紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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ロシア選手権決勝大会。維納からの使者。パンプローナ。

07/01/12
 ACPは所属棋士のレイティングを独自に計算して発表している。その上位者を集めた大会でACPの王者を選ぶことまで考えていた。言うまでも無く、FIDEへの対抗意識からである。けれど、結局は開催できずにいたことは過去にお伝えしたとおりだ。それが今年なって早指し大会の形では実現した。開催地はオデッサだった。参加者はモロゼビッチ、イワンチュク、ラジャボフ、ゲルファンドなど十六人。
 盛り上がったものの、ACPの大イベントだと思うと物足りない。なにより昨年度ランキング一位のアロニアンも二位のアナンドも不参加だった。ACPの陰の中心人物クラムニクだって居ない。ヴェイカンゼーとの日程調整に困難を感じたからである。言わせてもらうが、そうした不都合を解消することがACP設立の目標の一つではなかったか?
 とは言え成果も大きい。開会式にはイリュムジノフが出席してくれた。FIDEと対立するよりずっと良い。優勝はレコで賞金は4万ドル(約480万円)だった。早指しに特に強いという印象は無い人だから、好調なのかもしれない。
07/01/11
 仕事で寝不足である。今月のムダ話をしておこう。いつもは前年の物故者をしのぶことにしてたが、人ではなく池袋西武百貨店の「ぽえむ・ぱろうる」を。詩を専門にした本屋で、特に現代詩歌と俳句に強かった。昨年、何も知らずに東京まで出て寄ったら、とっくに消滅していており、強いショックを受けた。
 私が通った80年代は7階あたりにあり、高級な喫茶店のような、黒を基調にした間接照明がかっこよかった。たくさんの詩集を買ったり読んだりして、私は当時の詩にはとてもくわしかった。
07/01/10 紹介棋譜参照
 モロゼビッチ対ヤコベンコといえば、05/12/23と06/01/01で触れた一件もあり、変な因縁が付いてしまったかもしれない。とはいえ、第5Rの後、2引き分けで終わったのはヤコベンコであり、モロゼビッチは2連勝で単独優勝を決めた。紹介棋譜を選ぶならシロフ戦だろう。
 図はd6まで突っ込んだモロゼビッチのポーンをシロフが14.Qxd6と取ったところ。Chess Todayによると、シロフは15.Ng6を誘って15...Qb6という返し技に出ることを目論んでいたようだ。が、実戦は15.e4だった。黒Bxe5には白Nb5がある。で、15...f5と指したが、これは16.exd5で悪い。その程度はモロゼビッチだって読めていた、と思おう。そのうえで彼は16.exf5と逆方向に行ってみせたのである。
 以下白の駒損であるが、その方が彼は勝ちやすいようだ。局面は複雑さを増し、盛り上がったところで技が決まって勝った。こんなチェスだからトップに通用しないのだ、などと野暮は言うまい。
07/01/09 紹介棋譜参照
 モロゼビッチ対ヤコベンコの直接対決は第5Rだった。モロゼビッチが順調に序中盤を済ませて、49.Rxh7で図のような3ポーン得の終盤になった。私なら投げるが、ヤコベンコは指し続けた。しかし、当然だと思うが好転の兆しは無く、71手目でポーン無しのQ対Rの基本収局型になってしまった。Tablebaseで調べると最短で27手のメイトと決まっている。でもヤコベンコはまだ投げなかった。モロゼビッチが間違えるとは私には思えない。ところが、単純なこの型はトッププロでも難しいらしい。とうとう110手まで続き、白Qがg3、黒Kがh1、ステイルメイトの気になる局面になった。それでも12通りの詰め手順があることをTablebaseは示している。が、モロゼビッチはそのどれをも選ぶことはできず、111.Kf3と指してしまった。その瞬間、危惧していたステイルメイトの手筋が生じ、ヤコベンコは九死に一生のドローを得ることができたのだった。最後の場面を紹介棋譜にしておく。
07/01/07
