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将棋棋士のチェス2、ロシア選手権、マインツ。

06/09/23 紹介棋譜参照
 ノルウェー選手権の決定戦が行われ、ようやくカールセンが師匠を乗り越えて初優勝した。本戦は0勝0敗2分で勝負が着かなかった。白番では軽く受け流され、黒番では暴れすぎて危ないところを、なんとか引き分けにした。要するに流れが悪かった。けれど、早指しの延長戦になったとたんに二連勝で決めたのである。圧倒的な荒々しさでまづ一勝、そうなるともう勢いに差がついてしまい、続く一局は師匠を軽く吹き飛ばしてしまった。一勝目を紹介棋譜に。
 前々号のNew In Chess に最近のトパロフの棋風を示す記事があった。ソフィアのカムスキー戦を語った自戦記で、図は黒トパロフの15...a5まで、実戦は16.Kb1. a4, 17.Nc1 と進んだ。トパロフは勝敗を分けた疑問手として16.Kb1を挙げた。カムスキーの発想と対照的で、ここは16.Nc4と指すべきだ、と言うのである。「この種の局面を目指すなら、勇敢にそして攻撃的に指さねばならない」。つまり、黒a4に対してナイトの引き場所を用意するのではなく、白Nd4に飛び出す気概が必要なのだ。この白Nd4が強烈なので、トパロフは16.Nc4に対して16...a4ではなく16...g6を考えていた。正直、私には難しすぎる記事だが、この手も強靭な感じがした。
 もちろんクラムニクは「この種の局面」を目指さないだろうし、トパロフはそれでも突破口を探るはずだ。そんなふうに想像しだすと、わくわくしてくる。
06/09/22
 「近代将棋史年表」の1948年を畏友が送ってくれた。3月に「初の『全日本チェス・オープン選手権大会』七日間にわたって行われ、坂口允彦八段優勝」とある。そして、「木村義雄前名人、藤澤庫之助囲碁八段、中島一郎、樋口金信記者ら参加。於横浜市バンカス・クラブ」と続く。「庫之助」は「朋斎」の前名だ。これにて一件落着。
 今日は畏友のメールをそのまま引用させてもらう。「毎日新聞の姿勢に思ったのは、今度こそパトロンの時代は終わりかもということと、野球やサッカーのように建前の世界にいくんだろうなということです。新聞将棋が前近代の産物であるように、新聞や雑誌から将棋界を想像形成してきた僕らも前近代のファンだし、そこに、それぞれ精神的なパトロンになる仕組みがあったのではないでしょうか。つい『将棋界』を語ってしまうような。連盟、朝日はそういうファンを切る方向を選んだし、毎日もまた今度、同じ方向を選ぼうとしている。良い悪いではなく、今度こそ本当の意味で企業がスポンサーになる方向を。この流れだと、たぶん、毎日、朝日のように、賞金主義の読売も『将棋文化』と建前を言わざるを得なくなるはずで、やがては『子供』『アマ』『夢』『感動』などという話にもなるんでしょう。これまでと同じようで実は違い、本当に建前の絵空事というわけです。 そして、将棋連盟はこれからのファンと新しい関係を結ぶのでは。羽生が言った『将棋界が競争原理に巻き込まれる』とは、結局、こういうことではないかと思います。米長には現実や羽生世代以後がよく見えているのかも」。
06/09/21
 今年の私は緊急帰省が多い。今度の土日もそうで、第一局と二局を見れそうに無い。エリスタでは勝った方も負けた方も50万ドル(約5900万円)がもらえる。賞金ではなく対局料というわけだが、安くなった気がする。ブリッサーゴの勝者賞金は約8800万円だったはずだ。
 シュヴァリエ・デオンについて、04/01/27から書いたことがあった。いま WOWOW でアニメ化されている。私は見てないが、チェスが出るかどうかは気になる。畏友が、藤澤朋斎に関して、Sam Sloan's Chess Page で見つけた rumor を教えてくれた。朋斎は、GHQが囲碁を禁止した場合に備えてチェスを学んだらしい。ただし上達はせず、public game は指さなかった、とのこと。さて、信じようか。さらに畏友によれば、坂口允彦による占領軍相手のチェスはかなりの稼ぎになったらしい。ただ、真剣にチェスに取り組んだ将棋指しは彼だけのようだ。坂口がチェスの話ばかりするので、加藤治郎などはずいぶん迷惑したそうだ。
