才は、歳をとっても読みを省けず、狂ってしまう気がする。
10/07/18
 先週のこと、NHK杯の将棋を見てると、嫁がイライラしている。後手番の棋士が、相手の考慮中に駒の位置を何度も整えるのだ。盤上にその手つきがチラチラして画面が見づらい。当然、先手番の棋士の思考も乱れるだろう。嫁「そんなことまでして勝ちたいんか」。
 チェスの歴史を思い出しながら私は言った、「いや、そんなこと気にする方が弱いよ」。嫁はそこそこの勝負師気質を有している。すぐに理解した。嫁「あ、気にするからあたしのメガネ君は上にいけないんだ」、私「たしかに気にするタイプかもな」。メガネ君とは山崎隆之だ。二年前の大盤解説以来、嫁は応援してる。もちろん、「矢内さんをあきらめます」も好感度を上げている。
 しばらく番組そっちのけで盛り上がった。嫁「パンツなら気にせんな」、私「そうそう。将棋だけに没頭してそう」。嫁は三浦弘行を「パンツ」と呼んで愛している。でかいサルマタをはいてるように見えるのだろう。嫁「猫おじさんもそうやな」。加藤一二三である。猫好きの嫁は彼の野良猫裁判を支持している。それにしても棋士に詳しくなった。こないだも有吉道夫の引退番組を録画して私に見せてくれた。将棋棋士は魅力的な個性がそろっている。
 私「羽生善治なら、チラチラに気づいても、そんな相手を軽蔑するだけで、逆効果だろうな」、嫁「わかた、竜王もそっち系や」、私「うん、渡辺明は軽蔑がハッキリ顔に出るところが羽生とは違うだろうけど」。「ぢゃあ、あなたの谷川先生は?」と嫁が問う。「あの人はすごく気にする、でもな」と私、「それを補って余りある才能があった」。思わず過去形で言ってしまった。
 そんなこんなしてるうちに番組は勝負がついてしまった。穴熊の後手番が負けて良い気分である。おお、来週は里見香奈だ。嫁「あ、出雲のなんとかチャン」、私「イナヅマ」。相手は小林裕士だ、私「勝てるかもよ」。というわけで期待して今週も見た。しかし、惨敗。仕方なく、先週の話を書いた次第である。
10/07/12
 最近のネットで感動的な達成がふたつあった。ひとつは、チェスの玉手箱で昨年から続けられていたHorowitz のFrom Morphy to Fischer (1973) の翻訳が完結したことだ。知ってる棋譜が多かったので、私は対局事情や背景に関する部分だけ読んでいた。たいへん勉強になった。原本を持ってないことがだんだん恥ずかしくなり、とうとうこないだアマゾンで古書を買った。海外の古書店に日本語で注文できる時代になってることにも驚いた。
 もうひとつは、水野優によるチェス人名日本語表記集だ。スウェーデン語やリトアニア語やハンガリー語や、いろんな言葉の発音を調べて、膨大な量のチェス棋士名のカタカナ表記を作ってくれた。私のようなフレンチ・ディフェンス・マニアには、Winawer をヴィナヴェル、McCutcheon をマカチョン と読めるようになったのがうれしい。
10/07/10
 おむつ以外の我が家の育児用品はほとんどがもらいものである。育児書、ベッド、乳母車、ガラガラ、幼児服、チャイルドシートなどなど。もらってばかりで恐縮なので、お返しの品を嫁がいろいろ工夫してさがしてくる。こないだは、どうぶつしょうぎを日本女子プロ将棋協会に注文していた。振込先は「日本将棋連盟」だったという。ほんまかいな。自宅用にも一品買ってくれたので、さっそく対局してみた。シンプルなのだが意外に深い。勝負所は真剣に読んだ。子供の遊びと思わずにみなさんもお試しあれ。将棋を知らない人でもすぐ誘うことができる。
10/07/03
 囲碁ファンが冲方丁『天地明察』を読んだらどう思うだろう。私は最初の数章で読むのをやめた。少年時代の道策が出てくる。私は谷川羽生といった将棋の天才少年を見てきた。十代から特別な人だった。冲方の道策はそこがぜんぜん書けてない。道策だけでなく、主人公の渋川春海(安井算哲)はもちろん、人物がみんな薄っぺらに思える。これは私の基準が厳しいのかもしれない。けど、それを差し引いたとしても、登場人物たちから江戸時代の人間らしい思考や感情が匂ってこない、と客観的に言えるだろう。