 クラムニクのマネージャーの訴えに関して、特にFIDEはトパロフを処罰をする様子は無さそう。ただ、いろんな報道を見るとダナイロフはびびった形跡があり、少しおとなしくなるかも。
 パンプローナを振り返る。八人が争って2Rから4Rまでの十二局のうちドローが一局しか無い、という派手な大会だった。中堅どころを集めた大会はただでさえモロゼビッチが圧勝することが多い上に、こうした流れになれば彼の優勝は当然だったろう。とはいえ5Rまではヤコベンコも首位に並んで、優勝争いにも緊張感があった。
07/01/06
 畏友の公文書館調査は他にもたくさんの収穫があった。私の気を惹いたのは五代伊藤宗印の『将棋駒組』である。献上本かとも見まごう造本で、天明年間のものが二種あったそうだ。内容は平手や駒落の定跡。私は初耳だった。
 それから、おそらく1864年時の囲碁将棋家の禄高一覧というのも、年末に会った時に見せてもらった。雅楽師や能楽師などと並んで最後の方に本因坊家や大橋家が出てくる。うっかりして、かんじんの禄高をメモするのを忘れてしまったが、他の業種に比べてさほどの収入ではなかった気がする。
07/01/05
 年が明けた二月末日、参事院書記生宇川盛三郎は内閣大書記谷森真男にこんな具申をした。表記については招待状と同様の手を加えてある。まづ冒頭、「別紙維納府万国将棋競争会の申し込みは、万国交際上に於いて間接に有用なる物なるべしと雖(いへど)も其の来示を見るに、太政大臣なる三條公に送れる物にして、太政大臣三條実美閣下に奉呈せる物にあらざるが如し」。つまり、招待状は三條実美という人間に送られたのであり、彼はたまたま太政大臣であったにすぎず、太政大臣を務める人格そのものに宛てた文書ではないようだ、と言っている。以下省略するが、要するに、この招待状に日本政府として対応すべきではなく、三條公個人の範囲内で処理してほしい、と書いてある。
 具申はさらに続く。招待状に言う「将棋」は日本の将棋とは似て非なるものだから、招待されたお礼だけ述べて大会参加は断るのが適当であろう、と。で、三條は外務大臣井上毅に「そっちでよろしく言っといて」と書き送り、すべて終わった。スルタン・カーンの英国選手権優勝より47年も前の話だ。カーンの71年後にはアナンドが世界選手権に優勝している。我々は惜しいことをしたかもしれない。
07/01/04
 「熟知」とあるのをそのまま受け取れば、将棋とチェスはルールが異なることまで知った上で、コリッシュ卿は招待状を出したことになる。もっとも、「熟知」した気になっていただけかもしれない。それはどっちでもいい。05/09/02に書いたごとく、小野五平は明治十二年にはチェスを知っていた、と私は考える。だから、彼がパトロンを通じてこの招待状を知ったら、脳天まで武者震いしたのではなかろうか。そうはならなかったのが残念である。
 招待に応じるかどうかは、官僚たちが判断して実美公に奏上したようだ。畏友はその経過も調べてくれた。
07/01/03
 ウィーン大会の1882年を明治で言えば十五年、その前年暮あたりに招待状は送られた。畏友が見た記録書は下記のごとし。日本政府で翻訳したのだろう。「我等謹んで来る千八百八十二年五月十日に於いて開会すべき維納(ウィーン)将棋協会万国将棋競争会の会式書を閣下に封呈するの栄を有す。貴国将棋家の大有名なる事は我等の熟知致し居る候こと故、何卒(なにとぞ)貴国将棋家の一人(いちにん)、来春当府に参会すべき万国の将棋家と競争せん為、当府へ御来臨被下(くだされ)候はば、此の上もなき幸栄なる事に御座候。何れの点に於けるも実(まこと)に以って有益なる此般の企業は閣下に於いても御保護(賛成の意)在らせられん事を敢えて冀望(きぼう)す。先(まづ)は先件申し上げ度く如斯に御座候。恐惶謹言。万国将棋競争会委員長バロン、ド、コリツシユ手署。大日本帝国東京に於いて、太政大臣三條実美閣下」。表記に多少手を加えて読みやすくした。コリッシュは確かに実在の人。ロスチャイルド男爵の名による大会概要も付されており、非常に詳しく賞金や規約が説明されている。
07/01/01
