紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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フィリドールの本、人棋、リナレスでクラムニク優勝。

04/03/15
 小野五平、大山捨松、津田梅子に関する話を03/11/27から何日か御紹介しましたが、その筆者椎貝博美さんから丁寧なメールを頂きました。梅子は16歳ではなく18歳の設定が正しく、発表誌「近代将棋」の記述は誤っている、とのこと。さらに、正確を期して、ここはメールをそのまま引用させていただきますが、「もちろん捨松子や梅子が小野五平さんと指した記録はありません。これは私の創作です」。椎貝さんは個人で各所に訂正のお知らせをなさっているようです。私にまで連絡いただいた点について御礼もうしあげます。
 ただ、私の名誉のためにも、椎貝記事を事実と思う方が当然であることは記しておかないと。「近代将棋」には、津田梅子について「今月は彼女にまつわるエピソードを紹介する」とある。東公平の前文も、「畏友・椎貝博美氏から面白い話を聞いたので、原稿にしていただいた」で始まり、原稿筆者の人物紹介をして、「明治時代のゴシップ記事で読んだ記事が元になっている」で終わるだけなんです。
04/03/14
 うっかりとはいえ、二日も更新をさぼるとは!ネタはまだたくさんあって、後がつかえてるというのに。
 レーニンの弟が兄のチェスに関する証言を残してくれていて、畏友が送ってくれた(原文は 「プロジェクター」3号、1926年)。レーニンはチェスにも生真面目だったようで、「待った」は絶対駄目、タッチ・アンド・ムーブも厳守。早指し戦なんかもっての他だったようだ。楽な勝負を好まず、弱い相手には駒を落として指すのを好んだ。対局に熱中する二十歳ごろの彼を見て、幼い妹が「牢屋に入ってるみたい!」と笑ったそうだ。レーニンは駆け去る妹を深刻なまなざしで見つめた。弟はこう付け加えている、「兄はまだ本物の鉄格子を知らなかった。しかし、それはすでに避けることのできないもののように感じられていたに違いない」。革命後は「疲れるから」と言って、あまり指さなくなった。
04/03/11
 BlackDog氏の掲示板でピカビア対ロシェの対局を話題にした人が居た。この棋譜を畏友も長い間探していたのだが、middle-mountainさんが見つけて、カキコんでくださった。面白い勝負だ。二月十五日からの記事です、御覧ください。ダダ・シュルレアリスムの人たちとチェスの関わりは、意外なほど多い。考えてみれば、持ち時間二分の勝負なんて、チェスのオートマティズムみたいなものだ。塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』にも、ツァラについて、「チューリッヒのカフェで彼が亡命中のレーニンとチェスをしたことがあるという伝説」がちらっと書かれていた。レーニンのチェス好きも有名だ。
04/03/10
 今月のムダ話は酒を。私は多くは呑めないのだが、少し良いワインを数日かけてちょっとづつ呑むのが好きだ。こんな話をすると、「ワインの栓を開けたら、その日のうちに飲まなければいけない」とよく言われる。ワインが好きになってから七年ずっとボルドーばかりだった。いちばん多く飲んできたのはたぶん「シャトー・ラネッサン」。味の説明を私は出来ない。有名なわりにひどいと思ったのは「シャトー・ローザン・ガシー」。ハズレの年だったんだろうか。今年はブルゴーニュも試してみたい。
04/03/09
 「イングリッシュ・ペイシェント」を見た。主人公がドイツ軍か何かに間違えられしまう、その時、字幕で彼は「このドイツ野郎!」なんて罵られるのだが、私の耳には「Fritz!」と聞こえた。この名はドイツ人を指す蔑称にもなるらしい。我々チェス・ファンの家庭教師は、将棋の対局ソフトで言ったら「ジャップ」という商品名か。
