Informant Gallery '90Chess Informant49-76

1990年(平成二)

バブル経済崩壊。エーコ『薔薇の名前』。東西ドイツ統一。ティラミス。

五度目のKasparov-Karpovによるタイトル戦。最後のマッチでもあり、80年代の締め括りにふさわしい。第14局、突如、KasparovがScoch Openingを採用したのが印象的だった。全24局の内容も見事だったが、Kasparovが押し気味で、二人の勝負に決着が着いた感もある。事実、次にKarpovが勝つのは2002年の暮れである。

Informant 49
一位 49/322 Geller-Dreev, New York, 1-0, C08
(強引な駒捨てで優位を主張して、渋い好手で勝ちを決める。ベテランの味。)
三位 49/591 Portisch-De Firmian, Reggio Emilia, 1-0, E14, 1989
(盤面を広々と使ったスケールの大きい攻めが華麗である。)
Informant 50
一位 50/388 Kasparov-Karpov, New York/Lyon(m/2), 1-0, C92
(敵の弱点に狙いをつける構想の素晴らしさ、巧みな駒の組替え。)
二位 50/392 Kasparov-Kappov, New York/Lyon(m/20), 1-0, C92
(むしろ、力尽きたKarpovが崩れ去る姿に感情移入してしまう。)

1991年(平成三)

湾岸戦争。モーツァルト没後200年。宮沢りえ写真集『Santa Fe』。

Ivancukの年になるはずだった。王座挑戦決定トーナメント、一回戦のJudasinを四勝一分で撃破。強豪揃いのLinares大会ではKasparovを押えて優勝。つづく挑戦者決定戦の準々決勝も二勝一敗四分でYusupovを追い込み最終局へ。だが、そこで待っていたのは史上まれに見る逆転劇だったのである。なお、この年から年三冊刊行になった。

Informant 51
一位 51/635 Korchnoi-Kasparov, Amsterdam, 0-1, E99
(King's-Indianの名人とKing's-Indian退治の達人の戦い。駒組みに注目。)
六位 51/127 Belyavsky-Anand, Munchen, 0-1, B09
(ベスト10にAnand初登場。彼らしいスカッとした勝ち方である。最後の一手がいい。)
Informant 52
一位 52/592 Ivancuk-Yusupov, Bruselles(m/9), 0-1, E67
(文句無く90年代最高の一局。20世紀の「Imortal」と言ってあげたい。)
二位 52/573 Yusupov-Ivancuk, Bruselles(m/8), 1-0, E43
(どたんばでこんな名局を残せるYusupovの精神力に脱帽。)
Informant 53
一位 53/115 Short-Timman, Tiburg, 1-0, B04
(戦いが煮詰まってしまった、と思ったとき、局面の収拾に乗り出した駒は、、、。)
五位 53/649 Kozul-Popovic, Novi Sad, 1-0, E99
(定跡に大きな影響を与えた攻め筋。内容も、最後まで勝敗がわからない激戦。)

1992年(平成四)

ユーゴスラビア崩壊、内戦へ。ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の"冬彦さん"。

つかの間、Fischerが帰ってきた。「いまさら」と思う人がいたら残念なことだ。素晴らしい棋譜を残してくれたのだから。しかし、よりによって対局場はユーゴスラビアだった。彼は対局料を得るどころか、むしろ経済制裁の対象になってしまう。また、この国の首都ベオグラードにあったInformntの編集局も内戦を避けてキプロスへ移ることになった。

Informant 54
一位 54/145 Kasparov-Karpov, Linares, 1-0, B17
(ルークを自在に振りまわして、かつての宿敵に何もさせなかった完勝譜。)
四位 54/400 Kamsky-Shirov, Dortmund, 1-0, D36
(Kamskyがベスト10に初登場。彼の不思議な棋風がよく出た代表局である。)
Informant 55
一位 55/436 Karpov-Shirov, Biel, 1-0, D46
(地味なこれが一位。プロが選んだのは、語り得ぬ形勢判断の妙だった。)
三位 55/178 Fischer-Spassky, SvetiStefan/Beograd(m/11), 1-0, B31
(20年分の沈黙を補おうとするかのように好手順が連発される。)
九位 55/494 Kramnik-Ulybin,Khalkidhiki,1-0,E11
(KramnikがInformantに初登場。この一局からずっと期待してたのが私の自慢です。)
Informant 56
一位 56/527 Karpov-Kamsky, Moscow, 1-0, D79
(Karpovの最も美しい名局。クィーンのスイッチ・バックで知られる。)

1993年(平成五)

ドーハの悲劇。「コギャル」が話題に。ダチョウ倶楽部「聞いてないよお」。

KasparovにShortが挑戦。後の挑戦者たちと違って、Shortは引き分けを狙わなかった。あえて言えば「負けにいった」。結果は下馬評どおりの大差だったが、彼らは見せてくれたのだ。むしろ問題は、永年の確執の末ついにKasparovとFIDE(世界チェス連盟)が袂を別ったことで、真の王者KasparovとFIDE公認の表向きの王者が両立することになる。

