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2007年タリ記念大会でクラムニクが横綱相撲。カスパロフ『決定力を鍛える』。

07/12/17 紹介棋譜1参照
 1972年の名人戦第六局、2勝3敗に追い詰められた中原誠は、なんと大山康晴に対して振飛車を採用し、猛々しい攻めと頑強な守備固めで圧勝した。続く最終局も中原の振飛車だった。この時は大山もいつもとは異なり積極的だった。玉を薄くして金銀を攻めに投入し、勝勢を築いたのである。しかし、馬を自陣に引き付けて、最後は大山らしく決めた瞬間のことである、この手では勝てないことに彼は気づく。大山の時代はこんなふうに終わった。
 長い間、私には謎の展開だった名人戦である。でも、07/12/06を読んだ方は、大山については理解できるはずだ。1985年最終局のカルポフと同様の心境だったのだろう。では、中原の作戦は?それは『決定力を鍛える』の365ページからが参考になる。カスパロフと中原の方針が一致していたとは限らないが、カスパロフの作戦と似た効果を中原の振飛車も挙げたのではなかろうか。
 1987年マッチ最終局のカスパロフは3勝4敗16分の大ピンチだった。本書でも最後で最大のクライマックスである。図のように白カスパロフは、「中央のポーンは動かさず、かわりに両翼の駒を展開した」。じっくりと戦う。それは要するにカルポフの得意な流れだった。危機的状況にあって、カスパロフは自分がベストを尽くすだけでなく、相手のミスをも引き出す必要を感じていた。「とするなら、逆に私がカルポフのようにプレーすること以上に、カルポフを戸惑わせることがあるだろうか」。事実、カルポフはタイムトラブルに陥り、それが命取りになった。「一分でもあれば、疑いなく33...Nc5を見つけることが出来ただろうに」と"The Closed Openings in Action"で述べている。
 この一局については、たくさんのことをカスパロフは書いている。ここでは私が感じた一点のみ触れた。
07/12/16 紹介棋譜2参照
 221ページは2003年チェスオリンピアードのルッツ戦が題材である。駒数の少ない終盤の先入観にとらわれたルッツと、まだ攻め筋を探っていたカスパロフとの対比がテーマだ。本に書かれているのは、紹介棋譜で36...h5あたりからの手順である。さて、たくさんの棋譜を紹介してきた。明日の一局でそろそろ終えようと思う。カルポフにとことん追い詰められた1987年マッチの最終局である。他にも興味深い教訓と対局はまだある。ぜひ、私が触れた部分も含め、本書を手にとって御覧ください。
 中原誠の談話で気になるのは、いつになっても大山康晴に関して生々しく語り続けることである。大山に比べれば、加藤米長谷川は黙殺に近い扱いだ。升田幸三は大山を倒した自慢話をよくしたものだが、中原の場合は、未だに大山を恐れているといった口吻がある。カスパロフを読んでも似たことを思った。カルポフに対し深い敬意を繰り返し表明しているのだ。握手もできない時期があったことを知ってる私としては感動的だった。
 「全盛時のカルポフは、対局中にもその合間にも完全に客観的になれる人物の好例だった。冷静な現実主義ゆえに、彼はつねに初めて盤を目にしたかのように無心で手を指すことができた。悪手や敗戦、冴えない結果に取り乱したことは一度もない。カルポフにとって、あしたという日はかならず訪れるものだったのである」。
07/12/15 紹介棋譜3参照
 さっき近所の暗い駐車場で仰向けになり、ふたご座の流れ星を何個か観測してきたところです。では更新々々。駒数の少ない終盤の多くは、どう指せばよいのか、コンピュータが強くなるずっと前から、結論が知られている。「数学の練習問題のようだ」。決まりきった操作の繰り返し。「創造性の、そして芸術の出番がほとんどない」。しかし、そう思いこむと油断につながる。
 218ページで例に挙がってるのは1993年マッチの第九局である。対局者の言葉がKeen "Kasparov v Short 1993"に載っている。ポーン数2対0で、白カスパロフの勝ちに決まっているルック終盤だった。ところが黒ショートは指し続ける。それがカスパロフをイライラさせた。ポカが出てしまう。
 Informant 59 のカスパロフは図で46.Ke2と46.Ra2を推奨している。でも、私には上記の本で彼が述べた46.Ra3の方がわかりやすい。まづ三段目を抑えておくべきだったのだ。実戦はそれを省いて46.e4と指してしまった。そのため、黒に46...Rc5から47...Rc3+という反撃が生じたのである。紹介棋譜の変化手順はショートが示した引き分け方だ。
 ところが、ショートはたった15秒で46...Ke6と指した。実はとっくに彼も諦めており、ただ惰性で指していただけなのである。かくて、二人は自分と相手のミスを知らぬまま指し続けた。
