紹介棋譜 別ウィンドウにて。
HOME
現在に戻る
Carlsenの生い立ち。モレリア/リナレス。年代ごと名局集。

06/03/16
 畏友に言われて気がついた。エカテリンブルグの参加者に諸宸が居ない。直前になって出場できなくなる事情があったようだ。二回戦でも番狂わせが続いている。ステファノバとコネルまで消えてしまった。女の子は難しい。
 カールセンはレイキャビクの大会に参加して、優勝の目もあったのだが半点及ばなかった。出来の良い日と悪い日があって安定しないのも彼の特徴。優勝はサシキラン他五名。
 80年代の名局集というのが浮かばない。となると、Karpovの『In Action』シリーズ全四冊だな。ただし、84年から88年までの五年間だけである。これのおかげで、当時の私は定跡通だった。ちなみに80年代のInformantは第29から48巻までの20冊で、そのうち13冊の一位局をカルポフとカスパロフで占めている。90年代の名局はもちろんInformant Gallery '90でほぼ十分。
 そういえば、Informant 94を買った。早速前巻の一位局を調べたら、ソフィアのトパロフ対アナンドだった。
06/03/14
 リナレスが終わる直前からエカテリンブルグで女子の世界選手権が始まっている。番狂わせが多くて、ラーノやコシンツェバ妹が一回戦で敗退した。
 Chess Baseにクラムニクのインタヴューが載った。体の痛みは2001年からあったが、はっきり病気だと診断されたのは三年ほど前とのこと。ひどかったようだ。でも、「これはあまり話したくない」。
 治療がうまくいってるかどうか、私には判断しきれなかった。「対局したくて死にそうなんだ」。モナコ大会には1994年の第一回から欠かさず参加してきたのに、諦めるしかない。五月のオリンピアードに出られるかなあ。七月のドルトムントは出場できると確信している。九月のトパロフとのマッチについては、相手の意思がいまだにわからない。
 最も熱弁を振るったのは十一月に予定されているFritzとの対戦だった。「人間が機械に勝てる最後のチャンスかもしれない」。機械の方が有利だとは彼も認めている。しかし、自分は四年前にもマッチをしているからFritzを知り尽くしているし、自分のポジショナルな棋風は機械を倒す可能性を持っている。モチベーションの高さは伝わってきた。それが嬉しい。
06/03/13
 リナレス最終日。バクロー対ラジャボフがさっさと20手でドロー。ラジャにはこんな一面が確かにある。ヴァレーホ対トパロフも30手で連続王手のドロー。不本意だろうな、とトパロフの心中を思ったが、Chess Todayによると、前例ある棋譜をなぞっただけだという。私の粗雑なデータベースで確認したら昨年に4局もあった。不本意どころか確信犯である。
 これでレコ対アロニアンもドローなら四人が同点で、勝ち星の多いトパロフが優勝だ。しかし、レコは先日の敗戦を引きずっていた。サカエフのネット解説では、レコの指す手に次々と疑問手マークが打たれたらしい。こんな日のレコに当ったアロニアンは運がいい。そう言えば、昨年のワールド・カップでも彼はついていた。
 かくてアロニアンが勝って単独優勝である。第1Rが終わった段階で、大竹栄氏が松戸チェスクラブ掲示板で「優勝は、Aronianが有望かと思います」と書き込んでいた。ありえぬ優勝とは私も思わないが、しかし、とても予想はできない。
06/03/12 紹介棋譜参照
 などてトパロフは神となりたまひき。ラス前の第13Rですごいことになった。四人が首位に並んでしまったのである。第6Rでは最下位だったトパロフと首位だったレコとの間に2.5点もあった大差が、女の約束のように消えたのだ。レコの目は「俺が何をした」と自問する男のようにうつろだろう。でもさ、君は8試合もドローを続けていたんだよ。