06/09/20
 この先、FIDE主導の世界選手権が定着するとなると、マッチ形式でチャンピオンを決めるのは今回が最後か。残念だが、それだけに楽しみたい。
 Chess Today がグリシュクのコメントを紹介している。「昔のトパロフは大会の終りになるとたいてい疲れてナーバスになり、大きなミスをしでかした」。四年前のドルトムントを思い出す。クラムニクへの挑戦権を決める大会だった。私はトパロフの優勝を確信していたし、開会後の一次リーグは勝ちっぷりが見事だった。けれど、準決勝のあたりから失速が始まって、レコとの決勝ではいきなり連敗して勝負どころを失ったのである。「でも、今では最も落ち着いた棋士の一人だ。彼は自分の体をシャープに作り変えたんだ」。05/10/18でも画像を比べたが、たしかに顔が変わっている。
 グリシュクの話を続けると、復帰後のクラムニクは、六年前にカスパロフを倒した頃の最高のレベルを取り戻している、とのこと。で、エリスタの勝敗に関しては、「予測できない」。なお、Chess Base のページを見ると、カルムイキヤ共和国を挙げてのパレードがウラジミールとヴェセリンを歓迎してくれたようだ。
 名人戦は毎日と朝日の両新聞社で共催する道をさぐることになった。朝日オープンが消えて、実質八つあった大棋戦が七つになるという流れに変化は無さそうだ。
06/09/19
 世界チャンピオン決定戦、と書ける日がついに来た。クラムニクとトパロフが対局地エリスタに到着した。マッチは実現する。1993年のカスパロフ対ショート戦や、三年前のヤルタ騒動などなど、思い出されておじさんは感無量である。
 両者のセコンドを見ると、クラムニクと長く一緒だったバレーエフが抜けている。スヴィドラーも居ない。もっとも、代わりにモティレフとルブレフスキーが入って、豪華さは相変わらずだ。トパロフ側はいつもどおりチェパリノフが中心で、他にオニシュクとヴァレーホ。記憶ではジョババも加わるような話があったはずだが外れている。
 どっちが勝つか。体調が戻ったとすれば、はっきりクラムニクが強かろう。不調だった03年以降でも7勝2敗6分で勝ち越してるほどだ。トパロフは白番で勝ててないのが気になる。マッチ形式そしてわずか十二戦であることも、経験と疲労度の双方でクラムニクに有利ではないか。
06/09/18
 成人してからチェスを始めて強くなれるか、という話題で皇帝陛下の掲示板が盛り上がっている。私はルーク氏の意見とほぼ同じだ。忙しくても続けることが大人は難しい。私も本欄を意地で更新してる時がある。
 おとといの「藤澤」について、直感的に藤澤朋斎が浮かんだ。呉清源と十番碁を戦った人である。すると読者Tさんからメールがあって、「藤澤朋斎がチェスを指したということを思い出した」。おお、では可能性が無いではないのだな。ほか、将棋が強かった作家藤澤恒夫も考えないといけない。
06/09/17
 「近代将棋史年表」にはチェスの記事も散見される。日本チェス連盟が主催した「第一期チェス選手権」は1963年に開催されており、「棋士勢大いに振い、大山名人が初の栄冠を獲得」とある。また、その前年にも日本チェス連盟が主催した「第一回読売チェスオープン選手権」が開催されており、木村義徳が優勝、大山康晴が二位だった、と記載されている。大山の棋譜をぜひ見たい。畏友が読売新聞を調べてくれたが、オープン選手権は小さな記事しかなく、事情がわからなかった。
 日本チェス協会(JCA)の会則の第五条には、「JCAは日本国内のチェス愛好者を啓蒙し組織してFIDEおよびその加盟各国協会および内外の文化的、行政的諸機関に対し独占的に日本のチェス界を代表する」とあり、第七条には、「JCAは国内のチェス愛好者、団体にチェスに関する諸資格、称号を与奪する権利を独占的に保持する」とある。文字通りに読めば、この条文はJCAと無縁のチェスファンやネットのチェスにまで適用されるわけだ。実際、戦後日本のチェスを考える上で無視できない日本チェス連盟による選手権を、JCAは全く認めていない。