04/03/08
 ChessTodayで言われて気が付いた。クラムニクが長い持ち時間でレコに勝ったのは、今回が初めてである。とても意味の大きい優勝だったわけだ。
 ここんとこ、私の日曜は仕事でつぶれることが多く、昨日もそうだったのだが、、、電話で目が覚めた。時計を見て青くなる。電話に出るべきか、しばらく見つめていた。リナレス観戦の寝不足を土曜で解消しておかなかったのが失敗である。サッカーのテレビ観戦で寝不足になるのは、ちょっとは笑ってもらえる気もするのだが、「前からクラムニクを応援してまして、それでクラムニクってのは」なんて、説明し終わるまでに解雇だろう。
04/03/07
 前にシシリアンの序盤の異変について書いたのが03/06/25。スベシニコフが猛威を振るっているのが異変の原因だが、今年のリナレスでの話もしておこう。全52局中、1.e4は30局、1...c5は19局。うち18局が2.Nf3、そのうち12局が2...Nc6。80年代からのファンにはこれだけでも驚きだが、さらに3.d4は6局、3.Nc3が6局で、3.Bb5は無かった。3.d4のすべてがスベシニコフで黒の2勝0敗4分。問題は3.Nc3の場合で、すべて左図の3...e5だったのである。昨年は年間を通して1/3くらいの頻度だった。棋士はレコが4局、あとはクラムとラジャが1局づつ。結果は全部引き分け。
 3...e5の特徴や合ってる棋風は説明不要だろう。標本数が少ないようだが、リナレスという特に勝負に辛い場での戦法である点が重要である。これからはペトロジアンを並べると勉強になる時代が来たのかもしれない。今後の傾向に注意しよう。付記07/03/17参照。
04/03/06
 リナレス最終14R。昨日の素晴らしいエンドゲームですっかり満足したので、正直、この日の観戦は適当に切り上げてしまった。とはいえ、クラムニクの単独優勝を願ってたんで、バレッジョ対カスパロフは気になってましたよ。40手くらいまで、ぼーっと眺めていたのですが、カスパロフの強い圧力を感じました。今朝、棋譜を並べてみると引き分け。バレッジョはよく耐えたと思います。かくて、カスパロフとレコが同点二位。ラジャボフは四位。私はこれを「期待」したけど、「予想」はできなかった。まだ欠点がある子だけにこの成績は嬉しいし、先が楽しみです。
04/03/05 紹介棋譜参照
 「将棋界の一番長い日」を見た。挑戦権も陥落も関係ない棋士が必死に戦う。手を合わせて拝みたくなる尊さです。ちなみに、「一番長い日」の、私の知る最も古い用例は河口俊彦「対局日誌」で、昭和55年3月18日の記述「この日は、将棋歳時記の中でもっとも長い一日である」。
 リナレスはラス前。レコとカスパロフは最後の白番。前者は優勝をあきらめたようで、あっさりドロー。後者の相手トパロフは駒の配置がどうもしっくりしない。そこでカスパロフは猛攻を仕掛けたけど、時間切迫もあり、どこかで決め損ねたようだ、ドロー。
 そしてラジャボフ対シロフ。前者ルック、後者ビショップ+ポーンの駒割で終盤に入ったのですが、雰囲気はドロー。でも、私はラジャの終盤力を買ってますし、観戦の勘には自信もあって見続けました。山っ気の無い見事な終盤でしたよ。総手数78手、日本時間午前5時58分、遂にシロフ投了。終盤の名局ってほとんどの人には興味ないでしょうが、自分の記念に紹介棋譜とします。いま6時28分、ちょっとでも寝なきゃ、おやすみー。
04/03/04 紹介棋譜参照
