紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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カムスキーがワールドカップ。モロゼビッチがロシア選手権。フィッシャー没。

08/01/24 紹介棋譜1参照
 いろんな話題がたまってる。New In Chess の昨年最終号の話だけでもしておきたい。07/11/23で触れたクラムニク対マメデャロフについての疑問が解けた。私の目には黒が良く見えた件である。実はマメデャロフも25手の時点で同じ考えだったのだ。ちょっと自信を回復した。もっとも、そうした判断についてクラムニクは「その根拠がまったくわからない」とにべもない。25...Re8ならドローだったろう、と述べている。
 この号にはパウル・ケレスの苦労や人柄を伝える8ページの記事もあった。彼とボトビニクの関係はチェス史の謎だ。1948年の世界王座決定大会でケレスはボトビニクに惨敗する。ささやかれたのは、ソビエト共産党がケレスを強迫して八百長を仕組んだ、という疑惑だ。
 仮に疑惑が事実だったとして、フェアに戦えばケレスは勝てたか。私はケレスの未亡人と同じ意見である。無理だったろう。「ケレスはボトビニクのように自分と他人に対して冷酷になれる人間ではなかった」。たとえば、AVRO大会でアリョーヒンに対し優勢を得たものの、ケレスは封じ手後の検討を怠った。その夜はるばる母国から友人が彼を訪ねてきてくれたからである。勝負は引き分けに終わった。これで単独優勝を逃している。
 ボトビニクと最後に会ったのは1969年のヴェイカンゼーで、どちらも体調を崩していた。ボトビニクの回想がある。自分がポルティッシュとの負けそうな終盤をかかえ、横になって封じ手後の検討をしていた時のことだ。ドアをノックする者がおり、ケレスだった、「どう?しのげそうですか」。あまり見通しが良くないことをボトビニクが伝えると、ケレスは盤駒をしばらくながめ、「うーん、こんな風に指したらどうでしょう?」。二人は見つめ合い、そして抑えきれず笑った。かくて貴重な半点をボトビニクは得て優勝したのである。おかげでケレスは優勝を逃した。
 後日談を未亡人が語っている。一ヶ月して、ケレス家にボトビニクから香水が届けられた。狐につままれた妻の前で、ケレスは大笑いしたという。ケレスが教えた手順は不明だが、41手以降を紹介棋譜にしておく。よくまあ引き分けたものだ。「なんだかんだ言っても、そう悪い人じゃない。親切だし、付き合いやすいさ」がケレスの最終的なボトビニク観だったらしい。未亡人は言っている、「あの人はみんな忘れたの、パウルはみんな忘れちゃったのよ」。
08/01/23
 検索名人Kさんの見つけた情報によれば、フィッシャーは、アナンドやカスパロフと、フィッシャランダムでなら戦う意志があった。フィッシャーとアナンドは二年前に会っている。この件に関してはオラフソンを仲介にメールのやりとりがあったらしい。また、Kさんは十五歳のフィッシャーがTV出演した動画も教えてくれた。
08/01/22 紹介棋譜2参照
 フィッシャーの活躍は賞金額を一気に吊り上げた。彼以外には不可能だったチェス界への最大の貢献がこれだろう。1969年にスパスキーが王座を獲得して得た賞金は1,400ドルだった。それが1972年のレイキャビクでは賞金や放映権など合わせて231,000ドル以上になる。1971年まで1ドルは360円で、1973年までは308円だったから、50万円から7千万円への飛躍か。
 原啓介先生もフィッシャー追悼の棋譜並べをなさった模様で、選ばれた二局は、スパスキーの勝ったキングスギャンビット、タイマーノフとのマッチの第四局である。前者は私も何度も並べた。後者はカスパロフが少年時代に感動し、『先人たち』で「あれから三十年が経ったが、B対Nの終盤の模範局としてこれをしのぐものはまだ無い」と述べている。ツークツワンクに追い込む兼ね合いが高級で私の鑑賞力を超えている終盤だが紹介棋譜に。変化手順はNesis "Exchanging to Win in the Endgame" (1991) を参考にした。中級者にもっと読まれるべきだったのに、埋もれてしまった名著と思う。
 上記の50万円が信じられない。そういえばオセロにからめてこの話をしたな、と思って検索したら06/08/18にあった。やはり50万円と書いてある。わあ、本当なんだ。ちなみに、04/04/06でもオセロをネタにした。その日に、Biglobeで「チェス」を検索したら、Chess Chroniconは811位だった、と書いてある。今日見たら60位だった。さすがにこれは暴落すると思う。
