紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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ドバイの羽生、ソフィア連覇のトパロフ、チェス五輪トリノ

06/06/05 紹介棋譜参照
 オリンピアードは13Rすべて終わって、優勝はアルメニア、二位は中国、三位はアメリカ。ロシアは六位だった。147ヶ国参加と数えておくが、日本は87位。レイティングでは121位だから健闘してくれた。女子の優勝はウクライナだ。中国は三位、五連覇は叶わなかった。
 クラムニクは4勝0敗5分、いまのところ治療の成果が出ている。戦い方も、ファンの私には、ここ数年の息苦しさが消えて、悠然と美しい駒組が戻ったように見える。例としてブルゾン戦を紹介棋譜に。クラムニクは白番だ。左図は駒損してるが配置に無駄が無い。いま、d3に居たビショップをa2に移したところ。f7地点を狙いつつ、黒aポーンを止めている。黒陣との対比をご観賞ください。
 カールセンは途中参加ながら4勝0敗4分と活躍してくれた。黒番で1.e4に対しe5と応じたのが目に付いた。ツーナイト定跡の珍しい変化になったナイディッシュ戦を紹介棋譜に。駒割りも珍しく、ビショップ対ポーン4個だ。
06/06/04
 キルサン・イリュムジノフが世界チェス連盟の会長に再任した。選挙結果は大差であった。
06/06/02
 遅くに帰って、録画した衛星放送を楽しんだ。ひそかに名人戦第五局が行われていたのだ。チェスファンが一筆書いておこう。図の局面では谷川浩司がやや良いらしい。先手7四歩からの攻めが見えてきつそうだ。が、森内俊之もしぶとい。ここで△2四銀が出た。以下、▲7四歩には△8五桂だ、次いで▲7三歩成に△3二飛である。3筋の飛車道を開けるための2四銀だったわけだ。7四歩を軽くいなそうとしてるのがわかる。
 あと5分で日付が変わる。もう結果は出てるだろうが、深夜の放送が楽しみだ。追記結果は谷川の勝ち。△3二飛に対して先手4六銀でなく▲3五歩が面白い。同飛なら今度こそ4六銀だ。さて、▲3五歩には後手2三角が遠見の名角でしかも玉頭を厚くする好防だったのだが、森内は△7七桂成▲同金でその機を逸した。これで大差になったようである。チェスも将棋も棋譜の無い話は空しいと思うのだが、日本チェス協会も日本将棋連盟も棋譜を簡単には提供しない。名人戦を忘れて名人戦問題に熱中するファンが育つ道理である。
06/06/01
 疲れてうとうとしてしまった。あとちょっとで日が変わる。オリンピアードは第10Rまで終わった。一位アルメニア、二位中国、三位ロシアである。アルメニアの優勝が確定しつつある。オリンピアードの棋譜さがしをする余裕も無いので、コルチノイ自伝のエピソードをひとつ紹介してお茶を濁そう。
 自伝の前半部で特に悪く書かれているのがペトロシアンとゲラーだが、前者との確執は笑えるほどに深遠である。二人が対戦中に足を蹴り合うので、テーブルの下に仕切り板が設置された大会まであったとか。さて、1963年のピアティゴルスキー杯のこと。主催者はアメリカ人で、ソ連選手への招待状をケレスとコルチノイの二通送った。無論、航空券を添えて。これについてペトロシアンは、世界王者として自分こそ招かれてしかるべきだと注文を付けた。おお、望むところだ、主催者は三枚目の航空券をソ連に送った。かくて、ケレスとペトロシアンとペトロシアンの奥さんが飛行機に乗って飛び立ったのである。
06/05/31
 トリノではアルメニアがリードを広げている。ウクライナが三位に上がった。
 名人戦問題は長引いている。「週刊新潮」を立ち読みしたが、メディアごとに品位が異なるものの、だいたいは米長会長に批判的な記事が載っている。会長の、それも米長邦雄の人間性を最大の論点に据えても不毛なのだが、そこまで堕ちても彼を降ろせない将棋連盟の体質が絶望的だ。まあ、棋譜よりは会長批判で興奮するのは、日本のチェスと将棋に共通する風土でもあるから、一連の騒動は瀬川問題に続いて連盟が放った捨て身のファンサービスなのかもしれない。