 実はこの日はどれも好局で観戦が大変だった。すべて紹介棋譜に。イワンチュクはナイトを捨ててヴァレーホを破った。アロニアン対バクローは引き分けだが、終盤がちょっと面白かった。ラジャボフはいきなりビショップを捨てて私を驚かし、3つのポーンを得て、よくわからない戦いになり、得意の終盤でスヴィドラーを突き放した。
 トパロフ対レコは静かで長い戦いになった。形は白が良さそうだが、技の決まる雰囲気は無い。トパロフはポーン前線をゆっくり押し上げることにした。対して、レコは根雪を溶かすように粘り強く盤上の駒を消してゆく。Chess Todayによると、敗着は図の54...Rd4だ。それを見逃さずトパロフは55.Nf6。以下、55...Rxd6, 56.Re8+. Kc7、そこで57.Re2、ついに差が開いた。Rxb2とNe8+がある。
 かくて、トパロフ、ラジャボフ、レコ、アロニアンが首位。いま私は最終日を観戦中である。
06/03/10
 70年代定番の名局って何だろう。スパスキーがラールセンの十八番を潰した短編は外せない。ブロンシュタインがリュボエビッチを破った激戦は、白勝ちアリョーヒン定跡の最高峰だ。バガンヤンがレシェフスキーを攻め倒した一局はフレンチ愛好家の観音様である。カルポフも選びたいから、ティマンに見せつけたナイトの魔術を。そしてもちろん、フィッシャーを好きなだけ。
 第12Rはすべて引き分け。いよいよ次がトパロフ対レコだ。05/11/12で「サンルイの対局中にトパロフがコンピュータの分析手順をカンニングしていた」という噂を紹介した。レコの証言を引用した報道もあって、いわく、「あの大会でトパロフがいつも同じ席で対局できたのは不当だ」。これが疑惑に妙な信憑性を与えてしまった。優勝争いの一局だけに二人の心中と対局風景が気になるのである。無事に済めば、どうでもいい記事だったことがわかる。追記06/12/19参照。
 もっとも、明日は休みます。今大会は二三試合ごとに休養日が入る。そんなわけで決戦は一日おあずけなのだ。
06/03/09
 略称の話を続けると、日本チェス協会はJCAである。皇帝陛下の掲示板でKeres65さんに教わったのだが、日本カーリング協会もJCAだ。JCA交流集会が企画されて小野寺歩と林弓枝に会えるのなら、私は漬物石持参で馳せ参じよう。
 第11Rで勝負が着いたのはアロニアン対ヴァレーホだけだった。セミスラヴのマーシャル・ギャンビットで、アロニアンの勝ち。この定跡は白の勝率が高い。ICCの観戦者たちも黒の敗着が出る前から白乗りであった。レコは7試合連続でドローだから差は半点になった。
 こないだの二冊を読んで、さらに、1970年代の名局集が欲しくなったら何が良いのかな、と考えた。蔵書から一冊だけ選べば、Speelmanの『Best Chess Games 1970-80』だろう。定番の名局の他、ペトロシアンが、20連勝中のフィッシャーに両ルックを動かす余裕も与えず32手で完勝して大喝采を浴びた一局や、アンデルソンが79手もかけてカルポフをねじふせたミラノの熱戦などを扱ってくれるのが嬉しい。ただ、楽しく読める本ではなかった。
06/03/07
 こないだ紹介した掲示板を見ている。通信戦は郵便でのやりとりではなく、今はメールで指し手を送るのが主流になってるとのこと。さらには、ウェブ・サーバー上で指し手を入力するように変わってゆくらしい。それに合わせて日本郵便チェス協会(JPCA)も「日本通信チェス協会(JCCA)」に改名することになった。ちなみに、日本クレジット協会、また、漫画喫茶などで構成される日本複合カフェ協会、日本クラシックカー協会もJCCAである。
 三月七日と言えば大日本モロゼビッチ賞の発表日だ。まさか第二回があるとは思わなかった者も、佐藤康光の受賞に文句は言うまい。王位戦第二局の珍形は棋史に残る。また、王将戦第五局の5四歩も選考委員のハートを鷲づかみにした。前者について、森内俊之は「こんな将棋あるんですかね?」(「将棋世界」昨年10月号)。気になるのは対局相手、羽生善治の心中である。彼はモロゼビッチのファンなのだ。
