紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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Wijk aan ZeeはAronian, Radjabov, Topalov が優勝。

07/02/15
 ブロンシュタインは06/12/09でお伝えした署名拒否のあと、国外に出ることを禁じられてしまったそうである。New In Chess の話をもう一回。当然ながら追悼記事が出ている。彼が早指しに強いことは有名だ。名言が載っていた、「もしグランドマスターたちが十倍の速さで指したら、十倍も上手になるだろうに!」。集中力が増して、くだらないことを考えずに済むからだ、という。本気で言ってるようだ。もちろん、日頃の鍛錬あればこその集中力だろうけど。
07/02/14
 最高の人間が最好調で戦えば最強のマシンに勝つ、というのがカスパロフの持論である。New In Chess の連載でもそれを繰り返していた。そう考えれば、六番勝負で人類代表が1勝さえすれば、5敗していても人間の方が強いと言える、そんなルールがいいんじゃないか、と提案している。これが実現されることはあるまいが、最も機械と戦い抜いた男の発言だけに深い。もし人間が素晴らしい一局を勝てば、多くの人が「ほんとは人間の方が強いんだぞ」と思うのはありそうなことではないか。
 強いとはどういうことなのか、決めるのは難しい。カスパロフが言いたいのも、納得できる対局設定をよく考える必要性だろう。こないだのクラムニクは、組み込まれた序盤定跡を機械がどう活用しているか、対局中に知ることができた。機械の棋風を研究することもある程度可能だった。十年前よりはるかに人にやさしい。将棋でも人間対機械を本格的に始めることになっている。チェスの対局設定の苦労を将棋界がどう活かせるか興味深い。
07/02/13
 トパロフにダナイロフはコンピュータの局面分析を伝えているのではないかという疑惑はだんだん話が大きくなってきた。FIDEやACPが調査を始めるかもしれない。ロシアでも記事になり、疑いを持ってる棋士としてバレーエフ、そうでない棋士としてカルポフの発言が紹介されている。後者の方が少数派のようだ。周囲の助言をめぐる騒動は昔からあって、カルポフが1978年のマッチで疑われたのはあまりに有名だ。最近では、対局者の帽子から、縫い付けたられた受信機が見つかった例さえある。
 対局中のトパロフにダナイロフは近づき、携帯電話で情報を得て、「勝てるぞ」「ドローを申し出ろ」などのサインを送るかのように手を動かす。ダナイロフの反論は、「自分がどんな素振りをしてたかなんて覚えてないね」。いろんなケースが考えられ、私はまだ計画的な共同犯罪だとは思えずにいる。ダナイロフが一人で局面分析の結果にそわそわしてる可能性もあろう。それも有罪のうちには違いないが、その場合、トパロフはもちろん、悪意の無い一般観戦者まで今後は諸大会で疑われそうだ。
07/02/12
 昨日の図はフィッシャー攻撃の基本局面だと思っていたが、実戦例は少なかった。好まれるのはQc7型よりPb5型だ。
 二月のムダ話はここ一年間で見た展覧会から。神戸市立博物館の肉筆浮世絵展が忘れがたい。ボストン美術館蔵ビゲロー・コレクションの約80点ほどが来た。名品ばかりで一枚一枚に立ち止まるし、見慣れた版画とは異なるこってりした厚みに負けて、最後は疲れるほどだった。北斎の鳳凰図屏風(1835)で代表させておく。
07/02/11 紹介棋譜参照
 New In Chessの最新号はクラムニク対ディープフリッツがトップ記事だった。5年前のバーレーン版ディープフリッツは一秒に270万局面を読めたのに対し、今回のは800万局面だったという。ユスポフの解説で第六局の見事さに気付いた。あらためて紹介棋譜に。図からが当時話題になった手順で、f1ルックをg3に展開させる。ここは9.Be3が普通で、本譜の構想は珍しく、だいたいが子供が指した例なんだそうだ。ユスポフは、「でもうーん、ディープフリッツだってまだ若いわけだし」。
