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世界史的立場と日本

藤田親昌編『世界史的立場と日本』昭和十八年、中央公論社。

参加者。高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高。

第二回座談会「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」

昭和十七年三月四日


転換期の倫理と世界史の自覚

高山 ヨーロッパの拡張運動というのは何人も論ずる問題だが、拡張運動の結果、ヨーロッパのヨーロッパ外に対する「依存性」が強まってきたということはあまり説かれていないように思う。産業革命後、石炭、鉄で動いている時代は、ヨーロッパだけでもまあ事が足りたかもしれぬ。しかし石油の時代になると、どうしてもヨーロッパ外に求めざるを得ない。これは一つの例だが、資源の上で、市場の上で、ヨーロッパの拡張の結果は、かえって半面でヨーロッパ外に依存せざるを得なくなったという事実が生じたと思う。重商主義時代と、資本主義時代と、資本主義時代でも初期と後期とで、ヨーロッパの拡張運動というものには性格の変化があると思う。現代の世界史が成立するにはアジヤの抵抗が要因を成しているが、この抵抗が現実的に有効となるには、この依存性という趨勢が存しているからだと思う。

世界史の方法

西谷 さっきのモラリッシュ・エネルギーの問題に戻るが、東亜における倫理性というか道義性というか、要するにモラリッシュ・エネルギーが具体的にはどういうふうに現れるか、ということが一番の問題だね。それは根本では、支那事変の解決ということと結びついていると思う。つまり、支那人の中華意識、どこまでも自分たちが東亜における中心で、日本なんか自分たちの文化の恩恵によって育ってきているのだ、という意識が、一番根本の問題ではないかと思う。その場合どうしても、日本が現在大東亜の建設において指導的でありまた指導的でなければならなかったという歴史的必然を、彼らに納得させ認識させるということが根本なのぢゃないか……。そうなるといま言った支那人の中華意識と衝突するが、支那自身というものが、列国の植民地に分割されないで済んだというのは、結局やはり日本の強国化・日本の努力によってだということを、支那人に自覚させる、つまり世界史の認識を支那人に呼びさます、それが彼らの中華意識を除いて大東亜の建設に日本と協力させる根本の道ではないか。そしてそこから大東亜におけるモラリッシュ・エネルギーの発現というか、そういうことも考えられると思う。なぜなら、現在の日本の指導的役割というものは、根本において日本のモラリッシュ・エネルギーによっている。支那の植民地化をさえぎったのも日本のモラリッシュ・エネルギーだった。それで、世界史的な立場で歴史認識をそういう点まで深めて、一方では日本自身が自分の立場を世界史的に認識し、同時にその認識を支那人にも徹底させる。そういうことから、大東亜におけるモラリッシュ・エネルギーの新しい発動というものが、大東亜建設の基本的な力となって来得るのではないかと思うんだが。