 畏友は囲碁に凝り始めていて、今月は「月刊碁ワールド」を買っている。毎日新聞で囲碁を担当していた松島利行が、過去の将棋名人戦騒動にまつわるエッセイを載せていた。中原と大山が持将棋や千日手を繰り返して十番勝負にまでもつれた王将戦に触れている。は?「囲碁担当の馬鹿だから」と許しますか?それでも、大棋士が新聞社に抱く執着の闇を一端は紹介してくれているので、お暇があれば一読を。馬鹿といえば、読売新聞で竜王戦の観戦記を読んでも驚いた。同社の西條耕一が書いている。ある棋士が敗着を指した理由を、「名人戦問題で悩み、平常心を失っていたとしか思えない」。このぶんでは、屁さえも名人戦問題が噴き出したように書くだろう。
 ファンも棋士も新聞社も平常心を回復すれば、平成の将棋界が抱える棋士数や賞金額が多すぎることに気付いてしまう。ならば平常心を失ったままの方が安心とも言える。いやもう今度こそこの話題はよそう。
06/05/30 紹介棋譜参照
 アルメニアがオランダを破ったので、ロシアが二位に上がった。オリンピアードに参加しない棋士が多いのはいつものことで、たとえば、前回優勝のウクライナが四位から上に行けないのはポノマリョフが居ないからである。ノルウェーもカールセンが居なくて元気が無かったのだが、6Rから彼は顔を見せ、7Rではアダムズに勝ってくれた。立派な棋譜なので紹介棋譜に。
 ジェームズ・バリーをデップが演じた「ネバーランド」に、主人公が一人でチェスをしている場面が出てきた。ピーターパンの作者も愛好家だったのだろうか。ほか、「王手」の意外な人物が自分は「チェス派だ」と言い張る場面を見つけた。
06/05/29
 トリノのチェスオリンピアードは第6Rに異変があった。ロシアがオランダに負けてしまったのである。かくてアルメニアが首位、オランダが二位になった。
 今月見た映画で素晴らしかったのは記録映画「ヨコハマメリー」だ。終戦直後の1945年から五十年間も現役の娼婦として、白塗の厚化粧を街にさらしていた、伊勢崎町の名物"メリーさん"を描く。強烈なプライドを持った彼女を人々は「皇后陛下」と呼んでいた。住みかも無いほど落ちぶれても孤高を崩さなかった生き様は壮絶なユーモアさえ漂わせる。
 このメリーさん、1995年を最後に消えてしまったので、知人の証言やわづかな映像を積み重ねるしかない。けれど、おかげで街全体の変遷が語り継がれ、メリーさんをめぐる人情が主題の一つになった。そうして物語は「とにかく生きるのか?」という空気を引っ張って結末に至る。その時、館内の人々の肩が一斉にゆらゆらしたのを私は見た。動揺せざるを得ないのだ。
 考えてみれば当然の一瞬を提示しただけなのだが、まことに映画的な不意打ちであった。監督の中村高寛はこの奇跡をデビュー作で実現してしまった。湯布院映画祭で試写が終わった時、記録映画らしからぬ拍手が湧き起こったというのもわかる。
06/05/27 紹介棋譜参照
 ロシアの「64」誌が2005年のベストゲームを選定した。ソフィアのトパロフ対アナンドである。
 トリノはロシア対アルメニアの首位決戦があり、1勝1敗2分で引き分けた。ロシアの一勝は大将戦のクラムニク対アロニアンだった。クラムニクはアクの強い敵に何もさせなかった。二人は昨年に白黒逆を持って対戦しており、その時はドロー、そして今回の一局は黒14手まで同じだった。
 図は16...b5、この仕掛けを白は外す。cポーンでなくaポーンで黒bポーンと交換させるのも上手い。まず17.Bxd7. Rxd7, 18.Nd5、以下、18...Nxd5, 19.cxd5で、黒b5ポーンを相手にしない。手順が長くなるが、面白いのはここで、黒はe7を見捨て19...Rc7、白はe7に興味を示さず20.Rc6、R交換するしかなく20...Rxc6, 21.dxc6、これで白はc6地点にパスポーンを作った。e7の駒得より、これが大きいらしい。以下、白Pa4も実現して黒bポーンとの交換も果たした。完封試合である。
06/05/26