 おめでとうございます。戎棋夷説はまだ休止体制です。パンプローナは5勝0敗2分というすごい成績でモロゼビッチが優勝しました。でも、棋譜はまだ並べきってないので、畏友が国立公文書館で見つけてきたすごい話をご紹介いたします。1880年代最高の大会のひとつは、シュタイニッツとバイナウアーが優勝したウィーン大会でした。で、なんと、その大会運営委員会から当時の太政大臣三條実美に対し、将棋指しを招待したいという申し出があったんです。
追記
 報道を見る限り武者野の実質勝訴であるのは明らかだと思うのだが、米長はそう認知されるのはいたく不本意らしい。和解取り消しのおそれもある。いやはや、仰天半分やっぱり半分だ。私が長く慣れ親しんできたチェス界も将棋界も沈みゆく最中であるから、棋譜以外の揉め事を書かざるを得ないのは納得してるが、理性の崩れた面々が主導権を握るので耐えられない。壇ノ浦の知盛みたいな人がいい。
06/12/28
 明日から年末年始のお休みをいただきます。仕事納めは棋譜の話を用意していたのですが、そうもいかないようで、まあ今年はそんな年だったわけです。
 名人戦は年内に合意ができた。契約金は3億6千万円で、これに普及金が1億1千2百万円つく五年契約である。ほか、毎日新聞の王将戦の契約金はそのまま、朝日新聞主催の朝日オープンは大幅ダウンの新棋戦になる。六年後も考えた総合的な損得勘定は難しいが、現状で米長会長の顔が立ったのは確かだろう。
 新棋戦といえば、囲碁のほか将棋でも大和証券杯が開催されるようだ。それも、自宅のコンピュータで棋士がネット対戦するという破天荒な企画だ。ダナイロフは何と言うだろう。米長会長は「棋士はソフト指しをしない」と断言している。私もしないと思うが、やろうと思えばできる状況をわざわざ作るのは、羽生や谷川が疑われるだけで好ましくなかろう。ちなみにチェスのネット棋戦では、三年前にドイツのインターネット選手権があった。決勝に残った十二人は全員自宅外で対局し、うち六人は一室に集まった。ネット対局の意味を考えてしまう珍妙な対局風景が出現したわけで、大和証券としてもこれは避けたいだろう。自宅から株式を売買できることをアピールするための棋戦だからだ。
06/12/27
 武者野勝巳と米長邦雄の訴訟は05/05/26で述べた。詳しい事情は伝えてこなかったが、和解が成立したようだ。米長が800万円を武者野に払い、「将棋世界」などで報告記事を出すということだ。武者野の実質勝訴とはいえ、社会的金銭的に損失の方が大きかろう。チェス界ではイリュムジノフとコクが、グローバルチェスという会社の設立に関して合意した。FIDEに代わっていろんな活動をするそうで、世界選手権の運営も任される。会長はコクが務める。先行きがどうとかよりも、両者が協力してくれるのが画期的だ。
06/12/26
 ダナイロフをめぐるトラブルは馬鹿馬鹿しくて、もう書かずにおくつもりだったが、そうも言ってられない面もある。
 Chess Today は二週間ほど前に、ダナイロフから資料を送られていた。エリスタでクラムニクが使っていたトイレの壁の中から、ケーブルが会期中に実は発見されていた、という内容だ。無意味な発見を事々しく述べた可能性があり、Chess Todayにしても、他の主要サイトが報じるのを待っていたところ、昨日になってもどこも扱わないので仕方なく自分たちが最初に紹介する、というスタンスだ。私が読んだ限りでは、「仮に言うとおりだとして、そのケーブルをどう使うとクラムニクの役に立つの? そしてそれは可能なの?」という点が不明だ。これはこの問題が起こった当初からずっとある種の疑問なのだが。
 いや、私の疑問はどうでもいい。トパロフはダナイロフを信じたのだ。おかげで彼は、クラムニクにトイレに行く余裕を与えまいとして、早指しを心がけてしまったという。最近のインタヴューでは、今までより明確にクラムニクを疑っている。KGBが関与した可能性を示唆したり、この件と例のポロニウム暗殺事件を関連させたりするトパロフは憐れだ。KGBかあ。さすがにクラムニクのマネージャーは笑って済ますわけにもゆかず、FIDEの倫理委員会に訴えた。これが認められると、最悪の場合、トパロフは三年間の出場禁止になる。追記結果は07/09/05に。
