紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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Pearl Spring Tournament in Nanjing, Elista Grand Prix

09/01/13
 第11Rからのエリスタは最終日第13Rまで一日一局しか勝負がつかず、上位四人はすべてドローだった。つまり、ラジャボフ、ヤコベンコ、グリシュクの同点優勝である。三戦までのグランプリ総合成績はラジャボフが一位になった。
 第10Rのヤコベンコの至芸を振り返っておこう。図の白が彼で黒はイナルキエフである。白のポーン得で終盤に入り、その時点では互いに入城した位置のままの両王だったが、白王だけがスルスルと上がって今は働きに大差がついている。次の一手は42.g3 だ。e2 の黒馬を制限した。42...Ng1 は望むところである。43.Nd4. Nxh3 で駒の損得は無くなるものの、黒馬は端っこ、白馬は中央だ。両者の駒の働きにまた一段の大差がついた。
 すかざす44.Nf5+. Kg6 で黒王の形を決めた。狙いがある。このあと、慎重に同一手順を繰り返したが、ヤコに迷いは無かったろう、いきなり無人の52.Ba4 に飛ぶ手が決め手だった。次のBe8 で馬と王が串刺しになる。よく粘ったイナルキエフだったが、要のポーンを失って投了した。
09/01/12 紹介棋譜1、2参照
 やっと第9Rまできた。優勝争い四人衆のうち首位グリシュク以外の三人が勝った。ガシモフ対マメデャロフが目をひいた。駒の密集した中央から抜け出た黒クィーンがまた戻る。当然のように網に掛かって取られてしまい、そこで負けた。私は記憶にあるマメデャロフの快勝譜を脳内検索して思った、きっと彼はクィーンを最前線で使うのが好きなのだ。かくてガシモフが再び首位に並んだ。
 第10Rがクライマックスだった。五局も勝負が着いた。やっぱりマメデャロフはクィーンをぐるぐる振り回している。これでこの日は見事にエリャノフを倒した。ヤコベンコの終盤も相変わらず素晴らしい。首位に並んだ。この二局を紹介棋譜に。ラジャボフも勝って首位である。
 図はレコ対ガシモフで10.h4. 0-0-0 まで。定跡はペトロフ防御で、5.Nc3 の穏健型だ。二年前のメキシコで四回も現れ、すべてドローに終わり、私をげんなりさせた。もちろん好みの問題で、当時の原ブログでは、「きっと多くの人はペトロフ 5.Nc3 にうんざり気味なのではないかと思うが、私は好きですよ、この定跡」という評価だった。
 まったくの新手というわけではないが、10.h4 のおかげで、やっと私にも5.Nc3 が面白く思えてきた。普通は10.Kb1 である。10.h4 の意味は本譜を追えばわかる。11.Ng5. Bxg5, 12.hxg5 でh筋が開通するのだ。実戦もこれが決め手になってレコが勝った。ガシモフは首位転落である。このまま四位に終わった。
09/01/11
 ある市で小さな仕事を十一年した。すると表彰してくれた。式の帰りに遠回りして難波のジュンク堂に寄る。
 『猫を抱いて象と泳ぐ』が本になった。この作品についてはすでに08/06/11 や08/07/10 や08/08/08 などで何度か書いたとおりだ。出版に合わせたのだろう、畏友からメールがあって、「文学界」に小川洋子と若島正の対談「言葉を抱いてチェスの海を泳ぐ」が出ているとのこと。ざっと立ち読みできる和気藹々の内容だった。それはまた、現代文学に関して本質的なことに何も触れなかった結果でもある。この号にはドナルド・キーン「日本人の戦争」も載っており、こっちは重量級だ。
 チェスのコーナーにまわり、パッハマン『チェス戦略大全T』を探す。訳は小笠誠一で、水野優が訳稿の見直しもしているから信頼できる一冊だ。訳者の野望は、どんどんチェスの翻訳書を出版することである。水野優ブログから引用すると、「訳者が(二度のマイナー出版を含み)30年間も温めてきた壮大なプロジェクトは、まだ始まったばかりである。継続するかどうかは、チェスファンの支援にかかっている」。よっしゃ支援ぢゃ。ところが、棚に見当たらなかった。ネットで注文しよう。
