この夏休み、私たち一行は大学のフィールドワークTという講義の現地実習で 韓国を旅しました。新大阪駅に集合し、山陽新幹線で門司へ、さらに在来線に乗り継ぎ、下関到着。関釜フェリーで玄界灘を渡るところから、この旅は始まります。「宿は行った先で探し、その場の交渉で決めます」という説明会での発言で、40人くらいはいたはずの登録希望者が、ふたを開けてみればたったの9人になりましたが、とても自由な、そして心に残る8日間となりました。以下は、その旅の記録です。
フィールドワーク in 韓国 '99夏







フィールドワークT(韓国) T.Y(3回生)

 

7月11日<第1回事前学習>

 私たちは、事前学習として『8月のクリスマス』という韓国映画を観に行った。韓国映画を観るのは初めてである。映画に映し出された韓国の街並みは、もっと中国みたいな姿を想像していたが、あまり日本と変わらないな、と思った。それは、日本の田舎に行けば、今でも見られるような風景で、懐かしい雰囲気だった。もう一つ、この映画から韓国について思ったことは、生活状況が豊かだ、ということだった。どうしても、アジアというと治安が悪く危険なところというイメージをもっていた。でも、今回この韓国映画をみて、私のイメージは変わった。この映画を見て、やっと『るるぶ』や、旅行ガイドを見てみようと思った。間違ったイメージのまま韓国に行ってしまうよりは、少しでも現地のことを知ってから行ったほうが面白いだろうと思ったからだ。さらに、先生から、韓国に行くに当たって訪問地のことを調べておくようにと課題が出されてあったので、買い物のこと以外もわかかるようにしようと思った。

 この日は、映画の帰りに鶴橋の韓国料理店で初めて本格的な韓国料理を食べた。私は、韓国料理といえば、キムチと焼き肉しか思い浮かばなかったけれど、このとき食べたチヂミがとても気に入った。他にも、どんぐりのゼリーみたいなものも食べた。冷麺は、氷が入っていて酢を自分で入れて食べる食べ方なんて初めてだった。キムチもあんなに種類があるなんて知らなかった。韓国料理は、私にはとても合っていると思った。先生の知り合いで、韓国には先生以上に詳しい 平野さんという方もゲストで来てくれて、不安に思っていることなどを聞いてもらったり、アドバイスをしてもらった。

8月26日<第2回事前学習>

 今日は、韓国から入ってきたという京都・太秦廣隆寺弥勒菩薩半跏思惟像を見に行った。この日は、先生が20分も遅刻したのに「韓国へ行けば、こんなのは遅刻にならない」と、変な言い訳をしていた。仏像を見た感想としては、すごくあっさりした顔と体つきの仏像だなと、思った。薄暗い部屋の中央にライトアップされた仏像は、まあまあきれいに見えた。でも、この日はかなり暑かったので、見るより涼んでいるほうが多かった。
 今日は韓国に行く打ち合わせの最後の日で、もういよいよだなあという気持ちでいっぱいだった。

 

9月3日(第1日/出発)

 この日は、JR新大阪駅の中央待合室に10時30分集合だった。私は、待ち合わせの40分も前について暇をもてあましていた。10分ぐらいたって、友達2人もやって来たので、安心して待ち合わせの時間まで他のみんなを待っていた。しかし、待ち合わせの時間になっても、誰も来ないので、みんなが遅れているのかと思い、自分達が待ち合わせ場所を間違えているとは、ちっとも思わなかった。そのとき、一緒にこのフィールドワークを登録した友達から携帯電話がかかってきて、私たちが間違っていたことにようやく気づいた。急いでみんなの待っている集合場所に向うと、もう全員そろっていた。先生は、この間の自分のことはすっかり忘れているかのように、「団体行動に遅刻はいかん」と言っていた。新幹線の時間には、間に合ったが、携帯電話がかかってこなかったらまだ気づかないで、待っていたかもしれない。とりあえず、間に合ってよかった。

 新幹線に乗り込むと、みんなすぐに買って来た弁当をひろげて食べた。この新幹線で、いったん小倉まで行き、そこから普通電車に乗り換え、下関まで関門トンネルを通って引き返し、関釜フェリーに乗ることになっていた。フェリーターミナルには、早く着いて、かなり待ち時間があった。私は、ターミナル内でボーっと座っていたが、その間に日本からかけられる最後の電話をする人もいた。ターミナル内は、まだ日本だというのに、周囲では、大きな荷物を持ったおばさん達の韓国語が飛び交っていた。