 リナレスの第10R終了時点の首位はレコ、一点差の二位がアロニアン、トパロフ、ラジャボフである。残り四局。
06/03/06 紹介棋譜参照
 第9Rは黒番のトパロフがバクローを破った。連勝だ。他はドロー。日曜に働いたおかげで、第10Rは最後まで観戦できた。朝の五時まで長引いたのはトパロフ対アロニアンのおかげである。25手で、ルックと色違いビショップの終盤になった。図はその局面。ルックさえ交換すれば引き分けじゃん、と思うのは私みたいな能天気の素人である。ポーンはトパロフの方がバラバラに見える。でも彼は手番を握っていた。まず当然の26.Bd4. f6、それから27.e4で黒ルックを27...Ra4と追い、さらに28.f4でK翼を盛り上げる形を作った。アロニアンは28...Bd7から29...Rb5で、ルック交換を要求する。が、トパロフはその前に29.Ke3を指してるから30.Rg2だ。これでまだ主導権は白にあり、黒はK翼を受けねばならず、黒ルックはなかなかb1への侵入を果たせない。で、46手には白のポーン得になった。その先がまだ長いが、得したポーンをなんとか伸ばす機会を得て、76手でトパロフ勝ち。三連勝。
06/03/05
 さて舞台はリナレスに移って後半戦、第8Rである。トパロフ対スヴィドラーは前者の勝ち。イワンチュク対バクローは後者の勝ち。明らかにイワンチュクの勝つ局面だったのに、39手で時間切れになったのだ。他はドロー。特にレコは主導権を握っていたようだが、そこで引き分けた。私の喜ぶような棋譜が無く、これではノレない。
 本の話でもしよう。最近のアマゾンでよく上位にあるのが、Nunn他二名が編んだ『The Mammoth Book Of The World's Greatest Chess Games』。1834年から2002年までの112局を集めている。私も並べたことのある(はずの)名局ばかりだ。値段も安い。ただ、「敗者も良く指している好局を集めました」等々と述べている選定基準にはウソがある。また、モーフィーが一局も無い。カパブランカとラスカーの第十局も無い。言ってるとキリが無いから止めるが、もし有名な好局を一通り出来るだけ簡便に揃えたいなら、私はもう一冊買うことを勧める。いま品切れみたいだけど、Fineの『The World's Great Chess Games』だ。この二冊があれば1960年代までの義務教育は済ませたことになると思う。
06/03/04
 A級順位戦の最終日は神事である。なのにアナウンサーしゃべりすぎ。うざい。盤面の4四玉を見て「いま4四玉と逃げました」と言うのだ。そんなのを一日中聞かされた。私もこんな嫌なことを書いて、十人の聖者に申し訳ない。
 羽生善治に佐藤康光が挑戦してる王将戦の第四局と第五局が面白くて週刊将棋を続けて買っている。後者には渡辺淳一と羽生善治の対談も掲載されていて、畏友はこれをライヴで聞いていた。実は対談の後に質疑応答があった。年配の方が、羽生がチェスの大会に参加してることについて問うたという。羽生の答えは「チェスはプロアマの区別がないので、プロレベルの六・七段ぐらいと指せることがあり楽しい」。そこで質問者はさらに一言、「世界一になって下さい」。良い人だ。
06/03/02
 モレリアで残念だったのが棋士のインタヴューが届かなかったこと。クラムニクとトパロフのマッチは本当なのか、知りたいのだが。確実な話をひとつ。クラムニク対ディープフリッツの六局マッチが十一月下旬から行われる。賞金100万ドル。
