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04/06/10に戻る

■ 5月19日

 

22〜23日に行われる1回戦の組合せが、5月14日に発表になっています。最上位No1(第1シード)に最下位No64、No2にNo63・・・という方式で、No1のコネルー(インド/2513)はVan Der Merwe(南アフリカ/2062)と対戦。レーティングで300の差があれば、まず負けないといわれているようです。

11シード(No11)のコステニク(ロシア/2469)は、No54のSergeeva(カザフスタン/2319)と。

(1) 対局は先後2局

最初の40手を各90分、以降を各15分。ただし、1手指すごとに30秒加算

(2) (1)で未決着なら、タイブレーク2局  各25分+10秒

(3) (2)で未決着なら、タイブレーク2局  各5分+10秒

(4) (3)で未決着なら、最終タイブレーク1局

抽選の勝者が先後を選ぶ。白6分、黒5分。切れ負け。ドローは黒勝ち

 

■ 5月20日

 

大会公式サイトがようやくアップされました。サイト内のPlayersページで、各プレーヤーの詳細が見られます。といってもコステニクの対戦相手Sergeevaは年齢の記載なし。調べてみるとほぼ同年齢のようです。去年、コネルー(No1)と熱戦。う〜む。

コステニク・サイトによれば、彼女はすでにエリスタに。ちょっと前にはスイスでイベント出演。このイベントについてはチェスベースにも写真満載レポートが載りました。 

 

■ 5月21日 開会式

 

開催地エリスタ(カルムイキヤ)と日本との時差はたぶん5時間。会場はチェスシティ・ホールか。(あいまいな話ばかりですみません)

チェスシティ・ホールとは、98年の第33回チェス・オリンピアードのために建造された施設。つくったのはカルムイキヤ大統領=FIDE会長イリュムジノフ。彼の政治的スキャンダルから、ボイコットなどもあった大会でした。

当時14歳のコステニクは、この大会にカルムイキヤ・チームの一員として参加。実績的にロシア・チームには加われなかった彼女に、大統領=会長がチャンスを与えたとか。けっか個人成績二位(10/13)、当時の最年少WGMに。この辺の話は彼女の著書『How I Became a Grandmaster at 14』、パート1の冒頭エッセイで語られています。コステニクにとってエリスタは特別な場所なのでしょう。

 

Round1

 

■ 5月22日 Game1

 

会場はチェスシティ・ホールではなく「シティ・チェス・ホール」が正しいようです。中にあるらしいチェス・ミュージアムの写真も大会サイトに載っていますが、FIDE会長が指さすパネルに写っているのは、だれ? 第1シードのコネルーが初日黒番を選び、以下、第2=白、第3=黒・・・第11シードのコステニクは黒番スタート。

対戦相手Sergeevaの去年の棋譜を並べてみましたが、コステニクに4月の欧州選手権のようなタフな指し回しが出れば、負けようがない感じに思えます。もちろん、コステニク・サイドはまったく楽観的ではないよう。「われわれがいつまでエリスタにいられるかは、わからない」。大会サイトではインタビュー、レポートなどを動画配信するそうです。

大会サイトでは開会式の様子も紹介されています。なんと野外、草原上にて。「あそこに見える大木に集合してください」? カルムイキヤの歌や踊りが出席者を歓迎したそうで、風はまだまだ冷たそうだけど、リラックスムードがなかなかよい感じ。

カルムイキヤはカスピ海北西に位置。住民はラマ教を信奉し、人口約30万人の半数がモンゴル系、三分の一がロシア人。公用語はカルムイキヤ語、ロシア語。(フリー百科事典「ウィキペディア」を参照した)。FIDE系のサイトはいつも文字が多く堅苦しいですが、今回は写真中心で楽しめます。

 

対局は信頼度アップのコステニク完勝(棋譜1)。ダブルポーンをがっちり封鎖しスペースで優位にたった後は、Rc7〜d5の好手でフィニッシュ。対局時間は三時間強。やるなと思ったのがIrina Krush(第13シード)。大会サイトにGame1の写真があがっています。化粧室、すごそうです。