 近刊の話もしておこう。原啓介ブログで『モーフィ時計の午前零時』が来月に出ることを知った。若島正の編んだ海外チェス文学の翻訳から成るアンソロジーである。若島のアンソロジストとしての手腕が試される。序文を寄せている小川洋子は、上記の対談でティム・クラッベ「マスター・ヤコブソン」を面白いと述べていた。この一篇の担当は原啓介である。
 『日本語が亡びるとき』も積まれていた。もう五刷だった。話題になっている。先月は新聞の寄稿や雑誌の対談で水村美苗を何度も目にした。とはいえ、今日は日本語もチェスも文学も、亡ぶどころか花盛りだったな。
09/01/09 紹介棋譜3参照
 職場は臨時休業だったけど、私は出勤である。人気の無い建物で夜の九時半まで作業してた。そんなわけで、今日の更新は簡単な話を。08/12/16 で触れた第1Rのヤコベンコ対王ゲツについてである。
 ヤコとセコンドのヒツマツリンは王ゲツのベルリン防御を調べた。図のような局面で白ポーンがc2 でなくc4 にあれば、王ゲツは多くの場合、ドローに持ち込んでいた。そこで二人は考えたのである。
 私の目にPc4 は突き得である。実際、多くの実戦例で見かけてきた気がする。しかし、二人の研究成果39.c3 を知ると、それは安易に映る。39.c3 の狙いは白Bd4 である。それを避けて本譜は39...c5 だった。そうさせておいてからヤコは40.c4 にしたのだ。黒に一手39...c5 を突かせたPc4 がどれほど勝ちやすくなったかは、実際に並べてご鑑賞ください。
 今日はこんなところで。でも、十月からの忙しさにやっと終わりが見えてきた。嫁が車で迎えに来てくれたので気分は温かく帰る。もっとも、まだしばらく土曜に休めない。
09/01/07
 第7Rは面白い棋譜が多かった。優勝争いにも意味を持つ勝負があった。イナルキエフにラジャボフが敗れた。妙な技を掛けたなあ、と思いながら私は並べたが、やはりそれが敗着だった。アレクセーエフ対グリシュクは、気持ち良くベンコーギャンビットが局面を支配して黒が勝った。かくてガシモフとグリシュクが首位である。
 グリシュクは第8Rでも勝って三連勝した。素人目には、相手の王ゲツにこれといった悪手も無さそうな完封だった。単独首位である。残りをすべて引き分けたのが残念だが、隙の無い駒組みによる三連勝は、優勝争いをした四人の中でも強い印象を残した。じわじわ勝つグリシュクに私が最初に驚いたのは04/11/19 だったけれど、これからは当たり前になるか。
09/01/06 紹介棋譜4参照
 いろんな大会が終わってるが、気にせずエリスタを続ける。第6Rはガシモフもラジャボフもペトロフ防御で引き分けて首位に変化は無し。勝負が着いた二局のうち、グリシュク対エリャノフのベルリン防御が難しい戦いだった。紹介棋譜に。
 11.g4 が新手である。08/07/28 を書いた記憶が新味を味わう役に立った。黒がNh4 を狙ってるのに、それを促す手なのである。中盤もベルリンとは思えぬ面白さだ。黒がポーンを捨てた代償に駒の活動力を得る。
 終盤に入っても創造力豊かな応酬が続いた。わかりやすい例を図にしよう。次の一手は42.Bc1 だ。a4 ポーンを取りにきたルークに「さあ取れ」と迫る。実は取れない。もし42...Rxa4 なら白王が3段目に上がれて、43.Kf3 がある。これがBf4# の詰めろではないか。一例をFritz で調べて変化手順に加えた。つまり、本譜の41...Ra3 が疑問手だったらしい。
 しかし、エリャノフもよく粘った。最後は2ポーン損のルーク終盤まで追い詰められたが、理論的には引き分けの局面だったそうだ。もっとも、正着を続けるのは難しく、敗着を犯してしまい、グリシュクの勝ちになった。
 新手に補足しておく。実はこの手が生んだ流れによって、13手目の局面から08/10/14 で扱ったヤコベンコ対アレクセーエフと重なることになった。大事な符合だと思うのだが、Chess Today は言及してない。プロが案外見過ごしやすい例なのだろうか。
09/01/05
 さあ更新でもするか、と思ったら、吉本隆明がNHK教育テレビ「ETV特集」に出るという。言語芸術に関する講演だ。これは見なくてはならない。見てから、昨年までは棋譜を並べて夜更かしで更新したのだけど、今年は休んでしまうことに決める。