 「慎重で辛抱強く、読みの鋭いプレーヤーはエンドゲームに強い」。この点では、カルポフの方がカスパロフより優れていた。それを著者は謙虚に認めている。なお、終盤気質を粘り強い外交交渉でたとえ、タレーランの例を語っている。
07/12/14 紹介棋譜4参照
 発売前の11月23日に水野優さんがブログで採り上げたとき、『決定力を鍛える』は438位だったようである。
 160ページの教訓は、「ある資産がほとんど無価値になり、改善の見通しも立たないとしたら、間に合ううちに手に入るものを確保したほうがいい」。題材は1983年のポルティッシュ戦。Infomant では第36巻に収録され、64巻までの名局第五位に選ばれた、Kasparov 初期の代表局だ。"Fighting Chess"でも解説されている。
 図での白の一手が問題。たがいのR、B、Nを見比べれば、白駒の方が位置が良い。それをさらに活かす積極的な手を指さねばならぬ、と感じた二十歳のカスパロフは長考に入った。21.Ng5と21.Ne5を読んだが、前者は21...Qc2が気に食わない。優劣不明になる。
 後者の方がいい。けれどビショップの進路がさえぎられる。ビショップの「資産価値」が無くなる。そこでこう考えた、「ビショップが積極的にゲームに参加していないのなら、価値のある黒の駒と交換してもいいのではないか」。彼は21.Bxg7と指した。以下、カスパロフは猛攻を続け、勝利を得た。
07/12/12 紹介棋譜5参照
 それにしても『決定力を鍛える』は売れているのか?いまアマゾンでは売り上げ順位3183位だ。それってどっちなんだ?ちなみに十月に出た羽生善治と二宮清純の『歩を「と金」に変える人材活用術』は12322位だった。十一月の渡辺明『頭脳勝負』と比べたいところだが、こちらはすでに在庫が無い。ついでに言うと、私がこないだ買った、わりと新刊の松浦理英子『犬身』は813位、ようやく復刊された岩波文庫リカードウ『経済学および課税の原理』上巻は126581位だ。
 138ページに1986年のマッチ第八局が語られる。両者で捨駒を差し出し合う激しい攻防だ。カルポフは捨駒を取って駒得を図り、カスパロフは捨駒を取らずに攻勢を維持する。大軍を擁した数の威力で戦いたいか、寡兵の軽快苛烈な機動力で勝負するか。優劣を付けられない二人の価値判断の激突である。著者の教訓は、物量とスピードの重要性は状況によって変わる、ということだ。でも、読者としては、「こうした評価の好みは各人のスタイルの一部であり、かならずしも他人との優劣は関係ない」という一節の方が意味深く思えた。
 物量派のKarpovは安全策を好む穏健派に見えてしまう。でも、彼は"The Closed Openings in Action"でこの敗局を解説している。16...Qxa2について、「より堅実なのは16...Rad8だろう」と述べているのだ。自陣を危険にさらす勇気をもって16...Qxa2を指したのである。この点は誤解しやすいところだ。
 ほかにも言いたいことがあるが、あとひとつだけ。紹介棋譜と本の記述を比べると、合わない部分が出てくる。「私はルークを無視し、かわりに突破口を求めてポーンをさらに動かした」は、「ポーン」でなくて「ビショップ」だろう。22.Bb5のことを言ってるはずだからだ。著者か訳書のミスではないか。
07/12/11 紹介棋譜6参照
 畏友がメールをくれて、「棋譜と対応されると、やはり本文がより魅力的に目に映ります」。p.183、p.281の棋譜も私のページでは解説付きで再現できる。前者は1995年、後者は1993年の記事だ。どちらも全盛期のパワーあふれるカスパロフの、というか、チェス史上屈指の名局である。ご存じない方はぜひ。
 今日は109ページ、1997年ティルブルフ大会のシロフ戦を紹介棋譜に。これは私も知らなかった。Chess Informant を調べたら70/246にあった。図は26.Rh4まで。白Rc4で黒Qを追い払って白Rxc8+という狙いである。黒カスパロフにとって、「クイーンを避難させる必要があるのは明らか」に思えた。Qxd5から互角になる分析をInformantから変化手順に引用しておく。Fritz 8で調べるとQb6やQa5でも黒が悪くはなりそうにない。対局中の彼はそれらに満足できなかった。でも、そのどれかで妥協しようか、と思った矢先である。クイーンを捨てたらどう?と心の中でつぶやいたのだ。
 クイーンを捨てたら、弱い駒しか自軍に残らない。が、その「弱い私の駒が動きやすくなり、シロフはプレッシャーを感じるだろう」。ほんの思い付きをよく検討した結果、不思議な一手26...Ke7を得ることができたのである。攻めにも守りにもほとんど効果の無いように見える一手だ。なのに、主導権は黒に移った。シロフはペースを乱し、敗着31.Re4を指す。