 私は健康管理が下手で、季節の変わり目によく風邪を引く。昨夜が発熱日に当りました。パブロンがよく効く体質なんで助かってますが、観戦は不可能でした。リナレス12R、今朝になって棋譜をチェックすると、ラジャボフが最下位争いの直接対決でバレッジョを下した模様。スベシニコフで、図からラジャは15...d5。ヤコビッチの定跡本では悪手。調べると、ラジャだけがこの手にこだわっており、昨年はドルトムントでクラムニクに完敗してる。この日の結果も駒損、それが有効なサクリファイスなのか、作戦失敗なのかわかりません。でも、途中、技が決まってからは、終盤はもう負けないぞという自信と思い切りが感じられる。そこに若さの魅力があって、紹介棋譜に。
 ところで、ヤコビッチといえば、最近はSanan Sjugirovという11歳に入れ込んでるらしい。彼が見込んで、彼が育てるのだ。きっと伸びてくれるだろう。写真を見ると、顔は東洋系である。
04/03/03 紹介棋譜参照
 リナレス11R。やっぱりクラムニクの調子は上向いていた。レコ戦、クラムニクの黒番でスベシニコフ。ルックを盤の中央に出す構想が堂々としていて、レコ陣に圧力を掛けながらe3に強力なパスポーンも構築。いまFritzで調べると白良しだが、私は久しぶりにクラムニクらしさを感じてとてもうれしかった。図は最終局面、ここではもうクラムニクの勝ちになっている。まず、33...Bf6、そして、是非ないレコの34.Rxf6に対して、決めた!34...Qc2!! さあ、紹介棋譜を御覧ください。これでクラムニクが首位に立ちました。
 ラジャボフ対トパロフは、ラジャがポーン2個を捨てて、トパロフに入城の暇も与えずに押し込んだけれど、23手でドロー。シロフ対バレッジョは日本時間の4時半現在、つまり5時間戦ってまだ決着が着かない。いま45手。駒損のバレッジョがよく持ちこたえてる。追記やっぱドローでした。
04/03/01
 今日は朝から出張で、そこから職場に戻って残業、いま帰宅。23時。仕事が忙しくなるのがわかってしまい、これから一年は私の更新力が試されそう。チェスが楽しいゲームなら続けられる、とは思ってます。さて、リナレスは10R。白トパロフがスパニッシュで黒シロフはチゴリン定跡。がっちり組み合って、でも手詰まりではない、といういかにもトパロフ好みのチェスでした。シロフに悪手が出て転落。他の二局はドローで、ちょっと言いたいこともあるんですが、もうこんな時刻では本日中の更新がタイムトラブルです。ではまた。
04/02/29
 リナレス9R、三局ともドロー。カスパロフがスコッチの黒番で、ラジャボフに駒得して長い終盤へ。じりじり追い詰めたが、最後のところで勝ちを逃した。ラジャも上手に粘っていたので、カスパの単純なミスとも言えないだろう。
 他の二局はスベシニコフ。ヴァレッジョ対トパロフは図から13.Nxb5。昨年にカルヤキン、今年ではショートがやった手で、勝率はパッとしないが、この日は白もポーン三個を得て悪くない流れだった。また誰かが試すかも。
 シロフ対クラムニクは黒がポーンを捨てて白の玉頭に迫り「さあ!」というところで合意ドロー。このタイミングだからICCのギャラリーは非難号々。「ドローニク」というあだ名は定着した観がある。ただ、私の好意的な目には、クラム復調の兆しと見えないこともない試合だった。
04/02/28
 リナレス8R、三局ともなかなか面白く始まったのだけど、二局がさっさとドロー。唯一、50手まで戦ってくれたのがカスパロフ対シロフだったが、これもドロー。改心したか黒のシロフはまともに戦って、一時はついにカスパロフに初勝利しそうな流れだった。返す返すもレコ戦の負け方が腹立たしい。
 昨日ふれたSOSは序盤の奇手を扱う企画で、昨年、本にもなった。で、奇遇なことに今日、NICから畏友に「買いませんか」というメール。その文面が面白い。カールセンが、こないだ私が御紹介したドルマトフ戦で使った2.d3は、まさにこの本で紹介されてる手なのだと。ニクい売り込みである。