 船内に乗り込むと、私達が一泊する2等室は、じゅうたんのしいてある大部屋で、敷蒲団と毛布のセットが幾つも並んでいた。そこは、知らない人とも一緒だったので、お財布のことが、かなり心配だったけれど、一つのグループが1等室の鍵のかかる部屋に泊まっていたので、そこに預けることで安心できた。もう一つの心配は、変なおじさんが隣になったら嫌だなと思っていたことだった。同行していたりーち先生も、そのことには気を遣ってくれて、私の隣になってくれた。もう片方には、どんな人がくるのかと心配していたら、大学生らしい日本人の女の人2人だったので、安心して眠れた。ただ、夜中に一度だけ、先生が寝返りを打ったので、私は先生に押し潰されて、苦しい思いをした。

 この大部屋で、幼児を連れた夫婦と仲良くなった。その子供は、人見知りしないかわいい子で、一緒に遊んだりして、船内の生活は、全く退屈しなかった。出港の時は、甲板に出て、日本を離れるのを見届けた。船内に戻ってみると、韓国の人達が日本で買い込んだ大量の食品や電化製品などを、とてもうまく一つにまとめていた。この荷造りは、かなり見物で感心した。夕食は、船内の食堂で親子丼を食べた。日本にいるうちは日本食を食べようと思ってしまった。

9月4日(第2日/釜山上陸、慶州へ)

    

 朝、起きて甲板にでてみると、もう目の前には、韓国の地が見えていて何だかわからないが、やる気がわいてきた。先生の話では、夜中の2時頃にはもう着いていて、港外で停泊していたそうだ。税関が開くのを待っていたのである。
 韓国に上陸し入国手続きを済ませると、まず、地下鉄で高速バスターミナルのある、東莱へ行くために500Wのキップを買い電車に乗った。そして、駅から高速バスターミナルまで、かなりの距離を歩いた。次の慶州行き高速バスの時間まで1時間ほどあったので、待合所内にあった売店で水を買い、プリクラを見つけたので、みんなでプリクラをとった。

 高速バスで、移動した後、また先生について歩いた。ターミナルから歩いていくと、すぐにホテル街が見えてきた。先生が、目をつけていたホテルは、ロッテ荘ホテルというところで、まわりの大きなホテルと違って、こじんまりとした、小さな建物だった。このクラスのホテルが立ち並んでいる風景は、なんとなくラブホテル街っぽかったが、私達が泊まったところは普通だった。

 さて、ホテルにはいって部屋を決め、チェックインしようとした時、なにかポタポタという音がして、どこから音がするのかと不思議に思い、水回りなどを調べてみたが、おかしなところはなかった。しかし、昼なのにカーテンが閉まっていたので、おかしいなと開けて見ると、なんと上の階から水漏れしていて、その水が窓のところに流れて来ていて雨漏りしているようだった。先生から「小さな問題解決や交渉事は、なるべく自分たちでするように」と指示されていたので、一緒の部屋の友達と、韓国語がわからないなりに、部屋を変えてもらいたいと、ホテルの人に交渉すると、あと5000Wずつ出せば、もう一回り大きい部屋が空いていると言うので、その部屋に変えてもらった。これが、一番緊張した。

 旅行にいって、自分で部屋を決めて交渉して、気に入らなかったら変えてもらう。よく考えたらあたりまえのことだが、遠慮したり、弱気になったり、言葉がわからないからもういいや、と諦らめてしまったり、我慢したりすることが、多いと思う。私が、今回の旅で学んだことの一つは、このことだ。自分の為の旅行なので、どうすれば,自分がいかに快適に過ごせるかを追求して、良くないところはかえていく。こういったことは、自分自身でやらないといけないことだということがわかった。

 ホテルに荷物を置いたら、すぐに国立慶州博物館へ、バスに乗って行った。そのバスも、観光用のバスなどではなく、普通の市バスで、学校帰りの地元の学生でいっぱいだった。博物館で、私は、調べて来た資料を発表した。博物館からホテルヘの帰り道に、ショッピング街のようなところで、少しだけ自由な時間が出来たので、マニキュアと韓国の音楽雑誌を買ってかえった。先生が、おいしいと有名なあんパンみたいなお菓子を買ってくれて、みんなで食べた。韓国初日の夕飯は、焼き肉だった。焼き肉でも、豚の焼き肉だった。でも、これは油がのっていて、いくら食べても飽きない味でおいしかった。

