紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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SochiはAronian, Tal Memorial はIvanchuk, BilbaoはTopalovの優勝。Marshall Attack 研究。

08/09/16
 最終日のトパロフに対するイワンチュクは黒番でも積極的だった。ややこしい応酬に持ち込んだが、白ポーンの中央突破を許し、d7地点まで突っ込まれて防戦不能に陥った。トパロフは4勝1敗5分の圧倒的な優勝を果たした。
 アロニアンも積極的に戦ったが黒番のラジャボフに敗れた。これで彼とカールセンが3勝3敗4分で並んだ。また、ようやく一勝を挙げたラジャのおかげで、0勝2敗8分のアナンドが単独最下位である。ドルトムントのクラムニク同様、マッチ前の肩慣らしのつもりだったか。
 最高級の大会の優勝賞金が高額であることについて、これは最近の良い傾向である、とChess Today が論評している。昔なら、カスパロフを呼ぶだけで5万ドル、その他の選手でも1万から2万ドルは掛かったから、優勝者には7千ドルしか出せないなんてざまだった、という。今大会は最終日になっても選手が積極的だった一因がここにあろう。紹介棋譜に採用できる好局はわづかだったけど、良い大会だった。
08/09/15
 第9Rはぜんぶドローだった。1勝3点の計算のおかげで、翌日の最終日はまだ四人が優勝の可能性を残している。このシステムは成功だ。
 ムダ話でも。今月はまだ映画を見てないので古美術を。大阪の東洋陶器美術館は、木葉天目や油滴天目の絶品のほか景徳鎮やら韓国青磁やらも素晴らしく、常設展示が飽きない。ファミリーマートや無印良品の社長会長を務めた沖正一郎が、ここに鼻煙壺のコレクションを千点ほど寄贈した。その全品展示が催されている。鼻煙壺とは清代に流行した、かぎたばこの携帯容器のこと。7センチほどの小瓶だ。最高の技術を小宇宙に封じ込める魅力は、日本の根付よりも豊かだと思った。
08/09/14
 第8Rは三局とも勝負が着いた。トパロフ対カールセンは例のドラゴンだった。カールセンは手損を重ねる消極的な作戦で、らしくない。連敗である。これでトパロフが単独首位に立った。アロニアンが調子を出さないアナンドを破って単独二位に上がっている。イワンチュク対ラジャボフは面白い駒の斬り違いを作ってくれたが、タイムトラブルで形勢が決まった観が残念だ。白勝ち。今大会はフィッシャー式の時間増加が無く、最初の40手に90分、その後は60分だけという設定である。
08/09/13
 さっき読み終わった吉田健一『絵空ごと』のセリフに、「明治村っていうのが出来ているそうじゃないか。アメリカの金持ちがやることだよ。いくら立派な建物をそのまま移したってそんなさらしものにする位なら壊しちゃった方がいいよ」とあった。壊すのも忍びないが、子供の頃の私にも、あるべき場所から引き剥がされた建物が可哀相に映ったことを思い出した。開村から四十年以上もたった今では、そんな意見も減ったことだろう。
 「誕生日をしよう」と嫁が言う。とっくに過ぎた私の日を気にしてたらしい。「昔の帝国ホテルを見たい」と念願を漏らしたところ、すぐに予定が組まれ翌日に出発と相成り、昨日の更新ができなくなった次第である。もちろん、帝国ホテルとは明治村に移築されている中央玄関部分だ。
 ある記録映画では帝国ホテルを「手仕事で作られた二十世紀最後の建物」と呼んでいた。現物を見てわかった。壁や柱に味がある。ついニオイをかぐような姿勢で凝視してると、説明員が寄ってきた。私が見惚れているのは建設当時そのままの手づくりレンガで、「こっちが」と指をさして言うには「現代の技術で修復した機械製のレンガです」。その差は一目瞭然だった。一説にライトは機械製を望んでいたというが、たわごとだろう。
 ほかにも素晴らしい建物がいっぱいあって、六時間も歩き回ったものの、六十余件すべては見切れなかった。そんなメールを畏友に送ったら、旧帝国ホテルについて、「ロビーも残ってるとしたら、アリョーヒンはそこで木村義雄と指したわけです」。あ、そうだったよ。もっと写真を撮っておけばよかった。ここに招くとは、建築もさることながら、一流選手を迎える姿勢も立派だったわけだ。
 こないだ、カールセンの白番Q翼ギャンビットに私は不安をもった。イワンチュクもそこが狙いどころと思ったか、黒番の第7Rでこの定跡を仕向けてきた。結果は黒の勝ち。好局と見る向きもあるが、私の目には不安的中の惨敗である。ただし、アロニアン対トパロフで白が勝ったので、一位マグヌス、二位ヴェセリンに変りは無かった。