 その他にもディープフリッツの駒繰りが光る一局だった。ビショップをg5に出し、f4からまたc1に戻す。その間を使ってa1のルックをe1に配置した。さらに、c3のナイトをb1に引く。これによって、Pc3が可能になり、b3のビショップはc2でより強力になった。もちろん、ナイトだって引きこもったままではなく、a3、b5、c3、a4、b6と動きまわり、Q翼支配の主役としてクラムニクの投了を見届けたのである。
07/02/09 紹介棋譜参照
 ジブラルタル大会は優勝賞金1万ポンド(約240万円)を172人が争った。ちなみにアダムズの順位では550ポンド(約13万円)にしかならなかった。最終日は6勝1敗1分のアコピアンと5勝0敗3分のクズボフとの直接対決になった。二人が引き分けると、半点差で追う三位組が十二人も居たので、多数の同点優勝になりそうだった。その場合は優勝賞金が分割されてかなり下がってしまう。
 図は黒クズボフの手番。彼については05/01/04で紹介した「チェス穴熊」の根性を私は気に入っている。さて、誰だって白Nf5を警戒するだろう。彼も17...Qe7と指した。ところがここでアコピアンの18.Nxc6!!が必殺なのである。18...Kxc6, 19.Nd5で、次が難しい。黒はQをどう逃げればいいのか。
 小一時間もあれこれFritzで調べながら私は感動してしまった。そのすべてを紹介棋譜の変化手順として加えておく。とにかく、どの手も必敗なのである。かくてアコピアンの単独優勝になった。
07/02/08 紹介棋譜参照
 引退前の升田幸三が椅子対局を希望したことを畏友が思い出さしてくれた。あれは身勝手な要求だという見方もあったが、彼自身は木村名人と昭和14年に初めて対局した時がすでに椅子対局だったのである。「升田にはこの記憶もあって、椅子対局を希望したわけでしょうからね。正確な歴史の共有が大切ということでは」。
 例年ヴェイカンゼーと会期が重なって注目されにくいジブラルタル大会が今月初めに終わっている。顔ぶれだけ見るとアダムズが一番強いのだが、第6Rでエフィメンコに敗れたのが痛く、一位と一点差の五位十七位に終わった。図はその一戦で大局観が難しい。エフィメンコの34.Kh5まで。ここまでキングを押し上げて何か役に立つのだろうか。アダムズは34...Kf6。もし白Kxh6なら黒Rh8#だ。エフィメンコに何か錯覚があったのかもしれない。このあとがもたもたしている。けれど、意を決して彼はキングの大転換を始めたのだ。a4までたどりつき、ポーンはa5とb4の型に組んだ。この間、白も黒も他に本質的な変化は無い。だが、局面の流れははっきり白良しに変わった。中央の黒ポーン2個が救われなくなったのである。大転換だけが勝因ではなかろうが、才能ってすごい。
 ふと思った。アダムズって21世紀の大会で優勝したことがあるだろうか?
07/02/07
 「将棋世界」を立ち読み。例の訴訟に関する記事を確認した。前に書いたとおり、米長邦雄の実質敗訴という判断で間違い無い。まだもめそうな雰囲気もあるのだが、この話題はもういい。興味を持ってきた私もくだらない人間だった。
 米長がゆとり教育を支持しているのは、学校教育に将棋を導入させる可能性を見出しているからだが、最近の文科省を見る限り、時代の流れは彼によろしくない。ここのところ何かと彼には逆風が吹くようになっている。女流棋士たちが将棋連盟から独立するという決議まであった。
 独立した彼女らはなんと囲碁の日本棋院を対局場にするという。将棋連盟にとって「大恥です」というのが畏友の考え。同感だが私は、「そこまでして君らは畳の上で指したいか」とも思った。もちろん、畳に正座を「日本文化の伝統を守るの図」と思ってくれる人が多いのは否定しない。でも、普及にはどうかなあ。椅子対局の新しい美しさをアピールしてもいいのでは。
 畏友が大正6年10月9日の読売新聞から送ってくれた。実はこれを見ただけでは私は意図がわからなかった。みなさんはどうでしょう。そう、関根と三吉は椅子で対局してるんです。
07/02/06
 アジア大会でチェスが本当に競技種目として認められたので、ここずっと初めて本気で考えていた。チェスはスポーツなんだろうか。長時間の試合が続けば体力を消費するし、体力トレーニングが役立つことは昨日述べたとおりだ。でも、だからチェスはスポーツだ、とは主張したくない。連日の会議に耐えぬくことまでスポーツになりそうではないか。