9月5日(第3日/慶州)

 今日の朝食は屋台のようなところで食べた。そこは、屋台のようでもあるが、店のようでもあった。私は、串に刺さった鶏からあげと、ピザのようなものを買って食べた。ひとつひとつが、大きいので、みんなでいろいろ買って切り分けて食べあった。他には、のり巻きの様なものや、ホットケーキの生地でウィンナーを巻いたものや、カレー味のものを巻いたものがあった。 このなかでも、私は串に刺さったからあげが、一番おいしいと思った。からあげは、すこしぴりからの味で、ケチャップとマスタードをつけて食べた。おなかいっぱい食べて、後でみんなで割勘していると、一人たった1000Wぐらいでとても安かった。

 その後、仏国寺についたが、先に石屈庵にいった。石窟庵は、ハイキングをしているのかと思うぐらい、山の上の方まで歩いた。着いたところは広々としていた。山を降りて来て、次に佛國寺に行った。佛國寺に着く頃には、雨が降って来ていた。

 佛國寺見学後の昼食は、山菜ビビンバを食べた。その後、民俗工芸村に行くつもりが、バスを乗り過ごしてしまい、みんな疲れていたので、仕方なくいったんホテルに帰り休憩をとることにした。ホテルについてわたしは、すぐにふとんにはいり寝た。というのも、私は韓国に来る2日前ぐらいから風邪をひいてしまっていたので、これからの韓国旅行を元気に過ごすためにも、とりあえず寝た。どれぐらい経ったのか、先生が部屋を訪ねて来て、「5時になったら夕飯を食べにいくから、準備しておりてきなさい」と言った。

 夕飯は、部隊鍋だった。部隊鍋は、なんでもかんでも入っているようなキムチ鍋だった。ウィンナーやら餅やらラーメンの麺まで入った超激辛キムチ鍋だった。その帰りに、また少し自由行動の時間を作ってくれたので、私は靴屋に寄り、サンダルを5000Wで購入した。そして、海外旅行では欠かせない計算機を日本から、持っていくのを忘れたので、キーホルダーの計算機を3700W出して買った。この後、本当に海外旅行に行く私にとっては、計算機は必需品だなあとつくづく感じることになった。値段の交渉をするときは、必ず自分の計算機で確認しながらでないとやっぱり嫌だと思ったからだ。

 ホテルの近くのコンビニの様なお店で、私は二日連続で昨日と同じ、ナタデココ入りのマスカットジュースを買ったのに、前の日は700Wで、この日は600Wだった。韓国の人の商売は、その日の気分によるものなのかなあと思った。

9月6日(第4日慶州、大田へ)

 今日の朝食は、通り道にあったパン屋でパンを買って、バスターミナルの待ち合い所で食べた。韓国のパンは、日本とよく似ていてアンパンがあり、味もまったく同じだった。そして、餡は、こしあんで、これは本当においしかった。

 朝食が終わってから、歩いて天馬塚のある古墳公園と鶏林と天文台に行った。古墳公園は、だだっ広い敷地内に丸い古墳がいくつもあった。

 その近くで、昼食は鉄板焼きを食べた。そこのおじさんが、サービスでコーヒーを出してくれた。そして、この日は昨日行きそびれた民俗工芸村に行った。民俗工芸村では、無料で見てまわれるところが、たくさんあってよかった。新羅焼を作っているところも見ることができた。おみやげ店も多かった。私は、そこで紫水晶のネックレスを購入した。みんなも、ネックレスや指輪などをねぎって買っていた。

 この日は、夕方から国鉄で慶州から大田までの移動だったので、夕食は、ほか弁を買って列車の中で食べることになっていた。韓国の街中は、日本とあまり変わらないので、ほか弁も売っているし、マクドナルドもケンタッキーもモスバーガーもコンビニもあった。セマウル号は、ひとりひとりの座席が広くて、とても快適だった。慶州から大田まで3時間ほど列車に乗った。駅に着くと、りーち先生の大学での後輩だったという、ウソン情報専門大学の鈴木潤先生が待っていてくれた。ホテルへは、タクシーに乗っての移動だった。乗り込んだタクシーの運転手さんはとてもいい人で言葉がわからないながらも、「雨が降ってきた」という韓国語を教えてくれたりした。