 日本の詩が好きな私は、九〇年代から、「もう新しい言葉は出ないのかもしれない」という予感にしばしばとらわれていた。「いやいや、でも」と、いぢましい期待にひきづられながら、とうとう〇〇年代最後の年を迎えてしまった。いまや文学の終わりは実感になったし、優れた人たちが指摘する現実でもある。詩に関しては、七七年の荒川洋治「技術の威嚇」が最初の兆候だったろう。三十年をかけて実現した、根深い真実だと思う。
 とはいえ、最近では蓮實重彦がそうなのだけど、「小説を擁護したい」という情熱を臆面も無く書き連ねる老大家が居る。私はとても力づけられるのだ。八十四歳の吉本にも同じ感動をおぼえた。講演の内容には賛同できないが、そういう問題ではない。九十分の予定を超えて三時間も文学を語り続け、最後は体調を気遣う司会の糸井重里にやんわりと壇上から引きずりおろされる恰好で終わったようだ。
 帰阪の新幹線はNew In Chess を読んでボンの第3局を楽しんだ。返す返すも激しい好局である。それでも、チェスは終わった、という実感に変わりはない。このことは、イリュムジノフが失脚すればより明瞭になろう。どんな熱戦も、それだけではもはやチェスが続く動機づけにはならないのではないか。将棋の名人戦が、将棋の素晴らしさよりは新聞社間の意地の張り合いによって維持されたのと似ている。たぶん、二十世紀ならあり得ぬ事態だ。チェスや将棋の地位はもっと高かったと思う。文学の終わりも、そんな風に進行したと考えてはどうだろう。
 コンピューターとグローバル化がこうした終わりを招いたと思う。ここは詳しく書く場ではないし、私ではわからないことが多すぎるので、適当に筆を擱くが、ネットでチェスを楽しみ、万国共通レイティングの向上を励みにする、そうした営みはチェスを盛んにしながら、一方でチェスの終わりに加担しているはずだ。私はチェスを擁護したい。ところが、その行為としての本欄はコンピューターによって可能になっている。文学にもきっと似た事情がある。皮肉なことだが、これは避けられない。むしろそのおかげで私は今のところ楽観的である。
09/01/04
 あけましておめでとうございます。帰阪して、まづ、年末年始に録画したテレビ番組を総ざらえしました。最初はもちろん竜王戦を追った「情熱大陸」です。私が感想として話したいことは、すでに「ものぐさ観戦ブログ」で書き尽くされていました。私も渡辺明の率直さに打たれました。続けて他に三本も見て、どれも永久保存に値する番組でしたが、ここでは省きましょう。
 今年はチェスよりも学問に精を出したい。こんな御時世ですから、蓮實重彦とかヘーゲルとか古井由吉とか、読みたくなりました。そんなわけで、本欄の更新は木曜定休にし、あともう一日休んで、週二回の更新休みが目標です。
08/12/28 紹介棋譜5参照
 第4Rで一番の好局はバクロー対レコだ。白が意欲的な捨駒を出す。形勢は黒が良かったらしい。けれど、激戦の続く間に逆転し、最後はバクローが即詰を見逃さずに仕留めた。紹介棋譜に。
 第5Rはガシモフ対グリシュクの直接対決が激しかった。シシリアンの毒入り定跡で、8.Qd3 が古くて珍しい。白Qc4 に出てe6 を狙う含みに特色がある。それより、お互いに未経験の形で戦おう、というのがガシモフの意図だった。おかげで30手以降は双方が時間切迫し、黒が勝機を逸したようだ。持時間の増えた40手以降はガシモフが正確に寄せきって勝った。これで首位が二人になった。
08/12/27 紹介棋譜6、7参照
 第3Rは三局で勝負が着き、ラジャボフが教科書に載せても良いようなドラゴン崩しでカシムジャノフを破った。単独首位である。紹介棋譜に。
 エリャノフ対アレクセーエフの終盤も面白かった。言葉で説明すると難解になってしまうが紹介しておきたい。図でd5 のポーンが白優勢の象徴だ。これを黒王が御自ら食い止めてるようではつらい。実戦も41...Kd7, 42.Qc3. Kd6 で手待ちするしか無く、43.b3. cxb3, 44.Qxb3 以下、白女王の侵入を防げなくなって投了した。
 ところが、本当は42...Ke8 という絶妙手があった。上記の44.Qxb3 には44...Qe7 だ。Qh4+ を見せて黒は一息つける。
 本譜でも44...Qe7 が可能に見える。でも、45.Qa3 が黒王を狙う筋に入って悪い。どう違うかというと、42...Ke8 の場合に45.Qa3 は45...Qh4+, 46.Kg1. Rc2 が必死になり、これは大逆転なのだ。が、本譜なら47.Rc4+ で、問題にもならない。