 将棋に興味を持つ人のブログが昨年の26日に何を書き、書かなかったかは、筆者の見識の高低や有無をよく表したと思う。私自身のは客気が強すぎて品が無い。やっぱり、ほんの一言だけつぶやいた詰将棋作家の一行が痛快だった。誰も問題視しなかったと思うが、読者が鈍感だったというより、慎みを守っていたのだろう。
 ソフィアで書く余裕の無かった雑報を。アゼルバイジャンのスポーツ相が出向いて、トパロフのマネージャーと交渉し、ラジャボフのタイトル挑戦を来年の四月に行うことで合意した。口の悪いコメンテーターは、ラジャボフを「21世紀のヤノウスキー」と呼んだ。ほか、ソフィアには、ヴェイカンゼー、リナレス、モレリアの関係者が集まって、チェスでもテニスのようなグランドスラム大会を作るための話を始めた。ドルトムントが抜けているのが残念である。
06/05/25 紹介棋譜参照
 アンチMの話をすると、8.a4が多かったのは2002年までで、翌年から8.h3が目立つようになり、、、なんて書くつもりが、今日は、すでに3Rまで済んでいるトリノのチェス五輪を語らねば気が済みません。半年振りにクラムニクが対局したのです。そして、白番を持ってナイディッシュをかるーくひねってくれました。さらっと技を決めて駒得してから、さらさらっと交換を進めて終盤に入る手馴れた感じが見所ですが、私が彼らしさに触れて嬉しかったのは最後のところ、図の局面です。ここは白Rxf7で良いに決まってる、でも、クラムニクは32.Rb7と指しました。ね、何かいやらしいでしょ。32...Nd6に33.Rd7で黒投了。なぜって、白e5を防いで黒は33...Re1しか無いと思うのですが、そこで白Rdxd6以下、駒を清算してしまえば、大差のルックエンディングです。この変化も含めて紹介棋譜に。彼のほか、ロシアはモロゼビッチ、スヴィドラー、グリシュク、バレーエフ、ルブレフスキー。慈悲のかけらもありません。
06/05/24 紹介棋譜参照
 定跡を知らない人には通じない話を今日はさせてもらおう。マーシャルが考案したというだけでも私はマーシャル・アタックが好きである。1918年にこれを初めて見て対応できたカパブランカも偉い。たとえてみれば、モーツァルトの大家だったピアニストが、いきなり初見でシェーンベルクを弾かされるようなものではないか。
 また、私が思い出すのは1993年の世界王座戦だ。棋譜を並べながら、ショートの7...0-0をなぞった当時はどきどきした。が、カスパロフは三度とも8.a4で応じている。マーシャルを恐れるというより、この方が勝機が豊富だという発想で、実戦はそう単純でもなかったが、とにかく全勝した。それまで私はマーシャルにさせない白棋士を弱気だと思っていたが、そうでないと知った。現在ではこうしたアンチ・マーシャル作戦が主流になっている。今年のソフィアでもマーシャルは一局だけで、"アンチM"は十一局もあった。結果は白の3勝2敗6分。ただし、8.a4は一局だけ、他は8.h3である。
 なんでマーシャルが減ったのか。調べてみよう。私は左図を見ると血が騒ぐ。やっぱりPd4とRe1の形で戦ってこそ白は天に恥じることが無い。Pd3やRe2は邪道だ。私は図から15.Be3. Bg4, 16.Qd3. Rae8, 17.Nd2を暗記したものだ。ところが、強豪同士の場合、もう過去十年もこれでは白が勝てなくなっている。その印象を固めた1995年のスヴィドラー対カムスキーを紹介棋譜にしておく。
 さて、そこで注目されたのが15.Re4だった。1947年からある手だが、1990年にナンが見直して、1999年にレコがアダムズを破ってから流行りだしたと思う。狙いはRh4である。それを防ぐ15...g5が黒の最善手のようだ。今年のソフィア唯一のマーシャルも、一昨年のクラムニクとレコの有名なマッチ第8局もこれだ。2002年のポノマリョフ対アナンドが特に重要なので、紹介棋譜にする。16...f5がInformant83の新手賞を獲っている。
 15.Re4でもあまり白の勝率は上がっていない。白16手目としてQf1, Qf3, Qe2などがあり、先日のアナンドは珍しいQe1を試したが良くなかった。で、8.c3と指すよりはアンチMを選ぶ棋士が多くなるわけである。
