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羽生と渡辺の棋風と大山

11/03/02
 なんで今になってハイドンなんて気になるんだろう。買ったCDは百数十枚になってるはずだ。このままではモーツァルトを超えるのは時間の問題である。嫁に訊いたら、「パパになったからぢゃないの?」。ちなみに、アキラはつかまり立ちするまでになった。もうなるようになれ、とタワーレコードに行って、オラトリオを初めて探した。クイケン指揮の「天地創造」が手に入らなかったのは痛恨である。こないだ述べたピノックはあったのに。
 将棋ファンは大相撲の八百長騒動にどのくらい反応してるんだろう。私はけっこう気になってる。検索すると奨励会員天野貴元のブログが見つかった。先月八日の記述には、幕下と十両の格差が大き過ぎて、「こんだけ落差があると起きるべくして起きてしまった八百長なのかなーって思う」と言っている。「八百長しちゃった人達は勝負師としては確かにクズだけど、だとしても責められません。例えば年収1200万→全然勝てない→幕下に落ちそう→家庭を持ってるとかだったら、八百長に手を染めてでも生き残りに懸けてしまう気持ちは、わからないでもない。そういう状況でも正義を貫ける人は永遠のヒーローです。ですけどそういう状況で正義を貫けなかった人は、悪者ではなく「普通」でしょ」。
 不正しにくい制度とか、してもあまり意味の無い制度を作るのが良いんだろう。たとえば、順位戦でなく竜王戦を基本にして棋士の序列を組んだら、陥落を避けるための八百長は考えにくい。ついでに、いま話題の、入試問題のカンニング防止策についても言っておくか。受験生にウェブの利用を許可すればいいのだ。私が大学教員ならせめて自分の教えた科目の試験だけはそうする。そもそも、「ウェブを使わぬ頭を使え」という試験問題を作る方が時代遅れではないか。
11/02/27
 たいへん失礼なことに、11/02/13 の件で私から情報を求めておきながら、複数の方からメールをいただいていたのを気づかずにいた。さきほどあわててお詫びのお返事を書いたところで、あらためて、ここでもお詫び申し上げます。
 メールによると、石田和雄が八百長を持ち掛けられた話は河口俊彦『覇者の一手』に出てくるとのこと。手元に本が無くて、ほぼメールのまま紹介させていただくと、「石田六段がB級2組順位戦の最後の一番で負け、昇級を逃したのだが、その前日、対戦相手から八百長を持ちかけられたのである。八百長といったって、つつましい(?)もので、なにがしかの小銭が欲しかったのだろうが、石田六段は、それを断った」。
 私の記憶といろいろ違うことがわかる。とにかく、記憶違いをしたということになろう。ただ、念のため、その記憶を書いておくと、私が読んだのは八〇年代から九〇年代前半にかけての「将棋マガジン」か「将棋世界」、特に前者である。『覇者の一手』(一九九五)を私が読んだのはかなり後だから、この本で記憶間違いをしたくない、というのが本音だ。
 河口の話を検証しておこう。順位戦で昇級争いをする石田六段が最後の一番で敗れたのは二回ある。第二六期の西村一義戦と第二八期の木村義徳戦だ。前者は直接対決で、勝った西村が昇級した。後者は石田の自力昇級が不可能なケースで、実際、勝ったとしても昇級できなかった期である。あやしいのは後者ということになろうが、「最後の一番で負け、昇級を逃した」という感じが弱い。棋士を特定させないように、河口はちょっと話を変えてるのかもしれない。
 ネットで見つけた例も書いておく。田丸昇が今月の一八日に自分の公式ブログでこんなことを書いていた。「私が四段時代にC級2組順位戦で棋士Eと対戦したとき、まだ難しいと思っていた中盤の局面で、相手が急に投了して驚いたことがあります。昇級候補の私は貴重な白星を得ました。私とEは別に親しい関係ではなく、私はEが体調不良になったのかと思いました。じつは後日に知ったことですが、Eは同じ昇級候補のFと仲がとても悪く、「Fが昇級するくらいなら、田丸に勝たせちゃえ」と一方的に思ったようです」。「E」「F」は頭文字では無いので特定は難しい。
 ほか、いただいたメールによると、新聞で米長邦雄が「将棋界には八百長はない」と断言してるそうだ。言うだろうな、と私は思っていたし、実際に言ってたわけである。ご同慶の至りだ。
11/02/24
 算数教育を勉強した人の話を聞く機会があって、私が小学生の頃に考えていたことに関連する気がした。ものすごくはしょって言うと、左手のひとさし指をだして、それに右手のを合わせると二本になる。何度やってもそうなる。それは認める。私が考えたのは、このことが「1+1=2」という計算の結果と重なるのは「なぜか」ということだった。小学生の私はセンスが良かったのだ。結論を出したときにゾクッとしたことを覚えている。「まぐれだ」と思ったのだ。ものすごくありえない偶然が重なり続けて、指の本数と計算結果が一致しているのである。
