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シシリアンの2...Nc6、タイマーノフとポールセンの6.Nxc6

11/10/15 紹介棋譜6・7参照
 今年の竜王戦本戦はたくさんの名勝負があって挑戦者が丸山忠久に決まった。渡辺明竜王との第一局に臨むインタヴューの声を聞いていた嫁が例によって一言、「この人、オネエ言葉でしゃべらせたい」。
 さて、11/10/11 の図からの6.Nxc6 である。この手の効果を理解して指した最初の人は一八六三年のマックス・ランゲではないか。6...bxc6, 7.e5 である。黒のd6 地点に嫌味を作り、黒Nf6 を妨害する。記念して紹介棋譜に。ただ、当時は普及しなかった。昔の人には難しかったらしく、ラスカーなんてこの手を使って素人相手の同時対局で負けている。ちなみに、BCO2 は7...Qc7, 8.f4. d5, 9.exd5 以下、白やや良しと判定した。黒ポーンがバラバラだからだろうか。
 6.Nxc6 を現代的に洗練させたのは一九八二年のシャックスだろう。ひとまづ7.Bd3 とし、7...d5 には落ち着いて8.0-0 だ。どうせ黒dxe4 は無い。黒ポーンがバラバラになってしまう。そこで黒Nf6 を待ってから白Pe5 を指せば、BCO2 と違って白にe5 ポーンが残る。これも記念して紹介棋譜に。黒は中央ポーンの連結は維持できたが不格好だし、図のように白Qg4黒Pg6 でK翼を乱された。現在の主流はランゲ式ではなくシャックス式である。
 素人目には6.Nxc6 は白にあまり損が無い。黒の方が形が悪そうで、手得の展開力も感じない。実際、現代の強豪たちも11/10/11 の図よりは、Nc6 の代わりにQc7 やPb5 を指した局面を選んでいる。
 チェスにも音楽にもくわしい読者さんからメールがあって、著作権の切れた音源を集めたBlue Sky Label を教えてくださった。「バイロイトの第九」とか「カザルスの無伴奏」とか「クナのワーグナー」とか、不朽の名盤が片っ端から聴ける。もちろん「メンのマタイ」もあるでよ。解説も性に合う。私がさっそく聴いたのは名前しか知らなかったレナー四重奏団である。うわさ通りの甘さであった。お、ジュリアード弦楽四重奏団のバルトークも。次はこれを聴こうっと。いやいやケンプのベートーヴェンか。
11/10/13
 例によって嫁が携帯を見ながら教えてくれた、「ベテルギウスが爆発するんだって」。オリオンの右肩、好きな星だった。おお神よ、あなたはさきごろ私から「勝手に将棋アンテナ」を召し上げたばかりです、そのうえ冬の大三角形まで奪うおつもりですか。早ければ来年にどかーんとくる。夜空がとんでもないことになるらしい。
 日本経済新聞の王座戦観戦記は朝吹真理子に続いて第二局を若島正が担当している。こちらは手慣れたものだ。あの飛車を切った決断は羽生善治らしいものの、それが敗着になったと見ている。「棋風に殉じた一手」とのこと。私には、結論を急いだ羽生らしくない一手と思えたので、意外だった。また、渡辺明の終盤の強さについて、「場を読む力が頭抜けている」という意見を肯っている。残念ながら、「場を読む」ってどんなことか、私にはわからない。第二局に関しては、受けきれば勝てるという大局観を信じて、正確な読みを持続させた、ということらしい。これも意外だった。渡辺の大局観が称えられた例を私はあまり知らない。ほか、感想戦で渡辺がよく、「これで負けたらしょうがない」と口にすることも指摘しており、これもなるほどなあ、と思った。読みに殉ずる、といったところか。10/12/17 に書いたのを繰り返すと、よく読む、そして読んだ範囲に明快な自信を持つ。
11/10/11
 タイマーノフとポールセンの5.Nc3 に読者さんが意見を送ってくださった。d5 地点に利かせる意味ではないか、とのこと。なるほど、言われてみればそうだ。たとえば5.f3 なら5...d5, 6.exd5. Qxd5 で白の優位は消えたように見える。私としては恥づかしい無知を告白したつもりが、みなさん、いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。
 もうひとつ、タイマーノフとポールセンの違いについても教えていただいた。ポールセンならc7 地点に途中下車せずにa5 地点まで行けるから、イングリッシュ攻撃の対策になる、とのこと。ただし、11/10/05 の図から5...a6, 6.Nxc6 の心得が必要だ。Rizzitano が書いたタイマーノフ定跡本にある、とのこと。
 2...Nc6 から始まって、疑問がもう恥づかしくないレベルにきた。11/09/19 に書いたとおりで、Nxc6 の筋は白の手損である。ところが、図での6.Nxc6 は勝率が高い。Fritz11 内蔵の棋譜でレイティング2500以上の統計を調べると、2007年まで46勝19敗56分で白の勝率は61%だ。Batsford Chess Openings 2 (1989)やSmall ECO 初版(1999)では白が良い。なぜこうなるのか。レベルの高い謎の方が答えやすそうなのが不思議だ。そのうち書こう。
 もう六年も昔かあ、05/10/20で好きな映画を百本ならべた。そのうち、DVDが無く、録画もできずにいたのが一本だけあった。「カリフォルニア・ドールス」である。こないだピーター・フォークが亡くなったとき、最初に思ったのは、「追悼記念で放送してくれるかもしれない」。結果は予想したとおりで「刑事コロンボ」ばかり。せめて「こわれゆく女」くらい放送してくれたのかな。がっかりしていたら、AXNというところで先月に「ドールス」をやると知った。同僚に頼んでついに録画に成功したのである。もっとも、結婚したり子供ができたりして、ほとんど映画は観れなくなっている。やっと昨日ひさしぶりの観賞がかなった。短い。この映画の欠点は短いということだ。一四〇分を超える映画を嫌悪する私が一一二分を短いと思う心を察してほしい。『映画狂人シネマの扇動装置』を調べたら、なんと蓮實重彦も同じ不満を述べていた。
11/10/10 紹介棋譜5参照
 二十年以上昔の話。本格的なチェスの本は洋書だから、どこに売ってるかわからなかった。欲求が満たされるようになったのは、有楽町のイエナ書店や池上のチェスセンターを見つけてからである。それまでは八重洲のブックセンターと神保町のタトル商会で、数冊しか並んでない棚から選んでいたものだ。あのころ買った本で、いまでも自宅のすぐ手の届く範囲に置いてあるのは二冊しかない。文句無しの名著と言えよう。一冊はフィッシャーの『60』である。
 もう一冊はBarden とHeidenfeid の『Modern Chess Miniatures』(1960)だ。それがチェストランスで翻訳され発売されるそうだ。題は『161ミニチュア』(水野優訳)、アマゾンで予約受付中だ。一九五〇年代が中心の短編名局集である。だいたいが二〇数手で終わる。有名なのでは、たとえばスパスキー対ブロンシュタイン(一九六〇)が収録されている。図の14...e2 に対し15.Nd6 を叩き返したやつだ。紹介棋譜としてスパスキーの師匠だったトールシの猛攻(一九五七)も御覧に入れておこう。13手目が疑問手とのこと。良いアンソロジーでしょう。
 いろんな読み方があろう。普通は、序盤から技を決める活きの良い攻め方、あるいは、序盤で大きな隙を作ってしまう悪手、などを学ぶもんだろうか。私は違った。薄い本に一六一局も詰まっており、それを定跡ごとに配列してあるから、簡便な定跡辞典として使っていた。主要定跡は充分そろっている。並べてるうちに、「これが普通の手順なんだ」とか、「こんな変わった手があるんだ」とか、定跡が身についてくる。一九六〇年という刊行年はとても程よい。定跡辞典として、これ以前は古すぎるし、これ以後は読みどころがズレてくる。日本では『ヒガシコウヘイのチェス入門』と有田謙二『やさしい実戦集』がちょっと似た感じだ。どっちも初心者には楽しい本だけど、比べればわかる。『161ミニチュア』が定跡数も解説量も圧倒的に上だ。日本語で読めるんならこっちを薦める。
 あらためて机脇の本棚を眺めた。二十年以上座右にあって、しかもときおり手に取る本って、ほとんどない。置いてあるだけで読んでなかったり、別の部屋に移されたり、新版に変えられたり、だ。『60』ですらそうだから、『Modern Chess Miniatures』はかなり珍しい。ほかは、『吉岡実詩集』(現代詩文庫)、ボードレール『パリの憂愁』(岩波文庫)、『聖書』(新共同訳)くらいか。