06/05/23
 5勝2敗3分という優勝成績は今大会の際どさを物語る。これに比べればサラエボの1勝0敗9分は鉄板である。昨日も触れたが、第8Rのトパロフは負けて当然の棋勢だった。昨図の逆転の後でさえ左図の局面まで進んだ時、記者陣は急に不安にかられたらしい。「ここで白h5と進めて、それから白gポーンと黒hポーンを消したら?」「それって引き分けだろ?」。そう、いわゆるfortress(要塞)という型の一つだ。どんなに駒損していても黒に負けは無い。将棋の「ぜ」と同様で強豪はこの種の型を熟知している。そのはずなのだが、Chess Todayが面白い話を伝えている。この対局を見た他の四人の参加棋士のうち二人は上記の要塞型を知らなかったそうだ。さて、トパロフは知っていたのだろうか、それともその場で読んだのか。とにかく彼の選んだ手順は正しかった。左図とは白王をf5に移した点だけ違う状態にしてからPh5を指したのである。なおアナンドは最終戦も時間切迫に苦しんだそうだ。
06/05/22
 ソフィアは終了してしまった。ざっと話そう。最も不本意だったのはポノマリョフで、黒番では0勝4敗1分だった。第8Rのトパロフ戦に関しては、むしろ優勢になったのだが、図の31...d5に見落としがあった。トパロフの一瞬の返し技が見事だったのである。まづ32.Nxf6、そして、これを取らせて33.d4だ。次の白Bb1を防ぎようが無い。メイトとQ取りの狙いがある。この後もちょっと面白い局面があったのだが、トパロフの勝ちに変わりは無かった。
 トパロフは続く9Rでカムスキーを撃破し、首位に並んだ。さらに最終戦でバクローも屠って四連勝し、なんと単独優勝してしまったのである。昨年同様の巻き返しである。二位はカムスキー。アナンドは最後の三戦がドローで三位だった。特に8Rでは珍しく時間切迫に陥り、彼としては初めての経験だが棋譜記入の暇も無く、「手を指した」というだけのマークを打ってしのぐ不調ぶりだった。
06/05/20 紹介棋譜参照
 例によって、畏友に助けてもらった。米吉の名について、「"甚助"は平岩家の跡取り名だそうです。幼名として"米吉"。棋士米吉は家を継いだけれども(六代目甚助)、将棋ではそのまま"米吉"で通した」とのこと。また、羽生善治が公立はこだて未来大学の公開講座を担当したことも教えてもらった。いつもながら面白い話をしてくれたようだが、チェスに絡めては、「将棋には闘争心は不要。チェスや象棋などとは全く違うゲームだと思う」と言ったらしい。
 ソフィアの第7R、アナンド対トパロフは難しい戦いが続いた。19手までトパロフの研究範囲だったというのも恐れ入る。それを脱したアナンドの手があまり良くなく、白の苦戦が始まったようだが、私にはその解説が理解できない。とりあえず紹介棋譜にしておく。最後まで難解だった。カムスキーはドローだったので、一位と二位の差が一点に開いた。
 風邪をひいたり、寝不足が続いたりで、今日はここまで。明日は休みます。
06/05/19 紹介棋譜参照
 『愛犬王』で父親の名は甚助である。事情はわからないが、そうも呼ばれていたのだろう。小野五平が十三世名人になっているのは残念。また、主人公米吉は将棋の人ではなかった。そのかわり、連珠をよくし、七段まで昇り、多くの定跡書を残している。この本によれば明治三十年代、連珠の大衆人気は圧倒的で、これを独占した「萬朝報」が部数を伸ばしたとのこと。しかたなく他紙は囲碁や将棋を採り上げるしかなかったという。
 ソフィアは後半戦に入った。第6Rは三局とも大変だった。アナンド対バクローは黒のマーシャルが決まりそうになったが、アナンドの時間責めが功を奏して、ドローに終わった。カムスキー対ポノマリョフはしんどい駒のもみ合いが続いたところで、黒がポカ。カムスキーは単独首位に戻った。