08/01/21
 準決勝でラジャボフはヤコベンコを破った。勝つべくして勝った感じの棋譜だ。もう一つはグリシュクがカリャーキンを破った。これは五戦めのアルマゲドンにまでもつれた。
 図は黒グリシュクがhポーンを捨て、gh筋にルークを並べたところ。Fritz はPc5を推奨してるが、人間だもの、K翼から攻めたい。22...f5, 23.Bb4 から23...f4, 24.gxf4 と突き捨て、24...Nf5 そして25.cxd5. Qg6 と兵力を集中させてゆく感覚は参考になった。それで黒有利かどうか私の力では判然としないので紹介棋譜にはしないが、最後までグリシュクが攻めきった一局である。
 とはいえ、準決勝の疲労はグリシュクの方が深かったのは確かだ。決勝はそれが明暗を分けたようで、ラジャボフが優勝した。もちろん、疲労をためずにイワンチュクとヤコを連破してきたラジャが立派である。モレリアの被害、他国人を刺激する発言など、昨年は不本意だったが、今年は良い年に。
08/01/20 紹介棋譜3参照
 一月はいつも昨年の物故者から一人を選んでいる。今回は安藤百福(ももふく)を。ちなみに私が好きな袋式のインスタントラーメンは出前一丁である。
 カパブランカとタリというと正反対のように思えるけど、盤上を自分の意志一色で染め上げる点では、どちらもモノローグの棋風である。対して、フィッシャーで私の愛する棋譜は白も黒も目一杯に実力を発揮している。似た棋士にはケレスがいる。二十世紀では彼が一番好きだ。二人の対戦は素晴らしい。話は尽きないが、更新の遅れを早く取り戻そう。
 新年最初の重要な大会はACPの早指し大会である。優勝賞金は4万ドル(約4,300万円)で、参加棋士は十六人。二回戦から棋譜が面白い。図はヤコベンコ対イナルキエフで19...g5まで。白B黒N黒Qのピンがずっと序盤の主題だった。こんな局面で白は、Bを引くかNを切るか、私はなかなか見極めがつかない。ヤコベンコは20.Nxg5から攻めきった。途中、24...cxd4が白Qの侵入を許す敗着のように見えたが、Fritzで調べると、24...c4でも25.Ra3から26.Rg3で白の攻めが続くようである。Nを切っても元が取れるという判断が出来ればいい。本局の場合、このRa3 -g3というラインがヤコには見えたわけだ。
08/01/19 紹介棋譜4・5参照
 人生いろいろ教わって夫婦ともども慕っていた同僚の通夜と告別式が済み、二人して泣くだけ泣いて帰宅すると、フィッシャーまで亡くなっていた。彼の入院を07/11/27にお伝えした時点で、すでに症状が重いとは聞いていた。
 大好きだった二局を久しぶりに並べて偲んだ。これを紹介棋譜に。ラルセンとのマッチの第一局、それからスパスキーとのマッチの第十三局である。変化手順は、前者はSpeelman "Best Chess Games 1970-80" (1982)、後者はEvans "Fischer - Spassky Move by Move" (1973) を参考にした。
08/01/17
 朋(とも)あり遠方より来たる。この「遠」が大事で、「朋」は他人であることを示唆している、逆に言うと、日頃から付き合いのある人間は「朋」たりえない。無茶苦茶な解釈だが、勝手に私はそう読んでいる。それくらい論語は革新的な語法を使ってる、と考えたい。人知らずして慍(いか)らず。周囲に理解者が居ないのは当然だと思えば腹も立たないわけだ。朋を得るのは難しい。
 しかしながら、インターネットのおかげで朋が遠方からちょくちょくやって来る時代になった。さもなくば畏友の存在を知ることは不可能だったろう。また、いろんな方が本欄に感想を寄せてくださる。昔の私は十年以上ずっと一人ぼっちで手持ちのわづかな棋譜を繰り返し並べるだけで喜んでいた。学而時習之、不亦説乎とは古代から二十世紀までの勉強法である。
 18日付「週刊読書人」に若島正が『決定力を鍛える』の書評を書いていていることを、見ず知らずの「朋」が教えてくださった。また楽しからずや。そしてこの書評はあの本を的確に紹介している。要旨だけでもお伝えしたい。
 カスパロフが「人生に勝つ」という発想でしか人生を語れぬ貧しさを指摘したうえで、「そういう欠点を補って余りあるのは、カスパロフがこれまでに戦ったなかで印象的な対局の数々を、プレーヤー本人にしか語れない言葉で語っている部分があるからだ」と述べている。例に挙がるのは、私も07/12/10で触れたトパロフ戦だ。すると結論はこうである、「だから、本書のいちばんいい楽しみ方は、カスパロフが熱い言葉で語っている実戦を、棋譜を並べながら再現してみることだ」。