 当時の人が算額を解く気分と、現代人が受験数学問題集を解く気分では違うと思うんだけどな。たとえばチェスなら確信をもって言える。私が十八世紀のチェス小説を書くなら、現代棋士とはまったく違う脳の使い方を書く。古棋譜が私にそうしろと命ずるのだ。それが小説の面白さではないのか。古棋譜や算額を現代語に翻訳して考える人間にはわからないのだろう。
 数学で思い出した。小林秀雄と岡潔の対談『人間の建設』が文庫になった。これはしぶい。達人どうしの対話である。連続体仮説の独立性の証明について話してるんだろうな、と思える部分があった。岡潔はこの証明が気に食わないらしい。ある公理系に連続体仮説を加えてもまたその否定を加えても矛盾は発生しない、というのが、彼の感覚ではありえないことのようだ。素人の私は、「打歩詰めを認めても禁止しても、競技としての対局ルールは成立するようなもんだ」くらいに思っていたので、岡の危機感が不思議だった。そんな異質の気分が面白いのである。
10/06/02
 杳として行方の知れぬ畏友が久しぶりにメールをくれて、『鈴木善人翁の足跡』という本ができた、とのこと。鈴木善人(よしと)は明治の小諸で活動していた長野を代表する碁打ちである。信州は江戸期から碁の盛んなところで、嘉永三年の番付を見ると、四百人ちかくの名が並んでいるうちの二十名も占めている。江戸尾張に次ぐ囲碁王国であった。特に小諸藩は公称一万五千石ながら実質は三万石の豊かさがあり、技芸学芸を育む気風を持っていた。善人は江戸の生まれで井上家や本因坊家で修業し、尾張の囲碁役鈴木家の人となり、幕末に信州を訪れ、気に入ったのだろう、明治の初めに小諸に居ついて、多くの弟子を育てた。一八九九年に七十二歳で亡くなった。
 善人の記念碑が一八九四年に建っている。その建立に協力した人々は、地主はもちろん村長あり知識人あり衆議院議員や住職などなど。地図にその住まいを印してゆくと、千曲川沿いの長野上田小諸佐久小海に囲碁を介したネットワークの存在が浮かびあがる。わづかに残るエピソードからしても、善人は穏やかな魅力のある人だったようだ。
 なんてことを本書で知ったわけである。当時の一般的な修業風景を紹介して、読者に囲碁事情を彷彿とさせる配慮もある。ほか言ってるときりが無いくらい、A4版約一四〇頁の冊子なのに、内容は充実している。読んで楽しめる編集を心がけていることがわかるが、基礎資料はしっかり並べている。畏友いわく、「出版社には逆立ちしても作れない立派な本と思います」。値段は一五〇〇円。問い合わせ先はたぶん、鈴木翁之壽碑顕彰会かな。
10/05/24
 有吉道夫はすでに引退しているはずなのだが、NHK杯の予選を勝ち上がっているので、負けるまでは現役である。七四歳とのこと。私がよく並べた有吉は三十年前の彼であり、全盛期の終りかかりだった。そして、「終りかかり」の非常に長い人だった。六〇代でA級に居たあたり、師匠の大山康晴を受け継いでいた。矢倉が得意で、玉は8八まで囲う。守りは金銀三枚、攻めは飛車角銀桂という分担がはっきりしており、この点では明治時代の将棋のようだった。火の玉流の攻め、とよく言われたが、私には非勢を必死に耐える受けが印象に残っている。駒を升目の下にそろえて並べるのが当時は珍しかった。
 昨日のNHK杯は有吉道夫対高橋道雄だった。これは見なければ。今回で六〇期の将棋トーナメントで、有吉は三十五回の出場、高橋が三十回とのこと。どっちも「みちお」で、解説によると、高橋は新四段になった最初のNHK杯の対戦相手が有吉だったという。これだけでも充分の因縁だが、大山康晴の壮絶な最期が高橋戦だったことを真の将棋ファンは忘れていまい。
 将棋は矢倉になった。後手の高橋玉が早めに入城する。そこを狙って有吉は端歩を伸ばし、早囲いにも成功し、私の眼には先攻のチャンスを得た。だから、スズメ指しを見せて主導権を握るかと思ったら、飛車を三筋にまわし、右銀を左に上げて矢倉をゆっくり盛り上げていった。