プーチンからのメッセージもアップ。「本大会はチェスの普及に貢献するものと確信する」。FIDEの意図をくんでいるといえそう。コステニク・サイトもレポート開始。「シティ・チェス・ホールは、ガラスとコンクリートでできた魔法のチェスのお城」(コステニク著書より)

 

■ 5月23日 Game2

 

コステニク、力強く初戦を突破(棋譜2)。まさかの初手d4、序盤の勝負手g4が印象的でした。昨日、彼女はプレーヤーを代表して記者会見に出席。FIDEとの近距離が気にならなくもないですが、エリスタへの思いを語ったようです。

 

Round2

 

■ 5月24日 Game1

 

コステニク・サイトがさっそく開会式〜Round1の写真をアップ。二回戦の相手はViktorija Cmilyte。第22シード。欧州ガールズ選手権1993(U10)優勝を端緒に、ディズニー・ワールド・ラピッド(U12)、世界ガールズ選手権(U12)優勝、欧州選手権03準優勝など華々しい棋歴の持ち主。

いただいたメールによると「シロフの奥さんです。強敵」。両者は昨年のWijk aan Zeeで対戦しましたが、このときは31手でドロー(黒コステニク=グリュンフェルド)。

Cmilyteの棋譜を並べた感じでは、踏み込んでいくタイプのよう。熱いバトルが期待できそうです。

いただいたメールより「コステニクは欧州選手権の服を着てるのでは。ゲンをかついでる?」。マニアは深いなあ。

 

初戦はコステニク負け(棋譜3)。どこまでリアルタイムに忠実な中継か知りませんが、黒20!?のあと21〜23まではあっさり進み、24でコステニク長考。ここのやりとりは、どうだったんでしょうか。やや強引に事を起こすが、落着してみると局面は自分の利におさまっている。Cmilyteの棋譜にはそんなシーンがちょくちょく。全体にドロー率がぐんとあがったようで、紙ひとえの戦い。タイブレーク実現を期待しつつ。

 

■ 5月25日 Game2

 

大会サイトにFIDE会長をプレーヤー陣が囲む写真が。スクリプチェンコとコステニクはほぼ同じ身長のよう。ということは? コステニク・インタビューもアップ。記者会見でのもののよう。ここでは、代わりに「New in Chess」のQ&Aから。

好きな色は?                赤。愛の色だから

好きな食べ物は?    ママの手料理がいちばん好き

好きな飲み物は?    グレープフルーツ・ジュース

ベスト・ブックは?    ドストエフスキー「虐げられた人びと」

自分の性格の長所は?        意志が強い

では短所は?                気分屋さん

いちばん怖いことは?        孤独。親しい人を失うこと

2003年No7 「Just Checking」

 

メールで教えていただいた。今回の当日タイブレークには、さすがに疑問の声がでているそう。(前回大会は、たしかタイブレーク用の予備日があった)。Round1ではタイブレーク×5が4組、終了はなんと午前1時半。現地午後2時スタートのGame2から約半日というわけで、これではココロもアタマもお肌も棋譜もぼろぼろか。R1敗退のスクリプチェンコは、タイブレークは避けようとGame2でのドローオファーをこばんだそう(棋譜4)

チェスベースも大会レポートを開始。Round1ハイライトシーンの解説付きです。「ウイーク・イン・チェス」はいまのところ結果のみ。英紙「デイリー・テレグラフ」が連載チェスコラムで紹介。「イギリス人の参加はないが、3名のアメリカ人がはるばるカルムイキヤへ・・・」。男子大会について日本でも3月に報道がありました。リビアのせいでしょうか。こちらは6/18〜7/13予定。

 

残念ながらコステニク敗退(棋譜5)Cmilyteは白17と強く突きだしながらも、黒17の攻めてこい!には長考のすえ、のらず。昨日もそうでしたが、こうした中盤の駆けひきは、ライブでは二人の息づかいまで伝わってくるようでした。

 

Round3

 

■ 5月26日 Game1

 

R3の個人的注目はElisabeth Paehtz−許c華(Xu Yuhua)。Paehtzは愛称エリ。ツウはどの対戦に注目? グルジア決戦でしょうか。大会サイトには、コステニクにつづきラーノ・インタビューが。会場では24日にブリッツ・トーナメントが行われたそう。現地の子どもたちらしき姿もみえます。いいチェスを見ると腕がうずうずしますよね。