06/09/16 紹介棋譜参照
 坂口允彦には『チェス上達法』のほか、1949年の『チェス入門』がある。私は畏友からもらった。一読してこれは日本人が書いたと言える内容だ。彼の自戦解説を紹介棋譜にする。分岐は坂口の解説手順である。対局者「藤澤」が誰かはわからない。当時の将棋棋士にもこの名は無い。
 この棋譜は「全日本選手権大会」の一局らしいが、この大会もよくわからない。80年代の「将棋世界」に連載されていた詳細な「近代将棋史年表」の複写を何葉か畏友から送ってもらって、それで調べると、1947年7月に「連合軍統治下の社会事情からチェス熱大いに高まり『日本チェス連盟』発会式を挙げる。上野精養軒。坂口允彦(将棋八段)会長に就任」とある。そして、「将棋とチェス」1949年8月号の三田村篤志郎「チェスよもやま話」には、ABふたりの会話体で、「A 去年、チエスの日本選手権トーナメントがあつたやうに聞いてゐますが。 B さうです。知名のチエス・プレーヤー五人を招待した所謂『招待トーナメント』がありました。主催者は東京の国際チエスクラブと日本チエス連盟で、毎日新聞社が後援してくれました。そして、日本将棋の坂口八段が選手権を獲得しました」とある。たぶんこれだろう。ちなみに、この後の全日本選手権大会は延期されてしまった、と11月号の編集後記にある。
 同じ8月号の中島富治「将棋夜話」には坂口がチェス研究に没頭する様が書かれている。「久しぶりで訪ねて来た時、『今週は五日徹夜をした』と言う。『若い時とは違う、四十を過ぎてそんな無茶なことをしては』と説教したら、『ほんとうにそうです。之れからは徹夜は一週二三日位にしませう』と言つた」。なお、坂口の語学力に関して、「チエスに関する限り、英独仏の原書を読破し得る」と書いてある点も付け加えておく。
06/09/15 紹介棋譜参照
 先月に畏友と会った時に、将棋史家に会わせてもらった。偉大な名人たちのゴーストライターの名を聞かされてクラクラしたが、畏友も面白い話を知っており、もし古今全国の新聞詰将棋を漁って、作者として名が載った数を調べたら、最も多作なのはおそらく丸田祐三に決まるだろう、とのこと。
 ずっと前に畏友からもらった木見金治郎−木村義雄のチェスを紹介棋譜に。1927年の「サンデー毎日」に連載された。定跡理解が感心しないが、二人とも中盤がねっちりしていて、古い将棋の感じが出ている。升田幸三よりはるかに強い。図は優劣が着いたところで、ここで木村は27.Ncd2と引き、木見は27...Qb6と出た。Fritzの推奨する次の手は28.Nc4である。が、それは28...Qc7で千日手模様だ。たぶん、将棋指しとして木村はそこは気にしたと思う。で、28.dxc5を選んだ。ただ、その先が不利になることまでは読めなかった。私は記事を読んでないが、それが実情だったのではないか。
06/09/14
 木見金治郎と阿部恒郎の書いた『西洋将棋の遊び方』について06/01/10に触れた。1926年の本だ。なかなかの出来だと思うが、それだけに日本人の力で書いたとは思えない。何冊か不明だがタネ本があったのではないか。木見は名を貸したのみで、実質的には阿部による翻案本だろう。畏友の調べでは、収められた中では1923年の棋譜が最新である。ただ、クィーンが五つも生まれたことで知られる"5 Queens"も載っているのが謎だ。アリョーヒンの名局集で読めるが、これは1927年の本なのだ。周知のごとく、"5 Queens"はアリョーヒンが1915年のグリゴリエフ戦を再構成した創作譜で、ティム・クラッベのページによると、最初に発表されたのは1916年のロシアの新聞だそうだ。
06/09/13
 七位以内に入った全員が1983年以降の生まれらしい。ロシアは若手不足とはもう言わせない。