日本と支那

西谷 日本がヨーロッパの文化や技術を自主的に取り入れることができたのは、民族のモラリッシュ・エネルギーだね。そこが大事な点なんだと思う。文化とか技術とかいうもの自体も大事だが、そういうものを思い切り取り入れるだけの自信をもった精神があったからして、わづか短時日の間にヨーロッパ文化を消化し得たのだということ、それが一層大事なんだが、その精神というものの認識が、支那人の日本人観に欠けているのではないか。その点をハッキリ呑み込ませることが非常に大切だと思う。
高坂 支那の人が誤解してると思う。今の話、日本が偉くなったのは、泰西の文明を上手に取り入れたから強くなったのだという話だがね。支那へのヨーロッパ文化の翻訳というものは、直接的な翻訳よりも、日本からの重訳が相当多かった。ところが日本がこっちで取り入れたという精神は問題にしないで、ヨーロッパのものをただ取り入れたらいい、というように考えている。この点に大変な違いがあるのではないか。
西谷 いま思い出したが、ヨーロッパへの船中でね、上海にいるフィリッピン人だが、その人が、日本は非常にうらやましい、フィリッピンも日本のようになりたい、だから自分たちも西洋の文明を十分に取り入れなければならない、と言うんだ。僕はそのとき心の中で思ったんだ、話はそう簡単ではないとね。日本には永い歴史を通しての精神的陶冶というものがある。日本それ自身、ヨーロッパ文明が来る以前に、非常に高い精神的文化があり、しかも非常に活発な生命力が生きて動いていた。フィリッピンにはそれがないから、同じヨーロッパ文明を取り入れるといっても、そこに非常な違いが出てくる。
高坂 同感だ。ひとは模倣というが、そこに主体性がある。模倣性だけでは主体性が出ない。
鈴木 その模倣性と主体性の区別ということは確かに大切だと思う。
高山 区別がなくて、模倣みたいなもので日本が偉くなったと思うのは大間違いだ。もっとも日本人にさえそう考えてる人もあるにはあるが……。
高坂 単なる模倣性ではない。主体性における展開なのだ。
高山 結局そういう支那人の考え方が満州事変・支那事変に非常に密接な関係があると思う。支那分割を防いだのは日本なんだ。ところが支那分割を防いでいるのに、なぜ日本と支那とが本当に提携することができなかったのか。さらにさかのぼって見れば、日露戦争で日本がロシアのアジヤ攪乱を防遏した。それ以来、日支はできるだけ早くできるだけ親密にならなければならぬ運命に置かれていた。ところが結局なぜ日本と支那が提携することができなかったのか。これは東亜の悲劇だと思うんだが、ここに世界史的に実に重大な問題があると思う。支那の方では日本の行動を欧米と同じ帝国主義的侵略と誤り解釈するようだが、ここに問題があるので、僕はそう解釈できぬと思う。一歩譲って帝国主義的侵略としてもなお解釈できぬ問題が残る。それは日本がそういう態度をとりながら、なぜ支那分割を防ごうとしたかということだ。この日本の行動の二重性−きわめて不明朗な二重性がなぜ生じたか。そこにいろいろの根拠があるが、そこには世界史的な根拠があるんで、こいつはよく研究する必要があると思う。そこが了解されぬと日支の提携は難しい。それをたんに帝国主義一点張りに考え誤るんでは、支那人は度し難いほど、世界史というものの意識が欠乏してると言うほかない……。
高坂 わかってもらわなければならない。
西谷 それと同時に、日本人自身がそれをハッキリ自覚する必要がある。
高坂 そうだ。自覚する必要がある。
西谷 いままでの支那に対する行動が、外観的にはある程度やはり帝国主義的に誤り見られる外形で動いていた。政策的にもそういうふうに見られる形をとっていたかもしれないが……。
鈴木 つまり不透明さがあったんですね。
西谷 一種の不透明さがあった思う。しかしそれはある意味で当時の世界状況、歴史発展の段階では免れ得ないところだったと思う。ところが、外観的には帝国主義と見られた行動でも、現在から振り返って現在との連続で考えてみると、もっと奥に別の意義があったわけだね。その点、当時の歴史段階では日本人自身にもハッキリしないところがあったかもしれないが、現在では日本人自身がそれをハッキリ自覚して、過去の意識の不透明を清算し……。
高坂 そう、過去の不透明な意識を清算しなければならぬ。
鈴木 同感ですね。
西谷 日本の対支行動がそのように誤り見られた外形をとって現われたということは、当時の世界秩序から歴史的に制約されていた。しかしその行動が現在、大東亜の建設というような、ある意味で帝国主義というものを理念的に克服した行動に、必然的につながってきている。そこから振り返ってみると、過去の行動にも、帝国主義的としては説明できない隠れた意義が潜んでいたということがわかってくる。
高山 僕もだいたい同様の考えで、過去の日支関係をジャスティファイするものが、今日の大東亜戦のイデーだと思う。で、そういうふうな行動もとらざるを得なかったところに、何というか、かつての日本経済の後進性というものがあり、日本経済の欧米依存というものがあった。しかしこの線に沿って進まぬと日本は実は支那分割を防ぎ得るような実力をもつ国家になれなかったという悲しい事実がある。すなわち支那分割を防ぐためにかえってその支那から誤解されるというような事情があって、これが日本の世界史的な位置の制約から出てきているところに、実に日本の苦しい立場がある。不明瞭はすべてここから出てくるんだ。