 明日は更新を休みます。05/02/04に出てくる同僚の通夜にゆきます。
08/01/16
 実家の都合で嫁がしばらく家を出ている。さびしさのあまり瞬時に独身時代にもどってしまい、深夜のチェス観戦と朝五時まで録画映画の鑑賞をした。仕事?この日はよかった、ということにしておく。チェスはヴェイカンゼーの第3R、腹の立つことに全七局ドローだった。映画は「虎鮫島脱獄」「麦の穂をゆらす風」と「ブロンクス・キッズ 夢はチェス盤の向こうに」。
 「ブロンクス・キッズ」(Knights of the South Bronx)は三年前のテレビドラマである。治安が悪く教育の水準も低いブロンクスの小学校が舞台だ。ここに初老の代理教師が赴任して、チェスをきっかけに子供たちとの信頼関係を築いてゆく。成績も上がる。ありえねー、なんて思ってはいけない。実話なのだ。チェスが強い子は奨学金が得られる。モデルになった子のほとんどがそれで大学に行ったそうだ。
08/01/15 紹介棋譜6参照
 ラス前の第10Rでトマシェフスキーは敗れ、三位で大会を終わった。かわって二位に勝ち上がったのがグリシュクである。解説不能のぐちゃぐちゃなチェスを見せてくれた。図で白はどう指せばいいんだ、どっちが優勢なんだ。駒割はRNN対BBPPPである。しかもChess Todayによると、両対局者がこの近辺まで研究済みだったとしてもおかしくないという。実戦は60手でRB対Rの終盤に入り、100手で勝負が着いた。互いに疑問手を出し合ったようだが、これだけハードな一局ならば当然だろう。
 モロゼビッチは面白い手順で引き分けて半点差を守っている。そして、最終日にまた勝って差を1点にし、7勝2敗2分という勝ち数も負け数も異例の成績で優勝した。
 グリシュクのを紹介棋譜に。本欄を五年近く続けてきたが、これで紹介棋譜はちょうど五百局になる。我ながらよくやった、というより実感は、五百局を選ぶために五千局は並べたなあ、である。
08/01/14 紹介棋譜7参照
 ほぼ優勝は決まったものの、第9Rで波瀾があった。モロゼビッチがドレーエフに破れ、トマシェフスキーが勝って、首位との差が半点差に縮まった。黒番のドレーエフは中盤の駒組みで優位に立ち、モロゼビッチに乱暴を許さなかった。全盛期を終えつつあるドレーエフだが、今大会は上位陣に勝ち越し存在感を示した。
 グリシュクも勝って望みをつないでいる。手も足も出ない状況を延々と耐えて、必死に血路を開き、図は遂に勝機をつかんだ瞬間である。苦戦の一因は暗色ビショップが引きこもり、Be7 -f8の二手しか動かなかったことである。しかし、三年寝太郎ならぬ五十手寝太郎がこの正念場で目をさました。51...Bxb4が勝負を決めた。これは取れない。血路を開くあたりからを紹介棋譜に。実戦は52.Rg7+だが52.cxb4ならどうなるかも変化手順に加えた。
 なおドレーエフは昨年に自戦記集を出した。冒頭20数ページが自伝になっており、まだソビエトが存在していた十代の思い出話があった。海外遠征を申請すると必ず「書類が整いませんでした」と言われ、いつも別の選手が代役として送られた。誰かが彼を危険人物として密告したらしい。真相は未だにわからない。何かの会話の折に、コルチノイを良く言ったのを聞かれたからか。そんなことで抑圧されかねない時代だったのだ。
08/01/13 紹介棋譜8参照
 モロゼビッチ対グリシュクはスラヴの交換定跡になった。これは引き分けになりやすい。03/06/13に書いた欧州選手権を思い出す。あの時も半点差を追う黒番のグリシュクはこの定跡を見せられ、無理をして負けたのである。今回も同じ経過と結果をたどった。モロゼビッチは五連勝。そして、次のスヴィドラー戦にまで勝ってしまうのである。六連勝は過去十年で記憶に無いぜ、とか思った。念のため調べたら、いやはや、王様は1999年のヴェイカンゼーで七連勝をかましてた。
 図からスヴィドラーが28.Be3に引いたところがクライマックスである。黒Bxe3なら白Rxg6+が決まる。このルックを取れば黒Qh8#だ。しかし、この大技を見て見ぬふりをして、モロゼビッチは逆襲した。28...Rxc3. 29.bxc3でb筋をこじあけ、29...Qb5+, 30.Kc2に30...Nd4+である。白cxd4なら黒Rc7+以下詰んでしまうのだ。で、31.Bxd4. exd4と進んだとき、g5のBがb5のQに守られているのがニクイ。Chess Today によると、ここで敗着32.c4が出た。32.Rg2ならドローだったとのこと。そのあたりの変化手順も含めて紹介棋譜に。