08/09/11 紹介棋譜1参照
 カールセンの新手は安易なのが多くて好感を持ちにくかったが、第6Rは新手賞ものだった。図はメキシコシティ王座大会のゲルファンド対クラムニクで、当時の新手14...a5 が出たところ。以下、15.Qa4 に15...Bb4 から黒Nf6 -d5 -b6 の手順が巧みで、白の攻めが止まってしまった。これをマグヌスが書き換える。
 それは15.d5 だった。一気に白駒の進路が晴れ晴れとする気分だ。黒はこのポーンの取り方が四通りもあるが、どれもぱっとしないらしい。Fritz で調べると、キャスリングしてない黒陣が弱くて強襲が怖い。一例だけ変化手順に含めた。
 アロニアンは15...Nxd5 からすぐ16...Nf6 に引いて、K翼を補強する堅実な手順を選んだ。カールセンはゲルファンドと同じQa4 の筋を採用する。新手の効果は明白だ。敵陣を突破できた。それで勝勢になったわけではないが、このまま勝ち切ったのは自然な流れと言えよう。
 かくて3勝1敗2分の単独首位である。従来の計算法なら2勝0敗4分のトパロフと同点だが、今回はそうはいかない。
08/09/10
 もし私が日本将棋連盟の棋士で、弟子の奨励会員が、「ぼくは勝負どころで冷静な判断力を維持したいからといって、薬を使って心拍数を落としたり血圧を下げたりしたことはありません」と言い張ったら、たとえ厳密なドーピング検査の結果が服薬を証明しようと、弟子を信じるだろう。だから、こういった問題を師弟関係の枠外で扱う機関が必要なのである。日本相撲協会はこうした備えを怠っていた。協会理事長の発言は社会を唖然とさせたが、連盟会長も、「将棋はスポーツではないから、ドーピング違反はありえない」とか言いそうな気がする。私は、危ない薬を飲む奨励会員が居たとしても驚かない。
08/09/09
 第5Rは三局とも引き分け。アナンド対カールセンはシュリーマン防御だった。マーシャルとベルリンのほか、シュリーマンまで優秀防御になってるのか。やはりルイロペスは白が勝ちにくくなってる。Fritz 11 付属のデータでレイティング2600以上同士の対局を調べた。2001年から04年までは勝率は59%で、2005年から07年までは57%だった。Chess Today 配布のデータで今年を調べると55%と出た。
 前ラウンドのアロニアン対イワンチュクに触れておきたい。図で私が白ならc筋を黒に取られているのが気になる。だから45.Rc1 でそれを消しにいくだろう。
 が、アロニアンはRをf筋に配備した。そしてPをf5 まで突く。黒はこれを取れないだろう。で、白fxg6 黒fxg6 の形になる。そしたら白Rf6 が強烈だ。黒陣はb6 とg6 のポーンから崩れていくに違いない。実際そうだった。
 でもc筋はどうするの?アロニアンはh2 のKをd2 に配備することで解決した。だから図で次の一手は45.Kg2 である。
08/09/08 紹介棋譜2,3,4参照
 第4Rは三局とも白が勝った。すべて紹介棋譜に。トパロフ対アナンドは7.d5 を突き捨てるQ翼インディアンになった。2006年ヴァレーホ対マチェイヤが流行のきっかけだから、ヴァレーホギャンビットと呼んでおこう。本局は新手12.Bg5 が出た。これを見つけたのもヴァレーホだそうだ。アナンドはたった25手で投了。長い持時間で彼が30手以内で負けるのは2001年以来だ。カールセン対ラジャボフは、カールセンがドラゴンを受ける立場になった。ただし、10...Rb8 のChinese Dragon である。トップレベルの大会に初めて現れた。私は名の由来を知らない。発想が露骨で、攻め駒もつっかえる、筋の悪い戦法に見えたけれど、中盤は黒を持ちたい棋勢だったらしい。カールセンは強引に敵王頭を破り逆転させた。
08/09/07
 第3Rはカールセン対トパロフがクィーンズギャンビット・オーソドックス型の懐かしいタルタコヴァー定跡になった。チェスに興味を持ち始めた二十年ほど昔の私はよく勉強したものだ。なぜ黒b6 の前に黒h6 が必要なのか、そして、黒Nbd7 が無い点を白はどう突けば黒b6 を悪形に変えられるか、そんなことをポリュガエフスキーの名著やカスパロフ対カルポフの棋譜で学んだ。
 勝敗ですが、カールセンの惨敗でした。ポジショナルな戦形は向いてないのかな。次のオーソドックス型が気になります。
08/09/06