 クイーンを捨てるなんて、非常識な発想だ。けど、ただの妄想なのか、打開の糸口なのか、「勇気を奮い起こして確かめなくてはならない」。これが教訓である。「この対局でのアイデアの裏には決まりきった解決策でよしとしない姿勢があった」。
07/12/10 紹介棋譜7参照
 blackdog 掲示板で西村裕之さんが教えてくださった。『決定力を鍛える』で言及された棋譜を再現できるページがある。私が書きたいのは「全局紹介」でも「棋譜だけ紹介」でもない。ひとまづ棋譜を知りたい方にはそちらが便利だろう。
 88ページに1999年ヴェイカンゼー大会のトパロフ戦が語られる。あの猛攻をカスパロフは読み切って指したわけではない。「理詰めの分析の産物ではなかった」。この一局だけを扱った冊子を出版した人があるそうだが、「白状すると、そこに掲載された分析の九割はゲーム中に私の頭に浮かばなかったものだ」。一言で言えば、「想像力の助け」によって、24.Rxd4からRとNを捨てて39.Qxh8で必勝形にいたる十五手を、「きっと何かあると確信して深く探りつづけ」、ついに「見た」のである。
 「一億手を読むコンピュータ並みの緻密流」の類でも、「人間が授かった直感的な大局観による瞬時の判断」でもない話だ。その手の素人談義に飽き足らない人が、読んで得るところの多い記述ではないか。棋譜解説は私のページの1999年を扱った箇所にある。
 102ページにニムゾビッチ対タラッシュが出てくる。これも私のページのタラッシュの項で解説済みだ。「二十五年前のある試合」との類似が語られている。もちろん1889年のラスカーによる史上初とされたDouble Bishop Sacrifice だろう。ご存じない方のために、これを紹介棋譜にしておく。どちらも名局だが、好みで言えば私はタラッシュの方を選ぶな。
07/12/08 紹介棋譜8参照
 昨譜には「示唆に富む後日談がある」。カルポフは初手e4を指さなくなった。「ここぞというとき、みずから招いた厳しい展開と棋風が合わなくなることを知ったのである」。得意戦法を失う大きな損失だった。けれど、つらい変化を選択して強さを維持した旧敵をカスパロフは讃えている。
 72ページに進もう。タイムトラブルについて著者は語っている。04/03/05で触れたトパロフ戦が題材だ。32手まで進んで、白カスパロフは「勝てる」と思った。きっと決め手がある。図でナイトをe6に進めるか、e4に退くかである。当時のNICを見ると、観客も彼の勝利を信じていたようだ。けれど残り時間が少ない。切羽詰った描写は本書を読んでいただこう。カスパロフはぎりぎりまで考えたが結論が出ない。結局、駒を後退させる手を指す気にはなれず、前進の32.Ne6+をあわてて選んだ。「そのとたんに好機を逸したのを感じた」。もう残り時間は数秒だけ。すぐ引き分けになった。棋譜を再現していただくとわかるが、「私は彼のキングを右往左往させるので精一杯だった」。
 充分な考慮時間があれば正着32.Ne4+を指せたろう。当時のChess Todayも、手順は長いが難しくはないと述べている。そのひとつを変化手順に加えておく。実は、対局中のトパロフもカスパロフ自身も気づいていたようだ。しかし、カスパロフは黒Qc1+を恐れたのである。たぶんQc1+, -h6+ -c1+の有名な引き分け手筋だろう。ああ、でも、黒Qc1+ってルール違反じゃん!彼でさえこんな勘違いをするとは。
 しかし、本当の失策は32.Ne6+ではない、と著者は言う。それまでに持ち時間を使い切ってしまったのが「元凶」だ。当時の彼は前年のヤルタ騒動などで試合数が減り、実戦感覚が鈍っていた。それが「決断力の不足、すなわち自分の読みに対する信頼の喪失につながった」。手順の無駄な再確認を繰り返すことになり、時間を浪費してしまったのだ。
07/12/06 紹介棋譜9参照
 54ページに1985年マッチの最終局が出てくる。このときカスパロフは4勝3敗16分で、引き分けでも王座を獲得できた。けれど、白番は必死のカルポフで、初手e4からいつもの彼とは異なる積極策で局面をリードしていったのである。しかし、失敗に終わった。なぜか。
 カスパロフが採り上げたのは作戦の岐路となった場面で、図の22...Bg7まで。h3にRを移動させたカルポフの手際が素晴らしい。もともとこのRはd1にあり、また、Bがe3にあった。それを20.Bc1, 21.Rd3, 22.Rh3と三手かけて敵王直撃の形を作ったのである。
 さて、白は23.f5で敵王への激しい一点集中をより鮮明にさせるか、それとも23.Be3でb6地点にも圧力をかけ、じんわりと盤面全体を支配するか。カルポフは後者を数分で選んだ。いかにもカルポフである。しかし、正着は前者だった。積極性が必要とされる流れだったからだ。