06/12/25
 Chess Todayによると、1494年の『算術・幾何・比および比例全書』で複式簿記の普及に決定的な役割を果たした修道僧ルカ・パチョーリが記したチェスの手稿が発見されたという。
 スタントンの本には駒の並べ方に関する細かい規定があることを03/12/26や03/12/30で書いたけど、これって笑えない話だった。タリ記念のブリッツ大会でこんなことがあった。棋士AとBの第一局が終わって、二人は駒を初期配置に戻した。第二局は先後を換えて指すので、席を互いに移った。そのとき、意図的かどうか、棋士Aはキングとクィーンの位置を逆にして並べた。さて、Bはそれに気付かぬまま第二局を指していたのだが、彼がd1のクィーン(と思い込んでいた駒)を動かしてd4地点の駒を取ったのを見て、Aは抗議した、「それキングだぞ、d4には行けない」。すでに3手を指した後では、間違った初期配置を直せないというルールがあるらしく、抗議は受け入れられ、Bは投了する羽目になった。NICに載っていた話である。
06/12/24
 画像検索の名人Tさんからメールです、件名は「ナイトはすでにb3にあり」でした。おお、それはすごい。1995年のカスパロフ対アナンドのマッチの映像で、特にあの神局第十局が見られるのです。1部2部に分かれており、15.Nb3を指したカスパロフが席を立つ様子が映っている。「Kasparovの姿は『どんなもんだ』と語っているように見えました」とTさん。棋譜や事情をご存知ない方はInformant Gallery '90 からどうぞ。
 メリダで開かれていたトーレ記念大会はイワンチュクの貫禄勝ち。また、スペインはパンプローナでモロゼビッチ、シロフ、ヤコベンコなど八人を集めた大会が開かれている。
06/12/23
 昨日の元ネタはNew In Chessの最新号でした。実際はもっと短い記事です。タリ記念大会の対局料は一人あたり1万ドル(約120万円)だったそう。一局あたり13万円か。主催者としては1200万円で最高の大会を開催できたわけだ。毎度思うのだけど、将棋の棋戦は、もう対局に真剣に取り組まなくなっている下位棋士にいたるまで対局料を出すのでしょう、それで億単位の資金が必要になったりするなら、スポンサーが見つからないのも当然では。
 NICにはクラムニクのインタヴューもあった。「私は穏やかな人間です。でも、本当に怒りに震えました」。何の話かはわかりますよね。ところで、彼は結婚するそうで、お相手は「フィガロ」の女性記者だとか。クラムニクは長いことフランスに住んでるのです。うーん、ちょうど私も結婚を決めた頃なので光栄です。ちなみに相手は『デスノート』を貸してくれた女性として本欄に登場したことがあります。いま思うと、あれがなれ初めだったんだなあ。
06/12/22
 1987年のこと、もう一回世界チャンピオンに挑戦したい、そんな思いでミハイル・タリはスボティカのインターゾーナル大会に出場していた。
 次の一手を考えていた彼はふと顔をあげた。向こうの方に8歳の男の子が突っ立っていて、目が合った。その子の顔はありありと絶望しており、タリのことを、月よりも遠くに住む人のように見つめていたのだ。ああそうか、タリはすぐ席を捨てて、男の子の所まで歩いていった、「サインが欲しいんだね、私のでいいかな?」。
 たしかにこの子はタリのサインが欲しかったのである。急いで急いで会場までやって来た。けれど、もうとっくに対局開始の時刻は過ぎていたのだ。でも、タリが気付いてくれて、うれしかった。
 そんなことがありました、とペーター・レコは先月のタリ記念大会に優勝した記者会見で、8歳の思い出を披露した。だから今でも彼は、ファンが並んでいれば出来る限り付き合ってサインに応じることにしている。
06/12/21 紹介棋譜参照