 日本郵便チェス協会の会長、早川茂男さんが亡くなってから今月7日で4ヶ月になる。しばらく協会は先行きが見えぬままだった。流れが変わったのは先月9日のこと。ブログ「通信チェス」のha4shu2さんが「JPCA日本郵便チェス協会の存続を願う集い」という掲示板を立てた。以来、その呼びかけに応じた方々のおかげで、協会の建て直しがかないつつある。しばらく会長は決めないようだ。日本の通信戦は酒井清隆、大竹栄といった、GMに手が届きそうなプレーヤーを擁する大事な分野だ。
 FIDEの会長選はイリュムジノフとコクの一騎打ちになってきた。カルポフは立候補を断念した。彼が頼みとしていたロシアのチェス協会がイリュムジノフ支持で固まったかららしい。
06/03/01 紹介棋譜参照
 26日の第7Rで前半が終了。メキシコは前回のオリンピアードで51位。チェスが盛んな国とは思えなかったが、Chess Baseの画像を見ると、ファンが集まってる。成功だったようだ。棋士達はモレリアを発って、3日からリナレスの後半戦に入る。
 勝負が着いたのはバクロー対アロニアン。黒が、B損してる局面からポーンをじわじわ寄せ上げて逆転してしまった。どこでどうなったのやら。魔法の終盤を紹介棋譜に。Chess Todayの論評は、「アロニアンは(少なくともまだ)世界最強とは呼ばれてないが、最もトリッキーな奴と呼べるだろう」。
 図はスヴィドラー対ラジャボフで黒番。もともと白が押してたゲームで、図ではもう白Nd6を防げない。ラジャが指したのは34...h5だった。何だそれは?白は当然35.Nd6、が、そこで35...Ke7が出た!!白はNxe8と取れないのである。黒Re1+、白Kg2、黒Ree2で、以下、連続王手の筋がある。おお、34...h5はg4地点に白王を逃がさぬ手だったのだ。かくて引き分け。ラジャボフの終盤が私は好きだ。
 ここまでレコが一位で3勝もしている。しかも彼だけが負けてない。要するに、彼らしくなく、また、らしくもあるわけだ。半点差の二位がアロニアン。さらに半点差で三位がスヴィドラー。
06/02/28
 ちょっとお尋ねしたいことがあって、梅田のハービスエントの受付さんに行く。覚悟していたことだが、そこにはアナンド級の美女が二人も並んでいた。染色体の違いを見せつけて座っている。困った。「どっちも好きだ!」。瞬時の選択を迫られた局面なのに、視線がさまよい、心の乱れをあきらかに悟られてしまった。二人のグランド・マスターは同時に腰を上げかかる。わあああ。新人がリナレスに出場してカスパロフやクラムニクと向き合う恐怖がわかったよ。結局、私が去った後に波風の立たぬよう、年上を選んで質問し、かろうじて危機をしのいだ。教訓、日頃からブリッツの修練を積んで実戦に備えよ。
 そんなわけで、第7Rはすこし待ってね。
06/02/27
 第6R。スヴィドラーのグリュエンフェルドに対してイワンチュクも4.Bg5を採用した。今度のスヴィドラーはもうちょっと中盤が長くなりそうな手を指した。おかげで終盤になるのを避けることができた。なぜなら、たった25手で粉砕されてしまったからである。次の4.Bg5が楽しみだ。
 ラジャボフ対バクローの棋譜に興味を持ったのだが、難しくて私にはわからない。Chess Todayが詳しく採り上げてくれてようやく味わえた。ラジャボフが的確だった。もっとも、私が解説できないのは相変わらずである。いくつかあるポイントのうち、左の局面だけ紹介しておこう。12.e4まで。こんなとき黒はdxc4とdxe4のどっちを選ぶべきなのだろう。前者が正解。バクローは後者を選んだ。e4地点でポーンとナイトを交換して14...c5という彼の構想は、改めて見ると素人くさく映る。
 白番のトパロフがヴァレーホに負けた。彼とバクローが最下位である。
06/02/25
 第5R。アローニアンは初手e4の人ではないから、黒がスヴィドラーならグリュエンフェルドになるのは自然である。定跡の勉強は嫌いだ、というアローニアンが選んだのは、相手が何十局も戦ってきたエクスチェンジの4.cxd5ではなく4.Bg5だった。2004年頃から流行ってきた変化だ。駒交換が進んで12手で終盤になった。これがアローニアンの望んだ流れだったと思う。結果はスヴィドラーがずるずると負けた。かくて引き分けだったレコが単独トップである。