11/10/09 紹介棋譜4参照
 今さら訊けなくなった定跡の疑問をもうひとつ。私は11/10/05 の図のようなタイマーノフやポールセンの白番が苦手だ。5.Nc3 にどんな意味があるのかわからない。e4 をいま守る必要は無いよねえ。また、この手は黒Bb4 ピンをお膳立てまでしている。損な手に思えるのだ。しかし、実際は5.Nc3 はとても多い。
 ついでに言うと、タイマーノフの場合、5.Nc3 に対し、黒がPa6 を省いて5...Qc7 で応じることに私は腹が立つ。いかにも「Nb5は怖くありません」と言いたげな、いけしゃあしゃあとした感じが許せない。シシリアンを指す以上、Pa6 はNb5 を避けるために黒が払うべき税金であってほしいのである。
 こんな脱税定跡を許してよいものか。意地でも私は6.Ndb5 を指したい。Informant を検索すると、6...Qb8, 7.a4 が普通の手だった。ところが、一九九九年にポノマリョフがすごい手を披露していた。7.Be3 である。黒はもちろん7...a6 だ。そこで、左図の8.Bb6 が出た。8...axb5, 9.Nxb5 と進んで、黒は白Nc7+ を防げない。こうなれば5.Nc3 は働いた。新手というわけではないが、強豪による採用は初めてだった。以下、白QP黒BNNの駒割になる。紹介棋譜にしておいた。Small ECO によると優劣不明だ。私は6.Ndb5 から7.Be3 を見かけた記憶は無いから、最近の評判は良くないんだろう。でも私のレベルなら試してみたい。きっと驚いてもらえる。
 秋である。またハイドンの交響曲を聴き返す季節になってきた。今年は番号順やその逆順ではなく、創作順で聴いてみたい。そして、全曲に感想を書くという目標をたてた。最初の四〇曲まで済ませたところである。あと六〇数曲ある。
11/10/06
 乳飲み子を寝かしつけながら携帯をいぢっていた嫁が、また米長邦雄を教えてくれた、「コンピュータと戦うんだって」。え、ニュースを読んでもらう。相手は五月にコンピューター将棋選手権で優勝したボンクラーズだ。勝つつもりなのか六十八歳の米長。「やっぱすげえよな」と嫁は感心している、「ななめ上を行ってるよね」。久しぶりに私も応援してやりたい。
 ヒラリー・ハーンをこつこつ四枚買い続けて、だんだん結論が出てきた。まだ若くて線が細い。ブラームスの協奏曲なんかは貧弱だった。良いのは、二十世紀の曲や自信満々のバッハである。そろそろおしまいにしようと、五枚目はバッハの協奏曲を買った。すでに持っているのは誰の演奏だったかな、とCD棚のバッハ・ゾーンを探すと、第二番ホ長調(BWV1042)が無い。え、すると、二十年以上たぶん聴いてない。だから比較対象無しで聴くことになった。でもよく覚えている良い曲だった。続けて第一番イ短調(BWV1041)を聴く。え、絶句した。恥ずかしい。書きたくない。でも言う。知らない曲だったのである。四十九歳だというのに。さらに、オーボエとの協奏曲ハ短調(BWV1060)を聴いた。これは大好きだ。ホリガーとクレーメルので聴き比べた。こっちの方が情感の深みにおいてずっとまさると思う。ハーンの若さが裏目に出た例ではないか。もちろん、これからも応援したい。
11/10/05
 図はタイマーノフ変化の5.Nc3 まで。黒Nc6 をPa6 に変えればポールセン変化になる。Pa6 の形を最初に指したのは一八五九年のアンデルセンだった。11/09/18 で書いたように、図の5.Nc3 でなく5.Nb5 で困らされた彼が、その手を防ぐためNc6 の前にPa6 を指したのである。
 アンデルセンは一九五八年のモーフィーとのマッチでは、なんと白番で1.a3 を指している。実戦は1...e5, 2.c4 と進む。つまり、アンデルセンは白番でシシリアンを指したのだ。これなら敵馬がb筋に飛ぶのをあらかじめ防いでいる。結果は1勝1敗1分だった。モーフィーと互角に戦えたのだから笑えない。他の人に対しては4勝0敗0分である。この発想がPa6 につながったのだろう。勝率も良く、3勝0敗0分だった。
 型は同じPa6 でも、アンデルセンとポールセンでは発想が違う。ポールセンが初めて指すのは一八八五年のこと。狙いは暗色ビショップの活用だった。白Nc3 を待ってBb4 を指すのである。ただ、勝率は悪かった。定跡としての確立は一九五〇年代のカンからかもしれない。
 なお、型が同じでも発想が違うという話を続けると、Nc6 とPe6 だけで「タイマーノフ変化」と呼ぶのが本当に正しいのか、私はよくわからずにいる。タイマーノフのWinning with Sicilian(1991)を読む限り、Nc6 とPe6 そしてNge7 の三手が彼のシステムの発想の根幹だからだ。実際に多く指されているのはNge7 ではなく、図で5...Qc7 である。4...Qc7 を先に指してから5...e6 が昔は多かった。4...Qc7 と指せば5.Nb5 も5...Qb8 で怖くないよ、と広めたのがフロールである。このQb8 の発想が大事なのだ。だから、5...Qc7 を「フロール式シシリアン」と言いたくなる。
 アンデルセンの工夫に戻すと、彼の悩んだ5.Nb5 には5...d6 で充分戦える。現在では私でも知ってることだ。本当に天下周知のこととなったのは一九六〇年だと思う。一番の名局はカルポフ対カスパロフの一九八五年の第一六局だろう。09/03/21 でふれた「マスター・ヤコブソン」(原啓介訳!)の「爆弾」である。実はこんな話をしたくて書き始めたわけではなくて、どんどん初志からそれております。もう今日のところはこのくらいで。
11/10/03
 三月十二日は息子の誕生日なので、その日は仙台にでも旅行しようかと計画をたてていたのだけれど、実際は熊本に寄ることになった。たまたま九州新幹線の全線開業日だったので、嫁は鉄子だから目が南に向いたのだ。熊本は良い所だった。有名な話を付け加えると、新幹線開業を盛り上げるために、JR九州は記念列車を走らせ、沿線の人々に「みんなでウェーブをしよう」と呼び掛けた。二月のことである。ただでさえ新幹線は無駄な公共事業の代表である。人が集まるのか?おまけに朝は小雨だった。当日の模様がCMになっている。これが「なぜか泣ける映像」として話題を集めたのだ。嫁はDVDまで購入した。傘もささずに運転士が歩くシーンで始まる。ひとりぼっち。入り口で車掌が迎えてくれるだけ。普段は鉄なんてどうでもいい私でさえ「がんばれ!」と心の拳を握りしめた。ところが、このCMは三月十一日以後の自粛ムードを受け、たった数日の放送で終わってしまった。扱いが変わるのはYou Tube などで紹介する人が現れてからである。最後はカンヌ国際広告祭で複数の賞に輝くほどの評価を受けた。
 こないだふと見つけたのは、一九七三年の第一回全日本チェス学生選手権の優勝者のブログだった。来日したラーセンと指した人だ。将棋も強い。後のHNK杯優勝者を軽くあしらうほどだ。貴重な昔話がたくさん読めた。熊本の人だ。そんなわけで熊本の話をした次第である。
11/10/01
 図書館でコピーをとりながら、「日本のどこかでいま同じことしてる人がきっと居る」と思っていたら、shogiygoo氏がそうだった。朝吹真理子の観戦記である。再び指し手解説の無いスタイルである。11/04/30 でもとりあげた村山郷田戦がたぶん好評だったんだ。今回は王座戦第一局だ。後手羽生の8四桂にかまわず渡辺が突いた2四歩が印象に残る。控室が投了を意識してそわそわし始めた局面から、羽生がとことん引き延ばした将棋である。絶望を持続させるだけのつらさを朝吹は紹介し、にもかかわらず「羽生王座の表情は穏やかにさえみえていて、盤面に目を落としては静かに頷いていた」ことを伝えている。似たような展開の第三局もそうだったのだろうか。最終譜、関係無い話をつけくわえると、囲碁欄では趙治勲が三連星を打っていて驚いた。『地と模様を超えるもの』(一九九九)ではたしか、「三連星では趙治勲に勝てません」なんて否定的だったのである。
 Windows 付属のゲームでハーツが私のお気に入りである、と09/07/07 に書き、100戦で勝率73%だったことを御報告した。実はこのたび76%が達成されたのである。なんとか四分の三を超えた。さすがになかなかの成績ではなかろうか。もう当分やりたくない。
11/09/29