日本と支那

鈴木 欧米人というものは生活的に支那の民族の中に深く入るということをしないで、ただ開港場を求める、上海、香港というような開港場で、買弁という支那の仲介商人を通して間接に取り引きする、そして利潤を追求する。ところが内藤湖南先生も『支那論』で言われているが、日本の行き方は、大資本は行かない。資本の上からみると、英米の支那における勢力は非常に大きいので、そういう点だけからみると、英米は日本より大きい利害を支那に対してもつべきだ、という要求が数字の上から根拠をもつかもしれない。ところが日本の利害は数字の利害ではない。内藤先生が言っているように、零細な行商人が支那の奥地や辺境をウロウロしているというような行き方だったんです。内藤先生はすでに明治時代に、このような事実に現れている日支関係というものは実に容易ならぬものだ、日本民族の生存というものが支那の存在と結びついている。そこに何か帝国主義的でないある特殊関係がある。つまりそこに、今の僕らの言葉で言えば生活圏(レーベンス・ラウム)というものが、非常に原初的な形だけれども出てきている、ということに着目されたんだと思う。そいつがだんだん広がって日清・日露の戦役となり、今日の事態に及んできたものだと思う。それが日支の特殊関係・特殊地位の原理でしょう。ハッキリ言えば日清・日露の戦役は満州に対して日本の投資がなんぼだ、という有形のものにあるのではない。たんに利権を擁護するためにわれわれは満州を経営し満州国を創ったのではない。それが日本の特殊性なんだが、矢野仁一先生も言っていられたが、その特殊性の主張が非常に大切だと思う。この東亜における日本の特殊地位を欧米人は理解しないで、たんに抽象的な機会均等の理念を押し付けてくる。
高坂 わからないのだね。
鈴木 大正六年にできた石井・ランシング協定、あれが日本の東亜における特殊地位をともかくも初めて認めたわけです。しかしその後この協定は九ヶ国条約によって無視された。無視されて結局どうかというと、機会均等という一般的な原則、世界を一つの抽象的一般によって律しようという、そういう理念を押し付けられた。だから要するに、一般的理念とそして日本の特殊性、抽象的理論と歴史的現実的な実態というものとの矛盾がそこから生まれてきているのではないでしょうか。

世界史と広域圏

鈴木 広域圏という観念が、経済圏すなわち経済自給圏の観念、自由貿易に対するアウタルキー(注、自給)の経済理論から出てきたというところは確かにある……。広域観念がまづ経済自給圏から出てくるということには、歴史的にも必然性があるんですね。自由主義経済が本質的に行き詰ってきて−われわれ現象の上からもっぱら観るわけだが−その末一九二九年から一九三一年の世界不況となった。世界不況というものの中から、資本主義の救済策として、あるいは資本主義の強化方策としてブロック経済ということが考えられてきた。まづ英帝国がそれをやった。一九三二年のオッタワ協定がそれで、あれだけの大きい資源と広い流通圏を持った帝国がブロックに閉じこもったのだから、世界の流通経済に大障害を起こした。これが世界の各国がアウタルキーというもの、すなわちそれぞれの自給圏を持とうという動きを刺激して三五−六年頃の段階にそういう議論が盛んになってきた。それは非常に大きい必然性があったと思うのです。日本でもやはり日・満・支経済ブロックがまづ考えられ、それだけでは自給性がないというのでさらに南方圏の問題が起こってきたという面は大いにあったでしょう。ともかく広域圏の基本概念には経済関係が根本をなしていたのが、あるいはむしろ必然的なことであるかもしれない。しかしですね、そこにどうも民族観念や倫理観念が少し欠けすぎていはしないか。東亜共栄圏というものも、資源のみを考えるということではいけないので……。民族圏という観念あるいは理論が欠けてやしないか。そこに欠陥があると僕は思う。おのおのそのところを得しめるというのが空な言葉になってしまってはいけない。そういう点からみて民族に対する研究、学者の研究だけでなしに国民大衆的な理解が必要だし、また倫理性の理論がなくてはならないのではないか。

民族の倫理と世界の倫理

西谷 固定した世界秩序の中へ新しく登場して自分自身の生存を積極的に主張しうるような民族は、モラリッシュ・エネルギーをもった民族でなければならない。またそういう民族にして初めて、民族自身に立脚した国家を形成しえたわけだ。そういう民族においては、国家とは民族自身のモラリッシュ・エネルギーの発現を意味したともいえる。だから民族主義とか国家主義とかいって、デモクラシーの側から悪く言われながら、それがやはり大きな倫理的意義を含んでいるところがある。ただし形式的な倫理性ではなしにエネルギーとしての倫理性をだ。またその倫理性は、それらの国家を歴史のうちで捉えるとき初めて見られるので、歴史を離れた純粋法学的その他の形式的な「学的」把捉からは、もれてしまうものだ。−とにかく、そういう民族的統一に立脚しモラリッシュ・エネルギーを含んだ国家が、世界の既成秩序のうちで発展を阻害された場合、そこに旧秩序を破ろうとする運動が必然的に起こってくるわけで、それが鈴木君の言う大英帝国の経済的ブロック形成を機会に勃興して、世界と広域圏の新秩序を建設しようとする運動となったわけだ。

民族圏としての大東亜圏

鈴木 おのおの所を得しめるということ、これが共栄圏の理念だといわれているけれども、それが具体的政策に表現される場合には、たとえばフィリッピンや泰国になどに対しては自治あるいは独立ということを進んで与える、あるいは保証する。しかし他にはまだそれを認めない、という形で現れてくるという、その理念と政策との間には何かまだ理論がほしい。(略)
西谷 たとえばヨーロッパを構成している民族・国家の一つ一つは非常に高い水準に達している。それに対して大東亜では、同じ水準に達しているのはだいたいにおいて日本だけで、あとの民族はだいたいずっとレヴェルの低い民族だ。そういうものを引っ張って育ててゆき、民族的な自覚をもたす。そして大東亜圏というものを自発的・主体的に担うような力たらしめるということが、大東亜圏における日本の特殊の使命になるわけだと思う。

