紹介棋譜 別ウィンドウにて。
HOME
現在に戻る
フィッシャー、フィリドール、若島正。

04/09/25
 詰将棋にも作品の鑑賞に使える用語がいろいろあるが、プロブレムの方がはるかに豊富で細かい。そうした用語で解説されて初めて、作品の価値に気づくということも多い。若島正『乱視読者の英米短編講義』にも同じことを思った。いや、用語に関してではない、解説されて「ああそうか」と気づかされるところがだ。ためしに創元推理文庫『怪奇小説傑作集3』のコッパード「アダムとイヴ(とツネッテ)」を読んでみる。私でもいくつかのことに気づいたが、その後で『乱視読者』を読む。すると、もっとたくさんのことに気づかされるのだ。簡単に言えば、テクストを暗号のように読み解くということで、さすがナボコフを読む人はその鍛えが違う。用語や名作を覚えても、そうした視線を持てなければ、プロブレムの作意解読も出来ないだろう。09/20の私のような「ただ凝視する気づき」の人にはつらい世界の気もしてきた。
 プロブレム用語の勉強にはRiceの"Chess Wizardry"が必携である。
04/09/24
 日本チェスプロブレム協会のページに「チェス・プロブレムとは何か」というコーナーがある。若島正が担当していて、オーソドックス問題のMate in Two まで仕上がった。気楽な読み物ではなく、実は私もまだ読みきれてないのだけど、Mate in Twoの最初の一題だけでも、読んでみてください。解答だけでなく、作品の鑑賞も重要な要素であることがわかります。そのうち、三手詰やヘルプメイトの解説も追加されるはずで、完成したら一冊の本にまとめてほしい。インターネットの閲覧よりは読書に向いてる内容に思えます。
 功利主義に加担したくはないですが、私の経験からして、二手詰を解くのは実戦の棋力向上に役立ちました。レイティングにしたらたぶん50は上がった。きっちり読むという体験が貴重だったわけです。中級者が、「プロブレムの局面は実戦に現れないから、解いても意味が無い」と考えるのは、「自分の指さない定跡は、覚えても実戦に現れないから意味が無い」と考えるのと同じくらい、脳の軽さを暴露しています。
04/09/23
 クラムニクの国際デビュー地ともなったギリシャのハルキディキ(カルキディキ)で、プロブレムの世界大会が開かれ、ChessBaseでようやく報じられた。解図の部門には世界チャンピオン経験者がぞろっと11人も参加して、史上最強の大会になった模様。優勝はナン。しかも、1978年と1992年と今回の成績によって、解図のグランドマスターにもなったとのこと。FIDEのグランドマスターも合わせ持つ棋士は、これまでにも、メステル、ソファー(知らん)の二人しか居なかったんだそうだ。
 いやいやいや。もっと嬉しい話がある。この選手権のベスト10を見よ。10位に居るではないか、我らが若島正!「エンディングの知識が十分ではなく、この競技ではスタディで苦戦する」という文章を前に読んだ記憶があるのだが、そのあたりも克服されたのかもしれない。お祝い申し上げます。同じ年に文学賞も獲得した、これも稀なる快挙である。
04/09/22
 畏友はルイス・キャロルのファンである。東京図書版『鏡の国のアリス』はマーチン・ガードナーの注が面白く、私も通読はせぬものの、気になる部分はこれで調べる。さて、畏友が「148頁の注を見よ」と言う、どれどれ。『鏡の国のアリス』にチェスが使われてるのは皆さんも御存知のとおりだが、これはキャロル自身の話題だ。彼が発明した品物として紹介されてるのが、「駒が杭状になっていて穴にさしこむようになっている旅行者用チェス」。なんと。
04/09/20
 アマゾンのチェス洋書の売り上げ一位を毎月チェックしてきたけど、常連にほとんど変化が無いので、毎月というのはやめてしまおう。個人的な近況報告のムダ話を増やして代える。