04/02/27 紹介棋譜参照
 NICの本年第1号はフレンチ好きには面白かったはず。ティマンのMacCutcheon論では久々に彼を尊敬できたし、SOSの記事は「白の三手目がNc3だろうとNd2だろうと黒はh6で対応してみろ」という楽しい記事でした。それから、ドボレツキーがアリョーヒンの棋譜を解説してくれていて、これがまたフレンチ。そこで名コーチいわく、「ドローが欲しくって消極的に戦うと、相手に主導権を渡してしまう。明らかにそれは相手のお手伝いだ」。
 長いマクラだったけど、シロフがレコ戦に選んだのはペトロフ。彼が先月のアナンド戦でやった程には露骨ではなかったが、目標はドローだったと思う。結果はドボ先生のおっしゃるとおりで、ずるずる調の敗北。とはいえ、レコの終盤は見事だったから、その部分を紹介棋譜に。また、カスパロフとクラムニクもそれぞれ一勝を挙げた。いずれも負けた方に問題がある凡戦だったが、とにかくこの三人の優勝争いである。かくて前半戦が終了。
04/02/26 紹介棋譜参照
 リナレス、図はシロフ対ラジャボフで白番。駒を捨てたシロフがここまで苦心して主導権を維持してきた。「でも結局引き分けだろう」と判断し、私は就寝。ああ!ここからが見せ場だったのに。シロフは29.Bc1。その狙いを正確に見極められなかったのか、ラジャボフは29...Qe7。そこで出ました30.Bxh6+!。紹介棋譜を御覧ください。シロフは好調だ、と主張し続けてきた私がマークを外した途端に活躍ですかあ。おまけにラジャを沈めて。
 Aeroflotが終了。ギネス・ブックの調査員が来たらしい。たくさんのGMが参加した大会なんだとか。優勝はルブレフスキー、大きな大会の優勝は初めてかも。写真を見る限り純真そうな人です。同点の二位はベテランのバガンヤン。カールセンは203人参加の40位。好局を残してくれたので、まあ良いでしょう。
04/02/25 紹介棋譜参照
 ChessTodyがカールセンのドルマトフ戦を解説してくれた。これもすごい棋譜である。知らぬ間に展開力で圧倒的な差がついてからサクリファイス、その後がまたごく自然な流れでたったの19手。最後、黒がビショップを取っても、白Nxd5以下、とっくに終わっているのだとか。
 五月に予定のFIDE世界選手権。本気かよ、リビアでやるつもりだ。この国が平和国家への転身をアピールしたいのはわかる。けど、ゲルファンドやスミリン等、イスラエルの選手は納得して対局できるんだろうか。
04/02/24
 リナレス、五日目も、、、うーん。三局いずれも熱心に戦ってくれてはいたけど、わりと早い段階から、私の目にはすべてドローに見えた。あきらかに誤った見方だが、気分がそうなってる。ここまで15局のうち14局がドロー。
04/02/23
 リナレス、四日目も全部引き分け。クラムニクに至っては今日までの総手数が80手である。
 カスパロフとシロフの仲がこじれて、もう長いこと握手してないのは有名な話。でも、どうやら和解したらしい。恥ずかしそうに手を出し合ってる写真がなかなか良いではないか。
04/02/22
 リナレスは三日目も全部引き分け。レコ対カスパロフが良い試合だった。カスパロフが積極的なサクリファイスを見せ、レコも駒を捨て返して逆襲した。対して、クラムニクに覇気が無い。ヴェイカンゼーの中ごろから次第にICCのギャラリーの非難も高まってきた。しかし、調子が悪いときは短手数のドローで耐えて、チャンスを待つしかあるまい。
04/02/21
 リナレス、二日目は全部引き分け。この程度で文句を言ってたら、リナレス観戦の資格は無い。