 第2Rはすべて引き分け。千日手や連続王手で作ったように終わる。ソフィアルールも慣れられたか。序盤がどれも興味深いが省く。激しかったのはイワンチュク対カールセンだった。カールセン式ドラゴンである。最近では08/08/24 のカリャーキン対ラジャボフ12手までの駒組みがそうだ。黒Rxc3 の呼吸さえつかめばとってもシンプル。
 あまり書くことも無い日だから、また変化朝顔の話でも。畏友からもらった種は四粒で、こんど咲いたのは朝顔と杜若の中間の雰囲気だった。
08/09/05
 さて初日。アナンド対イワンチュクはマーシャル本定跡の17...Re6 になった。07/05/07 で書いたクラムニクの19.f3 が使われた。つまり18.a4 を省いて18.Qf1. Qh5 だ。イワンチュクは19...Rf6 で応じ、実にあっさりと互角にしてしまった。むしろいくらか黒が有利だった。アナンドとのマッチでクラムニクがマーシャルを使う可能性もある、と私は踏んでいるので気になる。
 アロニアン対カールセンはすんなりと黒の勝ち。昨年の死闘がウソのようだ。どうして急に強くなったの、という質問に「自分でもよくわからない」と答えたインタヴューが前にあった。いつから強くなったか、は私でもわかる。あの死闘に敗れてからだ。
08/09/04
 ヴェイク・アーン・ゼー、リナレス/モレリア、ソフィアの関係者が集まってグランドスラムを組む相談をした、と06/05/26 に書いた。後にビルバオも加わったこの話が、今年やっと実現した。ビルバオをいわばハルマゲドンとし、各大会の優勝者を集め、パーッと最終決戦をやろうじゃないか、という豪勢な話である。世界の終りがこんななら毎年つづいてほしいな。
 優勝賞金は15万ユーロ(約2400万円)である。ソフィアルールが適応されるほか、昨年と同様、勝利3点、ドロー1点、負け0点で計算される。ただ、去年と今年のビルバオでは大会の重みが違う。キルサンがこの計算方法を提案したことは03/06/16 に書いた。ドボレツキーの反論は03/07/01 に。彼は後のソフィアルールを3点制の対案として提出してるのが面白い。私はどちらにも懐疑的だったが、両者を併用したらどうなるか、は見てみたい。
 参戦者は各大会の優勝者だけでなく、招待選手も加わり、アナンド、イワンチュク、カールセン、アロニアン、ラジャボフ、トパロフ。六人ということなら、現時点ではこれが最高の人選だ。
08/09/02 紹介棋譜5参照
 ラス前第8Rで優勝はほぼ決まった。黒番のイワンチュクは引き分けて白番のモロゼビッチが敗れたのである。二位四人と首位との差は1点に広がった。最終日はほとんどが短手数で終り、全局ドロー、かくて3勝0敗6分でイワンチュクが優勝し、3万ドル(約330万円)を獲得した。なお、引き続き行われたブリッツ部門でも優勝し、2万5千ドル(約270万円)を獲得した。
 第8Rの引き分けは大きかった。相手はポノマリョフだった。そして大苦戦だったのである。図が勝負どころだ。59...f5 に対するポノの60.Kd4 をうまいと思った。60...fxg4, 61.Re3 である。黒ビショプが助からない。61...gxf3, 62.Rxe6+ だ。けれど、駒損が広がってもいいからポーン数を減らそう、というイワンチュクの決断は正しかった。67手目に総駒数が六個になったので、調べてみるとドロー局面である。ただ、68手から71手目まで絶対手を続けねばならず、きわどい手順だった。
 ポカで勝負が決まることの多かったソチに比べ、モスクワはレベルが高かった。
08/09/01 紹介棋譜6,7参照
 昨譜を並べればモロゼビッチの優勝を信じたくなるが、半点差で追っているのがイワンチュクである。第7Rに直接対決が組まれており、こうした勝負どころはチュッキーが強そうである。対戦成績も持時間が長ければ7勝1敗2分の大差だ。結果はやはりイワンチュクが勝って首位が入れ替わった。Chess Base の報告が面白かった。30手の段階で残り20秒という危機をイワンチュクが乗り切ったそうだ。
 目立たぬ対戦ながらアレクセーエフ対マメデャロフが印象に残った。敵陣の傷をいじって荒らしてから、急がず要所を押さえて相手の駒を閑地に追い、そうしておいて、また傷口に目をやり、ビショップを突っ込んで肉をえぐり取る。アレクセーエフらしい遅攻の妙技である。
08/08/31 紹介棋譜8参照
 昨日の言い残しを。17...f5 が亡びたと言っても、これを理解しておかないと、17...Re6 を指せないことが読み取れると思う。正着だけの簡便な定跡書が役に立たぬ好例である。では、17...f5 の構想とは何かというと、いやもうやめときます。
