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世界史的立場と日本

藤田親昌編『世界史的立場と日本』昭和十八年、中央公論社。

参加者。高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高。

第三回座談会「総力戦の哲学」

昭和十七年十一月二十四日

総力戦の理念

高山 戦争の歴史的形態というものは変遷しているのであって、どの時代の戦争も全体戦というわけにはゆかない。よく言われるように古代の戦争では、社会集団の全体が戦争の主体、担当者であった。ところが、中世では兵農が分かれてそれぞれ専門的な部門になり、さらに近代に至って国民というものが戦争を担当するという傾向になってきた−戦争がだいたいそういう形態をとってきていることは否定できないところだ。今日の戦争、総力戦というものは、もちろん国民の全体が戦争を担当するという近代の戦争形態からさらに発展したものと考えられるわけだが、なおそこに、今日の総力戦には現代特有のユニークな構造、形態があると思う。ルーデンドルフがこの前の大戦から定義づけた全体戦というもの、そいつとは非常に違う点がある。この点をつかむことがはなはだ重要なんで、今度の戦争を考えるのにも、戦争というものは宣戦布告とともに始まり、やがて講和談判をもって戦争が終わる、そして戦後に再び元のような平和の秩序というものが出来上がるのだという−そういうふうな戦争の理解の仕方がまだ非常に強いように思われるが、こういう戦争概念で今度の戦争を考えることは、僕はきわめて危険ではないかとさえ思う。今度の戦争は事実とっていない。またそういう経過をとるまいと思う。なるほど、大東亜戦争は昭和十六年十二月八日に始まったのだが、それは武力戦が始まったのであって、すでに経済封鎖・経済断交というときに総力戦は明瞭に始まっている。それどころではない、支那事変とともに大東亜戦は開始せられていると考えるべきものだ。今度の戦争では前大戦や近代戦の場合のように、講和談判という形をとって終わるとは考えられないふしがある。もしそういう形をとるならば、それは一時的のものなので、やがて同じ戦争が何年かの後に再び開始せられるだろうと思う。−では今度の戦争が終わる時はどういう時かと考えてみれば、今度の戦争では武力戦というものには双方に一定の制限がある。戦争しながら東亜共栄圏を一歩々々建設してゆく、そうすれば何年何十年続いても絶対不敗だ。アメリカも米洲広域圏みたいなものを造るに努力することだろう。そういう具合になって、結局われわれが言ってる東亜の共栄圏秩序というもの、あるいは、一般的に世界秩序というものを敵も認める、認めざるを得なくなる、われわれの言うことを本当に妥当だと承服してくる。この時がわれわれの勝利で、今度の戦争の本当の終末なんだ−。その途中に第一次大戦の終わりのヴェルサイユ会議というふうなものはできようがない。そんなふうの、前大戦と同じ意味の戦争であってはいけないと僕は思う。僕はそこに世界史的戦争の意義もあるし、また実は今度の戦争の道義的意味がある、今度の戦争は秩序思想の転換、畢竟は世界観の転換ということでなければいかぬと、こう思う。

アメリカと総力戦体制

鈴木 アメリカが総力戦体制を備える場合にはわれわれの勝ちだという高山君の話、僕も同感だ。なぜかというと、僕はアメリカは現在の状態において総力戦体制はできないと思う。すなわち総力戦体制というものは、秩序変革の必然を認識するところに自覚的に生まれてくる。だから秩序変革の必然性を自覚しなければ出てこない。総力戦体制の理念が出てこない。そういう意味でアメリカが総力戦の理念というものを自覚して、そういう自覚において体制を整えるという点に立ち至れば、結局思想戦的にわれわれの理念が勝利を占めた瞬間だと考えていい。何だか観念的な詭弁のようだが、総力戦というものはそういうものだと思う。
西谷 アメリカの看板がデモクラシーである以上、いわゆる自由とか私益追求の立場とかいうものを全然否定することはできないんぢゃないかね。

共栄圏と総力戦

高山 いま総力戦を「国家総力戦」といっているが、僕は疑問がある。本当の総力戦というものは、国家総力戦であるだけでなく「共栄圏総力戦」だ……
高坂 そうなんだ。
高山 いま日本が大東亜戦争を担当しているので、日本だけが総力戦体制であるかのような感を与えるけれども、今だって共栄圏の資源や労働力を組織的に統合しなければ、日本の総力戦というものは真に成立しない。