 畏友に話してみると、「いつからスポーツって言い始めたんでしょうねえ」。小学館『日本大百科全書』によれば、「スポーツは、deporatare(ラテン語)、desporter(フランス語)、disport(英語)の語源的変遷が示すように、レクリエーション、娯楽の意に用いられた。15世紀ころ英語に浸透してdisport(u), sporteとなったが、やがて頭音が消失してsport(s)となった」。
 仮説を立てた。昔の「スポーツ」が「レクリエーション、娯楽」の意味で使われていた頃はチェスは問題無く「スポーツ」だったが、「スポーツ」の意味が変わってしまっても、その社会的な分類は変わらずに残ったのだ。したがって、一部の同僚を除き、会議はスポーツではない。
07/02/05
 司馬遼太郎によると、スポーツは体に良いと最初に気付いた日本人は徳川家康だそうだ。彼の鷹狩趣味をその観点から説明していた。ヴェイカンゼーの観戦だけでも私は疲れてしまった。出場選手の体力消耗は相当なものだろう。体力トレーニングの重要性はわかる。チェスのトレーニングとして体力を鍛えたのはアリョーヒンが最初だという話をどこかで読んだ。いささか私の記憶は不鮮明なのだが、これでエイヴェに勝ったという話に違和感は無い。トパロフが桁外れの強さを発揮するようになった理由に関しても、私が最も説得力を感じたのは06/09/20のグリシュク発言だ。ただ、不正行為がさらに彼の成績を上げているのか、それはわからない。少なくとも、トパロフを疑う人たちが、彼の年齢を問題にして、二十代も半ばを過ぎてから急に強くなったのは不審だ、と言うのは根拠が弱いか悪意が強いかだろう。現状で言えるのは、ショートが主張するように、ダナイロフとトパロフは不正を行おうと思えば出来た、ということだ。無論、その状況を続けるのは望ましくない。
07/02/03
 トパロフの疑惑を追求しようと思えば、クラムニクとマネージャーにはたくさんの材料があるのだが、ほとんど彼らはそれをせずにいる。醜い言い争いを避けてくれており、チェスのためにはありがたいと思う。けれど、世界は黙っていられるわけも無く、ヴェイカンゼーでも、ダナイロフが第2Rで不審な行動を続けて、対局中のトパロフに局面分析を伝えているように見えた、という報道が流れた。また、ショートが次のように語ったという記事も出た、「僕は知ってるけど、サンルイの出場選手の大部分が心の中では思ってるよ、トパロフは対局中にダナイロフから合図を受けてるって。気分を害した選手たちから、僕はこの耳で聞いたんだ、アルゼンチンであの時ね」。
 疑惑が、それもかなりいい加減な疑惑があるだけで、エリスタではトイレのドアがふさがった。あれを前例にするのははしたないが、とりあえずダナイロフを対局場に入れないようにし、トパロフの指し手や成績が変わるか、様子を見てはどうだろう。
07/02/02
 クラムニクに対するトパロフとダナイロフによる中傷はひとまず収まった観がある。それはダナイロフが矛先を変えただけのことで、彼は母国ブルガリアでのリターンマッチを実現させようと動き回っていた。結果を言うと失敗に終わっている。巨額資金を用意したものの、FIDEが乗り気でなかったのだ。断り状には、マッチの準備日程を組むのが難しいとあった。もともとFIDEは何のためらいも無く日程変更を繰り返してきた組織なのだから、本当はマッチの一つや二つは組めるだろうに。金の心配が無いのだからなおさらだ。なのにダナイロフの申し出を却下したというのは、、、いちいち説明する必要も無いな。
07/02/01
 米長邦雄は東京都の教育委員も務めている。石原都知事は彼や議員、マスコミ関係者などとの懇談に多額の交際費をつぎ込んでいたとして、都民から訴えられていた。全78件約1194万円の返還を求める訴訟である。その判決が出て、うち2件約40万円について原告の主張が認められた。2件とも米長は無関係のようだ。原告も被告も控訴する。私にはよくわからぬ話ではあるが、直感的には、2件だけでも認めた裁判官を偉いと思った。その名を知って驚いた。またもや我らが鶴岡稔彦様ではないか。彼の名を忘れたチェスファンは戎棋夷説で復習するように。さっそく畏友に伝えると、「少し老けたかな」。ちなみに畏友は、ヴェイカンゼーは「直接対決だ!」って興奮した最終日だけを観戦してしまったそうだ。