大会サイトがR1、R2の模様を収めたビデオをアップ。コステニクの姿はR2で。プレーヤーそれぞれのナイトの向きに注意しても、おもしろいかも。記念撮影やブリッツ・トーナメント、プレスルームの様子などもみられます。

 

■ 5月27日 Game2

 

コステニク・サイトはいまのところ沈黙。とてもよく出来たサイトと思いますが、今回の件、どうまとめるか腕のみせどころでしょう。

Game1のコネルーはKosintsevaを圧倒(棋譜6)。中盤から力の差がはっきり。グルジア決戦のLomineishvili-Dzagnidzeにチェスらしい筋が(30手〜棋譜7)。Kovalevskaya-Lahnoは楽しい乱戦でした(棋譜8)。許c華は中国プレーヤーを連破してきたPaehtzのキングを鮮やかに包囲(棋譜9)。

ビッグママ、チブルダニゼががんばってます(棋譜10)。ママをふくめグルジアは3名が残っていますが(参加7名)、本大会は当初グルジア開催を予定していました。FIDEがグルジアの首都トビリシ開催を発表したのが去年11月初め。その直後、グルジアでクーデターが起こり、これでWWCCは消えたなと思っていたところ、FIDEは今年4月にグルジア南西部にあたる、アジャリア自治共和国の首都バツミ開催を発表。激動のグルジアにあって、さらに緊張関係にあるトビリシ→バツミでしたが、けっきょくお膝元エリスタへ緊急着陸というわけでした。おなじみのゴタゴタですが、ともあれグルジア勢には去年から期するところがあったのでは。

 

チブルダニゼ(1961〜)がチェスを覚えたのは8歳のとき。トビリシのチェス教室にかよい、10歳でグルジアの少女チャンピオンに。医師の資格をとったものの、「いつもチェスが最優先だった」。78年、17歳で同じグルジアのガプリンダシビリに挑戦し世界チャンピオンに。以後、91年までタイトルを保持。女子世界タイトルはガプリンダシビリから約30年間グルジアにあり、同国でのチェス人気は絶大、ふたりは国民的ヒーローだったそう。チブルダニゼはエリスタで交通事故にあい、死にかけたことがありました。コステニク同様、チブルダニゼにもエリスタは特別な土地かも。

 

中国では、コステニク=「克斯騰紐克」もしくは「科斯騰紐克」のようです。大会サイトの記事が、つぎつぎと中国語に・・・。大会サイトの関連写真キャプションが参考になります。ラウンド評もいい感じ。コネルーは大会でいちども笑顔をみせていないそう。Cmilyteが記者会見で家族を語っています。ふたりめの子どもが生まれたばかりで、大会準備はとてもたいへんだった。でも夫(シロフ)が力を貸してくれたし、いっしょに子どもたちの世話もみてくれた。コステニク戦についても。「彼女は最近の成功を裏づけなくてはと思っていた」。コステニク・サイトがその後をアップ。エリスタ近郊で子どもたちと多面指しをしたそう。

 

準々決勝のみどころは許c華−コネルー(科内魯)か。チェスベースがレポート2を掲載。許c華、17歳Dzagnidzeをピックアップ。

 

Round4

 

■ 5月29日 Game1

 

許c華が選んだ流れのはずなのに、なぜかコネルーに分ありのエンディングに(棋譜11)。許は動揺ありあり。時間におわれたような感じも。ステファノバ−Dzagnidzeはドロー模様からステファノバがふみこむ(棋譜12)。Dzagnidzeは不意をつかれたか。絵に描いたようなフィニッシュに興奮しました。やっぱりライブでしょう。

 

許c華(1976〜)は浙江省杭州市出身。12歳で中国代表チーム入り。ライバルたちからやや遅れ、許c華が頭角をあらわしたのは20歳のときで、世界ジュニア選手権で3位に(諸宸(Zhu Chen)優勝)。98年、アジア選手権優勝。02年、ブレド・オリンピアードで代表チームNo2。ワールドカップ02では準決勝でコネルーを、決勝でステファノバをやぶり優勝している。

 