共栄圏と民族の哲学

西谷 共栄圏総力戦ということから−この前の座談会でも言ったことだが−大東亜共栄圏内のあるものを日本人化する、教育によって徹底的に日本人化するということも、空想ぢゃないと思うね。(略)とにかく、現在ではわれわれは−日本においても朝鮮においても−民族というものを大きく考えることが要求されていると思うんだが……
高坂 そう思うね。いままでの民族の考え方はどうも少し狭すぎると思う。民族というものは歴史的に生きて動くものであるにかかわらず、何だか動きのとれない非歴史的な民族を考えている。それでは自然民族にすぎない。民族自決主義なぞと言う時の民族は皆それだ。しかしいま、大東亜の共栄圏が実際に要求されているということは、従来の民族の考え方では実はとてもやってゆけなくなってしまって、それで狭い民族の考え方を超えた新しい形の民族理論が要求されてきた、ということを示していると思う。朝鮮民族も、広義の日本民族となることによってその本当の歴史性が生きてくると思う。しかし同じことは国家についても言えはしないか。日本を中心とする幾多の共栄圏国家によって、大東亜の共栄圏というものが組織される場合、従来のヨーロッパ流の自分だけで孤立的に考えた国家の考え方は捨てられなければならない。国家というものも共栄圏の立場から新しくなってゆかなくちゃならない。これが古来の東洋的国家意欲に帰ることなのだ。そうは考えられないかね。

米英的自由の矛盾

高山 昨年ルーズヴェルトとチャーチルが大西洋憲章を宣言した。あの宣言は依然として民族自決主義だの自由貿易だの門戸開放だのを事新しく繰り返している。要するにどこまでも旧秩序思想を一歩も出ていない。あれがどれほどの宣伝効果があるものか、僕らにはそこがどうもわかりかねる。民族自決主義が表に出てくると、その裏は必ず植民地帝国なんで、民族自決主義と帝国主義とは一つの同じ根源から出た盾の両面だということ、これが近代ヨーロッパの歴史的事実が嘘偽りなく証明している明々白々の事実なんだがね。それなのに、そういう大西洋憲章でたぶらかされる者がいるとするならば、それは植民地帝国とか権力支配とかいう面だけは無くして、ただ民族自決の方面だけを持続してゆけるもんだと−こう考えるからだろうと思う。こんなことができるものでないことは、低能や馬鹿でない限りすぐわかると思うんだがね。まるで「隻手の声」を聞こうというようなものだ。近代史の事実だけでない。自由・平等という思想の論理をちょっと考えればわかることだ。自由ならば当然自由競争・自由放任となる。自由競争・自由放任となれば当然優勝劣敗・弱肉強食の修羅場となるわけで、その結果は言わずと知れた権力的支配の不平等だ。同じ自由主義の原理から、結果的には相容れないような民族自決と植民帝国と、抽象的倫理と実力的支配とが出てくる。この実に単純な論理、そいつがわからぬとはまことに情けない。こういう近代思想でできている大西洋憲章の矛盾を堂々と、近代世界史の事実から、さらに理論的な立場から世界に発表して、大西洋憲章ではまたまた戦争を始める秩序しか出ないことを説得してやればいいと思う。たしかあれの第一章は英米は現在以上の領土拡張をせずというようなことで、しかも後の方では自由貿易や門戸開放などを言っている。門戸を閉ざしたりしたのが誰だか、奴らの莫大な領土がどうして作られたか、そんなことは全くしらばくれている始末で、こんな、なんというか、盗人たけだけしい……。
高坂 そうだ!
高山 人を愚弄した言い方って無いね……、思想戦の根本は、こんな世界観の矛盾だらけな由縁を指摘して、そうしてこれに代わる新しい道義の原理を示してやる、これ以上有効なものは無いと思う。
西谷 米英のつもりではおそらく、自分たちの植民地の民族というものはまだ独立しえない段階にある、だから独立できるまでは自分たちが預かって面倒を見てやる、そういう考えだろうと思う。しかし彼らはそう言いながら他方で植民地の諸民族を搾取せずには居られない。そこに彼らの立場の矛盾があり、同時にいま言ったような彼らの考え方の欺瞞性がある。それは、日本がほとんど歴史的必然的に負わされている立場と比べればすぐ明瞭になる。日本の立場からは大東亜の諸民族というものを覚醒させて、共栄圏の民族にふさわしいものに引き上げる、そういう意味で彼らを積極的に指導する、ということが必然的に要求される。ところが米英のデモクラシーや民族自決主義には、そういう積極的な指導というようなものは少しも含まれてはいない。むしろ覚醒されては困るという立場だ。だから一方では、デモクラシーの建前から、彼らが独立できるようになるまで面倒を見るのだと言いながら、他方では、彼らを搾取し続けるために、彼らが独立できないように絶えず隠れた策略をめぐらさねばならぬ。そこに米英のデモクラシーの立場に含まれている偽善がある。しかもこの偽善は、彼らが意図するとしないとにかかわらず一種の歴史的必然なのだ。