07/01/31 紹介棋譜参照
 会期末のニポムニシはあまり星が伸びなくなった。それでも首位のまま8勝0敗4分で最終日を迎えたのだが、そこでコシンツェバ姉と激戦になり、遂に初黒星をくらった。そして、実はその間、クラセンコフが5連勝で追い上げており、優勝は9勝1敗3分の彼にさらわれてしまったのである。
 でも、今年のC組はニポの大会だった。よく読む子なのだろうか、手数の長い技が印象に残った。図は引き分け局だが、ニポは31...g5と指した。私には意味がわからない。次はわかる。32.Rea1だ。さっきの31...g5は、こうなるのを待ったらしい。狙いすました32...d4が決まった。以下は一直線だ。図から終局までを紹介棋譜に。36...Bxb5が詰めろR取りになった時は感動してしまった。ぜひ御鑑賞を。
 なお、ネギは四位、侯逸凡は五位だった。ニポとの対戦はいづれも好勝負の引き分けだった。侯対ネギは互いに才能を意識したか、技を披露し合う面白いチェスになり、後者が勝った。
07/01/30
 最終日にラジャボフ対トパロフの直接対決だ!って興奮する人はチェス歴3週間というところだろうか。私は16手のドローに終わると予想していた。それでも観戦するのがチェス歴20年である。結果は26手のドローだった。仲良く優勝決定だ。
 問題はアロニアン対ティヴャコフだ。定跡はクィーンズインディアンで、Chess Todayの解説によると、ティヴャコフは少なくとも九歳の頃からこれしか指さないのだそうだ。その彼自身の実戦例をなぞって進んだのだが、解説者の目には黒が悪いとしか思えず、アロニアンが序盤で組み勝ったらしい。けれど、観戦時はそんなことがわからず、23...Bc5の一手と思える図の局面で23...Ng4を見たときは驚いた。アロニアンはケンカを買って24.Qxa7だ。以下、24...Qxh5, 25.Kg2. Bc5である。白Qは逃げるしか無く、黒駒がQh2+からBxf2、さらにはQxg3+で白王に襲い掛かった。
 でもこれは無理攻めだった。じき指し切ってしまったのである。やはり23...Bc5と指すべきだったらしい。とはいえ、観戦者たちは一時の興奮を楽しんだ。事後の解説者が正しいことは認めるが、リアルタイムでしか味わえない認識が誤りとも思えない。とにかく三人の同点優勝で今年は幕となった。
 なお、クラムニクも勝った。首位に半点差の単独四位である。また、最終日は同点最下位のカールセン対シロフという取組みもあった。結果はドローで二人の十三位十四位が決まった。カールセンは来年もA組に招待されるだろうか。
07/01/29
 第11Rの楽しみは前から言ってたとおり、クラムニク対ラジャボフだった。期待通りのキングスインディアンである。でも、注目の9.b4にはならなかった。クラムニクが手を変えてしまったのだ。しかも終盤に入った28手でドロー。予想できたこととはいえ、今場所のクラムニクはプロとして物足りない。第12Rはトパロフ戦だったが、おかげでICCのクラムニク評価はエリスタ第五局以前の不人気にほぼ戻っていた。なお、「握手はするよ、別にたいした意味は無い行為だし」と言ってたトパロフだが、対局前の二人が手を差し伸べ合うことは無かった。試合経過は、白トパロフが彼らしく盤面全体に圧力を掛けて、クラムニクがそれに耐える、というよくあるパターンで進み、黒にうまいしのぎがあって引き分けに終わった。
 二位組三人の第12Rは、アロニアンが惜しいドロー、スヴィドラーは敗れて後退、そしてラジャボフは得意のキングスインディアンでまた勝った。この定跡で3勝0敗1分の荒稼ぎである。かくて再び首位に上がり、トパロフと並んだ。次が最終日。
07/01/28
 第10Rでもアナンドは勝って三位組に再加入です。ただ、前々回で述べたとおり、トパロフもカールセンに勝ったから、差は1点半に広がってます。