20世紀初めの上海から中国チェス界の活動はあったようです。中国人プレーヤーがはじめてGMに勝ちチェス界に衝撃を与えたのは65年。その後、文化大革命によるブランクがあり、国際舞台復帰はブエノスアイレス・オリンピアード78。91年、ソ連のチェス雑誌が「中国現象の到来」と題する記事を掲載。同年、謝軍(Xie Jun)がチブルダニゼをやぶり女子世界チャンピオンに。「グルジア現象」から「中国現象」へ。99年、謝軍がGalliamova(ロシア)をやぶり世界チャンピオンに復帰。おおかたの予想をくつがえしたこの勝利により、中国チェス界への評価は不動のものとなったようです。中国から8人が選出された今大会、サバイバーは許c華のみ。さて。

 

コネルー(1987〜)はインド南東部アンドラブラデシュ州出身。チェスを覚えたのは5歳のとき、プロの指導によらず父親がコーチをつとめていたそう。世界ジュニア・ガールズ選手権をU10、12、14と制覇。01年、ジュニア・チャンピオン。02年、15歳でGMに。03年、アジア選手権優勝。現在、国内総合ランク8位。

 

コステニクはモスクワへ。自宅でしばしの休息でしょうか。今後は6月18日よりワルシャワの国際女子トーナメント「PWPW S.A. Chess Cup」に参加予定。ほかにステファノバ、ポーランドのプレーヤー4名が参加、計6名による10ラウンド。早指し戦でネット中継もあるようです。

 

■ 5月30日 Game2

 

許c華、ついにおよばず(棋譜13)。白23以下、端にあやをつけ仕掛けたもののチャンスはなかったよう。白23でc5なら・・・.迷ったようにみえましたが。

 

以下、メールで教えていただいたことに若干の調べをくわえて。コネルーの父はスパスキー−フィッシャー72に感動、チェスにのめりこむ。しかし経済的な制約もあり、チェスはあきらめ大学教員に。コネルーの名「Humpi」(現在はHumpy)とは「チャンピオン」の意。コネルー6歳のとき、その才能に気づき、ついには大学教員の職をすてて娘のコーチに専念したそう。コネルーの祖父もチェスファンだそうで、彼女の活躍は三代にわたる夢の実現なのかも。

インドではクリケットが大人気。スター選手はCMにひっぱりだこ。アナンドは、そんなクリケット・スター並みの知名度をほこっているそうですが、コネルーにもまたメディアの熱い視線がそそがれているとか。

 

Semi Final

 

■ 5月31日 Game1

 

大会サイトがPaehtz(ベスト16)インタビューを掲載。コステニクとともに本大会のファッションリーダーPaehtz、タイブレークではキャップをかぶっていたそうで、これが彼女のトレードマークらしい。しかしながら、このキャップは「髪が気にならないように。時計をより早く押すために」と、あくまで実用目的とのこと。そういえば恐怖の赤ヘル少年はママの実用からでしたね。

Round4のフォト・レポートも。許c華が手にしているのは大会パンフのよう。ステファノバはカメラ目線が好き? 前後しますが、Round3タイブレークの動画は必見です。

ベスト4に10〜40代が各1名ずつ。インド、ロシア、ブルガリア、グルジアと国バランスもいい感じ。大会サイトはRound4の動画もアップ。BGMはカルムイキヤのパンク?

 

必勝形にみえたコネルーが負けました(棋譜14)。良すぎた? ステファノバのおてんばチェスは今夜は不発。これは明日もまた、とことんでしょうか。

チェスベースがベスト8までのレポート3を掲載。「クリスティの残酷な小説のように、参加プレーヤーがエリスタから消え続けている」。インドの有力紙(らしい)「ヒンズー」が30日付でコネルーの活躍を報じています。「ハンピー、見事な勝利」。日本の新聞での将棋のように棋譜内容にもふれた記事で、「Petrosian System」「on the fifth rank」「three isolated pawns」などチェス用語が頻出。ジャンルはスポーツ。この日はほかに、全国子ども早指し選手権についても。

 

ステファノバ(1979〜)について欧州選手権02優勝時の地元紙記事より。ブルガリアの首都ソフィアに家族とともに在住。コーチは一度もつけたことがない。最初のチェスの先生は父。父はアーティスト。欧州選手権優勝はブルガリア・チェス史上、最高のもの。「ひとりで本で研究するのが普通だし好き。最近はネットも活用」「疲れがたまってきてるけど、でもやっぱり、私はチェスと生きていく」。エティはこの欧州タイトルを家族、1歳のおい、ブルガリア・チェス界に捧げた。