 これでモロゼビッチは二位トマシェフスキーに1点半の大差をつけて独走である。
08/01/12
 モロゼビッチは第5Rも勝った。棋譜に貫禄が漂い始めている。そして第6Rも完勝し、四連勝でついに単独首位だ。最初の二戦は助走のための後ずさりだったわけか。グリシュクだけがまだ一敗もしておらず、半点差の二位に着けている。やっと優勝争いの焦点が定まった。次が直接対決である。
 さして感動するほどの棋譜も無かったので、今月みた映画でも。神戸シネカノンで山村浩二を見てきた。嫁も私もショヴォーの絵本『年をとった鰐』が大好きである。これが動くというのだから興奮した。二人で手をつないで歩く時は、方向と速度に関するすべてを嫁が先頭に立って決定する。仲むつまじいというよりは、犬を病院に引きずってゆくような図になる。この日は嫁の期待が最高度に達しており、私は見事に蹴つまづいて膝を痛めてしまったほどだ。しかし、まったく期待を裏切らないアニメであった。
 『鰐』自体は三年前の作品であり、今回は昨年のオタワ国際アニメーション映画祭でグランプリに輝いた『カフカ 田舎医者』の御披露目が主な上映である。それに併せて彼の短編も見せる企画だった。私は『子どもの形而上学』(2007)というのが気に入った。ひとりぼっちで泣きながら自分の涙を糧にしてたたずむ女の子が忘れられない。
08/01/11 紹介棋譜9参照
 第2Rもロシア選手権は荒れ模様で、モロゼビッチがビチューゴフに破れた。第3Rでやっと初勝利。他のみんなも勝ったり負けたりである。第3Rの時点で1勝1敗1分が6人もいた。モロゼビッチは第4Rでも勝ったが、あまり強さを感じさせない。それでも五人の首位群に加わっている。
 第4Rのティモフェーエフ対ビチューゴフを紹介棋譜に。図は17.Bh3まで。変哲の無い局面に見えるが、ビチューゴフは、極めて鋭い長手順の猛攻撃が可能なことを読み切った。まづ、17...Nf4からBNを交換する。これで黒ポーンがf4に進んで、g3の白ナイトとの追い合いになる、つまり、19.Nge2. f3, 20.Nd4だ。はて、f3ポーンは助かりそうにない。だが、二十歳の若者は、この敵中に孤立したポーンを攻撃の拠点として救出すべく、強烈な捨て駒を連発して優勢を確立するのだ。
 f3ポーンを掃った30.Nxf3が、たぶん負けを早めた。43手から後は私の目にもダラダラしており、ティモフェーエフは投げるべきだった。応援してきた棋士だけれど、最近はあまり見所が無い。今大会も最下位で終わった。
08/01/10 紹介棋譜10参照
 ロシア選手権は千秋楽まで全66局あるうち36局で勝負が着くという大会になった。初日から荒れた。07/10/03で「見慣れぬ中堅」と書いたライチャゴフ(Rychagov)が黒番でスヴィドラーを破ってしまったのである。スヴィドラーは調子を戻せず、2勝3敗6分の九位に終わった。
 最初の紹介棋譜はヤコベンコ対モロゼビッチだ。06/01/01や07/01/09で述べた、モロゼビッチにとって変に勝ちにくい因縁がついてしまった取組みである。私のようなフランス防御の応援者でないとわかりづらいだろうけれど、古典定跡シュタイニッツ型から図になったのが興味深い。黒Qがc7でなくe7に居るではないか。11...Qe7からずっと興味津々で棋譜を進めるうち、モロ様はabふたつのポーンをぐんぐん伸ばした。そして、図の局面にいたるのだが、ここから22...b3, 23.a3 として、以下、23...Bxa3, 24.bxa3. Qxa3 という猛攻に出たのである。そのためのQe7だったわけだ。
 しかし、やんぬるかな。勝勢を築いておきながら、またもやモロゼビッチはヤコベンコに勝ち損なってしまう。フランス防御の歴史に残るはずだった名局が、37...Qf2から泥試合になってゆき、見所の少ない69手のドローで終わるのだ。正着37...Qf7+を変化手順に加えておく。
08/01/09
 畏友が正月の新聞をいろいろ教えてくれた。「産経は佐藤康光と梅田望夫の長い対談を、朝日は森内俊之と張栩の対談を、世田谷区報の新年号は島朗・羽生善治・区長の座談を掲載」。