 第6Rも面白かった。一局選ぶならモロゼビッチ対ポノマリョフを。紹介棋譜に。7手目にして新手7.c6 が出た。7...bxc6 ならビショップの働きが悪くなりそうだが、本譜の7...dxc6 は黒d5 の反撃権を放棄することになった。従来はこの突き捨ての無い状態で白a3から黒Nxc5 になっていた。文句無しに本局の方が白は得をしている。
 図は11...b5 まで。e3 にビショップがいるのが変っているが、これも独創的だった。c5 に居たナイトを追った手である。普通はPb4 で追うか、追わずにキャスリングを考えるかだ。
 進取の精神にふりまわされてポノマリョフの感覚も鈍ったのだろう。図はすでに敗勢である。決め手の12.g4 を食らった。ナイトが助からない。黒Nd6 なら白0-0-0 だ。白Be3 が効いたわけで、本局はモロ様の工夫がすべて吉と出た。
08/08/29 紹介棋譜9,10, 11参照
 日本語で世界のチェスについてのブログを発信する意味はあるだろうか。無い。「日本語が亡びるとき」には、あらためてそれを思い知らされた。もちろん無意味なことが私は嫌いではない。さて、第5Rはポノマリョフ対レコがルイロペスのマーシャルになった。何度も本欄の扱ってきた15.Re4 ではなく、本定跡15.Be3 だった。今年はこっちの年らしい。
 図は私でも組める型で、ここからが難しい。17...f5 と17...Re6 の分かれ目である。前者は亡びた。1993年のアナンド対トパロフがきっかけではないか。紹介棋譜に。もともとb3の白ビショップのおかげで黒はKh8 が必須になっていた上に、21.Qg2 のおかげで黒d5地点が大きな傷になるのがわかる。白Bxd5 黒cxd5 は黒に嫌な流れなのだ。変化手順に1981年のクロヴェール対カントを加えた。この無名の棋譜を挙げて、ナンは21.Qg2 の危険性を1989年の名著で指摘していた。
 17...Re6 なら18.Bxd5 は怖くない。まだ黒はKh8 を指していないからだ。Kh8 を手抜いてPf5 の構想を実行できる。そこで18.a4 が多く指されることになった。狙いは、白axb5 黒axb5 白Bxd5 黒cxd5 白Qxb5 から白Qxd5 だ。調子が良い。したがって、18.a4 を黒はbxa4 で取るしかなく、Q翼のポーン型を崩されてしまう。
 それでも18.a4 に対して黒は18...f5 を使い続けた。黒Kh8 を手抜いて白Bxd5 を強要できたのである。1994年のカムスキー対ポルガーを紹介棋譜に。21...Rb8 を見れば意味がわかろう。実はすでに1975年の通信戦で使われている。白の最も有望な筋を披露してくれた例として1990年のウンツィッカー対ナンを紹介棋譜にする。24.Qb5 が好手で、ショートが1988年に指した。でも本譜の24...Rh6 からBf3 がきれいな手順で、引き分けている。もっとも、私には本当のところがよくわからない。18...f5 を使った一流選手は上記のポルガーが最後なのである。18...f5 がなぜ亡びたのか、御存知の方は教えてください。追記081113 参照。
 18.a4 について話を1965年のタリ対スパスキーにまで戻す。勝った方がペトロシアンに挑戦できるというマッチの第1局で、18...Qh5 が現れた。これこそが90年代以降のマーシャルの主流になった戦法である。06/05/24 の紹介棋譜にあるとおりだ。意味はd5地点の補強である。こうすれば18.a4 を食らっても黒はQ翼を崩すbxa5を指さなくても良いのだ。
 以上を前置きとしてポノマリョフ対レコを見よう。図でレコは17...Qh5 だった。これは18.a4. Re6 で本定跡に戻ることが多い。レコのことだから、18.a4. Bf5, 19.Qf1. Bh3, 20.Qd3 でドローにするつもりだったかもしれない。これも見かける。しかし、ポノマリョフは18.Bc2 だったのである。私は初めて見た。手持ちの定跡書にも無い。通信戦に前例があるらしいが、実質的な新手だろう。17...Qh5 の意味合いを少し変えることになった。ただ、本譜を見る限り結論はドローっぽい。けれど、終盤でレコがちょっと無理な技を出して負けてしまった。
08/08/28 紹介棋譜12参照
 案の定、私製データでモロゼビッチが白番の古典的スラブは一局も無かった。それにしても、昨日の簡単な結論を永らく出せずにいた自分に呆れてしまう。なお、3.Nc3. Nf6, 4.e3 の場合、4...a6 でa6型スラブにされると、白はPc5 から Bf4 の有力戦法が指せないことも付け加えておく。