 私の無視にも耐え、スヴィドラーは三位で健闘してました。第11Rはトパロフ戦です。でも、黒トパロフが白王頭に殺到し敵陣を壊滅させ、図の31...Bb1+で、いかにもとどめを刺したという局面になりました。以下、32.Kxb1. Qxc1+, 33.Ka2 そこで33...Rc5と浮いて次の黒Ra5#で決まり。それくらい私も読めたので、別の観戦に移りました。実戦もそう進んだのです。ところが、もう終わったかな、と本局に戻ったら、34.Qb8+. Kh7, 35.Qb4という手順で黒Ra5#が成立しなくなってる。動揺したのか、トパロフはミスや小ミスを連発して、スヴィドラーでも勝てるような終盤になりました。正着は31...Qc5, 32.d6を入れてから32...Bb1+に突入するのだったとのこと。わかりますね、白Qb8+が不可能になります。
 かくて大逆転。ほかアロニアンも勝って、首位トパロフと二位アロニアン、スヴィドラー、ラジャボフの差は半点です。私には意外な対局によって優勝争いが面白くなりましたが、もともとスヴィドラーはトパロフをそんなに苦手にしてないのも確かです。
07/01/26 紹介棋譜参照
 第9Rではアナンドが再びポイズンドポーンで戦っている。紹介棋譜にする。第2Rでは黒番で勝った彼が、今度は白番を持ってファンヴェリーを破ったのだ。20手まで前局をなぞり、そこで手を変えたのはファンヴェリーの方であった。でも、そのもっと前の局面を調べておきたい。
 図の10.e5が1955年登場のケレス新手である。その時は10...Nfd7と引いたのが悪く、11.f5以下、ケレスの快勝に終わった。彼の自戦記もある。変化手順に載せた。白f5を防ぐために黒dxe5白fxe5の形にしてから黒Nfd7に引くのが正しい。それは広く知られている。今場所もそうだった。
 ただし、長らく10.f5の方が主流定跡だったのである。それが変わりつつあるのだろうか。昨年にラジャボフが10.e5を試すようになった。06/11/24の紹介棋譜などがそれで、実はアナンドも16手で負けている。変化手順に載せた。
 13...Qxa2が正着のようだ。今場所の黒棋士も踏襲している。さらに、年末のNew In Chessでカスパロフが14...Qd5を指摘し、それが新手として採用された。もちろん白棋士だってNICは読んでいるだろうから、対策はあったはずだ。そのへんの駆け引きは棋譜の下に隠れて、ファンにはたぶん見えていない。
07/01/25
 周防正行「それでもボクはやってない」を観てきました。司法修習生の質問に答える裁判官の背後に「将棋マナジン」(マガジン?)が立ててありますよ。これ見よがしです。周防監督は畏友も私も「シコふんじゃった」が大好き。ただ、私はそれ以来日本映画に陸続と現れた"初心者"の群れにはうんざりしてます。映画は未経験者歓迎というか、ダンスに目覚めたり、俳句部にハマったり、シンクロしたりするもんだから、どうせまた一市民の裁判入門かな、と思うでしょ。たしかにそんな要素もあります、しかし、淡々としてるくせにすごい緊張感でした。無実の人が追い詰められる裁判映画はいろいろあります。その中でも、これは日本の裁判を描くのがテーマ。推理や愛憎劇で展開されるテレビで見慣れた弁護士ドラマとは段違いの迫力です。この司法ルールで戦ったフィッシャーと鈴木弁護士はたいしたもんだ、とか書いてるうちに、カールセンは26手で投了かよ。勝ったトパロフがリードを広げてます。
07/01/24
 風呂から上がって第9Rの観戦態勢に入ったものの、とっくに優勝候補たちは二十手台でドローにしていた。アロニアン対トパロフもあったのに。おかげでちょっとふてくされてChess Todayを読んでいたら、グリゴリッチは作曲に夢中で、ラルセンはピアティゴルスキー大会の本を執筆中、という読者投稿があった。ほほう。
07/01/23
 第7R、案の定、ラジャの星が伸びない。トパロフがポノマリョフに勝って半点差に迫ってきた。第8R、トパロフ対アナンドは前者が盤面を支配しきってしまい、後者が戦意喪失して投げた。アナンドを完封した偉業を讃えて投了図を左に掲げておこう。早すぎる投了に驚いたネット観戦者も多かったが、現場ではこの図の向こうにトパロフが座っているのだから無理もあるまい。ラジャボフ対アロニアンは激しい戦いで、前者が捨てたポーン一個を後者がよく確保して終盤に入った。そこからが長い。ラジャは投げなかった。ポーン数が3対1で大差のナイト終盤になっても投げなかった。無念の心中が伝わったが、どうにもならず、かくて首位が入れ替わった。トパロフと一点差の三位組は四人で、クラムニクやアロニアンが居る。トパロフは、ラジャのほか、まだこの二人との対戦も残しているので楽しみだ。なおC組はニポが7勝0敗1分である。もう私は棋譜も並べなくなった。