 いつかみた光景である。谷川浩司から羽生善治への世代交代も名局続きであった。違いもある。谷川のミスは私でもわかることがよくあった。「落ち着いて指せれば谷川が勝っていたのに」と、くやしい思いをしたものだ。オールド・ファンはいつも年上を応援して、そうしてため息が身についてゆく。対して、渡辺明と羽生善治の名勝負は、説明されても敗着の腑に落ちぬことが多い。今度の王座戦では第二局なんかそうだった。羽生が思い切りよく攻める。けれど、渡辺がいつのまにか受けきっている。勝負所の解説手順を読んでもゴチャゴチャしており、こちらとしては明快にくやしがる気分が盛り上がらない。「まあ、もともと無理な攻めだったんだよね」と引きさがってしまう。第三局でも同じ諦念が湧いた。渡辺はよく読む人だから、手順が込み入ってくるんだろう。こんな相手に対して、チェスなら、読みがあまり役立たない陣形戦か、早々に駒数を減らす消耗戦に持ち込めばいい。将棋なら、うーん、圧倒的な攻めで押し流して読みをむなしくさせる、あるいは、小競り合いを繰り返して大局観でじわじわポイントをかせぐ。羽生は前者の方針で敗れてきた。これからは後者でどんなもんでしょう。
 こないだ買ったバリリの話もしておこう。一番好きな弦楽四重奏団である。ベートーヴェンを楽しく聴かせてしまうセンスの良さ。彼らのモーツァルトは一七曲しかない。特にハイドンセットが一曲しかないのが致命的である。とはいえ、この一曲が素晴らしい。第一四番ト長調K.387 で、やわらかい演奏だ。弦楽五重奏曲のCDが出たとき、買わなかった。とても後悔している。アマゾンで中古の値段を見ると第五番は12,500円もしてる。
11/09/19
 読者さんから2...Nc6 の意味を教えていただいた。やはり黒Nf6 の準備のようだ。その際、ポーン型を決めずにいられる。Fundamental Chess Openings に書いてある、とのこと。そうか、ポーン型が要点か。改めて一八五一年までの棋譜を点検した。3.d4. cxd4, 4.Nxd4 の後、黒は4...e6 か4...e5 を選べる。後者の勝率が高い。4...e5 に対し、白は5.Nxc6 か5.Nf3 を選んでおり、前者は黒ポーンの数が中央で優勢になるし、後者は白が手損である。いづれでも流れに応じて黒はポーンを組める。これが元来の発想だったようだ。永年の疑問が半分解けた。ありがとうございます。
 バイダーベックを話題にしたら今年が彼の没後八十周年でありことを知り、メンゲルベルクを聴き直したら六十周年であることに縁を感じていたところ、ゼルキンまでが二十周年だった。ついでにベームも三十周年だったらしい。そして、ザンデルリンクが昨日に亡くなった。九八歳だという。「ものぐさ将棋観戦」のtwitter でもつぶやかれている。昨日の話をもうひとつすると、礒山と柳田の話は有名らしい。礒山の反論もあるそうな。また、本文によっては柳田は実名を挙げて書いてるようだ。
11/09/18
 疑問を放置してるうち、恥ずかしくて今さら訊けなくなった定跡っていろいろある。今日は告白してしまおう。シシリアンの2...Nc6 の意味がわからないのである。これが主流でなくなる理由は08/08/18 で書いた。けれど、主流であった理由、主流でないにせよ今でも重要である理由、を知らないのである。3.d4. cxd4, 4.Nxd4 で4...Nxd4 と指すわけでもないのに、なぜ2...Nc6 なんだろう。
 2.Nf3 から調べる必要があろう。もともとこの手はとてもめづらしかった。二〇世紀最初の二十年間でやっと六割ほどの採用率である。ぢわぢわ増えて今のようになった。初めて指した人は一八三四年のマクドネルである。ラ・ブルドネとのマッチで五回使われ、そして五回ともラ・ブルドネは2...Nc6 で応じている。当然の一手なんだろうか。とはいえ、一九世紀前半で2.Nf3 は一五局しかないから、何ともいえない。2.Nf3 が増え始めるのは一八五一年の偉大なロンドン大会である。この大会だけで一五局に採用された。うち九局が2...Nc6 である。白五勝、黒四勝だった。スタントンは大会本で、2...e6 の方が好ましいと述べている。理由ははっきり書かれていない。スゼン対アンデルセンや、後のモーフィー対アンデルセンの3.d4. cxd4, 4.Nxd4. e6, 5.Nb5 を見れば、当時の2...Nc6 に欠陥があるのは私の目にも確かではあるが。なお、一九世紀後半では2...e6 と2...Nc6 の採用率はそんなに差が無い。
 私が想像する2...Nc6 の意味はNf6 の準備だ。それから、3.Nc3 なら3...e5 を試してみたい。調べたら、現代ではシロフ、ラジャボフ、カールセン、いづれも私の好きな選手が3...e5 を指している。ただ勝率が感心しない。これが魅力で2...Nc6 が重要定跡であるわけではなさそうだ。結局わからない。もう恥は書き捨てだ。
 マタイ受難曲は何度も聴くもんぢゃない。私はたぶん五回だ。礒山雅『マタイ受難曲』(一九九四)は最後に三十七種のディスクを解説していている。研究者の不幸を思う。「バッハ演奏にはどうしても抑制が必要だ」というのは同感だ。メンゲルベルクは酷評されて当然である。「合唱の迫力は怒涛のごとくで」「ここぞというところに大見得を切るようなクライマックスが築かれる」、それには「うんざりする」「聴いていて途方に暮れる」。その彼が最後にこう付けくわえてるのはとても正直で、これにも同感である、「当時にタイムスリップして聴衆の一人となれば、さぞ圧倒されることだろう」。私はCDを聴いて打ちのめされるという経験が初めてだった。久しぶりにガーディナーとクレンペラーを取り出し、最初の部分だけ聴き直して、11/08/17 の「運命」と同様のお祓いをした。特にガーディナーで悪夢からさめた。礒山を引くと、「速いテンポで、たたみかけるように運んでゆく。きびきびしてめりはりに富んだこのテンポは、いちど経験すると、もう元には戻れないと思うくらいに爽快である」。
 もともと私はメンゲルベルクやフルトヴェングラーのように情念で楽譜を塗りたくる指揮者が嫌いなのだ。音楽というより演劇ではないか、と思ってしまう。とはいえ、彼らの演奏が聴く者の感情を根こそぎゆさぶるのは確かだ。彼らが信者を集めるのもわかる。一九九八年六月号の「レコード芸術」が「マタイ受難曲」特集だった。柳田邦男がエッセイを寄せている。自殺した息子にもかかわる思い出があり、メンゲルベルク盤が人生でいかに大切だったかを述べている。後半に、名指しは避けながらも、礒山の本がこの盤に感激する者への皮肉めいた発言を記したことに触れている。「心が凍結するようなショックを受けた」とのこと。「学問への失望」を味わったそうだ。礒山の問題の箇所を引用すると、「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」。柳田は、「楽譜を研究し、作曲家が意図したことを忠実に再現しようとすることは、基本的に重要だが、演奏家の主体的な解釈もあってしかるべきだろう」と結論して、メンゲルベルクのような演奏姿勢を擁護している。どうだろう。メンゲルベルクは、自分は楽譜を研究したし、自分こそが作曲家の意図を忠実に再現している、と確信していたはずだ。そして、それを信じない者が彼の演奏に感動できるわけがない。だから、柳田の言うべきことは、礒山の名を伏せたうえでの恨み言ではなく、メンゲルベルクだろうとジャック・ルーシェだろうと、それはバッハなのだ、とまっとうに主張することのはずではないか。
11/09/15
 携帯をいぢっていた嫁が、「あ、見ちゃった」と言う。王位戦最終局の結果だ。米長邦雄のツイッターで知ったのだ。そんなのフォローしてるの、と驚く私に、「うん、気色わるくてつい見ちゃう」。駄洒落のセンスがひどいそうだ。朗読してもらった。ひどい。おまけに嫁が言うに、「このおっさん、三万人以上にもフォローされてるのに、自分がフォローしてるのゼロだぜ」。
 難波にワルツ堂という大きなCD屋さんがあって、クラシック音楽がとても充実していた。九年前に自己破産した時はショックだった。梅田第一ビルのWalty がその復活店だ、と今年になって知り、ほとんど同時に閉店を知ったのも残念だった。こないだ、それが中古CD店として、同じビルですぐ出直したというブログを見つけた。行こう。