 私の職場まで、田舎道を選んで歩くと一時間くらい。午後からの出勤で良いときは、CDウォークマンを聴きながら散歩して通勤することも多い。昨日は久しぶりにモーツァルトのオーボエ協奏曲にした。この曲には20年くらい前の良い思い出がある。それにつられて、他の良い思い出まで、いわゆる雪だるま式に付属している。そして、別にいまの私が不幸だとは思わないのだけれど、これだけ美しい曲だと、歩きながら、どうしても泣けてくるのだ。まあ、まだ私はオーボエ協奏曲だから救われている。 これがもしクラリネット協奏曲に良い思い出のある人なら、道端にうずくまってしまうだろう。
04/02/20
 昨年のリナレスはレコがラジャボフに二勝したのが優勝の決め手だった。今年は初戦からこの組み合わせで、レコが黒。好調時の彼は強い決意を感じさせてくれる。そこが魅力で、図から21...f5。ただ大人しいだけと思っていた青年が、ぐいっと難しい局面へ踏み込む。この地味な呼吸が伝わると、あなたもレコをちょっと好きになれる。私もちょっと好きだ。対してラジャは22.e5。たぶんこのあたりから読み負けており、ごく単純な駒損で勝負が着いた。二年連続最下位だけは無い、と私は信じていますけど。
 モスクワではAeroflot Openがあって、これも大きな大会。昨年はここで優勝したボロガンがドルトムントの出場権を得て、そしてどうなったかは御存知のとおり。棋譜が手に入らないのがもどかしいが、私の(私たちの!)カールセンも出ていて、おお、ドルマトフを破ったようだ。
04/02/19
 いよいよリナレス。とはいっても、優勝候補同士が警戒しあって、短手数のドローが続くことも多い大会です。あんまりはしゃがずに眺めるのがコツ。参加者の相性、調子、負けられぬ立場を考えると、優勝者の予想は難しい。Bettsonの賭け率を確認したらKasparov:2.0, Kramnik:4.4, Leko:8.0。私が賭けるならレコに。彼向きの大会だし、ヴェイカンゼーで好調だった。もう一つの見所はラジャボフの成長ぶり。名局ひとつと四位を期待。
04/02/18 紹介棋譜参照
 昨日の記事、アリョーヒンの人柄が私の先入観とはずいぶん違います。同じ驚きを持たれた方もいらっしゃるのでは?さて、今月はフィリドールの話をしましたし、ちらっと"トルコ人"と口走ったところで思い出しました。Mouretのことを。フィリドールの甥っ子です。そして何を隠そう、トルコ人を操作していた一人です。あの箱に入って、pawn and moveを相手に与え、300局以上指して、6局しか負けなかった、というのだからたいしたもの。相手には強いのも居て、たとえばコクラン。19世紀ロマン主義の創始者と言ってもいい人ですね。その彼に対してさえMouret-Turkは上記のハンデを与え、しかも3勝1敗1分と勝ち越しています。偉大な叔父さんと似た感じのを一局、Levittの本から紹介しておきましょう。白があまりに下手糞なんで、ほんとにあのコクランなのか、とも思います。
 もう一言、Mouretなんですが、金のためにトルコ人のカラクリをばらしてしまった人でもあります。
04/02/17
 前に"トルコ人"に関して、昭和前半を代表する探偵小説の雑誌「新青年」に触れた。さらに調べると、この雑誌は将棋の記事をずいぶん載せてることがわかった。特に、木村義雄十四世名人がよく書いている。彼自身が探偵小説のファンだったことが関係してるんだろう。チェスに関するのもあって、昭和8年の四月増大号に木村は「世界選手アレキン氏の横顔」を寄せている。アリョーヒンが来日した際、木村と指してるのは御存知のとおり(ただ、彼の名局集にあるのは本当の木村戦ではない)。「初めて逢つた私の第一印象といふものは、想像してゐた以上、なごやかで気持がよかつた。その如何にも親しみ易い態度、それでゐて少しも礼譲に欠けない応接、だんだん話してゐると、言はれることがまことに率直で、少しも邪気といふものがない」。意気投合したようだ。国籍の違いなんぞ「忽ちどつかへぶつ飛んで」しまった、と書いている。