 DVDを買って一年になるが、以来、映画なんてどーでもよかった私が月に十本以上も見るようになった。棋譜を年に六百も並べると、「人間対機械」には興奮しなくなるものだ。映画でも似たことが起こる。「エイリアン」が退屈に思えて最後まで見きれず、ブレッソンの「ラルジャン」を夢中で三度も見返す眼玉になってしまった。
 「ラルジャン」には扉の開閉がよく出る。「無駄な描写」が長く、そして、「かんじんな殺人場面」は省略される。私はそれがうれしくて、店員がカメラを箱に収めるだけのシーンをじっと見てしまう。満州皇帝溥儀の生活はすべて人任せで、後に彼が収容所に送られたときはドアの開け方も知らなかったという。溥儀は悪くない。ドアが開くというのは大変なことなんだ、と我々も気づくべきなのだ。「ラルジャン」は気づかせてくれる。扉の開閉が厳粛な事件として扱われている。以前は無駄な描写に出会うと「これは何の意味だろう」と思ったものだが、その場面はただ凝視されることのみを欲していたわけである。テレビとも演劇とも異なる映画的な画面の特質がここにありそうだ。
04/09/19
 九月のムダ話はこの一年で聞いたCDから一枚を選ぶ。モーツァルトのバイオリン・ソナタの40番から42番を初めて聴いた。40歳を過ぎてこのざまである。一曲なら地味な41番変ホ長調(K.481)を。第三楽章が変奏曲、第二楽章も変奏味のロンドという変な構成だ。金に困って書いたという話もあり、確かに力作ではなく、と言って、ウケて儲けようとした華やかさも無い。が、もともと「ディアべり」以外は変奏曲に退屈する私が、この二つの楽章には引き込まれた。典雅な扇をくるくると、手持ち無沙汰でうつろなモーツァルト。小林秀雄がランゲ筆の肖像に感じたのも、こんなことだったか。ただし、深刻に聴くと耳はかすってしまう。高橋英夫『疾走するモーツァルト』もこの曲の不思議なムードに言及してた、「不安と夢幻と顫動の転調、および半音階」。演奏は大好きなバリリにしよう、相手はスコダ、名コンビである。彼らの42番が無さそうなのが残念だ。
04/09/18
 『ダ・ヴィンチ・コード』を読むと秘教的秘密結社に興味が湧いてくる。とりあえず、基本中の基本のフリーメーソンを調べようと、本をめくってみたら、白と黒の市松模様が床にたくさん使われていた。儀式を仕切る「グランドマスター」なんてのも居て、これは偶然の一致なんだろうけど、チェス盤とフリーメーソンって、どこかでつながってるのかなあ。呉清源の自伝では、碁盤は宇宙を表す天文用具だったとのこと。チェス盤にもそんなイメージがあったら面白いんだが。
 モーツァルトがフリーメーソンのメンバーであることは有名だ。チェス棋士はどうだろう。Angelo Soliman(1721-76)というメンバーはチェスが強かったそうだが、初めて聞く名前である。元は黒人奴隷だった。モーツァルトと一緒だったという話もあるが没年を信じれば、それは変だ。よく確かめる必要がある説として書き留めておく。
 それにしても、『ダ・ヴィンチ・コード』の結末について、「あれって、ああだよね」と確認したいんだけど、相手が居ない。
04/09/17
 「羅経盤」で検索して本欄にたどりつく方も多いのでもう一言。神戸は南京町の雑貨屋さん空龍。小さい店ながら横浜中華街より風水グッズが揃ってます。無論、安価。象棋もあり。もっとも、私が買ったのは毛沢東がプリントされたTシャツでした。
 『ダ・ヴィンチ・コード』に一箇所だけ「チェス」という言葉が出てくる。上巻199頁、「男は黒い長衣(チュニカ)をまとい、仮面も黒い。さながら巨大なチェス盤の駒だ」。たったこれだけなんだが、「チェスの駒だ」ではなく「チェス"盤"の駒だ」とあるから、この場面、床は白と黒の市松模様かもしれない、と想像した。
04/09/16
 記憶ちがいか?前日の話、FIDEのページを見ると25日が期限に変わってる。FIDEネタをもう少しすると、会長キルサン・イリュムジノフもブッシュ大統領にフィッシャー救済を求める書簡を出してくれた。キルサンとか、「ボビーを救えTシャツ」を着てくれたポノマリョフとか、好い奴ばかりだ。みんな、もう悪口を言わないように。