 歴史が動いた有名局である。そして難解極まりない。だから、たくさんの分析が発表されており、23.f5でも簡単に白が勝てるわけではないことがわかっている。また、23.Be3で白の勝ちが消えたわけでもない。敗着は36.Rxd6である。そのあたり、ごく簡単に変化手順を加えておいた。けど、とにかく23.Be3の後は黒に反撃の勢いが生まれたのは私でもわかる。カスパロフが重視するのはそこだ。
 本局でカスパロフが伝える教訓は、状況に応じて自分のスタイルをどう変えてゆくか、または変えないか、その難しさと重要さである。本局の場合、カルポフは一度スタイルを変えたら、それを最後まで貫くべきであった。
07/12/05 紹介棋譜10参照
 フェドロフをちょっと弁護しておこう。シロフ、アナンド、イワンチュク、カールセンといった面々にキングスギャンビットをぶつけて楽しませてくれた得がたい人である。
 46ページにペトロシアン戦が語られる。1981年、18歳のカスパロフが連敗を喫した思い出だ。若さにまかせて彼は攻め立てた、そして、「とどめを刺すのは時間の問題だ」と確信する、だが、「どこに刺せばいいのだ?」。そう、ペトロシアンは退却を続けながら、自陣の弱点を丹念に塗りつぶしていたのだ。攻めきれぬカスパロフは苛立ち、自滅してしまう。これが第九代世界王者ペトロシアンの棋風だ。何手も先の相手の攻め筋をあらかじめ受けておき、盤面全体をねっとりした自分のペースに合わせてしまう。
 この連敗は『わが偉大なる先人たち(My Great Predecdssors)』第三巻に詳しい。二局目を紹介棋譜にしよう。奇怪な受けだ。図は34.Bd6まで。白カスパロフが「勝てる」と思ったのも無理は無い。黒は34...Ra8。そして、35.Qb1に35...Kc6である。まったく意図がわからない。ペトロシアンは間髪を入れずに指したという。解釈不能の手が二つも続いて、カスパロフは感覚を破壊された。攻め急いだ36.Rba3が敗着である。
 カスパロフはペトロシアンの特異な棋風を極めて高く評価している。けれど、彼自身は自分に合った積極的でダイナミックな棋風を伸ばしていった。「最良のタイプの戦略はひとつだけというわけではない」が教訓である。
07/12/04 紹介棋譜11参照
 気になる最初の棋譜は42ページに出てくる。2001年ヴェイカンゼーのフェドロフ戦だ。勝利に至るまでのプランニングおいて、いくつかの段階を設ける必要性を説く一節である。フェドロフはそれをふまえず、いきなり勝とうとした。「フェドロフがこの由緒ある大会にも対戦相手にも、さほど敬意を示すつもりがないことはすぐに明らかになった」と著者は手厳しい。フェドロフは早くも二手目で主流定跡から外れ、安易なアイディアで「脇目もふらず、最初からすべての駒を私のキングに向けて発進させたのである」。
 図は12.Qh4までで、件の不心得者が白であることはわかろう。プランは私でも予想がつく。Bh6からB交換、そして機を見てRxf6を実現させ、Ng5からQxh7#で仕留める、という筋書きだったはずだ。カスパロフの対応は、「自分のキングを見張りつつ、キングとは逆のサイドから、そして中央から反撃」である。楽勝だった。Chess Informant 80の112番局だが、あっさりとしか分析されていない。
07/12/03
 「なあなあ」と嫁が部屋に入ってきたとき、対局中の私は残り時間9秒ほどのタイムトラブルに見舞われており、反射的に答えた「いまふざけないで!」。勝負には勝ったが、その一晩中、彼女は背中だけ見せる女になった。で、次の「なあなあ」は入室を許すことにした。すると好局を落としてしまった。彼女はダイエーに私を連れてゆき、磯部餅を買ってくれた。次の次はどうしよう。レイティングとおやつのどちらを採るべきか。帰宅して『決定力を鍛える』を調べ直したが、たぶん、カスパロフと私は同じ思考プロセスを経て違う結論に達するだろう。
 この本を知ったとき、これはカスパロフの政治活動の宣伝なんだろうと思った。読み終えたいまは、彼の情熱が生んだ私たちへの贈り物なのだとわかった。まだ言いたいことがたくさんあるが、チェスファンにとって一番面白いのは、やはり対局に関するエピソードである。けれど本書には棋譜が一切無いので、いまひとつ実感できない。私としては、自分の解釈を書き綴るよりは、それらの棋譜を本欄で紹介したほうが、皆さんへの贈り物になりそうな気がする。
07/12/02
 菊池寛の「人生は一局の将棋なり」はまだしも、将棋を人生に応用して人生相談ができると考える米長邦雄には、私は米長ファンだった頃からついてゆけなかった。米長とカスパロフの主張はちょっとだけ違う。政治経済とチェスの類似は「人生」のような大問題だけではなく、「朝食をシリアルにするか果物にするか」という些事にいたるまで同じだ、と彼が述べている点などがそうだ。本書はその証明をしないので、私は説の正否まではわからない。ただ、このちょっとの違いは大きいと思う。