 トパロフ対スヴィドラーは、黒が得意のグリュエンフェルドで勝った。本人も、「自分のベストゲームと呼ばれるだろう」。たしかに見所が一杯ある。たとえば、図から40...c2がうまかった。是非無い41.Kd2に41...f4で決まった。もし、白Bxf4なら黒c3+がある。ちょっと難しいが白Bf2でも黒c3+だ、以下、白Kxc2に黒Rb2+である。だから、42.Be1しか無いが、42...Rb1から42.Rxc4. Rd1+でビショップは助からない。紹介棋譜で御覧ください、この後の終盤もきれい。
 スヴィドラーは嬉しいだろう。リナレスでさんざん叩かれた彼のグリュエンフェルドが復活したのだ。
06/05/18
 サラエボの最終日、マラコフ対Nisipeanuは12手の談合ドロー、カールセンは負けそうになったが粘って88手のドロー。かくて三人が同点優勝。1勝0敗9分で優勝できる競技って問題あるよなあ。
 畏友が片野ゆか『愛犬王平岩米吉伝』を教えてくれた。平岩米吉と言えば明治の将棋指しである。ただ、これは同姓同名の息子を描いた伝記である。父親への興味から読み始めたが、すぐ息子の生涯に夢中になった。
 並みの愛犬家ではない。十頭を越える犬を飼い、さらには狐と狼とハイエナまで家の子にしてしまう。妻も娘も協力者だから米吉の愛は障害を知らない。彼が銀座に出かける時は狼も一緒だった。淡々とした文章がほのぼのとしたユーモアをかもし出す好著である。
 シートンの動物記やバンビを日本に紹介したのは米吉だった。そして、いま犬を飼ってる人は彼に深く感謝しなければならない。彼が私財を投じたことがきっかけで、フィラリアの治療法が確立されたのである。それまで日本の犬は七歳ほどで死ぬのが当たり前だった。
06/05/17 紹介棋譜参照
 サラエボはマラコフがサシキランに破れた結果、カールセン、Nisipeanuが追いついて三人が首位に並んだ。カールセンは1勝0敗8分。今大会の彼は堅実だ。ソフィア第4Rはカムスキーがスヴィドラーのミスを強烈に叩いて24手の勝利、アナンドはポノマリョフのカロカン陣の弱点を丁寧に押して56手の勝利。第5Rはトパロフがカムスキーに快勝。これを紹介棋譜に。再びアナンドとカムスキーが同点で首位に並ぶことになった。
 雑誌にコステニクが載り、畏友がそのページを送ってくれた。「ペントハウス」だ。ちょっとだけ期待したが、でもインタヴューだった。「チェスはスポーツだと考えています。私は自分をアスリートだと考えていますよ。うまく指すためには大変な努力が必要ですから。それに、メンタルな活動にはフィジカル面をとても良くしておく必要があるんです」。この点で、女性は男性に遅れをとってしまうことを認めているが、「女性だって男性と同じように上手に指せる、と私は思っています」と力強く述べてもいる。
06/05/16 紹介棋譜参照
 サラエボはマラコフが2勝0敗6分で一位、半点差でカールセンとNisipeanu。目立つ棋士が出ないまま残り2ラウンドになった。
 ソフィアの第3R、アナンド対カムスキーは後者が勝ち首位に立った。アナンドはカムスキーが苦手かも。図は優劣がはっきりした場面で37...e4まで。白はRe8+からKe3でe4のポーンをいじめれば良かった。しかし、アナンドは38.f3. exf3, 39.Kxf3、むしろ攻撃対象を消してしまう。これが失敗で、白王がK翼方向に寄ったこの瞬間、カムスキーの39.Rd6が機敏だった。難しいが、白はR交換するとQ翼が助からない。40.Re8+. Kd5、かくて黒王は盤央に進出でき、以後、白王はQ翼を援護できなかった。本来白ポーンが多いQ翼にカムスキーはにらみを利かせながら、K翼のポーンをさばいて圧し、決めてゆく。この見事なエンディングを紹介棋譜に。
06/05/14 紹介棋譜参照
 ソフィアで最高のスタートを切ったのはアナンドでした。まずバクロー、そしてトパロフに連勝です。それもいずれも黒番で。二局とも紹介棋譜に。バクロー戦は23手でQ対RRの交換になりました。普通はQを得たアナンドの駒損ですが、その後、このクィーンが52手までの28手中で16手も動き回ります。言ってみれば、ルック三個分の大活躍でした。