 当時の私は先生に質問する気にはならなかった。この日はこの人に尋ねてみた、「まぐれだ」なんて言う小学生にどう答えますか? ほかにもいろんな話ができて、いまでも私の考えてることはたぶん直観主義とかゲーデルとかと関連するんだろうと思っていたら、やっぱりそうで、それがわかって感激した。これも専門家と一致するとうれしい一例であるので書いておく次第だ。もちろん専門家はずっと先を行っており、形式主義が優先している現在の算数教育に疑問を持っていた。
 さて、私の質問である。この人は考えこんだ。そこへ他の人が話しかけてきて、それが大事な用らしく、私はその場を離れるしかなかった。しばらくしたら、この人が私を探して寄ってくれた。そして、「まぐれと言われたらまぐれかと言うしかないです」。
11/02/13
 これも記憶で書く。河口俊彦が対局日誌の連載で書いて、たぶん、単行本にする際には削除してる。たしか石田和雄だ、対局室で話しており、むかしある棋士に順位戦で負けてほしいと頼まれた、引き受けたけれど、実際には勝ってしまった、という内容で、特に記憶に自信無いのが「引き受けたけれど」という部分である。直接たのまれたのか、仲介者がいたのか、は忘れた。どなたか、補足や訂正をしてくださるとありがたい。
11/02/11
 相撲界で不祥事があると、私はつい将棋界と比べたくなる。将棋でも八百長はあるだろう。チェスでも私の目にあやしく映る例がある。内藤国男のエッセイで奨励会時代の思い出を読んだことがある。彼が三段で好成績をあげたのに昇段できないことがあった。彼をさらにうわまわる、信じがたい成績の者がいたのである。エッセイが手元に無いので記憶で書くと、内藤はこれを、年齢制限の迫った好人物にみんなが負けてやったのだ、と見なしていた。それでも、相撲やチェスに比べて将棋はきれいな方だろう。ひとたび四段になってしまえば、弱くてもそこそこ食っていける制度だから無理して勝たなくてもいいのだ。これは何度も書いてきたとおりで、もともと日本将棋連盟は弱い棋士でも食っていけるようにするための組織なのである。
 こないだの山川次彦の大山評のように、自分の考えが専門家の意見と一致するとうれしい。音楽でも似た例があった。私はハイドンの交響曲はクイケン指揮の演奏が最高だと思う。うかつなことに、彼の指揮でザロモン・セットのCDが出ているのを知らずにいた。あわてて買った。鈴木秀美の解説がついており、ハイドンが、とうてい人の気づかぬような細部まで曲を作り込んでいる点について、「聳え立つ教会の屋根の上、壁の陰など人に見えるはずもないところになぜあのように精緻な彫刻が施してあるのか」という比喩で問いかけている。私が10/03/01 で書いたのと同じだ。ただ、鈴木はこうした作風の理由を、ハイドンの芸術家としての意識の「対象が人間ではなく神だからであろう」と述べている。それは私とは違う。
11/02/07
 デイヴィス盤のいちばんの特徴を書いておく。遅いのである。今夜は大好きな第四三番(マーキュリー)を聴いた。どのくらい好きかと言うと、最初の七十曲ではこれが一番好きだ。特に第一楽章。古楽特有のはかなげなヴァイオリンが軽やかに駆け抜けて、そこに甘美な切なさが射しこんでくるところ。
 ドラティ、ピノック、フィッシャーは、いづれも二四分か二五分くらいの演奏だ。さて、デイヴィスは三四分なのである。全体として長いのでなく、最初の二楽章が長い。二秒で「あいうえお」と言った後に四秒かけて言い直すと感じが伝わると思う。けっこう難しいのでは。遅いと曲がよくわかることが多い。それが、堅実な印象を与えるのかもしれない。不思議なもので、このくらい遅くても、第一楽章の疾走感を私は味わえた。
11/02/06
 年末の帰省で習慣が変り、チェスを指さなくなったら、すぐ弱くなってしまった。ソフトとの対戦は「中級」に逆戻りである。図は巻き返しの一局で、私の黒番。最善手はわからない。でも、私には35...f5 しか浮かばない。以下、36.exf5. Re2 から41...Rae8 が実現し、P損ながらe筋を支配して敵陣に侵入しているのだから、私が有利だろう。自然に駒を消しあってるうち、簡単な手筋の見える終盤に入って勝つことができた。
 ハイドンの交響曲は相変わらず聴き続けている。駄作が多くて苦痛な六〇番から七二番を済ませてほっとしているところだ。この難所を飛ばさずに聴くのは、重要な作風変化があるように感じられるからである。六六番と六七番のハイドンは五〇番台よりひとまわり大きい。もちろん、私は感じるだけで説明できない。「違うなあ」ってだけ思って、ぢーっと耳を澄ましていられる時間が好きである。たぶん、プロには味わえない醍醐味だ。同様にしてチェスも将棋も観賞するのが私の理想だなあ。そんな棋譜紹介が書けるとうれしい。