 産経のはネットで読める。次の梅田発言は私の持論と全く同じであった、「棋譜の芸術性を伝えるのは大切だと思います。将棋界というのはこれまで、将棋を普及させようというときに、将棋を強くするという視点でしか取り組んでこなかったと思っています」。誰でも言えることだけに、こんな声がもっと増えてゆくことを望む。
 問題は、佐藤が梅田の言葉に全く反応できてないことである。強い棋士が芸術性を語れるとは限らないのだ。仮に私の願望が実現したとしても、政治家並みの美意識を見せつけられて棋士に失望するのがオチかもしれない。実際、棋士が語る文学、音楽、サッカー、ほとんどどれもお話にならない。詰将棋の解説と同じで、われわれが頑張るべき分野だろう。ちなみに、梅田は芸術性を、「局面の均衡が続き、その裏には“1億3手”づつの読みがある。どちらかがばたりと勝ってしまうことがない均衡が美しく続いていく棋譜の魅力はすごいもの」と説明している。
 私の読んでいる読売では米長邦雄の自伝が始まった。「兄たちは頭が悪いから東大へ行ったが、自分は将棋指しになった」という言葉は有名だ。畏友がこれを気にしていて、「最初は知力だけではなく、お金のニュアンスもあったんじゃなかったか。将棋指しは東大出より儲かる、っていう文脈で語られたような」。私の記憶でもそうだ。自伝では、この迷言は芹沢博文が吐いたと説明されている。本当かな。
08/01/08
 エイヴェ来日の感想を検索名人Kさんがメールしてくれた。あの記事を補足しておくと、06/09/13に書いたことだが、将棋連盟はチェスの普及を規約に謳っていたことがある。さて、Kさんがメールついでに教えてくださった話がある、「真偽については不明ですが」、カルポフとカスパロフは囲碁が打てる、十級ほどらしい、また、フィッシャーは日本で囲碁を覚えて、三段ほどだとか。FICGS (Free Internet Correspondence Games Server) のForum にある話だ。誰がフィッシャーに教えたか。Kさんも私も、それを想像するのはあんまり楽しくないらしい。
 先月18日に終わった大会の話をようやく終えたが、昨年末の大会はまだある。まづ、トーレ記念は、決勝でハリクリシュナを破ったイワンチュクが今年も優勝した。参加者16人の顔ぶれを見れば順当な結果で、棋譜もそんな感じだが、反面、やや取りこぼしが目だった。あと、パンプローナは2勝0敗5分でヴァレーホの優勝である。前回よりも強豪は少なめだった。王ゲツが二位三位である。スルタン・カーン、カムスキーに続く不思議アジア流の継承者になれるか。ついでに、一昨日に終わったレッジョ・エミリアもお伝えしておこう。3勝0敗6分でアルマーシが優勝した。ここでも中国の倪華(Ni Hua)が二位四位に入っている。
 それらより、30日に終わったロシア選手権の棋譜を並べたい。モロゼビッチ、スヴィドラー、グリシュクなど12人が集まった。女子大会も同時に開催され、四人が同点首位で終ったが、判定タイブレークでコシンツェバ(タチアナ、妹)の優勝に決まった。
08/01/07 紹介棋譜参11照
 優勝賞金1200万ドル(約1300万円)を獲得したのはカムスキーだった。勝負が着いた一局も彼らしい受け将棋である。シロフを相手に白番で図のような局面を構想する棋士はそう居るまい。この後、abc三筋のポーンをすべて取られてしまう。でも局面はこのずっと前から白の優勢なのだという。
 1996年にFIDEの選手権決勝でカルポフに破れて傷つき、2004年に復帰するまで引退していた人である。精神面での弱さが克服されたのかどうかわからない。来年はトパロフと戦うことになる。それはダナイロフとの戦いでもある。大会運営が公平とは限らないのは歴史的な現実だ。ガタ、頑張らねばな。
 アナンドとクラムニクは十月にボンで戦うことが決まった。150万ユーロ(約2億4千万円)を均等に分け合う話になっている。アナンドの防衛戦だが、十二戦しても同点の場合は延長タイブレークを行う模様だ。いろいろな交渉があったろうが、対局地も含め諸条件はクラムニクが得した感じである。
08/01/06 紹介棋譜12参照
 カムスキーはスヴィドラーとポノマリョフを連破した。ブランクが長すぎて流行定跡に対応できず、序盤が古くさい。棋風は相変わらずぬるーい。これでよくまあ勝てるもんだ。スヴィドラーを破った時はスペイン定跡の黒番でa6型シュタイニッツ防御だった。
 準決勝の相手はカールセンである。カムスキーは白番でペトロフ防御に対し3.d4から5.dxe5と取った。主流定跡をまた避けたな、と私は思ったが、実は昨年から流行りだしている手らしい。これくらい新しいとむしろ彼には有難い道理である。