 続くトパロフ戦は左図が見せ場でした。アナンドがd4地点での激しい駒の消し合いを挑み、トパロフがそれを受けて立ち、27.Rxd4と指したところです。ここはアナンドが読み勝ってました。クィーンを逃げず27...Ng5、そして、28.Ne5に28...Nxh3+です。以下も彼らしい鋭い攻めで快勝しました。
 ほか、カムスキーがバクローを103手で倒したR1個とN1個だけの終盤も面白かった。この駒割は理屈だと引き分けなんですけどね。しかもこのNはアンダープロモーションで生まれた駒でした。
06/05/13 紹介棋譜参照
 けっこう大事な日に休んでしまったようです。サラエボもソフィアも先に進んでしまった。ゆっくり追いつくしかないですね。まずはサラエボから。サシキランがぱっとしない。時間切れか何か、事故があったとしか思えないような負け方をしてる。それ以上に調子が出ないのがナイディッシュ。けど、この二人の対戦が今のところ、最も面白かった。図は20.Nf5まで、ここで黒番のサシキランは20...Bxf5、そして、あっさりb5のポーンを見限って白Nxb5を許しました。もともとお荷物めいていたポーンですから、このあとb筋から反撃した構想に無理がありません。このしなやかさが私は好きです。投了図は駒の損得無しですが、実は大差でそれも彼らしい。05/02/20のフェアプレイも彼でしたね。
 ドローが目立つ大会でしたが、だんだん勝負が着くようになってます。Nisipeanuが2勝0敗4分で首位、カールセンら三人が半点差で続き、先述の二人が遅れるという展開で、残り4ラウンド。
06/05/11
 ここしばらく緊急帰省が多くて、明日は休みます。新幹線で"とん蝶"を味わいながら、コルチノイの自伝を読んでいるチキンリトルがいたら私です。自伝は亡命するところまで進みました。国を捨てる決意を固めたコルチノイは、まずアムステルダム大会に参加し、閉会式で隣に座ったマイルズにこっそり質問する、「せいじぼうめい、って英語でどう書くの」。
 サラエボがパッとしないまま3Rを終わったところでソフィアが開幕します。参加者はトパロフ、アナンド、スヴィドラー、バクロー、カムスキー、ポノマリョフ。今年もドローに関するソフィア・ルールが適用される。05/05/09参照。
06/05/10
 今日で本欄も3年続いたことになる。この一年で、チェス界の情報を伝えるブログが増えて、本欄に希少価値は無くなってきたと思う。ただ、たくさんの強豪が出る大会をすべて追って、そこから好局を探し続け、局面や棋譜を挙げてコメントするのは、当分まだ私だけだろう。また読者ならご存知のとおり、畏友の存在が大きい。彼の圧力(いや後押し)が無ければ、現在のペースは維持できてない。
 畏友が将棋連盟の事情をいろいろ教えてくれた。どうも、名人戦問題はまだ解決から程遠い。畏友の意見は、「理事会が変わり、現状を認め、現実的な方向性を示して、とにかくファンに謝った上で寄付を募るのなら、僕は一万円出しますよ」。私はどうしても感情的になる。現代棋士の多くには十一世名人宗印や本因坊秀和の悲哀を味わってほしい。真剣師を軽蔑できる特権階級が減るのは悪いことではない。幕府と新聞社の庇護が永遠でないことを思い知るために、30年くらい名人が空位になるのも悪いことではない。
06/05/09
 フランスのクラブ選手権はNAOの優勝で終わったが、最終日はMonacoが相手だった。我が目を疑う組み合わせがあって、ロチェ対スクリプチェンコ。これがフランス人なんだなあ。感心して畏友に伝えたら、「中原対林葉も見たいね」。思いは万国共通だった。もっとも、この二組はずいぶん違う。
 サラエボの初日はNisipeanuがサシキランのベルリンを破った。図はよくある形で、私製のデータでは01年から昨年まで、9...Ne7, 10.h3が白の7勝7敗23分だ。ところが昨年暮のワールドカップから4月までだと5勝0敗1分である。それもあってか、サシは9...h6と指した。クラムニクがカスパロフ対策に使った手でもある。しかし、やはり駄目だったわけだ。