 トパロフが初勝利。黒番ながら前線全体に圧力を掛けて白イワンチュクの駒をほぼすべて三線の中に押し込めてしまった。
06/02/24
 第4R、ラジャボフが黒番で勝った。相手はトパロフで、もう二敗目だ。しかも負け方がぱっとしない。などてトパロフは人となりたまひし。レコ対イワンチュクは白、スヴィドラー対バクローも白の勝ち。どちらもあまり派手なところが無い棋譜だった。
 話題も無いので、今月のムダ話を。二月はこの一年で見た展覧会から。上野の国立西洋美術館でやったジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を。まさか日本で見られるとは思いませんでした。ヨセフの夢を挙げておきましょう。
06/02/23
 第3Rはすべてドロー。熱戦はアローニアン対トパロフのみだった。しかし、これが123手もあるのだ。主導権をアローニアンが握って、それを何とかトパロフが引き分けようとするチェスだったようだ。最大の見所は図の局面で、57...f5+!!。Chess Baseによれば、黒城が白王を付けねらうためには、自分のポーンを捨てて見晴らしを良くする必要がある、とのこと。ロレン氏の説明も明快で、「ルックを回せば必ずこれでhのポーンは落ちる」。すると「理論的にはドロー」の駒割になる。
 小惑星の名前研究所を見つけた。チェス棋士の名が付いた小惑星があるらしい。ぜんぶで六人。チゴリン、アリョーヒン、スミスロフ、カルポフはおなじみ。Vicent(ヴィサン)は初耳だ。調べたら古い人だった。さあ、問題は最後の一人。キルサンだ。思わずこのページに問い合わせたよ。すると、政治家の名は死後50年まで使えないので、チェス棋士として登録したのかも、との御返事をいただいた。
06/02/22 紹介棋譜参照
 第2Rも三戦で勝負が着いた。レコ対ラジャボフの前者をカスパロフが賞賛したというので、その局面を御覧にいれよう。私にはちんぷんかんぷんだったが、Fritzをいじってるうちに凄さがわかってきた。図の36.Qc4がそれ。読みの入った一手なのだ。黒はここでQ交換しては白Rb5で自陣は身動き取れず、白Rb6からNf5の形でd6地点を悠長に攻めてくる手が受からない。で、36...Qe1, 37.Kg2に、ひとまず黒は37...Re7で弱い二線を補強した。そこでレコが38.Rxb7と切ったのが決め手。38...Rexb7に39.Rxd6と取った手が詰めろなのである。その詰め手順も紹介棋譜に入れた。レコは連勝スタート。
 スヴィドラーも連勝。得意のグリュエンフェルドでヴァレーホに勝った。エクスチェンジ定跡で5.e4とせず、5.Bd2と指す変化を初めて見た。1980年代末からの手で、もし黒Nxc3になったら白Bxc3で、黒Pc5に白はPd5でB交換を迫るという意味。ほか、イワンチュクもアローニアンに勝った。
06/02/20 紹介棋譜参照
 カーリング、良い試合してますねえ。集中してる選手が美しい。そういえば、自分が高校生だったむかし、計算問題を解いてる女の子の顔って好きだったな。おかげでモレリア/リナレスがどうでもよく、、、いや、初日から面白い棋譜が届いてる。四局中三局も勝負が着いた。スヴィドラー対トパロフを紹介棋譜に選ぼう。スヴィドラーが駒を捨てて主導権を握り、ベルリンの堅実さを発揮させなかった。しかも終盤が上手で、彼らしくないほどだった。図は駒損のまま、彼が勝ちを決めたところ。49.Re5が正解。49...Rxh4には50.Kg5と逃げ、50...Rh5+ときたら51.Kxg6でルックを捨ててしまう。以下、51...Rxe5, 52.f7からクィーンを作った。もっとも、素人目にはQ翼がきわどいが、無論、上手にしのいだ。