 図からを絶妙手の変化手順を含めて紹介棋譜にした。興味ある方は御覧ください。
08/12/26
 第1Rだけ見たままだったエリスタに話を移そう。第2Rではグリシュク対レコは前者、バクロー対ラジャボフは後者が勝った。一勝者四人が首位である。いま第9Rまで済んだところで、依然としてこの四人が上位四位を占めている。
 バクロー対ラジャボフは中盤のパンチの打ち合いで優劣が決まった。でも序盤を御紹介したい。図を見れば、バクローがラジャの十八番を過剰に意識していたことがわかるだろう。白は自玉を囲わず、黒がキングスインディアンを組む前に、Q翼から攻め込んでしまうつもりだ。Informant を調べると1968年のスミスロフ対リベルゾンが初例だった。この一戦をスミスロフは『125選局集』でも解説しており、図での6...a6 を批判している。Pb5 を防いだようで、実はa筋を開いて白に主導権を渡し易くしてしまう、というのだ。実際、彼はPa4 からPb5 という手順でその正しさを証明し勝っている。
 それを知ってか知らずか、ラジャボフは6...a6 と指した。7.a4 には7...Nf6 から入城を済ました。通常の手順のようだが、多くの例はPf5 とNf6 から入城するので、一手速い。善悪は私にはわからない。確かなのは、バクローも8.b5 からa筋を開いたが、スミスロフのようには事が進まなかったことである。
 ちなみに、タリも白の布陣を何度か試してるのが興味深い。さすがである。死の前年であろうと彼は6...Bf5 に7.b5 で応じる男であった。
08/12/25
 第9Rでトパロフはスヴィドレルに勝って優勝を決めた。最終ラウンドを引き分け、4勝0敗6分だ。二位アロニアンに1点半の大差である。卜祥志は最終戦でイワンチュクに破れて三位だった。
 畏友の囲碁史研究を御紹介しよう。正岡子規は殿堂入りできるだろうか。今年の候補ではあったらしい。子規全集にも碁に関する句や文がいろいろある。もっとも、宮崎利秀という人が昭和28年の「囲碁新潮」に「正岡子規と囲碁」というエッセイを二回に分けて書いており、それによると、あまり熱中したとは言えぬようだ。無論、その程度で引き下がる畏友ではない。法政大学が子規の蔵書を持っている。一覧を見ると、本因坊秀栄『定石囲碁新法』(明治27年、二巻)があった。書き込みでも見つかれば発見だ。彼は手続きをとって実見してくれた。結果は、蔵書印も無い新品同様で、墨が落ちたようなシミがある程度。子規の死後に混じった本かもしれないが、とにかく宮崎説を否定する証拠は出なかった。
 ちなみに、子規が世話になっていた陸羯南は囲碁サロン「長清会」を作っている。陸羯南研究という充実したページがあって、それによると、「上野寛永寺の子院三十六坊の一つを会場とし」、犬飼毅、国分青香A三宅雪嶺など錚々たる囲碁好きが集まって、碁や天下を断じ合っていたそうだ。子規もその一員ではあったのである。子規全集では、明治31年10月6日と7日の「日本」の「立待月」に「月を上野元光院に看る。会する者二十人、筑前琵琶を聴く。俳句百首を以て記事に代ふ」とある。会は2日にあった。畏友は、これと長清会が結びつく可能性を考えている。百句から碁の句をひとつ、「月さすや碁をうつ人のうしろ迄」。
08/12/24 紹介棋譜8参照
 第8Rは優勝争いに大きな意味を持った。トパロフ対イワンチュクは勢いの差がありあり。白が押しまくって優勢な終盤に入り勝ちきった。トパロフは単独首位である。
 スヴィドレル対卜祥志は白によるblockade の好局だった。黒d5 ポーンを抑え込んでb7 の黒ビショップを働かせない。これで敵陣侵入が有利に運んだ。終盤の35.a5 も不思議な効果があった。紹介棋譜に。スヴィドレルって、中盤の膂力が強い人だと思っていたけど、それは私の誤解だったか。それとも彼の陣形感覚が新境地をひらいたのだろうか。
 アロニアン対モブセシアンはドロー。イワンチュクと共に最下位に終わったモブセシアンだが、活気あるチェスで楽しませてくれる。本局はa6型のスラヴで図になった。次は9...Ng4 が定跡である。これでe5 ポーンを取り返せる。ところが彼は9...Nd7 だった。10.e6. Nxc5 でc5 のトゲを抜ける、というのが狙いである。