 ハイドンの新しい交響曲全集が出ているのを知った。指揮はデニス・ラッセル・デイヴィスで、最近はブルックナーなんかを振ってる人らしい。全三十七枚で八千円強という安さ。限定生産ということもあり、アマゾンで買ってみた。CD一枚につき一曲づつ、つまみ食いするように選んで最初期から順に十四曲を聴いたところである。室内管弦楽らしさを大切にしつつ、演奏は堅実を旨としているようで、その点は、フィッシャー盤はもちろん、ドラティ盤よりも好感をもった。来年もハイドンの交響曲を聴き直すなら、その時はデイヴィス盤を軸にしたい。ネットの評判では、ブルックナーも地味な演奏のようだ。気になる。
 ぢゃあ買ってみようか、と私のこの紹介を信用して八千円を出してしまう人が居たら困るので、ひとこと付け加えておく。実は三十七枚のうち三枚が不良品なのである。販売会社のホームページにはお詫びが載っており、良品との交換方法も説明されている。困るのは、その受付締切日が「誠に勝手ながら、2010年3月末日までとさせていただきます」とあることだ。誠に勝手だろう、と私は抗議したところ、まだ交換可能であることがわかったので助かった。御購入を考えられた方は、ソニーミュージックのオフィシャルサイトを御確認ください。
11/01/20
 いまのところ私の朝はハイドンで、夜は寝る前に武満徹だ。小さな芋を肴に八海山をちょっとだけ呑みながら聴くのである。武満全集は一四〇〇〇〇円かあ。こうした件に嫁は献身的なので、真剣に相談すれば購入を許可してくれると思うのだが、さすがに言い出せずにいる。これを買わずにいると、彼のテープ音楽、ミュージック・コンクレートが聴けない。
 例外が映画音楽『怪談』(一九六五)である。小泉八雲原作のだ。DVDがあるし、CDで音楽だけを手に入れることも簡単だ。いままでCDだけで聴いており、ピンとこなかった。やっぱり映像と合わせて観賞するべきだ。DVDを見たら、役者の動きや物の倒れるタイミングと音楽が一体化しており、やっとわかった。
 ただねえ、監督が小林正樹ってのが惜しいんだよなあ。第一話「黒髪」とか、せっかく途中までは様式美としてまあまあ見られるのに、最後に急にB級ホラーの本性をあらわし、骨を見た主人公がヒーヒー言ってのたうちまわる。安っぽいぜ。ここは、荒れた家で目が覚めて、男の後悔や罪悪感がいまさら湧き上がったところで静かに終わるべきだろう。講談社学術文庫では「和解」という題になっている。
11/01/19
 指し将棋のファンは宗英や宗歩の棋譜がひとつ残らず焼失してもたいして気にしないだろうが、映画ファンがリュミエールもグリフィスもDVD を買えないというのは、まさに我々にとってモーフィーとシュタイニッツの棋譜が手に入らないのと同じくらい悲惨な状況だ。もちろんチェスにそんな不幸はあり得ないだけに、映画というのは資料をそろえるのが難しい分野なんだなあ、とわかる。文学が滅びそうでなかなか滅びないのは、本屋に行けば当然のように『源氏物語』が並んでいることも理由のひとつだろう。
 クラシック音楽のCD も、どちらかと言うと映画に近いらしいことが最近わかり始めて意外に思っている。冬になったので、昨年に書いたのと同じように、私は通勤の電車を早めに降りて、ハイドンの交響曲を聴きながら職場まで歩いている。今年は第一番から始めて、昨日でほぼ六〇曲を聴いたところだ。感じたことはだいたい昨年と同じである。書き加えるなら、ピノックの六枚組『疾風怒濤期の交響曲』の素晴らしさだろう。全十九曲のほとんどがフィッシャー盤はもちろんドラティ盤よりも繊細ですがすがしい。ところが、Amazon で検索すると「再入荷見込みが立っていないため、現在ご注文を承っておりません」。
11/01/18
 昨日、朝吹真理子「きことわ」が芥川賞を獲りましたね。10/09/11 や10/09/25 で書いたやつです。チェスの出てくる小説の受賞はめでたい。ついでに「E2-E4」も売れることでしょう。つうか、それを見越して私はCD を買ったわけです。いまAmazon を見ると予想通り値が上がってますな。さっそく嫁を呼んで自慢した。「ものによっては八千円を超えてるよ」。11/01/03 のこともあって、彼女は素直に賛嘆を表してくれた。「ほかにもこんなのある?」と訊く。うーん、居間に積み上げた『小津安二郎 DVD-BOX』全四巻は、もしかしたらかなりするかも。つかまり立ちを始めた息子がよく崩して遊んでるやつだ。再びAmazon で検索したところ、第四集の値段を見て、私も嫁も唖然としてしまった。五万円近い。嫁は「保管場所を考えるわ」と言って部屋を出ていった。残された私が『レ・フィルム・リュミエール DVD-BOX』や『D・W・グリフィス傑作選』の検索を続けたことは言うまでも無い。まあどうせブルーレイディスクの時代を迎えて価格が下がるんだろうけど、これまで来客の誰も驚いてくれなかったのがシャクなので、せめてここに書かせてもらいました。