 日本チェス協会には諦めがついて腹も立たなくなったけど、日本将棋連盟を思うとつい憂国の士になりきってしまう。まだまだ言いたいことをぐっと我慢して、Chess Informant 96 を開きましょう。前巻の好局一位は05/12/29で紹介棋譜にしたドレーエフ対バレーエフです。47点でした。けれど今回は二位と三位が46点という接戦です。二位がローザンヌのヴォロキチン対ナカムラで、05/09/22にちらっと触れました。三位がハンティマンシスクのバクロー対ルブレフスキーで、05/12/12に図を付けてます。
 二位局を並べ返して、もっと詳しくお伝えすべき名局だったと思いました。遅ればせながら紹介棋譜にしておきます。図はヴォロキチンが18.Nh5と跳ねたところで、ナカムラの18...Nxh5に不思議は無いでしょう。対して白はQxh5としなかった。ヴォロキチンの猛攻が始まります。まず19.Bxh7+、そして19...Kxh7にも白Qxh5とせず20.Qxf7です。以下、わづかな駒得に落ち着き、終盤を勝ちきりました。
06/12/20
 何度も書いてきたが、名人戦騒動の本質は「弱い棋士にいかに仕事を与えるか」である。普及協力金はそのための資金であり、弱い棋士が多数を占める総会で、毎日案が否決されたのもこれが決め手だったとしか、私には思えない。名人戦を誰が何円で買おうが、フリークラスの棋士には実感の弱い話だろう。
 毎日の提示した「将棋振興金」は3千万円を7年間、朝日の提示した「普及協力金」は1億5千万円を5年間だったのである。「将棋世界」が「名人戦の真実」というくだらない特集を組んだが、そこでも米長邦雄会長は繰り返し力説している。「普及協力金ですね、五年で七億五千万円−この趣意と金額だけは死守しようと思った」。
 囲碁に転向寸前の畏友が新聞の切り抜きを送ってくれた。加藤正夫の働きかけがきっかけで、東京大学が囲碁の初心者教育プログラムの研究開発を始めたという。資料の保存にせよ何にせよ、この種の基礎作業を将棋連盟はしない。その調子で「将棋は伝統文化です」とか「脳に良いですよ」とか「学校教育に導入しましょう」とか金儲けを企てても説得力が無い。
06/12/19
 名人戦騒動にはもう触れないつもりが、そうもいかなくなっている。朝日と毎日の共同主催の合意が成ってすぐ、契約金について将棋連盟が先走った声明を出し、さっそく否定された件は06/11/03に述べた。この時点で連盟が見込んでいた金額は、名人戦と普及協力金など合わせて6億6000万円である。ところが、朝日と毎日が読売とも相談して決めた金額は3億7000万円だった。読売主催の竜王戦との兼ね合いも考えたらしい。米長会長以下の連盟理事たちは動揺してるはずだが、もともとが虫のいい皮算用だったとしか言い様が無い。
 昨年のソフィアでトパロフがコンピュータをカンニングしていたのではないか、という疑惑が湧いた件は05/11/12で述べた。これにはレコが絡んでるような話があって、それは06/03/10に触れた。けれど、実際は噂の発信源はモロゼビッチとカシムジャノフだったとのこと。ソフィアの会場で対局者のみが許されたゾーンにダナイロフがしばしば立ち入ったのは、トパロフにデウス・エクス・マキナの啓示を与えるためではなかったか、と疑ったようだ。
06/12/18
 23歳のヤコベンコと21歳のアレクセーエフでは、前者の方が知名度は高かろう。昨年の大会でも準優勝している。プレーオフは早指しである。第一戦がすべてだった。白番のヤコベンコが駒得の手筋を見落として、むしろ無理な捨駒を選び、引き分けに終わった。第二戦はアレクセーエフが勝って優勝を決めた。
 アジア競技大会が終了した。チェスは早指男子と早指女子、そして団体混合の三種目があって、団体はインドの優勝だった。サシキラン、ハリクリシュナ、コネルーを揃えたのだから当然か。日本は参加21ヶ国の19位だった。
06/12/17 紹介棋譜参照
 ロシア選手権、第10Rはヤコベンコもアレクセーエフも黒番でニムゾを採用し、どちらも上手にパスポーンを作って二線まで進め、白を投了に追い込んだ。そして最終第11R、ヤコベンコは相手に恵まれ、18手のドローに収めてもらった。けれど、アレクセーエフの相手はニポンニシである。黒番の十六歳は張り切って攻め上げてきた。アレクセーエフはなんとかそれをしのぎ、P得の終盤にしたが、最後は自分からビショップを捨てて引き分けの形にし、やっとのことで109手の半点を得た。かくて、優勝はプレーオフにもつれこんだのである。