 ほか、レコがヴァレーホに勝ち、アローニアンがラジャボフに勝った。レコは昨年のリナレスで十二局すべてがドローだったから二年ぶりの勝利だ。イワンチュクとバクローは熱戦のドロー。
06/02/19
 スパムが多くなったので、メールアドレスを変えました(画像表示です)。3年も公開してれば仕方ないな。
 アエロフロート大会が終了。優勝してドルトムントの出場権を得たのはジョババでした。もっと強い参加者が多かったので、意外な結果です。また、メキシコのクエルナバカでは十人の若手を集めた大会があって、ポノマリョフとヴァレーホが一位でした。どっちにもカールセンは出ていない。
 キルサン・イリュムジノフは九月のカルムイキアでクラムニクとトパロフのマッチを開催しようとしている。ガセネタと思って無視してきたけど、もう一ヶ月も続報が絶えません。二人の同意も取り付けたとのこと。フィッシャーの家まで用意してるらしい。
06/02/17
 『図巧』とカラクリの関連性について畏友が言うに、「うまく言えませんが、一つには『内部』とか『仕組み』とか、『内に向かう視線』が生まれた頃なのかもしれません」。「腑分け」まで示唆されて私もハッとしたが、『図巧』は1755年、山脇東洋の解剖が1754年である。当時の五十音図や日本地図なんかとも通底するエピステーメーを考えることができないかなあ。
 そろそろモレリア/リナレスが始まるので、『Wonderboy』は今日までにしよう。著者が語るカールセンの棋風は的確だと思った。まず、駒が自由自在に動けることを非常に重視するので、サクリファイスで自軍の見晴らしを良くする傾向が強い。それから、記憶力が尋常でなく、たくさんの定跡書を読破しており、序盤の知識は極めて豊富である。あと、著者の指導を受ける前のカールセンは終盤が下手だった。私は今だって終盤は彼の得意分野ではないと思う。少なくとも、カパブランカやクラムニクのようなタイプの天才ではなさそうだ。
06/02/16
 トリノ五輪。氷上のチェス、なんてお伊達られちゃうとカーリングが気になってしまう。初期の日本選手はストーンが無くてヤカンを使ったんだよなあ。強くなってほしい。そういえば、私も小学生の頃は将棋の駒でチェスを指してた。
 七千局や大遠征の話だけ読むと頑強なイメージが湧くカールセンだが、実は『Wonderboy』で最も目に付く単語は「tired」である。連戦が続くとすぐ疲れてしまうのだ。試合中に意識が遠のき、目も見えず、会場でゆらゆらしている場面が痛々しかった。本人の才能が求めたチェス・ライフとはいえ、子供の体には無理ではなかったか。大会の開催期間中はどうしても十分な睡眠時間が取れないことも疲労を深めている。寝る子は育つというが、著者によれば、「調子を最高にもってゆくためには、通常、十から十一時間の睡眠をマグヌスは必要とする」。
06/02/15
 今月見た映画は約20分の短編「たべるきしない」。綾瀬はるかが好演している。夜九時のテアトル梅田が満席であった。
 カールセン家は両親と三人の娘、そしてマグヌスの六人家族だ。2003年のこと、彼らは自宅を貸しに出した。古い車は売って、代わりにヒュンダイのH100を買った。年末までこれが彼らの船となる。しばらくノルウェーの美しい夏を楽しんでから、本格的な旅に出た。チェス大会を求めてヨーロッパ各地を転戦する陸上の海賊一家となったのである。最終的にはギリシャまで行った。安全よりも最短距離を好む父のおかげで、アルプスやらコソボやら、地形的政治的にやばい所を走破している。そして冬将軍の到来と競り合いながら、祖国に帰還したのであった。『Wonderboy』最大のエピソードである。
06/02/13
 明日は休みます。休みを増やしたおかげでネタが溜まってしまい、かえって自分の首を絞めている。たとえば、「New In Chess」の最新号がいろいろ面白い。そして、カールセンに触れた記事が多い。