 第4Rはすべてドロー。アレクセーエフ対カムスキーを紹介棋譜に。図から35.Nexd5 である。以下、eポーンを進める手順が素晴らしい。黒はナイトを捨てざるを得ず、結局白P得で終盤を迎えた。
 このあともアレクセーエフは冴え、ナイトを巧みに操ってfポーンをパスに仕立てる。どう見ても白勝ちに思えた。すると今度はカムスキーの腕の見せ所になったのである。見事に粘って半点を獲得した。白の失敗が私にはわからない。
 読売新聞の文芸時評が26日に出た。「猫を抱いて象を泳ぐ」に一番紙幅が割かれている。高い評価をしてくれた。「新潮」に冒頭三章だけ載った水村美苗「日本語が亡びるとき」も紹介されている。これは傑作だ。筑摩から近刊とのこと。
08/08/26 紹介棋譜13参照
 第2Rはとばして第3Rを見よう。モロゼビッチ対クラムニクがシャバロフ・シロフのギャンビットになった。セミスラブから7.g4 に突くやつである。モロゼビッチの快勝だった。これで単独首位である。紹介棋譜に。
 けれど、昨日書いた序盤が気になってしまったので、メモをまとめておきたい。図は3.Nc3 まで。いつも悩みながらもいい加減に並べ過ごして、いい歳の中年なってしまった。ああ告白します。3.Nf3 とどう違うのか、知りません。
 過去四年間のヴェイク・アーン・ゼーを調べたら17対16で、わづかに3.Nf3 が多いだけだった。スラブの白をよく指す選手を適当に思い浮かべて調べた。3.Nf3 しか指さないのはクラムニク。ほとんど3.Nf3 なのがトパロフ、イワンチュク、カールセン。3.Nc3派はモロゼビッチ、ラジャボフ、昔のゲルファンド。両刀使いがカスパロフとシロフ。それぞれに理由があるのだろう。アンケートしたくなる。
 図から3...Nf6 なら 私にもわかる。4.e3 か4.Nf3 だ。3...e6 の時が悩ましい。4.e4 が強い手だが勇気が要る。4.Nf3 は4...dxc4 で難しい。たとえば5.a4 には5...Bb4 がある。だから普通は4.e3 だ。アンチメランを諦めることになるが。
 それより、3.Nc3 の免許皆伝は、3...e5 と3...dxc4 の対策を知っている者にのみ与えられる。初級者にはその方が重要だ。特に3...dxc4, 4.e3 は黒bポーンが進み出て白ナイトに当る。4.a4 はもちろん4...e5 で勝てない。
 3...e5 と3...dxc4 を習得できそうにない私は3.Nf3 と指すべきなんだろう。そうすれば3...e5 はあり得ない。3...dxc4 に4.e3 でも黒bポーンは当らない。もっとも、4...Be6 の後がよくわからないけど、その場で何とかするさ。滅多に無さそうだし。普通は3.Nf3. Nf6 で、、、あ、やっと見えてきた。簡単にまとめれば、3.Nf3. Nf6, 4.Nc3. dxc4 の古典的スラブが嫌な人は3.Nc3 が合ってるわけだ。3.Nc3. Nf6, 4.e3 で、4...dxc4 と指す奴は居まいから。
08/08/25
 モスクワでタリ記念大会が開かれている。今年もすごい顔ぶれだ。クラムニク、モロゼビッチ、イワンチュクなど十名。
 第1Rは三局で勝負が着いた。クラムニク対シロフで、シロフはアンチメランを嫌ったかマーシャルに誘ったが、クラムニクはそれに乗らずメランになった。昨年から4.e4 の勝率が落ちていることを実感させる出だしだった。
 図はその中盤で15.Kh1 まで。クラムニクはすでにポーン二個を捨てている。ここで黒はビショップをd6 に引くんだろうな、と思っていると、実戦は15...Nb6 だった。15...Bd6 をFritz 11 に掛けると、16.Nxd6. Qxd6, 17.b3 から白Bxa3 で形勢はほぼ互角と出た。ただ、白僧二本が伸び伸びしてクラムニク好みに見える。それでシロフは避けたのかもしれない。
 15...Nb6 なら当然16.Nxb6 から17.g3 である。以下、17...Bxg3, 18.fxg3. Qxg3 で、B対PPPPという駒割になった。15...Bd6 より黒駒得であるが、b7ビショップの働きが悪い。白陣はポーンを失ってかえって風通しが良くなった。クラムニクは駒を自在に操って黒ポーンをどんどん取り込んでゆく。四個取られてシロフはただのB損になり投了した。
08/08/24 紹介棋譜14, 15参照
 最終日が一番面白かった。五局も勝負が着いた。
 カールセンが育つまでは、カリャーキン対ラジャボフは激戦が多かった。久しぶりに今場所は燃えてくれ、これを紹介棋譜に。KR対KNPPPPというすごい終盤になり、ラジャボフがナイトを捨ててKR対KPPPPにするという大技で勝った。実は、カリャーキンはこのナイトをうまく取れば引き分けることができたらしい。そのサカエフとシポフの指摘を変化手順に加えた。ラジャは5勝2敗6分で二位に着けた。