 もちろん、11.exf7+. Kxf7 で黒王はむき出しにされた。しかし、この後の黒の戦いぶりに危な気は無かった。
08/12/22
 負けた人が囲碁将棋ジャーナルで自分の対局を解説することがある。最近では高尾紳路がWMSGの準決勝敗退を語り、いつもの穏やかな口調ながら、「棋士生活で一番悔しい敗戦かもしれないです」と繰り返したのが、人柄を感じさせた。残酷だったのが清水市代である。まだ「囲碁将棋ウィークリー」だった昔だろうか、最初は意地を張って解説していたが、だんだん黙り込んでしまい、最後は目に涙を一杯ためてカメラを見つめるだけだった。困り果てた聞き手の神吉宏充は「もうっ雨ですわ!」。
 そして先週が羽生善治である。淡々としたものだった。つい激情の蘇った局面でも見事に自制したのが伝わった。谷川浩司や米長邦雄など一流の敗者に当事者として立ち会ってきただけのことはある。木村義雄の「良き後継者を得た」から続く、これも尊い伝統の一つだ。あちこちから伝わる勝者渡辺明の発言も率直さが心を打つ。羽生を挑戦者に迎えて「びびっていた」こと、第一局に大局観で敗れて将棋観を破壊される衝撃を受けたこと、とはいえ安全策で勝てる相手ではなく冒険を続けるしか無かったこと等々、自分を客観視できている。
 先週と言えば、読売新聞の観戦記はいまさらの第四局が終わったばかりである。三十年前の三連敗三連勝と何も変わらぬ紙面作りは仕方無いのかなあ。いやむしろ将棋欄の字数はぐっと減っている。朝日新聞が百三億円の赤字を出したという。毎日新聞が危ない、という話は前からある。新聞によって発展してきた将棋界だし、いまだに新聞より大きな資金源の見つからぬ将棋界でもある。チェスとは一味違う勝者敗者の風景にいつまでも続いてほしいのだけど、私は悲観的だ。
 どうしても将棋の心配をして長文になる。さて、いまさらチェスも書けないので、
第四局の勝負どころを新聞観戦記からまとめておこう。字数が減ってコメントが付けられず、今の新聞は棋譜記号の羅列率が上がってしまい、こうでもしないと意味の追えない日が少なからずあるのだ。第四局については、08/11/28 にも08/12/12 にも書いて三回目だけど、つくづく大きな一番だった。
08/12/21 紹介棋譜9参照
 第7Rに卜祥志対トパロフである。白が中盤でRBの交換得になった。しかし引き分け。私はまだ卜祥志の終盤で強いところを見たことが無い。
 イワンチュクは調子が出ない。アロニアンに連敗した。ドーピング問題が頭を離れないのだろう。FIDE からは、ヴェイク・アーン・ゼーの会期中に話し合おうか、という提案があったらしい。チュッキーは大会役員について言っている、「おれはただ会場から出ただけだ。負けて滅茶苦茶の時さ。人の話に聞く耳持つかよ。生まれて初めて見る奴の言葉だぜ。いまだにあれが誰なのかわかりゃしねえ」。
 スヴィドレルも調子が出ない。しかし、やっとカロカン防御でモブセシアンに勝った。中盤から終盤まで両軍ともに活発な好局である。並べて楽しい。紹介棋譜に。
08/12/20 紹介棋譜10参照
 低調、と書いてしまった南京は後半に入って様相を変えた。第6から8Rの九局のうち六局で勝負が着いている。
 まづ第6Rから。図は卜祥志対モブセシアンである。Q翼の押し合いがあって、白が一手早く敵陣に侵入できたのが、勝敗を分けた。両軍のルークの位置にそれが現れている。次の一手はもちろん32.Rxf7 だ。黒は32...Qd3。
 駒得で白の優勢がはっきりした。本局はここからの卜祥志の勝ち方が異様だった。33.Rxf6 をやってのけたのである。33...gxf6, 34.Ne4 でf6 のポーンを狙う。34...Bg7 で防がせて35.Qe7 、これでf6 かe6 どちらかを取れる形になった。
 でもそれってそんなに得なのか。私にはまだここから始まることが見えてない。要点は中と両端に残った三個の黒ポーンが離れ離れであることだった。ここから手数は掛かるのだが、まず端のポーンを取り切り、そして51.Qxf6 になった。盤上から黒いポーンが殲滅されてしまったのである。NPPPPP対R という見たことのない駒割が実現して白が勝った。
 このラウンドはトパロフ対アロニアンもあり、白の勝ち。これで首位は卜祥志とトパロフの二人に減った。
08/12/19 紹介棋譜11参照