Informant 57
一位 57/576 Karpov-Kasparov, Linares, 0-1, E86
(これは奇跡。全員整列!)
四位 57/383 Gelfand-Anand, Linares, 0-1, D20
(たった11手で見所がおしまいだが、ナイトの鋭い切り込みがAnandらしい。)
Informant 58
一位 58/254 Anand-Ftacnik, Biel, 1-0, B80
(敵駒がわらわら群がってくるのだが、妙に寄らないところが面白い。)
Informant 59
一位 59/484 Gelfand-Dreev, Tilburg, 0-1, D48
(Dreevらしい的確な用兵術がGelfandに反撃の機会を与えない。)
二位 59/620 Serper-Nikolaidis, St.Peterburg, 1-0, E70
(生涯この一局だけの一発屋が見せた一世一代怒涛の大サクリファイス。)
五位 59/277 Short-Kasparov, London(m/8), 1/2-1/2, B86
(Short決断の猛攻。最大の壁は時間制限だった。)

1994年(平成六)

イチロー、200本安打。「ショーシャンクの空に」。自民党と社会党で連立内閣?!

例年豪華な顔ぶれのLinares大会は、この年、特にすごかった。Kasparov、Anand、Kramnik、Ivanchuk、Shirov、Gelfand、Topalov、Kamsky、Bareevなどなど14人。優勝者はKarpov。ぶっちぎりだった。開幕からいきなり6連勝。そして千秋楽では、なんと20年も機会を待ち続けた新手を披露して有終の美を飾ったのである。

Informant 60
一位 60/40 Karpov-Topalov, Linares, 1-0, A33
(華麗なコンビネーションと冷酷な計算で相手のポーンをすべて奪い去った。)
十位 60/281 Topalov-Bareev, Linares, 0-1, C11
(きっとチェス事典の「ダブル・ルーク・サクリファイス」の用例に使われる。)
Informant 61
一位 61/178 Kasparov-Shirov, Horgen, 1-0, B33
(局後、Kasparovは「私の最高傑作のひとつ」と語った。)
Informant 62
一位 62/476 Cifuentes-Zvjaginsev, Wijk aan Zee, 0-1, D45, 1995
(相手の読みを上回る攻め筋と、一気の収束。)
三位 62/201 Shirov-Polgar, Buenos Aires, 0-1, B54
(チャンス!とわかった瞬間、Polgarは普通の女の子になってしまった。)
十位 62/433 Yuspov-Polgar, Moscow, 1-0, D29
(盤上のボクシング。Polgar、壮絶爆死のエキサイティングな一局。)

1995年(平成七)

阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。フェルマーの大定理、証明される。

KasparovにAnandが挑戦。八試合も引分けが続いた後、最初に勝ち星を挙げたのはAnandだった。しかし、それがかえってKasparovに火を着けたらしい。歴史に残る新手ですぐに追いつくと、予想外のDragonを炸裂させて連勝。あせったAnandは無理なオープニングを採用して失敗。闘志も失せ、終わってみれば大差のマッチだった。Kasparovの治世は最盛期を迎える。

Informant 63
一位 63/276 Kasparov-Anand, Riga, 1-0, C51
(19世紀の流行戦法がトップ・レベルの激突で復活。)
Informant 64
一位 64/315 Kasparov-Anand, New York(m/10), 1-0, C80
(私がKasparovからひとつ選ぶならこれ。序中終盤すべて彼らしい。)
七位 64/20 Salov-Shirov, Amsterdam, 0-1, A21
(ようやくShirovの勝局をご紹介できます。良い棋士でしょ。)
Informant 65
一位 65/417 Ivancuk-Shirov, Wijk aan Zee, 1-0, D44, 1996
(Ivancukを語るに必ず言及されるクィーン・サクリファイスの名局。)
二位 65/200 Topalov-Kramnik, Beograd, 0-1, B57
(構想力のKramnikと、ねじり合いで真価を発揮するTopalovの熱戦。)
五位 65/267 Adams-Dreev, Wijk aan Zee, 1-0, C07, 1996
(90点満点の88点で新手賞を獲得。Adamsの駒あしらいがさらに魅力的。)

1996年(平成八)

羽生善治七冠。たまごっち、プリクラ、茶髪。有森裕子「自分をほめたい」。

早指しならすでに1992年頃からコンピュータはあなどれぬ「人類の敵」だった。で、いよいよDeep Blueが通常の時間制限でKasparovに挑戦。しかも初戦に勝利して世界を驚かせた。が、最後は1勝3敗2分。落ち着いた局面での弱さが目だって、そこを突かれたようだ。Informantは一局もまともに収録していない。Kamskyがチェスに挫折する淋しい年でもある。なお、65巻から編集部はベオグラードに戻った。