04/02/15
 終盤の指南書を読むたびに思うのは、「これをChessBaseで見れたらなあ」。この夢をドヴォレツキーがかなえてくれた。"Dvoretsky's Endgame Manual"のCD-ROM版がそれである。ペーパーバック版より圧倒的に優れてるとまでは言わないが、疑問に思った手順を即座にFritzやTablebaseに掛けて調べることが出来るのは便利だ。問題集を解くようにしながら一手一手を再現できるのも良い。恥ずかしながら、私はこの歳になるまでdistant-oppositionの感覚をつかめずにいたのだが、これを使って何度か練習してるうちについに会得できた(と思える瞬間があった)。
04/02/14
 そろそろアマゾンチェックの時期ですが、すごーい、一位はこれだ。
 Edmonds, Eidinow, Bobby Fisher Goes to War, 2004, Harpercollins
 畏友と私だけで盛り上がってたわけではないんですね。畏友によると、ショートが激賞してるとのこと。私が注文した一冊もこの一位に貢献してるはずです。二位、三位は知らない著者の知らない本でした。
04/02/13
 シャンチー(中国将棋)の話題が本欄に出てきたのは、畏友が何か嗅ぎつけたらしいからで、人棋はその副産物です。彼が調べているのは謝侠遜(Xie Xiaxun, 1888-1987)。「棋檀司令」の異名をもつ強豪、おまけに長生きの「百歳棋王」。文筆活動も盛んな人で、中には「万国象棋」というのがあり、つまりチェスを語ってるわけです。これを含む本をアリョーヒンに進呈したことがあるらしい。チェスの棋譜が見つからないのですが、1936年には何かの国際大会で優勝している。熱い人だったんでしょう、対華21ヶ条要求(1915年)の時には国を憂えた曲詰を作ったり、1937年には抗日運動の資金を集める活動もした。前者は連作で、未確認ながら「莫忘国耻」の字が浮かぶとか。シャンチーでどうやって?
04/02/12
 先月お話した人棋(象棋の人間将棋、Living-Chess)、畏友がいろいろ調べてくれて、1927年でなく、どうも1931年と考えた方が正しいようです。絶対に1927年でないという完全な確証は無いんですが。畏友によれば、1931年の人棋は日本の小学生にあたる子供たちが駒を演じたとのこと。さらに、現代の人棋の画像も教えてくれました。駒に扮してるのはダンサーのようです。
04/02/11
 フィリドールの本、まだまだネタが詰まってるさすがの古典ですが、ここらで切り上げて月に一度のムダ話を。この一年で見た展覧会からひとつ。有元利夫展です。東京駅の美術館で畏友と見て、その後、別の人を誘って京都駅の美術館にも見に行ったほどのお気に入り。私はクイケン兄弟の古楽演奏が好きなんですが、彼らのCDジャケットによく使われてるので知りました。イタリア・ルネッサンスを思わせる古風なフレスコ画ですが、そこに平家納経なんかに影響を受けた装飾性が加味される。代表作として三作あげておきましょう。1985年、38歳で没。畏友に聞いた話では、最後の言葉は「背中に羽が生えてきた」。
04/02/10
 Lucena Positionも本によって様々なのだが、黒王が白ルックによって白ポーンから遮断されてるのが特徴。サルヴィオの本にあるのはたぶん左の図だ。
 昨日述べた"黒の失敗例"は実は途中まで互角である。ウォーカーの注を紹介棋譜に入れたが、彼の指摘が正しい。また、もっと調べたら、ウォーカーより前の局面で、ラスカーが引き分けの手順を解説しているのを発見。これも棋譜に組み入れておいた。橋渡しも気になって調べたのだが、Stauntonの"The Chess Player's Handbook" (1847年)には紹介されている。使われた図は左とまったく同じだ。ポーン一個のルック・エンディングを検索すると、最初の橋渡しの実例を見せて勝ったのは1856年のカニンガムで、相手はローエンタールである。