 私の仕事に会議が増えた、なんてことを十月から書いてきた。そのひとつにやっと結果が出る。あんまりうまくいかなかった。期待させてしまった人たちに頭を下げてまわるのが昨日の業務だった。帰宅すると、風邪気味だったはずの嫁が、伏せった二日間で、同僚の奥さんから借りた「レイトン教授」の全問解決を果たし、飛び跳ねていた。問題の中には「8クィーン」や「ナイトツール」が含まれているらしい。前者の答えをある程度知ってるつもりの私だが、改めて取り組むとまったく歯が立たない。そういえば竜王戦があったなと結果を見れば、羽生善治まで負けている。1937年にプロ棋士のタイトル戦が始まって以来、ついに三連敗四連勝が現実になった。どっちが勝っても構わぬ心境なのだが、気分に合わせて、さらに落ち込むことにする。明日の囲碁将棋ジャーナルは羽生がこの負け将棋を解説するという。拝見しよう。私も次の会議では失敗を報告せにゃならん。彼の態度を学んで、あんまり見苦しくないようにしたい。
 南京の第5Rからトパロフ対スヴィドレルを紹介棋譜に。図で19.Rb5 だ。本譜は19...Bf8 である。なぜ取らないのか。こないだ触れたマンデルがちょうど観戦しており、不思議がっていたそうだ。実戦をさらにたどると、20.a4. Bxb5, 21.cxb5 に進んだ。結局は取るのか。しかし、Chess Today によると、ずっと取らずにいるべきらしい。かくて白が優勢になった。
 難しいものだ。マンデル教授はフィッシャーとも指したことがあるそうで、その彼にわからないのだから、私が謎を解こうとしても無駄だろう。
08/12/16
 南京は低調である。半分の第5Rまで十五局が終わって勝負が着いたのは四局しかない。1勝0敗の卜祥志、アロニアン、トパロフが首位だ。
 目先を変えてグランプリ第三戦エリスタ大会を見ようか。カールセンに続いてアダムスも去り、こちらも寂しいが、ラジャボフ、レコ、グリシュクなど十四人の顔ぶれは悪くない。初日は二局で勝負が着き、どちらもベルリン定跡で黒が負けた。ヤコベンコ対王ゲツはまた「中国流」が敗れたことになる。白の作戦も例の10.h3 からPg4 だ。今回はベルリン特有の二重ポーンが黒の致命傷になっている。K翼のポーン数が白3黒2になり、その交換を進めれば、白にパスポーンが出来るのだ。こりゃ「中国流」は終わったかな。もう一局はガシモフ対エリャノフで、近頃珍しい4.d4 だった。追記。09/01/09 参照。
08/12/15
 第1Rから卜祥志は勝った。白モブセシアンのビショップ・オープニングに対して、2...Nf6, 3.d3. c6 を採用し、ほぼ定跡手順をたどった。3...c6 を私は忘れており、初めて見た気がしたが、ルセナの時代からある手だそうな。
 図は中盤が終わったところである。a筋を黒ポーンが押し込んでいるのが特徴だ。詳説は省くが、定跡の要点のひとつで、白はこれを避けてPa3やPa4を突いておくのが普通である。逆に言えば、そうしないのがモブセシアンの工夫であった。結果的には失敗だったようだ。黒ナイトがb2 に食い込んでいるのは、卜祥志が白陣の欠陥を見抜いた成果である。すでに黒が良い。本局は卜祥志の大局観が光った。
 優勢をどう勝つか。次の一手は36...Rd8 だった。モブセシアンは、c4 ポーンが負担でしかないと判断して、37.Rh1 を決断した。c4 は取られるが、白Rh7+ からRxf6 で取り返せれば良い。卜祥志はその構想に異をとなえなかった。白ルークにK翼を明け渡す。代わりにキングをb2 まで逃がした。もちろん、それで勝負は終わった。
08/12/14
 師走のさなかに旅行なんかしたおかげで忙しさが増した。それもあり、何より九月に大喪失して以来、Chess Today を読む気が続かない。いかんなあ。久しぶりに読み返すとChess Base の記事が紹介されていた。「中国の都市が世界に向けて開かれていることを示すには」と、経済学者マンデルが何年か前に南京を訪れた際に言ったそうだ、「チェスの大会を開催なさい」。いわゆる「ノーベル経済学賞」も受賞した「ユーロ通貨の父」のアドバイスだ。それを真に受けたのかどうかまでは不明だが、トパロフやアロニアンなど五人の強豪を卜祥志が迎え撃つという豪華な大会が本当に実現してしまった。
08/12/13