 ほか、アロニアンがグリシュクを破って優勝を決めた。5勝1敗7分である。第2Rのナヴァラ戦を紹介棋譜にしておこう。図で40.Bg7から41.Bxh6 42.Bxg5 で勝ちを決めた。そう書くとあまりに当たり前である。でも、アロニアンはその下準備として、キングをg1 からc4 までえっちらおっちら運んだのだ。ナヴァラはこの大移動の意味がわからなかったように見える。
 一敗もしなかった王ゲツを評価してやりたい。2勝0敗11分の三位である。グランプリ二戦までの総合一位だ。
08/08/23
 普通の手を指しては勝てない時代だ。無理をするから現代チェスはポカが多くなる。今大会は特に目立った。選手の不調も重なったからだろう。スヴィドレルは体調を崩したらしい。10Rで1勝3敗6分の十二位だった。でも会期末に蘇ったか、最後は三連勝し五位七位に上げた。
 イワンチュクはもっと下で、2勝2敗9分の八位九位だった。これにも事情がある。6時5分から始まる"Woman Without A Past" というテレビ番組に彼はハマっていた。対局開始は3時である。そして、彼は3時間程度で対局を済ませようとする傾向があったとのこと。
 第11R12Rとも面白い勝負は無く、アロニアンの半点リードのまま最終日を迎えることになった。畏友の話でもしよう。すっかりチェスから離れて江戸の囲碁将棋界を調べている。彼の江戸趣味は突然変異の朝顔にまで及んだ。変化朝顔といって当時は流行したそうだ。種を送ってくれるという。私は栽培に自信が無かったが、嫁が飛びついた。昨朝に咲いたところだ。極端な異形種ではないしとやかな姿だった。
08/08/22 紹介棋譜16参照
 第10Rはソチの風景を一変させてしまった。白番のチェパリノフがアロニアンに敗れたのである。アロニアンは第3Rで惨めに負けた。それで私は見捨てていたのだが、さりげなく復調していた。王ゲツに追いついて首位である。
 それだけではない。この日は五局で勝負が着いて、ラジャボフも返り咲き、ガシモフまで加わって四人が一位に並んだ。一気に五位まで落ちたチェパリノフは、この後も負け続け3勝4敗6分の十位十一位に終わった。
 優勝争いとは関係無いゲルファンド対イワンチュクが好局だった。紹介棋譜に。図は決め手の場面。27.Bxe5. dxe5 に28.Nxh6+ である。これを黒Rxh6 では白Qf7+ から、ビショップをふたつとも取られてしまう。本譜は28...gxh6, 29.Qxe5 で、以下、ゲルファンドは7段目ルークの威力を背景にクィーンを自在に動かした。最後はKR両取になる。
 華麗な連続技だが、ゲルファンドにはこれが唯一の白星だった。第11Rはポカでアロニアンに負ける。アロニアンはこれで単独首位に立った。
08/08/21
 図は第9R王ゲツ対ラジャボフである。定跡はキングスインディアンのゼーミッシュに6...c5 からのギャンビットだ。黒P損だが、駒がよく働いている。
 18.dxe6 に「それあり?」と思った。黒はもちろん18...Bxc1、これで白Rxc1 なら黒Rxd3 ではないか。a2ポーンも弱くなる。けど実戦の19.e7 があった。19...Rdc8, 20.e8=Q+ が面白い。20...Rxe8, 21.Rxc1 だ。
 もっとも、a2ポーンは弱くなったままで、いづれ取られて駒得は消えてしまう。でも実際は白の方が指し易くなっていた。形勢判断の要点はふたつ。K翼のポーン数は4対3だから、うまく交換すればe筋のはパスポーンになる。そして、Q翼の黒ポーンはダブっている。
 ダブルポーンが致命傷になる現代チェスを久しぶりに見た気がした。しかも、ラジャボフが終盤で苦戦した挙句、敗れるのである。王ゲツ不思議流の完勝だった。チェパリノフと並ぶ首位に上がった。
08/08/20
 ソチの第7R8Rとも首位者二名は引き分けたが、追いつく者も居なかった。勝負が着いた局より引き分け局の方が激戦だったりしたが、特に紹介棋譜にはしない。ガシモフ対アロニアンが、08/08/11 で触れた9...Ne7 ベルリンだったことだけ伝えておく。ガシモフは10.h3 を省いて10.Ne4 を先にした。10...Ng6, 11.Nfg5 で11...Ke8 を強要し、その隙に12.f4 を突く。こうしておけば、12...h6 に13.Nf3 と引けるから、中央が厚くなった。黒王もQ翼に行けない。彼が今年から始めた新構想だ。白の方がポーン型は良くなったが、最後は色違いのビショップを残して引き分けた。でも、比較すればわかるように、スヴィドレルよりは工夫がある。