 カスパロフが推奨する意思決定の方法のいくつかは、私自身も日常生活に意識的に適用しているものだ。それって、私がチェスに親しんでいることからくる類似だろうか。なら、チェスを知らない人、あるいは、対局の最中しかチェスをしない人が、この本を読むことは意味があるように思う。カスパロフが望んでいるのもまさにそのことだろう。おかげで私の頭も少しだけ使いやすくなってるし。もっとも、だからといって事業に成功するというわけではないのだけれど。
07/12/01
 昨日述べた、「私だって知ってるような心得」という言い方は傲慢なものだ、と認めなければならない。たとえば、「駒得は重要だ」という心得などがそれだが、本当に私は「駒得」の意味を知っているのだろうか?カスパロフがそれを今更のようにこの本で検討しているということは、やはり恐ろしい。それは申し添えておきたい。
 土曜も日曜も仕事である。でもさっき読み終わった。半分を過ぎるあたりから本書は主題に入り、終章直前の第19章は非常に緊迫した一戦の回想で終わる。もう少しで日付が変わり、明日は早起きせにゃならん。ざっと主題にだけふれておこう。
 カスパロフは言う。棋士が対局で自分の一手を決定するプロセスと、政治家や企業家が国家や社運を賭けた決断を下すプロセスとは、同じものだ。実際はチェスの世界の方が構造はシンプルであり、政治経済とはそこが異なる。でもそれゆえ、チェスはより良い意思決定の方法を検討する際のモデルとして相応しいのだ、と彼は述べている。
07/11/30
 「なあなあ」と親戚の家から帰ってきた嫁が柚子をたくさん見せにきた。もらったらしい。「焼酎呑もな」。私も彼女も焼酎は嫌いだ。けれど、柚子をたっぷりしぼった麦焼酎は格別であることを、二人はこの親戚で伝授されたばかりなのだ。さっそく、がぼがぼ呑んだ。実は私は弱い。ほどなく幽体離脱して昨日の更新は不可能になった次第です。
 チェスが私の人格や思考に影響を与えているかというと、たぶんイエスだ。そこを語るのは難しい。さらに話を広げ、私がチェスで鍛えた頭脳で経営戦略に関する訓戒を述べようとするなら、それは哀れであり滑稽だろう。ちなみに私は、日本海軍で鍛えた精神によってきわめて正確に近い角の三等分の作図方法を編み出したという本を持っている。だが、そこまで灼熱した情熱をもってしても、無骨な記述を愛くるしくさせるのがせいぜいなのだ。
 じゃあ、カスパロフなら可能か。やはり無理がある。『決定力を鍛える』を半分ほど読んだが、経営や経済の新発想に出会ったとは一箇所も感じられない。実は、チェスの用兵に関して書かれていることも、私だって知ってるような心得がほとんどなのである。羽生善治のエッセイやインタヴューなら将棋の奥深さを知らしめ、読む者をして慄然とさせることがある。すくなくとも、そんなチェス観を表現する力がカスパロフにも備わっていれば、そのうえで語られるビジネス談話に重みが生まれたろう。
07/11/28
 しょせん日本の中級者のチェスブログだから、本欄のアクセスはそんなに多くない。最も多かったのはフィッシャーが解放された05/03/25あたりの記事だ。あれを超えることはもう無かろう、と思っていたら、昨日が新記録だった。真部一男はこんなに愛された棋士だったのだ。
 森戦を調べてくださった方もいて、私の記憶違いではないことが判明した。1978年8月21日対局、9月3日放映とのこと。その次の放送が西村米長戦であるのも確認できた。ものすごく感謝しております。
 ブログや掲示板で真部を追悼する声があふれている。ただ、彼の将棋や将棋観を「美意識」「美学」という言葉で形容するのが気に食わない。ちょっと考えれば誰だってわかることだろう、それらは谷川浩司に使う用語だ。真部のは「倫理」である。倫理的な将棋観の持ち主であった。
07/11/27
 フィッシャーも入院中だという。「好敵手」はもちろんチェス小説で、既婚の愛棋家は読んで思うところがあるだろう。第28期のNHK杯は米長邦雄が初優勝した1978年である。もう三十年かあ。森真部戦のすぐあとに西村米長戦があり、米長が角を打ち重ねて西村の猛攻を一気に押し返した。米長将棋のファンになったのもそれからだ。これは本にも収録されていて今でも楽しめる。件の森真部戦は古い「NHK将棋講座」で探すより無さそうなのだが、畏友に探してもらったものの、国会図書館やNHKにさえも保管されていなかった。私にはチェスの棋譜公開があたりまえなので驚いてしまう。ネットで棋譜を検索してくださった方もいらして、一緒に真部をしのぶ気になれた。それでも見つからないというのは、私の記憶違いなのだろうか?