 敵味方のルックをめぐって、カムスキーの構想に見所の多い一局になった。私なら白ルックを漫然とd筋e筋に並べてしまうところで、カムスキーはe筋に積み上げた。図まで進行すれば、その方がずっと良いのがわかる。そして、ここで23.g4なんて思いつく人なのだ。カールセンは23...Rd8、時間切迫で指したというが、以下の手順を知りながらも避けられなかったのかもしれない、24.Nf4. Rh6, 25.g5 である。ルックの逃げ場が無い。
 Chess Today によれば、23.Nxc7がもっと簡単だという。しかし、ゆっくり決めるのがカムスキーだ。最後も悠長だった。c4のルックをh筋に展開させ、さらにもう一本のルックまで重ねようとした。もういいよ、ということでカールセンは投了である。
08/01/05 紹介棋譜13参照
 昨年からマーシャルを始めたヤコベンコは準々決勝シロフ戦でも採用した。シロフはPd3型の脇道定跡で対応した。王道Pd4型との違いは07/08/26と比較するとわかりやすい。白Re4を黒Bf5で狙われても、Pd3型ならRが守られているわけだ。シロフの選択は成功だった。この型の準備が足りないのか、ヤコのマーシャルに冴えが無く、駒損が広がるばかりで、彼本来の力を発揮できぬまま敗退という次第になった。
 これを見て「僕ならば」とカリャーキンは思ったようだ。準決勝でシロフに対してマーシャルを使った。彼のマーシャルを見るのは初めてだ。シロフは再びPd3型である。連採はこの戦法が思いつきでないことをうかがわせる。結果はまたまた黒の駒損が広がるばかりだった。かくて意外なことに、シロフが決勝に進出することになった。
 ここまでのシロフから、オニシュク戦を紹介棋譜に選んでおこう。本局に限らず今大会のシロフはポーンが前へ前へ出て、勢いがある。
08/01/04
 正月は五段の伯父と将棋を指して過ごし、チェスを忘れてた。W杯の記事は明日からということにして、気楽に書かせていただこう。最盛期で二段くらいであろう私が、伯父に結構勝てたのである。苦節三十余年というところか。無論私はとっくに将棋から引退している身だ。
 プロブレムが対局チェスの棋力向上に役立った、という話は04/09/24に書いた。そして、チェスは将棋の棋力向上に役立つ。私のレベルでの出来事ではあるが、伯父と指しながら、自分の好手や構想にチェスの感覚が活きてるのを感じていた。柔道家がレスリングも遊んでみるような、異種競技の体験は芸を活性化させるのではなかろうか。
 そんな意味でも、エイヴェと加藤の懇談で出た、チェスと将棋の交換教授という話は興味深かった。実現しなかったに違いない。日本では誰が邪魔をしたんだろうかな、そんな暗い想像を楽しむ程度のネタにするしかないのが残念だ。
08/01/01
 あけましておめでとうございます。今年最初の更新は畏友にもらった新聞記事を御紹介いたしましょう。フィッシャーの栄光が輝いた1972年のこと、第五代世界チャンピオンにして当時の国際チェス連盟会長エイヴェが来日して、加藤一二三と語り合ったという。朝日新聞3月17日。新年にふさわしい景気のいい話です。
07/12/30 紹介棋譜14参照
 今年最後の対局相手にWindows Vista 付属のChess Titans を選んだ。もちろん最強レベルで、私は「待ったしません」をカイシャに誓う。黒番で始めた。機械と戦うコツは、技が決まりそうでも我慢して、じわじわと形を良くすることだ。ただし、踏み込む勝負どころを常に意識すべし。要するに、定跡の記憶量、好手のひらめき、正確な読みよりも、私の陣形理解と勝負勘が頼りである。今回はこの理想的な展開になり、気持ちよく年を越せることになった。04/04/10にギコチェスとの棋譜を載せたことがあった。07/10/29では大ポカを披露させてもらった。それらで私の棋力を判定されても困るので、これを紹介棋譜に残しておこう。実際は42手のメイトで終えてるが、勝負が着いた23手までを。
07/12/29 紹介棋譜15参照
 初戦を落として一回戦のアレクセーエフは苦戦したが、相手のフランス定跡をあっさり破って逆転した。警戒したのか、四回戦のバレーエフはフレンチを封印してカロカンで彼に対した。私はそれが不満だ。勝ち上がったのはアレクセーエフだった。彼と準々決勝で当ったのがカリャーキンである。