 Keres65さんのブログが松戸チェスクラブの掲示板の情報を伝えてくれた。ナカムラが8月のジャパンリーグに参加する模様。JCAは賞金40万円を積んで迎え撃つ所存だ。
06/05/08
 歩きながら句が浮かんでしまうほど、仕事を気にしない連休だった。五月雨や右も左も帰り道。麿。
 サラエボ大会は今年もソフィアと会期が重なるので注目度が低くなってしまうけど、カールセンが出場している。六人参加で、マラコフ、Nisipeanu(いつまでたっても読めないよ)、サシキラン、ナイディッシュなど、きついなあ。
 アロニアンを描くNICの記事は風変わりな面が強調されている。自分で自分のジョークに馬鹿笑いして、しかも、言ってることが本気かどうか見分けもつかない。彼自身は「みんな大好き」ということで、誰彼となく話しかけている。
 一例を。ヴェイカンゼーの最終日、アロニアンはセコンドに教わった手でイワン・ソコロフに勝った。閉会の晩餐で敗者を見つけたら、話しかけずにはいられない。「イワン、僕の友達の働きをどう思われます?天才でしょう?」。ソコロフは気が滅入って答える気分ではなく、アロニアンも席を離れた。が、ほどなく戻ってきて、「ねえイワン、あの試合には僕も満足できてません。謝りたいんです。なぜって、実のところ僕は自分じゃ一手も指してないんですから」。アロニアンに悪気は無かったそうで、ソコロフも怒りにくく、もごもごと独り言を言うしかなかった、「そんなに気になるなら、初手g3とでも指しゃいいんだ」。
06/05/06
 「New In Chess」最新号に読みふけって電車を乗り過ごしてしまった。リナレスがトップの記事でこれも面白いが、アロニアンのインタヴューが載っており、彼のパーソナリティが周囲の棋士達を困惑させる様が紹介されている。
 朝日オープン将棋選手権の第三局が4日にあり、ドバイから帰ったばかりの羽生が、たった63手で藤井猛を破って、防衛まであと一勝とした。帰国して3日には大阪の対局場で検分を済ます強行スケジュールだった。
06/05/05 紹介棋譜参照
 我々がドバイの羽生善治に熱中している間、チェス界ではロシアのクラブ選手権が注目を浴びていた。優勝はUral Sverdlovskで、メンバーはグリシュク、シロフ、アコピアン、ドレーエフなど。イワンチュクのTPSは二年連続で二位。昨年優勝のTomsk-400はモロゼビッチとアロニアンを擁して今年も強そうだったが三位。Chess Todyで扱われた中から目立った二局を紹介棋譜にしておく。
06/05/04
 珍しく畏友は「将棋世界」を買った。将棋史家越智信義のインタヴューがあるのだ。貴重な証言だ。昭和戦前から戦中にかけて、熱心な将棋ファンはどんな風に棋譜を集めていたかが語られている。いかにも新聞将棋の時代だ。また、04/03/30に書いた疑問が解けた。昭和十年に関根金次郎は名人位を手放す時、1万円の功労金をもらっていた。当時は大卒の月給が45円だったとか。たぶん初任給のことだろう、今は19万5千円くらいとして、関根の1万は4300万ってとこか。それにしても「将棋世界」ともあろうものが「関根金治郎」とはね。
 カールセンとファンヴェリーのマッチは1勝1敗2分で一区切り、決着はブリッツに持ち越されたのだが、こうなると力の差が出るという結果になり、3勝0敗1分で少年が圧倒した。
06/05/03
 羽生のドバイは3勝2敗4分、51位で終わった。もう一勝くらいできたかなあ。
 今年も「64」誌恒例のChess Oscarが発表された。現在の方式では第11回目。あまりにも当然ながら2005年度の一位はトパロフ。初受賞だが、彼自身は六大会で優勝した1996年度のも期待してたそうだ。上位十人の投票結果は次のとおり。
 1. Topalov, Veselin (Bulgaria) 4376
 2. Anand, Viswanathan (India) 3495
 3. Aronian, Levon (Armenia) 2721
 4. Svidler, Peter (Russia) 1881
 5. Leko, Peter (Hungary) 1187