 仕事が無く、嫁も居ないのを良いことに、ひねもすネット対局で過ごしてしまった。おかげで調子が上がってきた。もう落としたくないけど、仕事が始まると無理だろうなあ。何より、本分の更新作業に精を出さにゃ。書くべき大会が始まっている。
07/11/26
 関東に出向く用事の都合をつけて神田の古本屋街に行った。もっとも、日曜なのでたいがい休店だ。それでも小宮山書店で谷川俊太郎と丹地保堯の『50本の木』を買えた。1500円である。原価7000円だから悪くない。ちなみに私は文庫版も持っている。アカシヤ書店ではAverbakhの"Queen and Pawn Endings"を買った。4500円は高かったが、もう再版は無い気がする。きっと役立つはずだ。このシリーズは他に二冊持っている。揃ってる人が羨ましい。
 畏友と待ち合わせの上島珈琲店へ。昔の「ミステリマガジン」十月号に載ったエリン「好敵手」のコピーをもらった。いまは『特別料理』という短編集で読める。「カスパロフがまた拘束されたそうです」、そして店を出て、「真部一男が病気療養で休場してるようです」と畏友。私が将棋に熱中するきっかけは、真部が準優勝した第28期NHK杯の森ケイジ戦である。ルールしか知らない私だったのに見入ってしまった。森のしぶとい生命力と、それに苦しみながらも優勢を信じて戦い続ける真部の若いひたむきさが伝わったのだ。あの棋譜をもう一度並べたくて、畏友にも手を尽くしてもらったのだが、未だに見つからない。
 畏友と別れ、東京駅で好物の"ごまたまご"を買い、車中で「好敵手」を読み、感想をメールする。すぐ返事がきた。「さきほど報道あり、真部死す」。彼の「将棋論考」は正着主義とは無縁の棋譜解説だった。河口俊彦流の性格分析とも異なる、棋譜の品格を重んじた芹沢博文系で、あれより好感の持てる語り口だった。ご冥福をお祈りします。森戦の感謝も添えて。
07/11/23 紹介棋譜12参照
 第8Rはクラムニク対マメデャロフだけ勝負が着いた。図まで並べて私は「おっ」と思う。白番で似た局面をYahoo!で指したばかりだったのだ。私はここで8.Be2なんて指す気になれないタイプである。そりゃ8.h4でしょう。クラムニクもそうだった。Chess Today の解説によると勝率70%だとか。
 もっとも、マメデャロフはそんなの承知で誘導したのかもしれない。Yahoo!の私は楽勝だったが、本局は難しい戦いになった。クラムニクが微差の有利を維持したまま終盤に入ったらしいが、22手のあたりを見てほしい。ごく普通に黒が良い、と私なら考えてしまう。解説によれば、王の安全性と小駒の働きを比較すれば黒が難しいのだとか。実際、正着を続けることができず、土俵を割った。後記08/01/24参照。
 最終第9Rは全局引き分け。クラムニクは4勝0敗5分という成績で、このすごい顔ぶれの大会を優勝した。二位のシロフに1点半差をつける、レイティングに換算して2901の圧勝である。
07/11/22
 第6Rをもうすこし。カムスキー対ヤコベンコは、白の攻めが面白かったけれど37手あたりで息切れしてしまい、そこから長い下り坂に入って90手で負けた。ヤコは終盤が強い。対して、クラムニク対アレクセーエフは、さらさらっと白が敵陣の二線にルックを二本侵入させた31手の完勝だった。ここまでの勝ちっぷりで、クラムニクの優勝は誰でも想像がついた。第7Rはマメデャロフ対カムスキーが白勝ち。アレクセーエフ対シロフは黒勝ち。
 職場で疲れてしまって、棋譜を調べる気になれず、今日はこんなもんで。本の話をちょっと。若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』が先月に出ている。原作でも映画でも、ハンバートとロリータが最初に出会う場面は鮮烈だ。本書はそこを読み込んで、ナボコフ作品の、さらには小説なるものの読み方を提示している。それに、チェスの話も一章ある。いづれ御紹介したい。
07/11/21 紹介棋譜13参照
 タリ記念に戻ろう。第4Rはおとなしめで全局ドローだった。第5Rはクラムニク対シロフだけで勝負が着き、前者が勝って単独首位に立った。クラムニクが自らすすんで相手に好形を作らせたので驚いたが、よく解説されると、形だけの好形であった。引き分けのうち、イワンチュク対カールセンは黒が、ヤコベンコ対レコは白が、それぞれよく粘った。それはわかるのだけど、私には説明できない。