 ワルツ堂の二十分の一かなあというスペースに商品が並んでいる。昔っからの常連たちが挨拶を交わしている。私が買ったのは、メンゲルベルクのマタイ受難曲をオーパス蔵ので。三枚組5250円が2520円だった。それから、バリリ四重奏団のモーツァルト弦楽四重奏曲集。バリリは初期の九曲しかウェストミンスターで録音してないと思っていたので驚いた。五枚組7500円を3885円で。
 例によって深夜にまづマタイを聴く。常軌を逸した盛り上がりで有名なライヴだ。一九三九年という時代の不安と狂気の底から合唱隊が「われら涙たれつつうづくまり」と血の声を震わせ、とうとう観客はすすり泣きを始める。古い盤特有の針音の向こうにいま救済を求めて必死の人たちがいるけど、私は結末を知ってるだけで何もできない、という恐ろしい臨場感がのしかかる。まだ民主党はここまで人を絶望させてない、と許す気になった。
11/09/13
 最近またチェスのニュースを見るようになった。軽くである。ハンティマンシスクでワールドカップをやっている。Chess Base のページを開くと、ちょうどガシモフ対ポノマリョフの対局映像が流れており、左図の最終盤だった。黒番である。黒勝だよな。黒は白王の位置に気をつけながらKb1, Nb2 で白僧を囲めばいい。実戦もそう進んで、99...Kc1, 100.Kd3. Kb1, 101.Kd2. Nb2 だ。103手でガシモフは投了した。
 他愛無い。私でさえ一目なのだから、これほどの対局者ならノータイムだ。そう思って見ていた私は感動した。二人とも、一手一手に苦しんでいるではないか。101.Nb2 が実現した後でさえ真剣であった。実のところ、左図を私は考え直してみたら、なかなか読み切れなかった。もちろん、ポノマリョフは考えなくてもわかったはずだ。それを考えたわけである。
 11/07/17のブラームスが気に入ったので、父ザンデルリンクのショスタコーヴィチも買ってみた。もちろんベルリン交響楽団でだ。第一番、五番、六番、八番、十番、十五番の五枚組である。嫌いか、聞いてないか、忘れた曲ばかりだ。ひとまづ十番を選び、カラヤンと比べた。一九八一年録音の、もちろんベルリンフィルハーモニー管弦楽団だ。『名曲名盤300』では五回連続で一位の名盤である。結論を言うと、私はザンデルリンクが気に入った。曲がよくわかった。カラヤンは音がきれいで、スネアドラムでさえ管弦になじんで溶けている。見事なもんだ。そして、それだけのことである。曲全体がぼやっとして聴こえた。たぶん、耳の良い人や、交響曲に慣れてる人には、この演奏で曲の各部をクリアに聴き分けられるんだろう。私には武骨なザンデルリンクの方が好ましい。
11/09/08
 医者に行ってきた。職場でよく同僚たちから聞かされたとおりだ。赤ん坊が成長するにつれて、抱っこする父親の腕が痛くなってくるのだ。近所の整形外科に、私は届いたばかりのChess Informant 110 を持っていった。いつも混んでいる医者なので、ちょうど良いひまつぶしになる。おまけに、会計の呼び出しさんに無視されてしまい、病院を出るまで二時間半もかかった。診察は数分。「おまえは二時間半もボケっと待っておったのか」と言われると、Informant に夢中だったのである。空腹で気分が悪くなって初めて、周囲から私以外の患者が消えていることに気付いた。
 108 や109 に比べて編集が良くなった。尊い棋譜をレイティング別で分類するという不快な方針が消えた。プロブレムのページができた。流行定跡の解説が詳しくなった。五人のGMがそれぞれB48、B81、B94、D07、D85 を担当し、簡単な英語で論じてから三頁もかけて変化手順を提示している。
 D07 を結論だけ紹介しておこう。チゴリン防御である。私は機械との対戦でよく出会った。定跡書では白良しなのに、その手順を暗記して実現させても、あまり有利になった気がせず、チゴリン防御は優秀だと思うようになった。図を御覧あれ。5...Bg4 まで。私が愛用していたBCO2(1989)では、6.Be3 で白優勢、最近のSmall ECO 第三版(2010)でも白やや良しである。私もそう指すだろう。モロゼビッチの本(2007)では、これを重要な局面と位置付け、6.d5 と6.Be3 を解説し、6.Be3 には6...e6 と受けて「ちょっと一息つける」と述べている。
 Informant の担当者ソラックが推すのは6.Bxc4 である。珍しい手だ。私の目には6...Bxf3 で白が困るように見える。これには7.gxf3. Qxd4, 8.Qb3. Ne5 で9.Be2 が好手なのだとか。ソラックによれば、「チゴリン防御は厄介な問題を抱えている」。
 メタフォーは強烈な個性を持った弦楽四重奏団というわけではなかった。立って演奏するらしいのが変わってる程度だ。優等生タイプである。コンクールで票が集まるのはわかる気がした。作品55を聴き比べたところでも、私はフェステティーチを好む。ただ、ベートーヴェンやショスタコーヴィチをやらせたら、彼らは縦横無尽かもしれない。ミネッティではモーツァルトとかラヴェルを聴きたいなあ。私はミネッティを応援しつつ、どちらにも期待してます。
11/09/06
 山崎隆之の将棋は序盤も楽しい。一手損角換腰掛銀とか、発想に華がある。読売新聞の竜王戦観戦記はいま、彼と後手久保利明戦だ。久保のゴキゲン中飛車に対して山崎は七筋位取を採用した。独創的である。そして、中盤も非凡だ。掲載第2譜の指了図を見てほしい。ここで山崎が自陣角を打ったという。どこに?翌日の第3譜を見てぶったまげた。▲3八角だった。「飛車の打ち込みを防ぐだけでなく、▲4六歩と突けば後手の玉頭をにらんでいる」。久保も劣勢を意識した。私の記憶にある自陣角としては天野宗歩級である。ところが、みなさんも御存知のとおり、山崎はこれを負けるのだ。
 ハイドン国際室内楽コンクールってどのくらい権威があるんだろう。各所で優勝や一位が当然のミネッティ弦楽四重奏団が、ここでは二位に甘んじている。コンクール向きの芸風でないから二位でもいい。それより、一位はどうだったんだろう。簡単にわかった。メタ4(メタフォー)弦楽四重奏団というふざけた名の連中だった。よっし、聴いてやろうぢゃないの。彼らのデビュー盤もハイドンなのだ。師匠から「ハイドンさえ弾ければあとは何でもできる」と言われてたらしい。良い師匠だな。「カパブランカさえ並べておけばチェスはだいたいわかる」という感じだ。演目は作品55の三曲。ただ者ではない。注文したCDが届くまでにフェステティーチ弦楽四重奏団で久しぶりにこの曲を聴き直して、私は迎撃態勢を整えた。
11/09/04 紹介棋譜3参照
 ずいぶん昔にチェスの日本選手権の棋譜集を買ったことがあって、あれも4.Bxc6 が多かったなあ。将棋で言うと、▲7六歩△3四歩に対して▲7五歩だけを指す、そうすれば中飛車も横歩取も勉強せずに済む、という発想だろう。こんな強豪による大会、つまり、定跡を気にするから定跡を勉強をしないという強豪が全国から集まる将棋大会って、あり得ない。だから、これは日本人ではなく日本のチェスファンの特徴なんだろう。
 最近のマーシャルを知りたくなって何局か検索して並べた。七月のイワンチュク対レコの17...f5 に「おやっ」と思った。もともとこの棋譜は風変わりで、白が15.Be3 を省き、急いで15.Qe2, 16.Qf1 である。それは2007年のスヴィドレル対レコと同じで、初めてではない。15.Qe2 ではなく17...f5 に反応した私は、自分の目がうれしくなった。17...f5 は強豪同士の対戦における新手なのだ。スヴィドレル戦は17...Rae8 だった。この普通の手でやや不利になったレコは反省手を用意していたのだろう。以下、18.c4. f4, 19.cxd5. c5 だ。このすごさは研究手順としか思えない。18.f3 が正着だったそうだ。
 例によってハイドン音盤倉庫で絶賛されていたCDを買ったところ、素晴らしかった。ミネッティ弦楽四重奏団のデビュー盤で、ハイドンの作品64の4、74の3(騎士)、76の5(ラルゴ)の三曲、録音は三年前。まづ録音が見事。技師はトーマス・ラング、覚えておこう。そして演奏。「若手らしく音楽が溌剌としています」という音盤倉庫氏の感想にはちょっと違和感がある。激しく同意したいのは、「テクニックの誇示のような雰囲気はなくあくまでも自然。相当の力量でないとこのような演奏は出来ないでしょう」というあたり。実力の八割くらいで弾いている感じ。たいていの演奏家が強調する聴かせ所をすんなり通す。ただし、チラッとだけひらめかせる。そこから漂う、残り二割の余裕が高貴なのだ。これには第一ヴァイオリンの美意識が働いてるように思う。他の三人の音がまろやかに溶けあう感じで支えている。高貴とか美意識とか、そんな言葉を使うのは久しぶりです。