 古い新聞記事だが、7月22日の読売新聞「記者抹殺−ロシア」。モスクワのNGOによれば、「1991年のソ連崩壊以来、露国内で『取材上のトラブル』で殺された疑いのある報道関係者は百十二人に上る」とのこと。イリュムジノフが治めるカルムイキアは「露国内」の共和国である。したがって、サラ・ハーストが『キルサンの呪い』を捧げたラリーサもこの百十二人の一人であることは間違いない。ラリーサの死はちっとも特殊なケースではなかったんだな、と改めて驚かされた。ただ、Sarah Hurst "Curse of Kirsan"はそれだけを追った暴露本ではなく、興味深い取材に満ちていることは付け加えておく。畏友の受け売りだが、それだけに皆さんも信用してくださるだろう。
04/09/15
 フィッシャーの裁判、畏友が問い合わせてくれたところ、日程は未定とのこと。以前の問い合わせの感触では九月上旬かもなんて思ってた。和解のための交渉に時間が掛かってるんならいいんだけど。
 今日がカシムジャノフ対カスパロフのマッチの開催地候補が名乗りをあげる期限日なのだが、さてどうだろう。前々から気になってることを言えば、このマッチは「世界選手権の優勝者」対「FIDEレイティング第一位棋士」の決戦である。開催地の決定が長引けば、前者はともかく、後者がアナンドに変わってしまい、話がややこしくなりはしまいか。
04/09/14
 24日の段階で難民の申請は却下されたが、それでも日本での裁判で、08/22に紹介した申し入れ書の精神が活かされるよう願うことはできる。また、旅券取消しの告知が適切でなかったことはアメリカも認めている。この不適切さは過失ではなく、逮捕を容易にするため、故意に告知されにくくした気がする。楽ではなかろうが立証できれば、万が一、アメリカでの裁判になっても勝負にはなろう。
04/09/13
 皇帝陛下の掲示板でKeres65さんに、フィッシャー事件の記事を集めたページがあるのを教わった。ざっと見て、忘れてたことを思い出し、確認のためニューヨークの日本総領事館のページを見た。こうある、「2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、米国の出入国管理は著しく強化されており、滞在期間等も厳格に適用されております」。アメリカ人の海外渡航の管理も強化されてると考えていいだろう。なら、これは大きな要因だ。
 そもそも、1992年の逮捕状の目的は、フィッシャーをアメリカに帰れなくすることだった。つまり国外追放である。逆に言えば渡米以外の諸国行脚は許されており、1997年のパスポート更新も問題無かった。実質的に終わった話だったのだ。ところが上記のように事情が変わる。そこへ、昨年のパスポートの増ページが重なり、これが「寝た子を起こす」結果になって、改めてフィッシャーのパスポートが検討され、失効させるのが逮捕状の趣旨に合う、という判断が下ったわけである。
 この判断の最終的な段階には、失効と拘束にまつわる騒動や面倒も勘定に入っていたろう。それを避けたいなら、フィッシャーに何らかの警告を与えて空港に近づかせない、という選択肢は十分あったと思う。フィッシャーをこのまま泳がせておく面倒と、捕まえてしまった後の面倒と、私が役人なら前者を選ぶが、後者を引き受けようと思う者もあろう。そして、後者が現世で採用されたということだ。二ヶ月ほど考えてこんなものだが、私の結論としたい。
 フィッシャーの反米や反ユダヤの発言が拘束理由ではないか、あるいは、ジェンキンス脱走兵に関する日米外交の取引材料になったのではないか、そうした懸念疑念が真相を突いてるとは言えない(追記、現在の私は反米発言が拘束理由だと思っています。05/05/13 参照)。フィッシャー側もこれは認めないと、対策を誤るだろう。それでも、これが「政治の渦」に巻き込まれた事件であることに変わりは無い。囲碁将棋も含め、政治と無関係に棋士が対局できるわけはない。ただ、すでに役割を終えた逮捕状の帳尻を合わせるために拘束されたのが無念である。