米英的自由の矛盾

高山 近代というものを形作ったヒューマニズム、特に自我中心というものに根本的な矛盾が含まれている。ここをよく考える必要がある。
高坂 人間中心主義の矛盾だね。

 この時期はすでにガダルカナルに米軍が上陸している。四人の議論は低調だ。三回の座談会をすべて読み終わって、特に言っておくべきは、国体に関する議論が一切無かったことである。同じ京都学派でも、師匠の西田幾多郎や田辺元とはこのあたりが違う。つまり、大東亜共栄圏の思想と天皇崇拝は必ずしも重ならない、ということに初めて気がついた。うかつな話である。
 下記に京都学派の世界史観の基本的な態度がわかる文献を抜いておいた。



高山岩男『世界史の哲学』

岩波書店、昭和十七年。

 現今の世界史上の大動揺、世界史の大転換がもたそうとしているのは何であるか。私はそれを、ヨーロッパ世界に対して非ヨーロッパ世界が独立しようとする趨勢あるいは事実であると考えるのである。十九世紀の末葉ないし二十世紀の初頭にかけて、ほとんどヨーロッパ世界に内在せしめられたかのごとく見えた非ヨーロッパ諸国が、わが日本を先達として漸次この内在化より脱却し、それに超越的な存在性を示しきたったこと、それによって従来端的に「世界」と考えられてきたヨーロッパ世界そのものの近代的な内的秩序がおのづから崩壊の期に達したことを、現代の世界史的大転換が示していると考えるのである。このことは、非ヨーロッパ世界がヨーロッパ世界と漸次対等の存立性を要求し来たったことを意味し、したがってここに、近代的世界とは異なった秩序と構造とをもつ現代的世界が、あるいは真実の意味における「世界史的世界」が、初めて成立の端緒についたことを意味するものにほかならない。それゆえ、この傾向は支那事変や大東亜戦争において突然現れたものではなく、すでに二十世紀の初頭より現れ始めた傾向なのであって、ただその最も大きな決定的な結果が満州事変より支那事変への連鎖であり、支那事変より大東亜戦争への拡大に他ならぬのである。私は世界史始まって以来、現代において初めて真に「世界」の名に値する世界が出現し、「世界史」の名に値する世界史が開始せられたと考える。したがって、歴史哲学にもこの認識の上から、新たに考え直さるべきものが多々存するのではないかと考えるのである。

 世界史学の立場は、ランケなどに見られるように、世界を重視する立場に立っている。しかし私の見るところでは、ランケもまだ正鵠な世界史の理念を有するものとは言い難く、世界を重視することは、まだ必ずしも真実に世界史の立場に立つことにはならないのである。では、世界を重視しつつもなお世界史の立場に達しえない所以は、あるいはむしろ世界を重視しつつも世界史の立場に達することを妨げているものは、何であるか。これが私の考うるところによれば、世界一元論とも称すべき素朴な思想に他ならない。この思想はまた従来の世界史家にも多く自明の前提とせられ、主題的に批判せられることのきわめて少なかった思想であると思う。ここに世界一元論と称したものは、世界を始めから一つと考え(最も素朴な立場においては地球上の自然地理的空間をそのまま世界史的世界と考える)、歴史的世界を完成的に存在するもののごとく考える思想をいうのであって、これは無論世界の多元性を考慮し、世界の歴史的な成立や発展を考慮した結果の世界一元論ではない。いわば一元論・多元論の思想対立以前の素朴な一元論たるにすぎない。このことは、ヨーロッパ世界の無限な拡張期に生をうけた泰西史家の立場としては、ある程度まで致し方の無いところであったともいえよう。しかしこのような安易な思想を、そのままの形で妥当せしめ難くしたのが、現今の世界史的情勢にほかならぬのである。