 ちなみにハイルリンは2勝2敗7分で五位七位、ニポンニシは3勝4敗4分で八位十位だった。カリャーキンやカールセンに追い付くのはまだ先だと思うけど、気にしてゆきたい。
 せっかくだからアレクセーエフ対ニポンニシの、仕掛けから終盤の要所だけでも紹介棋譜にしておこう。図は黒番、私のFritz 8は17...Kf7や17...Qc7を考えた。けれど、少年は大志を抱いており、Qのにらみを利かして、K翼のポーンを押し上げ、黒Pg3までの突撃を実現させてゆく。こうした「絵の描ける棋士」は好きだ。手順は当然17...Qb6のあとPh5からPg5だが、その途中で18...b4を突き捨てたのが気をひいた。私には意味がわからない。
06/12/16
 首位四人のうち第8Rでヤコベンコ、第9Rでアレクセーエフが勝った。一方、スヴィドラーとハイルリンは星を伸ばせなかった。過去三年間のロシア選手権と比べて、棋譜から盛り上がりが感じられない。試合結果だけを報告しておく。
 メキシコシティーの世界選手権にクラムニクが参加を決めたらしい。このままだと、最強者をマッチで決めるという何百年も続いた伝統が終る。そこへダナイロフの提案があった。クラムニクとトパロフのマッチを、後者の地元のソフィアで行おうという。いや、もうお前は要らない。
06/12/15
 スヴィドラーは短手数のドローが目立って、力を溜めてる感じ。そこで、首位に立ったのは中堅のヤコベンコでした。第6Rではニポンニシを72手で下して3勝0敗3分、独走の気配まで漂いかけます。が、第7Rでハイルリンに対しポカで負けてしまい、一位が一気に四人に増える混戦になりました。この四人にハイルリンが入ってるのが偉い。
 なお、女子の優勝はKorbut(コルブト?)だった。
06/12/14
 会議で帰りが遅くなりました。棋譜を楽しむ気分でも無いので十二月のムダ話を。比較的新刊で今年に読んで一番面白かった本を。柴田哲孝『下山事件―最後の証言』です。類似品としてすでに森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』がありますが、段違い。最後の四分の一くらい、ちょっとダレるのが残念ですが、哀切感もたっぷりの謎解きミステリーとしてまれに見る傑作でしょう。読みながら、「こんなことを知ってしまった俺は消されるんじゃないか」という不安に駆られるのがこわい。ほんとに。
06/12/13 紹介棋譜参照
 決勝大会は十二人で争われている。チェスドクター氏のブログによると、モロゼビッチが出場辞退して、代わりにハイルリンが出ているとのこと。おかげで若年化がさらに進んだわけだ。こうなると残った先輩勢として、スヴィドラーとルブレフスキーでワンツーフィニッシュを決めないと示しが付かない。ところが第4Rでニポンニシがルブレフスキーを倒してしまったのである。これを紹介棋譜に。
 感心したのが左の図で、私が白ならBf4からRhe1の形を作る。が、これはChess Todayの解説によると、黒も手順にQe7、Be6、Nbd7の好形に組めるのだそうだ。さあ、ニポは14.h3と指した。うまい手待ちである。黒Qe7は白Bc5で困る。実戦は一見無難に14...Nc6と進んだが、これは黒Nbd7に比べると、後で白Bg5になった時にf6地点に利いてない弱点ができた。ニポはそれを利用して攻め筋を作っていった。え、なら14...Qxc3は?それは面白いですよ。紹介棋譜に付けました。
06/12/12 紹介棋譜参照
 『ヒカルの碁』を貸してくれた人がいて、これは面白かった。風邪をひいて寝込むほど熱中した。畏友はとっくに読んでいて、彼の評価も悪くなかった。彼は土曜にペア碁を観戦に行ってきた。主催社はリコー。重要な情報として、「秒読み係にチョー可愛い女の子がいました」。優勝賞金は500万円だとか。チェスもやればいいのに。目隠しより面白いはずだ。