 畏友が興味深い資料を見つけてくれた。坂口允彦が将棋連盟会長だった頃の昭和43年版『将棋年鑑』に、連盟規約とも言える当時の「日本将棋連盟の機構」が掲載されていた。驚いたのは、連盟の「目的」として、「頭脳スポーツであり、健全娯楽である将棋道と、併せてチェス(西洋将棋)の普及、発展とを図って、国際親善の一役を担い、人類文化の向上に寄与せんとするもので、主たる事務所を東京都渋谷区千駄木(略)に置く」とあったことだ。「事業」の第5項には、「諸外国人と将棋・チェスの対局を行い国際試合に参加して親善を高める」ともある。
 若いチェスファンのために五六年前の思い出を付け加えておこう。日本チェス協会(JCA)の松本会長は某掲示板で、「JCAはチェスの普及を目的としていない」といった意味のことを明言した。実際、「日本チェス協会会則」には「普及」の字が無い。字義どおりに読んでしまえば、チェス愛好者を積極的に増やす発想が無い。別の規程から探さねばならぬほどのものだ。
06/09/12
 ロシア選手権はイナリキエフが単独トップで終わった。それより七位以内に入ることが重要な大会だが、僅差の判定タイブレークで決まった模様。IMが二人も入った。その一人がニポムニシである。おお、圧勝譜だ、首位と半点差の四位まで上がってしまった。ティモフェーエフは激戦に敗れて十五位。それにしても、知名度の低い棋士を集めて、面白い棋譜を大量に生産できるロシアはすごい。
06/09/11 紹介棋譜参照
 ロシア選手権は第7Rに変動があって、首位が四人になったが、第8Rではイナリキエフが抜け出た。図はその一局で彼は黒番、白マラコフの手番である。黒は駒得だがポーン形が悪く、Fritzで調べると引き分けだった。その手は40.h5だ。40...Rxc3+には、41.Kh4で、以下、hポーンを伸ばしていけば良い。要点は、白ルックがf筋を張っているので、黒王がK翼に渡れないことだ。実戦は40.Rc2と誤って、40...Kf5を許してしまい、黒勝勢になった。c3を守ろうと思うのは人情だろうけど。
 ティモフェーエフは五位十四位集団にまで落ちてしまった。決勝大会の出場権をめぐる七位争いが熾烈になっているわけだ。そして、なんとニポムニシもスミルノフを倒してこの中に加わっているではないか。ただでは引かない面白いチェスである。これを紹介棋譜に。Khismatullin もドレーエフを破る活躍で半点差の二位に付けている。
06/09/10 紹介棋譜参照
 夏の拙宅は室温36度だ。Yahoo! BBが動かなくなるので、機器に保冷剤を載せる毎日だが、もう少しの我慢である。
 Nepomniachtchi なんてどう読めばいいんだ、と畏友に愚痴ったら、サンフレッチェ広島の監督にニポムニシというのが居たそうで、つづりはNepomnyashchiy 、同名と考えていいだろう。帰化したら「日本虫」か。chessgames. com でも発音法が話題になっており、その回答も教えてくれた。畏友に完敗である。まさか読めるとは。
 ニポムニシは同い年のカールセンに三年前は勝っている。『Wonder Boy』によると、カールセンのやる気が無い時の対局だったという。これ以後の二人の伸びには差が付いた。でも、さらに三年たつとどうなるだろう。
 ロシア選手権第6Rは首位対決のイナリキエフ対ティモフェーエフがドローだった隙に、Khismatullin が好局で勝って追いついた。これも初耳の棋士だが、紹介棋譜にしておく。ニポムニシは負けてしまった。
06/09/09 紹介棋譜参照
 イスラエルのリション・レ・ツィオンでアナンド、ラジャボフ、カールセン、ゲルファンド等々、ブリッツの魔人を16人集めた世界選手権があった。優勝したのはグリシュクだった。同点のスヴィドラーとのプレイオフに勝った。
 二段階でロシア選手権が行われるのは恒例になったようだ。いまトムスクで58人の棋士が争っている。上位7人が決勝大会に進める。全9Rのうち現在5Rが済んでティモフェーエフが3勝0敗2分でトップ。いいぞ。今年16歳のNepomniachtchi という変な名の子を見つけた。1勝0敗4分で、今回の入賞は難しいだろうけど、見所がある。左の図は白番で、普通はBb6だろう。Fritzで調べても、それで悪くない。ところが少年はやってくれた、38.Bxh4である。38...Rxb3に39.a6を考えていたのだ。以下、大きな駒損になってしまったのも愉快だ。無論、すぐに連続王手にして引き分けた。まだIMである。