 結果はカリャーキンの勝ち。図は彼の白番、一見25.Qf6でQxe7とQg7#を狙えば黒投了である。しかし、黒にうまい返し技がある。それを消すには黒Qxe5が不可能になる図を作らねばならない。無論、反撃も許してはならない。早指し戦だったが、カリャーキンは以上を読みきって25.Nd5に捨て26.Bxc4で黒Qをどかし、27.Qf6を実現させ必死へ追い込んだ。序盤もしっかりしており、油断もスキも無い完成されたタイプの棋士になってゆくようである。紹介棋譜に。上記の返し技も変化手順に入れた。
 一方、メリハリの利いた長所と弱点が魅力のカールセンもチェパリノフを下してベスト4進出である。若さが気になるものの、この二人の勢いが決勝まで続いても不思議は無い、と私は思った。
07/12/28
 「なあなあ」と嫁が言うには「年賀状つくろ」。私はここ数年そんなもの知らない。でもそう答えたら、室温は一気に下がる。だが私はあの本を読んで決定力を鍛えた男だ。「いいよ」と答えた。306ページに、「我慢できるうちは負けろ」とある。「ならな」と嫁、「あたしにコンピュータ買って」。論理性をサクリファイスして一気に主導権を握る作戦だ。そしてたたみかけてくる、「プリンタも買おな」。250ページには、「いったん主導権を握ったら、つねにそれを活かして増大させなければならない」とあった。君も読んでいたのか。これはリザインせざるをえない。
 かくて嫁が手に入れた機械は、四年前に買った私のよりも小さくて安いのに、圧倒的に性能が良かった。Vistaだからチェスが入ってる。どれどれ、低いレベルで肩慣らししてから、最強のレベル10を試してみた。スラブのa6型を指すではないか。対局を楽しむだけの人なら、他のソフトは不要だろう。苦戦したが終盤で逆転勝ち。ギリギリで私の方が強いと思う。
07/12/27 紹介棋譜16参照
 番狂わせと言うつもりは無い。アロニアンがヤコベンコに破れた。07/09/16で軽く触れた無理矢理マーシャルを使ったのである。私はこの戦法には冷淡でいたい。P損が残ってしまえば、ヤコベンコの終盤術から逃れることが出来ないのは自然の成り行きに見えた。
 他に四回戦の棋譜では、前にも触れたニシピアヌ対カリャーキンが印象に残る。図は27.Qc5まで。黒はP得だし、私ならひとまづ27...Qxc5だろう。ただそれではきっと勝てない。黒はBもRも働きが悪そうだ。さて、カリャーキンが指したのは27...Kg7からKh6だった。はるかh2ポーンを見ていたのである。37.Kh3を見てニシは投了。色違いBなんて関係の無い終盤だった。これを紹介棋譜に。
 なお、マチェイヤはサシキランに負け、サシはこの四回戦でポノマリョフに破れた。これでベスト8が決まったが、まだ私は決勝に残った二人の名さえ話していない。
07/12/25 紹介棋譜17参照
 カールセンの弱点を何度も私は指摘してきた。四回戦のアダムズは第一局で意識的にそこを突いたと思う。黒番にも関わらず積極的にポーンを捨て、少年に主導権を渡すまいとしたのである。けれどマグヌスは落ち着いた駒繰りでそれをしのぎ、最後はBB対NNの終盤で、Bの行動範囲の優位を活かし、77手の勝利を挙げた。
 それ以上にマグヌスの成長を感じさせたのが第二局のドローだ。07/11/08と07/11/11で私が注目したスペイン定跡チゴリン型の10...d5を採用してくれたこともあり、これを紹介棋譜にしよう。残念ながら、アダムズの方が序盤対策は上だった。ポーン損でカールセンは苦しい終盤を戦うことになる。いつもの彼なら、手も足も出ないか、一発逆転を狙って無理な反撃を試みて負けを早めるところだった。けれど、この日は耐える終盤を見せてくれたのだ。アダムズの逸機にも救われ、最後は技を決めて83手の貴重な半点を獲得した。
 10...d5は流行っている。Chess Tody配布のデータベースで、今年は黒の4勝2敗2分だから、勝率もすごい。すこし語っておこう。図で11.Nxe5や11.d3、11.d4が試されているが、アダムズが採ったのは自然な11.exd5. e4 だった。当初は12.Ng5が推奨されていたが、ここもあっさり12.Bxe4で、研究と自信を感じさせた。流行当初は、13...Bb7から14...Bxd5、そして15...Bd6で、黒ビショップの展望が良くなる、という評価だったのである。ただし、カールセンは14...Re8を選んだ。
07/12/24 紹介棋譜18参照
 カスパロフが二度目の拘束を蒙った話は07/11/26に伝えた。いま私は一月遅れでChess Base サイトのニュースを追ってるわけだが、先月29日の段階で、彼は釈放されていたようである。拘束中にカルポフが面会に来たという。しょんぼりしたカスパロフを見て楽しむつもりだったのか。冗談々々。ただし、許可されなかったらしい。とにかく、プーチン政権下でこんな行動が危険であることは、カルポフほどのビジネスマンなら充分承知していたろう。『決定力を鍛える』でも触れたが、戦い抜いた二人だけの世界がある。フィッシャーが拘束された時のスパスキーを思い出した(04/08/12参照)。