 ヘーゲルなどの歴史哲学においても、東洋世界やギリシヤ・ローマの地中海世界が考えられながら、それらはゲルマン諸民族の世界の出現を準備する手段と考えられ、世界史は自由の意識における世界精神の進歩とせられることによって、ついに素朴な世界一元論の立場を脱することができなかったのである。同様のことはマルクスの経済史観にも見られ、アジア的生産様式のごとき地理的特殊性に対する考慮はしても、近代社会の特殊現象たる階級の対立性がそのまま世界史に拡張せられ、世界史はどこも同一の経済法則に支配せられる階級闘争の歴史と見られることによって、これまた素朴な世界一元論の立場を脱しえなかったのである。さらにこのような世界一元論は、世界史家として高く評価せられるランケにもなお支配するところであって、周知のように、彼は普通古代と称せられる地中海世界に独立な世界性を認めず、ヨーロッパの世界史をもって世界史と考え、それはすべてローマに流れ入るとともに、ローマから流出ずるものと考えた。ランケにとっては世界の多元性は問題とならず、いわば東洋と西洋との未分に合流せるローマ世界の連続的発展の中に、世界史の一切が抱擁せられてしまったのである。

 出版は昭和十七年だが、初出は二年前の文章である。高山の主題を一言で言えば、「近代の後(ポストモダン)」だろう。まさに「現代的」だ。グローバル化という観点から論じてるのも面白い。たとえば、いまでもIMFが地域の特殊性を考えず、「世界一元論の立場」のまま欧米流の価値観で地球を一色に塗りつぶし、その結果、アジアやアフリカの経済を混乱させてきたのを連想させる。
 とはいえ、「近代において歴史が終わった」と考えないところが、フクヤマとコウヤマの大きな違いだろう。


「世界史講座」第一巻『世界史の理論』

弘文堂、昭和十九年。

西谷啓治「世界史の哲学」

 「世界」は単に諸々の国家や民族を超越して客観的に存するものとしてのみ考えられず、したがって諸国家の各々は単に無制限な恣意の主体としてのみあってはならない。近世における「世界」のかかる在り方は、後述するごとくデモクラシーを原理とした世界秩序に現れていたのであるが、現在においてはさらに新しい「世界」が開かれねばならぬ。すなわちそれ自身あくまで客観的な秩序をもって存立するものであるとともに、その秩序が諸国家の各々の主体性そのものに担われているごとき世界、逆にいえば諸国家がそれぞれ主体として成り立ちながらしかもその主体性そのものにおいて普遍的秩序を現わしているというごとき世界である。

 新しい世界と世界史との哲学は、事実が理性的に普遍化される此方において真に世界に立脚するものであり、要するに理性的構成を両方向に超えてこれを包むものである。その時はもはや此方も彼方も無い。事実の成り立つ世界において事実を本来的な、しかし根源的に本来的な、ありまたありしままに捉える立場であり、ただその根源性において理性をも含むものである。かかる立場が、絶対無の立場と言い得るものであると思う。

 なに言ってるのかよくわからない京都学派の典型的なエクリチュールである。ポストモダンってそういうものなのかも。「後述」が無いのは残念だが、書かれたとしてもこの空疎さは解消されなかっただろう。いかにも西田幾多郎の弟子たちである。
 「絶対無の立場」なんて本当に成立するのか、それとも、自分たちの理論に矛盾が生じた場合、その矛盾が正当であるかのように言いくるめるときの呪文なのか、そこは私の勉強した程度では見極めがつけられない。


 引用は仮名遣いや漢字の字体、ルビ等を適宜改めている。