 それより第6Rを話したい。三局で勝負が着いた。今日はシロフ対カールセンを。図は17...b4とされてルックが引いた18.R3c2まで。f1から四手もかけて運んだルックである。ロレン氏の言を借りれば「c file を意地でもキープですか」。もちろんカールセンは18...Bf5から駒得したが、このあとシロフの駒は十手連続で引く手が無い。攻めましたわ。無茶な手もあったようだが、勢いに負けてカールセンは踏み潰された。これを紹介棋譜に。久々に見る「シロフが攻めれば道理が引っ込む」だった。
07/11/20
 私のブログが漢字四文字なのは『以文会友』の影響である。呉清源の本やCD-ROMはわりかし揃えている。畏友から『呉清源 極みの棋譜』という映画を教えられて見に行った。嫁もついてきた。夫が忘我して誉め称える聖人に興味を持ったようだ。畏友の新宿では「観客は女性一割、平均年齢75歳」だったそうで、私たちの心斎橋もそんなとこだった。
 いきなり、本物の呉清源が画面に映る。それだけで手を合わせたくなる私だが、嫁の曰く、「最後に出てくる方が良かった」。そりゃそうだね。また、ファッションが戦中や終戦直後とは思えぬ鮮やかさで、嫁だけでなく私も違和感を感じた。
 時代設定の説明が少ない。映画館を出てから私が「警官隊と闘ったあの大男は双葉山だよ」と教えてあげたら、嫁は驚いていた。予告編を見ていなかったら、私も川端康成に気づかなかったろう。田壮壮監督は伝記映画を作る気ではなかったようだ。畏友もそれを感じたようで、「"呉清源という人がおり、その人は、その時々をこう生きた"、そんな感じで、呉清源の人生や業績を知ろうという人には向いてないですが、呉清源が作品に満足したというのは、よくわかる気がしました」。
 様式美にこだわった映画だ、と私は思った。チェスや囲碁将棋を知らない人でも、盤上を整え対局を始める棋士の所作にほれぼれすることがある。あの感じだ。だから、呉清源が何をした人かは描かず、どんなに有名なエピソードであろうと、時代背景にほとんど注釈を加えず、彼の表情、手つき、場の空気を画面に収めてゆく。呉清源の姿だけではなく、徴兵検査の場面でさえ儀式のように撮られていることからもそれはわかろう。したがって、苦難の多い生涯を題材にしながらも、ストーリーの無い美しい画面が続く断章の映画だ。
 ほか、畏友は、「どの俳優も素晴らしかったですが、個人的には呉清源の奥さん役、伊藤歩が光っていました」。同感である。こまかい指摘では、「ガラス窓が演出テーマになっています。注目してみてください」とのこと。これは言われて気がついた。
07/11/19 紹介棋譜14・15・16参照
 第2Rは面白い応酬があったけど全五局がドロー。第3Rは四局で勝負が着いた。カムスキーが特大ポカでシロフに負け。これ以外の三局を紹介棋譜に。技がきれいに決まったのはマメデャロフ対イワンチュクの白勝と、ヤコベンコ対カールセンの黒勝で、それぞれ決め技を紹介棋譜に。
 並べればすぐわかる上記二局に対して、クラムニク対レコは大変だった。図は14...b4まで。これでクラムニクはナイトを動かせず、苦労する。Qf1とBe1からやっとNbd2を指せたが、他の駒の邪魔になっている。けれど、棋譜を進めるほどにわかってきた。クラムニクは自陣の整備を続けながら、厄介なb4ポーンを消そうとしていたのだ。それが達成された時、全体の駒の損得は無いながら、Q翼のポーン数は2対1で白有利になっていた。その結果、弱くなった黒a6ポーンを守るために黒ルックはa筋から動けない。自由な白ルックの活躍が始まり、ついにクラムニクはa6ポーンをもぎとるのだ。
 その後も見事だ。K翼から反撃するレコに好きなようにさせる。その間に、Q翼の優位を増大させていった。最後に敗着が出たという話だが、いづれ避けられぬ流れだったろう。シュタイニッツが見たら完璧な後継者の出現に感激するはずの、有利の小石を丹念に積み上げた勝利だった。
 メイト同然で仕上げた決め技も鮮やかである。終始一貫した論理の怪物を見た。
07/11/18 紹介棋譜17・18参照