11/01/10
 「ニッポンの教養」の羽生は扇子を持っていて、揮毫されてる二字は「混沌」だった。昔よく書いていた「玲瓏」なんてよりずっと羽生らしい。混沌とした含みの多い局面を作るから、河口も羽生を大山型の天才に分類したわけである。羽生が大山を並べて駒組の妙を学んだのはよく知られている。一方、山川の解説した「読みの大山」は、私が渡辺明に感じたことと重なる。『永世竜王への軌跡』には、渡辺が『大山康晴全集』を読んだという話がちらっと出てくる。渡辺も羽生とは違う意味で大山型の天才なんだろう。
11/01/09
 私が読んだ『大山将棋勝局集』は一九八三年の文庫版である。山川次彦の解説がついている。大山の棋風のわかりにくさを、いろんな要素を含む「スケールの大きい将棋」だからだ、と説明している。「大山将棋を一般に言われているように"受け"と規定するにしても、内容を分析すると多分に"攻め"の要素が存在する。攻めの要素が多くみられるが、まとまった形として見ると、"受け"の型になっている。ここが大山将棋の解明に当たって一番大事なポイントである」。私の感じたのと同じことを専門家が言い直してくれてるようでうれしかった。
 さらにこうも書いてあり、これこそ我が意を得たりってやつだ。「大山さんの攻めは(略)個々の"手"を重ねるうちに自分のペースに引き込むといった方法が多い。(略)だから、あっと大向こうをうならせるような派手な手は少ない。そんなことははじめから眼中になく、ひたすら着実に"読む"ことに努力する。それだけに、読みには絶対の自信を持っている」。「この読みに対する自信が、受けに回った場合の大山さんの武器になっている」。「こう見てくると、大山将棋の真髄は"読み"にあると言ってもいいのではないか」。
11/01/08
 大山将棋の地味な逆転は05/11/07 にも書いた。相手の知らぬ間にひっくり返ってる、てのは十八番だったんだろう。さて、今日は米長が△5七歩▲同金で大山の金をうわずらせたところから。後手は敵玉にどう迫ればいいか。大山は△4八金▲3七銀打△5九馬で自分が不利だと感じていた。米長も似たようなことを考えていたに違いない。が、選んだ順は最初に5九馬、次に4八金だった。この隙を大山は見逃さない。「自慢したい受け」が出る。ずいぶん読んだのではないか。
 と言っても、華々しいことは無い。△5九馬に対して▲4六歩だ。続いて、△4八金に▲4七金である。多くの人が言うように、大山の金は玉に近寄る。以下、△3八金▲同玉△4九銀、米長は飛車の入手を見込みつつ着実に敵陣を薄くした。そこで▲3九玉である。こんな手が意表をついた。普通は2八に逃げるものではないか、それなら後手は飛車を取って3八に打てば良い、と米長は読んでいたようだ。
 まだ七段だったとは言え、後の泥沼流が戸惑っている。△2四香▲3七金打△5八銀不成▲4八金△6四金▲4七銀打となって、さっきまで寒そうだった大山玉がほかほかしてきた。以下、受け勝ちである。うーん、若い将棋ファンにはつまらないか、やっぱり。
11/01/07
 大山は考えてない、という羽生の話は、きっと誤解されている。こないだの番組では、手を読む量を増やして強くなるコンピュータの「足し算の思考」に対して、人間の思考を「引き算」にたとえていた。つまり、晩年の大山の大局観は、若い頃にたくさん読みこんだものがあって、それを省略していった末に大成されたものである。たぶん、たくさんの人が勘違いしている。大山の眼鏡は駒配置のマニュアルだと。
 『大山将棋勝局集』も『将棋の受け方』も読みやすい本ではなかった。解説手順がややこしいのである。しかも、優劣の説明が理解できなかったりする。中高生の私にはつまらなかったわけだ。単純な形勢判断が、複雑で膨大な読みのもとに下されていた。大山の大局観の本当のところはきっとマニュアル化できない。省略された部分まで記述したら、それはマニュアルとは言えないものになるだろうから。
 いくら手を読んでも一手しか指せない。おまけに大山の場合、その一手が地味だった。有名な8一玉などその好例だ。地味な方が一手の狙いは曖昧で、局面が含みを増して相手を迷わせる、ということなんだろう。一九六八年、第十一期王位戦第三局の先手番、対米長邦雄戦が、たくさん読んでるんだろうけど一手一手は地味という将棋だった。歳をとって、私はそんなのが好きになる。
11/01/06
 △8五歩までは普通の中飛車だった。大山は後手6五歩を警戒して▲7八金と指す。これを見て加藤は急戦から持久戦に切り替え、銀矢倉を目指した。大山は加藤の方針を、「コマ組みくらべになれば、先手の7八金形が王の守りから離れているので、コマ組みで後手が優位に立てると見ている」と分析している。そこで、7八の金を上手に玉の守りに寄せてしまった。たぶん、それを許したのが加藤の敗因である。