11/08/29
 日本人とチェスをして面白くないのは、定跡を気にするからだ。定跡を気にして努力するのではなく、定跡を気にして、たとえばスペイン定跡の3...a6 に対し4.Bxc6 を選ぶからである。なんとネットで出会った一〇〇パーセントがそうだった。たぶん今でもこの状況に変化はあるまい。4.Bxc6 が得意でそう指すのなら許せる。実際は下手くそばかり。つまり、4.Bxc6 によって難解な定跡を避けたい、というだけの安易な心象がありありと伝わって胸糞悪くなるのだ。フランス防御に3.e5 を選ぶ奴にも、同じさもしさを感じる。3.Nc3 に出会ったことはほとんど無い。共に風雅を語るに足りぬ者どもだ。おかげで私はマーシャル・アタックを、機械に対してしか実現できたことが無い。もちろん、私のマーシャルを避けていただけるのは本当は光栄である。実際は私なんて避けるに値しない実力であるから腹が立つのだ。
 今年のいつだったか、谷川浩司が読売新聞に短いエッセイを寄せ、こんなことを書いていた。「ベテランになるにしたがって、最新形についてゆくのが大変になり、独自の戦い方に転換する棋士も多い。(略)ただ、私自身は、このスタイルは力の衰えを認めることになるようで抵抗があるし、最後の手段という気もしている。もう少し粘って、若い人に交じっての研究も続け、「最新形の戦いを逃げない」という、高い志だけは持ち続けたいと考えている」。
 わが息子あきら一歳半を寝かしつける子守唄には、私の一番好きな「ゆりかごのうた」を使う。白秋耕筰コンビのだ。もっと歌われるのは自作の「あきらくん讃歌」である。歌詞は、「偉大なる指導者、たぐいまれなる知性、おーおーあきらくん、ありがとうあきらくん」。自作の歌は他にもたくさんあり、周囲の評判も良い。私には意外な才能があったようだ。替え歌も使う。旋律はバッハ「無伴奏バイオリンのパルティータ第三番」のガボットだ。「ぼっくはあっきら、かわいいよ」と始まり、「ほんとほんとほんとだよ」で終わる。歌詞抜きではもう聴けなくなった。
 この曲で私が持ってるCDはシゲティ(一九五六)、クレーメル(一九八〇)、クイケン(一九八一)、ハーン(一九九六)である。ガボットだけ聴き比べてみた。音をためたりして、いちばんクセがあるのがクレーメルだ。こだわりを押しつけてくる感じが楽しくない。いちばんすんなりしてるのがクイケンである。弱弱しいほどで、これでは物足りない人も多かろう。私は好きだ。いちばん伸び伸びしてるのがハーン。十七歳の天才だけに許されたまぶしい演奏である。シゲティは六十八歳だった。軽めに弾いており、彼独特のギャリギャリと鳴るノコギリ式精神主義は薄い。この曲では当然だろう。昔は聴くにたえなかったシゲティが好ましかった。
11/08/22
 『猫を抱いて象と泳ぐ』の主人公と老婆令嬢の対局には、実際に指された棋譜が使用されている。そうするよう小川洋子に勧めたのは若島正である。私は三年前に読みながら、これは何かの実戦譜だろうな、と勘づいてはいた。誰の対局だろう。ちょっと探して見つからず、あっさりあきらめてしまった。もしかしたら、いまだに知られてなさそうだ。それならひと肌脱ぎましょう。で、図が老婆令嬢の「負けました」と言った局面である。何が悔しいって、この棋譜をすっと作家に提供できてしまう若島正が私は悔しい。あんまり悔しいから、対局者を内緒にしておく。チェスファンが真面目に探そうと思えば、そんなに難しい作業ではないので、志あるかたは御自分で見つけてください。
 小川洋子がこの小説を書くきっかけが羽生善治だった。フィッシャーが成田で拘束された際、羽生は小泉総理大臣にメールを送って、救済措置を嘆願している。このメールで羽生はフィッシャーのチェスにモーツァルトの音楽と同等の芸術性を認めた。小川はこれを「素晴らしい忘れがたい手紙でした」と感じたそうだ、「チェスの棋譜も楽譜や詩、絵画と同じで芸術になりうるんだなということを、このことによって知りました。(略)人間が知性の極限を突破すると狂気じみてくるんですね。(略)やはり世間の真ん中では生きていけないんですね。これは小説になるんじゃないかと、直感しました」(「本の話」〇九年一月号)。
11/08/21
 長話になった。今日で終えよう。正解は▲8八香である。「攻防の香打だ。一手で△8八角と△8七角の両方を消しているのが自慢である」。実戦は△7八桂成▲同玉△1九竜と進んだ。村山がのんびり香を取ったのは、▲3四竜に△8五香を狙っているからだ。これに▲同香なら△8七角▲同玉△6九竜である。だから本譜の佐藤は▲7五桂と打った。これなら同じように△8五香▲同香△8七角▲同玉△6九竜と進んだとき、▲8四香で後手玉は詰んでしまう。で、村山は△4三銀と手をもどし、佐藤は▲3一竜で辛うじて優勢を保つことができた。読みのかみ合った良い終盤だと思う。佐藤が押し切って勝った。佐藤の追悼文にこうある、「感想戦が終わり、私が席を立ち、廊下から振り返ると彼がまだ座っていたのが印象に残っている」。これが一月のこと。五か月後、佐藤は名人になり、七か月後、村山は亡くなった。
 小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』が文庫になったので読み返している。三年前の連載時の感想も読み返した。感心してしまった。少なくとも昔は良いブログだった。こないだも『棋道半世紀』を紹介した頃の記事を読み返して、04/04/01 などつい爆笑してましった。いまはこんな低レベルになってしまって、やめる方が潔いのだろうけど、書いてる方が生きていて楽なのである。で、くだらない疑問を述べると、『象と泳ぐ』の舞台はどこなんだろう。たぶん太平洋に面した国だ。コンピュータによるチェスは普及しているらしい。そして、デパートの屋上食堂ではお子様ランチが定番だ。採譜の記録係が存在し、登場する対局者全員が駒音を鳴らして着手する。
11/08/20
 村山と佐藤みたいな若手のライバル関係って今でもあるのかなあ。追悼文で佐藤は二人の最後の対局から村山の△8六桂を図に掲げた。狙いは△7八桂成▲同玉△8七角▲同玉△6九竜だ。さて、佐藤はどう指したか。『佐藤康光の戦いの絶対感覚』(二〇〇〇)で詳しく解説されている。▲8六同玉には△8八角が好手だ。以下、▲7七角△6九竜▲同銀△7九角成で負け。といって、手堅く▲5九香では△7八桂成▲同玉△4三銀で悪い。正解は次回に。△7八桂成▲同玉は必然として、その後の△8七角を防ぎ、同時に好手△8八角も消したい。
 こないだバイダーベックについて書いて、ニューヨーク大会にもふれた。一九二四年のも一九二七年のも、アリョーヒンが棋譜解説を上梓している。どちらも名著として知られている。後者が今年になってやっと英語に翻訳された。カパ圧勝の大会なので、展開は面白くない。最終日が近づくとカパもやる気を無くして、「残りはぜんぶ皆さんと引き分けてあげますよ」とまで宣言した。それでも、カパブランカとアリョーヒンとニムゾビッチがそろって参加した珍しい大会である。期待して読み始めた。が、熱戦が少ない。参加者はカパを警戒しすぎたのではないか。アリョーヒンも書いているとおりで、「カパに対して最善手を指してはならない、と、まるで決められていたようだった」。4ラウンドで読むのをやめた。もちろん、別の楽しみ方はあるし、名著であることまで否定はしない。
11/08/19
 『聖の青春』の村山は激情家だが、私がテレビで見たり、他の人から聞いたりした印象は、また違う。それだけに佐藤とのエピソードが興味深い。どんな対局風景だったんだろう。羽生善治と先崎が対談形式で棋譜を解説した『村山聖名局集』(二〇〇〇)によると、村山の四勝六敗一千日手だ。千日手は二人が五段の順位戦で、その指直し局が『名局集』に入っている。先手村山の圧勝だ。つうより、後手佐藤の圧敗か。解説では、羽生「しかし、後手もすごい」先崎「逆転しない粘りだもんな」とまで言われている。投了図を見るだけでわかるだろう。「徹底的に叩きのめ」されてるやん。ちなみに千日手局は佐藤の初手7六歩に村山が3二金と応じて始まった。佐藤ファンならこの挑発は御存知だろう。