 さて、最後は勘になるが、フィリドールは橋渡しを知らなかったのではなかろうか。
04/02/09 紹介棋譜参照
 フィリドールの本は前半分が序盤定跡に費やされている。が、私が真っ先に調べたのは、いわゆるPhilidor Positionだった。Lucena Positionと双璧の、終盤の解説書でおなじみの図だが、本によって駒配置が異なる。いろいろ事情があるのだろう。私が買った本では左の図になった。
 御存知のとおり、Philidor Positionは引き分けである。黒王が白ポーンと同じ筋に居るのが要点。フィリドールが解説した手順をそのまま紹介棋譜にした。黒ルックはa6-h6のライン上を往復し、白ポーンがこのラインまで進むのを待つ。白Pe6になった瞬間、黒ルックはa1やh1などに飛び、白王の背後からチェックを続ければドローを得られる。
 フィリドールは黒の失敗例も挙げており、それも紹介棋譜に含めた。この場合はLucena Positionになって白が勝つ。が、興味深いことに、彼が示した手順はルセナの有名な「橋渡し」ではない。ちなみにLucena Positionは1497年のルセナの本ではなく、1634年のSalvioの本で初めて出版されたとのこと。また「橋渡し」の名付け親はニムゾビッチである。この手順も紹介棋譜に入れた。
04/02/08 紹介棋譜参照
 フィリドールの名言「ポーンはチェスの魂」は誤解されて、「チェスはポーンが最重要の駒で、これを昇格させるためのゲームだ」と解釈されることがある、という。ただ、彼の棋譜を並べると、べつにそれは誤解じゃないぞ、と思うことが多い。本の最初に載ってる一局を紹介棋譜にしよう。形の上では分析用にフィリドールが創作した棋譜だが、実戦から取材した可能性は大きいと思う。鑑賞のポイントは、白が、K翼のポーン数で優位に立ち、そこから昇格を狙う戦略を理解していることだ。ただし、フィリドールはそうは書いていない。「d4とe4のポーンをそれ以上は進めずに。敵ポーンと当たって初めて前に出すこと」という意味のアドバイスはあり、これに従ってK翼にPawn Majorityが出来る流れになっている。また、彼はfポーンを伸ばすことを重視した棋士だが、その理由もわかる気がした。fポーンがe5ポーンを強く支えてくれるのだ。終盤に関しては「自分のビショップと違う色のマスにポーンを置け」と教えている。32手目がそうだ。現代では常識だが、これは当時の新知識だったんだろうか。なお、序盤の数手はいかにも18世紀だ。7.Nge2からがフィリドールらしくて、7.Nf3ではfポーンの邪魔になる、と考えている。ウォーカーは7.Nge2に批判的な注を付けた。私に善悪はわからぬが、とにかく、7手目からfポーンを使う終盤を思い描いているのがフィリドールの個性だ。
 他にも見所がたくさんある棋譜です。ぜひ、並べてみてください。
04/02/07 
 Philidorの"Celebrated Analysis of The Game of Chess"を買えた。1832年にWalkerが訳し編集したもの。BlackDog氏の掲示板でmiddle-mountainさんに購入法を教わったのだ(畏友さえ「詳しい人だなあ」と言う)。原書の初版は1749年で(事典によって題名が微妙に違う)、Philidor存命中に二版(1777年)と三版(1790年)が出ている。史上初の本格的な棋書と言ってもいい、画期的な本だったらしい。それ以前の本に比べ、解説がとても詳しいんだそうだ。Walkerは三版を使ったように思うが、確認できてない。追記05/11/19以下参照。

戎棋夷説