 加藤は手詰まりになってゆく。その間、大山は玉を固める。そして、飛角を不思議な形に積んだ。狙いがあったのである。△2二玉を見てやっとそれを始めた。▲2五歩△同歩▲同桂である。△2四銀▲2六歩に後手2三歩は先手7七角が後手玉を直射するので指しにくい。で、実戦は△2三玉だった。
 こうして乱された加藤の玉頭に、大山はぢわぢわ圧力をかける。耐えるだけになった加藤の△4二飛を見て、大山は本当の攻撃を始めた。▲7五歩である。ラグビーの強豪が、スクラムで相手を充分に押しこんで動きを封じてから、ボールを外に展開する呼吸だ。▲7五歩は取れない。手順だけ並べると、△同歩なら▲4五歩△同歩▲同飛△4四銀▲7五飛だ。
 以下、大山は加藤陣を完璧に包囲しきってまう。大山の攻めは遅いけれど、実現させると手も足も出ないことになる、という好例だと思った。
11/01/05
 NHK「爆笑問題のニッポンの教養」に羽生善治が出た。ちょうど昨日私が書いた話をしてた。六〇代の大山は大局観で指していた、という話である。実際に大山と指して、そう感じたそうだ、「読んでいるようには見えないんですよ」。でも今日は大山の受けの話を。
 中学生だった私が最初に買った将棋の本は大山康晴『将棋の攻め方』(池田書店、一九六六)である。そのせいか、「大山は受け将棋」という常識中の常識が私にはピンとこない。少なくとも、我々が思い描く単純な受けではない。『将棋の受け方』(同)も読んだ。反発力を重視した説明であった。そんな受けだ。中村修とは違うのである。きっと木村一基とも違う。
 『勝局集』を読み返した印象を言うと、大山はむしろ攻め将棋である。彼がひところ穴熊を多用していたのも、自陣を気にせず攻めに専念できるからだったようだ。ただ、彼の攻めはすごく遅い。だから、受け将棋に見えるんぢゃなかろうか。
 どれだけ遅いか。それは恐ろしい遅さである。対局者が下手に持久戦に誘導すると、たまにそれが実現してしまう。一九七三年、第二一回王座戦の先手番、対加藤一二三戦を読んで、そんなふうに思った。
11/01/04
 高校生の頃の私には大山の将棋は退屈だった。NHK杯を見てもよく居眠りしていた。活気が無いように思えた。何をやってるのかよくわからないのである。大人になるにつれ、ぢわぢわ尊敬が湧いてきたものの、上手に解説してくれる専門家があまり居なかった。
 例外が河口俊彦と羽生善治だろう。羽生の大山評を初めて読んだのは、柳瀬尚紀との対談『対局する言葉』(一九九五)だった。「大山先生の将棋はかなりわかりにくかったでしょうね、当時は。六十代ぐらいになってからは、ほとんど読んでないと思いますよ、一つの局面を見て、それは間違いないでしょうね。(略)大局観だけだと思います」。そう、わかりにくい。「なんていうんですかね、位置取りのすごいうまい将棋なんですよね。(略)それはいちばんわかりにくいところなんですね」。これは大人になってからの私の大山将棋の感触を上手に言い当ててくれていた。
 今では常識となっている大山観ではないか。藤井猛の大山研究もこの流れにあると言えよう。でも、このたび『勝局集』を久しぶりに読み返したら、五十代の大山はずいぶん違う印象だった。ほかにも、一般像と異なる大山に出会う読書になった。
11/01/03
 盆暮れの帰省の楽しみは実家に送った本を読むことであった。いろいろある。棚を見て嫁がポカーンとしている。私は「古書価格を検索してごらん」と、島朗『新版角換わり腰掛け銀研究』や、ヒューズとクレスウェルの『様相論理入門』を指す。すると、店によっては前者が二万円で後者が五万円だったりするのを知り、嫁の表情がやっと変わった。私としても予想以上に高かった。こんなところに死蔵してることがちょっと後ろめたい。
 おまけに子供ができてから、読み返すような時間が無くなってしまい、今回は一冊読むのがやっとだった。『大山将棋勝局集』である。メモをたくさん採ったので、しばらくこれについて書こう。
10/12/22
 将棋の自戦記集はずいぶん読んだ。最初が升田幸三『升田将棋勝局集』(一九七五)である。文庫になったのをすぐ買ったから一九八三年のことか。もう三〇年近い昔のことになる。そして、一巻本の自戦記集としては、これを超えるものはなかなか無い。本当は大山康晴『大山将棋勝局集』もすごいのである。ただ、わかるようになるまで、私はずいぶん時間がかかった。あと、横歩取誕生の棋聖戦については、内藤國雄『内藤将棋勝局集』も中原誠『中原将棋勝局集』もわくわくして読んだ。どれも講談社のあの「勝局集」シリーズだよなあ。黄金時代って感じだ。
 ここまで書くと米長邦雄も一冊入れておきたい。私は『ヤグラ将棋好局集』(一九七九、日本将棋連盟)を推す。先後同型千日手の定説に挑戦した名人戦や、三連敗三連勝の十段戦の棋譜があったはずだ。米長はあの頃の矢倉が最高である。ついでに加藤一二三なら大泉書店からの『加藤一二三実戦集』(一九七五)だろうか。6二歩が載ってる。