04/09/12
 フィッシャーの件に関し、羽生善治から一言あるだけでいい、と書いたことがあるが、彼が小泉首相にあててメールを送っていたことがわかった。五日のこと。全文が伝わってないのが残念だが、記事の引用でも彼の志はうかがえる。
 いわく、「フィッシャーさんはチェス界のモーツァルトのような存在で、残した棋譜は100年後も色あせることなく存在する。可能ならば日本国籍を差し上げてチェスに打ち込める環境を提供することができないでしょうか?」。端的に羽生は「チェスに打ち込める環境を提供する」と言っている。卑しい輩がフィッシャーに向け、"日本でチェスを普及して"、果ては"将棋を覚えて"と、彼を救う気も無いくせに虫の良い思い付きを述べているが、全員、羽生の高潔さを前に悶絶すべきだ。
 さらにいわく、「政治の渦に巻き込まれないよう格別のご配慮をお願い申し上げます」。この一文はよくよく考えてのことだろう。フィッシャー自身が「政治の渦」を巻き起こしている。しかし、それくらいは羽生もわかって書いてるはずだ。もう少し聞きたいところである。もっとも、忖度するに、ここは理屈ではない。彼は議論しようとしてるのではない。棋士が己のこととして、危機に反応したまでだろう。この高潔さに私は軽く悶絶する。
04/09/10
 ラモーの甥は「レガルとフィリドールをのけりゃ、ほかの連中はなんにもわかっちゃいませんからね」と言う。そうして話は天才論議に移っていくのだが、天才という概念の確立も18世紀の始まるちょっと前らしい。ディドロの書き振りでは、棋士フィリドールは天才に分類されているようだ。現代人は、10代のグランドマスターが登場すればそれだけであの子は天才だと評するが、本当はそんな軽い概念ではない。
 たとえば、フィリドールは本を書いた。本格的な最初の棋書だ。瞬く間に広まったが、それはチェスの本が出たというだけでも衝撃だったんだろう。啓蒙主義の時代だなと言ってしまえばそれまで。こんな本が出てもいいんだろうかと当時は心配になった人も居たに違いない。知恵の木の実を食べ飽きた我々にはピンとこないが、チェスの本という前代未聞の思いつきあってこそフィリドールは最初の天才だと思う。
04/09/09
 番組の途中ですがニュースです。共同通信8日の報道によればこの日、東京地裁はフィッシャーの国外退去を差し止める決定をした。裁判の結果を待て、ということだ。妥当な決定だろう。「パスポートが無効であるとの告知が米当局から無かったとする、フィッシャー氏の主張に、入国管理局は的確な反論、反証をしていない」(鶴岡稔彦裁判長)。入国管理局は米大使館からの要請を無批判に実行しただけで、たしかに反論反証の能力も意志も無い。強制送還を強行しようとした先月24日の一件に至っては、一刻も早く厄介払いしたいという態度が明白で言語道断だ。
 報道をそのまま引用すると、「フィッシャー氏は4月に入国し、7月にフィリピンに向かうため成田空港で出国手続き中、入国時の上陸許可が取り消され、入管難民法違反の疑いで拘束された」。何か変な話だが、報道や法律って変なものなんだ、と思おう。裁判はこの"上陸許可取消しの取消し"をフィッシャーが求めたもので、無論、日本での裁判である。
04/09/08 紹介棋譜参照
 いまディドロ『ラモーの甥』(岩波文庫)の注を見てるのだけど、『百科全書』の項目「チェス」には「フィリドールの名人振りが特筆されている」とある。見たいなあ。ディドロとフィリドールは交友があったようだ。成立から出版にいたる事情がややこしい『ラモーの甥』だが、作者が想を得た1761年頃のパリが舞台で、話はカフェ・ド・ラ・レジャンスで始まる。チェスの歴史に欠かせぬカフェであり、この作品でも、「深謀遠慮のレガルや感の鋭いフィリドールや手堅いマイヨなどが腕くらべをする」場所として紹介されている。最初の話題も無論チェスだ。