 本来なら加藤一二三の猫裁判で盛り上がってるはずの将棋界であるが、そうはいかない。すぐ終わりそうだった竜王戦が第七局までもったのである。三連敗三連勝は三年前の王将戦で佐藤康光がやった。私にはそれよりもずっと昔の例の方が印象深い。04/03/17 でも触れた三十年前の十段戦だ。あの時の最終局は凡戦に終わったが、とても興奮した。結果を知る朝刊を見る前に祈ったものである。メディアは大きく変わったが、あの日の私のように必死の少年が今もきっと居るだろう。
 土曜の今日も仕事で忙しい。将棋の方が書きやすいのでついそっちに流れる。いかん。せめてInformant 102 で選ばれた前巻の新手賞だけでも紹介しておこう。07/10/01 で触れたクラムニク対アロニアンの17.Rb1 である。この定跡については07/08/31 で詳しく扱った。
08/12/12
 読売新聞の竜王戦観戦記はいま第四局の中盤だ。担当は山田史生で、私が将棋を好きになった三十年前から素晴らしい。最近の観戦記者は控室に入り浸ってる手合いが目立つので、彼が盤側にじっと貼り付いてる姿を放送で目にする度に敬愛の念が増す。
 図で先手ならどう指すか。まづ浮かぶ▲9五歩は△9七歩から△8五桂が見えて指せない。羽生善治がひねり出したのは▲7四角だった。これなら▲9五歩が可能だ。上記の△8五桂には▲同銀である。
 さあ、後手はどう指すか。▲6五歩で銀まで死にそうなのである。△9五歩を指したいのはやまやまながら、▲9二歩でひどい。これが▲7四角の本質だ。渡辺明は△8八歩▲同玉の道を選んだ。しかし、先手玉を後手の攻め筋に引き込んだようでいて、実際は先手玉を堅くした観がある。悪手だったと局後に渡辺も認めた。
 当日のWeb中継では羽生良しのムードが高まった▲7四角である。ところが、羽生は苦し紛れの一着であることを自覚していたらしい。手順は省くが、▲7四角には△4五桂で後手が良かったのである。形勢判断が、対局者と控室、局中と局後で異なるのはよくある。でも、これほどの錯覚をさせた鮮やかな例はちょっと無い。山田も書いていたが、羽生ブランドの絶対的な信頼である。
08/12/11
 グラバー園、原城跡、普賢岳など、いろいろまわった旅でした。原城跡の無人で平和な風景が印象に残ってます。こんなところで激戦が、と思うと嫁はしんみり。宿は由緒正しき雲仙観光ホテルを。客は三人しか無く、全館は我々が無血占領したも同然の御主人さま仕様です。手を裏返し口元を押さえながら「ホホ」と笑う本物の美人メイドさんまで備え付けられておりました。
 キリが無いので、チェスに戻りましょう。トパロフとカムスキーのマッチは来年の二月にソフィアで行われることになった。やれやれ。25万ドル(約2300万円)を二人で分け合うとのこと。先が思いやられる話は他にもいろいろあって、グランプリ制の維持がおぼつかなくなっている。予定地が開催を取りやめたりしているのだ。世界王座の挑戦権争いとしての格式も微妙に変わったので、カールセンは早々と撤退を表明した。
08/12/10
 長崎からただいまです。フラ・アンジェリコ『聖母子像』はB5版くらいの小さな絵でしたが、彼の魅力は充分に伝わりました。中浦浮立(なかうらふりゅう)という珍しい伝統芸の披露と重なったこともあり、日曜なのに館内は無人です。二十分以上もかけてじっくり脳内スキャンできました。
 浮立も展覧会も、切支丹の殉教者たちが福者に加えられるのを記念する行事だそう。このたびの列福は一八八人にも上り、館内に掲げられた一覧表のでかいこと。見ると、一歳や二歳の子が少なからず混じってる。そのおかげで絵を鑑賞できたことになる私はしばし呆然。
08/12/07
 使えなくなったソフトの失望が深まるにつけ、やっぱり、紙は頼りになるなあと思う。Chess Informant のCD はとても便利だけど、二十年近くも買い続けた五十数冊は、どんなにかさばろうと捨てられない。第102巻が届いた。さっそく好局ベスト10を見る。面白い。New In Chess まで届いた。これも面白そうだ。ただ、先月にお話したとおりで、明日から長崎に行くので更新は休みます。
08/12/06
 Windows 2000 の頃から愛用してた百科辞典のCDがWindows Vista では使えなくなった。何万円もしたのに。十二本も買ってしまった将棋年鑑もVista には合わないらしい。Chess Base はService Pac をダウンロードすれば、旧製品を対応させることができるのになあ。将棋年鑑のVista版は発売予定さえ無い。つまり2008年版は出ないのだ。出たとしても、Windows がこれからもころころ変わり、そのたびごとに諸製品が使えなくなるのでは、もう買う気はしないが。