 なんでこんな話を書いてるかというと、渡辺明が竜王戦の棋譜を集めた『永世竜王への軌跡』(二〇〇九)を読んで、一冊完結ものではひさびさに素晴らしい自戦記に出会えた、と言いたいのである。局面をよく読んで、それに自信を持つ、というか、それに賭ける、という印象は間違えてなかったと思う。彼の妙手って、妙手順と言った方が正確なのが多いのも、よく読む人ならではのことだろう。将棋よりはチェスのアリョーヒンを想起させる。詰将棋ならともかく、対局者もある実戦でカラクリ人形みたいな手順が成立してしまうのだ。
 佐藤康光との第十九期第三局(二〇〇六)で、後手渡辺だけが二手指したように見える△2七銀▲3九飛△2八銀不成▲3八飛△3六歩とか、やはり佐藤との第二十期第六局(二〇〇七)の先手番▲9八飛△9九銀成▲9六飛とか。これで相手銀を隅に追いやった。将棋ではあんまり見たことの無いタイプである。
 逆説ながら、よく読む人は読み落とす人でもある。木村一基との第十八期第一局(二〇〇五)で後手の渡辺は△7六飛▲6七銀の局面で△5五角を打てば王手になる、と錯覚していた。それに気づいて△7六飛で23分も考えてしまったという。こんな例がたくさん紹介されている。
 チェスでよく読む人は概して完璧主義者で、考えすぎて精神的に不安定になったりする。アリョーヒンにもその傾向があって、痛々しいエピソードが多い。彼の最初の自戦記集は名著中の名著だが、自分のミスを許せぬ、度を越した完璧主義のおかげか、棋譜を実戦とは異なる形に書き換えてしまった例もあるらしい。それだけに、渡辺が自分の見落としを率直に告白しているのを読んで、とても健康的だと感じた。
10/12/17
 羽生善治がまだ七冠になってない頃、彼の棋風を上手に説明できる人はあまり居なかった。「羽生マジック」とは要するに「わからん」ということでもあった。わからん局面に持ち込む、ということでは、河口俊彦は羽生を「中原谷川型とは異なる大山米長型の天才」という言い方で評していた。これはなるほどである。なんと河口は羽生のプロデヴュー第一局を見て、こう言ってたはずだ。
 今期の竜王戦について、観戦記で青島たつひこが、最初の二局に関して「手を狭いほうへ、狭いほうへと持っていったところは、全く羽生らしくない」と書いている。わからん局面を維持できなくなっていた羽生には苦手意識が芽生え始めていたのだろう。「相手が渡辺になると羽生でも平静ではいられないのか」との青島に同感である。もちろんこの状態が続くかどうかは誰も知らない。
 渡辺明の棋風もまだあまり説明されてないのではなかろうか。今の私はぜんぜん情報を集めてないので、たんに知らないだけなのかもしれない。思うに大山米長羽生型の天才ではない。よく読む。そして読んだ範囲に明快な自信を持つ。
 第一局の最終盤は素晴らしかった。図は△4四玉まで。ここで渡辺は竜をそっぽに飛ばして▲7一竜だったのである。たちまち△2五角を食らった。控室は後手乗りが増えたらしい。形勢のわかるはずもない私は、ここからの渡辺の受けを感動して見ていた。▲3六銀△4六角▲4七金である。自分の肺や心臓をえぐり取る思いの持ち駒を投下して埋めてゆく。これで受け切って勝った。局後、渡辺は▲7一竜を「見える範囲では大丈夫」と説明した。私には我が身をえぐるように映った受けも、彼にはわかりきった手順だったのかもしれない。
 渡辺は第六局を角換り腰掛け銀の後手で堂々と受け切って防衛を決めた。これもすごい。思わず渡辺明『永世竜王への軌跡』を注文してしまった。さっそく「まえがき」を読むと、この本に収録された自分の棋譜について「残念なのは、どちらの将棋もすべてを読み切った上で指していたわけではない、という点。いつかは読み筋通りとばかりに指してみたいが、その域は見た目以上に遠い」と書いてある。彼の理想はまた彼の棋風の説明でもあるように思った。
 もう少し書いておく。この本の第一局は谷川浩司戦で、当時は渡辺より強い格上の相手だった。少なくとも本人はそう思っていて、だから、「何とか先攻する展開にしたいと思っていた」と述べている。深読みを楽しみたい。今期竜王戦の渡辺は羽生に攻めさせて勝ったのである。
10/12/10 紹介棋譜参照
 恒例となった、うちのソフトの変な定跡シリーズである。今度は私の1.e4 にニムゾ流の1...Nc6 を。ノータイムで2.d4. e5, 3.d5. Nce7 に進む。左図がそれだ。
 局後に調べると、そこまでは定跡書にも載っていた。白4手目にはPc4, Be3, Nf3 などがあり、だいたいそれで悪くなさそう。ただし、Fritz 11 付属のデータベースでレイティング2500以上同士の対戦では、白が負け越しの2勝5敗1分だった。マイルズが黒を得意にしていたようである。
 3.dxe5 の方が勝率が高いのが私には意外だ。なにより、実戦例としては2.Nf3 が圧倒的に多い。それってプロとして恥ずかしくないかい?とにかく、今回もソフトの変な定跡選択はあなどれないのが確認できた。