 帰省ネタをもうひとつだけ。関根金次郎『棋道半世紀』も読み返した。04/03/24 から四回かけて御紹介したこともある。『王将』や坂口安吾の勝手な描きようのおかげで、関根は最も誤解されている名人だと思う。読み返したのは、初対面の飯塚力造をなめてかかってえらい目にあったくだりである。「よくきくと、強いのも道理、この飯塚さんは「川崎小僧」といはれた名手であつた。(略)ところで、現在つかはれてゐるやうな将棋の駒台を発明したのは、実はこの飯塚さんであつた。飯塚さんが駒台を発案するまでは、高段者は半紙を四つに折つてその上に駒を置いてゐたものなのである。ところが、最初飯塚さんはお雛様にいろんなお供へものをするあの飾台からヒントを得て、さういふものがあつたならば、手でとるのにも便利だし、眼で見るのにもハツキリするといふところから、工夫に工夫をこらして、現在用ひられているやうな形式にまで発展させ完成させたのであつた」。禿頭の太ったおぢさんだったらしい。義太夫が趣味で、凝り過ぎて、舞台で倒れて亡くなったそうだ。
11/08/18
 棋士らしい個性的な原稿の集まった村山聖追悼号だった。佐藤康光は書いている、「私の推測だが、私の将棋は全面的に彼に認められていなかったと思う。彼にとっては羽生さんしか眼中になかったかもしれないが。何げない一言や行動でそれを感じていた。彼は即興の将棋は嫌っていた。私の将棋は多少、そういう面を持っている。そうであれば仕方がない。手段は一つ。対局で盤を挟み、徹底的に叩きのめす他はない。私も燃えたぎっていた」。大崎善生『聖の青春』(二〇〇〇)にこんな場面がある、「特に佐藤康光へのライバル心は激しいものがあった。佐藤と村山、そして滝の三人で三人で飲みにいっても、滝を真ん中にはさんで村山は決して佐藤と直接話をしようとしないのである。何か佐藤に話があったとしても、村山はそれを滝に伝える。そして、滝がそれを佐藤に伝えるというふうにである」。
 今度の帰省に際し、嫁が「アキバに寄りたい」。好きな作家さんの展示会をしているらしい。そう言えば、11/05/09 に書いたコミケか何かで、この人の画集を手に入れてホクホクと帰ってきたことがあった。場所はカフェ「月夜のサアカス」である。品が良く、スコーンもおいしかった。たくさん並んだ原画に見入って、嫁は満足したようだ。店を出てからは別行動である。せっかく秋葉原に来たのだから、私はひさびさに石丸電気でCDを買おうと思ったのだ。そして跡地で、あの大きなCD館が閉店してることを知った。真夏日にこれはこたえた。私が関西に越して十数年、洋書イエナが消え、詩のぱろうるが消え、ここも消えたか。仕方なく神保町へまわり、アカシヤ書店にだけ寄り、ティマンが一九七二年のレイキャビクを解説したFischer World Champion ! を買って、嫁との待ち合わせ場所に急いだ。んー、アカシヤは不滅だろうな。
11/08/17
 いつも書いているとおりで、盆の帰省は棋書を読み返すのが楽しみである。今年もいろいろ棚から引き出しているうち、こんな一節に再会してしまった、「今、この文章を読んだ方は決して忘れないで頂きたい。そして語り継いで頂きたい。平成初期の将棋界を駆け抜け夭折した男は、将棋の天才だったと。と、同時に人間味溢れる青年だったと」。一九九八年の「将棋世界」十月号である。村山聖追悼号だ。引用は先崎学の追悼文である。西暦を計算して気がついた、ああ、今年は十三回忌だ。今月の八日が命日だった。新聞の小さな死亡記事を目にして絶句した日の一瞬がよみがえった。語り継がねばなるまい。
 実家に置いてあるCDも多くって、それを聴き返すのも楽しみである。今年はメンゲルベルクの生誕一四〇周年であり、没後六〇周年でもある。一九三七年録音の「運命」をガタのきたCDラジカセで聴いた。もったいぶった遅さで知られた演奏である。なのに、リズムに躍動感がある。古き良きベートーヴェンだ。この曲の物語を真剣に信じて、人生の苦悩と歓喜を恥ずかしげも無く伝えている。昔の私と違って、それをぜんぜん下品とは思えず、驚いた。むしろ、最近のスピード感ある演奏の方が、ポッと出のロックバンドみたいな爽快感ばかり求めているチャラ男ではないか。そしてアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団の弦が素晴らしい。重厚なだけでなく、つややかだ。ピチカートも官能的で。いかんいかん、何を言ってるんだ私は。大阪に帰って、いま久しぶりにクライバーで聴き直し、除染してるところである。
11/08/06
 第一番はまだ『月下推敲』固有の作品ではないと知ったので、第二番も考えよう。6六や4七にまで駒が散らばっていて、私で詰む気がしない。巻末を覗くと十五手詰だとわかって安心した。第一感は▲2四角△同玉▲5四飛で、これを△4四馬なら▲2三飛で詰む。まづはここから。
 酒と大恐慌に痛めつけられて、ビックス・バイダーベックが二八歳で亡くなったのは、八〇年前のちょうど今日である。前回の更新がきっかけで聴き直すうちに興味が出て検索してわかった。パワフルなルイ・アームストロングと対照的で、抑制のきいた品のある演奏をした、というのが一般的な評価らしい。当然ながら録音は一九二〇年代である。一九二四年や一九二七年のニューヨーク大会の会場近くで流れていた音楽ということになる。カパブランカとバイダーベックかあ、すんげえ粋な時代だったように思えてしまう。
11/08/02
 ▲3四角成で駒が余ったおかげでミスに気づけた。そもそも、こんなつまらない手順が正解であるわけない。そう思いながら反射的につい「詰んだ!」と判断してしまうことが私はよくある。あっ、これが「詰めの甘い性格」ってやつか。子供のころは、プラモデルを作ると細かい部分は省略してたし、いまでも、哲学書を読むと七割くらいで全体がわかった気になって閉じたりしている。話をもどそう。▲4二銀成に△同玉しか私は読んでなかった。他に△1二玉があるではないか。でも、ここまで気づけば簡単だ。△1二玉には▲1三金△同玉▲2四金の筋があることをすでに知っている。やっと詰んだ。
 解説で正解を確かめた。作者としては▲4二銀成は不成かどうかで悩んでほしかったようだ。そういうもんかなあ。また、初手に対する△3三玉の変化も解説されている。私くらいの初段ならあまり読まずにわかる。解き終わった感想としては、3六歩が、目立つわりに意味の弱い点が不満だ。『光速の詰将棋』の最後の問題だそうだ。たしかに、他の問題と比べて駒配置の雰囲気が違う。
 第一番は『光速の詰将棋』では「5分で五段」の問題だった。これを5分で解ける人は、私が「直観」や「自然」で浮かんだ数手や「すでに知っている筋」が、もっとたくさん瞬時にひらめくのだろう。天才だろうと三流棋士だろうと、その会得は習練によって膨大なパターンを記憶に蓄積させるしかないと思う。詰めの甘い人間はこの蓄積作業をだいぶ怠ってるに違いない。
 例によってアマゾンをいぢっていると、Workin' が現れ、嫌な予感がした。私はジャズのCDに興味を持った時期があって、悠雅彦『ジャズ―進化・解体・再生の歴史』(一九九八)を参考に、オリジナルディキシーランドジャズバンドの録音(一九一七)から「ウィントン・マルサリスの肖像」(一九八一)まで、いろいろ買ったものだった。いまでも手近なCD棚に置いてあるのは数枚しかない。たとえばマラソンセッションの四枚、つまり、Walkin' Steamn' Relaxn' Cookin' なんかである。いやはや、何年もそう思ってた。伝説の四枚はWalkin' ぢゃなくてWorkin' だったのだ。まぎらわしい。おかげさんで、今頃になってWorkin' を楽しむことができた。反面、私の耳が変化しており、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムが騒騒しく聞こえた。Walkin' のケニー・クラークの方が好きである。棚の模様替えをせねばなるまい。残留できるのは、ケルンコンサート、カウント・ベーシーのベスト、Bags Groove くらいだろうか。復活候補はビックス・バイダーベックである。
11/08/01
 第一感の手で見込みが無い時は、一番めんどくさそうな手を考える。▲4四角だ。十一通りの対応がある。△3三金なら▲1三金△同玉▲2五桂で詰むなあ。でも他がぱっとしない。じゃあ4四角を打たずに初手▲1三金はどうだろう。△同桂や△同香なら今度は▲4四角で詰むので、△同玉しかない。とはいえ、私にも続く手が無い。うーん。