06/09/08
 立花隆『日本共産党の研究』全三巻を読み続けてしまった。非常に面白い。そんなわけで、今日は軽い話で。「結婚哲学」にも対局場面がある。「生きるべきか死ぬべきか」と合わせ、ルビッチもチェス派の監督に数えたい。
06/09/07 紹介棋譜参照
 ノルウェー領スピッツベルゲンは北極圏の島で、人口1000人ほどのロングイヤービエンは行政機関がある町では世界最北なのだとか。ここにスヴィドラーとカールセンを招いたチェス祭りがあった。石油採掘百周年の記念行事だそうだ。五輪を呼ぼうという東京にだって思いつかない志の高さだ。また、その熱さに応える棋譜を二人は残してくれた。
 早指しマッチで結果はスヴィドラーの1勝0敗1分。図は彼が白番で勝った二局目である。12...Qa5まで。ここで出た、13.Rfe1、黒は当然の13...Qxa4、そこでさらに出た、14.Rxe7+である。どうするつもりなんだろう、以下は紹介棋譜でお楽しみを。Fritzで調べると両者にミスが見つかるが、これだけの激戦なら当然である。変化手順に示した。ただ、Chess Today の解説はもっと素晴らしかったことを付け加えておく。さすがにその手をここに書くのは気が引ける。
06/09/06
 先月貴重映像のサイトを教えてくだすった読者Tさんからもメールをいただいた。「トーラス盤の碁を打てるサイトがありました」とのこと。私より弱いプログラムだが、盤の特殊性は味わえる。とても面白いのでお試しあれ。なお、田崎清明という物理学者のブログで引用されていた記事を、そのまま引かせてもらうが、「地球物理学者(だっけ?)の竹内均氏が Oxford に滞在したとき Dirac に碁を教えろと言われて教えた。何度対戦しても竹内氏が勝つのだが、ある日、Dirac は周期境界の碁盤でやろうと提案し、それ以降は、ずっと Dirac が勝った」という話もあった。「周期境界の碁盤」は厳密に考えても謎だから、件のドーナツ碁盤だと見ておこう。引用元の「一宮さん」のブログは残ってない。さすがに囲碁の話題となると、真偽の確かめようもないが、記録しておく。
06/09/05 訂正
 申し訳ありません。原先生からメールをいただきました。Dirac を私は挿絵画家のDulac と名前が混乱してしまい、「デュラック」と書きましたが、「ディラックと表記するのが普通です」とのこと。たしかにそのとおりです。また、ディラックの考えた碁盤を私は「円筒形」と書きましたが、これも記憶間違いです。「円筒と言うよりも、トーラス(ドーナツの表面のことです)と言う方が適切でしょう」とのこと。以上、原先生と読者の皆様にお詫びします。記事は訂正いたしました。
06/09/05
 棋譜に関して、新聞社は独占掲載をアピールし、チェス協会は死蔵するという、日本の常識はどうにかならんだろうか。
 碁の話をもうすこし。映画「ビューティフルマインド」でも主人公ナッシュが碁を打っていた。ゲーム理論でノーベル賞を獲った人である。また、原啓介先生からうかがった話だが、量子力学のディラックは弱かった。「碁盤は"辺"があって不完全なのだ」と気づいた彼は、理想的なドーナツ形の盤を考案した。「でも、勝率は変わらなかったそうです」と原先生。ちなみに、畏友によると、福澤諭吉の息子が理系の学者で、彼は円筒形の碁盤を研究したらしい。
 レコ対カルポフは前者の1勝0敗7分で終わった。
06/09/04
 畏友が碁に凝ってるのは何度か触れてきたけど、面白い棋譜を教えてくれた。03年のイ・セドル(李世石)対ホン・チョシク(洪章植)戦で、黒イ・セドルがすごい。シチョウアタリを知らんのか?図からさらに白石を追ったが、もちろん取れない。しかし、まあ投了図を御覧あれ。黒が勝ったのである。取れぬシチョウを追った例では幻庵因硯のを見たことがあるが、イ・セドルはスケールがでかすぎる。※「世石」は便宜的な表記。