 

■ 6月1日 Game2

まずステファノバが決勝進出をきめました(棋譜15)。白は19がおかしかったようで、次の黒c5で終わってしまった感じ。

大会サイトがRound4タイブレークの動画をアップ。勝者も敗者も無条件に尊敬してしまいそう。

 

Final

 

■ 6月2日

チェスベースがレポート4を掲載。決勝はフリッツ・サーバーで中継をやるそう。

大会会場では30日、FIDE前会長カンポマネスが臨時記者会見をひらき、スコアシートにかわるパーム型の端末を披露したとか。2日(水)はオフです。決勝は3日より4局マッチで。

 

コワレフスカヤ(Kovalevskaya 1974〜)は94年、20歳でロシア・チャンピオンに。ほか、クストボ1998、ベオグラード2000に優勝。00年にふたたびロシア・チャンピオン。現在、国内ランク4位。

国家主導のソ連チェスでしたが、当初、女子については消極的だったそう。27年の第一回女子選手権はわずか二日間、持ち時間も短縮で行われたとか。

本腰がはいったのは50年代。ひとりの熱血コーチが登場、ベテランを鍛えなおすなど約20年間献身し、女子チェス界の世界覇権はソ連の手中に。ところが62年、世界チャンピオンの座はグルジアの21歳、ガプリンダシビリに奪われてしまう。

78年、さらに年少の17歳チブルダニゼが世界タイトルを獲得すると、ソ連の若いプレーヤーはこれに刺激され、15歳の国内チャンピオンも生まれる。しかし80年代、有能な人材の海外移住・亡命、ポルガーシスターズの登場などにより、ソ連の優位は徐々に失われていった。

 

ステファノバがはじめてスポットライトを浴びたのは、最初のGMノームをゲットした97年のハワイ・オープンだったとか(4位)。このとき18歳。ブルガリア・チェス界からの援助はなく、独力でがんばっていたらしい。99年、フローニンゲンで優勝。2位に半ポイント差でコワレフスカヤ。WCC01ベスト32どまりなど、じゃっかんの停滞ののち02年に欧州チャンピオン。03年には世界ランク2位に。

「デイリー・テレグラフ」31日付チェスコラムがコネルー−許c華を解説。

 

ステファノバの、そのハワイ・オープン97直後のロンドンでのインタビュー記事より。ステファノバは英語がうまい。セクシー、自信家、愛想よし。ブルガリアはチェスだけでは生活できない。共産主義体制はチェスにとってはよかったけど、民主化されたことが何よりだいじ。国にはまだ問題がおおく、わたしたちはデモを繰り返し政権をかえた。(このころのブルガリアは激動期)。ブルガリアでの友人にチェスプレーヤーはいない。サッカーやバスケの選手や、ふつうの人。友人たちとはいろんな話をするけど政治のことが多い。イギリスに来たのははじめて(大会参加)、バッキンガム宮殿に行ったけどもっと観光したい。好きな国はない。いいトーナメントを開いてくれるところが好き。西側の人は人間関係よりビジネスが大事みたいね。

 

あるサイトによれば、コワレフスカヤは序中盤でチャンスをつかむのがうまく、また腰の重い、粘っこい終盤に特徴があるそう。弱点は序盤作戦。白番の優位を失うこともしばしばで、むしろ黒番のカウンタープレーにさえがみられるとか。写真をさがすと数学者コワレフスカヤ(1850〜91)ならいっぱい。ちょっと似ているような・・・数学者コワレフスカヤは幼児期、数学好きの伯父から大きな影響をうけたそう。ふたりでさまざまな話題を論議したそうですが、よくチェスを指してもいたとか。

余談ついでに今日は将棋のほうも名人戦。羽生、森内に解説佐藤とチェスメンがそろっています。  

 