 モスクワでロシア選手権の決勝大会が始まっている。06/09/13でお伝えしたように、聞いたことも無い若者が何人も出場権を得たのが今回の特徴だ。まだIMの棋士のうちニポンニシには何度か触れたが、初日の棋譜を並べていると、Khairullin(ハイルリン?)も気になってきた。最後はドローの一局だったが、右の局面で25.g4と捨てたのだ。意味がわからない。以下は25...fxg4, 26.fxe5. dxe5, 27.b5と進んだ。25.g4は何かの役に立っているのだろうか。たぶん、この子は急にb筋が気になってg筋を忘れちゃったんだろう。いや、九月のロシア選手権ではズヴャギンチェフとモティレフに勝っているから、とっくに強豪である。私はこんな少年が大好きだ。
 ともに16歳のニポンニシ対ハイルリンが早くも第2Rで実現している。記念にこれを紹介棋譜にしておこう。この二人の名を覚えておくと、先々楽しいと思う。
06/12/11
 盤上の駒を見ずに対局する大会はそんなに珍しいものではなくなった。トパロフとポルガーの対戦があって、前者が2勝1敗3分で勝った。繰り返し企画されるほどの面白い対局設定とは思えないのだが、今回は会場がビルバオのグッゲンハイム美術館だったというのが目を惹いた。
 日本では映画の興行収入のうち邦画の稼ぎは48%だとか。ヨーロッパはアメリカ映画に8割も食われているというから、これはたいしたものだ。私は「武士の一分」を観た。展開が暗いのに、ほのぼのとした味わいを保ちながら進む。それでも支えきれないほど話が深刻になるけど、結末は落ち着くべきところに落ち着く。だから、よいものを観たなあと、素直に喜べるあたり、山田洋次の芸であろう。ちなみに畏友は今週は硫黄島の二本立てに挑むつもりとのこと。追記11月までの集計で邦画は53%になった。21年ぶりに洋画を抜いた。
06/12/10
 いまごろ記すのは恥ずかしいけど、日本通信チェス協会の10月の記事によれば、酒井清隆が通信チェスのグランドマスターの資格を獲得した、とのこと。遅ればせながらお祝い申し上げます。もちろん、日本人初の快挙である。それから、現在、ドーハでアジア競技大会が開かれている。今回はチェスが種目に加わり、日本からも三選手が参加している。
 先月、ハバナではカパブランカ記念の大会があった。優勝は4勝1敗5分のイワンチュクで、これは予想どおりだろう。十月のバルセロナで失いかけた格を取り戻した。バレーエフに勝ったのが大きかった。
 エリスタの後日談も伝わっている。トパロフのセコンドだったオニシュクが姉ポルガーのブログに寄せた談話で、無論、トパロフ寄りの内容だが貴重だ。それによると、「我々は先に2敗してしまったが、トパロフの巻き返しは有名なので、別に悲観してはいなかった。したがって、ダナイロフの抗議は追い詰められた者の悪あがきなどではない。彼は本気でクラムニクの行動を疑っていた。トパロフだってマッチを中止したいなど思っておらず、ただフェアプレイを望んでいたのだ」。
06/12/09 紹介棋譜参照
 訃報である。ブロンシュタインが亡くなった。82歳。彼がいかに偉大であったかは、年表や棋士紹介の欄に書いたとおりである。名局も多いが、一番の傑作として紹介棋譜に1973年のリュボエビッチ戦を選んで追悼する。
 現代ではまれなキングスギャンビットの達人でもあった。個人的には左の局面が忘れがたい。この危険な戦法をよりによってタリにぶつけた1968年の一番である。2.f4にタリも熱くなったか、2...d5で返すファルクビアの乱戦になった。図ではすでに白が良いそうで、Re1+が安全策だ。だが、ブロンシュタインが選んだのは15.g3だったのである。局後にケレスが尋ねた、「Re1+でも良かったよね?」。ブロンシュタインの答えは、「タリを相手に15.g3を指せる機会を見送れるものかな。人生にもう二度とない瞬間だったかもしれないんだよ」。
 もうひとつ。コルチノイがソビエトのチェス界で苛められて、彼を糾弾する文書がソビエトの強豪たちの連名で出たことがあった。このとき、署名に加わらなかった唯一の棋士がブロンシュタインだったそうだ。これがどれほど勇気の要る行為で、それがどれほど失意のコルチノイを励ましたかは想像に難くない。

戎棋夷説