 海外の囲碁サイトでは、日本の最新の棋譜も、優秀な再現プログラムで簡単に鑑賞できる。著作権の問題がどうなってるのかわからない。正式な許可を得てない気がして、私は愉快だ。取り締まるのは不可能だろう。畏友が教えてくれたのはGo4Go.net.というサイトである。アクセス数の多い人気棋譜の順位がわかるようになっており、上記のイ・セドルの棋譜は、二位の4920件を大きく離して11025件のダントツ一位だった。
06/09/02 紹介棋譜参照
 アムステルダムは、やはりベリャフスキーから紹介棋譜を採ろう。先月17歳になったばかりの王皓を黒番で破った。N対4Pという駒割になるまでの駒の取り合いが面白い。終盤は少年の辛抱が切れて自爆した感じだ。
 昨年の6月にレコの大頓死を紹介したが、あれはアダムズとの早指しマッチだった。結果は、三連敗したレコが三連勝して追いつき、最後の二局をドローで引き分けて終わっている。今年も同じハンガリーのミシュコルツで開かれ、レコの相手にはカルポフが招かれた。この二人の地味な棋風で盛り上がるんだろうか?いまのところレコの1勝0敗3分だ。
06/09/01
 職場の階段ですれ違った同僚が、私の顔を見て、「いらしてたんですか」と言う。あ、会議があったんだ。またすっぽかしてしまった。しかも、この日は私が司会を務めるはずだったのを思い出した。でも、誰も困らなかったらしい。まずいな。
 そういえば、もう大昔から、カルポフはコルチノイについて、「優勢を手離さずに勝ち切ってしまう」と言っていた。昨日の棋譜は彼らしいわけだ。華々しい決め手の無い人だけに、一番難しい芸だと思う。ベテランが張り切ってくれると嬉しい。加藤一二三も全盛期を過ぎてからの方がずっと愛されている。
 先ごろ、アムステルダムでベテランチームと少年チームの対抗戦があり、前者は惨敗を喫した。ナンの敗戦の弁は、「ここ何年も対局してないから。もう私はビジネスマンだし」。この種の催しに、かつてケレスは苦言を呈していた。どうしてもベテランの方がモチベーションは低く、結果として若手の過信につながりやすいからだ。でも、今回はベリャフスキーだけはベテランの意地を見せてくれた。4勝1敗5分は全選手のトップである。同じ成績のカールセンにも勝った。
06/08/31 紹介棋譜参照
 コルチノイが優勝したのはバニョーラスという所の小大会だ。ティヴャコフを下した一戦の終局映像もあり、老雄が体を揺すって「おっしゃー!」と気合を入れてる場面が見られる。棋譜を並べると、一箇所だけ不可解な手があってしばらく考えた。図でコルチノイは24.Bh3と指したのである。きっと、白Nxf7黒Rxf7白Bxe6の筋が念頭にあるのだろうが、うまくいくとは思えない。白Nxf7には黒Kxf7と取れば良いのだから。問題は黒Kxf7に白Rc7+以下どこまで黒王を追い詰められるかだが、私には難しい。とはいえ、Fritzで調べると、この白Rc7+の筋を「未然に防ごう」と思うと厄介なのだ。私が思いついた24...Be7など却って25.Nxf7のお手伝いである。で、ティヴャコフは24...Ba8で防いだのだが、それも感心しない形だ。もう白が良いのだろうか。ここらがベテランの深遠な芸かもしれない。後は指すほどにじわじわと白が良くなって終わったようだ。図からを紹介棋譜に。
06/08/30
 世界有数の金融機関クレディ・スイスの創立150周年を記念するブリッツ大会がチューリッヒの本社で開かれた。招かれたのはカルポフ、コルチノイ、ポルガー、そしてカスパロフである。引退以来初めてのご登場だ。光の庭(リヒトホフ)が観戦者でごったがえしたのも無理は無い。
 持ち時間5分(一手2秒加算)だけど、王様のチェスは錆びてなかった。図は黒コルチノイ戦で20...Ba6まで。ここでカスパロフは決めた。21.Bh6+である。黒Kxh6なら白Nf5+黒Kg5に白Qc1+から即詰みなのだ。で、是非無い21...Kg8に22.Rf5で駒得確定。23手で勝った。
 結果はカスパロフとカルポフが3勝0敗3分で同点優勝。今年75歳のコルチノイもすごい。チェスドクター氏のブログで知ったが、0勝5敗1分で最下位だったものの、実はスペインの大会に参加中だった。抜け出して来たのだ。しかも、そちらの大会はティヴャコフを下して優勝している。