 残されたのは気乗りしない手ばかりである。その中で、いくらか有望に思えるのが▲3四桂だ。これまでの試行錯誤のおかげで、△1二玉は▲1三金△同玉▲2四金で詰むことが直観でわかる。だから▲3四桂には△同香しかない。すると、ほほっ、いくらなんでも私だって終盤型の棋風だから、▲3一角が自然に浮かんだ。△同玉は▲4二銀成で詰むだろう。やっと見えてきたぞ。正解手順は▲3五桂△同香▲3一角△3三玉▲4二角成△4四玉に違いない。以下、▲3四角成で、、、あれっ、駒が余る。
 読み間違ったらしい。たぶん▲4二銀成のとこだ。今日はここまで。明日には詰むだろう。
 例によってアマゾンをいぢっていると、仲道郁代が現れ、もともと私はこんな顔立ちの女性が好みだったなあ、と思い出した。幸運にも、似た顔に出会うことが一回も無い人生だった。時間をかけてジャケットを吟味し、一番気に入ったグリーグのCDを注文した。収録曲は、ピアノ協奏曲、抒情小曲八曲、ホルベルク組曲である。協奏曲が良かった。ちなみに、私が聴いてきた協奏曲はルビンシュタイン、リパッティ、ルプーである。録音状態を別にすれば、私には聴き分ける能力が無い。とてもよくあることで、同じ曲のCDを何枚も持ってるのが虚しくなる。
11/07/31
 『光速の詰将棋』さえ詰め切れなかった私だが、『月下推敲』が出たとなるとやっぱ欲しい。いいのである。すでに『盤上のファンタジア』はもちろん『ゆめまぼろし百番』も『夢の華』も、ほかいろいろと持っている。序文や解説を読んでるだけで幸福な気分になれるからだ。将棋ファンにしか通じない小さな世界に注がれた無償の情熱が伝わってくる。とはいえ、第一番だけでも詰めたいなあ。第一感は初手▲3三金であるが、困ったことに△同桂でさえ詰む気がしない。三日間で詰めれたらうれしい。
 サイのおかげでハイドンのクラヴィーア・ソナタ(ピアノ・ソナタ)に目覚めた。こないだまで、この分野がハイドンの弱点だな、なんて思っていたのだ。ちなみに私が聴いていたのはブレンデルとグールドである。前者は響きが野太くてハイドンの典雅さに欠けるし、後者は、まあ言わずもがなでしょう。モーツァルトのCDならどちらも好きなんだけど。別のピアニストを注文せねばならない。まづ届いたのがゼルキンとフー・ツォンである。
 ツォンは出たばかり。評判が良く、「レコード芸術」七月号で特選盤になった。「なんら大仰な構えも、粋をこらした意匠もそこにはなく、淡々と、言うならば草書体の名筆を想わせながら音符を運んでいくだけなのだが、その微妙な濃淡。間の綾からにじみ出てくるニュアンスの深さ、わけても言い知れぬペーソスは、聴きてを捉えて離さない」(濱田滋郎)、「まずそのピアノの澄み切った響きがすばらしい。夾雑物のない純度の高い響きだ」(那須田務)。ペダルを踏みっぱなしなのかしら、と私のような素人には思えるほどの響きである。それが華麗にはならず、「微妙な濃淡」を曳くのが特徴だ。フレーズごとに、ああそうきますか、と考えながら聴いた。ハイドンはこう聴ける時が深い。演者と聴者の対局である。
 その後でゼルキンを聴いて愕然とした。この人は段違いだ。曲の姿がすっくと立ち上がる。他の人の演奏は崩れかけたピラミッドのようなもんだ。「可能な限りの雄弁風の身ぶりを削りおとし、本質的なものだけに切りつめたまじめな音楽といった格好で、私たちの目の前に立っている」(吉田秀和)。一音一音のレベルで悩んでると全体像はどうしてもゆがむだろうに、それを膨大な時間をかけて修整し続け、ついにひとつの安定した形を成すまでそれをやめない人という感じだ。これは多くの人がゼルキンについて述べてきたことであるが、初めて私も実感できた。私の聴いたCDは、七五歳記念のコンサートと、レーガーの変奏曲が入ってるやつである。吉田の解説は前者にある。
11/07/22 紹介棋譜2参照
 Grandmaster Chess Strategy の第一章を読み終えた。良い本のようだ。副題はWhat Amateurs Can Learn from Ulf Andersson's Positional Masterpieces である。第一章の主題は「二か所の弱点に対する指し回し」。弱点を一か所だけ攻めても戦果は期待できないけれど、二か所となると相手も受け切れない。この章で一番わかりやすいシャックス戦を御紹介しよう。
 図は21.f3 まで。e3 地点が弱くなった。でもアンデルソンはいきなりそこを突くわけではない。弱点をもう一か所つくろう。「こんな局面での標準的な戦略がある」、それは何?という問題。私はわかりましたよ。21...h5 から22...h4 ですね。こうしてh筋を支配してから、アンデルソンはねちねちe3 地点につきまとう。シャックスはそこを必死に防いでるうちにgポーンを取られて駒損し、敗勢に陥った。そのあたりは紹介棋譜で御鑑賞ください。
 なお、本書の解説は、21...h5 からの攻めが「白陣に最初の弱点を作る」と書いてある。ちょっと気に食わない。
 アマゾンのくだらない「おすすめ商品」に片っ端から「興味がありません」を押すのが私の暗い趣味である。ついに「おすすめはありません」を表示させた時の孤独感は甘美なものだ。ある日、ファジル・サイというピアニストのハイドンをおすすめされた。視聴したら軽やかで素敵だ。ぐぐったら、「鬼才、天才、ファジル・サイ」という宣伝文句があるそうで、彼が「変曲」したトルコ行進曲を聴くと、たしかに色物芸人だった。嫁に教えたら大喜びだ。アマゾンのレヴューも見せると、「古典で遊ぶな」と書いてある。嫁は鼻息荒く「古典で遊んで何が悪い!」。同感だ。精神性のかけらも無く、ただ指を動かすのが楽しいという演奏である。それが心地よい。サイの若い頃の演奏もYou Tube で見た。表情は狂人であった。悪魔に魂を売って得た指の素早さに驚きながらも、口元がゆがんで、よだれが垂れそうで痛ましく、私も嫁も気分が沈んだ。現在のからっぽぶりはただの無内容ではない。きっと苦労して人間らしくなったんだ。
11/07/17
 嫁は携帯電話に漢字変換のいろんな辞書を仕込んでいる。将棋用語辞典まで入れており、「ふ」と打つと変換候補の一番上に「藤井システム」が現れる。本人は満足げであり、私は「それって不便ぢゃない?」とはよう聞けんかった。
 ハイドンを精力的に録音してるトーマス・ファイという指揮者がいる。応援するつもりで聴いてみたら、ハイドンとは思えないどんちゃん騒ぎだった。彼のことは「ハイドンチャン」と呼ぶことにする。スッペとかカバレフスキーとか振ってる方が似合うだろうに。同年代のハイドン指揮者なら、シュテファン・ザンデルリンクをお薦めしたい。第四十三番(マーキュリー)、第四十四番(悲しみ)、第四十五番(告別)を収めた一枚だ。選曲にひかれて買った。たんに順番に並べただけのようでいて、これほどセンスの良い選曲のハイドンって、なかなかお目にかかれない。一九九五年の録音だから三十一歳の若々しさ。いかにも無名指揮者です、という感じで、ジャケットの裏にだけちっちゃく名前が印字されてる。オケはロイヤルフィルハーモニック。低弦が重厚でいて、三曲で六十一分三十七秒という爽快なスピード感が疾風怒濤期の感傷を盛り上げてくれる。
 シュテファンの兄弟のトーマスもミヒャエルも指揮者だそうだ。父クルトまで指揮者だった。私は不覚にもクルトが大指揮者であることを知らなかった。代表作のブラームス交響曲全集を買った。ベルリン交響楽団のである。派手さを完全に排除した遅い演奏だった。ちょうど11/04/25 でミュンシュ盤に笑わされた後だったこともあり、聴く者を追い込む緊張感の無いクルトの第一番は好ましかった。また、こうした演奏だと第三番が映えるのが発見だった。「聴かせ」てはいけない曲だったのである。三番を初めて気に入った。ネットの評判は誰も彼も「しぶい」の連呼で、多くの日本人がこんな演奏を愛してくれてるのがうれしい。
11/07/13 紹介棋譜1参照
 では解答を。図から38...Bd6, 39.Qc2. Re5 です。巧みでしょう。狙いのひとつは、黒Rh5+ 白Kg1 黒Qa7+ の両取りです。実戦は40.g3. Qe8, 41.Rde1. Bb7, 42.Kg1. Nh7 と進みました。ビショップはBb7 -c8 -d7 に進み、ナイトはNh7 -g5 からe5 ポーンを取る。言ってると、全部引用してしまいそうな名局です。このあと、アンデルソンはほとんどカルポフに勝てませんでした。カルポフもよほど悔しかったんでしょうか。