ステファノヴァ・インタビューのつづき。チェスは5歳のとき、父からおそわった。父もチェスがだいすきで、コーチにはつかず二人で研究した。たくさんのチェスの本を読んだし、早くから「インフォーマント」も使っていた。現在(97年)のスポンサーはウイスキーのジョニーウォーカー。おかげで遠征ができる。そんなわけで対局ではジョニーウォーカーのシャツを着るし、取材では名前をだすようにしている。数年はチェスに専念して、そのあとは大学で心理学をまなびたい。このインタビュー時の大会で、ステファノバは売出し中だった13歳マクシェインとドロー。 

 

■ 6月3日 Game1

 

勝負手連発のコワレフスカヤ、ひくところはひくステファノバ(棋譜16)。中身の濃い一戦だったのでは。

大会サイトが大量に情報を追加。ファイナルのテーブルはカルポフ−カムスキーWCC96で使われたもの、「GENS UNA SUMUS」・・・、許c華が語る謝軍の近況=議員&子育て、チブルダニゼ「若い子を泣かすのはつらいわ」、Semi Final動画にコネルー父? Dzagnidze「ステファノバは来ると思ってた」などなど。

大会サイトはさっそくファイナル1+エティ勝利会見の動画をアップ。エティのドリンクはコーラですね。

ブルガリアも盛り上がっているようです。ソフィア・ニュースサイトより。「第一戦で勝利を得て、気持ちのうえで優位にたった」「コネルー脱落とあっては、ステファノバの王座獲得が有力」

 

■ 6月4日 Game2

 

大会サイト、チェスベースがそれぞれファイナル1の解説をアップ。黒12は新手とのこと。コワレフスカヤはこれに長考でした。白17・・・・理解できない(チェスベース)。ライブでみていると、気持ちはなんとなくわかったような。

ソフィア・ニュースサイトがサイト人名録にステファノバを追加。紹介した「セクシー、自信家、愛想よし」を引用しています。「CHESS」誌の記事原文は、Sexy, self-confident, sociable ... can we be talking about a professional chess player? Yes, we can, ...記者は棋譜解説をたのむのですが、「とっても疲れてるから」。ところが取材が終わるやステファノバはビリヤードをはじめた・・・

 

大会サイトの許c華インタビューによれば、彼女のチェスアイドルはカルポフ、カパブランカ。チェスプレーヤーにオトコ友だちなし!とのことですが、女子チーム内では「いつも助け合っているし、それをチーフコーチや彼の部下がコントロールしてくれている」。10月のカルビア・オリンピアードには中国の四連覇がかかっています。

妊娠中のため本大会不参加の世界チャンピオン諸宸は、この8日より北京で対コンピュータ戦にのぞむ様子。ノートパソコンのプロモーション目的のようですが、中国ではチェスはそれほどのものになっている、と。

 

コワレフスカヤは早期のケンカは避け、得意の終盤で勝負の方針だったか(棋譜17)。ところがその終盤でミスが。黒53がおかしかったようで、逆先をとられ一気に形勢不利に。ナマ解説はシステムの調子がよくなかったようでしたが、みなさんは聞けましたか?

謝軍が以前、チェスの大会は長旅になるし時差ボケするし、といってそれを避ける手だてはないしと嘆いてましたが、昨日分のステファノバ動画には、やつれがでてますね。チブルダニゼのように「指したりないわ」なんて方もいますけど。 

 

■ 6月5日 Game3

 

大会サイトがファイナル2を解説。「ともに、ふさわしくないミスが目立つが、二人がハードな戦いをへてきていることを忘れてはならない」。ステファノバの勝利会見でも、そんな話が。精神的にも肉体的にも、とってもたいへん。ファイナル1と同じ服であることを指摘され・・・ゲンをかついでいるわけじゃない。ラクな服だということ。写真の顔がちょっとムクんでるような。

 

白番コワレフスカヤは勝つしかなかったわけですが・・・これはもう一丁だろうの展開、しかし、白40を境に攻守交代。まぎれのない局面になってしまったようでした(棋譜18)。大会サイトにさっそくフォト・レポートがあがっています。ステファノバはいつもどおり☆ネックレスをつけて。やがて王冠をかぶったステファノバの姿がみられるのでは。地元速報「ブルガリアのギャルがチェス世界チャンピオンに」。スター誕生、おめでとう!

 

注記:閉会式の様子はFIDEサイトに載っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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