07/01/22
 第6RのA組はドローが多かった。C組はニポムニシが勝ち続けて5勝0敗1分、技が決まりすぎる。C組扱いは失礼だったようだ。二位グループは1点半も引き離された。その中にインドのネギと中国の侯逸凡(Hou Yifan)が居る。前者は13歳の男の子、後者は12歳の女の子だ。
 クラムニクがアナンドに勝ち、二位トパロフに追いついた。図は彼が15.Ba5と出たところ。これだけでも私は違和感があるが、クラムニクのバロック感覚は16.a3そして19.b4と続く。この封じ込められたビショップがやっと動けたのは、勝勢が確定した後の47.Bb6だった。追記07/04/21参照。
 JCAのページで、「チェスをやる目的はレイティングです。世界中のチェスプレイヤーの目的はレイティングを高くすることです」という啓示的な一節を見かけた。そうか、私が鑑賞専門の愛好家であって対局者でないのは、チェスをやる目的をまったく理解できず、軽蔑さえしているからだったのだ。
07/01/21
 今場所のヴェイカンゼーはポカで決まる勝負が多くて興ざめしてしまう。それに、クラムニクのドローにやる気が感じられない。第5Rは特にそんな印象が強かった。ラジャボフはまた勝って4勝0敗1分だ。二位に一点差をつけた。ただ、これからは優勝候補との対戦が続く。アナンドが二位に追いつき、トパロフと並んだ。
 英国文明の精華とも言うべきモンティパイソンに、チェスを扱ったスケッチが無いことは前に書いた。ただ、その結成前のメンバーによる"Do not adjust your set"でようやく見つけた。考えあぐねた対局者が、駒を無意識に口元へ持っていき、次々と食べてしまう。ジョン・クリーズが居ないぶん、モンティパイソン的な毒や傲慢さが無い番組で、このギャグもちょっと大人しい。
07/01/19
 畏友によると、遊戯史学会では質疑応答で増川に対する異論も出た、とのこと。『勝浦詰将棋選集』は二十問を解いた。第十五問に見覚えがあった。おかげですらっと読めたが、二上達也の解説に「これはいい」とある。これがこないだ書いた「不思議な話」の図だったような。ほか、あんまり紹介するのも悪いが第二十番も気に入った。駒数は感心しないが、直感でなく理詰めで解けて特色を感じた。二上の評には「奇妙な」とある。私は9分49秒かかった。それは不覚であろう。
 ヴェイカンゼー第4Rは、ラジャボフがまた勝った。敗れたティヴャコフの粘りも頑強で、私には難しすぎて語れない。75手もかかった。ラジャはここまで一局平均60手で大変だろう。半点差でトパロフが二位につけている。C組はニポムニシが二位に1点差をつけて快調だ。
07/01/18 紹介棋譜参照
 今年はカールセンがパッとしない。ナヴァラに決め手を逃して逆転されたり、ポノマリョフに惨敗したり、0勝2敗1分のスタートだ。好調なのはラジャボフのキングスインディアンである。こないだの9.b4から13.Ne6というファンヴェリー戦法をシロフに再び試されたが、無理攻めを的確にとがめて反撃し勝った。9.b4といえばクラムニクである。ラジャボフ戦は11Rで白番だ。見せてくれるだろうか。
 第3Rからはアナンド対アロニアンのマーシャルアタックを紹介棋譜に選ぼう。ドローだが面白い。何度も私が触れてきた形になった。06/11/27で触れたシロフの19.a4でアナンドは新手19.Qg2を披露、ついに白が良くなりそうな流れになった。けれど、興味深いのはアロニアンのしのぎである。
 図は黒が白馬を取って21...Nxe4としたところ。アナンドは22.g4と反発したが、ここでアロニアンは22...Ng3、そして23.hxg3に23...Bb1と指したのである。奇妙な感覚の棋士だ。
07/01/17 紹介棋譜参照