 私は土曜の仕事が多い。閑散とした職場の廊下を歩くのは腹の立つものである。少しは楽しんでも罪にはなるまいと思った。DVD を持ち込んで音響設備を勝手に使わせてもらい、自己流の出勤手当にしている。機器の管理がゆるい職場はありがたい。自宅では実現不可能の大音響でオーケストラを聴けるのである。演奏はヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団だ。曲はハイドンの交響曲で私の大好きな第七十六番である。感想は09/11/29 に書いたことがある。ヴァントもこの隠れた傑作を愛してくれて、何度も演目に選んでいたらしい。この曲は第二楽章の雰囲気の変化が聴きどころだ。そこがなってない指揮者が多いから、演奏によってぜんぜん印象が異なってしまう。もちろんヴァントは私の望む音をかなえてくれる。第一楽章で指揮棒を飛ばしてしまい、なにくわぬ顔で別のを使い始める表情も楽しい。終わるとブルックナーの六番が始まる。こちらは聞いたことが無い。何度聞いても私にはどうせよくわからんです。
11/07/11
 アンデルソンを論じた本が出てる。アンデルソンを「老人のようだ」と言ってたのは、たしかカルポフだった。動きがのろのろしており、用心深くて、ちょっとやそっとのチャンスを提示されたくらいでは、食いついてこない。そんなニュアンスだったと思う。目先の屁理屈で俊敏に好位置を占めようとするのが、私のレベルの中級者にありがちな欠点だろう。狙いの実現が早すぎて効果が無かったり、手痛い反撃をくらったりするものだ。アンデルソンの棋風に学ぶべきではないか。書名はGrandmaster Chess Strategy で、著者はKern とKaufeld という知らない人だ。アンデルソン八〇局の名局集である。それを十五のテーマに分けて、「d筋の支配」とか「孤立ポーンに対する指し方」とかを解説してくれる。
 重要な局面については印刷を変え、次の一手を問題にしてくれている。私はもう盤駒を出すのが面倒な読者なので、そこだけ読むつもりだ。大好きな一局から一問だけ紹介してみよう。一九七五年のミラノで、とことん粘るカルポフを七十九手で寄り切った黒番である。図は36...Nc5- d6 まで。このナイトが退いた理由をわからず、カルポフは誤った。37.Na2 と指して、Nb4 からNc6 を狙ったのである。アンデルソンはその暇を与えない。37...Ndxe4, 38.fxe4 と進む。さっきまで最前線にいたナイトを働きの弱いビショップと交換するとは。さてここで問題です。「いま黒に考えられる自陣の強力な再編成は?」。
11/07/10
 嫁が市報を見せにきた。「ぐじーぐじー」と言っている。なんと、ナターシャ・グジーが近所で歌ってくれるのだ。しかも入場無料。彼女を御存知ない方は11/04/10 をご覧ください。You Tube の動画もまだ生きています。うちでは何枚か彼女のCDを買って、夫婦ともに大ファンである。おすすめはCDブック「ふるさと」収録の「ふるさと」を。この人にこういうのを歌われると、私は激しく動揺してしまう。この日もアンコールで歌ってくれた。もちろん動画の曲も歌ってくれた。語りまでそのまんまである。各所で何年も繰り返しているのだろう。先週に書いたとおりで、一番大事なことは恥じずにいつも何度でも繰り返して語るべきである。音楽に向かない会場ではあった。でも、彼女の深い声、透明な声を充分に堪能できた。動画だけではわからなかった明るい性格に触れることができたのも幸福だった。たくさんのことが折り重なった底の方から顔を出して会場の笑いを誘う明るさである。ひとつ心配してるのは、NHK が気を利かして彼女を紅白歌合戦に出すんぢゃないか、ということである。
11/07/07
 嫁と息子が有馬温泉に行ってしまった。私は日頃できないことをやろうと思い、まづ、四か月も放ったらかしにしていたブログの更新をした。文学のブログもやってるのである。更新したら二十四時間で五〇〇アクセスもあってびっくりした。待ってくれてた人が居るんだろうか。次にやることは酒だ。近所に好きなパブがある。タラモアデューとか、あるいは、聞いたことの無いシングルモルトを一杯だけ飲ませてもらう。そうして世間話をしつつ、フィッシュアンドチップスをもしゃもしゃ食って気分良く帰るのだ。昨年まではそうだった。私がチェスを指すことがばれるまでは。最近は私の顔を見るとマスターが盤駒を目の前に置く。鉛入りの高級品だ。見ると使わせてほしくなる。この日は相客にも指す人が居て、局面を一瞥し、「もしかしてキングスギャンビットですか」なんて口をはさんでくる。四局も指した。帰路は頭が疲れていて、何をしに行ったんだか。もちろんぜんぶ勝ったさ。
11/07/06
 読売新聞の竜王戦観戦記は橋本崇戴対山崎隆之だった。二転三転した将棋である。第5譜は先手有利で△5三銀打で終わってる。この手は何だ?▲5四歩で「おわ」だと思う。山崎はたぶん7五角を狙いにしてる。でも私が読んでもそれを実現できない。翌日を待つことにした。なんと橋本は▲4五桂を指していた。これなら後手は桂で銀を取られても△同銀で取り返せる。▲同飛なら△7五角の実現だ。再び山崎が優勢になった。彼は▲5四歩で負けると知りながら△5三銀打の局面を選んだに違いない。とんでもない逆転術の持ち主である。
 ところが、さらに逆転が起きて山崎が負けるのだ。橋本の根性もすごかった。それにしても、これを負けるところが山崎らしい。観戦記を引くと、「山崎は感想戦で荒れた」「橋本の言葉に噛みつくシーンもあり、不穏な空気が流れた」「後味の悪さが残った」。これも山崎らしい。翌日になって観戦記者に謝罪の電話を入れたそうだ、そして、「橋本さんの電話番号を教えてください。謝りたいんです」。とことん山崎らしい。
 嫁の知り合いの娘がAKB48 らしい。こないだの人気投票でもなかなかの成績が出たそうだ。「Everyday、カチューシャ」のDVD を見ながら嫁と議論した。ずらっと並ぶと十把一絡げのようでいて、目立つ人は目立つ。柏木由紀とか板野友美はすぐ覚えられた。ところが嫁の意見は「柏木とか板野とか、特に板野は絶対性格悪いわ」。同性のウケがよろしくないのはわかる気がする。一人だけ選べと言われたら私は小嶋陽菜だ。
11/07/03
 もう長い付き合いだから、私は羽生善治や森内俊之がインタヴューでどう答えるかだいたいわかる。こないだの第七局直前の決意も物真似つきで当てて、嫁の笑いを勝ち取ることができた。森内は「悔いの無いように」、羽生は「ええまあ特に」である。いつも同じだ。敬意が湧く。私が軽蔑するのは、日によって異なる答を用意してしまう弱さである。「囲碁将棋フォーカス」に森内俊之が出た。無人島には盤駒を持ってゆくか、という質問を受けた。否、と答えるだろうと私は思った。やはり当たった。では何を?わからん。森内は答えた、「食糧を」。
 第七局を解説してくれた。封じ手の段階で彼は優劣不明だと思っており、△4六歩での駒の損得から優勢を感じたそうだ。そして、二度目の△2七銀を「この銀を打たずにいた方が長引いたと思うが、相手が間違ったら許さないという意味をこめた手」と評し、その後の▲7六角で勝利を意識したとのこと。11/06/23 で述べたとおり、私は△4六歩で差が縮まったと思っていた。たぶん、それ以前は逆転の可能性のある二点差で、△4六歩以後は逆転の可能性の少ない一点差ということなんだろう。つくづく森内らしい名局だった。
 いつだったか書いたとおり、嫁も子供も寝かしつけて、やっと私は音楽を聴ける。さて、好きなピアニストは十人くらいすらすら浮かぶのに、ヴァイオリンとなると思いつかない。ハイフェッツでさえCDジャケットを見ただけで買う気が失せる。熱海の寿司職人が「お聞かせしやしょうか」と目配せしてる風情だ。ヒラリー・ハーンという若手の評判が高いことを知った。シェーンベルクとシベリウスという変わった組み合わせの協奏曲集がある。聴いてみた。輝かしい名演奏である。しなやかで自信満々の音が途切れずほとばしり、私の耳の陶酔を果てしなく引っ張ってゆく。初めて私は好みに合ったヴァイオリニストに出会ったのかもしれない。
 深夜に興奮していると、部屋がノックされて嫁が現れた。「ひとりぼっちの夢を見た」としょんぼりしている。ひとしきり慰めてから「まあこれを聴いてごらんな」とヘッドフォンを渡し、シベリウスの第三楽章をかけた。たちまち嫁は夢中になり、演奏の感想は「インテル入ってる、って感じ」。別の演奏家と比べたいと言うので、オイストラフを聴かせた。音がブツ切れで爽快感が無い。「これはこれで味があるね」と嫁は認めたが、音符情報を処理するCPUの速度差は歴然としていた。もっとも、続けてメンデルスゾーンの協奏曲も買ってみたが、そっちは物足りなかった。

戎棋夷説