08/08/18
 小田原から帰阪の新幹線はMCO 6th ed に読みふけってあっという間だった。いろんな定跡について書きたくなったけど、いつもの更新スタイルに戻ろう。その前に昨日の宿題を片付けておく。Fritz 11 のデータベースで調べた。
 2...Nc6 から2...d6 への転換がはっきりするのは五〇年代からだ。最初の5年間で前者292局、後者481局である。それ以前は割と拮抗している。移行のきっかけになったのは、1936年ノッティンガム大会だろう。シシリアン6局のうち、4局が2...d6 だった。ボトヴィニクも指しており、『100選集』の自戦記を読むと、やはりリヒター攻撃を避けてドラゴンに組むのが目的だった。
 第二次大戦でもともと四〇年代の局数が少ないこともあり、比較は難しいが、シシリアンの本格的な急増は五〇年代から始まる、と考えたい。ただし、もうドラゴンは主流定跡ではなかった。白の駒組みが進歩しており、Be3 とPf3 に組む型の有効性が広く認められたからである。十年間で35勝7敗24分、勝率71%もあった。
 あとはみなさんもご存知だろう。2...d6 からのシシリアンの主戦法は、1947年に登場したナイドルフ定跡になっていった。
08/08/17
 読むべく実家に持ってきた本もある。桶谷秀昭『昭和精神史』とか、『Modern Chess Openings』とか。MCOは第6版である。1939年に出たこれが最も重要だ。なんてったって、Reuben Fine が力を注いだ逸品なのだ。おかげで彼はファンから「福音書記」と呼ばれたそうだ。復刊されてるので今でも買えるところがチェスってすごい。
 今日はシシリー防御を楽しんだ。当時の主流がドラゴンであったことがわかる。黒の手順は2...Nc6 から5...d6 の後に6...g6 だった。ところが、これをかわす白の新構想が広まりつつあることをFine は伝えている。6.Be2 に代わる6.Bg5 すなわちリヒター攻撃だ。ここが定跡史の変わり目だったろう。Fine は2...d6 が現代流シシリアンとして現れたことを伝えている。2...Nc6 を省いたのでリヒター攻撃にならない。一手早く5手目にg6 が可能になった。
 私は不明にも2...d6 で始めてこそドラゴン変化なのだと思っていた。この後どんな風にドラゴンが主流の座を降りてゆくのか、帰阪してから調べたい。ちなみに、Fine はスケベニンゲン変化を落ち目の定跡として解説している。
08/08/16
 盆休みの帰省をしております。実家に置いた本を読むのが楽しい。『モーツァルトとの散歩』とか、『蟹工船』とか。島朗『将棋界がわかる本』(1995)もパラパラと。1994年度のA級棋士の平均月額基本給が載っている。65万5千円だ。これに諸手当を加えて給料になる。C2は16万8千円だった。確認すれば、給料の話である。対局料なら2万から30万円が相場とのこと。NHK杯将棋トーナメントの視聴率も出ている。94年1月9日から9月4日まで。平均したら1.84%だった。
08/08/15
 第6Rはチェパリノフ対グリシュクの直接対決があった。ここまで相手のミスで半点や1点を積んできたチェパリノフだが、この一局は落ち着いた勝ちっぷりを見せた。グリシュクが優勝争いに戻ることはなかった。ゲルファンド対ラジャボフは、白が妙手で優勢を得たが、最後にしくじり、動揺したのだろう、ポカを重ねて負けた。
 読者さんからメールをいただいた。Svidler はロシア語なら「スヴィドレル」だろう、とのこと。Gellerも「ゲレル」になる。どう読めばいいか前から悩んでいたのでうれしい。
08/08/14 紹介棋譜17参照
 ソチの面々で私が一番応援したいのはラジャボフである。悪役はチェパリノフである。誉め言葉だ。ヴェイクでは小判鮫にすぎなかった。第5Rで二人が激突。定跡は第1Rで触れた9.Ne5 である。
 ものすごく面白いゲームだった。結果はラジャボフの勝ち。紹介棋譜に。これで勝ち越しひとつのラジャボフ、チェパリノフ、グリシュクが首位に立った。
 試合内容を御紹介したいところだが、9.Ne5 を気にせざるを得ない。図で9...Bb7 と応じる例をよく見る。本局が典型だが、こうなると10.h4. g4, 11.Nxg4 と進められる。流行の9.Be2 だとBe2 が余分な一手になって黒h5 が入り、白Nxg4 が不可能になる。これをひとまづ基本として押さえておこう。