 ちなみに、レガルはフィリドールの師匠で、彼の名は"Legall's mate"に残っている。紹介棋譜の詰手順に由来するようだが、オックスフォードのチェス事典によれば、これが現存する唯一の棋譜らしい。
04/09/07
 18世紀、と何度か書いた。たまたま小田部胤久『芸術の逆説』という本を読み終わったところである。我々の抱く芸術観は18世紀に形成されたということを、当時の美学理論を丹念に紹介しながら論証した本で、つい、フィリドールの活動はどうなんだろう、と気になった。18世紀以前の芸術理論を「模写説」という。たとえば、美人を描いた絵が美しいのは、まずモデルが美しいからで、画家もそれを上手に写したからだ、という説である。画家に彼独自の感性は必要でなく、要するに、彼は「芸術家」ではない。また、鑑賞者が嘆賞するのも絵の美しさではなく、絵を通した美人の美しさに対してである。つまり、絵はそれ自体で存在する「作品」ではない。芸術家が作品を創るという、我々にはあたりまえの芸術活動は、まだ300年の実績さえ無いというわけだ。フーコー『言葉と物』冒頭を想起しても面白い。
 時代が進むにつれ、音楽が何の模写でもない純粋芸術として至高の地位を与えられていく流れは読める。フィリドールは第一陣の芸術家として喜歌劇を作曲していたんだと、考えてみたくもなる。では彼のチェスは?
04/09/06
 ポーンをじっくり組み上げるフィリドールの棋風と通ずる響きが「魔法使い」にあるかな、と期待したが、私には全く聞き取れなかった。けれど、期待外れということはない。音楽として立派な作品だったのである。親しみやすい曲が多く、旋律に才能を感じるが、しっとりした曲にも格調があった。おしゃべりを続けるヒロインの独唱に、男の歌がすっと差し込んで二重唱にふくらむあたり、モーツァルト・ファンなら「おお、これこれ、この感じ」と満足するはずである。FIDEは、オリンピアードの前夜祭なんかに、これを上演したらどうだろう。金はそんなふうに使いたいものだ。
04/09/05
 初期フランス喜歌劇では、作曲家は台本に合わせて民謡や流行歌の旋律を編曲するだけだったらしい。それが次第に自分のオリジナル曲で観客を喜ばすことが出来るようになる。フィリドールはそんな新様式確立期の代表的な作曲家の一人だったそうだ。我々の耳には「いかにも18世紀」だが、舞台の状況や心情に合わせて作られた独自のメロディーが流れるというのは、当時の観客には斬新な趣向だったのである。
04/09/04
 フィリドールの作品で最もよく名を聞くのは「トム・ジョーンズ」だろう。私が先月入手したのは「魔法使い(Le Sorcier)」である。こちらの方が喜歌劇の作曲家としてのフィリドールの特徴が出てるらしい。初演は1764年。18世紀の音楽を聞くたびに「モーツァルトそっくりだ」と思うが、「魔法使い」も例外ではない。スザンナみたいなタイプの町娘をめぐるラブコメだから、なおさらである。モーツァルトが18世紀の人である以上、似るのは当たり前で、実際はフィリドールの方がずっと早い。ちなみに「フィガロの結婚」は1786年だ。
04/09/03
 図はSilmanの"Amateur's Mind"から、白番。"How to"より面白いだろ、って宣伝してあげたい。さて、この局面をどう評価するか。ポーンの形に大きな差は無く、お互い特に厄介な駒を抱えてるわけでもない。違いは、白はビショップ、黒はナイトを持っていることで、これはちょっぴり白が得。この差を広げたい。私のレベルでもこれは自力でわかる。けれど正解手順が浮かばないのだ。多分、Bg5からBxf6を考える。さらにNd5と進め、ここでナイト交換を強制してexd5とすれば有力なパスポーンが出来る、とふむ。つまり、ちょっぴりの得が明確な有利に変換されるわけだ。
 私と同意見の人が居ると思う。この本にもまさにこんな中級者が登場する。そして、この中級者の失敗を詳説してくれるのが本書の特徴。私の発想の何が悪いのか、よく読むとなるほどと思う。形勢判断の基礎用語を知ってるのに有利な局面を作れない、そんな読者に役立つ本です。