 マメデャロフを破って意気あがるチェパリノフが四回戦で王ゲツを降した。図で黒番なら私だってどーんとBxa3だ。BもRも捨て、嫁の尊敬を勝ちとるだろう。ところがいまは白番で、本譜は26.g3だった。それでもチェパリノフは26...Bxa3といったのである。以下、攻めまくって昇格Qを作る機会をつかんだ。が、そうしては白に連続王手を与えてしまう。引き分けか、と思わせたその時、チェパリノフはNへの昇格を選んで攻めの継続をはかり、あとはじわじわ駒得を大きくして勝った。今大会随一の名局だろう、紹介棋譜に。
07/12/22 紹介棋譜19参照
 三回戦は同国人同士の組み合わせが興味深かった。バレーエフがグリシュクに勝ち、スヴィドラーがルブレフスキーに勝ち、王ゲツ(ヘン「王」ツクリ「月」、Wan Yue)がト祥志に勝った。いづれも勝者が順当に勝ったという指しっぷりであった。バレーエフのフランス定跡などまことに堂に入ったものだ。鑑賞してるうちに、四回戦に進むよりも、このしぶい一局を御紹介したくなってしまった。
 図は15.Rh3まで。この型の黒はNb8 -c6で陣容を立て直すか、Pa6で白Nb5 -d6の侵入を防ぐのが常道である。けれど、図の14.h4から15.Rh3の構想がなかなかで、たとえば、プサキスのフレンチ大全で調べると15...a6は16.Rc3で白やや良しなのだ。
 バレーエフは15...Nb6、そして16...Bd7と指した。プロの意見を聞けないのだが、上記の侵入はBc6とNc4で退治できる、ということだろう。白Rc3 -c7には黒Rab8からRhc8で対応するのではないか。
 グリシュクはこのNb6を攻撃目標にして16.a4から17.a5、さらには18.b3から19.b4まで追い回した。しかし、黒は逃げ切ってしまえば、もうこわい所が無い。本譜は78手で引き分けたが、私の目には20手あたりでドロー確定だった。
07/12/21 紹介棋譜20参照
 私の予想は、ポノマリョフ、アロニアン、ラジャボフ、カールセンの順に優勝の可能性があり。
 三回戦にもなると興味深い組み合わせが増えてくるが、まだ16組もあって並べきれない。一番の事件はイワンチュクの敗退だろう。相手はどうも苦手なニシピアヌだった。こんな組み合わせになってしまうあたりにも、チュッキーの王座戦予選における年来の不運を感じてしまう。
 第二局を紹介棋譜に。図は10.f4まで。もし10.f3なら御存知イギリス攻撃だが、10.f4を最近ちらほら見かける。考え方は、白f5で黒Bc4に追い、白g4で黒Nxg4と取らせ、白Rg1から敵K翼に圧力を掛ける。本局はナイトを捨ててg7地点を突破する強攻が決まった。紹介棋譜に。
 いつもこうなら流行るだろうが、そうはいかなかった。ニシピアヌは四回戦のカリャーキンにもこの手を使ったが、攻め急いで破れ去った。
07/12/20
 これからの王座戦のシステムは07/06/25に書いた。要するに今回のW杯の優勝者はトパロフとの対戦権を得る。あんな奴と差し向かいになる権利は要らんわ、ということでモロゼビッチは不参加である。メキシコ大会で戦ったゲルファンドとレコの顔も無い。それでも128人が集まった。
 一回戦の棋譜はとても並べきれない。小さな番狂わせがいくつかあって、サトフスキーが周健超(Zhou Jianchao)に破れた。周は二回戦ではヴォロキチンまで破って見せ、まぐれではないことを示した。1988年生まれ。ベルリン防御を得意としているが、といって、穏健派というわけでもない。ヴォロキチンとの第四局、図で16.Bxc6と指すような人だ。結果は引き分けだった。ただし、周のベルリンも三回戦のアダムズには通じなかった。完璧に押さえ込まれてしまったのである。
 なお、二回戦ではラジャボフがマチェイヤに破れる大番狂わせがあった。今年になって連採しているシュリーマン防御で失敗したのである。相手に読まれていたのではなかろうか。
07/12/18
 半月も『決定力を鍛える』に熱中してるうちに、ハンティマンシスクのワールドカップが終わってしまいました。棋譜も全然調べてません。今日は十二月のムダ話でもしておきます。この一年で一番気に入った本を。昨年の今頃出た谷川俊太郎『詩人の墓』でしょう。クレーを思わせる太田大八の絵も美しい。

戎棋夷説