 さて、私が指したのは4.f4 である。たぶん疑問手だが、キングス・ギャンビット風にいきたかったのだ。6...h5 か7...h5 なら、黒良しだったろう。でも、ソフトは私の9.d6 を読んでいなかった。かくて「上級」に快勝。何年ぶりかの棋力回復だ。
10/12/08 紹介棋譜参照
 最近のキングス・ギャンビットはズヴャギンチェフが一人で保存会を運営してるようなものだった。ところが、心強いことに今年はカールセン、イワンチュクといったあたりが強豪を相手に採用して勝っている。
 先月はメキシコシティの大会でポルガーがトパロフを破ってくれた。紹介棋譜に。9手目まで一九九五年の姉ポルガー対ウェイツキンと同じだ。今回のはビショップス・ギャンビットであり、一五年前のはファルクビア・カウンター・ギャンビットだった。この二つの定跡が同じ局面になる、というのは意外だ。ポルガーの10手目は姉の対局の解説ですでに指摘されていた。それが今回の対戦に活かされたのか、たんなる偶然の一致なのか、どっちでも興味深い。
 図はトパロフの3...d5 まで。3...Qh4+ を昔から見るが、後の白Nf3 を嫌う人も多い。さて、白はどうしよう。普通は4.Bxd5 である。4.exd5 はビショップの進路をふさいでしまう、と十九世紀のスタントンは言っており、これが現代でも常識だろう。ポルガーの工夫はここで4.exd5 と指したことだった。さて流行るだろうか。
 トパロフはポカで敗れた。素人目には、fポーンをあっさり返上してしまったのも敗因に映る。
10/12/05
 何度か述べたソフトの「中級」に黒番で勝てるようになって、いまは「上級」と白番で指している。完全復活が見えてきた。このソフトの珍しい定跡に悩まされるのは相変わらずだ。序盤感覚の良い練習ではある。
 もう人生の残り時間も少ないのだから、本格的な定跡を覚えるよりは、ボケる前に好きな戦法をたくさん楽しんでおこうと決めている。しかし、相手は付き合いが悪い。図の2...Nf6 に戸惑ってしまった。見たことが無い。キングス・ギャンビット愛好家の直観として、これは疑問手なんだが。皆さんならどう指します?
 私は直観に従って3.fxe5 を選んだ。この定跡特有の白の弱点、黒Qh4+ が今なら無い。3...Nxe4, 4.Nf3 と進んで気分は悪くなかった。ところが、4...Ng5 でもうわからない。好手に見える。早くも互角にされてしまったらしい。
 実戦例を調べると、五〇年代のブロンシュタインも六〇年代のフィッシャーも、5.d4. Nxf3+, 6.Qxf3. Qh4+, 7.Qf2 と指し、最後は勝っている。コルチノイも一九七四年の本で、この手順で白が良いと自信を持って述べている。なお、ブロンシュタインの一局は彼の愉快な好著『二〇〇のオープンゲーム』(一九七〇)で読める。
 しかし、繰り返せば、現在の理論では4...Ng5 でたぶん互角である。白の正着は別にある。黒Ng5 を許さない好手順で優位に立てるのだ。関心のある方は一九八一年のブロンシュタイン対ユスポフをどうぞ。ギャラハーの本(一九九二)で解説されている。
 フィッシャーの一局に関しては、マクドナルドの本(一九九八)が伝えている。著者は敗者ウェイドに事情を聞く機会があった。こんな答えが返ってきたそうだ、「白の優位はたったひとつさ。フィッシャーはあの日まるまる私を待たせたんだよ。安息日に指すかどうか決めるためにさ。やっと試合が始まった時にはもう、私はしっかり戦う気分ぢゃなかったね」。著者はこうコメントしている、「Informator はいまのところ、対局者が不機嫌な時の形勢判断を評価する記号を開発していない」。
10/11/29
 将棋NHK杯戦が「長考」の画面になった。38度線の警備兵のように常に突っ込む隙を監視している嫁はすかさず、「放送事故だっ」。これに対して瞬時に反撃できなかった場合、私は全滅してしまうので、ノータイムで応じた、「初期の竜王戦のBS中継はもっと画面が動かなかったんだよ」。
 ああ、思い出す。第2期である。竜王戦も衛星放送も始まって日が浅い。その第二局、後手羽生善治の9四桂までのところで、電波の無駄遣いとも思える沈黙の静止画像が延々と続いた。じーーーーっと、ひたすら、じーーーーっと私は見ていた。すると、島朗の手が画面の上端まで伸びた。7一に銀を打ったのである。まづ、画面に変化が生じたことに驚いた。そして、銀は7二飛で死ぬだけに見える。緊張が高まる。しかし、画面は静止状態を取り戻していた。
 実は7一銀は絶妙手だった。羽生は9二飛と指すより無く、8筋に集中した戦力を殺がれてしまった。中継を見ていた谷川浩司はこの手があることに気づいていて、電話で形勢を問い合わせた観戦記者に「変な手ですけど」と前置きして予想したそうだ。しかし私にわかるわけがない。首をひねったままテレビの前で固まっていた。「電波がゆがんで銀が7一に見えるのかしら?」。