 この日のホテルは、今までと違ってとても高そうなホテルだった。実際、後で聞いてみると、この旅行で一番高いホテルだった。みんな、各自の部屋に解散した後、私と友達とで、フロントにAIR MAILを出しにいったら、フロントの人が私の名前を聞いてひらがなで書いていた。日本人客の名前で私の名前が多いのだろうか、「これであっていますか?」と聞き返された。

9月7日(第5日/公州・扶余)

 今日の朝食はホテルのモーニングがついていて、洋食だった。最後に出てきたコーヒーが、ココナッツの匂いのするコーヒーでこれは、あまりおいしくなかった。

 今日は、韓国の日本語を専攻している大学生の人達と公州・扶余へと出かけた。この日は、この学生さん達が一日案内をしてくれることになっていた。最初に、公州博物館に行った。博物館内は私達だけだったので、静かでのんびりしていた。

 昼食は、チャジャンミョンを食べた。食べ方は、皿に盛られた麺の上に、たまねぎ入りの黒いたれをいっぱいかけてたべるようだ。このたまねぎが、生なのでとても辛かった。食べた後、次に行ったところは宋山里古墳群だった。しかし、ここは今工事中のため見ることができるところはあまりなかった。

 そして、今度は公州から扶余へ移動し、扶余博物館へ行った。定林寺と扶蘇山へも行った。扶蘇山では少し山に登ってから、麓の川岸まで降りて遊覧船に乗った。遊覧船を運転していたおじさんは、運転席にふんぞり返って、みごとに足でハンドルを扱っていた。これは日本では考えられない仕事風景だと思った。

 見学の後、暑くてバテていたら学生さん達がアイスをかってきてくれて、とても親切だった。アイスは梨の味のするチューペットみたいなものであっさりした味でおいしかった。夕食は、ブタ肉を炭火でじっくり焼いたものと、冷麺、ぶどうだった。そして、韓国の学生はとてもお酒飲みだと思った。学生さん達は焼酎みたいなのを何度も乾杯しながら飲んでいた。わたしも飲んでみたが、かなり強くて口をつける程度しか飲めなかった。

9月8日(第6日/ソウルへ)

 今日は、朝6時ごろに起きてホテルの大浴場に入った。それは、前の日に、あかすりを体験したくて予約を入れていたからだ。あかすりをやってみたいといった人は、私を含めて5人だった。ところが、早速お風呂にいってしてもらおうと思っていたのに、あかすりをしてくれるおばさんがまだ来ていなくて、私達はかなり待たされた。朝食の集合時間に遅れないようにと思って6時に起きていったのに間に合わなかったらどうしようかと心配していたら、やっとおばさんが来てやってくれた。

 朝食を食べると今日は宿の移動で、荷物をまとめて、再びセマウル号でソウルへ移動した。ソウルの駅の前で写真を撮ったりしていたら、友達が変なおじさんに何やら言われ、襲われそう(殴り掛かられそう)になった。この一件でソウルはいままでのところと違い、都会で、観光客の狙われるところなんだと思い、気持ちを引き締めておかないとあぶないなと思った。

 そして、タクシーもいろいろあるので、値段は少し高いが信用のできるタクシーを選び、めぼしいホテル街まで乗っていった。この日は、先生が昔泊まったことのあるホテルで、少し路地をはいったあやしいところにあって、ひとりでうろうろするにはちょっと恐い感じがした。しかし、ホテルの雰囲気は、外国人の学生が泊るための施設みたいな感じで、いままで泊ったホテルのなかで一番居心地が良かった。

 昼食は、ホテルからそんなに離れていないお店でスントゥブを食べた。食事を済ませると、慶福宮と国立中央博物館にいった。国立中央博物館では、たくさんの子供たちがいて、どうやら校外学習に来ていたようでとてもうるさかった。でも、その子供たちが、一生懸命なにやらメモをとっていたことには感心した。私が、小学校ぐらいのときの校外学習でこんなに一生懸命メモをとったことなんて一度もなかったなあ、と考えさせられた。