 結果は、飛車先を保留して手数を稼いだ高橋に先攻されてしまった。もちろん有吉は反発した。駒得を果たし、その時は自信があったのだろう、駒を升目の中心に打ちつけていた。昔のままだ。しかし、これが相手の猛攻を呼び込んでしまい、そのまま自分は王手ひとつかけられずに惨敗を喫して一局は終った。でも、時間を使い切り、絶望的な棋勢を最後まで必死に考え抜く姿に変わりはなかった。多くの「○○流」が棋風よりも人柄に由来している。火の玉流もそうだろう。
10/05/20
 CPUが二つあるコンピュータは、人間で言えば脳が二つある状態だとすると、つまり、チェスコンピュータとしては棋士二人ぶんなのだから、たとえばディープブルーは数百人の棋士集団なのであって、それとカスパロフを戦わせたのはいささかアンフェアであったんぢゃなかろうか、なんて疑問があったのだけれど、こないだ斎藤環『文脈病』に、「回線でつながれた二台のコンピュータは、一台とみなされるべきなのだ」とあるのを読んで、やっぱそうだよなと思いながらも、あれっ、するってえとネットの海に潜った草薙素子はもう彼女ではないんだなあ、と今度はそっちが心配になってしまった。
10/05/09
 読売新聞の将棋欄がほとんど唯一の私の将棋になって久しい。今朝まで掲載されていたのが竜王戦の阿部隆対松尾歩だった。からの阿部の構想が素晴らしい。後手なんてどうでもいい、先手の手順だけ挙げておく。▲6八銀▲5六銀▲6七銀上、そして▲1八角である。銀型を悠然と整えて、仕上げが遠見の角だ。6五歩を突き捨てて6四歩、という筋で後手玉を直撃している。松尾は△6一玉と引くしかなかった。観戦記の言うとおり、玉飛接近の悪形を強いられた。
 そんでもってまあ、でも最後は阿部が負けるのだ。いかにも阿部らしい一局ではないか。
10/05/05
 十年前の若冲展あたりからだと思うけど、日本古美術の展覧館が混むようになった気がする。一九九七年の興福寺展はゆっくり観られたものだ。同じ上野で昨年にやった興福寺阿修羅展には八十万人が押し寄せた。阿修羅像の有無の違いが大きいのはわかるけど、展示品全体のレベルは興福寺展の方が充実していたはずだ。そんなわけで長谷川等伯展は二の足を踏んだ。
 もっと昔はピカソに人が集まったものだ。一九七七年の上野展の大混雑は忘れがたい。十五歳だったなあ。もちろん印象派も人気があって、私はルノアールのイレーヌ像とか好きだった。親に画集を買ってもらったものの、印刷に不満足だったのを思い出す。いまこの絵が大阪に来てる、というので懐かしくなり、中之島の国立国際美術館に出かけた。やはり本物は素晴らしかった。ネットの画像ではいまざっと検索しても、でぜんぜん違ってしまう。いちばん近いのはイかなあ。
 美術館では常設展や併設展を観るのも楽しみである。フォンタナの名品や会田誠「滝の絵」に再会できた。ベンヤミン以後の作品とはいえ、前者は複製が簡単ではない。また、後者は複製してもほとんど画質に変化が無い気もするが、なんといってもでかすぎる。やっぱりどっちも本物を観ておかないとだめな例だろう。「滝の絵」はまだ未完成なのだとか。六月に公開制作が予定されている。会田について、嫁は「巨大フジ隊員vsキングギドラ」が嫌いではないと言っている。
10/05/01
 せっかく夜泣きを鎮めたのに、六時になっても自分の眼が冴えてしまって眠れない。何か書こう。阿部和重『シンセミア』にチェスがちらっと出てくる。将棋の方がふさわしい場面なので作意がわからず違和感があった。先日、久しぶりに畏友からメールがっあって、「小説『天地明察』はご存じでしょうか」。渋川春海が主人公なんだそうだ。キャッチコピーは、「戦国時代の終わりを告げる「国産暦」−20年に及ぶ大事業は、ひとりの碁打ちによってなされた」。私も受信してすぐに更新すれば格好良かったのだが、もたもたしてるうちに本屋大賞が決まってしまった。

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