04/09/01
 逮捕状を出した後でもフィッシャーの無頼を長らく放置してくれてたのだから、アメリカは本気で彼を捕まえようとはしてなかった。いつごろ変わったのか。パスポートの増頁が言わば「寝た子を起こした」のかも、と畏友に言われて、それはあるな、と私は思うようになった。お尋ね者が自分から大使館に出向いて驚かせてしまったわけだ。問題は、スイスではお咎め無しの後にパスポートを取り消して日本で拘束するという経緯である。たんなる事務処理の自動的な流れなのか、それとも、フィッシャーを確実に逮捕したいという積極的な意志が働いたのか。かなり私は長考したのだがわからない。どうしても答えろ、と強要されれば後者だ。稚拙ながら追い方にお役所仕事とは異なる執拗さを感じる。ただ、「なぜ」という謎が残ってしまう。
04/08/31
 ChessBaseに渡井美代子のインタヴューが載った。納豆をフィッシャーが好んでいたことなど、私生活面の話が面白い。何より、渡井を"first lady"として世界に認知させたはずだ。先週は彼女を"friend and helper"なんて紹介していたChessBaseも"fiancee"と書いてくれた。雄弁とは言い難い相手から話を引き出してくれた、真面目な聞き手にも感謝したい。
 このインタヴューで私が気にしたいのはパスポート増頁の件だ。つらい証言がある。「スイスのベルンで、アメリカ大使館にパスポートを24頁ふやしてもらったとき、十日も掛かったことを、何かおかしいぞ、と気づくべきでした。別のパスポートを取るようにすれば良かったんです。けど、私たちはこのサインを見過ごしました。この24頁をくれたのは、単純に良い徴候なのだ、と考えてしまったんです」。今にして思えば、ということだ。逮捕状が出てるにも関わらず、パスポートは10数年も問題なく使えてきたのである。私でも気づかなかったろう、せいぜい「つまらん嫌がらせをされた」と思う程度だ。
04/08/30
 見る暇が無かったアマゾンの洋書チェス書籍売り上げランキングを見てみよう。一位は、常連の
 Jeremy Silman, How to Reassess Your Chess, Siles Press
 第三版(1993)。買ったものの、べらっとめくって、一目、読む気がしない。押入れに直行してもらった。Silmanなら"Amateur's Mind"の方がずっと面白いと思うし、こっちは机の脇に置いている。買い手の多くは"How to"とか書いてある教科書づくりの本を選ぶということだろう。
04/08/29
 ジュスティーンのフルネームはJustine Ongで、子供の名前はJinky Ong、誕生は2001年の春という説もある。子作りを思い立ったについて、奇抜な説も畏友は見つけてきたが、本欄の品格にかんがみ、ご紹介せずにおく。
 今月は占いグッズの話をしたから、ムダ話もそれで。羅経盤(羅盤)を神田と中華街で買ったと述べたが、この二つに将棋盤とチェス盤ほどの違いがあった。三合盤と三元盤の二種があることを知ったが、流派の違いも大きそうだ。私の二基のうち、中華街の安物の方が神田の高級品よりは、一般向けの解説書と符合する率が高い気がする。ただ、風水は超初心者なので、変なことを書いたかもしれない。御存知の方は御一報を。ちなみに、タロットにもこうした違いはあり、標準的なものでも、マルセイユ版とライダー(ウェイト)版とではかなり違う。どちらを使うかは好みの問題と思って構わない。女の子は圧倒的に後者を好むが、私は前者が好きだ。
04/08/28b
 キャップロール・リセルは、人間工学に基づく独自の「波型三層構造」を採用し、全国で200万人の人が愛用するという健康医療ふとんです。プラスチック加工会社として定評ある天昇がお届けする自慢の商品です。イメージはこちら。モデルはジュスティーンがあいつとめまする。提供は畏友情報社でした。それではまた明日。追記いまだに正確な確認ができてない情報ではあります(080214)。