 相互リンクしていただいてるKeres65さんのブログで、「チェス検定」なるクイズが出題されている。「アリョーヒン、エイべ、タリ、ペトロシアンのうち、来日経験が無いのは?」といった問題だ。正解が気になるでしょ。ちなみに私は答えられなかった。
 タリ記念が7Rまで終わっている。残り2戦。ゆっくり追いつこう。ロレン氏の観戦記が簡潔で頼りになる。ドローが多いけど、よく戦った末のようだ。第1Rはレコ対シロフだけ勝負が着き、白が勝ち。左図を見るとわかる、チェスはやっぱ中央制覇が大事だなあ。
 クラムニク対カールセンは、後者が相手好みの堂々たる序盤で組み合った。そして、自分の得意なポーンを捨てる流れにした。後輩が横綱相撲だ。成功したようには見えなかったが、29手からの面白い手順で引き分けた。そこを見ていただきたく、レコと併せて紹介棋譜に。
07/11/16 紹介棋譜19参照
 Kasparovがチェスと人生における意思決定を重ね合わせて論じた"How life imitates chess"については、05/03/15で触れたことがある。日本語訳も出るというのが半信半疑だったが、本当に今月29日にNHK出版から出る。訳者は近藤隆文で、ガルリ・カスパロフ『決定力を鍛える』、副題が「チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」だ。
 ビトリアの優勝争いは例によってトパロフが前半でつまづいた。ポルガーの誘いの隙に突っ込んでしまったのである。しかし、例によって後半でひっくり返す。首位を守り続けていたポノマリョフとの直接対決に勝った。これを紹介棋譜に。敵陣の弱点をあぶり出すような、じわじわした"責め"が印象的だ。最後は5勝1敗4分である。二位のポノに1点半の差をつけた。
07/11/15 紹介棋譜20参照
 カルポフが長い持ち時間で指すのを見るのは久しぶりだが、一勝もできず最下位でビトリアを終わった。それより、今年は彼の好局集が二冊出たことを記しておこう。
 先に出たのは、KarolyiとAplinという聞き慣れぬ名の二人が書いた、"Endgame Virtuoso Anatoly Karpov"である。少年時代から1990年までの105局を収録している。91年以後はもちろん、それ以前の有名局も多く抜けており、むしろ見たことの無い棋譜の方が並んでいる。カルポフの終盤で注目すべき棋譜だけを選んで深く掘り下げた一冊だからである。周知のごとく、彼の終盤は十五人の世界王座の中でもスミスロフと並んで最強だ。
 それだけに高級すぎて、私にはよくわかんないのもある。そこが魅力なのだろう。図は1979年ワディンクスフェーンのホルト戦。白カルポフはK翼の優位をこう固めてゆく。まづ29...Ra5、これで黒h5を許さない。それから、ポーンをh4, g4, f4, e3に並べると、黒はこのラインに触ることができない。以下、じっくり間合いを計って寄せたら、白にパスポーンができた。そんな手順が解説されている。
 もう一冊はカルポフ自身が書いた、"My Best Games"だ。2003年までの100局が収録されている。私は彼の自戦記をずいぶん持っているけど、これが決定版だろう。
07/11/14
 TWIC が見られなくなっている。ICC のChess Viewer の作成ページも使えなくなってる。困ってる人を見かけないから、私の機械だけの事情か?としても私にとって現状は壊滅的だ。どうやって平静を装えば良いだろう。
 たぶんふたつの大事な大会が進んでるはずだ。ひとつはスペインのビトリア(バスク語ガステイス)で、コンゴに病院を建てるための企画である。呼ばれたのはカルポフ、ポノマリョフ、ポルガーなど六人。トパロフもクレタ島を途中で抜け出して参加した。もうひとつはモスクワのタリ記念である。クラムニク、イワンチュク、レコ、カールセンなどすごい顔ぶれが十人。
 と、書いて落ち込んでいるところに、「なあなあ」と嫁が来た。事情を話してうつむくと、ひとまづ私の頭をなでてから、ちゃちゃちゃと何かをした。「ど?」と言われて試すと、おお、TWICが見られるようになっている。「ほめち、ほめち」と言うので頭をなで返してあげた。なんと安い。けれど、Chess Viewer は彼女にもわからんかった。とにかくありがとう。

戎棋夷説