 まず、コルチノイが最近の若手を論評してる。コルチノイは、対局相手の姿勢や表情から、相手がどんな形勢判断を下しているかを読み取ることに長けているようだ。ところが、ボトビニクからカスパロフにいたる大魔王たちと50年以上もにらめっこを続けてきた彼が言うのだ、「驚かされた」。カールセンの思考パターンを追えなかったのである。少年は「すっかり落ち着き払って座っていた」から。また、カスパロフも、マグヌスの「ダイレクトで成熟したプレイ」が「トリックや早指しに頼っていない」ことを称賛している。もっとも、そう言われても、簡潔すぎて私には意味不明である。
 『Wonderboy』によると、カールセンはICCでブリッツを楽しんでおり、三年で七千局を指し、2003年のレイティングは2996だったそうだ。人智を超えており意味不明である。「対局数を減らして、もっと棋譜の分析をすべきだぞ」と忠告したのがカスパロフだった。この話も最新号からで、書いたのは師匠である。ただ、カールセンは研究型でなく実戦派の棋士であり、ICCは控えたとしても、大会の参加まで抑えるのは本能が許さぬようだ。
06/02/12
 畏友は「奇巧」にルビを振って「からくり」と読みたいらしい。一理あるかも。滅多に使わぬ重い辞書を開くのはこんな時だ。『大言海』は「機巧」に「からくり」という語釈を付けている。『大漢和辞典』の「奇巧」は「めづらしいたくみ」。『荘子』の用例が載っていたので、そこを確認してみると「はかりごと」のニュアンスが強かった。でも、工芸品に関して言う場合もありそうだ。ネットで検索したら、からくり儀右衛門が彼の傑作萬年自鳴鐘を自分で説明して、「予始めて発明する所の奇巧なり」と述べている。
 『Wonderboy』をしばらく続けたい。読んで一番意外だったのは、カールセンはチェスの英才教育を受けていないことだ。大会に参加する時も、コーチが付き添うわけではなく、家族が彼を連れていくだけである。こののどかさは会場の専門家たちを驚かせたらしい。著者も、自分がした指導については、大会後に棋譜を検討するとか、良い本を薦めるとか、そんなことを書いている程度だ。この点が、ほぼ一歳しか違わないカリャーキンとの大きな違いなのだとか。
06/02/10 紹介棋譜参照
 つい自分のページをほったらかしてmixiで遊んでしまう。チェスの話はまったくしなくなって、Maro氏とは別人の私だ。笑える画像を持ち寄るコーナーなんかを見ては笑っている。そこで得た最近のお気に入りはこのサイモン・ラトルだ。彼は偉くなったよなあ。
 カールセンの2004年までの生い立ちを師匠が書いた、Agdestein『Wonderboy』を読んでいる。度肝を抜く神童のエピソードが全く無い。期待はずれだったが、それは彼が幸せに守られて育ったことを意味してるようだ。読めばわかるが、結束の極めて堅い家族である。
 とはいえ、もちろん強い子供だ。図は11歳の局面。ここで白番のマグナス坊やは盤上をすっきりさせようと思った。25.Qf7. Qxf7, 26.Rxd8+. Qg8, 27.Bxg7+. Kxg7, 28.Rxg8+. Kxg8, 29.f3, これで勝勢が確定。前年にはグランドマスターと引き分けてるんだから、この程度は当たり前か?
06/02/09
 江戸東京博物館の「夢大からくり展」を見てきた畏友の感想は「どうもいまひとつ」。展示品の制作年代を「江戸時代」と表示してたそうだ。そういえば、と彼が言うに、「『図巧』の原題は『奇巧』ですから、つまりは、江戸のからくり流行が背景にあったのでは」。なるほど、『将棋図巧』の第一番だけを見ても、からくり人形が角行をたぐり寄せるような趣が感じられる。
 将棋ネタをもうひとつだけ。これも「勝手に将棋トピックス」で知ったのだが、入試で将棋の実技試験を行った都立中学があったそうだ。試験官の一人は森内俊之名人で、平手で指した。私がすぐ思ったのは、「瀬川さんの方が楽じゃん」。

戎棋夷説