「家」の倫理

西谷 たとえばある民族に独立を与えるといっても、ただ独立ということだけではいけないわけで、独立させてもその民族の精神を中味から変えてゆかなければ何にもならない。独立して急に偉くなったように有頂天になり、いい気になるのなら独立は害になるだけだ。

新しい日本人の形成

高山 いろんな人から質問を受ける点なんだが、非常に重大な問題と思うものがある。それは現代の新しい日本人という型の中で、科学と日本精神がどう結びつくかという問題なんだ。
西谷 それはあのハワイ海戦の時にハッキリ出ていると思う。あれは、科学と精神とがいかに渾然と一つに結びつき得るかをハッキリ示したのだ。両方が結びついて、それで現実の中で最も本当な生き方をなし得る。そういう方向を示したものだ。精神主義だとか、科学主義だとか、それをただ観念的に言っただけでは始まらない。
高山 僕はその質問を受けたときに、最近は、君が言ったと同じような答えをしたんだ。精神主義だと、知育偏重だと、下らぬ理屈をこねる前に、ハワイ海戦を見ろ。マレー沖海戦を見ろ。一切を解決した絶対的な実例がそこにある。科学と日本精神とがいかに調和しているか。

新しい日本人の形成

西谷 大東亜圏を建設するのに日本の人口が少なすぎる。何年かの後に日本人が一億何千万人かにならなければやってゆけない、ということが問題になるわけだが、その際、大東亜国内の民族で優秀な素質をもったものを、いわば半日本人に化するということはできないものかと思うんだが。それも支那民族とか泰の国民とかは、固有の歴史と文化をもったものだから、これはやはり一種の同胞的な関係で、半日本人化ということはやれない。またフィリッピン人のように自分の文化というものは何ももたずに、しかも今までアメリカ文化に甘やかされてきた民族というものは、おそらく一番取扱いにくい。それに対して、自分自身の歴史的文化をもっていないが、しかも優秀な素質をもった民族、たとえばマライ人なんか、よく知らないが相当優秀な……
鈴木 インドネシャンでしょう。
西谷 そう、とにかくなかなか優秀な素質をもっているとも聞く。ハウスホーファーなんかマライ族を貴族的民族(アーデル・フォルク)と言っている。日本人にもその地が混入しているというんだ。もっとも日本人は治者的民族(ヘルレン・フォルク)だろうがね。で、ああいう民族とか、フィリッピンのモロ族とか−受け売りの知識だが、モロ族などもいいそうだ−そういう素質のいい民族を少年時代からの教育によって半日本人化するということはできないかと思うんだ。たとえば高砂族なんか、教育されれば日本人と変わらないようになる、という話を聞いたが、どうかね。半日本人化というのは精神的にまったく日本人と同じようなものに育てるという意味だが、それが日本人の数が少ないということに対する一つの対策となると同時に、彼らの民族的な自覚、ないしは彼らのモラリッシュ・エネルギーを呼びおこす、そういうための一つの方策としてどうだろうと思う。まったくの素人考えで突飛だが……
高坂 日本人の数が少ないからと言ってもいいんだが、−同じことならむしろ、現在の世界史的な使命を実際に担って遂行してゆくものの数が少ないから、と言った方が何だか穏当ではないか。
鈴木 僕もその方が正しいのではないかと思う。
高坂 また他民族に対する具体的政策も、それぞれの歴史的な段階に即してやらないと非常な誤謬を犯す危険があるから、よほど注意を要するね。要は、世界史的な所を得しめるということだね……

 ミッドウェーの三ケ月前である。先月にはシンガポールを陥としたばかり。威勢と言うよりは早くも余裕を見せた論調だ。
 資本主義のグローバル化に通ずる状況をすでに彼らは意識していたようだ。また、欧米が押し付けてくる「普遍的」価値観への反感は、現代のイスラム国家や発展途上国の共感を得られる面もあるだろう。ブロック化する当時の経済圏において、大東亜共栄圏の構想で対抗しようという筋道もわかる。経済だけを考えてたわけではない点が特徴だろう。
 問題点は言うまでもない。大東亜共栄圏は西洋化した日本の価値観の押し付けに堕している。特に西谷の最後の主張は極端なようだが、彼は本気である。第三回座談会でも同じ趣旨の発言を繰り返している。


 引用は仮名遣いや漢字の字体、ルビ等を適宜改めている。