06/08/29 紹介棋譜参照
 マインツの早指しマッチは二日目も1勝1敗1分で終り、最終日にアナンドが二連勝して決着した。特に第八局はN対5Pという珍しい終盤になった。けれど紹介棋譜は第七局を選ぶ。第三局と同じ定跡で進み、ラジャボフから手を変えて、図の局面になった。白番である。無論、ナイトを引いてはいられない。16.e5は予定の強攻だろう。もし黒dxc3なら白e6で勝てる。白にはBh5やQh5の筋があって、f7地点を襲えるから白e6は強力なのだ。だから、黒は16...c5、対して白は 17.Re1で力をためてPe6の機会を待つ。そこで、アナンドは17...Nxe5と切った。ラジャボフの狙いを断ったのである。以下、駒割はN対3Pになり、活発な応酬が続いて面白い。ただし、白はc3地点のナイトを引かざるを得ず、その分だけ態勢が窮屈で、駒をさばきにくいラジャボフが疑問手を続けた。やむなくルックを捨てる決断で黒ポーンの圧力を消し、盤面を軽くして引き分けようとしたが、ミスは止まらず敗れた。
06/08/28
 マインツの早指しマッチは三日間で三局三局二局の全八局という日程だった。
 第一局はドロー、そして、第二局でラジャボフがアナンドに先勝した。図ではしかし、黒アナンドの方が優勢だった。黒Qが白陣を食い破ってP得している。さて、白ラジャボフはどう粘ったか。まず、22.Qe4で強烈な黒Qを消しにいった。ただし、22...Qxe4. 23.Nxe4, Nxe5で、さらにP損してしまう。が、その代わり、24.Nc5が好位置だった。このナイトに押さえ込まれて、黒はビショップもルックも出動できなくなったのである。そして、この後のアナンドの駒さばきが素人目にも感心しない。黒Nc4白Bxc4という手順で、黒は働きのある駒を自分から消しに出たのだ。以下、自然に白有利になってしまった。
 続く第三局はアナンドが即詰みで勝ち、タイに戻して初日を終えた。白Nd6の好形を得たラジャボフだったが、一局を通して、形よりも駒得をむさぼったのが悪かったように思う。
06/08/25
 昨年七月に冥王星のことを書いたが、このたび天文学者の会議があって、この星は惑星でなくなってしまった。もともと私は太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星だけを惑星と見なす"占星術師"だから影響は無い。それでも、冥王星は底知れぬ力で運命を引きずる魅力を持った星だけに、降格は残念だ。科学を標榜してきた大多数の"占星学者"はどう対応するのだろう。
 アロニアン対スヴィドラーのマッチで、初手が敗着というのは最終局を指すらしい。図は1.c4. Ng6, 2.Nf3まで。たぶん、ここで黒スヴィドラーは白Ng5が詰めろになることに気付いて愕然としたのだろう。初手Ng6のおかげで、f7のガードが外れてしまったのだ。実戦は以下、2...Nf6, 3.Ng5. Ke8と進んで、もともと初手から0-0-0が可能な初期配置だったのに、キャスリング権を放棄せざるを得なくなった。ただ、私の目には、敗着というほど悪い手かどうかまでは、とても読めない。
06/08/24
 マインツのChess 960(フィッシャランダム)部門ではバクローが優勝、早指し部門ではカシムジャノフが優勝した。ただし、両部門の総合成績ではマメデャロフの優勝だった。
 昨年の優勝者は、Chess 960がアロニアン、早指しがラジャボフだった。この二人が今年はマッチ形式でマインツ王者に挑戦する。これがたしか昨年からの大会形式だ。Chess 960はスヴィドラー、早指しはアナンドが挑戦を受ける。スヴィドラー対アロニアンは5勝3敗0分でアロニアンがChess 960の新王者になった。現状の棋譜再現システムではChess 960を御紹介できないのが残念である。終了後のインタヴューでスヴィドラーは、「このルールは初手が敗着になることだってあるよ」と言った。なるほど。アナンド対ラジャボフは4勝2敗2分でアナンドが防衛した。激しい戦いの好局ぞろいだった。

戎棋夷説