 あの不可解の持続が好きだったな。さらに昔は翌朝の新聞を見なければ結果がわからなかったのだから、これが進歩だった。今は対局場の映像よりも解説者の説明の方が放送時間のほとんどを占めている。そして、ネットで解説付きの棋譜がすぐ見られる。で、先日の第23期竜王戦第四局の観戦の話に入るつもりだったのだけど、つい前置きが長引いてしまった。
10/11/25
 昨日の書名を言い忘れてました。Alexei Dreev, Moscow & Anti-Moscow Variations です。副題はAn Insider's View 。アマゾンではいま取り扱いが無さそう。私はロンドン・チェスセンターから買いました。
10/11/24
 セミスラヴのモスクワやアンチ・モスクワの黒番を前々から指してる専門家といえば、私の好きなドレーエフである。その彼がこの定跡本を出した。特にアンチ・モスクワは流行定跡である。すぐ売れ切れてしまって、私は手に入れるのが遅れた。ぽつぽつ読んで、やっとモスクワの三章まで読んだところだ。筋道立った構成がドレーエフの終盤の棋風を思わせて、ファンとしてはうれしい。
 図で白が一番指したいのは何か。7.e4 である。ぢゃあそう指してみよう、というのが第一章である。結論だけ言うと、7...dxe4, 8.Nxe4. Bb4+ で駄目。
 では、黒Bb4+ を防ぐ7.a3 はどうだろう、というのが第二章である。これには7...dxc4 で応じる。白はPe4 が指しづらい。極端な例を挙げると、7.e4. b5, 8.a4 では手損である。だから、白は7.Ne5 だ。しかし、7...c5 で黒は問題無い。
 そこで7.Qb3 が浮かぶ。黒Bb4+ を防ぎつつ、白Pe4 を狙ってもいるではないか。しかし、これに対しては7...Nd7 で黒は充分受け切れることをドレーエフは示してゆく。こうしたクィーンズ・ギャンビット系のポーン型では、b3 地点のQってのは感心できないのだ。それが第三章である。
 いま第四章を読んでいる。7.Qc2 だ。黒は7...Nd7 である。だから、ついに8.e4 が実現する。8...dxe4, 9.Qxe4 だ。黒Bb4+ も無い。これをドレーエフは9...g6 で論破してゆく。こうして章を重ねるほどに、白はPe4 を諦めて7.e3 を指すのが一番良さそうだ、ということに気づかせてゆく。
 ぜんぶで200ページちょっとしかない薄さも良い。この定跡に関心のある方はぜひお買い求めを。
10/11/20
 「するとさ」と、私は嫁にこの未完のゲームの問題を投げかけてみた、「賞金はどうすればいいと思う?」。彼女は即答した、「次回に持ち越す」。なるほど、たしかにそうだ。パスカルが君ほど聡明だったら数学は滅びていたね。
10/11/19
 たんにルソー『エミール』を手にとっても、凡庸なことしか書いてないように思える。けれど、アリエス『〈子供〉の誕生』を知った後で、序文の「人は子どもというものを知らない」という一節にあたると、この書物がケーニヒスベルクの時計を狂わせたほど革新的だった理由がわかる気がする。
 コインを投げた裏表で決める 5回勝負をやるとする。先に3回勝てばいいわけだ。金も賭けている。ところが2勝1敗まで進んだところで中断せざるをえなくなった。さて、賞金をどう分配するのが公平だろう。未完のゲームの問題、とか、得点の問題、とか言うらしい。
 確率の問題さ。然り。けれど、たとえばアリストテレスには「確率」という発想が無かった。え、まさか。さいころを六回投げれば一回は「1」が出そうだ、ってそんなこともあの大哲学者は思いつかなかったのか。いや、そうらしいのだ。「同じゲームを繰り返して行うとき、その結果にある種の数学的なパターンがある」とは考えなかったそうだ。だいたい当時のさいころは四面だったし、「どの二つをとっても同質ではなかった」と、まだ読み始めたばっかのデブリン『世界を変えた手紙』に書いてあった。
 この本によると、十七世紀になっても未完のゲームの問題は難題であった。一流の数学者たちがいろんな答を出していたようだ。「2対1の割合で分ければいい」とか、「三回分の賞金を2対1で分けて、残った二回分を均等に分ければいい」とか。
 パスカルとフェルマーの議論によってやっとこの問題にケリがついたのだ、という。それは確率という概念の確立であった(すべすべすーべ♪)。二人の手紙のやりとりは、『エミール』と同様、人間の生活を大きく変える革新だった。そして、このことはやはり良い解説が無いとわからず、ただ凡庸に映ってしまいかねない。そこで『世界を変えた手紙』が解説役を果たしてくれるとのこと。
 パスカル『パンセ』は私の若い頃の大好きな本だった。パスカルに関する本だというだけで私は読みたくなる。そして『世界を変えた手紙』の訳者は原啓介だ。そりゃあ読まずにいられません。

戎棋夷説