04/08/28a
 鈴木雅子の他に大橋毅という弁護士もスタッフに加わった。畏友の調べだと、二人は二年前には民主党の小委員会に招かれている。党の難民政策に影響を与えたようだ。
 ChessBaseに載ったのは08/23に触れたインタヴューで、しかも、フィッシャーの声まで聞くことができる。正直いって、長いだけで内容はくだらない。ただ一点、08/25にもあるが気になってることに触れていて、スイスでパスポートの増ページをしたのが昨年の10月27日から11月6日あたりだったようだ。パスポートが取消されるわずか二週間前のことである。
04/08/27b
 畏友は次々と見つけてくる。もう一日一回の更新では追いつかない。「アトランティック・マンスリー」誌2002年2月号の、ルネ・チャン(Rene Chun)が書いた記事「Bobby Fischer's Pathetic Endgame」に例のフィリピン女性のことが書いてあった。名はジュスティーン(Justine)で、記事には22歳の、マニラに住むChinese-Filipina。チェスに興味を持たず、フィッシャーとの関係を公表することにも消極的だ。子供は2000年に生まれている。フィッシャーは母と子に送金を続けてはいるものの、二ヶ月に一回しか訪れない、とある。結婚したとは書いてない(と思う)。なお、チャンはフィッシャーについてこの記事以外にも多く書いている。先日の記者会見で畏友の耳には「ルネちゃんが、、、」って聞こえてしまい、彼は「若い?友だち?」と思ってしまった。
 女性関係の話はジュスティーンと渡井美代子だけに限ったことではない。ジュスティーンに対する私の態度はあまり変わらない。彼女の存在は否定しないが、渡井との関係の方を重視し支持する。ただ、ジュスティーンとその子に関する渡井の説明は十分ではないと思う。とにかく、これで今回の事件を理解する基本的な情報はほぼすべてご紹介できたはずだ。とはいえ、ChessBaseにまた新しい重要な、、、今日はここまで。
04/08/27a
 フィッシャーは本当に1992年の対局で賞金を手に入れたんだろうか、という議論がある。興味はあるが私も知らない。セイラワンが「No Regrets」(1992)という本を書いていて、1992年のマッチを描いている。(またしても)畏友が持っていて、あの有名な記者会見、フィッシャーがアメリカ政府からの警告書に唾を吐くあたりを送ってくれた。警告書も載っていて、見ると、賞金を実際に得たかどうかでなく、賞金を得ようと対局する時点でブーだった。さらに、対局しなくても、フィッシャーほどの有名人なら、ユーゴスラビアに滞在するだけで経済効果が見込める状況である以上、経済制裁の対象にするぞ、と書いてある。会見の質問には「あなたは経済制裁に違反してますか」というのもあって、フィッシャーの答えは明解「イエス」。お約束の反米と反ユダヤの演説もあり、カルポフ以降の世界王座戦は八百長だというわけのわからん話をした他、フィッシャランダムを思いついた、との意味の発言もあったことを付け加えておく。
 もう一点。昨日の記事には誤解の余地があったようだ。経済制裁が紛争解決を困難にしたとは、セルビア人の反感と弧絶感を強めて、セルビア国内の国際協調派が支持を失ったという意味である。とにかく、経済制裁違反を調べても、今回の拘束の謎は明らかになりそうにない。
04/08/26
 対ユーゴスラビア経済制裁と言われても、十代の読者は知らないと思う。要は対セルビア経済制裁である。当時のセルビアは悪逆非道の国として知られ、深刻な事態が日々報道されていた。調べ直すと、一方的な情報が多かったことがわかる。長い話になるのでやめておくが、一つだけ挙げると、経済制裁をアメリカ政府が行ったのは、大統領戦に備え世論をつなぎとめるのが目的だった。ユーゴ国内に対しては却って紛争の解決を困難にする方向に働いたのである。フィッシャーを追い詰める、なんてことにも役立つ。素敵な法律だ。