 黒にはいろんな対応がある。ひとつだけ、9...h5 なら10.h4. g4 で11.Nxg4 が不可能になる、と言っておく。メキシコシティのアロニアン対アナンドで黒が勝ったように、勝率もとても良い。
08/08/13 紹介棋譜18参照
 第4Rはスヴィドラー対ラジャボフで前者が勝って、どちらも星を五分にした。キングスインディアンの名手がドラゴンを使って、グリュエンフェルドの名手に対し、ルークを捨てて襲い掛かった。技が決まったかに見える一瞬の白の返し技も良い。最後は互いにミスを出し合ったようだが、相手の隙を突けたスヴィドラーが激戦を制した。紹介棋譜に。
 もっと驚いたのはヤコベンコ対王ゲツである。図を見よ。柔道なら押さえ込み一本だ。25.f5. Nf8 で黒の忍従は投了するまで永遠に終わらぬように見えた。それでもいい、と王ゲツは延々と耐えるのである。終盤の強い相手だけに無駄な抵抗に思えたが、決め手を与えない。とうとう74手まで粘ったところ、合意のドローで決着してしまった。ヤコベンコが息切れし諦めたように見える。
 この粘りは大きかった。10R現在、王ゲツは一位四位。ヤコベンコはぜんぶ引き分けて八位十位。
08/08/12
 第2Rでカムスキーはイワンチュクを破り、第3Rでチェパリノフと当り、黒番ながらポーン得して優勢になった。図はそんな局面である。どちらが大会の主役に伸し上がるか、決める一局になった。
 いま30...Bb5 まで。黒Rc3 を狙われている。しかし、チェパリノフは受けなかった。31.Nh5+ である。もし31...gxh5 なら、32.Qg3+. Kh7, 33.Re5 からQg5 で血路が拓ける。
 こんな反撃をカムスキーは読んでなかったと思うが、31...Kh6 で粘っこいところを見せる。32.Qh3. d3+ 33.Kh2. gxh5 で、結局はナイトを取りきり、駒得を広げた。
 しかし、チェパリノフの頑張りはただのヤケクソに終わらなかった。かなりカムスキーの時間を奪ったらしいのである。持時間延長まであと一息の38手39手で、カムスキーの連続悪手を呼び込んだ。
 かくて大逆転。現在、9Rが済んでチェパリノフは一位二位、カムスキーは半点差の三位七位だ。
08/08/11
 第2Rはベルリン防御が二局あった。
 ひとつは王ゲツで、例の9...Ke8 である。カリャーキンに対して無理無く引き分けた。マーシャル攻撃のこともあるし、スペイン定跡のこんな勝ちにくい時代がかつてあったろうか。
 もう一局はスヴィドレル対チェパリノフで、9...Ne7 だった。すわりの悪いf5ナイトを図のように10.h3. Ng6 まで組み変える。古くからある代表的作戦だが、最近の勝率の悪さは06/05/09 で書いた。その後も良いとは言えない。11.Bg5+. Ke8 で、黒王がQ翼に行けなくされるのがつらいらしい。
 スヴィドレルが選んだのは、しかし、昔ながらの11.Ne4 だった。そして、普通はPb3 からBb2 に展開するところを、Bd2 からBc3 と進めたのである。これが工夫だったのだろうが、黒王はQ翼のb7 まで移動して安定した。
 勝負は終盤にもちこされ、そこで大局観を誤ったスヴィドレルが負けた。チェパリノフは11.Bg5+ に何を用意してたろう。
08/08/10
 最近の私は女子戦にまで手が回らない。結果だけ書いておく。北ウラル大会はステファノバの優勝だった。マインツではフィッシャランダムの女性選手権もあり、コステニクが優勝した。男子では、スペインのビリャロブレドでトパロフやポノマリョフなど一六三人を集めた大会があった。が、早指し大会だし、優勝候補同士の対戦も面白くない。トパロフが圧勝した、とだけ伝えておく。ここんとこ、良い大会が無い。
 ロシアのソチは黒海に面した避暑地である。2014年には冬季オリンピックが開かれる。いまここでFIDE グランプリ第2戦が行われている。イワンチュク、ラジャボフ、カムスキーなど、豪華な十四人が集まった。
 第1Rはグリシュク対カリャーキンが目に付いた。08/01/25 の図に示したAMGである。今年はここで9.Ne5 が増えている。特にグリシュクはカリャーキンに対し二度も使った。0勝1敗1分で結果は芳しくない。が、今回の対戦でまたやったのである。
 9.Be2 から10.h4 の古型に戻ることもあり、9.Ne5 の意味がまだ私にはわからない。とにかくやっとグリシュクは1勝を挙げた、と書いておく。AMGは昨年のメキシコシティで五局も指された定跡である。あの大会で不振だったグリシュクは定跡研究で失敗したことを認めていた。その上でのこの意地っ張りであることは間違いなかろう。

戎棋夷説