 ソウルでは、先生が「これはオマケ」という免税店へも行った。私は、日本を出るときからずっと買おうと思っていたものをさっさと買いこんだ。

9月9日(第7日/ソウル自由行動)

 今日の朝食は、食堂みたいなところでのり巻きを食べた。この日は、一日自由行動で、昼食はとりあえずロッテリアにはいってすませた。買い物もすんでしまい、時間が余っていたので街の中を歩いてみることにした。私達はタワーレコードにいこうとして道を考えていたら、タクシーの運転手さんが近寄ってきて親切に道を教えてくれた。しかし、そのとおりに歩いていたが、なかなか見えてこないのでもう一度違う人に尋ねたら実は逆方向で、30分もかからないところをぐるぐる回り道をしていたらしく1時間もかかってしまった。

 5人で行動していたが、3人が歩きつかれたといったので、まだ大丈夫だと言っていた友達と2人で、さらに時間一杯までソウルの街を歩き回った。2人で歩いているとビラのようなものを渡されたので、とりあえず持ち帰った。そして、夕食の時、それが何なのか、ソウルでのゲストで韓国に留学している喜多さんに聞いてみたら、それは韓国の住民登録用紙だということがわかった。更に、この登録用紙は観光客には渡すものではないらしく「きっと、韓国人に間違えられたんだよ」と言われた。

 夕食は、韓国でも有名な精進料理を出すお店で食べた。精進料理なので味気ないものかと思っていたが、意外においしかった。踊りなども見れてすごく感動した。踊りは、体だけを使って踊るものと、剣やたいこ、小さなドラみたいなのを使うものもあり、みごたえがあった。その後、東大門市場にある夜のデパートへ行って、12時30分まで、さらに買い物をした。この日は、韓国で泊る最後の日で、換金したお金がもうほとんど残っていない状況だったが、ついついぎりぎりまで使い込んでしまった。

9月10日(第8日/帰国)

 今日は朝市へいくために朝食は食べずにホテルを出た。朝食は、南大門市場の道沿いに並んでいる店で中華饅頭などを買って歩きながら食べた。朝市では、ほとんど観光客の姿はなく、お客として来ているのは私達だけのようだった。昼食は、サムゲタンというう黒鶏のぞうすいのようなものだった。一匹まるまま入っていて、見た目はグロテスクだが、味はすごくおいしかった。普通の鶏より味が濃かった。

 今日は日本へ帰る日なので、部屋に戻り荷物を持ってタクシーに乗り込み、空港へ向った。タクシーは3台にわかれて乗り込んだので、空港で合流することになっていた。空港に着くと、3人だけが待っていて、私達を含めて7人が合流できた。先生と一緒にタクシーに乗った友達が、1時間ほど待っても来ないので、何人かずつ探しに行ったりしたが会うことができなかった。そうする内に、もう、搭乗の2時間前になってしまった。私達は先生達に何か起こったのかと心配していた。その時に向こうから先生が走ってくるのが見えた。私達は、先生にあわただしく追い立てられ、とりあえず先に搭乗手続きを済ませた。その後、私達が待っていたところは飛行機の降りる方だったということを聞かされ、私達が間違えていたことを知らされた。

 私達は私達で心配していて、先生達は先生達で心配していたので、この後、しばらくお互い気まずい雰囲気が漂っていた。でもまあ、全員無事に搭乗できたのでこの話はこれでおしまいにしようということになったが、当分は気まずかった。しかし、飛行機に乗ってしまえば、このわだかまりは消え、今までどおりに話せるようになった。

 さて、日本に到着して荷物の受け取りのとき、1人のリュックがなくなっていた。先生も、「10年ほど学生引率をやって来ても、こんなことは初めてだ」と言っていた。保険はかけてあったので大丈夫だったが、1週間の思い出の詰まったリュックがなくなってしまったことは、かなりショックが大きいだろうと思った。韓国では順調にいっていたのに、最後の最後になってこんなハプニングが続くなんて…。(※引率者注:後で無事帰ってきました。)

 でも、旅行に行ってこんなにハプニングが多かったことは初めてで、いろいろな経験ができた。今回も、海外旅行は、私にとって、ほんとうにいい経験になったと思う。行くたびにいろんな経験ができるし、気づかされることがたくさんある。楽しい旅になってよかったし、この旅行を通じて一緒に旅行したみんなと友達になれたこともよかった。


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