 第2Rの話をしぼりようが無くて困っている。それでも、アロニアンがポノマリョフを押さえ込んだ一局には言及しておきたい。気付いたら相手が駒損するしか無い局面になっていた。諸家は「アロニアンらしい陣形戦」と評している。唯一のドロー局も78手の熱戦だった。ラジャボフがQと3P、カリャーキンがRとBと2Pで、前者の駒得であるが、カリャーキンがしぶとくて、さすがのラジャボフも勝勢にもってゆく手順が得られなかった。
 一番激しかったのはモティレフ対アナンドである。一時は絶えたポイズンドポーンが、ここ数年でじわじわ復活しているのはうれしい。モティレフが駒を捨てまくって猛攻を仕掛けた。アナンドが必死に受ける姿に見ごたえがある。ドローで終わるところを、最後はモティレフが攻めの継続を誤って崩れた。これを紹介棋譜に。正着を変化手順で付けた。
07/01/16
 先月のこと、畏友は遊戯史学会に行った。「青山学院大学の立派な会議室にて三十名弱が参加」とのこと。まだまだ発展途上の学会である印象を受けたようだが、増川宏一が海外の研究動向を紹介しており、それが昨日になって読売新聞夕刊に大きく取り上げられた。チェスや将棋の起源は四人制チャトランガではなく二人制チャトランガらしい、という内容だ。記者は西條耕一で、彼も学会に来ていた。増川自身は四人制起源説を支持していたのだが、それを訂正したわけだ。
 ヴェイカンゼーの欠点は、面白い対局が目白押しで何が何だかわからなくなってくることだ。第2Rがまさにそれで、ラジャボフ対カリャーキンがあっただけでなく、これ以外の六局すべてに勝負が着いており、アワアワの観戦になった。C組ではニポムニシが連勝して単独トップに立った。相手は懐かしい名だ、ファンデルヴィールである。彼がQ翼でナイトとポーンを丸損してK翼に猛攻を仕掛けてきたのをしのぎきった。
07/01/15
 今年のヴェイカンゼーA組はレコとモロゼビッチは居ないが、それ以外の十四人ならみんな居るという感じだ。カールセンも居る。だから今年はもう他の組は気にしなくてもいいなと思ったら、C組にニポムニシが入っていた。しかも、初日は黒番でクラセンコフに勝っている。
 A組は一試合だけ勝負が着いた。ラジャボフのキングスインディアンがファンヴェリーを破っている。キングスインディアンが勝つと嬉しい。しかも05/12/05で紹介棋譜にした二人の対戦と同じ局面になった。これはファンヴェリーの好局であるだけでなく、13.Ne6がInformant 95の新手賞に選ばれてもいた。その意味で、ラジャとキングスインディアンにとって今回は克服せねばならぬ勝負だった。
 ニポムニシの決め技を図にした。まづ35...Re4+, 36.Kf2としておいて36...Nxb3である。もし白axb3なら黒Rd2から結果的にポーン得になる。実戦は37.Rc4だったが、黒ポーン得に変わりない。
07/01/14
 久々に仕事の心配の無い日曜日である。
 河口俊彦の『対局日誌』に勝浦修の詰将棋が載ったことがあった。ある若手が興奮気味に「中篇の大傑作を作りました」と将棋会館に乗り込んでくる。「どれどれ」と棋士達が寄ってきたが、さらっと詰んでしまい、口ほどにも無い凡作だった。で、勝浦が「どうせならこんなの作ってよ」と自身の短編を見せるのだ。たしか五手か七手詰だった。ところが、件の若手は何分たってもこれが解けない。他の棋士達までも考え込んでしまう。そんな不思議な話だった。以来、勝浦詰将棋の出版を待っていたところ、昨年末に日本将棋連盟から『勝浦詰将棋選集』というのが出た。どうも、これが初めての本というわけではないらしいが、まあいい。とにかく私にとっては引越しの大処分以来、「もう買わん」という禁を破った将棋本である。
 元アマ初段くらいの私の楽しみには丁度いい短編集だ。さっそく第一番を解く。綺麗に仕上がる。が、第二番で早くも苦戦。ストップウォッチを取り出し、気合を入れ直したら3分51秒でわかった。作者自身の評は「これも形が気にいっている」とのこと。詰将棋選集シリーズは内藤、二上、高柳と買い続けてきたが、勝浦が一番お薦めになる予感がする。
 さて本業に戻ろうと、いよいよ始まったヴェイカンゼーを観戦したら、クラムニクもカールセンもとっくにドローだった。

戎棋夷説