 遊戯史学会に畏友が行った話を。WMSG(ワールド・マインド・スポーツ・ゲームス) についてチェッカー団体による報告があった。ブリッジ勢は日本チーム全体の取りまとめ役としても貢献したという。噂では、中国政府の運営負担は円にして十数億にも上り、第二回大会を予定されているロンドンにはやる気が無さそう。「ならば次も中国か?」「連珠も参加したいそうな」、そんな内容だったそうだ。
08/12/05
 自分の書いた記事を、あとでNICと比べながら読むのが私の楽しみなのだけど、こう忙しいとそうもいかない。本年7号は飛ばし読みである。08/08/31 の7.c6、08/08/29 の18.Bc2、どちらの新手もコンピュータが示した手を実戦で試したものだった。先月のインタヴューでアロニアンが「コンピュータ・プログラムは僕らの敵だよ。チェスのロマンスを壊してしまった」と言ってる。同感だ。
 このインタヴューは、「女性はチェスに向かないね。情にもろいから」という発言の方で注目されたろう、「とどのつまり、チェスってのは荒々しくてしんどいゲームなんだ」。けれど、こうも付け加えている、「逆説があってさ、最高の選手がいちばん情にもろいんだ」。
 では
第三回座談会をどうぞ。最終回である。三島由紀夫が、死ぬちょっと前に話した、中曽根康弘の主宰する会での講演を思い出した。核戦争の時代においては総力戦はありえないので、昭和戦争の頃のような「国のために死ぬ」という発想は無くなる、という話だった。総力戦を談じあったこの座談会も、実はとっくにそんな感じである。
08/12/04
 ドレスデンの最終日にウクライナは優勝を目指してアメリカと戦った。勝てる相手だと思っていたろう。ところが惨敗。二位から四位にまで落ちてしまった。イワンチュクもカムスキーに負けた。さあ始まった。コンクリートの柱にキック!食台を叩く!叩く!叩く!大会役員を何人も引き連れ、暴走機関車は会場の外へ消えていった。これが「ドーピング検査拒否」の顛末である。
 あっぱれイワンチュク。皆も良いものを見た。ところが、規定どおりの処分では出場停止二年間の恐れもあるとか。見逃してやれよ。私はこんな時に「決まりは決まりです」と偉そうに言う正義の羽虫が嫌いである。同型機関車シロフもすぐさまFIDEに抗議の声明を発した。
 『世界史的立場と日本』は第二回座談会を。これが最も充実した回だと思う。普通の座談会と違って話があまり脇道にそれない。私の引用が、全体に話の流れが存在したことを読み取れるようなものになってるといいけど。座談会ならではの味もあり、大東亜共栄圏の考え方を、理論だけでなく、その根底にある気分まであらわにしている。
08/12/03
 ドレスデンの後日談を。男女あわせた総合成績で最優秀のチームにはガプリンダシビリ杯が与えられる。今回はウクライナだった。ところが、どんな管理をしていたのか、泥棒にカップは壊され、埋め込んだダイヤをほじくられてしまったのである。また、最終戦のあとイワンチュクがドーピング検査を拒否した、という話まで伝わって、ウクライナ困ったちゃん。
 チェス五輪の膨大な棋譜に食傷気味なので、しばらく今月のムダ話でも。この一年の新刊書では『日本語が亡びるとき』が面白かった。もう三刷だと畏友が教えてくれた。これは何度か書いたので、今年読んだ古い本を話そう。『世界史的立場と日本』である。前から読みたかったのに、図書館で閲覧するのさえ厄介な本である。思い切って古書店から買った。
 京都学派については廣松渉や子安宣邦の本を通して学んできたが、実際に『世界史的立場と日本』を読んで印象が変わった。私もこの座談会の論調には同意できないものの、この連中の方が廣松や子安よりも頭が良さそうなのだ。京都学派を非難する者は、自分でもわかる責めやすい所を突ついてきたにすぎないのではないか。とりあえずは私もそうするしかないのだけれど。
 読みたいと思ってる人は多いはずだ。三日をかけて本書の一部だけでも紹介しておこうと思う。まづは第一回座談会を。桶谷秀昭『昭和精神史』はこれを後の二回よりも高く評価している。私は議論の流れがまだ固まらない準備体操の印象で読んだ。

戎棋夷説