Informant 66
一位 66/382 Kasparov-Kramnik, Dos Hermanas, 0-1, D48
(Kasparovの用意周到な攻撃手順に堪えたKramnikの反撃が重厚。)
九位 66/384 Yakovic-Giorgadze, Yerevan, 1-0, D48
(追いまくる。仕掛けて以降、指し手のほとんどがチェックだ。)
Informant 67
一位 67/311 Ivancuk-Topalov, Novgorod, 1-0, B85
(大会の優勝は僅差でTopalovに譲ったが、名局はIvancukが得た。)
Informant 68
一位 68/346 Anand-Karpov, La Palmas, 1-0, D21
(なんか強引な攻めに思えるが、Anandはさわやかに決めてしまう。)
二位 68/29 Kramnik-Anand, La Palmas, 1-0, A30
(Kramnikのサクリファイスは汗を感じさせない。可愛気が無いぜ。)
五位 68/345 Belyavsky-Scerbakov, Yugoslavia, 0-1, D20
(新型5...Nc6が真価を認められた一局か。みなさんもお試しあれ。)

1997年(平成九)

携帯普及率約30%に急増。ダイアナ妃事故死。埴谷雄高『死霊』未完に。

場内がザワザワした。目の前の事件を、みんな信じられない。うろたえたKasparovが首を振りながら、人々の前を逃げ去ってゆく。それも、定跡を間違えるという死ぬほど恥ずかしいミスを犯して。1勝2敗3分。我等の王がDeepBlueに負けてしまった。局後の会見、傷心のKasparovを観衆は万来の拍手で励まし慰めた。

Informant 69
一位 69/511 Ivancuk-Kasparov, Linares, 1-0, E81
(Kasparovが狙った鋭い反撃まで、おそらくIvancukは読み切っていた。)
番外 69/4 Kasparov-Deep Blue, New York, 1/2-1/2, A07
(ナイス・セーブ。Deep Blueの実力が最も発揮された一局だろう。)
Informant 70
一位 70/89 Anand-Lautier, Biel, 1-0, B01
(私が1.e4.d5を採り上げるのはこれが最初で最後じゃなかろうか。)
四位 70/416 Alterman-Gabriel, Bad Homburg, 1-0, D48
(この頃から、知名度の低い棋士の上位入選が目立ってきます。)
Informant 71
一位 71/559 Atalik-Sax, Szeged, 1-0, E37
(研究し抜いたぎりぎりの勝ち手順。新手賞も獲得した重要局。)
三位 71/472 Karpov-Anand, Lausanne, 1-0, D48 ,1998
(Karpov最後の栄光だろう。ChessChroniconの最長手数記録も達成。)

1998年(平成十)

長野五輪「ふなきー」。「いきなりキレる」日本語に。「だっちゅーの」。

ShirovがKramnikを下しKasparovへの挑戦権を得た。しかしこの王座戦は実現せず、むしろ二年後、KramnikがKasparovと戦うことになろうとは。また、FIDE会長のお膝元Elistaで第33回チェス・オリンピアードが決行された。女子は中国が初優勝。1991年、すでに中国は謝軍(Xie Jun)を女子世界王座にしているから不思議は無いが、開催地といい、東方の興隆は90年代の新しい流れである。

Informant 72
一位 72/421 Ivanchuk-Svidler, Linares, 1-0, D85
(この四年間で四局の一位を獲得している。誰よりも多い。)
九位 72/549 Scerbakov-Syrtlanov, Koszalin, 1-0, E97
(黒が健闘した前半と、白が冴えまくる後半の流れが面白い。)
Informant 73
一位 73/538 Gelfand-Shirov, Polanica, 1-0, D85
(一人時間差攻撃と謎の逃げ場所、挙動不審のルックです。)
三位 73/488 Veingold-Fridmans, TallinZt, 1-0, D44
(低い知名度さえ持たぬ無名戦士が奇跡の新手で大暴れ。)
Informant 74
一位 74/110 Kasparov-Topalov, Wijk aan Zee, 1-0, B07, 1999
(Kasparovに十分な展開を許したら、という怖い話。)
三位 74/564 Kramnik-Leko Tilburg, 0-1, E60
(知らんぞこんなの。ブタマンジュウ・ギャンビット?)

1999年(平成十一)

天皇杯優勝で去る横浜フリューゲルス。モーニング娘。「日本の未来は♪」。たれぱんだ。

FIDEはカスパロフもアナンドも参加しない大会を世界選手権と銘打って開催した。強豪から中堅まで約百人も雑多に集め、短期間の勝ち抜き戦でガラガラポン。このお手軽な運営で優勝したのは多くのチェスファンが聞いたこともないような男だった。立派な棋士だが、FIDEの権威を高める働きを出来なかった点は否定できない。しかも、これは愚かな慣習の始まりにしか過ぎなかったのである。
なお、Informant77のベスト10はうち6局が翌年のもので、本欄に相応しくないため、割愛します。

Informant 75
一位 75/144 Nunn-Nataf, France, 0-1, B32
(猛攻に加え、搦め手からの何気なナイトが印象的。)










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