 6. Morozevich, Alexander (Russia) 1025
 7. Kasparov, Garry (Russia) 1001
 8. Ivanchuk, Vasily (Ukraine) 968
 9. Ponomariov, Ruslan (Ukraine) 821
 10. Carlsen, Magnus (Norway) 433
 昨年の顔ぶれと比較したい方は05/04/20を御覧ください。四人が入れ替わり、アロニアンとカールセンが初登場。
 FIDEの会長選の分析記事がChess Baseに載った。Activeな棋士達はコクを支持する率が高いのだけれど、実際の票読みでは一国一票で数えることになり、その場合ではイリュムジノフの方が有利になるのだとか。
06/05/02 紹介棋譜参照
 残念、最後は負けてしまった。海外の大会に参加することの楽しさを、羽生は「プロレベルの六七段ぐらいと指せることがある」と述べてます。それは好成績でないと実現しません。彼も今回はその点では満足してるでしょう。
 序盤はリヒター・ラウゼル(ラウザー、ロイツァー)で互いに用意があり、手持ちのデータでは白25手まで前例をなぞっていた。連続王手のドローを避けた25...Qh4が新手かな。この定跡で面白いのは19...Rxd3です。私にはびっくりのルック切りでしたが、WellとOsnosの本によると、白の明色ビショップを消すのが狙い。これによって黒の明色ビショップは交換を避けられるから、c6地点で威張り続けることになるのだとか。なるほど。
 しかし、本局の白眉は左図あたりからの黒の構想です。白が29.Rc1でc筋を確保したところで、私はこれで一安心、希望まで湧いてきました。が、黒は29...Kf7、そして、30.Rc7+に30...Kg6、さらにはPh5からPh4と盛り上げてくる。迫力がありました。羽生の持ち時間も減ってしまい、以後の指し手には貫禄の差を感じます。
 観戦者として私は、GMの本気を目の当たりにできて感激でしたし、それを引き出してくれた羽生に感謝です。また、公式サイトの中継が不安定だったので、三局とも私は棋譜を畏友と2ちゃんねるに頼ってました。さすが羽生効果と言うべきか、中継時の2ちゃんは見ていて気持ち良かった。
06/05/01(その3)
 MiroshnichenkoがK翼から反撃。この構想が素晴らしい。うーん。
06/05/01(その2)
 畏友「羽生は帰ったらすぐ朝日杯で藤井戦のようですね。この際、どうでもいいな」。私「そうですね。いま帰ったって朝日杯が無くなってるかもしれないし」。
06/05/01(その1)
 かかかか、勝てるのか、勝ってしまうのか???
06/04/30(その2)
 畏友から一報。今夜も羽生の中継がある。お、それも白番じゃん、と喜んだのもつかの間、相手はMiroshnichenkoで、なんか聞き覚えがある。棋譜を並べたら、こないだ敗れた中継相手より香一本は強い本物のGMだった。な、、、なんの!
06/04/30(その1)
 羽生は黒番でドロー。白に消極的な面もあり、期待したポカが出にくいチェスだった。昨日の記事について畏友の真意は「これで米長は辞めやすくなったろう」。私も会長や理事の退陣は致し方ない情勢だとは思う。カールセンがファン・ヴェリーとマッチをしてる。第一局は最後に一つも駒を動かせなくなって完敗。カールセンの苦手なジワジワと圧される展開だった。しかし、二局目は伸び伸び戦って勝っている。
06/04/29
 畏友から"二報"あり。更新を休めなくなった。まず、ドバイの羽生善治のネット中継がある。相手はIMのBabaev。手持ちの棋譜を調べると、ポカの目立つ人だった。もちろん、楽な相手ではないが、羽生の勝ちを見たい。それから、日本経済新聞に神谷浩司記者が書いている。棋士が多すぎることを名人戦問題の背景に挙げている記事だ。その点で私と似た意見だ。「米長もある意味、救われるというものでしょう」と畏友。実際、米長邦雄会長は自身のブログで称賛していた。

戎棋夷説