 もう少し楽しい話題を。「シュピーゲル」のページがフィッシャーに関して伝えてるのを畏友が教えてくれた。中身より余談が気を引く記事で、日本チェス協会の会員数が書かれていた。およそ600人とのこと。
04/08/25
 こんなに長く詳しくフィッシャーの話を続けることになるとは思ってもみなかった。しかも展開が急で日々新たなことが起こるので更新を一日も休めない。なんと昨日には強制送還命令が出され、危うくその夜のうちにアメリカ送りになってしまうところだった。すぐに差し止め請求をして今は小康を得てる。「緊急性はない」というのが裁判官様のお言葉だったのに。
 事件発生までの流れをざっとまとめよう。まず、アメリカ国務省は昨年11月21日にフィッシャーのパスポートを取り消した。昨日の「毎日新聞」のページによれば、フィッシャーは「昨年秋、スイスの米大使館でパスポートのページ追加を済ませており、米政府が逮捕しようと思えば、そのときにできたはずという」(フィッシャー側談話)。そして、取り消しがあったことをフィッシャーの宛名で伝える文書が12月11日に出る。それはフィリピンのアメリカ大使館に送られており、そのとき香港にいたフィッシャーには伝わらない。彼は「日本には昨年暮れから3月まで滞在し、香港に出国後、4月15日に日本に入国している」(毎日新聞)。その後、6月に在日アメリカ大使から入国管理局長に、 「日本を出入国の際、海港で同人(注、フィッシャー)を発見した場合は、すみやかに米国大使館あて連絡を頂けるようお願いいたします」という依頼があった。フィッシャーはそれを知らない。かくて運命の7月13日に至る。この依頼状には、「同人は東京在住であるが、90日間の滞在許可での在留につき、3か月ごとに東京−マニラ間を往復している。現在は東京に滞在中」ともあった。
 ひとつひとつの情報はしっかりしてると思うのだが、こうやってつなげてみると、あっちこっちに疑問が湧く。
04/08/24
 フィッシャーがパスポートの失効をちゃんと知ったのは拘留翌日の7月14日。「飛行機に乗ってはいけませんよ」と言われたその時点ではわけがわからなかったことになる。
 失効の理由は期限切れではない。彼はアメリカの対ユーゴスラビア経済制裁に反したかどで1992年12月に逮捕状を出されている。そして10年以上もたった昨年11月に、その逮捕状を理由にパスポートが無効にされたのだ。この不自然さが「逮捕状以外の本当の理由があるのではないか」という疑惑を生んでいる。
 簡単に言えば、北朝鮮に逃れたジェンキンス脱走兵の特赦を日本政府はアメリカ政府に求めており、これに配慮できる条件の一つとして、アメリカがフィッシャーの差し出しを日本に要求したのではないかというものである。救う会では、29日の会見の段階でボスニッチは疑惑を否定。一方、その後に選ばれたフィッシャーの代理人(鈴木雅子弁護士)には疑ってる発言があった。ちなみに私はこの問題を気にしてない。
 どっちにせよ、どうして今さらフィッシャーを追い詰めないといけないのか。彼は反米的な発言を繰り返している。が、その発言たるやすでに御紹介したとおり、あまりに幼稚で国家が恐れる必要など何も無い。私は途方に暮れる。フィッシャーを極度に嫌うユダヤ人の官僚でも動いているのだろうか。
04/08/23
 畏友が教えてくれた。ロイターが伝えたところによると、フィッシャーは拘留中の身ながらフィリピンのラジオ局に生放送で声を送ったようだ。彼はアメリカ市民権の放棄を望んでいるが、それが叶いそうだという話をしている。それから、例によって反米と反ユダヤの話、、、。こないだふれた「メトロポリス」によると、アメリカ政府に狙われて危険だから、その種の話はしないでくれ、と渡井美代子が頼んだことがあったそうだ。フィッシャーの答えは「おれに黙って生きろってわけか。それで本当に生きてることになるのかな」。
 難民申請を別にすれば、フィッシャーの拘留期間は60日である。畏友が計算したら期限は9月11日だった。やれやれ。

戎棋夷説